1 :
名無しさん :
2000/05/15(月) 09:31 言語論的転回について勉強したい。誰が言いはじめたの? 成立からの現在までの動向を知るのに何か良い本はないでしょうか? 誰か教えてください。
2 :
名無しさん :2000/05/15(月) 12:24
「言語論的転回」といってもいろいろありますからね〜。 大きくわけて、分析哲学系と現代思想系。 同時期におこったムーブメントだから、どこかで関連があるはずだけど 実際には両方の系統に通じている人はほとんどいません。 もしあなたがフレーゲとかラッセルに関心があるのなら、 飯田隆『言語哲学大全』1〜3(勁草書房)を読むといいでしょう。 現象学とかフランス思想における言語論的転回については、まったく 触れられていませんが。
3 :
名無しさん :2000/05/15(月) 18:52
ゲンゴロウ的転回か・・・あれだな。 昆虫で気門でしか呼吸できないくせに、なぜか水生って奴だな。 転じて、無理っぽいことを気張ってやることだ。 3分ごとに水面に浮いてきてお尻で息したりな。
2さん、ありがとうございます。図書館で借りてみます。 サークルにいる哲学科の後輩に聞いたら リチャード・ローティーというのを読んだらいいといわれましたが、 それはポストモダンとか言ってたんで現代思想系の人でしょうか。 ちなみに私は会計学専攻院生なんですが、方法論をやりたいので そういった関係の引用がたくさん出てくる文献を読まされていて困っています。 「人間の認識は言語能力に依存する」とかいう言葉だけは出てくるんですが@` あまり詳しい内容を取り上げている会計学者はいないみたいなので。
5 :
選考委員 :2000/05/16(火) 00:56
3に2ch哲学ボード大賞を差し上げましょう。
うらやましいぞお。
リチャード・ローティは、アメリカの分析哲学者で、 俗にはネオ・プラグマティストなどと呼ばれているようです。 最近では、パトナムとの論争で注目されましたよね。 英米系の人なので、2さんの分類から言えば、 やはり、分析哲学系の方が適切でしょう。 ただ、ハイデガーを高く評価するなど、 大陸系の思想との対話を積極的に試みている哲学者なので、 現代思想系の色彩があるとも言えるかもしれません。 彼の思想については、英米の書店で研究書としては、 一般読者層にも異例な売れ行きを見せたという主著(だと思う)、 Rorty@` R. Philosophy and the mirror of nature. Princeton@` NJ: Princeton University Press(1979) (『哲学と自然の鏡』野家啓一(監訳)産業図書) を読まれるのがよろしいかとは思いますが、なにぶん厚い本ですので、先ずは小論文集である R.ローティ『連帯と自由の哲学―― 二元論の幻想を超えて ――』 (冨田恭彦訳・岩波モダンクラシックス・岩波書店) が、手軽にエッセンスを理解できていいかもしれません。長らく絶版でしたが、 最近、新装再刊されたようなので、まだ本屋にもあるかも(私は見たこと無い) しかしながら、「言語論的転回」については、2さんのおっしゃってるように、 飯田隆『言語哲学大全』で、まずは基本をおさえられたほうがよろしいかと私も思います。 (他にも解説書はあると思いますが、これ以外、邦書のおすすめを思いつきませんので)
8 :
>3 :2000/05/16(火) 07:25
大笑。
9 :
お話し中すいません。 :2000/05/16(火) 09:23
会計学にも方法論があって、 分析哲学を必要とするって事実に驚いてしまいました。 なんか想像がつかない・・・。
10 :
2 :2000/05/16(火) 12:55
ローティはちょっと独特な哲学観・哲学史観を持っている人なので、 いきなり読むのはどうか、という気がします。 しかし、7さんがおっしゃるように今の英米哲学界では大陸系の哲学 に大きな関心を持っている数少ない哲学者でもあり、20世紀の哲学の 潮流(言語論的展開を含む)を考えるうえで、避けては通れない人物 であるのは確かです。 なお、英米系と大陸系の哲学の交流について関心がおありなら、 『フッサールとフレーゲ』(モハンティ 勁草書房) 『分析哲学の起源』(ダメット 同) などが参考になるでしょう(タイトルなどはうろ覚えです。間違って いたらすみません) 余談ですが、分析系と大陸系の哲学者の言語を巡る対話としては、 デリダ・サール論争という有名な論争があります。 確か「現代思想」か何かの雑誌で読んだ覚えがありますが、今入手す るのは難しいかも。 >9さん 会計学で分析哲学を使うという話は初耳でした。 意外です。
11 :
2 :2000/05/16(火) 12:59
すみません。 9さんの書き込みのもとになった1さんの書き込みを読み飛ばし ていました。 で、会計学で言及される言語論的展開というはたぶんポストモダンの 流れのほうではないかと思います。 あまり分析哲学とは関係なさそうなので。
12 :
名無しさん :2000/05/19(金) 11:42
ソール・A・クリプキって、どこの大学の教授だったけ?
13 :
名無しさん :2000/05/21(日) 18:48
>ソール・A・クリプキって、どこの大学の教授だったけ? プリンストンだったんじゃないでしょうか? うろ覚えですが……。
14 :
12 :2000/05/23(火) 03:20
>13 クリプキ、プリンストン大学で検索をかけたら、そうらしいです。 ありがとうございました。
15 :
考える名無しさん :2000/09/06(水) 21:40
kariage
16 :
考える名無しさん :2000/09/06(水) 21:50
17 :
微熱症患者 :2000/09/06(水) 23:23
>>16 哲学が形而上学か否か、という問題で盛り上がっているようですが……。
「形而上学」ということばがさまざまな含みをもって使われるということ
を理解しているのかどうか……。
18 :
>10 :2000/09/06(水) 23:46
会計学にもいろいろあるみたいだぞ。 会計学の教授が会計情報について論じた教科書をくれたので、 斜め読みしたことあるが、完全に電波だった。学生、カワイソー。 簿記の付け方だけ教えてりゃいいのに...。(藁
19 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 01:31
立川健二ってどうなんでしょう?
言語学板の参考スレ挙げておきます。
それと、立川の言っている「誘惑論」のサワリも引用しておきます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=966493970 >>どっちにしろ、哲学はともかく、言語学には意義の無い論ではないかなあ。
>
>ご存知かと思いますが、一応立川の主張を繰り返しておきます。
>立川は、「現代言語学批判」としての「誘惑論」である、と言っています(『誘惑論』第W章)。
>現代言語学が拠ってたつエピステモロジーを一言で命名すれば、「聴く立場」と言える。
>言語という対象を構築する際に、「聴く主体による意味の了解」という経験を前提としているのだ、と。
>しかし、それではわれわれにとっての言語の”リアリティ”に答えることは出来ないのではないか。
>例えば、恋人を誘惑する者にとっては、恋人との間に「言語ゲーム」(ウィトゲン)が成立しているかどうかは、
>まったく確かではない。
>「聴く立場」に立つ限り、われわれはこのような「他者」(柄谷の用語による。「他者とはわたしと『言語ゲーム』を共有しない者のことである」)
>とのコミュニケーション、あるいは「ディスコミュニケーション」を思考する回路を断たれている。
>
>このような問題設定は、言語学にとって意味の無いものなのでしょうか?
20 :
>17 :2000/09/07(木) 01:46
さまざまな含みとは。
21 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 04:26
22 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 07:28
>>20 ただ単に一つの定義で使われていないってことでしょう。
23 :
↑ :2000/09/07(木) 08:24
でも、ニーチェ以降、或いは少なくとも言語論的転回以降の哲学は、 形而上学批判が課題ですよね? 形而上学だと神学の婢のままになるし。
24 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 13:38
あなたのいう形而上学という語を定義しなさいよ。 やみくもに言葉をつかっても考えたことにhならないよ。ヘタレくん。
25 :
考える名無しさん :2000/09/07(木) 15:35
>22 たとえばどういうの?
26 :
25の尻馬に乗って :2000/09/07(木) 21:13
デリダの批判する「形而上学」なら、どんな意味になるんですかね?
27 :
ハニャリ :2000/09/07(木) 22:59
形而上学は、頭の使い方を考える学問だ! 形而下学は、ちんぽの使い方を考える・・・でいいですか?
28 :
微熱症患者 :2000/09/08(金) 00:04
17の補足 ちょっと強引かもしれませんが、「形而上学」の用法を二つに分類します。 一つは「学問の分野としての形而上学」です。 哲学のなかに知識論や言語論、道徳論などと並んで形而上学という部門があります。 要するに存在論と同じです。 もう一つは「悪口としての形而上学」です。 空理空論、現実をふまえていない観念のお遊び、検証や反証と無縁な独断的な思想、 無意味な言葉の羅列、教条主義……などなど。 「言語論的転回以後の哲学はすべて形而上学批判をテーマとしている」という場合 はこちらの意味です。 かなり乱暴な説明で恐縮です。「存在論と形而上学は同じじゃないぞ。"道徳形而上 学"をどう解釈するんだ?」などというツッコミも予想されますが、勘弁して下さい。
29 :
微熱症患者 :2000/09/08(金) 00:17
ついでに「言語論的転回」についての図式的説明。 古代ギリシャから中世にかけての哲学は存在論を基礎としており、第一哲学 と呼ばれていました。 その哲学的探究の基本様式を根本的にひっくり返して、認識論をすべての哲 学の基礎に据えたのがデカルトであり、彼は「認識論的転回」を成し遂げた といえます。近代哲学の始まりです。 ところが、19世紀終わり頃から20世紀にかけて、さらに認識論から言語論へ の転回が行われました。これが「言語論的転回」であり、言語論は存在論や 認識論に先立つ第一哲学の座を獲得しました。 実際には、「観念」→「概念」→「意味」→「意味」の消去、という流れは 段階的に進んでおり、急激な"転回"などなかったと考えるほうが実状にあっ ているように思いますが……。
ところでなんで微熱症患者さんは大学院をやめちゃったんですか? 続けてればわりと優秀な解説者にでもなれたかもしれないのに。
31 :
代理いぬ :2000/09/08(金) 02:02
>古代ギリシャから中世にかけての哲学は存在論を基礎としており、 >一哲学と呼ばれていました。 >その哲学的探究の基本様式を根本的にひっくり返して、 >認識論をすべての哲学の基礎に据えたのがデカルトであり、 >彼は「認識論的転回」を成し遂げたといえます。近代哲学の始まりです。 しかし、そういった「物理を問うこと」が、 存在論と一緒にどっかに飛んでっちゃったからな。 それ以後の哲学の方こそが形而上になっちゃったのでは? 言語論的転回とは言うものの、言語に本質的実体の無いことは、 ウィトゲンシュタインが早くに気付いていたはずなんだが。 "今の"哲学って一体何やってんだ?
32 :
哲学史読者 :2000/09/08(金) 05:28
>28 >もう一つは「悪口としての形而上学」です。 >空理空論、現実をふまえていない観念のお遊び、検証や反証と無縁な独断的な思想、 >無意味な言葉の羅列、教条主義……などなど。 >「言語論的転回以後の哲学はすべて形而上学批判をテーマとしている」という場合 >はこちらの意味です。 それは違ふと思ふ。形而上学批判の意義を軽く見積もり過ぎでせう。 形而上学とはプラトンのイデア論以来の思考のあり方で、現象の背後に本質を想定し、 この本質こそが永遠不変の真理の源とするのが形而上学的思考法です。メタレベルを 持ち込む解決はみな形而上学的欲望に囚はれてゐると言ってもよい。 >29 >認識論をすべての哲 >学の基礎に据えたのがデカルトであり、彼は「認識論的転回」を成し遂げた これも違ふと思ふ。 ふつう哲学で「転回」と云へば、カントが「コペルニクス的転回」と自称したのが嚆矢で、 認識論の展開者もデカルトよりはカントに帰せられるのではありませんか。
33 :
微熱症患者 :2000/09/09(土) 00:00
>>30 理由は二つあります。一つは自分の哲学的資質のなさに気付いたからで、もう一つは語学的資質のなさ
に気付いたからです。
>>31 >しかし、そういった「物理を問うこと」が、
>存在論と一緒にどっかに飛んでっちゃったからな。
>それ以後の哲学の方こそが形而上になっちゃったのでは?
そうかもしれないですね。
私はわりと形而上学アレルギーが強いのですが、がちがちの形而上学であるはずの
プラトンにはあまり抵抗を感じません。他方、ヘーゲルとかニーチェとかハイデガ
ーとか(と一括してはいけないのでしょうが)は全然受け付けません。
>>32 >それは違ふと思ふ。形而上学批判の意義を軽く見積もり過ぎでせう。
仰せの通りで御座います。上述のやうに私は形而上学アレルギヰでありまして、
形而上学には色々と悪口を云ひたく、あのやうな書き方になりました。
>ふつう哲学で「転回」と云へば、カントが「コペルニクス的転回」と自称したのが嚆矢で、
>認識論の展開者もデカルトよりはカントに帰せられるのではありませんか。
カントの「コペルニクス的転回」を軽んずる訳ではありませんが、認識論上の転回であつて
存在論から認識論への転回を成し遂げたのはやはりデカルトではなからうかと思ふのです。
なほ、個人的にはデカルトやカントよりもヒュウムとライプニツの方が好きです。
とは云ふものの、私は学生時代に哲学史の勉強を真面目にやらなかつたので、実はかなり
知つたかぶりしています。
プラトンのイデア論がかなりメタ的でバリバリの形而上学的ってのは分かるけど 「形而上学」てやっぱプラトンなのかな・・・ アリストテレスがまとめあげた感じがする。無茶苦茶読みにくいけど。 アリストテレスがプラトンの影響を受けたと言うのならピュタゴラスはどうでしょう? 彼の数に対する捉え方はイデア論に近い感じがしたりする。 どうでもいい話だったな。
35 :
名無しさん@1周年 :2000/09/11(月) 07:12
分析哲学系でないところでは、 岩波講座 現代思想4『言語論的転回』はどうですか。
36 :
考える名無しさん :2000/09/11(月) 16:25
「どうですか」ってなんですか?
37 :
>35 :2000/09/11(月) 20:06
それって誰が書いてるんですか?
38 :
名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 03:27
岩波講座 現代思想4『言語論的転回』岩波講座 現代思想〈4〉/言語論的転回 Description:20世紀は「言語の世紀」と言われる。哲学の関心を意識から言語へ、実体概念から関係概念へと転回させた現代言語学・論理学の革命的意義を問い直し、現代思想の主流を形成する言語哲学や記号論の新たな地平を探る。 Contents:危機の言語学 (桑野隆) .反デカルト主義的論考 (米盛裕二) .世界観としての言語 (高田珠樹) .「言語論的転回」とはなにか (石黒ひで) .論理学の革命 (藤村龍雄) .ウィトゲンシュタインの衝撃 (野家啓一) .言語行為論とプラグマティクス (冨田恭彦) .ロシア・フォルマリズム (桑野隆) .デカルト派言語学 (西山佑司) .詩的言語と間の交通論 (篠原資明) .レトリックの知 (菅野盾樹)
39 :
名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 03:27
岩波講座 現代思想〈4〉/言語論的転回 Description:20世紀は「言語の世紀」と言われる。哲学の関心を意識から言語へ、実体概念から関係概念へと転回させた現代言語学・論理学の革命的意義を問い直し、現代思想の主流を形成する言語哲学や記号論の新たな地平を探る。 Contents:危機の言語学 (桑野隆) .反デカルト主義的論考 (米盛裕二) .世界観としての言語 (高田珠樹) .「言語論的転回」とはなにか (石黒ひで) .論理学の革命 (藤村龍雄) .ウィトゲンシュタインの衝撃 (野家啓一) .言語行為論とプラグマティクス (冨田恭彦) .ロシア・フォルマリズム (桑野隆) .デカルト派言語学 (西山佑司) .詩的言語と間の交通論 (篠原資明) .レトリックの知 (菅野盾樹)
40 :
35 :2000/09/12(火) 14:38
>38@`39 ありがとう。 >渡辺二郎『英米哲学入門』ちくま学芸文庫、1996 >第4章「言語論的転回の前提とその基本的態度」 >第5章「言語論的転回の成果とその基本姿勢」 と、その岩波の石黒先生の章を読わかるってことかな? あんまり長いやつ読みたくないし。(w
41 :
名無しさん :2000/09/12(火) 14:59
富田恭彦「科学哲学者柏木達彦」シリーズ 超初心者向き{レベルが低いというわけではない} おすすめ かれの講談社新書もお薦め
42 :
考える名無しさん :2000/09/18(月) 03:29
43 :
考える名無しさん :2000/09/18(月) 03:48
くるくるぱぁー
A
45 :
考える名無しさん :2000/10/24(火) 14:50
a
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