悟りを得た人、何か書いてみて

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1考える名無しさん
哲学の極意とは悟りにあるのではないかと思います。
真理を確信して迷いが無い状態です。
悟った方。あなたの悟りを書いてください。

注意:
 お馬鹿な意見はご遠慮ください。マジレス希望。
2考える名無しさん:2001/03/22(木) 00:50
人生の目標とは生きることだ(一応マジレス)
3すまん単なるツッコミだが:2001/03/22(木) 00:52
これって宗教ネタでは
4考える名無しさん:2001/03/22(木) 01:21
苦しみ続ける事を受け入れなさい。
5考える名無しさん:2001/03/22(木) 01:45
人生の教訓スレですか?
6考える名無しさん:2001/03/22(木) 01:54
おれはマジで悟ってる。しかし、書くのはかなり面倒くさい。
そんな暇ない。まあ、簡単に言えば、
生命の本質は生きること。
自分の人生を生きること。
わかんないよね。説明下手でごめん。
7うん:2001/03/22(木) 02:13
自己中は避けるべきだがそれこそ生きる理由かな。
8考える名無しさん:2001/03/22(木) 02:19
うーん、あまりにも漠然としていて難しいんじゃないかな?
質問を変えてみたら?
いきなり頂上に連れてけ、みたいなもんだし、あなたがどの山道
を使ってるのか、1だけじゃわからないし。
9考える名無しさん:2001/03/22(木) 02:31
人生苦しまなきゃおっけーです。何も高みを目指すこたぁない。
10考える名無しさん:2001/03/22(木) 02:33
方山さんに訊けば?
11このヘンで逝ってみて:2001/03/22(木) 02:37
12考える名無しさん:2001/03/22(木) 02:40
たぶん、1は下のURLを貼りまくってる者だろう。
http://www.otera.net/yybbs/yybbs.cgi
向こうのHPでやって欲しいものだ。
13考える名無しさん:2001/03/22(木) 02:40
悟りってのは自分以外の人に語れるものではないのではないでしょうか。
語れるようなものなら、悟りを開いた人が一人いればその他の人はもう
悟る必要はないでしょう。

14考える名無しさん:2001/03/22(木) 03:08
悟りとは一人づつ違う物なのです。
三者三様、
とらえることはできません
15悟りを得た者:2001/03/22(木) 03:19
仕方ねえ。マジレスしてやるか。
こんなマジレスは匿名掲示板ならではだな。
とりあえず頭がすっきりする。
心理的にも物理的にも。
悟りを得た後では頭のてっぺんにされていたフタが取れたようだ。
ルネサンス期の絵画によく頭のてっぺんに輪っかが載っかてるのがある。
あの様子はなんとなく納得できる。
しかし、悟りはそれほど超自然的なものではない。
透視などの霊能力とは直接は関係ない。
心の平穏とでも言おうかな。
欲望などの迷いのなくなる状態。
仏教ではニルバーナとか滅却とかいうよね。
あれも実際に悟りを得れば至極納得のゆくものだ。
ま、悟りを得たからと言って通俗的な意味での幸せを得られるかは
また別のことだけどね。
16考える名無しさん:2001/03/22(木) 03:29
>>15
ええ!悟りを得たの!?ならなんで涅槃に入らないの?ねぇねぇ教えてよぅ。ニルヴァーナって涅槃の事だよねぇ。
あと、自分が悟りを得たという根拠とかも答えて欲しいのう。
17考える名無しさん:2001/03/22(木) 04:02
何か書けって言われても・・・

今、「ドラゴンへの道」がTVでやってる。
やっぱブルース・リーはいいね。
18考える名無しさん:2001/03/22(木) 04:16
悟りをえたわけではないが、

>>6「自分の人生を生きる」

には激しく同意。結局そういうこと。
19俺の悟りは:2001/03/22(木) 04:41
「人生には目的なぞない」だ。
20考える名無しさん:2001/03/22(木) 04:47
>>19
決められた目的は確かにない。
だから自分の人生は自分で目的を設定できる。
21考える名無しさん:2001/03/22(木) 04:49
安易に「悟った」とか言って恥ずかしくないのか。君達は。
2218:2001/03/22(木) 04:50
悟ったとは言ってないもん・・
23考える名無しさん:2001/03/22(木) 04:51
別に恥ずかしくない。俺は俺の考えを信じてるし。
24考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:01
>>別に恥ずかしくない。俺は俺の考えを信じてるし。
自分の考えが間違ってる可能性があるとは考えんのか。
君、歳は幾つかね?
2519:2001/03/22(木) 05:01
補足

人生の目的のために生きるのではない。
生きるために目的を一時設定するのである。

だな、より正確には。
結局他の人と似た考えだと思う。
26>>24:2001/03/22(木) 05:02
いいのよ、悟りなんだし。間違いかどうかなんて関係ない。そう信じてるだけ。
27考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:03
>>24
「あらゆる可能性を考えた上で、
自分はこの考えを選択する。」
と言うことなのではないかな?
何でも間違いになりうるし何でも真実になりうる。
物事は文脈のなかで理解されるべきだ。
28考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:04
24氏は人の考えにケチ付けるだけですか?
29考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:04
>>25
そう思った。
結局どれもすごく似てるよね。
30>>29:2001/03/22(木) 05:07
ですね。
3124:2001/03/22(木) 05:09
だから自分が信じてるだけの事を悟りなんちゅーららのーなんぬりるららー!!
のー!?
ぬー?
にゃー。
32考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:11
>>31
はにゃーん。
「自分が信じてるだけのこと」ではないことには
何があるのかい?
33考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:12
いいのよ。1氏が何を望んでるのかしらんけど、
自分の信念を書くってことでかまわないでしょ。
んなことこっぱずかしくって匿名掲示板でないとできんし(笑

そもそも悟りの定義なんて空しい。
意味の意味を問うのと同じぐらいに。
34考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:19
信じている事が信じられなくなったら?また苦しみの中へ戻り、また信じられるものを探す。結局繰り返しではないですか。
そんなあやふやなモノを悟りなて呼ぼうものなら坊さん連中山から降りてきて現代人にむけて喝!!
35考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:21
>>34
名前が悟って言うの?だからこだわってんの?
なにはともあれ>>32に答えろゴルァ
36考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:23
34さんウザイよー
37考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:27
文献に書いてあることを盲信するのやめようよ〜
それ真の哲学者の態度じゃないでしょ。
正しいことって何?どうやって決めるのそれ。
38考える名無しさん:2001/03/22(木) 05:44
汝らは自らの考えを一生、心の底から、信じ続ける事が出来ますか?
いつ変化してしまうかもわからない、単なる「個人的意見」を「悟り」と呼んでしまったら、悟りを得る事を目的にして修行している坊さん達の立場がない、と申しておる。
そーゆーのは信念とかそんな感じの言葉で表現したらどうかね。
3934勝手に細かくレス:2001/03/22(木) 07:34
まあ、悟りなんてモン俺はあんまり信じてなかったり。仏教は宗教。
>>32
んだね。訂正します。
間違ってても関係ないとか言うなら悟りとか軽々しく口にろろてぃぬるとちょぬるっぱー!!
シャーッ!!
ふぁいあー。
>>33
そうっス。哲学板なんだから慎重に喋ろうみたいな事を言いたかったです。1の書き込みに対して俺は悟ってるよ、なんてのはエライ軽率ではないかと。
>>35
名前の事でムキになるのは小学生までと定められてます。それ以降で何か言われたら苦笑いすべし。
>>36
うざい人間はどこにでもいます。うざい人間を追い払うのではなく、うざい人間をうざいと思わなくする方法を考えませう。ぶっきょー。
>>37
文献に書いてあることってどのレスの事ですか。
40考える名無しさん:2001/03/22(木) 07:48
>>1
星川啓慈を読んでみなよ。
言語ゲーム的解釈から、宗教を捉えております。
宗教の悟りだろうと何だろうと、言語ゲーム的側面は否めないのであります。
著書は池袋のJUNK堂に大量に在ります。
先ず、読んでから。
41考える名無しさん:2001/03/22(木) 11:24
「絶対」という言葉は絶対に信じないって逝ってる奴ウザイ。
てめぇの持論だって五十歩百歩のくせによく自信満々に批評できるよな。
42考える名無しさん:2001/03/22(木) 11:57
41に同意。
絶対なんてないといったら、その場で議論は終わってしまう。
人間には、人間に共通の法則ってのがあるはず。
それを追求して、何が悪い。人によって具体的には異なる真実でも、
共通の何かがあるはずだ。
43考える名無しさん:2001/03/22(木) 14:05
44考える名無しさん:2001/03/22(木) 16:21
あげい
45考える名無しさん:2001/03/22(木) 16:25
↓悟りを得た人の体験手記。読んでみてちょ。
http://www.interq.or.jp/punk/gtd/BUNRETU.htm
46いちご姫:2001/03/22(木) 18:11
>>40
星川氏の言語ゲーム理解は問題が多々あります。
悟りの問題との関係では、特に、行動主義的な側面への傾倒が問題。
規準においては区別がされえない心的概念は、星川の解釈では全て同一
になりかねないし、基準の存在しない概念は虚構だ、ということになっ
てしまう。
このような前提からでは、悟りが何らかの行動的特徴を持たない限りは、
悟りは特別な(宗教)心理上のカテゴリたりえない、という結論になる。
47考える名無しさん:2001/03/22(木) 18:14
悟りというのは、今の言葉でいうと「短絡」なんだね。
48考える名無しさん:2001/03/22(木) 18:25
いや、「忘却」だ。
49名無し:2001/03/22(木) 20:15
<無限>に触れる瞬間、だと思う。
50考える名無しさん:2001/03/22(木) 20:20
悟りとは谷口浩美だ
51考える名無しさん:2001/03/22(木) 20:24
国内線の最終便に期待するな!です。
52考える名無しさん:2001/03/22(木) 21:56
悟りとは無限です。そして無です。
34や38のいっている、自分の考え(信念)を信じぬけるか否かは、
そこに「意思の強さ」が介在している事を示しています。

しかし、実際にはそこには何もない。
光明も無い、が。暗闇もない。
それは、意思はあっても意思の強弱は存在しない。
信念であれば揺らぐ事もあるでしょう。
助けて欲しいと思う事もあるでしょう。
今は冷静を保っていたって、いつかはそれが打ち砕かれるかも知れない。
だが、悟りとは究極の自助であり、
いうなれば常に救われている、つまり恒常的普遍的救済。
悟りを得れば死ぬことは怖くありません。
楽しい時も「無」。
苦しい時も「無」。
そして、生きていても「無」。
なれば死して無となっても何が怖い事があるだろうか?
念を押しますが、そこには「意思はあっても意思の強弱は無い」のであり、
「盲信」ともまた違うものです。
万物は流転し、また変化しないものはない。
しかし、肉体は朽ちようとも、精神は果てようとも
魂(高次元だろうか低次元だろうが、粒子としてのではない)
はそこにあり、悟りを開いた人間にのみ認知されます。

最後に。
あったからどう、無かったからどうというのは
「ある」からこそ論じられるのであるが、
「無」は唯一の在って無い存在であり、論じられるものではないと
いう事を書いて置きたいと思います。

無(悟り)は絶対であり、無限である。
53考える名無しさん:2001/03/22(木) 22:08
>>52
もう少し、この板に向いた表現で書いて頂けると有り難いの
ですが・・・。主観的な体験はともかくとして、それを俯瞰
して考えるのが「悟り」と呼ばれているものに対しての態度
としてはベターではないかと思います。
54考える名無しさん:2001/03/22(木) 22:42
自由です、限りなく。嬉しい!
55考える名無しさん:2001/03/22(木) 23:04
52はたしかに悟ってる。おれにはわかる。
おれの場合、52ほど強烈な悟りじゃないから、
もっと表現しやすいかもしれない。

どこかで常に感じていた外界と自己を区別する壁のようなものがなくなる。
自分は男で、○○大学の学生で、そんな自分を定義しているものが、
剥がれ落ちてしまう。
愛着のある道具が自我の一部となるように、あらゆる時間・空間に自我が拡張し、
すべての自然や人間に愛着、いや愛を感じる。無条件に全てを肯定する。
体はここにありながら、意識は広大な宇宙全てに至り、時間とともに、
万物の流転していることを感じる。狭い殻にとらわれることはない。
自己の生命を、自然にあるがままに、活動させよう。

心理学ではピーク体験というそうです。
興味ある人はアブラハム・マスロー読んで。
56考える名無しさん:2001/03/22(木) 23:59
>>55
ピーク体験と悟りは、違います。どう違うかというと、
「悟りを開いた、と思った」か「悟りを開いた」かの違い。
悟りには、思いは無い。強弱もない、強烈な悟りと微弱な悟り
などの区別など無い。

>>52
>魂はそこにあり、悟りを開いた人間にのみ認知されます
どのように「認知」されていますか? レスください。
それで本当の悟りかどうか、わかります。
5755:2001/03/23(金) 00:11
>>56
つまりおれは勘違いヤローってことね。
そんなことを判断できるあなたは何者?
マジにすごい領域に到達した人か?単なる誇大妄想か?
5852さんへ:2001/03/23(金) 00:26
>>52

その悟りに、絶対にして明白な確信、根拠の突き当たりとしての自明性
が付随しているというのは何となくそういうモンなんだろうなぁ、とは
思います。そこで、哲学板らしく伺ってみたいのですが。

(1)「無(悟り)は絶対であり、無限である」 と仰るその、無がどのように
  無限と接続するのかがわからないです。悟りの立場からの無と無限の
  見え方はどんなふうなのですか? 無限が何らかの意味で直接感知で
  き、それが「無」そのものだったという意味なのですか?

(2)「精神は果てようとも 魂はそこにあり」における精神と魂、意識の
  本質的な違いをどう感じているのですか?
59考える名無しさん:2001/03/23(金) 00:46
一々、安っぽく悟るな。
60考えるさん:2001/03/23(金) 01:08

『悟りなんて悟れない』ということに気づくのが『悟り』じゃ。
般若のパラドックスを知らんのか?
61考え無しさん:2001/03/23(金) 01:15
無限について言及することもネ
6234=38:2001/03/23(金) 01:20
>>52
そんなカンジなんでしょうねぇ。色即是空、空色是即。
だから、俺は悟りをあんまり信じられない。だって人間にはそんなモン無理っスよ。脳内麻薬が明日への原動力。
絶対に無理とは言わんが。
63Miss名無しさん:2001/03/23(金) 01:29
悟りを開いたけどまた閉じた。
人生は、結局悟りの開閉を繰り返すだけ。
64考える名無しさん:2001/03/23(金) 01:33
>>63
そういうのは悟りとは言わないと52は言ってるワケ。
65考える名無しさん:2001/03/23(金) 01:44
>>64
さあ?それはどうだろう?
ある体験を契機に強固な宗教的エゴを身に纏う、ということは
十分に考えられる。それに、<照明>とか<合一>とか言われ
ているような状態はそれほど特別なことではない。それを意味
付けるような態度にも疑問がある。
66名無しさん:2001/03/23(金) 01:54
おれは悟りを得てないけど、とりあえず、このスレが板違いなのは真理だと思うよ。
「心と宗教」板とか「電波、お花畑」板とか、「夢、独り言」板に逝ったほうがいいよ。
67考える名無しさん:2001/03/23(金) 02:08
>それを意味付けるような態度にも疑問がある。
宗教ですから。悟りを究極的なものとしなけりゃ意味が無い。
68考える名無しさん:2001/03/23(金) 02:12
>>52
それはご自分で見出されたのですか?
だとすると52さんは悟りを開いたという事でしょうか?
6966:2001/03/23(金) 02:17
>>67
もし、そうなのだとしたら、悟った筈の人も、<意味>の世界
に住んでいることには変わりは無いことになりますね。
7067:2001/03/23(金) 02:24
<意味>の世界ってなんです?

71考えるさん:2001/03/23(金) 02:33
>>67
無意味の反対。
7271だが:2001/03/23(金) 02:34
スマス、>>70 だったよ。
7366:2001/03/23(金) 02:36
>>70
うーん、余り好きでは有りませんが、こういうことを説明する
のには便利な言い方なので、抹香臭い言葉を借りるならば、<
意味>の世界からの離脱は「不思善、不思悪」ということにな
ると思います。

「目の前の茶碗を茶碗だと思うな」ということです。翻って、
「茶碗を茶碗ではないと思うこともするな」ということになる
のではないかと思います。答えになっていなかったらごめんな
さい。

7470:2001/03/23(金) 03:13
なんやようわからんが宗教を問い詰めてっても論理的に正しい答えは出ないんじゃないかと。
75考える名無しさん:2001/03/23(金) 03:14
哲学と宗教はどこか違うのかね?
76考える名無しさん:2001/03/23(金) 03:28
宗教は信じるもの。哲学は疑うもの。
適当レス。
77考える名無しさん :2001/03/23(金) 03:32
>>75 >>76
宗教は思考停止。哲学は思考。
適当デス。
78考える名無しさん:2001/03/23(金) 03:56
宗教は盲信、哲学は虚信
79考える名無しさん:2001/03/23(金) 03:57
>>75
教えられることを信じる(素朴に鵜呑みにする)のでは飽き足らない人間が哲学に走る
その一部は否定神学にまでつきすすむ。それ反哲学的哲学であるポストモダニズムであった。

80考える名無しさん:2001/03/23(金) 04:00
宗教では何でも信じる。
哲学では何も信じない。
そういう意味では表裏一体。
81悟りを得た人:2001/03/23(金) 04:05
               〇
82ふまじめ:2001/03/23(金) 04:26
>>77
>宗教は盲信、哲学は虚信
かなり的確。
77ではありませんので自作自演指摘マニアの方は無視してください。
83考える名無しさん:2001/03/23(金) 04:33
悟りの話や宗教はどーでもいいから、
こりゃすげーっていう究極の真理をぶち上げる人いないの?
84考える名無しさん:2001/03/23(金) 04:55
>>83
それこそが宗教的希求というものです。

85考える名無しさん:2001/03/23(金) 05:21
人間が堕落する方が楽なのはそれが人間の真理に近いから
86考える名無しさん:2001/03/23(金) 06:24
結局、真理など分からないというのが哲学の真理なのでしょうか?
空しいっすね。
87ニーチェ:2001/03/23(金) 06:56
>>86
そんなあなた自身が宗教的人格なのです
88ふまじめ:2001/03/23(金) 07:01

>>85
そうだと思う。
っていうよりは生物の基本的な性質だと思う。

昔、外国で実際に行われた実験・・。
ネズミの脳に電極を繋いで、
あるボタンを押す事によって
快感中枢に刺激を与えるようにしました。
すると、そのネズミはご飯を食べるのも忘れて、
永遠と衰弱するまでボタンを押し続けました。


人間も生物だから基本的な性質は似たようなものだと思う・・。
ただ理性によって踏みとどまっているだけで・・・・。

89考える名無しさん:2001/03/23(金) 07:11
悟れ、煩悩ばかりの者ども。
90考える名無しさん:2001/03/23(金) 07:24
ご飯食べると快楽中枢に刺激が入ります。
だからネズミはご飯を食べます。

もしご飯を食べなくても快楽中枢に刺激がもらえるのならご飯を食べる必要ないです。
これでしたら満腹になることも無いですので厭きません。

しかしこれだと死んでしまいます。ここで間違った報酬系を持つ生物は
最終的に死んでしまい、遺伝的に淘汰されて消えます。
よって生存に有利な刺激に快楽中枢は反応するようになるのです。

この理論で行くと、脳の目的は快楽中枢を刺激することです。
人間が生物である以上、人生の目的も同じはずです。

快楽は「生き残るために存在」するのであって、
電極や薬で刺激するためにあるのではないのです。
91考える名無しさん:2001/03/23(金) 07:31
すると、生存に不利なことを楽しいと思うのは生物的に間違っており死ぬべきってことだな。
すると、自慰もまずいし、麻薬は論外だし、H本を読むのもまずそうだな?
突き詰めると、無益な学問に人生を捧げることも問題ありそうだな?
哲学について考えるのなんて論外か?人生楽しければそれでいいんじゃないのか?
92考える名無しさん:2001/03/23(金) 07:34
その理屈だと2chにハマるのもだめそうだ(w
93考える名無しさん:2001/03/23(金) 08:27
正確には、生物が自分自身に快感を与えるメカニズムが大雑把で、
それで快感があってもやっちゃ行けないことを0にするのが原理的にできないということなんだな。
94考える名無しさん:2001/03/23(金) 17:29
あげい
95あぼーん:あぼーん
あぼーん
96あぼーん:あぼーん
あぼーん
97考える名無しさん:2001/03/23(金) 22:21
悟ってみたが、なぜかスクール水着への
執着だけは消えない。なんで?
98どちて:2001/03/23(金) 22:21
悟ってみたが、なぜかスクール水着への
執着だけは消えない。なんで?
99名無しさん:2001/03/23(金) 22:33
>>98
童貞なんじゃないか?
おれも童貞のときはブルマ大好きだったけど、セクースしてからは、
ただの布だと思えるようになったよ。
100考える名無しさん:2001/03/23(金) 23:13
I am the Alpha and the Omega.
一であり、究極である。
これは本当の事なのでしょうか?
一があるからすべてがある。
だから強弱、大小、軽重があり、価値観の根幹足りうるのです。

無限とは限りない広がり、無とは暗闇。
が、広がりとはなんでしょうか?
暗闇とは?
一はなぜ自明なのか?
それは世界そのものなのか?
本当に?

それに形があるかないかに関係なく
物理的な(一がある事を自明とする)考えとは
在れば在り、無ければ無い。
無がある(のを認知)というのは、目が一つだった人が
二つになるとでもいえばいいでしょうか。
魂も同じです。
悟りの立場(見え方、感じ方)とは、
一を根幹とした立場です。
「見ることもなく見る」という事柄には不向きです。
そして、
無ってなんだろう?と考えた時に、無とは時間空間ではない事がわかる筈です。
101考える名無しさん:2001/03/24(土) 00:22
色即是空 空即是色
言葉を連ねるとかえって見えなくなるぜ>100
102考えよ名無しさん:2001/03/24(土) 07:48
私の悟ったものを二つ。
早熟をひけらかすワケではないが、幼稚園の頃、自分の勇気のなさに嘆いていた
時、「勇気のない自分が、勇気ある行為をすることが、勇気ではないのか」と
気づいた(もちろん、もう少しカンタンなコトバでだけれど)。
その瞬間、ガラスに映っていた自分の顔を、たぶん一生忘れない。

現在、「死」というのものが存在の終点ではないと知っていること。
霊魂の不滅も、復活も信じないで、かつ、自分の生命停止後も世界が存在する
ことを「実感」している。「実感」だから言語化は難しいが、
「死は光に溶ける」こと、みたいな体験……超越体験というほどではないが……
が不安定ながら恒常化している。

このふたつがあると、だいたい「大丈夫」みたい。
103101だけど:2001/03/24(土) 13:24
>>102
語りたい。君も見てるんだ、光。不安定ではなく恒常化しているよ。
眼球を通さずに、視覚神経が直接見てる光のことだろう?
レスくれ。もしそうなら、次を語りたい。
104んーどうかな:2001/03/24(土) 20:02
>>103
違うかもしれんなあ。「光」は、確かに視覚神経なしに感じるものなんだろうけど
(死後も感じるんだから当たり前か)。ただ、それを予想させる光は、確実に色も
波ももっていて、桜の花がまじったり、夏の焼ける日差しに混じったりする。
たぶん、まだまだ不完全で、俗なものだと思う。スマソ。
105考える名無しさん:2001/03/24(土) 20:18
たぶん、それが「光」であることに意味は無い。別に何かを
見なくてもそうしたことは起きるのかも知れない。名付け様
のないものに直面したときに、それが何らかのイメージとし
て翻訳されるのではないかと思う。そして、そのときに、<
私>というものは存在することが出来ない。

それ以上の意味があるようには思えない。


哲学と詩がごちゃ混ぜになってるような基礎のできてない厨房は書きこむな。
107>106:2001/03/24(土) 21:19
オイオイ。
アンタが言うなよ。
108考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:37
1999年の日本は 「まず血の洗礼を受ける。それから小麦の輸入がストップされ、小麦が欠乏し、私達の生活はジリ貧に
 なる。」(ノストラダムス)
109考える名無しさん:2001/03/24(土) 21:57
>>106 >>108
あのつまらないミニマルアートが言葉になるとこうなるわけか。
何をやってもつまらないな。キミは。
110考えない名無しさん:2001/03/24(土) 22:08
今は自分には幸福も不幸もありません。
ただ、一切は過ぎて行きました。
111考える名無しさん:2001/03/24(土) 22:32
精神は澄み渡り物事に集中できるようになる。飯も一週間は
食べなくてもいいし、睡眠も不要になる。気力体力共に充実し
完全に覚醒したと確信がもてます。特にセックスに強くなるのが
特徴で三日三晩つながったままでいたこともあるくらいで、
射精も30秒は連続します。
112考える名無しさん:2001/03/24(土) 22:40
>>111
オイオイ。今度は2chにお馴染のオウムネタかい?
どこからコピペしてんのか知らないがご苦労様。
「リュシスたん萌え〜(●´Д`●)」に「オウムネタ」の次は何だい?
113隻手音声:2001/03/24(土) 23:11

悟っている人は大体1万人に1人だそうです。
この国に1万人以上いるのですね。
114考える名無しさん:2001/03/24(土) 23:38
>>113
誰がどうやって取った統計ですか?
ていうか、どこで得た知識ですか?
115隻手音声:2001/03/24(土) 23:47
>>114

禅宗のある高僧から聞きました。
禅では悟ることを見性といいますが、
宗派や信仰の有無に関わらず
この禅で言う見性体験をしている人が
古今東西を問わず大体1万人に1人の割合だそうです。
116魔法もっぷ:2001/03/24(土) 23:49
2ch放浪しつつ悟ってみようとしてる俺は
一体どの板に行けばいいのか教えてくれ
117考える名無しさん:2001/03/24(土) 23:54
>>116
板ジプシーを推奨。(笑
118隻手音声:2001/03/25(日) 00:02
>>116
放浪の魔法もっぷさん。
あなたが今いる板。そこにあなたがいる。
往くも還るもよそならず。
119考える名無しさん:2001/03/25(日) 00:07
>隻手音声さん
そのHNは「びんた」と読んでも宜しいのでしょうか?
120隻手音声:2001/03/25(日) 00:19

>>119
伝統的には「せきしゅおんじょう」と読みます。
「びんた」でもよいですね。でもこのびんたの音は
なかなか聞くことは出来ません。
121101だけど:2001/03/25(日) 00:56
>>104
レスありがとう。今見た、亀レスすまない。
そうか恒常的に見えている光のことではないのか。それにしても
>>102「死は光に溶ける」こと、みたいな体験
というのは、事実だよね。「感じる」というような曖昧さではなく
実際に明確に見える。強烈な白光。幻覚でも幻視でもない。
光は色彩をもち千変万化する。現実、なんだよ。
人間の歴史に、そういう時代が来ているのだという気がする。
122考える名無しさん:2001/03/25(日) 04:37
 
123考える名無しさん:2001/03/25(日) 23:56
悟りの境地は、本質的な無責任。
無責任になること、何もやらないこと。
何事であれ、どうでもいいこと。
124考える名無しさん:2001/03/26(月) 00:40
純粋な神秘主義哲学や東洋哲学は、宗教ではないよね。
125>124:2001/03/26(月) 01:10
それは「宗教」という語の定義の問題だよね。
これだけでも宗教学・宗教哲学では百家争鳴。
まあ、「哲学って、そもそも、何?」ってのと同じだよね。
126吾輩は名無しである:2001/03/26(月) 01:46
>>123
言わんとしてることはよくわかるし「本質的な」がキーだと
思う。激しく同意、なんだけど、あとのニ行が誤解を生みや
すい表現だよね。拈華微笑、わかる奴にだけ通じればいい、
というのではね、スレの意味がないべ?
もうちょっと、なんかいい表現ないかなぁ。う〜〜ん。
127考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:27
「全」を見てしまった者はすべてのことやものを肯定せざるを
得なくなる、ということか。
128考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:30
さっき悟った。無敵。
129考える名無しさん:2001/03/26(月) 02:38
>128
おう、そうか! これで世界の未来に光明が射したな。
悟った人間がふたり居れば、恐いものはないぞ!
130考える名無しさん:2001/03/26(月) 04:44
無矛盾という前提に囚われている限り悟れない
131考える名無しさん:2001/03/26(月) 05:07
哲学は暇人の学問
132考える名無しさん:2001/03/26(月) 06:32
人間の可能性は、脳を超えるのではないでしょうか。

例えば、「気」と呼んでいるような心的エネルギーを
非局所的に伝達・作用させる、量子的な情報機構があり、
脳というのは、情報を受信・制限したり、運動に変換する
器官で、いわば受像器のようなものではないでしょうか。
133考える名無しさん:2001/03/26(月) 10:12
>>132
気を使う人間を素粒子の加速器の近くにでも立たせて、それで観測結果が変るか
挑戦させてみてはどうでしょう?

結果が変れば、思念で直接操作出来、直接望んだ結果を得られるような「気」があると証明できますし、
できなければ脳でも素粒子レベル以下では物理学の法則に従うと考える
蓋然性が増えますし。
134考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:11
なぜ哲学するのですか?
意味はあるのですか?
みんなが哲学をすればいいと思いますか?
哲学はしなくてはいけないことですか?
哲学は悪ですか?
考えることは悪ですか?

135考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:18
>なぜ哲学するのですか?
大多数の人間が持つ疑問について、おおまかな考えがまとめられているからです。
自分で一人で考え出す前に、過去の人の考えを知っておくというのは大変お得です。

>意味はあるのですか?
生活に生かせる限りにおいて意味があるでしょう。
最高の哲学者は哲学だけで飯を食っているのでしょうが、
その他に、哲学者を助けたり、他人の相談に乗ったりしているようです。

>みんなが哲学をすればいいと思いますか?
大多数の人はする必要がないでしょう。
哲学者に相談するか、哲学者の書いたものを読むか、
得に意識しないでも、哲学の影響を受けた新聞の記事を読むなどして
哲学で解決できるレベルの問題に関して得に不満や疑問を感じていなければ
哲学に興味を持つ必要も無いと思います。

>哲学はしなくてはいけないことですか?
上と同様でしょう。

>哲学は悪ですか?
NO。仕事に疲れたときに支えになったりしてます。

>考えることは悪ですか?
コントロールできる限りにおいて善でしょう。脳の無い生物でも
認識の原型にあたる機能は付与されているだろうというのが
自然哲学の原点なので、人間独自の能力としての「考える」ということは
話題としてあまり重視されていないと思うのですが。
人間独自の機能として「考える」という部分を重視する考えは、
むしろ神学で重視されています。
136考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:21
哲学者は「偉い」のですか?
偉い人なのですか?
哲学する人は偉いのですか?
ホラービデオを見たりすることは偉いですか?
哲学者は神様ですか?
137考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:26
哲学者はホラービデオを見ません。見る人もいるのでしょうけど、それは哲学者だから見るのではないでしょう。
ホラービデオを見るのは漫画ヲタクです。すくなくともステロタイプ的にはそうです。
138考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:29
少なくとも神様は哲学者ではないでしょうから。
哲学者は神様じゃないでしょう。
一種の趣味ですよ。

趣味ごときが学問として優遇されているのは西洋文明の悪しき風習ですね。
139考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:30
漫画ヲタと猟奇趣味の区別も付かない白痴ちゃん発見!
140考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:31
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /   ,∨∨∨∨∨
  /  /  /   \ |
  |  /   ,(・) (・) |
   (6      ⊂⊃ |
   |    ___l_,|    /
   |     \__/ /  <    そんなこといってはいけないと思うんです
 /|         /\    \
141考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:33
哲学は神学に対するメタ理論として出てきたという面もありますから、
神様(の代理人を自称するのは人間なんですけどね)と哲学者は人という点では一緒ですし、
偉そうなのはそうですね。でも哲学者が神を自称しているというわけではないんですよ。
142考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:36
1.哲学者の一番偉い人はいますか?
2.ニーチェっていう人が一番偉いですか?
3.哲学者は人間的に一番成熟していますか?していなくてはなりませんか?
4.哲学者の人は文系ですか?
5.人間は生きているのですか?もしかしたら、自分以外は全部偽者なのではないですか? 物語の中にいるのはないですか?夢の中なのですか?
6.哲学者の人はお友達がいますか?
7.哲学者と話すときは、「いわゆる」ばかりを使わなくてはいけませんか?
8.死後の世界はあるのですか? 死ぬと目がさめるのですか?
9.人間は汚れていますか? 生きるということは汚いことですか?
10.他の動植物は殺してはいけませんか?
143考える名無しさん:2001/03/26(月) 12:48
>1.哲学者の一番偉い人はいますか?
いません。

>2.ニーチェっていう人が一番偉いですか?
哲学者と哲学評論家の境目ぐらいの人です。将来は哲学者ではなかったと見なされるかもしれません。

> 3.哲学者は人間的に一番成熟していますか?していなくてはなりませんか?
していません。専門家で、全人的能力には劣っています。人は時にしゃべるより沈黙を通して
多くのことを伝えることができますが、哲学者が扱う対象にはそういうものは含まれていません。

> 4.哲学者の人は文系ですか?
文系です。

> 5.人間は生きているのですか?もしかしたら、自分以外は全部偽者なのではないですか? 物語の中にいるのはないですか?夢の中なのですか?
ここで言う「人間」とは、世間一般では「他人」、あるいは哲学的な話題では「他者」というと通りがいいかもしれません。
これまでの蓄積によると、誰もがそいういう考えを持っていて、口に出す人は少なく、他人がそういう主張をしている場合に説得し撤回させるのが難しく、
無視しても害がないものとされている様です。

>6.哲学者の人はお友達がいますか?
仕事仲間と、仕事外の友達がいるものと思われます。それと、家族がいますね。

>7.哲学者と話すときは、「いわゆる」ばかりを使わなくてはいけませんか?
前例や引用文献に基いて離すときには使わなければいけません。また自分独自の考えを説明する場合には、
キーになる考えをあからじめ明らかにしておき、それと他のアイデアとの関連をある程度整理して
説明できるようにしておくとよいでしょう。

>8.死後の世界はあるのですか? 死ぬと目がさめるのですか?
死後の世界は多分ないのでしょうが、あるとして他人を説得したほうが得な状況もあるようです。
また、死ぬというのは二度と目が覚めないということです。死んでいる他人は寝ている他人にすこし似ていますね。

>9.人間は汚れていますか? 生きるということは汚いことですか?
人間は人間にとって少し汚いです。また毒物より病原菌の方が人間に与える被害が大きいことから、
生物は死物より人間にとって汚い場合があるのかもしれません。とはいえ人間や生物は人間にとって比較的安全です。
炭坑にカナリアを連れていくのは、炭坑が危険で、人間が危険が状況で先にカナリアが危険を察知するからですよね。
ということで、人間は少し汚れています。生きているということは少し汚いですが、もっと汚い死物もあります。

>10.他の動植物は殺してはいけませんか?
他の動植物を殺さないと生きていけないというのは人間の性質ですが、
それを止めることは人間自身の能力を超えているので出来ません。
それは不可能なことです。
144考える名無しさん:2001/03/26(月) 13:46
1.キリストは哲学者ですか?
2.宗教は悪ですか?
3.哲学者には喜怒哀楽がないですか?
4.非常に落ち着いている雰囲気があるのですが。
5.哲学者にも性欲はあるのですか?
6.哲学者は自慰行為ならびに性交をしますか?
7.赤ちゃんを生むための性交渉以外はしてはいけませんか?
8.ポルノビデオはどう思いますか?
9.哲学者はモテますか? 嫌われますか?
10.哲学者とはどんな人ですか?
11.哲学者で茶髪の人はいますか?
12.哲学者は禁欲的な人が多いですか?
13.菜食主義者ですか?
14.哲学者ならびに哲学を愛する人は普段は何をしているのですか?
15.どうやれば、哲学者になれますか?
16.東浩紀っていう人はどんな人ですか?
17.哲学とサブカルチャーは同じですか?
18.哲学は根本的な問題のことですか?
19.困っている人は助けてはいけないのですか?
20.質問に答えてくれるという行為はどういう行為ですか? それは自分のために答えるのですか? 相手のために答えるのですか?

哲学する人これからも頑張ってください。
哲学する人は神秘的で憧れです。
145考える名無しさん:2001/03/26(月) 14:08
>>143
笑った。何か随分偏って狭義だな。
身近な教授を思い浮かべたのか?
今時、哲学者と言う肩書きもどうかと思うが。
146考える名無しさん:2001/03/26(月) 14:15
>>145
対案を示してよ。
147考える名無しさん:2001/03/26(月) 15:23
>1.キリストは哲学者ですか?
哲学者ではありません。

>2.宗教は悪ですか?
本来は集団の団結のシンボルであり、また人間には普遍的な宗教的志向というものがあるので、
宗教が悪だとは言えないでしょう。ただし同じ宗教同士でも、良い宗教と悪い宗教というのは明らかにあります。

>3.哲学者には喜怒哀楽がないですか?
どちらかというと喜怒哀楽が激しいはずです。
逆にしゃべる内容にはあまり責任を持っていない場合が多いですね。

>4.非常に落ち着いている雰囲気があるのですが。
非常におしゃべりな場合が多いそうです。音楽愛好家や、口笛の達人という人もいます。

> 5.哲学者にも性欲はあるのですか?
旺盛でしょう。売春婦は聖女に近いのではないかなどいう議論が
恥ずかしげもなくされている場合があるようです。

>6.哲学者は自慰行為ならびに性交をしますか?
しないことを自慢する人がいますが、多分例外でしょう。

>7.赤ちゃんを生むための性交渉以外はしてはいけませんか?
赤ちゃんを作るため以外の性交渉を避けるという方針が非常に大きな利益を生むという事情があります。
ただ例外が沢山あり、また赤ちゃんを生むための性交渉以外の性交渉を禁止するとデメリットが大きいので、
結論としては「禁止はしない、ただししないほうがいい」という風に答えられる場合が多いようです。

>8.ポルノビデオはどう思いますか?
難しいので解答できません。

>9.哲学者はモテますか? 嫌われますか?
嫌われるそうです。

>10.哲学者とはどんな人ですか?
人物像として妥当なのは、しゃべる以外に労働をしないで糧を得ようという人だといえるでしょう。

>11.哲学者で茶髪の人はいますか?
反発のシンボルとして茶髪にするということは多いに有り得ます。

>12.哲学者は禁欲的な人が多いですか?
残念ながら多いようです。

>13.菜食主義者ですか?
そういう例を知っていますので、世間全体の中に菜食主義者が占める割合より、
哲学者(哲学プロパー)の中に菜食主義者が占める割合の方が多いのかも知れません。

>14.哲学者ならびに哲学を愛する人は普段は何をしているのですか?
本を読むか思索をするか、思索を助けること(散歩、音楽干渉)をしている様です。

>15.どうやれば、哲学者になれますか?
哲学で飯を食うという事を前提に、現在の社会状況でそうする方法を考えていくと良いでしょう。
大学や財団で職を得るのがベストですが、遺産があれば働かず、時期をみて本を書くというのでもよいようです。

>16.東浩紀っていう人はどんな人ですか?
最近の人なので知りません。他の人にフォローしてもらえると助かります。

>17.哲学とサブカルチャーは同じですか?
古典的な哲学がサブカルチャーに取り入れられている場合があります。
サブカルチャーが哲学を自称する場合もあります。

>18.哲学は根本的な問題のことですか?
日本では「ホレイショーの哲学…」という遺書を書いて自殺した有名なインテリ学生がおり、
その関係で、哲学を人生全般について深く自殺するほどに悩むことと誤解する向きがあります。
しかし上の分はシェークスピアの一説で、基本的に哲学とは関係ないんですね。
とはいえ、哲学を「人生訓」と同義に取るという動きは昔からあったことも推察されるので、
それらは「大衆的に解釈された哲学」であって、哲学そのものではないでしょう。

哲学は宗教書や自然科学書に関する文献学をルーツに持ち、翻訳や言語学に隣接する学問です。
実際には、修辞学、認識論などいくつかのジャンルを含みますが、それは文献を扱うのに
比較宗教学の基本が非常に有用だったという経緯によるものと思われます。

>19.困っている人は助けてはいけないのですか?
目の前に人が居て、その人が困っていると自分が感じ、かつ助ける能力があれば、
助けたほうが自分の為にいいでしょう。ただし義務ではありません。

>20.質問に答えてくれるという行為はどういう行為ですか? それは自分のために答えるのですか? 相手のために答えるのですか?
自分の為に答えています。表現することで自分の間違いが分かりますし、別のときには他人の表現の間違いを指摘することで、
自分の間違いに気づくことがありますので、互助という意味もあります。
148考える名無しさん:2001/03/26(月) 17:01
哲学評論家というのは何ですか?
哲学者が違う人の考えを批評したら良いんではないですか?
死物というのは死体のことですか?
なぜ、性欲は旺盛なのに、禁欲な人が多いのですか?
禁欲な人は茶髪にしてもいいのですか?
普段でも、本を読んだり思索するんですね。頭が痛くならないですか?
哲学っていう名前が堅苦しいですね。鉄みたいで。
サブカルチャーみたいにかっこいい名前にならないのですか?
哲学してる人が犯罪をしても、悪くない理由を言ってしまう感じがするのですがどうですか?
哲学者はUNIXを使うんですか?

これから、哲学の世界はどうなって欲しいですか?

149考える名無しさん:2001/03/26(月) 17:12
>哲学評論家というのは何ですか?
哲学者を評論する人です。政治評論家が政治家の帽子の好みなどを専ら話題にするという意味で、
哲学者の帽子の好みなどを専ら話題にするのが哲学評論家といえるでしょう。

>哲学者が違う人の考えを批評したら良いんではないですか?
それは批評家です。哲学者が批評家を兼ねても別にかまわないですが、
ある人が、批評活動をするだけで哲学者にカテゴライズされるというわけではないです。

>死物というのは死体のことですか?
生物以外ということです。机や椅子などもそうです。

>なぜ、性欲は旺盛なのに、禁欲な人が多いのですか?
性欲を表現する形式が普通でないか、まわりくどいのでしょう。

>禁欲な人は茶髪にしてもいいのですか?
別に茶髪にしてもかまわないですが、ピアスなどと同様に自分の体を傷つける行為なので、
親や権威への反抗を表していると受け取られます。それが早過ぎる性交や本人の望まない妊娠につながらなければ
いいのですが、親は心配するでしょう。

>普段でも、本を読んだり思索するんですね。頭が痛くならないですか?
散歩するのがいいようです。深呼吸なども同様。

>哲学っていう名前が堅苦しいですね。鉄みたいで。
この訳語が作られた時代は堅苦しい時代だったのでしょう。

>サブカルチャーみたいにかっこいい名前にならないのですか?
「サブカルチャー」も100年後にはかっこよくなくなっているでしょう。

>哲学してる人が犯罪をしても、悪くない理由を言ってしまう感じがするのですがどうですか?
犯罪を犯している人が悪いという理由を言うのは法学の仕事で、言葉を扱う分野ということで
哲学と混同されているのでしょう。哲学のアイデンティティーはアンチ法学ということではないので、
その心配は無用といいたいのですが、哲学は保守主義と関係が深いせいか法学に対して辛らつかも知れません。

>哲学者はUNIXを使うんですか?
WindowsかMacでは?

>これから、哲学の世界はどうなって欲しいですか?
英語を使えることが嫉妬の対象にならないような時代が来て、
日本に住んでいても哲学的な発言を英語でしても敬遠されないような時代が来るといいですね。
150考える名無しさん:2001/03/26(月) 17:17

ラテン語話せない奴はドキュソ
151考える名無しさん:2001/03/26(月) 17:29
話さんでもいいだろ。ドイツ人だって学校でラテン語を習うけど話せないはずだ。
152悟った人:2001/03/26(月) 19:30
>>142
1.(哲学者の一番偉い人はいる?) →いない。
2.(ニーチェっていう人が一番偉い?)→いいえ。
3.(哲学者は人間的に成熟してる?)→未熟だから哲学するの。
4.(哲学者の人は文系? )→文系も理系も電波系もいる。
5.(人間は生きている?もしか夢の中なの?)→君がそう思えば。
6.(哲学者の人はお友達がいる?)→お友達もおホモ達もいる。
7.(哲学者と話すには「いわゆる」を使うべき?)→べつに。と
  同じで便利な言葉だから、使ってもべつに構わない。
8.(死後の世界はある?死ぬと目がさめる?)→死んでみてくれ。
9.(人間は汚れてる?生きることは汚いこと?)→君が汚ない
  なら汚ないんだろうね。ちなみにボクは綺麗です。
10.(他の動植物は殺してはいない?)→誰の許可が欲しいの?
>>144
1.(キリストは哲学者?)→というより私の先輩です。
2.(宗教は悪?)→それを考えるのが哲学。
3.(哲学者には喜怒哀楽がない?)→ある、激しい。
4.(非常に落ち着いている雰囲気があるが)→ ぶってるだけ。
5.(哲学者にも性欲はあるの? )→ある、非常に激しい。
6.(哲学者は自慰行為ならびに性交をする?)→もちろん!
7.(赤ちゃんを生むための性交渉以外はしていけない?)→誰の
  許可が欲しいの? 僕のならいつでもあげる。
8.(ポルノビデオはどう思う?)→好物です。
9.(哲学者はモテる?嫌われる?)→私は女にモテすぎて男に
  嫌われてる。
10.(哲学者とはどんな人?)→私のようなイイ男は例外みたい。
11.(哲学者で茶髪の人はいる?)→私、部分茶髪です。
12.(哲学者は禁欲的な人が多い?)→少ない。
13.(菜食主義者か? )→肉も食う、卵も食う、女も食う。
14.(哲学者の類は普段は何をしている?)→メシ喰って
  クソして性交して寝る。
15.(どうやれば、哲学者になれる?)→そのままバカになる。
16.(東浩紀っていう人はどんな人?)→アホです。
17.(哲学とサブカルチャーは同じか?)→同じといっても
  違うといっても同じです。
18.(哲学は根本的な問題のこと?)→根本問題が何か?を
  考えるのが哲学です。
19.(困っている人は助けてはいけない?)→困り方による。
20.(質問に答えてくれるのは自分のため?相手のため?)
  →君が質問するので君を愛してる僕は答えざるをえない。


153130:2001/03/26(月) 23:30
無矛盾という前提に囚われている限り悟れない
154130:2001/03/26(月) 23:35
相対主義、懐疑主義、不可知論を先行せよ
155考える名無しさん:2001/03/27(火) 03:30
哲学的なことを考える行為と、ワイドショー見る行為はどちらが
高尚ですか? そもそも物事に優劣はありますか?
156考える名無しさん:2001/03/27(火) 07:40
自己の中にしかないんじゃん?一応集団の中じゃ優劣はあるけど。
選択するのは自分だし、集団の中じゃ、有って無い物だと思う。個人で言ったらあると思うよ。
157考える名無しさん:2001/03/27(火) 09:28
>>155
ありますよ。例えば、「歴史的に見て金銀は石より貨幣に適している」という考えがあるとします。
金や銀が石の貨幣より広い範囲で長い期間使われたことから鑑みるに、
貨幣という使用目的の為に、金や銀は石より優れている、優れた素材であると言うことが出来ると思います。
158130:2001/03/27(火) 14:07
ない=ある、がわかればあともうちょいで悟れる
159考える名無しさん:2001/03/27(火) 17:55
>>158
別に悟りそのものの内容は、「人間は矛盾したことも考えることができる」という以上のことではないからな。
そうではなく、悟ったという利点を生かしてなにか面白いことを言ってよ。
160あぼーん:あぼーん
あぼーん
161考える名無しさん:2001/03/27(火) 22:48
てつがく【哲学】
(英philosophyの訳語。ギリシアphilosophia「愛智」から出たことば。西周が「賢哲の希求」という意味で「希哲学」と訳していたが、のち、「哲学」とした)
1 世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問。とらわれない目で事物を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題として究極まで求めようとするもの。古代ギリシアでは学問一般を意味していたが、のち学問の一分野となった。論理学、認識論、存在論、哲学史、倫理学などの諸領域を含む。
2 自分自身の経験などから作りあげた人生観・世界観。理念。「彼は哲学を持っている」

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


ニーチェ
(Friedrich Wilhelm Nietzsche フリードリヒ=ウィルヘルム―)ドイツの哲学者。実存哲学の先駆者。キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。機械時代・大衆支配時代に対する批判は、一面ファシズムの支柱ともなった。著「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「道徳の系譜学」「権力への意志」など。(一八四四〜一九〇〇)

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
162考える名無しさん:2001/03/28(水) 00:48
>>158
悟とった人間の目から世界はどう見えますか?
163考える名無しさん:2001/03/28(水) 08:09
>>121
その「光」のこと、もっと書いてくれませんか?
164130:2001/03/28(水) 08:24
・悟っている人が意外に多いことがわかった(一万人に一人くらい)
・すべての根本がわかっても、自分が人間である以上あまり有用ではなかった
165悟りました:2001/03/28(水) 10:21
悟りと超能力は違うこと。
超能力を持ってる人は意外に性格が子供っぽいところがある。
悟りとは何にでも答えられること。
人に何かを与えられる人のこと。以上。
166考える名無しさん:2001/03/28(水) 14:45
無になれない、凡人の俺には無理?
167あぼーん:あぼーん
あぼーん
168考える名無しさん:2001/03/29(木) 08:03
最初に「光」の話を書いたものです(121ではありません)。
誰の何に対するレスかは特定できませんが、「悟り」と超能力を同一に論じるのは
個人的には否定しておきます。

私の見ている「光」というのは、日常的に見ている美しい光のことで、曇りの日や
雨の日には見えないものです(死後も見える、とか言っておきながら…だって死ん
だことないもん)。ただ、雨の日も、雲の上に想像することはできるけど。

「悟った」みたいな瞬間は自覚できるけど、その後も後戻りしつつ、現状維持が
やっと、みたいに劣化していきます。それをさらに進めていく行為が悟りに近づく
ことではないかと。

クンダリニーがどーのと、かプラマヤーナがどうとか、そのテの話では(私の話は)
なく、かつ、ある瞬間の神秘的体験から「これですべてオーケー」などという態度は
少なくとも私の経験からはありえない、むしろ、判断停止で危険である、と述べて
おきます。
169考える名無しさん:2001/03/29(木) 08:43
比較的ありふれた体験に間違った解釈を与えるからインチキなのでしょう。
幻覚を見る⇒不安なので合理的に説明したがる⇒幻覚を見たという体験の意味を過大評価させるような教義を吹きこまれる

というのがインチキ教団がただ本を出版するだけで宣伝費ゼロで信者を獲得していくメカニズムでしょう。
170考える名無しさん:2001/03/29(木) 09:19
悟った人と逝っちゃった人は違うと思うんですけど・・・
臨死体験した人と同じ事いってない?
171考える名無しさん:2001/03/29(木) 09:21
>>170
必ずしも物語的に解釈できるような幻覚を伴うとは限らないのでは>逝っちゃった人
172あぼーん:あぼーん
あぼーん
173あぼーん:あぼーん
あぼーん
174あぼーん:あぼーん
あぼーん
175あぼーん:あぼーん
あぼーん
176考える名無しさん:2001/03/31(土) 09:21
悟りを霊的成長・意識進化の究極点とするなら、
悟り具合にはいくつも段階や状態があって、簡単に悟った
と言い切れるくらいでは、まだ全然なのかもしれない。
神秘体験で一瞬かいまみて「分かった」というのは、
成長の道程がわかり、取っ掛かりができたくらいなのでは。
177考える名無しさん:2001/03/31(土) 11:34
「すべてよし。だが、まだ始まりに過ぎない」

ある小説の主人公の科白。
178天之御名無主:2001/03/31(土) 17:12
幻覚にも似た、一種の神秘的体験を、悟りとするならば、
心身の極限状態における脳内におけるホルモン分泌の活性化や身体の化学的
変化が、悟りの物理的な内訳となる。

意識は定まらず、恍惚による言語機能の攪拌によって、全ての思考は
カオス状態に陥り、意味的価値を持たない。

ドラッグを用いないドラッグと同じことといえる。
しかし悟りがそうでないことは書物が既に証明している。
179考える名無しさん:2001/04/01(日) 05:04
精神が軟弱だと発狂します。
180考える名無しさん:2001/04/01(日) 05:05
>>179
そのような視点では哲学はできないんだよ。
一面的な視点では。
181いぬのめい:2001/04/01(日) 05:21
求む!「絶対的な視点」。
182考える名無しさん:2001/04/01(日) 16:15
>181
ブッダがそうじゃん。
183考える名無しさん:2001/04/01(日) 19:18
>>178
いや、証明されてるとはいえまい。
ドラッグ悟りが、本物悟りとは違うと力説した本は沢山あるようだが。
184考える名無しさん:2001/04/01(日) 21:39
悟りを得た人の歌
htp://big.freett.com/Nieztche/dokuzetu.mp3
185天之御名無主:2001/04/01(日) 23:14
>ドラッグを用いないドラッグと同じことといえる。
>しかし悟りがそうでないことは書物が既に証明している。

’ドラッグを用いない’と書いてあるのが読めませんか?
186考える名無しさん:2001/04/01(日) 23:47
「外道の悟り」って奴だね。
187考える名無しさん:2001/04/02(月) 00:03
「外道の悟り」って奴だね。んなモンが悟りなら仏教なんぞ無くてもヨガがあればよし。
188186=187:2001/04/02(月) 00:06
ありゃ。
189名無しさん:2001/04/03(火) 00:39
1、ブッダまげたなあもう。
2、パンツハイデッガー?
3、頭がヘーゲル
4、お尻をきレーニン

190考える名無しさん:2001/04/03(火) 00:48
傍線部1の解釈として不適当なものは1から4のうちどれか。
191考える名無しさん:2001/04/03(火) 13:50
最前線の脳科学&認知哲学をもってすれば、いわゆる臨死体験は
百%解ける。脳内化学物質(興奮性&鎮静性各種)も少しずつ
解明されてきている。大抵の知覚現象の謎は解ける。
もともと、外界を五感を通して感知し、一旦脳内に取り込み、
そこで初めて既知&既製の「意味システム」に照らして統合して
読み解き(前頭葉連合野で)「認識」に至る、というルートは
人間の普遍だから、大抵は脳内現象で解明できて当然。
ただし、その脳自体が、わかったとはいえ大部分はブラックボックス
だから、霊性だの魂だの超意識だのが跳梁しようとすれば、
まだできる。過渡期です。詐欺師にダマされないように要注意時代。

根本的には、「夢」ひとつすら、まだ我々は解き明かしていない。
自分と自分を超えるものが出会うような場所が夢のようなのだが、
そもそも「夢」のなりたちからして不詳だね。仮説のみ。
聖書は夢を抜きにしては成り立たない物語だし、
古今東西の歴史的に意味をもつ宗教体験や、科学的発見すらも、
「夢」と深く関わるものが多い。
無意識の世界と個の繋がり方、の辺りなのだが、勿論ユングの視点からは
一段止揚する必要がある。
「悟り」も、科学的視点を踏まえなければ語れない時代。
192考える名無しさん:2001/04/03(火) 13:53
臨死体験と悟りとはほとんど関係無いよ。悟りというのは基本的には言語的体験だろ。
193191>192:2001/04/03(火) 14:12
勿論、臨死体験は悟りとは無縁。比較的普遍性のある
脳死体験が、いわゆる悟りにまつわる光視体験とか降神&
見神体験とかにつなげて語られるので、導入としてあげただけ。
194191>192:2001/04/03(火) 14:18
追伸:悟りは、基本的に言語的体験ではない。直前までは確かに
   言語的集中だよ、徹底的に論理的且つ合理的、理知的。
   しかし、ある一点で「抜ける」。それはこっちから意図して
   そうなるのではない。ある瞬間、ひらく。こっちからでは
   無いんだ。突然、ひらく。何故か?はわからん、科学的根拠
   もわからん、だが突然来る。肉体などとうに忘れた頃でも
   あった、ギリギリ。向こうから、ひらく。それは言語的体験
   では全くない。なんと言えばいいだろう、疑いの余地のない
   全的直覚的圧倒的理解?とでもいうのか。現象としては、
   光。幻覚でも夢でもない、本当の、光。ある。
195考える名無しさん:2001/04/03(火) 14:36
>>194
言語能力に関連する脳の組織が過労で壊れるんでしょう。その後、脳の可塑性により機能は復旧しますが。
脳自体を直接知覚できない人間にとっては、言語/非言語というコンテクストでの体験ということに違いはないでしょうよ。
ちなみに心臓の筋肉に関しても、「心臓に毛が生える体験」というのがあるそうです。
196194>195:2001/04/03(火) 23:12
「脳の組織が過労で壊れる。。。脳の可塑性により機能は復旧」
というようなことでは無いんだ。まったく違う。
脳内の新たな機能の目覚め、と言えば少し近いかもしれない。
光は、瞬時ではないんだ、その後は、常時見えるようになる。
独坐、集中(瞑想と呼んでも禅と呼んでもいいけど)によって。
脳科学的に言えば、それまで眠っていた機能が、なんらかの契機で
動き出す又は発現する、ということではないか?
発光する蛋白質が存在するのだから、脳内現象としての「発光」は
ありうること。眼球を通してではない光、
視覚細胞が直接認知している光、のことを言ってる。美しい。
197光ねぇ:2001/04/04(水) 03:24
>>196

哲学からはずれてすまん。

その光ってチベット仏教の修行で得られる「光のこども」を
見る体験と似ている? 小さな光の粒子が見えるとか。
そんな修行はしていないが、私も無数に飛び交う光の粒子が
数年前から見えるようになった。飛蚊症などではない(眼科で確認)。

あと、瞑想中にチャクラのイメージが見えるという話を8マンを
描いていた桑田次郎がどっかで書いていた(その絵付きで)。
確か仏教学者の鎌田茂雄の解説つきの本だった。
198197:2001/04/04(水) 04:21
オカルト板へ逝けと言われそうなので、ちったぁ哲学めいた話題を。

悟りの現象はステレオグラムに似ていると精神医学者の木村敏が『偶然性の精神病理』
で述べていた。確かに類似していると思う。悟りが本当に何事かの理解だとすればだが。

*それまでは雑然としたパターンにすぎないものが、一瞬にして立体図形の認識と
 なること。この一瞬で全体を丸ごと俯瞰して見取るという性格が言語的理解とは
 性格が違うともいえる。
*立体が見えてこないやつは、いくら説明しても見えない。が、コツをつかむと
 一気に見えてくる。ある一つの禅の公案に透るとほかの公案もすぐ透るように
 なるという話とも似ている。
*仮に通常の言語的理解が平面上のパターン理解であって、悟りの理解が立体的
 パターンの理解だとすると、悟った人間が言語的に説明できない(平面的模様
 として説明できない)ということに通ずる。
199なんちゃって覚者:2001/04/04(水) 16:05
悟りとは、真実を知る、または体感することです。
「真実」とは絶対的なものなので脳内物質などの人間を基準としたものではなく、もっと宇宙的なものです。
人類が滅亡して、地球がなくなっても空間(または宇宙空間)には「真実」があり、不変です。
地球人として存在してしまった人間がその「真実」に気付くことが「悟り」です。
その時に脳内物質が作用するのかもしれませんが、私にはわかりません。
言葉を使う生き物(人間)として存在しているためどうしてもその「気付いたもの」を言葉に置き換えようとします。
その作業は哲学であり、「気付いた時」の体感を追求すると宗教になるのではないかと考えます。
そのため哲学でな言語力が必要になり、宗教だと禅などの修行による体感が必要だと考えます。
哲学では確実に言語に置き換えますが、宗教ではどうしても「例え話」みたいなものが多くなってしまいます。
ただどちらもその根元(真実)は同じ物と考えます。
200考える名無しさん:2001/04/04(水) 16:11
光が見える時点で、視神経から視覚野のどこかの神経に関わる事象だというのが分かる。
悟り体験自体の価値と、その種の幻覚の内容とは基本的に関係がない。
また光を見たなどの体験が悟りを得たと言う証になる訳ではない。
201考える名無しさん:2001/04/04(水) 17:10

お花畑逝け
202名無しA:2001/04/04(水) 18:48
すべては起こりうる。
ゆえに私はニヒリストである。
203考える名無しさん:2001/04/04(水) 19:39
<絶対>だとか、<無限>とか形容されているものと対面すること、
というだけではだめなのでしょうか?

どうもそれ以上の言葉は無駄な粉飾に思えるのですが…。
204203:2001/04/04(水) 19:43
いや、「対面」というのは違いますね。
205考える名無しさん:2001/04/04(水) 21:00
自分も光を見たので、その時の事を書きたいと思います。
皆さんと、この場に感謝します。

まず水を少々、僅かな塩、糖を2日ごとに採る断食を約70日
楽な姿勢で息を整え、呼吸をゆっくりと徐々に長くする。
意識を一点に強すぎず弱すぎず適度に集中する。
すると目が揺れてくる、驚かずにそのままの状態を保ち
落ち着いて続ける。集中した意識を薄く広く
或いは小さく細かく薄くしていく(うまくいくと自然とそうなる)
すると突然目の前に空間のある事に気付く(目では見ていない)
上方、或いは前方にごくごく小さな光の浮かんでいるのが見える
または漂っているのが見える。
不思議と光に近づきたい思いがでる。またはもっと側で見たいと思う。
すると光に向かって意識が移行するのが感じられる。
或いは光の近づいてくるのが感じとれる。
大いなる光と対面した時に喜怒哀楽の感情が続け様に込み上げる。
発っせられる光を浴びて怒と哀が涙となって浄化される様に流れ出す。
光に満たされて充満するのを感じ、自分の内に光があることに気付く
その光と呼応するかの様に自分の内から小さな光は輝きだす。
この効果は行動にも現れて、人が変わったかの様に積極的になり
何もかもを肯定する様になり、あらゆる存在が愛しくなる。
死ぬことも恐くなくなり、全ての存在と一つなことを感じれる。
顔は柔らかくなり、輝くかの様になる。
それまで以上に人の輪が広がって、行動範囲も広がる。
大いなる光が、あらゆる存在であって自分もそこの一部の様に感じ
孤独感を感じなくなる、それを感じる度に体があったかくなり
何事もやりたい、挑戦したいと言った活力が涌いてくる。

もう一つ光を見た方法がある。

ひたすら自問自答。
最初は飛び飛びに散漫した、まとまりのない内容の自問自答で
後から計って6時間ぐらい休みなく続けた時に
後から知るのですが、ある意味で正しい問が不意に出てくる。
すると私の場合は1本の立てに真っ直ぐな道のようなものが
下から現れる、正しい問に対して先を読んで答えたり
前の答えに一瞬でも戻って付け足したりすると
真っ直ぐな道が荒れて、どれが今の道だったか見失います。
気を落ち着かせて、再び道を真っ直ぐに正します。
道を意識しすぎると再び荒れてしまうので心は平穏を保ちます。
焦点はやや薄い意識で道の中央に保つのがいいです。
正しい問に正しく答えを出し続けていると、突然目が開く様な
覚まされる様な瞬間がきます、それまであった道が真理に至る道で
道の合間合間にある問が繋がり真っ直ぐと思ってた道が
螺旋状に連なっているのを見ます。
問だった部分が答えと交わり球状になって回りだし
どんどん回る速度を増します。その度に光を放ち、増していきます。
その全景を見たいと思った時、視界がその様にスムーズに移行し
ある形を造っているのが見れます、自分の目が開かれた地点の球が
自分を迎え入れ、それが何かを感じることができます。
「全」です宗教では「神」と言うのかも知れません。
一応体験そのままを書いたつもりです。
つたない長文、失礼致しました。
206194だけど:2001/04/04(水) 22:20
>>197
表現としては近いと思う。言語的次元から次元が変わる、それは
たとえば平面から立体へというような…。それまでと
自分の位置、視点がまるで違っていて、いきなり直覚的に理解
する。紛れも無い理解だから、否定のしようもない。だが、
それを言語で跡づけようとすると、至難の技だ。だから、
不立文字、拈華微笑、ということになるんだと思う。
華をねじって見せるだけで、「同じ体験」をした者には即
わかる、わけだろう。体験が同質でなければ、どんなに説明
してもわからない、説明のしようが無いからだ。
>>205
光の質が、違うように思う。独居、情報の遮断、調身、適切な
睡眠と運動、身体を保つ為の食餌、そして独坐…
前提は同じ、儀式とか修業とかいうのでなく、ひたすら集中の
為の心身の環境を整えること。そこから先は…>>197の方が
より近い表現だと思う。
光は、眼球ではなく視覚細胞そのものが見ている。だから、
瞼を閉じても見える。眼を開けている時は、眼球が見ている外界
に重なって、見える。壁を見つめれば壁に、山を見れば山に、
空を見上げれば空に、小さな黒い手帳の表紙を見つめたら表紙の
上に、生きて動く白光、一瞬も止まらずまたたき動き閃光を放つ、
それは光源そのものなんだ。見つめる内に、拡大し様々な表象を
展開する、拍動に似た律動で。唖然として見惚れてしまう美しさ。
…何度見ても茫然となる。
ラーマクリシュナのエピソードに、肉体をも忘れ果ててどこかの
世界に「往ってしまう」というのを読んだことがある。その話を
思い出した。なにかね、次元が何処かで、通低している。
オカルトとか神秘主義とか超能力なんかとは、全く違う、脳の
隠された機能の啓け、という気がしている。
207名無しさん:2001/04/04(水) 22:36
悟るって、つまり、現実を見なくなるってこと??
208194だけど>207:2001/04/04(水) 23:05
ちがうよ。集中の時のこと<光の現象
それで、直覚的理解がストンと来る。そうすると、現実は
ものすごくよく見えるようになる。全ての輪郭がクリアになる
というか…、現実は「色」であり同時に「空」である、という
のが、理屈とか説明ではなくて「見える」。だから、現実を
よく見るようにもなる。
209考える名無しさん:2001/04/04(水) 23:07
>>207
現実に縛られない、現実を捨てられること。
210205:2001/04/04(水) 23:16
>>208
光の中に入れないですか?
または光を内に入れられないでしょうか?
私の体験とはタイプが違いますね、でもなんか同じ様なひとがいて
とても嬉しいです。
あの光を浴びた(見た)時の解放感は全てを癒せますね。
211なんちゃって覚者:2001/04/05(木) 01:04
悟った人ほど現実(現在)をきちんと生きなくてはいけない。
212考える名無しさん:2001/04/05(木) 01:19
彼女を作ると言う行為はどういう行為ですか?
女の子はどうかは知りませんが、男の子の場合は
性的欲望の解消の為に彼女を作りたいのでしょうか?
213考える名無しさん:2001/04/05(木) 01:36
>>212
足りない心を埋めるのさ。
214考える名無しさん:2001/04/05(木) 04:34
>>212
あー212君、いい質問だ。ポイント高いぞ。
確かにそれもあるかもしれないがそれは例えて言うなら
食後の後のコーヒーぐらいにしかならないよ。
まあ君も本気で恋をするようになればいつか分かるさ。
(って答えになってねえな・・・)


215考える名無しさん:2001/04/05(木) 04:36
っていうか時計を見たら4時(しかも4:44)だった。
1時くらいかと思っていたが時が経つのは早いものだ。

↑これって悟りですよね? えっ、違うの?
216130:2001/04/05(木) 10:37
なってないなあ
217名無しさん:2001/04/05(木) 21:06
自分が愚かな存在だと認識すること=悟りです。

自分は頭がいいとか、高級な人間だなんて思ってる人は悟ってない。
218考える名無しさん:2001/04/05(木) 21:12
>217
いや、心の捻じ曲がった人間は
愚かな存在だと思っていながら
実は心の奥底でそうではないと思っているぞ。
219考える名無しさん:2001/04/05(木) 21:17
徳性というものは理解の後でやって来るものだと思います、多分。
220考える名無しさん:2001/04/05(木) 21:21
私の求める悟り・・・人生の極地は
隣人を理解し、愛すること。
221あぼーん:あぼーん
あぼーん
222考える名無しさん:2001/04/05(木) 23:33
>>130さんに質問です。
そういうことを言っていて体がむず痒くなったりはしないのですか?
223130:2001/04/06(金) 01:59
ちょっとむず痒い
224なんちゃって覚者:2001/04/06(金) 02:06
悟りを得ても、それをどう人生に生かすかが難しい。
仏陀もそうだったと思うよ。
225考える名無しさん:2001/04/06(金) 02:11
引き篭もってろ。
226非人間:2001/04/06(金) 02:12
何をもって悟りとするのか。
フッ。くだらぬ。
227考える名無しさん:2001/04/06(金) 02:25
>>226
カラスに転生してろ。
228TNT:2001/04/06(金) 10:34
うーん。マジでかくと、軽々しく愚か者とか口に出してる以上
説明は無理なんじゃないでしょうか。
言葉で相手に真意を伝える事自体難しいからね。
229吾輩は名無しである:2001/04/06(金) 11:17
tosiroutosimiti
230スペンサー卿:2001/04/07(土) 01:16
悟りというのは簡単に言うと、理解するとか察する
と言う意味なのでは。問題は何を悟るかじゃなか
ろうか?世界を宇宙を、この世界とか宇宙をどうとらえるか。
キリスト教的世界観、仏教的宇宙観などがそうなんだろ。
231194だけど>205:2001/04/07(土) 03:04
>>205
>「まず水を少々、僅かな塩、糖を2日ごとに採る断食を約70日 」

それって苦行に似ていて、尋常ではない事態だと思うが。
少なくとも、自分自身の身体と脳の機能を健康に保つことは、集中の
最低限の条件だよ。適切な食餌、睡眠、運動。勿論独居、独坐、
その上でこそ、真の集中は可能になる。不健康や偏向は無意味だし、
栄養失調や睡眠不足や過労や外からの強制や暗示とかが混じっては、
心澄ませての集中など望むべくもない。

昔から、古今東西の神秘派と呼ばれる宗教的体験では、ほとんどが
「光」を見ている。しかもその中に、「自分が信仰する神の姿」を、
たとえばイエスを、マリアを、クリシュナ神を、阿弥陀仏を、アッラー
を、見るのが常だ。
しかも、仏教徒がイエスを見ることはなく、キリスト教徒が阿弥陀仏を
見ることも、ない。ということは、共通しているのは「光」だけであり、
その中に何を見るかは「個人の恣意」による、と言っていい。

事実、光は刻々変化して様々な表象を見せるから、その中に
「自分が見たいと思うもの」が見えたように感じとること、は
いくらでも可能だ。死んだ人の顔が見えたように思えたりもする。
しかし、
我々は既に、20世紀までの知を踏まえた処にいるのだから、古人達と
同じ地場に立つのは、むしろ逆行だと思う。
神秘体験とか偉大なる光や未知の存在の降臨とか光に呑まれるとか、
そういう旧い解釈や陶酔ではなく、いったい何が我々の脳で起きたのか、
それが何を意味するのかを、冷静に見つめる必要がある。

現実に、北海道大学の澤口教授は、一定の磁場の中では「誰でも」
「白く発光する円光を見る」という事実を確認している。氏は、
「脳内はいつでも異常発火しており、それを白く輝く光として認知して
しまう」というふうに語っているが、はたして我々の見ている光が、
単なる脳内のインパルス現象を、視覚細胞が何らかの変異を起こして
認知してしまったということなのか、全く別の何かであるのか?
それと前後した「直覚的理解」との関わりは何なのか?
あくまでも21世紀の視点で、読み解く必要がある。
悟りの今日的意味は、そこから発生してくる。
232考える名無しさん:2001/04/07(土) 03:05
227は何気にエロゲネタ
その瞬間の人間の脳波を測ることが出来たのなら、『真性癲癇』だと医師
は結論付けるだろうと思うよ。

人間の思惟活動が脳神経内のパルスのインフレーションを引き起こすらし
い・・・・・・。何故そうなるのかは知らないが。
234130:2001/04/07(土) 05:20
人は意図的に想念をつくりだすことが出来ない。
235考える名無しさん:2001/04/07(土) 05:31
>>234
どの発言に対して言っているのですか?
判じ物のような謂い廻しで箔を付けているおつもりなら、馬鹿
らしいと個人的には思いますです、はい。
236隻手音声:2001/04/07(土) 12:19

たしかに科学が進めば悟りも大脳生理学的に
説明されるようになると思います。

しかし
悟りとはあらゆる思考、分析、判断に先行する
生命現象そのものの神秘、驚異に直面する出来事です。
「いのち」こそ、始まりにして終わり、一切の存在の根源であり、
この体験の内的重みは一切の理弁的言説を超越しています。

人間は常に根源的「なぜ」を問う。しかし科学は代わりに「どのように」を与えてくれる
だけです。科学は科学でどんどん進歩すればよい。
しかし科学がどのような言説を展開しようと
悟り体験自体とは究極的に没交渉(もつきょうしょう)です。

科学を否定するつもりはありません。わたしも科学者です。
科学では、現象と認識、観測対象と観測者との関係性において
また原理、法則の再現性、適用範囲の妥当性において
きわめてシビアな態度が要求されます。論理の飛躍を
決して許さないこの真摯さは
悟りに到る過程においてもきわめて重要だと思われます。
論理の究極に行き当たってはじめて悟りがひらけるものだからです。
禅宗のある高僧に聞きましたが悟っている人は理系が多いそうです。
237考える名無しさん:2001/04/07(土) 13:41
「真」とは物事の状態を形容する概念である。
238考える名無しさん:2001/04/07(土) 21:21
あらゆる価値観をすてろ
239考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:04
脳は活動の危機を感じると、必要な部分以外の機能を故意に低下させ
必要な部分の活動を通常より活発にする。
スローモーション効果もその一つ、俗に言う火事場のクソ力もそう。
240考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:10
人の脳にある磁束帯が大きく関係しているのが磁場による光。
241194だけど>236:2001/04/08(日) 01:12
まさにその通り。論理で詰めていって究極のところで「突如」
ひらける。それは直接的全的圧倒的な理解で、向こうから来る。
その直前までは、極めて理知的かつ論理的、合理的思考と徹底的な
集中に他ならない。
その「体験」そのものを科学的言説で解説できはしない。

そうではなくて、「光」という同時現象を問題にしている。
光は明らかな物理学的(化学的?肉体的?)事実だから、つまり
幻覚でも夢でも疾病でも無く、本当に光が見えているのだから、
他の光や音などと同様に科学的にも説明できなければおかしい。
オカルトでも神秘でもなく、実際に見えているからだ。
その「光」が、他の「光」と違う成り立ちであるはずはない、光は
光である。なぜ、眼球を通さずに見えるのか、脳内の何が発光し、
何がそれを光と認知しているか、それは純粋な科学的問題でもある。

その後で初めて、ではその「光」が直覚的理解の「体験」とどう
関わるのか、を問うことになる。かつて古人達が、眼も眩むばかりの
圧倒的光の体験とともに或る「理解」に達し、それを見神体験として
神秘の中に封じ込めたからといって、我々が同じ道を歩んでいいわけは
ない。
少なくとも科学(含脳科学)の最前線で読み解ける事実を峻別し
踏まえた上で、その「先に」21世紀の「悟り」は成立する。
つまり、科学で説明できる範囲は全てし尽くしてしまおう、
というのだ。そこから先が、科学的言説を超えた没交渉の
純粋体験である。

242sage:2001/04/08(日) 01:14
>>238
あらゆる価値観を捨てる事も、一つの価値観ではないのか?
243242:2001/04/08(日) 01:17
名前にsageって書いちゃった。
ごめんなさい。
244考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:17
通常の状態のベータ波が主に働く集中とは違う。
通常の状態の脳の活動は30%が限度だが
その時に不必要な活動を減らす事で他の部分を働かせ
脳活動は30%を保とうとする。
例えれば、素潜り世界一の人がそれを可能にしているのも
素潜りに不必要な臓器に送られる酸素を通常より減らしているから。
245考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:22
後藤真希だ・・・。
眠いのに目がいきなり覚めました!こんな感じ?
悟った人は他を否定しない筈ですよね。もちろん口撃も。
246考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:24
主体のあなたが客観のあなたを殺すこと。

それが人生の最終目標であり、収束点。
247考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:26
>>244
それに至る方法は人によって違うけど
昔から自分のが正しいと愚かな人が言うんだよ。
ほとんど基本的な部分は進歩してない。
248考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:27
>>246
殺すというより支配だね。
249>247:2001/04/08(日) 01:30
つまり、光を見ても人として成長してないってこと?
んじゃ幻覚だなそれは。
250考える名無しさん:2001/04/08(日) 01:40
行動に変化あるからなぁ、歴史的にも悟りとか光を見たらさ。
何事も好転するらしいし、何かが良い方に回り出すんだろうな。
251130:2001/04/08(日) 01:51
なんか違う方向にいってると感じる。
252考える名無しさん:2001/04/08(日) 06:01
1. 或る意識的体験
2. その際の、又その後の生理的・心理的な変化
3. 2の個人差の意味するもの
4. 1により人間の認知・思考に生じる変化(2と弁別すること)
5. 1ならびに2を「目指す」ということは可能か
6. 1によりAとBとがそれぞれに理解したとするものは本当に同一か
7. 6であると両者が合意する場合、何に拠るものなのか
8. 6を認めない場合の相違点は何処にあるのか
9. 1の経験者は「偉い」のか(笑
253隻手音声:2001/04/08(日) 08:56

科学的説明が、何かをいいあてたとして、それによって
現象そのものの価値を持ち上げたり卑しめたりすることが
往々としてあることが問題です。

科学的説明の限界を突き破った体験をしたものにとって
科学的説明はすでに乗り捨てられた船なのです。
悟りにあってはありのままの現象世界そのものが
一切の「なぜ」の答えそのものです。

古人が「神」といい、現代人が「科学」という。
科学が神のように悟りの「意味」「価値」まで勝手に定めてしまうことを私は
危惧するのです。

われわれが目指すのは
一切の価値を認めつつ、一切の価値から自由であること。

科学は単に、現代的「価値」の基準を定める便宜に過ぎないのです。
254考える名無しさん:2001/04/08(日) 09:08
>>253
『神に酔う人』になってはいけない、と昔から言うようですが、
現代においてもそれは言えるでしょう。科学者であるならば尚
のことそうだと思います。
255隻手音声:2001/04/08(日) 09:12
>>252
1.天地がひっくり返ったかと思うほどの体験です。
2.ものの見え方聞こえ方がまるっきり変わります。
3.個人差はそんなにないと思います。あるとすれば文化的な要因。
4.自分にはやるべきことが山ほどあると感じます。
5.みんな目指してるじゃないですか。
6.同一です。
7.相手の性別がすぐ分かるように分かります。
9.偉いかどうかは分かりませんが、努力家です。
256252(と254)を書いた奴:2001/04/08(日) 09:41
>>255
御回答有難うございます。宗教や人生論についての掲示板で
ならば、書いて頂いた内容で充分かと思いますが、折角哲学
の掲示板でこのような話題が挙がっているのですから、エモ
ーショナルな発言はなるべく抑制して自身の内面にシビアに
向き合った方が、望ましいのではないかと思います。

1〜9について突き放した見方をすることも必要なのだという
のが自分の個人的な見解です。

257隻手音声:2001/04/08(日) 10:21
>>256

他者への語りかけにおいて
コトバの諸問題を実存的に克服した者には
それなりの倫理上の要請というものが
あるのです。
日々コトバとの格闘に明け暮れる
哲学版の皆さんのニーズには応えていませんね。

そもそも悟り自体がそういうものなのです。

258252(と254)を書いた奴 :2001/04/08(日) 10:44
>>257

>コトバの諸問題を実存的に克服した者には
それは、ご自身には<大文字の発話>が可能であるとお考えだ、
という意味に取っても宜しいのでしょうか?

>それなりの倫理上の要請
これについて説明して頂けますか?『倫理』というのが、自身
の用語についての掟法という意味であるのなら、賛成しますが、
どうもそのようには取ることが出来ないのです。

>そもそも悟り自体がそういうものなのです
文字通りの、『言語道断』な体験ではあるのかも知れません。
しかし、
>コトバの諸問題を実存的に克服した
と仰るからには、言葉の両義性、否、寧ろ非-意味性を踏まえ
た上で、臭みのあるジャーゴン(西洋哲学のそれと全く等価の
ものです)を排除して述べることが出来るのではありませんか。
259考える名無しさん:2001/04/08(日) 10:48
真理を知りたいのならこのHPに来てください。
http://www2.plala.or.jp/Nieztche/framepage5.htm
260252(と254)を書いた奴 :2001/04/08(日) 11:06
表現を厳密にするとどうも厭味ですが、2ch風に言うならば、
『悟りマンセー!!』じゃあ、ちょっと物足りないということ
です。(笑
261隻手音声:2001/04/08(日) 11:45

>>258

コトバの問題を克服するとは、コトバの生成される以前
現象が切り取られ分節される以前を看て取るという意味です。
<大文字の発話>というのはよく分かりませんが
異なるコンテキストを有する他者との、
コトバを契機とする、和解、融合のことでしたら
なんともいえません。それこそ哲学者のお仕事でしょう。

そうではなく、コトバ以前のところ、自他、主客さえ
未分の境地から、他者との「出会い」が現前するいま、ここを
照らし返すところ、このとき「大文字」も「小文字」もないでしょう。

倫理上の要請とは、
論理の跡付けを見せないということです。
まるでそれ自体が根拠であるかのように誤解されるからです。

臭みのあるジャーゴンを排除して語ったのが
>>255のつもりですが駄目ですか。
262252(と254)を書いた奴 :2001/04/08(日) 12:36
>>261
>コトバの問題を克服するとは、コトバの生成される以前
>現象が切り取られ分節される以前を看て取るという意味です。
それを、克服したと言うべきなのか疑問は残りますが、概ね了
解しました。

>コトバ以前のところ、自他、主客さえ
>未分の境地から、他者との「出会い」が現前するいま、ここを
>照らし返すところ

発話行為は本質的にはそうだと思います。ですが、この遣り取り
には現に主客は存在します。我々は同じものではないのですから。
ダイアローグ・クラッシャーとして振舞うことが禅者の面目躍如
だと仰るのならばごもっともですが。(笑

<大文字の発話>と言いましたのは私の夢想で、真円を描く様に
発話する、つまり、絶対無謬の発話のことで、勿論そのようなこ
とは不可能です。蛇足ながら、英語には“ROYAL WE”というも
のがあり、君主の一人称は“WE”であったそうです。なかなか妄
想を刺激されることではあります。

>臭みのあるジャーゴンを排除して語ったのが
>>255のつもりですが駄目ですか。
駄目、なのかどうかは私の決めることではありませんが、>>252
は客観的なチェック項目として立てたつもりですので、主観的か
つ情緒的な反応には少し調子が狂った感はあります。
263隻手音声:2001/04/08(日) 13:44

>>262

(笑
なんてよしてよ。

ダイアローグは
自他の分裂の上に成立する場合と、
自他なきところに成立する場合とがあります。

禅者が嫌うのは、自分の言語空間に相手を引きずり込もうとする態度
です。客観性を武器に世界を解釈し尽くし、解釈し尽くした自己を
自己ならざる世界に拡大せんとする態度です。

しかし、そのような力への意思を滅却したとき、
日常体験の一回性、固有性のうちにも
普遍的一者との出会いは突如現れるのですよ。

それがあまりにもわからんやつのことを
江戸っ子は「野暮」とよんで嫌ったのです。
主義主張の論理上の妥当性に先行する判断基準を
美意識として有するということがあったのです。

職業的哲学者はこれでは飯は食えませんけど。
264252(と254)を書いた奴 :2001/04/08(日) 15:06
>>263
失礼。冗談です。

>禅者が嫌うのは、自分の言語空間に相手を引きずり込もう
>とする態度 です。客観性を武器に世界を解釈し尽くし、解
>釈し尽くした自己を自己ならざる世界に拡大せんとする態度
>です。

成る程。しかし、自己の流儀を絶対視するのは人間の宿痾です
から、禅者についても、ほぼ同様に反駁が可能であるように思
います。哲学者ならずとも、自他の語彙に敏感な人間は、自分
の語彙を無効化しようとする相手を嫌います。特権的認識(『
こいつは何も判っちゃいない』)を武器に、相手を風呂敷に包
んでしまうような態度です。

>ダイアローグは
>自他の分裂の上に成立する場合と、
>自他なきところに成立する場合とがあります。

これがどの程度のことを指して言っているものなのか、私には
判らない。ですが、如何なる深い体験を共有し得た相手であっ
ても、やはり、別の人間なのです。

>しかし、そのような力への意思を滅却したとき、
>日常体験の一回性、固有性のうちにも
>普遍的一者との出会いは突如現れるのですよ。

哲学者が沈思黙考の末に見神体験をすることは別に珍しいこと
ではありません。彼らはそれを吹聴することをしないだけです
(なかには例外も居ますが)。認識を研ぎ澄まして探求すること
が、『客観性を武器に世界を解釈し尽くし、解釈し尽くした自
己を 自己ならざる世界に拡大せんとする態度』なのでしょう
か?私はそうは思わない。成る程、<世界>は名状し難い何か
に由来する。しかし、分節は起こった(起きている)のだ。

>それがあまりにもわからんやつのことを
>江戸っ子は「野暮」とよんで嫌ったのです。

野暮で済みませんねぇ、美意識というのは伊達や見栄との区別
が難しいですし、雰囲気に呑まれ易い人間はそれだけで誑され
てしまうのですから曲者ですが・・・。もっとも、これは衒学
趣味の哲学プロパーについても言えることですね。


265194ですが:2001/04/09(月) 02:04
>>252-264
「隻手音声さん」と「262(と254)を書いた奴さん」
充実の日曜討論、いま拝読。
極めて稀な接近遭遇なのに、野暮とか美意識の地点へ立ち戻るのは
つくづく惜しい! 惜しい!
>>隻手音声さん
体験は勿論、科学的説明の圏外です。だからこそ、光の現象は
科学内で捉えられる。むしろ読み解く方がいい。
>>264
「哲学者の見神体験」について、語ってくれませんか。
やはり、独居、独坐、集中(沈思黙考)の後、突如という感じの
「啓け」? 光は?
「別に珍しいことではない」というのは、あなたの回りで?
それとも歴史的(例:パスカル「パンセ」)にということ?
どうか詳しく教えていただきたい。
266262(と254)を書いた奴:2001/04/09(月) 11:01
>>265

>充実の日曜討論
低レベルな内容で申し訳ないです。書き忘れましたが、私は哲学プロ
パーの人間ではありません。この板に書き込んでいる方々のなかでも
、哲学関連の読書量は最も貧弱な部類の方だと思います。哲学史並び
に哲学概論について全くの無知である、と申し上げておきます。(笑
只、彼らのスタンスに、より共感を覚えるのです。

>「哲学者の見神体験」について
本棚を漁るのが面倒なので、不確かな記憶を頼りに。

>やはり、独居、独坐、集中(沈思黙考)の後、突如という感じの
>「啓け」?
多くの場合、著述者はそのことについて具体的に触れていはいません
ので、環境等の条件は判りませんが(たとえば、ニーチェは散歩の途
中でそれを体験している)、こういうことではないかと考えています。

哲学者に限らず、芸術家や工芸職人、武道家、登山家等が同種と思わ
れる体験をすることがある、ということを何かで読んだ人は多いでし
ょう。おそらく、鍵は厳密な自己観察にあるのではないか、と思いま
す。意識の集中の結果、意識自体を観察することとなり、外界や記憶
や五感等に対しての反射としての認識ではない、<意識そのもの>と
でも呼ぶべきものを認知するのでしょう。常識的に考えて、独りで居
る方が集中し易いでしょうし、それは創造的行為に付き物の突発的な
ブレイクスルーであることは共通していると思います。

哲学者の場合、することはまあ思考であるとして(笑、厳密に、事物
の始源について考察するとき、プロセスはどうあれ、最終的には定義
不能な何かに辿り着くのです。単純に言うなら、自己の語彙の限界を
超えた地点にまで認識が及ぶということなのかも知れません。『定義
不能な』ということは『何か』ですらないということです。それは、
そういう言い方をしたければ、二元論の限界を超える、ということに
なるのでしょう(たとえばヘーゲル)。

思考のプロセスは恐らく人により異なるので、それを一般化するのは
難しいと思いますが、強いて喩えるなら、『人は無限を数えることが
出来るか』ということになるのではないかと思っています。数は幾ら
でも数えることが可能であるが、既に数えられたものは有限である。
無限記号というものは、道具としての数学には(零と同様に)実に便
利ではあるものの、それは無限そのものではない(まあ、当たり前で
すが・笑)。

数える(認知する)ということは記号化するということになるでしょう。
秤で計測するようなものです。目盛には限りのある秤で無限を測るこ
とが出来るでしょうか?無理ですね。しかし、ここで無理矢理な見立
てを行うと、それが(主観的には)可能になるのです。(笑 秤の針が
振りきれる瞬間が無限を表していると考えるのです。これを、予備知
識に基づく先入観に拠らずに行うことが出来れば成功です。

哲学者たちの、不可解な新造語は、そうして知ったものに付けられた
仮称のようなものなのです。それを概念装置にしてそこから思考のプ
ロセスを逆に辿ったり、再検討したり、他のプロセスの可能性につい
て考えたりするのが、彼らの仕事の概要だと私は思っています。

哲学学者についてはこれが当てはまるかどうかは知りません。

>光は?
これは、体験について語っている人があまり居ないというか、その体
験を事大視しないという所が、哲学者の哲学者たる所以なのですが、
恐らく殆どの場合、何がしかの光視体験によってその認識はもたらさ
れるのではないかと思われますが、彼らにとってそれは謂わばインク
のようなものですから、それを崇拝したりはしないのでしょう。勿論
、人にも因りますが。又、特に西洋ではキリスト教の伝統の所為もあ
ってか、発言に慎重になったということもあるかも知れません。

最後に、これは単なる思い付きですが、光視体験には松果体が関係し
ているのではないかと思います。松果体は原始爬虫類にあっては受光
器官であったということですから・・・。

長い・・・。逝って来ます。

267194ですが:2001/04/09(月) 23:56
>>266
いや、べつに逝かなくても…(笑)
早速のレス、ありがとう。とても興味深く読みました。

>哲学者たちの、不可解な新造語は、そうして知ったものに付けられた
>仮称のようなものなのです。それを概念装置にしてそこから思考のプ
>ロセスを逆に辿ったり、再検討したり、他のプロセスの可能性につい
>て考えたりするのが、彼らの仕事の概要だと私は思っています。
…確かに、「修行中」の宗教家であればまさに神秘&見神体験であり
それによって全てが一変するような体験=現象であっても、
それを体験するのが哲学者ならば、「そこから」再び思考と探求が
始まるのかも知れない。思考外のものを敢えて思考によって追い、
言語を超えたものを言語によって捉まえようとする…哲学とは本来そう
いう営みであり、哲学者とは(哲学学者ではなく)そういう業に
生来囚われてある人種といえなくもない。(あなたもですか?)

しかし、
> 創造的行為に付き物の突発的な ブレイクスルーであることは
>共通していると思います。
というのとは少し違うように思います。「それ」は、他の何かと共通
しているような類いではない。創造的行為一般と同じ地平では
語れないようなのです。直前まで似ていても、なんというか、
ぬけ方、が違う。ブレイクスルーの後、居る場所が、次元が?
違う…ようだ。

光視現象そのものに意味があるわけではなく、あくまでも個人的内的
事象でしかも言語化不能の「体験」において、わずかに共通している
現象が「光」であるから、洋の東西を問わず宗派や教条や人種や時代を
超えてそれだけは共通しているから、読み解き?への表徴又は何かの
キーのような気がするだけです。
しかも、科学的アプローチが可能だと思える。
松果体説もありますが、視覚細胞が直視しているという感じです、
眼球を通して見ている世界(外から眼球→資格細胞へ届く光線)に
重複して見えている。(瞼を閉じれば闇の中に光だけが見える)
むしろ、発光している「それ」が何か?という方に興味がある。
発光していて、生きて瞬いているように見える。一瞬も止まらない
光源で、閃きつつ中心のまばゆさを保ったまま動く、変化する、
注視していると様々な光の意匠を(何にでも見ようと思えば
見えるような…)見せる…集中していると忘我のまま長い時が
経っている。


268:2001/04/10(火) 00:51
電波自作自演中〜(藁
269194ですが:2001/04/10(火) 01:22
>>267 の訂正  「資格細胞」→「視覚細胞」

一定の磁場の中に置かれれば「誰でも」同じような白く輝く円光を見る、
ということが、実験で確認されている(北大)。
とすれば、外の磁場と同様の状態?が、「その時」脳内で起こっている
ということかもしれない。あるいは、磁場における脳細胞(の一部?)
の反応あるいは変化?と同じことを引き起こす何かが、
思考→集中の過程の何処かで起きる(物理的or化学的に)ということ
かもしれない。
いずれにしろ「光視現象」までは、化学的に解けるでしょう。
270194ですが:2001/04/10(火) 23:27
>>266
シッタルダ=ブッダは、貴方の言う意味での哲学者である。
彼は自らの「体験」の中身を伝えるのではなく、「そこ」へ通じる道を
指し示そうとした、といえる。
「私と同じくその『体験』へ向かえ、
その為にはこの道筋を歩め、覚者への道はこれである」…と。
ブッダ自身による始原の仏教は、覚醒への哲学に他ならない。
その本流は、後年「禅」の中に受け継がれる。伝えられる禅語も
公安も、まさに貴方の言う、

>哲学者たちの、不可解な新造語は、そうして知ったものに付けられた
>仮称のようなものなのです。それを概念装置にしてそこから思考のプ
>ロセスを逆に辿ったり、再検討したり、他のプロセスの可能性につい
>て考えたりするのが、彼らの仕事の概要だと私は思っています。
…その通りのものである。

貴方と「隻手音声」さんは、極めて近いところに居る。齟齬は
ただの言語の表層的意味の辺りにすぎない。

271 :2001/04/11(水) 01:09
>>269
実験で用意されたような強力な磁場がなくても人に光は見えますが
それとこれを同一とするのは、まだ早いですよ。
272考える名無しさん:2001/04/11(水) 01:13
(笑)
273考える名無しさん:2001/04/11(水) 01:50
>1
(笑)
274覚醒者:2001/04/11(水) 01:57
みなさん覚醒されてませんね?
275世界中で今一番:2001/04/11(水) 03:36
↑愚かな奴。。。
276考える名無しさん:2001/04/11(水) 04:26
目覚めたよ。
さっき起きた。
277名無しさん@1周年:2001/04/13(金) 23:05
>>276
朝起きたら立ってた?(わら
若いなあ・・
278あぼーん:あぼーん
あぼーん
279考える名無しさん:2001/04/15(日) 14:39
280考える名無しさん:2001/04/18(水) 04:37
>>279
全然覚醒してないスレだね。ただの遊び。
281考える名無しさん:2001/04/19(木) 23:31
ここが本元
282考える名無しさん:2001/04/23(月) 17:55
悟り=ESP
283考える名無しさん:2001/04/23(月) 20:38
我々は宇宙に産み落とされた善玉菌。
284考える名無しさん:2001/04/23(月) 21:14
マトリックスのようなことは現実にある。
285考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:34
悟りは語れません(w
感じるのです
286考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:37
そしてそのまま逝くのだ
287考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:48
あ、それいいね(w>そのまま逝く
288考える名無しさん:2001/04/24(火) 12:58
感じろ!そして逝け!

なんか卑猥だ
289考える名無しさん:2001/04/25(水) 07:08
ソクラテスとプロタゴラスはわかり合えなかった
孔子と老子もわかり合えなかった
ゲーテとニュートン、ベートーヴェンもわかり合えなかった
ユングとシュタイナーもわかり合えなかった
サルトルとカミュもわかり合えなかった
キリストとブッダもわかり合えなかったかも
290考える名無しさん:2001/04/25(水) 10:09
>289

ま、そういうことでしょうね。
291考える名無しさん:2001/04/26(木) 22:31
>>289
名言・・・・・かな
292火星人:2001/04/26(木) 22:42
>>289
人間だから分かり合えないところもあったが、
全てが分かり合えなかったわけではない。
分かり合えなかったところがあって当然だと思ってしまった。
293考える名無しさん:2001/04/26(木) 22:51
>>289
最後の一行は違う、他とはまったく違う次元だよ。

ブッダは、自らの悟りの内実をキリストに説き、
キリストは初転法輪の五人の比丘のように
直ちにそれを理解して悟りに至る。
キリストは、ブッダに自らと神について語り、
ブッダはそれを理解する。
なぜなら、真理は常に一つだからだ。
国によって言葉が違うように、表現の方法が異なるにすぎない。
「月を指すゆび」は数多あるが「月」は一つしかない。
ブッダもキリストも「月を指すゆび」であり、
彼らが指し示そうとするのが同一の「真理」である。
(教義や経典や儀式やは表現の手法であり当然違う)
294FROM名無しさan:2001/04/26(木) 23:46
悟ったらつまんなくない?

そこで,思考が停止してしまうと思う。生きてる意味がない。
295考える名無しさん:2001/04/27(金) 10:11
>>293
>最後の一行は違う、他とはまったく違う次元だよ。
へぇ・・・、そうなんですか。
その『次元』とやらがどういう意味なのかが良くわか
りませんが、それは単にあなた自身の趣味の問題なの
では無いのですか?
296考える名無しさん:2001/04/27(金) 10:48
>>294
生命に危機がある時点で思考が勝手に停止するという事実の自覚が悟りだと思います。
まあ脳に、今よりも容量が少なかった頃にはより有用であったようなブレーカー機能でも入っているのでしょう。
ですので、悟った後は思考が発散して脳を過剰に酷使するようなテーマでも安心して考えられるという事になると思います。

まあ、脳を一度に酷使する価値があるほど重要なテーマがないという事実を見せ付けられるので、
つまんないといえばつまんないんでしょうけどね。
297考える名無しさん:2001/04/29(日) 01:45
世の中には悟りを得た人が大勢居るものですね。(w
あっ俺もか。
298考える名無しさん:2001/04/29(日) 20:40
>ALL
無知の知だろ。お前ら
299考える名無しさん:2001/04/29(日) 20:50
>>295
このスレの過去ログ見れ。
300考える名無しさん:2001/04/30(月) 20:27
人生是修行

301考える名無しさん:2001/04/30(月) 22:28
だから死ぬまでの映像見てるだけだって。
302考える名無しさん:2001/05/01(火) 01:14
>>301
だから「映像」は何処に映っていて、
「何が」それを見てるのよ? 明確に答えてみちくれ。
303亀仙人:2001/05/01(火) 08:45
>>301 とても面白い表現だと思う。だとしたら死こそが原点であり死の瞬きに
ビデオ再生してる的な捕らえ方も面白いかもしれない。巧く言えねぇな・・・。
そもそもさ、話は思いっきりズレルけど”時間”なんざ人間が勝手に決め付けたもんだろう?
勝手に横だか縦だか知らないけど時間進行を唱えてるだけろ?
その理論の上に話が生と死が成り立っているだけで、もとは人間が作った机上の理論なんだよな。
この世の仕組み作ったのなんて人間じゃなくて46億年前・・・200億年前・・・って
遡ったとこにあるわけだろ?だから時間ってもんも案外俺達が当たり前のように思っている正体なんかじゃないと
思うぜ。ようするに時間進行っていう考えが無くなると生きて死ぬってゆー進行も
果たしてあっているのかどうかあやふやになるよな。うーん・・こんな喋りでよかったんだろうか・・・?
304蓬莱山の暴れん坊:2001/05/01(火) 11:15
悟りとは即ち自由
305中村雅俊:2001/05/01(火) 11:38
悟りとは黄昏と戯れる事
306ベジータ:2001/05/02(水) 06:40
欲望の無い自由に意味は無い
307考える名無しさん:2001/05/02(水) 17:20
>>304-306
はあ?なに分かった風なこと言ってんの?
308考える名無しさん:2001/05/02(水) 17:30
悟っているんだが、HITOMIのおへそが気になる。
309考える名無しさん:2001/05/02(水) 17:31
悟ってはいるのだが、HITOMIのおへそが気になる。
310考える名無しさん:2001/05/04(金) 06:40
↑この中に方●は混じっているのかな?
311能有りさん:2001/05/04(金) 08:06
>哲学の極意とは悟りにあるのではないかと思います。

何じゃ、それは?それじゃ、ここに来ている高慢鼻高の野郎達は一体何なんだ?
頼むから哲学と宗教を一緒にしないでくれ!哲学は「暇つぶしのする学問」で
宗教学こそが「人生をマジで考える学問」。哲学で戦争は無くせないけど、
宗教学(シュタイナー教育、覚者等の創立した学校)でそれを防げるかもしれな
い。哲学をやっても善い人間にはなれないし、腹の足しにもならない。
この2chこそがそれを証明してくれていると思うんだけど...。
ひろ○ちやさんのように東大の哲学科を卒業して、それを踏み台として使うなら
大いに結構!それ以外は糞!特に、日本の町○等、哲学者もどきの評論家たち!
お前ら自分の言葉で語れ!先人達の発見した哲学をただ暗唱して、しかもそれを
評論するななんて資格はないんだよ!結局、哲学では自我を超えられない...
312猿捕:2001/05/04(金) 08:10
哲学の極意(目的?)が「悟りを得る」というの、初めて聞きました。
でも、もしそれが本当なら、これって最初から破綻した指向になりま
せん? そもそも「悟り」って何か知らないから、「悟り」を求める
わけでしょ? でも、仮にその「悟り」に至ったとして、それを「悟り」
だって自分では分からないはず。だって、知らないんだもの。誰かに
「悟り」だと認定してもらわなければ客観性は生まれない。だけど、そ
れを認定する人が「悟り」を得ているというのにも、また、別の認定が
必要になる。という連鎖構造になるしかない。とすれば、自己申告でし
か「悟り」というのは成立しないわけだけど、その場合、普遍的な意味
での「悟り」なんてあり得なくて、その人が主張したものを認めるしか
ないわけ。そして、その主張をした人の印象が「悟り」の目安になり、
その目安に近いか遠いかで客観的な認定がされることになる。誰が最初
に「悟り」なんてことを言い出したのか知らないけど、もし、釈迦であ
るなら、釈迦のような印象に近ければ、周囲はそれを認定するわけだが、
全く違った印象であれば、例え自己申告の「悟り」であっても、周囲は
決して認めないわけね。つまり、「悟り」なんて言う概念そのものが、
最初から破綻した性質のものでしかなく、普遍性や絶対性を宿したもの
ではあり得ないわけで、哲学なんて極めなくても、ただ自己申告すれば
いいだけだと思うよ。「私は悟っている」とね。それを周囲が認定する
かどうかは分からないけど、でも、周囲にはそれを否定できる理由はな
いんだ。だって、「悟り」が何かを知らない者が、「悟り宣言」を否定
する術は持たないんだから。気に入らなくても、認めるしかないわけ。
ということは、これは「言ったもん勝ち」なわけで、大して意味のない
概念になると思うけど。こんなもの追いかけて哲学なんてやろうとした
ら、命がいくつあっても足りない。それと、「迷いのない人生」という
概念もね、なんとなく素晴らしいことのように思えるかもしれないけど
本当にそんなことになったら、正気で生きていられると思う?
「迷う」ってことは、人生にとってきっと大切な要素だと思うんだけど、
迷いながら失敗したり、逆に上手くいったりすることで、いろんなこと
が味わえる。喜怒哀楽のない人生を想像してみればいいのかも。
哲学というのは、「悟り」のような性質の悪いマヤカシに翻弄されない
ようにするものだと思うし、もっと、現実的な人生のためにあるものだ
と思うんだけど…。「迷い」を少し減らすとかね。モノの見方を変える
とか、そういうものだと思う。
313考える名無しさん:2001/05/04(金) 08:27
真理と呼ばれるものを懐疑しつづけるのが哲学精神。
真理を確信して迷いのない状態などは
哲学精神が死んだときである。

いじょ
314能無しさん :2001/05/04(金) 09:33
>>311
>宗教学こそが「人生をマジで考える学問」。哲学で戦争は無
>くせないけど、 宗教学(シュタイナー教育、覚者等の創立し
>た学校でそれを防げるかもしれない。

何じゃ、それは?それじゃ、宗教板に来ている高慢鼻高の野郎達は
一体何なんだ? 頼むから宗教学を宗教と一緒にしないでくれ!宗
教学というのは「宗教・信仰を対象とする学問」で、宗教的なもの
に勿体を付けた呼称のことじゃない。「学」を付ければ良いという
ものじゃ無い。ついでに言うと哲学は「学問とは何であるかについ
ての学問」。

哲学で戦争は無くせないかもしれないけど、 宗教(宗教学では無
い。ついでに、シュタイナー教育を宗教学と呼ぶのはおかしい)は
多くの紛争の元になってきたし、現在の社会問題の種でもある。哲
学をやっても善い人間にはなれないし、腹の足しにもならないのは
当然だ。そのような期待を寄せる態度が宗教的でなくて何だという
のだ。この2chこそがそれを証明してくれていると思うんだけど...。

井筒俊○さんのように深い神秘体験を経て、それを踏み台として使
うなら大いに結構!それ以外は糞!特に、日本の○○等、求道者も
どきの衒学家たち! お前も自分の言葉で語れ!先人達の達成した
足跡をただ棒引きして、しかもそれを評論するなんて資格はないん
だよ!

結局、哲学アレルギーの人間には宗教的エゴを超えられない...
315無礼講:2001/05/04(金) 09:56
エゴはいらん
316能有りさん:2001/05/04(金) 11:41
>>314
失礼!宗教学と書くよりは、宗教教育と書くべきだったのかもしれない。。。
でも、それぐらい文面読めば判断できるだろ!一々、細かい事に批判するな!
317無礼講:2001/05/04(金) 11:44
宗教教育のほうが具体的ってことか
318能有りさん:2001/05/04(金) 12:46
>>314
付け加えると、だから脳無しなんだよ。(藁
哲学は所詮、思考の繰り返し。何か新しい事を創造するなんて
できないんだよ。ただ経験を増やしているだけなの!真理は「空」
もし人が考えることをしなければ苦しみを感じないでしょう。
不安も感じないし快楽も感じないでしょう。かの有名なフランス人
は「我は考える、故に我在り」と言ったけど、それは間違いです。
「我は考える、故に恐怖心をもつ」と...。まさに私達は考える事
で不安感を持つのです。恐れは思考の産物で不安は思考 そのもの。
問題は、人生を思考なしに、不安なしに経験することができるか?
ということ。恐怖心とはすべて過去において得た人生経験の結果で
す。私達は 過去を見ます。私達は過去の総計です。私達の存在は
すべて、自分について知っている事、生命について知っている事、
人生に対処することを可能にしあ らゆる経験、これらはすべて思考
の結果です。よって、哲学しても意味ないじゃん♪って事!瞑想しろ!
319いぬのめい:2001/05/04(金) 13:09
>>318
>哲学は所詮、思考の繰り返し
うん、そう。「真実は言葉では変えられない。」(←毎度しつこい)
なんかさ、他のスレとかで神がいるだのいないだのというのは本質は不毛。
だって「いる」と言う結論を出したっているものはいるし、いないものはいない。
真実はそれで変わらない。
でもさ、目はよく見えたほうがいいし、耳もよく聞こえたほうがいいじゃん。
自分達に出来るのは「見ること」「聞くこと」だけ。
対象の真実は虚言だろうが大言だろうが天皇の言葉だろうが変えられない。
。。。けど、「道」が見えなきゃ人は歩むことができないよ。
ちなみに、瞑想は哲学だろ。
320無礼講:2001/05/04(金) 13:37
いいこというねえ
321能有りさん:2001/05/04(金) 14:31
>>319
>でもさ、目はよく見えたほうがいいし、耳もよく聞こえたほうがいいじゃん。
 自分達に出来るのは「見ること」「聞くこと」だけ。

本当にそう思ってるの?君さ、分かっていないね。。。感覚的に生きたって、
それは、過去のコピーなんだよ。欲望だって、過去のあの快感をもう一度味わ
いたいという執着なのさ。それが悩みの種なんだね。それを超越して生きる事
は可能なんだよ。瞑想で失敗したならLSDでも飲めや!そうすれば、内的な神を
知る事ができるさ。みな、同じ(全体性の一部)だという共感性が持てるはずだ。
「道」を教えているじゃない。あらゆる宗教で...ダライ・ラマ師は、人生の目的
とは「善い人間」になることだと言ってた。煩悩を捨て他者を愛する事だって...。
322無礼講:2001/05/04(金) 14:34
くだらんこというな
323考える名無しさん:2001/05/04(金) 14:57
>無礼講
ツッコミ担当ですか?
324能有りさん:2001/05/04(金) 15:03
もう「哲学板」出るわ。君等と生に対しての価値観が違いすぎる。
哲学肯定派は、思考を繰り返してパーキンソンにでもなって氏ね!
結局、俺の書いている事は死ねば分かる事だからさ、思い出せよ!
325猿捕:2001/05/04(金) 15:04
>314
あっ!オイラのは「哲学」じゃなく、「哲」だったんだ。
学問としての興味はないものなぁ。モノ覚え悪い方だし。
いいこと教えてもらったなぁ、今日は…。
>318
哲学と宗教学の対立は、よく分からないけど、
「宗教」と「哲」が対立するようには思えない。
   宗教=信じることからはじまるアプローチ
    哲=疑うことからはじまるアプローチ
宗教では、真理は「空」だと教えられれば、それを信じる
ことから全てが始まるわけだけど、「哲」では、真理は
「空」と言われても、「ふぁ〜ん、そうなんだ。それで?」
ということになる。取り敢えず、棚に上げとくわけね。
でも、目指している方向は同じだと思う。どちらを辿るか
は、たぶん、個人の資質や性格に関わっているんだろうけ
ど、「哲」の方が性格的には皮肉れてる感じなんだろうね。
だから、「我考える、故に我在り」というのも、
ああ、哲学者らしい決着だな、と思うだけで、そのまま信
じたりはしない。カールルイスだったら「我走る、故に我在り」
だろうなとか、美空ひばりなら「我歌う、故に我在り」とか。
となれば、これはひとつの方程式の姿をしているわけで、
「ax=1」(aは変数、xは未知数、1は存在性)と表せる。
そして、当然ながら重要なのは変数「a」ではなく、未知数
「x」の方だと言うことが分かってくる。じゃ、この未知数
は何が担っているんだろうと言うことになり、「故に」とい
う言葉が重要だと気づくわけですね。「故に」の中に込めら
れるニュアンスは「確信」という性質のもの。
つまり、これが自分の限界だと確信できるほど、その「a」に
取り組んだか、ということを示す方程式だとも言える。
その個人の取り組み度が、未知数「x」として定義されてい
るわけです。決して、「a=x」というような式にはならない。
つまり、考えることで不安感や恐怖感を持つのではなく、
考えが至らないことが、不安感や恐怖感を持たせるのです。
恐怖とは「未知」なるが故に生じるもので、既知に対して
恐怖はありません。だからこそ、人生経験が意義を持つわけ
ですね。未知数「x」というのは、恐怖心そのものを示すの
ではなく、恐怖心を取り払う能力の指数だとも言えます。
「哲」というアプローチは、物事をこんな風に受け止めて
行く性格で、「屁理屈こき」と言われても仕方がないような
皮肉れた印象にしかならないのです。
「宗教」なら、「我信ずる、故に我在り」ということになる
んでしょうね。そこで問われるのは、信仰の深さでしょう。
つまり、どれだけ自分の考えを捨てて、教えを信仰しきれたか
ということだと思います。これもまた、決して容易なことで
はないと思いますが。どちらのアプローチも、それぞれ苦労が
伴う点では、変わらないと思います。
「簡単に信じるヤツはへなちょこだ」と哲の指向は思うし、
「堂々巡りの考えは無意味で無価値だ」と宗教の指向には
思えるでしょう。どちらが正しいのかを問い始めたら、
決して決着がつかない泥仕合にしかならない性質のもので
しかなくなります。どちらもが「真理」を追いかけている
限り。この互いのアプローチの違いが、折れ合いの悪さの
最大の要因だと言うことです。優劣を決めれるようなもの
ではないと思います。

326考える名無しさん:2001/05/04(金) 15:04
>>324
それ、負けたもののお約束の台詞ですね
327いぬのめい:2001/05/04(金) 15:23
>>321
>内的な神
→独善。

認識するのは「自分」である。
故に、例えば君が>煩悩を捨て他者を愛する事だって
って言ってるよね。そう、あなたはそれを信じている。
それがあなたの「今の価値観」であって、僕がそれがあっているとか、
違うとか、ばからしいとか言おうが言うまいが、それは「あなたにとっての真実のの正義」
であって、変えることは出来ない。
だが、冷えた目で見よ。
「煩悩を捨て他者を愛する事」
あなたはそれをすることで幸福(満足)だと言う真実を!
冷えた目で「己」を見よ!
あなたは自らが、真に価値を(そこに)置くが故に
あなたは自らが満足(幸福)するが為に「煩悩を捨て他者を愛する」ということを。
あなたはあなたのために生きている。

以下(↓)は参考です。(前の僕の発言)(為には他のすれも見てね)

理想論者は言うだろう:「自分はどんなつらい道でも構わない、ただ、そう、その???(なんだろね)を成す為に!
自らが例え死のうとも!その絶対の価値ある???を成す!(私の死は無駄ではない)」と
彼は理想論者ではない、夢想論者である。
現実を知り、初めて理想を知ることができる。
彼は満足して死んでいくであろう、彼にとっての絶対の価値ある???のために。
即ち、彼(ほとんどの人間)自身は本当に意味のあるもののために生きた「つもり」
だが、本質は結局自分の満足のために生きていると言うこと。
「絶対に価値のあるもの」は、あくまで「自分にとって絶対に価値のあるもの」以外の何ものでもない
そのいみで、・・・・・(略)
328いぬのめい:2001/05/04(金) 15:25
おおおおおおおおお〜い
勝手に出てくんじゃねえよ。
読んだら感想くれってば!
329能有りさん:2001/05/04(金) 15:27
>>326
最後に一言、他人とを比較する事から「全体性」から離れていくの
だよ。君が幼い時は、他人と自分とを比較しなかったろ。
無邪気に生を満喫していただろ!でも、ある時から自意識が出てきて
他人とを比較始めてから苦悩するようになってきたんだね。
キリスト教でいう「幼子のようになれ」とはそういう意味なんだよ。
あと、俺は別に勝ち負けで書き込んだつもりはないから...(苦笑
330いぬのめい:2001/05/04(金) 15:35
僕のは読んだのかい?
よめぇ〜
そしてはんろんしろ〜
たたかれてはじめて人は前進できるのだぁ〜
331いぬのめい:2001/05/04(金) 15:39
いるのかいないのか・・・それが問題だ・・・
コギト エルゴ スム
332いぬのめい:2001/05/04(金) 15:43
へ・・返事だけデモしてくれ。
見てますか?(哀)
333能無しさん :2001/05/04(金) 20:35
>>316
失礼!宗教と宗教学との区別よりは、括弧付きの宗教と宗教性と
が必然的に同じものであるという存念についての懐疑を書くべき
だったのかもしれない。。。
でも、それぐらい文面読めば判断できるだろ!一々、細かい事に
拘泥するな!

334能無しさん :2001/05/04(金) 20:36
>>318
付け加えると、だから能書きなんだよ。(環螺
盲信は所詮、夢想の繰り返し。目覚めることなど出来やしない
んだよ。ただ自己愛を肥え太らせているだけなの!
『真理は「空」』と言う事だけならば誰にでも出来るよ。愚劣
だとは思わないかね?

もし人が考えることをしなければ苦しみを感じないでしょうか?
不安も感じないし快楽も感じないのでしょうか?ノンセンス!
かの有名な印度人は「人生のすべてのもの(五蘊)それがそのま
ま苦である」と言ったけど、その通りなのです。 そして、この
スレの>>318に、cogito ergo sumは「我は考える、故に恐
怖心をもつ」とすべきであったと有りますが、それは仰天もの
のダブルトークだと言わざるを得ないでしょう。デカルトのco
gitoは俗流ニューエイジャーのエゴの謂いでは有りません。
そういうことを言う人はデカルトを読んだ事は無いのでしょう。
ことさらに無知を恥じる必要は無いと思いますが、だからと言
って居直るのは虚栄心が剥き出しのようで余り感心しません。

まさに私達は判らないものについて不安感を持つのです。恐れは
自己愛の産物であり、不安は自己愛そのもの。
人生を思考なしに、不安なしに経験することができるか? という
ことが果たして問題たりうるのでしょうか?思考と不安とが同定
されるかどうかは措くとして、恐怖心とは『すべて』(そうでしょ
うか?何故、『すべて』と言い切ることが出来るのか。>>318
発言者は恐怖心の総体や本質についての深い洞察に基づいてこの
ように言っているのでしょうか?)かどうかはともかく、過去にお
いて得た人生経験の結果でもあるでしょう。では、子供は何故暗
闇を怖がるのでしょうか。聞かされたお化けの話を思い出すから
なのでしょうか?それとほぼ同じ頃に死に対する恐怖、という観
念を持つようになるのはどうしてなのでしょうか?

私達は『現実』を見ます。私達はそれぞれが『現実』と思うとこ
ろのものの総体です。私達の存在はすべて(本当に?)、自分につ
いて、生命について知っている事、 人生において起きることど
もに反応することを可能たらしめる経験の束(或る者にとり自明
なことと、知っていることとが果たして等価なのか。無邪気にそ
う思うことが出来る人はそのようにすれば良い)これらはすべて
思考の結果なのでしょうか?予め名付けられているものの、未だ
名無しであった頃の相を知ることは、イージーな瞑想によって出
来るようなものなのでしょうか?それもまた予め名付けられたも
のなのでは無いのか?夢想するなんて愚劣だね♪って事!
刮目しろ!
335能有りさん:2001/05/04(金) 21:22
>>333-334
君は今、心理的恐怖で一杯なのだね。自分の信じた哲学を徹底的に批判されて...
恐怖は、人生の最大の課題の一つ。恐怖に捕えられた心は混乱と葛藤に陥るため
暴力的になったり、歪められたり、攻撃的になったりするのです。そうした心に
は自身の思考形態から離れる勇気はないのです。これが偽善を生み出す原因!
今の日本の偏差値教育においても、競争を土台とした教育ですよね!?
これもまた恐怖を引き起こしますね。恐怖は、生活をねじ曲げ歪め退屈なものに
してしまう恐るべき存在。肉体上の恐怖に関しては、それが自分達の中の動物的
本能が反応しているにすぎない。俺が問題にしているのは心理的な恐怖のほう...
俺達はある種の人生を送っている。ある思考の型によって物事を考え、ある信条
や教義に従って生きている。そうしたものに心の拠り所を置いているから、それ
を乱されたくはないよな。乱されると好ましくない未知の状態が生じるから、
それが厭なんだね。仮に自分達が、自分の知っていることや信じている事の全て
から引きはがされたら、どんな自体になるかということは、自分自身がはっきり
知っていたいと思う。だから脳細胞は一定の思考パターンを生みだし、不確かな
別のパターンを作り出す事を拒む。つまり確実な事から不確実な事への心の動き
を、恐怖というのだ。思考というものはいつだって古いのだ。なぜなら思考は
記憶の反応であり、その記憶がそもそも古いから...。思考は、時の流れの中で
「怖い」という感覚を創りだすけれど、それは実際に起こっている事ではない。
現時点での事実とは、あなたが健康であるという事!でも経験は記憶として心に
焼き付いているから、「また病気にならないように気をつけよう」とか、思考を
刺激してしまう。自分達は死を恐れます。明日か明後日かいつかは訪れる死を。
現実と、将来起こるであろう事の間には隔たりがあります。
思考は体験を通じてこの状態を知っていて、他人の死を見ると
「自分もいずれ死ぬ」と思うだろう。死の恐怖は思考がもたらしたもの。
もしそうでないと言うなら、恐怖は存在しない。新しい思考なんてものはない。
それと認識されるや、その思考はもう古いのだ。だから自分達が恐れているも
のは、古いものの反復なのだ。つまり、未来へ向けられる思考を恐れている...。
だからこそ思考が、恐怖を生み出す張本人であって、
恐怖があるのはそこに思考が入りこんだときだけなんだよ。

336考える名無しさん:2001/05/04(金) 22:25
神秘・宗教系の見方からのデカルトにかんするカキコあったよ。
それなりに面白かった。
神智学、人智学スレッド
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=986848678&st=287&to=289&nofirst=true
337能無しさん:2001/05/04(金) 23:28
>>335
私が今、心理的恐怖で一杯なのだというのはどういうことなの
だろうか。自分が『信じた』ことなどない哲学を幼稚な誤読を
もって取るに足らずと信じているらしい人間に対して、恐怖を
覚えることは可能なのだろうか?古典を『信じる』ことは哲学
ではないし、上にある批判、というのは通俗的な意味でのそれ
ではあるのかもしれないが、厳密な意味での批判になっている
のだろうか?どうもそうは思えない。

恐怖が人生の最大の課題の一つであるような人もいるのだろう。
だが、それは私の課題じゃない。『恐怖に捕えられた心は混乱
と葛藤に陥るため暴力的になったり、歪められたり、攻撃的に
なったりすること』、という前提と、『そうした心は自身の思
考形態から離れる勇気はないのです』、という結論の間にある
ものは何か。『これが偽善を生み出す原因!』とあるからには
『自身の思考形態から離れ』た所にある、とされる主張が真で
あり善である、という大前提が置かれているもの、と考えても
良いだろう。>>335のその確信は一体、何に拠って立つものな
のだろうか。

338考える名無しさん:2001/05/04(金) 23:30
哲学板は死んだ
339能無しさん :2001/05/04(金) 23:32
>>337
『今の日本の偏差値教育においても、競争を土台とした教育で
すよね!? これもまた恐怖を引き起こしますね』とは、卑近
な事例から自らの主張へと敷衍する布石なのだろうか。

『恐怖は、生活をねじ曲げ歪め退屈なものにしてしまう恐るべ
き存在。肉体上の恐怖に関しては、それが自分達の中の動物的
本能が反応しているにすぎない』『俺が問題にしているのは心
理的な恐怖のほう... 』心理的なものは動物的な部分とは別個
の原理で働いているものなのだろうか。疑問である。

『俺達はある種の人生を送っている。ある思考の型によって物
事を考え、ある信条や教義に従って生きている』とは、『そう
したものに心の拠り所を置いているから、それを乱されたくは
ないよな。乱されると好ましくない未知の状態が生じるから、
それが厭なんだね』とあるからには、<意味>の剥落のことを
指しているものと思われるが、ここで言う<意味>の剥落は俗
に言うアイデンティティークライシスのことではない。後者を
想起して前者を理解し得たと考えるような人間には人生論の方
が向いているだろう。

『仮に自分達が、自分の知っていることや信じている事の全て
から引きはがされたら、どんな自体になるかということは、自
分自身がはっきり知っていたいと思う』前段は要領を得ないが、
『だから脳細胞は一定の思考パターンを生みだし、不確かな別
のパターンを作り出す事を拒む。つまり確実な事から不確実な
事への心の動きを、恐怖というのだ』とあるということは、
>>334の『まさに私達は判らないものについて不安感を持つの
です』とはどう違うのだろうか。
340能無しさん :2001/05/04(金) 23:35
>>339
『思考というものはいつだって古いのだ。なぜなら思考は記憶
の反応であり、その記憶がそもそも古いから...』根拠が不明
である。目の前にあるものや、今居る場所、して居る行為をそ
れと認識するのは、成る程記憶の作用だろう。しかし、それが
<思考>なのだろうか?物事について、論理的に筋道を追って
答えを出そうとするそのことを思考と呼ぶのであれば、得られ
た像を表すのに、自分の語彙、記憶の中のイメージ以外のもの
を以ってそれを顕すことは出来るだろうか?アルファベットや
五十音が古いものであるから、それらの組み合わせで生まれる
音節、さらに付与される意味までもがそうだとでも言うのだろ
うか。

{『思考は、時の流れの中で「怖い」という感覚を創りだすけ
れど、それは実際に起こっている事ではない}『思考』を『不
安』に置き換えれば意味は通るが、意味が通らないという事自
体が、{『思考』=『不安』}という主張が誤りであることを
顕わしているとは言えないだろうか。思い悩む事は『思考』と
は呼ばないと思うのだが?

『現時点での事実とは、あなたが健康であるという事!』『あ
なた』というのが『この私』のことであるのならば不正解であ
る。私は現在病身である。(笑 生きている事、未だ死んでは
いない事が即、健康という発想は随分と短絡的なもののように
思える。

『でも経験は記憶として心に焼き付いているから、「また病気
にならないように気をつけよう」とか、思考を刺激してしまう』
それを私は『思考』とは呼ばない。
341いぬのめい:2001/05/04(金) 23:36
>>335
み〜っけ!
僕の文(>>327)は読んだのか〜い。
どう思う?
342能無しさん :2001/05/04(金) 23:37
>>340
『自分達は死を恐れます。明日か明後日かいつかは訪れる死を』
『自分達は』が括っているものの範囲が不明瞭である(中国語に
は相手を含む『われわれ』と含まない『われわれ』の二種類の
一人称複数形がある。御国柄である。まあ、日本語にもそれら
しきものは一応あるにはあるが・・・)

『現実と、将来起こるであろう事の間には隔たりがあります。
思考は体験を通じてこの状態を知っていて、他人の死を見ると
「自分もいずれ死ぬ」と思うだろう。死の恐怖は思考がもたら
したもの』ここも要領を得ない箇所である。『思考は体験を通
じてこの状態を知っていて』とはどういうことだろうか。知っ
ているものは『思考』ではないと思うのだが?それに、私なら
このように言う。『死ぬということは居なくなることだ。私が
死んだときには私はもう居ないのだから、そこに居ない私が恐
れを感じるということは出来ないだろう』

『もしそうでないと言うなら、恐怖は存在しない』前段との繋
がりが不明である。『死の恐怖は思考がもたらしたもの』<で
ない>とするならば、恐怖は存在することになるのだが。『も
しそうでないと言うなら』を『だとしたら』にすることで意味
が通るものにする為には、『思考はリアルではない』という前
提が必要になるが、ここで言う『思考』が承前の意図で使用さ
れているのならば、『思考』は有害無用な退嬰的行為である、
というような主張の論拠とするには弱いのではあるまいか?

『新しい思考なんてものはない。それと認識されるや、その思
考はもう古いのだ』又も、論理の飛躍が認められるが、この箇
所が『全てのスレッドは激しく既出である』と同様のニュアン
スで為されたものなのであれば概ね同意なのだが、これまでの
文脈から見て、恐らくそうではないのだろう。

『だから自分達が恐れているものは、古いものの反復なのだ。
つまり、未来へ向けられる思考を恐れている...。 だからこそ
思考が、恐怖を生み出す張本人であって、恐怖があるのはそこ
に思考が入りこんだときだけなんだよ』何が<だから>なのか
さっぱり判らないが、どうやらこの発言者にあっては、『思考
』とは思い悩む事以外のものではなく、或る事象を既知の何か
と無条件に同定してしまうような性癖のことであるらしいとい
うことは判った。

343ゆみ:2001/05/04(金) 23:53
飛び入りです。あたしの悟り!
人間は物質から出来ている。精神は物質の流れ。人間社会は人間の脳から来る欲望から作られた。幸せとは人間が自殺しないで繁栄するよう遺伝子にプログラムされている快感機能。
そして不安、苦しみ、悲しみなども同じく、脳内物質の流れであり、遺伝子に組み込まれたプログラムである。
344考える名無しさん:2001/05/05(土) 00:07
>>343
君ってな〜んもわかってないで、ウザいよ、本当に。
自分の立てた駄スレに引きこもっててくれ。頼むよ、マジ!
345生物板:2001/05/05(土) 02:22
名前: 862 投稿日: 2001/05/05(土) 00:11
>>863まあ、そう言わずに(笑)
誤りを誰か指摘してくれませんかね。
これが彼女の「悟り」だそうですよ。。。

343 名前: ゆみ 投稿日: 2001/05/04(金) 23:53
飛び入りです。あたしの悟り!
人間は物質から出来ている。精神は物質の流れ。人間社会は人間の脳から来る欲望から作
られ
た。幸せとは人間が自殺しないで繁栄するよう遺伝子にプログラムされている快感機能。
そして不安、苦しみ、悲しみなども同じく、脳内物質の流れであり、遺伝子に組み込まれたプ
ログラム
である。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=985189582&st=343&to=343&nofirst=true

865 名前: 名無しゲノムのクローンさん 投稿日: 2001/05/05(土) 00:37
>>864
どっかで読んだような文を継ぎはぎしてるだけじゃん。
346まいった:2001/05/05(土) 02:47
なん時間もかけて読んだのに・・・
ここは掲示板だぞ
チャットじゃない
自分の意見を言いたかったらもっと違う方法を考えてくれ
家族の自慰行為見てしまったような 胸糞の悪さだ
ホント悲しくてむなしい
俺たちの心休める場所と 俺の時間を  返してくれ

大人気ない書き込みだが哲学板のためにいわせてもらった
347真・生物板住民:2001/05/05(土) 03:01
>>345の偽生物板住民へ

出張してきました。
哲学板住民の態度、不快ですね。
自分の気に食わない相手を他の板に送り出して、一件落着ですか?
わざわざ生物板の自治スレッドを荒らして、愉快ですか?

これが哲学板住民の総意ではないと思いますが、気分悪いですね。
宣戦布告ですか?

★釈明の意思があるならば、受け付けますが★
生物板自治スレ
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi?bbs=life&key=980492039
348考える名無しさん:2001/05/05(土) 03:05
>>347
カテゴリーエラーではないか、という人が居て、その内の
誰かが先走ったのでしょう。悪意は無かったと思います。

あ、345ではないです。
349考える名無しさん:2001/05/05(土) 04:04
悟りすぎにご用心
350考える名無しさん:2001/05/05(土) 05:23
>>347
高飛車な奴じゃのう。
カテゴリーからいったらそっちの板で話すことだし、頭弱そうだけど電波って訳じゃないよ。
あの女はまだそっちに行った訳じゃないだろう。こっちでまだ議論続いてるよ。
351考える名無しさん:2001/05/05(土) 11:56
>>350
生物板への輸出成功!
キチガイがいなくなってよかった。
352生物板住民だけど:2001/05/05(土) 12:44
ゆみってまともな人だと思うが。
論理的思考能力に支障は無いようだ、今の所。
この板から時折生物板にやってくる、魂だの精神だのというスレッド立てる馬鹿より、ずっとマシだと思った。っていうか、魂スレ立てるアホウは哲学板に回収してくれ。

それでは実験があるんで失礼。
353考える名無しさん:2001/05/06(日) 00:27
最近、ここは虹色ロビーという名前に変わったそうです
電撃少女の偽者が出回っているそうです
354いぬのめい:2001/05/06(日) 00:34
>>352
オイオイオイ
「魂論」は「宗教」担当だろ?
そんな根拠のないものを論じるでない。
355能有りさん:2001/05/06(日) 23:49
>>354

根拠だって?哲学は全て根拠の上に成り立っているのかい?
それは違うんじゃない?君の偏見以外の何者でもない。
君が宗教アレルギーなのはよく分かるけど、それは哲学アレルギー
の人間が感じるのと全く同じ。宗教的アプローチで悟りを得る事が
できるかもしれないし、哲学的アプローチで悟りを得る事ができる
のかもしれない。それを、君の一遍等の価値観で判断しようとする
のは無理があるんじゃない?これは哲学板の高飛車ども全員に言い
たい事なのだけれど...。真理は一つ、「空性」を悟ること!!
356考える名無しさん:2001/05/07(月) 00:28
>>355
根拠がなけりゃ妄想とどうやって区別つけんの?
全ての事柄において根拠を持てる訳ではないも知れんけどだからと言って根拠も無しに決めつけるような奴はどうかと思うぞ。
根拠が無いならせめて「疑い続ける」というスタンスを取らなきゃ思考停止と罵られても仕方ないと思うけどねぇ。
一歩間違えりゃ電波だよ。 そういう新興宗教って少なくないと思わんかね?
357考える名無しさん:2001/05/07(月) 00:38
 要するに、近代とは主体性の発露なのではないかと考える。
358いぬのめい:2001/05/07(月) 01:26
>>355
根拠のない意見はニワトリの鳴き声となんら変わらないではないか。

>(1より)悟りとは真理を確信して迷いが無い状態
哲学とは疑う事。「確信」はしても、それが絶対ではないことを知ること。
「無知」を知るのが哲学であり、その意味で哲学者は究極的に悟ることなど何一つない。
「悟り」とは、「思い込み」に他ならないのだから。
359356:2001/05/07(月) 03:09
>「悟り」とは、「思い込み」に他ならないのだから。
それ自体お前の思い込みじゃないのかね。
論理が絶対だとでも思っとるのか? 根拠が見当たらないからといって間違いだという証拠にはならんよ。

なんだかねぇ。
360いぬのめい:2001/05/07(月) 03:29
>>359
>根拠が見当たらないからといって間違いだという証拠にはならんよ
そりゃそうだ。
だが「根拠のないことは信用するに値しない」
これが分からないのは子供とカルト
361考える名無しさん:2001/05/07(月) 03:50
ほうほう、ならば
>根拠のないことは信用するに値しない
この根拠を述べてもらいましょうか。
362レフリー:2001/05/07(月) 06:11
>「魂論」は「宗教」担当だろ?
>そんな根拠のないものを論じるでない。

なんか、不毛な「根拠を出せぇ、コラァ!」状態になっているので、外野から一言。

「魂」という言葉に胡散臭さを感じて、宗教に逝け!とおっしゃる気持ちもわからんではないですが、
(私自身、論文でSeeleをあえて「心」と訳してしまいました。試問でツッこまれてしまいましたが(ワラ))
魂論は、西洋哲学の伝統において、神の存在や自由論と並んで、
非常に重要な地位を占めていたのは、いうまでもないと思います。
哲学史という面からも語る価値はあると思います。
現代哲学では、と、言われるかもしれませんが、倫理面の基礎付けの議論においては、
依然、無視できないテーマだと思います。
363レフリー:2001/05/07(月) 06:15
あ、でも、ここのスレ、読んでないから、
ここでの「魂」が、トンデモ、な文脈だったら、
無視してOK。
ガイ吉はほっときましょう。
364トマス:2001/05/07(月) 23:31
「根拠」とは?

 答え 世界精神のよって立つ大きな壁

「魂」とは?

 答え 世界霊魂のともし火 見よ!!世界霊魂の歩くさまを!!!
365考える名無しさん:2001/05/08(火) 06:37
世界霊魂四足歩行説
366考える名無しさん:2001/05/08(火) 06:41
>>365
詳細きぼんぬ。
367考える名無しさん:2001/05/08(火) 06:44
亀の上に象が……
368考える名無しさん:2001/05/08(火) 06:46
をを!なるほろ!
369あぼーん:あぼーん
あぼーん
370考える名無しさん:2001/05/16(水) 19:52
ge
371考える名無しさん:2001/05/17(木) 00:35
いくら知識をつめこんでも、それを用いて事実に向かい合い、考えなければ
ただの言葉遊びである
372考える名無しさん:2001/05/17(木) 01:29
言葉遊びの何が悪い
373考える名無しさん:2001/05/17(木) 01:44
弱い犬ほどよく吠える
374考える名無しさん:2001/05/17(木) 03:36
信じる者は掬われる
375考える名無しさん:2001/05/17(木) 05:00
自我に執着するのはよくないが
自我に執着してはいけないことに執着してもよくない
376考える名無しさん:2001/05/17(木) 05:06
ヌチョヌチョ
377うぃとげんしゅたいん:2001/05/17(木) 05:08
世界の中に神秘は無い
世界があるということが神秘なのだ
378考える名無しさん:2001/05/17(木) 06:36
言葉を使うから言葉に縛られる
感覚をフルに使っても神経の限界に縛られる
我々には不満を感じる自由が残されているだけだ

379考える名無しさん:2001/05/17(木) 12:29
>>369
君はいま、少し病的だよね。
>この世は地獄だ 笑ってるヤツらがニクイし

哲学的懊悩ならば、地獄ばかりじゃなく晴れる日もあるし
少なくとも
笑ってるヤツらをニクいとは感じない。
色々な人間がいて当然だとわかっているから。
見知らぬ他人へ向かって「氏ね氏ね氏ね氏ね・・・」と
書きたくなるのは
君の神経疲労のせいだよ。医者にかかってごらん、
せっぱつまった苦しい症状は簡単にとれる。
哲学的に考えるのはそれからでいい。
「症状」と「哲学的苦悩」をごぢゃまぜにしていることは
案外多いよ、青春期には。
>>378
だからこそ、最後は坐るしかない、独りで。
「解答」も「真の自由」も
全ては「内なる宇宙」に存在するから。

380考える名無しさん:2001/05/17(木) 16:39
自我に執着するのもよいが
自我に執着してはいけないことに執着してもよい
381考える名無しさん:2001/05/17(木) 16:52
>自我に執着するのもよいが
禅で言う「鉄鎖の難」

>自我に執着してはいけないことに執着してもよい
禅で言う「金鎖の難」

悟りきっちゃうと引き返せないだろうから、
まあ歯止めは2箇所なんだろうね。
382あぼーん:あぼーん
あぼーん
383あぼーん:あぼーん
あぼーん
384あぼーん:あぼーん
あぼーん
385考える名無しさん:2001/05/17(木) 23:35
腹が空いては食い
食えば満たされる
満たされ意識が茫然となるが
またいつかは腹が空く

しかし
いつも食べるものが存在するとは限らない
だから食べ物を得るために私は働く
そして得たものを食べるが
いつしか蓄えるという余裕をもつことに気付く

腹が空くということは恐怖なのだ
386考える名無しさん:2001/05/18(金) 00:20
腹が減ってはいくさはできぬ
387考える名無しさん:2001/05/18(金) 17:35
思考停止が一番難しい
388考える名無しさん:2001/05/18(金) 18:39
>>387
食べ終わって満腹になればボーっとするぞ
ただし女食った後は満腹にはならない
出しちゃってるし
389考える名無しさん:2001/05/18(金) 19:52
友達とは徒党以外の何ものでもない
390イムポ:2001/05/18(金) 20:22
>>388
ある意味お腹いっぱい。
391名前はいらない:2001/05/19(土) 02:33
>>385
>いつしか蓄えるという余裕をもつことに気付く
それは余裕ではなく「執着」。
そこから、「所有」がはじまり「失うことへの恐怖」が兆す。
失うことを怖れれば、生は即ち恐怖の連続であり苦そのものだ、
生とは、常に過ぎ行くもの、
即ち、失い続けるもの、に他ならない。
逆に、悟りとは、
本当は最初から、失うものなど何もない、ということを
心底わかることだ。「執着」の対象が「無い」ということに。
392考える名無しさん:2001/05/19(土) 19:42
 ちょっと、マジレス。

 『悟り』とはいったい、どういうことでしょう?
 神秘主義的な『悟り』はともかく、
 哲学的にいえば、『悟り』は大まかにいって2つあると思います。

@『《無限》の悟り』
 これは、《無限》と《無》がどのようにリンクするか、ということに解答にもなると思います。

 まず、『悟り』を《究極の哲学》と考えれば、《究極の哲学》とはどんなものでしょうか?
 より高度な哲学とは、より視野が広い哲学だと云うことです。
 では《究極の哲学》とは、視野が無限に広がった状態を指すのではないでしょうか?
 「わたしはなんでも知っている」という、『全知』の状態ですね。
 そして、視野が無限に拡大された状態、《究極の哲学》というのはどういう状態なのか?
 それは、「この世には絶対正義だけでなく、相対的正義(より正しいこと)も存在しない」と云うことへの直感です。
 「相対的な善悪・優劣すら、無価値となった状態」だと思うのです。

 無限に視野を拡大したら、物事を肯定する意見が無限にあれば、物事を否定する意見も無限にあるというと云うことです。
 人間は子供のとき(視野がもっとも狭いとき)、善悪は絶対的(独善的)です。
 大人になって(少し視野が広がって)、善悪が相対的なものだということを知るのです。
 そして視野が無限に拡大したとき、ついに善悪は完全に無価値となります。

 カントールの『無限集合論』などに示されているように、視野を無限に拡大したら、「部分は全体よりも小さい」というシンプルなことまで決定できなくなるのです。 ですから、哲学的な『悟り』(究極の哲学)とは、ある段階では、「あらゆる善悪・優劣から解放された状態」を指すのです。
 視野の無限拡大(全知)というふうに見れば、無限と無がリンクするとおもいます。

 ニーチェの「徹底的ニヒリズム(永劫回帰)」、釈迦の「諸行無常・諸法無我」、荘子の「万物斉同」などがその典型例です。

 もうひとつの『悟り』とは、またこんど。レスがあれば書きたいと思います。
393名前はいらない:2001/05/19(土) 23:46
>>392
過去ログ読んだ?
394考える名無しさん:2001/05/21(月) 09:06
>>392
かぶってるところもあるけど、よくまとまってるんじゃないの。
395教えない:2001/05/21(月) 15:42
私は政治に悟りを開きました。お好きなページをごらん下さい。

※反自民党の方々は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_jimin.html

※反民主党の方々は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_minnsixyutou.html

※反自由党の方々は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_ozawa.html

※反公明党の方々は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_koumeitou.html

※反共産党の方々は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_kixyousantou.html

※細川政権後の政党の流れを知りたい方は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_nagare.html

※自民党、自由党、民主党の違いを知りたい方は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/hosoku.html

※政治とお金の関係は
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/b_seijitookane.html

誠に申し訳ありませんが、社民党、保守党は論評外とさせて頂きました。
396考える名無しさん:2001/05/21(月) 20:11
>>395
政治バカの中でも、こ〜んなアホはいないね。
397考える名無しさん:2001/05/22(火) 13:04
>>395
素人考えなんですけど、悟りを開いた人は、政治なんか気にしないのでは……?
398考える名無しさん:2001/05/22(火) 16:52
セクースマンセー!
399考える名無しさん:2001/05/22(火) 16:58
田中真紀子は悟りを得ています。
400考える名無しさん:2001/05/22(火) 17:59
天皇陛下も。
401考える名無しさん:2001/05/23(水) 17:13
ここは中野情報部風間戦略部長をはじめ、権力にそれぞれが感じる
疑問・論議・問題・対応・戦術・理論・闘争・抵抗・
その他もろもろの事柄を話し合いながら実践していく場所
人間の行動を、笑わず、欺かず、呪詛もせず、ただ理解する。(スピノザ)
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=SecretNIJ

402考える名無しさん:2001/05/26(土) 08:59
迷いが無い状態です。
403考える名無しさん:2001/05/26(土) 09:09
>>399
田中真紀子は勘違いヤローです。
女の政治は哲学を知らん。
404悟空:2001/05/27(日) 06:50
悟りがもし究極の開放だったら、全ての事から完全に開放されてると思う。
苦しみ楽しみも意味なく(関係なく)、時間も意味も言葉も全てどうでもいいはず。
哲学も意味をなさない。かもしれない。罪も善もないかも。
あたかも2次元のせかいで4次元のせかいを観るようなもの。
と、とゆうことは、全てを含み、全てから関係をもたない 、、そんなかんじかも?
悟りは存在し、また 存在しえない。
永久に1つ(?)の形でありえて、無形で流動的で。
意識の中にあり、偶然(存在するかも?)と必然に住む。
結局、悟りを得ることは、悟りの考えから超越するそして帰結。
多分悟りを得た人に悟りについて問うと、その人はそのときその人の心に浮かんだ
全ての事を示すでしょう。
全ての人(心)が悟りを得ているとおもいます。
このスレに書いてある全てのことは、(ある角度において?)正しい。そして間違っている
と感じます。クソスレも含めてね(^0^)
(勿論、私 が書いてるのも含めてね )なぜなら これは言葉
だから、。
みなさん全て悟りであり、悟りでないかも。。。。
こう考えるとこの世界はなんて素敵で残酷なんでしょうね。(純粋に、そして偽善的
に、)わたしはただ素敵なとこだけ観たいな。
純粋な素敵さに飽きたら、不純で残酷な事に素敵さを感じたい。
生きたいし死にたい。安心したいし不安でいたい。(不安になることに今苦労は
無いけどね、)
ーーーーーーー
このスレに対する全てのレス(noレス、、沈黙含む)を期待します。

 永く書いてゴメンなさい。別に読まなくていいです。(読んでほしいけどね。)
405一般ピープル:2001/05/27(日) 07:03
>>404
あなたの「悟り」といっている事は「真理」
哲学の究極は、「アナタが生きている」でしょ。

「悟る」為に、又「悟りを開く」為に生きているわけではない

406考える名無しさん:2001/05/27(日) 07:07
悟りをひらくと楽しいよ
407一般ピープル:2001/05/27(日) 07:09
>>406
(ワラタ
408考える名無しさん:2001/05/27(日) 07:10
「悟り」の究極もまた「アナタが生きている」
それだけよん。わかってるじゃないか、一般大衆!

「哲学」する為に、生きているわけではない、のと同じ。
409一般ピープル:2001/05/27(日) 07:22
これにて
=====================終了======================
410悟空:2001/05/27(日) 07:34
405さん、、確かにあなたの言うとおり私の言っていることは
悟りではなく、真理かもね。
でもひとつワタシが思うのは悟りとは真理でもあるかも?じゃない?
全ての人が真理を見出し、悟るために#考える#のではないでしょうか?
考える、、知る、、悟、、、
中にはそうじゃないひともいるかもしれないけど。
わたしには解らないしどうでもいいです。
わたしは1人の人で全てのひとの心全体の答えでは
ありえませんしね。
前レス404で後半述べたのは私の希望と願いです。
それも悟りに通じることかもしれないしね。
悟る、又悟りを開く 為に生きているわけではない、、、と
本当に言い切れるものかどうか。
みな心の何所かで何かを探している、変えている、願っている
知ろうとしているのかもしれません、、、、、悟りに通じる?
それは、私にとってもしかしたら皆さんにとってあなたの言う
哲学の究極=アナタが生きてる、=悟る、、何でもあり、、
に順じているかもね。

貴女、貴方?と近い見方ができて光栄です。
411一般ピープル:2001/05/27(日) 07:37
さと・る 【悟る・覚る】

(動ラ五[四])
(1)表面には表れていないことをおしはかって知る。感づく。「言外の意を―・る」「相手に―・られないようにそっと近づく」「死期を―・る」
(2)道理を知る。明らかに知る。「事の重大性を―・る」「日のあたる所には屹度(きつと)影がさすと―・つた/草枕(漱石)」「天文・暦数によく―・り/今昔 9」
(3)(仏教で)欲望・執着・迷いなどを去って、真理を会得する。悟りを開く。〔「さとす」に対する自動詞〕
[可能] さとれる

412悟空:2001/05/27(日) 08:02
でしょーん。。。411

何と無くかってに
悟りをわけの解らないものに決め付けチャッタかな。

さあこれからも、悟りについてばしばしいきましょう。

悟る=覚る ですが先日 草、ポッドで なにか覚ったような
きがしました。to 411 and406 のレスについて。
あれは幻であり真実であった気がします。
あと、セクース中往きかけのとき、(多分オナニーでも可)
同じような感じをうけました。
草とかセクース以外で物質的でも肉体的でもなく
そうゆう感じになる事は、ありませんか?
413考える名無しさん:2001/05/27(日) 08:13
>>悟空
質問1
アナタは=48??

質問2
お幾つ?

414悟空:2001/05/27(日) 08:57
いいえ私は48じゃないです。
26さいです。大学行ってないです。
多分ちょっと屁理屈こねて自己満足してる
ただの人です。
でもこうゆう議論?とかは、好きです。
なぜなら貴方達の意見は新鮮味があるからです。
だから書き込みました。
不真面目なのも、学術的なものも大好きです。
明確な答えは存在しえないしすぐ帰結するかもしれない。でもこの問答
をつずけているうちになにか新しいインスピレーションが得られる
のは自分のなかでたしかです。
ここはそんなとこなんでしょ。
だからもっとたのしみましょ。

ハイつずけて。
415考える名無しさん:2001/05/27(日) 10:02
宗教板に移転願い出してイイ?
416考える名無しさん :2001/05/27(日) 13:35
リンクで〜す
遊びに来てね! \(^-^)/

☆お釈迦様直説の”阿含経”を語るスレッド☆
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=990769630
417考える名無しさん:2001/05/27(日) 14:27
宗教と哲学かー
418名無しさん:2001/05/27(日) 21:16
age
419考える名無しさん:2001/05/27(日) 22:07
>>414
すごいコテハン付けた君、興味あるんなら、このスレの
過去ログ、ちゃんと読んだら?
マジれすの流れ、あるよ >>1-300
くだらない煽りやアラシの他に、本当のマジれす、ある。
読みごたえ、あったよ。ヒント?もいっぱい。もっとも
しっかり読んでると、かなり時間かかるけどねー(笑)
420考える名無しさん:2001/05/28(月) 04:49
>>373
うるせぇよ。
てめぇに関係ないだろこの厨房。
ウルセーンダヨー! この厨房が。 テメェーこそ氏ねってんだ。

421考える名無しさん:2001/05/28(月) 05:37



      ∧ ∧      ∧ ∧
     _( ´∀`)    (´∀` )
  三(⌒),    ノ⊃    ( 373 )  
     ̄/ /)  )      | |  |
    . 〈_)\_)      (__(___)

          ∧_∧  .∧_∧
         (  ´∀) (´∀` )
       ≡≡三 三ニ⌒) 373 .)
        /  /)  )  ̄.| |  |
        〈__)__)  (__(___)

           ∧_∧  ,__ ∧_∧
          (    ´)ノ ):;:;)∀`)
          /    ̄,ノ'' 373 )
         C   /~ / /   /
         /   / 〉 (__(__./
         \__)\)
                      ヽ l // >>373
            ∧_∧(⌒) ―― ★ ―――
            (    ) /|l  // | ヽ
           (/     ノl|ll / / |  ヽ
            (O  ノ 彡''   /  .|
            /  ./ 〉
            \__)_) オマエが弱い犬だな!

422あぼーん:あぼーん
あぼーん
423あぼーん:あぼーん
あぼーん
424419 へ:2001/05/28(月) 05:44
 ちょこっと軽く読んでみました。これ深いね。
光がなんとかとかゆうのは、なんかオカルトチックだけど。
悟りにたいする、言葉と認識の哲学的アプローチはかなり読み応えがあった。
結局哲学っていったいなにがなんだか。。。(哲学者についてはあまりに多面的
かつ多例外的で)
言葉で現す以上論理がついてまわり、(ダイアローグ)
言語以前の認識で捕らえるが論理的にその状態?をとらえる。
神業?
私の読解力の浅さのせいで、ますます混乱しちゃった(たぶん419さん
は、切り口鋭く解釈したっぽい)。
想ったのは、これって今の言葉で言う(ノリ)?
理屈じゃないけど、理に叶っていて、何かの感覚。(?)
でも言語と論理で捕らえる可能性が無いわけじゃないと想う。
(だからこのスレにいる)
なんかここに来て兎に角疲れた。多分頭の使いすぎ?(無い頭で)
とゆうことは、まだ論理で悟りを捕らえようとしてる?
そして、(1−300)、、(後半)から想うに
悟りを見極めるに、論理と感覚の両方のアプローチが必要かと。
一切の(なぜ)に対する答え全てに答える悟りは一体何でしょう?(419)へ。

少し離れますが、湯川秀樹の(目に見えないもの)読みました?
彼の古代インドの自然哲学と近代物理学の関係は、面白いと想います。
425考える名無しさん:2001/05/28(月) 05:53
やっぱり他人の不幸、我が幸せなり
426さとるの自転車:2001/05/28(月) 22:39
内なる世界を、言葉や理論によって表現することはむずかしいです。
悟りというものがなんなのか、俺にはわかりません。
ただ、瞑想状態というか、高い集中状態なら経験があります。
瞑想状態では、何の不安も無く、目に移るもの、触れるものすべてが
美しいと感じます。自分の体の存在すら忘れてしまいます。
悟りとは、それより遥かに高度な瞑想状態のコトなのかも知れません。
だとしたら、悟りを表現するのにふさわしい媒体は、
言葉や哲学では無く「芸術」なのかもしれません。
すばらしい芸術家は、すばらしい作品を創造する瞬間、
きっと悟りに近い状態であったんじゃ無いでしょうか。
そして、「芸術」は言葉よりも、
より曖昧で抽象的な感覚の表現に適した「言語」だと思います。

自分の経験と感受性の範囲でしか、物事を感じたり考えることはできません。
だから俺には悟りを語ることはできません。
427悟空:2001/05/29(火) 10:24
悟りの定義を考えると、結局その定義自体に矛盾がうまれるんじゃないで
しょうか?(もう何回も繰り返された質問)
極度に物事を集中している時、いきなり糸が切れたような感じで
心になんのしこりも無い恍惚感の中でそのことを純粋にやり遂げる
、、とゆうことは、悟りと言うに相応しい感動があるとは思います。
でも意識的にそれを自分のなかに導くのは、、、、不可能?
私も同様悟りを語る資格は無いかもしれません。
でも何かこのレスの中に何か新しいものが見つけられたらと思って。。。


ハイつずけて、、
428名無し不動さん:2001/05/30(水) 04:36
悟っても泣くぜ
429名無しのオプ:2001/05/31(木) 01:37
悟りたいと思うと悟れない
悟りから離れると悟れる
という矛盾があるんだよねえ
たしか。
ちなみに哲学と悟りは正反対なんじゃないかな。
考える哲学、考えない悟り。
430考える名無しさん:2001/05/31(木) 01:43
おまえらゲーデルの不完全性定理を理解して書いてんの?
それが正しいという証明はできないわけよ。
結局妄想の書き連ねだね。
431考える名無しさん:2001/05/31(木) 01:52
悟りをひらく前は
  木を栽り 水を汲むのである

悟りをひらいた後も
  木を栽り 水を汲むのである
432考える名無しさん:2001/05/31(木) 01:58
>>429
ちがう。哲学の最前線から、瞑想は始まる。
言語による探求(考えぬくこと)の果ての果てで、
それがもうどうにも行き詰まったところから、先に、
フッと、「向こうから来る」。
ベクトルは同じ。求めて求めて探求して、しかし
自分でひらくのではない。「向こうから、来る」
前触れなしの、突然の「わしづかみ」<悟り
433考える名無しさん:2001/05/31(木) 03:39
とりあえず、怖いものがなくなったら悟っている状態なのかな?
434帰還なき死体:2001/05/31(木) 04:38

悟ると、死ぬのが怖くなくなります。
435考える名無しさん:2001/05/31(木) 04:44
じゃあ、何にも知らない命知らずのドキュソは
みんな悟ってることになるね(藁
436x:2001/05/31(木) 04:49
俺は悟りを得たぞ、すごいストレスとものすごく考え込んで閉じこもっていると、いつのまにか記憶がなくなってハイになって脳内モルヒネがでてくるのだ。
437考える名無しさん:2001/05/31(木) 06:31
悟りを得た人は2ちゃんなんかには来ないよ。
438名無しさんの主張:2001/05/31(木) 06:57
自分を高めたい。
439名無し:2001/05/31(木) 07:08
2ちゃんなんかには来ないで、何をしているのだろう。
440考える名無しさん:2001/05/31(木) 07:10
悟ったら何もする必要ありません
441名無しのオプ:2001/05/31(木) 11:10
>>432
悟りと瞑想とは違うらしいぞ。
さらに悟りはそれ自体を目的とするものではないらしい。
考えるだけで迷宮に入りそうだな・・
442悟った人:2001/05/31(木) 11:24
>>437
ちゃんと2ちゃんに来てますよ。
>>439
悟った人をあまり買いかぶらないように。
>>440
悟ったら悟ったでやることはいっぱいあるよ。
>>441
悟っていない以上は悟りが何であるかはわからない。
悟りはそれ自体を目的とするものではないというよりは
悟る前は何が悟りかわからないから目的にしようがない
と言った方が正確かな。
実際、目的物がわからないわけだから迷宮といえば迷宮だろう。
>>432で合ってるよ。
自発的探求と訪れの両方が必要だ。
443:2001/05/31(木) 16:00
自分で悟りと思えばそれが悟りなのであろう。
444名無しさん:2001/06/01(金) 01:20
445朝ごはんたべた?:2001/06/01(金) 05:55
光をみた、という人に聞いてみたい。マジレス希望。

それは、悟り体験を目指す者にとって、悟りの指標としての何らかの意味をもつ
のでしょうか?  あるいは、人によって違うのでしょうか。
わたしは最初の神秘体験で宇宙を見ました。ここで言われているように、
眼球ではない、内的な眼としか言いようがない、しかし夢ともイメージとも違い、
決して忘れ得ることのない光景です。
ただ、何度も経験するうちに、神秘体験はもう経験しなくなってしまいました。
わたしにとっては、内的成長の指標だったんですが…

集中的言語体験の後に、内面に「真っ暗なからっぽ」が現れませんでしたか?
それは最初はぽっかりと胸の中に感ぜられ、だんだん育ちませんでしたか?
これを先人は無、とか空、と言ったのでしょうか??

この後、いったいどうなるのでしょう?
光、とやらが現れるのかな??
それとも、わたしにはわたしの道が用意されているのかな?
446朝ごはんたべた?:2001/06/01(金) 06:02
>それは、悟り体験を目指す者にとって、

自己レスですが、
これは言いたいこととは違うな…
どこまで成長できるのか生ききってみたい、というか。
悟りが本当に究極の世界観・人間観であるのかどうかは、
自分自身で確かめなきゃ分からないからね。仏陀もキリストも鵜呑み
にはできない。
447名無し不動さん:2001/06/03(日) 04:16
友達が全然いない。
憧れられて、タイクツ。


時々死にたくなるけどどうにかやり過ごして、
色々社会に貢献したり、人にアドバイスしたりする。
とっても喜ばれるけど疲れるからあんまり人に会わない。

恋愛対象も全然いない。何、この人生・・・
448朝ご飯たべた?:2001/06/03(日) 04:27
>447

朝ご飯たべた? (^^)
449考える名無しさん:2001/06/03(日) 04:55
     ,一-、
    / ̄ l |  オヒルヤスミハ
    ■■-っ  ウキウキウオッチング♪
    ´∀`/     
(( (|つ~゚゚~ |つ ))
    /_⊂丿
     ∪   
450考える名無しさん:2001/06/03(日) 04:58
,一-、
     / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ■■-っ < んなーこたーない
    ´∀`/    \__________
   __/|Y/\.
 Ё|__ | /  |
     | У..  |
451考える名無しさん:2001/06/03(日) 04:59
,一-、
     / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ■■-っ < んなーこたーあるんだな、これが。
    ´∀`/    \__________
   __/|Y/\.
 Ё|__ | /  |
     | У..  |
452考える名無しさん:2001/06/03(日) 04:59
,一-、
     / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ■■-っ <  いったんCMでーす。
    ´∀`/    \__________
   __/|Y/\.
 Ё|__ | /  |
     | У..  |

453愛と死の名無しさん:2001/06/04(月) 00:19
諸行無常
454考える名無しさん:2001/06/04(月) 11:17
>>1
全ては矛盾している。存在の発生の根本からな。
細かく書くと面どいから、これだけ(堕無
[[一応マジレス]]
455考える名無しさん:2001/06/04(月) 11:26
言葉、錯覚、思い込み
456婆なし:2001/06/04(月) 12:25
こんなとこにこんなこと聞くあんたの方が


馬鹿
<マジレス☆)
457mm:2001/06/04(月) 13:59
とりあえず悟りを開いたつもりになったことはないけれど、
疲労困憊してふらふらになったあるとき、自分の感覚を失っ
て、何を見ているのかも分からず、自分と自分以外のものと
の違いも分からない状況になったことはある。
 後から考えると、何も考えてなかったような気がするし、
自他の区別もつかなかったし(それ以前に何も見えてなかっ
たけれど)自分がまるで世界中に薄く広がったような感覚が
した。そしてその自分は世界で、でも世界に自分は薄く広が
っているという感覚だった。世界と私の一体感?言葉で説明
しきれていないのは分かるけれど、そんな感覚を味わった。
(まともに物も見えていないのになぜ自分の感じたものを世
界だと感じたのかはよくわかりません)
 それを後から考えてみるとだけれど、別に幸福感はなかっ
たし、もう一度その感覚になりたいともおもわない。冷静に
考えてみると、単純に識別能力やらなんやらの能力と自分の
お味噌が接触を(極限の疲労のため?)一時的に断ってしま
ったんじゃないかとも思います。
「これは伝え聞くところの悟りか」とそれを感じたときには
思ったんで書いてみました(すごい傲慢)。
458考える名無しさん:2001/06/05(火) 02:41
>1
もし、人間が呪われているとすれば、
それは、悪がある世界に在ることではなく、
光りあるために影が必要なように
善が存するためには、悪がなければならない世界に在ることこそ。
もし、人間が業が深いとすれば、
それは、欲に基き悪を行なってしまうことなどではなく、
如何に利他“的”であっても、生命であるかぎり、
自己の利ならざることは決して行ないえないということこそ。

だが、このような観点から出発することこそが、
物事を多角的に、洞察する力になり、目的と手段、
選択と責任などを考える良い材料になるはず。
459考える名無しさん:2001/06/05(火) 03:43
>>458
善悪なんてのは、自己中の矛盾した単語だょ(大爆笑
460名無しさん:2001/06/05(火) 03:59
>458
>自己の利ならざることは決して行ないえないということこそ。

他者の利益が自己の利益だという状態もある。
458の言っている自己利益とは、質が違うもので。
461名無しさん:2001/06/05(火) 04:01
458の文脈だと、無償の愛、は呪いになるもん。
462考える名無しさん:2001/06/05(火) 04:20
愛はどうなる
463考える名無しさん:2001/06/05(火) 04:28
無と無限はつながっているのか

464考える名無しさん:2001/06/05(火) 04:36
永遠ってなに
465458:2001/06/05(火) 04:37
追記。

前回最後に書いたように、ネガティブな意味で、
「自己の利」を考えているのではない。

ある小説で、「人間は自分が悪であるという認識に
耐えられるほど強くはない」とあった。しかし私は、
自己を真に悪であるなどとは、認識“できない”存在だと思う。
何故ならこの場合、自己が悪であるという認識を“是”としているからだ。

自己の利益になるという観点から出発することにより
行動に責任を持つ、そういう意味での自覚なのだ。
人間は往々にして、「相手の為に…」という言葉をもって
責任回避をし、また、大義名分にして争いを起こす。
そういった負の部分を戒めたいのだ。勿論無原則に
責任を取れると考えるのも問題である。
少なくともしかし人間と人間の関わりにおいては重要なはず。
だから、ネガティブな意味で、言っているのはなく、むしろ
積極的にこの観点から出発して目的と責任について
思考停止するのでなく、建設的に考えていきたいのだ。
466名無しさん:2001/06/05(火) 05:04
>458

>何故ならこの場合、自己が悪であるという認識を“是”としているからだ。

と思うのは、
>ある小説で、「人間は自分が悪であるという認識に
>耐えられるほど強くはない」とあった。

にかかるのか、

>しかし私は、
>自己を真に悪であるなどとは、認識“できない”存在だと思う。

にかかるのか、どっち?
467名無しさん:2001/06/05(火) 05:07
訂正

と思うのは → と書かれている「この場合」とは、
468考える名無しさん:2001/06/05(火) 05:13
悟ってしまったらいまここでなされてる議論なんてナンセンス!
ギャハハッハ!
469461:2001/06/05(火) 05:19
>自己の利益になるという観点から出発することにより
>行動に責任を持つ、そういう意味での自覚なのだ。
>人間は往々にして、「相手の為に…」という言葉をもって
>責任回避をし、また、大義名分にして争いを起こす。
>そういった負の部分を戒めたいのだ。

いや、これはわかってた。わかってて、言っている。
これを前提として、無償の愛があるんだろ。
470458 :2001/06/05(火) 05:43
>466
前者。

>468
確かにそうかもしれない。
だが、悟るの定義によるのではないか。
貴殿のいう意味合いでの悟ることは、
人間には不可能であろうと思う。つまり私は悟るとは
絶対的超越的な悟りに到達は不可能であることを悟ることだと思う。
生命である以上、思考と形而上学的性質とは不可分だと思うからだ。
悟るとはそれを自覚することからはじまると思う。

>469
>これを前提として、無償の愛があるんだろ。

???いま少し御説明をお願いしたい。
471考える名無しさん:2001/06/05(火) 05:58
悟りとは平気で死ぬことではない。
平気で生きていくことだ

子規


ぱくりです(鬱
平気で生きていくって難しそうですね。
472461 :2001/06/05(火) 06:26
>貴殿のいう意味合いでの悟ることは、
>人間には不可能であろうと思う。つまり私は悟るとは
>絶対的超越的な悟りに到達は不可能であることを悟ることだと思う。

結論には同意。しかし、過程は違う。

自分が悟り体験をした、と図々しく仮定させていただきますが、
「悟り」は、具体的な体験でしょう。言語化の不可能な情報の質量に
開かれる体験でしょう? 言語化できない圧倒的な情報の質量だから、
光としか言えなかったり、無、とか、空、とか、そんなんでしか伝え
られない。

言語化不可能、だということは、知らない、ということではない。
表現できることはあり得ないが、たしかに知ってはいるのだとおもう。
だから、人によって、いろんな表現がでてくるんだとおもう。

あまりにも圧倒的な情報の、ごくごく一部にしかすぎない体験談で、
「悟り」を絶対的に定義することは原理的に不可能、という結論でした。

>無償の愛

あ、これは説明不足ですいません。
モラトリアムの終焉、反動の終わり、ということです。
精神的に親になる、ってこと。(どっかにも書いたな…)
473考える名無しさん:2001/06/05(火) 07:11
非論理、矛盾、非我、、、がポイントです
474考える名無しさん:2001/06/05(火) 07:21
なかなか面白い話をしてるねぇ
まあ、こういったのの極論は、在って無い矛盾にたどり着くのだが…
在りもしない、意味や価値をどうこう言い出す妄想君が出ないことを祈って
暇つぶしに眺めさせてもらうょw
475考える名無しさん:2001/06/05(火) 07:22
仏教の無我派VS非我派ってどっちが勝ったんだ?
476458:2001/06/05(火) 12:42
>472
>悟りについて
私は仏教における、悟りは形而上学的志向の軽減だと思う。
(このスレッドは、悟りの定義を大乗仏教とは限っていない)
とすれば、形而上学的区分の完全排斥(概念規定不能な超越的無分別智)
を悟りと主張するのは、(思考は形而上学的性質と不可分なのだから)
別の意味で形而上学的な志向でしかない、(だから神秘論的方向へ傾倒してしまう…)
であるからそれを悟りだとは定義しない、したがって前回定義云々としたのは、
悟りの内容の概念規定について可能不可能を言い立てているのではない。

貴殿のいうような超越的な悟り(主としてと大乗仏教以降)とは
違う意味での(主としてアビダルマ時代以前)生身の人間としての悟り
もありうるのではないかということを468に対し述べたつもりである。

人間(生命)としての限界の上での悟りと、
人間としての限界を排斥した上での超越的な悟り。
哲学的な意味での悟りと宗教的な意味での悟り。
477468:2001/06/05(火) 13:23
>>472
悟りは得たけど>>472は難しくて理解できひんわ。
「人間(生命)としての限界の上での悟り」は
悟りなんて大袈裟な言葉を使わなくて「理解」、「分かる」
程度でいいんとちゃうの?
幾何学の定理の証明が「理解」できるのとおんなじことやろ。
それを無理に悟りと呼ばなくてもええんとちゃうの?
悟りというよりは覚悟の方が近いかな。
おんなじことか。
478電波男Ψ(´д`)Ψ:2001/06/05(火) 16:09
??なんだ??「絶対的超越的な悟り」そんな自分でも意味不明な言葉
は慎むべきです。

実存主義的宗教学ごっこしていた西谷ら、親鸞かぶれの西洋哲学研究者
と同じレベルだ。超越していないのになぜ超越が記述できるのだ?
479461,472:2001/06/06(水) 05:00
>458
>>悟りについて
>私は仏教における、悟りは形而上学的志向の軽減だと思う。
>(このスレッドは、悟りの定義を大乗仏教とは限っていない)
>とすれば、形而上学的区分の完全排斥(概念規定不能な超越的無分別智)
>を悟りと主張するのは、(思考は形而上学的性質と不可分なのだから)
>別の意味で形而上学的な志向でしかない、(だから神秘論的方向へ傾倒してしまう…)
>であるからそれを悟りだとは定義しない、したがって前回定義云々としたのは、
>悟りの内容の概念規定について可能不可能を言い立てているのではない。

ああ…思考ね。身体はどうする?
480461,472:2001/06/06(水) 05:01
>458
>貴殿のいうような超越的な悟り(主としてと大乗仏教以降)とは
>違う意味での(主としてアビダルマ時代以前)生身の人間としての悟り
>もありうるのではないかということを468に対し述べたつもりである。

最初の458 の投稿を引用すんね

>光りあるために影が必要なように
>善が存するためには、悪がなければならない世界に在ることこそ。
>もし、人間が業が深いとすれば、
>それは、欲に基き悪を行なってしまうことなどではなく、
>如何に利他“的”であっても、生命であるかぎり、
>自己の利ならざることは決して行ないえないということこそ。

重ねて言うけど、ここはいいと思うし、踏まえておかねばならない
重要な前提だと思う。だからここから始めろ、と書くのは分かるよ。
だけど、この人たちが力をつけたあとに、実際には何が起きるわけ?
481461,472:2001/06/06(水) 05:15
>458
>人間(生命)としての限界の上での悟りと、
>人間としての限界を排斥した上での超越的な悟り。
>哲学的な意味での悟りと宗教的な意味での悟り。

具体的にわからん…
482名無しさん@ご利用は計画的に:2001/06/06(水) 06:22
俺の悟り
結局世の中は金が物を言う・・・
483458:2001/06/06(水) 14:25
>477
近いと思う。だから定義を変えてみれば、といった。

>479
>ああ…思考ね。身体はどうする?
仏教はこころを最重視するので、思考としたつもりだったのだが。
身体に関しては、人間や生命としての性質や限界という形で幾度か触れたはずだが。

>480
>だけど、この人たちが力をつけたあとに、実際には何が起きるわけ?
???

>481
引用部の前部分を纏めたつもりだったのだが…

私の記したことは全体としては、今日の思想は程度の差こそあれ、
形而上学的なものの排斥を目指している(ただしそれが行き過ぎると
返って形而上学的なものになってしまう)のでそれを記してみただけ。
仏教のブッダ観については、
原始仏教的なブッダ観(生きる生身の人間として悟り)と
大乗仏教的なブッダ観(時間的空間的に一切限度なき悟り)
について記してみただけ。

このレスをもって実証されたように、
私の浅学な知識・知性、及び拙劣な説明、及び未熟な理解力では、
貴殿等と議論するのは傲慢に過ぎるように思うので、
このレスをもって書き込みを終了したい。
484実習生さん:2001/06/06(水) 22:27
完全に悟りを開いた人間って生きてるものなんだろうか?
485考える名無しさん:2001/06/06(水) 23:44
悟りとはガキのヘリクツを大人が代弁したものである
486461,472 :2001/06/07(木) 05:02
>458
いやこれはまたご丁寧に。また機会があればどうぞよろしく。
487考える名無しさん:2001/06/07(木) 05:56
>>484
生きていようが死んでいようが変わらん
488考える名無しさん:2001/06/07(木) 20:36
>>486
>458って記さずに>>458ってやってくれ。
俺もヴァカだな〜と思いつつ、いちいちスクロールしちゃうから。メンドいのよねー。
489461,472 :2001/06/08(金) 02:26
>>488

了解。

490461,472 :2001/06/08(金) 06:29
自分の考えを・・・
なお、私は、>>461
>>472
>>445です。

「悟り」の結果は、端的に言えば、一見普通にくらすこと。
ただ単に暮らすことと、過程を経て普通に暮らすこととは違う。
日々の決まりの成り立ちを理解した上で、そのつまらなさも知ったうえで、
あえて受け入れて、関係性に生きること。
私は、それを分かってはいるが、時々こうしてつまらなさを感じて、
まだ自分を知ることができるはずだ、と思ったりする。

「悟り」に至る方法論には、段階や知に応じた違いがある。
それぞれの段階や知には、共通する仕組みがある。
人類の歴史や世界の成り立ちについて開かれること。
これをすべて、自分自身の内的かつ外的な問題として学ばなくてはならない。
491461,472:2001/06/08(金) 06:30
思考や直観だけでは及ばない領域がある。感情体験や身体的情動
がなければ開かれない領域もある。知識がないと開けない領域も。
善の性質がなくては、悪の性質がなくては開けない領域。
そして、重要なことは、この全ての過程において、「愛」
に対する希求(とは何か、は、取りあえずおいといて)が前提
となる言語体験が無くてはならないことだ。
できれば、対話がよろし。

「悟り体験」がどうして外せないか、というと、
これらすべてを一気に見て、さらに、まだ人類の知らない知にまで
開かれてしまうからだ。「悟り体験」という状態は、心理学的
には、「生きて死ぬ」ということになっている。だから、危険は危険。

哲学は、神秘を敬遠するが、このように、神秘的体験でなくては
知ることのできない知がある。
神秘的体験をしたのに、神秘を否定する哲学者は自らの首を絞めている。

理系の知識も文系の知識も、哲学も神秘も、区別は必要ない。
自分から排した知があれば、その部分が全体性から欠落することになる。
もし、神秘が科学ではない、として最初から排したら、
世界の「始源」を我がものとして知ることはできない。
492461,472:2001/06/08(金) 06:31
私の場合、「悟り」の過程は集中的な言語化体験の過程のなかで経験した
神秘体験(「悟り体験」)から始まった。
不可逆的な心理的・身体的(感覚的)・変容がおき、
主体に人格的変容がおきた結果として、社会的関係や認知にも変化が及んだ。
「悟り体験」の流れをくんだ「気づき」であれば、かならずこうした変化が
不可逆的に生じる。それがないならば、単に知識を知っただけ、納得しただけ、なのだと思う。

その後の言語化体験において、個人的な言語化体験を進めると、
リンクするように、世界の認知が広がっていくようになった。
つまり、「悟り体験」で見た世界を、より細かく知る作業となった。

あと、個人的には、人類が、人類自身、世界の仕組みのすべてを暴いた時には、
きっと悟りは必要なくなるのだろうが、同時に人類は存在する必要もなくなる
と私は思っている。「悟り体験」は「生きて死ぬ」という、あくまでも「生」
が前提の、心理的な死であったが、物理的にすべてを見た時には、
物理的に人類と世界が死ぬのだと思う。
493考える名無しさん:2001/06/08(金) 06:33
悟りは気のせいだということを悟りました
494461,472:2001/06/08(金) 06:36
訂正

物理的にすべてを見た時には、物理的に人類と世界が死ぬのだと思う。
             ↓
物理的にすべてを見た時には、物理的に人類が死ぬのだと思う。

世界については、わからん。

495463 :2001/06/08(金) 08:19
>「悟り体験」

「悟り体験」はないが自分と世界をしってる人はどうなる
496考える名無しさん:2001/06/08(金) 09:11
前に人間は生まれる前に全ての知があり、誕生の瞬間に全ての知を忘れると聞いた
497考える名無しさん:2001/06/08(金) 11:34
悟りが得られそうで得られないという心理状態が
哲学探求のモチベーションとしては最高のようだ。
悟りを得てしまうとそれを言語化することに
それほどの重要性を感じなくなる。
悟りはないと思えば初めから哲学に興味を持たない。
悟りを得てなおかつ良い哲学者というのは少ないようだ。
498考える名無しさん:2001/06/08(金) 17:17
>>495
自分を知るというのは悟りではないよ
むしろその逆、自分を捨てること。
499:2001/06/08(金) 17:42
肯定する。否定しない。
甘受する。拒否しない。
葛藤を放棄する。現実を投出すわけではない。
絶望感の明るい浮遊。
500考える名無しさん:2001/06/08(金) 23:29
我々は世界を3次元性+時間性+生命性+霊性+魂性+神性・・・、
であると認識しているが、
我々の知覚器官がそのように認識するようできているからであって、
ありのままの世界なわけではない。

2次元の知覚存在は、我々が「3次元」と知覚するものを「2次元+時間」として認識する。
これは2次元の知覚存在は3次元という概念を持たないからである。

3次元の知覚存在である我々が「時間」として認識しているものは、
一つ上の次元で知覚すれば、「4次元」の一座標として認識する。
「生命」として認識しているものは、
一つ上の次元で知覚すれば、「4次元+時間」=「5次元」として認識する。

我々は世界をそのあるがままに認識していない。
我々は3次元性までしか認識できず、時間性や生命性などは認識の限界からくる歪み=神秘感として認識される。
高次の世界から認識すれば、すべては一つである。
501」5「:2001/06/10(日) 01:30
悟りは勘違いであることもある。言葉で説明できる理論的な物だと思う。
人々の悟りすべてが共通はしていない、要はきずきに対する能力が高いレベルで機能
したときに起こる人間の状態、悟りという現象に神がかった意味が与えられているの
は悟ったときに人間の感情や個人的見解が含まれていてそれがまた宗教的な解釈、理
解な為、思考的、理論的理解だけでは悟りとは言えない、人間には感情がある、思考
的理解に自己の感情を持ってして応えるこれが悟りというものではないだろうか?
突詰めれば悟りとは理論的に証明できるものだろう、それができた時宗教的な意味で
の悟りは消える。


502461,472 :2001/06/10(日) 01:37
>>501

悟りの解釈が理論的でなければならないのは同意。
現在の私の限界でもある。
503461,472 :2001/06/10(日) 02:02
突飛なんだけどさ、いま、暖め中なのが・・・・

1÷3=0.3333333333333… (無限)

これを、どう解釈するか、ということ。
三次元存在。人間の精神発達の三層構造。人格・身体・本質の三位一体。
504ボヘミアン:2001/06/10(日) 02:08
うんこ÷うんこ=∞
これ常識
505考える名無しさん:2001/06/10(日) 04:05
>>503
1÷9=0.1111111111111…
3を特別視する理由はないと思われ。
506461,472 :2001/06/11(月) 00:53
>>505
1÷9=0.1111111111111…
1÷3=0.3333333333333…

かんがえる。


507考える名無しさん:2001/06/11(月) 01:00
>>506
ついでに10進数を特別視する理由もないと思われ。
9進法だと
1÷9(9進法での表記は10)=0.1
1÷3=0.3
割り切れる。
あんまり考えても仕方はないかと思われ。
508461,472 :2001/06/11(月) 01:05
>>507  じゃあ、

1÷3=0.3333333333333…

これだけ、お持ち帰りする…
509考える名無しさん:2001/06/11(月) 01:10
>>506
数学の本で読んだことがあるけど有理数の分数で表される無限少数
の正体は無限等比級数ということらしい。
だから、三位一体がどうの、というよりも
1=0.99999999・・・・・
となることの方が神秘かと思われ。
0.9+0.09+0.009+・・・・・=1
となるのはなぜかな?
三位一体というよりは無限の神秘の方がその数式の本質かと思われ。
数学の本を読むと極限とか無限というのは数列の級数で間接的に
定義されていてよくわからないんだよなあ。
510509:2001/06/11(月) 01:13
つまり、どんなに考えてもトートロジーなんだよなあ。
511461,472:2001/06/11(月) 01:26
>>510
>トートロジー

そうか〜。案外、無(本質)と無限の関係をよく表していたりして。
安易に偶像化はできんね。(がっくり)
512名無しさん:2001/06/11(月) 11:48
毎朝の通勤
いつも俯きながら歩いていた
ホームに電車が滑り込む直前
黄色いラインの外側に新しい世界が見えた
僕は勇気を出して飛び込む
傷つく事の無い世界を目指して
513名無し:2001/06/11(月) 12:00
>>509
>1=0.99999999・・・・・
>となることの方が神秘かと思われ。

神秘でもなんでもない。
1=0.99999999・・・・・ でないとすると矛盾が起こる
からそういうことにしてるだけ。
514461,472 :2001/06/11(月) 20:54
1÷3=0.3333333333333…
1÷9=0.1111111111111…

1=0.99999999・・・・・

無限かと思うと、やっぱ、考えるのあきらめられん。
515MtFTG・CD:2001/06/11(月) 20:57
>>514
何をどう考えているのか是非聞かせよ。
516461,472 :2001/06/11(月) 23:59
>>515
無と無限の接続が説明できないか、と思ってね。
無、というのは、なにもない、ということではなく、
一者、という意味ね。
今週は超睡眠不足なのでもう寝ます。また今度。
517461,472 :2001/06/12(火) 00:03
>>515
無と無限の接続が説明できないか、と思ってね。
無、というのは、なにもない、ということではなく、
一者、という意味。
ケン・ウイルバーは「万物の歴史」のなかで、人間の成長過程
を9層だと書いているけど、こんなん検証のしようがない。

今週は超睡眠不足なのでもう寝ますわ。
518考える名無しさん:2001/06/12(火) 00:43
幸せは与えられるものではない。感じるものだ。
519461,472:2001/06/12(火) 01:25
>幸せは与えられるものではない。感じるものだ。

おっしゃるとおり。御意。

ところで、最初の悟り系書き込みは、ほかのフツ〜の掲示板に
書き込んで、いろいろと反発を招いたことがあります。それで
2ちゃんにきました。これはわたしの自己分析から得た智です。
わたしの自己超越の試み。ほかの人のことを書いたのではなかった
のです。ひょっとして、2ちゃんでも一部に誤解を生んだか。
ごめん。ややこしくて。
この悟り系書き込みについては、様子を見たほうがいいか。
掲示板には向かない話題なのかもしれない。

…という内容の投稿を、さっきしたのに、画面に反映されてない!
ということは、板違いの投稿をしちゃったかもしんない。はずかし〜。
520考える名無しさん:2001/06/12(火) 01:34
>幸せは与えられるものではない。感じるものだ

感じること。対話すること。やめたくない。
521考える名無しさん:2001/06/12(火) 01:47
可能な限り正確に。
感じること。対話すること。それは幸せ、嬉しさそのもの。
なんか人間は複雑系に発展してきて、よく分からないことにも
なっているようだけれど、ともかく、つながったことは良かった。
…見ているだけでも、幸せになれるのかもしれないけれど。
522考える名無しさん:2001/06/12(火) 02:18
521です。
つづき。どうしたらええんかのう。今度こそ寝ます。
523考える名無しさん:2001/06/12(火) 03:31
考えてもわからないこと考えない
524名無しさん:2001/06/12(火) 10:53
一日一善。
525名無しさんの主張:2001/06/13(水) 00:08
無我の境地也。
526考える名無しさん:2001/06/13(水) 00:25
我田引水
527考える名無し:2001/06/13(水) 06:58
1÷3=1/3でいいんでないの?
528考える名無しさん:2001/06/29(金) 04:38
個我・全我・非我・無我
529999:2001/06/29(金) 07:53
「なにか」「なにか」「なにか」「なにか」「なにか」
530time:2001/06/30(土) 08:14
悟りってのは↓コレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=992703022
駄目かな・・
531考える名無しさん:2001/06/30(土) 08:19
悟りは得てもまんこはなめたいよ。
性欲は減らん。
532考える名無しさん:2001/06/30(土) 08:28
マン-コ オナーニ セクース
533考える名無しさん:2001/06/30(土) 13:24
考えるより感じよう、
というのをモットーにすると人生が楽しくなった。
別に悟りじゃねーな。
534考える名無しさん:2001/06/30(土) 13:37
どう考えても宗教の問題だろー
535工房大師:2001/06/30(土) 16:14
「悟りを開く」とは、オリンピック競技ではない。
棒高跳びの選手のように「どこまで高く跳べるか」を競うものではない。

貴方が「悟りを開いた」時、他の全ての人間も同時に「悟っている」のである。

「悟りを開いた」ところで「迷い」が無くなる訳ではない。
何故なら、「悟りを開く」とは貴方の行為ではないのだから。

いぜん、「彼」は、「彼」を見るために、「彼」を必要とするだろう。
536考える名無しさん:2001/06/30(土) 18:59
日々の煩悩の中である日突然ピンと来てだんだんわかること。>悟り
537考える名無しさん:2001/06/30(土) 19:46
「悟り」
昔:ルサンチマンの道具
今:金儲けの道具
538正しさ:2001/07/01(日) 17:17
何が正しいか分からない、という言葉がいろんな場所で見られる。生活の中でだとか、歌詞やドラマなどでもよく耳にする。この言葉は、あたかも一つの美しさを表現しているように見えることがある。

何が正しいかなんて分からない、だけど生きていく。

何が正しいか分からない。でもあなたとなら生きていける。


このような言葉は、人生に対する諦めであって、実は美しい言葉、という訳ではない。この言葉が生まれた背景には、正しいことをしても、結局は間違ったことがまかり通るのであって、無駄な努力はしないほうがいい、という考えがある。


正しいことなんて何もないという言葉を喜んでいる一方で、社会的な問題が生じると、「正義」の名の下に問題に対する批判、批評が飛び交う。実は我々は、何かが正しいという判断を下さなければ生きていけないことを知っている。

先ほどの歌詞やドラマ的な表現の中にも、その考えに価値があるかどうかは別のところで論じる問題としても、「過酷な世界の中で「あなた」と一緒に生きていく」ということが、その人にとって「正しいこと」なのだ、ということが分かる。


生きていく上での基本的な考えに「正しいことは何もない」を据えた場合、結果として、過酷な社会、無意味な人生を生き抜くための処方を求めるようになる。男女の関係に安らぎを見いだす人、お金に安心を見いだす人、地位に居場所を見いだす人、様々である。当人の頭の中には「正しいことなど何もない」という考えがあるのだが、実際は、当人の見つけた拠り所こそ、その人にとって「正しいこと」になる。

「正しいことなど何もない。この社会は空しいものだ。だから、せめて「生き甲斐」を」この考えから導き出されるのは、自分の拠り所を守るための、万人の万人に対する闘争である。女性を手にするために友人を裏切り、金や名誉のために人々を騙す。このようにして、終わらない格闘が始まるのだが、それぞれには当然の答えが準備されている。

「だれもがそうしている。正しいことなど何もない。自分の安心できるもののために闘っている。それのどこが悪いのか?」

 ごくまれに、全く良心の呵責がない者を除いては、そう言いながらも自分が何か間違ったことをしていると思えてくるのが普通である。

 自分の安らぎを獲得し、守っていくために、人はどれだけでも無神経に、下劣になりうる。そして、世の中の過酷さ、矛盾を生み出しているのは、実は自分自身であるとは、ほとんどの場合、気がつかない。

 そうなのだ。「矛盾した世の中」とか、「過酷な社会」という考えは、人の社会の中にまるで遺伝のように伝わるのであり、当の自分が、その現実を生み出しているということに気づく必要があるのだ。それははじめからあるのではない。我々が生み出している現実なのである。

 矛盾の中に生きている限り、また社会も矛盾する。「正しいことなど何もない」という標語に対して、我々はこう言い直すことができる。

「世の中の何かが正しい。今はまだ分からないが、実際そうなのだ。私はよりよいものを自分で選んで生きていく中で、いつかその「正しさ」にたどりつくだろう。それまで、自分で何が正しいかを判断して生きていこう。私は生きる中でそれを獲得していくのだ。」


 この考えは、矛盾のないものであり、過酷さや、無意味さ、に捕らわれない。なおかつ人間を停滞させない。
539考える名無しさん:2001/07/01(日) 17:51
私 が悟れば 世界 が悟る
540考える名無しさん:2001/07/01(日) 17:59
538
だらだらながいよ
541考える名無しさん:2001/07/01(日) 18:01
531
幼稚な分別やな
542考える名無しさん:2001/07/01(日) 18:46
ふかきょんのあのぶざまな体型にそそられる
543考える名無しさん:2001/07/01(日) 18:48
スレッドずれちゃった
ぶざま・・
544考えるナシ:2001/07/01(日) 19:02
仮に、正しいとは誤りのないことであるとするなら。
ある前提に等しい繰り返しであるとき、それは変わることなく
常に正しくあるのではないか。
では、前提の正しさを問うことはできるか?
その場合には正しさというよりもむしろ前提の確からしさ、
あるいは真偽を問うことになるのではないか?
では、ある事柄が真理であるか虚偽であるかの基準を私は持ち合わせて
いるか?もし、私の好みを基準にした場合、それに従って選び取られた
私の行動は正しいと言い得るか?これには当然言い得ないとする立場も
あって、そうした立場をとるのは、正しさの内に善悪の価値をも含めて
いるからではないか?
なぜこんなことを述べるかというと、正義とは自分勝手な考えである
とした以前の発言者が、実は善悪の基準こそ問題にしたかったのでは
ないかと思われたからである。
真偽の基準同様、善悪の基準をも探らねばならないのか?
545考える名無しさん:2001/07/01(日) 19:36
例えば公理主義
ある公理系においては、今や、前提となる公理の真偽は問わない。
としたとき
その公理系がローカルなものかそうでないか、が問題となろう。
昨今の新興宗教がいい例だ。
546考える名無しさん:2001/07/02(月) 16:45
なにか
547たった今悟りました:2001/07/02(月) 19:05
真実は必ず無限に存在するという事と
欲望をコントロールして人生をエンジョイする事
平日は働いていて、休日はパチンコに通う、たまに風俗
なんかにもいってしまう、たまに援助交際なんかも
してしまう、こんな世に言うダメ親父も
ある意味悟っているのです。
548考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:24
人生暇つぶし。
2chもその一環。
哲学もその一環。
セックスもその一環。
549考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:25
サトラレ
550考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:25
数学まんせー
551考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:26
ここの板で、数学できない奴っていんの?
別にいいけど。
552考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:28
553考える名無しさん:2001/07/02(月) 19:37
意味なんてねーよ
気にスンナ
人生暇つぶしじゃない?
どーよ?
554>551:2001/07/02(月) 20:10
>ここの板で、数学できない奴っていんの?

どの程度を基準にして、できる、できない、とするかだよね。
おいらは、(西洋)哲学をやってんだったら、
大学の教養程度は、身につけておくべきだとは思うな。
あと、数学史も、理系の連中があまりやらない分、必須じゃないかな、思想史の重要な部分だし。
まあ、高校程度は当然だよね。(大学入試では、哲学専攻は、数学は必須にすべきじゃないかな。)
555考える名無しさん:2001/07/02(月) 21:11
おまちんこ
556考える名無しさん:2001/07/02(月) 21:17
>>554

いや、数学嫌いで文系に逃げる連中って、結構いるじゃん。
ちょっと、あほだな・・・て、思ったからさ。
557考える名無しさん:2001/07/02(月) 21:23
つまり、デキル人は数学やってます。てことね。
まー何を今更って言われそうですが。
558satori:2001/07/02(月) 22:44
丸いとは、四角いことであるぞよ。四角いとは、丸いことであるぞよ。にょほほほほ。
559>557:2001/07/02(月) 23:00
つーか、大学入るとき、数学、あったじゃん。
結構、難しかった記憶があるなあ。
半分くらいしか解けなかったけど、
下書きまで、キチンと検査してくれて、
計算が間違っていても、推論があっていれば、
かなりの点数が貰える、って話(噂、ね(ワラ))だったので、
OKだったのかな?実際、数学が得意というヤツは多かったよ。
(やっぱ、差をつけるため、点数を大幅に稼ぐには有利だからね、数学は(ワラ))
文学部一括で採ってたから一概にはいえないけど、
哲学関係は、やっぱ、数学必須じゃなくては、と思うな。
560考える名無しさん:2001/07/02(月) 23:07
○とは□でないことでもあるだぴょん。にょうほほほほ。
561考える名無しさん:2001/07/02(月) 23:09
トポロジでは○□合同です
562聯綿きゅきょ。:2001/07/03(火) 14:33
「何か」
563ゴータマシッタカルタ:2001/07/03(火) 14:38
自分の内側と外側が裏返しになってしまう感覚で合ってます?
564考える名無しさん:2001/07/03(火) 18:54
>>521
よいよい。その感覚こそ、悟りの後にくるもの。命の一回性ゆえの
懐かしさ、ね。出遭えてうれしい!という、まさに。
>>563
裏返しになってもう一度ひっくり返ると、合っている。
565くそ坊主め:2001/07/03(火) 19:45
>>564
わかったようなことを言うでない。
悟った者のような態度を取るでない。
566考える名無しさん:2001/07/03(火) 19:48
風風亭で焼肉に逝ってきます
567ゴータマシッタカルタ:2001/07/03(火) 19:53
>>564
なる程。元に戻るんじゃなくて2重にひっくり返る感じですよね(これは単なる想像)?
568考える名無しさん:2001/07/03(火) 20:03
>>567
「564」さんが何と申すか存ぜぬが、そのような「感覚」に何の価値もあるまいて。
黙って、黙々と焼肉でも女でも(失礼)食って味わいなされ。
569ゴータマシッタカルタ:2001/07/03(火) 20:08
>>568
>そのような「感覚」に何の価値もあるまいて。
私にとって面白ければいいんですよ。十分価値はあります。
570考える名無しさん:2001/07/03(火) 22:54
オレにとっての悟りとは、自分を知る事だった。
571考える名無しさん:2001/07/04(水) 02:24
>>567
君の「裏返しになってしまう」が単なる想像でなければ
「もう一度ひっくり返る」も単なる想像ではなく、わかるはず。
ブッダも象徴でしか語れなかった<「拈華微笑」
>570
その通り。自分というものが一体何処から生まれてきて、
折角生まれて来たのに何故「必ず」死ななければならないのか、
死んだらどうなるのか…そういう「自分」の謎を知ること=悟り
572寝る前に質問:2001/07/04(水) 03:02
>>571
>>そういう「自分」の謎をしること=悟り

1.誰が知るのですか?
2.どのように知るのですか?
3.1が2をした時、どうなるのですか?
4.「自分」って何ですか?
573考える名無しさん:2001/07/04(水) 03:03
>>572
悟ってみればわかるのでは?
574考える名無しさん:2001/07/04(水) 03:49
>>572
!〜4の問いの解答=悟り、と571は言ってるやんけ?
それぐらい読み取れや、起きたらな。
575一つ目小僧:2001/07/04(水) 04:02
悟りは煩悩を完全に取り払ったときにおとずれる境地をいいいます。
哲学は悟りとは結びつかないです。むしろ遠ざかっていくんじゃないでしょうか??
でも魂の高揚感といった悟りに共通したものは得られそうな気がします。
哲学者はもっぱら音楽から悟りのヒントを得ているようです。
576考える名無しさん:2001/07/04(水) 04:15
>>575
>哲学は悟りとは結びつかないです。
あなたにとって哲学は煩悩の表出なんだね。
哲学をやるごとに煩悩を強め、悟りから遠ざかるなんて。
何をやってんだか。
>哲学者はもっぱら音楽から悟りのヒントを得ているようです。
いいかげんなことは言わないでほしい。
577一つ目小僧:2001/07/04(水) 04:35
>哲学は悟りとは結びつかないです。
あなたにとって哲学は煩悩の表出なんだね。
哲学をやるごとに煩悩を強め、悟りから遠ざかるなんて。
何をやってんだか。
あなたは悟りを望んでいない。
>哲学者はもっぱら音楽から悟りのヒントを得ているようです。
いいかげんなことは言わないでほしい。

あなたは芸術論の本ををどれだけ読みましたか??
578考える名無しさん:2001/07/04(水) 05:44
(っっぷ
579 >一つ目小僧:2001/07/04(水) 09:35
あちこちの板、どのスレにでも、
なんともその場限りのいい加減なカキコをしている厨房だな。
それが君の自己表現か?
頭冷やして、真に関心のもてるスレに
キチンとカキコしてみれ。そうすればまともにレスしてもらえるから。
580匿名希望さん:2001/07/04(水) 09:54
今、私はエアコンの風である。
581試しに書いてみる:2001/07/04(水) 11:15
面倒だし、2chなんぞにちゃんと描写するのはもったいないので、簡単に思うところを書く。実際には悟りだと思った体験っていう程度かな。

私の場合悟った瞬間というのは、恍惚感、至福感は確かに圧倒的で、本当にすばらしいものだったが、幸福感や安らぎで満たされるというものじゃなかった。同じくらいに圧倒的な絶望感、孤独感もあって、「こんなことは知りたくなかった!」と本心から思った。なんか暴力的なものでもあった。後から知ったけど、新興宗教が無理矢理体験させる神秘体験の類に近いのかも知れない。
なんか人の悟り体験をみると、絶望感、孤独感がそんなに強調されてないように思う。私の場合確かに、ひとつだけその後も捨てることができない煩悩があった。実はそれ故に、絶望に襲われたともいえる。
なので、私の経験は仏陀の「悟り」ほどたいそうなものではないと思ってる。その一方で死ぬことにほとんど恐怖がなくなってしまってるのも確かだが。本当に悟った人は、僕みたいに生きることに苦労しないんじゃないかと思う。もっとまっすぐに人生を歩けると思う。まあある側面では、目の前の山や谷をまっすぐ越えて歩けるようになったところもあるけど、まだまだ苦労するところが多い。こんな経験をしてない人で、表面上もっと悟りに近い生き方をしてる人もいるように思う。
てなわけで、中途半端に悟りを求めても、もしかしたら危険かも知れないとすら思う。むしろこの経験のゆえにごまかしが利かなくなったというか、しんどくなったこともあるかも。私は自ら意識的に求めて体験が訪れたわけじゃないけど。

まあ、そんなところかな。くそ、思ったよりちゃんと書いてしまった。まあこういった体験は言葉では語り尽くせないし、書こうとすればまだまだいくらでも書ける。だからあくまで一部を表現してるに過ぎないけど、その一部がちゃんと全体を表現してるという側面もあって、やっぱりなんかもったいない。
似たような経験をした人はいるのかな? まだ過去レスをあまり読んでないので、もう分析済みの体験だったりして。
582581:2001/07/04(水) 11:31
そんなわけで、今書いていて整理されてきたけど、
本当の悟った状態というのは、まっすぐに人生を歩けるということだろう。
それがどれだけ辛くしんどくて困難に満ちていても、それを必要以上に悩んだり
畏れたりしないで、敢然と淡々と自分が歩くべき道を歩いていけるという状態、
そういうものじゃないかな。

どれだけ悟ったかを他の人と比較したり、ひけらかしたりするうちはまだまだ
アマちゃんなんだろうな。
特に「悟り」うんぬんを語りたがる人は、新興宗教や、その中途半端な悟り体験に
振り回されがちな人も多いし、言葉遊びに必要以上に熱中する人もいるし、
まあ気をつけた方がいいよね。
ああそうか、言葉遊びに熱中する人が哲学好きな人たちなのかも。
哲学と悟りは、たぶん究極的には近いところに行くけど、でもやっぱり別もんだよね。
583考える名無しさん:2001/07/04(水) 11:41
>>581=582
>似たような経験をした人はいるのかな? まだ過去レスをあまり
読んでないので、もう分析済みの体験だったりして。

遠慮せずにいろいろ書いて欲しいです。
がいしゅつでも全然OKだと思います。
「悟り学」なんてのがあるのかどうかわかりませんが、
恐らく体験者の絶対数が少ないので同じ体験の集積となっても
構わないと思います。
たくさんの体験談があればあるほどいいです。
584世俗人:2001/07/04(水) 16:18
俺思うんだけど、「悟り」ってものが、前提として「素晴らしい体験」あるいは
「良い体験」として扱われていないかい? どうも胡散臭いんだよな。
で、もし「素晴らしい体験」としてでもなく「良い体験」としてでもなく扱ったら、連中はこう言うんだ。
「それは悟りではない」と。「それを体験することはできない」などと。ハア?

「悟りを言葉で言い表すことはできない」のであるなら、「悟りは素晴らしい体験ではない」って
言ってもいいんじゃないの?もし、そう表現、表象したら誰も「目指す」ことはないよね。
俗に「至高体験」などと言ってるけれど、それらのほとんどは単に感情が高揚してるだけじゃないの?
俺の彼女なんかいつも「いや〜ん、最高!開くわ!」とか言ってるよ。
「悟りを開いた」って言っている連中ほど胡散臭い奴はいないネ。どうなんだろう?
585581=582:2001/07/04(水) 17:02
>>584 がいいこと言ってくれた。
ちなみに私の場合、このくらいの言葉で表現ことができるようになるまでわりと
時間かかったな。
最初はたしかに「悟った」とは思ったけど、そうそう人にしゃべれる内容じゃないし、
自分だけ悟りに達したんだと思って有頂天になった側面もある。
その体験で得た世界観のようなものは、そもそも言葉で表現できるものじゃないので
支離滅裂で訳分からないものになりかねないし。
そもそも神秘体験とか至高体験とかいう言葉も知らなかったし、勉強が必要だった。

精神的なショックの大きさという面からいうと、知人や近親者の死のような他の
いろんなショックな体験と同じように、そこからふつうに「語れる」状態になるまでに
何年も時間が必要だったりするようなものだと思う(あくまで個人的にはね)。
だから、>>583さんがおっしゃるように「体験者の絶対数が少ない」のかもしれないけど、
語れる状態の人が少ないという側面もあるかもしれない。
586581=582:2001/07/04(水) 17:07
>>585の続き
「悟り」学のようなものがあるとしたら、指摘しとかなきゃいけないと思うのは、
必ずしも「悟ったと思った」体験(・・・当人は確実に悟ったと思ってる場合が
多いかも知れない)は、当人にとって重要だけど、危険な側面もあるということ。
社会とのつながりを軽く扱うと、とんでもない方向に行きかねない場合だってある。

麻原だってたぶん実際に「悟り体験」をしてるんだと思う。
それを利用して人より上に立つことはできるかも知れないけど、
必ずしも社会に受け入れられる行動につながる訳じゃない。
悟り体験の示す世界観は、「あらゆるものが無価値だ」と表現することもできる。
あらゆる世間的な価値を軽く見ることも可能で、ひとりよがりな世界観を追求していったら
麻原のような結末になることも全然不思議じゃない。

たぶんそういった体験をすることと、その人の人間性のようなものは必ずしも一致する
ものじゃない。
器の大きさとは関係するかも知れないけど、社会的に見たら器の大きい大悪人だってあり得る。
悟り体験をしたからといって、社会はそう簡単に動かせるような軽いものでもない。

自戒を込めて、そう思う。
587581=582:2001/07/04(水) 18:44
>>582 で、「悟り体験」と関連づけて、その体験のゆえに
>まあある側面では、目の前の山や谷をまっすぐ越えて歩けるようになったところもあるけど、

と書いたけど、訂正が必要かも。
そんなふうにある種成長した私の側面ってのは、実はそれまでの間に個人的にさんざん
悩んで苦しんできたことです。
つまりそれまでの蓄積ゆえに、より成熟した「まっすぐ歩く」生き方が可能になった側面があるので、
必ずしも「悟り体験」と結びつける必要もないかも知れない。
「悟り体験」がより成熟した「まっすぐ歩く」生き方をサポートはしてると思うけど、
それ以上のものではない。

なによりも、やっぱりごく普通で当たり前な悩みや苦しみに満ちた人生を、どこまで真摯に生きていくか、
てことの方が重要であって、「悟り体験」をしたからといって全てが解決する訳じゃない。

仏陀の境地がどんなものかは私にはよく分からないけど、
もしそれが価値のある尊いものだとしたら、
それは仏陀が抱えてきた悩みや苦しみの深さ大きさが、そうさせているんではないだろうか。
「悟り体験」を求める人には、その辺に耳を傾けてほしいと思う。
588世俗人:2001/07/04(水) 19:17
俺わからないんだよな。「悟り」へと導こうとしている人達が。
彼等が何を与えたい人達なのかがわからないんだよネ。

俺はさ、自分が悟っているのか悟っていないのかわからない。
また、別に「悟りたい」とも全く思っていないんだ。

何らかの考えを持つに至る先行体験として「悟り」があると思うんだ。
それを「体験」として認識できるかどうかは知らないけれども。

俗に云う「導師達」が言ってるよね。
『主客合一』『見るものは見られるものだ』と。

こんなの怖くないかい?俺はさ、本当恐ろしいヨ。
「581」さんがチラっと言ってるけれど「孤独」もいいとこじゃないの?

悟った人?ってさ、何やっても自己正当化するんじゃないの?
「悟った人」に最も大切な概念は「善・悪」じゃないかな?
589変人:2001/07/04(水) 21:19
悟り・・これはなかなか言葉では言い表せない。あえて言うなら、
「死」がキーワード。生と死が混沌とした世界とでもいおうか。または
、超越した世界とでもいおうか、自らの死が現実感として実感するとき
生が一瞬輝くときがある・なんというのか生の至福感といった感じ。
煩悩はある。だがしかし、煩悩が「生」の証となって喜びでもある。
死んだら煩悩はありませんからねー。煩悩は生きている証であること
を悟る。周りの景色がキレイに見える。すべてを受け入れることが
できる・・もちろん「死」も、まあ簡単に述べたが抽象的でワカラ
ない人が多いかと思うが、要するに「生」とは確実性のものでなく
不確実性のもので、微妙なユラギみたいなもので、毎日ユラユラ
揺れながら生きている。ということだ、観念論ではない見えるもの
ガあるのだ。体験しないとなかなかわからない。
590:2001/07/04(水) 21:27
昆虫の脱皮みたいなのとこがあると思う
年齢ごとにこまめに脱皮する場合もあれば
強いエゴをもったひとが、かなりの期間がんばって
その殻でまかなえなくなったとき、一気にエゴの殻から脱皮する。
そのときにためたモノが大きいと、ショックも大きい。
それが大きければ大きいほど、一気に解りたくないようなことまで、解ってしまう。
まだ対処できないからだ。
その反動で、こまめな脱皮では解らないところまでその瞬間垣間見てしまう。
これについては「毎瞬間死ぬ技術」という言葉がキーワードになりそう。
所謂「普通に生きていくこと」等も含まれると思う。
591:2001/07/04(水) 21:34
いま589よんだら
死・キーワード
と同じようなこと書いてる人がいた
592考える名無しさん:2001/07/04(水) 21:45
マジックマッシュ食べたら悟れるらしいよ
593聯綿きゅきょ。:2001/07/04(水) 21:54
悟り・・・・・・「様々な言葉を発する瞬間に眠る」
594考える名無しさん:2001/07/04(水) 22:11
キノコは一度食べた方がいいと思う
595考える名無しさん:2001/07/04(水) 23:54
眠っているときは悟りなのかしら?
596考える名無しさん:2001/07/04(水) 23:57
(゚Д゚)ハァ? >all
597考える名無しさん:2001/07/05(木) 00:08
そうだよ。悟ってるんだよ。早く寝ろ!
598考える名無しさん:2001/07/05(木) 00:26
心五口
599考える名無しさん:2001/07/05(木) 00:29
1cm内にある点の数=100cm内にある点の数
600考える名無しさん:2001/07/05(木) 00:29
「2chは健康に悪い」
601考える名無しさん:2001/07/05(木) 00:33
全体我=神>部分我=人
602ゴータマシッタカルタ:2001/07/05(木) 01:44
>>595
眠っているときと比較すると目が覚めたときが悟りなんじゃない?
目覚めを死に例えている本があったよ。
603考える名無しさん:2001/07/05(木) 01:46
目が覚めたときって、いろんなことがリフレッシュされてるよね
604考える名無しさん:2001/07/05(木) 05:22
キノコの合法性はいまどうなってるんだろう
605考える名無しさん:2001/07/05(木) 05:23
悟りとはかくもつらいものであったか・・・
(二日酔い)
606考える名無しさん:2001/07/05(木) 05:24
>>599
密度は違うよ
607考える名無しさん:2001/07/06(金) 08:44
悟らなくてラッキーだよ
608581=582:2001/07/07(土) 12:30
>>590 さんみたいに解釈してもらえると、なんかうれしいな。Thanks.

ところで個人的には、臨死体験をした人がなんかうらやましい。
私が経験したような絶望や孤独の匂いはほとんど感じさせないし、
それどころかとても満たされた体験らしい。

死ぬことに恐怖心がなくなるというのも、たぶん両者に共通だけど
私の悟り体験は、臨死体験のような心の底からの安心感をもたらす
ようなものではなかった。
>>589 さんのように幸福感の強調される体験もあるようでそれも
うらやましいけど、臨死体験ほど根源的な安心感は悟り体験では
なかなか得られないのではないか、と思ったりもする。
ガイシュツだったらスマソ
609考える名無しさん:2001/07/20(金) 03:15
悟り>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>臨死体験
610考える名無しさん:2001/07/20(金) 03:17
怖い
611考える名無しさん:2001/07/20(金) 06:35
死ぬ技術と臨死体験は無関係です
なむ
612考える名無しさん:2001/07/27(金) 22:25
>>590
「死ぬ技術」ってどんなもの?
613考える名無しさん:2001/07/27(金) 23:26
>>1
声がおかしい巨乳タレント?
614考える名無しさん:2001/07/27(金) 23:26
>>613
それは、さとえり。
615偏差値35:2001/07/27(金) 23:34
脳と呼ばれる神経システムと人間の意識は、全く別のシステムである
ことに気づきました
616考える名無しさん:2001/07/28(土) 05:00
仏教系の悟りについて語りたいなら、例えば、岩波新書・三枝充悳・『仏教入門』とか
中村元系の著作とか読んでからにしろよ、そうでないとたんなる神秘論でしかなくなる。
神秘論なら別版で好きなだけやってくれ。ここは哲版だ。

大体、仏教は神秘論的な志向を排除するなかから生まれたんだが……
617偏差値1:2001/07/29(日) 14:04
結局悟りは自分にしか解らん。2ちゃんだから書くの勿体無いといっときながら語ってる奴って一体?素直に「僕の意見聞いて下さい」って言えよ。かったりー
618考える名無しさん:2001/07/29(日) 15:53
いわゆる、悟りって、そんなにたいしたものなの?
たいしたものって、いわれてるだけなんじゃないの?

ほんとは、ちっとも価値がないから、付加価値つけてさ。

でさ・・。みんな、悟りたいなんて、マジで考えてるの?
619考える名無しさん:2001/07/29(日) 16:05
>>618ああ、悟りたいね。
悟りって価値から無縁になることじゃないのか。
>不生不滅 不垢不浄 不増不減
だろが。
620聖人:2001/07/29(日) 19:37
ん?
6211つの報告:2001/07/31(火) 02:29
昔のことなんだけど、
なんで、悟っちゃったんだろ?とか思った瞬間がありました。

ずっと、悟りたいと思っていただろ?という声がして
わたしたちの会話すべてが神の内省のような感覚でした。
622考える名無しさん:2001/07/31(火) 22:56
>>1
全ての人はいま既に悟っているのですけどね・・・
623考える名無しさん:2001/08/01(水) 01:28
>>584
それは全く違う。麻原は、全盲の人が大半だった盲学校の中では
「わずかながら見える」という己れが如何に支配的立場に立てるかを
身をもって体験した。他者を支配する妙味とコツはその時に覚えたもの。
後に関東で、ミカンの皮をもの凄い効能のある漢方薬と称して売りまくったのも
口八丁の詐欺。結局薬事法違反で摘発され刑務所に入る。
刑務所の中で「宗教は儲かる」という話をきく。阿含宗の桐山靖雄が前科者だという
話とともに。そして出所すると同時に、おりしもブームだったヨガとインド体験に
眼をつける。後は宗教詐欺街道まっしぐら。
・・・麻原を見誤るようじゃ、貴君の悟りとやらも、浅いな。
624禅問答公案:2001/08/01(水) 02:16
拙僧は、何を悟ったかを問われた時には、
その人間を殴るようにしている。
なぜなら、拙僧は悟っているからである。
殴られた者は悟りに行きつかなくとも、何かを得る。
わかるかなぁ?
625考える名無しさん:2001/08/05(日) 18:15
>>624
いきなり殴られたら、怒るでしょ普通(w
626586:2001/08/07(火) 23:35
>>623 のなかでの
>>584」は、>>586 の間違いかな?

>・・・麻原を見誤るようじゃ、貴君の悟りとやらも、浅いな。

私の悟り体験が甘いということは、私自身の文章ですでに告白している
つもりなんだけどね。まあそれはいいや。

麻原がそんな背景を持っていたことは新鮮。レスありがとう。
でも麻原がほんとに悟り体験をしたかどうかは?
おっしゃる情報が、「麻原が悟り体験をしていない」ことを証明するものではないとおもわれるが。

まあとにかく、私がいいたかったのは、悟り体験をしたあとで麻原のような
結末になっても不思議とは思わない、ということ。
少なくとも「悟り体験」は教祖にとって信者を言い負かせるに有利な
一種の「見方」「世界観」のようなものをもたらす傾向はあるんじゃないかな。
627考える名無しさん:2001/08/07(火) 23:42
>>624
どこの僧堂で何年間修行しましたか?

世の中には本当に禅の修行をしている人もいる
ということをお忘れなく。
628地球人:2001/08/08(水) 00:04
欲求の充足は次のようになされる。生物としての自己保存欲の発動を脳幹がおこな
い。つぎに視床下部が5つほどの欲求表現(食・性・休・避・探)にこの指令を分
ける。さらにこれらが前頭前野で適応的に処理される。記憶されている概念群との
アクセスや外部環境への行動などがこのためになされる。概念は感情的な評価を付与さ
れている。そして処理された信号が辺縁系に入り既に刷り込まれた充足パターンと適
合していれば感情が満足される。これは報酬系の作動によりなされる。欲求の不充
足では不快感が辺縁系に表出される。つまり罰系が作動する。このシステムにより生体
が素早く環境に適応できる。さて創造とは欲求の解発行為である。報酬系の作動に
より感情的な喜びとなる。脳生理的には神経細胞間に新たな回路が形成される。言
い換えれば創造とはアルゴリズムの新生である。古い記憶概念群が新たに統合され処理
される。創造の前後には連続性はない。ところで死の概念に対する創造的適応は宗
教的体験(覚醒)である。ここで留意すべきことは死の自己経験が無い故に、死の
概念を他者の死によって理解しながらも、その感情的実感を持たない点にある。す
なわちこの創造は感情面での適応になる。これのパターンは次のようになる。自律神
経の操作訓練を充分マスターする。ストレス(断食・禁欲・孤独・恐怖など)の付与により
脳幹の賦活をする。強いストレッサーである死の概念にアクセスする。情動系の保護のために
弱いストレッサーや防護的な概念を用いることもある。低い確率で適応が心理的激変を伴
い生じる。このとき人により超越的概念の確信や新たな刷り込みもおきる。この創
造により生じる欲求充足経路は前頭前野と脳幹を結ぶ神経回路が推測される。自己
充足系と呼ぶ。すなわち記憶概念群に関与しないで充足する経路である。この系が
生じるときにおきる現象は、報酬系の基を直接的に刺激することになる故に一時に
多量のカテコールアミンが分泌されることであるるその結果として多幸感・至福感といった
本源的な悦びが生じる。同時に生きている実感・暖かさ・安らぎといった正の感情
をももたらす。脳幹・視床下部には視神経に近い部分があるので光をみるといった
体験もおきやすい。この後の心理現象として情動の安定がみられる。悩みの感情が
持てない。概念群は辺縁系による価値判断の心理機制を基本的に受けなくなるので、
それらの結合や分割の操作は心理的抵抗なく自在になされるようになる。すなわち
意識の拡大がおきる。さらに知能の深まりや精神感覚が開発される。
629考える名無しさん:2001/08/08(水) 00:47
>628地球人さん
現代の禅者は、脳科学と認知哲学は踏まえています。
最新の情報がすぐ入る世の中だもの。
628は、既に古い脳科学知識に基づく仮説に過ぎない、
日進月歩だよ、はるかに進んでいる。
630ザ・神様こと吟遊詩人WIZ!!:2001/08/08(水) 06:26
じゃあ ぼく神様ね
631WIZ改めアーロン!!!:2001/08/08(水) 06:33
アーロン先生でーす
632WIZことアガペー:2001/08/08(水) 06:34
悟りなど いちいち人に見せびらかすものではないわ!!喝!!
633考える名無しさん:2001/08/08(水) 06:35
恥を知りなさい・・・
634WIZ:2001/08/08(水) 07:02
正直 すまなかった 爆
635WIZ:2001/08/08(水) 07:21
麻原について
 力を持つことは それほどのことではない
 要は 使い道を誤ることに その人の業が試されるのである

以上
636WIZ:2001/08/08(水) 07:34
それとね ここに長々と書いてた人に言いたい
よみづらいのよ

もっと短く 完結に判りやすくね

こんなん2〜3行で済むでしょうが・・・・・
会話の中で 相手のレベルに応じた話し方とかさ

考慮しなって

極めて以上!!
637考える名無しさん:2001/08/08(水) 07:57
>>636 7行(空行含めて11行)も使って、内容皆無やん
氏ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1
638考える名無しさん:2001/08/08(水) 23:01
悟りって「死ぬ」センスを作り出すこと??
639地球人:2001/08/09(木) 00:30
生物の合目的は自己保存であり、それは食・性・休息・逃避・探索欲の
形を作る。それらが充足されるか充足されると期待されるときに良い感
情が生じる。逆では悪い感情が生じる。学習され、記憶される概念群も
その感情評価はそれに準じて決められる。ただこの場合はその時代にお
ける経済の構造(生存と深く関与)に影響される。
現象や存在のそれ自身とその体系は、生体の自己保存が満足される
のであればその程度により感情評価される。さらに考えるならば結果的
に生体の自己保存が満足されるのであれば、どのような感情評価を持つ
ものでもそれとその体系は存在し得るし、伝承もされ得る。そして生体
の自己保存の目的でありかつ結果である生命の過去から未来に続く流れ
は多数者である大衆がその担い手である。また大衆こそが価値感情の本
流をなす。その変化の追随者であってもである。ゆえ感情価値の評価基
準をつぎのように考える。すなわち生命の流れを守り強めることは正の
価値(善)であり、これを弱め枯れさせることは負の価値(悪)である。
その中間は余裕度により自由である。(1985年の作より転記)
 この16年の間に大変な進歩があったのだと思います。そのようなサイト
をお知らせください。
640考える名無しさん:2001/08/09(木) 00:41
みんなうんこ
641考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:07
文学青年の悟りは短い。
642考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:07
哲学は考えるだけ無駄。
643考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:12
短ければ短いほど良いという奴は救いようのないバカ。
それだけ内容が乏しいということに気づいていないのは・・・本人だけ。
644考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:13
松屋>吉野家
645考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:17
そうだそうだ。1行2行で説明できるなら誰も本など書かないね。代わりにプリントでも配布するぜ?浅はかで他人の言葉を聞く耳を持たないお馬鹿さんを相手するのは疲れるよ?
646考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:20
短い言葉に少ない情報量しか見出せないほうが愚か。
自分自身の内容が乏しいということに気付いてないのは・・・本人だけ。
647考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:51
>そうだそうだ。1行2行で説明できるなら誰も本など書かないね。代わりにプリントでも配布するぜ?
激しく同意
648647:2001/08/09(木) 01:54
>浅はかで他人の言葉を聞く耳を持たないお馬鹿さんを相手するのは疲れるよ?
その通り同意。聞く耳を持たない・・まさに。
649647:2001/08/09(木) 01:55
聞く耳を持たないから売り言葉を買い言葉で返す事できない。文の内容は完全なし。
650考える名無しさん:2001/08/09(木) 01:57
もっとやれぇ叩けぇrageを叩けぇ
651考える名無しさん:2001/08/09(木) 02:04
つーかぁ、うんこ=WIZ=646だろ?消えろよ。おめぇ。
652考える名無しさん:2001/08/09(木) 02:11
・・・↑これが悟りを開いた人々なのか・・・? う〜〜〜〜む。
哲学板は、ロゴだけ良くて、あとはアホばっかなのか?????
653652=通りすがり:2001/08/09(木) 02:13
↑652は、たまたま通りがかった人間の率直な感想である。
654考える名無しさん:2001/08/09(木) 02:18
WIZをいじめちゃだめだYO!
嫌われ者で友達なし。だから追い出されたら寂しくて死んじゃうYO!
655考える名無しさん:2001/08/09(木) 02:27
まぁWIZやうんこは本当に友達はいないだろうなぁ。
文から人格にヒビが入っている感じだからなぁ。
友達にも暴言や冷たいことをしてるんだろうなぁ。
656考える名無しさん:2001/08/09(木) 11:52
>>651
俺はRAGE=うんこだと思うが?冷徹さが重なる。
657地球人:2001/08/11(土) 00:15
認知機能関数fを人間の認知能力の全体集合とする。認知能力は脳の情報処理能力
に依存している。fは新アルゴリズム(情報処理法の新生)により変化する。新アルゴリ
ズム生成能は脳細胞のシナプス形成能に依存する。自己世界像pはfにより表出される
情報体の全体集合であり、意識から無意識の領域になる。fとpは情報の相互依存が
ある。事象集合xはfとp以外の領域になる。xは脳を含む。
fとpの領域は唯心論的な領域になる。fとxの領域は唯物論的な領域になる。
人間はp内においてのみ事象(情報)を認知する。(この文は今あなたのp内に在る)
pは生成し変化し消滅する。いわゆる心とはp内に存在する。心理的自由とはp内に
おけるものである。
哲学はp内における存在・認識・意味を問う。そして幾つかの公理を仮定し体系化す
る。それに対する感情評価がなされる。宗教も同様である。
了解域は複数のpの交わりになる。客観の領域は多数のpの交わりになる。(いまこ
の文はあなたとわたしとの了解域に在る)
了解域は情報交換により拡大する。それはfによりなされる。(あなたがこの文を読
み続けるとわたしとの了解域がひろがる)
pにおいて知覚的写像と言語的写像との部分的写像交換が可能である。これにより言
語的思考が早くなる。
658考える名無しさん:2001/08/11(土) 01:00
この板には駄スレが多い
659考える名無しさん:2001/08/11(土) 01:03
スレたてて
誰もレスせぬ駄スレかな
一人レスする自作自演
660考える名無しさん:2001/08/11(土) 02:35
悟りを啓くのは自分にとって不可能だと思うが、やっぱり大いに興味がある。

釈迦の言葉を読んでみると、悟りを啓くというのは、
1.欲望がないこと。
2.考え方が恐ろしく柔軟であること。
この状態をキープしてゆくことではないかと思う。
いったん悟りを得ても、堕落した生活をしてしまっては
悟り状態を失ってしまうに違いない。
修行を続けてゆく必要があるのであろう。
特に2.は、切れる頭を常に維持しなければならないのだから、
自己管理能力がものすごく要求されることになる。

人間みな信念を持って生きているわけだが、状況によっては
それが邪魔になる場合がある。そういうときにはよりよい判断が
できるよう自分の信念(=哲学)を捨てる用意が常にできて
いなければならないというのが2.で、釈迦の無原理的な部分である。
これができればいろいろな災厄が降りかかって来ても
うまく切り抜けられると思うけど、そういうのって可愛げ
がなくて恐ろしい人間になってしまうと思う。
基本的に釈迦って「嫌な奴」ですよね。

悟りを啓くと、確かに不幸ではなくなるけれど、果たして幸福かどうかは
わからない。

あともう一つ。悟りを啓くためにはある程度経済的余裕がなくては
ならない。「働かないことにより生きていけなくなる」状況だと、
生活不安から開放されえないわけで、ほぼ不可能でしょう。
扶養家族も心配のタネになるだけだがら、ないほうがよい。
よって、釈迦の教えは大部分の人を救えない。しかしこれは
悟りを啓くという内容からいって必然的なもので、このことで
釈迦を非難することはできない。
661考える名無しさん :2001/08/11(土) 03:06
悟りなんか啓いたら人生つまんねーだろーな
何を楽しみに生きていけばいいんだよ
662考える名無しさん:2001/08/11(土) 03:08
乃至無無明尽
663考える名無しさん:2001/08/11(土) 17:08
>>638
>悟りって「死ぬ」センスを作り出すこと??

ちがう。「私の死」は無い、ということを体感すること。
私たちにあるのは「他者の死」だけ。
>>660
>悟りを啓くためにはある程度経済的余裕がなくてはならない。

インドでは昔から、人生を4つの時期に分けて考える。
第3の家住期には、結婚して家庭を持ち、子を産み育て、社会人として仕事に励む。
そして第4の林住期になると、それまでの人生の一切を(家族とのつながりも)捨てて
頭陀袋一つだけ持って家を出てゆく。全てから離れて、独り放浪し瞑想し
ひたすら己れの魂を求める生活に入る。それが理想とされている。
現在でもサドゥ(世捨て人)と呼ばれる修行者たちに、インド中で出遭う。
背筋をピンと伸ばし、鋭い眼光でまっすぐに正面を見つめたまま、裸足で
スッスッと歩いていたり、大きな都市の公園で地面に坐って瞑想していたりする。
形は様々だが、その精神性の底には脈々として、紀元前の仏陀以前からの伝統が
息づいている。
「扶養家族も心配のタネ…」なぁんて言いつつ、語ったり目指したり
できるような類いのものではない<悟り
664考える名無しさん:2001/08/11(土) 20:23
ひそかにインドがうらやましい・・・
665考える名無しさん:2001/08/11(土) 22:23
仏教において悟りは、一切皆苦、諸行無常、諸法因縁生、涅槃寂静、ただこれだけです。
666考える名無しさん:2001/08/11(土) 23:48
>>664
日本にいても出家くらいいつでもできるよ。本気なら誰でも受け入れてくれる。
日本の仏教はみな堕落しているからだめで、インドならいいと考えるのは安易だ。
それは単に「遠くにあるから良く見える」のにすぎない。
667660:2001/08/12(日) 01:03
>>663
私の見解と基本的に同じような内容の発言と見ます。

というか、哲学書をちょこっと読んだりしてるだけで、
インド社会についてはまったく無知なので、感謝。

始めに書いてあるとおり、私は悟りを目指していない。
ただ、釈迦の言葉を解釈して「こういうことではないか」
と見解を示しているだけで、修行者の生活と無縁であってもできること。

世捨て人達は、人々が食べ物などを施してくれるのであろうから、
「働かないことにより生きていけなくなる」状況でない。
扶養家族がないのもそのための条件。そういうことを
「経済的余裕がある」と言って外的状況を示してるだけです。
668考える名無しさん:2001/08/12(日) 04:06
最近はインドでもただ歩いて旅してれば誰かが施してくれるっていう
状況ではなくなってきてるともどっかで聞いたけど。
669考える名無しさん:2001/08/12(日) 04:14
光と闇は同質である。
光と影は同一である。
闇と影は同一であるが同質ではない。
670ニルバーナ:2001/08/12(日) 04:30
呼んだか?
671ニルバーナ:2001/08/12(日) 04:41
釈迦の母国は王子を失ってまもなく滅んだし、
仏教もインドでは1000年以上前に廃れた。
インド自体他国の隷属状態になることも多かったしね。
衣食足りて礼節を知ったインテリ層向きの宗教だな、仏教は。
悟りを目指せるのもそういった人々だろう。
672とれんと:2001/08/12(日) 04:46
命は平等に価値がない。 それわかってからだいぶ楽になりやした。
673考える名無しさん’:2001/08/12(日) 05:48
すべての方に同意します
674ひとりぼっち:2001/08/12(日) 07:57
私には、どうしても解けないことがあります。
それを、違うスレッドで人に質問をしていたのですが、
哲学板の人の意見も聞きたくて書き込みました。

「他人の命と自分のお金はどちらが大切ですか?」
そして、
「世界では、貧しい「難民」と呼ばれる人達がいて、
その人達は、食べるものにも困り、飢餓で死んで
いっています。私達が娯楽に使うお金を全額寄付
すれば沢山の人が助かります。少ししか寄付しないと
少しの人しか助かりません。そこで質問ですが、
あなたは、自分のお金と人の命はどちらが大切ですか?」
という質問なのですが、娯楽費があるのに、寄付をしない人は、
自分のお金のほうが大切だということだと思うのですが、
どうですか? ゆとりも大切だから、娯楽もいりますが、
それなら、ゲームソフト月に一つ買って、残ったお金は
寄付をしたら良いと思うのです。しかし、将来の為に
寄付をしなくてはいけないので、寄付できません。
ということは、結局答えは、「金持ち以外の人は、寄付を出来ない」
ということなのかなあ。でも、金持ちの人も税金とか沢山掛かるみた
いだから。うーん。良かったら、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=volunteer&key=977518308
の279からの、私と、質問に答えてくれた人との論戦を見て
そっち(福祉介護奉仕板)に意見を書き込んでください。
よろしくお願いします。
675088-切れ切れSHOTS:2001/08/12(日) 13:34
人の状態 大小関係
限り無き有限 > 宇宙 > 銀河 > 星 > 波 > 愛 > 夢 > 本能的な興味

本能的な興味
 人はもともと 興味>発見>興味>発見 と循環する生き物である


 それをある程度 成長させた結果 ある大きな志を抱くようになる

 それに向けて努力するうちに 異性にも惹かれ恋をする

 一対一の精神コミュニケーション

 一対多の精神コミュニケーション
銀河
 多対多の精神コミュニケーション
宇宙
 全対全の精神全体を指す これを普遍的精神層 または神
限り無き有限
 宇宙の外側とは 人に言う「未来」に匹敵する 人によって見える範囲は異なるため
 一概に言えないのだが それを考慮しても おのおのにとっては有限のはずである
 ただしそれは 拡大もするし縮小もする 要は見える範囲であるが
 実際のところは 誰も知りえないのである ゆえに無限と定義しても間違いではないだろう
676地球人:2001/08/12(日) 22:35
了解域は時間変化性をもつ。例えばある宗教の教義がある時点で了解されていても
つぎの時点で了解されなくなることはある。
科学は了解(客観)域において成り立つ。科学では事象と観測器との間に情報の数
次の物理的対応が一義的に成り立つものとされている。そしてえられたデータを了解
域において法則化させている。観測器からの情報は認知機能関数fの内部にはいる。
そして自己世界像pの内部にはいる。
いわゆる超常現象とよばれる現象も了解域において論じられれば科学の対象になり
うる。観測器の有無は問題とならない。逆に現在の科学法則も了解域の変化により
成り立たなくなる可能性をもつ。さらに「常識」といわれる社会的に認められた法
則については尚更のことである。
価値感情の(+)の方向は個体の存続(保存・安定)と拡張(再生産)になる。こ
れはホメオスタシス保存の方向と一致する(一次充足的情報処理)。そして同じ方向性を
持つと認められる言語・知覚写像とその体系化は積極的に支持される(二次充足的
情報処理)。
二次のすべてと一次の部分的な情報処理過程においては価値感情は学習により刷り
込まれていく。それに対応して脳神経細胞に特定的な興奮パターン(情報処理パターン)
が形成される。
価値感情の評価は大脳辺縁系の報酬系によってなされる。それは一次充足的情報処
理パターンとそれと結合している二次充足的情報処理パターンに依存している。
概念(言語・知覚写像とその体系化)に価値感情評価を付加して情報処理すること
により、そうでない場合よりも生存適応的である。事態に対処すべき身体反応が早
くなるからである。
677考える名無しさん:2001/08/13(月) 01:27
>>666
日本の出家は、まるで違う。ほとんどは
葬式仏教であり、僧侶は職業の一つでしかなく
出家もただの資格制度になり下がっている。
無論、ホンモノもたま〜〜〜には、おるが、よぉく探さないと見つからん。
インドには、そうした精神性の伝統が息づいている。
だからこそ、西欧人も日本人も皆インドへ行き、
一度行くと何度も「帰りたく」なる。ひたすら自分を見つめるための
「場」がある、という感じがするよ、行ってみれば<インド
678考える名無しさん:2001/08/13(月) 01:29
クソ坊主や生臭坊主もなんか書き込んでみれ
679考える名無しさん:2001/08/13(月) 01:36
俺が神
680デロリンマン:2001/08/13(月) 01:38
魂のふるさとに帰れ!
681考える名無しさん:2001/08/13(月) 01:49
出てきて衆生を救済しれ >クソ坊主
682:2001/08/13(月) 02:17
うんこ!ちんこ!まんこ!
683考える名無しさん:2001/08/13(月) 02:21
>>682ありがたいお言葉で
684ききかじり:2001/08/13(月) 10:14
別に僕が悟りを開いたわけじゃないけど。。
ありのままにいきなさいってことらしい。。
685考える名無しさん:2001/08/13(月) 12:57

 人間にとって最も恐るべきものは人間に対する不信である。
686地球人:2001/08/13(月) 23:41
単位的概念である価値とその体系化された価値観は生存適応的な情報処理法として
感情的効用により評価される。感情的効用は情動誘起力によりもたらされる。価値
(観)の評価それ自体は認知機能関数の影響をうけている。故に評価及び価値(観)
は時間変化性を持つ。
価値(観)についてつぎのことが理解される。
 いかなる価値(観)であってもその受容者が存在すればなりたつ。
 複数の価値(観)は交互に相対的である。
 価値(観)は時間変化性を持つ。
価値(観)はその受容者の生きるための心理てきな支えであり、道具である。
 価値感情は原則としてホメオスタシス保存の方向に合致すれば(+)、逆は(−)であ
  る。それぞれ期待される時も同様である。ただしその冗長度は大きい。
 価値(観)の支持主流を圧倒的多数者である大衆が担う。
人間は世界をその人の存在のありようでしか、その時には認知できない。すなわち
世界を、認知機能関数を通して得る自己世界像を、認知しつつあれこれと考えてい
る訳である。本質的に唯心論的認知をしている。認知機能関数は認知能力の全体集
合なので脳における情報処理能力に依存している。それは脳神経細胞レベルでの興奮
に依存している。細胞レベルでの興奮は物質的反応過程であるので、認知機能関数は
物質との対応がある。
事象と認知機能関数とは、唯物論的関係(物理的情報の送受)をしている。そして
事象が他者の場合には認知機能関数が同型なので、広い了解域を持ち互いによく認
知し合えるのである。
科学の成り立つところは了解域(客観域)においてであるが、了解域の変化により
その法則が成り立たなくなることもありうる。逆に現在超常現象といわれる現象で
も、了解可能な現象として認められるならば原則として科学の対象になりうるので
ある。その可能性を否定できないのである。
価値(観)、すなわち文化・哲学・宗教・イデオロギーなどにより表現されるものは、
時間性をもち相対的である。しかしながら結局その時点では受容者のホメオスタシス保存
の方向を支えると認知されているのである。
687地球人:2001/08/15(水) 01:26
日々大学や企業で研究開発に携わっている方々には新しいアイデアをいかに出すかに
強い関心がおありだと思います。そこで私なりの考えを述べてみます。おかしな点
があればお許しください。まず基本知識として創造技法ハンドブックなどを一通り読ん
でおいてください。決して損にはなりません。立場上必須の基礎知識です。図書室
に在るはずです。それを前提としています。
態度養成技法はつぎの3点より成り立つ。
1,問題解決に適応的な態度を養成する。
2,言葉イメージ・知覚イメーシに対するアクセス能力を養成する。イメージ操作(シュミレーション)能力
を養成する。
3,視点の転換を行い易くする。固定観念という自己視点に対する囚われを減らす。
1について。学習された無力感は知的好奇心の誘発を抑制する。そして無力感は失敗経験
の苦い思い出によって醸成される。次の対応策が考えられる。
 解決可能な小問題を解き、成功体験の喜びを知り自信をもつ。
 成功している分野に仕事や生活の重心をおく。
 自分自身そのものが意義が在るとする価値観を受け入れる。
 興味在る、関心の持てる分野の仕事をする。
 努力なしに結果なしをしる。
 努力そのものが意義在るとする価値観をもつ。
2について。イメージコントロール法などによりイメージに対するアクセス能を訓練する。
 言葉の尻取り遊びや連想ゲームをする。(ん)のときはそのまえの言葉をつなぐ。
 視覚イメージのシュミレーションをする。彼女・車をイメージし3d画像のようにうごかす。
 興味・好奇心のあるものについて、言葉、視覚、の自由連想をする。金・女
 ばかりでてきても恥じなくて良い。普通はそんなもんです。
3について。自己の視点を転換させる。
 経営ゲームをする。強制的に立場・役割を変えてみる。モノポリーでも効果あり。
 ロールプレイングをする。役者になる。ナンパ師、お嬢様、青年社長、教授を現実に
 町場で演る。度胸付け。詐欺師には成らないように。人生劇場いざ序幕。
 視覚イメージの視点移動をする。覗き部屋の穴をあちこちにもっていくこと。
 人生観の転換のため遺書を書く。特攻隊員の君、がんで逝くあなたを演じる。
688考える名無しさん:2001/08/15(水) 03:16
端から見て、踊る猿と踊らせる猿は同類。
意固地なまでに首を振る猿は、前者に憧れてるだけ
689考える名無しさん:2001/08/15(水) 04:04
>>686-687ほれぼれするアスキーアートですね。
690考える名無しさん:2001/08/15(水) 04:07
>>686-687ほれぼれするアスキーアートですね。
691名無し仏陀:2001/08/15(水) 10:55
まず神を捨てなさい。そして内なる神を知ることだ。
692:2001/08/15(水) 14:00
夏だね。
693考える名無しさん:2001/08/15(水) 14:16
うん、もう二度とは来ない夏、だね。
694:2001/08/15(水) 14:18
ああ。この夏は、ねー。
695:2001/08/15(水) 14:55
さよなら〜、夏の日〜♪ (山下達朗)
696考える名無しさん:2001/08/15(水) 16:24
蝉がなくねー
697考える名無しさん:2001/08/15(水) 21:45
正直、地球人の書いてることがよくかわらん・・。
698:2001/08/15(水) 21:47
みんな、蝉よりは、長生きしようね。
699地球人:2001/08/15(水) 23:48
概念pは多数の要素イメージaの集合である。
言葉イメージと知覚イメージとの間には共通域(情報交換可能域)が存在する。言葉
イメージの理解において共通域では知覚イメージも同時に使用される。
個別事象xは既存の経験されているイメージにxのイメージが重なりあう事によりなされる。
情動的認知も同様になされる。すなわちアナロジーにより認知される。
 アナロジー化させるとは、概念p1の要素イメージの一部分を固定化し、他の部分をシュミレーションさ
せることである。固定化された要素イメージは共通域になる。視点を転換するということも
アナロジー化の一法である。多数の概念群p2,p3,p4,,,pnが生じる。
 概念p1の拡大シュミレーションはp1に対するアナロジーを得ることによりなされる。アナロジーを得る
能力はイメージ記憶に対するアクセス能力に依存する。p1と交わりを持つ概念群p2,p3,p4,,,pn
が生じる。
 問題の認知とは概念p1と概念p2との関係に交わりがないことの認知である。
 問題の解決は、概念p1と概念p2を含む概念p3の発見(創造)によりなされる。
 創造的概念p3はつぎのようにして発見される。
1,p1またはp2の拡大による。p1,p2のアナロジー群による。
2,p1とp2の拡大によりそれらの交わりを見つける。その交わりのアナロジー群による。
3,p1とp2に交わりをもつpnを見つける。pnのアナロジー群による。
4,先の1,2,3の組み合わせによる。
 問題解決の手順はつぎになる。
1,問題の設定。p1とp2(目標)の関係を吟味する。
2,問題の小分割。p1を分割する。p2を分割する。それぞれ分割された概念p1-nとp2-n
との関係を把握する。モデル表現をつくる。
3,モデル例p1-1とp2-1を選ぶ。その間系を吟味する。
4,発散発見技法・イメージシュミレートによるアナロジー群の発見により、p1-1を拡大させp*1-1
とし、p2-1と交わらせる。
5,発散発見技法・イメージシュミレートによるアナロジー群の発見により、交わりをもつp*1-1
とp2-1とを含むp3-1を発見(創造)する。
6,収束技法・言語記号による表現によりp3-1を得る。
7,p3-1がp1-1とp2-1に適合性を持つか確認する。不適合な場合は戻してやり直す。
8,ほかの小分割モデルの解答p3-2,,,p3-nとp3-1と合成させる。解答p3をえる。
9,p2とp3に対してp3が適合しているか確認する。問題の小分割の適合性を確認する。
不適合な場合は戻してやり直す。
10,解答である創造的概念p3をえる。
 この過程をコンピュターに表現させることが出来るならば自動進化知能が得られそうである。
700 >地球人へ:2001/08/16(木) 02:25
ホントの地球人なら、
ひとりよがりの表現は何にもならん、という周知の事実を理解せよ。
少なくとも、コミュニケーションを意図する書き込みであるなら、
つまり、他者に理解してほしいと思って書くのなら、
それなりの努力をせよ。
地球のジョーシキで言えば、
簡単な内容を小難しく書くのは、頭の悪いショーコということになる。
真に頭の良いやつは、
途方も無く難しい内容でさえも、
中学生にでもわかるように平易に書くことができる。
やってみれや、地球人なら>699
70126歳無職:2001/08/16(木) 02:43
マジレス。
・生きようとする意志と
・快感を得ようとする意志
で成り立ってる。
人間も他の生き物も同じ。
ただ人間は問題が複雑だけどね。
坊さんもサラリーマンも殺人者も植物人間も
この点はみんな一緒。

ただ存在全て、身の回りの環境が同じ物なんて一つもないし、
対応して先天的なものもそれぞれ違う。もちろんクローンもね。
70226歳無職:2001/08/16(木) 02:50
で、「自分にとって何が快感か」
ってこともそれに応じてそれぞれ異なる。

分かりやすい例をあげると同じ快感を求めた行動でも
・掃除しないと気持ち悪いしすれば気持ちいいからする
・それは分かってるけどだるいから寝てる
みたいにね。
どっちも間違っちゃいないが、
自然界では上のタイプしか生き残れないだろうね。
だから実際存在する生物は迷いが無いやつばっかりだ。
70326歳無職:2001/08/16(木) 02:57
そんで、基本的には人間も上のタイプが
結果的に幸せを手に入れる可能性が高い。
賢い、とも言うだろう。

で、人の役に立つこと、とか
生きていることそのもの、
とかに快感を求めることができれば
とても安定するよね。
宗教を利用するのも手だ。
「信じる」ことができんとムリだが。
704考える名無しさん:2001/08/16(木) 03:00
「だるいから寝てる」の場合は、快感原則より先に
疾病が隠れている場合がある。抑うつ、または鬱症による
行動呪縛、不活性、沈滞という症状である。

なお、存在する[人間]は、迷いがあるやつばっかりである。
迷い、こそが人間の人間たる所以である。ジョーシキ。
70526歳無職:2001/08/16(木) 03:03
自分の幸福(安定した継続的な快感)
につながるような行動、選択に快感を感じるような
価値観を備えていれば、基本的には有利だよ。
交通事故とかはあるけど。

今の人間社会では
・将来の幸福、まじめ、ユーモア、誠実
みたいな感じ。結果的に勇気、なんて物も出てくる。
70626歳無職:2001/08/16(木) 03:08
ありゃりゃ。
>>704
迷いが無いといったのは
生き残っている自然界の人間以外の生物のことです。

また、同じように「だるい」肉体的精神的状態でも、
本人の価値観によって取る行動が分かれる、という意味です。
70726歳無職:2001/08/16(木) 03:17
それに、迷いがあるのが人間の人間たる所以なんて
いいすぎ。
動物でも迷うやつはいるでしょ。
ただ、そんなんだと生き残れないから、
自分が生き残る、子孫を残す、っていう意志が強力に
インプットされてるんだよ。
だから「生きる姿勢」としては、迷いが無い、てこと。

ただ、にんげんはそれやると種として危なくなるでしょ。
現代の人間が皆、自分の生命と子孫のためだけに生きてたら
絶滅しちゃうでしょ。
だから原始の野蛮な価値観から社会性を持つものに
移行してきてるわけでしょ。
70826歳無職:2001/08/16(木) 03:23
705のつづき

だから具体的にはそういった価値観をもて、
とされるし、またこのような価値観は人間社会の
ために有益なものだ。
世のため人のためが幸福につながるって言うのは
ある意味当たってるんだよね(笑
70926歳無職:2001/08/16(木) 03:28
ただ、もちろん絶対じゃない。
例えば金にものすごい欲求をもっていて
金を得ることに大きな快感を感じるなら
それで一生幸福に生きることも可能だ。

ただ、その姿勢だと周りの人間から反感を買うだろうし、
感謝、優しさ、という快感も得にくいだろう。
また、死ぬ直前まで金に対する欲求を持つのも
難しそうだ。
71026歳無職:2001/08/16(木) 03:45
そんなこんなで
幸福に生きる人というのは
様々な意味で「社会に有益であるような選択」に欲求を感じ、
かつ、自分なりの考え(しゅーきょーでもいいけど)を
持っている人が多い、ってことなんだ。

オレは・・・そういった価値観からはちょっとずれてるみたい。
だが、複雑なこの人間社会、俺の生きる道も
どっかにあるんじゃねえかな、と思うんだけど、
まだはっきり見極められてない。
なかったら、やべえ。
樹海で死んで肥料になって役立った、なんてのは
さみしいからな!!
            おしまい
711op:2001/08/16(木) 03:50
もう、今年の夏も、終わるねえ・・・。
712考える名無しさん:2001/08/16(木) 04:20
26歳無職って前園か?
71326歳無職:2001/08/16(木) 04:24
違うわい!(笑
714考える名無しさん :2001/08/16(木) 04:37
人間悟ったらそこで成長は止まる。
ゆえに最期の瞬間まで悩み苦しむのが人生だと思っている。

ちなみに現在21才。長いなあ、先は。
71526歳無職:2001/08/16(木) 05:18
>>714
それもいいけど、笑って楽しい人生のほうが良くない?
悩み苦しむ時期は多くの人間にとって
必要になるものと思うが、そのものに価値があるわけじゃ
ないと思うよ。
もし、「悩みも苦しみも無いバカにはなりたくない」
っていう考え方をしてるんだったら、ちょっと違うと思う。
成長したい、っていう君の気持ちは素晴らしいけどね!
716考える名無しさん:2001/08/16(木) 05:35
矛盾が真理じゃないかな。
無矛盾なものや論理的なものは何かが違う…と思うんだよなあ
717真・WIZ:2001/08/16(木) 05:39
世の矛盾は哲学に於いて統合するだろう
718op:2001/08/16(木) 05:39
>>715 「価値」って、なんですか???
719考える名無しさん:2001/08/16(木) 05:41

でも、奥深いよね
東洋哲学
720考える名無しさん:2001/08/16(木) 08:31
悟ったあとに成長が止まる悟りと成長が促される悟りがあると思われ。
・・・なにが違うのか?
721考える名無しさん:2001/08/16(木) 09:13
では一体成長とは何だ?
722考える名無しさん:2001/08/16(木) 09:36
悟りとは離脱。
理解は離脱の先にある
723真・WIZ:2001/08/16(木) 09:39
>>720 それはごもっとも
724ななし:2001/08/16(木) 10:05
>714さんをよんで思い出したこと
曹洞宗の宗祖道元さんが最初に仏教で感じた疑問は仏像を見て「なぜ悟りを開いた如来や菩薩が修行をするのか?」
ということだったそうです。そうして、悟ったのが「身心脱落只管打座」つまり、悟るために修行をするのではなく修行をしてるのが悟った状態だということらしです。
現代臨済宗の実質的な宗祖、白隠さんも「衆生本来仏なり、水と氷のごとくして・・」と語ってます
つまり、人は本来悟っている。だけどいろんな偏見やら自我によってその悟りが曇っていると教えています。
ちなみに、なぜお釈迦さんは「真実を知った」といわずに「悟った」と言ったのでしょう
悟るというのは新しい知識を仕入れたという意味ではなく、今ある知恵を深めた(表現が適切じゃないかも・・^^;)というほうが近いでしょう
たとえば、東京に生まれた人は東京の町を知っています。しかし、もし飛行機から見たら東京を見下ろしたらまったく違う印象をもつでしょう。
そして、再び自分の足で東京を歩いたとして・・・。見える景色はもちろん同じ。しかし、その見え方は違うはずです。
それが悟りの例えでしょう。
悟りとは人それぞれ違うものらしいです。白隠禅師は「自分は生涯に大悟は5回、小悟は数知れず」といっています。
疑問に持つことがあり、それが氷解するのが悟り。飲み込めない事を飲み込めるようになる事が悟りです。

他の人からみたら意味なさげでも本人にしてみたら大きい悟りかも知れません。
そうやって小さな悟りを重ねていくのが哲学の道であると思います。
えらそうなことを言いましたが、ワシ自身はたいした悟りを得ていません。
あえて言えば、「人間は吉野家があればどこでも生活できる」ということかな・・^^:
でもこの悟りのおかげで行雲流水な旅人暮らしを送っています
725考える名無しさん:2001/08/16(木) 15:06


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726660:2001/08/16(木) 22:47
>>724
道元ってそんな疑問持ってたんですか?
すると俺の解釈はその疑問に答えてんじゃん。>>660
釈迦の悟りは心身のある(良い)状態を保つこと。
真理を知ることは悟りの一部だが、その全てではない。
このことは間違いではないと思うのだが。
727考える名無しさん:2001/08/17(金) 01:58
悟るにはphD(哲学博士)とれ
728地球人:2001/08/17(金) 23:30
盆供養の住職が帰った後で1年生の息子が難しい漢字沢山の般若心経って何と聞くので
パパが教えた。
昔人助けの大好きなボランテアおじさんがいてね。テレビの画面みたいにパッパッと頭ん中の考
えが変えられるんだって。おじさんがゴロッと寝ころんでじーと考えていたら、うん、そう
か!って気が付いたんだって。そしたらね、お金がただの紙で、オレンジでもコーラでもカルピス
でもどれでもジュースでおんなじかぁて、分かったんだって。
先生に叱られても泣かないし、ママに怒られてもビビらないって、強い気持ちになったんだ
って。アニマックスでみたろ、悟空がサイア人からスーパーサイア人に成ったろ、あれみたいにスーパーノーテ
ンキおじさん、違う、スーパーボランテアおじさんに成ったんだって。
分かった?ンッ! スプレンダー変身! ウルトラキック!
キャハハハハと笑って逃げる坊主あたまのクソガキ。
お尻プリプリーーだってよ。

ある高僧をお招きしての説法会で、さわりの部分。
仏法に空観という言葉がある。空観では空ならず。空であって初めて観自在となる。それは
観にしがみつく心があるからだ。その心が自在心を鈍らせる。いいですか、ヤカンでも
なければドカンでもなく、チカンでもない。ましてやイラカンでもなければイカンザキでもない。
ドっと湧く一同。しばらくお話が続いて、
先達の言葉に「禅者は座るに執着し、経読みは経の色に執着し、哲学者は言説の味に
執着する。執着してることを知らずに執着する」とあります。その意味をよくお考え
ください。今晩はこれにて終わります。
先生のお帰りのあとで一同「イヤーなんか今日の話はちょっと難しかったなぁ」と頷き
あう。このあと般若湯、もちろん宝のカンチューハイを飲りながら、観観学学と熱く夜中ま
で議論したのであった。

新宿の街で風変わりな青年が「これ読んでください」って紙を配っていた。そのなかに

   心
優しい心をもつ青年がある日深い瞑想をして深奥にあるものに触れた
友よ話そう 自由な心をえて気づいたことを
心に写る木々の梢が風にそよいで 葉が光に輝いてそよいでいる
心に写るものが今までは幾重にも染められ縛られていた
いまは怖れも怯えも迷いもなく
ただ死はそこに石のように落ちている
おらゆるものは心に写っているにすぎない
なぜただ写っているものにしがみつく必要があるだろうか
友よ 君の笑顔が心の鏡に映えている
木々の梢が風に揺れ 緑の葉は日差しを浴び輝き舞う
729考える名無しさん:2001/08/18(土) 02:36
国家とか民族とかゆう一般名の表象はもはや無意味で、
かわりに文化や地域的風土といった個人の精神的背景にたいして、
同じく個としての倫理的応答(こいつが好み)が求められる、ということ、
つまり相対主義的スタンスをとった文化的地理学・・・・のことかな。
730考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:25
絶対的な倫理の発見か
731考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:31
盆供養の住職が帰った後で1年生の息子が難しい漢字沢山の般若心経って何と聞くので
パパが教えた。
昔人助けの大好きなボランテアおじさんがいてね。テレビの画面みたいにパッパッと頭ん中の考
えが変えられるんだって。おじさんがゴロッと寝ころんでじーと考えていたら、うん、そう
か!って気が付いたんだって。そしたらね、お金がただの紙で、オレンジでもコーラでもカルピス
でもどれでもジュースでおんなじかぁて、分かったんだって。
先生に叱られても泣かないし、ママに怒られてもビビらないって、強い気持ちになったんだ
って。アニマックスでみたろ、悟空がサイア人からスーパーサイア人に成ったろ、あれみたいにスーパーノーテ
ンキおじさん、違う、スーパーボランテアおじさんに成ったんだって。
分かった?ンッ! スプレンダー変身! ウルトラキック!
キャハハハハと笑って逃げる坊主あたまのクソガキ。
お尻プリプリーーだってよ。

ある高僧をお招きしての説法会で、さわりの部分。
仏法に空観という言葉がある。空観では空ならず。空であって初めて観自在となる。それは
観にしがみつく心があるからだ。その心が自在心を鈍らせる。いいですか、ヤカンでも
なければドカンでもなく、チカンでもない。ましてやイラカンでもなければイカンザキでもない。
ドっと湧く一同。しばらくお話が続いて、
先達の言葉に「禅者は座るに執着し、経読みは経の色に執着し、哲学者は言説の味に
執着する。執着してることを知らずに執着する」とあります。その意味をよくお考え
ください。今晩はこれにて終わります。
先生のお帰りのあとで一同「イヤーなんか今日の話はちょっと難しかったなぁ」と頷き
あう。このあと般若湯、もちろん宝のカンチューハイを飲りながら、観観学学と熱く夜中ま
で議論したのであった。

新宿の街で風変わりな青年が「これ読んでください」って紙を配っていた。そのなかに

   心
優しい心をもつ青年がある日深い瞑想をして深奥にあるものに触れた
友よ話そう 自由な心をえて気づいたことを
心に写る木々の梢が風にそよいで 葉が光に輝いてそよいでいる
心に写るものが今までは幾重にも染められ縛られていた
いまは怖れも怯えも迷いもなく
ただ死はそこに石のように落ちている
おらゆるものは心に写っているにすぎない
なぜただ写っているものにしがみつく必要があるだろうか
友よ 君の笑顔が心の鏡に映えている
木々の梢が風に揺れ 緑の葉は日差しを浴び輝き舞う
732考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:35
自分が良かれと思うことをすること。もしくはその裏。
ただそれだけでは独り善がりになるから、内心をいつも注意深く見つめていること。

>>724さん
ものすごくわかりやすかったyo!
thanks!
733考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:35
しないよ派------- 肛門ないよ派
         |
         |--- 肛門あるよ派--------- 肛門からは何も出ないよ派
         |              |
         |              |---- 肛門から出るものはウンコではないよ派
         |              |             |
         |              |             |---石川の排泄物は本質的にウンコなどではない派
         |              |
         |              |---- 肛門から出るウンコは石川のウンコではないよ派(過激派)
         |
         |--- 肛門ではない穴があるよ派
                        |
                        |---- そこから出るものはウンコとは呼ばない派 (穏健的ファンタジー派?)
                        |
                        |---- ピンク色の綺麗なまんこがあるよ派


するよ派 -------- 人並みにするよ派
         |
         |--- 他の人より大量にするよ派
         |
         |--- 肛門は無いがウンコはする(中立派)
         |               |
         |               |---- 肛門じゃない第4の穴からウンコするよ派
         |
         |--- ファンタジーと呼ばれるものをする派(急進的ファンタジー派) → 潜伏中
734考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:36
人間は母より大きい存在を時に必要としてしまうからだと思うなぁ

だから母よりも大きな存在、自然の恵みに感謝する象徴として
母性と豊穣に感謝する『地母神』が生まれたんじゃなかったかな
自然に感謝する=神を信じる
その頃、人間はとっても小さな存在だったから
純粋に感謝と祈りをどこかにぶつける対象が必要だったから
人間は結局何かに依存してないといられないから…

自然の「恐ろしさと優しさ」を敬う気持ちがあった

神様っていうのは人間が作り出した人類のあらゆる願い、祈りの対象でしょ
俺はそれが「神の定義」っていうか…神様の正体だと思ってる

俺にとって神様=母ちゃんよりも父ちゃんでかい存在の何か

長くなってスマソ、俺あんまし頭良くないからこの程度しか言えないけど
馬鹿が何か言ってるよ程度で見逃して(w
735考える名無しさん:2001/08/19(日) 02:43
禅も浄土教も中国から伝わった教えですけど、このうち
日本独特の発展したものは親鸞の教えだと思います。

親鸞の阿弥陀仏の本願をもとにした他力本願の教えは、
私には、現世というものを徹底的に否定しながら、現世
を最大限に肯定するという、まことに不思議かつ興味深
い教えに感じられます。まぁ、私にはというだけで他の人
がどう考えていられるかは知りませんが、少なくとも他の
仏教国では見られないものでしょう。

また、日本独自の仏教思想として天台本覚思想がよく挙
げられますが、袴谷さんなどがこれをかなり厳しく否定し
ています。その是非や賛否にはノーコメントを貫きたいの
ですが(笑)、このスレの上の方にも、とりあげられていま
すので、興味があったら覗いてください。

なお、道元さんや栄西さんの教え(それ以降でもかまいま
せんが)に日本独自の思想があるという方、是非、このワ
タクシめのためにもご教授くださいませ。
736考える名無しさん:2001/08/19(日) 12:37
悟りを得た人間に、知識は要らない。技を研ぎ澄ませるだけでよい。
737考える名無しさん:2001/08/19(日) 22:49
>>735
仏教の基本的な入門書がいくらでも文庫で出ているので、
自分と相性の良さそうなのを選んで、まず読みなさい。
少なくとも、周知の事実に類する基本的知識くらいは、正確でないといかん。
なんにもわからんで間違いや曖昧なことを書くのが、一番良くない。
735のカキコの何処がどう間違っているか、
それをまず自分で調べて検証することから>735
738考える名無しさん:2001/08/20(月) 03:10
>>733
石川自体がファンタジーですので成立しません。
739考える名無しさん:2001/08/20(月) 21:11
悟りという実体はない、日々精進ということが悟りだった。
740考える名無しさん:2001/08/21(火) 11:05
age
741考える名無しさん:2001/08/21(火) 12:20
「悟り人に騙される僕たち」
742地球人:2001/08/21(火) 23:48
価値とは身体的な欲求(1次欲求)と文化や習慣などによって後天的に刷り込まれた
精神的欲求(2次欲求)を充足させるポテンシャル能力である。経済学上は物財・サービスに
含まれているとされている。しかし価値は広く環境や文化様式にも含まれると認めら
れる。人間は欲求を充足させうると認知された「価値」を求めようとして思考・行動
する傾向をもつ。人間における「価値」の源泉は、心身の状態によって変化する欲求
に対する認知的差異の内に存在する。
貨幣の機能は一般的交換手段である。貨幣はある時点のある地域においては、物財・
サービスとの交換比(購買力)によりその価値を決められている。人間の認知能力の全体
集合である機能関数fを用いて示す。f(k)とは貨幣1単位に対する認知評価、
f(b)とはある物財・サービスに対する認知評価、pを価格係数とする。
    p・f(k)=f(b)
貨幣はそれが受容されている社会の内では欲求充足のポテンシャル能力(価値評価)をもつ
故に、いわゆる物神としてそれ自身が価値の象徴として構成員に認知されている。ただ
しこの場合貨幣に対する感情的価値評価は個々人の置かれている状況により異なる。
労働の目的は認知されている価値を得ようとする行為である。それは頭脳労働と肉体労
働により成り立つ。労働環境によりその割合は変化する。頭脳労働とは情報処理(パター
ン認知と感情評価)になり、肉体労働とは物理運動になる。機械は人間の頭脳・肉体労働
を代替する。
価値の源泉が欲求における認知的差異によるものであるから、情報はその差異を埋める
効用をもつ故に価値をもつ。ある情報に対する認知評価をf(j)とすると次のように
に示される。
     f(j)=p・f(k)
当然ながらf(j)はその情報を受け取る人間の状況、つまり立場・役割や欲求度によ
り決められる。
743地球人:2001/08/23(木) 00:03
例えば240円でジュース2缶を買うときの認知表現は次のようになる。
    f(240円)=f(2缶)  ∴240f(1円)=2f(1缶)
    ∴  120=f(缶)/f(円) 1缶は1円の120倍の価値
ジュース4缶と雑誌2冊を物物交換するときは、
    f(4缶)=f(2冊)    ∴ 2f(缶)=f(冊)
つまり2缶は1冊と同じ価値になる。
宝くじを10枚3000円で買うときは、宝くじの価値は期待によるので、
 f(3000円)=f(10枚・期待)∴300=f(1枚・期待)/f(円)
となる。期待も価値をもつことが分かる。
価格係数pは貨幣の場合の表現でありその他では交換比率になる。
経済行為とは当事者間における価値の交換行為である。価値は物財・サービスのみならず
精神的な価値観にも存在すると認められる。
経済行為の目的とは価値の集積である。これはその社会の色合いにおいて欲求充足のポ
テンシャル能を集積することと同義である。現代資本主義経済ではほとんどの経済行為は貨幣
を仲立ちとして行われている。それ故に構成員は貨幣を交換可能態として、それを価値あ
る物として認知している。
次のような連環がある。ミクロ経済行為ーミクロ経済行為の集合ーマクロ経済ーマクロ経済の諸データー
ミクロ経済行為の動因ーミクロ経済行為。マクロ経済の諸データがミクロ経済行為の動因になるのは経済
主体がマクロ経済構造の知識をもつからである。
744地球人:2001/08/24(金) 00:35
一般に売り手は商品に対する価値評価よりも売価にたいする価値評価が高い。そうでなけ
れば売ることをしないだろう。fsを売り手の認知機能関数とすると、
 fs(商品)<fs(売価)  fs(商品)=生産費、fs(売価)=売価
生産者にとり商品価値は生産費と同じ。中間業者では商品価値は仕入れ値と同じ。
一般に買い手は商品に対する価値評価よりも買価に対する価値評価が小さい。そうでなけ
れば買うことをしないだろう。fbを買い手のそれとすると、
 fb(買価)<fb(商品)  fb(買価)=買価、fb(商品)=充足価
充足価とは商品の消費・所有により生じる充足感の価値表現。
売価と買価は等しいので上の式は次のようになる。
 fs(商品)<fs(売価)=売価=買価=fb(買価)<fb(商品)
  ∴fs(商品)<fb(商品)   ∴生産費<売買価<充足価
これは同一商品に対する売り手と買い手との価値評価の認知的差異が売り手の利益の源泉に
成ることを示す。
  売価ー生産費=利益   利益は売り手の見込みによる
  充足価ー買価=満足価  買い手の欲求による
買い手の満足が売り手に利益をもたらすことがここで理解された。
745考える名無しさん:2001/08/24(金) 00:47
無知の知
746考える名無しさん:2001/08/24(金) 00:57
悟ったらもっと楽に生きられるのか?
神さまは人間を虐めるためにこんな世界を作ったのか?
人生ってなんだ?
なんで生まれてきたんだ?
人はどうして分かり合えないんだ?
なんで周りにいっぱい人が居るのに寂しいんだ?
人間は一人で生まれて一人で生きて行かなきゃいけないのか?
苦労することに価値はあるのか?
楽することは罪なのか?
考えることでは分からないことだらけなのに、何で考えるんだ?
なんでこんなに中途半端に頭が良いんだ?
なんでサルの様に生きられないんだ?
苦労の無い世界は意味が無いのか?
747考える名無しさん:2001/08/24(金) 01:00
>>746
それは人間も地球上の一生物だからじゃないですか?
748考える名無しさん:2001/08/24(金) 01:06
何故なんだ? どうしてなんだ?
どうせ誰一人答えられないんだろ?

哲学って何だ?
頭の中のオナニーで終わってしまうのか?
哲学すれば少しはまともな人間になれるのか?
どうせ人間なんてちっぽけな生き物なんだろ?
そのちっぽけな生き物どうしですらスレ違ってる、何故なんだ?
ちっぽけだからか?
考えたって分からない、考えたって意味がない、どこかでそう思ってるのに何故考えることを止めようとしないんだ?
結局人生はオナニーか?
オナニーで逝けなくなったヤツが敗者なのか?
神なんて本当にいるのか?
何故神は黙ってるのか?
人間の痛みなんて神から見たら取るに足らない些細な事なのか?
神から見て一瞬でもその苦痛は人間に取っては無限に感じてるのかもしれないだろ?
救いってなんだ?
救いなんてあるのか?
魂ってなんだ?
魂なんてあるのか?
心は魂の中にあるのか?
それとも心が魂なのか?

どうせ誰も答えられないんだろ?
聖書読んでも分からないだろ?
教典よんでも分からないだろ?
哲学書読んでも分からないだろ?
ヨガか? 瞑想か? 滝に打たれりゃ良いのか?
呼吸法か? 断食か? 座禅か? 山にこもればいいのか?
749考える名無しさん:2001/08/24(金) 01:22
もう逝くしかないだろ?
自殺は罪なのか?
自分で自分を殺す行為は殺人と同じなのか?
でも、生きる欲求があるから死にたいんだよな?
生きることを諦めたら死ぬことも考えなくなるよな?
生きる欲求と死ぬ欲求はセットになってるよな?
生き死には肉体の問題なのか?
なんで肉体なんて不便なものがあるんだ?
コマゴマとした制限の中で何故生きなきゃならん?
本当に魂があるなら、こんな不便なものの中に居なくても良いじゃないか?
もっと自由に、もっと楽しく、もっとおおらかに、もっと、もっと、もっと・・・・・
こんなこと考えてるから苦しくなるんだ、分かってるんだよ、でも止められない止まらないカッパエビセンか?
って笑えね〜よ
もっともっとって考えるのが苦しいなら、どこかで諦めるしかないのか?
全てを諦めて身を任せたところに自由があるのか?
「自由も不自由も選べるようになったら本当に自由になれる」なんて言ってた人がいたけど本当か?
自分に制限を設けているのは一番は自分自身なのか?
「あるがまま」「お任せ」「自然と一体」これは全部同じ意味なのか?
悟りって何だ? 悟りなんてあるのか?
考えて悟れる物じゃないだろ?
どうやって悟った?
悟ったらその状態はずっと続くのか?
魅力的な異性が目の前に居ても執着することはないのか?
侮辱されても痛くも痒くもないのか?
賛美されてもその良い気持ちに執着しないのか?
人を嫌ったり好いたりしないのか?
全ての人間を平等に見ることが出来るのか?
無条件に愛せるのか?
愛って何だ?
恋愛の「愛」は執着が付き物だけど、だったら悟ったら恋愛感情は無くなるのか?
だいたい悟りってなにさ?
何を悟るんだ?
750考える名無しさん:2001/08/24(金) 01:22
何故なんだ? どうしてなんだ?
どうせ誰一人答えられないんだろ?

哲学って何だ?
頭の中のオナニーで終わってしまうのか?
哲学すれば少しはまともな人間になれるのか?
どうせ人間なんてちっぽけな生き物なんだろ?
そのちっぽけな生き物どうしですらスレ違ってる、何故なんだ?
ちっぽけだからか?
考えたって分からない、考えたって意味がない、どこかでそう思ってるのに何故考えることを止めようとしないんだ?
結局人生はオナニーか?
オナニーで逝けなくなったヤツが敗者なのか?
神なんて本当にいるのか?
何故神は黙ってるのか?
人間の痛みなんて神から見たら取るに足らない些細な事なのか?
神から見て一瞬でもその苦痛は人間に取っては無限に感じてるのかもしれないだろ?
救いってなんだ?
救いなんてあるのか?
魂ってなんだ?
魂なんてあるのか?
心は魂の中にあるのか?
それとも心が魂なのか?

どうせ誰も答えられないんだろ?
聖書読んでも分からないだろ?
教典よんでも分からないだろ?
哲学書読んでも分からないだろ?
ヨガか? 瞑想か? 滝に打たれりゃ良いのか?
呼吸法か? 断食か? 座禅か? 山にこもればいいのか?
751748:2001/08/24(金) 01:28
>>750
何故か同じ文章が二回書き込まれたけど
誰かコピペした?
それとも何かのエラーか?

まあいいや誰もこんな長文読む気しないだろ
悲しいね
俺のオナニーになってしまったよ
ゴメン

おやすみなさい
752考える名無しさん:2001/08/24(金) 01:36
おやすみなさい

人間の野生的な部分を抑制するために
必要な学問だと思う
人間らしさを愛する人間が
753考える名無しさん:2001/08/24(金) 02:37
おやすみなそい
754考える名無しさん:2001/08/24(金) 02:39
がおおーーーっ。

だから、ほんとうに悟った人は、自分は悟ったなんて人にはいいません。
755考える名無しさん:2001/08/24(金) 02:51
だれも悟ったとは言ってないけど
756考える名無しさん:2001/08/24(金) 02:52
悟った人は思いっきり懐疑的になると思うが
757we:2001/08/24(金) 02:55
悟りを、得ました。

とにかく、怖いです。
なぜなら、もうすぐ、死ぬからです。
あと、数十年で、死ぬからです。
とほほ。
758考える名無しさん:2001/08/24(金) 03:00
なんで?>757
759考える名無しさん:2001/08/24(金) 04:00
>>750
>聖書読んでも分からないだろ?
>教典よんでも分からないだろ?
>哲学書読んでも分からないだろ?
聖書と経典と哲学書ねえ、どれで何を答えて欲しいの?
でもその前に聖書といくつかの経典と哲学の入門書くらいは読んでね。
760考える名無しさん:2001/08/24(金) 04:01
>>750
>聖書読んでも分からないだろ?
>教典よんでも分からないだろ?
>哲学書読んでも分からないだろ?
聖書と経典と哲学書ねえ、どれで何を答えて欲しいの?
でもその前に聖書といくつかの経典と哲学の入門書くらいは読んでね。
761考える名無しさん:2001/08/24(金) 04:02
760 名前:考える名無しさん 投稿日:2001/08/24(金) 04:01
>>750
>聖書読んでも分からないだろ?
>教典よんでも分からないだろ?
>哲学書読んでも分からないだろ?
聖書と経典と哲学書ねえ、どれで何を答えて欲しいの?
でもその前に聖書といくつかの経典と哲学の入門書くらいは読んでね。
762考える名無しさん:2001/08/24(金) 04:03
聖書と経典と哲学書ねえ、どれで何を答えて欲しいの?
でもその前に聖書といくつかの経典と哲学の入門書くらいは読んでね。
763匿名希望さん:2001/08/24(金) 07:08
764考える名無しさん:2001/08/24(金) 16:25
さとりなんかちっとも得られない。ただそれだけで進歩することもない。
苦しいのかも解らない。それに悟りなんていう概念そのものを
信じてません。
765考える名無しさん:2001/08/24(金) 21:19
自転車に乗る訓練をしていて、ある日突然、乗れるようになった経験を
みなさん、お持ちでしょ。
それは自転車に乗れる、という肉体的な悟りです。
お箸だってそう。知らぬ間に意識しないで使えるようになっている
これも肉体的悟りです。
感情と理性の場合には、苦労せずに意志をコントロールできるように
なることを言います。
悟りとは、ひとつひとつが小さいです。
その積み重ねがないと大きなことに対処できないので修業を
ずっと続けなければならないという結論になるのですね。
766考える名無しさん:2001/08/24(金) 22:07
>>765は解り易い、それに内容に力がある。
私は悟りを懐疑から抜け出した境地のようなものだと思い込んでいました。
悟りをこう考えられたらいろいろな事が楽になるような気がする。
白隠禅師のような悟りは仏僧でもなければ難しい。
767地球人:2001/08/24(金) 22:47
価値の交換を学理にもつ経済学は発展途上国から先進国まで、資本主義・共産主義・宗教
国家まで、どのような経済でも論述可能になる。物々交換、貨幣、クレジット、期待、地位、権力
など人間が価値を認める物はその対象になるからである。自国経済を適切に論じることが出来
るならば自ずととるべき方策も分かるだろう。そしてこの経済学は経世済民の学としてあるこ
とが理解されるだろう。
弁証法的唯物論について:人間の意識は身体状況と深く関係をもつことは脳生理の知見から明
らかである。すなわち社会的存在状況のみならず自然的存在状況も意識に関与している。自然
や歴史に対する見方はヘーゲルの考え方の延長であるが、それはその時代の価値観や認識を下し
ているにすぎない。自然自身が矛盾を認識しているのではなく、観測者が認識し価値判断を下
すのである。価値観は刷り込みにより如何なるものも成り立ちうるので、この弁証法の考え方は
科学的とは言えない。
剰余価値説について:労働の目的は認知された価値を得ようとする行為であり、労働者が労働
行為そのものを価値評価している場合を除けば、労働行為そのものが新たな価値をうむのでは
ない。新たなる貨幣的価値は生産された商品に対する買い手の欲求が産み出すのである。人間の
労働行為のみが価値を産み出すのならば、ロボットやコンピュターにより生産された商品に剰余価値は
存在しないはずである。しかし事実は売れる。また人間の労働が投入されている商品が価値なし
とされ売れないことがある理由を説明できない。剰余価値説の考え方は利潤をもたらす価格で商
品と貨幣が必ず交換できる経済環境下においてのみ成り立つ。それは独占的供給市場または需要
超過市場になる。この市場では買い手の商品購買において選択の余地はなく、売り手からみれば
商品は必ず利潤をもたらす価格で売れるのである。
マルクス主義の意味:以上考察したようにマルクス主義は普遍的科学理論ではない。次のようにその意味
を考える。マルクス主義は19世紀資本主義社会において、相場労賃が必要生活費以下になった貧困
大衆に対してその解放を訴えたのである。そしてそれは当時としては科学理論と思われ、大衆に
とっては救いの教義であった。マルクス主義は富の再配分と権力構造の変革を掲げた疑似宗教であり、
大衆の感情的支持により社会運動を引き起こしたのだった。この現象はさまざまな革命に同様に
みられる。
次のように考えられる。どのような経済体制下であっても社会の大多数を占める大衆が貧困化して
飢餓の恐怖に脅えるのであれば社会不安がおきる。その不安を乗り越えようとする生存へのエネルギー
が外部に向かえば対外戦となり内部に向かえば反乱や革命を引き起こすのである。その過程の中で
大衆の生への欲動をつかんだ者は支持される。そして結果的に多かれ少なかれ富の再配分を伴う権
力機構の変革を引き起こすのである。しかし大衆はその変革後に得るべきものを得た後では保守化
する。なぜならば持たざる者の不満苦しさが彼らを駆り立てたのであるから、一度目的物を手に入
れたならそれ以上の欲求を持たなくなるからである。その後新たなる権力者達は新たな政治・経済・
イデオロギー(宗教)構造の枠組みのなかで、彼ら自身の欲望に基づいた闘争を始める。新たな権力者は
大衆の欲求の変化、すなわち経済不振故の貧困への不満や逆に生活向上に伴い生じる自由化への欲望
の台頭を怖れる。なぜならばそれこそが彼らの政治・経済・イデオロギー(宗教)一体となった権益・権
力構造を脅かすものだからである。
768考える名無しさん:2001/08/24(金) 23:13
只管打座かぁ
座禅している間は悟った人も悟っていない人もほとんど見分けがつかないけど
座禅のみで仏陀のように悟れるのは道元のような天才だけかもしれないな
769地球人:01/08/26 12:02
君はこの世界に唯一人しかいない者だ かけがえのない一人なのだ だから自分自
身に自信を持つべきだ そして他人もまた自分と同じように 世界に一人しかいな
い者だと気づいて 互いに認めあうのだ そのときに真実の友愛が生まれる
部屋の真ん中の黒い空間が静かに膨れる 全てをじわじわと呑み込み 静かに膨れ
る 黒い虚ろな空間が膨れる
人に挫折などありはしない あるのは唯立ち止まることだ そして再び歩き出すの
だ 明日に向かい
気づくべきだ 空の輝きか 海の輝きに そのとき君はとき君は解き放たれる あ
らゆる 悩みや不安から そして自由になるのだ
俺は心の内に潜む悪魔を知っている 悪魔はおれをじっと見つめてこう囁く 「お
まえは何でも出来るのだぞ さあ、殺せ、奪え、踏みにじれ」 おれはその囁きに
心を動かされそうになる 悪魔の囁きは何故こんなにも魅力的に響くのだろうか
ああそして亦おれは知っている その結果の空しいことを
死の黒い顔が物陰から おれをじっと見ていた おれは死を見つめ返した 死よ
おまえは何だろうか おまえは無 おまえは虚しさ おまえは全き自由 だが死は
何も言わず 唯じっとおれを見ていた ああ死よ そこに居ておれを待つ死よ お
れはいつかおまえの下に行く しかしおれはおまえを恐れたりはしない でも死よ
 何故そこに居て おれをじっと見ているのか
自由よ おまえはおれの上にいる おれは手を伸ばし おまえを捕まえようとする
 しかし おまえはおれを嘲り 決して捕まりはしない ああ自由よ おまえはお
れの絶望だ
おれは悩んでいた ある冬の日の事だった おれは疲れ果てて ぼんやりとストーブ
の赤い火を見ていた 突然 光の塊がおれを包み そして おれは落ちて行った
光が消えて我に返り おれは目を開いた もう悩みはすでに無く そこにある全て
がありのままに見えた おれの心は落ち着き 穏やかな水面のようだった
おれは自由だ 誰も何も縛れやしない 死さえもしばれはしない ああだから 大
空の明るさや 木々の輝き 人々の美しさが こんなにも生き生きと感じられる
ああおれは自由だ もう誰も何も縛れやしない
霧の中に何かが潜んでいておれをじっと待つ そしてもやもやと触手を伸ばしおれ
を捕まえようとする 灰色の霧が辺り一面を呑み込み 何処へともなく流れていく
街路樹の銀杏が葉を落としている姿は寂しい だが朝の光を浴びて枝枝の先が輝く
とき 冬空の澄みきった青とひとつに溶け合い 生命の喜びをそこに見せるのだ
明るさの中におれは駆け出し 手を拡げ叫ぶ 自由だ! おれは自由だ! ああ
この悦びを誰に伝えよう
内面への道は厳しく深い 嘘は許されず 全くの孤独だ だがそこに行くべき道
を見つけた者には 何にも囚われる事のない未来が どこまでも果てしなく拡が
っているのだ
遙か過去より時間が来て 遙か未来へと時間が去る そしておれは時間の流れを
おりのままに感じて 生きる 全てを含み流れていくおまえの 行く先は極まら
ず 唯過ぎて行くだけだ おれは生きる おまえの流れに身を任せて
時間の流れに全てが沈み おれ自身もが沈み込んでいく 心を開きそれを感じる
とき おれは生きる意味を知る
虚ろな空間が心の内を占め 全ての想念をじわじわ呑み込んでいく そしておれ
の存在をも呑み込んでいく おれを何処へ連れていくのだろうか
自由に生きたいのなら死を考えてごらん 例えば命があとひと月だと思ってごら
ん そのとき嘘は消え 本当に大事にしたいものが見えてくるだろう それを大
切にするのた゜ そしてそれは死を超えているから 誰にも何にも囚われやしな
いその時にこそ自由に生きるのだ
770地球人:01/08/27 02:33 ID:kDsASXhs
ある日おまえの肩を誰かが叩く おまえは何だろうと振り返る そして見るのだ 死
の黒い顔を 瞬きのひとつもしないで おまえを覗き込む 死の黒い顔を おまえは
目をそらすのか それとも微笑むのか それとも顔色一つも変えないのか だが死は
 おまえのそんな素振りに無頓着に ただ おまえを覗き込むのだ
時の流れを感じる事がないか そう例えば風が木々をそよがせながら 過ぎ去って行
くとき また人が出会い 別れるとき そんなときに時の流れを感じないか そして
時の流れはそのうちに 虚しさを含んでいる事に気付かないか 虚しさを漂わせなが
ら時は流れていく 誰にも止める事は出来ない
人は何故出会うのかは分からない 人でなくても出会いはあるのだろう それぞれが
持つときの流れが ひととき合わさり 絡み合い 絡み合い そして別れていく 再
び逢うときは在るのだろうか
風の匂いは自由の匂い だから風が好きだ でも風は何も言わずに過ぎ去っていく
傍らに象がいると踏み潰されまいとして逃げ惑う 足許に蟻がいると踏み潰してみ
ようとして足を上げる それが人間
悩みは脳細胞の興奮パターンの一つに過ぎない。その興奮パターンを知るとそれが悩みと
なる。喜びもまた同じである。所詮悩み苦しみ喜びは興奮パターンの色合いに過ぎない。
自分自身の脳細胞の興奮具合に悩んだり苦しんだりするなんて、人間てなんて面白い
動物なんだろう。
天才は外部環境に適応力を持つまま狂い、狂人はそれを持たずに狂う。
馬鹿は自ら潰れていく、それさえも知らずに。
宗教は人間の感情に働き、死の恐怖を和らげる。
自由に生きるのなら 人生には何もないことに気付くべきだ 欲望は全て物質の蠢きから
来ていることに 思想は全く物質の蠢きから来ていることに 全ての人間的な行いは物質
の蠢きの表出に過ぎないことに そしていずれその蠢きが止まることに
親から子に流れる血の流れ あるときは欲望を剥き出しにし あるときは死の静けさに戦
く 生命 それは思想であり宗教の源流である 生命 それは終わり無き流れである
肉体への欲望と精神への忌避とが尽き難い悩みを産む
真我は人を動かす力の源であり心はこれに従う 真我は全ての悦びの源であり至福はこれ
に依る 目覚め無き者はただこれをしらず これに接する者は全ての欲望の囚われを放れ
 元より悩みなど生じない
私は観た この宇宙がまさに生まれようとした瞬間を 時間の遙か彼方にもう一つの宇宙
が あたかも時間軸を鏡として生成されてゆくのを 私は観た この宇宙が混沌たる次元
の世界の内で 突然に双児となり生じたことを 彼らは黒い顔 白い顔を持ち いつも隣
合って歩んでいくのを 私は観た この宇宙がまるで繋ぎ合った風船が縮むように
ひとつの点となり消えてゆくのを 後には時さえもない無明の世界を 私は観た この宇
宙が 歩み来た黒白の双児たちが一体に成り ついには溶け合うことにより消えてゆくの
を 後には混沌たる次元の世界が大きくうねりを見せ そして静まりゆくのを
地響きが地の奥底から伝わり来 突然大地が裂けた 赤く焼けただれた熔岩が 大空に吹
き騰がった 見よ! それは瞬く間に美しい虹となり 青く澄み切った大空の中で きら
きらと七色の光を放った その時! 大空に暗雲が垂れ篭め それは無数の黒い岩石とな
り 人々の頭上に雨霰と降り注いだ 人々は逃げ惑いながら叫び 頭を砕かれる者 手足
胴が飛び散る者が 辺り一面を覆った ああその時! 大地と大空とそして宇宙までが
真っ二つに割れ 眼も眩むばかりの光の海の中で 音も無く動きも無く時も無く 唯安ら
ぎのある世界が現れた
771考える名無しさん:01/08/27 02:50 ID:T1lAMorY
脳は感興適応能力向上のための機能強化で
後から出来てきた器官に過ぎない。
厳しく過酷な環境を生き抜く強い意思、欲望の主体がなければ
進化もせず滅びるのみと思います。
なので、脳ができる前から欲望の主体意識は存在した。
ただし、自意識は脳の構造が複雑化した段階で発生した。
意識(霊)の発達と宿る生物の複雑さは相互にポジティブフィードバックを
形成し、互いの進化を促進してきた。

そう考えています。
772考える名無しさん:01/08/27 02:55 ID:T1lAMorY
しかしその関係は、一
種悲喜劇的な破局を迎える。というのは「彼」はホントに仕方のない奴で、「先
輩」とプラトニック・ラヴを演じながら、同時に何人かガール・フレンドがいて、
軽い遊びのつもりでガール・フレンドとも性的な関係があったんですね。あろう
ことかそれが「先輩」にばれちゃったんです。もちろん、「彼」は「先輩」だけ
を熱烈に愛してたんですよ。でも「先輩」は、おまえは汚い、といった。俺はお
まえのことだけを思ってこんなに純愛を貫いているのに、おまえは俺以外に女の
子とも付き合っている。おまえの顔なんか二度と見たくない。それが「彼」と
「先輩」の最後の別れだったわけです。ドラマチックでしょう?もちろん、「先
輩」はその後ちゃんと会社に入って、結婚して、子供も二人います。ホントに笑っ
ちゃいますよね。とにかく、ずいぶん楽天的なエピキュリアンだった「彼」も、
そのときばかりは泣き笑いを浮かべるほかなかった。女の子とのことを後悔する
以上に、「先輩」の単純さに腹が立ったけれど、実はそういう単純さこそが「彼」
を魅了してしていたわけだから。そういう何重にも悲喜劇的な状況の中で、「彼」
は、性的アイデンティティの神話がいかに人を呪縛するか、その驚くべき現実に
突き当たったわけです。ゲイ解放運動の文脈の中ではそんな「彼」のいささか軽
佻浮簿なエピソードなんかはどうでもいいことのような気もする。にもかかわら
ず、こういう話をするときに、僕はどこかで途方にくれて立ち尽くす「彼」の姿
のことも忘れないようにしたいと思っている。それが先ほどからの僕の話のひと
つの基調低音になっていると考えていただければいいのではないかと思います。
こんな話に熱心につき合っていただいて、どうもありがとうございました。
(5月26日、東大五月祭講演)
------------------------------------
773地球人:01/08/27 11:01 ID:kDsASXhs
15で自由が欲しいと思った。そこには色々と事情があった。自律訓練法をし、書を
乱読した。20で光の体験をした。そこで情的変化がおきた。これを脳科学の理論で
説明するまで8年かかった。そしてある日の夕方に突然とても強い思念が来た。その
意味は「知った事を伝えよ」という事だった。「誰だ、何故、おれがそんなことをす
る?」と驚き疑い躊躇した。精神医学の事例と少し異なる現象のように思える。ただ
大きな存在を感じた。翌年ある者と知り合い、何か書いたらどうかと勧められた。2
0代の記念とも思い小論を幾つか書いた。だが数ヶ月後にその者は連絡不能となった。
月日は十数年経た。家庭を持ち仕事に忙しい毎日を送っていた。そしてここのスレッドを
見た。なにかとても気にかかった。そして私は知り得たことを書き、伝えた。務めを果
たしたような気分だった。先人から受けた恩はこれで返したろう。いつか印度へ花を捧
に行こう。「あなたがいるからわたしがいる」「あなたはあるからわたしはある」私は
大衆の海で遊ぶ。私が誰かを知られる必要はない。私は何も要らない。私の文は楽しめ
る所を楽しめば良いだろう。もしあなたが自在心を得たのなら、その時は咲き誇る桜の
木々の間や、緑の山々の上に湧きたつ雲の輝く端に、枯れ野を照らす満月の中に、見渡
す限りの雪原を風に乗り、大空の蒼さの中や紺碧の海原に、ともに遊ぼう。
求道者に幸あれ。あなたは一人ではない。
    光の内に
あなたは生きなさい いま生きている実感をよりどころとして
あなたの心の内には光があり そこには全てがある
あなたは一人ではなく 多くのいのちとともにある
いま辛くとも時がすぎ あなたはそのことを懐かしく思う日がくる
あなたは生きていきなさい あなたの心の内にすぺてのものがある
あなたは生きなさい いま生きていることを悦びとして
あなたは生きなさい いまいきていることを拠りどころとして
774考える名無しさん:01/08/30 01:43 ID:syqOnL8Q
自分は生まれるとか死ぬとかについてあるイメージを持ってる。
例えにくいんだが、水面があって、
小石みたいなのが水面から勢い良く飛び出して来て
大きく緩やかな放物線を描いてまた水面に吸い込まれていく。
小石は一つではなく沢山あり、何個も何度も出てきて飛び出すのが止むことはない。
水面に吸い込まれた小石が水面下でどうなってるのかは分からない、
イメージ出来ない。小石が放物線を描く空間はこの世界で、
その放物線はその一生を表しているように思える。
小石はそれぞれ宙で他の小石と交わりながら水面に引き込まれていく。
このイメージがぱっと浮かんでから、
死ぬのは嫌だけど怖いと思うことは無くなった。

「生まれる」は「出てくる」で、
「死ぬ」は「元に戻る」とか「帰る」と感じるようになった。

こういうイメージの閃き、他の人のも聞いてみたい。
悟りと関係無いのでsage
775考える名無しさん:01/09/06 07:02 ID:LurLRf.w
総ての体系を把握し、己を無に帰す事。
有でも無でも無い総てが在って無い混沌へ…
別に死ぬ事じゃぁないけどね(笑
776考える名無しさん:01/09/15 17:29
>>774
死んだあとのことを必要以上に心配しても仕方ないと納得できる境地

これと悟りって近いかもねぇ
777 ◆SWFBQJAM :01/09/15 22:25
778 ◆4m5cLQ0g :01/09/15 22:26
779考える名無しさん:01/09/22 06:49
悟後の修行が重要なんだそうです。悟ったことを忘れるくらいに。
780考える名無しさん:01/09/22 08:21
>>779
大切なことですね。
781考える名無しさん:01/09/22 08:35
世界は粒子が集まることと、広がることで成り立っている。
それだけのこと。
782考える名無しさん:01/09/22 08:48
>>781に付け足して
それで、世界の理をすべて説明できる。自分の中でだけどね。
他人の世界観は否定できないしするつもりも無い。
前提はこの世界では完全は不安定であるということと完全はない
ということ。
783考える名無しさん:01/09/22 23:55
いざ数学へ
784考える名無しさん:01/09/22 23:57
数学はたったひとつの希望だった。
数学は生の肯定だ。
光をみようとしている。
生きることの肯定感にすがりつこうとしている、おれは数学をやめないぞって。
785マジ悟った人:01/09/23 14:30
悟りはある種の状態なので自分の意思では
持続できないんだよな。
786考える名無しさん:01/09/23 14:33
悟ったからって別に気の利いたこと
言えるわけじゃないし。
気の利いたこと言ってるうちはダメだと思う。
強いて言えばあたりまえのことしか言えない。
787空海:01/09/24 05:15
人生はドリームタイムです。アボリジニヨリ
きみは、あえていうならドリームオペレーターです。
トーキングヘッズっていうみゅーじしゃんのドリームオペレーターって曲
きいてごらん。もちろん歌詞を訳しながらね。俺は涙が出たよ。
人生は落語でいうとこのおちのくりかえしやとおもうな。おれはね。
迷わないことは別に悟りでもないと思う。それでも、求めるならクリシュナ
ムルティでもよんでみたら。つかれることうけあいです。
そんなときは、前述ミュージシャンのパズリングエバデンスでも聞いてください。
788考える名無しさん:01/09/24 05:31
はじめるならいまじゃない
789hyougo:01/09/24 05:53
静かな心とバランス感覚は大切なんじゃない?
790考える名無しさん:01/09/24 21:44
解体できないものは構築してはならない。

21世紀、いや、この千年紀を通じて有効であろう道徳。
791考える名無しさん:01/09/26 14:37
万個
792地球人:01/09/28 00:28
海 ぼくらは海を見ていた 風が吹いて 夕暮れの水面は虹のように輝いた 輝きは
ぼくを虜にした 思わず君を見ると 君の瞳の中にも海があった その輝きはぼくを
虜にした
魔法 君の声を聞くと ぼくの心は静まる 君の声は魔法の響き ぼくの心を鎮めて
しまう
心 君はぼくの心だ その優しい声 澄んだ瞳 物言いたげな唇が ぼくの心に入り
込み ぼくの心になる
気付き ある時ぼくは気が付いて驚いた 君の喜びにぼくが入りきっていないことに
 君の悲しみにぼくが入りきっていないことに 君とぼくの間には深い隔たりがあっ
た ぼくは気が付いた この隔たりを越えて行かねばならないことを
高き存在 君は分かるだろうか ぼくの存在と君の存在とが一つになるとき 君の喜
びがぼくのものになり ぼくの喜びが君のものになって 二人がより高き存在になれ
ることを
風 君は風になって僕の心を騒がせる 君は火になって僕の心を燃え立たせる 君は
姿を変えて僕の心に入ってくる
未来 君の昔を僕は知らない 時々 僕は荒んだ 君が愛したかも知れない 男を想
って 君が好きだ 今の君が好きだ 過去は空しい ああ人は現在を生き 未来に生
きるのだ 君と共に生きたい
分かち合い 僕の心は君を愛する悦びで溢れている だから目にするもの 耳にする
ものが 生き生きとしているのだ ああ君よ 君は春の日差しのように僕を優しく暖
め和ませる ああ僕も君を優しく暖め和ませたいのだ そしてこの悦びを君と分かち
合いたいのだ
瞳 君の瞳が悪戯っぽく僕にささやく 僕はそのささやきをみる 僕の心は悦び騒ぐ
 君の瞳はなんて悪戯好きなんだろう
793考える名無しさん:01/09/28 01:01
最近悟ったこと。。
年取ると筋肉痛が二日目にくる…
知識として知ってはいたが・・・。今、まさにその知識が悟りとして我が骨肉になった感じ。。。
うぅ。。運動しないと・・・
794sage:01/09/28 01:07
そんな事よりお前ら、ちょいと聞いてくれよ。
スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、心と宗教板行ったんです。心と宗教板
そしたらなんか宗教ヲタがめちゃくちゃいっぱいで重いんです。
で、よく見たらなんか新スレが出来てて、誰か、ありがたい壷はいりませんか?
とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ありがたい壷如きで普段来てない宗教板に来てんじゃねーよ、ボケが。
ありがたい壷だよ、ありがたい壷。
なんか親子連れとかもいるし。2チャンで布教活動か。おめでてーな。
よーし壷に加えて印鑑も買っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、俺のお茶碗やるからこの板から失せろと。
宗教板ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
異教徒と分かった瞬間、向かい合った奴といつ祈り合いが始まってもおかしくない、
祈るか祈られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。チンケな壷は、すっこんでろ。
で、やっと軽くなったかと思ったら、キリスト教徒が、アメーンとか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、キリスト教なんて、きょうび流行らねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、アメーン、だ。
お前は本当にアメーンの意味を知っているのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、アメーンって言いたいだけちゃうんかと。
宗教通の俺から言わせてもらえば今、宗教通の間での最新流行はやっぱり、
クリスチャンは処女、これだね。
処女膜マンセー。これが通の口癖。
君処女?ってのは膜ヲタが多めに言う。そん代わり膜ヲタは短小包茎。これ。
で、処女でもないのに生理の日をねらって処女を演じる。これ最強。
しかし、多い日だと挿入前に血が出てしまう危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らは、印鑑でも突っ込んでなさいってこった。
795考える名無しさん:01/09/28 01:38
↑・・激しくワラタ・・
ついでに板違いで申し訳ないが、昔「統一教会」に所属してる友達から「合同結婚式」でないかと誘われました。
ワシは統一教会に興味ないので断ったら
「クリスチャンだからみんな処女だぞ」と口説かれてちとその気になってしまったことが・・・・。
まあ、ワシは結局行かなかったのだが、彼は合同結婚式で知り合った女の子(処女)と仲良くやってます。。
つか、、逆にいうと男も童貞なんだろうな。。。
796(´∀` ):01/09/28 06:54
1日中、大自然の中で瞑想にでも耽っていたい・・・。
797考える名無しさん:01/09/28 07:00
さげ
798地球人:01/10/05 00:03
心と体 人は心だけでは在りはせず まして体だけでは空しい 心と体は分けられや
しない このふたつがひとつとなって 人の存在の意味を持つ だから君が僕を分か
り 僕が君を分かること それは二つの存在が一つになる時に 真実なものになるの

幸せ 君の心を知ることが出来たらどんなに幸せだろうか たとえ それが僕にとっ
て苦しい答えであっても 君の心を分かることが出来たらどんなに幸せだろうか
尋ね 春 君にこう尋ねた 青春ていつまでだと思う 君はこう答えた 二十五位か
しら 僕は悲しんだ 心の内で叫んだ 青春に終わりは無いんだ 秋になって君にま
た尋ねよう 君は何て答えてくれるだろうか
傲慢 心を開いているのに理解されないと感じた時に 僕の心は荒んだ だが自分の
内に潜む傲慢さに気付いた時に 僕の心は驚き そして悲しんだ
砂 人は砂のように ただ空しく時を生きる その空しさを感じるから 人を求め
愛を求める たとえそれが空しい事でも そのひと時が全てであり そこに悔いはな

明るさ 君には悲しみは似合わない 君には明るさがよく似合う 君は気付くだろう
か あの空の明るさ 木々の輝き そして人々の美しさを そして悲しむことは何も
ない事を さあ 君には明るさがよく似合う
少女 おまえのそのあどけない横顔に いつかおまえがなるだろう汚れが見える お
まえのその美しい横顔に いつかおまえがなるだろう醜さが見える おまえのその若
々しい横顔に いつかおまえがなるだろう老いが見える ああ少女よ おまえはその
輝かしい刻の内に留まれはしないのか
思い出 帰り来ぬ青春の思い出は淡く切ない その思いはやがて時が過ぎてゆくと共
に風化していゆく 愛した女よ 幸せにしてほしい
799考える名無しさん:01/10/05 00:35


言えません。死ぬまでは。
800考える名無しさん:01/10/05 01:10
死にません。言うまでは。
801考える名無しさん:01/10/05 01:19
欲しがりません。勝つまでは。
802考える名無しさん:01/10/05 01:56
女は二次元で十分。
803考える名無しさん:01/10/05 02:14
>>802
不覚にもワラタ。
804在家信者:01/10/05 16:22
私は悟りを得ました
3年に渡る極限修行の末
尊師の言う通りに解脱しました
財施極限の末カルマ落ちました
正しい観念培って全ては功徳のあらわれと
功徳の理想に精通し天での自由と幸福を
涙流し 魂の苦悩 知っていても意味が無い
真の叡智は救済を始めるまでは開かれぬ
我が身を捨てて 真理を行い  真理の光で覆う
怒り放ち魂の苦悩 知っていても意味が無い
真の悟りは救済を 始めるまでは開かれぬ
悟りを捨てて 済度を行い 真理の波動で覆う
805TDK調査員:01/10/05 17:03
哲学電波協会のものだが。
貴スレには電波スレの容疑がかかっておる!
ハキーリさせてもらいたい。
806考える名無しさん:01/10/05 17:37
折れ悟りを開きたいとは思わない。というのも悟りを開いた瞬間から自分の思考が
停止してしまうようなものだからだ。真理など存在しないと薄々は気づきながらも
探求を続けていくところに哲学の面白さがある。
折れは生涯その楽しみを満喫したいと思っている。
807イギ−@2ch評価学会代表:01/10/05 17:48
物事の本質を模索する哲学が
世直し活動をする上で非常に重要なものだと悟りました。
そこで、ぜひ哲学の専門家である皆様の意見も聞かせてください。
入り口はこちらになります↓

□□□これがおれの運動会&教育構造改革□□□
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/soc/1002269608/
808考える名無しさん:01/10/05 17:53
>>807
できればまともなリンクを貼ってください。
809:01/10/05 18:07
上に同じ…
810イギ−@2ch評価学会代表:01/10/05 18:18
>>808>>809
あなたの言うまともなリンクの定義とはなんですか?
あなたの興味云々で「まともなリンク」を定義付けられちゃ困りますー。
811考える名無しさん:01/10/05 18:20
まともでないスレ=1(イギ−)と嵐しか発言していないスレ
812考える名無しさん :01/10/05 18:21
要するにまともなスレにリンクはりんさいと。
813考える名無しさん:01/10/05 18:23
>>810
君以外の人のレスを見ればそのスレがどう評価されているか分かるものだがな…
814イギ−@2ch評価学会代表:01/10/05 18:27
>>811
ちゃんと中身は読んでくれました?
もちろん読むか読まないかはあなたさまの自由ですけど
僕はかなり真剣に、心痛に、このことを哲学したんですよ。
僕の名前だけで判断せずに、文章を読んだ上で、まともか
そうでないかを哲学してください。
815考える名無しさん:01/10/05 19:11
>>814
全文自作自演なのに?
816イギ−@2ch評価学会代表:01/10/05 19:54
>>815
リンク先にあるものは他の板での討論の記録をコピペしたものです。
817ポンコツ哲学車:01/10/05 21:39
マジレスだから返答お願いします。
>>807のリンク先にあるのは、
「政治的問題」なのですか? それとも「哲学的な問題」なのですか?
前者だったら私は何も言いません。後者だったら、「哲学的」に大いに議論したい。
レスお願いします。
818イギ−:01/10/05 23:43
どちらの要素も備えてます。
ぜひ何か書いてください。
819考える名無しさん:01/10/06 07:52
>806
俺悟ったけど、別に思考停止してないぞ。
悟ったヤツって、結構いるよ。
820イギ−:01/10/06 08:34
自然は大きなホスピタル
821比ヤング:01/10/06 10:11
2001/10/06−05:33
日本赤軍の「外国テロ組織」指定を解除=アルカイダ、オウムは継続―米

 【ワシントン5日時事】パウエル米国務長官は5日、テロ防止法に基づいて
「外国テロ組織」に指定していた日本赤軍について、指定から解除したことを
明らかにした。同長官はまた、米同時テロ事件の首謀者とされるウサマ・
ビンラディン氏の組織「アルカイダ」や、オウム真理教(現アレフ)など
25団体を再指定した。
http://www.jiji.com/cgi-bin/contents.cgi?content=2001100610067&genre=real&spgenre=int

日本赤軍そのものは分散しているからそれ自体をテロ組織指定
しても仕方ないこと、重信が解散宣言を出していること、
日本赤軍=アラブ赤軍はアラファトらPLO主流派に反して
パレスチナ過激派の殺人テロを担っていましたが、それにも
アメリカは目をつぶり親イスラム・反イスラエルの姿勢を
鮮明に打ち出す狙いがあります。

それにしてもアレですな、アルカイダとオウムは同等の扱いなんですな(ワラ
822イギ−@2ch評価学会代表:01/10/06 17:59
アフガンに生き生を知る
823イギ−@2ch評価学会代表:01/10/06 18:00
お口くちゅくちゅモンダミン
824イギ−@2ch評価学会代表:01/10/06 18:01
練る練る練れば・・・

ウマイッ!(テ〜レッテレ〜♪)
825イギ−@2ch評価学会代表:01/10/06 18:55
ゼミ発表直前にゲームにはまって徹夜した時とか、
悟ったような気になることはある
826イギ−@2ch評価学会代表:01/10/06 19:05
>>825
どうして僕の名を騙ってるんどうわっはっHA!HA!HA!
NICE JOKE MEEEEN? HA! HA! HA!
827考える名無しさん:01/10/06 21:57
>825
そんなん悟りじゃねえ!
頭ん中がすっげえ透明になるんだよ!
828考える名無しさん:01/10/06 22:32
>>827
むしろ体の隅々にまで神経がいきわたり、力を感じてくるよ。
829827:01/10/06 22:55
そしてどうゆうわけか、視力がよくなる。
前向きになる。
830827:01/10/06 22:57
ただ、悟る直前は地獄だ。
831e:01/10/07 02:29
 怒りは怒りを呼び、憎しみは憎しみを呼ぶ。
 それらは、一種の生物のように生長し、はじめの生みの親まで攻撃する。
 だから知恵ある者は、これらを制御しなければならない。
 それが難しいことは、誰でもわかるだろうが、これができたらすごいことで、かなり期待できる。
 怒りで何か問題が解決するということはないのだ。
 
83216:01/10/07 03:57
>831
スッキリするだろうが。
欲求不満がちょっと解決するよ。
833考える名無しさん:01/10/07 03:59
ヌレセンベエ
834イギ−@2ch評価学会代表:01/10/07 04:25
>>831
歌の力は凄い。
理屈無しで人を悟らせるんだからね。
835考える名無しさん:01/10/08 02:17
地球人てさ・・ロマンチストで愛ある人・・・
836考える名無しさん:01/10/09 00:37
age
837哲学童貞:01/10/09 00:51
悟りを得たなどと言ってる時点で煩悩の塊だ。ふふふ
838地球人:01/10/09 01:09
女の嘘 君の言葉の内にはいつも嘘がある いやらしい女 かわいそうな女 でも男
はだまされてやる 女を愛しているが故に
嘘 言葉の内には嘘が含まれている おまえの おれの言葉の内にも とるに足らな
い事さ 大きな自由の内では
夢 青春の淡い思い出は手のひらに落ちてくる雪 その美しさが一瞬に消え去り 後
には空しい冷たさが残る
結びつき 優しく そして暖かく 受け止めてくれるだろうか 命の源泉 愛の源泉
 真実に確かめ合う
人々 人は迷いの中に唯一人たたずむ 右も左も唯暗い闇の中に在る自分に気付くだ
け ふと自分に近づく光の中に他の存在を認めたとき 巡り会えた喜びを感じる そ
して何時とはなしに消えてしまったその光を 見失い 再びたたずむ
女 右手で算盤を弾き 左手で天秤を下げる そのくせ惚れると弱くなる 不思議な
存在
別れ 別れは全てが分かった後で思いがけずにやってくる 心の浅はかさが全ての思
い遣りや優しさを痛めつけ萎ませる 後に残るのは空しい感覚だけ 虚ろな気持ちだ
けだ
終わり 恋の終わりは突然やってくる つい今し方まで晴れていた冬空が 日暮れと
共に北風が吹き雪空になるように
擦れ違い 全てが色褪せて見え 思い過ごしの金メッキがボロボロと剥がれる 原因
はくるのだ つまらぬ誤解と狭い心から
牛のように 裏切ることが平気だなんて まるで君の心は 泥沼にもがいている牛の
ようだね
839hyougo:01/10/09 03:01
age
840Iridium:01/10/09 03:09
スピードと行動。
ほとんどの物事は忘れ去られるが、ちょっとした印象だけが
記憶に留まる。
841考える名無しさん:01/10/09 03:12
838おめーくさすぎだびゃ。
842考える名無しさん:01/10/09 06:21
>837
悟りというものを勘違いしている。
まあこればかりは体験しなければ
知りようがないものだが。
843考える名無しさん:01/10/09 06:30
俺は悟った象!!
それは
愛!
844考える名無しさん:01/10/09 06:31

       ∧ ∧  ・・・・。
       ( ゚Д゚)
       |∪ |
      〜|  |
       U U
845考える名無しさん:01/10/09 06:32
>>844
無我ですなぁ。
846考える名無しさん:01/10/09 06:33

       ∧ ∧  <(逝ってよし!)
       ( ゚Д゚)
       |∪ |
      〜|  |
       U U
847考える名無しさん:01/10/09 19:29
         1UP
   Λ_Λ∩
  ( ´∀`)ノ  1UP
  ⊂    )
   ノ   γヽ   1UP
  (__丿\__ノ     ____
        ヽ(´ー`)ノ|     まぁ人生なんてこんなもん。
        (___)|     楽して、甘い汁吸って、弱い者いじめ。
        ◎ ̄ ̄◎|     えらい奴だけ得をするんだよね〜。
        | ̄ ̄ ̄ ̄
        |
        |
848考える名無しさん:01/10/09 19:48
              懐
849空樹:01/10/09 19:51
>827氏

あなたの体験は、脳内マリファナ(アナンダマイド)
の影響による覚醒状態であると思われ。
ただ、悟りの元ネタがそのような身体的経験に
依存していた可能性も大。
850考える名無しさん:01/10/09 21:20
危険な香が漂う
851考える名無しさん:01/10/10 00:10
いろんな人間がいるなー・・・・
852地球人:01/10/10 00:11
その時 おまえの長い髪が風にそよぎ みどりに変わったとき おまえを欲した お
まえの白い肌が光に輝き 見えなくなったとき おまえを欲した おまえの目が物憂
げに語り掛け おまえの声が甘くささやく 全ての動きが止まり 周囲を静寂が包む
とき おれはおまえを欲した
心の内に おれはおまえの前に立ち扉を叩いた おまえは用心深くそっと開け外を見
た そこには誰もいなかった おまえは知らなかったのだ 外を見ようとすると必ず
隙間が出来ることを おまえは知らなかったのだ どんな狭い隙間さえも風が通り抜
けてしまうことを 既におれはおまえの心の内にいた
おまえの中で おまえの中でおれが拡がり おまえを通して世界に拡がる おまえの
感覚はおれのものとなり おれの感覚はとどまらずに消える
純粋 余りにも純粋な心には束縛という現実は似合わない 縛り付けておきたい心が
 相手を求める心が常に起こり その細波が岸辺を様々に洗うようになる 純粋な心
には自由のないありさまは向いていない
風 風の匂いは自由の匂い だから風が好きだ おれは風にささやく 「おれを自由
な空へ運んでくれ」 風はそよいで答える 「あなたは自由だ だから自由な空に一
人でもとびたてるのだ」 おれは空を飛んでいた ある日女が見ていた おれは尋ね
た 「おまえも空をとびたいのか?」 女は答えた 「私には無理だわ あなたのよ
うに飛べないわ」 おれは言った 「おれも昔はおまえのようだった だが気付いて
ごらん あの空の明るさや木々の輝きを 風がおまえを自由にしたがっている事を
女は言った 「本当だわ 何故今まできづかなかったのかしら」 おれは言った 「
信じてごらん それにおれが風になつておまえを運んであげよう」 ああ風の匂いは
自由の匂い だからおまえが好きだ
853考える名無しさん:01/10/10 00:19
心遊ばせ 羽ばたかせ、グラウディングも忘れずに
854広東包茎:01/10/10 00:48
私が与えられた多様を一つの意識に統合することができることによってのみ、
私はこれらの表象における意識の同一性をみずから表象することができるのであり、
換言すれば、統覚の分析的統一は何らかの総合的統一を前提してのみ、可能なのである。
855アヤナミ:01/10/10 00:48
恋愛はパソコンのスペックではない。
856Iridium:01/10/10 00:53
恋愛とは2人の人間がいっしょにいる時間が
ものすごく長いことである。
857哲学童貞:01/10/10 00:54



悟り開いた人が、なんで2チャンに書きこんでるのだろう?


不思議。
858広東包茎:01/10/10 00:55
ニーチェ>ハイデガー
859考える名無しさん:01/10/10 00:55
悟りとは、概念の対象化をのりこえた状態。
860Iridium:01/10/10 00:56
すべてが終わってもまだ人生は続く。
861考える名無しさん:01/10/10 01:05
悟りとは元々妄想なんだよ。
悟りなんてありえない。
あるのは無想だ。
死ねばわかるなんて、そこに価値はないね。
862Iridium:01/10/10 01:12
あ、そうかテーマは悟りだったな。
なんだろう悟りって・・・。
863Iridium:01/10/10 01:13
悟りとは元は「煩悩の対極」として考え出された概念。
煩悩がなければ悟りもない。
864考える名無しさん:01/10/10 01:15
>>861
巧妙に仕立て上げられた他人の興味をひくような妄想>悟り
悟りとは絶対に確認できないもの。
間違って組み合わさったパズル。かな?
865Iridium:01/10/10 01:15
「欲望がうまくコントロールされて安定した状態」かな。
866無為:01/10/10 01:23
欲望もうけいれる。煩悩もうけいれる。しかも、支配もしないし、
支配もされないこと。
867Iridium:01/10/10 01:32
>>866
それ美しいね。
868考える名無しさん:01/10/10 10:11
てか、、このスレ長いね。
もう半年続いてる。
悟りが無いといってる人がいるね。
体験したこと無いのかな?
悩みが解消されたこと・・。
仏教で悟りと言うとやたら神秘的に聞こえるけど
基本的には疑問が解決することです。
仏教についても同じで、釈迦も道元もその他の祖師方も
それぞれの疑問を解決した=悟りなわけです。
ただ、その疑問の深さがそのまま悟りの深さなわけです。
白隠禅師は言ってます。
「自分は生涯に大悟は五回、小梧は数知れず」
ちょっと言葉使いで不適切なところもあるけど、
大筋、この方向でいいはず。
まずはちいさな悟りから積み重ねましょう。
869考える名無しさん:01/10/10 23:25
悟りとはこれすなわち絶対の人格の死とその後残される唯物の美だ。
870考える名無しさん:01/10/10 23:44
哲学って、肥大した知的欲求の流出かもね。
871考える名無しさん:01/10/10 23:51
死=終焉=無
872考える名無しさん:01/10/10 23:52
人は哲学を捨て
悟りの境地に至る
873時の歯車:01/10/11 00:02
私達は宇宙に漂っている船の

乗組員に過ぎない

地球と言うノアの箱舟に
874考える名無しさん:01/10/11 00:08
悟りとは、経験からくる確信、個人としての理解か。
経験は知識なり。正解はおのおの異なるが、共感できるものは
他人からみても悟りなわけで。それは勘違いと呼ばれない。
神とはやはり人間の造り出したもので、全てに理由をつけるための
ヨリシロで楔。悪とはそれを否定しようとするものすべて。
神を作った人間は神と呼ばれるに値する。のかもね。
875あっ!そ〜だったんだ!:01/10/11 05:04
いや〜とても興味深いスレを発見して、こういうのが「名スレ」っていうんだな〜
って思ってます。それでROMだけでは物足りなにか俺も言いたいな〜と思って
発言させてもらいます。
まずみなさんのレス読んでて思ったのが「悟り」って二種類あるんだなってことです。

ひとつは「理解」。理解感といでもいうか、なにかについて悩んでて(考えてて)
「あっ!解った!」と思ったとき「ひらめき」とでも言うか今まで自分に
無かったものがさも何か究極的な存在から渡されたような感覚。
本人的には大発見(まあそれが過去に誰かがとっくにきずいてたとしても)で
これを誰かに伝えたいって思うような体験(きっとここに書きこんでる人の大部分が経験していると
思われる)。

もうひとつは「光」という表現に言い表せられる(断食や荒修行などでの脳の極限状態時に見られる感覚的体験、
臨死体験にも似た)「幸福感」、「全知感」。

多分どちらもが、「悟り」の一部なんだと思います。
876827:01/10/17 00:18
>849
悟りと脳内麻薬って
密接な関係があると思うぞ。
877考える名無しさん:01/10/17 00:56
板違いかもしんないけど「光」といえば、
私は目を閉じて、眉間辺りに意識を集中させると目の上方辺りから一瞬ピカッて閃光が走る
自分でこれに気が付いたのは、九月半ばちょうどテロのあった日だったのでよく覚えてる
目を閉じても平行感覚保てるには、、とか何とかくだらない事を考えて、目をつぶって自分の前に棒を一本想像してたら、ピカって光った
雷かな?と思って、もう一度やったら又光った、人間の体はこんな風に出来てるだと思って、学校で友達に言ったら病気だと言われた
皆さんは光りますか?何だと思われますか?
878考える名無しさん:01/10/17 02:02
ただ、アナンダマイドって、牛肉食べると出て来る麻薬だぞ…
揚げ足取る気じゃないけど(苦笑)

>>877
それ、第三の目ってやつじゃない?
見えたからって、悟りと関係あるかって言うと関係無い気する。
879む?:01/10/17 03:34
無についての解釈についてなんですが、私は何も無いから無ではなく、すべてが有るから無だと思うんですが。ようするに必要な物はすべてある。意識的に言えばすべてを知り必要な知識はもう要らない。だから悟り=無。空間の無もまた同じかと。
880考える名無しさん:01/10/17 03:37
まむこはくさい


                それすなわち審理。
881地球人:01/10/18 01:09
平凡な幸せ 世の中にはぢゃんけん族がいます。ぢゃんけん族にも大きいのも小さ
いのも強いのも弱いのも泣き虫も怒りん棒も好き者も御堅いさんも♂も♀も白も黒
も黄も赤も、ああ実に様々なのがいます。ここでお話するのはその中の極ありふれ
た一家の事です。そうです彼等は平凡な幸せを感じています。パーは何時もパクパ
クと黙っていることがありません。チョキに切られるのと井戸端が大好きです。汲
んだ水はすぐ抜けてしまいます。まるでザルの様ですね。近頃は暇なときはパート
にパクパク遣りに行きます。チョキは何時も二本足で歩き回り餌を切り取ってくる
のが主な仕事です。たまには他のパーとぢゃんけんを遣りたがっているようです。
きっと自由が好きなんですね。疲れが溜まると餌取り仕事を厭になって蒸発する事
がよくあります。グーは黙っている事が多いです。チョキには強くてもパーにはパ
クパク食べられてしまいます。学校で拳骨のグーを突かうのが好きです。先行きパ
ーになるかチョキになるかはこの頃は自由に選べるようです。サァテ今日もまた日
が昇りました。ぢゃんけんぽんの声があちこちから聞こえて来ました。ああ平和な
世の中の平凡な幸せなんですね。
882もへじ:01/10/18 01:35

理解なんかいらない。味方がほしい。
883考える名無しさん:01/10/18 02:05
最近女に振られて、恋愛ってその程度のものなんだなと悟りました。
884考える名無しさん:01/10/18 02:43
次は男に振られとけ
885ハヤ:01/10/18 04:52
人生で悟ったこと

仮性包茎ではフラれない
夏の痔は治らない
平和を目指す人間を端から殺したら結構平和
私以外のヒゲの人はすごい偉い
作りかけのドミノは倒したい
886:01/10/18 17:10
夏の痔は汗がしみて痛いんですか?(笑)失礼。
887神のDNA:01/10/21 01:13
あたりまえだが悟りはない。

それ以上発展しない状態には人は成り得ない。

もし成りえたら、それは精神の死だ。

悟るということは、真理を見る(知覚する、認識する)ことであって、

真理があるにせよ、ないにせよ それを知ることだ。

人間には時空を越える理解はない。

悟るとは「在るがまま」を知ることに他ならない。

しかしこれこそが「在るがまま」だ、という状態が難しい問題なのであって

それが脳やDNAの許容範囲を超える代物であれば、

悟りはない。 よって、人間は永遠に発展する”宿命”があるため

悟りは存在しないことになる。

*ちなみにこれは悟りを究極の実体と定義した場合に限っている。

(小さな悟りから大きな悟りまであるのなら、それはもはや悟りとは呼べないからだ。
 悟りという言葉が意味する所の観念が存在する必然性への断絶に他ならないからだ)
888考える名無しさん:01/10/21 01:19
>>887 それは悟りをそれ以上発展しない状態と定義するからじゃない
のですか?
889神のDNA:01/10/21 01:50
888へ

ですから、そう言ってるじゃないですか(笑)

悟りが究極の実体を定義した場合・・って。
890考える名無しさん:01/10/21 02:23
>>889 してないよ!「究極の実体」がそれ「以上発展しない状態」
なんてどこにも書いてないでしょ。
891地球人:01/10/22 04:41
夫婦も石の上に3年7年目の浮気とやってると、春の次にあったかい夏が来なくてひ
んやりと醒めた秋が来る珍事が起きるようです。近頃ちっとも旦那の声の掛からない
奥さんも、「これじゃあまるで尼寺に入っているみたいだわ」とカルチャーセンター
のエアロビ講座で鍛えたボディをさすって精力持て余しています。そこでつい隣の旦
那にめを向けてしまいます。そこで、
 尼さんや 隠れ求めて 三千里
 奥さんや 隣の旦那 青く見え
 携帯で 八百屋のバナナ 美味しそう
 魔羅さんも 家に帰れば 粗大護美
892考える名無しさん:01/10/22 05:04
自分の言うことを聞かない子は子供ではない
自分の思い通りの幸せを受け入れない子は子供ではない
自分の思い描く人生を受け入れない子は子供ではない

そして受け入れられた子供は親を愛し
受け入れられなかった子供は親を憎み殺したがる
愛と憎しみは紙一重だ
893考える名無しさん:01/10/22 05:06
人はまったく関心のないことには係わり合いを持たない
894神のDNA:01/10/22 13:33
890
西洋哲学史の実体を知っていれば、意味が分かったはずなのだが・・。
客観→実体→主観、というように移っていく所の実体をお勉強されればいい。
895考える名無しさん:01/10/22 14:28
悟りって、そもそも何よ? それが分からなきゃ、このスレは不能。



哲学と悟りの関係についても知りたいな。
896考える名無しさん:01/10/22 14:41
俺は力だ・・・という事を悟った。
897考える名無しさん:01/10/22 15:11
私は、宇宙に満たされている気によって生かされている、という
事を悟りました。
898考える名無しさん:01/10/23 18:45

俺はカコイイ
899考える名無しさん:01/10/24 01:12
>>894 西洋哲学では、悟りは説明できそうにない。ウィトゲンシュタイン
900ソシュール:01/10/24 01:19
これ見てると自分なりの悟りをかきたくなってくるわ

でも言葉にできない・・・
しかも言葉にしたらうすっぺらくなってしまいそうで
901無為:01/10/24 01:27
>>900 道可道、非常道。名可名、非常名。
902ソシュール:01/10/24 01:28
ゴメン
解説をお願いしますm(__)m
903無為:01/10/24 01:30
不立文字ってことッス。
904ソシュール:01/10/24 01:34
不立文字 教外別伝 義を以て解すべからず、
言を以て伝うべからず、文を以て詮むべからず
悟りの境地というものは、言葉で表現することができない
ってことなんだね

どーもです
905バイイ&セシュエ:01/10/24 01:37
さすが師匠察しがいいッスネ
906地球人:01/10/24 05:18
芸術は欲望の色づけに卑猥は欲求の発散に 兄弟が立ち入るにつき戸締まり用心火の
用心 コピー屋さんおつむもコピーにしておくれ コピーは三鷹物まねは上野か 太
鼓持ちは目をフォーカスしておつむはフライデーに 車屋さんは色の塗り替えにして
三文の得なり 車屋の整形外科医今日も又目潰し 見たことも聞いたことも無いアイ
スクリーム芸術家 勤め人今日も朝から日暮れ道 リーマンもやる気麻ん麻ん六時か
ら 青い鳥求め疲れて鯉を追う ワンちゃんも仲間が出て来てニャンニャンとおつむ
は牝ん鳥のコケコッコー カビ臭い校舎の中で遺血眼合い先生はまた頭に原爆キノコ
 年寄りの魚屋は今日もまだ生きがいい 遊び人言葉蜜のせ仕掛け人体ナデナデ心ナ
ゼナゼ
907考える名無しさん:01/10/24 07:15
泣・・地球人が壊れてきとる・・・??
それとも、リラックスのしすぎか・・?
908考える名無しさん:01/10/24 09:24
悟るというのは、わくをはずすとか、どっちでもいいとか、
とらわれないとか、そんな感じです。
とりあえず自然がとても美しく感じます。
909考える名無しさん:01/10/24 10:23
悟ったその内容を、文字にする事は出来る。
悟った人々が、その内容を多く文章にしている。
まさか、不立文字という大嘘を大まじめに信じているのではあるまい。
910無為:01/10/24 14:52
>>909 悟った人々が、その内容を多く文章にしている。
でもね、一言で言えりゃあ、あんな大部な経典は存在しな
かったのでは?その文章ってのも、仮のもので、悟りの一
部をいろんな角度から説いたものじゃないの?だから、そ
ういう意味で、不立文字ってこと。
911協力しよう!:01/10/24 16:31
くそガキ共の情報お待ちしております。
世間を震撼させた事件の犯人を実名で公開しております。
http://topia.yam.com/home/aoiryuyu/pages/index.html
912考える名無しさん:01/10/24 22:18
目が不自由な人に赤色を説明することはできない。
もし、説明しようとしたら膨大な文章量になる。
それが教外別伝不立文字といいながらたくさんの経典がある理由。
とにかく、たくさんの情報を与えておいて、
ある時、「あっ!!こういうことか・・なるほど!」
と悟るのを待つのです。
913地球人:01/10/25 00:47
悟りは心理現象であるから脳機能と関係がある。脳は自己進化型ソフトウエアで
ある。パソコンで喩えれば自己開発ソフトの上書き更新を勝手にやっているよう
なものだ。歩き、言葉を覚え、算数が出来る、なんていうのは実例。広く捉えれ
ば悟りは日常茶飯事ある。気付く、分かる、出来るようになる例は多い。悟りを
覚醒ととらえれば、喜怒哀楽あれど悩めない、概念操作が自由自在だ、といった
ものだろう。概念操作として、神仏を殺し自身を切り刻んでも、情的に何もない。
脳科学の知見の集積は重要だった。それがなければ光の体験の解釈は違ったもの
になっていただろう。神仏との解合としていたかも知れない。自己充足系が予測
どおりに発見されるかどうかがポイントになる。もしそれが確認されたら我々の
精神文化は大きく変容するだろう。既存宗教も重大な影響をうけるだろう。楽し
みである。まあしかし外れることは科学の世界では多いので唯の法螺に終わるか
も知れない。さてどうなることやら。
914考える名無しさん:01/10/25 03:28
とりあえずJohn Lennonは現代の仏陀。
915(笑):01/10/25 03:48
悟りって・・・・あなたたちねー・・・・バカァ?
悟り開くにはそれなりの努力をしなきゃだめでしょ?
努力の結果心の迷いや謎が解けるのを悟りを開くってことでしょ?
お前らみたいな家にとじこもって2chやってるような人間に
そんなことできるはずがない!!お前らアフォ?仏陀の見すぎじゃん?
こんなこと考えるよりもっと簡単な哲学でもしなさい!この大バカ者ども!
あなたたちでは悟りなんて一生開けません!!悟りを開くとは
ほんっとに努力をした人間だけに与えられたきせきに近いことだと
思うな。
916考える名無しさん:01/10/25 03:51
 >仏陀の見すぎじゃん? (>>915
とはどういうことでしょうか?
917916:01/10/25 04:02
 >>916仏陀飲みすぎじゃん?
の変換ミスと思われ。

>>915が答えてくれないので、自分で答えてみました。
918神のDNA:01/10/25 15:06
899
それがなにか?
私は西洋哲学史の実体をいう考え方を知っていれば
私の最初の文章の意味が分かりますよ、と述べただけですが・・。
悟りがないという事をウィトゲンシュタインが言っていることを私に
言われても、私は「だから?」としか言いようがないのですが・・。
ちなみに私もウィトゲンシュタインと同じく、「悟りはない」と、
述べていますけど? あなた様とはお話しにならないみたいです。
919考える名無しさん:01/10/25 15:15
悟りなんて、人間が作り出した幻想。
そんな物存在しない。
920悟った人:01/10/25 15:31
>915
悟りとはそんな仰々しいものではないよ。
知らないうちは語らない方が無難だ。

>919
幻想ではないよ。ある種の状態だ。
意識の力では持続できない。
921考える名無しさん:01/10/25 15:32
日本で唯一悟りを開かれたのは
麻原尊師です
922考える名無しさん:01/10/25 15:33
今死んでも悔いはない
923考える名無しさん:01/10/25 15:37
[00:28:35]涙流し 魂の苦悩
[00:44:23]知っていても 意味がない
[00:49:22]真の叡智は 救済を
[00:54:95]始めるまでは 開かれぬ
[01:03:95]我が身を捨てて 真理を行ない
[01:13:03]真理の光で覆う

[01:24:59]怒り放ち 魂の苦悩
[01:35:04]知っていても 意味がない
[01:42:54]真の悟りは 救済を
[01:51:65]始めるまでは 開かれぬ
[02:00:70]悟りを捨てて 済度を行ない
[02:09:83]真理の波動で覆う

[02:41:92]愚痴を話し 魂の苦悩
[02:50:92]知っていても 意味がない
[02:59:90]真の神秘は 救済を
[03:09:55]始めるまでは 開かれぬ
[03:18:22]神秘を捨てて 光を与えて
[03:27:38]真理の至福で覆う

[03:38:96]悲哀叫び 魂の苦悩
[03:47:62]知っていても 意味がない
[03:56:73]真の解脱は 救済を
[04:05:93]始めるまでは 開かれぬ
[04:14:88]安らぎ捨てて 歓喜を与えて
[04:23:97]勝利の歓喜で覆う
924考える名無しさん:01/10/25 15:43
>>923 オウムの歌 なのだろうか?
925みゅう:01/10/25 19:19
悟りかどうかはわかんない。
すっごく悩んだけっか、頭の悪い私の頭で行き着いた答えは、
キレイ事かもしんないけど、愛に生きたいだった。
誰かのために何かしてあげられたら・・・・。とか。

でも世の中、金っという矛盾した自分もいる。
結局何かに気づいてそうゆう風にまとめざるおえかった。
自分を問い詰めて無理やりこうゆう風にまとめなかったら、
己のあまりのちっぽけさが嫌で死んでたかも・・・・・。

簡単な言葉ですみません・・・・・。
926考える名無しさん:01/10/25 20:11
(°д°)ウマー
927考える名無しさん:01/10/25 20:17
(・∀●)アイガー!アパカ!
928考える各無しさん:01/10/25 21:06
何か1つの事をずっととことんやる。
929考える名無しさん:01/10/25 21:19
>>920
>幻想ではないよ。ある種の状態だ。

脳内の分泌液の量が凡人と違って多いから?
930考える名無しさん:01/10/25 21:52
ある肉体労働をしていたとき、
仕事終わって缶ビール飲んで
横になってたら急に「今日はパーフェクトデイだな」
とおもった。特にいいことがあったわけでもなかった。
私は自由だった。あれは涅槃だった。
931悪魔のRNA:01/10/26 01:34
>>918 あら、ご機嫌損ねたみたいね。悟りがないなんて一言もいってないです。
「悟りを説明できない」といったまでです。だから、西洋の実体という概念では
説明できないと。お話が出来ないのは、あなたの読解力がおとるからみたいね。
神のDNAとはね・・・、フフ。
932考える名無しさん:01/10/26 01:59
悟りひらいた状態の時に酒を飲んじゃだめですか?
飲んて酔いがさめた後くらいに、元の状態に戻ってしまったのですが。
933臨済:01/10/26 02:15
それがホントの悟りス。
934俗人:01/10/26 02:34
>>932
悟りを開いた人間が、「酒を飲んじゃだめですか?」と聞くわけがない。
何故なら、「悟った人間」あるいは「悟っている時」に選択は無いのだから。
選択とは不自由なのである。
935虎関師錬:01/10/26 02:36
いや、酒飲んで忘れちゃったから、飲んじゃダメなのって
聞いたんでしょ。ウフフ。
936みゅう:01/10/26 04:03
『神との対話』とゆう本を読んだことがある。
自分は神かとおもった。

結果、ではないけど、自分の信念を貫けばいいのでは?
そしたら、自分の中での価値観は、
神に値すると・・・・・。
自分を問い詰めまくると、
その不安はかえって大きくなってしまう。
だから、自分を神に置き換えるのが、
人間の本質にたどり着けるのではないかと思う。

悟りってきっと、その人生のところどころにポイントがあると思う。
今の私の中での悟りって前に書いた通りです。
2年後は違うのかも・・・・・。
937考える名無しさん:01/10/26 04:59
最近、人間のニュートン力学があると感じる。
938考える名無しさん:01/10/26 08:09
この世界って、もしかして散逸構造?
939いかいか ◆5j89UJuk :01/10/26 09:13
2CHマンセー!!
940神のDNA:01/10/26 17:28
931 :悪魔のRNA

「悟りはあるか」と問う時、「ある」と答えるのは、
人間が悟れうる存在だということだ。
人間が存在しなければ、「悟り」という概念は、意味を失い、しかも
そのような観念は存在しないからだ。
まあ君の発言の仕方が「話しの流れ中」において、
すでにあそこでウィトゲンシュタインの言葉を持ち出し、あの言葉を私に向けて
放つということ自体が全く的を得ていない代物だった。
最低限の知識がないために話しの脈略を追うことが出来ない君の思想は、
愚の骨頂だ。 ← あっ、頭悪いからこの意味も分からない?(笑)
基本的に知識がなさすぎる。もう私にとっては時間の無駄なので君への
レスは書かない。勝手に最後にほざいてくれたまえ。
それと物を言うなら自分のHNくらいは確立しておけ。
今回はたまたまアホの発想らしく、私のHNの反語のようにして、
HNを書いたみたいだが、そのような生意気な発言をするのなら、
あらかじめHNくらい統一しておけ。
そうすれば私と君のやりとりを読んだ人が、違う場所での君の発言を
読んだとき、君の能力を分かるし、アホならすぐばれるし。
私はまだ来たばかりだが、統一し、他にもレス(発言)を述べている。
まあここまでこの文章を書いていること自体、私自身にとって破滅的な時間を
過ごしてしまったので、これにて終えたい。
まあまず自分の能力を知れ。そうしなければ永遠に破滅の覆いだ。
941考える名無しさん:01/10/26 20:25
>940
河童や幽霊はどうなんの?
942考える名無しさん:01/10/27 00:09
ゴータマが見たら泣くな…
943考える名無しさん:01/10/27 00:49
>>940 君はそんなに偉いのか?君は知識に縛られすぎてるぞ。
だから発想が貧困だし、煽りと本質とを見極められないんだ。
まあ、来たばかりじゃしょうがないけど、そんな感じじゃ、
直に、2チャンが嫌になるぞ。この程度で、対話を拒否する
こと自体こども。
944ソシュール:01/10/27 00:49
>940
なぜそんなに怒る!?
悟っていないみたいだね〜
945空樹:01/10/27 00:51
>>913
自己充足系についての詳しい説明をお願い出来ませんでしょうか。
浅学で申し訳ありません。
946ソシュール:01/10/27 01:11
>この程度で、対話を拒否する
>こと自体こども。

言えてるね〜
947考える名無しさん:01/10/27 01:48
ものすごく頭のいい人はきっと、たまにこんなことを
考えるに違いない。

世の中の人みんなが、自分より頭がよかったら
どんなに楽だろうか。自分の言ったことはすぐ理解してもらえるし、
責任を負わされることもないだろうし、
遊んで暮らせる。
自分が一番頭が悪いことで、何か不利益を被ることがあるかって?
あるわけがない。自分より頭のいい人しかいないんだから。
948:01/10/27 02:12
マジックマッシュルームで悟りました。

涅槃にいる釈迦になった気分でした。
949考える名無しさん:01/10/27 02:14
ビール飲みまくって悟りました。体に悪い
950Iridium:01/10/27 02:16
>>947
別にオレは頭よくないけど、それいいよ。
なんかスポイルされそうだけどな。
951ソシュール:01/10/27 03:07
>>947
おれも
952考える名無しさん:01/10/27 03:40
いろいろな悟り方があるようですね。 ここでは悟り=?
953考える名無しさん:01/10/27 11:43
心が静である
954考える名無しさん:01/10/27 17:34
(°д°)ウマー
955考える名無しさん:01/10/27 18:51
いつの日かこの宇宙は消滅する
その時文明の跡も何もかも全てなくなる
みんなそんなこと知ってるけど考えないようにしている
全ては無である

でも人並みに生活はするけどナー
956947:01/10/27 20:53
やった。ほめられた。ありがとう。>950,951 and 954
ほめられている内に退散っ。
957ソシュール:01/10/28 02:57
悟った人がこんなにいるとは・・・
958考える名無しさん:01/10/28 03:00
俺は確信している。
このスレの1000の言葉こそ、悟った者の言葉だと……。
959考える名無しさん:01/10/28 03:02
>955
その前に「お前」が消滅するんだよ。
たった一個の受精卵から、出来たんだろーが、
分解して、再び細胞単位にバラけて、雲散霧消するんだよ。
そして、原子単位でリサイクル。
宇宙は、永遠にリサイクルを繰り返す、物質の究極のカタチを
エネルギーに変換する装置そのもの。
960959=1000:01/10/28 03:03
である。
961考える名無しさん:01/10/28 03:50
マイナスを発見した人かな。

でもたぶん、そのひとはここにくることはないだろうな。
962ソシュール:01/10/28 08:18
このスレもうすぐ1000いくんだ〜
しみじみ・・・
963考える名無しさん:01/10/28 13:31
でも、悟ったら人間としてつまんないかも。苦しみ、悲しみなんかがあって、
初めて喜びがあるし、ジタバタもがいて生きるのが人間本来の生き方では?
964beholder:01/10/28 13:44
悟った人間なんてつまらない。迷いがきえず、人との付き合いに答えを求め
あうのが人生の妙味なのに。自己完結した人間に他人は用なしでしょう。

だから悟りとか真実はとりあえずないことにして、今の自分の考えに重きを
おいて、新しい発見を追い求める。これ最強。毎日が幸せだよ。
悟りを追求しようとすると、ゴールばかり気にして、今を楽しめない。
瞬間瞬間を楽しむ。これが人生かと私は思ってます。
965考える名無しさん:01/10/28 14:05
別に俺が悟ったというわけではないが、
>964さんの言うとおり、「悟った人間」なんてつまらんと思う。
自己完結してしまうと、他人にも、自分にも、果ては人間がつくり上げた
この「世」自体にも興味が湧かなくなってしまう。
「色即是空、空即是色」とは、よく言ったもんだ。と思う今日この頃。
本当、何も知らずに「楽しく暮らす」のが一番幸せかもね。マジで。
966beholder:01/10/28 14:15
自分を含め2ちゃんねるを見に来るような人は他人に興味ありあり
なので、悟りなどには程遠いでしょう。でもそれでいいと思う。
ただし2ちゃんねるは対面した会話ではないので、実社会から
離れてしまい、よくないかな。
967考える名無しさん:01/10/28 14:21
悟りとは、さとらで悟るものなり
要は、悟ったといっている奴の言うことは怪しい。
968考える名無しさん:01/10/28 16:53

解体できないものは構築してはならない。
969再会の道:01/10/28 17:10
再会出来ない人はいない。
再会出来ない世界はない。
きみが本当に望むなら。
970考える名無しさん:01/10/28 18:25
要するに物事を達観しろということでよろしいのでは
971考える名無しさん:01/10/29 01:16
運命には逆らえない。
逆らっても、結局周りから見ればそれが運命だったと思われる。
よって、運命には逆らえない。

そして、運命とは常に過去を指す。
972考える名無しさん:01/10/29 01:44
煩悩がなくなった
973マジデス:01/10/29 01:47
悟って無いということを悟った!

ごめん…
974考える名無しさん:01/10/29 02:05
煩悩なくなったら、なんかつまんないね。
975地球人:01/10/29 05:51
自己充足系は私の命名だから教科書には載っていない。
脳科学の値段の高い本を図書館で見てください。報酬系
などの項目が在るはずです。A10とかいうものもみら
れるはずです。一般には脳幹より欲求の発動は辺縁系、
前頭前野へいき更に脳の各分野と信号のやりとりをして
(概念操作・行動選択)いる。その結果の信号が脳幹に
いき辺縁系にて感情評価され報酬系・罰系の発動信号と
なり前頭前野にいく。そして充足感・不満感が意識され
る。大体のモデルはこのようなものだ。自己充足系は前
頭前野から直接脳幹へ信号がいく経路としている。色々
検討するとその系の存在を感じる。予測をしたわけです。
なお辺縁系では生来的な充足パターンと、それと記憶概
念とが結びついて形成(刷り込み)される充足パターン
がある。転話。第一論のタイトルは「価値感情と脳構造
(1)科学・哲学・宗教の統合的考察」としてある。昔
若いときはえらく勢いがよく大風呂敷をひろげたものだ
った。覚醒が人脳における現象の一つであり、それによ
り宗教は発生したとの見解を持っていた。異論はありそ
うだね。
976空樹:01/10/29 06:40
>>975
ありがとうございます。勉強になります。
専門外ですので、的を射ていないかも知れませんが
つまり、辺縁系による採択を経ずに、直接自己充足的な
判断を脳幹に送信しうる経路の存在が予測されている
という事でしょうか。
977空樹:01/10/29 06:54
>覚醒が人脳における現象の一つであり、それ
 により宗教は発生したとの見解を持っていた。
全ての宗教がそうであるとは言い切れないかも
知れませんが、確かにそのような起源を持つ物
も少なくないように感じています。
978考える名無しさん:01/10/29 10:06
このスレまだあったのか、なつかし。
979考える名無しさん:01/10/29 11:31
全ては不確かだが、人の感情だけはホンモノだ。
人を傷つけるのは止めようと誓った。
980考える名無しさん:01/10/29 13:15
うんち
981神のDNA:01/10/29 13:40
4 >苦しみ続けることを続けなさい。

こんな良い解答(真の(神的)解答ではないにせよ、人間的な)を、

言っている方が、いらっしゃる。

この1000のレスを読む時間がないが、この4を超える解答が

その中にどれほどあるか。

人間的な考え方を辞めない限り、この4の思想には追いつかない。

私は良い事を言う人間に対してのみ、その批評を出来うると気づいた。

(まあ、それもこれが最後<当分最後>になるだろうが)

低レベルな人間に付き合えば、それこそ永劫虚空に彷徨う。

それと最後に、「真の積極性」とは、

表面的(言葉上)に積極的であることだと思っている愚者たちには

永遠に気づかれない平地に存在している。

と言うことだけ言って、終えたい。

語りだされた言葉はたちまち動きを失い(円環運動的言語であれば例外だが)

有限なものになるからだ。

さらばだ。
982考える名無しさん:01/10/29 15:15
宗教家はこんなことしか考えていないのか?
983キリバンゲッター:01/10/29 15:17
そろそろ待機。
984悟った人:01/10/29 15:29
>悟った人間なんてつまらん

だから悟りってそんなものじゃないんだって。
悟ったからって煩悩が無くなるわけじゃないし、
論理的な答えが得られるわけじゃない。
985考える名無しさん:01/10/29 15:31
新スレ立てたら?
9861です:01/10/29 15:37
立てときました

悟りを得た人、何か書いてみて その2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=1004337403
987考える名無しさん
快楽と悟りは深い相関関係がある。
もし快楽がなければ悟りなんて決して求めないはず。
人は物のように同じ繰り返しを、果てしなく繰り返しつづけるだろう。
快楽に翻弄され、絶えず浮沈する心情の終わることのないかき乱し
に対する疲弊から、悟りへの欲がうまれる。
それもまた欲に過ぎない。しかし無欲への欲であること
欲自体の自己滅却であることが、ありきたりの欲とは区別される。
しかし、たいていの宗教は、そこから誤った解釈としての禁欲主義へと走った。
そして異様に凝縮された暴力と、ニヒリズム、異界への多大な幻想をもたらした。