◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない231◆
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない230◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396529234/
2 :
考える名無しさん :2014/04/11(金) 18:13:43.62 0
3 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/12(土) 00:40:18.41 0
>>1 スレ立て有難うございます。
戸田山科学哲学会会長の著書を1/4くらい読みましたが、結構興味深いと思います。
最初の方から、唯物論は自明とする前提で、観念論者さん達(これは私の表現ですが)
が拘泥する、要は「認識論」の分野について、最新の認知科学の研究者の成果を紹介
しつつ「認知と脳の関係」について、いろいろな説を紹介しつつ、自分が妥当だと
考えた理由を展開しております。
彼の文体については裏表紙のコメントにもある通り「哲学会からも科学界からも
胡散臭いと思われている」という自覚はおありなのでしょうが、初老の方が「若者受け」
を狙った「受けの良い」一所懸命のような感じもしないことはないでもなく、
「哲学(形而上学)は多少読んでる」といった方には「偽者だ」と映るかもしれませんし、
唯物論者だと公然と自認している方が、「認識」について詳細な説明を試行錯誤的に
試みているので、観念論を永年勉強されている方にとっては「生理的に受け付けない」
かもしれないと懸念しております。
しかし、前野隆司氏を含め、こうした中年の研究者が「科学哲学」の分野で台頭
してきた状況は10年前には考えられないことで、非常に喜ばしいことだと思います。
私が「全宗教全観念論は徒労です」で結んだ
>>1 を書いた当初は哲学徒(要するに
「観念論は難しいから頭よさそうでかっこいいと思い込んでいる方たち」から、
総スカンを食らったことを考えると、新宿の紀伊国屋1階新刊コーナーに彼の
当該『哲学入門』(人を食ったネーミングです)が10冊以上並んでいたのには
正直、少し驚かされました。
観念論者さん達は、読み進めても「理解したくない言説や知らない研究者の名前」
しか出てこないでしょうが、今後の「徒労」を減らすためにご一読をお勧めいたします。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない231◆ http://awabi.2ch.Sc/test/read.cgi/philo/1397206390/ 引越しだよ、おまえら偽2chにいつまでもいるの?
5 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/04/12(土) 00:56:31.37 O
>>3 >「認識」について詳細な説明を試行錯誤的に
「認識」は「観念」なんですよ
唯物論者は「ワケわからん事」を「ワケわからんけど」と
曖昧な事を、論理的に飛躍させる事で
成り立たせているだけなのです
http://awabi.2 ch.sc/test/read.cgi/philo/1397206390/l10
このアドレスが書き込めるかテスト
8 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/12(土) 01:06:33.40 0
>>5 私に言わせれば観念論者さん達は存在論を語るとき急に認識論に飛躍し、
認識論を語るとき急に存在論に飛躍するという「無意識の観念論擁護機制」
に嵌りこんでおり、それから自覚的に抜け出すことが不可能になっているよう
に見受けられます。
まあ、最高位さんも十年一日のごとく「とにかく『私の存在性』は在る」
と懲りる兆候もなく念仏のように繰り返すだけでなく、こういう本でまず
『哲学入門』して戴きたいものですね。
本日は就寝させて戴きます。
>>7 そのアドレスに入ってる半角スペースは、間違って入っちゃってるの?
それとも、ここに書き込むと付け足される設定になってるのかな?
>>7 半角じゃ発言できない>2ch.sc
可能>2 ch.sc
可能>2c h.sc
可能>2ch.s c
つまりJimの2chではヒロユキの2chへ誘導するのが妨害されています。
>>10 なるほど。ありがとうございます。
しかし、めんどくさいことになってますな。
果たして、どれほど経済的な利益が得られるのかわからない
この2chという掲示板において、競争なんてものが起きて、なんかいいことが
あるのかどうか。
(色んな意味で)その程度の洞察も出来ない奴が哲学語っちゃいかんよ
>>12 (色んな意味で)情報がないのに、エスパーじゃないんだから、
どんな考察をしろってんだよ。
哲学ってのは、理解すらしてないものに対して、適当な妄想を垂れ流すことなのか?
それじゃあ、トンデモ疑似科学と変わらんやないか。
妄想と洞察は違うんだよ ぐちゃぐちゃ言ってないで義務教育からやり直してこい
>>14 うん、だから、アンタの言ってる洞察ってのは、洞察じゃなくて、
妄想だって言ってんの。
どんな洞察ってやつができるのか、聞かせてもらいたいもんだね。
お前の基準で語られてもな
洞察するに足る情報を持ってないのはお前が無知だからと言ってるのだ
例えばエスケープシーケンスの概念を知っていれば
>>4 の意図はすぐに察することが出来る
>>16 はぁ!?そんなことを言ってたのか?
それ洞察とかそういう仰々しいこというほどのことか?
察してたからこそ、確実に新2chのURL添付によるリンクができないようになってるのか、
確認をとったんでしょうに。きちんと確認しときたいってときもあるだろうが。
自分で書き込んで確認することもできるけど、まがりまちがって、アクセスを制限されると嫌じゃん。
俺は、今回の騒動の構造や関係者の意図するところとか、最終的な落とし所がどういうとこに
なるのかとか、そういうことに対する洞察だと思ったわ。拍子抜けですやん。。
「(色んな意味で)」「例えば」 もうメンドクセーから兎に角人生やり直せ
>>18 だから、後段部分でのそれらしい洞察ができるんなら、やってみんさい。
からんできたのはあんただし、めんどくさいのは、あんただろ。
20 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 03:30:42.58 0
本日は母乳を飲みながら熟睡させて戴きます。
Jimさんさよなら。
>>18 さて、スレに関係しないことを言うのも何なんでわずかでも関連しそうなことを言ってやろうか。
そもそもだな、さも自分の意見は一般的なものだというようにしておきながら、
相手の主張に対して、「お前の基準で」なんていう主観的な価値判断にすぎないという、
ともするとただのレッテルを貼りになりかねない単語を対して必要もないのにわざわざ
書くなんてことは、俺ならまずしないよ。そういうやっかいなところに関わる単語をなんの
自覚もなくレスの中に適当に入れ込むなんてのはなぁ。あんたこそ哲学を語る資格があるのか?
23 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 11:32:24.06 0
24 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 12:00:48.39 0
今日の予定 ・めし ・2ちゃん ・オナニー ・うんこ
コテハンはあっちに引っ越した
26 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 16:18:46.24 0
たらこ西村の子分共だったってわけか。要らねえ連中だな。
全然わからん。「あっち」って何のことだ。
>>27 ひろゆきが新しい2chを作ったのよ。
ちなみに、このスレでは、コテハンは静観してる人のほうが多い感じ。
>>4 >>6 >>7 辺りにアドレスが出てる。
あのさ もし不確定性原理がなく 他に素粒子の世界の座標や運動を不確定にする要素がなければ この世は決定論に支配されるの? つまり全て法則通りで逸脱する事はなく 計算で未来の全ての事象が完全に導きだせるの? 勿論計算式自体知らないんで 見つかりさえすればだけど そうなるよね? 俺にはそういう事になるとしか思えないんだけど んで じゃあ不確定性原理って我々の世界 つまり分子より巨大な3次元の世界の事象を どれくらい左右しているの? 不確定性原理の影響を受けている 生活上の出来事ってある? サイの目とか? コイントスの裏表とか? あるいは人間の思考も不確定性原理によって 確率的に感情が変化しているの? そういう事がないなら 分子より巨大な世界は もう完全に計算式に従った現象しか起こらないように 決まりきっているって事だよね? どうなの
新2chに移行する話で迷ってる奴がいるのが不思議なんだが 勿論それは自由で止めはしないが ひろゆきと奴をとりまく旧運営が何をしてきたかもう忘れたのか それともそもそも知らないのか
脳内物質も素粒子ではないから 気まぐれに確率的に分布していたり分泌されていたりはしない筈だ だけど電気パルスは電子という素粒子だから やっぱり不確定性原理は人の精神に影響あるんだろうか? では人間が何もしなければこの世の事象は全て決定しているのか?
こういう疑問は大昔に言われていた事であり かつまた 大昔に否定されたものであるのは知っているんだけど でも素粒子の世界の事なんて 不確定性原理なんて 我々の世界に何か関係しているんだろうか していないようにしか思えないんですけど!
33 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 17:28:35.15 0
35 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 18:49:53.36 0
36 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(5+0:8) :2014/04/12(土) 19:26:20.80 0
>>1 包括的存在=意識
↑
暗黙知
↑
具体的諸細目=脳
『意味と生命』
37 :
A :2014/04/12(土) 19:44:44.56 0
仰せの通りに
38 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/12(土) 22:45:45.66 0
>>29 >分子より巨大な世界は もう完全に計算式に従った現象しか起こらないように
>決まりきっているって事だよね?
その通りですね。
現代の科学は素粒子論やビッグバン宇宙論のような理論科学だけではなく、
スーパーコンピュータ「京」からスマホ・デジタル家電、リニアモーターカーから
自走型内視鏡・PETCTまで・・・・といった「応用科学」の分野で目覚ましい
発展を遂げており、日本はほぼすべての分野で世界の最先端を走っております。
それらのテクノロジーは全て「物理化学法則の不変に対する信頼」に基礎をおいて
おりますが、「電子」の動きに依存する筈の電子計算機(コンピュータ)でさえ
量子論的不確定性は考慮に入れる必要はないし、実際に考慮しておりません。
すなわち、それらの(超高速・極微を含む)科学技術全般について「決定論」
に基づき設計・製作・運行・整備が行なわれている…ということであり、我々
人間が日常生活において「量子論的不確定性」に直面したり、考慮を要求される
場面は全く存在しない…ということです。
「量子論を実用化したテクノロジー」である原子力発電システムでさえ、量子
論的不確定性を計算式に用いる必要はないのです。
勉強不足ですね 現在のコンピューターのアーキテクトに量子論は欠かせません
40 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(1+0:8) :2014/04/12(土) 23:00:06.82 0
>>38 違います。
分子レベル以上の挙動に限っても
意識の発生を
現在の科学では説明できません。
これが人工知能研究で人工知能が発現しない理由です。
41 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(2+0:8) :2014/04/12(土) 23:01:21.51 0
>>39 では、量子論の話を。
世界は謎の1次元の時間と10次元の空間で出来ていることはご存知ですか?
>>38 29ですが納得のいくレスです
>>39 現在のコンピューターは量子力学を利用しているという事ですか
なるほどではそうだとして
でもそれでコンピュータの動作が確率的というか不確定になったりしてつまり
決定論が覆るような事はあるのでしょうか
>>42 不確定性原理の関係式をじっくりと眺めてその記号の意味を理解してから書き込みましょう
>>40 横からレスしますが
それは意識のメカニズムが解明されていないという事ですよね
それだけに意識のメカニズムが 決定論を覆す可能性も残されているとは思いますが
厳密には意識により決定論が否定されるのかされないのか
何とも言えないという所なのではないでしょうか
でも意識のメカニズムが解明されて意識を発生させる事ができたら
もう決定論は覆せないという事が確定的になるような気がしますね
物理的な事も心理的な事も算出できるようになって
特異点だの不確定性原理だの 不確定な要素はあるけど別の世界の問題
となれば現実的には何もかも計算できるという事になり得はしないでしょうか
しかし人口知能が作れないという事実が決定論が否定される証明のような気もします
>>43 申し訳ありませんが私も何度も不確定性原理と書き込んできましたもので
あやふやな知識で語るのはよくないと思い一応調べたのですが
全くわかりませんでした
が そのおっしゃりようから察しますに
要するにPCは不確定性原理に影響されていて それが結果を左右し
世界の法則で決められていた結果を 他の結果に変更してしまうだけの力がある
という事でいいわけですね
>>45 決定論は覆すとかそういうことじゃないから
法則は決められてるとか変更とかそういうことじゃないから
たとえが幼稚ですみませんが 結局ピタゴラスイッチのようにギミック群を連携させて組み上げて 最初のギミックの結果が 次のギミックの原因となり 因果が連続して 最後の結果に至る 宇宙全体でこれをやっていて 初手を全て把握できれば最後どうなるかまでわかる これがまあ決定論ですよね厳密な定義はわかりませんが 決定論に支配されていないという事は 途中で結果がズレるというか異なるというか 計算と違う結果になるわけですよね 決定論を覆すという事は でもそれが いつも同じ「計算とは違う結果」 たとえば2である筈の結果が いつも3になるだけなら これは法則性はあるわけですよね 計算が間違っているだけと看做せるかもしれない という事は 決定論を否定できるとはどういう事かというと 毎回計算と違う結果になるし しかもそれが 毎回違う「違い方」で 結果が一定ではない ランダムだ という事ですよね 不確定性原理はだから決定論を否定できるのでしょうけれども 分子より巨大な世界でそのような結果をランダムにするような事柄があるのでしょうか だけどまあ あるなら既に世間的に あると言われている筈だし この板って質問してる時点ですごく陳腐で愚かな事を言っている気になりますね まあ実際そうなんでしょうけど
48 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(3+0:8) :2014/04/12(土) 23:28:36.26 0
>>42 量子を制御することはまだ成功していません。
>>43 あなたが不確定性の原理を説明してあげなさいよ。
>>44 意識のメカニズムが解明されていないわけではありません。
脳と意識をつなぐものが全く方向もわかっていないのです。
人工知能について
人工知能が発現した場合、以下のように進展すると考えられています。
人工知能→電子的脳を持ったヒト→電気的肉体を持ったヒト
→程度の低い神を人工知能としてコンピュータに実装
49 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(4+0:8) :2014/04/12(土) 23:30:20.50 0
>>47 あなたには必ずためになりますのでこの番組を観て下さい。
NHKオンデマンド
「神の数式」1と2
50 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 23:32:18.32 0
>>47 あなたは偶数を否定できますか?
自然数は偶数の法則性で出来ているという命題に意味があると思いますか?
>>46 そうですか 私はいちいち ものを知らなくて 恐れ入ります
でもそれは 学術的な定義ですよね
私の語句の使い方が間違っていました
しかし 私の疑問は その間違っていない 本来の決定論という何かの事ではなくて
それなのに決定論という語句を使ったのはまずかったと思いますが とにかく
世の中の事は最初の時点で最後まで算出できるのかどうなのかって事と
出来ないならなんでなのかという事なんです
不確定性原理やブラックホールの特異点は
素粒子の世界の話で我々のふるまいには関係ないんじゃないかという気がするんですけど
それと
こういう疑問を説明したい時に
どう言えばそういう指摘をされる事がない
間違ってない言い方になるんですかね
スレが違うのかな
>>49 助言ありがとうございます。
そして見ました。面白かったです。
しかし 見てもこのていたらくですよ。はっはっ。
>>50 ありきたりですけど 思う人は思うし
思わない人は思わないですよね
つまり 私の疑問は 貴方には何の意味もない とおっしゃりたいわけですか
それは わかりますよ そんな事はよくある事ですよね
けれども 貴方にとって意味のない私の疑問が
私にとっても同様に意味がないと 言えるのですか?
たとえば恋愛は他人にはさほど意味がないですが当人たちには大問題ですよね
そして 数学を偶数に着目して 研究している人は いるんじゃないですか?
いないんですか?
53 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/12(土) 23:39:05.79 0
>>44 >しかし人口知能が作れないという事実が決定論が否定される証明のような気もします
人工知能(AI)と称するプログラムは既に存在します。
人間の「意識的処理」のレベルにまで複雑な処理を行える人工知能は「まだ」
存在しない…というべきだと思われます。
但し、「チューリングテスト」という有名な人工知能の鉄と方式がありますが、
それで人間の「判定者」を騙すことができるほどの人工知能は存在しております。
人間の「意識」は実は脳の活動のごく一部分を占めているにすぎず、殆どの
行動(人間の脳のアウトプットの全て=筋肉への「動き」指令)は「無意識的」
である…ということが明らかになっております。
単純に「キーボードを打ちながら文章を考える」という「意識的動作」も、
無数の「無意識的動作」の「要約部分」にしか過ぎないことは、リベットの
実験を持ち出すまでもなく「内省」でもわかる筈です。
要するに人間の脳は数千億個の神経細胞がそれぞれ10個〜数十個の「腕」
を出し、他の細胞へ「情報伝達」する「システム」であり、そういう意味では
「原理的にはコンピュータと同類」なのです。
コンピュータとの決定的違いは(現在のところ)「処理スピードの違い」
要するに「量的違い」に過ぎない…ということです。
コンピュータ素子対素子は「1対1」で「情報伝達」しか出来ませんので、
素子数のみならず「ネットワークの多様性」において、人間の脳に未だに
「はるかに及ばないレベル」である…ということだけです。
しかし、将棋のAIソフトに人間のプロが負けるようなレベルにまで発展
してきているのですから、それが「自意識」を持つようになるまで発展する
ことが「絶対にない」…ということを証明することは不可能でしょう。
54 :
考える名無しさん :2014/04/12(土) 23:42:37.36 0
>>52 疑問が誰かにとっての意味でしかないのでしたら誰かに問う必要なんてないではありませんか
>>53 はい
大変納得がいく話だと思います
気持ち的には決定論は否定されてほしいですけど
理屈的には決定論が正しいとしか思えないですね
だって決定論を否定するって事は結局 カオスがあるって事でしょ
毎回結果がランダムになるブラックボックスがあるって事でしょ
なんですかそれ ないでしょそんなもの
それはカオスが発生する原理はどうなっているんですか
法則性がないわけでしょ どこからやってくるのか それは法則から発生するのか
異次元とかそういう事なんですかね
だけどホーキングの折りたたまれたブラックホールの話を聞いてると
あれなら特異点の影響も大きいのかなと思えてくるけど
彼は決定論寄りの人なんですよね
私ごときの知能ではどうやってもわけがわからないで終わってしまうのか
結局これは学術的に解明されるばかりでなく
それをわかりやすく説明する人が現れるまで
私のようなものが理解できる時はこないのですね
嗚呼
>>54 まったくその通り
つまり質問というのは
他力本願という事ですね
本来は自分だけの問題ですが
あわよくば誰かがいい回答出してくれるのではないかという
でもこれって当たり前ですよね 質問とはそういうものではないでしょうか
答えた人は他人が何かの穴にはまっているのを何の義理もないのに助けてやっているんですよ
だからこそ感謝されるのではないでしょうか
感謝はする側もされる側も脳にいい影響を与えるそうですよ
しかし意味というのは 誰にとっても共通の意味などというものがあるのでしょうか
質問のみならずコミュニケーションは全て自己満足と他力本願なのではないですか
これは詭弁なのでしょうか
57 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(5+0:8) :2014/04/12(土) 23:55:52.50 0
>>51 量子力学こそ哲学的ですよ?
時間はどうしてあるのか全くわかっていない。
その、謎の1次元の時間と、10次元の空間でこの宇宙は構成されています。
ブラックホールの深部では素粒子が詰まりすぎて振動できず
熱が発生しないはずなのに
空想物理から始めた量子力学のある式では熱が発生することになるのはなぜか?
それは素粒子の一兆分の市の一兆分の市の極微小世界に
11-1-3=7
7次元立体の陰が存在し
その七次元の間を紐が縫うように動いているから熱が発生する。
58 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(7+0:8) :2014/04/12(土) 23:57:48.97 0
>>52 おお、同士よw
わからなかったけど、おもしろかったですよねえw
哲学って深いわあって思いましたw
>>58 ああいった話は数学的な裏づけがあるんでしょうか
物理というか観測もできないような世界の話は
仮説の話を信じるか信じないかっていうレベルですよね
一応計算式あるのかな
昔の人は神はいるのかいないのかで議論した事だろうと思いますが
それと大差ないような気がします
60 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(8+0:8) :2014/04/13(日) 00:04:43.78 0
>>50 少しその整数論についてご説明願えますか?
>>53 人工知能の発現は、「暗黙知」の発現を持って発現とすべきだと考えます。
ヒトの脳と意識をつなぐ謎のシステムが「暗黙知」です。
暗黙知とは?
攻殻機動隊風解説
1.下部構造(具体的諸細目)から上部構造(包括的存在)へシフトするのが暗黙知
2.上部構造(包括的存在)が下部構造(具体的諸細目)を制御するのが暗黙知
1のシフトという跳躍、例えば脳から意識への跳躍、はよく命題にされます。
しかし、同時に、2の意識が脳を制御していることは何故か無視されます。
人類学で知られていますが、
ヒトは文化によって脳や身体の物理的機能が変わります。
この現象は2
>>57 わからないなりに
そういう説明は面白いですねえw
あんまりわかってないんですけど
なんで面白いと感じるんでしょうね
だけどそういう説明も 陰とか 素粒子が詰まってるとか 三次元的ですよね解釈が
多次元は多次元の感覚でとらえないと解明していけないんじゃないんですか
あと関係ないですけど 異次元は観測できないと思うんですけど
コンピュータでシミュレーションはできないんですかね
コンピュータで異次元のモデルを作る事が見も触れもしない世界の突破口になるんじゃないかなんて
素人のくせに思ってみたり
2ちゃんは多弁商法w 何もないところから価値が生まれる
一応wikiとか読むんですが 私の認識やイメージは全て 過去のもので 現在は否定されている というふうに出てくるわけですよ それはねえ 薄々感づいてはいましたよ しかし現在はこういう説が大勢である というの説が 全くイメージがわかない これって老害って事なんですかね 量子って広がりをもってて観測すると点になるって コペンハーゲンがいってるんでしょ じゃあ観測しなかったら同時に複数の座標にいるわけ? 箱の中に猫がいるってわけ? そういう三次元的なあるという事じゃないんだよってわけ? 確率が重なってるって何のことだよ 宝くじで当たった俺が外れた俺に重なっているの? どうしたら当たったほうの俺になれるんだよ! あれか呪文でも唱えるのか 実は神社は確率を変更して今の世界とは微妙にパラレルな世界に飛ぶ出入り口だった! っていうラノベ思いついたはwww
>>62 書き込んでるとどんどんアイデアが出てくるんですが
まあろくなものはないんですけど
この板はとくに刺激を受けますね
この板は他の板と空気が違いますね
物理板が近いかな
他の板なんて製品などの優劣を競って自分が信奉するものをアゲて
他をサゲようとして煽りあったり
まあここは物品ではなく「自説」でそれをやってるようですけどw
65 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(6+1:8) :2014/04/13(日) 00:20:10.61 0
>>59 聴いた話ですが。
数学者の数学は哲学。
物理学者の物理は数学。
化学者の化学は物理学。
というわけで、物理学者は数式を操る人たちです。
すべて、空想とそれを実現した数式から整合的に説明されている「現在の」理論です。
そうですね。
量子力学は物理学というより神学ですね。
この宇宙の数々の物理定数を宇宙が安定して存在し、
生命が生まれヒトが誕生するように設定したレベルの神
との空想上の対話が、現代量子力学です。
一方で、人工知能研究の中ボス的命題は、
「人工知能技術によって肉体無しで存在できる人後進を造り
この宇宙の創造と管理を任されている
中間管理職の神の存在X(最高神ではないと理論上わかっているから)と
直接対話すること」です。
>>61 そりゃあ、あなた、量子力学が哲学だからですよw(真顔)
ヒトの脳は3次元空間に縛られつつ、謎の1次元の時間に流されているからですよ。
異次元は観測できないはずです。
数学者や物理学者の脳内は異次元を「理解」しているようです。
コンピュータで異次元をシミュレーションかあ、それは考えたことのない命題ですね。
コンピュータでシミュレーションといっても
そもそもコンピュータ的な空間解釈が3次元的なアルゴリズムだったら
異次元も何も無理な話ですよね
だけど異次元的なアルゴリズムが組める事があるかもしれない
無理かなあ
>>57 陰とか紐とか言われると
なんか別の世界があるんじゃないかっていう気がしてしまいますね
これはブラックホールが異世界とつながっているとかいう
SFでよく使われてきたイメージが尾をひいているのかなあ
それは異次元に根っこがあってそこから紐のようなエネルギーが伸びてきているのか
それとも三次元内に異質なエネルギーが小さな小さな紐のように存在するのか
でもその紐って単語にしたのも意味あるわけですよね
67 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(7+1:8) :2014/04/13(日) 00:30:29.70 0
>>63 >一応wikiとか読むんですが
僕は哲学書を少し読んで、膨大な妄想を楽しむ派です。
今読んでいる哲学書『全世界史』も真ん中より前で止まっているのに
バンバン妄想が湧いて出ますw
>私の認識やイメージは全て 過去のもので 現在は否定されている
というふうに出てくるわけですよ それはねえ 薄々感づいてはいましたよ
しかし現在はこういう説が大勢である というの説が 全くイメージがわかない
これって老害って事なんですかね
最先端の哲学者、数学者、物理学者は常においてゆかれ、
絶望しています。
例えば、トーラスとかでてくるあれのあれ、あ、数学でポアンカレ予想というのがあるのですが
ポアンカレ予想のおかげでトポロジーという数学分野ができて大発展して
数学の最先端をゆき大流行をみせた時代の寵児だったのですが
すべての次元と数のトポロジーを数学で解明し尽くしたのに
ポアンカレ予想のところだけなぜか空白。
で、ポアンカレ予想を解いたのがロシアの物理学者のグレゴリ・ペレルマン。
彼は物理学の手法を駆使してポアンカレ予想を完全に解いたのです。
数学者たちはペレルマンの論文発表会をトポロジーの最先端数学者たちが
誰一人理解できなかったことに一度目びっくり。
物理学で解かれたことに二度目びっくり。
昔は神を共有していたけど 今は神を私有している という気がしますね その神とは「自説」なんですよ
69 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(8+1:8) :2014/04/13(日) 00:39:07.19 0
>>63 >量子って広がりをもってて観測すると点になるって
コペンハーゲンがいってるんでしょ じゃあ観測しなかったら同時に複数の座標にいるわけ?
観測=干渉
実は「客観」というのは世界には存在しないという意味です。
見ることは鑑賞すること。
それが強く現れるのが量子の世界です。
それで数式では説明できるものを、
量子力学屋さんたちが食べてゆくには
一般人にイメージを分け与えてわかっていただき
予算をとる政治的理由wがあるわけですw
それで電子は雲だと言ったり、観測すると点になると言ったりしているのですが、
数式では数学上わかっていることを間違ったイメージにしているわけです。
物理学屋さんたちが食べていくためにw
>箱の中に猫がいるってわけ? そういう三次元的なあるという事じゃないんだよってわけ?
確率が重なってるって何のことだよ 宝くじで当たった俺が外れた俺に重なっているの?
どうしたら当たったほうの俺になれるんだよ! あれか呪文でも唱えるのか
シュレディンガーの猫って言葉だけは知っているんですよね。僕w
あなたの文章から逆算妄想した結果、「観測者が存在した瞬間に世界は決定される。」
と出ました。
トポロジーの歴史もポアンカレ予想の歴史もデタラメな理解をしてるな ペレルマンは物理学者ではないし 一体何を読んだんだ
71 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/13(日) 00:39:48.65 0
>>60 >ヒトは文化によって脳や身体の物理的機能が変わります。
ただし、その「文化」が個々の脳に「影響し得る」のは、「いわゆる五感」
(私は+内感の「六感」)しかありません。
「文字を読む」…というのは個々の人間にとって重要な「文化との接点」
ですが、 眼球から入ってくる「視覚情報」は「電気エネルギー→化学エネルギー
→電気エネルギー→化学・・・)という物理化学的システムで脳に運ばれます。
「音楽を聴く」場合は聴覚神経で同じことが行なわれるだけです。
「文化」とは結局「文字」とか「音楽」とかの「物理現象」に記録されており、
逆に言うと「物理的記録が文化の全て」とさえ言えます。
歴史的には「つい最近」である「インカ文明」の歴史がよく判っていないのは、
インカが「縄の結び目」という極めて原始的な「書き言葉(文字)」しか持たな
かったからである…ということはよく言われることです。
インカに比べれば10倍以上「古い」エジプト文明の「歴史」が比較的よく
判っているのは、ロゼッタストーンの解読に始まる「エジプト文字研究」が建築物
の岩に刻まれた「文字」に応用できたからである…ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
もちろんポアンカレ予想は物理学で解かれたわけではないし(それじゃ数学の証明にならんだろう)
73 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(8+1:8) :2014/04/13(日) 00:50:18.51 0
>>63 >実は神社は確率を変更して今の世界とは微妙にパラレルな世界に飛ぶ出入り口だった!
実は、神社は?
神道=ミトラ教
天皇陛下=スメラ(宇宙の中心)ミコト(にまします尊きお方)
天皇=「ティエン」「スメラ」
神社=「殺してしまった偉い方よお鎮まり下さいませ。」装置
>っていうラノベ思いついたはwww
きちんと哲学の命題ですよ。
>>64 この板というかこのスレッドが面白いです。
哲学板は一つお気に入りがあってそこしか観てなかったのですが
タイトルに惹かれてこのスレッドに初参加いたしました。
74 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(8+1:8) :2014/04/13(日) 00:55:00.42 0
>>66 >別の世界
そもそもこの世が11次元であると数学者が言っていると聴いた日の
僕の頭の混乱の仕方と言ったらないですよw
NHKの『神の数式』を観て「納得」はできました。心は平らになりました。
ブラックホールが空間を捻じ曲げすぎて
違うところとつながっているらしいですよ。
微小世界の話なので、僕達ヒトは入れないみたいですが。
>紐
『神の数式』(要するに量子力学を映像にした番組。必見。)
大東亜戦争でボコボコにされて廃墟とかした日本で
南部陽一郎という物理学者は、紙と鉛筆だけで
世界最先端の発見をしていました。
「ひも」はこの番組内で表現されていたものです。
最初は輪っかだと考えられていたのですが
極限状態を仮定するとどうしても行き詰っていたのです。
で、ある物理学者が、「ひもじゃね?」と妄想して
物理学者の妄想はほとんど全部妄想で終わるのですがそれはそれで楽しいのでいいのだそうです
ひもという妄想から出た数式がうまく極限状態や極端に小さな世界を説明できたのです。
この板は一つのスレの中に物理的な議論と心理的な議論の 両方が混在しているのが面白いですね 哲学は文系理系を総合させた学門だな
>物理的な議論と心理的な議論 たぶんどちらも話にならないレベルで間違った理解に基づいてると思う
物理と数学の話は、ある程度出来る人が出てきて、きちんとした解説や回答を 提示してくれないと、SFやオカルトの傾向を示すようになるよ。
ああそうか 可能性でいったら我々が理解している数学が 本来のというか世界を背後から動かしている数学と似ても似つかないものである 可能性もあるのか そうなると本当に無駄な議論になっちゃうなw さりとてやらないよりはマシだなw
素人が「我々の理解している数学」を理解できていない可能性の方が高いだろうけどね
>>78 数学は世界を動かしている不思議な力ではないよ。
数学ってのは、我々が世界を理解し説明するために用いているツールに過ぎない。
>>77 はい
私も自分のレスが
スレをそっち方向に引きずり込もうとしているフォースの
主要因になっているのではないかと危惧している次第です
が
直感ですが考えますに
知識のある人は議論に関する正確な把握ができますが
知識のない人はそれはそれで飛躍的な意見を出す事もあるのではないですか
あるいは知識のある人による新たな着想を 知識のない人のレスがアシストするような事がたまには
そしてスレというのはコミュニティとしての側面というものもあるわけで
コミュニティというものはピラミッドのようになっていて
もっとも理解のおぼつかないものがもっとも多いものです
ある程度スレを賑わいをもたせて維持しようと思えば無知な新規は受容しなければなりません
つまり知識のある者はない者の面倒を面倒がらずに見ろという事ですw
知識のない者を軽んじてなぶるような卑怯な真似はすんなよw
それと
言語化して説明するという事は教える側も理解を深める効果があります
たとえわかりきった事でも
たとえば「はさみ」を知らない人間に対してどうやって言葉だけで正確なイメージをわかせるように
説明しますか
これはわかりきった事であってもやってみると発見があるものですよ ふふふ
>>53 戸田山さんの哲学入門まだ読んでませんね?
第1章・意味 をちゃんと読んで下さいよ機械さん
科学や数学は 「当座コレでイケる」 っていう存在自体が未完の宿命を背負ってる事に気付く
それ、哲学も同じだよ 証明も実証もできないからもっと土台が危うい
それを言い出したら 全ての学問、会話すら出来ない
>>81 そこで、おっしゃることは、間違ってませんし、
私もこのスレの長い歴史の中で言えば新参者ですが、
私が、言いたかったのは、「このスレ」において、そういう
量子の話や難解な数学の話が出てきても、それを理解し解説してくれる
人が出てきたところを見たことがないということです。
なので、このスレでそういう話をしだすと、SF・オカルト的な話に終始
してしまったりするんですね。とりあえず、量子論のさわりくらいは、私も
勉強しようとはしてるんですが。おいおい、わかったことから話してみようとは思います。
出来ないってことはないでしょう 少しでもマシな方法を探して学問・会話をすればいい
「マシ」が危うくなるからね 今は軽視されている神学が必要な理由もそこにあるよ
スピノザのエチカが、数学におけるのと同じレベルで「厳密に」書かれていると思ったら大間違いだよ たぶん書いた本人は大真面目だったんだろうけど それでも、そこが哲学の厳密さの限界だ
この宇宙の数々の物理定数を宇宙が安定して存在し、 生命が生まれヒトが誕生するように設定したレベルの神が、 DNAを設計したのでしょう
>>86 まあ限界はあるでしょうね
そもそもゴリゴリに物理学や数学に詳しい人は
そういう世界で生きている人でしょうからそういう人はなかなかこんな所にこないでしょうw
現実に高いレベルの議論ができる環境があるでしょうから
翻って考えてみますとこの板このスレに来る者とは
途中で脱落したかそもそも脱落以前にやってすら来なかったか
落伍者の集まりに過ぎないという事ですなw
だけど本当に研究している人達の議論では出ない意見が出ているとは思ってますけど
哲学に限らないかもしれませんが 低レベルな奴の議論にもそれはそれで見るべきものは
あると思います 特に低レベルな議論をやってる当人にとってはねw
「厳密に」 っていうのはある意味方言みたいなモン それが通用する場面では強力極まりないが、それ以外ではなんの意味もない
小学校の教員免許をとった時に感じたのですが 小学生に教えているようでいてこっちが学ぶ事のほうが多かったですね 学校で一番勉強効果を得ているのは教師のほうではないですかね という事でおまえらは賢くなりたければ俺に何でも教えなさい
94 :
あまの :2014/04/13(日) 01:25:48.87 0
だからあ、人格神設定しちゃうと循環しちゃうからやめようぜw
哲学と循環はある種同じ趣味だな
96 :
あまの :2014/04/13(日) 01:28:28.63 0
特別なものを設定してはならん。 おれの哲学的センスがそう言ってるぜ。
哲学っていう言葉がよくないよね 哲ってなんだよ 知学もしくは智学のほうがよくね
98 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(2+2:8) :2014/04/13(日) 01:30:16.75 0
>>71 >>ヒトは文化によって脳や身体の物理的機能が変わります。
文化は脳のレセプターの穴の数を変えます。
ヒトが文字による歴史への依存症にかかっているのは、
メソポタミア文明が文字による歴史の記録を始めて、
文字による歴史の記録という文明の病が世界中に感染したからです。
インカに文字がなかったのは文字がないことが文明にとって普遍だからです。
無文字文明の方が主流だったのです。
おやすみなさい。
>>70 >>72 グレゴリ・ペレルマンはロシアで学生の時に物理学オリンピックで金メダルを取っています。
そして恩師の教えのもと数学者となるのですが
ポアンカレ予想を解いた手法は物理学から持ってきた数式だらけの数学です。
もはや数学ではないほどに。
99 :
あまの :2014/04/13(日) 01:30:25.13 0
break your mouth かっこいい〜
そういえば東大生にアンケートをとったら 多くの人が高校生の時分に 一人授業シミュレーションをした経験があるそうですよ 一人で教師役と生徒役をやって授業を進めるそうです 自分の理解している所はスムースに進んで 理解していない所や自分では理屈が通っていると 思っていたけど実際には通っていない所ではもたつく感じになるそうですよ 身振りもいれるとより学習効果があるそうですよ さあみなさん 哲学の授業をおやりなさい
果たしてメソポタミア文明より前に歴史は存在したのかな?
>>91 そこまで、過小評価をすることもないと思いますよ。
少なくとも、私の専攻している(していた?)分野の専門板ですと、
この人は、まず間違いなく研究者として食っていってる人だろうな、
と思える人が、常駐している場合もありますよ(といってもほとんどいないが)。
この板でも、ごくごく稀なケースとして専門家がレスをしていてもおかしくはない
という淡い期待もあるんですが。
さて、不確定性原理ですか。量子論の不確定性原理というやつは、あれでもきちんとした
数式に基づいて存在確率を算出するようなものですので、そういう意味では、さほど決定論
に対して否定的に働くようなものでもないような気もしますね。
ただ、自然科学というものは、数学を用いてかなり厳密な法則性を見出そうとする分野ですから、
自然科学の領域で非決定論的な結論が出るというのは、まず無いでしょうね。
103 :
あまの :2014/04/13(日) 01:38:55.84 0
ギリシア文明の下層にはまた別の文明が埋もれているらしい。 あるんじゃないか?
恐竜の化石同様、神が腰を折りながら埋め込んだ模造品ではないかな
105 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】(5+2:8) :2014/04/13(日) 01:40:54.88 0
>>101 ミヌシンスク文明。
単に古いだけなら縄文文明。
メソポタミア文明より古くから栗の農耕をしていた。
メソポタミア文明が特異なのは世界中に文明という病を広めたこと。
これはミヌシンスク文明出身のシュメール人がメソポタミアにいって行った。
文化によって脳が変化するとか言ってる人がいるけど、 それって、単に相関関係があるってだけでは?
忍法帖【Lv=36,xxxPT】氏は、大型の恐竜の体重が歩行不能な程重い件についてどう思われますか? 1億年前の地球の重力は小さかったのでしょうかね
>>102 そうですか。となると
決定論を否定し得るのは
人間の知性や技術では 世界の真の法則なり情報なりには辿りつけないとか そんな
何か認識上の阻害要因があるよ的な事しか ないんですかね
109 :
あまの :2014/04/13(日) 01:52:00.50 0
というか存在させられているという点でそもそも自由はないよ。 このことは誰も指摘していなかったがね。
>>108 いえ、別に我々がやってる学問は、自然科学だけというわけではないですから。
社会科学や人文科学の領域では非決定論的なものがあってもそこまでおかしくはないでしょうし、
そもそも、決定されているか非決定であるかということが前もってわかっているべきである
とされない部分があってもおかしくはないのかもしれませんよ。
>>109 そりゃあ、自由によりけりでしょうな。
私の扱ってる自由というのは、どっちかっつーと、存在しなければ、
自由もないという方がまだ近いような気もしますが。
112 :
あまの :2014/04/13(日) 01:58:44.46 0
ここにいると不愉快なだけかもよ。
>というか存在させられているという点でそもそも自由はないよ。 文明という不自由な拘束無しに、意識は存在できるのかな?
114 :
あまの :2014/04/13(日) 02:01:30.55 0
決定論というのは、己は何物にも傷つけられることの無い鋭利な刃物のようなものだからね。
>>114 あまのさんも「哲学入門」読んだほうがいいよ
面白いし
論理の穴もあるし
そんな切れ味よくないだろう。刃物って言っても、お道具箱に入ってるハサミ程度のもんよ。
自由はどこにあるの 自由って何? もしかして 自由を知らない僕は 自由を知らないって事なの? じゃあ ないの?
118 :
あまの :2014/04/13(日) 02:15:54.79 0
人文科学とか社会学は無知を根拠にしているから決定論とは無縁だね。
119 :
あまの :2014/04/13(日) 02:18:45.13 0
言語を信用しちゃいかんよ。 基本です。
>>118 でも、哲学って大抵、文学部でやってんだけどね。
121 :
あまの :2014/04/13(日) 02:21:20.74 0
あらららら〜
122 :
あまの :2014/04/13(日) 02:30:20.35 0
無知が前提であれば消極的自由がある。
まぁ、そんなこと言っちゃうと、アメリカには法学部はないんだけどね。
124 :
あまの :2014/04/13(日) 02:42:55.53 0
しっかし、一体、自分が自由だと知ったら何をやるというんだい? 今までと同じだろ?
何言ってんだ! 自由と不自由を交互に体験し続けて その境界線を堪能するに決まってるじゃないか!
>>124 結果論的にそうなるかもしれないってのは否めないかもしれないけど。
そもそも、対して違ったことをしないって思ってる人ってのは、
言うほど、決定論とか非決定論に関心がないんちゃうかな、と思ったりはする。
俺も関心のないほうに分類されかねんけど。
127 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/13(日) 02:52:44.04 0
>>29 :考える名無しさん:
>不確定性原理の影響を受けている 生活上の出来事ってある?
>>32 :考える名無しさん:
>不確定性原理なんて 我々の世界に何か関係しているんだろうか していないようにしか思えないんですけど!
日常生活では影響あり過ぎ。
光に関することは殆ど・・・
例えば光の部分反射は量子力学でしか説明できない。
>>38 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :
>人間が日常生活において「量子論的不確定性」に直面したり、考慮を要求される場面は全く存在しない…ということです。
これだから機械さんはトンデモさんなんである。
>>127 そういや、よく機械さんは理系とか言われてるけど。
どの分野の人なんだろう。数学、物理、工学辺りの人ではないとして。
129 :
考える名無しさん :2014/04/13(日) 07:49:51.61 0
>>127 おどろきの初耳だが、例えばどういう技術でシュレーディンガー方程式が
必要となるか教えてくれる?抽象的な言い方は無意味だから具体的にね。
あと「>光の部分反射」って顕微鏡技術のこと?望遠鏡技術かな?まさか眼鏡作るとき
シュレーディンガー方程式を使って不確定性の範囲を計算してるなんて言い出さないよな?w
>>127 あいたたたぁ!じいさんのほうがトンデモ言っちゃったみたいだな。
日常生活レベルの光学で量子論的不確定性の計算が必要ないのは文科系でも解るわw
たぶん宇宙の果てまで見通せるようになったスバル望遠鏡でも必要ないと思うし。
131 :
考える名無しさん :2014/04/13(日) 08:25:28.07 0
機械以外の古コテはみんな観念論者だから、最近旗色が悪いようだなw 科学哲学会会長のなんとやらが「哲学入門」とか書いて書店に平積みになる時代だからな たしかに、ドゥールーズ・デリダとかフーコーとかを解説してれば女にモテた時代は過ぎた デカルト・カント・ショーペンハウエルなんぞは遠い昔の旧制高校で寮歌に歌いこまれていたというのに
>>98 >文化は脳のレセプターの穴の数を変えます。
なんだよ、結局機械の言ってることを追認してるだけじゃないかよ
133 :
忍法帖【Lv=37,xxxPT】(1+2:8) :2014/04/13(日) 09:55:53.32 0
>>106 脳というよりもっと意識に直接影響を与えるレセプターの表面構造が
文化により変異するという説です。
>>107 1.恐竜の骨は鳥の骨と同じく空洞が多くて軽かった仮説。
2.ウルトラサウルスなどの四足歩行方恐竜類は
吊り橋と同じ物理学で頭部としっぽを支えていました。
3.恐竜類が巨大化できたのは、
当時の二酸化炭素濃度が非常に高い地球に適応するために、
気嚢システムを開発して、
気嚢システムが巨大化と巨体の運動を可能にしました。
>>109 存在X(この宇宙を管理させられている中間管理職神)
存在Xはこの宇宙のすべての物理定数を定めました。
この宇宙を安定するようにしています。
存在Xの部下の神(物理的媒体なしの存在=課長神)に地球の生物進化に介入させ続けてきました。
ヒトもまた課長神が操作する宇宙由来のRNA型ウィルスに
DNAを何度も何度も何度も書き換えられて進化させられました。
このように操作はされているのですが
ヒトは放置されています。
つまり、ヒトは自由なのです。
>>120 欧米では哲学は理系ですけどね。
神学と対になるのが哲学です。
134 :
忍法帖【Lv=37,xxxPT】(3+2:8) :2014/04/13(日) 10:00:06.05 0
>>132 上部構造(包括的全体)=レセプターの穴の数
↑
暗黙知
↑
下部構造(具体的諸細目)=文化
ホロン理論とは異なって、
暗黙知理論は商店をどこに置くかによって上下関係を変えることが自由自在にできます。
135 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/13(日) 12:19:35.87 0
>>129 :考える名無しさん:2014/04/13(日)
>>129 :考える名無しさん:2014/04/13(日)
貴方は50パーセントの光が通過し、残りの50パーセントの光が反射するメカニズムを量子力学無しに説明できますか?
やってきた光子を誰が半分に振り分けるのですか?
遠く太陽から発射された時に既に光子の運命は決定論的に通過か反射が決まっていたと言うのですか?
136 :
考える名無しさん :2014/04/13(日) 12:42:56.48 0
宇宙の状態は次の3つで決まっていると考えられる @必然 →物体の初速と物体に加わる力の合計で位置や軌道、速度などが決まる、など 必要なパラメータが揃えば正確に未来を予測できる これがあるから安心して原発を稼働させたりロケットを飛ばしたりできる A偶然 →必然に見える現象も、実は発生率に偏りがあるというだけでランダムに発生しているという考え方 B自由 →ある種の有機物だけが、必然や偶然から独立し、主体性を持って次の物理状態を選択することができる 全ての有機物に当てはまる訳ではない 例えば、薬に主体性があったら何が起こるのか分からないので怖くて飲めない) 同じことは食品にも言える 要するに「生きている」有機物だけが持つことのできる予測不可能性であり(例えば飲み込んだ生き物が腹を突き破って脱出してくる) それは超自然とも言え、もはや神の領域なのである
137 :
考える名無しさん :2014/04/13(日) 13:56:20.54 0
138 :
忍法帖【Lv=37,xxxPT】(1+2:8) :2014/04/13(日) 14:03:27.71 0
>>136 1=古典物理学
2=現代量子力学
3=経済人類学の暗黙知理論
>>131 いや、今の2ちゃんねるの状況を見てレスをひかえてるんじゃないの。
そもそも、その種の理論て、〇〇論にすぎるとか言っちゃうようなもんであって、
極端な観念論と唯物論が想定できるとしても、大抵は両極の間に色んな立場があるようなもんで、
唯物論者だからダメとか観念論者だからダメとかいう分かりやすいもんではないんじゃない。
ともすると、単なるレッテル貼りになっちゃうだけだよ。
最高位さんとかそもそも観念論とかいう問題以前のような気がするし、
860さんは、唯物論よりの見解を示す場合もあるよ。ただ、機械さんのレスを見る限りでは、
いささか極端に唯物論的な傾向を示しすぎではあるような気はするが。
141 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/13(日) 21:08:17.32 0
>どの観測の時点か 観測物体との相互作用が発生した時点でしょう
143 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/13(日) 23:36:58.82 0
>>127 >日常生活では影響あり過ぎ。
> 光に関することは殆ど・・・
>例えば光の部分反射は量子力学でしか説明できない。
要するに>光に関することは殆ど・・・量子力学でしか説明できない?????
東京の夜を煌々と照らしているのは東京電力が発電した電力で輝いている
電球類(蛍光灯やLEDを含む)とか自動車のヘッドライト・テールライト
ですが、それは明治以降本質的に変わっておりません。
それらの電球類の製作や制御が「量子論で計算」しなければ出来ない???
DVDやブルーレイディスクの読出し、書き込みも「光」を制御しなければ
不可能ですが…それも「量子論で計算」をしなければ出来ないない???
量子論で「特定の光子の振る舞い」を計算するのはご勝手ですが、上記のような
「日常的世界(マクロ)の出来事」にその計算結果が影響を及ぼすことは「一切無い」
のです。
そもそも「個々の原子」のみならず「個々の分子」さえ、人間は「電子をぶつけ
跳ね返った電子を観測する…電子顕微鏡」で観測することしか出来ないのですから、
「個々の量子の振る舞い」に関するシュレーディンガー方程式が確率的であること
は「当然」である…ということです。
「個々の量子・分子の振る舞い」はそれこそ「マクロ的世界には関係ない」…
ということが「シュレ猫」で明らかになっております。
あくまで「シュレ猫の箱の中の猫」は「半死半生の重ね合わせで存在する」という
ことが信じられるなら、あなたは一貫しておられるのでしょうが、私は例え
「箱の中の出来事」であったとしても「半死半生の状態の猫」などがこの世界に
存在することはあり得ない…と考えております。
>>55 ただの思考実験で何かが明らかになる訳が無いでしょ
145 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/13(日) 23:57:20.18 0
>>144 思考実験の意味(意義)をご理解されていないということは、
「問題の本質を全く理解できていない」からです。
哲学から思考実験を排除すれば、残るのは「ああでもないくでもない
こうかもしれないしそうでないかもしれない形而上学」しかありません。
「神学の後継」を密かに誇りとする「観念論」にとっては居心地のいい
状態なのかもしれませんが…。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
ああでもないこうでもないというのが思考実験じゃないの?
シュレ猫という思考実験の本質は問題提起です だからこそ、そこから様々な解釈が生まれたわけです そして近年において条件を満たせば重ね合わせはマクロ世界においても有り得る という考え方の方が一般的です
148 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/14(月) 00:17:10.96 0
>>146 自然科学の信頼性のおおもとは「実験」を行うからです。
だからこそ、小保方氏の論文の杜撰さがあれほどまでに批判されているのです。
哲学は(社会科学とは異なり)実際の「実験」は一切行えないのですから、
せめて、「思考実験に対する厳密な取り組み」ぐらい行わなければ、それこそ
「ああでもないかもしれないかもしれないかのおうせいはないこともないかもしれない」
…という「形而上学の陥穽」に陥って「観念論的自己欺瞞」で締めくくるしか
道がなくなる…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
思考実験とは 針の上に天使が何人乗れるのか のようなことについて 真面目に論理的に考える行為です
150 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/14(月) 00:23:46.02 0
>>147 「箱の中の猫」が「生きているのでも死んでいるのでもない状態」
であることを誰かが「証明」したのなら、具体的にご紹介ください。
「箱を開けた途端」あるいは「猫になり替わって入った人間が外部に
報告した途端」…「結果」…は必ず「生または死」なのですから、
「半死半生の猫(や人間)」が存在する(した)といことは原理的に
絶対証明できない…のですから、「どうやって証明したのか?」
非常に興味深い…と思います。
本日は就寝させて戴きます。
152 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 00:48:41.92 0
わしじゃよ
>>151 まあ、それって最小のウイルス1個が何かの変調を感じるか否かといったレベルの
影響よりさらにさらに小さな影響が出るかどうか?という話でしょ?
いくらマクロと言っても物理学者以外にはミクロ中のミクロの世界の話じゃない?
そろそろですかな?
>>135 >やってきた光子を誰が半分に振り分けるのですか?
俺のハーフミラーレイバンは丁度半分反射半分透過で自動的にやってくれるんだけど、
いつもその振り分け作業に感謝しなければいけないのかなぁ
はたしてそうかな?
157 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 01:48:59.33 0
科学実験的自己欺瞞というやつらしい。
てかさ、量子の領域における不確定性を肯定してしまったら、 少なくとも、その部分においては、確率的な決定しかあり得ない ってことになるから。この時点で自然科学もその種の決定論だけで成り立ってる ってわけでもないんだけどね。まして、それ以外の分野となるとねぇ。
>>135 >貴方は50パーセントの光が通過し、残りの50パーセントの光が反射するメカニズムを量子力学無しに説明できますか?
だから、
>>155 の言いたいこともそうなんだろうけど、ハーフミラーサングラスの設計・製造にあたって、量子力学で説明しないけりゃ
ならないなんて聞いたことがない。じいさんの断定は悪いけど全く信用できないよ。
材料のレンズを造る会社を含めて、旭硝子みたいな大手だろうと量子力学なんて使ってる筈はないと思うがな。
160 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 09:41:26.09 0
>>153 そのスケールが違いすぎるという話がキモでしょ
東京湾、その先は太平洋に繋がっているお台場海浜公園の波打ち際で、
海に差し込んでさっと動かした棒が作る渦が左回りになるか右回りになるか予測できないとしても
黒潮や親潮の流れには何の影響もないということだよ
量子論の不確定性なんて位置とエネルギー量が同時には予測できないって話で、 だから、物理法則が不安定になるとかいう話ではないし、仮に物理法則が決定的 ではなくなったにしろ、人間の自由意志がその最後の決定をするなんてわけはないし
162 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 11:16:52.50 0
置いておきますね。
置引きしておきますね。
この世は初手の時点で 後の展開は全て決定している のですね
165 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/14(月) 15:58:25.96 0
>>143 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6
>電球類の製作や制御が「量子論で計算」しなければ出来ない???
そんな難しい専門的な分野でなく、サングラスの半分が通過し半分が反射するというありふれた事実を不思議な現象だと思いませんか?
貴方には科学する心が無いのですか?
単純な事実に隠された自然の原理を追求するのが科学ではないですか?
電球のことは東京電力に任せて於けば良い、と言うのではまるで貴方の忌み嫌う観念論者の言い草と同じでは?
少なくともニュートンさんはこの部分反射の事実の解釈に大変悩みましたよ。
ご存じないんですか?
>>159 :考える名無しさん:2014/04/14(月)
人間の神経細胞は5〜6個の光子で反応し脳に信号を送っている。
ミクロとかマクロなどと言う差別は人間の敏感な機能には通用しない。
166 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 17:11:57.40 0
じじいはニュートン力学=機械的唯物論と思っているらしいな 機械的唯物論はニュートン力学と量子論や相対論を含むもっと大きなものだろ
>>161 その種の指摘は、何度もされてるが割りとスルーされがち。
物理的領域が真に閉鎖しているのかという問題と、物理的領域内部での
決定論の妥当性という問題がごちゃまぜになっているとかそういう感じの印象はある。
>>165 ようわからんが、不確定性といっても確率論的なんでしょ。思考回数が十分に多ければ、
かなり確率通りに収束することになるから、おおまかに波であるととしても問題ないとかそいういう
ことなんじゃないスかね。
168 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 17:34:27.14 0
うつに関与するのはセロトニン(5-HT)だろ。
はたしてそうかな?
物理的領域の決定、非決定を論じようとしても、誰も物理的領域について きちんと語れるだけの知識がないっていうね。 そもそも、哲学板でそんなことを問題にすること自体が無謀なのでは? 科学哲学として、自然科学の有り様とあるべき姿を語るのなら、また別だろうけど。
171 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 21:41:51.32 0
いやあ、まともに語るとしーんとなっちゃうの
>>170 もうすぐ来るよ、科学哲学系が
機械という名のスレ主が
173 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/14(月) 22:01:44.54 0
>>165 ですから、先に挙げた現代テクノロジーの数々の例の中で、どこのどの部分に
量子力学の計算が使われているのか?
…という単純な疑問を投げかけているだけなのですが?
別に例示したものでなくても結構ですから、「応用科学の分野」で量子力学
の不確定性を考慮に入れている例を1例でも挙げていただきたい…ということです。
まさか「一例も具体的には挙げられない」なんてことはありえないですよね。
なにしろ
>>127 「日常生活では影響あり過ぎ。 光に関することは殆ど・・・」
ということですから。
174 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 22:14:00.32 0
機械さん 高校で習う共有結合とか 量子力学によってのみ説明される効果ですよ 成果だけを学習し、量子力学としては学ばないのです コンピュータだって、それが量子コンピュータでなくても 量子力学的な効果を土台に作られている p、n型半導体とかトランジスタとかサイリスタとか 全部そうです いちいちシュレディンガー方程式なんか解かないのです だからといって、量子力学が関係ないわけではない
>>173 わかってるなら、自分で説明されればよいのに。
私は、超文系ですが、光通信とかの話になると、量子力学的なゆらぎによる
雑音とかが生じるんではないですかね。みなさん使ってるでしょ、光回線。
>>173 皆さんそれぞれ『哲学入門』を読み進めているようですが
機械氏なりのレビューでも書いてはもらえませんかね?
それで話題もまた充実してくると思うんですけれども
177 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/14(月) 22:42:27.96 0
>>174 >いちいちシュレディンガー方程式なんか解かないのです
>だからといって、量子力学が関係ないわけではない
ですから「シュレーディンガー方程式を使う必要が生じるものは一例もない」
…ということですね。「確率的な結果しか出ないのに設計できる」のはロト6
をはじめとした宝くじ類やパチスロ・スロットマシーンのたぐいのみ…で了解です。
>>176 すみません。まだ「意味論」のところに差し掛かったところで、私が「クオリア」と
いう概念を使って説明しようとしていたことを「表象」という概念で行おうとして
いる…くらいしか判りません。「チューリングテスト」の部分や「中国語の部屋」
の部分は「哲学入門」のタイトルに相応しい判りやすい説明となっておりますので、
私がここで限られた字数でご説明するより「百聞は一見に如かず」だと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>177 別に量子暗号通信とか、そろそろ実用化されてもおかしくない技術のような
(ひょっとしたら、もう実用化されてるのかな?)。量子通信も出来そうな気がする。
てか、そもそも、量子力学的なゆらぎが電磁波を用いた通信には、雑音として生じ
てしまいそうなんで、従来の電磁波を用いた通信は、常に量子力学的な雑音を前提として
計算して情報を乗せていかないと、成立しないような気がしますが。通信量を減らして
量子力学的な揺らぎによる雑音が無視できるほど小さいといえるような通信であると別でしょうが。
シュレディンガー方程式というのは、量子力学を基本式であって 全ての現象の根底をそれが支えている、ことを前提にしていますが、 実際の個別的な現象について、厳密に適用することなど不可能なんです 単純な水素原子の電子状態を求めるだけで青息吐息なんですよ 共有結合というのはですね、電子が状態aと状態bのどちらにあるのかが、 原理的に決まっていないことによって、全体としてのエネルギーを下げることができる という話であって、そこに不確定とか確率の概念は介入してしまうのです 量子力学の話というのは、だいたいにおいて、そんな感じなんです 「物質の根源を粒子としちゃうのであれば、粒子の配置状態が不確定として考えてみよう」 というモデルに従って作られているのです
知識人は要らねえんだよ 機械に立場をとられた事に気付け
そらみろ ちょっとまともに講釈すると嫌がられるのよ
いや、そんなもん分かってんだよって話 分かってない奴向けなら無料講釈お疲れ
183 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/14(月) 23:14:40.88 0
>>179 ご解説有難うございます。
私は「人間の脳」の対する「入出力」を司る「神経細胞の働き」が全て
「決定論的である」…ということを言いたいだけで、「量子が不確定性原理に
従う」…ということを否定している訳ではない…ということです。
すなわち「人間の脳」の情報入出力と情報処理が全て「決定論の範囲で説明
できる」…要するに「本当の完全な自由意志」は存在しない…ということを
言いたいだけ…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
お久しぶりです。 クオリアという概念を用いる必要はあるか?という話題は全スレでも見受けられたのだが、個人的には不要に思われる。 感覚的クオリアとは、「(意識による)感覚の認識」であるし、志向的クオリアとは、「表象してしまう知性」として説明できよう。 また、機械氏は、観念の定義を「言葉による言説(=幻想)」だとし、それに先行してクオリアが有るとしているが、これは定義のズレの問題である。 私は観念の定義を「主観による客観の表象(の認識)」とし、「それ」を言葉に変換するのは、「意味」を創出しているからであって、言葉が観念とはならない。 この定義のズレを解消してどちらかの定義を共有するならば、私と機械氏の主張は同じになるのではないかと思っているwww
いやいや、非常に分かりやすい説明ですよ。ためになります。 ついでに、オカルト、SFを退治するために量子力学の概説をして欲しいくらいです。 てか、機械さん理系説も非常に怪しくなってきてるわけですが、あの方のバックグラウンドは なんなんでしょうね。
ああ、180が分かってないだけね
>>184 わるいがきみのいけんにはきょうみがない
まったくないのだよ
さようなら
分かってないわw 量子力学は科学の中のオカルト的分野なのだ
つまんない意見だな
>>189 ようわからんが、量子力学がオカルトなんだったら、社会科学なんて
オカルト以外存在せん気がするが。
>>183 >…要するに「本当の完全な自由意志」は存在しない…ということを
>言いたいだけ…ということです。
自由意志はともかく、頭が悪い人間の文だ。
なんでもオカルトに引き込みたいのだろう 進歩せん奴だわ
>>184 いのちさんずいぶんご無沙汰でしたね。
現在、2ちゃんねる自体が非常にややこしいことになってまして、
コテの人達の中には、どうもその辺りの危惧からレスを控えている人がいそうなんですが、
いのちさん的には、その辺どうなんですか?
196 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2014/04/14(月) 23:33:24.05 0
新スレですね。時間があれば顔を出してみたいと思います。 が、今のところはこちらでよろしいのでしょうか? なにやら鏡合わせのようになっていますが。
>>194 毎回、オカルトはやめろよって言ってるのは、俺なんだが。
だって、量子的な重ね合わせから、なぜか、並行世界からの電波を
受け取って、遠く離れた知らない人の病気を察知するとか言い出す奴が
現れたりするんだもん。ネタじゃなくて、ガチで。
198 :
考える名無しさん :2014/04/14(月) 23:41:16.15 0
皆様へ ★「哲学入門」戸田山和久著 ちくま新書 1080円 これがテーマになって話が展開するそうです。 ともに買って読みませんか。
>>196 さて、もともと存在していた2ちゃんねるというサイトのドメインはここですし、
ログもここにありますが、今、JIMさんがブチ切れて仲間割れを起こしていまして、
現状ではJIMさんサイドが勝手に運用している状態なので(乗っ取ってる?)、こっち
で良いのかは、さっぱりわかりません。
量子力学は、古典科学に限界を感じた人間が、世界を新しい概念で記述する為に作ったもの 決定論的に言うと、作るように仕向けられたものだから、 新しい領域であるオカルトに踏み込まずに世界を新しく記述しろ、という要求には無理がある
201 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2014/04/14(月) 23:49:21.25 0
>>199 さん
ありがとうございます。
専用ブラウザで新しいスレには書きこめない様なので。
>>198 その本に沿って機械氏が論じるとなると苦い思いをすしそうですね
戸田山和久は「自由意志はある」という考えですからね
唯物論者ではあってもかなりその内容が異なっているんですよ
機械氏が語るのを楽しみにはしていますけれども
意志や感覚と同時並行して物質的な現象がリンクしてる それだけのことじゃん
204 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/14(月) 23:59:18.60 0
存在とは「being」、つまり動詞そのものを意味する。 懐疑しているとき、その懐疑は存在しているし、思うとき、その思いは存在しているし、私を想起するとき、私は存在する。 存在即ち動であるならば、静は即ち無である。 懐疑していないとき、懐疑は存在しないし、思わないとき、思いは存在しないし、私を想起していないとき、私は存在していない。 静から動へと相転移するとき、つまりは無から有が生まれるからこそ、「being」という単語に生命や生まれるという意味もあるのだろう。
205 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 00:01:15.25 0
>>187 どこ縦読み?
>>195 まったく気にしていないですよ。
単に仕事が少し忙しかっただけでして。
存在論の存在って「being」じゃなくて「on」なんじゃねーの?
208 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 00:05:50.69 0
>>205 皆さん意外と気にしてないみたいですね。
なんせ、私のバックグラウンドは、法学にありまして、
哲学的なものに触れるときも、わかりやすいのだと正義論とか
そういうものなわけでして、どうも不当な側に加担したくないという
間隔が強くなってくるわけなんですね。なんで、実は、実質的な議論を
今は微妙に避けてみたりしています。
ただ、いずれにしても、利用者にこういう危惧感を与え萎縮を生じさせている
ということそれ自体は、あまり良いことではないので、利用者は、気にせずに
いつも通りやっていけば良いんだってのも、正しいだろうと思います。
>>207 >>208 ギリシャ語ですね。なんかbeingってしっくりこないんですよね。
かと言って、existenceは、実存に近い気もする。
英語の論文だとbeingで表現されているんですか?
211 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 00:21:56.43 0
>>209 法学を専攻している人は、倫理についてどう考えているの?
法律は単純に「決めごと」を制定しているだけで、「〜してはならない」とは一言も書いていない。(例えば「人を殺してはいけない」という法律はない)
「〜をしたらこうします」と決めているだけで、倫理的整合性に欠けていると思うのだが。
212 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 00:29:53.72 0
>>210 実際どちらでも構わないのだが、やや形式ばったときにbeingが使われたりする。
しかしながら、existenceは不可算名詞であり、存在の本質を表しているとは思えないかな。
動詞の名詞化とでもいうのか、表象された概念とでもいうのか・・・
213 :
考える名無しさん :2014/04/15(火) 00:30:12.32 0
>>210 どちらも存在ではあるんですよ
ただ「being」は広義でも使用されるといいますか日常的にも使いますよ
「existence」は哲学の専門用語的な使用法ですね
どちらも起源は古くてアリストテレスとかの頃からあると思います
>>211 パッと見だとそう見えるかもしれませんが、刑法における殺人罪の規定は、
殺人を禁じるものですよ。殺人という行為が無価値(反価値)であるからこそ、
刑罰による予告によって強烈に禁圧しているわけです。
倫理的整合性というよりもサンクションがないと実質的に法の命ずるところを守らせる
ことができなかったりと色々あるわけでして、むしろ国家がこのような形で強制的に実現しちゃいます
というのが、法と倫理の違いとしてあげられたりするわけです。いずれも基本的な部分としては
「〜であるべき」というものとして存在するものですので、規範であることは変わりないと思います。
215 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/15(火) 00:34:21.48 0
>>173 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :
>ですから、先に挙げた現代テクノロジーの数々の例の中で、どこのどの部分に 量子力学の計算が使われているのか?
レンズの屈折率はレンズの製作に不可欠でしょう?
其の屈折率の原理はニュートン古典物理学では説明できない、量子力学で始めて原理的に説明ができる。
其の量子力学からしか説明出来ないレンズの屈折率を用いた場合、レンズ製品は量子力学の原理を土台にしていると言うのではないですか?
以下は「日焼けの量子力学」の問題です。
http://www.op.titech.ac.jp/lab/Take-Ishi/html/ki/hg/chem01/0412/bn0412.html もとより計算して日焼けしている訳ではありませんので
「量子力学の計算が使われて日焼けになっている」と言う訳では在りませんが
一般には「量子力学の原理で日焼けする」と言うのではないですか?。
>>183 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6
>私は「人間の脳」の対する「入出力」を司る「神経細胞の働き」が全て
「決定論的である」…ということを言いたいだけで、「量子が不確定性原理に
従う」…ということを否定している訳ではない…ということです。
これも日焼けが量子力学で左右されるのだから人の脳も影響うけるはずですね。
更に
>>165 :じいさん ◆6rgGIYz09M :
で言っている様に光子5〜6個で目の「神経細胞」が反応し脳に信号を送っているのだから量子力学を否定することは出来ないでしょう。
>>183 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :
大体「人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は全くありません。」と言っておきながら宇宙を支配する量子力学原理が「脳」には及ばないと主張するのはおかしいですよ。
>>213 それから〈being〉には生物という意味もあるから
human being というように人間のことを表現するんです
>>212 >>213 いのちさんと213さんが入ってることが微妙に違うきが・・・
しかし、思いもよらず、貧弱な英語力を晒してしまったwww恥ずかしいwww
これでもぼちぼち洋書を読んだりしてるんですけどね。
>>217 岩石の存在で〈being〉は使わないですね
>>217 岩石の存在→Existence of rock
〈being〉は「〜であること」なのでやはり命あるものですかねえ…
>>219 むーん、確かにここでの存在を「being」としてしまうことに対する違和感は、
その辺にあるのかもしれませんね。個人的な違和感ですが。
221 :
考える名無しさん :2014/04/15(火) 01:05:30.11 0
また止まってんのか
>>211 ちなみに、法と道徳の峻別の問題となるとこれは、いずれかというと、
法理学とか法哲学といったものの範疇にありまして、法解釈学を下地としている
私としては、あまり言及するとボロが出そうなんで怖いんですけど。
道徳と倫理の違いはよくわからんですが、前者の方が社会規範性という性質が
強調されるんですかね。
いずれにしても、法と道徳というのは、違うことは違うんですが、完全に峻別して
語ることってのは、難しいんですよ。道徳という下地があるから、法があるなんてことも
あったりなかったりしたりしてまして、やっかいですね。
>>220 でもナイスな疑問だったと思いますけれども
やはり翻訳は難しいんですよね
単語の意味なんか完全には一致しないですから
224 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 01:13:06.94 0
>>204 で述べた存在とは、勿論観念世界について語ったわけだが、これを自然世界即ち実在にまで適用しようとすると、「おそらく」としか言えなくなる。
自分が生まれる前にも自然世界は「おそらく」存在していただろうし、自分が寝ているときでも「おそらく」自分は存在しているだろうし、自分が死んだ後も「おそらく」自然世界は存在する。
これは通常確信的ではあるものの、絶対とは言えない故に信仰対象となる。
「意識があるから世界を認識できる」のと、「世界があるから世界を認識できる」のは、どちらも真である。
故に「意識がないならば世界を認識できない」のと、「世界がないならば世界を認識できない」のも、共に真となりうるのだ。
ですから、「意識があるから世界は存在する」と、「意識がないならば世界は存在しない」が成立してしまう独我論的観念世界に陥ってしまうwww
自然世界は実在するという、ある種当たり前とも思えることは、(確信的)信仰でしか成立しないのである。
>>218 >>219 本来岩石や星や宇宙では使われないbeingを全てに適用したのがいのち一元論なんですがねwww
単純な話で、動いているものが有(いのち)で、動いていないものが無というね。
この意味で有と無は同じものであって、そのことを説明する概念がE=エネルギーということです。
225 :
あまの :2014/04/15(火) 01:13:43.55 0
法とは幻想の維持の規範である。
>>222 米国だと法律は「神」つまり聖書を手に宣誓しますよね
そういう影響は法学や法解釈にも影響してるんですか?
227 :
考える名無しさん :2014/04/15(火) 01:22:03.55 0
単語の意味なんか完全には一致しないのに翻訳できるのですね 完全に一致している何かはまるで量子的単語ですね^^
228 :
あまの :2014/04/15(火) 01:24:23.98 0
命君は相変わらず時間だけは実在として扱うからおかしな論になるんだよ。
>>223 そうですね。私はアカデミックなポストにいるわけではないので、
あれですが、同じ単語を日本語に訳すときに、すべて同じ語として
訳すとおかしくなっちゃうんで、それぞれにうまく当てはまる単語
を用意しなければならなくて、頭を抱えてる人を見たことはあります。
自然科学みたいに英語がある種、共通言語化してるような場合だと
英語でOK的な感じで楽なのかもしれないですね。
ただ、我々の思考はある種、言語を基底としているところがあって、
その言語というのも、おそらく我々が歩んできた歴史や文化を基底
としているところがあるわけで、そういうところを差っ引いて考えなきゃ
一般的に通用する理屈が出てこなさそうなところがあったりするんですかね。
230 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 01:29:52.55 0
>>214 法律の中の罪・罰という言説が倫理的悪を表しているのですかね。
悪の根拠については一切言及されませんがwww
>>222 道徳、つまり徳の道というのはですね、徳という漢字を解体すればわかります。
その心は、「直き心を以て所作に至る」です。
道徳は、学習して身につけるものでは無く、性善説を基礎に置き、直き心に随うことが善であると説いているのです。
これを(他人に)決められることがルールであり、即ち法律なんですよ。
本来的には、自分で決めたルールが道徳、他人が決めたルールが法律と、明確に違うのですよ。
231 :
あまの :2014/04/15(火) 01:34:21.55 0
道徳も法も相互安全保障という相対論の中に雲散霧消するわ。 南無〜
232 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 01:35:47.68 0
>>228 そんな覚えはないなあwww
時間なんてのは、何かの前・後という、「状態の変化」を時間という量で表すか否かの差であって、状態の変化自体はあるじゃないか。
君もこうした意味で単なる形式とみなしているのではなかったかな?
233 :
あまの :2014/04/15(火) 01:38:23.24 0
では、明日自分が存在することに対して信仰は不必要だね。
>>226 当たり前かもしれないですが、全くないというわけではないんじゃないですかね。
ただ、法解釈学ではあまり宗教の影響までは論じませんね。私は、プロ倫とか
絶賛積読中なんですが、ローマでキリスト教が流行ってから、ずっと西欧の法も
キリスト教の大きな影響下にあったんじゃないですかね。その影響から完全に脱却
してるなんてことはあるんですかね。それに、キリスト生誕以前においても、
法はあったわけで、みなさんこの辺りはお詳しいと思いますが、ソクラテスの弁解で
ソクラテスを殺したのが、正にノモスだったわけですが、当時の宗教的な影響を大きく受けて
ますよね。
ただ、政教分離なんてものは、アメリカからの輸入品なわけですから、そういう意味では、
アメリカも日本も国家は宗教に対して中立なわけですし、当然、国家が制定する法も宗教に対しては、
中立的なものであることは確かですので、その辺りは、また違った話になります。誤解されそうなので
付け足しておきます。
235 :
考える名無しさん :2014/04/15(火) 01:41:35.99 0
論理のなかに時間があるなら出してみんしゃい^^
困ったときの Wikipedia で being と existence を読んでみると、
being は実在するものに対する語で、日常的には生きている物に使われる、
existence は意識される存在に対する語で、日常的には単純に存在の意味
で使われる、と言った感じでしょうか。
(最初の部分を適当に読んだだけですが。。。)
>>224 >自分が生まれる前にも自然世界は「おそらく」存在していただろうし、…
実在というのは認識者に依らず「あり続ける」存在であり、存在の連続性
を前提としているから、 -ing と形が使われているのかもしれません。
>自然世界は実在するという、ある種当たり前とも思えることは、(確信的)信仰でしか成立しないのである。
前スレでも述べたように思いますが、
実在というのは観念では消し切れないし、観念もまた実在(する物)では
消し切れないのですよね。
>>230 法と道徳というか、法それ自体を他のものと独立して存立し得るものとしようと
した人として、ケルゼンという人がいるわけですが、純粋法学というものなんですけど、
それによると、法の正当性について言及するのは、より上位の法ということになりますね。
そして、どんどん上位の法へとたどっていった先に根本規範というものがあると想定される
ことになるわけです。ケルゼンは法実証主義に強くよっている人なので、ここでいう根本規範は、
いわゆる自然法ではありません。まぁ、ケルゼンの言ってることが正しいというわけではないのですが、
何も、法というのは、それが正当であるという根拠を全く見出そうとしないものではないというわけです。
法を独立させるという純粋法学を提唱したケルゼンのスタンスですらそうであるということで、ケルゼンを
出してきたわけですが、簡単に言うといわゆる「悪法問題」というのが、わかりやすいですね。
しかし、この説明は、果たしてわかりやすいのだろうか・・・。
あと、道徳って社会規範性が強いですから、自分だけで決めるもんでもないですよ。言葉の問題ですが。
238 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 01:54:51.81 0
>>233 まだまだ存在についての認識が甘いね。
「今」認識しているものが、存在なんです。
たとえどんな状態になっていようが、何らかの状態の明日の自分はある・・・という観念は、「今」存在しているので、確かにこれは信仰ではない。
しかし、そうした観念世界で構築された(表象化している自分という)ものと、自然世界はまるっきり違う(相似ではあるが)
自然世界は、(意識の上で)「在る」としか言えない存在そのものであり、自分だとか岩石だとかの区別・境界がないのだよ。
239 :
あまの :2014/04/15(火) 02:10:54.36 0
「今」が形式であれば、どの「今」も同質なんだよ。
240 :
あまの :2014/04/15(火) 02:14:23.30 0
我々は非存在とは無縁だ。 存在が「今」を形式を持つなら、「今」は不変だ。 だから、「今」の存在と未来の「今」に何ら変わりは無い。 信仰とは無縁だ。
241 :
あまの :2014/04/15(火) 02:18:15.77 0
しかし、存在と法は反りが合わないことおびただしい。
242 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/15(火) 02:23:48.11 0
>>236 消しきれないから二元的、というのも一つの考えですがね、観念を超越論的に自然世界に内包させるという構造主義があっても良いと思うのですが。
この場合、本当に超越できたわけではなく、信仰によって自然世界を鳥瞰しているにすぎないが。
信仰によらなければ、〜という観念でしょwwと、無限後退してしまうwww
>>237 ですから、道徳に社会規範性が強くなって規律ができたのでしょう?
人は社会的動物なのだから、当然に直き心とは、社会の維持にコミットされるものであるはずです。
>>239 有と無が同質であるという主張に似てるな。
ある状態が「有る」ならば、どんな状態になろうとも「有る」のだと。
こういう観念論で進めると、「無が有る」という面白い矛盾にぶち当たるがwwww
頭の良い人は法を破らず罪を犯す 君は頭が良い方か?
>>238 その存在の定義は首肯しがたいですね。
適当な事を言うと、例えば、存在しないことが確認されていたものが、
後日に存在すると確認された場合に、その存在性の変化に言及できないのは、
いかにもまずそうですよ。そういうと、そういうことまで認識しているからOK
と言われそうですが、そこまで言われると、「存在」というものを「存在という認識」
に置き換えただけで、大して意味がなくなっちゃいますよ。
最後の区別、境界がないというところは、ここの議論の本筋におけるキーポイントになりそうな気はしますね。
>>242 >ですから、道徳に社会規範性が強くなって規律ができたのでしょう?
>人は社会的動物なのだから、当然に直き心とは、社会の維持にコミットされるものであるはずです。
この辺りが、我々がテクニカルタームとして用いる道徳の定義と食い違ってきまして、そもそも、道徳
というのが、単なる個人的な価値ではなく社会的な価値(規範)と定義されてるんですね。
246 :
あまの :2014/04/15(火) 02:37:38.12 0
法というのは計算能力。
あまのさん、あまり法について適当なこと言わないでwww こっ恥ずかしいというか、むず痒くなってくるからwww
こうして法学を勉強すればするほど自由を忘れる
んー、法学なぁ 個人的にはイマイチ食指の動かない分野なんだよなぁ、結局のところ詭弁でしかないっつか まあ多くの人が納得出来るルール作りってのは必要な事なんだろうけど 極論言ってしまえば、どんな法律も生物が本来持つべき多様性に制限を掛けるってことだからなぁ
本来持つ「べき」多様性って言ってる時点で、法学のようなものに 興味をもつ端緒はあるんだけどね。 ただ、法学っていうのは、はじめのうちは、特別な技術を学ばされてる ような感が大きいって人が多いからね。そこを超えるまでは、単なる詭弁 のように見えなくもない。詭弁ではない感じに法学を説明するのも、完全に無理 というわけではないので、やってもいいよ。私は、今本筋に絡む議論をするのを 回避気味なわけだし、ただ、皆さんに迷惑がかからないように、本筋にほんの少し 関わりそうなところの質問をいただければ、一番やりやすい。 もう、完全に本筋の議論をしろよっていうなら例の「責任」を題材にした 議論の続きをやらなきゃいかんことになるけど、色んな意味で避けとこうとしてますな。
我々がまだ絶対的な価値観を知らない以上どこまでいっても詭弁にしかなんないと思うけどねぇ まあ確かに「べき」は余計だった。書いた後でしまったとは思ったんだけどやっぱつっこまれたw
>>253 うーん、そういう考えも決定論的であるってことになるんですかね。
絶対的な価値っていうのは、正義とかそういうものになるのでしょうが、
そういうものが、まだ見いだせてないから、つまり、究極的な答えがないから、
やる気にならないってのは、逆のような気もしますが。
だって、物理学だって最終的な答えには至っていないわけですが、だからって、
工学をやる気にならないってことにはならないでしょう。
しかも、法学って、あるべき法について語るところもありますが、法解釈学なんかは、
今ある法というものについて、それがいかなるものであるか語っているわけですから、
正義とは何かがわからなければどうしようもないというほどに依存してるわけでも
なさそうですけどね。
やっぱり、法というものに対して、圧倒的に技術的なものとして触れる機会が多いというのが
学ぶ気にならないということにつながっているような気がしますね。つまり、あることをしようとすると
法律上の問題が生じて、それをクリアするためには、このような準備をしておかなければならないというように。
よく黄檗さんなどが言っている様に物理の正しさは物質そのものが保証してくれる 依って立つ所がハッキリしてるから結果的に理屈が実態よりも優先されることはまず無い (もちろん未知の領域に関しては理屈が先行するけど「結果的に」と書いたから分かるよね?) 法学そのものは必要なものだと思うし有効な手法だとは思う と前置きさせてもらった上で、あえて忌憚のない言い方をさせてもらうと 法学の本質ってのは、その時々で要請されている法の正しさを人々に認めさせる為に 後付けの屁理屈を捏ね繰り回すだけ、のものに見えてしまうんだ もっとぶっちゃけた表現をすれば、人々を騙すための詐術に近い、と個人的には思う 物理の発展もある側面では人々に災いをもたらすものだし そういう意味ではどっちもどっちな感じはするけどねw ただまあ物質の真実が知りたくて物理をやってる人は理解出来るけど もし正義とか善悪を知る為に法学をやっている人などが居れば俺には理解出来そうもない
>>256 別にそんな正しさを認めさせるためにやっているというわけではないよ。
よくそういう意見を聞くけど、私からすると何が問題なのかピンと来ない。
例えば、経済学とかになると、大抵の人は屁理屈をこねまわしてるとまでは言わないのよね。
でもね、極端なことを言うと、法も経済もそれが存在している現象ってことは確かなわけで、法も大事なものなわけでしょ。
法学ってわかりやすく言えば、法という現象を説明しようとしてるにすぎないわけよ。別にうまく騙して
正しそうに見せかけようとしているわけではなくて、単にこういう現象があるが、そこで取り沙汰されている
ことはどういうことでしょうか、ということを探求してるだけで、そこに法の正しさみたいなものが、入ってくる
ってだけなんだけどね。だって、法という現象は、ある法が正しき法かということとセットでとらえられてるわけだから。
正しさを求めないある現象の説明ってのはただの感想と変わらないんじゃないか?
正しいって何?っていう 正学が必要になるんじゃね それって
>>258 ここでいう正しさっていうのは、存在する法律が良いものなのかということですね。
例えば、経済学とかだと、ある経済現象が良いものなのかなんてことはまず考えないでしょう。
>>260 ある経済政策が良いものかどうかは普通に考えるのではないですか。
ある物理法則が正しいかどうか、とか
物理科学は自分で作りあげる「法則」に正しさが内包されてるじゃん 凄く便利なものだけどある種ただのトートロジーだよ
ん? 物理学では仮説を立てたら、結果的には例外なく正しいと?
>>261 経済学者は、ある経済政策にいかなる効果があるのかということは問題とするけど、
その良し悪しはほぼ語らないよ。
マンキューの教科書なんかでは、有能な経済学者は有能なアドバイザーであるとは限らない
とか言ってたりする。
そりゃただの予防線だろ 有能な経済学者は有能なアドバイザーであるべきだと思うがね 成果を示さない学問に意味は無い
>>266 予防線て言うか、経済学と銘打った教科書ではそういうことは教えねーからなって言ってんのよ。
実際はどうなのかな、ある種の経済学の分野(公共財とか)では、公平性とかを問題としていたりするけど、
主にそういう選好があるという視点でとらえられているような気もする。
門外なんでわからん。
>>264 その時に見えてる物で仮説を立てる→
法則に沿うまで実験を繰り返す→
正しい!
見えてる物で仮説立てるんで途中は只のデバッグ。
正しいではなくて、デバッグ終了!
このへんの話はね。本筋にちょっと戻っちゃうけど。 法というのは、でっかい規範の塊みたいなところがあって、 どこまでいっても、法内部もしくは規範内部で規範(の法則)の整合性を 取ってるだけなのか、そうじゃないのかってことになるし。 どこまでも法内部での整合性を問題としているだけなのだったら、 それは、物理学において物理的領域(での法則)の整合性のみが問題とされているのと そんな変わらないんじゃないのかって思えたりもするわけでしょ。 対象が違うからそういう違いはあるけど。 私は、そこまで法や規範を閉鎖されたものであると考えるべきではないと漠然と感じてた りはするけど。別のところでケルゼンの例を出してるけど、そういう試みが成功してるってわけでも ないんだよね。だからといって、物理的領域や自然科学的な領域を変に拡大させて、それだけで、 すべてを説明しようとするのも無理がありそうなわけ。だって、彼らの領域こそ、ある意味では、 非常に閉鎖しているわけで、そういう閉鎖性があるからこそ、あそこまで完成された理論として提示 されてるわけでしょ。物理や自然科学というものがそういう部分を維持しつづけながら、我々の領域まで やってくるってのは虫がよすぎる話であって、やってくるなら我々がやってるようなある種、不確かで混沌と した部分にどっかでハマる必要があるわけで、その過程で自然科学という閉鎖性から生じたあの簡潔とでも表現スべき スタンスを保つことができるのかは、非常に怪しいところでしょうね。たぶん無理なんじゃね。
歴史上そういうワケノワカラナイモノの数々が自然科学によって解体されてきたんですけどね ま、人の意識やそれらが作り出した概念が解体されるのはかなり先の話だとは思うけどね
>>270 例えば、解体されたのは、どういうものですか?
>>272 私には、そういう歴史の中で自然科学だけが突出してわけのわからないものを
解体してきているといった感覚はないですね。むしろ、自然科学は特有の方法によって
説明できるものを説明していくのに特化分離していって、こっち側にわけのわからない
ものを押し付けていって、自分たちはわかりやすいところでどんどん先に進めていって
しまって、ズルいぞ!っていうイメージですね。
道徳心は生まれながら持ってるよね
>>274 そうなの?私の記憶が確かなら、言葉を話し始めた頃に道徳なんていう
確たる規範なんて持ってなかったと思うけど、あえて言うなら、相手の嫌悪や
悲しみといったものを自らがもたらしたのではないかということに対する罪悪感
とまでもいえないような漠然とした不安な恐怖のようなものはあったような気がするけど。
道徳なんてものをなんとなく持ちだしたのは、もう少し後だったような気がする。
276 :
あまの :2014/04/16(水) 01:53:22.35 0
まあしかし、量子力学はいまのところ必死に現実を描写している段階だからな。 話半分で聞くべきだよね。
量子力学が未だ建設中の理論だとは初耳です
自然科学教はある意味一神教で 自分達の考えに合わないモノを全部「勘違い」に放り込んで行くちょっと暴力的な教えじゃないか? 共存を全くしない所がある 下手したら今分かってる小さな範囲以外を精神病にするかのような
279 :
考える名無しさん :2014/04/16(水) 14:43:01.12 0
女と1発やりてぇなぁ
名古屋の駅でたっているとオンナが近づいてくるので捕獲してください
女という概念は自然科学の範疇外である
282 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/16(水) 22:53:20.08 0
>>269 >法というのは、でっかい規範の塊みたいなところがあって、
>どこまでいっても、法内部もしくは規範内部で規範(の法則)の整合性を
>取ってるだけなのか、そうじゃないのかってことになるし。
法(学)というものは「国家」を運営するための「共同幻想」ですから、
当然「内部の整合性」が最大の目的になります。
「全ての法の基本(あるは基準)」としての「憲法」があり、「刑法」「民法」
「刑事訴訟法」「民事訴訟法」(民法の特殊法として)「商法」があり…
というのがだいたい体制に係らずどこの国でも共通する…という意味では「普遍性」
がある一方、各国の特殊事情も様々であり、例えばOECD加盟国(ほぼ先進国)
の中でも「死刑」を存続させているのは日本や米国など少数派に属します。
基本的に「法律学」というと、「こういう理念を実現するためにこういう法律が
必要だ」という「立法論」を研究するのではなく、「こういう事例が生じた場合、
現在有効な法律をどう適用すべきか?」…という法解釈学が中心となります。
ですから「まず法律ありき」で…裁判とは「既存の法律をどう適用すべきか?」
…という争いになります。
そういう意味では>法というのは、どこまでいっても、法内部もしくは規範内部
>で規範(の法則)の整合性を取ってるだけなのか、そうじゃないのかってことになる
訳です。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
283 :
考える名無しさん :2014/04/16(水) 23:11:48.19 0
つまり常識力ですね
>>282 ちょっと何をおっしゃってるのかわからないところもありますが、
法学を共同幻想として、閉鎖されたものであるとすると、あなたの唯物論というものは、
少なくとも、法学およびそれが対象とする法という現象に対して説明することが出来ず、
「真実」とまで言い切ったあなたの唯物論の範疇から抜け落ちてしまいますよ。
そうやって、共同幻想ということにして、あなたの唯物論が妥当しそうにないところを
どんどん絞っていくと、結局、自然科学とその周辺にまでしか、あなたの唯物論が妥当する範囲が
狭まるということになりかねず、唯物的な学問は唯物論であるという至極当たり前の結論で
終わってしまいかねません。さらに、そのように自身の理論(仮説)が妥当性を確保するために
条件をどんどんと付加していって、妥当範囲を狭めていくというアドホックな過程を経ようとする
ことそれ自体が、反証を不可能ならしめる態度であり仮説の有益性を損ないかねない危険性を有しています。
その幻想を生み出してるのは物質なんだから何の問題もないな
法学部卒の就職って経済学部よりも悪いらしいな
就職率が本当に最悪なのは哲学科の連中だと思うw
でも役に立たないものほど面白かったりするんだよなw
娯楽としてはね
哲学という娯楽 まあ大学まで行ってやることはないと思うがw
>>286 非常に率直かつ素直な意見だとは思いますが、
そのように簡潔にとらえてなんとかなるのであれば、諸科学が分類され、
物質的な観点からのみ世界を捉えられていないという現状をなんら説明することは出来ません。
とりあえず、一つだけ問題をあげてみます。いのちさんはそのような意図で
おっしゃられたわけではないでしょうが、いのちさんのおっしゃるように「自然世界を説明するのに
自分だとか岩石だとかの区別・境界がない」という点にあります。すなわち、物質的観点のみに着目して
分析してしまうと、人(自分)と岩石のような非常にわかりやすいものにおいて、社会的に有意な区別すら
難しいという点にあります。そのように社会的に有意な区別ができずして、社会現象に社会現象として
有意な説明ができるとするのは、あまりに安易すぎる結論であると言えます。
心理学が脳科学に侵食されていく様に 将来的には唯物的な解明が期待される、ということ なんか君の発言は何から何まで多角的に詭弁っぽいね
>>287 今の就職事情というのは、わからないけど、昔は経済学部が一番つぶしのきく学部だと言われてましたね。
そして、経済学部に次いでつぶしがきくと言われているのが、法学部だったりします。
法学部は、広く一般企業へ就職できるという意味では、経済学部が一番ですが、法学部は公務員試験に強いという
ところがありまして。個人的には職種が限定されますが、工学部の安定感の方がすごいとは思いますが。
295 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/16(水) 23:39:02.19 0
>>284 >法学を共同幻想として、閉鎖されたものであるとすると
「親子の情」「友情」「恋愛関係」は基本的に「対幻想」に支えられ、
(連邦)国家とか、「国家連合(軍事同盟)」は「共同幻想」です。
そういう意味で「自我(意識)」は「個体幻想」であり、対幻想と
共同幻想は個体幻想が共同化した「二重幻想」です。
いずれも「人類の脳に発生する幻想」という意味ですから、唯物論と
矛盾することは何もありません。
唯物論と言えば「物質や物理現象のことだけ」を対象とする…とお
考えならば、大間違いです。
「哲学」である限り唯物論であっても「存在(もどきを含む)及び認識」
全てに関するスタンスを持つわけであり、「精神・心が係る領域は観念論
でなければ説明できない」という予断は明確に間違いです。
私がここでご紹介した戸田山和久氏の『哲学入門』でも、当然それらの
ことを唯物論の立場から説明しようとしております。(まだ途中なので、
はっきりとはコメントできませんし、「意志の自由」があるかないかで
私とは正反対のお立場のようですが…)
ちなみに「弁証法的唯物論」を根拠として「一党独裁体制」を取って
いる国が(未だ)存在しますが、「ヘーゲル弁証法」を取り入れた時点で
それは「観念論」に堕してしまった…ということを何度かご説明しております。
本日は就寝させて戴きます。
>>295 戸田山先生から見れば、機械さんは完全に批判される立場になるみたいだね。
けっこう立場が違うもの。
>>293 むーん、その主張も非常に微妙ですね。
元来、心理学というのは、自然科学的なところから派生しているという部分もありますから、
そういう意味では、はじめから自然科学的な分野でもあるような感じではないですか。
私の言を詭弁ぽく感じるのは、あなたの感覚から外れているにもかかわらず、抽象的なことしか言っていないからだと思います。
>>295 う〜ん、ちょっとおっしゃっていることはわかりませんが、
機会さんのいう唯物論というのは、下手をすると既存の学問の方法等にほとんど影響を与えず、
その方法は、唯物論的な方法ともいえると主張することになるんですか?
そうではないとしても、そういう方向にあまり近づいていってしまいますと、私としましては、申し訳ないですが、
だんだんとただの言葉遊びにしか過ぎないというように思えてきたりするのですが。
299 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/16(水) 23:54:22.35 0
>>296 321ページ太字部分「決定論は自己コントロールとしての自由と両立可能だ」
…という意味の「自由」については、戸田山氏と同感ですけどね。
それは
>>1 で言うところの「自由感」に相当するものです。
(すいません。まだ後半部分は「拾い読み」ですので…)
本日は就寝させて戴きます。
心理学が自然科学的とか冗談も大概にして欲しいものだ 笑い話は短い方が良いぞ
心理学にも色々とあるからね。 実験心理学(行動主義)、認知心理学(認知科学)、深層心理学…。
302 :
あまの :2014/04/17(木) 00:02:48.31 0
心理学科ってなんかイケスカネーやつが多いと思う。 なんなんだろうね。
>>300 あなたは、ある種、哲学的なものとされていた非常に古くからある心理学(的)なものと
現在存在している、生理学や行動学的なところから、発展してきているような心理学とを
混同していませんか?一般的には、後者の方を心理学と読んでいると思うのですが。
論点は >元来、心理学というのは、自然科学的なところから派生 ここだろ
>>302 あまのさんこんばんわです。
心理学科って文学部とか、教育学部とか色んな所にありそうなんでどうなんでしょうね。
個人的には、教育学部で心理学をやっている人がいけ好かないというのは、わからなくもない。
306 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/17(木) 00:05:39.23 0
>>298 「下部構造が上部構造を規定する」という点では「弁証法的唯物論」と
変わりません。
要するに「権力」は経済システムに依拠して発生するし、経済システム
の基本は「需要と供給のマッチング」であり、そのマッチングをより円滑化
する方向に「政治・経済・文化等の上部構造」が発展する…ということです。
そのための「システムとしての国家」を人間の脳が「共同幻想」として
抱くようになった…という「国家の起源」が法律学や政治学の基本となります。
本日は本当に眠いので就寝させて戴きます。
307 :
あまの :2014/04/17(木) 00:09:27.02 0
下司だよな。
>>304 私はそんな感じのイメージを持ってますけど、Wikipediaとか見てみてください。
私は、その辺、門外ですが、私の分野では心理学っぽいものは、いずれかといえば、
唯物的な発想へのインパクトを与えている感じですし。
>>305 テレビに出てくる精神科医が胡散臭いくて滅茶苦茶でしょ
心理学者というとその下という感じがするから尚更ダメっぽく感じるのかもね
>>308 お前の大好きなwikiから引用すると
>心理学は直接的には、哲学から派生したと見なすことができる。
これと
>元来、心理学というのは、自然科学的なところから派生
を並べてみろ阿呆
>>310 哲学の一分野としての「心理学」と独立した科学の一分野としての心理学は、今日では区別される。
312 :
あまの :2014/04/17(木) 00:23:51.47 0
人文科学とか法学は客観的な幻想を扱ったり体系化するものだ。 決定論とは直接の関連は無い。
>>311 アホ過ぎて疲れる奴だな
自分で使っておいて「元来」という単語の意味を知らないのか?
>>308 心理学者はいい人だよ。
心理学を学び始めた人特有のいけすかなさってのが、あったりなかったり。
それは、法学でもあるんだけど。どうも、教育学部で心理学を勉強し始めた人のそれと
法学部で法学を勉強し始めた私のそれとは、相性が悪かったみたい。
>>313 いやあ、そっちから見ても、なんともいえんでしょう。
だって、昔の哲学ってのは、自然科学も含んでたわけだし、
また、wikiからの引用で悪いんだけど、
>心理学の開祖と呼べる哲学者は「心は脳髄にあり」と述べたアリストテレスである。
ね。とても自然科学的でしょ。
316 :
あまの :2014/04/17(木) 00:31:35.69 0
心理学とか法学とか、やっぱりイケスカネーわ。 読まれる側より読む側へ、支配されるより支配する側へ、学問それ自体が 権力への意志になっている。
>>316 イメージで判断しても仕方ないよ。
多少は学んでからでないとね。
318 :
あまの :2014/04/17(木) 00:36:25.01 0
法学風情の権力への意志が決定論という形而上学的背景をも支配下に置こうとする。 これが気持ち悪いことおびただしい。
319 :
考える名無しさん :2014/04/17(木) 00:36:33.34 0
よし、オナニーは俺にまかせろ。
>>315 はぁ?お前の主張は結局何なのだ?
哲学から派生したばかりの原始的な心理学も自然科学的と言えるのか?
それとも
>科学の一分野としての心理学は、今日では区別される
こちらだけを自然科学的とするのか?
>>320 むーん、あえて私の感覚的なイメージとしては、心理学として明確に独立して派生していなかった
ころの心理学は自然科学的な観点を無自覚的に取り入れ含みながら論じられていたんじゃないかな。
それを自覚的に分離して、自然科学的な要素をかなり強めたものがどちらかといえば、
現在の科学として論じられてる心理学というやつになってるってのが流れとしては妥当だと思う。
322 :
考える名無しさん :2014/04/17(木) 00:49:49.93 0
>>316 権力のかけらも持ってないあまのが権力への意志に気持ち悪さを
感じるのはむしろ当然だろうにw
そういうのをルサンチマンとか言うらしいぜww
323 :
あまの :2014/04/17(木) 00:52:31.60 0
ルサンチマンっておいしい?
>>323 ルマンドの方がおいしいよ。
法学風情のいうことは聞いてくれないかもしれないけど。
>>323 どうなの?
ていうか、金も権力もない奴の妬み根性のことだろ
>>321 どちらも自然科学的な要素を含むと考えていれば
>>303 は出てこない
要するに適当ぶっこいてるだけだろ?「私の感覚的なイメージ」という奴は
328 :
あまの :2014/04/17(木) 00:58:51.12 0
ホワイトロリータもおいしいよ。
てか、なんで唯物史観が出てくるんだよ。 もうそういうとこまで言っちゃうとずいぶん後退してくることになりそうだから、 下手すると、観念論も唯物論もスタンスの違いはあるにしても、大して変わらなくなりそうな気が。 アウフヘーベンされたところの一般的な理屈になってしまって、ラディカルな理論としての魅力が なくなってしまって、そんなところでしょうねで終わってしまうwww
330 :
あまの :2014/04/17(木) 01:03:28.12 0
なんだろ、今日はすっげー虚しい。
>>327 門外だから、適当ぶっこいてるところはあるけど。
現在心理学と呼ばれているものは、そもそも自然科学的なところから
出てきてる部分が大きいっていうはじめの主張を維持出来てるでしょ。
そういう流れの中で見てみると
>>303 のレスは、流れに合致するものでしょ。
332 :
あまの :2014/04/17(木) 01:06:12.86 0
哲学ってやっぱり金持ちじゃないとダメだなあ。
ismのカテゴリー仕分けは、ゴミの分別とたいして変わらないか エンゲル係数が高い場合、まあ大層なゴミは出ないし
334 :
あまの :2014/04/17(木) 01:32:26.45 0
こういう場合、グロスレにでも行って他人の不幸を舐め回すに限るな。 ぐっへっへ。
335 :
お銀 :2014/04/17(木) 01:44:18.11 0
おう きみの喪失の感覚は 全世界的なものだ きみはそのちひさな腕でひとりの女をではなく ほんたうは屈辱に沈んだ風景を抱くことができるか 胸のあひだからは 涙のかはりに バラ色の私鉄の切符が くちやくちやになつてあらはれ ぼくらはぼくらに または少女に それを視せて とほくまで ゆくんだと告げるのである とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ 嫉みと嫉みとをからみ合わせても 窮迫したぼくらの生活からは 名高い 恋の物語はうまれない 吉本隆明「涙は涸れる」
あまのさん下衆〜〜〜い。 てか、知の独占というのはある気がするよ。 漫画だけど、マスターキートンでおやじさんに「便所でも学問はできる」とか言われながらも、 キートンはアカポスをキープし続けてたでしょ。アカポスがないと文献にアクセスしづらいのよ。 出来なくはないんだけど、個人でやるとかなり金銭的にきつい。バカ高い機械とかが無いと実験できない ような分野じゃなくても、文献にアクセスするだけで結構金がかかるのね。
337 :
あまの :2014/04/17(木) 10:56:58.28 0
へっへっへ。 こんにゃくオナニーはやめられまへんな。
338 :
考える名無しさん :2014/04/17(木) 12:58:11.10 0
パフパフ
339 :
考える名無しさん :2014/04/17(木) 15:21:58.20 0
意志って何事かの実現に対する願望じゃないのか? お前らの自由意志がなんらかの決定を下す時の根拠はなに? お前らの肉体を通した外部からのインプットじゃないのか? どうなんだ?
単純刺激おじさんである
341 :
┏( ^o^)┛ :2014/04/17(木) 18:39:23.84 0
ボクが働かないのはそれが「自由意志」にもとづくものだからさ はたしてどれだけの人が「自由意志」で労働しているのだろうか 現実には誰もが嫌々働いているのだ かりにも哲学徒であるボクとしては「自由意志」を実証してみたいと思ったわけ もちろん働きたくなったら「自由意志」にもとづいて働くよ当然さ まったく哲学の実践っていうのは中々たいへんではあるよね
イイね
いい加減に終われよこのスレ もう全部解決できてるだろ性質二元論でさ
344 :
考える名無しさん :2014/04/17(木) 19:57:38.49 0
オチンチン期なの?
345 :
メジャー :2014/04/17(木) 20:22:35.34 0
ぱぶりっく ふぁっかー LAPF / NYMF パパのPじゃなくて よかったね パンサークローより スマタでラップダンス メッツ の立場ないやん
>>343 そういう穏当なところで終わる機会なんていくらでもあったんじゃない?
なにせ10年以上続いてるんでしょ。まさかこれがはじめてのチャンスってことでもないでしょ。
347 :
あまの :2014/04/17(木) 21:30:18.26 0
オナニーこんにゃく、 晩メシに出てきやんの。 食っちまったよチクショー。
ここにいたマトモなヒト達どこいったん?
349 :
あまの :2014/04/17(木) 22:43:25.79 0
人間の自由とは自然力に負けて自然主義的誤謬に陥ったりとかとか価値観から出発して 道徳主義的誤謬に陥らないということだよ。 精精な。 己の中の自然力の影響で思考が停止した結果の意志を自由意志と呼ぶんだったら もうなんだって自由だろう。
350 :
あまの :2014/04/17(木) 22:46:03.75 0
因みに母親が「おっかしいわね〜、こんにゃくがなくなくなってるわね〜」 と食事時に家族の前でしつこく言った時には暴れてやろうかと思ったわ。
351 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/17(木) 23:05:28.72 0
>>329 >てか、なんで唯物史観が出てくるんだよ。
唯物論ですから、歴史も唯物論で解釈するのは当然です。
弁証法的唯物論と異なる点は、観念論者であるヘーゲルが思いついた「弁証法」
なる「歴史の発展形態」が何処にも無い…という認識に立っているからです。
弁証法的唯物論では「国家の構成者が全員権力者になるのが(歴史の)最終
形態になる」…というトンデモない勘違いを「一党独裁」の理論的根拠にして
しまいました。…それが「所謂唯物史観」と呼ばれる「観念論的誤謬」なのです。
結果的に何が起こったかを見れば、「共産党(労働党)」という「一部の支配層」
と「その他一般人民」という「まるで封建時代に戻ったような歴史の逆行」に
陥っただけでした。
幸いにもその最大の主導国(コミンテルンを育て「世界革命」を画策していた)
ソビエト連邦は(皮肉にも経済的没落により)20世紀終盤に崩壊しましたが、生き
残った数少ない「共産主義(を標榜する)国」は、北朝鮮をはじめとして、危険
極まりない存在と化しつつあります。
仮に人類が滅亡するとしたら、最近ウクライナあたりで息を吹き返しつつある
「ソ連復活」の動きとか北朝鮮のミサイル核武装完成とか…いずれにしろ「共産
主義」という妖怪国家群と、アメリカを筆頭とする「ミサイル核武装した西側諸国
が地域紛争を経て、最後は「核先制攻撃」をすること…というシナリオになると
考えられます。
「地政学」は非常に唯物論的な分析手法を用いる「社会科学の一分野」ですが、
それに基づいた分析に基づき、数年前に出版された『100年予測』(ジョージ・
フリードマン著)に今回のウクライナの紛争について、時期を含め驚くべき正確さで
記述(予言)されている(た)ことには驚かされました。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
『紫色のクオリア』って凄い! イーガンは難しくて読めないって人は読むべき 凄く読みやすくて内容はめっちゃ刺激的だぞ (最初の方だけ読んでバカにして放るのはあまりにももったいな)
353 :
あまの :2014/04/17(木) 23:08:37.25 0
ヘーゲルだって職を失ってもビクともしない金持ちだったらもっと本音を書けたかもしれないよ。
354 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/17(木) 23:42:53.96 0
>>353 ヘーゲルは唯物論者であるマルクス・エンゲルスが無視できないほどの影響力
を欧州全体に及ぼしていた…ということですから、著書はさぞたくさん売れた
のだろうと思われます。
たぶん「知識人の必須アイテム」であったのかと思われます。
それに比べると『100年予測』は地政学に基づいているとの体裁をとって
おりますが、内容は「アメリカグローバリズムの実現のため」という露骨な
「観念論(プロテスタンティズム)的予断」に満ちており、日本人が読むと
不愉快になることは必定なので、購読をお勧めすることは出来ません。
(「読み物」としては、面白いと思いますが、
>>352 『紫色のクオリア』の方が
選択優先順位は上だと思います。)
本日は就寝させて戴きます。
>>351 一応、法学なるものをやってるので、ドイツ型の構成を採用する日本の大学だと、
政治学もやるんですよ。昔の話、何であんま覚えてないですが、唯物史観てのは、
機会的唯物論なるものにそこまで親和性ありますか?
権力論において生産手段に着目するってのは、おかしくはなさそうですが、そんな
万能じゃないですよ。てか、権力って実体的なものに着目するだけじゃなくて、関係的な
ものとしてとらえることもできて、しかも非常に多元的なものだったりすると私は思ってますが。
単純にこのような実体を有しているものが権力を有することになるってわけでもないですよ。
その上で、機会的唯物論が問題としている物質ってのはいずれかといえば、物理的な存在なわけで、
生産手段の所有って言うような俗的な物質というのとは全然別のものじゃないですか。
>>354 あなたのおっしゃるところに親和性があるというのなら、むしろ、
政治学において行動科学主義的な方向に向かっていたところを持ちだしたほうが
全然良い気がしますが。
357 :
考える名無しさん :2014/04/18(金) 00:05:54.89 0
スピノザ→ヘーゲル→マルクスというつながりじゃないかな マルクスやエンゲルスはよく科学を勉強していたと思う
358 :
考える名無しさん :2014/04/18(金) 00:07:51.36 0
ヘーゲルは実際は唯物論者でしょ スピノザやカントの哲学もよく理解していたと思う
>>354 てか、フリードマンって新古典派じゃん。私は、ケイジニアンですのん。
なぜって、今不況じゃん。適当ぶっこいてるけど。
360 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/18(金) 00:27:12.37 0
>>355 所詮は「価値あるモノ(人的・物的資源等)を支配下に置こうとする『権力への意志』」(下部構造)が、
ヒューマニズムとか民主主義とかの「理念」(上部構造)に優先する…という「人類という動物の習性」
…という面から「歴史」を捉えるのが「正しい史的唯物論」です。
集団的「権力への意志」(要するに他国を事実上の支配下に置こうと動く戦略)が『理念』を標榜する
(口実として利用する)」ことは歴史上よくあることですが、あくまで「下部構造が上部構造を規定する」
のであって、その逆では「ない」…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
>>360 いや、それじゃあ、ともすると非常に観念論的だよ。無批判に観念っぽいところの
よくわからん欲望みたいなもんを基底に語っちゃってんじゃん。
だったら、むしろ、権力への志向を持つ人は、幼いときに喪失体験をしてるだったっけ、
そういう感じの話のほうがよっぼど、親和的だよ。
362 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/18(金) 01:13:21.94 0
>>244 「存在」を存在すると言えるのは、(主観の)認識においてのみである。
すると、存在しているといえるものは、即ち認識されているものに限る。
つまり、五感や記憶による観念(世界)が存在であり、それ以外はおそらく在る(自然世界の)実在となる。
ですから、神や妄想や幻想もちゃんと「存在」しているのです。
さて、認識されるもの(自然世界)が実在することは、(認識上)アプリオリに正しいのではあるが、「何が」実在するのかを言及することはできない。
というのも、我々は認識したものを表象してしまい、抽象的シンボルとして(要は他と区別した上でアバウトに)捉えているのであるから、その把握は全て観念となる。
実在とは、境界無き有。
いや、有とも物質ともいのちとも言うことはできない何か(カオス)なのだ。
だから人は「見做す」ことで、物質とか、机とかって意味を創出しているのだ。
まずは観念としての存在と、自然としての実在とを区別しないと、ごちゃごちゃの観念論になってしまうよ。
363 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/18(金) 01:41:18.67 0
>>245 それは道徳的社会規範と呼ばれるものですね。
基本的に道徳というのは、(善悪正邪に対する)個々人の価値観を意味します。
当然、経験や文化によって価値観は変化するので、普遍的価値観というのはありません。
また、善の根拠、悪の根拠を考察するのが倫理学となるのだが、ヒュームの法則からもわかる通り、普遍的根拠を提示するのは不可能である。
「自分がされたら嫌なことを人にすべきではない」という王道的道徳教育があるのだが、これは典型的なヒュームの法則である。
自分がされたら確かに嫌だけど、それを人にするのは別に嫌じゃない!とかいわれたらもうね・・・。
ですから、提示不可能な根拠を探すよりも、「社会の中でないと生きられないから社会規範が大事なんだ」という価値観を持たせるのが道徳において大事になるであろう。
364 :
波平 :2014/04/18(金) 01:48:39.18 0
すべて計画通りでつよ:::::::
365 :
考える名無しさん :2014/04/18(金) 01:54:49.49 0
あまのサイテー
>>362 実在は存在ではないの?認識され得ない実在なんてあるか?
存在するものを認識されているものに限定するのは行き過ぎ。
認識し得ないものは、存在しないのと同じであるというのはいいが、
認識してないものが存在していないとは限らない。
認識できる可能性があるもののなかで、いかなるものを存在とするか考えるべきである、
とするなら、まだわからなくもない。
>>363 そういう道徳の定義は寡聞にして知らないが、少なくとも私の分野ではそのような用い方はしない。
ヒュームの法則は、まぁいいが、規範をあまりに閉鎖的に考えるのは行き過ぎ。
規範を完全に閉鎖的なものと見るには、事実との相関がありすぎる。
普遍的な価値というものが、ないというのは、その通りかもしれないが、価値(規範)の体系に普遍性を見いだせないとするのは、
行き過ぎ。そのような試みが完全に成功したということはないが、成功しないとは限らない(まだわからない)。
だれがだれの弱みにぎるかゲームでキモヲタがノーガードでちんこさらして攻撃力0でたってるってわけ
368 :
考える名無しさん :2014/04/18(金) 02:47:24.85 0
日本語でお願いします
. /) / ̄ ̄ ̄\ ///)ノ / ̄ ̄ ̄\ /,.=゙''"// / ヽ / i f ,..r='"-‐'つ.__ /| | |__ | / / _,..-‐'~ LL/ |__LハL | こまけぇこたぁいいんだよ!! / ,i ,二ニ⊃/ (・ヽ /・) V / ノ il゙フ(リ ⌒ ●●⌒ ) ,イ「ト、 ,!,!| 0| __ ノ / iトヾヽ_/ィ" \ ヽ_ノ /
認識してないものは、確率分布の雲という状態での実在が想定されています この雲は全宇宙を覆う大きさに拡散しています 視線等の認識の矢をこの雲に向けると、雲が収束して粒子となります
まだ居たのw
>>366 実在とは、現実に在る物事をいう。
それは、主観によって構築された観念世界とは無関係に在る、(自然世界という)有そのもの。
勿論、実在も(おそらく)存在するであろうから、認識に依らずとも在るといえる。が、認識してないものがどのような状態になっているのかは解らない。
したがって、確実に存在するものは、認識しているものに限るが、それ以外がまったく存在しないという意味ではないのです。
そして、「何」が実在するかを言及することが出来ないから、(おそらく)在るとしか言えないんです。
このあたりが境界と関わってきて、実在(自然世界)には境界が無いのでは?という問題提起をしています。
境界とは、我々の知性が区別をし、表象するために見做したものであるからです。
373 :
黄檗 :2014/04/18(金) 13:28:40.71 0
認識しているときにおそらく存在するだろうものは 「認識している」という、その言葉の内容だけだ 認識しているものが確実に存在するわけではない
374 :
黄檗 :2014/04/18(金) 13:37:22.16 0
自然には境界が無い、なんてのも。わりと言われたりもするのだが これも「自然には色など無い」と同じで ・「観念に構成される自然」には境界が無いように思えちゃうけど、どう? ってだけの話なのだ。 自然に境界を設定する可能性が無ければ、境界という言葉も無い。
375 :
黄檗 :2014/04/18(金) 13:45:28.24 0
376 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/18(金) 14:13:06.74 0
>>366 価値というものが、そもそも創出されたものであるから、最初から相対的なんですよ。
ですから、絶対主義なんてのは妄想です。
道徳的判断は、直感において為されるものであり、それはその人の価値判断に依拠している。
377 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/04/18(金) 14:43:54.59 0
>>373 確実でなくとも、認識され得るものが実在することは、直感的には確かでしょう。
それが何かは知らないが。
>>374 「観念に構成される自然」て何?
観念として構成されない自然に境界は無いって話なんだけど。
当然、境界・存在・有・自然という言葉すら無い。
>>375 色の差異・濃淡を検出(するようにプログラム)しているだけでしょう。
それに、人間の観念は、(自ら)境界を設定しているのではなく、(自ずから)境界が設定されてしまうのでしょうね。
それを志向的クオリアと呼ぶらしいwww
378 :
まじめに答える名無しさん :2014/04/18(金) 15:23:35.01 0
エアーブラシ描写における PEN の 物質的マテリアル構造および原理 と 素粒子物理 マスキングとグラデーションを 物理応用した 視覚伝達上における立体感
379 :
まじめに答える名無しさん :2014/04/18(金) 15:34:04.88 0
あと 灰色にべた塗りしたあと 金網のうえから 黒とか白の絵具つけた束子や歯ブラシでこすると 石みたいなるってのも よくできたはなしだとおもいます 殻にヒビを入れたゆで卵を 紅茶で煮て大理石みたいにするぐらい よくできた 決定論的つくりばなし
380 :
黄檗 :2014/04/18(金) 15:34:51.03 0
>>377 ほう
境界を認識したら、それは確かに存在すると、
貴方にとって、そういうことで良いわけか?
*************************************
「観念に構成される自然」というのはな
貴方は「自然には境界が無い」と考えているわけだろ。
その貴方の観念に於ける「自然」のことだ。
貴方は、境界の無い自然を想起して、そこには境界が無い、と
マッチポンプで戯れているのだ
**********************************
プログラムしているだけ?
どんなプログラムによってそんなことが起こるというのだ?
381 :
黄檗 :2014/04/18(金) 15:45:13.18 0
ああ、プログラムって、機械のプログラムか 勘違いしました。 ***************************** 境界をプログラムできるってことは 自然には境界を設定することが可能である そのような自然である、ということだ。 志向性クオリアが境界を決めるわけではない。 意識であろうと機械であろうと 可能性の中での作業 『可能である中の』どこに境界を引くかは、そのときの都合 可能でなければ、境界など引けない
382 :
まどもあぜる名無しさん :2014/04/18(金) 15:45:42.35 0
LAPF parisien fucker? ぱぶりっくでしょお ぱぶりっくおなにー えあー ふぁっかー (笑) 空気嫁
383 :
黄檗 :2014/04/18(金) 15:55:22.52 0
志向的クオリアによって自ずから境界が設定されるとか どういう事態を念頭にしての主張なのだろうかな?
384 :
ぱいぷ :2014/04/18(金) 16:17:04.52 0
385 :
黄檗 :2014/04/18(金) 16:24:17.44 0
〜『境界・存在・有・自然という言葉すら無い』自然〜 上の表題のようなことを考えている奴は多くの場合、人間不在の自然、 を考えようとしているのだが、しかし人間は自然の一部であるので、 実は「言葉は自然に存在する」のである。 これは屁理屈のようだが、屁理屈ではない。 言葉は道具であり、道具は全て自然のものなのだ。 自然に拠らずに創り出せる道具など存在しないのである。
唯自然論
自然には境界が無いし、大きさも区別も形も無いので、 1個の素粒子が全宇宙そのものを兼ねます 1個の素粒子が有する情報量は、認識外においては無限大となります 全宇宙が有する情報量も無限大であり、1個の素粒子が有する情報量と等しい量なのです
普遍論争は普遍w
389 :
あまの :2014/04/18(金) 18:58:02.44 0
さっきトイレに行ったら“小”事件。 小便をしよとチンポを出しきる前に放尿開始。 なんてこったビショビショだぜ。
390 :
あまの :2014/04/18(金) 19:14:13.35 0
そら大事件やがな・・
391 :
あまの :2014/04/18(金) 19:15:27.07 0
一生に一度あるかないかの大事件やがなー!!!!!
>>389 最近のあまのさんは一皮むけましたね
そういう本当のあまのさんの方がいいですよ
393 :
あまの :2014/04/18(金) 19:23:32.92 0
嘘?超つまんねーだろ。
394 :
あまの :2014/04/18(金) 19:52:44.96 0
思ったんだけれど夢精にはなぜか快感がある。 しかし男性器を刺激していないわけだよね。 つまり睡眠中に脳内で勝手に「快楽物質」が出ていたことになる。 これから将来的にみても様々な個人的体験というものが 非個人的になる可能性が高いと思うわけ。 脳を刺激してやるちゃんとした方法さえ解明できれば他人の経験も共有できる。 誰かがアイドルと性交している経験すらデータ化して共有できるはずだ。 犯罪者の精神鑑定なんかも脳データの共有で裁判官も経験できる。 個の消滅ですねこれは。 こういうことは何でも性的なとから普及していく。 だから他人の性交や異性の自慰行為すら経験できるようになるはずだよ。
395 :
波平 :2014/04/19(土) 01:25:11.92 0
膨大な努力もムダですねえ 波平をつかまえられるかね?
396 :
調査委員会 :2014/04/19(土) 02:30:14.45 0
投稿は波平に対する個人的怨恨に特化している模様です。 ガッズトントンズのお出ましじゃな?
397 :
考える名無しさん :2014/04/19(土) 06:27:50.61 0
夜明けはいつだよ? 気が付いたら朝なんだぜ いつも少し前にあると思わないか? その“ゆらぎ”を感じないか? 「神は越えられない試練を与えない」(009 RE:CYBORG) 自分を知りたいなら、身の回りで済むことだ 世界の繰り返しを繰り返さない外側に 私は誰であるか、私は知らないはずがない だから、早く起きろ
398 :
黄檗 :2014/04/19(土) 06:52:02.90 0
朝まで起きてたのか 夜中にサッカー中継でもあったのかな
>>377 認識を超越した、認識する可能性のない存在を想定して語っていこうとするスタンスっていうのは、
そういう建前でやっていこうとするものに過ぎませんよ。なぜなら、認識する可能性のないものは、
その存在自体を確かめることが出来ないわけですから。なぜそのような建前を採用するのかを
問題にしないとならなくなりますよ。
私は、絶対主義を完全に採用するとまでは言い切れませんが、相対主義には非常に大きな疑問がるので
採用し得ないと思っています。多少詭弁に聞こえるかもしれませんが、前記であなたが採用する存在というものの
定義がある種の建前のようなものであり、その建前を採用しているということ自体がある種の価値判断から
生じているというようになりそうなんですね。その価値判断というものを相対主義に支配させてしまうと、
あなたのそのような存在の定義そのものが相対的なもので、あるところでは通用しないものに成り下がってしまいますよ。
下手をするとあなたの個人的な価値判断にすぎないことにもなりかねず、そうなるとほぼ意味をなくします。
認識する可能性のない存在である電子雲が既に教科書に載っているのです 電子雲が宇宙を兼ねる事は載っていませんが、半教育的なので永久に載らないでしょう
1個の電子について、電子の存在確率を有する領域が無限遠まで広がっている という事をご理解なされていますでしょうか?
405 :
あまの :2014/04/19(土) 19:08:23.69 0
量子力学はまだまだイバラの道。 進んだようでいて一歩も進んでいなかったり。 そもそも人間の持つ認識能力そのものに問題があるのかもしれない。 たとえば違法ドラッグの使用によって射精時の快感が大きく変化するというのも なにやら人間の感覚の不定性を示しているように感じてならないしね。 ドラッグではなくて何らかの電気機器を使用してオナニー時の快楽が激増するならば それはセックス産業そのものを衰退させることにもなりかねない。 もちろんこうした方向性はオナニーだけでなく暴力団排除にも一役買うことになるだろう。 将来的に人は容易に性的快楽を得られるようになる。 そしてそれは実は新な産業革命へといたることにもなるのだ。 それまではとりあえずこんにゃくオナニーをしたりして工夫してするしかない。 オナニー革命は世界を変革するのだ。
そしてアマノテーセウスは、アリアドネーの糸を手放し 短剣を握りしめ、迷宮の奥へと向かう
量子という雲も紐と解釈しなおされ確率的な存在は量子揺らぎなり それは紐の運動にすぎない。
>>404 粒子だと考えるから、そういう訳のわからんことを言い出すんだよ。
波動だと考えてみ、自分の言ってることがたぶんアホらしく思えるから。
409 :
あまの :2014/04/20(日) 00:30:26.67 0
こんにゃくオナニー論はもう良いな。 スレ汚しはこれくらいでやめたまえ。
410 :
あまの :2014/04/20(日) 00:33:02.12 0
第一、ゴミ箱が生臭くなっちゃうからね。
411 :
あまの :2014/04/20(日) 03:34:00.74 0
まあ捨てないで、こんにゃくの刺し身にして食せばいいんだけどね。 エコロジーですよオナニーも。
412 :
あまの :2014/04/20(日) 04:51:52.74 0
さてとバルコニーに出て 朝一オナニーでもするかな。 新聞配達のお兄さんの頭にブッカケてやるわ。
413 :
あまの :2014/04/20(日) 11:07:02.28 0
俺がキチガイになったのはオマエラのせいだ
414 :
あまの :2014/04/20(日) 13:02:09.87 0
ランチ後のエスプレッソ、いやシコリ汁クリーム入りエスプレッソは最高だ。 爽やかな苦味と濃厚な汁の絶妙なハーモニー。 いっぱい飲んだら一発コクかな。
カオナシは飲み込んだ者の声で語る
416 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/20(日) 16:34:40.87 0
>>360 機械氏
「権力への意志」が下部構造ですって? あいかわらず冗談がきついですね。
脳を含む身体の或る状態がヒトをして特定の“意志”を抱かせる、というのが機械的唯物論。
その内実はどうあれ“意志”は上部構造である。
ちなみに、ヒトとは“社会関係の総体”というのがマルクス主義。“意識”は社会関係(下部構造)に
染めあげられている、というものだ。たとえば機械氏の「権力への意志」は、機械さんの“社会関係”
によって「規定されている」という意味である。
機械氏は、或る時期、吉本氏の影響を受けたらしい。氏の功績は「下部構造が上部構造を規定するのは
確か。しかし、どう規定するかは下部構造を弄っても明らかにならない」と、いい切ったことだろう。
すなわち上部構造は下部構造によって、その“可能性(限界)”を定められはするものの、一意的に決定
されることはない…
吉本隆明さんの評価ってどんなもんなの? 正直、私は全然わからんというか、関心がなかった人なので。 なんせ、私がはじめてこの方の言説に触れたのが、日本国憲法は、 他の国の憲法と比べて文学的に優れているとか言う素っ頓狂な内容だったので、 そりゃあ、あれは、日本語で書かれてますからねぇ。
418 :
考える名無しさん :2014/04/20(日) 17:48:24.86 0
上部構造は、下部構造によって一意的に決定することはないのは、構造自体が、 有機性的要素と無機性的要素を内包しているからである。 “構造”自体は、本質的には独立したものであり、上部構造と下部構造に於いて、 下部構造に規定されるというのは、マルクス独自の捉え方であり、本質的には両者とも 対等な関係にある。 重層化した構造(=現代社会)に対して、そこから現出する有機的なパ−スペクティヴ として捉える“視点”が必要でしょう。
社会学なんてのはモデリング、あてはめの問題だから。 複雑な事象を足りない処理能力で捉えるために単純化したモデル理論。 社会学の理論のすばらしさってのはいかに正しいかじゃなくいかに簡単かによる。
420 :
考える名無しさん :2014/04/20(日) 19:16:59.60 0
あ
422 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/20(日) 22:02:06.58 0
>>416 >上部構造は下部構造によって、その“可能性(限界)”を定められはするものの、一意的に決定
>されることはない…
その通りですね。「世界」は「重層的」ではありますが、各層は相関しており、矛盾なく繋がって
おります。
大脳生理学は「ニューロン間の情報伝達は電気・化学的に行われる」という
「電磁気学」「化学」「細胞生物学」等と矛盾しない「基本」のもとに「解剖学」や「認知科学」等の
観点も加味して、矛盾なく「『自我・意識の座』は脳の働きにある」ということを
いつかは説明しなければならないでしょう。
「世界の重層構造」は、ある意味「人類が世界を『認識するあり方』の重層構造」でもあります。
量子論(量子力学)、電磁気学、古典物理学、応用物理学、基礎工学、機械工学、人間工学、生理学、医学、
・・・・地質学、古生物学、動物学、社会学、歴史学、政治学、・・・地球物理学、宇宙物理学・・・
現代において、それぞれの学問分野を全部極めることは、人の平均寿命を考慮すると「不可能」である
・・・ということになります。
しかしながら、唯一「全分野を鳥瞰しえる学」として「哲学」は特別な位置にある
…ということです。
だからこそ「人間が考えること」とはそもそも何なのか?・・・という原点に常に立ち返り、
個々の学問分野をそういう視点で捉える(捉え直し続ける)ことが哲学の使命として一番重要な
ことなのです。
「脳の働きのメカニズムが全部解明されている訳ではない」…という一事に捉われて、
「『私・自我・意識』は脳の(物質としての)働きに由来するものではない」…という
観念論的視点にいつも立ち戻ってしまう…観念論的誤謬はもう卒業しないと、哲学は
全ての学問分野から相手にされなくなってしまう…ということです。
423 :
あまの :2014/04/20(日) 23:04:37.87 0
大脳生理学の進歩とともに性的快感への応用も期待されます。 オナニーは今後革命的な進化を遂げるでしょう。 尿道に針金を入れる人や肛門にネズミを入れてまで快感を得ようとする人がいますが、 快感中枢へに直接刺激によって危険なオナニーをする必要がなくなりますよ。 誰もが安全な倒錯的オナニーを手軽に楽しめるようになるんです。 オナニー革命はもうそこまできている。
>>423 オナニーは射精したら終わりだけど
安全倒錯法だとずっとやり続けることに
なってしまうんじゃないか
それともあきるのかな
425 :
あまの :2014/04/20(日) 23:32:21.73 0
それは違うと思うよ。 オナニーは決してあきない。 なんせ精巣にたまるでしょ72時間でね。 満タンになれば出す。 しかるにオナニーはすたれない。 オナニーは体が求めるものなんですよ。
426 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/20(日) 23:32:56.32 0
現在、NHK「Eテレ」でfMRIのことをやっております。 ご興味のある方はご覧になってください。 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
射精させないで脳に快感だけあたえる方法ができたらどうなるかな 僕男だからわからないけど 女の子のオナニーってどこで終わりにするのかな 疲れたらやめる感じかな
428 :
あまの :2014/04/20(日) 23:58:28.49 0
しかし、下ネタで誰かを人格攻撃して相対的に自分の論の正しさを確保しようとか 小学生の発想だよな。 ええい、むしゃくしゃするーー。 他人の不幸話を求めて広大なネットの海にレッツ・ゴー!!
429 :
あまの :2014/04/21(月) 00:11:11.75 0
むしゃくしゃした時こそのオナニーだよね。 ザーメンの海にレッツ・ゴー!!
430 :
考える名無しさん :2014/04/21(月) 00:13:07.49 0
カネとザーメンを貯めておけよ
431 :
あまの :2014/04/21(月) 00:14:57.23 0
昼も夜もこのスレに張り付いている人物。 人並みはずれたスーパーオナニスト。 最近俺に叩かれたであろうお前は一体? 全然わかんねーーー!!!糞ー。 お前は一体、命何元論者なんだよ〜!!!
432 :
あまの :2014/04/21(月) 00:21:26.20 0
それとも、超つまんねー、感極まるほど退屈だった法学野郎か? 普段まじめそうなヤツほど信用できねえんもんだ。
オナニーだけが 人生だ
434 :
あまの :2014/04/21(月) 00:30:51.95 0
435 :
あまの :2014/04/21(月) 00:33:33.88 0
「オナニーする私」、これってまさにコギトですね。 オナニーの快感は共有できない。
436 :
あまの :2014/04/21(月) 00:36:29.96 0
ただ原点回帰をいつも思うんだ。 こんにゃくオナニーは日本の伝統。 わすれてはいかないと思うよな。
437 :
あまの :2014/04/21(月) 00:37:10.78 0
持論の展開と騙りの両立大変ですね。
438 :
考える名無しさん :2014/04/21(月) 00:43:16.53 0
あまのさんのオナニー哲学はなかなかおもしろいけれど 実現の可能性も近いような気がするから けっこう的を射ているような気も そういう時代なんですねえ
もう人様に迷惑かけるなよ。
OTC男あまのフゥ〜♪
>>432 わたしぁ、真面目なんかじゃないよ。
中途半端なやつだよ。真面目だったら、もっとちゃんとしたポストにいますよ。
少なくとも、それぐらいの位置づけは得られただろうという、自分への慰め
みたいなのもあるけど。そういう意味では、自慰的なことを言ってますね。
でも、あまのさんを騙ってるのは私ではないですよ。
というか、私は、私のPCを私以外の人が見ることは決して無いという希望的な観測
が出来ない人間なんで、知り合いに見られるとキャラが崩れるくらいのレスならいいんだが、
ドン引きされかねないレスを書く気にはなれんよ。
ごめんなさい!!!!!! m(_ _)m
>>442 いえいえ、こちらこそ。私の知識は拙いものですし、
あまのさんにはいつも楽しませてもらってます。
そして、ある意味、偽あまのさんのレスには、畏敬の念が。
だって、身バレしたらどうすんのさ。
2chに書込してるってだけで、引き気味の対応をされるときもあるのに。
心配なら履歴を消しておけばいいんですよ。
因みにレスを退屈に感じたのは法学を全く知らないからなんで気にしないでくださいね。 m(_ _)m
消したつもりで、消えてない。 消えてるようで、やっぱ消えてない。 PCってやつは、そういうことがままある気がしまして。 私の前の箱がどこになんのログを格納しているのか、 私にはそれを完全に把握している自信はないです。 そんなのググればすぐわかるって言われるかもしれないけど、 普段やらないようなイレギュラーな操作が組み合わさると、 それだけで、どこにログが格納されてるかわかったもんじゃない。
ハードディスクだけ取り出して強い磁石で消磁するかフォーマットして再利用すればいいですよ。
>>445 いえいえ、あまのさんのご意見は、法学に対するものの中では、
割りと好意的なものだと思いましたよ。法学をやってるというと、
あんなのは、学問じゃないとか、必要ないとか、酷い言われようを
されることが多いですし。
こんなことを申しますと、失礼かもしれませんが、法学を勉強し始めて
まもない頃の自分とほんの少し重なるところがあって、むず痒い思いが
合ったような感じです。
そう言われてみれば、昔、私がゼミの先生に自分の理解したところを居酒屋で切々と
語ってるときに、妙にニヤニヤされたことがありました。どこかおかしなところがあるのか
と聞いてみたのですが、「間違ってはいないまともだよ」、とのことでした。
もちろん、ドヤ顔で釈迦に説法をしたというようなことではなく、自分の理解したところが
外れていないのか、確かめていただくという感じで話させていただいたのですが。
どうも、私が親が隠していた新しいおもちゃをみつけた子供のような感じで話してるのが、
おもしろかったのではないかと今では思います。
今、私の思うところをその先生にお話して、どのような反応がもらえるのかと
たまに考えることがあります。私としては、大爆笑させてやろうと思ってます。
だって、私のような劣等生から、よく出来た理論がでてくれば、その方は、きっと
「おまえからそんな話をされるとキモい」と爆笑されるでしょうから。
そんなこんなで、たぶん、私は今も色んな所で色んな人をむず痒くさせてるんでしょう。
なので、私の発言は、天に唾するようなものでした。あやまらなければいけないのは、私の方ですね。
>>380 境界を認識したらというより、何かが見える、何かが聞こえる、何かを触れる、といったときの、「何か」は在るのではないかな。
そこを疑うのならば「私」しか残らなくなるでしょうwww
>観念に構成される自然
「そのように想起したから、そのようにみえるってだけ」と思うということか?
どうなんだろうな。
境界がわからないのと、境界が無いというのは同じことなんじゃないかな。
有と無の境界がどうなっているか?みたいな話だけど。
>>381 境界線は「可能だから引ける」という主張?
そうすると、引くことが不可能な境界などなくなってしまうのでは?
全てに境界を引くことができるとか言うのは(或いはそれを可能にするのは)意識的動物のみ。
451 :
黄檗 :2014/04/21(月) 16:48:30.52 0
>>449 「何かが見える」ときに、その「何か」は確かに存在するのか。
それは「クオリアが存在する」ってことか。
******************************
境界が分からないのと境界が無いのは同じこと、なのか。
*******************************
>>450 「引くことが不可能な境界などなくなってしまう」
境界が分からなくても(=貴方によれば「境界が無くても」)、境界は引ける、
ということか。
*********************************
わたしが「境界は自然がそれを可能とするから引ける」というのはね、
全てに境界を引ける、なんて意味で言っているのではない。
境界は引けるべきところに引ける。
自然がその「引けるべきところ」を可能としている、ぐらいの意味だ。
己が悲しいときに、悲しみ領域Aと悲しみ領域Bに分けて境界を引けるか?
たぶん普通は引けない。(境界が無いかどうかは知らんが。)
観念の内部であっても、ここに「引けるべきところ」はない。
全てに境界を引くことができる、わけではない。
ちなみに
意識的動物と非意識的動物の境界はどこだ?
452 :
黄檗 :2014/04/21(月) 16:54:10.48 0
あとな 「私」なんて残りはしない
「境界は自然がそれを錯覚することを可能とするから引ける」
454 :
黄檗 :2014/04/21(月) 19:24:36.13 0
>>453 んー
即座には反駁し難い
しかし「錯覚」の安売りは
どうにかならんのかな、とは思いますね
特定の錯覚には、「それなり」の理由があると思います。
認識されるものが、それが現実と呼ばれるものであろうがなんだろうが
全てただの錯覚だ、というのはあまりに乱暴な意味の破壊行為。
一般論を言えば
「○○の点では同じだ」というような主張は、それだけでは何も生み出さない。
たとえばですね
「質量とエネルギーは同じものだ」
なんて主張は、間違ってはいないのでしょうが、しかしそれだけではなんにも内容が無いのです。
質量を巡る記述(重力、慣性力、運動、etc)と、エネルギーを巡る記述(熱、弾性、電気、etc)がある。
かように独立の量として記述されてきた質量とエネルギー。
しかしこれらの間には、一見しただけでは見ることのできない、完全な交換則を矛盾なく定立できる。
そして物質の全内部エネルギー量を、この交換則に従い、物質の質量によって規定しても良い。
それまで状態変化に於ける相対的な基準(仮想的な保存量)であったエネルギーは、ここで絶対量を持つことになる。
これら諸々の内容が重要なのではないですか、ね。
錯覚も、さまざまな錯覚はあるのでしょうが、
錯覚を錯覚となす理由とか、錯覚の絶対量とか、見つかりませんかね。
現実が現実と呼ばれるのには、結果論以上の理由がある、と良いな、と思っています。
455 :
考える名無しさん :2014/04/21(月) 19:40:37.02 0
穴みせて
まず金属の薄い板を用意します 金槌と釘等で板に凹みを作ります。穴に見えますね 板をひっくり返してください。山に見えますね 穴という錯覚が山という錯覚を作っている状態です。実体などどこにもありません
金属の薄い板と金槌と釘があるじゃないか
458 :
考える名無しさん :2014/04/21(月) 20:57:28.91 0
他の国の海まで魚取りに来なあかん
>>449 >境界を認識したらというより、…「何か」は在るのではないかな。
その「何か」というのは、物の唯一性ではないかと思います。
ある物についてどれだけ詳細に調べても、それはその物の特徴の認識に過ぎません。
そしてその特徴によって、その物は別の物に置き換えることができてしまいます。
物理法則も認識も、この「置き換え可能であること」を基にして成り立っています。
そういった認識に基づく特徴を消し去って最後に残るのが、実際にその時そこに
あった物の唯一性であり、それだけは別の物では置き換えられません。
そしてその唯一性は、同じ特徴をもった物の間でも完全には一致しない微妙な差
が存在することを意味します。
その微妙な差は、物理法則が実際の現象に対して消し切れない誤差を生み出し、
そのために、どれだけ物理法則が実際の現象に則したものに近づいたとしても、
その誤差からカオスが発生し、世界は非決定的になるのだろうと考えます。
>>449 >そこを疑うのならば「私」しか残らなくなるでしょうwww
>>452 >「私」なんて残りはしない
我々は他の物の唯一性を厳密に認識することはできませんが、一つだけ認識
できる唯一性が「私」ですね。
460 :
黄檗 :2014/04/21(月) 23:04:54.66 0
あらら どいつもこいつもまったく 心的現象を内省して 何を根拠に私の唯一性を認識できたと確信するのかな? 根拠なんか無いわけよ 認識しているわけでもない ・なんだか分からないけど、「この私」がいる。そんな風に思えて仕様が無い このもぞもぞした感じだけ。 それ以外の根拠があるか? 哲学に於ける厳密さというのは、確信の強さではない 敢えて言うなら、ねちねちと思考することを厳密だと言いたいわけだ。
461 :
黄檗 :2014/04/21(月) 23:09:18.19 0
唯一性なんてものを想定できるなら 世界は決定的になるだろ これ以外には無いわけだからな
462 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/21(月) 23:10:34.63 0
>>459 >我々は他の物の唯一性を厳密に認識することはできませんが、一つだけ認識
>できる唯一性が「私」ですね。
その辺に「観念論者本音」が垣間見えておりますね。
要するに「(事物の)唯一性は錯覚ではなく実在である」という奇妙な物理学解釈
を持ち出しておいて、ただそのうち「認識できる唯一性は『自我(私)のみである」
というさらに奇妙な「認識論」の展開となる訳ですが、「事物」の「唯一性」ではなく
「共通性」を定義しているのが「物理法則」であることをお忘れのようです。
「現前しており直接認識の対象となる事物」についても「100億光年彼方に在る事物」
についても「共通する」のが物理法則であり、それを導き出す「観測・実験」は全て
「現前する事物」である(あった)ということは紛れもない事実です。
「自然科学の法則を導き出すための手続きの厳密さ」については、小保方博士の
言動についての「まともな科学者の反応」を見れば明白な通り、普通は「極めて厳密」
な手順を踏んで結論を出しておりますので、「物理法則に反する個物の個性」など、
「観念論的願望」にすぎない…要するに「誤謬」です。
さらに
>我々は他の物の唯一性を厳密に認識することはできませんが、一つだけ認識
>できる唯一性が「私」ですね。
が含意しているのは「他の『者』の唯一性も認識できないので(存在は)疑わしい」
という「昔ながらの素朴独我論」にすぎないと考えます。
観念論が結局必ず「最高位さんの『私』」に縋りつこうとすることになるのは
自覚がない…ということなのでしょうか?興味深い現象だと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>462 「私」について疑問を持たないことにはやはり疑問を感じますが、「私にとって私はある」と
感じるのは一応の思想的出発点として仮説的に設定してもいいと思いますよ。
ただそれと「私とはなにか?」というさらなる問題とは分けた方がいいんでしょうね。
最高位さんは分けてはいない方だと思います。
>>462 >その辺に「観念論者本音」が垣間見えておりますね。
一応、唯物論を目指して観念を消そうとしている者なのですが。w
但し、決定論ではなく非決定論を支持しています。
>>我々は他の物の唯一性を厳密に認識することはできませんが、一つだけ認識
>>できる唯一性が「私」ですね。
> が含意しているのは「他の『者』の唯一性も認識できないので(存在は)疑わしい」
>という「昔ながらの素朴独我論」にすぎないと考えます。
ここは全くおっしゃる通りです。w
但しこの素朴な「私」の認識を唯物論で上手く消せないという悩みがあり、
それを物の唯一性から説明できないか、という考えがこの裏側にあります。
>「物理法則に反する個物の個性」など、「観念論的願望」にすぎない
物理法則に対する現実的誤差、例えば実験で発生する誤差や、工業製品を設計
する際に安全率を設定していること等については、どのようにお考えでしょうか。
将来原子レベルでの高精度な加工が一般的にできるようになれば、誤差のない
実験ができるような実験装置を作成したり、安全率のいらない設計をしたりする
ことが可能になるのでしょうか。
「私」の否定に関する思考過程の書き込みの文面に その「私」の唯一性がでているように見える
何人もの共同作業で論文を書くこともあるようだがな そこに唯一の人格を見るのは勝手だが
そのどうしても私を否定したいって感情は誰の感情?
その感情
返答したら唯一性をもつよ
返答が統一されているだけ 統一見解
私は、 「470 :考える名無しさん:2014/04/22(火) 01:04:07.03 0 返答が統一されているだけ 統一見解」 と思ったよ (笑)
機械でも返答できるからね 返答に私なんか不要だね
機械でしたか ばかっぽい機械だったわ(笑)
私が、私が、と 工夫も無く繰り返すほうが ばかっぽい機械のようなのではないのだろうか
>>399 個人的ではない価値判断なんてあるのかな。
真理への探究でもいえるが、何か絶対的な正しいことがあろうがなかろうが、それを正しいと思うか思わないかはどうしても個人的判断によるでしょ。
1+1=2の正しさを共有できるのは、そのようになるルールを了承しているから。
「1+1は1+1であって2ではない」なんていう人だっているんだから。
>>451 ・認識として情報(インフォメーション)を受け取っているのは、パーソナルデータがあるからだと思うが。
それでも疑い得ることはできようが、そこを了承できないと、なにも言及できなくなるのでは。
・あなたは観念の中で、悲しみ領域AとBの境界を想像することが出来ている。
或いは言葉として、AとBに分ける事が可能。
従って、引くことが不可能な境界の言説などできない。
・意識的動物の境界は、認識可能か否かですかね。
どの程度認識できるかはわからないが、例えばエサがいつも決まってる動物は、少なくとも自分が食べるエサがどれかの認識はあるのでは。
すると、エサとそれ以外の境界をもっていることになる。
>>459 唯一性ですか。
では唯一であるという特徴を消しされば性になるわけか。
私はね、存在者を存在者として認識する、その認識が無ければ、存在だけが残るわけで、このような純粋存在に境界がないと言ってるのですよ。
厳密には有無の境界すらないので、存在-不存在の境界すらない「何か」であるわけだが、これはもう名付けようがないので、例えば老子は「道」という仮の名をつけたわけです。
476 :
黄檗 :2014/04/22(火) 08:01:47.14 0
>>475 パーソナルデータとは何ですかね。
感覚与件(センスデータ)のことか?
貴方にとって、それは「確かに存在する」わけか?
認識とは情報を受け取ることなのか。
それは確かなことだと貴方は思うのか?
認識と情報とパーソナルデータ、これらの間の関係を
説明してください。
*************************************
>あなたは観念の中で、悲しみ領域AとBの境界を想像することが出来ている。
どうしてそう思う?
わたしは想像できないから、「境界は引けない」と言っているのですよ。
貴方によれば、言葉にすれば想像したことになるのかな。
もしその了解で良いのなら、ここで「そうだよ、言葉にすれば想像したことになる」
と宣言してください。
もし違うのなら、悲しんでいるときに、それを分けて境界を引くというのは
いったいどういうことなのか、貴方が想像できる内容を説明してもらえませんか。
*****************************************
エサとそれ以外を区別できたら認識か。
それができれば『意識的動物』なのか。
朝顔は、決まって朝に咲くが、これは意識的動物か?
抗体は、固有の決まった病原体に取り付くが、意識的動物なのか?
ふるいは砂利の大小を分けることができるが、意識的動物と呼んでもいいか?
機械がレスしたら自動的に 機械でも返答できるからね返答に私なんか不要だね 機械でしたかばかっぽい機械だったわ(笑) 私が、私が、と工夫も無く繰り返すほうが ばかっぽい機械のようなのではないのだろうか ってランダムにレスし返すAIプログラムを完成した すげーだろ?おれって天才かもしれん
こんなんあった >片脳しかない人の脳の働きを機能MRIなどで調べてみると、 >麻痺側の刺激に対しても、同側の脳(とられていない側の脳)の細胞が反応することがわかる。 >脳を半分とられた患者であっても、 >脳がその状態に適応して半分だけ残った脳で両手足の動きを制御していることを意味している。 脳をいくつかに分離切断するとそれぞれが意識を持つんだろうね 繋がった状態だと意識が1つに統合される
ところでよう、戸田山和久『哲学入門』どうなった? 機械も読むって言ってたじゃないのか?
読んだということは伏せておくものなんですよ。 理解できた内容を武器にして、自分なりの論理を構築することをしなければ ただの感想文にしかならないのです。
まあオマエラが読んでいないことだけは判明したなwwwww
>>476 パーソナルデータ(情報-性)とは、物自体の本性のことで、インフォメーション(情報-徳)とは、その発露です。
インフォメーションがセンスデータ(感覚与件)として受け取り意識の上に登る(認識する)ことで、観念が「発生」します。
想像・内感などの観念は、知識・経験・記憶など、自らのインフォメーションが意識の上に登る(認識する)ことで「発生」します。
では、インフォメーション及びパーソナルデータ無くして観念は発生し得るのか?と考えると、どうもそれは論理的ではない。
私の思想の根底にはね、このような「発生的構造論」がある故に、観念の上位構造としての自然が保証されるのです。
勿論、「それも貴方の観念」という批判を受けることは承知している。
だから誰も二元論を克服できずにいるということもね。
しかし、素朴実在論者が存在者に向けるような直感的信念を、発生的構造論として直感的に信じてもよいと思うがな。
それを偽とする根拠が見当たらないだろう。
錯視などと同じ幻想といえるのは観念であって、その観念を発生させる「何か」は現実態なのです。
484 :
黄檗 :2014/04/22(火) 17:09:47.09 0
>>483 貴方は
>存在しているといえるものは、即ち認識されているものに限る。
>>362 と主張したのではないのか?
そのように考える貴方にとって、そのパーソナルデータ(物自体の本性)とやらは「存在」するのか?
それを訊いてるのですよ。
>>476 「無を想像する」のと同じでな、厳密には想像不可能であるのに、無という概念があるのは、想像不可能だけど無という他と区別された境界を「敢えて創った」といえる。
想像できているといったのは少し言い過ぎであるが、(仮に想像できずとも)観念として敢えて境界を創ったといえるのでは?
ま、時間的及び空間的に想像できなくもないが。
一言で悲しみといったところで、その多寡は時間的に状態変化している。
故に、ある時点の前後の状態として分ける事が可能。
また、一言で悲しみといったところで、必ずしも単一の原因ではないといえる。
何か失敗して怒られて泣いているとき、怒られたから以外にも、恐いからとか、反省とか、泣いているからとか、様々な悲しみ領域を想像することができ、悲しみの内訳として、この理由についてはこのくらい悲しいとかいえるのでは。
486 :
黄檗 :2014/04/22(火) 17:38:31.04 0
>>485 無、そして境界とは一般に何を意味するのかを想像しよう、などという話をしていないのですよ。
悲しみのどこに境界があるのか分かるのか?と訊いているのです。
そして貴方は、「境界が分からないことは境界が無いことと同じ」
>>449 なんてことも言っている。
貴方は、境界が分かるのですか?
**************************
ある時点の前後の状態として分ける?
任意の時点で分けることが可能ということか。
貴方にとっては、それが境界だと?
本当にそれで良いのだな?
******************************
悲しみの原因によって、悲しみを分けることができるのか?
複数の原因によって一つの状態が成立するとき、この状態は
原因によって領域が分けれている、と
貴方はそう考えるわけだ。それで良いのだな?
487 :
黄檗 :2014/04/22(火) 17:44:26.39 0
弦楽四重奏曲を聴いたときの感動は バイオリン独奏の分と、ビオラの分と、チェロの分と、コントラバスの分 に分けることができるわけか。 ほー
488 :
黄檗 :2014/04/22(火) 18:06:26.87 0
弦楽四重奏にコントラバスは無いようですね 明日はわしおらんし のんびり羽根のばせよ、いのち
>>476 水耕栽培で暗闇と照明を交互に切り替えると、朝顔も違う時間帯に咲かせることができる。
これは、朝を認識というより、特定の電磁波を認識しているのでは。
抗体についてあまり詳しくはないが、wikiでも「特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して結合する働きをもつ。」との説明にあるように、やはり一定の認識を持つといえる。
ふるいは…認識して分けてるのではなく、勝手にそうなるだけじゃないのか。
>>484 ですから、認識しているからこそ、認識されるものが存在することは直感的に正しいだろうと言ってる。
それは、認識自体の正しさとは無関係。
491 :
考える名無しさん :2014/04/22(火) 18:26:43.71 0
ごめんね ∧,,∧ プシュ ( ´;ω;)ヘ⌒ヽフ⌒γ / つ(-ω- ) ) しー-J しー し─J
492 :
黄檗 :2014/04/22(火) 18:31:55.25 0
>>489 朝顔は光を認識してるわけだな
朝を認識するのか光を認識するのか
そんなことはどっちでも良いと思いますが(そう思いませんか?)。
貴方が「意識的動物の境界は認識できるかどうかだ
>>475 」とか言ってるので
なんだその論点先取は?と思っただけです。
朝顔も抗体も、モノの道理に従って勝手にそうなるだけじゃないの?
493 :
黄檗 :2014/04/22(火) 18:34:00.88 0
>>490 ですから
貴方は「パーソナルデータ」とやらを認識できるのか?
と訊いているのです。
>>492 貴方にとってはモノの道理なんていう普遍的なものが存在するわけか。
物質の上位概念としての物理法則と同じだが、そんなもの実在するのか?
>>493 部分的に認識できる。
様々な属性全てを把握することは不可能。
>>475 >では唯一であるという特徴を消しされば性になるわけか。
唯一であることを消すことができるでしょうか。
この世の全てが認識による幻想である、とすれば消すことは可能でしょうが、
純粋存在というものがあるということであれば、その存在、「何か」が
認識された物それぞれに、固有にあるのではないでしょうか。
「性」と言われているものが
>>483 で言われている
>パーソナルデータ(情報-性)とは、物自体の本性のことで、…
のことであるならば、それはその物だけの唯一の(=固有の)データでは
ないでしょうか。
それとも、その「何か」やパーソナルデータと呼ばれているものは、全ての
物、あるいは同種の物(何を持って同種とするのかも不明ですが)において
同じなのでしょうか。それらは認識者がいなくなると同じ「何か」になって
しまうのでしょうか。
唯一性という言葉の選択が悪かったのですかね。
単に、この世界に全く同じ物、同じ現象、同じ人間というのは存在しない、
例えば、ある物理法則を証明するための実験を複数回行ったとして、
そこで示される物理法則は一つでも、個々の実験で見られた現象は個別の
現象である、というようなことなのですが。
意識なんて元々一つなワケないじゃん。 一つならなぜ悩む
全てが固有なら、固有という概念は消滅する
皆が多重人格者 「個」は複数人ノリの乗り物。 受け入れようぜ
499 :
黄檗 :2014/04/22(火) 19:09:45.54 0
>>494 モノの道理の意味は、私の観念に存在しているね。
私は唯物論者だから、それが普遍的なことだと主張する立場だな、確かに。
問題あるか?
*********************************
部分的に認識できることが、どうして分かる?
貴方は、「センスデータ(感覚与件)として受け取り意識の上に登る(認識する)」
と言っているでしょう。
>>483 それなら認識されるのはセンスデータだけってことだろう。
そこからどうしてインフォメーションたらもすっとばして
物自体の本性が認識されることになるのだ?
あのですね、貴方がどんな主張をしても良いのですよ。私とは立場が違うのだから。
ただね、言ってることの辻褄を合わせてください。
>それとも、その「何か」やパーソナルデータと呼ばれているものは、全ての 物、あるいは同種の物(何を持って同種とするのかも不明ですが)において 同じなのでしょうか。それらは認識者がいなくなると同じ「何か」になって しまうのでしょうか。 1個の素粒子が無限大のデータを持っています。宇宙の全データが1個の素粒子に収容されています。 人間の視覚からは、フラクタル構造として認識できるのでしょう。又、1個の素粒子が分身して全ての素粒子とエネルギーと真空を演じているように認識されるでしょう。
501 :
黄檗 :2014/04/22(火) 21:56:08.66 0
.,/ _,/ .、、 ...、ヽ,,-、 .,,メ-‐'" _"',| .、、._,i.""│._、 ._,,,/`,イ―'' ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛ .,,,-,i´,―--―''" 、、,!冖'"`、_、,,,/'゚,,."゙l-‐'' _,,,,,,,,,,,,,、 _,,,,,--''"`'",/゙ 、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、 ,,-'"゙` `゙゙''lーイ"` .‐′ _,..,,/ .ヽ、,i,i´ ``゙’ 、、シ":"'.「 .,,i´ `'i、\ ゙!, ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'` .,/′ `'i,\ ′ .,,,,-',,,,、.,i´、_:_'_v`"゙i、| ```` ` 、_,Jィ""゙l, _,,,,、 : ,i´ ゙l. ヽ丶 .r‐'"、.l゙、、:,p=l┴丶 .!,,! `'"''''''冖''?'''゙~."""'."'/゛ ` : |,,r ゙l, 、 i、、、、:,,_,xl!ヴi,、 、、っ,,,, 、`',,,,、`、`、|、 |、 、"| .i、 lrr-''"゙,,ハ;、-'"゙゙'''''''"丶ヽ.,,冫``~`"`"~"``` `/ `'''' `''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"° `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、 `゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃 " /^゚"'广 ,/ .,/゙゙゙'''ヶ―''''″ ` `゙^""""''"'" ` ′ ′
キレんなやボケ 頭使え
そうじゃない お前がイマ思ってるそれはそうじゃない
考えろ少しは
505 :
黄檗 :2014/04/22(火) 22:25:45.33 0
キレてないっすよ♪
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::/``ト、::::::ヽ ./:::::::::::::::::::_,r‐'ニア´ ノ iヘ::::::', .i lll ´;ィ彡'",ニ、`ヾ、、: : : ;彳"ニ、ヾミ、、: !三 .::メ《″(::о::) ,l:ヾ、: : ,イ'ヘ,.(::о::) ゞヘ、: 三: : : ::``ーゞ='-‐'"ンソ、 ´``'-`''‐="‐'"´:: : ',:::::::::l , i´ィュィュ入 }:l }:ハj / ,ィ _ ) リ ウドジェシカだろ? j:::vヘ 、 リィT江兀ト'′ } j::::::::{ヽ `ー ``ご二"´ __厶-‐_''二ユ ,. -'¬バ ヽ、 ` ー--‐ /´ _二--‐┴'′ /;:;:;:;:;:;:/;:;:;ト、 ` ´ヽ、__ ノ  ̄二二ヱ) ´;:;:;:;:;:;:;:;:/;:;:;:;:! \ _,/ ,_ニニ⊃
>>497 >全てが固有なら、固有という概念は消滅する
固有な物たちを「同じ」と見做すところから認識が始まる、と考えています。
そして同じと見做した物同士をまた比較することによって「違い」が生まれ、
それがさらに「固有という概念」を生むのだ、と考えます。
なお、同じと見做すという脳のはたらきは、見做すことが「できる」というような
有利な能力ではなく、むしろ見做すしか「できない」という能力の限界と考えます。
そうでなければ、固有な物たちを全て個別に把握できないといけなくなりますから。
そして、限界であるがゆえに全ての脳がこの能力を(程度の差こそあれ)持ち、
ここから客観的な視点が出てくる、数学はこの限界のところを根源として慎重に
構築されてきたために、誰にとっても共通な、最も客観的な理論になっている、
と考えます。
>>507 部分的に合っているんだが、惜しい
全てが固有ならあらゆるモノを区別する必要すら無くなり
何ら知的な活動を行えない。因果律すら必要無い。全は一
固有な物「たち」ということすら自己矛盾
abcdefghijklmnopqrstuvwxyz この26文字をアルファベットと総称すると矛盾します
チンチン一元論ですね。
511 :
考える名無しさん :2014/04/23(水) 16:04:04.59 0
>>508 >全てが固有なら、あらゆるモノを区別する必要すら無くなる。全は一。
>「全は一」という連関で捉えると、何ら知的な活動を行えない。
この次元においては、因果律も存在しない。“不動の領野”となる。
それに対して「一は全」の連関は、固有な「それぞれのもの達」であり、
固有なもの同士の「差異化」よる“活動”が始まる。
問題は、「全は一」と「一は全」の両者の連関が、「両義性(二重性)として現れるのか、
或いは、「対立的」に捉えるかによって、論理展開が異なってくる。
>>512 機械ですらまだ読み終わっていないんだよ
他の人は持ってすらいない
駄目駄目ですよ
>>508 部分的に合っているんだが、惜しい
全てが固有錯覚ならあらゆるモノ錯覚を区別する必要(錯覚)すら無くなり
何ら知的な錯覚活動を行えない。因果律錯覚すら必要無い。全錯覚は一錯覚
固有錯覚な物「たち」ということすら自己矛盾錯覚
なるほど、錯覚を矛盾と言い換えて、ことを大げさにしているわけか
516 :
考える名無しさん :2014/04/23(水) 19:10:56.31 0
>>497 >全てが固有なら、固有という概念は消滅する
その理屈なら、「全てが物質なら、物質という概念は消滅する」んではないのか。
>>475 価値判断にしろ、物の存在にしろ、それが個人的な認識を起点としている部分がある
というのは、変わりないんじゃないの。
そして、双方ともに個人的な認識を起点としながらも、多くの人間が共にするという
ところがあるってのも同じでしょ。道徳なんて、まさにそういうものなわけだし。
なんで、価値判断だけ個人の領域に押し込めようとする必要があるの?
>>514 必要がないことをすると矛盾するというのですか?
あなたの頭の中で「必要がない」と「不可能な」が入れ替わっている可能性はありませんか
>>508 >全てが固有ならあらゆるモノを区別する必要すら無くなり
「全てが固有なら」ではなく「(脳が)全てを固有なまま把握できるなら」では
ないでしょうか。区別するのは世界の方ではなく脳の側ですから。
>何ら知的な活動を行えない。因果律すら必要無い。全は一
知的な活動とは、ある物をより分かりやすい物やなじみのある物に置き換えて
考えたり、複数の事物から共通点を見出して抽象化したり法則を導いたりする
ようなものではないでしょうか。
そこで行われる置き換えや共通点を見出すことは、同じと見做すことから可能
になるのではないでしょうか。
>固有な物「たち」ということすら自己矛盾
固有な物たち、と言ったのは物を認識する私の側です。
全ての物が固有であることと、私がそれらを「固有な物」と同一視したという
ことの間に矛盾はないと思います。
>>495 唯一性は確かにあるよ、認識及び知性を前提としてね。
境界というのは要するに区別するということだ。
では、区別されたものとそれ以外の境界は断絶だろうか?
そうではないだろう。
フラクタル構造のように徹頭徹尾関係性を持っている。
純粋存在とは、区別された表象を取り払う(境界を無くす)ことで現れる。
パーソナルデータは、勿論固有のデータですよ。
それは、単一のものが模様を作り複雑化することで情報を持つようになる。
霧でいえば濃淡、海でいえば波、電磁波でいえば波長。
当然解体されれば単一のものになる。
521 :
黄檗 :2014/04/24(木) 07:57:57.52 0
>>520 意味不明すぎます、これでも喰らいなさい。
.,/ _,/ .、、 ...、ヽ,,-、
.,,メ-‐'" _"',| .、、._,i.""│._、
._,,,/`,イ―'' ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
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_,,,,,,,,,,,,,、 _,,,,,--''"`'",/゙ 、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、
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.,,i´ `'i、\ ゙!, ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'`
.,/′ `'i,\ ′ .,,,,-',,,,、.,i´、_:_'_v`"゙i、| ```` ` 、_,Jィ""゙l, _,,,,、
: ,i´ ゙l. ヽ丶 .r‐'"、.l゙、、:,p=l┴丶 .!,,! `'"''''''冖''?'''゙~."""'."'/゛ `
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`゙^""""''"'" ` ′ ′
素粒子には自己同一性が無い こんなことはもはや常識だと言うのに唯一とか固有とか何言ってんだろね
523 :
考える名無しさん :2014/04/24(木) 16:27:04.01 O
仏教は決定論すら内包してるけどな
524 :
考える名無しさん :2014/04/24(木) 16:45:42.54 0
区別しないと毒食って死んじゃうだろ
>>499 モノの道理そのものなどないので、唯物論者は、物理法則を「物質の性質」としなければならない。
また、物質以外のものは存在しないという主張なので、意志・意識・エネルギー・情報も物質の性質と言わねばならない。
辻褄あわないか?
センスデータがあれば、それを齎すものがあると考えるのは至極当然。
それがたとえ錯視・錯覚・妄想・幻想だとしてもだ。
部分的といったのは、パーソナルデータ全てを語り尽くすことは不可能だと考えるからだ。
また、その全てを同時にセンスデータとなることも不可能。
コインを認識しているとき、その裏面は同時に認識できない。(鏡を使うとかのくだらないレスはやめてねww)
526 :
黄檗 :2014/04/24(木) 17:24:51.29 0
>>525 辻褄を合わせろというのは
自分で言われることの辻褄を合わせてください、ということですよ。
・存在しているといえるものは、即ち認識されているものに限る
・五感や記憶による観念(世界)が存在
・神や妄想や幻想もちゃんと「存在」している・・・・
>>362 ↑これ、どういうことですかね?
貴方は「存在」をマイ定義したのだから、それに準じて語ってくださいってことですよ。
しかしまともに語れますか?こんな場当たりのよれよれパンツで。
貴方によれば、錯覚、幻想、妄想も、それが認識されれば「存在」なんでしょう?
センスデータが錯覚だとして、パーソナルデータとは何ですか?
存在ですか?
それは認識されるのですか?されませんよね。
認識されるのはセンスデータなのだから。
パーソナルデータなんてものは、語り尽くす以前に
そもそもそれについて何一つ語ることなどできない。
一切の内容が無い。無駄に言葉を増やしただけ。
そうは思いませんか。それを訊いているのです。
527 :
考える名無しさん :2014/04/24(木) 17:27:18.35 0
バルス(´・ω・)人(・ω・`)バルス
意志・意識 錯覚として主観感を与えられた何か エネルギー・情報 秩序を与えられた錯覚 コインの裏面が表面を定義し、表面が裏面を定義する。裏も表も錯覚 不確定性も錯覚の一種なので決定論は有効
>>520 なんか症状が酷くなっているぞ、自覚できないの?
パーソナルデータは虚実体であり矛盾存在 センスデータは虚実体を変換した偽体
531 :
黄檗 :2014/04/24(木) 21:01:04.38 0
いのちくん、わしはもう寝る 問いには答えておく 物理法則、意識、意思、エネルギー、情報、うんたらかんたら・・ 唯物論に於いて、そういったものは、敢えて言うなら 人間もひっくるめての「物質の自己実現」・・だな。 「性質」とは思わない。 まあ内容の無い悟りですが。
心の器が肉体である、そして精神の器が魂である。 精神は状態であるが、魂は状態ではなく背景であるからだ。 意識はするもの、意識されるものである。人が人として働く思考の 支配をするものであろう。
_人人人人人人人人人人人人人人人_ > そうなんだ、すごいね! < ´ ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ __、、=--、、 __ / ・ ゙! /・ `ヽ | ・ __,ノ (_ ・ | ヽ、 (三,、, _) / /ー-=-i'’ (____,,,.ノ |__,,/ |__ゝ 〉 ) ( )
>>522 >素粒子には自己同一性が無い
そうですね。
素粒子は物を構成する最小単位ですから、それ以上分割できません。
物の唯一性を説きましたが、その物を分割していって素粒子まで至ったときに、
素粒子間で差異があったとすれば、その差異の原因となる、より小さな構造が
あるはずということになってしまいます。
しかし経験則からではありますが、現実に全く同じ物が複数存在するということ
は考えられない、そうすると存在の唯一性を持つ「物」から、物としての存在を
持たない均一な「何か」へどこかで移行する必要が出てきます。
そして場の量子論によると、素粒子は実はいわゆる粒子ではなく、電光掲示版の
例え話のように素粒子一つ一つが場の状態として考えられている、こうなると、
素粒子は物ではない、物としての存在を持たない、と言うことができるのでは
ないかと思います。
ですから、物の唯一性と素粒子の自己同一性が無いことは両立できると考えます。
素粒子は物ではない? 黒人奴隷は人間ではない、とか言われたこともありましたね
536 :
考える名無しさん :2014/04/25(金) 10:38:39.12 0
密封された空間に2ちゃんねらーを閉じ込めてそのまま餓死するとするじゃん 素粒子レベルではその空間に変化は生じていないということになるのか? だったらなんだ?人類は滅亡してもいいとか?
537 :
考える名無しさん :2014/04/25(金) 14:53:30.82 0
素粒子の最小単位が数式で確定されれば、その素粒子を構成する物質が存在 することとなり、際限なく素粒子(物質)は最小化し続ける。 「同一性(意識)」と「分裂(差異化)」は、精神(=意識)と物質(差異化)の問題であり、 物質とは何か? つまり、「物質」の定義が“根本的な問題”として提起されている。 この「物質」の定義を曖昧にしていては、量子力学、そして、素粒子に於ける差異化(分裂)と 存在における「自己同一性」の問題は解決されない。
538 :
考える名無しさん :2014/04/25(金) 15:05:43.77 0
ニュータイプはピュピュって感じだね。意識は持ってて当たり前。
今北産業
>>526 君、あんま読解力ないね。
何が矛盾なのかを明確に指摘してください。
・目の前にパソコンが見える
・隣の部屋にパソコンがある(という記憶がある)
この二つはどちらも認識されている観念なので、共に「観念として存在する」と言える。
神・錯覚・妄想・幻想も(想起された)観念なので、これも同じ。
で、観念として「知る・見做す」ということは「知られるもの・見做されるもの」が在る(だろう)と考える事になんら問題はない。
これを観念世界と対比させて自然世界(現実態・純粋存在・実在)という。
仮に錯覚だとしても、「錯覚させられるもの」が在ると考えるからこそ、パーソナルデータ(知ることのできる情報の全て)と、インフォメーション(発せられた一部の情報)が在るからこそセンスデータが発生するのだとしている。
一致するかどうかとか、(パーソナルデータを直接)認識できるかなどは、問題にすらしてないのだよ。
読解力とか言い出すと最高位のはじまり
>素粒子一つ一つが場の状態として考えられている パーソナルデータは桁数無限の一つのデータであり、その一部を意識が何らかの方法で切り取って一個の素粒子であると認識しているのだが、 無限大の一部を切り取っても、切り取り方によっては無限大のままであり、であるからして一部は全体そのものであり、一個の素粒子の実体はパーソナルデータそのもの、すなわち全宇宙のデータそのものであろう
(
>>534 の続き。
>>536 や
>>537 にも関係しているでしょうか。。。)
素粒子から物へ移行する上で、どのように唯一性や差異が現れるのかに
ついて考えていたときに思いついたのですが、
不確定性の問題は不確定な状態の話というより、事実になる前の状態の
可能性の話、と考えるとよいのではないかと思いました。
不確定なままでいた状態が観測された瞬間に確定する、というよりも、
確定した状態から次の状態への可能性が不確定な状態として現れ、
それが他の確定している物と関わることによって現実世界の事実として
確定される、というものです。
その後、量子デコヒーレンスの記述を見つけて、上記の考えがこれに
合っているように思えたのですが、どうでしょうか。
544 :
黄檗 :2014/04/25(金) 18:42:50.74 0
>>540 矛盾を指摘できるかどうか分かりませんが、これだけ答えてください。
そのパーソナルデータ(物自体の本性)は、
そこで貴方の言うところの「自然世界」に属しているのですか?
(一致するかどうかなんて、こちらも問題にしていませんよ?)
量子における不確定性とは無限不確定性のことですよ 位置(S)を確定すると、(その変化である)運動量(St) の不確定の幅が無限大になる
物質の本質的実体は無限大への拡散 仮説体のみが存在できる psytexさん 我々は、認識は結果的に生じるもので、認識体とは独立して 外的な存在性があると考えます。 その「外的な存在性」は、「位置」や「時点」といった時空的な 確定性と、「運動量」や「質量」といった性質の決定性を 兼ね備えたものであるはずなのです(有限的な性質)。 ところが、「位置(S)を確定すると、(その変化である)運動量(St) が無限不確定化」し、「時点(T)を確定すると、(時間的な相対 運動だと言える)質量(Ts)が無限不確定化」するもので、 それを原理的に確定化せずに、階層現象の表面的に捉える (仮説性=「コップ」という存在は本質的ではない)ところに、 有限的な存在性は生じる=本質的には無に還元される事が 明らかとなったのです。
_人人人人人人人人人人人人人人人_ > そうなんだ、すごいね! < ´ ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ __、、=--、、 __ / ・ ゙! /・ `ヽ | ・ __,ノ (_ ・ | ヽ、 (三,、, _) / /ー-=-i'’ (____,,,.ノ |__,,/ |__ゝ 〉 ) ( )
548 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 01:19:59.89 0
Security Camera in Operation
>>540 貴方の発言の文法が矛盾しています。貴方は日本語を学ぶ必要があります。
550 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 02:11:16.55 0
外国の工作員だ!
551 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 02:22:31.71 0
2ちゃんならnsaが全部把握してるしね
そりゃあ、俺でも簡単に見れるサイトなんだからして、 NSAが見ててもおかしくはないだろうね。 だいたい、どんな暗号を使ってても情報なんて、発信者か 受信者かのどちらかに直接アクセスできれば、簡単にわかるわけで。 だから、CIAにしろ旧KGBにしろ、人を使って直接会いに来るわけでしょ。 匿名掲示板ていっても、色んなところでログが残ってるし、 特定されたら、諜報機関じゃなくたって、直接アクセスできる手段(権限) さえあれば、それこそ、警察みたいな機関でもどんなレスをしたかなんて、 すぐわかりそうなもんなんだけどね。
553 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/04/26(土) 14:31:40.97 0
>>422 機械氏
>「『私・自我・意識』は脳の(物質としての)働きにに由来するものではない」という…観念論的誤謬
それは違うでしょう? たいていのものが「由来する」と思っているのではないか。
しかし機械さんたちの“物質主義”では、その“由来”の内実を解き明かすのは不可能なのである。
いくら素材(下部構造)を弄っても、上部構造の“意味”は不明。
このことは「芸術作品」を例に挙げて幾度か述べている。
554 :
黄檗 :2014/04/26(土) 22:04:20.16 0
〜無限濃度〜 集合論に於ける濃度というのは、集合の要素(元)の個数(基数)のことらしい。 ガウスは無限を畏怖していたようですが カントールは集合論によって無限を扱えると考えたようです。 直観の働かない領域を論理によって押さえ込もうとしたってことでしょうか。 そのため、無限集合では直観に反するようなことが起こるようです。 自然数に於ける偶数全体の集合の個数(濃度)と、奇数全体の集合の濃度、 これらは直感的にも同じであるような気がしますし 集合論に於いてもそういうことになっているのですが、 おかしなことに、自然数全体の集合の濃度と、偶数全体の集合の濃度は 同じとなります。どう考えたって、倍は違うだろうに。 しかし、任意の要素をいつでも1対1に対応させることが可能なので 濃度は同じだと、そういう理屈なわけです。 それなら、無限の濃度は、みんな同じになるのではないのか。 なんせどれも「無限」なんだから、と言うとそうはいかない。 整数全体の濃度と実数全体の濃度は、同じとはならない。 それは○.○○○・・・・という無限に続く少数によっては ○に1〜9のどんな数を入れても表すことのできない任意の実数を いつでも作ることが論理的に可能だから。そういう理屈によってです。 同じような論理展開によって、数「x」全体の集合の濃度と、 「2^x」全体の集合の濃度は同じではない。 どっちにしたって「数」なのに・・・。本当ですかね? 「なんでもかんでも無限といったら無限」 というわけには、どうもいかないようなのであります。 あと誰か続きを。
555 :
あまの :2014/04/26(土) 22:36:23.86 0
無限など存在しない。 これで終了。
それが楽だね
558 :
あまの :2014/04/26(土) 22:50:24.43 0
無限を可能にする前提に矛盾があった。 本気でそう思う。
楽でいいね
560 :
あまの :2014/04/26(土) 23:06:20.57 0
ある前提で突き進んだ結果、直観からずれまくった荒唐無稽が出てきた場合 どうする?
561 :
あまの :2014/04/26(土) 23:09:25.15 0
荒唐無稽の中で概念遊びをするのも一興だけどね。
直観からずれまくった事実がでてきたら どうします 事実がおかしいと二度寝しますか
563 :
あまの :2014/04/26(土) 23:14:20.19 0
無論、透徹した直観力が前提だがね。
透徹した直観力 あまのさんの無限と同じで 言葉のイメージだけですね
565 :
あまの :2014/04/26(土) 23:20:41.43 0
矛盾を孕んでいるって別に批判じゃないからね。
どうでもいいですよ
567 :
あまの :2014/04/26(土) 23:26:53.14 0
まあしかし、この世界のどこに無限が存在できるんだろうね。 概念の中だけなのだが、この概念が荒唐無稽を可能ならしめるのであれば 概念の前提に荒唐無稽があったというわけだ。
568 :
あまの :2014/04/26(土) 23:35:26.14 0
しかし、偶数の数と奇数の数とか荒唐無稽な概念遊びに他ならないわ。
そりゃそうだ概念なんて有用性が全ての幻想でしかなく 事実を説明するのに都合が良ければどんな荒唐無稽でも構わない
例えば虚数とかな
571 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 23:38:24.61 0
集合論によってずいぶん無限は明らかになった 素直にその成果を認めればいい 概念や数学が間違っているのだと考えるよりよほど健全だ
572 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 23:39:52.04 0
とにかく数学や自然科学を知らずに哲学をやることはできない 虚数なんて何の不思議もないものだろw
573 :
あまの :2014/04/26(土) 23:42:39.94 0
実数と虚数両方無ければ現実は表現できない。
574 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 23:44:08.42 0
>>554 のようなことは最初は奇妙に感じるかもしれないが、ごくごく当たり前のことでしかないと思う
日常的な捉え方が真ではないことの一例
575 :
あまの :2014/04/26(土) 23:48:20.33 0
無限の問題は概念の枠組みに問題があったということでいいと思うんだ。
576 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 23:49:41.88 0
日常的な捉え方に問題があり、集合論がそれを訂正したというのなら同意できる
ニュアンスだけですね
578 :
あまの :2014/04/26(土) 23:52:39.96 0
実数をこんにゃく、虚数をオナニーと考えてごらんよ。 こんにゃく無しにこんにゃくオナニーは出来ないんだ。 あたりまえのはなしだと思うんだけれどな。
579 :
あまの :2014/04/26(土) 23:52:52.64 0
偶数とか奇数は概念が無尽蔵に生産するものだからね。 数を数えるとかww 集合論で訂正とかww
概念が矛盾を生産し、概念で解決とかまわりくどすぎないかい? 哲学はもっとスパッとやらないと。
581 :
考える名無しさん :2014/04/26(土) 23:56:18.50 0
たとえば「日常性」というのは哲学上疑わしい概念だ ハイデッガーとか後期ウィトゲンシュタインはこの概念に依拠していたわけだがそれが正当なことか問い直される必要がある
概念に拘ってるけど 的から遠いでしょ
学問も討論も思考も利点ばかりが癒着して最終的には形骸化する法則あり。 その中で楽しむのに、的はずれみたいなことを言い出すバカが1人。
概念というより数字の限界を表現した言葉ってだけのもんだろ 数字はソロバンにすぎない、便利ではあるがそれだけで全てを表す事は不能
はたしてそうですかな?
無限ではないということは、両極が合ってその外には無すらないんだよ。 そうすると、この世界にもいずれ終りがあり、終わってからは無すらない。 まさに、はたしてそうかな?って話しだし。 それに、不可逆な変化はあるとして、完全な消滅ってあるのかな? その上、どこかで、始点があるはずだから、無すらないようなところから、 何かが生まれたってことになるよ。それも、はたしてそうかな?って話だね。 これも同じで、変化はあるとして、なにもないところからの発生てあるのかな?
無限大×1=無限大×2=無限大×3=無限大×4=... 無限大×無限大×無限大=無限大 無限大÷1=無限大÷2=無限大÷3=無限大÷4=...
588 :
考える名無しさん :2014/04/27(日) 01:38:11.50 0
波平は訴状を作成完了したようだ
宇宙の実体を分割したのが素粒子の実体 分割しても宇宙の実体はそのままの大きさを保つ
宇宙が不変であるからこそ成立する物理法則なのに、不変でなく変化する 法則ならそれを否定するのは無能の思考だろう。 で不変と証明できるの? 静止衛星の軌道上で地球の重力を感じるようなもの。
>>540 おまえバカだろ、パソコンも神と同じ観念だよ、まず言語の表現も
理解力ないし知識が中学生とかわらんことにいいかげん気が付けよ。
無限大のデータは変化の全てを内包する 無限に分岐する選択肢全てに対し、予め決定された未来が宇宙誕生時に用意されていた
自然には境界が無いから、無限と有限の区別が無い? 無限は主観か? 法則は主観 不変は主観?自然には変化と不変の区別が無い? 自然には無と有の区別が無い?
リンゴの落ちる速度を「分かった」とするなら、意識も同レベルで「分かる」はずという話。 リンゴの落ちる速度も厳密には小数点何万、何億秒レベルではわからないけど、俺らのスケールでは十分な範囲で「分かる」というだけ。 で、現状の科学レベルで言えば意識は必然といえるほど「分からない」。決定論は意識というものを捉えるほど汎用性の高い論理にはなっていないし、俺らが生きてる間に超能力みたいに相手の意識が分かる用になるとも思えない。 メンタリズムみたいなのは決定論的な意識の捉え方のモデルとして面白い流れだが、まあ、占い師のメカニズム暴露みたいな感じにとどまってる。
世界の1%に特異点があれば残りの物理法則は全て誤差が生じる
596 :
考える名無しさん :2014/04/28(月) 18:20:12.00 0
機械さんは「哲学入門」を読破されたんでしょうか わたしは、当該の書物を本屋で1分立ち読みし そっと元の場所に戻しておきました
あたらしい郵便屋さんか
599 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火) 10:59:42.91 0
>>553 >いくら素材(下部構造)を弄っても、上部構造の“意味”は不明。
>このことは「芸術作品」を例に挙げて幾度か述べている。
まったく、観念論者さん達はどうしてこうも「言葉に関する厳密性」に
無頓着でいられるのか、感心してしまいますね。
あなたは「赤色のクオリア」と「緑色のクオリア」について「違う」
ことは認められるでしょうが(区別がつかなければ「赤緑色盲」です)
「赤色のクオリアの意味」と「緑色のクオリアの意味」を哲学的に言葉で
定義できるのですか?
赤緑色盲の人に「赤色というのはね…、それとは違い緑色というのは…」
と「言葉で説明」できないことと、「芸術」(例えば)モナリザとモネの絵
の「意味(来歴や価格ではありませんよ)」を説明できないこと「同様」です。
それを「観念論者」であるあなたは「自分は判っている」と思い込んでいる
だけで、その「それぞれの(芸術的)意味」を(例え理解する能力があったと
してもですが)「言葉で他者に伝える」ことなど出来ない…ということを学習
するべきです。
ちなみに遅読ですが、戸田山氏の『哲学入門』後半に差し掛かってきましたが、
結局彼が言いたいことは「唯物論かつ決定論」であり、私と立場が異なる要素は
殆ど無いようです。
あなたがご自分の「勘違い・間違い・思い込み」を修正したいなら、ご一読を
お勧めします。…まあ、題名に比して「難しい」ので、ご理解になれるかどうかは
甚だ疑問ではありますが…。
>>599 戸田山さんと機械さんは立場がけっこう違いますよ。
全部読めばわかります。
それから戸田山さんの本には「クオリア」なんか出てきません。
601 :
考える名無しさん :2014/04/29(火) 13:06:37.60 0
戸田山和久の科学哲学は、「この世界にあるのは、モノ(物理的対象)だけだという世界観(=論理実証主義的世界観)が ある一方、数・情報・心理的状態・主観的意識など、科学には抽象的な対象がたくさん現れる。 こうした抽象的対象を “モノだけの世界観”にどのように整合的に埋め込むかという問題。」として提起している。 つまり、従来の認識論的問題設定を捉えなおして、“認識論”を自然科学の一部に埋め込んでしまうという「認識論の自然化 プロジェクト」を進めている。 従来の科学は、論理実証主義を基底とする為に、前提化(=数式化)出来ないものは、科学の対象としてこなかったが、 戸田山哲学では、科学の対象とする範囲を“認識論(=情報・人間の心理・主観的意識)”まで拡大し、総合的に科学哲学 として論究している行くことは、現代に於ける新しい哲学の流れとして大きな意味を持っている。
>>601 自然主義だからサールやパトナムと非常に近い立場だよね。
彼らも「〜自然主義」と自らを標榜しているし。
機械さんは19世紀の物理主義者と同じような考えだから。
戸田山さんはそれを批判している。
>>599 あなたの言ってることは、ムーアの自然主義的誤謬に近いようにも
見受けられますが、あれは、どちらかといえば、自然主義を否定する
理論なわけなんですが。自然主義的誤謬についてはどう考えます?
604 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/04/29(火) 15:53:45.68 0
>>599 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火)
>「芸術」(例えば)モナリザとモネの絵の「意味(来歴や価格ではありませんよ)」を説明できないこと「同様」です。
意味を説明できないのは科学的には出来ないと言う事なんですよ。
観念論では
>「自分は判っている」と思い込んでいる
其の通りなので 自分では充分説明できている訳です。
世界は「『感じ』にすぎません」なのでそれでもいいのですよ。
其れに対抗して芸術の意味を機械さんは科学で説明できるんですか?と問うている。
>>531 物質の自己実現!?
唯物論者とは思えぬ極めて観念論的な物言いですな。
自己を実現するために動いた結果そうなったと?
それとも、勝手に(自然にw)何の意志もなくそうなったと?
前者なら、物質の上位概念に自己実現への意志が必要。
後者なら、何の説明にもなっていない唯言ってみただけの話。
>>540 勿論自然世界に属している。
言葉に表すと観念世界になってしまうが、自然世界のそれを指している。
境界についての矛盾を指摘したいのかな?
先に言ってしまうと、「境界は無いが濃淡はある。それが模様となっている。」
これは言い換えると、「厳密な意味での閉鎖系など無い」ということ。
606 :
パンの耳 :2014/04/29(火) 16:12:07.58 0
3D化した フランク・ステラ の Material Composition と POPバブル code name mission ニチグラ 日比野克彦 と 段ボール紙 の 表舞台 NEW WAVE
607 :
パンの耳 :2014/04/29(火) 16:20:46.99 0
このTimingで すいせい絵具は ほぼアクリル化しました
>>553 久しぶりですね。
物質主義の限界については、わざわざゲーム氏が説明せずとも少し考えればわかる筈。
ところで、「いのちは、いのちから生まれる」という命題は、「発生的構造主義」を基底にしているので、還元される必要はなく、「由来」してさえいれば正しいと考えるのだが如何でしょう。
疎外論でも良いが、主観的意識は身体に由来する(発生する)ということは割と常識ですからね。
609 :
黄檗 :2014/04/29(火) 17:21:48.48 0
>>605 パーソナルデータは、自然世界に属するのですか。
そうであるなら、貴方によれば、それは『実在』であり、『境界無き有』、
そして『有とも物質ともいのちとも言うことはできない何か(カオス)』
なのでしょう。
>>362 貴方の考えるような自然世界(=「有」とも言えない何か)というのは、
少なくともその性質についての論述は一切無効です。
それなのに貴方は、それが『固有のデータ』であり、
『単一のものが模様を作り複雑化することで情報を持つようになる』
>>520 などと言う。
「貴方の言う情報や模様が、情報や模様として実証される可能性は皆無です。
どうして貴方は、それが模様であり、また情報を持つようになると“認識”したのですかね?
それらは全て貴方の「妄想」です。
(ところで妄想は「実在」ではなく「存在」でしたっけ。)
模様や情報としての性質を持つ「パーソナルデータ」とかいう
妄想的観念(貴方によれば、これは既に「存在」か)を貴方に齎す
「模様や情報」が「自然世界に実在する」など言って、妄想の上に妄想を重ねているわけです。
『まずは観念としての存在と、自然としての実在とを区別しないと、ごちゃごちゃの観念論になってしまうよ。』
>>362 その通りですね
私から見る、貴方のなんたら一元論は、ごちゃごちゃの観念論です
だが貴方の名誉のために言えば、こんなことは貴方に限ったことではない。
「信仰」に逃げる懐疑論愛好者には、その自覚があまり無いようですが。
610 :
黄檗 :2014/04/29(火) 17:29:27.24 0
「物質の自己実現」は、まあ言ってみただけですね。
>>609 あのね、人間は観念を超越することは出来ないのだよ。
だから、唯物論だろうが何だろうが全て観念論となる。
ですから、「自然を観念する」ことが大事なのです。
どんな言及でも実証など不可能でしょ?
612 :
黄檗 :2014/04/29(火) 18:08:35.66 0
>>611 人間が観念を超越することが出来ない、なんていうのは
「観念論」という物語に過ぎないのですよ。
どこに確固たる「観念」なんてものがありますか?
貴方は、マンガのようなその世界観にどっぷりなだけなんですよ。
613 :
黄檗 :2014/04/29(火) 18:14:22.05 0
いのち君のような人種はですね、 観念世界とは別の「自然世界」、「真の世界」 そんな不可知な世界がある 多分そのように思ってるわけです。 自分で勝手に世界を分けて、 あっちは不可知だ、と騒ぐ いのち君に至っては、 「有とすら言えないが、そこには情報と模様がある」 などと妄想的形而上学を重ねる愚を犯す。 救いがたいですね
614 :
黄檗 :2014/04/29(火) 18:18:41.23 0
唯物論だろうが何だろうが全て観念論となるのであれば ごちゃごちゃの観念論で上等だってことですよ
615 :
黄檗 :2014/04/29(火) 18:37:11.90 0
>自然を観念することが大事 それによって、観測可能な様々な現象を量的に説明するのなら 立派な研究でしょう。 >どんな言及でも実証など不可能 実証を可能とする「方法」を見出すこと「のみ」が困難であるが故に 評価される仕事なのではないですか、ね。 否定も肯定もされない妄想を重ねるなんてことは、 哲板住人の得意とするところでしょうが。
お前らなんか勘違いしてるけど、どっちが偉い、どっちが鶏か卵かみたいな神学論争意味ないから。 あるとすれば、目的や場面でwindowsかmacOSかLinuxかはたまたandroidかどれが使いやすいかって話はあっても、どちらが正しいとか無いから。 観念論的に決定論をつぶそうとか、決定論的に観念論を潰そうとかしょうもない。
617 :
考える名無しさん :2014/04/29(火) 19:20:22.36 0
おれが決定論者だから。
>>612-615 せめて戸田山の「哲学入門」を完読してくれないか
ほんとうに本読まねえよな
言葉、論理を使うときにかならず観念から出発するという考え方も、観念は物質の作用を受ける現象だという考え方も「見方」でしかない。 キリストが絶対か、アラーが絶対か、多神論が素晴らしいとかそういう宗教論と何ら変わらない。 もっといえば散々出尽くしたはなしをまだやってんの?まだあらそいいさかうの?ってかんじ。
>>611 >だから、唯物論だろうが何だろうが全て観念論となる。
哲学が観念的なもの(人間の思考)を使って行われるからといって、
その成果が全て観念論だというのは乱暴ではないかと思います。
>>612 >どこに確固たる「観念」なんてものがありますか?
以前
>>459 で述べて
>>460 で反論を受けましたが、「私」について
の感覚は確固として感じられていると思います。観念はあるのでは
ないですか、脳によって機械的に生成されるのかもしれませんが。
一元論の立場を取られるならば,他方を「存在しない」と否定する
のではなく、一方で他方を説明することで消し去るべきですし、
二元論の立場を取られるのであれば、両者の切り分けと関わり方を
説明するべきではないか、と思います。
それはさておき、黄檗氏は
>>531 で
唯物論に於いて、と前置きした上で「物質の自己実現」という言い方
をされているので、これは何かについての例え、言い回しなのだろう
と思います。
この「自己実現」という言葉の裏に、どのようなイメージを持たれて
いるのでしょうか。
>>620 日本の哲学者ごときの本に金を時間を費やして読む価値があるとは思えないんだが
大学で哲学を専攻する、とはどういうことかちょいと哲学してみればすぐに分かると思うんだがねw
>>623 日本の哲学が無駄なら
お前もそうとうな無駄なんだろうな
読まずに批判する奴らはただのアホ
625 :
黄檗 :2014/04/29(火) 19:55:29.09 0
>>620 貴方がそれを完読したのなら、そこで理解したことを武器に
具体的に反論してみてください。
私も自分なりの武器で再反論しましょう。
ちなみに私は、その「哲学入門」を本屋で買う気にはなれませんでした
>>625 読んでいない人にその書物について語るのは至難の業
ましてや哲学書であれば尚更のこと
話し相手にすらならないよ
本当に基本的な事柄や用語について知らないことを開き直る奴は相手にしなくていいが、知らない相手に対してどこぞの新書を読まなければ反論すらさせないというのは本当に真摯な立場なのだろうか。 読まないことを誇ってるような奴は間違いなく馬鹿だが、本を読めというのも時間稼ぎであったり単なる衒学でしかない。 書物のエッセンスを自分の中に注入して反芻して自分の言葉として主張できなけい人間が本を読めという観念的な逃げ口上で逃げていると結論づけられる。
戸田山先生の言説をたたき台にして話を進めたいという方がいる一方で、 やっぱ、なかなかみなさん本を1冊買って読むということは、入門本と いえどもめんどうだということもあるでしょう。 ということなので、例えば、 戸田山和久「哲学的自然主義の2つの基本的主張の間に存在しうる或る緊張について」 人間環境学研究Vol. 1 (2003) No. 1 この辺りの文献をたたき台にしてみるのはいかがですか? これだと今すぐネットで見ることが出来ます。
630 :
黄檗 :2014/04/29(火) 20:43:01.44 0
>>622 観念という言葉が通じる事態は有効に機能しているようです。
しかし観念とは何?と問われたら、
「○○とか△△の思いのこと。その総体。それが観念だよ。」
とでも言うしかない。「観念とは思い」・・・こんなのはほとんど同語反復ですよ。
「あるだろ?君にも。これだよこれ。」と暗黙知を脅迫する。
しかし、「私は考える」←これを呟いているのも私であり、聞いているのも私。
私が私の存在を保証いたします、ってことですよ。
この「宙に浮いた思い」によって、「私は存在する」ことがどうして保証されることになりますか?
存在がそんなことであるなら、存在とは純粋に「実感」だけってことになる。
ところが世界はそうはできていない。どうしてでしょう?
それは、感覚よりも論理が優先されるからです。
世界の要素は論理によって、それぞれ存在となっている。
我々の感覚とか記憶とか経験は、素材に過ぎないのです。
主観よりも論理が先立つのです。
そうでなければ、人間はこの感覚が何であるかも、この肉体が何であるかも
一昨日よりも昨日が後であることも、何もかも分からないのです。
脳は、論理を探ることで、また世界を探っている。
わたしは、そのように考えているのです。
「意識」とか「私」というのは、思考というものが
偶然にか必然にか統一性をもって成立することになり、、
脳は「私」を作る意図も意思も必要性も無かった、かもしれないけれど、
この世界は、このようにできた人体システムにとって、
「私」という言葉が通じる世界であったのだろう
ぐらいに考えています。
631 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:01:42.23 0
>>626 書物の何を語ろうと言うのですか?
文芸作品の感想ごっこなら、もちろん読まねば話にならない。
購読会みたいなことをしたいわけでしょうかね。
やりたい方はやれば良い。
私を「話し相手」にする必要もない。
私は貴方の都合に合わせて本を読むわけではない。
私もね、本を全く読まないわけではありませんよ。
ここでこれだけくっちゃべろうと思えば、それなりにネタを仕込まないと
できない。そうは思われませんか。
借りてきたタームを、よく分かりもせずに披露してみるのも良いでしょう。
ただ、それについて突っ込まれたら、説明された方が良いと思いますよ。
カントでもなんでもそうなんでしょうけど、いくら本を読んだところで
「俺が一番カントを理解している」合戦になっても仕方ない。
自分なりの合理性を構築しないと戦えない。
歴史的にどう考えても動物的な私が存在して後、意識が生まれ、意識を共有するために論理というものが生まれてる。 そもそも論理という言葉を間違って捉えてるんだろうな。
633 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:13:14.36 0
>>632 なるほど
貴方は、ニュートン以前には万有引力は無かったと
そう考える人ですか?
論理という概念が生まれるまでは、世界は非論理的であったと
そう思いますか?
>>632 多分、虫けらが思考するならば、歴史などというものは考えにも及ばないでしょうし
その虫けらにとっては、考えのはじまりが歴史のはじまりであり、思考が途切れた瞬間が歴史の終わりでもあるでしょう
「歴史」などという言葉で、この世界の存在するユニークな事態に考えを馳せることができるのも
人間が論理を前提に考える文化を構築したからでしかないのだと思いますよ
とてもひねくれている
>>629 早速、読んでみました。
自分の考えは単なる唯物論なのかと思っていましたが、
反実在論とか構成的経験主義というものに近いように
思えました。
もう少し、ファン・フラーセンの思想について調べて
みようかと思います。
>>633 論理ってのは情報だから。それは紙に書いてあったり、君のシナプスに記録されたり、光学ディスクに2進数的に記録されてたりするわけ。
ニュートン以前は万有引力の法則は論理でなく、意識でしかなかった。
君が言ってる万有引力は現象ね。
ま、単純な用法ミスの指摘ねこれは。もう一つの次元で理(君の言う論理)というものが本当にあるのかという問題もあるんだけどね。
>>631 まぁまぁ、
>>629 の文献なんて、たった6ページですし、あなたといのちさんとが
やり取りしてる内容に対して、そのまんまど真ん中のことが書かれたりしてますよ。
ただ、さすがにどうしようもなく、なんというか夢のない内容ですけど。
短いし読みやすいですよ。なにより、学者だから理屈がちゃんとしてる。
ビッグバンの直前に、意識がパーソナルデータ(カオス状態)に対して論理というコンピュータウイルスを打ち込んだ するとパーソナルデータに法則が生まれて宇宙が発生した
>>629 なにがしかの叩き台があるとたしかにいいね
戸田山の新書はこのスレタイそのものに合致するのに
読む気ならないとかいって胸をはっている人の考え理解できない
蛸壺自慰思考の方が精神は安定するのは確かだけれども
640 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:29:16.69 0
>>637 んー
どまんなかであるなら、それでもう十分です
最近読んで面白いなと思ったのは
柴田正良の「ロボットの心」です。
戸田山氏の本も20秒くらい立ち読みして
前に見たような話に思えましたので、買いませんでした。
641 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:31:59.00 0
戸田山さんの本を読んで、何かを得たと思われる方がいたら それを武器にやりあえば良いのではないですかね どうせチューリングテストとか中国語の部屋とか そのあたりは共通の話題なんでしょう?
論理でも理でも現象でも、用法の間違いは素直に認めてくれればそれはいいんだが、 もう一つ本質的に観念論の否定の否定論があるんだが、きかないか、兄弟。
結合が論理的概念であるならば、意識は論理無しに身体を持てないのではないですか?
644 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:39:17.13 0
>>636 論理とは情報ね
貴方にとってはそうだということで。
>>641 なんか考え方が卑屈ですね
べつに武器なのではなくて題材でしょう
「ロボットの心」も出てきたかなたしか
まああなたのレスを読みなおしても内容に興味が持てなかったので
あなたには全く興味はないです
あなたも戸田山にもその話にも興味はない人でしょうから
勝手にやっていればいいだけですよね
それぞれがお互いに
>>644 いやー、怖いね。決定論者も自分のミスなのに怒っちゃうとと論理が吹っ飛んじゃうんだから。観念的だなー、醜いなー。論理が吹っ飛んでも、観念的な君は存在するねー。
647 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:43:09.57 0
そもそもどうしてそんなに戸田山に拘るのか 何がどう重要なのかな?
>>645 戸田山和久の入門書はけっこう難しいですよ
誰でも読んで理解できるとは限らないでと思います
機械さんがまだ半分しか読んでいないのも難しいからじゃないですか?
論理とは、世界を説明する為に発明された、単なる概念上の道具でしかないと思うんだがね 世界そのものに論理が含まれていると考えるのは逆じゃあないかね
650 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:47:37.14 0
>>646 私は決定論者ではないですね。
唯物論者であり、非決定論者です。
>>640 いやいや、それがですね。
哲学的自然主義を採用するには、
存在論的自然主義と認識論的自然主義の2つのテーゼが必要であるが、
それを両立させるためには、非常に難しい緊張関係があり、
そのような緊張関係は、実は、いのちさんとのやり取りでなされていたような
科学的実在の肯否の議論の文脈の中に現れていたりする、というような内容でして。
どうです、かなり惹かれる内容じゃないですか?
>>650 ごめんなさい。
あなたを観念的に決定論じゃと決めつけてしまいました。でも僕は素直なので貴方のすごい観念的な唯物論じゃであり、非決定論者というくそ中2病的な自己紹介ありがたく受け取ります。
653 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火) 21:50:41.38 0
>>629 最後の十数行(要するに結論)は「多くの点で電磁波の波動はエーテルの波に似ているからである・・」
で始まると読めますが、「全くその通りですね」と考えます。
『哲学入門』では、脳内での「感覚表象と志向性」という分け方をしておりますが、
それは私が「感覚的クオリアと志向的クオリア」として説明しようとした概念とほぼ一致しております。
ただ、彼が「クオリア」という概念の使用をしないのは要は「観念論者の無駄なイチャモンを誘発する」
からだと推量いたします。ただ、その点において、認識(主観の領野)における共通性(クオリア)を
韜晦してしまう(表象と志向性という「全く違うカテゴリー」を連想させてしまう)…という犠牲を払わ
ねばならなくなってしまったようです。
「感覚的クオリア・志向的クオリア」という分類の方が「感覚表象・志向性」という概念分類より
「クオリア」という統一的概念で説明を試みる…という点で「認識論を存在論の視点の延長上で説明する」
…という戸田山氏の問題意識により即したアプローチであると考えます。
>>653 機械さんが戸田山和久の本を絶賛して薦めたのですから
ちゃんと責任持って読みきってくださいね
早く読んでくださいw
655 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:55:24.78 0
>>649 そう考えるのが普通だと思いますよ。
「現代論理学入門」も、そのように書いてましたね。
論理を「人間」というオールマイティーな魔法の箱に押し付ける。
しかし意識が意識として成立しているときに、既に論理は在ると
そう考えるほうが、私には理に適っているのです。
地球から見た見かけの太陽の運行を非論理で記述できる?
657 :
黄檗 :2014/04/29(火) 21:59:57.43 0
>>652 貴方の日本語は少しおかしいように思いますね
言いたいことは分かりますが
無理しないでいいですよ
お前のその勝手な論理のことをみんなは観念と言ってるんだよ。 オレから見て、おひさまが右から左に沈んだ。これが観念であり、ロマン主義。
オレから見て おひさまが 右から左に 沈んだ これは4個の論理的思考なのでは?
>>630 観念はあるのではないか、と書いた件についてのレスでしょうか。
おっしゃていることには同意します。
私が
>>459 で述べたことは、機械氏が
>>462 で言われたように素朴な実感に
ついてのものであり、観念論者が説くように本当に観念があると言っている
わけではありません。
しかしながら、ある、と感じられる。観念論者の方々が主張するくらいの
確かさでそう感じられるわけです。それを、ない、幻想だ、と切り捨てても、
その幻想は相変わらずゆらゆらと消えないのですね。
唯物論者としては、その幻想が脳のはたらきによって現れることを説明して
みせないと消したことにならない、
>「意識」とか「私」というのは、思考というものが…
とおっしゃられている部分をもっと探っていくべきではないか、と思います。
もちろん我々は専門家でもないし、結論は脳科学の成果待ちになるのでしょうが、
そうしなければいつまでたっても「観念はある、ない」というだけで時間が
過ぎてしまうように思います。
>>655 その考えから何故非決定論に繋がるのかがちょっと分からないね
仮に世界そのものに論理が内蔵されていて、常に論理的にしか振る舞えないのであれば
決定論になりそうなものだが
662 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火) 22:08:58.96 0
戸田山氏は「存在論的自然主義と認識論的自然主義の両立は可能か?」 というテーゼを出して、(自分を含む)ある種の自然主義者には極めて 自然に感じられる…と書いておられますが、私もその点については 「全くその通り」だと考えます。 それを「不自然だ」と感じる立場「認識(論)を通じなければ存在(論)に到達できっこない ので…だから認識の分析はまず存在と切り離して形而上学的に行われるべきである」という 「観念論的独断」から抜け出せないで「もがく」のが「観念論テツガクの伝統」だと信じ込んで いる「哲学徒」が多すぎる…ということなのかもしれません。
663 :
黄檗 :2014/04/29(火) 22:17:13.66 0
>>660 それが説明できた人はこれまでいないでしょう。
恐らくデネットが近いところに居るのでしょうけど、
私には彼が掴み得た内容が、未だよくわかりません。
この先、機会があれば、ネタ振りします。
>>661 それは、論理は物質の振る舞いの帰結だと考えるからです。
物質ありきの論理。物質は法則に「従って」いるわけではない。
そして物質の振る舞いが自律的である限り、非決定を排除することは
できないからです。
良い質問ですね。
>>659 Bくんは左から右に沈んだと言って喧嘩になった。
つまり、太陽の動きを右左で記述することは非論理的なわけ。
そこで東西南北という基準をきめることにすると、2人とも同じ事を言うようになった。
論理とは共通の基準をきめて、現象を情報化すること。
ココで注意しなければいけないのは論理と現象そのものとは同一ではないということ。
ココを間違えちゃうと、論理が全てに先行するとかおかしなこと言い始めちゃうわけ。
665 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火) 22:19:43.94 0
>>654 確かにおっしゃるとおりですね。
ただ、従来の「哲学書」とは違う分野「科学哲学」の書き方ですし、
丁寧に読むと結構難しい本です。
認知科学の本と並行して読むと比較的判りやすくなりますが、戸田山氏
が『哲学入門』で期待している読者(ここにいる気分的観念論者等?)に
とっては「難しいから飛ばしてしまう」章が多いのかな?…という懸念は
あります。
「自分解釈の飛ばし読み」をして「読んだ体裁」を整えて自分を納得させる
ためだけならば、「そもそも本など読まない方がよい」とも思えます。
666 :
黄檗 :2014/04/29(火) 22:21:37.58 0
「東西南北を決めることが可能である」という論理は 既にあるわけですね。
>>663 つまり、物質はその気になれば、いつでも、自律的に、非論理に振る舞える
という考え?
>>666 良い質問ですねー。
そこで、東西南北という理は完璧な理であるかという疑問が出てくるんですね。当然。
669 :
黄檗 :2014/04/29(火) 22:24:19.35 0
>>668 そのときその場所で成立可能なのです
「完璧な理」が何を意味するのか、いまいち分かりませんが
>>665 はじめは読んでいて抵抗があったんですよ私も
しかし「科学哲学」ということもあって方法論が違いますよね
それを我慢して読んでいくとやはり自分が考えたことが無かったベクトルの思考に感心しました
戸田山和久も一元的な方向で考えていくつまり統一論ですよね
そういう姿勢もわかってやはり読む価値はかなりあると思いました
「情報」の章も面白かったですよ
自分とぶつからない本ならむしろ読まないほうがいいですしね
なかなかヘビーな本でした
物質は人間を騙している 騙す事は論理的行為
672 :
黄檗 :2014/04/29(火) 22:30:38.34 0
>>667 たぶん「その気」にはならないでしょう。
物質は、自分がどう振舞うのかは知らないと思いますよ。
しかし止まれないので、次の状態を選択しないといけない。
(「自ら」か「自ずから」か、そんなことはどうでも良いのですが、)
物質が「次の瞬間に必ず状態xになる」ための十分な情報を持っている保証が
無いのです。
ですから、「全くの確率によって選択が成される」、そのことを排除できないのです。
>>665 戸田山先生の提示する選択肢(1)を採用しなさそうなのはいいとしても、
機械さんの機械的唯物論ってのは、戸田山先生の言う哲学的自然主義
くらいまで、穏当なところに落とし込まれるわけなの?
今までの機械さんの言い様だと、戸田山先生の主張との間にそれこそ、
フロギストン説と現代化学ほどの類似性しか見つからないんだけど。
675 :
黄檗 :2014/04/29(火) 22:39:00.55 0
>>673 未来が確率でしか決まらないとしても
それは貴方にとっては「決定論」だというわけですね。
しかしそれを決定論だとは認めない人もいますね。
あと、戸田山先生の主張における可能な選択肢(1)ってのは、 科学の目的を予測と「コントロール」の成功としてしまうわけだけど、 これって決定論を前提にしてなさそうでもあるよね。
>>675 完全な乱数を縒り合せたものがこの世で最も決定的なものの一つだからね
セシウム原子時計の原理はご存じでしょう?
>>669 例えば、幼稚園児にはこの概念は理解できないかもしれない、月の住人は基準が変わるし、地球が星の寿命を終えれば基準自体がぶっ壊れる。
東西南北は少なくとも真理のようなものとはいえませんね。僕達にとって便利な論理ではあるけど、絶対不変のものではない。
では、君が先ほど言った万有引力は真理なんでしょうか?
真理なるものはあるのか、あったとして、それを論理化して記述できるでしょうかということになってますね。当然。まさに非決定論的な流れですねー。
東西南北が考えられるというのは、我々のいる場所が向き付け可能な曲面である(メビウスの帯みたいなのではない)ということかな 向き付け可能性という空間の性質が認識次第で変わるのかどうか、「完璧な理」さんはどう思われますか
僕にとっての東西南北はあの駅がある方向が南であるということか、もしくは方位磁石の向きでしか無い。 オレの方位ってのは全然論理的なものじゃなくて、観念やね。
681 :
黄檗 :2014/04/29(火) 22:57:05.74 0
>>677 セシウム時計の原理は知りません
どのセシウム時計が決定的なんですか?
みんな、
>>629 の文献を読んでみてよ。6ページしかないから、すぐ読めるよ。
>>629 以降で話されている内容の要素はほとんど詰まってる感はあるよ。
683 :
考える名無しさん :2014/04/29(火) 23:00:38.68 0
684 :
考える名無しさん :2014/04/29(火) 23:02:05.89 0
人生は限られている 読みたい本を読もう
確率が存在に介入するということは、純粋な数学が実在しているということだと思う。 これはファンタジーに思えるんだがね。
進撃の巨人って面白いよな。
一億年に一秒の誤差があるとして それは決定しているといえるかな
688 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火) 23:05:43.03 0
>>670 >戸田山和久も一元的な方向で考えていくつまり統一論ですよね
おっしゃる通りのようです。
まだ読了していないので、確かなことは言えませんが、戸田山氏は
「両立論」とか「(決定論と自由意志が)両立することに矛盾を感じない」
言い方をしております。
「情報」については「認識が存在しない場面における情報量の増大」等に
ついて論じておられますが、これはホーキングの「ブラックホールに落ちた
情報は復活可能か?」…という論争に通じる「物理学的情報論」に類似した
「情報論」という意味で、哲学者が考える「情報」とは似て非なるより広い概念です。
私が以前から主張している「エントロピー減少系としての太陽系」の意義…すなわち
「物質の進化」が「情報量の増大」という形をとっている「(特殊な)系」という考え
に近いものがあると考えます。
戸田山なんかより俺のほうが鋭いこと言ってるだろ?
690 :
考える名無しさん :2014/04/29(火) 23:10:32.45 0
>>689 そんなに自虐的にならんでもいいでしょう(笑)
あんたは存在自体が面白いんだからそれでいいんだよ
691 :
黄檗 :2014/04/29(火) 23:13:39.77 0
>>678 絶対不変の論理があるなどと、言った覚えはありませんよ
貴方の言う「東西南北」を決めるときに
それは「そのときその場所でそれを決めることが可能である世界」なんですよ。
いくら人間が決めようと思ったところで、世界がそれを可能としなければ
勝手に論理を決めることなどできないのです。
論理が主観に先立つとは、そのような意味です。
分かってもらえました亀?
幼稚園児うんぬんの話は
アホに通じない論理には意味がないってことを言いたいのですかね?
寝ますわ
純粋な数学も確率的に存在する ファンタジーではない
確率というのは情報収集能力の限界という主観的な事情だからね。 確率が原理的に介入するとか、主観主義(主観と客観の二元論)の弊害だよね。
確率は純粋客観的に存在する
あまのくんのおてぃんてぃんはくさいにょー
存在しないのは純粋な原理 純粋な数学又は他の何かが実在したとして、受け手である意識が1秒後に絶滅すれば実在も消える
>>697 もう無茶苦茶なんだよ。
消滅しない何物かを実在と呼んでいるのに・・
意識にあるのは、実在についての思いだけ
695 :あまの ◆OTC3RI3HUU :2014/04/29(火) 23:19:26.82 0
>>692 ボクはウンコまみれです。
意識の絶滅直後、消滅しない何物かは全てカオスに戻る あらゆる法則は主観
>>689 いやー、さすがにレベルがちゃうわー。
ここにいる誰よりも、正確かつ鋭く切り込んでいってる。
といっても、一行の文章を書くのにかける時間がそもそも違うんだろうけどね。
j-stageあたりで適当に検索して読んでみるとおもろいよ。
>>629 の文献なんて大して力を注いで書いたものでもなさそうなんだけどね。
「認知科学のなかで哲学に何ができるかを考え直してみた」とか、巻頭言だから、
何も言ってないけど、読み物としてそこそこおもろい。
>>701 君が消滅してもみんな元気でやってるから
心配すんな
>>702 それおめえ
本職がここに居る連中に負けてたら
存在する価値ねーよ
705 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/29(火) 23:31:12.69 0
>>685 >純粋な数学が実在しているということだと思う。
太陽系以外に知的生命体が存在すると仮定して、彼らに「ここにも知的生命体が
存在しますよ」というメッセージを出すとしたらどうするか?…ということを考えると、
「素数」を小さい順に「2進法で送信する」…というのが一番手っ取り早いのかと思われます。
すなわち「自然数」…1、2、3、4、5、6、7・・・・という信号では(受信側から見ると)
「自然現象の可能性」を排除できないでしょうが、「素数」2、3、5、7、11・・・
と小さい方から100個くらい受信すれば、それは明らかに「数学を理解している知的生命体」
の存在を表すからです。
そういう意味で「知性が自然を読み解く普遍言語としての数学」は存在する…し、そのような
「読み解かれるべき情報としての数学」はこの宇宙に普遍的に存在している…ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>702 おいおい、あまのさんをdisってんじゃねえぞぉコラー!
あまのさんを誰だと思ってんだ?
法則というのは、存在の模写のようなもの。 主観的なもの客観的なものも含む。 だから真の主観というのは関係性から免れたものを言わねばならない。 このへんの峻別の緩さが主観主義の出所だと思うよ。
それも主観だな
情報収集能力の限界という主観的な事情であるところの確率 この情報収集能力の限界は物質が存在する為の必須事項 情報収集能力に限界が無いと、物質の実在値を送り返されてしまう
>>706 「戸田山の」をローマ字にすると「todayamano」。
「today-amano」つまり、「今日のあまの」。
まさかな・・・。
現象としての主観をみれば(まあ普通この意味なのだろうが) おかしなことを言っている主観もあれは普遍性を持ったことを言っている主観もある。
みなさんは量子力学の多世界解釈についてどうお考えですか?
多世界解釈や確率論的世界など、いろいろな突飛でファンタジックな解釈が 次から次に出てくるんだと思うよ。 でも、結局、世界がどんなにアクロバティックな振る舞いを垣間見せようと 結局、我々は一意的な世界しか経験できない。
>>712 どうお考えも何も。
シュレディンガー方程式をホワイトボードに書いてみて。
わからん、無理ってなった。
なので、回答不能。
こんな感じです。
既に未来を経験したのならね
存在確率100パーセントというのは特異点です どんな物質も到達できません。存在座標の確定値を計測するには、無限大のエネルギーを物質に当てる必要があります
>>705 以前のスレ227で反論した内容と似ていますがw(1+1は必ずしも2ではない、云々)
知的生命体において
>>507 が成り立つという考えの下で、
>そういう意味で「知性が自然を読み解く普遍言語としての数学」は存在する…
に同意します。(一応、反論したままだったので。。。)
蛇足ですが、
スレ230で私がここに来たのは228からと言いましたが、正しくは227からでした。
スレ227の666、スレ228の667、スレ229の795なんかが私です。
718 :
712 :2014/04/29(火) 23:59:19.34 0
>>713 そうですね、確かに私たちには現世界しか経験することは不可能です
スティーヴン・ホーキングの提案した宇宙ホログラム説、つまり私たちが体験する
3次元宇宙は2次元における情報をホログラムのように投影したものかもしれない
という説が正しいならば平行宇宙も存在するのではないかと思うのですが、
みなさんは支持しますか?
数学が自然力として原因と結果に介入するのかね? そういう面では人間の物差しに分類されるだろう。(乱暴に言えば)
>>718 平行宇宙ってなんですか?
そんな漠然としたわけのわからんものの存否なんて、
UFOは存在するかもしれないっていわれるのとあまり変わらない気がします。
なにしろ世界は想像も付かないやり手ですから何があっても驚きません。 存在自体がもっとも驚嘆の念を起こさせますまらね。
存在自体を「ああこれはどうってことはないものだったんだな」と言えることが 哲学の最終目標の一つなんだと思いますよ。
平行世界のことなんか考えてもしゃーないやんか なんせ「平行」なんだからw
724 :
712 :2014/04/30(水) 00:18:45.42 0
>>720 平行宇宙とは、簡単に言うと量子力学の波動関数において、全ての解に対応した世界が存在するという考え方です
>>723 平行宇宙は実験で観測できないので、哲学の分野の人に意見を聞いてみたいと思いました
>>724 うん、よくわからんが、とりあえず、波動関数っていうか、そもそも、
関数というのが、どういうものなのかってことからやったがいいかもしれん。
あと、幾何学っていうか、算数もね(これは冗談だけど、平行だと交わらんね)。
>>725 言い方が悪かったですね、それぞれの解に対応する世界があるという意味です
すみません
>>712 もしかしたら、量子というもの、物質というもの自体が存在しないのかなと思ったよ
物質が存在しないのであれば、いくらにでも分裂できる
>>727 その考えたは鋭いと思います。
ある空間領域、つまり物質のもつ情報量は3次元の容積でなく2次元の表面積で決まることから
宇宙ホログラム説が構築されていますので
スレチになりますので、そろそろ撤退しますね
>>728 おう!またな!
音は波、光は波、電波は波、電子は波、
原子は波、水は波、物質は波
全てが、波の振動の数の違いに過ぎないんだろう。
人間が存在すると信じた「物質」は存在しないんだろう。と俺は思ってる
>>728 量子デコヒーレンスの名前を
>>543 で出したんで、
多世界解釈について調べていたのですが、よく分からず。。。
何もレスできずに申し訳ないです。。。
>>728 なるほど、適当にぐぐってみたがさっぱりわからん。
ホログラフィック宇宙論での並行宇宙ってのは、我々が3次元として知覚
している宇宙ではなくて、2次元上に記述された別の宇宙ってこと?
それは・・・、いや適当な事を言うのはやめとく。
またね。
確固たる観念て何? 観念というのは、(主観による)想起された表象です。 あなたは、「人によって(むしろ主観によって)世界の在り方が違う」ということを認めますか? 立ち位置も考え方も、勿論世界の捉え方も人それぞれであるのは、経験的に正しい。 では、どれが正しくてどれが誤りでしょうか? というか、そこに正誤など無いのではないか? 「様々な世界観が在る」という事実しかないでしょ。 現実世界(自然世界)はただ一つな筈なのに、それを捉える主観は、全てバラバラな観念世界となっている。 自分の世界観は正しくて、君のは間違っている、とかいうのはね、自分は現実世界を正しく捉えているという妄想に過ぎないのだよ。
というのも妄想にすぎないよーんイエーイ
>>609 あなたは「意味」について考えた事があるかい?
A=Aというトートロジーに意味は無いでしょう?
A=Bだと「見做す」事で意味が発生する。
とするならばだ、当然ながら自然の対象についても同じことがいえる。
対象Xを、例えば机だとかDESKだと見做す事で意味を生んでいるでしょ?
では、意味をあえて創らないならば、それはそれであり、意味のないトートロジーとなる。
これは、境界無き有とも関係し、境界無き有とも自然世界とも言えない何かとなるので、これでは何も論述出来ないのです。
ある意味、何も考えないのがあるがままの自然世界なのかもしれない。
あなたが、全ては物質である、などと論述するためには、そのような意味を創出せねばならず、それが観念であることに疑いの余地はない。
つまり、私が言うところのパーソナルデータだのインフォメーションが自然世界に属している、というのは、観念であると同時に、自然世界に意味を与えているのである。
また、そうせねば、世界は論述出来ないのです。
A=B=A=B=A=... 現実という錯覚ですね
>>613 勝手に世界を分けたんじゃなくて、発生したことで分断されたんだよ。
自然世界は、観念世界を内包することとなったのです。(これもフラクタル構造)
>>629 を読んでみたが、「われわれの知覚とは独立の世界がある」という独立性テーゼを捨てない観念論というのが私のようだね。
知覚している世界は観念世界であり、それは自然世界より発生したから、観念世界が消えても自然世界は消えないっていう、比較的当たり前な物言いなんだがね。
あなたは、主観も観念世界も無いという立場なのかな?
>>622 多分、観念論という言葉の概念に齟齬があるように思われる。
観念的にしか使えないから観念を超越出来ないといってるだけだから、観念しか存在しないという意味ではないのだよ。
むしろ、自然世界(エネルギー、物質的なもの)が観念世界を内包することで(自然世界を優位的存在とすることで)独我論的観念論を乗り越えようという試みなのです。
勿論、乗り越えるためには、見做すという「信仰」が絶対条件となるのだが。
>>660 私も「観念は幻想である」という立場であって、観念世界は存在するが、実在はあくまで自然世界なのです。
一般的な観念論者は、観念世界を実在と言うのでしょう?
先日の主張は、存在と実在についてまず考えなければごちゃごちゃになるって事。
もう一度言うが、プラトンのいうイデア界と、私のいう観念世界は全く違います。
「世界は私の表象である」といったような、主観により制約され、かつ、主観によって構築(想起)された世界といった意味です。
>>712 特に矛盾は無い、というだけの物語ですね。
個人的にはパイロット解釈を採用しているように、様々な「矛盾無き解釈」が在る、ってだけの話なのに、そのうちの一つを「矛盾が無いから正しい」とするのは早計である、とだけ述べさせていただく。
パイロット説の根源にある「隠れた変数説」は既に否定されつつあって最早時代遅れの産物っすよ
>>739 意味不明な単語の羅列をするのはやめてくれないか?
>>738 文章を書くならばまず読み直してください。
もしかして単語の意味など理解せずに使っているのですか?
743 :
黄檗 :2014/04/30(水) 06:56:03.84 0
>>734 意味というのはな
『言葉と世界との結合』が複数の人間によって互いに不都合の無いように
了解されることだ。
意味を敢えて作らないなら自然には境界が無くなる、なんてのは
ただの知的無能宣言というだけだ。
「境界無き有」党でも作って、みんなでアホになってれば良い
しかし酸素の意味を知るまで、貴方の身体は窒素と酸素の区別もなく
ごっちゃにしてカオスを体内に取り入れていたのか?
そんな人間を支えるために身体は頑張ってるのだろうな。
東西南北くんも貴方も、似たようなどつぼに嵌ってるが、
観念が勝手に何かを「みなせる」わけではない。
みなせるにはみなせるだけの理由がもともとあるからみなせるのだ
>>736 フラクタルにもいろいろあるだろう
その気があるなら、貴方のフラクタルの中身を
披露してみるのも良いでしょう。
744 :
考える名無しさん :2014/04/30(水) 07:21:23.77 0
いのちさん確変中 素晴らしい
観念世界が消えたら自然世界の模様は消えるでしょう 自然世界の模様の存在理由が無くなるのですから 意識が脳に依存するように、模様は意識に依存する
>みなせるにはみなせるだけの理由がもともとあるからみなせるのだ 同様に、みなしがもともとあるから理由が存在できるのではないか
>>743 観念論だろうが唯物論だろうが結構なんだけどこの人は論理自体が破綻してるから困る。
意味が生まれる前から「人間を支えるために頑張っている」システムは存在するだろ。普通に。
意味を作るから生物的に優れてるとか劣ってるとかもないしね。人間なんてたかだか数百万年、ゴキ様は何億も生きてるわけだから。
運動方程式みたいな便利なみなし、フェルマーの最終定理みたいな難解で常人にはとてもみなせないものもあるし、血液型と性格の因果関係について眉唾のみなしもある。
それらを発生させるのは理由ではなく、物質の作用である。
キリンが首が長くなったのは高い木の葉っぱを食べる「為」ではない。高い木の葉っぱを食べられる変な動物が生き残ったという結果でしかない。意味も理由も後で俺らがみなすもの。
しかもそれが正しいかはどこまで言っても確率論的な主観から逃れられない。
進化論は破綻している。体重100トンの恐竜は物理的に一歩も歩けない 人間とゴキブリはほぼ同時に発生した
進化論と恐竜の一般的に考えられている生態は関係ないけどね。
751 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/30(水) 22:12:48.69 0
>>749 キリスト教の方が破綻しているのであって、進化論は現代においても地球の
各地で発見されている巨大恐竜の化石等の様々な証拠で補強される一方です。
キリスト教は「聖書なんて寓話に決まってるじゃないか」という風に基本的
態度を変更しないと「愚かで貧しい人々の相互慰安集団」になるだけでしょう。
それとは関係ありませんが、戸田山氏の『哲学入門』では309ページ
「量子力学の確率的法則は自由意志の助けになるか?」において、
「(仮に)私たちは量子サイコロを持っていてそれを振りながら行為しているとしよう」
とした前提に立っても「私が何をするか偶然に任されていたことになる」わけで、
「偶然に任されて行われた行為は自由意志による行為と言えるだろうか?」と
問題を一蹴しております。
もちろん「脳内に量子サイコロがあり、それに従って行為が行われている」という
こと自体、思考実験にすぎませんが、そういう状況においてさえ「自由意志」の
根拠として「量子力学的不確定性」を理由に持ち出すのは論理の体をなさないという説明です。
判りやすいので、ご紹介しておきます。(これは「第2の理由」で、「第1の理由」は私が以前
からご説明しているように「ミクロの世界の不確定性はマクロ(では相殺されて)に結びつかない」
…というものです。)
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
第1の理由とやらが真ならば第2の理由は完全に蛇足ではないか そのような蛇足を持ち出すこと自体、第1の理由に確信を持っていない証左
偶然というのは「意図せずに」くらいの意味しかないよね。
>>753 「偶然」と「必然」は対立概念なんだから
そんなに簡単に処理してはいかんだろ
755 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/04/30(水) 23:31:41.18 0
>>753 「意図せずに行った行為」も「自由意志に基づいた行為」ならば、
そもそも「自由意志」ってなに?…ということでしょう。
私は「無意識のユニットが(多数決様の方式で)決定した行為」
を「あとからエピソード記憶するために整列させた表象」が「自我
(意識)」に他ならない(だからリベットの観測した「意識が無意識に
遅延する」現象が存在する)と、以前からご説明しているとおりです。
本日は就寝させて戴きます。
偶然というのは人間原理から出る表現。 偶然などというものは無い。
機械さん、早く戸田山さんの本を読んでください。 それまでは機械さんはレス禁止にします。
主観的な人間原理を、現象から棚上げして語る態度は一体なんなんだろうね。
>>751 質問が2つあります。
1つ目は
>「ミクロの世界の不確定性はマクロ(では相殺されて)に結びつかない」
についてですが、この相殺という言葉の意味はそのまま差引きゼロになる、
マクロの世界には全く影響を与えない、ということでしょうか。
その理由としては、不確定性は観測の問題や我々の無知などによるもので
本当は確定している、ということでしょうか、それともミクロの世界では
揺らぎが発生しても、複数の量子間で打ち消しあうなどしてゼロになって
しまう、というイメージでしょうか。
2つ目は
>「自由意志」の根拠として「量子力学的不確定性」を理由に持ち出すのは…
と言われていますが、これは「自由意志ではないがそのように見えるものの
根拠が量子力学的不確定性である」ということでしょうか。
そうしますと、マクロに結びつかないはずのミクロの不確定性が「自由意志
のようなもの」にどのように関わってくるのでしょうか。
>>751 それ面白いですね。
だとすると、因果論というのは破綻しますよね。
量子の世界と、大きな物質の世界は断絶しているわけですから。
違いますかね?
量子論的プロセスの結果が、結局、この現実なんだということを忘れてしまっているのかな。
762 :
パンの耳 :2014/05/01(木) 00:15:44.94 0
かながわけん って 犬 ちべたんますてぃふ のような気がするんだけど
763 :
考える名無しさん :2014/05/01(木) 00:26:49.13 0
俺が大田区に籍を置きながら、別の市・県に移動するであろう事は 「サイキックC」(沖縄系)に予言されていた。2chの文脈におけるサイキックCの登場は、これが初めてである。
764 :
考える名無しさん :2014/05/01(木) 01:34:21.44 0
機械も天敵が消えたから雑魚相手でつまらなくなったな
天敵ってまさか860とかいう無自覚バカのことじゃないよね?
766 :
考える名無しさん :2014/05/01(木) 02:03:06.05 0
おいおい自分よりも優秀な人間にひがんでバカはないだろう 860は優秀だったな
860さんどこいったんだろうね。
てか、
>>629 の戸田山先生の文章は、機械さんの主張に対する
強力な反論を含むような気もするんだけど、当の機械さんが
自覚してるかどうかは別としても、そこに書いてることを
ほぼ肯定してしまってるようなことを言っちゃったから、
最早、機械的唯物論も決定論も固くは維持できてない状況?なのかな。
860って最初は理系分野のことも偉そうに語ってたけど 後半はさっぱり触らなくなったでしょ。何故だろうね?
そりゃあ、超弦理論だのホログラフィック宇宙論だの出てきたら、 どうしようもないんじゃない? 俺なんか、高校物理もおぼろげなんで、光波って縦波だっけ、横波だっけ とか、ググりながら、量子力学にアプローチしていこうとしてんのに。 いつになったら、シュレディンガーさんの方程式にたどり着くのかって感じだよ。
770 :
考える名無しさん :2014/05/01(木) 02:41:43.33 0
うるせぇブタ!
酷い言われようだな。 実際、量子の世界における不確定性が意味するところに関しては、 誰かが、バシッと言っちゃったほうが良いよ。 不定期に同じような話題が出ては、なんとも居心地の悪い未消化な 感じで終息しちゃってる気がするもん。
>>767 日本語をちゃんと読めてない奴が多すぎるだけだよ。
機械氏の表現が悪いわけじゃない。
ちゃんと「こんな極端な思考実験さえしても」って最大譲歩した上での
思考実験だってことを断ってるのに、アホな質問する鉄とかいう奴がいる。
まあ、860も同じレベルかそれ以下だったけど。
とにかく、脳内で量子サイコロなんて無いなんて常識だから思考実験に
すぎないことは当然なことだけど、そんなことまで親切にもわざわざ断っている。
脳内に量子コンパスを持つ鳥は実在するっぽいんだけな
バシッと言われて納得できるほどの素養があんのかよ
単なる磁石を量子コンパスだってさw
>>772 >>629 の文献を読んだ?
俺は、ざっとしか読んでないんで誤読してるところは多いかもしれんが、
少なくとも、そこでは、物理主義みたいなものは、結果としてその目的が
真理の探求足り得ないことになりかねないので、そんな壮大なもんじゃなくて、
単に、これが自然現象だといえるようなモデル(実在により近い類似したモデル)を作って、
予測したりコントロールしたり出来たりすることで納得しとこうっていう、
そういう意味では、科学なんてこんなもんですよって感じの内容よ。
みたとこ、存在論に重きをおいているというより、むしろ認識論的な限界を問題にしてる
ような気がせんでもないし。
777 :
考える名無しさん :2014/05/01(木) 16:20:04.93 0
さとり世代は無敵 ゆとりの比じゃないw
そんな言葉あるんだ 知らんかった >この世代は、高度成長期後のモノが十分に行き渡っていた時代に生まれ、物心ついたときにはバブルが崩壊し、 >不況しか知らない。一方で、情報通信技術の進歩と共に、当たり前のようにインターネットに触れてきた。 >このように成熟した時代に多くのネット情報に触れる中で、 >彼らは現実的な将来を見通して悟ったようになり、無駄な努力や衝突を避け、 >過度に期待したり夢を持ったりせず、浪費をしないで合理的に行動するようになったと見られている。 これは強いわ
若く見られるのは素直に嬉しい。 うーん、確かに、ここに俺がいるのは場違いなのかなとは思う。 俺は、この板にいる人ほどさえも哲学に期待したり夢を持ったりしてないもん。 むしろ、どうしようななさそうな閉塞感の中で出てくる生ぐっさい答えしか ないんだろうなと。もちろん、いつかどこかですげーブレイクスルーが 起こるでしょうけど、なーんか、今んとこ、全然無理っぽい空気が流れてる 感があるけどね。 そんな感じだから、機械さんなんか一見、冷徹なリアリストみたいな感じがあるかも だけど、とてもロマンチックに感じる。哲学にロマンなんかたぶんないよ。 自然科学はロマンチックな気がするけど。あえて、哲学周辺でロマンのある学問というと 俺の知ってる中では、政治学なのかなと思う。ほら、政治的、哲学的議論の中に 正義論なんてのがあるでしょ。あれなんかとてもロマンあふれる分野だと思う。 正義を物理主義的な自然主義で解体していくなんて、すげーロマンチックじゃん。 たぶん無理だけど。
780 :
黄檗 :2014/05/01(木) 18:12:15.68 0
>>747 まったくかすりもしない。
カオスの一部に恣意的に(=勝手に、偶然的に)境界を引いて、
それを酸素だと「みなし」たところで、無条件にそれを呼吸することなどできないだろう。
境界を引けないところに境界を引きましたとかほざいても、なーんも始まらない。
境界は引くべきところに引くから、話が始まるのだ。
みなすことで理由が存在する、とか、何を根拠に言っているのかな?
「同様に」とか、何が同様なのかな?
>>748 >意味が生まれる前から「人間を支えるために頑張っている」システムは存在するだろ。
その通りだし、私もそう言っているつもりだが。
ただ、その一文以外は、何を言いたいのか全く分からん。
781 :
なんとなく思った名無しさん :2014/05/01(木) 18:24:03.51 0
かさんかすいそ + すい 今日は木曜だし
>どうしようななさそうな閉塞感の中で出てくる生ぐっさい答えしかないんだろうなと。 現実逃避をすればいい。ゲームに漫画、エロ動画・・・色々揃っています 呼吸する生き物がいないのに酸素という秩序が発生するのかね カオスが偶然、酸素と同じ配列になったとしても、法則による持続性がないとカオスに戻ってしまう 法則は主観ですよ 境界というのは、物質にとっては何の役にも立たない只の模様なのですよ 酸素にせよ何にせよ、物質は生物がいなくなればカオスに戻りたくなる筈 生物が消えた時、法則も消える
783 :
黄檗 :2014/05/01(木) 18:58:58.50 0
ほう 生き物が無ければカオスになるのか 生き物はカオスなのか、それとも秩序なのか
生き物は秩序でしょう 物質に物質由来の秩序があるとするなら、秩序は偶然に発生し持続可能という事になる。又は、物質は意志を持つ、という事になる
785 :
黄檗 :2014/05/01(木) 19:24:59.01 0
随分昔に 「時間はどこで生まれるのか」 という本を読んだことがある。 途中までは非常に面白いのだが、後半からおかしくなる。 その本の結論は、 『時間は意思によって生まれたのだ』と。 では、意思はどうやって生まれたのか。 それは生物の進化とともに生まれたのだ、と ・・・そんな話だった。 なんだそりゃ 進化は時間を前提にした話だろうが。 生物は「いつ」生まれたというのか? 意思、そして生物は「時間を超越した何か」だというのか? この本の著者は、自分のアイデアに説得力を持たせるために、 極微世界の物理モデルは、時間反転に対して対称である話をする。 いやちがうだろう? 事実が時間を前提に組み立てられており モデルとは、事実を説明するための「仮もの」であるのに、 前提を否定ために、モデルを根拠にしてどうするのか。 本末転倒だとは思わなかったのかな。 何年もここに居座って感じるのは、 それをおかしいと思わない人が多い、ということ。 ひょっとしてそっちがまともなのかな。残念ですわ。
786 :
黄檗 :2014/05/01(木) 19:35:04.82 0
>>784 そうか、生き物は秩序なのか。
しかし貴方によれば、「秩序」を決めるのは生き物ではないのか?
最初の生き物が生まれるときには、カオスから生まれたのか?
しかし貴方によれば、「物質はカオスに戻ろうとする」のだろう?
どうして秩序が自然発生する?
物質由来の秩序?
貴方にとっても、それは「あり」なのか?
まだ生き物が居ない、のにか?
秩序が偶然に発生する?
生き物が居ないのに、ある状態が「秩序」となることを、誰がどうやって決める?
いちいちひっくり返ってんだよ。
788 :
黄檗 :2014/05/01(木) 19:46:34.89 0
私はここでは中卒を自称しているが 夢の中では材料工学を専攻していた。 金属結晶の中は静止してはいない。いつも動いている。 動きながらも秩序を維持している。 これは「意思」によるのか?冗談でしょ。 意思の大安売りも、いい加減にしてはどうだろうか。
789 :
黄檗 :2014/05/01(木) 19:47:46.34 0
>>788 >動きながらも秩序を維持している。
それは本当に秩序を維持しているのかね?
してないよ
>>789 えーどうなんだろう
話読んでる感じではまず一個、勿論その先には新たなレイヤーが
と思った
例えば、時間 我々が知る時の進みとは(相対論はあるにしても)未来に向かって常に一定なわけだけど 仮に世界様がとち狂って時の進み方を振動させてみたらどうなるか? 我々の知る世界に変化は起こるのだろうか?
最初の生き物は、カオスが一瞬だけ配列を形成した「神」であり、 神はカオスに戻るまでの一瞬に、宇宙の開始から終了までの全てを決定した という事で辻褄が合うのではないか
795 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:26:27.39 0
>>890 例えばな
炭素鋼は鉄と炭素の合金だ。
高温では面心立法構造のオーステナイト
炭素は鉄の結晶の間に「固溶」していて相を作らない。
しかし723℃以下に冷却されると、炭素は集まって
セメンタイトの相を作る。
その結果、鉄の結晶はまだらの模様になるんだよ、パーライトと言ってな。
そうなる理由は、合理的に説明できる。
大事なのは、この模様は、「現実の模様」だってことだ。
空想の世界でフラクタルがどうの、模様がどうのと、
根無し草の栽培に精を出してるのを見るとな、
ちゃんちゃらおかしいわけよ。
796 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:31:07.52 0
>>790 例えばな
炭素鋼は鉄と炭素の合金だ。
高温では面心立方構造のオーステナイト。
このとき炭素は鉄の結晶の間に「固溶」していて相を作らない。
しかし723℃以下に冷却されると鉄は体心立方のフェライトとなる。
炭素は移動してセメンタイトの相を形成する。
その結果、鉄の結晶はフェライトとセメンタイトが交互に層をなして
まだらの模様になるんだよ、パーライトと言ってな。
そうなる理由は、合理的に説明される。
大事なのは、この模様は、「現実の模様」だってことだ。
空想の世界でフラクタルがどうの、模様がどうのと、
根無し草の栽培に精を出してるのを見るとな、
ちゃんちゃらおかしいわけよ。
最近の若者を感心させるには、超科学の特殊金属で作られたロンギヌスの槍くらい出さないといかんよ
>>796 もちろん、いのち君とかは論外だけどw
その合理的な説明とやらに「例外」が発生したとしても
その例外もいずれ合理に組み込むわけでしょう?
799 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:34:38.06 0
>>794 例えばな
炭素鋼は鉄と炭素の合金だ。
高温では面心立方構造のオーステナイト。
このとき炭素は鉄の結晶の間に「固溶」していて相を作らない。
しかし723℃以下に冷却されると鉄は体心立方のフェライトとなる。
炭素は移動してセメンタイトの相を形成する。
その結果、鉄の結晶はフェライトとセメンタイトが交互に層をなして
まだらの模様になるんだよ、パーライトと言ってな。
そうなる理由は、合理的に説明される。
大事なのは、この模様は、「現実の模様」だってことだ。
空想の世界でフラクタルがどうの、模様がどうのと、
根無し草の栽培に精を出してるのを見るとな、
ちゃんちゃらおかしいわけよ。
800 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:35:32.36 0
>>792 空想は無限だってことだろ。
>>794 特定の配列は無条件に秩序であり、生物なのか?
そうであるなら、秩序とは配列のことであって
生き物が居る居ないに関わらず、「ある」わけだな。
801 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:39:00.74 0
>>798 どうかな
具体的に例を挙げてもらえると、話が膨らむのではないかな。
神という生物は特殊な例外ですから 秩序とは配列の規則が維持される事でしょう
>>801 溶鉱炉の温度とそこからの光のスペクトルの相関を古典物理で説明しようとしたとき
とかどうですかな?
804 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:48:00.99 0
>>802 神も大変だな
その神は、「無制限の合理的能力を持つ神」なのか
それとも「考え得るいかなる不合理も、それをそのまま合理としてしまうことのできる神」なのか?
神は悲しみやわびさびも知っているのだろう 粋な神だよ
806 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:52:14.22 0
>>803 ああ、なるほどね。
合理の限界は確かに見えないね
807 :
黄檗 :2014/05/01(木) 20:58:23.47 0
神がわびさびを知っていてもいいだろうな。 わりと様式を伴っているのじゃないか?わびとかさびとか。 しかし「混沌を“そのまま”秩序としてしまうようなことができる神」について語ることに いかなる意味があるのだろうな。
秩序も錯覚の一種なので
809 :
黄檗 :2014/05/01(木) 21:10:43.89 0
>>808 しかしな
錯覚の仕方に秩序があるわけだろう?
>>806 あなたの言う「論理」は因果律の「律」だと思うのですよ。あるいは因果律そのものかもしれない
論証自体が不可能な、そうなっているからそうとしか言えないような代物
811 :
黄檗 :2014/05/01(木) 21:16:14.54 0
しやから、
>>629 の科学実在論論争のところを読みなよ。
秩序は錯覚とかその辺の話に関係することが書かれてるから。
佚さんくらいじゃん、それなりに読んでくれてるの。
そんで、ファン・フラーセンとかについて調べてらっしゃるみたいよ。
このままじゃ、この辺りの理屈について完全に佚さんにおいてかれちゃうよ。
錯覚の仕方に秩序という錯覚があるわけでしょう 錯視の前提の図形自体が錯覚です。錯覚に高次低次があると考えればよいのでは
814 :
黄檗 :2014/05/01(木) 21:23:46.80 0
>>810 ああ、まあそうです。
その自覚はあるのです。
しかし私は最近、デネットなんかに毒されてきて
直観によって「そうであることに理由が無い(≒先験的)」「そうとしか思えない」
と無条件に判断することは、直観の横暴ではないのか、
と思うようになったんです。
直観よりも、事実を優先して、直観を修正していくのが
より「ましな」方向となるのではないのかしら、と思っているわけです。
815 :
黄檗 :2014/05/01(木) 21:27:49.31 0
>>812 人格者の佚さんに任せます
>>813 そうなると何がどう錯覚なのかもう分からない。
なぜ貴方は、高次元の錯覚があると思います?
もしくは、どうしてそれがあったほうが良いと思います?
あまり奥深くは知らない方がいいんだよ 物質に人格者はいないのだから
817 :
黄檗 :2014/05/01(木) 21:34:09.29 0
いてもいい
君が語る事実は楽観に偏っている 君のような性格の人は、事実よりも理想に生きた方がいい
819 :
黄檗 :2014/05/01(木) 21:58:15.87 0
820 :
考える名無しさん :2014/05/01(木) 22:03:32.80 0
ぬるいな 湯冷めしそうだ
821 :
黄檗 :2014/05/01(木) 22:08:27.82 0
消えますわ
いや、消えないでくださいよ。コテの人はただでさえ貴重なのに。 消えるなら、私のほうが消えますよ。場違いな感じがしてますし。
もう寝るってことでしょ
オナホタイムですよ
825 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/01(木) 23:46:56.34 0
>>776 >そういう意味では、科学なんてこんなもんですよって感じの内容よ。
まあ、色々な解釈というか読み方がると思いますが、戸田山氏の『哲学入門』は
読む価値があると思いますよ。
まったく逆に、「科学」の視点から見て「哲学(観念論)」なんてこんなもんですよって感じの内容です。
最後の第7章「道徳」で最初の方ではデネットの論に多くを割いておりますが、途中から
出てくる「ハード決定論もしくはハード非両立論という立場を取る」として紹介
されているテッド・ホンデリック、ソール・スミランスキ、ゲイレン・ストローソン
という現存の哲学者?の名前は正直私も知りませんでした。(戸田山氏はひとこと
「しらないでしょ。」と得意げに紹介しております)
その中の「代表格」とされるダーク・ペレブームという方が2001年に書いたという
『自由意志なしで生きる』の解説から始まるこの最終章は私がかねがね考えてきた
ことを先に本に書かれてしまっていたのだという感慨をもたらしてくれました。
結局、戸田山氏はデネットを超えて、これらの「ハード決定論もしくはハード
非両立論という立場」を支持しているようで、その点で私とは全く同じ立場となります。
しかしながら、当然ながらやはり先に勉強して本を書いておくべきだった…と今日は
思ったわけですが、まあ2001年といえばこのスレッドを立ち上げた前後ですから、オリジナ
リティを主張するのは無理でしょうね。やはり世界は広いなと思った次第です。
826 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/01(木) 23:49:36.71 0
>>779 >正義を物理主義的な自然主義で解体していくなんて、すげーロマンチックじゃん。
>たぶん無理だけど。
上記戸田山氏の『哲学入門』の最終章(第7章)「道徳」で、刑罰の正当性に関する
深い考察(といってもペレブームのそれみたいですが)が紹介されており、法学部の
院生でも書けないような刑罰論が展開されており非常に面白いと思います。
なお「むすびにかえて」で「人生の意義」を真正面から述べているところは「さすが
哲学者」だと思わせるものがあり、非常に共感いたしました。
細かい用語の違いは多々ありますが、戸田山氏のこの著は私の「機械的唯物論」を
日本語で体系化してくれている…というような感もあり、皆様にお勧めできる良書
であるとともに、たぶん「21世紀の初頭に最初に真理を言い当てた哲学書」として
古典となるものであると考えます。
まあ同じ文系脳同士共感したんだろうね。良かったね
828 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/02(金) 00:13:29.31 0
>>827 「科学哲学会会長」が文系脳ですか?
まあ結構ですが、あなたが第3章「情報」について数式を含めて隅から隅まで
理解される日はたぶん来ないでしょうね。私も「エキヴォケーション」に関する
数式主体の解説は難しくてパスしましたが、戸田山氏も「数学カモン!!の読者
なら読んでね」…という部分ですので、まあ「結局のところ単純な結論」を信用
してもOKな部分なんだと思います。…「理系」を誇っていらっしゃるなら、
その部分(p.172〜181)に欠缺があればご指摘をお願いします。まあ、
「大勢に影響はない」と思いますが…。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
そんな荒ぶるんなよww 肩書きは誤魔化せても学歴は誤魔化せないよ 理系の素養があれば哲学科になど行かない
いや、あの本、真っ当ではないけど、一応入門書ではあるという 位置づけで、そういうレビューばっかりなんだけど。 ごくまれに、いかにもわかりやすそうな体裁で書いてるけど、 こんなん入門本じゃねーよ、門前払い本だろうってのもあるけど。 というか、たった1冊のそれも入門本に傾倒しすぎでしょう。 確かに、ある種の学問において、原体験となる1冊の本があって、 何度も読み返してるっていうのは、良く聞く話だけど (ちなみに何故か俺にはない、ちょっとさみしい)、それも単なる原体験 としての特別な部分が大いにあるし。 それに、機械さんが言ってることと、戸田山先生が言ってることが同じだとは、 全然思えないんだけど。だって、戸田山先生の言ってることは、なるほどそういう 落とし所になるでしょうねって感じで非常に座りが良いんだもん。 なんていうか、おんなじような感想を持ってるんだねってくらいに大雑把には 似てるかもしれんけど、学者だし、わかりやすく説得力のあるような文章を書いてる だろうから(入門書だしね)、それでなるほどと思って、私の意見と同じだ、なんてのは、 ぼやっとし過ぎじゃないですか? それやっちゃうと、おおまかな方向性は同じだけど、実は中ではとても強烈な対立があるような 理論だったとしても、どっちも機械さんの意見と同じだとかそういうことになる気が・・・
831 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/02(金) 00:41:52.72 0
>>830 あまりに基本的な事項なので、指摘するまでもないことなのですが、
批判するなら「この部分のここについて(機械的唯物論と)こう
異なる」という具体的な指摘が必要だと思いますよ。
「レビューをこれだけ沢山読んだから解ったはずだ」と思い込み、
『本そのもの』を一行も読まないで論評するという態度は「論外」です。
本日は就寝させて戴きます。
自分は感想文しか書いてないくせに、よく言うw
>>828 それにですね機械さん。
件の
>>629 の文献では、戸田山先生は、存在論的自然主義における
物理的な存在(実在)は、今、我々が頭のなかで考えてる最良のモデル
としてのアイテムに構造的によく似てるものだけなんだってしても
いいじゃんって言ってるんですよ。それって、機械さんのスタンスと
親和的なんですかね。
それって、要するに物理的な存在なんて言っても実はそれは頭のなかで
考えだされたモデルと合致する範囲で存在してることにしちゃってるだけだよね、
ってことと、ほぼ同じじゃないですか。
834 :
考える名無しさん :2014/05/02(金) 01:39:46.97 0
>>743 >みなせるだけの理由がもともとあるからみなせる。
境界・区別は認識によらずもともとあるという主張で良いのか?
みなせるだけの差異はそりゃあるさ。
そのような差異・濃淡を模様と呼んでるのだし。
しかしな、みなすというのは、世界からそれを切り取ってるって事だ。
で、そのような断絶は無いと言っているのだよ。
まぁでも、反対意見の主張も聞いておかないとな。
とりあえず川と海の境界線は何処なのか是非教えてくれ。
あと、自他の境界線もね。
世界が繋がっているのか断絶があるのか、そこを問題にしているのに、「酸素の意味を知るまで〜」などと得意気にされてもな。
もし、断絶があるならば、一元論とはならず、断絶がないならば一元論となる。 それにしても、哲学的には主観と客観の境界を問題にするのであってな、客観の内に更なる境界があるとする人はあまりいないような気がするがね。 観念世界とはね、主観の内に在る客観のこと。 で、意識、特に観念が起こる以前の探求が禅であり三昧であるわけだ。
837 :
黄檗 :2014/05/02(金) 07:08:14.85 0
>>835 なんだ?
貴方の言う「実在」「有とすら言えない自然世界」にある
パーソナルデータやらインフォメーションやらってのは
現実の認識可能な差異、濃淡なのか?
ああ、じゃあまあ別に面白くもなんともないふつーのことだな。
存在と実在の違いはどこかにすっとんだようだが。
川も海も、名指しができる状況はあるだろうな。
境界が引けるかどうかは知らん。
引けるのか?
自他の境界?
あるのか、そんなもん?
「境界、区別がもとからある」とか、私はそんな主張をしてませんよ。
してると思ったか?な?な?
わたしはな
なんでもかんでも勝手に「みなした」からって、どうなるものでもない。
そう言っているだけだ
>>837 存在と実在の違いがわからんのか。
主観による観念世界にあるもの、これが存在だ。
それら観念を発生させるもの(及び発生させ得るもの)、これが実在だ。
839 :
黄檗 :2014/05/02(金) 07:19:05.66 0
840 :
黄檗 :2014/05/02(金) 07:23:27.42 0
仕事いくわ
>>837 あなたは、「境界を引けるだけの理由があるから境界を引けるのだ」と宣ったでしょうwww
これはもとから境界があるという意味なのか、みなせる可能性がもとからあるってだけなのかどっちだい?
「主観が境界を創出している」
これが真か偽かっちゅう話をしていてな、真ならば一元論だし自然に境界はない、偽ならば多元論だし自然に断絶があると。
>>839 その通り。
濃淡も差異もパーソナルデータもインフォメーションも観念の内に在る。
勿論、唯物論者の言う物質もだ。
人は観念を超越することは出来ないのだ。
だからこそ、自然世界と対応させるために、人は見做す。
で、対応させた世界のモデルが完全に整合
するならば、それを真理と呼べるんでないかな。
? 観念は自然界の現象だと思うんですが
844 :
考える名無しさん :2014/05/02(金) 08:56:55.04 0
だから、その「自然界」も観念なのです。 で、そこからどう脱するかが哲学的課題なのです。 はじめに物質ありき、すべては物質、などというのは観念論の極み、クソ観念論。
845 :
考える名無しさん :2014/05/02(金) 11:01:05.03 0
観念から解脱ということは無の境地? もっとお手軽なのはないの?
>>844 お、珍しく理解できてる方がいますね。
まぁでも物質でも良いのですよ。
うまく整合しているならね。
でも、そのためには「観念も物質である」と言わねばならない。
ゲーム氏が言及していたように、クオリアも物質であると言わねばならない。
幻想とするのは良いけど、全く存在しないとは言えない。
というか、観念しか存在していない事実に唯物論者が気づいていない。
※ここでいう観念とは、想起している表象・存在者を意味する。
847 :
あまの :2014/05/02(金) 14:26:22.85 0
氷川は「オトコに興味ある?」 「ねえ、モノは大きいの? ムケてるの?」「オナニーは何で抜くの?」 「サオが大きい方がいいよねえ」と元マネジャーに日常的にささやくなど “セクハラ”行為に 及んでいたという。
849 :
あまの :2014/05/02(金) 14:59:15.34 0
そもそも、部屋に篭ってオナニーするなんて不健康。 男のオナニーはもっと豪快で健康的でなければいけない。 誰もいない海岸で、海に向かって仁王立ちし豪快に 「天上天下唯我独尊、天上天下唯我独尊」と大声で叫びながら 朝日に向かって放出する。 「俺は太陽を犯したぜ。あっははははっ」 って言いながら、天下を手中に収めた気分になって満足する。 これが正しい男のオナニーだ。 もちろん、人には見つかるなよ♪
>>847 法学系の俺から見ると、それ名誉毀損。注意したほうが良いよ。
といっても、コテハンの名誉が保護法益になるんだったら、
あまのさんに対する名誉毀損の方が、甚だしいような気がするんで、
アレなんだけどね。
うまく整合させると、人間とゴキブリと宇宙は同時に発生したという事になる 観念を持っているのは高等生物だけだろうからね
>>825 「自由意志なしで生きる」の代わりに
「決定論-脳は物質だから意識は必然に過ぎない-」
だったかもしれなかった、と思っている訳ですか。
唯物論と因果律から帰結するタイプの固い決定論
はありふれたものです。思想ではなく科学、観念ではなく物質、
アイデア帳レベルなら誰でも考えつく事なんです。
唯物論から自己・自由意志・意識を消去する、という一文の中の飛躍を
どのようにして埋めるか、そこにどこまでの論点を織り込んでいるか、
それが現実をどれほどよく説明できているか。
それが哲学理論の強度であり、言わば知性のオリジナリティでもある訳です。
そういう意味では十数年経った今でもあなたの思想に大してオリジナリティはありません。
科学主義と受動意識仮説にモギケンか何かのクオリア(主観)を埋め込んだつぎはぎ理論です。
つぎはぎというのは、関係ない理論の組み合わせでしかも「平仄が取れていない」という意味です。
矛盾が無ければ何でも掛け合わせるから、平気でリベットの実験の0.5秒を
「エピソード記憶のための表象としての自己が描き出される時間」
なんて定義してしまえるんですよ。勝手に。
「ありそうでなさそうでやっぱりあるもの」 を唯物論に埋め込んで、消去するか、実在とするか。 その違いについては留意するべきだと思います。 言うまでもなく機械さんは前者。「哲学入門」の戸田山は中道。 それが「どのようにある」かという問いとは別に、 「やっぱりある」というのはまず一つの結論であり、 そこで(安易な)還元主義を取り出したりはしない訳です。 (還元主義を採らない「固い決定論」であれば、それはレトリックとも思いますが。) 機械さんのいたく感動している道徳論についても、 自由意志と道徳を一緒くたにした片手落ちの議論でしょう。 「自由意志と関係なく行為の善悪は成り立つ、から自由意志は存在しなくていい。」 後半は飛躍です。行為の善悪と意図の有無は必然的に結びつく訳ではない。 殺「意」が無くても人は殺せるし、人を殺すのは良くない行為だ…程度の話です。 「「道徳的に」自由意志は存在しなくていい」という限定付きなら分かりますよ。 おそらく戸田山にもそういう意図はあると思いますが。
854 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/02(金) 23:35:24.10 0
>>852 >>853 アンチテーゼだけは得意だと自認されている860さん、お久しぶりです。
相変わらずで安心致しました。
それで、これも「アンチテーゼだけ」という「御説」の必然的帰結なのでしょうか
「おっしゃっりたいことが結局何なの?」という肝心のところが読み取れません。
戸山田氏についても肯定しているのか?否定しているのか?単なる「印象」を述べて
いるだけのようにも読めますし、「この部分をこう主張するのはこれこれの理由に
より間違いである」…という「具体的な書き方」をしていただかないと、「単なる
小学生の不快感の表出」にしか見えないのです。
とにかく「わざと解りにくく書く」という観念論哲学の伝統的方法だけは忠実に
なぞっておられますが、「オレに言わせれば、そうんなもん大したことないんだもんね
だって、ぐじゅぐじゅはグジュグジュだろ。そんなことオレはとっくに解っちゃってる
からごにょごにょはゴニョゴニョだ」…という「訳の判らないケチ付け能力」
を磨くことが「哲学」だと勘違いしておられるならそれは大きな間違いですよ。
…まあそういう手法でかろうじて「自尊心」を維持している「観念論者」が多いことは
知っておりますが、「根本的世界観」がひっくり返されることをそういった「自己欺瞞」
で乗り切ろうとしても(
>>1 で申し上げているように)「徒労」だと思いますよ。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
チンコをしごいているときに不意に部屋に入ってきた母親にでさえ 「毎日の献立考えるの大変だよね。ありがとう。」 とオナニー中であっても、人に対する思いやりの心を忘れない。 そんなオナニーこそ真の漢のオナニーなのだよ。
このスレのやりとりって面白いですね
いくら絶好のロケーションであってもお前の卑屈さは拭いきれないわ。
まあしかし、還元主義も決定論という素地に支えられているわけだからね。 なんだかね〜。
>>854 「出過ぎた杭」を打っているだけですが、
杭の方からは単なる障害にしか思えないのでしょうか。
>>852 を一言でまとめるならば
「同じ真理に到達し自分を導き得る哲学に出会った」
というあなたの「感動のクオリア」は幻想だということです。
(もちろんあなたの片思いです。)
自然主義(唯物論)の立場と、
経験的で実証的な知識の体系(科学)を信頼できるものとみなす。
ここまでは私もあなたも戸田山さんも同じ。
ただし、唯物論と科学が現状言えもしない部分について、
科学の立場を延長するのがあなた。
(延長分の埋め合わせは科学でなく形而上学ですが。)
哲学の立場が残ると考えているのが戸田山とか860。
ちなみに最後までそれが残るという点で、
あなたの「最終真理」とは決定的に異なります。
これ、「科学という認識」についての戸田山の基本的な態度でして、
気付かずに「私と同じだ」と絶賛しているのは些か読みが足りないのではということです。
「自己」も消去しません。「熟慮するエージェント」は
ハードな決定論の後も残ると言いますからね。
>>859 機械さんはまだ半分程度しか読んでいないと思いますよ
後半の章は拾い読みです
機械さんはちゃんと読んでから書いた方がいいと思うんですけれどね
どちらにしても機械さんと戸田山和久はかなり異なる思想の持ち主ですが
それをどうやって機械さんが辻褄合わせをするのか見ものです
で、自由意志について それを「責任」と強く結び付けて道徳的文脈で語るのが戸田山さん。 「自由意志が無くてもディストピアは現れない」 からと言って、それは自由意志に対する決定的な反論になっていない。 なぜならばそのハードな決定論においても「自己による行為」が成り立つから。 と考えるのが860。 これは真か偽かの二元論で割り切れるほど 単純ではなく、ファジーな議論であり、哲学はそういうものでいい。 ただし自分の理論はある程度体系立てて整合的に語らないとダメだよね。 と考えてるのが戸田山。レベルは違えど860も同じ。 異物感のある概念や理論には聞く耳持たない上に自分のファジーな思考に自覚なく 付和雷同しちゃう(本当はできてない)のが機械さん。 …でいいですか?わかりやすくしました。
862 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/03(土) 00:24:01.77 0
>>859 >ちなみに最後までそれが残るという点で、
>あなたの「最終真理」とは決定的に異なります。
戸田山氏も「最終審理の輪郭」に哲学は到達し(え)ない…と考えている「筈」という
のは単なるあなたの「片思い」だと思いますよ。
>「自己」も消去しません。「熟慮するエージェント」は
> ハードな決定論の後も残ると言いますからね。
当然残りますよ。但し、人間の個体(だけ)が「熟慮するエージェント」で
他の動物は「単なるエージェント」だとどこかで書いていらっしゃるなら戸田山氏の
間違いでしょうが、「どちらも(物質の)エージェントにすぎない」…というのが
彼が「唯物論者」を自ら標榜する所以です。
あなたも茂木氏や前野氏を毛嫌いするだけでなく「大脳生理学」「認知科学」それと
「理論物理学」「宇宙物理学」「進化学」等を少しお読みになったら少しは「真の唯物論」
の理解に近づくことができると思いますよ。
それを理解しなければ「ハードな決定論」の根幹を理解することは不可能です。
残念ながら今のあなたの「シソウ」は「唯物論モドキの観念論」にすぎません。
本日は就寝させて戴きます。
因果の流れの一部に恣意的に「自己による行為」という名札を付けることが出来るだけよね〜。 ま、それを自由と呼ぼうが何だって良いんだよ。 自由という言葉があるから「自由というもの」がある。 偶然という言葉があるから「偶然というもの」がある。 とか、なんだかね〜・
初歩的な道徳主義的誤謬にしか見えん。
>>862 >戸田山氏も「最終審理の輪郭」に哲学は到達し(え)ない…と考えている「筈」という
>のは単なるあなたの「片思い」だと思いますよ。
え、そんなこと考えてもいませんでした。
最終真理がどうとか、そんな問いには答えられません。
> 当然残りますよ。但し、人間の個体(だけ)が「熟慮するエージェント」で
>他の動物は「単なるエージェント」だとどこかで書いていらっしゃるなら戸田山氏の
>間違いでしょうが、「どちらも(物質の)エージェントにすぎない」…というのが
>彼が「唯物論者」を自ら標榜する所以です。
他の動物は「熟慮するエージェント」ではないでしょうね。
(例えばモルモットが「熟慮」しますか。言葉のニュアンスとか空気感はニガテですかね。)
ただし、「熟慮」は単に中枢神経が発達した結果可能になった複雑な情報処理
の一例ですからそこに何ら神秘的な意味はありません。
> あなたも茂木氏や前野氏を毛嫌いするだけでなく「大脳生理学」「認知科学」それと
>「理論物理学」「宇宙物理学」「進化学」等を少しお読みになったら少しは「真の唯物論」
>の理解に近づくことができると思いますよ。
> それを理解しなければ「ハードな決定論」の根幹を理解することは不可能です。
> 残念ながら今のあなたの「シソウ」は「唯物論モドキの観念論」にすぎません。
はい。感想文、ありがとうございました。
(物質の)エージェントって何だ…。
>>863 現に起きている事態を説明したり名前を付けているだけなので。
「自己による行為があるから自由がある」
訳です。論理としては(当然ながら)そうなります。
で自己というのは各個体の脳の持つアルゴリズムです。
いずれも観察可能な物質とその機能についてのお話です。
867 :
「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :2014/05/03(土) 00:38:24.15 0
>>861 >「自由意志が無くてもディストピアは現れない」
ああ、そんなことを重要だとお考えだったのですか?
とても「ハードな決定論」とは言い難いですね。
「ディストピアが現れようがユートピアが現れようがそんなのカンケーネー」
「人類にとってのディストピアの否定なんて目的でも何でもない」…というのが
「ハードな決定論」です。
戸田山氏は「科学哲学会会長」ですからその辺のこと(ディストピアは消去できます)
を最後に強調しておかないと「国民をアナーキズムに駆り立てる相対主義だ」という批判
を浴びる危険が高いことになるので、「ディストピアは現れない」というレトリックに飛び
ついた…ということだと思います。私にはそれは「どちらでもいいこと」です。
私はむしろ「大宇宙の永い歴史に比べれば人類なんてましてや個人なんてとる
に足らない存在である」…という部分に氏の本音が出ているように読みました。
本日は就寝させて戴きます。
となると?自由などというものは結果論的に、状況によって変わりうる条件付で言えるだけということになりますね。 最初から自由があったとは言い難い。
>>867 >>「自由意志が無くてもディストピアは現れない」
>
> ああ、そんなことを重要だとお考えだったのですか?
>とても「ハードな決定論」とは言い難いですね。
>「ディストピアが現れようがユートピアが現れようがそんなのカンケーネー」
>「人類にとってのディストピアの否定なんて目的でも何でもない」…というのが
>「ハードな決定論」です。
はい間違い。
ハードな決定論は決定論と自由意志の両立の否定です。何も読んでないのか。
戸田山もペレブームも
「ディストピアとかユートピアとか自由意志の有無と関係ねー」、
「だから自由意志とか無い」とペレブームは言い、
「だから自由意志とか無くてもいいよね」と戸田山は言います。
> 戸田山氏は「科学哲学会会長」ですからその辺のこと(ディストピアは消去できます)
>を最後に強調しておかないと「国民をアナーキズムに駆り立てる相対主義だ」という批判
>を浴びる危険が高いことになるので、「ディストピアは現れない」というレトリックに飛び
>ついた…ということだと思います。私にはそれは「どちらでもいいこと」です。
> 私はむしろ「大宇宙の永い歴史に比べれば人類なんてましてや個人なんてとる
>に足らない存在である」…という部分に氏の本音が出ているように読みました。
はい。どうも。
>>868 そういう見方もあるかもしれないですね。
受動意識仮説とかはそういう所から自由を解体している。
私は過程の問題だと考えていますが。
結果論的に、あとから「自由の及ぶ範囲」を調整できる。 原理として働くような「自由」は無いといいことだと思います。 偶然や確率も結果論なのであって、「原理として」作用することはないのと同様だと思いますね。
>>871 >結果論的に、あとから「自由の及ぶ範囲」を調整できる。
>原理として働くような「自由」は無いといいことだと思います。
そもそも「自由」って事態の性質でしょう。
それを踏まえて自由という性質が原理的に付随するものではない
というなら確かにそうでしょうね。
結局のところ「考えて自覚的にやっている度合い」で
自由かどうかを判断しているので。少なくとも私は。
>偶然や確率も結果論なのであって、「原理として」作用することはないのと同様だと思いますね。
量子論だと原理でしょうとかいうお決まりの話は置いておいて、
確率って確かに結果論だと思いますが、「原理として作用しない」というと微妙。
人間原理というやつですか。
ただし「人間にとっては必然的」です。
自由という言葉の扱いが難しい たしかに自由が原理だと考えると矛盾するように思うし しかし状態としてならば自由はあるでしょう それを突き詰めていって様々な身体・環境の要素による影響をうけているから 自由はないといのも正しいと思えるけれども それはもう測定すら不可能なことだしね
事態としての自由とはいわば「消極的な自由」「自由感」ですよね。 もちろんそういうものだと思いますよ。 「消極的な自由」「自由感」は決定論になんら抵触しませんからね。
そんなところに落ち着けて自由について語ったことになるのかねぇ
現実、そういう自由でやりくりするしかないではいか。 関係性のネットワークしかないこの物質世界に、「積極的な自由」など微塵でも 介入したら、この物質世界は一瞬で別のものになってしまうかもしれないと想像しますよ。 存在に、存在で無いものが介入できるという事態ですよ。
>>873 扱いが難しい。本当に、今更ですが。そう。
戸田山のいう概念定義としての哲学のシゴト
とはある語、この場合は自由という「論理的原子」の性質を明かす事だと思います。
言い過ぎかな…。
構成主義的にニューロンの働き一つ見て、自由の発生の余地さえ無さそう。
構造主義的に環境の決定的な因果から考えても自由はあり得そうにない。
「ありそうでなさそうでやっぱり…どっちだ?」という事ですね。
>>874 逆に聞きたいんですが
「積極的な自由」とは、
「感じ」でない自由とは、何?
>>876 そこはひっかかるんですよ
「行為の自由」と「思考の自由」は違うでしょう
つまり世界に影響を与えるかどうかという関係性での意味で
別に法学やってる俺も真の自由なんてなかったとしてそんなもんだろうとしか思わん。 問題は、いかなる意思決定プロセスによりいかに行動が制御されているかということで あって、それらが物理現象として決定論的に説明されても、既存の理論が全く維持できなくなる というほどのことでもない。もっと、別のところが問題なんよ。 かといって、全く影響がないというわけでもなく、事実、そういう基礎理論の発展(変化) によって、法理論にも劇的な変化が生じることになるかもしれんけど。
>>878 思考も身体の運動のひとつです。
行為に含まれますよね。
思考と行為を分けるのは社会的な意味合いでしょう。
体の中で最も酸素を消費する器官は脳だそうです。
>>877 戸田山和久は折衷的ですよね
そういう意味ではラジカルではない
戸田山はまず「唯物論者」であることを宣言しますよね
とりあえず「モノ」として世界を説明していくのはわかりやすいですからね
それにそういう努力は重要だとは思いますよ
実際にそういう考え方で科学は成果を出し続けているわけだし
機械さんの問題点は戸田山さんが「俺は折衷なんだよ」といっているのに
絶対論にしてしまっているとこところでしょう
そういう意味では行き過ぎた「実利主義者」なんですよね
「役たっているから、それでいいんだよ」という姿勢は戸田山哲学とは真逆の姿勢です
何回それを指摘しても機械さんはそれが理解できない
たぶんそういうことも860さんは言っているのにそれを読み取れない
そこが機械さんの問題でしょう
戸田山本をそういうようにしか読めないとなると重症ですよ
「自由」が個人に与えられていないと法体系は崩れてしまうからね。 システムという手段のほうが自由を要請する。 幻想的ですよ。
>>877 860さんお久しぶりです。
戸田山先生は、科学哲学の人なんで、御多分にもれず、科学を真理の探求なんて
ご大層な舞台かけ離れたところまで、引きずり下ろしちゃうわけなんですよね。
おそらく、それは超越した科学的実在(存在)としての真理のようなものがあるとしても、
どのみち、人間の考えの限界にぶち当たるからなわけで、そういう意味では、ある意味、
認識論的な限界が問題になってるでしょうね。
>>629 の文献にもそういうとこが如実に
表れてると思うんですが、ただ、アレでも未だ微妙というか、ある種の規範に関する問題を
捨て去ってるような気がするんですよね。その辺りどう思われますか?
>>880 思考は身体行為ではありませんよ
私が「身体行為」と「思考」を分けたのは世界に対する影響の有無です
分けることで、世界が決定論的か否かを精密に検分するのに役立つんですか? 焼け石に水のようなものだと思いますがね、
決定論か決定論で無いか、有機体としての我々が因果を破れるかどうかだけを 考えたほうが、圧倒的に経済的ですよね。
>>885 そうそう、そういう視点なわけです。
つまり、私が決定して影響を及ぼしたのか、それとも、
私は影響を受けて決定させられたいわば物(道具等と考えれば分かりやすいかも)
のようなものにすぎないのか、そういうことを判別したりするわけですね。
>>886 「思考」するだけならば世界に影響を与えないでしょう
そしてたぶん「思考」する「自由」程度は「個人」にある
それを「行為」にうつすには外的な制限があります
「自由意志」の有無を考える場合に大方の学者はそれを混同してしいますよ
「考えるだけ」と「考えて、行為化する」は違うわけです
唯物論にしても究極的にはたして「物」なのか?
素粒子物理学でもかなり揺らいでいますよね
戸田山本はそこまで考えているから「もどき」という言葉を頻繁に使います
つまり不透明なんですよそれが何かを言い切るには
その余白を残しているしそれは実情だと私にも思えるんですよ
>>879 法学やってない俺もそう思いますね。
「別のところ」ってどこですか。あるいは「どの辺」だと思いますか。
>>882 まぁ…戸田山自身がどう言うかと
その理論の解釈をどこまで拡げられるかは別と言えば別ですかね。
まぁ何か(勝手に)シンパ化してる機械さんは面白いです、さしあたり。
機械さんが実利主義というのは、
寄せ鍋をやっちゃうところですか。
志向的クオリアあたりからちょっと闇鍋でしたけど。
>>884 ある種の規範…すみません分からない。
論理的規範を捨ててるではないですよね。
科学というか経験知を成り立たせる規範?
これについても相対主義ぽい所は何度か見た気はしますが、
科学的な絶対主義の暴走に対するスタビライザーとしての
科学哲学ならば当然抑えに入るのかというとこら。
では道徳とか実存的な規範?
哲学入門の実存的な規範についての割り切り方は確かにキモチワルイ感じですね。
人間らしさが抜けている感じ、ゾンビでいいよねという感じがある。
>>890 私自身は「折衷」にはあまり興味はないんですけれどね(笑)
ただ戸田山本の先に未来はあるのかどうかはわたしにも分かりかねます
ひとつにまとめようとする戸田山哲学の意義はわかりますが
現実は色々なスタンスにおける研究や思考も大切ですしね
統一的に持って行きたいにしてもその選んだ流れが正しいとも限らないですし
でも哲学入門は面白かったです
スタンスがかなり違うから面白かったですね
>>891 >折衷
「かも知れない」を突き詰める
正当な反証主義の実践だと思います。
さすがは科学哲学・分析系の一人者です。
かと言って日和見主義では決してなく、
行き先も大体見当が付くような。
繊細かつ無機質な世界であっけらかんとおいしくビールを飲む
…私は非常に前向きで有意義だと思いますw
スタンスがかなり違う…ですか。
例えば戸田山の反対は何だろうか。
実存主義的形而上学…?
起信論やってると言ってた人ではないですよね…。
落ちます。
>>890 まず、別の所がどこかということなんですが、これは、私もよくわからない
(パッと出てこない)わけでして、あえて例をあげるとすると、仮に自由とされる
意思決定によって、ある者が他者を侵害することが、事前にかなりの蓋然性
で予測されるとして、それに同対処すべきか?これは考えだすとややこしいんですが、
現時点で全くないといえば少しいいすぎですが、しかし、未だ何らの侵害行為に至っていない
者に対して、強度の侵害を伴う制約を課して、該行為に出ることを止めることが、
はたして良いのか?これは行為に出る蓋然性が高ければ高いほど肯定されやすくなるわけですが、
しかし、この者が未だいわば真っ白の状態で蓋然性が高いというだけで、そこまで、していいのか?
とか、こういう問題ですかね。、
兵庫の尼崎線で脱線事故があった 原因は運転手として運転手には過失の責任があると見なされた (運転手はすでに死亡していたけどね) でも、運転手が過失をしたところで、電車が脱線をしなければ事故は起きなかった では、なぜ電車には過失や責任を問わないのだろうか? 「この機械がの責任だよ」という言い方をしない 人間社会は機械に責任をなすりつけないで成立している 例えば、原発事故が起きた時、管理者の管理責任を問う声は上がっても 制御コンピューターの責任や、原子炉の責任を問う声はあがらない これはなぜなんだろう?
895 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/03(土) 03:38:58.66 0
>>751 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :
自由意思は確率によって粉々に粉砕される、当たり前の話だ。
人間の心は確率を乗り越えることはできない・・・だから「量子力学の確率的法則は自由意志の助けになるか?」と言う議論をする観念論者は未熟者。
正しい観念論者の主張は「自由意思はあくまでも自由な感じ・・・に過ぎないので それは観念であり物理的な法則とは何の関係も無い」という事である。
じいさんは量子力学の確率的法則を決定論のほころびとして指摘しているが、そのことを自由意思の問題と絡めるつもりは無い、別範疇だからだ。
896 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/03(土) 03:39:45.94 0
>>828 :「機械的唯物論」者 ◆jPpg5.obl6 :
科学哲学会会長・・・この名称は炊飯物ですね、そんなに「学」に拘るんですかね。
じいさんは教養が無いので「・・学」と言うものが大嫌いで、科学とか哲学とかは信用していない、偽物だと思っている。
本物とは「・・術」と言われるもの、技術、芸術と言った領域である。
だいたい心と物質は同じものの別範疇であると言うこと。
範疇が違うのだから還元できたりはしない、「物質は精神を規定する」この言い方が適切である、「規定するけど還元出来ない」という事である。
そもそも哲学とはその辺の事をごちゃ混ぜにしたギリシャ人あたりが始めたもの。
哲学から派生した科学なるものが威張り散らしている現代、しかし常に現実を動かしているのは技術であって成果の良いとこ取りをするのが「学者」と呼ばれる人種である。
ともあれ「科学哲学」などと言う言い草は近親相姦みたいなもので、おかしくて仕方が無い、自称している人達は気が付かないのかしら?
偽物同士の馴れ合いだからね。
897 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/03(土) 03:51:35.54 0
>>894 :winds:2014/05/03(土) 03:36:05.61 0
だから〜別範疇なんですよ。
心=自由意思=責任 なんです。
その別範疇で 電車=脱線=事故 なんですよ。
同じ事象の事なんです。
898 :
考える名無しさん :2014/05/03(土) 04:05:11.05 0
一日中ニュース眺めてて生活費入るのか?
>>895 >正しい観念論者の主張は「自由意思はあくまでも自由な感じ・・・に過ぎないので それは観念であり物理的な法則とは何の関係も無い」という事である。
あんたが「正しい観念論者」かどうかはおいといて(日本観念論学会会長だったっけ?w)あんたの「自由=自由な感じ(論)によれば
「自由な感じ」を殆ど持てない最近の若者は「人間じゃないゾンビだ」ってことになっちまう。
ALSで眼球運動だけで意思表示する患者は人間じゃない?アルツハイマー症ぎみで振り込め詐欺に引っかかったじいさんばあさんは
「自由感」さえ持っているとは言えない?…とかいろいろ難しいことになる。
戸田山先生が「折衷論」を採るのは機械氏の言うように「社会的立場」がある場合では「完全な道徳相対主義」を
主張ししにくいという事情があるからだろうが、860氏に対した「守るべき社会的立場」があるとは思えないので、
彼の俄か折衷主義は機械氏がハードな決定論者ペレブーム他?に強い共感を表明している足を引っ張りたいという
「とにかく機械にイチャモンつけたい」という不純な動機があるからだろう。
実際細かく読んだわけじゃないが、途中では折衷主義的な態度をほのめかしている
戸田山先生も最終章の最後の最後20〜30ページのところで「この人たち知らないでしょ?」
といいつつペレブーム氏他3名の「ハードな決定論者」を伝家の宝刀みたいに紹介して、一気に
結論まで引っ張って行ってるんだから、戸田山氏の(社会的地位はさておいての)本音は結局機械氏と同様
「ハードな決定論・ハードな非両立論」にあるようにしか読めなかったね。
そういう意味で機械氏が最終章あたりに強い共感を表明しているのは理解できる。彼のかねてからの説では
ハードな決定論を第一線の哲学者・思想家がはっきりと表明しないのは道徳的相対主義というレッテルを
貼られて社会的に葬られるのを恐れてるからだというものだったから、その問題を彼お言い方でレトリック
を用いてクリアしているように見える戸田山先生のやり方に強く共感したんだろう。
いずれにしろ観念が物質を離れて実在するという観念論の残渣を残した「折衷論」は戸田山先生だろうが
860だろうが観念論に譲歩ないし逆戻りしていると批判されても仕方がないだろう。
全く理解できませんが、ハードな決定論がどうして「道徳的相対主義」に つながるのですか。全く関係がないと思いますが。
>>900 わかんない?
犯罪者が「俺が罪を犯したのは宇宙開闢の時から決定されていたことだ」
「追ってきた警官を殺してまで俺が逃亡を続けるのも死ぬまでばれずに
盗んだ大金で酒池肉林生活を送って惜しまれつつ死ぬのも決定されてたわけよ」
「おまいらが満員電車で通勤してる間に頭を使った俺の人生もおあまいらの
クソみたいに平凡な人生もすべて決定されていたわけだよ」
と言っても、捕まらなければ道徳的に「同じ時代を生きた人間」という意味で
同じになる。
まあ「それはそれでいいじゃない」と素直に思えれば、何の問題もないが
そう思えない人間が大部分を占めるから、そういう「道徳的相対主義」は
少なくともマスコミとか公的機関とかで主張するとあっという間に潰される。
それでも「関係ない」とすましていられるド神経な奴は俺の知る限り
皇帝ネロとかカリギュラとかの古代の一部の例外を除いて歴史上一人も居なかったね。
902 :
パンサーの耳 :2014/05/03(土) 09:57:04.73 0
KKK の つくり話だろ? おまえ 見てきたの その時代 (笑)
>>893 行為の意志と遂行が別であるとすると、
1. 意志はなく遂行しない
2. 意志はあるが遂行しない
3. 意志はないが遂行した
4. 意志があり遂行した
の4つのケースに分かれますよね。
遂行された行為やその結果としての侵害という事実とは異なり、
意志や思考は行為者の内部の問題で確認できない。当然の事ですが。
だから、意志や思考の段階に留まっている侵害行為を事前処置の対象にはし難い。
ただし、「意志はあるが遂行しない」場合には
遂行するという「閾値」に到達するまでの意志の程度の幅が存在しており、
その意志の程度つまり「意志量」を確認できる方法があるならば
意志量×遂行される行為の悪質さ
がある水準を超えた時に事前処置の対象になる、
とまぁ単純にすればそうなるかと思います。
「意志量」なんてものは揺蕩っていますから、
その計測方法はそれもやはり、その意志表明としての行為による。
そういう意味で殺人予告などは「殺人遂行の閾値に到達した意志」
…つまりは「明確な殺意」ですが、それを持っている事が処罰の理由となる。
大雑把な議論かつ拙い説明で申し訳ないですが、
このような事前処置の論理が正しいとすると、
「意志」は存在しているという事になるでしょうか。
逆に、意志抜きで事前処置はできなさそう。
こういう感じの論点ですか。
>>902 うんにゃ、ネロやカリギュラは見てないかもな。
『テルマエ・ロマエ』に出てくるハドリアヌスは国内では同じようなことをやっていた
らしいが、国外でも「蛮族」を残虐極まる方法で殺しまくってローマ帝国の範図を
今のイギリスまで広げるという偉業を成し遂げたので、後継のアントニウスによって
列聖されたのは映画(U)のとおり。
まあ、あの時代世界中どこでも強いもん勝ちだったからね。日本の戦国時代だって
中国の三国志の時代だって買った奴が後で偉そうに「歴史書」で自分を理想主義者
だったみたいに書かせただけでしょ。
「勝てば官軍」っていうある意味「道徳的相対主義」的な見方が出てきたのは
むしろ道徳が隠然とした力を持ち始めた近代になってからでしょね。
それまでは事実上「弱肉強食」が人類の正体で、負けた弱い奴が悔しさから考え出した
ルサンチマンがキリスト教の起源だというのがニーチェの説。
905 :
黄檗 :2014/05/03(土) 10:22:49.54 0
>>842 いのちくんはあれか
例えば、スーラの点描画の人物・風景が「存在」で
画の中の点々が「実在」でありパーソナルデータだと
そんなふうに考えてるわけか?
906 :
パンの耳 :2014/05/03(土) 10:23:55.75 0
ダーウィンみたい
>>901 >犯罪者が「俺が罪を犯したのは宇宙開闢の時から決定されていたことだ」
>「追ってきた警官を殺してまで俺が逃亡を続けるのも死ぬまでばれずに
> 盗んだ大金で酒池肉林生活を送って惜しまれつつ死ぬのも決定されてたわけよ」
>「おまいらが満員電車で通勤してる間に頭を使った俺の人生もおあまいらの
> クソみたいに平凡な人生もすべて決定されていたわけだよ」
>と言っても、捕まらなければ道徳的に「同じ時代を生きた人間」という意味で
>同じになる。
それが「ディストピア」なんですよ。
あなた(機械さん)は勘違いしてますが、
戸田山は「それがどうした」とは言いません。
「そこまでにはならない」と言っている。行為の善悪は残るんですってば。
あなたは悪くないですが、あなたの行為が迷惑なので隔離されます。
> まあ「それはそれでいいじゃない」と素直に思えれば、何の問題もないが
>そう思えない人間が大部分を占めるから、そういう「道徳的相対主義」は
どういう意味で「道徳的相対主義」なのかまるで。
道徳そのものが崩壊しているでしょう。
>>903 それは法学部に入って最初の「刑法総論」の冒頭で教えられるレベルの話。
まず、そっちを勉強するべきでは?
本当に戸田山『哲学入門』読んでますか?ていうより理解できてますか?
>>907 機械じゃないんだがw
当然、戸田山先生は社会的地位を棒に振るようなことは言わないだろね。
隔離されれば「ドジった」ことが決定されていたというだけのことで、
死ぬまで逃げられた場合のハード決定論の見解の話だよ。
それにしても、話をはぐらかすのが下手だなw
>>899 >「自由な感じ」を殆ど持てない最近の若者は「人間じゃないゾンビだ」ってことになっちまう。
うーん、ならない。しいて言えば奴隷か。
それでも恒常的に奴隷な訳ではないでしょうし。普通は。
>ALSで眼球運動だけで意思表示する患者は人間じゃない?
自分でやってるんですから人間でしょう。
>アルツハイマー症ぎみで振り込め詐欺に引っかかったじいさんばあさんは
>「自由感」さえ持っているとは言えない?…とかいろいろ難しいことになる。
まぁ思慮に欠けるという意味で自律性が危ういので自由ではないでしょうね。
完全な痴呆はほとんど死人です。
> 戸田山先生が「折衷論」を採るのは機械氏の言うように「社会的立場」がある場合では「完全な道徳相対主義」を
>主張ししにくいという事情があるからだろうが、
別に戸田山は道徳的アナーキズムを支持している訳ではないからね。
それはあなたの思い込みです。
あと勝手に哲学的な折衷を社会学的文脈に落とし込むのはよくないというか失礼。
「キリスト教のエピステーメ」とかもそうですが。
>彼の俄か折衷主義は機械氏がハードな決定論者ペレブーム他?に強い共感を表明している足を引っ張りたいという
>「とにかく機械にイチャモンつけたい」という不純な動機があるからだろう。
無いです。間違ってるんじゃないですかと言ってるだけなので。
その意味では今のところあなたが相手でも一緒です。
911 :
考える名無しさん :2014/05/03(土) 10:45:33.58 0
ダーウィンは俺の親父と同じ誕生日だから、独善的に、自分勝手な理論を作り上げたのだと、最高レベルの確信で断言できる。 進化論をまさか占星術から崩せるとは。俺の人生経験が魂となり魔宝具に宿る。
912 :
黄檗 :2014/05/03(土) 10:45:40.20 0
「物質は観念」という主張も正しくない。 例えば「木は観念である」という場合に、この文が主張できる内容は、 「木について何かを知ることができるなら、木についての思考が心の中に無ければならない」 それだけなのである。 「一切の存在は観念である」とまで言う権利は全く無いのである。 ま、これはラッセルのパクリですが。
>>907 >道徳そのものが崩壊しているでしょう。
あのなあ、哲学板なんだからありふれた道徳感なんかで恥ずかしこと言うなよ。
つい70年前まで鬼畜であったアメリカ兵を一人でも多く殺すことは道徳的に
最高の行為だったんだよ。
殺人が最高の道徳である社会が歴史上沢山あったということを踏まえれば、
道徳が時の権力機構によってどうにでもなる相対的なことであるのは明白でしょ?
今だって、先進国で死刑を道徳に合致しているとしているのは日本とか米国の
一部のみなんだよ?
「道徳そのもの」って概念を無意識・無批判に言えるところがあんたの未熟さだな。
>戸田山先生も最終章の最後の最後20〜30ページのところで「この人たち知らないでしょ?」 >といいつつペレブーム氏他3名の「ハードな決定論者」を伝家の宝刀みたいに紹介して、一気に >結論まで引っ張って行ってるんだから、戸田山氏の(社会的地位はさておいての)本音は結局機械氏と同様 >「ハードな決定論・ハードな非両立論」にあるようにしか読めなかったね。 そうですか。 デフレ版の自由意志と道徳的に重要な自由意志を区別し、 後者については無くてもいいという議論だったと思いますが。 ハードな決定論についても道徳的にその帰結を受け入れられない ということは無く、自由意志の概念抜きでやっていった方が かえって上手く行くのではないかという事でしょう。 「ハード決定論で機械氏と同様」という括りが雑過ぎてもう。 > いずれにしろ観念が物質を離れて実在するという観念論の残渣を残した「折衷論」は戸田山先生だろうが >860だろうが観念論に譲歩ないし逆戻りしていると批判されても仕方がないだろう。 いや物質を離れて実在するって結論は出てないですよ、 そういう意味での観念論との折衷はしていません。 物質の中で自由意志(ありそうでなさそうでやっぱりあるもの) がどう存在しているかという話ですから。
>>913 アメリカ兵は鬼畜だから殺すのが善だ
という主張が哲学からも道徳的と認められるならそうも言えるでしょうね。
時と場所によって道徳は異なるということと、
だから何でも道徳として許容されるという事は別の問題です。
戸田山にしても、「ハード決定論の帰結は道徳的に許容できるか」
のような形である程度体系的な道徳一般を前提にしますよ。
>>915 戸田山先生が言及しているのは「現代日本の(あるいは近代文明国の)道徳」
いつの時代にでもある(べき)「絶対的道徳」を思いつけるなら、一つでもいから
その根拠と共に例示してみてくれる?
>>916 無いです。
絶対的道徳、定言命法的な道徳は認めていないはず。
その意味では相対主義的な態度を取っている。
ただ、自由意志の否定はディストピアを生まないという議論では
ある程度一般性を持った道徳的社会を前提として、
それとの対比で「ディストピア」が語られている訳です。
そしてディストピアそのものには価値判断として否定しています。
戸田山本で挙げられるハードな決定論者も揃ってそうですね。
「それはそれでいいじゃない」という
「道徳的相対主義」者ではない事は申し上げておきます…。
>>914 >デフレ版の自由意志と道徳的に重要な自由意志を区別し、
>後者については無くてもいいという議論だったと思いますが。
前者についても、別のところでしっかりこう書いているね
「今後我々の自己コントロール能力は思っていたほどではないよという
科学的知見はますます積み上がっていくだろうが、その逆の知見が蓄積
される見込みは薄いということ。そうなると自由のデフレは止まらず、
いずれ責任概念とのつながりを保つことが出来ないほど弱いものになる・・」
>>917 >戸田山本で挙げられるハードな決定論者も揃ってそうですね。
嘘を言っちゃいかんよ。4人全員の著書を読んだ?ていうか一冊も
読んでないどころか、名前も知らなかったでしょ?戸田山先生が自慢げに
「知らないでしょ?」と言った名前を全部知っていたとでも言い張りますかね?
そもそも、大まかな内容を紹介されていたのはペレブームだけだしw
>>917 絶対的道徳は無いという断言と、道徳的相対主義の否定は整合性が取れるの?
>>918 行為の責任はその行為者にある、
と言えるほど人間は自律的に行為していない
という科学的知見の積み重ねを経て、
自由意志のデフレ化は進む一方だろうという話でしょう。
「だから存在しなくなる」という事ではない。
熟慮するエージェント→自己コントロールとしての自由意志→道徳的に重要な自由意志
という「自由」の進化のプロセスがあり、将来科学の発展によって
「道徳的に重要な」と言えるだけの強度が自由意志に無くなったとしても、
道徳が崩壊する訳ではないですよという話ですよね。
>>919 原典は読んでないですよ。
戸田山本の中で、ペレブームもスミランスキも
他の二人も社会を丸ごと変革するような道徳の様変わり(あるいは崩壊)
はハードな決定論からもたらされない、
と書いてあります。という事です。
>>904 マンガの『蒼天航路』とか小説の『封神演儀』とかでは、歴史を記す書記官の存在が出てくる
で、振る舞いにおいて、その書記官の存在が関係しうるような描写がある
先代の皇太子を処刑する時、革命軍の王は反対する
それを軍師が歴史において〜のように記述するので飲んでくださいと言って引かせる記述がある
歴史においてどのように記述され、後世においてどのように見られるか、という視点がある
他者の視点が道徳と直接的に関係するわけではないが
なんでもありの弱肉強食ではなく、道徳的役割を果たしてたことをうかがい知ることができる
>>920 うーん、ある程度一般性(絶対性)を持った道徳という意味では中庸ですかね。
またある程度一般的に「ディストピア」を想定できるという事も、
それなりに確固とした基準がなければ無理です。
一応釘刺しときますけど、
「人殺してもバレなければそれまで」
を許容できるレベルのラディカルな相対主義
を戸田山は採っていないという意味で、
機械さんとかの考えるような相対主義者ではないですよという話です。
だから絶対主義者だとかそういうのではなく。
アドルノの企てだが 未来において行われることが予測できる時 そのような未来を行うべきである、とする事実から価値への導出が可能である という論証があった これに対して、事実と価値の二元論(存在と当為の二元論)がそのようなことで克服可能だろうか?という批判を読んだことがある 例えば、未来から来た人が「残念ながら原発は100年後もあるよ」と言ったとする これに対して、「だから原発は今後100年間は存続すべきである」と論証することが可能だろうか
>>920 とれないよ
でも、それは哲学とか法哲学とか規範倫理学とか、形而上学的な領域において整合性がとれないだけだよ
一般人の感覚では整合性がとれるよ
一般人の語る道徳ってのは「現前的社会規範」といった程度の意味だから。
哲学書を数冊貸した友人と久々に飲んだけど、無力感を感じた メタな話題ってのは興味ない人にとってはまるで興味がないんだよね 哲学は永遠に隙間産業をひっそりと生き延びるだけだよ 機械君の勝ちってことだ
>>901 いやあ、しかしその話は「道徳的相対主義」とも「ハードな決定論」とも
全く関係がないと思いますが。
>捕まらなければ道徳的に「同じ時代を生きた人間」という意味で
>同じになる。
同じ時代を生きた人間であるかどうかと、道徳的な評価は関係ないでしょうw
それと、捕まるかどうかも本質的問題ではありません。
犯罪者の人生としては
@捕まって後悔する(不幸になる)
A捕まらずに後悔する(不幸になる)
B捕まって後悔しない(幸福になる)
C捕まらずに後悔しない(幸福になる)
と、都合Cパターン考えられます。そして現にどのパターンも存在するでしょう。
BやCは通常は「正義に反する事例」と考えられているので表面化はしないですが、
(またもちろんそういう例が少なくなるように様々な制度が用意されているわけ
ですが)、現実には影にいくらでもいることは想像に難くありません。
肝心なのは、どのパターンでも「道徳」に関する考え方や、自分が「悪いこと」をやっていると自覚している
点で違いはない、ということです。
永井均という哲学者は、「道徳的な善悪というのは様々な価値基準のひとつでしか
なく、悪いことをする人はその価値基準と他の価値基準(たとえば自分の損得)を
比較考量した上で道徳的な価値を捨てただけなのだから、その人に再度道徳を説いても
本当は無駄なはずなのだ」という趣旨のことを述べていましたが、「神様」抜きの道徳と
いうものは所詮そういうものなのであって、それ以上のものには本当はなりようが
ありません。
この話全体が「ハードな決定論」と全然関係がないのは、
>>901 の犯罪者が
「そのつど俺様の自由な意志で決断してやった」と豪語しても、話の趣旨が
全く変わらないことを見ても明白です。
道徳的相対主義を考えるということは、価値相対主義を考えるということと等しい 個々の規範がそれぞれの文化に対して相対的であるとしながらも、価値はそうではないと考える余地はある この点で、規範的相対主義と価値相対主義は大きく立場を違える 仮に価値相対主義が正しいとするならば 異なる価値を比較して、それを検討し、どちらかを選びどちらかを捨てるということがなぜ可能になるのだろうか? それぞれの文化や個人の選択を尊重するような多様性を尊重する文化は価値相対主義とは相性が悪い それらは価値を比較、検討できる一つのカテゴリーとして扱うという意味で、価値に対して一つの態度をとっている 問題は、ハードな決定論がそのような価値に対する態度と両立するかどうか、にあるのではないだろうか
ハードな決定論は仮定を許容するのだろうか?
道徳について考えるということ、つまり価値について考えるということは、仮定について考えることと密接にリンクする
「もし、〜だったならば」という文節が価値において非常に重要な役割を占める
>>927 においても「捕まらなければ」という表現がなされているが
このような仮定表現を用いて考えられるものが価値の性質でもある
では、ハードな決定論において、このような「もし〜だったならば」というのはどのように理解されるものなのだろうか?
ハードな決定論が正しいならば、世界において「もし〜だったならば」と言える余地は何一つないはずである
我々が使う表現の一つである仮定表現は、人間の言葉のあやというかゴミみたいなものでしかなくなるだろう
しかし、仮定表現の成立しないところに価値を考える土台が築けるのだろうか
我々は価値を考えるにあたり、「仮定が可能な世界」を前提として置く
しかし、ハードな決定論はこのような前提と両立するのだろうか?
例えばミドリムシは走光性を持つが これは、光に向かって進めば光合成が捗る と判断しているのでは無く 単にそういった性質を持つものが「結果的に」生存に適して残っただけ 予測や仮定というものは本質的には行動に至る過程に後付けの理由を付加しただけのものに過ぎない
ミドリムシも人間と同時に発生したという事実を捻じ曲げてもらっては困るな
934 :
黄檗 :2014/05/03(土) 22:03:51.70 0
>>930 それは強力な理屈なのだが
答えの半分だと思いますよ。
「結果的に」生存を遂行できる生存システムとは、
「外部と折り合いながらシステム自体が変化する可能性を自動的に探る」
そのような作動装置である必要があって(なぜなら、そうでなければ「結果的に適者」となるダイナミズムとならないから)、
これは生存システムとしての初期段階からそうでなくてはならない。
石ころみたいに、ほっとけば予定調和的にできるような、そんな存在ではなく、
まさに生存としての自らの生存を成立させる、そんなシステム。
そんなものが自然発生する合理的な説明が無い上に、
実際に、無機物から生物が生まれる過程も観察されたことがない。
都合の良すぎる何百ステップもの化学反応が、途中でご破算にならずに、
めでたく生存システムとなるまで何万年にも渡って偶然が続くとか、
そういうファンタジーでしか説明できない。
そうだとすると、「生存」というものは少なくとも非常に特殊な状況なのであって、
生存という「当たり前ではない」ことが、「予測」や「仮定」に意味が成立するための条件としてある。
たしかに「後付けに過ぎないこと」と言いたくもなるのですが、
「後付けできること自体」は当たり前のことではないのです。
935 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/03(土) 22:25:31.46 0
>>927 >肝心なのは、どのパターンでも「道徳」に関する考え方や、自分が「悪いこと」をやっていると自覚している
>点で違いはない、ということです。
そこが肝心ですか?
政治犯などに多い所謂「確信犯」は「自分は道徳的なことをやっている」と
信じておりますから、それでは@〜Cのどれにも当てはまらないことになりますね。
「道徳的相対主義」はそもそも「特定の道徳の妥当性に関する疑い」が発生源と
なっており、「その特定の道徳が普遍的な正当性を持つこと」に関する疑義が根底に
存在するわけですから、
>>917 で860さんがお答えになっているように「絶対的道徳」
が「無い」と断言する立場では、(道徳的相対主義を)否定することは出来ない筈です。
それを何故か「道徳的相対主義」は否定されるべきだ…と述べおられるわけですが、
私には単純な「矛盾」としか思えません。
936 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/03(土) 22:39:51.01 0
>>928 >問題は、ハードな決定論がそのような価値に対する態度と両立するかどうか、にあるのではないだろうか
しないでしょうね。「猫に小判」と言いますが、ある人にとっては100億円の価値があるゴッホの向日葵の油絵も、
途上国のホームレスの方にそれと美味しそうなステーキを選ばせれば、ステーキが選択される可能性の方が高いと思われます。
故に「貨幣価値」は相対的であるし、満腹の時と空腹の時では「ステーキの使用価値」も格段に異なるでしょうから、
「相対的」だと言わざるをえません。
ロマネ・コンティ2008の価格の話を持ち出すとまたややこしいことになるかもしれませんので、
控えさせていただきますが・・・。
>>934 何が言いたいのかどうもピンと来ないのですが、
例えば何が「当たり前のこと」なんですか?石ころは当たり前ですか?
938 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/03(土) 22:59:06.58 0
>>934 >実際に、無機物から生物が生まれる過程も観察されたことがない。
「まだ」無いかもしれませんが、生物と言ってもそれほど高踏的な構造を
有している訳ではありません。
もっとも原始的な生物…藍藻類等ですか?でも「生物」と名の付くものは全て
デオキシリボ核酸(DNA)を持っております。それを構成する塩基はアデニン、
グアニン、チミン、シトシンの4種類しかなく、全生物はその4種の塩基の組み合わせ
で遺伝子を子孫に伝え、繁殖を繰り返しているだけであり、人類もその例外では
ありません。
タバコモザイクウィルスは結晶化すると何千年も保存できるようになり、そういう
意味で「生命体」ではありませんが、その結晶を生きているタバコの葉に
乗せておくと「増殖」を始めます。
そういう意味でウィルスは「物質と生物の中間」みたいな存在ですね。
939 :
黄檗 :2014/05/03(土) 23:11:30.75 0
>>937 んー
石ころは、月にも火星にも小惑星にもありますから
生物の特殊性に対して「当たり前」の存在と言えませんか。
「この世界に石ころが存在することそのものは当たり前のことか」と問われたら
もう別の話ではないですかね。
ピンと来ませんか。
死後の世界は存在するだろ 死後の世界は実在するだろ 死後の世界は有るだろ 幽霊は存在するだろ 幽霊は実在するだろ 幽霊は居るだろ 神様は存在するだろ 神様は実在するだろ 神様は居るだろ
>>939 それらは全く同じ組成してるんですかね?
同じ石ころと「見做し」ているだけなんじゃあないですかね?
そも、確率的に高かろうが低かろうが発生してしまえば等しく現象である
と、思うんですが。ピンと来ませんかね?
まあしかし、宇宙で最も単純な水素原子すら記述しつくすことは出来ないのに、 たかが石ころなど言ってはいけないんですよ。
943 :
黄檗 :2014/05/03(土) 23:25:12.86 0
>>938 機械さんのパソコンでは、優先的に高踏的という変換が実行されるのですか。
本当は高等的?
DNAを放置しても、なんにも起こらないと思いますよ。
そのうち酸化されたりして、ぼろぼろになるだけではないですか。
それは生物ですか?
たしかに遺伝子を子孫に伝え、繁殖を繰り返している「だけ」かもしれませんが
それは簡単なことですか?
物質には集結する必要性が無い。バラバラの方が自然 誰が宇宙全体にヒッグス粒子を撒いたのか 石ころには、ひとかたまりになろうという意思を感じる
945 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/03(土) 23:28:48.97 0
>>937 >>939 生物進化の各過程で「外部情報」を如何に巧みに取り入れるようになるか?等に
ついて各生物が「神経細胞をどう使うように進化」してきたか…について、戸田山
氏『哲学入門』は(ミリカン女史の説の引用が多いのですが)相当多くの紙面
(半分くらい)を割いて解説しておりますよ。是非ご一読をお勧めします。
話題にされているようなこと「石ころから生命へ、生命から自我意識へ」等について
が多数の科学的知見に基づき判りやすく書かれております。(まあ、外国の学者の解説
ではありますが)
ちなみに、紀伊国屋本店の正面入り口から入り約2〜3m右側棚「新刊・話題書」
コーナーにまだ並んでおりました。1080円はお安いと思いますが…。
物質が一体なんなのかほとんど知っていなんですよ我々は。
ありふれていることと熟知しているということは別です。
熟知しているという錯覚が、「普通と特殊」などという宇宙のどこにもありもしない 二項対立を生んでいるんだと思いますよ。
949 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/03(土) 23:35:15.02 0
>>943 いや「高踏的」ですね。
まあ、恥ずかしながら「高踏遊民」と呼ばれることもあったりで・・
ちなみに「タバコモザイクウィルス」は月着陸船のような形状をしており、
一見どう見ても「生物」ですが、要はDNA塩基(アデニン、グアニン
、チミン、シトシンの4種類)のレゴ作品みたいなモノだということでしょうね。
「結晶化」できますから、「有機物」ではあっても「生物」ではありません。
でも俺は結晶化したいと思うんだけど
951 :
黄檗 :2014/05/03(土) 23:38:36.16 0
>>941 組成の話をするなら
地球上の石ころのいろいろ組成も違いますね。
生物もいろいろな生物がいる。
石ころと生物を区別して「みなす」ことは可能ですよね。
それは、違いがあるからでしょう。
「石も生物も等しく現象である」とか言い出せば
太陽も地球も、なんでも現象ですね。
糞も味噌も一緒くたにしますか。
そこからは、なんにも話が始まらないのですよ。
違いの分からない鈍感な生物は、それだけでハンディでしょうね。
たやすく主観主義にとらわれる人物は、「物質」を舐めすぎの感があるな。
>>951 んー、ちょっと誤解させてしまいましたかね
要は、特殊だろうが当たり前だろうが特に理由は必要無い、と言いたいんですよ
宝くじでハズレを引いた人と一等を引いた人は何がどう違ったんでしょうか?
ということです。理由というのは何時でも後付けなんですよ
現象、物質、生物 全て主観に属するんだけどね
主観と主観主義の区別がつかんとか会話できねーよ。
956 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2014/05/03(土) 23:48:08.59 0
>>943 >たしかに遺伝子を子孫に伝え、繁殖を繰り返している「だけ」かもしれませんが
>それは簡単なことですか?
そこいらへんの池にいる淡水プランクトンの一種ゾウリムシの分裂をご存知ですか?
単細胞生物ですが、まず「核」の中で二重螺旋が解けて二つの螺旋になり、各螺旋が
それぞれ「切れた相手の塩基」を複製獲得することで「2つの二重螺旋」ができ、
核が一個ずつそれを収容して分裂し、本体細胞も核を一個ずつ収容し分裂して、繁殖
終了です。
二個の新生細胞は「親であり子である」訳ですから、よく考えると「永遠に老化しない
個体が(種の絶滅まで)永遠に生き続ける…ということになります。
単純といえば単純であるし、60兆個の細胞で構成されている私たちの「人体」も
たった一個の受精卵細胞から2,4、8・・・個と増殖して出来たことは間違いないのですから。
一部の人は、学者や学会をなんだと思ってるんだろう。 中世じゃないんだから、異端審問なんてないよ。 別に、道徳や規範なんてもんを理論的に否定されるべきものであるとしても、 それが、理論的にきちんと成り立っているのであれば、問題になんかならんよ。
どう違うんだこの野郎
959 :
黄檗 :2014/05/03(土) 23:50:02.77 0
「高踏的な構造」によってどんなイメージを表現しようとしたのか 高級ワインの美味さなど分からぬ私には想像できませんね。
正直ワインよりぶどうジュースの方が美味いぞ
961 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:00:55.70 0
>>953 宝くじの番号を事前に予想できる人はいませんね。
しかし凡人とシャーロックホームズでは
情報の獲得能力、推理力が違いますよね。
馬鹿で怠惰な奴が、己の悪い結果に対して言い訳している間に
利口は頭と身体を使って有利に生き延びる。
それが可能なように世界はできているのですよ。
そうは思いませんか。
おかしな主観主義というのは、唯物論と観念論の両者から等しく否を下さないとね。
物質には生き延びる必要がない であるから物質にとっては可能と不可能が等しいのだ
単なる事実判断にカテゴリーミスという致命的な欠陥を持ち込むだけでなく そういうやつは、例外なく、事実判断に前もって価値観を持ち込んでいたり、出鱈目な 意味判断を投入してくる。 ま、そうやつをぶった切るのが面白いんだけどね。
いかなる人間も130年経てば只の物質になる
>>961 思わないですねえ
むしろ努力家が不幸になったり、怠惰な人が幸福になったり
そういったことも可能な世界だとは思いますが
ククク。いいね。
968 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:28:28.60 0
>>966 そういうのが言い訳なんですよ。
特殊なことは、めったに起こらないから特殊なんです。
ウイルスは生物化どうかの議論があるが あれはもともとは細胞から作られて外にウイルスとして出るようになったんだよね だから生物が作ったものであるということになる そう考えるとウイルスとして分けて考えるのではなくて 生物の一部として考えればなんとなく理解できるだろう
>>929 >このような仮定表現を用いて考えられるものが価値の性質でもある
全然違います。仮定表現を用いて考えられるのは、「因果関係」です。
「Aという行為がBという結果を引き起こした」と言い得るためには
「もしもAという行為なかりせば、Bという結果なかりしなるべし」という
「条件関係」が必要となる、とかいう刑法の理屈もありました確かw
で、このような「もし〜だったならば」という「因果関係的思考」はハードな決定論と
両立しないどころか、むしろその根拠そのものなのです。
「価値の性質」の本質は「そのBという結果が人間にとって望ましいかどうか」であって、
その判断もまたハードな決定論と何の関係もありようがありません。
>ハードな決定論はこのような前提と両立するのだろうか?
ハードな決定論は、道徳的相対主義だろうが価値相対主義だろうが、あるいは
完全なニヒリズムだろうが常識的な通俗道徳だろうがキリスト教の信仰だろうが、
道徳をめぐるどんな立場とも両立すると思いますよ。というか、両者は
全然別の問題で、はっきり言えば関係ありません。どうして関係があると思う人が多いのか、
さっぱり理解できかねます。
971 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:33:24.23 0
何年も前に言ったことありますけど それこそ100億年の間、ルールも分からず将棋を打って たまたま羽生に勝てる可能性は0ではありませんよ。 その賞金が100億円だったりしたら 馬鹿はそこに望みを託すのですかね。 あほだね
>>971 年間1円の期待値でそれを行うのはあほですね
まあそのような例示をしてる人もあほだとは思いますが
生物の発生はめったに起こらないのだが 進化論は言い訳だな
>>968 そういうのは特殊なことが起きる原因を合理的に説明出来るようになってから言い放つべきでしょうね
「ありそうもないことは起こらない」というのも飛躍でしょう。
976 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:41:57.44 0
宝くじの期待値なんてマイナスではないのかな この例示もあほというか、あっさいよな
自然数の中から一つ数を選ぶ場合 ある数が選ばれる確率は正しく0であるにも関わらず 実際に選ばれる数は存在し得る とでも言えばよろしいか?
期待値大幅プラスのロイズは破産しかけましたが
979 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:44:50.04 0
>>974 特殊なことが起きる『原因』を合理的に説明できたら
それは必然となってしまい、もはや特殊ではないのですよ
>>979 そんなの単なる表現の問題でしょう
どうでもいいことだね
説明は後付けだろ
982 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:51:02.67 0
>>978 確率論によれば
「ギャンブラーは必ず破産する」ね
それが胴元であろうとも
983 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:52:44.80 0
>>983 君の書いていることが下らないしどうでもいいということ
974は単なる応答でしょ
985 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/05/04(日) 00:56:30.07 0
>>899 :考える名無しさん:2014/05/03(土)
>「自由な感じ」を殆ど持てない最近の若者は「人間じゃないゾンビだ」ってことになっちまう。
なんでそうなるの?
「自由な感じ」を殆ど持てない最近の若者は「自由意志感のない人間」なのであって、ゾンビなどとじいさんは一言も言っていないぞ。
>>901 :考える名無しさん:2014/05/03(土)
決定論と犯罪の問題でよく誤解する人が居る。
「俺が罪を犯したのは宇宙開闢の時から決定されていたことだ」
と言いはっても「罪状」と言う点では決定論的に何の問題も無い、其の男が法で裁かれてしまう事も決定されているからだ。
そうではなくて法的に問題になるのが「責任」の問題である。
法律は犯罪者の責任を問う形で罰を科す、ただ強制的に罰を執行するだけでなく被告人が罰を自由意思のもとに主体的に受け止める、その事が要請されていてその事を「責任を取る」と言う。
「俺が罪を犯したのは宇宙開闢の時から決定されていたことだ」と言う考えでは責任を取れないだろう。
決定論を振りかざすとその「責任」を上手く説明できないのである。
986 :
黄檗 :2014/05/04(日) 00:57:02.15 0
それでも事実上、生きていくのに有効なんだから 確率を信用すれば良いのですよ。 隕石が頭の上に落ちてくるリスクを心配しながら生活しませんよ
期待値を形成する勝率とプロフィットファクターが一定以上なら破産しないよ 確率論によればね
>>986 さて、明日貴方の上に隕石が落ちてきました
確率は生きていくのに有効でしたか?
>>986 確率だって判断の目安のひとつ
どうするかは各人の「自由意志」に委ねられる
990 :
黄檗 :2014/05/04(日) 01:00:42.86 0
だいたい、宝くじの例によって 「勝敗に理由は無い」と短絡する思考回路が すでに遅れをとってるんですよ
決定論によって隕石が落ちる日は決定している 確率論は通用しない
>>990 宝クジの勝敗の理由って何さ?
そういう胡乱な思考がオカルトの始まりなんじゃね?
993 :
黄檗 :2014/05/04(日) 01:05:08.48 0
>>988 そういうこともあるね
普通は、そのリスクを考えるのは無駄ですね
圧倒的に。
盲腸の手術も成功率100%ではないね
失敗のリスクが心配な奴は、痛くても我慢するのだろうね。
黄檗 あまの 最高位 ゲーム いのち 機械 じいさん なんでコテってアホなんだろう? べつに面白いことを言わなくてもいいんだけどなあ…。
盲腸放置する方が確率的にマズいだろw いちいち例が適当だよね
ネオマトリクスを忘れるなよ
997 :
黄檗 :2014/05/04(日) 01:09:14.31 0
胡乱なんて言葉をどこで覚えたんだ小僧どもよ
確率的決定論w
決定は俺が下す また会おう諸君!
1001 :
1001 :
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