理系 vs 文系 (文系人の欺瞞について…)

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631考える名無しさん
>>630
それは理系というより、アスペか生き字引系の変態だと思う。名前に拘りすぎるのは、事務的過ぎて違う。

先程俺は、俺が改造中のプリアンプのヒスノイズ対策に俺が選んだ手段「ローパスフィルタ強化作戦」について
何か有効な手立てはないかを、音響・無線屋歴数十年の工学畑の俺の親父に聞いていたんだけど、まるで話にならない。

ブラックボックスがあるままでは、助言もしようがない。これの言い合い。

つまり、『回路図をまず見せろ。回路図を見ないと「何も言うことができない」』←これが技術屋だけど俺は理系と認めない俺の親父の結論なんだよ。

その考え方で行くのならば、原因不明の病気の解明には人体の設計図と、発見されるべき病気の回路図が必要だ。
アインシュタインが「飛躍」を生んだことが「奇跡」と思われる「大前提」がここにある。

「教科書」「青写真」「設計図」「回路図」「数式」「公式」「定理」「公理」が与えられてないと「何もできない人」っていうのが「一般的な理工系の人」なんだよ。
632考える名無しさん:2014/01/25(土) 07:25:28.69 0
631つづき

彼らは、教条的に、それを知りつつ、俺が求める「飛躍」への道を、「カットアンドトライ」(手当たり次第試行錯誤)と呼んで、やりたがらない。
やりたがらない理由は「成果が出ないかも知れないから」「面倒くさいから」「何から手をつけて良いかわからないから」「失敗するかもしれないから」「何をすべきか定まらないから」
こんなものだ。文系理系を超えて、「一般人」レベルの知性とその収束地点が見えてくるね。「冒険」をしないんだよ。「危険」を冒さないんだよ。だから、真ん中にすり寄ってくる。何もしない。

彼ら「一般的な、回路図を与えられないと何もできない理工系の人達」は、「カットアンドトライ」の「超初心者」なんだよ。
カットアンドトライ・試行錯誤、exploration, これらは失敗と見当違いの繰り返しだが、この「行為」にも熟練度と腕前という「スキルレベル」が存在するんだよ。

俺は、基本が芸術系なので、カットアンドトライと試行錯誤のベテラン。プロを名乗っても良い。
故に、デバッグも得意だし、捜し物も得意だし、推理も得意だし、勘は鋭い。失敗だらけの試行錯誤熟練度が高いからこそピンとくる正解の感触があるんだよね。
料理をレシピ通りにつくってレシピ通りに不味いもの食べる理工系と、試行錯誤のユニーク料理から逸品を編み出せる。

結局、最初の俺の作戦は、親父を頼らず自分のやり方で既に解決完成済みだ。計算式じゃない。でも当てずっぽうでもない。
長期間にわたり全体を見ている中で抽象的に、「物の在り方」を演算してそれを「言語による理屈」抜きで実行している。そして、それが、この物理空間で正しく動作する。
言うなれば、カットアンドトライをする人の行為がブラックボックスだ。
俺が「何をしているのか」誰にもわからない。だが、成果は現実空間で正しく機能することで正解として表われている。

誰もがこっち側のやり方で壁を破り続け未来を作るべきだとは言わないが、
こちら側の人間を養成する教育法くらい作り上げて、実際にそういう人間を増やせよ、って思う。
俺は、「例の一般的な理工系の人達」よりも俺自身理系だと思うよ。でも、そんな理系が一般的には芸術系なんだよ。

未知の難問が現われたとき、対応できるのは、こっち側の人間だけなんだよ。「例の一般的な理工系」には無理なんだよ。