1 :
名無しさん:
ここで聞いてよいものかどうか分からなかったのですが、
倫理学は哲学の一部だと思うので。
どなたかご意見ください。
2 :
名無しさん:2000/03/23(木) 07:41
?
3 :
>1さん:2000/03/23(木) 07:46
なんぼなんでも言葉が足らなすぎ。
5 :
1です:2000/03/24(金) 02:43
卒論で環境倫理をやろうと思っているのですが、
検索したら、上記のHPにヒットしたので。
ほか、みなさんのご意見も伺いたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
6 :
>5:2000/03/24(金) 03:27
「世代間倫理」という言葉はこのスレッドによって初めて知ったが(私は哲学ファン初級者で哲学研究者ではない)、
1さん、せめて、1さん自身が何か設問なり設定しないと、誰も返信しようがないと思いますよ。
「それではクイズです、第1問、『どうですか?』」という出題と同じことを1さんはされてますよ。自戒ください。
「残念ながら回答者がいませんでした。では第2問です、『なんですか?』」
具体な質問へは具体な回答が、漠然とした質問へは漠然とした回答しか、与えられないものだと思います。
1さんが卒論で「世代間倫理」をやろうとされたからには、その中に共感する部分、納得できない部分、などあるのでしょうが、どこが1さんにとってのそれなのか、1さん自身が表明してくださらなければ、この世の誰にもそれは理解できないと思います。
7 :
>5:2000/03/24(金) 07:08
非常に適切な比喩だと思う。
『どうですか?』『なんですか?』のレベルの質問に
これだけキチンと答えようとする人が居るのを見ると、
人間に希望が持てちゃうね。
あ、しまった。
分ると思うけど、上は「>6」のつもり。
9 :
1です:2000/03/24(金) 18:34
失礼いたしました。
実は、私も最近、哲学科の専門過程に入ったばかりの初心者で
質問の仕方も分かりませんでした。申し訳ない次第です。
環境倫理について、将来的に卒論に持っていきたいと
思っているのですが、「環境を保全しよう!」という動機付けの
ひとつに、『世代間倫理』というのがあるらしい(上記の通り)。
かけ出しの私には、これが先行きの手がかりの一つになればいいなと考えています。
さて、前置きが長くなりすみません。
倫理的方向から、環境保全をみつめると、
私は世代間云々というよりも、今を生きている我々が
住み良い世界を作りましょう、という方が動機付けとしては受け入れられそうなのです。この言葉のウラに、それは次世代のためだろう!と、ご指摘を受けそうですが、勉強不足の私は今のところ、ここまでしか考えられません。世代間倫理というのは実践不可能で、私としては、そういう気持ち(『次世代のためによい環境づくりを!』)になれないのです。
みなさんはどう思われるでしょうか。
ご意見伺えたらと思います。よろしくお願いします。
10 :
名無しさん:2000/03/24(金) 19:24
タイトルからして世代間で倫理規定が違うことの問題かと思ったけど
要は「人は果たして名前も顔も知らない子々孫々のために今の自分の
快楽を制限できるのか?」という問いかけなわけですか?
だとしたら儒教倫理やキリスト教倫理で激しく非難されるだろうし
そうでなくとも法規制がなければ殺人すら厭わないタイプの快楽追求型人間に
対応するために環境問題も法規制が必要になるということなのでは?
たしかに人類の未来をどう規定するかに答えはないけど、だからこそ
その答えを先延ばしするために次世代の安定確保が必要なんだと思いますが
どうしていいか分からないから壊しちゃってもいいやじゃまるで子供
11 :
名無しさん:2000/03/25(土) 00:22
10年前にくらべれば冷静さを保ったいまの環境保護運動から
さぐってみれば?
ネオナチですら前向きかつ現実的な環境保護構想を打ち出す時代だからね。
(でも環境保護のために人種差別するんだけど笑)
12 :
>9 実践不可能って:2000/03/25(土) 00:59
純粋に倫理の問題としての判断基準を打ち立てることはできても、
実際にその基準を使って判定する立場に立てる人が、時間的な
ずれ(世代間だし)があって永遠に存立し得ないんじゃないかってこと?
13 :
1です:2000/03/25(土) 02:46
>12さん
>時間的なずれ(世代間だし)があって永遠に存立し得ない
と、思います。
勿論、時代時代(何を持ってその時代の区切りとするかはまた別の問題になりますけど)により、人間の価値観は変化するでしょうから、時代に応じたものが必要かな、とも考えてみたのですが、「より善く生きるには、いかに生きるべきか(倫理学の教科書からの引用)」を問うた時、普遍的な内容に徹しないといけないのかしら、
とも考えたわけです。実際、倫理学というのは永遠にそれが真理となって、いつの時代でも受け入れられるものにしないといけないんですよねえ?
環境保護については、地球に生きる基盤を持つ以上、考えていける題目ですし、その答えとなるものも今の時代となっては、より平和的に考えていけるでしょう(ベーコンの時代ではないので)。
で、世代間倫理の話に戻りますと、次世代のために、というのは
あらゆる時代に考慮され、あらゆる人に相当し、あらゆる人が考えていける(子どもの有無に関わらず)と思うのですが、危機感というのでしょうか、そういうものがないと、人間なかなかそれが動機とならない気がします。上記の世代間倫理は、次世代の危機感が根底になっていると受け取れます。それって、自分の遺伝子やそれに近い種の存続を願っているという裏返しじゃあなかろうか、とも考えられるのです。そうなると、次世代のためでなく、現在生きる我々が満足するためのものになるのと同じではないでしょうか?
こう考えると、世代間倫理というのは実証も、当然実践も不可能なのでは?と考えるのです。
14 :
1です:2000/03/25(土) 02:51
>10さん
>儒教倫理やキリスト教倫理で激しく非難
というのは、具体的にどういうものか例をあげて下さいませんか?
お願いします。
15 :
名無しさん:2000/03/25(土) 06:03
1さんの提示したHP、ざっと読みました。勉強になります。
世代間倫理を批判する材料としては、ポパーの『開かれた社会とその敵』(未来社)が使えるのじゃないかと思う。
ポパーは1920年代のマルクス主義者の歴史法則中毒(ヒストリシズム)がどう誤っているのか明らかにするためにこの本を書きました。
素晴らしい未来(歴史法則の結果としての共産主義の世界)を招くために、現状において非人道的なこと(破壊活動)をしてもそれは歴史法則から見て許される、というのが20年代のマルクス主義運動。
それは「法則」への誤解だし、倫理的にも許されない、ということを証明したのが、ポパー。
他にも、パターナリズム的なものと「世代間倫理」は結びやすそうにも思う。パターナリズムは望ましくない。
とはいえ、「世代間倫理」という概念は、どうにかして救う価値はあるんじゃないかと思います。
なぜ環境を守らなくてはならないのか、という倫理を、現代人は必要としている、と、私は思う。「世代間倫理」は直観的には有益なものが色々あると思う。
16 :
名無しさん:2000/03/25(土) 06:48
ウイスキーの蓋があいません。
17 :
1です:
>15さん
ご意見と情報、感謝します。
世代間倫理という概念は人間の感情に訴えて、ドキリとさせられる考えだと思うのですが、もう今一つ、何かが足りない気がする。確かに、そう思いながらも一方で『どうにかして救う価値はあるんじゃないか』とも、思います。
もっと深く考えてみようと思います。
ありがとうございます。
また、ご意見あればよろしくご教授のほどを!!