◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない226◆
1 :
「機械的唯物論」者:
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない225◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1390836791/
2 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 00:16:05.11 P
いのちの「構造」→フラクタル
いのちの「実態」→力の模様
と前スレで述べた。
では、それらをより詳しく説明することが哲学的であることを加味し、少々説明しよう。
聞きたくない人はトリップNGで宜しくお願いします。
3 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 01:18:35.72 P
まずは構造。
フラクタルというのは、部分が全体の相似となるような図形を意味する。
このような構造は、自然界で多数観測できるでしょう。
そして、系にある「構成要素」を、一つの式で、部分と全体が相似となる上位次元の系、もしくは下位次元の系を求めることができると思う。
その構成要素が、後述する力の模様、特に、系の保持(安定)への指向性である。
あまり科学の専門用語は使いたくないが、散逸構造における自己組織化臨界現象では、その過程をべき乗則として観測することができる。
このべき乗則が、即ち保持への指向性である。
このような構成要素をもった系を、いのちとする。
で、いのちがフラクタルとなることを哲学的に論ずるならばだ、前スレの通り、「いのちはいのちから生まれる」という命題を建てれば良い。
自分のいのち→親のいのち→生物の始祖のいのち→地球の…全宇宙の、と、いのちを時間的に観れば演繹されていると理解できる。
或いは、科学的、空間的にみるならば、系を含む上位の系があることを観測できる。
まず「いのち」とか言う命名がダサい。恥ずかしくて聞いてらんない
5 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 01:35:35.57 P
次に実態。
まず、力はエネルギーの意で、実体ではあるが、ただの前提であるので、そんなものは無い。
仏教でいう空と同じく、実体はないというのが、即ち力である。
であるから、力=無となる。
無という「それ」が、力というポテンシャルを持つという意味だ。
そして、安定への指向性から、実体は実態へと転じた(いのちが自ずから生まれた)。
この実態は、法・気・光・質・熱の五態として「観測」できる存在そのものである。
これら五態が織りなす模様を、別の謂いで「もののこと」と説明する。
力の模様、もののことが、実態であり、いのちである。
五態やもののことの詳細は、長くなるので割愛。
知りたかったら答える。
決定論が描き出す唯一の可能性としての宇宙は、人類全員の妥協点を取るのだろう
りんごの形状としての局面は、りんご妥協点が集合したりんご妥協面であろう
70億人の人類全員が、なんでもありの空想をぶつけ合えば、一つの妥協型現実世界として像を結ぶ筈
7 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 01:42:01.04 P
>>4 物理学では、やや気どって「系」と謂うww
ところで、私の系、このシステム全体を一言で表すならば、いのち以外に考えられないと思う。
命や生命としないのは、「生物の」という区別を排除したいために、そのような意味を持つ命や生命と分け、ひらがなとした。
カタカナでも別に良いんだけどねww
>>5 まだ、つづく?
つづくなら、とりあえず、終わったところで、「以上」等の
終決の言葉を示してください。お願いします。
>>7 別に「お前の」系じゃないwフラクタル構造発見者か?
お前がやったのは恥ずかしい独自命名だけだろ?
>>5の内容は知らんが、2行目まで読んで投げた
11 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 02:09:59.75 P
>>8 以上ですww
>>10 そうか、恥ずかしいのか。
でも恥ずかしいと思わない人もいるので、それは客観的事実(=総合的主観事実)とはなり得ないだろうね。
思想(宗教)は、哲学的でもあり、科学的でもある方が、「確からしさ」に一定の説得力を持たせられると思うので、そのような理論を構築している。
まあ地震のことを「大地の怒り」などと称して信じてる人も居るわけだしな。別に構わんが
宗教とか思想とかついでに言えば哲学も科学という光で解明されていない暗がりに潜むダニみたいなもんでね
光が当たるとギャーと言いながら滅ぶか次の暗がりに移り潜むという憐れな生き物でもあるから
そのうち絶滅危惧種として保護される様になると思う
科学という光が照らし出すのは現実という闇なわけだが
そんじゃいっぺん科学を全て放棄して生きてみたらいいよw
16 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 11:13:03.15 0
自然科学についていけなくなった哲学者は、理解できない自然科学を否定するため主観主義を崇拝している。
いくら科学的根拠を並べたところで哲学者の耳には届かない。
観念というのは、どうやって発生しているのか哲学的に説明できているのでしょうか?
哲学を知らないので、国語レベルの言語で教えて頂けると幸いです。
いま、ここにいるのが私。
「ここ」はそこにいる相手と相対し、「いま」はそこにいる相手と共有されている。
相手と相対しながら、相手と間を共有している存在、それが私。
我々はそもそも観念しか知らないんだよ?
世界にはアナログ波しか存在しないけど
実際にデジタル情報のやり取りは可能なんですが
21 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 15:17:22.66 O
我々は直接「外界」を知る事はできない
そりゃ内界に対しても同じでしょ
23 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 15:34:54.56 O
内界とは何を指しているのかね?
「我」と「他」しかないのだが
なんだ最低位かよクッソ時間の無駄
あんたが使った外界の対義語として配置しただけ
その使い方なら我なんじゃない?
先が読めるから結論だけ書いとくよ
あんたの中ではそうなんだろう、あんたの中ではな
もう絡んでくるなよ
25 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 15:47:20.86 O
ちゃんとハンネ付けてるだろ
勘違いをひとのせいにするなや
A「ケガしたら痛いですよね」
B「あんたはそうなんだろ」
こんな感じの会話だな
26 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/17(月) 17:51:58.50 0
>>17 「観念」というのは、意識内容として与えられている、すべての対象を指します。
たとえば最高位のいう《私》はその典型。「私の存在性」と彼は称しているけれども、
「私という観念」が意識内容として「与えられている」というにすぎません。意識内容
として「ある」ということです。
だから、意識がなくなれば《私》をはじめ一切の「観念」は主観においては消失します。
27 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 18:22:02.13 O
>>26 自我一般として、大多数の人が、それで納得して終わりだが
問題は、なぜ「私」なのか
ということ
存在するに至るための、何の根拠も発見できない「私」が存在しているという事実
どんなに科学が進歩しようとも
人間の精神性の根源については、解明のしようがない
という事実
ここにひとつの結論がある
>>11 フラクタル、べき乗則というような用語を用いているが、
これらの法則を用いて、幾何学および数学により哲学的な思惟を
解析・分析することを目論んでいるんですか?
それとも単に説明の便宜上、用いてるにすぎないのですか?
29 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 18:50:05.19 P
>>28 科学的な検証は科学者にお任せするよ。
単に科学的に検証することも可能ですよっていう話です。
しかし、どんなに哲学的だろうと、どんなに科学的だろうと、最終的に何かを断定するならば、それは信仰となります。
その辺はわきまえているので、最高位の様に「事実です」だなどとは言えない、ただの宗教。
というか、人は皆、常に知覚を通して「断定」を行っており、そのおかげで円滑な社会を築いている。
これを「原理的信仰性」と呼んでいる。
30 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 18:52:24.08 0
>>27 事実はその概念に普遍性と非普遍性という矛盾をあらわに含んでいるという事実 no offense though
人が行っているのは断定ではなく、より良い方向へ進む為の判断に過ぎない
ベストを決めるのではなくベター寄りであればそれで良いのだ
科学だって現状を最も良く説明している理論が採用されるだけでより良い理論が現れれば棄却される
さて、宗教や思想、哲学と科学ではどれがモアベターかな?
32 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 19:08:14.43 O
33 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 19:12:36.28 O
>>31 それは功利主義的な価値観を持つ、キミの哲学
というか思想
34 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 19:14:20.15 P
判断であって断定ではないのか。
それじゃ言葉を扱えないんじゃない?
机(と日本で呼ばれているもの)を、これは机なんだと、このように了承・決定して意思疎通が可能となる。
でも、他の社会では、これはDESKなんだと言う人もいるだろう。
単に母国語が違うから、というだけでは済まなくなる。
宇宙人が現れて机のことを「×%€〆」と呼んでいたら、もはや机と呼ばれているものは一体何なんだ!?となろうww
そこで、「他の社会では呼び方が違う」という知識はつくが、それは同時に、机は絶対に机だと断定できなくなる。
でも、普通に机だと思っちゃうよねww
要するに、社会的な生活の為に知識は共有されなければ成り立たない為に、必要性から信仰が生まれたのだという話。
>>29 単純な構造の繰り返しのようなもの(フラクタル)で説明できる
という主張も含んでいないと考えてよろしいですか?
知識の共有に必要なのは単なる取り決めであって信仰などとは無縁
37 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 19:21:27.34 O
>>29 キミのは
まるっきり理屈のない飛躍があるから宗教だと言ってるんだよ
否定のしようのない理屈の組み合わせは、信仰とは言わないだろ
否定しようのない理屈なんだから
信じるとかの作業ではないからね
仮にさ、自我を持つロボットが作れたとして
そのロボットが思ったことは誰が思ったことになるのかな?
ロボットかな?プログラム書いた人かな?
39 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 19:33:35.98 P
>>35 構造として「要素」はあるので、それを正確に抽出すれば、単純な式で様々な系を説明出来るだろう、という主張。
その要素は、生物だろうが非生物だろうが共通の要素を持つはずです。
そのような要素を以てフラクタルとして説明されるべく、今日でも科学者は散逸構造や自己組織化やべき乗則の研究が行われているということです。
>知識の共有に必要なのは単なる取り決めであって信仰などとは無縁
そうですね、全人類が無意識下の取り決めで妥協ポイントの集合として宇宙を形作ったのでしょう
国境を定めるのと同じやり方です
現実世界とは、取り決めにより秩序を与えられた共同の空想なのでしょう
>>39 では、力、エネルギーというものは、一体どのようなものを指しているのでしょうか?
物理学上のそれとは別物だろうということはわかるのですが。
43 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 20:29:58.25 P
>>42 別物ではないです。同じです。
ただ、物理学では法(意志)や気(場)というエネルギーを認めていないので、そこは独自理論ですお。
付け加えておくと、我々はエネルギーそのものなど一度も見たことがないのです。
従って、エネルギーは実体ではなく、五態としての実態でしか知りえないのです。
決定論の前では実態が有ろうが無かろうが同じ
一つの道、唯一の形態しか取れないのだから
>>27 「私」が主体であるなら、あなたにそれがあるとして、
あなたから見て、他の人にも同様に認められるものとして想定してますか?
>>43 同じとすると、物理学的な法則に従うことになりそうな気が。
これは十分に再現性を検証可能な問題になりそうですが、大丈夫ですか?
類似性を指摘する程度に留めるべきでは?
>まるっきり理屈のない飛躍があるから宗教だと言ってるんだよ
自分で自己紹介している最高位、おまえのそれが常に飛躍しているのに
気が付いていないのが凄い。
48 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 22:40:16.40 O
>>45 他人に関しては、わかりません
ただ、自分以外の人に主観がなく、哲学的ゾンビである場合
哲学的ゾンビなど論破する必要もありませんし
自分以外が全て哲学的ゾンビである場合は
独我論が正しかったという事になってしまうだけでしょう
49 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 22:43:05.48 O
>>47 そんな抽象的なこと言ってないで
それを具体的に指摘すればいいんじゃないの??
>>48 なるほど、わかった。
さてと、ここからは、ほとんど感想みたいなものですが、
あなたの言う「私」ってやつぁ、懐疑の果てにあるただのどん詰まり。
懐疑によって消化しつくされたただの残りカスですな。
下品な言い方をするとウンコみたいなもんで、それそのものに大した価値はないですよ。
完全に懐疑を尽くした結果であるかは、微妙な感じですが、疑い得ないものはあるのかって
いうよりは、どこまでのものが疑えるのかっていう過程のほうがたぶん重要ですよ。
つまり、確かだと感じているものが本当のところは実はそこまで確かなものではなく、
疑おうと思えば、疑えるものなんだってのが重要。それによって、様々なものが、
その存在の基盤をどこにおいているのかを明確にして語られないといけない部分が出てくる
っていうことが明らかになるんだろうと思うんですな。
51 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 23:09:38.79 P
>>46 いいですか、物理法則という何か不変のものが存在し、それが物質なりを規定している、と考えるならば、それは間違いです。
物質の上位概念に法則をおいた場合、物理法則「が」物質を規定していることを証明しなければならないが、あなたはそんな法則そのものを見たことがあるのでしょうか?
それぞれの系が、自らを保とうとする指向性(意志=欲)によってせめぎ合い、その結果として一定の規則や性質が見えてくるのです。
>>51 そういうことを言ってしまう時点で、たぶん物理学的なエネルギーという概念を
超えちゃいますよ。
そうですね、決定論という不変のものが存在し、それが物質なりを規定しているというのが正解です
54 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 23:20:44.02 0
>それぞれの系が、自らを保とうとする指向性(意志=欲)によってせめぎ合い、その結果として一定の規則や性質が見えてくるのです
これはいい文章
55 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 23:32:30.75 P
>>52 法則が物質を規定しているとか言っちゃうと、物質を超越してしまうわけだが、それは良いの?ww
あと、ある系から分岐した(生まれた)系が、元の系と相似性があるなんてことは、検証するまでもない自明でしょう。
あなたは親と相似性があるし、岩が割れて石が出来た場合、元の岩と石には相似性がある。
例外などありません。
全宇宙のいのちを演繹し、いのちからいのちが生まれ、それは相似という構造はまさにフラクタルじゃないですかね。
>それぞれの系が、自らを保とうとする指向性(意志=欲)によってせめぎ合い、その結果として一定の規則や性質が見えてくるのです
これは下から、あるいは個の視点からの見方ですね
上から見ると、どうせ一定の規則や性質は一点しか取れない、元々可能性はひとつしかないように見えます
究極あるいは至高の一点は、妥協の結果取られる一点と一致するのでしょう
しかし至高であろうとも純粋性を欠いていますから、理想とは相容れない現実なのです
理想とは純粋な善、現実とは善+悪
>岩が割れて石が出来た場合、元の岩と石には相似性がある
ここはウソやろww試しにその辺の石ころペンチで砕いてみ?
>>51 うーん、説明不足でした。
物理学と同じものって言っちゃうと、物理学の系に取り込まれることに
なるんじゃないのか?とかそういうことですかね。
表現の違いというとそれだけですが。
物理学法則との連関とか統一とかそういうことを意図していますか?
59 :
大王:2014/02/17(月) 23:38:40.24 0
大雪降れば、インフラ整っているところから停滞するんだよな。
もうちょい大地に感謝しろよ。
60 :
大王:2014/02/17(月) 23:41:23.14 0
悲しいことに(俺は全然悲しくないがw)、どれだけ科学を極めようが
自然を解決はできない。
むしろ、科学や文明を高度に発達させている
という「自然」そのものが必然的に何かを引き起こしているわけだ。
決定論者諸氏は、自らの理念によってどのように世界が変化していくかを
見ていない。
感謝して、大王を生贄にでも捧げようか?
62 :
大王:2014/02/17(月) 23:43:49.95 0
一切、本当に一切が常に変わっている。
現象し、その残存を探っているうちに次が出来ている。
生成されているものは常に最新だ。
唯物論は、世界を「止まって」考えている。
そこが最大の汚点だな。
ラプラスの悪魔に類する話を知らん奴はさすがにここには、おらんでしょうよ。
64 :
大王:2014/02/17(月) 23:46:57.75 0
>>61 よし、まず君を土にかえそう。
あんまり肥料にならないみたいだが。
65 :
考える名無しさん:2014/02/17(月) 23:47:40.41 0
いや俺も大王サクリファイスに一票を投じるよ
決定者釈迦の掌の上で、一切、本当に一切が常に変わっている。
始まりも帰結も想定の範囲内に収まる
>>64 じゃあ、せーので同時に大地に自らを捧げますか。
68 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 23:52:23.09 P
>>57 同じ材質から分岐したんだから、成分一緒でしょ。
ちなみに、皿を落として割った場合、その破片の分布グラフもべき乗則となる。
何かものが変化を起こすとき、安定への指向性としてべき乗則は立ち現れる。
>>58 物理学で扱えるものは物理学でやったら良いんですよ。
実際自然哲学は物理学にその座を明け渡した。
だから基本的な科学的発見に反旗を翻しても仕方ないww
でも、力の模様とかもののこととかは統一理論として提示してるだけで、その先の社会科学や人文科学、道徳や人生などのほうが大事でしょう。
俺の主張は寧ろそっちメインなんで。
そうだねwwでも成分とか言い始めたら質量は皆エネルギーから成っているのだから全部相似だね
>>68 うーん、そういうことになってくると、いずれ統一される理論が出てくるだろう、
出てきて欲しいっていう意味においては、説明(表現)の仕方の問題で、統一する
概念として、力の模様とか「いのち」とか「もののこと」とかの概念を用いてる
ってことくらいしかわからん。その中身に抽象性・柔軟性をもたせられると、
承認されやすくはなるだろうけど、理論としての旨味がごっそり抜け落ちちゃう
気がする。
71 :
「機械的唯物論」者:2014/02/18(火) 00:09:08.26 0
>>42 >別物ではないです。同じです。
>ただ、物理学では法(意志)や気(場)というエネルギーを認めていないので、そこは独自理論ですお。
物理学における「エネルギー」は、「エントロピー」等の比較的判りにくい概念と違い、
サー・アイザック・ニュートン卿の時代から「ぶれ」はありませんよ。
>法(意志)や気(場)というエネルギー等は物理学を知らない奇術師が「もっともらしく
聞こえるかも」と考えて考え付いたのが見え見えの「いかがわしさ丸出し概念」ですね。
とても「科学」の検証に耐えるようなシロモノではないと思えます。
仮にご本人が本気であるならば、クロウリーやグルジェフやスウェデンボルグ程度まで
「イカサマの体系」を尤もらしく整えることで「面白い読み物」は出来るでしょうが…。
まあ「科学者」が真剣に相手にすることはあり得ないことは(当然ご存じでしょうが)
肝に銘じておくことをお奨め致します。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
72 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 00:11:21.53 0
誰の言葉か忘れたが、
自然は必ず最短のコースをとる
その一点は量的な意味で純粋に欠くが
しかし質的な理想に至る最善でもある
決して届かない(統一されない)宿命にあるがw
法(意志)や気(場)の有用性は決定論者も認めるところです
エネルギーに変換できるとは思いませんが
決定論は共同空想を現実へ固定化します
空想の名残として法(意志)や気(場)は残る筈
74 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 00:17:59.01 0
>>72 いや違うな
おそらくライプニッツが正しい
>>72 「自然は必ず最短コースをとる」
こういうことを聞くと、あまりに都合が良すぎるので、
自然という枠組みで他のものと区別するための基準に
「最短コースをとる」こととの相関があるんだろうな
とか思ってしまう。
76 :
大王:2014/02/18(火) 00:22:54.97 I
地球の水蒸気の量は氷が溶けているのを
抜きにしたら、一定なわけで、
あんまり雪降らないなら、
いつかたまったもんが落ちてくるに決まってる。
それが日本の何処かか、
または他国なのか。
それくらいわかるだろ。
なにをやってるんだ…
なんのためにの科学だ。
77 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 00:23:25.58 P
>>70 中身ですか…。
中身についてはまだそこまで披露したことは無いのだが、例えば情報の営みとしてのミームという概念も、また一つのいのちとして「保持への指向性」を持つといえます。
また、集団幻想としての国家や会社や学校や団体、これもまた一つのいのちとして「保持への指向性」を持つといえます。
このように、観念や情報の世界まで全て統一理論として説明できると考えます。
そこから、人間の営み、行為を詳細に分析し、どうあるのが理想かみたいな人生論、国家論となっていく。以上。
78 :
大王:2014/02/18(火) 00:24:05.12 I
本ばっか読んでっからだよw
79 :
大王:2014/02/18(火) 00:30:51.24 I
ある科学知識を応用した場合のある側面における
利益が、人間全体の健全な社会維持と促進に繋がらないことは
山ほどある。
あんまり、目先にこだわりすぎ。
しかしまあ、後始末だけでパンクしそうじゃないかよ。
過去50年、60年、現実世界を廻って体感してきた者こそが充実した中身を語れる
>>76 よくわからんが、海は広くて大きいよ。
>>77 「保持への指向性」というのがキーワードですか。
結果論的に保持されなかったものも保持への指向性ってのはあるんですか?
82 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 00:41:16.50 0
量的な最善とは、
各々が独立していればいるほどその最適解を得る
しかし我々は独立して生を営めない
私を保持するために、複雑系に依存しなければならないから
環境に適応できないことは、私を失うことだ(いわゆる統失)
部分は部分に依存しながら、部分を自存することに最適でない(最短に限らない)が
それを全体(自然)としてみると、最適化されている
質的(な価値)は部分にしか有しない
とすれば、この現実(全体)は理想にある
部分がそれを尺度しているだけで
だが、
83 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 00:46:20.79 P
>>73 いや、エネルギーに変換されるかされないか云々というより、されなければならないと考える。
もし、エネルギーと等価ではないとするならば、エネルギー以外の何か別の概念を持ってきて説明せねばなるまい。
そうすると、精神だの霊魂だのって始まっちゃうわけだww
それも一つの信仰だろうが、そんなもんは無いって考えだから、心だとか意志はエネルギーで説明せねばなるまい。
84 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 00:50:28.22 0
私が誰であるのか、
例えばここに書き込むことで確認される
しかし、それを確認しているのは誰だ?
確認される誰かに依る(呼びかけられる)私ではない
そして、それを確認できるのは誰でもなく、この私でしかない
この「私」は量的でなく、質的な一点である
もうぐっちゃぐちゃだな
寄せ鍋一元論者って改名しろよ
少なくとも成人した後であれば、社会性に依存しなくても等質に陥ったりはしないのでは?
逆に社会性だの保持への志向性といった方向性の統一で上手くいくならとっくにこの世界は
平和そのものだろう。
87 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 00:56:50.47 0
全面的に依存してたら小保方さんのような発見は生まれない
法則を産むのが我々であるなら、それを破るのもその誰かである
>>83 いや、レスした人とは別人だけど、そういうことじゃなくて、
位置エネルギーが運動エネルギーに変換されるように、
あなたの言ってる哲学的なエネルギーが、例えば運動エネルギーに
変換されるってことはないでしょ、てことだと思う。
89 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 00:58:34.76 0
法(意志)や気(場)はダークエネルギーであるとすれば丸く収まる
それだと俺らに無干渉じゃん
92 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 01:01:52.70 0
自作自演スレ
ともあれ、法(意志)や気(場)は少なくとも確率を操作して幸福を呼び込める、というのが直感による印象
確率を操作出来るなら原子時計を進めるなり遅らせるなりすぐに検出出来るだろうよ
95 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 01:17:01.27 0
必然に過ぎないけど、脳に意図的に外部から変化を与えた場合はまた変わってくるんじゃないか
精神病は脳の病気としてそういう医療分野が盛んに研究されてるみたいだけど
その意図的というのもまた必然っつー話だろ
非器質性精神障害とか言い出すと微妙。
>>96 決定論はそんな悪くないけど、決定論を絶対的に前提にして、
なんでんかんでん決定されてるんや、って前提でしか物事を
考えてはいけないとかって話になると、正義とかもっと具体的に
言うとある政策を選択することの正しさとかを論じなきゃいかん
っていうこととの整合性がとれなくなっちゃうよ。
だって、どこまでいっても予測とか予想するって視点で論じなきゃ
いかんってことになりそうだもん。
99 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 01:23:24.04 P
>>88 例えば人間で考えると、まず人間の行為は全て意志(か欲)によるといえるだろう。
意識的か無意識的かは置いといてね。
で、多くの人は、人間というのは炭素化合物で出来ていると考える。
すると、とても奇妙だよね。
自分が、自分という炭素化合物を「操作」しているわけだ。
こうなると、炭素化合物の上位概念として意志が置かれることになる。
人間に限らず、凡そなんでも「動いている」。
止まっている様に見えていても、ミクロ世界ではやはり動いている。
これを「勝手に動いている」と断じて思考放棄するのも一つの考え方。
保持したい、安定したいという(無意識的システムとしての)欲から意志に転ずるというのも一つの考え方。
これは唯の推測だが、欲=意志の発生が、即ちいのちの誕生なのではないかということ。
それは、系を統括して操作するエネルギーではないかな。
例えば意志のエネルギーで100人が原子時計を進めようとしても、
1億人が原子時計は正確だと思い込めば、思い込みの意志のエネルギーで相殺されるw
>>99 いや、物理的に変換されるってことだから、保存則ってのもあるし、
そういうところと整合性をとれるのかってこと。取れないとそりゃ、
もう物理的な変換じゃないよ。
>>99 もういい休め
そして起きたら高校物理あたりからやり直してこい
103 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 01:32:22.54 P
どのみち、自己組織化についてもう少し研究が進まないとって感じだね。
でも、現段階でも自己組織化・フラクタル(相似性)・べき乗則は、密接な関係があることは確かで、これらを統合した「いのち」という概念を通して研究して欲しいね。
104 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 01:35:46.02 P
>>101 いや、だから「動く」という物理的変換をしているじゃないかww
>>102 高校物理は古典力学だから嘘だらけ。
105 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 01:35:52.66 0
自然は最短を辿るというとき、
最短の意味がわからないな
106 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 01:38:20.98 P
最短でないものが存在しなけりゃ比較できないし、それが存在していたら「不自然」というおかしなことになるww
107 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 01:42:17.51 0
必然に過ぎない事がわかった場合、完全な未来予想が気になるな
>>104 動いたら、なんか減るの?
いや、たしかに減るんだけど、減ったものと増えたものの総量が
等しいわけでしょ。そこに、別のエネルギーが入る余地無いじゃん。
物理的なエネルギーには、変換されてないじゃん。
サイコキネシスみたいなんでもないと無理よ。
未来は知らない方がいいぞ
決定論は黙示録を生み出している
ものによるよ。天災を事前に予測できるのは、
概ね良いことだと思うよ。
111 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 01:50:11.32 0
当てはまるから選択する(例えばべき乗則)、のでなく
選択するから当てはめる
それが最適だから
なんの最適?
生のためでなく、知が単純を好むから
それは死への切望
芸術もまた、死(無)の表現を希求している
112 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 01:54:04.88 P
>>108 エネルギーを何に消費したかって、正確に測れるのん?
保存則は勿論適用されるんでしょうけどね。
113 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 02:00:06.95 0
生でなく、知ですべて説明つく
知が生や意志や欲を説明付ける
>>112 正確に測れるかどうかは知らないけど、測れないレベルの量を問題にするなら、
どのみち、変換されたエネルギーなんてほぼないじゃん。
それに、そういう話になってくると、再現性を検証したりしないと、
下手すると物理学じゃねーよって言われるだけだよ。
115 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 02:07:48.62 0
完全なる
自演スレ
天災を事前に予測できても、個人の寿命が決定論で固定されているので、
自分の命日が分かるだけかもね
神に祈って御免なさいすれば、個人レベルでは確率を操作してもらえるかもしれない
>>116 それいいだすと、予測できるってことも決定されてるから、
もうどうしようもないだろ!
118 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 02:29:07.76 P
>>114 物理学は意志というエネルギーの存在を認めるか、それとも霊魂の存在を認めるかって話になるね。
散逸構造の研究はまだ日が浅い。
が、そのうちこの問題に直面することになるだろう。
「天災を事前に予測できる」の意味がわからん
何を想像してこんなこと言ってるのか
天災が命に関わる出来事って意味なら116で書いてるように命日が分かるって意味だから117の指摘はへんだよ
>>118 物理学上の問題が全部解明されたらね。
そしたら、その先に進もうとするかもね。
でも、実験物理や理論物理の未解明な部分に人文からなんかねじ込もう
とするのは無理があるよ。それができるっていう確信がもてるぐらいの
レベルなら、もう物理やりなよ。歴史に名が残るぜよ。
>>119 地震とか火山の噴火とか隕石の落下とかそういうのですよん。
122 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 03:15:16.77 P
>>120 うーん、無理があるっていうか、科学的アプローチでどうしたら肯定または否定されるのかが見当つかない感じだな。
でも、まずは哲学的アプローチで中立一元論を提示することに意義はあると思う。
小さい物事ほど、予測が困難なのだろう
人口密度が高い場所に起こる天災は容易に予測可能な筈
だから東京が一番安全ともいえる
物理学なんて単純な話だよ。それに対して生命はさっぱり分からない。
本当だよ、その単純な物理すら分からないような低脳が文系なのだから救えない
126 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/18(火) 07:25:53.90 O
決定論に予測とか、あんまり関係ないんだが
何やってんの?
つ鏡
128 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 13:17:18.70 0
>>122 そもそも物理学のイロハぐらい理解してからなんか言えよ。
コテ文系の俺にでも、あんたが物理どころか科学の何であるか全く理解してないことぐらい判るよw
129 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 13:28:23.06 0
前スレ(>>967:じいさん)
「われ思うゆえにわれあり」の疑う余地のない「われ」を出発点というか梃子にして、
さらに「神」を持ち出して、結局「外界」の存在も、物質の存在も確かなものとして肯定するわけです。
なんでこうなるの??
>私見として、デカルトは三つの観点から、外部(客観的存在=自然神)との“合一”を図ったのだと思う。
@デカルトの生きた当時の学問は、スコラ哲学が中心的基盤であった。
文献や記憶による学問としての、当時のスコラ学問と人文学は砂上の学問として捉え、スコラ学問体系を解体して
新しい学問原理を構築する為の基盤(=方法)を提唱した。
A人間のモラル(道徳)を問題にするには、純粋精神としての「認識論的主観」ではなく、物体的存在(=身体)との“合一”が
必要であった。
B「独我論」の克服。
超越論的主観(私)は、「純粋精神」として、その“高次元”に留まっているとすれば、日常的意識次元の「独我論」
ではないが、“超越論的(高次元)”な「独我論」となってしまう。
デカルトはその点を捉えて、独我論の“克服”として、外部(客観的存在)との高次元での「心身合一」を行ったと、
解釈している。
外界とは人類の共同空想であり、現実世界はその投影なんだろ
多数の意志の衝突と妥協により、物質の輪郭が浮かび上がっているわけだ
意志が強ければ何でも具現化できる筈
ある人間の人生の「過程・結果」の変数がある人間を取り巻く環境とある人間の行動(=努力)の2つからなるとする。
環境は与件であり定数である。
つまり行動のみが人生に変化を与え得るが、その行動すら、ある人間が持つ頭脳の内の化学反応によるとするなら、
人間全ては産まれた瞬間、いや産まれる前それこそ宇宙が始まった時にその人生が規定されると言える。
こんな事を考えてたら頭がおかしくなりそうになった
132 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/18(火) 18:00:53.82 O
多体問題があるから、因果だけ決定して過程は自由という事も有り得そうですが
134 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/18(火) 18:19:02.58 0
>>131 いや、それならアタマがおかしくなる必要がない。
決定論は、むしろ救いを与えるでしょう。諦念といってもいい。
昔々、機械さんに「あなたが決定論を是としたのは、出世しそこねたご自分を慰める
ためでしょう?」という下司のかんぐり的レスをしたことがある。ww
愛と慰めの宗教、キリスト教は決定論である。
135 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/18(火) 18:22:42.32 0
決定されていても結局生活水準維持の為に努力は必須なわけですよ
137 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/18(火) 18:46:24.84 O
>>1にあるように
>自由(意思)感は文字通り『感じ』にすぎません。
というのは前時代的なレベルです
この『感じ』とは何ぞや
という所まで踏み込むのが、現代哲学
『感じ』は観念です
この『感じ』については、さっぱり解明できないのです
我々は、観念によって物質を動かしている実感がある(例えば手)
なぜ主観性や『感じ』があるのかが
わからないのに短絡的な発想で結論づけようとするのが
決定論者だと言えます
138 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 20:27:20.25 0
脳は物質だから意識は必然に過ぎないって事の賛否よりもしそうだった場合
そこから導かれる新たな可能性のほうが重要なんだよね
139 :
考える名無しさん:2014/02/18(火) 20:48:10.09 0
決定論のことを考えるのはいいんだけど 決定論だと決まってる前提で話されると
中間が全部抜けてキリスト教と仏教と変わらんくなる
決定論と仮定したらどうなるかと決定論と決まってるからこうなるでは
重要な部分がまるっきり別物になる 前者は議論の価値があるが後者は宗教の問題
>>122 意義は十分あると思います。
とっかえひっかえいろいろ考えながら、中身を詰め込んでいって整合性を
とりながら、新規性のある理論として組み上げちゃいませうよ。
141 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/18(火) 23:21:20.66 P
>>140 やはり科学的アプローチだと検証が十分ではないので、まずは哲学的アプローチからだね。
だが、過去の誰一人として、納得いく主客合一論を提示できた者はいない。
だからこそ、もはや信仰でしか解決しない問題なんじゃないかと思ってるんだがどうなんだろうね。
142 :
黄檗:2014/02/18(火) 23:28:24.65 0
信仰な
まあたしかにこのスレではむかーしから
信仰信仰と気安く何千回と繰り返されて
もはや信仰が何を意味するのかも分からんな
みなさんは自分が信仰していることを信仰しているのですかね
143 :
あまの:2014/02/18(火) 23:38:28.42 P
時間というものが、単なる形式であって、現象によって代謝されていかないものだとしたら、
単なる時間の経過が存在というものの根底の根拠にもなんら影響を与えると言うことは無い。
今と未来が隔絶されている、未来はまだ来ていないなどという感覚も錯覚であるわけだ。
時間を取り除いて、超越してみるという視点が可能であれば、すでに世界は一つのものとして完結していると言える。
>>141 さぁ、わかりません。主客合一論はよくわかりませんが、
確かに、これはもうどうしようもなさそうだという問題は
それなりにある感じはしています。
個人的には自分が生きてる間にこいつはっていう
理論が出てくるかどうかも微妙だと思ってます。
ただ、それは解決しないか、するか、すらわからないということであって、
決して解決しない問題だと断定できるものでもないような気がします。
我々が、そのような問題を解決できそうな段階に未だ至っておらず、
それに立ち会うことができないというだけで、遠い未来には、
何とかなってると思いたいですね。
本音を言うと誰かが解決してくれて、それを享受できる
っていうのが最高なんですけどね。考えなくて良いんで楽だし、
考えるのはしんどいし、なによりめんどくさいし。
現代の哲学って宗教は議論の対象になるの?
俺にとって宗教は、キチガイの妄想と同レベルにしか考えられないんだが
神は存在しないし天国も地獄も来世も存在しない
>>145 宗教は哲学に限らず、いろんな分野で議論の対象になるよ。
憲法にも信仰の自由や政教分離が規定されてるでしょ。
宗教って現に存在してて、色んな意味で無視できないものだもん。
147 :
あまの:2014/02/18(火) 23:51:02.24 P
完結しているものを時間と空間という小さなレンズ越しにトレースさせられているだけだとも言えるな。
なにしろ時間も空間の実在性など生きるための方便だからね。
フラクタル、アートマン、ブラフマン。深い
時間なんてオマケに過ぎないと思った時、時間を使って語り掛けてくるアンタは誰?って思っちゃう悪い癖テヘペロ
149 :
あまの:2014/02/19(水) 00:02:34.62 P
実在なのか形式なのかということだよ。
何がしたいのー?
喧嘩したいなら喧嘩しようよー
愛し合うなら愛し合おうよ!
形式なのかな俺らは。
実存と形式ってそんなに超え難いものなの?
実在と形式か。間違えたスマソ
153 :
あまの:2014/02/19(水) 00:10:26.36 P
時間や空間がわれわれのピックアップした形式に過ぎず、現象に介入できないのであれば、
もう道筋は一つということだ。
154 :
あまの:2014/02/19(水) 00:13:33.30 P
これはかなり気持ち悪い。
155 :
あまの:2014/02/19(水) 00:21:58.42 P
>>147 これはたしかカントが言っていたような。
でも、カントは熱心なクリスチャンだったから、人間の神の名の下の自由意志を堅持させようとしていたんだけど、
まあ、当然のごとく、神の実在証明は失敗だったんだよね。
156 :
あまの:2014/02/19(水) 00:25:00.37 P
ほんと世界に神の居場所って無いな。
かわいそうになるわw
>>145 あとね、なんか偉そうなことを言いたいとか、説教じみたことだと
とらえて欲しくなくて、率直な感覚なんだけど。
「宗教は、キチガイの妄想と同レベル」
こういう表現は、こういう場だからできることなんだろうけど、
私の周りにも、臆面もなくこういうこと言っちゃう人がいるのよ。
信仰って、人によってはものすごく大切なモノだから、
こういう感覚はもってるぶんには個人の自由かもだけど、
こういう表現をしちゃうとものすごい侮辱的なものになっちゃって、
ちょっとヤバイのよ。
あなたに言ってるって言うよりも、現実でこういうこと言う人多いのよ。
怖いもの知らずだな〜ッて思うよ。
158 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/19(水) 00:28:49.85 P
>>144 解決しないってことは無いだろうね。
現に我々は何の問題もなく生活している。
にも拘らず、主客合一が問題になっている。
それはある意味「確からしさ」をどのように規定しているのかって話な気がする。
>>145 無宗教は悪いことではないんだけど、ある意味最悪ともいえる。
言い換えるなら「無神教」だね。
アイデンティティの崩壊はその辺りから訪れるんじゃないかな。
哲学では「断定」することが出来ない。
これはゲーデルの不完全性定理でも証明された様に、「正しい」と言ってしまうと思想・信仰となってしまう。
その公理系の「内ならば」正しいということもあるだろうがね。
よって、哲学と宗教は結構表裏一体だったりする。
>>150だけど場を荒らしちゃってたらごめんねー
去ります
>>159 愛し合ってるぜぃ、バイバ〜イ(´∀`)ノシ
161 :
あまの:2014/02/19(水) 00:36:51.44 P
障らぬ神にたたりなし。
日本に古来より伝わる至言だ。
宗教など存在せぬ世界が最善に決まっている。
しかし、この星の歴史においてイスラム教よりキリスト教のほうが支配的であったことは
不幸中の幸いだったと思うわ。
スラム教の方が多数派だったら穏健な宗教なっとるわ
少数派だからヤベーんだよ。論理が逆
163 :
あまの:2014/02/19(水) 00:43:14.17 P
定期的に大河が氾濫する地域には強大な王権が必要となる、
人々の暮らしが厳しい砂漠では人々の精神にとってはすがるべき絶対者が必要となる。
164 :
あまの:2014/02/19(水) 00:46:12.69 P
ただ現代においてはこの強力な砂漠の神の必要性はもう無いんじゃないか。
人類はもっとスマートでビューティフルなものに移行していかないとね。
165 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/19(水) 00:47:22.36 P
ま、全知全能の神なんてのは、神ではなくて悪魔の呪いみたいなもんだな。
全人類の宗教が統一することなど不可能なんだから争いは必須ww
でも既に文化・伝統の域なんだからどうしようもない。
道筋は一つ、オムニバス映画を見ているようなものだね
今、目に映っているのは第21章、21世紀の第14節だ
この映画に22章目は無いね。もう殆ど見せちゃったもの
スレチだけど、論理学と記号学について学ぶならどの学者から始めるのがいいんだろうか
何か勘違いしてる様だが
きちんと体系立ってる学問なら別にどこから始めても構わん
結果論的に向いてる向いてない、という感慨はあるかもしれんがそれは幻想
なんで、こういう流れになるの、信仰や宗教ってのは、研究の対象にしても
それ自体を研究の成果や結果にするのってどうなの?
わからないものは、わからなかったねってんでいいじゃん。それがもっとも正確な解答だよ。
もちろん、よくわからないものを正しいとして、そこから進めていかなきゃならんこともあるよ。
でも、それはよくわからんものを正しいと信じなきゃいかんってことでもないじゃん。
正確な解答が有意な解答とは限らないから
171 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:08:35.39 0
波平の本拠地スレ
>>170 絶対的なものとして固定しなくても、とりあえず固定しなきゃいかんので、
固定しとこうってので、いいじゃん。仮止めと完全固定とで解答の有意性が
変わるんかいな。あとで、取り外さなきゃいけない自体が生じたら大変よ。
173 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/19(水) 01:09:15.37 P
知性は「解答」を求めるのだよ。
たとえわからなくてもな。
>>172 ホラ、お前だって固定された解答を求めてるだろ
語り得ないことに関しては沈黙すべき、だったかな?
>>174 そりゃ、わたしゃ、どっちかつーと実学よりの人間だから。
てか、上手いこと言ってもダメだかんね。別に不確かなものを
信じたりはしないよ。しゃーなしだから、しゃーなし。
177 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:24:16.16 0
波平による
完全な独裁自作自演スレ
破綻必至
178 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:25:46.47 0
コカイン吸い過ぎな波平が
自作自演を
しまくっている病気スレ
179 :
あまの:2014/02/19(水) 01:27:12.98 P
両方持てばいいじゃん。
解答は仏教にある
絶対性を求め理想に溺れた欧米人より千年進んでいた
181 :
あまの:2014/02/19(水) 01:29:41.24 P
単細胞か!!
>>176 いや俺だって実学寄りの人種だよ、本当かどうかは保証しないけど
不確かなことを信じたりしないというが、
重要なのは「確からしさ」なんじゃないかね?まあ間違ってても知ったことじゃあないが
183 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:29:54.11 0
__ `ソ/-=・=- -=・=-\/ ̄/
\/゚ ,ハ \/
ヽ. ヽ. ⌒⌒ ノ /
ヽ. ヽ、`==´ / / 波平自演じゃろろ?
/∴ (⌒、"⌒ソ⌒ヽ_ ノ 丶
∵∴ ~''(_)(_)(_)(_)ソ ー-゙:.、
∴∵ ヽ/`、_, ィ/ `ヽ_
∵∴/ ∴∵∴/ ゙i"
∴∵∴∵∴∵/ _..ハ
\∴∵∴∵ ノ 、r‐、>ー ヽ
\__ / :.ヾ、ニ二 /
/ x /
/ ´ ,.!_;;;:r''.. ` 、
,...-‐' _,....-‐'" `'-、:: ` 、
/.. ,....―'" `ー、__ `l
/_;::::-'" /::::::::::::::::ノ
184 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:30:20.40 0
,. - ‐ - 、
/ _ 4 _. ヽ いいこと?
i ( `Y´ ) i
ヽ \ ./ / お前のクサマラを↓に挿入するのよ
`j-二-..く
/ ̄ヽ - `ー、 ほら早くしなさい純一
/ : ヽ.
i ノ : i i
|. ゚、 _ ノ ヽ_゚ ノ,、 |
|. | | | |
| ! ! | |
| / ; V /
|/ `、/
/ ((i)) \
/ /~\ \
>>179 そだね。そんな熱くなることでもなかった。
186 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:31:54.79 0
-=ニ=- -=ニ=-
|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;i′: : : :/ / - ― ′ ', l
l:;:;:l゙リ:;:;:;:;:;l : : : : : : ,,r'" ヽ }, l
. l:;:;l l゛'r、:;:l: : : : : : / `ー‐、_ ハ ,'
ヾヽニンl;;l : : : : : .;';';';';';';';';';';';';';';';';';.,. l. ,'
l:;:;|: : : : : : : : : ', ヾ〒〒〒〒〒ァ:;' / 波平、AV評論家としての地位を確立
"l:: : : : : : : : : ', ヽ±±±ン ;' ,/
,...''''''-、‐ニ二、_ _,. ::'´:::::冫77ヾ
>>182 うん、そうそう、ごめんごめん、そんな熱くなることでもなかった。
188 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:48:35.87 0
〔ノ二二,___◞≼◉≽◟|◞≼◉≽◟__,二二ヽ〕
|:::::::::::::::::::::::::::ヽ /::::::::::::::::::::::::::/
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〔:::::::::::::::::::::/ ノ~ヽ ヽ::::::::::::::::::|
\::::::::::::/ /.l─l ヽ ヽ:::::::::/
\::::/ / ー-' ヽ ヽ/
\ ::| ト‐=‐ァ|: / 何してるんだい波平?
人 `ー' ノ
┌、. / ヽ ⌒ \.
ヽ.X、- 、 ,ノi ハ ヘラヘラヘッヘッヘッ
⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ
入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
/ `ー''"´ ,' c〈〈〈っ<
/ __,,..ノ ,ノヽー'"ノ
{ ´ /
189 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 01:53:26.70 0
゚ | ・ | .+o _ o。 | *。 |
*o ゚ |+ | ・゚ξミミミミミミミミミミミミミ+・ o |*
o○+ | |iξξミミミミミミミミミミミミミ ゚| o ○。
・+ ・ lミミξミミミミミミミミミミミミミミ・|*゚ + |
゚ |i | + ミ-=☆=- i、 -=☆=- |! | げろズムってんげズムってんろっぷり
o。! |! ゚o ミミlミ / ー-' ヽ l;;;|ミ * ゚ | ヘッヘズムってんッヘラズムってんww ッ
。*゚ l ・ ゚ ミlミ:: ト‐=‐ァ' ../彡|o ゚。・ ゚
人 `ー' ノ
┌、. / ヽ ⌒ \.
ヽ.X、- 、 ,ノi ハ 波平いるんじゃろろ〜?
⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ
入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
/ `ー''"´ ,' c〈〈〈っ<
/ __,,..ノ ,ノヽー'"
190 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/19(水) 02:28:15.08 0
>>26 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/17(月)
>意識がなくなれば《私》をはじめ一切の「観念」は主観においては消失します。
これは常識的だと思うのだが・・・
最高位さんの「観念」の定義が違ってるのでわかり難い。
>>27 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月)
>問題は、なぜ「私」なのかということ
最高位さんの「観念」は感覚までも含むらしいので意識は無くても観念(感覚)は在りうるかもしれない。
しかし少なくとも言える事は、意識が無ければ・・・
なぜ「私」なのかという問題意識は無いだろうとは言える。
じいさんが最高位さんに問いたいのは・・・
@人間の精神性の根源についての解明(「私」の時間的根源問題)
Aなぜ今「私」についての問題意識が芽生えるのか(今の「私」の存在性)
どちらの問題なのか?と言う事。
191 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 02:42:56.26 0
>最高位さんの「観念」の定義が違ってるのでわかり難い。
わかるとかありえないから、ころころ変わる定義を定義とよべるの?
192 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/19(水) 02:44:55.35 0
>>129 :考える名無しさん:2014/02/18(火)
ぜんぜん説明になっていない。
じいさんは何で「疑う余地のない「われ」を出発点」とすると「「外界」の存在も、物質の存在も確かなものとして肯定」になるの???・・・・と問うている。
既に外部感覚、内部感覚や「自分が目覚めている」といった自覚等は最初に否定されている訳だからその辺をお忘れなく。
そりゃ同じ程度の人同士じゃないと会話が成立しないからじゃね?
俺も2,3枚格下程度なら話を合わせられるんだけどそれ以下だとちょっと理解不能
194 :
「機械的唯物論」者:2014/02/19(水) 03:06:59.79 0
>>190 >@人間の精神性の根源についての解明(「私」の時間的根源問題)
そんなこと大げさに騒ぎ立てることでもなく、「人間なんて言葉を使う猿だ」
という「科学的観察」で、解決します。オウムや犬や猫は言葉をある程度理解してますし、
「哲学的抽象概念」が言葉として動物の言葉より「質的に高級」だという根拠は皆無です。
「人間の精神性」なんて、先入観からくる「錯覚」であり、「科学的に人間の脳が特別に
他の動物と比べて特殊な構造を備えている」事実は一切ありませんので、「人間精神の特殊性」
などは「単なる迷信」にすぎないのです。
犬や猫や(よく食している)牛や豚や鶏と「大差ない脳」を「我々自我」が備えている「だけ」
であることは「科学的・客観的」に完全に説明することが出来ます。
「高等ほ乳類の1種類」である人類がでっち上げの概念「精神性」などを根拠に「地球の覇者」
みたいに振る舞って居られるのは恐竜→人類→?と続く「地球の覇者」が新たに現れる「ほんの一瞬」
にすぎないのです。・・・「宇宙の歴史」「地球の歴史」から見ての「観点」から「科学的」に言えば、
「そんなもの」にすぎない・・・ということです。
人類は進化の究極到達点だよ
「そんなもの」にすぎないが、決定論が定めた至高の大通りを着実に歩んできた
末尾PやOにはまともな奴がいない
これはもはや真理と呼べるな
197 :
「機械的唯物論」者:2014/02/19(水) 03:19:19.32 0
ちなみに「地球の歴史」で見れば人類が繁栄した時期の数百倍の期間、
恐竜が「地球の覇者」でしたが、それも「地球生命の歴史」でみれば
「ささいな覇者」にすぎなかったのです。
なにしろ地球自体(木星の衛星タイタンやエウロパのように)
「完全全休凍結」の時期を何度も経験してますので、その時期に生き残った
「微生物」から、再三「進化的再起」を経験してるので、人類やほ乳類が
次の「全休凍結」で滅亡しても、「生態系に少し変化有り」程度の違いにしか
過ぎないでしょう。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
198 :
「機械的唯物論」者:2014/02/19(水) 03:21:49.05 0
一部訂正です。「全休凍結」→「全球凍結」でした。
恐竜というくくりと人類というくくりを比較しちゃうのもどうかと思うけどw
何をもって繁栄とするかも分かったもんじゃないよなぁ
単なる神の設定だろ
恐竜なんていなかった
化石があるだけ
我々は現実感のある共同空想の中にいる
202 :
「機械的唯物論」者:2014/02/19(水) 03:36:56.95 0
>>199 (恐竜の)「化石」が見つかること自体、「つい最近の出来事」だった証拠ですし、
もっと地層深くには「マグマに熔けてしまった知的生命の痕跡」が幾重にもあるのかも
しれないのです。
「地球の歴史」は「恐竜の化石の歴史」などとはスケールが違いすぎます。
本日は就寝させて戴きます。
どこから現実感が要請されんの?
個々がそれぞれの幻想を見てたら何が不都合なの?
つまり菌類最強
個々がそれぞれの幻想を見てたら、物理法則を個々が完璧に記憶してないと、無重力状態等が発生してしまいそうだ
つまり現実が前提として先にあるんだろ?
現実というのは神が作った至高の空想。設定、ストーリー、登場人物も最高だ
君は信長やナポレオンを空想内で上手く動かせるかい?
どういう基準で「上手い」の?
オチが無いとね。本能寺の変とか
210 :
考える名無しさん:2014/02/19(水) 18:21:34.80 O
設定も全部空想でいいんなら、ナポレオンも信長もただのサラリーマンだっていいだろう。
いや、だからね、史実は王道とか標準と呼ばれる中心核なわけで、
そこから架空戦記や個人の歴史観による歴史空想作品が派生しているんだな
中核を成す現実にわざわざ反抗しても仕方がない
212 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 00:01:36.35 P
人間に「意志及び欲」が全く存在しない、とは言えないと思う。
誰がどう考えても存在するといえる自明だろう。
問題なのは、その出処である。
魂や霊を引っ張り出さないと説明出来ないのならば、唯物論及び科学の負けだww
しかし、霊魂を排除する理論を構築するならば、物質或いはエネルギー由来でなければならない。
ところで、「意志により物質が物質を操作する」と説明すると、「操作する物質と操作される物質」が存在しなければなるまい。
それが脳だとかいっても、例えば脳が心臓の鼓動を操作なんかしていないのは明白。
では心臓を操作しているのは何か?
たんぱく質を操作しているのは何か?
科学はこれらの意志を説明出来ねば霊魂説が有力視されてしまうだろう。
213 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 00:07:58.27 P
もう一つ。
物理法則を齎しているのは何か?
科学は「こういう法則があるよー」ってことは言うのだが、だからって「法則によって従っている」というわけではない。
もし、法則によって従っているとすると、万物の上位概念に法則を制定しなければならない。
こうなると、万物を創り規定する神と同義ww
こういったことを考察している哲学者はあまりいないように見受けられるがどうだろう?
>>212 FUMAはまだやってんのか?
ゴミみたいないレスをしかし…。
215 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 00:10:32.77 P
216 :
「機械的唯物論」者:2014/02/20(木) 00:52:48.11 0
>>212 >脳が心臓の鼓動を操作なんかしていないのは明白
あなたは本当に「科学音痴」であり、なおかつまったくその自覚がない
という今時絶滅危惧種に属する希少派なのですね。
あなたは何らかの理由で緊張して「心臓がどきどきする」といった経験
をいたことがないのでしょうか?または「ある」としても、それは「心」
とは関係なく、「心臓が勝手に緊張したので、心は動揺していない」と
お考えなのでしょうか?・・・その「考え」も心臓で行っているとか?
あまりにプリミティブな「自然科学全般に関する無知と勝手な思いこみ」
で、自信ありげに「観念論」を唱えるのは、もしかしたら(失礼ながら)
「明治生まれの100歳越えのおじいさん」?
文系の哲学好きのちょっと変わった方は何人か知っておりますが、あまりの
あなたの「自然科学的無知」には、かなり驚かされますね。これだけ情報が氾濫
しているこの時代に「科学」について、そこまで「誤解や曲解を維持する」ことは
天然記念物(あるいは世界遺産)モノだと思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
217 :
大王:2014/02/20(木) 00:56:35.85 0
恐竜がいたという推測、
現在の蓄積である過去と現代目線で見る過去
過去とはつまりデータでしかない。
誰もが過去から未来を算定する。
それが誤りだ。
218 :
大王:2014/02/20(木) 00:58:41.40 0
過去から未来を算定するのはある程度はいい。
しかし世界は常に最新だ。
分析だの真理だの、木っ端微塵に吹っ飛ぶぜ。
はかないのうw
219 :
大王:2014/02/20(木) 01:01:00.42 0
ぶっちゃけ過去も未来もない。
過去はの脳の残滓だよ。
唯の記憶さ。
誰もが過去と違う自分だが、実は同じ道を歩いている。
>>215 ある現象と現象の法則って必ずしも厳密に分ける必要あるの?
炭素が燃えるのと、炭素と酸素が化合してるのって同じことだよね。
221 :
大王:2014/02/20(木) 01:05:20.67 0
現象の規則性から法則が出ているだけで、
別に現象が法則ではない。
知識かぶれは現象を法則で説明することが快感で、
野生人は現象が快感だ。
222 :
大王:2014/02/20(木) 01:07:04.95 0
死ぬ前に一度制圧しておかねばならぬ。
世界を。
大王の名に恥じぬようにねw
いや、俺もそうだけど、みんなもっと物理の勉強をした方がいいよ。
大王さんもブラックホールとか観測してるのもデータだよ。しかも、ある意味過去のデータだよ。
224 :
大王:2014/02/20(木) 01:12:23.23 0
ブラックホール?
名前は知っているが、内容は知らない。
黒い穴なんでしょ?w
俺は人間と俺にしか興味がない。愛と神だけが俺の頼りだ。
>>221 いや、あなたの理屈でも常に現在は最新なんでしょ。
確か、時間が止まってるみたいに見るのはおかしいって言ってたよね。
現象も何がしか変化していってる過程を見てるだけってのもあるじゃん。
その変化ってのは実はこういうんだよっていうのを見つけて法則とか言ってたり
する部分もあるでしょ。
説明としては間違ってるけど、こんなかんじじゃん。
>>224 なんかようわからんけど、自分で見てないものは全部データだから、
そんで、見たものも全部過去だからね。今見てるものもそれを
とらえた瞬間以外は全部過去だから。
>>222 あと、大王ってどっちかっつーと国王(king)だから、
一国の王様ってイメージがあるよ。
しかも、大王(The Great)っても、王(king)より
皇帝(emperor)の方がえらい感じで、大帝ってのもあるよん。
でも、どれも君主だよたぶん。
>>224 俺と人間にしか興味ないのに、神頼りって神様興味ないのに頼りに
されてるじゃん。神様カワイソス。
228 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 01:40:48.40 P
>>216 何ら反証になってないよ。
君は人格攻撃が大好きな様だが、「バーカバーカ」って言ってる子供みたいだぞww
知性が有るのなら明確に反証したまえ。
だいたい機械的唯物論者が「心」なんか持ち出すとはお笑いにもならないね。
そんなもの「全く存在しない」んでしょう?
無知だというなら知識のある君が説明してみなよ。
どうせ就寝して逃げるんだろうけどねww
229 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 01:45:51.22 P
>>220 その説明では分かりづらい。
例えば光の速度が一定である法則の理由とか説明してみて。
>>229 相対性理論とかなんとなくしかわかってなかった上に、忘れた。
ググってよー。なんか座標系ごとに時空が変な感じになるんだって。
231 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/20(木) 01:54:42.23 0
>>194 :「機械的唯物論」者:2014/02/19(水)
>「人間なんて言葉を使う猿だ」という「科学的観察」で、解決します。
全く其の通りですね、そして
>>1 の
>全観念論は徒労です。
と言う趣旨になる、とても判りやすいですね。
さてそこでどういうことが起こるかと言うとこのスレの殆どが問題にしている「人間の精神」についての議論に全く入り込めないと言う事態になる。
じいさんを含めて多くの人が精神の観念論は面白いからああでもないこうでもないと議論しあっている。
しかし機械さんは自分が立てたスレにもかかわらず遠巻きに「全観念論は徒労です。」としかコメントできない。
可哀相な人だ・・・・。
232 :
黄檗:2014/02/20(木) 01:56:26.12 0
そりゃあな、時間の律速が光の振舞い依存してるからだ
普通に考えればな
しかしいのちよ、悔し紛れの逆切れ無茶振りは見苦しいわ
233 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 01:56:50.51 P
>>230 相対性理論は光速度不変の法則を「前提」にした理論であって、不変である理由を説明するものではないよ。
>>233 前提にしたかどうかは、わからんけど。
前提にしてたとしても、結局、光速度が不変なのは何でだ
ってのを説明した理論だよん。wikiでも見てきなよ。
別に光速度が不変なのはアインシュタインが最初に発見した
わけでもなさそうよ。なんとなくそんな気はみんなしてた感はあるの。
あと、私もそうだけど、生物も勉強しようよ。
臓器の機能の調整の問題で、「脳」とかいうのはちょっとアバウトすぎるって。
>>234 マイケルソン - モーリー の実験結果をどう捉えたかの差
・そんなばかな。どこかに間違いがあるはずだ。(空間、時間の絶対性の常識を大前提としているためこう思ってしまう)
・実験結果が正しいのだ。どの方向から測っても不変なのだ。この結果を説明する方法を探ろう。
(空間、時間が万人に共通な絶対のものであるという常識を前提とせず、新しい結果と従来の物理的観測結果を両立して説明できる理論を構築)
形式的に発見したのはアインシュタインではなかったが、
それを真実と認識したのはアインシュタイン。
現在から振り返れば、やはり本質的にはアインシュタインの発見と言える。
確かに、相対論は光速が不変である理由を説明する理論ではない。
繰り返すが、新しい結果と従来の物理的観測結果を両立して説明するために作ったもので、
その後の数々の観測結果をも今のところこれで説明できている。
>>236 あ、これは、丁寧な説明どもです。
こういうことだそうだよ、一元論者
>>233さん。
モーリーさんが実験してたんだって。
で、モーリーさんの実験が正しいとして、何で正しいのかを
説明したのがアインシュタインさんなわけっぽいよ。
>>237 え、ちゃうの?光速不変を説明してるもんでもあるでしょ。
240 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 02:44:25.70 P
光速度を不変にさせる物理法則なんて別に無いでしょって話なんだが。
「不変になる理由」ならあると思うけどね。
法則は理由ではないんだよ。
>>240 なんか全然ピンとこない。
光の持つ性質の中に速度が不変であるってのがあるのと、
速度が不変であるってことから帰納的に得られるであろう法則ってのは、
別ってこと?
>>238 向きに依存せずに不変に見えてしまう(そう観測される)理由を説明する理論。
もちろん「観測結果が我々を欺いていて、真実は違う」と主張しているわけでもない。
マイケルソン - モーリーの実験結果と従来のもろもろとを矛盾なく説明するにはこう考えるといいでしょう
という理論。
243 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 03:03:30.51 P
>>241 >>51の通り、物理法則が光の速度を規定しているわけではないってこと。
光の性質ってことにしとけば良いんだろうけど、物理法則は万物の上位概念ではないってことを言いたかっただけ。
>>243 あーなんとなくわかってきたわ。
数学がないと物理的な現象をうまく説明できないってのはあるけど、
でも、数学が物理現象を基底してるってわけではないでしょってことですね?
245 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 03:10:08.45 P
ここは結構重要なんよ。
決定論は「物質は物理法則に従うから一意的なのだ」という主張なのだから。
だが、物質は何ら物理法則に従ってなどいない。従っているように見えるだけで、実際は各々が「安定」に向けて営んでいるだけってのが俺の主張。
246 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 03:11:19.19 P
>>246 あー、それ多分議論されてるっぽいですよ。
誰だったっけかなぁ、ようわからんけど、トーマス・クーンとか
その辺りの話で議論されてるのと同じような感じが。
違うかなぁ、確か、政治哲学とかでイーストン辺りもその辺の
ことを意識しながら、脱行動論みたいなことを言い出してたような気がする。
政治哲学じゃないなー、科学哲学って言ったほうが近いかなぁ。
249 :
黄檗:2014/02/20(木) 07:14:41.73 0
清清しいまでのあれだな
これが「よき人」というものなのかね
人の見立てというのは、わからんもんですの
>>245 法則と安定を置換しただけじゃねーか
そんな欺瞞で満足出来るんだからまったくもってうらやましいぜ
252 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 09:10:50.78 P
>>250 >>251 一緒じゃないだろ。
・物理法則に支配されている
・安定に支配されている
置換したらおかしくなる
そこまで変とも思わんが、まあ取り繕うなら
・安定に向かう性質に支配されている
とでもしとけ
254 :
考える名無しさん:2014/02/20(木) 09:19:16.68 0
恒常性(ホメオスタシス)が語られました。
255 :
考える名無しさん:2014/02/20(木) 10:48:50.61 O
要は、法則というのは何らかの意味の「実在」なのか、人間が世界を捉える「記述の仕方」に過ぎないのか、というのがポイントですか?
安定って、単なる個人的な感想でしょ。
意味に幅ありすぎてね。
257 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 13:18:09.53 P
性質なぁ。
性質には違いないんだけどさ、性質にだって「理由」が必要でしょ?っていってたら無限後退してしまうww
でもね、安定に向かうのは「自発的対称性の破れ」と同じ理由で、「勝手にそうなる」という意味で「自ずから然り」とすれば後退しないでしょ。
それは能動でも受動でもないけど、整然とした一つの指向性である。
で、その指向性がある意味万物を規定及び操作しているんだから、これも一つのエネルギーでしょ?ってこと。
258 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 13:20:07.04 P
>>256 そうか、個人的な感想でもノーベル賞とれるのか。
オラ何だかいけそうな気がするぞww
259 :
考える名無しさん:2014/02/20(木) 14:11:49.86 0
>>257 お前の「エネルギー」にはいつも驚嘆させられるわw
何でも「エネルギー」で乗り切るってある意味偉いw
なるほど、ようやく分かった。リアル知恵遅れなんだ
気付くのおせーわ、俺w
261 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 15:09:05.26 P
>>259 なるほど、わかった。
じゃあ、この世に存在するものでエネルギー以外のものをどうか教えてくれ。
君はエネルギー以外のものが存在するという主張なのでしょう?
262 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/20(木) 15:41:06.68 0
>>261 あえて野暮ったく「力」と呼んでいるけれども、むろん“E”でもかまわない。
たしかに、それ以外は存在しないかにみえる。すべては力の“様態”であるかのようだ。
いのち君が述べたように「世界は力模様」としてある。
では、何が模様たらしめたのか。先走っていえば“情報”である。
情報とは“規定性”の謂い。それは、存在に“差異”をもたらす。
情報と力(E)が世界を織りなしており、力に一元化するのは難しいのでは?
263 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 15:55:13.79 P
>>262 対称性は自ずと破れる。
対称性が破れると差異が生じる。
この「違う」ということが、新たな違いを生む「違い」なのである。
つまり、違いを生む違いが情報なのであり、情報が能動的に働いた場合を俺は徳と呼んでいる。
自他に影響を与える性(もちまえ)の謂いである。
情報・徳もまた、実体ではなく、力の営みの能動的を指す。
新しくググった単語を適当に語感だけで判断して使うのやめれ?
265 :
考える名無しさん:2014/02/20(木) 16:17:45.07 0
>>263 対称生は自ずと破れる。その対称生を破るには、そこに何らかの“場”に於ける
「力」が働いていたと想像できるが、それはどの様なメカニズムなのでしょうか。
266 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 16:36:00.50 P
>>265 力が働いたのではなく、不安定→安定への指向性によって、変化・転じたということ。
これを相転移という。
この変化によって、性(もちまえ)を得るのである。
267 :
考える名無しさん:2014/02/20(木) 16:47:20.61 0
これは直感的なもので俺のほうが頭がいい。
力とエネルギーって全然別もんじゃないのか?
以前は速度と加速度の違いがわからない人もいたし
270 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/20(木) 17:20:03.24 P
>>268 ここでいう力はEnergyのことって最初から定義してるよ。
力は一般にPowerを意味するんだけど、エネルギーは日本語で妥当な語がないのでな。
力と力積、仕事ぐらいは義務教育の範囲じゃなかったか?
力には方向があり、エネルギーにはない。だが、エネルギーの推移、変化には方向が
あるかも知れない。そこに空間に対する性質の持ち方の違いはある。
この世界で生きていく事に絶望した
274 :
大王:2014/02/20(木) 21:58:36.50 I
絶望しまくれ。
275 :
大王:2014/02/20(木) 22:01:02.50 I
悲しめ。悪いことじゃない。
不幸は人間を陰険にするが、
悲劇は強くすることもある。
絶望をあらゆる夢や希望、存在、概念にぶつけて分解する事が、宇宙を知るという事だな
277 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/20(木) 23:03:45.40 O
最悪を想定すれば、不幸はあんまし無くなるけどな
布団で寝られるだけでも幸せだし
毎日、温水シャワーを浴びれるだけでも幸せだろ
おまんまにありつくのも、そんなに苦労せんしな
生まれてきた時代が時代なら
と思うとゾッとせんか?
我々は、なんて幸せなんだと
決定論とどんな関係が?
279 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 00:09:47.51 0
知ることのできるのは、
知ることだけである
知るは知ることしか知れない
280 :
大王:2014/02/21(金) 00:29:48.75 0
>>278 決定論とはいかなる事象も必然で
悲しんでも、絶望しても決まっているから「しゃーない。」
「うじうじするな。君の苦悩も進化の一部、脳の物質の分泌にすぎない」
「法則が全て。君らも所詮物理法則の一部」
といって人間を苦しめるためにあるw(又は人生楽勝こいてドライにいきたい為ともいえる)
のでその反駁として
関係がある。
281 :
大王:2014/02/21(金) 00:32:22.34 0
要するに
「マシンになれ!」
俺「やだね」
これで俺の中で反論はすんでる。
その程度でいいよw
282 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 00:42:07.65 P
結局誰も「意志=欲」の出処を説明出来ず、エネルギー以外に存在するものも提示出来ないのな。
情報は良いセンいってるんだけどね。
283 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 01:08:13.70 0
ただひとつのことを除いて、何も信用されない
これまでと同様に、暗闇の中を回るだけである
人間や生物が必要とする行為に応じて、その行為に対して脳内で、その行為を快感と感じるような物質を分泌する
ゆえに生物はその行為を求め、人間においてはその行為を求める事を欲と呼んでるだけだろ
>>282 いや、そのエネルギーってやつが『「意志=欲」の出処』という意味以外に
いかなる意味があるのか、わからないだけ。と言うか、
『「意志=欲」の出処』ってのも今はじめた聞いたような気もする。
286 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 03:48:55.75 P
>>284 だから行為そのものが意志でしょう。
で、したいからするのであって、能動的な意志は受動的な欲と同じ。
行為の受動・能動が、したい・するってこと。
>>285 >>212とか。
つまり、人間は物質(=エネルギー)以外のものが在るのかどうかって話に収斂される。
霊魂やらがないならば、必然的に意志=欲はエネルギー由来となる。
単純明快。
287 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 07:06:15.30 0
淫売
288 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/21(金) 10:09:10.59 0
>>いのち氏
「不安定→安定」が森羅万象(E)を貫く志向性だというのは、なかなか説得力があります。
その場合(君の言葉を借りれば)「各々」が不安定/安定の差異を分別できることが条件になる。
“差異”は情報の本質である。だから、こうもいえる。
「情報」が森羅万象を不安定/安定に二分している、と。
不安定が安定に向かう(志向する)、とする根拠は?
究極の安定とは差異なき世界を指すのだろうが、それは“無”と同義?
ここにも物理音痴がおるなぁ
ふつーに物理かじってりゃ安定へ向かう性質だけじゃなく
安定を破る性質も備えて常に相克してることがなんとなく分かりそうなもんだけど
波動とかモロにそうだしさ、トンネル効果とかもあるじゃん
つか安定へ向かう性質だけだったらそもそも宇宙が発生しないと思うんだけどねぇ
290 :
羊男:2014/02/21(金) 10:59:50.96 0
オドルンダヨ
291 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 11:31:37.94 0
機械クンがよく言っているのは「エントロピー増大の法則」
これは全宇宙に適用される普遍の法則で、局所的にエネルギーが集まったり(太陽が燃焼中で爆発前の期間とか)
局所的に拡散したりする現象を総和してもなおかつ全宇宙は平坦な状態に向かっていくという絶対の法則
292 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 12:26:22.07 0
>>289 森羅万象は、安定へ向かう性質(指向性)と、安定を破る性質との“差異化”により、
常に相克しているが、問題は安定に向かう性質と、或いは、安定を破る性質が、どのような
メカニズム(仕組み)で、行われているかでしょう。
293 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 12:53:42.33 0
>>286 意志とは、主観的な“意識”により、ある行動をとることを決め、かつそれを生起させ、
持続させる“心的機能”です。 だから、意志の概念には意識(理性による思慮・選択)と、
行為(=身体性)との、両方の意味が含まれる。
従って、人間は物質(=エネルギ−)の捉え方と、意識(=エネルギ−)との両方から論究する
必要があると思う。
294 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 12:57:38.85 P
>>288 不安定/安定の差異が分別できる必要はありません。
安定に向かうのはシステムに近い指向性ですから。
坂の途中で小石に引っかかって止まっているボールはとても不安定であり、いつ何かのきっかけで転がってもおかしくないと言えるでしょう。
そこに光というきっかけで転がしちゃおうっていう研究を光誘起相転移と言います。
雲でも同じです。
雲は過冷却状態にあり、いつ氷になってもおかしくない準不安定状態であり、些細なきっかけで氷となり、雨となる。
ところで、局所的な不安定はたくさんありますが、それを包括する系では、それが安定ということが言えるでしょう。
アポトーシスなんかその典型例でしょう。
295 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 13:19:29.49 0
>>291 エントロピー増大則だけが唯一絶対の法則で、それ以外は些末な現象。
物理を少し深く知っていればまず常識だがね。
296 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 13:21:28.82 P
>>288 情報(=徳)は、自他に影響を与える意味では力の営みそのものである。
しかしそれは、エネルギーではなくパワーの視点で見た時に見出される。
言い換えるならば、力(エネルギー)は、五態に転じることで力(パワー)となったわけだ。
情報についてはチャーマーズが詳しいが、パワー(自他に影響を与えるもの)に等しいんじゃないかな?
あと、実際に安定しているのが指向性の根拠ですww
究極の安定は、神(全宇宙)のいのちが安定して持続することです。
297 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 13:25:54.62 P
>>291 >>295 エントロピー増大だけしかないってのを否定するために散逸構造が発見されたわけで、その事でノーベル賞とってるんですがww
物理を少し深く知っていればまず常識だがね。
>>293 すまんが、主観的な意志ってのはリベットの実験で否定されてるから。
298 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 14:03:17.72 0
>>297 馬鹿なのか理解できないだけなのか?
散逸構造は開放系に対して、エントロピー増大は閉鎖系。
299 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 14:11:38.27 0
>>297 メルロ=ポンティは、差異化について「同一性(類似を地にして)と、差異の運動としての、
或いは、根源的差異化としての「肉(=身体)の裂開」が、ここでもう一度「裂開する肉」という
差異化された“同一性”の方へ揺り戻される。」と述べている。
上記は、「差異化」という運動が、「同一性」との“可逆性”に於いて成立すると言う興味深い記述をしている。
じゃあ、エンタルピーとトンネル効果あたりで手打ちにしようそうしよう
301 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 14:30:31.73 P
>>298 そこまで理解しているなら、「完全な閉鎖系など無い」という説も理解できるでしょう。
全宇宙は孤立系で、その内部構造は開放系である。
302 :
黄檗:2014/02/21(金) 14:58:59.85 0
どちらさんも
知らないことには謙虚であった方がいいぞ
おっと自己言及であったわ
303 :
黄檗:2014/02/21(金) 15:10:31.47 0
私が若いころは、既存の物理法則の全てが覆されても
熱力学第二法則(エントロピー増大則)だけは残るとか言われた
エントロピー増大則を、宇宙全体に適用する場合、
そのままの意味で受け入れるとおかしなことになる
なぜなら、宇宙は膨張しているので、可能なエントロピーの最大値が
常に増加しているからだ
そうでなければ、宇宙などとっくに熱的に死んでいるわけだ
304 :
黄檗:2014/02/21(金) 15:26:34.19 0
「安定する方向に向かう」というのは
安定という意味の中に含まれる結果論的な内容である。
なぜなら、不安定というのが、その状態から別の状態へと変化するという内容を
既に組み込んだ言葉だからだ。
中学の理科の時間に「ものごとは安定な状態に向かう」なんて言われ
なるほどと納得したりもしたが、少し考えてみると、本当は中身の無い台詞なのです。
安定とは何か
私は学校で、エネルギーが低いほうが即ち安定と聞かされてきた
しかしそう蒸気よりも氷の方がエネルギーが低いわけだが
100℃に於いて、蒸気は氷にはならず、蒸気のままである。
つまり特定の状態が安定かどうかは、それがどの温度に於ける安定の話なのか
を考慮に入れなければならない。
あとは任せたいのち
散逸構造?それは何よ?
305 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 15:34:11.85 0
>>304 >私は学校で、エネルギーが低いほうが即ち安定と聞かされてきた
それは「温度」ではないの?「熱」は高い方から低い方に移動する
>しかしそう蒸気よりも氷の方がエネルギーが低いわけだが
氷を造るのには多くのエネルギーを必要とする。従って氷の方が
常温の水より「エネルギーは高い」
蒸気を造る時も同様だから、蒸気は常温の水より「エネルギーは高い」
それは太陽が地球上の「常温」を今のようにしている状態が前提だから。
マクスウェルの悪魔がいるからね
あくまでも仲良くして下さい
307 :
黄檗:2014/02/21(金) 15:49:32.94 0
熱は確かに、高い方から低いほうに移動するのだが
そこの話は、例えばですね、ガソリンがなぜ燃えるかといえば
ガソリン(および酸素)の持つ結合エネルギーのトータルが、
燃焼後の水や二酸化炭素の結合エネルギーのトータルよりも多いから
燃焼反応が進行するのだ、とか教わったろ
そんな話です
氷を作るというのは、動力を用いて水のもつ熱エネルギーを外部に移動させているのです。
だから、水よりも氷の方がエネルギー(内部エネルギー)は低いのよ
308 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 15:57:11.63 0
>>307 (いちいち断るのも面倒だけど・・・閉鎖系では)
「エネルギー保存の法則」っていう有名な法則があるの知ってる?
309 :
黄檗:2014/02/21(金) 16:06:25.11 0
燃焼によって発生する熱エネルギーを含めたエネルギーのトータルは保存するのだが
反応の当事者であるガソリンと酸素の結合エネルギーに着目して考える場合に、
反応後の結合エネルギーが低くなるように、反応が進むと考えることができる
ってことです
エネルギー保存の法則そのものは、閉鎖系だろうが開放系だろうが成り立つな
310 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 16:11:12.85 0
>>309 「エネルギーのトータル」が「多い」って言ってしまったら、その時点でアウト!ブンカケイ的勘違い。
だと認めなきゃねw
それから「開放系」ってのはあくまで、「エネルギーの出入りがある系」、「閉鎖系」はその逆のことだから。
311 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 16:16:11.45 P
熱的な安定は、外界(環境)との熱平衡状態でしょうけどね。
すうなると熱的死となってしまうが。
でも、開放系での安定とは、保持への指向性、つまり、上手く循環していることを指すんじゃないかな。
それが秩序でしょう。
安定 (絶対性 理想 西洋 古典物理学)
不安定 (相対性 現実 東洋 量子物理学)
313 :
黄檗:2014/02/21(金) 16:17:29.71 0
「結合エネルギーのトータル」と書いてるでしょ
>>307 「系に対するエネルギーの出入り」を考えることができるのは
エネルギー保存則を仮定しているから
氷の方が水よりもエネルギーが高いとか
ドヤ顔で言い放つ偉い先生に対して
わたしごときのごみくずが、こんなことを言うのはおこがましくてすいませんです
>>309 >302 名前:黄檗 :2014/02/21(金) 14:58:59.85 0どちらさんも
>知らないことには謙虚であった方がいいぞ
> おっと自己言及であったわ
これが黄檗氏唯一の正解レスだったねw
315 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 16:22:18.50 P
>>310 はいダウト。
閉鎖系とは、質量のやり取りは出来ないが、エネルギーのやり取りは出来る系を指す。
でも、質量とエネルギーは等価なので、矛盾を孕んでいるのだよ。
だから閉鎖系ってのは「仮定的な系」ってだけ。
316 :
黄檗:2014/02/21(金) 16:22:30.21 0
金属組織学なんかだとな、系とか相の安定を考える場合
ギブスの自由エネルギーを指標とするのだ
317 :
黄檗:2014/02/21(金) 16:23:52.53 0
318 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 16:36:23.40 0
o開放系 ・栓のしまっていないフラスコ
o閉鎖系 ・大きな水槽の中に沈めた、・栓の閉まったフラスコ
・温室
・特定の力のみを外界と受けたり与えたりする物体
o孤立系 ・ 断熱材で完全に覆ったフラスコ
・宇宙全体
「宇宙全体」ではエネルギーは保存されるが、エントロピーは増大を続ける。
その一部に散逸系が存在しようが、孤立系や閉鎖系や開放系がいくつ存在しようが
そんなのかんけいね〜!わけですねw
319 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 16:56:33.87 P
でも増大した分膨張してますから。
宇宙規模のエントロピー増大は、人類の歴史からみれば止まって見える程度の進行速度
人類が資源不足に陥っているのは、ひとえにSEXの時に中出しし過ぎたから
321 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 17:42:09.27 0
下衆っ!
何だこれは。どうしてこうなった?
混在さんの世界観の哲学のせいですか。
イメージをイメージで説明しても議論にならないでしょうに。
何と言うか混在さん、急にぶっ飛んだところまで逝ってしまいましたね。
現実の生活の方が心配ですw
>>297 >すまんが、主観的な意志ってのはリベットの実験で否定されてるから。
横レスですが、これは少し違いませんか。
よくは知りませんが、リベットの実験というのは「主観的な意志」に
先立って脳の物理的な(電位の?)変化が観察される、ということを
示唆するものだと思います。
「主観的な意志」の存在自体は我々が日々直接観察経験している(せざるを得ない)
わけで、いわば自明のことです。
全般的な感想ですが、いわゆる物理法則の支配に根拠を求める決定論的な考え方が
「絶望につながる」とか、逆に「安心立命の境地をもたらす」とかいう話が
ありましたが、現実の物理法則の発見や物理学の発展がもたらしているのは
どう考えてもどちらでもなく、それによって「外界の自然を人間の意志(欲求)に
従って変革・改造できるようになる」「人間の『自由』が拡大する」という事実です。
誰にも否定できないその圧倒的な現実の成果があるからこそ、物理学の権威が
一般人にまで広く浸透しているわけです。何とか細胞の発見を伝えるニュースでも、
何か物理的な発見を伝えるニュースでも、すぐに論じられるのは
「それでいったいどんな成果がもたらされるのか」
「どんな技術によってどんな欲求が充足可能になるか」ということで、まあ、
それが当然です。
今でも物理科学の研究の最前線にいる人々は、恐らく強烈な意志や欲求に
突き動かされて、自分の研究の成果が世界をどんな風に変化させるかを
夢見ながら熾烈な競争を行っているのだと思われます。
「われ思うゆえにわれあり」ほど取り上げられることは少ないですが、
ベーコンの「知は力なり」という標語は今もなお世界を支配し続けています。
このように「自由意志」は否定しようもない人間の現実なのであって
(だから決定論が正しいとか間違いだとか言っているのではありません)、
だからこそ人間と呼ばれる物質群の振る舞いは、他の物質の振る舞いとは
異質で、同じ原理で説明し尽くすのは難しいとしか思われないわけです。
そこをすっ飛ばして、人間も他の物質も同一の自然科学から借りてきた
原理で単純に説明しようとするのは、やや無理があるというか、問題を
回避しているだけなのではないでしょうか。
常識的かつ現実的な「感想」だと思いますが、
机上の空論を常識的感想で論破しようとしても、
おそらく議論として噛み合わないでしょうね。
極左と極右の混在さんと機械さんは当然ながら、どの議論を見ても
そもそも噛み合っている場面そのものが、あまりなさそうですけど。
冷静なのは名無しの突っ込みくらいで。
リベットの実験とかは機械さんにとっては致命的なエビデンスですが、
混在さんにとっては大きな問題ではないかも知れません。
>>2-5の「いのち」のプロットがこの人の「真理」であって、
批判するならまずこれでしょう。ぶっ飛んでて面白いな。
325 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 20:02:22.16 P
>>323 主観的な意志に先だった準備電位…ということは、意志が「無意識的」であることを示唆しています。
主観(意識)は、それを認識するのみである。
どうも、意識的な「私」と、無意識的な「自分」というのがあって、その相互作用によって精神と呼べるほどの高い次元に達してるんじゃないかな。
科学は利便性と真理性の二つの追求だろうね。
この宇宙が孤立系かどうかは不定じゃないかな
328 :
黄檗:2014/02/21(金) 20:34:21.64 0
主観がそれを認識したら二元論だな
>>327 根拠はないよ。ちなみに「内側」を定義してみてくれるかな?
>「外界の自然を人間の意志(欲求)に
> 従って変革・改造できるようになる」「人間の『自由』が拡大する」という事実です。
圧倒的な現実の成果があるから困るんだよ
人間にとって重要なのはフロンティア、余白部分。完全な自由は空白にしか存在できない
需要の先食いをされたら宇宙が狭くなる
>>330 こっちの定義は326で推察できるでしょう?
境界条件が不定だし、確定しても内か外かが不定
334 :
「機械的唯物論」者:2014/02/21(金) 21:57:32.06 0
>>324 >リベットの実験とかは機械さんにとっては致命的なエビデンスですが、
むしろ「画期的なエビデンス」だと考えております。
彼の著書を「拾い読み」しましたが、
>>325でいのちさんさえ認めているように
「自由意思」とは「無意識の結果が集合的にディスプレイされた結果」のようなもの
・・・といった印象を得ました。リベット氏自身の著書では明確に「自由意思の不在」
に言及することを避けているようでしたが、それはキリスト教が「エピステーメー」
となってしまっている欧米では無理からぬことだと思います。
「自由意思は実は錯覚である」などと公言すれば、それは即「聖書にはが書いてある」
「神などは存在しない」と公言するに等しいからです。
我々日本人は彼の著作を読んで、そこまで読み取って公言する「西欧エピステーメーからの自由」
を持っているのですから、プラスアルファの「知性」を持って彼の著作を解釈する必要が
あると考えます。
>>333 >こっちの定義は326で推察できるでしょう?
貴方にそれができるのなら
内側とはそれ以外ですよ
336 :
「機械的唯物論」者:2014/02/21(金) 22:08:36.82 0
>>334の一部訂正です。(「言わずもがな」ではありますが)
「聖書にはが書いてある」→「聖書には嘘が書いてある」
誰でも解る(筈)なのは「創世記の嘘」です。
これは「旧約聖書」ですから、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教は
「神は6日かけて世界を造った」から「自分に似せて人間を造った」
「アダムのあばら骨からイブを造った」などの「子供でも解るような嘘」
を「共通の聖典」として崇めているのですから呆れてしまいます。
今や「科学の時代」です。いい加減「おとぎ話宗教」の影響から脱する
時代が来ている・・・ということだと思います。
「神は6日かけて世界を造った」から「自分に似せて人間を造った」
「アダムのあばら骨からイブを造った」
全部本当かもよ。ノアの箱舟と黙示録もな
とりあえず進化論は大嘘だった
生物学的な進化って嘘なんですか?猿→人間って信じてたのに。
339 :
「機械的唯物論」者:2014/02/21(金) 22:33:13.11 0
>>337 では「何を目的」に神は世界を造ったと?
人間が「面白さ」を目的にロールプレイングゲームを造るのと同様な「動機」だとしたら、
「全能の神」も間が抜けているように見えませんか?
なんで「善を行え!悪を退けよ!」と主人公の行動を試すような場「世界」と
プレイヤーである「自由意思を持った人間」が神に必要だったのでしょうか?
「全能」ならば「悪」など最初から造らなければよかった筈だし、「天使が
裏切って堕天使になり悪を広めた」というなら、堕天使ごと「悪よ!全部滅びよ!」
と一括して「世界を浄化」することぐらい簡単なはずではありませんか?
ノアの箱舟に乗ったのは、オーストラリアやニュージーランドの固有種である有袋類
や「イリオモテヤマネコ」なんかも揃っていたということでしょうか?
「突っ込みどころ満載」なので、「旧約聖書」は(信じている「信者」が沢山いる
ことも踏まえて)結構面白い読み物であることは認めますが…。
確かに、現実から悪を取り去り純化すると理想になりますね
しかしそれは山あり谷ありではなく、平坦な無の世界だ
生きるとは、西瓜に塩を撒くが如く、悪を容れる事
341 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 22:40:22.74 P
機械氏は
>>212に答えて下さいね。
(無意識的な)意志及び欲の出自は、霊魂か物質(エネルギー)のどちらかしかないんだから。
霊魂を排除する機械氏ならば、当然意志=エネルギー説を認めることになる筈です。
善悪なんて人間の観念にしか通用しないよね
序列みたいなのは動物社会にもあるだろうけど
人間もいい加減、生きようとするのやめて良い世界が
求められる時代だな。
認知症だ、癌の末期だ、自殺だってそういうのまとめて
自己決定権で人道的に安楽死できるようにすれば
平和になるのにな。
哲学は知を愛するって意味らしいし、死ぬという知も愛されるべき。
生きようとすることで安定には向かわないのは間違いない 気 がする。
生きたい者が生きる自由、死にたい者が死ぬ自由、どちらの人権も叶う世界にしか
安定なんてなさそうではある。
344 :
「機械的唯物論」者:2014/02/21(金) 22:46:22.44 0
>>340 人間の自由意思は「スイカの甘みを増す塩」ですか?
旧約聖書によればソドムとゴモラの住人は女子供まで皆殺しにされたそうですが、
神もスイカの甘み増しのために撒いた人間の自由意思に腹を立てて大虐殺を行うなんて、
まあかなり悪趣味なRPG(世界)を造ったものですね。
345 :
「機械的唯物論」者:2014/02/21(金) 22:51:42.24 0
>>341 >(無意識的な)意志及び欲の出自は、霊魂か物質(エネルギー)のどちらかしかないんだから。
「脳」は「電気エネルギー」と「化学エネルギー」の相互作用(だけ)で働いていることが明らかにされています。
従って、(無意識的な)意志及び欲の出自は…他の哺乳類と同様「脳(及び神経系統)の働き」に尽きる…と何度も
申し上げております。
346 :
考える名無しさん:2014/02/21(金) 22:52:15.76 0
善と悪の大きさは同じ
男女の数も同じ
二元論の二物に数量の優劣は無い
最大級の幸福と同じ大きさの不幸がどれほどのものか、塑像できるでしょう
348 :
大王:2014/02/21(金) 23:02:50.26 I
欲は単なる自動発生だよ。
349 :
大王:2014/02/21(金) 23:22:33.00 I
人間は破滅への速度を早めている。
神を失い、科学で空白を埋めているが、
解決ではなく、諸刃の剣になっている。
己に戻ってきた攻撃で流血しまくりの
パンデミックの時代を経た後に、
再度神に回帰するのか、
または滅びるのか。人類がおしまいなのか。
どちらにしても、必ず訪れる。
科学はそれを早めている、
これは神の視点で見りゃ、
いい事かもしれないな。
350 :
大王:2014/02/21(金) 23:25:47.46 I
ペシミスティックに眺めれば、
意外と楽しい。
感謝するぜ。
この人間喜劇にな。
351 :
大王:2014/02/21(金) 23:34:00.52 I
天才を持つ人間は顔がいい。
俺もそうだ。
ありがたいね。
たんにマスゴミが韓国に買収されてるだけじゃんw
353 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/21(金) 23:36:40.33 P
>>345 飽くまで脳の機能ってことですね。
とりあえず意志及び欲はエネルギー由来ということには同意できるということ。
意志がエネルギーの一形態というのは、そこまで突拍子もない説では無い、と言えるのではないでしょうか。
354 :
「機械的唯物論」者:2014/02/21(金) 23:45:58.13 0
>>353 コンピュータが素子を「電気エネルギー」で「動かす」ことで動作させるように
設計された『電子計算機』であることと同様、『脳』は「電気エネルギー」に加えて、
「化学エネルギー」をも利用する『電気・化学計算機』の構造を有しているということです。
当然、両者とも「エネルギー」が必要であり、それが無ければ「動作しない」ことは
申し上げるまでもありません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
355 :
「機械的唯物論」者:2014/02/22(土) 00:01:38.86 0
>>353 ご参考までに、あなたのような「トンデモ(ナンデモ)エネルギー説」を
唱えた人に「ウィルヘルム・ライヒ」という有名人がおります。
彼が唱えたのは「オルゴンエネルギー」とかいう「性エネルギー」に関する
シロモノで、グルジェフやブラバッキー夫人やスウェデンボルイ等のような
「熱烈な信者」が結構おりますが、「キワモノ」であることについては他の
3者と(アカデミズムからは)似たり寄ったりの扱いを受けているようです。
ある意味では、フーデニーのほうが「まし」かもしれません。
本日は就寝させて戴きます。
356 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 00:10:10.75 0
エネルギーで動かないものがあるならエネルギーに意味はあるけどね
誇り高き法政大学
358 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 00:27:56.97 0
>>299 メルロ=ポンティを読んだことないが
差異化が同一として可逆であるならそれは質と量の変換に他ならない
昨日の私と今日の私を同一できる演算は決定されない
非線形は自己言及的にしか現れない
359 :
あまの:2014/02/22(土) 01:00:49.27 P
この感じは、スーモ氏?
360 :
あまの:2014/02/22(土) 01:16:31.40 P
エネルギーは物理において最も根源的な量だね。
因果を記述するとき欠くことができない。
その先は言語記述しか無いわけだ。
361 :
黄檗:2014/02/22(土) 07:27:45.85 0
>>356 わるくないがしかし。。。
例えばな、変化のない時間をもし考えることができたのなら
明確となるのは時間の方ではないのかな
ぜんぜん違う話か?
362 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/22(土) 11:14:01.31 0
>>344 「すべては神の御心のまま」のはずなのに『ソドムとゴモラ』にみるように、
人間の“自由な振る舞い”を憎み、虐殺を敢行する…
これは機械さんの「すべては物質であり、その振る舞いは一義的に決定されて
いる」としながら、その舌の根も乾かぬうちにw意にそわぬ言表を「観念論的
誤謬」と謗ってやまない奇妙な態度と同型である。“全体的真理は我にあり”
とする絶対主義者(信仰者)の“逸脱”に対する憎悪は、無限に膨らむらしい。
363 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 11:38:42.73 0
>>362 そうはいっても、機械にも自説と異なる意見を批判する権利くらいは
認めるべきだと思うよ
機械の説が自説と異なるから「絶対主義者(信仰者)」とレッテルはりして,
批判してるのはゲーム氏でしょ?
どうしてそれは「絶対主義者(信仰者)」のふるまいではないの?
1=0.9999999...
同一性とは、いくら差を求めても差がないこと
365 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 12:18:54.68 0
糸の針穴通しの成功率が、この時間の流れる3次元空間の「劣化」と「誤差」と「定まらない定点性」なのだと思う。
俺はそれを日常社交会話用に「劣化する我々の4次元時空間」と呼んでいる。
>>362 機械氏の宗教批判はすごくもっともだよ。
あなたが「憎悪」と呼ぶような感情抜きで、むしろ皮肉っぽく冷静に見える。
それに対して感情を交えて強く反発するところをみると、もしかしてあなたはキリスト教信者なのか?
367 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/22(土) 12:32:44.43 0
>>353>>354 感覚や感情、思考、推理、意志…を表出するためにコスト(E)がかかる、というのはそのとおり。
が、それをもって“真”とするのは雑すぎる。身体を機能させ、意識を表出するにはEを必要とする、といっているにすぎぬ。
では、何が脳を含む身体を“組織的に”働かせるのか。“情報”である。
それは二重に身体の働きを規定している。
身体の構造と機能は内在的(遺伝)情報によってその限界が定められており、そのつどの反応は外来的刺激を情報として受けとる
ことによって惹起される。情報=Eといってもいいが、しかし、それは差異が刻印されたEである。
“意識”はEを必要とするが、感覚と感情、思考…等の違い、それぞれの内実の相違はEの大小によって生じるわけではない。
差異としてのE、あるいはEの差異が意識に意味(差異)を、いいかえると“主観”をもたらすのである。二元論の根は深い。
368 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 12:35:14.45 0
コブラ
369 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/22(土) 12:43:03.72 0
いや機械さんを、ときおり怒らせたことはあるが、敬愛の念を抱いていることは、
彼にもわかっているでしょう。w
ただ、絶対主義(一神教)を批判するのに、別の絶対主義(決定論・唯物論)を対置
しても無意味、といっているのです。どちらも閉じた思考の産物である。
>>367 “情報”は「プログラム」でしょう。プログラムとエネルギーは別物。
コンピュータを見ればそんなこと当然のこと。
人間の脳が形成される過程で遺伝子の情報が参照される必要があるのは事実だが、
それについては他の動物も変わりはない。
他の動物も「ライオンが見ているからなるべく離れておこう」などという“情報”処理を行う脳を持っている。
だから、人間の意識(人間の脳)が特別な存在だという根拠に“情報”を挙げるのは間違い。
371 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 12:52:34.23 0
横槍だが、
しかし「プログラムとは何か」と人間を細胞まで分解していくように見ていくと、
記述された機械操作言語に留まらず、
具体化されたICチップの中の銅線の通り道であり、
それは、伝達経路の通る道順であり、
まるで都内の電車の路線図のようである。
エネルギーの通り道である。それを「インフラ」と呼ぶ。
>>371 そのインフラの設計図も最初の1個の受精卵に全て書き込まれているんだがね。
373 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 13:05:38.56 0
>>369 機械氏の主張は「観念論こそが絶対主義に陥っている」というものだからね。
だから「観念論的誤謬」という言葉を多用する。
意志の自由なんて、機械氏が否定するまでは疑ってもみなかった。
374 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/22(土) 13:06:20.08 P
>>372 実はそうでも無いらしいよ。
前は毛細血管の配置までもがDNAの情報として書かれてあると考えられていたが、今では自己組織化によるフラクタルで説明出来るようになり、比較的簡単な式情報しかDNAには書かれていないと考えられている。
観念が脳内構造から成り立っていても、情報として受精卵に書きこまれてるというより
脳内で日々構築されてるのとは違うの?
ここの人達って、生きていく労力と安楽死のような楽に死ねる方向と両者あったら
どっち選ぶ?すべてが決定されていて、この先癌か脳梗塞か心筋梗塞か事故か
なんらかの苦痛を伴って死ぬのは目に見えているわけだけど、それでも生きたいと思えてる?
376 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/22(土) 13:16:30.58 P
>>367 情報(=徳)によって生まれ、情報によって営んでいるというのは全くその通り。
そうした成果を徳の功、功徳と呼んでいるが、それはやっぱりEの差異でしょう。
情報というのは、媒体が必要なのであって、情報そのものってのは存在しない。
しかし、営みは情報そのものである。
うーん。
377 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 13:30:44.25 0
横槍の俺だが、
「劣化する時空間」を唱える以上、
>>374に半ば同意する。
最初の一個の卵に書き込まれているだろう。例えば整数で。integerで。
でも、この劣化と酸化と揺らぎのある「生もの」現実空間で、そのイデア的integer整数を発動させると、
1 と出したかったのに、1.0023になったりする。
そこのブレの部分は設計時には予測不可能であり、この「生もの」世界の「仕様」のほうの言いなりだ。
と言うのが、俺の先天性と後天性の切り分け方。
378 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 13:59:16.54 0
>>374 聞きかじりの生半可な知識を、「オレ科学」だと勝手解釈して全体に敷衍するあんたらしいレスw
一卵性双生児の毛細血管が一部一致しないからといって、「個体形成には遺伝子は関係しない証拠だ」
って言い張るわけかい?
そもそも「プログラミング」のことも何も知らないだろ?
プログラムの細部は「この部分は乱数表により適当に配置する」みたいな行で済ます部分がなければ、
あらゆる種類のプログラムは膨大な行数になって、事実上「動かせない」状態になる。
毛細血管の配置なんて「どうでもいい情報」を「どうでもいいから適当に成長する」で済まされなければ
人間の染色体は細胞全体をはみ出しても収まりきらないだろう。
なにしろ人間一人の毛細血管の長さは地球を数周りするほど長いし、毎秒数kmずつ更新されているから。
379 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/22(土) 14:09:49.74 P
>>378 どうでもよい、というより、もっとも効率が良い方法がフラクタルって話なんだが。
380 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 14:14:24.52 0
>>379 いいかい。毛細血管の成長方法が人間の受精卵に「もっとも効率のよい方法で成長する」
って遺伝子記録されていても、「遺伝子には記録されてない」って言い張る根拠にはならない。
わかる?
>>380 素朴な質問なのですが、「最も効率のよい方法」がどんな方法なのか、
どうして受精卵にわかるのですか。
しやから、高卒レベルの物理・生物・化学くらいはわかっとらんと、
聞きかじっただけの最新のトピックを適当に使ってるだけにしか思えん。
383 :
黄檗:2014/02/22(土) 15:11:00.83 0
>>382 貴方が教育してやったらええ
わしにはできん
いのち、はよ散逸構造とフラクタルの説明よろ
人間の寿命はプログラムの基幹部に属するので、変更不可能な筈なんですけどね
只、最近では強力な安楽死方法も開発されているので、古典的生物学を量子物理学的決定論にぶつけて勝ちを狙うのも一興でしょう
付け加えておきますと、人間は全力で生きないと死ぬ体勢に入れないようにプログラムされているように見受けられます
385 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 16:13:45.73 0
>>384 理系グラフ的に面白い。興味深い。何かを掴んだ感じがある。
ここは理系の人しかいないのかしら
文学を多少齧っていれば分かる事でしょう
答えはカンニングして知ってしまえばいい
過程や理論は現状追認として後から付いてくる
388 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/22(土) 17:14:32.79 P
389 :
黄檗:2014/02/22(土) 17:18:43.80 0
貴方、それ読んで理解したつもりになれるのか
390 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 17:26:24.67 0
\::: 秘 :::/ おっ・・おうww
|:: 密 :::|
/⌒ヽ__// \\__/⌒\
( ◯ / /) (\\ ○ ) 、z=ニ三三ニヽ、
\ / ./● I I ●\\/,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
/ // │ │ \_ゝヽ} 仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi.
/ /│ │ヽ :::{ミ{ ニ == 二 lミ|
/ ノ (___):::ヽ ::{ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ 安倍ちゃん ナチスの手口で・・・
│ トェエエェイ :::::: :::::| {t!./・\ ./・\ !3l
│ ( ヽェェェソ.ノ ::::::| `!、 ⌒ イ_ _ヘ⌒ .l‐'
\ 、_,_,,ィ ::::::/{ Y { トェェェァ` j
,-、 \ __ '::::/ ゝ へ、`ニニ´ .イ ゚ヽ
391 :
ゲーム:2014/02/22(土) 17:55:11.55 0
>>370 「人間の意識が特別」だって? いってもいないことに反論するのは徒労。
少し前に“客観”に照準して、こういったことがある。
“世界”は情報と力によって織りなされている…と。
人間も世界内存在なので、同じことがいえる。ヒトもイヌも小石も特別ではない。が、それぞれ特異ではある。
>>373 「意識は必然にすぎない」と断定しているにもかかわらず「君は間違っている」と機械さんがノタマウのを皮肉っているだけ。
意識は、いわば観念の束。それしか表出できないと機械氏は述べながら他方、観念論的誤謬とか欺瞞などと謗るのは背理。
心的な選択を「誤謬」と非難できるのは“正解”を選択できる余地がある場合。
392 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/22(土) 18:10:04.79 0
>>376 少し前に、情報=E(力)としたので、君のいう「情報そのもの」は“差異”と呼ぶ。
君の指摘するように、それは媒体必要とする。ただし差異=媒体ではあるまい。
この“差異”の出所がわかりますか。
もう一つ、差異化されないままのEは存在するの?
>>392 差異の出所知りたい。
というか、そういうことを思いつくのがすげー
394 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/22(土) 18:33:50.49 P
>>392 >>5で示した通り、Eという「実体」は無い、というのが結論。
五態という「実態」のみ存在する。
従って、差異化されないEとは、無と同義。
結局、出処となると「自ずから然り」以外に表現が無いですね。
因みに、五態の光は電磁波の意であったが、もっと単純に波とした方が良さそうでした。
「波動」で検索すると胡散臭いのが山程出てきますがww
君は自分が胡散臭くないと思っているのかw
396 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 18:40:24.11 0
>>392 “差異化”されると言うことは、「在るも」のを前提としている。
その「在るもの」が、差異化する前の「未分化の存在(同一性)」と言うことであり、
“差異化”を可能としているものが、情報(=E)と解釈している。
未分化領野(=身体性)が存在しているのであるから、差異化されないままの「E」も
論理的には、存在していることとなる。
この人らが何のために、何を分析・解釈して、どこにいきつこうとしてるのか
さっぱりわからんのだが。何をやってるの?わからん俺がおかしいの?
398 :
黄檗:2014/02/22(土) 18:57:00.69 0
絶対的存在あるいはメシアを求めているのだろう
相対化された世界での空想ですらない現実逃避さ
ごっこ遊びを知らんのか?
401 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 19:16:04.52 0
なんでわからないって
世界がそうであることと同じく表現してるじゃないかw
共有されてないからだよ
402 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 19:28:12.59 0
ことばは身体から生まれる
どんな個体も、その形状に存しない媒介は生じない
言い換えれば、ことばは身体の能力である
それが近接して類似していればいるほど、
共有できる構造を示し得る
共有する物差しがなければ、どんな対象も測れない
それは私にも当てはまる
私が誰であるかは、そのようにA氏であったりB氏であったり、
量化される
あなたは80%スモ氏だというような意味で
そんなことはありえないと思うのは、正しくない
100%の私とは質であるが、それは媒介によっては永遠に一致されない
質が抽出であるというならそうであるが、
個体とは質量であり、
質量とは動かしにくさのことだ
私が誰であるかは、この変転する世界における動的な秩序において
つまりは共有されることば(社会システム)において、
保っている(保とうとしている)にすぎないと同時に、
自分と世界を決定している
走り書きすまぬ
403 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 19:36:40.51 0
>>364 キルケゴールがどういう文脈で用いたか忘れたが
神にもっとも近づくことは、神にもっとも遠くあることだ
科学を、この身体から出る肉のことばで、誰もが一致を求めることは
いや、そのように限りなく近づくだろうが、
その最後の一歩で、最後の隔たりで、超えられない
それが最後の審判の意味だ(オレのなかで)
ショッピングモールのアマゾン化のようになっても(最効率化)
それは、解体することになる
肉のことばは解体される
それは永遠の命でないから
走り書き2
「私」とは記憶、つまり情報なんだよー
へべれけに酔っ払って記憶が完全に飛んだことは無いかな?
後日第三者から自分の記憶にない自分の行動を聞かされても
それがどうしても自分の行動だと思えないことから明らか
405 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 19:48:34.35 0
自分が自分であろうとすることだけで、
そのたったひとつの原理(コナトゥス)だけで、世界は説明できる
媒体(精神)とはすなわち身体(物)の別態であるから
自分が自分であろうとすることは、
その媒体(ことば)を通してのみしか成されない
それが差異化
媒体とは各々の個体(部分)の能態であることに等しい
部分はもっとも近くからもっとも遠くまで類似を保つ
その程度によって、その個体における世界が隣接されている
はじめに言があった
言は神であった
万物は言によって成った(ヨハネ福音書)
世界はことばとして在り続けた、ということだ
走り書き3
406 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 20:03:42.25 0
どのような用語を使おうとも、
それが意味を成す背景を見据えることだ
そのように限ることで、
我々は理解している、知っている
それを信仰している
そのようにしか、自分が自分であろうとすることを欲せない
生活を、社会を、生を営めない
しかし、永遠の命とは自分を失うことだ
その肉のことばを失うことだ
常識じゃない、生きてらんないw
だが、イエスはそういうことを言ってるようだ
もっとも多く失うことは、もっとも多く得る
自分を失うことで、自分を得る
永遠の泉に触れると、ドラエモンの一節からでも世界を説ける
真のことばを知るということは、そういうことかもしれない
少しゆる書き
>>404 その記憶の情報の背景を考えろ
407 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 20:15:11.50 0
はじめからラフすぎる
408 :
黄檗:2014/02/22(土) 20:29:34.43 0
スモよ、身体的相対主義を展開するつもりなのか
もしそうだとするなら、かつて貴方が言った「ヒトの思考は誰でも理解できる」ことは
程度問題だと認めるわけだな
私はわりとこだわって覚えているのだぞ
409 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 20:49:11.69 0
>>408 この世界が秩序を保ちつつ有るように
私が貴方の文章を理解できる秩序(意味)にあって、誰でも理解できる
私が誰であるかは戸籍にアクセスすることで誰もが等しく確認されるように
しかし、私と貴方は同じでない(限りなく類似していても、また離れていても)
それはお互いに失うことで、わかりあえるのかもしれないw
さっき、アクイナスの神学大全の初心者本をめくっていたが
愛とは自分を他者に与えることだそうだ
そのようにして、お互いを完全な意味で理解できるのかもしれない
410 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 21:08:10.96 0
身体、つまり個体の形体とは生物の、地球の、宇宙の歴史を辿ってる
身体ありきでことばが生まれるわけじゃない
形体と能作は同じことの両側面
身体から生まれることばは、その形体の、つまりはことばのつながりを宿している
個体なんてものは、ない
それはどんな部分でもあるし、
もちろん私にありきの質なんてものもない
量もない
対象にイデアはない
だから、物質もない
知(神)の働きだけが、自分が自分であろうとすること(=生)を知れる
411 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 21:14:23.38 0
>>384 死を求める(理解しようとする)ことでしか、生を実感できないからだろうか
>そのようにして、お互いを完全な意味で理解できるのかもしれない
世俗の汚濁を厭う者は、全ての理解には至れないぞ
413 :
大王:2014/02/22(土) 23:09:58.05 0
生きることは必然的に他者を暴圧することだ。
あえて罪があるならそこだろう。
キリスト教的な原罪を信用して
良心いためる必要などない。
ある意味全員無罪で有罪だ。
414 :
大王:2014/02/22(土) 23:12:52.32 0
誰でも人に言えない罪のひとつや二つはあるだろ。
俺なら500くらいある。
全部俺によって無罪放免された。
415 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 23:15:28.11 0
集団思考の主な特徴は次のようにある
・画一性への圧力
集団の考え方や決定事項に反すると、脅迫あるいは実際に制裁などが行われ、疎外感を抱くようになる
・集団内での閉じた思考
これによって、いかなる疑念も合理化できるようになる
・集団の過大評価
自分の属している集団は強くて、賢くて、他の集団に比べ道義的に勝っていて、さらには不滅とさえ考える
集団思考によるこうした有害な影響(多様性、つまり集団としての意思決定をうまく行う可能性を最大にできないこと)
から逃れるために、私たちは何ができるのだろう。これは難しい問題である。というのも、
集団の意思決定には、他人の選択に基づいて自分の選択を調整するという要素が必ず含まれるからだ。
調整を行った瞬間に、私たちはいくらかの独立性を失い、集団はいくらかの多様性を失ってしまう。
では、集団として意思決定を行う場合、いったいどのようにすれば、独立性を維持しながら、
しかも最終的な合意に至ることができるのだろう。
この疑問は集団思考の核心、そしてあらゆる集団的意思決定の過程において見られる逆説である。
集団思考はどこにでもある。そして、他人に対する態度に影響を与える力をもっているがゆえに有害なものなのだ。
(『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』より)
世界を知らない事、知ろうとしない事が罪だろ
417 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 23:33:01.00 0
歴史という変化の時間を認めるならば
それを知の働きか、生の原理にか
どのように説明できればいいのかわからない
418 :
「機械的唯物論」者:2014/02/22(土) 23:40:47.40 0
>>405>>406 >どのような用語を使おうとも、
>それが意味を成す背景を見据えることだ
キリスト教徒さんのおっしゃる言い方は常に「脅し」と「利益誘導」の響きが
伴うのですね。
「キリスト教に逆らえば・・・んな目に合うぞ!」と「キリスト教を信じれば良い目に合います」
「キリスト教を信じる者『だけ』が天国に入り、それ以外は地獄へ落ちます」と
一つ覚えのように繰り返すだけでは、今時「信者」を集めるのは難しいと思いますよ。
なにしろ、中世・近世と違い、現代は「科学的知識が一般大衆まで広がっている時代」だからです。
まあ、「中途半端な科学知識を自分解釈の誤解で思い込んでいるブンカケイニンゲン」も多いですが、
彼らも「聖書的お伽噺」で脅かされたり、利益誘導されたりするほど無知でもありませんから。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
419 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 23:55:36.93 0
言の内に命があった
命は人間を照らす光であった(ヨハネ福音書1-4)
光は暗闇の中で輝いている
暗闇は光を理解しなかった(ヨハネ福音書1-5)
ことばには光と闇がある
ことばは善でも悪でもない
命のないことばが悪であるなら、
それが意味するところは何か?
我々の生は罪(悪に避けられない)を背負っているが
だからといって、悪に営んでいるとは思えない
言は世にあった
世は言によって成ったが、
世は言を認めなかった (ヨハネ福音書1-10)
語り得ないことの善は、一人一人の心にしか住処がない
420 :
考える名無しさん:2014/02/22(土) 23:59:49.93 0
キリスト教徒(集団)となった途端に、破綻する
ヨハネ教団について少し調べたが
彼らの教義ゆえに、教団は分裂した
一方は世俗の地盤のためにカトリックへ
一方はグノーシス教徒として継がれたそうだ
哲学者であるなら、その思考は孤独でなければならない
421 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:03:20.00 0
どうでもいいけど、他の神・仏はともかくキリスト教の神だけは居ない方に一票w
>>421 奴らは殺人ストーカーなみの粘着質だから一切相手しないのが一番。
423 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:12:41.46 0
唯一に信仰できるのは、ことばの現れに信仰しないことだ
ことばの命を知る者だけがことばを知る
光が闇を理解するように、そして闇は光を理解できない
424 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:13:14.57 0
そういえば「小さなヨハネ」とかいう超下品なAAアラシを連発して長期間粘着してたコテが居たね
そいつが戻ってきたかのかな?おおこわw
425 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:16:32.14 0
>>423 いまどき、言い方が古臭いんだよ。説教臭い言葉遣いはみんなうんざりするだけなんだ。
キリスト教の逆布教効果を望むなら、まあ止めないけど・・・・。
426 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:19:52.33 0
渇くねw
427 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:22:19.72 0
カオスを摩擦から説くか
428 :
大王:2014/02/23(日) 00:23:06.73 0
現代の神wは科学と物質的豊かさだよ。
それ以外に価値を見出せないでいる。
そんな風潮で人を閉鎖的にしておきながら、
その隙間にキリスト教すらも入り込める余地もなくなっているな。
いずれにせよ、宗教もやがて滅びる。
429 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:24:08.99 0
鍵はロジスティック方程式
こいつは使える
430 :
大王:2014/02/23(日) 00:27:05.82 0
どこかで俺みたいに泥臭い(人間くさい)事求める瞬間あるのに、
多分その自己内発露に慣れてないせいで逃げるんだろう。
もうちょい素直でいいのによ。
物質的豊かさだけがより所とはな。
俺にはつまらんねえ。
431 :
大王:2014/02/23(日) 00:32:26.33 0
>>416 無知は有識者から見れば確かに罪だな。
でも曖昧なことは曖昧にしておいていい場合もある。
知ることは「恐怖」を増やすからね
432 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 00:33:46.95 0
われわれが数学と呼んでいるものが超越的に真であり、
しかも唯一のものであると述べることは、
数学が正しく指示するプラトン的領域内の真命題の集合がただひとつ、
しかもただ一つだけ存在すると述べることである。
このことが真実であるためには、客観的に正しい指示が可能でなければならない。
(『認知意味論』ジョージ・レイコフ)
知らないことの方が余程恐ろしいよ
極寒の極地で訳も分からず震えているようなものだ
434 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 02:02:29.82 0
時間は難しすぎる
すべてのイメージや先入観を捨てないと
ただ、持続がパターンと関係あることはわかる
435 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 02:41:51.75 0
現代の神は芸術でしょ。
科学とかカネとか言うのは、すべて芸術に仕える手段・道具に過ぎない。
精神的充足こそが究極の目的。
その割には、大阪では楽団の予算が削減されて困ってるけどね。
ちがうだろ
トートロジー教かおまいは
真命題の集合がただ一つだけ存在する=客観的に唯一の正しい指示が存在するを言い換えただけだよ。
角度Aを客観的に指示できたからといって
角度についての真命題が唯一つだけ存在することにはならないね
441 :
440:2014/02/23(日) 07:46:25.53 0
誤解されるからこうするか
「任意の角度A」
角度Aを客観的に指示するためには、角度についての真命題が必要だよ(平面のユークリッド幾何の命題のような)。
それは命題の集合に含まれるだろ。
そうでなければ客観的な指示など不可能。
443 :
440:2014/02/23(日) 07:53:28.09 0
指示できるから命題が成り立つんだよ
測定も数学的な命題の根拠がなければ意味をなさない。あとは直観だけ。
>>344 むしろ「画期的なエビデンス」だと考えております。
ああ、失礼。「致命的」ではなく「非常に重大な」と書いた方が適切でした。
>リベット氏自身の著書では明確に「自由意思の不在」に言及することを避けているようでしたが
「意識的行為(脳においての活動電位として観測されるもの)の前に意識に上らない準備電位が存在する。」
というだけの事から自由意志は存在しないという事実のエビデンスとはならない、ということです。
キリスト教云々はあなたの偏見ですよ。あなたがキリスト教的世界観を否定する科学理論の代表として挙げた
進化論もキリスト教圏から生まれた、発見されたものでしょう。キリスト教圏における研究であるから、
聖書に書かれた記述を真理とみなしそれを否定できないのだ、という事は「観念論的誤謬」です。
希望的観測、願望、から来る偏見と言い換えても良いです。
相変わらず超絶どうでもいいことをわざわざ長文で御苦労様です。
>>344 珍しく感情論ですねw
いや「最終真理」が「観念論」を打破できないのと同様に、
「絶対善」も「悪」を駆逐できないのでしょう。
人の考えた絶対なんてそんなものでは。これは「観念論的観測」ですがw
本題のリベットの実験の話の補記ですが、
意識に上らない準備電位の段階ですべての行為は既に決定しているということであれば、
確かに意識的行為の根拠としての自由意志の存在は危ういものになるかと思います。
これは「意識的」な活動電位は「無意識」の準備電位に対し、ただ「自由感」を与える機能しかない、
という別のエビデンスを必要とするでしょう。しかしながら実際のところ、
意識は「判断」を下すことができるということが同じくリベットの実験によって確認されています。
準備電位が「提案」するのに対し、意識はそれを否定することができる、つまり「承認」の機能を持つと。
無意識的提案の可否を別プロセスで承認するということは、自由意志の可能性を残します。これが一点目。
>>446 いつ(で)も見廻りご苦労様です。
で二点目ですが、
リベットの実験から自由意志はないという結論を引き出すとして、
脳が化学・電気エネルギーによって動く「計算機」であるとして、
個々人の行為の自律性についてはどのように考えますか。
この「計算機」は入力と出力をある方程式によって処理するものであり、
その方程式の集合としての「思考のアルゴリズム」には個体差が存在する。
大まかに言えば脳の器質と記憶情報によって生まれる差です。
(人間の精神を特別視する必要もなく、自由意志は機械的に肯定することも可能だというのが私の考えですが)
上のような個体別のアルゴリズムの存在は、あなたにとって認められるものですか。
449 :
あまの:2014/02/23(日) 11:30:24.27 P
キリスト教は自然主義の亜種のひとつ。
根底の自然主義自体しぶとい観念であるうえに、善と悪、罪と救済、楽天主義、
など人間意にとってベタな要素が盛り込まれ洗練されてしまったわけだ。
450 :
あまの:2014/02/23(日) 11:32:41.06 P
この宗教から抜け出すのはなかなか大変だな。
形而上では、べき分布(Y軸:救世主指向度、X軸:哲学者指向度)
形而下では、ガウス分布(Y軸:救世主指向度、X軸:科学者指向度)
かも
幻想的政治性からのexodus
ロングテール化する哲学者
Y軸への斥力、科学者
X軸への漸近、接すると詩or死だ
453 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 13:18:58.44 P
>>447 横からですまんが、リベットは確かに著書の中で、自由意志を肯定する為に「意識は否定することが出来る」としているが、「否定するときの準備電位もあるはずでしょ」という致命的な欠陥を抱えているために、それは誤りでしょう。
然るに人間は、各々が「性(性質・性格)」を備えて日々育んでいるのであり、それを元にしたアルゴリズムとして計算されている。
故に、意識か無意識かに拘らず、「自分の性」という日々変動する持ち前を元にするので、自由でもあり不自由でもある、というのが俺の結論です。
(もちまえに完全に規定される意味で不自由、もちまえはどの様にでも変動できる意味で自由)
まぁ、どのみち意識(=認識)との相互作用がないと、精神と呼べるほどの作用は生まれませんがね。
454 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 13:26:06.38 P
因みに、もちまえに規定されるということは、自らもちまえを変動させることは不可能であることを意味する。
だから俺は「善い徳に触れよ」と説く。
影響といっても良いが、この本を読んで人生が変わった、考え方が変わったとか、彼に会わなければこうはならなかった、という経験は大なり小なりあると思う。
意識改革ってのは、自分だけじゃ出来ないのよ。
善い影響を与えてくれるものと触れ合わなければダメなんよ。
>>453 >「否定するときの準備電位もあるはずでしょ」という致命的な欠陥を抱えているために、それは誤りでしょう。
「それ」は観測されているのですか。
観測事実が無いのだとすれば、ここからは実証に基づかない机上の議論になりますね。
まぁ仮に、一旦「否定するための準備電位」があるとしましょうか。
そうすると「肯定するための準備電位」も必要なんですか。
つまり判断そのものも無意識であり、そこに「自由意志感」が付随させられると。
否定するにせよ肯定するにせよ、更にそのための準備電位が存在するとすれば、
では肯定/否定する準備電位を肯定/否定する準備電位も必要ですか。
どのように「説明」しましょう?
>然るに人間は、各々が「性(性質・性格)」を備えて日々育んでいるのであり、それを元にしたアルゴリズムとして計算されている。
概念が今一つ不明瞭で分かりにくい。
ある入力に対し何を出力するかを規定するアルゴリズムと
(一般的な意味での)性格というのは同じ意味だと思います。
「性格を基にしたアルゴリズム」の意味が今一つ分かりません。
>故に、意識か無意識かに拘らず、「自分の性」という日々変動する持ち前を元にするので、自由でもあり不自由でもある、というのが俺の結論です。
>(もちまえに完全に規定される意味で不自由、もちまえはどの様にでも変動できる意味で自由)
>まぁ、どのみち意識(=認識)との相互作用がないと、精神と呼べるほどの作用は生まれませんがね。
個人的な要望ですが、とりあえず長くなってもいいので具体的に説明してください。
議論にならないとかではなく話になっていない。
>だから俺は「善い徳に触れよ」と説く。
あなたは何様ですかw
まぁどうでもいいです。まとめて書いてください。
まとめがまともなら何媒体でも(掲示板でも)いいので公表してください。
走り書きレベルで宇宙の原理だの生命の真実だの、
遠大過ぎる「イメージ」に対して説明が矮小だから追いついていないんですよ。
印象は面白いと思いますよ。でも哲学は印象論ではないですから。
457 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 15:15:17.82 P
>>455 最初から意識は即ち認識するのみであると考えてますよ。
肯定も否定も無意識です。(確かに否定の準備電位なんて実験は行ってないが…)
何かを思った、または意志、欲、が立ち上がったとき、認識はそれを追随しつつ相互作用を齎します。
意識に現れるとき、それは全部過去形なんですよ。(時差の補正機能によって進行形だと誤認していますが)
それを哲学的にどう説明するかってのは、一つの課題ですね。
>>456 ×それを元にしたアルゴリズムとして計算されている。
○そのアルゴリズムに出力が規定されている。
確かにおかしいので訂正します。
>具体的な説明
ちょっと今仕事中で時間がないのでまた後で。
458 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 16:52:09.60 0
なに言ってるのかわからないことを読もうとする働きは
それがなにを言いたいかをわかることができるのだろうか?
これを問いたかったのかな抄録氏は
有機物と無機物はどっからどう違うの?
あと、このスレでもよく見るけど、神とか霊とか魂とかの類があると
言っている方に質問ですが、
無機物には宿らず、有機物に宿るものって考えてるんでしょうか?
460 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 19:16:48.13 P
一般的な一神教や霊魂を信仰している人なんてこのスレにはほぼいないよ。
無機物に宿らず有機物に宿るもの。
そんなものは「無い」。
あと、違いはあるが、根源的な違いは「無い」。
殆どの生物にとって、自身の死が宇宙の終焉と同義である
この事は、単なる錯覚として片付けるわけにはいかないと思うね
だとしたらどの生物も遺伝子を残す為に生きたりしないだろうよ
主観上の錯覚だ、ソレは
463 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 20:58:25.56 0
>>459 昨晩時間について考えていたんだが、
有機物と無機物という区分けでいえば
それは時間の有ることと無いことの違いだ
正確には、時間の幅が異なる(という表現しか今は見当たらない)
ご飯食べてからその説明に努める
進化論は間違いなのに、遺伝子を残す事がそれほど重要かね
>>457 >最初から意識は即ち認識するのみであると考えてますよ。
>肯定も否定も無意識です。
何をするかも、その行為をするかどうかの判断も無意識によると。
行為に意識は必要ないということですか。
自動的に行われる処理を傍観するように、ただ認識するだけ。
それがあなたの考える「意識」なのでしょうか。
「相互作用」の含みを考えれば、おそらく違うのでしょう。
しかしその「相互作用」も、以下の通りあなたの文章からでは実態が不明瞭だと思います。
>認識はそれを追随しつつ相互作用を齎します。
繰り返しになりますが、
何をするかも、その行為をするかどうかの判断も無意識によると。
どこで「相互作用が齎される」のですか。
あなたの言う通りの事をリベットの実験にあてはめると、
意識(認識)が働くときに既に行為は終わっているように思われます。
時系列的に相互作用の過程を説明して貰えますか。
私には上手く理解しかねます。
466 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 22:21:26.74 0
有機的ということは機構をもつということだ
機構をもつということは作用をもつということだ
作用をもつということは、媒介をもつということだ
媒介をもつということは形体をもつということだ
形体をもつということは、それが組織的機能つまり形状にあるということだ
形状にあるということは、秩序があるということだ
秩序があるということはパターンを有するということだ
パターンを有するということは、そこに秩序と非秩序を分かつということだ
秩序と非秩序を分かつということは、それが運動であることに等しいことだ
運動であるということは、時間があるということだ
よって無機的であることは時間がないということだ
有機的であればあるほど、パターンの有する周期が短く
無機的であればあるほど、パターンの有する周期が長い
467 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 22:31:04.76 0
>パターンを有するということは、そこに秩序と非秩序を分かつということだ
パターンがあるということは、図と地の区別がつくとも言い換えられる
パターンという状態がすなわち区別する方法に等換され、
区別する方法ということがすなわち運動している理由に等しい
化学の勉強もしておこうね。
それとも、化学以外に別の定義で有機物、無機物っていう用語を
現在でも使ってる分野があるのだろうか?
470 :
考える名無しさん:2014/02/23(日) 22:47:13.75 0
無理があるよなあ
こんなことして何か新しい(深い)洞察になるのだろうか
抽象な思考をしていて自分で疑問で帰りたくなる
471 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 22:49:50.99 P
>>465 行為も判断も無意識です。
時系列ですか。
例えば道を歩いていて、交差点の赤信号の色を見て止まる、の一連を考察します。
まず確認ですが、意識とは認識を意味します。
認識とは、注意したもの及び気づいたものが何であるかを「知る」ということです。
まず、何らかの目的を遂行するべく、歩こうという意欲が意志に至り歩くわけですが、このとき、意欲を知らないと意志に切り替えられないのです。
いわば意識は起動装置としての役割を持っており、この、知るという作業台をコンピュータ用語で「メモリ」といいます。
一次記憶装置ですね。
作業台に目的を置くことで、歩く意欲は意志に切り替わり、続いてプログラムが動き自動操縦モードになりますww(右足を前に…とか一々意識しないでしょう)
さて、交差点に気づきます。作業台に交差点が立ち上がったわけです。
(同時に信号の色も気づいちゃうかもしれないが)信号の色を知りたい意欲を意志に変え、信号を注意します。作業台には信号の色が立ち上がっています。
解析によって赤だと知り、記憶(経験)から「危ないから止まろう」という意欲を作業台に立ち上げ、止まるという意志に切り替えます。
つまり、作業台に立ち上がっているものが、=認識しているものであって、それが意識です。
相互作用とは、このようなことを指しています。
因みに作業台はそんなに広くないので、同時に認識できるものには限度があります。
なお、実際はかなり瞬時に処理してるのですが、説明の為に時系列として考えています。
472 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 23:01:46.69 P
注意しているもの、気づいているものが、作業台の上に乗ってるものです。
それを瞬時に解析してほぼ同時に「知る」わけでしょう。
ただ、全ての行為に作業台が必要なわけではなさそうです。
例えば反射や走性、寝ているときの寝返りや無意識的に頭を掻くなど、ごく単純な作業に意識は必要としません。
>>472 もう、だいぶきつくなってる気が・・・。
最先端のトピックすら出てこなくなってるよ。
認知心理学とかやってみると楽しいよ。
474 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 23:11:58.28 P
>>473 行為というものは、なるべく単純に考えなければならない。
だから、意識と無意識、欲と意志、注意と気づきという三セットの概念によって考察してるよ。
475 :
「機械的唯物論」者:2014/02/23(日) 23:14:14.26 0
>>447 >準備電位が「提案」するのに対し、意識はそれを否定することができる、つまり「承認」の機能を持つと。
> 無意識的提案の可否を別プロセスで承認するということは、自由意志の可能性を残します。これが一点目。
そういう解釈自体が「変だ」と思うのが(正常な)学問の世界でしょう。
リベットはそういう「変な解釈」で「無理やり自由意思の存在の可能性」を残しているのです。
「無意識の準備電位が提案」したことに対して「承認する」のはやはり「他の無意識ユニット」だと
考えるのが「普通」であり、「承認プロセス」だけは「脳内の物理・化学反応から生じていない」
(要するに事前に決定された要素はない)とする説が「あまりに不自然」だということです。
476 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 23:19:53.59 P
>>475 その通り。
リベットの実験の解釈に対しては完全に機械氏と一致してるんですよねww
>>474 いや、もうそこを哲学的に説明することの意義ってどこにあるんですか?
478 :
「機械的唯物論」者:2014/02/23(日) 23:29:42.04 0
>>445 >キリスト教云々はあなたの偏見ですよ。あなたがキリスト教的世界観を否定する科学理論の代表として挙げた
>進化論もキリスト教圏から生まれた、発見されたものでしょう。
アメリカ大統領の就任式で大統領は聖書に手を乗せて「誓う」のをご存じだと思いますが、比較的「リベラル」
だと思われる「プロテスタント」の国アメリカでさえ、国民の半分以上は「天地創造」を信じており、進化論を
教科書から排除した州も存在すると聞きます。その動きは広がる方向だそうです。
思えば「ローマカトリック総本山バチカン」が地動説を「しぶしぶ認めた」のはつい最近のことですし、進化論に
至っては、まだ認めてはいないと思われます。
このスレの名無しさんにも「進化論は否定された」と公言される方も多いことから推察される
ように、「進化論を認めたらキリスト教の教義に致命的な打撃となる」と考える「信者」も多いのです。
「意思の自由」についても同じであり、進化論よりさらに「主観的印象」が「自由意思の存在」を
示唆しやすいので、それを否定することは欧米では「天動説に反対するガリレオ」に匹敵する「抵抗」
があるものと推察されます。
未だに彼の国では「無神論者だ」と自称することについて憚られる雰囲気があり、日常会話では
「ブディストだよ」と答えておくことが無難であるという話も聞くところです。
「科学」自体の根源が「キリスト教だ」という説は間違いで、むしろ「錬金術」等の「教会の教えに
疑問を持つ勢力」が淵源である・・という説の方が正しいと考えます。
479 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 23:35:46.68 P
>>477 性(もちまえ)の変動は徳による。つまり、意識改革は徳に触れることでのみ達成できるという「思想」の為の考察が、その意義ですかね。
俺にとっての哲学は、思想の為の方法論ですから。
>>479 あー、なんか自分の中で大切な思想というか、こうであるというような
結論(枠組み)があって、それを現実やらなんやかんやとうまく整合的に
理論立ていこうという試みってかんじですか?
とすると、発達心理学なんかやって、それを自身の心理的な変遷とかに
当てはめて考えていったりなんかすると、さらに混沌としてきて楽しいですよ。
まあオナニーは独りでコッソリやれと
482 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/23(日) 23:52:22.50 P
>>480 全く反対。
哲学という考察が先にあって、結論が思想。
ダーウィンは終生キリスト教信者でしたよ
そして、研究の過程で弱肉強食のシステムを見出して、こんな悪魔的なものを神が創造なされるわけがない、と断定し、
自然が創造した、とこじつけたのです
>>482 うん、
>>479で全く反対のことを書いてるよ。
ということは、「性(もちまえ)の変動は徳による」っていう思想が
哲学的な考察によって否定されてもOKてことですな。
485 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 00:08:27.56 P
486 :
「機械的唯物論」者:2014/02/24(月) 00:10:27.91 0
>>483 >ダーウィンは終生キリスト教信者でしたよ
誰がどう考えれば「神は自分に似せてアダムを造った」「アダムのあばら骨からイヴを造った」
「6日かけて世界を造り7日目に休憩された」などの「おとぎ話=旧約聖書」と進化論が矛盾なく
整合するのでしょうか?
私も自分が仮にダーウィンだったら、「私は敬虔なキリスト教徒です!」と機会があれば繰り返し
言って、キリスト教の狂信的な暗殺者から身を守るくらいの知恵は働かせたと思います。そういう時代だったのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>484 性(もちまえ)というのは、人の要素ですが、それとも人が自分以外のもの
の要素ないし性質として与えているもしくは認知しているものですか?
488 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 00:15:52.88 P
理論的に否定されたら結論(=思想)が変わるってだけだな。
この思想でなければならない、なんてことは一つもないや。
489 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 00:18:28.89 P
>>487 もちまえは持ち前でしょう。
持っているもの、即ち持っている性質、持っている性格、それが変動的な性(もちまえ)です。
>>489 では、徳≒情報というのは、少なくとも知覚されなければ、性(もちまえ)
に影響を及ぼさないのですか、それとも、知覚されなくとも影響を及ぼすので
しょうか?
491 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 00:34:55.80 P
>>490 酸いは梅の徳、甘いは砂糖の徳という辞書の説明があります。
自他に影響を与えるものを徳と呼んでおり、影響を与えているものは何か?と言えば、それは性(もちまえ)なわけですから、性≒徳ということです。
受動的な側面が性、能動的な側面が徳ということです。
情報という概念を使うと、与えられる前の情報とはこれ如何に?となってしまい、知覚云々という話になってしまうわけでしょうww
>>491 では、性(もちまえ)は変動的であるとして、徳は変動的なのですか?
493 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 00:56:40.49 P
>>492 性(もちまえ)が変われば、当然連動して徳も変わるのだから、徳も変動的ですな。
>>493 性(もちまえ)の変動によって、徳が変わるのであれば、徳も能動的でしょう。
とすれば、少なくとも性(もちまえ)は受動的で徳が能動的というのは少しおかしいことになる。
では、性(もちまえ)が徳を、徳が性(もちまえ)を同時的に双方が受動、能動となって
変動させるということはありますか?
>>493 さらに、例えば徳が性(もちまえ)を変動させ、性(もちまえ)が変動したこと
により(性の変動部分により)さらに徳を変動させるという循環は存在しますか?
496 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 01:28:18.34 P
>>494 んん?
性≒徳であるから、それは捉え方の違いってだけだよ。
変動は「他の徳」による。
自らの徳が自らの性に変動を与えるって場合もあるだろうが、恐らくだが根本の所では閉じている(つまり変動していない)のではないかな。
「自分の怒りっぽさを反省して、あまり怒らないように気をつけよう」というとき、怒らないように気をつけるという徳を性に対して与えようという試みなのだが、これだけではまず変動しないでしょう。
変動する「きっかけ」が与えられなければ、この目的は達成できずに終わります。
497 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 01:30:44.03 P
>>495 完全に孤立した性・徳ってのは想定してないんだけどな。
空想の話になるよ。
>>496 では、もっと直接的に性と徳の違いとはなんですか?
むしろ、同じものがそれぞれに変化するととらえられませんか?
そして、2つを想定する必要がありますか?
むしろ、同じものが複数ありそれぞれに循環的にもしくは相互的に影響を
与え合っているだけだととらえるべきではないですか?
499 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 01:58:24.07 P
>>498 性とは、影響を与えるか否かってのは度外視した概念。
単純に持っている持ち前を意味する。
そして、徳とは、影響を与えるものに特化している概念。
持っているのが性、発現しているのが徳。
このように考えています。
>>499 それでは、はじめにおっしゃられたように役割の違いというように
感じられますが、同じものが性の役割をもつこともあれば、徳の
役割を持つこともあるということはないのですか?
501 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 03:10:48.95 0
精神論にがっかり
502 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 08:27:27.05 0
>>499 「意志の自由」が存在しない人間に「徳」を説いても仕方ないだろw
レンタカー借りて繁華街に突っ込んで人をはねても「そういう性(サガ)」だったつーこと。
503 :
黄檗:2014/02/24(月) 10:19:43.35 0
>>466 なんだそれは
有機的、無機的のマイ定義をしようとしているのか?
有機的であることが即ち生命だと、そう捉えることを前提としての話なのか
504 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 10:41:38.00 0
見えるのはお前の頭だからアホは必然に過ぎない。
505 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/24(月) 12:08:44.25 0
いのち君の用いる概念は独特で、なかなか咀嚼しにくい。ヘーゲルに似ていなくもない。w
レスするけれども、見当はずれかもしれぬ。
性(もちまえ)は、たとえば素粒子にも原子にもヒトにも…つまり、あらゆる存在者に通有するのだろう?
しかし、これは一旦“世界”を静態化したうえでの仮りの呼称(概念)であるはずだ。
「性」もまた“差異が刻まれたE=情報”であり、それは絶えまなく外部(他)と関わりつつ、自(性)と他(性)を変え続ける。
“世界”がコトとして存在している、というのはそのことを指している。
一瞬の性。それを“もちまえ”と呼ぶのはいかがなものか。ちなみに最高位の《私》は不変の“もちまえ”である。
もう一つ「情報=徳」と述べている。理解できるひとは少なかろう。説明を請う。
506 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/24(月) 12:28:09.71 0
>>486 機械さんのこういう反応が滑稽なのである。
聖書は、信者がどう思っているかはともかく、説話である。
いい作品なのだろう。だから、いまも読まれている。
それは神話と伝説とから成る。神話は、その全体がいわば比喩。
それをリアリズムによって批判するのは「八岐大蛇?そんなもの、いるわけないだろう」と騒ぐのと同レベル。
児戯に類しています。
507 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 12:29:26.49 P
>>500 だから捉え方の違いなんだってww
やっぱり紛らわしいのかな。
どんなものでも受動的な面と能動的な面があると思うんだけどな。
>>502 意志は自由でもあり、不自由でもある。
行為の制限は性に規定されるが、閉じてはいないのでそこで完結はしない(一意にはならない)
常に他の徳に曝されて変動しているのであり、どのような化学反応を起こすのかに制限も際限もない。
508 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 12:37:56.02 P
>>505 >世界を静態化した上での仮の概念
そういうことですね。
「もの」として捉えたときの概念です。
これを「こと」として捉えたとき、常に発現(情報の発信)しているものとして徳は見出される。
509 :
黄檗:2014/02/24(月) 13:17:21.30 0
徳の性(もちまえ)についての語りは
延々と続く
無様だな
510 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 17:21:01.35 0
>>507 捉え方の違いというのは、役割という捉え方ではないということですか?
とするとどのような捉え方となりますか?
性は静態化した上での概念ということですが、静態として捉えるのに、なぜ
変動を問題とするのですか(静態なのに変動する?)?
対して、発現というように動態である徳の変動は考えないのですか?
>>506 じゃあ、無からの天地創造も比喩なの?
神も比喩なの?
>>506 比喩というのは2つのものを比較することだろう。喩え話が神話であるという理論なら、
リアリズムという、現実を現実のとおりに描こうという理論とは全く並び立たない
のであろうが、それはまた、リアリズムこそ神話の喩え話であるという形而上理論とは、並び立たない
ものなのである。
喩え話の背後にも論理は当然成り立っているだろうが、矛盾律などの基本的論理
に対する立場も、ヘーゲルなどに代表されるように、常に採用するわけではないので
あって、以前御説にあった将棋と囲碁のゲームといった、論理の矛盾を矛盾律の
論理はどう扱うのか、という問題はある。
513 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(4+0:8) :2014/02/24(月) 19:08:26.17 0 BE:3284899968-2BP(1000)
エルンストの「あなたを変える七日間の哲学教室」はおすすめ。
エルンストは、懐疑主義を三つに分類する。
無限後退:疑問を投げかけつづけて、疑問が無限に続くこと。
独断(ドグマ):疑問を投げかけることをどこかで停止したもの。
循環論法:同じ疑問が現れ、質問が無限にくり返されること。
ぼくは、このエルンストの三分類を認識論の最先端だと思う。
ドグマこそが、知性の表象だ。
それミュンヒハウゼン・トリレンマが元ネタじゃん
元ネタて
ドラマかよ
>例えば道を歩いていて、交差点の赤信号の色を見て止まる、の一連を考察します。
はい。
>まず確認ですが、意識とは認識を意味します。
>認識とは、注意したもの及び気づいたものが何であるかを「知る」ということです。
意識=認識ですね、はい。
>まず、何らかの目的を遂行するべく、歩こうという意欲が意志に至り歩くわけですが、このとき、意欲を知らないと意志に切り替えられないのです。
行為(歩く)ということはまず「意欲」が生じ、意志になり、実行する(歩く)ということである。
この時、意欲を認識しなければ、意欲は意志とならない。ということですね。
「意志」というものは、「判断」の産物と言ってもよいものでしょうか。
「したい」という意欲+「する」という判断=「する」という意志
という関係でしょうか。ちょっとデリケートな部分な気はするのでご指摘あればどうぞ。
>いわば意識は起動装置としての役割を持っており、この、知るという作業台をコンピュータ用語で「メモリ」といいます。
認識が起動装置となる訳ですね。つまり、
何らかの認識→(無意識の)意欲→意欲の認識→(無意識の)判断・意志化→実行
(矢印は「起動」を意味する。)
こういうことでよろしいですか。
無意識の側も認識の起動装置となる、という意味での「相互作用」ということでしょうか。
それで、このフローは左から順に、意識(的)・無意識・意識・無意識・意識となっているかと思います。
これは時系列順であり、起動と被起動の因果関係にあるため、どの部分も不可欠と考えられます。
あなたのレスから推察するに、ここに二つ準備電位が存在することになります。
意欲の準備電位と、「否定するときの準備電位もある」=判断の準備電位です。
ここで、そもそもなぜ準備電位が二つ観測されないのか。疑問点1です。
>>471 更に、この説を正しいとすれば、準備電位から認識の間のラグがリベットの実験で観測された半分以下でなければならない。
意欲(無意識)→認識→意志(無意識)
が因果関係である以上、並列的な進行はあり得ないからです。きちんとそれぞれの過程が終わる必要がある。
そうすると最低でも準備電位が意識に上がるまでのラグは半分になるか、全体の行為のラグが2倍になる。
フロー全体の所要時間は計測されていますから、多分後者はないでしょう。
これが疑問点2です。答えて貰えますかね。
>作業台に目的を置くことで、歩く意欲は意志に切り替わり、続いてプログラムが動き自動操縦モードになりますww(右足を前に…とか一々意識しないでしょう)
「自動操縦モード」とは?
主観論になってしまいそうですが、「足を動かす」程度の事は歩くときに常に意識していると思いますけど。
「歩く・プログラム」の実行においてはは意識は一切介在せず「完全に自動」ですか。
何かしらここにも意識との相互作用があるのでしょうか。あるとすれば、「自動」の意味とは。
すみませんね、聞くばかりで。
一応あなたの行間埋めてると思うので、それで容赦ください。
>>475 「変」とか「正常」とか「普通」とか「あまりに不自然」とか、
何か根拠があってのことなのですか。単なる印象ですか。
とりあえず先に言っておきますが
>「承認プロセス」だけは「脳内の物理・化学反応から生じていない」
などとは全く考えていません。リベットもそうでしょうが。
>「無意識の準備電位が提案」したことに対して「承認する」のはやはり「他の無意識ユニット」
準備電位による提案を承認する準備電位がある訳ですか。
それともその無意識は準備電位として計測されないものですか。
承認する準備電位があるとして、
承認する準備電位を承認する準備電位はなぜ生じないのですか。
何か「承認する準備電位」に特有の性質があるのですか。
あと良かったら
>>448の方も処理してください。
520 :
考える名無しさん:2014/02/24(月) 20:45:38.30 0
けん玉穴に入ってるやろ?
521 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2014/02/24(月) 21:05:53.34 0 BE:1847755793-2BP(1000)
>>514 教えてくれてありがと。
でも、エルンストの「あなたを変える七日間の哲学教室」は道徳についても
鋭い指摘をしていて、ぼくの知る限り最も優れた哲学入門書だよ。
>860◆uvrTjevNu2
自分の無能さを恨め。
523 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 23:07:06.99 P
>>510 >捉え方の違いというのは、役割という捉え方ではないということですか?
>とするとどのような捉え方となりますか?
>
持っているのが性、発現しているのが徳。
>性は静態化した上での概念ということですが、静態として捉えるのに、なぜ
>変動を問題とするのですか(静態なのに変動する?)?
(ある瞬間の)静態的概念ではあるが、(不変の)固定的概念ではないから。
>対して、発現というように動態である徳の変動は考えないのですか?
勿論徳も連動して変動する。
きっと抽象的すぎてわからないんだな。
具体例として、梅の実を考察しよう。
形状や性質などのパーソナルデータは性と捉える。
それと同時にそのデータは、自他に影響を与えるインフォメーションでもある。
酸っぱい成分だとか硬度とか空間の占有とかがね。
更に、塩漬けとかして(他の徳の功)加工すれば、パーソナルデータは梅干しとして更新されるわけだ。
すると「味」などのインフォメーションも更新されると。
わかった?
発現せずに持っているだけのものもあるわけですね
誰も見ていなくても月は実在する
簡単に言うとそういうことですか
526 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 23:44:25.43 P
>>516 詳細な熟慮ありがとう。
まず意志についての説明を飛ばしてしまったので一応言っておくと、万物に通じる(無意識的な)意志と、意識的動物に通じる(意識的な)意志と区別しており、今回は意識との相互作用としての、いわば精神的意志について。
そこで、この精神的意志の定義を「意識的な行為」とする。
ですから、意志は「判断の産物」というよりも、「判断そのもの、行為そのもの」ですね。
したいという意欲が、するという意志(行為)となるわけです。
>相互作用
無意識は意識の起動装置であり、意識は意志の起動装置です。
>疑問点1
誤解が生じるのではっきり言明するが、意欲と意志は表裏一体です。
どういうことかというと、意欲ってのは一つではないですよね。
同時に複数の選択肢(意欲)があって、そのために判断というのがあると。
しかし、それらの多寡というのがあり、最も意欲が多いものを「意識によって」意志に変えてるのです。
つまり、否定の為の準備電位って、そもそも存在しないのでは?ってことです。
527 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/24(月) 23:48:39.00 P
>>524 その通り。
その顕著なのが人間の行為である。
行為=徳の発現であるから、行為に道徳や意識改革が結びつくわけだ。
はい?
>>525 実在と存在が区別できない人には何の説明にもなりえません。
530 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 00:13:52.88 P
>>517 リベットの実験である「好きな時に指を曲げる」で考察しましょうか。
準備電位が観測された瞬間が、(無意識的)意欲の立ち上がりであり、その意欲の認識(意志の起動)が「よし、今動かそう」という「意識」であると。
この後、実際の行為に至るのは、更にタイムラグがあることが観測されています。
それは、意欲(の認識)を意志に切り替えるタイムラグなわけです。
>>518 >自動操縦モード
こっちの方がデリケートな問題ですww
歩いている時に突然意識不明になれば倒れる筈なのでww歩くという「行為の継続」に意識は必要不可欠ではあると思います。
しかし、意識の作業台はそんなに広くありません。
歩くことに全神経を集中させることもできるが、普段はそこに意識を使わない。
とすると、作業台のほんの片隅に追いやり、考えなくても行えるだけの「経験」を元に、ほぼ無意識的に歩いている、という意味での自動操縦モードです。
意識は効率的に使わないとすぐに一杯になる。
これを僕は「メモリの無駄遣い」と呼んでいる(ヒソカ談ww)
531 :
「機械的唯物論」者:2014/02/25(火) 00:13:54.64 0
>>519 >「承認プロセス」だけは「脳内の物理・化学反応から生じていない」
>などとは全く考えていません。リベットもそうでしょうが。
ならば「自由意思など錯覚にすぎない」と端的に断言できるはずです。
それを言を左右して断言しないことがリベット他の認知科学者の「奇妙に見えるところ」
であると申し上げているだけで、「奇妙ではない」と思われるならばそれはそれでいいの
ではないでしょうか?
ただ日本人には「科学を理解している欧米人は『旧約聖書』を寓話として解釈している
に違いない」と(八岐大蛇や草薙の剣と似たようなものだ)と思い込んでいるのは
「ちょっと違うかもしれませんよ」と申し上げているだけです。
彼の国の「エピステーメー」は「無神論」や「唯物論」に対して、我々が思っている
ほど寛容ではない可能性がある…と指摘している訳です。
だからリベットやデネットは「意志の自由は究極的には『錯覚』に分類されるべきである」
という「事実」を著書(や論文)で明言することを避けている可能性が高いのではないか?
…と私が彼らの「著書」を読んだ「奇妙な読後感」の理由を推論しているわけです。
とってつけたように最後の部分で「自由意思の救済」を述べているのが「論文の画期的結
論を誤魔化している」ように見えて仕方がない…と申し上げているだけです。
>>527 どんどん後退する貴方の思考とはそういうことなのね?
533 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 00:27:00.23 0
有機的であるということは、多様性を含むということ
多様であるということは、自由であるということ
自由というのは、選択を行使する能力を指すのではなく
選択を見つける(いい表現と思ってない)能力であること
生命とはその自由度(有機的な度合い)の連なりであり、
個体はその連なりに参与している存在として意味される
534 :
「機械的唯物論」者:2014/02/25(火) 00:30:56.11 0
>その方程式の集合としての「思考のアルゴリズム」には個体差が存在する。
>大まかに言えば脳の器質と記憶情報によって生まれる差です。
別に「個体差」があることが「意識や自由意思は錯覚の一種である」ことの
反証にはなり得ません。
人間の個体は「生まれ持った遺伝子」により「何事にも警戒的な脳」や「何事にも
楽観的な脳」の両極端とその中間の何処かに分類される「決められた性格」を持つでしょうし、
生後の色々な「経験」により、その性格自体も変わってくるでしょうから、そのような
「性格的個体差」が同じ事象に直面したときに「異なる反応」をすることは容易に推測されます。
ただ、そのような「性格の違い・個性差」は人間に限らず「様々な動物」にも当然
あると推測されます。
極端に言えば「ある特定の経験(環境)に対して縮こまるミミズと向かっていくミミズ」が居ても
不思議ではない…ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>523 性(もちまえ)が他の持ち前に影響を与えるべく発現したものが徳であるという認識でよろしいですか?
では、性(もちまえ)が徳として発現していない場合、それは何かに影響を与えますか?
>>527 まえから病気気味だとおもっていたが、さらに神交したようですね。
まさに異世界の展開へ進む妄想ってすばらしい。
>>535 >きっと抽象的すぎてわからないんだな。
それ言い直してみては?
「きっと妄想的すぎてわからないんだな。」
これが正しいでしょう、わかるとは過去の説明を理解するもので
貴方の中の想像イメージを具現化してもまったく伝わるものじゃないです。
あなたと同じ夢を見るには相当な修行するか、薬でも常用するぐらいですか?
538 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 01:05:24.15 P
>>535 影響を与えていない性(もちまえ)がある。
が、本当に一切影響を与えていないかどうかはちょっとわからないな。
例えば梅干しの「酸っぱく感じる成分」は、インフォメーションとして発現してはいるが、それを受け取っていなければ、やはりインフォメーションではなくパーソナルデータでしょうね。
>>536 >>537 仏教を「法螺吹き」と嘲笑したり、キリストを磔にしたり、ソクラテスを死刑にしたりと、いつでもそれが「一般民衆」なのだろうな。
批判するのは勝手だが、「愚民」とならないことを祈るよ。
539 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 01:18:58.38 0
自由意志なるものを証明する方法はない、
ことを証明することならおそらくできる
540 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 01:21:52.03 P
あ、これはまた誤解を与えるなww
俺が仏陀やキリストやソクラテスと「同じ」だと思っている自惚れではないぞ。
世間一般と「違う」考え方は「歓迎」されるまでに時間がかかるということだ。
若しくは一切歓迎されない。
価値観の変更は受け入れられないってことだから、わからんでもないがな。
あまりに保守的になりすぎると「愚民」となるわけだ。
541 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 01:24:52.11 0
す
べ
て
自
作
自
演
で
す
542 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 01:28:20.47 0
当スレは荒らすべからざる保護スレッドです・・・。
その他のスレッドは容赦なく破壊されます。
恣意的に保護された本スレッドの宗旨にご改宗ください!
>>538 一切影響を与えていないとすると、性が変動するとして、なぜ変動したとわかるの?
それは、発現した徳が変わっているから?
でも、同じ性が発現したと考えるわけだから、どこかで同一性を見出してるわけでしょう。
その同一性っていうのはどうやって判断するの?発現した徳が似てるからってこと?
544 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 01:57:43.63 0
投げやりな試論
世界に同じ事物はない
対称な事物は存在しない
均等な問いはありえない
よって、選択を測れない
しかしそのことは、
選択のないことを意味しない
なぜなら選択という事態は
その事態の成立に依存している
事態の成立はその認識に依存する
認識は分別であるから、
非分別(無選択)はない
以上より、
自由意志を証明する方法
また、決定論であること
どちらも確かめられない
545 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 02:00:18.20 0
そろそろ嫌々してきた
>>526 >まず意志についての説明を飛ばしてしまったので一応言っておくと
「一応」?「飛ばしてしまった」?
必須の説明だったのではないですかね。
既にどこかで話したのかも知らないので、いいですが。
>万物に通じる(無意識的な)意志と、意識的動物に通じる(意識的な)意志と区別しており
>今回は意識との相互作用としての、いわば精神的意志について。
>そこで、この精神的意志の定義を「意識的な行為」とする。
何て文だ。それに「意識的動物」とは?w
以前に「的」に噛みついた人も居ましたが、この使い方は酷い。
語の使い方は粗いわ、文は荒いわ、ですよ。
ええと、「意識的な意志」というのは意識との相互作用を行う意志ですか。
では「無意識的な意志」というのはこの話題には一度も上っていないものという認識でよいですか。
で、意識との「相互作用としての」と書いてますが、意志とは相互作用の事ですか。
意志と意識(認識)が相互作用するのではないのですかね、確認です。
意識的な意志が精神的意志で、それが意識的な行為、ですか。
意識的である(意識と相互作用する)とは、精神的であることと同じで、
また意志と行為とは同じである。そういう読み方でいいですかね。
「同じ」と言うと厳密になるのでその辺り何かあればどうぞ。
>ですから、意志は「判断の産物」というよりも、「判断そのもの、行為そのもの」ですね。
「そのもの」と言うからには、意志=判断=行為という事は明言されたと見ていいですね?
つまり、「しよう」という意志と、行為の是非の判断と、行為は同時に起きるのでしょうか。
各々、別のプロセスのように思えますが、同じであるという事を具体的に示して貰えますか。
あと、被るかも知れませんが、この3つが同じものならこれらの概念を区別するものは何ですか。
それとも統合されるべき概念ですかね。
>誤解が生じるのではっきり言明するが、意欲と意志は表裏一体です。
誤解が生じているのではなく、あなたが誤解を生んでいるのだと思いますよ。
「はっきり言明」…頭痛が痛いです。
「表裏一体」と言うからには、それなりにシンメトリカルな関係が意欲と意志に成り立つ訳ですか。
一々国語の突っ込みを入れたくはないのですが、
抽象的な語を用いて理論的に「哲学」を展開するというには幾分あなたの語用と構文は拙い。
>誤解が生じるのではっきり言明するが、意欲と意志は表裏一体です。
>どういうことかというと、意欲ってのは一つではないですよね。
>同時に複数の選択肢(意欲)があって、そのために判断というのがあると。
>しかし、それらの多寡というのがあり、最も意欲が多いものを「意識によって」意志に変えてるのです。
>つまり、否定の為の準備電位って、そもそも存在しないのでは?ってことです。
パラグラフの意味が上手く取れません…。
複数の意欲があって、そのために判断(意志・行為)があって、
多寡(程度の、ですかね)を認識することで意志に変わる。
この事から意欲と意志は表裏一体と言える。
でパラグラフの結論は、「否定の準備電位は存在しないのでは」。
難解です。
是と判断された意欲と意志とが「表裏一体」という事ですか。
この二つの関係性を表す語はそれで正確ですか。
少なくとも不可逆的で時間的・因果的な関係に見えますが。
「認識(=意識)が意欲を意志(判断)に変える」とはどういう事ですか。
で、否定の準備電位はある
>>453のか。ないのか。
549 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/25(火) 10:26:01.67 0
議論が錯綜としていて結局、いのち氏の主意と860氏のそれが一致してしまった。w
そこにいたる過程は正反対だが。両氏とも「否定の準備電位はない」ということらしい。
少し整理すると…
いのち氏は「(否定の)準備電位はある」とする機械氏と並んで“自由意志”はないという結論。
“自由意志”を否定する両氏にも、その主旨に違いがある。準備電位の提案を拒否するときは、
新たな準備電位が生じる、とするのが機械氏。
始めは、いのち氏もそうだったが、のちに彼は改め、一つの(という表現が適切かどうかしらぬが)
準備電位が「欲求、意志、行為まで貫徹する」立場へと移る。否定(拒否)の準備電位は不必要、と
する点で、860氏と重なる。
脳の活動→心的営為→身体の運動という微妙なテーマだ。通過するのは“情報(E)”である。
550 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/25(火) 10:53:57.91 0
そもそも何が準備電位を惹起するのか。むろん情報である。
準備電位(E)のなかに、すべてが“書き込まれている”とするのが機械氏といのち氏。
準備電位はEであり、かつ情報である、それが心的営為(分析・判断、意志)を惹き起こす、とする。
それに対して860氏は、準備電位の提案を拒否する際、新たなそれは生じず、いわば心的過程において
提案(情報)の書き換えがなされる、という。これが彼の“自由意志”の根拠である。
は?スイッチを押すのはただの指であり回路を駆動させるのはただの電子
情報などと言う空想上の概念などではない
552 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/25(火) 11:18:09.32 0
>>512 アブサロム氏の文章は難解すぎて… 勝手に関連する(らしい)ことを述べます。
まず比喩には、二つのことを「比較する」という意味はないでしょう。
この「比」は“くらべる”ではなく“なぞらえる”という意。
或る事態、事象、出来事を他のものによって表わす、ということです。
神話、伝説にリアリズムを対置しましたが、これは言葉の綾です。(苦笑)
この場合、写実主義を指しています。これは、実は言葉には不可能なのである。
言葉は「物語る」しかできず、極論すれば、言語によるそれは悉く“比喩的表現”である。
リアリズムと呼ばれるそれも、君のいうように“比喩”の一種です。
>>552 比喩は、特殊と一般の関係を言い表そうとするものである、ということでしょうかね。
特殊が偉いわけでも、一般が広いわけでもなく、両方共真理を表すようなものでは
ないから比喩が成り立つという意味で。一般性と特殊性といった場合は、両方共
じつに広い価値を担保する意味の快楽、意味の展開をもたらしてくれるいいやつ
に思えます。一般的に物事をつなげることはいいことだし、特殊的な事例が凡庸な
法則に対するブレイクスルーになるというパワーを借りることは知識を増やすこと。
おっしゃるような、あらゆる説明が比喩である(言語による物語りは悉く比喩的表現
である)、ということは、定性的説明では現象に触れることが出来ず、コントロール
までは至れない(例えばいのちさんが説明することに、一種のじれったさを感じて
しまうのも、定量的予言への渇望があるようにも思えるのに、言葉の言い換え
に終わってしまっているような印象を受けるからなんですが、僕の場合。実に
広く説明されているので、彼の理論はそれなりに正しい物があるとは思いますが)。
結局ものさしをどう用意するか、といったところが、理論構築には欠かせないのでしょう。
速度を測るには、距離と時間という可観測量を用いるといった事による、などのように。
僕は、脳内の概念と、言葉による説明を比較して、記憶と思惟というものの、広く当てはまる
私的確信というものさしを用います。ゲームさんはどんなものさしを用いますか。
554 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 15:04:43.41 0
ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない。
555 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 16:26:22.36 P
>>543 なんだか質問が次々と拡大していくねww
同一性の話がしたいなら性や徳とは別に考察したら良いと思うよ。
無理に関連付ける必要はない。
・意志 個人空想内での行為そのもの
・行為 意志を共同空想(現実世界)内へ投影させるべく行う動作の事
557 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 17:03:32.03 P
>>546 >意識的動物
意識を持つ動物の意ww
>無意識的な意志
今回は一度も上がってないです、はい。
>意識との相互作用としての
(無意識の)意欲と、(意識の)認識との相互作用により生まれる精神的意志。
>>547 >意志=判断=行為
心配になってきたので大辞林から引用。
「意志…ある目的を実現するために自発的で意識的な行動を生起させる内的意欲。」
ふむ。様々な意欲の内、実際に行為に至る意欲を意志と呼ぶわけですね。
そうなると昨日の説明は大分変遷してしまっていた様です。
整理しましょう。
意志と意欲は表裏一体。これは、「行為に至る意欲と意志は表裏一体」となりますか。
その意欲が何であるか判断しているのが意識(認識)ですね。
で、判断によって意欲が意志に変わり、(意志が)指令を出して行為に至る、です。
昨日のレス読み返してみたが適当で酷い文ですなww
失礼しました。
558 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 18:21:45.79 P
>>548 リベットは一度意志した(行為しようとした)ものを「やっぱりやーめた」と否定できる。といっています。
しかしこれは、「行為しようとしてやめる、という判断」に他なりません。
この時、意識的には行為しようという意欲を強めていたにも拘らず、(無意識の)内的意欲では否定の意欲が優っていただけ。
つまり、否定という「判断」はあるが、それは言い換えれば、「しようとした意欲が、意志に至るほど強くなかっただけ」でしょう。
>>453の言及はですね、「意志とは、常に一番強い意欲である」という命題を元に、否定とは「しないという意欲」だと考えた上で、この意欲を意志と捉えて、否定の準備電位はあると言ったのです。
否定を意志(意欲)と捉えるか、判断と捉えるかで話が変わってしまうわけですね。
あなたの意見を聞かせて下さい。
559 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 18:31:33.52 P
>>549 自由意志…他から制約されず自発的な決定に基づく意志。
「他」とは何を指すのでしょうね。
普通に考えれば、「自分以外」でしょう。
だとしたら、否定の準備電位云々は自由意志とは関係なさそうですよ。
それに俺は最初から「自由でもあり不自由でもある」との立場であり、完全なる自由意志否定派ではないですよ。
560 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 18:35:18.39 0
能動的な行為と受動的な行為というだけじゃないの?
561 :
黄檗:2014/02/25(火) 18:57:08.06 0
>>544 真意はよく分からんのだが
同じ事物があって、対称な事物があって、均等な問いがあるので
選択は計れないのではないのかな
『選択という事態がその事態の成立に依存する』に於ける
「その事態」の内容が「選択する事態」であるなら
同語反復以上のものであるとは思えない
「選択が、事態の成立に依存する」のであれば、わりとしみじみ分かる
しかし、事態の成立が認識に依存する、とは思わない
なぜなら、認識は一つの事態であるから
**************************
私が本当に悩むのはね
条件の全く同等な選択肢が、恐らく「存在する」ことなのだ
(貴方はそのことを認めないかもしれない)
だがもしそこまで認めるとして、
そのときに、物質は何をもって自分の振る舞いを選択するのか
それは理解すべきことなのか、ってことだな
剥き出しの確率なんて、認めませんか
562 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/25(火) 19:02:14.90 P
>>560 何もしていない時と、しないという判断をしている時とでは、脳内の状態に違いはありそうだね。
でもこの違いって、思ってるか思ってないか程度の話じゃない?
準備電位…行動に先行する脳内信号指令
しないという否定は行動なのか判断なのか思考なのか。
563 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 19:14:14.68 0
>>562 それは貴方の空想。
能動的に準備していても、外的な刺激によって受動的に遮断する。
そういう実験でしょ?
>>563 いまさら。
彼の妄想に突っ込みいれてもな
それを表現している本人には理解できるはずがない。
557
>意識を持つ動物の意ww
には通常の意味ではならない、のはもういいですね。
>今回は一度も上がってないです、はい。
ですね。
>そうなると昨日の説明は大分変遷してしまっていた様です。
最初からあなたは体系立てて説明してないからそうなるんですよ。
その場その場で相手に合わせてアイデアを出すから、気が付けば全然違うところに居るハメになる。
>整理しましょう。
>意志と意欲は表裏一体。これは、「行為に至る意欲と意志は表裏一体」となりますか。
表裏一体、切っても切れない関係という事ですね。
行為に至る意欲は必ず意志となる、と。
ここに意識が介在する必然性があるんですか。
>その意欲が何であるか判断しているのが意識(認識)ですね。
>で、判断によって意欲が意志に変わり、(意志が)指令を出して行為に至る、です。
何であるかを判断、これはつまり認識ですね。
意欲を意志に変える判断、これは是非の判断であり、単なる認識とは違う。
何であるかを判断するのは受動的な意識の働きですが、
それを肯定/否定する判断は能動的な働きでしょう。
前者と後者の「判断」という言葉の指す意味がすり替わっていませんか。
(あなたの文意の誤解、もしくは「判断」についての見解の相違等があれば指摘してください。)
>>558 >しかしこれは、「行為しようとしてやめる、という判断」に他なりません。
>この時、意識的には行為しようという意欲を強めていたにも拘らず、(無意識の)内的意欲では否定の意欲が優っていただけ。
断言していいんですかそんな事。
実験結果の「隙間」に勝手な解釈や主張を捻じ込んでませんか。
>つまり、否定という「判断」はあるが、それは言い換えれば、「しようとした意欲が、意志に至るほど強くなかっただけ」でしょう。
うーん、「判断」って何ですか。判断=意志=行為の同値関係は放棄したんですよね。
判断は無意識の働きですか、意識の働きですか。無意識だとしたら、それに準備電位は必要ですか。
>
>>453の言及はですね、「意志とは、常に一番強い意欲である」という命題を元に、否定とは「しないという意欲」だと考えた上で、この意欲を意志と捉えて、否定の準備電位はあると言ったのです。
後出しではなく?w
「しないという意欲」というのは何ですか。何もしない意欲ですか。
それとも、何かの意欲に対してそれを打ち消したいと思う意欲ですか。
>否定を意志(意欲)と捉えるか、判断と捉えるかで話が変わってしまうわけですね。 >あなたの意見を聞かせて下さい。
とりあえずあなたの「判断」の意味は以上のように分かりかねますので、
私の方の意味で書きますが、否定は判断です。肯定の判断、否定の判断ね。
肯定の意欲って何ですか。「遺憾の意の表明」みたいなものですかw
>>552 >それに対して860氏は、準備電位の提案を拒否する際、新たなそれは生じず、いわば心的過程において
>提案(情報)の書き換えがなされる、という。これが彼の“自由意志”の根拠である。
司会役わざわざどうも。間違ってますが。
個人的な見解を言えば、意識的な働きと無意識的な働きは区別できるし、
それぞれ存在していると考えているので、そういう意味では合っているんですがね。
機械さんとの議論というかお話の中では、
意識とは単なる錯覚であり、承認の働きも含めて行為はすべて
無意識によると仮定した方が筋が見えやすいので、それで構いません。
承認も無意識であるという断定にあれこれケチをつけているのは、
機械さんが「それが普通」やら「あまりに不自然」やら、
感想文レベルであれこれ言ってるのが面白いというかカワイイだけです。
569 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 20:19:30.00 0
行為に至る意欲?が偶然複数重なっても全然不思議じゃない
「痛い!」って叫んだ時が
「居たい!」って別の意欲?を共有してたり
単に音を出したい別の意欲であったり?
痛い現象そのものの意欲であったり?
>>531 >>「承認プロセス」だけは「脳内の物理・化学反応から生じていない」
>>などとは全く考えていません。リベットもそうでしょうが。
>ならば「自由意思など錯覚にすぎない」と端的に断言できるはずです。
できません。
脳内の活動電位の働きが量子論的な解釈を許さないスケールのものであるとして、
全てが必然であることと、自由であることは必ずしも矛盾しないからです。
私やあなたのように脳の活動という現象のレベルで決定論を受け入れた上でも、
両立主義(穏やかな決定論)と非両立主義(固い決定論)という二つの立場が存在しています。
必然性によって自由意志が否定されるなら、とうの昔にこんな議論は終わっているのです。
純粋に確率的な量子力学など全く関係ないですしね。
「端的に断言できる」のは、「必然ならば自由はない」という哲学的立場をあなたが疑っていないからです。
そもそも何が「自由」であるかについて、真面目に考えた事はありますか。
>それを言を左右して断言しないことがリベット他の認知科学者の「奇妙に見えるところ」
>であると申し上げているだけで、「奇妙ではない」と思われるならばそれはそれでいいのではないでしょうか?
まぁあなたからすれば奇妙でしょうね。
30年以上もの間全世界のどこからも次のエビデンスが提示されない事も含めて。
>「ちょっと違うかもしれませんよ」と申し上げているだけです。
そうですか。
>ほど寛容ではない可能性がある…と指摘している訳です。
かも知れませんね。
>ことを避けている可能性が高いのではないか?
どうでしょうね。
>誤魔化している」ように見えて仕方がない…と申し上げているだけです。
なるほど。
まぁこの「感想文」はどうでもいいんですが。
「可能性」とは何ですか。
決定論的世界に「可能性」など存在しますか。
あり得ない概念をなぜあなたは用いたのですか。
別トピックです。
>>534 >人間の個体は「生まれ持った遺伝子」により(中略)「決められた性格」を持つでしょうし、
>生後の色々な「経験」により、その性格自体も変わってくるでしょうから、そのような
>「性格的個体差」が同じ事象に直面したときに「異なる反応」をすることは容易に推測されます。
例えば「反応」の一例として、
私がここでこのようにあなたの文章を見て、行間等を含めてその意味を読み込み、自身の考えを練って書き込む
というようなことも挙げられますね。
アインシュタインが相対性理論を発見した事も、羽生結弦が金メダルをとったことも、
「それぞれの脳や身体のそれぞれの環境に対する反応」ということですね。
「私」や「機械的唯物論者」や「アインシュタイン」や「羽生結弦」や「いのち一元論者」etc. について、
それぞれをそれぞれと同定することは可能ですよね。それは「自己同一性」つまり「アイデンティティ」である。
このことは認めますか。
573 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 20:55:28.15 0
自由は認めるのに可能性はあり得ないとか
どんだけよ
574 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 20:57:49.10 0
>>573 いや認めるよ。密接な概念だし。
単純に機械さんの立場から機械さんの言葉で問題点拾っているだけ。
576 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:04:38.62 0
何を認めて、何が密接なの?
そんな腋の甘いことだからあほのうぃんうぃんさんに足元すくわれるのよ
それはそうと、
>>534で「意識は錯覚である」と機械さん言ってますが、
ここまで言う人でしたっけ。
文脈として不可知論ということではなく
『「意識」という対象はない』といった意味合いかと思われますが。
それって、「旨さは化学的刺激であるから錯覚」とか、
「音楽は空気の振動であるから錯覚」とか、
「絵画は色のついた点の集合であるから錯覚」とか、
「生物のどこを探しても「生命」は見つからないから錯覚」とか、
「『富士山』のどこを探しても富士山はないので錯覚」とか、
そういう事ですかね。
>>573 可能性はあり得ないとしても、人は自由を感じて生きていくべき
じゃないかなと思いますが。
>>576 >何を認めて
可能性という概念が成り立つこと。
>何が密接なの?
可能性がなければ、意志の対象は常に一つでしかあり得ない。
「AするしかないのでAする」、という意志が自由とは言えないだろう、という事。
580 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:21:40.27 0
581 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:21:43.59 0
>>578 自由を感じて生きていくべきだが
可能性を感じて生きていくべきではないと?
582 :
大王:2014/02/25(火) 21:24:11.00 I
>>569 意欲は複合衝動。
ある行為をする動機は
厳密には存在しないのさ。
意志なんて便宜上の作りものでしかない。
「うぃんうぃんさん」って批判的合理主義の人?
最後の方のらりくらりしていた記憶はありますけど。
ああ、しかし「真の命題と偽の命題が同数ではない」は恥ずかしい勘違いだったな。
あと、「光の反射率が確率」だということも勉強になりました。別件ですが。
世界が決定論的で選択の自由が無かったとしても自由感は有り得るだろ、混同すんなボケ
585 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:25:44.71 0
機械さんは、「可能性はあり得ない」なんて言ってないでしょ
860さんは藁人形を叩いてる
586 :
大王:2014/02/25(火) 21:28:19.10 I
目的があって行為するとは限らない。
漠然と衝動が行為を再起させて、
その時点か行為の最中に目的を変更する
ことも無意識にやってるし、
行為の後に当初の目的と違う理由を
作るなんてこともよくやってる。
その程度の存在だよ、人間はww
587 :
大王:2014/02/25(火) 21:29:17.17 I
それでいい。
588 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:29:22.44 0
>>584 「可能性」も主観的な表現であり得ますよ
589 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:33:59.71 0
勘違いが恥ずかしいというか
自分の直感のありかを探ればよかった
真の命題と偽の命題
そして圧倒的に多数の無意味な命題
>>581 あまり、良い説明ではないけど、決定論は我々の日常から自由を取り去る
ほどのインパクトはない。
結局我々は、大きなことから小さなことまで、例えば、今日の晩御飯は、
魚にするか肉にするかというようなレベルまで、自分自身で決定して選択している。
それが幻想だとしてもね。いずれかに決定されている、だから、他人に肉にするか魚に
するかの決定を委ねたとしても(支配・強制されたとしても)同じことなのだ
とはならない。やはり、誰かに支配・強制されることを拒む。自由っていうのは、
こういう文脈で語られてる部分が非常に大きい。なので、決定論が正しかろうと、
我々にとっての自由をとりまく問題はそんな大きな変化はなく、ただ、自由の本来の
意味(定義)が少し違ってくるだけにとどまる部分が大きい。
>>590 珍しく冷静で冷徹な思考の持ち主が居たものだ。全面的に支持しよう
592 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:44:03.96 0
>>582 えー大王さすがって思っちゃった
大王?まあいいや。すげえ良い事言った
593 :
あまの:2014/02/25(火) 21:45:54.54 P
真の自由とはね、そんなもの気にしないことですよ。ww
594 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:48:56.96 0
>>590 自分自身で決定する、その「自分自身」の決定論的なあり方とは何ですか
「自分自身」というなにものかが、それを構成する全てが必然に縛られるのに
それが自分自身となったときには、自分自身が自分自身にとっての自由を感じ
自分自身が「自分自身にとっての決定」を行い、「自分自身にとっての選択」するというなら
「感じにすぎません」と言うのとどう異なるのですか
595 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 21:55:33.22 0
自分自身って何…?
596 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 22:06:11.36 0
結局ね、決定論も認めるし自由意志も認める、なんて話はね
ダブスタに開き直ってるだけなんですよ
597 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 22:07:04.91 0
そうまさに、「気にしない」ってことね
598 :
大王:2014/02/25(火) 22:17:31.44 I
俺は自由だ!なんてのは
俺は孤独だ!に等しい。
自由感はたしかに、
自由すら忘れるだろ。
本質をついていないな。やれやれです
600 :
大王:2014/02/25(火) 22:20:39.14 I
自分探しの旅に出るなら、
まず引きこもれ。
自分の半分は見つかる。
>>594 「自分自身」という用語に特に大きな意味は無いですよ。
やっぱ、哲学板なんでそういう話になってきますよね。
「感じ」といわれればそうなのかもしれません。
これも良い説明ではないかもですけど、必然に縛られている
からと言って、人が何かを決定するという、まぁ、脳内のプロセス
(別に脳内に限定しなくても良いのですが)がなくなるわけではないでしょう。
そして、いかなるプロセスで決定されたかによって自由であるとか支配されている
とかが決まってくるとかそういうことです。
>>592 それ俺も思った。大王が良い意味でご乱心されたのかって。
でも、あの発言をすごいと言わしめる、普段の大王はもっとすごいと思った。
そんな私はいつの間にか、ポエミーな大王の発言のファンになってたんだ。
603 :
「機械的唯物論」者:2014/02/25(火) 23:12:55.89 0
>>577 >
>>534で「意識は錯覚である」と機械さん言ってますが、
>ここまで言う人でしたっけ。
「一種の錯覚のようなもの」という言い方をしております。
かつてwiiやPS3やxbox360を購入し、色々なゲームを試してみましたが、
ゲームフリークではないためか、結局全て飽きてしまい、いつの間にかほこりを被らせて
おりました。
最近、ウィンドウズ8に切り替えるため最強のCPUを持ったデスクトップパソコンを買ったのですが、
そのついでに最強のグラフィックボードを買い揃え、『ウィングス オブ プレイ』という
以前のパソコンでは出来なかったソフトをやってみました。これは第2次世界大戦の
ヨーロッパ戦線の空戦ゲームなのですが、バルジの森とかとか英仏海峡とか陥落寸前の
ベルリンとか数種の「舞台」が10km四方程度、建物や木々の1本1本までCGで作り込まれており、
そこで自分で選んだ飛行機(スピットファイアとかメッサーシュミットとかユンカース爆撃機とか)で、ミッションを実行する…というものですが今のところ何故か飽きないで
やっております。
USBに別売の操縦桿を接続し、上下動・左右動・左右旋回・スピード・機関砲・爆弾を駆使して、
敵(連合国側の兵器ならドイツ軍、ドイツ軍側の兵器なら連合国)の陣地や戦車や海峡を航行する
駆逐艦などを破壊するというゲームです。
604 :
「機械的唯物論」者:2014/02/25(火) 23:14:30.09 0
このゲームの飽きない理由を考えているのですが、気づいたのは爆撃や機銃掃射で与え
たダメージを忠実に「記録」しており、選んだ(10km四方程度の)舞台では、再度攻撃
するときにも「ああここはさっき爆弾が命中したけど、中破程度だな」と解るような
「燃え方」をしていたり、艦船では「小破。中破・大破・沈没」等が一隻ごとに破壊された
部分も忠実に反映されている等、驚嘆するほどの「リアリティ」を実現していることです。
繰り返しますが、私は「ゲームフリーク」ではなく、どちらかというと「好奇心でやり始
めるがすぐに飽きてしまう」部類の人間ですが、このゲームだけは暫く嵌ってしまいそうな予感がしております。
さて、何を言いたいかと言いますと、このゲームは「操縦席で経験する映像や音」に基づいて操作し、
上下左右の3次元空間+速度(時間)をリアルに操作することで、2次元しか走り回れない自動車の
レースゲームより「自由度」が大きい…「より大きな自由感を味わえる」こと、
また、機銃や爆弾を「在庫無限」に設定すること及び「撃墜されてもリターンボタン1個
で直ぐに復活できる」ことで、「実際の危険」はないのに「潜在的な破壊欲求」を
満たしてくれることなどだろうと思います。
605 :
「機械的唯物論」者:2014/02/25(火) 23:16:01.38 0
さて、ここからが「言いたいことの核心」となりますが、この「ゲームの目的」が
「ミッションの実行」だけであるならば、何も「操縦席で操縦している感じの画面化」までは必要なく、
2次元の地図で自分の位置と敵の位置を把握し、それに加え「高度計や速度計+姿勢情報」
等の「計器」だけで、プレイすることは不可能ではないはずです。
しかし「疑似操縦体験」を目の前の大画面で「現前」させながら操作すると、「ミッションの実行」が
遥かに容易になる…ということです。
要するに人間が「進化」の結果として獲得した「意識」とは、実はこのソフトの
「操縦席画面」のようなものではないか?…という例えになるでしょうか?
「3次元上に忠実に実現されている過去の攻撃の結果」を「思い出す」こと及び「再度
その場に戻ってミッション実現のための操作を行う」ことにおいても「操縦席からの
視野と音」は不可欠な要素ですが、「意識」という「脳内ディスプレイ」は「外界を
操作する為に脳内に展開しているディスプレイ装置」に類比できるのではないか?…
ということで、例示してみました。(繰り返し申し上げますが、私はゲームフリークからは最も遠い所にいる人間だと自覚しております。ちなみに「一番面白いゲーム」は「囲碁」だと考えております)
一番面白いゲームは麻雀だよ
異論は認めない
608 :
「機械的唯物論」者:2014/02/25(火) 23:24:48.27 0
>>606 私は麻雀もやりますが「運」が左右する要素が多すぎて、「面白さ」では
囲碁の方が上だと思います。
「囲碁の奥深さ=面白さ」は長い年月やり続けてみなければ理解できない
と思いますよ。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
609 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 23:29:50.07 0
>>605 人間の愚かさと弱さですね
勉強になります
>>608 逆の感性だな
運の要素の大小は個人の主観だから言及しないが、
麻雀に最善手は存在しない、だから面白い
囲碁には必ず最善手が存在する。間違い無く1万年後には解析され尽くして廃れるゲーム
611 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 23:48:34.10 0
一番面白いゲームはギャンブルですね
命(自分の分かり得ない先)を掛けた
死ねば助かるのに
アカギの域にはなかなか行けません
612 :
考える名無しさん:2014/02/25(火) 23:51:48.07 0
マンガだよ
あれが「あり得べきことだ」と思わないことだ
>>610 1万年は長すぎないか?
二人零和有限確定完全情報ゲームってやつだね。
ここの人らって、物理・化学とかの話題は出すけど、経済学とかの
話題でないね。私はそっちのが好きなのに。
でも、こんな簡単なルールで成り立っているゲームを完全解析するのに
1万年かかるとしたら、決定論なんて言っても、決定されていることを解析するのに
どんだけ時間がかかるのか。それはもう決定されてないのと対して変わらん
ような気もする。感覚的な部分が大きいけど。
614 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 00:03:17.64 0
将棋の指し手パターンは
全宇宙の素粒子の数より多いと知ってるか?
一万年は長くもない
>>611 ギャンブルってなってくるとわかんないところに賭けてるから
おもしろいってのがあるんだよね。長く続けるとどこまでいっても
損する方にしか収束しないんじゃ、やる気なくなるよ。
そういう意味では、機械を相手にしてるパチンコなんかもうやる気が
でないんだ。
>>614 10^220くらいの数が多いのか少ないのかって言われてもわからんちん。
札幌市役所から、東京都庁までの経路の総数とかだとどれくらいになるんだろう。
617 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 00:50:01.59 P
>>565 判断か…判断って何だろう。
今日一日自分の行為を観察していたのだが、認識を元に動く事はあっても、逐一認識しなければ動けないわけではないようです。
以前まではずっと「意識は認識するのみ」としていて、全ての行為は無意識であり、認識によって「活動範囲」を拡大することができる、と考えていたので、これは比較的機械氏に近い意見でした。
・思う→思っているという認識
・感覚→感じているという認識(知覚)
・動く→動いているという認識
正にモニター的な認識です。
これだと、意欲を意志にしてるのは無意識的であり、意志の認識は0.35秒後に追随するとして説明できてしまう。
認識とは「知るという解析・意味付け」以上の事は出来ないかもしれないですね。
少なくとも、する/しないという能動的判断は、認識では出来ないとします。
何だか変遷を重ねた挙句、元の意見に戻ってしまった感が…。
よし、やり直そうww
>>617 なんか、そういうはなしされるとどうも認知心理学的な領域にハマって
いってる気がするのよねん。認知心理学やろうよ。楽しいよ。
あと、発達心理学をやると自分が考えてることってのが面白い視点から、
メタに認識されてきて楽しいよ。
619 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 01:10:23.92 0
>「意識」という「脳内ディスプレイ」は「外界を
操作する為に脳内に展開しているディスプレイ装置」
逆でしょう。外界というディスプレイは、内界(意識)を再構成する為に展開しているディスプレイ装置ですね
621 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 01:39:36.51 0
同じwww
622 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 01:43:03.96 P
意志とは、行為に至る意欲の事である。
行為とは、意識的にするおこないである。
これは、より広義である「行動」とは区別されるようである。
つまり、意識(認識)を必要とする行いの意。
今文章を入力しているのは、何を書こうか知らなければ書けないし、文字盤を意識(注意)しなければ指を動かせない。
これが意識との相互作用であり、行動範囲の拡大である。
無意識的に頭を掻くのは「行動」で、好きな時に手首をまげるというのは「行為」。
意識のおかげで、行為の分だけ行動範囲が拡大しているのである。
結論。
意志も判断も行為も無意識の領域ではあるが、常に意識との相互作用によるものであるので、メモリ的な作業台として意識が機能している。
623 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 01:47:13.59 P
>>618 認知心理学が何をテーマにしていて、それがどんな結論を齎すのん?
面白いと思える具体例を一つ教えてくれ。
>>623 随分昔にちょこっと大学の授業やなんかでかじっただけだから、あれだけど。
例えば、知覚みたいなものの中で聴覚とかだと、我々は、自然にある音を
そのまま知覚しているわけではなくて、選別してたりする(選別している対象の
音のボリュームが上がってる感じ)。だから、パーティ会場のような雑踏の中でも
相手の会話をきちんと聞くことが出来てたりする。
もっと、わかり易いのは、最近話題の錯覚によって人間の顔が歪んで見えたりするやつかな。
625 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 02:05:55.15 0
>>561 条件の全く同等な選択肢が存在するなら
確率なんて表現も認められないでしょう
「剥き出し」という修飾が、知ることに叶わないことを意味するならわかるが
しかし「知る」限りにおいて、それは認められない
なぜなら、同じ個体はないから
もし同じ個体があるならば、運動を認めることができない
運動が認められないことは、「知る」ということが成立しない(知るということも知れない)
同じ個体があり、同じでない個体があることを認めることは
「知る」(知ることを知ること)ということ以上の何かを想定することになる
そのような想定は不毛であるし、実際に個体(私)は「知る」のであることから否定される
認識は「一つの事態」であると意味されるが
「選択という事態」と可逆でない(等しくない)ことは明らかだ
認識は「選択する」とも「選択される」とも適切でない
それは自由の範疇であるから
自由とは何かと示すことはできても、「自由」を知ることは叶わない(本義的に)
・・・
この件はまだうまく説明できそうにない
ただ、認識は共有に成り立たざるをえない理由にあると考える
個体(自体)が個体(自体)であろうとすることの所産であることに変わらないから
これは、認知心理学ってわけじゃないけど、脳科学とかなのかな。
記憶に関する扁桃体と海馬の関係性なんかとても面白い感じがする。
627 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 02:53:42.15 0
>>625 読み返してみると、まだまだ幼稚だなw
洗濯(整理整頓)しなくちゃいかんね
628 :
考える名無しさん:2014/02/26(水) 03:03:16.00 0
選択は選択ではない
これがもっとも凝縮された真意の表現だな
おやすみ
つまり何を言っているか自分でもわからない。
そういう真意を悟ったんですな。wwwww
630 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/26(水) 09:21:59.87 0
>>617 君の「認識(意識)」という言葉が重すぎる。
目覚めているとき、ヒトは絶えず何かを“感じ”続けている。
しかし、それは「認識している」わけではない。「自覚」でも、まだ強すぎる。
ほとんどの“感覚”が無自覚裡に過ぎさってしまうからである。
しかし、それは“無意識”であるまい。
感覚器官が開いているのなら“意識”はある。
631 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 09:46:35.82 P
>>630 意識は=認識ではないと言いたいのかな?
認識とは、注意する/気づく(ものが何かを知る)こと。
これは言い換えれば「意識を向ける/意識が向けられる」または、「気を付ける/気が付く」ことと同義。
起きていてもぼーっと何も意識を使わない状態は確かにあるが、これはもう意識が無いのと変わらないww
632 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/26(水) 09:49:16.01 0
>>860氏
端的に質問します。
君は「自由意志はある」という立場ですね。
自由意志によって選択される行動もまた“自由”といえますか。
「準備電位」という言葉をまじえて説明してください。
もう一つ“必然”と“自由”の両立(これが君の立場ですね?)について
君の言葉で語ってほしい。
633 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 09:53:19.54 P
>>624 意識の技術は思っているよりも高機能ってわけね。
高機能すぎて逆に錯視や錯覚も生じると。
これって、心理学というより「認識の科学」って感じがするなぁ。
心理が何か関係するのかい?
634 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 10:10:02.30 P
635 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/26(水) 10:17:18.59 0
>>631 自覚的、意図的なそれを君は“意識”と呼んでいるが、それは意識の一つのありよう。
目覚めたときのぼんやりした状態にも意識はあります。
だれかが突然、部屋に入ってくれば気づくでしょう。
そのひとが、君のアタマを「早く起きろ」と小突けば、反応するはずです。
熟睡中(無意識)とは、かなり違っています。
自覚が弱い、あるいは非意図的な心的状態は“無意識”とは異なります。
636 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 10:31:41.72 P
>>635 要するに、(いつでも)注意できる/気づける状態を意識と呼ぶと言いたいってことでしょうか?
これはしかし、ぼーっとしているときに意識はあるのか無いのかって程度の問題でしょう。
注意も気づいてもいない状態って、普通に起きているときには無いですよ。
注意も気づきもしていない「感覚」は山のように通り過ぎてはいますがね。
637 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/26(水) 10:44:34.65 0
>>553 例によって、アブサロム氏の書き込みは…(苦笑)
何かが語られているのは察せられ、昔々、感心させられ、レスしたことがあった。
今回のは、よくわかりません。w
「モノサシ」ではないけれども“立場”はある。“実在主義”である。
何が「実在する」のかはしらぬが、それは「ある」と思い、そこからレスしています。
638 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/26(水) 11:09:48.38 0
>>636 “感覚”が意識の初発である。
感覚器官が開いていて、はじめて“心”が発祥する。
感覚器官は身体に属している。
身体は内在的、外来的E(情報)に規定されて機能する。
ここから何がいえるのか。
639 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 11:42:48.66 P
>>638 感覚は無意識領域です。
注意・気づきを経て知覚となるわけで、それら解析が意識でしょう。
知覚されない感覚までもを意識とか言っちゃうと、意識=感覚となりますよ?
それで良いの?
640 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 11:53:32.40 P
>>638 それに、寝ている時に感覚器官が閉じているわけでもあるまい。
気づきにくいのは確かだが、蹴っ飛ばせば大概気づくし。
感度の多寡程度の問題でしょう。
だから無意識の存在があるんだろうけど
意識レベル4 真理を把握し悟りに至る
意識レベル3 宇宙の運行に疑問を抱き分析を始める
意識レベル2 思索にふける
意識レベル1 惰性に任せて漠然と生きる
4に至ると通常レベルの人は1にならざるを得ないという・・・
>>622 思えることは思えるし、思いたいことを思う。前者が可能性であり、後者が意欲。
この二者の間に開きがあることが、色々な問題を生む。
可能性がなければ意欲しても行えず、意欲がなければ可能性があっても
行えない。
思うを例に取ったのは、意図ないことではない。我を作り上げる行為であるから
これを例に取った。この我において、様々な問題が作られる。つまり、可能性
にあふれた我と、意欲にあふれた我が、だれだって欲しいと思う。
だが、現実的には我は様々だ。
このとき、意欲をかき立てる可能性が、存在していることに気づく。可能性を拡げる
意欲の存在に気づく。これは、両者の開きに注目するのではなく、それらの間の関わりに
目を向けることである。
このように意識化された両者は、以前とはまた別な意味合いを持ち始める、すなわち、
我の存在がよりよくなる、と考えたのだが、どうでしょう。
645 :
天才:2014/02/26(水) 20:20:33.26 0
クソジャップ大量に死なねーかなー
646 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 20:22:09.69 P
>>644 ふむ、難解だねww
>思えることは思えるし、思いたいことを思う。前者が可能性であり、後者が意欲。
どんな事でも思えるという可能性はわかるが、思いたいことを思うのが意欲なの?
思いたくないことは思えないの?
>可能性がなければ意欲しても行えず、意欲がなければ可能性があっても
>行えない。
ここが難解。可能性は意欲が必要で、意欲は可能性が必要てこと?
つまり、我はどちらも備えているのね。
>可能性にあふれた我と、意欲にあふれた我が、だれだって欲しいと思う。
可能性も意欲も、誰だって持ってるんじゃなかったの?
人によって可能性と意欲に多寡があるってことだよね。
どういった多寡でしょう?
可能性と意欲が限定されてるの?
>
>このように意識化された両者は、以前とはまた別な意味合いを持ち始める、すなわち、
>我の存在がよりよくなる
両者の関わりに目を向けるだけで我の存在がよりよくなるの!?
よりよくってのは、可能性と意欲にあふれるってことだよね。
なぜ目を向けるだけで可能性と意欲にあふれるのかがよくわからないかな。
>>603-605 はしゃがないでください…w
しかし面白い。
>最近、ウィンドウズ8に切り替えるため最強のCPUを持ったデスクトップパソコンを買ったのですが、
>そのついでに最強のグラフィックボードを買い揃え、『ウィングス オブ プレイ』という
>以前のパソコンでは出来なかったソフトをやってみました。
この一文で既に面白い。
平易な言葉を使った「単なる説明」なのに、魅力を伝えるのが上手い。
タガの外れた説明能力ですね。フリークの資質ありますよ。
極めて淡泊なのに深い味のある、いいレビューです。
>ウィンドウズ8に切り替えるため
嘘ですよw
Windows8は今のcore iシリーズ(4G)ならローエンドでも動きます。
それどころかcore2 Duoでも動くでしょうw
ハイエンドとは言え4年前の3Dゲームをプレイできなかった環境でも今まで済んでいたのに、
現在の最強のCPUとGPUを積んだデスクトップを買う意味が分かりません。
ただの趣味でしょう?そのスペックw
BTOならディスプレイ込みで40近く行きますよね?
金が余ってるんですか羨ましいw
>>603 >「一種の錯覚のようなもの」という言い方をしております。
あなたの論理的思考能力は私と凡そ似た程度だと推測しますが、
「錯覚の一種」と「一種の錯覚のようなもの」では明確に意味が違います。
>上下左右の3次元空間+速度(時間)をリアルに操作することで、2次元しか走り回れない自動車の
>レースゲームより「自由度」が大きい…「より大きな自由感を味わえる」
当然食いつきますが、「自由度」とは?それ、定量的に示していませんか?
もちろんこのレビューというか、あなたの「ゲームを通してのありありとした興奮体験」
を以ってしてもなおあなたがそれ(自由)を錯覚だと主張し続けるだろうとは思いますが。
>要するに人間が「進化」の結果として獲得した「意識」とは、実はこのソフトの
>「操縦席画面」のようなものではないか?…という例えになるでしょうか?
半分は同意しますが、「画面」だったらそれを見ているのは何ですか。
>「意識」という「脳内ディスプレイ」は「外界を
>操作する為に脳内に展開しているディスプレイ装置」に類比できるのではないか?
うん、そこまで(観念論的)思考を展開するにも関わらず、
「意識が一種の錯覚のようなもの」と言われると混乱します。
結局この一文はどういう意味です?
>>617 >判断か…判断って何だろう。
さあ。
難しいと思いますよ。
今のあなたのレベルであなたレベルの還元主義を採ると。
あなたが認識を認識と言うのと同レベルで判断は判断だと私は捉えますが。
肯定や否定を行う機能であると。
>今日一日自分の行為を観察していたのだが、認識を元に動く事はあっても、逐一認識しなければ動けないわけではないようです。
仕事してくださいよw
>以前まではずっと「意識は認識するのみ」としていて、全ての行為は無意識であり、認識によって「活動範囲」を拡大することができる、と考えていたので、これは比較的機械氏に近い意見でした。
まぁ極左と極右ですからね。
>・思う→思っているという認識
>・感覚→感じているという認識(知覚)
>・動く→動いているという認識
>正にモニター的な認識です。
機械さんの「ディスプレイ」に被せてます?
あなたの言うモニターはモニタリング、見る事ですから別ですよね。
>>622 >結論。
>意志も判断も行為も無意識の領域ではあるが、常に意識との相互作用によるものであるので、メモリ的な作業台として意識が機能している。
意欲→認識(意識)→意志の構造は変わってないのですかね。
改めてですが、ここで意識が介在する必然性はあるんですか。
>メモリ的な作業台として意識が機能している。
コンピュータ用語で言うところの「メモリ」について言えば、
バックグラウンドのプロセスも常に(相互作用ではなく)全部「メモリの上」なんですが。
>こっちの方がデリケートな問題ですww
「こっちの方」?
冗談だろ?発言全てが穴だぜ(キルア談)
DOSで言うところのエクスパンドメモリーとコンベンショナルメモリと言いたかったのでは無いか?
それぐらい察してやれよ
>>646 >>思えることは思えるし、思いたいことを思う。前者が可能性であり、後者が意欲。
意欲を持つ心が可能性という現実原則に従うという立論です。
思えないことは思いたくないこと(僕の意見の対偶)、ですよ。可能性の次に、
欲が出てくる。例えば「犬が好きだ」は、可能性の問題がない例ですが、その
欲の項について観察すると、好きたい場合に
好きだと思い、好きたくない場合に好きじゃないと思う。つまり、意志には対象との
関係が密接にあるわけでしょう。好きか嫌いかとはっきりしている。でも、好きでも
嫌いでもないという可能性もあり、程度問題もあるから、ファジー性はある。これは
大問題なのだと思いますが。強調するなら、心には現実の対象への感覚がそのまま
映される。現実に対する態度が心を作る。そうして作られた心が反省されることで、
新たに意欲を生み出す。あるいは、意欲が生み出されて現実を映す心が準備される、
ということなのでしょうか、そうではない。
>>可能性がなければ意欲しても行えず、意欲がなければ可能性があっても行えない。
ここも可能性の次に意欲が問題になるという点がわかりにくいのでしょうが、必要という
述語を意欲と可能性の関係の先後両方にたいして用いるのは不用意だと思います。僕の
先の書き方が悪かったのですが、両者は対称的なのではなくて、意欲には可能性が必要なの
ですが、可能性には意欲は必要ではないのです。意欲がなければ何事も行えない、可能性
がなければ何事も行えない、というのが、ご引用頂いた文の意味でした。
可能なことを意欲するという理に対して、可能>意欲という順序が出来、それが現実
原則なのですが、一方心の世界を見ると、意欲>可能という状態も観察される。
これは、さっき仰ったように思いたくないことは思えないの?という疑問が肯定される
ことなのですが、非現実の領域が心にはあるのでその想像力が可能性を思ったという
事象であると分類できます。
つまり、現実には可能性という言葉が、心には意欲という言葉が、当てはまるのであって、
心は現実をそのまま映し、現実は心を左右する、という関係が成り立つのだと考えます。
現実原則に従う心と、非現実の領分である心の、二種類が心には存在する、と考えられます。
>両者の関わりに目を向けるだけで我の存在がよりよくなるの!?
可能性を広げる意欲があれば可能性が広がり、意欲で現実を改良すれば可能性が広がる、
というような意味です。その、協調した働きが、良い存在を作り上げる、ということです。喜びが
ある。現実にも非現実にも対応する意欲という心の領分と、現実の可能性に対する心の領分と、
さらに、現実を映す心の領分、という三領域にわたって考えました。
なにぶん、心というものが色々な思考の場であるのだから、色々な思考が存在するのに
合わせて心は色々になり、心に従う意欲は、現実原則を超えられないという制限を強く
受けるという描像です。だから、心は意欲で欲望の全てを満たせないことから、神経症が
起こるのだと考えます。つまり、意欲というものは、欲望であって、身体に則したものである
ので、現実原則を越えた意欲はなく、言い表されなかった欲望が、意欲の裏に、欲求として
現れるというものではないかと考えます。
書ききれなかったことは、↓のフロイトのところなどを参照してくだされば、ありがたいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E5%8E%9F%E5%89%87
>>632 >「準備電位」という言葉をまじえて説明してください。
難しいですね。私の考える自由意志と準備電位と、積極的な関係がないので。
一足飛びに、端的過ぎて。そもそも質問の趣旨は何ですかねこれ。
リベットの立場を消化した上で自由意志を論証しろと?
ですから、全部仮に「無意識」で結構です。
>もう一つ“必然”と“自由”の両立(これが君の立場ですね?)について
>君の言葉で語ってほしい。
すぐに答えを求めて口説きに入る男の火って(棒読み)
>>601が私の立場です。多分同じ筋を見ている。
自由意志とは自らに由る意志ということですね。
そのためにはとりあえず「私」について、
>>572の機械さんとのディスカッションを消化していきたいのですよ。
あなたが代わりにレスしますか?
655 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 22:01:12.80 P
>>650 行為と(行為以外の)行動を区別してみたわけです。
すると、行動は意識を必要としないのに対し、行為は意識を必要とすることがわかります。
意識的にするおこないを行為と呼ぶのですからです。
(行為も行動の範囲内だが、ここではあえて分けている)
ですから、行為に意識が介在するのは必須です。
介在しないのならばそれは(行為以外の)行動です。
>メモリ
意識的な作業領域という意味です。
同時に複数のことを意識することは「出来ない」故に、机のように「限界値」がある作業台という意味でメモリという比喩を使ったのだが…。
この作業台で出来る事とは、思考・知覚・行為・言語でしょうかね。
意識的に思考を停止することは出来ない
無意識的に思考を停止していることはある
不思議!
>>655 >行為と(行為以外の)行動を区別してみたわけです。
>すると、行動は意識を必要としないのに対し、行為は意識を必要とすることがわかります。
>意識的にするおこないを行為と呼ぶのですからです。
わかりません。
あなたの「意識的」の意味は、「認識が伴う」ということであり、
意識と認識が全く同じものである以上、「認識以外の何も伴わない」のですよね。
「行動」は認識されていない、「行為」は認識されている、
それ以上の違いは無い訳ですね。もう一度、改めて、聞きますが、
意欲→認識→意志(「→」は起動)のタイミングで「認識」が介在ことの意義とは。
さあ、何。
>同時に複数のことを意識することは「出来ない」故に、机のように「限界値」がある作業台という意味でメモリという比喩を使ったのだが…。
自分で「これをコンピュータ用語ではメモリというww」とか言ってただろうが。
聞こえてきそうな(ドヤァだった…。許せねェ。
>この作業台で出来る事とは、思考・知覚・行為・言語でしょうかね。
思考とはどういう相互作用だ。答えろ。
やはり同族嫌悪ってあるんだな、と思いましたまる
660 :
「機械的唯物論」者:2014/02/26(水) 22:33:51.13 0
>>648 >うん、そこまで(観念論的)思考を展開するにも関わらず、
>「意識が一種の錯覚のようなもの」と言われると混乱します。
>結局この一文はどういう意味です?
一所懸命例示してご説明しているつもりなのですが、私の「言わんとすること」
について殆ど何もご理解いただいていないようですね。
「意識」とか「意志の自由(感)」とかは、人間の脳に「何のために備わったか?」
という「進化論的目的」について解明しないと、それらの「機能」の分析まで到達できず、
いつも「でも、意思(意識)の自由(感)だけは厳然と存在するから、そこだけが、あるゆる
論理的思考の出発点である」という「デカルト主義」に舞い戻ってしまう…という根本的
モンダイをクリアできないことになってしまいます。
「意識への現前」について、例えば「『色【のクオリア】』は客観的存在ではない」とか
「意識への『同時性』については(準備電位の観測をはじめとして)疑わしく、意識は時差の有る
事象を適当に『編集』して、『ある一瞬』として現前させている可能性が高い」 とかの「認知科学
で報告されている事実」を例示しております。
一言でいえば「我々の『意識への現前』は『忠実な外界の反映』とは程遠い事象である」と
申し上げたいのです。
ゲームの「操縦席で見えるであろう光景と聞こえるであろう音」による「操作モード」はあくまで、
プログラマーが「ゲームをより面白くするために作り込んだ一つのモード」にすぎず、
別のモードで操作するようなゲーム(例えれば2次元鳥瞰+計器で全てを操作するモード)の作り
込みも可能な状況において、あたかも操縦席で操縦しているクオリアを再現することで、
ゲームの操作が一番「人間には操作しやすい」ことから、脳が「実人生を送る個体を操作する」のにも
「意思の自由(感)や意識の現前(感)」が「進化上一番有利」だから、進化がそれを選択した
のではないか?…という仮説を提示しているだけのことです。
その前提となる上記「クオリアの幻想性」や「意識における同時性に関する疑念」は既に「認知科学的
には自明の事実である」・・・ということは「大前提」ですから、それの当否についての議論とは
「一次元異なるレベルの話」になるのかもしれませんけれど…。
661 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 22:41:46.76 P
>>652 >心には現実の対象への感覚がそのまま映される。
対象からの感覚ではなく、対象への感覚ですか。
入力される感覚に対し、出力する(対象への)態度が心ってことですかね。
快/不快、好き/嫌いっていう感情のことですね。
>そうではない。
これは何処にかかってるの?
強調するなら〜?あるいは〜?
こういった分かりにくい文章構成が難解の一つww
何がそうではなくて、何れがそうなの?
>可能性
一番難解なのが可能性の語。
「可能性という現実原則」と言うからには、可能性が「無い」事態など始めからないのではないかな?
ならば、可能性が無ければ何事も行えないというのは、空想上の話。
可能性は常に開かれているのではないの?
>心には意欲→可能も観測
どういう事象か具体例を。
想像が可能性を創造したってこと?
662 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 22:57:41.48 P
>>653 >二種類の心
現実に対する感情と、非現実に対する創造、ですね。
>可能性を広げる
可能性は広がりません。
可能性は「ある」か「ない」かしか語れません。
広げたいなら蓋然性でしょうね。
>三領域
早い話が意欲・感情・感覚ですね。
>意欲・欲望・欲求
どういう定義で使い分けているのでしょう?
要するに、非現実に対する可能性の創造は、現実を超えることが出来ない故に欲求となってしまうと。
で、現実に対する意欲でもって現実を改良すれば、現実の可能性(蓋然性)は広がり、よりよくなると。
こういうこと?
>>660 >「意識」とか「意志の自由(感)」とかは、人間の脳に「何のために備わったか?」
>という「進化論的目的」について解明しないと、それらの「機能」の分析まで到達できず、
意識とか意志の自由(感)が、自然淘汰されないために備わったものであり、
進化論的にその機能を分析することができる。それは同意しますよ。
ただ、進化によって備わった機能と「それら(の産物)が錯覚である」ということは別の主張です。
加えて、「意識への現前」の不確実さを主張するならば、確実な存在とはどのようなものを挙げられますか。
実証は常にその「意識への現前」との対応において確認される。
それが経験によらない「理性」によって真理と見なされると言うなら、
それもまた「デカルト主義」への回帰だという事です。
だから誤りというつもりは、こちらにはないですが。
>「意思の自由(感)や意識の現前(感)」が「進化上一番有利」だから、進化がそれを選択した
>のではないか?…という仮説を提示しているだけのことです。
その科学的仮説にエビデンスはあるのですか。
664 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/26(水) 23:17:22.43 P
>>657 意義は勿論「行動範囲の拡大」です。
認識が介在すればより広範囲に活動できるのは自明じゃないですかね。
進化論的に説明できるでしょう。
系を保つ為の指向性は、徐々に行動範囲の拡大を齎し、遂には認識によって行動範囲が一気に拡がった大いなる進化。
>>658 答えろって…まぁいいや。
思考とは、物事の表象を分析して整理し,あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。
分析も整理も「知覚という認識」が必要なので、その相互作用。
>あたかも操縦席で操縦しているクオリアを再現することで、
>ゲームの操作が一番「人間には操作しやすい」ことから
操作のしやすさを尺度にするのであれば、
ボタン一つで目的を達成できるように単純化すればいい。
迷う余地もなく全て自動である方が合理的でしょう。
それだと飽きてしまいますか。「飽き」は客観的でしょうか。
自由を感じていた方が行為をしやすい、とはどういうことでしょうか。
あなたの説に従えば、虚構の自由を作り出すまでもなく、「無意識のユニット」は働きます。
この機能の進化論的必然性とは何でしょうか。
>>661 >>心には現実の対象への感覚がそのまま映される
自分から、発した感覚、つまり、外界(現実)とイコールで結ばれるような感覚、つまり、現実の一部ではなく心の一部、つまり、心しか観察可能ではない、観察可能なものの
総体が心である、つまり、観察不可能なものも現実である、というような当たり前のこと、が意外に難しいことです。つまり、心自体は本質的に主観的なもので、主観の中に
客観を持つという構造に、心がなっているということです。出力についてどのような意味をもたせればいいのかということは考えたことがなかった
のですが、ここで考えると、出力が可能性であると考えることもできる。思うということさえ内界に対する出力であるかもしれない、と思います。感情も涙のように具体性を伴っているとも思えます。
>>そうではない。
これは、ということなのでしょうか、にかかります。これはレトリックで、そんな馬鹿なことはないという意見を述べるときに使います。仏典などはこういう言い方が多いです。
>可能性は常に開かれている
これは、仰るとおりだと思います。可能なことは、常に可能なら可能であり、不可能なら不可能である。
>「可能性という現実原則」と言うからには、可能性が「無い」事態など始めからないのではないかな?
可能性が「無い」ということは存在し得ないということかもしれないが、可能なことが「少ない」「小さい」ということはある、とすれば、ある件について可能なことが「無い」ということも
想定はできるし、実際僕が子供を出産したいということは無理なわけです。だから意欲もない。
>>心には意欲>(大なり)可能も観測
百メートルを九秒で走りたいという意欲はあったりする。可能性という言葉は不用意でした。可能なことというべきでした。
>>664 性(もちまえ)と本質の違いはなんでしょうか。
>>665 >ボタン一つで目的を達成できるように単純化
明らかに汎用性を失うんですがそれは
>>664 >答えろって…まぁいいや。
冗談だよぉ。
本当にH×H読んでるんですか?
通じないネタなら申し訳なかったです。
ただの余興ですのでどうか気分を害されないよう。
>意義は勿論「行動範囲の拡大」です。
ここで認識しているのは意欲ですよ。
「〜〜したい」ということを知るだけです。
それでどのように行動範囲を拡大するのですか。
これ、意志決定の0.5秒のフローの中の話ですよ、前提として。
>分析も整理も「知覚という認識」が必要なので、その相互作用。
知覚は認識の一種ですかね。分析と整理は無意識ですか。
難しいな。
>>668 それどころかボタン一つも必要なく無意識の反応で全部片付く。
そこに「自由」を付け加える機能に必然性がまるでない。
>>670 お前さん、どんな議題でも毎回国民投票する政治システムが合理的だと思うのかね?
>>662 >>三領域
>早い話が意欲・感情・感覚ですね。
話が早いですね、そのようにまとめていただけると、気分がスッキリして寝起きもよさそうです(笑)
>>意欲・欲望・欲求
>どういう定義で使い分けているのでしょう?
行動に結びつけて考えるのが意欲(will)で、衝動や焦がれることなどの身体的なのが欲望(desire)、
心の中の欲望が欲求(wanting)であるというように使い分けました。
>要するに、非現実に対する可能性の創造は、現実を超えることが出来ない故に欲求となってしまうと。
>で、現実に対する意欲でもって現実を改良すれば、現実の可能性(蓋然性)は広がり、よりよくなると。
>こういうこと?
この、可能性については、精神病的症状の改善というような可能性(可能なこと)というような
ことを、念頭において(というか、まさに現在進行形の衝迫として)、考えていました。
673 :
「機械的唯物論」者:2014/02/26(水) 23:46:37.28 0
>>665 >あなたの説に従えば、虚構の自由を作り出すまでもなく、「無意識のユニット」は働きます。
ですから「操縦席モードの方がより効率的」という表現をしているのであり、
「他のモードでは働かない」と言っている訳ではありません。
浅田真央選手のトリプルアクセルですが、「一瞬の踏切り」において足や胴体や手等に付いている
数十の筋肉に「これだけの力で収縮しなさい」という「指令」を与えているのは「無意識のユニット」
であり、それが全部調和を持って実現できてこそ「世界中の女性の中で唯一」のトリプルアクセルに
成功できるのです。
それだけ「無意識のユニットが多数個々の筋肉に指令を出す」ような行動については、「意識する」
ことがむしろ失敗の原因になる(要は無意識ユニットの協調を妨害する)ことは容易に想像できます。
まあ、トリプルアクセルに限らず、我々の「日常的な行為」全てにおいて「無意識のユニットの協調」
が実行していることは間違いなく、「記憶に残す必要性」の薄い行為については1秒後にはすっかり忘れる
ように私たちの脳は出来ている・・ということです。
単に「歩く」行為でさえ、数十の筋肉にそれぞれ異なる「作動指令」を脳は出しているのですが、その
一つ一つを「思い出せる」人がいるでしょうか?
単に「テーブル上の果物を取って口に運ぶ」行為でさえ「殆どが無意識の領域」で処理されます。
ですから「意識(意思)的に行う行為」の方が人間にとっては遥かに「特殊」であり、それは
「エピソードとして記憶しておいた方が生存上有利になる可能性がある行為」に限られる…という
仮説が有力であり、その場合の「意識(意思)的に行う行為」も分解すれば「無意識のユニットの
協調」に還元される…ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
結局どいつもこいつも意識ってのを特別視し過ぎなんだよなぁ
675 :
鬼平の秘蔵っ子:2014/02/27(木) 00:13:17.74 0
意識っていうのは、痛覚じゃないか!?
「操縦席モード」がその説明のどこで効率的に働くのか。
あとあなたの理論で言うところの「操縦席モード」は、
「自分で操縦している気になっている」だけで、
実際の行為は「自動操縦モード」と全く同じですよね。
そこにただ「操縦している錯覚」が「後から」追従しているだけですから。
「エピソードとして記憶をするために、行為を意識的に行う」という事も、
記憶作用だけが特別に意識に上らなければいけない根拠はまるで無い訳です。
あなた自身補記しているように、結局のところ無意識のユニットの協調に還元される。
改めて聞きますが、「進化論的目的」によって説明される「意思の自由(感)や意識の現前(感)」の機能とは?
677 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/27(木) 00:22:15.22 P
>>669 ああ、ゴトーかww
気づかなかったよww
>0.5秒のフロー
あのですね、「意欲を認識によって意志に変えている」という説は放棄しましたので、「意欲も意志も無意識の範囲」です。
認識が介在するのは、「認識を必要とする行為」において。
リベットの実験で説明するならば、事前に「好きな時に手首を曲げる」という意欲を認識しており、それを元に意志の発動(準備電位の観測)→意志の認識→行為(→は時間経過)となる。
行動的に頭を掻くのと、行為的に頭を掻くのと、何が違うかといえば、頭を掻こうという意志の認識でしょう。
自ずからと自らの違いです。
認識が介在しないと、寝ながらできる行動くらいしか活動範囲が無いのですよ。
>知覚は認識の一種
その通り。感覚が「何」であるかを知る事が知覚です。
>>667 本質とは、存在者の何であるかを規定するもの、事物の存在にかかわるものです。
対して、性(もちまえ)とは、存在者が持っているもの、備えているものです。
本質では、性格・習性・性質は扱えないのです。
678 :
「機械的唯物論」者:2014/02/27(木) 00:30:15.57 0
>>676 >改めて聞きますが、「進化論的目的」によって説明される「意思の自由(感)や意識の現前(感)」の機能とは?
何度も繰り返しご説明しておりますが、「エピソードとして記憶を残すことが(生存上)有利になる可能性がある行為」
を、次に同じような(あるいは似たような)シチュエーションに直面した時に「応用」する為に「非常に有効に働く」ため、
「意思の自由(感)や意識の現前(感)」が人間の「脳の認知機能の一部」として備わっている。
…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
679 :
「機械的唯物論」者:2014/02/27(木) 00:42:37.64 0
>>676 飛行機でも「有視界飛行」の他に(濃霧や夜間における)「完全計器飛行」がありますが、
先週どこかの国であった「巨大な鳥が操縦席に向かって飛び込んでくる」ような事例に
「とっさの回避操縦」をするのにあたり、どちらが有利(生存確率が高い)であるかは
敢えて申し上げるまでもないと思われます。
本日は就寝させて戴きます。
「我々の『意識への現前』は『忠実な外界の反映』とは程遠い事象である」というのは
「意識における同時性に関する疑念」程度に留まるのか?
それだと、外界と「程遠い」と言うには程遠いと思われるけど。
「クオリアの幻想性」というのも適用範囲が広すぎる。
音楽や絵画は幻想か。色は幻想であるらしい。痛みはどうだろうか。
>>677 >「意欲を認識によって意志に変えている」という説は放棄しましたので、「意欲も意志も無意識の範囲」です。
読み飛ばしてたら申し訳なかった。
それだと、意志と意欲の違いは無くなりますかね。
「行動」と「行為」の違いは、事前の認識の有無ですか。
全体の理論の中でも幾らか齟齬がでてるっぽいですが、私も睡眠物質が溜まった模様です。
ゲーム様(始め昼間元気な方々)をよろしくお願いします。
681 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/27(木) 00:51:10.09 P
>>672 >現在進行形の衝迫
御家族などが鬱病とかなんですかね。
どういった症状の改善を目指しているのかわかりかねるが、意欲が無ければ可能性も狭まる故に、可能性を広げる意欲を持つことが肝要だと読み取れます。
しかし、この意欲をどうやって高めるのかという具体例がいまいち掴めない。
「どうなれば」よりよくなるのかはわかったので、「どうすれば」よりよくなるのかを説明願います。
>>678 >何度も繰り返しご説明しておりますが、「エピソードとして記憶を残すことが(生存上)有利になる可能性がある行為」
>を、次に同じような(あるいは似たような)シチュエーションに直面した時に「応用」する為に「非常に有効に働く」ため、
>「意思の自由(感)や意識の現前(感)」が人間の「脳の認知機能の一部」として備わっている。
何度も繰り返し指摘しておりますが、あなたの理論において
「エピソードとして記憶を残すこと」に意志の自由感や意識の現前感は必要ありません。
「意識する」ことは、「意識している」という後付けの「感じ」に過ぎません。
そのことはエピソード記憶という脳の化学・電気的活動に何らの影響も持ち得ないのです。
>>679につきましても同様ですね。よくお休みになってからまた考え直してください。
>意志の自由感や意識の現前感は必要ありません
必要ありませんと断言出来る根拠を逆に聞きたいのだが?
エピソード記憶として「区別」する為には少なくとも情報にタグを付けるセクションは必要だろう?
684 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/27(木) 01:21:12.45 P
>>680 >意志と意欲の違い
以前より、欲=意志だと主張しており、その違いを、其々「受動性」と「能動性」だと申しております。
したい/するという関係です。
>行動と行為の違い
行為も行動の範囲内だが、事前の認識がある点で異なり、はっきりとした意図・意志を持っているということです。
何であるかがわかる、知っているということは、つまりは「意識がはっきりしている」ことであり、何もわからないのではカオスであり、植物人間と同じです。
685 :
「機械的唯物論」者:2014/02/27(木) 08:45:23.79 0
>>682 >「エピソードとして記憶を残すこと」に意志の自由感や意識の現前感は必要ありません。
ああ「エピソード記憶」が私の造語かなんかだと誤解されているのですか?
他に「意味記憶」等があり、認知科学の用語なのです。
それから「(あると何かが)容易になる」と「必要(不可決)である」は「意味が異なる」と
いうことに注意が必要です。
「進化」は「(あると何かが)容易になる」機能を(子孫に)残す…ことで行われる…と考えられます。
686 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/27(木) 10:04:55.09 0
いのち君にみるように“無意識”という表現が言葉のアヤ(レトリック)として用いられている。
“感覚”を意識の初発として、その先の感情、知覚、思惟、意志…等は悉く“意識”下の営為である。
「意識がある」の前提条件は、感覚(器官)が開いていることだ。感覚があれば、意識はある。
しばしば「意識がない(無意識)」の例として熟睡中をあげてきた。これで不満なら、全身麻酔でもいい。
蹴っても殴っても、刃物で切り刻んでも、当人が感じることはなかろう。これが無意識状態である。
ちなみに感覚器官が閉じられても、身体は機能している。
一連の議論は「意識を意識する」ことを“意識”と呼んでいるようだ。
だから日常の習慣的振る舞い、それと対極的なアスリートの技芸を「無意識」的と決めつけている。
ご冗談を。目と耳を閉じるだけで、生活に支障をきたすだろうし、浅田さんもその状態(無感覚)では
トリプル…に挑む前に転倒するにちがいない。
しかし、意識の定義はどうでもいい。テーマは“自由”である。
>>681 いや、私が精神病でね。意欲がわかないと何事もできないので、可能なことを無駄に
してしまいます。失敗例に埋もれてしまうのです。でも、失敗すると苦しくなり、一層
症状が悪くなります。自分をしっかり保っていないと、何も出来ない、ということは、誰も
が分かることでしょう。もし興味があるなら認知行動療法などを調べてみてはいかが
でしょう。
世界を定義するとき、その構造がフラクタルであるとすると
部分の繊細な定義であれとても重要になるので、大変でござるね
脳が「個体の空想を操作する」のにも
「意思の自由(感)や意識の現前(感)」が「進化上一番有利」だから、決定論における決定者が現実世界への秩序の導入を選択した
のではないか?…という仮説を提示しているだけのことです。
俺たち人間は地球上で普通に生活を営むことができている
一つの例として、月は地球を周回する
海に潮の満ち引きを起こすほどの影響を与えている
地上にいながら人間はコップに水を入れて
その水を口に入れて流し込むということを行っている
この一連動作を上手く一般的な常識上で
成功させるためには月の動きも考慮しないと変
そもそも未来を予測して動いているとすら感じる
赤ん坊の食べ物を溢したりするのは
意識と社会的常識のすり合わせなんだろうな
>ご冗談を。目と耳を閉じるだけで、生活に支障をきたすだろうし、浅田さんもその状態(無感覚)では
トリプル…に挑む前に転倒するにちがいない。
この場合の無意識とは、神のCPUに判断と実行を任せる自動操縦モードの事を指す
>>684 それで説明したつもりなの?思考滅裂しているよ。
>>688 観念奔逸な症状で連合弛緩しているんだろう。
思考滅裂コテ収容隔離スレだからな
キチガイの見分け方ver1.00
・コテハン
・いちいちageる
・末尾がOかP
どれか一つでも当てはまればキチ
なお最高位は全てに当てはまる、最高位だけに
>>570 >ああ「エピソード記憶」が私の造語かなんかだと誤解されているのですか?
いいえ。
ある事柄を一連の出来事として、また他の出来事や印象等と紐づけて、記憶することと理解しています。
映画のセリフの丸暗記のような事が比較的容易に可能であるのも、
そこに連想を促すストーリーつまり、エピソードがあるからです。
個別のオブジェクトを記憶(意味記憶)するよりも、一つ一つに意味連関を持たせた方が記憶しやすい。
>それから「(あると何かが)容易になる」と「必要(不可決)である」は「意味が異なる」と
>いうことに注意が必要です。
エピソードにおいて「意志の自由感」や「意識の現前感」がどのような積極的な意味を持つのか具体的に説明できますか。
「私は自分でそれを選んだのだ」という「感じ」や、
「目の前にあるのは客観的事実である」という「感じ」が、
エピソードに加わることによって、何が変わるのかという事です。
「意識はエピソード記憶のために発達した」と言うならまだ分かります。
印象深いものは記憶に残りやすいですからね。
意味は無い、だから錯覚
エピソードに紐づけられるものとしての観念ないしはクオリアや、
複数の出来事を一連のエピソードとして捉える構想力が、
エピソード記憶のために発達した能力である、という主張にはそれなりの合理性があります。
それらがエピソード記憶にとって本質的な、不可欠なものであるからです。
普通はこれらの「感じる・解釈すること」や「構想すること」は意識的な働きと見なされます。
しかしながら、あなたの場合はこれらは無意識の働きであるという事になる。
あなたの主張する、「追従するだけの意識」という絞りカスには、
「進化論的目的」を負うだけの機能は残っていないのです。
以下別件です。
あと、あなたの「錯覚」という表現の意味を明確にして貰いたい。
「クオリアは錯覚であり、錯覚は存在しない、だからクオリアは存在しない。」
この事から論理的に、
「意志の自由は錯覚であり、錯覚は存在しない、だから自由意志はあり得ない。」
そういう事ですかね。自由もクオリアですから。
例えばあなたは「痛み」のクオリアによって死ぬことができますが、
それは存在しないものによって殺されるという事ですか。
辞書でも引けよw
702 :
黄檗:2014/02/27(木) 21:19:18.63 0
>>625 >条件の全く同等な選択肢が存在するなら
>確率なんて表現も認められないでしょう
分からん。どうしてそうなる?
*********************************
同じ個体はあるのだ。
つまりな、空間的に離れた場所に何ものかを認める場合、
それを我々はそれぞれ別の個体だと判断する。
(蛇足だが、経験的、常識的な「私と他者の関係」がそこに介入してるだろう)
そしてそのように判断し、思考を構築することは、「ほぼ正しい」。
だから、ニュートンの時代には無かった個別に独立した「質点」という概念は、
不都合無くニュートン力学に導入された。
だが、この「二つあるように振舞うもの」が、ある一つのものの振る舞いの表現である
と考えることに、論理的な困難があるかといえば、それは無い。
なぜなら、そもそも個体は、それが素粒子程度のものであっても、
質量や電荷などの複数の属性を持つことが観念に於いて許されており、
空間的に離れている一つの個体であると考えることが、論理的に不可能である、
なんてことはないからだ。
それを別々だとするのは、そのように考えることが、圧倒的に便利というだけであって、
それらを別々の個体として考えない方が良い場合には、考えなくても良いはずだ。
そして実際、何事かが空間を越えて絡み合う、そのように考えられる事態が
世の中に「ある」のだとすれば、思考の方をそちらに合わせるほうが良いのだ。
************************
「認識が自由の範疇」とかは、何言ってるか俺には分からん
703 :
「機械的唯物論」者:2014/02/27(木) 22:09:16.72 0
>>676 >あとあなたの理論で言うところの「操縦席モード」は、
>「自分で操縦している気になっている」だけで、
> 実際の行為は「自動操縦モード」と全く同じですよね。
ですから、何度も「2次元マップ+高度計や速度計の計器モード」
とか(有視界飛行に対する)計器飛行という「例え」を用いて、類比を「例示」しているのですが、
貴方が何故「自動操縦モード」という「コンピュータ任せでしょ?」を類比例示したがる
のか理解できません。
ゲームの様々な設定を「ボタン1個押しておけばクリアしてくれる」のでは、そもそも
「ゲームしている」ことにはならないですよね?
おっしゃる「自動操縦モード」が私の言う「操縦席モード対計器飛行モード」とは根本的に
異なるということはド理解になれますよね?
認知科学の「エピソード記憶」「意味記憶」「非宣言的記憶」は司る脳の部位が異なるとともに
「(機能的)目的」も異なると思われます。
そのうち「エピソード記憶」は、(個体発生的にも系統発生的にも)他の2つが成立した後に
備わった「より高次の」記憶形態であると推定されます。
そもそも人間に「エピソード記憶」が存在しなければ「文化」の殆どが成立しなくなるのでは
ないかと思われます。…「小説」とか「映画・ドラマ」とかは「エピソード記憶機能」が備わって
こそ楽しめるのであり、相当高次の「意味記憶」を持っていると推測される高等哺乳類にもそれらは
理解できない…と推定されます。
すなわち高等哺乳類の「意識」は、人間に比べて「遥かに希薄」であり、その結果「エピソード記憶」
の(脳内記憶に)占める割合は遥かに小さくなっているものと推定されます。
誤解を恐れずに敢えて申し上げれば「主にエピソード記憶から衰えていく病気」アルツハイマー症の
患者の「主観」は「少しずつ薄れていく(且つては「明晰」であった)意識」といったようなものでは
ないか?…と推定されます。
704 :
「機械的唯物論」者:2014/02/27(木) 22:32:35.50 0
>>697 >「意識はエピソード記憶のために発達した」と言うならまだ分かります。
それでお分かりいただければ「その通り」だと(私は考える)いうことになります。
「卵が先か?鶏が先か?」の「ギロン」には私は明確な回答があると考えますが、
「エピソード記憶の強化」が先か?「意識の強(烈)化?」が先か?…については「同時でしょ?」
という回答しか思いつきません。しかし「両者は強い相補関係にある」ことは間違いないと考えます。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
705 :
「機械的唯物論」者:2014/02/27(木) 22:43:58.14 0
>>700 >「クオリアは錯覚であり、錯覚は存在しない、だからクオリアは存在しない。」
>この事から論理的に、
クオリアは「脳内に外界の事象がディスプレイされる形式」ですから、我々の脳は
(「夢」のような「記憶」起源のクオリアを含めて)「クオリア以外は無い」と言えます。
有名な「錯覚」(名前は忘れましたが)白黒チェッカー模様の白の角に現れる「灰色」は
「クオリアとして明確に『存在』する」と言えますが、それは「赤色と緑色の『質的な違い』
が明確に『存在』する」と言うことと、「両方ともクオリアである」ことにおいて
違いはない…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
706 :
黄檗:2014/02/27(木) 22:53:19.65 0
意識とか想起とか感覚とか
それらが「どのようで」あったとしてもなんら不都合が無い、とするための
「どのよう」を縛る条件はあるように思えますね
ばかばかしいですか
意識という機能が何らかの(直接的な)目的の為に成立したかどうかも怪しい
機能ですら無く、副次的に発生した現象なのかもしれない
708 :
「機械的唯物論」者:2014/02/28(金) 00:06:12.73 0
>>706 いや、ちょっとそれだけではおっしゃる意味が解りません。
>>705の「有名な錯覚」の名称が引っかかっておりましたが
たしか「ヘルマンの格子」だったかと・・厳密には「普通のチェッカー模様」ではなく
黒い四角部分が圧倒的に大きく「白」は「黒四角間を走る格子状の道」のような
「チェッカー」です。
誰でも作図すれば白い「道」の交差点部分に「灰色のクオリア」を見ることが出来ますし、
逆に「あくまで白にしか見えない」ように知覚することは「不可能」なのです。
「灰色」は(明確に錯覚ですが)誰にとっても「クオリアとして『存在する』」と言ってよい
と考えます。
本日は本当に就寝させて戴きます。
です。
709 :
大王:2014/02/28(金) 00:18:14.76 0
ware wa sekai no hakaisha nari.
電子は原子核の周囲を回転しているわけではなく、軌道上のどこにでも有り、どこにも無い不確定状態にある
電子の位置を確定させるには意識を向けるしかない
意識が無くなれば、意識が向いていた領域に有る物質全てが物質ではないものになるのだ
711 :
大王:2014/02/28(金) 00:19:19.72 0
俺は俺のデーモンが世界を笑う時に、
一切を木っ端微塵に吹き飛ばす。
712 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 00:51:23.28 P
>>686 どうしても「意識は感覚を初発とする」、したいのですか。
例えば思考などの想起に何の感覚が必要なのでしょう?
まさか記憶の感覚ですかww
あと、感覚が「ある」と、何故言うことが出来るのでしょう。
起きてる時に気づかなかった感覚と、熟睡中・全身麻酔中に気づかなかった感覚と、どのような差異があるの?
感覚器官が閉じているか開いているか?
でも、気づいていない感覚は(認識上)存在しないでしょう。
「ある」と言えるのは、認識においてのみ。
ならば、感覚という認識があれば、意識はある。とする方が厳密ではないかな。
713 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 01:14:42.47 P
>>687 治療法としてあるのですね。
しかし、ある意味貴重な体験ですから、心の哲学にとって、精神や心の正体を探る絶好の機会。
ご自身とよく向き合ってみるのが良いかもです。
一つ言えるのは、マイナス思考の人はそれが習性となっており、怒りっぽい人はそれが習性となっているということ。
これは「習慣」が「習性」となった事例。
性(もちまえ)は、習わし、慣らすことで育ち変動するもの。
学校の授業より大切な「教育」ですよ。
より良くなるように育ててみて下さい。
714 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:15:55.84 0
>>702 黄檗氏とゲーム氏は人間である
そう考えたほうが良い場合がある
そのように考えられる事態がある
よって、同じ個体(人間)はある
だから、確率はあると
このように判断し思考を構築することは「ほぼ正しい」
この「正しい」とは、何に対して確認されるのでしょうか?
黄檗氏とゲーム氏が異なる個体であること
または同じ個体であること
それを「私が」確かめることはできません(思考の内容は可疑であるから)
ですが、
この私(個体)が黄檗氏やゲーム氏と同じでないことは
思考(>経験的、常識的な「私と他者の関係」の介入)に依らず
確知されます(自分に対して「ほぼ」でなく「絶対に」正しい)
私は自分が黄檗氏と同じ人間であることも、
黄檗氏が人間でないかもしれないことも、知れません(確証できない)
私(個体)の確かに知れることは、私の「知る」ことだけであるから
それが、私の示す(唯一の)個体の意味です
確率は自然の産物(隠れた法則)ではなく、思考の産物です
思考は自然の産物でありますが、我々の思考は我々(人)の思考に依存しています
715 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:16:55.17 0
・・・
ですがここまで書いてきて、我々(人)にしろ別類の個体にしろ
個体に限らず自然が唯一であるように(どのようであれ)思考は唯一しかない
だとすれば、思考は自然に対して正しさをではなく、正しさに対して自然を担保にしている
ということで、この程度にしとくわw
認識の件はまだ書けそうにない
716 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:19:48.11 0
>黄檗氏が人間でないかもしれないことも、知れません(確証できない)
文意的に「確証」でなく「確認」が適当だな
717 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:34:50.33 0
>この私(個体)が黄檗氏やゲーム氏と同じでないことは
>思考(>経験的、常識的な「私と他者の関係」の介入)に依らず
>確知されます(自分に対して「ほぼ」でなく「絶対に」正しい)
メスを入れるならここだな
どう処置すべきか浮かばないが
確認していない物事の基本状態は無だよ。虚構と呼んだ方が妥当かな
私(個体)だけは常時確認できる。全身麻酔状態の時は私(個体)も虚構状態であろう
全身麻酔状態から必ずしも生還できるとは限らないし
719 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:48:01.76 0
疑うことの可能であることは、それが誤りであることを意味しない
私が誤りだとわかるは私がそれを誤りだとわかる限りにおいてである、ならば
正しさとは誤りの上に乗っかっている
共有つまり集団思考は私が誤りであることを決めることはできない
集団思考とはいわゆる多数決(適切な表現でない)であるから(しかしそれがもっとも正しい機能であるが)
絶対的正しさとしての真理は有るよ
例えば色のクオリアは真理だ
721 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 01:58:24.74 0
集団思考(例えば科学知識)はもっとも正しくあるが、
それが正しいことを意味しない
よって、集団思考に則って「おまえは誤りだw」とすることは
権威によって人を馬鹿にすることと同じである
その行為(発言)が正しいことは何者にも保証されない
古典一階述語論理は正しいことが保障されているぞ
723 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 03:03:48.93 0
私が私であることは絶対に正しい、というとき
それが意味されていることは「確証」でなく「確認」である
この齟齬をどう解決すればいい?
念のためだけど
721は>720のレスで意図してないからね
学のない人間に難しい術語は勘弁してくれw
おやすみ
絶対に、ではなくて
高確率で、と言えばいいだけだと思いますが
貴方が貴方でなくなる確率が0.0000000000000000000000000000000000001%程度存在する事は認めても構いません
725 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/28(金) 10:42:51.51 0
>>712 “感覚”は受動的であり、何かが「みえている」「きこえている」「におっている」「肌ざわりがする」心的状態を
「意識がある」と呼ぶ。感覚が字義どおりに消失すれば、意識も失われる。その例は示したとおりである。
感覚が必要かどうかはしらぬが、そこが開かなければ“次はない”ということでもある。
君が目覚めなければ「日常生活が始まらない」のと同じである。
ほとんどの“感覚”はやり過ごされる。ただ、ここから「感」情と知「覚」に分岐する場合がある。
これが惹き起こされるのは、現前の事態の“非日常性”が“記憶”を呼び戻し、それによって初発の“感覚”
が反芻されるときである。ここから先を、君は「意識がある」といっているらしい。(感情と知覚は相補的)
たぶん何がしかを感じれば、情と知は付随して生じるにちがいない。が、その大半は無視され、そのまま忘却
してしまう。が、幾つかは沈殿し、俗にいう“無意識”として潜在する。
「無意識」には三つくらいの意味がある。感覚器官を完全に封じれば、意識はなくなる(全身麻酔)。
もう一つは、いのちくんのいう「意識を意識しない」心的状態。それらに加えて“潜在意識”である。
726 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/28(金) 11:39:48.26 0
機械さんと860氏の論争は“自由”をめぐるものだろう?
機械さんも「意識は錯覚である」などと雑にいわないほうがいい。
意識は、何かの意識であって「何か」それ自体でないのは自明ではないか。
つまり“意識”もまた現前の対象の「喩」なのである。
この意識という喩を、さらに喩的に表わすのが「言語」である。
だから、言葉によって「何か」を表現することは、その対象から二重に隔て
られていることを意味する。しかし、これは「錯覚」と同義ではない。
話を戻すと、この意識(感覚、感情・知覚、思惟、推理、意志…)が受動的や否や、
が論点である。むろん、主体は身体だ。脳の活動に付随して意識を生じるの
なら、もっといえば脳(身体)が完全に意識的表出(の内実)を決定しているの
なら“自由”はない。自由感は錯覚といっていい。贈与としての錯覚である。
727 :
2501:2014/02/28(金) 12:47:41.15 0
蛇口からの一本の水流、そしてシンクに当り放射する液体、
跳水のリング、リングの外部、という
>>688の現象のその構造は、
奇しくも かのパノプティコンと相似している。
看守塔とそれを囲むリング状の監獄。
看守塔に看守はいるのかいないのか、しかし、いてもいなくても機能する。
脱走した収容者は、また水道水として戻ってくるのだろう、か。
728 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 13:07:27.29 P
>>725 感覚が消失すれば意識も失われる、と言うくらいだから、感覚と意識は別物なのでしょう?
もう一回聞きますが、意識とは何ですか?
何かを感じている心的状態、で良いのかな。
疑問なのはですね、感覚が閉じている、つまり全身の五感が仮に遮断されたとしても、「全身の感覚がない」と考えることはできるだろってことです。
この場合、感覚が無いという感覚があるの?ww
他にも、睡眠中の夢だって、映画を観ているわけではあるまい。
何かしら思惟しているのである。
この状態は意識があるのかないのか。
この二点説明願います。
729 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 13:52:26.52 0
概念的に話せよ
お前は観念的なんだよ
ほんでぶん殴りたくなるな
730 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 17:53:31.60 0
"自動操縦モード"の話、
膨大な航路の中、操縦桿の操作内容に誤差レベルの差しかない場合
一つの自動操縦モードを動かした上に、
複数の操縦者の自由意思が重なる上に、
複数航路の運行を同時に行う事すら可能。
731 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 17:56:30.01 0
運命の横槍スカッドミサイルだが、
「暇」という語は面白い。
「暇がある」というのは、脳が処理すべき対象を失っていると同義で、
「暇がない」というのは、脳の処理が追いつかないから無理と同義だ。
つまり、「暇」は、「時間」と関係が無い。
732 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 18:10:02.03 0
はたしてほんとうにそうかな?
733 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 18:14:04.04 0
脳処理とは運動のひとつ。時間とは運動無くして観測不能。
暇と時間は関係あるが、暇を時間の属性にする考えは、誤りだ。
734 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 18:24:16.85 P
人生とは、死ぬまでの暇つぶしよ。
いかにもペーペー
736 :
大王:2014/02/28(金) 19:23:23.92 0
そう、暇に時間は関係ない。
なぜなら、時間など「ない」からだよw
>>705 >クオリアは「脳内に外界の事象がディスプレイされる形式」ですから、我々の脳は
>(「夢」のような「記憶」起源のクオリアを含めて)「クオリア以外は無い」と言えます。
ちょっと、機械氏、これはいくら何でもいい加減すぎませんか。
あなたは
>>1でこう言っているではないですか。
>脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
>・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
まさにおっしゃる通り、脳内には物質しかありません。
>>1にあるように
細胞とか軸索とか神経伝達物質とか何とか、そういったものです。
脳内のどこを探したって、色であれ音であれ痛みであれ喜びであれ
自由感であれ意志であれ何であれ「クオリア」なんか、見つかるわけがありません。
「クオリア」があるのは我々の心(意識でも何でも、とにかく主観と呼ばれるもの)
です。あるいは、クオリアを離れた心などというものはなく、心とはクオリアの
束である、といってもいいですが。
で、リベットの実験から唯物論者が読み取るのは、そういうクオリアというのは
先行する脳内の物理状態が引き起こすか付随するか、とにかくそれに従属するような何かに過ぎない、
という帰結です。物質世界はそれだけで完結していて、クオリア自体が宇宙の物理状態に
影響を与えることは、基本的にはない、というのが唯物論的帰結でしょう。
クオリアが「幻想である」というのは、そういう意味にしか理解できません。
ですから「エピソード記憶をもたらすような脳の状態が生物の生存に有利である」
というのならともかく、「エピソード記憶」とか「自由感」自体が生物の
生存に有利だったり不利だったりするいわれは、あなたにとってはないはずですが、
違いますか。
>>703 >ゲームの様々な設定を「ボタン1個押しておけばクリアしてくれる」のでは、そもそも
>「ゲームしている」ことにはならないですよね?
これもおかしな話で、あなたによればビッグバンという「ボタン一個」を誰かが押した瞬間に
宇宙の終焉までのすべてが決定済みなのですから、我々がいつどんなゲームをしてどんな展開に
なってクリアするかしないか、すべては決定済みのはずです。ですから我々が主体的に
「ゲームをしている」などというのはまさに「幻想」である、というべきでしょう。
我々は「物理法則さん」に自動操縦される機械に過ぎないのであって、「主体的な選択」
など有り得ない、「自由観・高揚感・達成感・ゲームをしている感」その他のクオリアはすべて
空しい幻想である、というのがあなたの理論の骨子だと思っていたのですが、違いますか。
860氏との議論の中であなたの「本音」がぼろぼろ出てくるので、興味深いのは興味深いですが。
物質が意識の変成物に過ぎないとしたらどうするんだい
740 :
黄檗:2014/02/28(金) 21:34:11.31 0
>>708 んー
どんだけ錯覚よ、ってことです。
神なんて錯覚
愛なんて錯覚
自由なんて錯覚
ここまでは了解する人もいるでしょう。
その先に
青がこのように(機械さん的にはクオリア的に)見えることも錯覚
世界が三次元であることも錯覚
論理が正しいことも、幾何学が正しいことも錯覚
となると、おいちょっと待て、となる。
私がこうして考えていることも錯覚
私が生きていることも錯覚
なぜなら、それは『疑い得ないだけ』なので
この思惟による疑う能力は錯覚なのだ、とすることが可能だから。
おいおい、と。
この錯覚インフレーションの先に、『錯覚は錯覚』となって
錯覚が自己破壊する。
錯覚を気安く使いすぎなんです。
しかしどうすれば・・?と悩んで久しい。
・何一つ錯覚ではない、と居直る。
・どのように錯覚しても問題無いような錯覚は錯覚ではない、とする。
・錯覚を探求することこそが科学だ、と開き直る。
そんなことはどうでもいいんだよ、というアナーキズムも「あり」ですか。
741 :
黄檗:2014/02/28(金) 21:50:28.46 0
スモ、私はスピノザを一頁も読んだことは無い(一行ぐらいはある)
しかしそれは弱点だろうか
「自由」や「意識」は進化論に沿って、それが「自己保存」と「種の繁栄」
にとって都合が良いという理由から脳が作り上げた「幻想」に他なりません。
「意識感」や「自由感」は、エピソード記憶の機能を「より良く働かせる」
という進化論的目的のためにのみ存在する「方法」である、という事です。
記憶できる情報がより多い方が「生存」にとって有利に働くことから、
エピソード記憶は自己保存と種の繁栄という「進化論的目的」の実現
機能として備わったものである、という「仮説」の正当性については、
既に遺伝学や認知行動脳科学がそのエビデンスを提示しつつあるところ
のものです。
繰り返し述べさせていただきますが「私の意志」や「私の意識」
というものは、エピソード記憶のためのツールであり、記憶の強調
として添えられる「傍点」のようなものに過ぎません。
これもまた認知科学によって証明されつつある「有力な仮説」です。
意志(や自由)という「幻想」を、あたかも脳に備わる能動的な機能
と錯覚することは言わば「意識」による「マッチポンプ的信仰」であり、
それは私が常々から「観念論的誤謬」と呼ぶところのものです。
743 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/28(金) 22:21:13.79 0
>>728 意識については
>>726に記しています。
それを意識の初発とするのは、五感が全く機能しなければ感情を催すことはないし、知覚することも不可能だからである。
感覚、さらに感情と知覚なしに、思考し、認識することはできない。
「閉じている」との言い方が甘かったようです。たしかに目を閉じても耳を塞いでも…感覚はあります。
また夢をみているときも、意識はあります。しかし感覚機能を完全に停止させれば、意識はなくなります。
「意識を意識しない」のを“無意識裡に…”と表現をするのは問題ありません。むろん言葉のアヤですけれども。w
全身麻酔をかけられた身体は、掛け値なく無意識でしょう。しかし身体は、熟睡中も気絶しても全身麻酔をかけられても機能します。
あえて約言するとすれば、「意識は存在しない」(自由は存在しない)という事です。
そこにあるのは、ただの「自己保存のための幻想」であり、それらが存在する
と考えることは、自己保存欲求の発露としての「信仰」でしかありません。
これが、「意識」についての「客観的事実」であり、哲学者の言うところの「真理」です。
「意識」についてそれ以上を語る事は即座に「観念論的誤謬」に堕す事を意味します。
それらは単に「真実」を捻じ曲げ覆い隠すだけの「思い込み」つまりは「徒労」である
という事です。
745 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 22:30:59.08 O
コンピューターは物質だからネトゲは必然に過ぎない
746 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 22:41:15.91 P
現前する意識感や自由感を幻想だと断じ、それらが存在しない、と言うのも「信仰」でしかありません。
一方は信仰で、一方は「客観的事実」とは甚だ笑止。
そんな簡単に真理がわかるなら議論の余地なく全員が賛同する。
860氏にはコンピュータと人間の区別が付かないのかな
748 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/28(金) 22:50:20.27 0
>>744 「意識は存在しない」というのは君の観念、あるいは“思い込み”である。
この観念あるいは思い込みは、そもそも何か。脳内にはないはずである。
「心にある」としかいえない、この種の“意味”を意識的表出と呼んでいる。
君が「幻想」「信仰」と名づける観念の束も、心的存在である。
心あるいは意識を「ない」と切り捨てるのは、安直かつ無自覚な観念論。
「意識がない」とする言表そのものが、意識において成り立っている。
>>746 >現前する意識感や自由感を幻想だと断じ、それらが存在しない、と言うのも「信仰」でしかありません。
「意識(感)」や「自由(感)」が「幻想」である、という仮説の論拠
については、それらがエピソード記憶のための「マーカー」に過ぎない
という事を、認知科学および遺伝学、大脳生理学といった多岐にわたる分野で
一致する合理的見解が既に提示されている、という事を申し上げているまでです。
>一方は信仰で、一方は「客観的事実」とは甚だ笑止。
>そんな簡単に真理がわかるなら議論の余地なく全員が賛同する。
それが意識の「自己欺瞞」である、という事については再三にわたって
指摘をさせていただいております。「幻想」を「事実」と混同し、それらが
「疑っても疑い得ないものである」という中世以来の「思い込み」から
未だ先へ進めないでいる有り様を見るにつけても、やはり観念論的「常識」
の根は深いと考えざるを得ません。
750 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 23:26:36.00 0
>>741 なぜスピノザ?
相性があるから
なんともいえないなあ
弱点はあったほうがいいんじゃないの
洗練されてると工夫や想像力が伸長されないからさ
遺伝学とは如何なる学問なのかね
カメムシは外敵が近づくと100℃の毒ガスをお尻から出すのですが、そんな武器を持つためには二つの化学物質と二種類の酵素阻害剤、圧力タンク、ガスを発射するための神経と筋肉が、
同時に、完全に作用する必要があるのです。なぜならそれらのひとつでも進化途中の不完全なものであれば自爆するからです。自爆すれば進化は終わったはずです。
面白いことにダーウィン自身も同時に働かなければ全く意味のない複雑な構造を持っている器官に関して、「目」の構造を取り上げ、こう語りました。
「あらゆる種類の無類の仕掛けをもつ目が自然選択よって造られたであろうと想像するのは、このうえなく不条理のことと思われる、どういうことを、私は率直に告白する」
>>747 人間というものもまた脳という「電気回路」によって反応を行う
「機械」であり、「クオリア」や「意識」といった「幻想」を持つ
からと言って、それらを区別する合理性は存在しません。
>>748 ですから何度も申し上げておりますように、「意識」とは進化論的目的に沿って
「構成」された幻想であり、無意識のユニットによる働きが「それが存在する」という
錯覚を「自己保存のために」作り上げているという事です。
>「意識がない」とする言表そのものが、意識において成り立っている。
言うまでもなく、「意識がないという言表」は無意識のユニットにより
行われている「計器的操作」であり、そこには「意識」があるという思い込み
を作り出すという働きもそこには含まれている、という事です。
「意識がないということが考えられない」という中世以来の「独断」は、
現代の科学によってさらに進化論的目的を果たす「機能」へと「還元」
されている、という事を認められずに「時代錯誤」の思想に拘泥する様には
毎度のことながら驚きを隠せない、というところです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させていただきます。
よく分からんが機械たんは860にクラスチェンジしたの?
754 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 23:36:07.26 P
>>749 ほう
合理的見解が既に提示されているのですか。
では、認知科学・遺伝学・大脳生理学それぞれソースである論文を提示して下さい。
意識の自己欺瞞?
その言葉そっくりそのままお返しします。
意識が幻想ならば、あなたのその(意識の上の産物である)仮説も幻想であり、思い込みです。
ただ、自分の説を棚上げする気はないので、自分の支持する説も「信仰」であることを認めています。
755 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/28(金) 23:45:28.29 P
>>751 >遺伝学とは如何なる学問なのかね
ダーウィンの進化論に端を発し、自然の淘汰圧と自己保存本能という原則
によって生物の機能を説明する科学の一分野です。現代においてはリチャード・
ドーキンスの提唱した「利己的な遺伝子」論が有名でしょうか。
>「あらゆる種類の無類の仕掛けをもつ目が自然選択よって造られたであろうと想像するのは、このうえなく不条理のことと思われる、どういうことを、私は率直に告白する」
「目」の形成についても、「皮膚」であった細胞がオーガナイザーに
「誘導」されることにより分化・形成される過程が既に観察されており、
発生学においては常識とも言えるべき見解の一致を見ているところです。
ダーウィンの時代に「不可思議」であった問題の科学的解決が既に19世紀頃
に達成されているにも関わらず、未だに科学の進歩を認めず無知の蒙昧のままで世界を閉ざし、
「I.D論」のような「幻想への帰依」を好んで止まない方々の知性というものを
私は理解しかねる、ということが率直な感想です。
本日は就寝いたします。
757 :
「機械的唯物論」者:2014/02/28(金) 23:51:44.39 0
>>737 >「クオリア」があるのは我々の心(意識でも何でも、とにかく主観と呼ばれるもの)
>です。あるいは、クオリアを離れた心などというものはなく、心とはクオリアの
>束である、といってもいいですが。
そうですね「束」というか、「クオリア以外は存在しない」と申し上げております。
「五感」は色々なクオリアとして脳内に顕現しますが、「クオリア以外」としては顕現しない
でしょ?「夢」でさえ「記憶領域」が「視覚や聴覚のクオリア」として脳内に(睡眠中に)
顕現する現象です。
>で、リベットの実験から唯物論者が読み取るのは、そういうクオリアというのは
>先行する脳内の物理状態が引き起こすか付随するか、とにかくそれに従属するような何かに過ぎない、
>という帰結です。物質世界はそれだけで完結していて、クオリア自体が宇宙の物理状態に
>影響を与えることは、基本的にはない、というのが唯物論的帰結でしょう。
脳が「外界」の情報を「受け取る」のも「クオリア」という形相を介してであり、脳が体に
「命令」した場合、「体が反応したか?どう反応したか?」という情報を「受け取る」のも
「クオリア」という形相を介することなくなされることはありません。
(もちろん、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の「五感」に加え「内感のクオリア」というモノ
が厳然と存在するのは明らかです)
>クオリアが「幻想である」というのは、そういう意味にしか理解できません。
「実際の外界」は、「素粒子や長短の波長を持つ電磁波が飛び交う混沌」ですから、
そこに「眼」や「耳(鼓膜)」や「舌(味覚)」等の感覚器官を「向けて」情報を
取り込み「纏めて(様々なクオリアとして)『瞬間』を表示する機能」が「(自我)意識」です。
それが無ければ「エピソード記憶」をマーキングしておくことはかなり難しい…だから「それ」が
人類に(進化の結果として)備わっている…ということです。
758 :
考える名無しさん:2014/02/28(金) 23:54:19.43 0
クオリアってどうせ無限ループするじゃん
それほっといて意識とidとか記憶とか被記憶(記憶媒体)とか絡めた方が有意義なキガス
759 :
「機械的唯物論」者:2014/02/28(金) 23:55:13.59 0
>ですから「エピソード記憶をもたらすような脳の状態が生物の生存に有利である」
>というのならともかく、「エピソード記憶」とか「自由感」自体が生物の
>生存に有利だったり不利だったりするいわれは、あなたにとってはないはずですが、
> 違いますか。
エピソード記憶能力が(人間に比べ)かなり希薄だと思われる「うちの猫」ですが、
産まれてから6年間ほぼ毎日「同じあるキャットフード」を美味しそうに食べ、飽きることは
ありません。それは別に「虐待」ではなくて、獣医に勧められた育て方ですから、結果と
して「毛艶つやつや、無病息災、健康優良状態」を保持しております。
エピソード記憶を豊富に持つ人間は、色々な料理を色々な場所(レストラン等)で食べること
を「必要とする」ようになりますが、それは(猫のように)「同じ完全食」を毎回喜んで食べる
だけで満足するより「生存に有利」だとは言えないのかもしれません。
しかしながら、それでも人間がこの地球上でどの他の種より繁栄している(個体数だけではない
ですが)ように見えるのは、「エピソード記憶能力がとびぬけて発達している」からだと
私は考えております。
前にも申し上げました通り「『文化』に類すること」(要するに文部科学省が管轄するような事象全て)
は、人間の「エピソード記憶能力の抜群な秀逸さ」のみにある…と考えます。
760 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 00:15:05.53 0
昨晩、「確証」と「確認」で気付いたんだけどね
確認って内容がないのよ
対象の内容を問わないのよ
確認という関係はそれで成立する
確認は対象を主観において確かめるだけで
確証は対象を客観において確かめられるものであるから
だから、「私が私である」という確認は絶対に正しい
その意味は、それが何も意味しないということ
言い換えれば、おとぎ話であるということ
もっと言えば、
「私は私である」という解釈は、どれも正解であるということ
必ず真であるということは、それが何も意味しないということだから
そしてここでいう確認とは、意識のことだ
761 :
大王:2014/03/01(土) 00:43:37.19 0
俺にとって有益なものが正しい。
それだけでいいのだ。
762 :
大王:2014/03/01(土) 00:47:08.59 0
俺にとって無益どころか有害なものが
他人にとっては逆もあるし、
俺にとって有益なことは他人には大抵有害。
主張には必ず排斥を伴うのだよ。
完全に人に迷惑かけたくないなら
まあ 死ぬしかないだろ そいつは。
763 :
大王:2014/03/01(土) 00:52:14.02 0
大多数が正しいのでもなく、
少数が正しいのでもなく、
正しいものが正しい。
いや、俺が正しい。
764 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 01:13:40.50 0
以前、複数の振り子の同期する動画を紹介したことがあるけれども
「同期現象」の動画で検索するとメトロロームで同じのがある
これは非常に示唆的でおもしろい
地盤の揺れることが同期のポイントであることが特に
あなたもわたしもそのひとつひとつである
(意志決定の無意識のユニットのプロセスにもアナロジーできるかな)
進化論を信じるならば、カメムシは宇宙生物である事になる
湿った炭のにおいが吐き気をもよおすのは脳の誤作動
767 :
黄檗:2014/03/01(土) 06:38:13.76 0
貴方がスピノザっぽいこと言ってるな
と思ったから
いやスピノザ知らんのだけど
768 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 07:43:22.58 O
例えば
海岸の波を見るに
そこに心情を想起させる必然はあるのか
あるとしたらその根拠は
単に自己の心の隙間を埋めたいだけではないか
>>768 偶然と必然は同じな。
両方とも自然になりえるもので過程の仕組みは自動的に収束した結果にすぎない。
その過程は結果がでるまで説明が付かないのが必然という奴だ。
赤子が大人になるのは必然だが、その過程は論理的に仕組まれたものではない。
自然が誘導した結果にすぎず過程は自然の原理の積み上げであり方程式のように
説明できるものではない。
もしできるというならキチガイの戯言な。
>>757 >そうですね「束」というか、「クオリア以外は存在しない」と申し上げております。
ですからー、何をもって幻想とし、何をもって事実とするか、
それをちゃんと境界づけておかないと、「全部錯覚」になりませんかと。
あなたが例示したような錯視を「錯覚」と判断するのも、
状況を別にして得た別のクオリアによるものであって、
錯視の状況の特殊性と正常な見え方をする状況の一般性等を比べて、
一方を錯覚、一方を事実と見なしている訳ですよね。
それがいわゆる客観的判断であって、「そういう能力」が「意識」
に備わっているという事は確認するまでもないかと思いますが。
繰り返し確認しますが、あなたの場合これもまた無意識の所業ですよね。
そこに「意識的」という感じが備わっているだけであり、
このクオリアが錯覚に属するのは、それが進化論的目的に還元される
エピソード記憶の機能においていわば「でっち上げられた」ものと判断するから、ですね。
>>757 >情報を取り込み「纏めて(様々なクオリアとして)『瞬間』を表示する機能」が「(自我)意識」です。
この機能についてはそれこそ認知科学で脳の「自動的な補正機能」として
エビデンスが提示されているものですよね。その機能「が(自我)意識です。」
というのはどういう事ですか?この機能を意識的にやっている人はまずいません。
だからこそ認知科学による研究結果は画期的なものであった、という事でして。
>>759 >前にも申し上げました通り「『文化』に類すること」(要するに文部科学省が管轄するような事象全て)
>は、人間の「エピソード記憶能力の抜群な秀逸さ」のみにある…と考えます。
類人猿が火を使い始めたところから、エジソンが電球を発明したことやら、
ミケランジェロの彫刻やら、ベートーヴェンの交響曲やら、ピカソの絵画やら、
物理学における大・統一理論やら、フェルマーの最終定理の証明やら、
浅田真央のトリプルアクセルやら、田中将大のスプリットボールやら、
「全部エピソード記憶さんのおかげ」ですか。
それ「世界はいのちのフラクタル」と大差ないですけど。
いや、どっちも真実をよく説明している可能性はありますが。
あ、それと。
>>742と
>>744で機械さんの立場はきちんと説明されていますかね。
進化論的目的を達成するために、エピソード記憶という手段が発達し、
その発達の過程で「意識」や「自由」を感じる機能が備わった。
意識感や自由感は脳がそれを存在すると、エピソード記憶の便宜上
作り出しているものであるから、錯視と同様、錯覚であり、存在しない。
で、よろしいですかね。
773 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/01(土) 13:38:51.71 0
ある種の概念が吟味されることなく用いられている。
その使われ方は説話的、というよりも御伽噺的である。
>>752(860氏)
「自己保存」はヒトの無意識の深部にある“志向性”らしい。
この場合の「自己」は何を指しているの?
それはヒトだけでなく、他の存在者にもあてはまる“主体”の謂い?
たとえば素粒子や原子や小石や太陽にも“自己”があって「保存」を目論んでいるわけ?
その“自己”が「保存」を志向する理由は何ですか。 根拠でもいい。
「エピソード記憶」は自己保存を有利にするという。なぜ?
そもそも記憶なるものは「意識がある」ことを前提にしている。
もう一つ、自己保存に有利/不利は、何が判断するの?
774 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/03/01(土) 14:27:00.99 0
忙しいので一言だけ言っておこう
機械さんも860さんも進化論を全く誤解している。
環境に適応するように進化すると言う考えは間違い。
自然選択と言うのは文字通り自然に選択されたもので、ある方向性などは占めさない。
例えば将来この地球が寒冷化するか温暖化するかは判らない。
寒冷化したら寒さに強い生物が生き延びるだろうし、温暖化すれば逆である。
環境に適応するものだけが生き延びる、つまり結果論でしかない。
進化論は「生き残ったものだけが今残っている」という冷徹な真理を指摘しているに過ぎない、進化の方向性の議論とは対極である。
全身麻酔中にクオリアは無くても生存に不利な事は何一つないのに
種の存続や生存に有利に働くからという根拠は正しいのかなぁ
正しかったというのが正解かな、人間という動物にとってクオリアが
なくても、生存させておく技術は可能なんだから、いい加減クオリアとか
意欲とか自由とかに縛られて社会に従って生存するの放棄したい
人間が出てくるのも自然の摂理だな
776 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 15:55:07.29 O
アフリカで、なぜキリンだけが背が高いのか
777 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 16:27:53.51 0
3行革命
>>773 >「自己保存」はヒトの無意識の深部にある“志向性”らしい。
>この場合の「自己」は何を指しているの?
「自己保存」とはつまるところ、「遺伝子の保存と伝達」である
という事です。心筋等の運動等までも含めた広義の「ホメオスタシス」
や、中枢神経系の活動等において無条件に働く「生存本能」なども、
すべては遺伝子の「自己」増殖と保存のプログラムの表れにすぎない、
と考えます。
この意味での「自己」とは一種の比喩表現であり、日常的な意味でのそれ
であるとか、近代以降の哲学において所与の事実と信仰されている「意識」
とは全く異なる概念である、という事を念のためお伝えしておきます。
>それはヒトだけでなく、他の存在者にもあてはまる“主体”の謂い?
>たとえば素粒子や原子や小石や太陽にも“自己”があって「保存」を目論んでいるわけ?
以上の事から明らかなように、私の申し上げる「自己」保存とは
遺伝子のプログラムに還元されるべきものであり、それ(遺伝子)を
有しない無機物について論ずるものではない事はお分かりいただけますか。
素粒子や原子や小石に「魂」が宿るといったような、観念論の作り上げる
「信仰的態度」としての「アニミズム」とは無縁のものであるということを
重ねて申し上げさせていただきます。
>>774 >環境に適応するように進化すると言う考えは間違い。
形質遺伝における後天的要素の有無については、ごく最近も
「恐怖」の体験が後天的に「遺伝」に影響をもたらすという
「エピジェネティクス」の興味深い研究結果が出ている分野で
あり、今後の研究結果が待たれるところではあります。
ただ、私の述べている遺伝とは一義的に、リチャード・ドーキンス
を筆頭とするネオ・ダーウィニズムの枠組みにおける概念であり、
遺伝子の機能としての「自己保存」と外敵としての他の生物個体
を含めた環境のもたらす「自然の淘汰圧」によって進化がなされる
と考えております。
淘汰の結果として達成された「遺伝子の保存と伝達」を、
「進化論的目的」と表現している、ということはお分かりいただける
かと思いますが、「意識(感)」や「自由(感)」についてもその
目的達成の「手段」として、結果的に「有効」なものであった
…という仮説を述べさせて戴いているまでです。
780 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 18:58:07.14 0
>>1 何故脳だけに意識があると思うの?
植物にセンサーをつけてその生体電位で給水する装置を付けたら
2時間置きに必要量の水が給水されるように電位調節していて
明らかに植物にも知性があるけど脳なんて無いよ
それは知性じゃなくて機能でいいんじゃないの?
782 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 19:44:27.62 0
>>781 センサーがありそれを使って給水をコントロールする事が機能なら
猿が道具を使う事も人がPCを使う事も機能になるのでは?
植物の機能と人や猿が道具を使う機能、
機能という意味ならどちらも機能だけど
知能の有無が機能的に働いているかどうかは違うと思う
>>784 そこに気づきがあり判断がある事を無視するのも機能ですか?
>>784 機能というより、優先順位の違いだと思う
787 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/01(土) 21:10:38.40 O
哲学板は、「我あり」すら理解できないアスペの巣窟
788 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/03/01(土) 21:20:46.37 0
>>779 :860 ◆uvrTjevNu2 :2014/03/01(土)
「エピジェネティクス」??
そんな話と「進化論的目的」と表現する話とでは関係ないでしょ。
話をそらしていますよ。
>淘汰の結果として達成された「遺伝子の保存と伝達」を・・・
だから「淘汰の結果」を「遺伝子の保存」と言い換えてはいけないと言っている。
小学生でも判るだろう、「淘汰の結果として生き残ったもの」を「生き残る目的で保存した」と言い換えてはならないことくらいは。
結果的に「有効」だったものを目的達成の「手段」と言い換えてはならない。
リチャード・ドーキンスみたいなとんでも学者の例を引かないで欲しい。
もしかしてあなたは進化論の「進化」とは「退化」の意味も含有するってことも判ってないのかな?
いいですか巨大隕石の衝突で大規模な種の滅亡が起こったんですよ、それが自然選択の象徴です、変異の目的などと言うばかげたことは言わないで下さい。
789 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/01(土) 21:21:53.89 O
「機能」というのは、言葉の性質上「目的」が前提されている
哲学するなら
まず、まともな国語力を付けるのが先
790 :
ピンときた名無しさん:2014/03/01(土) 21:36:54.21 0
国語力うどん?
服部せんせい これでいいですか
りんごには、落下する機能がある。
静止している物体には、静止し続ける機能がある。
遺伝子には、自己を保存する機能がある。
>>789 つまり世代交代を経ずに新たな機能を獲得した場合は
それは機能とは呼ばずに知性と呼ぶと言う事で良いですか?
>>789 その前提が絶対条件だという証拠があるんでしょうかね?
国語の為に言葉を使うのではなく、思考目的に言葉を使っている場合もあるのでは?
>>787 我って本当にあるんですか?
理解しかねるんですが・・・
我が考えているんじゃなく、我と思っている脳味噌の反応なだけで、我なんてないのではないでしょうか?
アイデンティティというのは、記憶の断片を繋ぎ合せた理性の総称でしょう。
796 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 22:28:23.88 O
>>791 日本語がヘン
>>792 「知性」というのは「主観性」を前提しているのでは?
いずれにせよ、更に偶然性からは遠ざかるでしょう
>>793 だったら「機能」という言葉は使わない方がいい
と言ってもキミらは
それが「なぜなのか」すら、わからないのでは?
797 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 22:32:34.98 O
>>795 それは普通の人とは違う感覚ですよ
もし理解すらできないとしたら、ヤバイと思います
>>797 そうですか、理解できませんが特に生活に支障はないのでヤバくはないですが。
799 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 22:44:14.05 O
>>798 それは失礼しました
「私」は指示代名詞であって
発話者は存在しないわけですね?
まぁ、わけわかりませんが
>>799 いえそうは言ってません、発話者=我ではなく
我の構造が脳味噌内の記憶を繋げた理性で成立してるということです。
それを我だと表現する自由もあります、我という存在は観念で
実在しないんだから、我はあるんだと言われても理解しがたいだけです。
801 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 22:54:01.74 O
>>800 もし、あなたが外見からは見分けがつかなくなって
記憶も喪失してしまったら
それは他人だと思いますか?
802 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 22:57:20.41 0
我思う故に我あり
↑我二人いるじゃん既に
803 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 22:58:52.06 0
つかそれ言ったの誰だよって話だし
>>801 所謂記憶喪失の人でも人間だという認識がなくなるわけじゃないでしょうから
他人だとは思わないんじゃないかと思いますが。
まぁ外見からは見分けがつかなくなってというのの状況がどういうことなのか
はっきりしませんし。
>>803 なんとかカルトとかいう人じゃなかった?
806 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/01(土) 23:03:06.62 O
ハンネ忘れてた
>>802 はぁ??ですね
てかもう誰が誰だかわからんな
>>796 知性を持っているかどうかはそれを判断する人の観測に委ねられるので
観測者の主観が決めているのでは?
808 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 23:06:37.41 0
「進撃の巨人」(アニメ)のエンディング曲に、
「おまえはおまえだと言えるのか」って歌詞があるけど
「おまえがおまえであることを証明しろ」っていわれると、困るよねw
809 :
「機械的唯物論」者:2014/03/01(土) 23:07:50.22 0
>>770 >一方を錯覚、一方を事実と見なしている訳ですよね。
>それがいわゆる客観的判断であって、「そういう能力」が「意識」
>に備わっているという事は確認するまでもないかと思いますが。
「科学」はその「客観的判断」のエッセンスを各分野で精密化する作業(の大系)のことです。
そういう意味において「自然科学」以外に「人文科学」とか「社会科学」とかが成立する可能性は
あります。
ただし、現状の「それら」が自然科学と同等の「精密さ」をもって「客観性」を担保
できているどうかは疑問です。
現に「科学的(歴)史観」を掲げて「社会(共産)主義革命の正当性」の根拠とした一連の「社会実験」
は1990年前後に「完全な失敗であった」ことを露呈しつつ事実上壊滅しました。
私に言わせれば「ヘーゲルの弁証法」などという「観念論的まやかし」を唯物論(という真理)に混ぜ
込んでしまた結果、「せっかくの純水に無造作に病原菌を混ぜた」のような状況になってしまった結果
…ということになります。
810 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/01(土) 23:12:35.25 O
>>804 私はキミの言ってる事は理解できますよ
客観的な視点にしか立てないんだなと
逆にキミは、私の言ってる事が理解できないんですよね?
哲学している本人が「私」だという事が
理解できないわけですよね?
なんでまた自分が哲学しているのか
その素朴な根本問題が理解できないわけですよね?
811 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/01(土) 23:16:51.10 O
>>807 では、石が転がるのを見て「石には知性がある」
と判断したキチガイ観測者がいたら
石に知性がある事になるのかね?
812 :
「機械的唯物論」者:2014/03/01(土) 23:17:15.42 0
>>774 >環境に適応するように進化すると言う考えは間違い。
>・・・・・
> 進化論は「生き残ったものだけが今残っている」という冷徹な真理を指摘しているに過ぎない、
何か、単純に読んでも「・・・・・」を挟んだ2つの文は「矛盾」しておりませんか?
>進化の方向性の議論とは対極である。
「環境の変化の方向性」と「進化の方向性」はリニアであり、「温暖化→寒冷化→温暖化」と
何回繰り返しがあっても、「気温の変化への対応力」以外の部分で「進化が継続」していてもおかしくはない
と思いますが?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
813 :
「機械的唯物論」者:2014/03/01(土) 23:21:44.73 0
まあ「地球上の(物質)進化の方向性」は生物に限らず「エントロピー減少系の物質の推移」を
しますにすぎず、単純に言えば「複雑化」の方向性が「太陽の燃えつき」まで継続するであろう
ことが予測される…ということです。
本日は就寝させて戴きます。
814 :
「機械的唯物論」者:2014/03/01(土) 23:25:09.13 0
>>813の訂正です。
>「エントロピー減少系の物質の推移」をしますにすぎず
→「エントロピー減少系の物質の推移を示す」ということに尽きるのみで、
815 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 23:27:41.35 0
自分の考えがスピノザっぽいのか忘れた
どこまでがオリジナルでどこからがそうでないのか
機械氏ならオリジナルなんて認めないだろうがw
しかしドミソを知ることでドミソだけで奏でた音楽が
ドミソを原因としているからオリジナルでないと言えない
私と黄檗氏のどこまでが同じでどこまでが異なるのか
完全に同じではないが完全に違うのでもない
だから私たちはお互いに意思疎通が行える(「可能性」という意味に等しい)
だから私たちは物事を「知る」ことができる
まったく同じであったらそれを知ることなどできない
まったく違う(類がつながっていない)のなら、それを知ることなどできない
なるほどそのつながりの間を大きく抜き出せば
伝言ゲームの初めと終わりの情報を比べるとつながりがないように思えるように
しかしダーウィンの時代でもヒトをせいぜい陸上の一部の生物にしか類を想像しなかったが
人は魚とも同じ類を有しているのであり(先日『ヒトのなかの魚』を読んだのでw)
有機物と無機物との違いも、根源的ではないと理解されることになるのかもしれない
816 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 23:30:42.25 0
>>815 いや、最後の行の「根源的」とは意味不明だなw却下
忘れるってことは、何か大事なことであるように思える(抽象的な意味で)
>>811 それはその人にとっては知性があったと言う事でしょう
主観で判断するならそうなりますよね
それならそう判断した観測者に知性があるのかと言う疑問が出てきますが
他の観測者から見たら間違っているような結果を出したとしても
その石にも知性があると言っている観測者にも知性があると別の観測者は判断するでしょうね
観測してなんらかの判断を下せる存在は知性があると言う事ですよね
818 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/01(土) 23:35:05.56 O
>>817 じゃあ「知性があるのかな?」の場合は?(笑
819 :
考える名無しさん:2014/03/01(土) 23:35:21.77 0
>>815 主旨がよくつかめない文章で失敗した
書き出しと終わりがその間で変転してる
・・・だったら成功してるのかw
>>802 これは量子力学ですよ
我が観察者として我を観察するので我があるのです
>>818 それは観察者の怠慢ですね
その場合は猫を入れた箱を開けるべきですw
822 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 00:00:35.57 0
xαポテンシャル
823 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 00:00:46.51 0
書き出しと終わりね・・・
言いたいことの意図はあった
言ってることには言いたいことがある(あった)
その本人にとっては当然だ
しかし、それが誤りであることを説きたい
それを解くことで「我」がどういうことかわかる
そして、認識の件にも関連してる
が、今は思考がふわふわしてる
頭が温まってない
824 :
あまの:2014/03/02(日) 00:01:36.18 P
「我思う故に我あり」の真意って誰かが言ってくれてた気がするが
何回聞いても忘れてしまうww
情けないww
俺は、「思うという行為、現象の中に我はいる」だと思う。
最初の主語「我」というのが邪魔だな。
文法的に要請された主語だと思っているよ。
825 :
あまの:2014/03/02(日) 00:08:23.68 P
文法上の「我」が必要なんだから「我」が実在せねばならんとか
道徳主義的誤謬だよね。
言語は便宜上のツールに過ぎないのにな
それの構造を例に使って説明し始めるアホもおるし
827 :
あまの:2014/03/02(日) 00:14:57.20 P
デカルト自身は「我」を実在として言ったんだろうけどね。
828 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 00:18:27.02 O
>>824 忘れるも何も、そういう問題じゃないでしょ(苦笑
単純に「我はあるのか?」
「なんぼ考えても否定できない」
これだけ
言葉ばかり見て、言葉にだまされてるんじゃないの?
方法的懐疑によって、全ては疑いうる
いや、ひとつだけ疑いえないものがある
「疑っても疑っても、疑っているのは我である」
これは疑いえない
哲学する上で、これは否定する事が不可能
829 :
大王:2014/03/02(日) 00:24:18.14 0
我なんて思うって他人に内実を伝達する為に後から発生した「主語」
であって、思う、思惟するが先だよ。
その点で主語は発達してないウラルアルタイ語族(日本人はその典型か?)
にとっては「我」なんて主体ですらない。
主体は思惟であって、誰か?「我が。」ってだけの話だ。
830 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/03/02(日) 00:25:49.03 0
>>812 :「機械的唯物論」者:2014/03/01(土)
>単純に読んでも「・・・・・」を挟んだ2つの文は「矛盾」しておりませんか?
単純に読めば矛盾してないんですよ。
環境に適応しない進化したものが滅び、適応した進化は生き残ると言う簡単な理屈です。
>「気温の変化への対応力」以外の部分で「進化が継続」していてもおかしくはない
貴方は進化の中立性と言う事が理解できていないのです。
生物にはおびただしい進化の方向性があり其の殆どが環境に適応できなくて(進化が継続せずに)滅んでいるんですよ。
じいさんの独善的考えでは、進化はありうる全ての可能な方向性を持っていると思うぞ、全方向なんだから進化の目的など有り得ない。
どどど、どうした大王?まともな事言っちゃって
832 :
あまの:2014/03/02(日) 00:26:45.14 P
疑い得ないのは主客に分裂しているということだけだ。
生きて認識している存在が全て我を持つわけではない。
「我」だって疑いの対象ですよ。
まあその辺に関しては珍しくじいさんと同じ見解だな
進化論的目的などは存在しない
あるとすれば多様性の維持という指向性ぐらいはあると思うけど
多様性があれば多少の変化があっても全滅は免れるからねぇ
ある個体、あるいは種が特定のニッチを占めると他を排斥しようとするのも
広義の同属嫌悪とかもその辺りが根源と思われる
ナンバーワンよりオンリーワンというフレーズがウケるのもそうかなw
834 :
大王:2014/03/02(日) 00:30:17.82 0
最初の人類はきっと相手に対して「うー」とうなっていただけだ。
それが伝達の手段。その時点では「我」も「俺」もない。
(意識はあるだろうがね。)
言葉よりも先に音声があったはずだ。
音声で伝達しきれない現象を他人にも理解してもらうために、
現象の模写である「言語」が生まれ、その伝達形式の発生源として
「我」「私」が便宜上発達したと推測する。
そもそも「滅びない」とか「自己保存」とかが、どうして「目的」になるんですか。
物質だったらどっちでも同じでしょう。第一「自己」なんてないでしょう。
836 :
大王:2014/03/02(日) 00:36:21.75 0
まあ、
あんまり定義したところでなんてことないんだけどね。
しいて言えば、
「思う、外界(他者)が出現した故に外界に伝達する故に、
我が必要になった」
こんな程度だよ。なあデカルト。
837 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 00:39:14.46 0
838 :
あまの:2014/03/02(日) 00:43:23.13 P
作業仮説としての「我」は人類の知的探求に多大な貢献をしたわけだけどね。
天才の常として、ものすごく我の強いエキセントリックな人物だったそうな。
>>835 単に「滅びにくい」もの、「自己保存」の性質を持つ構造が生き残ってしまっただけのお話
結果論的に目的とか言っちゃってるだけ
841 :
あまの:2014/03/02(日) 00:47:20.56 P
亡き娘に模した人形を、「娘も人形も物質なのだから同だ」と溺愛していたという
エピソードもなかなか痺れる。
842 :
大王:2014/03/02(日) 00:54:50.54 0
俺ははやく誰か映画のザ・フライみたいな
ことやってくれる人でてこないか期待してるんだぜ。
人間を物質にたとえて、分解と結合でワープさせちゃうみたいな。
やだねー、結合段階でゴキブリの組織と融合したら。
843 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/02(日) 00:55:09.19 O
>>832 主客の主が「私」でしょう
もちろん「我」は疑いの対象ですよ
で、疑っているのが「我」
これが否定できないわけです
「他」が疑っているわけではないでしょう
正常な人が聞いたら
キミらは精神病にしか見えませんよ
844 :
あまの:2014/03/02(日) 00:57:54.54 P
どうでもいいかなそういうの。
人の精神は多面性を持つ
これは多くの人が納得している事実だと思う
だが社会においては一転して一貫性が求められる
これは何故か?多面性を持つのが異常なのか?一貫性を求めるのが異常なのか?
>>834 欧米語の一人称単数はだいたい最も簡単な一音節の音声だといいますね。
「I」にしろ「Ich」にしろ。人類が一番発声しやすい音。
日本語だと「あ(吾)」がそれに当たるのではないかと思うのですが、
今は死語で、「WATASHI(私)」はどうも発音しづらいし、よそよそしい感じ。
「WARE(我)」もあまり使わない。日本語で主語の省略が多いのと
関係しているのではないでしょうか。
847 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/02(日) 00:58:31.02 O
結局キミらは、世界に自分が存在している異常性が理解できないんでしょうね
結果論的に、「当たり前」としか知恵が回らないわけです
どう異常なのか言ってみ?
脳は物質だから意識は必然に過ぎないと言うのには同意しますが
主旨の
>脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます
>・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です
これは間違っています
意識の問題と絡めるならば量子脳理論も考慮するべきです
850 :
大王:2014/03/02(日) 01:03:59.69 0
決定論も脳の働きにすぎない。
851 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 01:04:48.88 O
>>848 ごく簡単な事を何度説明されても理解できない
852 :
あまの:2014/03/02(日) 01:04:56.18 P
我というのは存在に吸収されるものだと思っていますから、
存在におののいているわけです。
>>851 ごく簡単な事を何度説明しても伝えきれないw
1+1=10
こんな簡単な事が何故理解出来ないのか
855 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 01:10:01.69 0
>>854 ずいぶん子沢山だな
あと1人でサッカーチームが作れるぞ
856 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 01:12:00.06 0
はあ・・・今晩は無理だな
冗長すぎてまとまんね
運動を解説するのが困難すぐる
進化論は、カメムシという連続進化不可能な存在により破綻している
カメムシが宇宙生物であると主張する場合のみ、破綻を免れるだろう
進化論の破綻以外にも決定論を裏付ける事象がみられる
水がほどよく液体として保たれるためには、水がとらねばならない特性があり、これが箇条書きにされている――
すなわち「高い熱保持率」「(ほどよい)熱伝導率」「凍結の際の膨張」「摂氏4度以下での膨張」「氷の低い熱伝導性」「氷結時の高い潜熱」「比較的高い氷の粘性」。
なかんずく不思議なのは、水が摂氏4度で最も収縮し重くなり、かつ凍るときに膨張するという、他の物質に例を見ない「変則的な」性質――神の絶妙な細工――ではあるまいか。
もしこれがなければ、海も湖も底から凍り始め、ほとんど年中凍結したままであろう。
その同じ水の特性のセットが生命のために働いているところは、むろんそれだけではない。
例えば、人はそれに慣れているために普通は気付かないが、生命や生命環境の温度調節のために、これ以上に理想的な物質はないのだという。
古典力学に作用原理と言うのがある。これが発見された時に、「自然は目的、つまり作用を最小になるように行動する。」ということが発見され自然にも「意思」がある様に見えた。
これは最小作用の原理といわれ古典力学の極致であるハミルトン形式における自然の最も根源的法則である。この時は否定されたが、今になって考えれば自己組織化に於ける自然の「意思」の解明の糸であった様に思える。
自然がいかに自己組織化するかはプラズマ(原子から軌道電子をはぎ取った状態の粒子の集団)の運動に関する、研究者の生の声えが一番説得的である。
「強い磁場内部に置かれたプラズマはある状態に置かれると、系は自らの置かれている立場と潜在的な能力をただちに悟り、周囲の環境に合わせて、最も安住できる目標を定め、
そこに至るこっとも効率的な道(不安定モ−ドの容態)を通って、持てる力を振り絞って、しかも自然の掟を守って)難関を越え、新天地にたどり着く。
自然は置かれた状態から既に行くべき目標を定め、たどるべき最適ル−トをあらかじめ計画して行動している様に見える。自然が無意識に行動している様にはどうしても見えない。」
このような自然界における「意思」の現れの兆しが人間の意思の元となっていると考えられる。
自己組織化現象は生物界に特有な現象と見られ、物理的現象とは無関係であると考えられて物理学と生物学との間には埋めようのない断絶が有るかに思われていた。これアリストテレス以降ごく最近までそうであった。
しかし、プリゴジンの散逸構造と自己組織化の発見と思想的展開によって物理的世界から人間世界まで一貫した連続的な普遍的な運動法則として理解することができる様になった。
自覚的「自己意識」では無いが「自己」とか「意識」とか「目的」とかといった、アリストテレス的世界が開けてきているのである。
ガリレイ以降自然科学が排除してきた「意識」や「意思」や「目的」などの世界が、その排除の先頭に立った物理学から現れたことは注目に値する。物活説の復活である。
859 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 01:16:54.69 0
無効
>>788 >「エピジェネティクス」??
>そんな話と「進化論的目的」と表現する話とでは関係ないでしょ。
>話をそらしていますよ。
単に「獲得形質」の遺伝もあり得るかも知れないという事を
述べさせていただいているまでです。
>だから「淘汰の結果」を「遺伝子の保存」と言い換えてはいけないと言っている。
ですから、「淘汰の結果としてたまたま生き残る事」が
遺伝子自体の保存のためである、という大局的な「目的」
を持っている…という事です。
>小学生でも判るだろう、「淘汰の結果として生き残ったもの」を「生き残る目的で保存した」と言い換えてはならないことくらいは。
>結果的に「有効」だったものを目的達成の「手段」と言い換えてはならない。
結果的に有効だったもの(エピソード記憶能力)の機能は
結果的に生存という目的のための手段(進化)であった
…という説明を理解いただけないと?
じいさんさんの「読み方」の「頑固」さに関しては毎度辟易
させられているところですが、またか…というのが正直な
感想ですね…
>>857 それって、宇宙に無数にある星のうちで、ものすごく低い確率で
生命発生の条件にあっている星が地球だった、というだけなんじゃあ。
862 :
あまの:2014/03/02(日) 01:33:28.28 P
自然に目的や手段などないですから全部言葉の綾ですよ。
このあたり気をつけないと変な信仰に嵌ってしまいますよ。
863 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/02(日) 01:33:52.46 O
>>852 吸収されないでしょう
おののいているのが「我」なんだし
>ものすごく低い確率
例えばDNAの自然発生は、宇宙の寿命を1兆倍にしても宇宙の終わりまで殆ど起こり得ない程低い確率です
865 :
あまの:2014/03/02(日) 01:36:20.18 P
ですから認識も現象です。
無主体でもOKです。
866 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 01:36:58.08 0
言葉の亜矢とか錯覚とか幻想とかの一言で済ますのは便利だけれども
その内実を明らかにしないと誰も納得できないのですよ
そしてそれは明らかにできるのです
867 :
あまの:2014/03/02(日) 01:39:57.36 P
>>866 現実がその目的論の結果だとすれば、現実を観察するしかない。
別に自然に最終目標など無さそうですが・・・
868 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/02(日) 01:40:38.42 O
>>865 そこにある「飛躍」に対して鈍感なんですよ
869 :
860 ◆uvrTjevNu2 :2014/03/02(日) 01:41:40.06 0
>>788 >リチャード・ドーキンスみたいなとんでも学者の例を引かないで欲しい。
これは興味深い感想です。現代遺伝学の一大権威として
ダーウィンの後継者に位置付けられるところのドーキンス
博士をどのような観点から「とんでも」と断言するのでしょうか。
じいさんさん一流の講釈に期待させていただく事とします。
>もしかしてあなたは進化論の「進化」とは「退化」の意味も含有するってことも判ってないのかな?
結果的に環境に適応していた変化を「進化」が定義
されているという事であり、その意味で無用な形質
はあり得ない…という事です。
>いいですか巨大隕石の衝突で大規模な種の滅亡が起こったんですよ、それが自然選択の象徴です、変異の目的などと言うばかげたことは言わないで下さい。
数百年や数千年の時間を掛けて作用する「環境の外圧」
が進化をもたらす自然淘汰の本質であり、その「象徴」
として「巨大隕石の衝突」などという突発的かつ極めて稀な
「特例」を持ち出してくる辺り、じいさんさんの「進化観」
が特殊である…とも推察されますが、ひとまずあなたの
「まともな遺伝学」についてのお話を待つこと
とさせていただきます。
>>864 計算式出してみ、いやま知ってるんだけどさw
その式が正しい根拠を聞かせてくれ、の意
871 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/02(日) 01:44:59.01 O
>>866 まず錯覚とか妄想というのは「観念」である
という前提をわすれちゃいけませんね
872 :
860 ◆uvrTjevNu2 :2014/03/02(日) 01:54:48.07 0
>>809 >「科学」はその「客観的判断」のエッセンスを各分野で精密化する作業(の大系)のことです。
でしょうね。それが幻想と事実の線引きなのでしょう。
その作業には一般化と実証のプロセスが必要であると考えます。
>>770-772の他の箇所にも答えておいて貰えますか。
まあ、端的にあなたの「ネオ・ダーウィニズム」的
「受動意識仮説」はその一般化と実証に堪えない
…のではないかという疑義を呈している訳です。
答えにくければ回答いただきたい箇所を提示しますので
どうぞよろしくお願いしますよ。
>その式が正しい根拠を聞かせてくれ、の意
DNAの機能を詳しく調べてみればいいんじゃないの
例えばそこら辺の岩肌に都庁の設計図が刻んであったとする。誤差は人間の肉眼で計測不能な程小さかった
これを自然が偶然に設計図の形に刻んだと思えるか否か
875 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 02:18:10.53 0
>>874 誰かが刻んだとして、その誰かを構成する物質は自然じゃないの?
>誰かが刻んだとして、その誰かを構成する物質は自然じゃないの?
にわとりが先か、卵が先か… 起源の問題ですね
しかし、全ての物質や概念が虚構の性質を持っているならば、起源は不要となるのではないでしょうか
始まりも終わりもない
877 :
あまの:2014/03/02(日) 02:26:13.19 P
自然の意思が、無機物から様々な階層を経て人間の知性までに至り、
自然の最終目的があるとすれば、もしかすると仏教的な境地がそれなのかもしれんな。
チャンチャン♪
878 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 02:52:12.16 0
目的はないよ
目的に動いてるわけじゃないから
いやつまり、運動はない
運動のないことを解明することは
運動のあること(現前してるすべて)を説明することであるけれども
半年後かなあw
なんとなく道筋は見えてきてるんだが
それをどのように表現できるかが、、、、なんともいえない
879 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 03:10:26.02 0
わかった気がしたんだけれども、わかってなかった
880 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 03:15:09.97 0
意識やら自由やらでもそうだが
それを捉えることができないからこそ
それは捉えることができる
なぜなら、「知る」ことができるから
ホームズが言ってたことは正しい
もっともありえないと思えることでも
それしか可能性がないのであるなら
それが真実であるはずだ、と
オレは完全にイカレてる
881 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 03:39:28.76 0
2週間くらい前にのぞいたときに
書き込みをポチったことを半分後悔してる
私(あなた)は自分が何を言いたいのか、
誰にも(私にもあなたにも)わからない
なぜなら、それを確かめることができないから
それがわかるということは、運動にあるということだ
882 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 07:55:33.39 0
スレチ気味で悪いんだけど、前からおもってるんだけど、人間って原発とか
コンピューターとか人を乗せて月まで行ける飛行船とか作れるのに、
ゲジゲジやミドリムシでもいいから「生命」を作ることができないって、
不思議じゃね。
すごい神秘を感じるよ。
で、意識ってのは「生命」のちょっと進んだもんじゃん。意識があるのが
人間だけかどうか知らないがゲジゲジやミドリムシには意識はないかも
しれないから。
いずれにせよ、ゲジゲジやミドリムシのレベルでいいから「生命」を
人間が作れるようになった時に「意識」についてももっといろいろわかるかもね。
そうかねぇ?
その辺の石ころだって作れないんだぜ
884 :
大王:2014/03/02(日) 09:40:01.87 I
イヌとワニのハイブリッドぐらいは
いつか作るかも。
無から生命を作らない限りは
おれは認めないが。
しかし反物質は作れる
広島の原爆は反物質0.4g分の威力らしいね
普通に子供を産むことを「生命を作る」と言えないのはなぜだ。
>>847 逆に異常性に自分が存在していていいじゃないですか?
当たり前でもあるし、人間性というものが異常性という系を存続しようとする
特異な動物なのですよ。そこに知恵が必要だったとして、その知恵は何を
人間に授けてくれる?ただ、疑問だ疑問だと悩みあぐねる自己欺瞞ですか?
自己満足感ですか?自己否定感ですか?そこに何の哲学的智恵を見ているの?
というか、見えていたら議論にはならないのか・・・
888 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 10:23:10.01 O
俺882だけど、俺が言いたかった「作る」ってのは、人工的ってか、非自然的ってか、そういうのなんだけど。でも非自然的って言うと試験管ベビーとかも非自然的だし、、言葉ってのは難しいな。。
いのちなんかより、人工肉とか人工野菜とか食えるものがいいんじゃね?
890 :
考える名無しさん:2014/03/02(日) 18:12:02.19 0
ホアプゲエプエじゃよポいホアアーッ!! ホアーッ!!
っちょおエだよおホアアーッ!! ホアーッ!!
ホいっちいっちょおエだよおまんじゃよエップエょおエだ
よおまんじゃいっちょおエだよおまんじゃよエップエよエップエ
アアーッ!! ホいっちょおエだよおまんじゃよズオドットアーアーッ!!
ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
ほーっ、ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピヒラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
891 :
「機械的唯物論」者:2014/03/02(日) 22:17:11.60 0
>>872 >まあ、端的にあなたの「ネオ・ダーウィニズム」的
>「受動意識仮説」はその一般化と実証に堪えない
「 」内の命名は適切であるとは思えません。従って、貴方は私のレスを
私の意図と異なって、受け止めている可能性が高いと思われます。
「脳(と神経細胞系)の機能」の中には「能動的に触手を伸ばすように対象に
アプローチする」機能もありますので、「受動的」な部分は「その一部」であり
「意識の機能」にしろ「全部が全部受動的である」というのは誤りであると考えます。
そもそも
>>1でも「触手を伸ばす」神経細胞の「習性」について述べておりますし、
私の説の何処が「受動意識」というレッテルに繋がるのか理解できません。
逆に
>>770-772については、正直「何を言いたいのか?(主張しているポイント)」
がよく理解できません。
>>891 >「意識の機能」にしろ「全部が全部受動的である」というのは誤りであると考えます。
そうでしたか。ニューロンが「触手を伸ばす」ことは、
単なる刺激への反応であり、「能動的働き」とも読めなかったもので。
「能動的な意識の機能」とは例えば何ですか。
「能動的」というのは「意識的である」事とは異なるのですかね。
>正直「何を言いたいのか?(主張しているポイント)」
>がよく理解できません。
順を追いましょうか。まず、
「意識」はエピソード記憶のための機能であり、
「意識的に行為している」という感じは錯覚である。
これはあなたの主張に沿いますか。
893 :
「機械的唯物論」者:2014/03/02(日) 23:51:21.49 0
>>892 >「能動的な意識の機能」とは例えば何ですか
「志向的クオリア」でしょうね。それは「エピソード記憶」の蓄積により、
より「強化」される…と考えられます。
逆に言えば、「認知症」でエピソード記憶の蓄積量が減少してきた場合、
感覚器官から入ってきた「感覚的クオリア」に対する「反応」が鈍くなる
と考えられます。
>「意識」はエピソード記憶のための機能であり、
そう考えるのが妥当であると思います。人間に、他の動物に比べて
「強烈さ(あるいは「明晰さ」において遥かに勝る「意識」という機能が
備わった(他の高等動物にも程度の差こそあれ「備わって」いますが)
ことにより、顕著な違いを生じていると考えられるのが「エピソード記憶
の蓄積と応用能力」だからです。
>「意識的に行為している」という感じは錯覚である。
無意識のユニットが多数関与して「行為を決定」した後、「意識」という
「エピソードの一瞬の断片」を脳内に表示している…という意味において、
「事前に無意識が関与しない(完全にフリーハンドな)自由意思はあり得る」
という「感じ」は錯覚であると言わざるを得ないでしょうね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
老人性難聴には加齢が原因でなると言われているけど
感覚器官そのものが破壊されるというより
聴覚の感覚的クオリアの意識次元?みたいなのが
後退してしまっているように見える(家の婆さん)関係も無い話だけど・・・
>>893 >「志向的クオリア」でしょうね。それは「エピソード記憶」の蓄積により、
>より「強化」される…と考えられます。
志向的クオリアとは何かを指し示す抽象的概念一般を意味しますか?
「思考」「意志」は志向的クオリアでしょうか。
> 逆に言えば、「認知症」でエピソード記憶の蓄積量が減少してきた場合、
>感覚器官から入ってきた「感覚的クオリア」に対する「反応」が鈍くなる
>と考えられます。
なるほど。
エピソード記憶をほとんど持たないと思われる新生児
は一般的に外界(のクオリア)に対して非常に鋭敏に反応
しますが、それについてはどう考えますか。
> 無意識のユニットが多数関与して「行為を決定」した後、「意識」という
>「エピソードの一瞬の断片」を脳内に表示している…という意味において、
>「事前に無意識が関与しない(完全にフリーハンドな)自由意思はあり得る」
>という「感じ」は錯覚であると言わざるを得ないでしょうね。
なるほど。
では、「自由意志が錯覚であると言わざるを得ない」というあなたの結論は
無意識による事前の関与によって根拠付けられている、と判断
してもよろしいでしょうか。
すみませんね。質問ばかりで。
また明日、ゆっくりとお答え戴ければと思います。
896 :
「機械的唯物論」者:2014/03/03(月) 00:24:27.24 0
>>895 >エピソード記憶をほとんど持たないと思われる新生児
>は一般的に外界(のクオリア)に対して非常に鋭敏に反応しますが
その根拠はありますか?幼稚園で「おうた」を教える場合に、いきなり
難しい方のクラシックや現代音楽から入れば、「敏感なうちに理解させる」
ことが可能になるとでも?
本日は就寝させて戴きます。
>>本日は就寝させて戴きます
このフレーズ一日に何度も見るんだけど非合理だから止めた方がいいんじゃない?
どうでもいいわ
899 :
860 ◆uvrTjevNu2 :2014/03/03(月) 00:40:23.28 0
>>896 >その根拠はありますか?幼稚園で「おうた」を教える場合に、いきなり
>難しい方のクラシックや現代音楽から入れば、「敏感なうちに理解させる」
>ことが可能になるとでも?
「新生児」の話なのですが…。
しかしながら「乳幼児」について言うとしても、
例えば音階や音楽史的意義など概念的な理解をする事は
到底できないと思いますが、そこに「何か」を感じる
「多感さ」について言えば、乳幼児のそれが成人に劣る
という事はないでしょう。乳幼児期の学習能力の高さは
「感覚的クオリア」に対する反応の鋭敏さの証左と考えます。
言語の習得などはまさにそうでしょう。
ごく単純な話をすれば、赤ん坊はほんの少しの外界の刺激に対しても
「大声で泣きわめく」など過敏な反応をしますよ。
900 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 00:50:58.03 0
URL入れて書き込み押せば投稿できるぞ馬鹿なのか?
901 :
「機械的唯物論」者:2014/03/03(月) 00:53:45.30 0
>>899 >「感覚的クオリア」に対する反応の鋭敏さの証左と考えます。
うちの猫は音や匂いに関しては飼い主よりはるかに鋭敏な「感覚的クオリア」
感知能力を持っていると思われますし、それらについては一生「敵わない」と
思います。
うちの猫は飼い主以外に対して非常に警戒感が強いので、高層マンションの
1階で宅配業者の方が「ピンポ〜ン!」を押しただけで、「自分の隠れ場所」に
一目散に逃げ込みます。そのくらいなら「エピソード記憶」を保持できる証拠ですが、
その「エピソード記憶の保持の仕方」が「無駄に敏感なだけ」であることを
理解させることは難しいと思われます。(人間の子どもだったら可能でしょうが)
要するに「敏感」の「質」の問題で、「小さな音を聞き分けられる敏感さ」と
「良い音楽の演奏と下手な音楽の演奏を聞き分けられる敏感さ」とは「質的に異なる」
わけで、「同じ『敏感さ』という概念」を用いて比較するのは雑駁な議論になるだけです。
本日は本当に就寝させて戴きます
902 :
860 ◆uvrTjevNu2 :2014/03/03(月) 01:15:25.46 0
>>901 >要するに「敏感」の「質」の問題で、「小さな音を聞き分けられる敏感さ」と
>「良い音楽の演奏と下手な音楽の演奏を聞き分けられる敏感さ」とは「質的に異なる」
>わけで、「同じ『敏感さ』という概念」を用いて比較するのは雑駁な議論になるだけです。
「感覚的クオリアに対する「反応」が鈍くなる」と書かれていたので…。
単純に「色んな事を知れば色んな事が感じられるようになる」という事ですか。
おっしゃる意味はわかります。あなたの「反応」の定義の特殊さを忘れて
おりました。
論点を変えますが、
つまりこの、いわゆる名演とかそういうものを理解する事もまた
「無意識の働き」になるでしょうかね。多方から繰り返しの質問なりますが、
あなたの想定している「意識」の機能というものが非常にややこしい。
そもそも「志向的クオリアが意識の働き」という文章の意味も不明瞭ですw
この場合クオリアそのものが何かを指し示す代名詞、概念的な働きを持つ時
その「何か(のクオリア)」と意味連関を形成している事と「意識的である」
事とが何らかの関係にあるのですかね。良くわかりません。
志向的クオリアが「能動的な意識の機能」とは具体的にどういう意味でしょう?
903 :
「機械的唯物論」者:2014/03/03(月) 01:48:59.09 0
ホアプゲエプエじゃよポいホアアーッ!! ホアーッ!!
っちょおエだよおホアアーッ!! ホアーッ!!
ホいっちいっちょおエだよおまんじゃよエップエょおエだ
よおまんじゃいっちょおエだよおまんじゃよエップエよエップエ
アアーッ!! ホいっちょおエだよおまんじゃよズオドットアーアーッ!!
ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
ほーっ、ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピヒラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
本日は本当に就寝させて戴きます
答える質問と答えない質問とを意図的に分けられているようなので、
一応こちらの質問の趣意だけは説明しておきますね。答え易いよう。
まず、「意識的機能」の問題について。
あなたの考えをまとめさせていただきますと、
「進化論的目的」を達成するための機能として
「エピソード記憶」が発達し、
これが動物と人間とを区別するものであり、「意識」はそのためにある。
(目的論的見方が誤りとの指摘もありますが…)
まずここで「意識」は「錯覚」か?という問いが生じます、
これ重要な論点ですので早く答えてください。
あと、「エピソード記憶」は無意識の働きか。これも重要な論点です。
無意識の働きであるとするならば、それ(エピソード記憶)が
「意識」を作り出すものであるとして、「無意識の働き」は
少なくともあなたは一度も「錯覚」だとは呼んでいない。
で、このエピソード記憶の副産物とも言うべき「意識」についても
その独自の「機能」がある事を認めておられる…ように見えます。
そうすると、無意識も意識もその独自の機能を持つという点において
錯覚ではなく「存在している」と認めている事になりませんか。
といったふうに詰めたい。
これがこちらの質問の趣旨の一になります。
905 :
奇怪的兪易佛論者:2014/03/03(月) 01:53:44.73 0
まじで?
ばあちゃんの外界への関心意識が弱くなったことに対する
現実聴覚の減退なのだよ
で、あとは「自由」についてですが、
これはこちらとしては進化論に基づくエピソード記憶のための機能
として「錯覚するようにできている」で片付けられると、
これ以上の論点を提示できないように感じています。
「自由意志」は錯覚であるという事について
論証されたと認めなければならなくなるでしょう。多分。
(だったらなぜ自由意志が錯覚と気付けるのかは疑問ですが)
ですので、機械さんの自由意志の否定の論拠につきましては
>>893の
「無意識が規定しているから」という方向に持って行きたい
という意図を持っています。こちらの筋で行くとするならば
自由意志については少なくとも現時点よりは遥かに肯定的な見解を
あなたから引き出す事ができるのではないかと考えているので。
(もちろん、決定論的世界観の中での話です。)
という事ですので、よろしくどうぞ。
もう一つ。
人間の高度な脳機能のゆえんをエピソード記憶で一元的に説明されてますが、
これは相当無理があると思います。(論証できれば画期的ですね…。)
高度化した脳機能の一つに「記憶」というものがあって、
それは「認識」とか「思考」などと並列的にカテゴライズ
されるべきものだと思います。「エピソード記憶」にしてもそうでしょう。
包括的に言えば「理解」とか「学習」、に属する「一機能」に留まるのではないかと。
例えば、世界を相対性理論により「エピソード化」するとか、そこまでの
射程を持った概念ではないでしょう、おそらく。
>>771はその
辺りの疑問を提示したものです。
あなたとしては「意識」の介在する働きはできるだけ
消去主義的に説明しなければ、人間の脳が発達したゆえに
独自の機能としての「意識」やらその働きとしての「意志」
等の存在が必然性を帯びてくるので避けたいところでしょうが。
まぁ頑張ってください。
ここから全てひっくり返してあなたの理論を通すような事になれば、
私はあなたの理論を全面的に正しいと認めます。では。
909 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 03:02:25.51 O
簡単に「意識」とか「記憶」とか言いますが
「主観性」すなわち「観念」のシステムが解明のしようがないのに
あんちょくに考えすぎなんですよね
分析が低レベルなんですよ
観察してるつもりでも
大事な事に気づいてないんですよね
「主観性」でない「記憶」は、似て非なるものです
また、人間は全てを「無形なる価値観」に変換しています
たとえば機械に「財布」を認識させようとしても
「財布」なんてものは、形や材質に特定できるものではありません
何を以ってして「財布」とするかは
所有者の価値観によります
ビニール袋をゴミだと思って捨てたら
「アホ!オレの財布やぞ!」と怒られるかも知れませんし
「まぁええわ」というのも無形なる価値観です
いずれにせよ
「主観性」でない「意識」は似て非なるものです
「記憶」が複雑になれば主観性が発生する
みたいな発想は、飛躍した幼稚なSFです
910 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 03:10:57.80 0
>「主観性」すなわち「観念」のシステムが解明のしようがないのに
自分で言うなよ、なら語るなwwww
911 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 03:16:40.20 O
主観性に依存しないものは「記録」という
主観性に依存するものは「記憶」という
これマメな
913 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 08:15:06.39 0
メンタルヘルス板からきました。
914 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 14:29:40.81 0
>>909 >「主観性」すなわち「観念」のシステムが解明のしようがないのに
今のところ解明されていないと書くべきで解明できないと断言した時点で間違っている
915 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 15:15:45.88 O
>>914 そこだけな(爆笑
というか
いつか解明できるようになるだろう
と希望的観測を述べるには程遠い
全くもって、そのとっかかりすらない
今のところ全く解明のやりようのない問題
という事な
まぁそんなのは反論にはならない
916 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 15:17:16.79 0
我々は、日常に於いて、「主観性(=自己)」を、なんの違和感なく持っている。
その「主観性」を、今のところ“形式論理的”に解明されていないだけで、今後
解明される可能性は否定できない。
917 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/03(月) 15:22:37.38 0
機械氏と860氏の議論は、多弁を弄しているわりには、すっきりしない。
機械氏は「意識は錯覚である」と述べている。これは引っ込めたのかな?
クオリアは、もちろん“意識”的経験である。機械氏も、そういっている。
では、クオリアも“錯覚”なのか。ちなみに一等、錯覚が多いのはエピソード記憶。
860氏は「意識はない」と語っていた。しかるに彼は“自由意志”を肯定している。
「意志」は“意識”ではないということだろうか。もしそうなら、意志とは何?
918 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/03/03(月) 16:20:07.63 0
>>778(860氏)
“遺伝子の保存と伝達”という表現もわかりにくい。
遺伝子が保存と伝達を志向している、という意味?
それなら「自己保存」の“自己”は「遺伝子」の喩えということになる。
それとも“何か”が「遺伝子の保存と…」を目論んでいる、ということか。
これだと「自己」とは、その“何か”を喩えたことになる。どちらですか。
進化論は超絶神による“創造”神話を反証、というか解体するのに寄与したけれども、
そこで用いられる言語群(比喩)は新たな神話の創出を意図しているかのようである。
「目的」「淘汰」「適応」「自己」… 神話的表現の特徴は、自然現象を“擬人化”する
点にある。神の“意図”を自然のそれに移し替えただけにみえる。
だれかが述べていたけれども、めずらしくwじいさんの主旨に説得力を感じた。
生命の発祥も、その変化も、生き延びれるかどうかも“偶然”の所産…では?
919 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 16:24:48.17 O
>>916 具体性が全くない
何を言ってるのか全くわからん
なんだ自己紹介か
>>916 脳内で、神経と神経が発火して連携している様子と血流量の増加くらいでしか
観念が働いている状況は捉えられないんだよね?あぁでも脳で見たものを
コンピューターに出力できるようになってきているってテレビでやってたから
もっと進歩すれば観念の仕組みは解明されるかもしれないね。
>>921 人が目で見ていると思っているものも実は今まで見た物を脳内で合成していて
動きがあるものとか注視したものしか見ていないんだよね
だから真っ暗にすると脳が何かを見ないといけないとパニックになって
見えないものが見えたりするんだよねえ
あと目鼻口と似たようなものは人の顔と認識したりと脳はけっこういい加減なんだよね
人間は強欲で貪欲で脆弱なくせに、知識とやらを得て人が人を利用して生きる術を身に付けたせいで
わざわざ苦労して生きぬいた挙句の果てに、死ななくちゃならないうんざりする時間を消費させられるのを
進んでやりたがるんだから、人間の知識や知恵なんて生きるのやめれば何の価値もないくだらない代物なわけで
理性的、合理的に考えたら、生きて死ぬ一連の行動は人間以外の動物にやらしときゃいいって結論にならないのが
キチガイじみてると思う。
なんで生きたがるんだろうか?正直生きたくて生きてる人っていないんじゃないの?
生きたくて生きてるとしたら、頭悪すぎない?とても高等動物とは思えない。
脳も物質に過ぎないことだし、観念も脳が作り上げた幻想に過ぎないのだだから
生をやめる方向性に転換してってほしい、知識の使い方を。
924 :
大王:2014/03/03(月) 18:27:54.44 I
この身がやってる事は苦痛回避のマッチポンプによっ栄養吸収と排泄を継続し
加齢して衰え、苦痛回避不能になるまで繰り返すのみなのに?
その束の間に、ちょっとした安堵や多幸感というご褒美がそんなに惜しい?
んなものの為に長けりゃ100年近く、労力を強いられるというのに。
正気の沙汰じゃないと、最近真面目にそう思う時がある。
926 :
大王:2014/03/03(月) 19:20:36.21 I
まあ、ある側面を見れば救いようがないほど
つまらんな。
だから、俺はパラダイスを食って生きてる。
なんでつまらん?人生に生きてると
問うたとこで、自分に腹立つだけさ。
927 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 19:39:35.01 0
>>1 驚くべき単純さだな 物質文明下の教育に洗脳され科学万能神話に踊るアホそのものだ
遠い未来コンピュータが心・意志・感情を持ち 未来の工場では理想の生命体が幾種も量産されるのか?
そういった事が可能になるのはその構造物に「霊魂が宿る」場合のみだよ
その時は人類の存在価値など無に帰する事になる
脳にはコンピュータに似た機能はあるが「心は脳には無い」
脳が難問を解こうと必死で考えている時「その様」を俯瞰で見ている自分に気付いた事が無いのか?
人体は霊魂がこの世界に働きかける為の地上で最も優秀な機械の様なもの
人に霊魂が宿っていないなら「君を殺す事」は「器物破損罪」でしか無い
現時点で物質の根柢である素粒子世界は元来の物質の概念を悉く覆している
その不可思議な世界は古来より直観された「精神世界」以上に捉え難い世界だと未だ気付かないのかい?
観念論者っていうのは大なり小なりこいつと程度が変わらんのだよな
929 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:00:56.48 0
宇宙の存在が宇宙の外の世界の支え無しに可能と考える様な単純唯物論者は
生命と物質の根源を直観する事は永遠に無い
はいはい、お薬増やしときますね
>>917 >860氏は「意識はない」と語っていた。しかるに彼は“自由意志”を肯定している。
>「意志」は“意識”ではないということだろうか。もしそうなら、意志とは何?
言いましたっけ?仮に行為は全部「無意識」で良いとは言いましたが。
「無意識に行為する」というのは広義の意識の行いですよ、少なくとも私はそういう意味で使っています。
「意識で」とか「無意識で」というのは、能動的か受動的かの違いがあるだけで、
主観そのものとしての意識については一度も否定してはいません。
あ、それとも
>>742-869の私の発言から引いてきてますか?
これただの「機械さんごっこ」です。そこそこ良くできていると思います。
受動意識仮説を否定されてしまったので、機械さんもどきになってしまいましたが。
「意識の能動的機能としての「志向的クオリア」」という話は私は初めて聞いたので少し驚きです。
まさか「能動的機能」を「意識」に認めてしまうとは、と。
932 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:10:06.27 0
実に笑える コンピュータが心を持ち 工場で0から生命体を作れる日が来るのか?
933 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:13:40.57 0
生真面目なだけに 洗脳を解くのは並大抵のことではない
>>918 >それなら「自己保存」の“自己”は「遺伝子」の喩えということになる。
そうです。遺伝子がそれ自体を保持し・殖やすという、遺伝子の「原理」です。
生の欲動、コナトゥス、力への意志等々の唯物論ver. であると私は考えます。
>そこで用いられる言語群(比喩)は新たな神話の創出を意図しているかのようである。
ナイナイ。他に適当な表現の方法が無いだけです。
>神の“意図”を自然のそれに移し替えただけにみえる。
遺伝子(自然)とは「そういうもの」というだけで、そこに神は居ません。
あえて神という解釈を書き足すこともできるでしょうが、必然性はありません。
>生命の発祥も、その変化も、生き延びれるかどうかも“偶然”の所産…では?
そう思いますね。
遺伝子の自己保存という原理が意識を規定するというのは機械さんごっこの一環でしたが、
別にこの考え自体を否定するつもりはありません。それほど関係のない事と思っています。
935 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:19:15.21 0
>>932 それには先ず 工場最上階に「霊魂迎賓館」を作らんとな・・
936 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:26:43.28 0
遺伝子の人智を超える数1000万ステップのプログラムとか
それを完璧に機能させる体制が何によって作られたか直観出来ないらしい
智慧も意志も目的もない時空の偶然の産物とか・・ 想像を絶するアホだな
937 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:34:00.42 0
何が遺伝子を作ったんだ?
遺伝子の人智を超える数1000万ステップのプログラムとか
それを完璧に機能させる体制が何によって作られたか直観出来ないらしい
智慧も意志も目的もない時空の偶然の産物とか・・ 想像を絶するアホだな
938 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 20:45:35.70 O
>>928 その人は観念論者ではなく宗教者だろ
あと、現代においては唯物論対観念論ではないよ
そういうのは前時代的なレベルの発想
今は、あえて言うなら
「唯物論」対「唯物論は、おかしいだろ論者」かな
939 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 20:48:57.44 0
それで 物質の本質に少しは近付けているのかな? 唯物論者君・・
まぁ魂があると思えば、我の有りかとして納得しやすいしね。
でもこういう奴がいる限り、生きるの至上主義は治らないから困る。
でも実はこういう奴がいないと社会は立ち行かないの知ってて
放置してるっていうのが事実でしょ。結局人間性とは偽善と欺瞞なんだよな。
汚物だよ人間は。
俺は汚物以外のものを見たことが無いんだが
例えば何が綺麗なんだ?
儚い物
例えば処女だな
943 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 21:45:58.83 0
唯物論者というのは何事も深く考えない人のことなのか? 気楽でいいな(笑)
そうだなぁ、無生物は綺麗そのものだな
945 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 22:26:17.08 0
946 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 22:40:41.95 O
ここの唯物論者は、文学的な話ばかり
魂たましい言ってる人って、魂のなにを分かったつもりでいるんだろう?
魂とはなんなんですか?
948 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 22:50:27.68 0
素粒子は不可解に激しく動き回るが「無生物」? なのかい?
理数系ですべて解けてたら、このスレはそもそも存在すらしてないし
素粒子は無生物、感覚器官がない物は無生物でOKw
951 :
黄檗:2014/03/03(月) 22:52:58.74 0
まあしかし物理にしか可能性はない
文系が陰で物理を理解する支えになる、両方必然なのだよ
953 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 22:59:34.61 O
魂ってさ
たいてい既成概念でイメージするよな
「物質でない白いかたまり」とか「いのち」とかさ
どうしても、そういう概念、イメージを与える
だから使わない方がいい
954 :
「機械的唯物論」者:2014/03/03(月) 23:02:18.20 0
>>931 >「意識の能動的機能としての「志向的クオリア」」という話は私は初めて聞いたので少し驚きです。
>まさか「能動的機能」を「意識」に認めてしまうとは、と。
まさか「志向的クオリア」について、ご存じないとは思いませんでした。
いくら「感覚的クオリア」が(5感を通じて)脳内に「入力」されてきても、「鑑賞力」とでも言うべき
「志向的クオリア」が「迎え」に行って出会わなければ「意味の鑑賞」はできません。
「一流芸能人かどうか?」を試される番組があり、100万円のロマネコンティと5000円のチリワイン
の比較で間違えたり、合計30億円のバイオリン+ビオラの演奏と合計30万円のそれを
眼の前(耳の前?)で比較させられて、間違いをおかす芸能人がいて、視聴者の優越感を刺激する
…といった番組がありましたが、たしか「ガクト氏」だけは30連勝していた記憶があります。
すなわち「同じ感覚的クオリア」を入力しても「過去の(文化的)記憶」により、「鑑賞される価値(意味)」は
個体差が大きいという証拠にもなる、一種の「社会実験番組」であるとも言えます。
その「感覚器官から入力された『感覚的クオリア』を迎えに出る『志向的クオリア』があってこそ、
「意味の鑑賞」が生じるのであり、その「志向的クオリア」を育てるのが「エピソード記憶の蓄積」に他ならないのです。
「ワインの味や風味や香り」を「鑑賞」するのは、「エピソード記憶の主な座」とされてる「海馬」のみであるとは思えませんが、
ガクト氏が30回も連続して正解しているのは「**年モノのロマネコンティと
**年モノを飲み比べる」…といった「洗練されたエピソード記憶の蓄積」あってこそ
出来ることなのです。
あなたの説によると「嬰児に近い幼児」が「一番感受性が高い」ので、日本語さえまともに話せれば
その番組で「100戦100勝」になる筈ですが…じつは「全く逆」…ガクト氏のような「エピソード記憶を沢山保持している人」
が「一番強い」…という結果になる…ということです。
それは「脳のワーキングメモリー」が「どれだけ洗練されているか?」…ということに関わり、残念ながらその「機能」を
徐々に喪失していく病気が「アルツハイマー症」である…ということです。
955 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:02:19.60 0
>>947 この次元とは別の世界に由来するのでその本質を感じても言葉に変えるのは困難かと
生命の本質に関わり精神性(心・自我・意識・感情・意志・智慧・・)を生むものかな
コンピュータや機械に無くて生命体に宿るもの・・ かと
956 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:02:32.08 0
唯物論とかは人が知覚できうる物体が全てと言う考え方なら
既に人が知覚できない物体もある事がわかっているから既に否定されていると言える
魂とは精神的物体で全ての物に宿る
量子力学では全ての物に意識があると言う神道と同じ考えがある
魂ってものを全員が合意できる文章に定義できて
それを魂として納得した上で呼称で使う分にはいいけど
霊とか言いだされるともうね・・・それ霊じゃなくて観念でいいじゃんてなる。
「志向的クオリア」が「迎えに行く」だの、「志向的クオリア」を「育てる」だの、
とうてい唯物論者とは思えない物言いですなw
959 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:07:03.68 0
>>950 では遺伝子のプログラムを実行する蛋白質・酵素などは?
960 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:07:57.57 O
ここの唯物論者は、文学的な話ばかり
また単なる功利主義者ばかりで
純粋な哲学は、発想できない
961 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:09:41.32 0
霊魂の奇妙さと素粒子の奇妙さは いい勝負なのでは?
962 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:11:51.54 0
観念とは仏教用語で物事を正しく見極め精神を集中して思考する事ですが
イデアの事でしょうかそれなら魂でも何の不都合も無いと思いますが
>>955 その別の世界が仮にあるとして、真に別なら別だとすら気付けないと思う。
少なくとも死んだ人間は生命体じゃないから魂だけで存在するとか
言い出さないだけほっとしたけど。
964 :
「機械的唯物論」者:2014/03/03(月) 23:19:05.30 0
>>958 いくら「幼児向け」に噛み砕いて説明しても頑迷に「我思う故に我有り」に
帰ることしかできない「観念論的誤謬」に塩漬けになっているとしか思えない
観念論者が多すぎるので、「例示をどうするか」に苦労しているのですが、
所詮、無駄なのかもしれないという無力感に襲われる「今日この頃」ではあります。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>959 蛋白質や酵素それ自体は無生物
別に意識して実行してるわけじゃないから。
その機構を実行していると思う側が生物。
967 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:21:09.14 0
仮説
霊魂はこの世界で置かれた状況に対応して多様に変遷する
968 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:31:05.52 O
>>964 はたして「我思う故に我あり」は、打開できるのか?
なのに
「我思う故に我あり」に帰る事しかできない
とは笑える
正面から打開できないから
的外れな話題に逃げてるだけでしょう
969 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:31:28.30 0
>>965 では 細胞は? (私には人間のひとつの国あるいは地方自治体に思えるが・・
一般的に蛋白質は生命の基本単位とも言われている
数万種を数える蛋白質は蛋白質からしか生まれない
魂のオリジナリティ問題になら、最高位はとても関係あるんじゃないかと思う
あと963に絡めると、死ぬと魂のオリジナリティが消滅する的な話しもできそうだが
しかし、いかんせん魂という単語に含みがありまくるからねえ
971 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:35:27.90 0
>>967 霊魂が量子論的なものならば
量子的な振る舞いをする原子にも宿り
量子効果を強く発する場合にはそれは強化され
生物は無生物よりも量子効果が構造的に強くなるように設計されていると予想できます
972 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:35:38.08 O
>>966 簡単な事を誤読しているね
功利主義にとらわれず
純粋な動機での哲学を目指す
という方向性が発想できない
という話だよ
973 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:45:16.86 0
明らかなのは この世界に物質など存在しないということ
つまり物質概念の固形粒子は何処にも存在していない
あの太陽が素粒子の直径にまで収縮可能なのだから
何が「利」で何が「純粋」なのかを語れってことだよ相変わらず頭ワリーな
975 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:47:49.52 O
「魂」という言葉では、何も説明できない
単に、各人の既成概念による
非科学的なイメージに誘導されてしまうだけ
976 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:50:44.21 0
>>951 確かに物質文明を支えるのは物理だ 実に目出度い
977 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:50:50.38 O
>>974 知るかよ
お前らは、役に立つとか立たないとか
わけわからん事ばかり言ってるだろが
>>975 魂という言葉が全てを語っている、
非科学を完全否定するなら言葉そのものに否定されるぞ。
そして誘導されるのはレッテルをはって曖昧なものを四捨五入する
貴方のデジタル思考にすぎない。
役に立つとは何だ?
知的好奇心を満たすことは役に立たないのか?
980 :
考える名無しさん:2014/03/03(月) 23:54:31.52 0
仮説
唯物論者が悟りの世界に至ることはなく当分の間この世界を引き受けるのだろう
細胞は生物の部品に過ぎないだろう
>>973 E=MC2で全てエネルギーに換算できるしね
フォログラフィック原理では2次元の共鳴場だし
983 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:58:04.83 O
>>978 単に宗教を語っても、哲学的ではないんだよ
984 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/03(月) 23:59:38.39 O
コヒーレンスか、魂はw
唯波論だね
986 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:02:17.55 0
>>981 細胞が「死ぬ」と言うし 遺伝子を分けて増殖するし 養分を取り入れて
老廃物を出している
987 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:04:06.33 0
>>983 西洋哲学とはキリスト教哲学であり
東洋哲学とは儒教仏教道教哲学でもあるのでは?
>>984 いやいやお前に聞いてるんだよ、答えろ
知的好奇心を満たすことは役に立つのか立たないのか?
989 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:08:28.23 0
霊魂の核心を突くには宗教神秘主義に至らねば
990 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:10:02.17 0
なんだかんだ屁理屈付けて「死にたくない」「無になりたくない」という
無駄な願望に希望を繋ごうとする臆病者が「魂の不滅」などという戯言の
モノガタリをでっち上げる
機械氏に言わせれば一言「観念論的誤謬ですね。よくありますよw」
991 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:12:19.21 0
体の毛を剃って言葉と計算を覚えた動物 それが「唯物論者」でいいのかな?
992 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:18:25.50 0
>>991 人間(あんたもな)が毛のないサルにすぎないと気づいたのが唯物論者
993 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:20:54.45 0
>>990 生れ変わり・前世の記憶・幽体離脱・死後体験・超能力(これは動物の方が有名)
霊感=インスピレーション・守護霊の助け・・などが太古から体験されているからね
994 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/03/04(火) 00:23:09.81 O
>>988 はぁ?
誤読すんなつってんだろキチガイ
>>994 どうせ間違ってるんだから、かえって誤読してもらった方が正解になるかもよw
996 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:27:05.88 0
明らかなのは この世界に物質など存在しないということ
つまり物質概念の固形粒子は何処にも存在していない
あの太陽が素粒子の直径にまで収縮可能なのだから
997 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:27:31.19 0
>>993 科学的検証に耐えたものは実はただの一つもないというのも事実なんだけどねw
998 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:28:55.52 0
宇宙の存在が宇宙の外の世界の支え無しに可能と考える様な単純唯物論者は
生命と物質の根源を直観する事は永遠に無い
999 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:29:40.76 0
実に笑える コンピュータが心を持ち 工場で0から生命体を作れる日が来るのか?
1000 :
考える名無しさん:2014/03/04(火) 00:29:51.65 0
>>996 素粒子が砂粒みたいな粒子だと想像してるのはおまいさんだけだけw
1001 :
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