1 :
世界4 :
2000/10/31(火) 17:25 この板にはいないかい?
2 :
考える名無しさん :2000/10/31(火) 17:57
おいら好きだよー
一人か。。まぁいいや。
ところで、この板は理系の人間も覗きに来てるっぽいが、
理系的にいってポパーの評価はどうなのだろうか。
パラパラめくっただけだが例のソーカル本はあまりポパーに対してそれほど好意的でないらしかった。
一方で文系的な人間はむしろクーンとかに持ってかれてしまうようだ。
なにか不当な扱いを受けているように思えてならない。なぜ?
↓日本ポパー哲学研究会
http://www.law.keio.ac.jp/%7Epopper/
×>あまりポパーに対してそれほど ○>ポパーに対してそれほど
5 :
だぶれむ :2000/11/02(木) 12:57
わたし自身は穏健なポパー主義の立場に立つものです それは反証可能性と反証を重視することは たとえば帰納の全否定のような極端に走らない限りは非常に有益であるという考え方です むしろ今日の科学界においては ポパーの考え方が無意識にベースになっているのではないでしょうか 厳密科学hard scienceにおいては仮説が明確に設定され 実験結果がこれを否定したときわれわれの知識は確実に一歩進むことになります だからどんなに画期的な論文でも肯定的な実験結果に対しては We suggest thatとかThe results are consistent with the hypothesis thatとまでしかいえないわけです これはNatureやScienceなどの一流ジャーナルに掲載されるような論文の基本的な姿勢となっています
6 :
考える名無しさん :2000/11/14(火) 19:31
あげよう。
7 :
リクール :2000/11/14(火) 21:54
京都賞受賞おめでとう(ワラ)
8 :
考える名無しさん :2000/11/14(火) 22:20
>7 オマエモナー
9 :
考える名無しさん :2000/11/15(水) 03:29
昔はポパーには批判的だった。 最近は歳をとるにつれてポパーに共感するようになった。
>9 演歌みたいなもんなんだね(藁
11 :
考える名無しさん :2000/11/15(水) 16:07
昔はドイツ観念論みたいな奇妙きてれつなのが好きだつたが、 今はイギリス経験論のような常識的なのがいいね。 失うものをたくさん持つようになったからか(笑)
12 :
考える名無しさん :2000/11/16(木) 17:31
ウィトゲンシュタインとかやってるのは厨房
13 :
考える名無しさん :2000/11/20(月) 19:19
あげ
14 :
名無しさん@1周年 :2000/11/20(月) 20:12
日本人なら常識的に純粋な認識がありえないことを知っている。 西洋人は不自由な西洋語の枠でしか物を感じることも出来ないから、 新カント派とかポッパーとかというような非常識がまかり通る。 日本語万歳!
15 :
考える名無しさん :2000/11/21(火) 18:56
14はヘタレ。
16 :
考える名無しさん :2000/11/21(火) 22:52
15は日本語が不自由な馬鹿。
17 :
考える名無しさん :2000/11/21(火) 23:08
17は頭髪が不自由なパパ。あ、オレじゃん!!
18 :
真偽 :2000/11/21(火) 23:25
18はうそつき。
19 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 01:31
19は狐憑き。
20 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 02:33
20は反証不可能なことばっかり言ってる。
21 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 02:37
21はそろそろ飽きてきた。
22 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 03:38
23は誰にも理解出来ない言葉を話す
23 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 03:41
○◇※?(^^^^λε!
24 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 17:28
わかった!
25 :
日本@名無史さん :2000/11/22(水) 18:39
25はつき指
26 :
考える名無しさん :2000/11/22(水) 23:39
半焼可能性
27 :
考える名無しさん :2000/11/23(木) 02:44
半焼化膿精
28 :
わかりません :2000/11/24(金) 02:29
なんかポパーの解説文を読むと、科学の科学たる基準は、どのような 具体的証拠が出れば、ある命題が虚偽であると断定(反証)出来るかに あり、科学研究は仮説を立ててこれにどのような反証が可能かを逐 次検討していくことだとありますが、そうなんですか。 それでは、ちょっと素人考えなのですが、ある研究テーマが立てられ、 それに関心がよせられたり、ある仮説が立てられたりする際の プロセスについてポパーの中ではどのように語られているのでしょうか。 ちょっと関心があります。
29 :
わかりません :2000/11/24(金) 02:38
ついでに。 科学の科学的であることについては、ポパーの言うような 反証可能性こそが科学を科学たらしめているものだという ことですよね。 なんか、思い出しますが、サイバネティックスと同じじゃ ないですか。もしくは、ヘーゲルの弁証法とか、。 そうなんですかね。 なんか不満です。 ところでポパー派の人とファイヤーアーベントとの議論が あったじゃないですか。ポパー派の人から見ると、ファイ ヤーアーベントはどう写るんですか。 そっちのほうに関心がありますね。
30 :
考える名無しさん :2000/11/24(金) 03:54
>29 サイバネティックスについてはよく知りませんが弁証法とは違うのでは?。ポパーの場合は仮説について、ある理論は正しいか誤りかどっちかで「正しい」(これも蓋然的に真であるだけで普遍的に真であるかどうかはわからない)理論が出てきた場合は今までの仮説は「反駁された」として誤りになるわけです。 ですから弁証法とは違うのではないかと思います。(ヘーゲルをきちんと読んでないので断言できません。ごめんなさい。)実際ポパーはヘーゲルを厳しく批判しています。 私はポパーの帰納主義批判などについては大いに賛成する者ですが、誤りとされた理論もいつか何らかの形で役に立つのではないかと思いますし、anything goesの考えもいいのではないかと思います。私は別にポパー主義、批判的合理主義が完全なものだとは思いませんが・・・ 「推測と反駁」か「開かれた社会とその敵」を実際に読まれてみては?哲学が専攻でもない私でもじっくり読めばある程度は理解できましたから。 多少でも参考になれば幸いです。
31 :
考える名無しさん :2000/11/24(金) 04:55
>30 付け加え「推測と反駁」のたしか終わりのほうに「弁証法とは何か」という章があったように記憶しています。手元に本がないのでちょっと思いだせませんが。
32 :
考える名無しさん :2000/11/24(金) 06:18
33 :
わかりません :2000/11/26(日) 16:03
>30ご指摘ありがとうございます。弁証法発言は、失言でした。 ところで、反証主義をサイバネティックスといったのは、沢田允茂先生 で、直接あなたの反証主義はサイバネティックスだといったところ、 かなり反論されたそうですが、間違いないと沢田先生は主張を曲げな かったそうです。授業で直接聞きました。 >32ありがとうございます。 ポパーに対する批判として常套的な批判だと思います。 確かに科学理論の正当性を科学理論のうちに求めているため、ポパーには 科学者共同体に対する視野がないように思われます。しかも、ポパーに 欠落していると思われるのは、科学上の発見がどのように行われるか についてです。孫引きですが「新しい観念を獲得する論理的方法とか、 この過程の論理的再構成といったものは存在しない」として実験心理学 の分野のことだといっています。なんかポパー哲学には、科学研究の リアリティーに欠ける気がしますね。 確かに科学上の発見といわれるものの多くのエピソードには、偶然の要素が 多く含まれていたり、研究者の努力とか執念とかが大きくかかわっているわ けですし、野口英雄の伝記を読んだりすると、血なまぐさいくらいの功名心 とかが関わっている訳じゃないですか。定式化なんて出来ないような気がし ますよね。 しかし、本当にそれだけかなって思います。やはり、科学の前進というもの の本質は、従来の見識を改めさせより豊富に広げさせてくれるもののように 思うのですが、どうなのでしょう。そこに踏み込んでくれると、俗っぽいの ですが、凡人でも天才に成れるとか、そういうご利益があるように思うのですが。
34 :
考える名無しさん :2000/11/27(月) 19:45
35 :
考える名無しさん :2000/12/01(金) 18:51
ポパーは酒は飲まず、アイスクリームなどの甘いものがすきだったらしい。
36 :
考える名無しさん :2000/12/01(金) 22:47
反証可能性はジョン・ロックの「革命権」の哲学版。 単なるイギリス市民社会つながり。
37 :
考える名無しさん :2000/12/01(金) 23:03
翻訳だから
38 :
考える名無しさん :2000/12/25(月) 12:27
あげ
39 :
考える名無しさん :2000/12/25(月) 13:18
test
40 :
考える名無しさん :2000/12/26(火) 06:47
>39 +negative=漸進的社会工学
41 :
考える名無しさん :2000/12/26(火) 07:42
>36 確かに結論として似ていなくはないですがロックは経験論。 それに対しポパーはカントの「コペルニクス的転回」をさらに進化させた上で 反証可能性の概念を提出してるわけですから単なる革命権の哲学版とは 言えないのではないでしょうか。
しかし、ポパーはなにかウソっぽい。 まあ、こう感じていて悪い理由はない。 しかし、・・・だからここに書くのさ。 ポパーはウソっぽい。ペダンテリーだ。まるで加藤尚武だ!
43 :
ポパイ :2000/12/27(水) 05:35
>33 科学のリアリティーをポパーは考えていない。 たしかに、そういわれる理由はよくわかります。 しかし、ポパーは科学が発展すべき(このすべきが重要)手順は何なのか?という視点に問題をおき、 境界設定の基準をつくりました。もし、反証可能性にある程度、科学の基準が定められなかったら、トンデモ科学 と一般の科学の区別ができない。多くの科学者の中にも、科学的といいながら、教条的な、人間もいる。 ポパーの考え=理想は、科学者は哲学者であるべきだと考えていたのだと思う。この哲学者というのは、学派を持たなかった、 師までを批判する古代ギリシアの哲人たちの立場であるべきだとポパーは考えていたと思う。 これが、あまりにも理想的すぎる。一見、反証可能性は、科学の現場ではやってないように思われているかもしれない。だが、 ファイヤーアーベントのように「何でもあり」だったら、科学と魔術は同じになってしまう。 そして、クーンのように、科学も宗教だという詭弁を弄することになる。これでは、科学の発見とかは、神のお告げと等しくなる。 そしたら、われわれの生活領域のほとんどを支配する科学=合理主義を擁護できない。つまり、われわれの問いの態度がすでに空虚になってしまう。 つまり、ヒューム的懐疑論に陥る・・・・
44 :
ポパイ :2000/12/27(水) 06:01
>しかも、ポパーに 欠落していると思われるのは、科学上の発見がどのように行われるか についてです。 科学上の発見について研究することは、歴史学、社会学の分野ですよね。 これは、哲学の分野になるのですか?またここで表現していることは、 いわゆる天才の頭の中で、どのように発想されるのか?ということですか?もしそうでしたら、 これは、脳生理学とか、認知心理学の分野ですよね?哲学ができることといったら、発展しない議論だけです。 哲学が扱ってもいいですが、だったら、可能な限りきちんと勉強して、発言するべきです。 「赤信号を渡るな」これは理念ですが、現実には、渡っている人もいる。だからといって、理念が愚かで、リアリティーのないもの であるといえるでしょうか?たしかに、反証主義は理念的すぎる。だから、学校に貼ってある標語みたいにしとけばいいのでは?と思います。
45 :
考える名無しさん :2000/12/27(水) 22:49
>44 しかも、ポパーに欠落していると思われるのは、科学上の発見がどのように行われるか についてです。 ポパーにとっては、科学的な理論において重要なのはその理論の持つ説得力もしくはテストに 耐えうるかということであって理論の起源を問うことは自分にとって問題ではないとしています。 確かに反証主義は理念的すぎるし私個人としては「成功を求める彼の痛切な欲求」を重視する ポラニ―(マイケルのほう。カールじゃないです)に共感をおぼえるのですが、論文作成の際 仮説を形成してそれに合わないデータは無視しろとまで言うような研究者が存在する現状においては 反証主義にちょっと真剣に向き合う必要があるのではないかな・・と思います。 となるとやっぱり研究者としての「良心」が大事ということになるのかな?
46 :
わかりません :2000/12/29(金) 03:36
なるほど、上記の意見やポパイ氏のご意見ごもっともです。 科学が科学としてあるのは、そこに合理性があるからであって、 この合理性こそが科学を科学たらしめているということに集約され るのでしょうか(まとめ方が悪かったら許してね)。 私としては、合理的言説と非合理な言説は論理的整合性(合理性)において区別 されるだけであって、誰でもが納得するものにはそれなりの合理性があるのだ から、私はこれだけでいいと考えています。 それですから、別段、科学と宗教とを分ける必要はないし、その理由もないと 思います。私にとってはキリスト教神学は、まさに合理主義の権化の ように思えるのですが。 また、科学上の発見について論じる土俵は、歴史学や社会学(科学史と知識社会学 でしょうか)の分野のみに限定されることではないと思います(私はここにこだわ ります)。発見とは世界を改めて言語によって記述することではないで しょうか。だとしたら、その記述された言語とその言語の背景を問題とする学は 存在するはずです。そしてこれは哲学だと思います。私には闇雲に合理主義を 擁護する気なんてさらさらありません。 少し挑発的に指摘すると「われわれの生活領域のほとんどを支配する科学=合理主義 を擁護できない」といった時点で、思惟が固まっててほほえましい気がするんですが。
47 :
ポパイ :2000/12/29(金) 07:32
>少し挑発的に指摘すると「われわれの生活領域のほとんどを支配する科学=合理主義 を擁護できない」といった時点で、思惟が固まっててほほえましい気がするんですが。 ちょっと、わからないです。すみませんが、もう少し説明してください。 科学上の発見を言語の記述の論理分析(表現が悪いですが・・・)を問題にするなら、それは一つの学問として 成立するし、これこそまさに哲学であるというのは、納得できます。 しかし、言語の背景も言語化されることでしか、論理の分析はできないわけですから、ということは、結局、構造主義しかないということになりませんか? でも、構造主義はすでに日本にはないといってもいい。しかも、反証主義は、誤解をもって、解釈?されているだけです。 まあ、誤読も解釈の一つなんですけど・・・ 科学がわれわれの生活のほとんどを支配しているのは否定できないですよね? だったら、科学が人間および世界に与える影響は、もう無視できない。 だから、いつも思うのですが、哲学の生き残る部分は、科学者の、科学の行動すべてに 神経質なくらいに批判の目を向けることであると思います。 で、この方法として、反証主義が優位なのでは・・と思うのです。ただ、それくらいの意味でしかないです。 別に、本気で科学を擁護しようなどとは思っていません。ただ、ポパー自身もやってるのが、 「聞く耳を持つ批判的態度」です。非科学が一般的にやるような議論の態度にはうんざりです。これをまさか、合理的だとはいわないですよね。 しかも、キリスト教は、ドグマであって、科学ではない。だから、科学の合理性という意味ではない。 ちょっと、まとまりがないので、また改めて書きます。
48 :
認識論 :2000/12/29(金) 07:42
科学は、非科学的なものと科学外的なものをふくんだ広い概念である。 おおよそ命題が反証可能かどうかということは、命題の検証に適用さる べき方法の適切性から判断されうるわけであるが、科学的方法はア・プ リオリに存在するわけではない。方法もまた反証可能という科学的条件 に依存・規定される。したがって、「科学的」とはいかなるものなのかを きっちり定義せねばならないが、しかしこれをやりだすと必ず最後は循環 論に陥り形而上学的議論に陥らざるをえない。わたしはポパーの認識論を 社会科学の点に限っておおかた支持するが、明快でないところも多くこれから ポパーの思想は一層洗練される必要があると考える者である。
49 :
わかりません :2000/12/29(金) 17:22
>結局、構造主義しかないということになりませんか? どのような文脈で構造主義という言葉をお使いですか? >科学がわれわれの生活のほとんどを支配しているのは否定できないですよね? もう、こういう意見というのはでないものだと思っていましたが、 科学が常に時代をリードしているという意味では認めてもいいですが、 本当にそう思いますか。近所のおじいさんおばあさんにインターネットについて いくら説明しても、わかってもらえないんじゃないのでしょうか。 正月には科学的根拠もなしに門松を飾るし、御節も食べます。 科学が支配できるのは、世界観における表層の部分だけでしょう。 ファイヤーアーベントもいってるように、そういうものもみとめにゃ いかんということですし、ポラニーを例に出せは、ポパイ氏の言う 合理主義の擁護は、行き着くところ 科学帝国主義とか、科学スターリニズムになるんですよ。
50 :
吾輩は名無しである :2000/12/29(金) 19:30
>>46 >私としては、合理的言説と非合理な言説は論理的整合性(合理性)において区別
>されるだけであって、誰でもが納得するものにはそれなりの合理性があるのだ
>から、私はこれだけでいいと考えています。
よく引き合いに出されるのが「この世の物は全て一年で2倍の大きさになる」命題です。
ここから矛盾を引き出そうとしても無理です。
長さを測るものさし自体が2倍に伸びるので。
ですから、論理的には不整合はまったくないのですが、
この命題を真面目に検討しても無駄です。
「合理性=論理的整合性」とするあなたの考え方は
この命題を排除できないので、「科学の方法論としては」
明らかに劣っています。残念ですが。
上の命題は、反証可能性に関するテストでは明らかに排除されます。
51 :
吾輩は名無しである :2000/12/29(金) 19:39
>>46 >それですから、別段、科学と宗教とを分ける必要はないし、その理由もないと
>思います。私にとってはキリスト教神学は、まさに合理主義の権化の
>ように思えるのですが。
キリスト教神学は二千年かけて論理的不整合を取り除く無駄な努力を続けた結果でしょう。
ただし、「全能の神」自体は反証可能ではないので、
「一年で二倍に伸びる」命題と存在意義はどっこいどっこいです。
52 :
わかりません :2000/12/30(土) 03:34
>「一年で二倍に伸びる」命題 一瞬、「宇宙は膨張している」という命題も間違いなのかと思いましたが、 そうなんですか。 冗談はさておき、私は科学の方法論なんて、どうでもいいんですよ、べつに ファイヤーアーベントの受け売りじゃないですが。しかも私は普通に読めばわ かるように、独自の科学方法論を提出してるわけじゃないです。 しかも、すべては伸びる命題は反証主義を持ち出すまでもなく、普通の論理学 を知っている人なら、無意味な命題ということがわかるじゃないですか。 少なくとも私は納得しますよ。だとしたら、誰でもが納得する議論じゃないので、 残念ながら、なんか的外れなお話に思えるのですが、いかがでしょう。
53 :
ポパイ :2000/12/30(土) 03:35
>>科学がわれわれの生活のほとんどを支配しているのは否定できないですよね? >もう、こういう意見というのはでないものだと思っていましたが、 >科学が常に時代をリードしているという意味では認めてもいいですが、 >本当にそう思いますか。近所のおじいさんおばあさんにインターネットについて >いくら説明しても、わかってもらえないんじゃないのでしょうか。 >正月には科学的根拠もなしに門松を飾るし、御節も食べます。 >科学が支配できるのは、世界観における表層の部分だけでしょう。 ここで科学ということで表現しているのは、技術のことです。炊飯器、テレビ、自動車・・・ 仕組みなどわからなくても、使えます。インターネットももちろん。第一、自動車だって、運転の仕方を教わったから、運転できるだけ。 おじさん、おばさんも、きちんと、習って、機器も簡単になれば、誰だってインターネットくらい使えます。 そして、何もかもに根拠を求めることをしたら、たしかに、科学がいきつくところは、科学帝国主義でしょうが、 ポパーの考えはまず、根拠を求めない。真理の確実性も断念しています。どうしたら、そうなるのでしょう。 ファイヤーアーベントも、ポパー派といってますが、肝心なところを自分なりに曲解しているので、信憑性は低いですよ。 しかも、そんなファイヤーアーベントの引用で、ポパーが崩れるとは思えません。 彼の場合は単なる詭弁ですから。 門松を立てるとか、お餅を食うとか、べつに、それを問題にしてるわけではありません。 かといって、馬鹿にしているわけでもありません。 49さんの主張は、上記のものを馬鹿にしているようにしか聞こえません。 そういう人間に特有の現象だって、記述されることで分析可能ですし、仮説を立て、反証にさらすということは可能です。 ポラニーが何を言ってるかわかりませんが、彼も原著は読んでないでしょう。多分、また聞きのまた聞きくらいでしょう。 すべてを反証にさらすことが、なぜ、帝国主義とか、スターニズムを生み出すのかも疑問です。 それと逆行する立場が、汎批判的合理主義なのですから。
54 :
ポパイ :2000/12/30(土) 03:41
>>結局、構造主義しかないということになりませんか? >どのような文脈で構造主義という言葉をお使いですか? ここでの構造主義というのは、対象を指示する言語同士の関係の論理分析のことです。 まあ、誰でもやってることだと思いますが・・・・
55 :
ポパイ :2000/12/30(土) 03:44
ポパーの反証主義は、政治家・科学者・技術者に取り入れられている。つまり、方法論として使われている。 じゃあ、ファイヤーアーベントは?ポランニーは?
56 :
わかりません :2000/12/30(土) 03:49
一応、はっきりさせておきますが、 私は、合理主義というイデオロギーに対して反対している のであって、それにこだわる必要なんかないんじゃないの、と いってるのです。 非科学的なものの考え方だってあるさ、くらいのもんです。 合理主義者なら、非科学的なものはすべて無意味だというでしょうが、 私は、そういう考えの人をほほえましく思うだけです。
57 :
ポパイ :2000/12/30(土) 03:51
科学が何でもありなら、コンノケンイチの理論を科学として、認知し、 国民の貴重な税金から、彼の研究補助金を出すことを認めなくてはならない。 これは冗談ですが、たしかに、異端というのは、認められないですが、何かしでかすこともあるので無視できません。 だから、ファイヤーアーベントもそれなりにすごいと思います。しかし、ここは文系掲示板、しかも、科学方法論がどうでもいいなら、 普通文系人は、社会科学系、政治学、経済学系に何らかの理論の応用をしようと考えているはず。 とくに、ポランニーを読む人は、そういうことを考えていますよね。だったら、ファイヤーアーベントの議論のどこに、社会学的、経済学的、政治学的価値が見出せるのでしょう。 聞きたいものです。
58 :
ポパイ :2000/12/30(土) 03:52
非科学的なものを無意味と決め付けるのは、論理実証主義。完全に誤読です。
59 :
わかりません :2000/12/30(土) 03:56
>じゃあ、ファイヤーアーベントは?ポランニーは? ファイヤーアーベントはどうでもいいや、演劇崩れの哲学者です。 ポランニーについては、ここで語るのもはばかれるほど、 科学上の業績のある方です。それを知らない貴方はいったい何者、 というくらいですよ。詳しくは、 「創発の暗黙知 マイケル・ポランニーその哲学と科学」をお読みください。 蛇足でした。
60 :
ポパイ :2000/12/30(土) 04:01
すんません。カール・ポランニーじゃなかったのね。 前レス読んでませんでした。
61 :
わかりません :2000/12/30(土) 04:11
>ここで科学ということで表現しているのは、技術のことです。 もう、これでどうだというのですか、科学と技術は違うもの ではないですか。歪曲してません?そういう方がポパーというのはどうも。 >根拠を求めない。真理の確実性も断念しています。 だから、サイバネティクスなんでしょ。所詮哲学というには、 なんか抵抗があるんですよ、ポパーには。 それと、ポパーの影響力ってあるんですか、今。まともにやってる 人って、どれだけいるんだか。
62 :
わかりません :2000/12/30(土) 04:15
>60 なんかいい人っぽい。チャットみたいですが。 >構造主義というのは、対象を指示する言語同士の関係の論理分析のことです。 私の言ってることをちょっと難しくいってるだけですよね。 要は、ちゃんと読むということですよね。誰でもやってることですよね。 いいじゃないですか。私の主張は正しいということになりますね。
63 :
わかりません :2000/12/30(土) 04:51
チャットだからいいや。 ポパーのことポパイ氏にかこつけていろいろ言ってますが、 科学と非科学の境界線を引く課題が確かに論理実証主義には あったと思うのですが、その最後に位置するのがポパーだという 認識を私はもっています。これには一定の時代的役割があったと して認めてもいいですよ。 ところで、ラカトシュとファイヤーアーベントじゃないですが、 合理主義はいったいどこまで擁護できるのか、という議論には、 改めて確かに関心がありますね。 科学と非科学の境界設定という課題は、実利的問題は度外視すれば、 無意味な言説と有意味な言説とを分ける前期ヴィトゲンシュタイン や記号論理学の人たちの課題を有意味な言説=科学という問題設定に 置き換えたと捕らえることができると思うんですね。 だとすると、有意味な言説というのは、いったい何ということになるんですよ。 意味と意義はよく間違えて使われますが、有意味な言説だとしても、 意義のない言説(無意義)だってあるわけじゃないですか。 宇宙に出て行く科学技術は、有意味な言説の体系で出来ていると思うのですが、 宇宙に出て行くことそれ自体の意義をすべての人が認めるわけじゃない じゃないですか。もっと貧困対策に予算を立てろとかね。 ところが、そこに宇宙が広がっているから、とか、最後のフロンティアだ とか言う言説は、無意味ですが有意義な言説だと思うのです。 だとしたら、一定の言説の範囲で或る命題の有意義性が認められるとしたならば、 この有意義性の有を生み出すというところに、発見があるのだと思うのです。 確かにこれは論理学の課題ではないですし、ポパーにはどうでも いい問題でしょうが、これをやるのが、ある種の批判的哲学の課題でしょうね。 このような問題設定と、合理主義の擁護がどのように絡まりあうのかに、 関心があるんですけどね。 意味と意義。これですね。
64 :
吾輩は名無しである :2000/12/30(土) 08:08
>>52 >>46 についてですが、
例えばキリスト教の譲れないドグマに「神は万能である」というのがありますが
これを使うとほとんどの矛盾を回避できます(除く自己言及)。
・何故神様はあらゆる人のことがわかるのか?答え:万能だから。
・神が存在しているというのなら、人間は何故神を観測できないのか?
答え:万能だから、人間の観測をすり抜けることなど朝飯前。
これらは「普通の論理学を知っている人なら、無意味な命題ということがわかる」
はずですから、基底部にそういうものを抱えているキリスト教神学の体系自体
無意味ということになります(とりあえず「意義」は別にしておきましょう)。
ただし「神は万能である」をはずしても成り立つ部分は別ですが。
一方でキリスト教神学と科学を特段に区別する必要も理由もないということを
おっしゃっておられます。
要するに、46を拝見する限り「無意味な命題」とそうでない命題の区別自体、
ちゃんとついておられないか、判断基準をちゃんと持っておられない。
私自身は、反証主義というのは物事を客観化するための一種の禁欲主義ないし
フィルタリングであり、方法論の色彩が強いと思っています。
「すべての言説は仮説であり反証されることを待っている・反証不能な命題は
科学の対象ではない」としておけば、「宗教のように無意味命題を欲望のまま
際限なく拡張する愚」を避けながら体系化・客観化が進められるからです。
>>63 どのように発見が行われるかについては反証主義の埒外でしょう。
発見自体は科学でも非科学でもない「未科学」領域で行われるものなので
体系化や禁欲とは当然に無縁のはずです。発見が科学に昇華されていく段階で
問題になってくるのだと思います。
65 :
考える名無しさん :2000/12/30(土) 15:49
ポパーは反証可能性が「科学と非科学の境界設定」であって
「有意味性の基準」ではないことを強調していますよね。
>>63 氏が両者を同一視したがる理由がよくわからないのですが。
66 :
わかりません :2000/12/31(日) 03:37
>64「無意味な命題」とそうでない命題の区別自体、 ちゃんとついておられないか、判断基準をちゃんと持っておられない。 これに対しては、>誰でもが納得するものにはそれなりの合理性があるのだから、 私はこれだけでいいと考えています。 これしかないと思ってます。ほかに特にありません。いわゆる 合意合理性というものもあるじゃないかと思ってます。 貴方がいってる合理性は、形式合理性だけでしょう。 たしかに吾輩氏のいうことは、つねにいちいちごもっともだと思うのですよ。 だからといって、私に対する反論になっているか、再考してください。 誰でもが納得するということ。これが基準です。もっとも或る程度は 範囲が限られますし、これに対して、少なからず疑いを持ってることも確かですけど。 それと、私は神学を無視する気もありませんが、擁護する気もありません。 そういう観点で論を展開してないですしね。 私が考えているのは、合理主義はどこまで擁護できるのかという観点ですので、 その点に対するご批判なら、喜んでお受けします。近代論も含めてね。 それと、吾輩氏が忘れていると思うのは、「批判的合理主義は 懐疑論的ニヒリズムに陥る危険性」 ということではないでしょうか。 過度の懐疑は、対象が自らを隠してしまうこともあり、対象の本質を 見逃してしまうのです。ご再考を。 >65 「有意味性の基準」と私はいいましたっけ。科学=有意味性の体系です。 百歩譲って、お尋ねしますが、それでは、なぜ科学と非科学を区別する 必要があるのですか。 私は、ポパイ氏の論を読んでいて、それらの主張は合理主義を擁護する ためだと受け止めました。もし、これが正しいとすれば、ポパーは 合理主義の立場から有意味性の体系としての科学を擁護する必要があって、 非科学の境界設定をしていると考えます。 反証主義は、科学と合理主義の擁護論。ラカトシュもいってるじゃないですか、 「合理主義の擁護」だって。もちろんポパーが有意味性の基準論をやってるわけ じゃないと弁解するのもわかるんですよ。 だって、自分は問題意識は共有しているにもかかわらず、論理実証主義を やってるんじゃないんだっていいたいんですから。
67 :
65 :2000/12/31(日) 04:48
>科学=有意味性の体系です。 という部分は誰の考えなのでしょうか? 繰り返しになりますが「科学と非科学の境界設定の基準」と「有意味性の基準」は違います。 ポパーは「反証可能性の無い言明は無意味だ」と言っている訳ではないと思います。 なぜ反証可能性のある理論とそうでないものを区別する必要があるのか。 それが批判を可能にするから、そして(科学的)知識の成長を可能にするから、 あるいは発見を可能にするから(全てを説明するがゆえに反証不可能な理論にとって「発見」は必要無い)、 ということが答えになると思います。 それを「合理主義の擁護」といってもかまわないと思いますが(66さんがこの言葉で何を指しているかにもよるけど) ポパーの反証主義が人間の可謬性を前提としていることも認識しておく必要があります。
68 :
考える名無しさん :2000/12/31(日) 11:13
3,4日見ない間にいっぱいレスがついてますね。 不勉強な私にはちょっと理解できないのもたくさん・・ >66 誰でもが納得するものにはそれなりの合理性があるのだから、 私はこれだけでいいと考えています。 これしかないと思ってます。ほかに特にありません。いわゆる 合意合理性というものもあるじゃないかと思ってます。 私もこの方の意見に賛成です。これとちょっとつながると思われる議論 ですが、ポパーはいわゆる無限背進を防ぐために、言葉の意味についての ラベル貼りの話を「開かれた社会とその敵」で行っているのですが、 しかし「個人」とか「自由」といった社会科学でよく使われる言葉はリベラリズムの言う意味でのそれと 保守主義者が言う意味でのそれとは異なるわけで、言葉一語一語が相対化 されすぎてしまっている。つまりポパーの意味基準についての命題が反駁されてしまっている ような気がするのです。これについては批判的合理主義の立場からはどう回答するのでしょうか? 誤読だったらすみません。批判をお願いします。
69 :
わかりません :2001/01/01(月) 03:09
>科学=有意味性の体系です。 という部分は誰の考えなのでしょうか? はい、私のオリジナルです。と、いうより、 有意味性の体系の中に科学が含まれるといったほうが妥当な表現でしょうか。 それとちょっとした懸念なのですが、貴方は、体系=基準と考えてらっしゃるのかしら。 >「科学と非科学の境界設定の基準」と「有意味性の基準」は違う。 そのとおりでしょうね。ただし「有意味性の基準」といった場合、 (私はこんな言葉使ってないっちゅーに。) 私には少なくとも、2つのことが考えられるのですよ。 もし、或る言明が有意味だとして、それを計ることができるかということです。 単純に言葉の使い方として有意味の反対は無意味なのだから、有無を言わせず 出来ないでしょ。有るか無いかなんだから。だからそんな言葉使ってないっちゅーに。 それと、或る考えが一定の集団に認められるという場合、これは基準があるかも しれないですね。賛成過半数とか、投票して3分の2以上とか、あいつが言ってるから 正しいとか、とりあえず面白いからとか、ひまだからとか、おなかすいてるからとか お正月だからとか…。これもある種の合理性に含めていいと思いますが、ちょっとあやふやですねぇ。 >「反証可能性の無い言明は無意味だ」ではない。 そうでしょうね。言明を科学と置き換えて、限定してやればいいんですか。 単に概念の大小程度のことと思うのですが、もっとも、ほかの方もそう 思ってらっしゃるかしら。もしかすると批判的合理主義というふうに拡張すれば、 なんとなくこの言明は正しいかもしれないですね。 >68 ご指摘の着眼点は正しいと思います。 曲解かも知れませんが、誰でもが、とか、合意合理性といった場合、 それらには社会という概念が含まれると思います。したがって、 論の中に社会という言葉をお使いになるのは、方向性として正しい だろうなとそうぞうしますが、私は「開かれた社会とその敵」を知らないので、 パスします。
70 :
67 :2001/01/01(月) 04:00
>>>科学=有意味性の体系です。
>>という部分は誰の考えなのでしょうか?
>はい、私のオリジナルです。と、いうより、
>有意味性の体系の中に科学が含まれるといったほうが妥当な表現でしょうか。
この二つの言い方は大分違いますね。
前者が非科学=無意味を示唆していて(誤解だったようですが)、
そういう考えをポパーの考えとして誤解して書いているのかと思った。
というのは、
>>56 >合理主義者なら、非科学的なものはすべて無意味だというでしょうが、
>>63 >科学と非科学の境界設定という課題は、実利的問題は度外視すれば、
>無意味な言説と有意味な言説とを分ける前期ヴィトゲンシュタイン
>や記号論理学の人たちの課題を有意味な言説=科学という問題設定に
> 置き換えたと捕らえることができると思うんですね。
という書きこみがみられたから。
わかりませんさんの考えが「有意味性の体系の中に科学が含まれる」だとしたら
この考えは別にポパーと対立しないように思います。
「有意味性を計る」についてポパーが何を言ってるか不勉強でよくわかりませんが
この部分の議論はポパー批判として書いておられるのですか?
あと、
>>「反証可能性の無い言明は無意味だ」ではない。
>そうでしょうね。言明を科学と置き換えて、限定してやればいいんですか。
>単に概念の大小程度のことと思うのですが、もっとも、ほかの方もそう
>思ってらっしゃるかしら。もしかすると批判的合理主義というふうに拡張すれば、
>なんとなくこの言明は正しいかもしれないですね。
この部分の意味がちょっと取れません。
>>67 の他の点については納得していただけたのでしょうか?
71 :
わかりません :2001/01/01(月) 04:03
>なぜ反証可能性のある理論とそうでないものを区別する必要があるのか。 >それが批判を可能にするから、そして(科学的)知識の成長を可能にするから、 >あるいは発見を可能にするから。 本当にそうでしょうか。私にはこれはものすごいイデオロギーだと 思うのですよ。そんなことは科学のどこをどうひっくり返しても 表にしても、斜めからでも出てきやしないんじゃないでしょうか。 成長という言葉を使っている以上、科学における時間概念を認め ているのだから、この文脈では歴史という概念も成立すると思うの ですが、貴方の論は歴史は合理的に連続性をもって進展するという 一種の歴史観ですね。唯物史観と変わらないじゃないですか。 或る日突然天才がやってきて、突然ものすげー理論出すことだって あるじゃないですか。科学史のダイナミクスという点から言えば、 こっちのほうがリアリティありそうでしょ。あまりのものすごさ とどえりゃー結論に回りは右往左往なんてしてね。そのうち、 みんなそっちのほうがわけわかんなくてすごそうだからなびい ちゃったりしてね。それとは別に科学にだって流行やはやりすた りやどえりゃーお金のにおいになびいちゃったりとか、あるじゃ ないですか。
72 :
考える名無しさん :2001/01/01(月) 04:22
とほほ。 >或る日突然天才がやってきて、突然ものすげー理論出すことだって >あるじゃないですか。 もちろん。 では、その天才(でなくてもいいけど)は何故古い理論ではなくて わざわざ新しい理論を出さなければならないのか? 古い理論ではある事実を説明できない(反証された)けど、新しい理論ではそれも説明できるからでしょう? 反証可能性はそのようにして発見や新理論構築への理由を与える、という意味のことを書いたつもりです。 >それとは別に科学にだって流行やはやりすた >りやどえりゃーお金のにおいになびいちゃったりとか、あるじゃ >ないですか。 それでは困るでしょう?
73 :
67 :2001/01/01(月) 04:22
72は67です。
74 :
わかりません :2001/01/01(月) 04:35
元旦早々チャットですねぇ。 失礼ですが、私は言葉の使い方として、普通に書いてるつもり なんですが、そういうのわかってもらってないですねぇ。 貴方が引用された部分と「有意味性の体系の中に科学が含まれる」は 相反するものなのですか。 貴方は時々議論の焦点を細かく分断しすぎて、論点を見失う傾向に あるようだ。
75 :
わかりません :2001/01/01(月) 05:02
とほほ、か。 (新春なので)ほーほけきょ まず、 >それでは困るでしょう? 現実はそうなんだぜ、ベイビー。みんな困ってるんだ。 >では、その天才(でなくてもいいけど)は何故古い理論ではなくて >わざわざ新しい理論を出さなければならないのか? どうも本末転倒だな。周りが新しいか古いかを決めてるってことじゃないの。 >古い理論ではある事実を説明できない(反証された)けど、新しい理論 >ではそれも説明できるからでしょう? この表現は気をつけなきゃいけねえな。 未完成な理論ときちんと完成された理論と言う意味じゃそういうこ とだね。これを仮に秀才の理論としようか。 ところが、まったく新しい理論(仮に天才の理論)は古い理論を無視 するということがある。突然やってくる。 周囲にしてみたら、古い理論と新しい理論というように見えるけど、 すでにあった理論と突然やってきた理論というのは、話が違うんだぜ。 まず、用語が見かけ上同じ用語でも、意味がまるっきり違う。 やめた。パラダイムチェンジに共訳不可能性だ。勉強してきてください。
76 :
67 :2001/01/01(月) 05:10
>未完成な理論ときちんと完成された理論と言う意味じゃそういうこ
>とだね。
「完成された理論」? 全然違いますって。
>>67 「ポパーの反証主義が人間の可謬性を前提としている」って書いたでしょう?
故意に歪曲してるのかな?
もし気が向けば、ポパーについて勉強してきてください。
あなたのポパー批判らしきものは言いがかりに近いと思うので。
77 :
考える名無しさん :2001/01/03(水) 05:17
agetoko
78 :
考える名無しさん :2001/01/12(金) 16:18
あげ
79 :
考える名無しさん :2001/01/25(木) 12:46
あげ
80 :
考える名無しさん :2001/02/13(火) 20:30
レスつかないかもしれないけどあげときます。
81 :
考える名無しさん :
2001/03/11(日) 11:33 age