日本人は結局哲学ごっこしかできません

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386考える名無しさん
ミルトン・エリクソンとの歴然とした身体特徴差として、
>彼は極めて重篤な身体障害に悩まされていた。その中には1.ポリオ、2.色覚異常、3.失音楽症(音楽が理解できない障害)が含まれる。
2.と3.が顕著だ。盲から這い上がったエリクソンと、共感覚等も備える音感色彩多感の俺の違いがある。

1.に関しては、この間の濃い茶で自分で自分を毒殺未遂事件で似た感じだが、長らく抱えていた(恐らくまだ抱えている)原因不明の痛度激痛の疼痛が、それに当たるだろう。

何はともあれ、何も与えられない放置・放任された環境から独学と己の決断のみで建設・構築していく様は、俺の生き方と似ている。
俺の両親の放任主義、俺の大学の「何も教えない主義」、これらがエリクソンと同じ環境に俺を置いている。

サイキック曰く俺は呪文に強い。記号文字列により多くの操作ができる。被暗示性の高さも弱味として備えているが、暗示解除の為にも必要であった外国語習得により、
殆どの呪文はキャンセル可能だ。言語チャンネルを脳内で切り替えれば、瞬時にその相手の呪文の効力は消える。リセットできるわけだ。
深淵を覗く者は深淵に、と同様に、この呪文を使う人間は、呪文が効きやすいという弱点は、むしろ自然法則の一部であるだろう。

戦闘を意識した呪文系統の実践には、複数言語の習得が、自己の身を守るために「必要不可欠」である。
先頭ではないセラピー目的ならば、精々、自分が精神病を移されないようにする踏ん張りだけで済むのかもしれない。
いずれにせよ、多言語使用可能な脳内状況が有利に働くことは決定的だ。