◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない232◆
1 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない231◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1397206390/
2 :
考える名無しさん:2014/05/04(日) 01:16:01.77 0
機械発狂wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
3 :
タックル!:2014/05/04(日) 02:21:06.05 0
タックル!はロードス島戦記の音声に反応してスイッチが入る機械脳だ
4 :
考える名無しさん:2014/05/04(日) 03:54:02.98 0
クリ
>黄檗氏
スーラの点描画でも錯視画でも良いが、我々はインフォメーション(発せられた情報の一部)を、(感覚的クオリアとして)受信しており、それを志向的クオリアが迎えにきてww表象化(観念化)している。
インフォメーションを元にセンスデータを構成していると言い換えても良い。(この場合のセンスデータは、ラッセルのとは定義が異なるかもしれない)
従って、センスデータとして知覚した「キャンバス・絵の具・点々・人物・風景」が存在ですね。
バークリーによれば、「存在とは知覚されてあることである」とのこと。
彼は観念を実体とするコテコテの観念論者だが、私は、色や錯視について考察すれば「知覚は誤り得る」ことが明白であるため、寧ろ「知覚を齎すもの(センスデータを齎すもの)」が実体であり実在であると考えます。
パーソナルデータとは、インフォメーションの総体であり、我々がそれを全て知り得るかどうかとは無関係に「もちまえの属性総体」です。
つまり、実在しているのは「キャンバス・絵の具・点々・人物・風景などのセンスデータ」を齎した情報を持つもの、です。
またテキトーなことを言う
人物や風景に情報があるなら
実際には一つの絵が二種類の絵に見えるだまし絵は二倍の情報を持つわけか?
そんなわけなかろ
8 :
黄檗:2014/05/04(日) 09:12:58.80 0
>>6 わたしも迂闊だったが
いのちくんは、意識開闢そのものについて、ほとんど興味が無い。
恐らく、それを問題にしていない。
貴方の「みなし」は、コネクショニズムの変調であって、機械的、操作的な領域。
「実体と現象」などという、古典的な哲学的問題からは遠い話。
しかしそれが普通だったのだ
私も昔、イメージを弄んで世界の本当を見ようとしていた気がする。
それがどういう因果か、ここに何年も居座り、ゲームさんなんかといがみ合って
実体がどうの、空がどうの、月は単なる概念だ、などと言われ、
論理によってそれを凌駕しようと躍起になるうちに、
かつての素朴な思考の記憶すっかりを忘れてしまっていた。
よもやここで出会うとは、思いもしなかった。
いのちくんは、哲学板では珍しい希少種だ。やっと分かった気がする。
いのち君のような思考構造のことを、素朴観念論とでも言うのかもしれない。
この先、ロボット技術でブレークスルーでもあれば、問題が繋がる可能性は大きいが、
残念ながら現状では絵に描いた餅にもならない。
ゲーム氏は、それを分かって評価していたのかな。
まじで?ふっ
w
>>7 えっと、人物や風景としての情報を持つものはセンスデータなので、その事例でも二種類の絵に見えるというセンスデータがあるのみ。
センスデータを齎した情報を持つものが、人物や風景としての情報を持っているわけでは無いですよ。
ただ、人物や風景などのセンスデータを齎そうという意志を、インフォメーションとして発せられているので、その思惑が叶う場合と叶わない場合があるようです。
>>8 素朴観念論ですか…。
熟慮が足りないよって言いたいのかな。
実体と現象については、過去スレで「もの・こと」として説いたことがおり、意識開闢については、過去スレで「気を付ける・気が付く」という認識体験を意識活動とし、どちらも「発生」というキーワードで、いのちのフラクタル構造を構想している。
今一番の問題は、情報とエネルギーの折衷案ですね。
11 :
黄檗:2014/05/04(日) 09:43:33.32 0
>>10 熟慮が足りる足りないではない。
何を問題と思うか、なのだが
哲学というのは、どうでもいいことを考えるものなのだ。
世界五分前創造仮説とかあるだろ?
これについて、普通にに想像できる人もいる。
そんなことを考えてどーすんの?と思う人もいる。
私は、言いようのない違和感に襲われて、まともに考えてしまった。
乗り越えるのに何年もかかった。その内容は自分にとっては宝物だが
他人様にとっては、「まったく納得されない、実にどうでもいい内容」だった。
できれば、多くの人間に納得されたいものだ。
お互いな。
そのためには、話を具体的にしなければならない。
でないと、誰も聞いてくれない。
「面白いことを言おうとしなくていいのに」とかほざいている名無しさんがいたが
「他人が面白いと思うようなことを書く」のが2chの最高テーゼ。
フラクタル構造で推したいのなら、ここにいる誰よりもそれについての見識を高め
面白く、ためになる、語りができるように研鑽してくれたまえ。
情報とエネルギーな
聞いてやろうw
結局、主観により構成・表象したものは「存在者として存在する」といったほうが正確な表現となりそうね。
視覚で得られる情報の97%以上が脳の補完によるものらしいけどね
>>11 激励ありがとう。
まず情報とは、チャーマーズに倣い、グレゴリー・ベイトソンの「違いを生む違い」とする。
根源的な実在は、無から有に転移した「動」というエネルギーそのものとしての揺らぎであり、同時に「違う」という差異を生んだ。
違うという情報をユニークなもちまえとして持つ事となり、その違いが、新たな違いを生む違いであると、まずは考える。
ここで、なぜそのように考えるかというと、現象全ては「こと」という「動」そのものであり、静なるものは観念のうちにしかない。(静に見えるセンスデータは錯覚)
この現象を実態とするならば、(思考実験として)現実の静こそが無であるとすることで、実体は無いが実態は在るという実在論を展開する。
つまり、エネルギーとは空想的な実体(表象した「もの」)であって、実際は五態(エネルギーがもちまえとして得た五つの実態としての現象、即ち波・熱・質・気・法)という、固有情報を持ついのちとして実在すると考える。
しかも、ただ持っているだけでなく、保持・保有の指向性をも備えている点で、無機質な情報ではなく、ユニークで秩序的な性としての情報であることに留意したい。
問題なのは、エネルギーの実態としての五態と情報はイコールとなり得るか?です。
動によって情報が生まれたのか、情報によって動と成ったのか、或いは情報という名の動なのかってこと。
フラクタルはまた今度。
15 :
winds:2014/05/04(日) 11:26:28.56 0
前スレ
>>970 法学をやってるとはとても思えないが
責任の重さは結果から図るのではなくて、その意図によって測られるべきものだよ
例えば、悪意をもって街中で無差別殺人を行ったとして
そこで殺された者の中にテロリストがいたとしよう
彼は無差別殺人を行うことで計画中のテロを未然に防ぐことができた
数量的に彼は多くの人の命を助けた
それによって彼の行為を道徳的に善いと言えるかというと、言えやしないのである
16 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/04(日) 14:04:49.61 0
>>13 :考える名無しさん:2014/05/04(日)
つられて思いつくままに書いてみると・・・・
まず椅子を見る、其の時其れを椅子だと認知する為にはあらかじめ脳の中に椅子のイメージ(心像)が無いと認知出来ない。
其の心像にはその人の其れまでの人生の思い(感情)というものが付着していて偏って居るので椅子を認知した時にもそのような偏り(バイアス)がこびりついたものになるそれがその人の椅子のクオリアである。
もちろん他にもその認知が他ならぬ自分の経験であると言う潜在感覚(情)も含まれている事も重要である
しかしながらその後の様々な思考(意)の中で他の意識等と結合したり高次に処理される過程でモヤモヤ(具体性)したクオリアはそぎ落とされて高度に抽象化された椅子になっていく。
勿論自分の経験と言うような感覚も無くなり人間全体に普遍化されたものになっていく、一般に共感と言われる。
そして最終的に「王者の椅子」などと言う表現の椅子の抽象観念となる。
このような抽象観念が人間の文化であり唯物論では到底歯が立たない範疇である。
しかし「人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。」と言う人が居るが、とんでもない、抽象観念などは特別な「人間の文化」である。
それを「全宗教全観念論は徒労です。」と全否定する人は文化の破壊者であろう。
>>15 横レスですが、法学をやってる(やってた?)ものです。
そこまで、外れているわけではないですが、例えば、過失というやつが
厄介だったりしましてね。
それはそれとして、我々に与えられている、規範(当為)というものは、
多くの場合、「Aならば、Bとすべし」というようなものですから、
そういう意味では、仮定的なものが多いのですかね。ただ、無条件で
「〇〇とすべし」というような規範(当為)があるような気もしますが。
問題は、「すべし」ということは、これに従った行為を予定しているということですので、
ハードな決定論というのは、このような行為も決定されたものとするのか、ということでしょうね。
ただ、自然主義におけるハードな決定論というのは、可能な限り科学的な実在(物理現象等)に還元し
ていこうとするものだと思います。このため、規範や価値といったものも、物理的、科学的な現象としての
モデルとして説明することになりそうです。そのように考えるのであれば、一般的な
規範としての自然主義的なモデルが存在しているというようなことになりそうですので、
そういう意味では、価値相対主義というよりも、むしろ絶対的な価値を認める方向と親和性がありそうです。
決定論にしろ、物理現象にしろ、それらは個々人にとって価値相対主義がいうほどの
相対性を許容しがたいものでしょう。
>>935 > 「道徳的相対主義」はそもそも「特定の道徳の妥当性に関する疑い」が発生源と
>なっており、「その特定の道徳が普遍的な正当性を持つこと」に関する疑義が根底に
>存在するわけですから、
>>917で860さんがお答えになっているように「絶対的道徳」
>が「無い」と断言する立場では、(道徳的相対主義を)否定することは出来ない筈です。
> それを何故か「道徳的相対主義」は否定されるべきだ…と述べおられるわけですが、
>私には単純な「矛盾」としか思えません。
923 名前:860 ◆uvrTjevNu2 [sage] :2014/05/03(土) 11:52:14.82 0
>>920 うーん、ある程度一般性(絶対性)を持った道徳という意味では中庸ですかね。
またある程度一般的に「ディストピア」を想定できるという事も、
それなりに確固とした基準がなければ無理です。
一応釘刺しときますけど、
「人殺してもバレなければそれまで」
を許容できるレベルのラディカルな相対主義
を戸田山は採っていないという意味で、
機械さんとかの考えるような相対主義者ではないですよという話です。
だから絶対主義者だとかそういうのではなく。
指している釘に刺さって来ないでください。
ハードな決定論に関して幾分曲解してますよ
という話は納得されましたか。
19 :
winds:2014/05/04(日) 18:26:29.73 0
>>17 その文章を読む限り、定言命令、仮言命令を思わせるが
仮言しかないとするならばそれは事実の思考でしかないという指摘は、カントがしていた
だけど定言命令と呼べるような基礎的な命令(規範)はあると思われる
「規則に従え」とか「ルールを守れ」という形で表現されるもの
正確に表現するならば、「規則が成立するように同一記号を同じように扱え」というものが
我々が規則(ルール)に関して扱う際の根源的な部分を占めるであろう
価値相対主義を説く者ですら、その行為において規則を守ることで説明を可能としている
そういう意味では誰もが価値相対主義者ではないとすら僕は感じている
(そのような者たちは規範的相対主義者であって価値を相対的に扱っているわけではない。
価値を相対的に扱うならば、あらゆる価値に対して語れない)
まぁ僕はハードな決定論などというものがバカげたものだとしか感じてないので、こだわりはないのだが
(地球の誕生も、生命の誕生も、人間の誕生も、たまたまの偶然でしかなく、そこに必然的理由などないと考えている)
そう言う意味では僕は非決定論者なのだが、なぜか機械君とはシンパシーを感じてしまう
例えばですが、
「事実と反する事を言うのは良くない」という程度の
道徳的な基準は残しているだろう、という事ですね。
ワインの値段とか。
ついでに言うと仮に見栄っ張りの嘘つきK.Yさんが居たとして、
ハードな決定論においては彼の嘘を合理的に非難する事はできなさそうです。
ただ、嘘はいけないという基準は残りますよねという事で。
その既成の道徳の根拠については「哲学入門」の中では曖昧ですけどね。
「決定論と自由意志の両立主義が上手くいかなかった場合、
道徳はどうなるんだという情緒的反論に対してはこのように答えます」
というように「自由意志抜きの道徳」の考察箇所なのですが、
「道徳どうなるんだ」の時点で道徳はあり物になってますね。
ディストピアではない社会の基準として。
>>15 またあなたの悪い癖で、何が論点だかさっぱりわかりませんねw
「責任の重さを結果で測るか意図で測るか」は意見が分かれるところ
ですが、どっちにしろ今回の論点とは何の関係もありません。
あなたが
@もし〜だったならば、という仮定表現を用いて考えられるものが価値の性質である
Aハードな決定論においてはそのような仮定表現的思考は成立しない
と述べたので、
@仮定表現を用いて考えられるものは因果関係である。
Aハードな決定論においても仮定表現的思考は成立する、どころか不可欠である。
と述べただけです。
ちなみに、もしも責任の重さを意図だけで測るのなら、ハードな決定論など
なおさら関係はありませんw
そもそもは、「ハードな決定論は道徳的相対主義を結果する」という意見が
あったので「そんなことはないでしょう」と述べたのが始まりです。
機械氏にしろ戸田山氏にしろ、なぜ決定論にそんな過大な意味付けを
したがるのか、さっぱりわかりません。
ハードな決定論が正しかろうと何だろうと、人間にとって未来はわからないし、
日々が未知への冒険なのですから、ある目的を立ててそのためには今どうしたら
いいだろうかと迷ったり悩んだりすることも、自分で決断することも、その決断の
結果を後悔したり反省したりして、「今度はこうしてみるか」とか試行錯誤を繰り返すことも、
何一つ変わりようがありません。機械氏が大好きだと(少なくとも自分ではw)
言っている自然科学の研究だってそのような試行錯誤の積み重ねでしか
有り得ないのは、今回の小保方騒ぎでよくわかることです。
まさか機械氏といえども、ハードな決定論が正しければ科学的な
発見発明は一切なくなるのだ、とか主張するわけではないでしょうw
>>1 トンネル効果について教えて下さい。
越えることができない壁を越えてしまう現象に、
どのような因果関係があるんでしょうか?
23 :
winds:2014/05/04(日) 19:12:00.47 0
>>21 ハードな決定論において、仮定される仮想空間とはなんなんですか?
そのような可能世界を排除するものがハードな決定論ではないのではないですか?
仮にも「ハードな決定論」と言う以上は「ソフトな決定論」もまたあるのでしょう
(それと区別して「ハードな決定論」と言うのでしょうから)
では、「ソフトな決定論」について具体的に定義することが「ハードな決定論」を定義することにもつながります
そして、仮定や可能を許容することは、ハードな決定論、ソフトな決定論、どちらにも成立するのですか?
脳みそ足らん奴は相手にしたくない。暇ではないのでな
責任の所在とか役人が決めてりゃあいいんだよ!!!
決定論と何の関係も無いんだって何回言われたら理解するんだよ!!w
人間からすれば見た目には何層もの階層を経た遠い最下層の背景原理としか言いようがない。
人間の責任論とか表象世界の最上層(人間の概念)と直接の関係があるわけがない。
BBも言っていたが文系人間は、いくら難しい書物を読もうが、こういう構造に関するセンス
が悪すぎるんだ。
難しい本を読みこむほど本人にも気付かぬ内に馬鹿が悪化しているんだよ。
27 :
winds:2014/05/04(日) 19:59:32.75 0
>>26 世界に本質的に階層構造があると考えているのだろうね、君は。
前スレでも、可能とか仮定は世界における本質とは関係ないと考える人がいた
理系とは本質主義的態度をとるものなのかもしれないね
しかし、そのような階層構造が世界における本質ではなく、我々の認識に依存していると考える余地もあろう
>>23 何ですかまたあなたの琴線に触れてしまいましたか。そんなつもりはないのですがね。
で、戸田山さんの本によれば(299ページ)
(1)-@ リバタリア二ズム(libertarianism)
少なくとも人間の行為に関しては決定論が間違っている。われわれは
単なる物理的システムや計算メカニズムではない。それを超えた存在で
あり、それゆえに自由を持つ。
(1)-A ハードな決定論(hard determinism)
自由の存在の方が間違っている。われわれは決定論的システムであり、
それゆえ自由は持たない。自由意志は幻だ。
(2) ソフトな決定論
決定論と自由の存在は両立しうる。われわれは決定論的システムであると
同時に自由の担い手でもある。この立場を両立論(compatibilism)、
あるいはソフトな決定論(soft determinism)と言う。
となっております。で、
『ハード決定論は歯切れがよいが、その帰結を過小評価しない方がよい。
この立場をとると、石につまずくのも盗むのも同じ「私に起こったこと」に
なる。そうすると、非難も賞賛も責任もなくなるように思われる。
ひょっとしたら「行為」という概念も捨てることになるかも。』うんぬん
と書いています。
しかしながら、これは全く馬鹿げた考えで、もしハード決定論が正しいのなら、
「行為も、非難も賞賛も責任(を問われること)も、迷いも決断も後悔も
努力も満足も成功も失敗も喜びも悲しみも、すべて『私に起こったこと』になる」
というのが、当然の帰結です。
また、ある意味では人生の偽らざる実感として実際にその通りなのであって、
この帰結を受け入れられない人は、実際にはハードな決定論を
受け入れたくないのではないか、としか思えません。
29 :
winds:2014/05/04(日) 20:05:41.72 0
>>28 その通りでしょうね
そして、あなたにまともな思考能力があるならば、
>>28は的外れなレスというものです
そのレスが僕の論旨にどのように関わるのですか?
同じことを繰り返すのは嫌いですのでもう一度言いますが
僕は暇ではないですし、哲学への関心も薄れてます
くだらないことに時間を取られたくないと思ってますし、誰もかれもを相手にしたくもないのです
あしからず
世界の階層性が、我々の認識に拠るものか世界?に属するものかはこの場合は論点ではない。
人間はある原理を直接表象として得ることが出来ない。
数々の階層の抽象の末耐えたものが原理として認知される。
全ての原理の原理が決定論なんだよ。
>>29 説明不足でしたか。「仮定される仮想空間」は人間の心(唯物論的には脳)の
中の「もし〜でなければ〜だったのではないか」という言語的思考です。
その対象は自分の過去の行為(広く言えば世界全体)です。そのような思考は
人間はいずれにしろやらざるを得ないのであって、ハードな決定論者であろうと
なかろうと関係ありません。ハードな決定論が正しいなら、
「非難も賞賛も責任も仮定的思考も、必然的に『私に起こったこと』になる」
だけだ、ということです。
もしも本気で「ハードな決定論が正しいなら、非難も賞賛も責任(を問うこと)も
できなくなる」と考えているのなら、戸田山氏はこの本に関する批判も賞賛も
一切受け付けないし(自分が書いたのではないのですから)、印税も受け取らないはずです。
機械氏もいかなるレスに対しても(自分のレスに対してもですが)
一切非難も賞賛もしないはずです。そのようなことになるはずもないのは、
一目瞭然、論より証拠なのですw
32 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/04(日) 21:03:26.64 0
>>18 :860 ◆uvrTjevNu2 :
ちょっと質問なんですけども「ディストピア」と言うのは「ユートピア」の反対だそうですけども。
この二つの概念は相対関係にあるとは言えない気がしますが、素朴に考えますとディストピアはユートピアに依存しているけれどもユートピアはディストピアに依存はしていないと思います。
じいさん的には「ディストピアはユートピアの概念に寄生している」と言った方がわかりやすいのではないかと思います。
正式な相対は右・左や上・下の関係です、お互いに対等の立場と申しましょうか、しかし「ディストピア」の概念は「ユートピア」があって始めて「反ユートピア」として登場できる。
逆は成り立たない=まずディストピアがあって・・・と言う事は提起できない。
例えば自由が無いと言うディストピアは自由のあるユートピアに対して発想される、最初から自由が無いなら考えも付かないだろう。
要するに人間が生きている状態そのものがユートピアの前提になっていて、其の反対のディストピアとは究極には人間が存在し得ない地獄と言う事なので、存在し得ない程の地獄からは何ものをも提起できないということである。
言い換えるとユートピア社会では人が生存できる事を想起出来るけれど、ディストピア社会というのは人が生存できそうも無い廃墟しか想起できないと言う事です。
人殺しが人間の責務だったりする訳ですからね。
卑近な例で 正と偽の関係に似ています相対的関係ではない。
初めから偽物は登場できない、本物があってこその偽物である、偽は正に寄生している。
階層とはアストラルプレーンやマテリアルプレーンと呼ばれるものですね
>ハードな決定論が正しかろうと何だろうと、人間にとって未来はわからないし、
>日々が未知への冒険なのですから、
ハードな決定論が正しければ未来は過去の継ぎはぎとなるでしょう
記憶喪失者が記憶を取り戻していく既知への冒険なのです
てか、そもそもだな。自然主義と道徳的相対主義って併存しづらいでしょう。
自然主義によって道徳(規範)が還元されるのに、地域や時代によって相対的になる?
物質的・物理的な自然主義的な存在ってそういう相対性はないんではないの?
>>26 あと、あまのさんがめずらいく本筋に積極的に絡んできてるのに申し訳ないんだけど。
規範をあまり閉鎖的で関連性がなく、独立したものとして扱うことはどうも哲学的自然主義
とは相容れないみたいなんだよ。
戸田山先生の言説を借りるとすれば、哲学的自然主義を更生するテーゼとしての認識論的自然主義
は、「いかにして我々は信念に到達すべきか」という問題は、「現に我々はいかにして信念を形成しているのか」
という問いと独立して考えることは出来ないと主張することであるとされる。前者は規範命題となるのであるから、
規範を独立して考えてしまうとこの認識論的自然主義ではなくなっちゃうんですよ。
存在値=観測平均値+誤差 なので、誤差の分だけ基本的な相対性が生じる
これは下手でしたね。
>>26 ×人間の責任論とか表象世界の最上層(人間の概念)と直接の関係があるわけがない。
○(今のところ形而上学的である)決定論が、人間の責任論などの表象世界の最上層(人間の概念)と直接の関係があるわけがない。
決定論こそ表象世界でしょ
決定論にみえるということもあるよね。
因果的に考える癖が人間にはあるという。
概念というのは「直の表象」の「表象」であるから表象世界の最上層と言えるんだよ。
概念は、「認識の中にしか無い」ものだからね。
>>39 脳の、状況に即した傾向だよね。
全く因果が分からない脳は、状況が読めず、身体の補助器官として今一だよね。
だからといって決定論に否を下すには到底至らない。
むしろ、さもありなんというべきだ。
概念の想起には脳内の電気信号伝達が必須であり、
電気信号の伝達経路が予め決定されている
概念を扱える脳かどうかは物質的に規定されてますがね。
頭が言いか悪いかは生れたときにもう規定されてしまっている。
いやビッグバンから決まってるのでしょ
我々が、どこまで、世界と呼べるものを確認できるか知らないが、
一意的である限り決定論なのだ。
47 :
黄檗:2014/05/04(日) 22:19:58.89 0
モノである以上、決定していなくても
どこかに落ち着くしかないのだ。
現在が「これだけ」であるのは、そのためだ。
>>45 これが精一杯のユーモアかと思うと、他人事ながら本当に悲しい思いがします。
>>47 落ち着かない状態を維持出来るから量子コンピューターなんてものがあるのでしょう?
アンタ風に言えば世界がそれを可能としているのですよ
>>48 いやいや
君の正確な自己分析に
共感しただけだよ
自分が特権的な立場にいると
自己陶酔している
勉強不足のあまの君にね
>>47 モノが純粋に行き当たりばったりでなんの性質(指向性)も持たず、あるいは
その都度、モノが己の事情で性質を変えるのであれば、一体、どんな風なのか。
世界が現にあるように、水は何の原因もなければ水であり続けているような
この世界が存立できるのでしょうか?
冷静に考えてみてはどうでしょうか。
知見の乏しい人が決定論を語ると矮小化されてしまうな
54 :
黄檗:2014/05/04(日) 22:31:45.13 0
「現在」が「これだけ」として成立していることが
決定論信者の信仰メンタルに訴えているところが大きいのだ。
そのことについて、「それは根拠にはならないよ」と
そう言っているのだ。
量子コンピュータとか、いちいち的が外れてるな。
>>53 勉強している機械氏と860氏の方が
勉強していないあまの君よりも
説得力があるとは
どうしても思えないけれどね
まああまの君の捨て身のギャグとしては
たしかに面白いね
「現在」が「これだけ」として成立していると、未来が決定してしまうではないか
100年前にも「現在」が「これだけ」として成立していたし、1000年前もだ
57 :
黄檗:2014/05/04(日) 22:39:46.75 0
>>51 水が水であり続ける「だけ」の理由を探すことは可能だろうが
そのことが、どうして未来までも決定することになる?
なかなかね。
哲学の視点は、時間を科学のように定量化せず形式として扱えるところに利点がある。
現在も過去も未来も同じですよ。
59 :
黄檗:2014/05/04(日) 22:43:47.26 0
>>56 そこに一切の法則が無くても未来は決定していると
そう言えるか?
例えばな
球が3つしかない世界。
この球は、まるでランダムに動くとする。
しかし、いつの時点でも、状態としては確定している。
そうイメージすることは可能なのだ。
現在しかなしでしょ
過去にも未来にも自由に移動は出来ない
61 :
黄檗:2014/05/04(日) 22:47:06.02 0
「現在しかない」という思いは、直観に素朴に訴えるのだが
その中身となると、よく分からないのだな。
例えば、鉛直投げ上げの運動は、時間を省略した式で表せる。
相対性理論では、時間を空間に変換して省略できる。
時間というものが、純粋にそれだけで原因としての項を作ることが
出来ないということですよ。
球
3つ
世界
動く
が4種類の法則です
>>61 現在という表現すら正しいかどうか疑問があるが
過去は記憶の中にしかない
未来は想像でしょう
どちらにしても人間が分節した概念ですよ
今の時間、過去の時間、未来の時間などと区分することが科学や哲学では
何の意味もないことがわかるでしょう。
過去は創造
未来は記憶でもありそうだ
お粗末ですよね。
だから、もっぱら主観的な記述のほうが時間はおもしく話せるんです。
>>59 その世界がいつでも確定している、と断言するには観測者が必要
観測者が居るなら球が3つしかない世界、という前提と矛盾する
時間の観念性を利用して考えないとか馬鹿すぎるんだよ。
能率悪すぎ。
遅延選択実験からも、弱測定からも、量子は未来から現在へ、そして過去へ遡ると主張され、
それは有力であると言われているっぽい
72 :
黄檗:2014/05/04(日) 22:59:36.82 0
>>64 過去は記憶の中にある、というのは正しくない。
記憶はいつも(いつも)現在の現象だからだ。
記憶というものが、「過去についての想起である」、ということを
論理によって理解されて始めて、記憶が過去の痕跡であることを了解する。
「過去を証明するのは記憶だけ」というような主張は、そのことを自覚していない。
時間は人間が作った道具だから
道具はうまく使った方がいいよね
ただし道具だということを忘れてはいけないが
全く意味が無く複雑であるが、結局消去できる項を自分で増やしてから計算するようなものだ。
過去は超光速で素粒子が動く世界らしいですが、どんな世界ですか?
時間の観念性を数理で記述すれば、荒唐無稽で面白い言い回しになるに決まってるじゃん。
77 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:05:15.89 0
>>69 そのようなモデルをイメージすることが可能だ
ということだよ。
観測者が必要だというなら、入れてもいいが
>>76 面倒なのは分かっているけれど
アンカーお願いします
誰へのレスなのかわかりませんから
>>77 観測者の必要性を認めるのであれば
観測者が観測していない時、3つの球の状態は確定しない
「いつでも」という前提と矛盾する
そりゃイメエジだけで語るならなんでも有りだろう
80 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:08:46.80 0
>>71 それもまた微妙な話でな
絡み合う離れた場所の粒子について
どちらの状態も観測されるまで決まらない、としても
絡み合うこと「だけ」は決まっている、とすることが可能だからだ。
>>72 もう少しまともに言うと
過去は人間の創作
いつ思い出そうが創作です
だって存在しないからね
未来も同じこと
82 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:10:14.43 0
>>79 「観測者が観測する」というのは
どういうことかな?
意識が判断するということか
観測者が必要なら、観測者の両親と兄弟と配偶者も必要で配偶者の両親と兄弟と兄弟の配偶者も必要
兄弟の配偶者の両親の兄弟の配偶者の兄弟も必要
>>82 観測者と球が直接的に何らかの因果(例えば可視光線など)で結ばれている状態
意識は関係ない
85 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:13:28.43 0
>>81 それも違う
「この現在がいづれ過去とよばれることになる」
と了解するなら、過去は、現在と同程度の確かさをもって
「たしかにあった」と判断することができるからだ。
過去というのは、論理によって「あった」となるのだ。
>>85 (笑)それなら尚更のこと創作でしょう
人間の論理によってしか定義できない
つまり創作ですね
現在・過去・未来という分節でいう現在ならば
現在だって創作ですよ
現在という分節概念です
>>80 それは量子エンタングルメントの話だろ?
遅延選択実験や弱測定でググれ
食物も金銭も愛も友情も肉体も空間も創作である
現在だけが存在するというのはおかしいね。
現在っていつだよ?→今だよ。→ほら過去だろ?
存在値=観測平均値+誤差 なので、現在=過去数秒間+未来数秒間
91 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/04(日) 23:38:38.77 0
>>57 >水が水であり続ける「だけ」の理由を探すことは可能だろうが
いや、それは「可能ではない」筈です。
数十年に1回観測されるか否かという超新星爆発がたまたま観測された
ことで有名になった「スーパーカミオカンデ」が数百億円の国費を投じて
造られた当初の目的は量子論で予測されている「陽子崩壊」を観測するため
であった訳です。
水の分子を構成する「水素原子・酸素原子の原子核」は(よく知られた
放射性物質の数々と異なり)非常に「安定」ですが、その安定極まりない
「原子核を構成する陽子」がある確率で崩壊する筈である…という「理論から
導き出された予言」を実証するために強固な岩盤の地下数百メートルに数千トン
の「純水」を溜めて、陽子崩壊を待つ…というとてつもないプロジェクトだった
訳です。
そのような巨額の予算を投入して実証しようとした理論ですから、「水の分子
が水の分子でなくなるとき」は「ある確率」で必ず来る…という理論はたぶん
正しいのではないか?…と専門家ではない我々も推量できるということです。
すなわち「水(分子)の命も永遠ではない(放射性元素と同様の寿命がある)」
…ということです。
全部カントの受け売りで乱暴に言ってしまった。
ごめんなさい。
93 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:39:02.73 0
>>84 意識は関係ないのか
それなら貴方のその語りもイメエジだろう
>>86 論理も創作か
だとすると君自身も創作なんだろ
創作という意味も創作だろ
足元すくうことしか頭にないと
自己破壊しますよ
>>87 ああそうか
関係する本なら持ってる
ググったりはしないが、復習しておく
時間の道具性だったら、そもそもニュートンとライプニッツの論争かな。
95 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:43:43.61 0
>>91 つまり、「世界の原理は確率だ」と
機械さんも、ついにそれを認めるわけですね
寝ます。
水より観測者の寿命の方が短いので、水が水であり続ける「だけ」の理由を探すことは可能
観測者の肉体は水分を含むからね
>>93 少しはフザケないで真面目によろうよ
話していることの次元が分かっていないのか?
書いてることがひどいよまったく
現在だって、不可分の一点なわけは無い。
客観的には、プランク時間というモザイクで構成されているわけだ。
創作にも低次高次の次元があるのだよ
100 :
黄檗:2014/05/04(日) 23:50:39.94 0
>>97 わたしは真面目ですよ。
>>49のつっこみが斜め上なんですよ。
>>86もね
わたしもそれに合わせて反論が斜め上になるんですよ。
>>90 そのように過去と未来を想定しなければ現在を規定できないではないか
103 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/04(日) 23:54:30.04 0
ちなみに純水を溜めたタンクの内側には「原子核(陽子)が崩壊したときに
出るであろう「ニュートリノ」を観測するための「超高感度センサー」が
数百個設置されていたのですが、それが図らずも「超新星爆発により地球に
到達したニュートリノ」を十数個一度に観測してしまった…ということです。
ちなみに宇宙から降り注ぐニュートリノの殆どは地球を難なくすり抜けて
しまっており、人体レベルの大きさの「地球の付帯物」でも毎秒約1兆個が
すり抜けてしまっております。
超新星爆発で放射されたニュートリノの量があまりに膨大だったために
そのごく一部(十数個)がスーパーカミオカンデの純水の原子核と反応して
しまった…ということです。
当初の目的「陽子崩壊」が観測されたかどうかは(調べれば判りますが)
今のところニュースにはなっていないと思われます。
104 :
考える名無しさん :2014/05/04(日) 23:56:49.10 0
日本が香港に勝ったな。
女子卓球は決勝進出だー!!
105 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 00:01:43.45 0
>>95 >つまり、「世界の原理は確率だ」と
>機械さんも、ついにそれを認めるわけですね
量子的不確定性はマクロで相殺される…ということは「水という
存在の安定性」で、私たちの「実感」となっており、水の陽子崩壊
が脳(思考・観察・判断)に影響を与えない…ということは明白で
すし、千歩譲って「影響を与える」としても「ランダム」ですから、
「自由意志の存在の根拠」にはなりえません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>101 非存在を2つ足すと存在になったりするんですよ
今日のサイエンスzeroで、意識が量子効果に影響を与えるみたいなこと言ってたけど、これが正しい場合、意識は必然とは言い難いよね。
109 :
黄檗:2014/05/05(月) 00:08:24.06 0
>>105 安定しているときには「相殺される」という話も納得できないわけではない。
しかしですね
マクロ的に非常に不安定な状態にあって、いつ飛躍的な崩壊が起こるやも
というときに、その最後の一撃が確率的であることは想定できるでしょう。
自由意志もぎりぎりの判断をするときがあるのではないですかね。
最後の最後、判断を決める条件は、果たして「決まって」いるのでしょうかね。
>>110 このサイトまじで凄いわ
・厳密に見れば、あらゆる存在の運動は、時間進行方向と互いに直交する2つの虚数軸方向の振動を持つ。これが観測量の不確定性として表れてくるのだ。
はたしてそうかな?
113 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 00:19:35.54 0
わたしも中学生のころは
>>110みたいなことを考えたな
やばいというか、ぬるいな
114 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 00:25:11.38 0
>>109 >マクロ的に非常に不安定な状態にあって、
ですから、ミクロではどれだけ不安定であってもマクロではぞの「全部」の
不安定性が(ランダム「確率的」であるが故に)「相殺されて消滅する」
ので「マクロで不安定」という状況はあり得ない…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
>>113 その結果が現在なわけですなwwwご愁傷さまですwwwwwwwwwwww
>>114 つまりミクロとマクロは断絶しているということですね?
二元論になるということですか?
118 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 00:30:46.25 0
>>116 「大数の理論」により「数学的に同一レベルである」ということです。
本日は就寝させて戴きます。
>>118 そういうことを質問しているのではないです。
分かっていて話をそらしていますね?
・ミクロとマクロは断絶しているか?
・ならば二元論の立場か?
ということです。
大数の法則は単なる経験則であり、定理でもまして原理でも無いわけですが
経験則て
122 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 00:43:23.50 0
>>120 「科学」は全て実験・観測をはじめとした「人間の経験」に基づいており、
そういう意味で「経験則に反する理論」は科学ではなく「宗教」になります。
従って、「経験則を厳密に踏襲する手続き」が科学では一番重要視される
わけで、山中教授が謝罪したのは「自分の理論が誤っていたこと」について
ではなく「証明の手続きに不備があった」…という一点についてのみです。
しかし、それだけで「公式に謝罪する」必要があるほど、「経験則の吟味」
の手続きが重要視されている…ということです。
逆に言うと「その手続きの厳密さが科学の信頼性を担保している」…ということです。
本日は本当に眠いので就寝させて戴きます。
>>122 >>119の質問には逃げましたね。
まああなたには答えられないとは思いましたよ。
どうぞご就寝下さいませ。
法則というのは何かしら結果論を内部に含んでいるからね。
原理としては厳密性に欠けるな。
機械さんこういうとこ大雑把なんだよな。
125 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 00:55:47.70 0
>>119 大数の法則における「ミクロレベルの観測」が「大数」レベルまで集積されると
「マクロの法則」と合致する…ということです。
半減期2時間の放射性物質の「塊」の中でたまたま観測していた「1個の分子」
が10秒後に崩壊したとしても「塊」としての半減期には全く関係ない…ということです。
>>125 あなたは誰に答えているんですか?
私は
>>119と
>>123ですけれど、そんなことは質問していません。
機械さんへの宿題にしましょう。
答えておいて下さいね。
127 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:04:00.83 0
>>126 質問の意味が不明というか、経験則とか大数の法則とかを「形而上学的」
に勝手な理解をされているだけなんでしょうね。
もう少し基本的な知識を勉強されてから質問してください。
あまりに眠いので就寝させて戴きます。
>>127 誤解しているようですが、私はそんなレスは書いていません。
>>119が質問内容です。
明日にはお願いしますよ。
129 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:13:01.21 0
>>128 「ミクロの現象とマクロの現象の関係」を説明しているレスに対して、
「じゃ、断絶しているんだな」という勝手な解釈をする思考過程が全く理解できません。
「断絶していない」からこそ「両者の関係を説明している」わけですから。
本日は本当に就寝させて戴きます。
130 :
考える名無しさん :2014/05/05(月) 01:13:10.15 0
機械逃亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
(ワロタ〜♪)
>>126 それってガチで答えることができたら、統一理論の答え出てないか?
その2つの間が埋められないから、理論物理の人は頑張ってるんじゃないの。
未来の果てに巨大な虚数質量(虚数エネルギー)があるとすれば、世界全体が未来へ向かって進んでいるということは、世界のあらゆるエネルギーに虚数成分があって、
それが未来にある巨大な虚数質量と相互作用し、引き合っている状況が考えられる。
エネルギーの虚数成分は、通常観測に掛からないため、観測を前提とした物理学においては意味をなさない
このエネルギーの虚数成分が、いわゆる超能力というものでしょう
>>129 あなたの説明では断絶しているではないですか?
ミクロはミクロの法則、マクロはマクロの法則。
これを断絶といわずしてなんというのですかね?
機械さんの説明こそ身勝手な説明ではないですか。
もう少し考えて下さい、滅茶苦茶ですねえ。
>>131 自然主義の立場というのはそういうことなんですよ。
統一理論の立場になります。
135 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:24:00.33 0
>>133 >ミクロはミクロの法則、マクロはマクロの法則。
それは「大数の法則」の否定ですか?それとも、もしかしたら
大数の法則を「=マクロの法則」だと勘違いしてませんか?
まあ、「860さんレベルの勘違い」にこれ以上付き合う必要があるのか否か
睡魔と闘いながら思考している状況ですが…
>>135 そんなことは一切いってませんが?
あなた逃げてばかりですね?
法則が断絶しているのは事実でしょう
137 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 01:29:17.48 0
法則ってのは、元々人間が便利に使えるもの。
その特徴は、
@誰でも使える
A再現性がある
よって法則で世界を決定論的に説明することは不可能です。
人間の都合良すぎでーす。
>>135 再レスしましょう。
私の質問はこれです。
119 :考える名無しさん :2014/05/05(月) 00:34:46.22 0
>>118 そういうことを質問しているのではないです。
分かっていて話をそらしていますね?
・ミクロとマクロは断絶しているか?
・ならば二元論の立場か?
ということです。
139 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:32:14.48 0
>>136 大数の法則が断絶する境界線は何マイクロメートルだというのですか?
ミクロとマクロを包括する法則が「大数の法則」であるという基本的理解
が無いところに数学的・統計学的理論を理解いただけないことは無理もない
…というところですかね。
観念論者は数学や自然科学を基本的に敵視しており、最終的に宗教に帰依
することを目的に「思索」されているわけですから、無理からぬことではあると
思いますが。
眠くならずにそんな寝言みたいな戯言を続けられる能力はすごいですね。
140 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:37:26.24 0
>>138 >・ミクロとマクロは断絶しているか?
「断絶している」わけはありません。何で「断絶している」と
いう発想が出てくるのか理解できません。
・ならば二元論の立場か?
「唯物論」は「観念と物が両方とも実在する」という二原論の
正反対(
>>1のとおり)「物質しか存在しない」という「真理」です。
>>140 完全にダウトだよ。戸田山先生は、真理の探求なんてものではないと、
ほぼそのままの形で、ほとんど断言してるに近いことを言ってますよ。
だとすると、あなたと戸田山先生の間には埋めがたい溝がある。
境界と言うなら逆に問いたいのですが、
量子の不確定性が相殺されて確定的になる「相殺点」はどこからなのでしょう?
量子1個は不確定ですよね?10個でも多分不確定ですよね?10000ぐらいからですか?
>>140 始めからその方向の答えををすればいいわけですよ。
簡単な答えでしょう。
ならば、ミクロとマクロの力学が違っていて不都合はないんですか?
双方の力学が別ということは、力学が断絶していますよね?
不確定値は確定値の逆数となるので、確定値の相殺点は無限大ですよ
145 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:50:10.98 0
>>141 戸田山氏は基本的に「ハードな決定論の紹介者・解説者」ですから、
細部の点で様々な「解釈の相異」はあります。
しかし「ハードな決定論を紹介した」…ということ一つで、私は
95点以上の評価を差し上げたいと思います。
なにしろ翻訳されているのも4人のうちの一人の一冊しかないような
状況で「この人たち知らないでしょ?」って書かれても、「知らなかった!」と
感嘆するしか反応のしようがありませんから。
邦訳されている1冊は早速注文いたしました。
>>144 無限個の量子がこの宇宙に存在するのでしょうか?
自分の知っている宇宙論では有限なのですが
148 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 01:56:18.14 0
>>143 力学が断絶しているとしても、あなたや私に「ああ、力学は別の数式体系で
扱われるんだ」…という理解をもたらすだけですね。
マクロ世界のパソコンの内部でミクロ世界の電子が重要な役割を果たして
いても「力学体系の翻訳」に時間を取られているという話は聞いたことはないですから。
宇宙の情報量は無限大です
そもそも宇宙に量子なんて実在しません
量子は観念であり、主観です
>>148 ミクロとマクロの力学が断絶していても、
それで「決定論」を支持できるんですかね?
>>145 ほら、そうやってすぐ軸がブレる。細やかに見ていけば、
おそらく、戸田山先生は機械さんとは、全然違った主張をしてたりしそうですよ。
他の論者でも同じですよ。結局、機械さんの理屈はモヤッとしすぎてて、
なんにでも乗っかれるようなもんなんですよ。
それだと、いくらでも批判できるし、逆に言えば、批判することが出来ないんですよ。
そもそも理論のベクトルが非常にあやふやなんですから、その場でなんとなく正当であろうと
いう説明するためにアドホックに理論のベクトルが変わっていってる様に見えるんですよ。
戸田山先生が真理を言い当てているなんて言っときながら、突然、紹介者にすぎないとか言い出したり、
一体誰の理論をどのように採用して、どのような体系のもとどのような理論的な方向性を示すのか、
その辺りが全然見えてこない。
153 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 02:08:46.85 0
>>151 ミクロ世界の電子により稼働しているマクロ世界のパソコンの動作を「信頼」
しておられるなら「ある結果には必ずある(因果律に則った)原因がある」
…という「決定論」を支持できない理由はないと思われますが?
パソコンが爆発する確率はゼロじゃないです
>>153 何度も言いますが、機械さんは、戸田山先生はすばらしい、これこそが
私の言いたかったことなんだと言うようなことを言っておきながら、
戸田山先生との機械さんとの間には、大きな溝がありそうだと指摘されれば、
それは、機械さんと戸田山先生との間の解釈の違いだからという。
しかしですね。結局、あなたのいうような唯物論も観念論も我々が対面している
世界に対する解釈の違いにすぎないんですよ。解釈の違いだから、それでいいんだなんて、
言ってしまえば、それは、あなたのお嫌いな観念論も許容しなければならないことになりかねない。
あなたの理論と相容れないところがあるっていう意味では、単なる程度の差にすぎないし、
下手をすると、戸田山先生の理論よりも観念論のほうが相容れる部分が多いかもしれない。
156 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 02:16:22.85 0
>>152 「唯物論」ましてや「決定論」を主題に現代日本で本を書く…という
ことがどれだけ画期的か?…ということが全く分かっておられない。
99%の「哲学(関連)書」は「外国の過去の観念論の紹介」です。
「外国の現代の唯物論の紹介」…というだけで、戸田山氏のオリジナリティは
十分担保されていると考える次第です。
彼は立場上「道徳的相対論」は決定論から必然的に帰結しない…と
強調されておりますが、私はこの肝心の部分で「違う・飛躍がある」と
考えております。
まあ、私には「匿名掲示板の住人」という社会的地位しかありませんから。
>>153 そういう話じゃないです。
ミクロとマクロで力学が違えばそれは双方の法則が断絶しているわけですよね。
それでは「あらゆるケース」において因果論が機能してはくれませんよ。
そうなるとミクロはミクロの世界、マクロはマクロの世界というように分かれてしまいます。
ならば「ミクロ」と「マクロ」の二元論という考え方も出てきてしまいます。
その矛盾はどうやって合理化できるんですか。
158 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 02:29:11.01 0
>>157 >ミクロとマクロで力学が違えばそれは双方の法則が断絶しているわけですよね。
なんで「断絶している」と思い込みたいのですか?「断絶」などしておりません。
「化学」で扱う「電子の振る舞い」は、物理学で扱う「電子の振る舞い」と別の言語
体系で記述されますが、「電子は電子」「光子は光子」…記述する言語体系が異なる
のは「その方が効率的」だからであって、「電子そのもの」「光子そのもの」が別の
モノになる訳ではありません。
>>153 リーク電流についてググってみてはいかがでしょう?
現在のコンピュータのアーキテクチャにはもはや量子論が欠かせません
現代のパソコンは一概にマクロ領域の機械とは言えないのです
>>31 >もしも本気で「ハードな決定論が正しいなら、非難も賞賛も責任(を問うこと)も
>できなくなる」と考えているのなら、戸田山氏はこの本に関する批判も賞賛も
>一切受け付けないし(自分が書いたのではないのですから)、印税も受け取らないはずです。
>機械氏もいかなるレスに対しても(自分のレスに対してもですが)
>一切非難も賞賛もしないはずです。そのようなことになるはずもないのは、
>一目瞭然、論より証拠なのですw
これ結構真に迫っているというか現実的な議論ですねwいや確かに。
印税の受け取りも含めて、単純に機械的なやりとりになるんですかね。
ハードな決定論においては意志にまつわる内的な決定も外在化した行為も
単純に全て因果的必然ですから、言わば皆して哲学的ゾンビです。
クオリアの話ではないので、「中国語の部屋」の方が適切でしょうか。
本を書き、出版し、本を買い、金が動いた…
という客観的事態のみが現実であり、これらは単なる(複雑な)刺激に対する
(複雑な)反射に過ぎない。この諸行為には意志も責任も伴わない。
…いやぁ際どい。人は哲学的ゾンビか。無理っぽい。
しかしこの「無理っぽさ」が自己と意志についての偏見によるのか、
それとも実証的に整合性が取れないためなのか、
は確かに考察の余地ありですか。いやぁ哲学だなー。
>>158 >ミクロとマクロで力学が違えばそれは双方の法則が断絶しているわけですよね。
いや(笑)双方の力学が違う力学体系だから、その力学が別であるのは当り前ですよ。
関係ないではないですか、あなたの書いていることは。
>>156 無茶苦茶ですよ。道徳的相対論を主張したところで、社会的地位が
おびやかされるなんてことは、おそらくあり得ません。むしろ、
ある分野の先生で道徳的相対論を採用していそうな人は、大量にいます。
前にも言いましたが、現代に異端審問なんてものはありません。
まして、道徳的相対論はそんな危険思想でもありません。
学者や学会というのは、そんな窮屈な場所ではありません。
窮屈なのは、優秀な人は同じくらい優秀な人しか相手にしないという
とっても怖い実力主義が存在するとこくらいです。
そもそも、哲学書にかかわらず、こんな本売れやしないよという本は、
なかなか出版されません。たぶん、研究者が少なかったり、研究者が
欲しがらない本なんかもなかなか出版されないと思います。
それは、おそらく書籍にして見やすくする意義が乏しいからとかそういった理由から
なのかもしれません。
逆に、ニッチな分野の研究は、誰もやっていなかったりするので、手を付ければ、
それだけでその分野で大きな地位を得ることが出来そうですし、その人の論文しか
存在しないので、そればっかり引用されることになりますので、非常に美味しい
研究のような気もします。
いずれにせよ、そういう事情で本が出版されたり、されなかったりなので、
そんなところで画期的とか言われても、だからなんだとしか言いようがありません。
ジャーナルに載ってる論文を集めて読めばいいだけの話なんで、どうでもいいのです。
163 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 02:43:44.82 0
>>160 酔ってますか?まあ、私もさっきまで歌舞伎町で飲んでましたけど、古くからの
友人に哲学の話をしてもあんまり興味を示してくれませんね。
あなたにお話しした「170万円のロマネコンティを店の在庫にしているケース」の
解釈についても、「ああ、ガクトはすごいよね」程度の感想しかなく「そんなもんか」
と思いました。 囲碁では彼に全く歯が立たないほどの優秀な男なのですが、現実の
家族関係や仕事の関係の雑事に精一杯のようで「テツガクなんて優雅な趣味だな」程度が
彼の本音だと思います。
いちど「ロマネコンティ170万円を在庫しているカジュアルイタリアンの経済学」
とかで、共著いたしませんか?w
>>163 哲学は孤独な学問です。
誰かと共有は出来ませんからね。
ニーチェもフッサールもウィトゲンシュタインも皆んな孤独でした。
>>32 カミノクニもヂゴクも存在しません。
ユートピアもディストピアも現実世界の
「善い部分」と「悪い部分」とを強調したものと思われます。
で、どちらもフィクションだと考えます。
ただ、人間の歴史の中で悲惨な時代や事件を色々集めれば
ディストピアの方が実在性は高いのでは。
(ユートピア⇔ディストピアという世界の構造を持つ宗教の体系でも
大抵人間世界は下の方でしょう。)
…違うか。多分違うね。
まぁ何か面白い論点なのは分かります。
166 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 02:54:01.92 0
>>162 >道徳的相対論はそんな危険思想でもありません。
「テロリストは信念に基づいて行動しているのだから道徳的には
非難できない」…とTVとか新聞で発言したら、確実に「干され」
ますよ。
「現実社会」は哲学とか思想とかで動かされている訳ではありません。
「交換価値である貨幣」「貨幣の信用を担保する(国家)権力」が
(言論の自由を標榜するマスコミを含め)事実上「支配」しているし、
その「支配のやり方」が(フーコーが指摘するような)巧妙さを増している
…というのが「現代社会の実態」だと思いますけどね。
ニーチェが「権力への意志」「運命愛」を強調した意味が最近判ってきました。
「100年後にニヒリズムが訪れるであろう」という預言とともに彼の偉大さを
なんとなく感じる今日この頃です。
167 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 02:55:20.02 0
教義で獣肉食を禁じられていても山鯨として食べるという迂回方法があります
>>166 「テロリストは信念に基づいて行動しているのだから道徳的には
非難できない」って、勘弁して下さいよ。
それは、その発言自体が危険な試奏なんであって、道徳的相対論から
そんな発言が、アプリオリに取り出せるわけ無いでしょ。
何を言ってんだか。
>>163 はぁ、、
現代社会でオシツオサレツ生きる中で哲学は基本的に不要では。
成果物だけ享受できれば過程は知らなくてもいいんですよ。
そういう意味で哲学に意義を見出す人種は結構限られていると思います。
170 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 03:09:23.97 0
>>168 あなたは新疆ウイグル自治区の爆弾テロ、日本では「外患罪」で死刑しかない
ウクライナの「地方独立運動」、北朝鮮の指導者による幹部の粛清等が「彼らの
信じる道徳観」に基づいて行われた…ということが理解できますか?
ヒトラーの「ユダヤ民族浄化計画」はつい最近かであった「セルビア人の民族
浄化計画」と殆ど同じ「道徳観」に突き動かされている行為です。
彼らから言わせれば「道徳なんて権力者が被支配者を馴化する為の暗示だ」と
いうことになります。
そういう考え方が「道徳相対論」であり、860さんも「絶対的道徳は『無い』」と
おっしゃられた以上、「道徳相対論」を採用された…ということだと思います。
激動の現代社会においては、時間進行方向と互いに直交する2つの虚数軸方向の振動を無視して安穏と生きていく事はできません
>>163>>169 いやいや、そんなん哲学に限った話じゃなくて、逆に言えば、
哲学でも、酒の肴になりそうな面白そうな話には食いついてきますよ。
ただ、まじめに学問としてしゃべろうとすると、嫌がられますよ。どんなジャンルでも、
そもそも、専門家の交流の飲み会でもない限り、専門的な話なんて嫌がられるもんですよ。
まして、専門家であっても、友人との飲み会でなんで、専門的な話をしなきゃならんのだ
それじゃあ、仕事をしてるのと変わらんではないかって人もいるんですから。
昔合コンで話相手が数学教師だったから
ガウスの功績について熱く語ったらドン引きされたことがあるわ
174 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月) 03:20:33.16 0
>>169 >成果物だけ享受できれば過程は知らなくてもいいんですよ。
なあるほど、「経済的価値」「貨幣価値」に興味がおありの様子が
理解できるような気がいたします。
まあ、私自身は「楽して儲けるスタイル」という植木等の人生訓を
枕元に掲げて乗り切ってきましたが、誰もがうまくいくとは限らないかも
しれませんね。
だからといって「ロマネコンティルサンチマン」を私にぶつけられても
困惑するだけです。
「資本主義的欲望増殖システム」は「もっとこうできないかな?だったら
もう少しお金を稼げる方法はないか考えないか?」と心の中で囁きかけて来ます。
本日は本当に眠いので就寝させて戴きます。
>>170 何を急に感情論的なことを言い出してるんですか?
個々人が個々人の倫理観に基づいて正しい行動をしていると主張して
なにか困ることでもあるんですか?
だから、批難してはいけないという事にはならんのですよ。
道徳的相対論を採用したとしても。そんなの当たり前のことでしょう。
それどころか、ものすごい極端な価値相対主義を採用してもなかなかそうはなりませんよ。
悪を見逃すのも悪であり、方々の悪は我々の内なる悪が顕在化したに過ぎません
>>170 そういう極論を許容する相対主義ではないですがね。
無条件にナチスは許すべからざる悪であるとかも言いませんが。
ただまぁ、例えば快楽的な無差別大虐殺が何十万人規模でというような
「ディストピア的な事態」を仮定すれば、それは悪でしょうね。
現実はそうそう簡単に割り切れないケースが多いというだけで。
>>172 そんなにTPO(と相手)を弁えない人では無いだろうという推測の上の話でしたが。
ある程度知的好奇心のある人間とお酒を飲むならそういう事もあるのでは。
>>174 はあ。そうですか…としか言えませんが。
心身関係論を突き詰めるとオカルトになる。
意思の力が超能力となって物体を動かすというサイコキネシスの存在を証明しないといけない。
>>177 そもそも、ナチスってのは、厄介な話なんですよね。
結局、事後法により遡及処罰されることはほぼなかったので、
その意味では、正当な行為とされている部分がありますので、
正に、ある意味では、道徳的相対論を地でいってたり、なかったりと。
酒の席でも、サンデル先生の熱血教室とか見てたりするとそういう話題が
あがってもおかしくないですよ。
181 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 03:44:55.64 0
アポステリオリ
>>177 >現実はそうそう簡単に割り切れないケースが多いというだけで。
哲学板でごまかしはやめろよ。
はっきり「絶対的道徳は無い」って言いきってたよな?
「現実は」とかで誤魔化せるなら、哲学なんていらなくなるんじゃねーか?
道徳ではなく主観的嫌悪による非難でしょう
>>182 そこ突っ込みだすと厄介そうだけど、おもろそうだね。
つまり、現時点で絶対的な道徳はおそらく見つかってはいないんだけど、
今後見つかるかもしれない。見つかったとして、その時に絶対的な道徳
が出来上がったとするのか、それとも、実は昔からあったのだが、それが
発見できたとするのか。前者とするのであれば、絶対的な道徳はないといっても、
おかしくはないんだよね。
牛や豚が何十万頭、味覚と言う快楽の為に虐殺されても非難されないだろう
枢軸時代以降は真実を突きつけないことが「絶対的道徳」だろう
人類が絶滅するような時代になって、一人を残して他が死滅した時に、
最後に残された一人が決めた善悪、これが絶対的道徳となるのだろうか。
しかし、これでは社会性が無い。
絶対という概念は社会性が乏しい。ゆえに絶対という概念は道徳と反するのではないか。
道徳の言語ゲームを続ける以外にない。
188 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 07:57:48.75 0
名無しさんのレベル高すぎ〜(棒
究極の道徳とは他人と関わらないことだな
技術的特異点を迎えた後にあらゆる意味でそれを可能とする世界になると予想
190 :
…疑問じゃ…:2014/05/05(月) 10:07:58.85 0
人と関わらずに、どのようにして電子機器の操作方法、文字の読解が習得されるのか?
強いAI任せにすりゃいいんだよ
>>185 しかしよ、牛や豚が殺される「工場」をTVかなんかで見たことないよな。
社会はお笑いタレントが「うまそ〜〜!」とか言って食らいついている場面は
見せるが「潜入リアルスコープ」でだって屠殺場の映像を見せることは
絶対にしない。
深夜の「やばい〜!やばい〜!」をバックミュージックに流してる番組さえ
屠殺の場面は絶対に取り上げない。
牛や豚の道徳家が見たら、人類は悪魔の集団にしか見えないだろうな。
牛や豚を平気で食ってるキリスト教徒や仏教徒達よ。そのへんよく考えてみろやw
与党公明党=創価学会の連中はTPP交渉についてああだこうだ言う前に
もちろん屠殺場の視察ぐらいはして牛や豚の声を聴いてるんだろうなw
三匹の子豚お姉さんにきいてみよー
TPPおどりおじさんも参戦っ
道徳は個人を滅して社会を優先する。
だから道徳を持てる高貴な人間とはほんの少数しかしない。
そうい人間は、道徳を持たない人間を微笑ましくさえ思う。
「最近んのガキは道徳がなっておらん」と他人をどうこう言う
人間に道徳は備わらない。
ちょっとでも相対主義が入り込んだらイヤイヤするやつって何なの?
お子様か?
哲学より宗教の方が向いてますよ。
イヤイヤしてる人なんていたっけか?
哲学が最後に乗り越えた先にあるのは宗教、信じる事。あらゆる無限後退を避ける為にね
宗教が最後に乗り越えた先にあるのはなんだろう。身体的に死んだ事がないから分からない
結局神棚にお供え物をして安心するんだったら今からやれば良いよ。
言葉でネーミングして安心するだけの事を続けるのは見苦しいから
辞めてくれたら嬉しいよ
203 :
佐藤光:2014/05/05(月) 21:10:52.04 0
情報の媒介がスペルなのだとしたら、我々は脳ではなくスペルによって思考しているのではないか
宗教が最後に乗り越えた先にあるのは、不確定性。
起きる現象の意味は一つじゃない
真実は、いつも二つ(以上)
>>205 宗教は未来を扱う、故に過去を扱う科学では説明してはいけない。
科学手法で予知、予言するようなもの。
いくら最先端であっても予言予知はオカルトなの、これが区別できないから
たんなる思い込みの宗教としてしまう。
たとえば統計学は過去を表す学問なのにそれで表す確率的術を未来に
対して同じ過去のように比喩してしまう。
それが無学(高校以前)の知識の無能さの表れ。
未来にたいして過去のような術、たとえば計算などをしてはいけないんだよ
過去では説明できた確率の掛け算みたいな方法はまったく当てにならない。
不確定性とここで書いたのは科学用語としてではないっすよ
複数の真実を認めるって意味です。語弊があったらすません
そんなあなたに古くから2ちゃんに伝わる言葉を贈る。
日本語でおk。
ありがとw
ジュワジュワワwww
真実は無限個あるらしいよ
1=2-1=3-2=4-3=...
それトートロジーって言うんですよ。
>>206 未来を予知・予測して、コントロールするってのは、科学や学問に
与えられた使命の一つだと思うけどね。
虚数エネルギーによる物質の振動が未来予測における確率の変動を示している
しかし、人類に最終、絶対の目的がなければ絶対の道徳は無い。
絶対の道徳とかあったら怖ろしい事なんだよ。
情報が時間とは逆方向に関係しないという思い込み。
ようこそ 波平オナニーワールド へ wwwwwww♪
218 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/06(火) 01:25:14.95 0
>>160 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/05(月)
>ハードな決定論においては意志にまつわる内的な決定も外在化した行為も
単純に全て因果的必然ですから、言わば皆して哲学的ゾンビです。
決定論は全ての行為が必然という事なのですから非難も賞賛も責任も全て折込済みの必然という事で何の問題も無いのです。
自由意思が在ると言っても構わないのです、「自由意思で賞賛されたがそれは必然だった」と言うのが決定論です。
自由意思と一意的決定論は親和性があると言われる所以です。
>>21 :考える名無しさん:2014/05/04(日)
>>31 :考える名無しさん:2014/05/04(日)
この人はその辺のことを言っているのではないかと想像されます。
戸田山氏と言う人がその辺(自由意思と一意的決定論の親和性)を判ってないのではないかと言っているのでは?
自由意思が決定論と対立する局面と言うのは、意志が因果に干渉できるかどうかと言う一点です。
例えば昼にうどんを食べるかそばにするかを決める事が因果に拠らないで選択しうる事を証明出来るか否かに係っています。
この辺は
>>21 さんの
Aハードな決定論においてはそのような仮定表現的思考は成立しない
と通じます。
「もし〜あの時ああしていたら」を仮定する事が意志による選択を意味するからです。
そんな事情でじいさんは過去のレスで思考実験としてサイコロでうどんかそばを決めたら因果律がほころぶだろうと言う趣旨を述べた事がありました。
サイコロの出目は、うどんを食べたいという意思が発生させる虚数エネルギーにより事前に決定されています
>サイコロでうどんかそばを決めたら
というかその試行中に因果が破れる瞬間があるかどうかちょっと考えれば
超自然力が介入しない限りそんなことなさそうですよ?
うどんかそばを決めるためにサイコロを振るじいさんに超自然現象が起こり
他のテーブルでうどんをすする客はごく平凡な日常が進行している。
ちょっとこれはwwww
シュールすぎる!!!
面白いですね。
うどんかそばをサイコロで決めるのはナンセンス
どちらを食べると「その結果自分は満足するか」によって自由に意思するわけだから、一度食べたうどんかそばなら選択できらわけだ
食べたことがないと自由に選択する「根拠」はないかもしれないが、今までの経験を総動員して、どちらを食べるとどうなるか、は推測できる
これは因果によらない、のではなく、因果とその分岐を知った上で選択するわけだから自由な行為だ
もしサイコロによってうどんかそばのどちらかを食べるとことを強いられるのであれば、その人物はサイコロに「強いられている」わけだからまったく不自由である
もう、ちょっと何言ってるのかわかんないww
宇宙にうどんもそばもないのだよ?
世界は全てが繋がったツブの集まりで、
人間がうどんのイデアやそばのイデアでツブの集まりを切っているんだ
サイコロも国境も無い(爆笑)
宇宙の実態は脇に置いといて、現実と呼ばれる錯覚世界の法則について議論しているのです
じいさんがサイコロを振る行為は、因果を破るという、最悪、
宇宙レベルの破壊的事象が起こる恐れがあります故、
世界平和の観点から慎んで頂けると有りがたい。
一物二態は可能
過去の自分は他人と見做せる
過去は改変可能
故に「サイコロに従ってうどんとそばの両方を食べた」という事実を残す事すら可能です
これはシュレジンガーの猫だわ
サイコロに従って、うどん5割とそば5割の重ね合わせを食べたのだ
230 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/06(火) 03:02:16.23 0
>>223 :考える名無しさん:2014/05/06(火)
>その人物はサイコロに「強いられている」わけだからまったく不自由である
其の通り。
森羅万象は全て確率に支配されており 決定論は綻びがある。
従って人間の自由意思など無い、そのことは確率によって不自由なのだ(この世で賽の目はままならない)から決定論は自由意思に何の影響も及ぼさない。
これがじいさんの言い分。
しかし観念論者なので「自由意思がある」と主張することは自由である・・・と観念している。
>>230 >森羅万象は全て確率に支配されており 決定論は綻びがある。
>従って人間の自由意思など無い、そのことは確率によって不自由なのだ
本当にそうなのかな?
論理空間の中の全ての可能性があり、それを前もって熟知している前提で、可能性の中の一つを選んだとする
それって自由意思による選択なんじゃないかな?
問題なのは、通常は人類は論理空間の全てをそれが現実になる前に知ることが出来ないって点
でも、思考を十全に働かせれば前もって未来を予測し、選択肢の中から一つを吟味しつつ選ぶことが出来る
能力の限界はあるから完全に自由とは呼べないけど、「より」自由意思を働かせた選択は可能だと思う
0か1かみたいな単純な話ではなく、その中間の話もあるよね
人生の中の全てが自由意思による行い、は不可能だけど、たまにそうと呼べるような選択をしたことがある人は大勢いると思うよ
ミクロの不確定性はサイコロの確率とは別で、虚数エネルギーによる振動らしいぞ
なんだか不安な気持になってしまいました。
少なくとも、戸田山先生の言う「ハードな決定論」ていうのは、
自然現象に対する主体的なアプローチに対して、
自然現象をコントロールするものであると認識しても問題ない
と言える程度のもんよ。
不確定性ゼロの状態とは、真実が1つになる、つまり全生物の主観が1つの事象について一致すること
この状態を発生させるには無限大の虚数エネルギーが必要
意外に科学的実在論のやつっているのな。
大変だな。
238 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/06(火) 03:32:49.41 0
>>231 :考える名無しさん:
論理空間??
よくわからないけど・・・
>人生の中の全てが自由意思による行い、は不可能だけど、たまにそうと呼べるような選択をしたことがある
そう仮定するとまずい事が起きる。
人の意志で物理現象を選択できると言う事になる。
つまり意志で物質を動かせると言うオカルトを認めることになる。
やはり物質を動かせるのは物質だけで、自由意志は後追いの観念とした方が無難だ.
因果の果には不確定性が必ず付帯しているという事を忘れてはいけない。これは確率的なものではない
相対性理論では、(x^2)と(-t^2)とを同等のものと考えるので、x(空間)とit(虚数時間)を同等のものと考えます
ixと-tは同等のものかな?
>>238 >そう仮定するとまずい事が起きる。
>人の意志で物理現象を選択できると言う事になる。
>つまり意志で物質を動かせると言うオカルトを認めることになる。
?
なんで?
物理現象を選択するって何w
例えば、こんな話はどうかな…
夏休みの宿題をやらないことがどういう結果を招くのかうすうす知ってはいたが、やらなかった
俺は自由だ!って自由を満喫した
で、学校が始まって夏休みの宿題をやってなかったから吊るし上げにあって、結局全部やることになった
彼は怠惰な自分に「強いられて」夏休みの宿題をやらず、結果的に苦しむことになった
論点は彼が怠惰が原因で結局苦しむことになった、という教訓ではない
彼は夏休みの時に、宿題をやらないことで自分にどんな災難が降りかかるか知っていたとしても、宿題をやらないという選択肢がある、という点
自分がどんな目に合うか熟知しているが、それでも宿題をやらない選択を行うことが出来る
それが自由意思なんだと思うな
まぁ学生はバカだから熟知はしてないけどねw
自然は科学ではない、だが議論すると自然は科学であると誘導してしまう。
それはscienceであって、naturalではないのだよ。なんで違うもの
対極にあるものも同じ類とくくり上げるの?
現象を説明するのはそれは既に説明した時点で現象ではなく現象の解釈に
過ぎない。認知した時点で対象とは違う関係になっているのに気がつけない。
世界を合理化してしまった故に世界との関係すら論理であると
説明してしまった。それは論理であって、現象ではない。
初心に帰れ、その態度のどこに知を愛しているんだ?哲学にすらなっていない。
>>242 それは、人間を自然の対極にあるものとして設定した説明だと思うが、
それも一つの立場に過ぎない。
自然には論理がある。自然科学は自然の論理に接近する方法である。
人間も自然の論理の一部として考える。これも一つの立場だ。
初心に帰るというのも、これと異なる立場を選択しているだけだ。
>>238 世界の根源は物質ではなくエネルギーです。
物質はエネルギーの一形態。
で、エネルギーの別形態の一つが「意志」だとしたらどうです?
観測や実証が可能であるかはわからないが。
プログラムや設計図を考えればわかることです。
これらは設計者の意志・意図を情報化したものである。
では、完成した「物質由来のもの」は、システムによって動くのだろうか?
違うだろう。
システム以前に意志・意図がなければまずシステム自体が成り立たない。
これはとりあえず人工物についての話だけど、意志・意図は、架空の観念ではなく、明らかに現実に介入しているエネルギーでしょう。
245 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/06(火) 04:54:07.76 0
>>241 :考える名無しさん:2014/05/06(火)
夏休みの宿題の例はつまらない。
今此処に核ミサイルの司令官が居るとする。
その人がノイローゼになって核ボタンを押そうとする。
その場合彼の自由意思で地球の運命が大きく変わる。
そのとき物質現象の影響から独立して意志だけが決定できると思いますか?
じいさんの答えは以下の通り
意志は脳内の物質の在りようで決まる、従って物質の動きが地球の運命を決める、決定論者は必然といい、じいさんは偶然と言う。
いずれにしても本人の意思は物質に規定されている。
しかしながら本人は自由意思で選択したと信じているし、そのように意識しないとボタンは押せない。
此処で問題になるのは何故意志すると押すと言う行動になるのかだが、現在のところ科学的に解明されていない。
>>242 :考える名無しさん:2014/05/06(火)
あなたこそ初心に帰れ。
自然は哲学ではない、だが議論すると自然は哲学であると誘導してしまう。
>>245 >いずれにしても本人の意思は物質に規定されている。
それ、酒を飲みすぎた酔っ払いと同じたとえですね
そもそもその行為はまったく自由ではない
ノイローゼにボタンを押すことを強いられているから
>しかしながら本人は自由意思で選択したと信じているし、そのように意識しないとボタンは押せない。
酔っ払いは酔ってないと信じてますね
でも、私が話しているのは酔っ払った時の人の話ではなく、酔っ払ったら意識が鈍るからお酒を飲まない判断を下す理性のある人間の話をしてるのですが…
そもそも酔っ払いに自由意思を行使できると思ってるのですか?
結局「エネルギーの実態(五つの形態)=情報」と言い換える或いは変換することが可能なので、エネルギーと情報の相関関係が難しいのですよ。
「パソコンで文字を打って2ちゃんに投稿する」
これは、意志・意図のエネルギーの他、思考や文字を打つという物理的な操作を「情報」に変換しているという明らかな証左。
普通に発声して話すのも同じ。
情報とエネルギーは等価なのではないだろうか。
248 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/06(火) 05:11:14.59 0
>>246 :考える名無しさん:2014/05/06(火)
わかってないな〜
とにかくその司令官がボタンを押す自由があるといってるんですよ。
その場合じいさん的にはノイローゼだったり、酔っていたりその時の脳の物質的状況が行動を規定すると言っているのです、勿論正気で押すことも自由。
と書いて今気づいたが、
「此処で問題になるのは何故意志すると押すと言う行動になるのかだが、現在のところ科学的に解明されていない。 」
と書いたが やはり意志では行動は起きないのだろう。
脳内物質の原因で行動は起き、後追いで「意志の力」を意識すると言う事なのだろう。
全自動掃除ロボットは、じいさんからしたらシステムとして偶然・勝手に動いてるんだろうね。
仮に脳の配置で体が動く(意志となる)としてもだ、一旦情報に変換した設計図に、設計者の意志も意図も無いと言えるのかな?
全自動妄想ロボが何か言ってる
お前に設計者は居るの?
>>248 私も意志は脳内の物質の有り様で決まる、という考えに同意します。
但しその有り様は、条件分岐の集合のようなものではなく、判断の方向性や傾向
といったもので、遺伝による初期状態と、その人の(学習や思索、感情や欲求も
含めた)経験の蓄積によって変わってくるものだと思います。
そして、我々の自由意志の感覚は、実は自然法則に逆らった判断ができている、
というものではなく、他人と異なる判断ができたとか、自然に湧き上がってきた
と感じられる感情や欲求に囚われない判断ができた、というものだと思います。
むしろ法則や道理に従った判断ができたなら、合理的な意志決定ができたと、
そこに自由を感じるのではないでしょうか。
>>119 >>125 >>142 前スレで同様の質問をしておいて何ですが、機械氏の説は
確率論的には大数の強法則、物理的には保存系、で説明できないでしょうか。
個々の量子で見れば確率的な変動に見えるが、こちらが出た分あちらが引っ込む
(場の理論的には、ある箇所の偏りのしわ寄せが他の箇所に現れる)という様に
互いに連係しあうことで、その保存系の中では釣り合いがとれて、変動の総計が
ゼロになる、従ってミクロ世界での量子の不確定性はマクロ世界には完全に影響
しない、という感じです。
大雑把なもので、説明というよりヒントみたいなものですが。。。
>>248 >とにかくその司令官がボタンを押す自由があるといってるんですよ。
>その場合じいさん的にはノイローゼだったり、酔っていたりその時の脳の物質的状況が行動を規定すると言っているのです、勿論正気で押すことも自由。
なにかに強いられている行為は「自由」とは呼べないよ
酔いが人の行為を規定するのは構わないけど、その行為は自由とは呼べない、と、言ってるのだけど…
255 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 13:14:10.65 0
呼んでもいい
>>218 >決定論は全ての行為が必然という事なのですから非難も賞賛も責任も全て折込済みの必然という事で何の問題も無いのです。
>自由意思が在ると言っても構わないのです、「自由意思で賞賛されたがそれは必然だった」と言うのが決定論です。
>自由意思と一意的決定論は親和性があると言われる所以です。
そう親和性ね。あくまで。
決定論の論理的な帰結は「どこまで」か。
この問題に自覚的でない方が結構多いような。
「因果的に全ては決定している」という事は
「全ての物事に必然的な理由(原因)があり、それ以外にはあり得ない」
という事であり、それ以上ではない。だと考えます。
(じゃあ量子論はという問いについては一旦保留します。
>>245の量子コイントスの思考実験については、これは決定論
に対する決定的な反論とはならないと考えられるのですが別途。
端的に言えば充足理由律は破れても因果律は破れていないという事です。)
我々の生活世界の属する「マクロな世界」においては充足理由律が真理として成立する。
決定論的真理とは充足理由律です。それ以上ではない。
で、この置き換えに意味があるのかと言えば、少なくともここではあると思われる。
「全て決まっている」という言葉に対するセンチメンタリズムを払拭するために。
(…一意的決定論が成立するのは充足理由律からの演繹によるもので、
その充足理由律はいちおう経験的仮説です。帰納により証明される科学の法則、
つまりある入力に対し出力を「一意的に」返す方程式として表される諸法則、
を更に一般化した、帰納的経験則を束ねる一般法則であると考えます。大まかに。)
帰納的経験則を更に帰納→充足理由律
…から演繹→決定論
だとすれば、決定論は少なくとも充足理由律以上の事を論理的には言えない。
ナイジェリアで先月200人以上の女子生徒が誘拐された事件。容疑者がビデオを公開⇒ナイジェリアの女子生徒集団誘拐、イスラム過激派が犯行声明―「奴隷だから売り飛ばす」
http://on.wsj.com/1kF9OXo pic.twitter.com/0nHyblJcgz
自由って宙ぶらりんってイメージあるけど
何にでもなれる状態から好きな状態に
移行する選択も自由に含まれるよね
メタ的に見ていけば
>変動の総計がゼロになる
これは精度が低いからであって、電子顕微鏡を使えば原子1個の変動も見逃さないでしょう
因果律は破れているように見えますけどね
サイコロを振って出目を確認するという因に対する果は、「うどん0.5杯とそば0.5杯を食べる」というような記述となり事実と反する
かつて機械タンは精巧精密なサイコロがあれば出目は予測できると言った。
まさしく決定論だ。
俺は、そのサイコロを投げれば投げる程、各出目のでる確率は1/6になると
予測した。しかし、次ぎに出目は予測できない。
似て非なるものだ。
一般語では「メチャクチャ」にとらえられることがあるが、これは間違えである。
科学においてはカオスとは基本的には決定論であり、ただ、初期値敏感性が全体に複雑に無限に影響を与えるという意味であることを再認識してもらいたい。ただその計算が複雑なだけなのだ。
>>259 決定論保存の会のメンバーは6人いて、サイコロの上下東西南北それぞれの
目に当たる人が決まっています。個々のメンバーがうどんとそばのどちらを
食べるかは確率的ですが、会全体で消費されるうどんとそばの数は変わりません。
…いや、私は非決定論者なんですけどね。w
>>261 それは、どのようにして立証できたのだ。
なぜ、複雑だと無理なのだ。それは都合が良いからか?
それは、宗教じゃないのか?
メンバーの人数もサイコロで決めればいい
>>254 酔っていても判断に対する自覚があれば、それは自分の意志で決断したと感じる
のではないでしょうか。
自分の行動の原因を脳の外に求めるのか内に求めるのかが、自由と感じられるか
どうかの違いであり、自由意志について語られるときの自由は決定論か非決定論
かに関係ないものだと考えます。
>>256 ここで述べられてるのは、決定論は科学法則に対する充足理由律から得られるもの、
「なぜこの世に物理法則は存在するのか」という問いに対する「それはこの世が
決定的だからだ」という経験的な答えでしかない、ということでしょうか。
前スレで出てきた構造的経験論を、科学法則だけでなく決定論にも適用したような
感じですね。確かに経験的に決定的と見なされてきた(そして量子力学の観点から
疑問視されるようになった)と考えることもできますし、そう見なしてもある程度
問題ない、その方が都合が良いというのはありますね。
自然のメカニズムを解明する。
という問いは、自然はメカニズムであるという答えを
含んでしまっていることに気づいてはいない。
もはや、無意識の領域下でのはたらきである。
268 :
黄檗:2014/05/06(火) 19:10:14.75 0
>>261 いやちがう
カオスが決定論というのは、形而上に於いてですら怪しい。
カオスの初期値鋭敏性は、無限小の誤差が早々に結果に影響を与えるということなのだが、
そのときに、この(無限小の)誤差は、「誤差」より他の内容を持たないのだ。
実際上、どれほど精緻な測定を行おうとも、誤差の原因を想定することのできない
そのような誤差が必ず存在する。
カオスにおいて、その誤差が致命的に効いてしまう。
この内容をもって、「カオスは事実上、非決定的である」と言われるのだ。
決定論)自然=メカニズム
観念論)自然>メカニズム
270 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 19:17:49.99 0
決定論は観念論ですよ
>>268 >事実上、非決定的
これは我々に未来は予測不能なことを示すのみ
事実上というワードに惑わされたかな?
272 :
黄檗:2014/05/06(火) 19:32:13.20 0
>>271 何を惑わされたって?
予測不能云々ではなく、
誤差の無い真値なんて、あり得るのか
という話ですよ
>>272 まさにその真値があるというのが決定論の立場でしょう
そして真値があるかどうかに関わらず、我々にそれを判別することは出来ない
そんなことはとっくに周知。論点がズレてんですよ
科学は道具ですので、使えなければ意味がありません。
なぜならそれを使うのが人間であるからです。
275 :
黄檗:2014/05/06(火) 19:42:06.35 0
>>273 論点がズレてる?
いつから私は貴方と議論してるのかな?
ところで真値があるというのが決定論なのか?
小保方さんが責められたのは、
>>274のせいです。
小保方さんだけでなくなれば、いいな。平等、公平にね。
どんだけ人間臭がつええんだ。科学って。
>>275 匿名掲示板で何を言ってるんですか?それもズレてますね
278 :
黄檗:2014/05/06(火) 19:48:57.42 0
>>277 匿名掲示板だから何だって?
貴方、自分がズレてるかもしれないとか、そういう判断は無いのか?
くらだねえ言い争いでログ流すなよボケ共が
280 :
黄檗:2014/05/06(火) 19:57:38.78 0
じゃあまあ
>>277さんと
>>279さんに、ズレていない、ためになる話を一席
やってもらいましょうか
>実際上、どれほど精緻な測定を行おうとも、誤差の原因を想定することのできないそのような誤差が必ず存在する。
原因は虚数エネルギーによる物質の振動でしょう
>>261 決定論は、まずπをどうにかせい。それからだ。
283 :
黄檗:2014/05/06(火) 20:14:28.06 0
>>281 虚数エネルギーはとりあえずおいて置くが、
その振動には誤差が無いのか、という話になるだろ?
前に、セシウム時計がどうたら、とか言ってた名無しさんがいたけど
セシウム時計がどれほど精確だとしても、二つのセシウム時計に違いが出たら
どちらを絶対とすることもできなくなる。
誤差というのは、すでに形而上的なんですよ。
誤差には誤差が無いのか、という話になるだろ?
285 :
黄檗:2014/05/06(火) 20:30:14.71 0
>>284 んー
わたしは、「誤差」には誤差という意味より他の内容が無い、と判断したのだが。
貴方の言う「誤差に誤差がある」
というのはどういう状況が想定可能なのかな?
>その振動には誤差が無いのか、という話になるだろ?
貴方の言う「誤差に誤差がある」
というのはどういう状況が想定可能なのかな?
もし、πが無限桁あるとすればこの世界はその無限を含む。
もはや、クウォークなど目じゃないな。
アキレスと亀ですね
誤差が必ずあるなら、アキレスは亀の位置真値に一度も到達することなく亀を追い抜く
実存は、同じ位置には立てない。
あるかもな
雲が雲を追い抜いても良いわけで
雲か。アキレスは亀の位置には立てない。
追い抜くことはできるw
アキレスと亀の論法だと
追いついてしまうと追い抜けなくなるからね
座標のx成分について追い抜いているので真値を通過している
亀のx成分て、どこ?
上空から見て、
スタート ゴール
アキレス
亀
亀の上下に亀を貫くように直線を引けばそこ。ずれるから脳内で引いてくれ
アキレスと亀の論法だと、座標のx成分でも追いつけないけど。
これまさしく、座標導入ゆえに追いつけないよなw
なんの話だっけ?
現実では追い抜けるだろ
追いつかずに追い抜く事ができるなら見せてくれ
ワープです!
300 :
考える名無しさん:2014/05/06(火) 21:18:50.03 0
>現実では追い抜けるだろ
そうだよ。現実では追い抜けるよ。
だからパラドックスと呼ばれるんだよ。
では真値が矛盾状態で存在するという事か
あなたの言う真値、つまり亀のX成分の座標値には問題ないよ。
簡単に言えば、亀とアキレスのX成分の差(距離)を半分にして、
さらに半分にして、それが0になるまで繰り返してみてw
問題ないんだ。。。
アキレスが亀を食べれば、亀はアキレスの血肉となり位置が同一化するではないか
自然にカオスも秩序も無い。
カオスや秩序は我々の恣意的な合理化(概念)が生んでいるんだよ。
灯台下くらしもいいとこ。
おまえらの主観主義は尽きることが無い。
だから、合理化が生んだ無限とか真剣に考えてもしょうがないんだよ。
合理化自体が矛盾を呼んだということを再認識するだけなんだよ。
有限のものを無限に分割するとか実際馬鹿げている。
真値が有る事前提でないと無限に分割できないよね
別に無限に分割しなくていい
あまのさんはまた非決定に戻ったのか
>>310 概念に己が使われちゃあいけないって言ってるだけなんですよ。
へー
矛盾の1つや2つで思考停止って、そっちの方がいけないでしょ
矛盾を四つ飲み込んだら空を飛べるってばっちゃが言ってた
あ、ごめんばっちゃじゃなかった
矛盾を根拠として世界のありようを規定しようとするが馬鹿だと言ってるだけですよ。
もちろん、矛盾を含んだままでも思考は進められるよ。
というか我々の思考はそういう方法しかないわけだ。
実証や直観による補正を加えながらな。
なんで馬鹿だと思う?
あまのくんは論に対して反論しない
人が気に入らないだけ
サイコロでウボンかノバかどちらを食べるか決定する場合
出て来た食物がウボンかノバか見分けも付かず
食べても何がなんだか分からない場合はどうなるの?
うどんだそばだって言ってるのって
突き詰めると結局自分で"それが何か"を選んるだけでは?
見分けが付かないなら酒飲んでるでしょ
ウボーン(その通り)
サイコロは機械氏の言う通り予測可能でしょう。物理的に飛んで跳ねているだけですから
ロボットに振らせれば毎回同じ目を出したりできる
カオスだとすれば予測不可能
物理的な厳密性から予測可能を導くなら
物理的な厳密性で六面全てが均一な真っ白いサイコロをどう予測する?
それでも相対的に側面や裏面が出たと予測出来る?
それは単に持ち上げて、置いて、「同じ面が出た」というのと何が違う?
結局、決定論で導き出せるのはいつも
「出来る範囲で頑張りました」のトートロジー。
物理的な厳密性で六面全てが均一なサイコロを作れる前提が、
真値が存在する事だから、問題ない
サイコロ問題は、「事実判断に、知らず知らず意味を持ち込んで、その意味を根拠の一部に格上げしてしまう。」
という陥りやすい主観主義の悪影響の例として有用だね。
意味というより限られた経験による結果論かな。
自分でサイコロをどんな風に投げてもどの目も出る確率は均等に見える。
そこから、「どんな風に投げてもどの目も均等に出る」という結論を出す。
だから「どんな風に」という条件の部分をコントロールして投げるという
違う条件の試行に対しても「条件を整えて投げていなかった」自分の経験による
結果論を適用しようとする。
このマッチポンプに自分自身で不思議な感覚に襲われ、確率に自然力が備わっているなどと
ファンタジーの世界の入り口をノックする。
人間の主観の客観的な判断に対する影響力の超弩級の例だな。
確率というのは多かれ少なかれ条件を整え切れなかったこと
に対する対処療法的措置なんですよ。
334 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 00:40:03.75 0
では量子の確率分布について意見を述べてくれないか
数理記述が限界に来ていると強く思うね。
因果を生成するアクロバティックなプロセスなのであって、
純粋な確率が自然に影響するわけは無いと思うね。
科学の実在を肯定しながらも、非決定論を固く貫ける猛者はおらんかね。
マシンはマザーマシンにより作られる事によって精度を出す。
そして、そのマザーマシンを作るのは人によって精度を出す。
338 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 05:14:30.35 0
>>335 未来を数理記述できない。過去が記述できるなら未来も同じ方程式であるはず。
過去の因果律が正しいのであるならば、未来に対しても適合していいはず。
これが無理ならば過去の認識が間違っていると問うべきであると思う。
確定した過去はどう考えても間違いない過去で現在との関係は揺るぎない
因果の結果だという性質なのだろうが。重力波が観測が困難なように
過去の観測はそういう意味で認識から微妙にずれている因果関係に
なっているのかと想像している。
観測者に対する関係が正しくても観測者が現象によって変化しているならば
その観測者は現象のすべてを見ることはできない。
341 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 08:54:06.20 0
横槍だが、πが無限なら、無限が定数であり、数字が数と数の隙間だろ、と思う俺は早々に立ち去る。
>>341 分かる。数字が指すのはどこまでいってもあくまで一定の範囲
>>328 機械タンのサイコロ。
はある真値があるのが前提であり、それによって予測が可能になる。
しかし、予測が不可能であるならば、その値は
真値でないとすればよい。よってさらに精度を上げる。
このトライ&エラーを無限に繰り返せ。
でもな、そんな新値でないサイコロでも予測できなきゃ
決定論とは呼べんw
予測する必要はないんだよ
初期値が決定していればいいんだから、真値さえ見つかればいい
むしろ決定していない事を証明するべきだろう
予測されていない全く新しい存在或いは概念を生み出す事は可能か?
初期値が決まっても未来が決まっていることにはなりませんよ
346 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 19:52:03.21 0
>>1 自由意志は自由な意志というだけの事です
不自由だとしても意志は意志です
だから人間の行為の責任が免れるわけではありません
それは自由でないだけ意志なのです
自由である事が責任を貸す条件と言うわけではありません
そういう取り決めがあるかどうかだけです
347 :
考える名無しさん:2014/05/07(水) 20:00:19.07 0
>>346 突然どうした?
そりゃ現在日本はおろかあらゆる国家で人間の行為に責任は伴うぞ?
それであっての法治国家なのだから
つまりそのような無責任な社会はアナキズムでしか成立しない
法治国家では人間の行為によって責任を負うという合意がなされている
だから決定論や、自由意志の否定によって免罪を計ろうと言うものは
ただの売国奴、反日、国賊の称号を冠するに相応しい存在にすぎない
真値って純粋な「点」でしょ。
自然にはそんなもの無いでしょ。
おティンティン シコシコシコーーーー どんなもんじゃーい!
まず自由を奪っている存在を法廷に引きずり出すべきだろう
オナニーする自由は
誰にも
奪えない
じょ
352 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/07(水) 23:56:27.10 0
>>256 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/06(火)
>>245の思考実験については、これは決定論に対する決定的な反論とはならない
何故ですか?じいさん的には明らかに決定論はマクロでも破綻していると思います。
別の思考実験でもいいですよ。
人間の目は数個の光子が網膜を刺激しただけで、光を感知する能力があります、ここでは13個の光子で感知するが12個では感知しないとしましょう
今ここにゴルゴ拾三なるスナイパーが居て光を感知したら「オバーチンを射殺する」仕事を実行する手はずだとします。
A地点からゴルゴの居るBまで光子を当ててサインを送る手はずとします。
しかし途中に透過率50パーセントのガラスがあります。
そして既に12個の光子がゴルゴの網膜に届いていたとします、それとは別にもう一個の光子がガラスに当たっていたとするとゴルゴは光を感知するでしょうか?
さてこの場合、じいさんなりの問題提起のずるいやり方をしています。
ミクロからマクロへの転換に対する細工をしています。
オバーチンが死ぬか生きるかはマクロです。
光子一個の反射はミクロです。
両者の間にゴルゴと言う超自然な神懸りの正確な機械的キャラを挿入することでミクロとマクロの機械的転換を試みています。
森 光子
佐野 量子
そういうことやねんなw
>>265 >ここで述べられてるのは、決定論は科学法則に対する充足理由律から得られるもの、
>「なぜこの世に物理法則は存在するのか」という問いに対する「それはこの世が
>決定的だからだ」という経験的な答えでしかない、ということでしょうか。
論点がずれるかも知れませんが、
物理法則が「存在する」と見なされるのは
実際にそれが世界を説明できているからです。
科学理論についての実在論でも非実在論でも同様と考えます。
物質のふるまいが定式化され、一般化されたものとしての方程式において、
変数(入力)が決まれば一意的に出力が決定する。
変数は変域を持った定数なので、方程式そのものが現実においては決定的です。
変数そのものは実在しませんから。
物質のふるまいのそこかしこに方程式が発見されるので、
物質のふるまいの全ては方程式で記述できると考える。
「物質のふるまい全てが方程式で記述できる」は
現実には、つまり変数が常に何らかの定数であるならば、
「あらゆる物理現象は一意的因果関係に含まれ、他はあり得ない」
…つまり充足理由律そのものを意味します。
充足理由律が真理ならば、全ては決定している。
これで古典力学的決定論モデルが完成します。
そして脳は物質なので、脳の機能である意識現象は必然です。
観察事実→(帰納による一般化)→物理法則
→(帰納による一般化)→充足理由律→(演繹)→決定論
ですね。うーん、雑。
人間は生きてると思い込んでるけど、その根底からして誤りなんだよ。
脳を含めた肉体という物体にしろ、石油への過程にある植物も、その石油が炎へも、物質形態の過程でしかないわけじゃん。
物質は、変化し続けるだけで、死んでるとか生きてるとかは単なる人間の定義だけで、肉体って物体も水分や骨や色々と形態が変わるだけのこと。
人間精神の知覚する生とか死という概念が覆る日がくるかも。
>>352 いや、シュレディンガーの猫でいいですよ。
アルファ崩壊で猫が死ぬ装置を作れば、
量子レベルのミクロの現象は、猫の死というマクロな現象に変換されます。
で、そこでもアルファ崩壊するかしないか。
確率的な場合分けが生じるのみで猫の生死は因果律に支配されています。
充足理由律は破れていますが、因果律は破れません。
つまり確率的決定論ですね。
>>352 おみゃーホントに莫迦だな。
1個の量子が当たるか当たらないかでスイッチが入るシステムだったら
何だって結果は確率的になるわけだから、ゴルゴ十参なんかかませる必要なんか
まったくない。誰だってそんなことわかるし、じじいが思考実験ってものを何なのか
理解してないことも誰だってわかる。
シュレ猫の本当の意味さえ全く解ってないんだろうな、ホント莫迦はしぶといから
そこだけは怖いなw
>>356 コペンハーゲン解釈では観測前の箱の中の猫はマクロな現象に変換されない訳だがねw
半死半生のマクロの猫が実在しえるかどうか?がシュレ猫の思考実験の意味なんだよ
科学の方法に則っていえば、時間と空間が形式以上の、それ以上の自然力として
因果に介入するという事態が無ければ、因果はおろか充足理由律が破綻するなど無いのだよ。
シュレ猫の穿った見方はだな、結局ミクロの不確定性は因果に収束してしまうということだよ。
>>358 アルファ崩壊したか、していないかが原理的にわからないだけで、
実際の猫は重ね合わせにはならないと思います。あくまで純粋に確率的なのは
アルファ崩壊であって、それによって猫の生/死は確実に決定します。
偉大な擬似問題なのではないでしょうか。
純粋な確率とか、魔法使いや神を導入するようなもの。
昨日猫を車で轢きそうになったんだよ
あの猫車に気付いて一瞬立ちすくみやがってさ
そのまま走り抜ければいいものを
轢かれる猫ってのはああいうタイプなんだろうなと思ったね
哲学は哲学で突破しろよな。
つまんねーやつ等だな。
統一見解出てないようなもので右往左往しやがってよ。
猫内宇宙では猫は死ぬ寸前まで生きている
観測者内宇宙では半死半生のマクロの猫がいる
>>361 それって機械氏が今まで何度も言っていた説と全く同じなんだけど、それでいいの?w
以前、信号待ちで俺の前を黒猫が堂々と横断を歩いて渡りきってたわ。
さすが黒猫だ。
観測外では観測対象の客観的存在性は消失するんだよ
観測者が主観的存在性を脳内で展開して客観的存在性の代替を得ているだけだ
半死半生って、マクロ(結果)が2つ重ねあわせとか大ボケだな。
ブラックボックスだからといって開けてみて魔法が入ってるわけじゃないからね。
マクロ(結果)は観測中のデータだろ
観測外の話ですよ
>>368 それを我々は普通にこのスレでは現象って呼んでるんだよ。
主観は観念なんだから、重ね合わせ状態を観念的に意識空間内に発生させられるだろ
半死半生というのはレトリックの問題でしょう
ミクロの問題とマクロの問題の連続性について考える必要があるかも知れないな
>>354 細かい言葉の意味の話になるかもしれませんが、帰納による一般化がなされているならば、
それはもう因果律でいいように思います。
但し、一回しか起こらない現象についても理由さえ付けば決定論だ、ということであれば、
充足理由律の出番が必要になるのでしょうが。
>物質のふるまいのそこかしこに方程式が発見されるので、…
確かに、物理法則はこの世界をよく表しています。
全てを表現しきることができるかは疑問ですが、物のふるまいには「法則的なもの」は
確かにあって、部分的決定論あるいは条件付き決定論というような考えがあるならば、
それは認めざるを得ないだろうと思います。
>そして脳は物質なので、脳の機能である意識現象は必然です。
そこについては、私も(ほぼ)同意します。
量子力学の不確定性が影響を与えるとしても、それは判断にわずかなばらつきをもたらす
程度と考えています。
>>355 そこは難しいところで、非生物は外界との平衡状態へ向けて変化していきますが、
生物はそれに逆らって自己の状態を維持し続けようとします。
唯物論として一番やっかいなのは意識とか主観よりも、生物と非生物の境界にある
ように思うのです。
377 :
奇怪的唯物論者:2014/05/08(木) 02:50:38.38 0
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
意識が一番厄介だろう
重ね合わせ状態は意識内でイメージできる。これが物質には備わっていない拡張能力だ
現実空間内で重ね合わせ状態を再現してみせてくれ
うどんとそばは重なると何になるのかね?
379 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/08(木) 04:19:41.56 0
いわゆる確率的決定論は決定論とは言わない、機械さんも認めていないし。
決定論とは一意に決定すると言うことである、確率と言う蓋然性を否定し必然と言う訳である。
以降貴方は決定論の言葉は慎むように、必ず確率的決定論と言う言い方をして下さい。
>>356 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/08(木)
>確率的な場合分けが生じるのみで猫の生死は因果律に支配されています。
あのですね因果に確率が入ると全く因果関係は問えなくなるんですよ。
良いですか自然現象は絶え間の無い因果の連鎖です。
確率によって連鎖の先には無限の組み合わせが結果として出現します。
長いビッグバンから現代までの間に一回だけ確率が入り込んだのなら「確率的決定論」などと言って済むかもしれません。
しかし連続する事象に多くの場合(一意的に決定する事象も確かに多い)に確率が入り込めば「確率的決定」ではなく確率そのものに収束するのは子供でもわかる。
380 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/08(木) 04:36:49.20 0
ビッグバンを原因として今じいさんが生きているのは極めて少ない偶然の結果である、これがじいさんの立場。
その因果は必然だと言うのが機械さんの立場、中間の立場は無い。
381 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/08(木) 11:00:41.68 0
>>245 じいさん 概ね賛成なのだが。
>意思は物質に規定されている
「規定」という言葉が曖昧なのである。「一意的決定」という意味も含まれるからだ。
機械氏をはじめとする因果的決定論者たちも、同じいい方をするだろう。
“物質のありよう”は意思の可能性(限界)を定めはするものの、一意ではない。
特定の意思をもつにいたるのは確率的であり、偶然の所産と呼ぶしかない。
身・心の関係を法則化できないのは、それゆえである。
382 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/08(木) 11:30:09.09 0
>>361 >純粋に確率的なのはアルファ崩壊であって
「それによってネコの生死が決定する」のなら、マクロ現象は偶然の産物ということになる。
>>376 「脳は物質なので」その機能によって表出される“意識”に一意的必然性はなく、確率的である。
一意・因果的にしか現象を捉えられないのが機械氏とは逆の意味で「観測問題」なのだろう。
運命に運ぶ命と運ばれる命あり。
自ら・自ずからという能動・受動は、一より出ずる。
従って、偶然・必然も一より出ずる。
人は不確定な一面を観ては偶然だといい、確定的な一面を観ては必然だという。
運命という折衷案が私の立場。
384 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 14:48:48.58 0
>>383 自ら・自ずからという能動・受動は、「 一」より出ずる。この言葉の意味を
「実体二元論」に対して、どう解釈すべきでしょうか。
何かに「動かされる」と、動かされたものは、それと同時に「動く」という指向性が備わる。
しかし、その何かもまた、動くという指向性の基に動かしたのであり、指向性を持つものは「自ら」動いているのでもあり、新たな指向性を創る。
どの一面を観るかで偶然と必然に分岐しているだけ。
>>384 主観(観念)と客観(自然)の実体二元論のこと?
私はその立場ではないからなんともいえないな。
何を選ぶにも自由だが、その選んだ結果までは自由にはならないと言うのが
真の自由だ。
1枚のコインを宙に投げて、表が出る確率は50%。
1億枚のコインを宙に投げて表と裏の数が同数になる確率はほとんど100%w
コインの数が多くなるほど100%に近づく。
これを式で表すと?
387 :
考える名無しさん:2014/05/08(木) 18:31:38.29 0
___________________
|| ||
|| ||
|| やっぱ、中学生だったかねは交際だ ||
|| ||
|| ||
|| ||
〔二二二二二二二二二二二二二二二二二二二〕
>その因果は必然だと言うのが機械さんの立場、中間の立場は無い。
井戸の中に蛙を落とした場合、餌は充分にあるという前提で、蛙の運命は偶然と必然のどちらになるのかな
>>386 無限/2=0.5
両辺に2を掛けて
無限=1
∴妄想=妄想
/ ̄ ̄ ̄\
/ノ / ̄ ̄ ̄\
/ノ / / ヽ
| / | __ /| | |__ |
| | LL/ |__L ハL |
\L//・\ /・\V < ほれ、実験ノート オマエラもこれくら書ければなぁwww♥
/(リ ⌒ 。。 ⌒ ) r‐-、r‐-、r‐-、r‐-、
| 0| __ ノ!┌───────┤ || || ||_..._|‐───────┐
| \ ヽ_ノ /ノ | .|_...._|| ||_...._|ヽ_,ノ. .|
ノ /\__ ノ丶 /| / ̄\ ヽ_,.ノ|.-‐.|ヽ_,ノ |
( ( / | V Y V | i | | し J . `ー' : |
)ノ | | ___| | |. | / ヽ-、 : |
| ( ) .|. | | |_ノ : |
| (| .| : |
>>379 >以降貴方は決定論の言葉は慎むように、必ず確率的決定論と言う言い方をして下さい。
これは
>>376 に向けたレスでしょうか。
ここで述べたことは、科学実験のように環境を整えて期間を限定して誤差を設定した
状況では物理法則はよく再現されるので、そのような条件付きの状況下では決定的と
見なすこともできる、非決定論だからといって全く無秩序な世界を想定しているわけ
ではない、というほどのことです。
紛らわしかったようですが、確率的決定論とは異なる意味で述べています。
>>376 で
>細かい言葉の意味の話になるかもしれませんが、帰納による一般化がなされているならば、
>それはもう因果律でいいように思います。
と書きましたが、
>>354 は
>物質のふるまいのそこかしこに方程式が発見されるので、
>物質のふるまいの全ては方程式で記述できると考える。
という仮定に基づいた推論を使っているので、充足理由律になるのですね。
ここでの推論は帰納推論ではなく仮説推論とするのが適していると思います。
こういう形の道路があったとする→ 田
選択肢から選ぶ自由はあるとする
果たして自由に動き回っていると言えるのかな
はたしてそうかな?
そこには「止まる」という選択肢もある。
これは、どんな道も選ばない。
右か左か迷ったら、前に行け。
道が無くても前に行け
ループに収束するなら、確率的決定論は決定論とみなしてもよさそうですが
例えば、テレビ番組はどのチャンネルを選択しても自由は無いのではないか
>>379 >いわゆる確率的決定論は決定論とは言わない、機械さんも認めていないし。
「機械が認めていない」がどういう理由になるのか知りませんが、
シュレディンガーの猫の思考実験において、
猫が亡くなっているという状態と生きているという状態、
そのいずれかに事態が収束することは「決定してい」て、
そのいずれかしかありません。
>あのですね因果に確率が入ると全く因果関係は問えなくなるんですよ。
猫は毒ガスで死にました。
毒ガスはガイガーカウンターの作動がスイッチとなりました。
ガイガーカウンターはラジウムが崩壊時に放出したα線で作動します。
ラジウムのα崩壊は純粋に確率的に起こりますが、
猫が死ぬのは馬鹿馬鹿しい装置の中で崩壊したラジウムが原因であり、
ラジウムが崩壊しなければ猫は生きたままです。
崩壊したラジウムか、崩壊していないラジウムか、
そのいずれに対しても一意的に結果は決定します。
なぜ「全く因果関係は問えなくなる」のか、私には分かりませんね。
>良いですか自然現象は絶え間の無い因果の連鎖です。
良いです。
>確率によって連鎖の先には無限の組み合わせが結果として出現します。
単に組み合わせというか「場合」?
量子スケールで見れば場合分けは際限なく起こるでしょうね。
ある確率で状態Aに移行し、(1−ある確率)で状態Bに移行する。
これが確率的決定でなくして何なんでしょうか。
>以降貴方は決定論の言葉は慎むように、必ず確率的決定論と言う言い方をして下さい。
だが断る。
>>393 >ここでの推論は帰納推論ではなく仮説推論
いいな。
いや、帰納推論だと思いますよ。
充足理由律は経験則です。
>>400追記
>ある確率で状態Aに移行し、(1−ある確率)で状態Bに移行する。
とは一つの量子の状態についての説明です。
なのである一時点から完全予測を試みるならば、場合の数は際限なく大です。
各々の確率的事象について、その事象は状態AかBのいずれかにしかならず、
因果律は破れませんしその意味で決定論も破れていません。
「ラプラスのデモンが少し頑張れば済む」ような事です。イメージ的に。
物理的記述において重ね合わせ状態になる時期が有るのは事実
重ね合わせ状態のままで、猫は古典的物理運動を行えるようである
>そのいずれかに事態が収束することは「決定してい」て、
永久に開けなければ収束しないでしょう
>>402 量子なら、ね。
猫を重ね合わせとして物理的に記述できません。
崩壊と同時に「重ね合わせの状態」は解消します。
あくまで、「重ね合わせ」であるのはラジウムの状態のみです。
マクロの対象(猫)が「重ね合わせ」であるタイミングは一瞬たりともありません。
とすると、遅延選択実験によりラジウムの崩壊の事実を過去にさかのぼって改変する事が可能なはずだから、
ラジウムは発射されていないのに猫が死んだ、というパターンが発生する
ガイガーカウンターが因無しで勝手に作動したという事になりますね
重ね合わせ常態とは、おそらく主観を排するという特徴をもつ古典的自然科学の事情に配慮されたことにより生じた比喩的表現です。
で、ガイガーカウンターは何も検知しなかったのに作動して良いの?
故障とみなすのかな
408 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 00:16:12.86 0
>>81 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/08(木)
>「規定」という言葉が曖昧なのである。「一意的決定」という意味も含まれるからだ。
仰るとおりじいさんは規定は一意的決定だと思います。ですから・・・
>“物質のありよう”は意思の可能性(限界)を定めはするものの、一意ではない。
反対です、環境が精神を一意的に決定する。
ですから自由意思など在りはしない。
だから意志に確率を持ち込むことは禁止、確率は物質現象にのみ現れる。
「特定の意思をもつにいたるのは確率的」だとすると、意志が次の意志を決める時も確率になってしまうでしょ、とんでもない。
意志は常に一意的に統一されていないと個人の同一性も保てないし人格は崩壊する。
じいさんは「人間は確率を超えられない」と言う、心は確率が大の苦手で真の意味で理解、納得することは出来ないのでは?と思っている。
脳の構造が確率を受けつかないのではないかと想像します。
一方人は情として自由意志感を持つ、それは「私は私だ」と同じく根拠の無い直感(感覚=感情=本能)である。勿論その思いは物質に規定されてはいるが物質に還元できるものではない。
機械さんが唯物論者なので「眠い」と言えずに
「脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。」としか言えないのと同じだ、同じ事象のことを言っているが別範疇の表現、「睡眠物質の蓄積」が一意的に「眠い」を誘発するがどうやっても「眠い」を物資に言い換えたり戻したりすることは出来ない
・・・ところが・・・・
>>174 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/05(月)
>本日は本当に眠いので就寝させて戴きます。
とつい言ってしまっているので彼の嫌いな「観念論者の徒労」をやってしまったようだ。
阿呆は黙ってろよ
ラジウムが崩壊した因果を語ってみろ
pか非pかが観測によって決まるような状態とpであり非pであるような状態を区別しなければいけない。かなり注意深く。
>ラジウムが崩壊した因果を語ってみろ
マクロの因果について語っているのですが
重ね合わせ状態を認めることは決定論の敗北だけど、観測がpか非pを決めてしまうことを認めるのは
古典的自然科学の敗北ではあっても決定論の敗北ではない
因果というのは破るというより拡張していくものなんだよ。
それが科学でしょう。
哲学が科学の一進一退に右往左往するのも間抜けなことだ。
数理記述の根底は結局経験則だ。
最終的には言語記述になる。
量子消しゴムによりラジウム崩壊の事実を消すとこうなる
1.
ラジウム崩壊(因A)
↓
ガイガーカウンター作動(果A)(因B)
↓
猫死亡(果B) ←観測(因C)
2.
ガイガーカウンター作動(果C)(因B)
↑ ↓
↑ 猫死亡(果B)
↑
↑
観測(因C)
415 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 00:44:13.48 0
>>392 :佚 ◆foXa6T3AM7uJ :2014/05/08(木)
>これは
>>376 に向けたレスでしょうか。
いいえ違います。
>>399 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/08(木)
>>400 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/08(木)
>崩壊したラジウムか、崩壊していないラジウムか、そのいずれに対しても一意的に結果は決定します。
そういう場合一意的とは言いません。
崩壊すればネコは死に、しなければネコは生きる、コレは二つの結果の可能性を示して一意でないんです。
思考実験の趣旨が判ってないです。
ネコ論争の両方の科学者も貴方の様には論じていません。
>>401 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/08(木)
>>ある確率で状態Aに移行し、(1−ある確率)で状態Bに移行する。
とは一つの量子の状態についての説明です。
なんかおかしいな・・・
一つの量子の状態がネコの死の状態Aとネコの生の状態Bに分かれるでしょう?
ネコが死んで飼い主が泣く状態AAと泣かない状態ABに分かれるでしょう?
飼い主が泣いた後腹を立てる状態AAAとあきらめる状態AABにわかれる・・・
腹を立てて実験者に復讐に成功する状態AAAAと復讐に失敗する状態AAABに・・・
瀕死の実験者が死ぬAAAAA、助かるAAAAB・・・・
・・・・・
一つの量子の状態についての結果は際限なく非決定の広がりを見せるでしょ。
量子力学問題でいう観測とは対象を捉える部分に限らず観測行為全体をさしているはず
因果は結果論なんだよ
人間にとって意味のある因果というのは、辿ることのできる因果のこと
複雑であったりして辿りけれないものからは、因果を解明できない
マクロとミクロといっても、それは人間が分けて考えたもの
人間が考える場合は常に人間によって考えられた理屈ということを前程にすべき
だからこそ因果を拡張し過ぎると、理解出来ないこともたくさん出てくる
因果すらじつは人間の概念のなのだから
>瀕死の実験者が死ぬAAAAA、助かるAAAAB・・・・
全員を井戸の中に放り込めば広がりは収束するぞ
それでだな、地球は大きな井戸か否か
419 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 02:19:28.84 0
視
>>415 >そういう場合一意的とは言いません。
>崩壊すればネコは死に、しなければネコは生きる、コレは二つの結果の可能性を示して一意でないんです。
うん。なのでラジウムが崩壊するかしないか、
極めて明確な二つの場合分けを行い、
「それぞれに対して」一意的因果関係が成立すると言っているんです。
>思考実験の趣旨が判ってないです。
>ネコ論争の両方の科学者も貴方の様には論じていません。
正しい趣旨と解釈について教えていただければ。
私の考え方の何が誤りかについても。
>なんかおかしいな・・・
>一つの量子の状態がネコの死の状態Aとネコの生の状態Bに分かれるでしょう?
そうですね。
量子については重ね合わせからの確率的移行を認めます。
「不安定な」ラジウムの原子核内からα粒子が、
ラジウム原子核内に働く核力がα粒子の離脱のエネルギーに対し、
常に大であるポテンシャル障壁となりそれを超えられないはずが、
量子スケールでのエネルギーの揺らぎによって場合により
それを超えて離脱してしまう事がある。
それがいつかは予測できない。
という枠組みで、充分に理論的に因果関係は説明されているかと思います。
トンネル効果が発生するタイミングが分からない→原子核崩壊は確率的に起こる
ということであり、これは量子スケールに限定される現象です。
ラジウムが崩壊するかどうかは「重ね合わせ」です。
ただし、猫の死に帰結するのは崩壊したラジウムです。
この段階でラジウムは重ね合わせの状態では無くなっています。
で、ラジウムの崩壊以降は量子スケールの事象ではありません。
猫の生死の「重ね合わせ」は主観である。
これが一つ。
で、その後あなたの挙げた場合分けは量子スケールの事象に伴わない主観です。
「重ね合わせ」ではないし、そもそも原理的に確率的でない。
これが二つ。ですので…
>ネコが死んで飼い主が泣く状態AAと泣かない状態ABに分かれるでしょう?
分かれません。
>飼い主が泣いた後腹を立てる状態AAAとあきらめる状態AABにわかれる・・・
わかれません。
>腹を立てて実験者に復讐に成功する状態AAAAと復讐に失敗する状態AAABに・・・
わかれません。
>瀕死の実験者が死ぬAAAAA、助かるAAAAB・・・・
わかれません。
>・・・・・
わかれません(おそらく)。
>一つの量子の状態についての結果は際限なく非決定の広がりを見せるでしょ。
わかりません。
422 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 08:26:49.86 0
423 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/09(金) 09:27:34.26 0
>>420 ラジウムが崩壊すればネコは死に、崩壊しなければ…云々、というのは崩壊“後”の話だが、
「ネコの生死は、そこにかかっている」のは君も認めている。(崩壊の有無がネコの存否を一意
に決めるとはいいかねるが一応、よしとしよう)
しかし
>>409の指摘のように崩壊の有無の“因”は不明、というよりも“偶然”なのである。
“確率的”とは、或る事態に落着する必然性がないことを指している。
やさしくいい直すと「崩壊すれば死に、逆なら生きる」としても、生死の原因である崩壊という
事態の有無が偶然の産物である以上、その結果(生/死)もまた「偶然」というしかあるまい。
424 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/09(金) 10:38:27.26 0
>>408 「環境」という言葉が曖昧だが(ヒトとの関連で述べるなら)それが規定するのは
脳を含む身体の状態だろう。身体は“物体”なので、確率的に(偶然)或る状態
を強いられ、別の状態へ(確率的に)変移する。つまり環境と身体の状態は一意
に結ばれてはいない。規定はするけれども“確定”はしない、といってもよい。
では、環境に規定された身体が“心”をどう規定するのか。環境が身体を規定
するよりも、もっと不確定、いいかえると“自在”性を許容するのではないか。
脳を含む身体の状態から心的状態を演繹するのは不可能なのである。じいさん
のいうように「一意的」なら身・心問題は早晩、決着するだろう。
比較的、身体の状態と直接的な結びつきを示すのはクオリア(感覚的差異)。
が、じいさんが重視する感情は、クオリアに対してヒトごとに異なるし、同じ
ひとでもそのつど差異がある。まして観念となれば…
環境は身体の状態の可能性(限界)を規定する。身体の状態は“心”に可能性を
設ける(だろう)が、前者よりも不確定、というか“野放図”なのである。w
人間がネコの生死を決めるなど
おこがましい事だと思わんかね
死を回避しようとし、生を存続させようという呪縛を観念で捉えるのは人間の世界だけだからいいんじゃない?
427 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 13:35:45.39 0
>>420 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/09(金)
>極めて明確な二つの場合分けを行い、「それぞれに対して」一意的因果関係が成立すると言っているんです。
そりゃあ何だって場合分けして 結果論なら一意的ですよ、誰も反論しません。
一意的と言うのは原因と結果が一意と言う事です、場合分けが一通りしかないと言う言葉の定義みたいなものです。
事象に原因と結果があると言いたいのは判りますが、じいさんは興味ないのでご勝手に。
>>417 :考える名無しさん:2014/05/09(金)
>因果すらじつは人間の概念のなのだから
これが正解では?
とにかく貴方の言っているのは一意的決定論ではないのだが・・・。
いはゆる一因多果と呼ばれているケースですよ。
>>421 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/09(金)
>その後あなたの挙げた場合分けは量子スケールの事象に伴わない主観です。
実験者が死ぬ死なないも主観ですか?
ラジウム一個の崩壊がネコの生死の結果に影響する事を認めた貴方が、飼い主への影響と言う結果に「ラジウム一個の崩壊」と言う原因性を認めないのはおかしいでしょう??
全ての原因と結果は連鎖してるんでしょ?
唯物論は世界を所与のものとして捉えるが観念論は世界そのものの存在を疑う。
したがって両者は水と油のように決して交わらない。
どちらもどちらを反駁できない。
429 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/09(金) 14:20:26.76 0
>>424 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/09(金)
>「環境」という言葉が曖昧だが
曖昧でなく物質環境全てと言う事です
>身体は“物体”なので、確率的に(偶然)或る状態を強いられ、別の状態へ(確率的に)変移する。
其の通りで、身体が・・・「別の状態へ(確率的に)変移する」ならば心も変移する訳です。
>環境が身体を規定するよりも、もっと不確定、いいかえると“自在”性を許容するのではないか。
じいさんは一意的だとひらめいていますが、この辺の問題はとても興味深いですね。
このスレの肝の所だと言う考えが今日はしています。
>脳を含む身体の状態から心的状態を演繹するのは不可能なのである。
演繹・・・が微妙な表現ですが、要は脳内睡眠物資の状態で眠る事は一意的に決定するけども、絶対に「眠い」と言う心を説明出来ないと言う事です、心身二元論です。
>じいさんが重視する感情は、クオリアに対してヒトごとに異なるし、同じひとでもそのつど差異がある。まして観念となれば…
逆だと思います、クオリアは個性的ですそれは個人個人の物質的在り様が千差万別だからだ、指紋が違えば感情、クオリアも変わる。
しかし 高度な観念、概念となるとそうでもない。
経験した色々な認識(知覚)はより高次の心の活動によって、その纏わり付いている個性的な感情(クオリア)が削ぎ落とされていく、要するに抽象化されてより普遍的な観念=概念になって行く。
その場合他人と分かり合えると言う可能性が出てくる。
じつはこのような心の働きそのものは必然か偶然かと言うと・・・
脳内の活動も物質(電気信号、化学物質、脳神経構造)の動きで決まっている訳でその限りで偶然性が入り込んでいる訳で、其れに一意的に心が対応していると考えればよい・・・・と今のところ考えています。
蛇足:したがって先験的認識ななどと言う発想は馬鹿げている。
>絶対に「眠い」と言う心を説明出来ないと言う事です、心身二元論です。
いえ説明したら100%否定するから説明できないと言い張るのです。
>蛇足:したがって先験的認識ななどと言う発想は馬鹿げている。
これは詳しい説明そのものです、本人は単に好き嫌いで物事を判断しているということ。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
自在性とやらは過去を書き換えられるのかね
サイコロを何万回振っても、過失や犯した罪は拭えないし、実績も数字としては減ったり増えたりしない
主観的な評価はサイコロで変化させられるかもね
じいさん、いつから唯物論者に・・・・
偶然や確率は、情報の少なさの報告以外の何物でも無い。
物質というのは相互関係の中にしか無いわけだが、偶然というものがそれに介入
するということは物質が物質でなくなるという意味に他ならない。
主観主義がちょっと領空侵犯してるな。
これは科学より高次からの哲学的言明である。
はいはい、そうなんでしょうね
あまのさんが言うのだから
w
純粋な偶然というのは物質の本質を破壊するものだ。
確率的というのは、情報が少ないという主観的な事情の表現だ。
似て非なるものだ。
隠れた変数理論は否定されつつありますよ?
我々に情報が無くて確率的に見えるのでは無く、
物質(量子)は本質的に確率に支配されているという見解が主流です。
純粋な確率とか偶然とか、好き放題に言ってるが、
二つとも同じ意味のいわゆるおかしな観念だろう。
あまのさんの場合、根拠も信念もなく
とりあえずいっちょ噛むだけが目的ですからね
だからね、お前は科学の太鼓持ちかと。
統一見解などまだまだ先の話なんだよ。
この臆病者が!!!!w
何のために哲学やってんだよ!!!
とっととやめちまえ!!
かぁあああ、ぺっ!!
>隠れた変数理論は否定されつつありますよ?
はぁ?
何だこの自信の無い厚顔無恥な日和見は。
情け無〜ww
もう哲学は科学の後追いしかしません
お前は去年の俺か!!!
違いますよ、科学はいつだって哲学の手足です、部下です、奴隷です。
手足が仕入れた情報を哲学に還元しているだけの道理です。
情け無〜ww
で反論したつもりになれるのだから
得な性格ですよ
>>445 科学が哲学に影響することはあっても
その逆はもはやない
まあこれは300年前からずっとだけど
科学の最先端は常に哲学的ですよ?
>>447 科学の先端が哲学的であるが故に
学問としての哲学は用なしなんですよ
まあ860氏がやってる様な哲学は不要でしょうね。そこは同意です。
まず哲学を哲学するところから始めた方がよろしい。
ヘーゲルが、フッサールが、ハイデッガー、ベルグソンが
20世紀に起きた科学の大変革に少しでも寄与しましたか?
1ミリもしていません
音楽が書道を変えたか?
何言ってんだ
脳が目や耳の性能に直接影響することがありますか?
目や耳が捉えた情報を処理するのが脳の役割というものです。
一方、哲学はと言えば、量子論の登場に大パニック
もうどう折り合いを付けて良いか分からない
あげくに、超心理学のような様相に救いを求める始末
分からないことを分からないまま分かったことにしようぜ、って
話になりませんよ
科学バカ
お前の話の前提になる
科学要素が
お前が全く見た事もない知らない事に気付け
科学も、言ってみれば、数理記述で書かれた精度の高い経験則。
しかも量子力学の記述はほとんど、学者のデッサン力合戦の様相を呈している。
本人たちも、自分が何をしているのか良くわからないスケッチ大会だ。
おまえ、そんなのがラストワードでいいのか?
つまんねー野郎だぜ。
科学を学ぶことでしか、世界の仕組みについての哲学は豊かにはならない
そこから逃げて外から科学を眺めた印象を表現しようとしたって
そんなものは観客席で野次をとばしてるおっさんと同じ
泣き言言われても困るしつまんない。
460 :
考える名無しさん:2014/05/09(金) 23:08:52.38 0
>>428 そうかな?
唯物論的観念論や観念論的唯物論はあると思う
そもそもここで言われている唯物論も非常に観念的なものだし
それは浅薄な科学主義とは違うのよ
音楽が書道を変える
あるんじゃない
最近は書道にもパフォーマンス部門とかあるし
「とめはね」
科学よりプロの勘や老人の経験則、オカルト的未来予知の方が優れているのでしょうか?
何故そう思い、ここで問うことを決意したのか
教えて欲しいものだ
プロの勘や老人の経験則は、隠れた変数的な値を科学より高精度で導き出すのではないか
科学しか信じないってヤツっているけど正気なのかな。
宗教信者に対するのと同様な恐怖を感じる。
そんな人がいるんですか
印象だけで判断しているのでしょうね
>>460 >唯物論的観念論や観念論的唯物論はあると思う
例えばどんなのが?ここで言われてる唯物論は浅薄な科学主義と違ってどう観念的なの?
468 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 02:05:36.00 0
っは?
アレだよ。だいたい〜論とか〜主義とかいうのは、ある同じような方向性を示す
理論群みたいなものの総称として用いられているような場合が多いじゃん、
とか、そういうことを言いたいんだよきっと。
>>466 あまのさん、信仰ってのはね。悪いもんじゃないよ。
我々も多かれ少なかれ持ってるもんなんだし。
哲学なんて言ってると、そういう信仰みたいなものが薄くなってくる気がする。
それは、幸福なことじゃなくて、むしろ不幸なことなのかもしれない。
だって、ほら、真面目な人はうつ病になりやすいとか言うし、ギャンブルで当たり
を引くように操作できるとか思ったりする、コントロール幻想がある人のほうが、
うつ病になりにくいって言うじゃん。
なんかね、この板で、ツッコミを入れてると、実は、その人の大切な信仰を壊してる
だけなんじゃないかって不安になるときがあるわ。
信仰に生きる希望を見出すことは悪い事じゃないかもしれない
ただ、信仰に大幅に拠らない客観的な観念は
人間にとって厳しいものにならざるを得ないということでしょう。
473 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 09:05:29.01 0
人の信仰心は厄介だな。殆どの場合が依存心。根も葉もない幻想的な希望を救いと定めて盲信する様子、浮かばれない残留思念、幽霊と同じ。
この世にしがみつく恐怖に駆られたそれら怨恨・自縛の霊魂を、成仏させるために、その嘘の信仰を引っぱがし、ぶっ壊す。
救いも無い。救われない。藁をも掴む形相で握ったそれは、身を守らない。失った身体を忘れて未だ残り続ける負怖の念。
そいつらを焼き殺してリサイクルするお仕事も、疲れる。
そんな仕事があるんですか
475 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 09:38:33.14 0
俺はプロじゃ無いけど、プロで金もらってる人もいる。
そんな仕事があるんですよ。仏教とかそういうレベルの信仰では太刀打ちできない世界。
なんせ、生き霊も相手にするから。相手、生きているから。
その仕事は頼まれてやってるのですか
それとも好きでやってるのですか
477 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 09:45:33.86 0
プロの人は頼まれてやっている。俺などは、平地のモンスターを狩るようにやっている。
悪趣味とは思いませんか
479 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 09:50:08.47 0
光と闇は党派ではない。謂わば、光が通るとその道にいた闇は勝手に死ぬ。それだけのこと。悪いとは思ってない。
他人の無害な信仰を壊すことで
貴方はようやく自分を支えているのです
依存症ですよ
481 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 09:53:29.51 0
違うね。俺を前にすると、弱者が存在力を失う。それだけ。弱肉強食の精神的回路での自動作用。
無垢で愚かな相手なら、それなりの達成感も得られるでしょうが
相手によっては、貴方は自分の頭の悪さを自覚するだけ
ということにもなりますからね
お気をつけなさい
483 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 09:56:46.90 0
俺に楯突く奴は五万といる。そいつらの文言も似通っているので、同系のパターンとして括り、まとめて始末する。
要は俺もその自動作用のシステム内部の要素に過ぎないってことだ。
だから、俺がどうこう、だとか、全くの見当違い。弱い奴が消えていくだけ。そういうシステム。
自分の文章を見直してごらんなさい
頭が悪そうな文章だとは思いませんか
多分自分ではそう思わないでしょう
でもそう思って、鼻で笑ってる人もいますよ
485 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 10:10:55.00 0
鼻で笑う人間の自尊心と価値観が、討伐すべき固執された自縛霊の信仰。
まあ、死者の側となるおまえ共には理解できないだろうがな。
信仰心なんかより
捻じ曲がった劣等感の方が余程やっかいですね
>>427 >そりゃあ何だって場合分けして 結果論なら一意的ですよ、誰も反論しません。
いや、結果論ではなく過程です。
>とにかく貴方の言っているのは一意的決定論ではないのだが・・・。
>いはゆる一因多果と呼ばれているケースですよ。
量子のふるまいについてはね。
シュレディンガーの猫においてもそうですが、
量子スケールの「重ね合わせ」をマクロ世界が
そのまま引き継いでいると考えるのが間違いという事です。
量子スケール起こることは確率的ですが、因果律は成立するので確率的決定論の世界。
シュレディンガー猫の思考実験でも、
半導体がリーク電流で故障するでもいいですけども、
量子スケールの現象がマクロに影響を与える事はあります。
ただし、マクロ世界の現象においては充足理由律が成り立つので、
その因果関係は一意的です。
全てが一意的であるとか、全てが確率的であるとかではなく、
マクロ世界で閉じている事象、古典力学で説明できる事象については
一意的決定論を入れておくという事ですね。
488 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 10:19:51.63 0
俺は光だ。お前は俺を前にして、醜く屈折した理解を反射している。
理解は成されていない。影であるから。
オン ベイシラマンダヤソワカ
戦意を上げる毘沙門天の真言だ。
オンアボーギャベイロシャノウマカボーダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン
光明真言だ。お前を焼き尽くす。
般若心経も暗記している。
お前の捻れは、何らかの理由で実現できない知的な弊害が他人に助けを求めている。
だが、断る。お前なんて放置されて、永遠に苦しめ。
へいへい
さて勉強しよう
>実験者が死ぬ死なないも主観ですか?
>ラジウム一個の崩壊がネコの生死の結果に影響する事を認めた貴方が、飼い主への影響と言う結果に「ラジウム一個の崩壊」と言う原因性を認めないのはおかしいでしょう??
>全ての原因と結果は連鎖してるんでしょ?
いや、実験者が死ぬ死なないの場合分けetcについて
確率的と考えるのがあなたの主観だと言っています。
ラジウム一個の崩壊は純粋に確率的ですが、その後の事象はそうではない。
この区別を導入しないと、ラジウム一個の崩壊が
ガイガーカウンターを作動させるかどうかも量子論で説明することになります。
量子以外の対象に「重ね合わせ」を認めてしまうという事ですね。
491 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/10(土) 12:43:48.20 0
>>490 >ラジウム一個の崩壊は純粋に確率的ですが、その後の事象はそうではない…
ここが変なのである。そのいい方だと、崩壊後には量子スケールの事象が消失してしまうかに聞こえる。
ラジウム崩壊いかんにかかわらず、量子的振る舞いは存続する。ネコの生死が量子的それによって帰結
されるように、その後のネコの(俗にマクロ的と呼ばれる)生態も、量子的事象に規定される。「マクロは
ミクロの結果」というのは、そういうことだろう。
量子的事象が確率的、つまり一義的でないのは君も認めている。ラジウムの崩壊の有無に必然性はない、
といいかえてもよい。どちらに転ぶかは“偶然”なのである。この偶然によってネコの生死は決まる。
したがって、生死もまた偶然の産物である。このことを一般化するなら、マクロの事象は量子的“偶然”
によって支えられている… ヒトに現象するのは“隠れた偶然”のうえに推移する事物の連鎖。それを
“因果的”と称している。
古代因果帝国
キャラ変更か
>>491 >ここが変なのである。そのいい方だと、崩壊後には量子スケールの事象が消失してしまうかに聞こえる。
なぜ。消失しませんよ。
>量子的事象が確率的、つまり一義的でないのは君も認めている。ラジウムの崩壊の有無に必然性はない、
一義的…まぁ、はい。
>といいかえてもよい。どちらに転ぶかは“偶然”なのである。この偶然によってネコの生死は決まる。
偶然…まぁ、はい。
>したがって、生死もまた偶然の産物である。このことを一般化するなら、マクロの事象は量子的“偶然”
>によって支えられている… ヒトに現象するのは“隠れた偶然”のうえに推移する事物の連鎖。それを
>“因果的”と称している。
うーん。
とりあえずですが、
「ラジウムの崩壊」についてあなたは
ラジウムの崩壊に原因が無いとか思う訳ですか。
で、「ネコの生死は偶然の産物」という表現について。
ラジウムの崩壊は確率的であり、後は全て必然である、
これはあなたが「隠れた偶然の上に〜…」というのと
同じような意味かと思いますが、違いますか。
シュレディンガーの猫の実験から、
ミクロの確率的事象によりマクロ事象を確率的に起こす事は現実的に可能ですが、
量子のゆらぎそのものが極大化している訳では当然なく、
ラジウム一個のアルファ崩壊を観測する極めて精緻な
「観測者」があって初めて可能になる訳です。
ミクロレベルの事象を認識して、マクロレベルでの行為を決定する…
この思考実験が示唆するミクロ-マクロの直接的因果関係の可能性は、
容易に一般化できないと思われます。
量子の「ゆらぎ」という測定不可能な誤差が影響するスケールと、
それが影響しないスケールとは量的に異なっているものであり、
比重の異なる液体が自然に層を作るように
ミクロ世界とマクロ世界の違いは捉えられるのでは。
シュレディンガーの猫では、観測時点までラジウムは崩壊しないのですよ
観測時点まで、ラジウムから飛ぶ予定のα線粒子は「重ね合わせの状態になっています」
素粒子は、「仮想粒子として飛んでから、やっぱり飛ぶのやめた、と戻る」事ができるのです
もう860は自然科学については一切語らない方がいいよw
498 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 17:27:09.08 0
存在確率50%重ね合わせの仮想粒子が当たった猫はどうなるでしょう?
1.50%死んだ重ね合わせ状態になる
2.生き続ける
3.死ぬ
ガイガーカウンターとか省いちゃったけど、思考実験ですから構わないでしょう
>>495 機械さんの考えではミクロとマクロは断絶しているんですよね(力学が)
しかし機械さんは自然主義という統一理論を目指す
「自然さ」という漠然とした直観では、やはりミクロとマクロが断絶しているのはオカシイ
ならばじつはミクロとマクロは断絶していなくて、人間の現行科学の水準では断絶しているように見えるだけだとします
となるとアルファ崩壊を観測する装置も含めた(関係した)ひとつの現象の結果が猫の生死であるということになります
よくいわれる「半死半生の猫」という表現は「重ねあわせ現象」ではなく、人間にはどちらともその時点ではわからないという
ことですよね
つまり「半死半生の猫」とは「比喩」表現にすぎないということに
ミクロを考えましょう、「量子」という考え方が本当に正しいのかどうか
量子とは「粒」であり「波」であるという二つの状態を重ねあわせた表現です
しかしそんなことが本当にあるのかというと、「そういうことになっている」というのが
実情であってこれもやはり不明の概念です
そう考えていくと、シュレディンガーの猫論争というのは実は不明だらけの基礎をもとにして
あたかもそれが正しいかのごとく論理を先に進めているもんだということが見えてきます
ですからそもそもシュレ猫の話は「是非」以前に破綻した空想劇であるということです
501 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 17:34:11.50 0
α線が一つぐらい当たっても
猫は痛くもかゆくも無い
重要なのは観測者ではなく、観測装置
ガイガーカウンターを省いたら意味がない
少しややこしくなるんだよな
存在確率50%重ね合わせの仮想粒子が当たったガイガーカウンターはどうなるでしょう?
1.50%作動すると50%作動しないの重ね合わせ状態になる
2.作動しない
3.作動する
503 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 17:46:20.05 0
>>502 ガイガーカウンターが作動したことをもって
α崩壊が起こったと読み替える
それまでは○時間後(半減期)に崩壊が起こる確率50%で表現する
504 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 17:47:17.49 0
すまん、半減期は関係ないな
>>503 箱の中ではどうなっていたのですか?
作動した場合と作動しなかった場合について、箱の中を時系列通りで知りたいです
物質によって半減期が決まっていたら偶然とは言い切れないのでは?
507 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 17:58:57.42 0
>>505 どうなっていたかを“調べる”ためには
別の観測装置が必要だ、という騒ぎになる
しかしそれも結局は、その観測装置の状態しか分からないことになる
観測装置不在の、箱の中の“実際の”(空想的)状態について
得られるべき知識は「無い」
>>507 箱の中の物理法則が箱の外と違っていると解釈していいですか?
509 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 18:03:21.90 0
>>506 もやもやするね
しかし崩壊する確率「だけ」は決まっている
とすることで、半減期は決まる
確率が確率でしかないとするなら
そこから偶然を排除することは不可能では?
510 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 18:05:32.06 0
>>508 違わない
箱の外であっても、極微で何が起こっているのかは分からない
極微で何が起こっているのかではなく、マクロの箱内ガイガーカウンターについて聞いているんですけど
512 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 18:23:12.58 0
すごいレベルの高い議論してるな
513 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 18:24:47.12 0
>>511 ガイガーカウンターの中(電離箱)にはガスが封入されていて
陽極と陰極の間に高電圧が掛けてある
で
「α線(と判断される何か)が電離箱に進入すると、中のガスがイオン化される」という
経験則からの類推を有効と判断し、信用することになる
イオン化されたガスは電子なだれを起こしながら陽極に集まり、電圧パルスを形成する
(だろうと考えるのが合理的と判断する)。
この一連の繋がりをモデルとして理解し、
ガイガーカウンターの状態をもって「ああ、α線が出たのだな」と判断することになる。
その電子なだれという現象でミクロとマクロが連続しているのではないですか?
ガイガーカウンターは観測外で仮想化されたとして仮想作動しても構いませんか?
>>500 >機械さんの考えではミクロとマクロは断絶しているんですよね(力学が)
量子力学から量子の「ゆらぎ」の影響を取り除いたものが古典力学
と私はざっくり自然言語で捉えていますが、
確率的か否かの質の違いは主張しますよ。
力学が断絶しているとは言わずとも、
世界観が断絶していると言いますか。
私自身これも「不自然」ではないかと感じます。
>ならばじつはミクロとマクロは断絶していなくて、人間の現行科学の水準では断絶しているように見えるだけだとします
というか人間の水準(スケール)では断絶している、です。
確率の世界の出来事を「雑把に」無視しているだけです。
ここのところは要検討と思われます。
>よくいわれる「半死半生の猫」という表現は「重ねあわせ現象」ではなく、人間にはどちらともその時点ではわからないという
>ことですよね
そうでしょう。
>そう考えていくと、シュレディンガーの猫論争というのは実は不明だらけの基礎をもとにして
>あたかもそれが正しいかのごとく論理を先に進めているもんだということが見えてきます
ミクロスケールでの重ね合わせという基礎そのものは疑っていませんし、
それを論じる気はありません。実際にそれで世界を説明できているようなので。
シュレディンガーの猫の観測問題については
コペンハーゲン解釈も多世界解釈もあれは哲学的な「解釈」であり、
解釈を導く論理は哲学的に吟味可能と思われます。
量子力学を受け入れる事の論理的帰結は何か
そこが現在の論点かと。
オナニーって女子に見られている時と
そうでない時とでは
やっぱり違うんんだろうな
>>502 >存在確率50%重ね合わせの仮想粒子が当たったガイガーカウンターはどうなるでしょう?
仮想上、50%で作動し、50%で作動しない。
またガイガーカウンターの状態は重ね合わせにはならない。
存在するかしないかが重ね合わせの仮想粒子そのもの…
そんなものの実在も量子力学では認められるんですか。
518 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 18:46:49.93 0
>>514 「電子なだれ」というのも、電子という想像のモデルを適用する場合の比喩。
「電子なだれ」と表現しても実際上、致命的な間違いは無いだろうし
理解するには有効、ぐらいのものではないか。
「ミクロとマクロが連続している」ことの内容は、よく分からない。
なぜなら、我々は(いわゆる)ミクロについて、
『観測装置からの類推される合理的内容』、これ以外に得られる知識が無い。
ミクロについてのイメージされるモデルが、我々が日常的に世界に押し付けている
いわゆるマクロについてのイメージと、同様に扱うことができるかどうかについて
先験的にそれを保証するものが無い。
なので、実際の世界に適用させるより他に、量子力学が正しいことを
確かめる方法がない。
ガイガーカウンターの仮想作動
例えば、近くに放射線源が無い場合に
ガイガーカウンターは作動しない、という事実が
経験的に得られているのなら、それを無視することは
賢明な判断とは言えないのでは?
>>515 >というか人間の水準(スケール)では断絶している、です。
>確率の世界の出来事を「雑把に」無視しているだけです。
私はその「確率」というやつも、じつはかなり怪しいと思っています
やはり人間が作り出した概念ですから、確率が自然界にはばを利かせているとは
どうにも思えないんですよ
まあアインシュタインも確率を嫌いましたよね、「神はサイコロを振らない」と
ですから確率と自然界とは、将来的にかなりその関係が変わってくるものだと持っています
>ミクロスケールでの重ね合わせという基礎そのものは疑っていませんし、
>それを論じる気はありません。実際にそれで世界を説明できているようなので。
ミクロの重ねあわせにしても、科学がそこまで進歩していないだけなんじゃないかと思うんです
それもやはりマクロからのアナロジーによる直観なんですがね
量子力学はマクロでいえば実はニュートン以前の段階にすぎないと思うんです
量子もつれにしても、いや光の「二重スリット実験」“ていど”にしても、なんら進歩していません
ようは、まるっきり分からないということです、お手上げ状態です
そういう現代の量子力学(私はそれを、原始量子力学と呼びます)を根本に据えて考えることは
そもそも誤謬から始めるという愚にも思えるんですよ
>>517 仮想上、確率50%で重ね合わせ度合い0%の作動をする、という事ですか
重ね合わせ度合い0%の作動は仮想上であっても実際の作動を伴うのではありませんか?
>>520 その通りです。仮想上実際に作動すると考えます。
仮想上であろうと、重ね合わせ度合い0%で作動すると、「やっぱり作動しなかったから戻る」ができなくなるんですけど
>>519 >私はその「確率」というやつも、じつはかなり怪しいと思っています
量子の世界の「純粋な確率」とサイコロの出目とかの「主観的確率」
の二つを私は区別していますが、前者も怪しいと。
で、量子力学そのものもまだプリミティブであり、
量子の確率的ふるまいは単に観測能力の限界と。
そこまでは私は何とも、です。
トンネル効果がエネルギーのゆらぎによって説明されるならば、
それって観測能力の問題ではと思ったりもしますが。
これも戯言の域を出ないでしょう。数式の意味はわかりませんし。
>>500 分かる、分からないの確率と、実際の事象そのものの確率とがある
仮想上の状態が現実の状態に収束するわけなのですが、仮想上で重ね合わせ度合い0%で作動した後に、
現実で作動してなかった、というケースは直感的におかしい気がするんですけど
>>526 仮想上ではどちらもありえるが
現実のガイガーカウンターの作動はどちらかしかない。
「仮想上作動していたガイガーカウンターが現実に作動しなかった」
そこに「仮想していた方が外れた」以上の意味は無いかと思いますが。
物理学において、最も重要なものに「観測」を置いたのがアインシュタインだ
アインシュタインは「観測されない自然」というものの形而上学的性質を見抜いていたのだろう
そしてニュートン力学の基礎と思われていた概念を破壊した
「観測」とは、どういうことか?
それは、対象の情報を得るということであるし
また、それには、対象に当たった何らか(光)が反射して、それを観測機械が観測する必要がある
アインシュタインにおいて、光は特殊な性質をもつかのように記述されるが
それは、「観測」を思考の中心においているために表現されるものでもある
以来、物理学は「観測される自然」というものを扱うことをテーマにしてきた
しかし、ミクロの世界では「観測」というものが別の困難を引き起こすことが分かった
対象に光を当てて情報を得ようとする時、それによって対象の動きが変化するという困難だ
この困難を確率という表現で乗り越えようとしたのがハイゼンベルクだ
彼は確率分布を計算式に組み込むことで研究を進展させようとした
ミクロの世界では「観測」と「確率」が不可分につながっている
「確率抜きの観測」というものはない
そして、物理学において扱う自然とは、「観測」と不可分になっている
「観測抜きの物理学」というものもない
>>523 確率・統計というのは私達にとっての「有意性」にほかなりません
つまり何かを動かすような原理的(誤解を受けそうな表現ですが)なものでは無いということです
だから確率や統計というものはそもそも自然界にはないです
人間による「解決策」であり、その根底は「占い」と変わりません
>量子力学そのものもまだプリミティブであり、
>量子の確率的ふるまいは単に観測能力の限界と。
そうですよ、原始的で間違いだらけです
だって誰か素粒子をちゃんと撮影でもした人って、いないではないですか
原子や電子のちゃんとした画像も無いです
それでそれらの運動がどうたらは、常識的にいっても変です
素粒子物理学者や量子力学者はそのことを認めていますよ
>>529 その確率への直観を否定するつもりはさらさらないが
だったら法則だって人間にとっての優位性でしかないと考えることもできる
>>528 観測(光)に対する量子の反作用に由来する確率と
量子そのものののゆらぎに由来する確率は別では。
>>529 常識とか自然というのはそれこそ主観的な尺度でしかないですよ。
>>532 「観測抜きの量子そのもの」は物理学では扱えない
そこに確率があるかどうかは分からない
いや少なくとも物理学は量子の不確定性と観測の影響とを区別しているでしょう。
>>532 >常識とか自然というのはそれこそ主観的な尺度でしかないですよ。
そもそも人間には「主観」しか出来ません
常識というのも当然人間の尺度です
自然というのもそうですが、私達が「自然界」と呼ぶ外的世界は私達が決して認識的にも到達
できない世界です
そしてそういう対象として自然界(外的世界・外部…)を分節して考えたわけです
そもそも「言語なんてない」(デイヴィドソン)ようにね
人間が分節した概念です
しかしそうはいってもその概念にもレイヤーがあるわけです
それらはスペクトル様に変化していて、境界だって曖昧ですけれども
だから
>>532であなたが書いているその一行は、レイヤーもごっちゃにしているわけです
そういうことを言っているのではないという意味がわからなければ、私は引くしかありませんが
>>534 逆だよ
物理学は観測の影響下にあるものしか研究しないんだよ
「観測される前の自然的×××」というものが研究対象にならないんだよ
>>535 >自然というのもそうですが、私達が「自然界」と呼ぶ外的世界は私達が決して認識的にも到達
>できない世界です
それそのものに到達することは、ね。
ただ、近似のものを知覚し、理論的に説明し、
様々な手段で複合的に「自然界」を認識する事は可能でしょう。
>そしてそういう対象として自然界(外的世界・外部…)を分節して考えたわけです
>そもそも「言語なんてない」(デイヴィドソン)ようにね
>人間が分節した概念です
その恣意的分節を一般化するための科学でしょう。
実際にそれで整合的な理論と説明を行えているなら良いと思いますが。
>>536 ああ、観測による実証は必要でしょうね。
実証されたもの(量子)の性質については観測とは独立していますが。
そこが混線してるのでは。
>>537 じゃなくてさ
観測ってのは人間に限ったことじゃないんだよ
観測機械だって「観測」の一部なわけ
例えばレーダーだって非破壊検査に使う超音波や放射線だって同じ
それらが対象に当たって反射して、その情報を得るという点では一緒なんだよ
この構図にあてはまるものしか物理学は扱わないんだよ
だから、「いかなる観測機械によっても観測されないもの」は研究しないんだよ
それって幽霊よりも摩訶不思議な存在だとは思わないの?
重力波の直接検出には成功していませんが、存在は予言されていますし
検出するプロジェクトは盛大に動いてますね
>>537 >それそのものに到達することは、ね。
>ただ、近似のものを知覚し、理論的に説明し、
>様々な手段で複合的に「自然界」を認識する事は可能でしょう。
我々が手段を用いて「自然界」を認識することと、「自然界」そのものとは違うわけですよ
どんなに頑張ったところでそうなんです
だから「近似」とはいっても我々がそう感じるだけのことです
紫外線が見えますか?電波が見えます?ニュートリノが見えますか?
たかだか人間の「感覚・知覚」と「想像力」の賜物を、「自然界の近似」とはいえません
人間が頑張って推測して分節しているだけです
そこを見誤ってしまうと「科学」がもたらした結果を知って「自然界の近似」だと舞い上がってしまうわけです
>>538 >観測ってのは人間に限ったことじゃないんだよ
>観測機械だって「観測」の一部なわけ
>例えばレーダーだって非破壊検査に使う超音波や放射線だって同じ
>それらが対象に当たって反射して、その情報を得るという点では一緒なんだよ
>この構図にあてはまるものしか物理学は扱わないんだよ
仮説的に予想される存在を含めて、
実在に対するスタンスとしてはそうでしょうね。
で、量子力学における不確定性と観測者効果
は同じなのか別なのか。
>>539 それが俺へのレスなら見当違いだ
直接観測だけが観測じゃない
観測できないものってとても形而上学的なんだよ
次のような問題が物理学の問題ではなくて形而上学的問題だという点でもそう言える
「誰も観測者がいないところで落ちた木の枝は音を鳴らすか?」
「いかなる観測もできない」ということは「いかなる知識を得る手段もない」ということに等しい
重力波だって観測できると思われてるから研究される
もし、重力波がどのようにしても検出できないものならば、それはエーテルのように消えてしまう
(マイケルソンとモーリーの実験以降に、エーテルの議論が下火になってしまったのは、エーテルの観測を不可能にするような仮説が出たせい)
例えば、リーク電流は観測しなければ起きないのか。
>>540 「近似」の解釈の違いですかね。
科学が実証性のまるでない荒唐無稽な説明をしてきたならともかく、
実際はその逆で実証性どころか実用性まである理論の体系を作り上げてきた訳で。
幽霊を信じるのと反対に、そこにある物を信じない
という態度もありはありですが。
>>541 量子力学も空想ではなく、実験と共にある学問だ
つまり、量子力学が扱う量子も、常に観測機械とセットで扱う
観測機械で観測しない量子がどのような振る舞いをするかについて、量子力学は研究する術を持つだろうか?
>>544 >観測しない量子のふるまい
理論的に予想はできますし、予想通りの結果が実証されればいいのでは。
数式の物理学的証明は観測によりますが、数式は観測を前提していません。
で、不確定性原理と観測者効果は同じなのか別なのか。早よ。
>>545 「観測者効果」って君は言うけど「観測機械効果」って言い換えてもいい
物理学における「観測」とは人である必要がない
機械が観測しても、それは観測
そして、観測と切り離された量子そのものの揺らぎなどというものは量子力学においては扱わない
なぜならば、量子力学は常に観測と関連したものしか扱わないからだ
ここまで説明して分からないなら相手にしない
>>543 「近似」の解釈の違いですかね。
科学が実証性のまるでない荒唐無稽な説明をしてきたならともかく、
実際はその逆で実証性どころか実用性まである理論の体系を作り上げてきた訳で。
これよく勘違いをする人が多いんですけれど、「実用性」というのは我々にとってのまさに「意味」なんです
だからこそ「銀塩写真」のおかげで便利だし、芸術に活用できる、というのは人間にとっての意味です
しかしそこまで「実用できている」にもかかわらず、銀塩写真の原理は科学的にまだ説明できないんです
「吸気麻酔」は手術するのに「大変実用的」ですが、どうように科学的なメカニズムは解明されていません
つまり「実用性」は人間が利用する上での「価値判断」です
>不確定性原理と観測者効果は同じなのか別なのか。
小澤の不等式によれば別です
549 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 20:46:32.06 0
windsさん、頑張ってくらはいw
>>546 「光子(等)に対する反作用効果」の方より厳密でしょうね。
量子スケールの対象に光子が当たると位置がずれる事と、
量子そのものがゆらぎを持つという事は別です。
リーク電流もそうですが、実際に量子そのもののもつエネルギーのゆらぎの
「結果」を観測しているのであり、この場合見ているのは量子そのものではありません。
確率的ふるまいは理論的に予測され、実際に観測されますが、
量子の確率的ふるまいが観測により起きているというのは誤りです。
そういう学説も探せばありそうですが。
ここまで言ってもわからなければ何とか、ですね。
>>547 例えばフグの卵巣の加工のように
実用から入ったもの(銀塩写真がそうとは思えませんが)ではなく、
実証された科学理論から実用化されたものですよ。
家電でも車でも飛行機でもコンピュータでもそうでしょう。
日常的に目の前で実証されている理論を妥当と考えないのは、
「自然的態度」としては無理があると思いますが。
落ちます。
>>550 いかなる観測もされない量子が確率的振る舞いをするかどうかなんて誰にも分からないよ
誰も観測しようがないんだから。
それに、いかなる観測機械で観測することもできないんだよ?
もう少し言えば、観測と切り離された対象の研究などというものがナンセンスなんだよ
この密接に絡み合った物理世界を観測をベースに研究する以上、様々な要素が複雑に絡み合ってる
そこでは観測もまた物理世界の一部なわけだ
例えば、ハイゼンベルク方程式の変数は観測機械における測度であるとする解釈もある
それでもいいんだよ
「観測機械抜きの量子の動き」などというものが最初からナンセンスな思考なんだよ
553 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 21:02:22.25 0
量子力学の数式は、たしかに観測を前提にはしていない。
ただ、その数式が扱う概念(状態ベクトル)は観測可能な量ではない。
仮想的な量としての状態ベクトルを持ち込むことで量子論を成立させている。
いわゆる重ね合わせとは、この状態ベクトルを足し合わせる作業。
量子力学で問題となるのは、この状態ベクトルが実在しているのか
という問題(どうであれば実在?考えてくらはい、賢明な皆さんw)
「観測を前提としない」とするなら、観測者不在の世界で
この状態ベクトルが実在している、ということになる。
だが、先に言ったように、この状態ベクトルは観測可能な量ではなく、
観測対象となる粒子が存在する確率の、その確率を構成する式の要素。
なので、量子力学から不確定性を排除することはできないと思いますね。
>>551 >日常的に目の前で実証されている理論を妥当と考えないのは、
>「自然的態度」としては無理があると思いますが。
そういうことを言っているのでは無いですよ
「理論」が「自然界」そのものでしょうか?
「理論」は人間が作ったものです
それによって「何が実用できる」ということと、「自然界」そのものとは別のはなしです
「頭の中」で「自然界」を「そのまま」に再現できますか?
それは無理なんです
私はそういうレベルのことを延々と書いています
あなたがそれでも分からないというならば私はどうにもなりませんが
なんか860さんの書いていることは、ズレているんですよ
間違いというよりも、私が書いていることとは違うことをずっと書いているんです
555 :
考える名無しさん:2014/05/10(土) 21:21:45.18 0
あと
確率的振る舞いが観測によるのかどうか、について
観測が無いのなら、モデルが表現する確率には意味がない
観測の無い世界とは、事実らしきものが何にもない世界なのだから
「世界は事実の総体」とは、偉い哲学者の言った台詞らしいですが
事実を「理解可能な事実」の意味として了解して世界を構成するのであれば
観測と確率的振る舞いが無関係だと考えるのは不自然だと思います
自然的態度ってそのへんのおっさんやおばさんみたいな態度でおk?
不確定性、確率的振る舞いとか、技術の原理的問題(観測機器も物質だから)なのであって、
その結果から確率的要素が拭えないからといって、世界に純粋な確率的要素があり、それが
因果に(存在に)介入するとか、ちょっと考えれば、お門違いであることがわかるよね。
放射性物質の半減期が物質で決まっているって、明らかに、物質の内部に原因があるだろ。
これを偶然と言い切るとか基地外沙汰だろ。
律せられた偶然って一体何よ?w
因果に組み込まれた偶然って、見かけ上の偶然としか言えんわ。
「ゆらぎ」とは、測定という介入なしにも存在するものである(状態ゆらぎ)。それに対して「誤差と擾乱」は測定によって生じるものである。
ゆらぎの中にすら純粋な確率が力として存在するとかこれまた無いだろう。
先鋭的なことがらまで我々の道徳的主義的誤謬が入り込む。
これと断固として戦いたい。
アンテナゲートをうまく集積した構造では極めて精度の高い核スピン制御が実現され、Ga、Asに特徴的な4つに分裂した核スピン状態間で量子力学的な重ね合わせを完全に操作することに成功した。
らしいですよ
「時間はなぜ流れるのか?」
時間は一見独立した観念であり、存在の運動とは無関係に流れるように思える。
しかし、相対性理論により運動量によって時間の流れは変化することが示されている。
即ち、時間は存在の運動に無関係でないどころか、存在の運動に従属した観念なのだ。
なぜ時間が流れるのか?それは存在が運動するからに他ならならず、
従って真に問うべきは「なぜ存在は運動するのか?」これについてなのである。
>>559 その「見かけ上」ということがとても大事なんだよ
例えばGPSにも使われている特殊相対性理論などは、速度が大きくなることで距離が変化することを示すけど
それはあくまでも「見かけ上」なわけで、静止して見れば距離に変化はない
でもね、「静止して見る」と言う方が特殊なんだよ、実は
この世界はみんな動いている方が当たり前なんだ
俺らが想像する「当たり前の世界」の方が異常なんだよ
「シャーレにとって、あらゆる条件を排除して、神様のような位置からそれだけを観測する」なんてのは、実は俺らの脳内の想像でしかないわけだ
で、「そんな脳内自然ならば確率はないんだよ」というのは簡単だよ
で、物理学はその「見掛け上」のものを対象とする
少なくとも「誰も見ない空想自然」みたいなものは対象としない
これは、アインシュタインが、運動を対象と観測者との間との相対的なものと見なしたことに発端を置くだろう
しかし量子サイコロを制御して、6面2個から2面1個と10面1個に分けるような事が可能なようだ
将来、1面のサイコロに分けられるようになったら確率はどうなるか
>>557 観測機器も世界の一部だということを忘れてないか?
再度書くけど、
「観測機器の影響もない純粋な対象の動きの把握」というのは空想の産物でしかない
そんなものはテレパシーと同じレベルだよ
そして、そんなものは現実の世界にはなく、慣性の世界にしかないよ
「物はどこまでも一直線に飛ぶ」とか「どこまでも静止する」とかね
「この現実が慣性の世界ならば決定している」という言葉には、何の価値もない
量子力学が実験をベースにおいて、その確率分布を含んだ理論が、実験によるテストをクリアしていること
これは十分に議論されている
アインシュタインは量子力学を「不完全な学問だ」と言ったけど
量子力学が学問としては不完全ではないことはベルの不等式から明らかになっている
「量子力学なんて関係ない。世界に偶然はない」という余地はある
「世界には物理法則から外れる神秘的な力がある」と言えるのと同じだけの余地は。
神秘的な力の中身を解析するのが量子力学ですよ
あらゆる存在が捕捉可能です
570 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 02:51:21.81 0
このスレの趣旨って
スピリチュアル系の本に書いてあることを科学的に考えてみる
でOK?
俺は量子力学を否定なんか全くしていないが、確率による記述しか出来ないから
世界には純粋な確率が存在するという科学実在論は無視したい。
これは道徳主義的誤謬であると。
>>571 「確率なんて人の主観でしかない」という人は昔からいる
そういう人は何よりも「物」としての触感を大事にしてるんだろうね
触れるものの確かさってのは確率にはないからね
でも、降水確率とかは確率を客観的なものとして考察することによって発展したんだよ
確率を目隠しされたベールではなくて、その環境に付随するものとして捉えることによって発展したものがある
量子力学もその一つで、確率を量子の動きの本質的なものとして解釈してるんだよ
で、あまの君は科学の発展よりも道徳の方が大事なのかな?
それで確率を食わず嫌いしてるのかな?
電王戦で確率的な人間の知力を使っても人工知能に負けたじゃないか
574 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 03:22:49.73 0
情緒的な拒否反応をいくら繰り返しても無意味
575 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 03:24:30.78 0
人工知能?
ただの計算機だろ
道徳主義的誤謬の意味を間違えていますよ。
読み違えが多いのはこちらのせいなんでしょう。
まあ、量子力学が現実をよく描写できているとしましょう。
じっさいそうなんですが。
これはもっともな話で、古典的類推に気を使い、新しい概念や演算子を投入し
実験で精度を高めている。
ただ、こういうものなんです。
非局所性も別段嫌悪を抱くものでも全然ありません。
ただ、現実をよく描写しているからといって、何から何まで信用するのは間抜けと言うほかありません。
とくに、純粋な確率が存在に関係あるのか根幹をなす部分では、到底信用できるものではない。
そういうことです。
577 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 03:38:50.08 0
存在なんてそんなもんだろ
もちろん有用性という価値は大いに尊重しますが、
価値に事実をつきあわせるようなことは、まずスレ違いであります。
579 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 03:46:50.32 0
事実を説明してしまうのだからしょうがない
不満の核心がまったく見えない
出来てる粘土の違いかな。
お前と俺の。
麻雀でいきなり天和上がられたりしたら信用できませんよね
582 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 04:06:29.47 0
すぐ下手な比喩に逃げる
脳細胞足らんのか
583 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 04:11:17.51 0
決定論者は存在がどんな感じであれば気持ちが納まるのだろう
584 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 04:16:38.93 0
事実とは何か
未来の事実は存在していない
事実はいつも過去の事実
過去と未来は似てもいない
すでに決定論的な構造は瓦解している
囲碁は宇宙ってよく言われるだろ
将棋や麻雀でも同じようなもの
宇宙は少し大きな碁盤に過ぎないんじゃないか
我々は碁石ってわけね
はぁ
587 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 09:04:44.97 0
みんなパンツはこうよ
はぁ
碁石にくっ付いた粒でしょ
人口知能
養殖知能
天然知能
ミームが言葉、人間の思考(物質ベースで言うなら脳)をフィールドに自分のコピーを増やして進化していく生き物なら
機械も物質、人間の労働を子宮に自分の複製を増やして進化していく生き物と言えるよね
591 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/11(日) 12:04:13.63 0
>>568 >「観測機器の影響もない純粋な対象の動きの把握」というのは空想の産物でしかない
そこのところがシュレ猫の判りにくいところかと思います。
私も従来から「アルファ崩壊が起きた瞬間(の直後)まで生きていて、その後
青酸ガスで死ぬ(だけのこと)」であり、「半死半生のマクロの猫」が存在する時間
が「在る」必要はないという説を披歴させていただいておりますが、コペンハーゲン
学派あるいはエヴェレット解釈で「半死半生の猫」が「存在する時間」が必要になる
のかが理解できないのです。
例えば「箱の蓋を閉める瞬間」は「生きている猫の観測」は出来る訳ですし、箱の
中に猫を映すビデオカメラを設置しておいて、後に箱を開けて回収したビデオカメラ
の映像を見れば「何時何分に死亡した」と判明する筈ではないでしょうか?
「ビデオカメラを『設置したこと自体』が不確定性を破ってしまう」…という
論法なら、記録媒体を入れ忘れたビデオカメラとか、故障して作動しなかったビデオ
カメラだったらどうなるのか?ビデオカメラ型のダミーモデルだったら?とか
猫の代わりに「メモを取る人間」を入れたら?とか、アルファ崩壊が「起きた後」に
生じるであろう「青酸ガス発射装置」(だけ)に反応して外部に通知する「検出器」
の場合は?…とか、まあいろいろ「あくまで半死半生の状態がある説」には突っ込み
どころがたくさんあるように思われますが、それらに適切に回答できる「あくまで
半死半生論者」はいらっしゃるなら、ぜひご回答をお願いしたいとは思います。
いずれにしろ「確率的決定論」でも「ハードな決定論」でも、「未来予測を厳密に
行えるラプラスの悪魔が実在し(え)ない以上「同じ」ことではありますが…。
ラプラスの悪魔が実在したら、「どう決定されているか」さえの「完全予測」まで
出来てしまう…という(些細な)違いがあるだけです。
いずれにしろ「未来は決定されている。」それは、「(行為の仕方を)検討するエージェント
としてとしての(人類を筆頭とする)生命の個体」が「検討するか否か・検討のありよう」も決定
されているからである…ということについては(量子力学的不確定性は)全く関係ありません。
592 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 12:15:28.54 0
全てはあらかじめ決定していて、ジタバタしても何も変わらない。
変わったような気がしても、それ自体始めから決まっていたことだ。
完璧にコントロールされているんだよ、この世は。
しかも、どう決まっているのかは誰一人知ることはできない。
だから、我々は、その謎解きのために生きているのさ。
だからガス室に猫じゃなくて自分が入れば一発で分かるだろ
さあさっさとやれ
594 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/11(日) 13:17:29.94 0
>>494 860氏
>ラジウム崩壊に原因がないと思う訳ですか
これは「収束する」あるいは「多世界に分岐する」ということだろうが、原因は「ない」。
あるのなら「不確定」とはいえない。原因はあるが、技術的に「わからないだけ」というのが一昔前の機械氏。
原因なしに生起する、それが君のいう「量子的スケールの事象」であり、つまり偶然によって織りなされている。
>ラジウムの崩壊は確率的であり、後はすべて必然である…
その謂いが「変だ」と指摘したのである。
『シュレ猫』の思考実験は“量子”と“マクロ”の関係を露骨にかつ劇的に示す狙いがあり、両者の関係は「後」もかわらない。
すなわち量子の“偶然”は、その「後」もマクロと呼ばれる事象を左右し続ける。
偶然、どちらに転ぼうとも、あまのさんが心配するような存在(世界)が脅やかされる事態は、めったに生じない。
家々、心配などしておりません。w
純粋な確率を存在が受け入れるなら、その確率は最初から関係性の中にあったわけです。
関係性を持った純粋な確率とは一体なんでしょう。
>>591 重ね合わせはそんなに理解しにくい状態ではないかと思います
10年ほど前にいた理系コテの人は重ね合わせをブレた状態として説明してました
モヤがかかったようにブレて粒子の軌道が変化する
その説明はけして自然にありえないような様子には感じませんでした
変化球のナックルみたいなものでしょう
しかし、そのナックルのブレも写真にとると静止した一瞬しか切り取れないのでしょう
確率というものが写真に写りこめば話は早いのでしょうが、そうはいかない
そのところが困難なのでしょうが、僕は目に見えるものにそれほど信頼を置かないですし
「実在」というものの本質として、言葉で扱えるという性質が最重要と考えているので
数学的に扱えることはとても大きい要素だと思いますよ
付け加えれば、重ね合わせ状態とは分岐の移行状態でしかないのではないでしょうか?
素人の僕が多くを語るべきではないのですが
落ちた球がまっすぐにミットに入ることはありえないと僕は考えますし
同じことは量子の実験においても言えると思います
観測機が計測した瞬間には軌道は確定しており、そこから得られることは一意的です(空想実験の中で)
半死半生とは、その確定するまでの間のブレの時間を指しているのではないですか?
例えば、天気予報の降水確率で明日、雨が降る確率は50%だと言う時の天気を「半晴半雨」と表現するようなものではないですかね?
しかし、天候日誌においては過去の天気は常に確定された形で記述されます
「晴れ」か「雨」であり、「半雨」とは書きません
この世界がスイスの時計職人がつくったように精密な機械仕掛けをしてるかというと、そうではなくて
空の雲や霞のように、ブレている部分が多々あるようにも思えます
嬉し泣きという、
晴れと雨が重なった状態もあるのさ
599 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 17:27:34.41 0
ちょっと興味があってフラッとここに立ち寄ってみただけなんだが
哲学の知識が無いからここで話してる事の意味が全く分からない
誰かスレのタイトルの意味だけでも教えてくれないか
>原因なしに生起する、それが君のいう「量子的スケールの事象」であり、つまり偶然によって織りなされている。
量子的スケールの更に先の超極微領域は異次元と繋がっているという説があります
>>599 >誰かスレのタイトルの意味だけでも教えてくれないか
「ワシらが生きとるのはなんでや?」
602 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 19:20:20.80 0
>>601 ありがとう
すごい超意訳w
そんな簡単な意味だったのか
1に書いてある文章ならそこそこわかるけど
下4行あたりからよく分からなくなる
これを追求した結果何を求めてるの?
最終的に神になりたいとか?
>>602 凄く平たく言うと
「神はいない。科学が神」派と
「物質なんて世界の一部」派の
戦場ですね(ニコッ
しかし、「神はいない。科学が神」と「物質なんて世界の一部」は
必ずしも矛盾しないようにも思える。
それが、哲学の面白い所。
606 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 20:25:44.28 0
>>603 なるほど。戦場か…
>>604 全く矛盾してないね確かに
どちらも一つの大きな世界を違う視点から
見ているようにしか思えない
そうか哲学とは永遠に戦い合うという遊びなんだな
なんか分かった気がした
人間が、全ての謎を解いた、という所にさえ疑問は残るので
人間が神になるまで哲学は続きます
そして矛盾がないと思ったヒトは
神になった人間が世界の一部でしかないと気付き
哲学を続けてみては
609 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 20:57:41.96 0
行為的状態とは意識の移行状態でしかないのではないでしょうか?
玄人の僕が多くを語るべきではないのですが
意思したことがまっすぐに意志決定することはありえないと僕は考えますし
同じことは量子の実験においても言えると思います
意志決定を意識した瞬間には行為は確定しており、そこから得られることは一意的です(論理実験の中で)
意識的とは、その確定するまでの間のブレの時間を指しているのではないですか?
610 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 21:00:00.58 0
人間がすべてを理解するなんてことはないよ
唯物論は科学主義じゃあない
科学は人間なりの理解の仕方にすぎない
科学的な物の見方というのは、可謬主義なんだよ
しかしそれは多元論とは違うんだな
>>609 そのブレの間に何があると玄人的には考えます?
612 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 21:15:36.87 0
>>608 たぶん最初から矛盾なんて存在していない
なんでかっつーと矛盾を感じるってのは理解できてないからあれ?変だなって思うんだよ
でも全てが見えるならあ、全然矛盾なんかしてなかったのねってわかるっていう
こういう実も蓋も無い話はここではダメなのかなw
>>612 モチロンそういう話もオッケーですよ
ただ、その視点は「なぜそうなの?何が見えてるの?」という疑問責めに会うので、あなたがしんどいと言う意味ではナシですね。最後はキレられてバカ扱いされます。
我々人間は
なぜ生きるのに、死が前提で
苦痛に苦しむのに、他者の命を奪うのが前提で
色んな矛盾と戦っています
>>554 >「理論」は人間が作ったものです
>「頭の中」で「自然界」を「そのまま」に再現できますか?
>それは無理なんです
>私はそういうレベルのことを延々と書いています
私には無理ですね。
科学にも無理かも知れない。
ただ、できるかも知れない。
本当に世界の全ては数式で書き表せるかも知れない。
観測を含めた「主観」から独立に客観的な世界の説明を試み、
そして実際にその試みは目覚ましい成果を収めました。
科学理論は誤り得るものですが、進歩し得るものでもあります。
知の構造、ないしは認識の構造から演繹的に科学の限界を定める事、
それそのものは確かに哲学の仕事かとは思いますが、
そこから積極的に科学的言明を行うとすればそれは控えめにも
あまり妥当性があるとは言えないのでは、と。
「観測の必要性」と「観測者効果」を混同し、相対論など引っ張り出して
それを正当化する。などというのは詭弁だと考えます。例えばね。
物理学に対してメタ視点から決め打ちを出来るほど、
哲学は、ましてや我々は、その対象を知ってはいない。
…というような事です。私の言っているのは。
615 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 21:50:56.20 0
哲学のくびきw
だから、数式で世界を表せるとしたら
それは今の世界そのものだって
違うって言うなら、表せてないんでしょう
そして唯物論者はフラクタルの無限の彼方へ吸い込まれるのであった
「表せる」って、どういうことですか。
「世界は美しい」だって「世界は不思議に満ちている」だって、
世界を表しているといえば表していますよ。
621 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 21:55:08.37 0
>>611 自然はわれわれをちょうどうまく真ん中においたので、
われわれが秤の一方を変えると、他方も変えることになる。
このことからして私は、われわれの頭のなかには、その一方にさわると、
その反対のほうにもさわるように仕組まれた発条(バネ)があるのではないかと思われる。(『パンセ』)
>>621 今夜もシンクロニシティ。
イイですね。その言葉。
>>552 量子そのものに対する観測の影響が存在する
量子力学的現象についてもそれを観測しなければならない
以上の点については同意します。
ただし、量子力学で理論的に予測される事象の観測について、
例えばリーク電流の結果としての電位の測定などの(受動的な方法を取る)場合、
測定はリーク電流そのものと因果関係を持ちません。
アルファ線の検出にしてもそうですが、その確率的ふるまいの原因を
検出する側にどのように帰属させる事ができますか。
理論的な整合性を軽視し過ぎでは。
>>619 唯物論者が使う「表す」は
本人も分かっていない「全て」が省略されています
625 :
考える名無しさん:2014/05/11(日) 22:05:47.04 0
>>613 そうなのかw怖いとこだなここはw
もし疑問があるのならそれに答えるのは全然構わないが
理系人間ではないので満足いく答えにはならないかもな
我々人間はというが非常に能天気に生きてる者もいるだろ?
613がそういう人生(苦痛を感じる)を自ら選んだと思えばいい
自ら選んだのだから自ら変える事もできるんだけどね
まあこの手のはなしはスレ違いだねw
626 :
パンの耳:2014/05/11(日) 22:11:08.85 0
冷静にいっかい意識の中に無意識数えてみれば(笑)
>>625 613ですが、話は分かります。
少しスピ系になりますね。
肉や植物ですら命を奪い生きる現実世界を
自分が想像した苦痛の世界とするのと
実は肉や野菜が喜んで食われてる世界と
どっちがエゴいのか平和なのか訳分からないんですが
スレチ承知で質問させて下さい。
他の方すません
>>594 >これは「収束する」あるいは「多世界に分岐する」ということだろうが、原因は「ない」。
>あるのなら「不確定」とはいえない。原因はあるが、技術的に「わからないだけ」というのが一昔前の機械氏。
>原因なしに生起する、それが君のいう「量子的スケールの事象」であり、つまり偶然によって織りなされている。
原因が原理的に分からないだけで、「原因が無い」ではありません。
確定出来ない変数の存在は、変数を含む方程式そのものの否定ではないです。
あなたの解釈は「量子論では因果律が成り立たない」なのでしょうか。
>すなわち量子の“偶然”は、その「後」もマクロと呼ばれる事象を左右し続ける。
その「し続ける」が曖昧だと言ってるんですよ。
「「シュレディンガーの猫」におけるガイガーカウンターの作動は確率的である」
これが厳密な言い方になっていないのです。
確率的事象(アルファ崩壊)と
それに起因する必然的事象(ガイガーカウンターの作動)
の区別をしましょうと言っている訳です。
単純に言えば、
あなたは「猫の死亡する確率」を
ラジウムの崩壊の確率×ガイガーカウンターの作動確率×…
として求めるのですか、という事です。
630 :
パンの耳:2014/05/11(日) 22:31:29.46 0
意識して 無意識下にあった自己認知できる感覚を数えると
確定座標上における意識は
固定時間軸内の必然だってわかるんじゃないの
いいかえれば 自分の世界に入っちゃうと
必然的情報しか認知できない
>>623 >測定はリーク電流そのものと因果関係を持ちません
「リーク電流は測定される電位の原因であるががその逆は成り立たない」
と修正します。
観測は電位を起こさないし、電流の漏れも起こさない。
という事です。
632 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/11(日) 23:19:51.74 0
>>614 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/11(日)
>観測を含めた「主観」から独立に客観的な世界の説明を試み
「説明を試み」って誰がどの様に説明をしたのですか?
主観が決め打ちをしたものが科学理論と言うのでは?
だから誤り得るのでしょ?
貴方の言う「「主観」から独立に客観的な世界の説明」なら誤るはずが無いでしょう。
観測とは主客の間を取り持つ糸みたいなものでは?
ですから客観は観測によってしか主観たり得ないともいえるし
客観は観測により主観を規定するともいえる。
世界は相対する主客の総体ですからね。
633 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/12(月) 00:03:20.64 0
>>628 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/11(日)
>原因が原理的に分からないだけで、「原因が無い」ではありません。
「原因が原理的に分からない」?「原因が判らないことが、原理的に証明される」という事?、もし貴方が其れを認めちゃうと話が終わっちゃう。
なぜなら「原因が判りえない」事を「原因は無い」と一般に表現するからだ。
ちなみに猫の例では立派に原因はある、因果はある、非決定(確率)なだけだ。
ちなみにアインシュタインは「原因は一意的に有るが、今我々はそれを知らないだけだ」と言う立場。
>確率的事象(アルファ崩壊)とそれに起因する必然的事象(ガイガーカウンターの作動の区別をしましょうと言っている訳です。
区別するのは一向に構わないんだけど、決定論の条件は「結果はその前の事象によって一意的に決定される(確率ではダメ)」ということなのですよ。
ですからA(アルファ崩壊)の後に(ガイガーカウンターの作動)が起こりC(猫が生死が判明)が判ったら、AがCを一意的に決定(確率ではダメ)したと言えなければなりません。
ビッグバンが今日食べるうどんかそばを一意的に決定(確率ではダメ)して居なければならないのです。
それぞれの事象の区別は構わないが断絶はダメなんですよ。
634 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 00:07:03.76 0
「身体(物理化学の条件)は精神に影響する原因であるが、その逆は成り立たない?」
我々の物理化学による情報を知った後に、それを知らなかったとすることはできない
よって科学理論の誤り得る進歩、つまり精神は少なからず身体(物)に影響を与え得る
意識(主観)はお互い直接的に作用できなく「物」を介してのみ相互作用の認められることが、
自由な精神(客観的世界の説明)の条件であることから、唯物論的決定論は否定される
>>623 別に量子力学じゃなくても普通にありえることなんだよ
例えば、ある液体の温度を測りたいとする
それには温度計をその液体に突っ込めばいい
本当にそれでいいのだろうか?
温度計ってのは赤く着色されたアルコールなわけだけど
液体とアルコールの間で熱の移動が起きる
温度計が測る温度は、アルコールの温度によって変化した温度でしかない
つまり、温度計で測る温度ってのは、温度計を突っ込む前の温度ではない
これはすべての直接観測において言える
で、非破壊検査などのような間接観測ならばそうではないんだけど
間接観測はノイズが多くなるという欠陥がある
「純粋な観測」ってものは実は最初からない
ちなみに、の温度計の例を指摘したのはデカルトだそうだ
トリビアだけど、ノイズの研究というのもあるらしいね
宇宙から来る電波の受信にはノイズが含まれるけど、
そのノイズの規則性から宇宙に知的生命がいるんじゃないか?とか考える人もいるらしい
このことは放送大学の科学の話題の時に触れていた
もちろん、
>>635もその時の話題
科学の講義でもデカルトの名前が出るもんなんだなぁと思ったもんよ
ちなみに、その時の講義では座学の人、生命科学関連の女性の人、量子力学関連の実験室の人と3人が講師をしていたけど
(後ろの二人の話はつまらなかった)
思ったのは、科学の現場においては、科学の方法がトライアルアンドエラーであるということは受け入れられてるね
これに関しては女性の講師がはっきりと言ってたわ
で、「アイデアのためには寝る時も考えることが必要」とかくだらんこと言ってたわ
20世紀の科学観に縛られてるのは哲学板の連中であって
そんな昭和な科学観を現場は持ってない
時代はもう平成だとおもったわけですよ
638 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/12(月) 02:03:26.45 0
860さんや機械さんは・・・
観測の件云々より、そもそも宇宙の基本的構成要素である量子の振る舞いが決定論で説明できない事に疑問を感じないのだろうか、それはミクロで宇宙とは何の関係も無いと平気で居られるのだろうか?
日常よく目にするガラスの透過率が何故50パーセントなのか、其のメカニズムを不思議と思わないのだろうか?
それを探求する心が科学する心でないのか??
原因がないはありえる、それは我々の次元に存在しない原因ということである。
たとえばビックバンの元やら真空のエネルギーが無から生じるように。
原因とは人知が計れる世界の対象であり現実界に映るものは見えても
その初期以前を想像するしかない原因である。
宇宙の始まりの前に原因はあるが、それを人が知ることはできない。
頭の固いおまえさんは全ては知れると世界を定義する科学万能、論理万能の
合理化思想に流されているだけ。
640 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/12(月) 10:47:39.94 0
>>628 >原因が原理的にわからないだけで、「原因が無い」ではありません
これについては、じいさんが指摘しているので重複は避けるが、あえて「わからない」のではなく、
「原因はない」と述べたい。量子的事象は、一義(意)的因果連関として表記できないということだ。w
>「し続ける」が曖昧…
『シュレ猫』は思考実験なので焦点を浮き彫りにするよう、取り決められている。
たとえば「アルファ崩壊、ガイガーカウンターの作動、ネコの死」を、君は一意的必然とみなすが、
それは“約束”にすぎない。崩壊したからといって、作動するとは限らないし、ネコが死ぬとは
決まっていない。逆に崩壊しなくても、ネコが死ぬことはありうる。しかし、そこまで広げると
“実験”の意図がボケるので「仮定→結果」を一意的に定めているだけ。
この実験が明らかにしたのは「ミクロがマクロを規定する」ことだ。ネコという一個の存在は常時、
「ミクロ」に規定され続けている。「マクロ」と呼んでいるのは、いわば“存在の表層”であり、それは
深層の“結果”である。これはマクロの連鎖にも“一義的因果”が、厳密には「ない」ことを意味する。
観測の影響による不確定性があるのも事実であり、観測に還元できない不確定性があるのも事実として
観測に還元できない不確定性を量子自体の性質とするのは早計に思われるわけです
理論の単純化、効率化という極めてプラグマティックに、限定的に正当化され得る記述としての
「重ね合わせ」を越えるような現実としての重ね合わせが存在すると言える
んでしょうかね
642 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 18:01:02.08 0
/ ̄ ̄ ̄\
/ノ / ̄ ̄ ̄\
/ノ / / ヽ
| / | __ /| | |__ |
| | LL/ |__L ハL | ネット科学じゃどうにもならいわよw私の研究ノートでも参考にしなさーい♪♥
\L//癶 癶 \
/(リ ⌒ 。。 ⌒ ) r‐-、r‐-、r‐-、r‐-、
| 0| __ ノ!┌───────┤ || || ||_..._|‐───────┐
| \ ヽ_ノ /ノ | へ |_...._|| ||_...._|ヽ_,ノ /´\ |
ノ /\__ ノ丶 /| / ̄\ ヽ_,.ノ|.-‐.|ヽ_,ノ / ̄\ |
( ( / | V Y V | i | | し J . `ー' : し J |
)ノ | | ___| | |. | / ヽ-、 陽性かくにん! ヽ-、 |
| ( ) .|. | / ヽ-、 : / ヽ-、 |
| (| .| よかった♪ (| .| |
STAP細胞は心の綺麗な人にしか見えないんですよ。
644 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 21:50:20.35 0
決定論はむなしすぎる
人のシステムに反している
サイコパスのシステムだ
ただの弱肉強食、結果論
強いものが弱いものを倒すだけ
ではどうして愛情が生まれた?
決定論のシステムで愛情が生まれる必要があった?
必要ないだろ
誰かのために戦う者が、誰かのために戦う誰かを殺す
虚し過ぎる
そんなこと、全て運命の一環だという
何で愛情が生まれる必要があった?
決定論では必要ない
んだんだ
646 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 22:00:22.68 0
哲学で最高担保とされる根拠が「我思うゆえに我あり」だという
我とは何だ?人間か?
なぜこの「思っているもの」は常に「人間」なんだろう?
「人間原理」なのだろうか?
それは「人間原理」を正しいとするものなのだろうか?
であるなら、なぜ世界は人間に従わない?
なぜ愛情を作る?
647 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 22:06:52.21 0
>>627 遅くなった
もう見てないかなw
わかるよ。そういうの
どっちの世界も生き物が食われてるという事に変わりは無い
違うのは613が与えている意味だけ
それとネガティブに考えすぎかな
生き物を食すという文化は時にポジティブな事も生み出すだろう
本気で嫌なら動植物を食料としない世界を模索することも可能
こういうのはスピリチュアル系の方が得意分野かな
そっち系の本とかいろいろ見てみることをオススメする
愛情であろうと弱肉強食のシステムが前提
実際に命を賭けて戦うゲームがいろいろある。プレイしてみることをオススメする
649 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/12(月) 22:27:11.06 0
>>640 >この実験が明らかにしたのは「ミクロがマクロを規定する」ことだ。ネコという一個の存在は常時、
>「ミクロ」に規定され続けている。「マクロ」と呼んでいるのは、いわば“存在の表層”であり、それは
>深層の“結果”である。これはマクロの連鎖にも“一義的因果”が、厳密には「ない」ことを意味する。
「ミクロの『重ね合わせ的存在』がそのまま『マクロの重ね合わせ的存在』も意味する」…という主張でしょうか?
要するに「シュレ猫は箱が閉じられてから開けられる(観測開始)までの時間『半死半生というマクロの状態』を
保っている」…と主張されるということでしょうか?
その主張の馬鹿馬鹿しさについては
>>591で例示した通りだと思いますが・・・
650 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/12(月) 22:34:59.50 0
>>640 >たとえば「アルファ崩壊、ガイガーカウンターの作動、ネコの死」を、君は一意的必然とみなすが、
>それは“約束”にすぎない。崩壊したからといって、作動するとは限らないし、ネコが死ぬとは
>決まっていない。逆に崩壊しなくても、ネコが死ぬことはありうる。
そもそも、これは何を主張しようとして書かれたのかさっぱり意味不明ですね。
小学生でももう少し「ましな詭弁」を考え付くと思われるような「詭弁以前のレベル」
ですよね?
651 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/12(月) 22:51:11.48 0
>>644 >何で愛情が生まれる必要があった?
>決定論では必要ない
人類の個体が他者に対する愛情を持てなくなったら、次世代を産み育てる
個体(親としての人間)が居なくなる…ということを意味しますので、人類は
100年以内に滅亡(全滅)することになるでしょう。しかし、幸か不幸か人類も
他の動物と同様「愛情を抱くようになってしまう脳」を(大部分の個体が)持って
いるので、そうはならない…ということです。
そして「必要」とはそういうことを意味するのであって、「自分個人としては
愛情なんて持ちたくないし、持てない」個体が居ても当然です。
「無理やり愛情を持ちたくない相手に愛情を強制される」よりはそっちの方が
ましだと思いますが…。要は「愛情を持ちたければ持てばいいし、持ちたくなけれ
ば持たなければいい」のであって、「愛情の対象と強度」もあなたの「持って生ま
れたモノと後天的に経験して学習したモノ」によって、「決まっている」だけのことです。
652 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:05:33.62 0
決定論によれば、愛情が無かったとしても、次世代を生み育てることは決定してるはずでしょ
653 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:08:45.67 0
決定論では人類が宇宙で稀な存在ではなく、発生することは必然で
必ずおきるように作られたといっている、
未来でおきることは不確定ではなく未来は必ずくる。
すべては律という観念で支配されるのではなく、機械的な法則原理が
すべてを支配してその見えない部分の法則がすべてを決定しているってこと。
655 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:11:23.61 0
あと、リーク電流については
既に観測可能な量
656 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:14:57.82 0
未来は来るだろうが
何が起こるかまでは決まらない
何が法則原理を決めているのかが分からないのだから
657 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/12(月) 23:19:15.60 0
>>652 未来は決定されているのですが、科学で「こうなるだろう」と予測できる
のは「自然科学」の分野ぐらいです。
最近は「異性に興味が持てない」と悩む若い世代も多いと聞き及びますが、
仮にそれに「社会科学的な構造的要因」があるとするならば、「先進国の少子化」
…という事実の説明になり得るかもしれませんね。
なんでも日本が今のペースで少子化の傾向を継続すれば、100年後に「日本人」
は消滅していることになるそうです。 他の発展途上国も「同じ道」を辿るとすれ
ば、人類の未来は意外と短いのかもしれませんね。
いずれにしろ、人類の個体が全部「うつ病」に罹ってしまったら、あらゆる
「(意)欲」に基づく行為が消滅してしまうし、今のところ「うつ病」の特効薬
は存在しませんので、あり得ない話ではないかもしれません。
仮に人類が「太陽系第三惑星=地球」から姿を消しても「宇宙の壮大な無関心」が
継続を続けるだけのことです。
「栄華を誇った過去の文明」が今の人類にとって「歴史としての興味」以外の
対象にはなり得ない…「滅亡を嘆き悲しんだりする対象ではない」ことと同様です。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>657 >未来は決定されているのですが、科学で「こうなるだろう」と予測できる
>のは「自然科学」の分野ぐらいです。
「未来は決定されている」のならば、それを証明してみてください
あなたは断定表現をしているので、とうぜん証明できますよね?
659 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:29:48.90 0
人間に対しても「宇宙の壮大な無関心」が継続中ならば
異性に興味があろうとなかろうと、
それは少子化とは無関係のはず
660 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/12(月) 23:37:16.87 0
>>658 決定されていない…という要素が一つも見当たらないからです。
例えば「人間の自由意志で未来は変えられる」…という「自由意志感」は
「一種の錯覚」であること等々…については今までのスレをお読みになれ
ば(勿論「意味を理解しつつ」ですが)判ります。
戸田山氏の『哲学入門』では「自由意志」について「物質であるエージェ
ントの外界情報の検討」として位置付けております。…「唯物論」とは
そういう考え方であり、ある程度体系的に理解したければ、上記本の購読
をお勧めいたします。
まだ紀伊国屋本店の店頭付近に「話題本・新刊本」として展示してある
ようです。
本日は就寝させて戴きます。
661 :
考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:43:20.61 0
決定論に於いては外界情報を検討する必要性が無い
そもそも決定論に於いて情報など無い
自動的、無関心な宇宙の動きがあるのみ
662 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/12(月) 23:54:21.39 0
>>661 >外界情報を検討する必要性が無い
猫は猫の脳のやり方で、人間は人間の脳のやり方で「外界情報を検討してしまう」
のです。それが嫌なら「人間(猫)を止めますか?」…ということです。
ヒドラのような原始的な生物でさえ腹にある触覚器官により「学習」を行います。
(例えば)ザラザラなチューブの先に餌があり、ツルツルのチューブの先にはない」
…というような「外界情報」の学習を行って「先に2つのチューブがある分岐点」に
至ると「ザラザラなチューブを選択する」ことになります。
ヒドラも「生物」…「物質として非常に原始的な神経細胞を持つエージェント」だからです。
本日は就寝させて戴きます。
>>660 >決定されていない…という要素が一つも見当たらないからです。
それではまったく証明になっていませんね(笑)
「私は〜と思う」のは勝手です
しかしあなたは断定した「>未来は決定されている」と
哲学的にも科学的にも証明してください
よろしくお願いします
664 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:05:01.37 0
>>662 人間でありたいので
決定論を却下します
665 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:06:27.92 0
>>664 では、観念論で理論武装して、唯物論を論破してや。
ここは哲学板なので、やわな人間原理ではハードな決定論にとても太刀打ちできんよ。
667 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:13:06.99 0
>>663 少なくとも戸田山氏先生の『哲学入門』くらいは読めよ。理解できればだけどな
668 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:15:12.07 0
>>667 読了してます
あなたも読み終わっていますよね?
670 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:21:56.15 0
>>669 唯物論者であることは最初から宣言して書かれているし、最後の章の最後の部分でハードな決定論を執拗に説明しているね。
その意味が理解できるか?ということだよ。
671 :
パンの耳:2014/05/13(火) 00:24:59.70 0
決定してる側なのか 決定させてる側なのか
そんなところから考えてみてはいかがでしょうか
なぜゆえに 宗教や原理は
改革と保守に分かれて戦い続けるのか
>>670 自分なりにね
「物理的システム」と「自由でありたい」という願望のはざまに人間はいるからね
しかし戸田山和久と機械さんは違う
機械さんはもう断定しているのに、いっこうにそれついての証明を示してくれない
昔からね
そういう機械さんに質問してただしたわけです
673 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:31:09.36 0
>>672 唯物論者であり決定論者であることは同じだ。だとすればどこがどう違うのか?
つーか、何を問題にしているのか?理解に苦しむw
>>673 なんか誤解しているようだけれど、私の機械さんへの質問はコレ↓ですよ
663 :考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:59:06.71 0
>>660 >決定されていない…という要素が一つも見当たらないからです。
それではまったく証明になっていませんね(笑)
>>672 あなたはたぶん「証明」という概念を誤解しているんだろう。
戸田山先生だって、『哲学入門』で「唯物論と決定論の証明をしている」
なんて考えてもいないと思うよw
676 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:35:43.19 0
>>673 唯物論とは、「観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方」
決定論とは、「あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。」
ぜんぜん違うだろうが
677 :
パンの耳(T-X):2014/05/13(火) 00:39:34.56 0
コンクリートの方が 縄文杉より ものすごく先輩ですし
化石燃料より 水の方が先輩だし
でも モホ面は もっと先輩だし
まだ誰も 宇宙学校から卒業出来てないけど
電波
678 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:40:10.05 0
>>674 逆に(未来が)決定している…ということが一つも見つからないならば、
未来は決定していないという結論になるんじゃない?
科学って形而上学じゃないんだから「経験」が全ての情報源なんだよ。
そこんところ肝心なんだがやっぱ判らないかな?
679 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:42:00.87 0
排中律とか言ってる馬鹿がいるな
680 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:42:58.60 0
>>676 おまえは戸田山本が唯物論かつ決定論だという基本的な内容さえ
理解できないで「読んだ」とか言ってるわけか?嗤えるなw
>>678 これは論理ゲームをしているんじゃなくて、「みつからない」というのはすべての事柄から「みつからない」ということでしょう
ならば量子力学の不確定性というのはどうなるのか
そもそも量子力学なぞ関係ないということなのか
機械さんはかなり上の方のレスで、ミクロとマクロの力学が断絶してしているのに、それについての質問から逃げました
私はその時に質問者です
682 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:45:21.90 0
地球以外の惑星に生命が一つも見つかってないけど
宇宙人はいないという結論になるのかな
683 :
パンの耳(T-X):2014/05/13(火) 00:46:28.53 0
ヘビの血の涙が乾いてマブタになったの
684 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:47:47.68 0
>>680 戸田山の立場なんか知るかよ
唯物論と決定論は違う内容だってことよ
あとな、戸田山の本なんか一行も読んでねーよ
これが私ですね↓
151 :考える【
>>119】さん :2014/05/05(月) 02:01:56.14 0
>>148 ミクロとマクロの力学が断絶していても、
それで「決定論」を支持できるんですかね?
>>676 Wikipedia中毒患者は意味が解らないからこそそうなっちまうらしい
しっかし、「ぜんぜん違うだろが」には嗤えるwww
字面が違うと全部「ぜんぜん違う」とインプットされる脳って
ウィキー脳っていうんだっけ?
>>684 結構難しいからな。1行も理解できない本なんて手に取る必要もないんだろうなw
688 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:54:40.02 0
>>686 違いが分からんのか?
幸せなことよのお
決定論なんてのはな、そもそも観念論なんだよ
唯物論を徹底するなら、どうしたって非決定
689 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 00:55:59.58 0
>>681 何を指してどこがどう「逃げて」いると思っているのか?さっぱりわからない
俺にも理解できるようにもう少し説明してくれる?
宇宙人がいる可能性は、DNAが自然発生する確率に比例しており、1京分の1より低いです
691 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:00:43.05 0
>>688 どっちが幸せなのかwww
決定しているのは物理・化学法則ではなくカミサマだと言いたいんだろ
カミサマがその時々の人間の行いを見守りつつ決定してくださっているとか言いたいんだろうなw
>>689 べつに複雑な質問ではないですよ↓ あとは
>>119の質問を振り返ってみてください
658 :考える名無しさん:2014/05/12(月) 23:26:57.88 0
>>657 >未来は決定されているのですが、科学で「こうなるだろう」と予測できる
>のは「自然科学」の分野ぐらいです。
「未来は決定されている」のならば、それを証明してみてください
あなたは断定表現をしているので、とうぜん証明できますよね?
693 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:03:07.03 0
>>691 カミサマ?
なんだそりゃ
唯物論において、物理法則は物質によって決まるんだよ
あったりまえだろうが
ふむ、我々も宇宙人の一種だとして我々が存在する確率はどのぐらいかね?
695 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:05:46.24 0
まあ、戸田山の本を読んだところで
頭は良くならないってこったな
696 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:06:54.99 0
>>690 分子レベルの大きさの物質は地球上だけでも一京の数百乗はあるだろうから、
この宇宙にも宇宙人がいる可能性は結構あるという訳だな
697 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:09:12.86 0
>>693 莫迦を相手にするのも辛いなw
物質法則は物質により決まり、物質(の未来)は物理法則によって決まる
今の物質(のありよう)は既に決まっているから、物質(の未来)は既に
決まっている・・・ということだ。
あまえの莫迦も決まっていたことだと納得して許してやるよ。
ああ相手して損した。落ちるわ。
699 :
パンの耳(T-X):2014/05/13(火) 01:16:32.16 0
唯物論においても
主観的擬人法と客観的転義法がないとデジタルソースを
アナログで抽象化できない
これが神話のベースだと思う
700 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:19:07.28 0
>>698 ageたりsageたり忙しいな、おまいは
物質が主体となって世界は活動してるわけよ
その物質の振る舞いが、相当な精度で法則とすることができて
それを人間が理解している
実際、完全無欠、完璧で誤差ゼロの物理法則なんか、どこにも無いわけよ
そんなもんは、おまいの足らないおつむの中にしかないの
分かりますか?
脳内物質が溜まったようだから寝ろ
>>692 「未来は決定されているという言説は「誤り」である」
ということなら証明できるというなら、証明してみなさいw
「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということも一緒に証明するようなことはしないでねw
702 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:27:17.03 0
>>700 ちょっといいですか?
脳内物質っていってっも100種類以上あるんすよ。
あんたの脳内に溜まってるのはアルコールが変化したアセトアルデヒド毒か
安いシンナーかなんかでドープされたドーパミンなんすか?
703 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:29:52.09 0
普通に考えりゃメラトニンじゃねーの
そんなことではしゃぐなよ
はよ寝ろ
704 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:34:14.03 0
※ みんにゃ 自演 ばっかり や にゅあ〜 ホエホエホエ〜♪
705 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:35:21.81 0
名無しに自演もくそもない
706 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:35:34.82 0
>>703 メラトニン不足の不眠症でしたか、お気の毒なことです。
それじゃあ頭が正常に働かないのも無理ないですね。
眠剤でも飲んで安らかに眠りください。できれば永遠に。
707 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:37:10.61 0
悔しくて寝れないのか
いつでも暇つぶしの相手するぜ
708 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:41:41.76 0
痔炎ゲーム氏なのか
709 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 01:44:12.27 0
みんな「考える名無しさん」です
710 :
考える波平さん:2014/05/13(火) 01:44:41.16 0
さてとオナニーでもして寝ようかなあ
どうしようかなあ
以前のレスで860氏と帰納推論と仮説推論の話をちょっとしましたが、
唯物論は帰納推論から、決定論は仮説推論から得られる考えであると思います。
科学というのは、この世の現象を、非生物である物の振る舞いとして理論的に
記述しようとするものです。
対象が生物による生理的現象であっても、そのきっかけを生命に求めることは
ありますが、その過程や反応は物理的化学的に記述されます。
そして生命もいずれ科学によって説明される、と考えることができます。
科学=唯物論と言ってもよく、科学によって説明される領域は広がる一方で、
逆に観念的な領域は科学によって侵食され狭まる一方であり、観念論が唯物論
を押し返したことはない、そこからの帰納的推測によって唯物論が唱えられて
います。
それに対して、決定論を完全に裏付ける現象が認められたことはない、
科学実験等はそれを予想させる現象ではありますが、必ず誤差を含んでいて、
あくまで予想、条件付きの仮説でしかありません。
このまま科学が進展して、誤差も量子ゆらぎも何もかも完全に解明できたなら、
という仮説の先に決定論はあるわけです。
むしろ、非決定論の方が帰納的といえるでしょう。
もちろん、どの考えが正しいかをここで述べるつもりはなく、結論は科学の
将来に託されるでしょう。
科学が、どこかの時点で世界の決定的解釈を断念することになれば決定論も
なくなりますし、その時に観念の領域が残されていれば唯物論もなくなって
物心二元論ということになるのでしょう。
712 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 09:24:12.49 0
>>711 >それに対して、決定論を完全に裏付ける現象が認められたことはない、
> 科学実験等はそれを予想させる現象ではありますが、必ず誤差を含んでいて、
>あくまで予想、条件付きの仮説でしかありません。
量子てベルの大きさの物理現象に関する実験といえば、粒子加速器の実験で
量子どおしを正面衝突させて新しい粒子を発見したりするわけだが、誤差がどうとかなんて関係ない。
分子レベル以上の実験では誤差がどうとかは問題にならないというか、問題となるとすれば
計測機器製作上の技術的誤差であって、適正に管理すれば実証しようとする理論の瑕疵にはならない。
要するに誤差は人間の技術が未熟だから生じるのであって、自然の側に誤差が付随している訳ではない。
であって、
おまいら量子を素粒子と混同すんなよ
714 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 09:28:47.24 0
従って、科学実験で測定誤差が存在することを技術的問題ではなくて、自然の側が決定論
に逆らっているという証拠だと言うことは難しいのではないか?
715 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 09:31:36.49 0
>>713 量子論や不確定性原理が成立した20世紀初めには陽子・中性子・電子・光子
くらいしか量子は無いと思われていたし、その時点ではそれらが素粒子だったわけだよね?
>>715 量子というのは、量の最小単位という意味ですよ。
量子論とは、エネルギーが不連続であることを前提に組み立てた理論、ということ。
まだ陽子も電子も、その姿を見ることができなかった時代に量子論は生まれた。
陽子も中性子も電子も光子も、量子論が発展する中で発見されていったんですよ
そしてそれらを素粒子と呼んでいるんです。「量子=素粒子」というわけではない。
717 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 09:48:42.90 0
>>716 量子力学が言う不確定性が付随するのが量子ということで、昔の素粒子も
現在の素粒子も両方とも量子だということではないの?
技術を完璧にしても、不確定性原理が壁になるから
自然は決定論にはならないよ
719 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 10:00:12.53 0
>>718 具体的な科学技術は決定論を前提にしないと成立しないよね?
国際宇宙ステーションに向けて打ち上げるソユーズの軌道計算に誤差があって
沢山付いてるロケットエンジンの推力計算にそれぞれ誤差があったりしたら、危なくて打ち上げなんて
できないでしょ?
有人ならまだ修正できるだろうけど、はやぶさなんてのはコンピュータ制御だから、コンピュータ自体が
決定論的に予定通り作動してくれなければもったいなくて打ち上げしようなんて気にならないだろうし
>>717 量子論以前には、陽子も中性子も無かったんですよ
いろいろな現象から考察すると、光子も含めて物質の根源はどうやら粒子として方が良いようだが
しかし物質は全て粒子だと考えると、その振る舞いは不確定な要素を
含むことになる。また確率が介入することにもなる。
もともと量子論はシュレディンガーの波動力学とは対立する立場だったんです。
でも、物質の根源が波動であるよりも素粒子だとした方が説明できることが多い。
だから素粒子論で行こう。しかし不確定性原理は受け入れよう、ってことです。
>>719 計算と実際との間には必ず差があります。
だから必要に応じて噴射して修正するんです。
また、コンピュータだって壊れることもある
貴方のパソコンは壊れたことがありませんか?
壊れたのは予定通りのことでしたか?
722 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 10:17:18.69 0
>>721 家庭用コンピュータが壊れるのはほとんどハードディスクの真空が破れるからでしょ?
エクセルの計算結果が間違うような壊れ方はしないと思うけどね。
はやぶさに搭載されているコンピュータなんかは理論寿命100年とかの優秀な物だろうから
事実上壊れないし、計算違いもしないんだろうね。飛行機や新幹線なんかもそうだし、
高層ビルのエレベータ制御なんかはコンピュータの自動制御に利用者の安全を任せている
形にはなるよね?
そもそも機械の誤差の原因が量子力学の不確定性だと考えるのがバカ杉w
>>722 100年の理論寿命なんていうのは空手形なんですよ
エージングをして確かめることなんかできないのだから
コンクリート建築だって昔は、100年は必ずもつ、と言われてたんです
それを信じて高速道路も鉄道も建設されたんです。
でも30年ぐらいでぼろぼろ。理論寿命なんてあてにはできないのです。
信頼性を上げる努力はもちろん必要だし、それは可能なんだけれども
しかしそのことによって決定論が正しいことにはならない。
>>723 機械の誤差の原因が分かっているなら、その原因を除けば良い。
でも原理的にゼロにすることはできませんよ、ってことでしょ
726 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 10:30:09.59 0
>>724 現代の科学技術が完ぺきではないこととの原因が量子論の不確定性にあるという
論理の飛躍に問題があるんじゃないの?
どうしてそう簡単にミクロの誤差理論とマクロの誤差理論が整然と結びつくのか
判らないし、それを証明したら間違いなくノーベル賞ものだと思うけど?
>>726 完璧にはできない、ってことが原理として表明されている
ということですよ。
マクロの計測機器であっても、精度を上げれば上げるほど、量子論的な効果が無視できなくなる。
そして完璧な科学技術とは、素粒子1つの振る舞いを制御できなければ完璧とはならない。
しかし不確定性原理によって、それは不可能。
普通に考えられることであって、飛躍ではありませんよ。
>>727 マクロ世界を扱う科学理論で決定されているということを前提に
進められている研究にいちいち「量子力学的不確定性はありますよね?」
って断る馬鹿はいないだろう。
機械氏も言っていたように大数の法則で量子論の不確定性はマクロとは
関係ないことが明らかになっている。
太平洋の水分子の1個1個の動きを予測できなくてもそこを航行するフェリー
やヨットの設計には支障がないことと同じレベルの「レベル差」を理解しないで、
判ったようなことを言わないほうがいいと思うよ。
太平洋とは言わず、ビーカーに浮かべる模型の制御にだって量子効果なんて関係ない
729 :
パンの耳:2014/05/13(火) 11:28:04.80 0
まだやってんだ ・・・・・ Lumi O sum GAME
>>728 はやぶさの打ち上げは映画化もされたけど、トラブル続きだったらしいじゃん
関係者が言うには「うまくいったのは奇跡だ」みたいな話らしいじゃん
映画見てないけどね
でもさ、シミュレーションが完璧なら、打ちあげたらあとはコーヒー飲んでのんびりしてりゃよくね?
もう少しで莫大なお金がパーになるところになるなんてなくね?
いつの日か、打ちあげた後は何も見なくても成功を確信してコーヒー飲める日がくるのかね?
731 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/13(火) 11:29:50.38 0
>>649 >(観測開始)までの時間『半死半生というミクロの状態』を保っていると…
このいい方は、ウィンズ君も指摘するように科学的にはナンセンスなのである。
それが現象する前に、それのありようを確定するのは不可能。空想することはできるが。
ミクロ(深層)とマクロ(表層)が、あたかも断絶するのは“観測によって”である。
ただし、本当に“断絶”するとは機械さんも思ってはいまい。
『シュレ猫』でいえば、ネコの生死(マクロ)は“ミクロの結果”である。
これは機械さんも、そう述べていた。この実験が明らかにしたのは、その点だけともいえる。
『シュレ猫』は、それを露骨に示す思考実験である。「ミクロがマクロを決める」あるいは「深層が表層を…」いのち君ふうに
いえば「模様づける」のは、この実験を離れも、いわば常態である。ただし、どのような経緯で決定する(模様づける)のか、
それはまだわかっていない。原理的(絶対)に不可知なのか、技術的な理由によるのか、それさえも…。
>>730 地球の反対側にある針の穴に糸を発射して通すプロジェクトみたいなもんでしょう。
だから日本の制御技術の優秀さに世界中がびっくりして脱帽せざるを得なかったんでしょうね。
733 :
パンの耳:2014/05/13(火) 11:38:28.16 0
MAXプランクの まくろひすとりー?
それ シリアル使った「 黒歴史 」の売買でしょお
土地転がし と フンコロガシ
One Package にすれば仮想宗教団体に高く売れるからってはなし
X-Ray spc
「観測開始」って言うと
「人が箱の蓋を開けるまで」みたいなイメージでとられやすいけど
多分、もっと前段階なんだよね
それは多分、「何かと衝突するまで」みたいなイメージだと思うんだよね
「観測前」「観測後」ってのは「衝突前」「衝突後」みたいなものじゃないかな?
そんなイメージだと思うんだよ
すると「観測以前のそのもの」ってのは「まだ何とも衝突してないそのもの」ってことになるかもね
>>732 打ち上げた後もドタバタだったらしいじゃん
映画化したぐらいだから。
ドタバタするぐらいなんだからシミュレーションブレブレじゃん
シミュレーション通りなのにドタバタする人はなかなかいないよ
でさ、精度でいったら、年末特番のストラックアアウトとかもすごいよ
柿谷やメッシのシュート精度は神業クラス、あれはホント神だよ
プロゴルファーも異常
僕もある競技のプレイヤーだけど、そこにおいて精度は常に意識してるよ
ただ、精度に限界があることも常に意識してるけどね
736 :
パンの耳:2014/05/13(火) 12:01:14.19 0
Slap Stick w
737 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/13(火) 12:03:10.43 0
>>650 その文意がとれないとすれば、機械さんは幼児に帰っているのかもしれません。
思考実験では一義(意)的に推移を定める。「崩壊すればネコは死ぬ」というふうに。
しかし「実際はそうなるとは限らない」ということを、ややオーバーに語っただけ。
一義(意)的に事象が推移する、という信念を抱くのは機械さんが一種の絶対主義に
というか、幾何学的幻想に囚われているから。事象は常に“確率的”なのである。
(ここから先は空想だが)それは存在の果て(根源)がモノ(粒子)ではなく、コト(量子)
だからである。
738 :
パンの耳:2014/05/13(火) 12:12:13.59 0
funny naked video sky diving lol funny video
ぐぐってみ
パンの耳は一日に一回だけ来てくれればいいっす
740 :
パンの耳:2014/05/13(火) 12:23:03.89 0
ネタぜんぶ ばらして 終わらせるつもり
741 :
パンの耳:2014/05/13(火) 12:23:58.64 0
カルト宗教は いらない
742 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 12:25:51.58 0
>>738 横レスかもしれないけど、「アルファ崩壊が起こったらガイガーカウンターが作動して
青酸ガスを放出して猫が死ぬ」という装置を作った場合・・・という思考実験の趣旨を理解してないんじゃない?
ガイガーカウンターが作動しないかもしれないじゃん!とか青酸ガスが他のガスにすり替えられてるかも
しれないじゃん!とか青酸ガスを吸っても死なない猫がいるかもしれないじゃん!とかは、
機械氏の言う通り「小学生レベルの突込み」としか思えないよ。
743 :
パンの耳:2014/05/13(火) 12:30:12.32 0
けもの編 に なえ って描いてある
記号ならべらだけじゃん
ジャガイモの芽つまみ食いしたんじゃないのw
どこの 言葉だよ ってはなし
744 :
パンの耳:2014/05/13(火) 12:31:30.69 0
FOX アングロKKK と手を切りな
バビロン に とどめさしてやるから
>>742 勿論ゲーム氏は冗談で言ってるのかと思ってたけど、本気だったんだw
>>735 地球の反対側の針の穴にこちらから発射した糸を通す
というプロジェクトの困難さがポイントなんだけどな、わかんないんだろうな
じたばたしようがアタフタしようが一応成功したこと自体が偉業であるということ
プロプレイヤーのスーパープレイと同列に論じるのは自分の趣味に目が曇ったガキの見方
時間がないとしたら因果や決定論にどう影響すんのかな?
748 :
パンの耳:2014/05/13(火) 15:30:27.12 0
= 決定じゃん ただしその決定の在りかたに対して
保守と改革が 分かれて 原理戦争やってんの
その辺は やっぱ 池田晶子の なんか「 !!!! 」
みたいな 感覚
彼女 わかってたんけど 哲学しちゃったからさ
物理的に考えたら 瞬間の連続性 なんて
同期振動で 説明つくのに
749 :
パンの耳:2014/05/13(火) 15:37:03.07 0
固定時間軸の 中心をリムに固定させて(いわゆるバビロンね)
回転させると 重心がぶれてバイブレーション起こすでしょお
実際は 相対するように位相重ねた 2重構造なんだけど
それが 光りと同じ速さだったら
360°固定の ひろがれないディベート 超ひも理論
= 仮想大気圏内で地質によって物理構成された ○
750 :
パンの耳:2014/05/13(火) 15:43:03.63 0
事象上 輪廻とか カルマとか
それで ぜんぶ説明がつくんじゃないの
素粒子物理に その波動つかって
計算上はハーモニックスポイントで文明事体 発生してんだけど
SSの森羅万象なんて 資本論の新興宗教みたいなもんだし
もう そんな時代じゃねーだろ ってはなし
751 :
パンの耳:2014/05/13(火) 15:47:26.69 0
クラインのツボ そのままじゃ 海鼠のゲロみたいでしょお(笑)
ちょう ぱらどっくす
パンの耳はしんでしまえ
そくしせよ
753 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 17:36:43.15 0
『法哲学入門』 大川 隆法 (2014/5/20)
¥ 1,620 単行本
>>746 それが偉業だから何なの?
僕だって仕事で数字を扱ってた
僕の精度は多分群を抜いていたけど、僕はけして未来予知をしているわけじゃない
今では部下の教育も人に任せてて、まったくタッチしてないけど
僕が教える時は常に「シミュレーションと現実は違う」という言葉を語ってたよ
現実がシミュレーション通りに行くとは限らない
でもシミュレーションとトライアルアンドエラーこそが現実をうまくいかせることができる
シミュレーションの中に没頭して埋没する時、意図しない失敗というものは訪れる
これはフォン・ノイマンの哲学なんだよ
まぁ、「精密さ」というものはどこまでも追求していくとキリがない
「精度」というのは、実は目的達成のための枠組みでしかないんだよね
そこを知っていて、「完璧な精密さの追求」が実は観念論の類であることを知っていれば
シミュレーションの類は有用に扱える
ところで、「成功したこと自体が偉業であること」なんて文章からは
それをスーパープレイと同列に論じて良いいうことしか伺えないんだが
相手に伝えるならば、自分の意図したことを伝えることをする努力をすべきだよな
まぁ、僕は最近、「人は死ぬまで変わらない」という論にショックを受けて、諦めてはいるんだけどね
人は議論では変わらない
時代が変わるということは古い考えの人が死ぬということだ
「新しい理論が古い理論を駆逐する」ということはありえない
古い理論の人が死んでいなくなってはじめて、新しい理論が世に出る
そういう言葉にショックを受けて、このスレへの書き込みを控えてた
だから、まぁ、ディスコミュニケーションはそれ自体しょうがないんだよ
罵り合いと分かりあえないことこそが世界の本質なのだから
>>712 >計測機器製作上の技術的誤差であって、適正に管理すれば実証しようとする理論の瑕疵にはならない。
そこで実証されるのは物理法則、ある現象に物のふるまいとしての法則性が
見られるという唯物論的な話であり、ふるまいの結果が決定された値をとる
ことではありません。
技術的誤差をなくせば決定された値が得られる、というのは仮説であって
事実ではありません。
結果の値にばらつきがあっても結果の方向性が法則によって確定している、
と言うのであれば、それは
>>376 で述べたように部分的決定論や条件付き
決定論、またはばらつきが常に確率的な範囲内に収まるとする確率的決定論
になるわけで、それならばその立場を明らかにして語るべきでしょう。
くれぐれも念を押しますが、
>>711 では決定論を否定してはいません。
現時点では仮説に基づいた推論による考えである、ということです。
上の方のレスで、唯物論と決定論の違いについて議論されていたことに
ついて意見を述べています。
>>728 >機械氏も言っていたように大数の法則で量子論の不確定性はマクロとは
>関係ないことが明らかになっている。
明らかになっていません。
そのように考えて確率を含んだまま理論を構築しようとする人達に向けて、
「量子1個のふるまいがマクロの世界に影響を及ぼすような装置があれば
パラドックスになる」と提示されたのが、まさに上の方で議論されていた
シュレディンガーの猫の話でしょう。
758 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/13(火) 19:01:41.75 O
>>756 >「新しい理論が古い理論を駆逐する」ということはありえない
なこたぁない
760 :
哲学者最高位置 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/13(火) 19:22:26.05 O
>>633 >「原因が原理的に分からない」?「原因が判らないことが、原理的に証明される」という事?、もし貴方が其れを認めちゃうと話が終わっちゃう。
核力を超えるだけのエネルギーをα粒子が持つ
タイミングが原理的に分からないという事です。
雑な表現でしたね。修正します。
>ちなみに猫の例では立派に原因はある、因果はある、非決定(確率)なだけだ。
そう。ここまでは同じ考えなんですがね。
>区別するのは一向に構わないんだけど、決定論の条件は「結果はその前の事象によって一意的に決定される(確率ではダメ)」ということなのですよ。
うん。何故ダメか。
>ですからA(アルファ崩壊)の後に(ガイガーカウンターの作動)が起こりC(猫が生死が判明)が判ったら、AがCを一意的に決定(確率ではダメ)したと言えなければなりません。
アルファ崩壊の後からは一意的です。
>それぞれの事象の区別は構わないが断絶はダメなんですよ。
何の、どういう「断絶」ですか。
私は断絶は無いと考えますが。
>>635 とりあえず端的な質問ですが、
以下の対象は存在しますか。
・50℃の水
・正三角形
・直線
で、リーク電流という現象について
「観測が電位を起こしている」
とあなたは考えますか。
763 :
哲学者最高位置 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/13(火) 19:56:48.23 O
>>757 ちなみに「決定論」というのは
「決まっている」という価値観を持ち込んだ論であり
観念論的な側面を持っています
未来の姿が、無形なる形で、どこかにある
(決まっている)
といった「神様」の視点のようなものも前提しています
>>638 >日常よく目にするガラスの透過率が何故50パーセントなのか、其のメカニズムを不思議と思わないのだろうか?
いや不思議に思いますね。
で透過率についてですが、
恒常的に50パーセントなら確率的なふるまいではないですよね。
厳密には反射率は揺らいでいるのでしょうが、
ひとまずその辺りはどうなんでしょうか。
位置に突っ込んだ方がいいですか?
>>640 >これについては、じいさんが指摘しているので重複は避けるが、あえて「わからない」のではなく、
>「原因はない」と述べたい。量子的事象は、一義(意)的因果連関として表記できないということだ。w
はい。では量子スケールの事象では因果律は破れると?
>それは“約束”にすぎない。崩壊したからといって、作動するとは限らないし、ネコが死ぬとは
>決まっていない。逆に崩壊しなくても、ネコが死ぬことはありうる。しかし、そこまで広げると
はぁ。ガイガーカウンターの作動は確率的だという事ですか。
そうだとして、その確率的ふるまいは量子のそれに依存しますか。
>この実験が明らかにしたのは「ミクロがマクロを規定する」ことだ。ネコという一個の存在は常時、
どういう一般化ですか。
>「ミクロ」に規定され続けている。「マクロ」と呼んでいるのは、いわば“存在の表層”であり、それは
>深層の“結果”である。これはマクロの連鎖にも“一義的因果”が、厳密には「ない」ことを意味する。
うーん。例えばトンネル効果は人間でも起きますか。
量子スケールとマクロスケールの関係が曖昧過ぎてわからないので、
そこから答えてもらいたいんですが。
>>762 質問からしてw
数学的実在論について語りたいの?
プラトン主義?
別にいいけどさ
物理学の話題と形而上学の話題は分離できるなら分離した方がいいよ
嫌いな人は嫌がるだろうから
768 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 20:17:31.55 0
最高位はウンコマンです。
>>767 どのレベルまで、「無い」と言うのかなと。
とりあえず50℃の水だけでいいですよ。
50℃の水は実在するか。
決定論が形而上学であるのに、何を今さら。
決定された世界線とでも言うべきか、アカシックレコードでもいいですが、
それを示せと言われれば、ハードだろうがソフトだろうが決定論者は
「現実的に不可能、ただし理論的に可能」と答えるでしょう。
量子スケールの事象について確率的決定論を採るハイブリッド版にしても、
基本路線は変わらないと思われます。
今物議を醸しているのは「理論的に可能」の部分でしょう。
これについて「存在し得ない」と考えるのか、
そこのところを比較的いろいろ自覚的な人に聞いた方が
論点は幾分見えやすいかと思いまして。
>>762 それは厳密な意味ならば「存在するかもしれない」とは言えるけれど
「存在する」と言い切るのは躊躇しますよ
直線は無限の長さを持つので、存在しないと言いきっていい
例えば「宇宙の隅から隅まで観測してみなければ、存在するかどうかは
わからない」という答えは、winds氏的にはどうなのですか。
>>769 「熱」ってのは分子の運動量(エネルギー量)でしょ?
だから、周りの気圧によって分子の形態は変わる
気圧がとても低いところでは50度でも水から水蒸気になったりしてしまう
周囲の気圧と分離された「50度の水」ってのは観念的なものではないですか?
>>773 1気圧の環境下でおなしゃす。
あ、1気圧の環境は実在するか。
これでもいいな。
775 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/13(火) 20:42:07.03 O
>>772 別に構わないと思うよ
「分からない」ということは大事だよ
分からないものを語ることこそ知的営みだからね
持続性が無いから存在しないといえるだろう
>>774 形而上学的に答えれば、「ユニコーン」も実在すると僕は考えてるよ
「実在(reality)」ってのが意味するところってのは数学的なものだと僕は考えている
哲学史的にもプラトンのイデア論の系譜を「実在論(realism)」と呼ぶ
でも、そんな答えを知りたいんじゃないんでしょ?
779 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 20:47:45.71 0
最高位は性格が悪いから大嫌い。
ユニコーンのどこが数学的なんだよ・・・
>>778 >形而上学的に答えれば、「ユニコーン」も実在すると僕は考えてるよ
形而上学的に実在する。
中々これも甘美な表現ですね。
「物理法則は紙の上に存在する」
今思えばこれも中々たまらない。
>「実在(reality)」ってのが意味するところってのは数学的なものだと僕は考えている
>哲学史的にもプラトンのイデア論の系譜を「実在論(realism)」と呼ぶ
>
>でも、そんな答えを知りたいんじゃないんでしょ?
基本的にyesかnoの質問をしているつもりなので。
私はそれほど教養深くも論理的思考に優れている訳でもないので、
もう少し具体的にpositiveに話をしてもらいたいのです。
>>782 形而上学ってのは明証的なものではない
まぁ、形而上学自体がニッチなものではあるけどね
数学の本質は言葉・・・
言葉の本質って何だよ・・・
訳: はっきり答えられるものではないし、
答えたところでわかるとは思えないんだよね、
やれやれ。(でも本当は寂しい、俺はやれるぜ。)
で、いいですか。
>>784 言葉の本質を仮に「A」と答えたとするじゃん
すると「A」の本質は何だよ?って質問できるでしょ
この問答は原理上永遠に続くでしょ
だから不毛
プラトンが語った「イデア的存在」ってのは、数学的、抽象的なものなんだよ
そして、それは言葉と共に顕れるものでもある
我々の周囲をとりまくものは常に具象的なんだよ
「抽象」ってのは言葉の特性
しかし、普通に考えれば49℃の水を沸かして51℃になったら、
「どこかの時点で50℃の水は存在した」と言えるのではないか。
厳密に言うとアキレスと亀みたいな話になりそうだが。
だったら最初から数学の本質は言葉とか
適当なこと言うなよ
>>787 その仮定には抜けているものがある
その水はただの水ではない
「温度計を指した水」だ
「温度計を指した水で、温度計の温度が50度を指している水」はありえるよ
それはとても具体的でしょ
で、プラトン的実在論と対になる唯名論って考え方だと
「50度」や「水」はただの名前でしかない
だから「50度の水」ってのも実在しない
まあ、数学の本質が言葉であるはずがないわね
他者と共有される「数学的世界」があって初めて
そこに言葉を適用できるわけだから
悲観的帰納を超えて悲劇的帰納ですからね。
次、
「50℃の水」の「意義」としての対象は存在するか。
>>790 その理屈なら、温度に関係なくそもそも「水」など存在しない、というべきでは。
唯名論的にはむしろ「50℃そのもの」や「水そのもの」は存在しないが、
具体的な個物としての「50℃の水」は存在するのでは。
「それ」を「50℃の水」と定義すれば存在するんじゃないの?
という答えが帰ってきそうな気がする。
では、
ある定まったレベルの分子運動を行っている水分子は存在するか。
と私は問います。
多分、「観測できないので存在しない」となる。
では果たして、観測は存在の条件か。
それって観念論ですか。
つづく。
まぁた文法遊びか
何とでも言えるっぺやそげなもん
真値があるかどうかに集約させたのに、拡散してますね
量子はある程度制御できるとかいう話の方が発展性ありそうなんですけどね
名無しの意向なんて、ここでは誰も気にも留めない
お前もなwww
ここで相手してもらいたけりゃコテハンになりな
名無しは余程の文章力がなけりゃあ雑魚扱い
言葉の定義をあいまいにしていいのなら、何とだって言えるわ。
そのへんの湧き水をペットボトルに詰めて「50℃の水」という
ラベルを貼って売り出せば、間違いなく「50℃の水」は存在する。
キンキンに冷えていたって、実は水ではなくてコーヒーだって、構いやせんw
どのレベルまでなら真値は存在しますか。
直線ですか、50℃の水ですか、サイコロの目ですか、アカシックレコードですか。
またそこでの「存在」とはどのような意味ですか。
「誤差があるから真値はない」
これが一つの論点の急所でしょう。
「量子スケールの現象は確率的であるから決定論は幻想に過ぎない」
これがもう一つ。
(何故かこれらを混同している人が確定的に一名。)
付随的に、
「決定論は仮説推論である」
という面白い指摘がある。
じゃあ機械さん頑張って。私寝ますので。
>>801 なんか860は機械に似てきたなww
ほめてるんじゃないぞw
分けることができると思う人もいるのだな
はたしてそうかな?
「誤差があるから真値はない」
見返すと名言だなこれは。
本当に寝ます。
名言なのか・・・
分からん
はたして迷言ではないのかな?
808 :
考える名無しさん:2014/05/13(火) 22:33:41.82 0
「量子スケールの現象」ではなく
量子論的な観測方法に於いて観測装置に現れる現象
の方が正確ではないだろうかな。
ミクロの様子を知ろうとする努力の結果だから。
一方で分子運動論に於ける各分子とその状態は、純粋に「モデル」だな。
熱力学をニュートン力学で説明しようとする努力であって、
ミクロの様子を知ろうとしているわけではない。
まあ、どうでもいいですか。
本当にどうでもいいのかな? ウヘヘーーーーー♪
810 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/13(火) 22:52:46.72 0
「50℃の水が存在しえるかどうか?」なんてどうでもいい思考実験?は
それこそ「どうでもいい」ような気がいたしますが、何の為(目的)の思考実験
なのでしょうか?
「温度計を突っ込むと熱を奪われるので、温度計を突っ込む前の水の温度はもっと高い」
とかの屁理屈を言う方がおられるからでしょうか?
実験室でビーカー内に「50℃の水」を作るのは簡単でしょう。
屁理屈で突っ込むとすれば「何でそれが『厳密に50℃の水』という存在なのか?」と
いうものになるでしょうか?
私なら小保方流に「50℃の水はありますっ!」て言うだけで済ませるでしょう。
「突込み」としてもっと気のきいたものは「50℃の水なんかある訳はない。湯ならあるけど」
というものでしょう。
バスタブに張られた「50℃のH2O」は確かに「水」ではなく「湯」ですから。
それにしても観念論者さん達は「言葉遊び」が好きなあまり、「外界の実在」も
「自分の言葉遊びに従って生起する」と思いたがる病「観念論的自己欺瞞」に陥りやすい
ものだとつくづく感じてしまいます。
何度も申し上げますとおり「外界で生起する現象(の情報)が神経細胞を伝って脳に到達」
したからこそ「何かがある」とか「何かが何かである」とかの「認識」が生じるのであって、
決してその逆(何かがあると考えたから何かが存在し始めた)訳では「ない」のです。
機械氏まで言葉遊びですか?
┐(´д`)┌ヤレヤレ
>>810 ある科学的な対象が存在するためには
それが観測されなくてはならない。
観測行為は必然的に誤差を生じるから、
その対象そのもの(まさに厳密に50℃の水)は実在しない観念である。
(例えば、等速直線運動はあり得るか。
更に言えば、数学的点は存在するか…等も同じ様な問題。)
素粒子などについてはさらに顕著であるが、
理論上の理想的存在(Idea)を世界に押し付ける形で、
現実を「構成」する科学が「真理を発見する」とは、
実際は「ある見方で世界を見ている」だけであり、
「客観世界」について知った気になっているだけなのだ。
こういう議論に対して「50℃の水はあります!」と言ってしまうと、
「やっぱり「見なし」ているだけだね」と返される。
現実に生じるミクロの誤差に対する反論としては、
科学理論のホーリスティックな体系としての整合性と、
そこに用いられる数式の普遍性と客観性を示せばいいと思います。
誤差を前提としない数式で世界を説明できており、
それらを含む数式群としての理論体系は理論としての整合性において必然。
ここまで帰納的に言うことができれば大体良しかと。
あなたはそういうの得意でしょう。頑張ってください。
機械氏は科学的実在論者のように見えてそうではない。
だから皆さんの攻撃にビクともしないのだ。
俺はそれに1年前気付いたね。
客観からの「そう言うしかない」と言う厳しい物言いなのだ。
814 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/13(火) 23:50:02.89 O
何を言われても揺るがないのはプラトニスト的背景があるのだと。
機械さんは矛盾のかたまり
質問されても別の内容にスライドさせるからね
先行逃げ切り型だと思う
まず、いわゆる主観も現象の範疇だから主観的発言自体に誤謬が含まれるという前提だ。
だから、主観から遠い地点からの発言となる。
>>813 >客観からの「そう言うしかない」と言う厳しい物言いなのだ。
心酔してるねーあなた。
まぁその「客観」の客観性って
借り物の科学知識と、論敵を「観念論者」と
戯画化して面倒そうな論点を無視することで
体裁だけ保っているんじゃないの、とも言えたり。
「クオリア」による構成主義とか取っちゃったりして
自分の理論の方は色々とっちらかってるし。
まぁここでの議論の中で相対的には無駄に厳しい見方ですが。
決定論が観念論じゃないのか、とか
量子論と決定論の折り合いをどう付けるつもりだね、とか
諸々無視できない論点が出ていると思いますよ。
最初から話聞いてないんですよ、見るべきものしか見えてないというか。
「科学の最終真理」は信念…というか仮説として
まぁ安パイというか、妥当なところだとは思いますけどね。
うろ覚えだけど戸田山の哲学入門に決定論はあやしいみたいなこと書いてあったけど
あれどういう意味でいってんのかな?全部読んでないからわからんけど
適当な印象で言ってんのかな?
決定論は完全に形而上学です。
それ前提ですよ。
今のところ、科学的見地からの攻撃では砲弾も届きません。
>>819 メカニズム決定論ね。
神学的決定論、物理学的決定論とか、
「完全な決定論」は採らないらしい。
で、メカニズム決定論とエージェントとしての「自由」は両立しますよと。
エージェントとしての自由、コントローラとしての自由は
道徳的自由意志にまで拡張されると思われるが、
ハードな決定論の余地もありそう…。
両立主義を支持するけども、駄目かも知れない。
認知科学で「自由意志」はどんどんデフレ化していくだろうし。
でもハードな決定論を受け入れても道徳は残るよね、
だから別にそれを怖がることはないよ。
こんな感じ。
822 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:26:03.68 0
>>812 >現実を「構成」する科学が「真理を発見する」とは、
> 実際は「ある見方で世界を見ている」だけであり、
>「客観世界」について知った気になっているだけなのだ。
そんなこと言う方がほんとにいらっしゃるのでしょうか?… なぁんて思いますが、
観念論者さん達の中には居るんですよね。
誰だってラプラスの魔ではないのですから、限られた時間を生きる「人間という
動物」として「宇宙の全情報」を緻密なピラミッド状理論体系として関連付けることなど
(事実上)出来るわけはありません。
しかし、所謂「哲学」の分野で所謂「観念論」のドイツ語の古典の読解(それも限られた
分野・哲学者)に明け暮れてる間に、自然科学の分野で決定的な発展があったわけです。
「量子力学と宇宙物理学」という「世界の極小端と極大端」 が「同じ理論」でいわば
「結婚してしまうような事態」が訪れたので、観念論の述べる「認識論・存在論」があっと
いう間に「事実上陳腐化」してしまった…という「昨今の知の状況」を哲学に興味を抱いている
方たちに気づいて欲しいという動機から、10年ほど前に
>>1を書いた訳です。
ご存じのとおり「オレは唯物論者だ」と臆面なく公言する大学教授が現れたのは「ほん
のつい最近のこと」ですので、まだ殆どの「哲学アカデミズム」は依然として「存在とは
ぐにゅぐにゅ…認識とはぐじゅぐじゅ…」という「形而上学」を繰り返している現状に
大きな変わりはありません。
>>1の最後の部分「全宗教全観念論は徒労です」に一人でも多くの方に気づいていただ
ければそれでいいと考えます。
823 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:27:29.29 0
戸田山先生が『哲学入門』で最終章で「知らないでしょ?」と教えてくれた4名の
「ハードな決定論者」(勿論唯物論者)の方向性こそ「21世紀の哲学が進む(べき)方向」
であり、もはや 「観念論・形而上学・思弁哲学」に読書家の貴重な時間を割く哲学学習
システムは廃止する方向に持っていくべきだと考えております。
要するに「観念論」のコペルニクス的転倒ともいえる「唯物論」を哲学の主流にしなければ「哲学」は「無用のパズル」に堕してしまうと考えます。
そのためには「基礎的な科学の知識」を「分野を問わず」ある程度身に着ける必要が不可欠であると実感しております。
その手段としては「サイエンスゼロ」とか「NHKスペシャル」とかのTVの科学番組も結構十分に役に立つ情報源であると思いますが、
確かに「ある程度の体系的基礎知識」がないと逆に誤解したり理解が浅くなったりする可能性はある …とは思います。
別の言い方をすれば「すぐWiki!習慣」は結局思考力を鈍らせるだけなのでは?と感じております。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
824 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:30:46.06 0
>>821 ところで、「あなた」は本当に道徳は残ると思いますか?
>>822 あれはクラシックだから。
クラシックのホールで演奏している間にうたた寝している観客の数はかなり多いらしいよ
>>824 そもそも「アルゴリズム」としての「私」を消去できないので
ハードな決定論が不可能と考えます。
まぁ責任論としての道徳は残るのでは。
827 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:35:10.47 0
>>821 聴いておいてすみませんが…。
遅いので、本日は就寝させて戴きます。
>>823 > 戸田山先生が『哲学入門』で最終章で「知らないでしょ?」と教えてくれた4名の
>「ハードな決定論者」(勿論唯物論者)の方向性こそ「21世紀の哲学が進む(べき)方向」
>であり、もはや 「観念論・形而上学・思弁哲学」に読書家の貴重な時間を割く哲学学習
>システムは廃止する方向に持っていくべきだと考えております。
またでましたね、「4人の著作を読まずに絶賛するという愚策(笑)」
もう笑うしか無いですが、そもそも戸田山和久と機械さんはかなり違うでしょう
都合のいいようにスライドさせていく、詐欺師的エクリチュールにはもうウンザリですね
道徳とか結局目的から要請される規範だよな。
究極の道徳には究極の目的が先行する。
830 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:41:40.03 0
>>826 >そもそも「アルゴリズム」としての「私」を消去できないので
コンピュータのアルゴリズムは当然「決定論的に振る舞う」筈ですけど、
そういういう意味でおっしゃることがよく判りませんね。
831 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:43:45.63 0
>>826 >まぁ責任論としての道徳は残るのでは。
感想ではなくて「根拠付き」で説明できますか?
戸田山は あらかじめ決定されているといった全面的決定論を採る必要もない
採ってもいいのだが きっと間違っている と書いてある
この きっと間違っている が気になったけど
自由意志とのからみではなく なんでそう思ったのか書いてないみたいね
834 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:48:48.03 0
>>829 「責任論として」「責任を問う」とか「責任の所在を明らかにする」というのは「究極の目的」
ではありえませんよね?
「何の『為』に責任を問うのか?」を説明できなければならないということでしょうね。
>>830 ある入力が「回路」を経て出力される
例えばある楽器にはその楽器の音色があり、
それは決定論的にふるまうとして問題ない。
そういう事です。人間ならもっと多彩でしょう。
ちょっと観念論的でしたかね。
>>831 「あるアルゴリズム」による行為が成り立つなら、
「その人の行為」が成り立つ。その意味で行為には責任が伴う、という事です。
究極の目的とかね、結局、陳腐になりますよ。
本読んでねえけど戸田山ずるいな〜。
責任というのはシステムのほうが責任主体を要請するという、言わば価値観からの産物ですよ。
838 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:54:30.88 0
>>833 戸田山先生は「全面的決定論を採ると宣言すると『道徳相対主義者』との
批判を浴びる惧れがある」ということをご存じなので、周到にそうならないよう
な書き方をされておりますね。
本音は「最終章の最後の部分」で「執拗に」言及している「ハードな決定論」を
信じて揺るぎないのだと読んで差し上げるべきだと思います。
責任論とか、社会システムのほうが規定するものだ。
出ている音が良い楽器は、その音を出している楽器自体が良い。
責任ってその程度の話ですよ。たぶん。
841 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 00:57:25.90 0
>>835 「神に対する責任」が存在するとしない立場(当然ですが)において、
「何に対する責任」になるのですか?
842 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 00:57:30.98 0
どっちも寝ないのね
似てきたなw
>>838 生きてるし名古屋大学に居るから本人に聞けよもう。
どうしてそこで陰謀論めいた方向に走るか…。
まあ唯物論者ならば決定論はかなり魅力的でしょうね
845 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/14(水) 00:58:52.83 O
形而上とか観念を、平気で前提してますが
唯物論では、論理的な飛躍があるんですよ
唯物的な因果律では、主観性は扱えないんです
>>843 それが機械さんの「逃げ道を用意」しておく策ですよ
あとで自分の考えをどうにでも転がせるでしょ
いつもそうです
847 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:00:45.88 0
強い機械氏と弱い機械氏しかいない決定論スレ(世界)に長生きできる未来なんてないよ
>>841 私の発言は私のものだとか。
自分の尻は自分で拭くとか。
自己責任という意味での責任ですが。
何に対してのと言われると困るような。
849 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 01:02:05.96 0
>>843 陰謀論なんかではなく「(思想)本の読み方の基本」ですよ。
ある時は因果から独立した主観を言い、ある時は客観との関係性の中で因果に取り込まれた主観を述べる。
これ混乱しますよね。
851 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 01:04:02.54 0
>>848 困るでしょ?
ですから「責任は残る」という言明も「デフレ消滅」する可能性がありますね。
>>834 責任論ってのは興味ないんだよね
あれは決定論文化の残りカスみたいなものよ
誰か研究してるのかなぁ?
ただ、誰もが責任から逃れようと無責任に誰かに責任を負わせる
その構図は醜いと思う
そういう思考とは関わりたくないと思うんだけど、日本はそういう思考の人が多い
>>851 かもしれません。ただそれも飛躍ですね。
854 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 01:07:07.15 0
>>853 「飛躍だ」と全く根拠を示さず断定すること自体が「飛躍そのもの」なのですがね。
道徳的な行為は道徳的な考え方をするような脳の状態から得られると
考えているので、決定論であろうが非決定論であろうが、道徳は消え
ないと思います。
そして決定論が正式に認められるような世の中であれば、その時には
どのような脳の状態が道徳的、または非道徳的な考え方をするのかが
判明しているでしょうから、赤ん坊が生まれた時や定期検診の時に脳
の状態も検査されて、非道徳的であると判定されたらパージされるか、
矯正の方法があれば矯正されるかするのだと思います。
>>836 その陳腐なものが実は結構浸透してたりするんじゃない?
君自身にも
中二病的に「闇」とかそういうのを好むのもいいけどさ
病的な拒否は中二チックにしか感じないよ
857 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:08:59.44 0
感覚>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>文字
神経細胞の伝達が速ければ、いちいち揚げ足を取ったり考えたりする必要が無くなる。
意識の自動化だね。
>>854 今のところは、です。
自己に対する責任、では不十分なんでしょう。
それが不十分だと、ここですぐに判断しかねるという事です。
859 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:13:23.72 0
機械氏を崇拝することが道徳ですか
どこ見渡しても機械氏しかいない世界なんてぞおとしますねw
道徳というのは法則がないから
地域や国によっても違うでしょう
だからそれはそのまま「自由意志」の問題につながっているわけで
共通しないというのが痛いですよね
861 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:15:49.30 0
科学の発展て必ずしもその有用(決定論的道徳)から生じたものだけではないでしょうに
862 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/14(水) 01:18:38.94 0
>>855 >道徳的な行為は道徳的な考え方をするような脳の状態から得られると
>考えているので
ナチスは当時の世界で一番民主的であると言われたワイマール憲法に従って、
選挙で勝利し政権を取りました、その後も「合法的に」権力を掌握し、ユダヤ
人抹殺政策を実行しました。(国民が「知る権利」を行使するシステムがあったか
どうかは知りませんが)
ナチの親衛隊将校の大部分は「ユダヤ人を如何に効率的に抹殺するか?」という
「道徳的行為の実行」を考えておりました。
そのとき東の果ての島国で同盟国の日本では「鬼畜であるアメリカ兵を一人でも
多く殺すこと」が道徳的に称賛される行為でした。女子供でさえ「竹槍訓練」を率先
して行っていたわけです。
「殺人さえ道徳的な行為であり得る」状況において「絶対的道徳」など、どうやって
考え得るのか…理解できません。
本日は就寝させて戴きます。
結局、決定された世界の、どこからどこまでの因果を自由と呼ぶか。
そんな消極的自由によく執着できるよな。
自由教の人たち正直怖いんですけど。
864 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:21:10.92 0
でも機械氏の望む方向性の世界ってそういうことにならね?
>>863 だから自由は罪になり、自由な行動には責任をとらせるんだよ
起きた結果に対して因果を遡り、誰に責任があるかを考える
そして、その責任をとらせる
だから「責任」ってものが決定論を前提にしてるんだよね
そこで想定されてるのは、誰もが道徳法則に従ってれば幸せな結末が訪れるという
地獄的ユートピアなんだよ
>>863 決定されていようが「あなた」は「あなた」だし、
「あなたとして生きる」事からは逃れられないよ、
という事なんですがね。うん、確かに怖い。
しかし、心拍数とか、瞬きの数とか、自慰の回数(笑)まできまっているということでも
いいにでしょうか?
どうですか、決定論的には?
868 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:27:58.72 0
私の存在する限りで50℃の水はあるのに
私の存在より50℃の水の存在の方が永久的な件
決定論は「責任」が発生する条件のなかの、一つの最も間接的な条件だと思いますね。
何らかの事態の原因を決定論にかぶせることは的が外れている。
「責任」が発生するために、決定論は直接の背景ではない。
>>867 完全にそうですよ。
何か琴線に触れましたか?
>>869 決定論を前提にしないと、誰にも責任を押し付けられないんだよ
誰かに責任を押し付けるには因果がガッチリと連鎖してないといけない
例えば、韓国で起きた沈没事故
船長がいなければあの事故は起きなかったでしょ?
だから船長は吊るしあげなきゃいけない
そして、船のオーナーがいなければ事故は起きなかった
だから船のオーナーも吊るしあげる
原発事故もそう
誰かを吊るしあげるには決定論が不可欠
なぜならば、偶然の産物によって起きた事故ならば、そこには責任を被せる相手がいなくなってしまうから。
872 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 01:36:30.90 0
責任は決定論が背負います
心拍数を自分で決めたい。
瞬きの回数もコントロールしたい。
オナニーの回数も断固自分で決定したい。
俺には、自己意識とはそういう観念をも含む現象だと理解することしか出来ないわ。
俺だって当然、そういう、自然力の影響下にあるわけですが。
>>870 ならば、「道徳」もそれぞれの地域や国家で違うものの、やはりそれぞれの地域で
そうなるように決定論のメカニズムが働いているとはいえないですかね?
凶悪幼女連続殺人者もそうすることは決定論的に決まっていたわけですよね
そしてその犯人が死刑になるのも決定されていた
こう考えれば「道徳」だろうが「責任」だろうがべつに決定論的に問題ないではないですか
ねえ?
昔、カナダで少女が熱々のフレンチフライを買って食べようとしたら
そこで癲癇を起こしてフレンチフライに顔をつっこんで倒れてしまった
少女の顔面にはおびただしい火傷の跡が残った
少女の父親はフレンチフライを販売した会社に
「娘の顔が火傷したのはフレンチフライが熱すぎたからだ」といって裁判を起こした
因果的には極めて真っ当な思考なんだよ
なぜなら、フレンチフライが冷めてたら少女の顔には火傷は残らなかっただろうからね
>>849 うがった見方をしすぎ
全面的決定論をきっと間違ってるといってるのは心当たりはあるけど
活字にするほどの根拠がないとか自身の論じられる範囲でないとか
自由意志との関連での論点だからふれなかっただけ
とみるのが偏りが少ないと思う
だからね、人間は、すぐ主義にしてしまう。
事実は当為と直接の関係は無いという認識の力をすぐ放棄してしまう。
自然の成り行きから自然主義を、決定論から決定論主義を。
何かを考えるのに、自分の価値観に抵触しないような道筋を最優先した場合、
実際の世界の有り様とずれてしまう。
当たり前。
言っとくが俺のせいではない。ww
なぜそんな泣き言をここで吐く?
気休めを言って欲しいのか?
ここは事実判断だけをするスレなのだ。
熱々のフライドポテトが食べたくなった
マック行こう
冷めてやがる
>>860 >だからそれはそのまま「自由意志」の問題につながっているわけで
「自由意志」の問題が残っているのであれば、決定論は正式には
認められないでしょう。
>>862 決定論が認められる、ということは偶然の問題も自由意志の問題も
みんな答えが判明しているということです。
絶対的道徳があるかないかも判明しているでしょうし、なければ
作るでしょう。
といいますか、決定論や絶対的道徳以前に、国や会社や様々な集団
において、法律や規則という形でその集団なりの道徳を作成して
います。
パージという言葉が過激なので驚かれたのかもしれませんが、監視
か何らかの措置は取られるということは最低でも考えられるのでは
ないでしょうか。
フライドチキンが熱いということは、娘のやけどという事態にたどり着く一要因。
フライドチキンが熱いものだと知っていて店に行ったという要因のほうがすくなくともより強い要因でしょう。
決定論ははるかに下層の論理だ。
883 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/14(水) 02:15:46.19 0
>>764 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/05/13(火)
>透過率についてですが、恒常的に50パーセントなら確率的なふるまいではないですよね。
全く判っていないですね。
勿論恒常的に50パーセントです、50パーセントの事を確率と言うのです、是は小学生でも判る。
さらにこの事実が不思議だと言うのは揺らぎでもなんでもない以下の通り。
今此処に100個の光子があったとする其のうち恒常的に50個は透過し50個は反射する。
では其の時各光子はどの様に進路を決定するのでしょうか?
ある光子Aは「僕は透過しよう」其れを聞いて光子Bは「それなら僕は反射しよう」と打ち合わせをして50パーセントになるのだろうか?
恒常的に50パーセントになる理論は何処から導かれるのかが極めて不思議だと言う事である。
>>882 それも決定論を前提にしてるんだよ
少女がフレンチフライを注文しなかったら少女は火傷をしなかった
この因果の連鎖から責任を当の人に押しつけるのが自己責任論だ
最近ではタスマニア島でスキューバダイビング中に流された人にも適用された
スキューバしてなきゃ流されなかった
流されたのは自己責任だ
ま、誰に責任を押し付けようとも、その背後には因果律があるんだよ
885 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/14(水) 02:22:01.10 O
>>871 決定論というのは、そういう事ではありませんよ
決定論には、責任という概念はありえません
人間の脳も意志も行動も
全ては決定しているのですから
社会は、システムの維持のため、責任能力や当事者能力を持つ人間を多くしていく必要がある。
壮大なマッチポンプ。
最高位さんは決定論に関しては竹を割ったような明快な言い方をしますね。
これは感動的です。
>>886 僕は「責任」という言葉が嫌いでね
日本一無責任て言われた男になりたいわ
「責任能力」って言うけど、ただのクビ切られ役でしかなくない?
会見して土下座して大衆の前で見せしめに合う
昔の公開磔と変わらないんじゃないかとすら思う
そんな空疎な「責任」よりは、僕は事態を解決できる知恵の方に重きを置きたいね
889 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 02:35:10.31 0
「史上最強の哲学入門」飲茶 著(2010/4/14発行)¥ 1,543
「責任」を強調されるということは「良識」を持つことを強要される事と似ている。
良識とか実際そんなに欲しくはないよ。
891 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/05/14(水) 02:37:21.63 O
>>887 昔から同じ、当たり前の基本しか言ってませんよ
形而上とか観念を、平気で前提してますが
唯物論では、論理的な飛躍があるんですよ
唯物的な因果律(唯物的決定論)では、主観性は扱えないんです
ナミビアで、女教師が26歳になる自分の娘を殺してバラバラに切り刻み、
自宅でバーベキューにする事件が起こりました。
娘は、生まれつき体に障害があり、寝たきりで過ごしていたそうです。
被害者の遺体は、山刀で切り刻まれて焼かれ、
「Braai」というアフリカ南部のバーベキュー料理にされてしまいました。
頭部は焼け残り、まだ見分けがつく状態でバーベキューの中に入っていたということです。
女教師は逮捕され、精神病棟に収容されています。
事件は先週の金曜日、午後6時頃に起こったとみられています。
容疑者の息子が翌朝になって死体をみつけ、警察に通報しました。
http://amenama.on.arena.ne.jp/?p=1049
893 :
黄檗:2014/05/14(水) 06:40:17.92 0
あまのくんが決定論信者になってくれて
ほっとしましたよ
>>891 >昔から同じ、当たり前の基本しか言ってませんよ
たしかに昔から、次から次へ妄想しかでてこない最高位
895 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/14(水) 09:29:47.91 0
>>742 皮相的、というか、日常的論理(常識)を振りかざしているにすぎない。
>青酸ガスを吸っても死なない猫がいる…
どこで、そう述べている? 崩壊しても、死ぬとは限らない、とはいった。
99のあとに9が幾つ続くかはしらぬが、100(絶対)になることはない、という意味だ。
「絶対、そうなる」「必ず…」という言い回しは日常において頻出する。
しかし、それを字義どおりに「100%」と受けとるのはアホの仕儀である。
「ほぼ、そうなる」を強調する表現、それが「絶対」とか「必ず」である。
「絶対はない」を『シュレ猫』にもちこむと、実験の狙いがぼやけてしまう。
「崩壊すれば、ネコはどうなるか」が、その主旨ではないからだ。
そこで「崩壊→ネコの死」を前提に思考実験を進め、その結果「ミクロの偶然がマクロの
事態を決定する」に到り、この結論にシュレ氏は嫌気がさしたのでかなかった?
896 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/14(水) 09:47:29.32 0
>>745 もちろん冗談です。かつ本気でもある。他の“思い”もある。
“心”は多義性を許容するからです。w
>>747 因果、一義的決定論は時間(の存在)を前提にしています。
まず時間について述べるべきなのに、教祖の機械さんがそれに言及した記憶がありません。
>>896 教祖だったのか、どうりで信仰を原理とする考え方をしていたわけだ。
>>895 青酸ガスで死ぬのも、醤油を飲んで死ぬのも同じ。量の問題だな。
毒物なら常に死ぬと脳内変換しちゃうほど放射脳に犯された思考に
さわらないほうがいい。
898 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:04:15.59 0
>>895 お前の方が皮相的過ぎて論外なんだよ。
何度も言ってやるが、
ガイガーカウンターが作動しないかもしれないじゃん!とか
青酸ガスが他のガスにすり替えられてるかもしれないじゃん!
とか青酸ガスを吸っても死なない猫がいるかもしれないじゃん!とかは、
機械氏の言う通り「小学生レベルの突込み」としか思えないんだよ。
> >青酸ガスを吸っても死なない猫がいる…
>どこで、そう述べている? 崩壊しても、死ぬとは限らない、とはいった。
>99のあとに9が幾つ続くかはしらぬが、100(絶対)になることはない、
>という意味だ。
これだって、論理の体をなしてないよ。100(絶対)なんて自分で言いだして
「なることはない」とか言ってるけど、それこそ「どこで、そう述べている?」
だいたい、シュレ猫の基礎的な知識が無いから「シュレ氏は嫌気がさした」
なんて見当違いのことを言い出す。
頭の中ぐちゃぐちゃなんじゃね?
899 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:13:18.22 0
>>869 >もちろん冗談です。かつ本気でもある。他の“思い”もある。
>“心”は多義性を許容するからです。w
要するにおまえは嘘つきであり、何時でも前言を「冗談でした」で
ひっくり返す可能性もあるし、脳内の統合を失調する病気でもあるから
自分の“心”だけは多義性を許容するってことになる。
まともにレスしても意味ないということだな。
>>898 >お前の方が皮相的過ぎて論外なんだよ。
>何度も言ってやるが、
本文みずともこの部分で人格を明確に表しています。
社会人に適合できないと
だめだよ、触れば祟られる。
902 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/14(水) 10:39:10.34 0
>>766 860氏
量子スケールでは、一義的因果は破れています。それが“確率的”という意味です。
>量子スケールとマクロスケールの関係が曖昧すぎて
そこを明解に論述したひとはいないでしょう?
ミクロの偶然の総体がマクロのかたち(形態)決定づける(らしい)が、その経緯と内実は未知。
そこが解き明かされれば、機械氏の待望する“最終理論”は完成します。w
とりあえずミクロを捨象してもマクロの大勢に影響なし、というのが機械氏や君の立場であり、
“科学(実用)的”ではあるが、このスレには似つかわしくない。科学は精緻、精巧、高確度の
追求を旨としており、たとえば99のあとに9がいくつか並べば科学的には“真”とみなす。
が、当板(スレ)は精緻さを競う場ではなく“厳密さ”を云々するのを趣旨としています。w
903 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 10:52:18.36 0
>>902 >たとえば99のあとに9がいくつか並べば科学的には“真”とみなす。
言いたいことがさっぱり分からないのだが、要するに科学は100(絶対)
になることは無いから、信用出来ない。
だから“厳密さ”を云々するのを趣旨としている当板(スレ)は科学でなく
形而上学・観念論で「“厳密さ”と“精緻さ”と“100(絶対)”の違い」とか
について意味のない言葉遊びを繰り返していくべきだと言いたいのかな?
「だって、ボク本当は科学なんてさっぱり分かんないんだもん」って正直に言えばいいのにw
>>903 高確度<精巧<精緻<厳密<真”<100(絶対)という
“天使の序列”の追求を趣旨としたいだけじゃないw
905 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 11:31:35.11 0
906 :
哲学少年:2014/05/14(水) 13:18:43.17 0
人はある物事について考えるとき
過去の経験から得てきた様々なイメージを思い浮かべ
現在の自分をとりまく状況や感覚に合わせるようにして
繋げてゆくことによって意味や志向性を与えていく。
そして現在考えている、という感覚もすぐに過去のものになってゆく。
では果たして、過去のことに囚われることなく
今現在だけを意識して思考を続けることは可能なのだろうか?
わたしは無理だと思う。
否、無理なんだ。
でもわたしは哲学者でありたいので
無理なことにあえて挑戦をしようと思う。
つまり、やり方はこうだ。
今現在脳裏をよぎったイメージや言葉を
リアルタイムでずっと念じ続けること……
アラーアッラーアラエッサッサ〜
ママママオシッコウンコアバババババゴリラマッサージ
ゲコゲコモズクジャロジャロモジョジョハマホゲゲロッペンション
モコモコフォギョギョレゴジョヤガアガマママママ
↑
精神異常者の誕生である
↑
行動異常者の誕生である
909 :
考える名無しさん:2014/05/14(水) 23:13:10.99 0
ウヘヘヘヘ♪
910 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/14(水) 23:32:29.63 0
>>871 :winds:2014/05/14(水)
>決定論を前提にしないと、誰にも責任を押し付けられないんだよ
決定論といっても自然科学上の決定論と言うものと観念論上の其れがある。
このスレの扱う決定論は科学上の一意因果関係の決定論であり、観念とか思想上の決定論ではない。
誰かに責任を押し付けるのであればそれは多分法律上の決定論でありそれは思想、観念中でも特殊な法と言う分野の中の決定論に過ぎない。
例えば「未必の故意」だとかの関連で単なる法律の中の問題です。
ここで問題になっている一意因果関係の決定論であれば・・・・以下の
>>885 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ
>決定論には、責任という概念はありえません
>人間の脳も意志も行動も全ては決定しているのですから
この通りである。
自由意思の問題についてもそう決定論とは異なる範疇なので対立しない、むしろ両立(異なる範疇として)しうる・・・・以下の
>>891 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :
>唯物的な因果律(唯物的決定論)では、主観性は扱えないんです
この通りである。
いろんな人が分けの判らぬことを言っているが こんな簡単な事も判らないのかな。
ちなみに責任とは主観性そのものだと言うのがじいさんの感想。
自我=主観=自由=責任
ぜんぶ観念論上の心の問題、道徳もそう、科学とは相容れない別範疇。
911 :
考える名無しさん:2014/05/15(木) 02:23:20.26 0
監視カメラ作動中
912 :
考える名無しさん:2014/05/15(木) 10:02:59.92 0
>>910 ガキでも思いつく二元論をなにをいまさらw
このスレの三馬鹿確定いたしました!じいさん、最高位、ゲーム
913 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/15(木) 10:16:51.32 0
>>903 >言いたいことがさっぱりわからない
なら、黙っていればいい。「わからない」のに貶そうとするから、アタマとココロの歪さを露わにしてしまうのです。
もっとも、この点はさして心配するに及びません。ここに常駐するすべてのひとが(といっても厳密にはw全員ではない)
程度の差はあれ、歪なので。自覚の程度に違いがあるだけです。
「科学に絶対(100%)はないから信用できない」のではなく、その逆だ。
この国で科学という“知の方法”が幅広い信用を博しているのは、それが機械さんの主張とは異なり“真相、真理、真実”と
いった形而上学的観念(絶対)を追求するものではないからである。観測“事実”の整合的表記の精緻さとその再現性の確度が
この方法の主眼。形而上学的野望ではなく、実用化への欲望が科学という“知”を動かしている。
君には営業を一年間やることを勧めたい。一生だと“拷問”になるだろうし、半年では短かすぎる。本気だ。w
その口の利き方と邪推する性向を、少しは矯正してくれるでしょう。
914 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/15(木) 10:32:54.07 0
>>910 少し前にのべていたことと整合性を欠く、のでは?
じいさんは「物理的状態(たぶん身体と環界を指すのだろう)が心のありようを一意的に決定づける」と語っていた。
これは機械さんたち唯物論者のいい分と同じである。むろん例によって、その根拠を示したことはないが。w
これは身心あるいは物心・一元論である。
モノはココロを一義的に決定づけるのですか、それとも歪君wが指摘しているように二元論なのですか。
915 :
考える名無しさん:2014/05/15(木) 11:08:52.78 0
>>913 でもさあ、科学よりも“真相、真理、真実”に近いものって何かあると思う?
ゲームさんはあるかのような言い方をしているから“形而上学”って言われるんじゃない?
916 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/15(木) 13:41:11.07 0
>>914 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/05/15(木)
じいさんの物心二元論とは「物」と「心」をまったく異なる物として分け隔てます。
例えば、ここに「美しい花」があるとします。
その花を「美しい」と感じるのは「心」の働きなのです。つまり「美しさ」は「花」という「物」の中にあるのではなく、「美しい」と感じる「心」の働きの結果なのです。
しかしあくまでも花の存在が美しいと言う心を決定したのは間違いありません。花が枯れていてはその様な心を生じさせないのです。
其の話の後で「美しい」を「花」と言う物質で説明できない別範疇だと主張しているのです。
さらに花の実在は組成である分子、原子、素粒子の基本的実在性が不確定なのだから一意に実在しない、確率(=非決定)としてしか存在できない、と言っている。
勿論其の一方の心の「美しい(花)」の実在性の問題も残っていて、般若心経では「五蘊皆空」と言って、観念の空性も断定されている。
じいさん的根拠は、不確定な物質が心を規定しているから心も不確定に決まっていると言う事だ。
このように「物」と「心」はまったく異なる物なので「科学哲学」等と言う言葉自体笑止千万ですね。
そう言う物と心の二元論ですから「二つの背反する原理」とかじいさんの好きな「主客の相対」の「相対」というものとは全く関係はありません。
917 :
考える名無しさん:
>>916 確かに『美しい』と感ずるのは物質的(=機能的)なものの他に、心の働きというものが関係
していると解釈するほうが自然である。「感じる」という働きを一元論(=唯物論)として捉えるか、
或いは二元論として捉えるかと論究する前に、「物質」という概念をまず明確化(定義)することです。
「物質」の概念を“明確化”することが、一元論(唯物論)か、二元論(物心二元論)かの決着をつける方法でしょう。