「なぜ人を殺してはいけないの?」の質問に

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1名無しさん
どうやって答えれば良いのでしょうか!?
2「どうして人を殺しては:2000/05/24(水) 23:16
いけないのですか?」のスレッドじゃあだめですか?
3愛子:2000/05/24(水) 23:37
まえに書いた通り「種の保存本能」だよ。
殺し合うことが日常的に行われれば
人類は破滅する。種は滅びるわけだ。
それを防ぐために殺人という行為を行うと「不幸になる」
という生理的なプログラムがみんなにある。
だからほとんどの人間は殺人をしない。

快楽殺人であろうと戦争だろうと正当防衛だろうと死刑だろうと
基本的に殺人を犯した者は基本的に「不幸」に必ずなる。
(発狂している人間はのぞくがね)

まあわからないことがあったらなんでも聞いてください。>1氏
4>3:2000/05/25(木) 00:25
それって、「種を滅ぼさない程度なら殺人可能なんじゃない?」
って論が成り立っちゃうんじゃないですか?

>快楽殺人であろうと戦争だろうと正当防衛だろうと死刑だろうと
>基本的に殺人を犯した者は基本的に「不幸」に必ずなる。
>(発狂している人間はのぞくがね)
んー、ちょっと賛同しかねます。
どうして不幸になるのか教えて欲しいですが、
幸福論になっちゃうと本題の趣旨からそれる可能性もあるかな。

応急処置としての反論としては、
「確かに人を殺してはいけないという議論は、まだ結論が出ていない。
 だけれども、だからといって結論が出ないとも決まってないので、
 早とちりして「人を殺してもいいんだ」という乱暴な結論を出してはいけない」
というのはいかがでしょうか。
つーわけで、ここで叩かれても人殺すなよ!
5>3:2000/05/25(木) 00:28
トンデモさんと認定いたします。
6名無しさん:2000/05/25(木) 02:08
「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いは、
A 修辞疑問として発せられる場合
B 文字通りの意味で問いかける場合
のどちらであるかによって、自ずと答え方も変わってくるでしょう。
Aの場合は「本当は人を殺してもいいんだ」という含みがあり、Bは
「人を殺してはいけないのは歴然とした事実。では、その理由は?」
という、より哲学的な問いかけです。
私ならAの立場で質問する人はまともに相手したくないです。
7名無しさん:2000/05/25(木) 02:24
1さんはこれに気づかなかったということなのかな?
http://www.jbbs.net/2ch/test/read.cgi?bbs=philo&key=948775311

>6
なぜBの方がより哲学的なのですか?
86:2000/05/25(木) 02:40
>7さん
Aの場合、「人を殺してもいい」という価値観がまずあって、ただそ
れを修辞疑問の形で述べているだけなので、そこには哲学的思考の原
動力となる「驚き」はありません。
他方、Bの場合には、自分が当たり前のこととして受け入れている価
値観の根拠がよくわからないという不思議さから出てきた疑問なので、
さらに考えを深める契機になります。
要するに、Aの場合は「どうして人を殺してはいけないの?→いや、
人を殺してもいいんだ」と完結してしまっているから哲学的ではない
のです。無論、同じ人が、自分が「人を殺してもいい」という価値観
を持っていることを自覚したうえで、その価値観の根拠がよくわから
ないことに気付き、驚いて「どうして人を殺してもいいの?」と問い
かけたなら、それは哲学への第一歩です。
9名無しさん:2000/05/25(木) 03:23
デカルトの「仮の道徳」ってやつですな。

では、「人を殺してもいい/悪い」と考える価値観はどこから来るのか?
こういうテーマはどうでしょう。

殺しても悪い、と判断する価値観を挙げるのは簡単そうですが、
良い、という価値観は、悪いということが偽であることの立証を封じられると、
やはり挙げるのは難しいでしょうか?
10名無しさん:2000/05/25(木) 20:53
おさむらいさんの頃はもっと殺人とかあだ討ちとかあったわけじゃないですか。
文化や思想の発達とともに他人を殺してはいけないという考え方が
発達してきたのではないのですか?
人間は本能的に人を殺す部分をもっているのでは?
という疑問に対してはどうですか?
つたない文章でスイマセンが…
11>17:2000/05/26(金) 01:22
>人間は本能的に人を殺す部分をもっているのでは?
本能的に人を殺すのと、文化的(?)に人を殺すのと、何か違いはあり
ますか?
ある行動パターンが本能によるものか、それともそうではないのかは、
いったいどのようにして区別できるのでしょう?
12名無しさん:2000/05/26(金) 01:33
根本的には「権力者の善意」ではないでしょうか。
殺される人、身内が殺されて嘆き悲しむ人、そういう人を見るのが
忍びない。
そういう善意の権力者が作った伝統でしょう、「殺人=悪」。

では、その善意とは何か?
それは、偶然に生じた、種族の生存に対して合目的的な観念であり、
その観念を持つ集団のみが、選択的に生き残ったのでしょう。
13名無しさん:2000/05/26(金) 01:44
参考に。

http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/WBM.html

「Why be moral on internet?」ってのだけど、
「Why be moral?」について、簡単に説明してあるから読んでみ。
14名無しさん:2000/05/26(金) 05:41
もともとは「死者への畏れ」というのも一つの大きな
理由であったのではないかと思う。また被害者や
その家族への同情もあったかもしれない。
いずれにせよ、もともとは一つの理由だけではないと思うよ。

でも、だんだんと「人を殺してはいけない」という価値観が
道徳なり、法律なりの制度として発達していくうちに、
そういったもともとの理由はわかりにくくなる、あるいは
もともとの理由は必要でなくなる。

それで結局は、「みんなが人殺しはいけないという
価値観を共有している (かのように振舞っている)
からいけない」というのが、理由だと思う。
15>14:2000/05/26(金) 07:28
そういやネアンデルタール人の骨から、ある花の花粉が出てきて、
そこから仲間に埋葬された可能性が高い、という話は有名だよね。
死者への憐憫と、死への恐怖、そして不安。
人類にとって根源的問題だからねえ。
1614>15:2000/05/26(金) 13:11
うむ、いつも家族なんかには「人は死んだら、ただの物体だ」
などと言ってるんだけど、犬猫の死体でさえも見れば
何かしら感じるものはあるよ。

その感情を処理するためにいろいろなものを人間は作って
来たんだろうな。
17のろくろ:2000/05/27(土) 11:50
殺人を否定できる万人が納得するような理由は残念ながらありません。それは殺人とは一種のタブーであり、社会通念であって、当然価値観の絡む問題だからです。しかし殺人を認める社会は存続出来ません。今は殺人が焦点になっていますが、突き詰めれば我々の存在、さらには世界の存在の意義にも疑問を向けることになります。殺人は社会を構成する人々の通念として禁止されるもので、個人の社会化の過程で会得する形で今日成り立っています
18k:2000/05/27(土) 12:49
日本ではあまり問題になっていませんが、国家の殺人=死刑
は認められているわけです。そのことの是非はここでは別と
して、国民の正義感、法感情に依拠しているところが大きい
と思います。
憲法で戦争すら放棄したわれわれが、今、正しくないと考え
るからだ、とはトートロジーにすぎましょうか。

19旧スレッドと:2000/05/27(土) 13:38
同じような内容が繰り返されてるな。←おれもな。

規範とは、倫理として内面化されることで、有効性を持つもの
だろう。だからたとえルール(規範、倫理、道徳、モラルetc)
の虚構性を知っていたとしても、
「殺人は、いけないことである」
と口にする必要がある。
→永井均「<子ども>のための哲学」第二章“なぜ悪いことを
してはいけないのか”を見よ。

もし自分の命や、親しい人の命を、本当に愛おしむのであれば、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」というマヌケな質問を
する阿呆に、「ではお前は殺されていいのか?」と恫喝的な
反問をぶつけることを、躊躇すべきではないだろう。
ルールの虚構性を含む、殺人禁忌を巡る理性的な問答は、
そのあとにやればよい――なぜなら、理性とは、どう
がんばっても生命に先立つものではないからである。

本来生命に関わる倫理問題とは、これくらいの真剣味があって
然るべきなのだが・・・ま、これも時代の為せるワザか。
20>19:2000/05/27(土) 14:44
なぜ自分がやられたくないことを、他人に対してやってはいけないの?
いっぱいみんなやってるじゃん。

精神論じゃないかたちで答えてね。
2119>20:2000/05/27(土) 20:02
>なぜ自分がやられたくないことを、他人に対してやってはいけないの?

 旧スレを含むここまでの流れを援用してみれば、割合簡単にわかることだと思う。

「やってはいけない」という絶対的な理由は、極論すれば、ない。
「やってはいけない」ということに、あたかも絶対的な価値があるかのように――少なくとも*とりあえずの*絶対的価値があるかのように――振る舞うべき理由、ただそれがあるだけなのだよ。
 そしてそれが「振る舞い」=欺瞞であることは隠蔽されねばならない――わたしたちひとりひとりが、生きてゆく上でのもろもろの不快さを、効率よく避けてゆくためにね。

 やらなければ、やられない(確率が高まる)。やられたら、やりかえせ。握手には握手を、拳には拳を。
 キーワードは、そう、互恵主義、相互保障とか、社会契約、信用、こんなところだろう。

>いっぱいみんなやってるじゃん。
 うむ。だからこそ社会がどんどん、どんどん悪くなっているのだな。嘆かわしい事じゃ。
22名無しさん:2000/05/28(日) 18:55
問:なぜ人を殺してはいけないの?
答:それはやってはいけないことだからだ。
問:では、なぜ殺人はやってはいけないことなの?
答:それは、社会的規範として成立していることだから。
問:では、その社会的規範とやらを無視すれば人を殺してもいいの?
答:そうはならない。社会的規範を無視するということは善し悪しと
  いう尺度を捨てるだけだ。
問:でも、人を殺している人もいっぱいいるじゃない?
答:彼らは「人を殺してよい」から人を殺しているのではなく、ただ
  単に「人を殺している」だけだ。
問:じゃあ。結局人を殺すのはいいことなの? 悪いことなの?
答:悪いことに決まっている。

私見では、道徳に絶対的究極的な根拠がないことは、それが「欺瞞」
であることを意味しません。道徳は我々が作り上げた文化の一部であ
り、文化は欺瞞ではないと思うので。
23名無しさん:2000/05/28(日) 20:23
フッ、アオイな・・・( ´ー` )y−~~~~

文化こそ欺瞞の集大成じゃよ。なんちて。
2419:2000/05/28(日) 20:29
ま、欺瞞という言葉が過激すぎたかもしれないが・・・

道徳が無根拠であることが欺瞞なのではありません。
無根拠であるにもかかわらず、絶対価値であるかのように
振る舞わざるを得ないのが、いわば「欺瞞」なのです。
なんならアイロニーといってもよいし、悲(喜)劇といっても
よい。
この矛盾に目を瞑る者は、倫理・規範・道徳を語っては
いけないのじゃよ〜。
25ねびっち:2000/05/28(日) 22:02
「なぜ人を殺してはいけないの?」
「それはね、人を殺すと自分が裁判所に殺されるからだよ。」
と答えたいところだが、日本の刑法がヌルヌルで
こんな答えはファンタジー。
もしも冤罪が無くなったら、殺人は即死刑にすればいいのに。
そうすれば、上の答えが俄然説得力を持つ。
ちなみに私は教育刑主義反対。だって非効率じゃん。
応報刑万歳。ハムラビ法典万歳。
26名無しさん:2000/05/29(月) 01:31
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/WBM.html より

why be moralの問いとは何か

まず、"why be moral?" とはどういう問いであるかを確認しておこう。"why be moral?" という表現は、"why should
we be moral?"と"why should I be moral?" という、社会的および個人的な両方の問題を同時に扱うために作られた
ようである。カ イ・ニールセンのまとめ(Nielsen 1963)によれば、WBMの問いには二つのレベルがあ る。一つは、社
会内での一般的な行動基準として、なぜ道徳的な行動をとらなくてはなら ないか、という問題であり、もう一つはあ
る種の特殊な状況(誰にも自分がやったと分か らない状況など)でなぜ道徳的に行動せねばならないのか、という
問題である。せっかく 両者を統一的に扱うために作られた"why be moral?"という表現であるが、実際の論点 を整
理する上では、やはり両者を分けた方がなにかと便利である。そこで、本稿では、以 下、前者の問題を「一般WBM
問題」、後者を「個人WBM問題」と呼ぶ。

多くの論者が指摘するように、「なぜ道徳的であらねばならないのか?」というとき の「ねばならない」を道徳的な指
令と考えるとこの問いは意味をなさないので、これは、 自愛の思慮など、他の観点からの「ねばならない」である
(Prechard 1912)。この場合 でも、道徳が完全に自愛の思慮によって正当化されると考える論者は少ない。したが
っ て、WBMによって問われているのは、現実社会の諸条件のもとで、なぜ道徳的であるこ とが自愛の思慮(ないし
他の基準)にもかなっているのか、という問題だといってよいだ ろう。
27続き:2000/05/29(月) 01:51
もう一つ、WBMの実践的含意を考える上では、この問いと「なぜ我々は現実におおむね道徳的に行為するのか?」という事実問題に関する問いとの関係を考えておく必要があ る。両者の答えは必ずしも一致ないし調和するとは限らない。たとえば、進化論的な見地 から道徳の起源を論ずる道徳起源論(たとえば内井1996など)は、道徳的な行動や傾向 の生物学的な利益(同じ遺伝子を持つ子孫をどれだけ残せるか)を問題とする。これはいわば行為者にとっては無意識の過程である。これに対し、WBMの問いを立てるということは、とりもなおさず道徳の根拠を意識的に問題化することである。仮に道徳が事実そうした生物学的な利益に基づいて発展してきたとした場合、生物学的利益に関心をもたない個人にとっては、そうした事実はWBMへの答えとして何らの説得力も持たない。

意識されない過程の結果としての道徳共同体がうまくいっているうちは、WBMのよう な問いをたててその過程を意識的な評価の対象とするのは百害あって一理なし、というこ とは十分考えられる。しかしながら、なぜ道徳的に振る舞う必要があるのかということに ついて人々がすでに疑問を持ち始めてしまった後では、無意識の過程にたよってばかりもいられない。そして、後で見るように、インターネットをめぐるトラブルには、この傾向が顕著に見られるように思われる。そういう場面ではWBMにある程度有効な答えを用意することは必要であり、本稿がめざすのもそのような解答を探すために何が必要か考えることである。
28続き:2000/05/29(月) 01:59
WBMへの既存の回答
1 一般WBM問題
まず、なぜ我々は一般に道徳的に振る舞わなくてはならないのか、という、一般WBM問題に対する回答から考えていこう。

1ー1外的サンクション
「なぜものを盗んではいけないの?」と子供に尋かれた場合に、とりあえず手っ取り早くあたえることのできる答えは「そんなことをすると警察につかまるよ」というものであろう。これは非道徳的な行動へのサンクションの存在に訴える議論である。ここでのサンクションはきちんと制度化されたものでなくてもかまわないし(「そんなことをするとだれも遊んでくれなくなるよ」)、肯定的なサンクションであってもかまわないだろう(「いい子にしていたらお菓子をあげるよ」)。本人が信じさえすれば現実のサンクションである必要すらない(「悪いことをする子はあとで地獄におとされてひどい目にあうんだぞ」)。また外的な規範を内面化した内的なサンクション、つまり良心の呵責や罪の意識といったものもサンクションに含まれるが、内的なサンクションについてはあとで触れることにし、ここではもっぱら外的サンクションを考える。

さて、このように外的サンクションに訴えることが十分に効き目がある場合については倫理学者はあまりWBMを議論しない。これは、そのような状況では道徳的行為と自己 利益の一致が明白だからであろう。しかし、実際問題としてはわれわれの行為の大半は外 的サンクションの(少なくとも潜在的な)対象となるし、道徳性の発達を考える上でも、 外的サンクションの存在を媒介として道徳が働く段階を無視することはできないだろう。

しかし、また同時に、外的サンクションに基づくWBMの解答は根本的に不十分である。それは、外的サンクションそのものの正当性自体もまた、WBMの問いの重要な一部であり、サンクションの存在自体に訴えてサンクションを正当化することはできないからである。
29続き:2000/05/29(月) 02:20
1ー2 社会の安定性
なぜ道徳的なサンクションが必要なのか、という古典的な問いへの、これもまた古典的な答えは、「社会がうまく機能するために必要だから」というものであろう。では、な ぜ社会がうまく機能した方がよいのか?カート・バイヤーはこれにホッブズ流の回答を与 える(Baier 1958 ch.7)。ホッブズの場合、自然状態とは万人の万人に対する戦争状態で あって、この自然状態を回避するには、全員が絶対的な支配者に対して権利を同時に譲渡 するしかない、と考えていた。バイアーも同様な二者択一の状況を設定するが、バイアー が自然状態に対置するのは、道徳律が様々な内的・外的なサンクションで強制されている 状態である。戦争状態は誰にとっても損害が大きい状態であるため、長い目で見て個々の 成員にとって利益が大きいのは道徳的な状態の方である。したがって道徳は目先の利益よりも優越的な行為の理由となるのである。

このような考え方に対しては、果たして自然状態はそんなにひどい状態なのか、という事実的疑問、また、自然状態と道徳的状態の二者択一は本当に正しい問題設定なのか、 といった批判がありえよう。とりわけ、社会全体の秩序が維持されるのであれば、少々道 徳規則に違反してもいいのではないか、という疑問にはこの議論は答えてくれない。これが個人WBM問題とわたしがよぶ問題へわれわれを誘うことになる。

#眠い。続きはリンク先を読め。
30herb:2000/05/29(月) 08:30
西部氏曰く

「そもそも人間とは言語的な存在である。言語によって自分なる仮構は
 成立している。ところで言語は他者の存在を前提にしている。つまり
 私という仮構は他者の存在を前提にして成り立っている。このことが
 承認されれば、他者を殺してもよいとすることは自己の否定を意味す
 る。然るがゆえに他人を殺してはいけないのだ。」

 今のところ、これが一番納得。
31欺瞞:2000/05/29(月) 09:21
そもそも人が生きていることが欺瞞である。
互いに殺しあってこの世から人がいなくなることが
「矛盾」の絶対的解消なのである。
したがって「欺瞞」を悪とするなら殺人は善である。
32代理いぬ:2000/05/29(月) 11:09
>26
リンク先の論文、大変ためになります。
夜までには読んで何か書きたいです。
これをネタにお話したら、面白そうです。
33名無しさん:2000/05/29(月) 12:40
道徳は絶対的であることを要求されているのに、実は絶対的ではない。
これを「欺瞞」と呼ぶ人もいれば「矛盾」と考える人もいる。
だが、世界はあるがままにあるのであって、欺瞞や矛盾を含んでいる
わたけではない。だから、ここでいう「欺瞞」「矛盾」はレトリカル
な表現である。

>したがって「欺瞞」を悪とするなら殺人は善である。
「欺瞞」を悪とするのは、道徳を前提としている。
もし道徳それ自身が欺瞞であり、容認できないものだとすれば、
もはや何事かを悪とみなす理由はどこにもない。
よって、殺人を善とみなす理由もない。
ただ、あるがままの世界に戻るだけである。
34ひっく:2000/05/29(月) 16:03
>30
西部氏というひとの文を読んだことがないのでこの文の前後関係はわからないですが。
自己を否定してはならないのはなぜ?
その図式を適用させると、殺人指向者はむしろ自己否定を肯定しているとも考えられる。
だからこの図式で「人を殺してはならない」というのは、もろいと思う。
35>33:2000/05/29(月) 21:37
>よって、殺人を善とみなす理由もない。
貴君の論理の流れだと、殺人を悪と見なす理由もなくなっておるぞ。
殺人者は、殺人を善とみなすから殺すのだ、とは限らない。
道徳が欺瞞の上に立っているのなら、アンチ・モラリストはその自家撞着を指摘するだけで、事たれるのである。

>だが、世界はあるがままにあるのであって、欺瞞や矛盾を含んでいる
>わたけではない。
世界は、ね。
しかし人間の文化は、そのまま「あるがままにある」のではない。それは人為の産物だ。いうならば、人間が介在することによって、世界は矛盾を孕むのである。
3633:2000/05/29(月) 23:38
>貴君の論理の流れだと、殺人を悪と見なす理由もなくなっておるぞ。
その通り。
>道徳が欺瞞の上に立っているのなら、アンチ・モラリストはその自家撞着を指摘するだけで、事たれるのである。
「アンチ・モラリスト」という輩がいったい何を企んでいるのかはわかりかねるが、単に「道徳は欺瞞だ!」と叫ぶだけなら、「なるほど。それで?」と問い返してやればよろしい。
そうではなくて、「既成の道徳は間違っている。本当はこうだ!」と言ったら、その瞬間に彼もしくは彼女自身が自家撞着に陥ることになる。
我々は「アンチ・モラリスト」に対して道徳を積極的に擁護する必要はない。ただ、現に成立している道徳を示してやるだけでよい。それでも言うことをきかなければ頭を小突いてやるべきだ。

……などと書くと道徳についての哲学的考察を全否定しているようだが、そんな事はない。
我々の道徳は万能ではなく、ときにはジレンマに陥る。また現代社会は伝統的な道徳観では対応できない問題を多く抱えている。
そのような場合に、我々がどのように判断すべきかを考えるために道徳哲学は必要とされる。
3735:2000/05/30(火) 00:35
>そうではなくて、「既成の道徳は間違っている。本当はこうだ!」と言ったら、
そんなこと言ったらその瞬間に彼/彼女はアンチ・モラリストでは無くなってしまう。また別の種類のモラリストだ。
アンチ・モラリストというのは、その虚構性をタテに、一切の道徳的囲い込みを拒否する人種、とでも思って下さい。

>我々は「アンチ・モラリスト」に対して道徳を積極的に擁護する必要はない。
>ただ、現に成立している道徳を示してやるだけでよい。それでも言うことをき
>かなければ頭を小突いてやるべきだ。
待て待て待て〜。それはおかしいだろ。
道徳哲学は、既成道徳の番犬なのか? そうではあるまい。
3837:2000/05/30(火) 01:23
>道徳哲学は、既成道徳の番犬なのか? そうではあるまい。
「既成道徳の番犬」というのが、既成道徳を金科玉条の如くあがめて、それに対する批判を退けるという意味なら、もちろん違う。そんなのは哲学の名に値しない。
だが、既成の道徳体系を根本的に疑ってかかっては、そもそも思考が成り立たない。
そこで、現にある道徳を基本的に容認して、部分的に否定したり、拡張したり、手直ししたりしながら進めていくことになる。
だから、道徳の虚構性をタテに、一足飛びに一切の道徳的囲い込みを拒否すね人種に対しては、道徳哲学は実質的に既成道徳の番犬として機能することもあり得る。


39訂正:2000/05/30(火) 01:29
37じゃなくて、>37だった。ごめん。
「一切の道徳的囲い込みを拒否すね人種」は「一切の道徳的囲い込みを拒否する人種」の間違い。
40名無しさん:2000/05/30(火) 02:01
アンチノミー
4135:2000/05/31(水) 00:01
>だが、既成の道徳体系を根本的に疑ってかかっては、そもそも思考が成り立たない。
開き直っちゃったか。それもまあ、答えの一つではあるが。
4237:2000/05/31(水) 00:54
>開き直っちゃったか。
開き直りかな? うん、開き直りだろうな。

「アンチ・モラリスト」という人種は、どうやら絶対不可疑で確実な基礎によって道徳が基礎づけられない限りはそれを認めない、という立場のようだ。
彼らを納得させるためには、徹底的な基礎づけ主義でもって道徳の体系を根本原理から再構築する必要がある。
だが、こんなことは可能だろうか?
もしかしたら可能かもしれないが、私はそんな事いちいちやってられない。
それよりは、アンチ・モラリストの虚をついてみたいと思うわけだ。
そこで、上述の「開き直り」となる。
道徳はそれ自体が一つの体系をなしているが、他の体系とも密接な連関を保っている。
たとえば法体系など。
ほかにも、科学・芸術・宗教など社会的諸制度とも、程度の差こそあれ関係をもっている。
それなのに、体系内部に体系を基礎づける究極的根拠がないという理由で道徳を切り捨ててしまうのはあまりにも代償が大きい。
道徳以外の諸制度はなるべく保持しようとする傾向をもつアンチ・モラリスト(そんな奴がいるかどうかは知らんが)なら、このような事態には耐えられないだろう。
逆に、「文化や社会的制度など全部ぶちこわしてしまえ!」と主張するなら、もはや説得は諦めたほうがいいだろう。

むしろ問題となるのは、我々の道徳と一部対立する道徳観をもった奴を相手にする場合だと思う。
たとえば「確かに人を殺すのは悪いことだ。だが、ユダヤ人は人間ではない」と主張するナチス党員など。
そのような輩に対してアンチ・モラリストの場合と同じように開き直りが通用するものかどうか……。
むむ、この例は思いつきで挙げたわりにはかなり難しいな。
自分で提示しておいて言うのもなんだが、お手上げだ。
4342:2000/05/31(水) 00:57
すまん。また「37」と書いてしまった。
近ごろの私はどうかしている。
44名無しさん:2000/05/31(水) 02:07
刑法で罰せられるから、つーのはダメなんすか?
これ以外ないと思うんですが。
45名無しさん:2000/05/31(水) 02:16
私はどうやら、ここでいわれているアンチ・モラリストにちかいのですが42さんは言いたいことはよくわかるけど、
議論向けではないね。だって、拳骨出したらおしまいよ、こういう議論では。
口でどこまで言い倒せるかがおもしろいのだしね。でも、なんか期待しちゃう。

1)体系の究極根拠・原理(これは単純なものでヨシ、どうせ枝葉が広がるので)
ええとですね、光り輝くまぶしいくらいの美しい世界・社会・秩序という観念に対応する社会設備および諸制度
を設定し、それを技術的に発生実現可能にするもの。または、こうしたヴィジョンからその規則だけを機能して得られた原理や規則体系。
2)たぶん、これならおまえらアンチ・モラリストどもも文句はないだろう、そういう世界および社会を想定し、
それが可能になるために要請される規則体系としての道徳を彼らは受け入れるだろうか?
そういう、規則体系による身体的思想的思弁的拘束を彼らは 拘束ではなく 恩恵 もしくは必要
もしくは楽しいステップアップスケジュールとでも受け取るだろうか?
3)受け取るタイプもあるし、ついに受け取らないタイプもある。後者はいたずら者なので、
つねに拘束とそこからのずっこけとを愛するから。彼らはつねに境界や周縁を愛する。
そういう人はいてはだめなのだ!と誰かがいうなら、彼らはからかいをやめないだろう。それはからかいに過ぎず、
いつでもからかいの対象にもどったり、対象を支持する用意がある。つねに煮え切らない。
46代理いぬ:2000/05/31(水) 09:20
結局のところ、
アンチモラリストをやりこめるには"仲間はずれ作戦"しかないのだよ。
つまり、
「我々は、我々の定める法を守る限りにおいて共同体であることができる」
という前提を目の前につきつけてやるしかない。
そんでアンチモラリストが文句を言おうものなら、
「おまえ出てけ!」
と言って仲間はずれさ。
これが正しい。

絶対不可疑な道徳など幻想だけれど、
「こういった共同体であるからには守らねばならないルール(法)」
をスムーズに遵守していくには、
小さい頃から道徳として教えていくのが一番なのさ。

で、
「なぜ人を殺してはいけないの?」
と訊かれたら、

/⌒▲_▲  ┌──────────────────────────
U ( ゚ρ゚ ) < 別に殺してもいいけど、そんときゃおまえもぶっ殺しますよ?
  ∪ ̄∪  └──―───────────────────────

と言ってやるのがよろしいかと。。。
4742:2000/05/31(水) 12:45
>42さんは言いたいことはよくわかるけど、議論向けではないね。
とほほ。私はやっぱり議論には向いていないのか……。

しかし、こと道徳の話になるとみな真面目な基礎付け主義者(または
基礎付け主義者と同じ信念を共有する懐疑論者)になってしまうなぁ。
認識論のほうでは「基礎付け主義はもう古い。究極的根拠なんかいら
ないんだ。ノイラートの船だ」などとのたまうルーズなホーリスト
(全体論者)が多くて困りものだが(あ、ホーリズムそのものがルー
ズというわけではないよ。ただホーリズムに安直にのっかかって、よ
く考えもせずに簡単に話をすませてしまう輩が多いということ)、同
じことを道徳論で言う奴がもっと多くても不思議ではないと思うんだ
が……。
というわけで、
>刑法で罰せられるから、つーのはダメなんすか?
>これ以外ないと思うんですが。
に一票! いくらアンチ・モラリストでも勝手に法律を廃止するわけに
はいかんだろ?

えっ、論点がずれてる、って?
私もそう思う。
48代理いぬ:2000/05/31(水) 13:49
>というわけで、
>>刑法で罰せられるから、つーのはダメなんすか?
>>これ以外ないと思うんですが。
>に一票!
だからその点を突いた"仲間はずれ作戦"しかないんだってば。
真の問題は、どうやってみんなを納得させるルールを作るかにあるといえる。
これが難しい…。

それにこの作戦だと、
法の実効範囲が他人の目のある範囲に限定されてしまう。
他人が見ていなければ"掟破り"も許容されてしまうのだよ。
昔は誰も見ていなくても、「神様が見て」いたのにねえ。
神様…アンタどこ行っちまったんだ。
落ちぶれた俺たちをまた叱ってくれよう…。
(なーんちって)
49>22:2000/05/31(水) 15:03
ここで終わっちゃダメダメ
問:何故悪い事はしてはいけないの?
の問を追加すべし。
でもその前に「悪い事」と「やっていけないこと」を混同してるね
50ag:2000/05/31(水) 15:44
e
51名無しさん:2000/05/31(水) 16:39
 悪いこと、という言葉の内に、してはならないという意味が
分析的に含まれているから、というのはどう?
詭弁ぽいけど。
つーか詭弁か。
52代理いぬ:2000/05/31(水) 18:31
>51
詭弁です。


そうそう、26のリンク先の論文読んだよー。
すごくためになるから皆さんも読んでみては。
インタネット〜は飛ばし読みしてもいいと思うけど。
53名無しさん:2000/05/31(水) 21:21
で、
「なぜ人を殺してはいけないの?」
と訊かれたら、

/⌒▲_▲  ┌──────────────────────────
U ( ゚ρ゚ ) < 別に殺してもいいけど、そんときゃおまえもぶっ殺しますよ?
  ∪ ̄∪  └──―───────────────────────

と言ってやるのがよろしいかと。。。

これも、議論向きではないと思う。拳骨出すのと同じ実力阻止行動。でも、ここでは以下にそれを出さずに
言葉だけで説得するかが問われているということにしないと、意味がない。だって、拳骨なんて、誰でも思いつくじゃん?一番最初に。
54>53:2000/06/01(木) 00:41
いや、「互酬性」の問題ってことらしいから、それはそれで「有り」
みたいよ?
55代理いぬ:2000/06/01(木) 00:56
>これも、議論向きではないと思う。
>拳骨出すのと同じ実力阻止行動。
>でも、ここでは以下にそれを出さずに言葉だけで説得するかが
>問われているということにしないと、意味がない。
拳骨を出すしかないから困ってるんじゃないか。
それとも君には、議論の対象となりうるような、
"普遍道徳"がありそうだと思えるのかい?
私にはその可能性は微塵も見えないな。

26のリンク先も読んでみてはどうでしょう。
彼の論文は、初めから人の行動を律するゲーム的ルールについて考察してある。
古典的な倫理学はとっくに形骸化しているのでは?

法の制約なくして社会(共同体)はありえない。
法をまもらねー奴はシバキます。
56名無しさん:2000/06/01(木) 01:35
>別に殺してもいいけど、そんときゃおまえもぶっ殺しますよ?
これは「拳骨出すのと同じ実力阻止行動」には当たらないと思うよ。
単なる警告だ。
合理的思考能力をもった人間なら、人を殺すことのメリットとその結果
自分が殺されるかもしれないデメリットをはかりにかけて、殺人を諦め
るかもしれない。
すると、言葉で説得したことにはならないかね?

予想される反論:確かに警告は言葉で行われているが、言葉そのものの
論理性のみによって説得されるのではなくて、その言葉が示唆する暴力
へのおそれによって殺人を中止するのだから「言葉のみによって」説得
されたことにはならない。

再販論:どんな言葉でも言葉以外のものごとへの言及を含んでいる。
もし「言葉のみによって」説得するということが言語外の世界を引き合
いに出すことを禁じるならば、そもそもそのような説得は不可能である。

まあ、問題は、このような説得がどうも道徳的に胡散臭く感じられると
いうことだな。だが、道徳そのものが胡散臭いのだから、仕方がないん
じゃないかいな?
  
57もっか:2000/06/01(木) 02:03
言葉だけのモラルというのもいかにもうさんくさいな。
人を殺すというのは言葉よりもむしろ肉体の問題である。
これも重要。
痛みと関係ない、純粋に論理的なモラルがあるのだろうか。
58名無しさん:2000/06/01(木) 02:39
そうですね、よくわkります。
モラルなしで、殺人を犯さないようにするには?どんな言葉が出てくるですか?

そう伺いたいです。
道徳は胡散臭いし、どこか不当な迷信みたく人を拘束します。
拘束監禁の脅しなしの言い回しが必要です。そんなものはない?では伺いません、失礼しましたです。
59もっか:2000/06/01(木) 03:03
外的な理由としては社会的ルール。
内的な理由としては良心。
結局はこういうことだと思います。
それぞれ力による圧力、
人格による教育が論理的説得よりも有効。
60もっか:2000/06/01(木) 03:05
外的な理由としては社会的ルール。
内的な理由としては良心。
結局はこういうことだと思います。
それぞれ力による圧力、
人格による教育が論理的説得よりも有効。
61もっか:2000/06/01(木) 03:07
およ、二重投稿失礼しやした。
最近重いね〜。
62名無しさん:2000/06/01(木) 08:50
質問。
「互酬性」を根拠にして殺人を禁じた場合、相手との立場に
対象性がなければ、殺人をしてもよいということになりませんか?
63>62:2000/06/01(木) 12:01
そうですね。戦争について考えると。
64>58:2000/06/01(木) 12:08
>道徳は胡散臭いし、どこか不当な迷信みたく人を拘束します。
 こういう素朴な道徳があったから、「ころしてなぜいけない」
みたいな疑問が生まれなかったのだと思います。
 それらは無意識の領域にあって、学者以外は触れられなかった。

 道徳やらをメディアが自由・幸福追求の原則で分析・破壊して
しまったのが、この問題が浮上してきたそもそもの原因ではない
でしょうか?
65名無しさん:2000/06/02(金) 01:30
なぜ人殺しをしちゃいけないの?という質問を
共同体(社会;community)の成立根拠はどこに?またいかにして?という質問とすると

★共同体の成立を脅かすからいけない、となるのでしょう。共同体との契約事項にそのような暴力はないから、と。
ところで、共同体との契約とはどういうことでしょうか?思考においてまだ成立してない、
そもそもその成立の基礎と条件とを思考として探求中である共同体といかにして契約ができるのでしょうか?
(これはルイ・アルチュセールがルソーの国家論を批判したときに出した疑義です)
★古典的な倫理観・道徳観や規則体系の根拠または共同性を確保できないなら
遵守すべき規則・マナーと同じくするというニュアンスもある共同体もあらかじめ前提できないのではないでしょうか?
そもそも、遵守すべき規則体系の共同性およびそのようない体系の作成困難(規則の共同性)をいうなら
共同体からそいつをはじきだせばよい、との言い分もいえなくなるのでは?共同体の成立困難をいいながら
、かたや未だないはずの共同体から追い出すことをいうのはおかしい気がしました。
★56さんの言われる「再反論」もわかるんですが、これだと恐喝から穏やかな説得までいっしょになっちゃいますね。
極端から極端へと飛んでいいなら、そもそも1さんの提示した問題は生じないと思うんです。
「どうやって答えればいいんでしょうか」これが原点ですよ?よりよい答えが、よりおもしろい答えが求められているのではないでしょうか?
66名無しさん:2000/06/02(金) 02:07
素朴な疑問。
共同体は(社会的存在としての)人間が契約ないし黙契によって作り出したものなんだろうか?
それとも"もともとあったもの"と捉えるべきなんだろうか?
ルソーの場合には論理的順序として、まず最初に理性をもった個人がいて、次に個人と個人の契約によって共同体が形成される、という手続きを考えているようだが……。
時間的順序で考えれば、現代に生きる個人(私とかここの掲示板を見ているほかの人とか)は共同体の中で生まれてきたわけだ。
もし時間的順序をもとにして話を進めていいのなら、道徳は共同体を成立させる条件ではなくて、すでに成立している共同体を維持する条件と考えていいような気がする。

むむ、こりゃ気軽に考えられるような問題じゃないぞ。
私は眠たいので、あとはほかの人に任せておこう。
67名無しさん:2000/06/02(金) 03:05
>ルソーの場合には論理的順序として、まず最初に理性をもった個人がいて、次に個人と個人の契約によって共
同体が形成される、という手続きを考えているようだが……。

たとえば、言語は多少なりとも規則的にできてるとして
その規則性を規則性として言語習得上で認知するには
認識システム内に言語的なシステムがあらかあらかじめ装備されていなくてはならないとして、
じゃあそのシステムはいったいいつ、どこで学んだの?というと、言語習得途上で獲得したとなって
えんえんとつづくかんじです。広義の言語、言語システム、言語のように規則化されている何か、
の存在があらかじめ設定されている説明なんです。
共同体もこの場合の言語と同じようにあらかじめあるものとして設定されている説明方式でしばしば使われるんです。
理性にも、契約にも、言語によるやり取りが要請される、ところでその言語が言語として働くためには
それが働いている場所すなわち共同体の存在が要請される・・・やはり、共同体があらかじめ前提ないし要請されている説明方式かと思われます。
うtまり、理性が理性として機能し、認知されるには共同体らしきものが要請されるのではないか、と。
68通りすがり:2000/06/02(金) 05:17
まず個々の共同体が個別のルールを持っていてそれぞれが話し合って
同じルールを共有してより大きな共同体になっていった これはいいとして

じゃあ最初の個々の共同体でどうやって個別のルールができていったか
これはもう家族単位だったり族長のわがままだったりいろいろじゃないかな

そんな中で例えば共同体の構成員は殺してはいけないというルールを
持っている共同体が長く残りそうでないとこはすぐに解体した
ということではないでしょうか
最初から理性を持ち出すより言語システムと平行して個々の共同体
及び共同体同士のやりとりの中でルールが発達していったとする方が
分かりいいと思いますが

近頃の少年犯罪に対しては要するにルールを守れない奴は
その共同体から出てけというこっちゃね
昔は外に追い出されるで済んだけど今は行く場所ないから死刑か終身刑
そして差し当たってこのルールがあまりに不合理だと思う人が
多くなっていかない限り改正されることもないでしょう
69>68:2000/06/02(金) 05:34
なるほどね
少年犯罪者を減らすためには
少年に犯罪してもらわなくちゃならない、と。

少年に感謝しなくちゃね!
共同体を基礎付け、確立するためには
犯罪を犯すやつが不可欠ってことか。
おいおい、なんで共同体をあらけじめ前提できるの?って疑問はどうなるの
70名無しさん:2000/06/02(金) 06:48
電車で、たまたま同じ車両に乗り込んだ人々がいる。
いろいろな人が乗っているわけだが、
少なくとも次の駅に着くまでは、この集まりを解消するわけにはいかない。
さて、この集まりは「共同体」と呼べるのだろうか。
71>70:2000/06/02(金) 08:58
ゲゼルシャフトとゲマインシャフトって中学で習わなかった?
72サルトル:2000/06/02(金) 12:13
>70

そのようなものは単に「集列体」である、コミューヌでも
ゲマインデでもない!
73名無しさん:2000/06/02(金) 12:56
>おいおい、なんで共同体をあらかじめ前提できるの?って疑問はどうなるの
現にあらかじめあるから、というのではダメ?
共同体の存在を前提とした議論が可能であるためには、共同体の存在の根拠を示す必要はなくて、単に共同体が実際に存在することを示すだけで十分ではないかと思う。
その上で、道徳が共同体にとってどのような機能を果たしているかを議論するのでないと、話が進まない。
74代理いぬ:2000/06/02(金) 15:01
えー。

議論の流れの中に共同体の成立要件や、
ルール制定の後先などがあったが、これに悩む必要は無いと思われる。
なぜなら、我々はすでに日本国という共同体に属し、
日本国の法を享受しているからである。
(国を組織・運営する基盤それ自体を模索していたルソーの頃とは時代が違う)

で、「なぜ人を殺してはいけないの?」の質問に立ち帰るとすれば、
個人のレベルでそれを制止する道理はないといえる。
しかし、一生物としての我々は原則的に自由であるが、
これが他者との接触を持つ段において暗黙のルールが生まれる。
そして、この共同体の中でスムーズな生活を行うには、
ルールに追従する生活を習慣としてしまうのが都合が良い。
その為の判断力を与えることが道徳教育の役目であり、
共同体の維持、あるいは自らの子の生存を考えるのならば、
こういった教育は先達の義務として行われるべきである。
ゆえに、たとえ道徳が空虚な論理であろうとも、
この観点から道徳教育は擁護されるべきであり、
子に善悪の感覚を与えることは必要である。
我々は、「人を殺してはいけない」と答えるべきであり、
答えることができるのである。

>70
>さて、この集まりは「共同体」と呼べるのだろうか。
呼べるでしょう。
同じ車両にあるものは、マナーという暗黙のルールに了解しなければならない。
75名無しさん:2000/06/02(金) 17:15
>じゃあ最初の個々の共同体でどうやって個別のルールができていったか
>これはもう家族単位だったり族長のわがままだったりいろいろじゃないかな
進化の事も考えないとね。デネットとかも少しは参考になるかも
76名無しさん:2000/06/02(金) 17:45
共同体と疎外の問題系はドイツ観念論だけど
ついえたんじゃないのね。やっぱ、日本人つまり、疎外論者ているのね。のんきなものだ
77現代倫理の臨界点:2000/06/02(金) 21:56
>58
>モラルなしで、殺人を犯さないようにするには?どんな言葉が出てくるですか?

 なんらかの言語作用に依って感化を期待するなら、それは十分にモラリスティックだと言えるでしょう。

>58
>拘束監禁の脅しなしの言い回しが必要です。

>65
>「どうやって答えればいいんでしょうか」これが原点ですよ?よりよい答えが、
>よりおもしろい答えが求められているのではないでしょうか?

 わたしたちはお互い無しには生きてゆけず、「わたし」が「わたし」を愛おしむのと同様に、他者も自分が愛しいと感じているのだ、というこの二点に気づかせてやるのが、大切ではないかと思います。
 しかしこれには問題もあります。上のような説得的馴致は、昨今の凶悪少年犯罪には無効ではないか――? こう思うことが、最近のわたしにはしばしばあります。

 わたしには彼らが、自己と他者とが織りなす関係性の檻から、自分自身を弾き飛ばすため、確信的に他者を害したように思われれるからです。

 当人にとって、他者との関係性があまりにも重荷であるとき、その関係性を理由にモラリスティックであることを要請したとして、それは十分納得できるものになるでしょうか?
「互酬性の原則」はこのときは却って、「やられたのだから、やり返すのは当たり前だ」という、相互攻撃のきっかけになりかねません。
78名無しさん:2000/06/02(金) 23:06
モラルを自明の理のように説明するだけの大人が多いからじゃないか?

数千年の歴史は経ているものの全ては差し当たってのルールでしかない
よりよいものを作りそれにより他者を説得できない限り
自分もそのルールを守らなくてはならないと言うしかないと思うのだが

直接の議論とは関係ないけど学校という共同体の中で落ちこぼれて
新たな共同体を作り独自のルールで運営しそれらで相生相克をくり返す
暴走族の抗争なんてのは原始共同体を思い起こさせるね
79名無しさん:2000/06/03(土) 02:58
法と道徳の根本的な性質の違いをどなたか教えてください。

法ってものは、ローカルな共同体の道徳を超えたところに
位置づけられているものだと思うんだけど。

と、思ったのは、要はこの質問に対しては、人を殺したら法で罰せられるってことで
まず回答できる。で、次に「なんでそんな法律があるんだ?」って質問が来る。
そうしたら、今まで各人が答えたような様々な道徳的理由によって法ができていることを説明する。
もしそれで納得しなくても、「お前が納得しなくても社会の大部分の人は納得し、それで社会は機能している」
と答える。
ってのが、現実的なアプローチかな〜と思ったわけです。
80名無しさん:2000/06/03(土) 17:41
大多数のにんげんがやってはいけないとかんがえるからでは?

81名無しさん:2000/06/03(土) 17:46
>79
法はやっちゃいけないことだけを規定してる。
というのは法は人間間のトラブルを未然に防いだり
起こったときの対処法をあらかじめ決めておくことによって、
社会が一定の方向を向くようにするためのものだから。
道徳はそれとは別。
道徳は無くてはならないと思われている。
主に宗教的な理由や習慣によって。
それがなければ社旗的信用をなくす。
82代理いぬ:2000/06/04(日) 00:57
法と道徳は全く別のものだ。
道徳は、我々がスムーズな共同生活を行うのに欠かせないものだが、
根源的な説得力を持たない。
我々が、我々を説得するのは法によってのみである。

また、道徳が法を規定するというようなバカな話もあってはならない。
法を規定する根本原理は最大多数の最大幸福の追求である。
83名無しさん:2000/06/04(日) 02:55
>また、道徳が法を規定するというようなバカな話もあってはならない。
>法を規定する根本原理は最大多数の最大幸福の追求である。
「最大多数の最大幸福」というのは功利主義者のモットーだが、功利主義というのは道徳説でもある。
もし功利主義を受け入れるなら、道徳が法を規定すると認めてもいいのではないかと思うのだが……。
84代理いぬ:2000/06/04(日) 03:20
>83
>功利主義というのは道徳説でもある。
それはどのような意味でかね?
功利主義は功利主義であって、これが道徳説かどうかは別の話だ。
君の考えを述べてみよ。
8583:2000/06/05(月) 00:30
>84
>功利主義は功利主義であって、これが道徳説かどうかは別の話だ。
確かに功利主義は倫理学以外の場でも議論の対象となるが、もともと倫理学の領域で生まれた考え方であり、「別の話」というのは極論だと思う。
「何が道徳的に善なのか?」という問いに対して功利主義の立場では「幸福の総量を増す行為が善である」と答える。これは道徳説とは言えないだろうか?
「道徳的価値(善)を道徳外の価値(幸福)に還元することは不可能だ。このような理論は間違っている」と考える人は大勢いる。
しかし、端的に「功利主義は道徳説ではない」と主張するのは的外れだ。
もし、そう主張するのなら、現代の道徳哲学者(特に英米の哲学者)が盛んに功利主義の是非について論じていることをどのように解釈したらよいのだろうか?
肯定・否定それぞれの立場から功利主義を検討しているヘア、ノージック、ロールズなどの哲学者は、道徳とは別の話である功利主義を道徳説と勘違いしているたわけ者たちということになるのだろうか?

私見では、道徳は法の原理の一つである。ただし全部ではない。
刑法や民法には道徳的規範を明文化した条項が多いが、たとえば公有水面埋立法や地方分権一括法などは道徳との関係はあまり密ではない。だが、どのような法も他の法と関係を持っているのだから、程度の差こそあれ道徳とも関係を持っているとみるべきだろう。

86代理いぬ:2000/06/05(月) 09:19
>「何が道徳的に善なのか?」という問いに対して功利主義の立場では
>「幸福の総量を増す行為が善である」と答える。
>これは道徳説とは言えないだろうか?
なんだ、そんなことか。
それは見解の違いを訴える些細な問題であって、
この議論の本質とは何ら関係がない。
「功利主義が道徳説かどうかは別の話だ」

>たとえば公有水面埋立法や地方分権一括法などは
>道徳との関係はあまり密ではない。
しかし、それらの法も、
最大多数の幸福を軸に考案されていることは君も認めるだろう。
87名無しさん:2000/06/05(月) 09:55
最大幸福って、どうやって調査可能なの?
社会調査をする社会学者ってそんなに有能?
国家の雇われ学者とちがうの?
信頼できるの?

と疑うことは簡単だ、しかしそんなこといってたら何も信頼できなくなる
ゆえに、国家の決める最大幸福や公共の福祉といったものの大切さは
つねに真理だ
8883:2000/06/05(月) 12:51
>なんだ、そんなことか。
>それは見解の違いを訴える些細な問題であって、
>この議論の本質とは何ら関係がない。
>「功利主義が道徳説かどうかは別の話だ」
「この議論」とは何のことか?
もしスレッドの最初の問題のことを指しているのなら、確かに功利主義が道徳説かどうかは些細な問題だろう。それよりも「最大多数の最大幸福」という理念で当初の質問への解答となるかどうかのほうが重要であることは間違いない。
ただ、私は
>また、道徳が法を規定するというようなバカな話もあってはならない。
>法を規定する根本原理は最大多数の最大幸福の追求である。
という文章に対してレスをつけたのだということを忘れないでほしい。
さらに問う。
今でも道徳が法を規定するというのが「バカな話」だと思っているのか?
もしそう思っているのだとすれば、道徳と法はどのような関係にあると考えているのか?

>しかし、それらの法も、
>最大多数の幸福を軸に考案されていることは君も認めるだろう。
一度でも条文を見てみればわかることだが、最大多数の最大幸福の理念がどのようにこれらの法律に反映されているのかを見てとることは難しい。
それでも「軸に考案」というあいまいな言葉は当てはまるかもしれない。しかし、それなら「道徳的規範を基調としている」という言い方も可能ではないだろうか?

89代理いぬ:2000/06/05(月) 14:24
>今でも道徳が法を規定するというのが「バカな話」だと思っているのか?
根源的な根拠を持たない道徳が、
法を規定するようなことがあってはならないことは先に述べたとおり。

>もしそう思っているのだとすれば、道徳と法はどのような関係にあると考えているのか?
道徳は法に従うことをスムーズに行うのに必要であることも先に述べたとおり。

>一度でも条文を見てみればわかることだが、
>最大多数の最大幸福の理念がどのように
>これらの法律に反映されているのかを見てとることは難しい。
根本的理念としてあればよし。

>それでも「軸に考案」というあいまいな言葉は当てはまるかもしれない。
>しかし、それなら「道徳的規範を基調としている」
>という言い方も可能ではないだろうか?
「道徳的規範を基調としている」という言い方はあいまい過ぎやしないか?
「最大多数の最大幸福を考慮する」という事は、
この上なく明快な原理だと思われるが。
そもそも、道徳は文化や時代によって刻々と変化するものだ。
それで法を規定しようとするのはおかしい。
「女性は奥ゆかしくあるべきなので外で働くことを禁ずる」
法を規定するのに、そんな理屈ってないだろう?
90名無しさん:2000/06/05(月) 17:04
>1
思いやり。
現代の。
自分を自由に複製出来るような時代になったら殺して構わないかもね
9188:2000/06/05(月) 17:45
>89
なるほど、言いたいことがわかってきた。
道徳という根拠の不確かなもので法を規定してはいけない、というのもよくわかる。
ただ、現に法は道徳に規定されてきたことも事実だ。もちろん完全にではないが。
>そもそも、道徳は文化や時代によって刻々と変化するものだ。
>それで法を規定しようとするのはおかしい。
法もまた文化や時代によって刻々と変化するものだ。
「最大多数の最大幸福」という理念は同じでも、どのような行為が幸福量を最大にする(とみなされる)かは社会的状況によって異なる。
たとえば、戦前の日本には姦通罪があった。

>「女性は奥ゆかしくあるべきなので外で働くことを禁ずる」
>法を規定するのに、そんな理屈ってないだろう?
もしそのような法律が制定されたなら、我々は何を根拠に反発するだろうか?
道徳を根拠とするしかないと思う。
さらにいえば「女は奥ゆかしくあるべきだ」という道徳的(?)通念そのものを道徳の名によって批判することになるだろう。
92名無しさん:2000/06/06(火) 07:27
>代理いぬ氏
貴方の言う、「最大幸福」とはどのようなものなのだろうか?
例えば、ある道徳的な人物が、他者の非道徳的振る舞いを見て不快に感じたとする。
これは「幸福ではない」状態であると言えるのだろうか?
それとも、これは「幸福」とは無関係なのだろうか?

あと、「プライバシー」なんて概念は、道徳を基盤としていると思うんだが、
だとしたら「プライバシーの侵害」を法で罰するのは間違っているのだろうか?
(でも、「プライバシーの侵害」を罰する法律が何かは知らん。民法だろうけど。すまん)
93名無しさん:2000/06/06(火) 12:36
やはり問題は幸福とは何かと言う事になるのでは?
せいぜいのところ衣食住についてのことぐらいしか、みんなが納得できる
幸福の基準はないと思う。

ある種の人は、道徳的であることを幸福であると考えるかもしれない
するとこの場合、道徳→幸福の実現→道徳ということになり、トートロジーとなり何も言っていないということになりかねない。
94名無しさん:2000/06/06(火) 12:48
初期の功利主義者は、幸福の快楽説というのを唱えていた。
ただしここでいう「快楽」とは身体的なものだけでなくて、精神的なものも含む。
ということは、結局「幸福」と同じではないか、という批判もある。
「幸福とは何か?」という問いに対して、幸福ではないもので応えることは誤りである。
だが、この問いに幸福そのものを提示することで応えるなら、全く何も言っていないに等しい。

なお、幸福については快楽説以外にもう一つ有力な説がある。
それは欲求充足説と呼ばれるもので、簡単に言えば、欲求が満たされる度合いが大きければ大きいほど幸福である、という考え方だ。
この説は幸福の社会的側面(ある欲求が満たされるかどうかは個人の内面の問題ではない。「満たされる」ということと「満たされた気がする」ということは別だから)を取り込んでいる点に特徴がある。
ただ、マスメディア等に踊らされて本来持たなくてもいい欲求を持たされて、それが満たされても幸福といえるかどうかはかなり怪しい。
「人を殺したい」と思った17歳の少年が殺人を犯したことで少しでも幸福になっただろうか?
9575:2000/06/06(火) 13:14
内井惣七氏が哲学研究に連載している論文は多少参考になると思うが
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/%7Esuchii/Ev.Ethics1.html
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/index_japanese.html
「ダーウィンの危険なアイデア」の翻訳予定ってありますかね

とか書いてると自分の意見を書けといわれそうなので少々
代理いぬさんは「道徳」をどういう意味で使われていますか。

>そもそも、道徳は文化や時代によって刻々と変化するものだ。
>それで法を規定しようとするのはおかしい。

道徳の意味が他の方々と違う意味で使っている様に見えるのですが
道徳を特定社会での美風という意味で使っていませんか
道徳の意味付けによっては上の引用も道徳です。
もしもこの推測が当っているなら倫理(ethic)/道徳(moral)と言葉を使い分ける事を提案します。
それだけで結構混乱が避けられるような気がします。
9695:2000/06/06(火) 13:30
あ、倫理は文化にたいして不変だという気はありません。
でもそのレベルで倫理を否定してしまうと法なんてどこにも根拠を持たなくなります。
ちなみにアメリカでの法律を根拠に日本で何か言っても無意味ですがアメリカの倫理学的な議論は日本でも通用します。
アリストテレスのまねをして「言葉の意味の混乱を指摘して解決」を目指したけれど揚足のような気もしてきた。
97名無しさん:2000/06/06(火) 14:02
すみません
うが
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/%7Esuchii/Ev.Ethics1.htmlはhttp://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/ev_biology.htmlの間違いです
それと哲学研究に連載してる文章が上のリンクでちゃんと読めるし「ダーウィンの危険なアイデア」の翻訳の事も書いてあるしめちゃくちゃでした、申し訳ありません。
98代理いぬ>94〜97:2000/06/06(火) 14:14
三つもくだらない事を書きこみ勝手にさげるおかしな厨房ドキュンは氏んで下さい。
9997>代理いぬ:2000/06/06(火) 18:33
すみません。確かに悪乗りしすぎました。
下げたのはこれでわざわざ上げるまでもないと思ったからです。
しかし、そこまで言う必要があるんですかね?あ、罰せられないからOKですか。

P.S
51って詭弁ですか?
49に対するコメントとしては結構いいと思うんですが、分析倫理学のやつ何か読んだ方がいいのかな、やっぱ(何かいい本あったら教えてというサイン)
10094:2000/06/06(火) 18:35
私は95以下とは別人だ。
言っていることはもっともだと思うが……。
しかし「厨房」「ドキュン」「氏んで下さい」とは、苦笑するしかないな。
あんた本当に代理いぬ氏か?
101名無しさん:2000/06/06(火) 18:49
代理いぬさん巣から出てから荒れてない?
102>97:2000/06/06(火) 21:54
煽られて丁寧なレス返すあなたっていい人ですね。
103名無しさん:2000/06/07(水) 02:34
代理いぬさん と 巣 の関係って何?
104>102:2000/06/07(水) 10:16
丁寧か?イヤミだらけに見えるが
10599>102:2000/06/07(水) 21:07
いえ、全然いい人じゃないですよ。
文章こそ丁寧に書きましたが103の言うように嫌味の塊を書いてしまいました。

だけど、100の疑問が正しかったら困る、全ての嫌味は代理犬氏に向かってる…。ちょっと熱くなりすぎました。

>101
巣 って何ですか。ひょっとして今代理いぬ氏は書きこみが出来ないとかいうこと?
106>105:2000/06/07(水) 21:15
>巣 って何ですか
昔、代理いぬ氏はこのスレッドに住み着いていたのでそれを巣と称したのです。
http://www.jbbs.net/2ch/test/read.cgi?bbs=philo&key=956685681
その頃はあんまり暴言吐く人じゃなかったから。
107105>106:2000/06/07(水) 21:19
なるほど
10892:2000/06/08(木) 03:55
あの〜結局、俺の質問の答えはどうなったんだろ?
93さんは衣食住くらいしか幸福の基準はないんじゃないかって言ってるけど、
衣食住にとどまらず各種インフラが整ってる現代の状況を考えると、
幸福はそこへのプラスアルファじゃないかって思うんだけどなあ。

それと、94さんの言う幸福の「社会的側面」ていうのが今一つぴんとこないんですが、
その考え方だと、幸福というものを「個人的側面」と「社会的側面」に分けてるんですよね?
だとしたら、その境目はどこなんでしょう?
10994:2000/06/08(木) 08:26
>それと、94さんの言う幸福の「社会的側面」ていうのが今一つぴんとこないんですが、
>その考え方だと、幸福というものを「個人的側面」と「社会的側面」に分けてるんですよね?
>だとしたら、その境目はどこなんでしょう?
私が「社会的側面」ということで言いたかったのは、ある個人が幸福であるかどうかは、その個人の心理的状態という主観的・私秘的な条件だけが規準になるのではなくて、客観的(といって悪ければ間主観的)・公共的規準があるということ。
「私は歯が痛い」とか「私は目の前が真っ赤に見える」という発言の真偽は個人の内面のみによって決まるが、「私は幸福だ」という発言の真偽はそうではない。
ただし、当然のことながら心理的状態が重要な規準の一つであることは確かである。そして外的規準がその内的規準とどのように関わっているのかは、実のところあまりはっきりしていない。さらに言えば外的規準としてどのようなものを数え上げるのかさえ、定かではないのが現状だ。
110代理いぬ:2000/06/09(金) 03:04
>91
>「最大多数の最大幸福」という理念は同じでも、
>どのような行為が幸福量を最大にする(とみなされる)かは社会的状況によって異なる。
結局のところそうなのだ。
何をもって"幸福"とするかもまた道徳と同じく一様でない。
一つ思うのは、"幸福"より"利益"と考えるのが適当ではないかということ。
「最大多数の最大利益」
幸福とは、ある種の精神的利益とみなしてこれに含めることができる。

>92
>あと、「プライバシー」なんて概念は、道徳を基盤としていると思うんだが、
>だとしたら「プライバシーの侵害」を法で罰するのは間違っているのだろうか?
実は、プライバシーに関する問題は非常に難しい。
なぜなら、功利主義的な原理を破るべき典型的ケースとなりうるからだ。
「最大多数の最大利益」だけを根本原理とみなせば、
プライバシーというものは全く成り立たなくなる。
(例えば芸能人の私生活など、みんなの"知りたい"によって簡単にさらされてしまう)
多数の優先と、少数の尊重。
相反する考え方にうまくバランスを与えなければならない。
多数の優先一辺倒では、力関係のゲームの上に多数の犠牲を生んでしまう事になる。

このデリケートなバランスに関して、誰か良いアイディアはないかね?

>93
>やはり問題は幸福とは何かと言う事になるのでは?
そうだね。

>94
>ただ、マスメディア等に踊らされて本来持たなくてもいい欲求を持たされて、
>それが満たされても幸福といえるかどうかはかなり怪しい。
それはまた、面白い視点だな。
111代理いぬ:2000/06/09(金) 03:29
>95
>代理いぬさんは「道徳」をどういう意味で使われていますか。
実はあまりよく考えていない。

>道徳を特定社会での美風という意味で使っていませんか
たぶんそうだろう。

>もしもこの推測が当っているなら倫理(ethic)/道徳(moral)と言葉を使い分ける事を提案します。
例えば君はどのように提案するかな。
倫理と道徳の区別ってどのようにしたら良いだろう?

日常レベルでは、とくに区別して使われているという事はないような気がするよ。
広辞苑を引いてみたら、
道徳:人の行うべき道。善悪判断の基準として一般に承認されている規範の総体。
倫理:道徳の規範となる原理。(道徳)
とあった。
どうやら倫理は道徳に先立つもののようだね。

>99
>51って詭弁ですか?
>49に対するコメントとしては結構いいと思うんですが
そうだね。
「悪いことはなぜしてはいけないか」という問いに対しては詭弁だと思ったけど、
49への返しとしてはいいかもしれない。

>101
>代理いぬさん巣から出てから荒れてない?
98を書いたのは私ではないよ。
112名無しさん:2000/06/09(金) 07:24
>「なぜ人を殺してはいけないの?」
>どうやって答えれば良いのでしょうか!?
自分で考えましょうね。

ここは哲学の掲示板なんでしょ?
それなのに「どうやって答えれば」って、そもそもの基盤を放棄してますね。

「どうやって考えればいいんでしょうか?」
という設問にも思えます。

哲学と理論をごっちゃにしてませんか?

そりゃ可能世界では殺人はOKでしょう。
そういう「論理」はなりたつでしょう。
で。あなたはそれを選ぶんですか?
それをあなたが選ばなければいけない、という根拠は何?

そして「論理」というのなら逆に「人を殺してはいけない」という「論理」も成り立ちますよね。

で。その矛盾の中で、それを選ぶのはあなたです。
わたしじゃありません。
わたしはわたしで選びます。
あなたもあなたで選んではどうですか?はい。おしまい。


113105>代理いぬ:2000/06/09(金) 10:52
まず謝罪を、98の件誤解して申し訳ありません。
道徳=理屈ではなく感覚が基本と善悪
倫理=論拠や筋道等を立てて「合理的」に主張される善悪
というのが一般的なように思いますので、これを提案します。
ただ、両方を含めた自然な言葉が浮かばないのが難点ですが。
下の様に道徳でなくモラル、倫理でなくエシックスという言葉を使う手もあるようですが

>たとえば本書では「倫理」をモラルとエシックスに分けて考察している。一言でいってしまえばモラルとはフィーリング、いわば直感的な感覚のことで、エシックスとはその理屈のことである。だからモラル的には問題があるが、エシックスでは問題がない、という場合があり得る。
http://www.moriyama.com/nikkei_science/dokusho_nikki/99/dokusho_nikki.99.8.html(これって著作権法に違反しませんよね?)
114名無しさん:2000/06/09(金) 12:39
「道徳」は恥の文化、「倫理」は罪の文化の社会的規範を指すことばだという話もある。
まあ、特殊な使い分けだろうけど。
115名無しさん:2000/06/10(土) 07:05
う〜ん。とても面白い。「法」「道徳/倫理」「幸福」といった根本的な
ことについて建設的議論が交わされるのは見ていて気持ちがいい。

1の問いに話を戻すなら、88氏の
「最大多数の最大幸福」という理念で当初の質問への解答となるかどうかのほうが重要であることは間違いない。
というのが正論だと思うのだが、ひとつ疑問が生じた。

それは、死刑のことだ。死刑は法にしたがって国家の元で行われるが、それはすなわち
われわれの手で行うということである。
つまり、「人は必ずしも人を殺してはいけないというわけではない」と
言えてしまうのではないだろうか、少なくとも日本においては。
そして、1の質問に解答を出すためには、死刑すらも許さない解答を導く必要が
あるのではないだろうか?

こう考えると、「最大多数の最大幸福」はときには人を殺すことを許すので、
1への解答にはなりえないのではないだろうか?
116名無しさん:2000/06/10(土) 13:26
ごもっとも。
なんか、カミュみたいだね。
117MIT:2000/06/10(土) 16:56

こんにちは MIT です。

人を殺してはいけない理由なんてないんじゃない?

殺人衝動は絶望や悲しみ、不安などから生まれると思います。
悲しみは殺人を生み、殺人は新たな悲しみを生み、新たな悲しみは
新たな殺人を生みます。
必要なのは心の救済です。
日本の社会システムの中に「心の救済」を行なえる場を、
みんなで作るべきだと思います。
悲しい社会が嫌なら.......

http://w33.mtci.ne.jp/~marsfg3g
118代理いぬ:2000/06/10(土) 22:24
>112
おいおい、それじゃあ何の意味もないだろう。

>113
道理や筋道によるのが倫理。
感覚によるものが道徳。
なるほど、そう区別すれば使い分ける価値はありそうですね。

>115
>それは、死刑のことだ。
>こう考えると、「最大多数の最大幸福」はときには人を殺すことを許すので、
>1への解答にはなりえないのではないだろうか?
法の行使力において死刑までも許すべきかどうかは別問題だが、
個人の権力の一斉譲渡を行った共同体では、法によって応報が約束されることになる。
それはある意味、人を殺してはならないことを個人に教える。
人を殺してはならない道義が個人のレベルでは無い以上、これが一つの回答と呼べると思う。
解答ではなく、あくまで"回答"ね。

>117
>殺人衝動は絶望や悲しみ、不安などから生まれると思います。
残念ながら、一つ足りないな。
殺人衝動は極めて冷静な打算からも生まれるのだよ。
それだから始末におえない。
11927=31:2000/06/12(月) 00:41
>人を殺してはいけない理由なんてないんじゃない?

もし人を殺してはいけない理由がないとすれば、心の救済を必要とする理由もないのでは?
揚げ足をとるようで申し訳ないが……。
むしろ話は逆で、みんな殺人が頻発するような悲しい社会が嫌だから、人を殺してはいけない理由があると仮定して、それを探そうとしているのだと思う。
120119:2000/06/12(月) 00:44
上で「27=31」となっているのは、別のスレッドで使った名前が残っていたためなので、あまり気にしないで下さい。
121名無しさん:2000/06/12(月) 18:33
で、道徳をモラルとエシックスに分けて
今までの議論を整理するとどーなんのよ。
122名無しさん:2000/06/13(火) 08:52
>人を殺してはいけない理由

悪意が先にでてるひとはその時点で底が見え見え

馬鹿正直に論理ゲームしてるひとはその時点で童貞が見え見え

123>122:2000/06/13(火) 09:53
そしてあなたは、バカまるだし。
124>123:2000/06/13(火) 09:54
おまえもな(藁
125名無しさん:2000/06/13(火) 22:06
なんかこのスレッドも行き詰まってきたな〜。
中盤ではけっこう興味深い議論が展開されていたのに……。
126名無しさん:2000/06/14(水) 03:26
127名無しさん:2000/06/14(水) 04:26
「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いを論理的に説明するのは
無理かも…。「〜だから人を殺すのはだめだ。」という答えではなく、
私は「人を殺すのはいやだ」(趣味?共同性に基づく?)という前提から、「人を殺さないような社会
」をつくるにはどうしたら良いかを考える。そして、「人を殺さない」には
「なぜ人を殺してはいけないの?」と問いが無意味である。ああ、でもこれは本当に難しい。
128名無しさん:2000/06/14(水) 05:05
>127
>これは本当に難しい。

なんでも論理的に説明しようとするから難しい。
悪しき哲学の弊害だぞ。

理性として答えようよ。

糞して寝ろ。と。
129名無しさん:2000/06/14(水) 06:28
>「なぜ人を殺してはいけないの?」の質問に

「社会がめちゃめちゃになるから」
この一言ですみます。
130名無しさん:2000/06/14(水) 08:10
そろそろ、このスレで興味深かった問題設定や提案をあげてみよっ
131名無しさん:2000/06/14(水) 10:57
>129
まったく答えになっていない。
1人が殺したくらいで誰もが真似したくなることはない。
もう一度しっかり考え直したいんだけど、
冒頭の問いは道徳を信奉するものにとっては不道徳であって、
真剣に議論してはいけないものであることに注目したい。
こんなことを考えるのは不道徳だと言う人もいるでしょ。
132名無しさん:2000/06/14(水) 15:45
131
資質的にバカそう
133名無しさん:2000/06/14(水) 21:04
129です。

>131さん
1さんがどういう状況で答えたらいいかは書かれていませんが
どの場面でも通用すると思いますよ。
少なくとも「殺人を否定されている社会」では。
道徳も過去に人間によって作られたものです。
>132さん
中傷はやめましょう。(汗)
132さんはこの問題、どう思います。
134リサ:2000/06/14(水) 21:36
人を殺してはいけません。自分が殺されたくないからです。
というのが、感情論と思います。でも、これも立派な答えだと思います。
誰だって死にたくないから・・・

基本的には129さんの意見に賛成です。
135代理いぬ:2000/06/15(木) 08:23
どぅー!!
議論がまた逆戻りしてる!
自分なりに前に押してみたつもりだったが……走らなかったか。

まあ、いいや。
なりゆき、なりゆき。
136名無しさん:2000/06/15(木) 12:07

最近このスレッド来た人は、できたらこっちも読んでね。
http://www.jbbs.net/2ch/test/read.cgi?bbs=philo&key=948775311

それから、このスレッドのお題は、
>「なぜ人を殺してはいけないの?」の質問にどうやって答えれば良いのでしょうか!?
というもの。
旧スレッドの発展問題として捉えれば、もっと面白くなると思うよ。
137リサ:2000/06/15(木) 20:09
>136
過去ログ読みました。疲れました。(笑)
でも、考えさせられました。

議論が逆戻りしてるのことですが確かにそうですね。
136さんの示された過去ログの前半にも出ています。
私の書き込みが軽率でした。ごめんなさい。

<自分が感じた現在ログまでの流れ>
*なぜ人を殺してはいけないのか?

@人が人を殺すことをやめることにより社会(共同体)のためになるから
A1によりひいては自分のためになる(自分が殺されないですむ)
Bそして2は今の社会の教育により教えこまれている
Cよって「人を殺してはいけないこと」があたりまえ(ルール)になっている
Dだから人は殺してはいけない
Eそうしたら、「なぜ人を殺してはいけない?」の問いに対してどう答える?

「どういうふうに答えれば「納得」させれるか?」
ということですね。
138:2000/06/16(金) 01:59
はじめまして。
*なぜ人を殺してはいけないのか?
そもそもこの質問は、
「なぜ人を殺してはいけないと<道徳に規定>されてるの?」
ということですよね?
「それが道徳っていうもんだから、しょうがねぇだろー」としか
答えようがないと思いますが。。>129さんの意見に近い
139:2000/06/16(金) 02:10
あと、この問いに対しては、その質問者が
@殺人未経験者の場合
A殺人経験者場合
と場合分けした方がいいと思います。

僕は、@の人にこの質問をぶつけられたら、
「じゃあ何で今まで君は殺人しなかったの?」って反問します。
彼(あるいは彼女)が殺人しなかった理由が、
そのままその人にとっての<答え>なのでは?と思います。

それじゃあ、Aのすでに殺人を経験した人間にはどのように
答えればいいのか?う〜ん。。これが難しい。。
「何で君は殺人したの?」
「人を殺す経験がしたかったから」(愛知高3主婦刺殺事件)
「あ、そう。そりゃいい経験したね」
・・・。(T.T)ダー
この少年のように、
「真理追究のために殺人経験は必要不可欠」と
自分なりに答えをみつけてしまった人は、
「なぜ殺人がいけない?」なんて疑問は
すでに通り越しているのです。
140113(仕切屋も甚だしいが):2000/06/16(金) 12:22
ああ…なんか無駄な事をした気分
って、私が横槍入れたせいじゃないよね。
悪ってなに?
http://teri.2ch.net/2ch/test/read.cgi?bbs=philo&key=954185047&ls=50
に行きませんか?
141:2000/06/16(金) 15:41
ちょっと待ってよ。このスレは、

「なぜ人を殺してはいけないのか?」ということを
「どういうふうに答えれば「納得」させれるか?」

という話ですよね。
「なぜ殺人がいけないのか<哲学的に考察>する」というふうに
テーマがすり替わっている気がしますが。。

ていうか、そもそも「なぜ人殺しがダメなの??」なんて
つまらん質問をするガキンチョに、小難しい哲学的な論証で
「納得」させることができるのか??

これは真っ先に考えなければいけないと思う。
質問者が哲学的論証についていけるとは限らないし。
<言葉>が通じないことは、大問題ですからね。
このスレで論じている人達だけで納得しあっても、
質問者に理解されなければ、どうしようもない。
「納得」されることが目的だから。

まあ、哲学板だからしょうがないけどさ。。
「お前みたいな奴は教育板にでもいけっ!」って言われたら、
見も蓋もないが。。(^^;
142名無しさん:2000/06/16(金) 16:50
それが定説だから。 に決定!
143:2000/06/16(金) 19:13
躾がなっとらーーーん
144しろうと:2000/06/17(土) 18:40
ラスコーリニコフ青年が金貸し婆あを殺したのは、いけないことだったのですか?結局最後まで読んでも宗教が出てきただけで、なぜいけないのかいまだに納得できません。
つまり、「明らかに社会に有害と思われる人間を殺してはいけないのか?」です。「明らかに」がそもそも決められないから?
145言えるはずないでしょう:2000/06/18(日) 02:50
ええと、私はある人を殺そうと思っています。
憎いからです。その人以外を殺したいなどとは毛頭思いません。
その人を殺すことが、私正常に生きていくためにどうしても必要なのです。
「なぜ人を殺してはいけないか」?
「なぜ殺さねばならないか」を問うてみても良いのではないですか?
殺人は、悪でしょう。実行すれば、私は一生罪の意識に苦しむかも知れません。
でも、そのほうがマシです。その人間が生きてこの地上の空気をあとひと呼吸でも
吸うのを見るよりは。
これはとても辛い、悲しいことです。
146N(非哲学的な意見でよろしければ):2000/06/18(日) 06:14
>144さん

ラスコーリニコフは、つい老婆の妹までをも殺してしまった
ことで、良心の呵責に苛まれていますよ。
善悪の価値判断以前に、良心が作用しています。

>明らかに社会に有害と思われる人間・・・

それはラスコーリニコフ個人の判断です。
彼は病的な思索のなかで、ナポレオン的な選ばれた強者は
人類のために社会の道徳律を踏み越える権利を持つとの
結論に達したのです。
彼は<道徳>というものの存在を認ています。
<人を殺してはいけない>けど、<ナポレオン的強者>は
許される、と。

>ラスコーリニコフ青年が金貸し婆あを殺したのは、
>いけないことだったのですか?

ラスコーリニコフは結局、罪の重荷に耐えれなく
なったのです。それで罪を告白する。
哲学的な思索をして<殺人=悪>と結論づけたわけではありません。

僕の138、139の意見を補足させてもらえば、
「殺人がなぜだめ?」なんて問いに哲学的に回答することは
絶対不可能です。たとえサルトルなんかの個別的な実存の
倫理を重視する見方を持ち出しても、その個人が「殺しちまえ!」
って思ったら、それで終わりです。145さんのように。

良心を植え付けることです。
143さんの意見のように、躾ですね、結局は。
僕はそう思います。

147名無しさん:2000/06/22(木) 06:30
「一人殺したら刑罰
 千人殺したら勲章」
148:2000/06/22(木) 11:25
ヒトラーだったっけ?
149支配人:2000/08/16(水) 01:44
人がいなくなったら国が潰れちゃう!
150名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 01:47
国家は人間が生きていく上で必要か?
151名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 15:08
過去ログよんで思ったけど内裏イヌが法を「最大多数の最大幸福」に基礎付けていることにビックリ。
てか、ここらへんは法哲学で語り尽くされてそうだ。
152支配人:2000/08/17(木) 03:20
<150
人は一人で生きていけるのか?
153名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 19:24
これ最近良くある質問だけど質問自体がおかしいと思うんだよね。
なんかさ、「なぜうんこを食べないの」っていう質問に近い。
「食べるもんじゃないから」「食べたくないから」このふたつと
同じで本能的、生理的に殺すもんじゃない、殺したくないと思う
はずなんだけどね。
 もし、そう思わない人間が増えたんなら日本もアメリカみたいな
国に近くなったと言うことだろう、いや、もうそうだね。
154名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 19:40
妄想だね。
155名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 19:41
ごめんなさい単なるしゃれです。154は。
赦してください。
156名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 21:12

        き
        る
     と  っ
     て  て
     も
     難
     し
     い
     こ
     と
     な
     ん
   ま だ
   た ね
   ボ
   ク
   大
   切
   な
   こ
   と
   を
   学
   ん
   だ
   よ


15717歳:2000/08/18(金) 03:00
うわぁっ!
てめぇらのいっている事さっぱりわからんぜぇ!
なんでもありなんだよ!理由なんてのは後で適当につけりゃいいのさぁ!
少年法が守ってくれるから、死刑にはならないのさぁ! ふふふっ。
僕を気違い扱いする奴等なんて殺してやるぅ!皆殺しだぁ!
誰も俺を、そして俺の仲間を止める事は出来ないぜぇ!
158単純に、さ。:2000/08/19(土) 06:30
「何故人を殺してはいけないの?」
「判った、今すぐ君の首を出し給え」
ではいけないの?
159名無しさん@1周年:2000/08/23(水) 17:06
あまり読んでねーけどもし?おまえが人を殺しても良い国と
殺してはいけない国があったらどっちに住む?
もちろん殺しても良いくにはおまえを殺しても良いくということだ!
160>158:2000/08/23(水) 18:01
それで正解だろ。難しく考える必要なし。
みんながされたくないことを禁止事項にしてるんだよ。当然だろ。
それがわかんないやつは、以下の問いにも答えられんだろう。哀れ
としかいいようがない...。

なぜ盗んじゃいけないのか?
なぜ殴っちゃいけないのか?
なぜ騙しちゃいけないのか?
なぜ犯しちゃいけないのか?
....

161偏見に満ち満ちたレス:2000/08/23(水) 19:28
>なぜ犯しちゃいけないのか?
強姦魔の中には中には被強姦願望ある奴いそう
162フィロゾファッカー:2000/08/23(水) 20:59
では真面目な質問、問題提起ね
「殺されてもいいと考えてる人間は他人を殺してもいいのでしょうか?」
163名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/23(水) 21:13
>162
いいに決まってるじゃん
164160>162:2000/08/23(水) 21:32
「殺してもいい」ということにはならないよ。なぜなら社会の
大多数は「殺されてもいい」とは思ってないのだからね。

しかしながら、自分だけではなく、周りの誰もが殺されてもいい
と思って人間に、殺人を思いととどまらせる合理的な理由は原則
的にはないとは言える。だから、社会としては、思想や信条や情
を利用して理由をひねりだすわけよ。道徳とか宗教とか感情に訴
えるとか、ありとあらゆる手だてを使ってね。
165そーか?:2000/08/23(水) 23:35
「いい」ってどういうことだろ?
社会的に認められているかってことなら
その社会によって異なるだろうし。
個人的に行動の基準になるかってことなら,それは個人の勝手だけど
危険な行動規準持っているやつは迷惑だから
まわりのみんなで寄ってたかって潰すべき。
166名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 17:55
なぜ?という問いはなんの理由でという意味なのだろうか。
そう仮定すると 何かのために人を殺してはいけないという答えが用意される。
種の保存のためだとすると種を製造できない人は殺して良いことになるのか?
老人、生殖能力なしなど。
人に悲しみを与えないため とすると 憎むべきものは殺されて良いとなるのか?
そもそも なぜ?ということを理由が最初から 当然のごとく あるものと前提して
質問されていることがおかしくはないだろうか。
167>166:2000/08/24(木) 18:23
突き詰めれば、個人の価値観に帰せられてしまうことになるので
身もふたもない話になっちゃうよ。
そうじゃなくて、種や個体の保存というような、普遍的な人間の
性質に帰するような理由づけをしなきゃいかんのじゃない?
168167>166:2000/08/24(木) 18:29
補足:

種の保存を一義的な理由にしてる奴なんかいるの?むしろ、個体の保存だろ。殺されたくないから殺さない。簡単じゃん。これ以上に
強力な理由があるかね。

むろん、死んでもいいという人間には通用しない理屈だが、そんなやつは少数派だし、
死んでもいいと思ってるくらいだから、すぐに淘汰されちゃう。(ワラ
169名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 03:06
倫理・道徳の根拠如何とは哲学の中でも大きなテーマの一つであり、このスレが
立ったのも最近の少年事件に関連してそれを反省せざるを得ない状況的な意味
があるからだろう。特に「どのように無理解者に語るか(説得するか)」という
提起は、旧来の常識が全く通用しないような若者の出現する日本の状況へのとま
どいが感じられる。まさに、哲学者はこのような時にこそ回答を提示する必要が
ある。
この大きなテーマに対して、過去レスも多岐にわたる問題圏を示している。
少し整理が必要だろう。
 @各自あるいは従来の哲学者の考える倫理・道徳の根拠
  ・種の保存からの要請
  ・社会(共同体)の要請
  ・感情的な自明性
  ・功利的な利得計算
  ・根拠はなし(法への還元)
 A他人(無理解者、価値観の違う者)に対してどう語るか
  ・「説得する事は無理」だと言う意見が大勢。
  (例:仲間はずれにする、多数派によって駆逐する、法的手段への訴え)
 B状況的な意味
  ・最近の少年犯罪
  (例:「殺してみたかった。」に見られる深刻な断絶)
  ・法的な論議・・・少年法改正、死刑廃止(国家による殺人)
  ・インターネットでのモラル(リンクされた論文中での指摘)
  ・その他(特に明示なし)・・・・プライバシーの侵害、環境倫理、
                  道徳教育の復活(為政者の意見)等
いずれにせよ、人間が社会の中で生きるための規範=倫理が改めて問われる状況が
哲学的な議論を真面目なものにしている。更に意見を!(私も参加しよう) 
170名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 09:04
知的探求心の暴走
171168>169 :2000/08/31(木) 12:04
一番強力で、シンプルな根拠が抜けてるぞ。
自己保存本能だよ。たわけたこと言うな。
飯を食うのも、眠るのも、みんなこれだよ。

「なぜ殺してはいけないのか」ってのは、
「なぜ飯を食わなければならないのか」っていうのと
大差ない疑問だよ。わからん?
172名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 12:53
ここって、
”利己的な遺伝子”を読んだことのある人っていないの?
173名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 13:38
ドーキンスのどこをどう読んだら、倫理的な原理が書いてあるように読めるの?

人(他人)を殺してはいけない理由とか。
174名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 14:02
>173

人間をふくむ生物の利他性がなぜ生じるのか

という説明があります。

175名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 14:06
>”利己的な遺伝子”

たしかに「物語」としては非常におもしろく、上梓された当時は、
恥ずかしながら、ずいぶん熱中して分子生物学周辺を勉強したもんです。
(それも、もう十数年以上も昔の話だなあ。)

「生物学」という学問の方法論自体、いろいろ興味深い問題もあるけど、
ドーキンス流の「解釈」は、「とりあえず、そのように解釈しとけば、
納得できることも多いかな」程度にしておいて、今後の生物学の展開に
注目していくという態度の方がいいかと思います。
あれから、過剰に話を膨らますのは、おもしろいかもしれないけど、
事実問題だととらえるのは危険ですよね。
(言うまでも無いことですが。老婆心でした。)
173さんのような反応は、もっともなことだと思います。
176>172 :2000/08/31(木) 16:05
177169 :2000/08/31(木) 23:37
私も生物学の知見をそのまま社会的人間の倫理に持込む議論は見当
はずれだと思いますね。そういう「還元主義」は人種差別の論拠
になる場合のように、似非科学的な議論です。
また、道徳・倫理の議論が埒が開かないのは、社会に関する客観的
な認識がまず存在しないためでしょう。人間は社会的存在である事
から、「人を殺す」「自殺する」事自体も生じる。本能と言っても
既に社会化されたものなのです。
178>177 :2000/09/01(金) 00:42
馬鹿だねー。
「殺すなかれ」が何故かくも普遍的かつ根源的な倫理としてあるのか
考えてもみよ。本能に還元できるからこそではないのか?

人肉を喰うのは是か非かなんていう議論とは本質的に次元
が異るんだよ。

まあ、いずれにせよ、「普遍的」倫理を問うのであれば、
結局は客観的に認識される現象に還元する努力をするし
かないだろうよ。
179169 :2000/09/01(金) 01:58
>178
 馬鹿はないな。
 私は他の生物と同様の「本能」なるものそのまま還元できない
 と言っているのですよ。既に変容され、本質が異なる訳です。
 そもそも、「本能」とは何かも分かっていない訳だから、
 安易にそのようなものを持ち出すこともできないし、
 「人肉を喰う」事にいきなり飛躍するのも粗雑な議論でしょう。
 まさに「普遍性」は「客観性」に基づくものですから、
 自らもその一員である社会を対象化できなければ、倫理などに
 ついておしゃべりをいくらしても、確かなことは言えないと
 言えるでしょう。
180名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 02:01
>>171
わからん。
全然違うもん。
181169 :2000/09/01(金) 02:14
>179
 誤: 「本能」なるものそのまま還元
 正: 「本能」なるものにそのまま還元
182らちお君 :2000/09/01(金) 05:15
これまでのところ、
178vs179(169)

合理的思考において179(169)の勝ち。

「客観的に認識される現象」としての「本能」とやらが何なのかの
178さんの今後の説明に期待。
183>179 :2000/09/01(金) 11:09
なぜ、人間だけが「本能」に還元できないんだ?その根拠は?
他の動物を客観的に観察して得られる最も基本的な行動学的原理が、
どうして人間にだけは当てはまらないと考える理由があるのだね?
人間だけを特別扱いするようでは、そこですでに客観性を欠いてるね。(藁

君にとっては、「なぜ人肉を喰ってはならないのか」というのは、「なぜ
殺してはならないのか」とさして変わらぬ疑問に思えてるのかね?そこに
本質的に差がないように思えるのなら、君が「飛躍」だとか言い出す
のもわからんでもない。だとすれば、そもそも本能云々の議論は君には
とうてい理解できようはずもないな。水掛け論だろうね。食欲も性欲も
失われた人間に、本能に基づく行動原理など唱えても、心情的に理解でき
ようはずもないことはよく分かるよ。

逆に、君の言う「社会を対象化する」というのがどういうことなのか、
俺にはよくわからんが(っていうか、すでに議論の対象にはなってると
思うんだが?)、「いかに」を問うのではなく、「なぜ」を問うのであ
れば、その時点ですでに還元主義的な答えを期待してるんじゃないか?
社会が人間という動物を基本単位として構成されている以上、動物とし
ての行動原理が社会のありかたに反映されねばならないのは当然だろう。
物質の性質が、原子や分子の性質に依存するのと同じだよ。(もちろん、
原子や分子の性質によらない部分もたくさんあるけどな。社会も同様。)
184178 :2000/09/01(金) 11:22
あ、署名忘れた。183=178ね。

ついでに、「本能」がわからんという182に一言。
君は自分が「なぜ飯を喰うのか?」と考えてみたことがあるか?


185名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 11:30
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   @`――――-ミ
 /  /  /   \ |
 |  /   @`(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  <  いいとかイケナイの問題じゃないと思うんだが
/|         /\   \__________


   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   @`――――-ミ
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 |  /   @`(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < 殺すやつはいけないといわれても殺すし、殺さないやつはなんと言われても殺さんだろう。
/|         /\   \__________

   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ
  /   @`――――-ミ
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 |  /   @`(・) (・) |
  (6       つ  |
  |      ___  |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |      /__/ /  < つまりこんなことを議論しても無駄なんじゃないのか
/|         /\   \__________
186名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 11:49
>殺さないやつはなんと言われても殺さんだろう。
この辺はちょいと疑問ですね。たまたま殺さない我々は、今誰かを殺す必然性がないだけでわ? 横ゴミレス失礼。
187名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 12:12
>186
そうそう、だから実際に殺すとか殺さないとかの問題ぢゃなくて、
「なぜ」殺したらダメなのか? という問いなんだよね。
もし「殺してもイイ」ということになったら、皆殺しあっちゃうかもよ。
188名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 13:00
>186
>今誰かを殺す必然性がないだけでわ?
そのとおり。そのことをいったのです。それが重要なんじゃないですか?
つまり、状況に支配されるのでは?

>187
そんなことはわかっとる!
殺すか殺さないかは選択できんのじゃないかね?
ということがいいたかったのじゃ。
そもそも「なぜ殺したらだめか?」なんて疑問に答えが見つかる
とでも?
189名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 14:05
-単純に、他人の命は該当者の所有物だから。でいいんじゃない?
190169 :2000/09/01(金) 14:40
>183(178)
 私は人間に本能がないと言っているのではなく、倫理を本能に「還元」する
 ことはできないと言っているのです。さらに、「本能」なるものを安易に
 持ち出すことは、客観的な議論にはマイナスだと言っているのです。
 「食欲」は本能だが、腹が減ったから人を殺すというのは全く別次元の事柄
 であり、「人間と他の動物との本質的な違い」を見落とす事になる。
 そして、「人間は社会的動物である」とアリストテレスが言い、マルクスも
 「人間とは社会関係の総体である」と洞察している。社会の本質を捉える事
 なしに、「普遍的道徳とは何か。」といくら考えても、余り根拠のない水かけ
 論になるだろう、とまあこう言う事です。
 何故殺すのか、殺さざるを得ないのかと言う方がより本質に迫るのでは。
191名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 18:49
そうでしょうか?どちらも一理あると思いますが。「社会の本質」も「本能」もどちらも未解明なものですし、倫理が生得的なものに還元されない様に社会システムにも還元されないでしょ?
ある心理学の実験で、心理学の先生が治療のための電気ショックだと被験者を騙して電圧レバーを上げさせる(電気ショックを受ける役の人は苦しむ演技をする)と言うものがありました。結果はかなりの割合で最大値までレバーを上げてしまうというものでした。つまり、権威と理由付けによってかなり残酷な行為でも行ってしまうと言う事です。
この傾向は一般に生得的なものと見なされますし、私もそうだろうと思います。
倫理がどのようにして動くかを理解する上でも生得的なものを一切無視する事は不可能じゃありませんか?社会を理解する事についてもそうです。
言うまでもなく、生得的なものが全てというのは暴論です。人間が発達するのは具体的環境
上記のリンク先
内井惣七「道徳起源論から進化倫理学へ」
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/%7Esuchii/Ev.Ethics1.html
伊勢田哲治「進化論生物学は規範倫理学の役に立つか?」
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/%7Esuchii/Ev.Ethics1.html
は面白そうですが、進化論より心理学等の


192電波猫=191 :2000/09/01(金) 18:52
ああ、途中で出してしまった。しかも、名前を間違えてメールのところに
182のらちお君へのレスです。

あとで書き直します。
193名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 21:40
>191

内井惣七「道徳起源論から進化倫理学へ」
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/%7Esuchii/Ev.Ethics1.html
伊勢田哲治「進化論生物学は規範倫理学の役に立つか?」
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/ev_biology.html
194178 :2000/09/02(土) 00:34
>189
そうすると、「なぜ盗みはいけないのか」っていう疑問に答えないと
いけないわけだけどね。
みんなひと括りに答えようとすれば「されたくいないことはするな」ってことなんだろうね。
そうすると、「なぜ**されたくないのか」って疑問に行き当たるわけだよね。「なぜ殺されたくないのか?」って疑問にどう答える?

>190
腹が減ったから人を殺す?どこからそんな話が出てくるんだ?
人を喰うって話は、人を殺すことなど前提にしてないよ。
君の話は、「なぜ倫理を本能に還元できないか」という疑問には
まったく答えてないよ。ある種の倫理は本能に還元できる場合も
あると考えるのは自然だと思うぞ。本能に由来するだけに、文化
や宗教に依存するような倫理よりは、普遍的で強力なものになり
うるだろうね。まさに「殺すなかれ」がそうであるようにね。
195おちんこ :2000/09/02(土) 01:52
  
196おちんこ :2000/09/02(土) 01:53
 
197おちんこ :2000/09/02(土) 01:54
心の底まで壊れた吉害とはなにか?
198おちんこ :2000/09/02(土) 01:55
”なんでもかんでも信者でかたずけるなこのうんこ"とは何か?
199おちんこ :2000/09/02(土) 01:56
200おちんこ :2000/09/02(土) 01:56
200
201169 :2000/09/02(土) 02:16
>194(178)
 どうも焦点(むしろ言葉の用法)がずれているようですね。
 あなたが「倫理は本能に還元できる。」と言う場合、「本能の抑制として倫理が
 発達してきた。」と言いたいのか、「<倫理本能>と言ったものがある。」と言
 たいのか。多分前者なのでしょうが、それは「還元」と呼ばないでしょう?
 私も「本能の抑制」論を否定している訳ではなく、その抑制機構は社会的な性格
 のものだと言っているので、それこそが倫理と言うものだと言っているだけです。
 その具体的な機構についてはまだ何も触れていないのです。191(電波猫)
 さんも触れている「権威と理由付けによってかなり残酷な行為でも行ってしまう」
 と言う点は倫理の持つ社会依存性を示しているし、無論<他人を排除したいという
 本能>にも依存しているでしょう。いずれにせよ、「本能」と言う言葉は規定
 内容が漠然としているため、それを安易に説明原理としては使えないでしょう。
 <社会本能>および<反社会本能>もあると言えばあるし、無いと言えば無いと
 言えますから。
202フィロゾファッカー :2000/09/02(土) 05:05
本能でいけないなら最も強力な禁忌なのかな?
知性>学習>本能>反射>走性で
高位が発達するほど低位は消失していく訳でしょ?
だから、知性として善くないと分かったほうがより強力な禁忌と言えるんじゃないの?
203名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 05:47
どうやらこの議論が迷走している理由は「行為は言葉で規定出来ない」
という認識を捉えていない事に起因していると思われます。

 哲学は法則の探求ですから、「〜してもよい」「〜してはいけない」
という行為を哲学で規定しようという試みは妥当とは言えないのでは
ないでしょうか?

つまり、社会規範(倫理)である「〜してもよい」「〜してはいけない」
などのラングは、個人の善悪の基準に比較され決定される、パロールであって、
この点に置いて、「〜」が指し示す、コノテーションを掘り下げても無意味と言う訳です。

では、この観点から導き出されてた「個人の善悪の基準」は何で決まるのか?の
問いですが、これこそ倫理的命題であって、解は一つに集約されません。
つまり一般解は無いと言うことです。

この事より、複数名が存在する状態、-社会を形成するには倫理が必要不可欠
であることが導き出される訳ですが、この「一般解は無い」為、予め規範や
規定・法律の精神的抑止力で予防しようと言うのが現状では無いでしょうか?
204名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 09:18
これって、哲学ではなく、
生物学とか、人間行動論とか、
そっちの分野であつかうべきです。
205178 :2000/09/02(土) 10:10
>201
本能の抑制?かえってわかんないよ、それ。(藁
単に、互いの本能を満たすように集団内で決められているルールと
して不殺の倫理をとらえてるだけ。だから「還元」でいいんでないの?
ルールのもとをただせば、そこに行き着くわけだから。
確かに本能にもいろいろあるが、「自己保存本能」くらいは
ボトムラインとして認める気にならんかね?(「社会本能」
など論外だろ。)

>202
そういう意味じゃないよ。知性として善くないと判断するのは
同じこと。その判断の依拠するところが「本能」だということ。
法律や宗教に判断の根拠を置くのは、普遍性を欠くからね。
あと、強力というのは、心理的拘束力が強いという意味じゃなくて、
より普遍性があると解釈してくれ。紛らわしくてごめん。

206電波猫 :2000/09/02(土) 14:30
>201
時間が無いので短くレス
191で言いたかったのは社会的要素を語っている場合でも「本能」を裏口から導き入れていると言う事で

それと178さんがおっしゃっている本能は「人を殺さない本能」ですよね?解ってらっしゃると思いますが
殺人本能じゃありませんよ「本能の抑制」を見てそんな気がしてしまいました
207178 :2000/09/02(土) 21:27
>206
ちゃうちゃう、「生きたい」っていう本能。分かりにくかったかなぁ....。
「生きたい」から「殺されたくない」わけでしょ。他人を殺さな
いというタブーを作ることによって、自分が殺されないことを
保証するシステムができるわけだよね。あくまでも「生きたい」
から。
したがって、「殺さなければ生きられないという状況下では殺して
もいい」という倫理も共存できる。実際、緊急避難とか、正当防衛
ということで、それは法的にも認められてるしね。
208電波猫 :2000/09/02(土) 22:04
>178
うっ、私も誤読してましたか…。失礼致しました>201
それは本能と言わないと思いますが
むしろ「本能」を持ち出すなら>>193の内井惣七「道徳起源論から進化倫理学へ」(社会ダーウィニズムとは無関係、とても面白い)にも書かれている通り共感能力等の方が実感としても適切ではないでしょうか?
人を殺すのに抵抗を感じるときにゃ、一々そんな事考えちゃいないと思うんですが、それでも本能と呼べるのでしょうか?
言うまでもなく、共感能力の発達は社会の中で起こりますけどね。

林泰成「ケアリング倫理と道徳教育」は感性に倫理を基礎付けようという過激な教育論の紹介
http://home.interlink.or.jp/%7Eyasunari/paper2.html

>言うまでもなく、生得的なものが全てというのは暴論です。人間が発達するのは具体的環境
は「心理学と生理学」スレのマル心さんの意見と大体同じなので省略させていただきます。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=962090396&st=26&to=59&first=true
209169 :2000/09/02(土) 22:13
やはり議論が錯綜してきたのは、テーマ自体がとても複雑な内容を孕んでいる
ためで、簡単に「・・・に決まっている」と単純化できないし、多くの論者の
意見の間の調整もかなり難しい。以前にテレビで見た番組で、ヘーゲル研究者に
して環境倫理学者である加藤尚武氏が、J.S.ミルの漫画を前に頭をかきむし
りながら、「ミル先生、普遍的倫理とは結局どのように考えれば良いのですか?」
と言った内容のセリフを叫んでいた光景を思い出してしまった。
加藤先生、「何故人を殺してはいけないの?」。
210電波猫 :2000/09/02(土) 22:31
そうですね…。タイトルの質問をした人にこのスレッドを見せたらなんていうでしょう?
211178 :2000/09/03(日) 01:02
>208

「生存本能」っていう言葉は適切ではなかったかもしれないが、
他にどう呼べばいいのだろうね?
「殺すことに抵抗を覚える」のは本能かねぇ?生得的なものじゃ
なくて、後天的に教育で刷り込まれたもんじゃないの?まさに倫理
でしょ。(専門家じゃないので、言葉使いは大雑把だよん。)
でも、「死にたくない」っていう行動原理みたいなものは生得的
誰もが持ってるんじゃないの?何て呼んだらいいの、これ?

>209

で、集団の中で、互いの生得的な欲求が保証されるように作られ
たルールが「普遍的倫理」として紡ぎだされるんでないの?
これでも納得できん?
212169 :2000/09/03(日) 14:47
>211(178)
 形式的には良いのですが、問題は内容です。生得的欲求が倫理の前提だと言う事
 に異論はない。しかしそれは倫理の本質(倫理なるもの)ではない。「如何に
 して集団の中で互いの生得的欲求を保証するのか」という点が倫理固有の領域
 なのです。そして倫理学は心理学ではなく、規範的社会哲学の一部です。
 「何が普遍的倫理か」は時代および社会により非常に異なる訳で、極端に言えば
 今でも軍人にとって敵を殺すことは倫理的に正しいという事になっている。彼ら
 は言うでしょう、「自らの集団の成員の生得的欲求を保証するためには、敵の
 集団からの侵害に対抗して、その命を奪う事は正しい行為だ。」と。そして、誰
 が敵なのかは実際の所ははっきりしない。ホッブスなら自分以外の回りの者全員
 が敵だと言うでしょう。
 あるいはまた、「普遍的に妥当する倫理的な内容」としてこれまでなら誰もが
 疑いもなく「人殺しは駄目」と思っていたのに、最近ではマジでそれすら疑う
 子供が出てきた。(例えば、「ホームレスは社会のごみだから、何故殺しては
 いけないの?」とか)
 その人達に対してどう説得するのか、と言う事がこのスレの問いかけには含ま
 れていると言えます。
 結局、倫理的な問いは法律・政治そして社会の本質への問いにまで上らなければ、
 最終的な回答はできないでしょう。たとえば、「何故、国家間での戦争は絶えな
 いのか。」「何故貧困は無くならないのか。」といった問いです。
213代理いぬ :2000/09/06(水) 10:26
すばらしい!
こういうスレこそあげなくてどうする?
それに、>>208で紹介された心理学板のマル心同さんは本物だな〜。
書き込みの内容が読んでいてすっごいタメになる。
2chにも、まともな人がちゃんといるんだなあ、
これからは心理学版も覗こ〜っと思った。

で、倫理と本能??
214178>212 :2000/09/06(水) 13:06
前提と本質の違いって何だよ。適当に書いてないか?
倫理学がなんだろうがどうでもいいが、倫理を裏打ちする
理由としてあれこれ考えるのなら、生得的欲求というのは、
最も根源的だろうってことだよ。っていうか、そういうも
ので合理的に説明できるようなものこそ、より普遍的な「倫理」
として成立しうるんじゃないか?ってことだ。何度言わせる。

戦争の殺人が正当化されるのは、それが集団内での殺人で
はないから、「殺されたくない」という欲求にダイレクトに
リンクしないせいもあるだろ。殺さねば殺されかねないし。
要するに、コミュニケーション不能な他民族とは倫理も共有し
にくいわけだから、「不殺」という倫理も相手に期待できな
い可能性があるわけだ。あくまでも、倫理は倫理を共有
しうるという、(これこそ)「前提」があってはじめて成り
立つんじゃないのか?

一方、近代で戦争が「悪」と見なされる理由の一つは、集団
内というのが、単に部族や国家ではなく全人類的なものとみ
なされるようになったことにも一因があるんじゃないかな?

もちろん、戦争そのものが生得的な欲求を満たす手段として
も存在するわけだから、そういう損得勘定も「倫理」として
無視できない要素としてあるのは当然だけどね。
215電波猫 :2000/09/06(水) 14:28
>「殺すことに抵抗を覚える」のは本能かねぇ?生得的なものじゃなくて、
>後天的に教育で刷り込まれたもんじゃないの?
>まさに倫理でしょ。(専門家じゃないので、言葉使いは大雑把だよん。)
その基盤にある他人の苦痛を想像する能力とそれを不快に思う傾向は「生存本能」と同じ程度には生得的でしょう。生存本能だって「剥き出し」で有るわけじゃありませんしね。
それに、「私は死にたくない。貴方を殺さないから、私を殺さないでくれ」というのが本能でしょうか?
「共感能力」を1と繋げるなら「殺される奴のことも考えてみろ!」でしょうか。
しかし、生得性が発達の基盤に過ぎず、倫理が個人的な趣味であり得ない以上、「本能だよ。おしまい」では拙いでしょうが。
ところで214を見ると無理矢理議論に合わせてもの語頭を裁断している様に思えますが、「コミュニケーション不能な他民族とは倫理も共有しにくいわけだから、」とおっしゃいますがそんな戦争は滅多にないのでは?

>169
A.なぜ道徳的に振舞うのか?
B.普遍的な倫理をどう作り上げたらよいか?
C.それを実践させるにはどうしたらよいか?
がごっちゃになって議論されている事が「錯綜」の一因かと、

216フィロゾファッカー :2000/09/06(水) 14:43
>要するに、コミュニケーション不能な他民族とは倫理も共有し
>にくいわけだから、「不殺」という倫理も相手に期待できな
>い可能性があるわけだ。あくまでも、倫理は倫理を共有
>しうるという、(これこそ)「前提」があってはじめて成り
>立つんじゃないのか?

倫理は読んで字の如く
倫(仲間内)の理(ことわり)ですから仲間じゃなかったら通用しないでしょうね。
ここ数年でヒト科は全員仲間に含まれたようだけど、仲間以外とは倫理を共有できないなら
仲間認識という意味でも社会という集団を重視せねばならないのでは?
それとも何が仲間かは生得的に本能で判断できるのだろうか?

217ネオ生茶 :2000/09/06(水) 16:15
ぱらぱらと読んでみた見た限りでは、誰の議論も一つの事柄を前提としているようです。
それは、この私を他人たちの一員とみなすということです。
 言うまでもないことですが、この私は他人とは違う。他人の死は世界内の出来事だが、
私の死は世界がその上に成り立っている基盤が崩壊することを意味する。
だから他人を殺すのは特に構わないが、私が殺されるのは嫌だという子供じみた、しかし正直な
議論があってもよさそうだ。しかし、この私の特殊性はこの種の議論をする時既に解消されている。
他人と私を同一視することによって。「誰もが殺されたくないと思うから殺すな」とか「君も殺されたくないだろう」
と言うとき、既に私は無い。誰もが殺されたくないと思っているという事実から他人を殺すな
という当為(だったかな)を導くには、私の存在を無化しなければならないということに
あまりに無自覚的であるように見える。
218胸毛八兆 :2000/09/06(水) 18:41

  あ   言
  ん   っ
  た   た
  い    。
  い
  こ
  と
219名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 20:21
うーん?そのレベルまで降りてしまうと、一切の倫理が語り得なくなってしまうような?>217

ま、確かに殺されてもいいと思っている人間に、殺されたくなければ殺すな、と倫理を説いたところで
空しいのは確かですけど。
220フィロゾファッカー :2000/09/06(水) 21:38
人を殺せない理由は倫理としても
「殺されたくなければ殺すな」を逸脱できないのね・・・
221178>219 :2000/09/06(水) 21:49
>、確かに殺されてもいいと思っている人間に、殺されたくなければ殺すな、と倫理を説いたところで

それ、既出だよ。随分前に俺が指摘してる。
222>220 :2000/09/06(水) 21:52
っていうか、それが一番強力だからね。されたくないことをするな、ってのは、最もシンプルで、最も普遍的なルールだよ。

だから、「身を守るためには殺してもいい」というのも、広く
認められる倫理だよね。

223178 :2000/09/06(水) 22:01
>215

君、本能に根拠を置く合理的行動と、本能的行動とを混同してるよ。
「殺されたくないから殺さない」っていうのは、前者。本能その
ものではない。本能は、「殺されたくない」ってとこだけじゃん。
「本能」が即「倫理」になるなんて間抜けなことは言ってないよ。

戦争の理由にはいろいろあるだろうが、異民族や異教徒に対する
殺戮のタブーが薄いのは確かだと思うぞ。その背景には倫理を
共有してる実感がないこともあるんじゃないか?


22419 :2000/09/06(水) 23:33
うむ。じゃからしてモラルとは欺瞞的で有らざるを得ないのじゃよ。
大昔にわしが言ったとうりじゃ。うんうん。
225考える名無しさん :2000/09/06(水) 23:41
>誰もが殺されたくないと思っているという事実から他人を殺すな
>という当為(だったかな)を導くには、私の存在を無化しなければならないということに
>あまりに無自覚的であるように見える。

「私の存在」を無化するというより、私の特殊性(ことさら別記すべきものとしての
私性)の無化とでも言うべきではないかな。

ま、それだけ「私」とは特別なものではないということの証左なのだろう。
相互不殺ルールで、他人に守って≠烽轤ねばならぬ程度の弱い存在。
それが「私」の現実。
226178 :2000/09/06(水) 23:52
225に一票。

逆に、人を殺すことによって、自分の絶対性、特殊性を確認したがる
不心得者もいるかもね。
227電波猫 :2000/09/07(木) 13:52
>君、本能に根拠を置く合理的行動と、本能的行動とを混同してるよ。
いや、誤解じゃなくて本能って言葉を使うのはおかしいって事。誤解を招きますしね。
ところであなたの主張は、215のABCのどれにあたるのでしょうか?A?


倫理的判断の資格を持つのは誰か?利害が関わる当事者か?ある程度状況を理解した第三者か?(それ以外、両方って手もある)
228178 :2000/09/07(木) 15:07
>227

どれかと言われればAだな。このスレのタイトルを素直に読めばそうなる
だろ。「なぜ人を殺してはいけないのか?」っていう問いは、「人を殺すな」
という道徳を守るべき理由を尋ねてるように見えるが?
229吾輩は名無しである :2000/09/07(木) 15:23
道徳に守るべき明示的理由などがあったらドストエフスキーやニーチェは
あんなに苦しむ必要はなかったでしょうね。
230:2000/09/07(木) 16:25
>229
理由のあるなし、あるいはその内容は個別的に道徳の内容を吟味
してみなきゃわからんだろ。道徳一般について論じてもあまり
意味はない。

そもそも、ドストエフスキーやニーチェが苦しもうがなんだろう
が、んなこた知ったこっちゃないよ。
231↑2じゃなくて178ね :2000/09/07(木) 16:27
だいたい、何故守るべきかを考えるのが、倫理なんじゃないのか?
232シャーロック・ホームズ :2000/09/07(木) 18:13
ふふーーん・・・ なるほど・・・
クセのある文体やその他から判断して、やはりこのスレの178=「唯物論について」のスレの2、か・・・
233電波 :2000/09/07(木) 19:50
>228
いや、既に1からは色々離れてるからさ
234名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 22:28
230にはコテハンで頑張って欲しい
235名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 22:28
169にもコテハンで頑張って欲しい
236178 :2000/09/07(木) 23:09
>232
そうだよ。だからどうした。(藁
237考える名無しさん :2000/09/08(金) 00:01
「人は行為する主体だから」です。
人が人であるためには、「自由」と「順境」という必然的価値にコミットする
必要があるからです。

(順境=生命・身体の保全)
238229 :2000/09/08(金) 00:11
>>230
そうですか。僕はどんなに具体的なケースを考えても道徳的行為の理由
などいくら探しても見つからないし(先に言っておきますが、「自分に
有利だから」というのは『道徳的行為』固有の理由にはなりえませんね)
また、仮に見つかってもそれに従う理由は何か?という問題が立ち上が
ると思いますが。

>理由のあるなし、あるいはその内容は個別的に道徳の内容を吟味
>してみなきゃわからんだろ。
ということで、理由のある可能性を230さんは示唆していらっしゃる
わけですが、道徳行為に明確な理由がある場合を具体的に挙げてみてく
ださいませんか?(挙証責任は178さんにあります。)
もし挙げられない場合、つまり道徳に哲学的な理由など付すことはでき
ない、ということになり、それゆえに、このスレッドのタイトルに対し
て哲学的な回答をするのは不可能ということになりはしませんか?

>そもそも、ドストエフスキーやニーチェが苦しもうがなんだろう
>が、んなこた知ったこっちゃないよ。
それは勝手ですが、僕は彼らのような頭脳をもってしても理由が見つか
らなかった、というつもりで書いたんですが。。。
たしかに知ったこっちゃない、というのはおっしゃるとおりです。
彼らが見つけられなかったからといって、われわれが見つけ得ないとは
限りません。(僕は見つからないと思うが)
でも、この問題を考える上では参考にはなると思います。

>何故守るべきかを考えるのが、倫理じゃないのか?
とおっしゃる割にはクールな反応ですね。
それと、考えた結果に生じるらしい『倫理』とやらに従うのも個人の自
由だとすれば、そんなものには何の価値もないとおもいますが。
239代理いぬ :2000/09/08(金) 05:53
>238
>僕はどんなに具体的なケースを考えても道徳的行為の理由
>などいくら探しても見つからないし
>また、仮に見つかってもそれに従う理由は何か?
>という問題が立ち上がると思いますが。

私も、道徳的行為を行う"道徳的"理由なんて考えても見つからないと思うよ。
しかし、それで道徳の存在意義がなくなったわけではないだろ。
↓読んでね。
>>74

現に、最近じゃ道徳心の育たなかった人間が現れてきていて、
なんかの拍子に人刺しましたってテレビによく出てるだろ。
君も、君の子供にはちゃんと道徳心を与えてあげてね。


人間理性ってのは、理性的ではない。
場面が緊迫すればするほど、人間ってのは理屈では動かなくなる。
そういった場面で現れる本性こそ、日常的に培われるものだ。
だから、道徳教育ってのは必要だし道徳心も必要。
「相互不殺のルール」も、あたま"理性"で理解だけではだめ。
それが本性に関わるまでの"刷り込み"があって、
初めて、その実効はスムーズにあらわれるのだから。

だろ?
240考える名無しさん :2000/09/08(金) 06:10
>現に、最近じゃ道徳心の育たなかった人間が現れてきていて、
なんかの拍子に人刺しましたってテレビによく出てるだろ。
君も、君の子供にはちゃんと道徳心を与えてあげてね。


人間理性ってのは、理性的ではない。
場面が緊迫すればするほど、人間ってのは理屈では動かなくなる。
そういった場面で現れる本性こそ、日常的に培われるものだ。
だから、道徳教育ってのは必要だし道徳心も必要。
「相互不殺のルール」も、あたま"理性"で理解だけではだめ。
それが本性に関わるまでの"刷り込み"があって、
初めて、その実効はスムーズにあらわれるのだから。

残念ながら、事態はさらに複雑怪奇なんだろうね。
おっしゃるような教育がさんざんなされてきた、
公教育だけでなく、地域活動や教会などの各種オリエンテーションで
そういった教育がなされ、語られ、ほとんど身体に刻み込まれてきた
そういった文化の中から、つまり西洋からだって、
そうニーチェが出てきたし、各種犯罪者や狂気やなにかの
恐れを抱かされるものが止まることなくでてきた。

代理いぬしに対しては 私は半分は、 半分以上は賛同しているが、
だからそれがなんだろうともおもおう。といって代案はないけどね。
241240 :2000/09/08(金) 06:25
代理いぬしにはほんとに頭が下がるよ
でも、やっぱ、どこか反動的なんだよ。石頭っていうか、古いと思う。
今、けっこう凶暴な行動してる連中のいる世代や
それにどことなく同情する連中に対しては意味をもたないんじゃないかと思う。
「ああ、それ聞き飽きたな、ぜんぜん意味なしだけどね」
彼らの態度から自然とでてくる倫理みたいなものがあればいいと思ってるんだよ。
ただ、教育がないというか、知性がないんで、そういう方向への助走や、
ジャンプ台がないだけだとおもってるんだ。
だから、どうやってか、そういうジャンプ台やらを備え付ける知識が
彼らの近くにあればそれには越したことない。
たんに、枠を与えて、これに従えよ、っていうだけではだめだと思うんだ。
はいはい、きみらは、わたしたちとはちがうんだね、自由、それが君たちだ。
さて、そこからはじめるのはずいぶんと困難だぞ。危険だぞ。でもしょうがない、そこに君たちがいるのは間違いじゃあないからね。
おじさんたちは、そこにはいない。按ぜんな殻にいて、もうそこからは動けないからね、
立場もあるし、視線もあるからね。生活もあるし。だけど、ヒントみたいなものはあるかもしれないからさ、
たまには話し掛けてきてみてよ。質問にも、応じる用意があるよ、てな具合。
まあ、代理いぬ氏がここで実践されてることだけどね。
私と代理いぬしとのちがいはたぶんそれほどない。あるとすれば、
私は彼らを囲い込みたくない、私のいる区画によって。彼らはまだ囲いを知らないでいて、
囲いを作る材料は持っていて、材料が何であるかを何に使うか知らないので、
振り回して遊んでいる。
使い方を教えるのは、こうせよ、まねをしろよって言うのは簡単だ。
でも、かれらは「そんなやりかたつまんねえよ」っていうとおもう。
だから、既存の使い方のパターンを細かに図示したカタログをみせて、
それらのパターンを組み合わせて新しい動きの編成を作らせてみてはどうか?
その方がおもしろいんじゃないかと思う。といって、何の具体性もないな、このはなしは。
242代理いぬ :2000/09/08(金) 06:27
>残念ながら、事態はさらに複雑怪奇なんだろうね。

そうだね。
どうしてこうなっちゃったのかっていう理由もさまざまだろうし。

一つには、西洋的な思想の不完全な輸入にもあるだろうね。
彼らは、「人に迷惑かけなければ何をやってもいい」なんていう、
不十分な哲学を持ってしまっているだろうし、
一方で大人達が、
「どうして売春はいけないの」なんていう質問に、
自信を持って答えられなかったということもあったしね。

>半分以上は賛同しているが、だからそれがなんだろうともおもおう。

いや、それは確か。
自分も、だからそれがなんだろうって感じです。
243代理いぬ :2000/09/08(金) 06:53
>241
>彼らの態度から自然とでてくる倫理みたいなものがあればいいと思ってるんだよ。

もし、そういった倫理観ってものが、
決定的に欠如している人間が現在のワカモノに多いのだとしたら、
これは大変なことかもしれない。

唯脳論的に?考えれば、
道徳教育を失敗したままで彼らの脳ミソが固まちゃってたら、
もはや、彼らの感情に訴えることは出来ないってことだ。
彼らがルールを犯すとき、
彼らが一体どんな意識でそれを行うのかは、
絶対不可侵なパラダイムのように、
決して我々には窺い知ることは出来ないでしょう。

確か科学史観の話だったと思いますが、ニュースタンダードってのは、
新しい頭が古い頭を説得することによって成立するのではなく、
古い頭が死に、新しい頭を持った者達が台頭することによって、
成立するのだという見方もあるのだそうです。
そうだとすれば、世紀末は北斗の拳みたいだったりして。

ほあたぁ!

>といって、何の具体性もないな、このはなしは。

「これだから哲学は……」
って、また言われちまいますな。
だはは。
244178 :2000/09/08(金) 09:40
>238

君、いったい何を読んできたんだね。開いた口が塞がらんわ。(藁
こんな単純明快な理由があるのに、何をくだらんことを言ってる
んだというのがそもそもの始まりなんだぞ。よく読め、ばか者!

>代理いぬ
しかし、そろいもそろってバカばっかり。いやんなっちゃうよ。
犬はキャンキャンうるさいから嫌いだよ。今朝も犬の泣き声で
起こされたしな。毒いり肉団子でも食らわせたいよ、まったく。


245名無しさん@1周年 :2000/09/08(金) 11:28
人を殺してもいいってんなら、最後は誰もいなくなっちゃうじゃんかよー
246ジャンボとが :2000/09/08(金) 13:15
は?
247考える名無しさん :2000/09/08(金) 13:20
理由なんてないと思う。
飲食や性交を快に感じるのと同じように、
殺人を不快に感じるように遺伝子によってインプットされてるだけです。
それで、”殺人はやってはいけない。”という倫理が発生しただけ。
それをあれこれ理屈を付けようとするから、
哲学はきらいです。
248ジャンボとが :2000/09/08(金) 13:22
うそ臭いよ。
249キンプリ :2000/09/08(金) 13:24
東京ドームすみません。
250トミケン :2000/09/08(金) 13:28
なぜ鳩の子供は見ないのか?
251ジャンボとが :2000/09/08(金) 13:35
最大のアポリアですな。
252オガトモ :2000/09/08(金) 13:36
点滴
253:2000/09/08(金) 13:37
かっ飛ばせー辰徳。
254黒ちゃん :2000/09/08(金) 13:38
背が高い
255プロミス@40代 :2000/09/08(金) 13:39
もうこんなことはさせません。
256考える名無しさん :2000/09/08(金) 18:57
新しい科学的真理が勝利を収めるのは、反対者を説得して新しい光が見えるように転向させることによってではない。ゆくゆくは反対者が死に、新しい考え方に馴れた若い世代が育ってくるからである。
〜マックス・プランク〜
257考える名無しさん :2000/09/11(月) 16:53
社会の維持の為、じゃ駄目なの? それに同意するなら相応の義務と権利が
発生するということではないの? 相手がそれに本心で同意しようがしまいが
そんなことは知った事ではないし、自身で決着をつければよいこと。

私は絶対殺してはいけないとも言えないが、殺してよいとも言わない。
殺す事自体、一般的に善いとも悪いとも言えないことだから。
けれど社会の維持の為には、殺人をタブーとして刑罰の対象にすることに
同意する。
258>257 :2000/09/11(月) 19:28
うん、じゃー、なぜ「社会の維持の為」に殺人がタブーとされなく
てはならんのかな?そもそも、「社会の維持」って具体的にどう
いう意味なのかな?みんなが殺人を容認する社会だってあっていい
んじゃないの?駄目だとしたら、何故?
いろいろ疑問が沸くなー...。
259考える名無しさん :2000/09/11(月) 20:10
だからさー 人殺してたら、極端な話、人類は滅んじゃうでしょ。
でも、今の人口が倍になったらどうなるんでしょうかね。
人類を維持してゆく為には適度に殺したり殺さなかったり。
260258 :2000/09/11(月) 22:01
>259

滅びはせんでしょ。別に、殺すことがタブーでないからといって、
好んで殺し合うとは限らんのだから。意味もなく殺すのも大変で
しょ。相手も抵抗するだろうから、命がけになるし。

「適度に」殺し合ってもいいのなら、タブーにする必要はない
はずだよね。淘汰によって強いものだけが生き残るようになれ
ば、殺人をタブーとする他の社会集団よりも強靱になるから、
集団間の淘汰でも生き残れたりしそうだしね。
261257 :2000/09/12(火) 02:33
「殺し」に法的な枷が無くなれば、やはり少しずつにせよ秩序は崩壊して
いくと思う。そうなると常時武器等を携帯し周囲に警戒しながら生きて
いかなくてはならなくなりとても面倒だ。勿論そうなれば、今私らが享
受しているこの比較的にせよかなり安全な社会の恩恵も失われると思わ
れる。そうなると困る。だから私は現社会のやり方に取り敢えず異議は
唱えない。それに破綻があるとは認められない。「殺し」が非合法である
現社会の恩恵は感じるけれど、それが合法である社会を選択すべき理由
は見出せない。そうした社会を提案するなら、提案する側こそが、そう
した社会を選択すべきであることを証明しなくてはいけないと思う。
262259 :2000/09/12(火) 13:12
>260
>滅びはせんでしょ。別に、殺すことがタブーでないからといって、
>好んで殺し合うとは限らんのだから。意味もなく殺すのも大変で
>しょ。相手も抵抗するだろうから、命がけになるし。

そりゃあたりまえだろ、現実滅びはしないよ。
つまりその滅びない理由が暫定的であっても「人を殺してはいけない」と言える事に繋がると思うのだが。
つーか、まず、人はなぜ何故好んで殺し合わないのですか?例え生存競争であっても野生動物は
自分の命のリスクを含めて同種間ではなるべく殺し合わないようにする。同種間で殺し合って淘汰していく事は、
種全体の危機的状況(例えば水槽のザリガニの共食い)以外にはない。
 人間でも今のところ、自らの危険もなく、他者を完全に排除して生きていける力を持つ個人も集団も存在しない。
突き詰めればミクロ(一個人)、マクロ的にも人類が生存していくためではないですか?
哲学とは違うのだろうけど、単に人を殺してもよいとした後の極論だよ。
ここは「どうやって答える」の場でしょ。
逆説として「いけない」と諭す事が出来るんじゃないの?

しかし非常時はそうはいえない。絶対的に人間は状況によって他人を殺す
事の是非の矛盾は孕んでるんだから。
ただ、少なくとも今現在の日本では全体的にそういった状況ではないから
「人を殺す事はいけない」といえるのではないか。
そして、互いに殺し合わなければ生きては行けないといった
危機的状況が来る可能性は否定できないが、誰も望まないし、出来るだけ回避しようとする。

それから、「適度に殺し合ってもいい」なんて書いてねえよ。
263258 :2000/09/13(水) 11:01
>>261
なんか、根拠がよくわからんよ。社会の維持はなぜ必要なのか?
そもそも、社会の維持ってなんなの?そこんとこ説明してちょ。

俺も、殺しは法で禁じるべきだと思ってる。それは、自分、家族、
知人etcを殺されたくないからからという理由であって、「社会の維持」
というわけのわからんものが究極的な理由なのではないよ。もっと重要な
理由があるだろ、ってことさ。勘違いするな。

264258 :2000/09/13(水) 11:07
>>262
だから、そんな極端なことにはならんだろ、って反論されておしまいだろ。>極論

したがって、殺人がタブーでなくなっても、社会は異った形で
維持できるんじゃないのか?っていうことさ。現在の社会をそ
のままの形で維持するため、というならわからんでもないが、
世の中は変わるべきだと主張する政治家もたくさんいることから
わかるように、「変化させない」とうだけの理由ならあまり説得
力のある主張にはなりえないね。

265フィロゾファッカー :2000/09/14(木) 19:41
停滞気味なので変化をつけて話しの種をひとつ
このスレによくある意見として
・個人の生命はその個人に所有されるため
 本人の許諾なしに生命を奪う事はできない。
 要は財産権の保障といったところなのかな?・・・

だとすると我々は他人の生命に関してはその言及する権利がないということになりかねない?
例えばヘブンズゲイトなどのカルトによる集団自殺に関してもあくまで本人の権利の行使であり関与できないこととなりそうなものである。
さらに言えば自己の生命管理の権利を他者にあずけてた場合、(これもカルトにありそうだが、他の例としては国家か?)
その預託者はその個人を殺す権利を持つと言えてしまう。
結局我々は、「他人が人(他者)を殺すのを止める権利」を所持できないのであろうか?
仮に例外的に所持するとして殺人というテーマに適用されるその特異性とは何なのであろう?
266169 :2000/09/15(金) 05:57
(久しぶりに再登場)
>>220
「殺されたくなければ殺すな」はカントの実践的理性批判での主張ですが、この
論理は始めに自由な個人ありきの外的な倫理観でしょう。むしろ、
>>225
「他人に守って≠烽轤ねばならぬ程度の弱い存在。それが「私」の現実。」
という実存的・現実的な前提の方が本質を突いているのではないでしょうか。
「社会の維持」は決して他人のためではなく、自己の存在のためだという事は
ありふれた事実なのですから。(誰もロビンソン・クルーソーではない。)
そして、自己の存在のために他人を利用することや、他人を殺す事が反社会的
だという事が倫理の「存在理由」であり、それを実践するためには単に理屈で
はなく(元々は相互依存感情に根差すだろう)共感的な刷り込みも必要だとい
う事はその通りでしょう。良心というのも徐々に発達するし、「同じ人間」と
いうのも共感から認識に至るのでしょう。問題は同じ人間という感情をどう育
てるかという心理的そして(道徳教育ではなく)情操教育的な事柄では?無論、
たとえば「戦争を許容する国家」は倫理的とは言えないでしょうから、同時に
社会の本質に対する理性的・批判的な認識も必要でしょう。
>>241
「きみらは、わたしたちとはちがうんだね、自由、それが君たちだ。 」と言うの
には賛成しかねる。現実にも合っていないし、理念としてもそれでは利己主義し
か生まれない。日本人は良く「他人の迷惑にならなければ何をしても良い。」と
言い、わがままの押さえとして「世間の目」を言ってきた。それが西欧流の個人
主義の「はき違え」によって「個人の社会的責任」無しの自由がはびこってしま
った。それは私利私欲を追求する企業が存在を許される事にもつながるし、リス
トラという「従業員殺し」を平気で容認するのが今の世間であるからでもある。
>>265
「個人の生命はその個人に所有される」と言うことは2重に間違っており、
 @社会の中でのみ個人の生命は維持できる以上、個人の生命は他人に依存する
 A生命は所有される「モノ」ではなく生物にとって譲渡不可能な固有性である
ことを忘れた「自由な主体としての個人とその所有」の観念性を示している。
267258 :2000/09/15(金) 11:13
>>268
現実に、「自殺する権利」を認めろという風潮はあるわけでしょ。
「他人を殺す」という行為とはかなり隔たりがある証拠だよね。

国家は死刑という合法的な殺人を行う権利があることも、同様。

したがって「他人を殺しちゃだめ」ってのを、究極的な財産権の
保証とみたてることになんら問題ないと思うよ。

あなたの論調がよくわからん。何が言いたいの?

268258 :2000/09/15(金) 11:23
>>266
「殺人がだめ」っていうのを倫理の枠の中で捉えようとする行為
はわからんでもないが、それって、全然説得力ないと思う。
そもそも「倫理」とは何かっていう問い掛けがなければ、
道徳律の中でももっとも根幹的なものである「不殺」を
説明することはできんと思うよ。
形而上学的な理屈ではなく、人間の生理に関わる根源的な
欲求に帰着させないかぎり何の普遍性も生まれないと思う。
(もちろん、人によっては形而上学的な小理屈により強く感化
されることもあるとは思うが、そういう人は議論には勝てない
だろうね。)
269169 :2000/09/15(金) 16:11
>263(258)
>自分、家族、知人etcを殺されたくないからからという理由であって、
>「社会の維持」というわけのわからんものが究極的な理由なのではないよ。
 自分、家族、知人までを私的な繋がりと呼び、それ以上の広がりを持つ諸個人
 までを含めて、相互依存関係を取り結んで営まれている全体的な存在を社会と
 呼びます。前にも書いたように、複雑な分業体制が成立している社会では、
 事実として私的な関係だけで社会が成り立っているのではない。あなたの着て
 いる洋服一つとってもそれは赤の他人が作っている。その全体的な社会を維持
 するための諸個人間の行為の規範を倫理と呼びます。これは形而上学ではなく、
 極めて現実的なテーマなのです。人間が単に欲求のままに生きていては社会が
 成立しないが故に、「・・・してはいけない。」「・・・すべし」という規範
 として、他の生物にはない倫理の領域が生じた。それは人間個人と社会との関
 係そのものを問う領域であり、本質的に他の領域(欲求、法、政治、経済等)
 とは異なる問題群を持っている。その意味で、倫理は欲求に「還元」できない。
 それは自己の欲求と他者の欲求の「関係」を問う領域なのです。
 また、議論の勝ち負けなどは哲学とは無縁であり、共同の理解を目指す事が必
 要です。如何でしょうか?
270258 :2000/09/19(火) 17:39
あほか?>269

だから、どうして「社会を維持する」必要があるのか考えてみろよ。
答えてみ?

個人の生活に支障をきたすからだろ。なんでそんな自明なことも
わからへんの?
271フィロゾファッカー :2000/09/19(火) 18:58
>258
>>267の268は265っぽいから答えとくね。
参考として
・「どうして自殺をしてはいけないのですか」
 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=949079543
・「ひとに迷惑をかけなければ何をやってもいいか」
 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=964010845

結局ね、「ひとを殺す事が悪い」という価値判断は
他人に対して否定的に作用するということがそう判断させられる根拠となるのかということでーす。
「殺す」という述語に対して倫理的に禁忌を引き出すものがあるのか?、ないのか?
そんな感じの問題提起でーす。
私は強いて言えば、ない派かな?
272258 :2000/09/19(火) 23:07
>>271
そう、265の間違いでした。ごめん。

他人に対して否定的に作用することが「悪」でいいと思うよ。
でもって、「殺す」というのがもっとも否定的な作用だと
いうことでしょう。
同様に、「盗む」、「騙す」、「痛めつける」なんていうのも
倫理的な禁忌の代表例だと思うしね。
しかし、それが「生得的なタブー」であるとは思わんよ。

273IJK :2000/09/20(水) 11:16
幸福感の量がつりあわないのが問題だと思うな。
つまりね、

被害者、殺されちゃった人が、残りの人生で獲得できたであろう
幸せの量を考えてみる。

んで、殺人者が、その殺人行為で獲得できる幸福感の量を
殺されちゃった人の失った幸福感の量と比べてみる。

もし殺人者が得る幸福感が、被害者の失った幸福感を
上回るなら、この殺人行為は社会的に見て有益なのかもしれない。
殺人者がその一件で、ものすごく満足できて、
残りの人生をものすごく幸せに生きていく事ができるのなら。

でもそうはならないんだな。多くの場合。

まず殺された人数は一人であっても、それによって幸福を
奪われる人の数は一人ではないから。
親、兄弟、友人、少なくても3人分ぐらいの幸せが奪われるのかな。
しかもそれは時間的にもかなり大きな量だし。
一人の人間が殺されると、その周囲数人の、かなり長い期間の
幸せが奪われることになるよね。

じゃぁ、それに対して、一人の人間を殺す事によって獲得できる
幸せの量はどのくらいなんだろ。
殺人の快楽は複数の人間で共有できるのかな?
そして、殺人行為による幸福感は、どのくらいの時間持続するんだろ?

その釣り合いを考えると、やっぱり殺人って、
割に合わないよなって思うんだけどね。

俺、無学だから上手く書けないけど。
誰か上手に数値化してグラフにでもして、見せてくれないかなぁ。
274261 :2000/09/20(水) 11:30
>258
人が何かを語ると言う事は、それ自体倫理的な営みです。
「何故人を殺してはいけないのか?」。
これは一体誰が問うたのですか。この場ではそれがはっきりしていません。
だからこそ、この場では「社会の維持」という応えくらいしか出来ないはず
なのです。
あなたとわたしが共に属しているこの社会、この社会の高度な利便性、それ
はあなたとわたしが共に殺し合わずに生きているからこそ実現していること
で、このことは「殺してはならない」という規範の存在の理由にはならないだ
ろうか?と、そう提案しているわけです。

「社会の維持」が必要だ、とは言わない。けれど、敢えてこれを破棄しなけれ
ばならない必然も感じない、ということです。
戦争は社会と社会、死刑は社会と個人の衝突する場面に生じる出来事だが、
それは言わば社会の外部の出来事であって、その存在が社会の内部に於ける
規範を揺るがす理由にはならないでしょう。
275名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 21:35
痛いじゃん
276169 :2000/09/20(水) 21:40
>270
>個人の生活に支障をきたすからだろ。なんでそんな自明なこともわからへんの?
 どの個人の事でしょう。「私」と「他人」のどちらを優先させるのか?
 それが倫理という言葉の意味です。人を殺すこと=他人を殺すこと、あるいは
 自分を殺すこと(自殺)ですよ。個人が独りでは完全ではなく、他者との間に
 依存関係と対立関係の両者を持たなくてはいけない事から出てくる問題を倫理
 と呼ぶのです。個人間の「関係」が倫理です。個人の内部にある社会を見る
 ことが肝要です。
>273
 まさに「幸福の量」とは哲学者ベンサムが終世追い求めたテーマであり、簡単
 にグラフ化できません。それは元々無理な事なのです。つまり、すべての
 個人が全く同等であり(単位が同じということ)、同じ境遇、感情、財産、
 能力等々に差がないという前提が無ければ、算術はできない。そして、その
 前提が満たされた場合、逆に社会自体が必要無くなるという逆説がそこには
 あります。
>274
>この社会の高度な利便性、・・・「社会の維持」が必要だ、とは言わない。
 社会とは単に個人にとって便利なだけではなく、絶対不可欠の必然的な存在
 であり、個人の本質をなすものです。
 「人間とは社会的動物である。」(アリストテレス)
277IJK :2000/09/20(水) 22:52
>276
>まさに「幸福の量」とは哲学者ベンサムが終世追い求めたテーマであり、簡単
>にグラフ化できません。それは元々無理な事なのです。つまり、すべての

レスさんくすス。そっか、できないのかぁ。ベンサムね。メモっとこう。
でも、厳密に数値化できないとしても、せめて
殺人行為では、獲得される量が、奪われる量を上回る事は無いって
それだけでも証明はむりなのかなぁ。
278258 :2000/09/20(水) 23:04
>>273
バカだな。自分が殺される不幸と、自分が殺す幸福を比較したら
殺される不幸のほうがはるかに大きいっていうのが「平均的」な
答えだろーが。
特定の個人の「幸福」や「不幸」の大きさを論じても「倫理」に
は結びつかんからね。大多数がどう評価するかが大事。

>>274
殺し合わないから「利便性」が維持できるという論理はよーわから
んな。いずれにせよ、「利便性」という、個人の価値観に行き着く
んなら、「殺されたくないから」と大同小異じゃないか。突き詰め
て考えてみろ。

>>276
個人=私に決まってるだろが。他人の生活なんかカンケーねー
だろ。しかし、社会というのは、「他人」も「私」も識別不能
な、「個」の集合体なんだってことにすぎない。
だから、「他人」をふみにじることは「私」をふみじにること
にもなるわけよ。社会的行動規範を考える上では、私と他人は
等価な「個人」となってしまうわけだな。


279IJK :2000/09/20(水) 23:21
>287
うん、普通はみんなそう思ってっから、そんな簡単に人殺ししないんだけどさ
でもその「平均的」な答えが理解できない連中が、あっさり人殺ししちゃうわけよ
で、「おー、たしかに殺したけどよ。それがどしたってのよ?」って感じで
反省しねェってより、反省できる頭がねぇのよ、連中。
んで、そんなやつらぁとっちゃ「大多数の評価」もどーでもイイわけだ。

そーゆー頭の悪い連中になんとかわからせる方法はないもんかいね、って思うのよ。
連中、おれより頭悪いかもしんないんだから。どーするよ?
280名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 00:18
>279
厳罰に処する。
281258 :2000/09/21(木) 00:26
>>279
社会性を理解できないはみ出し者が「倫理」にしたがうはずも
なかろう。そういう者のために、法律や刑罰があるんでないかい?
そもそも、全ての人間が何かを「理解できる」と思うほうが間違っ
てるよ。


282IJK :2000/09/21(木) 01:20
>280
んー、そりではスレ題の答えにならんのよ。

>281
>そもそも、全ての人間が何かを「理解できる」と思うほうが間違っ
てるよ。

そーやって切り捨てちゃうのもマズイのよ。
頭ぁ悪くっても、まだ完全に壊れきってないやつもいるわけで
そういうのをチョット啓蒙してやろうって思ってあげてよ。たのむわ。

「社会の維持」とか言われても判る訳ないじゃん。
おれが殺して埋めたのは隣の女子大生一人だけで、
社会とかいう人を殺したわけじゃないのよ。
「倫理」がどーとか言うけど、
俺が誰か殺したからって世間の皆様の「倫理」が
がらがら崩れて、みんなが人殺しになるわけじゃないじゃん。
厳罰に処するとか言うけど、だったらばれなきゃいいのか?
どーなのよ?
いや、ほんとに殺しちゃったんだけどさ、
なんだか悪いことしたかなって思わなくもないんだけどさ
そー思わない方が気が楽なのよ。
どーよ?
283IJK :2000/09/21(木) 01:34
もうチット判りやすく書いとくわ。

俺が隣の女殺したのは、連れと3人で輪姦してたんだけど
ケーサツニウッタエルワとか言ってウザかったからで、
社会の秩序をみだそうとか、健全な皆様の倫理感を揺るがそうとか
そんな大それた理由はなかったのよ。
チョットした個人的な理由なのよ。
そゆこと。
で、どーよ?
284考える名無しさん :2000/09/21(木) 01:57
>「おー、たしかに殺したけどよ。それがどしたってのよ?」

しょっちゅう、恐喝したり、先輩から恐喝されたりの毎日だと
もちろん恐喝だけじゃあなくてもっとやばいことの毎日だけど、それだと
引用したとおりの発言も自然と出るとおもう。
なにがあってもどうせおんなじ船の中。
だけど、一度この船の中から外に出ると、そこはまるで別。
自分の言うことなすこと、すべて通用しない意味をもたないんだから。
でも、元の船にはもう戻れない事情もある。
今いるところで周りに部分的にあわせる必要が生じる。
でも自分には無理に見える。
>>283 ずいぶんとまた、自己中心的ですね!
ここまであっけらかんとしてると爽快だな。
うん、どうにもならないよ。そういうひともいる。
少しずつ、語り合えるチャンスを作ったりして距離をうめていくしかなさそお。
彼らを心から信じ、些細なミスや裏切りにも耐える、そんなヒトとのつながりで
どうにかなるような気がする。もちろん、うまくいくわけないという諦念が
つねにつきまとう細い橋をわたるようなものですよ。ほとんどのばあいは失敗だろうね。

ニーチェを初めとして、善に逆らおうとした哲学者はあとを絶たない。
彼らには善はあまりにも自明でうざかったんだ。
自明、なんだよ。かなしいくらいにね。いいかい?自己中心的になれない
かなしいくらいなまでになれないところで、いかにそうたろうとするか、
しかも言語の構築性によってそういう自己中心的であることを確保しようとしたんだ。

あらかじめ幸福な自己中心性を生きられるものとはまるで違う問題圏です。
285ミック :2000/09/21(木) 02:07
こういう仮定を絶てたら、みんなは、それでも人を殺さない自信がある?

「世界中のどんな人間でも何人でも殺せる、完全犯罪の方法を発見した」

「そんな方法は存在しない」とかいう厨房レスはしないでねん。思考実験。
もし「憎くて憎くてしょうがない」あるいは「この人間は許されるべきではない」人間がいても、「私は殺さない」と言いうるだけの自信があるかい?
あるんなら、ぜひその自信なり確信なりの根拠を教えて。

 ちなみに、僕がそんな方法を発見したら、多分殺してしまいます。


286284 :2000/09/21(木) 02:20
いわば、ニーチェなりは実践において善の自明性に苦痛を生き
それしかできず、
理論において言語においてそこからの闘争逃走斜線をひこうと試みた。

他方、幸福な自己中心性を生きる者は実践において善にも悪にも解放され
理論において、そもそも理論的なものや言語的構築物とも幸福にも無縁。
つまり、哲学以前。だから、彼らの更生への導きの糸は彼らを
言語以前哲学以前の状態から言語的やりとりへと幾分かでも近づけることといえるかもしれない。

それは、形式化され洗練された哲学の諸理論的問題よりもはるかに困難な実践的問題であるとおもう。

287274 :2000/09/21(木) 06:43
>278
「殺し合わないからこそ現社会(「現」というのがミソ)の利便性が維持できている」
ってのは、そんなに分からない理屈でしょうか。こんなことは具体的に列挙するま
でもない自明の事実だと思っていたのですが。
たとえば殺しても何ら罪科に問われないなら、思慮の無い者は安易に殺しにはしる
のは目に見えていることではないですか? 実際、昨今の少年犯罪の頻発に対して
少年法を厳しくすることによって対処しようという思考ひとつとっても、「殺して
はならない(殺したら厳罰に処す)」という法規範の実効的威力が秩序を(取り敢
えずにせよ)実現させるというごく当たり前な認識に立った上での事でしょう。
それと、「私は殺されたくない。故に私は私の属する社会に於いて殺人を非合法と
することに同意する」という理屈は、規範に従う私的な理由にはなっても、同じ社
会に属する相手に語り掛ける言葉にはならないです。私はそのことを言っているの
です。端的に言って、この社会にあなた〔258〕とわたし〔287〕しかいなかったと
して、あなたが上記のように主張したところで、それはわたし〔287〕には「258は
殺されたくない。故に258は258が属する社会に於いて殺人を非合法とすることに同
意する」としか聞えないのです。これに対してわたし〔287〕が同意すべき論理的必
然はありますか? わたし〔287〕にとってあなた〔258〕が死のうが生きようが、
それだけではわたし〔287〕には何の関係もない。故に殺人を非合法とすべきことに
同意する論理的必然もない。もしあなた〔258〕がこの主張に実効性をもたせようと
するならこう言わなくてはならないハズです。「わたし〔258〕があなた〔287〕と共
同しているこの社会にはその存在による利便性が認められる。この社会(の利便性)
を維持する為にわたし〔258〕はあなた〔287〕を殺さない。故にあなた〔287〕も
わたし〔258〕を殺さないで欲しい」。
社会はもとよりあなたとわたしの関係で成り立っているのは自明のことでしょう?
そこで問題になるのは、如何に普遍的な共同の(あなたとわたしの)論理(倫理)
を見出せるかなのであって、「殺してはならない(殺してもよい)」私的な理由を
独善的に他人に投げつける事ではありません。

それと、言葉が曖昧で誤解を呼んだかもしれませんが、「社会の維持」とは私たち
が共に属しているこの現社会の維持のことです。(一応、261で「現」という言葉
はつけたのですが・・。)だから、「「社会の維持」が必要だ、とは言わない。」
と書いたのは、(殺し合わない)この現社会の維持が必ずしも必要だとは言わない
(言えないかもしれない)というつもりで書いたのです。語り掛ける相手がこの現
社会の維持に同意するかしないかは自由ですから、個人が如何なる仕方で他人と関
係するかは当人が選択することで、強要できません。
288274 :2000/09/21(木) 07:21
>284
ことが露見したら捕縛されて処罰されるだけ。それだけのハナシ。俺に
何の関係もない赤の他人が何の関係も無い赤の他人を殺したところで、
それだけでは(赤の他人の)俺の問題にはならない。それが(赤の他人
の)俺の問題になるとしたら、「何故この社会では人を殺してはいけな
いことになっているのか?」という問いが立てられた時だ。つまり「殺
してはならない」という規範は他人同士が共存する社会の存在を前提と
した社会的な命題なので、何処かの思慮の無い馬鹿が犯した殺しをそれ
自体として(良心や内在的な規範意識の問題として)うんぬんすること
は必要ない。殺したければ、殺せばよい。それが社会的には許されない
行為であることだけわきまえていればよい。
289考える名無しさん :2000/09/21(木) 07:53
>>288

>社会的な命題なので

>それが社会的には許されない行為であることだけを
>わきまえていればよい

どうしてですか?社会の規範を絶対化唯一化超歴史化普遍化しているのですか?
個人の内面的な良心または悪意に関しては軽視し
社会の規範と国家の法制度(またはさらに時代を遡って国王による処罰)にたいして
なぜそこまで信頼を置くのですか?あるいは内面において規範化するのでしょうか?
290289 :2000/09/21(木) 08:06
288でいいたかったことは
このスレの1さんの趣旨からいって
言葉で会話で人殺しを止めることを念頭に置いてよいかと思ったからで

殺したら逮捕されるのが落ちだよ、なんていってもきかないか、そうだね

というのもレトリックの効果を期待してならいうだろうけど
そうは期待できない場合に、そして相手が長い対話に参加してくれることを期待できる場合っを
想定しているかと思うんです。
つまり、相手の内面にどうにかして訴えるにはなんて言葉をつくせばいいのか?
という設定かと思うのです。
ところで、社会がこうだから、などと押し付けがましく、頭ごなしにいうのは
いかがなものかと、そういいたかったです。そういうのは簡単で、そういう安易さは避けたいからこそ、
「どうやて答えればよいでしょうか」という言い方がでてくるのではないでしょうか?
291290 :2000/09/21(木) 08:07
>288でいいたかったことは

は「289でいいたかったことは」に訂正します。
292288 :2000/09/21(木) 08:48
>289
軽視ではなくて、それ(良心や内在的な規範意識)は本来踏み込めない
領域だと言っているのです。そこに無理に分け入って強制しようとする
発想こそが危険な全体主義の発想であることがわかりませんか? それ
こそ異端者は暴力的に洗脳しようということになる(映画『時計仕掛け
のオレンジ』みたいな社会)。
これは私と語り掛ける相手との距離の問題であって、血縁でも友人でも
面と向かって対話しているわけでもない相手には、(同じ社会に属して
いる他人同士として)このくらいのことしか言えないということです。
極端なハナシ、殺す事が俺の生甲斐だという奴がいても、それをそれ自
体として非難することは出来ないハズです。ですが、それ(殺す事)を
現実に押し通そうとするなら、そこには当然社会的な制裁が待ち受けて
いることをわきまえておけということです。それくらいなら私にも言う
資格がある。

勘違いしないで欲しいのは、私は、「殺してはならない」という命題が
社会の規範であるが故に同意しているわけではないということです。現
状に対して主体的にそれでよいと同意しているだけです。
293考える名無しさん :2000/09/21(木) 09:08
>>292
軽視ではなくて、それ(良心や内在的な規範意識)は本来踏み込めない
領域だと言っているのです。そこに無理に分け入って強制しようとする
発想こそが危険な全体主義の発想であることがわかりませんか? それ
こそ異端者は暴力的に洗脳しようということになる(映画『時計仕掛け
のオレンジ』みたいな社会)。

ある発言が必然的に相手の内面に適用されると思う方が
どうかしていると思う。あなたは、あなたが避けたいと思っている状況を
どういうわけか必然的なものとして想定していると、私には見える。

私は相手の内面に必然的に分け入らない言葉というものを信じられると思わない。
あなたのいいたいことはわかるけれど、だからといって、あなたのようにふるまうのは
どこか偽善的でさえある。つまり、あなたは自分のしていることをなんであるかを知らないか
勘違いしているか、知らない降りをしているか、
知らないのだから君は問うのをやめたまえと命令している。
といえませんか?わかるかな?
あなたは、純粋に洗脳しない言論というものをその存在を信じているが
私はそんなものは信じていないし、そんなものがあるというのは、うそくさい、それこそ
全体主義の言うせりふだ、といいたい。
294Witt :2000/09/21(木) 09:09
↓This way please
295285 :2000/09/21(木) 09:36
なんか、激しく盛り上がってるな。オリンピックでも見てろ>ALL

>>282(and >>290)
切り捨てるもなにも、それが現実なんだからしょうがない。
1の問い掛けは、「殺してはいけない」という倫理的判断の合理的な根拠
を提示せよと解釈したが、どうだ?
それに答えることが啓蒙的でなくてなんだというのだ。
「飛行機はなぜ空を飛べるのですか」という問い掛けに、人間がそのよ
うに作ったからなんて答えても意味がないだろ。力学的な法則性を根底
において、還元的に説明するしかないよ。それで理解できなきゃしょう
がなかろう。啓蒙の努力が報われるとは限らんよ。そいつに理解できな
くても、たいがいの人間には理解できる。そして、飛行機は飛ぶし、殺
人者は処罰されるんだ。

>>283
だから、お前もちょっとした理由で殺されても文句言うなよ。ってことだ。
どうだ、わかったか?

>>285
そういう超越的な人間になってしまえば、もはや倫理にはしばられないよ、
理屈の上ではね。だが、そういう超越的な人間はいないというのが現実。

>>287
殺し会うことによって生まれる利便性もあるぞ。弱者に気を配らず、強い
者だけがよりよい社会を作るとかね。淘汰のサイクルが早くなって、最適
化が進むとか。思弁的にはどんな可能性でもありうるから、そんなに自明
な話じゃないよ。どっちみち、俺はそんなところ問題にしてるんじゃなく
て、「利便性」ってのはそもそも何なんだって、ことだ。結局、それを判
定するのは個人の価値観だろ。社会じゃなくて、自分にとって価値がある
かどうかってことだろ。
296292 :2000/09/21(木) 10:54
>ある発言が必然的に相手の内面に適用されると思う方が
>どうかしていると思う。あなたは、あなたが避けたいと思っている状況を
>どういうわけか必然的なものとして想定していると、私には見える。
「必然」という言葉が拙かったのかな。前述287の
「わたし〔258〕があなた〔287〕と共同しているこの社会にはその存在に
よる利便性が認められる。この社会(の利便性)を維持する為にわたし
〔258〕はあなた〔287〕を殺さない。故にあなた〔287〕もわたし〔258〕
を殺さないで欲しい」。
と言った個所は、正確には、
「わたし〔258〕があなた〔287〕と共同しているこの社会にはその存在に
よる利便性が認められる。この社会(の利便性)を維持する為にわたし
〔258〕はあなた〔287〕を殺さない。故にあなた〔287〕も(この利便性
を享受したいと思うのなら)わたし〔258〕を殺さないで欲しい」。
と言ったつもりでした。つまり必ずしも同意してくれなくてもそれは仕方
ない。それはその相手の自由。

>ある発言が必然的に相手の内面に適用されると思う方が どうかしていると思う。
>私は相手の内面に必然的に分け入らない言葉というものを信じられると思わない。
論理が共有される事の奇跡にかけるのが倫理ではないかと思うのですが。
具体的な人物の具体的な脈絡によりそって語ろうとするのも大切ですが、
それは誰が何の為に誰に向かって語ろうとしているかはっきりしていれば
こそ感化力も生まれるものであって、社会の公共的な場面で誰に向かって
でも語れるというものではないです。

全体主義だの洗脳だのと過剰な言葉をつかって気に障ったかも知れません
が、分かって欲しかったのはどんな規範に従うにしても自覚的であったほ
うがよいのではないかということです。だから、どうせ説得するならなる
べく修辞的にではなく分かりやすい論理的な根拠をもって語れた方がよい
だろうということです。
297電波猫 :2000/09/21(木) 15:41
自己犠牲はどうなりますか?>295
298考える名無しさん :2000/09/21(木) 17:23
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20000913207.html
テクノロジーで非行少年を更正(下) より:
「非行に走る子どもたちの多くは、自分に学ぶ
能力があると考えていないと言っても過言ではな
いだろう」と話すのは、ウィスコンシン州マディ
ソンにあるデーン郡少年裁判所の管理者、ジム・
ミーザー氏。「もし少年たちが(このプロジェクト
を通じて)学習の成功を経験できるのなら、これは
前向きな一歩だ」

 ミーザー氏はまた、他にも体験型の学習プロジ
ェクトが、問題を抱える多くのティーンエージャ
ーの助けになっていると指摘した。こうしたプロ
ジェクトは犯罪者への処罰システムの一環として
実施される場合が多いという。

 たとえば、ウィスコンシン州アーマにある少年
犯罪者のための施設、『リンカーン・ヒルズ・ス
クール』では、生徒たちが自転車の修理技術を習
い、修理した自転車を地域の子どもたちに寄付し
ている。ウィスコンシン州では他にも、問題を抱
えた少年や罪を犯した少年が修理技術を習得し、
家を改修する『フレッシュ・スタート・プロジェ
クト』などのプログラムが実施されている。

 ある程度の成功の実績はあるものの、こうした
プログラムがすべての入所者にとっての万能薬に
なるわけではない。子どもたちの多くは平均して9
ヵ月間しか施設におらず、退所後はサポートのな
い、もしくは虐待を行なう家庭に戻っていくケー
スも多いのだ。

 これは少年犯罪関連の行政担当者たちも懸念す
る点だ。

 「子どもたちは施設にいる間はこうしたプログ
ラムに熱心に取り組んでいることと想像される
が、問題は施設を離れたとき、これが彼らの役に
立つかどうかだ」とミーザー氏は話す。

 「いかに従来型の教室に順応できるかが心配の
種だ」とメーン州更正局のデニーズ・ロード氏も
この点に同意する。

 しかし、キング知事はプログラムの成功に関し
て楽観的だ。

 「われわれの目標は、この少年更正のシステム
を改造して、1人1人の子どもたちに合った個別の
プランを作り出すことだ」とキング知事。「そう
していかなければ、後でさらに大きな代償を支払
うことになるだろう」
-----------------------
学校経営しております。295さんのいいぶんはわかるところもあり、
ただ、いいたいことは、長い目でみれば、
「ただほど高いものはない」のではないか?というものです。
切り捨てるも何も、それが現実なのだから・・・のくだりは
よくわかるとともに、その切り捨てたことの代償責任を
どうお考えなのか、いぶかしくも思われます。つけは必ずやってくるんですよ。
経済的節約の観点からすれば、あらかじめ高い出費をしておくと、
長い目でみればお得なのだと、今では思っております。切り捨てても切り捨てても、
トカゲの尻尾のように生えてくるのですよ、きちんと対処しないことには。
いずれ高くつくなら、早期に支払っておいて被害を最小限にするよう働くことが
わたしらのやるべきことかと思っております。
299169 :2000/09/21(木) 23:13
(何か急に盛り上がっている!)
平たく言うと、こうなるかな。
1.「社会」は私とあなた達から成っており、分業体制で依存し合っている。
  (これは単なる現実。最も利己的な人間でも他人と共存するしかない。)
2.私が生きるためにはあなた達が必要である。
  (あなた達は私の奴隷になれってか? 最愛の人は奴隷じゃないし。)
3.私はあなた達とは違う。私が生きるためにはあなた達が邪魔だ。
  (邪魔なだけなら、孤島に逝けば良いのに何故逝かないの?)
4.私の本質はあなた達の本質と同じ「人間」である。
  言葉はそれを伝えるためにある。こうやって議論するのもそう。
  (本質って分かるかい?)
5.私があなたを殺すとしたら、それは「私の本質」を殺す事になる。
  (私の本質って何?本質的な点では他殺と自殺は区別がなくなる。)
6.人間と言うのは社会関係の総体の事である。(マルクス)
  (他人が強制的な存在であるのは、社会関係自体に問題があるのだ。)
300285 :2000/09/22(金) 09:27
>>297
自己犠牲?質問の意図が見えまへん。もちょっと詳しくね。

>>299
3.は何なんだ?「あなた達」っていうのは、不特定な他人か?
だとしたら、間違いだろ。邪魔じゃないよ。
4.の「本質」って、何だ。そんなの分からんよ。したがって、5.も
意味不明。6.も観念的過ぎる言明。繋がりがわからん。
要するに全然駄目じゃん。


301フィロゾファッカー :2000/09/22(金) 11:14
あまり本論とは関係ない意見なのだが、
この議論において殺人の是非を問う初段階の相違について一言
仮に私が他人を殺そうとした場合、それは難なく実行可能に思われる。
それは生理的に受け入れる可能性があるということである。
しかし、それは決して殺人という行為に禁忌がないわけではない。
例えば、私が息をしないことで窒息死することは生理的に無理であろう。
しかし、手首を切って自殺することは可能である。
そこから、自分で息を止める窒息死には禁忌があって
手首を切る行為には禁忌がないと論じることは極めてナンセンスである。
また、倫理はその名の通り、集団内における理を意味する。
個人はその集団に対して否応なく属せられる。
我々は他人なくしては自我を確立できないし、また言語も他人なくしては存在しなかったであろう。
その集団の恩恵を授かった個人が制約される集団内における倫理、
すなわち国家や地方における具体的な法でなく他者と交わる世界において
殺人がいかなる理由で禁忌として確立されるかというところが論点ではないでしょうか?

302電波猫 :2000/09/22(金) 11:33
あれれ、誰が誰だかわかんない
>300
人違いしてたかもしれない
303285 :2000/09/22(金) 11:43
>>301
それは「盗みはいけない」っていう禁忌が確立されてきた理由と本質的
には変わらんでしょ。何も殺人だけが特別なわけじゃなくて。
ただ、「財産を盗まれる」ダメージと、「殺される」ダメージとでは
その大きさが決定的に違うだけのこと。
後者は生物に通底する最も基本的な欲求を害するわけだからね。
304無し人間 :2000/09/22(金) 13:06
305IJK :2000/09/22(金) 13:12
>299
うん、わかるよ。なんとなくね。この辺の言い分は何度も繰り返されてるな。
でもなぁ、みんな「社会」とか「個」とえらくシンプルに考えてないか?

例えば、オレが殺したネーチャンと俺との関係でなりたってる「社会」ってどこにあるのよ?
たんに隣に住んでるってだけじゃん。
別に依存関係にもないし、あのネーチャンがいなくなっても俺は生きてけるのよ。

200年ぐらい昔だったら、「社会」ってのは俺みたいなバカでも理解できたかもよ。
どっかのちっさい村で生まれて、死ぬまでその村の中だけで暮らしていくんだ。
村の連中は顔見知りばっかりだし、お互いなにかと助け合わんと生きてけないからね。
でもときどき村の倫理に反するバカやらかして、年寄連中にボコボコにされるんだけどさ、
チクショウって思いながら裏の山に登って、ちっちゃな村の中でみんなが働いてるのを見下ろしてさ、
日も暮れかかって腹も減ってくると、あぁ、俺はこの村っていう「社会」の一員なんだなってね。
そー感じれたかもよ。

人の移動や情報の伝達が、物理的に制限されてた時代ならばね、
「社会」ってのも非常に狭い範囲で成立してたわけで、わかりやすかっただろうけど。

でも今の時代にそんな単純な考えかたはできんだろ。
今の時代、「個」ってのは、交通手段と情報網の発達で、どんどん拡散していってる。
「個」と「個」の関係性もどんどん流動的になっていってる。
だから「社会」もおなじく、ものすごく流動的なものになっていってる。

俺らが直接触れている関係性、社会。
まじめに通えば勉強おせーてくれる「学校」とか、
まじめに働けば給料くれる「会社」とか
まじめに子供らしくしてりゃメシ食わしてくれる「親」とか
まぁこの辺はわかりやすいよな。でもこれらの「社会」も、どんどん流動的になって、
昨日あった「個」と「個」の関係性が、明日もあるかどうかはかなり怪しくなっている。

そうした様々な「社会」を全部ひっくるめて収めてまとめている、一つ上の階層の「社会」「関係性」
ってのがあるらしいんだけど、それは直接触れる事があまりないから、実感するのがむつかしーのよ。

「関係性」とか「社会」って、たった一つの言葉で括るけどさ、あんたらが哲学って名前の気球に乗って
上から眺めたそれと、俺なんかが自分の手で触って実感できるそれ、の間には無数の段階があるわけよ。
「血縁関係」つったって、親兄弟から、遠い遠い親戚まで、いろいろいるみたいにさ。

で、上からはどうみえるか判んないけど、俺の高さから見えるレベルの「社会」は
さっき言ったみたいに、あちこちに分離しながら、流動的でつかみどころのないもんになってきてる。
人、「個」の動きが、物理的にも情報の面でも大きくなってきてるからだ。

で、奇妙なのは、人が一つの「社会」(普段感じれるレベルのヨ)からまた別の「社会」へ移動する中間に、
「社会」の存在しない部分があるってことだ。
つまり、人はたくさんそこに居るのに、その人々を結びつける「関係性」がそこには無い、って状況が。

-----------
んーと、破綻してないかな。
長文ごめん。も少し上手くまとめれそうなもんだが。
続きはまたあとで。

あと、「おまえの言ってるこたぁ哲学でもなんでもねーから出てけ」
っつーんなら出て行きますです。ハイ。
306考える名無しさん :2000/09/22(金) 13:47
いや、いてくれ。続きを期待上げ
307考える名無しさん :2000/09/22(金) 14:18
だけど、哲学はいわゆる実感とはちがうのはたしか。
むしろ、そのような実感を構成する物、実感から論理的に遡行して
見出される存立構造なんかが問題らしいよ。
でも
おもしろい議論してるから、いてね。
308Witt :2000/09/22(金) 17:20
>IJK
>「おまえの言ってるこたぁ哲学でもなんでもねーから出てけ」

誰がそんな事言った?
私は哲学者の言葉を語る人は哲学を語っているように思えない。
IJKさんの言ってる事は哲学を得ようとしているんだよ。いてよ・・・
309285 :2000/09/22(金) 17:34
>>385
現代のほうが社会の結びつきは強いって見方もあるぞ。面倒くさいから、
これ以上突っ込んだ話はしないが(どうでもいいことだからな)、君の
お話にはあんまり説得力ないな。
で、なんなのよ?
310IJK :2000/09/22(金) 20:40
あーだめだ。

続きってのは、電車の中できにくわねーガキの顔つぶしてやったとき、
まわりの連中はみんな知らん振りしてたって話をして、
で、どーよ、この電車の中には社会とやらはあるのけ?

って話を書こうと、思っとったのだが、
その後どう転がしていくか見えてこないので。
むー。
311IJK :2000/09/22(金) 20:58
産経新聞に、谷村志穂って作家と、佐倉統って横浜国立大学の教授が
<生き物を科学する>ってタイトルで往復書簡を連載しとったのだが、
そこで二人ともして、なぜ人を殺してはいけないのかって問いに
うまく答えることが出来ないんですよーって、さらっと書いてやがって。

うわぁ、頼むわセンセー。
強引にでもいいから、なんか言ってくれー、と。思った。と。

っつーか、倫理やモラルが、どうも遠くに感じられるのは
なんでかいな?って感じなのだが。
むー。
312169 :2000/09/22(金) 21:53
まず、285さんは何が言いたいのか、主張が見えない。
>263 名前:258 投稿日:2000/09/13(水) 11:01
>>261
>なんか、根拠がよくわからんよ。社会の維持はなぜ必要なのか?
>そもそも、社会の維持ってなんなの?そこんとこ説明してちょ。
 と言いながら、
>>270 名前:258 投稿日:2000/09/19(火) 17:39
>あほか?>269
>だから、どうして「社会を維持する」必要があるのか考えてみろよ。
>答えてみ?
>個人の生活に支障をきたすからだろ。なんでそんな自明なことも
>わからへんの?
 と矛盾した事を言う。「社会の維持」とは何かが分からないと言うのか、
 それは自明な事だと言うのか?どちらにせよ、相手に対してやたら攻撃的
 である。さらに、
>278 名前:258 投稿日:2000/09/20(水) 23:04
>>276
>個人=私に決まってるだろが。他人の生活なんかカンケーねー
>だろ。しかし、社会というのは、「他人」も「私」も識別不能
>な、「個」の集合体なんだってことにすぎない。
>だから、「他人」をふみにじることは「私」をふみじにること
>にもなるわけよ。
 と主張の前段と後段とで正反対の事を言う。それはエスカレートして
>295 名前:285 投稿日:2000/09/21(木) 09:36
>なんか、激しく盛り上がってるな。オリンピックでも見てろ>ALL
 と矛盾した言明を一息で発する。
以上の通り、誰彼構わず当たる事が目的のようにすら見えてくる。
自分の積極的な主張を述べてみてはどうかな?少なくとも
>300 名前:285 投稿日:2000/09/22(金) 09:27
>>299
>4.の「本質」って、何だ。そんなの分からんよ。したがって、5.も
>意味不明。6.も観念的過ぎる言明。繋がりがわからん。
>要するに全然駄目じゃん。
 と「自分には理解できない=相手が駄目」とすぐ結論を出さずに、
じっくり考えてみなさい。そして丁寧に質問してみなさい。倫理とは
他人(単なる知人だけではないよ)との共同性を重要だと考える事で
すから。
313169 :2000/09/22(金) 22:05
>>312
 注釈し忘れたが、当初258さんで発言していた人が途中で285に変化した
 と見なした上でのレスです。何故なら、
>285 名前:ミック 投稿日:2000/09/21(木) 02:07
 と別人のようですから。この推測が違っていたら、ごめんなさい。
314285 :2000/09/22(金) 22:08
>>311
その二人、真性バカですな。
そのバカ同志の往復書簡を読む読者って...。
315285 :2000/09/22(金) 22:22
>>312
国語力ゼロだね、チミ。
「社会の維持」というお題目の根底には「個人の生活の保証」という
真の理由があるってことを小出しにしただけ。最初の書き込みで気づく
と思ったが、それでもわかんないから呆れてんじゃない。

278の後段で言ってるのは、社会という枠組みの中では、他人を
踏みにじるという行為は、自分を踏みにじるのと等価だって
こと。前段で言ってるように、私個人が踏みにじられたくない
っていうのが、第一義的にあって、それ故に社会という枠の中
では他人も踏みにじれないってことよ。いちいち解説せにゃ分
からんかね?情けないよ。

悪いことは言わん、哲学議論する前に国語の勉強から始めなさい。
316285 :2000/09/22(金) 22:27
>>312 の後半部分

だから、本質って何よ。どういう論理的繋がりがあるのよ。
こっちは、ちゃんとどこが分からんのか示してるはず。
文句を言うのなら、それを説明してからにしれ。

317285 :2000/09/22(金) 22:32
>>310
知らん顔なんかしてねーだろ、ふつー。
仮にそうだったとしても、お前が逃走した後に、警察が着て、取り調べがあって、
お前の人相が手配され、逮捕の輪が狭まってくれば、お前も社会を実感できるだ
ろうよ。
くだんねーよ、まったく。青臭いガキの論理はやめれ。
318考える名無しさん :2000/09/22(金) 23:20
>278の後段で言ってるのは、社会という枠組みの中では、他人を
>踏みにじるという行為は、自分を踏みにじるのと等価だって
>こと。
ナゼに?
319285 :2000/09/23(土) 00:24
俺もヒマだな。
>>318
説明いるか?AがBを踏みにじるのも、BがCを踏みにじるのも、
社会という視点で見れば同じこと。たまたまAが自分だっただ
けで、Cであったかもしれないわけさ。前者だけOKで後者は
NGってわけにはいかんのよね。
320169 :2000/09/23(土) 01:50
>>305
>例えば、オレが殺したネーチャンと俺との関係でなりたってる「社会」って
>どこにあるのよ? たんに隣に住んでるってだけじゃん。
 じゃあ「汝の隣人を愛せよ。」というキリストの教えはごまかしだと言い切
 れる?(私は無信心だが、宗教家が何を感じているかは少しは分かる。)
>別に依存関係にもないし、あのネーチャンがいなくなっても俺は生きてける
>のよ。
 リアルに言えば、ネーチャンはいなくて良いかも知れないが、農民や洋服屋
 は必要でしょう?全部一人で賄えるなら構わないが。ネーチャンだってその
 一員である社会の中であなたとそれなりの依存関係を持っているのでは?
>>310
>電車の中できにくわねーガキの顔つぶしてやったとき、
>まわりの連中はみんな知らん振りしてたって話をして、
>で、どーよ、この電車の中には社会とやらはあるのけ?
 「疎外された社会」はありますね。私と他人が外的な関係だけで
 繋がっている(たまたま居合わせただけ)。それは無関心で無関係な
 関係の社会として、おカネが唯一の結合手段である近代資本主義社会
 の特徴です。現実に協働(分業)によって各自の生活を維持している
 のにも拘らず、その統一が隠されていて利己的な個人がバラバラにな
 っているのはモノとカネが人間を支配する社会の姿です。あなたは決
 して個人としてではなく、人類の一員として生きているというのは単
 なる事実です。社会は外部にあるのではなく、個人の内部にある。
 それを人の本質という。倫理なき、正義なき現代社会は虚偽の社会です。
321IJK :2000/09/23(土) 10:45
>320
うん、これは解かりやすいです。
ありがとう。
>現実に協働(分業)によって各自の生活を維持している
 のにも拘らず、その統一が隠されていて
うん、こういうことを言いたかったのだ。

で、その大きなレベルの「社会」が、ごく身近な「社会」に比べて
見えにくくて遠くに感じられるのは、人に知覚がもともとそういう風に
出来ているのか、それとも後天的に学習したものなのか、
何かが邪魔をして見えづらい物にしているのか。
どれなんだろう、って話っス。

どーなんしょ?
322285 :2000/09/23(土) 11:10
>>320@` >>321
バカ同志で納得しあってどうする。小学生でも理解できる話を
なに延々と続けてるんだ、って感じだな。(藁

結局、お前らには、ニュージーランドの柔道審判なみの認識能力しかないってのが問題だな。
社会に出て、現実認識のスキルを磨いて出直してこい。

323考える名無しさん :2000/09/23(土) 11:31
305における285の主張は本論と少しずれているが、それなりに価値があると思う。
我々が一般的に想定する倫理は「倫」すなわちある集団内においてのみ通用する。
本来は具体的な社会ではなく、他者が存在する世界という感じのものだが、
この「倫」すなわち集団が現実的な世界において何を指示するのか、ということである。
現在の風潮から言うならば、ヒト科という集団であろう。
しかし、50年前ならば白人のみであったわけであるし、
また、歴史を過去に振り返ってみるとキリスト教徒のみ、ギリシャ人のみというものもあった。
また、国家、ポリス、地域、家庭というより小さい枠組みも存在する。
未来においてはヒト科以外も含まれてくるかもしれない。
そういった中、倫理の意味する集団とは何かと考えることの重要性は高まっているであろう。
324IJK :2000/09/23(土) 12:57
>322
オイラは、こういう人がうらやましいね。
325IJK :2000/09/23(土) 13:03
俺様のニンシキノーリョクは鉛の板をもツラヌクゼー、とか、
俺様のゲンジツニンシキはウチューノハテマデトドクゼー、とか。

うらやましいこった。
326285 :2000/09/23(土) 20:53
そう卑屈になるな。> IJK
自分の書いたこと読み直してみろよ。糞ばかばかしい「気分」だけ
が充満した空疎な文章だと思わんか?
考える契機として「気分」から始めるのはいいが、せいぜい自分の
頭の中にしまっておいてくれ。垂れ流されてもうっとおしいだけだ。

327318 :2000/09/23(土) 22:36
>説明いるか?AがBを踏みにじるのも、BがCを踏みにじるのも、
>社会という視点で見れば同じこと。たまたまAが自分だっただ
>けで、Cであったかもしれないわけさ。前者だけOKで後者は
>NGってわけにはいかんのよね。
だから、社会の視点と自分の視点との間のか谷間をどうやって埋めるかって話してんじゃん
それ以前にあんた285じゃないっしょ。混乱起きてるぞ
328169 :2000/09/24(日) 06:55
>>321
>その大きなレベルの「社会」が、ごく身近な「社会」に比べて
>見えにくくて遠くに感じられるのは、人に知覚がもともとそういう
>風に出来ているのか、それとも後天的に学習したものなのか、
>何かが邪魔をして見えづらい物にしているのか。
観点(認識レベル)に応じて全部が原因とも言えます。
1. 知覚がもともとそういう風に出来ている
 人間の知覚は目の前のモノ(具体的・個別的な存在)を対象にしま
 すから、人と人との「関係」といった抽象的・一般的な対象は反省
 的・媒介的な思考によって初めて意識される存在(本質的・実体的
 対象)です。しかし関係は現実に存在している訳です。
2. 後天的に学習したものなのか
 勿論学校、回りの人あるいは書物で学習しないと社会についての
 知識は得られない。「日本の人口は1200万人で、現在は民主主
 義の世の中で、…」といった知識から社会についてのイメージがで
 きます。しかし、それだけでは「自分の回りにある社会」は分かる
 が、自分がそれとどういう関係なのかは具体的に他人と交渉して
 初めて分かる。特に学校で教える社会の知識は建前が多いので、
 現実とは違いが大きい。たとえば個人の自由などは建前でしかなく
 実際には殆ど存在していない。
329169 :2000/09/24(日) 06:58
>>321(続き)
3.何かが邪魔をしてみえづらい物にしている
 これは現代(近代)に特徴的です。社会的な関心がなくても個人は
 生きていける。つまり、お金さえあれば、1日他人と全く口をきか
 なくても生活できる。まさに他人同志が集まっているだけのように
 見えるのは、「利便性あるお金」が邪魔をしている訳です。
 そのため、逆に「個人は自由で他人に干渉されない主体」という方
 が実感として解りやすいし、「社会は自分の外にある物のような存
 在」として感じられる。「社会は助け合い」という事は大震災でも
 来てお金など役に立たない非常時になって初めて実感できる。そう
 なれば、「なぜ人を殺してはいけないの」など言う人もいなくなる
 でしょう。(酒鬼薔薇少年は阪神大震災の時に近所の年寄りを助け
 たが、政府(社会の代表)の対応の遅れに憤激したそうです。)
 実際、金持ち(貨幣経済)と政治家(階級支配)と警察(現体制の
 法的維持)だけが全体社会のすべてなら、倫理も正義も不要であり、
 私の議論もまったくの見当違いでしかない。
330258(285じゃなかった!) :2000/09/24(日) 11:37
>>327
ゲッ、ほんとだ。295番以降、285だと自称してるのは258の間違い。
スマソ>ALL
オリンピックぼけしてるらしい。みんなで嗤ってなごんでくれ。

自分の視点??自分にとって不利益になりうるということでいいんでないの?
そう説明してるつもりだが...。
社会の視点からみれば、匿名の人間が匿名の人間を殺すということだけだが、
自分の視点から見れば、そこに具体的に自分の名前がはいりうるわけだかんね。


331名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/28(木) 21:04
いけない。理由は無いでしょう。
332考えない名無しさん :2000/09/28(木) 22:12
理由=他人に”かなりの確率”で迷惑を掛けるから。
普通に他人に迷惑を掛けるから。と答えると、
じゃあ迷惑をかけなければいい、と反論されるからこう答える。

それに対して人に迷惑かけちゃいけないの?と聞かれたら
”逝ってよし”と答えてあげよう。
333考える名無しさん :2000/10/01(日) 09:47
>332
そんな事言ったらどんな事でも迷惑がかかる可能性が高いと言われたら?
334考える名無しさん :2000/10/01(日) 14:16
>333
それも逝って良し
335考える名無しさん :2000/10/01(日) 16:34
理由=他人に”かなりの確率”で殺されるから。

普通に他人に殺されたくないから。と答えると、
「じゃあ殺されなければいいや」と反論されたら。
”逝ってよし”と答えて半殺しにしてあげよう
336考えない名無しさん :2000/10/01(日) 18:03
>333
他人になるべく迷惑をかけないのが人の道、とでも。
337>335 :2000/10/02(月) 20:29
相手のがずっと強かったらどうするよ?
338代理いぬ :2000/10/08(日) 07:36
このIJK君っておもしろいけど、一体何を答えてほしかったんだろう?
まだ居ますかー、IJKさ〜ん??
339考える名無しさん :2000/10/08(日) 17:20
>IJK君
実感が湧かないってだけの話ではないの?
実感が湧かないからって、人を殺してよいことにはならないけど。
現在の社会に共同の実感がなく、個人を疎外する状況があるとしても、
だからと言って人を殺してよいことにはならない。

ところで、
328>個人の自由などは建前でしかなく実際には殆ど存在していない。
329>「個人は自由で他人に干渉されない主体」という方が実感として解りやすい
は矛盾しているように思えるのですが。
340電波猫 :2000/10/08(日) 18:33
還元主義ですか(古っ)
でも、実際に人を殺さない(道徳的に振舞う)理由って「自分が殺されたくないから(自分の利益になるから)」だけではないように思いますけど
道徳的な動機付けを十分にされれば、人が自分の命を投げ出すのは珍しくは無いし、また異教徒を殺すのにも正当化を必要とする場合が多いようです。
また、どう見ても利益にならないような道徳もあります。
動物実験スレッド
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi?bbs=life&key=967107860&st=1&to=100も参照
道徳はそれ自体で強制力を持っているというのはどうでしょうか?
もちろん、どうしてそのように進化して来たのか?>>193
社会的事実との関係(169さんの言ってるのはこれですか?)
どう発達するか(コールバーグの研究なんか参考になるんじゃないでしょうか?)
といった事柄が具体的に還元しようとすれば必要になるとは思いますが、道徳性それ自体は他の物に還元され得ないと思いますがどうでしょうか?

341電波猫 :2000/10/08(日) 18:51
>道徳性それ自体は他の物に還元され得ないと思いますがどうでしょうか?
これは無視してください。個人的信条ではあるけど
このレスとは関係がありませんね
342169 :2000/10/08(日) 20:40
>>339
 表現が不正確でしたね。趣旨は
 「個人は自由で他人に干渉されない主体」という建前は貨幣のおかげで表面的
 には実感しやすいが真実の自由としては殆ど存在していない、という事です。
 形式的な自由とは恣意と呼ばれ、実際の具体的な内容はその都度外から与えら
 れるという点で、真の自由ではないという事。さらに、プルジョア自由主義で
 言われる「個人の自由」とは実際にはブルジョアの恣意でしかないと言う事で
 す。
>>340(電波猫さん)
 (ちょっと口振りをまねてみますが)
 「他者との共感」については如何でしょう?
343258 :2000/10/08(日) 21:06
>340
道徳が必ずしも自分の利益に繋がるものであるとは限らんよ。そんなの当たり前。
でも、それは、個々の人間に「不殺」を徹底するために、社会が作り出した
いろんな理由が存在してるだけのことにすぎんと思うよ。
(160にそんなこと書いた。)

でも、より広範に歴史や文化に対しても横断的に成立してるような(=普遍的
な)道徳律は、どの社会でも、社会の構成員の大多数にとって利益になるもの
だと思うよ。

動物実験を悪とするのは、実際、全然普遍性のない道徳律だよね。

344考える名無しさん>343 :2000/10/08(日) 21:27
>でも、それは、個々の人間に「不殺」を徹底するために、社会が作り出した
>いろんな理由が存在してるだけのことにすぎんと思うよ。
社会の本質を見ろですか(藁
345名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 00:35
「人は全て“許されている”。
 赤ん坊の首を捻ることも、老婆を斧で打ち下ろすことも。
 しかし、本当に“ 許されている”ことを知っている者は
 そうしないだろう。」〜ドストエフスキー『悪霊』〜
人間は自由であり、その自由であることを証明する最たる手段が
自殺である。
いつでも、私はそれができることにおいてのみ、
人は神からも自由になれる。と、
「悪霊」に登場するニヒリスト“スタブローギン”はそのような、
全てに超越した自我、何もにもとらわれない人間の自由について語る。
「それでは、平気で人を殺すことも自由なんだね。許されるんだね。」
 その問いに応えた言葉が上記のようなものであったように記憶する。
(チョツト曖昧だが・・・)

人は何故、人を殺してはいけないか?
についての一つのエピファニー(啓示)がこの応えにあるように思う。
「人は、人を殺してもかまわない。」という前提から出発する。
しかし、そのようなことが許されている、
何をしても自由だと“本当に知っている者”。
なにもかも“許されている自分(人)”について思い至る者は、
“そうしない”だろう。
これは、根底にキリスト教的な“罪”と“贖い”
つまり、イエスの十字架によって全て“許され”たことを実感し、
その神の愛のなかに自由に生き方を選択する者は、
例え人を殺す自由があっても、神に愛されていることを実感するゆえに、
“そうしない”存在であることにつながる。
だから、人は人を殺してはならない。という旧約的な倫理性ではなく、
人は許されている、ゆえに人を殺せない。という視点からとらえることが、
倫理的価値判断からくる閉塞感から我々を解放するように思う。


346ひそひそ名無しさん :2000/10/09(月) 01:25
別に殺したってどうってことありませんよ。
悪いなんて誰がきめたんですか?
固定観念に縛られ過ぎですよ。もっと、頭を柔らかくしなきゃね。

http://www60.tcup.com/6019/space1.html

ちなみに、俺はいやな気分するよ。コロスと。
ヒトコロシしてる人知ってるけどね.
347名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 07:40
人間には想像する能力があるからなあ。
殺したあと殺される自分を想像したりすると一生嫌〜な気持ち
になるかも知れないからやめとくんだろうよ。
とりあえず「殺されるのは嫌」だからねぇ。
348考える名無しさん :2000/10/10(火) 14:27
・・・ボクハヒトヲコロシマシタ。
http://www.magicmoments.cobblers.org/gifs/old/clips/cap017a.mpg
349電波猫 :2000/10/10(火) 18:31
あと340に一つ追加、行動のみを注視するなら「(道徳的に間違っているのは)解っちゃいるけどやめられない」ということが説明できなくなりますね。

複数解答させていただきます。
>169
>「他者との共感」については如何でしょう?
1. 道徳のみが道徳的行為の理由だと主張するつもりはありません
と言うかさすがに無理っしょ、それは。ただ道徳それ自体の強制力を無視すべきではないし、無視すれば物事を見誤るということです。(ここでいう道徳の強制力は、テロリストのそれでもあります)
2. 他の主体を(自分と対等ではないにせよ)尊重するということは道徳そのものじゃありませんか?
3. 「他者との共感」ではなく「他者への共感」です。共感というより同情心といった方が適切かもしれません。偽善的な押し付け等も含まれています。どうでもいいことですがそれを持ち出したのは178氏の議論を誤解した為です
>258
>道徳が必ずしも自分の利益に繋がるものであるとは限らんよ。そんなの当たり前。
もちろん、当たり前ですよ。でも、道徳を受け入れるのは自分の利益になるからだと主張してませんでしたっけ?
>社会が作り出したいろんな理由が存在してるだけのことにすぎんと思うよ。
すみませんが、社会が道徳を規定してると言う主張にしか見えませんのでまるで反論になっていないと思います。
合理的判断と生存本能だけ(?)で現在ある道徳が発達し、利益になるからそれを受け入れる。というのが現実をうまく説明していると本気でお考えでしょうか?
>動物実験を悪とするのは、実際、全然普遍性のない道徳律だよね。
つか、動物実験自体が普遍的じゃないからね。でも、動物に対して倫理的な問題を持つ事は広く見られるとおもいますけど(詳しい人いませんか?)


350>349 :2000/10/10(火) 19:53
258に対して人格攻撃したいわけ?
351考える名無しさん :2000/10/10(火) 20:07
人格攻撃ぐらいででおびえるな。タコ
352考える名無しさん :2000/10/10(火) 20:08
>350
どうだろ?
でも、258は自信過剰
353>1 :2000/10/10(火) 20:50
鼻で嘲笑う
これが一番利くでしょう
354名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 06:22
死ぬのはイヤ
355こうし? :2000/10/11(水) 17:54
「汝の望まざること人に施すことなかれ」
356名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 17:58
>355
オマエモナ
357名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 18:00
>355
おまえもな
358考える名無しさん :2000/10/11(水) 18:05
>355
おまえも、人のいやがるようなことはすんなよ。
359考える名無しさん :2000/10/11(水) 21:28
360258 :2000/10/11(水) 22:44
匿名の人格なんぞいくらでも攻撃しろ。そのための匿名なんだから。
俺は、構わんよ。

>>349
ある特定の道徳律が普遍的に受け入れられているとすれば、そこに
は功利的な理由があるからじゃないのかな。
それ以外の(俺から見れば二次的としか思えない)理由づけが(
意図的に作られたにせよ、自然発生的に生まれたにせよ)存在して
いても何の不思議もないし、特定個人や特定集団の中ではそちらの
方が重要視されることもあるだろうね。しかし、功利的な理由のな
い道徳律が長期間、広範囲に渡って受け入れられることはないんじゃない?なんらかの合理性があるからこそ、文化的に淘汰されず
にその道徳律が継承されきたんじゃないかな。
動物実験をしているところで、普遍的に悪とみなされてないという
ことで十分だろ。よく考えてみろ。しかし、ある時代、ある地方に
おいて、動物愛護が過剰に行われることはままあるよ。五代将軍が
いい例。しかし、そんな「道徳律」は生き延びず、蔓延もしなかった。

361258 :2000/10/11(水) 22:49
あら、失敗。>>360
動物実験云々の前に、改行と
>つか、動物実験自体が普遍的じゃないからね。
の一行を挿入して読んでくれ。スマソ。
362ひそひそ名無しさん :2000/10/12(木) 01:39
>359

ハンパじゃない。皆絶対見ろ。首の動画だ。
363Witt :2000/10/12(木) 10:06
indexに戻って全部観たよ
半年前まで鬼畜趣味で海外の画像ダウンロードしていてけど
また死にたくなった
人間はあまりに残酷だ
364363 :2000/10/12(木) 10:10
文が変になっている
365考える名無しさん :2000/10/12(木) 14:01
人を殺しちゃいけない理由って、それを認めると国とか社会の秩序が
乱れちゃうからでしょ。
倫理的、道徳的な観点からじゃ説明できないと思う。

366考える名無しさん :2000/10/12(木) 17:56
そう
生きるために矢も追えず殺しをするのは
ありだと思うそれが動物の本能
367考える名無しさん :2000/10/12(木) 18:00
「矢も追えず」という表現が気に入りました。
368せつないね :2000/10/12(木) 18:22
「矢も追えず」なんて言われると、
射手も盾も射られない気分になるよ。
369考える名無しさん :2000/10/12(木) 21:09
たくさん殺した。
でも殺さなかった。心の中で殺した。
どうしてかって?
本当に殺したら心がもたないから。
殺す相手が多すぎるので殺しきれない。
370考える名無しさん :2000/10/12(木) 23:21
殺す相手を人と意識して殺す人ってそんなにいるの?
みんな人以外のものにたとえて殺すんじゃないの?
371名無しさん@1周年 :2000/10/12(木) 23:47
>370
野菜と意識しようが、老いぼれ女郎と意識しようが、丸太と意識しようが、
糞と意識しようが、明らかに人を殺す行為を認識してやってると思う。
殺人を意識したことのない人達が、人間がその行為を認識した上で殺人を
行うはずがないという期待から、そう考えるのでは?
372考える名無しさん :2000/10/12(木) 23:51
>370=371

勝手に殺しとけよ
373考える名無しさん :2000/10/13(金) 02:44
殺していいよ。お前が殺されてもいいのならぬぁぁぁぁぁイヒヒヒヒヒ
374>258 :2000/10/13(金) 13:56
ホントバカばっかだねv
375考える名無しさん :2000/10/13(金) 14:32
人に生きる意味あるのか。なぜ生きるんだ?
生きてどこに向かってる?
人はみんなお墓に向かって生きている。生きる結果が死ぬことならば
みんなは死ぬために生きているのかな?
376>258 :2000/10/13(金) 16:28
リンク先行ってないで言ってるだろ
逝って良し
377考える名無しさん :2000/10/13(金) 16:41
>375
フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を
読んでみると良い。実存分析の立場から、生きる意味を教えてくれるだろう。
378169 :2000/10/14(土) 17:18
>>343(258)
>社会の構成員の大多数にとって利益になるものだと思うよ。
 今の社会では少数の金持ちと大多数のそうでない人からなるが、「金儲けは善
 である」という道徳は大多数の利益にはなっていないヨ。
>>360(258)
>なんらかの合理性があるからこそ、文化的に淘汰されずにその道徳律が継承さ
>れきたんじゃないかな。
 「人を殺してはいけない」という事にどのような合理性があるのかな?
 戦争をしている国(例:>377で言われているナチズムドイツ)の人に
 「敵を殺すな」と言う事は合理的なのか?「そんな事を言えば敵から
 殺されるだけだ。『敵国人を殺すのは合理的だ。』が正しい。」と言われるだ
 けでしょう。
379258 :2000/10/14(土) 23:28
>>378
あーあ、なんとも紋きり型の主張をしてるねー。こっちの方が
恥ずかしくなるよ...。(藁
「金儲けは善」ってのが、普遍的な道徳律かどうか、大いに疑問
だし、金持ちになれるのが少数だからと言って、金儲けを善とする
価値判断が大多数の「利益」にならないとする根拠もわからん。
共産主義国家よりも生産効率が低かったとでもいいたいのかな?(藁)

合理性があるという主張に疑問があるのなら、もう一度、
スレを最初から読み直せ。戦争の例もちゃんと挙げてるよ。
(258と署名してるかどうか忘れたがな)
もうちょっとよく考えてからカキコしなはれ。程度低すぎ。
380考える名無しさん :2000/10/15(日) 00:14
>>379
お前、脊髄反射的にしか書いてないんじゃないか?

 >「金儲けは善」ってのが、普遍的な道徳律かどうか、大いに疑問だし、

なら、「金儲けは善」ってのは、大多数の利益になってないって事だよな。
大多数の利益になるものでなければ、普遍的な道徳律にはなりえないのだから。
あんたは、そう考えといてだ。続けて、

 >金持ちになれるのが少数だからと言って、金儲けを善とする
 >価値判断が大多数の「利益」にならないとする根拠もわからん。

げー、「金儲けは善」が大多数の利益になるのなら、それは
普遍的な道徳律になりうるはずじゃんか。
あんた、さっき
 >「金儲けは善」ってのが、普遍的な道徳律かどうか、大いに疑問だし
って書いてたのに。

じゃぁ、「金儲けは善」って価値判断が、大多数の利益になるとしても、
普遍的道徳律として疑問なのだとしたら、それは何が理由なんだよ?
381考える名無しさん :2000/10/15(日) 00:16
みんなサッカー見ようよ
382考える名無しさん :2000/10/15(日) 00:30
 >もうちょっとよく考えてからカキコしなはれ。程度低すぎ。

なんつーことを偉そうに言うんなら、

 >合理性があるという主張に疑問があるのなら、もう一度、
 >スレを最初から読み直せ。戦争の例もちゃんと挙げてるよ。

面倒くさがらずに>>378の後半の疑問にちゃんと答えろよ。
人には厳しくって、自分には甘いのかい。
も少しちゃんと考えて、面倒くさがらずに書けよ。
アンタが程度の高い人ならサ。
383考える名無しさん :2000/10/15(日) 01:35
あー、文意よみちがえたかな。
258の文章って、整理されてなくって読みにくいのよ。
だいたい、
 >共産主義国家よりも生産効率が低かったとでもいいたいのかな?(藁)
なんて話がどっから出てくんだよ。
しかも(藁)付きときたもんだ。
384フィロゾファッカー :2000/10/15(日) 02:16
>378
>「人を殺してはいけない」という事にどのような合理性があるのかな?
>戦争をしている国の人に 「敵を殺すな」と言う事は合理的なのか?「そんな事を言えば敵から
>殺されるだけだ。『敵国人を殺すのは合理的だ。』が正しい。」と言われるだ
>けでしょう。
「人を殺してはいけない」だとそうかもしれないけど
「仲間内で人を殺してはいけない」だったら合理性ありそうじゃない?

385吾輩は名無しである :2000/10/16(月) 01:35
初めて書きます。最近思ったこと書きます。
前の方読んでないので「なにいってんだ?」と思われるかもしれませんが
「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問には答える必要はないんじゃないでしょうか。
なぜならここで言われている「殺す」とは最近の少年事件などの文脈から出てきたものだと
思うんですけど、その場合「殺す」とは「あいつむかつくから殺す」とか「むしゃくしゃしたから殺す」
というもので、例えば戦争のような異常事態で「敵が殺しに来るから殺す」というのとは
違う訳ですよね。この違いってのは大きいと思うんですよ。要するに戦争状態の中で人を殺すというのは
まだ何とか理解できる。しかし「むかつくから殺す」とか「むしゃくしゃするから殺す」ってのは
不自然なんです。それなのに「なぜ人を殺してはいけないの」という問いはおかしい。
不自然なものに答えることなんてできるわけがない。
むしろ逆に「なぜ人を殺していいと思うの?」と問い返さなければならないと思うんです。
そんなことを考えたわけですが、どんなもんでしょう?
386吾輩は名無しである :2000/10/16(月) 01:42
なぜか上がらなかったのであげ
387考える名無しさん :2000/10/16(月) 10:01
>>385
このスレが、「人を殺してはいけない」ということに
論理的な絶対性が無いことをまさに証明している。
388考える名無しさん :2000/10/16(月) 11:28
よく言われることですが、殺人は、井戸に毒を入れたり畔を破壊するといった
公共の罪に比べると非常に軽い罪とされていますね。
389考える名無しさん :2000/10/16(月) 11:31
>388
そりゃあおまえ、井戸に毒入れたら“大量殺人”につながるからだろうが(藁
390380 :2000/10/16(月) 11:38
あー、258。
いるのなら応答ねがう。
391しやは :2000/10/16(月) 13:21
みんな死ねばいい。
392考える名無しさん :2000/10/16(月) 13:29
>391

(ではみなさんで、一斉に、)『 オマエモナーー!!』
393しやは :2000/10/16(月) 14:01
>392
楽しいかい?
394考える名無しさん :2000/10/16(月) 15:18
>389
収穫が激減した場合も、それが大量餓死を誘導するから罪なのか。
勉強になりました。
395考える名無しさん :2000/10/16(月) 16:24
>394
(゚Д゚)ハァ?
>収穫が激減した場合も、それが大量餓死を誘導するから罪なのか。
勉強になりました。

説明きぼーん。
396考える名無しさん :2000/10/16(月) 16:25
394は白痴。
397>394 :2000/10/16(月) 16:25
哲学板の前に法律板行って勉強して来い!
398考える名無しさん :2000/10/16(月) 17:11
法律で定められる刑罰には根拠になる罪があると思うのですが。
まあ法律ならなんでもまもって法改正に関しては意見を持たないというほうが普通なのかな。
399考える名無しさん :2000/10/16(月) 17:15
>394=398
高校の教科で学べるからもう少し待ちな。
そうすれば先生に教えてもらえるぞ
400258 :2000/10/16(月) 18:03
>>380
そうむきになりなさんな。血圧上がるぞ。入れ込みすぎ。(藁

金儲けは善とする価値判断にしたがったからといって、みんなが金持ちに
なれるわけじゃないよ。勉学に励むのは善だという価値判断があるからと
いって、みんなが学者になるわけじゃないのと一緒。そのくらい言われな
くてもわかれよ。話にならん。
401> :2000/10/16(月) 18:37
つまりはなにか、

 >金儲けは善とする価値判断にしたがったからといって、
 >みんなが金持ちになれるわけじゃないよ。

こんなあたりまえの事を表現するのに

 >「金儲けは善」ってのが、普遍的な道徳律かどうか、大いに疑問
 >だし、金持ちになれるのが少数だからと言って、金儲けを善とする
 >価値判断が大多数の「利益」にならないとする根拠もわからん。

こんなこんがらがった文章が必要なのね。あんたの場合。
で、>>378

 >今の社会では少数の金持ちと大多数のそうでない人からなるが、
 >「金儲けは善である」という道徳は大多数の利益にはなっていないヨ。

に対して、

 >もうちょっとよく考えてからカキコしなはれ。程度低すぎ。

と。
いったい何を批判してたんだよ。同じ事言ってるだけじゃん。

 >そうむきになりなさんな。血圧上がるぞ。入れ込みすぎ。(藁

俺はあんたが嫌いなの(笑)。


402380 :2000/10/16(月) 18:38
すまん。省略は関係なし。
改行入れすぎた・・・。
403380 :2000/10/16(月) 18:45
>金儲けは善とする価値判断にしたがったからといって、みんなが金持ちに
>なれるわけじゃないよ。勉学に励むのは善だという価値判断があるからと
>いって、みんなが学者になるわけじゃないのと一緒。

あと、これも日本語として、とってもバカ。
おれもバカだけど、自分でわかってるぶんマシなのかも。
404考える名無しさん :2000/10/16(月) 19:26
>380
おまえの401の書き込みも何も語ってないじゃん。読みなおしてみろよ。

うん。おまえは本当にバカだな。お前の理屈に従えば、自分で「バカ」って分かっているんだったら、なおさらお前がバカな文章書き込むなよ。
バカはバカなりに引っ込んでろ。

バカがデカい口きくんじゃねえよ。
405考える名無しさん :2000/10/16(月) 19:32
バカの分まで余計に考えて、バカと一緒にしあわせになろうよ。
406380 :2000/10/16(月) 22:21
でかいくちなんて叩いてないサ!!
俺は258が、薄っぺらい事を偉そうに言うのが嫌いなだけー。
407考える名無しさん :2000/10/16(月) 22:37
>>379の戦争の例は>>214だろうが
>>215で電波猫に突っ込まれてる
>>223で言い訳してるがあまり説得力ないな
408258 :2000/10/16(月) 23:08
だからむきになるな、って言ったのに。改行入れすぎだよ。(藁)>>401

君が同一視して引用した私の文章は、同じ内容ではないよ。
混乱してるのは君の頭のほうじゃないのかね。もしかして、
大多数の「利益」=大多数が金持ちになること
だと思い込んでないか?だとしたら、救いがたいアホさかげんだね。

バカを自覚してるのなら、これ以上何も言わんがね...。
409380 :2000/10/16(月) 23:35
 >「金儲けは善」ってのが、普遍的な道徳律かどうか、大いに疑問
 >だし、金持ちになれるのが少数だからと言って、金儲けを善とする
 >価値判断が大多数の「利益」にならないとする根拠もわからん。

じゃぁ、「金儲けは善」って価値判断が、大多数の利益になるとしても、
普遍的道徳律として疑問なのだとしたら、それは何が理由?
410考える名無しさん :2000/10/16(月) 23:42
258は当たり前当たり前というが
自分の理論が当たり前と矛盾してるから
突っ込まれてることが理解できない
411380 :2000/10/16(月) 23:43
↑のは、俺が文章読み違えて出た疑問なんだけど、
それをちゃんと指摘しないで、ずれたこと書くから
ややこしいんじゃねーか。
412考える名無しさん :2000/10/16(月) 23:44
258は当たり前当たり前というが
自分の理論が当たり前と矛盾してるから
突っ込まれてることが理解できない
413380 :2000/10/17(火) 00:22
あ、411で↑が指してるのは409のことです。
414ファイロゾファッカー :2000/10/17(火) 00:32
>じゃぁ、「金儲けは善」って価値判断が、大多数の利益になるとしても、
>普遍的道徳律として疑問なのだとしたら、それは何が理由?

話し違うかもしんないけど
大多数の利益てのは要は功利主義でしょ。
「最大多数の最大幸福」これすら普遍的道徳律としては疑問符がつくということじゃないの?

415380 :2000/10/17(火) 00:33
いや、俺のはツッコミになってなかったです。
文章よみ違えてたから。

もうやめときまーす。

ティムポ洗って出直そう。
416考える名無しさん :2000/10/19(木) 01:50
何か話を元に戻してしまうようだけど初カキコなもんで許して。
自分頭悪ィからこの板に書いてある事の半分も理解していないだろうけれども...
すっごく単純に考えて自分だったらこうする。
つまり人を殺そうと思った奴に殺されかかった人が嫌がって「私はあなたに殺されたくはない。
故にあなたは私を殺してはいけない」と思うのがそのまま答えになっていると。
この”私”が=Xになって「あなたは人を(それぞれにとっての私)を殺してはならない」となって、
このスレッドの答えとしては取りあえずこれで出ていると思うが。
もちろん(?)中には自分は別に殺されたっていいと思っている人も少なからずいると思うから、
そういう人に対しての行為だとしたら「別に相手が了解しているのなら君の勝手だけれどそんな事したら
多分君刑務所行きよ」と自分だったら言う。
尊厳死とかの問題もあるけれど自分は自殺は最終的(飽くまでも)にはいけない事だと思わないから、
それ以上の事は言わないし言えないし。
取りあえず「殺されたくない人を殺してはいけない理由」というのは多分もうこれで出てて、それは決して
「自分は殺されてもいい。だから殺してもいい」という理屈にはならないと思う。相手にとっての理由が
当人にとっての理由にはならないぞと言ったとしても「殺すか」「殺さないか」は何によって決まるかというと
殺す本人ではなく相手の命によって決定する。だからその「殺していいか」「殺していけないか」の決定権は
当然その命の所有者に属している(と思うのが妥当では。だから「自分の命だったら好きにすれば?」という)。
殺していいのは相手が了解している時だけであってこの場合周りが皆「殺されたくない人」だったら「自分しか
殺せなくなる」ハズ。
またこの場合「殺してはいけない理由」が直接「人を殺す事は善くない」という説得材料になる必要もない。

要するに問題は「殺しちゃいけない事は知っているが、それでも殺ス」と言っている奴をどうやって説得、もしくは
そういった人間が出ないように抑止するかですよね(答えは一つじゃなくて適宜にあると思うが。適宜にだから
絶対真理である必要もないと自分は思う)。後、この場合は相手が戦争とか(殺されたくない相手を殺す)、
正当防衛(殺されそうになったから殺す)とかを当然引き合いに出して来るだろうからそういう問いにどうやって
答えるかでしょうね。
自分は殺人をやろうとしている人に「どうして人間は人間を殺してはいけないのか」という哲学的(生物学的?)
な問いをされても答える必要はないんじゃないかと思う。
もし問うとしたら究極的な殺してはいけない理由なんて多分ない。しかしだからといって「殺していい」にもならないと
思うのですが。ただ「あなたが私を殺してはいけない理由」があればそれでいいのでは。
人間って「殺さない動物」じゃなくて「殺し合う動物」だと思うし(利己的な万人が皆利己的に動くのだから当たり前)、
それが自然な姿だと思うから(理想の現実化はそもそも不自然な事では。だからこそ”原罪”という後ろめたさがある
ようにも思える)。
どうして道徳とか罪悪というものが生じるかはまた別の話。
417考える名無しさん :2000/10/19(木) 02:08
また同じ話の蒸し返しかよ・・・
418考える名無しさん :2000/10/19(木) 02:10
>416
とても文学的な文章ですね。
楽しませていただきました。
419今年で29歳。 :2000/10/19(木) 12:47
説得させる方法でしょ?
「小学校で習わなかった?
『自分がされたら嫌な事は人にしちゃいけません』って。
自分が殺されたら嫌でしょ?」

ってのはダメ?がいしゅつ?
420考える名無しさん :2000/10/19(木) 15:50
過去ログ読もう。荒らしじゃないなら。倒置法。
421たま :2000/10/19(木) 23:58
殺されたくない、死にたくないと思う人が
殺されたい、死にたいと思う人より多いからだと思う。
422電波猫 :2000/10/20(金) 17:11
>>360
だから反論になってないってば(泣
>それ以外の(俺から見れば二次的としか思えない)理由づけが(
>意図的に作られたにせよ、自然発生的に生まれたにせよ)存在して
>いても何の不思議もないし、
還元プログラムの破綻にはそれで十分だと思いますけど?
マジにホモ・エコノミクスが実在してると思うわけ?
>動物実験をしているところで、普遍的に悪とみなされてないという
>ことで十分だろ。よく考えてみろ。しかし、ある時代、ある地方に
>おいて、動物愛護が過剰に行われることはままあるよ。五代将軍が
>いい例。しかし、そんな「道徳律」は生き延びず、蔓延もしなかった。
さて普遍的かどうかを判断するほど経験豊かじゃないけどさ
あなたの周りじゃ実験動物を玩具みたいに扱うの?そんなことないでしょ(←決め付けも甚だしい)
犬公方みたいな極端なの出されても困る。よく考えてみろよ
もう一つスレッドがあった。
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi?bbs=life&key=945969978&ls=50
道徳性がどうやって発達してきたかはまた別の問題
>合理性があるからこそ、文化的に淘汰されず
(どうもいいことだが)ミーム主義者?
423電波猫@電波な無差別レス :2000/10/20(金) 17:11
>169
>今の社会では少数の金持ちと大多数のそうでない人からなるが、「金儲けは善
>である」という道徳は大多数の利益にはなっていないヨ。
いや、日本に限ればそうでもないんじゃないですか?全体の規模が縮小すれば末端の取り分が小さくなる

>フィロゾファッカーさん
>「人を殺してはいけない」だとそうかもしれないけど
>「仲間内で人を殺してはいけない」だったら合理性ありそうじゃない?
いや、合理的にもかかわらず道徳的なものが力を振るうと言いたいんじゃないですか?文脈的にはそうなる気がします
>>385
そうですね。というよりこういう質問をする人って往々にして(俗流?)超人君なような
>>388
いつの時代の話かしら?

424258 >電波猫 :2000/10/20(金) 22:27
>>422
今頃なんだよ。メソメソするなよ。(藁

引力と運動の法則で投擲物の運動を説明している者にむかって、
いや、煙は上にたなびくし、羽根はひらひら上下するぞ、って
反論してるようなもんだよ。他の力が一切働かない、理想的な
投擲物が実在しないからといって、還元主義的な説明が破綻し
てるわけじゃないよ。

「動物実験を玩具みたいに扱う」って、何の話さ?
動物実験そのものが道徳律に反するかどうかって話じゃないのか?

「ミーム主義」なんて知らんよ、わしゃ。
425電波猫 :2000/10/21(土) 17:42
>引力と運動の法則で投擲物の運動を説明している者にむかって、
貴方のは単なる思いつきじゃない(苦笑
「生存本能に基づく合理的判断」はすでに破綻しています
426哲学板はこのスレだけでいいや。 :2000/10/21(土) 20:43
そんなこと認めたら人間社会が成り立たないから。
本能も理性も感情も完全ではないのだから。
427つっこみ :2000/10/21(土) 20:49
>426
>本能も理性も感情も完全ではないのだから
だとしたら道徳は何に沿って考えられるべきなのか?
宗教?神との1対1の対峙?
428426 :2000/10/21(土) 21:37
宗教も神も人間が作ったもんだしね。

遺伝子とかは?遺伝子が子孫をつくってより人類の存在を確実なものにせよ
といっていても本能の段階まで下がるとSEX白まで下がっちゃうかんね。
そういう意味でかんぜんでないってこと。
429258 :2000/10/21(土) 22:09
ああ、思いつきでも、君のトンデモない勘違いよりはマシさ。(藁

何が「破綻してます」だよ。
「動物実験を玩具みたいに扱う」なんて勝手に歪曲する輩がいかにも
言いだしそうな、愚劣な決めつけだね。
破綻してるのは君の脳味噌のほうだってことに気づかんか?(藁)

中身をちゃんと理解しないで、生かじりの「用語」ばかりふりまわ
しても、ゴミみたいな結論しか出てこないぞ。こころしなさい。
430258>電波猫 :2000/10/21(土) 22:11
おっと、↑のレス先ね。>>425
431電波猫@フレーム>258 :2000/10/21(土) 23:39
>ああ、思いつきでも、君のトンデモない勘違いよりはマシさ。(藁
トンデモない勘違いって、貴方が自己完結してるだけじゃないの。
道徳の還元プログラムを本気でやろうとしたら相当幅広い議論が必要になると思いますが?

>「動物実験を玩具みたいに扱う」なんて勝手に歪曲する輩がいかにも
> 言いだしそうな、愚劣な決めつけだね。
やれやれ、勝手に歪曲したのは君の方じゃなありませんでした?
どこから犬公方なんて出てきたんだか

>破綻してるのは君の脳味噌のほうだってことに気づかんか?(藁)
そう言うんならまともな反論したらいかがでしょう?

中身をちゃんと理解しないで、生かじりの「用語」ばかりふりまわ
しても、ゴミみたいな結論しか出てこないぞ。こころしなさい。
432考える名無しさん :2000/10/22(日) 01:55
258みたいに、自分は頭がいいと思いこんでいるバカほど手に負えないものはないのである。
433258 :2000/10/22(日) 10:48
>>431
「道徳の還元プログラム」なんて誰も本気でやろうとなんかして
ないよ。特定の道徳律に関して気楽に考察してるだけだ。
反論するなら、もっと説得力のある議論をしてみろよ。筋違い
もはなはだしいぞ。

動物実験を不道徳とするのは、犬公方の発想と同じだろ。
極論だと言って安直に片づける君のほうがどうかしてるよ。
動物実験が不道徳だというのが普遍的な道徳律だと主張し
たいならその根拠をしめしてみろ。それが本筋だろ。

俺の発言をそのまま繰り返すオリジナリティのなさが、生かじり
の用語をふりまわしたがる君らしい行動で藁えるよ。少しは工夫
してみ。

>>432
典型的なバカの発言だね。ひたすら無内容。(藁)
434電波猫>433 :2000/10/22(日) 12:06
>動物実験を不道徳とするのは、犬公方の発想と同じだろ。
>極論だと言って安直に片づける君のほうがどうかしてるよ。
>動物実験が不道徳だというのが普遍的な道徳律だと主張し
>たいならその根拠をしめしてみろ。それが本筋だろ。
実験中に不必要に苦痛を与えないようにする傾向がある等リンク先の文章で十分でしょ?
これが「生存本能に基づく合理的判断」とは思えませんね
ちなみに「玩具のような」は誤解じゃなくて皮肉ね

>「道徳の還元プログラム」なんて誰も本気でやろうとなんかして
> ないよ。特定の道徳律に関して気楽に考察してるだけだ。
誰彼構わず馬鹿呼ばわりして「俺の理論は唯一絶対だぜ」と振舞ってといてそう言う事言うかな?

生噛り用語振りまわしてるの君じゃないか(苦笑

さげ
435電波猫 :2000/10/22(日) 12:16
あ、私が諸学問の素養をちゃんと持ってると主張する気はありません
436169 :2000/10/22(日) 13:08
(議論の整理を少し−最大多数の最大幸福について−)
功利主義者ベンサムが唱えたいわゆる「最大多数の最大幸福」という倫理説
は近代個人主義の下での利己主義の正当化としてよく持ち出される。
>>89(代理いぬ氏)
>「最大多数の最大幸福を考慮する」という事は、この上なく明快な原理だ
そしてその根拠は本能的な自愛心(この私を愛する心)から始まるとされる。
>>178
>「殺すなかれ」が何故かくも普遍的かつ根源的な倫理としてあるのか
>考えてもみよ。本能に還元できるからこそではないのか?
>「生きたい」っていう本能。
しかし私の自愛心だけなら、他者の自愛心を尊重する理由は出てこない。
私と他者は「同じ人間」と言っても、他者の死=私の生という殺し合いの
関係性があり得るからである。誰もが生きたいのだという事をどう認めるか。
>>207(178)
>「生きたい」から「殺されたくない」わけでしょ。他人を殺さないという
>タブーを作ることによって、自分が殺されないことを保証するシステムが
>できるわけだよね。
しかし、近代主義はあくまで個人の絶対性から全体社会を構成しようとする。
そのための方策は「一般的で無差別で平均的な個人」という他者の立場であ
る。それは個人をかけがえのない存在としてではなく、代替可能(交換可能)
な等価物とする。
>>278(258)
>社会的行動規範を考える上では、私と他人は等価な「個人」となってしま
>うわけだな
そうして初めて自愛心の単位としての個人に基づく、社会全体での「幸福の
量」という功利主義の考え方が成立する。殺人と非―殺人(不殺)がもたら
す幸福―不幸の量として天秤にかけることができるようになる。
437169 :2000/10/22(日) 13:10
(続き)
>>278(258)
>自分が殺される不幸と、自分が殺す幸福を比較したら殺される不幸のほう
>がはるかに大きいっていうのが「平均的」な答えだろーが。
しかし、幸福の量など実際には直接計算できない。そこで、倫理学者にして
経済学の創始者アダム=スミスは幸福の量をその充足手段としての富そして
価値の量に還元して商品経済における貨幣価値の計算に功利主義の正当化を
見出したのである。(すべては貨幣価値に換算できる!)
かくして社会の大多数が豊かになれば、殺し合いなどなくなるし、道徳的な
論議も無用となる、と言うわけである。
>>343(258)
>より広範に歴史や文化に対しても横断的に成立してるような(=普遍的
>な)道徳律は、どの社会でも、社会の構成員の大多数にとって利益になる
>ものだと思うよ。
しかし、資本家の利益は労働者の不利益だという資本の本質はアダム=スミ
スと近代資本主義の計算を危うくしている。資本家は労働者に比して圧倒的
に少数である以上、現在の社会システムの道徳律である「個人の利益の追求」
をもってしては「最大多数の最大幸福」は出てこない。まして、リストラと
いう「社会的な殺人」まで考えれば、「汝殺すなかれ」という倫理すら今の
社会においては現実に否定されている事が分かる。彼の説はかくて破綻する。
438考える名無しさん :2000/10/22(日) 14:45
>169

>「他者の身体において現象する意思の否定を手段にして、自分自身の意思を自分自身の身体を超え出て肯定する」ことは
>何より不正である
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=970459588&ls=50
ここからの引用

こいつはどうかな?
439258>169 :2000/10/22(日) 17:16
>>437
御苦労さん。せっかくの労作だからどっかで出版すれば?(藁

めんどくさいから最後のほうしか読んでないけど、
豊かになれば殺し合いはなくなるし道徳もいらんというのは、
論拠が不明。えらく飛躍してないか?そもそも、みんなが
一様に豊かになるなんてことは現実にはありえんだろ。

アダム・スミスが何を言ってるかしらんが、デタラメもいいとこ
だね。顔を洗って出直すよう彼に伝えといてくれ。(藁
利益や不利益がそんなに単純に計算できるようなもんなら、
苦労しねーよ。今ごろ共産主義の大勝利に終わってるだろうよ。
現実に否定されてるのは、国富論のほうだろ。所詮、200年前
の社会に限定される思いつきにすぎんよ。破綻してる。
リストラと殺人を同一視しちゃうあんたのオムツも破綻してるがな。(藁)
典型的な社会科学系の論理の飛躍という奴かもしれんが、
自然科学の理論体系になじんだ目から見れば笑止千万。話しにならん。
440258>電波猫 :2000/10/22(日) 17:30
>>434
おいおい、じゃあ、最初ッからそうきちんと書けよ。
どっちみち、そんなものは普遍的な道徳律とはいえんよ。ほんの
最近になって言われだした、極めて限定的な道徳律にすぎんね。
殺人がダメってのとは比較にならんのは明白。動物に苦痛を与え
た人間は死刑にでもなるのかね?馬鹿も休み休み言え。

俺の意見が唯一絶対正しい、なんて主張した覚えはないよ。
君の意見が見当外れだと言ってるだけさ。2ch的に誇張
はしてるが、そんなことでカリカリするようでは度量が狭いぞ。
もっと、おおらかになれ。少なくとも2chではな。(藁)
441考える名無しさん :2000/10/22(日) 17:31
258は自然科学信者だから
今までの倫理学の歴史をも全て本能に含まれてるといいたいわけさ
自然科学は社会科学を内包するつまり自然科学>社会科学
258にとって理想とする社会は動物的な人間社会なのさ
理性によって統合された社会なんぞ258にとっては愚の骨頂というわけだ
思想の基盤がすでに258は一般人と異なるのだよ。
そんな悟っている彼に一般大衆の如く愚民の掃き溜めの掲示板にいる価値なんぞないのさ
442考える名無しさん :2000/10/22(日) 17:50
>258
人を殺す事が本能や遺伝子に基づく普遍的なものだとしたら

・死刑・国家が個人を殺す事
・戦争、内戦・国同士や異思想同士で殺しあう行為
・自殺・自分が自分を殺す行為
・防衛、緊急避難・わが身のために人を殺す行為
・医療における例・他者の生命のために医者が別の他者を殺す行為
・中絶・胎児を殺す行為
などはどうなるの?

それとか自分の親族が不当に殺害された時におこる殺意は本能なの本能ではないの?
443考える名無しさん :2000/10/22(日) 20:28
強姦という行為はどう評価なさいますか?>258さん
444電波猫>258 :2000/10/22(日) 21:36
リンク先見りゃ解かる事じゃん。え、見なかった?私の責任じゃないって
普遍的かどうかは「生存本能に基づく合理的判断」かどうかには関係ない(関係あるというなら挙証責任は貴方にある)
犬公方の件だけど考えてみりゃ、道徳が暴走したわけだし一つの例にはなるよね

>俺の意見が唯一絶対正しい、なんて主張した覚えはないよ。
誰彼構わず馬鹿呼ばわりして良く言う(苦笑

445電波猫>258 :2000/10/22(日) 21:40
どうでもいい事だけど、強弱は別として動物に不必要な苦痛を与えないのはいい事だという道徳は広く見られる

>殺人がダメってのとは比較にならんのは明白。動物に苦痛を与え
>た人間は死刑にでもなるのかね?馬鹿も休み休み言え。
ある面において連続的なものではあるでしょ?
極論だと言って安直に片づける君のほうがどうかしてるよ。(使いまわしは厭味だよ)
446ぱらどくす :2000/10/23(月) 05:07
知らない間に哲学になっていたのですね。
久々来てみたら少年犯罪のスレッドが書き込めなくなっていたし・・・
447ぱらどくす(最終) :2000/10/23(月) 05:41
興味深く読ませて頂きました。
哲学者の著書の引用が多いのは如何なものかと思いますが。

>445
>動物に不必要な苦痛を与えないのはいい事だ
”不必要”であるなら”与えないのはいい事”であるのは当然かと。
448考える名無しさん:2000/10/23(月) 14:45
「殺す」ことは、どこまでも脈絡依存的にどうとでも語れる。
物語りにおいて、登場人物を「殺す」のは楽な所作だ(独り言なら絶対)。
哲学は結局独り言なのか。みんなそう思っているか?
あなたは何を、誰に向かって、何の為に語っているのか。

そのことに自覚的でないなら、それは「殺す」ことを是とするにしろ否とするにしろ、
ある体制の中でのローカルルールを語っているに過ぎない。
だから、それがある体制の中でのローカルルールに過ぎないことをこそ自覚的に提示するべきではないのか。
449258:2000/10/23(月) 21:13
>>441
理性で割りきれる社会なんかできるわけないだろ。バルカン星人
か、お前は。(藁)
理想とする社会なんていうイメージも持ってないよ。青臭すぎ。

>>442
あんた、なんか読み違えてるぞ。しっかりしろ。殺意が本能に
基づくなんて誰が書いた?

>>443
そんな漠然とした質問をされても返答のしようがないよ。
強姦されたらやだな、でも、してみたい気もする、ってくらいか。(藁)

>>444
わかるわけねーだろ。いい加減なこと言うなよ。
しかし、他者批判=自己肯定だと頭の芯から思い込んでるようだね。
だから馬鹿だって言われるんだよ。(藁)
450考える名無しさん:2000/10/23(月) 21:22
258は殺されても文句は言えんな(藁
なんせこいつには生き残れるほどの能力もないのだからね
ただ生存競争に勝ち残れない人間が一人消えた それだけさ
451考える名無しさん:2000/10/23(月) 22:10
人を殺さない事が本能や遺伝子に基づく普遍的なものだとしたら

・死刑・国家が個人を殺す事
・戦争、内戦・国同士や異思想同士で殺しあう行為
・自殺・自分が自分を殺す行為
・防衛、緊急避難・わが身のために人を殺す行為
・医療における例・他者の生命のために医者が別の他者を殺す行為
・中絶・胎児を殺す行為
などはどうなるの?

それとか自分の親族が不当に殺害された時におこる殺意は本能なの本能ではないの?


452考える名無しさん:2000/10/23(月) 23:29
258壊れてないか…
453食いだおれさん:2000/10/24(火) 05:03
殺すのは勝手だけど、
怖いおじさんが来るかもよ!
454258:2000/10/24(火) 18:32
>>450
唐突に何を言いだす。基地外か、おまえ?
455>258:2000/10/24(火) 20:01
>だから馬鹿だって言われるんだよ。(藁)
君の中では馬鹿だって言われてんのは
君じゃなくて電波猫なのか?(藁
456考える名無しさん:2000/10/25(水) 17:32
やるならやれば(わら
ではいけない?
457258:2000/10/25(水) 18:26
>>455
当たり前じゃん、そんなの。何度言えばわかるんだ?
ついでに、お前もな、馬〜鹿。(藁)
458>258:2000/10/25(水) 18:34
おいおい
「言われ」てんのがだぞ
459258>電波猫:2000/10/25(水) 23:20
みんなから馬鹿だって言われたからって
バスジャック起こすなよ
460ここではこの際_匿名希望:2000/10/26(木) 02:08
..あの..1さんの趣旨は
当該する質問に
「どうやって答えれば良いのでしょうか!? 」ってことですよね?

だったら わたしだって答えることはできますが..

ただ 当該する質問をした相手は納得しないでしょうねえ..
え?どう答えるかですか?..それは..とりあえず黙秘します。
461考える名無しさん:2000/10/26(木) 02:15
「鏝叛」はBm7と申します
↑何て読むの?
462>461:2000/10/26(木) 02:44
「こてはん」です。
463考える名無しさん:2000/10/26(木) 03:21
>462
サンクス
464..でもって..:2000/10/26(木) 03:41
とりあえず目の前に当該する質問を発する
17歳の少年がいたとしますよねえ..そういったケースで

どうやって答えれば良いのでしょうか!?
>各位
465考える名無しさん:2000/10/26(木) 03:58
>464
とりあえずその少年になんで殺したいのかを聞く
そこからはじめなければ意味はないのではないかな?
466考える名無しさん:2000/10/26(木) 04:29
>465
で、「何故その人を殺さなければならないか?」
っていう話に持っていくのか?
467>1:2000/10/26(木) 04:38
>1
自分が殺されたら嫌だから.
468>考える名無しさん:2000/10/26(木) 04:46
そうなんです。わたしはそう考えるんだけど..
これって「鼬ガイ」でしょうか?
「鼬ガイ」=「いたちがい」
469考える名無しさん:2000/10/26(木) 05:21
レスをとりあえず全部読んでから書いてってくれんか。
470>469の「考える」名無しさん:2000/10/26(木) 05:32
一応レスは読みましたが..
多分わたしの読解力がたりないのだとおもいます。
471考える名無しさん:2000/10/26(木) 07:35
自分が殺されたら嫌だから、
「自分が殺されないためにはどうすればいいか?」
と考え、
「人を殺してはいけないというルールを作ればいい。」
という答えをだした。
よって467は正しい。
4722ちゃん哲学板ボエー:2000/10/26(木) 07:58
じゃあ、世の中から死刑はなくなっちゃいけないんだね。
法は人を殺してもいいのに人は人を殺しちゃいけないのは
なんだか不合理だね。
人を裁くのが人か法かなんて大した差でもないのにね。
死刑覚悟でどうしても殺したい人がいたら殺せば?って
思うんだけどね。

473258:2000/10/26(木) 08:45
>>459
 こら、こら、騙りはいかんぞ!

>>458
 「言われる」の主語が誰か考えてみ。小学生以下だな。
 だから、馬鹿だって言われるんだよ、君は。(大藁)
474考える名無しさん:2000/10/26(木) 13:56
殺されるのが嫌な人がいっぱい居るからだと思うが。
ちなみに、自分が嫌なだけなら規範は出来ない。
あ、過去ログはちらっとしか見てません。
475>258:2000/10/26(木) 14:53
>だから馬鹿だって言われるんだよ。(藁)
は、だから馬鹿だって言うんだよ。(藁)
が正しい、小学校からやりなおしなさい
476名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 19:45
>474
何人いようが(規範の)理由は同じ。
477258:2000/10/26(木) 21:18
>>475
なるほど、君はどうも受動態という言葉を知らんようだね。
小学校のカリキュラムはこなしてるみたいだから、もしかして、
中学校あたりで習うものなのかな?(藁)

悪い悪い、これから君のようなドキュソにもわかるように、できる
だけ能動態で書くように努力するわ。(大藁)
478考える名無しさん:2000/10/26(木) 21:50
        デムパ!!
  Σ ∧_∧___
   /(゚д゚*) /\
 /| ̄∪∪ ̄|\/
   |____|/
     ∪∪
479名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 23:25
>472
じゃあ、他に何かいい方法でもあるのかね。
480考える名無しさん:2000/10/26(木) 23:36
>>476
ん?人数と言うか、みんなが嫌だと思わないと、
『人』には当てはまらないと思うんだが。
>>471もおかしいなあ。
「『自分』が殺されないためにはどうすればいいか?」
なら
「『自分』を殺してはいけないというルールを作ればいい」
と答えを出すのが正しいと思うけど?
481考える名無しさん:2000/10/27(金) 06:27
>480
で、「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問にはどう答えるの?
482考える名無しさん:2000/10/27(金) 06:46
>>481
いや、だから、一言で言うなら。
「殺されるのが嫌な人がいっぱい居るから」
ぐらいしか思いつかないけど…
483169:2000/10/27(金) 06:53
>481
 「『人』って誰を指しているの?」かと聞き返すのはどうでしょう?
 人=自分、他人、特定の奴、敵国人、社会の敵、世界中の人間全部、生き物
 で答えは違ってくるでしょう。
484475>477:2000/10/27(金) 14:09
受動態使えばニュアンスが変わるんだよ
そんな事も分からんのか?
日本語を勉強し始めたばっかで、文法書しか読んだことがないのかな?

485考える名無しさん:2000/10/28(土) 01:09
>>483
解り易くしてくれたんだとは思うが、「=」で結んでしまうのはどうかなあ。
混乱するし。揚げ足取りみたいで、すまんねどうも。
それと、「『人』って誰を指しているの?」なんて聞いたって、
答えが違ってくるどころか、無限の答えを受ける事に成りそうだが。
486考える名無しさん:2000/10/28(土) 17:21
「かわいそう」じゃいかんのか
487名無しさん@思考停止:2000/10/29(日) 03:58
社会って他人との共生が前提じゃないの?
他人を殺したら共生じゃなくなる。
嫌なら他人とかかわらないように、どこかで一人で逝きなさい。
488保部逗:2000/10/29(日) 08:17
A.事実前提:「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と
思う人の数と、ある人が「自分が殺されやすい」と思う度合いの間に
は正の相関がある。
B.価値前提:ある人が自分が殺されやすいと思う度合いは減るべき
である。
-----------------------------------------------------------
C.結論:「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う
人の数は減るべきである。

 A∧B→C は誤りです。

つまり、
「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
任意の個人の「殺されたくない」という欲求からは導出されない、
ということです。
言い換えると、
「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
功利主義的には説明できない、ということです。
489258:2000/10/29(日) 09:41
「殺されたくないから、殺さない」でいいんだよ。ほんとヴァカ
ばっかし。(藁)

もうひとつ傍証をあげてみようか。
自殺も「人を殺す」行為だが、他者を殺す行為に比べて、
格段に禁忌の程度が低いよ。

490考える名無しさん:2000/10/29(日) 10:08
>486
「かわいそう」でない場合は殺しちゃうの?

>487
「こいつとは共生したくねー」という場合、
自分が死ぬのは嫌だから他人を・・・
と、知能のある人は考えると思うが。

>488
A∧B→C のどこが誤りなの?
491考えない七氏:2000/10/29(日) 10:31
>488
なるほど、論理的には正しいね
492考える名無しさん:2000/10/29(日) 10:57
>488
A∧B→C は論理的に正しいよ。
493考えない七氏:2000/10/29(日) 11:12
>492
いや、やはり A∧B→C は成立しないよ。
原因であるためにはそれは必要条件でなければならないが、
Aの命題では後件は前件であるための十分条件にはならないから。
よーするに、492さんの論証は全体として妥当になる。
 
494考えない七氏:2000/10/29(日) 11:15
あ まちがい
『よーするに、492さんの論証は全体として妥当になる。』
でなくて
『よーするに、488さんの     』


495考える名無しさん:2000/10/29(日) 13:21
>493
Aの命題では前件と後件に正の相関があれば成立だよ。
「と思う人の数」と「と思う度合い」の関係は正の相関あり。
後件は前件であるための十分条件である必要なし。
A∧B→C は成立してる。
496考える名無しさん:2000/10/29(日) 20:24
>>488
について、
>>495
に対して。

Aの後件がAの前件の十分条件でないと、
Aの後件が偽でもAの前件は真になりうるよ。

換言すると、

ある人が「自分が殺されやすい」と思う度合いを減らしても、
必ずしも
「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」思う人の数
は減るわけではない。
 
497496:2000/10/29(日) 20:29
496の
「ある人が「自分が殺されやすい」と思う度合いを減らしても、」
の「ある人」は「任意の人」にすると、より正確。
498考える名無しさん:2000/10/29(日) 22:38
>496
Aの前件は:「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う人の数
言い換えるとこうなる:「他人が<人を殺す>かもしれない」と思う人の数

ある人の「他人が<人を殺す>かもしれない」と思う人の数が
減るわけでもないのに 、
その人の「自分が殺されやすい」と思う度合いは減らせない。
(正の相関を否定したことにはならない。)

それに、
前件(人の数)後件(度合い)片方だけでの真偽判定は無効。基準が無い。
499258:2000/10/29(日) 23:08
論理ヴァカはどうしようもないな。>488とそのシンパ

論理ヴァカが陥りがちな、Garbage In@` Garbage Outの典型だーよ。

488の論法でいけば、すべての科学的事実は、単なる統計的な
結果でしかないのだから、かならず成り立つとは限らない(正
の相関云々ってとこに対応)。したがって、科学法則の予測す
る命題はすべて488のA∧B→C同様に不成立となるから、
自然現象は科学法則では説明しえないことになるよ。
正気とは思えんねぇ。(大藁)。
500考える名無しさん:2000/10/30(月) 00:22
>>258
だから、せいぜい相関関係でしか言えないことを
原因だと言い張っているあんたこそが
「正気とは思えんねぇ」ってことだよ
(マダワカンナイノ?)

501考える名無しさん:2000/10/30(月) 01:17
>496
>Aの前件は:「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う人の数
>言い換えるとこうなる:「他人が<人を殺す>かもしれない」と思う人の数

残念ながらその言い換えは不適切です。

A1:ある人が「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う
A2:ある人が「他人が<人を殺す>かもしれない」と思う

とし、A1、A2の「ある人」が特定の人だとすると、たとえ帰納的推論の下でも、

      A1→A2 は認めても、
      A2→A1 を認める人は少ないでしょう。

言い換えである限りは、それは同値でなければならないので、
その言い換えは不適切です。
したがって、それに続く記述(言っている意味がよく分からない)も
成り立ちません。
(そもそも正の相関が成立しても488の推論は妥当ですよ)

>前件(人の数)後件(度合い)片方だけでの真偽判定は無効。基準が無い。

普通の命題論理ではそうですね。
ただ、帰納論理やファジー論理を妥当とすれば、
有効かもね。
502501:2000/10/30(月) 01:19
501 の「>496」は「>498」に訂正
503考える名無しさん:2000/10/30(月) 02:06
>>490
人は理論よりも感情で動くと思うよ。
可哀相とも思わない人なら殺しちゃうだろう
504考える名無しさん:2000/10/30(月) 02:40
>501
A1もA2も意味は同じ。A1=A2。
ゆえに、
|ある人の「他人が<人を殺す>かもしれない」と思う人の数が
|減るわけでもないのに 、
|その人の「自分が殺されやすい」と思う度合いは減らせない。
を、
|ある人の「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う人の数が
|減るわけでもないのに 、
|その人の「自分が殺されやすい」と思う度合いは減らせない。
と、
言い換える前に戻しても意味は同じ。

言い換えが不適切だから、「それに続く記述が成り立ちません」
というなら、言い換えなければ成り立つ?
505名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 02:53
>「なぜ人を殺してはいけないの?」
俺は「人を殺してはいけない」なんて言った覚えはないが、、、

506258:2000/10/30(月) 04:12
サッカーで夜更かししちまったよ。お肌が荒れちゃう...。(泪

>>500
科学的事実とされるいかなる実験事実も、つまるところは相関
関係でしかないよ。そこに因果関係があるかどうかは、あくま
でも理論的な枠組みの中で議論されることであって、経験事実
そのものから自動的に判定できるわけじゃない。わかってんのか?
「相関が見えるというだけでは不十分だ」というだけの議論から
は、因果関係を否定したことにはならんよ。逆に、因果関係がある
から相関が見えるんだ、という主張を裏付ける証拠に使われるのが
現実だよ。

まったく、ヴァカばっかしでやんなっちゃうよ。もっと歯ごた
えのある議論頼むわ。(藁)


507考える名無しさん:2000/10/30(月) 08:26
 258のおにいちゃんへ
>>506

>科学的事実とされるいかなる実験事実も、つまるところは相関
>関係でしかないよ。

 ボールを空になげるとおちてくるよね でも
 そのボールは手で空に投げないと落ちてこなかったよね
ぼくにはわかっても きみにはわからないんだね
 どんな実験事実も相関関係でしかないんなら
 ボールが手からかってにとんでいって
 じぶんのちからでもどってきたともいえるんだね
 たのしそうなせかいだね

    Λ_Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ◯(´∀`)◯< わーい たのしそーだね
   \    /  \__________
    |⌒I、│
   (_) ノ ぐにゃぐにゃだーい
      ∪
     ∬
508考える名無しさん:2000/10/30(月) 08:32
 258のおにいちゃんへ
>>506

>「相関が見えるというだけでは不十分だ」というだけの議論から
>は、因果関係を否定したことにはならんよ。

 なにいってっか よくわかんないけど
 じゃあ きみは きみの議論は相関関係がみえるだけ
 のものだから不十分だって  みとめるんだね

 でも きみはこれまで
 「ひとがころさないのは ころされたくないからだ」って
 いってきたよね
 これは因果的なむすびつけだよね

 だから 相関関係でしかない といいながら
 いつのまにか 因果関係になってるよね
 じゃあ その因果関係がいえる根拠はナーニ?

>因果関係があるから相関が見えるんだ、という主張を
>裏付ける証拠に使われるのが現実だよ。

 文がめちゃめちゃだからよくわかんないけど
 そんなこと 裏付ける証拠がないと
 わかんないの? ふしぎだなー 

           _________
         /
  Λ_Λ  / ひとをきらわれるのも
 ( ´∀`)<  じぶんを破綻させるのも上手なんだね
(    ) \________
  | | |
 (__)_)
509考える名無しさん:2000/10/30(月) 08:37
あっ >>505は私の書いたレスではありませんので...
510考える名無しさん:2000/10/30(月) 15:42
>>488>>482への反論と拘えて良いのか?
それとも482は無視なのか?だとすると寂しい。
482は功利主義者でもなんでも無いんだが、
言ってる事は功利主義の立場になってしまうのか。

「ある人」が「特定の人」か「任意の人」かで違ってくると思うのだが。
ま、それは置いといて。
思うに前提が不充分ではないだろうか。
自分は論理学に無知であるが、見よう見真似でやってみた。

【推論1】
A1.社会における殺人の数が増えれば、
ある人が「自分が殺されやすい」と思う度合いが増える。
A2.ある人が自分が殺されやすいと思う度合いは減るべき
である。
-----------------------------------------------------------
C.社会における殺人の数は減るべきである。
【推論2】
A1.「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と
思う人の数が増えれば、社会における殺人の数は増える。
A2.社会における殺人の数は減るべきである。
-----------------------------------------------------------
C.「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う
人の数は減るべきである。

この推論で逝けると思うが、どうだろうか。
511488:2000/10/30(月) 19:04
>>510
>この推論で逝けると思うが、どうだろうか。

残念ながら「逝けません」。

まず言いたいのは、
相関関係は条件関係と必ずしも同一ではない、
ということです。
「増える」の否定は
「増えない」つまり「減る、または減らない」です。
ですから、相関関係で表される文に
厳密な演繹論理は適用できません。

ただ、推論1@`2のA2を便宜上「増えるべきではない」と
解釈すると、演繹的な義務論理に従った推論は
次のようになります。

【推論1】
A1.社会における殺人の数が増えれば、
  ある人が「自分が殺されやすい」と思う度合い
  が増える。
A2.ある人が自分が殺されやすいと思う度合いは
  減るべきある。
---------------------------------------
C.社会における殺人の数は増えるべきではない。

【推論2】
A1.「<他人を殺してもよい>と社会で思われて
  いる」と思う人の数が増えれば、社会におけ
  る殺人の数は増える。
A2.社会における殺人の数は減るべきである。
----------------------------------------
C.「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」
と思う人の数は増えるべきではない。

そして、推論2の結論Cが真ならば、
次の命題も必然的に真です。

 .「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う
人の数は一定数いてもよい。

つまり、

 「社会における殺人の数が増えれば、ある人が
<自分が殺されやすい>と思う度合いが増える」という
関係と、「<他人を殺してもよい>と社会で思われてい
ると思う人の数が増えれば、社会における殺人の数は
増える」という関係だけからは、 「<他人を殺してもよい
と社会で思われている>と思う人の数は増えるべきでは
ない」という義務命題は導出できない、と言えます。

(証明おわり)
512488:2000/10/30(月) 19:12
511の最後の
  「<他人を殺してもよいと社会で思われている>と思う人の数は
   増えるべきではない」という義務命題
は、
  「<他人を殺してもよいと社会で思われている>と思う人の数は
   減るべきだ」という義務命題

に置き換えてくださいませ。
513考える名無しさん:2000/10/30(月) 21:07
>>507-508
実験事実そのものは相関関係でしかないけど、
実験事実から相関関係しか導き出せないとは言ってないと思うよ。
514考える名無しさん:2000/10/30(月) 22:05
>>511
それはつまり、488の以下の部分
>「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
> 任意の個人の「殺されたくない」という欲求からは導出されない、
> ということです。
は、
「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
任意の個人の「殺されたくない」という欲求からは導出されない
とは限らない。
ということじゃないか。

それに、「人を殺してはいけない」という規範は、
「義務命題」として導出された訳じゃない。
(規範は義務でも、規範を作ることは義務じゃない)
効果を予測し、それを望んだから規範は作られたはず。
515258:2000/10/31(火) 00:37
>>507
>ボールを空になげるとおちてくるよね

やっぱ、お子ちゃまには難しかったかな。(藁)
ボールを投げると落ちてくるという経験事実があったから
といって、今度君がボールを投げた時に落ちてくる保証が
あるのかね?結局は、相関の度合いの問題でしかないだろ。

>>508
おにいちゃんに向かって、「きみ」呼ばわりはないだろ。お子ちゃま
はまず礼儀を教えてもらえよ。俺も礼儀しらずだが、お子ちゃじゃ
ないから、もう治らんけんね。(藁)
サッカー見たあとなんで、多少寝ぼけた文章だったかもしれんが、
要するに、「事実として見いだされる相関関係っつーのは、因果
関係を裏付ける証拠である」ってことよ。わかった?
516488:2000/10/31(火) 01:32
>>514
>それはつまり、……
>「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
>任意の個人の「殺されたくない」という欲求からは導出されない
>とは限らない。
>ということじゃないか。

もとの488の後半部分の書き方が曖昧でした。

  「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
  任意の個人の「殺されたくない」という欲求<だけ>からは
  導出されない。

のほうがより正しい言い方です。

だから、あなたが書いた「…から導出されないとは限らない」
とは言えません。 上と同義ではないから。

>それに、「人を殺してはいけない」という規範は、
>「義務命題」として導出された訳じゃない。
>(規範は義務でも、規範を作ることは義務じゃない)
>効果を予測し、それを望んだから規範は作られたはず。

「べきである」という語を用いなくても表現できます。
例えば、そこに書いたように「思う度合い」や「人の数」などをで。
「べきである」を用いたのは、
初期条件である人の欲求の向きや、規範の内容
を表すには、そうした書いたほうが分かりやすいと
思ったからです。分かりくかった?

だから結論Cも、たとえば、

 <他人を殺してもよい>という内容の規範の強度が下がる。

と書いてもかわないですよ。
517考える名無しさん:2000/10/31(火) 02:38
すっげー258真性じゃん 黙祷・・・
518考える名無しさん:2000/10/31(火) 07:45
>>516
>「人を殺してはいけない」という規範の存在は、
>任意の個人の「殺されたくない」という欲求<だけ>からは
>導出されない。
導出されないのは「義務命題」だけ。
「人を殺してはいけない」という「結論」が、導出されないとは限らない
ということ。

なぜなら、「義務命題」以上の「結論」のすべては条件を満たす有効解。
「<他人を殺してもよい>と社会で思われている」と思う
人の数は一定数いてもよい。という「義務命題」は、
これより下は無いという最低限の結論でしかない。
519258:2000/10/31(火) 15:15
まだやってんのか、論理ヴァカさん達。(藁)

そんな似非ロジックこねくり回しても何にも出てこんぞ。
粘着質なオタク野郎には楽しい作業のようだが、それって
間違いなく電波系への近道だということを自覚しといたほう
がいいぞ。おっと、余計なお世話だったな、スマソ。

ま、電波系が跋扈してスレが終わるのも2chらしい展開
かもしれんね。あとは電波系の諸君だけで楽しんでくれ。
じゃーな。
520488=516:2000/11/01(水) 00:03
>>518
この話、別にスレでやりませんか?
なんとなくこの話浮いてるみたいだから^^
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=973004346
521169:2000/11/03(金) 16:46
>>485
>それと、「『人』って誰を指しているの?」なんて聞いたって、
>答えが違ってくるどころか、無限の答えを受ける事に成りそうだが。
 無限の答えではなく、いくつかの相互に対立する答えでしょう。
 たとえば、>>278のように矛盾した考えを一人でバラバラに主張する場合
 もある。
>個人=私に決まってるだろが。他人の生活なんかカンケーねー
 利己主義の立場
>だろ。しかし、社会というのは、「他人」も「私」も識別不能
>な、「個」の集合体なんだってことにすぎない。
 非社会的な集合体(個人主義?)の立場
>だから、「他人」をふみにじることは「私」をふみじにること
>にもなるわけよ
 他人と私の関係性の主張。何故「だから」なのか?
>社会的行動規範を考える上では、私と他人は
>等価な「個人」となってしまうわけだな。
 価値的同等性、一般的な個人の立場。何故「なってしまうわけ」なのか?
522考える名無しさん:2000/11/07(火) 04:30
あげてみる
523zero:2000/11/07(火) 11:03
何故、人を殺してはいけないのか?

先史時代から常に変わらず、人は人を殺す。
しかし、ここでまず明確にしておくべきなのは、やはり
最初の質問に含まれている「人」が、どのような人を指すか、
ということではないのか?
その当事者が「〜として殺される人」と「〜を殺す人」の範囲に
収まっている場合は(理由を得ることが可能ならば)、
罪の有無に関わらず問題を生じない。

しかし、最初の質問はある漠然とした気分から発せられている。
その「漠然」が、実はこの質問の核を形成しているようだ。
それはなにか?そのありかたは?

「人を殺してはいけない」

1.まず、「人」の意味が特定困難なまでに抽象化されていること。
2.そして、その特定の材料となる「人格」を不肖とせざるを得ない程、
制度の基盤が可塑化しつつあること。
3.さらに「良心」と「倫理」という、外から個人に取り入れられる監視制度
(超自我)の崩れが、複合メディアの発展によって加速されていること。
この三つが相互に絡んで先の質問の背景を成している。

また「殺す」とは、
ある方向を帯びた存在の運動ないし活動を中断ないし抑制する(させる)
ことであり、例えばかつては日常的に、漉し餡は「皆殺し」、
小倉餡は「半殺し」と呼ばれていたように、あるいは「息を殺す」、
さらに「色を殺す」という表現に見られるように、
その用法は生きた対象に死をもたらす行為に限らない。
そして実際に人の「殺し」は虹色であって、
心理的、社会的、経済的、性的にも、人は人を殺し、人に殺される。
血の流れる殺しは、そのひとつに過ぎない。
あるいは血の流れる殺しこそ、その他の殺しの犠牲であり、
その赤い緞帳の裏で、多様な虐殺が展開されているという事実。

そして「いけない」とは、
すでに無効化しつつある監視制度(超自我)からの禁止の命令である。
質問者は受動的である。
共同体からの保護と養育を求めながら、その一方では分離を望んでいる。
罪の問題を扱おうとする者は、共同体を対象化しようとする
(その外に出ようとする)意思を孕んでいる。
524zero:2000/11/07(火) 11:05
ここで、もはや「人を殺すこと」と「人を殺さないこと」が
重要な差異を生じないような状況において、
すでに無数の人を殺してきた人物を仮定する。

彼は倫理と良心を持たず、
小石を拾い上げるように子供の眼を抉り、
花を摘むように腕を断ち性器を削ぐ。
頭の皮を剥いで鞣す。
親の墓に妊婦の腹から取り出した胎児を供える。
耳や陰茎の首飾りをかけている。

ここで、人は花や小石と等価である。
彼が巨人ならば、
晴れた日には虫眼鏡で市場の人を焼くだろう。
あるいは瓶に入れて持ち帰るだろうか。
その中のひとつをつまみ上げ、
ふたつに裂いて遊ぶだろうか。

これは、実は幼児の日常である。
これに上からの(監視制度あるいは親ないし法の)
禁止の声がかかる。
その声が取り入れられて成人集団が現れる。
血の流れる殺しの忌避は監視制度に対する盲従である。
社会とは、親の声に従う幼児の群れに過ぎない。

人を「殺すこと」と「殺さないこと」の間には
隔たりがある。
しかしその隔たりは、石を「拾うこと」と
「拾わないこと」の間に等しい。
ここに自由がある。しかし自由とは選択である。
自由とは、ことの明確な理由を自らに求めることである。
一方、libertas(自由)はliveri(息子)に由来し、
彼らが父の力を相続する権利によって、
父を除くあらゆる権威から解放されている状況を指す。
永遠の人工子宮に養育される胎児であり、
その表現が戴冠せる王の在す城塞都市である。

「libertas」は漢語の「自由」と結びつかない。
ここでは「libertas」を捨て、「自由」を得る他ない。
自由とは共同体/子宮からの出遊であり、自足である。

最初の質問、「何故、人を殺してはいけないのか?」は、
書き換えられるべきだろう。
それはまず、「何故」を消すことから始まる。
答は与えられるべきではないからだ。
同じ理由によって「いけないのか?」を消してみる。

その結果として残される文は、

「私は人を殺すか?」

という虹色の問いであり、
その答は虹色の「然り」となる。
ここには、あらゆる代理の殺人が含まれる。
そして我々は例外なく殺人者となる。
あるいはむしろ天然の殺戮者である。
意識は堕落/分離の罪を前提とする。
言葉とは犠牲による罪の購いである。
それは、切り裂く行為に他ならない。
つまり殺すとは自我の顕示である。

我々は無限に殺す。故に無限に罪を犯す。
何故ならば自我は環境によって規定されるのであり、
殺すことはそこに留まり続けることだからである。
その罪の報いは、賞と罰の両極を持つ。
殺戮は歴史的/精神的事実であり、輪廻である。

殺さないことは輪廻からの解放を祈ることであり、
輪廻の悲惨に向けられる慈悲であり、
このとき意識は孤独の極北に達する。
つまり純粋に無力化される。
その意識は殺されることも受け入れる。
そして共同体における殺人の組織的禁止は、
共同体自らが共同体制からの解放を
暗に望んでいることを示すものとなる。

ところが、ふたつの選択枝(殺すか・否か)は、
実は同じ根を持っている。
殺すことは鎖を断ち切ることであり、
蛆の集る屍体は解放の原風景であり得る。
この屍体とは母と交接する父のものであり、
蛆とは彼を殺した息子である。
これが財産の分与であり、つまり人喰いである。

さて、
我々は殺戮によって生きるのか?
殺戮は渡るべき宿命の河なのか?

------

この見解は狂気を含んでいる。
しかし共同体が狂気を代理する場合にのみ、
我々は個々の狂気の容態を免れるに過ぎない。
そしていかなる問題も個の狂的領域(公域の淵)
において考察されない限りは単なる児戯である。
525名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/07(火) 16:44
「クソして寝ろ!」これが一番
526大阪ニーチェ:2000/11/11(土) 17:02
倫理的には、殺人はいけないことになっている。
しかし、ひとは常に「倫理」のためのみに生きているわけではなから、ある一定の条件下では、殺人が許される。
例えば、正当防衛や緊急避難、もしくは戦時下において、とか。
しかもその条件すら社会的に変化するので、文化や民族、時代によって違う。
結論的に言えば、殺人は、別にしてもかまわない。
ただ、したあとで、どんな法的な刑罰や社会慣習的な制裁が待ち受けているのかは保証の限りではない。
527考える名無しさん:2000/11/12(日) 05:50
一般にこの質問には社会契約論でこたえるのが普通でしょう。
事態は複雑です。
たほうでは、死刑、戦争、と人は人を殺す事を正当化してもきた。
528生茶:2000/11/12(日) 15:29
>>526
どんな状況においても殺人は禁止されています。
あなたが挙げる例外的なケースにおいては、
ヒトと人が一致しない場合です。
しかし、人たる条件が環境によって変化するというのは
注目すべきことです。
例えば、法的に人工中絶がどのように解釈されるのかは、
何を以って人と認めるか、人たる条件を考えなければならない。

ところで、何故人を殺してはいけないかというのは
問いとしてはあまり良くないのではないか。
529大阪ニーチェ:2000/11/12(日) 15:53
>528
「どんな状況においても殺人は禁止されています」というのは、事実ではありません。
それは、貴方の「思いこみ」に過ぎません。
「ヒト」というのは、生物学的概念ですね。一方「人」は、社会学的・文学的概念です。
その意味で、生物としての「ヒト」の上に、文化/社会的な「人」が乗っかっている訳で、それは時代/民族等によってバリエーションが違うだけで、常に一致しています。
「ヒトと人が一致しない」場合って、未来社会の「レプリカント」か精巧な「ロボット」くらいしか考えられません。
ユダヤ人哲学者フランクルは、アウシュビッツの極限状況の中で、人間は常に「同胞を殺しうる存在」という絶望的な認識から出発・反省していかないと、「殺人」からの本当の解放はないという思念に到達しました。
きれい事を言う人に限って、特定の状況が与えられると、簡単に自己を裏切ってしまうものです。
「法的な」ヒト概念は、私が526で書いた、社会的条件の一つに過ぎませんね。
従って、日本国内(もしくは特定の現代国家)においてのみ通用することです。
歴史的に普遍的であるとは限りません。
情念的には、希望的にそう観測したい気持ちは私も同じですが・・・。
問題は、人間社会の暗部と自己自身の野性の深部をどこまで対象化できるのか、を問い続けることが重要ではないでしょうか?
それこそが、哲学の仕事ではないかと思います。
530名無しさん@1周年:2000/11/13(月) 02:51
「人を殺しちゃいけないの?」って、良ければやるのかねぇ、実際。
やっちゃう奴は、そもそもそんな事聞かないし。
呆気無いほど簡単に、人は死にます。すっ転んで頭打てば死ねます。
さっきまでそこにいた奴が、次の日、棺おけの中で寝てます。
人間は、非常にもろいのです。
「気がついたら、死んでいた」ことのほうが、多いかもしれません。
人の中に芽生える「殺意」の処理こそ議論、処理されるべきで、
非論理な「殺意」を論理で飼いならすことなどできません。
もろい人間だからこそ、「殺しちゃいけない」、「そうですね」
でありたい。
531考える名無しさん:2000/11/13(月) 04:09
途中から邪魔する。とても全部は読めんので以前にこういうことを書いた人がいたら申し訳ないが。

自分が殺されたくないから、というのは答えにならないのだろうか?
自分の身近な人間が殺されたくないとか。

自分が殺されたくないなら、他人が「他人を殺してはいけない」と思ってくれる方が都合がいい。
自分が殺されたくないと皆が思っていれば、お互いに他人に対して「他人を殺してはいけない」と思わせようと
するだろう。それが社会のルール、倫理、暗黙の了解となる。

「それでも自分は他人を殺すのだ」という人は、自分は殺されたくない=殺されるべきではない、と主張する
権利自体を放棄しているということになる。殺人者になるということは、自分は殺されてもかまわない人間だ
とと言っているのに等しい。

自分が王様であれば「自分は殺されてはならない、しかし自分は人を殺してもいい」という論理が成り立つかも
しれないが、人間はなかなか王様にはなれない。そういう状況は孤独だから。「みんな平等、殺しませんよ」と
言ってる方がいごこちがいいと思う。

だから人を殺していながらおめおめと生きている人間は孤独で幸せになれないんじゃないのか? 「人を殺したら
幸せになれませんよ」ってだけで十分答えになると個人的には思うのだがどうか?
532531:2000/11/13(月) 04:19
↑ なんか文脈が破たんしているが、「殺してはいけない理由」は、
社会的なニーズと、「殺してはいけないのはなぜ?」と考えたりすることもある個人の事情、という
両方の側面があると思う。
533考える名無しさん:2000/11/13(月) 04:28
全部よんでないから断言はできないが、たぶんこのスレッドのレス
は循環していると思うぞ。
534吾輩は名無しである:2000/11/13(月) 04:46
このスレの常連さん、今までの荒筋まとめてよ。

社会契約論の主張は、一言で言うと「殺人はペイしない」でいいの?

でもさ、法律で殺人が禁止されてなくて、人殺しても罰せられなかったら、
おまけに、部屋に嫌いな奴と二人っきりで、しかも手に拳銃握ってたら、やっぱ殺さない?
おれは殺すと思うな。
535名無しのオプ:2000/11/13(月) 15:32
君ら難しいこと言っててわからんが、人は殺さんくせに牛や豚やお魚は殺すんでしょ?
完璧な菜食主義であっても、大根やキャベツは殺すわけじゃん。
そこで、人を殺すのと他の動植物を殺すのと何の違いがあるのか。
ちゃんと、食物連鎖に組み込めばいいのか?
それなら、人殺して最後まで食べればOKになるのか?
536大阪ニーチェ:2000/11/13(月) 20:49
この問題に深くコミットした哲学者に、例えばA.カミュがいた。名作『異邦人』の主人公は、特に自覚的理由もなしに「只、太陽がまぶしかった」だけで銃の引き金を引く。
ある意味で今日の「パリ人肉食殺人事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」、「和歌山毒入りカレー事件」等を予見していたように思います。
毎日のように起こる、こうした「明確な動機なき」殺人や「(被害者などとの)因果関係の希薄な」無差別殺人等は、"混迷する現代文明の複雑怪奇さ"と、"人間存在の根元的な不可解さ"との微妙な組み合わせの上にようやく成立している私達自身の<鏡>ですらあるとは言えないでしょうか?
誰でも、一度は「かなり本気で他者を殺めたくなる」瞬間と経験を有するものだが、ここから「実行段階」までは、そう遠い距離であるとは思いません。
みんな路傍のホームレスたちを観て、これが明日の自分かもしれないという想像が一度ならずよぎったことがあるでしょう?
同じように、「殺人者」と「非殺人者」との近似的対象性と表裏一体性の展開が、文学作品やミステリー小説の<リアリティー>にもなる。
言い換えれば、活きた人間の<リアリティー>の謂です。
537大阪ニーチェ:2000/11/13(月) 20:58
言いたかったことは、人は誰でも「同胞や隣人を殺しうる存在だ」ということです。
どんなオバケや幽霊よりも、私達自身が最もグロテスクな恐怖すべき存在なのです。
それこそが、一切の理性や文化的修飾を剥離していったその果てに、ついに露出する「人間存在のリアリティー」というものではありますまいか。
538名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 18:52
539半信半疑:2000/11/15(水) 03:22
殺人は非生産的だから生産至上主義社会では許されないの
そのかわり、非効率な奴のいぢめは許されている
もし非生産的なことばかりしている奴=凶悪犯がいたら、
国家の手で殺すしかない
540半信半疑:2000/11/15(水) 03:36
社会契約でいえば、言葉が意味と同時に獲得されるように、
システムと意味も同時に成立する。
自分が殺されたくないから相手も殺さない、というのは
問い以前に成立しているシステムの意味なので、
そこで個があらためて意味を求めるのはまったく空虚。
541生茶:2000/11/15(水) 03:40
このような問題を考えるのが難しいのは、
事実と論理を混同するからではないか?
はっきりしているのは、なぜ人を殺してはいけないのか
の問いに答えるかどうかに関係無く、
大勢の人は他人を殺さない。
これはそのように躾られるからであって、
他人に共感できるかどうかとは無縁の事実である。

本能という言葉を持ち出したらもう大変です。
他人を殺そうとする本能など考えるだけエネルギーの無駄。

この問いを社会の側から見るか、個人の側から見るかによっても
答えは当然違ってくる。社会の維持のためには殺人に対する罰則と
教育が必要なのだが、殺人の禁止は個人の利害と衝突する場合がままある。
そうしたケースを未然に防ぐのが道徳なのだが、
道徳は殺人をすることがまるで自分の不利益になるかのような言葉を吐く。
それを見抜けないとやはり頓珍漢な回答ができるだろう。
542生茶:2000/11/15(水) 04:03
>>529大阪ニーチェ
まず、「どんな場合でも」という言い方をしたのは間違いだったと認めます。
事実に関する言明なのか、殺人の定義に関わることなのかが全く不明ですから。

人とは、生物学的・文化的にのみ解釈されるというのには疑問です。
医学の観点から、哲学から、心理学から、生物学から等では全く異なる人間像ができるはずであり、
そうしたものの総体が人間であるとさえ言えないほど、
多用な人間観があります。
さらに、状況によっても異なる。
恋人あるいは憎い人物を目の前にするとき、戦場で初めて人を殺したときなど。

ヒトと人が重ならない好例だと思うのですが、
ある部族では赤子に名前をつける以前にその赤子を殺してしまっても
罪にはならないと聞いたことがあります。
名前がついて初めて人として認められるわけですね。
現代の日本においては、妊娠中絶が殺人であるかどうかという問題が
これに似ていると思います。
このようなことからヒトと人が一致しないケースにおいてしか殺人は起こり得ない
と言ったのです。

余談ですが、529の文中において、なぜ
人間社会の暗部と自己自身の野性の深部という表現が出てきたのか
不明です。
543大阪ニーチェ:2000/11/15(水) 22:43
>542
「名前がついて初めて人として認められる」のであれば、地球上の南半球にとくに多い「ストリート・チルドレン」たちは、「人」ではないのでしょうか?
ヘーゲル的な限界性は、そもそもこうした「承認」の形式から起因しているように思います。
人にせよ、ヒトにせよ、そもそも対他的に「承認」しなければならないことが、すべての「差別」の根源にあるような気がします。
もし「名前をつけ」なければ絶えず不安にかられることが「人間的意識」の本質だとするならば、それもまた(普段は当然視された)我々のひとつの「野性の暗部」とも言えるのではありませんか?
「法」は、まさに「名前をつける」ための共同体の価値的基礎づけでありましょう。
誰かが「人は殺めてはならない」と命令を下すとき、少なくとも命じた自分だけは、「絶対に人を殺めない」自信と共同体の信任を担保していなければなりません。
しかし、彼が神か超人かでもない限り、それはついに虚構でしかないのです。
同じように、「人を殺してはならない」という自己倫理ないし道徳律もまた、自己が作りだした虚構ないしは妄想です。
何故なら、そんな自己ですら明日になれば、条件次第で「絶対に人を殺さない」というどんな保障もないからです。
これを否定すれば、自分だけが未知の未来を予知できると勝手に信じ込んでいる傲慢というものでしょう。
誰も明日の自分のことは分からないのですから。
544考える名無しさん:2000/11/15(水) 22:49
正直、くだらない議論だ...
545大阪ニーチェ:2000/11/15(水) 23:06
上に追加。
確かに「意志」としての道徳、などで反論が考えられます。
しかし、一つの「意志」は、逆の「意志」を引き寄せる可能性があります。
例えば、誰かの「自分は人を殺さない」という倫理的「意志」に対して、「悪辣な高利貸しの婆さんを殺す」というラスコリニコフ的な別の誰かの「殺意」といったものが対置されます。
かように、「意志」は絶対的なものではありません。同一人においてさえ、今日「殺さない」意志を持っていても、明日には微妙に変化していきます。
「意志」は、可変的です。

ところで、>542番さんに。
私は、"(カタカナの)「ヒト」が生物学的概念、(漢字の)「人」は文化的概念"と言ったのですが・・・。
「人が、生物学的・文化的にのみ解釈される」なんて表現はしておりません。
546大阪ニーチェ:2000/11/15(水) 23:07
上に追加。
確かに「意志」としての道徳、などで反論が考えられます。
しかし、一つの「意志」は、逆の「意志」を引き寄せる可能性があります。
例えば、誰かの「自分は人を殺さない」という倫理的「意志」に対して、「悪辣な高利貸しの婆さんを殺す」というラスコリニコフ的な別の誰かの「殺意」といったものが対置されます。
かように、「意志」は絶対的なものではありません。同一人においてさえ、今日「殺さない」意志を持っていても、明日には微妙に変化していきます。
「意志」は、可変的です。

ところで、>542番さんに。
私は、"(カタカナの)「ヒト」が生物学的概念、(漢字の)「人」は文化的概念"と言ったのですが・・・。
「人が、生物学的・文化的にのみ解釈される」なんて表現はしておりません。
547考える名無しさん:2000/11/16(木) 02:03
例えばサッカーにはハンドという反則が定められているが、
それはサッカーというゲームを成立させるために決められたに過ぎないルールであって、
それ以上のものでもそれ以下のものでもない。
ただしサッカーゲームに参加する以上は、皆これに従わなければならず、
破ったものには主審から制裁が下される。

ほとんどの社会には「人を殺してはならない」ということが法律で定められているが
それは社会を成立させるために決められたに過ぎないルールであって、
それ以上のものでもそれ以下のものでもない。
ただしその社会に参加する以上は、皆否応無しにこれに従わなければならなず、
破ったものには司法の裁きが下される。
548あげ:2000/11/19(日) 12:00
age

549考える名無しさん:2000/12/03(日) 16:17
age
550名無し:2000/12/03(日) 19:14
そんなことで悩むような大人ばかりだから社会が歪むのだ、人を殺すのは絶対的によくないと断言することが今必要なのだ、
・・・と山城むつみが言っていた。
551考える名無しさん:2000/12/03(日) 20:06
なぜ人を殺してはいけないか?
大澤真幸君が『心はどこへゆこうとしているのか』で
答てたぞ。
曰く、「殺人はそもそも不可能だ」と。
だから、殺人罪なるものはそもそも不可能である殺人
という行為をさらに禁止する二度手間なんだね。
この二度手間が「過剰な抑圧」として機能してしまっていて、
この抑圧からの解放として逆に殺人という行為が積極的い、
価値づられているのかもしれない。
殺人共感論が出てくるコンテクストがここにあるようなきがする。

真幸君がいうように、殺人は不可能であることにはかわりないが。
552考える名無しさん :2000/12/03(日) 23:48
>>551
なぜ「殺人は不可能」なの?
当然、物理的に不可能という意味ではないよね?
「抑圧」の意味もよくわからない。
553罫線:2000/12/04(月) 04:21
>なぜ人を殺してはいけないの?

理由があるから人を殺してはいけないのではなく、
たんに禁止すること自体に意味を求めるから。
売春や近親相姦もまた然り。
理由は後づけ。

禁止すると、何か意味があると思う。
ジンクスと同じ。
理由はない。
理由はないがジンクスに意味を求める。
ジンクスに意味があると考える。

だから、人を殺してはいけない。
554考える名無しさん:2000/12/04(月) 04:46
>552
殺人はなぜ「不可能」か?
殺人(他者殺し)は自殺(自己殺し)だからだろうね。
真幸君にとっては「自己=他者」だから。

「抑圧」とはここでは二重の禁止の重圧のこと。
1より2のほうが重いから、それは「抑圧」なのさ。

555考える名無しさん:2000/12/04(月) 20:49
[自分がされたくないことは他人にしない]これが倫理の普遍性を支える考え方だと思います。仮に誰かを殺すならば、まさにその行為によって自分が誰かに殺されてもよいと認めることになるのです。 逆に言えば、もう自分がどうなってもかまわない、あるいは衝動的に、あるいは国家のバックアップがあるなど、冒頭の倫理が一時的にでも度外視されたときに殺人が起こるのだといえます。
556さらに:2000/12/04(月) 21:22
先の冒頭の倫理の枠組に於いて、私たちは殺し合う世界と殺し合わない世界の二者選択のうち後者を選びとっているのです。
557考える名無しさん:2000/12/05(火) 14:29
「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に
「それはAだから」と明確に答えたとしましょう。するとその時、
「notAが成り立てば人を殺してもいい」という命題が真を取ってしまいます。

要するに、人を殺す(自分が殺される)ことに正当性を持たせたくないなら、
「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問には答えられないでしょう。

ただ、「(自分が)死ぬのは嫌だ」という心情がないのならば、
「自分が殺されることに正当性を持たせてもよい」状況がそこにあるわけで、
それならば「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問が生まれるのも当然と言えます。
そして、その疑問に明確な理由をもって答えることもできるでしょう。

つまりですね、
その答えは自分で考えてください。
で、そこで出た答えを共有できる仲間同士でなら殺しあってもよいのでは?
558考える名無しさん:2000/12/05(火) 15:37
>殺人(他者殺し)は自殺(自己殺し)だからだろうね。
>真幸君にとっては「自己=他者」だから。

 自己=他者ってどういう意味ですか?


559考える名無しさん:2000/12/05(火) 21:22
>それはAだから」と明確に答えたとしましょう。するとその時、
>「notAが成り立てば人を殺してもいい」という命題が真を取ってしまいます。

それは間違いです。

560557:2000/12/05(火) 21:52
>>559
ちょっと知ったかで論理学っぽい書き方しちゃいました。
一応調べて、間違いであることは気づいたのですが。

まあ、言いたいことは変わりませんが。
言い換えてみますね。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に
「人は互いに命を尊重しないといけないからだ」と答えた人は、
「ならば人が互いに命を尊重してはならない状況ならば
 人を殺してもいいのだな」と訊かれたときに
それを否定することはできないでしょう。
つまり、「人を殺してはいけない」ことに理由を与えることは
直ちに「人を殺してもよい」ことにも理由を与えることになります。

なんつーか、人殺しは合意の上で犯ってくれ、ってことなんですけどね。
だから俺は安楽死OKだと思うし。
561557>559:2000/12/05(火) 21:59
んー、まだおかしいなあ。俺の書き込み。

「人は互いに命を尊重しないといけないからだ」と答えた人は、
「ならば人が互いに命を尊重してはならない状況ならば
 人を殺さないといけないのだな」と訊かれたときに

これで、いっかなあ。
562トトロウ:2000/12/05(火) 22:20
この「人を殺して何が悪い?」ってのは、

そもそもそういうことを平気で問うてしまうこと自体、恥ずべきこと
だとおもうよ。人を殺していいか悪いかの答えなんていうところで論議しても
進まない。そうじゃなくて、そもそもなぜに「人を殺して何が悪いの?」
なんてことをいうようなすさんだ社会になってしまったかを考えるべき
じゃないのかな。つまりは「人間なんて所詮いきる価値の無いものさ。つまら
ないものさ。そんな価値のないものなんて死んでしまえ」という気持ち、
怨みの念、ルサンチマンがこの「人を殺して何が悪い?」っていう発想、発言の
根底にあると思うよ。

。。2ちゃんってホントに真理を見つけようとする人っていないのかな。
563考える名無しさん:2000/12/05(火) 22:26
>562
「2ちゃんねらー=ひきこもり」だから。
564考える名無しさん:2000/12/05(火) 22:34
>562
問う事自体が恥ずべき事だとは思えない。
だとしたら哲学の問いに頭を悩ませること自体が恥ずべき事であるようにすら思える。
常識を疑うことは決して恥ずべき事ではない。
ただそこに整合する解答を見つけ出せるかどうかはまた別の問題ではあると思うが。
565557:2000/12/05(火) 22:38
>>562
えーと、「恥ずべき」「進まない」「すさんだ」あと「真理」、
こういう言葉を無批判に使うのはどうかと。
「だってそうじゃないかあー」とか言う前に、
もう少し自明性についての問いを自らに課してみてくださいな。
566557:2000/12/05(火) 22:39
>>564
あ、ちょっとかぶった。すみません。
567トトロウ:2000/12/05(火) 22:40
人を殺して何が悪いっていう考えが出てくること自体を問うべきじゃないか
といってるのに
あまりにも的外れな反論をされるとドッとつかれて絶望して
もうなにも言う気おこさないよ。少しは知的なまともなやつが引っかかる
かと期待したけれどやはりバカばかりか。。
568557:2000/12/05(火) 22:46
>>トトロウさん
1の質問の意味わかってますか?
ここの掲示板の在り方把握してますか?
スレッドの方針に関わらず自分の持論だけ展開してどうしようというのですか?
569トトロウ:2000/12/05(火) 23:00
揚げ足とりをしてるつもりがあるのかないのか知らない
けれど、「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれて、
それに答えれる人大ばか者であるか、またはその問い自体が出てくること
がおかしいという答えもありえるというふうに想像を展開できないの
でしょうか。バカですか?狭い目しかないのですか?
570トトロウ:2000/12/05(火) 23:03
揚げ足とりをしてるつもりがあるのかないのか知らない
けれど、「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれて、
それに答えようとする人はとんだ思いあがりだとか、またはその問い自体が出てくること
がおかしいという答えもありえるというふうに想像を展開できないの
でしょうか。バカですか?狭い目しかないのですか?
一つの問題にたいして、一つの目しかもててないのに気付かないですか?
571考える名無しさん:2000/12/05(火) 23:13
>567
にちゃんねらーはひきこもりすぎて、
日本語理解する能力なくしてるから。
だから、勘弁してやって。
572557:2000/12/05(火) 23:18
>>トトロウさん
あの、俺が「その問い自体が出てくることがおかしい」と言いましたか?
そりゃ俺だって「なんでそんなこと訊くのか」とは思いますよ。
でもそのときにその質問者に
「人を殺して何が悪いっていう考えが出てくること自体を
問うべきじゃないか」と言ったところでどうにもならんでしょう。
質問者はそう思ったからそう言っただけなのであって。
あなたはこの場合質問者の意見を理解しようとすらしていない。

その質問者の環境としての社会に疑問を投げかけるのは
ずいぶんと質問者を置いてきぼりにした展開じゃありませんか?
それで質問者を納得させられる自信がありますか?
573トトロウ:2000/12/05(火) 23:18
理解どころかどうやって相手をたたきのめして
楽しむかってのしかない感じがするよ。ほんとに理解能力
自体もないみたいだし・・・いったい普段どういう
態度で人とつきあってるんだろう。
574557:2000/12/05(火) 23:22
>>トトロウさん
あの、俺が「その問い自体が出てくることがおかしい」と言いましたか?
そりゃ俺だって「なんでそんなこと訊くのか」とは思いますよ。
でもそのときにその質問者に
「人を殺して何が悪いっていう考えが出てくること自体を
問うべきじゃないか」と言ったところでどうにもならんでしょう。
質問者はそう思ったからそう言っただけなのであって。
あなたはこの場合質問者の意見を理解しようとすらしていない。

その質問者の環境としての社会に疑問を投げかけるのは
ずいぶんと質問者を置いてきぼりにした展開じゃありませんか?
それで質問者を納得させられる自信がありますか?
575トトロウ:2000/12/05(火) 23:35
もういいです。疲れました。すごい人、鋭い人ってなぜか
ネットにはなかなかいない。あなたがたは自分の考えを人に
伝えたり、文学を読んだりすることがないのだろうか。あまり話し
をしたことがないのだろうか。話しの趣旨をとる力があまりにも
なさすぎる。
576557:2000/12/05(火) 23:36
>>574
おうっと今度は二重カキコ。たびたびすみません。
577考える名無しさん:2000/12/05(火) 23:36
また厨房の定期同窓会やってるんですか?

578考える名無しさん:2000/12/05(火) 23:37
>トトロウ
ここは哲学掲示板だ。
文学的な自己満足に浸りたいなら話は別だが。
仮に何らかの問題があり、それが様々な理由如何により明確なる解答が得られないにせよ、それ相応の答えがあるというものである。
例えばデカルトの如く、自己を、そして他の実在を理性的直感と神という概念を絡めることによって説明したように。
同じくその問い自体がおかしいと答えるとともにさらに深くなぜそのような返答をするのかを語らねば一体何の意味があるだろうか。
ここに殺人禁忌に対して何らかの疑問を抱いて来ている人はおそらくは皆無であろう。
むしろ、道徳の無力感を実感している人間のほうが多いのではないか。
言語化された解答がその理由をなしえないならそれも一つの答えとなる。
しかし、質問自体がすなわち疑問自体がナンセンスだと語るのにはその発言自体がナンセンスだと言えよう。

579557:2000/12/05(火) 23:42
>>トトロウさん
ああ、どうもすみませんでした。話が合わなくて。
ひまつぶしにぐらいにはなりましたか?
どうやらあなたはお年を召した方のようですね。
だからそれこそ人格形成期の「社会」の問題で、きっと話が通じないのだ、
と信じます。
立場の違う方と相互理解する術を私は持たないのです…
自分の無学を恨みます。
580考える名無しさん:2000/12/05(火) 23:45
>ととろうくん
きみみたいなひとってたまーにみかけるけど、
もうちょっと社会勉強したほうがいいと思うよ。
みてると、ほんと社会経験なさそうだね。
ネットだってヴァーチャルとはいえひとつの社会なんだよ。
きみが言ってるようなことはみんな承知の上なんだよ。
わかった?
581考える名無しさん:2000/12/05(火) 23:56
>579
皮肉か?!
どう見てもガキだろ。おそらく哲学のテの字も知らんのだろ。


582557:2000/12/06(水) 01:05
>>581
いや、いきなり「ルサンチマン」とか言い出すものだから。
ずいぶん「文学を読んだり」してるみたいだし。
583考える名無しさん:2000/12/06(水) 01:23
大江健次郎と永井均の論争?を思い出すね。
文学者と哲学者のメンタリティの違いなのかな。
584考える名無しさん:2000/12/06(水) 01:23
大江健三郎と永井均の論争?を思い出すね。
文学者と哲学者のメンタリティの違いなのかな。
585考える名無しさん:2000/12/06(水) 01:24
>575
にちゃんねらーはひきこもりです。
だから、普段、人とはつきあいません。
宮崎勤をあいてにしているようなもの。
だから危険です。すぐさまここをはなれてください。
586考える名無しさん:2000/12/06(水) 01:45
>585君。
きっと、2chの人たちにいじめられたんだね。
可哀相に。
でもね。
いやな人ばかりじゃないよ。
585君、もっと世の中を信じて思いきって発言してみるんだ。
きっと、君の声に答えてくれる人たちがいるはずだ。
もっと人を信じてみるんだ。
君の顔に笑顔が戻ってくることを信じているよ。
587考える名無しさん:2000/12/06(水) 02:04
>582
ルサンチマンて発言するやつがすでにルサンチマンを持っているように感じてしまう。
乱用するとマジでニーチェの格が落ちそうだからあんま使わないで欲しいと思う。
というか分別のある大人ならルサンチマン発言は控えるって。
588583@`584:2000/12/06(水) 02:21
うわ。健次郎だって。恥ずかしい。
でもおれ、大江やトトロウさんの言い分もわかる気がする。

モラルって、それ自体への問いを禁止することで
効力を発揮するって部分があると思う。

なぜ禁止されているのかわからない、だから殺す。
最近はそういうの多いんじゃないかな。
そういうのへのいらだちが、
「なぜそんな事を聞くのだ? なぜそんな問いを発するのだ?」
という問いを発させるんじゃないかな。
589考える名無しさん:2000/12/06(水) 03:07
それがたんにルール だから守らなければいけないって説はやっぱりちょっとないと思う。だってルールが変わればあなたも変わるのか? 人を殺すのか?って話だから。それは違う、おれは殺さないと言うかも知れないが、だからその根拠をきいているのだ。やっぱり人殺しを禁止するのにはそれ相当の根拠があるはずだと思う。しかし、それは哲学内部だけでは答えられず、やはり歴史をみなければならないと思う。数えきれないほどの人殺しや、遺された人々の悲しみを目の当りにしてきた歴史が我々にそうさせているのだと思う。
590考えない名無しさん:2000/12/06(水) 05:59
お前らバカか?
「人を殺してはいけない」ことに理由なんかあるもんか!
殺しちゃいけないから、殺しちゃいけないんだ!自明の理だ。
逆に聞くが、お前らに「殺されてもいい理由」なんかあるのか?
無いだろ。
お前ら考えすぎて頭がおかしくなってるんじゃないか?殺すぞ!

失礼しました。取り乱しました。ナマイキでした。許して下さい。
591考える名無しさん:2000/12/06(水) 06:31
死刑が肯定されたりするのだから人殺しそれ自体は決して否定されてはいないことになる。罪どころか罰とみなされる。
じゃあいったい何が否定されているのか?なにが罪とされているのか?
592考える名無しさん:2000/12/06(水) 06:35
>>590 >>591
そうだよね。「人を殺してはいけない」という前提すらア・プリオリに認められているのか?
593591 訂正:2000/12/06(水) 06:45
>>591
>罪どころか罰とみなされる。
罪どころか刑すなわち善行とすらみなされる。
594考える名無しさん:2000/12/06(水) 23:21
それはけしてアプリオリなものではない。戦国時代、国家どうしの殺し合い=戦争と、歴史上、殺しは絶えず存在した。殺人はいけないと言うのは簡単だが、この現実を否定することはできない。もし殺人の禁止を根拠づける言葉をもたないならば、それあまりにも弱く、現実の力の前では無力だ。戦争はいけないと人は言う。ならば、なぜ戦争はいまも存在するのか?平和を当たり前のものとして享受しているこの国で、殺しはいけないものと当然のように言うあなた。そんな社会ももとからあったわけではなく私たちの先人が血を流してして勝ち得たのですぞ。
595考える名無しさん:2000/12/06(水) 23:22
それはけしてアプリオリなものではない。戦国時代、国家どうしの殺し合い=戦争と、歴史上、殺しは絶えず存在した。殺人はいけないと言うのは簡単だが、この現実を否定することはできない。もし殺人の禁止を根拠づける言葉をもたないならば、それあまりにも弱く、現実の力の前では無力だ。戦争はいけないと人は言う。ならば、なぜ戦争はいまも存在するのか?平和を当たり前のものとして享受しているこの国で、殺しはいけないものと当然のように言うあなた。そんな社会ももとからあったわけではなく私たちの先人が血を流してして勝ち得たのですぞ。忘れないでください。
596考える名無しさん:2000/12/09(土) 06:05

恐ろしいことだから。
597名無しさん@1周年:2000/12/09(土) 07:36
なりたたなくなるから。
そのことへの恐怖回避。
598考える名無しさん:2000/12/09(土) 08:05
恐怖回避は不可避
599名無しさん@1周年:2000/12/09(土) 09:46
まぁ右手が左手殴っても痛いのは本人ってことでしょ
600>>1:2000/12/12(火) 07:13
慣習
601600:2000/12/12(火) 07:16
理由:殺しても問題ないこともある(Ex.戦争)
たまたま今現在、人殺しはいけないというのが常識なだけ
602考える名無しさん:2000/12/12(火) 08:01
池田D作がだめといっているから、人殺しはだめ。
603考える名無しさん:2000/12/13(水) 18:43
じゃあ、お前殺してもいい?って聞けばいいじゃん
604>1:2000/12/13(水) 21:54
人類は皆仲間だから♪
人類から遠くなるほど、殺してもよいやと思うようになる
605素朴に:2000/12/14(木) 03:08
死は恐怖。自分であろうと他人であろうと。
自分の死は目の当たりにできないけど、他人の死はリアル。
できることなら死の現実から回避したいと思う。
殺人が法律で許可されても実行する気にはなれないだろう。
死刑囚を殺すのだって関わりたくはない。
606素朴に:2000/12/14(木) 03:15
戦争で捕虜を射殺せよと命令されても素人的には手が震えて....
607考える名無しさん:2000/12/14(木) 03:15
法律によって罰せられるから。
加害者が人間で無ければ罪には問われないだろう。
608素朴に:2000/12/14(木) 03:20
タブーは恐怖から来ていると思う。
人間が人間の死に恐怖をおぼえるのは、自分の生々しい死を想像しやすい。
相手が虫や植物ならならそれを想像しにくい。
もちろん虫にも魂を感じたり情がのりうつれば殺すのをはばかるでしょう。
609考える名無しさん:2000/12/14(木) 03:23
殺人を認めちゃうと社会が成り立たなくなっちゃうから
ダメなんでしょ。不快は無数に存在して、それを殺人で
どーにかしよーにも不快が癒えることはなさそーだからね。
610場違いさん:2000/12/14(木) 03:30
哲学板には場違いなのですが……意見します
(あ)「人を殺してはいけない」という禁止命令を、
(い)「殺人罪」の条文、
(う)「現実の殺人事件」、
(え)「殺人事件という紛争の解決方法」、
という方向から考えてはどうでしょうか?
611素朴に:2000/12/14(木) 03:34
人間が人間の死に恐怖をおぼえるのは、同じ人間の形をした生物としての自分の生々しい死の想像をそこから生起しやすいからかも。
その擬似感覚が自己の死を恐怖する生命の本能を刺激しげきしやすい。
612素朴に:2000/12/14(木) 03:46
社会が成り立たなくなるから皆さんは人を殺すまいというダブーの意識を抱くの?
それだけ?
そのダブー意識はもっと根源的な恐怖にちかい感覚という気がする。
613素朴に:2000/12/14(木) 03:49
>>611
入力誤字ごめん
614考える名無しさん:2000/12/14(木) 04:22
人を殺したいっていうか、あいつなんざ消えてしまえって時はあるが、
実行しない一番の理由は社会云々より面倒臭さかもしれない(^^;)
615考える名無しさん:2000/12/14(木) 04:28
殺してやろうと思うとき、自分は無神論者であるにもかかわらず
ふと神の存在をおそれてしまうことを今思い出しました。
616考える名無しさん:2000/12/14(木) 04:29
社会とか法律とかは自己のダブー意識の先か後か?
617素朴に:2000/12/14(木) 04:34
>>615
子どもの頃、虫を殺してしまったり殺さなくてはならないときに、「神様仏様お許し下さい」と念じたことを思い起します。
618考える名無しさん:2000/12/14(木) 06:01
福永法源先生がだめといっているから、殺人はだめ。

最高ですか〜?最高です〜!

宇宙エネルギーで世界平和を!!

最高ですか〜、、、、、、、、、、、、、、、、、、、?
619考える名無しさん:2000/12/14(木) 11:39
>>616
自意識は周囲の比較的身近な人(両親や兄弟、同世代の友人)との間で
形成されて、その一部として内在化された規範であるタブーが生ずるので、
タブーの集合化した法律などはタブー意識の後に乗っかってくるのではないでしょうか。
620考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:04
そもそもみんな殺しちゃいけないっていう暗黙の前提の上に
立ちすぎ。殺しちゃいけないかどうか考えるんじゃなくて、
殺しちゃいけないことをどう説明するべきか考えてるんだもの。
場合によっては殺さざるを得ないこともあるだろう、と。そういう
ことでしょ?
なんだかんだいって@`ヘーワなんだよ、日本ってさ。
浅田彰曰く、「第三世界で引きこもってたら、死ぬよ(笑」

621考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:08
東京でだけど、外人が「This is third world life.」っていってるよ。
単なる事実であることをなにか例えや高度な引用であるように言ってはいけないよ。
622考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:19
いや、浅田彰は高度か?
単にギャグなんだけどねえ。
だいたい、東京は東京だよ。所詮平和の国日本。
そんなこといったらほんとの第三世界で生きるか死ぬかやってるひと
に失礼じゃない? 現にわたしたちは実際に人殺さなくても生きていける
だけのはなしなんだからさ、ということ。わかった? もっと丁寧に説明した
げようか? 低学歴。
623考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:21
浅田は京大ですよ。日本人で京大に行きたくって行けない人がどのくらいいると思うんですか。

それに第三世界だって全員が生きるか死ぬかの生活をしているわけじゃないし、第一世界にも
平和時にさえ互いに殺し合っている様な貧困層はいるんですよ。
624名無しさん@1周年:2000/12/14(木) 14:23
社会を続けるための「やさしい嘘」ということは?
625考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:28
そんな気もしますね。

「どの社会にも底辺というのが必ずあって、そこでは人々がわずかな生活圏を巡って
現に殺し合っていてそれは人類が滅ぶまで続くのだけど、○○ちゃんはそういう人達に
なったらいけないし、自分の子供がそうならないようにしなければならないよ。」

といわれたら子供はショック受けますね。
626考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:37
いや、どんな社会にだって格差はあるなんて常識でしょう。
けど、相対的に見てどう考えても生きるために殺すなんて事態に
陥る可能性は極めて低い。そりゃあ細部を突っつけばきりがないよ。
ただ、大半は甘えなんじゃないの? ということ。そりゃ、なかには
ほんとに深刻な人もいるだろうけどさ。
だから精神的に未成熟な馬鹿な大人、あるいはただのへたれたガキに
かまってやる必要なんてないんじゃないの、ということ。
かまってほしけりゃ、自分で動け。
あと、浅田は京大ですよ、って(笑
はは、そりゃあま、京大ですよ。だから? わたしもそーですけどね。
もう学歴がものをいう時代じゃないんじゃない?
そりゃ、浅田センセはブリリアントですけどね。
627考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:45
別に京大に行ったからって精神的に未成熟な大人じゃないとは言ってないし、
浅田先生はかなり精神的に未成熟な大人だし、世間はそういう人の典型として
捕らえてますよね。

で、こどもに人を殺してはいけないという風に言うのは、隅々まで格差がある
世間の現実をつきつけないで、しかし全員が少しでもこの社会で言い思いをするために
必死でしがみついているから君も頑張れという教えを、極端な例を出すことで
婉曲に表現しているのではないかということなんですよ。だって子供には
人を殺す能力はほとんどないでしょ。殺人を禁止したいんじゃなくて這い上がれと。
628考える名無しさん:2000/12/14(木) 14:55
あのー、誰がアキラ・アサダを精神的に未熟だっていいました?
引き篭もったり,人殺ししたりする精神的な未熟な大人にかまってやる必要はないんじゃない?
リピートアフタアミィ。さんはい。
引き篭もったり,人殺ししたりする精神的な未熟な大人にかまってやる必要はないんじゃない?
629考える名無しさん:2000/12/14(木) 15:00
>>628
いや、迷惑だからさ。引き篭もり登録制にするとか、親権を剥奪するとか。
630考える名無しさん:2000/12/14(木) 16:18
うーん、それはね、かまってあげちゃってるのよ。
奴等良くも悪くも自分が注目されてるって知ったらちょーしんのるんだから
いいのよ、かんっぜんっにシカトしてやれば。
見えないものとして。いないものとして。
で、向こうから積極的に出てきたらしっかりと相手する。
とりあえず初めの一歩くらいは自分で踏み出してもらわないとね。
もち、踏み出せないくらいほんきでびょーきのひとは別よ。
でもそういうのって、ごくごく少数なのよ。
631考える名無しさん:2000/12/14(木) 16:34
>とりあえず初めの一歩くらいは自分で踏み出してもらわないとね。

まあヒッキーが回復するってのは本人と親御さんの間で紡がれた夢って事で。
本人は社会復帰する日を夢見て筋トレとかしてるんだろうけどね。

問題は社会の役に立たない彼らが犯罪を犯すときにかばっている両親が
抑止力にならないという点だけど。善良な市民が犠牲にならないために
彼らを処分するのがベストなんだけどナチスみたいに物理的に処分すると
やっぱり住民に不安が広がってうまくいかないんだよ。
632考える名無しさん:2000/12/14(木) 16:37
ねえねえねえねえ、ウタダヒカルでしょそれ。
なにそれ、知らないんだけど教えて? ビョーキなのあの子。
633考える名無しさん:2000/12/14(木) 16:49
>>632
ヒッキーは引き篭もりの略です。ヒカルちゃんは病気じゃないでしょ。
自信無いけど。
634考える名無しさん:2000/12/14(木) 16:50
知らなかった・・・。かなりはずいわね・・・。
635考える名無しさん:2000/12/14(木) 18:08
その恥ずかしさをみとめるところが
あたなとくず2ちゃんねらーとを区別する
大切な規準です。
636考える名無しさん:2000/12/14(木) 18:15
いやいや、ここは鬼畜まみれじゃないと楽しくないわよ。
あんたもみんなももっと飛ばしなさいよね。
日常生活に支障が゜出ない程度にね。
637ひとら:2000/12/16(土) 04:22
なぜ人を殺してはいけないのか?
を哲学だと思ってるドキュソのみなさんへ

弱肉強食の世界でいつ殺されるか分からない状況で生きて来たなら
分かるが
いままで自分が殺されない事を前提にして生きて来たのに
突然そう言う事を言うのがそもそもおかしい
戦争や格闘技で人を殺しても良いのは
殺した奴も殺されてもというのが前提だからで

そう言うくそ餓鬼には殺人、強姦、金品強奪、麻薬、家宅侵入等々を法律で
罰しない国、地域を日本(世界)のどこかに作って
住まわしてやりゃーいいんだ

じゃーなんで戦争でたくさん人を殺した人が
英雄になるの?そいつを殺しても犯罪じゃ無いじゃない
とか言うの無しね
殺されたやつも一緒だから
(そうじゃない市民もいるから戦争は基本的に良くないが)
638ひとら:2000/12/16(土) 04:30
分かりやすく言うと

自分が殺されない事が前提の
殺しが×で
殺しあいは○
639とりあえず:2000/12/16(土) 04:49
<自分が殺されたくないから>てのが間違ってるのは確実なのねん
640吾輩は名無しである:2000/12/16(土) 05:00
殺したら相手が死んじゃうから。
641考える名無しさん:2000/12/16(土) 06:57
>>617
その念仏は儀礼的な祈りのようなもの?
未開社会で自然のめぐみを殺生するときに祈りをささげるようなタブー意識とか
642考える名無しさん:2000/12/16(土) 07:51
そろそろバトルロワイアル(映画)観た奴が何か書きそうな予感。
643考える名無しさん:2000/12/17(日) 19:56
age

644考える名無しさん:2000/12/18(月) 02:16
誰もを納得させる回答はないと思う。
「憲法規定」、ただそれだけ。
645>638:2000/12/18(月) 15:54
厨房まるだし。
646考える名無しさん:2000/12/18(月) 15:56
互いに殺しあっていると人数が減って戦争で負けてしまうからでしょう。
647おたく、名無しさん?:2000/12/19(火) 15:38
そんなもん時代や地域、信仰する宗教その他の理由で違ってくるので一概には言えません。
とりあえず現代日本の無神論者の場合、644さんの「憲法規定」が一番正しいと思います。

日本国憲法では、自由権を「公共の福祉に反しない限り」認めています。
この場合、「社会不安を増大させた」及び「他者の基本的人権の一部=生存権を侵害した」
という理由で、「他者を殺す」という自由権は剥奪されます。
648考える名無しさん:2000/12/19(火) 15:40
あらかじめ自由に権利が与えられているってのがフィクションなんだから
そう真面目に語られてもねぇ。
649考える名無しさん:2000/12/19(火) 15:40
あ、ごめ〜ん、間違えた、といって謝る相手自体を消してしまうから。
650考える名無しさん:2000/12/19(火) 15:41
悪いこととはとり返しのつかないことである、ってどっかで見かけた。
651考える名無しさん:2000/12/19(火) 15:44
お母さんごめんなさい。
652考える名無しさん:2000/12/19(火) 16:05
「かけがえのない命」と言うと手垢のついたベタな言葉になるが、
事実そうなのだ。ごめん、後で新しい子供を用意しとくから、
なんて言うことはできない。要するに責任だ。

でも、なぜ責任を取らなくてはならないの?とか言う奴が
出てくるんだろうなあ。
653考える名無しさん:2000/12/19(火) 16:08
どの子供もこの子供も同じというわけではないですからね。
654吾輩は名無しである:2000/12/19(火) 18:58
相手が嫌がるからでいいじゃん
655考える名無しさん:2000/12/19(火) 18:58
自分に感情がない人は相手の嫌な感情というのを理解したり共感したりできないんで、
けっこうむつかしいめんがあるんですよ。
656日本@名無史さん:2000/12/21(木) 07:10
人を殺してもいいんだよ。 殺したら逝けないという教育を受けているからちょっと抵抗があるだけ。
その証拠に、戦争なんかで殺してもいいよ〜ん、ということになったら皆夢中で殺し合うじゃん。

人殺しって最高に面白いよね。 マジで。
657考える名無しさん:2000/12/21(木) 08:26
法に触れずに夫または妻を殺す方法2つ書き
ましょう

って結構ムズカシイ問題だよ。マジで。
なかなか思い付かないよ。ホントに。
つーか一つも思い付かないや。なんかある? 
658考える名無しさん:2000/12/21(木) 08:29
報道では酒をのんで
車を運転させる状況をつくっておこうって
かいた生徒がいたというね
659ゆき:2000/12/21(木) 20:54
これから遡って読むけど、何時終るかわかんないので、とりあえず、思った事を吐き出してみる。
すでに出ているネタだったら流してくれて良し。
殺しちゃいけない理由は人権を守るためじゃないの?
文化って複数の人間がコミュニティーを作るけど、その時にコミュニティーが人の存在よりも強くなるから、このでかくて力のあるやつにお前は人間様の為にあるのだぞと「ロボット三原則」のように組み込んだのが社会道徳とか法律の最初の形だと思うけど。
日本じゃかなり地に落ちた人権ってやつだけど、これはみんなが安心して生きてゆくためのものでしょ。
だから、やっちゃいけない理由は「やってはいけない」とルールがある社会から追い出されるから。=そこでの人権がなくなるから。だとおもうんだけど。
私が、「なぜ人を殺してはいけないの?」って子供に聞かれたら、「神さんが愛している人間を殺したら、怒ってあんた放り出されるよ。そしたらもう誰も助けてくれないよ。あんたそれでもいいの?」というなぁ。
ルールが窮屈な人は、それを作っている社会からの恩恵とルールを秤にかけてどっちの方が自分にとって益かを考えればいい。
昔、島送りとかあったけど、流刑の地ってのは、いわばルールが通用しない場所。その方が住みやすいって人には、タブーだって言ってもわからんだろうな。
660考える名無しさん:2000/12/21(木) 21:17
>655
じゃあそいつを殺そうとすれば分かるかな?
661考える名無しさん:2000/12/23(土) 21:18
人殺しはけして良い事ではないけど人口が減って結果的に助かる
んじゃないかな。
662考える名無しさん:2000/12/24(日) 00:55
>>661
それについてはこっちへ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=977220808&ls=50
悪を善なる目的のために利用するのは善か?
663考える名無しさん:2000/12/27(水) 04:44
人を殺すと言っても、わけあって恨みつらみで殺すのと、
無差別に殺す猟奇的殺人とでは全く話が違うと思う。
恨みなどでカッとして殺してしまう場合は、殺されたほうも
もしかしたら非(加害者に対してかなりの精神的加害)
があったかもしれないからなんとも言えないが、
無差別殺人は根本的に人間としての何かが欠けているような
気がする。人を殺してはいけないという人間社会の暗黙の了解を
破るということは、人間を人間とたらしめている「理性」が
欠けているからだと自分は思う。
理性があるから人間は人間でいられる。
理性を失ってしまっては人間の形をした単なる動物でしかない。

これじゃだめか。。。
664考える名無しさん:2000/12/27(水) 05:28
もし君が人を殺したいと思うなら殺せばいい。それは君の勝手だ。
でもそのためにはこの社会からおさらばしなければならないな。
君がやろうとしていることは自由そのものだ、でも自由を手に入れる
ためにはその代償を払わないとな。納得いかないだろうが
今のこの社会はその責任を取らなければならないようになっている、
世の中のほとんどの人は一見自由に見えるかもしれないけど、
みんな自分勝手にやりたいけれど、それをぐっと我慢して生きて
いるんだよ。
君がその暖かい服を着ていられるのも、欲しがっていた便利な道具
が手に入るのも、この社会があっての事だろう?
その考えに至ったのもこの世界にいたからだ。
その社会を裏切るということはそれこそどこかの離れ島で
一人で生きていくか、君と同じ考えの人とそこで殺し合いに
なることになるな。それでもいいのかい?
それでもいいのなら、君は人を殺してもいいのさ。
ちょっと極端だったかな。
665名無しにゃーん:2000/12/27(水) 06:00
SMAPの中居正広と、彼の子供を中絶強要された女性との
会話が聞けます。噂の真相が公開に踏み切ったもの。(パチパチ

http://homepage1.nifty.com/webuwasa/nakaino1.ram

666名無しさん:2000/12/27(水) 07:32
社会から疎外感を感じてる人間は、社会からおさらばしても良いから殺せるんじゃないの?
667考える名無しさん:2000/12/27(水) 09:27
そういう風に感じる人を自殺に追いやるような社会がいい社会なんでしょうが、
実際には他人を殺すことで利益を得られる場合もあるので難しいのでしょうね。
668考える名無しさん:2000/12/28(木) 17:19
669ダメ?:2000/12/28(木) 18:48
なんか知らんけどそういうルールなんだよ。
サッカーでは手を使っちゃいけない。
バスケではボールを持ったまま走っちゃいけないんだ。
どうしても持ったまま走りたいやつはバスケをやらなきゃいい。
どうしても殺したいやつは社会から離れればいい。
670考える名無しさん:2000/12/28(木) 18:49
good-bye社会、welcome裏社会
671考える名無しさん:2000/12/28(木) 18:54
>>669
社会の内部と外部って?
意味不明
672みち:2000/12/28(木) 20:49
人殺した後の全部を
背負える人間は世の中に存在
しないと思う。

どうして殺すの?
673pat:2000/12/28(木) 22:30
一人でも悲しむ人がいればそれは・・・・・ダメ・・・
674考える名無しさん:2000/12/29(金) 01:24
俺:国家がそう決めてるから。

質問者:じゃあ、もし殺したら?

俺:死刑。

質問者:恐るべし国家権力。
675名無しさん:2000/12/29(金) 02:28
戦争によってある程度人が死ぬと過剰に増えつつある地球にとっては
良いのでしょうか?
676考える名無しさん:2000/12/29(金) 02:28
なぜ人類は戦争を繰り返すの?
責任は誰がとるの?
677考える名無しさん:2000/12/29(金) 02:30
>675
人口のこと?
678考える名無しさん:2000/12/29(金) 05:25

ヒトがヒトを殺すとき−進化論からのアプローチ−
http://www.athome.co.jp/academy/zoology/zoo08.html


679考える名無しさん:2000/12/29(金) 05:33
>1
個人の間に、二度と救済できない不平等を一方的に生じさせるものだから
680考える名無しさん:2000/12/29(金) 05:34
死は神様が決めるものだから
681考える名無しさん:2000/12/29(金) 13:07
age
682考える名無しさん:2000/12/29(金) 14:05
ではなぜこれだけ多くの人が「人を殺してはいけない」と考えるの?
683675:2000/12/29(金) 14:09
>>677
>>人口のこと?
そうです。

ホントの厨房なのですが、こういうスレッドで647さんが国がどう
こうというのが出てきたタイミングだったので、書いてみました。
殺人の是非は国対国と個人対個人では事情は違うのですか?

676さんが言っていることは、大量に増えすぎたネズミが集団自殺
をする現象が形を変えただけで、誰が責任を追うものでもないよう
な気がするのですが・・・。

考え方が都合が良すぎますかね?

このスレッドと関係ないようなら無視して下さい。

684考える名無しさん:2000/12/29(金) 17:04
>683
>戦争によってある程度人が死ぬと過剰に増えつつある地球にとっては
>良いのでしょうか?
地球にとって良いとは一体どのようなものなのでしょうか。
地球に意思など在りません。仮にあったとしても私たちはそれを認知できません。
おそらくは生態系をそう表現したのだと思いますが、おそらくはいかなる動物も生態系の利益に従っては行動しないでしょう。
生態系まで含めて視野を広く持つことは大事ですが、それも全てはヒトの為。
戦争によって人口が減ることが人類にとって極めて有益でない限りは戦争を肯定することができないでしょう。
人類の視点から見た場合に不利益しか生じないのであればそれは本末転倒です。
そして今現在特例を除いては殺人行為はその属する集団に不利益を与えると考えられています。
685考える名無しさん:2000/12/30(土) 01:32
一回身内や友達を殺されてみればいいんじゃない? そういう人たちの気持ちが法律をつくったんだよ。
686考える名無しさん:2000/12/30(土) 02:10
>685
そうそう自分の彼女も殺されてみればわかるよね。
687考える名無しさん:2000/12/30(土) 02:21
>685
身内の命より保険金が入ったほうがよいって思うひどい奴もいるんだよ
688683:2000/12/30(土) 02:28
>>684
私は殺人は今の所するつもりもないし殺める対象もいないのです
が、684さんのおっしゃることを聞いていると、なんか殺人の是非
が(多くは自分やその身の回りにされた時のことを考えて)その時々
によって左右するという時点で、良いこととか悪いこととかではな
く、もう観念上のグレイゾーンの様な気がしますよ。『茶碗に箸を
立てるのはやめろ』というように、何があるのか分からないけどと
にかくやめとけみたいな。

その時々に変化するものである以上、殺人の是非についても戦争の
是非にもなんだか答えなんかでないような。

>>685
>>686
どなたかを亡くされたんですか?
彼氏が亡くなったら・・・うーん。
確かに困りますね・・・。
689考える名無しさん:2000/12/30(土) 02:33
>683
いや、相手の気持ちを考えればわかるだろう
ということでしょう。自分がやられたら困るだろう?
ってことです。
690考える名無しさん:2000/12/30(土) 03:40
「なぜ人を殺してはいけないか」に明確な答えなどあるわけがない。
答えがないから人類はわざわざ掟や法律を作ってこれを禁止しなきゃ
ならないんでしょう。だからそれは「法律が禁止しているから」以外の
なにものでもない。でもその掟が禁止していること、国家権力が前に
立ちはだかって自分を罰するということに対するリアリティがないから
ガキが付けあがってこんな質問をする。少年犯罪でも悪質なものは極刑を
もってのぞめばよい。そうすれば「なぜ殺してはいけないの」なんて
呑気な質問はできなくなるよ。
691考える名無しさん:2000/12/30(土) 03:53
こんなスレあげんなよ。とっくに答えは出てるだろ。過去レス読め。
692684:2000/12/30(土) 04:01
>683
戦争責任について軽く述べます。
ロールズ曰く。侵略戦争は禁忌すなわちやってはならない行為である。
しかし、戦争には許される戦争もまた存在する。
それは非民主主義的な国家を民主主義的な国家にする為に行う戦争である。
そのような戦争において民間人及び敵国の一般兵は殺害してはいけない。
(これは彼らに責任がないからである。ただし防衛手段は認める)
標的となってよいもの(責任のある者)はその国家の元首及び司令官以上の軍人に限る。
また、速やかに戦争を終結すべく最大限の配慮を怠ってはならない。
その配慮を怠った者(自国の元首)は自国の戦争の成果に関わらず責任を負う。
(本が手元にないので許してね)

彼は太平洋戦争におけるアメリカの原爆投下を明らかな誤りと指摘しています。
この原爆投下を正当化する6つの理由を彼は一つを除いて全て否定しています。
アメリカ人でありながらアメリカを責めるロールズの本国での評判は二分しております。

集団に対する責任を考察する場合、民主主義という言葉が明らかにキーワードになります。
戦争もまた個人で行えるものでない限りは民主主義と切り離しての考察は不可でしょう。
倫理について理性でとらえようとする行為に対して嫌悪感を持つかたもいるかもしれません。
しかし私は何事に対しても理性でとらえようとする態度を素晴らしいものと思います。

ちなみに私はこのスレの最初からいる古参です。
だからどうしたと言われればそれまでなのですが
693考える名無しさん:2000/12/30(土) 04:03
だからどうした
694考える名無しさん:2001/01/01(月) 06:06
とりあえず俺様以外の奴なら殺っちゃっていいよ
695名無し:2001/01/01(月) 06:08
>>694
sonotouri
zibun igaino ikimonoha doudemo iindayo
696考える名無しさん:2001/01/02(火) 18:58
人に迷惑をかけなければ何をしてもいいのさ。
697阪京:2001/01/02(火) 20:04
哲学なんて無縁だが、アオられて来てもろた。レス読んでないので、反論は
ご自由に。
>1
なんで、そんな簡単なことが理解でけへんの?
「人を殺してもいいということは、自分が殺されても仕方がない」という
程度のことを。自分が特別の存在であると自覚したいのなら、そんなチンケ
なことで実現するな。誰でもやがて全て死ぬんやから自己実現可能なことを
他人にほんのちょい早めになしただけでエライわけがなかろーに。
698考える名無しさん:2001/01/07(日) 03:54
なんで人を殺していいのか?これに対する答えってなんだっけ?
なんかの本でよんだんだけど。
699誤痴鋭:2001/01/07(日) 04:07
  >>697
 じゃあ自殺志願者は殺人も肯定されるということになるな。

 批判したので自分の意見。簡潔に。
 社会的には、殺人を許可すると治安が乱れるから。
 倫理的には、エントロピーが大きくなる方向の行動だから。
700考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:10
>>699
治安とは?
701考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:17
人を殺すということは自分が殺されても仕方がないという理論に対しては
なぜ主観的な行為の自由さが客観的な行為に転化されるのか?また、
自分が死んでもいいなら人を殺してもいいのか?という問いにぶちあたると
思います。俺のこの問いへの答えは俺が殺されたくないからという感情論的な
もので、人殺しは悪いことという前提条件をまず問いただすことが答えへの
第一歩だと思うのですが。
>>698 俺は人を殺してもいいと思いますよ。実際には殺さないけどね。
702誤痴鋭:2001/01/07(日) 04:20
     >>700
 う、迂闊な言葉を使った。
 人民をより効率的に取り込むためには殺人がないほうが便利だから
と書いたほうが良かったか。
703名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 04:20
殺してもよいの設問には 殺されてもよいと言う 設問のふくまれるなだ
704考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:24
自殺と他人に殺されることとはかなり隔たりがあると思うが
705考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:27
他殺への拒絶感があるのは自分の死を他人の意思・権限に支配されることに対してでないの?
706考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:31
ヴェ−ユを読めよ君ら。
707というか(32):2001/01/07(日) 04:38
     >>704
 要するに「俺は殺されてもいい」という奴は殺人してもいいのかということよ。

 ときに、「俺は人を殺すけど、お前らは俺を殺すな」という意見は、どう倫理的に間違ってる/正しいのよ。
既出なんだろうけども。
708考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:39
戦争状態はどう説明する?
709名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 04:44
DNAの乗り物だが 人間は
710考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:46
>707
>ときに、「俺は人を殺すけど、お前らは俺を殺すな」という意見は、どう倫理的に間違ってる/正しいのよ。

身内を殺されたある遺族の人が、犯人が死刑にされないのは「不公平」だからいちばん悔しいみたいなことを盛んに言っていたよね。
711考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:50
>1
遺伝子にそう書かれているから
殺人は遺伝子の突然変異によるもの
712誤痴鋭:2001/01/07(日) 04:50
     >>709
 模倣子に操られている存在でもあるね。むしろそっちのほうが強いときもある。

     >>708
 戦争は、国家レベルで見ると悪いことではない。でも人間レベルで見れば悪いこと。
どちらのレベルで見るかは人や立場によって違う。これじゃダメ?
713名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 04:55
恐怖に追い込めば いいのだ
714考える名無しさん:2001/01/07(日) 04:59
>709
そんなに単純じゃないだろ。
>712
模倣しって何?
715誤痴鋭:2001/01/07(日) 05:24
     >>714
 「ミーム」の事だと思って使ってましたが。違った?
 例えば宗教のように、遺伝子ではないが、遺伝子と同じように振る舞う情報。

 関係ないが「リンダキューブ」の主人公の育ての親がジーンとミームという
名前だったので一寸感動した。
716考える名無しさん:2001/01/07(日) 05:29
ミ−ム???
ますますわからん。
717考える名無しさん:2001/01/07(日) 05:34
>例えば宗教のように、遺伝子ではないが、遺伝子と同じように振る舞う情報

遺伝子と宗教がなんで同等に扱われるの?そこら辺がわからん。
718誤痴鋭:2001/01/07(日) 05:36
     >>716
 例えば、宗教に属している人って、その宗教を後の世に伝えるためなら
死んでもいいという場合があるでしょ。(思想・国家でも同様)
 そのように、個体の生命より情報のエントロピー維持のほうが
重要になる場合がある、と。このように遺伝子のように振る舞う
情報をミームといいます。「情報遺伝子」とも言うらしい。

 遺伝子のアナロジーというか。詳しいところはドーキンスの本を
読んでみてください。
719考える名無しさん:2001/01/07(日) 05:42
>718
すまんがまだわからん。「遺伝子のように」っていうのは比喩なのか?
それとも文字どおりの意味?
720誤痴鋭:2001/01/07(日) 05:51
     >>719
 比喩ではなく文字通りにと言えると思う。

 遺伝子の特徴を、宗教や思想などの特徴と対応させてみてください。
後世に伝える・増殖する・突然変異するetc...
721714=716=719:2001/01/07(日) 06:05
うーん・・・でもそれだけでは論意が伝わってこないんだよ。残念ながら。
遺伝子と自殺というとアポト−シスの事を言いたいんだろうけど。
遺伝子って結構いい加減に変化し続けるものだし、大体遺伝子の
機能って世間で考えられてるほどデジタルでもないしね。
722誤痴鋭:2001/01/07(日) 06:19
 「いい加減に変化」というのは、例えばキリスト教でも○○派というのが
出たりするよね。そういうのが変異でしょう。共産主義なんてのも
キリスト教の変異種だったりする。そもそもキリスト教がユダヤ教の
変異種だし。
 働き蜂とミツバチ集団の関係を、狂信者と宗教になぞらえると
いいかも。
723721:2001/01/07(日) 06:23
ちょっと補足。
ド−キンスの本は俺は読んでないんだが、小耳にはさんだところによると
利己的遺伝子というのは「外部環境に人間を順応させて自らのコピーを
大量に増やそうとする細胞情報主体」の事を指すらしい。
だけど遺伝子(もっと広く言えばDNA)は、細胞が多数集まった人体
の内部環境の変動によって容易に発現が変化する。すなわち物理的
、化学的、電気的な刺激によって仕事が変わるということだ。それは
つまり「いきあたりばったり」という見方も同時にできるわけで、
「遺伝子が我々を支配している」という考えは必ずしも適当では無くなるってこと。
724721=723:2001/01/07(日) 06:26
わりい。かえってわけ分からなくなっちゃったね。

ド−キンスの本は→本を
無くなるってこと。→無くなる。
725考える名無しさん:2001/01/07(日) 06:34
>722
いやいや、だからね。遺伝子が生物の行動を規定しているとは必ずしも
言えないよ。遺伝子は常にいきあたりばったりに変化し続けているんだから。
726誤痴鋭:2001/01/07(日) 06:43
 その変化というのがよく分からない。遺伝子の状態は変わっても、
遺伝情報そのものが変わるわけじゃないでしょ?

 あと、遺伝子が高等生物の行動を規定しているとは思わない。ただ、
遺伝子(またはミーム)を保持することを至上命令にすることは
ありうるし、そういう傾向は強いだろうということ。
727考える名無しさん:2001/01/07(日) 06:51
>遺伝子(またはミーム)を保持することを至上命令にすることは
ありうるし、そういう傾向は強いだろう

ということは、

>遺伝子が高等生物の行動を規定しているとは思わない

と矛盾してない?
728誤痴鋭:2001/01/07(日) 07:00
 例えば「ここで横断歩道を渡れ」とかそういうレベルまでは、
ということですよ。
 共産党員が選挙で共産党に投票するのは、ある種「行動の規定」と
言えると思いますけどね。学会員がやたらと折伏しまくるのとか。

 ただ、人間には行動を支持するミームが複数あるから(世間体とか)、
必ずしもどれか一つに縛られるということはない、というのじゃダメ?
729724=725=727:2001/01/07(日) 07:21
端的に言えば俺は遺伝子(ミ−ムも)中心主義というやつがスカン
のよ。ミ−ムが複数でもそれが人間の行動を支持する最大の存在とは
思えない(小さいとは言わない)。

眠いのでとりあえず今日は練る。
730というか:2001/01/07(日) 07:37
 この説の卑怯なところは何でもミームにこじつけられちゃう所なんだけども。

 ミームが行動の中心というよりは、エントロピーを大きくしないことが
行動の中心という気がする。で、高等動物ほどその対象(とりあえずミーム
と呼んでるわけなんだけども)が多くなり、複雑になる、と。

 こじつけてくとキリがないのでとりあえず本題に戻ると、殺人はエントロピー
を大きくする行為だからいけない、と。だからこそ、個人よりも大きいレベル
(宗教とか思想とか国家)においては殺人が許される場合もある。

 と、こんなところで。
731考える名無しさん:2001/01/07(日) 08:23
利己的な遺伝子を読んでいない人が誤解しているみたい。

遺伝子は自己増殖を目的としているが、遺伝子に戦略を決定する力は無い。
淘汰の歴史によって、使用されている戦略に違いは有る(社会性昆虫)。
また、戦術(個体が取りうる行動)なんかは、遺伝子の支配を受けようが無い。

この2点をきっちり押さえないと、「遺伝子=独裁者」のような極めて間違った
話になる。
732考える名無しさん:2001/01/07(日) 13:33
じゃあ利己的遺伝子っていうネーミングはなんなのだろう?
733考える名無しさん:2001/01/07(日) 13:48
>731

利己的遺伝子が遺伝子中心主義じゃないとすると、利己的遺伝子
の概念ってどこら辺が新機軸だったの?何が目新しかったの?
734考える名無しさん:2001/01/07(日) 14:14
種の保存の為の本能が発達するという論法に較べて説明できる範囲が広く
優性思想的な誤読が入りにくい所でしょう。
735考える名無しさん:2001/01/07(日) 17:37
あと、利他的な行動も充分に納得がいくわけです。
進化論で考えちゃうと、利他的行動は愚かな行為でしかないわけですね。
でもそんなこたぁない。場合によっちゃぁ利他的行動こそが大いなる
利己的行動であるんだちゅうことですわ。(個体にとっては違うけど)

愛や倫理を語る時に、宗教っていう呪縛から開放されるんでわないかなぁ。
と思うわけなんでし。
736考える名無しさん:2001/01/07(日) 17:44
遺伝子に取って利己的な行動(正確には遺伝子の実態はDNAであり物質であるので、「利己的なふるまい」といったほうがよい?)
が他の遺伝子に有害であったり、個体にとって有害だったり、その遺伝子を持つ集団にとって有害であることはありうるので。
つまり利他的な行動をとっているときには個体とは利害の対立する遺伝子の利益に奉仕している可能性が大だということ。
737元自衛官:2001/01/07(日) 20:03
国家を守るために死ぬのは、家族を守るためであり、自分の身内の遺伝子を保存するための本能である。
738考える名無しさん:2001/01/08(月) 15:20
人を殺してはいけないのよ。人だけではなくて、本当はブタさんやウシさんやトリ
さんも殺したり、誰かに私たちのかわりに殺してもらってはいけないの。もちろん
野菜だって生きているのだから、殺してはいけないの。つまり食べちゃいけないの。
お湯を沸かせばお湯の中の微生物が死んでしまうの。でもしかたないのよ。ごめん
なさいってあやまったからといって、赦されない。だから、あやまらなくてもいい。
だけど、どうせ殺しているのだから人だって何だってどんどん殺してよいというこ
とには、ならないのよ。理屈じゃないの。美学の問題ね。
 別に、オチはないわ。
739考える名無しさん:2001/01/08(月) 15:58
「人を殺してはいけない」という命題は倫理的に自明であるように
見えるかもしれない。
しかし、自明であるからといってその起源を問わないような倫理は、
結局のところ理由も根拠も失った「虚ろな倫理」でしかないんだよ。
小学校の道徳教育なんて、まさにその極みだと思うのだが。
(昔は押しつければ済んでたんだけれどね。)
このスレには、結構そういう人が多いみたいだな。
悪いが君らは哲学板向きじゃないと思う。
740739さんに:2001/01/08(月) 16:27
おかあさんは、何か理由があるから人を殺してはいけないのだ、とは思わないのよ。
「なぜ殺してはいけないか」という疑問文は「ある理由により人は殺すべきでない」
という当為命題を含意しているけれども、この命題は問題含みよ。つまり問題の出し
方が悪いのよ。
 556のお方だったかしら、同じことをおっしゃっていたわ。人を殺してはいけな
いということには、起源も理由も根拠もないわ。理屈じゃないというと素朴ないい方
になるけれども、なぜ悪いという人を知的・論理的に説得する(論破する・con−
vaincre)ことは無理ね。納得させる(persuader)ことは可能かも。
心情の論理ね。パスカルよ。

デリダに「法の力」というご本があるけれども、正義と法は、本性的にちがうという
のね。「人を殺してはいけない」ということは、すでにある何かを参照することによ
って証明できるというタイプのことがらではないのよ。理屈じゃないんだわ。

 そうそう、大澤さんが「殺人は不可能だ」といったことはどなたかも言っていらし
たけれど、かっとして殺してしまう瞬間には、相手が人ではなく、物に見えているの
ではないかしら。銃殺される人に目隠しをするのは殺す側が相手の目を見なくてすむ
ようにするためっていってたわ。

741739:2001/01/08(月) 18:18
>>740
断定的な物言いは避けるべきだったかな。
これでは俺自身哲学的でなかったなと反省しつつ。

ふむ、>>556>>555と対になっているわけだな。
確かに倫理の一切を知的に説明できるなどとは俺だって思わない。
しかし根拠はないと言い切ってしまうと誤解を招くだろう。
少なくとも、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と聞かれたときに、
「人を殺してはいけないからだ」では説得力もくそもへったくれもないし、
そのような倫理規範に誰が従ってくれるというのだ?
倫理が知ではなく情に関わることであるというなら、
情がどのように倫理を成立せしめているのかを考える可能性を模索するべきだ。
「情のことは情にまかせるしかない」ほど、思想というものは脆弱ではない、と
俺は考えている。

>[自分がされたくないことは他人にしない]
>これが倫理の普遍性を支える考え方だと思います。
まず>>555のこの箇所に疑問を提示してみよう。
「自分がされたくない」というのは個人的な価値判断であって、
倫理の「普遍性」に直結できないのではないか?

自分がされたくないことが、他人にとっては全然平気なことだったり、
逆に自分がされても大して困らないことが、他人にとっては辛いことや
迷惑なことになりうるということはいくらでも考えられるのではないか?
倫理とは主観的な価値判断の寄せ集めではなく、その成立にあたって
社会集団の間で何らかの合意なり協調なりが要請されると思うのだが。
742:2001/01/08(月) 18:28
殺されたいと思う奴なんて滅多にいないぞ。
743739:2001/01/08(月) 18:45
>>742
うむ、確かにその通りだ。(笑)
しかし上記で挙げた箇所は倫理一般についてのことであって、
殺人に限った話ではないからな。もちろん、盗まれたい奴だって
犯されたいやつだって滅多にいないだろうが。
それにしたって、「私は殺されたくない」と「人を殺してはならない」の間には
なんらかの変化が起こっている、と言うことは容易に考えられるのではないか?
744739:2001/01/08(月) 18:56
>>743をちょっと訂正だ。

 なんらかの変化が起こっている
 ↓
 本質的な相違が見られる

…いいのかなこれで…逆効果のような気もしてきた(藁
745誤痴鋭:2001/01/08(月) 19:54
 傷害より殺人のほうが罪が軽い文化/国家というのは今まで存在したんですか?
むろん、限定された状況(戦時など)を除いて。
746考える名無しさん:2001/01/08(月) 23:42
質問です。
倫理というものを、規範への服従と見るべきではないのではないでしょうか。「殺す
なかれ」なり「されたくないことは人にもするな」なりの規則、あるいは法(実定法の
ことではない)があって、これらは規則である、だから従うべきだ、という問題構成に
すると、「倫理の倫理性」はなくなってしまうと思います。殺すなというおきてがある
わけではないが、私は殺さない、というような、一種の自発的な決意、無根拠な決意が
もんだいなのではないでしょうか。フーコーの「性の歴史」2・3巻における、キリス
ト教以前の倫理のあり方・・・

 次に、規則への服従が問題だと考えた場合、ヴィトゲンシュタインの「規則にはどの
ようにも従える」というパラドックスがかかわってしまうと思いますが、詳しい人にお
聞きしたいと思います。デリダの「法の力」は、このパラドックスと無関係でしょうか。

>745
障害の極限が殺人なんだから、やはり、ないのでは? 「やばい、人を傷つけてしまった。
殺した方が得かな?」って変ではないか?
747誤痴鋭:2001/01/09(火) 04:47
 暴行→傷害→後遺症の残る傷害→殺人という順で「悪いこと」となるよね。
つまりこれは不可逆性の問題なんじゃないの?
 で、もしこの法則が普遍的に成立しているのであれば、人類の根元的希求
のようなものがあると言えると思うんだけれども。
748考える名無しさん:2001/01/09(火) 05:52
 基本的人権の侵害を考えたらこんなの議論の対象外じゃないの?
749誤痴鋭:2001/01/09(火) 06:03
 じゃあ「基本的人権は何で侵害しちゃいけないの?」と訊かれたら?
750考える名無しさん:2001/01/09(火) 07:35
>>745

たとえば、身分社会では奴隷を殺すことより身分の高いものの財産を奪うほうが極刑だった、
ということならば。

751誤痴鋭:2001/01/09(火) 09:59
     >>750
 それは状況を限定してるじゃん。奴隷を傷つけることと殺すこと、
身分の高いものを傷つけることと殺すことで比較して。
 あ、下克上は罪が消えるけど謀反は打ち首とかいうのも別。

 他にも(消極的)安楽死は罪に問わないけど、瀕死の人への傷害は
犯罪になるとかありますが、これもまた別として。
752考える名無しさん:2001/01/09(火) 22:11
>誤痴鋭=呉智英?
素朴なことを申しますが、事実における序列は価値のそれを示唆するかもしれないけれども、
根拠付けませんよね?
753考える名無しさん:2001/01/09(火) 23:40
>749
憲法違反です。
754考える名無しさん:2001/01/10(水) 00:00
>>751

法や罪の観念から状況の限定をなくしたらそれは無意味な設問。
殺人と傷害致死の差異も状況論的な限定によるものでしょう。

755名無しさん:2001/01/10(水) 01:24
>746
激しく同意。
「なぜ人殺しはいけないか?」などという問いは根本的に無意味。
結局つきつめると「悪いものは悪い」という
非論理的で一方的かつマヌケな結論に行き着いてしまうからだ。
法だとか倫理だとかゴチャゴチャ言うアホウは逝ってよし。

そんなことよりも考えるべきなのは
「自分」は殺すのか殺さないのか、ということ。
厨房が不幸にも前者の結論に至ってしまうには
「自分は殺すのか殺さないのか」を考える段階が
極端に省略されているものと思われる。
756考える名無しさん:2001/01/10(水) 02:34
>755
つまり殺人禁忌は人間に先天的にあるものから派生させて構築する事は絶対にできないということだね?

757考える名無しさん:2001/01/10(水) 02:36
>>755
>「自分」は殺すのか殺さないのか、ということ。

その問いからどういう論理的結論を見出せるというわけ?
法や倫理と無関係に存在する主体を想定しているのか?

758考える名無しさん:2001/01/10(水) 02:37
>755
つまり殺人禁忌は人間に先天的にあるものから派生させて構築する事は絶対にできないということだね?
759名無しさん:2001/01/10(水) 03:25
>756
そうでもありません。
例えば生存本能というものがあるとするなら(コレは先天的だよね)
そこから「死にたくないから殺さない」との禁忌も派生し得ます。
それが何か?

>757
すんません、意味がサッパリわかりません。
760考える名無しさん:2001/01/10(水) 04:34
756>759
ならばこの問題のとらえ方の差ということでしょう。
現実に殺人が禁忌であることは我々はみな常識的に知っているでしょう。
無論、一部例外はいるでしょうが。
この問題を現実に殺人を侵しかねない人間を目の前にして考えるなら
何よりも殺人を起こさせない思考が必要ですが、
倫理の問題と考えるならまた別の問題となるでしょう。
要は倫理の出る幕はあると言いたいのです。
761考える名無しさん:2001/01/10(水) 05:14
殺人が許されるケース:正当防衛・安楽死・戦争・死刑の執行・自殺

すべての各個人は生きる権利と死ぬ権利を行使できる。
それが脅かされる状況では、殺人もやむなしでは?
762考える名無しさん:2001/01/10(水) 13:31
倫理とは無根拠な決意である。その意味で、キョウテキだといってよい。
以前のどなたかの意見で、電波っぽく始まりながら、最後にこの、キョウテキ
ということをっているものがあった。
763誤痴鋭:2001/01/11(木) 09:17
     >>752
 違うよ。本物ならもっとマシなこと言ってます。
 人類全般において歴史的にそのような了解があるなら、それは倫理の
根拠として良いと思うんですが。そもそも倫理なんて人間がこしらえた
ものであって、「矛盾してはいけない」なんてのだって、根拠はないわけでしょ。

     >>753
 じゃあ憲法(国家)がなければ殺人はオッケーなんだね?

     >>754
 だとしたら倫理も法も規定できないね。つうか、あなたは法における
刑罰の差は何に根拠づけられると思う? 特に傷害と殺人。
 あと、俺は傷害致死と殺人に論理的な差異は見いだせないけども。
法的には「傷害ですますところを過失で死なせちゃった」ってことだと
思うけど。

     >>761
 そういう状況でない場合で、一般に殺人がいけないこととされている
根拠について問うているんだと思うんだけども。
764考える名無しさん:2001/01/12(金) 03:50
悪いことだと思われていところに殺人の価値があるわけでしょう?


765金田由紀:2001/01/12(金) 05:58
>>1さん
「なぜ人を殺してはいけないの?」の質問に
どうやって答えれば良いのでしょうか!? と言う貴方に
どうやって答えれば良いのでしょうか??
ゴメンなさいネ!通りすがりに目に付いたものでー!
人間 頭が回り過ぎると空回りもするのですね??
わたしは凡人で良かったーー!!(まだレス全て読んで無いけどね)
766キケイジ:2001/01/12(金) 07:17
ゆきたん…ハァハァ…
目的にもよりますよね。
殺人をさせたくないだけなら、
嘘も方便ってことで、「殺人=悪」という定義をすりこむか、
「自分も殺されてよい」という覚悟を迫るか、
法的な不利益(逮捕、犯罪歴、親族への迷惑)などを
説明するのはどうでしょう?
相手の性質にもよりますが。
同じことを言っても、解釈は人それぞれなので。
767考える名無しさん:2001/01/12(金) 19:31
この世には殺人が悪だからこそ起こる殺人というものがある。
殺人が悪でなければ、それを遂行する価値がない殺人だ。
「人を殺してみたかった」→倫理が悪いといっているからだ。
「人を殺すと射精する」−倫理が悪いといっているからだ。
彼等の殺人は悪だ。自分自身が悪だと思っているのだから。
もし殺人が悪でないのなら彼等は殺人に価値を見いだしやしない。
768とみけん:2001/01/12(金) 20:36
まだ答えでないんだ(藁)
769考える名無しさん:2001/01/12(金) 20:42
ざわ〜るどおぶまいん読め。
770考える名無しさん:2001/01/12(金) 20:50
>>769
ザ・ワールド・イズ・マインのこと?(w
771考える名無しさん:2001/01/12(金) 23:02
>>767
そうともかぎらない。倫理以前に、人間には「人を殺したい」という
攻撃本能があると思う。一定の条件がそろうと発動するように
なっているが、条件がそろわないのに発動する場合もある。それが
彼らだろう。本能の異常といえるかもしれない。彼らにとっては
倫理などどうでもいいだろう。
倫理が悪といっているから、悪いことをしてみたいなんてのは
全共闘オヤジまで。
772 :2001/01/12(金) 23:09
>>771
あなたも「人を殺したい」という衝動に駆られる事があるのですか?
773:2001/01/12(金) 23:11
>>771
あなたも「人を殺したい」という衝動に駆られる事があるのですか?
774二重:2001/01/12(金) 23:12
すまん。
775誤痴鋭:2001/01/12(金) 23:13
 そもそも「善」「悪」って何が根拠なんだろう。
776考える名無しさん:2001/01/12(金) 23:17
そうではなく、人間にはそう言う本能がプログラムされている
だろうと言うこと。普段は当然押さえられている。普通の人間は。
殺し合いが必要な場合は普通の人間でも表に出てくるのでしょう。
そう言う状況では、殺人に快感を覚えることすらあるのではないか。
戦争に必要以上の虐殺はつき物だ。
殺人がなかった時代はないし、理由のない殺人も昔からあった。
これらもプログラムの異常から生じるのではないか。
777 :2001/01/12(金) 23:58
その「プログラムの異常」は戦争という「状況」がもたらした物で
しょ?。理由のない殺人が増えている(様に見える)のは何故
だと思う?少年法がどーこーって、、問題になってたじゃん。。。
こいつらの頭ん中では、「プログラム異常」を引き起こす「一定の条件」が
そろったってこと?。
778金田由紀:2001/01/13(土) 02:04
>775さん
難しいですよね、個々の環境によっても変化しますよね?!
宗教や国や時代、育った環境や今現在の裕福度、他から与えられる価値観など!!
数え上げればきりが無いですよね??
779考える名無しさん:2001/01/13(土) 02:11
>>771

殺人衝動も攻撃本能だみたいに言っておきながら、本能の異常だというのも変だね。矛盾してないか?

780誤痴鋭:2001/01/13(土) 02:20
     >金田さん(>>778
 ここで言っているのは倫理学で論じるところの「善悪」です。
一般でいうところの善悪はどれもイデオロギーだと思うので。
781キケイジ:2001/01/13(土) 02:44
結論から言うと、殺してもいいんだよ。
我々は豚や牛を殺してる。
間接的にだが、人間も殺している。
競争社会で敗れた人間は氏ぬだろ?
それに自然や環境を破壊している。資源も浪費している。
我々は次世代の人間を殺しているのも同然。
ただ、殺人という「犯罪」はリスクが高いからだれもやらないだけのこと。
本当はみんな残酷なんだよ。
782名無しさん:2001/01/13(土) 02:59
チョンコ発見。
日本Linux境界会長オゴシマサミさんでした。
783 :2001/01/13(土) 03:09
>競争社会で敗れた人間は氏ぬだろ?
死んでねーよ。まだな(W
>自然や環境を破壊している。資源も浪費している。
じゃ2ちゃんなんか最低最悪の殺人行為と同義て訳だ。。。
>我々は次世代の人間を殺しているのも同然。
ごもっとも。じゃどーするよ。BR法で少しでも人数減らすか?
「次世代の人間」の命守る為に(W
784キケイジ:2001/01/13(土) 03:24
いやいや、とことん食い尽くしてやりますよ、石油も土地も大気もね。
残酷なのが悪いなんて言ってないし。>>783
殺人も悪いなんて言ってない。
所詮生きるってことは殺し合いなのさ。
785・e・:2001/01/13(土) 03:29
レベルの低い電波だなぁ・・
786キケイジ:2001/01/13(土) 03:47
ガーン、一生懸命考えたのに1行レス煽りで終わってしまった。。
じゃ、このスレも終了ですか?
787  :2001/01/13(土) 03:52
キケイジってハンドルやめてくんねー?
788キケイジ:2001/01/13(土) 03:56
うーん、それ言われると思ったよ。
でもなぜだい?>>787
哲学板住人らしいレス求む。
789  :2001/01/13(土) 04:11
オレ哲学なんか全然興味ねーの。すまんす。
で、姉貴が一回堕ろしてっから。葡萄で。
790789  :2001/01/13(土) 04:23
>>788
言っとくけどマジなんで。死ね。
791カイジ:2001/01/13(土) 04:24
そっか、そりゃヘヴィだな。
じゃあやめとこう。>>789
792カイジ:2001/01/13(土) 04:28
まぁ機嫌直してくれよ。>>790
でも、五体満足の俺が言っても全然説得力ないが、奇形に対する偏見の現れとも
言えないかな?
奇形だって同じ人間なのに。例えば「カタワ」とか「キティガイ」とか
ハンドルにつけるのとどう違うんだろう。
793考える名無しさん:2001/01/13(土) 04:38
そろそろVol2立ててくれ。
794790 :2001/01/13(土) 04:39
別にめんどくせー話しじゃねーよ。身内の不幸いじられた
様な気がして腹立った。そんだけ。。。偏見いーんじゃねーの。
それがここの売りでもある訳だしな。
795金田由紀:2001/01/13(土) 05:03
>780さん
ご忠告ありがとう御座いました。
軽はずみな書き込み反省いたします。
しかし!わたくしココに興味が沸いてまいりました!!
これからもご教授願えませんでしょうか??
暫らくROMって勉強いたしますゆえ
御指導お願いいたします!!
796カイジ:2001/01/13(土) 05:23
僕も哲学はドシロートだよゆきたん。
シロートなりの意見を書けばいいじゃないか。
797金田由紀:2001/01/13(土) 06:12
>カイジ
そうだね!!
新しい世界を知った気持ちかな?!
只。わたしなりの疑問は残るけどねー!
ホントにあんがとね!!(けどHN言われてやんの!ザマーミロ!)
狸が丘に現れたみたいだから帰るね!!
798考える名無しさん:2001/01/13(土) 07:09
こんなやつ死ねば良いとか、死んでくれたらありがたいとか
本気で感じるのは日常茶飯事なんですけど。
実際に殺人を行わないのは多分殺人者になりたくないという
気持ちによる抑制だけではないでしょうか。なぜそういう気
持ちになるのか分かりませんが・・。
哲学の問題ではないような気がします。
799カイジ:2001/01/13(土) 07:42
>なぜそういう気持ちになるのか分かりませんが・・。

簡単です。損得勘定をしてるのです。
殺人を犯せば周囲に後ろ指を指されますし、社会生活を送る上で
ありとあらゆる制約がついてまわります。
無人島での小数集団生活でですら、そのような抑制は働きます。
これが社会生活を送るための人間の知恵であり、動物との違いです。
それが正しいのかどうかは、神でもない限り解りません。
800某亡霊:2001/01/13(土) 07:47
はしごを蹴り倒してはいけません。
801某亡霊:2001/01/13(土) 07:49
ごめんごめん。ボケてたのか、ついスレ間違えちゃった。
これじゃマジで浮かばれないよ
802考える名無しさん:2001/01/13(土) 17:58
例えばこう言うのはいかが?
もしあなたが、絶対的な権力を持っていたとする。
逆らうものや、気に食わないものは当然のように死刑にすることが出来る。
民衆も圧倒的に自分を支持しており、専制君主の座は安泰である。
このような条件下でも絶対殺人をしないと誓える人間が本当にいるか?
つまり殺人を犯さないのは、社会的な制約があるからに尽きる。
803考える名無しさん:2001/01/13(土) 18:05
>>803
そんな状況になれば、絶対的に殺人を犯す必要がなくなると思わないのか?
804考える名無しさん(803):2001/01/13(土) 18:06
故に誓える。
805考える名無しさん(803):2001/01/13(土) 18:08
あッごめん。>>802ね。
806802:2001/01/13(土) 18:38
>803
ごめん。死刑を執行するのも殺人と考えて欲しい。
807考える名無しさん(803):2001/01/13(土) 19:02
あう。。。。
社会的要請の殺人かぁ。
分けて考えたいけど、分けれるのかぁ。
誰かHELP
808考える名無しさん:2001/01/14(日) 01:07
ひとことでいうと
多数決だからなの
809酒鬼薔薇聖斗:2001/01/14(日) 19:37
神戸新聞社へ
 この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報
道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた。
 人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号
でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間か
らその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼ
くには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれ
た時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどと
いう行動はとらないであろう
 やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボ
クがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり
続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたい
のである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を
生み出した社会への復讐も忘れてはいない。
 だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ること
ができない。
 そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたので
ある。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあ
り存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣
味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもな
く、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思い
ますよ。」
810酒鬼薔薇聖斗:2001/01/14(日) 19:38
 その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
 しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然
の性(サガ)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から
解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができ
るのである。
 最後に一言
 この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対
して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存
在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見
ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思
えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね。ボクはこのゲー
ムに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろ
とまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボ
クの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊し
ます。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
 ―ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている―

P・S 頭部の口に銜えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲んで読み取りにくかった
ようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。


ボクが、あなた方から何を学べというのですか。あなた方には、何があるのですか。あ
なた方の「いのちの価値」を教えてください。
「なぜ人を殺したらいけないの?」を教えてください。
811考える名無しさん:2001/01/15(月) 22:02
あげていい。
812考える名無しさん:2001/01/16(火) 23:12
810@`809は病者のことばである。神秘化すべきではない。
813考える名無しさん:2001/01/17(水) 07:27
人殺しだって人間の本性。
人殺しをヒステリックに撲滅しようとするのも、人間の本性。
814考える名無しさん:2001/01/18(木) 17:12
>810
あんたは、殺されたくないだろ。死とは何か知っているだろ。
悪人に何か教えても、それを利用し他人を苦しめ仲間を増やすだろ。
もし返事できるならしてみろ。

815アクセス:2001/01/18(木) 23:03
TBSラジオ聞こう!!!
816815:2001/01/18(木) 23:05
でも今しゃべってる人、頭わるそー・・・
817榊原:2001/01/18(木) 23:18
810じゃないけど返事出来ない。何故か。至極当然の答えだから。。。
この結論に至るまで814レス・・・。これが哲学。
818考える名無しさん:2001/01/18(木) 23:24
>814
「自分から殺されたいとは思わないけど別に殺されてもいいよ」と思ってる人に
「殺すな」と言うのは難しいのでは?
言いかえれば人生に執着してない人。
ただ、そこまで悟っちゃったら人を殺す理由なんてないだろうけど。
819考える名無しさん:2001/01/18(木) 23:28
殺られる前に殺れ
820考える名無しさん:2001/01/18(木) 23:28
>814
「自分から殺されたいとは思わないけど別に殺されてもいいよ」と思ってる人に
「殺すな」と言うのは難しいのでは?
言いかえれば人生に執着してない人。
ただ、そこまで悟っちゃったら人を殺す理由なんてないだろうけど。
821816:2001/01/18(木) 23:28
日刊ゲンダイの編集長が「尊厳」とか言ってるな・・
822815:2001/01/18(木) 23:32
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
あなたはこの問いかけに答えることが出来ますか?
http://www.tbs.co.jp/ac/theme/20010118.html
http://www.tbs.co.jp/ac/dengon/index-j.html
823820:2001/01/18(木) 23:42
すまん。二重やっちまった。
824 :2001/01/18(木) 23:44
殺られたくないなら殺るな
825ピエール瀧:2001/01/19(金) 00:03
見殺しならいつもやってるけどね。
826℃素人 :2001/01/19(金) 01:38
>>825
見殺しってなんすか?
827考える名無しさん:2001/01/19(金) 02:16
えっ?人を殺しちゃいけないの?
殺すのは自由だろ。
みんなそこまでのリスクを負いたくないだけだろ。

ただ自分がリスクを背負ってまで殺すほどの価値のある人間って
あんまりいない気がする。

なぜなら殺したい人間って自分にとって最低だから。
828ピエール瀧:2001/01/19(金) 02:18
>>826
助けられるのに放っておくこと
829827:2001/01/19(金) 02:21
あっそうだ

どうしても殺したいなら交換殺人なんかお勧めでは?
わりかしローリスク??
830考える名無しさん:2001/01/19(金) 04:56
自分が殺されたくても他人は殺されたくないかもしれない。
その逆もしかり。
他人からみれば自分も他人の一人である故、他人の意思を軽んじるなかれ。


831考える名無しさん:2001/01/19(金) 05:00
自分と他人は同じ欲望を持っているとはかぎらない。
他人からすれば自分も他人の一人ゆえ、他人への配慮というものは軽視できない。
832考える名無しさん:2001/01/19(金) 05:04
命はその人だけのもの(欲望の対象)ではない。
833830:2001/01/19(金) 05:07
他人の意思あらため他人の自由
>>830
834金田由紀:2001/01/20(土) 04:17
じゃあー
個人個人が好き放題しててーー
今の世の中が成り立つの??
個人を尊重するって事を履き違えてない??
835ピエール瀧:2001/01/20(土) 04:24
今の世の中は個人個人が好き放題してますよ>ゆきたん
836金田由紀:2001/01/20(土) 05:01
>835
失礼ですが、以前に
どこかで会った事無いですか??>ピーちゃん
837カピエール瀧ジ:2001/01/20(土) 05:07
  アハハ <(゚∇゚)ノキノセイ キノセイ
       (  )へ
       くω 
838金田由紀:2001/01/20(土) 05:15
↑あれ?
839ピエール瀧:2001/01/20(土) 05:37
ゆきたんだけ見てもよし。
http://hjem.get2net.dk/tst/weird/tcge031.jpg
840金田由紀:2001/01/21(日) 03:43
鼻腔の位置に眼球が移動してる様に見えますねーー
その内側に小さく有るのが通常で言う鼻の穴?!
額の凸がツノの様に見えなくも無いですが!?
このスレに関係の有る画像ですかね??
841考える名無しさん:2001/01/21(日) 10:47
女房・子供を同時に殺られたら、私なら誇りを持って犯人を殺せる。
殺人で懲役を受け入れるのと引き換えでなら殺人も「有り」でしょう。
アメリカの様に「相応罰」の懲役なら遺族としての自分を納得させられる(自分に代わって
社会=法制度が仇討ちをしてくれたと)が、日本の様に「更正罰」だと遺族としての自分は
永遠に癒される事は無いと思う。
「家族」が1人でも残されたら、残された家族との生活(残りの人生)の為に「仇討ち殺人」
はできないと思う。
その際は「更正罰」を終えていようがいまいが、犯人の実社会での生活が困難になるように
情報操作・ストーキングするだろうな。
生命的には生きていたとしても、社会的に死んだと同じ状況に追い込む。

「なぜ人を殺してはいけないの?」
「法治国家だから殺人罪で刑罰の対象になるし、社会的にも殺人者として後ろ指さされる
 から、それが嫌なら殺しちゃいけない。
 自分や自分の身内が殺されちゃ嫌でしょう。それなら自分も殺しちゃいけない。
 でも、全部受け入れて殺人を肯定する人もいるかもしれない。
 だから、“殺しちゃいけない”なんて決め事は上の様な前提条件を受け入れている
 人間(集団)にのみ通用する決め事でしかないのかもしれない。」

“人を殺してはいけない”なんて前提が有る物(全員がその前提を受け入れている)
として生きるには困難な世の中なのかもしれません。
842考える名無しさん:2001/01/21(日) 10:51
うわー、オカ板からやっと消えたと思ったらこんなとこでまた馴れ合ってるよ、金田由紀。
843考える名無しさん:2001/01/21(日) 18:30
>814
俺がレスする必要もないだろう。
答えは、このスレの中にある。
自分で探してみな。
844考える名無しさん:2001/01/21(日) 21:51
魂もしくは精神というのは単独では存続できず、自己以外の同種の存在
を必要とする存在である。よって、自己以外の魂も温存すべきである。
845わかりません:2001/01/22(月) 02:03
>841
841氏の前提を承知した上で、人を殺してはいけないなんてまったく
不自由極まりない世界だという意見に激しく同意。
あだ討ちは本当にいけないんだろうか。国家が代わってやってくれる訳でもなく、
あだを打つことさえ禁止されていること自体が、間違っているんじゃないか
と思います。目には目を、歯に歯を。これぞ秩序。
活力ある社会とか健全な社会というのは、秩序ある社会のことであって、
何も出来ない社会のことではないでしょう。
846ピエール瀧:2001/01/22(月) 02:25
例えば、ある韓国人が自分の娘をある日本人にレイプされ、キレて
その日本人を殺したとする。
これはまぁ問題ないでしょう。
ではその日本人の娘を逆にレイプしたらどうか。
どっちが悪いことなんでしょう。
847名無しさん多すぎ:2001/01/22(月) 02:25
なぜ人を殺してはいけないか、ということですが、
これを吟味すると、感情的に、なんとなくいけないことだとは
認識しているのですから、殺してはいけない論理的な理由を教えてくれ、
ということだと思います。
とても、納得いく答えではないと思いますが、論理的には以下のように
返答できるのではないでしょうか。
「至上命題は、理由付けできない」
なぜ、という質問に答えるためには、さらに高次の前提を持ち出して
それを拠り所=理由とするわけですが、最も高次のレベルに
達してしまった場合、もうそれを証明するための拠り所がない。
つまり、人を殺してはいけないから、何々をするな、とはいえても、
何々だから、人を殺すな、ということはできないのではないでしょうか。
よって、なぜ人を殺してはいけないのか、という質問に
誰も答えられないということ自体が、人を殺してはいけない、
ということを既に証明しているのではないでしょうか。
848金田由紀:2001/01/22(月) 03:29
>846 ピエール瀧さん
>ではその日本人の娘を逆にレイプしたらどうか。
男性はそんな事出来るのですか??
自分の娘の事が頭に浮かんでも!?
人種以前に、その父親の考え方に疑問を抱きますーー
(娘をレイプされた父の怒りとは凄まじいのですね)
849考える名無しさん:2001/01/22(月) 09:15
>>809-810
本当に答えはあるんだろうな?
850名無しさん脚:2001/01/22(月) 11:18
メリメが描いているように、殺しが絶対的な悪でない社会は存在する。殺しが悪
なのは現在の社会でそういう約束事になっているからだ。一昔前なら特定の社
会階層では敵討ちが合法的というか義務であり、敵討ちにおいては敵を斬殺しな
ければならない。
だが殺しを悪とする社会は多く、殺人は多くの人に好ましい気持ちで受け入れら
れることは無い。何故か。生物学的な人が社会の中でヒトになるのに、社会と本
人の間の肯定的な関係の形成が必要だからだ。そうした共同体は、しかし、現代
の情報社会の中で、希薄になってきており、殺人を本能的に忌避する気持ちも薄
らいできているだろう。このところ頻発する殺人事件はそのあたりの事情をあ
ぶり出している。
ヒトを殺すことで自分と社会との良好な関係が崩壊し、それが自分の社会的な死
を意味する状況では、殺人はおのずと抑止された。しかし現代ではそれが無い。
したがって、これから犯罪に対する刑罰は厳罰化していくだろう。
851841:2001/01/22(月) 22:41
>845
御意見追加感謝します。
で、補足します。
「仇討ち」に対して、「犯人と同レベルに成るから...」等々の反対意見も良く聞かれますが
「残された家族無き状況での仇討ち=殺人」は、言い換えれば「覚悟の自殺」と同じと考え
ます。
現在の日本では「殺人」特に仇討ちの様な計画殺人を犯す事は、即ち「社会的な生命を絶た
れる事」と考えます。
「覚悟に自殺」が身体的な生命を自ら絶つ事に対して、社会的な生命を絶たれる事を覚悟し
てなお殺人を犯す事は、ある種「覚悟の自殺」と等価と考えます。

そもそも、人間が身体的な生命と同様に、場合によってはそれ以上に社会的な生命を生きて
いる以上は「覚悟の自殺」としての「仇討ち殺人」は感情的には受け入れられ易い事例だと
思いますが如何でしょうか?
852ピエール瀧:2001/01/23(火) 01:59
法律のことはよく知らないが、仇討ちが悪(違法)とされるようになったのは
戦後ですよね?なぜなんだろ。。

>>848
まぁそんなドキュンはいないでしょう。
というのも、常識的に考えて、相手の娘をレイプする方が
悪っぽいですから。
報復という意味ではレイプの方が効果的だとしてもです。
つまり、殺人にも色々あるってことです。
853*・ー・*:2001/01/23(火) 02:06
>>852
 明治以降です。
854考える名無しさん:2001/01/23(火) 02:22

忠臣蔵は
仇討ちかそれとも単なる逆恨みか


855フィロゾファッカー:2001/01/23(火) 02:22
851では「仇討ち」の正当性を説いてますので逆に「仇討ち」の不当性を主張してみたいと思います。

「仇討ち」は相手を殺すことが目的ではないと思います。
つまりは討ち人は無念が晴れれば(納得できれば)仇を殺害する必要性がないということです。
これは司法の手を離れて個人にその裁量を委ねているとも見れます。

さて仇ですが少なくとも誰か一人は殺害している訳ですし、
社会から何らかの罰とそして場合によっては更正する機会を得なければならないわけです。

つまりは「仇討ち」は仇の罰を討ち人が決定するので、
本来社会から受けねばならない罰より軽い罰で許される可能性がある。
しかし、犯罪者は社会に対して法を破った人間であり、遺族の心情ひとつで罰が軽減されるのは問題である。
遺族にその他の社会人全員の生命を脅かす危険性を判断する権力はない。
然るに「仇討ち」は社会の安全のためにも決して許されるべきではなく、
断固として受け入れられるべきではない。

一応断っておきますがちょっとしたお遊びですのであしからず。
856フィロゾファッカー:2001/01/23(火) 02:28
851では「仇討ち」の正当性を説いてますので逆に「仇討ち」の不当性を主張してみたいと思います。

「仇討ち」は相手を殺すことが目的ではないと思います。
つまりは討ち人は無念が晴れれば(納得できれば)仇を殺害する必要性がないということです。
これは司法の手を離れて個人にその裁量を委ねているとも見れます。

さて仇ですが少なくとも誰か一人は殺害している訳ですし、
社会から何らかの罰とそして場合によっては更正する機会を得なければならないわけです。

つまりは「仇討ち」は仇の罰を討ち人が決定するので、
本来社会から受けねばならない罰より軽い罰で許される可能性がある。
しかし、犯罪者は社会に対して法を破った人間であり、遺族の心情ひとつで罰が軽減されるのは問題である。
遺族にその他の社会人全員の生命を脅かす危険性を判断する権力はない。
然るに「仇討ち」は社会の安全のためにも決して許されるべきではなく、
断固として受け入れられるべきではない。

一応断っておきますがちょっとしたお遊びですのであしからず。
857841:2001/01/23(火) 12:34
フィロゾファッカーさんの御遊びに御応えして、御遊びで返します。

>「仇討ち」は相手を殺すことが目的ではない
 これは私も同感です。
 「殺す=身体的な生命を絶つ」事が必ずしも遺族の無念を払拭する事にならないでしょう。
 仇の「社会的な生命を絶つ」事の方が有効な場合もあると思います。

>本来社会から受けねばならない罰より軽い罰で許される可能性がある
 フィロゾファッカーさんの不当性主張の根幹には
「遺族(個人)も社会(集団)に帰属する以上、その社会の存在(社会秩序等々も含めて)より
 上位には成り得ない。」
 と言う事でしょうか?
 だとすると、私の意味する「仇討ち=覚悟の(社会的生命の)自殺」の不当性を証明する事
 には成らないのでは?
 「仇討ち」を覚悟した段階で、その行為が社会的に許される、受入れられるとは考えては
 いません。
 「仇討ち」の行為によって社会的に殺される事を覚悟し、また、その社会に帰属する事を
 諦めて、それでもなお実行される「仇討ち」という行為を、「社会」の存在を前提条件で
 否定するには無理があるような...。


最後に、一応断っておきますが「仇討ち賞賛論者」ではないです。
「仇討ち」の愚かさは、世界各地で様々な民族がリアルタイムで見せて下さってますから。
858フィロゾファッカー:2001/01/23(火) 15:06
>857=841
何というんでしょうか。
遺族の覚悟の自殺と引き換えでも「仇」の罰を軽減する事は道理に合わないという論法です。

例えば地下鉄でブタンをばら撒いたある団体Aがあるとします。
この団体Aを遺族が罰の執行をできる(仇討ち)として、本来死刑であって然るような状況にも関わらず、無罪方面にしたとします。
しかし、遺族でないものの怒りや不安はそれでは解消されないのではないでしょうか。

この団体Aが行った行動は無差別であり、社会に対する攻撃であったわけです。
それに対し遺族の覚悟の自殺があろうと団体Aは何らかの罰を負わねばならないということです。

これは極端な例でしたが、犯罪者はその時点ですでに社会に対する攻撃を行っているわけですし、
決して例外的な事例ではないと思います。
859フィロゾファッカー:2001/01/23(火) 15:25
すいません、誤読していました。
858は撤回します。

841さんの主張では「仇討ち」の不当さを社会から言われても、
覚悟の自殺を決めた本人(討ち人)には意味がないということでしょうか。

しかしそれは信念を持って(覚悟の自殺を持って)の行動(脱社会的な行動?)全てにおいて言えてしまうのではないでしょうか。

例えばアラブ圏におけるいわゆる自爆テロなどはどうでしょう。
彼らは覚悟の自殺を持って自分達が正義だと思うことを実行しています。(やってることはテロですが)
それは覚悟の自殺を決め込んだ人間に対しては、
社会から見た言葉は如何ような言葉でも届かないということでしょうか。


私は「仇討ち」を切に望む人間の本当の気持ちは「殺したい」ではなく「生き返らせてくれ」だと思います。
それが殺意にまで結び付くのは幸福量が加害者>被害者と見えることがすでに許されないのでしょう。
そして被害者は死んでいるので加害者は生きている事が許されないという感覚でしょうか。

これ以上は私にはもう理解不能な感じです。
現実にそのような状況にあった人間の苦痛は計り知れないものでしょうし、
平和に生きている私に口出しできる問題ではないのかもしれません。
860841:2001/01/23(火) 17:58
>フィロゾファッカーさん@859
「アラブ圏の自爆テロ」の例えですが、その通りです。
「覚悟の自殺」としての「殺人」に対しては、例えば「テロ」の様に他者には理不尽に
 捉えられる場合も、「仇討ち」の様に他者に同情的(時代や環境によっては賞賛の対象
 にさえ成り得る)に受け入れられる場合でも、結局は他者(=社会)の存在は抑止力には
 成り得ませんよね。

以降は私の中でも整理のついていない事です。
 私が持っている感覚は「仇討ちの正当化」よりも、むしろシチュエーションによって
 殺人が個人の中で正当化される事、その「仇討ち(=殺人)」が他者にも共感を与え得る
 可能性に対する危険性であり、私自身が殺人者に成り得る可能性への自戒です。

 例えば、妻子を性的陵辱の末に殺害された男性に、息子を監禁暴行の末に殺害された
 父親に、実際には「仇討ち」の行動は起していないが、もし「仇討ち」を行ったとしても
 同情的に受け入られるのではないでしょうか?
 「私だったら...」と考えると殺人者になるだろうと考えます。

 想像力の問題、又は自我に占める割合になるのかも判りませんが、
 @町内の顔見知りが殺されました。「仇討ち」なんて考えもしないでしょう。
 A叔父さんが殺されました。「仇討ち」は考えないでしょう。
 B両親が殺されました。「仇討ち」がリアルになるでしょう。
 C女房子供が殺されました。「仇討ち」をしない自信はありません。

仇には自分も成り得ます。
車で事故を起したら、運悪く母子を殺めてしまったら...。
充分に考えられる状況です。
私が反省する、更正する事が、遺族の癒しとは到底想像できません。

結局、誰でも「殺人者」にも「被殺人者」にも成り得るんでしょうかね? 
861考える名無しさん:2001/01/23(火) 18:57
>>843
おれは暇ではない。スレットはキミの貼り付けぐらいしか熟読してない。
人にものを聞く態度ではないな。
>809−810の筆者は生に執着してない分、死の認識もあますぎるな。
おそらく本人が辛いと思ってるだけの体験をなぜしてるのか、原因と結果、
つまり過去と未来は単純に想像できるな。まあ、もっと酷い悪人は国家レベルで、
沢山いるから、肉体的にではなく、精神的に抹殺、もしくは万死させる位の
オカルトパワーを磨いたら?自分も含め世間も一目おくだろう。
文部省や学校はおれも気に入らないが、そんなのは手下にすぎない。
うすらべったい、勉強に洗脳されて無いなら、まだ見込みがあるなら、
本当の醜い歴史や政治でも学んでみたら?
862サルトリ:2001/02/02(金) 04:15
損するからだよ
863考える名無しさん:2001/02/03(土) 18:55
ゲームじゃないから。相手が嫌がるから。社会秩序が乱れるから。恨みをかうから。

本人の意思で心の準備をした上での自然死が、生物上、社会上、精神上、良いから。

殺人したらしいチンピラみた事あるけど、精神がねじ曲がって、思考力も強度に
短くなってて、精神崩壊が目に見えてた。彼には良心があったんだな。
864念のため:2001/02/05(月) 03:17
永井均の問題提起を理解できる者ならば、

(「なぜ人を殺してはいけないの?」の質問に )
『どうやって答えれば良いのでしょうか!? 』

などという書き方は決してできません。
これは理由の提示をもって解決できる類の事柄ではありません。
これは前提であって、真理や誤謬などではないのです。

むしろ、完全に前提として身に付けることができた者だけが、
(諸々の言語的及び判断上の前提を含めた)全ての事柄を、
議論の対象として扱うことができる。そういうことです。
865863:2001/02/09(金) 15:50
>864
了解しました。

1は榊原と同じでなぜ人を殺してはいけないか、分からないと言っている。
1は自分で考えず哲学板の人に考えろという、怠慢な態度である。
1は現実問題なのでスレットから降りられない。
1もしくは榊原は、殺したほうがいい又は、殺すべき人間の可能性があるので、
1もしくは榊原に、殺してはいけないと、解くことはできない。(強制は可)

862の損するからが1の本当の答えになる。損害賠償は未成年でもやるべき。
反論があるならどうぞ!!!!!
866考える名無しさん:2001/02/11(日) 09:45
それを決定するのは社会であり、権力です。
867866:2001/02/11(日) 09:51
↑人を殺すと言うことがどう評価されるか、ということ。
868・・・:2001/02/14(水) 17:05
殺してはいけない理由は「種の保存」と「自己防衛」の為。

・種を保存しなければならないので、同種族を殺すことは好ましくない。
・複数の人がいて(つまり社会で)ある一人が別の一人を殺した場合、
自分も殺される危険性がある為に殺しを働いた人を殺す。
つまり、自分が殺されたくなかったら他人を殺さない方がイイ。

その殺しに対して“社会的に正義と思われる理由”が存在すれば殺しはOKだと思う。
んで、“個人的に正義と思われる理由”の場合は許されない。
だから、二人しか居なくて一人を殺すことによって社会(つまり複数人いる状況)が維持されなければ問題にはならない。
社会というのは多段階に存在する。
それは家族であり、学校であり、日本であり、地球である。
家族内殺し合いが発生し、一人が生き残り、上位の社会である学校や日本や地球にその行為がまったく伝わらなかった場合は
その行為は問題とされない。(もちろんそんな事はありえないと思うが)
小さな社会のつながりで大きな社会が形成されている以上、誰かを殺せば社会的に悪となる訳で、
社会を形成している以上殺しは許されるものではない。

誰かを殺したかったら他人と関わらず一人で生きろ。
って事は殺しなんてできないし、するなって事さ。
869考える名無しさん:2001/02/14(水) 20:54
社会維持のため。
870名無しさん@1周年:2001/02/14(水) 23:52
結局、この問いに答えようとすると、
殺人の分類(他殺と自殺の区別など)
動機の分類(個人的か社会的かなど)といった
「この場合は殺人が認められる」とか
「この場合は殺人が認められない」という
選別が必要になってしまう。

つまり、「なぜ人を殺してはいけないのか?」
という問いの前提にあるはずの
「無条件に、つまり定言命法的に、『人を殺してはいけない』」
という命題が崩れてしまう。

ここから明らかなのは、定言命法的に
「人を殺してはいけない」とはいうことができないということである。
871考える名無しさん:2001/02/15(木) 12:55
そういえば、「殺されたくないから殺さない」っての関連するんだが
「死刑になりたいから殺した」という事件がいくらか存在するんですよね。
確かその一つに、殺害理由が「隣の家のピアノがうるさかったから」、それと
「こんな騒音だらけの世界は生きる価値が無いから死刑になりたかった」
というの。
んで、弁護士が付くのを頑なに拒否し、裁判に必要だからと1人ついて
結局精神鑑定に持ち込もうとしたものの結局責任能力ありと判定され
求刑どおり死刑になったという事件。
(法律板とかだともっと詳しく知ってる人がいるとは思うが)
個人的には「そこまでやるなら何で自殺しなかったんや?」って思うの
だが。

極端な例にはこういうのがあるということで。
872871:2001/02/15(木) 12:59
というの。 →という事件があります。
873>871:2001/02/15(木) 23:56
>そういえば、「殺されたくないから殺さない」っての関連
(中略)
>極端な例にはこういうのがあるということで。

その説明はよくわからんです。
874>871:2001/02/16(金) 00:02
>そういえば、「殺されたくないから殺さない」っての関連
(中略)
>極端な例にはこういうのがあるということで。

その説明はよくわからん。
それは
「殺されたくないから、殺さない(殺されたくなくば、殺すべきではない)」
の反理なのか?
875考える名無しさん:2001/02/18(日) 23:46
876考える名無しさん:2001/02/19(月) 00:14
シンプルに「(他人の)生きる権利を犯してはいけない」からだと
思ってたけどこんなんじゃダメかい?
877名無しさん:2001/02/19(月) 01:04
>>876
死刑執行人はどうしましょうか。あと、「それでも殺したい」
という人にはなんと言い返したらよいでしょう?
878考える名無しさん:2001/02/19(月) 01:16
死刑が確定=生きる権利を認めない ってことだから
「死刑」そのものが是か非かという問題はあるにしても
執行人云々のレベルの話じゃないよね

「それでも殺したい」→「認めかねます。あきらめなさい」

879考える名無しさん:2001/02/19(月) 02:29
「殺したいだけ殺せ。そして殺されろ。」
以上。
880ピエール瀧:2001/02/19(月) 03:50
簡単に言うと、人と人は同じ階級だからかな。
人とウジでは、人の方が階級が上だから、人はウジを殺してもよい。
でも人と人の間にも階級があるし、王様は庶民を生かすも殺すも自由。
「人を殺してはいけない」という命題は、ごく限られた範囲にしか
適用されないルール。
基本的には「殺してもいい」というか、「なにをやっても自由」であり、
「人を殺してはいけない」というルールを破るときは、人を殺さない(ルールを守る)
ことによって得られる恩恵(前科があると受けられない恩恵)を放棄することになるだけ。
881コブラ :2001/02/22(木) 18:26
>>1

それは殺人行為が刑事罰という形で法規制されているからだ。
刑事罰が自分にとって不利益と感じなければ、他人をいくら殺しても良い。
882考える名無しさん:2001/02/22(木) 20:09
生殺与奪の権は国家に帰属する、といったトコだろう。
883考える名無しさん:2001/02/23(金) 00:07
死刑という考えられる限りで最大の報復措置をもってしても、
人が人を殺すことを完全に抑制することはできない。

だから道徳の出番となる。

汝、殺すなかれ。故なくして殺すものは、地獄に堕ちてあれ。

これは欺瞞であるにも関わらず、しかし決定的に、"正しい"。
884金田由紀:2001/02/23(金) 02:23
勉強中!!便器幼虫!!便器用注ーー
哲学とは哲学書に書き込まれた知識の凝縮では無い筈!!
書物を読めと言うのはある程度の知識をもって発言せよって事??
885考える名無しさん:2001/03/15(木) 19:58
なんだかなー。戦国時代の中国では城に立て籠もっているときに、
食料足りなくなったら人肉食べて他らしいですね。
886考える名無しさん:2001/03/15(木) 22:41
「人を殺してはいけない」は、人を殺してはいけない
という価値観を持っている人の言葉だから
「何故殺してはいけないのか」という疑問がある時点
では従わなくてよい。
只、社会は他者との関係で作られるため、社会の中では
自分にはない価値観にも従うことになる。
887考える名無しさん:2001/03/15(木) 22:43
>>886
人を殺した人はまた人を殺す可能性が高いので、人から隔離するという他人の価値観には従ってくださいね。
888886:2001/03/15(木) 23:31
>>887
すみません。人を殺したことのない人についてしか
考えていませんでした。自分の意見を押し通してみると、
人を殺した人は、社会の中で社会のシステムを崩してしま
うので、隔離されることになるのではないかと。
889考える名無しさん
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