ないので立てました
過去スレがあったら適当に貼ってくれ
5 :
考える名無しさん:2014/08/28(木) 13:06:30.06 0
ハイデガ−の「存在」は、「時間」を“基底”としているが、「時間」概念を導入した論理展開は、
発生的現象学の分野に入る。だから、フッサ−ルとの対比の中で、ハイデガ−の哲学理論(解釈学的現象学)を
論究する時は、フッサ−ル前期の静態的現象学(純粋現象学)の時間概念を導入しない現象学論理との根本的違いを
理解しながら進める必要がある。
6 :
考える名無しさん:2014/08/28(木) 15:07:52.91 0
反ユダヤ主義ナチス哲学者
7 :
考える名無しさん:2014/08/28(木) 17:19:20.07 0
渡辺二郎万歳。
俺、昨日、
池上鎌三の哲学概論、
ゲットしたぜ。
8 :
考える名無しさん:2014/08/28(木) 18:00:01.26 0
さみしい時代だ、、、
鎌三はともかく、
二郎にも反応なしか。
一ノ瀬も嘆くかもな。
一堂零、冷越号?だ。
【例】
波平がパクリスレ『ハイデガーについて語ろう』等を立てたとする
↓
波平、ガダマーが分からない
↓
瞬時に新スレ『ガダマーについて語ろう』等というスレを匿名で立てる
↓
で、また「現存在」「存在者」とかがわからない波平
↓
瞬時に『現存在と存在者の違いについて』等と勝手に立てる
↓
また、「存在了解」が分からない波平
↓
瞬時に『存在了解とは何か?』を立てる
↓
無限に続く
糞スレ毎日立てる>1はやっぱ精神病なの?
11 :
考える名無しさん:2014/08/28(木) 21:38:01.58 0
KMN訳以外はクソ
12 :
考える名無しさん:2014/08/28(木) 21:46:07.42 0
うむ。ハイデッゲルのきもいところを、
しっかり抽出していそうだからな。
乙
ここもセンスのある書き込みはないね。字面だけ読んで精一杯な人だけ。
ハイデッガーとは関係なさそうな人たちだ。
>>14 あったのか
このスレは落として
しかしアルファベットでスレ立てとはアホだね
それじゃ誰も見つけらんねえよ
人名アルファベットくらい普通に読むのがここの住人だと思ったけどね。
アルファベットじゃ分からんとは高校生くらいでしょ(笑)
向こうは見つけ辛くて過疎ってるからこっちを本スレにしよう
>>17 読むのは誰でも読める
ただ検索はしないでしょ
どっちのスレでも読みこなせないヤツばっかなのは同じでしょうに。
「ETV 哲学を読もう」的な会話がせいぜい。よく分からんという人に講師が
通説を伝授。そこに「それは通説ではない」という反論。ここまでできれば
まだいいくらい。ほとんどがもっと低次元の会話に終始すると思われる。
横文字タイトルの方が好きだなあ。
理由1 横文字の方が見栄えが良い。
理由2 あのスレの方が年表つきで扉が凝ってる。
しかしこっちの方がとっつきやすいといえばとっつきやすいんだろうから
こだわる気はないがね。
22 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 19:20:02.65 0
むしろハイデガーは積極的に忘れるべき
ナチス哲学者だよ?
23 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 19:36:56.03 0
なんだよ「ナチス哲学者」ってw
「むしろハイデガーは積極的に忘れるべき」と言う人が「ハイデガー」を
どれくらい理解しているか。そこから問題になる。ハイデガーの生涯・
思想。全部読解が難しいわけで。「忘れるべき」と言う人は「ナチス
協力の哲学者」という1件だけで書いてる人だろう。
その手の貧困はたえずこの人に付きまとう。「シュピーゲル対談」
読むと、その辺は全部説明されてるので、それさえも
>>22は読んでない
ことが分かるわけだが。
25 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:27:44.00 0
だから読まんでいいってことだよ
26 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:28:14.31 0
田舎出の田吾作が上京し哲学を学んでかわいいガール=他なるものをゲット
ハイデッガーはナンパ哲学の教祖では無いか?
差異と隔たりからことばを紡ぎ出すネットナンパとは現代の倫理ナリ!(すっとぼけ)
27 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 21:30:44.94 0
ナチスに協力したというのは単なる時流の読み間違いじゃないでしょ
ナチスは当時から異常な反民主的暴力集団だと思われていた
そういうのを支持したというのは単なる一時的な間違いではないはずだよ
ナチスが文明に対するアンチの傾向を持っていたこと。ハイデッガー
自身がやはりアンチだったこと。そこで上手くやれば自分の考えていた
思想を注入することができると思ったこと。しかし大学をも牛耳ろう
とするナチスにたいし、譲歩せざるをえない局面もでてきたこと。譲歩
してしまうことで後年弾劾されてしまう事実も起こってしまう。そう
までして大學体制を政治から守ろうとはしたものの、結局はナチと
その系統から白眼視されて総長辞職となった。
ハイデッガーのナチ協力は以上の面から語り得る。ハイデッガーは
大学側から「ナチと対等に渡り合えるのは貴方しか居ない」と言われ
当初断ったが引き受けてしまう。そこからがあの場面になった。
そういうことは「シュピーゲル対談」ですべて語られている。ここで
色々言ってるのは無知と偏見で固まった輩でしかない。なので本来は
まともに相手する価値はない輩である。ハイデッガーをネタにするに
はナチ加担の歴史しかない。あとは現象学・神秘主義・曖昧化を
指摘し、終わらせる。これがいつものパターンなので今度もそうなる
ことが予想される。
既に内容が予想されるスレッドもまあ珍しいが(笑)実際その通りに
なていくだろう。
29 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:55:55.45 0
いやマルクス主義に対する憎しみからナチスに協力したんだろう
ドイツ赤化を防ぐためにナチスを支持した
これが事実だろう
そんなことどうでもよくないか
別にロリコンで悪魔崇拝者でオカマ言葉で話してたって学問には一切関係ない
大事なのは著作の中身だろ
31 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 22:59:07.26 0
だれがナチスの背後にいるのか当時から知ってたんだろ
32 :
考える名無しさん:2014/08/31(日) 23:03:25.65 0
ツェランもハイデガーから真実を知らされて、絶望して身投げしたのかもね
世の中いろいろあるから他殺であったとしても驚かないけど
ベンヤミンの自殺だって真相は不明だし、ツヴァイクの自殺も謎だらけだしな
>>30 > 大事なのは著作の中身だろ
その中身を読み解く手がかりになるかもしれないから
どうでもいいとは言い切れない
34 :
Wegmarken:2014/09/01(月) 02:54:14.15 0
1889年9月 標高600mの小さくてきれいな町ドイツのメスキルヒで生まれた 。
1911年 フライブルク大学で神学から哲学に専攻を変更。
1919年 フライブルク大学でフッサールの助手となり教壇に立つ。
1920年 フッサール邸にてカール・ヤスパースと出会う。以後ナチ加担による中断を
はさみながら戦前は互いに往来し戦後は往来はないものの1963年まで文通は続いた。
1924年 学生ハンナ・アーレントと既婚のハイデガーの愛人関係が始まる 。
1927年 『存在と時間(有と時)』前半部が「現象学年報」第8巻に掲載。同時に別刷刊行。
なお「前半部」の前置きは1953年第7版以後は削除された。
1933年 フライブルク大学総長となる。
1933年 ナチに入党 。
1934年 ハイデガーの進めたナチ化改革により学内が混乱し総長を辞任。
1938年 『哲学への寄与』(刊行は没後)
1946年 ハイデッガー裁判の結果、大学の職務と講義の停止命令が下された。『「ヒューマニズム」に関する書簡』
1951年 名誉教授として大学に復帰。
1959年 『放下』
1961年 『ニーチェ』上下2巻
1962年 『技術と転回』
1975年 ドイツでハイデガー全集刊行開始。第1回配本は第24巻『現象学の根本諸問題』
1976年5月 フライブルクにて逝去 。
年表が出たけど、最も詳細なものは講談社『人類の知的遺産75 ハイデッガー
』(1984年10月初版)所収の茅野良男作成のものだと思う。ハイデッガーの思想
全般−初期から中期・後期−についてもよく書いてある。絶版だが古書店
でもときどき見かけるしamazonでも500円から出ている。
茅野の年表ではハイデッガーの生涯の不明な点がよく調べられている。
たとえば1933年にハイデッガーはナチス入党をしているが、このとき
の経緯も
《総長職受諾最初の週に、ナチス党の地区群指導者ケルパーが二人の指導者
をともなって総長室を訪れ、バーデン州文教長官ヴァッカーの意向として
入党を促す。》
《かなり熟慮したあとで、総長職在任中及びそれ以降、党のいかなる職務
にも就任せずまた党のための活動もしなという明確な条件付きで、大学の利
害のために入党を言明する》
と書かれており、どういう経緯での入党だったか分かる。
>>35 茅野氏の年表が詳しいのは同意だけどナチス加担関連については
その本の出版後出てきたファリアスやオットの研究は反映されていない
37 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 11:49:48.59 0
ハイデガーの存在忘却
世界や人間を滅ぼしたい欲望や衝動や衝動的実行について
はもともとそういう欲求は初源の否定性や暴力としてあるのだから、
その欲求自体に否定も肯定もできないししても無駄なことだ。
ハイデッガーのそういう考えがあるであろうことは『哲学への寄与』
から透けて見える。ナチにかぎらず殺傷や暴力を肯定しうるとしたら
そこだったろうし、世の所謂哲学研究者や学生がついていけないし
ハイデッガーにそういうものがあることさえ読もうとしないのは
学者の限界であるし、ハイデッガーにおける暗さにいつまで
も手が届かないことはそこから来ている。
人間のなかの初源の否定性の激烈さへの眼差しは中期から後期に
かけてsein→seynへの変換としてある。むしろそこからすると
ナチスはまだ近代的効率主義や優性民族主義に毒された運動でしか
なかった。ナチスとハイデッガーの最大の隔たりは実はそこにある。
これまでのハイデッガー関連項目にはそういうところがなぜか
出てこなかったがもういいかげん本音を吐いてもいい頃だろう。
ハイデッガーの考える人間には自己破壊や殺傷やら当人にさえ訳の
わからない暗い衝動が渦巻いている。「あれは比喩」「あれは文学」
とかで誤魔化すべきではない。
ハイデッガーは全然健全でもないし不健康。ナチスなどよりも
はるかに人間観は不健康で、俺などはそこが魅力だが(笑)研究者は
ハイデッガーの悪事をナチス加担だけにし、「思想は素晴らしい」
にしようとする。違う、思想が暗いんだよ(笑)
と言っても少し齧っただけの方や他人の評価しか知らない方には
チンプンカンプンでしょうが。ここに書いたのは本当だぜ、
思想と哲学は別だし、哲学に関してはハイデガー個人に属するものでもない。
存在者と存在の区別とかは、「神の実在の証明」の問題から出てきているもので、
それに対するハイデガーの答えも、ハイデガー独自のものではない。
現存在と他の存在者の区別に関しても、用語法を除けば、ハイデガー独自の
ものではない。そうした基本的な概念にまつわるハイデガーの思想が
ハイデガーに特有のものとは言えるだろうが、だからといって、ハイデガー
個人に属さない哲学まで捨てろというのは、風呂の水と一緒に赤ん坊も
捨てろと言ってるようなもの。
その哲学者個人を肯定的に評価しようと、否定的に評価しようと、属人哲学は哲学ではないんだよ。
41 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:07:16.92 0
ニーチェ的には属人哲学以外はない
そう思うなら、哲学書なんて読まないで偉人伝でも読んでいればよろしい。
43 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 14:13:12.21 0
そういうわけにもいかんだろ
今は哲学の話題なわけだし
哲学と人間を切り離すことはできない
哲学とはそういうものなんだよ
数学と数学者、物理と物理学者、曲と作曲家を切り離すことが
できるように、哲学と哲学者を切り離すことも簡単にできる。
モーツァルトやガロワが糞ガキだったとして、それで
モーツァルトの曲や群論に対するお前の評価は変わるのか。
アインシュタインが自分の息子を精神病院に閉じ込めて
捨てたからといって、相対性理論の評価が変わるのか?
> 相対性理論の評価が変わるのか?
ん?ハイデガーのナチス加担の事実をもってハイデガーの思想の評価が変わると言っている人がいるのか?
46 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 19:10:59.96 0
>>44 そこが哲学の特殊性
哲学はいかに生きるべきかと関わる
哲学の原因はその人の感情や性格であって、哲学の結果は行動にあらわれる
思想はその人自身と不可分なのだ
人生哲学を語るスレに変わりました。
48 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:36:21.06 0
>>47 あほやなあ
哲学のことを何もわかっていない
才能がないからやめてしまえ
49 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:40:51.09 0
才能がない人間でも踏ん切りがつかず続けてしまう
それが哲学徒の哀しさ
根本的に頭が悪いので間違いしか蓄積されない
51 :
考える名無しさん:2014/09/01(月) 20:52:37.09 0
まったくだ
哲学を理解していない
恥ずかしいやつだ
恥ずかしいとはどういうことか哲学的に記述してもらえますか?
> 恥ずかしいとはどういうことか哲学的に記述してもらえますか?
その役目は
>>47が適任だな
いや、無理でしょう恥知らずですから。
恥を知っていると自負する
>>50や
>>51が適任です。
まあそう慌てなくてよい
>>47が今の心境をそのまま記述すればよいのだからそれを待ちましょう
56 :
考える名無しさん:2014/09/02(火) 02:05:41.39 0
≫もともとそういう欲求は初源の否定性
初源の否定性というのは、ハイデガー的には、
Unmittelbarkeit(直接性、文字通りなら無媒介性)の
接頭辞、unの表すものじゃないか。
ヘーゲルのいう直接性がその実は既にはらんでいる否定性、
たとえば、ドゥルーズ風に言えばこれは、根源的差異、みたいなものだ。
38さんは、ちょっとバタイユなどの思想に近く解釈しすぎじゃなかろうか。
>>56 この世に生誕すること自体で孕まれる自他への否定性。生誕すること
自体、否という間もなく‘させられる’ものである。否という間もなく
母胎から離されてしまう。最初の衝撃はそれなんで。そこに初源の否定
性が刻印されて何ら不思議はない。
貴方の言うように無媒介なものかもしれない。何らかの契機によって
人格の変幻が起こったりするその根底に初源の否定性が想定できる。
ハイデッガーは人間のそういう暗部をよく洞察していたと俺は思って
いる。『哲学への寄与』を辿るかぎり、そこは読みこめるところだと
思う。
ハイデッガーを読む場合に外してはならないのは、あの思索には
人間に元からあるもの、自然とか何か、歴史とは何か、歴史として
刻印されるものとは何かという視線が絶えずあることだ。彼は哲学史
家だという評価で哲学史との関連でのみ捉えるならこぼれおちてしま
うものがある。「人間とは何者か」の答えはまだ出ていない。
「ヒューマニズム書簡」の主題だが、「人間とは何者か」を覆蔵され
る歴史から捉えるのが彼の方法。たえず他の哲学者との比較で論じなけ
れば済まないような批評はそこからだけしか見れないなら不毛だよ。
58 :
考える名無しさん:2014/09/02(火) 03:26:13.82 0
ハイデガー哲学が、ひじょうに暗いムードがある、というのはたしかにそうだと思うが、
それは文学的な読みだろうな。
私としては、そういう文学的な読みのほうが、真に迫っていると言いたいが、
狭い意味での哲学として読む人は、ふつうは、そこまでムードを感受しないから、
あんまり伝わらないのじゃないか。。
59 :
考える名無しさん:2014/09/02(火) 03:41:06.66 0
≫ナチスはまだ近代的効率主義や優性民族主義に毒された運動でしかなかった。
あと、これは正確だね。
しかも、ナチじゃなく、ニーチェ批判についてのほうがよりあてはまる。
ニーチェは、普通に読むと、強い、美しい、はやい、優れている、
などという言葉から、近代的な含意を除ききれなかった、
という感じがあるからな。
根本的な誤解をしているよ。現存在が人なのであって、人間が現存在なのではない。
ハイデガーがあれほど強調していた、哲学では基本の基本である哲学と実証科学
の区別を無視すれば、すべてを読み誤る。
>ナチスはまだ近代的効率主義や優性民族主義に毒された運動でしかなかった。
ナチスに対してまったく異なる立場だったハンナ・アーレント、
シュテファン・ツヴァイク、ヴィリー・ミュンツェンベルクのどれを
読んでも、そんな単純化された結論は出てこないと思うぞ。
そんなことは、街宣右翼をどんな連中がやっているかを見ても簡単に
分るだろう。具体的に誰が、何をどう動かしているのか見なければ、
単純に表面的なプロパガンダに誘導されるだけだ。
具体的な一つ一つの事実関係の真偽のほどはしらないが、徹底的に事実解明されるべきだと思うね
>ナチスとシオニストの協力関係
>第1章 ドイツ・シオニスト連合とアイヒマン
>第2章 シオニスト=ナチ通商協定(ハーヴァラ協定)
>第3章 ナチスはユダヤ人内部の違いを見分けていた
>第4章 ルドルフ・カストナー事件
>第5章 正統派ユダヤ教徒たちによる告発
>第6章 同胞を裏切ったシオニスト・ユダヤ人
>第7章 シオニスト組織の最高幹部たちの衝撃的な発言
>第8章 同胞ユダヤ人を“神に捧げる犠牲”にして建国されたイスラエル共和国
>第9章 第2のホロコーストは起きるか?
>第10章 シオニストにとって「同化主義」が最大の敵
シオニストだったハンナ・アーレントが、ナチス協力者のハイデガーの
愛人で、その後、シオニスト・シンパの共産主義者で米国諜報機関の
ために働いた反共工作員を二番目の夫にして一緒に活動していたこと
からも、世界はそんな簡単に割り切れるものではないことが分る。
64 :
考える名無しさん:2014/09/02(火) 09:43:48.55 0
そうですね。
アレントの博論は、
ヤスペルスには、
かなり辛い点つけられてたみたいだし。
哲学も自然科学も、2000年以上の歴史を持っている。
自然科学は、それまでの研究の積み上げを前提にして新しい研究が進むが、哲学はすぐにスタートラインに戻ってしまう。
それは、哲学が人間の思考や社会の在り方を研究するという、研究する人自身がその中にいて、自身も研究対象も双方が揺らいでいる学問だからだ。
ハイデガーがナチスの一員であったことは、当然自身の哲学に大きな影響があったといえるし、逆に言えばハイデガーの哲学はナチスと親和的だということにもなる。
熊野訳と高田訳てどちらがいいの?
高田訳
熊野訳もいい。甲乙付け難い。
文庫でちまちま4冊買うのは面倒臭い
単行本の高田訳がいい
社会の在り方ねぇ
すごく壮大なようで非常に矮小なものだと思わないのか?
なんで人間の社会は宇宙の真理と密接であるような扱いをするのに
内容としてはほぼ同様であるアリの生態学には目を向けないんだ?
人間が特別だからなのか?
>>70 >>65への感想なら、論点が違うよ。
人間の思考や社会の在り方を研究する、というところじゃなくて、研究する人自身がその中にいて、自身も研究対象も双方が揺らいでいる、というところが論点なんだ。
>哲学が人間の思考や社会の在り方を研究する
この一文は誤解や記述のミス、不要な部分ということ?
73 :
考える名無しさん:2014/09/05(金) 23:54:18.86 0
いや、たぶん「例示」だろうな
74 :
考える名無しさん:2014/09/06(土) 06:54:14.70 0
>>46 >哲学の原因はその人の感情や性格
なんだとしたら、哲学なんて誰にでもできるわな。
>>72 誤解でも記述のミスでもない、重要な部分だけど、論点じゃないよ。
論点が導かれる前提だよ。
社会の在り方を研究しないだろ
それは社会学の領域
哲学とは無関係だ
77 :
考える名無しさん:2014/09/06(土) 12:25:07.32 0
いやするだろ
つーか社会学って「社会の在り方」とか研究する学問なのか?
「在り方」ってどういう意味だか分かってんのか?
社会の在り方を研究するのは文化人類学だな。
政治学だろ
とにかく哲学とは形而上学であって社会などという俗世を研究するものではないのは確かだ
81 :
考える名無しさん:2014/09/06(土) 14:03:15.30 0
社会哲学なんて分野もあるからいずれにせよ
> 哲学とは無関係だ
これは間違いだな
>>80 「社会の在り方」ならそれは形而上的なものとなると思うがな
「社会」そのものを研究するのとはまた別の話だ
なんかさぁ、◯◯についての学問だ→いや違うの繰り返しだよな
悪い意味で哲学の本質なんだと思う
最終的には「金を得るために意味不明なことを言ってるだけ」でなおかつ「頭いいって尊敬もされたい」って欲望が生み出した
悲しき現代の宗教だと思うよ
ハイデッガー・フォーラム9/20〜21に東洋大学白山校舎であるらしいね・
「統一テーマ 可能性としての現象学」「特集 フッサール」らしい。
つまらなそうだから行かないけどね。いつまで同じことやってんの?が
正直な感想。2014年にハイデッガー語るなら『哲学への寄与』以外にはない
でしょ。相変わらず「ナチス加担だけがハイデッガーの悪事。思想は
素晴らしい」でまとめる習慣。もうそういう場所からは早く退散することだ。
ハイデッガーは学者の自慰の道具じゃない。
>>84 もちろん、自慰の道具じゃない。
生活の糧だ。
『存在と時間』はシコれる本だな
オカズとしていい出来だ
そこらのグラビアアイドルの写真よりよほど抜ける
>>86 す、すげえ。
そこまで飢えてるやつは始めて見た。
哲学書を読むなんてマス掻くのと同じだという喩えだ
哲学するとは思考することに意味がある
読書は他人の思考の足跡をなぞる行為に過ぎない
このスレにしたって表向きはハイデガーのスレだがレスそのものは全然ハイデガー的ではない
デリダのスレも全然デリダ的ではない
“モノ”に出来てないってことだ
>>88 なんだ、たとえか。
下品なやつだな。
じゃあ、一応コメントしとくと、自慰行為というのは肉体に根拠を持つ自然の変態系。
読書は、社会的な自己、つまり共同性の中の自己のその共同性に対する関係の確認行為。
ハイデガーの共同性の中での位置とハイデガーのたどった勉学の経緯を理解できる範囲で、読者はハイデガーを理解できる。
モノにするというのは、そういうこと。
>>89 おっ、ちょっとはハイデガーぽいじゃん
思うんだがデリダを論じるならデリダ的な文体で書くべきじゃないか?
東の郵便本は論じている対称と論じている文体が解離し過ぎていて何だかなあと思ってしまう
浅田の構造と力もそうだが
彼らにはフランス人のように書くのは無理なのか?
かといって外国人的に書こうとすると初期の丹生谷みたいになるだけだしな
ハイデガーでもデリダでも、日本人が文体まで模倣すると悲惨になるという印象しかない。
あれは一種文学の世界だから、シェイクスピア研究の論文がシェイクスピアの文体を真似するようなもん。
そう
ラカンにしてもデリダにしてもドゥルーズにしても文学的な文体なんだよ
日本の思想家は柄谷にしても総じて電化製品か何かの説明書みたいな文体だ
そういうことに意識的である程度成功=文体の外国文学化してるのは蓮實くらいか
>>92 成功かどうかは別にして、蓮実の文体って、1行で済む話を3ページぐらいに引っ張るね。
人気のフランス哲学は、メルロ=ポンティ以外みんなそんな印象がある。
「◯◯は、しかし、××だと考える。」
こういうのってあっちの言葉の構文をとくに考えず真似してるだけで
不自然にも程がある日本語だよな,
また無意味なことを言う(笑)あらゆる言われる言語は個人の想念を孕む、という
意味ならばあらゆる思想は個人の想念を孕むし個人の体験から導出される、と
言う意味なら文学とも言える。
しかしそれらが素晴らしいのは決して書き手本人にのみ妥当する世界が
描かれる訳ではないという一点にある。「あれは文学」という人はあれらが
書き手にのみ妥当する訳ではない。普遍性を狙って書かれており、またそれを
獲得もする、という一点を逃している。生半可な感想だよ。大学生とかが
仲間内で盛り上がりそうな話だな(笑)さほどたいしたことを言ってる訳では
ないとそのうち分かるよ。もうそういうところで時間潰す気はないな。
あなたらは「あれは文学ですからね」で終わる人間よ。それだけのこと。
柄谷の話が出たついでに柄谷が引用する「他者を手段としてのみならず目的
としても扱え」。あれこそ何が言いたいのか、どういう実現を指しているのか。
さっぱり不明な文言ではないのか。唯一考えられるのは左翼政治へのオルグ
こそがまさしく「他者を手段として、かつ目的として扱うことである」という
左翼の自己正当化だけだ。政治の論理なんだよ、早い話が。そのくらい
見抜いておかなきゃまたヤツの詭弁の思うつぼだぞ。学生君。
他人を見下したい人
知的だと崇められたい人
社交的に褒め合うのが好きな人
頭をつかうのが面倒な人
上記に当てはまる人が集まる場所
>>96 ある哲学者によると、哲学者同士というのは相手の説を否定することしか考えてないそうだよ。
だから、会えば必ず言い争いになるんだそうだ。
>>97 そこらへんのおっさんの政治や社会に対する文句と
哲学書を書く行為ってそこまで方向性は変わらないんじゃないかと思う
必要なのは「増築」する力だよな
安倍のせいで増税だよ。カミさんがお小遣い減らせってさ。てめえがお茶すんのやめろよなってハナシだよホント。
↓
果たして今まで問われたことがあっただろうか。
貨幣経済、言語の交換―いずれも「消費」つまり失われてゆく命、死への強い要求と
その充満による快楽とが人類にとって欠かせぬものとなった時に、それは薄く削り取られてゆく。
神は言うだろう。
「消費を止めよ、生を求めよ」
だが、我々はそこで反論しなければならない。
「神よ、あなたこそが我々に何かを求めるのよ止めよ」、と。
こんな感じ
>>99 理解力が全然ない
ちゃんと読んでないどころか
そもそもアタマが足りてない
>>97 ああ、大ウソだねえ。継承しその意義を読み解きながらながら限界を指摘
する。ハイデッガーのニーチェ解釈の方法はそれじゃないか。
《相手の説を否定することしか考えてない》って誰のことか分からないが
テレビに出てくる人たちのやってる論争のことを言っているならまあ分かる。
歴代の哲学者がそうということはないね。
>>101 現実の大学教師の自嘲をそんなにマジに受け止めるなよw
>>102 現実の大學教師もその論争を横目でみてる輩もたいしたことないという点
では同じだな。
ハイデッガーは研究者の偉大さは単に大きな発見をしたとかいうこととは
関係ないとはっきり書いてるけどね。もちろん論争で勝つことでもない。
じゃあ何かというのはどっかに書いてある。ここにはそのテキストは書かない
。(笑)探してみれば見つかるからね。
>>103 もし、ハイデガーが偉いとしても、君が偉いわけじゃないからw
だいたい、ハイデガーを偉いなんて思う人間は哲学愛好家の中でもごく少数だろ。
>>103 君は「偉い」という語を簡単に書いてるが君の言う「偉い」とはどういう
意味なんだろう。参考のために教えてくれないかね。ちなみにハイデッガー
の言う「研究者の指導者性」とは一般に言われている意味-たとえば辣腕、
大きな業績の達成-とは相当違いがあるんだが。
>>106 やっぱりそうだったんだね。
「研究者の指導者性」が「研究者の偉大さ」とどういう関係があるのか聞きたいところだけど、ま、それは置いといて。
「偉い」というのは、他者が「偉い」と思う、ということだけだよ。
大きな発見をした人、他人のために自分の利益を追求しない人、貧しい人のために尽くす人、そして、他人の意見に耳を傾ける人、かな?
>>107 そう。正確には「研究者の指導者性」なんだけど、「偉大さ」と同じ意味で
ハイデッガーは使っていると読んだのでね。
ハイデッガーがこれらの語彙を使う場合、彼の思想が大きく陰を落として
いる。彼の思想からみればこの場合「指導者性」と「偉大さ」は同じだと
解釈したわけね。
そこででは「研究者の指導者性」は何だと貴方は考えるでしょうと聞きたい
ところだけど
>>107を読んで一般的な回答しか出てはこないと分かったので
どちらでもいいです。ハイデッガーにさほど通じているわけでもないだろう
しね。
俺から見るとハイデッガーの下すそこでの見方は鋭利で彼らしいと思った
ところだけど。まあこの辺で。
>>107のように人を馬鹿にするつもりが逆に馬鹿にされているのを見ると
もうネット止めたらいいのにと思う
ニュートンのプリンキピアが実は「カエルの王子が書きました」ということが発覚しても
誰もプリンキピアの結果を捨てようとはしないだろう
だがハイデガーの存在と時間が「ハイデガーじゃなくてパプアニューギニアの33歳の無名のおじさんが書いた」ということが発覚したら
どうなるんだろうか
哲学でも小説でも長編なら作者が誰かってことで作品の価値が変わるようなことは少ないだろう
>>110 ドイツ人の思惟でなければハイデガー的には『存在と時間』は無意味だろ
>>108 「指導者性」というのは、個人的な関係と政治的な要素がその中心を占めるから、政治家を偉大であるとか小物であるとか評価するのと変わらない。
>>109 なにを口惜しがってるのかわからないけど、反論があるなら具体的に指摘することだよ。
哲学への寄与の訳はどう?
無駄に終わりそうなら新しい英訳も検討したい
>>113 ハイデッガーの言う「研究者の指導者性」では「個人的な関係と政治的な
要素」は考慮に入らない。それじゃどっかの会社の社員が呑みやで話す
出世の仕方と変わらないじゃないの(笑)しかし俗っぽいねえ貴方は(苦笑)
>>114 創文社版翻訳でとくに困ったことはないけどね。渡辺二郎がひどく
怒って自分で翻訳し直したそうだけど、渡辺が考えた用語をみると、それ
でも分かりにくいことには変わりはない。いずれ弟子が整理して渡辺二郎
翻訳版が出るだろうが、創文社版で足りてるな、俺の場合は。なんとか
自分なりのイメージが掴めるまでに4回は通読したけどね。慣れると良い
訳だよあれも。
>>116 ハイデガーって、普通に俗っぽいんじゃない?
だから学長の座にこだわったし、ナチスと強調し足し、戦後も自己弁護的な言い訳に終始したんだろ?
>>117 >ナチスと強調し足し −> ナチスと協調したし
ひどいな、こりゃw
>>116 1966年の「シュピーゲル対談」でも、散々断ったものの「ナチスによる支配を
逃れるために他にはいない」という説得に負けたとしている。ただアンチ現代
文明という点では共通しているし、なんとか自分の思想を注入できないか
とも考えていた。また、まったく迎合しないことはできず、入党することも
引き受けてしまう。しかしそれもまた大学の利害のためだったという。
結局ユダヤ人人事で抵抗しもめて信用を失い本人ももう沢山ということで
約1年で辞任している。
こういうことを知りたいなら『人類の知的遺産75 ハイデッガー』(
茅野良男 講談社)に詳細な年表があるから読むと良い。絶版だが古書店
にもあるしamazonで500円から出ているので入手はしやすい。
強大な権力が大学を支配しようとしたときに守ろうとした人間の右往左往
の一種だとみるがね。そういうときに堂々としてられる人間などいないよ。
通俗性のかたまりだとしても付き合わないと仕様がない。機嫌を損ねること
は即大学に跳ね返ってくるわけだしね。
まあでも本を読まない人や読んでも理解できない人に何言っても無駄っぽい
けどね。
偉そうに言いながら結論はただの想像の件
>>119 >>117だけど、なぜハイデガーの戦後の言い訳を鵜呑みにするの?
それを鵜呑みにするなら、確か学長就任演説だかのナチス礼賛も鵜呑みにしなきゃいけないだろ?
なぜ一方が「仕様がない」から発言してしまったことで、一方は信じられる発言だと思うの?
社会情勢としては、一方はナチスの波の中、一方は反ナチスのうねりの中、というまったく等価な状況なんだよ?
>>121 前半は同意するし、茅野の本はファリアス等の研究を盛り込んでない
しかし後半の
> まったく等価な状況なんだよ?
これは違うのでは?
>>121 「まったく等価な状況」は違うでしょう。もうどうしようもないという
状況で学長就任の嘆願がきてるのでね。少なくともハイデッガーの周囲では
もうどうしようもない、という状況だった。ハイデッガーの前任は就任早々
認められず飛ばされている。そこでとうとうお鉢が回ってきた。そういうと
ころは貴方は知っているのかな。
今の社会でもそうですよ。これはおかしいということがあっても変えていく
ことは難しい。原発反対で大デモをあれだけ都内でやっても現在、原発は
各地で再稼働していってる。ナチスよりは穏便な今の情勢でさえそうで、
権力のある側ない側の差異は埋めることはいつでも困難。ましてや相当
強硬な当時の情勢では太刀打ちなどできない。逆らえば何されるかわかった
ものじゃないのだから。
盟友だったヤスパースやその妻もひどい目に遭ってる、そこも知らない訳
ではないだろうね。身近にもうそういう状況があった。いつ自分もそういう
ことになるか考えれば、抵抗は難しいでしょう。
謝るっていうのも「何で?」と考えても不思議じゃない。その状況
にいるいないの違いは決定的だよ。
2011年当時原発反対で盛り上がっていたが今はどうなのか。結局再稼働
していることで反対運動は負けて行ってるわけだが?今でさえ変えていく
のは困難なんではないのかい?ましてや当時はどうか想像してごらんなさい
な。
個人と状況の関係についてもっと考えることを奨めるね。
>>123 > もうどうしようもないという 状況で学長就任の嘆願がきてるのでね。
その根拠は結局ハイデガー自身の弁明でしょう?
>>122 戦後の欧米の反ナチスのうねりは、30年代のドイツにおけるナチスの圧力と変わらないだろう。
それはともかく、ハイデガーはナチスの圧力から大学を守るために学長になったわけじゃないだろ?
積極的に、ナチスの意志を大学にもたらしたかったとしか読めない。
それに対しての、戦後の言い訳が見苦しいし、ハイデガーの社会人としての通俗性を表しているというのが僕の見かた。
だから、著作の中の表現にもその通俗性は表われていると思うし、逆にその通俗性を抜きにしてはハイデガーを理解するのは難しいとも思ってる。
通俗性というのは、必ずしも否定されるべき評価基準ではなくて、その通俗性を解明すべき人間のあり方にまで客観化することが哲学の大きな課題でもあると思う。
たとえば、ハイデガーの時間概念は、通俗性、つまり、日常的な感性によっているんじゃないだろうか?
>>123 言い訳せざるをえないのが、戦後の状況であるということを指摘してるんだよ。
それが、戦前も戦後も個人と状況の関係が等価であるということ。
>>124 前任メレンドルフが総長就任2週間で「ユダヤ人排斥プラカード掲揚拒否」
が原因でたやすく免職される、という状況は普通は「とんでも
ないことになった」と見ることです。そんなことは普段はありえない。
そこさえ理解できないのかな。もっと年表くらいは読みなさい。茅野良男
のものが最新資料を入れてないという批判があったがそれでも相当詳細に
やってる。それくらいは読みなさいや。こういうところに書くのなら。
amazonで500円で出てるって書いたじゃない(笑)簡単に買えるんだからさ。
>>127 横だけど、1冊の本に書いてあることが真実である保証はどこにもないよ。
前任者を追い落とすためのハイデガーの策略ではないとも言い切れない。
そう思われてもしかたがないくらい、ハイデガーはナチスに傾倒していたという何人もの証言があるようだ。
>>125 >たとえば、ハイデガーの時間概念は、通俗性、つまり、日常的な感性によっ
>ているんじゃないだろうか?
これは具体的にどういう辺りがそうだと考えるのかな?ちょっと説明して
もらいたいね。ほんとに読んでる人とは思えないんだが(笑)まさか
良く読んでもいないのにそういうことを書いてる訳でもなかろうから。
ちょっと貴方の説明を読みたいなあ。あんまり期待はしてないけどね(笑)
>>125 そんなこと俺に言われても困るんだが、
とりあえず当時の社会情勢が「まったく等価の状況」というのは聞いたことがない
というかそもそも「等価の状況」って意味がよくわからない
>>127 > 茅野良男のものが最新資料を入れてないという批判があったがそれでも相当詳細にやってる。
いくら詳細にやっていたって今話題になっている件についてその後の研究を盛り込んでいないのだから仕方がない
あなたもフーゴ・オットの『伝記への途上で』を読んでみればよいだろう
絶版などという事態にはなっていないので、茅野氏の本のように安くはなっていないが
人類の知的遺産は文庫化されているものが多いがハイデッガーのはスルーされているな
需要がないのか、または「終わった研究」なのでもう著者が今更文庫化したくないのかわからないが…
ナチス関係の記述は陳腐化していて役に立たないが、年表が詳しいことは確かなので是非学術文庫に入れてほしいものだ
また話は変わるが「現代思想の冒険者たち」シリーズの高田珠樹のほうは文庫化されるそうだ(10月発売)
加筆があるのか楽しみだ
>>129 横レスだけど、日常的な生は堕落した非本来的なもので、我々がそこに帰るべき本来的な
ものがあるというのは、非常に通俗的な宗教的言明だと思う。
ナチスに一部は共感するのだからまったくの無関心ではなかったはずだ。
『わが闘争』を熟読していたとしても不思議ではない。「傾倒」といえば
言えるだろう。それで何が言いたいのかよく分からないね。
あと「ハイデッガーの悪事はナチスに加担したこと」といういつもの
話が出てるが。ハイデッガーの中には世上の、また世界のあらゆるものに
たいする否のイメージがどこかにある。そこからするとナチスもまた人間が
考え出した文明の一種でしかなく、実際1930年代後半はそういう考えに
傾いて行く。有の神性からみた人間は犠牲になるもの、という考えが出てくる
。ナチスよりもハイデッガーの方が相当頽廃的なんで。そこもナチス加担
を騒ぐ人間はハイデッガー思想を誤解してると言いたいところだね。
「ヒューマニズムを越えて」と云う標題の作品を戦後すぐに発表している
。ここの人は読んでも分からなかったんだろうが。そこでの人間像の根底が
やっぱりそのいわば理性的動物としてではない人間になってる。ナチスの
思想はまだ理性的動物に偏していた。がハイデッガーの後年の批判になる
。すでに1930年代後半に萌芽しているわけだけど。
>>129 まったく忙しいな。ここの人は(笑)ハイデッガーのいう本来性ってのは
別に天から降ってきたり、聖書に書いてあってり、神父から啓示を受けたり
して授かるものではないのよ。
<既有的に将来する>っていう言葉があるけど、自分の自覚もしていな
い過去の意識の堆積からあるとき思いもかけない人物が生成し
てくる。それまでこうだと思っていた自己からくみ取れないものが
ある時生成する。周囲や、自分からも理解できないものだけど、そういう
ものが生成してくる。それは意識できないけども堆積し埋もれていた自己
なんで、そういうものにこそ本来性はあるんだよ。という思想なわけ。
なんで自分がこれを、この人に惹かれるのか。ありえない。でも気になって
仕様がない。ハイデッガーはそういう、自分が制御できない気がかりこそ
自己なんだという。かれのいう本来性とはそういう思想であって自然哲学
と言っていいものだ。宗教とは言えず自然哲学というべきものだ。人間
における自然な発露を重要視している。
>>130 「等価の状況」というのは、社会と個人の精神のあり方、ということ。
その時代の社会の価値観による圧力と言い替えてもいい。
共同性というのは、常に個人に対してなにかの統一的な圧力を加える。
その圧力の度合いが、戦前のナチスと戦後の反ナチスでは等価だということ。
>>135 解説ありがとう
しかし、私の頭が悪いせいもあってイマイチあなたの言っていることがよく分からない
実証的な話というわけでもなさそうだから、
わたしのほうで「違うのでは」などと噛み付いたのがそもそも誤りだったのだろうね
(笑)
例の反ユダヤ本が出てしまっている以上、ハイデガーを茅野の記述から擁護している人の虚しさが予め確定してしまっている
ハイデガーの用語って1つで十分なものに3つくらい名前ついてるのが多くない?
哲学用語なんて問題を先取りしてないとどうせ意味がわからないんだから
用語より文脈の方が大事だと思うんだけど
>>140 「存在と時間」だと記憶してるけど、言葉がない以上に「文法」がないって言ってるよ。
そこらのへんの言葉の苦労は学んだあと自分で哲学を要約しようとすればわかるよね
なるべく用語使わず直観的に、それでいてどうでもいいことは飛ばす
これが難しいこと難しいこと
143 :
考える名無しさん:2015/01/01(木) 14:59:23.67 0
創文社のアナクシマンドロスの訳はひどいね。
実存的と実存論的でも全然意味違うからなぁ
146 :
考える名無しさん:2015/03/08(日) 15:40:35.74 0
>>134 「それは意識できないけれども、堆積し埋もれていた自己なんで」と
述べているけれども、現象学的還元を経て現出された「自己」は、内在的構成として
認識(=意識として)されるのではないでしょうか。
>>146 そこは重要な問題だけども、現象学的還元も、行為や気がかりが為され
てその後に還元されていくしかないものですね。何もないときから還元される
ことはない。あくまで事実としての発露・生成があって、それからのことにな
る。そこがやっぱり自然の思想だと思います。自己における未明な部分を
重要視するというね。
148 :
考える名無しさん:
ハイデガ−哲学は、前期(存在と時間)の「作られてある(被制作性)」と、
後期思想の「なる(生成)」に分かれるけれど、後期の“生成”は人間を含めた
存在そのものを自然(フユシス)として捉えている。つまり、日常性からの現象学的還元によって、
自然=生成として捉えらている。