1 :
考える名無しさん:
(以下は特にオカズの自炊とオリジナルキャラクターについての考察)
結局は、本能の手の上で踊っているに過ぎない(我々は動物である)
二次元が彼女達で足りえるには以下の様な条件が必要であると私は考える
第一に、それは「彼女たちは他人である」ということだ
私はこれまで現実の中でも創作物の世界の中でも、
独立してそこで活動している客体以外を魅力的と思ったことはない
以上を発展させて、第二に、こう言うこともできる
「自分(私)が知的活動で生み出したオリジナルに欲情するのは不可能」ということだ
これはそのままオリジナルキャラクターの否定に繋がる
だがこれに異を唱える人もいるかもしれない
つまり「私はオリジナルキャラクターを愛することができる」と言う人たちのことだ
しかし私はそういった反論に次のように答える
「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し、完全な一次創作ではない」と
仮にここまでの私の推論が正しいとすると、次のような奇妙な演繹が生まれるだろう
それは「我々が二次元と呼べるものは、全て他人(のもの)に対してであるが、
けれども二次元とは、誰かが創作しなければ産声をあげない。つまり、
個人の夢見る理想型の体現は永遠に不可能であり、それに近いものがあるとしても
それは先に述べたように他人(のもの)の内に見ることでしか実現が不可能であり、
条件が最良であったとしても必ず99%で打ち止まる
“二次元の繁栄は第一創作者の犠牲によって成り立っている”」
もし、第一創作者が行う創作が“再現”ならば一応合理性はあるように思われる
しかしその場合、オリジナルの定義について我々はもう一度捉え直す必要があるだろう
2 :
考える名無しさん:2014/03/11(火) 09:14:54.22 0
>>1 you will deserve exactly the same as everything you meant.
3 :
考える名無しさん:2014/03/11(火) 22:36:23.78 0
クパぁ
クパぁ
クパぁ
クパぁ
クパぁ
クパぁ
いいからクパさせろ
4 :
judit ◆St0vrpHOHU :2014/03/11(火) 23:08:41.19 0
>>「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し、完全な一次創作ではない」
なぜそう言い切れるの?
あなたの文章にはその根拠が書かれていない。
孤独なモノローグを脱け出したいなら、それを他人に理解されるように、書くことね。
崩壊家庭のDVで古谷実でも園子温でも田中慎弥でもいいじゃんっていうもうパターンじゃん オチのちがいじゃんってヤツなんだよ
6 :
洋楽:2014/03/12(水) 04:00:00.61 0
↑こいつナニ人?
8 :
考える名無しさん:2014/03/12(水) 08:19:45.59 0 BE:742284342-2BP(0)
>>4 いいところに気が付かれた
しかし
>>「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し、完全な一次創作ではない」
については
「そう言い切れないとも言えない」が正しい
そしてこのアンチノミーの解決を一旦無視して先に進むための“仮にここまでの私の推論が正しいとすると”なのだ
学ぶ、まなぶ、まねぶ、まねる、真似る
ロラン・バルトでも読んどけ
11 :
judit ◆St0vrpHOHU :2014/03/12(水) 14:18:41.62 0
>>8 そのわりには断言に近い口調だったけど?
少なくともどうして「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し、完全な一次創作ではない」と思ったのか、
少しはあなたの中の理路を示してもらわないと、その先の話には、誰もついて行けない。
12 :
考える名無しさん:2014/03/12(水) 22:10:40.48 0 BE:3711420285-2BP(0)
>>11 オリジナルキャラクターを創造するとき、誰か(何か)をモデルにしないで創造することは不可能だと私は考えている
(それは意識的、無意識的、二次元、三次元に関わらず、だ)
なぜなら、創作物に全く触れない生活は事実上不可能であるから、
己の人生から引っ張ってきた「元ネタ」でさえ何かしらの「純粋でないもの」におかされていると私は考えているからだ
14 :
judit ◆St0vrpHOHU :2014/03/13(木) 01:02:12.31 0
>なぜなら、創作物に全く触れない生活は事実上不可能であるから、
できれば話を先に進めたい。けれどまだ無理。
「創造物に全く触れない生活は事実上不可能である」のはそうだけど、
だからといってその影響を必ず受けるとはいえない。
>何かしらの「純粋でないもの」におかされている
それはなんのこと? あなたにしか見えないもの?
15 :
考える名無しさん:2014/03/13(木) 01:12:58.04 0
> 361 :純一 ◆QzuB1xeuck :2009/01/29(木) 21:19:02 0
> ほんで、東の郵便本が書かれた目的ですが、
> 私が邪推したところに拠ると、おそらくは、
> 岡斗世代のおたくと、
> 東、ぴかぁ〜、佃煮ポール世代のオタクとの
> ある種の断裂を示したい含意があると思われます。
↓ パクリ
> 248 名前:▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/02(月) 11:41:23 O
> 東の特徴は世代論にある。
> 先人たちとは徹底的に断絶を演出する。
> 僕たちが直面しているのは先人たちとは異なる新たな問題である。
↓
> 437 :┏( ^o^)┛ ◆kU3ChdD08M :2014/02/17(月) 22:01:55.17 0
> 田保神支持が20、30代で多かったのは、
> 嫌韓が流行だいした時代に生まれたからだね
暴力家庭が越境行為で時代だったっていうお作法にげんなりして創作意欲がわかないっていうのが現状なんyo
17 :
考える名無しさん:2014/03/13(木) 08:32:12.06 0 BE:2969136184-2BP(0)
>>14 庵野秀明が言うことには
「僕らは結局コラージュしかできないと思うんですよ。それは仕方がない。オリジナルが存在するとしたら、僕の人生しかない。僕の人生は僕しか持っていない」
「僕みたいにアニメやマンガしか見ていないと、そこから思いついたものをパッとやった時には、思いついたものはただ自分の中で忘れていたもので、必ず何か元ネタがあるんですよ。
それでハッと気がついて、あっ、あれだったのかってわかって、ちょっと嫌な気がする。」
>>「創造物に全く触れない生活は事実上不可能である」のはそうだけど、
だからといってその影響を必ず受けるとはいえない。
思うに、影響というものは、自由意志ではどうにもならない
生きている限り影響は絶えず受け続けるものだからだ
だから「創造物に全く触れない生活」が不可能ならば
「全く影響を受けていない」と言える生活もまた不可能であると私は考える
「純粋でないもの」というのはそういった影響のことであり、
創作物であり、非オリジナルのことだ
反対に「純粋」とは(そんなものがあればの話だが)、
第一番目の感動のことであるが、もしそれが創作物等から隔離された環境内にあったとしても、
その「隔離された環境」の影響を強く受けており、
つまり第一番目の感動から生み出された創作物であったとしてもそれは「隔離された環境」のパクリだと言える
しかし限りなくオリジナルに近いだろうし、これをオリジナルと定義されてもいいように思えるかもしれないが、
それでもそのオリジナルのオリジナル性を疑って、それ以上の純粋を求めようとしているのが
>>1の推論だ
19 :
judit ◆St0vrpHOHU :2014/03/13(木) 11:07:45.02 0
>>17 少し納得した。
けれどその言説によって「完全なオリジナル」が抹消されたとしても、
同時に「(完全な)モデルが存在するもの」も抹消されている。
>>1の一連の言説をたどれば、あらゆるオリジナルキャラクターは完全な創作ではないと同時に、
(
>>18の云い方を借りれば)完全な「引用の織物」でもない、曖昧な領域に留め置かれる、とは言えるけれど、
なぜ他者性を強調しうるのか、したいのかは浮かび上がってこない。
「あらゆるオリジナルキャラクターに何かしらモデルが、引用が介在していることを認めるが、
それは”完全なオリジナル”であることと両立しうる」
ところで、かつて大江健三郎が「彼の作品には他者が存在しない」、登場人物はすべて大江自身のコピーである、
と批判されていたけれど、このことは小説・マンガその他を問わず多くの作家に当てはまるように思う。
オリジナルキャラクターに対し「彼女たちは他人である」とは言えるかもしれないけれど、
むしろオリジナルキャラクターも現実の他者でさえも「彼女たちは自分自身(の投影)である」とも、
少なくとも同じくらいのイントネーションでは言える。
他者性を強調したい人もいれば、幻想の投影を強調したい人もいて、
水掛け論みたいなものでどちらが優位ともいえない。
まだ出ていないので後者のリクツを云えば、少し手垢がついた議論だけど、
「人は現実の女でさえ、その他者性を忘れることによってのみ愛することができる」、
そういう生き物だからっていう。
しかし、キャラクターどうのこうの言って哲学した気になれるって
日本は平和だな
もっと考えることあるだろっておもうけどね
21 :
考える名無しさん:2014/03/13(木) 13:12:38.66 0
アリストテーレスの「模倣」から話を始めるべき。
>>20 たしかに日本が平和だからキャラクターどうのこうのを哲学していられるけれど、
れっきとした哲学であることには変わりはない。
いかにも重大なテーマしか「哲学」じゃないと思っているとしたら、
哲学って何なのかわかってないんじゃない。
ギリシア哲学を基準に考えるなら、キャラクターの思想は重要だよね
演劇の歴史から入らないといけないけど
25 :
考える名無しさん:2014/03/13(木) 19:56:28.03 0 BE:4546490077-2BP(0)
>>19 納得されましたか
嬉しい事です
あなたを理解するにあたっていくつかの補足などを頂きたいです
>>けれどその言説によって「完全なオリジナル」が抹消されたとしても、
同時に「(完全な)モデルが存在するもの」も抹消されている。
この「(完全な)モデルが存在するもの」とはなんのことでしょうか
>>オリジナルキャラクターに対し「彼女たちは他人である」とは言えるかもしれないけれど、
むしろオリジナルキャラクターも現実の他者でさえも「彼女たちは自分自身(の投影)である」とも、
少なくとも同じくらいのイントネーションでは言える。
この文中の「オリジナルキャラクター」とは「(他人が創作した)オリジナルキャラクター」のことですか?
そして「自分自身(の投影)」についての詳しい説明をお願い致します
>この「(完全な)モデルが存在するもの」とはなんのことでしょうか
>>1にある「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し……からの引用なので、
私自身は積極的に定義するつもりはない。
もしその部分にセンシティヴに話をしたいならば、逆に簡単に定義しておいてほしい。
>>17で「完全なオリジナル」が不可能であることを述べているが、
それならば同時に「(完全な)モデルが存在するもの」も、ソシュール的言語学的に云えば支柱を失い、機能しなくなる。
つまりこの部分はあなたの言説から演繹したもの。あなたの言葉のエコーにすぎない。
>この文中の「オリジナルキャラクター」とは「(他人が創作した)オリジナルキャラクター」のことですか?
この部分は
>>1の「オカズの自炊とオリジナルキャラクターについて……」に対応しているので、
他人ではなくオカズにする本人のオリジナルキャラクターについて云ったつもり。
そもそもキャラクターは、創作した本人にとってしか「オリジナル」キャラクターではない。
>「自分自身(の投影)」についての詳しい説明をお願い致します
セックスあるいはオナニーをするためには、主体の身体が性的に反応することが必要。
そのためには、主体が、自分の置かれている状況が「性的状況である」と認識することが必要。
金塚貞文はその認識を主体の「性的世界」と名付けている(『オナニスムの秩序』)。
他者はその他者性ゆえに、デフォルトではあなたの性的世界なんか知ったことじゃない。
だから他者とセックスするためには一時的に他者性を棚上げしてもらい、
「性的世界」に付き合ってもらう(恋愛)か、お金や暴力によって「性的世界に付き合わせる」(売春・レイプ)ことが必要。
キャラクターは、いつでも主体の「性的世界」に付き合ってくれる、当初から「性的世界の住人」である存在。
金塚はおもに現象学を典拠としているけれど、同趣のことはラカン派も云っている。
いわゆる「女は存在しない」(たとえばジジェク『快楽の転移』、コプチェク『<女>なんていないと想像してごらん 』に詳しい)。
現象学、ラカン派の他には速水由紀子『あなたはもう幻想の女しか抱けない』も同趣旨。
長文ごめんなさい。次から簡潔に書く。
>>1の話を先に進めてほしい。
結局はトロッコ問題だよ
片方には子猫が5匹います、もう片方には憎たらしく暴力を振るう亭主がいます
私は少しだけ躊躇しつつも子猫のためにポイントを切り替えました
もう一つの例はこれだ
そのままトロッコが走るとシュークリームが5個壊れてしまう
そこへ運よく憎たらしい亭主が歩いてきた
私は一片の躊躇いもなく悦び勇んでシュークリームを守るために
亭主を上から突き落としました
さて注目は子猫だと悩むけれどシュークリームだとまったく躊躇わないことにある
換骨奪胎ってことでしょ
30 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 14:38:11.54 0
フェティシズムだろ
31 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 15:38:03.77 0
>>1 真面目な話「偽物フェチ」という異常性癖者が2月生まれ辺りに多く生息している。
32 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 21:20:33.47 0 BE:2505209639-2BP(0)
ずっと気にかかっているので、
我ながら誤解を招くスレタイについて謝罪させて欲しい
私はスレタイにエロティシズムの匂いのようなものを醸せるワードをもう少し使うべきだった
私はこのスレの持って行きたい方面を正確に言語化し
「エロティシズム」「美意識」等の用語を使って
スレタイを思いつくことが出来なかった
よって正確さよりも扇情性に重点を置くことにした
正確なスレタイでは人が集まらぬだろうと考えてもいたからだ
つまり何が言いたいのかというと、このスレでは割と幅広い話題を扱ってもスレチじゃありませぬぞ
(続く)
33 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 21:21:42.27 0 BE:5195988678-2BP(0)
(続き)
>>27 補足をいただけたことで、あなたの言いたいことをより深く理解することが出来ました
>>けれどその言説によって「完全なオリジナル」が抹消されたとしても、
>>同時に「(完全な)モデルが存在するもの」も抹消されている。
>>
>>1にある「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し……からの引用なので、
>>私自身は積極的に定義するつもりはない。
>>もしその部分にセンシティヴに話をしたいならば、逆に簡単に定義しておいてほしい。
>>
>>17で「完全なオリジナル」が不可能であることを述べているが、
>>それならば同時に「(完全な)モデルが存在するもの」も、ソシュール的言語学的に云えば支柱を失い、機能しなくなる。
>>つまりこの部分はあなたの言説から演繹したもの。あなたの言葉のエコーにすぎない。
(「ソシュール的言語学」との関連をよく理解できなかったのでとりあえずこれは無視します)
「あなた方の言うオリジナルキャラクターとはモデルが存在し……」内での
「(完全な《この三文字は誤解を招くおそれがあるが必要だ》)モデル」ですが、
「完全なオリジナル」が不可能であっても十分存命は可能です
しかし、これを説明するためには私の二次元観を説明する必要があります
結論の一つから言うと、「不完全なオリジナル」は「(完全な)モデル」になり得るのです
既視感の塊のような手垢の付きまくった「汚い二次元(不完全なオリジナル)」でさえも
無知の他者によって再発見されることで輝かせることは十分可能なのです
そしてその感動を元手に創作することで新しい二次元が生まれます
こうしてミームをばらまくことで二次元は生まれ変わるのです
(続く)
34 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 21:22:23.50 0 BE:2319638055-2BP(0)
(続き)
>>なぜ他者性を強調しうるのか、したいのかは浮かび上がってこない。
『私はこれまで現実の中でも創作物の世界の中でも、
独立してそこで活動している客体以外を魅力的と思ったことはない(
>>1)』からです
ややこしい言い方でした。つまり私は「ぼく(私のこと)の考えた最強の二次元」を愛せないのです
なぜなら、「モデルを介さないで創造することは不可能である」ためです
『自分(私)が知的活動で生み出したオリジナルに欲情するのは不可能(
>>1)』
しかし「彼女らは「私が生み出したのではない」という意味において「私は」(彼女らが)他人(オリジナル)であると認識できます」
私が他者性を強調したい理由は上の一文が最もわかりやすいでしょう
『個人の夢見る理想型の体現は永遠に不可能であり、それに近いものがあるとしても
それは先に述べたように他人(のもの)の内に見ることでしか実現が不可能であり、
条件が最良であったとしても必ず99%で打ち止まる
“二次元の繁栄は第一創作者の犠牲によって成り立っている”(
>>1)』
けれども巷では「あのキャラクターは既視感がある。パクリだ」と言われることがよくあります
しかし「オリジナルへの希望」は他者(の創作)の中にしか見つけられないのです
言い換えれば、オリジナルとは他者を通すことによって生まれるのです
いささか逆説的です。「『オリジナルは存在しない』を忘れることによって(オリジナルの)彼女たちを愛することができる」
(続く)
35 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 21:23:14.42 0 BE:556713623-2BP(0)
(続き)
>>まだ出ていないので後者のリクツを云えば、少し手垢がついた議論だけど、
>>「人は現実の女でさえ、その他者性を忘れることによってのみ愛することができる」、
>>そういう生き物だからっていう。
この部分は『オナニスムの秩序』の内容と類似していますから、あなたはこの影響下にあると私は考えます
>>「人は現実の女でさえ、その他者性を忘れることによってのみ愛することができる」
というのは「恋愛など所詮幻想」ということであると理解します
しかし先に述べたように「『オリジナルへの希望』は他者(の創作)の中にしか見つけられない」のです
結論から言えば「人は現実の女でさえ、その他者性によってのみ愛することができる」と私は考えます
つまり「完全に他者性を忘れてしまっては愛せない」のです
私がオリジナルに固執するのはいろいろな理由があります
…そっくりさんとオリジナルなら後者のほうが常に魅力的であるため
…三次元に対して二次元が常に劣っているのは「個体性/リアリティー/生命」つまりオリジナルであるため
…他者の中にこそオリジナルは見つけられること
まあオリジナル(純粋性)を好むのは一般的なことと思っているので省きます
>>そもそもキャラクターは、創作した本人にとってしか「オリジナル」キャラクターではない。
私とあなたを隔てる最もわかりやすい一文がこれなのでしょう
私にとっては、
「そもそもキャラクターとは、創作した本人以外にとってしか「オリジナル」キャラクターではない」のです
>>31 偶然にも、私は2月生まれです!
偽物フェチとはなんでしょうか?
(続かない)
36 :
judit ◆St0vrpHOHU :2014/03/14(金) 22:12:45.47 0
>>33〜
あくまで他者性にイントネーションを置きたいあなたと、
すべては自身の幻想である(いわゆる「他人の身体を借りたオナニー」説)という立場のわたしは、
たしかに隔たりがある。
それは一朝一夕に解消できない、エロティシズムの構造の違いのように思える。
だからそこは違ったままでいい。
話は一巡して
>>1に戻るけれど、あなたがスレを立てていいたかったことは、ようするに
「オイラは三次元であれ二次元であれ、他者性に興奮するんだーー!」
ってこと?
37 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 22:21:52.69 0 BE:2226852746-2BP(0)
>>36 自分の考えというものは、実際書いてまとめてみると案外にも意外な気付きがあるものです
また、「孤独なモノローグを脱け出す」ためには、どうしても他者の意見が必要であります
そして実を言えば、スレタイを論破してもらい自炊をはじめさせる踏ん切りが欲しかったというのもあります
結果としては全く逆になりそうですけどね
38 :
judit ◆St0vrpHOHU :2014/03/14(金) 22:33:34.24 0
>>37 あなたが他者性にしかエロスを発動させないならば、
あなたに自炊を始めさせることは誰にもできない。
なぜなら言葉の上で論破したところで、あなたのエロティシズムは変わるものではないから。
補足すると、
>「ぼく(私のこと)の考えた最強の二次元」を愛せないのです
>なぜなら、「モデルを介さないで創造することは不可能である」
この部分がわたしにとって違和感があるのは、
「モデルを介さないで創造することは不可能」なのはそうかもしれないけれど、
だからといってそうして作られたキャラクターがオリジナルでないとは言えない、と私の感覚は訴えている。
人間だってそう。ある人間が生まれるとき、彼女(彼)は、まったく彼女(彼)ではないものを素材につくられる。
それは、少し以前には精子と卵子、もっと以前には両親の身体であり、さらに以前には世界のどこかに漂う草や動物だった。
あなたを論破するつもりも変えるつもりもないけれど、
「ぼくの考えた最強の二次元を愛」せる人はたくさんいる。
だから
>>1の一連の議論は一般化しえない、やはりモノローグなのね。
39 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 22:57:55.98 0 BE:371142522-2BP(0)
>>38 結局、自炊の出来る人は、創作の持つパクリ性を気にしない人なのですよ
こうして話してる以上、既にモノローグではなくなったと思いますが、まあどうでもいいことです
哲学板にスレを建てたのは初めてなので、雰囲気のようなものがいまいち捉えにくいのですが、他の人の考えもぜひ聞いてみたいですね
今の精神医療の酷さを鑑みるに冗談であっても病院に行くことを勧めるのは笑えない
話も聞かずに薬漬けにされるだけですよ、今の精神医療なんて製薬会社の手の上で踊っているだけです
本来なら高額になるので薬は慎重に処方されるものですが
日本は保険が各種あるし上限も決まっているから、高額な薬でも処方し放題
だけならまだしも、酷いところは必要もない薬を出すわ出すわ出すわ出すわ出すわ
効果があるのか分からない多剤大量処方
挙句の果てには嘘の診断書を書いて誤診してインチキの処方をしてレセプト稼いで投薬まみれ
犯罪やら人権侵害やらが起きている、どうしてこんな自体になったかと言えば
そもそも医師たちがこんなデタラメをするだなんて想定していないのだ、モラルだけに任せてきたからね
少し前の検察と同じ状態が今でも続いているのが医師たちなのですよ
胡散臭いと思ったら勇気を持ってセカンドオピニオンをしましょう
金に注目が行きますが権力も見過ごせません
医療では医師から、適切な指導を受けたり、生活習慣を改めたり、マッサージをしてもらう
セラピーを受ける、カウンセリングを受けるなど様々な療法がありますが
それらは一般人でも入手や行うことが可能です、なのでありがたみにかけます
情報だけでも数千円も取られるのですからね、損した気分にすらなります
ところが薬剤を処方するのは医師の特権です、薬を入手するだけで何か凄い力を
手にしたような気分になれます、医師も権力を振り回すことに酔います
メディカルスタッフたちも医師の特権に従うことで偉くなった気分になれます
むしろ医師には特別な権限があるからこそ従うモチベーションになっています
それでも適切に処方されていれば良いのですが、権力を振り回すのが目的に
なっているケースがあるので危険なのです
41 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 19:25:44.39 0 BE:6680556498-2BP(0)
私は
>>37の夢を叶えるためにあえて自分自身(
>>1)に反論したいと思う
(「結局、自炊の出来る人は、創作の持つパクリ性を気にしない人」
ということを大げさに言い換えたようなものであるが)
>>27 「性的世界に付き合わせる(付き合ってもらう)」というのは、
認識論的な話だと私は考える(あなた自身がすでに言及しているのかもしれない)
なぜなら「付き合わせている客体」は(付き合わせようとしている側の)クオリアのことであり、
「物自体」は永遠に無傷だからである。また「性的」に限定される必要もなくなる
そして、しかし、「『他者性』はクオリアの内に残っている(この説明は都合により後に回す)」
>>27が「性的世界」にオナニーをも含んでいることから
「性的世界に付き合わせる(付き合ってもらう)」というのは、
内的な話であり、物自体は関係がないと考える
つまり自分で生成したものを消費しているに過ぎず、
やはり物自体は無傷である
モデル(客体)から感じられたクオリアを私はあえてオリジナルと呼んでも構わない
そしてこのオリジナルは、それの「元」である物自体のオリジナルと共生可能である
なぜならクオリアの方のオリジナルにはモデルが存在するが、
この方のオリジナルと物自体のオリジナルとは「別物」であるからだ
(続く)
42 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 19:26:29.66 0 BE:1670139836-2BP(0)
(続き)
「『他者性』はクオリアの内に残っている」について
その説明はこうだ
もしあなたの言う「他者性」が客体の物自体を指しているのなら、
そもそも他者性などクオリアの内には含まれていない
しかし私はクオリアの内に他者性を感じることができる
ここでいう「他者性」とは「客体の物自身について考えることができる」
と言った程度の意味合いであり、そして、ここに来てようやく私は次のように述べることが可能になる
「あなたの言う他者性と私の言う他者性とでは意味内容的にちがうものである」と
(だから
>>あくまで他者性にイントネーションを置きたいあなたと、
>>すべては自身の幻想である(いわゆる「他人の身体を借りたオナニー」説)という立場のわたしは、
>>たしかに隔たりがある。
>>それは一朝一夕に解消できない、エロティシズムの構造の違いのように思える。
>>だからそこは違ったままでいい。
は決着を着けることが可能だ。そしておそらくだが、それは引き分けになるであろう )
あなたが忌避する他者性とは「他者性(物自体)」であり、
わたしが渇望する他者性とは「他者性(感じる)」である
また「他者性(感じる)」は「他者性(物自体)」の劣化であることを意味しない
なぜなら物自体の認識は定義上認識は不可能であるからであり、
つまり、オリジナルとは「別物」であるからだ
(続く)
43 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 19:28:22.66 0 BE:3896991667-2BP(0)
(続き)
・・・・・・
例えば、私が「綾波レイ」に非常な感銘を受け、名前を一文字付け足す以外すべて変えていない
「綾波レイン」というオリジナルキャラクターを創作したとする
このキャラクターは大勢の人に明らかにパクリとみなされるだろうが、しかし決してパクリではない
なぜなら物自体の認識は不可能であるからであり、つまり、オリジナル(綾波レイ)とは「別物」であるからだ
・・・・・・
しかしこのように考えると、今度は逆にパクリなるものが存在しないことになってしまう
また、オリジナル(クオリア)の方はやはりモデルが存在し、
モデルが存在することが「パクリ」であるなら、これはパクリになってしまうことだろう
しかし、「モデルを介さないで創造することは不可能である」ため、
パクリに重きをおくなら今度はオリジナルが存在しないことになってしまう
私はギリギリのラインを歩いていると自覚する
『「認識」行為ではなく「感じる」行為ならパクリではない』
ということにしておかなければ、オリジナルなるものは全て消え去ってしまう
(このときもちろんに「パクリなるもの」は消滅している。
そして『』内を否定したら今度は「オリジナル」は死に「パクリ」は復活する)
一方を信じることによって、はじめて私に希望が残るのだろう
(続かない)
44 :
考える名無しさん:2014/03/28(金) 23:45:39.64 0
すべてパクリだよ。無から有は生じない。
音楽だって元をただせば鳥や雷からパクッたんだから。
45 :
考える名無しさん:2014/03/28(金) 23:52:32.63 0
overgeneralization
46 :
考える名無しさん:2014/03/30(日) 19:31:55.16 0 BE:1670139836-2BP(0)
47 :
逝ってしまえーpart2:2014/03/30(日) 20:48:09.49 0
模擬 りんご もぎったんじゃないの
48 :
逝ってしまえーpart2:2014/03/30(日) 20:52:53.97 0
回転の仕方は DNA と同じ
ニュートン 待ってたら
お爺ちゃん と お婆ちゃん になっちゃうし
49 :
考える名無しさん:2014/03/30(日) 20:57:27.11 0
問題はパクリした元をパクリと認めない点である。
それはどこからどこまでが創作であるかは誰も示せない、
だがそれを争うのは裁判で決まる、
故に裁判で有利な説明ができる金をもった企業こそ創作物の権利を得られる。
世界の仕組みはそういうものである。
50 :
逝ってしまえーpart2:2014/03/30(日) 21:05:14.67 0
パクリ って 言葉
何処から パクってきたんだよ って はなしw
パリ? クリ?
魚?
51 :
逝ってしまえーpart2:2014/03/30(日) 21:10:50.49 0
もりなが ぱっくんちょ?
ぱっくまん? 卵白? 圧迫? 緊迫?
金箔 銀箔 ぱく ぱく (笑)
52 :
逝ってしまえーpart2:2014/03/30(日) 21:16:21.37 0
ここで 懐かしのフレーズ
酸素足りてる?
by 洋楽
53 :
逝ってしまえーpart2:2014/03/30(日) 21:36:36.77 0
54 :
考える名無しさん:2014/03/30(日) 23:33:00.35 0 BE:371142522-2BP(0)
>>49 俺が言ってきたパクリ論は
どちらかといえば著作権とかの名目的な定義ではなく
キャラクター論やエロティシズム論を含めた
内的かつ非合理的な感情面での話だからねぇ
「他人は他人だからこそオリジナルである」っていうのは
個人的に気に入ってるんだけどねぇ
エロティシズムは基本的に他人にしか向かない
パクリの議論をするのならライプニッツは重要だぞ
モナドロジーで行こう
どれだけ似ていても因果性はないのだ
56 :
考える名無しさん:2014/03/31(月) 12:01:39.38 0 BE:2226852364-2BP(0)
>>55 わからないな
モナドとやらは具体的にどういうふうにパクリと関わるんだい
57 :
考える名無しさん:2014/03/31(月) 12:23:53.38 0
58 :
考える名無しさん:2014/03/31(月) 12:45:59.44 0
他者性に興奮するって書いてあるじゃん
>>56 猫耳と猫耳少女の猫耳は別物だと考えるのがモナド
ある部位が似ているのをパクりと解釈するか
部位が違えば別物だと考えるモナドか
60 :
考える名無しさん:2014/04/02(水) 21:27:18.22 0 BE:2783565656-2BP(0)
>>59 >>59については了解できるけれど
モナド自体は非常にわかりにくいね
仮に、どれだけ似ていても因果性がないのだとしても、
われわれはパクリと思しきものにパクリ性を感じ、オリジナル以下であるという残念感を感じることができる
するとパクリ性とは因果ではなくてそれ自体の属性ということになるとすると
パクリ体とはオリジナルが存在せず元からパクリ性を包含しているということにならなくもないね
でもこれはなんつーかやっぱり致命的なところがあるように思われる
例えば美の解釈には大きく分けて二つ、存在論的把握と認識論的把握があるけど
モナドはおそらく前者に位置している
でも後者の側のwikiの説明に
「…一方ドイツでは合理主義哲学の影響下に、ライプニッツの表象理論を継承した認識論的美論が展開される…」とある
第一モナド自体よく理解できないのだが
つまり認識論的な立場からすれば物自体は美しくもなくパクリでもないわけだから
知覚する側を無視して客体の方をどうのこうのっていうのは納得しかねるな
コピペーだけでモザイクした論文はモナドだからオリジナルだ。
パクリではなく、モナドを理解できていない証拠である。
つまり類似性も一部も著作物であるという定義を理解できていない詭弁である。
まずは著作権を否定せずにモナドとか喩えるバカっているよね。
いないだろ、そりゃ君が大袈裟に反発してるだけだ
ライプニッツ自体がそこまで人気ある人ではないし
そこまでラジカルにモナドロジーを主張する人なんて聞いたことない
>パクリではなく、モナドを理解できていない証拠
なんて原理的に主張する人が存在するのかも分からん、探せばいるのかも知れないが
モナド論を展開した時代は宗教の地位が低くなって混乱していたので神を擁護する必要があった
(ちなみに宗教の地位を低くしたのは活版印刷や、かの有名なガリレオさん)
なぜパクリ(因果律があるか)のように見えるのかを、神の予定調和で説明したんだよ
著作権とつなげて議論するのはやや乱暴な気もするし、おそらくアイロニカルなつもりで
書いたのだろうけど、コピペだけでモザイクした論文とは言えど二次創作として認められると思うぞ
判例があるのかまでは知らないけどな、無断で制作者の名義を変えるのは出来ないだろ
>>60 さすがにね
因果性や偶然性がないと言う発想は現代人からすれば突飛すぎるとは思うんだ
そんなに気にしなくてもいいでしょう
分かりにくくしている要因は現代人はマルクスや進歩史観を
無意識的に採用しているからだろう
64 :
考える名無しさん:2014/04/03(木) 19:00:18.97 0 BE:5845486897-2BP(0)
>>63 ふーむ
確かにわかりにくいけど
モノの最小単位が精神的なものっていうのは斬新な感じだね
カタチのない精神的なものが集まってカタチのあるものができるの??
みたいなことを俺はすごい言いたいんだけど
モノの最小単位はカタチのあるものに決まってる
っていう先入観が俺の今までにあったことは否めない
存在論みたいなところからパクリの話ができるのは考えつかなかったね
65 :
考える名無しさん:2014/04/03(木) 19:44:42.78 0
証明できるみたいですが
定義さえできないのに?
自然の営みを定義することで枠組みを規定するのは権力的な振る舞いとなってしまう
68 :
まーじ ◆ykDJvODuLA :2014/04/15(火) 15:04:06.51 0
小説における、CHILDBIRTHについてテツガクせよ。
それは、尊い、うみ(産、膿、海)である。
初音ミクに限ると、はちゅねミクやダヨーさん
強いては製作者の名前が当てられたlat式ミクなどミク自体が種族化している
果たしてシミューラクルでどこまで説明できるのだろう
一応はどれも本物だ、循環の中で生み出される陰のような存在なのだろうか
70 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 03:32:07.44 0
コピー天国と言われる中国は急速に創作力を上げている。
ちょっとコピペしたくらいで社会からボコボコにされる不自由な日本
の創作力を追い抜くのは時間の問題だ。
72 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 07:22:30.52 0
知的財産権?の意味が日本社会では良く理解されてないから、
日本は身動きが取れなくなってるんじゃないかな?
wikiを見ても、日本人関係では圧倒的に新しい時代の
写真が少ない。
要するに100%パブリック・ドメインに依存せざるを得ない。
これじゃ、完全な素人だわな。
情報の更新が、50年経たなきゃならんのでは、
世界から遅れて行くばかりだ。
日本も戦後の高度成長期なんかは結構きわどいものがたくさんあったような感じがする
74 :
考える名無しさん:2014/06/11(水) 14:30:58.08 0
日本は衛生と安全で世界一?
創造性というのは一種のばい菌であり、毒だからな。
衛生と安全を優先し過ぎて「創造」が死んだ。
2chにしても、規制ばかりしてるから、
創造的なスレ進行を阻害する。
76 :
考える名無しさん:2014/06/13(金) 23:12:52.33 0
人の真似をすることは卑しいことだという前提がないから、中国にも強く物が言えない。
日本企業自身が猿真似してのしてきたから。
個人発明家のアイデアを二束三文でかっさらうなんていうのは朝飯前。
特許訴訟でそういう猿真似大企業の横暴はたくさん見て来た。
この問題を解決するには、まず、
「理論も技術もアイデアも、最初に考えた人が所有する。」、「猿真似は悪」
という常識を定理として固めねばならない。
高度成長期に大企業が成長しきって
現在は渋谷あたりにIT系無法地帯みたいなのができて
そこでアメリカより規模の小さいのをやっているのがせいぜいって
かんじなんだから大きな新興工業のあらたな進展なんてあるわけないじゃん
78 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 04:00:45.00 0
>>72 よくありがちだよね。
日本人(アジア人)はバカの一つ覚えだから、西洋文化を導入したら最後修正はできない。
・著作権無かった → 欧米から著作権を習う → フェアユースを理解できない。← NEW
・グラスは鷲づかみ → 欧米からワイングラスの脚を持つと習う → 今の欧米ではほぼやってないが修正できない。
・歌舞伎でも活動写真でも観客大騒ぎ → 欧米から公共の場では騒ぐなと習う → アメリカの劇場みたいにリアクションしたりシングアロングできない
・ポルノ大国(春画) → 欧米から野蛮だと習う → 今の欧米のように無修正AVに軌道修正できない。
・刺青大国 → 欧米から野蛮だと習う → 、今の米国は5人に1人が刺青なのにまだ偏見を修正できない。
・撮影時ハンドサイン無し → ピースサインを習う → 今の欧米ではあまりやらないのに修正できない。
・髪は日本女性の命 → 欧米にベリーショートを習う → 部活女子の定番。逆に今の欧米では髪は女の命。
・放送で「中指立て」にモザイクをかけない。・異教徒がチャペルで結婚。・バレンタインは女性からのみ。・クリスマスは恋人と。・プロポーズで男がひざまずかない。等々
79 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 06:34:10.87 0
>>78 例えば、パクリを暴露するには名誉毀損の問題が付いて来る。
名誉毀損については解釈が曖昧だから、スキャンダル・ジャーナリズムも
及び腰になり過ぎて、つまらなくなった。
それで、ターゲットの中でも名誉毀損で訴えることの出来ないと思われる
弱者への攻撃が多くなってるように思う。
在日系の殺人犯で貧しい生い立ちの者などはターゲットになりやすい。
在日系でも金や権力のある者には批判が行きにくい。
パクリ疑惑のある芸術作品は日本には本当に数多くあるが、それを
曖昧にするそれぞれの業界体質がある。
佐村河内守と新垣隆の代作関係を暴いて、大宅壮一ノンフィクション賞を
受賞した神山典士は代作者としての新垣のモラルを十分に批判したとは
多分、思えない。
代作はパクリ行為の隠ぺいの一種だ。
でも著作権とか盗作云々を厳しく言い過ぎるのは必ずしも創造性にプラスではないんじゃないかな
81 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 08:35:51.01 0
>>80 そういう例で有名なのは、江藤淳が倉橋由美子作『暗い旅』を
ビュトールの『時間制』の模倣だとした例だな。
江藤は庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』も同様に、
某アメリカ小説の模倣として批判した。
だが、江藤の批判は、それぞれの作家の背後にいる者達への
嫌悪だった可能性も高い。
倉橋の場合は彼女の恩師である中村光夫であり、
庄司の場合は丸山昌男に対する江藤の面当ての面があったのでは
ないかな。つまり、政治性を帯びていた。
そういうことから切れた、すっきりした盗作批判は割合と少ない
のではないかな?
率直な盗作批判が奨励されれば、業界を活性化させるかもしれない。
純粋なオリジナリティーというのが果たしてあり得るのかという問題もあると思う
特に近代以降はそういうものがあると信じられ、また称揚もされてきたわけなんだけど
83 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 10:57:00.18 0
口承文芸の世界的な伝統があっての、世界文学だからな。
盗作があるとして、盗作の盗作がオリジナルの質を持ってる
ケースはあるんじゃないか?
デリダが、「バベルの塔」で論じた翻訳の問題や、
パロール、エクリチュールの関係など今や、完全に
子供騙しになってしまったが。
議論する前に、創作の定義と類型、パクリの定義と類型を整理しないから
こういう無意味なポエムみたいな議論になる。
85 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 11:23:46.50 0
ポエムで良いと思うよ。
ポスト構造主義などポエムの典型だろ。
86 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 11:46:49.55 0
ポエムそれ自体は別にやってもいいんだが、
だったらチラ裏って話だよな。
著作権の話は当事者性によって議論が引っ張られる
要するに金の話だ、他にも論点はあるけど一番影響受けるのはやっぱ金
困ったことにこういう掲示板やツイッターみたいな素人の意見の方が
よっぽど参考になる
著名人たちは権利者だからどうしたって中立になりようがないので
バイアスのかかった見解しかなく参考程度にしかならない
権原という法律の概念があるのだけど話題にならない
きっと権利者が好んで話題にするはずがないのでメディアに載らないからだろう
著作権関係に権原があるのかは分からないが、二次創作にも権利があると認める
判例もあるようなので権原があってもおかしくない
Aさんの所有する土地の上に、Bさんが果樹を植栽したら果樹はBさんのものだよ。
みたいな概念のことのようだ。Bさんが権原者になる。
>ある法律的あるいは事実的な行為をすることが法律上正当とされるための根拠となる原因(引用)。
意味するのはフェアユースの事だろう
おそらく日本にはフェアユースより権原が馴染むと思う
何故なら日本人はフェアが好きではなさそうだから、嫌っている印象すら僅かながらある
それよりかは事実性や現前性が大好きだ、できちゃった婚とかあるしね
ユーセンにしても公正さよりも既にあるものだから認めたのではなかろうか
この構造はある事業とも似ている、それは放送局だ
テレビ局も電波の使用料を払っておらずただ乗りしている
事実性が優越してしまっている
下のみならず上もそうだから日本の特徴ではないかな
89 :
考える名無しさん:2014/06/23(月) 13:47:22.63 0
アイデアは考えた人がその所有権を有する。
デッド・コピーでない限り、付加価値を創造したことは正当に評価されなければならない。
その評価は市場によってなされる。
90 :
考える名無しさん:2014/06/23(月) 13:48:32.02 0
「あらゆる創作物はパクリである」なんて言葉は誰のために在るかって考えれば
つまらないヤツのために在るんだろうなと思うわ
91 :
考える名無しさん:2014/06/23(月) 18:35:21.63 0
言わずもがななわけだからね
92 :
考える名無しさん:2014/06/24(火) 02:35:42.10 0
パクリというのはデッド・コピーのことであって、何かを参考にしたというものを指すわけではない。
94 :
考える名無しさん:2014/06/26(木) 22:24:57.15 0
じゃあ他の定義提案してみ。勝手な定義と言ってやるから。
95 :
考える名無しさん:2014/06/26(木) 23:12:47.34 0
パクリと感じさせないように真似るのが創造的な創造。
96 :
考える名無しさん:2014/06/27(金) 01:27:07.54 0
感じるかどうかは個人差があるだろーが。勝手な解釈だな。
いいもの作ろうとすると萌えやロリコンになっていく
デザインの到達点だ
書き分けが出来ていないと否定的に評されることもある
98 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 01:43:53.17 0
いいんじゃないですか?ボクも好きだし。
「あらゆる創作物はパクリである」なんてパクられてから言えよ、その台詞
パクられたこともないくせによくもまあ、とはしょっちゅう思うわ