仏教の凄さを思い知った昨日今日 2

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1考える名無しさん
色即是空空即是色

前スレ

仏教の凄さを思い知った昨日今日
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1382504564/
2考える名無しさん:2014/07/18(金) 22:06:56.64 0
仏教工作員スレ要注意
3考える名無しさん:2014/07/19(土) 09:50:00.41 0
時間ある時に前スレじっくり読んでから参加しようと思ってたら
意外に伸びが早くてワロタ
4考える名無しさん:2014/07/19(土) 10:22:58.08 0
そりゃ自分で質問振って自分で答えてりゃそうなる罠
5考える名無しさん:2014/07/19(土) 10:27:25.53 0
なんで自演と思うかなあw
6考える名無しさん:2014/07/19(土) 10:46:34.79 0
>>5がすべてを物語ってるw
ただ書いただけなのに反応してるようじゃ
自分がやってますって手を挙げてるじゃんw
7考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:03:15.81 0
そう思いたいなら、ご自由に
仏教を信じてるなら、自演はおろか嘘はつかないもんなんだが
8考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:06:12.35 0
>>7
信じてるならってw
ここはどこだと思ってるんだ?
カルトスレ池よ
9考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:10:05.77 0
>>8
テキストに基いて検証可能な根拠をあげて話して、
信仰を根拠に発言してないけどね

つか、無根拠に自演とかいう方が寧ろカルト的というか非学問的じゃないか?
10考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:15:16.59 0
中村元訳のサンユッタ・ニカーヤ読んでるけど、何なんだろうね、全然心に響いてこない。
訳者は原文に忠実過ぎて下手なんじゃね?注解も章毎に入れないと・・・
これって自己満訳じゃね?
11考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:15:21.64 0
>>9
白状しましたw工作員確定。
つーか仏教徒って嘘つきなんだな
12考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:18:38.84 0
>>10
あまりいい訳じゃないです。中村訳
片山一良訳がいいよ。
13考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:22:10.83 0
>>10
>注解も章毎に入れないと・・・

 脚注みたいな形式のがいいんだけど、日本の出版社はほとんどやりませんね
14考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:22:59.00 0
あー思い出した
>>12こいつ宗教スレの自演野郎だw
パターン知ってるから楽しみ
15考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:23:09.35 0
>>12
有難うございます。権威ということで信頼して買いました><
1610:2014/07/19(土) 11:25:00.93 0
ID制にした方がいいね。もう十年前くらいになるが、政治板が酷くて俺がひろゆきに直訴した。
哲学板はID制になるかね?もう板が作られて相当期間経ってるし。。
17考える名無しさん:2014/07/19(土) 11:31:48.87 0
>>16
そうだよねえ。
こいつすごい悪質っていうかスレ潰し行為だから。基本自己主張スレにしてしまうトンデモだったような
18考える名無しさん:2014/07/19(土) 13:30:29.69 0
なんだ自演だ自演じゃないだで伸びてたのかよksg
19考える名無しさん:2014/07/19(土) 14:06:39.69 0
なんだよね〜
自演しか言えないんでしょう
2010:2014/07/19(土) 15:33:06.81 0
学者は他の学者の批判に耐えられるだけの訳をしなきゃならん。一般の読者のことは
ほぼ頭にないだろ。学会で評価されるのが目的。
21考える名無しさん:2014/07/19(土) 16:11:13.85 0
>>20
そういう傾向はある。そしてできる学者ほど訳はしなかったりする。
けど、中村先生の訳は読者に近寄った訳を仏典でしたパイオニアですね。
だけど訳はほぼドイツ学者に大きく依存していて、内容的にもう一歩。

片山一良先生は、緻密な訳でしかも読み手のことを考えている訳だよ。
ご本人も自分自身を学問してないと名言してるし
2210:2014/07/19(土) 16:25:18.16 0
有難う。片山先生の訳をいつか読んでみるよ。
23考える名無しさん:2014/07/19(土) 17:07:37.80 0
また始まったな
愛読書の宣伝はいいからさw
層化と同類
24考える名無しさん:2014/07/19(土) 20:10:35.39 0
こういう奴に限って、IDの出るトコには来ないw  >>23
25考える名無しさん:2014/07/19(土) 20:15:49.19 0
>>24
だろうね。なんか、バカにしたいだけなんだろうから
26考える名無しさん:2014/07/19(土) 20:21:13.71 0
IDが出ないから好き放題してるのは誰だよ
27考える名無しさん:2014/07/19(土) 20:32:27.03 0
俺え
28考える名無しさん:2014/07/19(土) 20:57:00.24 0
>>26
お前じゃね?w
29考える名無しさん:2014/07/19(土) 20:59:04.41 0
>>28
だな。まあ、こういう人はIDが出て別IDでも言うんだろうが
30考える名無しさん:2014/07/19(土) 22:58:58.80 0
うんこ
31考える名無しさん:2014/07/20(日) 21:40:03.47 0
>>21
出番ですよwww

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/778
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/780
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/784
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/794-795
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/798
> チベット仏教に聞いたら同じと答えるよ。
> 彼らは上座部仏教、大乗仏教共全部知っててそう答える。
> 解ってないのは上座部仏教の人なんだよ。
> 井の中の蛙大海を知らず状態。
32考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:09:48.22 0
やっぱり宗教スレで自作演してたやつだな
今日来てないじゃんw自演確定
33考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:16:48.99 0
>>31
そういうとこに引っ張んないでよ
もう宝珠みたいな人でしょう
チベットでも bjk1CkcP さんと同じ見方が一般的
ただチョナンとか他空説の立場だと近いかもしれないけど、
さすがに止だけで悟るとは言わないと思う
34考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:20:46.42 0
>>33
ああ、やっぱり、彼のスタンスが仏教的には妥当だよね。
(一瞬本人かと思ったけど、時間帯が夜中だったから別人と判ったけど)
35考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:22:14.58 0
>>32
ひねくれてんなぁ・・w (^^;

もっと肩の力抜こうやw
36考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:32:56.34 0
>>34
そりゃそうでしょ。分かるでしょ。

>>35
ほっとけばいいよ
宗教板なら、ID あるから自演じゃないって分かりそうなもんだが
上に書いたように ID が違っても自演なんだろうw

ここだと一応、起信論読めたりするし
遊びとか勘弁してほしいけど、わざわざ彼処を抜けた意味がなくなるんで

しかし臨済宗面白いね。日本の芸を作った宗派ですな
日本仏教も江戸までは結構なんだかんだ聖者が結構いましたなあ
37考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:35:48.60 0
>>35
んじゃ軽く参加してみるかw
ただマイ哲はかんべんしてな
38考える名無しさん:2014/07/20(日) 22:50:36.54 0
>>36
すまんかったw
いや、そういうのが嫌で、ってのは何度も聞いたから判ってたんだけど、
「チベット」言い出したからさ。


「面白さ」は、確かにあるw
お行儀よく行こうとして、今一つ煮え切らない形に落ち着いてしまった現代曹洞宗と比べても、
何でもありの乱雑さや、ピンキリのレベルの幅を差し引いても、尚、
今、この一瞬、どうあるべきか? を、
(形、或いは学習の基礎知識として)最優先事項に据えて、
「良き現状肯定」へ落とせてる面はあるしね。

尤も、明治・昭和初期止まりなのは、各宗派一緒と思うけど。
数年後に大きな遠諱あるけど、イベント以上のものにはならんだろうしね。
「周知&裾野拡大」となれば結果オーライと言えるかも?w
39考える名無しさん:2014/07/20(日) 23:02:44.83 0
>>38
面白い。曹洞みたいな清浄な姿が好きな人はああいう道がいいんだろうけど、
臨済は方便が多様で無門というかもしれないけど、多門だよ

一人、聖者が出れば茶、花、俳句詩歌、能、書画などを使っても導ける
今も居らっしゃるんでしょうが、もっとスケールが大きい人が出てほしい
40考える名無しさん:2014/07/20(日) 23:24:09.35 0
あのさあ
これ哲学じゃないんじゃね?
41考える名無しさん:2014/07/20(日) 23:32:44.49 0
>>40
哲学ではないかもしれないけど、仏教ではある。


さて・・、
スレタイに「仏教」が入っているが、
《仏教が含有する哲学的要素以外はスレに持ち込まない》
というコンセンサスを成立させるのは、
(その時点での)住人の傾向と、そのテーゼ及びコンセンサスの増長補強へ向かう流れの確立
に依るでしょ。
スルーして、哲学的に掘り下げていけばいいんじゃね?
42考える名無しさん:2014/07/20(日) 23:35:09.68 0
>>41
それ正論だわ。
43考える名無しさん:2014/07/20(日) 23:36:43.70 0
>>アッチ
原義としての「確信犯」だなw
何をどれだけ言っても伝わらんかもね・・・(^^;


すまんねw 余計なことさせて (-人-)    >>39
44考える名無しさん:2014/07/21(月) 10:00:48.04 0
>>36
腐敗しまくってんだよ。前スレで書いた宗派が臨済。
45考える名無しさん:2014/07/21(月) 20:52:07.61 0
>>43
きっちり書いといた。
久しぶりに猊下のご著書を読めて色々分かることがあって有り難い。
そういうご縁だったのかもです。

これを気に行に集中できそうです。
46考える名無しさん:2014/07/24(木) 00:28:51.58 0
坊さん専門スレ?
47考える名無しさん:2014/07/24(木) 00:31:19.51 0
全然
テキストに沿って話しあうなら誰でもウェルカム
48考える名無しさん:2014/07/24(木) 04:59:44.22 0
そうそう、妄想とか独断は勘弁して〜
49考える名無しさん:2014/07/24(木) 07:29:09.21 0
>>45
お疲れw

いや、通常スルーでもいいけど、
あそこは、
まじめに坐って、上座部の瞑想法を掘り下げてる人多いみたいだから、
怪しい情報や誤った口出しが、もっともらしく投下され続けるのはよくないと思ったから。
(ヒンドゥ、仙人止りならまだしも、仏教の系譜としてチベット系まで出してきたしw
 ワシが議論スレにURL貼ったせいかもしれんしさ。変なの呼び込んじゃったの・・・w
 かといって、ワシがチベット関連で発言するわけにもいかんし・・汗)

Thx m(_ _)m
50考える名無しさん:2014/07/24(木) 07:42:14.18 0
>>49
なるほど
しかし、ニューウェーブ・テーラワーダが四念処をヴィパッサナーって言っちゃった誤解はデカイね
念の注意とか気付きと観の縁起観や無我観がごっちゃになっちゃって
しかも三昧、止の精神集中も無視されてるから、仏教の心髄である
ヴィパッサナー、観、縁起観、無我観が念の注意とか気付きに置き換えられると、
縁起も無我も、きっちり繋がらなくなってしまう

だいたいどこでも声がデカイのは非伝統説だから困るです
51考える名無しさん:2014/07/24(木) 10:18:06.80 0
伝統は守るものではなく、創るものだ。
52考える名無しさん:2014/07/24(木) 10:41:32.81 0
>>51
そういう意味じゃなく
聖者から聖者による法の伝承という意味ね
53考える名無しさん:2014/07/24(木) 10:59:06.86 0
海外じゃ初期仏教の研究が盛んで
大乗仏教の研究は人気ないって聞くけど
ほんと?
54考える名無しさん:2014/07/24(木) 11:40:07.58 0
>>53
もともとイギリス・ドイツなどプロテスタント国では源流主義なんで上座部が人気で、日本はその影響が大きい。
フランス、ロシアなど非プロテスタント国では大乗仏教が人気の傾向があったけど、

ドイツ・オーストリア・日本・スリランカではまだ文献学が主流だけど、
それ以外の国では文献学は下火で、伝統聖者から直接習ったり、直接習った教授などから学ぶ方向が主流で、そちらではチベット系の大乗仏教が盛ん
特にフランスとアメリカ、台湾、シナで盛り上がってるように思います。
55考える名無しさん:2014/07/24(木) 11:52:58.24 0
>>54
詳細なレスありがとうございます
勉強になりました
一概に日本/海外、初期仏教/大乗仏教
という区分けはできないんですね
56考える名無しさん:2014/07/24(木) 12:38:12.05 0
>>50
こんなサイトがあるw 知らんかったw
てか、2010年だから新しいか。

http://vipassana.jp/home.html
http://vipassana.jp/vipassana.html

この説明、解り易くまとまってて穏当と思うけどどうよw



*ニューウェーブって括りだけでなく、
海外へ向けた輸出も視野に入れた一般への弘通の面で、
半世紀以上前のビルマから(マハーシさんの本が出たのって1942らしいしw)
「ヴィパッサナー」という名称を、禅定に於ける観想・観察の総称としてしようしてるし、
片山さんも翻訳スタッフの一角だし(今現在も、こうした総称を是としているかどうかは知らないが・・)w、
今のスリランカ系だけの責でもないと思うよ。

日本語として、日本人へ、まったく知らない、ゼロの人への伝達手段として、
もしかしたら一つの賭け(宣伝流通へのざっくり説明として)だったのかもしれないね。
57考える名無しさん:2014/07/24(木) 13:14:42.44 0
>>56
・オショウ式
オショウ(バグワン・シュリ・ラジニーシ 1931〜1990)によって、20世紀に開発された瞑想法。
上記4つは上座部仏教系だが、オショウは異色。
瞑想の導入に音楽や催眠誘導などのテクニックを使い、瞑想に入りやすくしたり、
集中することを重視しないで、ただ自然に見つめ洞察することのみを重視する。

なにこれ
58考える名無しさん:2014/07/24(木) 15:11:59.17 0
>>57
それこそ、(宝珠が推す系譜の一端としてw)
いわゆるニューエイジ、スピリチュアル系(古い言い方ならオカルト系)でしょw
彼(サイト主)は、「瞑想」という括りでまとめてるようだし。
彼は、(そして引用先は特にw)、仏教的アプローチによる仏教的効果が目指されていない、と。
ただ、あっちの瞑想スレ他、2chでもよくモメルw各流派?の分類としては、判り易いかな、と・・・。


だから結局、(↑からのリンク先サイトもw)
瞑想をする人ってのは、仏教的価値観や世界観及び仏教的安心を
必ずしも求めないし(寧ろ知らないし)、神秘的体験の先の
「宇宙との合一」や「(世間的感性からの)解放」という、よく見かけるフレーズにこそ魅かれるからでしょ。

まさに、「仏教的要素を、自らが目指す神秘的世界への参考利用する姿勢」として。


ま、だから、「仏典を読む」ってことは必ずセット物でなければならないんだけどね。
それがないから、味噌も糞も一緒的に、体験の先は一つ、
到達点はあらゆる宗教・思想に於いて同じ、というところへ集束していく。
向こうでの今回の発端のヒンディの悟りも同じ、みたいな言辞として・・・。
59考える名無しさん:2014/07/24(木) 15:54:37.82 0
>>56
そのマハーシ流が方便の起源と思われる

要は四念処なのにヴィパッサナーと言ってしまった
問題は、それが方便なのにそれこそが正しい仏教と思ってる人が多いこと
同様なものにゲルク流中観や、真宗の念仏がある
それらはあくまで方便の道で、それを方便と捉えず仏教の中心とすると色々問題が生じる
60考える名無しさん:2014/07/24(木) 15:58:32.64 0
>>58
そうそう四念処も前提としての無我・無常などがあって初めて、
念を持続することで精神集中し、その時に観になるので無我や空性が直観されるけど、
前提にアートマンとかの常見があったら、ヒンドゥーと変わらない。

それとなにより聖者からの伝承と三宝帰依がないと仏教になりません。
61考える名無しさん:2014/07/24(木) 17:30:27.62 0
>>59
>要は四念処なのに
>それが方便なのに

Ekāyano ayaṃ bhikkhave maggo...nibbānassa sacchikiriyāya, yadidaṃ cattāro satipaṭṭhānā.

念修習の段階でヴィパッサナーと呼んでいいかはともかく、(上座部に於いて)四念処はまさに涅槃への一乗道なんで

チベットの伝統では四念処はよほど低く見られているみたいですけど、そっちの伝統の解釈を持ち出して
ニューウェーヴだのなんだのっては印象操作はちょっと困りますね
62考える名無しさん:2014/07/24(木) 17:38:58.48 0
一乗道 ×
一条道 ○

ニューウェーヴだのなんだのっては ×
ニューウェーヴだのなんだのって  ○
63考える名無しさん:2014/07/24(木) 18:41:43.48 0
>>61
そうじゃない。

「ヴィパッサナー」という語を、狭義で見るか広義で見るかの違い。
そして、広義の「ヴィパッサナー」は、まさに上でやりとりしたように、
或いは上のリンク先で分類されてるように、仏教的瞑想・禅定そのものの総称として、
近代になって使用されてきたもの。
が、今、巷で言われている「ヴィパッサナー」は、大念処経始め、
あらゆる仏教カノン中に於いて、随観(アヌパッサナー)と呼ばれるものであり、
「ヴィパッサナー」は、【「縁起」(或いは無常・無我・苦)を“見る”】ことを指している語だから、
現在流布している「ヴィパッサナー」とは、指し示す内容が違っている、ということ。
チベット云々なんか微塵も関係ない。
64考える名無しさん:2014/07/24(木) 20:09:10.19 0
>>63
やっぱりね、ヴィパッサナー呼称の問題ですよね

念修習の段階からヴィパッサナーを使うことについて問題視されるのは分かるけれども、
マハーシ式自体が「方便」みたいな理解が広まると本当に迷惑します
そこがハッキリ区別されているのか、甚だ疑問です

身・受・心・法を随観することから三相を見るのだから、
四念処の先に観があるのであり、正統な教学に沿った行法ですよ

易行念仏とかと並べられて「方便」と呼ばれるのは困るんですけどネ

>あらゆる仏教カノン中に於いて、随観(アヌパッサナー)と呼ばれるものであり、
まあ多分ないと思いますが、随念(アヌッサティ)と混同してないですよね
anupassanAとはあるものについて明確に理解することです

空随観といえば、それは解脱門であり、ヴィパッサナーとほぼ同義なんですけど
65考える名無しさん:2014/07/24(木) 20:14:46.59 0
>>64

論書の話だったの? (´・ω・`) そりゃ失礼した。
66考える名無しさん:2014/07/24(木) 20:19:55.53 0
>>65
ん?伝統教学に反するっていう点で方便と言ってたんじゃないんですか?

よー分かりませんけど、すいません、どこの宗派の方ですか?話があわせにくいというか
禅宗の方だと思ってましたけど
67考える名無しさん:2014/07/24(木) 20:36:12.83 0
注釈書やアビダンマ、『清浄道論』以外にテーラワーダの伝統教学ってどこにあるんだろ(´・_・`)
68考える名無しさん:2014/07/24(木) 21:18:25.77 0
>>67
とりあえず、スッタベースでなきゃ意味ないだろw

また、ブッダゴーサ(以降)に関しては、
最近馬場紀寿さんが掘り下げてるよ。


>>66
「反するから方便(として処理する)」 じゃなくて、
「誤解・語弊を招くリスクが高まる手段だけど、
 TPOとして(或いは将来的流通に資するメリットを評価して)方便」だってことでしょ。

 *勿論、延命十句の「常楽我浄」のように、反する言辞を方便として取り込むことも指すけれど。
69考える名無しさん:2014/07/24(木) 21:36:10.26 0
>>68
>とりあえず、スッタベースでなきゃ意味ないだろw
というか辞書で単語引けば出てくるようなレベルの話だったんですけど
なんで論書の話だと思ったのかちょっと分かりません

こっちには注釈書、『清浄道論』、アビダンマを語れる知識なんてないし

>「反するから方便(として処理する)」 じゃなくて、
>「誤解・語弊を招くリスクが高まる手段だけど、
> TPOとして(或いは将来的流通に資するメリットを評価して)方便」

どうなんでしょうかねー
まあ一代氏本人に聞かないとなんとも 彼が日本のネット上での「マハシ式はニューウェーヴで方便」っていう言説の一人者でしょうし
70考える名無しさん:2014/07/24(木) 23:10:18.32 0
>>64
いやいや、そういう理解はあるよ。
一乗道と説かれてるのももちろん知ってます。
だけど、四念処という名称であり、最初は念なんだよね。
それをヴィパッサナーということが方便に他ならない。

問題は意識散乱した状態での念と定・止の意識集中状態の観(ヴィパッサナー)の違い。
これは違うもので、だからこそ釈尊は四念処と説かれたので、伝統テーラワーダでもそうでしょう。
そこを四念処と言わずヴィパッサナーと言ったことから色々な弊害が生じてるので、それは方便説と言わずに何と言うのか私には理解できませんね。
71考える名無しさん:2014/07/24(木) 23:13:05.59 0
>>67
ティピタカのアビダンマや『清浄道論』で四念処をヴィパッサナーと説いているとこを明示してくれれば、方便説は撤回し、テーラワーダ説と言い換えましょう。
『清浄道論』では、少なくとも四念処をヴィパッサナーとは説いてなかったと記憶してますが。
72考える名無しさん:2014/07/24(木) 23:41:58.53 0
>>69
>なんで論書の話だと思ったのか
「空随観」( suJJatAnupassanA? suJJatAvipassanA? )ってのが、
無礙解道・清浄道論にしか出てこないようだから。
(つか、「空suJJa(tA)」自体、パーリでは稀少な語なわけだが・・。)
南伝索引に24巻p425とあるのは、例の「世間を空と観ぜよ」だろうし。

あっちのスレや、各種ヴィパッサナー系の瞑想(≒禅定)でも、
「空」を観察するということは、言われるのかい?
やはり「四念処」に集約されるんじゃない? (→経に説かれる内容がなぞられている)

だとするならば、それらについて「ヴィパッサナー」と称する例が少ない(というか無い?)
という点が、問題なわけでしょ? 貴方(?)自身が
 >>61>念修習の段階でヴィパッサナーと呼んでいいかはともかく
と、お気付きのように。

 *(尤も、だからと言って
  「ヴィパッサナー」は「四念処に類する各種観想技術」の意味を含み得ない
  とは言い切れず、総称として使用可能であることを即座に却下し得るものでもないけれど。)
    *(だから、マハーシ長老は、今に連なる使用法で訳出したのだろうし、
     入門時の総称として可である、としたのでしょう。
     で、一代は、その判断を「方便」だと評価した、とw)


>どうなんでしょうかねー
そりゃ、本人に確認してみないとわからんとこと思うけど。
>>70見る限り、↑のようなことじゃないかと思うけど・・。)
73考える名無しさん:2014/07/24(木) 23:58:02.36 0
>>72
>  「ヴィパッサナー」は「四念処に類する各種観想技術」の意味を含み得ない
>  とは言い切れず、総称として使用可能であることを即座に却下し得るものでもないけれど。)
>    *(だから、マハーシ長老は、今に連なる使用法で訳出したのだろうし、
>     入門時の総称として可である、としたのでしょう。
>     で、一代は、その判断を「方便」だと評価した、とw)

まあ、そんなとこ。しかし、弊害が大きく、あれをヴィパッサナーというから、
サマタが要らないといった説を唱える行者も学者も出てきてるし、
あれをヴィパッサナーとして正統説と唱えるとテーラワーダも含めて、
いろんな仏教が妥当に解釈できないでしょう。

たとえば、あっちのスレでニューウェーブ・ヴィパッサナー、実際は念を仏教の王道と捉えるから、
ヒンドゥーの心を見つめる方法と同じで、仏教もヒンドゥーも違わないみたいな誤解も出ちゃうわけ
これは一端で、これを正統説として基準にしちゃうと、いろいろデコボコになるのはあきらか
まるでゲルク説や唯識、野狐禅を正統説として、全仏教を解釈するのと同じに思えるわけだ
74考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:12:13.03 0
>>70
>それをヴィパッサナーということが方便に他ならない。
ええ、それがまず一点ですね
それはこちらも理解できます

>問題は意識散乱した状態での念と定・止の意識集中状態の観(ヴィパッサナー)の違い。
まず、テーラワーダ伝統教学では、禅定一歩手前の近行定でも十分悟ることができ、そのようにして悟った聖者が大勢いると説かれます(『清浄道論』)

念から定が生じるのもハッキリしています。
戒、五根の防御、正念正知と修習していく過程で五蓋を断じて心が統一される(cittaṃ samādhiyati)と説かれるからです(『沙門果経』)
五根の防御〜正念正知が、念(サティ)ですね。

このcittaṃ samādhiyatiと言われる状態をアビダンマや注釈書では「近行定」と呼ぶわけですが、
五蓋がなく、集中力として十分なので、諸現象の生滅をあるがままに観察できます。

たとえば身念処の先に無常の観があることは以下に明晰に説かれています。
「身に関して生起の性質あるものと随観する者として住し、身に関して消滅の性質あるものと随観する者として住し、
あるいは身に関して生起と消滅の性質あるものと随観する者として住します。

智のため、念のために依止しないまま住するかぎり、あるいは彼には『身が存在する』という念が現起しますが、
しかし彼は〔すでに智と念に依止しているため〕世における何ものをも執受しません」(『大念処経』)

>これは違うもので、だからこそ釈尊は四念処と説かれたので、伝統テーラワーダでもそうでしょう。
四念処の先にヴィパッサナーがあるから、四念処は涅槃の現証への唯一の道程(ekAyana)と説かれているんですよ。

経典を開けば、四念処で悟れることは明白です。
「比丘たちよ、およそ誰であれ、これら四念処を、七日修するような者、その者には、二つの果報のうち、いずれかの果報が期待されます。現法における完全智か、
あるいは、生存の料が残っている場合には、不還果です。」(同上)
75考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:12:49.96 0
>>70
>そこを四念処と言わずヴィパッサナーと言ったことから色々な弊害が生じてるので、それは方便説と言わずに何と言うのか私には理解できませんね。
まあ、ヴィパッサナーと呼ぶかどうかは別にして、
四念処にヴィパッサナーがなく、方便説だというなら『大念処経』に文句を言ってください。
76考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:19:26.12 0
>>72
>「空随観」( suJJatAnupassanA? suJJatAvipassanA? )ってのが、
>無礙解道・清浄道論にしか出てこないようだから。
ああ、そうですね。空随観はアビダンマッタサンガハから持ってきたので。
ただそれは大乗経典でも三解脱門が説かれるので引き合いに出したんですが

>「空」を観察するということは、言われるのかい?
いいえ、仰るとおり、空をやかましくいうのは『清浄道論』であって、経典では殆ど説かれないし、
実際の瞑想でも教えられるのは三相までです。
77考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:21:27.17 0
>>74-76
┌───────┬────────────┬───────┐
│ヴィパッサナー │・縁起(無常・無我・苦)     .│ヴィパッサナー . .|
|          | の観察               .│             .|
|          │・(智)慧の獲得        │             .|
│          ├────────────┼───────┤
│          |・身心の(或いは外界の)  .│アヌパッサナー . |
|          | (様相(現れ・動き・働き)) .│             .|
|          | の観察               .│             .|
└───────┴────────────┴───────┘
78考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:24:53.97 0
>>74
>そのようにして悟った聖者が大勢いると説かれます(『清浄道論』)
すいません、『清浄道論』の現物に当たってないので、大勢いるという例証は複注釈書かも
79考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:33:26.30 0
>>75
少なくとも、大念処経で、>>77下段をヴィパッサナーと呼ぶことはないし、
実はヴィパッサナーという語を使う必要も無かったりしてw


>>78
問題はそこじゃないでしょw

77下段を、ヴィパッサナーと呼んで良いかどうか、
であり
77上段が、「智慧の獲得として、悟り・解脱(慧解脱)」
であり
77下段をヴィパッサナーと呼んでしまうことによって、77下段が「智慧の獲得・悟り」と同一視され、
お釈迦さんのお悟りが、
仏教以外の各種境地境涯と同等同質同一である、という思考へ集束し易い、
というところを、一代は言っているんだと思うよ。
80考える名無しさん:2014/07/25(金) 00:46:24.73 0
えーと、『清浄道論』を斜め読みして、自分なりに近行定で悟れるってのを大体、了解しました
『清浄道論』の死随念の項目を見れば、

1.死随念では近行定しか生じない
2.死随念で、無常・苦・無我を悟ると説かれている

以上のことから大体説明できるでしょう

1(27) 死についての気づき
§7  なぜなら、このように〔心を〕転起させている者は、根源(あり)のままに〔心を〕転起させるからである。
〔正しい〕手段によって〔心を〕転起させる、という義(意味)である。
なぜなら、まさしく、このように転起させていると、一部の者には、〔五つの修行の〕妨害(蓋)が鎮静し、
死を対象(所縁)とする気づきが確立し、まさしく、〔瞑想の境地に〕近接して行く〔心の統一〕を得た、
〔心を定める〕行為の拠点(行処・業処:瞑想対象・瞑想方法)が有るからである。

§41  しかして、また、この、死についての気づきに専念する比丘は、常に〔気づきを〕怠らない者として〔世に〕有り、
一切の生存について歓楽なきの表象を獲得し、生命への欲念を捨て、悪を難じる者と成り、蓄積多きことなき者と〔成り〕、
諸々の必需品にたいする物惜しみの垢を離れ去った者と〔成る〕。

しかして、彼には、無常の表象(無常想)が精通へと赴き(熟達する)、さらには、まさしく、その〔無常の表象〕に従い行くことで、
苦痛の表象(苦想)、および、無我の表象(無我想)が現起する。

死〔についての気づき〕を修めていない有情たちが、
いきなり猛獣や野獣や夜叉や蛇や盗賊や殺戮者に征服された者たちのように、
死の時において、恐怖と畏怖と迷妄を惹起するように、このように〔恐怖と畏怖と迷妄を〕惹起せずして、
〔彼は〕恐怖なく、畏怖なく、迷妄なき者として、命を終える。

まさしく、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において、もし、〔彼が〕不死〔の境処〕(涅槃)に到達しないなら、
身体の破壊ののち、〔来世において〕善き境遇(善趣)を行き着く所とする者と成る。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20130303_3.html
81考える名無しさん:2014/07/25(金) 01:12:52.98 0
>>73
>サマタが要らないといった説を唱える行者も学者も出てきてるし、
サマーディがないとヴィパッサナーの智慧は得られないと、マハーシ長老ははっきり述べてますから、それは理由になりませんね
他の人間の勘違いを根拠にして、当てこすりされても困ります

>あれをヴィパッサナーとして正統説と唱えるとテーラワーダも含めて、
>いろんな仏教が妥当に解釈できないでしょう。

マハーシは正統説から外れていないことと、
マハーシこそが正統説であって他はそうではない、という説をごちゃまぜにしてませんか?
後者はまともな人間なら誰も言いませんよ、だからそういう極端な人たちを基準にして方便だとかいうのはヤメにしてくれませんか?

マハーシ式がテーラワーダの正統説に適っているかどうかを問題にすべきですよ

>念を仏教の王道と捉えるから、
>ヒンドゥーの心を見つめる方法と同じで、仏教もヒンドゥーも違わないみたいな誤解も出ちゃうわけ

ここは理解に苦しみます
念を重視すると、なぜヒンドゥーのサマーディと同じという誤解が出るんですか?
82考える名無しさん:2014/07/25(金) 01:35:08.40 0
>>79
>77下段をヴィパッサナーと呼んでしまうことによって、77下段が「智慧の獲得・悟り」と同一視され、
>お釈迦さんのお悟りが、
>仏教以外の各種境地境涯と同等同質同一である、という思考へ集束し易い、

それはないですよ、ちゃんと無常の観察の部分が分けて説かれていて、そこから無執着へいたると説かれてるますから

「身に関して生起の性質あるものと随観する者として住し、身に関して消滅の性質あるものと随観する者として住し、
あるいは身に関して生起と消滅の性質あるものと随観する者として住します。

智のため、念のために依止しないまま住するかぎり、あるいは彼には『身が存在する』という念が現起しますが、
しかし彼は〔すでに智と念に依止しているため〕世における何ものをも執受しません」(『大念処経』)
83考える名無しさん:2014/07/25(金) 06:18:36.70 0
>>74
>>それをヴィパッサナーということが方便に他ならない。
>ええ、それがまず一点ですね
>それはこちらも理解できます

これが方便だと言ってるだけですよ
つまり、ヴィパッサナーと言わずに四念処と言えばいいだけ

それ以下の説明は自明のことです。
84考える名無しさん:2014/07/25(金) 06:23:55.98 0
>>79
そうそう。

>>80
だから、そういうことじゃない。

>>81
だから、四念処をヴィパッサナーと言ったから、そういう弊害が出てるということです。

>>82
それを伝統説では四念処といいヴィパッサナーとは言わない。
それだけですよ。

方便説というのは間違った道と言ってるのではなく、伝統説と違う部分があると言っているわけです。

これで通じなければアナタに対話能力がないということになりますよ。
85考える名無しさん:2014/07/25(金) 06:36:35.60 0
もう一回、まとめて言いうと、
四念処をヴィパッサナーという根拠をティピタカからも『清浄道論』からも示せませんよね。
これはないということじゃないですか?
それが即ち方便説だということです。

アナタはニューウェーブのいうヴィパッサナーが四念処だと知ってるから、
四念処に置き換えて説明してますが、四念処が伝統説なのはあたりまえのこと。
それなら誰も混乱せず、異論もありません。

問題は四念処をヴィパッサナーということで、よく知らない人たちに仏教を誤解させているということですよ。
だから、方便説で四念処をヴィパッサナーと言ったと認めればいい、それだけのことです。

私自身、最初何を言ってるのかと思いました? 「方便説で四念処をヴィパッサナーと言った」これが分かれば問題ないことです。
アナタはそれを知っているから問題がない、しかし知らない人に勘違いさせて邪見に導いていることにも気づくべきです。
86考える名無しさん:2014/07/25(金) 13:51:09.26 0
四念処の中で最も問題なのが<不浄観>だろう。


一切の執着を断たんがための厭世観を身につけさせるためだが、
かえって浄⇔不浄の相対思考・感情を強化してしまう心理作用がある。
毒の副作用が強すぎて、自殺・承諾殺人願望者が続出したからだ。
数息観に取って代わられたには当然だろう。
修行法としては失敗策だといわざるをえない。

特に日本人の国民性からは受けいれられないだろう。
日本の仏教で不浄観を強調しないのは賢明だ。
87考える名無しさん:2014/07/25(金) 13:58:42.44 0
『では比丘たちよ、どのようにすれば実践は結果を持ち、精進は結果を持つのであろうか?
・・・・・・・
 『苦の原因に関して、精励する力を働かせているわたしに、精励する力を働かせることによって、貪欲が離れる。
 ★苦の原因に関して、中庸となり、中庸を修習しているわたしに、貪欲が離れる』 
  彼は苦の原因に関して、精励する力を働かせつつ、
  精励する力を働かせることによって、貪欲が離れるとき、そのところで精励する力を働かせる。
  また彼は苦の原因に関して、中庸となり、
  中庸を修習する彼に、貪欲が離れるとき、そのところで中庸を修習する。

  こうして、苦の原因に関して、彼が精励する力を働かせつつ、精励する力を働かせることによって、貪欲が離れる。
  このようにしても、彼のその苦は滅尽する。
  またそれぞれの苦の原因に関して、中庸となり、中庸を修習する彼に、貪欲が離れる。
  このようにしても、彼のその苦は滅尽する。』(中部101)

<不浄観>はなんら中庸に資するものではない。
88考える名無しさん:2014/07/25(金) 15:27:16.13 0
>>86
>一切の執着を断たんがための厭世観を身につけさせるためだが、
>かえって浄⇔不浄の相対思考・感情を強化してしまう心理作用がある。
>毒の副作用が強すぎて、自殺・承諾殺人願望者が続出したからだ。
>数息観に取って代わられたには当然だろう。
>修行法としては失敗策だといわざるをえない。

これね。法も誤解すれば悪い結果を招きますからね。
http://www.horakuji.hello-net.info/dhyana/texts/zou-agon_kyou/9.htm

>>87
中庸という訳は問題あり、原語は upekkhaṃ 一般に捨と訳される。
苦楽の適度なバランスというような意味じゃないよ。
中庸と訳すこともできるけど、凡人の意識で苦楽の適度なバランスをとることでは全くなく、
智慧に基づく本来の平等な状態で苦楽にとらわれない状態でしょう。
89考える名無しさん:2014/07/25(金) 17:20:01.58 0
>>85
簡潔なレスで安心しました
あれから話が広がったらどうしようかと思ってましたから

>四念処をヴィパッサナーという根拠をティピタカからも『清浄道論』からも示せませんよね。
>これはないということじゃないですか?
>それが即ち方便説だということです。

ええそれはそうだと思います

>だから、方便説で四念処をヴィパッサナーと言ったと認めればいい、それだけのことです。
ええ、そこまではっきり定義すれば認めます

>しかし知らない人に勘違いさせて邪見に導いていることにも気づくべきです。
ざっくばらんにマハシは方便説だと言われては、
ゲルク教学や易行念仏と同一視されて、
あたかもそれが涅槃へ導かない狭義の方便であるかのような誤解を招くおそれがあるからです

要するにマハシは方便説なので悟れないということですね
それは迷惑なので勘弁して欲しい。
90考える名無しさん:2014/07/25(金) 17:25:30.45 0
>>84
>だから、四念処をヴィパッサナーと言ったから、そういう弊害が出てるということです。
かれらが問題にするのはサマーディにおけるプラーナ、気などの神秘体験についてですから、
それをマハーシ式のせいにするのは筋違いだと思いますね

彼らが強調するのももっぱらサマーディの深さについてで、その点でマハシはむしろ批判されている状態ですし
91考える名無しさん:2014/07/25(金) 17:30:40.85 0
>>89
>要するにマハシは方便説なので悟れないと

そうじゃなくてw

「よーし、“野球”しようぜ!」とお父さんが子供を誘ったとき、
それが“三角ベース”であっても、可、なんですよ。
ただ、その子が、(大きくなって)“三角ベース”を“野球”と同一視していくことは、
弊害が大きいでしょ? と。
野球は野球、三角ベースは三角ベース、としておかなければ。

マラソンの折り返し地点を、ゴールと表現すること、
(距離半分のグレードの大会を同時開催するなら、現実にもありえますがw)
には、大きなデメリットが伴わないでしょうか?
中学生用のコースとして折り返し地点をゴールとすることは吝かでないでしょう。
けれど・・・と。そういうことだと思いますよ。「方便として」というのは・・。


マハシ式で悟り得るかどうかは別問題。センスある子は、一気に駆け上がるかもしれません。
そういうこと(悟れるかどうか)ではないのです。
92考える名無しさん:2014/07/25(金) 17:46:43.19 0
>>91
了解です

ただそちらが大乗者なので「方便説」という言葉には本当にやきもきさせられるんですよね
大乗はこっちから見ると信じられないくらい何でもありですから

パオ系の人間なら近行定では悟れないからマハシはダメ、とはっきり言いますんで、そっちの方が安心です

>マハシ式で悟り得るかどうかは別問題。センスある子は、一気に駆け上がるかもしれません。
センスね・・・また、なんかセンスがあればマニ車回してるだけでも悟れるみたいなニュアンスを感じますね、個人的に

まあこれ以上、争論しても益はないでしょうし、そろそろ終りにしたいと思います
どうも失礼しました
93考える名無しさん:2014/07/25(金) 20:03:30.12 0
>>89
>ゲルク教学や易行念仏と同一視されて、
>あたかもそれが涅槃へ導かない狭義の方便であるかのような誤解を招くおそれがあるからです

私はゲルクでも念仏でも悟りに至る道だと確信してます。
ただ、それらは方便説なのでそれを中心に仏教全体を理解しようとするのは無理があるということです。

もっともほぼ一点だけと思われるので、随分違うと思うかもしれませんが、
私には同じに見えます。

>>92
そうです。正に大乗は方便が多様で見えにくいですが、一端、分かれば仏教の全体像が俯瞰できる鍵が掴めると思います。

私は論争しているつもりはありませんです。
流石、行者ですね。最終的に了解していただき2ちゃんで希な対話だったと思います。
94考える名無しさん:2014/07/26(土) 03:26:30.05 0
ちょっと間が空いたけど来てみたら
哲学じゃなくて宗派批判になってないか?
仏教の悟りの道とその手法の優劣議論は層化批判と同じじゃね?
95考える名無しさん:2014/07/26(土) 07:32:53.28 0
>>88
>中庸と訳すこともできるけど、凡人の意識で苦楽の適度なバランスをとることでは全くなく、
>智慧に基づく本来の平等な状態で苦楽にとらわれない状態でしょう。

四念処修習段階の修行者は、相対思考の限界を捉え返す如理作意(中部2)なのだから、『中庸』でいいんだよw
そういった中庸の限界を突破してはじめて『智慧に基づく苦楽にとらわれない状態』になる。
言語思考が不立だから『本来の平等な状態』は余計だ。

だから、龍樹は勝義を踏まえて還滅する。
『不浄に縁らないで浄は存在しない。(しかも)それ(浄)によって不浄(がある)とわれわれは説く。
 ゆえに、不浄そのものも存在しない』(中論23-11)
『浄らかなみごとなものが存在しないならば、どうして貧欲が起こるであろうか(起こらない)。
 また不浄なものが存在しないならば、どうして嫌悪(厭離)がおこるであろうか(起こらない)。』(同23-12)
96考える名無しさん:2014/07/26(土) 09:40:58.49 0
>>95
そうあっちこっちの文を適当に繋いだんじゃ、要するに自分の理解するモデルに合わせて、適当に文を引っ張って根拠にしてるだけだろう。

その中部101は四念処の文脈じゃないんで、四念処として捉えては理解できない。

『中論』は四念処ではなく般若を説いている。
それは明らかに止を前提にしたもので、だからこそ最初に八不を説き、
戯論寂滅に導いている。

何が説かれている文脈かそれを捉えなければ分からないのが仏教で正に『中論』18-6以下はそれをこのように説いている。

>「諸仏は〈我〉と仮設し〈無我〉とも教え〈我でなく無我でない〉とも教えました。言い表されるものが止滅するのは、心の働く領域が止滅する時で、不生不滅で涅槃のような法性です。
>一切は[見えるままに]〈そうである〉あるいは〈そうでない〉また〈そうであり、かつそうでない〉また〈そうであるのでも、そうでないのでもない〉これが諸仏の教えです。

そしてこの区別がつかないと『中論』 24-8以下のように仏教は全く分からないと思う。

>「二諦に正しく依られて諸仏は法を教えました。世俗諦と勝義諦です。
>この二諦の区別を知らない人々は、仏の教えにおける甚深な真実が分かりません。
>言い習わしに依らずに勝義を教えられません。勝義に至らずに涅槃を得られません

要するに自分の論理に合わせて適当に文を引っ張っては、自分のモデルしか見えてこない。
それじゃ、本当のところは分からない。
自分の理解が間違っている可能性も想定にいれて、文に添って理解しようとしなければ、話しても意味がないと思う。
97考える名無しさん:2014/07/26(土) 10:43:25.62 0
>>96
>その中部101は四念処の文脈じゃないんで、四念処として捉えては理解できない。
>何が説かれている文脈かそれを捉えなければ分からないのが仏教で

『だから、龍樹は勝義を踏まえて還滅する。 』(>>95
これを増補換言すると、
⇒龍樹は(世俗の中庸の限界を突破した)勝義中道を踏まえて(不浄観を)還滅する。

中論18-6の文言を使うと、
『もろもろのブッダは、
 (1)不浄が有ると仮設し
 (2)浄であるとも説き、
 (3)また「不浄なるものは無く、浄なるものも無い」とも説いた。』
典型的な対機説法だ。

で、還滅相の(3)を踏まえて、中論23-9〜12の偈となる。
98考える名無しさん:2014/07/26(土) 11:31:06.76 0
>>97
>『だから、龍樹は勝義を踏まえて還滅する。 』(>>95
>これを増補換言すると、
>⇒龍樹は(世俗の中庸の限界を突破した)勝義中道を踏まえて(不浄観を)還滅する。

だから「その中部101は四念処の文脈じゃないんで、四念処として捉えては理解できない」べ、
なのになんで「だから」って繋がるわけ? その飛躍がわからんは

それじゃ対話できないよ
99考える名無しさん:2014/07/26(土) 11:55:31.48 0
>>98
>だから「その中部101は四念処の文脈じゃないんで、四念処として捉えては理解できない」べ、
>なのになんで「だから」って繋がるわけ? その飛躍がわからんは

経典はすべて実践仏道の筏として機能的に把握する必要がある。
実践仏道のプロセスを掴めていないからだよw

★仏法のゲシュタルト(仏道=実存苦の超克のプロセス : 厭離 → 離貪 → 解脱 → 苦の滅尽)
 間接現実【一切門】< 厭離 → 離貪>  =飛翔⇒ 直接現実【般若門】<解脱> ⇒ 還滅現実【還滅門】<苦(心)の滅尽(心の作用)>

>その中部101は四念処の文脈じゃないんで、四念処として捉えては理解できない。

何を言っているw
中部101の『精励する力』とはサンスカーラ(サンカーラ:行・形成力)のことだから、
まさしく四念処として実践仏道修行の中心観念だ。
身・口・意の中の菩提心の裏づけのある「意行」に他ならない。
これが仏道を推進するいわば中心エンジンだ。←意思の力
100考える名無しさん:2014/07/26(土) 14:55:52.80 0
>>99
つまり、オレちゃんが正しいの一点張りか
対話する気はないってことね
了解、終了します

意志力が出てくるから四念処とかむちゃくちゃだがな
四念処は道の一つで、仏教の全てに共通するもんじゃないだって全然分かってない
101考える名無しさん:2014/07/26(土) 15:19:36.98 0
>>100

<厭離 → 離貪 → 解脱 → 苦の滅尽>という実践仏道=実存苦の超克のプロセスは「テーラーガーター」全体にも明らかだろう。

定型化された文言で次のように表現される。

『そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであると思う念いが現れた。世を厭う気持ちが定まった。
次いで、わたしの心が解脱した。

見よ、―教えがみごとに真理に即応せることを!
三つの明知をすでに体得した。
ブッダの教えはなしとげられた。』(中村 元 『テーラーガーター』岩波文庫p76・77・81・84)

では。 
102考える名無しさん:2014/07/26(土) 15:43:15.92 0
>>101
それは四念処とは言わんよ。
戒定慧の三学とか、十七次第とか、五道とかいう
その中の道の一つに四念処があるだけ。

もうちっと典拠だすなら、正確な用法で出さんとなあ
体験は根拠にならんし
103考える名無しさん:2014/07/26(土) 17:09:01.65 0
仏教やナーガルジュナはアレクサンドロスが連れてきたギリシヤ人だとか
104考える名無しさん:2014/07/26(土) 17:10:00.27 0
ちなみに古代中国の兵馬俑は古代ギリシャ起源であることが
英国の歴史学者によって証明された。どうもヘレニズムは中国まで及んだらしい。
105考える名無しさん:2014/07/26(土) 20:16:20.26 0
>>103
それはありえない。
そんなドキュン説を立てた奴が嘗ていたらしいが、もちろん直ぐ否定された
今は笑い話
106考える名無しさん:2014/07/26(土) 20:58:14.45 0
ブッダやキリストやアッラーはいいこと言ってんのに
宗教研究科のクソみたいな後付け解釈で愚にもつかない頭の体操になってる
107考える名無しさん:2014/07/27(日) 00:21:11.31 0
自己主張ばっかだな
108考える名無しさん:2014/07/27(日) 08:09:28.52 0
>>102
>もうちっと典拠だすなら、正確な用法で出さんとなあ

七科三十七道品なるものは、単なる「内容による分類」でしかない。
そんな説明的分類では実践仏道では役に立たない。
頭でっかちになるだけだ。
学者に勝手にやらせればいい。

内容分類より、機能的把握。
『経典はすべて実践仏道の筏として機能的に把握する必要がある。
(あんたが)実践仏道のプロセスを掴めていないからだよw 』(>>99

親切ついでに、
ちなみに『三つの明知』(>>101)とはなにか?
<一切行無常・一切法無我・一切皆苦>の三法印をいう。
コンダンニャ長老の詩句、ダンマパダ(中村 岩波文庫 テーラーガーターp145、ダンマパダp49)参照。

おっと、8時をすぎた。
こんなところで油を売っている場合ではない。

では!
109考える名無しさん:2014/07/27(日) 08:36:27.99 0
>>108
>七科三十七道品なるものは、単なる「内容による分類」でしかない。

なんで戒定慧、十七次第、五道などって書いたのに、そうなるんだか
対話にならない
ただ七覚支は結構次第かもしれない

三つの明知、三明とは宿命通、天眼通、漏尽通なんだが、戒定慧の慧の一部、
十七次第の最後の三つだし、君が最初に挙げた中部101経、春秋社訳469頁以下に明解に書かれている

これで誤解だと認めないようじゃ終わってるは
110考える名無しさん:2014/07/27(日) 10:45:36.41 0
>>109
中部101の該当すると思われる箇所は、
六境への念の集中(≒観察)という意味で、多少「念処」と繋がってる、
とも言えるかも?w そういうことではないのかな?

>>99>>101
>中部101の『精励する・・・・・・
>まさしく四念処として
そりゃ、アバウトすぎでしょw
>の裏づけのある「意行」に
最大範囲の括りとして、四念処を、意に於ける行に含めるとしても、
他の沢山の意行も併せて含んでしまう以上、『四念処について』言われているわけではなく、
寧ろ、そうした具体性は捨象されている。四念処は、あくまでも、
具体的な、緻密な、方法論・方法でしかないわけで、
中部101も(そして中論も)、『それを説明及び指示してはいない』。

この点は認めるべきでしょ。 援用、連想ゲームさせすぎ。
君の言い方は、老人介護施設で「運動」は必要不可欠なものと言われたとき、
サッカーは運動(の一部)であるから、
老人介護施設でもサッカーをやらせるべき、という暴論なわけ。
(いや、別に身心頑強な人たちなら、そういうカリキュラム、イベントもあっていいと思うけど。)

勿論、○○に始まり○○に終わる、という言い方に載せて、
四念処に見られる行法を、最重要要素と位置づけることは吝かでないにしても、
貴方自身、>>108>機能的把握と言うように、どこまで行っても、
具体的方法論でしかない。 それを、
(たとえば自浄其意に絡ませて、念じ観察して、【その先に浄いところへ昇華させてゆく】としても)、
評価として、「西来意如何、収四念処」と言い得るのは、(道元の行持・威儀即仏法じゃないがw)禅の現場だけだよ。

道具・手法はあくまで道具・手法でしかない。← 一代が言ってるのはここと思うよ。
111考える名無しさん:2014/07/27(日) 10:57:17.16 0
>>110
>中部101の該当すると思われる箇所は、
>六境への念の集中(≒観察)という意味で、多少「念処」と繋がってる、
>とも言えるかも?w そういうことではないのかな?

そりゃ、仏教の修行法で念と繋がんないものを見つける方が難しい

>道具・手法はあくまで道具・手法でしかない。← 一代が言ってるのはここと思うよ。

いやいや、オイラが言ってるのは人の話を聞け、文は全体を読め摘むな、
自説や体験を絶対視するなら対話になんねえなってとこか

まあ百歩譲って、四念処は拡大解釈で容認可能としても三明の珍解釈は明らかな誤解なので、それを認められないような人は全く対話にならないな
1121/2:2014/07/27(日) 11:35:12.04 0
昼飯前の脳みそストレッチw
>>109
>これで誤解だと認めないようじゃ終わってるは

予想通りの反応だなw ここは「哲学」版だよね。
で、なんども言ったが、俺は固定教義仏教徒ではない。仏法実践仏道フリーターだ。

経典は筏でしかない。できの悪い筏は修繕や無視するのが当然だ。
 だから、
⇒『内容分類より、機能的把握。
経典はすべて実践仏道の筏として機能的に把握する必要がある。』(>>108

六神通のなかのいわゆる三明なるものはいずれも時間概念を前提とする。
仏とか菩薩とかの超人的な能力らしいw
•宿命通( Pali:pubbe-nivāsānussati-ñāṇa) - 自分の過去世(前世)を知る力。
•天眼通( Pali:dibba-cakkhu-ñāṇa) - 他人の過去世(前世)を知る力
•漏尽通(Pali:āsavakkhaya-ñāṇa) - 自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力。

★いずれもアプリオリに業報輪廻転生概念を前提とする空間概念・時間概念を前提とする分別議論であり、
未達の無明世俗的議論でしかない。仏法は「信仰」宗教ではないのだ。
上記の業報輪廻転生を菩提心凡夫は経験的に検証できない。
一切外妄想(中部63、相応部35-23・70)として無記=無視するしかないのだ。
1132/2:2014/07/27(日) 11:36:41.26 0
一方、>>99での「解脱」においては 空=中道の如くだから分別対象化された時間・空間は不立だ。
当然、言語論理も不立だ。
道元禅師に学べば、<時空際断の如く>だ。

ならば、固定教義仏教派の言ういわゆる三明とは
『・宿命通とは、自分の過去世(前世)なるものはそもそも不立の如くであると覚醒する
 ・天眼通とは、他人の過去世(前世)なるものはそもそも不立の如くであると覚醒する
 ・漏尽通とは自分の煩悩が尽きて、生死なるものはそもそも不立の如くであると覚醒する』でなければならない。
これが縁起=空=中道からの還滅となる。

ゆえに、
『ちなみに『三つの明知』(>>101)とはなにか?
<一切行無常・一切法無我・一切皆苦>の三法印をいう。
コンダンニャ長老の詩句、ダンマパダ(中村 岩波文庫 テーラーガーターp145、ダンマパダp49)参照。』(>>108)となる。

                               以上
114考える名無しさん:2014/07/27(日) 11:52:29.38 0
>>112
で、間違ったと認めたのかい?

それで遊びなのか、だったら、なんでオイラにレスするかな〜
115考える名無しさん:2014/07/27(日) 12:09:01.67 0
>>114
>で、間違ったと認めたのかい?

経典の内容がおかしいのではないかと批判したのだがw
>>112>>113の内容どおり。

>それで遊びなのか、だったら、なんでオイラにレスするかな〜

>>88でレスしてきたのはオイラじゃんww

さあ、飯だ。
116考える名無しさん:2014/07/27(日) 12:54:23.72 0
外野がいうのもなんだが
こんな論争を哲板でするもんか?
要は解釈の相違だろ?
間違ってたら悟れないとかアホじゃないよな?
117考える名無しさん:2014/07/27(日) 13:08:37.13 0
>>116
たまたまそういう流れになっただけ。
戻したい人が哲板にふさわしい流れに戻せばいい。

ただ、仏教の伝統ってのは、経(の言葉)と伝承者(の言葉)によって成立している以上、
(というか、それしかない以上)
上のような話になってしまうのは、避けられないよ。

そもそも、仏教は哲板に向かない、ということを頭の隅にとめとかないと。
それでも哲板でやろうという際には、
かなりの多くの部分、要素を捨象し切ってしまわないとね。
118考える名無しさん:2014/07/27(日) 13:23:17.58 0
>>117
哲板で仏教哲学やるならまずお題を決めるのが先じゃないかな
解釈の違いどーたらはお門違いだよな
で、今は何なんだ?
論書講義か修行法か?上座部か大乗か?
119考える名無しさん:2014/07/27(日) 15:35:54.37 0
戻したいけど専門的過ぎてついてけないんだぜ
日本語でよろ(情弱無知の懇願
120考える名無しさん:2014/07/27(日) 20:43:57.19 0
>>115
遊び、お前、相当性格も悪いし頭も悪いよな
しかも、執着とエゴが強すぎる、行なんか全くものになってない証拠だ

レスしてきたって、その上で散々四念処について議論してきたのに誤解してる書き込みで、しかも「遊び」だって認識できなければ、レスするがな
そんなの承知で話し振って、「遊び」だって分からない書き方してるよな
これって姑息な詐称とか偽装だぜ

あるいはオイラがレスした時に「遊び」だって言えばいいだけだ、
そもそもここは学問板だから自分語りの「遊び」はスレ違いだって、いい加減、オイラに拘るなよ
もう一度、ここでオイラに絡むなら、もうオイラはここに書くの止めるは
お前みたいなのと繰り返し同じ話する気ないからな

それといつもとテキストを出して根拠を偽装するけど、
根本的に論が妄想だから自分が出したテキスト自体と矛盾すると指摘すると
自分が出したテキストが間違ってることにして妄想を守る、そんなオレちゃん解釈に付き合えないって
話すだけ無駄だ、要するに言いたいのは「オレちゃんが正しい」だけだからな
121考える名無しさん:2014/07/28(月) 00:17:01.30 0
そのテキストって信憑性はあるのか?
単にコピペだったら洒落にもならんのだが
122考える名無しさん:2014/07/28(月) 00:24:09.14 0
>>121
それ言い出したら、耳録の伝言ゲームから始まってるわけだがw
123考える名無しさん:2014/07/28(月) 01:28:14.72 0
>>122
そうだとしたら、俺の説くところが真伝で一子相伝とかいうんだろ?
こういうのは陰陽道とかにもあってなw
そういうのが目的じゃないだろ?このスレはさ。
124考える名無しさん:2014/07/28(月) 01:32:43.31 0
>>123
なんでそっちへw

その前にまず、正統と言われる大蔵経があるわけで、(それを、巴だろうが漢だろうが蔵だろうが)
テキスト(文献)と呼ぶのだから。それを伝えてきた系譜(サンガ、伝承者)を先に尊重すべきでしょ。
現に、近代仏教学は、そうして伝えられた文献を元にしているのだから。
125考える名無しさん:2014/07/28(月) 01:43:12.09 0
>>124
レス早かったな。暇だから付き合おうかw
伝承者や解釈やら訳者をここで批判してるんじゃないか?どこが哲学かとw俺のが正統派とかそうか学会やオウムと変わらんそ?他は邪教とかさw
折伏しに来てるんじゃないだろ?
126考える名無しさん:2014/07/28(月) 01:52:52.53 0
そうじゃなくて、
たとえば、中村元なんか、どの世界でも珍重引用される大学者だが、
彼でさえ、ベースとしてるのは、現存上座部や蔵訳漢訳の大蔵経なわけで、
そういうのをベースにしないなら、何をベースにするのか?と。
大川君とか?w
127考える名無しさん:2014/07/28(月) 02:06:11.69 0
>>126
新興はもち論外として上のほうでも
この論者の訳はダメとかやってるだろ?
個別の宗派論争は哲学なんかじゃなくね?ってことなんだな。だから仏教哲学は哲板で嫌われるんだよ。理由は明快でそこに信じるっていう宗教臭があるからなんだよ。
128考える名無しさん:2014/07/28(月) 02:10:56.50 0
>>127
それはしょうがないでしょw
宗教臭を抜くことが可能と思う?

また、学者によって(僧侶によって)解釈が違った際にも、
その違いがどこから来てるのかを見ればすむことでしょ。

つか、哲学の世界には、そういう見解の違いなく、
皆が一つの価値基準で掘り下げてるの?(´・ω・`)
129考える名無しさん:2014/07/28(月) 02:25:02.83 0
>>128
ある一つの命題に対してのアプローチの基本はあるだろ。まあそれも人間が考えたわけなんだが。論理的であって数学的でもある。
仏教とか宗教はたしかに無理だろ。
命題となるものが仏や神とか人間が扱える領域じゃねえじゃんwあくまで俺ら人間じゃね?
それに仏教はお経であれなんであれ俺的に言えば必ずループする構造だな。
130考える名無しさん:2014/07/28(月) 02:33:56.65 0
>>129
それが、哲学という(学問)領域に起こらないこととは思えませんが?
寧ろ、(実に宗教的な様相としてw)見解の違いが錯綜する分野だと見えますが?
「尊重、敬意」といったタームで制御できる分、宗教的考察(≒神学・宗学)の方が、
交通整理はし易いかも?w
131考える名無しさん:2014/07/28(月) 02:59:26.56 0
>>130
このままいくと人文やら社会やらの哲学になりそうなんでやめるけど、交通整理とかなんか怖くね?新手の催眠商法の手段に思えるw
長くなったので次
132考える名無しさん:2014/07/28(月) 03:03:32.71 0
本題に戻ってループって言うのはさ、論書やらお経の解釈の仕方の論争、つまり1+2=3
いや俺は2+1=3だろ?
いや俺は3x1=3って言うようなもんだろ?
お経は3とは何か。それはこうである、だろ?
仏側と人間側で命題の順番つーか流れが違うだろ。
無論仏が命題を提示してる訳じやないしさ。
命題=仏教的用語を解くのは俺ら側じゃん?
永遠に続くぞw超長文になったがw
ついでに計算式を強制するのが折伏だろw
133考える名無しさん:2014/07/28(月) 03:06:58.04 0
>>131
学問的考察をするのに、交通整理は必須だというスタンスじゃなかったの?
宗教はそれが困難だから、哲板に向かないという考えに賛同しているのじゃないの?

貴方の言いたいことがまるっきりわかりません。
結局 >>117>多くの部分、要素を捨象し切って
ってことじゃないの?

宗教では見解の相違が生じ、哲学にはそれが生じない、
とでも言うなら、また違ってきますがwwwww


ノシ
134考える名無しさん:2014/07/28(月) 03:28:19.87 0
>>133
ワケわからんかったら悪い。
よく大乗経典にあるこのお経の一字一句でも読誦思惟するならば量り知れない功徳になるとか真言は一字に千理を含むとかあるように
一つの仏教用語からリンクは無限になるんじゃね?ってこと。
だから論書一部だけ採りあげても論争しても不毛じゃないかってことよ。
さすがに寝る。
135考える名無しさん:2014/07/28(月) 06:08:42.54 0
>>123
哲学も最初はテキスト批判から始まってるし
テキストに基づいてるでしょ、オイラが知る限り科学哲学、現代英米哲学以外は
136考える名無しさん:2014/07/28(月) 06:20:43.32 0
>>129
つまり、体系内の整合性を云々しても意味がないって言いたいのかな?

しかし、そういう論理学の分野も仏教が優れてるぞ
なにせ、パルメニデス、アリストテレスはもちろん、
ラッセル、クリプキとか超えてるし、
ハイデガー、ウィトゲンシュタインの上をいってるから
プリーストなんか頑張ってるけど、全然分かってないし
黒崎宏も頑張ってるけど、まだまだ
137考える名無しさん:2014/07/28(月) 07:16:51.31 0
>>120
>相当性格も悪いし頭も悪いよな  しかも、執着とエゴが強すぎる

あ〜あ、自らの不明を棚上げして、個人人格攻撃を始めたw  
応答するにも値せず。

>自分が出したテキスト自体と矛盾すると指摘すると 自分が出したテキストが間違ってることにして

テキストにいわゆる六神通・三明なるものは、「明知」どころか愚昧な世俗一切外の「無明」そのものだといっている。
>>112>>113の通りだ。
「神通力」仏教は、仏法透過・実践仏道にとっては執着心を強化する機能を持つ愚かな教えだといわざるをえない。
<不浄観>(>>86)よりも愚かだ。とうてい仏法透過者の方便ではない。
如理作意ではない。

では、アデュー!
138考える名無しさん:2014/07/28(月) 07:33:19.35 0
>>137
この「アデュー!」何度目だ。
こういった言葉を信じてもはやここに書かないと思ってるから、別人だと思ってレスしてしまう。

もうここに書き込まないでくれよ
書いた通り、今度君が書いたと分かったら、
もう書くの辞めるは

あっちを見れば分かるように一度言ったことは守るのがオイラ、君とは違う
139考える名無しさん:2014/07/28(月) 17:32:06.89 0
知識の自慢スレか
140考える名無しさん:2014/07/29(火) 17:53:11.49 0
>>137
ストーカーみたいなやつだなー
男同士で相手にかまってほしがるってオエ
141考える名無しさん:2014/07/29(火) 20:25:57.44 0
>>140
でしょ
142考える名無しさん:2014/07/30(水) 11:27:20.31 0
創価学会は、本質から狂っているということで、
その中心となるのが曼荼羅ですが、これを通常の日蓮宗のものと比較してみたいと
思います。

こちらが、弘安三(1280)年三月に日蓮さんが59才の時に直筆されたもので
現在は鎌倉の妙本寺に所蔵されています。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/70/Rinmetsudojihonzon.jpg

そして、こちらが、享保五(1720)年六月十三日。日蓮直筆のものより440年
近く後の時代に日寛上人によって模写されたものです。これに創価学会が修正
を加えたもので創価の本尊です。

http://livedoor.blogimg.jp/hide_akihiko/imgs/a/1/a1f991bc.jpg

比較するとわかりますが、全く違うものですね。
143考える名無しさん:2014/07/30(水) 11:33:04.22 0
>>142
大差ないと思うし、そもそも日蓮自体が非仏教の邪教でしょ
オウムの麻原にそっくりなテロ行動と仏教の援用
144考える名無しさん:2014/07/30(水) 12:56:29.40 0
おもしろいw
ちょっとより道してもいいな
145考える名無しさん:2014/07/30(水) 16:04:47.05 0
日蓮は字がうまいな
146考える名無しさん:2014/07/30(水) 16:05:45.37 0
日蓮は霊能者だったんだよ。
147考える名無しさん:2014/07/31(木) 14:04:06.24 0
このスレは停滞中
148考える名無しさん:2014/07/31(木) 19:26:12.12 0
>>142
日蓮宗では日蓮の教え=仏の教えなので
非日蓮的なものは仏教の本質から外れているという論理なのかな
他宗派からみれば本当にどうでもいいことだと思う
149考える名無しさん:2014/07/31(木) 20:32:12.06 0
>>148
幸福の科学で大川と元妻が争ってるような
150考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:15:08.06 0
>大差ないと思うし、そもそも日蓮自体が非仏教の邪教でしょ
>オウムの麻原にそっくりなテロ行動と仏教の援用
どちらかというとオウムにそっくりなのは、チベット仏教や真言宗じゃないの?
殺人を正当化する論理とかさ。

単なる権力争いの殺人(釈尊の禁じた呪術によるもの)を、
「相手が悪行を積み地獄に落ちてしまう前に浄土に送ってあげた」とか言うのって、
オウムがサリンを撒いて「ポアしてあげた」と言うのとどう違うのかわからないよね。
151考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:32:42.22 0
度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である。
救済しがたい粗野な衆生を利益する、まさに仏の大慈悲である。
勝義においては、殺すということもなければ、殺されるということもない。
幻化による幻化の殺はありえないのと同じである。
性的ヨーガと度脱の実践なしに、密教はありえない……
byドルジェタク

こういう主張をする教えを「邪教」って言うんじゃないでしょうか。
152考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:37:01.67 0
>>150-151
そりゃ、麻原が正当化のために使ったから
そういう点も日蓮と似てると思うが
153考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:41:00.76 0
151のチベットの坊さんは極端な例だが、日本でもこんなだしなあ。


領主への敵対という世俗的行為を宗教的悪業へと転化させ、
反逆者は神仏の怨敵として現当二世にわたる仮借ない仏罰神罰を受けることになる。
しかも下知に従わない者への呪詛すら行われている。
だからといって、こうした行為が仏教の慈悲の精神と矛盾するわけではない。
なぜなら宗教領主にとって、寺敵を呪詛・調伏して寿命を奪うのは、
我欲にかられた寺敵の煩悩を砕いて菩提へと導くための方便だからである。
彼らはまさに慈悲の精神にのっとって寺敵を呪詛し、
神仏を恐れぬ愚かな民衆の罪業を制止したのである……
「日本中世の社会と仏教」平雅行
154考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:44:08.78 0
>>150
>「相手が悪行を積み地獄に落ちてしまう前に浄土に送ってあげた」とか言うのって
チベットを擁護する積りはないけど、
その論理って戦中の浄土真宗(皇道真宗)でも使われた論理だから大乗仏教じたいがそういう問題を孕んでる

利他行の解釈を間違えるとトンデモない邪教に転落するってのは菩薩の危うさでもあるね
だからこそ戒波羅蜜と智慧波羅蜜が大切なのかも
155考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:48:59.81 0
麻原は名前は使ったがやったのは物理的殺人やテロル
これは日蓮と同じだろう。
156考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:51:18.01 0
>>154
つか、真言だとルーズベルトを呪殺している。
これは慈悲による度脱ではなく、怒りによる呪詛だと思う。
動機が重要であり、そういう点は他人には分からないが。
157考える名無しさん:2014/08/01(金) 20:54:22.34 0
日蓮を擁護するのに日蓮自体が違うと言わずに
他のがもっと酷いというような論理は、もはや日蓮が酷いと認めたようなものであり、
論法として卑怯な詭弁と言わざる得ない
158考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:01:48.85 0
>そりゃ、麻原が正当化のために使ったから
麻原が正当化に使える邪教的要素があるってことだね。
151の僧がチベット仏教で蛇蝎のごとくに忌み嫌われて、
反面教師としてして扱われているなら話は別だけれど、
そういうわけでもないしね。

>そういう点も日蓮と似てると思うが
日蓮は殺人してましたっけ?
159考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:02:44.77 0
>>156
呪文で殺すのも悪い毛唐を打擲して殺すのも同じ論理
真言とかは手段の違いに過ぎない

動機っていうか殺生はすべて(微細なものであれ)怒りがないと起こらないから、慈悲の殺生なんて成り立たないと思うけどなw
160考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:06:40.73 0
>日蓮を擁護するのに日蓮自体が違うと言わずに
>他のがもっと酷いというような論理は、もはや日蓮が酷いと認めたようなものであり、
>論法として卑怯な詭弁と言わざる得ない
今日の書き込みで擁護している人なんていた?
オウムと比べるならもっと妥当な宗派があるんじゃね?と書いてるだけでしょ。
161考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:09:14.22 0
とーでもいいがコピペはやめような
162考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:11:34.39 0
学会員もどきが混ざってるんじゃないかw
日蓮宗は後回しにしておいても、奴等は仏教の範疇じゃないからな。
163考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:12:42.45 0
>慈悲の殺生なんて成り立たないと思うけどなw
成り立たないはずなんですがねえ。
151の僧は言い訳がましく
「自分は嫌だったけれど観音菩薩がやれって言ったからやったんだ」
とかいってまた殺す(おっと!「浄土に送ってあげる」)わけですよ。
もう、こういう言い訳が通じるならなんでもありですね。
164考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:14:43.17 0
>>160
いやいや、話の流れをよく見ないとな
始めに日蓮と創価の比較があった、
そんな日蓮なんて仏教じゃなくオウムとおんなじだよって流れ
主題は日蓮であってオウムじゃないだは

これがすり替えってヤツね
165考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:15:32.65 0
>>163
ただそれを日本の大乗系に属する人間が糾弾する資格はないと思う
自分達もおなじことをやってきたのだから
166考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:18:37.96 0
>>165
それをいうなら大乗系の他派仏教を武力制圧したスリランカ仏教や、
東南アジアのテーラワーダも同様だけどね

一部がやってるから、その帰属すべてに適用するのは過大適用なんすよ
167考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:19:51.28 0
>>164
層化も日蓮も法華経を煽動の道具に利用しただけ
168考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:21:49.14 0
>>167
利用したかどうかは分からんけど、少なくとも誤解してるよね
法華経は融和的なあらゆる道を包み込む教えなのに
排他的にしてるからなあ
169考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:24:16.91 0
>165
>166
ヴァジュラヤーナ(金剛乗)の危険性を云々するつもりだったんだけれど、
ひょっとして「仏教」そのものが持つ欠陥なのかねえ。
170考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:29:42.36 0
>>169
そりゃ何でも誤って用いれば危険性はあるよ
それと正木晃のインチキ本は興味本位に書き立ててるから、信用すんな
171考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:31:17.99 0
>>168
法華経に他の経典は邪教って書いてないもんなw
カリスマみたいなのを作りあげやすいんだろう。
172考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:32:30.91 0
>>166
少なくともテーラワーダがどういう論理で戦争を正当化してるのか知らないが
慈悲殺という論理はないなあ

>大乗系の他派仏教を武力制圧したスリランカ仏教
これは政治的に他二派を大寺派で再受戒させて統一したんじゃなかったっけ?
リソースを挙げてもらえると勉強になるからお願いしたいです
173考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:38:23.40 0
>そりゃ何でも誤って用いれば危険性はあるよ
誤って用いるもなにも、殺人論理や殺人呪術をどう善用するんですか?

>それと正木晃のインチキ本は興味本位に書き立ててるから、信用すんな
じゃあ、ドルジェタクは人を殺して開き直ったりしてないってこと?
174考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:40:55.97 0
175考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:41:02.25 0
>>166
いや、やっぱりテーラワーダは同一とは言えないな
異教徒の侵略から正法を守るためにしかたなく悪業を犯すという考えはあったとしても
殺生が善業に昇華するという論理は三蔵経からは導き出せないもの
176考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:44:50.06 0
>>175
正法の捉え方の違いだろ
177考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:46:53.39 0
>>176
もちろん上座からすれば大乗は非正法
問題は殺生を慈悲行として善業に昇華する論理があるかないかの違いだと思われ
178考える名無しさん:2014/08/01(金) 21:51:33.22 0
>>177
金剛乗にはそういう捉え方もあったんじゃないか
179考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:11:15.24 0
>>172
ゴンブリッチ
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahavihara#cite_ref-14

ゴンブリッチ『インド・スリランカ上座仏教史』266頁:
> 年代記は王がサンガを再統合したと記しているが、この表現は、
> 王がアバヤギリ派とジェータヴァナ派を廃絶したという事実を体裁よく繕ったものである。

この箇所の訳注32:
> この時, もし大乗仏教もいばだ健在であったとしたら, これももちろん, 抹殺されたことであろう.

と訳者は、王がアバヤギリ派とジェータヴァナ派を抹殺したと解釈していると思われる。
180考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:16:42.72 0
>>173
例えば、麻原がサリンで首都壊滅を図ろうとしていた時、麻原が巨大な悪業を起こすことに慈悲を起こして物理的に殺すか、度脱する

麻原は悪業を免れ、多くの人がサリンで苦しむことが免れる。

度脱は慈悲と空性から揺るがない状態にいる聖者しか行えないので、
凡人を基準に考えてもらってもね
181考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:21:03.07 0
>>179
えーっと・・・それ具体的な物象はないわけですよね
ゴンブリッチ氏は優れた立派な学者だけれど、その点に限ってはあんまり正木晃を笑えないというか…

「そりゃゴンブリッチ氏の解釈っすね」


で終りでは?
182考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:24:20.08 0
>>179
補足すると「廃絶した」という表現から武力制圧を読み取るのは論理の飛躍でしょう
183考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:28:29.70 0
もういっちょ、ついでに指摘するなら、

>この箇所の訳注32:
>> この時, もし大乗仏教もいばだ健在であったとしたら, これももちろん, 抹殺されたことであろう.

これはゴンブリッチ氏とは関係なく、訳者である森祖道・山川一成氏の見解ですね
184考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:31:40.36 0
>>181-182
まあ、オイラは知らんけど、周到な研究者であるゴンブリッチと森さんが口を揃えるなら、
根拠あるんじゃないかと
そして、王が武力を使わずに宗派を廃絶できるとは思えない
王が命令すれば今まで対立していた派に入ると思う?
185考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:33:22.90 0
>>183
そう。だから二人が支持してるわけだ。
まあ、オイラもそのへんの史料直接あたったわけじゃないんで確証ないけど
シンハラ語読めないし
186考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:38:02.57 0
>>184
あーここはゴンブリッチさんに失礼だったかなー
まずゴンブリッチさんは武力を示唆するような表現はしてないですよね
再統合ではなく両派を廃絶させただけだ、と

>そして、王が武力を使わずに宗派を廃絶できるとは思えない
まあ権力の最終的な根拠が武力にあるとかそういう話でなら言えると思いますけど、
軍隊送って「剣か、改宗か」をやったわけじゃないでしょう?

ふつう強制的に還俗させる等の政治的手段を取るわけで、
なんでこんな短い記述から暴力を読み取るのか不思議ですね
187考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:43:04.95 0
>>185
いや、それって二人が支持してるというより、
二人が「廃絶」という表現に武力という文脈を読み取ったということでしょう

うーんw 用意周到な縁起氏が裏取らずにそこまで述べるってのは、なんか意外ですな
188考える名無しさん:2014/08/01(金) 22:50:09.18 0
>>187
すまん、テーラワーダはやっぱり現地語できないんで弱いんです
パーリと西洋語ぐらいなんで

まあ、「再統合」という勝者の記述から「廃絶」「抹殺」はそれぞれ温度差あるけど、オイラ的には自然な記述に思えるが、これは正に印象だけなのは否めないな

やっぱりパーリどまりで言及しない方がいいね
ちと、感情的だったです。反省!
189考える名無しさん:2014/08/01(金) 23:35:33.93 0
>180
あなたはかなりおぞましいことを言っている。

>例えば、麻原がサリンで首都壊滅を図ろうとしていた時、
>麻原が巨大な悪業を起こすことに慈悲を起こして物理的に殺すか、
>度脱する
>麻原は悪業を免れ、多くの人がサリンで苦しむことが免れる。
麻原信者はサリンで地下鉄乗客をポアしてあげないと、
乗客たちは悪業を積んで無間地獄に落ちると刷り込まれていたのかもね。
常識はずれなことであっても、慈悲と空性から揺るがない状態にいる
(とされている)「最終解脱者」からの指令であっては逆らえなかったのだろう。

>度脱は慈悲と空性から揺るがない状態にいる聖者しか行えないので、
>凡人を基準に考えてもらってもね
ほらほら!これこれ!!金剛乗は、これが駄目なんだ。
自派に所属する超人なり成就者なりは凡人の道徳を踏みにじっても良い
とする狂った驕り。最終解脱者を自称し倫理を踏みにじる麻原と何が違うわけ?
何のために五戒があると思っているの?
まさかドルジェタクは聖者だから呪殺は許されるなんて考えてるのかな?
190考える名無しさん:2014/08/01(金) 23:42:18.34 0
度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である。
救済しがたい粗野な衆生を利益する、まさに仏の大慈悲である。
勝義においては、殺すということもなければ、殺されるということもない。
幻化による幻化の殺はありえないのと同じである。
性的ヨーガと度脱の実践なしに、密教はありえない……
byドルジェタク

>度脱は慈悲と空性から揺るがない状態にいる聖者しか行えないので、
>凡人を基準に考えてもらってもね
191考える名無しさん:2014/08/01(金) 23:58:20.09 0
>>190
>勝義においては、殺すということもなければ、殺されるということもない。
同じように勝義においては、衆生なる者も利他行もないので、
「殺すことも殺されることもない」というのと同じ論理によっては、その人は殺生をすることはできないですね

誰の言葉か知らないけれど
192考える名無しさん:2014/08/02(土) 05:19:35.96 0
>>189-190
三明を三法印という無茶苦茶な珍説を出したテキスト内で違うのを指摘しても、間違いを認めず自らが依拠したテキストが間違ってると宣った嘗て「遊び」と自称した人に見えてきました。

もし、遊びでないなら>>108 >>112-113 でいうような三明を三法印というのは明らかな間違いだし、ストーカーみたいな嫌がらせする「遊び」とは別人だと書いてください。

もし、今日中にそのような表明がない場合、「遊び」だと認識しますので、先に書いたようにもうここに書くのは辞めますね。
193考える名無しさん:2014/08/02(土) 06:00:10.42 0
>>>189-190
>「遊び」と自称した人に見えてきました。
何で?

>「遊び」とは別人だと書いてください。
>今日中にそのような表明がない場合、「遊び」だと認識しますので
そりゃ無茶だな。190の書き込みの後、寝ちゃったからね。

>先に書いたようにもうここに書くのは辞めますね。
こう言っちゃなんだが、君はまた書き込む気がするよ。
194考える名無しさん:2014/08/02(土) 06:05:25.02 0
>>193
今日中だよ。
で、三明を三法印というのは明らかな間違いだし、ストーカーみたいな嫌がらせする「遊び」とは別人ですか?
195考える名無しさん:2014/08/02(土) 06:17:17.78 0
>>193
>こう言っちゃなんだが、君はまた書き込む気がするよ。
本当バカですね
196考える名無しさん:2014/08/02(土) 06:17:18.03 0
>度脱は慈悲と空性から揺るがない状態にいる聖者しか行えないので、
>凡人を基準に考えてもらってもね
いや、でもこれって凄い発言だよね。
「度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である」
って、本気で考えているってことだもの。
197195:2014/08/02(土) 06:18:12.67 0
あ、縁起氏とは別人です、一応
198考える名無しさん:2014/08/02(土) 06:21:30.82 0
>194
>195
192さんかな?だとしたら
>こう言っちゃなんだが、君はまた書き込む気がするよ
この発言は当たったわけだ。

>「遊び」とは別人ですか?
もちろん。なんでそんな勘違いをしたのかな?
199考える名無しさん:2014/08/02(土) 06:27:26.37 0
>>198
「もし、今日中にそのような表明がない場合」という仮定説が読めないんすか?

いやいや、そういう言い方でなく
「三明を三法印というのは明らかな間違い」で、そんな間違いを認められないのはどうしようもないと、明言してください

アナタがそのように今日中に明言できないなら、もはや真偽がどうあれ、ここに書き込むのは辞めるよ
200考える名無しさん:2014/08/02(土) 07:11:55.30 0
>「もし、今日中にそのような表明がない場合」という仮定説が読めないんすか?
何か話が通じていないな〜と思っていたら、192の書き込みは今日なんだね。
寝て起きた時に見つけたんで昨夜中の書き込みと勘違いしていたよ。ごめんなさいね。

>この発言は当たったわけだ。
この発言は取り消すよ。

>いやいや、そういう言い方でなく
198で書いたように「遊び」とは別人なんだけれども。
その表明だけだと何か不満足なのかな。
自分と無関係なことにコメントを強制されるのは嫌ですね。

>アナタがそのように今日中に明言できないなら、もはや真偽がどうあれ、ここに書き込むのは辞めるよ
「明言できない」のではなく敢えて「明言しない」ことにしたらどうなるかな。
そうすれば君の書き込みを(明日以降)このスレで見なくて済むんだよね?
でもあえて言うけれども「こう言っちゃなんだが、君はまた書き込む気がするよ」
201考える名無しさん:2014/08/02(土) 07:19:27.99 0
こりゃ本人の可能性大ですね

ダメだこりゃ
202考える名無しさん:2014/08/02(土) 07:22:43.11 0
>>200
まあ、好きにしたらいい
明言しないなら、もう書かないだけだ

いい縁なのかもしれない

>>201
だね〜
203考える名無しさん:2014/08/02(土) 10:24:08.36 0
流れ変えようかと思ったのに自己主張しすぎだろ
204考える名無しさん:2014/08/02(土) 17:17:50.29 0
これだけ固まった時間にレスが集中したら自演と言われてもしかたない
205考える名無しさん:2014/08/02(土) 19:39:15.01 0
  流れ変わるか
  日本仏教→大乗 利他行とは、カッコのつけすぎ 菩薩の慈悲(思い上がり)
  上座部仏教→小乗 利己的か 人間らしい さとり(利己を捨てて無心に)

  まず今一度、原点から
  
206考える名無しさん:2014/08/02(土) 20:02:46.13 0
その分け方が理解できない。上座部と言われようが覚者が輩出することによって、他を悟りに導くことができ
利他とも言えるのではないのか?通常は悟って終わりなのか?
207考える名無しさん:2014/08/02(土) 22:33:03.38 0
>>206
同意
208考える名無しさん:2014/08/02(土) 23:46:07.45 0
「三明を三法印というのは明らかな間違い」は明らかな間違いです。
209考える名無しさん:2014/08/03(日) 01:17:24.99 0
参加してみる
>>205
利他行とは他者を利益すること
特に問題無いんでは?
利益するためには行を積み
悟りへの道を自ら明らかにしなければ
利他にならない。
この道を自らの内に秘めるか同行素質の者に証すか、ここで別れるんではないかい?
210考える名無しさん:2014/08/06(水) 02:11:10.09 0
上座部において利己的な悟りを目指すにしてもその活動は利他的な部分が多いにあるよ。
利他性を基盤として自己を悟りの境地に導く。
悟りは、必ずこの形式に拠らなければ達成できない。

だから菩薩が大衆を悟りに導くにしても
上座部が個人的な解脱を目指すにしても
悟りを望む人は必ずこの道を歩まなければならない。

大乗の場合、悟りを達成したひとでも
涅槃に赴かず現世にとどまってさらなる
人々の救済に身をついやすことが出来る。
それが大乗と言われる所以。

上座部の場合は最終的に自己の完全消滅を目指す。
身体はもちろん、あらゆる意識体も。
そして二度と生まれ変わらないことが
最高の幸福とされる
(輪廻からの『解脱』)。
これにおいて上座部が利己的と言われる。

大乗では誰でもブッダの悟りを得られるものとされている。

上座部ではブッダの悟りには誰も到達できないとされている。
211考える名無しさん:2014/08/06(水) 09:02:15.94 0
>上座部ではブッダの悟りには誰も到達できないとされている。
つ十波羅蜜
212考える名無しさん:2014/08/06(水) 10:28:42.56 0
>上座部ではブッダの悟りには誰も到達できないとされている。

ブッダの「信仰」宗教としての神格化工作。
213考える名無しさん:2014/08/06(水) 11:59:35.91 0
大乗も小乗も特に違いはない。小乗は利己的というのも、これはある種の価値観からみればそうというだけで、その価値観に普遍的な正当性があるわけではない。
利他も同様。利他がよいことだという普遍的な正当性はない。なのでむりに利他をやる必要もない。
そのような価値観を否定することがむしろ仏教の真理といえる。
214考える名無しさん:2014/08/06(水) 12:37:55.89 0
キリスト教の根本はインドにあると思う
すなわち仏教がルーツなのだろう
聖トマス
215考える名無しさん:2014/08/06(水) 14:09:59.80 0
>>213
>利他がよいことだという普遍的な正当性はない。なのでむりに利他をやる必要もない。

<自也不思量なり、他也不思量なり>(道元 正法眼蔵 第11「坐禅儀」より改)

自他分別の時点で菩薩概念は無明の産物でしかなく、勝義透過ではない。
216考える名無しさん:2014/08/06(水) 16:36:57.21 0
>>213 がいいこと言った。
217考える名無しさん:2014/08/06(水) 22:16:15.08 O
利他的に生きる人に私は感動する。
サウイウモノニ ワタシハナリタイ。
なかなか出来ない人間のわたし。
218考える名無しさん:2014/08/06(水) 22:41:08.02 0
利他だって間接的な利己だろ
カントの定言命法だろ
この部分の中途半端な認識と行動では駄目だよってことだろ
219考える名無しさん:2014/08/07(木) 04:24:51.77 0
利己とか利他ってのはそれこそ
「人生の幸福とは魂の善である」的な。
どうすりゃ魂の善なの?ってとこを追求するのが宗教であるなら、
キリスト教も仏教もなんら変わらんわな。

ただ、神学大全なんかよりも

色即是空

の方が遥かに破壊力持ってるよなw
220考える名無しさん:2014/08/07(木) 04:48:47.31 0
>>219
いや色即是空も利己なんだけど
解脱は自分にとっての最高の利益だから
221考える名無しさん:2014/08/07(木) 05:19:35.78 0
>>220
へ?
在るもんは在る、無いもんは無いって事だろ。

倫理は介在しない
222考える名無しさん:2014/08/07(木) 05:23:11.66 0
まぁ、「在ると言うから在る」ってのを利己と言えなくも無いが。。。
223考える名無しさん:2014/08/07(木) 05:39:11.94 0
西洋には「神」がおったからめっちゃ回り道をせざるを得んかったんだが、
大拙先生や幾太郎先生は逆サイドから「お前ら損してるぜ」なわけよ。

ヘーゲルの絶対精神ではそれこそ「利己」の核たる「私」が軽視されちゃう。

なんつーかな、私は私であるが、それは君が君であるからだってことかな。

主と客の1on1が常に曖昧な事が仏教の超絶なところだと思うんだわな。
分かってんだか分かってないんだかってのも含めて。
224考える名無しさん:2014/08/07(木) 05:48:14.88 0
>>221
倫理じゃなくて幸福論だよ

>在るもんは在る、無いもんは無いって事だろ。
そんな単純素朴な実在論なら虚無論扱いされるわけがない
225考える名無しさん:2014/08/07(木) 11:14:46.20 0
この世の色(現象)は足し引き0だから、意味を持たないってことじゃないの
人間の自我もまた現象であり実在を持たないってことじゃ
だれか詳しい人教えて!
226考える名無しさん:2014/08/07(木) 13:14:15.62 0
>>224
え???
倫理って幸福論以外の何ものでもないぞw
もういっぺん噛み締めろよ
「人生の幸福とは魂の善である」
「倫理」って何のためよ? 言葉遊びで人生を浪費するなよ。

「群盲象を撫でる」とコギトは相容れないが、
主客が曖昧な仏教にとっては、そんなこともどうでもいいw

在るもんがある、無いもんが無いってのが気に入らなければもっと言うわ

在ると言うから在る、無いと言うから無い

なんつーかな、とりあえず、ここよ。
これはうまく説明出来たら大哲学者ですわw

オレには無理w
227考える名無しさん:2014/08/07(木) 13:52:56.59 0
即是の論理か
228考える名無しさん:2014/08/07(木) 17:34:12.97 0
なんかあさっての方向になってないかw
229考える名無しさん:2014/08/07(木) 18:02:15.74 0
こっちの生半可な知識のせいで妄想の種を与えたみたい
反省してちょっと黙ります
230考える名無しさん:2014/08/08(金) 09:52:51.70 0
>>223
大拙の「真宗入門」読むといい
231考える名無しさん:2014/08/08(金) 10:01:38.30 0
仏教を実践からではなく、哲学と捉えて入るのがそもそも「回り道」だと思う。
もちろん役に立たないとはいえないが。

哲学は実践の成果を後づけで言語化したものだし、そもそも言語化し得ない部分が
ある。実際、文字さえ知らない人が悟りを実現させたりするしね。

このスレは、オーディオの仕様書を読んで、その品質や構造や使われている部品について感動したり議論したりしてるだけで、
そのオーディオの電源を指一本つかって入れることは一生しない人も多そうだね。
そうしなきゃ音はでないただの箱なのに。
232考える名無しさん:2014/08/08(金) 10:54:40.81 0
バウッダの次は何読めば良い?
233考える名無しさん:2014/08/08(金) 12:17:28.47 0
仏教、というかブッダの教義を自己の課題として実践するのが正しい捉え方かな。
仏教という呼称はもはや実態と乖離してる
と思う。
Buddhismが整合してる感じ。
悲しいことに漢字は機能停止しているね。
大乗にのみ仏教という呼称は適合するんじゃないかな。
ブッダの教義から著しく乖離して機能停止してるから。
234考える名無しさん:2014/08/08(金) 14:09:27.42 0
>>233
>Buddhismが整合してる感じ。

仏法には、主義・主張・教義はない。

>ブッダの教義から著しく乖離して機能停止してるから。

『★心の対象(境地)が滅するときはには、言語の対象も滅する。
 そこにあらわれる様相は不生不滅(の如く)であり、
 実にニルヴァーナ(涅槃)の如くである。』(龍樹 中論18-7)

言語の対象が滅した『ニルヴァーナとは、一切の得ること(対象の実体的知覚)が滅し、戯論が滅しためでたい境地である。
          ブッダは、いかなる教え(法)も、どこにおいても、誰のためにも、説かなかったのである。』(同 中論25--24)

  
235考える名無しさん:2014/08/08(金) 16:35:50.48 0
仏教は残るだろうけど
檀家制度や戒名つけて何十万とかいう制度は滅びるんじゃない?
相撲と一緒で、テーラワーダ仏教とかいうのに外国産のに乗っ取られそう
236考える名無しさん:2014/08/08(金) 16:37:26.69 0
×相撲と一緒で、テーラワーダ仏教とかいうのに外国産のに乗っ取られそう

○相撲と一緒で、テーラワーダ仏教とかいう外国産のに乗っ取られそう

失礼
237考える名無しさん:2014/08/08(金) 17:22:06.51 0
バングラデシュのチッタゴン県にある小さな上座部系の仏教村、いいなあと思った。

亡くなる前のひとにお経をあげたり
亡くなってもお経は遺族の方々に向けて唱えたり、
遺族の方々が亡骸にすがりついたり嘆いたりすることを禁止してたり、
ブッダの教義が生きてる世界があるんだと知った。
チッタゴンに行ったことあるけどビーチでのバカンスだったから
次はこの村に行ってみたい。
238考える名無しさん:2014/08/08(金) 18:24:24.86 0
>>237
死を悼む行為及び、そこに仏教関連の要素を盛り込むことの「禁止」
まで行っちゃったら、それはそれでお釈迦さんに反するでしょw
特に六方礼経その他を擁する上座部なればw
239考える名無しさん:2014/08/08(金) 19:03:05.77 0
仏教を哲学として捉えているとただの仏教オタクになっちゃうんだよな。
学者や評論家にもそういうオタクの人がいるけど。
240考える名無しさん:2014/08/08(金) 19:47:15.61 0
>>239
教義哲学を忘れるとアウトでしょ。
241考える名無しさん:2014/08/08(金) 19:57:14.98 0
>>240

誰も、(勿論>>239も)、《「教義」「教義哲学」を忘れていい》
なんて言ってないと思うが?
242考える名無しさん:2014/08/08(金) 20:09:19.42 I
華厳経の入法界品の善材童子と善知識の53人について詳しい人いますか?
243考える名無しさん:2014/08/08(金) 20:10:19.79 0
2度と生まれ変わりたくないから
244考える名無しさん:2014/08/08(金) 20:22:25.39 I
男と女で裸で抱き合えばいいよ
245考える名無しさん:2014/08/08(金) 20:25:17.32 0
この世には帰って来ない
246考える名無しさん:2014/08/08(金) 20:28:12.50 0
くたらない自演スレ
247考える名無しさん:2014/08/08(金) 21:03:56.30 I
東海道五十三次
248考える名無しさん:2014/08/09(土) 00:41:24.67 0
もう生まれたくないんだ
249考える名無しさん:2014/08/09(土) 00:58:02.28 0
初期尾崎かよw
250考える名無しさん:2014/08/09(土) 01:26:04.37 0
この世に生を受けた時点で魂レベルはかなり低いんだよ。
251考える名無しさん:2014/08/09(土) 01:34:56.26 0
産声を上げ そして立ち上がり やがて歩き始め 一人きりになる
心が悲しみに 溢れかき乱されても 脅えることはない
それが生きる意味なのさ

忘れないで強く生きることの意味を
探している 答えなんかないかもしれない
何ひとつ確かなものなど見つからなくても
心の弱さに負けないように立ち向かうんだ
走り続けよう
叫び続けよう
求め続けよう
この果てしない生きる 輝きを
252考える名無しさん:2014/08/09(土) 02:58:11.22 0
  負けないで
  もうすこし 最後まで走りぬけて
  どんなに離れてても
  こころはそばにいるわ
  追いかけてね はるかな夢よ


  なにが起きたって ヘッチャラな顔して
  どうにかなるサと おどけてみせるの
  今宵はわたくしと一緒におどりましょう
  今もそんなあなたが好きよ  
  忘れないでね
253考える名無しさん:2014/08/09(土) 10:17:36.16 I
此の法を聞きて歓喜し、
信心ありて
疑うこと無き者は
速やかに
無上の道を成じて
諸の如来と等しからん(人法界品)
254考える名無しさん:2014/08/09(土) 10:19:53.75 I
親鸞上人は女と抱き合って悟りをひらいたようだな
255考える名無しさん:2014/08/09(土) 13:42:24.73 0
>>238
反しませんよー

>遺族の方々が亡骸にすがりついたり嘆いたりすることを禁止してたり

スッタニパータ<矢経>

585 みずから自己を害いながら、身は痩せ醜くなる。
そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。

586 人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。
亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕らわれてしまったのだ。
256考える名無しさん:2014/08/09(土) 14:06:08.56 0
>>255
出家と在家の別を見ない上座部なんぞありえんわw
257考える名無しさん:2014/08/09(土) 21:56:08.42 0
鈴木大拙や西田幾多郎がさんざんやって来た仕事のお陰じゃないっすかね。
258考える名無しさん:2014/08/09(土) 22:57:32.81 0
あの大日本帝国な人たちが?
259考える名無しさん:2014/08/09(土) 23:24:02.99 0
禅問答読んでみようと思うのですが
オススメはありませんか?
260考える名無しさん:2014/08/10(日) 04:40:01.48 0
>>255
自分で語れないのは泥棒だ
不偸盗の戒律はどうした?
261考える名無しさん:2014/08/10(日) 11:52:13.57 0
>>256
はあ・・・
サッラスッタ(矢経)は出家専用のお経じゃないですよ
262考える名無しさん:2014/08/10(日) 11:57:53.85 0
>>261
在家も援用してるってだけだよ。
263考える名無しさん:2014/08/10(日) 12:14:09.95 0
在家にサッラスッタの教えを説くことってお釈迦様に反しますかね・・・?
理解でけん(;´-`)
264考える名無しさん:2014/08/10(日) 12:58:59.89 0
>>263

>>237>遺族の方々が亡骸にすがりついたり嘆いたりすることを禁止してたり

いったい、どんなお経のどこで、「禁止」されているのか、
是非御教示いただきたい。
265考える名無しさん:2014/08/10(日) 13:21:50.33 0
>>264
禁止はサッラスッタの援用でしょ なんでそこに突っかかってくるんですかね
テーラワーダでは中陰がないので亡骸はただのゴミです
ゴミにすがりついて泣き叫んでどうするんですかね
266考える名無しさん:2014/08/10(日) 14:20:08.88 0
魂は不変だから泣く奴は馬鹿
267考える名無しさん:2014/08/10(日) 14:55:56.25 0
津波で流された代々の家はただのゴミだがすがりついて泣くだろ
丹精込めて作った作品が破砕したらすがりついて泣くだろ
ゴミはゴミだが執着を捨てきれない感情を内有するのが凡夫ってもんだ
268考える名無しさん:2014/08/10(日) 15:54:06.44 0
>>267
へ理屈やめとけ
269考える名無しさん:2014/08/10(日) 16:02:45.49 0
これだから勝義厨は・・w

100人全員にキサーゴータミーと同じでいいわけなかろ?
あれを「禁止」とすることは、対機の幅を認めないってことなの。
ムスリムの断食と同じレベルにしたいのか?w
それはそれで一つの見識とは思うけど。
270考える名無しさん:2014/08/10(日) 21:18:48.00 I
衆生の罪垢は、
甚だ深重なれば、
万千刧に於て、
仏をたてまつらず、
生死に輪転して衆苦を受く、
是れ等を度せんが為に、
仏は世に興りたもう(華厳経 世間浄眼品)
271考える名無しさん:2014/08/10(日) 21:46:29.24 I
華厳経には、このようにあるが、罪垢の深い我々が菩提心を取り戻すためには
長い時間を要する。我々の糸は、生まれ出でた時から、親の業を引継ぎ、めちゃくちゃに
絡まっている。菩提心のない衆生の段階にいるときも、この糸の絡みは自然に自分でほどいていく。
これが、仏性であり、しかし自力では、穢土と衆苦により絡まった糸を取るのが困難なので、
それをほどく方向性を言葉と言葉以外とで示す仏が生まれたと華厳経ではいっている。
では、この絡まっている我々の糸が瞬時に解放されないのは何故か?
272考える名無しさん:2014/08/10(日) 22:11:28.64 I
絡まった糸をみんな自力で解くってのが味噌だな。
みんな、純白な状態を取り戻したいとは思っているわけだから、
しかし、業は深く、菩提心を取り戻すことが、絡まりのない自分の糸をまっすぐな
状態に戻す必須条件だと仏教はいってるんだろ?
思うに、絡まった糸も、実は素直でさへあればちょっとずつほどけていくもので、
その素直であるというのが難しいんじゃないか?浄土門は、素直で自然と共に
生きることを選んだ道だろ?阿弥陀如来への帰依は、草木国土悉皆成仏に繋がる気がする
273考える名無しさん:2014/08/10(日) 22:22:16.81 0
一瞬で解ける方法がある
274考える名無しさん:2014/08/10(日) 22:24:29.18 I
糸の絡まりを取り、それが、もう絡まらない状態が悟りだとすると、
そこに悪魔が現れる。つまり悪魔がいるということが、自分の菩提心への
妨げになる。仏陀釈迦牟尼も、悪魔と対話している。悪魔がいるということが、
世界の純粋な事実となる。仏教は、菩薩道、すべての人の救済を標榜している。
悪ってのは、憎むべきものではなく、純粋にそうあるものなのだから。仏教は
それさへも包括している。恐ろしく暗く陰惨なもの、狂気までをも含む。
275考える名無しさん:2014/08/10(日) 22:28:24.11 I
それが地獄の思想だ。

>>237
ほう。それは難しいんじゃないか。
276考える名無しさん:2014/08/11(月) 08:06:33.62 I
毘盧遮那仏は宇宙の衆生を遍く照らし、救済するそうだが、照らされた衆生はすぐには悟ることはない。
絡まった糸は、何万刧年にも渡って少しずつ解かれていく。
阿弥陀如来や大日如来がいても、衆生がすぐには救済されないのは何故か?
厭離穢土欣求浄土。如来や仏は、この穢れた世界に居座らず、浄土にいるわけだが、
穢れているとは、それほど拭いされないものなの?
277考える名無しさん:2014/08/11(月) 09:27:57.81 0
華厳経世界では、人間のみに、仏教信徒のみに、済度があり、慈悲があるのか?
仏教徒以外、人間以外、には救いはナイのか。
華厳経世界は、ただのこの世でないか? 信仰との引き換えの、仏教ビジネス
の信者のみの、浄土か。如来は、この世をどうして穢土に作ったのか。
それも、ビジネスを有利に、するためか?

大乗仏教では、「利他行」と言うが、そんな無償のサービスが、今の世のどこ
にあるのか。共同募金、歳末助け合い、それとも、生保? 他に?
278考える名無しさん:2014/08/11(月) 09:44:04.18 0
でたらめこくな
279考える名無しさん:2014/08/11(月) 09:52:09.07 0
また荒れてるな。自分以外の輩が仏教語ると喰ってかかる妬み満々の似非仏教徒が粘着してるな。
280考える名無しさん:2014/08/11(月) 10:32:26.62 0
キリスト教の原罪の様に、われらは生まれつき不幸(苦の娑婆)であり、
その後も、それほどの罪業を、われら庶民、日本国民は、犯し続けたのか。
そうではナイ様に思う。マルクスかぶれ? もあるが、不幸の原因の多くに
「貧困」と「富の配分のアンバランス(歴史遺産を見ると中途半端でナイ)」
ではないか。国家権力とも結んだ寺院は、上流階級。今は?

一般庶民のわれらは、サービス時代の仏教と関連するビジネスに「こころ」
まで、癒される?
281考える名無しさん:2014/08/11(月) 11:48:47.71 0
この厳シイ「娑婆」では、大日如来の化身「お不動様」の人気が
トップ。商売繁盛、家内安全、大願?成就、ナド。成田山、川崎大師
など、欲、欲、欲、?   しあわせになりたい。 神仏様にオネガイ。
282考える名無しさん:2014/08/11(月) 12:03:22.67 0
煩わしいほど仏論を書き込めるに
どうして自身の高慢や義憤を抑えられないのか
283記憶喪失した男:2014/08/11(月) 12:19:53.96 0
うわあ、華厳経を読んだ人の話、聞きたい、聞きたい。
華厳経についてたくさん教えて。

>>259
禅問答なら「無門関」がおすすめですよ。最適の入門書です。
284考える名無しさん:2014/08/11(月) 16:27:43.30 0
>>283
ありがとうございます、早速読んでみます
285考える名無しさん:2014/08/11(月) 19:20:14.26 I
華厳経は、全部読んでいるわけではありませんが、中村元の現代語訳参考にしてます。
テキストは、NHKの「こころの時代〜さとりへの道」です。
それにしても長い話ですね。「口語全訳 華厳経全二巻」も読んでみたいな。
華厳経て生きとし生けるものすべては関係していて、関連しあっているていうのが基本ですよね。
どんなに小さいものも、そこには全宇宙がある。小さいもののなかには宇宙が広がっていて、我々に
関係ないものがない。東大の木村清孝氏が言うには、その筋道や物語は、線が一本通っている経典だと
言われてました。最後の入法界品、善財童子の旅は、人間の縁によって悟りをひらく物語で、あらすじだけでも、
とてもすばらしいと思います。読んだ方が居られたら色々教えてください
286考える名無しさん:2014/08/11(月) 20:56:39.48 0
このあたりが物理学者をワクワクさせるんだよなー。
287考える名無しさん:2014/08/12(火) 02:54:44.57 0
仏教もそうだけどさ、いわゆる「非アブラハム」な宗教って、
廃れてしまったものも現代に残るものも、
突き詰めていったら物理学者が量子論でまさに対面してるとこに
行っちゃってるような気がするわw

実際は
http://gazo.shitao.info/r/i/20140812025419_000.jpg

こうなっちゃってるわけだが
288考える名無しさん:2014/08/12(火) 02:57:55.46 0
水色は何教だ?圧倒的じゃないか!(棒)
289考える名無しさん:2014/08/12(火) 05:04:13.82 0
別に何か勉強したわけでもないけどさ、
ユダヤもキリストもイスラムも
この世の一切合切の深淵を突くとこまでは到ってないのよね。
せいぜい、創世記くらいのもんで。
トマス・アクィナスは何故か分からんけど、「やばい」って思って
やめちゃったんだよ。つまりはそう言う事。

西洋哲学がもの凄く回り道して到達したところに
非アブラハムの東洋人(インド含む)は
最初から立っていたって感じなんじゃん?
290考える名無しさん:2014/08/12(火) 08:49:11.41 0
>>284
どうして華厳経なのかまずそこから聞きたい
上のレスとタイミングが良すぎなんで
まさか同一人物じゃないよな?
このスレには精神疾患がいるから
291考える名無しさん:2014/08/12(火) 08:53:52.41 0
>>290
無門関を読んでみます、ってことじゃないのか?w
292考える名無しさん:2014/08/13(水) 22:48:53.03 I
法句経の始めに

「怨みに報ゆるに怨みをもってしては、人間の世界は、ついに怨みと仇との
果たし合いに終わるであろう。」
293考える名無しさん:2014/08/13(水) 23:17:19.64 I
山口益書『 仏教思想入門』にはだな

仏陀の正覚が論じられ、仏陀が縁起理法を悟って、その理法は衆生に説くには
あまりに難しすぎて混乱をきたして、却って「愛着と憎怨とのからまりの汚穢・暗黒・迷妄
との中に逆に流れこんでしまう場合すらある」からこのまま独覚を静かに味わい享受しようと
考えたというが、これが独覚だとすると、独覚も正覚であるということになるが
これは、そういう解釈でいいのか?
294考える名無しさん:2014/08/13(水) 23:22:55.34 I
そうすると正覚とは、独覚・菩薩・仏・如来が正覚では同列になる。
悟りが、縁起理法を悟った状態であり、独覚は小乗となるが、独覚と小乗の違いはないのか?

それから、これが肝になるが、大乗である菩薩部と如来部の違いがないように思うのだが、
如来と菩薩の位の違いを問いたい。明確な違いは何か?
295考える名無しさん:2014/08/13(水) 23:27:58.72 0
>>293
著作権違反
通報
296考える名無しさん:2014/08/13(水) 23:34:20.47 I
>>295
何で?どこが違反してるよ?
297考える名無しさん:2014/08/14(木) 17:34:25.78 0
してない。
298考える名無しさん:2014/08/14(木) 17:54:43.60 0
290
華厳経は日本に入ってきたもののうちの原典。他の経文、宗派は、この華厳経が難しすぎるため
大衆向けに作られた解説本。知力に自信があるなら直接華厳経に挑戦するのが吉。
ちなみに華厳経の総本山は東大寺ね。
299考える名無しさん:2014/08/14(木) 17:59:47.93 0
都合いいとこだけ引用したり解釈を変えたりとか安倍かw
300考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:07:36.72 0
古代ギリシャより、さらに数百年前に、こんなことまで分かっていたのかーってことに
学者達は驚嘆を抑えることができない。しかし、これにはトリックがある可能性も否定し得ない。
1 およそ予言というものは、たくさんやれば当たる確率も増える。
そこで、時代に応じて当たっているものだけを紹介して外れているものは隠してしまえば、すべて当たっているように見える。
そして、ブッダ発言は膨大である。
2 後の時代に、解釈の名の下に、曖昧な表現を、いかにも当たっているかのように改変すれば、宗教者の飯の種として生きながらえる。
多くの宗派は、このような生き残り競争を延々と続けてきた。それが、まさに宗教史そのものである。

要するに予言者になりたかったら、曖昧なことをたくさん言い残しておけばいいんだよ。
301考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:12:34.30 I
日本には華厳宗という宗派があるからな。いわゆる奈良に中国から入ってきた南都六宗のひとつで、
東大寺が華厳宗の総本山なのは有名。東大寺の大仏は毘盧遮那仏で華厳宗では文殊菩薩、普賢菩薩と並んで
御本尊となっている。毘盧遮那仏は真言宗で言えば大日如来に当たる。遍く人々を照らす光を表す「光明遍照」を
意味する。華厳宗が何故、文殊菩薩、普賢菩薩、毘盧遮那仏を本尊にするかというと、華厳経の物語が、前半毘盧遮那仏の
教えになっていて、後半の善財童子の話が文殊菩薩と普賢菩薩が重要な役割を担っているから
302考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:14:27.50 0
>>300
まあ東洋も西洋も言いたいことは似たようなもんだ。
303考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:22:22.57 0
>>301
Eテレでやってるよな
304考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:23:01.00 0
修辞学と易経は切っても切れない縁なんだよ。
決め手はレトリックと確率論さ。
305考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:41:39.80 0
実におもしろい。
306考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:53:19.90 I
菩薩と仏・如来の違いって説明つかないよな。
山口益氏は、縁起理法を正覚と言っているのだから
悟りは独覚、菩薩、仏の位が得ているもの。
独覚と菩薩の違いは一乗の立場を取るか取らないか。
じゃあ、菩薩と仏の違いはとなるのだが?わかる人いる?
307考える名無しさん:2014/08/14(木) 18:59:40.30 0
>>306
ボディサットヴァとタターガタの違いでいいんじゃないか?
308考える名無しさん:2014/08/14(木) 19:16:01.09 I
>>307
え?わかんない。できれば説明よろ。
309考える名無しさん:2014/08/14(木) 19:37:07.76 0
壮大な釣りの予感w
310考える名無しさん:2014/08/14(木) 20:05:59.57 0
手塚治虫あたりが釣っているの?
311考える名無しさん:2014/08/14(木) 20:09:38.39 I
まあ、凡夫であるおれにはわかりえないことなんだろうな。
弥勒菩薩も後に弥勒仏になるっていう、そん時に聞くか。から良しとするか
312考える名無しさん:2014/08/14(木) 20:18:38.43 0
やっぱ一神教はダメだね
313考える名無しさん:2014/08/14(木) 21:48:57.74 O
おれ発作的に易経のこうじ384の文章を
丸暗記したんだけどこれってやっぱり前世からの因縁?
314考える名無しさん:2014/08/14(木) 23:00:14.92 0
>>313
スレチだけど易は哲学というより数学的。
始めから決まっている事を人が分からないから知る手段じゃないかな。
315考える名無しさん:2014/08/14(木) 23:08:09.27 0
そうね。易も風水も統計学の原始的なものだという説もあるみたい。
316考える名無しさん:2014/08/15(金) 13:02:44.58 O
十二支縁起説の解釈は色々読めば読むほどわからなくなってくる。
317考える名無しさん:2014/08/16(土) 13:42:03.68 O
>>306
悟りの知恵である般若は、悟りが究極に達した仏の知恵ではなく、発展途上の菩薩の知恵であるという。
未だ途上にあるから、菩薩は究極を目指して成長していくが、その成長過程のどの地点であっても、般若は既に究極に到達していると説かれる。

すると仏とは、設定された架空のゴールだと考えられる。
現実には、成仏を目指す菩薩が仏である。
なので成仏とは、ゴールに到達する事ではなく、ゴールに至る道に入り、その道を行き続ける事だと思われる。
その道を行く一歩一歩が成仏なのだ。
318考える名無しさん:2014/08/16(土) 16:04:17.77 I
じゃあ、弥勒菩薩が56億7000万年後、弥勒仏になるっていうのも架空か
319考える名無しさん:2014/08/16(土) 23:24:44.37 0
>>316
>十二支縁起説の解釈は色々読めば読むほどわからなくなってくる。

正直な人だね。
人間の中で、自分の生前と死後を経験した人は誰もいないのだから、判るわけがない。
ということは、「現在とは何か」が判る奴はいないということだ。
現在は、死後かも知れんし、生前かも知れん。
そもそも、生前も、死後も妄想かも知れん。

生前の有以前を誰も検証できないのだから、
バカ坊主の妄想として無視するのが当然だw

荘園経営で超リッチな人生で、ヒマをもてあましていた坊主には、
妄想かオンナをもてあそぶのが、暇つぶしだったのだろう。
精緻な割には、ボロが多すぎる。精神の弛緩だ。

龍樹に突っ込まれるのは当然だろう。
320考える名無しさん:2014/08/17(日) 13:33:21.13 0
>>319
そこで三明なるものがでてくるんじゃないかな?
321考える名無しさん:2014/08/17(日) 13:34:39.86 0
>>320
三明って、なんですか?
3221/2 三明:2014/08/17(日) 19:08:43.14 0
>>321
>三明って、なんですか?

「人を見て法を説く」の言葉通り、ブッダの手法は対機説法ですが、
その目的はあくまでも『比丘たちよ、私は以前も今も、苦しみと苦しみの止滅だけを教えるのである。』(中部22より)

一般在家者へのシーンと、外道バラモンや初級修行者への説得のシーンと、優れた仏道修行僧へのシーンとで異なって当然です。
(1) 一般在家者へのシーンでは、基本的に三世にわたる因果応報の教えによる『善行』を説いたのですが、
(2) 無我(アナートマン)を一蹴する頑固な外道バラモンへの説得や、無我を納得しない初歩段階の弟子へのシーンでは、
  “自ら(アートマン)“の三世の生命流転のありさまを覚知するところの「不死の境地」(三明)を戦略的な方便として説きました。
  『多くの呪文をやたらにつぶやいていても、人は生まれによってバラモンとなるのではない。心が汚物に汚れ、欺瞞に蔽われていては。
   @前世の境涯(宿命)を知り、A天上と地獄とを見、B生存を滅ぼしつくすにいたって、直感智を確立した聖者、
     ―この★<三つの明知>★があることによって、かれこそ<三つの明知をそなえたバラモン>―となるのである。』
                                           (『サンユッタニカーヤ』)
                         
三明とは、本来は「バラモンの三ヴェーダ聖典を明らかに知ること」を意味していたのですが、
釈尊は、仏教の勢力が圧倒的に弱い最初期の頃はこの用語の意味を転換することにより、
戦略的に仏教の教えを浸透させていったのです。

ですから、★三明とはあくまでも<仏法未達者への対機説法>でしかありません。
3232/2 三明:2014/08/17(日) 19:10:35.29 0
(3)ところが、優れた弟子に対しては、ブッダは、「無常・苦・無我(非我)」という三つの「明らかな智慧」(三法印)を使って、
   それを「手段」として活用して「五蘊盛苦(=生・老・病・死・愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦生)」を、ストレートに止滅(滅尽)させる方法を説きます。

『675 風によって吹き上げられた塵を、雲が静めるように、
   ひとが★明らかな知慧★によって見るときに、
   もろもろの欲望の思いが静まる。
(即ち)
676 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と
   明らかな知慧をもって観るとき、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
   これこそ人が清らかになる道である。

677 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と
   明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
   これこそ人が清らかになる道である。

678 「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と
    明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
   これこそ人が清らかになる道である。」
(中村元訳 岩波文庫 テーラーガーター p145、ダンマパダ12-1〜8 p48 、ウダーナヴァルガ12-1〜8 p196) 

これらの対機説法の基本手法は、龍樹 中論18-6に明らかにされています。
324考える名無しさん:2014/08/18(月) 00:04:37.09 0
普通に神通力でいいんじゃないか?
トリ-ヴィドヤのほうがいい?
325考える名無しさん:2014/08/18(月) 04:56:44.89 O
>>318
56億7千万年後は壊劫の時だろう。
その時には罪業深い人間ばかりが生まれて来るというが、彼等を救う為に弥勒は出現する。

じゃあ、罪業深い人間ばかりの世界の中で、弥勒1人罪がないのか?
仏教の論理から言うと、そんなはずはない。
そもそも煩悩と業がなければ、この世に生まれて来る事はないというのが仏教の考え方だ。
中でも壊劫という最悪の時に生まれて来るからには、弥勒もまた、最悪の業を背負って生まれてくるはずだ。
てゆうか、最悪の業を持たなければ、最悪の時代に生まれて来る事は出来ない。

当来仏の弥勒は、他の衆生と同じく、罪深い凡夫として生まれて来る。
そして他の衆生と苦楽を同じくしながら、自分と他人を共に救う者だろう。
自ら救い、他を救う。その実践の中に成仏の境地はある。
326考える名無しさん:2014/08/18(月) 05:28:31.56 0
中村元には、ヒントをもらった。
327考える名無しさん:2014/08/18(月) 07:48:42.16 0
自己の探求中村元、マジもん鬼畜。
328考える名無しさん:2014/08/18(月) 07:53:51.68 0
玉城康三郎?は、かなりいい線いっているけど、
ぼくとしては、中村先生だなあ。
329考える名無しさん:2014/08/18(月) 09:32:29.65 O
>>319
>「現在とは何か」が判る奴はいないということだ。

ごめん。言ってる事がよく解んない。
生前は過去で、死後は未来じゃないの?
現在は、現に生きてる今だと思うけど……。

あと、十二因縁は、必ずしも輪廻説によらなくても、解釈可能だと思う。
十二因縁は四苦八苦を詳細にしたもんじゃないのかな?
四苦八苦は生まれて来た事を苦の因とし、結論として、生きてる事自体が苦しみだという事だろう。
それを詳細にすると、何故生まれて来たのかという原因の追求となり、苦悩の根元として無明に辿り着く。
それは凡夫の存在が無明に根拠を持つという事を意味するのだろう。

無明によって起こる行が、通常は生前の行いと解釈されるが、必ずしも生前の行いに限定する必要はない。
今も無明によって、日々行業を作っているからだ。
その行いの積み重ねが自分を作り、その自分が対象に触れて苦楽や快不快を感受し、それにより欲望が生まれて更に業を積み重ねて、自分を更新していく。
その自分のあり方=無明が苦悩をもたらすというのが、十二因縁だと思う。
3302/2 三明:2014/08/18(月) 09:42:39.80 0
>>324
>普通に神通力でいいんじゃないか?

>>322の通りで、有我(アートマン)の既成概念を抜けられない仏法未達者への方便でしかなく、
相手に事情・心情に合わせた対機説法という意味では間違いではありません。
しかし、必ずしも個別的事情を仏法の一般命題にはできません。

仏法悟達への最後の一押しという意味では>>323の<三つの明らかな智慧=三法印>を三明とするのが
ブッダの本懐でしょう。
龍樹 中論18-6、7-34、13-8に明快だと思われます。
331323:2014/08/18(月) 10:19:00.62 0
訂正
× ダンマパダ12-1〜8 p48 
〇 ダンマパダ20-273〜279 p48  
332考える名無しさん:2014/08/19(火) 01:30:28.84 O
316
>>329
輪廻を前提としない解釈だと南直哉先生の解釈が一番論理的だと思った。

>>319
ただ輪廻を前提としないと死ねば全て解決ってなりかねないと思うんだよね。

あと小池龍之介先生が輪廻の記憶についてわずかに語ってる文章をよんで以来実際に輪廻はあるのかもしれないとも思ってる。
333考える名無しさん:2014/08/19(火) 03:12:58.17 0
>>330
遊びさん、久しぶりにスレを覗いたら貴方が縁起氏の口調を真似て説法しておられて失笑しましたw
見っとも無いからやめといた方がいいと思いますよ
334考える名無しさん:2014/08/20(水) 12:06:45.20 0
 仏教では、〜〜と言いましてー
 ↑これ要るか〜?と思うんですよね
なんか、もったいない。
335考える名無しさん:2014/08/20(水) 13:07:48.52 0
哲すれらしくいこう
336考える名無しさん:2014/08/21(木) 10:53:28.81 0
>>333

??????? 意味不明
337考える名無しさん:2014/08/21(木) 14:18:30.69 0
>>330
アートマンの話をする必要性はないとおもうな
338考える名無しさん:2014/08/22(金) 12:28:44.41 0
>>329
>それは凡夫の存在が無明に根拠を持つという事を意味するのだろう。

あなたは、そのことをどのようにして検証しましたか?
「老」「病」は相対比較で検証可能かもしれません。
それ以外の<支>は凡夫には検証は不可能です。
特に、〜「生」と「死」〜は丸呑み「信仰」しかありません。

これではカフカ『審判』の世界と同じく、
十二支縁起=業報輪廻転生論は
身に覚えのないことで<犯罪者>に仕立てられる不条理な思想であるといわざるをえません。

およそ行為における「故意・過失」=記憶可能性があって、はじめて「責任」が成立し、
因果応報が正当に問えるはずです。
十二支縁起=業報輪廻転生論は、因果応報の責任原理を破壊する思想です。
冤罪を平気で認める思想です。
仏教ではあり得ません。

>生前は過去で、死後は未来じゃないの?

これも上記と同じで、「現在」とは過去と未来との比較によってはじめて成立する観念でしかありません。
生前も死後も知らない以上、比較できないのですから、「現在」の何たるかは「測る基準」がありません。
知りえないことには、沈黙せざるをえません。
339考える名無しさん:2014/08/22(金) 12:53:46.52 0
>>332
>ただ輪廻を前提としないと死ねば全て解決ってなりかねないと思うんだよね。

>>338のように生前や死後の何たるかも検証できないのに、
『死ねば全て解決』は検証無視の身勝手な妄想独断でしかありません。
340339:2014/08/22(金) 14:31:28.49 0
>>332

相対検証基準=「測る基準」(Sn.1076)が存在しない<一切外(相応部35-23)>は⇒「無記」とせざるを得ない(中部63)。

「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを★測る基準が存在しない★。
 かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
 あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる★論議の道はすっかり絶えてしまった★のである。」(Sn.1076)

一切外には『測る基準が存在しない』がゆえに『あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまった』 ⇒ 無記(中部63)
★形而上的ドグマチズム批判というサンジャヤのアイデアからのブッダの学びだ。

ブッダでもそうだ。
ましてや凡夫においてをや!
341考える名無しさん:2014/08/22(金) 14:57:15.32 0
>>339
いや、
わからないというよりも、無、虚無の可能性が高い、と見做し得るわけじゃない。蓋然性の高さとして。

だとしたら、電源のコンセントを抜く如く、
今、この継続している苦悩からの、速やかな脱出となるのだから、
現代人にとっての勧誘力は相当なものだろ。
暑い陽射しに当てられている者が、傍の日陰へ身を寄せるように。
342考える名無しさん:2014/08/22(金) 15:58:25.01 0
仏教は「あの世」とか「来世」とか言ってる時点でアレなんだけど。
ある倫理尺度を策定するためには第一者は作らなければならないし、
それは現人であってはならないから仕方がないとしても、
ブッダはいかにもGODより無能そうで負けてるよな。
343考える名無しさん:2014/08/22(金) 18:19:43.33 0
日蓮聖人に帰依するものとして、いつわりと出鱈目、四つ足と肩を並べ、
人間と生まれながら、ケダモノと交わり、牛豚の血液風呂に浸かり、
血まみれの全身で手を合わせ、心は悪魔だが、汚れた口で日蓮さんを
ほめたたえ、釈尊と日蓮さんに俗人がひねり出すと同じ脱糞を浴びせかけ、
皮膚の色は豚にひとしく、その声に力なく、悪魔が宿る腹に基づいて行動する。

それが、白蓮ならず、白い悪魔、日蓮正宗の白魔坊主である。




https://www.youtube.com/watch?v=AbsyW_b5YKo
344考える名無しさん:2014/08/22(金) 18:32:57.85 I
仏陀って言うのは人の名前じゃないからね。
同時に、仏陀というのは第一者じゃない。
スケールで言うならGODに近いのは毘盧遮那仏かな。
GODのように全知全能神がスケールが大きいと考えるなら、SATANの存在が気にかかる。
どんな宗教にもGood and Evilがあるからな。本当に神が全知全能なら善で世界を埋め尽くしてくれるはず。
345考える名無しさん:2014/08/22(金) 18:38:06.42 0
>>344
神の前では善も悪も同じことなんだよ
346考える名無しさん:2014/08/24(日) 23:09:03.77 0
>>345
スピノザの神ですな
347考える名無しさん:2014/08/24(日) 23:53:44.38 0
>>346
プラトンの神だよ
348考える名無しさん:2014/08/26(火) 01:43:52.56 0
>>342
釈尊はそんな事言ってない。
349考える名無しさん:2014/08/26(火) 20:18:33.93 O
>>341
断滅論(死ねば死にきり)と恒常論(主体は死後も存続する、輪廻説もこの部類に入る)があるとして仏教は恒常論がベースにあってしっかりと悟った上で死なないと断滅出来ないっていうイメージなんじゃないかな。究極目的が断滅だと。
350考える名無しさん:2014/08/27(水) 10:15:21.39 O
鎌倉時代の日本仏教の盛り上がりは凄いよね。
351考える名無しさん:2014/08/29(金) 13:34:52.90 0
>>342
無知には無記につきる
352考える名無しさん:2014/09/09(火) 01:48:09.07 0
仏陀の教え

何も信じないように、どこで読んだとしても、また誰が言ったとしても、私がそれを言った場合ですら。そのことが自分自身の理性や自分自身の分別と一致しない場合には。
-ブッダ
353考える名無しさん:2014/09/10(水) 16:30:01.14 0
どうして一切皆苦と言うのかな。楽してばかりの人間もいるのに。その辺が
受け付けんわ。
354考える名無しさん:2014/09/10(水) 16:34:27.34 0
>>353
それは目先の「快楽の判断」に捕らわれているだけ。
「金持ちには金持ちの苦労がある」と言われても貧乏人にはなかなか理解
しにくい壁。
355考える名無しさん:2014/09/10(水) 19:08:02.40 0
>>仏教における輪廻とは、単なる物質には存在しない、認識という働きの
>>移転である。心とは認識のエネルギーの連続に、仮に名付けたもの
>>であり、自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため、輪廻に
>>おける、単立常住の主体(霊魂)は否定される。
>>輪廻のプロセスは、生命の死後に認識のエネルギーが消滅したあと、別の
>>場所において新たに類似のエネルギーが生まれる、というものである。
>>この消滅したエネルギーと、生まれたエネルギーは別物であるが、流れとしては
>>一貫しているので、意識が断絶することはない。
>>また、このような一つの心が消滅するとその直後に、前の心によく似た新たな
>>心が生み出されるというプロセスは、生命の生存中にも起こっている。
356考える名無しさん:2014/09/10(水) 21:42:32.44 0
金持ち?不愉快な毎日だよ。嫉妬、たかり、ゆすり...........
357考える名無しさん:2014/09/11(木) 05:57:43.31 0
>>353
翻訳の際のニュアンスにも問題があるようです。

「苦」と言うよりは、「執着」の方が近いみたいです。
358考える名無しさん:2014/09/11(木) 20:51:29.35 0
>>357
?
dukkhaは苦しみだから一切皆苦であってるよ

Concise P-E Dict
dukkha
: [nt.] suffering; pain; misery; agony; discomfort.
359考える名無しさん:2014/09/11(木) 21:39:09.43 I
比較的、みんな定住して安定してるんじゃない。
それでも苦は依然として残る。どこかに残る苦しさは永続的だ。
だから一切皆苦なんじゃないの?ずっと苦しいわけじゃないけど、
楽しても、どっかに残る苦しみ。苦味。
360考える名無しさん:2014/09/12(金) 03:54:10.01 0
>>353
苦をゼロにすることはできないし楽は一時的なものでやがて苦に変わるから
これはサーンキヤとかヨーガ学派の考え方だが参考までに
361考える名無しさん:2014/09/12(金) 05:09:26.69 0
>>360
ゴータマ・シッダールタ「苦は無くす事ができる(=滅諦)」
362考える名無しさん:2014/09/12(金) 05:44:50.26 0
>>361
あくまでサーンキヤの立場から答えたわけだが
厳密にいうとサーンキヤでも苦はなくすことができるしそれが解脱。
方法としては純粋精神と根本原質を離すヨーガによって解脱できるとされている。
サーンキヤの理論を仏教用語に当てはめると
苦諦→苦
集諦→純粋精神と根本原質のつながり
滅諦→それを離して純粋精神を独存させること
道諦→ヨーガ
に相当すると思う

たしか仏教は純粋精神に当たる真我とか自性とか認めてないんだっけ?
仏教理解のために外道についても学ぶことも意味はあると思うよ
363考える名無しさん:2014/09/12(金) 06:08:48.44 0
>>362
サーンキャとかニヤーヤのヒンドゥー学派って修道論が仏教の丸パクリだから面白くない・・・ってのが偽らざる感想かな
対比するならキリスト教のがまだ面白い
364考える名無しさん:2014/09/12(金) 12:35:50.90 0
>>363
丸パクリっていうよりどちらもインド人特有の思惟方法が生み出したものとして見るべきだ
それに哲学や解脱論は全く違う
キリスト教はよく知らないな
365考える名無しさん:2014/09/13(土) 01:21:41.60 0
>>358
その「苦しみ」という、表現の中にあるニュアンスですよ。

思い通りにならない事に、(ある意味無駄に)囚われ続けて苦しむ。
366考える名無しさん:2014/09/13(土) 01:36:25.55 0
目指すものが、正しい見方考え方であって、
そうなれていない状態の徒労。

思い込みで、ドツボにはまっている状態。大体「執着」かと。
367考える名無しさん:2014/09/13(土) 01:54:34.04 0
運命は決まっているのではなく、自分で決めている
自分で決めておいて、カルマの法則とかいうても、何その茶番って言われるだけ
釈迦にも何か言われそうだが、因果律を理解してもたいして役にたたない というのもニヒリズムにつながるからだ
何をしようが、それはカルマがそうさせているってね
だから何をやっても無駄ってね あとは流される自分でいるだけ
釈迦は悟ったのかもしれないし偉大な聖人なのかもしれないが
教育者としては超一流ではないという印象
当時と今では社会環境の差が違いすぎてそのように言うのは酷というものというなら、
現代の教育者の立場としてなら、釈迦はどういうことをいうだろうか?と想像してみたらいいということになる
368考える名無しさん:2014/09/13(土) 02:25:50.79 I
釈迦牟尼仏のことわかっていってるとは思えんが
369中論の頌(平川彰訳):2014/09/13(土) 11:02:08.14 I
帰依の表白

滅することなく、生ずることなく、断絶にあらず、常住にあらず、
一義にあらず、多義にあらず、来ることなく、去ることなき、戯論(けろん)が
寂滅して吉祥である縁起を、説きたまえる正覚の仏陀に、
説法者の中の最勝なる人として、私は敬礼します。
370中論の頌(平川彰訳):2014/09/13(土) 11:19:46.21 I
1、もろもろの存在は、どこにおいても、いつでも、決して自己より生じたもの、
他者より、両者より、さらに無因より、生じたものとして存在するのではない。

2、縁は四種類である。因と、認識の対象と、心理作用の続いて起こることと、
さらに助力することである。しかしながら、第五の縁はない。

3、実に存在者を存在たらしめる固有の性質は存在しない。
固有の性質がなければ、他の性質も存在せず。

4、(結果を生ずる)作用は、縁を所有してあるものではない。
作用は縁を所有せずして有るものでもない。
縁は、作用を所有せざるものではなく、あるいは、作用をもつものは有るか。(それもない)

5、これらのものに縁りて(結果が)生ずると、これらのものが縁であると、人々は言う。
しかし(結果が)生じない限りは、これらのものは、いかにして<縁でないもの>でなかろうや。
371中論の頌(平川彰訳):2014/09/13(土) 17:14:01.69 I
6、物があるときにも、無いときにも、縁のあることは成立しない。
(何故ならば)物が無いときには、何物に属する縁であるか。また物が
すでに有るときには、いまさら何をもって、何の用があろうか。

7、存在は有としても、非有としても、有にして非有なる在り方でも、
ついに生起しないものである

8、この実有の存在は、対象のないものと説かれている。
しかるに存在が無対象であるときに、いかにしてさらに
対象があるべきであろうか。

9、存在がまだ生じないときに、滅するということはあり得ない。
それ故に、直後(に滅する)ということは不合理である。さらにすでに
滅した存在には、いかなる縁があり得ようかや。

10、一般に存在者には固有の性質がないが、かかる存在者には<実在性>は属していない。
(実在性のないものに)これが有るときに彼があるというこの(法則)は、得られないのである。
372S、イマムラ:2014/09/13(土) 17:25:01.53 0
参考まで
  「c点による時空論 改訂版  このよの奥にあるもの
   c点論への旅」
 新しいサイトで、これまでの「c点による時空論」より、「クリック」
 をお願い致します。この連休過ぎ頃にはネットに流れます。

 仏教の「凄さ」は、「本質論」の「凄さそのもの」です。
 
373中論の頌:2014/09/14(日) 08:43:11.65 I
11、部分から見ても、総体から見ても、縁のなかには、その結果はあり得ない。
縁のなかにふくまれていないものが、どうして縁から生ずることがあろうや

12、もし、それ(結果)は、(縁のなかに)ふくまれていなくとも、その縁から生起するものである
(というならば)、もしそうであるのならば、結果は、縁でないものからも、どうして生起しないのか。

13、結果は<縁から成立したもの>と言えるとしても、
その縁は、自己成立のものではない。
もし結果が、自己成立でないもの(縁)から生ずるとすれば、
その結果が、どうして<縁から成立したもの>ということがいえようや。

14、それ故に、結果は縁よりできたものとはいえない。
しかし<縁でないもの>からできたものとも言えない。
結果がないのであるから、いかにして、それの、縁と
縁でないものとが有り得ようや。
374中論の頌:2014/09/14(日) 08:50:20.35 I
ナーガールジュナて何言ってるからよくわからんな。
読み進めればわかるのかな?

結果は、縁から生ずるものとも生じないものとも言えないって
どっちだよって感じ。どっちでもないとしたら、それはどういう
ことなんだろうか
375中論の頌:2014/09/14(日) 08:54:10.82 I
ちなみに縁についての章は上述で全部だ。
だれか、意見求む
376考える名無しさん:2014/09/14(日) 10:15:13.34 0
>>365
それは苦しみの中のごく一部ですね
苦の一部に過ぎないものによってdukkhaの意味を代替させるのは倒錯でしょう
377考える名無しさん:2014/09/14(日) 10:27:40.46 0
>>376
思い煩い以外の苦しみは、ただのリアルです。

無いと言うなら、間違いになります。
378S、イマムラ:2014/09/14(日) 11:08:34.03 0
c点論は、仏教の歴史的、社会的なこれまでの大きな影響、貢献など
を否定するものではナクて、寧ろその日本文化への、今日まで残る
偉大さを、認めますが、
なにしろ「本質論」でしかなく、科学が地球外にまで進出している今日
その限界を認めざるを得ません。「死」の問題も、医療、介護など、具体的
政治、社会的問題に変わり、業者(宗教法人は別)は、死者や遺族の
「こころ」にまで迫り、リーゾナブルなサービスがなされている今日です。

「本質論」としても、斜陽は否めません。
379S、イマムラ:2014/09/14(日) 11:23:27.42 0
佛教の「凄さ」は、仏教哲学者の「自己陶酔」と言うと間違い
でしょうか。この学徒は「オリエンテーション」があり、自分の
立場が、分かった上でのことでしょうか。

佛教ビジネス(宗教法人も含めて、それ以外の多種多様な人々、法人)
は今日、非常に「盛況」です。それは、その哲学故では、有りません。
「お釈迦様」すら知らない子供(中には大人)もいる現実です。

仏教哲学者は、当然、ご存じとは思いますが。
380S、イマムラ:2014/09/14(日) 11:35:23.92 0
「不幸」があれば、愚生も、葬儀に参列しますし、お焼香も
ご冥福も、祈ります。遺族の方々には、お悔やみを申し上げます。
それは、単なる形式ではありません。

老いて先の見えた老医師が、何をウソをつく必要がありましょう。
お経が哲学的に、オカシクとも、そこは宗教です。意味は分からずも
「こころ」に響けば好いのです。「いのち」の消えることは、残る
我らには、ツライ事です。
381こちら慧能!神秀勢力拡大ちゅ!?わぁぁ〜・・・:2014/09/14(日) 12:17:12.35 0
>>380
キラン(-_☆)分け登る麓も道も業の(内)打ちぃーっ!゚ Д゚)_ミノ( +_+) ギャァ!!

同じ高嶺(アレ)に似て非なる(月)突キイィィィーッ!! 三((((((  ̄口)-∬≫))`Д゚)・∵.ブァ


(゚д゚)ハッ!? すいません、ニヒリストの性です。

現代はコミュニケーション過多なので、
「こころ」に響けば好いなどと言っていると、矛盾が広がり、
どんどん御都合主義的な社会になって行きますよ。

既に、手におえない水準。
382考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:13:57.80 0
>>377
無いとは言ってない。それが苦しみの全部ではないと言ってるだけ
383考える名無しさん:2014/09/14(日) 20:16:39.92 0
武力を伴わないで広まった宗教は仏教以外にありません
384考える名無しさん:2014/09/15(月) 00:16:42.10 0
>>382
仏教で言っている苦の事ですよね?

正しい考え方をするなら、
無いと言うと間違いになってしまう、その他の苦は含まない。
>>376 は違いませんか?
385考える名無しさん:2014/10/07(火) 21:47:32.20 0
宗教ってのは論理がすっぽ抜けてるからなあ。
ヘーゲル好きには縁遠い世界だ。
386考える名無しさん:2014/10/07(火) 23:07:00.35 0
論理のない宗教は成立しないでしょw

少なくとも、地域文化を超えて広まる
(―感情的、状況的、感応的呼応とは別の形での「同意」「共感」「肯定」として―)
ものになりにくい。
387考える名無しさん:2014/10/10(金) 03:18:06.19 0
だって、坊主も神父も論理で攻めると、みんな「そういうもんじゃないんです」って言って誤魔化すよ。
388考える名無しさん:2014/10/10(金) 04:18:39.88 I
は?おまえの論理、喋り方がおかしくて「そういうもんじゃない」つうんだろ。
哲学を学んでる坊主や神父はたくさんいる。特に神学を学んでる神父は、みんな論理的だ。
NHKのこころの時代・宗教を一年欠かさず見て見るんだな
389考える名無しさん:2014/10/10(金) 09:21:21.51 0
みんな詭弁じゃよ。
390考える名無しさん:2014/10/11(土) 16:48:51.76 0
論理実証主義者は宗教とは無縁だよ。
少なくとも既存の宗教はね。
391考える名無しさん:2014/10/20(月) 12:24:11.60 0
論理にもいろいろあるからな。
唯物論的単純論理だけじゃねーぞ。

量子論理もある。
392考える名無しさん:2014/10/20(月) 22:07:52.82 0
まさに隙間の神だな。まだ分かっていないところを好んで巣を作りたがる。
393考える名無しさん:2014/10/20(月) 22:53:46.14 0
>>392
隙間の神って、マイブームか?
394考える名無しさん:2014/10/21(火) 06:21:50.66 O
宗教家より女王様を崇拝するよ
395考える名無しさん:2014/10/21(火) 06:54:13.21 0
論理には二つある。
言語(記号)の法則 と 事物の法則。
事物の法則を言葉の法則で表現すると矛盾が生じる。
言葉の法則と事物の法則にはズレがあるから。
言葉で表現できる世界は限られている。
言葉を超えた真理は感じるしかない。真理は宗教によって感じるしかないんだ。
396123:2014/10/23(木) 21:54:38.89 0
宗教と人生論との区別ができない人が多すぎるのだ。
新興宗教などは人生論を言って歩いているだけである。それを宗教と思ってしまうことの無知にあきれる。
一例。葬式は人生論であって、宗教ではない。だから、それは儒教の問題であって宗教の問題ではない。
よって人生論から脱却して宗教に入れ。
宗教オタクより。
397考える名無しさん:2014/10/23(木) 22:32:32.99 0
人間なんて、空、蜃気楼のようなもの、影のようなもの、無常である

ってのは、どうなのかねえ。縁起によって成り立ってる、とかさあ。

科学的には否定されるよなあ。

輪廻の輪から逃れることができる、とかさあ。

まあ、おかしいわな
398123:2014/10/24(金) 18:32:38.09 0
輪廻とは。縁起とは。
それらは科学である。
だから科学と宗教との違いとは何か。そこが問題である。
科学から解脱したものが宗教であるからして。
科学の範囲内で議論しているのはバカであることになる。
それを科学バカという。
夏目漱石は科学バカとして鎌倉、円覚寺を去ることになる。小説、門、に書いてある。
399考える名無しさん:2014/10/24(金) 18:52:22.36 0
「聖書に書いてあることに矛盾しない限りで科学は正しい」ってか?
恐ろしい。
400考える名無しさん:2014/10/25(土) 03:23:36.08 0
>>397
視点で変わるっちゅーことなんじゃねーの?

科学的には、オレら人間だって、粒子の寄り集まりなんだし、
そのへんの石ころと「その点では」変わりない。

縁起によって成り立つっつーのはさ、まぁ、因果律でもあるわけだが、
「これこれこのように成り立ってるものを○○と呼ぶ」
くらいのもんで、

そないに気にするようなもんでも無いと思うで。
401考える名無しさん:2014/10/26(日) 03:38:27.97 0
その粒子が一定の法則に従い離合集散することによって性状が決まるわけでしょ?
とすると、法則=縁起ということなのではないかな?
402まーじ(弧高の鬼才) ◆ykDJvODuLA :2014/10/26(日) 14:01:49.88 0
勉強すればするほど、その浅さが露呈するのが仏教。
原始仏典における、空と
大乗仏教における、空の違いとか。
そもそも、ゆらぎが大きすぎる。
403考える名無しさん:2014/10/26(日) 15:26:16.30 0
同意。
物理学での法則の探求には凄まじいものがある。大統一理論に向けて。
仏教は「縁起」の中身についてどういう研究しているのかなー?お坊さんあんなにたくさんいるのだから、
真面目に研究して成果示して欲しいな。
404考える名無しさん:2014/10/26(日) 16:00:25.93 0
>>403
ハァ?(゚∀゚)

どんな成果を期待してんだ?

まさか「大統一縁起」なるものを夢想してんじゃねーだろうなw

縁起の基本は、釈尊以来一貫してるわ。
定型句(或いは四諦)を外れる縁起なんて世界のどこにも存在しない。
その応用の幅がバリエーションとして多岐にわたってるだけ。
(唯一、統一的言辞となってるのが竜樹の中論だが、
 統一しようという方向性(及び言語の持つ限界)故に抽象性の極となり難解なものとなってしまった。)
405123:2014/10/26(日) 17:15:42.52 0
399
聖書と科学と。
両者が対立すると考えるのか。恐ろしい。
もっと真剣に考えろ。
両者が両立すると考えるのである。以下略。
宗教オタクより。
406考える名無しさん:2014/10/26(日) 20:45:35.28 0
>>401
そうとも言えるだろうが・・・
今ひとつスッキリしないなぁ
407考える名無しさん:2014/10/27(月) 07:11:47.49 0
405
論理的に両立しないものを無理やり両立すると強弁するのは不道徳というほかない。
物理的にありえないエピソードなんか出てきた日にゃ、もうただのお話としか受け取れない。
だから、宗教は、相当な馬鹿をたぶらかしていると評価せざるを得ない。
まあ実利を求めて信者の振りしている信者も多いけどね。
408c点論者もどき:2014/10/27(月) 09:31:24.95 0
華厳経の宇宙と「量子力学」との関係。
華厳経宇宙には「時間」がない。しかし、量子力学は、「時間」無では
成立しない。
だが、宇宙の「有り様」には、どこか両者に煮たものを感ずる。

特異点  量子  c点
409考える名無しさん:2014/10/27(月) 09:34:26.40 0
少し、ムリか。
410考える名無しさん:2014/10/27(月) 13:59:10.99 0
c点とやらを強引に物理学にすり合わせたいだけなんじゃないか?
統一理論=c点 
素直に物理学の勉強しなよ。謙虚さを気取っているうちはダメなのぜ?
411考える名無しさん:2014/10/27(月) 14:19:15.51 0
物理や哲学の本読んで、適当に都合よく脚色して教義でっち上げれば、
宗教法人いくらでも作れるな。現にそうやって大儲けしている人もいるようだ。
412考える名無しさん:2014/10/27(月) 15:07:39.66 0
そして哲学は形骸化し物理はトンデモ化する。
C点論様が宇宙の大法則、大原則なので〜すみたいなw
人間に直接確認不可能な特異点や太陽の中心核なんかに
ナニカを仕込んでも商売になりそうだなぁ。
413考える名無しさん:2014/10/27(月) 15:22:07.59 0
その論法でいけば哲板で話題になってる意識なんかも
量子やら特異点に仕込めば宗教よりも簡単に人を集められそうじゃね?w
どうせ確認できるわけじゃねーんだからやったもん勝ちっしょw
414考える名無しさん:2014/10/27(月) 15:28:39.56 0
だからこそ実証主義が大切なんだよね。
宗教に欠けているのも、この実証の精神。
せいぜい3た論法でしょ?
「飲んだ。治った。だから効いた。」って奴。
415考える名無しさん:2014/10/27(月) 15:40:55.42 0
エボラの新薬みたいだなw >>414
416考える名無しさん:2014/10/27(月) 15:46:42.65 0
411
まだ分かっていないところは、みんな「霊性」だってことにしておけば簡単。
権威+神秘=マネー
417考える名無しさん:2014/10/27(月) 15:57:53.68 0
415>>検索したらエボラ出血熱も金融ユダヤによるテロwワロタ
こいつらはどんだけユダヤが好きなんだ?wと
418考える名無しさん:2014/10/27(月) 16:30:48.81 0
野蛮な国では論理は金にならない。
419なんとなく思ったバナナ屋さん:2014/10/27(月) 16:46:30.12 0
   
 台本まちがえて もみじまんじゅう屋さんに帰ってきた

     くるま とらじろう   で  
  
420考える名無しさん:2014/10/27(月) 17:08:09.16 0
「新興宗教絶対成功セミナー」っての開いて大儲けするっていう手もあるな。
哲学や物理駆使して「絶対ボロの出ない最強教義作成講座」とかさ。
421なんとなく思ったバナナ屋さん:2014/10/27(月) 17:23:47.19 0
  
 パンの耳屋さん の アルバイト?
   
 
422なんとなく思ったバナナ屋さん:2014/10/27(月) 17:26:09.76 0
 
 だったら ラスク屋さん かな
 
423考える名無しさん:2014/10/29(水) 00:15:26.81 0
宗教の素晴らしさ。それは税金がロハなこと。笑いがとまらん。
424考える名無しさん:2014/10/29(水) 17:17:56.40 0
科学よりは宗教のほうがすばらしいよ。やはり、パーソニフィケーションに関わることだから
425123:2014/10/29(水) 18:42:53.76 0
仏教は解脱でしょう。
なにから解脱するのか。そこが問題である。
それは当然に自己の欲望から解脱することになる。
その到達点が問題となる。
それは空であり無であることになる。
よって無、空に安住することが宗教であることになる。簡単なり。
426考える名無しさん:2014/10/29(水) 19:01:43.47 0
科学法人っての作って無税にしろー。宗教よりよっぽど役に立ってるぞー。
427正理会:2014/11/04(火) 11:00:22.87 0
宗教から哲学、歴史、天皇、社会問題、教育問題、韓国朝鮮問題まで

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428記憶喪失した男:2014/12/11(木) 15:46:20.08 0
「バガバッド・ギーター」をアマゾンに注文したぜよ。
短いからすぐ読み終わるだろう。

少しづつ、おれも読んでいくぜえ。
429考える名無しさん:2014/12/11(木) 17:04:15.62 0
経典はどれもすばらしいが、

いまの坊主どもは、なにも守ってない


妻帯してる坊さんの言うことは信用できない。
もちろん豪奢な食事をして太っている坊さんも。
430考える名無しさん:2014/12/11(木) 23:33:15.72 0
>>428
岩波文庫の?
431記憶喪失した男:2014/12/25(木) 14:29:47.12 0
>>430
ああ、ここで聞いてたのか。そうだよ、岩波文庫だよ。
432123:2014/12/27(土) 15:41:32.59 0
科学は悟りの一部であることになる。
よって科学万能主義には限界があることになる。
だが納得しないのが科学バカである。
433考える名無しさん:2014/12/27(土) 16:05:14.04 0
イエスもシッダールタも素晴らしいが、宗教としてのキリスト教も仏教もクソだ
そもそも、どんなに素晴らしい教えや学問でも、それが宗教に変貌してしまった時点で、全てが台無しになる
ピタゴラスは数学者としては素晴らしかったが、その教団が殺人カルトに成り下がってしまったように
434考える名無しさん:2014/12/27(土) 19:22:05.19 0
イエスもプッダも2000年以上前の人。そろそろ、これに代わる人物が現れてもいいころだな。
435考える名無しさん:2014/12/27(土) 20:28:41.09 0
四諦の諦の意味は単純に「あきらめ」ではないんだろうなぁ
436考える名無しさん:2014/12/27(土) 21:58:32.16 0
例え神が存在しても、人間の理力や尺度では計れる訳がない
人間の理解を超越してこそ神な訳で、宗教ごとき人間の作り出した詭弁で
神の存在を理解しようなどと、それこそ神を冒涜する行為に他ならない

神の存在は、神のみぞ知る

世の全ての宗教は、人間の作り出したペテンに過ぎない
437123:2014/12/28(日) 16:51:40.44 0
神の存在は神のみぞ知る。
だからして神の親戚、子になりたがることになる。
そこになりきった宗教がペテンであることになる。
さればどうすべきなのか。
以下秘伝。神からの秘伝たるべきである。
438考える名無しさん:2015/01/02(金) 10:22:30.63 0
>>10
それをするのは読者の役目
とりあえず中村元は日本には一切無かった原始仏典の訳を初めて作った人
だから日本人の仏教解釈の底本になるように精密に書いてある
あえて言えば日本版三蔵法師

って半年前のレスに安価付けるのもおかしいか
439考える名無しさん:2015/01/03(土) 15:06:43.70 0
神がいるとかいないとか
人間が自分で発見した概念なのになんつう不毛な

あと、宗教はダメだとか何とか
現在の組織としての宗教は知らんが
キリスト教にしろ仏教にしろ、本当に伝えたいところの神髄は
そんなに悪いもんじゃないと思うけどな
双方ともに一言でいえばってのがあるしな
440考える名無しさん:2015/01/04(日) 23:40:05.83 0
言ってることは正しくても、やってることは金集め。だから嫌なんだよ。
本来宗教家というのは、大成功した資産家が無料でなるべきものじゃなかろうか?
441考える名無しさん:2015/01/04(日) 23:51:39.32 0
大成功した資産家が資産を減らすことする訳ない、強欲だから
宗教家も生きるのにお金が必要な時代なのに、金集めするのがなぜいけないのか
442123:2015/01/05(月) 00:09:50.10 0
金集めは、人生論であって、宗教ではないからである。
よって、人生論で金集めをやっている宗教が多いということである。
人生論から独立させない宗教は失格であることになる。
それは詐欺であることになる。だが処罰できないのは、なんでか。
443考える名無しさん:2015/01/05(月) 01:29:56.13 0
>>439

イエスもシャカもその教えは素晴らしいが、それが崇拝の対象になってしまえば、それを検証することがなくなるので、進化もしなくなる
検証も反論も、疑問を挟むことすらも許されない宗教の教えは、どんなに素晴らしくても、それそのものが欠陥だと思う
444考える名無しさん:2015/01/05(月) 10:46:06.54 0
441
別に資産減らすことにはならないよ。ボランティアで布教するだけだから。
有料の宗教家の方々には申し訳ないが、宗教のあるべき姿を追って行ったら、
こういう結論になった。転業準備はいいかな?
445考える名無しさん:2015/01/06(火) 18:11:56.53 0
>>444
宗教家にタダ飯食わせて風呂入れてやる人間がいれば、
或いは
施設の建設、維持管理をする人間がいれば、
宗教家が金集めする必要ないけどな。
446考える名無しさん:2015/01/06(火) 20:06:36.11 0
いいわけはもういいから。
宗教家批判をしているわけではないんだ。
宗教の本質を追求しているだけ。
教義に並べられた美しい言葉と集金作業の間の違和感が、どうしてもぬぐえないわけ。
447考える名無しさん:2015/01/06(火) 20:54:05.81 0
>>446
人間が食べずに生きることができるなら、君の言う通りかもね。
448考える名無しさん:2015/01/06(火) 20:55:05.41 0
>>447

お釈迦様には、王様や大富豪というパトロンが何人もいたからねぇ・・w
449考える名無しさん:2015/01/06(火) 21:17:29.29 0
そういう人がなるべきなんだよな。
450考える名無しさん:2015/01/06(火) 23:16:19.14 0
>>449
どういう人?
451考える名無しさん:2015/01/06(火) 23:30:28.41 0
仏教で布施という言葉あります
在家はお金を布施する(財施)
出家者は法を説くことで布施する(法施)
お金ばっかり取られるというのは、被害妄想なんじゃないですかね
まあ、出家者が全て応供(供養を受けるのに値する者)ではないのではありますが
452考える名無しさん:2015/01/07(水) 00:54:11.12 0
律で禁じられてるのにお金のお布施っておかしいな
四資具のお布施=財施でしょ
453考える名無しさん:2015/01/07(水) 01:59:52.71 0
釈尊は、自身の言葉であっても無批判に信じ込むのではなくて、理解したら信じなさいと言ってるので
経典と、検証された現実に相違があるなら経典を信じる必要はない
で、現在は生きるのにお金が必要な時代なので、金銭を受け取るのが経典と矛盾するとは思えない
例えば葬式を依頼するなら電話で問い合わせするだろうから、電話代、電気代もかかる
病気になれば、医療機関に支払う必要があるし、日本に住んでいるなら年金も支払う必要もある
それでいて金を受け取るなとは何なのか
454考える名無しさん:2015/01/07(水) 11:01:00.62 0
そうだよ
金を払うやつがいるから、受け取るんであって、受け取る側には非がない訳だからな
嫌なら最初から寺なんかに関わらなければいい
まぁ、自分は子供に宗教的的な呪縛や負担をかけたくないので、死んだら散骨すると決めてるし、仏壇だの位牌だのも一切不要だ
455考える名無しさん:2015/01/07(水) 14:34:44.93 0
人が「違和感」と言っているのに勝手に「矛盾」に歪曲して反論するなよ。
そういうのは、わら人形論法と言って、ダーティーな人がよく使うんだよ。
宗教者なら、こういう論法は使うべきではないね。
456123:2015/01/07(水) 17:55:38.10 0
宗教は人生論によって支配されないということである。
だからして、人生論であるところの金集めに支配されないということである。
だからして、金から自由であることである。
そこを表現するときに、金とは関係ないと表現することになる。
457考える名無しさん:2015/01/07(水) 19:02:18.38 0
飛躍ありまくりのごまかしてんこ盛り。
だいたい宗教関係者に一番足りないのは論理。
飛躍と矛盾だらけで、ちょっとした教育を受けていればアレルギーで
あちこち痒くなるようなていたらく。
そういう論法にたぶらかされる層が存在しているということだけが勉強になる。
458考える名無しさん:2015/01/07(水) 21:46:27.70 0
>>455
貴殿の「違和感」に感じているものは、分析すると「矛盾」がないと言っている
お分かりかな?
経典は別に美文を言っているのではなくて、苦しみから逃れる手段を説いている
集金作業と呼んでお金のやり取りに邪なイメージを勝手に持って、宗教は悪だのなんだのと決め付けているだけなのでは
459考える名無しさん:2015/01/07(水) 22:43:15.01 0
またまた全然論理的じゃない。意味不明。
私は「悪」だなんて一切言っていない。忠告したのに、またしても
わら人形論法。頭は大丈夫ですか?
私は、一度言っても分からない院生は相手にしないことにしている。
460考える名無しさん:2015/01/07(水) 23:35:24.56 0
そもそも、日本の仏教なんて宗教ですらないじゃん
やってることは、実質、墓守だもんな
そのうち日本人も「はぁ?葬式とか、墓なんて要らね!」てなって、潰れる寺が後をたたなくなるから見てろ
今盛んに「若者のナントカ離れ」とか言われてるが、その世代が死ぬときは「年寄りの葬式離れ、墓離れ」となる訳だ
461考える名無しさん:2015/01/08(木) 07:25:55.63 0
世界教師マイトレーヤは、人類に地球資源の分かち合いを求めている
それが唯一の世界平和への道であることを訴える

地球には数億人の困窮者がいる、困っている人を助けないでいかにして人間と言えようか
462考える名無しさん:2015/01/09(金) 14:53:48.04 0
ブッタは解脱とか言ってないけどな
解脱して法になるのはバラモン教なんだけどな。
生まれ変わりも言ってないし死後の世界なんて死ななきゃわからんと言ってる。
アートマンだって否定してるし絶対の自己すら否定している。
他者との関係性に自己が存在してると言ったんじゃなかったっけ?
463考える名無しさん:2015/01/11(日) 00:33:08.96 0
うん。正直言って墓っていらないと思う。限られた偉人だけ顕彰する意味で
記念碑みたいな感じで作るのはいいけど、凡人のは不要。
昔はそうだったんでしょ?
464考える名無しさん:2015/01/11(日) 21:28:08.83 0
お寺いらなくなっちゃうね。
集会所やお祭りの場所として場所代とって暮らしていけるかな?
先祖とか供養とか、原点に戻って考えると、なぜ必要なのか分からなくなってくる。
科学的根拠のない単なる風習だとすると、これは時代とともに変わっていくのは避けられない。
そして、時代の流れは加速度的に早くなっている。
465123:2015/01/11(日) 23:07:43.13 0
墓とか寺とか葬式とかは、人生論でもって成立しているのであって、宗教ではない。
だからそこでは、人生論、道徳倫理をやっているのであって、宗教ではないことになる。
そんなに厳格に区別して生きてる人もいないことである。
466考える名無しさん:2015/01/12(月) 20:13:44.65 0
その道徳倫理とやらが凄い勢いで流動化しているんだよ。
467考える名無しさん:2015/01/12(月) 21:51:42.56 0
人生論なんて個人の主観に基づいた相対的なものだから、今後はますます墓や葬式離れが加速すると思われ
468考える名無しさん:2015/01/13(火) 22:16:21.42 0
これから団塊の世代がバタバタ死んでいくと、通夜だ葬式だ法事だと忙しすぎて、
生活上の支障も出てくるかもね。現実的に考えて廃止・簡素化の流れは止められないだろう。
実証主義に支えられた科学の進歩も無関係ではない。魂だの供養だのって言われても、今時白けるだけ。
469考える名無しさん:2015/01/13(火) 22:21:17.86 0
もともと教育の行き届いていない時代に民衆を纏め上げる機能を神社やお寺が担っていた。
そのころの教義を今の義務教育を受けてインターネット使いこなす世代に押し付けても、キャップが大きすぎるんだよ。
470考える名無しさん:2015/01/18(日) 22:02:24.71 0
>>462
いや解脱は言ってるでしょ
なんでそんなウソつくのか意味不明なんだけど
471考える名無しさん:2015/01/21(水) 05:27:09.93 0
>>460
その流れはまず間違いなく訪れるだろうね
今でさえ信心からではなく体面を保つ為の、生きてる側だけの通過儀礼でしかないケースが多くなってるようだし
施設墓地のウィーンガチャンとか、あれ、なんの冗談だよな
472考える名無しさん:2015/01/22(木) 00:57:53.77 0
いまの世の中は、その対面とやらも、どーでもよいと考えるマイペースな人が、凄い勢いで増殖中。
特に若年層から。やっと日本人もアイデンティティーを備えるようになってきたかって感じ。
農耕民族の横並び意識はもはや崩壊の一途だな。石頭の中年が何を言っても面従腹背。
だいたい科学技術立国とか言うんなら、狩猟民族にならにゃだめ。
発明とか発見というのは、一部の天才がマンモス捕まえてきて皆に食わせるようなもんだ。
天才を讃え、支えなければメシは食えない。
473考える名無しさん:2015/01/22(木) 01:01:02.25 0
ミミズのマナはカルト
474考える名無しさん:2015/01/22(木) 01:34:22.61 0
シベリアの凍土に埋まってる鼻が腐ってとれたモグラ肉の塊がマンモス
475考える名無しさん:2015/01/22(木) 01:38:21.45 0
全部食べた後 頭蓋骨だけサイクロプスみたいだからって
王室に売りつける流浪の商人(笑)
476考える名無しさん:2015/01/22(木) 01:51:25.76 0
ウイリアムそれかぶって外遊すればいいのに
エレファントマンみたいに人気出るかもよ 
今の英国王室が存続するにはこれぐらいかまさないと無理ってか
フランスのブーメランって鼻めがけて飛んできそうだし
477正理会:2015/01/22(木) 10:54:07.13 0
「日蓮大聖人様は偉大なり
日蓮大聖人様以外に仏なし
末法の御本仏は日蓮大聖人様、ただおひとりです。
中杉博士は、現代の最高指導者です。
中杉博士より法を教わらない限りは仏になること、また幸福になることはできません。
個人の無明の闇を晴らし、日本の闇を晴らし、全世界の闇を晴らしていきましょう。
それが正理会の使命です。」

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
478123:2015/01/25(日) 22:55:24.50 0
南無妙法蓮華経とか、南無阿弥陀仏とかで単純化するのは、誤りである。
よって日蓮はダメである。法然、親鸞もダメである。
それは宗教にならない。
当然に座禅しているだけではダメである。それは宗教にならない。
こんなに断定しても良いのかや。
理解できないほうが多数派となるかも。
479考える名無しさん:2015/01/26(月) 00:22:49.99 0
仏教よりも凄いのは神道だと思うけどね
あれほど柔軟性があり合理的な宗教は、人類史上でも希なんじゃないかな?
480考える名無しさん:2015/01/26(月) 01:36:39.30 0
だから平気で戦争に加担したんだろ?
481考える名無しさん:2015/01/26(月) 13:36:32.55 0
え?戦争に積極的に協力したのは、当時の仏教界ですよ
日本のファシズム理論のイデオローグなんて日蓮宗の坊主じゃないか
血同団事件を引き起こした井上日召なんて戦後右翼の首魁だよ
本願寺の大谷光端みたいに実際に戦争中の内閣に参画している人間もいる
仏教擁護で大戦中の話を持ち出すと墓穴を掘りますよ
482S、イマムラ:2015/01/26(月) 14:57:22.69 0
c点論者
     仏教ビジネスの凄さは、昨日、今日ではナイ。
483123:2015/01/26(月) 17:40:54.66 0
戦争に加担するのは、宗教ではない。
金儲けも宗教がやっているのではない。
それは宗教と区別されるところの宗教家なるものがやっていることである。
そこまで厳格に区別すべきであるかや。
484考える名無しさん:2015/02/05(木) 20:43:30.07 0
神に悪意はない
宗教にも悪意はない
宗教家に悪意はある
ということ?
485考える名無しさん:2015/02/05(木) 21:12:40.61 0
仏陀自体を否定出来ること
486考える名無しさん:2015/02/05(木) 22:16:44.98 0
キリストに悪意はないだろう。
しかしキリスト後の権利者は悪意の塊だ。
かくして神は死んだ。
487考える名無しさん:2015/02/06(金) 01:03:42.20 0
仏教も同じ
ブッダは偉大だが、後のクソ坊主どもはウソ八百の出鱈目ぼかり
念仏だの御題目だの、アホとしか言いようがない!
488考える名無しさん:2015/02/06(金) 01:42:41.38 0
竜樹
489考える名無しさん:2015/02/06(金) 01:45:14.61 0
悪意の無い犯罪
これ最悪
490考える名無しさん:2015/02/06(金) 01:47:26.93 0
宗教法人ではなく、よきイベント会社
491考える名無しさん:2015/02/06(金) 03:28:43.04 0
宗教と、宗教に関わる人間を、区別して正当化を図る偽善者は嫌いだ
492承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/02/06(金) 06:03:26.88 O
視野狭窄なだけなのに、宗教屋しか居ないとして全ての宗教者を断罪してる間抜けは滑稽だ。
493考える名無しさん:2015/02/06(金) 10:54:26.41 0
別に全ての宗教者をバカになんかしてませんけどねぇ
そう捉えること自体が偏狭
宗教によって倫理や道徳を説く偽善者を批判しているのであって、神道のように祈りの場を管理提供している宗教や、修道院のように自己の信仰の追求のみに特化している人達こそが真の意味での信仰
神や仏の威光で人に布教したり説教たれる連中こそが、この世の諸悪の根元
思考回路はISILと同じだよ
倫理や道徳は、宗教の教義から離れた人類共通のものとして認識されるべきものなんだよ
494考える名無しさん:2015/02/06(金) 11:58:37.88 0
>>492
驚いた
>>491をそんなふうに受け止められるなんて思わなかった
495考える名無しさん:2015/02/06(金) 13:16:29.44 0
大乗仏教全否定かw 恐れ入るわw  >>493
496考える名無しさん:2015/02/06(金) 14:39:18.43 0
仏教は堕落というか、権力と結びついたり、民衆に広めるために本来の教えと違うものを説いている、しかも悪意が無い場合もあるから質が悪い。
仏陀本来の教えを哲学的に研究し高めるべきだと私は思っている。
悟り、とかいうわけのわからない超能力ぶった奇跡で説明するのではなく、万人(学問を積んでいなければ難しいが)に理解できる仏教論理派、仏教ニヒリズム宗とでも言うべきものを推し進めていくべきだ。
497考える名無しさん:2015/02/06(金) 15:37:34.61 0
大乗仏教なんてインチキの最たるものだ
その大乗仏教の中でも一番酷いのがカルト宗派の日蓮宗
タイやスリランカのような形の仏教こそが、本来の仏教であり、日本の仏教はもはや宗教ですらない
腐臭ただよう日本式仏教は、神州には不要だ!
498考える名無しさん:2015/02/06(金) 17:30:29.22 0
全員勉強不足で失格です
499考える名無しさん:2015/02/06(金) 17:32:06.60 0
日本人の原始の精神が失われた今、仏教は腐敗仏教しか残っていないというのは同意。
そこで現代日本人の、神を信じていないという大きな特徴を活かした哲学を展開すべきだ。神の不存在証明を理論的に追求するのだ。
500考える名無しさん:2015/02/06(金) 20:45:40.23 0
現代のお寺や檀家は腐敗なんかしてないだろ。
よく知りもしないで
501考える名無しさん:2015/02/06(金) 20:57:59.93 0
仏陀の教えが忠実に守られていない時点で腐敗でしかない。まぁ、畜群には理解できんよ。
502考える名無しさん:2015/02/06(金) 21:39:26.97 0
>>497>>499
(現在の)日本の仏教だけが大乗仏教だとでも思ってんの?w

どんだけお花畑だよ。 ┐(´ー`)┌
503考える名無しさん:2015/02/06(金) 22:48:35.53 0
>>502
典型的な揚げ足取りしかできない日本人
504考える名無しさん:2015/02/06(金) 23:05:13.94 0
>>503
大乗仏教を、その因子や発展の歴史含めて
(せめて学部生レベルでもいいから)知っていたら>>497みたいな発言は出てこない
ってこった。
視野が狭いにも程があるだろがwww ┐(´ー`)┌
505考える名無しさん:2015/02/07(土) 01:16:26.27 0
ここで必死になっても、若者の仏教離れは止められんよ
神社は廃れることはないだろうが、葬式と法事で食ってる寺は廃業必至だろうね
まぁ、元来、日本は神々の国だからね
寺に入った時の違和感と、神社に参拝したときの清涼感の違いがどこから来るのか不思議だったが、ここでの仏教擁護の詭弁を見ると、その理由が分かった気がするね
506考える名無しさん:2015/02/07(土) 01:18:02.19 0
仏教離れというよりも、宗教としての仏教が終わり、哲学として生き残るのではないかな?
お寺は不要になるけど。
507考える名無しさん:2015/02/07(土) 01:20:38.71 0
>>505
だからw

大乗仏教は日本にしか、或いは現代にしかないのか?
と問うている。
現代日本仏教が歪であることは論を待たないが、
だからといって、「大乗仏教現代日本仏教」とはならないw


チベットやベトナムは何仏教なんだい?
508考える名無しさん:2015/02/07(土) 01:21:45.06 0
>>506
最近流行ってる上座部は仏教じゃないんだ。 ふ〜んw
509考える名無しさん:2015/02/07(土) 01:32:26.18 0
だから!大乗だろうか小乗だろうが日本にもはや宗教としての仏教自体が不要なんだよ!
日本には神道があるんだから、宗教はそれで十分なんだよ
仏教が日本で生き残りたかったら、宗教法人を捨てて、純粋なブッダの哲学として存続しなさい
宗教法人である限り、仏教という宗教は腐った哲学だよ
510123:2015/02/07(土) 11:49:16.26 0
神社という宗教法人も問題となる。
神道は宗教か。
それは神話の延長かも。
511考える名無しさん:2015/02/07(土) 16:44:54.48 0
仏教はその研究をガウダマの中にしか求めない時点で、哲学として専攻するには範囲が狭いような気がするけどね。
ガウダマを哲学の系譜として位置づけて哲学するのが現代的ではあると思う。
しかし日本での仏教の役割って葬式とか関連の法事ばかりというのが一般日本人の感覚だと思うんだが、なぜ仏教は大学を設立しないんだろうか。幼稚園は仏教系多いのに。
512承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2015/02/08(日) 01:24:30.03 O
>>494
○○な偽善者は嫌い。
に、
××な間抜けは滑稽。
と受けたんだから、
△△な欲呆けは不快。
とか何とか返せよな。

(^。^)これだから哲板は。(笑)
513123:2015/02/08(日) 09:27:40.90 0
大乗仏教はダメだ。
だが、そこの理論が理解されていない。
原始仏教があるさ。
そこに釈尊がいるさ。
かれは言う。一人で行け、とさ。
大乗仏教は一人で行かない宗教に堕落したものである。
514考える名無しさん:2015/02/08(日) 09:42:11.74 0
>>513
足を怪我した者はそのまま野垂れ死にかw
道に迷った者は勝手に迷わせておけ、かw
非力な者は、重い門扉の前で見送りに専念しろってかw


君は、お釈迦さん・原始仏教の名を出しながら、
梵天勧請の重みを解ってない。
四弘誓願を百万遍唱えてから、もう一度考えてごらん。
515123:2015/02/08(日) 22:39:30.80 0
足を怪我した者は、そこで悟ることができる。
道に迷った者は、一人で悟ることができる。
非力な者は、一人で悟ることができる。
多数でもって、世話をすることは、それは人生の問題であって、人生論である。
人生論でもって、決着をつけようとするのか。そこに大乗仏教の欠陥があることになる。
人生論でなくして、宗教でもって、決着をつけるべきである。
その両者の区別がつかないのである。
それを知っていて、だますこともある。金が儲かるほうに行くかも。
516考える名無しさん:2015/02/09(月) 00:19:53.63 0
>>515
喩え話の条件を勝手に変えるなよw

んと、姑息だな・・。  ( ゚听)、
517考える名無しさん:2015/02/13(金) 03:32:54.45 0
なんで坊さんて托鉢すんの?
518考える名無しさん:2015/02/13(金) 19:00:06.26 0
>>517
・食べなければ生存ができないから
・自ら生産活動をすべきでないから
 (殺生、労働(利益追求・豊かさの希求)から離れているべきだから)
・欲しいものを欲しいままに享受する(求める)在り方を否定するから
・施してくれた人に功徳が生じるから
519123:2015/02/14(土) 18:33:24.64 0
托鉢は生活である。
それは宗教ではない。
仏像を拝むこと、お経を読むこと、なみ阿弥陀仏と言うこと、お題目をあげること、
それらは宗教ではない。
修行は方法であって、宗教ではない。
520518:2015/02/16(月) 00:53:37.30 0
>>519
だったら、《「宗教」である必要》はない、ってことでいいじゃん。
仏法、修行、でいいじゃん。 仏法及び修行は宗教ではない、と。
そういう考え方もアリでいいと思うよ。

そして、逆に、
>仏像を拝むこと、お経を読むこと、なみ阿弥陀仏と言うこと、お題目をあげること
は、心的安心や向上を希求する上での文化的思想的習俗・行動様式
であるがゆえに、おしなべて皆「宗教」だろw


君、なんかズレてるよね・・・w
521考える名無しさん:2015/02/16(月) 03:09:16.30 0
>>518
そりゃ、食べなければ生存ができないのは人間誰しもそうでしょ?だから、生産活動、労働するのに
坊さんってのが、それを放ってまで、仏道にその身を置くのは構わないんだけど、やっぱり腹は減るんだろう?
他人には生産させておいてさ、幾らかそいつをくすねた挙句、あんたさんは奇特な方だ、の一言ってのは、なんだか納得いかないよね
求道者として自己矛盾に陥らないのかしら?はたまた、こんな俺の考えが浅はかなのかな?
522518:2015/02/16(月) 09:05:00.62 0
>>521
歴史的な文化及び価値観の差じゃないの。
日本では、僧や寺に対する敬意や恐れは、
江戸期で既にその兆候はあったかもしれないが、
明治維新を決定打に一気に薄れていった。
それは仏教的考え方・価値観そのものへの評価や距離も同時に低く遠くなったろう。
(今の貴方の感覚のように。)

そんな日本からすれば、
東南アジアやチベットでの、僧や僧院に対する人々の態度や扱いは、
もしかしたら滑稽で、「(時代的に)遅れている」と見られてしまうかもしれない。
けど、向こうは、スリランカ伝播以来ずっと、あの関係を保ってきたし、
パーリ三藏やチベット蔵経を(絶対的に)基準としているから、
その上に成立構築される相互の必然的関係と思う。
で、日本は日本でまた、鎌倉時代以降の大きな転換があるとはいえ、
中国経由の、既に変質した仏教がもたらされ、常に多大な日本化を受けつつ
(しかも明治以降の近代化・西洋化の洗礼を受け)今に至るわけで。
そこんとこは、なぜそうなのか?ということへの一歩引いた疑問&了解・理解が要るんじゃないかな。
523考える名無しさん:2015/02/16(月) 18:45:12.20 0
宗教なのか慣習なのかよくわからんものはいくらでもあるじゃん
ここに哲学を加えても良い
そこら辺がはっきりしないと話が始まらん気がする
524123:2015/02/16(月) 18:55:13.61 0
宗教は救われることが目的である。
よって生活問題は捨象されることになる。
だからして、救われない人には、生活があるだけである、となる。
そこに絶対矛盾がある。
525518:2015/02/16(月) 19:18:56.07 0
>>524
ちなみに禅宗は、
「生活(していること)そのものが救い」だというのを特質(≒売りw)にしてるがなw
526518:2015/02/16(月) 19:20:19.20 0
さて、
禅宗、禅の教え、或は各種行法・生き方は宗教か否か?w



つか、浅過ぎるわw >>わんつーすりー君
527考える名無しさん:2015/02/16(月) 21:09:21.71 0
救われる=生活を捨てる
ってのが123ちゃんの答えかな?

ぶっ飛んでるな
528考える名無しさん:2015/02/17(火) 00:07:50.93 0
 地下鉄サリン事件の殺人罪などに問われたオウム真理教元信者高橋克也被告(56)の裁判員裁判は16日午後も東京地裁で続いた。
証人出廷した元幹部広瀬健一死刑囚(50)は「事件の準備をしていた部屋に高橋被告もいた。その場でサリンという言葉が出ていた」と、検察側主張に沿う証言をした。

 証言によると、広瀬死刑囚ら実行役は事件直前、東京・渋谷のマンションで準備をした。
その場で別の幹部らが「サリンをまく量が1人1リットルに増えた」「みなさん、サリンを取りに来てください」などと発言したという。

 広瀬死刑囚は地下鉄丸ノ内線でサリンを散布。「袋を2、3回傘で突き刺した。かなり強く突いたので、反動が伝わってきた」と述べた。
元代表松本智津夫死刑囚(59)に報告すると「ポアは成功した」とねぎらわれたという。

 広瀬死刑囚は「乗客の方々はより幸福な世界に転生したと思った」と振り返り、
「独善的な考えにとらわれ、多くの方を苦しませる行為をして申し訳ない」と謝罪した。

 高橋被告は「サリンをまくとは知らなかった」と無罪を主張している。 
529123:2015/02/17(火) 18:25:29.61 0
生活を捨てるでもって、救われると仮定したらば、
あなたは、どっちを選ぶか。
悪魔の選択である。
坊ちゃんの答えは決まっている。汝の名前は幸福者である。
よって不幸な者は宗教の来たれ、ということになる。
530考える名無しさん:2015/02/17(火) 19:27:07.05 0
 

[在日本朝鮮人の皆さんに重要なお知らせ]

「韓国へ必要な手続き」
・居所申告証から住民登録証への変更 :2015年1月22日〜6月30日まで
・兵役を忌避した人の個人情報を公開 :2015年7月1日〜
・居所申告証の効力 :〜2016年6月30日まで (※2016年7月1日からは無効となり、使用できません)

※住民登録証への切り替えをせず失効した場合、パスポートが無効となり永住許可の取り消し、及び、強制送還の対象となります



「日本で必要な手続き」
・外国人登録証明書から特別永住者証明書(在留カード)への変更 :〜2015年7月8日
・住民登録 :〜2015年7月8日

※特別永住者証明書への変更・住民登録をせずに外国人登録証明書が失効した場合、永住許可の取り消し、及び、強制送還の対象となります


住民登録証を持てば、韓国の社会福祉制度も受けられる様になります。
届け出はお早めに\(^o^)/

 
531518:2015/02/17(火) 20:44:39.40 0
ああ、キ教方面の人か。  >>529


仏教に関しては、謙虚に勉強し直してから、また書き込んでね。 (´∀`)b
532521:2015/02/20(金) 01:41:30.18 0
>>522
あー…そうだよね、土着の文化とのハイブリッドが宗教には往々として起こり得ることは承知してるし、その信仰の価値が、そこに救済が無いとも言わない、十分機能しているんだろう
が、坊さんは己が身の上を突き詰めていく仏道にあって、托鉢に違和感ないしジレンマを覚えないのかな?ってね

やっぱそもそも本来は、道徳心からの正邪善悪を語る宗教じゃないのかな?
533518:2015/02/20(金) 09:46:01.06 0
>>532
托鉢は、出発点のお釈迦さん以来の伝統、骨子だからねぇ・・。

禅的な謂いの「無一物」や「放下」、或は「食事五観文」もそこと繋がってるし。

貴方自身も気付いてるように、《食べなければならない》わけで、これを避けることはできない。
ならば、どのような手段によって摂取・享受するか?だから。
ということで、↓のようなことなのよ。仏教では。
「」
534518:2015/02/20(金) 09:47:44.74 0
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/104
104 1/2 sage 2010/06/10(木) 20:43:41 ID:LQQ+TrJr
仏教が、非生産的であり、出世や利益(利潤)・余剰追求をしない価値観である
ということは、留意されていい。
勿論、それは、世俗的価値観からすればマイナスの性格を持つ。
(だから、世俗の価値観に於いても、(理由として)そのフォローは必要とされる。)

今、これを托鉢という行為に引き当てて見てみよう。
(仏典にも、具体的にそのような記述があるが)、
托鉢に回った時、一軒も施して貰えなかったとしよう。或いはほんの少しだったとしよう。
その時、行者には次のような考えが起きる。「もう一度回ったら、貰えるかもしれない」、と・・。
だが、その考えは「私にとって(=修行者にとって)ふさわしくない」と、はっきりと排斥される。
この境界が、まさに、世俗と聖、在家と出家の(価値観の)明確な境界となる。
世俗的に見れば、「もう一度回って食を得て、身体の維持に資させる」ことは、
寧ろ目指されるべき判断だろう。
(また、身体の維持自体も聖なる価値観に於いて蔑ろにされるわけではない。)
だが、釈尊は再度托鉢に回ることをしなかった。
なぜか。 それは、「施物に余裕の無い所に対しても、しつこい勧誘になる」し、
「もっと欲しい」「食べたい、空腹を満たしたい」
或いは「“食べれない”ということ、一食抜くということがあってはならない」
といった欲の肯定或いは保身に繋がっているから。
 *そういう【形式に捕らわれている】という言い方をしてもいい。
  (一般的に言えば『必ず一日3食食べねばならない。【2食の日があってはならない】』という【形式】に。)
  捕らわれている、と。)
「自己の欲求(欲、ひいては貪り)を【肯定し】、【それに従うことを意味する】」から。
535518:2015/02/20(金) 09:49:25.64 0
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/105
105 2/2 sage 2010/06/10(木) 20:45:12 ID:LQQ+TrJr
境界の話だったか。
たとえば、営業マンがいたとする。販路開拓の為、(あちこちに)足しげく通う。
ついに相手が折れ、繋がりができる。長い付き合いとなれば、三者(取引先・会社・自分)の利益となる。
それは儲けだけでなく「繋がり」や「信頼」、「充実感」「自信」「ノウハウ」等々、様々なものがある。
だから、再度と言わず、『相手が契約してくれるまで何度でも通う』という姿勢は、
悪い行為であるどころか、『営業マンとしてふさわしい姿勢、意気込み、情熱』ということになる。
そして、同じコースで二度三度托鉢に回った時も、財施・法施・功徳(衆生済度)として3者の利はあり得る。
そのことで、《各家の者に、“より強い”(仏)縁ができ、教えに強く耳を傾け、理解が高まる》
ということもあり得ないことではない。
だが、上で触れたように、《我欲の肯定に繋がる》ので斥けられる。
たとえ三者の利が見込まれても、【それが我欲の肯定、我欲への従属となるならば】、(それを背後に持つならば)、
斥けるのが「聖なる」「出世間の」価値観であろう。
その意味でも、この価値観の境界は押さえられるべきものとなる。
比丘(修行者・遊行者)足らんとしたなら、踏み越えてはならない境界となる。

翻って見た時、《現代日本仏教は、生活、寺院経営、伽藍の維持、慣習・前例・地域との繋がり関係性等のため》
この境界を踏み越えねばならない。
(上で言えば、【三者の利をこそ求めるべき】ということだ。これを「大乗的」と言えないこともないが・・。)
536123:2015/02/20(金) 18:44:59.68 0
托鉢は生活の問題である。
それは人生の問題であって、人生論である。
それは宗教とは関係がない。
それを、関係があるとする議論は誤りである。そこに理解が行かないのである。あわれである。
悟っていないから、宗教とは何かを理解していないからして、そうなる。
537518:2015/02/20(金) 21:05:28.84 0
>>536
そうじゃなくて。

食べなければならないならば、どうやって食べるか?
であり、
(ウィルスとか微生物まで視野に入れるなら、「完全な」不殺生は不可能なわけだが)
托鉢(物乞い、こじき)が、ギリギリのラインなわけ。

君は、托鉢せずに、欲望を肯定しながら殺生の毎日を生きるのが仏教的だとでも言いたいのか?w
538518:2015/02/20(金) 21:07:27.65 0
つか、宗教板の菜食キチと同じ匂いがするな・・。  >>536
539123:2015/02/21(土) 13:41:05.25 0
食べなくして生きるのが、宗教である。
生きることを考えるのは宗教でないことになる。それは人生論であることになる。
540518:2015/02/21(土) 16:17:08.58 0
>>539
だったら、 「仏教は人生論」 でいいよw
別に宗教でなければ困るってもんじゃなし。
(「宗教」なんて括りも名指しも考え方も、2500年前にはなかったわけだし。
 それこそ「仏教」という名称や括りもねw)


成道前の諸々及び初転法輪時のことを理解できない人に仏教理解は無理だし。
541123:2015/02/21(土) 19:10:10.61 0
生きることは苦であるからして仏教となった。
よってからして苦で良いという人は勝手に救われないでいよ、ということになる。
日本人は能天気であることになる。
生きること=苦、万歳であることになる。
542518:2015/02/21(土) 23:33:19.98 0
>>541
まさにそれが禅宗w
543123:2015/02/22(日) 15:06:55.90 0
日本人は生きること=苦と思っていない。
人生は楽しむものと思っている。
文化はそうなる。
宗教の存在価値はどこにあるのか。
それは不明で良いことになる。
544518
アンカー付けない独り言なら、スーパーのチラシの裏にでも書いとけよw >>543



ヘタレが・・w  ┐(´ー`)┌