【斎藤環】東浩紀591【日本のヤンキー社会見下し炎上】
数秘術の人は、立論→反論→再立論→再反論→…の流れで、再反論を受けた立論者が再反論に全く触れずに反論に対して返答するのは論外です。
その返答が触れる点について、再反論で説明してある可能性が形式的に期待されるからです。
「こんなことなら反応しなければよかった」「不快にさせたのなら、申し訳なかった」とかいう問題ではありません。
考え切れてないならその時点でレスしなければいいだけではないですか?
また、寛容さを主張する人が一貫して寛容であるにはどうすべきか指摘を受け
「自分には一貫性がないが、他人にも一貫性がない。これを否定する人も矛盾している」
と答えるのは端的に支離滅裂ではないですか?
数秘術の人はそういう意味の文章を現に書いたわけですが・・・。
当然ですが、寛容さを一貫して主張するときに問題になる一貫性は、他人の一貫性ではなく、数秘術の一貫性(だけ)です。
あなたは他人が寛容でないなら自分も寛容でなくてもいいかのような発言をしたように見えますが、
私がそう指摘したら、あなたはそんなことは言っていないと言うんでしょうね。
では、なぜあなたは自身の寛容さの一貫性の話をされているのに、どうして他人の寛容さの一貫性の話で反論したのでしょうか?
率直に言えば、あなたのような態度をとって憚らない人間が他人に寛容を説くのはギャグでしかありません。
あなたは寛容以前に話の一貫性すら保てていません。