ハイデガーについて

このエントリーをはてなブックマークに追加
1!WU?
教えてください。
220世紀最大の哲学者:2000/04/25(火) 20:32
どう偉大なのか説明してください。
3名無しさん:2000/04/28(金) 04:51
なんかハイデガー関連の本読んで、それでもわからなかったら聞きましょう。
4プチプッシー:2000/05/02(火) 03:16
ハイデガーのすごいところは先割れチンチンです。
5プチプッシー:2000/05/02(火) 03:24
おふざけがすぎました。
僕がよく聞くハイデガーのすごいところというのは
現存在の分析を現象学的手法によって華麗におこなった
という点です。
6メルロポンチいかれぽんち:2000/05/02(火) 05:05
ハイデガーはとっつきにくい。
現象学の本からはいるといいかも。
ハイデガーを理解するのは大変だが判り始めると面白い。
ちなみにハイデガーは顔が怖いところがすごい。
でももっとすごいのはヘーゲル。人を2、3人殺さないと
ああいう顔にはならない。
7名無しさん:2000/05/03(水) 04:07
ハイデガーが、今世紀最大の哲学者だと認めるのは吝かではありませんし、
実際そうなのだろうと、Sein und Zeitなんかを読むと思わざるを得ないのも認めます。
それが、ドイツ語のマジックからなのかもしれませんが。

しかし!
なぜに、ハイデガーが専門だという人達の多くは、日頃から態度が傲踞無礼というか、
他人を見下したような話し方、議論の進め方をする人が多いのでしょうか。
なんか、いっちゃってる、ような人もいますし。
日頃はいい人でも、突き詰めて話聞くと、そんな部分に突当ってしまうようで、なんか残念です。
これは、ハイデガーの思想に源を発するものなのでしょうか。
それとも、そんな気質・性格の人がハイデガーの思索を好むからでしょうか。
それとも、単においらのコンプレックスが為す偏見にすぎないのでしょうか。
まだ、ニーチェ専攻の人のほうが誠実な人が多いように思えるのですが。
8名無しさん:2000/05/03(水) 13:03
「存在と時間 下 ハイデッガー,M. 著
細谷 貞雄 訳 1994 \1@`165 筑摩書房」

「存在と時間 上 ハイデッガー,M. 著
細谷 貞雄 訳 1994 \1@`165 筑摩書房」

「ハイデッガー選集 17 存在と時間 下 ハイデッガー,M. 著
細谷 貞雄 ・ 亀井 裕 他訳 1964 \4@`660 理想社」

「ハイデッガー選集 16 存在と時間 上 ハイデッガー,M. 著
細谷 貞雄 ・ 亀井 裕 他訳 1963 \4@`660 理想社」

「存在と時間 下 ハイデガー,M. 著
桑木 務 訳 1963 \700 岩波書店」

「存在と時間 中 ハイデガー,M. 著
桑木 務 訳 1961 \760 岩波書店」

「存在と時間 上 ハイデガー,M. 著
桑木 務 訳 1960 \660 岩波書店」

「存在と時間 下 ハイデガー,M. 著
松尾 啓吉 訳 1974 \7@`500 勁草書房」

「存在と時間 上 ハイデガー,M. 著
松尾 啓吉 訳 1960 \8@`500 勁草書房」

存在と時間の邦訳こんなにいっぱいあるよー。
どれがよみやすいかおしえてくださいー。
あと
http://www.logico-philosophicus.net/phanomenologie/books.htm
ここ現象学の参考文献載のってました。
98:2000/05/03(水) 14:41
あともうひとつ見つけた。世界の名著74 ハイデガー 原佑
10メルロポンチいかれぽんち:2000/05/03(水) 15:02
ちょっと一言よろしいかしら。
こんだけ知ってればどれが読みやすいか知ってるんじゃないかしら?
マジレスとしては細谷訳が一番まともな日本語になっているといわれ
てます。でも、どの訳がいいかについては人によって言う事が違う。
でも読みやすいのは細谷訳だと思われる。
ちなみに文庫がでてるハズです。
118:2000/05/03(水) 15:37
>メルロポンチいかれぽんちさん

>こんだけ知ってればどれが読みやすいか知ってるんじゃないかしら?

わたしは
http://www.books.or.jp/
で「存在と時間」で検索しただけです。
存在と時間が読みたくなったので。
ちなみに8で上げた本は全部読んではおりません。

>マジレスとしては細谷訳が一番まともな日本語になっているといわれ
>てます。でも、どの訳がいいかについては人によって言う事が違う。
>でも読みやすいのは細谷訳だと思われる。
>ちなみに文庫がでてるハズです。

細谷訳ですか、8に挙げたうちの

「存在と時間 下 ハイデッガー,M. 著
細谷 貞雄 訳 1994 \1@`165 筑摩書房」

「存在と時間 上 ハイデッガー,M. 著
細谷 貞雄 訳 1994 \1@`165 筑摩書房」

これですよね?
128:2000/05/03(水) 15:40
あとなんで手にとって読んで読みやすいかどうか調べないのか、
というとですね、家の近くにそういう哲学関係の本をおいているような
大きい書店がないからです。だからネットで通販で買おうと思っています。
13メルロポンチいかれぽんち:2000/05/03(水) 17:03
あとヒロマツと木田ゲンもいい本だしてる。
あなたがどこに住んでるか知らないけど本屋にいくと新しい
であいが・・・
あとタケダセイジ。ただし学者の前でタケダセイジというと
バカにされます。
理由はいまいちよくわからないが入門書としてはいいと思います。
>7
そうかな。うちの主査はいい人だけど。
14名無しさん:2000/05/03(水) 18:23
中公バックス「世界の名著」
74巻「ハイデガー」に「存在と時間」が収録されてます。
解説・年表等もなかなか充実してます。

原 佑・渡辺二郎訳 \1@`700 中央公論社
158:2000/05/03(水) 18:41
13さん、14さんありがとう。
とりあえず、13さんの本と細谷訳と
14さんの本注文してみようと思います

>あなたがどこに住んでるか知らないけど本屋にいくと新しい
>であいが・・・

これは無理そうです。近くの本屋すべてが閉店か
売り場を縮小してしまい、雑誌しか無いんです。
大きい本屋行くのには片道30分かけて電車で行かなきゃならないんです。
そうすると電車賃がすごくかかってしまいます。
よって安い代引き料金で送ってくれるweb上のサービスを利用しています。
16名無しさん:2000/05/03(水) 21:01
6さんへ
>ちなみにハイデガーは顔が怖いところがすごい。
>でももっとすごいのはヘーゲル。人を2、3人殺さないと
>ああいう顔にはならない。
とありますが、
ニーチェの正面からの顔はもっとすごいです。
ニーチェは横顔の写真が多いですが、
講談社の「現代思想の冒険者たち」かなんかで
正面からの写真を見た時、はっきり言ってちびりました。
17メルロポンチいかれぽんち:2000/05/04(木) 01:47
まじ!ニーチェってカッコイイのかと思ってた。
18剣豪:2000/05/29(月) 04:54
 ハイデガー『存在と時間』のドイツ語は比較的読みやすく、彼の講義録のドイツ語はさらに読みやすい。カントやヘーゲルのように関係代名詞や関係副詞がロシア人形のごとく包摂関係を繰り返しているのと比べたらもう・・
 あ、それとハイデガーをさかんに批判してるアドルノのドイツ語もひどいっす。
 ところで『存在と時間』の邦訳としては、世界の名著で訳しておられる原さんや、細谷さんが読みやすい。
 岩波文庫で出てる三巻本は最悪です。吉本隆明が『共同幻想論』でこれを引用してた。きちんと読んだんか?
 ハイデガーの解説本は、日本人が書いたものはだいたいダメです。木田氏の読みはメルロすぎます。ペゲラーの解説書やレーヴィットあたりがおすすめです。
19名無しさん:2000/05/29(月) 06:43
ハイデガーは実存主義哲学というより
ドフトエフスキーの続編(笑)なところがあるから
あれだけ読まれた。
『存在と時間』は締め切りに追われて書いた無理な仕事
なので>18のいうとおり後の講義録のほうが読みやすく
『存在と時間』では言及できなかった問題も展開してある。
20剣豪:2000/05/31(水) 06:24
 ハイデガーの入門書としてお勧めするのは
「ツオリコーン・ゼミナール」
晩年にスイスの心理学・精神分析学者メダルト・ボスを中心としたサークルで
行われた講義録である。
 ちなみに読んで無駄なのは茅野氏と渡辺氏が書いたぶあついやつ。
だいたいハイデガー研究者の本は量と質とが反比例の関係にある、と見てよろしかろう。
21名無しさん:2000/05/31(水) 14:44
高田珠樹『ハイデガー―存在の歴史』講談社

これはどう?>読んだ者
22名無しさん:2000/06/01(木) 09:03
ハイデガーを勉強しようとしているものです。
ハイデガーを学んだり、フッサール現象学の全体像をつかむために
知っておいた方がいい現象学の概念あるいは現象学用語を教えて下さい。
お願いします。
23名無しさん:2000/06/01(木) 11:41
>18
なるほどたしかに、SZも訳本と対照させながら読めば「読みやすい」といえるでしょうね。いやはや・・・。
たいしたものです。
24名無しさん:2000/06/01(木) 15:56
「世界像の時代」ていうのが最重要だと友人のプロは言うてます。
確かリオタールが注書いてて、その注の方はどうでも良かった気がした。
ただこれレア本で、薄い、中学の英語の教科書みたいな体裁なのよ。
絶版ではないかと。知ってる人いたら書籍情報を!
私のは本山の奥にいっちゃっていて。
25剣豪:2000/06/02(金) 05:10
 >22 基本中の基本ですが、「現象」という言葉をお調べになるといいでしょう。
    ハイデガーがギリシア語に即して捉えようとします。要するに、ものの現れ、ということで、非常に存在論的(誤解を恐れずに言えば、実在的です)
    これに対して、フッサールの言う現象は、カントに近い意味あいを持っています。つまり、それが存在しようがしまいが、認識する「私」である主観が関わる、もしくはこの「私」がその意味や妥当性を構成する、って感じで、非常に認識論的です。
    とりわけ「イデーン」以降は、彼のカントやデカルトへのシンパシーとともに、そういう傾向が出てきます。
    余談ですが、ドイツ語がおできになりましたら、リッターという人が編集している哲学辞典を直接読まれることをお勧めします。
    二次文献ばかり読んでると、どうもね・・・
>24 「世界像の時代」は、ハイデガー全集(創文社)の第5巻に収録されてます。
   ちなみにハイデガーの思想の全体像を知りたいかたは、同じく全集の第9巻「みちしるべ」が御勧めです。
   若いころから晩年までの、3,40ペーシ足らずの小論で構成されてます。
   でわでわ。
26名無しさん:2000/06/02(金) 12:10
>25
けどどうでしょう、ヘーゲルやハイデガーのような人は
2次文献無しでダイレクトに受け止めるのは難しいタイプ
ですよ。
もちろん両方に接することが大事なんですが。
27名無しさん:2000/06/02(金) 12:11
難しい>>わかりにくい
というより
原典のみで閉じた解釈は危険かも(笑)
という意味です、、、
28名無しさん:2000/06/02(金) 15:53
>リッターという人が編集している哲学辞典を直接読まれることをお勧めします。
ドイツ語はドイツの幼稚園児なみ(あるいはそれ以下)ですが、
ここにハイデガーと現象学の関係が書かれているんですか?
それからこれは邦訳で出てないのでしょうか?
29名無しさん:2000/06/02(金) 16:00
>ちなみにハイデガーの思想の全体像を知りたいかたは、同じく全集の第9巻「みちしるべ」が御勧めです。
「道標」を理解するために現象学を知っとかないといけない
と思ったのですが、現象学知ってても理解できないですか?
ちなみに「形而上学とは何か?」「根拠の本質について」
を理解したいのですが。
30剣豪ってよォ:2000/06/03(土) 04:35
>26二次文献で秀逸なものとしてはO・ペゲラー「ハイデッガーの根本問題」があります。大抵の大学図書館には置いているはずです。
>27そりゃもちりん。ハイデゲリアンの視野の狭隘さといったらもう・・。ハイデガーの思想を哲学史的系譜という巨視的視点から読み解くためには、シュライエルマッハー、ディルタイ、ガダマーといった解釈学の流れを踏まえておくのが有効です。個性の近似性という点では、ドストエフスキー、キルケゴール、そして意外なことにヘーゲルが挙げられる。同時代性という点から言えば、フッサールやヤスパースに触れておくのがよろしかろう。思想上の影響から言えば戦後フランス思想が思い起こされる。ちなみにハイデガーを最初に日本に紹介したのは三木清である。
>28リッターの哲学辞典は平凡社の百科辞典クラスのもので、おそらく今後も翻訳は望めないであろうと思われる。代わりといっては何だが「現象学辞典」が御勧め。こじゃれた解説書よりも、こっちをパラパラと眺めるものよかろうと。
>29「根拠の本質について」は「存在と時間」の圧縮版とも言うべき代物なので、先にこっちを読んだほうが(身も蓋もないレスでこめん・・)。「形而上学とは何か」うーん、こいつはハイデガーの存在経験の記述報告とも解釈できる講演なので、丹念に読むべし、としか言えません(笑)。
・・ちなみにハイデガーとフッサールは、現象学についての概説の執筆作業を共同で行ってる。「ブリタニカ論文」とか何とか言うもので、これを読めは両者の現象学に対する立場の相違がはっきりと分かる・・ハズ。
ではアデュオス!
31名無しさん:2000/06/03(土) 04:51
>O・ペゲラー「ハイデッガーの根本問題」

おいらもお薦め。ハード・カバーで、ちょっち厚く感じるかもしれないが、
中身はそれに応えてくれるよ。訳文もOK。
32名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 16:49
ハイデガーの「存在と時間」は
存在の意味を究明しようとしていると思うのですが、
ハイデガーの不安の概念と死の(先駆的決意性)概念というのが、
存在の意味の究明においてどのような役割を担っているのか
また、どういう風に関係しているのか、いまいちよく分かりません。
どなたか何かヒントを下さいませんか?
33もももも:2000/08/06(日) 20:28
ハイデガーは「ポストモダニスト」並みに悪文だが、
そのうえ社会的影響力が圧倒的に大きい。
ソーカルには、こっちの方を解毒してほしかったな。
34ド素人:2000/08/06(日) 20:34
ハイデガーは「存在と時間」の冒頭で「存在に対する問い」を
仕上げる、とか言って存在に関する問いを形式化した。その後、
いきなり存在一般に対して問いかけるのは困難なので、「現象
学的な」方法論をとってまず、「存在了解」を持つ、存在論的
に「優位」な存在としての「現存在」の分析から始めることに
した。以降、「存在と時間」第一部はほぼ現存在分析に費やされ
ている。

ちなみにハイデガーは第一部のあと、第二部で「存在一般」を
本格的に扱うつもりであったようだが、なぜかそれは放棄され
た。この問題は研究者の間でも議論のタネになっている(らし
い)。
35名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 21:29
現存在の分析において、
不安の根本体験なるものがあるんですが、
この体験における死の位置づけというのが
いまいち分からないというか、
死の不可能性の可能性だったか可能性の不可能性だったか
の分析が、不安の根本体験にどのように関係しているのか
よく分からないんですが、御存じないですか?
36名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 23:41
>35
むむむ…。「死に対する不安」については、第50節「死の実存
論的、存在論的構造の下図」の中で論じられていますね。その
直前に、有名な「絶対的な不可能性という可能性」という言葉
も出てきます。(「存在しうることとして現存在は、死の可能
性を追い越すことはできない。死は、現存在であることの絶対
的な不可能性という可能性なのである。…」)

ただ、35が聞いているのは現存在のもつ「気遣い」における「
不安という根本情状性」のことだと思われますので、「死」と
「不安」を結び付けるのはなかなか難しい。ちなみにハイデガ
ーにおいて死は「他者の死の経験可能性」によって捕捉される。

ヒントは第60節「良心において証しされた本来的な存在しうる
ことの実存論的構造」の中で述べられている「良心の不安」
(呼び声の了解において当面させられているおのれ自身の不気
味さ)にあるのかもしれません。その箇所の直後に次のような
一節が出てきます。「現存在自身のうちでその良心によって証
しされているこの際立った本来的な開示性 ― 最も固有な責め
ある存在をめがけて、黙秘したまま不安への用意をととのえて、
おのれを企投すること ― これを、我々は決意性と名付ける。」
(以上、訳は原訳)要は他者論との関連で考えればよろしいの
では?
3735:2000/08/07(月) 00:37
>36
レスありがとうございます。
不安にも、
「死に対する不安」と「不安という根本情状性」
があったんですか。知りませんでした。
これから、50節と60節を読んでみます。

35で言った不安というのは、世界内存在自体に対する
不気味感(不安)の経験の事を指していまして、
「存在と時間」でいうと、第40節の箇所の事で、
「形而上学とはなにか?」でいうと講義の部分の事です。

これらの経験が、ハイデガーの主題である
存在の意味の究明にどんな関連があるのか、
そして、また、存在の意味の究明に死の分析は
どのような役割を担うのかということが
よく分からないのですが、
ご迷惑でなければ教えていただけませんか?
38名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 01:49
36>37
37さん、あなたの提示されている問題は「存在と時間」という
著作全体を要約するような本質的な問題なので、ここであまり
いい加減なことは言えません。ハイデガーは第5節ですでに
「われわれが現存在と名付ける存在者の存在の意味として、時
間性が提示される。」と書いています。「死」(終り)は当然
時間性とかかわる問題です。今一度、現存在の分析が「存在の
意味の究明」にどんな役割を果たすのかを考え(序論)、その
上で現存在が世界内存在として気遣いを持つものであること、
また現存在が時間性のうちにある存在であることを考え合わせ
て何か考えてみてください。正直なところ、この書物に相当精
通していなければ解答はかなり難しいと思います。
他の篤実な人のレスを待つ、というのも一つの手かも。

おいっ、っていうか、誰か剣豪を連れて来い !
3935:2000/08/09(水) 17:03
>38
レスありがとうございます。
やはり、存在と時間を丹念に読むしかないんでしょうか。
存在と時間を読んでいると、
主観客観など馴染みの概念がなくて、
世界内存在だとか、関心とか、気分とか
見慣れない概念があり、
それらの概念が他の概念と、どういう関係があるのか
いまいち分からなくて、なかなか、読み進む事が出来ません。
38さんは何か参考書を読まれたりされていますか?
もしよろしければ、教えて下さい。

あと、
剣豪さ〜ん。いらっしゃいませんか〜。
4038:2000/08/09(水) 23:38
>39
今晩は。
はぁー ハイデガーね・・・ 難しいね。今ちょっと余裕がなくて
ハイデガーについて深々と考えているひまがないので、取り急ぎ
おざなりのレスをデッチ上げておきます。

ハイデガーのテクストの難点はやはりいろいろ出てくる用語や
概念ですが、これは結局ドイツ語原典で読んだ方がわかりやすい
のは確か。というのはハイデガーは「ドイツ語」という言語の
特質を最大限に酷使して文章を作っているからで、ドイツ語は
造語能力に優れていると言われているからです。例えば日本語訳
の「開示態」やら「決意性」というのも、一旦ドイツ語の原語
に戻って、さらにその語源などを考えてみると意外と意味が
わかりよくなる、ということはよくある話。

「専門家でもないのに、ドイツ語はちょっと・・・」という人は
(実は俺もその一人)、やはり日本語で書かれた参考書を並行
して読むとよろしいのでは? 上のほうで剣豪氏がいくつか書名
を挙げてくれているのでそれを参考にするか(ぺゲラーの本とか、
「ツォリコーン・ゼミナール」?とか)、あるいは剣豪さんは
まったく評価してないけど、日本の研究者の本を見るとか(こ
ちらの方が分かりやすいのも確か)。日本のハイデガー研究者で
有名な人は、上にも名前が挙がっているけど、茅野良男、渡辺
二郎、木田 元ぐらいですかね・・・ 参考になると思うのは最近
出た、

木田 元[編著]、「ハイデガー『存在と時間』の構築」(岩波現代文庫)とか
同、「ハイデガーの思想」岩波新書
それから
渡辺二郎、「ハイデッガーの実存思想」&「ハイデッガーの存在思想」(勁草書房)
これは渡辺先生の入魂の一作らしい。
4138:2000/08/09(水) 23:40
あとかなり怪しげな(?)本では、竹田青嗣「ハイデガー入門」(講談社選書メチエ)
がありますが、この本はかなり分かりやすく書かれている(多分
過剰に分かりやすい。あと誤解も多い)。竹田青嗣の間違いが指摘
できるようになったら、あなたも立派なハイデゲリアン? かもね。
(例えば竹田は「存在論的差異」というのを正確に理解していな
いように思われる)

本当にハイデガーを(否、ハイデガーに限らず)理解したければ、
原典を使って、複数人で読書会を開く。経験から言って、これは
かなり効く。一人で読んでいても頭がおかしくなるから。

それから剣豪さんは本当にここをロムってもいないんだね。
読んでたら、絶対書き込んでるでしょ。すごい意志力だなぁ・・・
42考える名無しさん :2000/09/06(水) 20:48
agezoko
43神様 :2000/09/06(水) 21:44
君たちに問いたい。
ハイデガーの言ってることは、「何でも」重要なの?
ハイデガーの言ってる「何か」が重要なんじゃないの?
哲学の研究って、そこんとこ混同してるような気がするぞ。
たとえば、アインシュタインの「相対論」は、アインシュタイン
という個人を離れて、「相対論」そのもののが研究されるべきで、
今や、アインシュタインの原著を読む必要など全くないよね。
44名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/06(水) 23:52
神様、そりゃいくらなんでも偏見がすぎますです、はい。
現象学運動の展開は当然知悉されての上の発言と思いますが。
45考える名無しさん :2000/09/07(木) 03:10
>43 確かに日本のハイデガー研究者はハイデガーの発言をなんでも有り難がろうとする「ハイデガー信奉者」が多い(渡辺二郎はこの部類に入る気がする)。このことは木田元も言っている。ちなみに木田元がハイデガーについて重要な「何」かとしているのは、哲学史家(存在史家)としてのハイデガー。彼のおかげでシェリングが読解可能になりアリストテレスの読み方を根底から覆した。例えばアリストテレスのテクストの綿密な分析によって古代ギリシア人において、存在が「制作されて在ること、例えば机などが作られて使用されうるものとして目の前に在ること」として明らかにした。これはそれまでのアリストテレス研究においては気づかれていなかった。
46考える名無しさん :2000/09/07(木) 04:36
・e・<木田元氏は学者としては優秀だが不遇のヒトだった。
    だから彼は対外的に「ハイデガーってこんなにスゴイんだぞ!」って宣伝する必要があったわけね。
    彼のしつこいまでの自伝的語りには、アカデミズムにたいする少なからぬルサンチマンが反映されてるのかな。
47フィロゾファッカー :2000/09/07(木) 06:47
>神様=43
アインシュタインの相対性理論も彼の時間観が我々とは全く異なるから
相対論を考察するとしたらそこだと思うよ。
理論だけ見るってのはよくないと思う。
要は光速不変原理と相対原理を踏まえないと
その上に建てられた理論も理解できないのでは?
48神様 :2000/09/07(木) 11:00
>44
そうとも思えんが...。確かに、「現象学」そのものを研究するというのなら、
それはよくわかるんだけどね。どうも、ハイデガーの思想全体を指向する哲学
研究というものがあるのがよくわからん。「哲学史」的研究というのなら、
わからんでもないんだが...。

>45
もしかして、俺が哲学史と哲学を混同してるのかもしれないが
ハイデガー研究っていうのは、哲学史なの?哲学なの?
例えば、科学史と科学が全然異る学問なんだけど、哲学じゃ
どうよ?

>47

何を言いたいのかよくわからん。アインシュタインの原著を読む
より、後の研究者が整理した時空に対する考察を読むほうが、
よほど理解が早いし、それで何ら不足はない。っていうか、アイン
シュタイン自身の考察よりも深いものになっていて当然じゃないの?
あえて原著を読む必要などあるかね?

49フィロゾファッカー :2000/09/07(木) 13:15
神様は原著読まんでいいよ
50名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 13:34
ζ           ______@`―――-
ζ        /\__  ̄      \
ζζ       /             ~|
ζ       |        _____ ヽ
         | ̄ ̄――-~        ̄ヽ
ζ      /                ヽ
ζζ    /^ソヽ   __/ ̄ ̄ヽ――〜^^\
 ζ /      ̄ ̄              \
  ζ                          \
/ζ                 _          /
 ζζ 〜^^\@`@`_____@`@`__,/ ヾ/ヽ―ヽ___/
 ζ     /    |         ヾ /^ ヽ  \
 ζζ    ヽ   /          / | |λ| |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ζ     ヽ ヽヽ      / |  |/ //<  現存在はフランス語でエートルラ
  ζ      |         /  ゞ  |__/  \______
   ζζ   ヽ ーヘ――  |  |  /     /
     ζ   | // ̄^~   @`/^  /―ヽ  /
      ζζヾ /     /ヽ/ /_ _―― <
        /|ゝ/ ヾヽw~ヾ/ ̄ ̄_ ̄ ̄ ̄ ̄\
       ///  | |/ ̄ ̄ ̄ ̄\     | /
  @`  _从〃 / // //         ヽ   \
ヾヾ_ // @`///           |     \
  ヾ_// /~/ /   ノ      |      |
   彡 彡@`@`/w/  /  __/        |      |
        /             /_ノ       |
51考える名無しさん :2000/09/07(木) 15:10

カネゴン?
52>51 :2000/09/07(木) 18:12
俺、次元大介。流れ者風射撃の名手。
53>52 :2000/09/07(木) 20:36
うんにゃ、カネゴンが首を吊ろうとしてるとこにしか見えんぞ。
54考える名無しさん :2000/09/07(木) 21:23
>48 普通哲学のやり方っていうのは「−とは何か?」という仕方で行われる(当たり前だけど)。例えば「人間とは何か。存在とは何か。」といったふうに。このやり方はアリストテレスの時代に始まった。ハイデガーの講演論文に「それは何であるかー哲学とは」という題名のものがあるが、それは古代から現代にまで続く哲学の伝統的問い方を言い表したものである。「−は何であるか?」なんて問い方は当たり前で疑うべきことではないと思われるだろうが(少なくとも我々には)、ハイデガーはアリストテレスまで遡ってその問い方を歴史的に相対化する。そこから「−は何であるか?」は絶対的な問い方ではなく他にも別の方法があるかもしれないことがわかる。実は哲学、つまり愛知(知りたい)には「−は何か?」の問いかたの他に驚きという契機も在る(プラトンのテアイテトス編でソクラテスがそう言っている)。つまり何か分からない物に出会って驚き、それからそれを知りたいと思い、「それは何であるか」という問いかけが起こってくるのである。事実ヘラクレイトスといったソクラテス以前の哲学者は「−は何か」と言う問いかけよりむしろ驚かせる何かを驚きのままに受け取るというしかたで(つまり驚嘆)哲学していた、とハイデガーは言う。しかしこうなるともはや哲学ではなく詩作といったやり方で対象に向かうことになる。ゆえにハイデガーも後期には思索よりも詩作に身を入れるようになる。このように哲学の歴史を辿っていくと自分たちが当たり前と思っていることが揺るがされることがある。哲学の方法論から問い掛けていくならばそれは哲学史的解体となる。
 アインシュタインの相対論の研究書を読んで理解できてもそれは飽くまでも「相対論の”研究書”の理解」でしかない。研究書を読んで「相対論を理解した」というのは欺瞞だ。木田元の「存在と時間の構築」を読んで「存在と時間」を理解したと言うのも同じ。ハイデガーではなく木田元のハイデガーでしかないから。
55神様 :2000/09/07(木) 23:57
>48
何が言いたいのかよくわからんよ。

>>研究書を読んで「相対論を理解した」というのは欺瞞だ。

ニュートンの原著なんか読まずとも、ニュートン力学を理解してる
人はたくさんいると思うが?「原論」読まなくても、ユークリッド
幾何の本質はわかるしね。相対論とて同じだよ。

哲学では議論の曖昧さのゆえに、常に原典に回帰せざるを得ないのかな?
そこから生まれる、各人各様の「解釈」に白黒をつけられないから、
原著の周りをうろつくだけで、先へ進まないってことかもね。
(もちろん、全てがそうだとは言わないけどね。)
しょうがないか...。

56考える名無しさん :2000/09/08(金) 00:12
自分のことを「神様」とかって呼んでる時点でまともじゃないな...
57代理いぬ :2000/09/08(金) 00:51
私は神様の味方だな。

思索より詩作だなんて、それがれっきとした学問であるはずがない。
科学でなくとも、科学的なものはいくらでもある。
私は、学問とは科学的であるべきだと思っているし、
それが科学的であればあるほど、
神様の主張(原著を読む必要はない)は通ると思うよ。

がんばれ神様。(^_^;
58考える名無しさん :2000/09/08(金) 01:05
だから別に読みたくなければ、読まなくてもいいんじゃないの?
別に必読ってわけじゃないんだからさ。
ただその場合、「ハイデガーは…(こう言ってるとかなんとか)」という発言をするのはおかしいだろう。
59代理いぬ :2000/09/08(金) 01:43
ま、学問における聖典崇拝ほどバカげたものはない。
なにかっつーと、「ブルバキ読め」って返す奴がなんかがそう。(ブルバキ馬鹿?)
難しい本を読んだからといって、特別な知識を得ることはないのだから、
テキストはやさしいのに限るね。
眠くなっちゃうし。(^_^;

それに、お偉いさんの書いた本や言葉には、
特別に深遠なものが眠っているといった類の思いこみが、
ポストモダンや哲学そのものの潮流をひん曲げちゃったのに違いない。
特定の著者の特定の著作を取り上げて、
それを一心に研究するなんてことは、
つまらな過ぎて、とてもじゃあーないが私には出来ない。
もちろん、研究する価値が全くないとは言わないが、
それをメシの種にすがるなんて、あまりに過剰じゃあないのか?

言葉には、まさに取りうる意味以上の意味が宿ることはない。
詰まらぬ幻想に惑わされることの無きよう、お気をつけ下さい……。
60微熱症患者 :2000/09/08(金) 02:28
哲学で原典を重視するのは、ある哲学観を反映していると思います。
その哲学観とは、哲学は他の学問とは違って特定の個人の人間性や生と
切り離して考えることができない、という見地です。
さらに、哲学者の人間性は本人の書いた文章を通してのみ読者に伝わる、
という考え方も背後にあると思います。いわば、哲学者が言葉に生命を
吹き込み、読者はその文章を読むことによって、哲学者とじかに向き合
うことができる、というわけです。

他方、哲学も他の学問と同じく、言葉を通じて多くの人々に共有される
学説や理論、論証の体系である、という哲学観もあります。この哲学観
によれば、原典がただ原典であるというだけで重要であることはありま
せん。原典の著者が自分の学説を明晰に提示しているなら原典には大き
な価値がありますが、他の人がより洗練された形で述べているなら、あ
えて原典にこだわる必要はないからです。

語弊があるかもしれませんが、前者を文学的な哲学、後者を科学的な哲
学、と呼び分けるとわかりやすいと思います。
61考える名無しさん :2000/09/08(金) 02:50
>55 高校の物理の教科書が理解できれば古典物理学を理解したと言っていいだろう。しかしそれで「ニュートンの」物理学を理解したと言えるだろうか。ニュートンのプリンキピア(だったっけ)にはおそらく現代の物理の教科書とはかけ離れた内容で在るに違いない。おそらく神学的情熱(神の被造物である世界は合理的であるに違いない。物理的合理性は神的であるといったふうなね。)のような内容もそこに含まれているだろう。だがそんなものは今は余計なものであろうから教科書からは省かれているだろうし、むしろ理解を困難にさせる。しかしそこに根拠付けられねばならない解釈が潜んでいる。なぜそれが省かれたのか?その理由を説明すべきだろう。どんな哲学や学問についての研究についても言える事だが、読んでて理解しづらいところや賛成しかねる部分を省くといったことはよくある。省いた理由をその都度示すなら問題はないがそれすらされないことがある。しかしカールバルトの「ロマ書注解」やハイデガーの「ニーチェ講義」のように研究対象を全部ひっくるめて逐行読解しているような研究書なら認める。どっちも読んだ事はないんだけどね。
>57 別に詩作を肯定したからと言って学問や詩作を否定しているわけではない、ハイデガーは。分からない物を分かるようにしたい、つまり「−は何であるか?」という問いかけは哲学を含めてあらゆる学問の基本的原理だが、人間がそのような問いかけを行うにはまず対象によって触発されなければならないだろう。何かが人間に「分からないもの」として出会い人間を触発する、驚かすことによって初めて「それが何であるのか知りたい」という問いかけが生じるのだから。ハイデガーはそういう問いかけ以前の驚きの感覚、驚嘆を重要だと思っている。だから学問とか形而上学から離れて詩作へと向かっていく。
62代理いぬ :2000/09/08(金) 02:53
>60
>その哲学観とは、哲学は他の学問とは違って特定の個人の人間性や生と
>切り離して考えることができない、という見地です。
>さらに、哲学者の人間性は本人の書いた文章を通してのみ読者に伝わる、
>という考え方も背後にあると思います。
>……
>いわば、哲学者が言葉に生命を吹き込み、
>読者はその文章を読むことによって、
>哲学者とじかに向き合うことができる、というわけです。

前々から、ここ(哲学板)にも何度となく書いているのだが、
私はそういった学問の"詩文的な力"に対して大いに疑問なのだ。
その手の価値観は、あまりに文化や世相に対して敏感過ぎる。
また、そういった詩文的な力や権威といった、
"実体のない価値"によって物事を判断することは、非常に危険だ。
少なくとも学問においてはあるべき場面ではない。

私は、そういった詩文的なものや芸術的な価値観に関する判断は、
(基本的には)個々人にゆだねられるべきだと思っている。
63代理いぬ :2000/09/08(金) 03:18
>60
>原典の著者が自分の学説を明晰に提示しているなら原典には大き
>な価値がありますが、他の人がより洗練された形で述べているなら、あ
>えて原典にこだわる必要はないからです。

それこそが、神様(注:HN)の言わんとしていることだろう。
私はそれに共感しているのだよ。

>語弊があるかもしれませんが、前者を文学的な哲学、後者を科学的な哲学、
>と呼び分けるとわかりやすいと思います。

実は、もう使っていたりして。(^_^;
(過去スレを引こうとしたけど見つからなかった)

その代わり、ここの32番とか読んでみてね。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=960937198&ls=50
おまけ。
「科学とは何か」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=962604054&ls=50
64考えてる気味の名無しさん :2000/09/08(金) 03:48
私は哲学が「科学的な哲学」である必要は無いと思います
敢えて云うならそこまでして「学問」である必要も無いかと
>"実体のない価値"によって物事を判断することは、非常に危険
その通りです
一方的な思いこみと勝手な独断だけの言説に陥る事がほとんどかもしれません
が、最大公約数の意見など哲学に期待していません
例え思いこみや独断でも、それを発する人間の能力と努力によっては聞くべき価値があると思います
文化や世相に流される事もまた人生

>芸術的な価値観に関する判断は、 個々人にゆだねられるべき
その通りですが、それに関する議論は全く公共の場では不可能なのですか?
65代理いぬ :2000/09/08(金) 05:21
>64
>私は哲学が「科学的な哲学」である必要は無いと思います
>敢えて云うならそこまでして「学問」である必要も無いかと

いや、実際そうかもしれない。
上(>63)のリンクの32番でも書いているが、私は、
哲学とは「よく考えるというスタイル」であるべきだとも思っているよ。

>例え思いこみや独断でも、それを発する人間の能力と努力によっては聞くべき価値があると思います

各々の時代には各々の世相ってものがあるだろ?
ニーチェやハイデガーの思想にも、
当時なりの時代の要請ってもんがあったわけだ。
それを現代に持ってきて一生懸命"習おう"として、
一体どれほど役に立つのかなあって思うわけ。
それこそ、彼らのネームに負けちゃいないかねえ。
("実体のない価値"だ!)

私も、たとえドキュンといわれようが、
自分の考えを述べている人の方が価値があると思うよ。

>その通りですが、それに関する議論は全く公共の場では不可能なのですか?

んなこたぁ、ない。
66フィロゾファッカー :2000/09/08(金) 15:31
>神様
ニュートン力学を理解するってのは運動の三大法則のみを理解する事じゃないよね
ニュートン力学はニュートンの考える世界観の中でしか通用しないもんだよね。
ニュートンの世界観ごとアインシュタインらは否定してるし、
現実にアインシュタインらによってニュートン力学は否定されてるよね。
神様がそういう理解を原著を読まずにできるんなら読まんでいいんじゃないの?
67神様 :2000/09/08(金) 20:24
>66

ニュートン力学の前提となる世界観なんて、そんなに難しいもの
じゃないよ。原著など読む必要もない。
ニュートンの持っていた世界観の詳細を知るためには彼の著作
を読むことは必要だろうが、それは科学「史」の仕事で、科学
ではない。
68神様 :2000/09/08(金) 20:29
っていうか、ニュートン力学のフレームとしての世界観ってのは、
相対論を勉強することでより明確になったりするわけで、
ニュートンの原著を読んでもわからんかもね。
69フィロゾファッカー :2000/09/08(金) 21:58
>っていうか、ニュートン力学のフレームとしての世界観ってのは、
>相対論を勉強することでより明確になったりするわけで

この言葉には深く同感する
70禿げ :2000/09/08(金) 23:24
フィロゾファッカーさんは書きました。
>現実にアインシュタインらによってニュートン力学は否定されてるよね。

これは本当ですか?
「否定された」と言うより、「取り込まれた」と言う方が正しいの
ではないでしょうか?(僕の物理は大学教養レヴェルですが。)
間違っていたら申し訳ありません。
71考える名無しさん :2000/09/08(金) 23:43
なんか,頭の悪そうな議論なので,やめてもらえませんか?
学校の教室ででもやっててください。


72考える名無しさん :2000/09/08(金) 23:44
ここはハイデガー板じゃないのか?
「存在と時間」で相対論がどう論じられているのかを挙げておこう。80節配慮される時間と内時性の注から。
 「ここでは相対性理論における時間測定の問題に立ち入ることはできない。この測定の存在論的基礎を解明するためには、そのまえに、世界時間と内時性とを現存在の時間性から明らかにし、また自然発見の実存論的=時間的構成と測定一般の意味とを解明しておく事が前提条件になる。物理学的測定技術の公理系というものは、これらの考究の上に立脚するのであって、逆にその公理系が時間問題そのものを展開することはできないのである。
73考える名無しさん :2000/09/09(土) 01:02
・e・<痛い引用する前に自分のコトバでまとめようね。
    ハイデガーの時間論の基本線はベルクソンのそれと同じなんだ。相対論の内容というより
    相対論が前提にしている時間概念を問うわけだけど、概念的前提を問題にするだけに
    実際の相対論の中身とは、問題の地平そのものがズレてる可能性があるわけ。
    実証的に見るならベルクソンのアインシュタイン批判(無視されたヤツね)のほうがいくらかマシ。
    
74考える名無しさん :2000/09/09(土) 02:12
<73 なるほどね。結局肝心の問題を物理学的前提自体を疑問に附すことで回避してしまっているわけか。
古典物理学では相対論の時間空間の相対性から生じる測定結果のズレは誤差として処理される。なぜなら古典物理では時間空間は絶対的なものとされているから。しかしそれでは相対論の時間空間が正しいかというとそうでもない。相対論もまた新しい理論によって覆されうる。つまり古典物理学も相対論も各々が絶対的時間空間と相対的時間空間という世界投企を別々に行っているといえる。しかしそのような世界投企を行う科学者はそれぞれ別々の世界を作り出せるわけではなく彼らが既に在る同じ一つの世界(フッサール的には生活世界、ハイデガー的には現存在によって親しまれている意味連関の世界)の物理的な一側面へと彼らの物理学的世界投企を行うのである。アインシュタインが考えるような光速の世界で数的妥当性を保つにはもはや時空間から絶対性の枠組みを取り外さねばならないと考えたから(つまり時空間は相対的になる)。そうしてようやく光速度的世界での数的合理性を保ちうると考えたのだろう。数式が適用しうると。ゆえに古典物理も相対論も世界の数的合理性を前提(そのような世界投企)としている点では同じ。ハイデガーはこういう所からせめていくのだろうか。
75拝出賀亜 :2000/09/09(土) 08:34
ハイデガーの存在論で、「Zurseinsfrage(存在の問いへ)」という文は
なかなか捨てがたい気がする。これは、ハイデガーのニーチェへの取り組み
にかなりの影響を与えたとされる同時代の作家・思想家のエルンスト・ユンガー
のニヒリズム論に対するもので、ハイデガーのユンガー解釈は、かなり誤解が
多いが、それとは別に存在の問題について述べているところは、かなり凝縮
したエッセンス的な内容になっている。初期の存在論から後期の存在論の間で
ハイデガー存在論の絵解きみたいなところがある。
76神様 :2000/09/09(土) 10:38
>74
何が言いたい?
「世界の数的合理性」(?)は、科学の大前提だよ。定量化が
科学において本質的に重要な所以だ。なにも、古典物理や相対
論に限定された話じゃないよ。えらいピンボケじゃないか?

>75
つまんない。コピペか?
77仏様 :2000/09/09(土) 11:34
>75
他人の書き込み、もっと誠実に読もうよ。
ポイントは、ここじゃないの。
「初期の存在論から後期の存在論の間で
ハイデガー存在論の絵解きみたいなところがある。」
78○○様 :2000/09/09(土) 11:42
77の書き込みは、>76 に対するものじゃないの?
79アッラー :2000/09/09(土) 11:48
あのさ、どうでもいいけど「羅漢」とか「蝉寝る」とか「風呂井戸」
とか「拝出賀亜」とかやってる人って全部同じ人?

なんかすごくサムイよ。
友達いないんだね。
80拝出賀亜 :2000/09/09(土) 23:04
>アッラー
まったく赤の他人。
81考える名無しさん :2000/09/09(土) 23:49
・e・<74はうまくまとめたね。数的合理性という大前提をハイデガーは
    あらゆる事象を量化し一般化する科学的投企の現れとして捉える。
    こいつは科学を拒否する態度ではなくて、要するに科学万能主義的な
    イデオロギーを相対化してみせる、一種のカリカチュアなわけ。
    ただしハイデガーの切り口は合理主義的前提という意味論的次元にとどまっているわけで
    実際に流通している科学上の所産に批判的検討という点では無力としか言いようがない。
    実証主義にたいするオールタナティブな価値観を芸術や詩学にもとめた所以もここにあるわけ。
    そういう意味じゃあ、誰かいってたみたいに、ハイデガーの趣味判断の私秘性をいかに普遍化して取り出すかということが
    今後のハイデガー研究の試金石になるわけね。
82考える名無しさん :2000/09/10(日) 00:06
76> 「定量化が科学において本質的に重要な所以」
 しかし古代ギリシアの時代には世界を量的に投企する科学のようなものは存在しなかった。例えば石が下に落ちるのは、科学では量において石より地球の方が勝っているから。対して古代ギリシアの存在論に従えば、石が質的にいって本質的に下に落ちる性質を持っているから、となる。ゆえに科学的ではない世界も考えられる。現代人なら「石が下に落ちる」のはそう見えるだけで、本当は万有引力の法則が働いているからに過ぎない、と考えるだろう。だがそれは見かけ(現象)と実在という形而上学的前提を暗に肯定していることになりはしないか?まず主観的世界と客観的世界とが分岐して現れてくる以前の原的世界に戻る(還元する)ことが先決なのではないのか、がハイデガーやフッサールの意見。詳しくは「存在と時間」や「危機」を読んでください。私にはうまく説明できないので。

83フィロゾファッカー :2000/09/10(日) 06:14
このスレかなりいいスレだね。
84神様 :2000/09/10(日) 12:45
>82
あのさー、科学的でない世界観も結構だけど、具体的な中身が
よーわからんよ。古代ギリシアに立ち返れって言ってるわけで
もないんでしょ?いったい、どうせー、ちゅうの?
でもって、そのような世界観をいったいどうやって評価するん
かね?中身がわからんから、なんとも言えんけど、そこまで
考えて物言って欲しいわ。
ちんぷんかんぷんだぜ。
なんだよ、原的世界って。主観的世界とどこが違うの?

「石が落ちる」話だけどさ、なんで「しかし」で始まるのかわ
からんな。科学っていうのは、ガリレオ以降に限定していいよ。
古代ギリシアも近代も、現象と理論(実在というのは変な語法
だと思う)という発想では同じだよ。決定的な差異があるのは、「定量化」による現象の記述で理論の妥当性をチェックできるか
どうかってこと。そのためには、理論は数理的整合性のあるも
のとならざるを得ないってだけ。そして、それが大成功をおさ
めたわけさ。
85名無しさん@1周年 :2000/09/10(日) 13:11
神様が言うんだから、しかたないな。
86考える名無しさん :2000/09/10(日) 21:56
 神様はなかなか手強いねえ。
 <「定量化」による現象の記述で理論の妥当性をチェックできるか
「定量化」による現象の記述、は理論のことじゃないの?それで、理論の妥当性をチェック、することは実験じゃないのかなあ。なんかごっちゃになってる気がするんだけれども。
 理論の妥当性を証明するには、実験において実際に環境(こんな言葉しか思い浮かばない)に理論どうりかどうかを確かめなくてはならない。しかし実験する前に、環境はそれが理論どうりに自己を示すようにあらかじめ操作される(実験環境が設計される)。理論が実験で妥当性を示す以前に、実験者の主観が実験環境の設計という時点で入っている。ゆえに理論が成功を納めたとしても、理論と実験という枠組みの中においてのみ言える事にすぎない。
87フィロゾファッカー :2000/09/10(日) 22:17
>86
お馬鹿ですみません。ちょっと理解しにくいです。
それはマイケルソンらの実験に対する反論を指してるのですか?
それとも仮説演繹体系そのものを否定してるのですか?
88考える名無しさん :2000/09/11(月) 00:13
>87
 いえ、私は「マイケルソンらの実験」というのは知りませんので、反論していません。
 86で書いた事はハイデガーのツォリコーンぜミナーレという本で言われている事です。実験においては理論がその妥当性を示すようにあらかじめ実験環境が整えられる、みたいなことをハイデガーがその中で言っています。
89考える名無しさん :2000/09/11(月) 00:26
ハイデガーのいう科学的投企(wissenschajtlich Entwurf)は
科学者集団による合意的パラダイム形成とよく似た議論だ。
90考える名無しさん :2000/09/11(月) 05:08
結局、ハイデガーは何をしたのですか?
存在の思索というけれど、それは何、どんなこと?
91神様 :2000/09/11(月) 09:38
あー、良く寝た。さてと、、、、
>86
ふんふん、まあ、「ある程度の」理論的なフレームがなければ、現象
の定量的記述ができないのは確かだけど、同じではないよ。例えば運動論において、位置とか時間という概念が全理論ってわけじゃないでしょ。
そのようなフレームの中でも具体的にどのような定量的関係が成り立つか
には無限の可能性があるわけだかんね。

で、君は現象と実験を区別して考えてるようだが、コントロールされた
現象が実験と呼ばれるに過ぎないだけで、実験も現象のうちだよ。
理論の妥当性は主として実験という手段によって確認されるわけだが、
本質的には現象と理論の数理的整合性を見てるだけ。実際、相対論の検証に
天体観測が使われたりするわけだが、あれは実験ではないよ。

いずれにせよ、理論の妥当性が、実験であれ、何であれ、限られた条件下での
現象でしか確かめられないのは事実だけど、それでも、驚くほど広範な
現象で成り立っていることが、ここまでの科学の成功をもたらしたんじゃないのかな。っていうか、反証が一つでも見つかれば、その理論の
妥当性が一挙に失われるほど普遍性が期待されてるんだから、凄いもんだ
よね。

92考える名無しさん :2000/09/11(月) 21:28
>コントロールされた
現象が実験と呼ばれるに過ぎないだけで、実験も現象のうちだ
これについては同意するよ。
 神様は位置や時間などによって構造付けられたフレームや限られた条件下においても呈する現象の無限の可能性を強調しているようだが、もちろんそれが間違いだとは思わない。ただこちらとしてはその「限られた条件」「フレーム」を問うべきだと思うがね。そういう条件付けやフレームを加える以前の現象をまず明かにすべきだと思う。もちろんそんな事をせずとも科学は発展していくし、「古典物理から相対論へ」みたいに自己発展を遂げていく。ただそういう科学のダイナミズムが形成される枠組みが基づく存在論を明かにしようというのがハイデガーの主張。

 
93神様 :2000/09/11(月) 21:48
>92

まさに相対論がそうであったように、フレームを問い直すことは
科学の歴史の中で何度も繰り返されてる。その場合でも、新たな
フレームの中で現象が定量化され、フレームを含めた理論の整合
性の確認作業ができるわけ。
勝手にフレームを捻出するのも結構だが、その有効性とか妥当性は
どのようにしてチェックするの?そもそも、その具体的なスキーム
がまったく見えんのだよ。
「他にもやり方があるはずだ」という誰にも否定できない呪文を唱える
だけでいいのなら、誰にだってできるし、なんの目新しさもない。
94考える名無しさん :2000/09/11(月) 23:50
・e・< >他にもやり方があるはずだ」という誰にも否定できない呪文を唱える
>だけでいいのなら、誰にだってできるし、なんの目新しさもない。
      おっ・・神さまもなかなかイイコト言うね。まさにその通り。
      ハイデガーの科学論は基本的に『存在と時間』からほとんど進歩していない。
      だからハイデガーが晩年に問題にしているのも、科学的ディスクールがいかなる形で
      流通しているか、という人間学的な問い以上のものではないんだね。
      ハイデゲリアンの科学論はあまりに具体性に欠けるきらいがあるからね。
95考える名無しさん :2000/09/11(月) 23:54
・〜・< ずれた・・・
96考える名無しさん :2000/09/12(火) 22:56
 自然科学において対象となる自然は数量化された自然。数量化することで自然の成り行きが予測可能となる。そこで自然を意のままに操作する可能性が生まれる、つまり科学技術が生まれる。しかし自然はあらゆる原始的社会、もしくは現代でもいえることだが元々意のままにならないもの、意表をついてたち現れるもの、脅威的なものとして受け止められてきた。ハイデガーはおそらくこういう原始的な自然観に「他のやり方」の可能性を求めていたんだと思う。「存在と時間」では現存在が非本来実存から本来実存へいわば生き方の態度変更を行う事で、そういう意味での自然としての存在が了解されるのだと考えたのだろう。でも結局挫折した。ハイデガーだって「他のやり方」をただ何の根拠もなく言っているわけではない。真剣に模索しているからこそ挫折したんだと思う(無駄骨に過ぎないという評価はいくらでも可能だが)。
 晩年には「他のやり方」はもはや不可能であり、予測可能な数量化された自然は「萌え上がる、成長する、花開く(要するに、現れるということ)」という意味の自然(ピュシス)の産物あるいは帰結として受け取ることだけが可能である、といったことを言い出す。
 別に科学的自然観に取って代わる何かおとぎばなしのような自然観を主張しようとする気はさらさらない。それはオカルティズムに過ぎない。
97考える名無しさん :2000/09/13(水) 00:27
SA
98おちんこTTH@グロいMSのようですが。。。( ̄ー ̄)y−~~ :2000/09/13(水) 00:30
ァぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ
99考える名無しさん :2000/09/13(水) 00:33
>>96

自然萌え〜、ってことか。>ハイデゲリアン
100おちんこTTH@グロいMSのようですが。。。( ̄ー ̄)y−~~ :2000/09/13(水) 00:34
 
101名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/13(水) 00:40
・e・< 100ゲエエエエ〜ットゥ!
    >96
     結論としてはそうだね。ひここもって本ばかり読んでんじゃなくて
     外に出んかい!ってな感じだね。分かってても実践する人間は稀だけどね。
102名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/13(水) 00:41
・w・<あ・・・・・
103マジ :2000/09/13(水) 03:21
ハイデガーの「存在」って、ずばり「オマンコ」じゃないの。
オマンコって、存在者の存在だもの。
そして「存在の開け広げ」は、脚を開くことじゃないのかな。
104考える名無しさん :2000/09/13(水) 05:07
<100
ぜんぜんおもしろくない
105考える名無しさん :2000/09/13(水) 05:08
じゃなくて103はおもしろくない
106考える名無しさん :2000/09/13(水) 09:47
なんか、終わったみたいね、このスレ...
107考える名無しさん :2000/09/14(木) 03:09
ハイル・ハイデガー!!
しかし、ファリアスの本はくだらないなあ。
108考える名無しさん :2000/09/14(木) 04:17
ファリアスはへたくそなんだよ書き方が。

じゃネタふりで、ナチズムとハイデガー思想との関係
はどうかな。じっさい、あんまり突っ込まれて議論
されてないでしょ?
109考える名無しさん :2000/09/14(木) 04:51
そもそもナチズムというもの自体が、まともに把握されてないね。
ナチズムは無前提的に悪とされてしまい、内在的な考察は、まともに
されていない。もちろん、ナチズムはデマゴギーだとか、まともな
思想はないという論議は問題外。ヒトラー以下のナチスの人間の意識や
言説にナチズムを還元してはならないと思う。ハイデガーの思想が、
ハイデガーの意識や言説に還元してはならないように。
110>109 :2000/09/21(木) 05:58
反ユダヤ主義・北欧人種至上主義・国家による経済管理……
みたいな個々の要素自体は、ヒトラーとは別にあったわけだから、
それらの結合という意味での一般名詞としてのナチズムも、
固有名詞としてのナチズムと別に、想定できると思う。

そういう具合に一般名詞に還元したハイデガー思想ってつまり何?
というのが昔からの疑問なんだけど、誰か答えてくれるかな。


111軽朱水戸 :2000/09/23(土) 09:02
>109
言ってることが、いまひとつ正確によく分からん。
 もう少し、論理的で、正しい日本語を書いていただけないだろうか。
112訂正:軽朱水戸 :2000/09/23(土) 09:04
>110
言ってることが、いまひとつ正確によく分からん。
 もう少し、論理的で、正しい日本語を書いていただけないだろうか。
113考える名無しさん:2000/10/23(月) 20:49
114考える名無しさん:2000/10/24(火) 14:53
a
115考える名無しさん:2000/10/24(火) 16:02
a
116考える名無しさん:2000/10/26(木) 15:27
ソクラテス以前の思想家はおもしろい。
117考える名無しさん:2000/10/29(日) 19:03
AGE
118ハイデガー:2000/10/29(日) 22:21
ナチズムは、「基本的には」、それ(技術と歴史性の止揚)に向かって
いました。しかし彼らは粗暴すぎた。・・・

我々がなすべきことは、ある一つの神を待つことです。
119考える名無しさん:2000/11/16(木) 07:24
..
120無法松:2000/11/22(水) 04:02
ハイデガーしてる奴、いねぇのか。
121考える名無しさん:2000/11/24(金) 00:15
上げときましょ
122考える名無しさん
age