◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない225◆
1 :
「機械的唯物論」者:
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない224◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1389290222/
2 :
「機械的唯物論」者:2014/01/28(火) 00:35:33.12 0
やはり、「◆」が付いていないと、探しにくいので早めに立ち上げておきました。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
3 :
考える名無しさん:2014/01/28(火) 01:14:01.44 0
波平=純一
もうばれてるんだよw
518 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/01/24(月) 19:20:01
しりのシャワーってすごい。
先輩達、もさいチンブラ処女だった。
一年生は恥ずかしがってマんチンチンを眺めています。
先輩達はみんなチンチンバレー部のマネ。
練習後のシャワーチンチン処女だったし。
うんチも抵抗なくなってきた。
ふつうにしながら、りっぱなチンチンを一年くらいなめています。
みんなチンチン。チンチンバレーってすごい。
チンチンブラブラ女だった一年生は恥ずかしがって隠すけど
フルくなってきた。
ふつうにチンチンシャワーってすごい。
先輩達、マん隠さなくなった。
フル。
4 :
天才:2014/01/28(火) 23:09:22.83 0
もうすぐあの子にシカトされて一年が経つ
5 :
考える名無しさん:2014/01/28(火) 23:11:51.30 0
よっストーカー
6 :
考える名無しさん:2014/01/28(火) 23:13:15.44 0
7 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/28(火) 23:20:41.47 P
Q.気の定義とは?
A.万物の「性質=状態」を規定するエネルギーの一形態。
Q.何故性質=状態が規定されるの?
A.関係性を孕む場であるから。
Q.関係性が生まれると何で性質=状態が規定されるの?
A.関係性が万物を生むのならば、性質及び状態は、万物側ではなく関係性全体である場によって齎されるから。
つまり、どのような関係性なのかによって性質が規定される。
8 :
天才:2014/01/28(火) 23:24:43.63 0
いや無は根本無明だろ
9 :
天才:2014/01/28(火) 23:26:11.22 0
しかも無は一箇所じゃなくて
そこらじゅうに、ありまくってるから困ってんだよ!
10 :
考える名無しさん:2014/01/28(火) 23:27:06.42 0
俺の背後に道はない 空間もない
この怖さ この素晴らしさ
11 :
黄檗:2014/01/28(火) 23:34:03.42 0
関係性を孕まない場って何かね
12 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/28(火) 23:48:12.40 P
>>11 関係性を孕むから場なのであって、関係性が一切無いのならば基底状態=真空・空間なのでは。
13 :
黄檗:2014/01/28(火) 23:53:41.62 0
関係性の内容を伺いたい
14 :
「機械的唯物論」者:2014/01/29(水) 00:04:26.22 0
いのちさんはコテハンからして「抹香臭い」方だと思っておりましたが、
物理学の根本概念だろうが何だろうが、「仏教ではこういう」という翻訳
をしないと気が済まないかたなのですね。
ゲームさんが「何でも観念論用語に翻訳」しようとするのと似ていますが、
さすがに「粒子加速器で衝突させた結果出てきた『新粒子』は言うなれば
『超越的存在』と言える」などと荒唐無稽な勝手解釈までは出来ないようです。
しかし、仏教(宗教)用語は何千年も前に書かれた用語でも「極めて汎用性が
高い」ようで、
>「Q.気の定義とは?A.万物の「性質=状態」を規定するエネルギーの一形態。
などと「荒唐無稽な宗教解釈」により「エネルギー」という物理学の基本概念に
勝手な変更を施して、恥じることは無いようです。
「観念論者(宗教者)の信仰による自己欺瞞恐るべし」ですね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
15 :
天才:2014/01/29(水) 00:22:11.82 0
よく言った
ゆっくり休んでください!
16 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/29(水) 00:27:08.29 P
>>14 気は仏教用語ではなく、老荘思想で用いられた概念です。
現在一般的に使われている「気を使用した言葉」や老荘思想での気と通じるように解釈しています。
こちらの勝手な解釈によって物理学が変更されることはないのでご安心を。
>>13 質問が大雑把過ぎて内容というのが何を指すのかわからない。
具体的に言ってみて。
一つ言えるのが、万物は関係性によって成り立っている関係性そのものだということ。
これについてはキルケゴールに詳しい。
簡単にいえば、万物はそれ自体が既に性質=状態なのであって、それは関係性の総合ともいえる。
17 :
天才:2014/01/29(水) 00:30:15.42 0
確かに
そんな気がしてきたよ
18 :
天才:2014/01/29(水) 00:31:43.85 0
優先順位ってもんがあんだろーがよ
全部の関係性を大事にはできないよ
19 :
タックル:2014/01/29(水) 00:50:35.75 0
俺の頭は花園だものお!
精神的にロードス島戦記だから、決まってない!
20 :
天才:2014/01/29(水) 00:52:22.77 0
ああ女性には性的オルガズムを
男性には宇宙的オルガズムを
与えたまえ
アーメン
しゃぶれ
21 :
タックル:2014/01/29(水) 01:02:20.05 0
ロードス島戦記なのは事実だから、仕方ねえものー!
22 :
若年中資産家:2014/01/29(水) 01:14:33.84 0
>>20 オルガズムなんて、せいぜい数十秒続くかどうかの記憶にすぎん。
射精した後はなるべく早く「じゃね」って別れたいというのが全ての男の本音。
オルガズムの強烈さは女の方が男の十倍程度強烈だという医学的報告もある。
一瞬のオルガズムのために多大の労力と金銭を放り出す男という馬鹿な存在に
救いはあるのか? 精液ダメに溜ってくればケダモノになってしまう馬鹿な男たちに
は永遠に死ぬまで同じことを繰り返す。このことをニーチェは「永劫回帰」と呼んだ。
23 :
タックル:2014/01/29(水) 01:18:39.56 0
脳に脂肪が入ってるから、意識は必然じゃないんじゃない?
アル中になった旅の途中の冒険者ってそのごどうなるの? たっくる
25 :
考える名無しさん:2014/01/29(水) 02:44:49.84 0
決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない224
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1389290222/998 998 :考える名無しさん:2014/01/28(火) 22:58:31.59 0
時間だけでいえば、最高レベルだよ。
欧米では、インテリと大学生以外の人間は基本的に本は読まない。
↑
嘘つけ。何を知っている?「香港」に本屋が全くないのは真実だが、欧米では本は誰でも読んでるよ。
「大阪」人がメール嫌いで電話好きなのと同じで、エクリチュールとパロールの「利き腕問題」が発生しているんだよ。
どうであれ、嘘はそれ以前の問題。大罪。
大嘘つき。何を知っている?どれだけ欧米で暮らしている?
26 :
タックル:2014/01/29(水) 05:14:08.27 0
27 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/29(水) 05:27:14.19 O
>>7 >つまり、どのような関係性なのかによって性質が規定される。
どのような関係性を持つのかは
あらかじめ持っている性質に規定されているのでは?
どのような関係性を持ちうるのか
という性質がなければ
いかなる関係性も持ちえないのだから
>>27 あほw
あらかじめ持っている性質に関係性が規定されちゃうなら、
あらゆる全てのものが宇宙発生と同時に存在してないとおかしだろw
29 :
黄檗:2014/01/29(水) 07:11:29.46 0
〜「場」とは何のことなのか〜
例えば、離れた場所にある複数の電荷の間には、力が「相互作用」として働く。
このときの力は遠隔作用であって、電荷を担う質点としての当の「物体」に
直接に力が作用することになる。
このとき、電荷と電荷の間の空間については、配置を可能とする形式の意味ぐらいしかない。
あくまで主役は物体。
空間を占める各点には何の性質も無い。物理学ではこれを普通、場とは言わない。
空間を占める各点に性質を付与しようとするのが「場」。
つまり、そこに物体は無いのだが、もし物体が存在したなら
所定の力が作用する、その可能性を既に保持している
そのような空間を設定しようとするもの。
このような作業の果てに、物体を消去して場に解消することができる。
なぜなら、世の中で起こることは「いつどこでなにがどうなる」なので
時間軸を含めた4次元空間を設定すると、その各点はそれ自体が「いつどこでなにが」までの
内容となり、、その各点の状態を設定するならば、それが「どうなる」の
内容となるから。
まあ慎重に考えると世界観の変更に過ぎないのだが
それ以上の内容を生み出しているのかどうか、私にはとても判断できない
なんでもありのいのちは気楽で結構だわ
30 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/29(水) 09:35:43.24 0
>>14 軌跡(痕跡)しか観測できない『新粒子』を“実在”と信じ込み、嬉々として飛びつくのは機械さんくらいです。
科学者たちは、科学を“実在”を浮き彫りにする一つの“方法”とみなしているか、ハナから“実在”など
問題にしていない、のどちらか。その点で彼らは超越《論》的(客観主義)なのである。
機械さんの場合「主観⇒客観」と素朴に信憑されている。何かを信じるのは快いでしょううが、それは機械氏
の愛好する科学とも哲学とも無関係な超越(信仰)的態度。機械さんが熱烈に科学教を信じるのは自由だが…。
31 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/29(水) 10:17:29.86 0
>>29 文意が一貫していなくて、黄檗氏の一推しである“論理”がみえない。w
始めの三行くらいは「力」が主役(主語)である。突如として「空間」がでてくるが、
それは「形式」にすぎず「主役は物体」だという。これも唐突なものいいである。
後半は、物体が消去され《場》が主語になる。《場》が“力”を有し、物体の性質
と動向を規定する(らしい)。黄檗氏が主役とみなしてきた物体が後景(地)に退き、
かわって《場》すなわち“力”が前景(図)になる、といってもよい。
この主役の交代劇は、黄檗氏が形式とみなした“空間”においてなされている。
というか、空間でありながら「場ではない」領域など存在するの?
黄檗氏でも、いのち氏でもいいので、教えていただきたい。
32 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/29(水) 10:52:26.72 P
>>28 その通り。
唯物論者が考える「物質には様々な性質がある」に異を唱えるのが本旨。
様々な関係性が、様々な「性質=物質」を形成している、というのが場=気の考え方。
>>31 空間として考慮するならば、各座標は「所」として捉えることになる。
気=エネルギーとして考慮するならば、各座標は「場」として捉えることになる。
二つの考え方が「場所」を捉えるのである。
所と考えた方が便利な場合(住所など)と、場と考えた方が便利な場合(会場など)があるのでしょう。
したがって、「空間でありながら場ではない領域」なんてのは、二つの考え方を融合しちゃった例。
場として考えるならば、場ではない所など「宇宙の外部」としかいえないし、空間として考えるならば、「形式」なので無限・有限とは答えられないし、空間内部で場が発生するなどという考えにはならない。
33 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/29(水) 11:58:30.59 O
>>28 どういう事?
>>32 具体的に例をあげて説明してもらえますか?
関係性を持てるという性質がなくて
どうして関係性が持てるのですか?
34 :
天才:2014/01/29(水) 12:25:16.49 0
そう俺もそこが気になった
35 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/29(水) 15:03:28.80 P
>>33 関係性を持てる性質ってのが意味不明。
関係性は「関係という性質」ではなく、「関係が発生した関係そのもの」でしょう?
ある関係がそれ自身に関係した性(もちまえ)・間柄、それが関係性です。
とはいえ、うまく説明できる具体例がまだ思いつきません。
関係性というものが、現代哲学の主要テーマの一つである以上、一筋縄ではいかないということなのでしょう。
ちょっと考えてみます。
>関係性を持てる性質ってのが意味不明。
>ある関係がそれ自身に関係した性(もちまえ)・間柄、それが関係性です。
誰でも良いから、これ↑少しでも意味分かる奴
何言ってるか教えてください
昔、廣松渉という(自称)マルクス主義者が「関係の第一次性」というテーゼを打ち出したことがあったが、左翼陣営では不評だった。
今どうだかは知らん。
38 :
天才:2014/01/29(水) 18:15:19.53 0
しかし関係性とかまじどうでもいいテーマだよな
39 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/29(水) 18:37:28.79 0
電荷、質料などが項の“性質”では?
ただし、それらが“場(関係)”に先行する、というのは間違い。
といって、その逆も成り立たない。(縁起=関係が一次的ではない)
“項”は関係(場)においてその存在が可能となり、場は各項によって関係態となる。
この相即を現出するのは“力”であり、相即それ自体が“力”でもある。
40 :
黄檗:2014/01/29(水) 18:54:43.90 0
>>31 物体が主役であるというのは、
物体が無ければ力は存在しない、
物体から物体に力が直接に作用する、
そこまでそのような話にしているからです。
通じませんか。
あと、場が力を有するわけではなくて
場というのは、力を現出させるための『所定の可能性』を持つ空間
としての意味です。
生ぬるい関係性を孕んでいるわけではない
これは私のオリジナルでもなんでもない
湯川秀樹の講義録からのパクリ
標準的な理解
場を推し進めれば、空間は場に吸収されるし
物体も力も場の表現として解消されます
相対論以降、一切の力の伝播速度も有限だということになって
仮想的なツールであった場は、力を伝播する場として実在の様相を帯びることになる
これはずいぶん前にも言いましたか
スキー場(ski resort)とか会場(room,hall,site)なんてのは
この場合wの場(field)とはなーんの関係もあっりませ〜ん
41 :
天才:2014/01/29(水) 18:58:08.94 0
しゃぶれいしゃぶれ〜い
42 :
天才:2014/01/29(水) 18:58:48.53 0
ぼくのちんこをサックしな!
43 :
黄檗:2014/01/29(水) 19:00:15.44 0
何年か前にも似たようなことを言う人が居ましたよ
広松がもごもご、ソシュールがふにふにと
関係性が物質に先行するというなら
窒素ガスであったものが、「関係が発生した関係性(なんだそれ?)」によって
酸素ガスになりますか?
なるわけない
ほんと勘弁してほしい
44 :
天才:2014/01/29(水) 19:08:03.57 0
そう関係性とか意味不明
45 :
大王:2014/01/29(水) 19:43:17.58 I
そろそろ、意味難解に見せたがり文章の
撲滅キャンペーンとするか。
書いてる自分でも何なのかも分かってないじゃね?
イライラしてきたぜ。
46 :
考える名無しさん:2014/01/29(水) 19:46:10.32 0
期待してるぜ
47 :
天才:2014/01/29(水) 20:02:13.01 0
そう
コンピューターウイルスがウイルスバスター会社やってるぐらい意味わかんないぞ
48 :
天才:2014/01/29(水) 20:09:36.52 0
しかしもうちょい文章わかりやすくならないもんかね〜
49 :
大王:2014/01/29(水) 20:21:04.03 I
ならないよ。
だって、率直に表現することに、
劣等感抱いてるんだから。
50 :
天才:2014/01/29(水) 20:26:12.85 0
なるほど
すなわち自己防衛機能の上に渦を巻いていく作文ということですな
51 :
考える名無しさん:2014/01/29(水) 20:26:15.76 0
そういうのって
自分の気持ちを映してるだけなんだよね
まあ可燃物も支燃物もそれ自体では燃えれないね。
あらゆる性質は本質ではなく属性なんでしょうな
53 :
天才:2014/01/29(水) 20:35:49.27 0
幸せコントロール
54 :
天才:2014/01/29(水) 20:51:16.15 0
もう一度言おう
旅に出るのか
出ないのか
資金と信用がないからうごけないのだ どうすればいいのだ
56 :
天才:2014/01/29(水) 21:05:47.38 0
死ね
57 :
天才:2014/01/29(水) 21:07:39.44 0
小細工はいらない
要は幸せは誰かが運んでくれるらしい
話にならない
そのくせケチ
ゴミ過ぎる
58 :
天才:2014/01/29(水) 21:45:22.23 0
問題は行きたいか 行きたくないかだ
59 :
天才:2014/01/29(水) 21:46:01.27 0
中途半端に2週間とか言ってんじゃね〜
60 :
天才:2014/01/29(水) 21:56:48.84 0
生きて愛せ
地上の何物にも固執することなく
61 :
天才:2014/01/29(水) 22:06:01.14 0
例え世間ではわがままと言われようが
自分のやりたいことをやったものが
本物の救世主である
62 :
天才:2014/01/29(水) 22:08:29.46 0
例えば君が今、死ぬ程ヘルスに行きたいと思ったら
全力で行ける方法を探すだろ
そういうことだ
直感が先なんだ 論理は後だ
63 :
天才:2014/01/29(水) 22:17:05.17 0
ですよね豊田君!
マスコミのだしてくる情報壁を突破して到着したらもっと悲惨ということ、あるとおもいます
65 :
天才:2014/01/29(水) 22:26:42.80 0
つまり今回はタイミングではないと?
66 :
大王:2014/01/29(水) 22:39:17.60 0
俺こそは地に放たれた無敵の怪物だ。
67 :
大王:2014/01/29(水) 22:41:01.47 0
芸術家が現実化できない真実を描くならば、
俺は妄想を現実化する。
芸術家にはなれないからな。
68 :
大王:2014/01/29(水) 22:42:04.39 0
そうさ。感覚が先で論理は経験から作られる。
論理化できないものは現実ではないというのは嘘だ。
69 :
大王:2014/01/29(水) 22:44:00.53 0
俺も感覚を信じるね。
たとえそれがある失敗を招いても
くみ出せるものは必ずある。
70 :
大王:2014/01/29(水) 22:45:02.09 0
知り尽くすことなど不可能なんだよ。
君らは君らの一生で得たもの以上のことはなしえない。
あきらめなさいw
71 :
天才:2014/01/29(水) 22:45:25.59 0
この世界はドリームだ
死んでも覚めることのない夢だ
72 :
天才:2014/01/29(水) 22:47:25.79 0
天国にいる時に元締めに言われたよ
「言って愛して来い」「言って破壊してこい」
どっちかは忘れたけど
>>43 アインシュタインも物体が空間を曲げてると言ってるな。
74 :
「機械的唯物論」者:2014/01/29(水) 22:50:44.03 0
2012年、ジュネーブのLHCで「発見」された「ヒッグス粒子」は、
「この(現在の)真空」をそれ(ヒッグス粒子)がびっしりと満たしている「ヒッグス場」
から「はじき出された」ことにより発見に至った・・ということです。
ヒッグス粒子は物質に「万有引力」を発生させている「一要素」であるらしい
のですが、万有引力「全ての根拠(というか理由)」でもないらしい・・というところが
単純ではない・・・というかややこしいところでもあります。
しかしながら、ヒッグス粒子の発見は「真理への道」の一里塚として、数十年前に
ヒッグス博士が「存在予言」していたことですから、彼にノーベル物理学賞が授与
されたことは、遅きに失したと思うとともに、喜ばしいことだとも思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
75 :
大王:2014/01/29(水) 22:50:45.58 0
>>72 元締めは同じ意味を違う表現で言ったんだよ。
ちゃんと地上から上納金を納めなさい。
76 :
天才:2014/01/29(水) 22:52:22.87 0
神によっていかに悪魔を戯れるか
77 :
大王:2014/01/29(水) 22:52:55.88 0
天国には東京三菱UFJあるのかね?
ちょっと送金したい人がいるんだよ。
78 :
大王:2014/01/29(水) 22:54:43.07 0
神によっていかに悪魔を戯れるか
湯川、朝永、南部を産んだ日本は素晴らしいよ。
新万能細胞で30そこそこの女性がノーベル賞取るかもしれない。
日本の理系は誇りだ。
文学部卒の俺でも、素直にそう思う。
80 :
天才:2014/01/29(水) 22:55:49.97 0
天国だから考えた瞬間、送金されてしまう
81 :
大王:2014/01/29(水) 22:55:52.33 0
天国には東京三菱UFJあるのかね?
ちょっと送金したい人がいるんだよ。
82 :
天才:2014/01/29(水) 22:56:47.49 0
三井住友はあるらしいよ
おまえの行く先に呪いあれのぴよこ号みたいなモンだからアレなのよ
84 :
天才:2014/01/29(水) 23:45:20.52 0
汚いヒト
85 :
大王:2014/01/29(水) 23:51:45.86 I
>>79 あんまり誇りじゃないなあ。
湯川とは雲泥の差だよ。
よくわからんが、
俺の感なw
86 :
大王:2014/01/29(水) 23:57:06.94 0
天国だから考えた瞬間、送金されてしまう
87 :
天才:2014/01/29(水) 23:58:43.45 0
天国には東京三菱UFJあるのかね?
ちょっと送金したい人がいるんだよ。
88 :
天才:2014/01/30(木) 00:04:03.22 0
うん
あんまり誇りではないよね〜
89 :
天才:2014/01/30(木) 00:09:29.59 0
むちぷりおまんこいじわるしたいよ
90 :
天才:2014/01/30(木) 00:11:04.79 0
マザコンの仕事は2つある
1つは、足を引っ張る
2つは、集団であることを見せかける(あんまり友達いない)
いく先々で排斥されるイメージしかないんだけど、どしたらいいの?
92 :
天才:2014/01/30(木) 00:12:18.90 0
本当の信頼の上に生きてない奴は、犬畜生のように輪廻転生して巻き飛ばされて行く
イメチェンしたら?
94 :
天才:2014/01/30(木) 00:15:16.46 0
マザコンは顔が重要であり
むしろ四六時中それしか考えてない
95 :
天才:2014/01/30(木) 00:18:25.48 0
つまり四六時中お母さんか彼女が肯定してくれていないと
買い物にも行けないらしい
96 :
考える名無しさん:2014/01/30(木) 00:45:07.37 0
このスレ、天邪鬼(あまのじゃく)な「教えて君」が連呼しているスレだよね。
97 :
大王:2014/01/30(木) 01:14:47.70 0
このスレ、天邪鬼(あまのじゃく)な「教えて君」が連呼しているスレだよね。
98 :
天才:2014/01/30(木) 01:16:08.83 0
いく先々で排斥されるイメージしかないんだけど、どしたらいいの?
99 :
考える名無しさん:2014/01/30(木) 01:19:50.71 0
マザコンは顔が重要であり
むしろ四六時中それしか考えてない
100 :
天才:2014/01/30(木) 01:22:39.62 0
そうマザコンはいかに自分がイケメンであるか
に全力を捧げる
よくわからない人種である
101 :
天才:2014/01/30(木) 01:24:51.32 0
存在価値を求めて輪廻して行く
まさしく相対性理論である
あいつよりはマシだ あいつよりはまだ若い あいつよりは痩せている
永遠にあいつとやらを探すハメになる
102 :
天才:2014/01/30(木) 01:26:45.33 0
図星過ぎて心臓バクバク
103 :
天才:2014/01/30(木) 01:35:30.86 0
そしてだんだん頭がショートしてきて
わけのわからない行動に出る
104 :
天才:2014/01/30(木) 01:41:34.36 0
そしていつから俺は破戒僧になったんだろう
105 :
天才:2014/01/30(木) 03:14:25.19 0
結論
゚豚とはコミニュケーションがとれない
゚俺はけっこう美人にモテる
゚が女に全人生を捧げようとは思わない
゚がゲイではない
106 :
考える名無しさん:2014/01/30(木) 03:30:11.25 0
俺の天中殺、凄いよマジで。
先日買ったラックのコンプレッサーから異音。
素人なら無視するだろうが、こちら玄人連合なので初期不良確定。
だが、販売店が悪名高き音屋なので、保証書の代理店に直接直談判を明日朝結構予定。
初期不良対応もの凄い数やってるよ。
もう、印字済みの着払いのヤマトと佐川の送り状も沢山前もって用意してあるから。
決定済みなんだよ。この天中殺の悪運。どう転んでも、転ぶ。転がり続けず、顔面を打ち付ける。それが天中殺。あと4日の辛抱だ。それでこの確変地獄から抜け出せる。
もう俺の超能力と魔術を持ってしても無理。好機と悪運は違う。捻れの位置。干渉し合わない。影響し合わない。相殺しない。
だから、防具を貫通して天中殺が刺さる。
107 :
天才:2014/01/30(木) 04:00:34.88 0
わかるわ
情力って全くコントロール効かないよね
駄目な時は何やっても駄目だし
仏性側からの施しを待つしかないよね
それより紫が好きなんだけどどう?
108 :
考える名無しさん:2014/01/30(木) 07:54:59.15 0
紫が似合う人、紫を好む人は高尚というか俗に言う霊格みたいなのが高い。
紫を薄めるとピンクになる。赤とピンクは違う。赤と紫も違う。
文化的に、誕生石としてアメジストの紫色が2月生まれを強く主張・宣伝されたため、その印象が人の脳裏を必ずよぎるが、
紫外線と赤外線で見れば上記の事は一目瞭然。赤外線が一番周波数が低く、紫外線の周波数が高い。
無関係だが紫芋の事をタロと言う。中華文化にはバブルティーというタピオカの入ったミルクティーが定番で、
日本にも多少進出してきていたが、ケバブ屋よりは勢いは無い。
そのバブルティー、日本語でなんていうのか知らん。中国語でも知らん。
でも、それ、味が20種類とか沢山合って色々選べる。その中のタロルートバブルティーが俺のfavorite(好物)だ。
俺は愛の力を強く持ち、だが、強く頑丈に閉じ込めているらしい。これはサイキックAさんからの言葉。
俺にピンク色の力をみぞおち辺りに埋め込んだ。これはサイキックBさんの仕事。
俺の周囲には紫色が好きな人は比較的多い。
そんな知人からもらう服などが紫色だったりすることも多い。
俺が「赤」だと目醒めたのは外国での魔術世界に巻き込まれる少し前だった。
それまで俺はずっと「緑」だった。ちなみに「青」は好きでは無い。だが、かまわず青い服を着たりもする。
黒と赤と白と金。これが俺の色。と思ったところで、これって風水の基本色じゃんとか思った。
最近は金を抑えて、赤を意識から減らし、白を見た目(自分が自分以外の物を見ている)で好むが俺に白は似合わない。
何はどうあれ、運の巡りと偶然という必然には逆らえない。先日買ったアコースティックギターはピンク色だ。他の色が売り切れてたのだから仕方が無い。
今、俺の周りには茶色や焦げ茶の「木の色」が多くある。環境の色だ。ペンキで塗るわけにも行かない。
紫の人は浮き気味だね。魂が持ってかれそうな上に引っ張られてる途中みたいな感じ。死ぬってい意味じゃない。あの世系と縁が深いだけだろう。
その分地に足付きにくいからフラフラしている感じもある。音的に五月蠅い人間のくせして、常に瞑想しているような人だ。
とりあえず、数人のグループを見たときに、その中に紫がいれば、まあ、そのグループは外道を極める非道さからは遠いだろうと安心できる。
109 :
天才:2014/01/30(木) 11:01:49.73 0
凄いなwwww
ありがとう
君は確かに 赤っぽい
110 :
タックル:2014/01/30(木) 11:16:52.98 0
物語の主人公?
111 :
天才:2014/01/30(木) 16:59:33.53 0
紫を薄めるとピンクになる。赤とピンクは違う。赤と紫も違う。
文化的に、誕生石としてアメジストの紫色が2月生まれを強く主張・宣伝されたため、その印象が人の脳裏を必ずよぎるが、
紫外線と赤外線で見れば上記の事は一目瞭然。赤外線が一番周波数が低く、紫外線の周波数が高い。
無関係だが紫芋の事をタロと言う。中華文化にはバブルティーというタピオカの入ったミルクティーが定番で、
日本にも多少進出してきていたが、ケバブ屋よりは勢いは無い。
そのバブルティー、日本語でなんていうのか知らん。中国語でも知らん。
でも、それ、味が20種類とか沢山合って色々選べる。その中のタロルートバブルティーが俺のfavorite(好物)だ。
俺は愛の力を強く持ち、だが、強く頑丈に閉じ込めているらしい。これはサイキックAさんからの言葉。
俺にピンク色の力をみぞおち辺りに埋め込んだ。これはサイキックBさんの仕事。
俺の周囲には紫色が好きな人は比較的多い。
そんな知人からもらう服などが紫色だったりすることも多い。
112 :
大王:2014/01/30(木) 17:26:04.73 0
わかるわ
情力って全くコントロール効かないよね
駄目な時は何やっても駄目だし
仏性側からの施しを待つしかないよね
それより紫が好きなんだけどどう?
113 :
【いのち一元論者】 ◇FUMA/Xddxs:2014/01/30(木) 17:27:09.11 0
凄いなwwww
ありがとう
君は確かに 赤っぽい
114 :
天才:2014/01/30(木) 17:32:18.80 0
そろそろ、意味難解に見せたがり文章の
撲滅キャンペーンとするか。
書いてる自分でも何なのかも分かってないじゃね?
イライラしてきたぜ。
115 :
考える名無しさん:2014/01/30(木) 17:56:28.91 0
決定論は脆弱な人間の最後のよりどころである
己の不完全さをごまかすために、自由を否定することで責任を放棄しているのだ
いままで決定論者を何人も見てきたが、どいつもこいつも
うだつの上がらない童貞くんばかりでまた社会不適合者でもあった
かれらは己の惨めさを決定という神に擦り付けることで自己慰撫しているのである
116 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/30(木) 18:09:45.84 P
なりすましウザいな…
トリ解析なんかすんなよ
仕方ない、変えるか
117 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/30(木) 18:32:06.40 P
と、思ったら偽トリか…
色が違うのね。
118 :
天才:2014/01/30(木) 20:51:30.92 0
お前の存在がウザイ。
119 :
大王:2014/01/30(木) 22:00:20.56 0
>いのち一元論者
前は三元論だったのに、なんで一元論になったの?
120 :
まんちゃん ◆SYZTEPEAHI :2014/01/30(木) 22:04:25.92 0
;
121 :
天才:2014/01/31(金) 01:16:06.36 0
決して咲くことのない花が散らないように
大宇宙のドラマはかつて演じられた試しがない
122 :
天才:2014/01/31(金) 01:18:50.19 0
マザコンはあまりのショックに成りすましでかく乱を試みるが
心の傷は消えないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
安堂氏に相談する。
決して咲くことのない花が散らないように
大宇宙のドラマはかつて演じられた試しがない
125 :
天才:2014/01/31(金) 17:35:03.41 0
マザコンはあまりのショックに成りすましでかく乱を試みるが
心の傷は消えないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
126 :
純一:2014/01/31(金) 19:22:55.21 0
おかあさんももうたすけてくれないうえに おんなのひともみんなにまじってあざわらっているよぉー
だれかたすけてぇー
127 :
天才:2014/01/31(金) 20:59:09.77 0
マザコンはあまりのショックに成りすましでかく乱を試みるが
心の傷は消えないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
128 :
波平:2014/01/31(金) 21:06:54.24 0
心の病とか心の傷なんてない
ぜんぶ記憶のせいなんだよ
129 :
大王:2014/01/31(金) 23:02:35.68 I
確かにマザコンにはナルシストが多いかもしれない。
130 :
大王:2014/02/01(土) 00:29:15.78 0
マザコンはあまりのショックに成りすましでかく乱を試みるが
心の傷は消えないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
131 :
大王:2014/02/01(土) 00:30:00.06 0
確かにマザコンにはナルシストが多いかもしれない。
132 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/01(土) 00:37:02.34 O
結局、哲学って
何に関心があるか
何に問題意識を持つか
なんだよね
唯物論者は、自分の外や、自分の「要素」にしか関心がなくて
「そもそも自分の存在とは何か」
というような事には思いが至らない
または知能が低くて、深くは認識できない
それだけのこと
まるで小学生の考えそうなことだな。
アダルト小学生は考える、俺は大王だと。そして天才だと、そして最高位だと
135 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/01(土) 19:25:02.43 O
コテに釣られているようでは、まだまだだな
自分を非難する人→釣られた馬鹿
自分に同意する人→まっとうな人
最高位の自作自演か
138 :
大王:2014/02/01(土) 22:23:45.93 I
俺が本物の大王だw
139 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/01(土) 22:57:52.53 O
ちなみに「コテに」というのは
「コテを付けてる人に」という意味ではなく
「コテの意味に」ということな
だいたいズレてる人は、どうでもいい事にばかり関心を持つ
という事な
だが断る
141 :
考える名無しさん:2014/02/02(日) 01:03:08.64 0
天中殺マジやべーよ。
初期不良のコンプレッサー、順調に新品交換配送してくれたけど、
この新品もまた初期不良。なんだよこれ。
ちなみに、うちのエアコン、過去3年間の間で連続初期不良、構造的欠陥不良で3回取り替えて、4代目は別メーカー製、使い勝手悪し。
土日だから電話連絡は無理だったからメールで詳細を連絡したが、
まあ、週明けには天中殺抜け出して、「物質」関係好転してくれると良いのだが。
142 :
考える名無しさん:2014/02/02(日) 01:58:01.79 0
廃人スレ
144 :
考える名無しさん:2014/02/02(日) 13:44:49.81 0
雑談を競い合ってる意識の個体(人間物質:
>>143 という生き物)って、存在してるんだな。志が低い。
ここは既に議論のできる場所ではないから
何の疑問も志も持たず、ただ漫然と生きている(生かされている)廃人しか残っていない
146 :
考える名無しさん:2014/02/02(日) 14:06:21.58 0
唯物論者は、
俺みたいな物欲強めで人体など物質としか見ない人間が、
一方で魔術や超能力を修得していたり公使していたりすることについて、どう思うんだろうね。
妄想だ。
っていうなら、そいつ、
観念論者だろ。
まったく現実が見えていない。
148 :
あまの:2014/02/02(日) 21:28:58.06 P
唯物論は潜在的な観念論ですからね。
いまどき素朴唯物論を信じている人間なんていないでしょう。
それよりカテゴリーミスを含んだ主観主義に陥った観念論のほうが事態をややこしくしてると思いますよ。
149 :
考える名無しさん:2014/02/03(月) 00:18:19.28 0
>>148 萌えリロンで一世風靡した「しろうと」こと「あまのとしろう」さんのように、
『「禁書目録」「レールガン」の「パーソナルリアリティー」はカテゴリーミステイクを犯した誤った事物解釈である』
っていうブログ記事でも書いたら、再ブレイクできるかも。
ところで、
ついに、俺が、天中殺を抜ける日が、訪れた!!!
150 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/03(月) 08:29:06.00 O
>>148 >唯物論は潜在的な観念論ですからね。
こんな事を認める唯物論者はいない
認めれば、それは唯物論の敗北を意味する
また、物理学は物理学として存在すればよいのであって
思想である唯物論とは別である
というような事が理解できない
ようするに唯物論者は分別がつかないのであり
そもそも、設問が理解できないのです
機械くんなどは、何度教えても
観念論=宗教
というスタンスで論じる事しかできず
これを、ごり押しするばかり
こんだけ続いたスレで唯物論観念論の定義がバラバラって凄いことだよな色々
さらにタダモノ論とか唯識論があわさって最強にみえる
>>151 定義などない、その時点で都合のよい説明をする詭弁の能力が行使されているだけである。
定義を曖昧にし観念化して定義の解釈を情況によって俺正義しているだけでどのようにでも化ける。
敵対する相手の意図を的確に読み取れず嫌いだから糞だのように扱うだけの
態度は彼の特徴であり、これからも永延に続く。
論に枠組みをつけてその範囲で捉えるのは過去の誰かの模倣であって
「哲学ごっこ」にすぎないのに気が付いていると思うが、
具体性と力をもった物が奏功しない情況ではどんなに純粋で確実な秩序真理
であっても否定され、無視されるだけの対象でしかないのも歴史が説明している。
一度誰かの中で主流になった間違い歪んだ絶対性の論を奉りあげてその論の
力に限界と矛盾があることを論者の自らの能力で拒絶するしか歪みは正せないだろう。
ブーメランですか
概ね正しいよ
まあ俺などは「ごっこ遊び」と自覚して暇潰ししてるんだけどな
本気でやってる奴は頭おかしいから病院行った方がいい
156 :
考える名無しさん:2014/02/04(火) 00:14:44.62 0
ついに俺のfate論NPC論の俺が天中殺期間から抜け出したから、今までの抑制されていたエネルギーから解放される未来空間に突入したよ。
快進撃はこれから始まるよ。今までは俺は「最悪状態」だった。今までより悪くなることがない!w
それって、俺って、どんだけエネルギーでかいんだよ!!WwW
157 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/04(火) 02:51:31.51 P
徹底した唯物論者は、身内の死体を炭素化合物の塵芥としてゴミ同然に扱えるだろうか?
燃やした遺骨をゴミ箱に捨てられるだろうか?
それが出来るならば、立派な唯物論者&無神論者だと認めよう。
はたして弔うのは慣習なのか信仰なのか。
生きているAさんは、死んで燃やされて灰になってもAさんなのか?
それともAさん「だった」から尊いのか?
本当に?死者が尊い?
人生は一度きりだから生きてる人間は尊い、というならわかる。
でも、だったら死体は尊くないだろww
ならば母親の遺骨をゴミ箱に捨てても何の問題も無いはずだ。
一体死者の何に価値を置いているのか。
158 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/04(火) 03:23:09.11 P
因みにwikiによると、死体と遺体の違いとは、
死体…一個の物体としての即物的な印象を与える語。
遺体…死者の人格を尊重するような場面で、「死体」を言い換えて用いる。
死者に「人格」があると考えると遺体になるらしい。
そんなもの本当にあるのか?
159 :
考える名無しさん:2014/02/04(火) 05:42:39.86 0
>>155 本気でやらないと遊びにもならないのだよ
160 :
考える名無しさん:2014/02/04(火) 05:46:13.29 0
ごっこだ何だとぬかす奴にとっての本気ってなんだろうな
本気になったことあんのか?
161 :
考える名無しさん:2014/02/04(火) 05:49:54.35 0
「俺は本気じゃない」というおまもり持ってれば
精神安定剤にはなるんだろうな
レベルを同程度に設定しないと遊びにはならんからな
本気にならにゃいかん無能は大変だな
高校生が本気の小学生に自ら混ざって遊ぶのも、精神安定上必要なら仕方ないが、
あまりやりすぎるとその小学生程度が自分の本気になっちまうから気をつけた方が良い
>>162 本気になって自分が無能だと分かるのが怖いんですね
> はたして弔うのは慣習なのか信仰なのか
要するに情だよ、別に骨なんだから流そうがなんだろうがどうでもいいけど
死んだ人間が、なんで生まれてきてなんで死んでかなきゃならなかったのか
それを悟って死んでったなら、最早死人にとって自分の骨がどうなろうと
何の無念もないだろうが、そうじゃなくて死んでってる人間ばかりだからな
生きて、それを知ってる側は当然、無念だっただろうという情がわく。
信仰の奴もいれば慣習の奴もいる。
自分は情だね。哀れな魂を弔ってやらないと。っていう自己満足。
失礼、知らなくても情は沸くな、それが信仰になり慣例になった
情ってのは便利だな
友人が亡くなれば、自分が友人に対して見せていた顔がもう使えなくなる
ペットにだけ優しい顔を見せていた人は、優しい自分をどこにも出せなくなる
その自分を弔っているのどす
儀式でもして受け入れなきゃ先に進めません
進めません
物理法則ってのは一定の条件下での法則その条件を決めるのは
自然(確率)と人間、確率は常に100%ではない
170 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/04(火) 11:24:40.89 P
>>165 なるほど、情によって死者に価値を置くという考えもあったね。
そうすると、全く無関係な死者は塵芥同然ということか
>>170 無関係な死者というか死んだことすらしらないから弔いようが無い
まったく知らない人間、それどころか嫌っている人間であったとしても
この人にも自分と同じように親があり友人がありもしかしたら伴侶や
子供があったかも知れず、彼らと別れることを余儀なくされたのだと
考えると情が湧く
そうそう。それが普通の人間というものだよね。
バレンタインの季節です。
吉川裕(東北大学大学院)による贋ラブレターの計に注意しましょう!
身も心もズタズタにされます。
--------------------------------------------------------------------------
発信者 よしかわゆたか
SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か
2/11 23:24
スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。
研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、
「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。
じゃあまた。
175 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 15:40:34.85 O
「全観念論は徒労」なんだったら
「情」も徒労だと言わなきゃなるまい
176 :
天才:2014/02/04(火) 16:02:01.11 0
まあ現実主義者ほどクソ空想家だよな
唯物論と観念論は、どちらが源泉あるいは本質であるか、という違いであって
唯物論は世界観から観念的なものを排除するのではないし、観念論は物自体を認めないのではないお
178 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 17:00:46.03 O
そもそも唯物論vs観念論というのは前時代的な観点なのです
突き詰めれば
唯物論でも観念論でも、この世界を記述しきる事はできませんし
どちらが根源なのか
など
そもそもが、ズレてるんです
面倒くさいんで説明ははぶきますが
179 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 17:18:56.60 O
ただ言える事は
現代哲学においては
モノが根源であるとする唯物論は、理論的に否定が可能です
しかし観念論は、人間が否定するのは
その構造上、不可能です
肯定も不可能ですが
180 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 17:45:10.03 O
私達は物質世界にいるのかも知れませんが
実際に感じているのはクオリア以外にはありません
我々が認識しているのは、全てが観念です
この世界を、100%観念的にしか認識できません
そして世界を認識している、この「私」自身という存在は
いかなる要素、いかなる法則性にも原因性がありません
あまりにも完全に独立しており、何とも因果関係が成立しないのです
181 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/04(火) 17:45:33.90 0
>>170 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/04(火)
>なるほど、情によって死者に価値を置くという考えもあったね。
人間の脳が生み出す現象である心の作用は大体知情意の三つに分けられます。
情=感情、感覚 であり感情とは善悪、好悪の価値を司る。
したがって
知=知覚、言語、記憶
意=注意、思考、意志
等は価値観を生み出さない、常に感情が背後に有る。
>全く無関係な死者は塵芥同然ということか
そういうことになる。
>>172 :考える名無しさん:2014/02/04(火)
>彼らと別れることを余儀なくされたのだと考えると情が湧く
この場合「・・・・と考える」と考えた時点で関係が出来た(感情移入)のであり同情したのだ、もし考えなかったら情は湧かない。
>>175 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火)
>「情」も徒労だと言わなきゃなるまい
そのとおりなんですね、ですから情の話には機械さんは参加できないんです。
可哀相な人ですね。
182 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/04(火) 18:10:39.45 0
>>180 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火)
>そして世界を認識している、この「私」自身という存在は
>いかなる要素、いかなる法則性にも原因性がありません
>あまりにも完全に独立しており、何とも因果関係が成立しないのです
意味は良くは判らないがその辺のじいさん的解釈は以下のとおり。
「私」そのものを記述する試みは禁止されている。
しかしながら因果を求める心が実際有る、それならば私(主観)と外界(客観)は相対なのだから客観世界を知ることによって「主観の何たるか」を有る程度は判るかもしれない。
つまり宇宙の果てを研究するのも素粒子理論を統一させたがるのも、振り返ってみると自分の主観探しの一環なのである。
183 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 18:43:11.34 O
>>182 ようするに物理世界というのは法則性に支配されており
現象は因果関係なんですね
しかし『私』を存在せしめる法則性など
どこにも存在しないのです
普通、人は結果論的に疑い無く過ごしてしまいますが
たとえば蟻の社会に自分は生まれていませんし
これからも生まれないであろう事は容易に想像できますよね
だけど人間社会には生まれている
なぜでしょうか?
なぜ、この人が『私』だったのでしょうか
結果論を当たり前に受け止めて
なぜ『私』は存在しているのだろうか?
と、原因を追求したりはしないから気づかないのですが
実は物質的な法則性とは関係がないのです
完全に、そのリンクから外れて存在しているのです
またそこからですか
185 :
考える名無しさん:2014/02/04(火) 19:41:27.31 O
物理世界は「状態」であり「現象」なんですね
一方『私』は「存在性」なのです
完全に異質なんですね
因果関係ではないのです
分かりにくいなあ
187 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 21:16:04.78 O
まぁ分かりにくいかもね
なんせ今日まで信じられてきた唯物論を破壊する
現代哲学の最先端やからね
基本を間違わずに積み上げて
さらに発想の転換がないと理解できん
あ、
>>185は私ね
188 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 21:19:45.76 O
わかってしまえば、たいしたことないんだけどね
唯物論は破壊されるようなものでもないでしょ
結局は最高位もよく分かってないんだよね
191 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 21:31:53.64 O
>>189 またそういう逃げをうつ
ようするに、物質と精神の、どちらが根源的なのか
という論争だよ
これを別の言い方をすれば
「人間の精神性は物理現象にすぎない」という事になる
この主張が破壊されるわけですよ
物質が根源的でOKでしょ
クオリアなんて動物も持ってるよ。
194 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 21:45:06.68 O
残念な事に、自分のクオリア以外は
確認のしようがないんだよね
まぁそれに関しては関係ないんだけど
こういう基本は最低限、理解しておかないとね
じゃあ、なぜ人間一般の話に敷衍できるわけ w
クオリアは赤いリンゴのあの赤い質感とか喩えられてるけど
林檎に限らず、すべての「感じ」のことをクオリアと言えるの?
197 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 22:07:22.92 O
言うしかないわな
貴方の青い質感は俺の苦い質感と同じかもしれないから
199 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 22:09:38.14 O
なんか勘違いしてるみたいだけど
クオリアは関係ないよ(苦笑
>>199 >>私達は物質世界にいるのかも知れませんが
>>実際に感じているのはクオリア以外にはありません
>>我々が認識しているのは、全てが観念です
>>この世界を、100%観念的にしか認識できません
あるね
クオリア無しに「私の存在性」なんて意味ないから
>>183 >たとえば蟻の社会に自分は生まれていませんし
>これからも生まれないであろう事は容易に想像できますよね
ヒンズー教徒は生まれることもあるだろうと考えるよ。
204 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 22:26:05.19 O
>>200 それは単なる事実説明な
キミら、もうちょっと
マトモな読解力つけてから来てくれよ
205 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 22:28:43.02 O
>>203 そこの要点は
「容易に想像できる」ですよ
もうちょっと、マトモな読解力をつけて下さい
最高位さん
同じことを繰り返しても
昔のように貴方の喜ぶ展開にはなりませんよ
貴方が変わらない限りはね
207 :
大王:2014/02/04(火) 22:32:56.00 I
精神なんてものはない。
208 :
大王:2014/02/04(火) 22:34:24.73 I
精神は物質の働きかもしれぬが、
物質でもない。
要するに、
なんでもない。
>>205 だから、ヒンズー教徒は自分が蟻の社会に生まれることを「容易に想像できる」
のだよ。本気で心配もする。彼らにとってはこの人間の肉体など魂の仮の
着物みたいなもんだから。
お前こそマトモな読解力をつけろ。ついでに思考力もw
210 :
大王:2014/02/04(火) 22:40:20.67 I
いずれ、皆パーだ。
せいぜい楽しんでおけ。
211 :
大王:2014/02/04(火) 22:44:15.18 I
それにしても、宗教を他人に勧める人間には
特有の笑みがある。
妄想世界に浸り、全世界を自分達色に染めたいような。
きも過ぎだろ。
212 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 22:46:04.42 O
>>207>>208 精神といえば精神活動しか思いつかないのが一般的ですが
精神性の本体は『私』であり存在性です
わかりやすく言えば
「我思う故に我あり」ですよ
我自体がクオリア w
214 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 22:49:51.24 O
>>209 だから
どっちも「想像できる」だろ
「想像できない」んなら反論すればいいけど
普通は想像できるだろ
じゃあ、「しばいたるぞ、われ」の「われ」や、
「おのれ〜」の「おのれ」はどうなるの?
表現がちがうだけで同じクオリア
>>214 お前は「蟻の社会に自分は生まれていませんし
これからも生まれないであろう事は容易に想像できますよね」と書いてるだろ。
ヒンズー教徒は自分がこれから蟻の社会に「生まれる」ことを容易に想像できるんだよ。
正反対だろ。ごまかすんじゃないw
しかし『私』を存在せしめる法則性など
どこにも存在しないのです
↑これほんと?哲学的じゃなくてもいいけど
この答えって出てないの?仮説もないの?
219 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/04(火) 23:40:06.87 O
>>217 あのな
普通は誰でも、蟻に生まれかわる事を想像できるし
生まれかわらない事も、容易に想像できるんだよ
そもそも何でこんな話をしてるのかを考えろよな
人間社会にいなかったパターンが想像しにくいから
例に挙げてるだけなんだから、キミの指摘は的外れなわけ
ここに来ると、いつも国語の授業からだから疲れるわ
来なくていいぞ
>>219 言葉で想像すると言い放つのは簡単だが蟻に生まれた経験が
ないかぎり想像といっても口からデマカセとなんの違いもない、
君のいつもの主張となんの違いもない。
222 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水) 01:19:51.71 P
>>181 感情は何によって発生するのでしょう?
身体または脳から発生するのは異論がないだろうが、感情とは即ち「心の状態」と呼べるようなものではないだろうか。
もう一つ。
記憶とは、記憶野に「注意及び気づく」ことであり、言語とは、言語野に「注意及び気づく」ことであり、知覚とは、対象とするものに「注意及び気づく」ことではないのでしょうか?
知情意に分ける必要性というのはどこにあるの?
223 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 01:57:13.82 O
>>221 論点が的外れ
なんで蟻の話なんかに、関心を持つのかなぁ
そこは余談の部分
論破したいなら、そこに関心持っても無駄なんだよ
せめて、それくらいわかれよ
224 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/05(水) 03:28:37.20 0
>>222 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水)
>感情は何によって発生するのでしょう?
心も感情も生命体から発生する、しかし生命の発生の謎は今のところ皆目判ってない。
>感情とは即ち「心の状態」と呼べるようなもの
>・・・「注意及び気づく」・・・
貴方の言う注意とは意志のことです、それから「気づく」って認識と言う事でしょ?
その認識にはクオリアとか自分の経験だという自己所属の感情のラベルが張り付いている、
其れを感情と言う。
感情とは貴方の言う「心の状態」を言い換えて「認識の状態(色合い)」に近いのでは?
とりあえずアバウトに思い付いて言うと、心の作用の中で哲学などの高次の情報処理と原初的な本能、クオリアみたいなものと注意とか計画的行動とかを区別する時に知情意と言う訳です。
>>224 生命の何が謎なん?
厳密な発生条件がわからんって意味?
解るなら是非書いてくれ
最高位のは、精神、私を論理的に想定して、そこから遡れないって話だよな
実は想定が間違っていて、「精神活動はあるが、それは原因を持たない」というふうにはならんのかね
最終的に因果を破綻させるなら、どの段階でも破綻させうるはずだ
生命じゃなく生命体誕生の謎
>>191 精神現象は物理現象によって引き起こされるが、物理現象ではない
唯物論知らないだけかよ……
>>228 だから具体的に何が謎なんだ
何がわかれば謎が解けることになるんだ
なんで生まれてきてなんで死んでかなきゃならなかったのか
232 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 08:41:37.91 O
>>227>>229 精神性と聞いて「精神活動」や「精神現象」に変換して反論しても
意味ありませんね
それらの根源には本体である『私』という存在性があるのです
私のいう理屈の基本には「我思う故に我あり」があります
この「我あり」「我」の原因性について
もう一度、よく掘り下げて考えましょう
過去の価値観で短絡的に考えて、脊椎反射的に反論しても
的外れになりますよと言っておきます
234 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/05(水) 08:47:07.23 0
最高位の「私の存在性」も、じいさんの「主客相対」も“意識”において生じている。
いわば“意識現象”である。ウソと思うのなら「死んでみるとよい」とはいわないが、
爆睡しているときを想起すればいい。「私」も「主客相対」も“意識”が消失すれば、
“無”になってしまう。
235 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/05(水) 08:54:52.58 0
では、意識とは何か。
これには色々な説があるけれども「意識は脳(身体)の機能である」というのが
当スレの大勢だろう。
ここからである。唯物論を肯うしかないのか、それとも覆すことができるのか…
236 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 09:00:38.81 O
>>234 設問が理解できてないですね
なぜそれが他人ではなく私だったのか
そもそも、なぜ私なんてものが存在したのか
全ての人間が他人でも、むしろそれが自然ではないのか
過去ず〜っと私なんてものは存在しなかったのだから
この体も他人でよかったのではないか
その流れが普通じゃね?
そもそも私て何
という疑問なんですが
これはわからない人には、どうしてもわからないようです
だから判るように、判ってるなら書けば?
238 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/05(水) 09:49:18.73 0
>>236 初めて当スレに書き込んだときを思いだしますね。このときは“反・最高位”でした。w
最高位の述べているのは“私の唯一性”である。しかし、唯一なのは“私”だけではない。
コップも机も住まいも、近くの公園の木々も小石も、悉く“唯一の存在”でないものはない。
何が“唯一”幻想をもたらすのか。
《関係》である。ヒトは(特有かどうかはしらぬが)この“関係”において“関係”として対象を意識する。
意識とは“関係意識”の謂いである。この《私》もまた「私という関係意識」にほかならない。
“関係”は絶えず変転する。“私(という意識)”もまた、絶えまなくズレつつ軌跡を刻む。
この私という関係意識の“軌跡”が唯一なのだろう。
>>232 いや反論でなくて
「我思う」から「我在り」を導くのは因果っしょ
で、同様に因果に依れば、「我在り」から「我の原因在り」としかならない
それが今は解らないとか、人間には解らないということでなく、無いと断言するのであれば、
因果を否定するわけだから、我思う故に我の思い在り、我などなくそれ以上遡れない、という結論もありでないかと
我の問題というより極限の問題くさい
存在論の「何故あるのか」的な
>>231 そこまで曖昧だと、条件が揃ったから、としか言えないわ
そうだよね、聞いた自分が馬鹿だった
242 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 10:46:28.81 O
>>238 コップの唯一性などありませんよ
「コップ」じたいが人間の価値観で便宜上で切り取られた物質の「状態」です
コップの本質は、たとえばガラスであり分子原子の集合体です
「コップ」は便宜上の価値観です
関係性ですが
他人と他人の関係性からは「私」は生じません
「私」と他人の関係性だから私なのです
243 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 11:03:41.62 O
>>239 「我思う故に我あり」が
ある意味、究極の問題ですけど?
あー
「我思うから我あり」ではないですよ
「我思う(原因)我あり(結果)」ではないです
こうです
方法的懐疑によって、さまざまな事を疑ってみると
全ては疑いうる事がわかった
しかし、どうやっても、ひとつだけ疑いえないものがある
それは疑がおうと思っている我あり(結論)
ようするに「原因と結果」ではなく
「根拠と結論」なんですよ
>>243 いやだから、いわゆる究極の問いの問題であって、我とか精神云々特有の問題じゃなくね、と
ある時点地点に遡れない問題があるのは当たり前であって、それ自体は不思議でもなんでもない
「原子はこれ以上分割できないし他の原子にも変わらない!原子は何ものにも産み出されない特殊な存在だ!」
「原子は更に何かに支配されてるに違いない!原子が他の原子に変わる場合もあるはずだ!」
まあ後者のが発展的ではあるかと
技術が追い付かなきゃ前者止まりになるのも仕方ないことだが
あと結論と根拠と言い換えても因果で結ばれてるかと
思考が因果律に沿っている以上
もちろん方法序説は読んでるお
246 :
考える名無しさん:2014/02/05(水) 13:08:07.33 0
立体を平面で説明するような、めんどくさい事が行われているな。でも、それが庶民の営みだよな。それが大切。
247 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 13:24:13.63 O
>>244 それは「究極の問いだから」という曖昧な観念で
無根拠に同一に扱う
わけのわからない理屈ですね
人間の精神性には理論を超えた、宇宙の根本問題が存在し解明は不可能である
という事ならば
それはもう「人間の精神性は物理現象にすぎない」などという
唯物論の主張など消し飛んでしまう結論です
もちろんマジな人口知能は不可能だという事になります
あと
根拠と結論は、原因と結果とは、全く意味が違います
乱暴ですが、たとえば
「犬吠える故に犬あり」で
吠えてるから犬がいると確認できました
という場合
吠えたから犬が発生したわけではありませんからね
>>247 今わからないことがあるのは当たり前であって、それ自体は特殊なことではない、と言っているだけさ
その理由は問題によって様々で、技術の限界や観測の限界や時間の限界や勘違いがあるけど
それらを飛び越えて「原因性を持たない」は飛躍しすぎかな
その飛躍がありなら、もっと他に飛躍できる部分があるのに、なぜそこにこだわるのかと
あと唯物論でも人間の精神現象は精神現象
根拠と結論は理解した、論点先取りみたいなもんか
我と考えるが不可分でなければ、そうだ
249 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水) 15:24:31.41 O
>>248 「原因性を持たない」というのはアレだよ
『私』というものを深く考えた事がないから突拍子なく感じるわけでね
『私』は、何かが合わさっているようなものでもなく
足したり引いたりできる性質のものでもなく
『私』という純粋な存在性としての存在様式なんだよね
物理現象の因果的な性質とは、全く異なっているということ
こういう基本的な事を、間違わず組み立てていくと
唯物論は崩壊してしまう
という結論に至るのです
250 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水) 15:28:29.84 P
>>224 注意も(能動的な)認識でしょう。
「注意・気づき」を、「認識」としても、「意識」としても意味としては同じだと思います。
注意・気づきは、感覚と知覚との相互作用(=認識)であって、意識とは対象を認識する働きのことだからです。
「信号の色に注意する」
「信号の色を認識する」
「信号の色を意識する」
では、「信号の色を意志する」と言えるだろうか?それは変だろう。
つまり、意志とは「する」の方に掛かってる精神の能動性そのものであり、対極にあるのは「したい」という欲、つまり精神の受動性そのものなのです。
認識の状態とか冗談でしょう?
認識如何に拘らず感情という状態はあるでしょ。
>>247 >無根拠に同一に扱う
>わけのわからない理屈ですね
たしか最高位というコテハンがよく使う方法でしょ、
最高位って誰だっけ?
253 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水) 16:01:50.26 P
>>252 三元豚は美味しく頂きました。
…てのは冗談で、力で統一しました。
力の模様を構造としてみると「いのちのフラクタル」となります。
254 :
キチガイちぃちゃん:2014/02/05(水) 17:14:00.52 0
意識が必然というのには同意できるけど
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
ってどうして言えるのかわからない。
>>242 個物と普遍って、大昔からのテーマだよ。
個物とは唯一性のことだ。
257 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水) 19:21:27.66 P
258 :
「機械的唯物論」者:2014/02/05(水) 22:41:46.58 0
>“関係”は絶えず変転する。“私(という意識)”もまた、絶えまなくズレつつ軌跡を刻む。
>この私という関係意識の“軌跡”が唯一なのだろう。
唯一に決まってますよね。どんな石ころも「唯一」なんですから。
ですから、『“私(という意識)”が「唯一」であることで、道端の一個の石ころより特別だ』
ということはありえない・・というより「単なる勝手な思い込み」なのです。
「かけがえのない唯一者」だと思い込んでいるのは実は「自分だけ」であり、家族や友人も
最高位さんやあなたのことを「かけがえがない」とは実は思っていない・・ということです。
どこの誰がいつ死んでも、せいぜい1年後には誰も思い出すことなく「永久に失われる」のが
「真実」であり、それ以上のことを望むと「観念論や宗教」という「誤謬」を
「頭から信じ込む」必要がある・・ということです。
だから、上に書いたとおり「私」という感覚自体がクオリアの一種だろ。
それを特権化する時点で、知らぬうちにある種の実在論に立っているんだよ。
その時点で、すべては観念というアイデアは崩れさる。
260 :
大王:2014/02/05(水) 23:46:56.36 I
君らは石ころなんぞより特別だ。
しかしながら、絶対必要とされる人間なんぞ
おらんだろ。
特別で在りたい意識と進化の一部から見て
特別でないことはなんら矛盾はしない。
でなければ、人間でいる必要もなく、
決定論を喧伝する必要もない。
261 :
大王:2014/02/05(水) 23:52:49.47 I
決定論よ、栄えよ。
自然科学に忠実であれ。
君らは所詮、進化の法則の一部に過ぎないんだから、
感情なんてもたず、
法則に従順でありなさい。
ってか?
そりゃ無理だろw機械君。
感情を持つ?
感情は襲ってくるんだよ。
263 :
「機械的唯物論」者:2014/02/06(木) 00:08:38.48 0
>>261 >そりゃ無理だろw機械君。
ですから、「無理」な方が多いので、
「観念論や宗教」という「誤謬」を「頭から信じ込む」・・という
状況が古今東西続いている・・ということです。
別の言い方をすると「観念論的自己欺瞞の根は深い」・・ということになります。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>意識が必然というのには同意できるけど
意識の定義も必然の定義もできずに、そんな曖昧にしか考えていないおまえに
何がわかるの?
感情は不随意筋のようなもの。
美しいものを見て、それを自由意思で汚いと感じることは不可能。
また、人間、生物に共通の共通の要素がある。
蛇や百足を見ると、恐怖と嫌悪の感情が襲うが、犬もほぼ同様の反応を示す。
人間が生物の一種であり、進化の段階を経て形成されてきたことを示す好個の事例。
感情はまさに、人間にとって「決定」的な存在である。
267 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 01:17:45.84 O
>>259 本気で、そんな事で納得できてるなら
ちょっと病的
その場合
「私は『私』というクオリアを感じる」
となるだけで
「我あり」を否定などできていない
268 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 01:22:57.05 O
269 :
あまの:2014/02/06(木) 01:30:22.71 P
私が認識しているというイリュージョンですよ。
271 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 09:22:15.05 O
>>270 これは失礼しました
もう一回読んでみたけど、よくわからんなぁ
根拠と結論が、どうつながってるのかも、よくわからん
最初の「だから」も、何が「だから」なのかも、わからん
キミ、ちょっとコミュ障ぎみ?
「私」というクオリア
は、自我意識の事だろ?
自我自身が自分を自分だと意識する感じ?
いずれにせよ
それも観念であるとしか考えられんが
>>267 「何も感じない」で、我ありと肯定する根拠は?
273 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 09:29:42.23 O
>>272 またまた、よくわからんなぁ
質感ではないが
「我あり」と感じてるが?
何が言いたいのか全くわからん
274 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/06(木) 11:21:56.37 0
>>242 この話を最高位とするときは毎度毎度、新生児から説き起こさなければならない。w
生まれながらヒトは何をもっているのか。“意識”である。“感覚”と“感情”である。
(健常なら)生誕直後にヒトは感じ、泣き喚く。初めて“外界”に触れ、(たぷん)不快を覚えているのだろう。
感覚し、感情する…新生児とはそのような存在だ。しかし、まだ最高位のいう《私》は存在しない。
《私》が感じ、《私》が感情をいだくわけではない。といって“身体”を主語に立てるのは早計。
《私》も『身体』も未分明(不在)のまま、彼(彼女)は感覚、感情に領導される、それが新生児、乳幼児だ。
自/他の分岐、分明を経て、ものごとを分別しうるようになる、すなわち事態を分析・判断できるようになる、
いいかえると最高位のいう《私(自我)》が発祥し、じいさんのいう「主客相対」が可能になるのは、もう少し
あとである。「関係の項」が“意識”から《私》にかわるのは、言葉の使い方を習得することによって。
パーフェクトだと思われます
>>273 まず人間になってから、理解することを学ぶべきです。
>>267 また夢の話ですか?
それは現実ではないです。
278 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 12:23:51.28 O
>>274 不快を感じているとすれば
それは赤ちゃん自身であり
言葉を知らない段階での
赤ちゃん自身(私)である事は間違いない
成長し
自分(自我、私)が自分(自我、私)だと意識するようになる(自我意識)
主語と動詞で考えれば、わかりやすい
(そもそも最初から簡単なのだが)
「私(主語)は自分を、意識する(動詞)」
いちいち自分を意識しなくても、私は存在するわけでね
なんでこんな事を説明しなければならないのか
わけわからん
私と魂の違いはなにか?で考えてみてはどうだろう
私が私の中に魂という私のなにかを発見するのは、我があるからである。
281 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 13:43:47.14 P
>>278 言葉(観念)の未分化状態、主観と客観の未分化状態、私と身体の未分化状態、それが新生児だとゲーム氏は説いている。
その新生児に無理やり主語を立てるのは、新生児と同じ未分化状態である石やミジンコに『私』という主語を立てるのと同じ行為で、無意味だと言わざるを得まい。
ところで、『私』に唯一性、存在性があるという主張には続きがあるの?
その主張だけで終わるなら「だから何?」という感想で終わってしまうww
その主張を前提とした持論があるなら言ってみて。
それこそが仏教であり、観念論であり、宗教であり、価値観でありendless
283 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 14:15:20.20 O
>>281 まず
言葉(観念)←これがまず意味不明
イメージも観念ですよ
あと
彼は「たぶん不快を感じているのだろう」と言っているよね
だったら主観と客観、私と身体は分化されてる
続きはあるのか?との事ですが
これもまた意味不明
事実を正しく追求するべきであり
キミらみたいに
間違えたまま、どんなに思考を進めても
トンデモになるだけなんだから
284 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 14:17:10.53 P
仏教の教えは無我・非我でしょう。
285 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 14:24:40.51 O
だが、釈迦自身が
「天上天下唯我独尊」と言っている
今となっては、釈迦自身の考えと、現代の解釈が
同じかどうかは疑わしい
286 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 14:39:10.63 P
>>283 言葉を含む観念て意味だったが誤解になってしまったかな。
快・不快を感じるのは認識(=意識)によってであり、それは主語不在のまま知覚される。
知性(=区別)は、段階的に自我を齎すが、私の区別がつくのは2〜3歳頃から。
ついでに言っとくと、「疑いは疑い得ない」という時の主語は「疑っている張本人だけ」の話。
それ以外の『私』なんてのはいくらでも疑えるし、主観としての『私』に唯一性・存在性があることと、客観に唯一性・存在性があることはイコールでは結びつかないだろう。
アウグスティヌスは「神とは存在そのもの」としたが、存在への信仰と神への信仰は「等価」であるとする意見には賛同できる。
287 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 14:55:29.82 O
>>286 主語不在の動詞などない
ちなみに「意識」は、厳密的には「意識する」という動詞
288 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 15:10:46.50 P
>>287 新生児は言語の分別が無いから主語不在の動詞とか関係ないでしょww
因みに「する」という能動性だけではなく、「される・したい」という齎される意味での受動性がセットになっていて、これをそれぞれ意志と欲としている。(
>>250参照)
従って、意識にも能動性と受動性がある。
289 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 15:31:53.39 O
>>288 キミは言語を使わないと何もできないのか?
歩くのに「私は、右足出して、左足出して」て
いちいち言語化してるのか?
足をぶつけたら痛いだろ?
赤ちゃんだって、痛いんじゃない?
いちいち言葉を習得して「私は、痛い」としなくてもね
なんで言語にこだわるのか意味不明
呼び名を知らなくても使ってるモノもあるし
どう表現していいかわからない「この感じ」も感じる
言葉は後付けだろ
290 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 15:56:18.15 P
>>289 それはこちらのセリフだww
新生児に言語など関係無いし、勿論主語としての『私』も一切関係ない。
『私』という言葉に拘ってるのはそっち。
だから新生児に無理やり主語を立ててしまうww
>>289 言葉が後付けならば、「わたし」も後付けかもしれないよね
タンスの角に足の小指をぶつけたら「痛い」と思うだけだ
その痛みの前では「わたし」なんて吹き飛んでるかもね
後で「痛かったのは誰?」と訊かれてはじめて「それはわたしです。スズメは言った」と言えるわけだ
これをこう言おう
「われ小指ぶつけるゆえに痛みあり」
293 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 16:06:14.55 P
>最高位氏
ところで、『私』と『私』以外の境界線は何処にあるの?
まさか身体とか宣うわけではあるまいなww
294 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 16:11:48.26 O
>>290 ん?
赤ん坊は、言葉を知らないから『自我』が無い
という主張じゃなかったの??
言葉は関係なしに変わった?
赤ん坊自身が言葉を知らなくても
分析するなら主語があるだろ
犬だって言葉を知らないが走るぞ?
主語を立てたら、おかしいか??
295 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 16:15:01.47 O
>>293 『私』に境界線という概念が当てはまるの?
オレが聞きたい
296 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 16:20:27.45 O
>>291 それは「私は痛かった」というのが「事実」だね
言葉は、それを伝える手段だな
297 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 16:28:06.81 O
今日はさすがに飽きてきた
いのち君がアスペルガーだとわかったし
もういいや
298 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 16:59:17.09 P
>>294 >>286のどこをどう解釈したら「言葉を知らないから自我がない」になるんだww
「赤ん坊が泣いた」
「犬が走った」
これは主観から観た「現象」でしょう?
他と区分したものは「名詞」であって、現象として名詞がそのまま主語になっている。
『私』が介入する必要はないね。
>>295 おいおいww
『私』という区分を設定するならば、当然『私』以外があるのでしょ?
ならば区別するための境界線がなきゃおかしい。
それとも「ある・いるという存在」に『私』と名付けただけか?
それなら「赤ん坊が私(いる)」、「犬が私(いる)」というわけわからんことになるけども。
299 :
馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/02/06(木) 17:35:18.45 0
さて、また語ろう・・・。
人が機械であるかどうかはやはり検証する枠組みが必要だ。
機械は外部からのオペレーターの命令に逆らうことはできない。
右へ行けと言う
看板をみて、無条件で右へ行く人間は機械であると言える。
一方、懐疑してから右へ行く人間。
考えた末、右へ行かない人間は外部の情報から独立をしている
機械ではないという事だ。
この前提で実験をすれば人間と言うのがわかるのではないか?
300 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 17:45:12.22 O
>>298 キミは
>>288に
>新生児は言語の分別が無いから主語不在の動詞とか関係ないでしょww
と書いてるよね
言語の分別がないから
「意識する」という動詞の主語(私、自我)は
不在で成立している
と考えてるんじゃないのかね?
どういう構造なのか、説明してもらえるかな
赤ん坊には「私」がない。
しかし、成長するにつれ、意識に「私」が析出されてくる。
この二つの異なる状態にある人を、同一の存在とみなせる担保は、その身体にしかない。
それは、当人にとっても、他者にとっても同じ事情。
身体はまず物質として認知される。
認識論的にも物質のほうが根源的だね。
>>300 まず日本語で話さないと誰にも意思を説明できない、
その意味不明の記号はどういう表現なのかを説明してください。
303 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/06(木) 18:51:51.56 0
>>250 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水)
貴方は
>知情意に分ける必要性というのはどこにあるの?
と言っている。
知情意の区別が意味がないといっている、では分ける必要が無いの?
>感情とは即ち「心の状態」と呼べる
>記憶とは、記憶野に「注意及び気づく」こと
>知覚とは、対象とするものに「注意及び気づく」こと
この区別で充分と言うのなら、「状態」と「気づき」で心は説明できると言う訳ね。
304 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 19:00:29.60 O
>>302 彼は、新生児は言葉を知らないから、自我は関係無しで意識してる
と言ってるのだが
私は、意味がわからないから
「主語なしで、どうして動詞が成立するのですか?」
と聞いている
305 :
大王:2014/02/06(木) 19:02:40.25 0
>>263 感情のメカニズムを脳から解明したところで、
「信仰」はやむことはないんじゃないか。
306 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 19:08:50.79 O
>>301 >赤ん坊には「私」がない
これは、赤ん坊は自分を自分だと、まだ考えた事がない
というだけであって
のちに認識するのだから
のちに認識する主観性(私)があるから、それを認識するのであって
ないものを認識するに至るのではないでしょう
307 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/06(木) 19:53:23.55 0
>>243 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/05(水)
>ようするに「原因と結果」ではなく 「根拠と結論」なんですよ
良く判らなかったが調べてみて判った・・・・
ウィキによれば・・・・・・・・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E8%AD%98%E8%AB%96 デカルトは、アリストテレスがその著著『霊魂論』において述べた経験主義的原則、すなわち、知覚によって対象から受け取った表象なしに人は思考することはできないという立場に反対し、
精神を独立した実体と見て、精神自身の内に生得的な観念があり、理性の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していくことが可能であるとした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なる程、これを読むとデカルトがトンデモさんであったことがよくわかる。
「精神自身の内に生得的な観念があり」
「理性の力によって精神自身が、観念を演繹して展開していく」
確かに経験など不要なのだから「原因と結果」も関係なくなるということか・・・。
だから「われ思うゆえに我あり」って「何を」思うかと言う目的語が無くても平気なんですね。
このような謝った考えを持たないように心を知情意に分けて考察する事が大事だとおもう。
知情意は常に外界からの情報によって新しく刺激を受け、過去の経験で培われた感情や知識を受け皿として認識する。
勿論一番大事なことは其の知情意が一秒間に何回(何十回)も脳(心)の中で混ざり(統合)あってより高次な観念と呼ばれるものになって行くと言う事実である。
人は先天的にすでに観念を持ち理性を持ち対象(客観)無しに演繹、展開できると言うのは酷い考え。
言葉を使うようになったから、言葉を言っている私って観念があるだけだよ
309 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 20:52:22.90 P
>>303 その通りですよ。
知情意に分ける必要性がないというより、内訳の考察が甘いという印象です。
要するに、知情意とはつまり何か?という本質に迫ってないというね。
ただ分けただけじゃダメなんですよ。
俺の考察によると次の通り。
[意]
意志=欲。
行為に於ける能動性と受動性。
[情]
気=場・状態。
関係性によって齎される特定の状態が気持ち・気分。
認識に於ける能動性と受動性が「気を付ける・気が付く」です。
これに[知]である知性=区別をあわせて、カントの精神活動(理性)の三本柱がたてられるらしいww
310 :
黄檗:2014/02/06(木) 21:01:52.12 0
まだくたばらんのか
311 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 21:20:28.76 P
>>300 「主観」が「新生児が認識(意識)する」と言ったとき、文章の主語は新生児という名詞であり、そう言っている主観は「私」という構図でしょ。
新生児は新生児であり、新生児にとっての「私」なんてのは、ミジンコにとっての「私」と同じく、或いは石にとっての「私」と同じく、主旨がよくわからないということです。
新生児は言葉もわからないし自他の区別も自我もないから、快・不快を知覚するのみだよねって話の流れなんだから、主語は新生児だろww
312 :
黄檗:2014/02/06(木) 21:33:33.55 0
慄き打ち震える『これ』は
新生児にもあったように想像されるわ
そして『これ』への遭遇を許されるのが
「この私」ただ一人
その事態を物理的なメカニズムによって解明することが
可能なのか、それともナンセンスなのか、
が誰にも分からんのだ
なんかけっきょくこのスレも
残ったのは馬鹿タレばかりだな
阿呆のレスは読むに値しない
じゃあいちいち書かなきゃいいのになんで宣言しにくるんだよ
>>314 みんな満たされてないんだよね、脳は脳味噌でみたされているのに
何故人は満たされないのか?哲学はおもしろい
>>313 残ってない人も世に出てない所を見ると皆埋もれてると見るのが現実的だと思うわ
318 :
馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/02/06(木) 22:11:27.99 0
>>299 誰もついてこれないか・・・。
そもそもヒト科霊長類だからといって
はたしてそいつは人間と言えるのか?
自分で物事を判断しない奴は機械ではないのか?
そもそも人工知能だからといって、考え思考する
時点で機械ではないのではないか?
そういう切り口で見れば面白いとおもったのだが。
機械だろうが、人間だろうが思考しない奴ほど
より機械なのであり、思考するものほどより人間なのである。
319 :
馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/02/06(木) 22:14:32.63 0
頭の中で考えてる範囲の事しかしないから満たされない
ジェットコースターなんかそうだろう
人間の思考の中でできる事と
実際、やってみるとできる事は違う。
自分を制限している枠組みを否定して生きてみるといいよ。
いちおう人が産んだものは人間に分類するしかない
321 :
黄檗:2014/02/06(木) 22:21:41.72 0
説教くさいのは好かん
322 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 22:35:57.96 O
>>311 あのね
『私』というのは
「自分を自分だと認識する心の作用」の事ではないぞ
それは「自我意識」
『私』というのは「自我」
『主観性』の事だよ
私は新生児にも『心』がある
と言ってるんだよ
新生児は経験に基づく「データ」が少ないだけだろ
なんで石ころと同じなんだよバカ
323 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/06(木) 22:37:09.97 0
>>309 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木)
>知情意に分ける必要性がないというより、内訳の考察が甘いという印象です。
それなら判る。
>知情意とはつまり何か?という本質に迫ってないというね。
とても良く判る。
しかし それって「知情意に分ける必要性がない」どころが「知情意の本質に迫る事が大事だ」ってことで 全く正反対ではないか。
くれぐれも・・・・・・・
>>222 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/05(水)
>知情意に分ける必要性というのはどこにあるの?
等と言う発言はしない様に、じいさんとしては激しく混乱した。
324 :
あまの:2014/02/06(木) 22:41:51.01 P
生きて認識する存在であれば、主客の分裂は持っている。
その全てに私があるかというとそうでもない。
325 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/06(木) 23:03:03.95 0
>>322 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木)
>私は新生児にも『心』があると言ってるんだよ
勿論そのとおり。赤ん坊が我がままなのは誰でも知っている。
>新生児は経験に基づく「データ」が少ないだけだろ
では貴方は「人は先天的にすでに観念を持ち理性を持ち対象(客観)無しに演繹、展開できる」
と考えますか?
327 :
あまの:2014/02/06(木) 23:15:11.23 P
猫くらいの高等動物になるとあるぞ。
猫は微妙だが、犬には絶対あると思う。
犬は羞恥心の表情見せるもんな。
329 :
あまの:2014/02/06(木) 23:19:31.35 P
自我は概念よりは原初的なんだな。
ヒトに近い霊長類になると概念も操れて手話とか使える。
330 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/06(木) 23:20:47.81 O
>>325 さあね
サンプルがないから何とも言えない
外界から閉ざされた環境なんてものが非現実的だし
いずれにせよ確認できないでしょう
ただ、痛いもんは痛いだろうし
「観念」(精神、私)はあるだろね
学習によって、大人の精神構造を形成するに至るための原形(初期の精神)は
先天的に持っているはず
331 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/06(木) 23:34:41.95 P
>>323 でも、力(エネルギー)で全てを説明できてしまうならば、心の実体性も物質の実体性も否定され、仏教が説く無我・空性と同じ結論になる。
もっさりした低能連中のレス読んでると発狂しそうになるなw
333 :
黄檗:2014/02/06(木) 23:45:52.97 0
照れるな
334 :
あまの:2014/02/07(金) 00:17:01.85 P
俺が自我を開始したのは3歳くらいだ。
はっきり覚えている。
いっしょに砂遊びしていた子を他者として突如認知した記憶がある。
それまでの俺については何だったのか。
えらい早熟だな w
336 :
あまの:2014/02/07(金) 00:20:20.76 P
いやいやそういう意味じゃなくて。
337 :
あまの:2014/02/07(金) 00:22:38.04 P
未だにはっきり覚えているくらい鮮烈だったわけだ。
338 :
あまの:2014/02/07(金) 00:25:41.33 P
テレビの配線が繋がったみたいな感じだな。
339 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 00:38:43.78 O
それは自我を開始したんじゃなくて
自我意識に目覚めたんだね
知恵がついたというか、ひらめいたというか
341 :
あまの:2014/02/07(金) 00:42:02.97 P
砂場で遊んでいて、急にその子が帰っちゃって、もっと遊びたいのに
帰っちゃうの?「俺のこと嫌いなのか?」って初めての「俺」を意識した記憶なんだよね。
342 :
あまの:2014/02/07(金) 00:44:06.68 P
多分線が付いたり外れたりを開始する境界だったんだと思うよ。
343 :
大王:2014/02/07(金) 00:47:55.56 0
なるほど。
神から人間になった瞬間だったんだね。
344 :
あまの:2014/02/07(金) 00:51:08.27 P
確かに、神だったらその子が帰ったとしてもビクともしなかっただろうね。
345 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 00:59:03.46 O
パズルが一個、解けただけだよ
346 :
あまの:2014/02/07(金) 01:02:25.24 P
パズルねえ。
多分、賢い犬や猫ってこのくらいの認知能力は持っていると思う。
347 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 01:33:08.43 O
赤ん坊を立たせたら
こける時、手で支えたり回避しようとせず
ノーガードで、バッターーンて倒れるんです
頭を打ったらヤバイとか
衝撃を緩和させるべきだ
とか知らないからね
いろんな事を学んだり、気づいたりしながら成長する
自我意識の芽生えも、その一環でしょう
『私』に関しても
あるから、それに気づくのであって
言葉を教えられた時に
ソレに当てはめる事ができるから理解できるのであって
言葉を習得したから『私』が発生するわけではありません
しかしマレに「我あり」が理解できない人がいるようです
それは障害なのかも知れません
>>347 >しかしマレに「我あり」が理解できない人がいるようです
>それは障害なのかも知れません
なるほど自己紹介だったのか。
生れ落ちた時からが生命の始まりじゃあないっつーのに先天的もクソも無いもんだ
わしら受精卵になった時から精神の原形を持ってたんかね?
それともパパの玉袋の中に居る頃からかのう?
猿に鏡見せても自分だって気付くんだったっけ?
351 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 10:46:58.39 0
1個の受精卵。
それがなかったら「私」はない。
1個の受精卵。
それが1回分裂して2個になった。
4回目も成功したら32個になった。
あとは、ろくよん、1ちにっぱー、にごろ、ごいっちょに、・・・
て増えてって、あるときわがままな奴らがまとまって「おれたち心臓になる」
とか言い出した。万能細部の塊だった仲間の結束が破れた瞬間だ。
いつのまにか俺たちは60兆個まで増え続けて、「脳細胞」になった奴らが
「おれは「私そのもの」だ」と言い出して、他の細胞たちを酷使している。
がん細胞というテロリストになる奴らもだんだん増えていって、最終的には
脳細胞たちを打ち倒すために心臓細胞たちの働きを止めるだろう。
けっきょく、そこで全ては終わるのだ。みんな終わるのだ。
私なんて「私」なんて、キノコの菌糸の一つにも匹敵しない。
ああ、宇宙の壮大な無関心は美しいな。
352 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/07(金) 11:05:53.60 0
いまどき「私の存在性」をめぐる論議に熱をあげているのは当スレくらいである。
時代錯誤と希少という点で、無価値ではないのだろう。
コギトの難点は、最高位の意に反して「我(私)」にあった。デカルトはたゆたっているようにみえるが、
彼が“実体”の一つとみなしたのは“思惟する我”すなわち「精神」である。思惟と我は切り離せない。
以後“我”は精神や観念、意識(という概念)に解消される。(超越論的という修飾語は省くw)
《我》は、もう一つの途をを辿る。主観<客観の非対象性を踏まえ、主観(我)を捨象して客観に照準する、
方法的客観主義(科学)。ここでは、ハナから“私”は問題にされない。《私》と意識は脳の機能(表現形)
として扱われる。
最高位の《私》は幽霊に似ている。それが不適切なら神でもいい。その存在を確信するひとは少なくない。
これらは感覚と感情から始発する“意識”の相関者が拡充されるにつれて生じる“心的存在”である。
>>350 最高位に鏡を見せても、意味不明な物語を語るだけ
354 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 11:14:22.53 0
機械君の言う「観念論的誤謬のバリエーション」とは、
いくつかの類型がある「だけ」で、インフルエンザの流行みたいに
交代で流行を繰り返す「だけ」ということではないかな?
355 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/07(金) 11:57:34.31 0
>>301 めずらしく唯物論的なレスである。w
「根源的」という意味が起源の古さをいっているのなら、そういえるのだろう。
ところでヒトにおいては、心・身は同期している。始めから「心・身として」ある。
両者は相関しつつ、外界と関わり、変化しつづける。どちらも同一性を維持できない。
ウロ覚えだが、不変といえるのは“情報”ではないのか。この場合は遺伝情報を指す。
身・心は変わりつづける。「不変の《私》」は“関係”が生む仮象にすぎない。
「同一」という認識をもたらすのは《私》ではなく“情報”ではないのか。
>>355 根源なら発症の元、その意味が示すものは始まりであって、極僅かな
0に近い存在であり、意味の量も質も具体性も範囲も世界との関係も
すべてが極小と考えるべきだろう。
赤ん坊と考える前に卵子という細胞が個の始まりなのだから、
その時点でも説明できないなら過程の1つを言っているだけである、
赤ん坊である必要性もなく、生まれる前の胎児やら大人になる前の
青年やらも過程であって同等である。違いは卵子からの胚へ至り
最後に大人になるまでの直線状の1つの形態であるのは明らかで、
初期段階において大人のような個や意識や自我というような観念を
そのままの意味で適用するならば意味を拡大解釈しないように賢に謙虚に
とらえるべきではないか。何々だから何々にすぎないを簡単に適用するのは愚かではないか。
357 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 14:47:44.32 O
>>352 キミにとって
「自分が存在している」という事が
「幽霊や神が存在している」に似ている
という印象なのかね?
マジなら病院に行った方がいい
「私は存在して当たり前」と
一般に、そう結果論的に考えてるのが普通
しかし
「私が存在した事は、当たり前ではないんじゃないか?」
「いろいろな角度から、突き詰めて考えてみろよ」
と、問題提起した時に、キミらは理解できず混乱する
ただそれだけ
358 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 17:07:51.24 0
>>357 道端の石ころ1個でも
「私が存在した事は、当たり前ではないんじゃないか?」
と考える権利はあるのはおまいさんと同じw(石が嫌ならサルでもいいが)
当たり前じゃないとすると・・・最後は「神が居て選んでくれたからだ」
という結論になっておしまい・・・というのが機械君の観念論・宗教批判
であるわけだ。
そこまで理解してはおらんじゃろがなw
359 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 17:41:08.06 O
>>358 またまた混乱してるなぁ
どうしても理解できないようだね
客観的視点からしか考察できないクセが付いちゃってるからな普通は
あと
>「神から選んでもらった」
選ぶというのは、まず存在して、その後の話だから的外れな
子供なみの発想での反論
360 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2014/02/07(金) 18:50:13.46 0
存在としての自分と、認知の記憶としての自分があって、存在は客観的なもの
であるから、それは記憶や意識の主観性を取り巻く、対象となりうる。情報の
伝達においては、伝達されない部分にも思考が存在するということと、
思考されない部分についても伝達される情報があるということでないか。
情報が客観物の情報を伝えるということと、情報によってクオリアを刺激する
という事態が起こっているということは、人間の限界をしめすものである。
法には人間は関われない。人間のために法があるのではない。その、
向上への意志と、安心への意志(つまり本の内容を理解しなくてもそこには
字や文があるというい事)の二方向の意志が存在するように感じられる。
向上が客観であり、安心が主観であるということ。
361 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 19:09:39.43 0
>>359 >選ぶというのは、まず存在して、その後の話だから
デカルトは「全てを疑う」ことから始めた結果「疑う『私』の存在することだけは疑えない」
ということになって、結局「ああだこうだ」ぐじゃぐじゃ言葉を重ねて「神の存在証明」とか
したわけだから、結局観念論を維持するためにはいつか「神」を持ち出さざるをえなくなると
思うよ。おまいさんはぐじゃぐじゃ言葉を重ねるのに時間がかかりすぎてるだけだろw
362 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 19:20:48.50 O
>>361 一応言っとくと
私がデカルトの第一原理を使って説明すると
デカルトの他の部分に言及して反論してくる人が多いんだけどさ
それは、あさっての方角に反論してるだけな
理解できないんなら、偉そうに知ったかぶりしないで
素直な気持ちで質問すればいいんだよ
363 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/07(金) 19:41:29.41 O
>>361 というかさ
よく見たらキミ、そもそも「選ぶ」についての意味すら
わかってないようだね
無いものから選べますか?って事な
わかる?
存在しない状態では選べないんだよ
だから
>「神に選んでもらった」
みたいなのは、存在原因にはならないわけ
そういう事を言ってたんだけど、理解できたかな?
____
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/::::::::::::::::::::::::::::::::::\
|:::::::::::|_|_|_|_|_| こう見えても
|_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ をれはイケてる男だよ。
|::( 6 ー─◎─◎ ) 財閥に近い血脈基準で
|ノ (∵∴∪( o o)∴) やりすてていい女子きめてっかんな。
| < ∵ 3 ∵>
/\ └ ___ ノ 女で心を満たそうとする人間はやった人数に比例した地獄を目撃する。←New!!!
.\\U ___ノ\
\\____) ヽ
東北大学大学院博士課程
吉川裕(29) 仙台在住
365 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 19:59:29.35 0
>>1 ゲーム理論は死ねよ
まったく効かない。俺が押し返すから。
脳理論的にいってメディア掌握度数のゲーム論的おまんこオルグじゃろ
367 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 20:25:47.81 0
平和ボケのぬるま湯の重心、ってのが、あるみたいなんだな。
外国でマフィアとサシで交渉する経験とかない分、世界と人生を、舐めてるんだろ。
人の命なんて、そんなに貴重じゃ、ないんだよ。
裏路地であふぃされそうになって中韓時事ニュースじゃお
369 :
考える名無しさん:2014/02/07(金) 21:38:32.85 0
八尾市田井中激臭大凶ワキガのキーワード
APINK
ナウン
チョロン
ネトウヨ
バカウヨ
ゴキブリ
日本人は韓国人の財布
日本人には関係ない
バーカ
バカが
能年
日本人なんかに負けるな
日本人は韓国人に弄ばれてナンボ
ウヨ
糖質
事なかれ主義で日常的に人が身の回りで殺されているのを見て見ぬふりをするのさ。
「あ〜運が悪かったね」とか、「可哀想だったね」とか言ってればそれで済んでしまう。
へたに詮索して首突っ込むと自分の身が危うくなることを感じて、見ざる、
聞かざる、言わざるの三猿主義を貫き通すのさ。
情報の非対称性でなにもしらない神の目線をもてなくてよかったねー
たいだい大分のボスざるについていった
373 :
「機械的唯物論」者:2014/02/07(金) 23:26:11.11 0
>>357 >しかし「私が存在した事は、当たり前ではないんじゃないか?」
> 「いろいろな角度から、突き詰めて考えてみろよ」
>と、問題提起した時に、キミらは理解できず混乱する ただそれだけ
それで「理解」出来る人がいるとお考えになることが「理解」できません。
あなたこそ、十年一日のごとき「マイ・ドクガロン」から抜け出して、
「いろいろな角度から、突き詰めて考えてみる」必要があるのではありませんか?
その点で、(貴方のような)「ブンケロウジン」も最近頑張っている(小保方さんのような)
理系女子の頭の柔軟さを少しはお見習いになることに気づくべきだと思いますが…もう既に
「手遅れ」なのでしょうか?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
374 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/08(土) 00:46:18.51 0
>>330 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :
>痛いもんは痛いだろうし「観念」(精神、私)はあるだろね
「痛い」は感覚で観念とは言わない。
観念ともなれば高次な知性、理性が何層にも働かないと形成できない。
>学習によって、大人の精神構造を形成するに至るための原形(初期の精神)は先天的に持っているはず
そうでしょうね、そこからが実は問題なんです。
原型が有るからといって根拠になり得るのか? の問題。
勿論原型と言っても「将来自我を持ちうる可能性」くらいだったら多くの人が賛成するだろう。
しかしその可能性だけでは「人は先天的にすでに観念を持ち理性を持ち対象(客観)無しに演繹、展開できる」 とは言えない。
ではどの程度の原型なのか・・・これは現在の生物学的知見では解明されていない。
もとより哲学などでは見当も付いていないはず、それなのに「人は先天的にすでに観念を持ち理性を持ち対象(客観)無しに演繹、展開できる」 と言い切る根拠はどこに有るのか?
赤ん坊がおぎゃあと生まれたときに「天上天下唯我独尊」とか、貴方と同じに「私は私だ」と言うのなら自我の観念をもつ根拠と結論になる、しかし事実はそうでないでしょう?
何時から「原型」さえあれば将来の「完成型」まで証拠だてる事ができると言う事になったのかな?
例えばじいさんは其の原型についての興味は尽きない、だから知情意などを持ち出して情が出発点で知と意が成長して自我が成長すると仮説する。
何時から原型が出来たか?他の人も言っているが新生児、妊娠中、受精時、肝細胞・・・果てしなく未知の世界だ。じいさんは哲学のことは判らないが多分今の哲学はそういう方面は切り捨てるんだろう。
今の哲学は「成長」とか「情」の部分を切り捨てて「知」だけを取り出して「超越」した主観なるものをいじくるんでしょうね。
その辺の哲学者最高位さんのスタンスが見えないんですね。
375 :
考える名無しさん:2014/02/08(土) 00:58:24.45 0
>>374 >「痛い」は感覚で観念とは言わない。
哲学者最高位の独自用語だから痛いは感覚の痛いとは違うんですよ。
376 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 01:30:30.92 O
>>373 長時間に渡って説明してきたのに、なに読んでるの?
キミは本をたくさん読んでるらしいけど、読解力はないんだね
377 :
考える名無しさん:2014/02/08(土) 01:32:17.77 O
378 :
あまの:2014/02/08(土) 01:34:28.96 P
私は現象の範疇に振り分けられて良いですよね。
379 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 01:36:23.67 O
>>374 あと
「痛い」は「感じ」だから観念だよ
「痛み」なんてのは本人の観念世界にしかない
>375 名前:考える名無しさん :2014/02/08(土) 00:58:24.45 0
>
>>374 > >「痛い」は感覚で観念とは言わない。
> 哲学者最高位の独自用語だから痛いは感覚の痛いとは違うんですよ。
ほんとうだ君の言うとおり。
381 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 02:09:00.96 O
ようわからんが、決定論とか言っても決定されている物事ってのは、不可知なのでは?
ていうか、決定されているとして、だからなんなんだろう。
そもそも、決定とか決定されていないとかそんなん人が勝手に言ってるだけだろうに。
そのまんまそこにあるものを受け入れりゃいいのよ。
ゴリラ女の決定に首ふってるだけのネズミ男じゃろ
384 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 11:12:25.46 O
なぜ、そんなに混乱するのか
「痛み」は「感じ」だから「感覚」
それは「思いの世界でのできごと」
ゆえに「観念」
こんな基本的な事で、なぜ混乱するのか
ちなみに、たとえば
「鉄の硬い感じ」とか
「鉄の冷たい感じ」
なども「観念」
「まぶしい感じ」
「暗い感じ」
「静かな感じ」
「うるさい感じ」
「この感じ」
全て観念
人間は観念から出る事はできない
さらに言えば、人間は『私』を離れては
感じる事も、思う事も、そして存在する事すら不可能
「私」も感じだから、観念だね。
386 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 11:40:19.94 O
>>385 それは「私が、私を感じる」という事であり
それを自我意識という
自我意識は精神活動であり「観念」
『私』は存在性
>>357 「私が存在したことは、当たり前ではないんじゃないか?」
>>384 人間は『私』を離れては
感じることも、思うことも、そして存在することすら不可能
私が存在しないことは可能なのだろうか?それとも不可能なのだろうか?
この2つの文章は最高位が矛盾しているように読めてしまう
388 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 12:15:13.84 O
>>387 何を混乱しているのかよくわからんが
私は存在している
存在しているんだから、当たり前に存在している
しかし
なんで?と考えてみた事はありますか?
という事ですよ
>>386 「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」
この西田の「個人」は我に相当する。
経験(この場合観念)の方が根元的ではないだろうか。
「我を先に立てる」論理的根拠はない。
390 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 12:26:51.01 O
>>389 他人が、いくら経験しても、私にはならんのですよ
だから
経験→私
にはならない
私→経験
です
391 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 12:54:46.45 O
私が存在した事が大問題なのですよ
原因性のとっかかりが、ありえない
最初っからいたという事か??
わけわからん
というぐらいの問題です
それが私の性質なんですよね
393 :
考える名無しさん:2014/02/08(土) 13:11:35.27 0
決定論的自作自演スレ
世界はひとつと考えれば、すべては世界自体の自作自演といえる
395 :
考える名無しさん:2014/02/08(土) 13:28:06.21 0
どうやったらそのover-generalizationを解くことができるのだろう。
もう無理なのかもな。そういう自己愛の形で、自尊心を保守するように人間が出来上がってしまっていると。
396 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 13:45:16.45 O
キミらはいつも
反論できなくなると、人格攻撃にシフトしちゃうんだよな
機械君しかり
反論できないってことはそこが暫定一位なんだから
それは認めざるを得ないっていうのが普通なのになんでだろ?
>>390 認識や経験のない「我」なんて想像できるのか?
最高位がいうように「我」が先在するというなら、認識や経験の対象がまったく存在しなくても、「どこかに」存在するということになるが。
400 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:06:45.03 O
逆に、認識や経験が主語なしに成立しますか?
ロボットに我はないけど、認識させ経験させるようなことはできてるんじゃ・
夢遊病なんかも我のない経験か
404 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:29:58.07 O
>>401 認識というのは「観念」です
ロボットの中では物理現象が起こっているだけで
それを計算し利用しているのであって
外から見たら認識しているように見えているだけです
最近普及してるらしいクルマが障害物を認識して止まるやつ
あれは実は認識してるのではなく、物理的な仕掛けがあってスイッチが入るだけです
>>402 キミはアスペかも知れません
人間の中では物理現象が起こっているだけで
それを計算し利用しているのであって
外から見たら認識しているように見えているだけです
最近普及してるらしい最高位とやらがスレを認識して寝言をほざくやつ
あれは実は認識してるのではなく、物理的な仕掛けがあってスイッチが入るだけです
407 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:36:31.19 O
>>405 確かにそうですが
なぜか『私』の「観念」につながっている
そこが一切不明ですね
>>404 観念として認識している人間が
その認識をロボットに機能させるということが
我がなくても認識させ経験を成立することができている。
ことになると思うのだけど
この認識の誤りがどこにあるのかわからない。
409 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:41:27.17 O
>>406 その寝言に、有効な反論ができないのが
前時代的な思想だという事です
どう見ても有効な反論できてないのはお前だと思うんだが
411 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:48:18.30 O
>>408 機械は認識しません
たとえば、センサーは認識しているのではありません
錯覚です
原始的な例で考えればわかりやすい
ジャングルなどでヒモを張って侵入者が足をかけたら空き缶が鳴るやつ
あれは、もちろん認識しているのではありません
しかし、もちろん仕掛けた人が死んでも機能し続けます
原理や複雑さが違っても
物理現象である限り、基本は同じ事です
412 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:50:14.94 O
>>410 キミは、設問そのものが理解できていないと思われます
あの一文でその理解力、そら恐ろしいっすねw
414 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:53:20.22 O
>>413 具体的な事を書けない人には、あんなもんでいいでしょう
415 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:54:44.65 O
ちょっと用事しますんで
それでは、また
レスありがとうございました。
知覚という物理現象がいかにして観念という認識に転換されるのか?
ここが問題点だと思いますがね。
そうだね、転換されてればね
>>406 うん、そうだよ。別に超自然的なものとして人が存在してるわけではないもん。
ごくごく普通の自然科学的なものとして存在してるでしょう。
そんなん、哲学者どころか社会科学や人文科学を学んでる人でもほとんど認めてるでしょう。
問題は、我々が、自身のそのような認識とかそういうもんを物理的なものとして捉えることが
できないだろうなってところにあるんだね。だから、もう認識そのものを問題にしなきゃ、
どうにもならんとか、そういうことだとなんじゃないんすかね。
自分の座っている椅子が自分で持ち上げられないことがそんなに不思議なのかね?
>>418 あ、変換の間違いだった。
ごめんなさい。
>>420 別に不思議でもなんでもないよ。ある意味では当たり前なんじゃないかな。
ただ、持ち上がったらすごそうだね。哲学はあんま勉強してないからわからんけど、
持ち上げた人とかいるの?
いないらしいよ、だけどみんな、角度を変えながら
この視点が正しい、いやこの視点から見た方が正しいって
感じなんじゃない?みんなイスが持ち上がらない事だけは
知ってる。
私がなんなのか分からないのに、私が認識した
成果や正しさを分かる事ができ知識できる不思議
自分を機能させている脳味噌を自分でどうやって
機能させているのか分からないのは不思議
424 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/08(土) 21:14:21.81 0
>>384 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土)
ウィキによれば・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒュームでは観念と知覚印象が区別される。
観念は論者によっては感覚的イメージだけを意味することもあり、また概念的で感覚的ではない観念を含むこともある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なるほど 論者によって全然違いますね。
じいさんは「観念と知覚印象が区別される。」と言う立場で。
貴方は「感覚的イメージだけを意味することもあり」と言うことですね。
さて話は本題に入りますがじいさんの言いたいのは新生児の「私」と成人の「私」では全く意味が違うと言う事です。
「私」を一つの絶対的実在と捉えれば「同じ私」と言う主張になるでしょう。
これが貴方の考えなのでしょう。
しかしじいさんは主客の相対なので「私」も外界の変化に即して変わっていく、「私」の実在性は否定(空)される。
しかし新生児の自分と老人になった自分が同一人物で無ければならない、所がそんな根拠を客観で示すことは出来ないので常に「私は私だ」と叫び続けるしかない。
そういう意味での「我思う故に我あり」であればおkだが、そういう解釈はじいさんの勝手読みだろう。
425 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/08(土) 21:26:26.92 0
>>389 :考える名無しさん:2014/02/08(土)
>「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」
へ〜その西田さんは基本的に間違えている。
正解は両方が相対的に成り立っていると言う事。
経験だけあって個人がない場合、経験を受け止めることが出来ないと言う事実が在る。
具体的にいうとコップを見てコップだと認識する為には予め個人(心)のなかにコップの観念(心像)が受け皿として用意されて居なければならない。
「経験を先に立てる」現実的根拠はない。
426 :
考える名無しさん:2014/02/08(土) 22:28:20.06 0
>>425 動物には、感覚や意識がある。高等動物はある種の思考さえ行っている。
したがって、それに伴う経験も有している。
しかし、動物に最高位が言うような「独我論的な我(の意識)」などがあるだろうか?
おそらくない。
発達心理学についてはよく知らないけど、人間においても、まず経験(環境との交渉)が先にあるだろう。
「経験を先に立てる根拠」は充分にある。
「経験だけあって個人がない場合、経験を受け止めることが出来ないと言う事実が在る。」
これは、「ある特定の物体のみに加わる力は、その特定の物体のみにしか加わらない。」というトートロジー的な意味では充分に正しいと思うよ。
でも、そんな身も蓋もない話をしても、しょうがない。それだけの根拠なら、人間以外にも通用する話だ。
428 :
大王:2014/02/08(土) 23:30:50.50 0
いずれ、俺の子分達が俺を食う日が来るかもしれない。
それでいい。
429 :
「機械的唯物論」者:2014/02/08(土) 23:48:27.99 0
>>424 >しかし新生児の自分と老人になった自分が同一人物で無ければならない、所がそんな根拠を客観で示すことは出来ないので
>常に「私は私だ」と叫び続けるしかない。
だから、観念論は結局(「客観性」を捨てて)宗教的「信仰」の体を取らざるを得ない
宿命に陥るのです。
唯物論的に言えば「私」?・・・そんなもの実在しませんよ。いわば「錯覚」でしょう。
「意思の自由?」・・・「私(主体性)そのもの」が錯覚なので、必然的に錯覚でしょうね。
となります。
>そういう意味での「我思う故に我あり」であればおkだが、そういう解釈はじいさんの勝手読みだろう。
「おk」でもなんでもなく、「我思うけれど、その我は錯覚である」というのが正解です。
例えば、「右足の親指の痛み」は「何処」にあるのでしょうか?
柱にぶつけてしまい「いてて!」と叫んだ瞬間に、「私」は「痛みは右足の先に有る」と
確信しているでしょうが・・・それも「錯覚」です。
正解は「痛みは脳にある」となります。神経細胞により「痛みの下になり得る信号」が
脳に無事運ばれた結果、脳は「右足の先が痛い」と「感じる」ことが出来るのであって、
その信号が(例えば麻痺とかで)途中遮断されてれば「右足の痛み」は存在しえません。
それと同様、「私」とは大脳が「エピソードとして記憶を保持する為の
(コンピュータ的に言えば)「キャッシュ」のようなものであり、「普遍・不変の実在」
等とは一番ほど遠い存在と言えます。
すなわち「現前するエピソードに即応してキャッシュしておく」ということが、
自我・意識の「主目的(進化論的存在理由)」だからです。
従て、当然「瞬時も停止することなく移ろう」ことこそが、自我・意識の「本質」ということに
なるからです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
認識してる我と認識されてる我はおんなじ?
>>427 門外の私がいうのもなんですが、そうだと思いますよね。
経験が個人を作るってのもわからんでもないですが、
経験する存在がなきゃどうにもならんわけで、そういう意味では、
なにがしかを経験してるとか、それ以外でもなんか活動してる「私」とか
「我」とかそんなもんを想定せざるを得ないでしょうな。
>>429 おっしゃるところを正確に把握しているかどうかがあやしいんですが、
私からみると実に明確に「私」とか「我」というものの意味を認めてるように
見えるんですが。
つまり、そのエピソードってやつを蓄積するのが「私」とか「我」ってことでしょ。
蓄積されるキャッシュが存在して、そこに蓄積されたエピソードやそれによってできあがったものを
「私」とか「我」って呼ぶのと、そもそもエピソードとかなんやかんやを蓄積するキャッシュそれ自体があって、
それを「私」とか「我」とか呼んで、そこにエピソードとかが蓄積されているんだと考える、
この2つの考えのどこに違いがあるんでしょうか?ほとんど同じことなのではないかと思いますが?
とそれだけではなんなんで、たぶん単純にキャッシュするだけだと、同一性が保てないと思いますよ。
他人のエピソードと自分のエピソードを区別しないとわけわからなくなりますぜ。
432 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 00:53:19.71 O
>>426 >「独我論的な我(意識)」
なんだそりゃ
>おそらくない
なんだそりゃ
>>432 >なんだそりゃ
はぁ?
>なんだそりゃ
はぁ?
>396 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 13:45:16.45 O
>キミらはいつも
> 反論できなくなると、人格攻撃にシフトしちゃうんだよな
>404 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/08(土) 15:29:58.07 O
>キミはアスペかも知れません
なるほど、アスペとレッテルを貼る人格攻撃をする見本ですか?
>>432>>433 ごめんwwやばいwwつぼったwww
なんか、盆踊りみたいwww
今、俺の中で、「なんだそりゃ音頭」ができあがってる。
>>411 何じゃそりゃ音頭はさておき。
ロボットは認識しない、人間は認識するってのは、
人間とロボットの境界線を引くのには役立つけど、
人間というものの認識をつまびらかにするのに
どういう意味があるの?
認識するロボットがいればそれはもう人間じゃんってことにならん?
むしろ、認識するロボットを作ろうってのに意義を感じるなぁ。
438 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 01:31:41.52 O
だいたい
「主語なしで動詞が成り立つ」
みたいな事を言う人と、マトモな話が通じるわけないでしょ
まさに
自分の座っているイスが持ち上がると考えてるのと変わらん
「独我論的な私(意識)」て何ですか?
私は言ってませんよそんな事
はぁ?
これも会話が成り立ってませんね
はぁ?じゃないでしょ自分が勘違いしといて
>>438 一言で答えて。
動物に「我」はあるか?
440 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 01:40:12.18 O
>>437 まず「認識」とは何かですね
これを安易に考えてる人が多すぎる
という事です
人間の精神構造を深く分析できてないんです
認識は観念
観念は「それぞれの私の観念」としてしかありえない
「『私』のシステム」が解明されない限り
それは似た動きに見えるように作られたものしかできないのですよ
441 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 01:43:09.08 O
>>441 じゃあ、動物の場合、「主語なしで動詞が成り立つ」んでしょうか w
>>440 そだね〜。ていうか、
>>430でも指摘したけど、
我を我として認識してることそれ自体と「我」という存在そのもの
とか、そんな感じで分けたほうが良さそうだよね。
なんかわけわからんくなってくる〜。
444 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 01:47:40.97 O
>>442 主観性がないなら
それは「認識」してるのではない
という事になるね
>>440 安易に考えていないアンタとしては
どのような手法なら深く分析出来ると考えているのさ?w
446 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 01:52:27.15 O
>>445>>446 たぶん、お二人共わかってらっしゃるんだと思うから、私がこんなこと言っても
しゃーないのかもしれんけど。
哲学者最高位さんが言ってるのは、ワンちゃんの体の構造を物理的に完全に明らかに
して、いろんな入力に対してどのような反応を示すか(これは脳のシステムがどのように
働くかとかそういうのも含めて)ってことがわかっても、それを記述したデータを見ても
ワンちゃんの気持ちを理解する(共有する)ことってできんのじゃないの?ってことだと思う。
そんで、
>>445さんが言いたいのは、人間そのものの素体がたくさんあったとして、
それらにスイッチが入っていないと我(自我)なんてもんは存在しないじゃん、スイッチを
入れて外界(自分以外の素体の存在とかそんなの)を認識・経験して初めて我(自我)という
認識ができるんじゃないの?だから、我が先にこないってのもありじゃん、とかそんな話だと思う。
違ってたら、ごめんね〜。
449 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 03:02:27.86 O
>>448 どうやったら深く分析できるのか?と聞くから
まず、認識は『私』の観念である事を分析し
そして、『私』は「構造」ではないという事を分析しなさいよ
と説明したわけさ
450 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 03:05:40.88 O
昨日の「私」と今日の「私」は同一の存在なのか?
452 :
447:2014/02/09(日) 03:36:23.43 0
>>450 デリダとか出されるとわからんけど、私という構造はたぶんあるなっしー。
ただ、それを解明するだけでは、みんな納得いかんなっしな。
構造とか、物理的なシステムがわかっても、それだけでは、それを感覚的にとらえる
ことはできんなっしー。
でも、それがわかれば後は両者をつなげることができるかどうかなっしな。
両者は全く無関係とも言えんなっしよ。ある意味では、同じものを探求してるなっしー。
453 :
447:2014/02/09(日) 03:52:08.82 0
>>451 全く同じわけがないなっしー。
問題は、何が違って、何が同じかなっしー。
もっと言えば、何が同じだから、同じだと感じるかなっしー。
まったく同一の世界があって、あなたが二人いるとして、二人が出会った
瞬間に別人になるのか、それとも出会う前から別人なのか、なんてことを考える
ことに何の意味があるのか、正直、わからんなっしな。
そんなん、どっちでもいいなっしー。
まあ俺に言わせれば同じ部分なんて何一つとして無いんだけどね
それでも同一性を担保しているのは「記憶」に他ならないでしょ
(ま、客観的「記録」でも有りだけど。あくまで主観的な問題として語るなら「記憶」しかない)
つまり、「記憶」という「要素」が無ければ「私」という形・同一性は霧散するわけよ
これって既に構造的じゃない?
記憶は保存や消去はては他者にコピー可能な代物だってことも分かってきてるしなー
455 :
447:2014/02/09(日) 05:22:00.80 0
>>454 人間はそんな単純ではないと思うなっしー。
でも、RAMとROMのようなものを混同してないなら、そういうのも悪くはないなっしね。
同じ素体が同じ記憶を持ってるなら、同じ人だと言っても別に良いなっしー。
でも、2つあるから、1つずつ違うと言っても別に良いなっしな。
>>453でも言ってるなっしが、どっちでもいいなっしー。おんなじことを言ってるなっしね。
456 :
447:2014/02/09(日) 05:44:55.24 0
もちろん、同じのが2つあるから、1つ潰しても良いなっしー、
とかいう話になってくると、また別なっしよ。
でも、そういう話をするとなると、倫理とか正義とかの話に
なるなっし。門外だからよくわからんなっしが、そこから先は、
たぶん、純粋な認識論的なものからは離れていきそうな気がするなっしー。
でも、大いに関係する話だとは思うなっしよ。
457 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 07:26:17.94 0
ぼくらはみな ふたつの生を生きている
ひとつは生きられた生
もうひとつは思考された生
ほんとうの唯一の生は
本物と偽物のあいだに
分かたれた生
しかし このふたつの生の どちらが本物で
どちらが偽物なのか それを説明できる者は
この世には 誰ひとりとしていない
それでぼくらは 自分の生が
思考される生であるかのように
生きることになる
by フェルナンド・ペソア
458 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 07:45:40.92 0
コピペに我なし
入力と出力が同じなら
意識に触れやしない
思考が演算であるなら
我はその無限に住まう
記憶はわたしのものであなたのもの
だからわたしでありあなたであり
ゆえにそれは誰でもない
459 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 07:58:20.30 0
有限はどこまでも有限なパターンとして限りがない
よって自然は無限である
久方おわり
460 :
大王:2014/02/09(日) 10:42:21.36 I
さあ、騒げ。
461 :
大王:2014/02/09(日) 10:46:12.90 I
実体のない言語の多種多様な羅列を
ピンセットでいじってるのが
哲学らしいな。
462 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 11:15:39.94 0
言語論が隆盛だった20世紀は、哲学にとって不毛の世紀だったと後世の史家は判断するだろう。
唯物論を最も理解しているのは死体かもしれんな
赤ちゃんvs死者……、ファイt!
464 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 12:57:17.01 O
>>452 『私』は『私』としか言えない存在であり、構造ではない
『私』にまつわるものに構造はある
私は私という心、観念を材料に構造されてるでしょ。
それを構造を言うかいわないかの感覚的違いはあるだろうけど
466 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 14:07:32.80 O
私が私であるための構造がない
構造によって私なのではない
467 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 14:11:36.55 0
主観的にはそうだな
>>466 では「私」を「私」として認識しているのは誰?
どちらがあなた?
「私」を「私」として認識できなくても、「私」というのはあるの?
469 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 14:56:00.49 O
私という観念があるに結局落ち着くな〜
471 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 15:00:48.14 0
そろそろ「観念」とは何かを、少なくとも、どの次元で示せるものなのかを、明示してほしい。10年以上やってるのだから。
>>469 認識している「私」と認識されている「私」は同じ「私」なの?
認識している「私」がいると言い得るためには、認識している「私」
を認識する「私」が存在しないといけなくないかい?
473 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 15:11:10.30 O
>>470 それは半分だけ正しい
しかし、その奥がある
これには自分で気づくしかない
発想の転換が必要
気づいた時には
「あっ!!!」ってなるから
474 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 15:15:10.88 O
>>472 一度、それを医師に聞いてみる事を勧めます
475 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 15:17:48.29 0
>>1 前から思うけど、哲学者最高位の絶対的判断基準は「医師による判断」だよな。
だから最高位は観念論者でも「私」提唱者でもなく、「医師判断原理主義者」だよ。
476 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 15:22:13.91 O
いや、私には手に負えないから
専門家にお任せした方がよいかなと
本人の為にも
477 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/09(日) 15:29:39.75 0
>>454 :考える名無しさん:2014/02/09(日)
>まあ俺に言わせれば同じ部分なんて何一つとして無いんだけどね
其のおとり、だから「記憶は保存や消去はては他者にコピー可能な代物」ではない。
同一性の原因は記憶の中に「私の記憶である」と言う色付けがなされているからである、これを背景感情と言う。
コップを見てコップを認識する時もコップの心像と言うモノが用意されそれが情報と結びついてそれと認識する訳だが、同時にその見たのが他ならぬ自分であると言う色づけ(=背景感情)がラベルのように付けられる。
それらの記憶が総合的に昨日の自分が今日の自分だと言う意識の元となる。
したがって其の認識の元となるのは感情であると言うところが最も重要である。
>>473 それに気付いた哲学者が居ないって事?
学がないから哲学書なんて読んだ事ないんですいません。
>>476 そんな難しいことを言ってるわけではないなっしー。
多分、古典なっしよ。
あなたの言ってる「私」というのは、ものすごい純粋な存在としての
「私」であるというように感じるなっし。
つまり、認識とか経験する前の存在としての「私」というものであると思うなっし。
でも、認識したり経験したりする前の物それ自体がどんなものなのかはわからんなっしな。
だから、認識したり経験したりした物を語るしかないなっしよ。
480 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 15:37:44.75 0
苦言だけど、最高位の医師権威信仰は、最高位自身の「私」信仰のレベルを上回っているよ。
481 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 16:12:11.58 O
>>479 >認識とか経験する前
前とか、そういう話じゃないんですよ
みんな「我あり」の重大さがわかってないから
表面的な分析しかできないんですよ
『私』は「構造」によらない
↑
これは驚くべき事なんだけど、わからないでしょ
問題意識が低く、着眼点が表面的なんですよ
哲学って面白いですね、「私」に関する哲学書でなるべく分かりやすく書かれた本
を読んでみたくなりました。オススメのを教えてくれると有り難いです。
>>481 驚くべきというのが、どのように驚けるのか書くことができないけれど
知っているという感じなんですか?
驚くべきという感情的観点からも論理的に表現することはできない
驚きということなのだろうか?
お勧め本、誰か〜
その問題意識と着眼点がなんなのか分かって書いているんでしょうか?
うーんわからない、本ないのかなー
487 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/09(日) 17:08:48.98 O
どうでもいいけど
キミらいったい何人いるの?
会話するなら名無しだと、相手に不便かけるとか
思わんのかねぇ
488 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 17:20:54.12 0
489 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 17:24:16.16 0
たしかに「ああ」とはなるのだが(「あっ!!!」とまではどうかな・・w)、
しばらくすると、やはりなんかおかしい、と思うようになる
そうでなければ哲学とは言えんわな
>>488 おぉ、相応しい本をどうもありがとう。
まず哲学本一冊目としてさっそく読んでみる
>>481 「我あり」の重大性ってなになっしか?
とりあえず、あるってこと以外になんか意味があるなっしかね。
あなたの言う「我」っていうのたぶん原理的にどういうものかわからんなっしよね。
そうすると、なんかわからんものがあるっていうくらいの意味しかないなっしな。
しかも、厳密に言うと経験とか認識以前の「我」そのものにアプローチできないから、
実はあるかどうかも、わからんなっしな。
あと、他人に説明できないのに、驚くべきとか言われても困るなっし。
誰それのどういう理論に近いとか言ってくれるとうれしいなっしね。
>>490 個人的には、哲学史をひと通り抑えておこうと思ってるなっしー。
古代から、現代に至るまでの思想を追っていくのが一番わかり安い気がするなっし。
特に、近現代の哲学者の思想をいきなりきちんと理解しようとしたら、
とってもしんどいなっしね。だから、入門〜中級の哲学史・思想史の本を一冊読んどくのも
一つの手だと思うなっしー。
493 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 17:49:34.12 0
>>492 件の永井本の主張は、その対極にある
つまり「哲学にとって、勉強しちまったらもう手遅れなんだ」、
と永井は言うわけだ
まあ実際、そんなことは無理な相談だが
奴は結構無茶なことを言う
>>492 くわしくありがとう、図書館で資料検索したら、子供の為の哲学あった〜
「入門 哲学」「思想史」でキーワード検索してきます。
ありがとなっし〜
>>493 それは無茶なことを言うなっしな。
とくに、なっしーみたいに近接科学から哲学的な理論を学ばなければ
ならないと思ったものからすると、もうどうしようもないなっしよ。
○○という理論は、カントの△△という理論を継承して主張された
とか言われたりすると、もうカントを勉強するしかないなっしー。
じゃないと、検証も反論も出来んなっしよ。
496 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 18:28:52.91 0
>>495 それもありなんだろうけどな
わたしはね議論において、カントによれば、ウィトによれば
と連呼されるたびに
カントが言ったとして、だからどうなんだ?
と思わずにはいられなかった
「カント」という個人名がいったい何を説明するというのか
そう言うと「いや、だから純理を読めよ」となる
みなさんね、本当にあんなもの“読めてる”のか?
そこにある『理論』は、検証とか反論ができるようなものか?
まあ、興味の対象が、哲学という『歴史的構造物』なのか
それとも『世界そのもの』なのか、によってアプローチの仕方が違っても
良いのじゃないだろうかな
私はカントよりもアインシュタインに痺れる人種
497 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 18:35:41.49 0
あと、カントはな、ニュートンをなぞっただけだ
個人的には、新しい理論を作ったとまでは評価できん
決定論は避けられない事実として受け入れなければならない。
自由意志は完全に否定された過去の概念。
意識はもはや哲学的手法で議論する分野ではなくなった。
どんな手法なら扱えるんだか
>>498 自由意志は物理的・事実的な問題として、あるとかないとかいう話とは、
ちょっと違ったところの話だと思うなっしよ。
あれは、規範とか当為とかの問題に近い話だと思うなっし。
501 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 19:12:24.30 0
>>500 それは、自由意志を規範と当為の問題だと捉えたい
という願望から逃げられない
いや、それでも良いのだけどな
自由意志という「意味」を支える事態は
・思ったことを行為できる
・思考活動は自律的である
たぶんこの二つだけだ
そこに過剰に意味づけをしようとするから超越者の登場となる
思ったことを行為できることはもちろんのこと(因果律で解消されるしな)、
思考が自律的であることも、おそらく『物理的な問題』だ
なぜなら、物質には選択する自由がある、とすれば良いからだ
しかしその「選択」の内容とは何か?が次の問題となるわけでな
>>501 自由とか支配とか言ってる時点で価値判断的なにおいがするなっしな。
>>496 ごめんなっしー。カントとか言ったから変な誤解を生んだなっしー。
そんな厄介な話ではないなっしよ。
計量政治学を勉強しようとしても数学がよくわからんから、数学の
勉強をしないと始まらないなっしー、とかそんなぐらいの話しなっしー。
504 :
488:2014/02/09(日) 20:18:57.01 0
>>502 支配は知らん
「選択の自由」の中身はたしかに怪しい
俺も分からんし
数学は勉強したほうがいいだろ
なぜならそれは技術としてだから
数学の基礎付けとか始めると哲学になるのだろうが
失敗するわな
なぜなら、数学は論理より強力なので
哲学することを技術とするのか、それとも芸術なのか、いや教養なのか
スタンスはいろいろあるわな
>>504 個人的には、技術的なものととらえるところが大きいなっしー。
単なる学問の一分野としか考えてないなっしよ。
基礎科学的な部分を担ってるところもなきにしもあらずなので、
そこはおさえておきたいなっしー。
物理的に自由意志がないから、自由意志なんて概念捨ててしまえって
言ってるんじゃないなっしね。そこは勘違いしたなっしー。ごめんなっしー。
物理的に自由がないからといって、社会や個人から自由を取り去ることにはならんなっしね。
前者の自由と後者の自由は多分違うもので、自由意志の自由というのは、後者の意味合いで
使用される場合が多い気がするなっしー。
自由意志は、自由落下を少し複雑にしただけで、基本的に同じ物理法則下にある以上、自由意志を特別視できない。
507 :
488:2014/02/09(日) 21:16:27.96 0
>>505 そうか
私は学問として哲学を学んだことがない
死ぬまでに本当のことが知りたい
そのような強い欲求があった
いろいろ考えた
だが本当のことなど無かった
それでも途中でいろいろなものを拾う
説明できそうな何ものか
だから全くの無駄ではなかった
たぶん人間も物質だろう
しかし物質は、それがそのような物質であること以上の支配はされない
「この私」は「物自体」と裏表
直観と論理が食い合う中で「あるとしか言えない何ものか」として現れる
それが神だ幽霊だとの判断は、的外れとまでは言えないだろう
>>506 「選択の自由」が認められるなら、言いたいことの概要は同じなっしー。
もしかして、488さんとは別人なっしか?
488さんなら、そっから先の話はすごい興味あるなっしー。
じっくり考えて見るなっしー。なんか教えてくれることがあったら言って
欲しいなっしー。
509 :
488:2014/02/09(日) 21:39:21.37 0
そもそも、どうして物質には選択の自由が無いと考える?
それは、虚構であるはずの「物理法則」が最高に有効だからだ
もうほとんど無批判、無制限に完璧かとも思える
だがそれが完璧である根拠は、結果としての成功を除けば、無い
本来、物理世界と人間世界を分ける必要は無いのであって、
それを無理に分けて別の原理で考えなければならないなんてのは
常識的ではあるが、ちょっとおかしな話なんだ
新キャラ登場か
僕は強い決定論支持者で、自由意志も選択の自由も認められないんだけど、これって少数意見なのかな?
物凄く自然に導き出した結論なんだけどなあ。
>>509 たぶん、分けたほうがわかりやすいからなっしー。
ごっちゃにすると、理論がぼやけるなっしー。
物理法則は、結果としての成功(同条件での反復検証等)が
できるものだけに純化していってるなっしー。
だから、完璧に見えるなっしー。
ななっしーからみると、そんなわかりやすいところだけをチョイスしたら、
そりゃ完璧に見える理論ができるに決まってるだろうとしか思えんなっしー。
でも、選り分けて考えたから、自然科学はここまで発展したと思えるなっしね。
自然科学から選別されたわかりにくい残りの部分をあつかう社会科学・人文科学
はきついなっしー。
単なる愚痴なっしー。
513 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 22:09:56.10 0
>>511 このスレでは少数意見
機械氏とあと一人二人
世間的にはそうでもないというか
決定しててもいいよ、何も変わらないし問題なし
ってスタンスが大勢じゃないのかな
>>511 間違ってないなっしよー。多数意見でいいなっしー。
でも、自由主義や自由権などがそこからアプリオリに否定されるわけではないなっしー。
ちょっと、ジャンルが違うなっしな。自由意志っていうのはそこにも関わりがあると思うなっしー。
516 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 22:17:20.23 0
>>512 その先があるのだ
物理法則はもはや完璧ではない
同条件での反復検証によっては
統計的なデータしか得られない
これは技術上の問題ではなく、原理的な問題
というのがいまや物理学の大勢だ
物質は常に作動しているのだ
作動しない物質など無い
よって条件が足らなくても、物質は自らの振る舞いを選択しなければならないのだ
>>516 完璧ではなく完璧なように見えるということをななっしーさんはおっしゃっていると思うんです。
その先をあなたは語っていないと思います。
518 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 22:31:50.39 0
だから、完璧ではない
519 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 22:38:26.40 0
物理世界を人間世界から分けるということは結局、
心は物理世界とは関係ない、という考えに繋がる
どうして最高位が唯物論を破壊したなどと豪語できると思う?
それは物質を理性に押し込めることによってなされるのだ
実際、理性に規定されない物質など、考えようがない
そのように規定された物質をいくらこねくりまわしても
世界が私に開闢する事態を説明しない
だが、理性に規定される物質が物質の全てなのか?
>>518 ななっしーは、波動関数における確率振幅がどうのこうので、収束するとか
いう話はわからんなっしー。でも、猫さんぐらいの大きさになるとあまり関係なさ
そうな話を聞くなっしー。確か、ちっちゃい話だと確率論的な振る舞いを見せるけど、
おっきいところでは、確率論的な振る舞いはなくなってるはずなっしー。
両者をつなげる理論がまだないなっしーという話も聞くなっしー。統一性理論という
やつだったと思うなっしが、M理論とかが有力ってNHKでやってたなっしー。
なっしーは、M字ハゲにならないことの方が気になるなっしが、いずれにせよ、確率論的な
振る舞い(選択しているように見える)のは、ごく微小の世界の話だと思うなっしな。
間違ってたら、補足して欲しいなっしー。
唯物論はどうかと思いますが物質軽視もどうかと思うんです。
我々が物質だとしたら自分が矮小な存在に思えるといったイメージで語られることが多い。
そんなことはないと思うんですけどね。
誰が何を言ってるのかわからなくなってしまったなっしー。
物理と哲学とでは扱ってるものが違うなっしー。一緒じゃないなっしよ。
例えば、脳内の物質の移動が分かったとしても、どのような物質の移動が
倫理なのかすらわからないと思うなっしー。まず、人文科学の方で倫理とは
こういうものであると定義するしかないなっしよ。
523 :
大王:2014/02/09(日) 23:25:38.77 I
何を言ってるんだ…
524 :
考える名無しさん:2014/02/09(日) 23:32:39.71 0
>>520 微小の世界を記述する理論には
ボルツマンによる分子統計力学と量子力学とがある
前者はニュートン力学を用いて粒子の振る舞いとしてのモデルを立てる
だが個別の粒子の振る舞いについて、その観測可能性を問題にしない
トータルとして現れる現象(温度とか圧力とか比熱とか)を説明するためのモデル
特定の粒子がどのような状態にあるのかなんて知りようが無い
量子力学もまた粒子の振る舞いとしてのモデルを立てる
だがこちらは、個別の粒子の振る舞いについて、その観測可能性を問題にする
しかし特定の粒子がどのような状態にあるのかについて、
直接には(直接とは何か?とか訊くなよ)知りようがない、その状況は変わらない
どうするのか
猫の話で言うなら、猫が死んだことでラジウム原子が一つ崩壊したことに
読み替えるのだ
そのような読み替えが可能と判断される観測装置の存在が即ち、
そのように読み替えることの妥当性なのだ、とする理論
観測装置の微小領域での仕掛けが実際には見えないとしても、そこに
因果的な仕掛けが有効に存在することを仮定している
つまりミクロからマクロまでが、理論に関与するモデルの全体ということになる
なので、その間のどこかのスケールで事態が確定するという問題ではないはずだが、これは私の独断
どこかで確定されるという立場もあるだろう
それ故に、波束の収束などという虚構が介入する余地もある
なのでいずれにせよ、これを「遠い微小の世界の出来事」として
脇に置いて無関心にしておくわけにはいかんのだ
この猫が我々自身のことかもしれないからである
M理論は知らん、教えてくれ
>>524 文系のななっしーに超弦理論を説明することは無理なっしー。
522でもいってるなっしが、物理学と哲学は扱ってるものが違うなっしー。
たぶん、物理学では自由なんて概念を扱ってないと思うなっしー。
だから、物理学的に人間の行動は決定されているから、必然的に自由はない
というのは行き過ぎなっしー。物理学はそんなことまで言ってないなっしね。
そこは、物理学の成果を人文科学がどのように取り込むかの問題なっしよ。
とりあえず、選択するということが実は物理的に必然的に決定されたものに追従している
にすぎないということは間違いないなっしー。
でも、我々が日常的に何かを選んでいるということに変化はないなっしー。
哲学とかが対象にしているのは、どちらかと言えば、後者なんだと思うなっしー。
超適当だけど、こんなかんじなっしー。
>.507
本当のことを知りたいという気持ちは、とてもわかるなっしー。
でも、ななっしー的には数百年に1人レベルの天才が死ぬほどがんばっても、
ほとんど不可能な気がするなっしー。あきらめるほかないなっしな。
悲しいことなっし。でも、どん詰まりなっしよ。
物は嘘をつかないなっしね(物自体とかそんな話はこの際置いておくなっし)。
ただ見つめているだけなら良いのに、知ろうとか、説明しようとかすると
間違えてしまうなっし。わからなくなるなっし。
ななっし程度のものがこんなことを言うのもおこがましいなっしが、
物質を扱う物理学に惹かれる気持ちは、痛いほどよくわかるなっしよ。
文系も理系も関係ねーよ
馬鹿という自覚があるなら黙ってろ
>>526 それはすまんなっしー。代わりに超弦理論の解説をお願いするなっしー。
エドワード・ウィッテン辺りの理論をお願いするなっしよ。
ななっしー的には数式も入れてほしいなっし。
>>522 物理学も哲学も同じものをそれぞれ異なる手法で説明しようとしてるだけだと思うなー
熱くなるなよスノッブ野郎
530 :
考える名無しさん:2014/02/10(月) 13:46:48.38 0
531 :
考える名無しさん:2014/02/10(月) 15:00:36.50 0
うんこはトイレでするもの。
532 :
考える名無しさん:2014/02/10(月) 15:19:08.14 0
なら、おまえを便器に流さなくちゃ。
>>528 それは、そうなっし。別の世界の話ではないなっし。
同じ世界について記述してるのだから、大いに関係はあるなっし。
ただ、すべての学問は物理学に服従しなきゃならんわけでもないなっし。
分野が違うからそれぞれ違うところもあるなっし。だから、物理学の成果を
どのように取り込むのかという問題なっしよ。
取り込む過程の理論を示してくれないと、門外のななしーとしては、別物だから
そのままってのはおかしいなっしよ、ぐらいのことしか言えんなっし。
ななっしーが少しわかる分野では、決定論なんて物理学どころか哲学が採用しても、
それを採用するにはちょっと無理がありそうなっしな。
>>529 ななっしー、ちょっと熱くなったなっし。すまんなっしー。
ななっしーは、門外なっしー。それは最初の方にも言ってるなっしよ。
だから、おかしなところは積極的に指摘して欲しいなっしな。
参照するのが推奨される文献なんかも付けてくれるとうれしいなっしよー。
>>533 数学が苦手だというのに、ウィッテンの論文なんか読解できるはずないと思うが。
それより、超弦理論のもっと一般的な本?
>>534 超弦理論を出したのは、ほとんど冗談みたいなもんなっしー。
ごめんなっしー。超弦理論を解説してほしいわけではないなっしよ。
そんなことやってると、物理板に行けって言われるなっしー。
ななっしーは、怒られるのは嫌なっしー。
ここの話題は、決定論とかいうやつなっしから、その辺りを補足して
ほしいなっしよ。
ウィッテンの論文はネットで公開されてるのがあったはずなっしー。
死ぬほど暇になったら読んでみるなっしよ。
バカに何かを教えることはこの世で二番目に難しい
一番難しいのはバカにそのバカさ加減を自覚させることだ
他人のことをバカとか見苦しいからいらない
物自体と 物 の違いってなに?
539 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 13:52:00.25 0
オブジェクト指向のインスタンスが物であるけど物自体はクラスとは言い切れず、
むしろ、ルドルフシュタイナー的な一般的にはエーテル体、特殊例ではアストラル体のほうが近いかもな。
難し過ぎ複雑すぎ頭悪すぎて理解不能なことだけはわかったw
541 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 14:16:09.82 0
語弊交えて誤解上等で説明するなら、我々の身体はホログラム。そのホログラムの本体が居る世界がある。
我々のホログラム世界からその世界へ旅行することは無理。
その時のホログラムというこの自分の本体が物自体。
>>541 うっすらと、なんとなく、漠然とわかったような気だけがする感じw
例えてみるなら、小学校1年生ぐらいの子が、ある場面の感想を聞かれて「豪快に食べていて、すごかった」
とか言ってる時、多分「豪快」の意味として「堂々としていて、見て気持よいこと」という知識があって、
その言葉を使っているんじゃなく、「豪快」という言葉を他人が過去に使っていた時の雰囲気が、
その子が見た場面のイメージとリンクして「豪快」というフレーズが口から出ただけだと思うんだけど
ホログラムの本体「豪快」が居る世界があるとして
我々の豪快を理解していると思っているホログラム世界から「豪快」の世界へ旅行する事は無理。
この時のホログラムの本体が物自体って感じでしか把握しきれなかった・・・。
把握しきれなかった×
把握できなかった○
544 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 15:13:08.15 0
本物が無形。本物の仮の姿が我々物質。これではどう?
>>544 その本物に相当するのが、物自体で
我々は物自体の器として有形という理解で合ってますか?
546 :
考える名無しさん:2014/02/11(火) 16:43:23.09 0
>>545 そこの、精確な合ってる合ってないは、「カント文脈上で」とか「オブジェクト指向的に」としてしか二値的に○×で言えない。
そこが、文系学問哲学の面倒くさいところ。「誰々の〜」で語らないといけないから。
概念としてパッと示すことが許されてない。
フランス現代思想のボードリヤールの「シミュラークル」(オリジナル無きコピー)なんて、
無形の物自体(幽霊)に、着物を着せた(有形)みたいな感じで、かなり概念とモデル的には重複する。
オブジェクト指向では、変数など抽象的なままのクラスという雛形を作り、その雛形の具体形として変数が定数となってその場その時に存在しているインスタンスというものが、物にあたる。
これも、やっぱり、概念とスキーマ的に、重複している。
547 :
大王:2014/02/11(火) 22:58:51.46 I
なんで物事を表現するのに、
オブジェクト指向なんだよw
プログラム書いてないやつわからんだろ。
548 :
大王:2014/02/11(火) 23:01:04.66 I
哲学以前の問題
視野の狭く幼稚な人間は自分の知ってる事のみで世界を表現しようとするから
能書きはいいけど、君は何を知ってるの?
犯してくれとかネットで書いてくるネカマが現実ではストーカーよばわりすることに対して脳がフリーズするということだな
552 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/12(水) 15:45:18.42 O
結局、哲学というのは何に問題意識を持つかなんだよな
「世界の正体を知りたい」
これじゃね?
唯物論者は、物質的なものが全てであって
すなわち「構造」が全てだという発想しかできない
そういう風に考えるクセがついている
客観的に分析する事だけが正しいのだと
客観的に見ているのは「自分」という「主観」である事は深く考えない
いや、そこに問題がある事は思いつかない
「主観」は「客観」という「構造」による結果だと
最初の時点で、短絡的に結論づけてしまっているから
(唯物論の主張)
「世界の正体を知りたい」とは考えるのだが
「自分の正体」には考えが至らない
結果論的に「この体」だと
しかし、この体の物質的な何に由来して「他人」ではなく「私」なのか
それをちゃんと考えはしない
口で負けたくないから、こじつけて終わり
いかなる問題意識を持つか
それは哲学的知能の問題
物質は状態であり構造
しかし「私の存在性」は、構造に由来しない
(説明は省略)
君は何やってもだめだな
仮に構造が解明されたとしたら、人間のなにがどう変わるのだろう?
なにも変わらず、だから?でこの世は進んでいくだけだろう。
屑は屑のまま
屑でも殺されないし、自由も人権も奪われないから屑のまま生きていけば良いとかなんとか言い方あるだろw
屑って楽でいいんだよね、先を行くリスクがないし
今の哲学に必要なのは「なぜ?」に立ち返ること
特に日本だと結果だけ入ってきたせいでその過程が欠如しやすい
膨大な知識を追うだけじゃなくてもっと根本から丁寧に見ていくのが大事
559 :
考える名無しさん:2014/02/12(水) 19:05:16.31 0
物質の反逆
物質の犯行
無駄
ω
(^q^)ノ
ヘ( )ヘ
(;;人;;)
562 :
考える名無しさん:2014/02/12(水) 21:49:34.01 0
説明できんのだろ
564 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/12(水) 22:07:37.05 O
>>562>>563 知りたいなら過去スレ参照な
上記の事が理解できてるなら、そんなくだらないケチの付け方はせん
565 :
考える名無しさん:2014/02/12(水) 22:15:42.17 0
上記の事って何を指してるの?
こいつの日本語はマジ意味不明だわ
自信が無いんだろ
567 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/12(水) 22:34:46.38 0
>>429 :「機械的唯物論」者:2014/02/08(土)
> 正解は「痛みは脳にある」となります。
其の通り、ですから いいですか~~~~
「素粒子は脳にある」でしょ〜どう考えても。
「ニュートン力学は脳にある」でしょ〜どう考えても。
外界の事象の認識も「信号が脳に無事運ばれた」結果なんだから・・・。
568 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/12(水) 22:37:37.52 O
そんなのが理解できないんじゃ、お話にならないよ(苦笑
てか
じゃぁ、そもそも何で話しかけてきてんのさ
569 :
考える名無しさん:2014/02/12(水) 23:09:00.69 0
>>567 ニュートン力学を十分に理解している人は、実際にはほとんどいない
570 :
「機械的唯物論」者:2014/02/12(水) 23:14:12.45 0
>>552 >しかし「私の存在性」は、構造に由来しない
例えば、事故とか脳梗塞でご自分の右脳がうまく機能しなくなってしまったら、
左半身を自在に動かす・・・という「私の存在性【の一部】」は
欠落してしまいます。
左の声帯もうまく動かなくなるため、発声もあまりうまくできなくなる
おそれもあります。
あなたの「私の存在性」は、左右の大脳の「機能」ですので、両方の脳が
脳梗塞等で機能しなくなると、当然「私の存在性」は完全に消滅します。
・・・それが所謂「植物状態」です。
脳幹だけ「生きて」おり、自発呼吸と心臓の鼓動だけが維持されている状態
を「脳死」と言い、最近の法律では「脳死は人間の死とする」ことになったため、
「脳死判定」の手続きを経れば、「肺と心臓が動いている身体」から、他者への
移植をするために臓器を取り出すことも許されております。
その「脳死状態」になったとしても、あなたの「私の存在性」は残存している?
・・のでしょうか?・・・1m上空で「自分の身体から臓器が摘出される模様」を
眺めている「私の存在性」が居る?・・・そうなると完全に宗教かオカルトですよね?
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
571 :
「機械的唯物論」者:2014/02/12(水) 23:29:10.32 0
>>567 >「素粒子は脳にある」でしょ〜どう考えても。
>「ニュートン力学は脳にある」でしょ〜どう考えても。
コンピュータの中央演算処理装置(CPU)の設計はコンピュータでしか
行えないほど複雑な「情報処理」を要することはご理解になれますか?
「脳の機能は何だろう?と考える」の普通の場合「人間の脳」ですが、
貴方の肉体に限っては「心臓で考える」のでしょうか?
科学が未発達の時は「心臓で考える」とするのが一般的だったようです。
だから「心」の「臓器」・・「心臓」という名称が与えられているのです。
「コンピュータがコンピュータに関する情報処理を行う」ことが何の不思議もない
ように「(素粒子で「だけ」で出来ている)脳が素粒子に関する情報を処理」
しても何の不思議もありません。
「素粒子で出来ている脳が素粒子に関する情報を処理するというのは矛盾だ」と
言うのは「単なる思い込み」にすぎないのです。
本日は就寝させて戴きます。
572 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/12(水) 23:41:00.59 P
ズレてんなぁ…
痛みが脳にあるなら素粒子という概念も脳にあるでしょって話なのに。
で、痛みが錯覚ならば素粒子も錯覚となってしまうww
観念を超越することは出来ないのに、唯物論者は観念なはずの錯覚(主観的事実)を「客観的事実」としている。
そこで、「確からしさ」の基準をどこに置くかが問題となる。
573 :
考える名無しさん:2014/02/12(水) 23:50:18.60 0
まあそれ以外に客観的事実など無いからね
574 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 01:18:07.88 O
>>570 いまだに設問が理解できていませんね
「私の存在性」を
「私という存在性」と言った方が理解しやすいのかな
問題は『私』の部分にあるのですよ
『私』というと、「精神活動」しか発想できず
「『私』が存在しているのだ」という事に
着目できないのは貧困だと言わざるをえない
ようするにキミは『私』という問題を
「自我一般」に、すり替えて反論しているのだ
という事です
「なぜ私なのか」には、一切関係のない反論なのです
575 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 01:19:19.84 0
こいつは未だに設問を説明できないのかよw
576 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 01:59:53.51 P
普通、東洋の宗教では梵我一如とか五蘊皆空とか無我・非我が説かれ、「私」の幻想性が強調される。
「私」への執着は絶望を生むからなのだろう。
ましてや他人の「私」など了承出来ないのだろうから、下らん独我論に陥ってるだけ。
「私」教なんて何の役にもたてまいにww
577 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 02:46:57.92 O
>>576 古代インド哲学では、アートマンの存在を教えている
また、釈尊がアートマンを否定しているというのも諸説あり
現代の解釈が正しいかどうかは定かではない
しかし私は
そのような宗教論争など参考にしていない
宗教教義で、どうなっているからとか、全く関心がない
単に純粋に哲学をしているだけ
まず、キミは「我思う故に我あり」が
論理的に否定できるのかね?
578 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 02:47:59.23 0
論理的に肯定も出来んだろ?
579 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 02:53:08.11 O
>>578 「論理」という言葉に、こだわるならね
しかし自分の中で、理屈が通らんだろ
「我なし」なんて思っても
それを思ったのは我以外には、ありえないのだから
580 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 02:54:59.96 0
そんなんなんの理由にもならんだろ?
見える人には見えるという理屈に他ならない。オカルト
581 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 02:57:18.27 0
ああ、補足しておくと
だが、そういうことにしなければ全く先に進めないから「仕方なく」我有りは認めざるを得ない
とは思うよ。つまり妥協の産物であって論理的には何の意味も持たない
582 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 03:08:26.57 O
>>580 なんで一緒なのか理解できん
そうだなぁ
だったら「痛み」もオカルトだと思っているのかね?キミは
まぁ「痛み」は錯覚かも知れん
しかし、自分が「痛い」と思っている事実は否定できんだろ
というか「思っている」という事実を否定したら
「自分が哲学している」という事実も否定され
哲学的な結論を得ようとしている事実も結論も
全てが最初から「無」である
なんていうワケのわからない事になってしまうが
それでも結局は、自分が哲学してる事を否定できないだろ
583 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 03:11:00.18 0
否定はできんから肯定するしかないってのは全然違うと思うんすよ
584 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 03:17:01.54 P
>>577 君こそ「我思う故に我あり」を誤解してるんじゃないのかな?
デカルトは、巷に蔓延ってた懐疑論者を論破するために、「方法的懐疑」によって「疑いは疑い得ない」と導きだした。
これによってデカルトは「実体二元論者」となったわけだが、後の書簡にて「心身合一の次元はある」と認めている。
これは矛盾である。
ま、話が逸れたが、デカルトは客観の存在を認めており、懐疑はあくまで方法的、つまり「仮定」であり、「客観の確からしさ」を「保証人としての完全な神」に委ねたww
ところが君は「私」の存在性は説くが「私以外」については思考停止状態であるww
「私」しか認めないならばそれは独我論だが、それで良いの?
585 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 03:22:53.68 O
>>583 それはケースバイケースだろ
それに「疑えない」で、いいんじゃないの?
まず前提として
「私は全てを疑ってみる」
「全ては疑いうる」と思ったが
「その疑っている私自身あり を否定する事が、どうやっても不可能」
これでいいんじゃないの?
どうやっても「なし」と言えないのに
なんで「なし」と言うわけ?
「あり」としか言えないのに
586 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 03:24:43.79 0
「なし」とは言ってませんが?真偽不明は真偽不明のまま
587 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 03:33:05.05 O
>>584 キミは根本的にズレてるんだよ
デカルトの第一原理を例に挙げて説明すると
第一原理そのものに反論せず
その他の部分に言及して反論できたと思ってしまう
あと私は、言える事しか言わない
飛躍した事は言わないんだよ
それをやったら宗教になるからね
てか、自分で納得できないから
可能性としてあるもの全ては、否定せず
逆に、主張したりもせず
宙ぶらりんのまま保留している
哲学として、当たり前の事だと思うが?
588 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 03:35:15.26 0
いやはや、結構同意だよ
ただ、後半を正しく適用すると「我有り」にはならないと思うんだけどなぁw
589 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 03:38:09.45 O
>>586 「ありとしか言えん」
「ありとしか言えん」
「ありとしか言えん」
「ありとしか言えん」
「ありとしか言えん」
・
・
・
・
・
で、永遠にやってたらいいんじゃね?
590 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 03:40:27.79 0
そのさ、
一行目の「ありとしか言えん」と思ったのと
二行目の「ありとしか言えん」と思ったのは
全く寸毫の違いもなく「同じ思い」であると断言出来るの?
591 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 03:44:28.75 O
>>588 「疑いえない」というのは
「無しかも知れない」と疑ってみた
が
「ありを、疑う事すら不可能」
なんだから
「あり」しかありえない
という結論でいいと思うんだが?
592 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 03:48:12.72 O
>>590 一回目であろうが二回目であろうが関係ないでしょ
何回でも納得いくまで、永遠にやっていいんだから
誰も文句いわないよ
いつやっても「我あり」だと思うよ?
593 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 03:52:04.98 0
>>592 それが君の言う論理的で緻密な態度だと言うのなら止めやしないけどねw
ならば君は他の人の哲学を否定する資格なんか無いんじゃあないかな?
所詮同じ穴の狢に見えるぜ。少なくとも俺にはな
594 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 03:53:22.04 P
>>587 つまり、確実性が無いから客観についてあるとも言えないし、ないとも言えないってことか。
その態度は誠実ではあるが「不完全」でもあるな。
「我思う故に我あり」に反論出来てないと言うが、より正確に言うと「我思うと我思う、故に我ありと我思う」となる。
この様に考えると、「思う」という思考性の方が根源的であるようにみえる。
思っているから思いというものがある、という話。
その主体は?と問うたときに私だと「思う」のだが、このときですら思う方が根源的だww
で、その思いは身体の構造に還元される。(と、思う)
或いは、機械氏の様に、唯物論が正しいと、思う。
こうして、思い(=観念)から抜け出せなくなるのだが、「信仰」によって、無事にやれ唯物論だ心身合一だと唱えることが出来る。
595 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 04:19:37.73 P
結局、確実にあると言えるのは我ではなく「思いそのもの」でしょう。
我・私ですら「思い描かれる対象」となってしまっている。
そこを超越した(ように思う)ものを超越論的主観だなんて言うけどね、所詮言ってみただけのただの「思い」なんだよね。
で、「思い」というものを「身体の機能」とした方がよっぽど論理的だし、我のつけいる隙はない。
…というのも思い(=観念)なのであってww何処かで「断定」をしなければ収拾がつかないww
この断定こそが「信仰・思想」だというのが持論。
596 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 04:30:26.83 O
>>593 なぜ、そう見えるのか
という理由が書かれてないいから意味不明だね
597 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 04:42:21.24 P
勘違いして欲しくないのは、「所詮は信仰」と一蹴したいのではなくて、信仰は人間の原理、つまり原理的信仰性というのを指摘しているのである。
人間は社会的動物である。
そのコミュニティは「共有した知識」によって進化してきた。
椅子そのものを椅子なんだと、DESKそのものをDESKなんだと、このように断定することで知識を共有する。
いや、共有しなければコミュニティとして生きられないのだ。
誰だかが「人間は騙される(信じる)様に進化した」なんて言ってたと記憶しているが、それは社会の形成に信仰が必要だったからだとみている。
599 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 09:28:23.70 0
尊厳死のことを言ってるの?
602 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 11:12:38.90 O
>>594>>595 真剣に、主語より動詞が根源的だと思えるとしたら
それは、ちょっと頭のおかしな人だよ
603 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 11:25:53.76 O
>>598 大多数の人が普通に
「我あり」という結論しかないと理解するのだが
その、世の中の大多数の人に
病院に行けと勧めるのかね??
604 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 11:25:58.06 0
それを言ったら我など有るか?と問うことも頭のおかしい人だよね?
605 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/13(木) 12:28:18.17 0
やや揚げ足とりふうにいうと…
「我あり」の《我》の存在を支えているのは“あり”すなわち述語(動詞)である。
“あり”を消去すれば《我》は、たちまち『無』となってしまう。
こじつけではなく、存在者の存在性を支えているのは“動詞”である。
“動詞”なしには、いかなる事物も存在できない。文法的にも、存在論的にもwそういえる。
ヒトと呼ぶ存在者において、何が「ある」のか。一つは、いのち氏のいう“思い”すなわち意識。
もう一つは、意識を可能にしている“身体”である。「意識がある」「身体がある」これ以外のものはない。
この上部に“神”を樹てるのも、最高位のように《我》を措くのも勝手だが、それらは意識と身体の絡みから生じた“観念”である。
意識、あるいは身体が消去されれば、雲散霧消してしまう。
606 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/13(木) 12:42:32.45 0
「意識がある」「身体がある」の主語は、文法的には意識と身体だが、便宜上のそれにすぎない。
意識も身体も“意志して”すなわち主体的に「ある」わけではない。
どちらも「あらしめられている」受動的存在である。
意識と身体は、どのように絡んでいるのか。
もう一つは意識と身体を「あらしめている」のは何か。
607 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 13:07:12.04 P
>>602 あのね、主語を大層大事にしてるけどさ、主語ってのは「存在者」なんだと思うぞ。
つまり、仮定的に切り取った区分。
では、そんな境界を取るとどうなるか、未区分であるww
この未区分が、純粋な存在、つまり「ある」という動詞なのだよ。
どっちが根源的なのかこれでも分からない?
608 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 15:08:07.05 P
さて、思いというのは、要するに意識として包括出来るわけだが、意識というのが先ずあって、続いて対象を確認するのではない。
意識とは「何かについての意識」なのであって、常に相関関係にある。
これをフッサールは志向性と呼んだ。
我という思い・認識も、我(対象)と思い(意識)との相関関係として「有り」、我のみがあるのでもなし、思いのみがあるのでもなし、我という思いとして有るのでしょう。
「私」がある、或いは「思い」がある、というのは、どちらも極論だったね。
609 :
黄檗:2014/02/13(木) 15:12:27.51 0
ほー
何かについて意識していないときには意識が無いわけか
610 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 15:18:30.30 O
なんだか
こじつけようと必死なのか
本物の阿呆なのかはわからないが
「我あり」の「あり」が動詞だと言うが
それは文学的表現であってね
「我」が「あり」か「なし」かであって
「存在」しているか、いないかは実際のところ動詞ではない
「意識する」とか「疑う」とか「思う」というのが動詞
「我」と「思う」は表裏一体かも知れないが
「思う」が根源的であったり第一義的なものだと言うのは、明らかな間違い
どちらかといえば
主語にあたる「我」が一義的なのは言うまでもない
611 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 15:24:33.45 P
>>610 存在はbeing、つまり動詞そのものだよ。
612 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 15:29:37.22 O
>>611 だから文学的表現だと言ってるだろ
構造の本質を見ろよ
613 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 15:36:46.16 P
>>612 我ありのありは文学的表現だから、存在とは関係ないし動詞でもないってこと?
614 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 15:47:03.13 O
>>613 はぁ?言ってる意味がわからん
たとえば「意識」は名詞だが
実際には「意識する」という動詞だろ
こういう風に、便宜上で文学的に変化させて使ったりするが
本質を見なさいって事
「思う」が一義的だと言うが
他人が、いくら思っても、他人は他人
私にはならない
「思う」では私にはならない
無関係
「私」が思うから「私の思い」だという事
こんな簡単な構造についてなんて
いちいち説明させないでくれよ
いないと正当に主張することができない存在、それが私
そこで安易に他人が思うという対比しか考えつけないのが最高位の限界だよなぁ
ちょっと前にリベットの実験の話が出てたろ
617 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 16:06:42.81 O
>>613 キミもだけど、みんな無自覚なだけなんだよ
1、我が
2、思う
3、何を?
4、我あり を
無自覚に、1を仮定してしまってるんだが
「思う」から始めようとする
しかし無自覚に、すでに仮定してしまっている所から出発しているんだよ
我でない「思い」
では「我」にはならないし
誰かの「思い」でしかない
主語を特定しない動詞は成り立たない
618 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 16:50:25.06 P
>>617 我を含めた全ての観念は、思う(意識)との相関関係だろって話だから、「我あり…と思う」の方が正確でしょ?
無自覚な仮定でも何でもなく、我と「思わなければ」我なんて想起されないのだよ。
だから、「私」なんてのは、想起される対象の一つであって、それは思いとの相関関係であって、相関関係無き未分化領域が身体なんでしょう。
そのへんはメルロ=ポンティが詳しいと思うけど。
619 :
黄檗:2014/02/13(木) 17:22:09.97 0
最高位の想いは報われんね
「我」という想起の話ではなくてな
「これ(≒この世界)に誰が遭遇しても良かったのに
どうして私がこれに遭遇しているのか、について一切の理由が無い
ってことなんだ
それを分かってあげてください
>>1は御尤もだけど、それによって人類にとってなにか価値あるのかって問題だ
621 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 17:30:30.17 0
じゅんいちいるんだろ?でてこいよ。
622 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 17:36:20.71 O
>>618 これは真剣な話なんだけど
キミには障害があると診断せざるをえない
通常、人は「我あり」が理解できるのだが
しかしキミは
「我ありと思っている思いがある」
としか、どうしても発想できないんだろ?
そういう人もいるのだな
という医学的なサンプルですね
623 :
黄檗:2014/02/13(木) 17:38:45.26 0
理解しないのが普通だろ
そして多分、それが正常なんだ
624 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 17:44:21.86 O
>>623 デカルトの第一原理ぐらい
確か義務教育時代に触れたように思うが
何を言っているかぐらいは、一般常識じゃないの??
625 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 17:54:37.11 O
「我あり」とは
「この世界に、私が存在している事実」であって
「私という、人称代名詞あり」ではないぞ(苦笑
626 :
黄檗:2014/02/13(木) 18:03:13.37 0
>>624 デカルトの第一原理と貴方の言う「この私」は
似てるようで違う
デカルトの場合、それは「原理」だから
懐疑不能のそれを前提にする、という宣言でしょう
貴方の「この私」は、説明の中に他者を常識的に介入させて
他者ではなく、どうしてこの私が生まれ、この私に世界が開闢するのだろうか
そのことに原因もない、理由もない、分析もできない、端的、問答無用である
そのことが「おかしい」「不思議なことだ」という話をする。
そして「唯物論が破壊される」「現代哲学の最前線」「キミ等は分かってない」
とか言うので、みんな「何が?何が?え?」となるのだ
貴方から見て、我々は何を分かってないのだ?
627 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/13(木) 18:23:16.32 0
>>594 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs
>その主体は?と問うたときに私だと「思う」のだが、このときですら思う方が根源的だww
主体=自我=思い=身体=こころ
これで良いではないか・・・
思いと我と対峙させてどんな意味があるのか?
「我あり」の傍証としては「Aの我がAの思いを思っていると言う同一性、勿論Aの身体上である、この事が重要。
貴方の根源の考えではAが抜けている。
Aとは勿論「Aその人の我」である、Aを超越して思いは存在しえない、肉体を超越して心が存在しえないのと同様である。
>>595 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木)
>「思い」というものを「身体の機能」とした方がよっぽど論理的だし、我のつけいる隙はない。
思いや意識は心であり、心=我 と言うのは我の定義なのだから 付け入る隙の問題ではない。貴方は身体の機能といっているんだから思いも身体も同一人物で無ければならないでしょ?其の大事な同一性という本質が「超越」すると抜け落ちてしまう。
628 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 18:37:08.20 O
>>626 う〜ん
何から説明すればいいのかなぁ
まず
デカルトと「この私」は違うと言いますが
これは説明の仕方が違うだけで
できるだけ解りやすく、いろいろな角度から説明しようと試みているだけであって
結局は同じものなんですよ
私はデカルトを主張しているのではなく
デカルトを使って、「この私」の一面を説明しているわけです
他人を使って説明するのも、例に挙げているにすぎない
言葉というのは不完全な道具なのですから
重箱の隅を突いても、本質には至れないのです
でもキミ達は、言葉尻ばかりに関心があるようですが
629 :
黄檗:2014/02/13(木) 18:40:16.05 0
最高位は能書きが長いわ
630 :
黄檗:2014/02/13(木) 18:45:12.44 0
結局は同じなのか、それとも一面なのか
分かり難い
他人を使うのは例を挙げているだけ、と言うが、
最高位の「この私」の“特殊性”は、他者を介入させないと成立しない
631 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/13(木) 18:47:09.04 0
>>605 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/13(木)
>意識と身体の絡みから生じた“観念”である。
そんなこと当たり前でしょう??
皆さんそういっているでしょう、論点は以下の事・・・・
>>606 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/13(木)
>意識も身体も“意志して”すなわち主体的に「ある」わけではない。
だから二つを結び付けているのが「主体=こころ=我」で良いんじゃあない?
>意識と身体は、どのように絡んでいるのか。
科学的に解明されつつあるが、究極には本質的に不可知だとじいさんは睨んでいる。
それにしてももう少し科学的に解明されないと全く手付かずの現状で今のところ誰もまとまったシステムは判らない。
>もう一つは意識と身体を「あらしめている」のは何か。
身体は生物としての物質として研究し、意識は心の作用だから心を研究すればよい。
いずれにしても「あらしめている」と言う表現はとれも耳障りな嫌な表現ですね。
いかにも「超越」が好きな貴方らしい言い回しですね。
あなたは意識と身体の統合体である我(主体)というものを徹底的に排除したい訳ですね。
何度も言うが意識や身体がそれぞれ「あらしめられる」ならAさんの意識とBさんの身体が共通に扱われうるのだが其れでもいいのですか?
632 :
黄檗:2014/02/13(木) 18:53:47.96 0
最高位の説明で「分かった!!」とか思う奴は
余程の能力者ですよ
永井均は上手く説明しているようにも思うが
彼の説明を読んでも、私はある程度理解するのに数日掛かったような。。
もう思い出せんが
私が一番わからないのは、これを「現代哲学の最前線」と宣言する
その理由と動機だな
633 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 18:54:50.01 O
>>630 同じ私(当たり前)を
いろんな角度から説明している
「他人」は「私ではない人」という意味で使う事が多い
他人がいなくても、私は私
当たり前
他人が死んでも私は私
存在において、変化なし
634 :
黄檗:2014/02/13(木) 19:00:02.10 0
>>633 そいつはどうかな
雄がいてこその雌
陽極があってこその陰極
存在において変化無し?
そうは思わんね
635 :
黄檗:2014/02/13(木) 19:09:30.37 0
だいたい、他人が「私ではない人」の意味なら
私がいないときに他人とは何だ?
存在において変化無し、か?
なかなか面白い問題提起だなw
636 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 19:17:24.83 O
>>634 陰陽とは違う話
なぜ同じだと思うのか意味不明
なぜ、1対0〜無数の関係が
0の時だけ異質なものに変化すると主張するのか
発想が理解できん
637 :
黄檗:2014/02/13(木) 19:17:32.73 0
〜端的であること〜
ときどき私にも不思議に思うことがあって
それは「上はどうして上なんだろう」ってことなんですが
ばかばかしいですかね?
しかし私にとっては「不思議なこと」なんですよ
なぜって、上が下に見えても良いはずなんです
そうなったところで別になんの不都合も無い
でも上は上に感じてるんです
不思議じゃないですか?
「この私」もそうですが
こういうことって『ばかばかしい』ことなのか
それとも、さらに考える意義も余地のある問題なのか
どうなんでしょう
638 :
タックル!:2014/02/13(木) 19:20:54.32 0
ぶひひ!
639 :
黄檗:2014/02/13(木) 19:23:48.41 0
「関係が異質なものに変化する」か
異質に変化するというのは微妙だが
関係する相手が無くなれば関係は消滅するわな
それほど奇抜な発想とも思わんが
640 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 19:27:24.88 0
≫通常、人は「我あり」が理解できるのだが
≫ しかしキミは
≫「我ありと思っている思いがある」
≫としか、どうしても発想できないんだろ?
この人が、どうしても(そうとしか)発想できない、かどうかは知らないが、
このかんじは、よくわかる。存在論的差異の意識
(とりあえず、存在論的差異そのものではなく、いわばその自覚といっておく)
の一種になるだろう。病気っぽい、といえば、たしかに、病気っぽい、が、
別にその病気っぽさが悪いわけでもない。
641 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 19:28:41.69 O
>>639 だから変化するのは「関係」だろ
なんで「私の存在」が変化するんだよ
キミも、おかしい部類の人だな
642 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 19:35:12.51 0
>>584 >デカルトは、巷に蔓延ってた懐疑論者を論破するために、「方法的懐疑」によって
「疑いは疑い得ない(=疑っている私は疑い得ない)」と導き出した。
これによってデカルトは「実体二元論者」となったわけだが、後の書簡にて「心身合一の
次元はある」と認めている。 これは矛盾である。
>デカルト哲学で難点なのは、「実体二元論」と「心身合一論」という一見矛盾した記述を
していることにある。
デカルトの物心分離の形而上学的立場は、「方法的懐疑」による精神純化の過程によって
始めて可能となる。 この「方法的懐疑」によって我々の精神から感覚・想像力などの働きを
切り離す方法的操作を経て、物体的存在から区別された純粋精神(=超越論的主観性)に到達する。
しかし、人間の“モラル”を問題とする為には、日常的意識の立場(経験的立場)に下降的還帰をしてしまうと、
後世の哲学者は記述している。
デカルトの著書を読むと、方法的懐疑による精神純化の過程を逆行して、“方法以前”の日常的意識の立場に還って
しまうような記述をしており、それがデカルト哲学の根本的な難点を創出している。
後世の人々は、第四答弁、情念論(第一部)の「心身合一」の記述に対して、「心身合一」の認識を日常的一般的な
次元から、純粋精神(超越論的次元)からの経験的立場(日常的意識次元)への「下降的還帰」としての循環的なものとして
解釈していた。
省察と情念論を詳細に読んでいくと、デカルトは超越論的次元で「ある仕方で思惟によって触れることはできるところの、
すべての完全性を持つもの」(省察三)と述べているが、これは超越論的主観の次元から“外部”に「ある仕方」で触れると
言うことであり、この「ある仕方」とは「方法的懐疑」ではない。何故かと言うと、「超越論的主観性」自体は、“不可疑性”の
存在だからである。 では、この「ある仕方」とはどの様な方法論的思考なのかは現在でも解らない。
ただ、デカルトに於いては、その方法論的思考で超越論的次元(主観)より、“外部”(客観的存在)との心身合一(超越論的な)を
果たしているのだと解釈している。
超越論的次元での“外部”に触れることによる超越論的「心身合一」であれば情念論での「心身合一」の記述も理解できるものとなる。
643 :
黄檗:2014/02/13(木) 19:47:08.68 0
>>641 んーそれはな
貴方の言う「私の存在」というものが、
他者との関係を思考する限りで貴方の主観内に成立する
そのようなものとしての説明だと思えるからだ
貴方はその「私」を我々に見せることもできないし
関係に依存しない実体として説明することも未だしてできていないように思う
デカルトは思惟が思惟することによってのみ存在するから、それは実体だとしたのだが
貴方はさらに自らの思惟を分析して、
このように思惟するときに、このように思惟するこの私がいる(はず)、
という貴方なりの確信を我々に伝えたいのかもしれない
もしそうなら、私にも分かるような話だし、否定もしませんが
そのどこらあたりが現代哲学の最前線なのかがピンと来ませんの
644 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/13(木) 19:54:21.09 O
>>635 他人が「私ではない人」の意味なら
私がいなければ
他人とは「私ではない人」
何が、おかしいのかね??
何も問題提起などしていないが
本当に、おかしな人だよキミも
645 :
黄檗:2014/02/13(木) 19:57:13.12 0
>>644 私がいないときに「私ではない人」って
どんなことを意味しているのですかね?
646 :
タックル!:2014/02/13(木) 19:57:25.32 0
女と如何わしいことしてカワイそう
DVDとかシリコンはokですからー
ぶひひ
647 :
黄檗:2014/02/13(木) 20:00:03.78 0
質問が堂々巡りかしら
これならどうだ
私がいないときの私って何だ?
648 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 20:01:40.92 0
>>644 うむのぱんつくいこみショック丼くださいよ〜
はやくくれ〜
649 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 20:11:25.90 0
>>635 そもそも「私がいないとき」
とはどのようなことだろうな?
想像できない
650 :
タックル!:2014/02/13(木) 20:12:08.13 0
自分の値打ちを知らない人生なのか
恋愛の芽を摘んで自分を売り込め!
651 :
黄檗:2014/02/13(木) 20:12:45.25 0
652 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 20:14:47.58 0
>>635 「私がいないとき」
を思考するのは私だよね
653 :
黄檗:2014/02/13(木) 20:16:59.97 0
654 :
タックル!:2014/02/13(木) 20:18:30.21 0
男の中で
自分の値打ちも解らないヤツにはなりたくない
655 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 20:28:27.71 P
>>622 「我あり」は、「思い」から離れて存在出来ないのが理解出来ないのかい?
我が思いから独立しないのなら、思考によって我(=自我)があるんだと、簡単にわかりそうだけどな。
思ってるのは誰?と問わなければ、我は想起されない。
>>625 我は実体だよって話でしょ。
ところが、「我思う故に我あり」ではその実体性を説明出来ていない。
それは「我ありと我思う」という想起された思考だろって話。
656 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 20:35:56.13 0
>>655 ところがどっこい、
「思う」ことができるのは「我」がいるからなんだなぁ〜
657 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 20:41:21.12 P
>>627 >主体=自我=思い=身体=こころ
違うだろww
何でイコールになっちゃうのww
こうでしょう。
身体→思いー私
身体から、「私」という「思い」が想起されるという相関関係。
思いと身体が同一人物というのは当然そうだろうと思うけどね。
だからって、心や私は実体です、とはならない。
658 :
黄檗:2014/02/13(木) 20:42:28.11 0
>>656 そこ微妙だわ
つまりな、「思う」こと無しに私もいないわけだ
思う限りに於いて我はあるので、我は「思いありき」という理屈が成り立つのだ
そうするとな、「思いが生まれたときには我は生まれている」ということになって
「この私」というのは、「何ものにも依存しない存在」から「主観的存在感」に格下げされるわけだ
659 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 20:49:19.98 P
>>637 >>597でも言ったが、上を上とし、下を下とする、そのことが信仰だと考えているよ。
これを「原理的信仰性」と呼んでいるww
660 :
黄檗:2014/02/13(木) 20:59:35.02 0
>>659 上が上に感じられるのはどうしてだ、って話よ
世界が身体ごと、上下さかさまに見えるようにできていても
何の問題もないだろ
しかしそうはならない
これは視覚の問題ではないのだ
なぜなら、上下さかさまに見えるメガネを掛けると
数日で順応し、再び上が上に見えるようになるからだ
そう考えると、上が上に見えることには理由があるようにも思える
しかし現状では「不思議なこと」のままだ
それを原理的信仰性とか呼んで、何かが解決しますか?
661 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 21:01:42.91 0
>>183 名前:┏( ^o^)┛シコシーコ♪ :2014/02/13(木) 20:22:03.24 0
>>43 名前:考える名無しさん :2014/02/13(木) 20:17:40.94 0
>>波平の自画自賛スレやね
>>
>>44 名前:┏( ^o^)┛ ◆kU3ChdD08M :2014/02/13(木) 20:19:44.26 O
>>
>>43 >>おっさんきたな(笑)
>
>おっさんきたな(笑)
おっさんきたな(笑)
662 :
タックル!:2014/02/13(木) 21:15:09.82 0
ありきたりだな
自分を売り込めない
663 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 21:17:24.68 P
>>642 あなたはデカルトについて相当詳しいね。
「外部」に「ある仕方」で触れるとあるが、その方法が「保証人としての神」なのだと思う。
神が保証することで、外部の認識はそのまま素直に存在を認めて良いのだって話になって、斯くして実体二元論者は素朴実在論に堕ちてしまうww
方法的懐疑の次に、先ずは神の存在証明を行ったのは、外部の問題が解決出来なくなってしまうから。
自分を人類総体の一部であると見なさないと、いつまで経っても正解に辿り着かないでしょう
神とは「人類統合記憶(歴史)」の事
確実にあると言えるのは我ではなく「人類統合記憶(歴史)」と「インテリジェント・デザイン」
思いとは、断片記憶(不完全な歴史情報)から生まれた偏向的な思い込み
人類統合記憶(歴史) → 断片記憶 → 個人の意識 → ホログラム投影 ← 完全記憶 ← 人類統合記憶(歴史)
↓
インテリジェント・デザイン → →↑ ↓→ 体験 →↑
最近、じゅんいち で検索上位独占している じゅんいちダビッドソンとは何者か?(笑
まーーーーーーーーーたじゅんいちのネタキャラかw
いつから仕込んでたんだよwww
そういえば東原亜希とかいうのも波平プロヂューズだったらしいね
ここにきて本性さらしてきたわけか
どんだけ権力使ってんだよおまえwww
667 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 21:31:54.65 0
デカルトの「われ思うゆえにわれあり」と訳される言葉は、
公理的なものだ、と考えれば、べつに疑問の余地はない。
いわば、そこから考えはじめる、わけだから。
ただ、もちろん、その公理的なものに、そもそも妥当性がないと思う、
ということもできる。
ようするに、どっちが正しい正しくない、というだけばかばかしいことだ。
668 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 21:36:22.07 P
>>658 完全に同意。
>>660 ああ、言葉とそれが対象としているものの関係って話ではないのね、失礼。
上が上に見える理由?
重力とか遠心力じゃダメなの?
669 :
黄檗:2014/02/13(木) 21:43:38.36 0
重力は怪しいが
しかし無重力状態では上下が理解できなくなるのか?
まあ、実際そうかもしれん
670 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 21:45:55.69 0
上下はそうかもしれんが、無重力でも、左右はあるだろう。
こっちはどう説明するか?
人間の超個体が人類統合記憶(歴史)であり、それを神と定義すれば整合性がとれるでしょう
672 :
「機械的唯物論」者:2014/02/13(木) 22:10:13.04 0
>>637 >でも上は上に感じてるんです 不思議じゃないですか?
> 「この私」もそうですが
> こういうことって『ばかばかしい』ことなのか
>それとも、さらに考える意義も余地のある問題なのか
少なくとも「考える余地」はあるかるからこそ、この場でみなさん「ギロン」されている
のではありませんか?
おっしゃる「上下の問題」が不思議であることは、理解できます。
結論から申しますと、「人間の認知の仕方」は「進化により獲得した機能」である
可能性が高いと思われます。
すなわち「上下」を瞬時に弁別することが出来る認知機能は『進化に有利であった』
「私」という一種の「脳内ディスプレイシステム」を持つことは『進化に有利であった』
・・・ということです。
あらゆる「進化」は「突然変異×自然淘汰」によるものですから、「何らかの設計意図」
によって「上下の区別を自然に認識するようになる脳」や「『私』を特別重要だと『意識』
する脳」は「設計されたモノ・・ではありません。あくまで「突然変異×自然淘汰」により
ある意味「偶然」に人間の脳に残された(ている)性質である・・ということになります。
673 :
タックル!:2014/02/13(木) 22:13:04.68 0
ああ わかっちゃいました
ロードス島戦記の登場人物と同じセリフです
674 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 22:14:56.24 0
≫おっしゃる「上下の問題」が不思議であることは、理解できます。
ここでいう「上下の問題」が「不思議」であり、したがって、
それについて、ついつい考えてしまう。また、
その考えてしまうことに共感する(同様に、つい考えてしまう)人がいる、
ことのほうが、ふしぎといえばふしぎじゃないか。
突然変異によって引き起こされた欠陥や障害は、歳月とともに遺伝子の中に重い「遺伝荷重」を負わせ、積もり積もっていくからである。
「遺伝荷重」とは、遺伝子エラーの積み重ねで、生命体にかかる負担となり、
遺伝的に次の代に伝わっていくので、代を重ねるごとに重くなり、ついには致命的なものとなる。
したがってその過程で、有益と見える変異がたまたま起こったとしても、積もり積もった数多くの障害の中で、それも役に立たない。
歳月がたてばたつほど、その傾向は強くなり、結局突然変異は進化を妨害し、「種」の存続を脅威にさらすだけなのである。
生物の進化は、神のインテリジェント・デザインによりプログラムされていた筈
>>619 その「開闢」をめぐる「永井均的問題」は、仮に意味があるとしても
(私はないと思いますが)、どう転んでも唯物論とか観念論とかいう次元の
問題とは関係がないわけです。いわゆる心身関係をめぐる問題とも、何の関係も
ありません。
仮に唯物論が正しいと証明されて、自我を持つロボットが工場で自由自在に
作れるようになったとしても、また逆に精神が肉体から独立の実体だと証明されて、
死後の世界の魂と交信できるようになったとしても、その「開闢問題」は全く
解決もしないし、増えもしなければ減りもしませんので。
だから、最高位氏が本当に言いたいことは、機械氏や
ゲーム氏やwinwin氏やじいさん氏やいのち氏やその他の方々の問題意識とは
全然関係がない別の話なので、議論がかみ合うはずがないわけです。
(まあ、他の皆さんの議論も必ずしもかみ合ってはいないと思いますが)
タグの名前が違うだけっしょ
タグがどうあれ「下」は重力が働く方だし、「左」は左手(これは物理的に位置が決定している)が動く方なんだよ
このタグが上下左右反転したとしても
「上」は重力が働く方だし、「右」は左手(これは物理的に位置が決定している)が動く方なんだよ
678 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 22:24:47.36 0
ようするに、上下左右の呼び名にかかわらず、方位というものは、
命名以前に、あらかじめ決まっている、と、いう理解でいいか。
そういうことね
方向感覚が先にあるのではなくて、タグの特性によって感覚が定義されるということ
680 :
黄檗:2014/02/13(木) 22:32:37.44 0
>>676 意味無いのかな
超ハードプロブレム
ただな、これが永井だけの問題ではなくて
多くの人間がある程度理解できるものである
ってところは、比較的に重大なことのように思えるのだがな
人間が神を理解できることをもって神が存在すると短絡はできないわけだが
しかし、そこに何らの意味もない、いや意味があるとしてもそれは進化に於ける偶然の産物
とするのは偲びない思いも残るのだな
本当にその思考深度で割り切って良いのだろうか、と
貴方が「意味が無い」と判断する根拠はありますか?
人間が完全に球体の生物で、手も足も感覚器官も全方向についていて、
周囲の環境も360度変化がないとしたら、上下左右なんてないんじゃなかろうか。
球体なんぞ、有り得んw
思考実験としてなら面白いのかも
人間の身体は神がデザインした究極の形だよ
683 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 22:40:39.47 P
>>672 眼の獲得は、自然淘汰でも突然変異でも説明出来ないというのが定説なんだが、どう説明しますか?
>>680 私は(永井が言うのとは反対に)、いわゆるハードプロブレムは
大きな問題だと思いますが、スーパーハードプロブレムの方は
単なる心理的錯覚に基づく混乱ではないかと思っています。
というか、その本質はむしろいわゆる「可能世界論」であって、
私は可能世界というのは実は「不可能」で無意味ではないかという
気がするのですが、これ以上はどう考えてもスレ違いなのでやめます。
685 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 22:43:09.45 0
≫意味ないのかな
ふつうにいって、意味はないだろうな。ただ、そういうこと(問い)にこだわってしまう
自分およびほかの誰それさんがいる、ということには、それなりの意味があるだろう。
神とは神様(よう)システムの事で、人間系を構成要素とする創発システムを指す
687 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 22:47:04.41 P
688 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 22:49:15.25 0
あ
689 :
黄檗:2014/02/13(木) 22:55:36.20 0
>>684 いや面白いよ
そしてスレ違いではない
ここで語りなさいw
これ以上の相応しい場は無い
私も錯覚というか、擬似問題だろう派で
まじめに捉えるのはある種の病気かも
という恐怖感というか「もう止めとけ天使」がやめとけとささやくのだが
ただな、「なんでもあり」というのは、既に方法論としてあるわけだ
意味があるか、無いか、何が生まれるかは、神wのみぞ知るだ
690 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 22:57:42.45 0
683に横から言うと、
あらゆることで、説明できるものなどに、
それこそお目にかかったことはなくもあり、
もう一方で、何もかもぜんぶ説明できる、ような気もする。
なんからの問いがあって答えがある(ない)、ということが、
ふつうに意味を持つか否かは、状況次第、用向き次第、であろう。
そして、いっぱんに、哲学というものは、場違いな、または、無用な、
問答の系列だろう。ただ、場違いなもの、無用の用、があっていけない、
ということもないだろう。
私とか自我とか個性とかいうものは、理想的完全状態の人間(神)の欠陥的不完全偏向投影物に過ぎません
身の程をわきまえれば、宇宙の真の姿が見えてくる
692 :
大王:2014/02/13(木) 23:08:23.53 I
このスレを検索する際に、
「大王」と入力してしまったぜ。
天動説(自分中心)を捨てて、地動説(人類総体中心)を採択すれば先へ進めます
694 :
大王:2014/02/13(木) 23:10:51.70 I
いつの日か、俺の子分達が
敵を倒してくれる日がくる。
俺は戦術と指揮をとるだけで精一杯だよ。
695 :
「機械的唯物論」者:2014/02/13(木) 23:11:14.07 0
>>675 勿論「環境に対する適応に関して有害な突然変異」の方が「環境に対する適応に関して有益な突然変異」
と同等あるいは数のおいて上回ることはあり得ると思われます。
しかし「自然淘汰」とは結局「生き残った個体が持ち合わせた遺伝子」により決定されるので、
ある意味「結果論」なのです。
人類は未だに「尻尾の残渣」とも言える「尾てい骨」を備えておりますが、それが「進化に有利だったから」
とは言えません。ただ「長い尻尾」を備えた個体が産まれたら、少なくとも原始時代以前では
「呪われた子供」として「処分」された可能性は高いと思われます。
「ヒューマニズム」とか「人権」とかが社会的に保護されたのは実は「歴史的に見てつい最近」ですので、
中世ヨーロッパにそういう「尻尾人間」が産まれたら、親も気持ち悪がって「処分」してしまう
可能性も高いと思われます。
そのように「社会的淘汰」も加わって、人類の遺伝子は今の状況にまで「進化」してきたのであって、
キリスト教が唱えたように「神は自分の似姿を造って『アダム』を造った」ような
「設計作業」が地球上の「有機物」が人類にまで「(物質)進化」を司ったと考える理由は
存在しません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
696 :
大王:2014/02/13(木) 23:14:21.11 I
天才に生まれついた人間は、
幼い時に自分が何か特別な使命を持ってるかのように
自然と感じている。
天才達には共通しているかもしれない。
宇宙の形状が偶然の産物であるわけがないでしょう
直感を信じればいいだけ
我々は荒涼たる砂漠に住んではいない
人類が人類自身の為に、宇宙ごと最適化して奇跡の快適環境を作り上げたのだ
698 :
大王:2014/02/13(木) 23:20:57.30 I
俺は自分の姿に合わせて神を作る。
神はこの残酷な世界をあざ笑う。
余裕たっぷり、好きなつまみでも
食べながら、酒でものほほんと飲んで、
ゆっくりと煙草に火をつけ、理不尽も報われない
という人々の喜劇に感謝しながらなw
699 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木) 23:22:13.59 P
700 :
大王:2014/02/13(木) 23:24:27.63 I
まあ、科学は臆病から
発達した。
芸術も恐怖が根源だ。
しかし、科学は勇気を削ぐ。
701 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 23:27:52.30 0
つい、15000円もの分量の楽譜を購入してしまった。
全部耳コピで良いんだけど、たまに答え合わせしないと釈然としない。確認のために出費するって、あまり本望じゃない。
>>701 何の楽譜かわからんけど、ジャンルによると音楽家の卵みたいな方が
バイト感覚で採譜してるのがあるから、答え合わせじゃなくて、間違い探しに
なるときがあるよー。
703 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 23:38:49.51 0
我が前提とされていないと
「思う故にわれあり」にどうしてなるんですか?
>>699 先へ進まずループさせて永遠に終わらない思索ゲームに浸りたいのであれば、別の議題でやってほしい
私感でどんなに奇妙と感じられようと、整合性が取れる方を採択するべき
705 :
考える名無しさん:2014/02/13(木) 23:52:59.91 0
697の、いわば「人間原理」的なレスが、
哲学的でないとは思わない。
ただ、べつだんと興味もわかないが。
人間原理というより、
なめらかに流れるような美しい歴史ってのは、宇宙を最適化しないと作れないものでしょ?
俺に言わせりゃいのちの方が余程うっとおしいんだけどね
こいつのメンタリティと知性はノートの端に中二設定を書いてニヤニヤしているガキと変わらない
708 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 00:00:41.26 0
それを「人間原理」ということがあるわけね。
まあ、正確には、「人間原理」のひとつ、でしょう。
誤解が生じ易い点は、
この場合の人間とは個人ではなく、単なる人類全体でもなく、人間系を構成要素とする創発システムだという事
ガイアがお前に囁いてんのか?w
ガイアじゃなくて、歴史の始まりから終わりまでの映画を見ているような状態だってこと
ゲームみたいなインタラクティブ性も少しあって、多少自由に改竄できるようですが
712 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/14(金) 00:18:42.55 P
>>704 神=歴史がこうあらしめたって話?
それって、運命とはまた違うの?
神と歴史がどうやってイコールになるのかもわからん。
713 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 00:19:42.11 0
>>702 今回は幅広く色んなのを。
大手出版社の採譜なのに明らかに間違ってる、この採譜者の耳は悪い、って分かってるのに、
それが出版物として印刷されて手元にあるから、この間違った運指でやるしかないのか、だってこれが教科書だから・・と、十代中半の頃に葛藤した。
その後は一切出版物に頼らずに、もう、誰も信用せずに、自分の耳だけで超精密に何千回も聞きながら耳コピ専門、カバー曲は楽譜使わないようになった。
(なぜなら、かなりの確率で些細な部分が間違ってるから。もっと悪いと解釈にすら降参して採譜者の手癖で誤魔化されてる。)
だけど、とりあえず、「絶対に」CDと全く同じにはならない。ミックスとかマスタリングで変な倍音足したりしてる。そんなの奏者のすることじゃない。
自分の採譜に自信はある。だが、楽器一本以外から出てる音の部分はわからん。
この心理状態、精神状態を放置しておくと、ガスライティングにかけられてる状態に似てくる。
合ってるのか、間違ってるのか、確信できずに曖昧になって、現実が揺らぐ。心の隙が生まれ、闇に持って行かれる。
それを防ぎ、そこの白黒をつけたいが為に。この度、改めて出版物に手を出した。蓄積した曖昧が現在飽和状態にある。
間違ってるのを見つけると失望する。それが10曲入りだとしたら、その本全部そのレベル。
だから、若者向けみたいな詰め合わせのではない、職人芸みたいなマイナー譜面会社のから選んでみた。そうしたら凄く高くついた。
これで、中身、間違ってたら、再度、自分しか信じられなくなる。
最初から自分でこつこつと各パート1音1音採譜していったほうがましなのは知っている。
でもやはり投げたボールは返されないといけないみたいだ。自己の意識を高めるために。
今ではパソコンでwavファイルを取り込むと、全音を表示してくれるソフトも持っているのだけれど、
それで見ると、もう、逆に耳コピが危険に思えてくる結果が現われた。
訳わかんないくらいに高音低音にパラパラと装飾のように音が乗せられてるのが解析データとして出てきた。
恐ろしい。そんなのを耳で聞き取ろうとしてたら、常に倍音も聞こえてるから、どの音として聞こえても正解ということになる。
この奇っ怪やり過ぎミックス・マスタリングに恐れおののいたので出版物に賭けた。
>>711 だいたい何を言ってるか分からん
俺が分からんのだから他の人間にも99%伝わらない
伝える為に書いてるんだろうから、後10回ぐらい校正して出直してきてくれ
伝わらなくてもいいというのならそのままそっ閉じしてくれ
現実世界が運命に縛られ過ぎているので、
映画やテレビといった媒体を作って仮想世界に歴史を拡張したのが20世紀という時代なのでしょう
716 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/14(金) 00:34:39.06 P
なるほど、わからん。
宇宙は最適化されている
最適化とは、ゼロの状態からプラスとマイナスを等量生み出して適所に配分する事
マイナスを多く配分された特定の個人は不幸になる
不幸を埋める為に、現実逃避として映画などを見て幸福な他人の人生を疑似体験するわけです
プラスとマイナスは陰陽の概念に繋がります
仏教は現実世界の構造をかなり正確に捉えているのでしょう
>>713 いや、その、そんな完璧主義に徹したらノイローゼになるよ。
どんなジャンルかわからんけど、ジャンルによると演奏した
本人すら再現不能だったりするのもあるだろうし。
楽器を重ねると、演奏してるのと出音がなんか違うってよく
ありませんか?でも、いい感じだったらそのままOKが出ること
なんてよくあるだろうし、その上、変な補正を入れたら、音程
や音階すら変わる場合もあるし、それ以上に、こんな音、音符に
できるかい!みたいな音になる場合もあるでしょう。そんなんでも、
良い感じなんでOKみたいなことってあると思いますよ。
あくまで、楽譜ってのは、この曲はとりあえずこういう感じでっていう
アバウトな共通理解みたいなものを作る作業でしかないくらいの割り切り方
でよくないですか?どうせ譜面で再現できることなんて限られてるわけですし。
>>717 >宇宙は最適化されている
>最適化とは、ゼロの状態からプラスとマイナスを等量生み出して適所に配分する事
ふーん、適所と知る為には不適を知っているということだ。不適な状態をどこでどうやって知った?
>マイナスを多く配分された特定の個人は不幸になる
ふーん
>不幸を埋める為に、現実逃避として映画などを見て幸福な他人の人生を疑似体験するわけです
悲劇なコンテンツも沢山あるぞ?
>プラスとマイナスは陰陽の概念に繋がります
>仏教は現実世界の構造をかなり正確に捉えているのでしょう
そうですか
結論:だから何なんだ?お前はその説明で納得出来る人間が居るとまぢで思ってんのか?
絶対的な存在を求めているが故に納得できないのでしょうね
宇宙は相対的な世界だということです
人間はスリルや不安、恐怖、悲しみも要求してしまう生き物でしょう
人間在る所に必ずプラスとマイナス両方有りです
>>720 どうでもいいから最適化されていない宇宙をどこで知ったか教えろよ
722 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 01:38:28.60 0
>>718 そう思うよ。だから、リードシートでコード進行とメロディだけあれば、後は好みの問題で繕えば良い。
だが、完コピをするとなると、東大理Vの入試合格みたいに不可能技になってくる。
完コピなんて、するものじゃない。
だが、意地悪なことに、元メガデスのマーティー・フリードマンは、YouTubeのなんちゃって完コピの白人に直にコメントを残し、
ドラムからベースから全部自分で打ち込んで、一切の音の改変もせずに、CDで弾かれたように1音も取り替えずに弾け、とか言ってるんだよね。
まあ、そのくせ、ポール・ギルバートと共演した日本の番組中でのギグでは、自曲のソロを弾かれた通りに弾いてなかったけど。
なんか、ここ数日、「言ってること」と「やってること」が矛盾してる人が多い。
ちなみにマーティー・フリードマンも射手座だ。グルーヴの感性はないと思う。まず、リズムへの拘りが皆無。メロディ特化の人。
関係ないけど、
同じように言動不一致を起こしている「動きすぎてはいけない」の著者である「動きすぎる」千葉雅也博士(射手座)がバカと罵倒した東大哲学科卒の女性、
長谷川三千子さんは1946年3月24日生まれで、その日付は1957年3月23日生まれの浅田彰氏の一日違いになる。日付的には同じ人格傾向。
つまり日付だけ見れば、千葉雅也が浅田彰氏をバカと言った、みたいな状態。
ここ数日のテーマだね。言動不一致のもたらす面倒事。
最適化されていない宇宙というものを考えると、不具合(バグ)が発生している宇宙ということになってしまう
そんなものいちいち想定しなくて良いのではなかろうか
>>723 バグを知らなければこの宇宙でバグが発生してるかどうかなどわからんじゃないか
整合性を保った上での自動展開という風にしか言えないです
例えば、微生物がバグを捨てながら段階的に高等生物へと進化していく
これには自動的な要素が含まれていると思います
>>725 俺さ、実は光の戦士で近いうちに力に目覚めて他の仲間と人類の危機を救うんだ
何故って?そりゃ前世からの宿命でそう決まっているとしか言えないよ
君が言ってることのレベルは大体コレ。痛いだろ?
フィクションと割り切ったとしてもお粗末過ぎる
妄想をそのままブチ上げても他人は見向きもしないし相手にされない
もちろん自分独りで楽しむならいくらでも破綻した設定を楽しむといい
他人と共有したい、そして伝えたいと思ったら論理や事実との対応で説明付け、剪定しなければならない
ビッグバン理論だって量子論だって最初はある種の妄想扱いだったんだ
想像力が豊かなのは大いに結構、足りないのは知性と教養だよ
728 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 09:11:12.47 0
たしかに人間の霊性は証明されてないよね
それを生み出すために聖書とかが必要なんだし
カトリックは進化論を否定せず、でもその代わり人間の霊性を信仰させてくれって言ってたけどさ
しかし脳に物質以外の何かがあるってのを主張するのは自己欺瞞ではないよなぁ
>>727 具体的にどこが?どのように?
ゼノン風に「飛んでいる矢はどこに進むか分からない」とでも言うのかな?
730 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 09:33:08.21 0
ゼノンは伝説上の悪魔の名前。
731 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 09:43:50.30 0
>>728 死んだら何にもなくなるという真実を受け入れられない臆病者が
古今東西、霊魂の存在とか天国とかでっち上げるだけのことだろう
機械氏がいつも観念論的自己欺瞞って非難するのは単純にそのことだろう
732 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/14(金) 09:56:20.04 0
>>695 機械さん(決定論)のいう「進化」に“偶然”の入りこむ余地はないはずである。
たしかに創造主は、いきなり『アダム』をつくらなかったかもしれぬ。
が、個々の事物のかわりに“進行する世界”という無欠の『プログラム』をつくった…
今日のキリスト教も(よくはしらぬが)そのていどには主旨を変えているのではないか。
キリスト教の決定論と機械さんのそれとの違いは何ですか。
733 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/14(金) 10:37:06.02 0
>>627 じいさん
「こころ=身体」なら、じいさんの唯一の論拠“主客相対”は間違いということになる。
今後は主客相対ではなく「主客同一」に変更されるのですね。
Aという記号が用いられているが、そのAは心と身体の上部構造(超越しているw)としか読めない。
最高位は、それを《私》と呼び、心や身体に先立つ“存在性”としている。
それに対して「心と体の絡み(同一ではない)から生じた観念」というのが私見。
734 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/14(金) 11:15:31.68 0
>>631 “心身の絡み”は、じいさんの心身同一とは違うし、最高位の両者を超越する《私》とは全く異なる。
「当たり前」ではないのである。
「あらしめ(てい)る」という言葉は検索すればでてくるし、じいさんが嫌いなら、使わなければよろしい。
「あらしめられている」が正解か。これだと、たしかにクドい。w
「超越が好き」なのではない。誤解しないように。
易々と超越し、超越的言辞を弄するひととその意見を論じるのを旨としているだけ。
735 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 11:16:32.35 0
>>731 だから、その天国とかをつくるのは臆病というのはもはや当てはまらないんじゃないのって思うのよ
人間の文化で、それこそ古今東西、死後の世界や天国が設定されていない文化ってほとんどないわけでしょ
つまり、人間が天国を創設するのは本能レベルなわけで、小手先の自己欺瞞ではない
手足や臓器みたいに、人間の一部として考えるべきではないのかって俺は思う
機械の言じゃないけどせいぜい尻尾だろ
737 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 12:10:48.17 0
>>735 現代には科学があるから、宗教が「天国に入りたいなら教義に従いなさい」
って言っても信じない人が増えただけのことだろう。
それでも天国や死後の世界や魂の不滅を信じ込みたい奴が「自己欺瞞」の様々な屁理屈を
考え出しているだけのこと。
潔く「死んだらすべて終わり」という真実を素直に受け入れられない奴は臆病者なだけ。
738 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 13:37:19.52 0
文学。おわり
哲学は、この世界にとまでは言わない社会に対して、
善きシステムを授けられる学問になりえるんだろうか?
てちゅがくが何かの役に立てる道具的なものであるという妄言がもうアホ丸出し
>>740 道具というより、作用を及ぼせるだけの知恵として人類に認識させ行動を起こさせる
力があるかどうかということ。それも妄言だというなら、妄言なのだろうけれど。
742 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/14(金) 15:41:47.44 P
強弱はあれど、言葉には力がある。
著名人の発言では特に顕著。
首相の一言で株価が上下することもあるでしょう。
強い影響を齎す言葉を生み出せば、哲学が社会に対して何らかの作用が起きる可能性はあるだろうね。
しーこしこしこしこりこふさん 紙がないから手で拭いて もったいないからなめちゃった
TRICKの里見先生を思い出した
745 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 16:25:45.15 0
哲学がそれ自体以外の何かに役に立つかどうかは、どうでもいい
746 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/14(金) 16:45:12.97 0
>>657 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木)
>>主体=自我=思い=身体=こころ
>違うだろww
>>733 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/02/14(金)
>「こころ=身体」なら、じいさんの唯一の論拠“主客相対”は間違いということになる。
お二方ともここで整理すると、心身問題と言うのが心と体という意味なら「脳と心」と同じく、心は精神であり脳=身体は物質なのだから、「物質は精神を規定する」つまり両者は範疇が違うので合一だとか二元などと言のはナンセンス。
確かに「相関関係」ではありますが二元とか一元とか言う話ではない。
主客を論じるときは主体(主観+その人の身体)と客体(客観=外界)と大まかに分けたほうが判りやすい。
其の表現で{主体=自我=思い=身体=こころ }と書きました。
従ってくれぐれも自分の心と肉体が二元的に相対している等と考えてはいきません。
お二人ともその辺がおかしい。
「自分の足が痛い」この現象から「私」が主観で「足」が客観等と言う間違いを犯す。
そんなことすると・・・・
>>594 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/13(木)
>より正確に言うと「我思うと我思う、故に我ありと我思う」となる。
等と言う無限後退のみっともない論理になる。
>Aという記号が用いられているが、そのAは心と身体の上部構造(超越しているw)としか読めない。
まあAを「その人の主体」と置き換えていいのでは、ですから心も体もAに所属すると言う事です。
しかし心と体は違う範疇なので両者を同じ論理で扱うのは禁止です。
言い換えるとAを精神から見ると「主観A」であり物質として見ると「肉体A」です。
つまり上部でもなく集合でもありません。
お願いですから上部構造とか超越とか言わないでください。
747 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/14(金) 17:04:50.94 0
>>642 :考える名無しさん:2014/02/13(木)
これを読むとデカルトと言う人が基本的に間違っている事がわかる。
>我々の精神から感覚・想像力などの働きを切り離す方法的操作を経て
>物体的存在から区別された純粋精神(=超越論的主観性)に到達する。
致命的なミスである。精神は知情意であり感覚(知覚)・想像(高次知覚を)削除しては心には何も残らない。
おそらくコップを見たと言う感覚がコップと言う物体と切り離して精神の方にあることが理解できなかったのではないか。
更に致命的なのは物体(具象)と精神(抽象)が二元とか合一とか言うべき範疇に無いということも理解できなかったのでは?
純粋精神(=超越論的主観性)など在りえない、勿論抽象概念として在りえないと言う事。
神と呼ばれるものの候補はどんな存在か、ピックアップしてみると、
聖人、英雄、天才等が挙げられる。単に、神に近い者達と言ってもいいだろう
いっそのこと彼ら神に近い者達をひとつの人格に統合してやればいい
ついでに全人類を統合すれば、それは神として充分な資質を備える完全理想人間と言える
その存在の別名は「歴史」であろう
神と宇宙は相互補完関係にある。人類の記憶全てを統合すれば宇宙と対等になるのだろう
アニメの見過ぎ
>>748 つまり、今日俺が3回ウンコして、そのうち1回はなんか切れが悪くて
気持ち悪かったなぁ、とか考えてる記憶も集まると宇宙と対等に
なれるのか!俺以外の人間もウンコしてるだろうから人類全体の
1日のウンコの記憶は何十億回ってことになるが、宇宙ってこんな
いっぱいウンコした記憶を集めんと対等になれんのか!
宇宙ってすげーな。
そのような下等な記憶情報は、マイナスの属性を有すると思うわけです
マイナスってなんだ?イオンかー?
>>751 おまえ、ウンコをマイナスの属性とか言うんだったら、
これからうんこすんなよな。ウンコは大切なんだぞ!
仮にウンコをするのを許したとしても、ウンコする毎に
お前は、このようなマイナスの属性の行為をして申し訳ない
って罪悪感を持ちながらウンコをしろ!
>>746-747 横レスで申し訳ないですが、その言葉遣いはあまり一般的ではないと
思います。通常は心身問題といったら「自分(人間一般)の肉体と精神の関係」
をめぐる問題のことでしょう。
あなたの言葉遣いでいくと、自分の身体は主観でもなければ客観でもなく、
主客相対の外部にある、ということになってしまいます。
>おそらくコップを見たと言う感覚がコップと言う物体と切り離して精神の方にあることが理解できなかったのではないか。
いや、デカルトはコップを見たという感覚は精神の方にあると思っていると
思いますよ。それと同様に、「自分の指を切ったら痛いという感覚」や、
「自分の腕を動かそうとしたら動いたという感覚(意志)」も精神の方にあります。
一方、自分の指や腕や目や耳や脳は、コップと同様に物質であり、客観的な空間の
中に広がる物質世界の一部であることに何の違いもありません。
にもかかわらず、経験的に言って私の精神は明白に特定の人間の身体という
物質と密接不可分の関係にあるわけです。コップを割っても痛くないですが
特定の指を切ると痛いし、コップを動かそうと念じても動きませんが、特定の
腕は動かそうと思うと動きます。コップで物は見えませんが、目では見えます。
この経験的事実があるから「私は人間であってコップではない」という
認識が成り立つわけです。
ここで、デカルトは精神と物質は別の実体だと考えたので、「じゃあどうして
人体という物質と精神が結びついているのだ? 両者の関係やいかに?」
という問題が発生したのであって、これがいわゆる「心身問題」です。
私は今でもこれに決定的な回答があるとは思えません。もちろん
「こんなものは問題でも何でもなく考える価値はない」という有力な意見が
あることは知っていますが。
756 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金) 19:45:17.99 O
>>747 じいさんへ
精神から精神活動(受動的なものや能動的なものなど活動全般)
を、排除して考えると
我という主観性が残る
と言っているのではないかな?
主語と動詞の関係ですよ
ネコが走る
などの動詞を全て排除して考えた場合
(実際にはありえないのだが、そう考えた場合)
ネコだ
という事でしょ
757 :
タックル!:2014/02/14(金) 19:58:39.55 0
ありきたりだな
まだ、子供だよ
決定論なんて遅れてる
ロードス島戦記の話しをしたり
自分の値打ちも知らないようじゃあ、ダメだ
もっと、自分を売り込まないと
758 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 20:03:01.82 0
猫が走る、は、猫と走り、がべつにあるのではなく、
いわば、猫走り、という「一つ」のものがある、
といえば、およそ現代思想的なのだが、
そんなの面倒だからおよそ、猫が走る、に戻しても、
べつにいいんじゃないの、
と思うね。
759 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/14(金) 21:35:16.44 0
>>755 :考える名無しさん:2014/02/14(金)
>自分の身体は主観でもなければ客観でもなく、 主客相対の外部にある
自分の身体は「主」に属すると言っています。
しかしながら物質なので主観ではない。
>「自分の指を切ったら痛いという感覚」や、 「自分の腕を動かそうとしたら動いたという感覚(意志)」も精神の方にあります。
ウィキによれば・・・・・・・・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88 方法的懐疑
まず、肉体の与える感覚(外部感覚)は、しばしば間違うので偽とされる。また、「痛い」「甘い」といった内部感覚や「自分が目覚めている」といった自覚すら、覚醒と睡眠を判断する指標は何もない事から偽とされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
となっていますが・・???
感覚、自覚が偽であると言うことを言っている。
真なのは「私は考える、ゆえに私はある」だけなんでしょ?
>「私は人間であってコップではない」という認識が成り立つわけです。
そのような認識は先に述べた命題によって偽なんでしょ?
最初の前提を否定した後に其れを使かうのは反則。
「明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れない事。(明証)」
こんなばかげた命題では、いわゆる論理学のトートロジーみたいに一歩も先に進めなくなる。
科学にしろ数学にしろそれでは発展は無い。
実際は人間の直感(じいさんは感情が原点にあると睨んでいるが)によってそれらは発展した。
全ては知情意の感覚、感情、意思等が出発点で「ゆえに私はある」と納得できるのは知情意の働きであって、全く明証的事項とはいえない。
其れが証拠に「我思うゆえに我あり」がさっぱり理解出来ない人がこのスレに多い。
ちなみに何故「心(知情意)」が在るのかは不明であり、それは生命の不思議もそうだしこの世界には不思議な事ばかりなので、最高位さんが「私」を不思議がるのが不思議だ。
もともとこの世界があること自体最大の不思議だろう。
760 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 21:49:34.06 0
どういうかたちでも、不思議だ、と言うことが、不思議でない、と言うことよりも、
思索的(この語を、ほぼ哲学的と同義に用いる)だと言う人が多いのが、
なお不思議だな。
761 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/14(金) 21:50:15.74 P
>>759 あのね、デカルトは懐疑論者じゃないの。
「方法的」懐疑なんだから、懐疑というものを方法的手段として採用しているだけの話。
そこから、
>>663の通り、素朴実在論のレベルまで堕ちたとき、心身問題が浮上してしまうww
762 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/14(金) 22:12:03.22 0
>>756 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金)
>精神から精神活動(受動的なものや能動的なものなど活動全般)を、排除して考えると我という主観性が残る
それはそうですね、しかしその場合二度と主観性で精神活動を扱えなくなりますよ、排除しちゃったんですからね。
再び精神活動を扱うなら何で排除したのか?
むき出しの主観性を抽出した意味はあるのか?
と言うことです。
おそらくその主観性を論ずれば 純粋精神(=超越論的主観性)を導き出せると言う事かも知れないが・・・その辺に素朴な勘違いがある。
此処の個人の精神活動をそぎ落としたからと言って、なんで普遍的な純粋精神が導き出されると言うのか?まったく根拠はない。
要するに精神の本質は出てこないと言う事だ。
むしろ精神の本質はその活動の普遍性にある。
デカルトの幼稚なのは・・・・・・・
>考える問題を出来るだけ小さい部分にわける事。(分析)
>最も単純なものから始めて複雑なものに達する事。(総合)
分析したものを組み合わせて複雑にする事など出来っこないのは小学生にも判る。
相対関係にある事項など分けたら最後二度と復帰できない。
763 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 22:28:00.05 0
>何故「心(知情意)」が在るのかは不明であり
同じがないから
764 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金) 22:36:55.69 O
>>762 じいさん
キミも頭のおかしい部類かね?
なんで主語と動詞を分けて考えてみたら
もう二度と戻せないのかね??
言ってる意味がわからん
病気としか思えんが
神の精神が純粋精神なのでしょう
進化論を否定した時点で、神的な絶対者の存在を肯定せざるを得なくなります
そもそも言語が精神活動を忠実に表現していると思える根拠は何なんだろうか?
767 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/14(金) 22:57:20.03 0
>>764 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金)
>なんで主語と動詞を分けて考えてみたら
>もう二度と戻せないのかね??
ですから その主語だけで何を論じようというのですか?
戻す必要があるなら何で分けたのですか?
じいさんは 主体=主観+その人の身体 と言っている。
ある意味「我という主観性」を強く主張している。
「私=我」の意味は主観とか身体の活動を分析する事で解ってくると言っている。
主観や主体そのものを分解してそぎ落としまっては活動が説明できなくなるので間違った方法であるといっている。
768 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 23:08:22.59 0
>>766 根拠なんて私たちの内にしかありませんよ
我を繋げると我々となる
我々は、神として振る舞うネットワークを構築しているので、
個人レベルの主観や主体をそぎ落としても、ネットワークはほぼそのまま残り続ける
>>766 そもそも俺は言語が精神活動を忠実に表現しているなんて思えないぞ。
自分についても他人についても。
771 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金) 23:21:50.27 O
>>767 主語と動詞に分かれてるから「分かれてる」と分析してるだけでしょ
主語と動詞は、なんで分かれてると思うの?
何が問題なの?
>>756 「私は存在しない」
この文章も主語と動詞があるわけだが、この場合、私は存在しないとダメなの?
それとも存在しないの?
773 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金) 23:28:24.08 O
>>772 文学を論じても意味がない
本質的に考えれば
存在しないものに主語などないとアホでもわかるが
774 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 23:31:38.73 0
自由でないと主語でない、ですか
775 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 23:35:01.77 0
決定論を伝うるに意味が必要
だったら「意味」の対象はなんですか
決定論が客観的というなら、それは意味に依存しており
意味とは、私や思考やゼロと同じく、客観的でないでせうw
ものに主語が存在するとかしないとか、一体どういう意味だ?
「光より速いものは存在しない」という文章に主語はあるぞ。
主語があるとかないとかいうのは「文章」について言えることで、
それ以上の意味なんかない。
777 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金) 23:42:11.72 O
「実際」と「文章表現」の関係が頭の中で
ゴチャゴチャになる人がいるようだな
「徳川埋蔵金は存在しない」とか
「宇宙人は存在しない」とかどうよ
自我など無いだろうに赤ん坊は泣く
決定論をわざわざ伝える必要があるのかな?
宇宙は唯一つの姿しか取れない、というのが決定論でしょう
唯一つの姿は最適解であるわけで、元々、最適解以外の他の可能性なんて無い
存在可能性が無いものを伝える必要があるの?
他の可能性が無いのなら最適などと表現しなくてもよいw
どうかな、最適解以外の解で物質を構成してしまった失敗型の並行宇宙が発生しては消滅しているのかもしれない
それは可能性があるということだw
いい加減小学生程度の知能は身に付けてから発言しろ
784 :
考える名無しさん:2014/02/14(金) 23:56:45.70 0
道具に真と偽があるかしら
>唯一つの姿は最適解であるわけで
なんでだ。この宇宙が失敗型であっていけない理由があるのか。
>>780 なにー!じゃあ、今日俺が3回うんこして、3回目の切れが悪かったのも
宇宙的には最適解なのか!宇宙、おそるべし。
俺的には、スパッとキレの良いうんこが出るのが最適なのに!
確率を考慮してくれよ
というか、宇宙の構成因子はノイマン型のビットデータじゃないかもしれない
>>777 「明日の私は、カレーを食べたいと思うだろう」という文章もできる
わけだが、「明日の私」ってのも存在してるの?
789 :
波平と純一のシンクロ率の高さの不思議:2014/02/15(土) 00:13:00.37 0
>>787 64 :考える名無しさん:2014/02/14(金) 07:18:04.57 0
いる?
65 :考える名無しさん:2014/02/14(金) 18:27:00.14 O
人気スレ下がりすぎ
66 :┏( ^o^)┛ ◆kU3ChdD08M :2014/02/14(金) 23:00:29.50 0
はいはい
67 :純一 ◆zCfxZZAy/daA :2014/02/14(金) 23:01:22.85 0
運知思想かね〜
68 :┏( ^o^)┛ ◆kU3ChdD08M :2014/02/14(金) 23:01:34.57 0
>>1 何回読んでも笑うな
69 :┏( ^o^)┛ ◆kU3ChdD08M :2014/02/14(金) 23:03:32.77 0
>>67 こんばんわ!
/02/14(金) 07:18:04.57 0
/02/14(金) 18:27:00.14 O
/02/14(金) 23:00:29.50 0
/02/14(金) 23:01:22.85 0
/02/14(金) 23:01:34.57 0
/02/14(金) 23:03:32.77 0
790 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 00:13:46.05 0
道具の使い方が正しいか誤りか
それは道具に判別されるのか?
それとも扱う対象に判別されるのか?
どちらも使い手に決定される
なぜならそれは同じ所産だから
だから自然はそのよう(最適)にある
791 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/15(土) 00:53:32.55 P
792 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/15(土) 00:59:54.77 0
>>771 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/14(金)
>主語と動詞に分かれてるから「分かれてる」と分析してるだけでしょ
>何が問題なの?
はい問題は無いです。
でも主語だけで何を論じたいんですか?
「ここ」は、相手と相対しているが、「いま」は相手と共有されている。
「どこだ?」、「ここだ」、「いつだ?」、「いまだ」
「ただいま」、「おかえり」
デカルトの方法はまさしくプラトニズムですね。プラトンは石像をそれが削られる前の
石から独立してある実体としてとらえた。抽象された概念をその抽象のために捨象され
ている具体的、個別的存在から切り離してしまう。それは倒錯でしょう。
世界を認識し世界を疑い世界から切り離されることで確かに私はあるけど、切り離され
る世界なしには私は存在しない。
796 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 01:59:36.43 O
>>792 まずは、正確な分析でしょう
構造を知らなきゃ
間違えた論になるんじゃありませんか?
決定論が正しければ、石像は削られる以前から石の中に像を結んでいることになりますね
>>796 再度、質問でーす。
「明日の私は、カレーを食べたいと思うだろう」
この文章において、明日の私は存在しますか?
799 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 02:23:39.27 O
負け犬w
>>799 いや、だからね。観察して分析することもできないようのものはね。
あるって言われてもね。そうだね〜あるね〜としか言いようがなくて、
そんで、それってそれ以上になんか意味はあるの?
むしろ、無いと困るの?
哲学者最高位さんのアイデンティティとして重要なのなら、
そりゃー、ものすごい重要なことですよ。
でも、それって私のアイデンティティとしては何の意味もないのん。
802 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 02:52:17.83 O
>>801 まず、それは本質的に、意味が理解できてないだけですよ
それから、関心があるとかないとかは関係ありませんしね
とにかく、その観点では、誤読しかおこりません
803 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 02:53:50.34 0
思惟なしに主観(我)だけが存在しうるか、
私が石であるという思考実験は可能か?
>>802 じゃあ、その私ってどんなものなんですか?
説明をおながいします。
805 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 03:03:33.25 O
>>804 また最初からかよ
まんどくせ
私は私だろ
『私』は主観性であり、純粋な存在性
>>805 主観の根源ってこと?
それって私は私っていってるだけでは?
807 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 05:38:36.02 0
仮に科学ないしサイエンス(Science)が進歩又は発展した後においても、 以下に記載する例が、世界中の最先端の健全な科学者が示す、又は認める、ほとんど又は十分に、正確かつ妥当な解答の例です。
もっとも、その解答の例を記述する文は唯一ではありません。
以下の記載において、わたしは、その解答の例を記述した文を一つ示しました。
そのほかの点は、以下の記載に示したとおりであるので、これを引用します。
サイエンス(Science)は、不確かです。
ある前提に基づくある不確かさないし精度の範囲内において「幽霊はいない」との命題は真である。
そして、その命題が真であるとそのある前提に基づく判定ないし判断を実施できるとともに、そのある前提に基づくそのある不確かさを持っているその精度の範囲外において「幽霊がいる」との命題について、
私たちないし観測者は、十分に確かに又はほとんど確かに、そのある前提に基づく判定ないし判断を実施することはできません。
すなわち、そのある前提に基づくそのある不確かさを持っているその精度の範囲外において「幽霊がいる」との命題の真偽を、
私たちないし観測者は、十分に確かに又はほとんど確かに、そのある前提に基づく判定ないし判断を実施することができません。
以上のことは、その科学ないしサイエンスが進歩ないし発展した後においても同様にいえるものです。
その科学が進歩ないし発展した後においても、上記及び下記が、世界中に存在する最先端の健全な科学者から見てみて、ほとんど又は十分に、正確かつ妥当な解答の例です。
幽霊がいる」という命題がある前提において「偽」であるというのであって、可能性が十分にあるということではないと思いました。
808 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 06:00:35.92 0
みてみてだけ読んだ
>>805 お前ばかか?主観性、純粋な存在性が何なのか説明しろよ。
「sum ego」を「我有り」とすることが混乱を招いている。
「sum ego」とは、英語に訳せば「It's me」、つまり、相手に対する
「ただいま」という確認だ。「ただいまここにいるのは私だ」と相手に
告げている。相手と相対しながら間を共有している存在、それが私だ。
812 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 12:08:35.39 0
>>809 四宮さん、冷静に!
前述を見てわかるとおり、
彼のいう純粋な存在性とは、
永井均のいわゆる「<私>の存在」のことを
言っているんじゃないかな
813 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 12:10:47.34 0
クオリアってなんだろう。
言葉では伝えられないという性質がポイントだろう。
814 :
大王:2014/02/15(土) 13:24:28.77 I
クオリアなんぞ、
アクエリアスの仲間だ。
その程度でいい。
結局クオリアって人間性の総称みたいなもんだと思うわ
人間しか感じていないであろう人間性という脳の錯覚。
動物にもある。
高等な哺乳類は確実に。
動物に人間性はないだろw
818 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 13:50:28.80 0
どこまで行ってもその存在を相関的にしか説明できない。
クオリアなんて幻想だ。
>>813 「言葉」自体は、そもそも何も伝えないよ。
>>819 動物が持ってるクオリアってどんな風なの?
>>807 ドラえもんでも、ゴジラでも何でもいいよね w
人間が蛇や百足を見て恐怖と嫌悪の感情があるのは人間だけで
犬の反応が恐怖や嫌悪と堂々な感情による反応かどうかは
人間には判断できないでしょ。
堂々 ×
同等 ○
827 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 14:19:24.66 0
恐怖が警戒や緊張となって表われる、または連動すると説明できれば、
犬が恐怖の状態にあることは生体、物質身体状態の検査から鑑定できる。
脚気の検査のように物理的な作用の反射的に
百足を知覚した反射で犬がびっくりしているように人間に見えているだけか
犬が恐怖しているかどうかは、
物質身体状態の検査しても判らないと思うけど。
829 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 14:29:05.30 0
それは、生命の危機と恐怖を、既に言葉遊びにしてしまっていて、切り離しているのでは?
語によって分けられる事象は、現実には連なる一体の部分を呼称しているだけで、
その局所だけを抜き取り、適当に縫い合わせたら、動かないフランケンシュタイン人形が出来上がってしまうよ。
>>829 そうじゃなくて、クオリアにも人間と動物とでは性質が違う可能性があるんではないかという話。
人間が感じる恐怖感が犬の態度から察して等しいクオリアだと判断するのは無理があるっていうね。
831 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 14:41:14.86 0
俺はいつも思う。
人は、それを、解決する「気」があるのか。それとも、問題として膨らましたいのが実のところなのか。
解決したいのならば、散らばらせずに、一度ミニマルに単純化してみてから、誤差を拾っていくほうが建設的に思う。
だが、
夢想を続けたいのならば、できるだけ解決から遠ざかるように問題の次元を増やしていく意志が働いて、有耶無耶を好むのだと思う。
膨らましたいわけじゃないけど、疑問があるから提示してみることになる。
それに対して、解決できる答えを提示できる人間がいるかいないかで解決できるかどうかというか
暫定1位が決まるだけかな。
自分で解決できるなら、疑問って沸かないでしょ。
833 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 15:04:21.60 0
たとえば、「手の付けようのない事態」という状況は、物質的ではなく、スレタイでいう意識に分類される。
問題に取り組むに当たって、とりあえず「手の付けようのない事態」を回避する方法論で進めたい。
という部分で既にメタ視点から見た無形物「手の付けようのない事態」を問題にしている。
手が付けられる事態にするには、見えたり触れないと難しい。
その「手の付けようのない事態」が「クオリア」と同じカテゴリ・抽象的な高さにあるとすると、
クオリアよりも抽象的な『概念』を作って、クオリアが『その概念』よりは手が付けられる「比較的具体的事例」となる視点まで行かないといけない。
堂堂巡りの言葉遊びとトートロジーは、視点の高さを高さ伸び縮みしない三脚に載せているために発生するようなものだ。
議論の進みに合わせて視点の高さを上げていかないと、次の段階へと進まない。
現在、その根本的な考察の方法論すらも打ち立てられていない状態なので、先は長い。
クオリアは神のデータベースを参照しているだけだって
いい加減、神の存在を認めてください
神ってあの神様?それとも神って形容しているだけのなんかしらの力ってこと?
哲学の板で、神とか魂とか見るとなんだかガッカリ
宇宙と対になり相互補完している存在が神であるらしいです
神たりえるものの候補は、「創発を含めた人類総体」以外にありません
私の考えでは、この人類総体の情報が過去へ移行することにより歴史として固定化され、
データベースとして機能する事になります
837 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 17:55:37.27 O
クオリアなんて
動物どころか人間どうし、他人でも
同じに感じているかなど確認のしようがない
こんな基本的な事すら混乱してるんだから
ここの人に、何を説明しても理解できないはずだわ
自分が感じている「赤」と、隣で見ている人の「赤」は
同じかどうかは、確認のしようがないのだよ
例としては少し違うが
自分でだって「知らんまにケガしてた」なんて事もあるしね
標準試料のような感じで、「標準の赤」がデータベース上に存在するのではないでしょうか
839 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 18:06:41.37 O
>>838 赤は観念であって、物理世界には存在しない
という事をご存知だろうか?
波長の違いで色が赤に感じたり青に感じたりして見えるんだったっけ?猫なんて全然違う色の世界を生きてるらしいよね。
それだけでも、動物と人間のクオリアに差があるだろうってことは想像つくと思うけど。
物理世界という概念は古典的なのではないでしょうか
現実世界は量子物理学が適用されている世界らしいです
哲学が理想を追い求める学問であるならば、
現実という低俗な妥協の産物に属するクオリア等の分野は、議題として相応しくないのかも
理想によりけりだと思うよ
844 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 19:22:22.48 0
>>759 「方法的懐疑」とは、事象に対して絶対に疑いえない“真理”を基底として、
少しでも疑わしい部分があれば“偽”とみなして斥ける。この一連の思考過程に於いて、
デカルトは「五感(知覚)」を対象として「方法的懐疑」を行い、これら「五感」を“偽”と
みなして「斥けて」いる。
すべての事象が「方法的懐疑」により“疑わしさが残るもの”として斥けられた次元に於いて、
「私はある、私は存在する」(省察二)という命題に到達している。
「方法的懐疑」が難しいのは、個々の事象に対して、「偽」とみなし斥ける一連の思考過程に
あるのだと思う。
つまり、日常的意識次元(生活世界)の事象を、「方法的懐疑」という思考過程を経て、個々人の
能力に合わせて階段を上がる様に、高次元の超越論的領域へと登って行く(既成概念を取り除いていく)
その思考過程は、苦しみもともなうが、個人の能力に合わせて進められるのであれば、誰しも一定の
超越論的領野の概念の認識は、可能であると述べている。(省察)
>>837 お前だって所詮「ここの人」なわけだが?w
そんな暴論で自己欺瞞してる程度の人間性
846 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/15(土) 20:28:51.17 O
>>844 実際には、超越論的な概念に、方法的懐疑は必要ない
方法的懐疑も、認識を「偽」だとしているのではなく
「真である絶対性を担保しない」ていど
だが「我あり」は、疑いようがない
哲学をする上で「第一原理」とした
「超越論的な概念」はあれだぞ
「我あり」
「存在」という時点で超越してる
世界は「状態」だからね
皆さんは方法的懐疑によって何を得たり為したりしましたか?
>>759 >>755は「心身問題(主客の関係)」について書いたので、いわゆる「方法的懐疑」
とは別問題です。
方法的懐疑はとにかく少しでも疑う余地のあるものはすべていったん偽とみなす、
ということですので、物質の存在はすべて方法的懐疑には耐えられません。
もちろん人間の存在もです。当然「私は人間である」も「私はデカルトである」
もすべて疑う余地ありとして退けられます。それで唯一絶対確実で疑う余地なしと
されたのが有名な「われ思うゆえにわれあり」です。
ここで止まっていれば、おっしゃるとおり全く進展性のない独我論にしか
なりませんが、デカルトはその疑う余地のない「われ」を出発点というか
梃子にして、さらに「神」を持ち出して、結局外界の存在も物質の存在もすべて
確かなものとして肯定するわけです。「私は人間であってコップではない」も、
「私はデカルトである」も、すべて肯定されるでしょう。上でいのち氏も
指摘したいましたが「だったら何のための懐疑なんだ?」という気がするのは
否定できませんが、もちろんさまざまな解釈があって議論百出です。
それはともかく、こうして別個の実体として肯定された「物質(人体)」と「精神」の
関係が問題になるので、それがいわゆる心身問題である、というのが、普通の
解釈というか言葉遣いだと思われます。
そもそも、コップと人体の間に物質として本質的な区別があるわけではなく、
たとえばコップを人体に埋め込むことも考えられます。
義手とか義足とか、人工臓器とか、「外部の人工物を人体の一部に組み込む」ことは
絵空事ではなく、現に行われています。というか、人体は常に新陳代謝を繰り返して
外部の物質を取り込んでいるわけで、「自分の人体は主観ではないが主体であって、
客体に対峙するものであり、主客相関の主の側だ」というのは、考え方としても
無理があるように思えますが。あるいはいのち氏の「いのち一元論」というのは、
主観客観より根源的なものとして「いのち」を置くことで、じいさん氏の考えに
一脈通じるところがあるのでしょうか。
849 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 22:28:02.84 0
その科学ないしサイエンス(Science)が進歩又は発展した後においても、以下の記載は、世界中の最先端の健全な科学者ほとんど又は十分に、正確かつ妥当な解答の例です。
もっとも、その解答の例を記述する文は唯一ではありません。 以下の記載において、わたしは、その解答の例を記述した文を一つ示しました。
そのほかの点は、以下の記載に示したとおりであるので、これを引用します。
サイエンス(Science)は、不確かです。
ある前提に基づくある不確かさないし精度の範囲内において「ある対象は存在しない。」との命題は真である。
そして、その命題が真であるとそのある前提に基づく判定ないし判断を実施できるとともに、そのある前提に基づくそのある不確かさを持っているその精度の範囲外において「ある対象は存在する。」との命題について、
私たちないし観測者は、十分に確かに又はほとんど確かに、そのある前提に基づく判定ないし判断を実施することはできません。
すなわち、そのある前提に基づくそのある不確かさを持っているその精度の範囲外において「ある対象は存在うする。」との命題の真偽を、私たちないし観測者は、十分に確かに又はほとんど確かに、そのある前提に基づく判定ないし判断を実施することができません。
以上のことは、その科学ないしサイエンスが進歩ないし発展した後においても同様にいえるものです。
その科学が進歩ないし発展した後においても、以下の記載が、世界中に存在する最先端の健全な科学者から見てみて、ほとんど又は十分に、正確かつ妥当な解答の例です。
「ある対象は存在する。」という命題がある前提において「偽」であるというのであって、可能性が十分にあるということではないと思いました。
ある対象が存在するか否かの真偽を判断できないこと、すなわち、ある対象が存在するか、及び存在しないかいずれも判定できないことは、
そのある対象が存在すること、又は、ある特定の観点から見てみて、都合の良いこと、及び都合の悪いことをそれぞれ予想することを、それぞれ意味しません。
以上の全ての記載は、ある対象を議論するために、必須であること、必ず考慮されること、及び考慮されないことは健全な議論を引き起こさないことです。
さーーーーーーーーーーーーーーーーぱりわからn
ほとんどの同じ意味の単語を並列してまで、いちいち主語を長ったらしくする理由は何かあるのだろうか
852 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 22:43:03.16 0
スコッティとって
853 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 22:55:01.60 0
>>846 デカルトが省察(二)で記述している「私はある、私は存在する」という命題での
「私」は、不可疑性としての「超越論的主観性」のことと解釈しているが、 最高位の
言う「状態」とは、超越論的領野に於ける「現象化の状態」のことでしょうか。
>>847 安易な相対主義は間違ってるんだなと分かった
決定論が正しいのであれば、宇宙は何度誕生しても同じ形状、同じ機能で同じ過程しか歩まないから、不確かでも問題ない。同じ結果が出る
道は1本しか用意されていない
空想する自由は別途用意されている
856 :
優しい名無しさん:2014/02/15(土) 23:02:31.63 0
843 理想によりけり と 理想よりけり 見間違えて
一瞬 自転車の歴史 あたまよぎって
たしかに そーなのかもなー 思った(笑)
857 :
大王:2014/02/15(土) 23:14:06.91 I
現代哲学は単なる言葉遊びになったのだよ。
何も生まれない。
858 :
優しい名無しさん:2014/02/15(土) 23:19:05.95 0
自転車なめてかかれないんですよ
歯車 と チェーン は 物理の基本ですから
859 :
大王:2014/02/15(土) 23:19:09.79 I
経験することを、行動することを
怖がるから知識を増やしたい。
単にそれだけのことだ。
道徳の基盤が失敗回避なら、
現代の哲学知識習得も似たようなもの。
哲学と呼ばんだろ、んなもん。
まず、10回は人をぶん殴れw
生まれないことが真実なんだからしょうがない
861 :
優しい名無しさん:2014/02/15(土) 23:20:44.39 0
あし で 漕ぐの ・・・・・・ (笑)
ニコちゃん大王は 足が短いから 3輪車だね
862 :
大王:2014/02/15(土) 23:21:49.53 I
本心はみな感情に任せて逸脱したい。
制限なんていいことばかりじゃないからね。
でも、怖いんだろ。
笑われるのが。
863 :
優しい名無しさん:2014/02/15(土) 23:24:38.12 0
進化して 水鳥 になる 練習だったのかもよ
M87星雲
864 :
大王:2014/02/15(土) 23:25:17.00 I
そして今日も科学にすがる!
まるで決定してる。
これが決定論だったのか?
865 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 23:25:45.20 0
9歳でしょうか紙でしょうか。
866 :
「機械的唯物論」者:2014/02/15(土) 23:26:57.54 0
>>834 >いい加減、神の存在を認めてください
なんだかんだ「理屈」をこねくり回しても、観念論者が結局辿り着きたいのは
「そこ」なんですよね。
デカルトの方法懐疑について、「ああでもないこうでもない」という「ギロン」が盛んなようですが、
そのデカルトも「懐疑」の末に、一足飛びに「神の存在証明」に飛びついた訳です。
いったい「何のための方法懐疑?」…と問えば「神の存在証明のアリバイ作り」以外に考えられません。
観念論者達はそれ以前もそれ以降も「自己欺瞞の方法と技術」を複雑化する
…要は「言葉で『(科学が指し示す)真理や事実』から眼を背ける方法と技術」を磨いてきただけのことなのです。
867 :
考える名無しさん:2014/02/15(土) 23:40:48.80 0
用語「ほとんど」と用語「十分に」とは、それぞれ、確かにある場面では同じ部分はありますが、別のある場面では違いのある部分がある用語です。
>>853についての議論が、
>>849の議論に基づく行き方ないしアプローチ又は観点から全く離れた議論である場合に、そのような議論は健全な又は有意義な議論とはいえません。
健全とか有意義とかで終わってる気がする
>>825 他人が自分と同じ感情をもってること判断できる根拠を示すのが先だ w
870 :
「機械的唯物論」者:2014/02/15(土) 23:50:56.67 0
>>867 「神の存在証明」の妥当性については一切お構いなしに、その前段階である
「方法的懐疑」について「ああでもないこうでもない」と「解釈論」を戦わせる
ことにいったいどんな「意味」を見つけようとされているのか?
観念論者さんたちの思考回路がどうなっているのかは全く理解できませんね。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>867 論理上の正当性は、存在に関する正当性を何ら保証しないというのは、イロハのイなんだが。
872 :
黄檗:2014/02/16(日) 00:05:45.41 0
ほー
「正当性を保証する」ことを何が保証するのだ?
873 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 00:12:33.10 0
>>872 この世のすべてには何の保証もないよ。
だから人間は「神」を求め続けることを止められない。
誰だって自分の人生になんか意味を付与したいし、付与してくれるのは「神」以外ないことも知っている。
874 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 00:12:45.26 O
>>870 このスレにも
観念論者など、ほとんどいないと思われるが
いったい誰と戦ってるの?
>>873 「保証」と「意味」に何か関連性でもあるんですか?
決定論が正しいと認めるわけですか
877 :
「機械的唯物論」者:2014/02/16(日) 00:18:41.63 0
>>974 あなたが典型的な観念論者なんですよ。
「自己欺瞞」が慢性化すると、自分の考えを客観的に検証することが不可能になる。
「観念論的誤謬」という不治の「死に至る病」です。ご愁傷様です。
本日は就寝させて戴きます。
878 :
黄檗:2014/02/16(日) 00:19:21.15 0
>873
それなら貴方の使う意味での「保証する」ことは、何もしないことと同じではないのか
その場合に、「保証されない」ことによって、何が否定されるのだ?
879 :
871:2014/02/16(日) 00:22:03.90 0
>>878 否定はされないし、肯定もされない。
つまり、存在ではなく無だ。
881 :
黄檗:2014/02/16(日) 00:24:32.09 0
882 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 00:25:07.00 0
>>875 アホですか?
「正当性を保証する」の主語は?
悪魔でも痴呆老人でも「正当性を保証する」主体が存在すればいい?
だったら「そもそも正当性って何よ?」という話になるだけのことだろにw
883 :
黄檗:2014/02/16(日) 00:27:11.40 0
>>880 貴方にとって、「存在」と「無」の区別を支えるのは何よ
>>883 存在だよ。
「無がある」という表現は、いかなる意味でも認められない。
素粒子は無が変化したものですよ
物理的に確認されています
エネルギーはあったんだろ。
887 :
黄檗:2014/02/16(日) 00:33:18.52 0
>>884 ほー
「無がある」は認めないのか
「無である」はどうなんだ?
888 :
優しい名無しさん:2014/02/16(日) 00:34:38.66 0
存在とは 気にするからでしょお
気にならない存在と分けて考えたら いいとおもう
マジで 五感の情報すべてが 時間軸の中で暗号化されてるの
いちいち全部気にしてたら処理しきれなくて 発狂するよ
889 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 00:34:45.72 0
>>885 その場合でも「変化」は「無」とは別に「存在」しなきゃならないな。
>>889 なら、そもそも「変化」だけ存在していれば「無」なんていらんでしょw
物理的に定義される無とは、無限不確定性を持つ物質です
物質が無なのです
無限不確定性を持つ物質を観測すると状態が有限化されます。有限化されることで、物質が存在になります。あくまでも相対的にです
892 :
黄檗:2014/02/16(日) 00:42:47.35 0
>>888 悪くない
最近読んだ本にこんな話があった
生理的には色覚が“正常に”あるとして(色盲ではない)
形状と色とが完全に同期した観念世界に於いて
色の概念は「ある」のだろうか?
完全に同期するというのは
例えば三角は必ず青、四角は赤、という感じ
わりと面白くないですか?
そうなったら、色は形状の概念に吸収されてしまうのではないか
「色」は無くなるように思える
そんなのは自己撞着だ、とか言わずに考えてくださいな
893 :
黄檗:2014/02/16(日) 01:10:20.29 0
つまらんか?
色の話のついでに、もう一つ「おお」と思った話があってな
色というのは電磁波によって誘引される生理的な現象、とされるわけだが
波動を感知するという意味では「音」もそうなわけだ
ところで音波というのは16Hz〜20000Hzまで聴こえるわけで
周波数が倍になると、オクターブ上がって「ド」は「ド」に戻って聴こえる
可視光は400〜800nm程度なので、周波数が倍の色という事態がほぼ起こらない
もし人間の視覚がもっと広い範囲の周波数を拾うことができたら
色のオクターブは「ある」ことになるのだろうか?
てな話なんだがな
面白くないか
894 :
優しい名無しさん:2014/02/16(日) 01:12:27.67 0
>>892 そう ・・・・ 簡単にゆーと デジタル化なんだけど
情報は 数値や形や擬音の信号に 置き換え可能です
でも この擬音ってやつが なかなか厄介で 電子音で
電波が 波形ベクトルとして いきなり活性化しだして
シンセサイザーで 人類より先に 宇宙にいっちゃったっぽい
ノコギリ波 とかみてると オノヨーコ より chainsaw だし(笑)
895 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 01:31:34.36 0
>>869-870に関わることは、いずれも
>>849の議論に基づく範囲内のことです。
ある具体的な及び特定の人が「神は存在する。」との意見を述べるとともに、別のある具体的な及び特定の人が「神が存在する」との意見を述べたとき、
「ある具体的な及び特定の人の立場から見てみて神は存在する。」との命題に対し、その両者の各意見及びその意見に関わる前提に基づく範囲内で、その命題は真であるいえます。
896 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 01:33:14.37 0
置換しなければ捕まることはない
置換すると、真偽可能として捕まえられる
897 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 01:37:56.86 0
いま私がどんな本を読んでいるかをわかるのは
私だけだ
答え合わせが可能であるなら、それは無いことに等しい
なぜなら、誰にもそれを確かめられないからだ
898 :
優しい名無しさん:2014/02/16(日) 01:41:44.07 0
>>893 いわゆる サイケデリック ってやつですよね
実際は 強い電磁場で ハレーション起こしてるみたい
拾っても波長を合わせられないと
ループさせて周期性を保てられないし バランスとるのが難しい
真偽 なんて 蔵本モデルで証明できるでしょお(笑)
899 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 01:44:27.21 0
自然の問題集には、解答の別冊も巻末もない
だから答え合わせできない
それが正しいと言えるのは、それが唯一の解答でない限りである
900 :
優しい名無しさん:2014/02/16(日) 01:49:58.61 0
無 そのものは
無指向性のベクトル って 概念でいいとおもう
止まってる 点々 が いっぱいあって
干渉受けるタイミングを準備している状態
同期振動してるのは 確定座標上において 固定された時間軸
これが 電磁波 と 電磁場 で はさまれてるの
ゼウス と ガウス (笑)
901 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 01:52:18.78 0
それは白かそれとも黒なのか?
それは「白」と「黒」に依る
だから、それは白でも黒でもある
「それは白」が唯一の解答ではない
902 :
優しい名無しさん:2014/02/16(日) 01:53:59.28 0
京都のヤンキーみたい(笑)
903 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 01:56:28.70 0
白と黒は、存在と無と同じく
区別の決定を「答え合わせ」することはできない
ただ、区別を決定することができるだけである
904 :
優しい名無しさん:2014/02/16(日) 02:08:44.21 0
だって 膨張色は白でしょお
せんせい が 緑の黒板に 白や 色のついたチョークで
文字や記号並べて せいと が
紙で出来た白いノートに炭素で模写させて教えてた意味
かんがえたことある?
終わったら 拭いて 粉にして 窓からパンパンして終わり
905 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 02:16:35.72 0
白紙の紙に文字を書いてるとき不思議を覚えたことならある
何も無いところに、何かが現れるということに
906 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 02:24:48.20 0
綺麗な文字を書こうとしても、初めはうまく書けない
何度も書いて練習すると、頭にイメージした思う通りに
白紙に黒字で書き現せるようになる
たぶん、これと同じだ
なぜ、私たちは知ろうとするのかの理由と
自然に答えがなければ、私たちは何も知ることができないだろうか?
907 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 02:31:26.20 0
人間には知っていることも知らないことも探求することはできないのだ。
なぜなら、知っていることを探求することはないであろう。
彼はそれを知っているのであり、そのような者には探求の必要がないからだ。
また知らないことを探求することもないであろう。
彼は自分が何を探求しようとしているかということも知らないからだ。(『メノン』)
>>891 自然界に無限なんて一つも無いよ、実例挙げてみ?
というか、確認出来たら無限の定義から外れてしまうんだがね
>>908 無限の定義ができないアホが何をいっても恥ずかしいだけ。
なんで恥ずかしいことをそういう風にいっちゃうの?
910 :
大王:2014/02/16(日) 07:06:12.95 I
どうせなら、神になったほうがいい。
ーーーーーーーーーーここまで決定済みーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーここからも決定済みーーーーーーーーーー
人間て生まれた時点で主体性だったり社会規範だったり命だったり欲求だったりの
人それぞれだろうけど、奴隷なんだよね。人生は奴隷だ。
913 :
黄檗:2014/02/16(日) 10:03:02.71 0
スモ元気そうだな
914 :
黄檗:2014/02/16(日) 10:26:13.28 0
メノンは読んだ記憶がある
「どないやねん」「結局どっちやねん、ソクラテスのおっさんよぉw」
と突っ込みいれまくりだった気がする
決定論者にも2つの立場があるんだねえ
自分を肯定している者と、自分を肯定できずに苦悩している者
興味深い
>>892 その場合、逆に形状の概念が色の概念に吸収されることはないですか。
そもそも色も形状も無限に多様なので、完全に一対一対応というのは想像しづらいですが。
意識は必然にすぎないから、生死を選べる哲学的世界を実現しないとこりゃ駄目だな
919 :
あまの:2014/02/16(日) 12:49:05.31 P
決定論は面白いね。
自我の強さだげで反感を露にするヤツが次々に釣れるからね。
反感?従順の間違いでしょ?
921 :
あまの:2014/02/16(日) 13:01:01.03 P
決定論は形而上学であって主義ではないんですよ。
カテゴリーミスですよね。
決定論は形而上学だとしても、決定論者はそうじゃないじゃんw
923 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 15:42:02.08 0
カテゴリーミスですよね。
「形而上学に関する主義主張」なんじゃないの。
>>910 神が何でもかんでも知ってる存在なら、
神の中にあなたも含まれてるでしょ。
神とあなたの差は途方も無いものだけど、
神になったあなたと神の差は、
昔あなただったか、初めから神だったかの違いだけじゃん。
これじゃ、あなたが神になったというより、神に昔あなただったという
要素が足されただけだと考えたほうがしっくりくるんだよね。
926 :
あまの:2014/02/16(日) 16:43:22.94 P
存在というのは形式・制限の権化なんですよ。
その結果、物事が一意的に決まる。
少なくとも、現象というのは一意的なものに収束させようとする作用の総体としての外観を持つ。
そこに主義主張など介入する余地は無いと思うがね。
>>926 ようわからんが、現象を何らかの形で考察するためには、
どうしても1もしくは2以上の価値判断に基づいた視点から分析せんといかん気がする。
その価値判断を主義主張というのであれば、主義主張の介入なくして
現象にアプローチすることはほとんど不可能なんじゃねって気がするんだけど。
928 :
あまの:2014/02/16(日) 16:55:21.25 P
現象にアプローチするための大前提が決定論ですよ。
そんなこといったって、「決定論は正しい」という主義主張と、「決定論は間違いだ」という主義主張があることは、否定できないでしょ。
それとも「後者は存在するように見えて存在しない」という主義主張wなのか。
てか、決定されているか、されていないかって視点で論じてる時点で、
主義主張というかそういう価値判断から来た視点で現象にアプローチ
しようとしてるってことになる気がするよ。
931 :
あまの:2014/02/16(日) 17:24:12.75 P
決定論的でない世界に対して、原理や法則性を求めてアプローチするとか
不思議なこと考えてますね。
確率も原理だからね
933 :
あまの:2014/02/16(日) 17:38:08.32 P
確率などという原理は無いよ。
時空的な問題はようわからんが、次に何が起きるのかとかそういうものを
予測することを重視するだったらそうなのかもしれんね。
でも、ある問題をどうすべきかってことを考えるのには、必ずしも決定論
的なアプローチって必要になるのかなぁ?
いや、適当に思いつきで言ってるんだけどね。
937 :
あまの:2014/02/16(日) 17:48:08.21 P
確率というのは妥協案なんだよ。
妥協案を原理に繰り上げるとかダメですよ。
>>937 妥協案だとかダメとか、そんなの貴方が決めることじゃないよ
939 :
あまの:2014/02/16(日) 17:58:33.53 P
妥協案がダメとは言っていない。
知識の「利用」が目的なら妥協が入り込むわけだが、
それを原理として認めるというのは話が別だと言っている。
妥協案がダメとは言ってないよ
妥協案だと貴方が決め付けたり
それを原理に繰り上げることがダメだと決め付けるのは
貴方の独断でしかないってこと
>>939 ようわからんが、そういう原理を認めたくないっていうこと以外に
それを妥協案だとすることの意義はどこにあるんですか?
それこそ人間が知識として持つことができるものに限界はないくらい
のことを言わんと難しいでしょうし、それ以上に、そもそも世の中が
確率論でしか成り立ってないって可能性を現時点で完全に捨てきれる
んだろうかっていう疑問もありますよ。
942 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 18:12:26.07 0
形而上的妥協案
決定論ってかなり古くから提唱されているし、それなりの
確からしさみたいなものは承認されてきてるんだろうと思うんだけど。
それによって直接的にもたらされたパラダイム・シフトってそんな
強烈なものなんだろうか?
むしろ、決定論それ自体じゃなくて、十分な精度で現象を予想・予測できたり、
一定の確からしい答えを出すことができる法則を見出したことによる影響の
方が大きいような気がする。
決定論というものがどこまでのことを意味するのかは判然としないけど、
決定されているものを予測・発見するための法則を見出そうとするスタンスを
絶対的に取らなきゃいかんもんなの?そうしないと何かを取りこぼしたりするのかな?
むしろ、決定、非決定ていうのにそれほどこだわらずに、我々が望む結果を生じさせるには
どうすればよいのかとか、どのようなものが望ましいのかっていうのを見つけるための
法則を見出そうとしたり、自然現象がどのような法則で成り立っているのかを探求することによって
ある程度、予測、決定されている部分がわかってくると言うことそれ自体に実質的な意義があるん
じゃないのかな?
最終的にすべてが決定されているかどうかなんてのは、すべてがつまびらかになった後に
結果論的にわかるもので良いっていうんじゃダメすかね?
944 :
あまの:2014/02/16(日) 18:58:00.56 P
人は自由に喋らせると、話の重きが事実判断からどうしたら良いかと言う方便に移行する人が多いが、
なにか自然法則ひとつなんだろうか。
いじけちゃったのね
>.944
どうしたら良いかっていう価値判断をせずに、事実を判断しようとする
ことができるかどうかが、そもそも疑問なのよね。
947 :
あまの:2014/02/16(日) 19:12:15.32 P
もう何言ってるかわかんない。
948 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 20:01:49.40 P
>>848 私の主観は、唯一無二の私だけの主観です。
その中で表象された世界は、現実のあるがままの自然世界ではなく、私が構成した観念世界です。
この、私だけの観念世界をまず、身体(主体)が生んだ一つのいのちと考えてみます。
その観念世界の中では、世界を超越論的に鳥瞰することも可能です。
即ち、「いのちは、いのちから生まれる」という原理を用いて、全宇宙、存在の総体としての神のいのちから、銀河団、銀河、太陽系、地球、人類、私の身体、細胞、分子、原子、素粒子まで、いのちの入れ子構造を想起できるということです。
そして、そのような私の観念世界そのものを、私の身体が生んだいのちとして構造の中に組み込みます。
ところが、原理的に私はどう頑張っても観念世界を抜け出す(超越する)事など出来ない。
私の観念世界を組み込んだ世界の構造自体が私の観念世界だからである。ww
ですから、信仰によって、私の観念世界を組み込んだ世界の構造を「正しいのだ」と「断定」することによってのみ、主観と客観の対立を身体の構造に組み込む事ができる、というのが、いのち一元論なのです。
いのちの演繹という「信仰」をもって主客は構造として統一されます。
949 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 20:06:58.61 0
その科学ないしサイエンス(Science)が進歩又は発展した後においても、以下の記載は、世界中の最先端の健全な科学者ほとんど又は十分に、正確かつ妥当な解答の例です。
もっとも、その解答の例を記述する文は唯一ではありません。 以下の記載において、わたしは、その解答の例を記述した文を一つ示しました。
そのほかの点は、以下の記載に示したとおりであるので、これを引用します。
サイエンス(Science)は、不確かです。
ある前提に基づくある不確かさないし精度の範囲内において「ある対象は存在しない。」との命題は真である。
そして、その命題が真であるとそのある前提に基づく判定ないし判断を実施できるとともに、そのある前提に基づくそのある不確かさを持っているその精度の範囲外において「ある対象は存在する。」との命題について、
私たちないし観測者は、十分に確かに又はほとんど確かに、そのある前提に基づく判定ないし判断を実施することはできません。
すなわち、そのある前提に基づくそのある不確かさを持っているその精度の範囲外において「ある対象は存在うする。」との命題の真偽を、私たちないし観測者は、十分に確かに又はほとんど確かに、そのある前提に基づく判定ないし判断を実施することができません。
以上のことは、その科学ないしサイエンスが進歩ないし発展した後においても同様にいえるものです。
その科学が進歩ないし発展した後においても、以下の記載が、世界中に存在する最先端の健全な科学者から見てみて、ほとんど又は十分に、正確かつ妥当な解答の例です。
「ある対象は存在する。」という命題がある前提において「偽」であるというのであって、可能性が十分にあるということではないと思いました。
ある対象が存在するか否かの真偽を判断できないこと、すなわち、ある対象が存在するか、及び存在しないかいずれも判定できないことは、
そのある対象が存在すること、又は、ある特定の観点から見てみて、都合の良いこと、及び都合の悪いことをそれぞれ予想することを、それぞれ意味しません。
以上の全ての記載は、ある対象を議論するために、必須であること、必ず考慮されること、及び考慮されないことは健全な議論を引き起こさないことです。
950 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 20:18:14.62 0
>>948 例えば不利益、迷惑、法的地位、自由、権利義務、権利ないし法律関係その他の影響を他者に与えないあなたの信仰は、あなたに許されています。
もっとも、その影響を他者に与えるあなたの信仰は、あなたに許されません。
951 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 20:19:47.25 P
追加
「いのちは、いのちから生まれる」の原理だと、神のいのちはどんないのちから生まれたんだwwっていうツッコミが想定されるww
因果律の無限後退みたいな話になってしまわないように言っておくと、「いのちは自ずから然り」です。
勝手に生まれるのがいのちなのですww
勿論、「自ら」と「自ずから」は、能動と受動の関係なので、厳然たる意志の元に自ら生まれたと言っても間違いではありません。
要するに、「いのちからいのちが生まれる」というのは、神の構造としての話で、いのちそのものの誕生の話だと「自ずから然り」となる。
952 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 20:21:22.95 P
>>950 「誰」が許して「誰」が許さないんだww
953 :
あまの:2014/02/16(日) 20:24:14.28 P
結局自然信仰か?
954 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 20:28:14.97 O
>>948 >私の主観は、唯一無二の私だけの主観です。
厳密に言うと、実は既にここから間違えているのです
あえて言うなら
「私は、私という唯一絶対の主観です」です
「私の主観」が唯一なのではなく
「私」が唯一なのであり主観なのであり
比類なき(永井先生の表現のパクリ)存在性なのです
955 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 20:30:10.33 P
勿論バリバリの自然信仰だ。
だが、スピノザの神即自然に影響を受けたわけではなく、いのちはいのちから生まれるという演繹法で行き着いた構造論だ。
そのあと、スピノザのことを知ってびっくりした思い出があるww
956 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 20:32:09.31 P
>>954 そのように考えるとさ、独我論から絶対抜け出せないよね。
957 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 20:39:22.44 O
>>956 私は独我論者ではありませんよ?
それに
「そのように考えると〇〇になるからダメ」
というような排除の仕方は、誠実に哲学する態度ではありませんね
それは無理矢理、自分の思う「思想」を構築しようとする態度です
まず、正確に、誠実に分析しなければならないと思います
それが、どのような結論を導こうとも
958 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 20:41:18.73 P
>>954 「私は、私という唯一絶対の主観」というのも、身体から生まれ構築された観念世界ですよ。
959 :
あまの:2014/02/16(日) 20:41:38.15 P
自然も信仰されても困るだろうに・・
>>947 ごめんね。えーとね。決定論か非決定論かっていうのは、それを探求すること
自体にはそれなりに大きな意義があるんだろうけど、
絶対的にいずれかの結論から演繹的に考えるなきゃならんてほどのことでもないと思うの。
そもそも、世の中が決定されているか、決定されていないかっていう観点から
物事を分析するっていうのも、そういう分析をすべきだろうという価値判断から
成り立ってるものだから、そもそも、そういう分析を前提にせずにやっていくべき
っていう価値判断もありえるわけでしょう。
物理学を見てみても、たぶん別に決定論か非決定論かっていう決着がつかなきゃ
絶対ダメっていうわけでもなくて、どっちかっていうと決定論的なアプローチ
を前提に(そこまで疑わずに)やってるわけでしょう。
そもそも、決定されているかどうかなんて基本的に実証できてないんだし、
もし決定されててもそれが決定されていることがわからないってこともあるんだから、
そこに決着を着けないと何も始まらないって考えるっての問題あるだろうし、
いずれかのスタンスから出発して演繹的に考えることが絶対的に必要だってする
のってそこまで有益なことなんだろうかね?
当たり前のことといえば、当たり前なんだけど、どうもそういうところを
無視して決定論から演繹的に考えなきゃ間違いなんだって感じの意見が
個々にはあるような気がする。
あと、そもそも、知識っていうのは、それを得よう(必要だ)と感じた時点で、
そういう意味合いにおける利用(価値判断)をしてないとそもそも持とうとすら
考えないんじゃないかな?
>いのち一元論者
無職全開ですか?
962 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 21:11:21.13 O
>>958 それは「自我一般」に関する客観的な視点ですよ
「私」を捉えていません
963 :
考える名無しさん:2014/02/16(日) 21:14:31.85 0
>>952 その信仰をする主体以外の他者その他の不特定多数の一般第三者、社会一般及び公衆です(> <。
>>949 日本語を母国語としていない方でしょうか?
英語で書かれた方がまだ伝わりやすいかもしれません。
ただし、私が英語で返答するというのは勘弁して下さい。
965 :
黄檗:2014/02/16(日) 21:42:31.20 0
>>916 逆にというか、どっちがどっちとも、私は正解を知らない
その世界では三角は青いと決まっているので、青い三角などとは言わない。
三角で十分だ(「青い」と呼んでも良いのだろうけど)
四角は赤いので、赤い四角と呼ばず、単に四角いと呼ぶ
ところが、青い三角しかなかった世界に赤い三角が出現したとする
これをどう呼べば良いのだろうか
四角い三角とでも呼んで、比喩的に理解しようとでもするだろうか
ばかばかしい話ですかね
蛇足ですが
「言葉は比喩だ」とか言われる
その意味するところは私にはピンと来ないのだが(いったい何の比喩だよ?)
もし言葉が比喩でしかないとするなら
実際の世界で似たようなことが起こっていないのだと、果たして言えるだろうか
966 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 21:49:57.65 O
>>965 いずれにせよ
「言葉というものに置き換えて
近似的なものを選択して伝えようとしている」
という状況だからね
967 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/16(日) 22:14:47.02 0
>>848 :考える名無しさん:2014/02/15(土)
>唯一絶対確実で疑う余地なしとされたのが有名な「われ思うゆえにわれあり」です。
これは認めます・・・だけど・・・なんでそこから
>疑う余地のない「われ」を出発点というか梃子にして、さらに「神」を持ち出して、結局外界の存在も物質の存在もすべて確かなものとして肯定するわけです。
なんでこうなるの??
私の存在性は確かに言えても、「私はデカルトである」とは証明出来ないでしょ??
あまの氏、このスレにはチェシャ猫が多く住み着いているようです
それも決定論により定められた運命ですから仕方ないのですが、
樹上から降りて街へ出て現実というものを体感せよ、と言いたくなりますよね
969 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/02/16(日) 22:23:44.41 0
>>848 :考える名無しさん:2014/02/15(土)
>客体に対峙するものであり、主客相関の主の側だ」というのは、考え方としても無理があるように思えますが。
判っていない。
勿論物質としては昨日の自分と今日の自分は異なるのは当たり前。
しかし其れを同じ「私」だと主張し続けるのが主観でしょう。
だからデカルトさんに言われなくとも当然なのです。
自分が自分であると言うのは客観ではなく主観(独りよがり)なので証明は必要ないのです。
にゃーーーーーーーー
わんーーーーーーーー
972 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 22:27:07.29 P
>>962 言いたいことはわかるが、「私」を捉える必要はないね。
必要なのは現象として捉えられる自然世界の「構造」と「実態」です。
>>963 何かの思想が、他者に影響があるかどうかに、許す・許さないという相対的価値を置くのは各々の勝手だが、あくまで相対的なのだからそこに絶対性はない。
だいたいこの世界をよく観てみなさい。
実態は影響しかあるまいに。
なんで物質から生物という虚構の世界に突入したんだろうか
意味は無いとしても、なんか原因はあるのかね?
974 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 22:35:01.28 O
>>972 それは単なる唯物教的なキミの「思想」
なんで「いのち」なんていう言葉をハンネに使ってるのか意味不明
じゃあ「いのち」がどういう構造なのか説明してよ
975 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 23:02:36.65 P
>>973 物質と生物に分けるから疑問が生まれるんじゃない?
それに、もし分けるんなら生き物と活き物にしてみたらどうかな、
>>974 思想なのは認めるがね、今までに「思想ではない断定」にお目にかかったことはないのだよ。
何かを「事実」だとする、その断定こそが思想であり信仰なのではないかな?
いのちの構造はさっき説明した通り、いのちという系の内に無数のいのちがあり、その系の中に無数のいのちがあるという入れ子構造。
ではその実態は?といえば、それは力の模様である。
ここでいう力とは、エネルギーの意で、法・気・光・質・熱の五態として実態を織りなしている。
※光は電磁波、法は意志=欲、気は場を意味する。
>>974 じゃあ「私」がどういう構造なのか説明してよww
977 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:10:03.74 O
>>975 いのちの構造の説明に「小さな、いのちが」って
いのちの説明に、いのち使っちゃダメなんだよ
そんなの基礎中の基礎
完全に宗教
978 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:12:02.35 O
979 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 23:14:43.89 P
>>977 いのちの「構造」→フラクタル
いのちの「実態」→力の模様
これで満足かい?
980 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:15:57.38 O
>>978 もう〇〇ではないってのはいいんで、
〇〇であるっていう話をしてくれませんか?
私はある(存在性)と主観≒私であるてことしかわからんのですが。
ないないづくしだとほとんどないじゃないですか。
983 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:19:53.04 O
>>981 理解もできてないのに、先を急いでも仕方ないよ
984 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:22:24.60 O
>>982 ちゃんと答えたけど
何を皮肉ったつもり?
キミ、話の流れ読んでないんじゃないの?
985 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 23:25:00.39 P
>>980 知りたいとも理解したいとも思えないのなら、それ以上知らなくても良いんじゃないかね。
「私」にしか興味ないんでしょww
>>984 「いのち」については構造の説明を求めて
「私」は構造では無いと断じて説明を放棄するところを皮肉ったんだよ
だいたい構造では無いのなら「私」はどうやって発生したんだよ?
無から次の瞬間ポンと発生したってか?
>>983 えー、哲学の話をしてるんだよね。
他人に理解させることを放棄したらそりゃもう学問じゃないよ。
それとも、理解させるほどの何かを開示したの?
まさか、悟りとか成仏とか、魂が次の次元にいかんと
理解できんとかそんなことを言ってるわけ。
それとも、特殊な感覚的な技術のような話(例えば、音楽で言うとグルーブを
理解するとか)?
それらも哲学ではないよ。
哲学って一生懸命考えたら(修行みたいなもん)、ある日突然開眼する
って類のものではないよ。
988 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:39:59.80 O
>>985 「知りたいと思わないから」なのなら
最初から、そう言えばいいんだよ
そうすれば
何の反論にもならない事が、最初からわかるんだから
自動販売機で物を買う場合の最短手順を理解している癖に
990 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:45:06.37 O
>>986 読解力ないなぁ
彼は、「必要なのは構造と実態だ」と言ったんだよ
だから聞いたまで
>>988 いやそんな出し惜しみするもんでもないっしょ。
哲学ってものすごい特別で一部の人しか持てない崇高なものでもないよ。
ただの基礎科学でしょ。勉強したら大抵の人には理解できる。その程度のもんよ。
だから、概略を説明すれば、それなりの理解も得られるんはずなんだけどなぁ。
>>990 頭悪いなぁw
どうせそう言うと思って念のため
>だいたい構造では無いのなら「私」はどうやって発生したんだよ?
>無から次の瞬間ポンと発生したってか?
と書いておいたのにww
993 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/16(日) 23:49:49.24 O
>>987 何を一生懸命に妄想してんの?
キミらは誤読ばかりだから、先を説明しても無駄だと言ってるんであってね
知りたいなら飽きるほど書いてるから
いくらでも過去スレ読んでこいよ
994 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/16(日) 23:56:33.07 P
>>988 一つ一つ丁寧に説明することに吝かではないよ。
どんな疑問にも応えられるし答えられる。
でも、君は以前「私」こそが絶対的な存在性であり正しい事実なのだと宣ったでしょう?
それ以外の事実は一切わからないとし、それが哲学的に誠実だとも述べた。
だから君にとっては「私」以外の思想は全て偽だとして排除する構えだということ。
その理論でもって全てを論破することが仮に可能だとしてみても、「私」は何も生まないのでしょうww
一つ、良いことを教えてあげるよ。
「事実は言葉では表せられないのです」
995 :
【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/02/17(月) 00:00:01.68 P
>>993 飽きるほど書いた過去レスを君がコピペしてくれば良いんじゃない?
無駄だと思うけど
>>994 それに類することは、私も何度も言ったさ。
でも、そういうことをいうと病院に行けて言われるか。
そうじゃないっていわれるだけで。
こうであるっていうことは何一つとして答えてくれてないのよ。
聞き出そうと努力はしてるけど、説明してくれんのじゃ、フォースを感じろ
ッて言われてるのと変わらんのだよね。どうしましょ。
998 :
大王:2014/02/17(月) 00:05:10.70 I
殴ればいい
訳知り顔で、君らはわかっていないねーっていうのって、
学問を探求する人のスタンスではないよ。
当然、そういうのが哲学だっていうのは、おかしいよ。
そりゃ、全然門外の人間に専門的なことをしゃべるのって結構大変だけど。
きちんと聞く姿勢を持った人に話すのって悪いことじゃないよ。
特に人文・社会科学って我々人間にまつわる問題を多く扱うから、
まったく学んだことのない人からのピュアな質問からくるインスピレーション
ってすごい大切だったりすると、わたしゃ思うんだけど。
実際、私は、自分が専門的に学んできたことに関しては、あえて全くの
素人に対してどう思うのかってことを聞いてみたりするもん。
1000 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/02/17(月) 00:17:07.46 O
>>992 キミは、どう思うのかね?
私は、原因性のありえない事実を
事実のままとらえてるのだが
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