1 :
考える名無しさん:
人間の価値観は『真善美』や『美利善』『美善利』ではなく、
『真愛美』である。
真とは神の神性のことである。
愛とは、神と人民の愛のことである。
愛とは人民だけではなく、土石草木塵芥にまで存在する。
ただの物質物体にも愛は実在する。
◇
利(合理性)に基づくのが『美』である。
美とは合理性のことである。
その美に基づくのが『善』である。
美と利と善は根源的に同質で、イコールである。
よって一つだけあげるとしたら『美』によって代替可能である。
◇
まず神の愛によって美が生みだされ、やがて人民の愛によってその愛と美が深まる。
美とは、愛を根本としたものである。
よってここに真愛美が完成する。
2 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:02:18.96 0
3 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:03:09.26 0
原初的に考えれば私たちは、
人の行ないや、人の考え方などの目にみえないもを美しいと感じる事、それが「美」の本質なのである。
すなわち、「美」とは「美しいと感じる事」であって「物自体」に「美」の本質は無いのである。
「美」と「愛」について
「美」については先にも述べた通りで、「美」とは「美しいと感じる事」であって、
「物自体」に「美」の本質は無い。
すなわち私たちが「美しい」と感じるのは、「物自体」の形態では無いと言う事であり、
「美しい」というものは、私たちの心が個々に「美を感じている」事である。
すなわち、「物自体」の絶対美というものは存在しないのである。
では、「美」が個人の心にあるとし、
「物自体」の形態に「美」がないとすれば、
私たちは「美しい」と感じる対象をどう判断しているのであろうか?
それは刹那論から導きだせる。
私たちは刹那的なものに「美」を見出すのである。
刹那的とは、過去や未来に依存しないものである。
私たちの感情で唯一刹那的に感じる感情は「愛」である。
過去の記憶や未来の想像に依存しない唯一の感情。それは「愛」である。
ゆえに、私たちが「美」「美しい」と感じる時、
絶対的にそこには「愛」があると言える。
逆説的に言えば、「愛」がなければ、
私たちは「美」すなわち「美しい」とは感じないのである。
4 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:11:25.62 0
シュタイナーノート 43
真・愛・美
笠井 愛という言葉はシュタイナーの中ではまだ表現されていない要素だという気がするんです。つま
り、未来の課題が愛であって、かつて愛がない時代の代償としては善とか良心とか、あるいはモラルと
かがあったわけですけれども、愛というのは決して善とかモラルとかいう言葉で置き換えられない、未
来の言葉という気がするんですね。で、そういう意味では真、善、美ではなくて、真、愛、美というイ
メージなんですね。
高橋 すごく面白いですね。面白いと同時に大変重要だと思います。愛がなぜ善に代わりうるかという
と、もし悪に対する一種の緊張関係において善的な人間関係を結ぶとすると、その時、本当に人間の悪
に対するかかわりがおそろかになっていくし、そういう地点を通過できないところがどうしても出てく
ると思うんですよ。善が悪の優位に立ち、悪を差別し、拒絶していくような、善悪二元論が出てきて善
は限りなく悪から遠ざかって、ついには、独善的な清らかなものにさえなっていく。
ところが、愛というのはやはり悪の中に入っていくと思うんですよ。それは善と悪という関係を超え
て、なおかつ根源的に成り立っているようなそういうあり方というのは愛しかないという気がするんで
す。
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/note/S-note5.html
5 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:53:56.21 0
衣食住である
6 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:54:27.07 0
心技体である
7 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 10:56:40.07 0
仏法僧である
日本の場合は和だもん
和洋折衷も美徳とされる
幽玄も美意識とされる
真や愛はとんと興味なさそうですな
9 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 11:04:24.75 0
まず「美とは何か」と追求したら「真善美」という価値観に疑問を持つに至ったからなのでしょうか?
よく分かりました
10 :
考える名無しさん:2014/07/02(水) 17:25:34.27 0
善・正義はうさんくさい。
11 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 03:51:58.36 0
美は絶対的なものである
相対的なものではない
12 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 04:00:38.63 0
>>1を少し改訂します。
人間の価値観は『真善美』や『美利善』『美善利』ではなく、
『真愛美』である。
真とは神の神性のことである。
愛とは、神と人民の愛のことである。
愛とは人民だけではなく、土石草木塵芥にまで存在する。
ただの物質物体にも愛は実在する。
◇
利(合理性)を内包するのが『美』である。
すべての利は、合理美を持つ。
その美に基づくのが『善』である。
美と利と善は根源的に同質で、イコールである。
よって一つだけあげるとしたら『美』によって代替可能である。
◇
まず神の愛によって美が生みだされ、やがて人民の愛によってその愛と美が深まる。
美とは、愛を根本としたものである。
よってここに真愛美が完成する。
13 :
考える名無しさん:2014/07/03(木) 15:49:43.94 0
真善美じたい知らない人が多いのでは
14 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 09:16:06.13 0
「美しい『花』がある。『花』 の美しさという様なものはない。」小林秀雄
この一文についてどう思いますか?
15 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 09:17:07.79 0
「花の美しさ」とはクオリアですか?
16 :
洋楽:2014/07/07(月) 13:05:50.49 0
digital ちじょう波
KKKフジテレビ の シカバナ を イメージしますね
ラフレシア化させるか ショクダイオオコンニャク化させるか
その結果が 放射能汚染
ハナツマミモノで 鼻が高くなるハズが
レプラで鼻がとれてしまった って電通のはなし
グリムってゆーより まるでイソップ
17 :
考える名無しさん:2014/07/07(月) 18:06:21.80 0
「美しい花がある。花の美しさという様なものはない。」
これは美は相対的だ、と言ってるのかな。
よくわからない文章だ。
美そのものはない、ってことじゃね?
19 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 04:15:35.30 0
小林秀雄はバカですか?
20 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 05:45:20.26 0
美しい花があるが花の美しさという実体のようなものはない
21 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 06:01:46.41 0
あるだろ。
22 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 06:50:31.21 0
ある。
ないね
24 :
考える名無しさん:2014/07/08(火) 07:05:56.53 0
美しい女性がいるとして、レイプされたらその女性は相変わらず美しいだろうか?
人と場合によるだろ
>>24 貴方が処女信仰持ちである事だけは確かだ。
27 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 06:29:01.63 0
「野に咲く百合は、ソロモンの栄華より美しい」聖書
28 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 07:37:22.35 0
金髪にしても、豚野郎は豚野郎だ。
29 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 07:47:07.87 0
美しくもない人間は、生きる価値が無い
30 :
考える名無しさん:2014/07/09(水) 08:47:04.11 0
世の中に、果たして美しさの分かる人間はどのくらいいるのだろうか
32 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 01:27:58.25 i
美が分かるってなんなんだろうね…
表象の表面からその奥にある何かを感じてそれに共感している状態なのかな
33 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 03:34:38.19 0
美が分からない人間が、よってたかって世の中を悪くしているのだ
自分の顔をまず鏡で見る事をおすすめする
34 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 03:38:23.63 0
結論から言おう 美とは価値である
価値とは物体と物体の関係性のことである
よって価値には実体はない
35 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 03:43:37.57 0
価値とは相対的価値である
価値を受け取れる人間とそうでない人間がいます
36 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 03:51:16.98 0
美しい花というのは、普段から美しい心がけを持っているので、美しいのである
醜い蝿や蜘蛛というのは、いつも賎しい事ばかり考えているので、あんなに姿が醜いのである
進化というのは、そのようなものである
37 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 03:53:29.65 0
それは、物すべてに、心があるからなのである
普段の心がけが、あのような進化をもたらす
醜い人間は、だから心も醜い
38 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 04:18:56.77 0
目に見える物を「物体」と言い、それ以外を「心」という
心とは、物体以外のものすべてである
39 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 04:21:00.24 0
目に見えないものには、電磁波や放射線などがある
目に見えないもの=波動である
心も、波動なのである 人間には心を見る感覚器官がないだけなのである
だから、人間は心についてよく分かっていないのである
40 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 04:22:39.54 0
目に見えるものも、実は波動の一種であり、本当は、物と心を分別することはナンセンスだと気付く
つまり、唯物論というのは人間の頭の中で拵えた架空の論理なのである
唯物論は間違いである
41 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 04:23:48.79 0
すべては波動であり、すべては心である
唯物論ではなく唯心論が正しい
42 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 05:06:02.53 0
美は実在する。
43 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 06:45:23.95 0
「笑い」は価値ですか?
44 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 07:00:52.05 0
笑いとは苦しみからの逸脱である
45 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 07:06:37.03 0
笑いとは逸脱美である
46 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 07:09:44.33 0
真愛美が価値ならそれの単位がなくてはおかしい
47 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 07:28:29.16 0
ンホォオォオオオオオオ。
48 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 09:39:46.66 0
笑いとは弱者の最後の手段である
49 :
考える名無しさん:2014/07/10(木) 14:05:20.59 0
アナウンサーの研修では気持ちを込めてアナウンスするようにみっちり叩き込まれるらしい。
つまり、心がまず第一義的にあるのであって、言葉は二義的なものに過ぎない。
50 :
考える名無しさん:2014/07/31(木) 12:22:47.34 0
美とは価値であり、価値とは美である
すべての美しいものには価値があり、すべての価値あるものには美がある
どんな造形物も自然の美しさにはかなわない
53 :
考える名無しさん:2014/09/15(月) 08:35:45.58 0
美文には力と価値がある
クリばかり攻める。
55 :
たける:
くわしく