アルキメデスが発見した脅威の数「0」

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1考える名無しさん
白人のアルキメデスがゼロを発明した時、
これを受け入れられない者が多く、
ローマのキリスト教はこのために
数学がだいぶおろそかになったとか。
2考える名無しさん:2014/08/03(日) 09:56:03.39 0
ゼロは、もっと古代のインド数学だろ
3考える名無しさん:2014/08/03(日) 12:09:20.58 0
いつもの白人コンプの人だろ
世界史の知識が滅茶苦茶
おそらく別の国の教科書で勉強したんだろう
4考える名無しさん:2014/08/03(日) 13:33:31.43 0
白人コンプってどうすれば慣れるのか不思議でたまらない
5考える名無しさん:2014/08/03(日) 14:29:22.17 0
白人と学友になり、白人に嫉妬されるような発言に慣れる。

"you can draw ,right?"
休憩時間突入時に描き込みをまだ続ける俺の前を通り過ぎながらそう言うDavid.

"Hey, who was that beautiful lady, and why was she with you here where noone buy only you guys taking a look at your design work?
is she your girl firend? "
政治学学位持ちのその白人David(水瓶座)、すげー紹介して欲しそうにしてた。俺もびびった。
別学部のその色白アジア系の半ネイティブの彼女が突然俺を訪ねてきて、作品見せてくれとか言って
誰も居ないスタジオ(開けっぴろげの横長空間。ロッカーで隣の部屋と区切られてるだけ)で俺の作品をスライド映写機で部屋を暗くして閲覧する事態になっていたから。

その白人David とは、俺はかなり仲良かった。冗談を言い合う毎日という感じ。
6考える名無しさん:2014/08/03(日) 14:33:08.42 0
buy はbut のtypo.

ついでに、
Randy "hey, you want to go for a drink? why no!? man, I'm so frustrated I can't do thing I got to drink, we got to go, okay?"
魚座のランディも、かなり仲良かったね。

みんな普通の「人間」だよ。
7考える名無しさん:2014/08/03(日) 17:12:18.69 0
>>2インドのゼロはアレクサンドロス三世がもたらせた。
数学の証明や幾何学もね。
8考える名無しさん:2014/08/03(日) 17:15:56.97 0
妄想はいらん
9考える名無しさん:2014/08/03(日) 18:14:45.56 0
俺の実話は必ず妄想呼ばわりされる。最近、それは嫉妬とよばれる現象なのだと知った。
10考える名無しさん:2014/08/03(日) 19:35:30.86 0
必ず妄想呼ばわりされるというのも嘘です
11考える名無しさん:2014/08/03(日) 21:25:21.98 0
なんでもありを信仰している人は、自分に都合の良いことしか信じないから対話する相手から外していく。そうやって人が離れていく。
12考える名無しさん:2014/08/04(月) 23:10:34.45 0
13考える名無しさん:2014/08/05(火) 05:53:39.35 0
1(ひと)は世界の自己表現として存在する。
14考える名無しさん:2014/08/05(火) 06:15:58.07 0
アレクサンダーがインド世界にゼロと彫刻をもたらし
中東に科学と哲学を齎せたのは有名じゃん
15考える名無しさん:2014/08/05(火) 06:18:48.81 0
1−1=0
16考える名無しさん:2014/08/05(火) 07:14:28.66 0
1(ひと)は世界の自己表現として存在し、
世界は常に人称構造の関係性として現れる。
17考える名無しさん:2014/08/05(火) 09:40:18.51 0
1(ひと)は、1(ひと)であるとも、0、つまり、
1(ひと)の不在であるとも決定不能な絶対無を
背景とした世界の自己表現として存在し、
世界は常に人称構造の関係性として現れる。
18考える名無しさん:2014/08/05(火) 12:05:17.66 0
17・8世紀に白人科学者が「ゼロを神」「1を宇宙」として
計算したら0から1は生じると証明できたんだっけ?
19考える名無しさん:2014/08/05(火) 14:13:48.93 0
逆だ。
1が神、
0が無。
1から無は生まれる
20S、イマムラ:2014/08/06(水) 15:54:46.30 0
  c点論者です。哲学ではありませんが、「c点」は、零「0」の概念に
 極めて近いものです。よって、少し書かせて下さい。
21S、イマムラ:2014/08/06(水) 16:04:50.96 0
  20につづく

 「c点による時空論」を、また「c点論における矛盾と無限」「c点論を巡って」
  を検索の上、参考にして下さい。なを、c点論は、「矛盾と無限の視座」に
  立つ、思索ですので、ある意味では「本質論」ですので、科学に比べて
  数段価値を、下げるのはやむをえません。つまり、「現象世界の真理」との
  間のギャップは、どうすることもできません。
22S、イマムラ:2014/08/06(水) 16:22:01.09 0
  21につづく

  「c点」は、空間における純粋な「点」であり、粒子でもなく、もちろん、
  体積もなく、位置のみ占めるだけの、「有と無」との合一した「矛盾」で、
  これがc点論の視座のひとつです。これは、オリジナルな思索です。また、
  「c点」は、空間における「無限」に小さな点であり、この無限は実座右する
  と思索するのが、二つ目の視座です。これもオリジナルな思索です。
    この二つの「矛盾と無限」の視座より、「c点」はなっております。
23S、イマムラ:2014/08/06(水) 16:38:58.90 0
   22につづく

   「c点」は、無限に小さな「有」と、これは矛盾ですが、無限に
   大きな「無」から、なっております。了解願えますか。
   これが、仏教における「華厳経の世界」そのものです。
     一即一切  一切即一  一即多  多即一
   を意味するものである。十分な、ご思索ご検討をお願いいたします。
   「無」は「一切」でもあり、「多」でもあります。「有」は「一」のみ。
24エス、イマムラ:2014/08/06(水) 16:53:01.77 0
   23につづく

   「c点」は空間における「起点0」でもあります。ここで空間に
   「基準 1」を仮定しますと、「矛盾と無限の視座」を利用して
   「0と1とを結ぶ数直線」が出来ます。
    これにより、「0と1とによる2進法」が可能となり、数学が
    成立します。

    だらだら、他愛ないことで、、「哲学」版にご迷惑をおかけしました。
25考える名無しさん:2014/08/06(水) 17:08:23.18 0
これは、荒らしカネ
26S、イマムラ:2014/08/06(水) 17:58:18.75 0
   22の一部訂正

   中ほどですが
   −−この無限は、実座右する →  この無限は、実在する
27S、イマムラ:2014/08/06(水) 18:04:06.13 0
   22の一部訂正

  −−−この無限は、実座右する  →  この無限は、実在する
28考える名無しさん:2014/08/06(水) 18:05:51.68 0
わかったヨ
29考える名無しさん:2014/08/07(木) 02:58:49.90 0
>>23これら経典を訳した時に「0」に相当する概念をクマラジーヴァは「一」と
訳したのでしょうかね?
30考える名無しさん:2014/08/07(木) 03:01:22.98 0
無はふつう「0」と「無限」とされる。
ということは「多」は「1〜無限未満」ということですね。
これらは当時の支那人は認識していなかったと思う。
負数は世界で最初にインドと支那人が発見したが
0は支那人には理解できなかったのでクマラシーヴァは
「一」と訳した・・違う?
31S、イマムラ:2014/08/07(木) 06:07:07.96 0
   ↑  29と30

   仏教哲学のエリートには、テキスト「文献」ナシでは、ご心配で
  しょう。だが、c点論は、如来の縛り(ムキ)も竜樹の縛り(ケロン)
  も無視して、仏教哲学ではありません。そもそも、思索を縛り(禁止)
  を設け、これは、哲学とは言えません。「真理」を求める姿でナイ。
  それを、了承の上、新しい思索も知る心、これこそ愛知(フィロソフィー)
  では、無いでしょうか。
32S、イマムラ:2014/08/07(木) 06:22:38.82 0
  24につづく

  「0」に関する文献学的知識は、愚生にはありません。だが、ご
  存じの様に2進法は、プラスーマイナスとして、今日のコンピューター
  と結びついていることは、ご案内のとうりです。しかし、c点論は
  先に述べている様に「本質論」です。この世(現象世界)のビジネス
  とは無関係で、何ら社会にメリットをもたらしません。
33S、イマムラ:2014/08/07(木) 06:44:41.23 0
   32につづく

   「c点」(本質)とこの世(現象世界ーー科学の世界)との
    ギャップは致命的ですらあります。ここで、本質と現象世界
    、つまり、現象世界の最先端「素粒子」との関係は、全くの
    空想(宗教にも近い、論理を超えた思索。矛盾と無限の視座
    に頼る、信仰?)によるものでしか、ありません。
    乱暴ですが  「c点」 →素粒子→原子→分子そして、「物質」
    この無理な思索は、認めますが、ひとまづ、c点=本質 として
    今後も、論を進めます。
34考える名無しさん:2014/08/07(木) 07:18:53.96 0
for文書ければc点超え
35考える名無しさん:2014/08/07(木) 07:35:27.44 0
>>33「C点論」で調べたらあなたのサイトが出てきたよ。
線と線が接する極限値のことなんですね。私は
教養がまったくないので間違っていたらごめんなさい。そして
思うに「0」というのは昔っからあるあの「陰陽乾坤図」と
同じなんじゃないかなあ、と
思い始めた。
36考える名無しさん:2014/08/07(木) 08:09:37.91 0
1が存在するということは、1=1、
つまり、左側の1と右側の1の交換が成立するということ。
例えば、ここからそこまでの1歩と、そこからここまでの1歩の
交換が成立し、1は交換可能な2つのうちの1つとして現れる。

1が不在であるということは、1−1=0、
つまり、有る1を別に有る1によって取り消し可能であるということ。
例えば、ここからそこまで進んだ1歩を、そこからここまで進む1歩で
取り消すことが可能であり、0は、1の取り消しとして現れる。
37S、イマムラ:2014/08/07(木) 08:32:37.15 0
   33につづく
   疑問もあるでしょうが、しばらく、読んでください。

   私たちは、現象世界(科学の真理に基ずく世界)に生きております。
   そこでは、「矛盾は認められナイ」。これが、自然科学の大原則
   です。科学的真理にくらべ、「本質論」は二の次さんの次の、価値しか
   ありません。現象世界(自然界)に生きる私たちには、自然の摂理、
   真理が、最重要です。そして、現実的メリットもあります。
38S、イマムラ:2014/08/07(木) 08:59:19.30 0
  37につづく

  私たちにとり、兎に角、生きることが最重要です。つまり、「いのち」
  こそそれですが、それはここでは論じません。
  だが、人間は科学のみには、生きません。そこで、あらゆる手段で生きる
  のが人間です。これまで「本質論」は、この世(現象世界)では価値が
  少ない様に書き(学問)もしましたが、「本質論」は十分にビジネスに
  なり、人間の生存を助けます。特に、宗教は「重要な存在」です。物質
  よりも、「幸せ、心の慰め」が生きるために、重要だからです。
39考える名無しさん:2014/08/07(木) 09:10:51.64 0
「科学」というのも
人がこの世の不思議なことを割り切るために用いた
強引な手法だと思うな。いずれこの概念は
ピタゴラスの無理数、キリスト教徒が嫌った「ゼロと無限」の
概念のようになくなるかもしれない。
40S、イマムラ:2014/08/07(木) 11:26:39.16 0
   38につづく

   本質論の、仏教哲学の場合
   色即是空  「色」現象(物質)は「空」(非存在)である。
          物質「アルモノ」はナイ。
   同じ本質論の  c点論の場合
   色即是空   これは「色」=「空」で、  有無合一体
          現象世界では、感覚器官は「無」を認識できない
          よって、有無合一体 → 「有」と認識する。
          物質(あるもの)はアル。 ナイものはナイ。
   しかし、現実には、仏教哲学が正論とされ、他の思索は釈迦や
   竜樹により禁止(ムキ、ケロン)されており、現実社会では、なんら
   不都合はナイ。社会的損失もなく、ながい歴史において、政治、文化、
   宗教活動で多大の貢献をしている。
41S、イマムラ:2014/08/07(木) 12:45:02.60 0
   数学「2進法」は、今では電算処理の基本である。だが、
  「c点」は「無」ではない。「零 0」と少し趣が異なる。
  「零 0」を論ずる筈が横道にそれてしまった。
42S、イマムラ:2014/08/07(木) 12:59:33.23 0
  蛇足ですが、これで失礼します。
   現実の宇宙論(科学的)は現象世界の研究の為、「時間」
   を含め、ダイナミックに流動していますが、華厳経の宇宙は
   無限大と無限小(無ではナイ)の同時同位置存在と言う
   「本質論」です。
43考える名無しさん:2014/08/07(木) 13:02:36.67 0
「0」は興味あるテーマです。
古今東西の文献を、調べてみましょう。
44考える名無しさん:2014/08/07(木) 14:32:41.53 0
0ならインド人だろ
45S、イマムラ:2014/08/07(木) 15:20:10.37 0
     相も変わらずのc点論ですが

    「c点」とは、空間に於ける、純粋な「点」で、体積の無い、
     空間に位置のみ占める点ですが、c点論では、このように
     思索します。
        「c点」−−−−0次元
         線(曲線を含むが体積はナイ)−−−−1次元
         面(曲面を含むが体積はナイ)−−−−2次元
         立体(体積をもつもの)   −−−−3次元
     c点論の「起点 0」は「無」を意味しナイ。

     遅くなりましたが、 ↑ 36 と殆ど同じと考えます。
     検討させて下さい。
46S、イマムラ:2014/08/07(木) 15:47:27.26 0
    なを、c点論ですが

    「c点」を空間に、「起点 0」として定めて、空間の他の地点
    「基準 1」を仮定したとき、単純に「0」と「1」とを結びつける
     思索、思考実験は非常な困難を伴い不可能に近い。
     だが、「矛盾」と「無限」を導入すること、アタラシイ「視座」の
     導入で、「0と1とを結ぶ数直線」が出来て、これを基準に「空間
     の計測」も可能となる。2進法のみならず、幾何学の世界も生まれる。

     「c点」は、「0に類似」しているが「無」ではなく、さきに
     述べたように「有無合一体」である。
47S、イマムラ:2014/08/07(木) 16:00:42.43 0
   蛇足ですが

   異次元、多次元、現象外存在、などの思索(宗教、哲学、ナド)
   も、「本質論」に属するものが多い。しかし、理論物理学における
   「ヒッグス粒子の予測」が実証されたのも、最近の事実であり
   「本質論」と言うことが可能か、どなたかご教示下さい。
48考える名無しさん:2014/08/07(木) 16:11:56.22 0
ニュートリノが「高速を超える」と「相対性理論が崩れる」と言われた
ことが、あったが、この実験は、失敗でしたが、相対性理論も「本質論」
でしょうか。どなたか、お願いします。
49考える名無しさん:2014/08/07(木) 16:29:32.36 0
↑  訂正
      高速  →  光速
50考える名無しさん:2014/08/07(木) 17:44:57.03 0
0はね、タール砂漠の砂の中から出土したんですよ
51考える名無しさん:2014/08/07(木) 17:48:52.90 0
  ↑   40
  調べてみたが、仏教の「空」には、数学的概念はナク、
  数学そのものもナイ。ただ、数そのものは、膨大な数
  があり、仏教の奥深さ、偉大さ、有り難さなどを印象
  ずける為のようです。科学、統計などと関係ナイ。
  古代インドとは言え、「0」には無関係。そんな印象。
52S、イマムラ:2014/08/08(金) 06:55:01.55 0
    ↑    36に関連して
   
    「0」を含む、これは経済学分野の言葉に「ゼロ サム」と言うものが
     あります。この「ゼロ」は単なる「無」ではナク、それが、どんなに
    大きい数でも、プラスまたマイナスいずれにせよ、また、逆に、どんなに
    小さな数でも、これら、総ての合計が「ゼロ」となると言う、考えです。

    これが遊びでは、「ゼロサム ゲーム」ですが、どんな大ギャンブル
    でも、「0」は単なる「無」とは言えない。もう少し兼用しよう。
    他方、これが「ある一定の経済圏で、ゼロサムが成立するか」は、
    世界経済にとり非常に興味深いこと。

    「0」を単なる「無」とせず、更に考えたい。「c点」とも関係?
53考える名無しさん:2014/08/08(金) 08:36:46.50 0
   ↑、 51につづく

   仏教の「空」とは、なんでしょうか。「0」と言う数学概念でナイと
   それは、これまで論じてきている「本質論」でしょうか。
   仏教哲学的には、「空」=「無」と結論ずけてよいものでしょうか。
54考える名無しさん:2014/08/08(金) 09:02:00.57 0
53につづく
  仏教哲学では、c点論( ↑  40)の言う様に
        物質(あるもの)はナイ。
  これで、良いのでしょうか。「本質論」である限り
        見かけは物質はアルが、「本当は」ナイ
  との意味でしょうか。この「哲学」版には数多の仏教哲学のエリートが
  居られます。釈迦、竜樹の「ムキとケロン」を離れて、一人の哲学徒と
  して、「文献」がと言わず、ご意見を願います。
55考える名無しさん:2014/08/08(金) 11:42:23.45 0
アルキメデスがゼロ(0)を発見した時には。ローマのキリスト教
は、それを認めなかったとか。
他方、釈迦(後に竜樹)は、「空」を悟り(発見ではナイ)、そして
これを疑うことを禁じ(ムキ、ケロン)てしまった。信奉者である
エリートの仏教哲学者以外には、不思議な話ではアル。「空」=ゼロ(0)
なのか、「空」=「無」なのか、知りたいし、「空」の悟りは説明不能なのか
気になるところ。われらの 日本を代表する宗教、文化ですから。
56考える名無しさん:2014/08/08(金) 11:47:50.63 0
兎に角、「本質論」の代表中の代表ですので。それが、日本仏教。

「0」の話の奥は深い。「c点論」にも一理アル気がする。
57考える名無しさん:2014/08/08(金) 11:57:26.39 0
消失点について一言お願いします
58考える名無しさん:2014/08/08(金) 14:57:32.67 0
↑   いろいろな点がありますネ
  絵画の世界での「遠近法」での構図上の結果として、見つけられた
  「点」のようです。注意を集める、また、遠近法での美的効果も
  あるようです。浮世絵の「北斎」が有名ですね。彼の構図は天才的
  です。その他日本の浮世絵は、西洋絵画に大きな影響を与えたので
  「ヤポニズム」が、発生したほどです。モネやゴッホも知られています。
  勿論、ここでは、消失点の「面積」とか「0との関係」とかは、論ぜず
  芸術論で良いと思いますが。
59考える名無しさん:2014/08/08(金) 15:55:07.15 0
そもそも、アルキメデスの発見した驚異の数「0」とは?
彼は、古代ギリシャの超有名な数学者の様ですが。

これは、深く追求せず、ゼロ(0)そのものは、興味ありますネ。
60考える名無しさん:2014/08/08(金) 16:06:40.84 0
   ゼロは、仏教でなくとも、インドだ。
現在のインドの数学、コンピューター系産業も、情報ネットも
隅に置けない。ゼロだけでなく、これからの国。
61考える名無しさん:2014/08/08(金) 16:54:24.53 0
北斎の「神奈川沖浪裏」に円をいっぱい描き足して、これは幾何学的に計算され尽くされた構図だ、などと説明してたのをテレビで観たけど…
円がぐちゃぐちゃでコジツケ臭かった
62考える名無しさん:2014/08/08(金) 16:55:08.58 0
× これは幾何学的に計算され尽くされた構図だ
○ これは幾何学的に計算し尽くされた構図だ
63S、イマムラ:2014/08/08(金) 17:04:53.41 0
  日本の英知、西田哲学とc点論についての、雑感です。

 「哲学」版の皆様は、とうにご存じとは思います。先生は、「ゼロが
 総て」(絶対矛盾的自己同一とc点とは、極めて類似している)とも
 言い、これは、先生は「禅」思想、座禅よりのものですが、先生自身が
 ゼロと言うのでしょう。空海は、華厳経では、「c点」の世界と同様の
 世界を説いて居ります。他方、先生は、「自身、を一」とし「世界、を多」
 として、華厳経の世界を、解説しております。
 c点論も「本質論」であり、西田哲学も「本質論」です。両者は、「ゼロ 0」
 の扱いが微妙に異なるようです。  諸賢のご検討をお願いします。
64考える名無しさん:2014/08/08(金) 17:07:31.33 0
難題です。
65S、イマムラ:2014/08/08(金) 19:40:07.75 0
   ↑   63につづく

    c点論では、「c点」それ自体が「華厳経宇宙」を示して
    居ります。「本質論」としての「無限に小さい点(有無合一体)
    と無限に大きい空間の矛盾的合一」がその内容です。だが、
    現象世界の宇宙は、時間(持続、瞬間)があり、多様に流動して
    おります。「華厳経宇宙」と「現象世界宇宙」とのギャップは
    どうすることも出来ません。

    西田哲学の華厳経は、「禅的思索による自他二元性の世界」であり
    「現象世界宇宙」とは無関係で、空海の「曼荼羅宇宙」とも異にする
    様です。

    ご検討をお願します。
66S、イマムラ:2014/08/08(金) 20:12:24.45 0
   ↑   65につづく

    ついでに、書かせてください。これは愚生の、完全な空想ですが
   正しく訂正されれば、愚生は受け入れます(病識アリ、妄想でナイ)
   が、空海の思索を検討して、「c点」=「大日如来」と結論して
   おります。大日如来は「概念の存在、不生不滅」で、当然のこと
   「本質論」の「ほとけ」です。

   そして、「いのち」のアル限りの、「本質論」で「現象世界」でアリ
   「いのち」のナイところ、「本質論」も「現象世界」もナイ。よって、
   仏教の真価は「いのち」しかなく、これはロマンですが、大日如来の
   「化身」は男性原理「不動明王」女性原理「愛染明王」により、
   「いのち」が維持されている。サイト「曼荼羅とc点論」を参考に。
67S、イマムラ:2014/08/08(金) 20:22:17.56 0
   ↑  蛇足

   愚生は、田舎の現役の老内科医です。日頃、友達(患者様)と
   共に、生きて居ります。
   ゼロの話から、愚生の「c点(ゼロに近いが、無デナク有無合一体)
   へと、そして、仏教にまで脱線しましたが、これで、失礼します。
68考える名無しさん:2014/08/08(金) 20:24:05.77 0
ご苦労様でした。おやすみなさい。
69考える名無しさん:2014/08/09(土) 15:16:24.68 0
>>58消失点を発見したのはイタリアの画家(もちろん白人)だよ
70考える名無しさん:2014/08/09(土) 16:26:28.93 0
ゼロを発見したのはアルキメデス
消失点を発見したのはイタリアの画家


めちゃくちゃやな…
どこで歴史の勉強をしてきたのか、そもそも勉強したことがあるのか
71考える名無しさん:2014/08/10(日) 05:41:30.02 O
0は「数」ではない

終了
72考える名無しさん:2014/08/10(日) 06:03:21.95 0
数が発明された頃は、1番目、2番目、3番目と順番を表す記号であった。
順番だけでなく、数は量を表すようになる。量の観念から算術が生まれた。
そして、算術で1−1や1−2をあらわすために、ゼロや負の数が発明されることになる。
ゼロや負の数をちゃんと体系化したのはアルキメデスである。
73考える名無しさん:2014/08/10(日) 06:08:56.06 O
>>72
順序数が基数(量概念)より先んじていたとする根拠は何?
重要なんだけどこれ
74考える名無しさん:2014/08/11(月) 08:25:16.59 0
>0は「数」ではない

贈答品の箱を開けてみたら箱の中には発泡スチロールが詰まっていた。
さて、贈答品として何も受け取らなかったことになるのか、それとも
発泡スチロールを贈答品として受け取ったことになるのか?
75考える名無しさん:2014/08/11(月) 09:50:46.63 0
粗大ゴミなのでマイナス
76考える名無しさん:2014/08/15(金) 20:02:08.31 0
◇@AB4D6F8910
@◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
A◆468101214161820
B◆6912151821242730
4◆81216202428323640
D◆101520253035404550
6◆121824303642485460
F◆142128354249566370
8◆162432404856647280
9◆182736455463728190
10◆2030405060708090100
77考える名無しさん:2014/08/16(土) 02:27:06.26 0
>ゴールドバッハの予想
>全ての 2 よりも大きな偶数は二つの素数の和として表すことができる

ゴールドバッハ予想が数について何か深い真実を表していると考えるのは単なる幻想だろう。
素数は、自然数から複数×複数である数を除いた数であり、
偶数は、2という素数に任意の自然数を掛けた数であるので、
任意の偶数からその偶数未満の素数を引いた残りが、素数と素数を
掛けた数を除けば、すべて素数となるのは当たり前だろう。
いわば、素数は素数であると言っているに過ぎない。
78考える名無しさん:2014/08/16(土) 09:40:11.36 0
二つの素数の和だろうが!

積じゃあないぞ。
79考える名無しさん:2014/08/16(土) 09:56:57.46 0
偶数 素数      差
2   1 1
4   1,2,3 3,2(2×1),1
6   1,2,3,5    5,4(2×2),3,2(2×1)
8   1,2,3,5,7   7,6(3×2),5,2(2×1)
10   1,2,3,5,7   9(3×3),8(2×2×2),7,5,3

すべての偶数について、求められる差の全てが素数の倍数になるのではない
ことを示せば、すべての偶数は二つの素数の和として表される。むろん、
偶数−2は、偶数になり、2つの素数の和にならないことは自明。
80考える名無しさん:2014/08/16(土) 09:58:18.57 0
偶数 素数      差
2   1 1
4   1,2,3     3,2(2×1),1
6   1,2,3,5    5,4(2×2),3,2(2×1)
8   1,2,3,5,7   7,6(3×2),5,2(2×1)
10   1,2,3,5,7   9(3×3),8(2×2×2),7,5,3
81考える名無しさん:2014/08/16(土) 10:00:22.91 0
また、ずれた

偶数 素数      差
2   1       1
4   1,2,3     3,2(2×1),1
6   1,2,3,5    5,4(2×2),3,2(2×1)
8   1,2,3,5,7   7,6(3×2),5,2(2×1)
10   1,2,3,5,7   9(3×3),8(2×2×2),7,5,3
82考える名無しさん:2014/08/16(土) 10:23:30.31 0
いい加減にしろ。

1は素数でない。
83考える名無しさん:2014/08/16(土) 10:26:38.72 0
ゴウグル 釣り師 世界最大級
84考える名無しさん:2014/08/16(土) 17:22:18.07 0
>>81 1を素数にして、2を合成数としているのか!
85考える名無しさん:2014/08/16(土) 20:35:02.19 0
”=”(イコール)の概念を定義したらいい。そもそも論として。
86考える名無しさん:2014/08/16(土) 21:09:36.19 0
>1を素数にして、2を合成数としているのか!

どこからそんな妄想が出てくるの?
>素数は、自然数から複数×複数である数を除いた数であり
と明記して、1倍を除いた掛け算表まで示してるのに。
87考える名無しさん:2014/08/16(土) 21:16:04.90 0
>>84
2×1で合成数とかトンデモな話をしてるなら、1×1=1
なんだから、1も合成数になってしまうよ?

1を素数から除外するのは、素因数分解する場合、そうしないと
素因数分解の一意性が成立しなくなって都合が悪いってだけの話じゃん。
88考える名無しさん:2014/08/16(土) 21:20:03.71 0
数える行為や、計算するという行為を離れて、「素数」というカテゴリの数が
事前に存在すると錯覚しているから、トンチンカンな妄想に陥る。
89考える名無しさん:2014/08/17(日) 09:13:03.93 0
>>84 計算表に2×1なんて意味なく書いてしまったから、誤解を与えたんだろう
けど、そもそも>>78

>二つの素数の和だろうが!
>積じゃあないぞ。

なんてトンデモレスをするから、手短に手順を示そうとしただけ。
適当に書いて計算間違いも含まれてたのはスマソ。

偶数 素数      差
2   1       1
4   1,2,3     3,2,1
6   1,2,3,5    5,4(2×2),3,1
8   1,2,3,5,7   7,6(3×2),5,3,1
10   1,2,3,5,7   9(3×3),8(2×2×2),7,5,3
90考える名無しさん:2014/08/17(日) 09:17:22.73 0
いい加減にしろ。

1は素数でない。
91考える名無しさん:2014/08/17(日) 09:21:41.40 0
偶数 素数      差
4   2,3     2,1
6   2,3,5    4(2×2),3,1
8   2,3,5,7   6(3×2),5,3,1
10   2,3,5,7   8(2×2×2),7,5,3
92考える名無しさん:2014/08/17(日) 09:35:02.71 0
>1は素数でない。

因数分解で1が出てくると都合が悪いので、1は一般的に素数から除外される、というのが正しい。
だけど、まるで「素数」というものが、そいう「都合」と関係なく、既存の集合として
存在するかのように思い込むと、思考の妨げにしかならない。
93考える名無しさん:2014/08/17(日) 09:46:48.27 0
素数は、計算する行為と関係なくどこかの「イデアに世界」に実在している
わけではなく、数えた数から合成数を除く行為によって作られている。
94考える名無しさん:2014/08/17(日) 10:15:39.91 0
馬鹿すぎる

お前の都合で世界があるんじゃねーわ
95考える名無しさん:2014/11/29(土) 11:16:27.35 0
同じ数を引くだけ
96考える名無しさん
0も都合で創りだされた