◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない232◆

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868考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:27:58.72 0
私の存在する限りで50℃の水はあるのに
私の存在より50℃の水の存在の方が永久的な件
869あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 01:32:03.29 0
決定論は「責任」が発生する条件のなかの、一つの最も間接的な条件だと思いますね。
何らかの事態の原因を決定論にかぶせることは的が外れている。
「責任」が発生するために、決定論は直接の背景ではない。
870あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 01:35:15.14 0
>>867
完全にそうですよ。
何か琴線に触れましたか?
871winds:2014/05/14(水) 01:36:30.18 0
>>869
決定論を前提にしないと、誰にも責任を押し付けられないんだよ
誰かに責任を押し付けるには因果がガッチリと連鎖してないといけない

例えば、韓国で起きた沈没事故
船長がいなければあの事故は起きなかったでしょ?
だから船長は吊るしあげなきゃいけない
そして、船のオーナーがいなければ事故は起きなかった
だから船のオーナーも吊るしあげる

原発事故もそう
誰かを吊るしあげるには決定論が不可欠

なぜならば、偶然の産物によって起きた事故ならば、そこには責任を被せる相手がいなくなってしまうから。
872考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:36:30.90 0
責任は決定論が背負います
873あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 01:41:17.20 0
心拍数を自分で決めたい。
瞬きの回数もコントロールしたい。
オナニーの回数も断固自分で決定したい。
俺には、自己意識とはそういう観念をも含む現象だと理解することしか出来ないわ。
俺だって当然、そういう、自然力の影響下にあるわけですが。
874考える【>>119】さん :2014/05/14(水) 01:42:06.08 0
>>870
ならば、「道徳」もそれぞれの地域や国家で違うものの、やはりそれぞれの地域で
そうなるように決定論のメカニズムが働いているとはいえないですかね?
凶悪幼女連続殺人者もそうすることは決定論的に決まっていたわけですよね
そしてその犯人が死刑になるのも決定されていた
こう考えれば「道徳」だろうが「責任」だろうがべつに決定論的に問題ないではないですか
ねえ?
875winds:2014/05/14(水) 01:42:28.01 0
昔、カナダで少女が熱々のフレンチフライを買って食べようとしたら
そこで癲癇を起こしてフレンチフライに顔をつっこんで倒れてしまった
少女の顔面にはおびただしい火傷の跡が残った
少女の父親はフレンチフライを販売した会社に
「娘の顔が火傷したのはフレンチフライが熱すぎたからだ」といって裁判を起こした

因果的には極めて真っ当な思考なんだよ
なぜなら、フレンチフライが冷めてたら少女の顔には火傷は残らなかっただろうからね
876考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:42:32.00 0
>>849
うがった見方をしすぎ
全面的決定論をきっと間違ってるといってるのは心当たりはあるけど
活字にするほどの根拠がないとか自身の論じられる範囲でないとか
自由意志との関連での論点だからふれなかっただけ
とみるのが偏りが少ないと思う
877あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 01:44:45.09 0
だからね、人間は、すぐ主義にしてしまう。
事実は当為と直接の関係は無いという認識の力をすぐ放棄してしまう。

自然の成り行きから自然主義を、決定論から決定論主義を。
878あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 01:52:05.05 0
何かを考えるのに、自分の価値観に抵触しないような道筋を最優先した場合、
実際の世界の有り様とずれてしまう。
当たり前。

言っとくが俺のせいではない。ww
なぜそんな泣き言をここで吐く?
気休めを言って欲しいのか?
ここは事実判断だけをするスレなのだ。
879winds:2014/05/14(水) 01:52:30.82 0
熱々のフライドポテトが食べたくなった
マック行こう
880winds:2014/05/14(水) 02:07:33.50 0
冷めてやがる
881佚 ◆foXa6T3AM7uJ :2014/05/14(水) 02:08:52.43 0
>>860
>だからそれはそのまま「自由意志」の問題につながっているわけで
「自由意志」の問題が残っているのであれば、決定論は正式には
認められないでしょう。

>>862
決定論が認められる、ということは偶然の問題も自由意志の問題も
みんな答えが判明しているということです。
絶対的道徳があるかないかも判明しているでしょうし、なければ
作るでしょう。

といいますか、決定論や絶対的道徳以前に、国や会社や様々な集団
において、法律や規則という形でその集団なりの道徳を作成して
います。

パージという言葉が過激なので驚かれたのかもしれませんが、監視
か何らかの措置は取られるということは最低でも考えられるのでは
ないでしょうか。
882あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 02:13:56.93 0
フライドチキンが熱いということは、娘のやけどという事態にたどり着く一要因。
フライドチキンが熱いものだと知っていて店に行ったという要因のほうがすくなくともより強い要因でしょう。

決定論ははるかに下層の論理だ。
883じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/14(水) 02:15:46.19 0
>>764 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/13(火)
>透過率についてですが、恒常的に50パーセントなら確率的なふるまいではないですよね。

全く判っていないですね。
勿論恒常的に50パーセントです、50パーセントの事を確率と言うのです、是は小学生でも判る。
さらにこの事実が不思議だと言うのは揺らぎでもなんでもない以下の通り。

今此処に100個の光子があったとする其のうち恒常的に50個は透過し50個は反射する。
では其の時各光子はどの様に進路を決定するのでしょうか?
ある光子Aは「僕は透過しよう」其れを聞いて光子Bは「それなら僕は反射しよう」と打ち合わせをして50パーセントになるのだろうか?
恒常的に50パーセントになる理論は何処から導かれるのかが極めて不思議だと言う事である。
884winds:2014/05/14(水) 02:18:45.63 0
>>882
それも決定論を前提にしてるんだよ
少女がフレンチフライを注文しなかったら少女は火傷をしなかった
この因果の連鎖から責任を当の人に押しつけるのが自己責任論だ

最近ではタスマニア島でスキューバダイビング中に流された人にも適用された
スキューバしてなきゃ流されなかった
流されたのは自己責任だ


ま、誰に責任を押し付けようとも、その背後には因果律があるんだよ
885哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/14(水) 02:22:01.10 O
>>871
決定論というのは、そういう事ではありませんよ
決定論には、責任という概念はありえません
人間の脳も意志も行動も
全ては決定しているのですから
886あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 02:25:01.60 0
社会は、システムの維持のため、責任能力や当事者能力を持つ人間を多くしていく必要がある。
壮大なマッチポンプ。
887あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 02:28:33.75 0
最高位さんは決定論に関しては竹を割ったような明快な言い方をしますね。
これは感動的です。
888winds:2014/05/14(水) 02:31:02.54 0
>>886
僕は「責任」という言葉が嫌いでね
日本一無責任て言われた男になりたいわ

「責任能力」って言うけど、ただのクビ切られ役でしかなくない?
会見して土下座して大衆の前で見せしめに合う
昔の公開磔と変わらないんじゃないかとすら思う

そんな空疎な「責任」よりは、僕は事態を解決できる知恵の方に重きを置きたいね
889考える名無しさん:2014/05/14(水) 02:35:10.31 0
                 
 「史上最強の哲学入門」飲茶 著(2010/4/14発行)¥ 1,543
890あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/05/14(水) 02:36:33.02 0
「責任」を強調されるということは「良識」を持つことを強要される事と似ている。
良識とか実際そんなに欲しくはないよ。
891哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/14(水) 02:37:21.63 O
>>887
昔から同じ、当たり前の基本しか言ってませんよ


形而上とか観念を、平気で前提してますが
唯物論では、論理的な飛躍があるんですよ
唯物的な因果律(唯物的決定論)では、主観性は扱えないんです
892決定論だから 仕方ないじゃん:2014/05/14(水) 02:45:34.86 0
ナミビアで、女教師が26歳になる自分の娘を殺してバラバラに切り刻み、
自宅でバーベキューにする事件が起こりました。
娘は、生まれつき体に障害があり、寝たきりで過ごしていたそうです。

被害者の遺体は、山刀で切り刻まれて焼かれ、
「Braai」というアフリカ南部のバーベキュー料理にされてしまいました。
頭部は焼け残り、まだ見分けがつく状態でバーベキューの中に入っていたということです。

女教師は逮捕され、精神病棟に収容されています。
事件は先週の金曜日、午後6時頃に起こったとみられています。
容疑者の息子が翌朝になって死体をみつけ、警察に通報しました。
        
http://amenama.on.arena.ne.jp/?p=1049
893黄檗:2014/05/14(水) 06:40:17.92 0
あまのくんが決定論信者になってくれて
ほっとしましたよ
894考える名無しさん:2014/05/14(水) 07:59:08.49 0
>>891
>昔から同じ、当たり前の基本しか言ってませんよ
たしかに昔から、次から次へ妄想しかでてこない最高位
895ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/14(水) 09:29:47.91 0
>>742
皮相的、というか、日常的論理(常識)を振りかざしているにすぎない。
 >青酸ガスを吸っても死なない猫がいる…
どこで、そう述べている? 崩壊しても、死ぬとは限らない、とはいった。
99のあとに9が幾つ続くかはしらぬが、100(絶対)になることはない、という意味だ。

「絶対、そうなる」「必ず…」という言い回しは日常において頻出する。
しかし、それを字義どおりに「100%」と受けとるのはアホの仕儀である。
「ほぼ、そうなる」を強調する表現、それが「絶対」とか「必ず」である。

「絶対はない」を『シュレ猫』にもちこむと、実験の狙いがぼやけてしまう。
「崩壊すれば、ネコはどうなるか」が、その主旨ではないからだ。
そこで「崩壊→ネコの死」を前提に思考実験を進め、その結果「ミクロの偶然がマクロの
事態を決定する」に到り、この結論にシュレ氏は嫌気がさしたのでかなかった?
896ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/14(水) 09:47:29.32 0
>>745
もちろん冗談です。かつ本気でもある。他の“思い”もある。
“心”は多義性を許容するからです。w
>>747
因果、一義的決定論は時間(の存在)を前提にしています。
まず時間について述べるべきなのに、教祖の機械さんがそれに言及した記憶がありません。
897考える名無しさん:2014/05/14(水) 09:59:42.43 0
>>896
教祖だったのか、どうりで信仰を原理とする考え方をしていたわけだ。
>>895
青酸ガスで死ぬのも、醤油を飲んで死ぬのも同じ。量の問題だな。
毒物なら常に死ぬと脳内変換しちゃうほど放射脳に犯された思考に
さわらないほうがいい。
898考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:04:15.59 0
>>895
お前の方が皮相的過ぎて論外なんだよ。
何度も言ってやるが、
ガイガーカウンターが作動しないかもしれないじゃん!とか
青酸ガスが他のガスにすり替えられてるかもしれないじゃん!
とか青酸ガスを吸っても死なない猫がいるかもしれないじゃん!とかは、
機械氏の言う通り「小学生レベルの突込み」としか思えないんだよ。

> >青酸ガスを吸っても死なない猫がいる…
>どこで、そう述べている? 崩壊しても、死ぬとは限らない、とはいった。
>99のあとに9が幾つ続くかはしらぬが、100(絶対)になることはない、
>という意味だ。

 これだって、論理の体をなしてないよ。100(絶対)なんて自分で言いだして
「なることはない」とか言ってるけど、それこそ「どこで、そう述べている?」

だいたい、シュレ猫の基礎的な知識が無いから「シュレ氏は嫌気がさした」
なんて見当違いのことを言い出す。

頭の中ぐちゃぐちゃなんじゃね?
899考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:13:18.22 0
>>869
>もちろん冗談です。かつ本気でもある。他の“思い”もある。
>“心”は多義性を許容するからです。w

 要するにおまえは嘘つきであり、何時でも前言を「冗談でした」で
ひっくり返す可能性もあるし、脳内の統合を失調する病気でもあるから
自分の“心”だけは多義性を許容するってことになる。
 まともにレスしても意味ないということだな。
900考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:22:27.52 0
>>898
>お前の方が皮相的過ぎて論外なんだよ。
>何度も言ってやるが、
本文みずともこの部分で人格を明確に表しています。
社会人に適合できないと
901考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:28:52.10 0
だめだよ、触れば祟られる。
902ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/14(水) 10:39:10.34 0
>>766 860氏
量子スケールでは、一義的因果は破れています。それが“確率的”という意味です。
>量子スケールとマクロスケールの関係が曖昧すぎて
そこを明解に論述したひとはいないでしょう?  
ミクロの偶然の総体がマクロのかたち(形態)決定づける(らしい)が、その経緯と内実は未知。
そこが解き明かされれば、機械氏の待望する“最終理論”は完成します。w

とりあえずミクロを捨象してもマクロの大勢に影響なし、というのが機械氏や君の立場であり、
“科学(実用)的”ではあるが、このスレには似つかわしくない。科学は精緻、精巧、高確度の
追求を旨としており、たとえば99のあとに9がいくつか並べば科学的には“真”とみなす。

が、当板(スレ)は精緻さを競う場ではなく“厳密さ”を云々するのを趣旨としています。w
903考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:52:18.36 0
>>902
>たとえば99のあとに9がいくつか並べば科学的には“真”とみなす。

言いたいことがさっぱり分からないのだが、要するに科学は100(絶対)
になることは無いから、信用出来ない。
だから“厳密さ”を云々するのを趣旨としている当板(スレ)は科学でなく
形而上学・観念論で「“厳密さ”と“精緻さ”と“100(絶対)”の違い」とか
について意味のない言葉遊びを繰り返していくべきだと言いたいのかな?
「だって、ボク本当は科学なんてさっぱり分かんないんだもん」って正直に言えばいいのにw
904考える名無しさん:2014/05/14(水) 11:22:51.54 0
>>903
 
 高確度<精巧<精緻<厳密<真”<100(絶対)という
“天使の序列”の追求を趣旨としたいだけじゃないw
905考える名無しさん:2014/05/14(水) 11:31:35.11 0
>>904

よっ!形而上学!乙!!!!
906哲学少年:2014/05/14(水) 13:18:43.17 0
人はある物事について考えるとき
過去の経験から得てきた様々なイメージを思い浮かべ
現在の自分をとりまく状況や感覚に合わせるようにして
繋げてゆくことによって意味や志向性を与えていく。

そして現在考えている、という感覚もすぐに過去のものになってゆく。

では果たして、過去のことに囚われることなく
今現在だけを意識して思考を続けることは可能なのだろうか?

わたしは無理だと思う。
否、無理なんだ。

でもわたしは哲学者でありたいので
無理なことにあえて挑戦をしようと思う。
つまり、やり方はこうだ。

今現在脳裏をよぎったイメージや言葉を
リアルタイムでずっと念じ続けること……

アラーアッラーアラエッサッサ〜
ママママオシッコウンコアバババババゴリラマッサージ
ゲコゲコモズクジャロジャロモジョジョハマホゲゲロッペンション
モコモコフォギョギョレゴジョヤガアガマママママ
907考える名無しさん:2014/05/14(水) 13:22:35.09 0
 ↑
精神異常者の誕生である
908考える名無しさん:2014/05/14(水) 15:55:32.61 0
 ↑
行動異常者の誕生である
909考える名無しさん:2014/05/14(水) 23:13:10.99 0
ウヘヘヘヘ♪
910じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/14(水) 23:32:29.63 0
>>871 :winds:2014/05/14(水)
>決定論を前提にしないと、誰にも責任を押し付けられないんだよ

決定論といっても自然科学上の決定論と言うものと観念論上の其れがある。
このスレの扱う決定論は科学上の一意因果関係の決定論であり、観念とか思想上の決定論ではない。
誰かに責任を押し付けるのであればそれは多分法律上の決定論でありそれは思想、観念中でも特殊な法と言う分野の中の決定論に過ぎない。
例えば「未必の故意」だとかの関連で単なる法律の中の問題です。

ここで問題になっている一意因果関係の決定論であれば・・・・以下の

>>885 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ
>決定論には、責任という概念はありえません
>人間の脳も意志も行動も全ては決定しているのですから

この通りである。
自由意思の問題についてもそう決定論とは異なる範疇なので対立しない、むしろ両立(異なる範疇として)しうる・・・・以下の

>>891 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :
>唯物的な因果律(唯物的決定論)では、主観性は扱えないんです

この通りである。
いろんな人が分けの判らぬことを言っているが こんな簡単な事も判らないのかな。

ちなみに責任とは主観性そのものだと言うのがじいさんの感想。
自我=主観=自由=責任
ぜんぶ観念論上の心の問題、道徳もそう、科学とは相容れない別範疇。
911考える名無しさん:2014/05/15(木) 02:23:20.26 0
監視カメラ作動中
912考える名無しさん:2014/05/15(木) 10:02:59.92 0
>>910
ガキでも思いつく二元論をなにをいまさらw

このスレの三馬鹿確定いたしました!じいさん、最高位、ゲーム
913ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/15(木) 10:16:51.32 0
>>903
>言いたいことがさっぱりわからない
なら、黙っていればいい。「わからない」のに貶そうとするから、アタマとココロの歪さを露わにしてしまうのです。
もっとも、この点はさして心配するに及びません。ここに常駐するすべてのひとが(といっても厳密にはw全員ではない)
程度の差はあれ、歪なので。自覚の程度に違いがあるだけです。

「科学に絶対(100%)はないから信用できない」のではなく、その逆だ。
この国で科学という“知の方法”が幅広い信用を博しているのは、それが機械さんの主張とは異なり“真相、真理、真実”と
いった形而上学的観念(絶対)を追求するものではないからである。観測“事実”の整合的表記の精緻さとその再現性の確度が
この方法の主眼。形而上学的野望ではなく、実用化への欲望が科学という“知”を動かしている。

君には営業を一年間やることを勧めたい。一生だと“拷問”になるだろうし、半年では短かすぎる。本気だ。w
その口の利き方と邪推する性向を、少しは矯正してくれるでしょう。
914ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/15(木) 10:32:54.07 0
>>910
少し前にのべていたことと整合性を欠く、のでは?
じいさんは「物理的状態(たぶん身体と環界を指すのだろう)が心のありようを一意的に決定づける」と語っていた。
これは機械さんたち唯物論者のいい分と同じである。むろん例によって、その根拠を示したことはないが。w
これは身心あるいは物心・一元論である。

モノはココロを一義的に決定づけるのですか、それとも歪君wが指摘しているように二元論なのですか。
915考える名無しさん:2014/05/15(木) 11:08:52.78 0
>>913
でもさあ、科学よりも“真相、真理、真実”に近いものって何かあると思う?
ゲームさんはあるかのような言い方をしているから“形而上学”って言われるんじゃない?
916じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/15(木) 13:41:11.07 0
>>914 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/15(木)

じいさんの物心二元論とは「物」と「心」をまったく異なる物として分け隔てます。
例えば、ここに「美しい花」があるとします。
その花を「美しい」と感じるのは「心」の働きなのです。つまり「美しさ」は「花」という「物」の中にあるのではなく、「美しい」と感じる「心」の働きの結果なのです。
しかしあくまでも花の存在が美しいと言う心を決定したのは間違いありません。花が枯れていてはその様な心を生じさせないのです。
其の話の後で「美しい」を「花」と言う物質で説明できない別範疇だと主張しているのです。
さらに花の実在は組成である分子、原子、素粒子の基本的実在性が不確定なのだから一意に実在しない、確率(=非決定)としてしか存在できない、と言っている。
勿論其の一方の心の「美しい(花)」の実在性の問題も残っていて、般若心経では「五蘊皆空」と言って、観念の空性も断定されている。
じいさん的根拠は、不確定な物質が心を規定しているから心も不確定に決まっていると言う事だ。
このように「物」と「心」はまったく異なる物なので「科学哲学」等と言う言葉自体笑止千万ですね。

そう言う物と心の二元論ですから「二つの背反する原理」とかじいさんの好きな「主客の相対」の「相対」というものとは全く関係はありません。
917考える名無しさん
>>916
確かに『美しい』と感ずるのは物質的(=機能的)なものの他に、心の働きというものが関係
していると解釈するほうが自然である。「感じる」という働きを一元論(=唯物論)として捉えるか、
或いは二元論として捉えるかと論究する前に、「物質」という概念をまず明確化(定義)することです。

「物質」の概念を“明確化”することが、一元論(唯物論)か、二元論(物心二元論)かの決着をつける方法でしょう。