1 :
田中健二:
当たり前なんですが、説明ができません。
もしや、哲学に関係してるのではないかと思いまして、このスレッド
をたてました。
2 :
名無しさん:2000/01/25(火) 18:17
別に人を殺しちゃいけないとは誰も言ってないんじゃない? 処刑覚悟で人を殺すんだったら、誰も止めることができないでしょう。
古代インドの六師外道の一人プーラナ・カッサパは「人を刺し殺したって、それは人の体を構成する原子が、刀を構成する原子に貫かれるだけのことにすぎない」と言ってる。殺人なんて単なる物理現象。いけないとは誰も言ってない。
3 :
名無しさん:2000/01/26(水) 00:29
殺されたくないから。殺さなければ、殺されないだろう(
殺されないことを期待できるだろう)。相互保証、信頼の
問題。
なぜ殺してはいけないのか、わからないヤツは、もしかしたら、
さっさと殺しておくべきかもしれない(おれが)。
4 :
哲学素人:2000/01/26(水) 01:02
>どうして人を殺してはいけないのですか?
恐らくこういう問題提起をできる人は人を殺さないだろう。
実際快楽殺人とかをやってしまうやつはこういう疑問を持たないで
やるのだと思う。
2年前のTBSでの高校生の発言を意識してのスレッドと思うが、
こういう疑問を持つ彼は大丈夫だと思う。
5 :
XX研究中:2000/01/26(水) 01:28
>2年前のTBSでの高校生の発言
あれって、何を問題にして、あんなに騒いでたの?
よく知らないんだけど、何か、その発言の背景があったの?
よかったら教えて下さい。
無知なガキの戯言に、
バカな大人がうろたえてた、
としか思えなかったんだけど、
何か文脈があったのなら、興味はあるなあ。
6 :
>4:2000/01/26(水) 01:33
どうかな?
>快楽殺人とかをやってしまうやつはこういう疑問を持たないで
>やるのだと思う。
根拠は? 殺していけない理由がないから殺した、というやつも
いるような気がするよ。
7 :
名無しさん:2000/01/26(水) 01:42
悲しむ人達が、居るからじゃないの?
受精卵は殺してもいいんでしょ?
一応ヒトでしょ?
悲しむのは、当事者達だけでしょ?
>5
サカキバラ事件やバタフライナイフ流行などの文脈だったと思う。
ある童話作家(灰谷なんとか?)がもっともらしいことを
言っていたが、そこにいた子供とあまり話がかみ合わなかったんだと思う。
その発言がタテマエの美辞麗句にしか聞こえなかったから
あげあしをとりたくなっての発言かもしれんな。
>6
やった後の言い訳だと思う。
きっと殺人に対して疑問も躊躇も感じないほど
人間らしいコミュ二ケーションのない子供がたくさんいるんだよ。
疑問を持つのは本能的にあるいは親との関わりかなんか
で殺人=悪を知っているからだよ。
ここでいう殺人は戦争や報復は除外してるからね。念のため。
>7
あえて理由をあげるならそれしかないと思う。
脳死の問題もあるな。
どこからどこまで人間なのかきっちり定義しないと
まずい時代なのかもな。
9 :
名無しさん:2000/01/26(水) 02:11
殺しても当事者しか悲しまない人間は殺していいのか?
だとすれば、なんか変な話。
10 :
6(=9):2000/01/26(水) 02:16
>きっと殺人に対して疑問も躊躇も感じないほど
>人間らしいコミュ二ケーションのない子供がたくさんいるんだよ。
そのような疑問をなんの疑問もなく口にしてしまうほど、なにごと
かに欠けた人間もたくさんいるわけだ・・・。
あ、1を貶めるつもりはないよ。良くも悪くも、われわれと快楽
殺人者の感性が、それほど違わないことを確認しているだけ。
11 :
>9:2000/01/26(水) 02:17
未開の国だと先進国から見ればとんでもない
人権侵害はいっぱいなされてると思うよ。
まびきとか口減らしとか。
いいか悪いかはわからんけどそれほど変でもないんだろう。
12 :
名無しさん:2000/01/26(水) 02:23
>いいか悪いかはわからんけど
そりゃ困る。そういう話(善悪の話)だと思うんだが。
13 :
4:2000/01/26(水) 02:31
>10
異論ありだ。
俺たちに感性が近いとすれば、
ロビーで阪神大震災や差別ネタスレッドを立てているやつだろう。
フラストレーション爆発型とでも言えばいいか。
俺は快楽型とは感性の共通点はまったく感じないよ。
14 :
XX研究中 :2000/01/26(水) 02:41
こんな話にお薦めなのが、
R.M.Hareの弟子のピーター・シンガー(P. Singer) の議論。
とりあえず手に入りやすい訳本で、
『生と死の倫理』(樫則章訳、昭和堂)
なんか、どうでしょう。まだ、本屋の棚にあると思うよ。
とてもスリリング、かつ、ある意味ショッキングで、一気に読める本。
分析系や功利主義倫理はちょっと・・・と食わず嫌いな人にもお薦めです。
15 :
>13:2000/01/26(水) 02:44
いや、距離の差はあれ、人間似たりよったり、さ。
フラストレーション爆発にも快楽はあろう?
16 :
7>10:2000/01/26(水) 03:23
きっと彼らは、「悲しみ」って感情を持ってないんじゃないかな
悲しくもなんともないんだよ
飼ってる犬が死んでも
親が死んでも
いつも使ってる筆箱を級友達に踏みツブされても
「死の悲しみ」ってのは、
「対象の人格と自人格との共有部分に相当する『自分の人格』の一部の欠落」
に起因するってハナシを読んだコトがある
彼らは、誰とも何にも共有して無いんだよ
例えば、
モノゴコロつく前に南海の孤島に置き去りにされ、
豊富な木の実に救われ、たまに狩りなんかして、なんとか生き存えたとする
ある日、ヒトが漂流してきた 息も絶え絶えだ
「助けなきゃ」ぢゃないだろ・・・「美味いかな?」だろ
彼らは、孤島に住んでたんだよ
17 :
名無しさん:2000/01/26(水) 19:40
>きっと彼らは、「悲しみ」って感情を持ってないんじゃないかな
>彼らは、誰とも何にも共有して無いんだよ
ずいぶんと大きく出たな…。
快楽殺人者に著しく情動の欠けた人間がいるのは確かだろう。しかし「悲しみ」
がない、とまでいうのはどうかな。そこまで言うと、哲学というよりむしろ文学
だ。
情感が豊かであるが故にとんでもない方向に行ってしまう、というのは割とよく
あるのではないかな。サカキバラなんかはそんな感じがする。
18 :
>17:2000/01/26(水) 23:19
サカキバラは特別だと思う。
回収された文芸春秋98年3月号に事情調書が載っているが、
やつは天才だったと思う。
不幸なことに神戸のあの閉鎖的な環境ではやつの才能を開花
させてやれる大人が周囲にいなかったのだろう。
やつの周りに少しでも文学や哲学に造詣のある大人が
いたらあんなことにはならなかったんじゃないか。
動物殺しの件はいまいちよくわからんが。
ところで回収された文芸春秋はたいていの図書館にはおいてある。
やっぱりマスコミの回収指令は単なる特ダネへの嫉妬に過ぎなかったんだな。
1年前くらいでも堂々と図書館においてあった。
いまでもあるかはわからんが。
19 :
17:2000/01/26(水) 23:55
この点でサカキバラだけが特別である、という感じはしない。
あくまで典型例として挙げてみた。
…『割とよくある』というのは、言い過ぎだったかな?
20 :
>17:2000/01/27(木) 02:12
なんかこだわってるねえ。
人間には殺人をしたい本能みたいなものがある、と言いたいようだが。
何かそういう説を唱える哲学学説があったら教えてくれ。
オレ個人は人間の残虐性は認めるが快楽殺人はよくわからん。
21 :
名無しさん:2000/01/27(木) 21:21
こだわってるつもりはないんだがね。
>人間には殺人をしたい本能みたいなものがある、と言いたいようだが。
いや、全然。
しかし「わたしもいつかは人を殺すようなことがあるかもしれない」という懼
れは、現実に生きる人間として、抱いていた方がいいだろう。
人間どんな風にも変わりうる。良いようにも悪いようにも。だから「悲しみっ
て感情をもってない」とまでと言い切る16には、文学的修辞を感じるのよ。
人間ってそんなに単純か?
>情感が豊かであるが故にとんでもない方向に・・
「情感が豊か」ってことは、
御家族の方が悲しむだろうって事くらい解るワケだよね?
つまり、「人を殺してはいけない」って事は、判ってるワケだよね?
それを上回る憎悪なり理念なりがあって、殺人を選んでしまうワケだよね?
そのケースは、情状酌量なんて用語が存在するくらい既に整理されてるよね?
>人間ってそんなに単純か?
想像を絶するほど複雑だと思うよ
我々の理解の範疇を越えるような殺人を犯すコドモが増えてきてるんだよね
それを話し合ってたんだよね
あと、
言い切ってるのが気に障ったみたいだが、よく読んでみてね
論拠が記されて無いってことは、論じてるワケじゃ無いんだよね
だから、誰も相手にしていないよね
いわば、あれは、「煽り」だ
あれを文学扱いするのは文学に失礼だ
それから、
「むしろ文学だ 」って文学板へ追いやっておきながら、問い掛けないでね
2度と、応える気は無いけどね
23 :
>22:2000/01/27(木) 23:43
全体に何言ってるか全然わからん。逆ギレか?
>そのケースは、情状酌量なんて用語が存在するくらい既に整理されてるよね?
なんだそれは。
>我々の理解の範疇を越えるような殺人を犯すコドモが増えてきてるんだよね
そうやってカンタンに「理解の範疇を越えてる」なんて単純化していいのかあ〜?
ってのがオレの論点。
>あと、
この文以下は、もう、さっぱり。
「煽り」だからって言って、逃げてるわけ?
なら、あんたのこと、相手にしなきゃよかったよ。つまらん。
24 :
名無しさん:2000/01/30(日) 06:22
3の意見が最もですな。
「人を殺してもいい」なんてルールにしてたらサバイバルに忙しくて、人間が成長してる暇が無くなるからね。
「人を殺してはいけない」っていうのはとても理知的な考えで、そういう考えが出来ないのは単に馬鹿なだけ。
何故人を殺してはいけないのですか?なんて疑問を持つ人に僕が言っときたいのは、「人は一人じゃない」ってことですな。
25 :
名無しさん:2000/01/30(日) 23:31
哲学からは人は殺してはならない、という命題は出て来ないのではないか。人はいくらでも残虐に成れるから、理由さえつけば他人を殺すのは簡単でしょう。
26 :
「なぜ人を殺してはいけないの? 」と聞かれたらあなたは何と答えますか:2000/01/31(月) 00:09
27 :
>25:2000/01/31(月) 00:26
>哲学からは人は殺してはならない、という命題は出て来ないのではないか。
それはないんじゃないかなあ・・・。
条件付きながら、哲学分野からみても殺人禁忌の正当性は結論づけられると思います。
28 :
名無しさん:2000/01/31(月) 02:18
そうでしょうか。あなたの家に押し入られて目の前であなたの近親者が強姦された挙句に殺されようとしているとします。あなたは加害者に対して抱く殺意を肯定できないでもがくのだろうか?わたしに法的免責(殺人許可証でもいいが)が与えられれば何の呵責もなく人殺しができますよ。
29 :
名無しさん:2000/01/31(月) 02:43
何の呵責もなく人殺しを……怖いことを仰有います。他の何よりむしろその感覚の麻痺を憂います。
>あなたは加害者に対して抱く殺意を肯定できないでもがくのだろうか?
否定する必要はありませんよ。問題は殺意ではなく実際の行為です。
ついでに、悪漢を殺す必要もありません。必要なのは犯罪を阻止する、実際的な手段です。
30 :
名無しさん:2000/01/31(月) 02:56
哲学は人間や世界の根本原理を考えるものだから、(殺人にしろなんにしろ)
行為の善悪や判断基準を求めるのは、お門違いではないかな。それは倫理学や
社会学系の仕事だと思う。人間そのものが善悪を越えた存在だよ。良くも悪く
も。
しかしだからといって、哲学は殺人を支持しない。正当化もしない。
哲学は善悪には関知しないから、「殺していけない」とはいえない。が、だ
からといって「殺しても*善い*」とはならない、ということだ。
人間は他人を殺せる。しかしそれは「人間は他人を殺すこともできる」(可
能性・能力)だけであって、「殺してもよい」(行為の正当化)に直接繋がる
ことはない。
哲学にできるのは、なぜ「人を殺してはいけないというルールが存在し、そ
れは妥当なものとして大多数に認められるのか」を説明すること。それ以上で
もそれ以下でもない。
31 :
>28,29:2000/01/31(月) 03:16
もうやめなよ。
人間はみんな自分のことで精一杯なだけなんだよ。
32 :
30:2000/01/31(月) 03:28
補足。
倫理哲学を哲学のカテゴリーに含むのならば、哲学は条件的に人殺し禁止ルー
ルを支持している、と言える。
33 :
>31:2000/01/31(月) 04:10
哲学板で、ンなアホな仲裁をしてはいけない
34 :
なんやしらんけど:2000/01/31(月) 06:25
哲学って学問かいな?
俺は自分が生きていく時のポリシーの深い所だと思っていたぞ。
デカルトがなんつったかしらねーが、人はみな哲学持ってるだろ?
それにね、人を殺すどーこーっつーのは哲学的観点じゃなくてさ
宗教的なんだと思うが どうかな?
だから世の中いけない事なんかねーのよ
殺したいと本気で思えるなら殺しゃええやんか!
その感情を縛ってるのが宗教や法律なら
人間は飼い慣らせないと共存できないって事になんだろ?
殺す理由が自分で納得できるなら
俺は人を殺す事をいけない事だとは思ってないが
キチガイは論外。きっと復讐のみGOサインをだしちゃうね。
35 :
>34:2000/01/31(月) 06:56
ただのアナーキズムです。しかも深い考察なし。
議論の出来なさそーな匂いが、ぷんぷんするんですが。
36 :
>35:2000/01/31(月) 07:39
いいえ、34はひとつのサンプルです。しかも社会的には「正論」です。
皆さんはこの「正論」を支えるものと覆すものの両面を
哲学的に語ればいいんです
37 :
それは人生哲学:2000/01/31(月) 10:14
学問としての哲学は別なんです。
38 :
>37:2000/01/31(月) 12:47
あんたみたいな人を見るとつい笑っちまうよ。
例えるなら「だって教科書にそう書いてあるもん系ですな。
」
39 :
>35:2000/01/31(月) 12:58
私は君からそんな臭いがするのだが?
40 :
名無しさん:2000/01/31(月) 13:19
しかし、いつ人を殺してはいけない、なんて時代があったのだろう?
今でも死刑という名前でヒト殺してるやん。
戦争中(戦争中に限らないなあ)は、隣人を愛し、敵を殺せ。だし。
41 :
名無しさん:2000/01/31(月) 16:34
個人の人生哲学や生活信条も、哲学といえなくはないから、それはそれ
でいいんじゃないかな。>37
でも全面的に人生哲学=哲学と定義して、「オレ的哲学」にふんぞり返る
のは、いかにも頭悪く見えるから、止めとけや。>該当者
哲学には、他でもなく哲「学」と呼称する以上、学としての側面、すなわち
「公認された知的体系」としての側面もある。つまり個々人の形而上的
内面性に留まらず、共有され共通認識として活用されることが期待される、
「知恵の集積」という側面だな。
哲学を語るときは、こちらも、忘れてはいけないと思うんだが、どーかね。
42 :
名無しさん:2000/01/31(月) 16:35
>しかし、いつ人を殺してはいけない、なんて時代があったのだろう?
だいたいどんな時代・地域に於いても、殺人が許される状況と許されない
状況があり、どちらもその都度その都度、使い分けられてきた。
戦争での殺人が許される理由は、「外敵から共同体を防衛するため」である。
共同体そのものの生死が懸かった状況では(それはその共同体に属する
具体的な個々人の生死が懸かった状況でもある)、「敵」殺しはやむを
得ない、むしろ賞賛されるべきことであったわけだ。
死刑が許される理由は、「死ぬ以外には贖えない罪を贖うため」だろう。
あるいは更正や収監のコストの問題か。
もっとも死刑は今後廃止されるかもしれないので、この認識は改めるべき
時がくるかもね。
これ以外の殺人が許される状況というと、正当防衛・緊急避難(どちらも
相当に限定的ではある)、それから安楽死や尊厳死も入るのかな。近い将来
入る可能性はあるな。
話がずれたか。すまん。
43 :
>1:2000/01/31(月) 17:03
只たんに、法律があるから駄目なだけ
44 :
名無しさん:2000/01/31(月) 18:15
ではなぜ太古より法は殺人を禁止するのか?を考えるのが哲学。
法律にそうあるからダメなものはダメ、ってのは警官(法執行者)
の態度。
45 :
ぽち:2000/02/01(火) 00:32
でも、基本的にはいつの時代の思想でも、みんなが納得し
ていた前提ってのがまずあったんじゃないですか?
ギリシア・ローマなら神々と、神による自然法。
日本なら…よく知らないけど、世間体とか、恥の概念とか
かな?
それが、たとえば今の「1+1=2」のように、誰にでも当た
り前のものとして広く受け入れられて、殺人に対する抑止
力になってたのではないでしょうか。
あと、どんな社会でも殺人が非日常的行為であることには
変わりなかっただろうし、しかもその非日常性はその社会
の安定を覆すおそれが非常に高いものであっただろうし、
となるとそうした行為が行われにくくなるような取り決め
を、意識的にせよ非意識的にせよ、結ぶような合意がなさ
れていた、と考えるのは自然だと思います。その合意の裏
付けとして、上記のような前提が利用されたのでしょう。
常識の崩壊って、いつ頃から言われ出したんだろ?
昔だったら「それをやったらおしまいよ」と言えばみんな
納得してハイおしまい、だったことでも、今じゃ精密に理
論を構築し、一から噛んで含めるように説得しないと誰も
頷かない。
「知」から「信」を作るってのは、こりゃ大変な作業です
よ(って、哲学板の人に改めて言うことでもないだろうけ
ど)。「信」を強化する「知」なら、色んなところに転が
っているけどさ。
46 :
どごんすい:2000/02/01(火) 00:58
結局、「社会のルールだから」ってことですよね。
社会を維持するためには、社会の構成員を殺してはいけない。
ただし、社会=全人類というわけではない。
仲間として認められる者が社会の構成員。
仲間として認められない人間は殺して良いことになる場合もある。
ある社会学者の受け売りだけど、殺しに関する社会のルールは
「仲間を殺すな、敵を殺せ」ってこと。
「人間を殺すな」がルールではない。
47 :
>45:2000/02/01(火) 01:18
ま、転換期だからね。足下を見直すには良い機会。
レッツ・ポジティブ・シンキングや!
48 :
宮台のそれは:2000/02/01(火) 01:20
単純化しすぎ。社会学的粗雑さというか。
49 :
どごんすい:2000/02/01(火) 01:47
>48
まあどこで納得するかという問題ですな。
私はこれで納得してしまいますが、できない人は哲学を続けたらいい。
50 :
>46:2000/02/01(火) 05:56
実存主義の問題を完全に無視してるな。
まあいいけどね。
わからん奴にはわからんだろうし。
51 :
↑:2000/02/01(火) 07:11
いまどき実存主義を臆面なくもってくるおまえの方が
わからん奴。
52 :
>50:2000/02/01(火) 10:37
わらかん奴にはわからんと言っていないで、
ちゃんと言葉にしてくれ。
53 :
名無しさん:2000/02/01(火) 12:35
実存主義は知らないが・・・
この世界は存在者たる人間の認識によって支えられており、
人を殺すことは、その存在者によって支えられている、
可能世界を消滅させる。その不気味さが人間を殺すことの
禁忌となっている・・・
みたいなことは素人の俺でも言える・・・
54 :
優香:2000/02/01(火) 12:44
人間ってむずかしい
55 :
名無しさん:2000/02/01(火) 21:11
善=自分
悪=嫌いな奴
信じたいほうを信じ、考えたいように考える。それが人間。
そもそも、モラルっていうのは何か問題が起こったときに始
めて出てくるものであって、何も問題が無ければモラルなん
て意識しないと思う。
結局のところ、モラルって喧嘩の道具でしかないんじゃない
かな。
56 :
名無しさん:2000/02/01(火) 21:13
ごめんなさい。↑のレス、スレッド間違えました。
57 :
名無しさん:2000/02/01(火) 21:24
>56
この文脈でも説明できると思うよ。
そんなに違和感がない。
58 :
>53:2000/02/02(水) 02:25
まあ、間違ってるとは思わんが「この世界」を存在者
と別に設定してるようなニュアンスはいかがなものか。
つまり私という存在以外はありえなく、それが他者へ投影
されてるだけだから。
>その不気味さが人間を殺すことの禁忌となっている・・・
これ、本気でそう考えないと意味無いんだけどね。「考え方」
じゃなくてさ。
59 :
>51:2000/02/02(水) 02:26
まさか英米言語哲学で以上、って言うつもりじゃないだろな(笑)。
60 :
naoya:2000/02/02(水) 05:14
いけないというより、端的にいやなんです。論理倫理の問題ではなくて
、感覚の問題です。
61 :
名無しさん:2000/02/02(水) 12:12
なぜ嫌だと思うのだろう?
殺人を犯す人は嫌だと思わないからだろうか?
個人の感覚から「人を殺してはいけない」という
命題一般を導く事は可能か?
62 :
だから:2000/02/02(水) 16:31
実存哲学を学びなさいって
63 :
名無しさん:2000/02/02(水) 18:12
せめて、「だから」がどういう文脈から繋がるかだけでも
教えてもらえんでしょうか。>62
64 :
DR.FEELGOOD:2000/02/02(水) 19:06
人からされて嫌なことは・・・ねえ?
65 :
>63:2000/02/03(木) 02:39
なぜ「人」を殺すことだけが禁忌として扱われるか?
ということは、人間というものに対する特別視が必要なわけで
それは「存在している私」というものに対する認識と不可分な
わけです。
で、その辺の事に関して天才達が考察した結果出来上がったのが
実存主義というカテゴリーだから。
66 :
名無しさん:2000/02/03(木) 15:16
もったいないから
67 :
名無しさん:2000/02/05(土) 22:36
人に殺されたら分かるでしょう。
68 :
アホの鴻上ショージ:2000/02/15(火) 01:23
今月の噂の真相の読者の場に
神戸市の小橋という奴が、肉食動物を例にして
殺人の自由、と書いてたが。
上に同種がいるな。小橋本人もいるかも。
いつまでも歯切れの悪い、
ここの人達のアタマの悪さときたら、、、
東大の現役の文学部か、、、。
動物を例えに、殺しは良いというのなら、
人を殺したあとに、まずその内臓を、
そして肉を、喰ってくれ。
かならず喰ってくれ。
それでも尚、人を殺してみたいというのなら、
鏡を前にして、自分の首を絞めて楽しんでくれ。
もしくはテメエの親類、親族を片っ端から殺してくれ。
69 :
名無しさん:2000/02/15(火) 09:55
しかも、偽善が無いなら、親類、親族も喰ってくれ
70 :
名無しさん:2000/02/15(火) 12:46
その通り。
人を殺す異常、とその肉は喰えないという偽善、の差異。
バカの本質
哲学以前のレベルだね
71 :
名無しさん:2000/02/15(火) 12:56
動物には人間ほどの無駄がない。
血が固まらないうちに食べ尽くしてしまう。
72 :
名無しさん:2000/02/15(火) 13:53
いずれまた、人が人を食う時代が来る。
73 :
名無しさん:2000/02/18(金) 19:19
宮崎勤のような嗜好(しかも食べ尽くして、
食糧にしてない)、死刑、暗殺、は別問題。
人を、簡単な理由、理由なしで殺したいのは
ただの心身症か精神病。
74 :
名無しさん:2000/03/18(土) 08:11
「人を殺して良い」とされていて、
ある日突然知人なり見知らぬ人間が
やってきて自分を殺すことを想像してみるといい。
絶対に嫌だろ。
これはお互いのルールであって「殺すのは無しよ。」
共同体のルール。
哲学とは関係ない。
それから死刑制度と戦争での殺人の問題の扱われ方とも違う。
ごっちゃにしてはいけない。
75 :
名無しさん:2000/04/05(水) 00:40
76 :
名無しさん:2000/04/05(水) 03:51
古代から人間集団に必ずあるルールは「仲間を殺してはならない」であって、
「人間を殺してはならない」というルールは、「仲間」の範囲を人間全般に
広げる観念ができてからのこと。
77 :
と、ミヤダイは言ってるが、:2000/04/05(水) 09:34
それ、なんか変。
仏教の殺生戒や「汝殺すなかれ」はどうなるの?
78 :
名無しさん:2000/04/05(水) 17:37
Q. why we mustn't eliminate anyone?
A. because@` someone be sadness. Λ_Λ / ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< dont you call me ahore.
( ) \___
| つ |
(__)_)
79 :
名無しさん:2000/04/06(木) 04:26
人は殺してもいいんだよ。
ルールではそうなっているが、
ルールを守れない人はしょうがない。
殺したかったら、殺すしかない。
でも、最近の世の中(人殺しの2000年)では、
人を殺すのが好きな人は淘汰されつつあるから、
最近、人殺しが悪いことになりつつあるのかも。
でも、私たちは、未だに、勝利者だ。
殺されないで、未だに生きてるぜ、
人殺しは悪いことだって、信じ込ませて、
殺されないように頑張ってるのさ。
80 :
JJ高校生:2000/04/06(木) 07:17
私もずっとその疑問を持っていました
ある番組で何かの討論をしているときに
大学生が、なんで人殺したらいけないんですかって
聞いたんですね なんか偉い人に
偉い人はタジってました かなり
他人を殺してもいい理由 は
自分が殺されてもいい理由 になるのではないですか
それに殺すのは個人の自由でしょうが
殺したことによって自分にそれなりの評価がついてしまいます
人を殺してはいけない という「決まり」は絶対的で
理不尽なようにも思えますが
それは自分の身を守ることにもなります
人間の脳がデッカクなっていって 動物としての本能を超えてしまった時点で
この問題は発生してるのかもしれませんね。
郷に入れば郷に従え ではないですけども
「日本の都市で生活する人」という立場を主張したいのであれば
ルールを守るのは当然だと思います
ジャングルの中の動物が、食べるために殺すのとは訳が違いますしね
81 :
どうでもいいが:2000/04/06(木) 16:51
79は進化論勉強しなおして
82 :
79:2000/04/06(木) 19:18
>81
なんじゃかしらんが、
何が貴兄の琴線に触れたのかな。
進化論って言われるほどの事は言ってないつもりだが。
83 :
79:2000/04/06(木) 19:23
続きだが、進化論っぽい言い回しなのは
確かにそうだ。
84 :
トミケン:2000/04/06(木) 20:21
殺すことは悪くはない。殺した事実に関しては自分で始末するものだ。
他に何の問題があるかね。
85 :
哲学ド素人:2000/04/07(金) 04:29
ただ単に自分が殺されるのが嫌だからじゃないの?
だって”自由に人を殺してもいい”ってことは”自分も殺される”って
ことでしょ。これはこの世に生きてるほとんどの人が”嫌だ”と思ってる
ことじゃない?たとえ”死にたい”と思ってる人も自分で自分の命を
絶つのはいいが他人に絶たれるのは嫌だと思ってると思うし。
(積極的に死にたいと考えたことがないので自信はありませんが)
普通の人(なにをもって普通というかはおいといて)は”相手を殺さなきゃ
自分が殺される”という状況じゃないと殺人なんて考えないでしょ。
あとは自分の大事なモノ(人)を奪ったとか。いわゆる復讐。
快楽殺人者でも自分が殺されるのは嫌だと思ってると思うよ。
86 :
名無しさん:2000/04/10(月) 00:47
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いをする人は、
普遍的に通用する論理的説明を求めていると思う。それに対して
答える側は感覚的説明により、殺人をしてはいけない理由を述べるから、
両者はかみ合わず、問いをした方は、いつまでも納得できない。
俺は、人は殺してはいけないと思う。論理的説明はできないが、感覚的に
そう思う。でも大半の人は、感覚レベルでは、「自分が殺されたくないから
人も殺してはいけない」こう思っているのではないだろうか?(家族、恋人
が目の前で殺された、というような、特殊な状況下での事は度外視する)
「人を殺してはいけない」というのは人間界で生きるための暗黙のルールだと思う。
人間は、大自然の中で暮らすことが困難な非力な存在なので、文明を生み出し、
自分達だけの世界をつくり上げた。その中で作ったルールが倫理と呼ばれるものだろう。
そのうちの1つとして、人を殺すな、というのもあると思う。要するにこれは
仲間の間の信頼関係に基づく考え。普遍的、論理的理由はないと思う。
だから、いつか裏切られて、自分は誰も殺してないのに、誰かから殺される
ということもあるかもしれないし、逆に自分が、この信頼関係を壊してでも
人を殺すこともありうると思う。
結局、誰かを殺したり誰かから殺されることもありうる、という可能性を認めつつ、
他人の信頼を裏切らないように、かつ、他人を信じて生きていくしかないのでは?
そんな風な不安定さの上に、人の生活は成り立っていると思う。
87 :
限定的な普遍的理由:2000/04/10(月) 04:30
神様が人殺しはいけないっておっしゃってるから。
88 :
その理由は:2000/04/10(月) 06:18
人を殺したい人間よりも、殺されたくない人間の方が多いから。
89 :
じゃあ:2000/04/10(月) 06:59
「どうして人を”殺してもいい”のですか?」という問いは?
90 :
なぜ人を殺してはならないのか?:2000/04/11(火) 00:51
食べてもおいしくないから。
91 :
86:2000/04/11(火) 01:42
>89
「自分が殺されたくないから、他人も殺してはいけない」と言う説明が通るなら
この問いも同じように答えられるのではないか?
つまり、人を殺してはいけない理由は、「俺の生きる権利を認めてくれ、
その代わりおまえの生きる権利も認める」という取引関係から生じる。
これと同様に、人を“殺してもいい”理由は、「俺が人を殺す権利を認めてくれ、
その代わりおまえが人を殺す権利も認める」という取引関係から生じると思う。
これだと、人は、一方で他人を殺してもいいとされて、他方では他人を殺しては
いけないとなる。ここで矛盾が生じるのだが、これはあくまでロジックで
考えているからであって、一般の人間が持っているであろう、人は殺しては
いけないという感覚で考えれば、他人を殺してよい、という主張は棄却され、
やはり他人は殺してはならないということになる。
やはりキーとなるのは、「普通の感覚」だと思うのだが。
92 :
>91:2000/04/11(火) 07:23
哲学で普通はねえだろ。
人を殺すのが普通な時代や状況はいくらでもあるんだから。
93 :
名無しさん:2000/04/11(火) 17:10
>82でも大半の人は、感覚レベルでは、「自分が殺されたくないから
>人も殺してはいけない」こう思っているのではないだろうか?
それは論理的説明だと思います。
むしろ、感覚的には、人殺しはいけないことだから(そう教えられたから)
だと思います。
94 :
>1:2000/04/17(月) 05:12
私は、人を殺してはいけないとは思わないし、
殺人を悪だとも思いません。
人を殺したいのなら殺せばいい。
ただし、そのときは国家権力があなたに攻撃を加えるだろう。
あなたは悪だから裁かれるのではなく、
社会の敵だから攻撃を受ける。
ただ、それだけの事です。
95 :
名無しさん:2000/04/18(火) 20:18
自己喪失だね
96 :
名無しさん:2000/04/18(火) 23:44
社会が殺人を悪として倫理的に糾弾するのは、それなりの理由がある。
誰しも命は一つしかない。来世があるのかどうかは知らないが、
死んでしまえばこの世とはオサラバである。そのような事態を避ける
ことは、生きてゆく上での最重要課題の1つであろう。
人殺しには死刑をもってするのが原則だが、しかしこれだけでは
不十分である。
「人殺しは悪である」というプレッシャーを掛けなければ、
『死んでもいいから(死刑にされてもいいから=社会的に最大の報復を
されてもいいから)誰かを殺したい』
という奴を食い止められない。というか、プレッシャーをかければ
そういう奴が殺人に至らない確率を上げることが出来る。
(そういやずっと昔、アイドルをレイプしてから死のうとして
家族を殺した厨房がいたな・・・。)
というわけで、人殺しは悪(他人を傷つけるのは悪)という倫理が
社会的に強調されるのは、「正しい」のである。
97 :
名無しさん:2000/04/19(水) 13:43
>というわけで、
って、どこが「というわけ」なんだ?
98 :
はなちゃん:2000/04/19(水) 13:51
>どうして人を殺してはいけないのですか?
「人を殺すことは悪くない」という世界に我々が生きていないから。
99 :
はなちゃん:2000/04/19(水) 14:05
それは、「ルール」だから。
そもそも、素の(社会的関係が前提されていない)ニンゲン同士の
殺し合いというものを考えられるだろうか。ニンゲン同士であることを
認識することそのものが、社会的関係を必要としているのではないか。
ニンゲン同士であることを認識している時点で、もうこのルールの中に
取り込まれている。
古典的トートロジーである。
100 :
はなちゃん:2000/04/19(水) 14:10
なぜそのルールがあるのか、という問いは、原理的でない。
別に他のルールでもよいのだ。しかし、現に、殺してはいけない
というルールがあり、その中で生きている。
社会的関係を想定できないモノについては、
「殺してはいけない」というルールが成立していないように見える。
101 :
はなちゃん:2000/04/19(水) 14:15
なぜ、殺してはいけないのかという問いには、「ルール」と教えるべき。
ルールは絶対ではない。
1+1=2であることを疑い相対化するということは、有益である。
しかし、だからといって「1+1=2が成り立つ世界を生きること」を
やめるわけにはいかないのだ。
102 :
はなちゃん:2000/04/19(水) 14:16
(笑)
103 :
名無しさん:2000/04/19(水) 14:35
ちょっとずれるが、
人には人を殺す能力が高い。ってのも問題だ。
例えば、猫同士が殺しあいをしたら壮絶だ。
そう簡単に、殺せやしない。
通常、生物の場合、圧倒的な殺傷能力の違いがあって、
殺す、殺される。食う、食われるの関係が成り立つ。
しかし、人間の場合、ちょっとの努力で殺せる。
その、過剰能力を自覚し、ルールの世界で生きているのだ。
104 :
名無しさん:2000/04/19(水) 14:50
君は至極真っ当な説明を聞けば殺人を未然に防ぐことができると思うのかね? それは哲学の仕事ではなく、警察の仕事である。
だいたい哲学者なんて輩は精神の殺人者である。人の話には耳も貸さず、ひたすらマシンガントークを楽しんでいるではないか。
分かったか? 現代人は皆哲学者あるいは哲学者予備軍なのだ。
105 :
黒_孔雀党思想宣伝部:2000/04/19(水) 14:52
殺していいにきまっとるいだろ馬鹿ども!!!
戦いにいきなさい!!!!!
106 :
>105:2000/04/19(水) 15:10
隊長、一羽殺して参りました。
107 :
>97:2000/04/19(水) 23:05
わからない奴はドキュソ。決定。反論不許可。
108 :
>107:2000/04/20(木) 01:05
とりあえずわさ、可否の判断をできるレベルで書いたら?
わざわざ哲学っていうタイトルのついた板なんだからさ。
これぢや同意のしようもないし反論もできないし
散文としてはもちろん詩としても楽しめない。
109 :
108:2000/04/20(木) 01:16
アタマいいんだろうし名の通った学校にいってんだろ/いってたんだろ。
>わからない奴はドキュソ。決定。反論不許可。
とか書くんじゃなくて、もう少しスマートにやったらどうよ。
110 :
↑:2000/04/20(木) 07:55
えーめんどくさいよ。97みたいなのにそんな手間かける気おこらん。
111 :
いちいちいち:2000/04/22(土) 01:34
“「人殺しは悪である」というプレッシャーを掛けなければ”
ならないから“社会的に強調される”必要があるということ?
「自分が殺されたくないから」ってのは理由になりそうだけど
「自分は殺されてもいい」と考える人の殺人を止める理由には
なり得ない、ってとこで私の思考は進めないでいました。
+αのプレッシャーになり得るんでしょうか?
TV放映について
直接は見てないのですけど、そのあとどっかの新聞で出演者の
大江健三郎(だったはず)がこれを題材にコラム書いてました。
そこでは「まともに育ってたらこんな疑問が出てこない。
思い付いても口には出さないものだ」とか言う意見だったはず。
「だったはず」ばかりですけど、いまいち納得できないです。
112 :
>111:2000/04/22(土) 07:52
>自分は殺されてもいい」と考える人の殺人を止める理由には
>なり得ない、ってとこで私の思考は進めないでいました。
>
>+αのプレッシャーになり得るんでしょうか?
実際「良心の呵責」というものは存在し、それがストッパーに
なったケースも数多いと考えられます。権威による抑止力より
は効果が上かと。
113 :
名無しさん:2000/04/22(土) 07:52
勉強したてで片言の知識しかありませんが僕の思ったことを少々。
人は国の物であり財産だと思う。
当然、国は人の権利を保護する。
何故殺人がいけないのかというと
殺人というのは、国の利益を損なう行為であり
社会を乱す行為であるからだと思う
例えば、税金が採れなくなったり、私闘が起こったり…
そこで国は法を用いて社会の秩序を守る。
殺人がいけないのは何よりも、法が許さないからである…
と僕は思った。
というか全然説得力無いっすね
氏ね>俺。
よく考えたら、権威による抑止も「プレッシャー」でした。
「お母さんがダメと言ったら、ダメ!」というやつね。
これにもそれなりの意味がありますが、説明は省きます。
115 :
111:2000/04/24(月) 17:27
権威による抑止ってのは罰を受けるのとは違うのですか?
<どっちかというと権力による抑止になるかもしれませんが。
絶対上位であった親に言われると「三つ子の魂」てな感じで
残るかもしれませんね。
「良心の呵責」も納得できます。
でもこれらは殺人を悪とする理由にはなり得ませんよね。
理由見つけられないから後付けで植えつけてるという感じがします。
116 :
112:2000/04/24(月) 22:16
>でもこれらは殺人を悪とする理由にはなり得ませんよね。
そうです。96は「人を殺してはいけない理由」を考察してはいません。
なぜ悪いと「されるのか」の説明、または「悪である」と強調する
必然性の一端について、述べているのです。
117 :
名無しさん:2000/04/30(日) 06:08
論理的に考えると人を殺してはいけない理由はない。
論理がいけない。
哲学がいけない。
118 :
名無しさん:2000/04/30(日) 11:47
宮台の本を読めばいいんだろ。けっ。くだらねえ。
119 :
わよる:2000/04/30(日) 13:09
多くの人が、殺されたくない、と考えているから。
殺されないためには、殺人を封じるためには、
殺人を「悪」にすればいい。「罪」にすればいい。
120 :
ぶぃる・げいつ:2000/05/01(月) 07:33
いたいのやだから(笑)
121 :
"フィルタ"ー:2000/05/01(月) 08:38
優しさは本能であり、優しさの全くない人は子育てが出来ない
ただし優しさが小さい=守るべきものが小さい(自分自身だけ、
自分の家庭だけ、自分の国だけとか)だと殺し合い=戦争がおきる
殺人を肯定すると優しくない人=悪人の有利な世の中になる
122 :
メルロポンチいかれポンチ:2000/05/01(月) 18:12
レス全部よんでないから誰かがすでにいってるかもしれないが
『応用倫理学』ではその人が将来に受けうる幸福の可能性を
奪ってしまうから人をころしてはいけないとおもいます。
だから将来に幸福を得る可能性がない状態の人、具体的には安楽死
をさせることは慎重に考えれば許される事になります。
123 :
名無しさん:2000/05/01(月) 18:41
いやいや、だからさあ。
だったら、なんで「その人が将来に受けうる幸福の
可能性を奪う」ことはいけないのかって話しになるじゃない。
124 :
燮ロ累歔いかょフ烟チ:2000/05/01(月) 18:53
なるほどね
言い訳がましいがこの種の議論は相手をどこまで
納得させられるか、だ。
どこまでも「なんで?」とつっこまれたら最後は答えようが無い。
それに「なんで人をころしてはいけないか」という命題よりは
議論をすすめられてると思う。
最終的には良心とか公理とかになるかもしれないが
そこにいたるまでに
できるだけ問題意識を高めたい。
125 :
メルロポンチいかれぽんち:2000/05/01(月) 18:55
あれっ124の名前がおかしくなってる。失礼。
126 :
名無しさん:2000/05/01(月) 19:16
多分、その「最後は答えようがない」ってのが
この問いの答えなんじゃないの。
127 :
メルロポンチいかれぽんち:2000/05/01(月) 19:30
僕は哲学には3種類あると思う。
1、形而上学
2、現象学
3、私的哲学
1は普遍的でなければならないタメにパラドックスに陥りやすい。
2は人間が色眼鏡をかけていることを前提にしている。
3は普遍性に欠けるようでいて不思議な普遍性がある。
それぞれに命題をあてはめると
1、「人殺しとはなにか」
2、「人間(意識)にとって人殺しとはなにか」
3、「私にとって人殺しとはなにか」
となる。
長くなるので休憩します。
128 :
メルロポンチいかれぽんち:2000/05/01(月) 19:48
上記3について語ります。
3は歌の歌詞のようなものです。
それをどのように感じるかです。
たとえば「女はバカだ」と言ったとします(女性のみなさん失礼)
これは当然、なんの普遍性もありません。いわば本当の事ではありません。
しかし、それに共感することがあるのです。(とくに女にふられた時)
答えようがないところでそれらをひっくり返してしまうような
なにかが3なのです。
「なぜ、人を殺してはいけないのか」というのも
論理的には説明できなくても感じるのです。
129 :
名無しさん:2000/05/01(月) 21:02
でもよお、私的に形而上学をやってみたり、
私的に現象学をやってる場合は1,2,3のどれに
なるわけ?
あと、どーでもいいけど、分析哲学はどーだ。
倫理的な「善悪」と、個人にとっての「良い悪い」を区別するべきだ。
「人を殺してはいけない」というのは社会のルールであり、戦争などの例外
を除いては容認されることはないだろう。
それでも敢えて人を殺すことで、金品を得たり、快楽を得られたり、復讐を
遂げたりなど、個人にとって「良い」と思える場合もないとは言えない。
しかし、その場合は「社会を敵に回し社会から制裁を受ける」のを覚悟のう
えで実行するべきなのであって、実行前に「なぜ人を殺してはいけないのか」
などと社会的な容認を求めたり、実行後に「なぜ人を殺してはいけなかった
のか」と泣き言を述べたりすることは全く「無意味」なのだと思う。
131 :
名無しさん:2000/05/01(月) 21:49
なんてね。(笑)
132 :
名無しさん:2000/05/01(月) 22:00
訂正:
戦争などの例外を除いては(殺人が)容認されることはないだろう。
133 :
愛子:2000/05/02(火) 00:00
なぜ殺人をしてはいけないのか?
まずほとんどの人間は殺人を犯す事に「嫌悪感」「罪悪感」
を覚える。(快楽殺人者であろうが殺人を犯す者は
不幸である)でその嫌悪感の源はなにか?
私は「本能」であると思う。人を殺すということは種の保存
という観点からマイナスである。だから同じ種である人を
殺すという事に対して嫌悪感を感じるような本能ができあがった。
しかし・・たとえばいま私が隣の住人を殺しても人間という種は
滅びたりはしない。これは種の繁栄するまえの初期段階。
数が少ない段階に必要な「種の保存」本能のなごりなんだと思う。
(こういう意味のない使えない「本能」ってのが人間は多い!)
「人を殺してはいけない」という本能はもう本来の目的である
「種の保存」という目的を果たさなくなった。だから意味はない。
しかし人間は本能にしばられた生物であるから
その本能の司令にさからえば、不快、嫌悪感、苦痛、死など
のペナルティを払わされることになる。
殺人を犯せば「不幸」というペナルティがきっちりくる。
(くりかえすが殺人者に幸福な人間はいない。)
だから多くの人間は殺人を犯さない。
134 :
愛子:2000/05/02(火) 00:15
結局なにがいいたいのかというと
殺人は悪いことでもやってはいけないことでもなくて
ただ殺人すると不快・嫌悪感・不幸などのペナルティがくるだけ。
それだけのこと。
135 :
ヨコヤリ:2000/05/02(火) 00:34
国際法では、平時のルールと戦時のルールは異なるそうですが、
戦時においても、戦闘員と非戦闘員では、守るべきルールが異なる
そうな。
戦闘員が降伏すれば、捕虜という名誉ある待遇を得ることができ、
またたいがいの戦争は「悪い政府から搾取されている民衆を解放する」
という大義名分でなされるので、非戦闘員は敵国兵士に遭遇したさい
保護を求めることができるそうな。
戦闘員であるか非戦闘員であるか曖昧な行動すると(非戦闘員として
守るべきルールを逸脱すると)、山賊・盗賊と見なされ、非戦闘員で
あると自称していても敵国兵士に殺されるのは国際法上当然なのだ
そうな。
ちなみに戦時の国際法を違反すると、それを戦争犯罪と呼ぶそうな。
高校までに授業でちゃんと教えてほしいよね、こういうこと。
国民皆兵の国スイスでは小学生からおじいちゃんおばあちゃんまで皆
このことは徹底して教えられているそうな。
そういう視点から見ると日本の「戦争観」て、オカルト入っているよね。
もちろん戦闘員は殺しに行くのはなく殺されに行くお仕事なので、
戦争以外の外交手段政治手段が残っているなら、戦争以外の手段を
用いるべきです。
森総理に忠誠尽して殺されるのは真っ平ですから。
と、ちょっとズレた話をしてみました。
136 :
メルロポンチいかれぽんち:2000/05/02(火) 00:47
>129
「私的に形而上学」というがここでは形而上学は絶対的な基準を見つけること
私的とは普遍性を帯びなくてもよい、ということです。
>133
わたしは種の保存など信じていません。たとえば「親がわが身を
犠牲にして子供を助ける」などの例をあなたは挙げられるかも
しれませんが、残酷ではありますが生殖能力のない子供を助けるより
新しい子供を作った方がよほど「種の保存」になるでしょう。
>134
精神的な意味での損得勘定でかたずけてもこの議論はもったいない
と思います。
137 :
名無しさん:2000/05/02(火) 01:58
こう聞き返せばいいんだよ。
「どうしてそんな事を聞くのか。」
138 :
愛子:2000/05/02(火) 02:59
>136
いや種の保存を第一に考えて(意識はしてないが)
われわれはいきてるよ。それが生物の宿命でしょう。
食べる寝るセックスする・・人を殺さない。
すべて「種の保存」につながるんだよ。
139 :
名無しさん:2000/05/02(火) 03:02
どうして「どうしてそんなことを聞くのか」なんて聞くのか?
>どうして、「どうしてそんなことを聞くのか、なんて聞くのか?」なんて聞くの?
じゃあ、どうして、どうしてそんなことを聞くのかなんて聞くのかに対して聞くのか?
>以下略。
人は何にでも、どうして?なんで?何のために?と疑問をもち、追究してきた。
対象の発生に疑問をもってきた。
発生について語る言葉がその実、対象から論理的に遡行して得られた存立構造であった(発生論ではなく)ことがわかった。
つまり、対象とその存立構造とは対になっており、対象なくして存立構造はないが、存立構造があればいずれ対象になるのかというと、必ずしもならない。
不良に育っちゃった育て方を理解したあとで、じゃあその育て方をしなければ不良にはならないのかといえば、必ずしもそうでもないってこと。
存立構造を語るものは言語であるが、したがって、得られる存立構造は言語によって予め規制を受けている。
言語をシステムと見立て、そのメカニズムを理解する必要が出てくる。
つまり、言語は常に変化しているから、それら変化の非連続性や断層、限界などの断片としてのみ
「言語」として書き留められるようにはなる。
140 :
>愛子:2000/05/02(火) 04:10
生物学的には、動物(人)は、同種を殺さないは否定されてるよ。
猿なんかでも、ボスざるが死ぬと、新ボスざるが子供を殺したりする。
それは、メスざるに早く自分の子供を産ませたいから何だ。
本能は、自分の遺伝子しか大切にしないよ。ってのが主流。
あなたのは、30年ぐらい前の学説だよ。
141 :
代理代理いぬ:2000/05/02(火) 05:28
このスレの方々へ。
スレッド:おしゃべりしたい
の、76、79を読んでみてね。
お返事はあちらのスレッドで。
ヽ
/⌒▲_▲ ┌──────
U ( ゚ρ゚ ) < よろぴく。
∪ ̄∪ └──────
142 :
DB総統、応援団団長:2000/05/02(火) 05:44
神聖なる革命は血の犠牲によって歴史に刻まれるべきである!
>140
本能なんて知らぬのう
143 :
だだ:2000/05/02(火) 17:56
なぜ、貴方が人を殺さないのかを考えてみてください。
その答えが理由の一つでしょう。
144 :
名無しさん:2000/05/02(火) 18:42
なぜ、わたしが人を殺さないかという理由に答えたとして
も、そこからなぜ人をころしてはならないかという論理的回答
は得られない。
わたしがチョコレートを食べない理由が例えば@`糖尿病だから
というものであったとしても、その理由をもって人がチョコレートを
食べてはならない理由を導くことはできないのと同じ。
人が人を殺さないことの普遍妥当的理由を求めることは
人を殺してはいけない論理的根拠を求めることにはつながらない。
145 :
だだ:2000/05/03(水) 21:15
普遍的理由はないよ。
殺せばいい。どうぞ。
146 :
名無しさん:2000/05/03(水) 21:33
殺しちゃったなあ。愛知県豊川市の高校生。
当人の自意識の中では哲学的問いかけを社会に対し実践したつもりなんだろうなあ。
さて、社会(の一部)であるこちら側(まだ人を殺していない人間)としては、
あの行動を真剣に受けとめる義務があるだろうなあ。
147 :
144:2000/05/03(水) 22:13
事件の犯人の動機がまったくはっきりしていない状況で
犯人が哲学的問いかけを実践したつもりと推測するの
もどうかと思うが。しかし、仮にそうであったとしても
真剣に受け止める義務などないだろう。
はっきりいって、殺人を倫理的に悪とする論理的根拠がない
からといって殺人を許容しなければならない理由はまったくない。
われわれは既に殺人を悪とするルールを持った社会に生きている。
倫理と社会的ルールは別である。
倫理には論理的基礎付けが哲学的には必要だとしても
法律には基礎付けは必要としない。そこには妥当性が存在すれ
ばいいのである。
そして、殺人を悪とみなす価値判断はわれわれの社会に広く
妥当性を持っている。
他の価値観を持ち出すことによって、この妥当性によって成立
している価値観を批判するならともかく、単に倫理的基礎づけ
の欠如をもって、殺人を悪とする価値判断を否定することはできな
いだろう。
148 :
DB総統:2000/05/03(水) 23:51
>そして、殺人を悪とみなす価値判断はわれわれの社会に広く
妥当性を持っている。
「われわれ」って誰なの?
149 :
メルロポンチいかれぽんち:2000/05/04(木) 02:10
>144=147
もっともだと思います。
せんじつめれば、そこに行くしかないでしょう。
でもこれは思考実験だし、こんな問いがでてくるのは
もはや我々がいる世界とは何なのか、という
普段は気にしなくても逃れられない「世界そのものへの問い」
が人間にはあるからでしょう。
>148 荒らしにレスをだすと怒られそうだが、あなたは荒らしとしては
上等なのでレスします。「我々」とは学術論文などにはよく使われる
言葉です。別に無理矢理自分の意見に普遍性をもたせるためではありません。
150 :
名無しさん:2000/05/04(木) 03:14
誰か、現在バスジャックしている奴を、哲学で説得してみてよ。
151 :
メルロポンチいかれぽんち:2000/05/04(木) 03:23
ただいま、糸電話で説得中
152 :
名無しさん:2000/05/04(木) 04:15
>147
その意見、まったく同一のものを本で読んだ覚えがありますが、
貴方がおっしゃる内容はもっともだと思います。
更に付け加えるならば、倫理は今まさに殺人を犯そうとしている
者に対し、抑止力をもちません。倫理は臨床においては全く無力
です。
例えば、目の前に凶暴な殺人犯がいて、相手を殺さなければ自
分が殺されてしまう状況にあって、倫理はそれでもなお「人を殺
してはいけない」と言うことはできるでしょうか?
153 :
素人:2000/05/04(木) 17:45
> 例えば、目の前に凶暴な殺人犯がいて、相手を殺さなければ自
>分が殺されてしまう状況にあって、倫理はそれでもなお「人を殺
>してはいけない」と言うことはできるでしょうか?
そういう状況でたとえ殺してしまっても、
「仕方ない状況とはいえ、してはいけないことをした」と
感じるのが、倫理的態度(そんな言葉があるのかわかりませんけど)
かも知れないですね。
ルール(と倫理)と、実際の殺しをするかしないかとは、当り前だけど
ずいぶん別な事で、では倫理は何をしようとしているんでしょうか。
倫理はもともと「ルール」みたいな意味から来ていると教わりました。
ルールがあって、倫理は論理的にその補強をするのですか?
何だかテーマから外れている上に、トンチンカンな事を言っている
かも、でも素朴な疑問です。お邪魔だったら放置して下さい。
154 :
伍長:2000/05/04(木) 18:08
倫理はルールの一種でしょう。
ルールに従えば強化されるという仕組み(随伴性)があるから、ルールに従う。
ルールに従っていれば、やがてルール無しでも仕組み(随伴性)そのものに従うようになる。
強化されなければ、その仕組み(随伴性)は幻ということになり、やがてそのルールは消滅する。
進化論と同じで、目的論的に考えると混乱する。
「殺人をおかしてはいけない」という倫理に従う行為が淘汰されてきたと考えればよい。
155 :
名無しさん:2000/05/04(木) 18:51
156 :
>メルロポンチいかれぽんち :2000/05/04(木) 19:10
おまえ気色悪い。才能ないよ。
一番ひとに嫌われる哲学オタクだなあ。
・・はあ。
157 :
名無しさん:2000/05/04(木) 20:14
>殺しちゃったなあ。愛知県豊川市の高校生。
>当人の自意識の中では哲学的問いかけを社会に対し実践したつもりなんだろうなあ。
>さて、社会(の一部)であるこちら側(まだ人を殺していない人間)としては、
>あの行動を真剣に受けとめる義務があるだろうなあ。
社会のルールを守れないガキは真っ先に殺してやる(死刑)とか?
158 :
名無しさん:2000/05/04(木) 20:23
>157
しつも〜ん。
ガキを殺すのは勝手だけど、片方で法律の名の下に、
クソガキ(一応人)を殺しておいて、
どうやって「人を殺しては行けない」って主張できるんですか?
行動が言葉を裏切っていちゃ、説得力まったくナッシング。
159 :
偵察兵:2000/05/04(木) 20:41
伍長どの、質問であります!
進化論を基準に考えると、たとえば骨格は変化しても、
今まで無かったものが新しく創られることはありえない。
つまり、手の変形として翼を持つことができたとしても、
どんなに人間が進化しても、宗教画の天使のように
背中に翼をはやすことは難しい。
そうしてみると、単純に淘汰だけで説明できるものではない。
ではそのとき、随伴性の元に、無限の恣意的なルールを
「人を殺してはいけない」という方向に誘引しているものは
一体、何なのでしょうか?
以上であります!
160 :
名無しさん:2000/05/04(木) 20:51
殺しちゃいけないのは、協調関係の維持のため。
と言う訳で、協調関係を維持するための殺人はOK。(死刑とか)
協調関係を乱さない殺人も事実上OK。
161 :
名無しさん:2000/05/04(木) 21:14
>160
で、その判断は誰が行うの?
162 :
名無しさん:2000/05/04(木) 21:42
オレ様
163 :
名無しさん:2000/05/04(木) 21:55
>161
所属する社会。
ちなみに私の叔父は殺人経験者だが、日本社会の協調関係を乱しては
いないので、社会的制裁は受けておりません。
164 :
名無しさん:2000/05/04(木) 22:09
>163
つまり、社会そのものが主体であるべきで、
人間など所詮は社会の従属物に過ぎない、という主張なのですか?
165 :
名無しさん:2000/05/05(金) 00:50
ルソーの国家論が有名だけど、穴が有名なの
個人が、社会と契約するんだってさ
したがって社会が「われわれ」なんだってさ
ところで、個人が契約する以前の社会はどうやって成立したのか?
とかなるらしいよ
166 :
名無しさん:2000/05/05(金) 00:53
163に賛同。
>人間など所詮は社会の従属物に過ぎない、という主張なのですか?
現実問題としてはそういうことでしょう。
自分もまた、その「社会」の構成員なのだという自覚がほしいですね。
はみ出し者の独善的な「哲学」によって殺されたいとは誰も思わないはずです。
バスジャックの犯人は「動機」について黙秘しているようですが、まあ
大して哲学的なものではないような気がするな。
精神障害者だそうだから「電波」が聞こえたのかも知れない。(爆)
刺された方はお気の毒でした。
167 :
>166:2000/05/05(金) 00:59
社会のためならば、人権抑圧など問題にならない、と。
怖え〜。スターリソみたい。
168 :
167:2000/05/05(金) 01:08
ああ、追加ね。その種の圧政は、
基本的に社会、歴史、民衆などの名前を借りて行われる。
今でも、「我々は〜」って言う人たち、いるでしょ。
「私は〜」じゃないの。バックに(われわれの等価物たる)社会が
ついてるんだから。
169 :
名無しさん:2000/05/05(金) 01:17
>社会のためならば、人権抑圧など問題にならない、と。
>怖え〜。スターリソみたい。
「人を殺して何が悪い」なんて言う人が政権を執るよりはマシだよね。
>今でも、「我々は〜」って言う人たち、いるでしょ。
いるいる。哲学板で自作自演をやってる某教師とかね。(爆)
170 :
名無しさん:2000/05/05(金) 01:20
哲学板で自作自演をやってる某教師って誰?
171 :
名無しさん:2000/05/05(金) 02:00
>「人を殺して何が悪い」なんて言う人が政権を執るよりは
マシだよね。
たぶん、スターリンも人を殺して何が悪いと思っていたと思ふ。
スターリンは、沢山人を殺してるんだな。
172 :
名無しさん:2000/05/05(金) 02:11
ごめん、今ひとつわからなかったんだけど、
何が言いたかったの?>171
173 :
名無しさん:2000/05/05(金) 02:43
>社会のためならば、人権抑圧など問題にならない、と。
>怖え〜。スターリソみたい。
「人を殺して何が悪い」なんて言う人が政権を執るよりはマシだよね。
ってあなたが169で書いたので、私はそこであなたが、
人を殺してなにが悪いという人間が政権を執るよりは
スターリンが政権を執ったほうがましと主張していると思ったので
どっちも恐ろしいという点では同じだろうと言いたかったの。
174 :
名無しさん:2000/05/05(金) 04:15
いけなくはないと思うけどね。でも普通の状態なら人は人を
殺したいとは思わないから問題ないと思うな。殺したいと
考える時というのは怨恨か自己防衛か狂気(あるいは殺し屋
とかの"狂った"商売に憑かれた時)じゃない?でも通常は
そういう状態にならないから平和が保たれていると。
(つまり私は殺人罪という法の抑止力があるから大半の人が
殺人を犯さないのだとは思ってません。人間の本能として
普通の状態では殺人はしたがらないものだと思っていて、
だからそう簡単には殺人は起こらないんだと思っています)。
175 :
名無しさん:2000/05/05(金) 05:16
(1) (殺人は)いけなくはないと思うけどね。
(2) 殺したいと考える時というのは怨恨か自己防衛か狂気
(あるいは殺し屋とかの"狂った"商売に憑かれた時)じゃない?
174の文章は、いまいち論点が定まっていないように見えるが、
精読してみると、上に示した文中の記述2点より、
「怨恨、防衛、狂気の動機なら、殺してもOK」という
主張であることがわかる。
ををっ、これは斬新な意見ですね。読んでて良かった、哲学板。
176 :
166:2000/05/05(金) 10:02
> >人間など所詮は社会の従属物に過ぎない、という主張なのですか?
> 現実問題としてはそういうことでしょう。
> 自分もまた、その「社会」の構成員なのだという自覚がほしいですね。
> はみ出し者の独善的な「哲学」によって殺されたいとは誰も思わないはずです。
どうしてこれが、スターリンの圧政を肯定したことになるのか不明。
「人を殺す自由と権利を認めろ」とでも言いたいのか?
私の意見はすでに130で述べたとおりです。
------------------------------
130
倫理的な「善悪」と、個人にとっての「良い悪い」を区別するべきだ。
「人を殺してはいけない」というのは社会のルールであり、戦争などの例外
を除いては容認されることはないだろう。
それでも敢えて人を殺すことで、金品を得たり、快楽を得られたり、復讐を
遂げたりなど、個人にとって「良い」と思える場合もないとは言えない。
しかし、その場合は「社会を敵に回し社会から制裁を受ける」のを覚悟のう
えで実行するべきなのであって、実行前に「なぜ人を殺してはいけないのか」
などと社会的な容認を求めたり、実行後に「なぜ人を殺してはいけなかった
のか」と泣き言を述べたりすることは全く「無意味」なのだと思う。
------------------------------
177 :
名無しさん:2000/05/05(金) 11:36
戦争などは除外すると言っても,
昔のゲルマン民族とかガリア人は自分たちの生存のためにためらわず
殺人とかしてたんだよね。他の連中をだけど。
個人レベルでも,状況によってはためらわず殺人をできる人もいるだろうな。
救うなくとも作れると言うことは明白だろうが
178 :
130、166、176:2000/05/05(金) 20:16
それで?>177
179 :
>176:2000/05/05(金) 20:19
スターリンを肯定したことになるとはいっていないよ。
ただ、言葉の使い方が似てると思っただけ。
「社会の審判を受ける覚悟があれば、殺人は否定されない」でしょ?
なら、自分が社会の代理人として振る舞う限り
殺人は社会の意志であり、否定されるものではない、とも読める。
ニーチェの超人論と同じで、どこまででも悪意に解釈することが可能。
180 :
>175:2000/05/05(金) 20:42
> 「怨恨、防衛、狂気の動機なら、殺してもOK」という
> 主張であることがわかる。
死刑肯定は怨恨と防衛が入り交じった結果と思えるから、
ある意味OKということになってないか? でも狂気の場合は
強制的にやめさせたいですね。それはやろうとしている
人が狂った状態から正常な状態に戻れば殺そうという気は
なくなるから。
181 :
名無しさん:2000/05/05(金) 20:50
182 :
名無しさん:2000/05/05(金) 20:52
183 :
名無しさん:2000/05/05(金) 20:55
根強い規範主義者、人権主義者には自白剤を。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
19時29分
さらにあらゆる屈辱を与えます。
そして、生態科学的な恐怖を与えます。
火責め、水責め。
そうした現実を直視させる事により、
最後には、いっさいの哲学、倫理感の虚無を知るでしょう。
絶対君主のパワーの前で、赤子になるのです。
それこそが解脱です。
喜びに打ち震え、独裁者に感謝するでしょう。
私は正しいのです。私こそ善。神です。
184 :
名無しさん:2000/05/05(金) 20:58
その通りです。完全なる悪こそ完全なる善。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
19時23分
奴隷に対して全知全能であること。完全なる絶望を与える事。
神として君臨する事。徹底的な恐怖により、その存在を示す事。
これにより、長い闘争の歴史は終わる。
恐怖の大王こそ究極の善なのです。
185 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:04
ある歴史上の行為に対する善悪の判断は yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
16時36分
地域や時代によって異なるようです。
その時々で判断する者の善の基準にそぐわない事実は悪になるらしい。
ただ、マルスやビーナスを悪と呼ぶ者は多くても
プロメテウスを悪と呼ぶものは少なそう。
しかし中世暗黒時代には科学も魔術、悪でしょう。
しかしアポロンを悪と呼ぶ者はいないような、、
まさに、沈まぬ太陽Peeさまこそ偉いのです。
そうそう、【人でなし】こそ絶対善なのです!
否、世を呪う者にとっては太陽も悪ですね。
時代を超えて全ての者を恐怖させ、称えざる得なくさせる事の出来る者こそ、
善という事でしょう。
死よりも恐ろしい物を提示できるもの。
ウフフフフ
186 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:04
183@`184 の意見って、アホじゃのう。
「完璧な者」を仮定できたら、正しいんだけどねぇ…。
187 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:08
他者理解は、理解された者のいっさいの規範、道徳、哲学を yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
16時48分
捨てさせる事につながる。
価値観という憑き物、悪霊を払える者こそ、善。
それは自我の死である。
とすると、エクソシストの黒孔雀さんの目差すものこそ善なのか?
しかし肉体そのものも成仏させる事、殺戮そのものは善である。
188 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:11
186>アホ
監視カメラにより奴隷から一切のプライベートを剥奪する事。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
19時25分
それが奴隷を幸福にするのです。
189 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:12
法律など不用。サイコロを使って毎日奴隷を殺しましょう。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
19時40分
私は、不可知なる神秘、予測不能な絶対者でなければならないのです。
190 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:13
家畜にすぎない奴隷を洗脳する必要はありません。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
19時55分
家畜を扱うように鞭だけで扱えばよいのです。
多くの愚かな独裁者は、
それに気がつかなかったようですが。。
人として扱うから奴隷は不幸になるのです。
191 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:15
メディアを使って公開処刑をします。耳を削ぎ、鼻を削ぎ。。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
20時12分
ノコギリ引きなど、あらゆるテクニックをつかってジワジワと殺します。
一日中そのような映像を見せつけましょう。
奴隷の脳裏にそれを焼付けるのです。
奴隷の肉体は、生理的に変化してくるはずです。
労働せずにいられない肉体になるのです。
そう、何もしなければ全身が痙攣、鳥肌が立つはずです。
そして、心地よい労働と健康が得られるのです。
192 :
名無しさん:2000/05/05(金) 21:24
まぁ、荒らしもホドホドにな…。飽きられるとつらいぞ?
193 :
130、166、176 :2000/05/05(金) 22:31
キてますね。<yamigoze13 さん
なんとか覚醒というやつですか?(笑)
>179
>スターリンを肯定したことになるとはいっていないよ。
>ただ、言葉の使い方が似てると思っただけ。
>「社会の審判を受ける覚悟があれば、殺人は否定されない」でしょ?
>なら、自分が社会の代理人として振る舞う限り
>殺人は社会の意志であり、否定されるものではない、とも読める。
「自分が社会の代理人として振る舞う」というのは、誇大妄想系・・と
いうか、独善的な「哲学」によって殺人を行うものに含まれると思うの
ですがいかがでしょう。私はそれを否定しているつもりです。
私の意見はすでに130で述べたとおり。
------------------------------
130
倫理的な「善悪」と、個人にとっての「良い悪い」を区別するべきだ。
「人を殺してはいけない」というのは社会のルールであり、戦争などの例外
を除いては容認されることはないだろう。
それでも敢えて人を殺すことで、金品を得たり、快楽を得られたり、復讐を
遂げたりなど、個人にとって「良い」と思える場合もないとは言えない。
しかし、その場合は「社会を敵に回し社会から制裁を受ける」のを覚悟のう
えで実行するべきなのであって、実行前に「なぜ人を殺してはいけないのか」
などと社会的な容認を求めたり、実行後に「なぜ人を殺してはいけなかった
のか」と泣き言を述べたりすることは全く「無意味」なのだと思う。
------------------------------
194 :
名無しさん:2000/05/06(土) 12:37
かつては大自然の恐怖が yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月5日
2時9分
奴隷を妄想から生き生きとした現実に引き戻しました。
今後は私が大自然の代理として奴隷を凍えさせてあげるのです。
狼のかわりに私が冷気を吹き込んであげれば、
おのずと奴隷の体内は暖まります。
忘れられた生の喜びを知る事になるでしょう。
いにしえの者たちが自然を賛美したように私は賛美されるのです。
195 :
名無しさん:2000/05/06(土) 12:40
真面目な法律を考えるのは愚者です。徹底不条理な監獄が重要。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
20時57分
妖しい不確かな裁き、が必要です。
何をしたら殺されるのかわからない、
ただ、機嫌を損ねると拷問されるような気がするという状態。
不条理な力学的な確率的な結界に奴隷を押し込めるのです。
196 :
名無しさん:2000/05/06(土) 12:47
>倫理的な「善悪」と、個人にとっての「良い悪い」を区別するべきだ。
自分にとって善は社会にとって善。媚びうる態度こそ悪。
しかし、そうした思想が矛盾を生んだのは、老化、病気その他外的な要因によって、
権力者の他者への依存心が発生するからであり、
純粋なる個人主義、完全なる絶対王制が確立されれば問題はないです。
国際化と科学の発達は、恐怖政治の恒久的な実現を約束します。 yamigoze13
(女性/jp) 2000年5月4日
20時21分
人類の未来は、これいがいに考えられません。
事実を直視し、素直に私を受け入れましょう。
197 :
名無しさん:2000/05/06(土) 14:57
荒らしだな。
198 :
名無しさん:2000/05/06(土) 14:58
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□□□□□■□□□□□□□□□■■■■■□
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199 :
名無しさん:2000/05/06(土) 15:38
結構いい話しも出てたスレッドだったのだが。
個人的には119を結論として採用するよ。
200 :
名無しさん:2000/05/06(土) 17:25
最近売れ線の哲学者が似たようなタイトルの対談形式の本を出し、殺人の禁止を説得的に説明するのは無理、と結論づけていたが、対談相手との「殺人の禁止」というルールを共有している(と明らかに確信している)ところが、すでに駄目だと思った。殺人の動機を持っている人間と、人里離れたところで同様の対談でもするなら話は別だが。
また彼は最近ニーチェのことをよく書いているようだが、ニーチェが彼の言うとおりの思想家ならば、ほとんど読むに値しないと思ってしまう。
201 :
つうか200げっとすんなよ:2000/05/06(土) 17:48
え、だれ? ナガイじゃなくって?
202 :
名無しさん:2000/05/06(土) 17:50
あっ。200とられたあ。
畜生。
203 :
200:2000/05/06(土) 18:07
悪かったね。なんかもらえんの?
ご察しのとおり、永井均さん。(対談相手は名前覚えていない。立ち読みだったから)
204 :
なにももらえないとは思うけど:2000/05/06(土) 18:47
ナガイってどこいってもたたかれ気味だね。
語り口が無防備なのかな?
205 :
名無しさん:2000/05/06(土) 23:11
結構好きだったな。その人。
「子どもの哲学」や「翔太と猫のインサイトの夏休み」。
ニーチェ関係の本もわかりやすいと思ったけど。
206 :
Sink deep:2000/05/07(日) 00:12
どうして人だってわかるんですか?
207 :
名無しさん:2000/05/07(日) 00:27
206は培養器の中の脳か?
208 :
think cheap:2000/05/07(日) 01:49
培養器の中の脳だと人だってわかんないんですか?
209 :
>200:2000/05/07(日) 06:23
永井均のニーチェ解釈のどこらへんが不満だったの?
210 :
名無しさん:2000/05/07(日) 07:20
永井スレッドは別にあるので
そっちでやってくれんか
211 :
200>209:2000/05/07(日) 07:21
余計な一言で墓穴をほったかな^^
永井氏のニーチェ解釈に不満というより、永井氏の言うとおりだとすればニーチェは面白くないと思ったにすぎないのだけど。
ニヒリズム批判についてはいいとしても、「永遠回帰」というのが「一瞬の至福が得られるなら残りの人生はどうでもよいようなもの」というだけのものなら、独我論にすぎないような気がしたので。(つまりカント批判にもならないのではと。)
これなら、(確か彼がやんわりと批判していた)「ニーチェの経験から思想にせまる」やり方のほうがまだ納得できそうだと思ったので。
立ち読みの感想にすぎないので間違っていたら教えて。
自分に文学的素養がないのもわからん原因かも。
212 :
200>210:2000/05/07(日) 07:22
すまん。きづかんかった。
213 :
名無しさん:2000/05/07(日) 07:25
で、どこに?>210
215 :
賢者降臨:2000/05/08(月) 05:16
>どうして人を殺してはいけないのですか?
殺すか、殺されるかすればわかります。
愚者は経験にのみ学ぶのだよ。
私にはわかるがね。キミはわからないのか?
216 :
闇御前13:2000/05/08(月) 09:05
>「永遠回帰」
死の恐怖を克服する為に殺戮を繰り返す事。
有限なる哀れむべき人類の救済に絶望し涙するかわりに、
愚かなる人類を嘲笑し、
それを虫けらのように殺戮しながら高笑いする事!
それだけが救済です。
自殺衝動から修羅としての生を肯定する事!
絶望から力への意志に置きかえるのです。
愛するものに死を!
愛しそうになるものに死を!
さあ!みなさんも!覚醒しなさい!
いけにえを、サタンにささげるのです!
217 :
名無しさん:2000/05/08(月) 12:45
>「永遠回帰」
ハゲの恐怖を克服する為にリアップを繰り返す事。
有限なる哀れむべき毛髪の救済に絶望し涙するかわりに、
愚かカロヤン人類を嘲笑し、
それを育毛ブラシで叩きながら絨毯植毛笑する事!
それだけが救済やおまへんか。
自爆衝動から金比羅船船修羅しゅしゅしゅを肯定する事!
絶望から毛髪活性力への意志に置きかえるのや。
ハゲを笑うものに氏を!
ヅラを見破るものに氏を!
さあ!みなはんも!ロゲインしなはれ!
髪ありまっか。チョビチョビでんねん。
ほなさいなら。
218 :
名無しさん:2000/05/08(月) 12:48
219 :
名無しさん:2000/05/10(水) 19:13
人を殺してはいけなかったのですか?
220 :
名無しさん:2000/05/14(日) 06:59
別にいいやん
221 :
推理小説マニア:2000/05/20(土) 23:05
人を殺していいとすると、推理小説がつまらなくなるから。
222 :
推理小説マニア:2000/05/20(土) 23:06
なぜ殺人がいけないかって?
人を殺していいとすると、推理小説がつまらなくなるから。
223 :
定説:2000/05/21(日) 12:24
時代劇でも「本当は」人を斬ってません。
224 :
>196 etc.:2000/05/24(水) 02:07
フィロ・ヴァンスかヤブキ・カケルによって毒殺されますよ。
225 :
前回チンパン :2000/09/12(火) 21:33
どうして殺しちゃいけないかって?
そんなの法律があるからに決まってんだろ。
226 :
考える名無しさん :2000/10/19(木) 11:11
悪法だから従わなくていいよ
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