>>948 変化が時間だから、
変化が重要なの。変化を無視できない。
前の状態があった事は事実。それを時間と言っている。
変化したんだから、前の状態のもが、今の状態に変わっただけ。
>>949 時間とは変化である。までだな。
過去が存在していた事はあるだろ。
時間の、過去、現在、未来の意味が分かってないでしょ?
954 :
考える名無しさん939:2013/12/08(日) 18:34:54.77 0
いや「存在」というのは「実在」とは違って
我々が意識で「ある」と思えばそれは「存在」として考えていいから
「幻聴」や「幻視」もその人にとっては「存在」している
だから過ぎ去った過去の出来事は「存在した」としても文法的にも間違いではない
その「過去の存在」はどこにあるのかといえば「人間の記憶装置」の中にあると
>>954 せっかくいいとこまできたのに
あなたが答えたらダメでしょw
>>954 その「記憶装置」というのが、短期記憶・ワーキングメモリの事を指しているなら
まさにそういう解釈は明快だよね。
957 :
考える名無しさん939:2013/12/08(日) 18:39:43.32 0
>>955 ごめんね
なんかレスが無かったから
パンwp食べながらのんびり打っていたらレスがあった m(_ _)m
>>956 そうそうそういう意味ですよ
>>957 シンキングタイムですよw
俺は今、デフレさん視点で書いてるからね
年末忙しいんでちょっと時間を止めておきたい。
961 :
考える名無しさん939:2013/12/08(日) 18:46:41.53 0
今までにも出てきたみたいだけれども
・人間が感じる時間
・自然界の時間
大きく分けるとこの二つにわかれると思うんだけれど
違うでしょうかね?どうでしょう?
>>961 人が感じるものを時間といい、その感じた時間はただちに記憶に記述される。
そして記述された時間の積み重ねが自然界の時間として読み直される。
だから両方とも同じ時間だと言えなくもない。
963 :
考える名無しさん939:2013/12/08(日) 18:57:05.60 0
>>962 同感なんだけれども
人間が感じなくても自然界のモノゴトは進行していくでしょう
これを「現実界」として考えてもいいんだけれども
やはり認識主体に関係なくすすむことはある
そういうものを時間といいう同じ単語で指していいものかどうかは考える余地があるよね
まあ物理学者が式に導入している「時間」のことなんだけれど
>>963 自然界を「森羅万象」とするか、エクスキュル的な環世界とするかで微妙に変わる。
そのあたりからいろいろ解釈が可能で面白いね。w
>>936 哲学とは
2各人の経験に基づく人生観や世界観。
であって、
貴方の経験に基づく「時間」の世界観
ではない。勝手に対象を特定するな。
俺は自身の経験から哲学というものは漠然とした感覚程度でいいという考えに達している。
これが俺の人生観。
自身の経験から到達した俺なりのもの。
残念ながら列記とした哲学の意味にのっとって到達した俺なりの哲学界の人生観だから
>>945の
しっくりこないのは哲学ではない、感覚は哲学ではない
と言われる筋合いはない。よってお前の指摘は残念ながら間違っている。
お前の指摘は哲学ではないので否定させてもらう。
あ ガキのしつこさがついにデフレを論破した瞬間w
世界観といっても、いろいろな世界観があってだなw
時間スレなんだから、時間の世界観じゃないと「スレ違い」なんだよw
ここは、貴方が勝手に定義した哲学を垂れ流しにして良い場所じゃない。
貴方の人生観を語る場所じゃない。
哲学の意味を理解できてない。
辞書に書かれた哲学と、貴方の言ってる哲学は違うだろw
貴方の言ってる哲学は間違えてるのw
貴方のやってる事は、「スレ違い」でルール違反ですよw
時間とは世界観である
とりあえず
皆が落ち着くまで
止めないか?
このまま話してても
揚げ足取りにしかならん
時間は、変化の概念。
時間は単に変化であると言うのは、ちょっと舌足らずだな。
宇宙の変化と言うのならば、まぁ異論はない。
宇宙こそ変化そのものだろうな
宇宙を持ち出す必要が無い、
変化だけで、時間を証明できる。
人間を持ち出す必要が無い、
変化だけで、時間を証明できる。
こいつだめだな
人間を持ち出さないと、時間を証明できないのは、時間を理解できていないから。
宇宙を持ち出さないと、時間を証明できないのは、時間を理解できていないから。
>>976 じゃあ人間を持ち出さずに「変化」を説明してみて。
他人のパラダイムシフトはいつ起こるか予想つかないからな
>>972 宇宙というエネルギー場は、変化し続ける性質があるが、エネルギー保存則つまり持続という性質がある。
つまり出鱈目に変化するのではなく、持続しつつ変化するせいしつがある。
これが重要。
>>979 それも言いきれない。
たかだか人間の計算能力内での仮説。
>>980 宇宙全体でエネルギー保存則が成り立っているかは解らないが、局所的には成り立っている。
少なくとも局所的には持続する性質がある事が重要。
たとえば、再現性というものについて考えてみると、「日本地図を描く」という命題に対して
誰もが「正確には描けない」という自覚を持って、「だいたいこのようなもの(と、自分には思われる)」
程度にしか描けないものだ。
説明とか、解釈とかはたいてい上に同じ。
ウィトゲンシュタインが「哲学探究」においてその記述が「自分のスケッチのようなものだ」と
言ったのは、そういう意味で正しい。
ウィトゲンシュタインには長文が書けなかった。
それは障害特性によるものだ。
そこが彼の特徴であり欠点でもあった。
論考も探求もほぼ断章形式で書かれているといってもいい。
彼は何を明らかにしたのだろうか?
その話はスレチなんでない?
まだ 終わって ない よん♪
変化は客観的に存在する。
なぜなら、変化がなければ、認識主体である私たちの生が成り立たないからだ。
変化する私は認識する。
私が認識する世界の一切は変化している。
私たちの世界の認識自体が時間という形式の中に二重にある、というのとは否定しようがない。
二重にあるとは、認識主体と認識する事物は変化する、ということ。また、変化する私が変化するあれを認識した時に、時間の概念が生まれる、ということ。
時間とは変化を主観が捉えた時の「形式」のことである。それは、認識の形式でしかない。
変化は別に「時間」という形式を取る必然性などどこにもないが、なぜかそのように認識される。
ということで、少なくとも人間にとっての時間とは、人間の認識「形式」を指す。
私たちは私たちの認識の「形式」は解き明かしようがない。
それは、私たちの視覚像が所与のものとして与えられていることと同義。
それも認識の「形式」だ。
視覚像が生まれるためには事物の表象が必要だ。それと同様に時間感覚が生じるためには事物の変化が必要。
だから、私たちが存在しなくても事物や変化がなくなることなんてない。
しかし、私たちが存在しなくなれば、私たちの認識形式である、視覚像や時間感覚は失われるだろう。
となると、時間とは何か、と問われれば、時間感覚をさらに抽象化した「概念」だ、と答えることが妥当だと考える。
ポエムはポエム板で
議論に参加できないなら哲板じゃなくてポエム板に池
>>988 何かが客観的に存在する、と認識するのは誰かの主観なんだよ。さようなら。
観念論やね。
私があなたにレスできるのは、
あなたではなく、私が意思してやってること。
あなたがこのスレから消えても、私はレスするよ。
さよなら。
この不自然な否定3連チャンはなに?w
俺は
>>988はよく分かるけどな
なんで。
最初からポエムだろ。
最初からポエムなのに994までいるんだw
早くどっかいけば?w
時間とは変態である。
新説登場
変態の登場だろw
さすがポエムw
時間とはポエムである
ポエムとは時間である
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。