万有が心を有する

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1名無しさん@1周年
わたしたちもわたしたちをとりまく物質も、組み合わせこそ異なれ同じ原子・分子からできています。その意味でいって、わたしたちだけが特別な存在であるわけではありません。たんなる燃焼過程のひとつにすぎないわたしたちの中で、ほかの物理過程と異なる特別なことが起きているということは考えにくいことであるからして、わたしたちの中に心があるとすれば、わたしたち以外のすべての物質にも心はあると考えたほうが考えやすいとおもいます。わたしたちにたいして物質たちは心を表現する手段をもたないだけで、じっさいには心を内に有しているとわたしは考えます。
以上が私の考えですが、意見・異議等、おねがいします。
2名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 13:51
犬に仏性ありや?

無し
3電波猫:2000/07/19(水) 16:26
シミュレーションに意識は宿るか
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=963390193&ls=50
で似たようなことやってます。
4名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 20:26
>たんなる燃焼過程のひとつにすぎないわたしたちの中で、ほかの物理
>過程と異なる特別なことが起きているということは考えにくいことで
>あるからして、わたしたちの中に心があるとすれば、わたしたち以外
>のすべての物質にも心はあると考えたほうが考えやすいとおもいます。
逆にこうも言える。
わたしたち以外のすべての物質の中に心がないとすれば、わたしたちに
も心はない、と。
5禅問答:2000/07/19(水) 22:42

心とは何ぞ
6名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 22:49
快苦を感ずる能力を心といいます。そして心を有する物を生物といいます。
7名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 22:50
>5
胸に手を当てて考えてみなされ。
8名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 22:58
>6
生物である花に心ありや

>7
うむ、「心とはなんぞ」という問い自体
自己言及っぽい
9名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 00:00
すべての物質に心がある?
では、世界にはいくつの心があるのだろう?
物質の数だけ?
では、物質の数は如何?
10名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 00:03
やっぱ電子の数だけ心があるんでしょ!
それとも陽子、中性子にもあるのかな?
そこらへんどうなるの?
11名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 01:27
すべての物質階層に心は有ると思います。クオーク→素粒子→原子→分子→細胞器官→細胞→組織→器官→個体→種社会→地球生態系→太陽系→銀河系………というふうに。すべての物質階層の心はサブレベルの物質たちの心の合成結果・集団心理なのです。
12名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 01:35
>11
なんか「心」という言葉の意味がぼやけてしまうような気がします。
物質の組成のメカニズムと同じ組み立ての「心」など、ことさら取り
上げて論じる必要もないと思うのですが……。
13名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 01:46
わたしの立場は汎心論です、ハッキリしています。ボヤケてなどいないとおもいます。
1412:2000/07/20(木) 01:55
>13
あなたの立場がぼやけていると言いたいのではありません。
あなたの立場で「心」という言葉の意味がぼやけているのではないか、と言いたいわけです。

人間の心が持っている特性の一つが志向性ですが、クオークや素粒子に心があると仮定して、果たしてそれらの心は志向性を持つのでしょうか?
もし志向性を持たないとすれば、そのような「心」をあえて人間の心と類比的に捉える意味はどこにあるのでしょうか。
逆にもし志向性を持つとすれば、クオークの心が合成されて素粒子の心になるときに、志向性はどのように合成されるのでしょうか?
15名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 02:34
ところでわたしは、きのうの昼は、ラーメンにしようか、それともカレーにしようか、迷いました。人生は選択の連続なのです。ミクロな素粒子も不断に行為を選択しています。右に行こうか、それとも左に行こうか、素粒子も迷う。これを不確定性原理といいます。
 わたしは、多世界解釈こそが正しい量子力学の理解だとおもっています。つまり方向性のミクロな迷いが、観測器のメーターの振れ方のマクロな違いに転化した時点をもって、左右が決定されるというわけです。すなわち、右を選択した世界と左を選択した世界に分岐するということです。このことは、わたしたち人間の五感で捉えられるマクロの世界においては、一つの場所に存在できる物体はあくまでも一つであって、違う二つ以上のものがダブッた状態(シュレーディンガーのネコ状態)で存在するということはできない、という経験的事実に合致しています。
16名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 02:37
>クオークの心が合成されて素粒子の心になるときに、志向性はどのように合成されるのでしょうか?

諸個人が集まると集団心理が合成されるのと同じ仕組みです。
17Dr.デカパイ:2000/07/20(木) 02:57
進化の工程で「心」が創り出されるのであって
貴方の言う物質の「心」というのは
所詮「心」の材料にしか過ぎん。
まぁ
ワシはそれを材料と表現定義するのに抵抗を感じるのだが・・
それを材料と言うにはあまりに広く遠い。
18名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 03:21
Dr.デカパイさんのいわれる「材料」というのは「心とは呼べないような何ものか」ですね。ひょっとしたらそうかもしれません。しかし、わたしはエンペドクレスのいうような、物質は愛によって結合し、憎しみによって分離す、というような、感情と言っていいようなものが働いていると考えます。
19剣豪:2000/07/20(木) 05:08
>18
>わたしはエンペドクレスのいうような、物質は愛によって結合し、憎しみによって分離す、というような、感情と言っていいようなもの
>が働いていると考えます。
 働いているから何だといいたいワケ?
 
20名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 06:12
万物に心は有るといいたいワケです。
21Dr.デカパイ:2000/07/20(木) 10:31
まぁなんだ的な感想なのだが
松浦殿にとって「万物に心が存在する」ということは
「浪漫」であるわけだ。
それにはある意味「美学」など自分好みの感情なども
含まれているゆえ
どうしても「心がある」ということを認めていたいし、
認めてほしい。おそらく。

それの証明にエンペドクレスまでが持ち出されるほどなので
それには相応な思い入れがあるのであろう。
エンペドクレスの言う物質の「愛」やら「憎しみ」やらは
感情のそれではなく、化学反応やら「感情」とはまた違った
そーゆー力の作用なのではないでしょうか?
私はそれを比喩レベルの非科学的な説だと考えます。

まぁ「万物に心が在る」という貴方の考えに対する私の考えは
17に書いた通りであるし、
私に、貴方の浪漫を壊すことの出来る「力」もない。
貴方のその考えはなかなかに「ステキ」だと思うし、
「もしかしたら」的なものも感じられた。

なんだか物の見方が変わった気もする。
では。
唯物主義は基本的に感情移入能力の欠如であるとおもわれます。わたしたちにたいして心を表現する手段をもたない物たちにたいする、共感能力の欠如です。しかし心を表現する能力がないからといって、心がないということにはなりません。本当のところをいえば、他人に心があるかどうかすら分からないのです。にもかかわらずわたしは他人に心が有ると見なします。いわんや物質をやです。物質のコミュニケーションコードを知らないわたしだからこそ、なおさら想像力をたくましくして物質に感情移入をしてやらなければ、不公平です。
23名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 12:02
>本当のところをいえば、他人に心があるかどうかす
>ら分からないのです。にもかかわらずわたしは他人に心が有ると見なします。

そのとおり。君のやっていることは「見なし」に過ぎないよ。
「あらゆる物に心がある」と「見なし」てるだけ。
だいたい、これを書いた私に心があるかどうかすら君には判定できまい。
24代理いぬ:2000/07/20(木) 12:53
>ミクロな素粒子も不断に行為を選択しています。
>右に行こうか、それとも左に行こうか、素粒子も迷う。
>これを不確定性原理といいます。
やれやれ、俗本で知識をかじった愚か者がこのようなバカを言う。
不確定性原理とは、光の測定において、
凅・冪>=h
を満たすような不確かさが入りこまざるを得ないというだけのことだ。
人間の認識の原理的限界が、すなわち物理の"原理的限界"を指すというような、
愚かな勘違いを犯してはならない。

>唯物主義は基本的に感情移入能力の欠如であるとおもわれます。
バカモノ。
唯物論者とて心の存在自体を疑ったりはせぬわ。
一体、「今、自分が考えている」というような事を、まじめに疑う奴がそうそういるものか。
この手の議論を浅ハカに行う浅ハカなる者は、大抵、友人と微生物の違いを意識しておらん。
君達は微生物が何を考えているか、あるいは心を持っているかということは容易に疑うが、
同じようには自分の友人を疑ったりはしない。
しかし、考えてみたまえ。
君達の友人が、腹の中で何を考えているか、君達は本当にわかるのかね?
微生物の心が想像もつかないのと同じように、
自分以外のどんな友人も、どんな肉親も、その心までは知れるはずがないのだ。

では、一体何が友人の心を想像させるのか?
それは、君達自身の一つの"思惑"に過ぎない。
何者が心を持って、何者が心を持たないのか。
わがままもいい加減にしたまえ。
25電波猫:2000/07/20(木) 12:55
全てに心があるという形で心身問題を解決すると問題が起きる。
我々が意識をしているのは脳の活動の中の一部に過ぎないよね。
もしクオリアが物質そのものによって起きるとしたら
脳の活動はおろか腸の蠕動まで心臓の動きまで心を持つことに成る。
なぜ、我々の意識しているのは脳の特定の活動に限定されるのだろう?
やはり、脳の機構から心が生まれていると考えるのが自然ではないでしょうか。
あと、粒子の組み合わせ全てに意識が生まれるという主張につながる可能性もある。
多分、真実は中間にあるが、それは手が届かないので中立を装っても意味がない。
26電波猫<25:2000/07/20(木) 13:17
意味が取りにくいな
逝ってよし
27名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 14:34
もしかしたら関係ない話題かと思われるかも知れないが、
意識に関する事柄を二つ。
1.意識があるかどうかは究極的には本人にしか知られない。
  このことは「他人が何を考えているかどうかわからない」とか表現されるが、
  日常生活がそれを前提にして成り立つようなある種の知識であり、
  それについて考えることで無意味化する知識である。
2.意識はヒトにしか生まれないとする世界観の中にわれわれは生きている。
  だから、「コンピューは意識を持ちうる」という言明が何か場違いなものに見えてしまう。
私としては1の疑問に対して、まず意識を持つとはどういうことであり、
それはどのようにしてコンピュータシステムにとって他人である私に知られるか、
といった問題を考えなければならないと思う。
28名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 14:47
>>27

同じ文章をどこか別のスレッドで読んだぞ?
29名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 15:02
>28
この議論には有効な材料になり得るから別に良いんじゃないの?
30猫語の通訳:2000/07/20(木) 22:45
>全てに心があるという形で心身問題を解決すると問題が起きる。
>我々が意識をしているのは脳の活動の中の一部に過ぎないよね。
>もしクオリアが物質そのものによって起きるとしたら
>脳の活動はおろか腸の蠕動まで心臓の動きまで心を持つことに成る。
>なぜ、我々の意識しているのは脳の特定の活動に限定されるのだろう?
>やはり、脳の機構から心が生まれていると考えるのが自然ではないでしょうか。
>あと、粒子の組み合わせ全てに意識が生まれるという主張につながる可能性もある。

「物質たちは心を表現する手段をもたないだけで、じっさいには心を内に有している」
という考えはおかしい。もしもそのように物質が即、意識(≒クオリア、質感)を生み出すとしたら、
人体の一部である盲腸や肝臓さえも直ちに意識を生み出すことになってしまい、不自然だからだ。
そう考えるより、むしろ、人の意識は脳の活動によって生じているのだから、
意識は脳の機構(ニューロンの組み合わせ)の産物と捉えた方が自然だろう。
そして、この考え方は、粒子の組み合わせ次第で意識が生じたり、
生じなかったりするという主張にもつながるだろう。例えば、 シミュレーションに意識は宿るか
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=963390193&ls=100
という議論にも関係するだろう。
31名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 23:35
>25@`30
しかし、1氏の立場ではそもそも人間の心を脳に局所化しないから、これ
では1氏に対する有効な反論にはならないでしょう。
(もちろん、「人体の一部である盲腸や肝臓にも意識がある」と考える
ことが不自然だと思う人々にとっては有効です。が、そのような人々は
はなから汎心論をとらないでしょう)
32名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 00:27
脳にたいする盲腸や肝臓の関係は、中央省庁にたいする地方自治体の関係です。脳には脳の心があり、盲腸には盲腸の心があり、肝臓には肝臓の心がある。それぞれ独立しています。
3331:2000/07/21(金) 00:39
>32
あ、やっぱり。
34名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 00:56
汎心論を論駁するのは難しいが、逆に次のように問うことは許されるだろう。
すなわち「汎心論を積極的に支持すべき根拠は何か?」と。
独我論の場合でもそうだが、常識からあまりにもかけ離れた立場をとる人は、
まず自分の主張が常識的見地よりも何らかの意味で優れていることを論証しなければならない。
さもなければ、論理的には整合的だが実質的な内容がない空論として退けられてしまうだろう。
独我論の場合には、常識的な実在論では難問となる心身問題を解消できるという利点(?)があるが、
汎心論にはそのような利点はない。
それどころか、余計な問題を背負い込んでしまっている。
たとえば、ミクロのレベルの心からマクロのレベルの心がいかにして構成されるのか、
というような問題だ。
この問題について中央省庁と地方自治体というようなアナロジーを提出されても、
それは十分な回答とはいえない。
中央省庁と地方自治体の関係をさらに問われたならば、
その関係を規定する法律(たとえば地方自治法)に言及することで、
さらに説明を与えることができる。
しかし、脳と内臓器官の関係について法律(に相当する規則)を明示できるだろうか?
そこで生理学的知見を持ち出すのでは、心のメカニズムを説明したことにはならない。
心理学的知見を持ち出して説明するには、我々の心理学はあまりにも貧弱だ。
35松浦:2000/07/21(金) 01:12
わたしたちもわたしたちを取り巻く物質も、同じ原子分子からできています。何の変哲も無い単なる原子分子の塊にすぎないわたしたちに心はある。とすればわたしたち以外の物質にも心は有ると考えたほうがよほど考えやすいのではないですか。
36その論法でいけば:2000/07/21(金) 01:26
わたしたちもわたしたちを取り巻く物質も、同じ原子分子からできています。何の変哲も無い単なる原子分子の塊にすぎないわたしたちに性器はある。とすればわたしたち以外の物質にも性器は有ると考えたほうがよほど考えやすいのではないですか。

文中の「性器」を「人権」に変えても可。
37ネオ生茶:2000/07/21(金) 01:29
>35
いや、27のコピペのいうとおり
人間に心があるというのは、そういう考えが習慣となっているから。
それ故ただの物質に過ぎない人間に心があるからといって
ほかの物質に心あるかも知れないというのは
誤った類推と言えるでしょう。
さらに27のコピペの1でいわれるとおり、
心があるとは本人にしか知られないことです。
人間に心あると見なされている一方で、物質には普通心はないとされています。
物質に心があると思いたいならそれはなぜかを説明しなければなりません。

38名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 01:31
少なくとも、ここの板に集まる者どもの精神は、学歴コンプレックスから出来ているようだ。
低学歴から来るコンプレックスではなく、学歴そのものを崇拝する宗教的な学歴コンプレックスだ。
彼らはあらゆるものを学歴に基づいた世界観を通してみている。彼らにとっては万有は学歴から成り立っている。
ハハハハハ。
39名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 01:31
少なくとも、ここの板に集まる者どもの精神は、学歴コンプレックスから出来ているようだ。
低学歴から来るコンプレックスではなく、学歴そのものを崇拝する宗教的な学歴コンプレックスだ。
彼らはあらゆるものを学歴に基づいた世界観を通してみている。彼らにとっては万有は学歴から成り立っている。
ハハハハハ。
40名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 01:36
二重書き込みにつき、さげ
41剣豪:2000/07/21(金) 03:11
>36
 うん、その通り。
 1は1つ学んだだけで10分かったつもりになってる青二才君でしょう。
42 名無しさん@1周年 :2000/07/21(金) 04:02
1氏へ
 人は、何らかの対象がなす物理的変化に対し協力したり妨害したりできるとき、その物理的変化を「行為」と呼び「(万人に妥当する)私」はその対象に「心」を感じる。
 物理的に分解・解剖しても、心理学的に検証しても、「心」の有無は決定できない。「心」の有無を決定するのは、「私」と対象との関わり方なのである。
 1氏が素粒子に心を認めるというのは、氏が素粒子と生活実践を共にし共生しているのでない限り、無意味である。「心」は恣意的に与えたり奪ったりできるものでない。
43松浦:2000/07/21(金) 06:34
心は性器ではないし、人権でもありません。
44松浦:2000/07/21(金) 06:38
わたしは素粒子と共に生きています。
45松浦:2000/07/21(金) 06:52
わたしは性器と共に生きています。
46松浦:2000/07/21(金) 06:53
わたしは人権とともに生きています。
47松浦:2000/07/21(金) 06:53
わたしは神とともに生きています。
48松浦:2000/07/21(金) 06:54
わたしは2ちゃんねるとともに生きています。
49松浦:2000/07/21(金) 07:35
こ…、これが多世界解釈なのか…!
50松浦:2000/07/21(金) 07:48
やぁ、ボクは別の世界から来た松浦武司さ。夜露死苦。
51松浦:2000/07/21(金) 07:54
こっちの世界の松浦武司は、俺たち松浦武司仲間の間じゃ
「ギャランドゥ」って通り名で通っているんだ。
みんな、俺と一緒にギャランドゥもよろしくな。

私信:
  お〜い、ギャランドゥ、見てるか? 俺だよ、「左曲がり」だよ。
  またみんなで一緒の飲もうな!!
52電波猫:2000/07/21(金) 10:51
>30
お見事!ありがとうございます。
>32
しかし、意識されている活動とされていない活動を分けているのはその構造と考えるのが自然ではないでしょうか?
34さんと重なりますが、書きこんでいるあなたの意識は脳の活動と対応し、肝臓とは神経を介してのみ対応しているのは認めますよね?
それとも、人間の認知とはまった区別に「脳」と言う実態が存在すると言うのでしょうか(ラディカルなイデア論?)?
もし物質に心が直接基礎付けられるならなぜ宇宙全てに一つの心と成ってしまわないのでしょうか?
5334:2000/07/21(金) 12:36
35は私の次に書き込まれているので、汎心論の利点を説明したものだと解釈する。
すなわち、心についてのふつうの見解ではこの世に心をもつ物質と心を持たない
物質があると考えるが、同じ原子や分子から出来ているのになぜ心をもったり、も
たなかったりするのか、その説明が困難である。他方、汎心論の立場では、すべて
の物質が心をもつと考えるので、そのような問題を回避できる、というわけだ。
だが、汎心論の立場をとると別の問題に巻き込まれることになる。
それは、すべての物質が心をもつのに、どうして心を表現する手段(身振り・手振
り、言語など)をもつ物質とそのような手段を持たない物質があるのか、という問
題である。この問題に汎心論者はおそらく、物質が心を表現する手段をもつか、も
たないかは、その物質の構造や組成によって決まる、と答えることだろう。このよ
うな答えが我々にとって満足できるものかどうかはわからないが、もし満足できる
ほど洗練した回答を考えることができるのなら、常識の擁護者はその回答をそのま
ま自分が抱えている問題(同じ原子や分子から出来ている物質であるのに、どうし
て心をもつものともたないものがあるのか、という問題)への回答として利用する
ことができる。
よって、汎心論が常識に対して有していた利点はその段階で失われるように思われ
る。
54名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 15:45
 こう考えてはどうか。

 人間の「脳(物)」の中に、「意識(心)」がある事は医学的に確かな
事実だが、「意識(心)」に「重さ(物)」はない。

 では、「脳」の中にある「意識」とはなにか。
 それは状態の「変化」に他ならない。それは静的には捕らえられず、
常に時間的「差分」の中にのみ見出される、と。

 では、宇宙に心はあるか。川に心はあるのか。
 私は「ある」と考える。

 なぜなら「変化」は常に「意志」を含むと信じたい自分がいるから。
 むしろ、自分がなぜそれを信じたいのか、それが私には問題だ。
 そのような「期待」こそが、心というものの実体であろうから。
55名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 15:56
ようするに、心があることにしたいわけね。ナルシシズム!
56Dr.デカパイ:2000/07/21(金) 17:03
「心」とは何か?
ってことで
このスレッドの流れも大きく変わるよじゃの。
このスレッド自体「心」を持っておるのか?
否。
「心」を持っているのは我々である。
そゆこと。
57名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 17:49
>>56
こういうスレッドこそが純粋に心だけを持っていると
思えるがな。
58電波猫<31:2000/07/21(金) 20:43
ア、腸が独立に心を持つというんじゃなく
意識にそれも含まれるはずだということです。
59>58:2000/07/21(金) 21:32
っちゅうことは、腸を切除すると意識が変わる?
手術で臓器をとったり入れ替えたりした人間は、手術前とは別人?

ほんとかね。ワラ
60名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 00:49
>手術で臓器をとったり入れ替えたりした人間は、手術前とは別人?
このスレッドの主題からはちょっと離れるが、この問いはなかなか興味深い。
直観的には臓器の一つや二つを取ったり取り替えたりしても別人になるとは思われない。
だが、「同一人物」と「別人」の違いは単なる程度の差だと考えることで、
人間の意識が人体全体に遍在するという主張を擁護できるかもしれない。
その場合、人物についての「同一性」概念は「連続性」概念にとってかわられることになるだろう。
61名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 01:01
おっと、爪を切っちまったい。
今日からの俺は昨日までの俺じゃないぜ。
62名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 07:22
とすると、切った爪の心は捨てちゃうわけだ・・・
となると、食べたものの心が得られるわけでしょ
んじゃ人の脳を食べたりしたら、すごいんだろうな・・・
2重人格になったりして・・・
63>60:2000/07/22(土) 11:10
自我の連続性は、錯覚だと思う。エイトマンは東一郎としての
自我を持っているが、エイトマンが2台あったらどれが本物?

一瞬前の自我と現在の自我は実は別物なのだと考えたほうが
よろしい。もちろん、時間近傍において差異が小さいという
数学的な意味において連続であるという表現は可能ではある
けどね。
6463:2000/07/22(土) 11:45
補足:
すまん、60の主張とあんまり変わらんかったね。同一性が錯覚
でした。連続性じゃなくて。
2台のエイトマンの場合は自我がある時点で分裂すると考えれば
よいのだよね。どちらの自我も東一郎の過去と連続的に繋がるわ
けだけど、同一性は実は分裂した時点で失われているというわけ
だ。

で、臓器移植etc.の場合だが、そこで自我の連続性が失われない
のであれば、臓器が自我を構成しているとは言えまい(少なくと
もその影響は小さいはず)?
65電波猫:2000/07/22(土) 12:22
>59
前のレスも一応読もうよ。それじゃ現実と合わないでしょって意味なんだからさ。

脳の活動の全てが意識に登っているわけではなく
意識に登らない活動も多いわけです。意識に登る活動とそうでない活動の差を生み出しているものは何か?(多分、ある程度わかってんじゃないかな?)。
それを理解出来ればクオリアについての十全な理解が出来るかは解りませんが、無関係ではありえないでしょう。

ところで63さんの言ってらしてるのはこう言うことですか?
脳の分子を少しずつ置き換えていったり(現に起きてる?)、精神をつかさどる器官を同じ機能を持った機械とちょっとずつ取り替えていったり
した場合どこかの時点で別人になるのか(複数それを作ったら?)?
また取り外されたものを組立てなおして再起動させたらそれも自分といえるのか?言えないなら、一度死んだ人間を冷凍してナノマシンとかで修理してもそれは別人なのではないか?

個人的にはデータを送信して再構成するテレポテーション装置は御免だな。あれはさすがに別人としか思えない(そう思わない人もいます)
6659=63:2000/07/22(土) 12:39
>65

59として:
意識のなんたるかがはっきりしない以上、そうだともそうでない
とも言えないが、臓器に精神活動の兆候を示す証拠があるのでな
ければ、とりあえず否定的にとらえていいんじゃないかと思う。
単なる可能性として論じる分には許す。

63として:

そうじゃなくて、今の私と一瞬前の私はすでに別人ってこと。
連続性がどこまで保持できるかという問題とは別。連続性について
はわからんです。本人の自覚でしか判定できないような気がする。
私としては、テレポーテションで再構成された人間も、人工知能の
上に記憶を埋め込んだ人間も、程度の差こそあれ、連続した自我と
して捉えていいと思う。でも、もとの人とはどちらも別人。
昨日の私と今日の私が別人であるように。
67名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 15:39
心臓移植で前心臓保持者の非常に私的な記憶が
移植された人間に移植後認められた例があるって聞いたぞ。
68電波猫:2000/07/22(土) 17:32
物質=心であるのなら物理的運動に心は何の影響も与えないことになる。(なぜならクオリアは動きの随伴物に過ぎないからだ)
しかし、我々はクオリアについて語っているのだ。つまり、心が物質に影響している。物理法則の内側にクオリアを組み入れることは可能と考える有力な(と俺に思える)根拠だ。だとすれば、燃焼活動などとどう違うのか具体的に言える。
研究が進めばどのようにして「脳がクオリアを認知」しているか(これは心の哲学だけではなく心理学や脳科学などの科学の分野でもあるでしょう)が解るでしょう。まだなってない事を重視したっていいけどね
今までと纏めて解るように書こうとしたらすごい量になっちゃった(泣)
んでこれだけ(十分多いが)。これ通じますよね。

>63としての65さん
なるほどそういうことですか。でも、連続性とまるきり別に分けることは難しいと思いますし、「程度の問題」こそが重要だと思います。
無意味なレスで御免なさい。でもこの問題はアリストテレス以来ですからねェ
69電波猫:2000/07/22(土) 17:53
65はおれじゃん。66さんです。すみません

具体的に言える。 →具体的に言えることになる
70松浦:2000/07/23(日) 09:32
@わたしたちもわたしたちを取り巻く物質もすべて同じく原子分子の集まりにすぎない。
Aしかるに何の変哲もない単なる原子分子の塊であるわたしたちに心がある。
Bゆえに、わたしたちをとりまく物質にも同じく心があると考えたほうが考えやすい。

これが私のアニミズムです。しかしながら圧倒的多数の人間は、物質が自己組織化した結果、はじめて心が生じてきたのだ、という唯物主義的な考え方のもちぬしです。これは基本的に感情移入能力の欠如だとおもいます。しかしその点、アニミズム期の赤ちゃんは感情豊かです。かれらは、サッカーボールは蹴られると痛いと感ずるとか、荷物を積まれたトラックは重いと感じているなどと、思うものなのだそうです。あどけなくも心優しいのですね。また、包装紙に包まれた商品は酸素不足と二酸化炭素過多で息苦しがっていてかわいそうだと子供のころ思っていたといっていたひとがいますが、そのひとはいま、地球環境のために炭素税導入すべきであると考えているのだそうです。
アニミストは地球にも優しいんですね。
71電波猫:2000/07/23(日) 09:59
俺は誰と議論していたんだろう
鬱だ
72>70:2000/07/23(日) 10:47
これって、松浦さんという「アニミスト」を馬鹿にする煽りなのかなぁ?でも、そんな名前聞いたことないし...。

電波系なのか煽りなのか、なかなか判然としないところが2chの
面白さでもあるわけだけど、やっぱ、どこかでオチが欲しいよね。

73名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 15:15
>70
どんなに批判を受けようとも最初の立脚点から一歩も動かない覚悟のほ
どはわかったが、一つだけ言わせてほしい。
この論法が仮に正しいとして(いろいろ欠陥があることはすでに指摘さ
れている通りだが)そこから論証できるのは、すべての物質が心をもつ
ということではなくて、中くらいの大きさの物体が心をもつということ
ではないか?
包装紙に包まれた商品がかわいそうだと考えた人は、きっと酸素分子に
感情移入することなど想像もしなかっただろう、ということ。ましてや
クオークや素粒子は「原子分子の集まり」ではないのだから、そのよう
な微細な物質にも心があるという論証がまったく出来ていない。
さらに一歩譲って、そのような微細な物質にも感情移入できるとしても
ミクロの物質の心からマクロの物質の心が構成されるという考えは出て
こない。

一つだけ、と言っておきながらいろいろ書いてしまったが、要は主張に
見合うだけの論証が行われていない、ということだ。
74名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 18:46
>70
>アニミズム期の赤ちゃん
ごめん!この言葉理解不能・・・

ところで、大地ってやっぱり人のせいで重いと思ってるのかな・・
サッカーボールは蹴られて痛いのでしょうか?
サンドバッグはなぐられて(以下略)
食物は食われて苦しいのでしょうか?
空気は吸われてうれしいのでしょうか?
精液はゴムの壁に遮られると悲しいのかな・・・
75名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 01:32
中性子君は原子さんの周りを周りたい!という意思を持ってます。意思→心です。
自らの遺伝子を残したいという意思は皆持ってます。生物だけではありません。ウイルスを見てください!彼は無生物が遺伝子を残したいという意思から、生物に変化する間の状態です。
全ての物質(遺伝子を含む)は自らを残したいと思っているんですぅ。宇宙はそのために出来たんですぅ。生物もそのために出来たんですぅ。
76名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 01:46
>中性子君は原子さんの周りを周りたい!という意思を持ってます。
中性子にどのような意思があるのかは知らないが、少なくとも原子の
周りをまわってはいないと思う……。
77名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 10:46

そだな・・中性子は原子核の崩壊を阻止したいんだろな・・
>ウイルスを見てください!
>彼は無生物が遺伝子を残したいという意思から、
>生物に変化する間の状態です。
ウイルスって生物じゃないの?
遺伝、代謝、細胞膜の要素は全部満たしてるよ?
それとも核がないと生物じゃないの?
>全ての物質(遺伝子を含む)は
>自らを残したいと思っているんですぅ。
陽子、電子、中性子ってさ、
消失したり、生成したりするわけ?
78電波猫@知ったか大王:2000/07/24(月) 12:56
実は最初のアイデアは悪くないと思うんだけどな。
単なる物質の運動から心が生まれるというのは直感的に受け入れがたいのは確かだし
全ての物質に心があるなら問題は無くなるってのは少し魅力的だ
でも、それを否定する理由が有り過ぎてすぐに覚めるけど。
でも、共感がどうとかって来るとなぁ、ホントに1が書いてんのかな?

>77
>遺伝、代謝、細胞膜の要素は全部満たしてるよ?
>それとも核がないと生物じゃないの?
原核生物と間違えてませんか?
>陽子、電子、中性子ってさ、
>消失したり、生成したりするわけ?
しますよ
79>78:2000/07/24(月) 15:09
>>遺伝、代謝、細胞膜の要素は全部満たしてるよ?
>>それとも核がないと生物じゃないの?
>原核生物と間違えてませんか?
ウイルスにはないの?
ちなみにウイルスはタンパク質の中にDNAだけで存在してるんでしょ?

>>陽子、電子、中性子ってさ、
>>消失したり、生成したりするわけ?
>しますよ
んじゃ、質量保存の法則って間違い?
80ネオ生茶:2000/07/24(月) 15:50
>79
エネルギー保存則のことじゃないですか?
それとも・・・
81名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 16:04
手塚治虫の『火の鳥』で言っていたコスモ説を思い出してしまった。
全てのものには生命が存在するという話。
82電波猫:2000/07/24(月) 19:37
>ウイルスにはないの?
なんか適当なリンク先ないかな?あれば便利なんだけど。じゃ、出来る限り簡単に
>ちなみにウイルスはタンパク質の中にDNAだけで存在してるんでしょ?
だいたいそういう事です。(DNAじゃなくてRNAの場合もありますが)
それが細胞にとりこまれて、取り込んだ細胞がウイルスを複製します。
ウイルス自体は代謝しません。また、タンパク質の殻を細胞膜とは普通言いません。
>んじゃ、質量保存の法則って間違い?
いい方が簡単すぎましたね。同じエネルギー(質量)を持った他のものに変わるので
生成消滅するという意味です。
83ナキリ:2000/07/24(月) 21:35
>70
>サッカーボールは蹴られると痛いと感ずるとか
なんかそれって
ただ単に人間の感覚を敷衍してるだけじゃないの?
対象を擬人化してるだけみたいにきこえる。

感情移入するとしたら
その対象の存在するしかたを考えてするべきでは?
(その対象の存在理由?)
そうしないと
「大腸菌はうんこの中にいてかわいそう」
「うじは腐ったものばかり食べてて辛いだろう」
とかなっちゃうんじゃない?

関係ないけど
汎心論だと嘔吐物とか腐った卵とかと
どう関わっていけばいいの?
「心の存在はは認めるけど捨てる」とか?
84名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 22:54
>83のばかっばかっ
うんこを馬鹿にしないでっ。その中にいて可哀想と思われたうんこの身にもなって見なさいよっ!
8579:2000/07/25(火) 00:07
まあ質量保存の法則がエネルギー保存の法則であることぐらいは知ってたし(負け犬の遠吠え)
クォークを持ち出さなかったのも意図的だったんだけど(これも遠吠え)
真面目モードで語ると
>全ての物質(遺伝子を含む)は自らを残したいと思っているんですぅ。
ってのはすなわち、最小単位核子が変化、消失、生成したほうが都合いいわけだよね。
全く変化しないものが、思ってるだけってのはナンセンスな話だからね。
で、するの?
で、1、カオスから有が生成される。
  2、無から有が生成される。
のどちらかの考えにいきつくと思うわけ。
結局、3、有から有。では組成の変化でしかないと思うわけね。
だとしたら、最小核子は変化してないでしょ。と、まあそういうわけ。(どういうわけだ?)

あと「ウイルスは生命ではない」はOKですな?
高密タンパク質ぐらいと捉えるのが妥当な線なのかな?
ところで、バクテリアについて誰か知ってる人いたら意見くれ。
あと、原核生物って核もってるんじゃありませんこと?
核膜がないだけで。まあ、俺が馬鹿なのだから、きっともってないのだろうけど
8679:2000/07/25(火) 00:07
まあ質量保存の法則がエネルギー保存の法則であることぐらいは知ってたし(負け犬の遠吠え)
クォークを持ち出さなかったのも意図的だったんだけど(これも遠吠え)
真面目モードで語ると
>全ての物質(遺伝子を含む)は自らを残したいと思っているんですぅ。
ってのはすなわち、最小単位核子が変化、消失、生成したほうが都合いいわけだよね。
全く変化しないものが、思ってるだけってのはナンセンスな話だからね。
で、するの?
で、1、カオスから有が生成される。
  2、無から有が生成される。
のどちらかの考えにいきつくと思うわけ。
結局、3、有から有。では組成の変化でしかないと思うわけね。
だとしたら、最小核子は変化してないでしょ。と、まあそういうわけ。(どういうわけだ?)

あと「ウイルスは生命ではない」はOKですな?
高密タンパク質ぐらいと捉えるのが妥当な線なのかな?
ところで、バクテリアについて誰か知ってる人いたら意見くれ。
あと、原核生物って核もってるんじゃありませんこと?
核膜がないだけで。まあ、俺が馬鹿なのだから、きっともってないのだろうけど
8779:2000/07/25(火) 00:08
二重かきこ
かんべん
88名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 00:18
>83
君の意見を聞けただけであのレス書いた意味があったってものだよ。
(いい意味で)君は一元論者だね?
君みたいなニューエイジャーがこれからの世を支えるんだろうね。
りんごは食われてうれしいだろうね。
なんせ自分の役目を果たしているのだから。
89ナキリ:2000/07/25(火) 03:18
>88
>りんごは食われてうれしいだろうね。
>なんせ自分の役目を果たしているのだから。

そのりんごの「役目」というのは
誰から見たものなのでしょうか。

人が人である以上、人としての見方しかできず、
対象の本当の気持ちを知ることなどできないのでは?

なので自分は対象に感情移入することなど
できないのではないか、と思っております。

しかし「本当の気持ち」なるものの存在をおくこと自体
適当では無いような気も。

結局ひとのことなんてわかんないや。
今までの経験から推し量るしかないのね。

感情移入云々といっている人は
それが自分の認識の範囲の中での類推だってことを
自覚しないとね。

ってのが無難な結論かな?
あえて書くほどのことではないかもしれないけれど。
90名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 12:40
>あえて書くほどのことではないかもしれないけれど。
いやいや、このスレッドを見ているとあえて書くほどのことではない
ことでも書かないとわからない(それどころか書かれてもまだわから
ない)輩がいるら、基本をおさえておくことは大切だ。

結局、「感情移入」を基調とする汎心論は、自分の心や意識を他者に
投射し拡張しているにすぎない(やや極論)。
よって、汎心論は独我論に通じる。
91名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 13:21
あれ?消えた。いい加減感情移入から離れません?
1も消えたことだし
92電波猫>86:2000/07/25(火) 17:03
>あと、原核生物って核もってるんじゃありませんこと?
>核膜がないだけで。まあ、俺が馬鹿なのだから、きっともってないのだろうけど
性格悪いなあ、もう
原核(核領域)の事を言ってらっしょるんでしょ?(もっとも、あれは核じゃないって人もいますが)
単に「遺伝、代謝、細胞膜の要素は全部満たして」「核がない」ものが他に浮ばなかっただけです
でも、たぶん75は慣性や万有引力のことを言ってると思うんだけどな。組成の変化で十分、というより他の者に代わっちゃったら別人とか思ってるのかも
でも、本気じゃないんだろうな…。
ところで最小核子ってなんですか?
93電波猫:2000/07/25(火) 17:07
>組成の変化で十分、というより他の者に代わっちゃったら別人とか思ってるのかも
あ、進化とかも含んでるからにはそれは無いか。
アリストテレスの議論を引き写してくれた方が面白いかも
自然が一定の規則で秩序だって動くのは目的を持っているからだ!
ってやつ
9486:2000/07/25(火) 23:36
>電波猫
西洋思想に古くから見られる
それ以上細かく分割できないものという発想。
現実に何かそういうのが存在するわけじゃあないのよ。
例えば、原子の仕組みが不明だった時は
原子はそれ以上分割できない最小単位だったでしょ。
そういう想像上のものについてのこと。
でも、ないという発想もまた議論を呼ぶだろうけどね。
もちろん、あるというのも議論のまとだったよ。
その核子を分割したらどうなるのか?って
でも、そういうのはこのスレと関係ないからノータッチ
具体的なものを挙げると論点が定まらないと思ってこの言葉を使った。
9575:2000/07/26(水) 01:49
ちがうのぉ!ウイルス君は自分で自己を増殖させる機能がないから、生物じゃないのぉ!ウイルス君は、別の生物(またはその細胞)に自分の遺伝子を打ち込んで(ドピュッとね)自分の子孫を造る様に洗脳しちゃってるんですぅ、マインドコントローリングなんですぅ。
生物と無生物の間の存在である彼らは、無生物が意思を持って生物へと変化していく過程の存在なのぉ。
「無」が意思を持った結果全てが生まれたのよぉ!全ての物質は崩壊過程にあっていずれは燃え尽きてしまう。だけどぉ「無」は「虚空」に成りたくないってさっき言ってました。何かが存在してくれれば、非存在である「無」も元気にしてられるからって言ってたよ。万物には存在を存在させていくための意思を持たせたって、泣きながら言ってた。
>自然が一定の規則で秩序だって動くのは目的を持っているからだ。
全部よ、全部。みんな持ってるのよ目的→意思→心を。
万物は心を持ってますぅ!!ふぅ、ふぅ、
9675:2000/07/26(水) 01:55
>94
あ、デモクリトスだね。あいつ最近、髪のびたよねー。
9788:2000/07/26(水) 05:30
今気づいたけど
83=89か
ごめん!
分かりにくい皮肉言っちゃって!
これからはもっと分かりやすく言うから。
98猫電波:2000/07/26(水) 10:42
>94
了解。
>ところで、バクテリアについて誰か知ってる人いたら意見くれ。
橋本淳一郎というSF作家は、感情の基礎になるのは具体的な特定の分子であるから
バクテリアにも感情はあるが、意識(自分を認識することだそうな)は無いと主張しているようです。
ところで別に誰も負けてないと思う(共感主義者以外)。
99名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 12:04
心理学板でも同じような議論してるよ。
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=963704363
100名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 13:34
だれか95に反論してよー
101名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 14:10
95に反論する前に前提条件として、
1.「石の落下運動に心はない」
2.「ウイルスの増殖行動に心はない」
3.「犬がより強い犬に脅えるのは心がある」
4.「人が泣くのは心がある」
が一般常識ということでいいんですか?

# 3は審議だな。

102名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 15:12
できれば95の世界観を崩すような反論が欲しいな
103名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 22:00
むつかしー
「心」というのは多分に総合的なものだと思えるので
分析的なものの見方で95に反論するのはちょっとアレだな。

「心」を仮定することに意味があるか?という問いかけでは
どうでしょう。
104素人飛び入り@1周年:2000/07/27(木) 01:05
「意識とは何か?」についてですが、

仮に、人間を脳みそと心臓だけにして、
外界に対して、何も働きかけることができず、
なにもフィードバックを得られない状態にしたら、
意識は次第に消滅して行くのではないでしょうか?

耳が聞こえなくなるとしゃべれなくなるように。

意識とは外界に対して何かを働きかけて、
フィードバックを得られることで、生ずるのではないでしょうか?
105名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 01:59
95の世界観崩し、エントリーナンバー1番で行かせていただきま〜す。

意思が存在するという考え方そのものは、どこから来ているのでしょう?
何が根拠があるのでしょうか?
75によると、ウィルスには存続の意思があるとあります。

これが結果論に過ぎないことを示すために、簡単なゲームを考えてみましょう。
まず、1枚のコインを持った無限の人間を横一列に並べます。
それから右端の人から順に以下のルールに従って手を上げていきます。

1)右端の人は、コインを投げて表が出たら右手、裏が出たら左手を上げる。
2)右からn番目の人は、n−1番目の人が右手を上げていたら右手を上げる。
  n−1番目の人が左手を上げていたら、1)の規則の通りにコインで決める。

このとき、充分に大きいnでは、右手を挙げていると考えられます。
このゲームでは、果たして右手を上げることに存続の意思があるといえるでしょうか?
答えは否です。単純に「右手を上げること」に存続する理由があったからに過ぎません。

生物の存続の意思に関しても同様のことが言えます。
存続の意思があったから存続したのではなく、ありとあらゆる多くの要素の中から
存続に足る理由があるものが *偶然に* 残ってきただけです。
これを「存続の意思がある」と考えるのは、ただの結果論に過ぎません。
もし、個々の生体に存続の意思の意思があることを認めるのならば薄っぺらな
体育会系精神論になりますし、個々の生体を越えた種の意思を考えるのなら、
それは、昔懐かしい「神」の幻影というものです。

最後に、95の「無」と「虚空」の違いを定義していただけないでしょうか?
違いが分からんネスカフェ。
106名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 02:05
>>101
>>95はその前提の全部に意思があると言ってますよ。一般常識では片付けられないのでは?
107名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 02:06
> もし、個々の生体に存続の意思の意思があることを認めるのならば

ごめそ、意思がダブった。必要以上に意思にあふれる私(笑)。
10875∩95:2000/07/27(木) 03:19
>>105
反論
ネスカフェの違いはゴールドブレンドだけです。それを飲めばきっと違いが分ります!!
以上!!!
・・・・ごめんちょっと待ってね、今日明日は野暮用で。まだ詳しく読んでない。
PSさっき交尾をしていたのですが、コンドームの中に居るせいぴ君達を見てちょっと悩んだ。彼等に生存の意思はあると。しかし存続の意思を持っていても知性の欠片もなさそうな彼等はまるで存続の意思はない様に思える。俺は細胞一つ一つが意思を持っていると思っていた。けれど彼等の行動は明らかに自殺行為だ。しかも俺の意思によって殺されている。彼等に意思はあったのか?俺の意思の一部であった様だ。今までの俺の考えだと脳細胞一つ一つにも意思を認めなくてはならない。すると俺の心は多数の意思を統合させた物と考える事になる。しかし俺の心は一つであろう。よって細胞に意思を認める事はできなくなった。細胞に心を認められなくては、無論原子にも認められない。故に万物は心を有してはいないのかぁ。
はぁー残念。いや、でもあえて1の立場に立った方がおもしろい。がんばろ。
>105
>存続の意思があったから存続したのではなく、ありとあらゆる多くの要素の中から
>存続に足る理由があるものが *偶然に* 残ってきただけです
ちっがうのぉー!!みんな存続の意思はありますぅ!!存続したかったんだけど、その知性や術を持てなかったからだめだったの!それができた物質が存続できたのぉ!家のばあちゃんは存続したがってたもん。結果的にできなかったけどぉ!くらげとかの初期の生物には御目目はついてない、でもなんで進化して御目目がつくようになったの?それは見たいって思ったからでしょ。結果として偶然できたの?じゃあ偶然マシンガンのついたくらげも居たって事ぉ?ふふーんだ。絶対違うもーん!!存続の意思の中からの有効な進化が結果として存続したんですぅ。くらげちゃんは見たいって思ってますぅ(光を感じる為の器官としてなんか欲しがってる。)。
物質の存在以前に意思があったんですぅ!ビッグバンしたかったんだもん!!!!どかーんって!
>意思が存在するという考え方そのものは、どこから来ているのでしょう?
知るか。そんなもの!こっちが知りてーよ。俺にもあるから原子にもある。1が言ってる事だ。
あ、こっち側に居る方がやっぱおもしれー。がんばるぞ。みんなーこっちにこーい。
無と虚空はまた後で書いときます。あさって以降に。あ、誰か代わりにできたらお願い。
109質問です:2000/07/27(木) 04:43
>105
んと、難しくて十全に理解できないのですが、
>存続の意思があったから存続したのではなく、ありとあらゆる多くの要素の中から
>存続に足る理由があるものが *偶然に* 残ってきただけです
ということは、万物の進化はすべて結果論ってこと?
生物の進化を突然変異の偶然でかたずけるんですね。(寒っ)

ふう、だいたいこんな面白いスレに『ま・と・も』に立ち向かった時点デ
あなたの敗北は既に決まっていたのデス
云うに事欠いて、面白いゲーム(w)で生物の存続の意思さえ否定しようとするナド
おお、何と恐れ多い・・・(もとい)おめでたい人デショウ
そんな理論を受け入れるくらいなら、私は『神』の復活にこの血を奉げマス
110名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 09:55
>>109
おいおい、多種多様な生物が誕生したことに関しては、あなたの言う、
「ある一定の方向に沿っている」進化論より、偶然論の方が有効だろ。
111愛犬家:2000/07/27(木) 10:15
心なんて人が勝手に作り出した代物でしょ!?
俺んちの犬には心があると俺が主張すれば心があるんだから(藁

どっかの科学者がコンピュータと人を見分ける思考実験して
見分けられんかったんでしょ(詳しい方詳細お願いします)
つまり
心なんて表層的コミュニケーションが取れれば
(あるいはそれナシでも)どこにでも見出せる
だから
ある意味1の言ってることはあ合ってんのかなぁ?
宮台的に言うと「愛のモード」ならぬ「心のモード」!
112名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 10:55
> わたしたちの中に心があるとすれば、わたしたち以外のすべての物質にも
> 心はあると考えたほうが考えやすいとおもいます。

要するにね、1の主張を要約すると、
「私たちの中に心がある」ならば「すべての物質に心がある」
という形でしょ?
この命題がおかしいとしたら、前提の間違い、つまり、
「私たちに心があるというのは幻想に過ぎない」ってことじゃないの?

別に存続の意思とかみょうちきりんなものの存在を導入する必要無いじゃん。
113猫電波@アリストテレスを歪めて:2000/07/27(木) 16:53
船が浮くのは、水で浮く木で出来ているから付帯的に浮くのにゃ−
船が浮きたがってるんじゃなくて、木が浮きたがってるからだにゃ。
あれ?木がああいう性質を持ってるのは原子がそういう集まり方してるからか
じゃ(中略)ホントに心を持ってるのは究極核子じゃなかった純粋質料だけにゃ!
俺らは心を持ってないにゃ!
あれれ?
114猫電波:2000/07/27(木) 16:59
1は違うけど105は煽りでしょ。86さんがせっかく先に進めようとしてるんだし乗りませんか?
>104
空中人間ですね。でも直感的にはイブン・スィーナーの説の方がしっくり来ます。
心の科学ではどう言われてるんでしょうね?
115名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 17:37
イブン・スィーナーの「空中人間」ってどんな話だったっけ。
生まれたときから目も耳も鼻もふさがれていて、空中からぶら下がって
いるので、外界のものに触れるという経験をしたことがない人を想定し
た思考実験だったと思うが、どういう事を言いたいのか、という肝心な
ことは全然知らんのだ。
ところで、イブン・スィーナー=アヴェロイスでよかったかな?
116103:2000/07/27(木) 17:47
「心」というのは、ある種の現象を我々が便宜的に
(といったのは定義がいまひとつはっきりしないからだが
定義がはっきり定まる見込みはきわめてうすいと思う)
そう呼んでいるに過ぎない。だから「全てのものに心があるのお」
という主張について白黒つけるのは不可能なんではないかな。

ただし、そうした仮定をおくことが有用であるか否かというのは
決着つく話だよね。例えば、人と対話をするときには、
「相手が心を持っている」という仮定は理論的にも
実践的にも、ものすごく有用である。
一方、素粒子を相手にして「素粒子に心がある」という仮定は
修辞的効果以外にはあんまり役に立っていないようだ。
なぜかというと、心を仮定しなくても説明ができるから。

という「説明原理主義」はどうでしょうか。
117104>(114@`115):2000/07/27(木) 21:42
sagaしてみます。読みたいです。

118猫電波:2000/07/27(木) 22:50
いや、俺も原典で読んだわけじゃなくて又聞きの三乗位です。
外界に触れなくても自分があることは認識できる。したがって霊魂は独立して存在しうるという証明だった筈(苦しいな)。
翻訳されてるのかな?
イブン・スィーナーの翻訳は俺の知ってるのは『科学の名著 8 イブン・スィーナー』朝日出版社とアヴィセンナ「医学の歌」草風館だけ(どっちも読んで無いッス)
だけど載ってるかな?
アヴェエロスはイブン・ルシュドの方です。(『矛盾の矛盾』は翻訳がある)
119115:2000/07/27(木) 23:34
>アヴェエロスはイブン・ルシュドの方です。
おお、大恥をさらしてしまった。
訂正どうもありがとう。
言われてみれば「アヴィセンナ」という名前にも覚えがあるのだけど、
授業(イスラム学ではなくてスコラ哲学の授業だった)で話をきいたの
がもう五年以上も前のことだったので、すっかり忘れてしまっていた。

で、空中人間についての私見。
この思考実験は全知全能のアラーの神が空中人間を創造したところから
始まるので、神が「空中人間に自己認識能力を持たせよう」と思えば空
中人間は自己認識を持つだろうし、逆のことを意図すれば自己認識を持
たないだろう。
もともと仮定に無理があるので、瑣末な結論しか出てこない、というの
が、私の考え。

120115:2000/07/27(木) 23:35
>アヴェエロスはイブン・ルシュドの方です。
おお、大恥をさらしてしまった。
訂正どうもありがとう。
言われてみれば「アヴィセンナ」という名前にも覚えがあるのだけど、
授業(イスラム学ではなくてスコラ哲学の授業だった)で話をきいたの
がもう五年以上も前のことだったので、すっかり忘れてしまっていた。

で、空中人間についての私見。
この思考実験は全知全能のアラーの神が空中人間を創造したところから
始まるので、神が「空中人間に自己認識能力を持たせよう」と思えば空
中人間は自己認識を持つだろうし、逆のことを意図すれば自己認識を持
たないだろう。
もともと仮定に無理があるので、瑣末な結論しか出てこない、というの
が、私の考え。

121119@`120:2000/07/27(木) 23:37
二重書き込み、すまん!
122空中人間104:2000/07/28(金) 21:52
根拠なしですが…

その頭脳の可能性を試すために、
思考活動で宇宙ができる。
(宇宙創造の夢を見る?)

万有が宇宙を有する。
なんて(^^;)
123松浦:2000/07/29(土) 04:35
わたしは、………クオーク→素粒子→原子→分子→細胞器官→細胞→組織→器官→個体→種社会………、というふうにできているすべての物質階層が、心を有する生き物であり、すべての生物の心はサブレベルの生物たちの心の合成結果・集団心理である、と考えます。

下位の物質たちが心を有しているからこそ、その集合体にも心が有るのです。
逆に、もしも下位の物質たちに心が無いのであれえば、どうして「物」から全く異なる「心」が出てくるのか、不可解でありましょう。無いものをいくら集めても有るようにはならないのです。ゼロはいくら足してもゼロです。
124名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 06:29
無論物質のありようは人間の生きる方向性は指示しない。
法律などその最たる者である。
本来だれのものでもないものに所有なる概念を付与し、
排他的利用権を認める。これのどこが物質の性質からでて来るのか。
125>123:2000/07/29(土) 06:32
>心の合成結果・集団心理である、と考えます。

つまり「全てのものに心がある」というのは仮説に過ぎんのだな。

で、この仮説はどうやって検証するね?
そもそも「心とは何か」がはっきりしてなければ
検証すら不可能だな。
君ははっきりした「心」の定義なりなんなりを持ってるんだろう。
ここで開陳してくれないかな。
「そんなのは自明だ」なーんてのでは全然ダメよ。

>下位の物質たちが心を有しているからこそ、その集合体にも心が有るのです。

「心」という現象について「2+2=4」が必ず成立すると
誰か証明したのかな?
少なくとも経験的には「心」は多分に非合理な部分を抱えているようなので、
有効な検証が欲しいところだ。
126松浦:2000/07/29(土) 09:09
アメーバは、エサを与えてやれば喜んで食いついていくし、有害な物質を流してやれば、痛がって逃げていきます。このように生物は一般に、生命活動を促進するものに快楽を感じ、その活動を阻止するものに苦痛を感じます。「快」を求め「苦」を避けることをつうじて、生物はその生存を確保しているのです。そのように、快苦を感ずる能力は生命活動にとって必要不可欠なものであり、心がなければ生きていけません。心が物を生かしているのであるから、「心を有する物」を「生物」と定義し、「快苦を感ずる能力」を「心」と定義することができます。
127名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 10:52
>126
あげ足とりみたいでスマン
原子も快苦を感じるということでしょうか
それはどうやって測定したのでしょうか
128名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 14:33
>126
アメーバは走性ですね?
アメーバは快苦をホントに感じてるのでしょうか?
もし、生き延びる事が快楽だとするならば
蚊の二酸化炭素に対する正の走性はどうでしょうか?
確かにこの走性でえさにありつくことが容易となってますが、
逆の結果も起こします。
ドライアイスなどをつるすと、蚊が引き寄せられ
酸欠で落ちていくというものです。
また、走性、反射を心としてよいのでしょうか?
我々がひざ頭に衝撃を加えると反応が起きるのは(かっけ)
心によるものなのですか?
129猫電波:2000/07/29(土) 22:54
>119
いや、それは違うでしょう。これを外界からの刺激を与えない様に科学者神経系だけを培養された人でも
自分の存在だけは知っているはずだという現代風の思考実験に変えることも出来ますから
>松浦さん
やっと煽りじゃない人が来た。実は俺も似たようなことを思ったことがあります。
でも、あまりに問題が多すぎるのですぐに考え直しました。
いくつかその問題点を挙げてきたつもりですが、それについてはどうお考えになりますか?
とりあえず68の疑問にでもお答えいただけませんでしょうか?
130名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 23:31
123の人に質問ですが、人間と言う種や地球、宇宙にも心があるということですか?
131名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 00:26
どうでもいいじゃん。そんなこと。ホントは興味ないくせに。
132名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 01:53
>猫電波
>やっと煽りじゃない人が来た。
俺は煽りと思われてたのか・・・・・・・・
133名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 03:04
すべての物質に「心」とはマインドではなくて
機能(ファンクション)と形(フォルム)のような
ものを考えれば?

原子レベルでみれば静止している物体はない(笑)
だからといって永久機関ができたり、
神様のかわりが出来るわけではない(笑)
13475∩95∩108:2000/07/30(日) 03:22
うーん。自分の心は、自分を構成する原子などが持つ小さな心を統合した物と考える。
原子などは心を持たないが、「心の素」となる様な物を持っていると考えるってのはどうですか?
全ての物質は極微量の意思を持ってはいるが、心とされるほど大きくはない。
だが、沢山集まれば、それらの意思は統合され、自己を認識するほどの大きな意思つまり心を持つのではないかと。
ま、仮定なんですけどね。どうでしょ?
心を分割してる時点で無理あるかもしれないですけど。
135名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 04:21
>134
それだと単純なアミニズム信仰になってしまう、

136>134:2000/07/30(日) 04:22
ううむ、ペンローズばりの議論になってきました。
仮説としてはおもしろいんですけどね。
137名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 04:34
ふと思いついた疑問。
すべての物質に心があるのだとすると、死体にも心があることになる
のだろうか?
138>137:2000/07/30(日) 05:59
126らの意見を言えばきっとなるのでしょうね。
死体はほっといたら腐敗しますよね。
それは死体が腐りたいから腐敗するのだということなんでしょうね。
139名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 06:22
心があったとしてもそれを理解できるのは
解剖医とか坊さんだね>今の日本では。

ちなみに戦争なんかで屍体が日常的にある環境だと
屍体=死の恐怖というリンクが成立しなってくる。
そのような境地で屍体と接する社会情勢は劣悪だろうが、
他者としての屍体と接する機会としては良い場所であるだろう。
140猫電波:2000/07/30(日) 12:10
ああっ、ごめんなさい。汎心論者でということでした。
75の事でした。
共感云々言っているのを75と勘違いしていたんです。
失礼しました>75
141猫電波:2000/07/30(日) 13:34
>75
>はぁー残念。いや、でもあえて1の立場に立った方がおもしろい。がんばろ。
馬鹿みたいな勘違いをして貴方のことを煽りだと思い込んでいました。申し訳ありません。
>うーん。自分の心は、自分を構成する原子などが持つ小さな心を統合した物と考える。
>原子などは心を持たないが、「心の素」となる様な物を持っていると考えるってのはどうですか?
それですと、地球の心は我々より「はるかに大きい」事になりませんか?
また、「微量の心を持った物質」の組み合わせ全てに心が生まれてしまいます。
人間は10^27個を超える素粒子から出来あがっていますが、その組み合わせ全てに心があるのでしょうか?
例えば、脳全体から一個の電子を抜いたものと貴方のパソコンのEnterキーとの組み合わせはどうでしょうか?
また>>68の疑問についてはどうでしょうか?
>中性子君は原子さんの周りを周りたい!という意思を持ってます。意思→心です。
だとするならば、物理法則から計算したものは世界を「正しく表して」いるわけですね?
だとするなら、計算された世界からは心の存在は伺えないはずですが
>>68
の問題が起こります。「心の素」にどういう意味を与えるか?ということで変わってきますが、俺の能力を数段超えてしまうので堪忍してください。
142>猫電波:2000/07/31(月) 02:04
本気?
143吽硬:2000/07/31(月) 04:03
>じっさいには心を内に有しているとわたしは考えます。
それを無明といいますな。解脱してない証拠です。
貴殿も修行をされよ。
144名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 04:34
例えば人間の脳は神経細胞同士がネットワークを結んでいるから
意味があるんであって、それらをバラバラにしてしまうと意味が
なくなってしまうでしょう。つまり、人間の脳は
「たんなる神経細胞があつまったもの」以上のしろものであって
安易に加減乗除してよいものじゃありません。
同じように「心」も、全体として見るから意味があるのであって
安易に足したり引いたり割ったりするのは感心しませんね。
145吽硬:2000/07/31(月) 04:38
なるほど、そちは食事する時は口を動かす事しか考えぬのかの?
奇特な者もおるようじゃの。
146猫電波>142:2000/07/31(月) 11:41
半分くらいは…
文章長いけどそんなにマジになってるつもりはないのー。
医スレッドの3は俺だし
147>145:2000/07/31(月) 17:24
いちいち考えないと口を動かせない奇特な人間がいるのか?
148名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 22:38
age
149名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 05:18
このスレもう終ったのかなぁ
もうちょっと電波猫や松岡さんの意見を聞きたかったのだが・・・
150松浦:2000/08/02(水) 08:17
わたしたち人間もそれをとりまく物質も、すべて等しく場の状態であるのだから、人間に心があるとすれば、すべての物質に同じく心はあると考えたほうがスッキリするとわたしはおもいます。クオークも素粒子も人間もすべて場の状態なのだから、どれも等しく心はあると考えるほうが考えやすいです。

それに、ビッグバン理論からいっても、起源からいっても本質からいっても、すべてのものは同一であるわけだから、人間に心があるとすれば、同じくすべてのものに心があると考えたほうが分かりやすいです。
151名無しさん@1周年:2000/08/02(水) 12:43
結局、松浦氏の主張は最初から全然変わっていないわけね。
どんなに異議を唱えられようとも批判されようとも疑念を突きつけられ
ようとも考えを変えないのなら、他人と話をする必要もないと思う。

我々の知識と信念のネットワークから一部分を切り出して「スッキリす
る」とか「考えやすい」とか「分かりやすい」と言っても、他の部分で
もっとごたごたして、考えにくくて、分かりにくくなったら意味がない
と思うのだが、こんな事を言ってもきっと松浦氏は自説を撤回も修正も
せずに同じ事を言い続けるだけだろう。
152電波猫:2000/08/02(水) 14:38
>149
そんなに逝ってました?半分以上本気だったんでちょっとショック。
ま、151の批判が俺にも当てはまるし
そう言われるのもやむなしかなとは思いますが。
個人的には>>4 >>9 >>14 >>60 >>128の方の意見が興味深かったです。(>>27さんの他者の心問題は、何を言えば良いのか想像もつかないんで)

ちなみにオリジナルな意見はもうネタ切れです。(今ちょっとカンペ読んでたりする)

153149:2000/08/02(水) 15:44
149訂正ね
松岡→松浦

松岡って誰だよ!

>電波猫
電波関係なく興味深かったよ
154名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 19:33
松浦さんの考えを煮詰めると
質量に心があるということになると思う。
では熱エネルギー、運動エネルギーを吸収して
質量エネルギーに還元した時、もしくは逆の時
心にどのような変化があると言えるのだろう・・・・
155電波猫@なぜか固定ハンで書きこむのはこのスレッドだけ:2000/08/04(金) 16:18
訂正です。
>>128>>134の間違いでした。失礼致しました。
今度は1(というより134)の立場で遊んでみようかな?

156名無しさん@1周年:2000/08/05(土) 02:18
うんこちゃんのがむばりに期待
157電波猫@松浦バージョン:2000/08/05(土) 05:07
心はどこにあるのか?
脳の働きだとされているが、脳の働きなんてものが存在するのだろか?
例えば月が地球の周りを回っているが、これは重力による細かい加速の組み合わせが回転になっているのであって
人間の認識を離れれば「回転」自体は存在しないのではないだろうか?
脳もまた、個々の素粒子が電磁場などに対応して動いているのが組み合わさって機能しているだけではないか?
しかし、心(クオリア)は「実在」する。心は脳の働き(脳を構成している素粒子の相互作用)から生まれる。
したがって、「複雑な相互作用」も実在する。とすれば「回転」も存在するのではないでしょうか?だとすれば今の回転と3年後の回転は同一である。
したがって>>60で話題になった自己同一性も弁護される。
或いは>>4の言うように心は存在しないのだろうか?(「回転」もクオリアも人間の認識に依存する客観物ではない。から)
俺の哲学的素養の無さと科学的無知が良く現われている詭弁だ。
158電波猫:2000/08/05(土) 05:18
「回転」もクオリアも人間の認識に依存する客観物ではない。から→「回転」もクオリアも人間の認識に依存しない客観物ではない。から

眠くて自分が何やってるのかわかんねー
159電波猫:2000/08/05(土) 17:14
なんて失礼な事をしたんだろう。
松浦さんすみませんでした。
160名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 07:43
相変わらず松浦さんがかきこまないと
議論が発展しそうにない。
悲しいスレだ。

電波猫さんがんばって
俺は影ながら応援してるぞ!
161松浦:2000/08/10(木) 12:04
物と心のニつは不可分一体のものです。それを言葉で二つに分けるから、事態が思考の中で複雑化させられてしまうのです。しかしじっさいは事態は単純です。あればそこには二つともあるのです。物と心の二つは本当は一つなのですから。同一の事態の二側面が物と心なのです。
言葉に欺かれてはなりません。物があるところには必ず心はあるのです。心は生じたものでも滅するものでもない、そう考えたほうが理論としても一元的でスッキリしています。
162名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/10(木) 12:26
>>161
おや? レベルダウンしてるよ。
これだとただの物心一元論でしょ。
いや、ただの物心一元論が悪いわけじゃないんだけど、ね。
163名無しさん@1周年:2000/08/13(日) 23:58
>161
なんだか、ただの悪しき還元論にしか思えないな。
心について「全体は部分の総和である」は成立するのだろうか?
164名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 00:06
おっ、 このスレ復活おめでとう。
165名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 20:22
おめ
166ヤフー掲示板:2000/08/17(木) 10:43
167くだらな過ぎる意見>166:2000/08/17(木) 11:37
こっちの方が少しレベル高いね
168名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 12:00
なんつかjizomanabeを周りが理解しているのかどうか?
169皇女:2000/08/18(金) 03:21
あなたの言うことが真ならば、それは物の怪の類でありますね
170名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 14:56
あげ
171松浦武司:2000/08/23(水) 16:39
>162

どうしてレベルダウンなんですか?

>163

わたしたちもそれをとりまく物質も、すべて同じく原子分子のあつまり
であり、割合と組み合わせがちがうにすぎません。ならばわたしたちと
同じく、物質にも心は有ると考えたほうが無いと考えるよりも自然だと
おもいます。おそらくわたしたちはエントロピー減少に快を感じるのに
反して、物質はエントロピー増大に快を感じるというちがいがあるだけ
なのでしょう。

>169

はい、物の怪の類もひょっとしたら一時的には存在するかもしれないと
おもっています。ちょうどユダヤ人の国が無くなってもユダヤ人たちの
心の結束は無くならなかったように。
172松浦武司:2000/08/23(水) 16:40
わたくし松浦武司はこのスレッドを立てた本人です。
173名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 00:03
「心」って言葉は正しく定義できているのか?
「万物には心がある」って実質何も表明していないような気がする。

私は「心」ってのは進化の過程で創り出したマンモスの牙みたいな
ものだと理解しているけど……。(だから「万物……」には反対)
でも,積極的に反対するだけの価値ある命題だろうかという疑問が
先に来るということ。
174名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 00:35
心が在るにせよ、理解と認識の断絶は随所にある
ことは忘れてはならない>まつうら

心はあるだろう、だが我々の持ち得る現在の技術では
単なるアニミズムに堕してしまう。
心を開く素振りで心を閉ざす試みに終わらぬよう、、、
175松浦武司:2000/08/24(木) 01:58
>173

アメーバは、エサを与えてやれば喜んで食いついていくし、有害な物質
を流してやれば、痛がって逃げていきます。このように生物は一般に、
生命活動を促進するものに快楽を感じ、その活動を阻止するものに苦痛
を感じます。「快」を求め「苦」を避けることをつうじて、生物はその
生存を確保しているのです。そのように、快苦を感ずる能力は生存に必
要なものであるから、心がなければ生きてはいけません。心が物を生か
しているのであるから、「心を有する物」を「生物」と定義し、「快苦
を感ずる能力」を「心」と定義することができます。

>「万物には心がある」って実質何も表明していないような気がする。

無いのと有るのとでは大違いです。わたしたち宇宙生命の未来永劫の
運命を占う大問題です。
176>171:2000/08/24(木) 02:02
>わたしたちもそれをとりまく物質も、すべて同じく原子分子のあつまり
>であり、割合と組み合わせがちがうにすぎません。

もしも「心」の本質が「割合と組み合わせ」そのものである場合
あなたの論理はどんがらがっしゃーんになる。
しかもその可能性はかなり大きい。「心」を理解するにあたり
「心とはソフトウェアである」と考えるひとびともいるからね。
177松浦武司:2000/08/24(木) 02:02
>174

>心が在るにせよ、理解と認識の断絶は随所にある
ことは忘れてはならない>まつうら

はい、忘れてはいません。

>心はあるだろう、

同意いたします。

>だが我々の持ち得る現在の技術では
単なるアニミズムに堕してしまう。

そうでしょうか。発想の転換から新たなものが生まれてくることは大い
にありうることです。

178松浦武司:2000/08/24(木) 03:04
>176

そのドンガラガッシャーンの可能性は否定はしないが、可能性薄い
だろうね。
179名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 12:07
>177

「新しい発想」ほど古くて使い物にならないものはない。
この種の議論は学究的態度を排除しようとした時代の
安易な反復に過ぎない。
180電波猫>松浦さん:2000/08/24(木) 12:42
>>4 >>27 >>53 >>68
での疑問はどうでしょうか?
くどいですけど脳の活動全てが意識に登るわけじゃありませんよ。
181>178:2000/08/24(木) 15:27
可能性が薄いとする根拠はどこにあるのかな?
可能性が高いとする根拠であればいろいろある。
脳の働きは、神経細胞そのものよりもむしろ
そのネットワーク(これも組合わせだ)にあるとする考えとか。
182>180:2000/08/24(木) 16:20
>>141も追加しとけ
183電波猫>117:2000/08/24(木) 18:25
内山勝利 中川純男編著『西洋中世哲学史〔古代・中世編〕 フィロソフィアの源流と伝統』(ミネルヴァ書房)
に引用がありました。
184117>183:2000/08/24(木) 21:54
検索サイトで調べたところ、タイトルは『西洋哲学史〔古代・中世編〕…』
のようです。…、図書館に逝ってきます。
この間はお礼も言わず失礼しました。ありがとうございました。

185むむむ:2000/08/25(金) 01:53
心即理です。理の中には心有り。そして万物は理を備えている。
186名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 04:58
187松浦武司 :2000/08/26(土) 03:24
>179

温故知新という言葉がありますが、古いものと新しい時代が合わせられて、より
新しいものが生まれてくる。そういう弁証法的運動によって歴史は発展してきたん
じゃないのかなあ。たぶん。
188松浦武司 :2000/08/26(土) 03:47
>4

>逆にこうも言える。わたしたち以外のすべての物質の中に心が
ないとすれば、わたしたちにも心はない、と。

じっさいは心は錯覚である、というわけですね。でも…錯覚というのも
心の働きではないでしょうか。心があると錯覚するのも心です。従って
わたしたちに心がないという論は成り立ちえません。とおもうけどねえ
わたしは。
189松浦武司 :2000/08/26(土) 03:57
>27

>1.意識があるかどうかは究極的には本人にしか知られない。

まったくもってそのとおりだとおもいます。他人に心が有るかどうかは
分からないです。有るかのように見えるから有ると見なしているだけで
す。また、有ると互いに見なし合うということが社会が成り立つための
前提です。

>2.意識はヒトにしか生まれないとする世界観の中にわれわれは生き
ている。だから、「コンピュータは意識を持ちうる」という言明が何か
場違いなものに見えてしまう。

はい、人間中心主義が世界に蔓延しているとおもいます。みんな自己中
なんですね。

>私としては1の疑問に対して、まず意識を持つとはどういうことであ
り、それはどのようにしてコンピュータシステムにとって他人である私
に知られるか、 といった問題を考えなければならないと思う。

存在が、互いにとって互いが他者であるような無数の自己へと自己分裂
し、相互に無化・無視し合っているというこの世のありさま全体を考慮
に入れなければならないということですね。
190松浦武司 :2000/08/26(土) 04:33
>53

物質の一定の結合様式が心である、というわけですね。その可能性は
わたしは否定しませんが、しかしそういう考え方は自己中であるとの
感をわたしは否めないです。常識的唯物論は自己中心性と感情移入
能力(共感能力)の欠如にもとづくものであるようにわたしにはおもえ
ます。
191松浦武司 :2000/08/26(土) 04:46
>68

>物質=心であるのなら物理的運動に心は何の影響も与えないことに
なる。(なぜならクオリアは動きの随伴物に過ぎないからだ)

でも物質=心であるのならば、ぎゃくに動きがクオリアの随伴物に過ぎないともい
えます。だから心が物理的運動に影響を与えているかのようにもみえるわけです。
したがって、

>心が物質に影響している

ようにおもえるからといって、生命活動が燃焼過程と異なるとは必ずしも言え
ないのではないでしょうか。
192松浦武司 :2000/08/26(土) 05:00
電波猫さんへ。

>180
>脳の活動すべてが意識に登るわけじゃありませんよ。

つまりそれは個体の中に自己と他者が同居しているということですよね。
わたしの言ってること分かりますよね?
193松浦武司 :2000/08/26(土) 05:02
>181

>可能性が薄いとする根拠はどこにあるのかな?

190で述べたように、そういう常識的唯物論は自己中だからです。

>可能性が高いとする根拠であればいろいろある。
脳の働きは、神経細胞そのものよりもむしろ
そのネットワーク(これも組合わせだ)にあるとする考えとか。

でもその考えには、根拠がないでしょう。脳が心を生み出したなどと誰
が証明しましたか?その考えも根拠のない自己中の産物です。

194松浦武司 :2000/08/26(土) 05:11
>141

わたしの考え方からいっても組み合わせの数だけ心が有るということになります。
195名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 06:16
さっきの朝生で、誰かが「日本は先進国で唯一の多神教の国だ」と言ってた。
最近あちこちでその論調多いけど、あれ嘘だよ。ばかじゃないのか。
だいたいさあ、「先進国」って限定すると基督教しか無いじゃん。
基督教もナントカ聖人とかいっぱいいて、実質的多神教。ドイツ・希臘の神話も多神教。
多神教なんて世界中どこにでもある。民衆の原始的信仰はすべて多神教。
やや進歩して一神教。さらに進歩して「タオ」という原理を信仰し、神を捨てる。
さらに進んでる仏教は、タオすらも無くすべてが空だ。
そして日本は空すらも超越して、多神教に戻ることを知識人がみずから指向した。
これくらい宗教学勉強してない俺でもわかるのに。

だいたいさあ、優しさが基督教の専売特許だみたいにみんな言うけど
あれも嘘だよ。仁愛っていうのは支那にもあるし、人類が数十万年かけて築いた道徳だよ
それを2000年前の基督が突然自分の考え出したものみたいに言うから混乱するんだよ。
教会にはいろうが、どの社会にいようが、人類はみな兄弟っていう道徳は守りつつ
でもやっぱ醜い人とは結婚したくないなあっていうのが人間なんだよ。
196:2000/08/29(火) 23:32
物質に心があるのですか?
物質の組み合わせが心なのですか?
197松浦武司 :2000/08/30(水) 09:13
雪さんへ

物質にも心はあるし、その組み合わせにも心があります。
詳しくは


http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3608/
198名無しさん@1周年 :2000/08/30(水) 11:52
松浦さんへ

重力にしたがって下に落ちるときって、快を感じますか?
人間は自分の意志で下に落ちるか上にあがるか決めるのですか?
上にあがらないのは、上にあがるのが苦だからですか?
199松浦武司 :2000/08/30(水) 16:07
198の名無しさんへ

>上にあがらないのは、上にあがるのが苦だからですか?

はい。ヨガの空中浮遊は、かなりの精神集中を必要とします。

>重力にしたがって下に落ちるときって、快を感じますか?

はい。惰性に身をゆだねることには快が伴います。

>人間は自分の意志で下に落ちるか上にあがるか決めるのですか?

はい、自分の意志も働いています。
200198 :2000/08/31(木) 12:55
皮肉のつもりでいったのに、
断定形で返ってきた。
話が噛み合わないっていうのは、
こういうのをいうんだね。

201名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 15:40
心とはループです。
因果関係が循環すると意識が発生するのです。(ワラ)
202電波猫 :2000/09/02(土) 22:27
>でも物質=心であるのならば、ぎゃくに動きがクオリアの随伴物に過ぎないともいえます。だから心が物理的運動に影響を与えているかのようにもみえるわけです。
だとすれば脳が機能する過程で、素粒子レヴェルでの物理法則に反した動きが見つからなければ成りませんね
わたしの言ってること分かりますよね?
203松浦武司 :2000/09/03(日) 06:49
電波猫さんへ
 素粒子は不確定性原理にしたがって振舞います。
 人間の行動もやはり同じく不確定です。それは人間が意志一つによってどのよ
うにでも行動できるからです。
 であれば素粒子たちの振舞いの量子力学的不確定性も、人間だけでなく同じく
素粒子たちも、あれかこれかを選択する意志を有しているからであろう、と考え
られましょう。
204フィロゾファッカー :2000/09/03(日) 08:01
不確定性原理は観察の結果が不確定なだけで
素粒子の物理法則自体は不確定ではなかったと思うのですが・・・
205松浦武司 :2000/09/03(日) 12:31
フィロゾファッカーさんへ
その考え方はコペンハーゲン解釈です。多世界解釈はちがいます。
詳しくは

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3608/
206名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 12:36
コペンハーゲン解釈は、
エネルギー保存則に反しているので、
間違っています。(ワラ)
207名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 12:53
タ世界解釈に関する誤解を指摘したページ。
http://www.osk.3web.ne.jp/~qm/text/index_jap.html

松浦さんへ
そんだけやる気があるんだったら、やる気を出してせめて一冊ぐらい
量子力学の専門書をヒィヒィいいながらやってみたらどうです?
あなたは自分の思想に都合のいいように科学理論を曲解してますね。
早く気づいてください。
概説本程度の知識で今までのパラダイムを崩せると思ったら大間違いです。
あなたは自然科学の厳しさを知らない。
あなたのは単なる思想ですよ。
208名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 14:00
「心」の定義が曖昧かつ一貫性が無くて、このスレわけわかんない。
209電波猫 :2000/09/03(日) 19:28
うーん、通じませんでしたか
上手く言えないのですが「クオリアが心の随伴物」と言うのは、物質が「行動」する結果と物理法則から予測される結果が貴方のレスを見る限り常に一致するとされるように思えたからです。
心を必要としない物理法則からクオリアが導き出されるなら、物質自体に心は必要ありません(この辺りはあまり深く考えてませんが)。しかし、
>素粒子は不確定性原理にしたがって振舞います。
>人間の行動もやはり同じく不確定です。
>それは人間が意志一つによってどのようにでも行動できるからです。
と言う事を、素粒子の意思が、「クオリアへの言及」を生み出すならば脳内においては通常の粒子の存在確率から変化が起こらねばなりません。これが見つからなければ明確にこの説が否定できますよね。
ついでですが、多世界解釈が正しいとすれば素粒子の意思は無意味になってしまいませんか?だって収束が起きないんだもん
さらに、貴方の脳を斜めに別けた部分と私のキイボードを合わせた物の心は何故自己主張をしないのでしょうか?ここで議論している人達の心は何故みな同じ種類なのでしょうか?
>184
その通りです。大変失礼しました。
>208
最初はクオリアの事かと思いましたがもっと広いようですね

210松浦武司 :2000/09/05(火) 00:19
>207

多世界解釈論者の数だけ多世界解釈があるといってもいいくらい、多世界解釈は多
種多様です。エベレットの多世界解釈だけが多世界解釈であるのではありません。
211松浦武司 :2000/09/05(火) 00:22
>208

わたしは快苦を感ずる能力を心と呼びます。
212松浦武司 :2000/09/05(火) 00:37
>209

多世界解釈は決定論ですから、素粒子の意志は自由意志ではありませんね。
(自由=原因なしに事を起こす能力)

それと、申し訳ないのですが電波猫さんのクオリア云々の件はわたしにはよく理解
できません。もうすこし説明を加えていただけないでしょうか。
213考える名無しさん :2000/09/05(火) 06:56
>まっちゃん
「心がある」と「意識がある」は同じことなのですよね?
214松浦武司 :2000/09/05(火) 10:54
>「心がある」と「意識がある」は同じことなのですよね?

はい。そうです。
215208>1 :2000/09/06(水) 02:06
「快苦を感ずる能力を心と呼ぶ」、という前提がある以上は
松浦さんのこのスレッドにおける論理展開は
それほど抵抗無く受け入れることができるかもしれない。
しかし私は、その前提条件たる「心」の定義のしかたに、強い
疑惑を感じるし、実際、そこのところに気持ち悪さを感じているように
見うけられるレスがかなりあるように見うけられる。
216208 :2000/09/06(水) 02:10
215の最後が、なんか変な文になってすみません。
217電波猫 :2000/09/06(水) 13:44
>212
クオリア→貴方が感じている青さや痛みそれ自体の事です。
218名無しさん@1周年 :2000/09/08(金) 10:41
こころってなあに?
219考える名無しさん :2000/09/08(金) 13:08
>217
では、なぜ哲学者はクオリアを問題視しているのですか。
それの定義だとよくわかりません。
220松浦武司 :2000/09/08(金) 15:37
>218
 人間は新鮮な食物を口にすれば美味しいと感じ、まちがって包丁で指
を切れば痛いと感じます。このように人間は概して、生存にとって有益
なものには快楽を感じ、有害なことには苦痛を感じます。「快」を求め
「苦」を避けることを通じて、生物はその生存を確保しているのです。
そのように、快苦を感ずる能力は人間の生存に必要なものであるから、
心がなければ人は生きてはいけません。同様に、単細胞生物であるアメ
ーバは、エサを与えられると喜んで食いついていくし、有害物質を流し
てやると痛がって逃げていきます。そのように、生物は一般に、生命活
動を維持促進するものには快を感じ、その活動を阻止するものには苦を
感じます。快苦を感ずる心があればこそ、アメーバも環境適応的行動を
可能ならしめられ、生きていけるのであって、快苦を感じる心なしには
アメーバは生きてはいけません。事態かくの如しでして、心が物を生か
しているのであるから、「心を有する物」を「生物」と定義し、「快苦
を感ずる能力」を「心」と定義することができます。
221考える名無しさん :2000/09/08(金) 21:01
例えコンピューターを使い、シミュレートで人をつくったとしても現代の技術では乱数を円周率から割り出していますよね、
数学にもクオリアが潜んでいるのですか?
222考える名無しさん :2000/09/09(土) 11:16
あふぇ
223>220 :2000/09/09(土) 12:19
絶対的、普遍的な快や苦は無いはず。
だとすると、「心とは快苦を感ずる能力だ」とするならば、
心の中に、外部刺激を快のものと苦のものとに「分類整理する働き」があって、
それを経たうえで、最終的に快と苦が認識されているはず。
しかも、そのものの種類によって、「快苦を分類整理する働き」は異なるし、
同じ種の中でさえ、各個体によってその働きは多種多様なはず。
例えば人によって、飲酒することによって「快」を感ずる人もいれば、「苦」を感ずる人もいる。
また、かつて「カレー」がだいすきだった人が、あるときから嫌いになったような例もある。
すなわち、少なくとも我々人間にとって、「心」の働きは、条件や経験等によって
多様に変化する(快だったものが苦にもなるような)ダイナミックな性質を持ったものであるはず。
そんな「心」の存在を万物の性質の背後にまで拡張してしまうのはものすごい抵抗がある。
たとえば磁石のN極はS極にくっつきたいと思い、同じ極どうしは近づきたがらないという
性質が、今後変わってしまうようなことは無いと思われる(例がわるいかもしれないけど)。
また「心」とは、そもそもが「もの」とは異なった人間内面の”葛藤”するような
”ダイナミック”な働きを指して、つくられた言葉であったはず。
動物に「心」があるのかないのか?という問となると容易には答えられないかもしれないが、
「万有は心を有する」というのは受け入れられない。

また”快苦を感じる能力”をなぜ”心”と呼ぶことにしたのか。
具体的に指摘すると5行目最初で突如「心」という言葉が登場するんです。
「”快苦を感ずる能力”が物を生かし」ており、
「”快苦を感ずる能力”を有する物を生物」と定義できるのかもしれませんが、
”快苦を感ずる能力”がいかにして”心”と結びついたのかが相変わらず不明であり、
あまりにも突拍子がなく感じられるのです。
まあ、理由はどうでもいいのかもしれませんが、そうまでして「心」と呼ばねばならぬのことなのでしょうか。
224松浦武司 :2000/09/09(土) 12:31
>223

快とは、心地好さ、楽しさ、喜び、などのことです。
苦とは、心地悪さ、苦しさ、悲しみ、などのことです。

いずれも心の状態を指す言葉です。
225電波猫>219 :2000/09/09(土) 13:32
単なる物質の運動からそれが何故起きるのか不思議に感じるからです。
クオリアは錯覚だと主張する方も多いようです
226考える名無しさん :2000/09/09(土) 14:28
>クオリアは錯覚だと主張する方
クオリアを認めないならわかるけど錯覚とは!!ぷくく。
227>226 :2000/09/09(土) 17:21
クオリアを見とめないんなら錯覚と言う事にするしかないんじゃ?
有ると思いン込んでるとか勘違いと言う表現農法が適切かな?
228考える名無しさん :2000/09/09(土) 17:57
>221
それ結構言えてるかも。
229考える名無しさん :2000/09/10(日) 11:17
あげ
230考える名無しさん :2000/09/10(日) 13:47
>快苦を感ずる能力は人間の生存に必要なものであるから、
心がなければ人は生きてはいけません。

こういう刺激があったらこういうふうに動くという
プログラムがありさえすればいいのでは。
心がいきるためにひつようだとはおもえません。

>同様に、単細胞生物であるアメ
ーバは、エサを与えられると喜んで食いついていくし、有害物質を流し
てやると痛がって逃げていきます。


喜んだり痛がったりというのは何を根拠にしてますか?
231松浦武司 :2000/09/10(日) 18:56
>>快苦を感ずる能力は人間の生存に必要なものであるから、
>>心がなければ人は生きてはいけません。

>こういう刺激があったらこういうふうに動くという
>プログラムがありさえすればいいのでは。
>心がいきるためにひつようだとはおもえません。

心のない人間がどこにいますか?
232松浦武司 :2000/09/10(日) 18:59
>喜んだり痛がったりというのは何を根拠にしてますか?

「人間に心は有る」かのように見えます。まるで心が有るかのようで
す。ただし、本当に他人に心が有るかどうかは分かりません。しかし有
ると見なしあわなければいけません。それが政治・経済・科学・医学・
法律・道徳・哲学・宗教など、すべての文化的営みの大前提になってい
ます。人類社会が維持されるためには、また集団の中で個人が生きてい
くためには、この、有ると見なしあう相互協定はどうしても必要です。

顕微鏡で見ると「アメーバに心は有る」かのように見えます。単細胞の
アメーバは、からだ全体が刺激を感じて、外界にたいして適切に反応す
ることができます。アメーバに、エサを与えてやると「喜んで」食いつ
いていくように見えますし、有害な物質を流してやると「痛がって」逃
げていくように見えます。まるで心が有るかのようです。おそらく彼ら
にもまた、お互いに心が有ると見なしあうという合意形成があるのでし
ょう、彼らはちょうど遊牧民のように、まわりにエサが多いときにはバ
ラバラに行動しますが、エサが少なくなるとよりあつまって集団を形成
し、ほとんど一個の多細胞生物となって、協調しあいながらエサの多い
場所をさがして移動します。ただし、こうした見なしあいの集団心理
は、集団の中で互いに力を合わせて生きていこうとするアメーバ同士間
でのみ生じる合成結果であって、たとえば、アメーバ集団に帰属してい
るわけでもない人間が、かれら細胞たちの心の存在を無視するとして
も、一寸の虫にも五分の魂というのが実際のところなのではありましょ
うけれども、しかしそれはまあ、所属している種族が異なることでもあ
り、致し方のないことだ、といわざるをえないのかもしれません。

しかしこうしてみてくればもう、アメーバにも心があると見なしうるに
じゅうぶんでしょう。本当のところをいえば、他人に心があるかどうか
すらも分からないにもかかわらず、わたしたちはあると見なしているの
ですから。
233考える名無しさん:2000/10/24(火) 20:33
........
234232さんへ:2000/10/25(水) 01:20
アメーバに、エサを与えてやると「喜んで」食いつ
いていくように見えるというのは、私には細胞の単純な反応にみえますが・・
それも心があるということなのでしょうか?
アメーバに心があると見えるのはあくまでもあなたの目や心?であって、
あなたの個人的な理解なのではないでしょうか?
もし心があるとしても、脳が認識してそれを補う働きをしている
様に思えますが。
しかし、私たちに脳がなくれば、心のような漠然としたもの
は認識出来なくなるのでは?
ということは心は無いのではないのでしょうか?
あくまでも、感情というものは、脳の反応なのではないでしょうか?
`私たちの心と漠然と思っている物`
は脳に蓄積された経験や知識の反応なのではないでしょうか?
235考える名無しさん:2000/10/25(水) 01:23
また随分古いの引っ張り上げてきたな。
236考える名無しさん:2000/10/25(水) 01:31
>234
それがいしゅつ
あと松浦はもういないよ
もう一個同じ内容のスレがある
あとYahoo掲示板に同じ内容の掲示板がある
あと松浦自身のHPにも同じ内容の文章がかいてある
自分で探してくれ
             by松浦ウォッチャー
237考える名無しさん:2000/10/27(金) 15:47
>あとYahoo掲示板に同じ内容の掲示板がある

どこ?
238考える名無しさん:2000/10/27(金) 17:27
http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=1835546&tid=kfcjaaa4kbf4a4omada4k&sid=1835546&mid=1
あぼーんされてた
オルタナティブとかいうジャンルにあったんだけどね
239考える名無しさん:2000/10/28(土) 08:18
アメーバのことですが、例えば、


if (外界のもの == エサ)
action(喜んで食いついていく);
else
if (外界のもの ==有害物質)
action(痛がって逃げていく);
else
if (外界のもの ==他の何かのもの)
action(他の何かの行動);
................

じゃだめなんですか。
240考える名無しさん:2000/12/15(金) 23:45
まだまだ
241ひとら:2000/12/16(土) 06:35
万有が心を有するというのは

人〜猿〜鯨〜象〜犬〜猫〜鼠〜蜥蜴〜蛙〜カタツムリ〜森嘉朗〜蟻〜アメーバ
ウィルス〜ラクル&しェール〜DNA〜チミンアデニンシトシングアニン
〜なんたらカンタラ

人と猿のとこで切らないと何処から何処迄が心があるか
分からなくなっただけかと?

242>>1:2000/12/16(土) 06:39
まず初めにあなたに心があることを証明しましょう
243>>242:2000/12/16(土) 12:37
その前に「心とは何か」を定義して下さい。
244考える名無しさん:2000/12/17(日) 07:09
>>243
定義ではなく定義の仕方ですが、

まず、自分の認識と外界の認識とを分ける。
体はその中間にあり、自分と外界との仲立ちするものと考える。

みんなで、このわけ方と関係の仕方を行う。

みんなで自分を言葉で記述し、
みんながみんなと、記述上の自分を交換し合い、
みんなが自分に対する認識を普遍化させる。

これが出来た場合、普遍化した自分の認識は「心」の概念になる。
というのはどうでしょうか?

でもこの場合、例えば精神病になった人が出てくる場合など、
普遍化した自分の認識の範疇から外れた人が出てきた場合、
その人は「心」が無いということになると思う。
245考える名無しさん
>>244
ひどく悩んだり精神病になったり、つまり心の病にでもならないかぎり、心の存在なんて意識したり認識したりしないよね。
意識したり認識しないものは心ではないんじゃないかとも思う。
心というのは自分の身体(心臓の鼓動とか胃痛とか頭痛とかで)を神経が感じる仕方をさらに脳が意識するときに発見できるものじゃないかなー?
意識されなければ心は存在する必要はないし、そういう感覚や意識すら発見されなかったかもしれない。
日常的には心を意識する事は少ない。行動に心は必要ない。
好みとかそういう個人的なものに心があるという気もするし。
「気」とか「心」という感覚にはそれなりに根拠は存在すると思うけど。