ベルクソン

このエントリーをはてなブックマークに追加
1器官なき身体
についてガタリませう。
いまオベンキョ中です。
だれか、詳しい人、啓蒙してちょ。
2・e・:2001/03/08(木) 00:00
フランス語の美しさなら
フランス哲学史上最強らしい。
入門者には短い論文から読むことを進めるよ。
3考える名無しさん:2001/03/08(木) 00:04
uzai
4器官なきドキュン:2001/03/08(木) 00:08
naniga?
yappa.....
5器官なきドキュン:2001/03/08(木) 00:12
>3
哲学入門とかの、岩波から出てるアレは読んだ
んですがね。
いきなり、ドルゥーズのベルクソンに行きまして。
分かるこた分かるんだけど、ま、ここでも何か得れれば
と思ってね。
そうですか、原文テクストはそんなに美しいのか。
6・e・:2001/03/08(木) 00:18
カントかわかっていれば『時間と自由』(意識に与えられたるものについての試論、だっけ)
が入門書としてはいいと思う。
『物質と記憶』は難しいよ。
余談だが小林秀雄は、個人の全集のとしては唯一ベルクソンの全集を通読したらしい。
7・e・:2001/03/08(木) 00:20
現代思想を除けば、フランス哲学はデカルトとベルクソン研究者が大半らしい。
8考える名無しさん:2001/03/08(木) 01:08
>>6
当然原書で?
9・e・:2001/03/08(木) 01:15
そうらしい。
ドゥルーズのベルクソン論は、
当時直観だとか同一意識とかいった、ベルクソン哲学の一般的な受けとられ方にたいして
ベルクソンの「持続」が、単にもや〜っとした経験ではなく、差異を含みつつ
段階的に変容するものである点を取り上げたんだよね。
10考える名無しさん:2001/03/08(木) 04:50
ベルクソンの直観って、よくわかりません。
お勧めの解説書とかありますか。
11器官なきドキュン:2001/03/08(木) 12:07
>10
前出ですが、岩波の「思想と動くもの」(ベルクソン・河野与一訳)の
「哲学入門」には、ビックラしますただ。

>9
ところで、質的な差異って、厳密にはあるんですかね?

哲学ー質的差異
科学ー段階的差異

ってことで理解してるんですが、
質的な差異ってのが、いまいちピンぼけなんすよね〜。
12考える名無しさん:2001/03/08(木) 12:40
「物質と記憶」読もうと思うんですが、誰の翻訳がいいんでしょうか?
13考える名無しさん:2001/03/08(木) 17:39
>10
ドゥルーズのがいいよ。直観は直感(inspiration)ではない。
直観は練り上げられた方法である。
1410:2001/03/08(木) 20:14
岩波の「思想と動くもの」読んだけどよくわかりませんでした〜。

>直観は直感(inspiration)ではない。
>直観は練り上げられた方法である。

カントで言えば知的直観のことを指しているんでしょうか?
いわゆる「事物から概念へ」つうやつですよね。
でも、やっぱりよくわかんない。
しろーとにも、わかるように説明しておくんなさいませ。
あと「ドゥルーズの」とは、
ドゥルーズ編纂のベルクソン選集『記憶と生』のことですね。
今度読んでみます。


15考える名無しさん:2001/03/09(金) 04:39
a
1614:2001/03/09(金) 06:40
僕のいってるのは『ベルグソニスム』です。
僕もどしろーと。たんなるドゥルース萌え。
会社であやふやな記憶に基づいて書き込んだんだけど
だいたいあってるみたい。
原書しか今手許にないんで正確さの保証は全くないんだけど
叩き台になり得ることを願いつつちょっと書いてみる。
ドルゥーズはベルグソンの直観を三つの規則にまとめている。
1.解答ではなくて問いの立てかたを吟味すること。(偽の問題の排除)
2.11さんのあげた質的差異。(僕もよくわからん)
3.問題を空間ではなくて時間(持続)においてたてること。

あんまり訳に立ちそうもないな。
そもそも僕はカントの直観てのがわかってないからだめですね。
カントの直観が単に可能な全ての経験の条件でしかないことを
ベルグソンは批判しているようですがむずかしい。
とりあえずドゥルーズの『カントの批判哲学』でも
読み返さなくちゃダメみたい。
カントに詳しそうな10番さんならベルグソンの
理解は速いかもしれませんよ。
17鼻血が出そうになっている器官なきアゲまん:2001/03/09(金) 14:45
ふんとに、質的差異ってのはなんだ???
科学では、差異は最終的に質量に還元されるんだろうけど、
厳密なる質的差異ってのは、あくまで形而上学的なものなんかね?
誰か教えてちょ!!
18考える名無しさん:2001/03/09(金) 15:04
>科学では、差異は最終的に質量に還元されるんだろうけど
エネルギーに還元されるんじゃなかったっけ?
19考える名無しさん:2001/03/09(金) 15:07
統一エネルギーってのはないから。
エネルギーってのはあくまで個々のモデルを設計するに便宜上導入されるもの。
20考える名無しさん:2001/03/09(金) 16:06
>>19
それどこに書いたありました?
21考える名無しさん:2001/03/09(金) 16:30
>>20
物理学の教科書。
22考える名無しさん:2001/03/09(金) 16:55
>>21
エネルギーが便宜的に導入されるものに過ぎないとすると、
エネルギー以外の本質体みたいなものが想定される感じが
するんですけど、その辺はどうですかね?
因みに、培風館の物理学辞典ではそんなこと書いてないんですが。
23考える名無しさん:2001/03/09(金) 16:59
ベルグソンとあんま関係ないよ
24考える名無しさん:2001/03/09(金) 17:33
そうそう。エネルギーとベルグソンはあまり関係無い。
2510:2001/03/09(金) 20:57
>>14

ドゥルーズはベルクソンがわからないと駄目ですよね。
それにヒュームとニーチェ、そして最大のライバルとしてのカントと。
哲学研究者ですら、た〜いへん。ドゥルーズ萌えはつらすぎます(わたしゃ萌えてない)。
あと「思想と動くもの」をよく読んだら、カントの悟性的直観が批判されてました。
カントが懐疑的に言及するにとどめたものを、ベルクソンは積極的に
捉えなおそうとしているみたいです。ただ、そうであるならいっそう、ベルクソン固有の、
悪く言えばベルクソンを踏まえなければ通用しない、いわゆる「持続」に関連する問題系を
もちださなくとも直観について語れるような気がします。
誰かベルクソン研究者はいないのか。教えてほしいーよー。
26器官なきアゲまん:2001/03/09(金) 21:57
>18〜23
なんか、いい加減なこと書くと恥ずかしいな。
しかし、エネルギーだとしても、量になっちゃうね。
質的差異ってなんだ?

誰かベルクソン研究者はいないのか。教えてほしいーよー。

最後は、25と同じうめきになってしまった・・・・。
27WILL:2001/03/09(金) 23:56
>>26

量に還元しないで感じられる差異の事。
…ってー言い方するしかないと思う。

個人的には量的差異と質的差異の差は
スカラーとベクトルの差ににてると思う。
28考える名無しさん:2001/03/10(土) 09:31
ベルクソンの仕事=言葉に置き換え尽くせぬことをなおも言葉にすること
29考える名無しさん:2001/03/10(土) 14:10
>28
それがただのポエジーではなく哲学であるためには
さらに何が必要なのでしょうか?
30器官なきアゲまん:2001/03/10(土) 15:08
>27
ようするに、質的差異は、傾向性、方向、趣き、といったものなんだな。
分かりやすかったよ。ありがとう。
31考える名無しさん:2001/03/10(土) 23:37
前田英樹というフランス文学の人がいるが、氏の書いたものは
ほとんどベルクソンが入っている。文字通り身体化されている。
初めて氏の本を読んだときは何がなんだかわからなかったが、
ベルクソンを多少でも齧ると氏の言っていることも分かるし、
ベルクソンのこともさらに分かってくる。ただドゥルーズが
解釈した方向でのベルクソンだが。
32WILL:2001/03/10(土) 23:54
>>29

言葉がどの様に、そしてどのような範囲の事柄を
扱いえぬかを学術的に知らしめる事ではないでしょうか。
ベルクソンは形而上学入門の中で
「哲学といわゆる科学との差は
それに人を直観へと導く努力があるかないかの差である」
と言うような事を言っている事だし。

あー、なんやかんや言ってベルクソンだけなぜかPUFの
本持ってんだよなぁ〜。
結局大学院逝かないで就職するのに…。
33考える名無しさん:2001/03/10(土) 23:55
ベルクソンではなくベルグソンが正しいのでは?
ドイツ語でもngやrgのときはグになると思うんだけど。
ハンブルグ、ペテルブルグ・・・etc
34考える名無しさん:2001/03/11(日) 00:04
>>14

ちなみに2年前くらいに出た「記憶と生」の新訳は前田英樹が
訳してる。
35WILL:2001/03/11(日) 00:09
>>33

辞書ひいてからそーいう事はいってくれい。
ちゃんとgの所の発音記号がkになってるはず。
少なくとも仏語的音声の上でベル「ク」ソンと言う表記は正しい
…と言うか間違っていない。
36考える名無しさん:2001/03/11(日) 00:31
ベルクソンはどうだか知らないが、
人名だけは、当人か親族に聞いてみないことには分らない。
方言もあるし、時代とともに変化することもある。

アメリカの政府高官に、マスコミで言われ続けていた発音が、
じつは違うということが最近わかって、話題になってたよね。
移民国家だから、よくあることらしいけど、
当人も、「どっちでもいい」ってな太っ腹な結論だった。

最近知ったんだか、おいらの苗字も、
江戸時代と明治初期、そして今では、
漢字の表記は同じだけど、
発音は微妙に変わっている。
37器官なき身体
このスレッド、終わったな。
みんな〜、純粋持続に触れよーよ!!