科学哲学

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1考える名無しさん
この板にはいないっぽいんだが、やってる人いる?
2考える名無しさん:2000/12/17(日) 23:12
やっぱりいないか...。もしいたら「理系はバカ」スレとか「哲学はムダ」
スレとかのしょーもない議論をふっとばせそうなんだが。
3考える名無しさん:2000/12/17(日) 23:41
先ず、書いてみよ。
4考える名無しさん:2000/12/17(日) 23:45
>1
俺は不勉強で何も言えないが、
思うところを語って欲しい。興味はある。
5さんせき:2000/12/18(月) 03:27
でも科学哲学って重要だよね。
気になる分野なんだけどねぇ。
ポパーとかになるんかなぁ。
知らないけど・・・。
6考える名無しさん:2000/12/18(月) 03:54
名前だけならクーンニ、火の夕べ、パパぁ、マッハとか色々出るんだけどね。
やっぱ理系に強くないと難しいよね。
この板理系嫌いおおそうだし。
7微熱症患者:2000/12/18(月) 04:19
>>6
なぜ「マッハ」だけそのままなのでしょう?
8考える名無しさん:2000/12/18(月) 10:10
昔同じような擦れがあったような気がするが。
9考える名無しさん:2000/12/18(月) 10:20
みんな理系コンプレックスの強い文系の人でした。
10名無しさん@1周年:2000/12/18(月) 22:22
科学って自然を上手に語るけど
なんであんなに上手に語れるのかってこと自体は語らない。
ホントはそれが一番知りたいのに(;;)
唯一答えてくれそうなのが科学哲学なんだけど、でもなあ・・・
科学も神話に過ぎないなんて言ってるようじゃ・・・
それこそ神話だよ、しかもかなり陳腐な
11名無さん@1周年 :2000/12/18(月) 22:29
>10
数多くの仮説が立てられ,矛盾する現象が発見されなかった説だけが淘汰されて残っただけでは?
12>7:2000/12/18(月) 23:38
思いつかなかったのです>マッハ
13名無しさん@1周年:2000/12/18(月) 23:40
どっちかって言うと逆だと思うけど・・・
矛盾を矛盾として認知できるのは科学があるからじゃない?
だって神話の世界に矛盾は生じないでしょ、
すべては精霊の業なんだから・・・


14ご冗談でしょう?名無しさん:2000/12/19(火) 01:07
哲学板のみなさんよぉ。クンニ、ポパリン、マッハッハもいいけどよぉ
数研のチャート式でいいから初級物理を勉強してから書いてくれよぉ。

15わかりません:2000/12/19(火) 01:09
>科学って自然を上手に語るけど
>なんであんなに上手に語れるのかってこと自体は語らない。
科学哲学で言う「発見問題」ですね。
いわゆる知能が高いとか天才とかいう生得的なものに根拠を求めるか、
何をどうしてテーマにしたかという心理学的なものに根拠を求めるか、
単なる偶然か、とかいろいろな立場があるようだか、
そういうものがまともに語られることは科学哲学の分野ではほとんどないですね。
ポパーは科学的発見を心理学的なものの中に追いやってしまったてるし、
ハンソンは逆に心理学よりの解釈をしているし、クーンは、社会学
のうちに科学的発見がもたらす一種の効果をを語っているに過ぎない。
そういう科学的発見に対する解釈というのは、やっぱり哲学全般の分野では、
二次的なものというか、亜流のように捕らえられているのが現状なのではないかと。
もっと発見全般について突っ込んで考えているのは、身体論とか、
言語論の分野の人たち、たとえばメルロー=ポンティなんかを読むと、もうちょっとぴたっと
くる説明を与えてくれているように思う。
科学者が発見について真剣に取り組んだ例としては、ポランニーがやはり注目されると思う。
ホワイトヘッドのプロセス哲学は、やはり捨てがたいし、いわゆる科学哲学の
中で、本当に「発見問題」の有益な議論を探すとなると、難しいんじゃないでしょうか。
16考える名無しさん:2000/12/19(火) 02:04
科学哲学も、ヴィトゲンシュタインは網羅していると思うがどうか?
総ては何らかの「言語」によって語られる以上、
主観の範囲は出ていないと思うけど。
17考える名無しさん:2000/12/19(火) 09:46
科学者は物質を扱う専門化ですね。その分バランスを逸している面もあるんでしょうが。
1892:2000/12/20(水) 05:02
発見問題って何ですか?
19ポパイ:2000/12/20(水) 05:14
矛盾を矛盾と認めるというのは、論理学の基礎的なことですね。
つまり、簡単に言えば、「事実に照らして、合ってたらマル」ということです。
まず、これが前提にないと議論することが不可能になってしまいます。
そう、ただのおしゃべり。
20ポパイ:2000/12/20(水) 05:20
>科学って自然を上手に語るけど
>なんであんなに上手に語れるのかってこと自体は語らない。

別に、科学によって世界が成り立っているわけではないし、上手に語るために科学があるわけではない。
仮説を立て、検証、反証を行なって、上手に説明するだけだ。

問題を心理学的なものと論理学的なものにわけるのは、当然。そうしないと、
この掲示板みたいに言ってることが錯綜としてくるから。
不毛な議論を避けるため、問題を分けて、しかも、方法が明確なのが、
論理的問題の方なので、心理学的問題は置いておく。

実際、心理学的問題を棚上げにしたのは、ほとんどの(存在論哲学者を除いて)哲学者がやっていること。
21ポパイ:2000/12/20(水) 05:23
心理学的問題を構造主義みたく、論理的に行なうなら、
まだしも議論の価値はあると思うが。

科学が今の世の中では一番影響力をもっているのだから、哲学者こそが、
もっと発言すべきでしょう。
22考える名無しさん:2000/12/20(水) 05:29
哲学オタはいても
あなたの言う哲学者はいないんだ。
だから、誰も発言しない。
23ポパイ:2000/12/20(水) 05:37
発見問題について論じるなら、科学哲学ではなく、科学史家、歴史家の方がよいでしょう。

バシュラールなんか、認識論的断絶なんてことを言ってるし、エピステモロジーという概念も主張している。

対象について認識する方法が、カントの物自体から脱しようとして、フッサールの現象学的還元とか、マッハの感性的要素一元論とか、出てくるけど、
結局、ヒュームが言ったようなことばかり言っている。だから、ヒュームときちんと対決したポパーは、その陥穽から抜け出てると思う。
帰納法批判=『科学的発見の論理』これは科学哲学の教科書として読めば参考になると思う。

24ポパイ:2000/12/20(水) 05:50
>哲学オタはいても
>あなたの言う哲学者はいないんだ。
>だから、誰も発言しない

なるほど、わかりました。
哲学オタクは、哲学者じゃないんですか?でも、何かしら問題を持っていて、解決したいと思ってるでしょう。
だったら、十分哲学者ですよ。私が言った意味ではなかなかいないと思いますが。

しかし、科学に対する嫌悪感というものが、この掲示板に関してはありありと見える。
スノーの著作を読んでみなくても、分かることだと思いますが、
文系は「シェイクスピアを読まないなんて信じられない」といって、理系をバカにする。
だが、理系は「エントロピーの法則も知らないなんて信じられない」といってバカにするのと全く同じです。

無知は結構ですが、偏見はよくないです。

付記:哲学畑の人が好む、A評論家だって、科哲だったんじゃなかったかな。
(これ、正確じゃないです)
方法論の問題を考えたことがあるんだったら、科学哲学はすんなり、当たり前のことを言ってるだけだと思います。
25考える名無しさん:2000/12/21(木) 00:17
22のいう哲学オタは、いわゆる
中島義道がよく指摘する「哲学研究者」のことかな?
なるほど、それならよくわかる。
いわゆる「哲学者」ならば、彼らが持つ問題というのは
ほとんど科哲に通じるものばかりだもんね。心身問題とか
ゼノンとか、単純にして難解な基本的とも言える哲学的問いは
やっぱり科学哲学だ。
26考える名無しさん:2000/12/21(木) 05:07
>ポパイ
バシュラールの何を読んだらいい?
27わかりません:2000/12/22(金) 02:26
>帰納法批判=『科学的発見の論理』これは科学哲学の教科書として読めば
参考になると思う。
科学的発見は論理学の対象にはできない、むしろ実験心理学の対象だという
哲学を私は科学哲学とは認めたくありません。
むしろ、科学が自然を対象とした学問であり、なぜそのような学問が存立
可能かという内在的問題を本来科学哲学は明らかにすべきであり、
ポパーならびにポパー派はその問題を科学的知識の客観性と正当化という
問題意識で覆い隠してしまったという印象があります。だからこそ
ポパーならびにポパー派は発見問題を実験心理学の領域に押し込める
必要があったと思っています。したがって作業仮説的に心理学的分析を
行うのではなく、必然且つ意図的に放棄しているのが反証主義の哲学です。
私としては、客観知の体系としての科学の正当性を問題とするのではなく、
科学を運動として且つ発展しつづけるものとして、その内在的な存立根拠
である発見問題を明らかにすることが科学哲学の使命と考えます。
28ポパイ:2000/12/22(金) 02:42
たしかに、意図的に放棄していますね。
ポパーが言う意味の心理学的問題は、実験心理学ではないと思います。
もっと、むかしに流行った、ポパーなりの誤解である心理学(ちょっと、説明が悪いです、すいません)だと思います。

しかし、まず哲学の目的ということを念頭に考えれば、方法論の問題に着目したのがポパーですから、
>27さんの発言のように、科学哲学の使命ということで指していることは、歴史哲学に近い立場だと思います。
ですが、ポパーの反証主義から科学史を見ていくという研究もできるのではないでしょか?
29ポパイ:2000/12/22(金) 03:04
科学的発見の論理は、ポパー的に言えば、方法論の分析に集約されるということになります。
心理学と心理主義は別物です。ここで、一般的な批判者?誤読者は勘違いしています。
『科学的発見の論理』を読めば、明らかです。

・・・・私は、新しいアイデアを案出する過程と、それを論理的に検査する方法および検査結果とをはっきり区別するだろう。
認識の論理学の課題は、―認識の心理学とは反対に―、すべての新しいアイデアが服さなければならぬ体系的テストにおいて
用いられる方法を探究することにある、という前提にたって私は・・・・(中略)
 科学者をある新しい真理の発見に導いていった諸ステップを「合理的に再構成」することが認識論の仕事であると考えた方が
よりいっそう目的にかなうのではあるまいか、と反論する人もいるかもしれない。しかし問題は、はっきりいえば、何を再構成
しようとするのかである。もし再構成されるべきものがインスピレーションの発言に関する諸過程であるとするなら、私はそれ
を認識の論理学の課題として取り上げるのを拒否しなければならない。このような諸過程は、経験心理学が問題にすべき事柄であって、
論理学のかかわるところではない。『科学的発見の論理』35-36


ポパーはこう言ってます。ちなみ、付け足すと、経験心理学という言葉遣いに、
ポパーの悪意を僕は感じます。このころは、心理学といえば、だいたいフロイト
の精神分析を指していたから、これを暗黙に含んでいると思います。
30ポパイ:2000/12/22(金) 03:08
>26
バシュラールの『否定の哲学』か、『科学認識論』かな。
『夢見る権利』と、『ロートレアモン』は科学哲学とまったく関係ありません。
でも、おもしろいですね。
31sage:2000/12/22(金) 03:14
発見とはゲシュタルト変換である。
32ポパイ:2000/12/22(金) 04:01
>発見とはゲシュタルト変換である。

そんなことをいったら、結局、科学史の解釈で終了。パラダイム論。
はいはい。うまい説明ですが、単なる説明概念でしかない。
何を目的としているかも見えない。だから、クーンは哲学者でもないし、
ただの歴史研究家。以上。

発見を問題にしたいといことは、
1.自分が発見したい=発想法
2.科学者の偉大な発見のプロセスを知りたい=伝記読めば・・・
3.科学者の思考のプロセスを知りたい=大脳生理学、認知心理学
4.科学者の「発見の論理」の研究

もちろん4ですね、ポパーの立場は。なぜ4なのか?
簡単です。批判というものに、必要、応用可能なのは、「発見の論理」という方法なんです。
この方法がきっちりとすれば、それによって、議論を発展できる。
つねに、形而上学が、神学的問題に陥るのを回避できる。
理系から、哲学は何やってんの?って、いわれるのを少しでも回避できる。
だから、ポパーはこの立場を主張するんです。科学哲学の場からでない、ポパーの批判は、
ほとんど誤読です。テキストも読んでない。引用からの完璧な勘違い。
毛嫌いする人も、読んだことがない人ばかり。だいたい、ウィトゲンシュタインの影響で
すぐさま、ポパーはカスと決め付ける。
 哲学者は、結局、議論とか言っておきながら、たんなるおしゃべりに昂じているだけですか?
そんなの、ソクラテス以前から変わってない。でも、それでいいんだっていう。
本当にそれでいいんですか?哲学界は、思想界はそれではよくないと気づき始めている。

構造主義にしろ、科学哲学にしろ、存外に扱いすぎ。で、知識人と呼ばれる人たちが、まともなことを言ってるんですか?
言ってないでしょ。かといって、鋭い研究者は・・・相変わらず、研究しています。いいんですけど・・・

ここで質問。なぜ、研究者は、社会に対して発言するべきだと思われているんでしょう・
3326:2000/12/22(金) 05:43
>ポパイ
ありがとう。
「否定の哲学」と「科学認識論」読んでみるよ。
34考える名無しさん:2000/12/22(金) 05:50
ニュートンも己の糞には気がつかず
35名無しさん@1周年:2000/12/22(金) 22:36
>別に、科学によって世界が成り立っているわけではないし、上手に語るために科学があるわけではない。
>仮説を立て、検証、反証を行なって、上手に説明するだけだ。

「上手に説明する」んですよね、科学は世界を。
それを説明する「だけ」なんて思わない。その高度な説明能力に驚異を感じます。
その高度な説明能力の根拠が「仮説>検証>反証」の方法に還元できるとも思えない。
例えば、社会科学はなぜ自然科学ほど説明能力を有さないのでしょうか。
経済学者や社会学者が怠慢で「仮説>検証>反証」の方法を
おざなりにしてるからではないでしょう。
科学とその対象との関係(物理学なら物体、経済学なら経済)が
それぞれの説明能力の厳密性、正確性に大きく影響を与えているのは確実。
対象(世界)に対する考察無しに方法論一般に科学の説明能力を帰すことはできない。
36考える名無しさん:2000/12/23(土) 01:51
発見の問題って進化論の問題にも似てる。
環境や歴史性抜きで語れるのかとか。
どうにしろ「進化」て言葉はなんか嫌い。なぜだろう。
37わかりません:2000/12/23(土) 02:04
ポパイ氏の主張がよくわからないのですが、
そもそも、私はポパーの主張に発見問題についての考察
などはないと考えています。それはポパー自身が語っていることで、
『科学的発見の論理』では
「最初の段階、つまり理論を考案ないし発明する行為は、何らの論理分析
をも必要としないし、またできるものでもない、と私は考える。人はど
んなふうにして新しい観念を思いつくのか、という問題は、実験心理学
にとっては大いなる関心事であろうが、科学知識の論理分析にとっては
かかわりのないことである」。
また、ポパーは自然についての推測を定式化することこそが、科学の理論
形成であるとして、発見の歴史過程の問題をも排除してしまうのですが、
ポパーの関心は、ただ単に客観的知識の体系としての科学の厳密さにあったといえ
るのではないですか。これは彼の出身の論理実証主義の文脈から見ても、
妥当だと思います。
したがって、ポパーをもってして発見問題は語りえないのですし、
科学史すら語ることは禁止されるのではないでしょうか。
そういう理由で、私は以上の独断と偏見によってポパーを科学哲学の
範囲に含めないことにしています。
38考える名無しさん:2000/12/23(土) 02:33
発見とは知る技術の発明である。
では知ることとは何か?
39考える名無しさん:2000/12/23(土) 02:39
発見とは意味の発明である。
では意味とはなにか?
40考える名無しさん:2000/12/23(土) 02:52

こいつ、いつも「何か、何か」っていって
自分の考えは何も言わない。
人の揚げ足を取るのは簡単だよね〜
41わかりません:2000/12/23(土) 21:13
>38発見とは知る技術の発明である。>39発見とは意味の発明である。
>40
発見問題が、科学以前の何者かに由来するという視点からは、理解できる
発言ですね。
これ読んでふと思ったのですが、
ギリシャ以来、アポロン的なるものとディオニソス的なるものの対比がありますが、
秩序たるアポロン的なるものはあらぶるディオニソス的なるものを抑圧する
にもかかわらず、自らはディオニソス的なるものに源を発するという…。
ニーチェが語っていたことですが。
科学哲学における発見問題は、もっとすっきりと解決されるはずだと思うのですが、
科学的知識の客観性に力点がおかれすぎると、どうも話が難しくなるようで、
それがややこしいな、と思いました。つまり、発見問題はディオニソス的なるもの
として分析的に論じられるのではなく、単に記述されるべものなのではないかと
思います。
42考える名無しさん:2000/12/24(日) 02:17
>>40
どこがどう人の揚げ足を取りなの?
哲学とはいかなる問いを立てるべきかを考える思考だよ
43考える名無しさん:2000/12/24(日) 02:23
>>40
>こいつ、いつも「何か、何か」っていって

なにを根拠に「いつも」なんだ??
44考える名無さん:2000/12/25(月) 00:21
何で発見なのですか?
仮説の発明ではなく。
45考える名無しさん:2000/12/25(月) 05:27
>>38
発見とは知る技術の発明である。
では知ることとは何か?
知るとは理解する技術の発明である。
では理解することとは何か?
理解するとは分かる技術の発明である。
では分かることとは何か?
分かるとは明らかにする技術の発明である。
では明らかにすることとは何か?
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

と、続いていく気がする(藁
46考える名無しさん:2000/12/25(月) 09:57
哲学から見れば科学は手段ですが、科学から見た場合に科学自体が目的という場合もあるのでしょうね。
47考える名無しさん:2000/12/25(月) 13:17
>これは彼の出身の論理実証主義の文脈から見ても、
ポペリアンはそういう捉えかたを批判してるみたいだけど
48考える名無しさん:2000/12/25(月) 14:21
49真澄@旅人:2001/01/02(火) 05:30
少なくとも、リアル理系の奴は科学哲学の言葉自体も知らないことが多い。
で、そいつがさらに生化学系だったりすると、
「へー・・数学とか理論物理学やってる奴は頭いいなぁ・・・かなわん」
とそれはそれでズレた&天然な答えが返ってくる
まぁ、数学・物理のほうがまだ接近することがあるらしいが・・
50>38:2001/01/02(火) 13:13
>発見とは知る技術の発明である。

訳分かって言ってるのかね。哲学を論理韜晦と勘違いしている
典型的なパターンのような気がする。知ることとはなんだ、と
は敢えて訊かないけど、あなたの考える「知る技術」って、具
体的に何なのか、説明して貰いたいよ。
51考える名無しさん:2001/01/03(水) 01:14
>>45

科学や哲学がトートロジーでないという根拠は?

52考える名無しさん:2001/01/03(水) 01:16
>51
マジで言ってるの?
53考える名無しさん:2001/01/03(水) 01:32
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< >>52 オマエモナー
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)
54阪京:2001/01/03(水) 01:56
自然をより最もらしく語るのが科学scienceなんや。目の前にある事象を精密に観察
して、演繹的あるいは帰納的に。
55考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:00

説明を意味のレヴェルだけで言うと、1つの意味(概念)を2つ以上の意味(概念)に分解・分類すれば、通常、対象に関する理解がさらに進んだことにはなる。
56阪京:2001/01/03(水) 02:07
>55
アナリスティックにはね。
57考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:14
>>54

自然という対象を想定した仮説がまずあるのですね?


58阪京:2001/01/03(水) 02:17
>57
すなわち、あなたの目の前に広がるものが自然です
---Natural Science的には
59考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:46
>哲学を論理韜晦と勘違いしている
そういうひと大杉だね。
60考える名無しさん:2001/01/03(水) 02:51
>哲学を論理韜晦と勘違いしている

それをいうならあなただって哲学の定義を明示しなくては
61考える名無しさん:2001/01/03(水) 04:01
↑ばか?
62名乗るほどの者ではない:2001/01/03(水) 04:06
科学って物理的法則があるって言う前提が鉄則?
63名乗ると恥ずかしい者である:2001/01/03(水) 13:37
>それをいうならあなただって哲学の定義を明示しなくては
哲学はオナニーだろ。科学は集団オナニーだ。
64ある科学者が言うに:2001/01/05(金) 02:07
科学を何かはよく分からないけど、とりあえず認めて勉強すると
より高く飛ぶ飛行機が作れたり、より大きな爆弾が作れたりするから
こりゃ便利だと広まったのが科学なわけで。

つまり使えなくなったらいらんもんですな。盲信でも宗教でも何でもいいけど
とりあえず科学の使い手たる科学者が使えそうと思うものを残すのが
差し当たっての科学なわけだから、あらゆる意味で世の中に
競争があることが科学の大前提なわけであります。

そして科学者は過去の科学を勉強してきた過程で、よりシンプルで
エレガントな説明こそ、より使えるという体験をお持ちの方が多いようで
つまりそういった感情がある新しい提案を発見と呼ぶに値するかどうかを
決めていると言ってもいいでしょう。

今はもうかつてのように自分の金で好き勝手にいろいろなことを研究して
後継者がいるかどうかも分からないままただ書き綴っておいた時代とは違って
科学者も立派な職業となりました。つまりこれは科学者ではない方々が
どういう科学者を評価するか、ということこそこれからの科学がどうなるかを
決めるという時代になったということでもあります。多くの人が使えると思って
くれるものを発見すること、これが科学者の使命だと私は思います。
65考える名無しさん:2001/01/05(金) 02:30
>哲学はオナニーだろ。科学は集団オナニーだ。

超越論的オナニー主義か?いやだなあ。

66考える名無しさん:2001/01/05(金) 16:37
>>64

自然科学は自然科学とは言っているけど、実際には技術科学だからね。
それが最終的に機械的比喩による説明であるのは必然。
機械的比喩とは結局は「人間の役に立つ」ような機能すなわち技術として対象をみること。


67考える名無しさん:2001/01/06(土) 16:17
科学哲学は倫理について語れない
68考える名無しさん:2001/01/06(土) 16:23
科学哲学はニーチェ思想について語れない

69考える名無しさん:2001/01/06(土) 23:42
哲学者は「人間の役に立つ」ような機能は担っていないんすか?
70考える名無しさん:2001/01/07(日) 01:54
科学も哲学も「反証可能性」がある点では一致し、論理的だ。
71名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 04:37
>>67
そうかな?
利己的な遺伝子を読むと、倫理や愛を科学哲学で語れると思うけど。
あの本読んで、愛や倫理をプログラムされた存在である自分ってのに
感動を覚えたんだけど、僕だけ?
72考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:52
おいおい、いつから科学はそんなちんけなものになったんだよ。
科学が目的志向になったのはつい最近だろ。日本は特にその傾向が強いが。
73考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:57
>>69
哲学も科学もその点では同じでしょう。
74考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:59
>>72
どれに対するコメントですか?
7572:2001/01/07(日) 05:01
66と69に対するこめんとです
76考える名無しさん:2001/01/07(日) 05:26
>>72
目的指向なのは、本来”技術”だぁ、、、
でも、科学と技術を一緒に推進する事は効率的で良いんじゃない?
それを、ばか文系は理解できないみたい。。。と思う。
7772=75:2001/01/07(日) 05:39
>76
ふむ。
>71
利己的な遺伝子を読むと、倫理や愛を科学哲学で語れると思うけど。

それもちがうだろ。利己的遺伝子という考えそれ自体がうさんくさい。
78傍観者:2001/01/07(日) 05:50
>利己的遺伝子という考えそれ自体がうさんくさい。

まったくです。
どうしてこうも信者が多いんだろう。
やはり、自らの決定と別の、「全能な存在」のよーなモンを希求してんのかな。
79考える名無しさん:2001/01/07(日) 09:41
でも、事実として
人間は種残す行為、生き残るために良いであろう行為で快楽を得るようにデザインされてる
ってことは確かだからねぇ、利己的遺伝子って考えを100%肯定できないけど
大枠は正しいだろ
8079:2001/01/07(日) 09:43
ハイデガーさんが
そんなこといってたような
死(生?)の実存分析だっけ?
81考える名無しさん:2001/01/07(日) 14:18
それについて詳しく知れば知るほど拘泥してしまう世界(観)の一つなのでしょうね。>利己的遺伝子
82考える名無しさん:2001/01/09(火) 00:12
思想はどこまで遺伝子の影響を受けるのかねぇ
83考える名無しさん:2001/01/09(火) 01:51
>>76

だから科学も人間にとっての技術の一種なんですよ。
84考える名無しさん:2001/01/09(火) 23:37
使えるかどうかで評価されるなら哲学も技術なのでは?

使えるかどうかで評価されないなら哲学者に税金使って給料あげる必要ないのでは?
85考える名無しさん:2001/01/10(水) 00:45
経済システムにどっぷり組込まれた知の目的志向性を求めるならそれはそれでありだとは思うけど。医学、工学、経済学、政治学などのように。
86考える名無しさん
役に立つかって人によるんじゃない?
経済システムにどっぷり組込まれた知の目的志向性を求めるならそれはそれでありだけど。医学、工学、経済学、政治学などのように。