1 :
考える名無しさん:
自分で悟りを開いてしまったせいで難解な哲学書や大衆向けの哲学書を読んでも
特に新鮮な驚きも刺激もなくなってしまった人用のスレです
はっきり言って哲学ってみんなが思ってる程難解で冗長なものじゃないんだよね
悟り自体は凄く単純なんだけどそこに辿りつくまでが大変なんだよね
なぜここまで公共機関で性被害が大好きなんだろうか
というか電力と交通ってどっちの広告料がでかいの?
これで国内交通機関の安全アピールになっているのだろうか
最大労働組合機関臭
>>1 >悟り自体は凄く単純なんだけどそこに辿りつくまでが大変なんだよね
悟り得る状況がない人にはどうやってもたどり着けない。
つまり悟りえる状況にさえいれば誰でも悟りに達する。
超えられない壁を超えたとき人の自我が初めて悟りを覚える。
つまり
>>1は悟りを哲学書などの解説で理解しちゃっただけ。悟りを覚えること
なしで理解したものは他者の説明文にすぎない。
4 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 10:26:41.76 0
空虚をきちんと認識すれば空虚ではなくなる。これが悟りの奥義。
イデアの想定に失敗したんじゃない?
空虚に陥るのは悟りではなく怠惰が優先した結果だろ
そんなもの、屁理屈による自己正当化に過ぎない
要は頭でっかちなだけ
実際の悟りは厳しい自己批判や実践の中からしか得ることはできないと思う
空虚な状態に陥ってる自己の状態を客観視して徹底的に批判できる精神が
>>1には無い
その時点で屁理屈の中二哲学から抜け出せてはいない
「独自に」なんていう下らない単語で悟りを語っている時点で丸分かりよ
バカがバカに気づいただけのバカ
>>8 アホだろ、それも悟りの一面である。
お前が俺定義し思考が先走りしバカだと悟りえないと確信しているだけな。
10 :
考える名無しさん:2014/07/14(月) 20:55:49.06 0
パンピーの俺からしたら、哲学または宗教的な物を極めたから
この世を全て理解したという発想がよく解らない。
理解不能だと理解したと理解した
13 :
考える名無しさん:2014/07/15(火) 23:33:12.30 0
>>4 空虚という言葉が誤解させたかな
物凄く落ち着いてしまったという感覚
>>6 君にとっての悟りはそうなんだろうね
>>7 空虚に陥っているという感覚ではないがもしそうだとしてもそれを批判しなければいけないという根拠は?
>>11 本質を掴んだという感覚かな
悟ったと自称する人に本当に悟った人はいない
何故なら悟りとは悟っていないかもしれないと自分を見つめ続ける力であるから
>>14 悟りを悟っているか悟っていないかなどという基準に押し付けるのはやめたまえ。
>悟ったと自称する人に本当に悟った人はいない
それは間違いである、その時点で悟っている可能性はあるし、貴方もどこかで
悟っているときもある。
悟りというものが理解とか、自分の力などという誤解はやめたまえ。
そんな風に悟りを素晴らしいものや、凄いもの、凄い力などという先入観が
あるからこそ幻想が生まれる。
逆だ、常識やら日常の生活から考えれば「どうでもよい」ことである。
お前は特殊で超越した何かに定義したいだけである。
貴方がいつの間にかお前に変わっててワロタ
やっぱ悟った人は違う