1 :
名無しさん@1周年 :
2000/08/10(木) 05:33 非論理的な人に対して論理的なアプローチで説得することは難しい。 というのは、非論理的な人にとっては話の論理構造を理解し、 核心をとらえることが難しいために、議論が論点からずれることが多く、 また、そうした相手が何かの主張や反論をする場合、 結局何が言いたいのかが明確でなく、理由付けも納得できるものでない ことが多いためです。 また、こちらが論理的に有効な反論をした時、それを反論ととらずに、 その人本人への攻撃と誤解して感情的に反応することも多い。 こうした非論理的な人々を論理的に説得することは可能なのでしょうか? もしくは、論理的に議論を進めることは可能なのでしょうか? (「非合理的な人は議論や説得の相手にしない」というのも一つの考えですが、 この場合は、そうした人々をどうしても説得しなければならない状況での話と させて下さい)
2 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 06:07
感情で説得しろ。
3 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 06:19
プロパガンダの手法を利用しろ。ヒットラーや宗教家に学べ。 1.同じことを繰り返す 2.感情を高ぶらせる。 3.自分を演出する。(自信たっぷりな話しぶり。服装。) 4.おごる。そうすると、あなたに借りをつくっていると思うので、説得されやすくなる。 5.相手に好意をもっているふりをする。そして、あなたが説得する内容を理解すればそいつのためになるんだということをいいきかせる。 6.もし、説得に納得しなければ、地獄が待ってるぞ、といって脅す。 ほかにもいろいろ・・・。詳しくは、IPAのホームページや情報操作関連の本をよもう。
4 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 06:21
>1 議論を核心からそらすのも一つのテクニックですよ。それが必ずしもその人の非論理性をあらわさないでしょう。
5 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 07:37
なぜそんな人を相手にしようとするのか?>1 その人達ははたして非論理か?
論理学を1から教えてやればいいじゃん で非論理から論理的な人間に改造しちゃえ
7 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 08:02
>5 >その人達ははたして非論理か? 少なくとも1はそう思っているらしい。実際はどうなんでしょう? 単なるものの見方のすれ違いかもしれない。 よく自分の見方を相手が理解しないと相手が非論理だと決め付ける人間もいるが・・。 でも、そういう人間って単に多様なものの見方の存在を知らなかったりするだけのこともよくある。
8 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 08:35
>1 どういう意味で非論理なわけ? 具体的にいってくれないと。
9 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/10(木) 08:38
あー、わかるわかる。 それが親だったりすると、「論理的じゃないこと」が自分に転移してて、 「精神の垢」みたく蓄積してて、人格歪んでしまってて、 二十歳近くなって全部落とすのに苦労したりするよね。
10 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 08:52
>また、こちらが論理的に有効な反論をした時、それを反論ととらずに、 >その人本人への攻撃と誤解して感情的に反応することも多い。 これは困りますね。 普通の状況では別に非論理的ではない(与えられた前提から論理的に 妥当な結論を導出することができる)のに、自分の意見を批判される と自分の人格に対する攻撃だと思って感情的な反応をとる人がいます。 私はネット上の論争でひどい目に遭いました。
11 :
名無しさん@1周年 :2000/08/10(木) 10:59
>10 そういう誤解する人がいるということはわかってるんだからさぁ、あらかじめ「これは攻撃じゃない」とつけくわえればいいじゃん。 個人攻撃とか煽りだと捉えられそうな場合は、いつもそうしてるけど。
12 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/10(木) 11:56
なおさらまずいって>11
13 :
10 :2000/08/10(木) 12:30
>>11 あらかじめ「私は相互批判によって、より洗練された考えを得たいと思っ
ているだけです。個人攻撃をするつもりはありません」と断っておいたの
ですが、逆効果でした。
このような物言い自体がカチンとくるようです。見下されているように感
じたのかもしれません。
そーゆールサンチマンの固まりみたいな人は避けるのが吉。
15 :
( ̄ー ̄) :2000/08/10(木) 13:38
そもそも、「説得されたがらない人」を説得しようと思うのがアホだ。 非論理性は「論理的な説得」に対して論理で応じられないが 心理的に受け入れたくないと思う人の「最後の反応」なのだ。 もはや、その人の運命は、神の手に委ねられたというべきだろう。(笑)
16 :
1 :2000/08/10(木) 22:37
皆さんの早速のご意見に深く感謝いたします。
以下、まとめレスが続きます。
かなり長いですが、よろしかったらお付き合い願います。
>>2 感情で説得しろ。
>>3 プロパガンダの手法を利用しろ。ヒットラーや宗教家に学べ。
人を説得(?)する際の一つの手法としてプロパガンダ的手法が有効な場合も
あることは認識しています。広告や演説はまさに典型例ですね。
ただ、プロパガンダ的手法はどういう状況でもベストなわけではありません。
例えば、話をする相手に、主張だけではなく、その主張に至った経緯を正確に
知って欲しい場合。もっと言えば、騙した形で従わせることが得策ではない場合。
「論理的に議論しなければならないケース」の参考例については後述します。
17 :
1 :2000/08/10(木) 22:39
>>4 議論を核心からそらすのも一つのテクニックですよ。
それが必ずしもその人の非論理性をあらわさないでしょう。
>>5 その人達ははたして非論理か?
>>7 単なるものの見方のすれ違いかもしれない。
>>8 どういう意味で非論理なわけ?
「議論を核心からそらすのも一つのテクニック」というのは、ある種の状況では
確かにその通りです。
本来は論理的思考が十分備わっている人でも、自己利益を始めとする何らかの
個別的都合を優先するために、あえて理を通さない場合がありえるのですから、
「論理的な話を受け入れない」からといって、「その人は非論理的だ」
と言うことは当然できません。
ただ区別しなくてはいけないことは、こうした場合には、何らかの特殊な意図を持って、
意識的に論点をずらすという行動にでている、ということです。
いわば【意識的論点ずらし】です。
が、私が「非論理的な人」と表現した対象は、この【意識的論点ずらし】を
する人ではないのです。
すなわち、
『頭の中では論理をきちんと理解しているが、何らかの理由でそれを受け入れたくない人』
を指しているのではなく、
『論理的な形式をきちんと備えた話を聴いても、その基本的な論理構造を
つかむことができない人、論理構造をつかめないことによって、話の論点を
無意識に(無邪気に)ずらしてしまう人、さらに、話の論点がずれていること
に自力では気付けないし、相手の論点修復努力があっても元に戻ろうとしない人』
を指しているわけです。(【無意識的論点ずらし】と呼びます)
1の中で「非論理的な人は〜論点からずれることが多く...」と述べたのは、
この【無意識的論点ずらし】の現象について言及したかったのです。
18 :
1 :2000/08/10(木) 22:41
>>5 なぜそんな人を相手にしようとするのか?>1
>>8 具体的にいってくれないと。
>>15 そもそも、「説得されたがらない人」を説得しようと思うのがアホだ。
「非論理的な人と論理的に話し合うことは可能か」という本題の一般性が損なわれる
可能性が高いので、「なぜ話す必要があるか」という部分で詳細な設定はあえて
しませんでした。(「話す必要がある」ことを前提としました)
というのは、例えば、「非論理的な上司と論理的に話し合うことは可能か」といった
限定的設定を含んだ命題としてしまうと、その状況特有の条件下での議論に終始して
しまい、「論理」を核としたアプローチに関する意見交換ができないと考えたためです。
この例に沿って言えば、「他の人間を巻き込んで上司と話し合いをすべき」とか
「とりあえずその上司の歓心を得ることに注力すべき」などといった、「論理」という
核心から大きく離れた意見が噴出する可能性が高いと判断したわけです。
ただ、「なぜ非論理的な人と論理的に話さなければならないのか」という状況について
ある程度理解していただくためには、いくつか例示しておくことは必要ですね、やはり。
多少大袈裟な部分もあると思いますが、参考として例を二つ挙げておきます。
(あくまでもフィクションです)
19 :
↑続き :2000/08/10(木) 22:42
例1) A「X事業を継続するか否かについて検討すべきだ。 なぜなら過去5年間、期待利益水準に達しておらず、 また今後も好転する見込みが無いためだ。 業績が振るわなかったのは、○○や△△といった事が原因であり、 好転が見込めないのには、××や□□、それに◇◇などの ネガティブファクターが存在するためだ。」 B「X事業から撤退するだって?そんな事は許せない。絶対許せない。」 A「撤退すると決めつけてはいない。ただ継続するのであれば、何らかの 手立てが不可欠な状況だ。そうした有効な解決策があるのか、 それとも無いのかを話し合う必要があると言っている。」 B「好転が見込めないとはどういうことだ?私を悲しませたいか? ○○?そんなことは私の知ったことではない。 ◇◇なんて関係ない。とにかく根性があれば乗り切れる。」 A「貴方を悲しませるつもりはない。 X事業の採算性を問題としているだけだ。 それに、根性だけで乗り切れるとは言えない。 とにかくまずは詳しい話をさせて欲しい。 疑問に思う点、間違っている点が出てきたら一つ一つ指摘して欲しい。」 B「話など必要ない。とにかく不愉快だ。 撤退などもっての他だ。」 例2)A「仕事の事で悩んでいる。君のアドバイスが是非欲しい。 新しい部署に移動して1年経つが、どうにもやる気になれない。 はっきり言えば、つまらなすぎるんだ。 それまで○○一筋でやってきて、全く畑違いなのでとまどってもいる。」 B「辞めるって言うの?冗談じゃないわ。転職先の当てはちゃんとあるの? 生活どうするのよ。子供は?家のローンは? それに、予定していた旅行や買い物は?」 A「辞めるとは言ってないじゃないか。仕事の上であれこれと悩みを抱えているから 妻である君に少し聴いて欲しいんだ。」 B「結局、辞めたいってことでしょ?一体これからどうなるのよ? 路頭に迷うなんて私は御免ですからね。」 A「ちょっと待ってくれ。僕は辞めるとは一言も言っていない。 悩みがあるから相談に乗って欲しいだけなんだよ。 頼むから、妄想をひとまず置いて、冷静に聴いてくれ。」 B「あなた夫でしょ?だったら妻子を養うのが当たり前じゃない。 もし仕事やめるというのなら別れさせてもらうわ。」 上記はあくまでも、「なぜ話す必要があるのか?」という当然の疑問に対して 例の形で状況を説明したものに過ぎません。 「非論理的な人と論理的に議論することは可能か?」という本スレッドの命題に対して これらの例に沿った形での議論は必要ありません。 上でも述べましたが、各論に陥ってしまう可能性が高いためです。 よろしくお願いします。
20 :
1 :2000/08/10(木) 22:43
>>6 論理学を1から教えてやればいいじゃん
これは確かに一つの解決策ではあります。
ただ現実的にはなかなか実行に移せなかったりします。
一番大きな原因は、「非論理的な人ほど、論理の重要性に対する認識が乏しい」
ということです。極端な例では、「自分は充分に論理的だ」と確信している
感覚先行タイプの人もいます。そうした人が、自主的に論理学を学ぶという
インセンティブを持つことは恐らく困難でしょう。
第二には、「知的方法論に属するものは他人に薦められれば薦められるほど、
習得意欲を無くす傾向がある」ということがあります。
「論理的に考え、発言すること」を薦められると、どうも自分の思考や
発言態度を侮辱されたように感じてしまうようなのです。
結局、思考活動に関わる件である以上、趣味を薦めるのとは違ったインパクトが
あるようです。
そして第三には、---これはきわめて現実的な話ですが---、
「日常における現実的問題を話し合うことの方で時間を取るのが精一杯で、
「論理学」そのものについて教える時間も余裕もない」
ということを挙げざるを得ないのです。
また現実として、将来的に議論の場で関わる人々すべてに、予め論理的思考を
備えていることを期待することはできません。
すなわち、問題なのは、
一緒に議論をしなければならない人々をその都度、教育することではなく、
「相手が非論理的な思考の持ち主であり、何の教育も前提としないままで
論理的議論が必要になったその時に、いかにしたら良いか」ということです。
その結果として、「非論理的な人といきなり論理的な話し合いは実質不可能」
ということであれば、それもそれだと考えています。
「非論理的な人とでもどうにかして論理的な話し合いをしたい」ということでは
ないのです。
21 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 02:00
>1 もうちょっと短めに書いてくれない? (省略されました・・全てを読むにはここを押してください) とでるので読みにくいです。
22 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 02:04
結論でてるんじゃないの? >その結果として、「非論理的な人といきなり論理的な話し合いは実質不可能」 >ということであれば、それもそれだと考えています。 >「非論理的な人とでもどうにかして論理的な話し合いをしたい」ということでは >ないのです。 以上
23 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 02:18
>19 こういう状況って、わかるけどね。そんなこと言ってないのに、なんでそういうことを言ったと決めつけるんだ?っちゅうことでしょ。 要するに、思考方法って個人によって違うんだと思う。理屈で物事を捉える人もいれば、感情で物事を捉える人もいる。後者は「言外のこと」を「雰囲気」で捉える傾向にある、と思う。そういう傾向も日常では役に立つことが多い。それが欠けてしまった場合、ある種の「欠陥人間」であると思う。 ただ、感情的に物事を捉える人と論理でやりあうとなると無理でしょう。「論理」という共通のツールをもつことで初めて通じ合うことができるわけだ。 というわけで、そういう人と話す場合は論理的な筋道は抜かして、あなたの思考の要点だけを何回も話してあげればよいと思う。
24 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 02:32
非論理的な人ってはいないんじゃないのかな? それじゃ、言葉自体が全く意味を持たなくなってしまう。 異なる言語ゲームに属しているもの《他者》って理解でいいのかな?
25 :
( ̄ー ̄) :2000/08/11(金) 10:19
19> (例1) 書いた人はBが「非論理的」だといいたいのだろうけど ワタシにいわせれば、Aのほうがよほど「非論理的」である(笑) なぜかって?それはAが 「なぜ、BがX事業の延長を望むのか?」 について、まったく考えていないからである。 要するにAは人のコトバを聞いていないのである。
26 :
( ̄ー ̄) :2000/08/11(金) 10:24
19> (例2) これも同じ、ホントウに非論理的なのはBでなくAである(笑) 実はBは、Aが求めるアドバイスを返している。 それは (明確な部分) 「どのような状況であっても、仕事を辞められては困る」 (陰の部分) 「でも貴方の仕事なんて私は全然わからないわ。 どんな悩みだか知らないけど、全部自分で解決してね」 ということだ。 したがって、Aが論理的ならば、ホントウに返すことばは 「聞いてくれ!」 とわめくことではなく 「・・・・・」 と黙ることである。(笑)
非論理的な人とともに自爆する、論理的破綻を 明らかにさせることしかないでしょうね。 あとは心理学の領域です。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 13:25
おれ頭悪いから論理的ってどういう意味か分かんないよ でも論理的に考えなくちゃモノが理解できないってのは頭悪い 考えなくてもできるやつはすごい
29 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 14:07
人間は理屈だけで生きているんじゃないんだから、論理的でないという非難はどうかと思うけどね(笑) 論理なんて、それこそ訓練なんだし。 非論理的なものについては、ゆっくりと理屈の破綻と気遣いで説明していけば良いでしょう。 面倒とか単に優越感に浸りたい、とかは論外。
30 :
名無しさん@1周年 :2000/08/11(金) 16:35
>25,26 あなたがどういう意味で「論理」という言葉を使っているのか知りたい。定義してみてください。
↓俺の好きなセリフ 馬鹿に最後に語ってやれる言葉は皮肉だけだ。 しかし、真の馬鹿はそれが皮肉である事にも気づかないのである。
>31 じゃぁ、せいぜい自分に皮肉を語ってやってください。それでも、キミは自分の語る言葉が皮肉だと気が付かないほど馬鹿だろうが。
33 :
1 :2000/08/12(土) 01:40
軌道修正の意味で、ここで少し「論理的に話すこと」について簡単に 補足したいと思います。 日常的な意味での「論理性」ないしは「論理的形式」というものは 実はそれほど多くを要求しているわけではありません (学問的な意味での「論理学」は確かにそれなりの奥行きはあり、専門的。 あえて言えば、実用的方法論というよりは高度な言語遊び、または 高度な言語パズルと言った方が近い)。 「日常的な意味での論理性」として原則として必要なことはたった二つです。 @何かを主張するならば、明確に述べる。 Aその主張を支える根拠を十分に述べる。 これだけです。 @について例をあげれば、 「こうした悪習慣を外国人が見たら果たしてどう思うだろうか。」 ではなく、 「こうした習慣は直ちに廃止するべきだ。」 と、何が言いたいのかを明らかにしなさい、ということです。 そして、Aについて言えば、 「こうした習慣は直ちに廃止するべきだ。」 と、なぜ断言できるのか、理由を十分に説明しなさい、ということなのです。
34 :
1 :2000/08/12(土) 01:40
軌道修正の意味で、ここで少し「論理的に話すこと」について簡単に 補足したいと思います。 日常的な意味での「論理性」ないしは「論理的形式」というものは 実はそれほど多くを要求しているわけではありません (学問的な意味での「論理学」は確かにそれなりの奥行きはあり、専門的。 あえて言えば、実用的方法論というよりは高度な言語遊び、または 高度な言語パズルと言った方が近い)。 「日常的な意味での論理性」として原則として必要なことはたった二つです。 @何かを主張するならば、明確に述べる。 Aその主張を支える根拠を十分に述べる。 これだけです。 @について例をあげれば、 「こうした悪習慣を外国人が見たら果たしてどう思うだろうか。」 ではなく、 「こうした習慣は直ちに廃止するべきだ。」 と、何が言いたいのかを明らかにしなさい、ということです。 そして、Aについて言えば、 「こうした習慣は直ちに廃止するべきだ。」 と、なぜ断言できるのか、理由を十分に説明しなさい、ということなのです。
35 :
1 :2000/08/12(土) 01:51
軌道修正の意味で、ここで少し「論理的に話すこと」について簡単に 補足したいと思います。 日常的な意味での「論理性」ないしは「論理的形式」というものは 実はそれほど多くを要求しているわけではありません (学問的な意味での「論理学」は確かにそれなりの奥行きはあり、専門的。 あえて言えば、実用的方法論というよりは高度な言語遊び、または 高度な言語パズルと言った方が近い)。 「日常的な意味での論理性」として原則として必要なことはたった二つです。 @何かを主張するならば、明確に述べる。 Aその主張を支える根拠を十分に述べる。 これだけです。 @について例をあげれば、 「こうした悪習慣を外国人が見たら果たしてどう思うだろうか。」 ではなく、 「こうした習慣は直ちに廃止するべきだ。」 と、何が言いたいのかを明らかにしなさい、ということです。 そして、Aについて言えば、 「こうした習慣は直ちに廃止するべきだ。」 と、なぜ断言できるのか、理由を十分に説明しなさい、ということなのです。 なぜ「ゆっくりと」ではなく「直ちに」なのか、あるいは、 なぜ「規制する」ではなく「廃止する」なのか、(まだまだ掘り下げは必要ですが) それぞれの必然性について、聴いている人が納得できるように説明しなさい、 ということです。
36 :
1 :2000/08/12(土) 01:54
書き込みが重なってしまいました(^^; 削除屋さん、34、35を消していただけないでしょうか?
37 :
1 :2000/08/12(土) 01:57
↑訂正します。 削除屋さん、33、34、36、及び、この37を削除して いただけないでしょうか?
38 :
名無しさん@1周年 :2000/08/12(土) 02:18
1が非論理的だという話し方のパターンって日本人に多いような気がする。例えば、ニュースとかの一般人のコメント・意見とかみてそう思う。「やっぱ、○○でしょー」とかなんとかいって、相手が自分に同意してくれるべきだ、という考えがあるのだと思う。(「やっぱ」って、根拠述べる気のないときに使う言葉なんだろね。) 大学とかで学んだりすれば、ちゃんとしたパターンをつかむことができればかわると思うけど。 論文とか書くときだって、基本的には主張があってそれを根拠や例でサポートするわけだから。 もっとも、常にこういう論理性を求められるわけでもない。TPOです。
39 :
名無しさん@1周年 :2000/08/12(土) 03:29
もっとやってくださいませ
40 :
名無しさん@1周年 :2000/08/12(土) 03:36
ためしに誰か非論理的を連れてきて、その人を説得してみて ください。
41 :
無しさん@1周年 :2000/08/12(土) 05:21
ちょっと面白いので書きます。 「論理的」というと難しくなるので、たとえば虚言症になった友人がいるとします。 で、この彼と自分が無人島に二人だけだとして、どうやって彼の妄言を論駁できるか?・・・というのはどうでしょうか? ちょっと問題提起がおかしいでしょうか・・・(汗) すごく困難なことに思えます。三人いれば、もう一人とも相談したりできると思うのですが。いかがでしょうか。
42 :
名無しさん@お腹一杯 :2000/08/12(土) 06:33
哲学板で語るにふさわしい話題だな。 でも、上に挙げた例から見ると、「論理的じゃない人」というより、 「単に頭の悪い人」の問題を話してる気がする。 能力の高い人が低い人に合わせるのは当然のことなので、 (外国人と日本語で話すときはゆっくり話すでしょ?) 頭の悪い人に説明するときは、相手の思考枠組を理解して、 相手の思考枠組みにそって翻訳した形で話すしかないと思う。 具体的には、25・26の人が書いたような感じ。
44 :
名無しさん@1周年 :2000/08/12(土) 12:08
論理的に生きる為に世俗を断切れ!
45 :
名無しさん@1周年 :2000/08/12(土) 13:31
このスレ、馬鹿馬鹿すぎない?
46 :
1 :2000/08/13(日) 04:44
なぜ、ある場合には「論理性」が必要なのか。 あるいは、感情のかたまりと言っても決して言い過ぎではない「人間」 が多数集まっている「世俗」であっても、感情のやり取りだけでは 不十分(もしくは非効率)と言い切れるのか。 これを説明するために、もう一つ、例を挙げてみます。 上の例と同じく、この例の内容に沿った各論は必要ありません。念のため。 例)(場面)勤務先の人事部長に、貴方は突然解雇通告を受けた所です。 人事部長「この3月で残念ながら貴方には辞めていただく事になりました。 明日以降、出社の必要はありません。 残余期間の給与は100%支給します。」 貴方 「いったい、どういうことなんです。こんな急に言われても... 理由を教えて下さい。納得できません。」 人事部長「必要ありません。とにかく、これは既決事項です。」 貴方 「私の知る限り、何も落ち度は無いはずです。 それに、それなりの成績も挙げているはずです。 納得できる理由を言っていただけない事には、家族にも説明できません。」 人事部長「残務整理とその後の手続きなど、詳細については、人事部の○○君 が説明することになっています。その指示に従って下さい。 それと、一つ。 今後の求職活動等での貴方の立場など様々な事情が妙な事にならない よう、賢明な行動を取ることを忠告しておきます。 以上です。」 さて、どうでしょう。 納得できる理由付けのない相手の判断を、「貴方」はどう受け止めますか。 こうした状況でも、 「人間はそもそも感情の動物だ。現実世界では論理性など全く必要ない。」 と言いきれますか?
47 :
名無しさん@1周年 :2000/08/13(日) 04:44
1は論理的というより、ただクドイだけだから、相手がイライラしちゃうんだよ。 「論理」という言葉を何個使えばきがすむの?
48 :
名無しさん@1周年 :2000/08/13(日) 04:46
ただ嫌われてるだけでしょう? 要領が悪いから。
>46 なんか1の例のシチュエーションって独特だな。 要するに、1は家庭と職場でトラブルをかかえる中年のおじさんってとこか。 もうちょっと違う例にしてみたら?
50 :
名無しさん@1周年 :2000/08/13(日) 16:18
1さんはお気付きのように、今、
「論理をもって、『人々を論理的に説得することは可能』という主張が議論できるかも知れない」
という前提でこのスレッドを建てたのですよね。
まさか、「ここにレスする人は全て論理的だ」という根拠のない前提を置いているわけではないでしょ。
>>40 さんの提案
>ためしに誰か非論理的を連れてきて、その人を説得してみてください。
は連れてこなくとも必ず現れます。
その人は1の論理的破綻(間違い)を論理を持って指摘するのではなく、
【意識的論点ずらし】【無意識的論点ずらし】か
『どうも自分の思考や発言態度を侮辱されたように感じてしまう』
のでしょう。
話変わりますが、
昔、大学で物理学を専攻していたときよく仲間同士で論争になりました。
数学、物理の論争は大抵白黒がつきます。
これは、同じ論理(ルール・前提)に基づき論争するからでしょう。
問題は論争に敗れた場合、モーレツに悔しいのです。負けは自分でも判りますから。
そこで、「あいつは頭はいいけど人間性がね…」となって、数学、物理と違う論点でリベンジします。
この分野なら、勝敗は論理と別の要素(例えば、声の大きさ)で「決着つかず」も可能です。
ですから、本当に頭のいい人(性格がいいとは限らず)は
「君の論理もうなずけるけど、でもね…」とか
「なるほどね。そういう考えもあるね。でもね…」
等と枕言葉を忘れません。
論争に負けたあとよけい悔しくなる時もありますが…。
*『』は1さんからの引用
51 :
名無しさん@1周年 :2000/08/13(日) 19:33
>50 >数学、物理の論争は大抵白黒がつきます。 このへん同意しますね。これらは論理性が前提となっているから、結果も明確なのです。しかし目下の問題は「非論理な人」(あるいは事態)に対して、よりわかりやすく「説得」する手段を考えたい、ということではないのでしょうか。 >ですから、本当に頭のいい人(性格がいいとは限らず)は >「君の論理もうなずけるけど、でもね…」とか >「なるほどね。そういう考えもあるね。でもね…」 >等と枕言葉を忘れません。 これは要するに性格が悪いということですね(笑)。 ところで 非論理=頭が悪い という前提でしたら、もう何も語る必要はないのじゃないでしょうか? 知能の低い場合は、論理性以前(治療するとか)の問題でしょう。論理を知らないだけなら、説明できる可能性はあると思います。
52 :
名無しさん@1周年 :2000/08/13(日) 23:19
興味深いテーマなので少し参加してみようと思います。 1さんが「論理的な説得」にこだわるのは実際の場面で苦労された経験を踏まえて の事と推察しますが、要はコミュニケーションの可能性についての問題だと思います。 「非論理的な人」と言う場合、その原因としてはざっと @ 俗に言う、頭が悪い(知的な訓練が弱い) A 感情的な傾向性が強い(理性的な志向性が弱い) B 利害得失にこだわる傾向が強い(正否よりも功利を重んじる) C 物事の客観性に対する認識が弱い(現実よりも主観的願望に傾く) と言った事柄が挙げられるでしょう。器質的な障害を措けば、本来人間が持つ 論理的能力にそれほど個人差があるとは思えないにも拘らず、「非論理的な人」 と呼べる程の人がいるのは上記のいずれかのためだと思われます。 人は日常生活においてまず生きる事を第1優先にしますから、(かのハーバーマス の言う)「理想的状態における対話」は滅多になし得ないとしても、だからと言って 生きる事自体が決して「非論理的な」事柄ではないでしょう。つまり論理的と 言ってもいくつものレベルがあるのです。 いずれにせよ、現代社会におけるディス・コミュニケーション状況には根深いもの があると言えます(1さんの挙げられた例はすべて社会的な根を持つものばかり ですね)。また、3さんが書かれている様に、非言語的コミュニケーションについて の理論的な研究は遅れており、ナチスの宣伝あるいは現代のテレビコマーシャル等の 実践的な成功を十分批判的に分析できるまでに至っていない。 以上、長くなりますので、取りあえずこのくらいで中断します。
53 :
名無しさん@1周年 :2000/08/14(月) 01:34
非論理的な人に対して論理的な説得を試みるのは限界がある。 論理思考能力は人それぞれだから、どんなレベルにおいても この種の苛立ちは避けられないと思う。 相手の思考レベルにレベルを合わせて、ケースバイケースで 対処して行くしかない。 俺はかてきょで教えてるあほ生徒(勉強意欲ゼロ)に対して 勉強する必要性うんぬんを論理的に説得するのではなく (最初はしたが無駄とわかった) 「勉強できたら女にもてるぞ〜」(根拠なし) 「こんどのテスト100点とったらごほうび上げるよ」(嘘) など彼のレベルに合わせて、感情に訴えかける方法を採っている。
54 :
名無しさん@一周年 :2000/08/14(月) 01:39
>53 そりゃ、最悪なかてきょだな。 その生徒は53を首にして、新しい教師を雇ったほうがいいだろう。
55 :
>54 :2000/08/14(月) 02:22
残念ながら成績は順調に上がってます(笑)
56 :
1 :2000/08/14(月) 05:29
>>50 >「ここにレスする人は全て論理的だ」という根拠のない前提を置いているわけでは
おっしゃる通りです。
そこまで理想主義では。。。(笑)
ただ、例えば、人生相談板などではなく、哲学版に出したというのには、やはりそれなりに
期待しての事でした。
すでに何人かの方が議論に参加して下さっているので、その意味ではすでに、本スレ立ち上げ
の意義はあったと考えています。
>数学、物理の論争は大抵白黒がつきます。理系の方でしたか。実は私もです(工学出身ですが)。
助手や助教授に論理の甘さをさんざん指摘されてほとほと参ったものでしたね。(笑)
>等と枕言葉を忘れません。
ご指摘の通りだと思います。
コミュニケーションにおける気配りの一つと言えるでしょうね。
57 :
1 :2000/08/14(月) 05:31
>>51 >目下の問題は「非論理な人」(あるいは事態)に対して、よりわかりやすく
「説得」する手段を考えたい、ということではないのでしょうか。
そういうことだと思います。
これに
「非論理的な人」に、「主張」と「理由」をきちんと説明してもらうためには
どう仕向けたら良いか、
ということも付け加えることができます。
まとめて表現すれば、
《「非論理的な人」との間で、双方が正当に納得できる結果にたどり着くための議論手段》
~~~~~~~~~~~~~~~~
ということになるでしょうか。
58 :
1 :2000/08/14(月) 05:32
>>52 >「非論理的な人」と言う場合、その原因としてはざっと
なるほどですね。この分類を利用させていただければ、
@(知的訓練不足)及びA(感情先行型)は【無意識的論点ずらし】につながる事が多く、
B(功利主義)及びC(主観先行型)は【意識的論点ずらし】につながる事が多い、
と解釈可能に思います。
ただ、Cの「主観的願望派」については、【無意識的論点ずらし】につながる要素もありそう
ですね。主観にこだわり過ぎている状態に、本人が気付いていない場合もあるでしょうから。
>>52 >つまり論理的と言ってもいくつものレベルがあるのです。
現代社会におけるディス・コミュニケーション状況には根深いものが
>>53 >非論理的な人に対して論理的な説得を試みるのは限界がある。
相手の思考レベルにレベルを合わせて、ケースバイケースで
そういうことのようです。
そういう意味では、会話手法が全く異なる相手との議論の一切を嫌い、一つの議論ルールが
前提とされている世界に閉じこもっていたくなる人々の気持ちがわかるような気がします。
ただ、自分が多くの人々と接触が必要な世界にいる場合は、そういうわけにもいかない
ですねぇ。。(^^;
できる限り「論理的」に接することが、結局は双方にとって納得度の高い議論ができるのでは、
と考えていたのですが。。
59 :
名無しさん@1周年 :2000/08/14(月) 08:04
>58 >一つの議論ルールが前提とされている世界に閉じこもっていたくなる人々の気持ちがわかるような気がします。 「一つの議論ルールが前提とされている世界に閉じこもる状態=自閉的状態、自分の中に閉じこもる状態」っていえるかもしれない。つきつめて考えてみると、本質的には誰とも同じ前提を共有していないかもしれないからだ。 要するに、多くの場合「何が自明であるとするか」ということが個人によって違うため、個人がもっている前提が異なるのである。 例1 宗教関係者は経典の中に、ある命題を正当化する「根拠」を見出している。その「根拠」を見て信者は十分に納得している。その根拠の正当性は彼らにとって「自明」なのだ。しかし、その宗教の外側にいる私はその「根拠」の根拠は何なのか、と疑問に思うだろう。 例2 小学生のとき「1+1=2」と習う。「1個のみかんにもう一個のみかんをたすと2個のみかんである」など、具体例と照らし合わせて、「直観的」に「1+1=2」という命題を理解する。この具体例は「証明」や根拠ではない。「1」は「一個のみかん」ではないし、具体例はもとの命題の正当化をしないのである。しかし、何故かその根拠や証明を与えられなくても私は納得している。 要するに、例1はさらなる「根拠」を私が求める場合、例2は根拠を必要としないと私が感じるケースである。 数学の場合、「これ以上の根拠はいらない」という規約を定めることがある、と思う。その規約のため、合意に達することが可能である。(もちろん、規約主義には異論もある。)しかし、多くの議論の場合、そのような規約はないようである。だから、「どの程度まで説明する必要があるか」というのは個人の「主観的な自明性」にまかせられるのだと思う。 「主観的な自明性」のすれちがいがあるため、論理によってのみ合意するのではないのだと思う。「あなたはこのレベルでの根拠で納得してくれますか?」という風に相手に同意を求めることになる。同意を求めることによる共有というのは、最終的には論理ではなくて、感情であることもあるだろうと思う。 (んんん、わかりにくい説明ですね。誰か、うまく説明できないですかね?)
60 :
名無しさん :2000/08/14(月) 11:12
『スタートレック』の中に登場するボーグとかバルカン人みたいに、 あなたよりも更に「論理的」な存在を想定して、 相手の主張する「論理的だが受け入れにくい主張」に、 あなたが説得されるとしたらどういう場合だろうか? という考え方をしてみてはどうでしょうか。
よく議論がかみ合わないと言う事はあるけどその場合、 片方は本当に非論理的なのかな たいていの場合、論理そのものがおかしい語りはしない 普通気づく だから前提で食い違ってるのかもよ 片方がA→B もう片方がα→β なら永久にかみ合わないよ そういう時ってAとαのどっちをとるべきかって議論も必要だよね 関係ない話だった? んじゃ去る
62 :
横レスだが・・・ :2000/08/14(月) 16:45
要するに、自分自身の思想や存在の誤謬性や無意味性を 認められるか、耐えられるかにかかっていると思う。 自分が今まで生きてきた人生や、自分が営々と築いてきた思想、信条が 今すぐ全てゴワサンになっても平然としていられるか? 真に理性的な人間ならそれでも平然としていてしかるべきだろう。 そういう人物が相手なら1さんも悩む必要はないだろう。 でも、日本人は異質の考えとの接触の機会に乏しいからだろうと思うが、 そんな人間はほとんどいない。 なら、手八丁口八丁でいくしかないね。 日本人が理性的な判断ができるなら 恐らく太平洋戦争もバブル崩壊も起きなかっただろうしね。 そのかわり高度経済成長もなかっただろうけどね。 現実的には「自分の言う事は誤謬に満ちている」というスタンスで 極力相手を見下す、教えを授けてあげるみたいな態度 はいっさい排除して説得にあたることだろうね。 まず、議論や論理外で相手から信頼を得てからね。 日本人はそういう民族だからしかたないね。
63 :
62=横レスだが・・・ :2000/08/14(月) 16:58
僕も数年前までは人とよく議論をしたものだ。そのたびに 「そんなことを言ったら人間は何のために生きてるのかわからない」 「そんなことを言ってはイカン」 「じゃあ、生きがいとかやりがいとかはどうなるんだ?」 「オマエはデリカシーがなさ過ぎる!」 「仙人みたいなことを言ってるんじゃねえ!」 みたいなことを言われ続けてきた。 論理的であるべきときは徹底的に論理的に、 そうでないときはそれなりに… ってとこで妥協するしかないでしょう。 何にしても人生において合理的であろうと、非合理的であろうと 大きな実績を残すしかないんだろうと思う。 論理に関係なく人から信頼されるしかないんだろう、きっと。
>すべてを論理で構成しようとすることは、知性の傲慢ではないか? 傲慢とかいう前に端的に不可能です。
66 :
≠65 :2000/08/14(月) 19:58
65の補足をします。 例えば、ある命題P1があるとします。 P1は事実命題か当為命題かまたはそれらの複合かのいずれかです。 事実命題は経験的に真であるか偽であるかのいずれかで、ほぼ全ての人が経験的にそれらを判断できます。 当為命題はより大きい当為命題を挙げてその価値観にあわせて決定するしかありません。 従って純粋な当為命題は論理的に判断するには不適です。 また、事実命題のみで構成された命題は一般的には何も語ってないととられるでしょう。 例えば、「Aという視点からBとCを見るとDという結論が得られる。」 という文章においてAという視点に立つのは論理からではないですよね。 なぜAにたつのかという問題を論理のみで追求はできないということです。 ですから論理のみが端的に不可という表現が可能なんですね。 論理学ですら論理のみで構成されてはいないということです。
67 :
名無しさん@1周年 :2000/08/14(月) 21:56
非論理的タイプと判断される人間はその事象に対する判断・認識を行う場合、表象に依存する度合いが極端に高い為、論理的アプローチでは合意を得る事はできません。その事象のコンテクスト上(両者が属するルール・世論・知的根拠・時間的前後関係等)においてあなたが論理的であり、相手が非論理的であると判断できる場合、その論理的立場において非論理的人間の観察・分析を行い、その結果をもとにした対処・対応が必要です。 ここで忘れてはならないは、ある事柄において非論理的タイプと判断できる人間でも他の事柄(往々にして非論理的である事柄とは微細な差異しかない)においては論理的であるという事です。問題となる事象がその相手に対して真に論理的判断を必要とする場合においてのみ、あなたの対処・対応(判断・行動)は倫理的かつ論理的であると言えるのです。
ホントに怖いのはね。 自分が論理的なつもりのに、実は論理のかけらも無い事だよ。 最近になって気付いた
69 :
52 :2000/08/14(月) 22:14
まず、論理的であることは何故望ましいか? それは @客観的な世界が論理的にできているから。 A人間は共同存在として普遍的なものに基礎を置いているから。 と答え得るでしょう。 @については、「いや、現実世界は不条理に満ちており、論理など役に立たない。」 と言う反論が返ってくるかも知れない。しかし、(社会を含め)自然の一部と しての人間は世界が究極的には合理的であることを信じなければ生きていけない でしょう。ただし、その場合、それは「究極的には」という点をどれだけ辛抱強く 持ちこたえ、真理の探求あるいは対話を続けられるかに掛かっていますが。 Aについては、「いや、人間同志を繋ぐものは論理(理性)ではなく、むしろ 愛の感情である。」という反論が返って来るかも知れない。これは前に書いた 非言語的なコミュニケーションの意義に関わってきます。愛の交感にもレベル の違い(性愛、友愛、同胞愛、人類愛、存在愛等)があるように、論理的な 説得にもレベルの違い(表象・想像力への訴えかけ、判断の相互提示、推論の 展開(前提への反省)、概念把握の共有等)があります。感情も理性もより 高いレベルにおいて相互浸透して、共同性もより普遍的になるのではないで しょうか。 自閉症、宗教あるいは独我論は論理の問題ではなく、感情やイデオロギーの 問題です。それは論理学の問題ではなく、社会学の問題でしょう。 したがって、論理といっても決して通常の論理学で説かれているような狭く、無味 乾燥の、大して役に立たない形式論理ばかりではない、と言えます。 抽象論理について最も思索した哲学者の一人であるヴィトゲンシュタインも、後には 論理世界ではなくコミュニケーションの現場に降りて来ざるを得なくなった。それは、 論理の無力を知ったと言うより、狭い論理概念に固執していたからでしょう。
「現場に降りてくる」「論理概念に固執」ね。。。 ヴィトゲンシュタイン先生も嬉しかろう。
( ̄ー ̄)さんと重なるかもしれませんが、事実関係ではなく倫理的な問題に関する議論では 相手が説得できた(あるいは最初から解ってた)場合でも "間違った行動"を「解っちゃいるんだけどね」と続ける事は珍しくありません(其の方が多いかも)。 それともこれは、本当には解っていないからと見なすべきでしょうか?(byソクラテス?) >46 理由付けされた場合こっちが「非論理的な人」になりそうな…
72 :
名無しさん@1周年 :2000/08/15(火) 03:51
スレ復活あげ
73 :
名無しさん@一周年 :2000/08/15(火) 13:06
前提は共有可能か? @共有できない。個人の恣意的なものである。 A共有可能なものである。普遍的なものである。 上の議論をみると、このへんに食い違いがあらわれていると思う。さて、どっちが正しいでしょう?
74 :
>73 :2000/08/15(火) 14:44
>このへんに食い違いがあらわれている そうかも知れないけど、1が悩んでいるポイントはそこじゃない。 ポイントは、いかに(論理的でも非論理的でも)説得するか、だ。 とにかく、説得成功後、望む結果が得られれば十分。 たとえ、前提を共有していなくとも。 この複雑な世の中、「前提は共有できない」という前提を共有することが大切。 法律でいうところの思想、信条、宗教、良心の自由はそこからきてる。
具体例を挙げると荒れるんで挙げないけど(俺ってのもあり?) 論拠だとかを示していても非論理的的な人は沢山いる しかもこの場合、向こうが説得されない相手を「非論理的」と見なしてきます。
76 :
>75 :2000/08/15(火) 15:21
そういうやつは一度イタイ目を見ないとわからないよ。
77 :
>76 :2000/08/15(火) 15:41
いや、そういうやつは、一度じゃなくて百回くらいイタイ目を見ても 自分の愚かさをかみしめることはできないだろう。
78 :
名無しさん@一周年 :2000/08/15(火) 17:51
>74 1をいいかえると「論理的な人と非論理的な人の対話の可能性」っていうことだと思う。 これは、73で提起している問題とつながってくるかもしれないのである。 「論理的な人と非論理的な人」の対話のすれ違いというのは、単なる「前提の違い」とも捉えられるからである。なぜかというと、説得される側が説得する側を「非論理」と呼ぶ場合の多くは、「『自分』の納得するような根拠(前提)を相手が示さない」ことに原因するからである。また、逆にその人が説得する側のとき、説得される側が「『自分』の根拠に納得しない」ために相手を非論理とみなす。(75と関係ある。) 「論理的」「非論理的」というラベルも単に1が自分の視点から恣意的につけたものであるし、とりあえず、「論理」「非論理」という区別は考えないで、「前提」の食い違いだと考えてみたらどうなのかということです。(もっとも、これも恣意的ではありますが。) 前提が食い違っていなかったら、対話の問題はない。(たぶん) 食い違っていたら、そのような食い違いを超えてどのように対話や説得が可能なのか?ということです。
79 :
名無しさん@1周年 :2000/08/15(火) 18:19
いやいや、何故かイタイ目見るのはいつもこっちだったりする
80 :
電波猫>76 :2000/08/15(火) 18:39
でも、トンデモさんがこちらの方で無いという事を保障は無かったりするんですよね。 俺の中でそうでないと考える根拠はの一つは世間だったりします。 もし宇宙人と遭遇したとして彼らが我々の目に出鱈目としか見えない論理を主張してきたらどうでしょうか?(そんな事は有得ないと言うのも一つの答え)
81 :
名無しさん@1周年 :2000/08/15(火) 19:58
お、「非論理的」な奴が一人入ってきたぞ いらっしゃい>80
82 :
52 :2000/08/15(火) 20:59
質問>80 「出鱈目としか見えない論理」とは例えばどのようなものを考えているのでしょう? 論理とはあくまで普遍的であり、かつ客観的なものです。 同じ世界に住む主体同志として「遭遇する」ことが出来る以上、既に対話の可能性は 出来ていると思います。 論点が拡散しないように、短くレスします。
83 :
>82 :2000/08/15(火) 21:48
84 :
52 :2000/08/15(火) 22:25
>83 >何らかの事情でカウンセリングを受けた人が皆、 >性被害・児童虐待を受けたと言い出して無実の者が >裁判にかけられ、その告発者の証言だけで有罪になる >ケース が存在したという事実を受けて、 >強者にも弱者と平等の権利を与えることを求める! >弱い者ばかりかばうのは不公平だ! >弱いものは強くなれば良い! >強くなることを諦めたものに援助を与えるな! と主張している人ですね。確かに相当論理が混乱しており、重症のようです。 こういう人に対しては、自分の非論理とその原因を自覚させるために、反論より は質問をすべきでしょう。 @ 誰が「弱いものばかりをかば」っていると言うのか? A このケースでは「強者と弱者は同等の権利を」持っていないのか? B 無実の罪を被った人は強者なのか、弱者なのか? C 弱者は「性被害・児童虐待を受けた」人のことなのか、 それとも「性被害・児童虐待を受けたと言っている」人のことなのか。 D 「告発者の証言だけで有罪になる」のが不公平なのか、 それとも、「強くなることを諦めたものに、(告発の権利という)援助を 与える」のが不公平なのか。 等々。 こうして発言の分析をして行けば、彼も冷静に自己を分析し、自分の主張の非 論理性と、何故そのような主張をしたのか、本当は何に腹を立てているのかと いうことに気づいて来るでしょう。これは精神分析であり、論理分析ではない と思われます。特に、差別主義者はイデオロギー的な盲目性に陥っているので、 虚偽の意識をとり除くような対話をする必要があります。
85 :
名無しさん@1周年 :2000/08/16(水) 01:39
age
86 :
名無しさん@1周年 :2000/08/16(水) 01:41
スレッドがなくなっていた時のカキコです。
−−
[8:4] ★論理的に説得できるか?リンク ■▲▼
1 名前: 1 投稿日: 2000/08/15(火) 03:55
元スレはこちらです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=965853202 議論参加者の方は是非ブックマークしておいて下さい。
2 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/15(火) 07:57
過去ログ、一応生きてはいるんだ・・・
3 名前: ゲーデルの不完全性定理は 投稿日: 2000/08/15(火) 14:50
どうなのよ?
論理的に正誤を判断するのは不可能だけど正しい、もしくは
間違ってる命題だってありうる。
そうであれば、たとえ相手がゴリゴリの論理的な人間でも
説得することは不可能だ。
たとえ同じ論理体系の中で生きていても。
4 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/08/16(水) 00:48
この文脈で不完全性定理を持ち出すのはミスディーリングだと思います。
数学の領域での決定不能性と、議論の場での説得不能性とは全然別の話でしょう。
87 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/16(水) 07:46
私は【無意識的論点ずらし】が、めちゃくちゃ得意です! というか、まともに議論ができない人らしいです。。。 論理的に考えられる人から見ると、私は本当に主観的な考え方なので、イライラされるでしょうね。 私は高卒でなので、論理に関して全く知識がありません。 論理的な思考・議論の仕方を教えてくれる場所は、あるのでしょうか? 高卒の私にもわかるような、論理学の本などあれば教えてください。 論理的な考え方ができないと、結論が全く出ないし困っています。
ワシは【意識的論点ずらし】がメチャクチャ得意じゃ。 人をケムに巻くことでは2chで1,2を争うな(笑) しかも大抵の連中は、つけこむスキもないからイライラしっぱなしだろうよ。 ワシは大卒だが、口が達者なのはそれ以前からだな。 要するに論理より心理、人の顔色を読んで、そいつが考えていない 「スキ」を徹底的につきまくるに限る。こんなもんは本で勉強する ようなことではない。実践あるのみ。 さあ、あなたも論敵をケムにまいて遊んでみよう。(爆)
89 :
電波猫@「非論理的」な奴>52 :2000/08/16(水) 13:40
>「出鱈目としか見えない論理」とは例えばどのようなものを考えているのでしょう?
83のは返事もありませんから煽りでしょうね。
この人なんてどうでしょう。
http://www.interq.or.jp/world/soejima/boyaki/ 沢山の方が説得しようとして失敗してきました。
イデオロギー的に汚染されているのは確かだと思いますが、84のやり方で説得できるとは信じられません(この考え自体が硬直的かも)。
彼等は批判者側こそイデオロギー汚染されている非論理的な人間だとしています。メタな立場から見ればどちらも同じ事を言っているようにうつるでしょう(俺は批判者側の正しさを確信していますが)。
「論点が拡散しないように」この議論を批判しておきます。
「エイリアンの主張を翻訳するのに我々の論理をもってする、従って異質な論理など存在しない」と言う議論があります。
これを応用して相手の考えを理解している事をもって、自分が「論理」の側にいるとする。
http://tako.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gender&key=960793108&ls=50 あるいは52さんの言う通り論理は普遍なので、懇切丁寧な議論をしていけば、自分が間違っていれば必ず気付くはずだと言う議論も成り立つ。
(どっちも問題があるような気がしますが、それを言い出すときりが無いので)。
論理の普遍性についてはパスさせてください。
文章力が無いための長文失礼します。
誰もこなくなった。電波のせいか?
91 :
名無しさん :2000/08/16(水) 20:32
ずいぶん難しい話ばかりですね。僕には読むことすらできません。 ところで、「論理的な人を非論理的に説得できるか?」の方が面白いような気が するんですけど・・・。
92 :
J回帰 :2000/08/16(水) 21:13
21世紀を前にして恥ずかしい若者が増え始めたね。
93 :
>91 :2000/08/16(水) 22:21
つうかその話をしてるんじゃ?続けようぜ
94 :
52 :2000/08/16(水) 22:39
>89 ご指摘のサイトおよび下記2chのスレを1時間半程眺めてきました。 >副島隆彦ってどうよ? >1 名前: 宮台真司 投稿日: 2000/03/19(日) 14:00 初めて見た論者なので勿論断定的な事は言えませんが、それ程の知性派でも 論理明晰な論者とも思えなかった(単なる印象)。 多少のアメリカ政治思想界の知識をもって、小室流「市場原理主義」を説く 単なる自信家のようですね。 ただ、批判する側も事柄に即して向かっている人が少ない(「現実」氏とか がいたようだが)ため、長い論争の割に実りのない応酬になっている。 確かに自由市場主義とは政治経済上の一つの立場ですから、それ自体が直接 非論理的な訳ではないが、彼の論の立て方は(誰かが書いていた「陰謀論」 めいた雰囲気が確かにあり)あまり根拠のないものだと感じました。 「陰謀論」はイデオロギー的思考の一つの典型だと思います。 あと、林道義氏については、他の人の批判がありますので、省略します。 いずれにせよ、きちんと議論すれば真の対立点が明確になるだろうと思わ れます。
95 :
哲学の哲って何だー!! :2000/08/16(水) 22:48
>94 がんばれー
96 :
電波猫 :2000/08/17(木) 09:42
別に副島氏や林氏自体はどうでも良かったんですが…… このレス状況で下手なレスするとスレをのっとってしまうので ただアゲ
97 :
名無しさん@1周年 :2000/08/17(木) 12:11
論理的に整合性がある説得の多くも非合理的状況に 大きく左右される、だからあとは心理学の問題です。
98 :
名無しさん@1周年 :2000/08/17(木) 14:10
論理より愛だよ
99 :
名無しさん@一周年 :2000/08/17(木) 14:17
論理的=整合的、矛盾がない、といえるかな? 例) 実際の例をあげる。ある宗教団体の主張の例。 仏教には「因果の道理」という考え方があるが、「善をすると、善なる結果が返ってくる」「悪をすると、悪い結果が返ってくる」と考える。 信者はこれを全てに適応することが可能である、と考える。「岩が突然おちてきて、怪我したら(=悪い結果)それは自分の悪業のせい」など、一見理屈にあいそうもないものでも、この「道理」によると正当化される。 「因果の道理」はまた、今の生の前の生(=過去世)と死んだ後の生(=未来世)の存在も肯定する。なぜなら、因果の連鎖は普遍的なものであるため、今の人生の中で途切れてしまうわけはないからである。 さて、この主張は論理的か?一応一貫性はあるようにみえる。 もし、これが論理的でないとしたら、「論理的」といわれるために必要な条件はなにか?
100 :
名無しさん@一周年 :2000/08/17(木) 14:21
99続 論理的であることと正しいことは別物だっていう主張もありえるかな? じゃぁ、正しいって何だろうね?(横道それちゃうけど)
101 :
名無しさん@1周年 :2000/08/17(木) 14:46
正しいとは、殴り合って勝った方の主張のことだろ。 でも殴り合うと勝っても負けても疲れるから、ルールを決めて話し合ってるんだよね。 で、たまたま今の時代は「自然科学的」ルールが標準になっている。 非論理的なヤツはたぶん殴り合った経験がないか、人類殴り合いの歴史を知らないん だろ。殴り合いに疲れるまで待つしかないだろうな。
102 :
名無しさん@1周年 :2000/08/17(木) 14:47
正しい、間違っているなどの価値判断は究極的には 人間の快、不快の感覚によらざるをえないだろう。 一般的には、非論理的な人ほど短期的な快を追求し、 論理的な人ほど長期的な快を追求すると言えるかな? 例外はいくらもありそうだけど。
103 :
>102 :2000/08/17(木) 14:53
例外がいくらでもあるものは一般的ではないと思うぞ。 論理的にいって(笑)
一般的なものっていうのは、例外がたくさんあってもおかしくないぞ。 もし102が「普遍的には」っていってたら、つっこめばよかったのに。(w
105 :
俺様は論理的だ :2000/08/17(木) 17:54
自分自身を論理的だという奴が 本当に論理的だったためしが無い
それは96で終わったの
電波猫と52の対話噛合ってねーぞー 論理的な人達?
108 :
52 :2000/08/17(木) 21:14
>90 >「エイリアンの主張を翻訳するのに我々の論理をもってする、従って異質な論理 >など存在しない」と言う議論があります。 一見「なるほど!」と言いたくなるような議論ですが、少し考えるとおかしな事 に気づきます。議論の前段で述べられている「我々の論理」とは正確には「我々の 言葉」と言うべきでしょう。たとえば「dog」→「犬」と翻訳する場合の論理と は何でしょう?それは両者が同一の対象を指しているという事であり、 @ エイリアンは対象xを指して「dog」と言う。 A 我々 は対象xを指して「犬 」と言う。 の事態をもって、「・・・は対象xを指して『○○』と言う。」という部分が 翻訳を可能にする「命名」という論理構造です。そしてそれは両者で同一である事 が想定されている。両者で命名の論理構造が異なれば、命名概念は崩れ、翻訳不可 能となります。つまり、論理の普遍性(同質性)を保証するのは、対象世界の客観 性であり、「同じ」世界の中でエイリアンと遭遇できるという事です。 更に言えば、エイリアンと殴り合う事ができるのも同じ世界に住んでいればこそで すから、殴り合うよりはやはり対話を求めた方が良いと思いますね。
109 :
52 :2000/08/17(木) 21:56
>100 >「岩が突然おちてきて、怪我したら(=悪い結果)それは自分の悪業のせい」など、 >一見理屈にあいそうもないものでも、この「道理」によると正当化される。 これは殆どの宗教が使う手口(と敢えて言います)ですね。 まず、こういう場合(私を含め)無信心な人は普通どう考えるかというと、「運が悪 かった。」でしょう。つまり、岩がおちてきて怪我をしたのは偶然だと言う事です。 「世界は様々の原因が働き合っており、特定の事象が起きるかを完全に予想すること はできない。」と言う事を経験的に学んできたのです。いわゆる「因果律」というのも、 科学的な考え方からすると常に条件的で、特に統計的な概念なのです。 ところが、宗教家(迷信家)は因果律を無条件的かつ個別的な概念とみなします。 「善なる原因は善なる結果を生む。」とは同義反復の単なる可能性の判断に過ぎない のに、それを実体化させ、「必ずそうなのだし、そうでなくてはならない。」と思い 込んでしまう。そのために逆に究極の原因(神、カルマ等々)を捏造することになる。 こうなると彼らはこの地上を離れ、実証不可能な自己完結した世界に行ってしまうた め、彼らと出会うことが難しくなる。 これは宗教的イデオロギー共通の神秘的な実体化という非論理(道理の無い事)です。 この非論理の人を説得することは極度に難しいが、根は心理的かつ社会的な所にあり ますから、まずその面から現実世界に引き戻した後、その主張の非論理性を納得させ ることは可能でしょう。
だから、「出鱈目としか思えない論理」云々を持ち出したのは「非論理的」な相手を説得しようとしてると思っていても、「非論理的」なのは実は自分の方かも知れないという文脈で出しただけなんですってば。例えば、副島氏相手に喧嘩をした場合世間が副島氏の方が間違っていると是認するので世間の後ろ盾が無い状況を想定したかったわけです。 異質な論理の存在を証明したい訳じゃありませんて。 エイリアンの議論ですが大体理解なさっておいでのようですが少し捕捉(訂正じゃない)を(我流の解釈入ってる上、拡大解釈してますが) 異生物と遭遇したとしてその知性がどのように働くかが解れば、彼らの「論理」が解ったと言えるでしょう。そしてそれは我々の論理とは「異質」では有得ないでしょう。(しかし、間違ったシステムが組み込まれている可能性はあるかも知れません、自然選択によって小さなものに抑えられているだろうとは思いますが) >>「エイリアンの主張を翻訳するのに我々の論理をもってする、従って異質な論理 >>など存在しない」と言う議論があります。 > 一見「なるほど!」と言いたくなるような議論ですが、少し考えるとおかしな事に気づきます。 どのように解釈なさったんでしょうか? ついでに言うなら、あの文の趣旨は相手を正しく(これが曲者)理解しているなら、自分を「論理的」な側と見なして良いかもしれないと言う事です。微妙にずれますが「相手の側に立って議論できる事」と言い換えても良いかもしれません(私には出来ませんが) 相手を説得する事の難しさを甘く見てません?実際にジェンダー板等で実践してみる事をお勧めします(煽りだらけだけどね)。110なんてあまりに偏見に満ちているような…(更に煽ってみる) さあ、この「非論理的な人(私)」を説得してみましょう。 A 感情的な傾向性が強い(理性的な志向性が弱い) B 利害得失にこだわる傾向が強い(正否よりも功利を重んじる) は満たしていると思う。
111 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/18(金) 13:55
>>97 ちょい同意。
あと、倫理学者のスティーヴンソンがこうゆうことについて何か言ってた気がする。
ちがうかもしれないけど。気が向いたらカキコします。
112 :
電波猫@2ch中毒状態? :2000/08/18(金) 14:21
99に対するレスを見ると52氏このスレが1からはずれないように頑張っているのかな?俺のレスは荒しになってるかも(本人は関係あるつもりだったんですけどね)。 と言う訳で1に関係付けてレス、 相手の立場を理解してる事を示すのは有効かもしれません。殊に相手が自分の言っている事を整理出来てない場合「要するにこう言う事?」とこちらから整理してあげてその矛盾点をそれとなく示したり、その中に自分の意見を滑り込ませたりして相手に自分の意見として誘導したりする方法があるかもしれません。 ただ、後者は難しいですね。私もここ数年成功してないので、子供にしか通用しないのかも。 89の後者(自分自身の偏見等を冷静に分析できる)は、相手には余り見せない方が有効な場合が多いように思います。もちろん、自分のイデオロギー的前提を曝して中道に見せた場合が有効の場合も少なくは有りませんが このスレの趣旨からは外れていませんよね? >108 元ネタはそれです(孫引きですが)。 じゃ、荒さないように一反引きます。
113 :
名無しさん@1周年 :2000/08/18(金) 15:19
>111 「説得的定義」のこと?
114 :
名無しさん@1周年 :2000/08/18(金) 19:14
説得できないやつは殺しちゃえ
115 :
52 :2000/08/18(金) 23:29
<論点の整理>
1.1さんの問いかけた最初の論点
「日常的な意味での論理性」として
@何かを主張するならば、明確に述べる。
Aその主張を支える根拠を十分に述べる。
という事ができない【無意識的論点ずらし】の人に対して、
「論理的な」説得は可能か?
2.論点のずれ1
1さんの例に言われる「非論理的な」人は果たして本当に論理的でないと
言えるのか?
むしろ、論理的だと言っている人の方が非論理的なのではないか?
3.論点のずれ2
論理的か非論理的かではなく、双方の前提あるいは立場の違いではないか?
つまり、説得が可能かどうかは前提を共有できるか否かの問題ではないのか?
4.論点のずれ3
非論理的でも正しい、あるいは論理的でも誤っている場合があるのではないか?
(殴り合いの方が話し合いによる説得より正しい場合)
5.論点のずれ4
論理学的な論理的・非論理的と実際の日常生活で言われる非論理的な人の議論
との混同
6.論点のずれ5
論理的な説得なのか、何でもいいから説得すれば良いのか。
と言うことで、既に論点が十分に拡散しています。
今回は私の主張は控えて、参考資料を提示しておきます。
「論理学においては説得力のある議論と論理的に妥当である議論は区別されるが、
情動説の理解に基づいた道徳においてはこの区別ができず、すぐれた道徳判断とは
相手の態度に影響を与える判断であり、悪い道徳判断とは相手の態度に影響を
与えることができない判断であることになる。これでは道徳はプロパガンダや宣伝
と変わることがなく、合理的議論の可能性はまったく閉ざされてしまう。
(なかにはこの帰結を受けいれる人もいる)」
(
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/emotivism.html )
日常的な論理について論じたいのなら、1は哲学板にスレッドをたてるのは間違っていたんではないのか?
117 :
名無しさん@一周年 :2000/08/19(土) 10:56
>52 論点がずれていてもかまわないと思うけど。 1が提示するような「日常的な論理」の定義にみなが同意するわけではない。1とは違う立場をとったり、違う定義をすると、もとの論点とはずれてきてすまうのは当然だ。 というわけで、皆さん、それぞれの立場を弁護してください。
118 :
名無しさん@1周年 :2000/08/19(土) 15:01
>116 1は間違ってないだろ。別にずれてく連中を修正しようとしてるの1じゃないぜ
119 :
52 :2000/08/19(土) 18:59
>117 別に論点のずれ自体を問題にしているのではなく、このスレのテーマにも関係 がある「議論の仕方」に興味があったので、中間的にまとめただけです。 1さんの問いかけは、挙げられた例からみると、必ずしも「論理的な」事柄に ついてではなく、平たく言えば「人の問いかけにまともに(正面的に)応じよう としない(と1さんが感じる)態度に対する対処法如何?」と言うことかな。 例に挙げられた状況に限って言えば、( ̄ー ̄)さんや電波猫さんの意見の方が 説得力があるが、現代は特に理性的な対話が極度に困難な状況だと思うので、 敢えてこだわってみた次第です。
120 :
クマモト :2000/08/21(月) 16:59
なぜ「論理的」と「非論理的」なの? せいぜい「理にかなってる」かどうかってことじゃないの
121 :
名無しさん@一周年 :2000/08/22(火) 01:22
理にかなっていることと論理的であること。どう区別するのですか?詳しい説明をお願いします。
122 :
名無しさん@1周年 :2000/08/22(火) 05:55
彼女がいるヤツは非Lonely的・・・ ダメだオレ・・・・・ (TдT)
123 :
名無しさん@1周年 :2000/08/22(火) 06:34
>1 >こうした非論理的な人々を論理的に説得することは可能なのでしょうか? >もしくは、論理的に議論を進めることは可能なのでしょうか? 不可能だから非論理的というのでしょう? あなたの書きこみは論点が不明瞭です。 皮肉にも気持ちは伝わりましたが。
124 :
クマモト :2000/08/22(火) 09:31
>121 「理にかなっている」っていうのはいい表現ではなかったです 「妥当である」とかそんなもんかな
その「『妥当である』とかそんなもん」を 1は「論理的」と表現してるんじゃないの?
age
127 :
112 :2000/08/23(水) 23:37
悔しいな。 2chの存在を知って以来、いろんな板に出没しネタレスを書きこんできたが ここまで完璧に無視されたのは初めてだ。 さすがに哲学板の住人は大人だね。君達の実力を読み違えていたよ。 このスレで自分の愚かさ未熟さをとことん思い知らされた。完敗だ。 でも僕は感謝している。君たちと出会う事がなければ僕は一生 ロビーの中の蛙だったろう。そう、君達が気付かせてくれたんだ。 世界の広さを、そしてその広い世界の片隅にいるちっぽけな自分を・・ 結局僕は「驕り」という魔物に取り付かれて入たんだろうな。 今回の仕打ちでやっと目がさめたよ。これもすべて君達のおかげだ。 これからは僕も初心に返って、より高い目標を掲げ、より高度なネタを 提供できるよう命がけで精進するつもりだ。 そして今度こそ必ず君達を笑わせてみせるとここに誓う! (-r) フッ キマッタ・・ さあ、また初心者板から出直しだ!ありがとう、哲学板の皆さん。 また会える日を楽しみにしてるよ。 ・・アディオス!
128 :
名無しさん@1周年 :2000/08/24(木) 03:57
rational と reasonable の違いでは?
129 :
電波猫 :2000/08/24(木) 13:19
>127 ここまで嫌悪されてるとは思わなかったけど 自己完結的で驕慢なのは事実ですしね 皆様、失礼しました。
130 :
名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 12:13
115> >すぐれた道徳判断とは 相手の態度に影響を与える判断であり、 >悪い道徳判断とは相手の態度に影響を 与えることができない >判断であることになる。 然り! >これでは道徳はプロパガンダや宣伝と変わることがなく、 もちろん、まったく変りはしない(笑) >合理的議論の可能性はまったく閉ざされてしまう。 そんなもの最初からありはしない。 もっとも神様の立場からいえば、「影響」は合理的だ。 すなわちヒトは自分自身を完璧に知り得ないが故に 隠された理屈を「不合理」を感じてしまうのである。
132 :
52=115 :2000/08/25(金) 21:14
>131 確かに、「神様」が出てくるとすべての話が非合理的なものになってしまう。 無神論者の私としては、「神様を外せ!」(レーニン)とでも言うしかないの ですが。 神は私に如何なる影響を与えんと欲しているか。 我それを知らず、ただ、我が信ずるところを議論するのみ。 ところで、「仙人」さんですか?
133 :
名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 14:29
134 :
52 :2000/08/26(土) 15:35
なんだ、Dr.Gだったのか。 あなたはこのような所で、クダをまいている暇があるのなら、 国労闘争団の支援でもするか、職場の改革でもしなさいよ。 ったく、もう。
135 :
匿名 :2000/08/26(土) 19:50
某スレで討論やってる某M氏などは 非論理的な人間の代表っぽいぞ! 誰か論理的に説得してみてくれ できたやつは皆から誉れ高き視線をプレゼント!
136 :
... :2000/08/27(日) 10:45
...
137 :
名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 08:07
52さんの
>>115 <論点の整理>を土台にして
1さんの問いかけた最初の論点
「日常的な意味での論理性」として
【無意識的論点ずらし】の人に対して「論理的な」説得は可能か?
「論点のずれ1」
>1さんの例に言われる「非論理的な」人は果たして本当に論理的でないと 言えるのか?
>むしろ、論理的だと言っている人の方が非論理的なのではないか?
まず「日常的な意味での論理性」が果たして可能なのか?
「日常的な意味で」という前提の上ではたして
「論理的」「非論理的」といった論理的な区別が可能なのか?
つまり日常性と論理性が相容れるのか?
「意識的」「無意識的」と区別するならば
「日常的な意味」は充分「無意識的」な了解の上に
立たねばならないのではないか?
「日常的な意味」の上で「明確に述べる」ことがはたして可能なのか?
「日常的な意味」の上で論理的だと言っている人の論理性には疑問が残る。
「論点のずれ5」
>論理的な説得なのか、何でもいいから説得すれば良いのか。
「説得」を前提の上に立てて考えていると、当然 「論理的」であることは二次的なものとなります
「論点のずれ2」
>論理的か非論理的かではなく、双方の前提あるいは立場の違いではないか?
>つまり、説得が可能かどうかは前提を共有できるか否かの問題ではないのか?
「論点のずれ3」
>非論理的でも正しい、あるいは論理的でも誤っている場合があるのではないか?
>(殴り合いの方が話し合いによる説得より正しい場合)
いずれも「説得」を前提に考えている。
そしてこれはわれわれの「日常」であり、
非論理的な世界とは「日常」にほかならない。
「論点のずれ4」
>論理学的な論理的・非論理的と実際の日常生活で言われる非論理的な人の議論 との混同
つまり1の質問にはこのような混同が挟まっていると思われます
138 :
137 :2000/08/28(月) 08:20
私が137で語ったことは1さんからすれば「無意識的論点ずらし」になるのでしょうか?
さらに52さんの
>>119 の文章から引用
>1さんの問いかけは、挙げられた例からみると、必ずしも「論理的な」事柄についてではなく、
>平たく言えば
>「人の問いかけにまともに(正面的に)応じよう としない(と1さんが感じる)態度に対する
>対処法如何?」と言うこと
こうなると1さんは「他人を上手に説得するハンドブック」を必要としてるように思われます(笑
さて>まともに(正面的に)応じよう としない(と1さんが感じる)態度
対話が成り立たないと恣意的に判断できる相手との会話・・
これをどうやって論理的に説明していけばいいのでしょうか?
>あなたはこのような所で、クダをまいている暇があるのなら、 >国労闘争団の支援でもするか、職場の改革でもしなさいよ。 君は○産党の人かね? 私は特に反○ではないが、しかし○産党特有の ヒステリックとも思える潔癖さにはどうも 不健全さを感じてしまうんだよね。
もうすこしつづけよう。 >「非論理的な人」と言う場合、その原因としてはざっと > @ 俗に言う、頭が悪い(知的な訓練が弱い) > A 感情的な傾向性が強い(理性的な志向性が弱い) > B 利害得失にこだわる傾向が強い(正否よりも功利を重んじる) > C 物事の客観性に対する認識が弱い(現実よりも主観的願望に傾く) >と言った事柄が挙げられるでしょう。 たとえば134の国労云々の発言は、2,3,4を全部踏み外してるよね(笑) ○産主義への好意的感情(2)と、 これに基づく利害得失へのコダワリ(3)が 客観的判断を踏み潰している(4)というべきか。
141 :
名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 18:47
日常においては、いずれの人もみんな「主観的」だ。 客観的に「みえる」かどうかによって、「論理的・非論理的」という評価がくだされるのです。 日常において、論理的・客観的にみせる方法っていうのは、いろいろあると思うが: @ある視点をあらかじめ提供して、それよりも「メタ的」な視点をだす。 最初の視点のほうが「主観的」で、二つ目の視点のほうが「客観的」にみえるだろう。 でも、そのような「客観性」も二つの視点を比較した結果にすぎない。「相対的に」客観的にみえるだけである。 例)A:地球は平たい。 B:地球は丸い。 Aの視点は、地球上に住む人の視点。 Bは地球を遠くからみた人の視点。 Bのほうが、Aよりもメタ的なのである。Bは「普遍的」に正しいのだろうか?それ以上メタ的な視点が可能であるかどうかは、私にはわからない。しかし、Bよりもメタ的な視点を想定することは可能であると思う。
142 :
名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 18:52
141 Bよりも、メタ的な視点、そして、さらにメタ的な視点は、純粋に論理学的。 AとBのみを扱う場合は、「日常」の範囲内だと思う。
143 :
52 :2000/08/28(月) 21:53
>140 残念でした。私はとても論理的に語っているのです。 私自身が挙げた「非論理的な人の原因」でわざと洩らしているが、 現代社会の中で実践的には最も重要なものとしての D イデオロギーに染まり易い人(理性ではなく偏見を愛する) なのですよ。 大体、共産党は今回の4党合意受諾に関して、国労支援の姿勢はまったく 示していません。 私は、このスレを立てた1さんが挙げられた例に出てくるような、 非論理的な上司(例:何の合理的な理由もなく首切り(<合理化>)を 言い渡す○R幹部)の下で働いている1サラリーマンです。 この様な場合の唯一の論理的な説得は、「闘争」しかないでしょう。 もちろん、この事は非日常的なメタ論理と暴力的弾圧を引き寄せるかも 知れませんが。(これが1さんへの最終的な回答です)、では。
> 残念でした。私はとても論理的に語っているのです。 ザンネンだな。その陳腐な答えは。 どうして論理なんてクソ食らえといえんかね(笑) >現代社会の中で実践的には最も重要なものとしての >D イデオロギーに染まり易い人(理性ではなく偏見を愛する) >なのですよ。 そのアツイ魂があるなら、リクツは無用だろ(笑) さぁ、太陽に向かってダッシュ!(爆) > 私は、このスレを立てた1さんが挙げられた例に出てくるような、 > 非論理的な上司(例:何の合理的な理由もなく首切り(<合理化>)を > 言い渡す○R幹部)の下で働いている1サラリーマンです。 ワタシが思うに、フツウ首切りに対して当人が納得する 「合理的な」理由などないだろ。(笑) もっとも、それが直ちに「不当」とは言えないのが 世の中のマカフシギなところである。 >この様な場合の唯一の論理的な説得は、「闘争」しかないでしょう。 なにが論理的説得だかわからんが(笑) 要するに「自分がクビにならない」という結論を得るために あまたの論理を用いまくるというなら、それこそ「合理化」 ってもんだ。(笑) >もちろん、この事は非日常的なメタ論理と暴力的弾圧を >引き寄せるかも知れませんが。 赤色テロには白色テロで対抗するのが世の常だ。 ああ、赤勝て、白勝て、運動会(爆)
...
147 :
沖縄板より :2000/09/01(金) 03:54
ここに専門家が多いようなのでご教授願います。
沖縄板では沖縄独立の是非を巡って議論がなされてますが、
独立派の人々は非常に論理性に欠けており、真面目に議論したい私としては困惑しております。
下記はその典型的な例です。
こういう人、いわゆるドキュンに対してはどのように対処すればいいのでしょうか。361 名前:354>355、356、357 投稿日:2000/09/01(金) 03:06
このスレって楽しんじゃいけねーのか?
いつまでたってもろくな反対論なんて出てきやしない。
つまらないんだよあんたらの思考能力の乏しさ。
卑屈さの域から一歩も出てこれないじゃん。
「独立なんてちいせーちいせー、日本全体を沖縄化するんだ」
ぐらいのこと言えねーのかボケナスども。
二言目にはアメリカ様のご意向が、日本様のほどこしがーか?
なに拾い食いしたらそんな情けねー家畜風情になれるんだ、ふぬけども?
とっとと引き下がりやがれ、おしめでも買い占めてつまらねー老後の心配でもしてな。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=okinawa&key=966708354
148 :
代理いぬ :2000/09/03(日) 08:13
>非論理的な人を論理的に説得できるか? 相手に、他人の話をまじめに聞くだけの誠意があるかどうかが重要でしょう。 論理に対して首を縦に振らない非論理は、ひとえに不誠実さがもたらすもの。 誠意のない人間には何を言っても無駄なのさ〜。
149 :
52 :2000/09/03(日) 09:56
(久しぶりに戻ってきた) >148(代理いぬさん) 大賛成ですね。コミュニケーション論の学者達が掲げる「討議の倫理」 の原則の中で最も根本にあるのが「誠実性の原則」です。 この間(かん)、私は哲学板の様々なスレッドで論理的な説得・議論 を実践してみたが、成功/不成功/その他と様々です。 意見が違っても相手が真摯な態度なら成功できるし、 ハーバーマスの言う「戦略的思考」にこだわる人は難しい。また、 カキコによる表現はかなり文章力を要する。 ・・・ところで、インターネットによる言論についての問題 @固定ハンのメリットは何でしょうか? A2chの出版化と言う話があるようですが、匿名の人の著作権・ 引用の自由はどうなるの? BROMの人はどの位いるのか、監視(当局、マスコミ)はどの 程度のものなの? いずれにせよ、誰でもが自由に意見を言える場として、2ch的な場は 今後普及するだろうし、独特の問題(かなり深刻なものも)出てくる だろう。共産趣味サイトのいずみさんも言っていたが、左翼は何でこう いう公開的な場を効果的に使わないのか不思議だ。何にも捕われない 言論では真実が最終的な勝利を治めるし、そのための過程こそが弁証法 です。「『未完の近代』はインターネットによって発展する。」
150 :
52 :2000/09/03(日) 10:13
>>149 誤:(かなり深刻なものも)出てくる
正:(かなり深刻なものも含めて)も出てくる
151 :
名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 12:24
『2ちゃんねるの本』はもう出版されているけどね・・・
152 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 05:07
>151 え、そうなの?どこに売ってる?
153 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 05:55
>>152 買うな。ひろゆきもつまらんと言ってる。
154 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 13:48
どこに? そりゃ本屋で客に売ってるんじゃねーの。
156 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 14:18
でも買うなよ!(粘着?) ひろゆきに印税入らないんだし。
それはひでーな 知的財産権の侵害じゃん
159 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 17:23
その人に対し論理的に説得できたと感じた場合、 ここで言われる非論理的な人には当てはまらないと感じるでしょう。 ゆえに、最初の問いには、非論理的な人を論理的には説得できない、が答です。
160 :
名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 17:24
なんだそうだったのか。 2ch運営の資金になるならと思って買ってやったのに。
161 :
代理いぬ :2000/09/06(水) 08:42
>大賛成ですね。コミュニケーション論の学者達が掲げる「討議の倫理」 >の原則の中で最も根本にあるのが「誠実性の原則」です。 そうだよな。 「誠実性の原則」なんて初耳だったが、 これなくしては、我々は会話も出来ないものな。 論理的であるところの"論理性"を生み出すのは、 「これまでに述べたことと私は矛盾いたしません」 という原則だよな。 これぞ"誠意"というものだろう。 >意見が違っても相手が真摯な態度なら成功できるし これもその通りだと思う。 少なくとも、"聞く耳"を持った相手となら、 意見は異にしていても話し甲斐もあるものだ。
162 :
考える名無しさん :2000/09/06(水) 18:41
でもここでの非論理的な人ってのは、論理的に議論しようとしても聴く耳持たない人なんじゃないの。
時々、IPの抜き方を知りたがっている人がいるんですが、 明確な解答をする人がいませんね。 というわけで、親切な僕がこっそり教えて上げます。 名前欄に「steal@fusianasan」と書いて(鍵カッコは書かない) e-mail欄に「&IP抜くぞゴルァ%」と書きます(鍵カッコは書いて下さい)。 本文には一行目に「ひろゆき天才。マンセー」と書き、 2行目以降にスレッド名と発言番号を書きます。 --- 本文の例 --- ひろゆき天才。マンセー マウスを動かすと雑音が出る 2 ----- 例終わり ---- こうすると、「マウスを動かすと雑音が出る」スレッドの2番の発言者のIPを 抜くことが出来ます。 やっぱりIP抜くのは大変なんですね。悪用しちゃだめですよ。
ひろゆき天才。マンセー ★非論理的な人を論理的に説得できるか? 163
ひろゆき天才。マンセー ★非論理的な人を論理的に説得できるか? 162
166 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 11:09
$ nslookup 202.232.2.10 Name: www4.iij.ad.jp Address: 202.232.2.10
167 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 11:10
$ whois -h whois.nic.ad.jp iij.ad.jp
[ JPNIC database provides information on network administration. Its use is ]
[ restricted to network administration purposes. For further information@` use ]
[ 'whois -h whois.nic.ad.jp help'. To suppress Japanese output@` add '/e' at ]
[ the end of command@` e.g. 'whois -h whois.nic.ad.jp xxx/e'. ]
Domain Information: [ドメイン情報]
a. [ドメイン名] IIJ.AD.JP
e. [そしきめい]
f. [組織名] IIJ インターネット
g. [Organization] IIJ Internet
h. [郵便番号] 101-0054
i. [住所] 東京都 千代田区 神田錦町 3-13 竹橋安田ビル
j. [Address] Takebashi Yasuda Bldg.@`
3-13 Kanda Nishiki-cho@` Chiyoda-ku@`
Tokyo 101-0054@` Japan
k. [組織種別] ネットワーク運用組織
l. [Organization Type] Organization of Network Operation
m. [登録担当者] TM003JP
n. [技術連絡担当者] JY018JP
p. [ネームサーバ] dns0.iij.ad.jp
p. [ネームサーバ] dns1.iij.ad.jp
p. [ネームサーバ] ns.tokyo.wide.ad.jp
y. [通知アドレス]
[email protected] [状態] Connected
[登録年月日]
[接続年月日]
[最終更新] 1998/01/30 15:18:12 (JST)
[email protected]
168 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 11:22
>>167 げげっ ネット管理組織に勤める職場2チャネラーだ
ひろゆき天才。マンセー ★非論理的な人を論理的に説得できるか? 166
170 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 12:18
ひろゆき天才。マンセー ★非論理的な人を論理的に説得できるか? 163 proxy.primus.com.au:80
172 :
フェネギー :2000/09/07(木) 13:11
ここ、おもしろいねぇ、ふふふ。
173 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 13:33
>>170 「IIJの職場さん」とは言いますが IP について詳しくない
事務職や秘書サンって言う場合もありますね…。ふふふ。おもしろい。
174 :
電波猫 :2000/09/11(月) 00:02
52の1〜4にあてはまるのは向こうのスレの80でしょ。 かなりドキュソな人柄かもし出してるな。 つーか電波猫さん こっちの板にも同じくらい激レスかましてよー
176 :
考える名無しさん :2000/09/12(火) 14:12
ROMってて思ったのでひとこと。 1さんの言う「非論理的な人」っていうのは小児病とか強弁の人っぽいね。
177 :
考える名無しさん :2000/09/12(火) 15:03
178 :
考える名無しさん :2000/09/12(火) 18:42
↑ 肯定派 vs 否定派っていうよりも、キティ vs 常人って感じ。
179 :
>フィロゾファッカー :2000/09/12(火) 20:05
>52の1〜4にあてはまるのは向こうのスレの80でしょ。 >かなりドキュソな人柄かもし出してるな。 そうか?まともじゃん
>179 まず、基本的に俺は固定ハンの人は擁護します。 向こうの80=71はその後もレスしとるけど 最初に電波猫さんの話に乗っていった時点で負けなのよ。 電波猫さんは登場と同時に対話の内容を変更したからね。 というか一般人の板にて哲学人独特の本の読み方を振るというのはちょっと 俺には真似できない。
181 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 01:42
今回の朝まで生テレビで、誰かが「日本は先進国で唯一の多神教の国だ」と言ってた。 最近あちこちでその論調多いけど、あれ嘘だよ。ばかじゃないのか。 だいたいさあ、「先進国」って限定すると基督教しか無いじゃん。 基督教もナントカ聖人とかいっぱいいて、実質的多神教。ドイツ・希臘の神話も多神教。 多神教なんて世界中どこにでもある。民衆の原始的信仰はすべて多神教。 やや進歩して一神教。さらに進歩して「タオ」という原理を信仰し、神を捨てる。 さらに進んでる仏教は、タオすらも無くすべてが空だ。 そして日本は空すらも超越して、多神教に戻ることを国学者がみずから指向した。 これくらい宗教学勉強してない俺でもわかるのに。 だいたいさあ、優しさが基督教の専売特許だみたいにみんな言うけど あれも嘘だよ。仁愛っていうのは支那にもあるし、人類が数十万年かけて築いた道徳だよ それを2000年前の基督が突然自分の考え出したものみたいに言うから混乱するんだよ。 教会にはいろうが、どの社会にいようが、人類はみな兄弟っていう道徳は守りつつ でもやっぱ醜い人とは結婚したくないなあっていうのが人間なんだよ。
182 :
考える名無しさん :2000/09/14(木) 10:55
↑このスレとあまり関係がないのですが……。
181はコピペだよ。 いろんなとこに貼りまくってる。 バカが食いつくのを待ってるんだとさ。 えーかげんに、せーや、まったく、よ。
非論理な人を説得しようとしても、DNS鯖落ちで誰も来ないので、 一人でカキコをしている。他者のいない空間での議論、これって論理的かな?
久々にage
どなたか他スレに書き込んでる
>>52 の1〜4っぽい人というものを説得してみませんか?
攻撃することだけが生きがいの人ってのもいるものですね。
186 :
M :2000/09/19(火) 21:43
仕切りなおし! age
187 :
179 :2000/09/20(水) 20:06
136読んでドキュソではないだろ、と思ったんだが撤回
↓ちなみにこいつが80 136 名前: 127>133 投稿日: 2000/09/11(月) 21:10 >>>で、次から何するんですか? >>個人的なことだし、ここで問題にすることではなかろ? >無いわけないでしょ。トンデモ本読んで変な行動起こさないでよ どーしてもトンデモ本にしたいわけね。もうやんなっちゃうね。 人の言葉尻捕らえてあげつらうだけ。 でさ、この本読んで俺が起こしうる「変な行動」って、例えばどんなこと? >>121も、相当逝っちゃってるな。遺伝のみで性格が決まるだって? >>そんなこと書いてあるトンデモ本が70万部(だっけ?)も売れるか、あほ。 >後天的なものは関係無いって書いてあるでしょ どこに書いてある?何ページの何行目か述べよ。 >134 あなた、間違ってるよ。小学生の算数に、この本に書かれている性差(っていうの?) を当てはめるのは、明らかに間違ってる。苦手なのを慰めるのは結構だが、 ちゃんとやさしく教えてあげるなりしてサポートする方が重要だろ。 小学生の女のコに「女は男より数に弱いんだからね」なんて・・・このスレの内容だけ 読んで解った気になられてもこまる。完全に忘れるか、本を買って全部読むことを お勧めするよ。
189 :
>182 :2000/09/20(水) 22:50
それに反論して欲しいんじゃない?
190 :
電波猫>52さん :2000/09/22(金) 11:39
とりあえず
>>174 の状態が両方自分を論理的だと思い相手を非論理的だと考える状態です。
まぁ、とある致命的な思いあがりを起こした事が一つの原因なんですが
>フィロゾファッカーさん
ジェンダー板ですから。
なんか凄い事に成ってる
191 :
52 :2000/09/23(土) 00:30
どもです。(大分2chにも染まってきた。)
>>190 (電波猫さん)
ジェンダー板の”問題”スレを読んで感じた事:
1.レスだけから推測すると、話題になっている本は所謂擬似科学による面白本
(更に言えばトンデモ本)のように感じた。この手の本が跡を断たないのも
読者側の科学的精神の未熟さと科学信仰の強さが商業主義と保守イデオロギ
ーに格好の道具を与えているからでしょう。(『脳内革命』の運命は反革命
的でした。)(但し、原著を読んでいないので全くの憶測ですよ。)
2.中心的論者の80さんよりはむしろ電波猫さんの方に「戦略的思考」を感じ
る。80さんは自分に無意識であり、よりナイーブな感じ。それがむしろ
強みになっている。この手の本の「洗脳テクニック」は非論理的で素朴な
感情に訴える事を第一にしますから、「自然に読めば面白いし、ためにも
なる。」と常に言うでしょう。読者の「素直で自然な態度」に対抗するた
めには、徹底した啓蒙的態度と相手の矛盾を論理的に追求することでその
無意識のイデオロギー性(非合理性・非論理性)を暴露することが必要で
す。つまり、「脳科学は性差を<説明>できない」事を論証するためには、
まず説明とはどういう事かを論理的に明らかにして、本来の科学的方法と
は何かを明確にする必要がある(例えば統計的手法の前提条件等)。そし
て性差(ジェンダー)の社会的本質を辛抱強く説く事(偏見は少しずつ砕
かれるしかない)。また、科学自体の本質からくる限界にも触れなくては
ならないでしょう。批判は機知に富む、軽やかで鋭いものが効果的です。
最後に、弁証法は啓蒙精神と批判的思考の宝庫です。
192 :
考える名無しさん :2000/09/24(日) 22:21
193 :
考える名無しさん :2000/09/24(日) 22:21
二重投稿&変な日本語ですみません。
>192 すまぬ、あまりにも読みにくくて挫折してしまった。 とりあえずこのスレは哲学板の住人の出張サービス要請スレってことでいいね? 哲学板のふぁいれヴぇるなかきこが欲しい人は書き込むと 住人は出張して荒らすと そして議論は混沌に飲み込まれてゆく・・それが2ちゃん
196 :
同意します :2000/09/25(月) 09:09
>195さん 今後はそういう方針で運営していきましょう。
197 :
考える名無しさん :2000/09/25(月) 10:29
いいね、それ。
>>195 「哲ちゃん出張サービス」として流行らせよう。
2chがさらに盛り上がること請け合い。
198 :
出張希望 :2000/09/26(火) 11:53
夢を見ている人はそっとしておくほうがよさそうだけどね。
200 :
お願いします :2000/09/27(水) 22:57
201 :
出張希望 :2000/09/28(木) 22:31
202 :
考える名無しさん :2000/09/28(木) 23:07
○出張依頼のための必要事項○ a)リンクを貼る。 b)議論の主題。対立軸があればどちらを支持して欲しいかを明記 (立論の整合性合理性は必ずしも問わない)。 c)できれば今、思っているそのスレへの感想などもわかりやすく (一般に、哲板住人はまぬけなので事前情報は多いほどおもしろい働きする)。 d)君の年齢 e)性別(今後の参考にさせていただきます) いじょう、よろしくです
203 :
考える名無しさん :2000/09/29(金) 08:50
d)@`e)は廃止します。
204 :
考える名無しさん :2000/10/04(水) 18:28
205 :
食いだおれさん :2000/10/07(土) 05:47
論理的な意見や考え方は必ずしも現実に則しているとは限らない。 前提条件などによっては、色々な物の言い方ができ、 命題に対して、しばしば無意味な答えを与えることもある。 さて1の問いに対してだが、 非論理的な人々に対して、論理的に説得するのは可能か?であるが 答えは、 どちらとも言えない(少なくとも私には)。 根拠を挙げると、 ・非論理的な人々の定義がない。 ・非論理的な人々が定義されたとして、今現在の私が、 それら全ての人に対して、論理的な説得を試みていない。 ・論理的に説得というが、説得とはどういうものか、 言葉の定義があいまいである。 ・また可能性は未来の事象であり、現在予測することが困難である。 (様相論理を勉強されたし) くだいて説明すると、もし今日、非論理的な人に説得が不可能だったとして、 明日もそうであることに必然性がない。 まだたくさんあるのが面倒くさくなった。
>205 がいしゅつです...
207 :
52 :2000/10/07(土) 12:24
(久しぶりの帰還。)
>>200 ジェンダー板(別スレですが)で一点だけ説得成功しました。それにしても
低次元のスレと多くの悪意あるレスには驚く。弱者が鬱積した感情あるいは
欲望を更に社会的弱者に向け、保守的時流の勢いに乗って無責任で根拠のな
い偏見を撒き散らしているといった様相ですね。「女は男の奴隷であれ」な
どと言う論者は現実には別の面で奴隷なのでしょう。
>>205 >もし今日、非論理的な人に説得が不可能だったとして、明日もそうであること
>に必然性がない。
それを可能性と言います。現実の様相は可能性→蓋然性→確実性→必然性と
進むが、可能性とは「他の可能性」、つまりそうでない事も可能という事です。
また、必然性とは「他の不可能性」、つまりそれ以外にはあり得ないと言う事
です。その反対(否定面)は偶然性です。本質的な事柄が現実に現れる場合の
様相の論理であり、極めて弁証法的なものです。
208 :
考える名無しさん :2000/10/07(土) 21:22
209 :
考える名無しさん :2000/10/08(日) 03:17
>207 どのスレ? リンクきぼん
210 :
52 :2000/10/08(日) 13:33
説得できたって事はマジな奴もいるんですね 煽り君だらけだと思ってました
あんたら、ちょっと怖い。でも面白い。
ひろゆき天才。マンセー ★非論理的な人を論理的に説得できるか? 212
ん? オレのIP抜こうとしたの? >213
>213 君のメルアド見たよ。「IP抜くぞゴルァ%」だって。恥ずかし〜
>213 初心者板へ逝け。このバカが。
名前の後に@fushianasanって書くと自分のIPが名前にくっつくの?
これは?
IPなど気にするな。
220 :
>電波猫 :2000/10/09(月) 20:22
ちっ、せっかく秘密の地下室でヒソヒソ話をしてたのにアゲちまいやがんの。
222 :
電波猫 :2000/10/10(火) 18:36
しばらく後にお答えします 向こうのスレに書いた方がイイかな?
>電波猫 私の問題提起にも回答をくださいよ。いつまでも待ちますが。 でもセクハラ板よりこの板でやったほうがいい議論ができる気がするくらい荒れてますね。
224 :
ここの224の馬鹿を説得してくれ :2000/10/12(木) 17:48
226 :
考える名無しさん :2000/10/13(金) 18:15
私は論理学もロクに勉強したことのない厨房なので、そういう前提で聞いて下さい。
「論理的な人と非論理的な人」という視点ではなくて、「価値観の相違」という視点で捕らえてみてはどうでしょうか?
例えば、1さんが例に挙げてる
>>19 の例1は
「(採算性が見込めなければそこで事業を打ち切って)損失を最小限に食い止めることに価値を見出している人」と
「(採算性が見込めなくても)困難を克服して事業を継続することに価値を見出している人」
という感じです。
後者の人は理由も無く前者の論理を拒絶しているのではなく、自分の価値観にそぐわない論理だから生理的に拒絶している(そして自分の価値観に基づく論理を提示できていないだけ)。このように捕らえることも可能に思えます。
このように議論の前提条件に大きな影響を与える「価値観」が相違する場合の具体的解決策は以下の2点かと思います。
1.両者の価値観をできるだけ一致させる(これができれば苦労はないですが)
2.自分の望む結論になるように相手の価値観に基づいて論理を再構築してみる
これなら理由もなく論理を拒否する人はかなり減ると思うんですが・・・
てんで的外れならごめんなさい。厨房なのでいじめないでね。
228 :
考える名無しさん :2000/10/16(月) 22:59
229 :
考える名無しさん :2000/10/17(火) 00:01
>228 自業自得
>>229 いいかげんにしときなよ。あんた。
すでにみえているんだからな。
自分ができることは他人にもできるんだぞ。
ま、どうでもいいことだが。
231 :
電波猫 :2000/10/21(土) 17:53
>220 御免なさい。テキストがなかなか借りれなくて(まだ借りれてない) 最初の方でそう言うポーズを見せておくと、読み手が受け入れ易くなる効果があります 「88」が例に出していたユダヤ陰謀論の本にも広瀬隆など「陰謀論批判」を行なっているものがあります >223 すいません.話が見えないのですが?
233 :
考える名無しさん :2000/10/23(月) 22:12
234 :
考える名無しさん :2000/10/24(火) 20:11
235 :
吾輩は名無しである :2000/10/25(水) 21:18
何を大事に思っているかの説明において、論理的に説明できるほうが 少ないんじゃないの? 19の例でいって、もっとも大切な事は金を稼ぐ事である、と言う場合は、 論理でいって事業からの撤退を説得できるでしょう。 でも、なぜ金を稼がなくちゃならないんですか>なぜ金がそんなに好きなの? となった場合、金そのものを愛しているという人に論理はないでしょ。 説得できないのは、25の言うとおり説得する方が人の話を聞いていないか、 あるいは論理と言う武器を間違って使っている点にある。
236 :
電波猫>232 :2000/10/31(火) 18:44
それらしきものにレスをしておきました 私怨の文章と、くっついて読み難くなっていますが
237 :
名無しさん@1周年 :2000/10/31(火) 21:11
論理(ロジック)は論理を規定する系の内部に閉じてる限りは自明。 よって相手が誰であれ、系を共有してもらえれば、説明の必要すらない。 >非論理的な人を論理的に説得できるか? というのは右翼/左翼の対立のようなものと捉えましたが、OK? つまり「気持ちを分かってもらうための効果的なプレゼン方法は何?」、 あるいは「ナメてる奴を去勢してやりてえぜ、ぐるぁ!」みたいなもん?
238 :
トーキングラジオ :2000/11/01(水) 17:16
論理的に説得する、と言うのは、あなたの論理的正当性 を相手に認めさせるということですか? その相手の方は、論理的であろうとしていながら結果的にそうでない (という印象を受ける)方なのか、そもそも論理性を求めていない方なのか。 もしも後者であるならば、 あなたの論理的正当性を相手が認めたとしても、 そもそも、あなたの論理的正当性を求めているわけではないのでは ないわけですから、『納得させる』と言う行為はただの自己満足に終わりますよ。 そうであれば、あなたは論理的な部分とは違う所で解決方法を模索 しなくてはならないし。 前者であっても、実は本質的な部分では後者に近いってこともあり得ますしね。 いや、テキトーなレスですんません。
239 :
トーキングラジオ :2000/11/01(水) 17:19
あ、そういえばこれは『論理的に説得する』方法論的部分 での議論でしたね。的違いなカキコでした。すいません。
240 :
52 :2000/11/03(金) 15:00
>>227 (通行人Aさん)
>2.自分の望む結論になるように相手の価値観に基づいて論理を再構築
>してみる
>これなら理由もなく論理を拒否する人はかなり減ると思うんですが・・・
価値観の違う人の主張でもそれなりの理由を持っているから、その根拠が
妥当なものかどうかを明らかにするという事ですね。たとえば、
「事業の採算性」vs「事業の完成」
で言えば、どうなるのでしょう。
「採算性(経済性)」と「事業が持つ効用性あるいは仕事の充実感」とは
結局「社会的な必要性」という価値観に基づかない限り、決着がつかない
でしょうし、現実の私企業においては、採算性の方により合理性が認めら
れるのでは?
何が合理的(論理的)であるかは、その社会そして社会のあり方によって
異なるということでしょう。また、一見して論理的でないと思われる人の
主張にも、深い根拠があり得るという反省が自己相対化そして真の対話に
つながると言えます。
241 :
考える名無しさん :2000/11/03(金) 16:25
242 :
通行人A :2000/11/03(金) 23:59
>240さん
レスいただけて光栄です。私の表現が足りなかったのだと思いますが、私の申し上げた
「自分の望む結論になるように相手の価値観に基づいて論理を再構築してみる」というのは
例えば
>>53 さんの言っていた方法をちょっと応用してみるようなことを想定してみただけなんです。
243 :
考える名無しさん :2000/11/06(月) 23:01
244 :
名無しさん@1周年 :2000/11/09(木) 12:34
こんなん考えてみましたけど、どうです? 非論理的な人を論理的に説得できるか まず、大きく2つに分けて考える必要がある。 自分の主張を相手に認めさせたい場合と相手の意見も聞き、より良い結論に達したい場合である。 前者の場合は「交渉」である。 この場合は必ずしも論理的である必要はない。論理的帰結として自分の主張を提示することも、もちろん交渉の一手法である。が、他にも方法はある。例えば、相手の感情に訴える方法(同情をひく・脅すなど)や取引をする方法(自分の主張を認めさせる代わりに別の部分で相手に利益を与えるなど)がある。自分の主張を相手に認めさせることのみを目的とするなら、論理的であることに拘る必要はない。応用として、これらの方法を複合的に組み合わせるのもアリだ。 後者の場合は「議論」である。 これはかなり難しそうである。しかし、多少は努力する余地はありそうだ。 例えば、 1.相手が非論理的に自分の意見を拒否する理由を探る 全く理由もなく論理を拒否するケースといのは少ないと思う。相手がこちらの論理を拒否するには何か理由がある筈である。まずはその理由を探り、相手を議論の土俵に乗せるのが論理的に説得する第一歩だ。 2.相手の意見をじっくり聞き、相手の非論理的な部分を自覚させる 初めから自分の意見が非論理的だと思っている人はいない。人間だれにでも思い込みや誤解はあるものだ。よって、相手を感情的にさせずに「貴方の前提条件には無理がある」「貴方がそう思う根拠は何か?」といったことを自然に尋ねるテクニックは必要だ。 3.相手が論理的整合性を重視しているとは限らないことをわきまえる 人間は論理より感情・本能が優先する。ある結論があったとしても実はまず感情が先にありきで、理屈は後付けということが意外と多い。この場合後付けの理屈の間違いを指摘しても、確実に感情的反発を喰らう。こうなったら論理的な議論は難しくなる。論理的な間違いを指摘する前に、相手の意見について感情的な根拠を洞察する必要がある。 ・・・などなど
245 :
>244 :2000/11/09(木) 20:29
全部、既出
>245 あっ、本当だ。 自分の読解力と記憶力にかなりの問題があることがよく分かった。 鬱だ・・・死のう・・・
247 :
>246 :2000/11/10(金) 19:16
大丈夫、いろんな人が考えるってことは きっとそれだけまともってことだよ
>247 やさしいね。ありがとう。
249 :
考える名無しさん :2000/11/15(水) 05:42
age
250 :
猫電波>PF@考える名無しさん :2000/11/17(金) 00:13
あの−、できればコメントをいただけるとありがたいのですが
251 :
考える名無しさん :2000/11/19(日) 10:48
252 :
考える名無しさん :2000/11/19(日) 12:43
ネタなんじゃないの?
253 :
>251 :2000/11/19(日) 16:15
>哲学板出張サービス(笑)、まだやっていらっしゃるでしょうか? >52さん、電波猫さん、ご健在でしょうか? 電波猫=猫電波 何で二つ使うンかな
254 :
猫電波 :2000/11/25(土) 16:37
参考までに >世界で女や性に対する意識が違うのは、宗教に違いがあるからである。 同じ宗教でも時代や地域、クラス等によって差があるので宗教による決定論は破綻します。 宗教の社会的構築や解釈の違いに話をそらすならそもそも、この議論自体無意味でしょう >そして、宗教に自信のあるアラブなどの国は、女を堕落させた欧米の >人権の押しつけに対し、日曜・クリスマスを受け入れている日本とは >違い「それは宗教の違いだ」と反発する自信も知恵もある。 これも勘違いと言っていいと思います。 具体的に語ると長くなるのでライラ・アハメド『イスラームにおける女性とジェンダー 近代論争の歴史的根源』(法政大学出版局)、中村廣次郎『イスラームと近代』(岩波書店)あたりをお読みください >今でも女を堕落させた欧米は >他国の文化・常識に文句を付けている。 極端な文化相対主義自体が非常にローカルで矛盾した価値観に過ぎません(それも西洋起源の) >欧米のわがままは宗教から来ていることをしれ! これは論拠を求めてもやはり無駄でしょうか? >白人は昔ほどではないにしても、愛国心=宗教心 また、アメリカ等でも福音主義が強い→愛国心が強いは言えそうですが、性差別は少ないんでしょうか? 旧ユーゴのように宗教的帰属が民族を形成してるような場合も愛国心の強さ→宗教心の強さとも言えませんし、愛国心の元祖とも言えるフランス革命時代の教会と国家との対立などもあります といったことを突っ込んでみると多少は効果があるかもしれません
256 :
>255 :2000/11/25(土) 23:14
実践指導か!いいねェ ここの連中の理論が、どれだけ実用性があるかわかるってもんだな ここに書きこんだ奴ら、どんどん書けよ(藁
257 :
考える名無しさん :2000/11/25(土) 23:49
そんな やすっぽい 挑発には のりません。
258 :
考える名無しさん :2000/11/27(月) 23:34
↑ さっそく敗北宣言か?(ワラ
259 :
うひゃひゃ :2000/11/29(水) 21:14
260 :
考える名無しさん :2000/12/04(月) 22:03
出張サーヴィスやってる奴っていんの?
261 :
考える名無しさん :2000/12/04(月) 22:51
猫電波たんが すげー努力してんの すげー
262 :
猫電波 :2000/12/11(月) 21:21
263 :
考える名無しさん :2000/12/12(火) 05:55
264 :
考える名無しさん :2000/12/19(火) 13:51
いちおうあげ
265 :
考える名無しさん :2001/01/01(月) 20:16
age
266 :
考える名無しさん :2001/01/06(土) 14:17
非論理的な人間は頭が悪い場合がほとんどである。 したがって、相手の主張する理論(たとえば平行線は3回交わるとか) を前提として認めやってから議論をスタートしてもほとんどの場合勝 利(説得)することが出来る。ただし自分の脳みそがタフでなかった 場合にはこの限りではないが。
267 :
考える名無しさん :2001/01/08(月) 18:25
268 :
考える名無しさん :2001/01/09(火) 14:01
論理的に説得する方法を考えたら、ぶん殴る、との結論が出た場合。 これは、論理的に説得した事になるんでしょうか?
269 :
考える名無しさん :2001/01/09(火) 14:02
論理的にぶん殴れば問題ないでしょう
270 :
考える名無しさん :2001/01/09(火) 19:48
論理的な喧嘩になりそうですね。
271 :
粘着質さん :2001/01/09(火) 21:04
論理的説得を放棄することを選んだところで論理的説得は終わる。 そのあとぶん殴って説得する場合は、論理的説得ではない。
272 :
考える名無しさん :2001/01/11(木) 10:31
マルチな人と議論してみると良いよ。 双方が合意に達したいと考えている場合、論理的に説得する事は可能だけど。 双方合意に達する気がない場合は、不可能だよ。 だって、奴らは売るのが目的で説得される事を目的にしてないから。
273 :
考える名無しさん :2001/01/11(木) 13:14
274 :
考える名無しさん :
2001/01/11(木) 21:46 >273 そこ、色んな意味ですごいね(笑