1 :
悩める高校生:
人生にはどれほどの価値があるというのか?
物理学的には、
世界とは、宇宙の全ての物質を一言で世界というのだろう。
しかし、一人の人間がとらえる世界とは
そんなに壮大で原始的ではない。
世界は人間だけに限らない全ての生命に固有だと思う。
例えば俺にとっての世界とは、
俺が感じることができるものだけだ。
光、音、皮膚で感じる感覚、ストレスや快楽などの精神的な感覚、頭で描くイメージ。
それ以外は、俺の世界には存在しない。
中国のチンさんも、アメリカのマイケル君も
俺と接触して初めて俺の世界に存在する。
人間は無から生まれる。
もちろん、科学的にはそうではない。
しかし、それぞれ人間にとっては生まれる前は無であり、
今、現在生きている間だけが有だ。
そして、死ぬとまた無だ。
生きている間にどれだけの名誉、地位を得ても
死ぬとその記憶も存在も全て消える。
存在が消えるというのは、自分自身の世界からだ。
名誉や功績は記録としては残るが、
記録が存在するのは生きている他の人間の世界にだ。
自分の世界に存在しないということは無と同じだ。
個体それぞれにとっての世界は、気が付いたら存在していて、
あるとき突然消滅する。
世界が消滅すれば、自分が存在していた記憶も消滅する。
個体は無となる。
つまり、俺が思うに
人生なんてなんの価値も無いものだから、
一般的に言う素晴らしい生き方をするより
SEXやドラッグ、その他の快楽に
溺れて生きるのが賢明なのでは?
2 :
名無しさん:2000/02/04(金) 17:52
オナニーして寝ろ。
3 :
名無しさん:2000/02/04(金) 17:54
ロビーじゃないんだからさ・・・・>2
>人生なんてなんの価値も無いものだから、
この価値を決定するのは誰だい?>1
4 :
悩める高校生:2000/02/04(金) 17:56
>2
全く知性を感じないレスをありがとうございます。
>3
自分自身だと思いますけど
6 :
名無しさん:2000/02/04(金) 18:00
>5
何と比べて?
7 :
名無しさん:2000/02/04(金) 18:01
人生相談にかきこめ
8 :
名無しさん:2000/02/04(金) 18:02
しつれい。
人生というものを何と比べて、価値のあるなしを決定できるのかしら?
9 :
悩める高校生:2000/02/04(金) 18:09
>6と8
うう・・・ タジタジですわぁ〜〜〜
人生が価値のあるものだと言えますか?
10 :
3=6=8:2000/02/04(金) 18:11
ちょっと日本語変だな。
「人生というものは何と比べたら、価値のあるなしを決定できるのかしら? 」
こっちにしよう。
快楽に走る人生は、どんな価値基準で比べると、他の人生より劣ると君は思うのか?
しかも価値判断を下すのがその人生を生きるその人であるなら、なおさら。
人生の価値、というのは私にとっても非常に難題なので、教えて頂けると幸いです。
11 :
名無しさん:2000/02/04(金) 18:15
書いてる間にレスがついてしまった。
>人生が価値のあるものだと言えますか?
難しいですね。私には分かりません。
というより、人生を比較する事など、そもそも可能な事なのでしょうか。
誰も他人の人生を生きてみる事が出来ないのに。
どうして他人たちが、あの人生は素晴らしい。とか言えるのが
私には不思議でしかたないです。
12 :
悩める高校生:2000/02/04(金) 18:16
>10
他の人生より劣るとか劣らないとかではなくて、
全ての人生が価値の無いものだと思うのですが?
13 :
3:2000/02/04(金) 18:21
なるほど。
では、やはり尋ねます。
人生と何を比べてるのでしょうか。
宇宙?世界?
ならば、どっちがどういうふうに価値があるのでしょうか。
貴方がどう思うかだけでも結構です。
14 :
悩める高校生:2000/02/04(金) 18:30
宇宙そのものが無から生まれたと仮定すれば、
宇宙で生まれた物に価値がある必要がないのでは?
15 :
悩める高校生:2000/02/04(金) 18:32
(14の補足)
人間が感じる世界も宇宙の一部だと考えてます
16 :
3:2000/02/04(金) 18:32
私はただのサラリーマンなので、
そろそろ会社から帰ります。また明日会えれば嬉しいです。
「価値」とは何か?
価値そのものを決定するのは誰?
私にはとても難しい。
17 :
名無しさん:2000/02/04(金) 19:01
>14
人間原理についてどう思いますか?
18 :
三代目:2000/02/05(土) 00:19
>人生なんてなんの価値も無いものだから、
>一般的に言う素晴らしい生き方をするより
>SEXやドラッグ、その他の快楽に
>溺れて生きるのが賢明なのでは?
正と死についてよくお考えですから、引用部分のような結論にならない
のも、もちろんお分かりになっていることと思います。でもおっしゃる
ことにも一理はあります。『完全自殺マニュアル』を書いた鶴見氏が
クラブで夢中になって踊っているときに初めて「生きてるっていいもん
だなぁ」と感じた、と書いていました。でも快楽の後には虚しさがやっ
てきますね。なぜなんでしょうね?
19 :
3のリーマン:2000/02/05(土) 00:34
良く考えたら明日土曜日やないの。
土曜では会社からアクセスすることが出来ん。すんません。
>宇宙そのものが無から生まれたと仮定すれば、
>宇宙で生まれた物に価値がある必要がないのでは?
>人間が感じる世界も宇宙の一部だと考えてます
必要か・・・・
私は「何々を(が)必要とする(である)」という言葉も一つの価値観の表明だと考えます。
必要とするなら、だれが、その無から生まれたものの価値を必要とするのでしょうか。
必要でないなら、誰にとって必要でないのでしょうか。
そもそも「必要が(で)ある」ことは、人間が誰一人いないところで発生するものなのでしょうか。
もちろん私は貴方の考えを変えようとか、変えられるとか、だいそれたことは思ってません。
ただ、貴方の書いた「価値」という言葉から思ったことを書いてるだけです。
また、いろいろ書いて読ませてください。
20 :
若頭:2000/02/05(土) 02:14
人間が持つ価値観てのは「快・不快」だけではなく
ソクラテス・プラトン流にいえば「真・善・美」てのがあるよな。
今いえることは「真・善・美」は人生のゴールになりうるけど
「快」ではならへんてことかな。
21 :
>1:2000/02/05(土) 04:57
自分のアイデンティティを見つけよう
そうすれば解決する問題
22 :
>21:2000/02/05(土) 07:01
コタエになってないよ
23 :
21:2000/02/05(土) 15:31
すまん、めんどっちぃから熟読はしていない。しかし、
>人間は無から生まれる。
>もちろん、科学的にはそうではない。
>しかし、それぞれ人間にとっては生まれる前は無であり、
>今、現在生きている間だけが有だ。
>そして、死ぬとまた無だ。
ここの部分が根本的な問題であり、解決にはアイデンティティの
確立を要すると思う。アイデンティティを獲得すれば、自分がも
ともと無から生じたものではないことが明かとなる。
それは文化的なものでも、血統でも、神でも、思想でもなんでも
ええのや。でも、自分の外部にそれを求めざるをえない。でなけ
れば、人間は死ねば無だ。
24 :
>21:2000/02/05(土) 19:24
アイデンティティを外部にばっかり求められないから
いろいろ考えるんじゃないの?
外部にあっさり求められたら何も考える必要ないじゃん。
25 :
>17:2000/02/05(土) 20:32
人間原理の外に出たい。
こんな窮屈な世界はもううんざりだ。
26 :
名無しさん:2000/02/05(土) 20:34
無人島にいきなさい。
27 :
baka:2000/02/05(土) 20:38
>悩める高校生君
>個体は無となる。 つまり、俺が思うに 人生なんてなんの価値も無いものだから、 一般的に言う素晴らしい生き方をするより SEXやドラッグ、その他の快楽に 溺れて生きるのが賢明なのでは?
この部分で結論を急ぎすぎ。何で「固体が無となること=人生に価値が無い」なのか?何で「人生に価値が無い=快楽に溺れて生きる方がベター」なのか?
悩んでるんなら考えてみてよ。
俺は、君の考えはスパンが少し極端だと思うんだな〜。確かに最大のスパン(宇宙的)で考えると人生なんて無価値なものかもしれない。また、最小のスパンで考えると人生の目的は快楽になるかもしれない。
でも、どうだろ?自分の一生や、十年後のコトとか、明日のコトとかを考えてみれば、価値の有ること無いことってのがぼんやりとかもしれないけど見えてくるかもしれないと思うんだな。人間は神でもないし、線香花火でもないんだよ。
28 :
21>24:2000/02/06(日) 00:18
いや、外部と自分がつながっていることを感得しないと
解決しないのでは。
東洋で言えば、心即理説とか。
いや、別に西洋のものでもなんでもええけど。
29 :
24>21:2000/02/06(日) 00:44
>外部と自分がつながっていることを感得しないと解決しない
それが真実であろうことは認めよう。
どうすれば感得できるのか教えてくれ。
それが説明できなければ哲学とは言えんだろう。
30 :
名無しさん:2000/02/06(日) 01:22
@純情恋愛調
まず、「自分よりも大切な誰か」を見つけましょう。
その人に、好奇心やトキメキや安心を与えてあげられることが、あなたの価値です。
@人生相談調
「民衆にはパンとサーカスさえ与えておけば良い」・・ごく近代まで民衆は家畜扱いでした。
「人生の価値とは?」その疑問に巡り会い真正面から取り組むこと、それ自体が
あなたの価値ではないでしょうか?
@哲学調
絶対的な真理など存在しない。価値も同じ。
31 :
名無しさん:2000/02/06(日) 01:43
@2ch調
ネタ?
32 :
サッカー好き:2000/02/06(日) 02:33
価値基準を何処に置くかで答えが変わるタイプの疑問ですな。
人間が社会的動物である以上は社会上での価値を求めるのが一般的。
悩める高校生さんが何処に価値基準を置くのか好きにするべきですが、
人間として社会の恩恵でぬくぬくと生きてる以上は社会に適応する義理はあるでしょう。
ちなみに、社会性のない価値基準の置き方は法によって処分されるシステムです。
それでも価値基準を社会に置けないなら、名無しさんの言う通り、
無人島が一番です。あなたが基準になれます。あなたが社会システムです。
あなたも社会生活しているなら
33 :
>32:2000/02/06(日) 03:00
>人間として社会の恩恵でぬくぬくと生きてる以上は
>社会に適応する義理はあるでしょう。
この社会に生まれて、生かされていても義理を感じれないやつはいるぜ。
逆に管理の恩着せでウザがって怨念ためこんでるぜ。
無人島に行くなんてこと考えつけなかったり、
思いついても金がなかったりでできない場合はどうすんだよ。
34 :
>33:2000/02/06(日) 23:43
>無人島に行く事など考えつかない
生活が現状しかありえないという様に、思考が固定されている状態なのでしょうか?
それはもはや病気だと思いますが、私は。
>思いついても金がない
瀬戸内まで歩いて、そこから泳げば良いんじゃないでしょうか。
思いつめているのがそこまでなら遠いとか面倒くさいとかは無し。
35 :
3リーマン:2000/02/07(月) 00:02
あんまり哲学的な感じがしないなあ。>34
>それはもはや病気だと思いますが、私は。
このへん。
いやどーでもいいんですけど。
36 :
21>24:2000/02/07(月) 01:28
どうすれば感得できるか、か。難しいな。人それぞれとしか言いようがないように思う。
キリスト教なら、神とか祈り
儒学なら、先祖とか子孫、あるいは天
神道なら、日本の自然とか天皇
政治的人間なら政治的な志
経済的な人間なら事業
芸術的な人間なら芸術の創作
恋愛至上の人間なら相方
う〜ん、様々だ。
とにかく、これと引き替えなら俺は死ねるというものを見つければ解決になると思う。
37 :
名無しさん:2000/02/07(月) 01:42
解決って何の?
38 :
ん?みんな難しく考えすぎじゃないのか?!:2000/02/07(月) 02:48
人それぞれ価値観が違うのはあたりまえ。
単純に
死ぬ時に笑ってるか悲しい顔してるかだと思うよ。
第三者には解らない己の価値を死に際に悟るのさ。
39 :
名無しさん:2000/02/07(月) 04:30
やりたいようにやるべし。
自己の感性にもとづいて自分の完成度をたかめるもよし。
日々生活の糧を得ることにいそしむもよし。
2chで悩みをぶちまけるもよし。
自らの行動に責任を持て・・・
なんて言葉はききたくないけど、
けど社会はそれを要請してくるだろう。
ああ面倒くさいね生きるって
自分がなにもしたくなけりゃなにもしなくて良い。
それなのに、なぜ、なにかをするのか?
それを考えると困るよね。
結局本能で生きてるだけだね。たぶん。困るね。
40 :
>1:2000/02/07(月) 05:07
「人生」なんて言葉覚えたのが君の不幸だ
その言葉の意味誰も判ってないから
41 :
Jack:2000/02/07(月) 05:42
C'est la vie !
42 :
>36−41:2000/02/07(月) 06:01
だからここは哲学板なんだって。
脳ミソが蒸発するくらいいろいろと思索を巡らすことで
悩みごとに解答を与えようと試みてくれなきゃ困る。
43 :
>42:2000/02/08(火) 00:47
そんなの、悩んでる当人が、
「脳ミソが蒸発するくらいいろいろと思索を巡ら」せば、いいじゃん。
困ってるのは、そいつであって、オレらじゃないし、
そいつの一生のなかでも数少ない、いいチャンスかもしんないし。
それに、36−41も、哲学的含蓄あるじゃん、それなりに。
ま、考えろ、ってことだね。
44 :
俺が好きな考え方で:2000/02/08(火) 02:45
DNAだよ、ほら、アレ。「利己的な遺伝子」とか。
人間って所詮情報の入れ物だって言う奴。
でも、本当に人間はそんな、遺伝子だけのむなしい生き物だろうか?
よく考えて欲しい。あなたは生きる上でいくらでも他人に干渉している。
あなたの両親に、友人に、あるいは恋人に、もちろんこのスレッドでも。
あなたは何かを僕らに伝えようとしてるわけだ。
あなたの考えている事に影響を受けて、その人はまたアクションを起こす。
そのアクションを起こした人間がまた他の人間に……ってなぐあいで、
あなたの起こした思想はやがて無限に広がるはずだ。
遺伝子とおんなじで、あなたの思想も、何らかの形でいくらでも残っていく。
俺はそれって素晴らしいことだと思うけど?
俺たちは言葉を造り、記憶を記録し、紙に残す手段を手に入れた。
それこそ、第二の遺伝子だぜ?
俺が生んだ記録であり、記憶が残るんだから、責任くらいはもたなくちゃってことで、
いいことをしたいってのは、答えにならないかな。
45 :
名無しさん:2000/02/08(火) 03:00
とりあえず、改行しようや。>44他
46 :
僕はこう考える:2000/02/08(火) 03:47
改行すると読みやすいのはわかります。
でも、この場では改行なんてどうでもいい。
なんかいいやつが伝わってきた!!!!!!
もしきみが真剣に、生きるか死ぬかの瀬戸際で悩んでいるのなら、
「まあ、そんな無理して悩むなや。自然や宇宙やその他いろいろ、
この世界は無駄なことばっかなんやで」と、言っておくよ。
自然は無駄がない、とか言ってるけど、実際はえらい違いやで。
44で書いたDNAの入ってる染色体って意外に無駄の多い機関なんよ。
どうでもいい記録がどーーっと入ってる。
無駄だから切る、とか、無駄だから消す、とか、そういう考え方って、
自然や宇宙にはないしねぇ。
それこそ、人間だってでたらめだから、哲学を面白く感じるんだろうし。
ん?でたらめ?
でたらめ?!
でたらめ!?
48 :
わわわ:2000/02/09(水) 20:35
人生が無意味だとしても、それで君が自殺する気にならないのなら。その程度の結論でしかないのでわ。
49 :
ばるちゃー:2000/02/10(木) 00:47
俺もお前嫌い>わわわ
50 :
わわわ:2000/02/10(木) 12:15
僕は誰かを嫌いと言った事はないんでわ>ばるちゃー
51 :
時価+:2000/02/10(木) 14:20
>1
快楽には価値を見出せる?
自殺にも逆説的意味での価値が発生する。
人生を無価値と思ってした自殺が価値を帯びる。
その逆説について考察できる分、人生を生きることは、
自殺よりも価値がある。それだけのこと。
52 :
名無しさん:2000/02/10(木) 15:14
>51さん
>その逆説について考察できる分、人生を生きることは、
>自殺よりも価値がある。それだけのこと。
どうして?なぜ自殺の逆説を考察できると、自殺よりもその考察の
方が価値があることになるの?
53 :
時価+:2000/02/10(木) 15:28
>52さん
文脈を微妙にずらすのは意図的?
私は人生を生きることと、
自殺(人生を生きることを自らの意志で止めること)
を比べていたのですが・・・
あなたの文脈に沿った返答は、
単に可能性の所有(無限)と破棄(零)の違いで、
説明できないでしょうか?
54 :
俺はむしろ:2000/02/10(木) 15:36
自殺は一回限りのやり直しのきかない実験と捉えたい。
周囲の人間には迷惑をかけるけどね。
人生が自殺より価値があるかどうかは死んでみないとわからない。
55 :
時価+:2000/02/10(木) 17:24
行為自体の自殺の価値は自殺しなくてもわかる。
現実世界と、その外部としての死後の世界
(そんなもの本当にあるのか、わからないが)
の価値を比べたいのなら自殺しなくても済む。
56 :
52です。:2000/02/10(木) 18:15
>時価さん
>文脈を微妙にずらすのは意図的?
というか多分ずれてないと思うのですが。
>私は人生を生きることと、
>自殺(人生を生きることを自らの意志で止めること)
>を比べていたのですが・・・
あなたはその理由を「生きることが自殺の逆説を考察できる」からと
言ってますよね。僕はそのへんがちょっとわかりません。というか
興味深いのでもう少し説明してもらえたらうれしいです。
>あなたの文脈に沿った返答は、
>単に可能性の所有(無限)と破棄(零)の違いで、
>説明できないでしょうか?
死んじゃうと価値をはかる主体自体がなくなっちゃうってこと
ですよね。その場合、生きることと死ぬことの価値を比べること
ってできないような気がするのですが。
生きることと死ぬことでどっちが価値があるかってなかなか
いえないような気がするのです。
57 :
時価+:2000/02/10(木) 19:11
単純なことなんだけど・・・
自殺者が無価値だと思う人生、
世界から消滅するという行為が、
自殺者にとっての残余である世界に、
不在性という逆説的な価値を産み出す。
無価値な世界、人生に、自殺によって
逆説的に生じる価値を考察すること、
(それは不可能だから価値がないと言い切れるか、
逆説的には、その不可能性にこそ価値がある)
それは未来時制での自殺者にとって、
無価値な人生に唯一の価値を与えると思う。
58 :
名無しさん:2000/02/10(木) 20:27
>時価さん
あなたの言ってることは確かに単純です。57のちょっと難しい文体を
一言でいえば、「人生に価値を感じていない人間が自殺を望む場合、
それは自殺に価値を見出している」ということですね。果たして
そうでしょうか。自殺を望むと言うことをまず考えてください。
むしろ価値に押しつぶされているのです。確かに時価さんは単純
かもしれません。
59 :
続き:2000/02/10(木) 20:35
ただその単純さに潜む反動的なニヒリズムは、きっとエネルギー源ですね。
60 :
時価+:2000/02/10(木) 21:01
>58さん
>一言でいえば、「人生に価値を感じていない人間が自殺を望む場合、
>それは自殺に価値を見出している」ということですね。
自殺者がそれに意識的かどうか分かりませんが、
結果としてそう見えることは否定できません。
自殺者が価値(この場合、意味でも良いかも)に
押しつぶされているかどうか分かりませんが、
もしそうだとしたら、自殺の持つ
計り知れない逆説的価値、意味の大きさ故に、
これまた逆説的に自殺できず、精神崩壊してしまうのでは?
61 :
そういや:2000/02/21(月) 03:41
「自殺日記」に関連して、
2chが「ザ・スクープ」にちょっと出てたね。
悪の巣窟みたいな紹介のされかたで。
62 :
KZT:2000/02/22(火) 23:24
価値ってもんは結局のところ人に聞いたところで答えは曖昧だと
思うんですわ。
今まで私は物の価値も他人の価値もそして自分の価値も自分で決
めてきました。
皆さんもそうだと思います。
私の好きな人も歌ってましたけど、星なんて奴は数億年って寿命
があるんですわ。それに比べたら地球に住んでる輩の寿命なんて
瞬きほどしかないでしょう。星の嘆きに比べてみれば本当っに小
さな悩みだと思います。
私はなにかのTVか本で見たんですけどインドという貧しい国の
話です。みんな骨と皮で、死体が流れているガンジス川に巡礼者
が沐浴をしてました。
私にわその姿が生きることよりまるで死ぬことを願っているよう
に見えました。
人々は苦しみや悲しみだけを味わう為に生まれてきたように感じ
たのを覚えてます。
それに比べたら私達の周りには楽しい物や時間を忘れる為の事柄
が在り過ぎているような気がします。
「私が生きていくにはこの世界はあまりにも辛過ぎる。」
なんて考えている人は後万といるはずです。
人は生まれてから愛して憎んで、喜び悲しみ、笑い涙する。そし
て最期には死という絶対というモノに包まれる。
人はその中で他人をそして自分を知ろうとする。けど、完全に分
かりあおうと努力する。
それで十分人生楽しいと思う。
たった80年ぽっちしかないんだから沢山傷ついて楽しく過ごさな
きゃ損でしょ。
63 :
名無しさん:2000/03/05(日) 08:24
> つまり、俺が思うに
> 人生なんてなんの価値も無いものだから、
> 一般的に言う素晴らしい生き方をするより
> SEXやドラッグ、その他の快楽に
> 溺れて生きるのが賢明なのでは?
しかしそれは何を素晴らしいと思うのかによって変わりますよね?
64 :
名無しさん:2000/03/05(日) 11:21
どうも、価値という言葉に関して混乱がある。
「人が」決める価値とそうでない「本当の」価値、この2つを混同して
いるから話がかみ合わないんじゃなかろうか。
哲学的立場をとるなら、「本当のこと」にこだわるべきだから、人生の
価値は「本当の」価値でなければならない。したがって、個人的願望や
ら趣味は無視しなくちゃいけない。自分の好きなように考えちゃダメな
んだよ。
さて、人生の本当の価値とは?
・・・・・で、答えに窮するわけだ。「本当の」ことなんて分かりよう
がないからね。でさ、しょうがないから、「無い」って言っちゃうんだ
よな。1の「人生に価値はない」というのは、そういった思考過程を経
過してたどり着いた結論だと思う。僕自身もこの意見に賛成だ。分から
ない以上は無いと答えていた方が無難だからね。ただ、僕の「無い」と
いうのは、ただ無いというのではなくて、上手く言えないのだが、本当
に何も無い、「無意味」という意味すらないんだっていうことで、そこ
が1とは違う。だから、快楽をただひたすら追求すればいいという1の
意見には賛同しかねるな。本当に「人生に価値がない」と思っているの
なら、そのことをどうして悲しむ必要があるのか?退廃的になる必要が
あるのか?「人生に価値はない」から悲しむことには何の価値もない。
同じように、デカダンスを決め込むことにも価値はない。1は、「人生
には価値はない」と主張することも、人生の一部であり、価値のないこ
とだということを認識すべきだな。
65 :
名無しさん:2000/03/05(日) 11:29
↑ということを主張することにも価値はない。
↑ということを主張することにも価値はない。
↑ということを主張することにも価値はない。
・・・・・・以後、無限に続く
66 :
名無しさん:2000/03/05(日) 13:20
価値が無い(無価値)とは何ですか?
価値というのは利益というよりは位相に近い言葉なのではないでしょうか。
無はありますか?無価値というのも一種の価値と考えることができます。
儲けたいのなら誰にも思いつかないような嘘をつくしかありません。
しかも種明かしをしてはならないこと必定です。
「無は無い」というとき、それはどのような状態を表しているのでしょう?
ω無矛盾性とは何ですか?
67 :
ヒゲの弟子:2000/03/05(日) 14:57
難しい用語の意味はわかりませんが、66に賛成です。
皆さん用語の定義をまずしないとそれは哲学の議論にならないですよ。
ちなみに私の考える「哲学」とは社会的な物事一般に対して根源的
に論ずることです。また価値、無価値は66の方と同様に真・善・美
のうちの真(真偽、正しいか正しくないか)ではなく
善(良いか良くないか)に属するものです。
よって私からみると「本当の価値」という言葉はそれ自体矛盾を含むもの
になります。いかがでしょうか。
68 :
64:2000/03/05(日) 19:53
例えば、絵が好きな人であれば、絵の善し悪しを論ずることが出来る。
その場合、「無価値」なものとは、その人の好みにそぐわないものと
いうことになる。じゃあ、絵に全く関心のない場合、どころか、そも
そも絵が存在していることすら知らない人の場合はどうだろう?彼は
絵を評価することが出来ない。そして絵は彼の人生に何の影響も与え
ない。それを他人が見たらこう言うだろう。「絵は彼にとって何の価
値もない」と。この場合の「無価値」は最初の「無価値」と明らかに
質的に異なる。前者は無価値ということを知っているが、後者は知ら
ない。この差は大きいと思う。
僕が64で言いたかったのはこのことで、「人が」決める無価値が前
者、「本当の」無価値が後者に対応しているのは言うまでもない。で、
通常問題になるのは「人が」決める価値の方だ。「本当の」価値は誰
か(神?)に指摘されて初めて分かるものだから、問題に出来ないん
だよ(そもそもあるかどうかも分からない)。さて、人生を評価する
のに相応しいのはどちらの価値か?
答えはもちろん、「本当の」価値の方だ。なぜなら、僕らは人生につ
いて実は何も知らないから。前述の絵を知らない人のようにね。
絵を知らない人に絵を評価して下さいって頼んでも出来ないだろ?
でね、分からない以上は素直に認めるべきなんだよ。僕の「人生は無
価値」とはそう言った意味合いであって、「絵」を知っている人が下
す「無価値」という価値判断とは違うんだ。
69 :
64:2000/03/05(日) 20:34
無という言葉にも注意する必要があるな。
無とは、もちろん何もないことを指すが、無を「意識した」場合、それ
は、本来の無とは違った意味を帯びるように思う。意識される無と意識
されない無は違うんじゃないかということだ。少し話題はそれるが、こ
れは、真空中にγ線を放射すると電子と陽電子が対発生するというイメ
ージに似ているな。本来は何もなかったのが、意識することで何かが生
まれるというところがさ。その本来の無とは違う何かが問題なんだよ。
例えば、人を殺してはいけないというモラルがある。これが正しい根拠
は無い、そう1は答えるだろう。しかし、だから殺しても良いというこ
とには絶対ならない。でも、殺しても良いんだという主張する輩が少な
からずいる。酒鬼薔薇のようなね。つまり、無を認めたとたん、それと
は違う別の何かが出てくるってことだ。この場合は殺人の正当性だな。
多分、多くの人は人生には価値がある、そう答えたがると思う。それは
上で述べたように、「無」を認めたときに出てくるものが怖いからなん
だろうな。けれどさ、「価値がある」と答えるのも実は相当恐ろしいこ
となんじゃないかな。まあ、それはおいとくとして、64で「無は無い
」といったのは、無を意識したとたん、それは既に無ではなくなってい
る、という意味だ。そういや、色即是空というのがあったっけ。無じゃ
なくて空という言葉を使った方がいいのかもしれないな。
あと、67で価値が真でなく善に属する、とあるがよく分からないな。
真と善は完全に独立しているわけじゃないし(嘘をついちゃ「いけない
」っていうだろ?)、美しいものは醜いものより価値があると思うのだが。
70 :
名無しさん:2000/03/12(日) 02:17
age
71 :
名無しさん:2000/03/12(日) 03:07
人生に価値はある。
そもそも自我からスタートすることが間違い。
人間は宇宙が産み出したもののひとつでしかない。
宇宙はそれ自体生き物のようなもので、拡大し続けていることが確認
されている。
宇宙は「ある意図」に基づいて進化しているのである。
だとすれば人生の目的とはこの宇宙の意図に従って生きることだろう。
人間は自我を与えられたためこの事実がわからなくなっている。
自分の頭の中に宇宙が存在するのではなく、宇宙の意識の中に自分の
意識が浮かんでいる。
生まれる前が無で死んだあとも無であるというのは自我による推測で
しかない。確かに存在するのは今という時だけである。
宇宙の意図に沿って今という時を懸命に生きることが人間の為すべき
ことなのである。
72 :
名無しさん:2000/03/12(日) 04:12
人生とは価値そのものである。
生まれ落ちると同時に価値は発生し死と同時に価値も消滅する。
73 :
悩みは感謝のしるし:2000/03/12(日) 05:25
人間なんて所詮は遺伝子の乗り物にすぎないし
つまり本能から脱却した思考なんてとても無理そうだし
そもそも思考も教育の賜物だから
生まれてから否応なしに与えられてきた祖先の神話から
脱却して考えるなんてこれまたとても無理そうだよね
諦めて快楽に溺れる人生を送る人がいても仕方ないよ
そういう人も今までだってたくさんいたし
ただ他人はやっぱりそういう人生を無価値と言う
そういうのが嫌で、もがいてもがいて少しでも何とかしようと
がんばってるうちに人生の数十年なんてあっという間に過ぎちゃう
気紛れにこんな風に悩んじゃってましたなんて
恥ずかしげもなく書き留めておくと
時に似たような奴がそれを参考にしてまた先へ進もうとするんだわ
「君の人生は有意義だった、ありがとう」とかつぶやきながらね
74 :
ムク犬:2000/03/12(日) 09:09
生きたい人間が人生に価値を見出すんじゃないかな。
人生に価値があることを無条件に主張するのはまだ甘い気がする。
そういう言説を単純に肯定できないために1などは疑問を持つんだから。
人生観は一度虚無に辿り着いて、そこからかえってくるものではないかな。
虚無主義的な態度で人生を無価値と見るのも
刹那的な快楽におぼれるのも
市井の具体的で平凡な価値に生きるのも同じようなことではないかな。
人生の価値は見出そうとして見出す、ではないか。
絶対的な価値というのはこうして議論が起こることが示すように
全く自明なものではないのだとおもいますが。
75 :
72>74:2000/03/12(日) 10:38
人生に価値を見出すというより、
価値を見出していく作業そのものが人生なのではないでしょうか。
「私は前を向いているのでしょうか?」という問いの答えが
「あなたの向く方向が前ですよ。」であるように。
だから72の「価値」というのは「価値を見出す作業」と言った方が
適当だったかもしれません。
76 :
>75:2000/03/12(日) 11:56
価値を見出していく作業そのものが人生という見方や
そういう表現の仕方は個人がその作業によって出した結論的な態度と
いえるかも知れない。
人生において非常に重要なファクターで、
その作業は一般的には苦しみの中での無意識の葛藤なのかもしれない。
価値を見出していく作業そのものが人生といういいかたはいいけれど、
結局自分なりに見出した結論の価値を持って生きていくのだから
その表現をラストワードにする場合、結論を出せないまま徘徊する姿が
肯定されうるので危険性はあるのでは、と思います。
その態度を愛して生きていくのはよいが、悩み続けることを肯定はできない。
それだと極論だが新興宗教において自己浄化を
無限に目指し続ける家畜と等しくなりうる。大袈裟だけど。
結局その言葉は諦念という概念も含め概ね正しいかな。
77 :
名無しさん:2000/03/12(日) 20:52
>悩み続けることを肯定はできない
どうして?人間悩まなくなったらそこで成長止まるだけだよ
これを人類に置き換えてみるともっと分かりやすいかな
もしかして悩んでいると何か事を成すに及ばないから?
でも人生において事を成すとは結果的に利他的行動をすることで
多くの悩みながら生きる人を悩み続けさせることができるから尊いのに
78 :
名無しさん:2000/03/12(日) 21:29
つまり、「悩み続けるのがよくない」という表現は
答えは出ずに、苦しみ続けるものだという考え方を肯定し
堂々巡りが正しいという誤解を生じかねないと思ったのです。
77さんの言うことは認めます。それを「悩み続ける」と区別して
「考え続ける」と表現します。「考え続ける」事は確かに重要です。
思考の進歩や見直しを妨げるのは非常に危険なことです。
考え続けることは大切です。
ただ僕が言いたかったのは、いずれそれなりの答えが出ると言うことです。
それは人間と世界の全体像を主に経験によって理解し、
諦念を含めて作り出したものだと思います。
個人的には’利他的行動’や’尊い’とか’思いやり’という言葉は
人間の本音の部分では僕は触れる気がしません。
メソッドや態度にはなり得ますが2次的なものだ。
79 :
名無しさん:2000/03/13(月) 00:42
>いずれそれなりの答えが出る
っていうのは誰でもいい歳すれば適当なところで現実と折り合うってこと?
あるいは人類全体として今向き合ってる問いには
そのうち答えが出るという保障があるということ?
利他的、尊い、思いやり 全部無人島で暮らす人には出てこない言葉
人生の「価値」が語られれるのも人間ひとりではできないこと
自我も自分なりの価値観はひとりでにできるものではないよ
80 :
名無しさん:2000/03/13(月) 00:44
自我も自分なりの価値観も(訂正)
82 :
名無しさん:2000/03/13(月) 07:25
少なくとも現実と折り合った後、道徳や倫理を捨てるということではない。
個人的な生きる態度としてはそれなりに答えは出ると思いますが。
「人類全体として今向き合ってる問い」とはなんですか?
具体的に少し挙げて下さい。
もちろん立った一人で生きることを想定しているわけではない。
相対的な態度だけではダメ。
孤独の中の虚無と利己に一度触れることが結論的な
価値に対する考えのヒントを与えるんですよ。
それから人と世界の中で生きることが考えられる。
現実になおざりにされている一部の道徳と倫理が
永遠に放棄されていればよいとは言っていない。
83 :
名無しさん:2000/03/13(月) 23:59
つまり道徳や倫理に人生の価値を見い出すわけですか?
それは差し当たって社会の秩序維持のために作られてきたものではないですか?
そしてそれを受け入れて安心するのはそれ以上を考える姿勢の放棄ではないですか?
「人類全体として今向き合ってる問い」とはこのスレッドそのもの
人生の価値であったり生きる意味への問いです
84 :
名無しさん:2000/03/14(火) 07:19
>つまり道徳や倫理に人生の価値を見い出すわけですか?
そうとは言っていません。
>人生の価値であったり生きる意味への問い
自己の個体を保存し、そのために建前を成し、
欲望を達成する。
また人類全体の保存の責任(互酬)も必要でしょう。
「生きたい人間が人生に価値を見出す」と言ったのは
「人生に自分が見出したいように価値を見出す」ということです。
個人の持つ価値や欲望はマジョリティーに間接的にコミットする場合もあります。
マジョリティーの持つ力は意外と強大ですから。
また、現実が個人に与える制約は大きいため
個人はその兼ね合いの中で自分の価値への欲求を定める。
と、現実と折り合ったからと言って、
別に理想への志向を捨てればいいというわけではないです。
人間にとっての価値を人類全体が共有することがなかなかできない。
現実にいがみ合っていて、意志がバラバラ。
種の保存をし、かつ平和であればそれでいいのかも知れないのだが。
倫理や道徳として目指すべきものもはっきりしているのに。
人間は暇な動物なのかも。
要は「人生に自分が見出したいように価値を見出す」
自分の好きなものが在ればそれでいいし、
マジョリティーが好きならそっちに寄ればいい。
85 :
名無しさん:2000/03/14(火) 20:59
つまりあなたにとっての人生の価値とは
適当に責任を果たした上での欲望の達成ですか?
その場合の欲望とはいわゆる生物学的な欲求の充足ですか?
そういった生きるためにあるいは社会の維持のために必要なことは
常に「差し当たっての」目標というだけではないのですか?
86 :
名無しさん:2000/03/15(水) 07:41
>つまりあなたにとっての人生の価値とは
適当に責任を果たした上での欲望の達成ですか?
概ねそういうことです。
>その場合の欲望とはいわゆる生物学的な欲求の充足ですか?
人間の欲望は人間の性質に帰属します。
>そういった生きるためにあるいは社会の維持のために必要なことは
常に「差し当たっての」目標というだけではないのですか?
ではあなたはより高い理想を求めるべきだという考えを
持っているということですか?
87 :
名無しさん:2000/03/15(水) 11:47
64と71の話が自分的には合うかなぁ。
まあ、爪は伸びたらさっさと切っちゃうけど、
だからって最初から無くても良いってものでもないし。
>人生なんてなんの価値も無いものだから、
>一般的に言う素晴らしい生き方をするより
>SEXやドラッグ、その他の快楽に
>溺れて生きるのが賢明なのでは?
○ 現在、素晴らしい生き方に属する道を歩いてない。
○「人生は無価値」という結論に納得はできるが、
自己弁護から出た発想である可能性が気に入らない。
○ しかし快楽に溺れてみた所で、だから何なんだろう?
これなら、まだ十分先を考える余裕を持っている状態です。
特別な事情がない限り、結論を急がないのが懸命ですね。
ここや他の所で色々な話を聞くのはとても良い事ではないでしょうか。
以下、嫌味ですが悪意はないです。
-----
価値・無価値は、受け止める人間が納得するかしないか、
という意味で、その判断は完全に個人に委ねられます。
だからせめて「私にとって私の人生は〜」と表現してください。
ごめんね。
自分、宗教系の人間で、生きるの大好きなの。
88 :
名無しさん:2000/03/15(水) 16:53
自分としては大前提が「分からない」です
人間の欲望つまり端的に言ってしまえば快楽の中枢を
効率的に刺激することだけで人生の価値としてよいのかも
もっと突っ込んでそのメカニズムもそれが進化してきた意味も
そしてそれらの研究が今後の生き方を規定できるのかも
分からないことだらけです
だから哲学や科学やいろんな分野の人が
日々研鑽してるのだと思っています
人類の歴史を見れば分かるように
少しでも認識できる領域が増えるとまた
世界観もそして人生観も随分変わってくるので
そして今日も私は悩み続けるのです
もちろん大前提である社会的な責務等を果たしつつ
そうするというのがとても重要だとは思います
>人間の欲望は人間の性質に帰属します
これはつまり持って生まれた生物学的な特質と
生まれてから否応なく与えられてきた思考法等の影響を
全面的に肯定した結果ですよね
自分の意思の及ばない部分で規定されてきたことに
従って生きることに特に疑問はないですか?
それ以前に自意識と言われるものが
ちゃんと連続的であることに疑問はないですか?
対話を続けることにより理解が深まることもあると思うので
もし時間にゆとりがあったら続けてくれると嬉しいです
89 :
名無しさん:2000/03/15(水) 18:53
>自分の意思の及ばない部分で規定されてきたことに
従って生きることに特に疑問はないですか?
人間の行動範囲は現実によって既に定められている。
その範囲外にある既存のものでない行動様式が個人及び人間全体に与える
現在ない快楽なり精神的影響なり、大きな変化の可能性の指摘。
>それ以前に自意識と言われるものが
ちゃんと連続的であることに疑問はないですか?
自意識への懐疑。真に自分は自分の意志の元に自分を
行動させ続けているか、及び自分は真に自分であるかの問い。
この2つの問いに対しては言及しづらい。
前者に関しては全く新しい行動様式とそれが元となって起こる
社会様式の可能性の指摘であって、それは現実にほとんど未経験のものである。
想定なり具体的に考えることは難しい。
後者は手がかりのない疑問。
自意識の真偽に思考という自意識が触れられるか。
科学的なアプローチで接する方法も想定し難い。
90 :
続き:2000/03/15(水) 18:54
「人間の性質」に関する重要な懐疑で人間と人間の可能性を考えるときに
用いなければない視点ですよね。
もし現実が不変ならその中で生き方を考えなければならないが、
科学が現実を変化させる可能性を持っている。
科学が「人間の性質」の範囲を広げ、新たに
現実に適用可能な行動様式や社会の存在様式、
及び個人の存在様式を提示させ得る。
人間の性質及び人間の科学的な解析が価値観や生き方に影響を与え得る。
その意味で2つは重要な視点。
つまり現実は固定ではなく流動的で、融和や諦念を主張する態度に
これが懐疑を与える。
変わらないから諦めろという主張を完全なものとはしない。
この2つの視点は大きくはなく、物理的な限界に阻まれることもあるが
否定できない可能性を持っている。
科学的な方向から人生の意味や価値に変化が与えられ得る。
指摘有り難うございます。
>対話を続けることにより理解が深まることもあると思うので
もし時間にゆとりがあったら続けてくれると嬉しいです
全く同じ考えで書き込みしていました。
是非また書き込んで下さい。
双方に有益になると私も嬉しいです。
91 :
名無しさん:2000/03/16(木) 10:00
つー訳で去ります。
さようなら。笑。
92 :
むむむ:2000/03/16(木) 21:41
>つまり道徳や倫理に人生の価値を見い出すわけですか?
>それは差し当たって社会の秩序維持のために作られてきたものではないですか?
それは道徳や倫理とされているもの、形骸に過ぎないのではないでしょうか。
真の道徳や倫理はもともと自分の中に備わっているもの。人生はそれを一つ一つ見いだしていく発見の旅です。
93 :
名無しさん:2000/03/17(金) 03:52
94 :
smoker:2000/05/20(土) 23:31
I live to smoke much.
aeg