1 :
考える名無しさん :
2013/11/25(月) 01:05:04.63 i
2 :
時間の神 :2013/11/25(月) 01:09:28.67 i
時とは単なる象徴に過ぎません。
時間とは第一に持続である。 そして、第二に変化である。 観察側がそれらを感受する時に、我々の言う時間の感覚が内的に形成される。 内的にその感覚が形成されるのは、 観察者である我々が、持続し、変化する生き物であるから。
4 :
時間の神 :2013/11/25(月) 01:12:18.33 i
時間を追求する事、それはすなわち 無という媒体への同化 であります。
時間を探求すること、それはすなわち 自由の萌芽への働きかけ であります。
6 :
時間は螺旋だお :2013/11/25(月) 01:17:04.58 0
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
7 :
時間の神 :2013/11/25(月) 01:19:42.75 i
時間を意識するとその意識は点となり、その点を囲む無数の荒廃挙動こそが本来あるべき形態の根幹であり、そのわずかな零れが変化として浮き彫りになる。
8 :
とにかく螺旋だお :2013/11/25(月) 01:20:39.27 0
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
今を意識的に生きると、過去の因果から自由になり、未来の可能性を彫刻出来るようになる。 未来を今彫刻する意志が本来あるべき人類の姿であり、変化すること、自体の本来の意義が浮き彫りになる。 そして、持続に近づいてゆく。
持続とは、ある、のことである。
11 :
持続とは螺旋だお :2013/11/25(月) 01:33:45.93 0
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
12 :
時間の神 :2013/11/25(月) 02:29:00.18 i
持続がもたらす両面性の働きを考えれば、自ずと分かってきます。 浸透するだけではありませんから。
一切の概念は象徴である。 しかし、その象徴は「事実に基づいて」いる。 象徴だけを見ても世界の半分しか語ったことにならない。
14 :
哲学の時間じゃ :2013/11/25(月) 12:30:05.06 0
哲学の時間を少々下さい! 誰かが言っていた。「世の中は変化しない!」と… 私は知っている「万物は流転する」と〜 そう「万物の流転は運動」であって変化ではない! 現在の「世の中」は、常に現在の「世の中」として一定である。 しかし、「現在の世の中」と「過去の世の中」を比較した時、その違いを知る事になり、 その違いの理由を調べた時に、過去と現在のもろもろの事物・事象の変化・運動を実感できるのだろう…
15 :
哲学の時間じゃ :2013/11/25(月) 14:13:42.34 0
客観と主観、悟性と理性について… 外界(客観)の一瞬一瞬を自己の五感を用いて脳に映しとり、その一瞬一瞬を連続し てみているのが主観。 これを学生時代教科書に書いた「パラパラ漫画」で考えると、その1ページ1ページが 客観を映しとったもので、その流れを見ているのが主観。 ここで、映しとった客観をみている主観とは別に、その時々の湧き上がる感情を人間的に 感じている悟性、そして、その流れを全体・流動的に区別と連関を考えている理性、とがあるのだろう… では…以上の事と時間の関係や如何?であるが…
16 :
哲学の時間じゃ :2013/11/25(月) 14:30:46.34 0
変化・運動から時間へ 時間を考える前に、変化・運動を考える必要があろう… 人が五感で感覚しているのは、今だけである。同じ状態の事物・事象は、今のこの瞬 間にしか存在していない。事物・事象は一瞬一瞬異なった状態として存在している。 この事物・事象のある状態が記憶できて、その記憶の中のその状態と今の瞬間の状 態を比較して、その違いを認識できた時、我々は、その事物・事象が変化・運動したと 言っている、のだろう。 従って、変化・運動は事物・事象の性質であり、我々が認識したものである。 そして、我々が事物・事象の性質=変化・運動と「時」(人類の創出物)とを絡めて、関わり続けた時に、「時間」は我々の認識の中に生まれる!のだろう。 因みに、我々が変化・運動と感じ取っている事物・事象の性質を弁証法性と言う!そうである。
太陽から地球まで、光速で8分ちょっとかかる。 それより早くはどうやっても到達しない。 ということは、太陽と地球の距離は8分ちょっとと言い換えられるのではないか? つまり、時間は空間であり、空間は時間である。
18 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/25(月) 20:39:38.20 P
>>16 事象の性質が変化運動って、そりゃトートロジーだよww
変化運動することを事象と呼ぶのだろww
トートロジー 自己ゴン級
自分で自分をアップデートする、自己書き換えした時に時間が進むんじゃない。ざっくりだけど。
月日の移り変わりが、時を証明しており、 月日とは、地球や月の運動の事であり、 地球や月の運動=変化の証明が、時間の証明となっている。 時間の証明に、人間の存在や認識を証明する必要は無い。
>>22 聞きたいんだが
ずっと時間を証明しようとしてるけど
それはどうして?
ここのスレ名が「時間とは何か?」だからだよw
時間とは何かを考えるのに 時間があるかどうかを証明することから始めなくてはいけないのか? みんな時間は認識してるのに
とりあえず整理しよう デフレさんは天体の運動が、時間を証明してると言っている。 デフレさんの言い方に従えば 他の人は、なぜ人間が天体の運動(時間)を認識できるのか? ということを話しているのかもしれない その違いはわかる?
時間の証明は、「時間とは何か?」の説明になってるだろw
いや、なってないんだ。 それがわからないんだな
人間というのは 時間という名の軸(x軸のようなもの) のグラフ上に出来事を整理して 前後関係、つまり時間という「整理方法」を作った。それが時間という概念だ それは別に証明しなくても、皆が無意識で行っている脳のシステムだ 天体を利用したのは、去年と今年が同じ長さだという(うるう年という誤差の修正はあるが)ことを説明しているに過ぎない
「時間とは何か?」は辞書を見れば理解できるよねと。 辞書を見ていくと、「月日の移り変わり」と書かれていると。 移り変わりが時間なんだと書かれているよねと。 移り変わりの証明はいちいち必要ですか?と・・・。
証明(しょうめい)とは、ある事柄が真理もしくは事実であることを明かにすること。また、その内容。 証明とは、「内容」な。 時間の証明は、時間の内容を説明している。
>>31 ここでは真実かどうかはどうでもいい
どういう意味かを問う場所だと思っているが
つまり 何を時間と呼んでいるのかは、辞書を読めばすぐ分かること そんな事に何スレも使っても仕方ないだろ?
デフレさんの言う「内容」こそ大事だよ 姿ではないんだ
すまん
>>30 を見落としていた
分かってるよね?
時間とは何か。
という言い方がすごく曖昧なのが良くない
時間の正体はなにか?
より
時間の意味は?
を考えない?
時間の証明は、時間の内容の説明、時間の意味の説明だろと。 「時間とは何か?」を、 辞書で調べれば、 時間は「移り変わり」だと書かれている。 移り変わる事が時間なのだと。 移り変わる事の事実が理解できないなら、移り変わる事の証明を必要としてるのか?と…。
基本的に私もデフレさんと同じ立場。 ただ、それを理解できない人にムキになっても仕方ないだろ それともデフレさんの目的は その人たちを納得させることだけなのか?
俺がやってる事は、ただ辞書をコピペしてるだけだろ。 間違った事をいってるやつがいるから、 辞書からコピペして、正しい事を書き込んでるだけ。
辞書ひいて分かったつもりになって思考停止か... 文系はその辺が限界なのか?
いや、間違いじゃないんだよ
人にはそれぞれ独自の興味や方法があって、
>>16 さんのようなアプローチだって時間に迫る別の方法ってだけだよ
デフレさんは、必ず自分のように考えなくてはならない、と思ってしまうんだよな
それはファシズムだよ?
「時間とは何か?」の答えは、 辞書に載っている、 「時間とは移り変わり」だという事が理解できないのかと。 「移り変わり」という意味が理解できないのかと。 「移り変わり」を証明する必要があるのかと、辞書のコピペでねw
デフレさんは 自分の言い分が伝わらない事に 我慢がならない人なんだな かわいそうに 生きにくいだろうね
辞書に書かれていることが何故理解できないのかと。 時間=移り変わり・変化(運動)だと書かれているのだよと。 変化が時間なの。 変化の説明が必要なのかと。
よし、では せっかくのデフレさんの知性を有効にお借りしたい 人はどうして移り変わりを認識できると思う? デフレさんの見解をお聞きしたい
世界が変化しているから、人間の脳が世界の変化を捉えてるだけ。
脳はどうして変化を捉えられるんだろうね
47 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 00:12:08.89 P
まず観念論的な時間についてなのか、自然そのもの(自然自体)という意味での「時間自体」なのかはっきりさせないと、どちらを論じるのかで話が食い違うww 要約すると、自然界に時間自体なるものが在るのか、あるならそれは何か、観念界による時間(という観念、概念)はどのようなものか、その意味・認識は自然界のそれと一致するのか、かな。
>>47 あなたの場合はそこが気になるのか
私とデフレさんは、時間は概念だという前提でその先を話してるから、話は最初から合わないと思うよ
>>44 いや、変化の認識はどうでもいいな。
なぜ変化するのか、どの様なロジックで変化しているのかが真の問題だよ。
>>49 それは物理学とかエコロジー的思考だと思うんだけど。
脳はそう言う風に作られてる。 目は光を捉え、 耳は音を捉え、 鼻は匂いを捉え、 舌は味を捉え、 脳はそれらの情報を総合して認識していると考えられる。
>>51 でもそれでは今現在の、情報処理しかしてないよね?
それが時間に結びつく説明になるのかな?
捉えた情報はデータとして記録されている。 過去のデータと、 現在のデータを比べる事ができる。 頑張ればそこから、未来を有る程度予測することも出来る。
人を構成するものと世界を構成するものが同じだから捉えることができる。 外界は内界(?)の鏡だ。 脳も目もなんでもそう。 それら自体が変化している。
>>53 それはつまり記憶ということだよな?
では記憶容量が少ない人は変化のデータも少ないから、時間的な視野が狭いことになる。
全スレに出てきたTEDの脳科学者が体験したように、記憶機能が壊れてしまうと、時間も捉えられなくなる
では、時間=記憶とは言えないか?
異論が出ないならもう少し進めてもいいかな? もし記憶があるから時間があるとしたら 多様な経験の多い人は、経験の少ない人(同じことばかりしている人)より長い時間を生きていることにならない? 俺自身そうなんだが、あまり家から出ない人はカレンダーで言う10年間生きたとしても、外に出て脳に多様なインプット、たくさんの変化を観測した人に比べ、少ない時間しか生きていないことになってしまう
時間が記憶なのであれば、やっぱり人間が死んだら時間はなくなるのかな? その場合、時間とは認識のことになるね。 例えば、記憶の能力のない鉱物には、時間が存在していないのかな?
80歳で寿命を迎えても、変化の少ない人や、あまり変化を観測してない人は実際は40年分しか生きていないことになる。 行動しない人は時間が進まないんだ
短絡的過ぎるな。 人間の記憶には短期的な記憶と長期的な記憶があったりする。 大脳生理学でも勉強してね。
もちろん長期記憶の話をしている そんなの説明する必要すらないよな?
時間「認識」と時間はイコールなのか。 時間というものがあり、それを認識するのではなく、時間の認識と時間が同じものである、その場合にのみ、時間が記憶だと言える。 従って、記憶喪失になった人間は、なくした間の時間を言葉通り「失った」ことになる。 しかし、肉体が失った時間の分だけ若返ることはない。
>>63 記憶があるから時間があると言いたかった
そういう意味で
時間=記憶
と書いた。曖昧で申し訳ない
でも主観的時間と客観的な時間はまた違う問題だな。 失礼、失礼
>>61 それはPCで言うメモリとHDDの違いと一緒なのかな?
脳の仕組みはあまり詳しくない
>>64 いや、同じことだよ。
記憶があるから時間があるのであれば、
時間は「認識」になってしまう。
時間と、その認識は、
ボールとその表象の関係に等しい。
その場合、時間は私達の側にしかないことになる。
これは、大きな違い。
時間とは変化のそのものなのか、変化の「認識」なのか。
>>65 そうなんです。唯識的な話をしてますが、
唯識的なことを考えることを可能にしてるのは、身体という物質を前提にしていないといけない。
それを否定すると、足場が崩れ落ちる。
だから、客観と主観を繋ぐものが必要になって、モノ自体とか、純粋持続みたいな概念が必要になってくる。
>>67 まあ、私は時間は概念だという前提で話しているからね。だから時間は私たちの側にしかないという前提だ。
時間=認識
ではなく
時間=変化の認識
かな?
>>68 なるほど
私はまだあなたの思考レベルまで到達できてないから、もう少し考える必要があるな
>>66 俺も昔ちょと本読んだだけだから、そんなにくわしくわ無いよ。
でも、そう言われてみると似てるのかもね。
時間は、物理現象です。 変化をしているのは宇宙です。
>>69 認識ってものは常に二時的なものだよね。
オリジナルは世界の側にあって、その認識や概念は事象の「影」のようなものでしかない。
時間を認識しない鉱物は風化する。
その鉱物の変化は認識者が存在しなくても生じる。
しかし、変化することは、時間の中で存在していないと不可能なのではないか?
認識主体の側に時間があるなら、なぜ認識主体が関与していない世界で変化することが出来るのか?
この点が重要だと思った。
時間が変化の「認識」なのであれば、変化それ自体は時間に対してオリジナルに当たる。
変化そのもののほうが時間にとってより本質的なのではないだろうか?
>>68 うーん、主観と客観をつなぐものか‥
単純に考えると、「情報処理」のことかなと思うんだけど
よくわからなくなってきた
>>73 うん、いいたいことわかる。
もう一度整理する。
私達が変化を認識して、それを元に時間という概念を作っている
こう言うといい?
>>74 例えば、こんな例はどうでしょうか。
ある人物がボールを見たとする。表象や概念が現れ、論理の中に置かれる。
そう認識された途端、そのボールは私たちの主観的な観念の側に置かれる。
しかし、その経験を成立させるためのボール自体は存在しないといけない。それは客観的なものである。
しかし、認識が始まると、もうそれは、私達の観念の側に置かれる。
だから、モノ自体という、それ自体が認識されることがない客観的な概念が必要になる。
それで辛うじて、観念論や唯識と世界の橋がかかる。
>>75 はい。で、論点は
「変化の認識」が時間なのか
「変化そのもの」が時間なのか
というところかな。
時間は概念なのか、
時間は実在するのか。
>>76 だとすると、
時間という概念の元となる客観は
宇宙全てのものかな?
しかしそれが全く変化しないとすると、
当然私達も全く変化しない
ビデオの一時停止状態が永遠に続く状態
そしたらそこに時間と呼べるものはない
だから宇宙の変化、物理的な「運動」そのものが時間なんではないかと、私とデフレさんは主張してるんだと思う
>>77 問題点がやっと認識できた!w
そういう意味では時間は実在すると信じるよ俺。俺が生まれる前も世界はあったと信じてるから。
うーん、ちょっと待って欲しい やっぱり時間は概念かな。 元となる客観は実在するけど 上でも言ったように時間は情報の整理方法のようなものだと感じる。
>>78 >>79 プラトンの中心的な問題は「存在(ある)」と「生成(なる)」ですね。
時間でいいかえると、「持続」と「変化」。
独我論の変形の独今論について前スレで語ったけど、それも上記を背景に語った。
ようは、主観でそれを語ると
「存在≒独我論≒独今論≒持続」といった感じ。
だから、実は変化よりも持続が時間の本質だと考えている。
>>81 流石にそれは難しいわ
持続というのは、それがその状態であることを維持してるということでしょ?
前スレで何度も誰かが言っていたが 宇宙には静止しているものなど一つとしてない。 もちろん、人間の尺度では静止してるように見えるものはいくらでもあると思うけど。 変化している状態を「持続」しているんではないか?
>>83 この差異は説明が難しい。
自分の中では存在と生成の違いとほぼ同じかな。
生成していない存在はない、と言われるのと同じだね。
>>84 ある時点で観測したデータと別の時点で観測したデータをどこに収め、どう比べるかということなんだが
それを脳が無意識に整理してると思うんだよね
>>86 では
記憶喪失になった場合は、
時間を失った、となるわけ?
それとも、今のデータと「なくなった」を比べるから失ったことにはならない?
88 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 01:42:29.06 P
>>58 人によって時間の進み具合が違う、つまり、一年が早く感じる遅く感じる、というのには二つの理由がある。
一つは五歳の一年は人生の五分の一であるのに対し、五十歳の一年は人生の五十分の一ということ。
もう一つは新しい体験が減ってゆくこと。
旅をしましょうww
>>87 私の考えだと
記憶喪失の場合は変化の認識はあるわけだから、時間は失われて無いということになるのかな
TEDの脳科学者の例は記憶喪失とは違い、記憶自体を認識できない状態だから、時間を失ったのだと思う
時間を語るには宇宙を理解しなければならない。 時間とは宇宙の性質に寄って起きる現象なのである。
データの記録は、人間の脳だけにあるわけじゃない。 現実の世界にデータとして残っているから、人間の脳がデータとして記録しているだけ。 1個のおにぎりを作ったとする、 2個目のおにぎりを作ったら、 現実の世界に、過去のおにぎりと、現在のおにぎりのデータが残ってる事になる。 それを脳が認識してると捉えた方が安全な考え方となる。 記録が情報として、現実の世界で表現されている。 過去の記録と、現在の記録の変化を比べてるに過ぎない、 つまり、時間は変化だと。
>>88 歳をとると時間の進み方が早く感じるのは、主観的時間と客観的時間のズレが大きくなるからなのかもね
>>92 おにぎり自体はデータではなく客観かな。
それを自分が作ったという記憶こそ大事なわけで
>>89 じゃあ、次はこんな例えはどうだろう。
一時期、植物状態になった。
変化の認識はないから、あなたの言っている意味では、時間は存在しない。
10年後、奇跡的に意識を取り戻したとする。
記憶は10年前しか保持していない。そして、空白の10年間がある。意識を取り戻して変化を理解した。
で、植物状態の時には時間がなかったが、意識を取り戻して変化を理解して、時間がなかった時が時間化された。
ないものが、あるものになる、なんてどうして可能なのだろうか?
>>95 それは
時間が概念だから、と答える
ないものがある、になったわけではない
一時的に失ったものを取り戻したんだ
元々ないものは失うことはできないから
>>96 またPCの例えで申し訳ないが
外付のHDDのUSBが抜けただけ
ゴメン、
>>96 ,97はどちらも私
97は安価ミス
スマソ
>>96 なるほど。
植物状態の人物には時間がなくても、看病する親族の時間は進み続ける。
また、植物状態の人物の肉体も老化が進む。
だが、時間は概念で、植物状態の人物は概念を生成しないから時間は存在しない。
では、看病する親族の時は進むし、植物状態の人物の肉体は老化するのに、その間の時間は存在しない、と言う、「時間は概念である」が何故、正しいと思うのか?
すでに作られていた「おにぎり」と、今作られている「おにぎり」を、 全ての人間が確認している。 2つのおにぎりというデータが目の前に存在している事になる。 2つ目のおにぎりができた「変化」が時間。
>>95 その植物状態だった人は誰かに教えてもらったりカレンダーとか見ずに分かるの?
うわくっさ俺!とかただならぬ状況は感じそうだけどw
>>99 時間は主観でしか捉えることはできないから
しかし時間の概念を作る客観は存在する
時間というのは自分と他人の間で同等ではないということだ
>>100 問題はそれがいつ作られたかということだ
>>102 >時間は主観でしか捉えることはできないから
朝日が出る頃にニワトリが鳴くのと、主観が捉える時間はどう違うの?
季節が変わった時に住みかを変える渡り鳥でもいいけど。
>>105 それは自分で言っていた
主観的時間と客観的時間の違いでは?
時間を認識するのが主観だという話とは何の関連もないよな?
2つ目のおにぎりは「今」作られたと、全ての人間が確認できる。 1つ目のおにぎりは、すでに作られていたと、全ての人間が確認できる。 2つ目のおにぎりが新しく作られた「変化」を人間が確認し、それを時間としている。
>>103 なんかサーセンw
その人は10年分の感触がだんだん普通になっていって「いやー俺10年記憶喪失しててさー」みたいに尺度も受け入れて行くんだろうね。不思議だわ
>>107 うんわかるよ。
全く異論はない
でもその話はしてないんだ
ごめん
>>106 ごめんなさい。
ようするに、主観の話だけをすれば観念論や唯識になって、世界と断絶する、ということが言いたいわけ。
まぁ、断絶するというか、消滅する、のほうが表現として正しいかもしれないけど。
で、やっぱり、話を聞いているとあなたは
「時間」と「認識」を分けてますね。
分ける限り、やっぱり主観的なほうに足場を置くのは、個人的には厳しいと思った。
時間は、「月日の移り変わり」であり、記憶ではない。 おにぎりの変化と、月日の移り変わりは、同じ事を説明している。
>>110 それは考え方の違いだから仕方ないよね
あなたの言うことももちろんわかるよ
でも俺はそう感じることができないんだ
>>112 >俺はそう感じることができないんだ
これには凄く同意。
あなたは独我論なことを語ってますね。
114 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:17:05.99 P
時間とは変化の持続 ↑かなり本質に近付いたね 纏めよう 認識に拘らず時間そのもの、つまり対象とされるものは「自然界側に」存在する それは、世界が認識に先立つという信仰 要するに、変化の持続を認識するしないに拘らず変化の持続が存在するという信仰 次に、変化の持続がなぜあるのか、つまり、なぜ世界は変化し続けているか、が問題になり、その答えが一応のゴールとなる 認識論で進めるなら、認識によって世界が現れるのだから、既に時間の問題は解決されているww
>>114 持続と変化は同じようでいて、深さが違うんだけど…
持続のほうがもっと根源的だよ。
変化は持続の「展開」だから。
まぁ、人類にとっては持続よりも、変化のほうが馴染みがあってフレンドリーな概念であることは否定しない。
うん、そんな感じ 物理学的には持続すること、ということが大事そうなのは感じる
やっと少しはみんなに追いついたかな 済まないな
持続とは、存在(ある)を時間的な側面で側面で切り取った表現なんだと思う。 主観的に言うと 独我論の奥の奥でみつかる、ある。 独今論の奥の奥でみつかる、持続。 根源までいくと、存在(ある)と持続の区別がつかないところまでゆく。 そんな深さ。
120 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:25:25.08 P
>>115 上記の
>>81 と
>>83 を指して語ったのだが、変化の持続で合ってるんじゃないの?
持続が根源というなら、「何」が持続しているというのか
質量保存の法則 とかそんなことだと思ってたわ
人間が記憶が出来なくても、 情報を理解できれば、変化を確認ができる証明。 一つ目のおにぎりに(すでに作られている)というデータと、 二つ目のおにぎりに(今作られてた)というデータを、 今、この瞬間、人間の脳が過去の記憶が一切無く、2つのおにぎりのデータを手に入れたとして、 過去の記憶が無い人間は、すでに作られたおにぎりと、今作られたおにぎりを比べて、 その変化を時間として認識できる。 時間に記憶は必要無い。 記憶がなくても、変化が確認できれば時間を確認できる。
>>120 フラクタルさんは
>>119 をなんとなく分かる気がしました。
これ以上は、僕の言語能力だと、
語り得ぬものには云々です。
時間の証明に、持続は必要無い。 1回の変化だけで、時間を証明できる。 変化を確認しただけで、過去と現在を理解した事になり、 過去と現在を理解した時点で、時間を理解している事になる。
変化と言うデータを理解しただけで、時間を理解できるから、記憶は必要ないという説明。 持続も必要無い。 時間を証明するのには、変化という情報一つだけで十分。
だから、変化したことを知るには 変化する前の記憶が必要じゃないか というかこの人相手にしない方がいい?
128 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:32:46.16 P
>>123 勿論わかるし、多分俺と同じ構想
存在の持続(或いは存在=持続)というのは、「もの」の「こと」に等しい
「もの」という存在は前提として「在る」のであって、それはつまり、存在者を存在者たらしめる存在である
前のデータは、人間が記憶しておく必要がない。 過去のデータと現在のデータが今あれば、変化=時間を認識できるといっている。
130 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:36:06.91 P
認識論はお呼びじゃあないよ 唯識論に時間の問題など一切ないのだからな
132 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 02:38:38.35 0
過去のデータと現在のデータを比較するには記憶がひつよう
>>128 >存在者を存在者たらしめる存在である
この表現、禅的でいいねw
独我から余計なものをそぎ落としていったら、「ある」しか残らないんだよね。
それと同じことが持続にも言える。
で、それって存在や自由の根拠なんだよね。
でもそれ 削ぎ落としすぎじゃない?
「すでに作られていた」データと、 「今作られた」データを、比べられて理解できれば良い。 記憶が必要無い。
だから比べるには記憶がないとね;
>>134 しょうがないじゃんw
ちなみに、デカルトの「我思うゆえに我」の部分もそぎおとせるから。
ちなみに、これは単語をそぎ落としたのではなく、体験の話ねw
138 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 02:44:56.10 0
バカの壁は厚いw
記憶がなくても、 「すでに作られた」データと「今作られた」データを比べる事ができるだろと。
>>137 ごめん、やっぱりそれ
今の俺には理解できんわ
141 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:46:11.83 P
>>133 少し惜しい、かな
在る(存在)というのは、とても静的なんです
でもそうではないでしょう?
自然は動的故に存在者なんです
物事という日本語があるでしょう?
世界の一切を物と事に分け、それを合一させたんです
これは、「物の事」という真理を表しているのですよ
物の事=存在者、物=存在
この様な考え方はどうでしょうか
それって実存のこと? 実存が何かも理解してないんだが
>>141 >自然は動的故に存在者なんです
僕は全ての事物のイデアのようなものを「ある」に重ねているかも。
原型といいますか、なんといいますか…
「ある」は静的ですね。動的なのは「なる」の部分。
生成であり、変化である。
144 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:51:54.73 P
>>142 実存というのは客観が真に存在することをいう
ここで問題なのは、主観と客観は「何」によって分けられるのか
認識によって分けるとするならば、それは認識外の存在はない、つまり実存はしないとなるww
145 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 02:55:37.11 P
>>143 ならばやはり「前提」でしょうね
「ある」が「なる」という理論体系も面白いものだww
「もの」の「こと」と同様、真理に近付いている
>>144 Ok
解説済まない
主観と客観を分かつものにはすごく興味がある
過去にそういうことを考えたのは誰?
前スレで
本来二つのものを一つと思わせたい人がいる、今世界が本当は二つだと気がついている状態。しかし本当は三つあり、三つは三竦みの関係だという
ということを書いたんだが、それも関係あるような気がする
147 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 03:00:21.86 0
>>139 まず「すでに作られた」データだとどうして分かる?
誰かから聞いたとしたら、「聞いて納得したこと」を憶えているんじゃないか?
また、AとBのデータを比較する過程で、「記憶が必要ない」なんてありえないんだが。
148 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 03:02:34.85 P
>>146 やっぱりカントの「もの」と「もの自体」とか超越論的「私」ではないかな
>>148 ありがとう
カントか。
勉強してみるよ
151 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 03:07:38.61 P
因みに俺の理論はこうだ 認識に先立つものは何か、それは自分のいのちである 認識したから生きているわけではなく、認識したと同時に生きているわけでもない つまり、思考より根源的な自明なのである 主観(認識)と客観(実在)を統括するものは「いのち」である
石に命はあるのかい?
154 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 03:12:08.16 P
>>150 惜しい、と言ったのは、存在と生成を「分ける」のならば、分ける前は「何」なのであるか、分ける為の概念は何か、を考察せねばならないからだ
その境界はないのか、或いは断絶か
そこまで考えて理論体系は完成する
1つの時間でおにぎりは「にぎる」と作られると理解できるとして、 1つ目のおにぎりは、すでに目の前にあり、握られておらず、すでに作られたものだと確認できる。 今、この瞬間に、「にぎった」瞬間におにぎりが作られたと理解できるとしたら、 この「にぎった」事によって今おにぎりが作られた、「今、おにぎりが作られた」ことを理解できる。 この一瞬で、すでに、にぎられて作られていたおにぎりと、 今にぎって作ったおにぎりを理解できれば、 過去のデータと現在のデータを比べる事ができる。 (まぁ、にぎっただけでこの瞬間に、2つ目のおにぎりが誕生(変化)する事が確定しているが)。
>>154 別に理論体系完成させたいわけじゃないから、あなたとは動機が違うかもね。
存在と生成はギリシャ時代から話されてることだし、僕がどうこうする話ではない。
その上で、
>存在と生成を「分ける」
存在が第一義だと思ってるから、分けてはないんだよね。
まぁ、第一義とニ義と言ってるから、分けてるじゃん、と言われればそれまでですがw
でも、存在から始まって、生成がある、とは考えてる。
>その境界はないのか、或いは断絶か
存在がないと、「生成が始まらない」とは思うよ。
そろそろ遅いのでおちます。
おやすみ。
話についていけないが 主観と客観は不可分だと感じるんだよな それが独我だと指摘されることなんだろうが。 もちろん客観が実在するということは「知識」として知っているが 同時に世界は見たいように「しか」見えないとも思うんだよね。 過去の人間が実存を唱え、それを信じているが、最近それを疑ってもいいんじゃないかと思うようになった。 話がズレてたらスルーして欲しい
158 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 03:18:26.84 P
>>152 ある
「いのちはいのちから生まれる」
これが真であるならば、全てはいのちであるとなり、「生きている」のと「活きている」のは「相似」となる
要するに自ら(みずから)なのか自ずから(おのずから)なのかという、受動と能動の相似
おにぎりじゃないごはんを、「にぎった」瞬間におにぎりになる事を理解していれば、 にぎっただけで、おにぎりに「変化」することを理解し、時間を認識できる事になるか。
>>158 微妙。
石は通常語られるいのちは持っていない。
なぜなら、いのちを持っている生物は生まれて、死ぬが、石は少なくとも死ぬことはない。
全てはいのち、だというのであれば、あなたのいのちの定義はなんでもありになってしまう。
全ては物質だ、観念だ、いや、意志だ、など色々言われているね。
今日は勉強になったわ
石が砕けて、砂になる可能性がある。 石ではなくなり、砂になった時点で、石として死んだとも考えられる。 そして、砂が固まり石として生まれ変わるとも言う事ができると思う。
>>162 もうそろそろ寝ようぜ
俺たちもっと柔らかくなって吸収できるようにならなければいけないみたいだぞ?
164 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 03:42:51.78 0
>>160 石だって生まれて死ぬのでしょう
石は自力で石となったわけではなく、他力から生まれたはずである
また、石として保持出来なくなった、例えば風化やら割れたり砂になったりやらは、死ぬことと相似となる
持続(保持)されているものを「系」と呼んでおり、保持出来ていれば生、保持出来なくなれば死、そこに生物と非生物の境界は「無い」
境界を全て取り払うと、いのち(=もののこと)だけが残るってこと
それは即ち、存在による存在者に等しい
境界があるとするならば、その境界を考察せねばならない
おやすみなさい
石に成り、石は砂に成り、砂は〜 人に成り、人は〜 植物に成り、人の一部になり、又は石油に成り、
おにぎりの話は、
一瞬で、ワンステップで、「変化」させる事ができる事があるとして、
一瞬で「変化」させる事が出来ると理解しているとして、
一瞬で「変化」させる動作をした瞬間に、それが変化する事が確定する。
その「変化」させる動作をした瞬間に変化した(する)事が理解できるので、
その一瞬だけで、ご飯がおにぎりに変化した(する)事を理解できる。
一瞬だけで、変化を理解し、その一瞬だけで、時間を理解した事になる。
過去のデータが一切無くても、ワンステップの動作だけで「変化」を理解できる事になる。
この問題点を俺から言うと、
俺がコンピュータープログラミング的に物事を考えすぎている。
つまりこれは、コンピューターに過去の一切のデータが無くても、記憶できなくても、
1フレームの処理だけで、コンピューターに変化を確認させ、時間を確認させる説明になってる。
何が言いたいかと言うと、
>>53 からは、時間は記憶であるとは導き出せない。
コンピュータープログラミングと、
現実の世界の物理法則が同じかどうか分からない。
シュレーディンガーの猫の様に、量子力学でも世界の作られ方は良く分かっていない。
人間の脳も心も記憶もはっきり解明されていない。
ゆえに、
>>53 から、時間は記憶であるとは導き出せないという説明ね。
168 :
時間の神 :2013/11/26(火) 05:08:34.19 i
話を戻します。 目の前の空間を意識すれば必然的に時間が存在するのは分かりますよね? ただ、その空間がもたらす時間が決して普遍性があるとは言い切れないのですよ? その矛盾を打破しない限りは前にも後にも進めないのです。 デフレ手当てさんはこの揺るがない事実をあえて避けている様に思います。
一秒が存在するのですか、一億年が存在するのですか。 どのように存在するかを知りたいのですが。
人の知的レベルって 本当に様々だな
空間が存在したからといって、変化が存在すると証明されてるわけじゃないので、 時間が存在するとは証明されていません。 変化が確認されない限り、時間の証明は出来ません。
目の前の空間を意識する・・・ 時間があるかどうかはわからないなあ。
時間が何かを変えてしまうのだけが不満だわ 最高に美しい物を見た後、それが「最高に美しいと知っている物」になってしまう ふざけんなって話だよな
最高に美しい物「だから出会えたのよ」 俺「ですよね!グラウンド三周、行ってきます!」 世界は深いな。
物理学者の時間論読むと、結論は出ていないんだよな。 新定常宇宙論者の科学者が、時間が存在しない可能性を指摘していた。 あと時間の終始は存在しないという研究をある学派の若手がしていた。
時間があるってどういうことかわからないけどね。
凡才は天才がわからないからなあ。 ルターは地動説を知って、一人の馬鹿者が天の世界を変えようとしていると言ったそうだ。 たしかに天才が出てきたら、俺たちは罵るだけだろうな。w
>>164 >また、石として保持出来なくなった、例えば風化やら割れたり砂になったりやらは、死ぬことと相似となる
いやいや。風化などは、人間が「死んで」いのちを失った「後」の肉体が腐るプロセスに比較できるでしょ。
でも、論点になっているのは、いのちを失った後の肉体についてではなく、全てのものにはいのちがある、について。
全てにいのちがあるなら、人は死ぬことはできないのでは?
死んだあとの肉体(鉱物)にもいのちが宿るなら、どうして死ぬことができるのだろう?
生物学では、死ぬというのは相が変わるということになるらしい。 つまり人間から違う物理的状態に変わること。 生れるということはその逆。
180 :
疑問だね! :2013/11/26(火) 10:23:06.55 0
>>38 でも…時々辞書によって、その解説が違うけど…
また、時代が変わると辞書の説明も変わっているよ!
辞書って、常に正しい事が書かれているのかな?
たしかに中世の人には地動説が理解できないように、真実の時間論を誰かが述べてもここの住人にはわからないだろうな。
ああ、俺も含めてだが。w
>>180 国語学科では、広辞苑の罵倒から始まるなんて話を聞いたことがあるな。
182 :
質問者 :2013/11/26(火) 10:46:16.69 0
>>158 >いのちはいのちから生まれる
「いのち」は過去のある時期の地球の状態から相対的に独立する事で誕生していったた。
〜という説もあるようですが…
183 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 10:46:26.40 0
>>178 君の指摘は尤もだ、説明しよう
次の二つの説明が理解できれば納得できるはずだ
1.人は何を食べているか?
生き物だろうか?違う、生き物の死体だろう。
死体が活きていなければ、生きられない(栄養にならない)のではないのか?
2.世界はいのちのフラクタル
フラクタル構造というのは、マトリョーシカみたいな入れ子構造のこと。
より大きなマトリョーシカと、より小さなマトリョーシカは、似ているけど違うという「相似」の関係性であり、より小さなマトリョーシカを「内包」している
そこで、マトリョーシカを系(存在者=いのち)と考えてみて欲しい
自分がなぜ生きているか?地球という系に内包されているから。
地球がなぜ生きているか?太陽の系に内包されているから。(以下銀河系、銀河団、超銀河団、全宇宙)
逆はどうだろうか?
心臓はなぜ活きているか?自分の系に内包されているから。
以下タンパク質、細胞、分子、原子、素粒子
つまり、全ての系にいのちが無いと、自分のいのちが成り立たないということだ
自然のフラクタル構造については以下のリンクに詳しい
http://www.itmedia.co.jp/im/spv/1010/18/news130.html
運動とは何か? 動くことじゃトートロジーだな。
185 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 10:52:23.84 0
>>175 時間が定常なのか終始があるのか
グラフで言えば、横一直線なのかナナメ一直線なのか、は非常に重要
ま、ニュートンの定常説は相対性理論であっさり否定されたけどね
187 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 10:57:07.45 0
>>179 その通り
相転移、つまりエントロピーの増加と、逆の現象である散逸構造
ここを押さえておけば世界の理解がだいぶ捗る
>>182 生物と非生物を区別するとしたら、区別する前、及びその境界を論じなければ十分ではない
俺は境界が断絶ではなく、無いと言ってるわけだ
それぞれが勝手に言葉の解釈を変えていては、話が噛み合うわけもない だから言葉の定義は辞書の通りでいいと思った 議論になる段階まで行ってないじゃないか
189 :
時間の考察者 :2013/11/26(火) 11:00:03.25 0
>>77 >「変化の認識」が時間なのか
>「変化そのもの」が時間なのか
時間とは。人がもの・ことの今・今・今…を、そのもの・ことの連続(変化・運動)と認識
し、その変化・運動の始点→過程→終点を意識した時、それは時間(概念・感覚)となるのだろう?!
端的には、時間とは、人がもの・ことの変化・運動を時間として認識したもの。
従って、もの・ことの変化・運動を認識しても、時間と認識しない・できない人もいるのだろう…
190 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 11:02:24.73 0
>>186 生物的な生命と、万物的ないのちが相似と理解すればどう?
共に開放系なわけだし、その区別を取り払ったら何が残るかってことだ
191 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 11:06:18.83 0
>>189 またトートロジーww
変化や運動をことと呼ぶんだから、その言説はちょっとおかしい
変化運動の変化運動って言ってるわけだww
ものの変化運動、或いは「もののこと」ではないか?
>その変化・運動の始点
始点は在るかという話だよね。
>>190 そうなると物理的存在の運動変化の過程にすべては存在すると言い換えても良いのかな。
>生物と非生物を区別するとしたら、区別する前、及びその境界を論じなければ十分ではない 境界はないでしょう。 しかし理解するうえで境界は必要なんじゃないでしょうか。 必要であることとそれが自然界に在るということはまた別だと思う。
194 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 11:13:46.32 0
>>192 物理的存在というか、最大の系、つまり全宇宙の系に内包される形で存在するのでしょう
宇宙の大規模構造を調べたら分かるが、宇宙はボイドと呼ばれる空間のあるバブル構造なんです
その構造が細胞の構造ととても相似なんですよ!
これはいのちの相似性でないと説明できまいww
時間が、全宇宙の系のいのちの持続に関連することは明らか
195 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 11:16:25.68 0
>>193 その通り、境界は無いけど、必要性により境界は造られる
この「区別」こそが、即ち「知性」なのだから
区別=知性、ここ大事
構造というのはわかります。 あとは命の定義なんでしょう。 境界がないのなら、運動変化の終始も無いでよすね。
一瞬、過去と未来が逆転した!
個人的な自然観として、自然は運動するエネルギーの濃淡だと理解している。 その濃淡の差異が個として現象するだけで、実は個は存在しない。 この運動変化の過程で様々な相の差異、つまり物理的状態の質の差異が生じる。 パルメニデス的に言えば、世界は多ではなく一であるということ。
199 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 11:37:17.69 0
>>196 「いのち」は名付けただけだから、いのちである必要は無いんですよww
神と呼んでも良いし、自然と呼んでも良いし、エナジーと呼んでも良い
大事なのは構造であり、境界を取り払ったらALL ONEになるという理論なのです
その1が、さらに0との合一による超越論的1、ということ
その定義での名前は、何でも良い
然るに1の持続が時間ではないか、と考えているのだよ
すると、1の持続「以外」の部分は、「時間であり時間でもないカオス」となり、散逸構造を持つ1が時間と考えられる
200 :
時間の考察者 :2013/11/26(火) 12:18:34.82 0
変化の視点は人が意識・無意識的に決めるもの。
201 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 12:27:15.09 0
>>198 君の自然観は正しいね。
その差異はどの様に発生したかは考えたことある?
自発的対称性の破れが差異を生んだ
差異とは「違い」であり、その違いが新たな違いを生む違いであり、その違いこそが「相似」であり「情報」である、と考えている
>>200 認識に先立って「変化」は「在る」のでしょう?
ならば始点と終点も認識に先立ってなければならない
202 :
いのち :2013/11/26(火) 12:28:19.32 0
「いのち」の構造は、 外界の物質の、摂取→自己化→排出 という事だそうです。
どうも皆同じ事を言ってるようだ 表現の仕方が異なるだけで その差異に拘ってるのかな なら、このスレの終点はそれぞれが互いに表現の違いを認め合ったときか いや、やはり暇だからこのスレを求める人がいる、ということの方が真実かな 長居しても仕方ないな、これ
所謂ネット依存症てやつですな
205 :
時間考察者 :2013/11/26(火) 12:43:08.32 0
>>201 >認識に先立って「変化」は「在る」のでしょう?
>ならば始点と終点も認識に先立ってなければならな
「認識に先だって」あるのは、「物質の性質=弁証法性」であり、変化は人が、その弁証法性を変化と認識したもの、と私は考えます。
私の始点は私の誕生日。人類の始点は●●●年前。現宇宙の始点は◎◎◎年前。
そして、×××の始点は△△△年前。そして……。そして………。
全体の始点は人類にとっては知りえ無くても、部分部分の始点は決める事が可能。
206 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 12:46:27.43 0
>>205 うん、やっぱりみんな同んなじことを違う表現で言ってるだけだねww
ならばもう結論でてんじゃね?
スレの終点は近いww
いやまあ、結論出てたって ここで話すことに何の問題はない 時間をどう使おうがそれぞれの自由だ 水を差して悪かった
208 :
いのち :2013/11/26(火) 12:52:27.42 0
>>203 〜君の言いたい事は以下ですか!
アイツは米を食っている。こいつはパンを食っている。
みんな同じような物を食っている。
では、俺は泥でも食うか!
要は、同じような言説の中の違いが分からない、
という君自身の問題なのでしょう。
そういう攻撃は全く効かない
210 :
いのち :2013/11/26(火) 13:36:16.33 0
>>209 「攻撃」というのではなく以下のような事です。
同じ「米」でも、白米と五分米、玄米、更に雑穀を混ぜた時の栄養分の相違。
同じ「パン」でも、コンビニの添加物いっぱいのパンと天然酵母、全粉粒の栄養分の相違。
「泥」だって、人は食べないけど、ミミズの食物でしょう〜
こんな・そんな違いが、君には分かっていない、と言う事なのです。
食物のそれぞれの違いは、身体の健康維持に役立つでしょうし、
ここでの言説の違いは、自己の精神の養成に役立てる事が可能なのでしょう〜
211 :
時間観察者 :2013/11/26(火) 13:43:47.99 0
>>206 「弁証法性」は客観、「変化」は主観と分ける事の意義は何か?
我々が物質の性質を主観で「変化」という側面で認識していると気付ければ、
その性質を主観で「静止」と認識する事が可能になる。
これは、亡くなった川上哲冶さんは、野球の球を静止でみた、というように…
212 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 14:05:43.98 0
>>211 ちょっとよくわからんな
主観における観念はどこまでも静的であり、客観における自然はどこまでも動的ということが言いたいのだけれど…
例えば君がいう物質とは一体何?
物質という表現には、もはや動的な性質が失われている故に、そんなもの自然には無いんですよww
同じように、運動という言葉は運動してないし、行為という言葉は行為してないのです
わかりますか?
213 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 14:09:57.59 0
自然を写真で捉えたらいかんのです 自然は動画で捉えなければww 観念が静的で自然が動的だということを理解しなければ、観念論的誤謬に陥りますよ
深夜の話題の“削ぎ落とすと「ある」になる”件だけど、まだ削れると思う 過去的ニュアンス、客観的ニュアンス、相対的ニュアンスを振り切って それは、今的で主観的で絶対的な「いる」かな
215 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 14:43:43.05 0
>>214 「いる」は、「いない」を排他するからいるのでしょ?
「ある」は、「あらない」を排他するからあるのでしょ?
その境界はどうなってるんだ?
最終的に理論は有と無の合一の壁にぶち当たるww
そこを考察せねば十分ではない
>>215 排他するあなたはいるんですか?いないんですか?
いるから排他するんじゃないですか?
217 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 15:01:26.61 0
>>216 そういうことじゃあないよ
いる前はいなかったでしょ?ってこと
何によってこれらを分けることができるのかって話
218 :
時間観察者 :2013/11/26(火) 15:42:19.70 0
>>212 物質とは何か?それは、物体を構成している何か?何なのでしょうね!
この物質の弁証法性は、物体にも受け継がれるという事なのでしょう〜
だから、物体にも物体の性質ー弁証法性があるのでしょう。
この弁証法性は、人の動物の感覚器官で感覚して、初めて認識できるのでしよう〜
なんか?カントの「もの自体論」に似てきましたね♪♪♪
弁証法性!人が・動物が関わって、初めて認識できる弁証法性!
219 :
時間観察者 :2013/11/26(火) 15:51:40.03 0
「わかる」とは、自分の言葉で表現できて初めてわかる、なのでしょう。 ここで繰り返される「同じような言説」は、時間について各自が自分の言葉で語ったも のもあれば、辞書のまる写しもある。それらは、みな同じように思えるかもしれない。 それらの違いは、自分の時間観・時間像を持った人にしか分からないもの!だろう。 ここで書かれた多くの時間観・時間像と自身のそれを重ね合わせて行く中で、自身の 時間観・時間像も深化・発展して行けるのだろう〜
それが何になるのさ
221 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 16:42:18.72 0
彫刻された未来とはすなわち無である
222 :
198 :2013/11/26(火) 16:56:36.94 0
>大事なのは構造であり、境界を取り払ったらALL ONEになるという理論なのです >その1が、さらに0との合一による超越論的1、ということ >その定義での名前は、何でも良い 超越論的1ですか。 けっきょく自然に理屈はないんですよね。 ただただそこに存在するだけ。 ヘーゲル小論理学で有と無の成なんてのがあるんです。 ヘーゲルは運動とは存在すると同時に存在しないことと述べました。 自然自体は矛盾も糞もないわけです。 これは理解の本質がそう規定せざるを得ないのだというのがわたしの理解です。 >然るに1の持続が時間ではないか、と考えているのだよ >すると、1の持続「以外」の部分は、「時間であり時間でもないカオス」となり、散逸構造を持つ1が時間と考えられる たしかにそれは時間ですが、それは人間の側だけの問題では無いのかと。
223 :
198 :2013/11/26(火) 17:27:51.62 0
0って認識の問題だと思いますけどね。
224 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 17:46:26.72 0
>>222 老子は、この超越的1を仮の名として「道」と名付け、仏陀は方便として「仏」と名付けた
で、俺は「いのち」と名付けたってわけだww
何故か?
先ほど問題提起した有と無の境界、一体どのように分けられるのか?
その答えは、即ち「誕生」である
誕生するまでの「過程」までをも含めた動的な存在者、それはいのちと呼ぶに相応しい
有と無を内包する概念であるいのちは、誕生以降「有」として持続する
「過程」については自己組織化で検索してください
>>180 辞書で時間の意味をどんどん調べていくと、
時とは、「月日の移り変わり」だと言う事にたどり着く。
時間とは、変化だと言う結論が書かれている。
辞書で、時間とは変化以外の何かだという事を書いてる辞書がありますか?
辞書は常に正しい言葉に書き換えられている。
今書かれていることが、今正しい事だよ。
226 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 17:54:16.81 0
時間とは悔恨である。
227 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 17:58:38.43 0
>>225 なるほど
前スレの最後の方のレスは「時間とは変化である」だったが
これはまったく正解であったわけですね
228 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 17:58:57.54 0
辞書はその言葉の使われ方を考えて、 認知度の高い意味を掲載するのが基本ざーます
現時点では、辞書は、「時間とは変化である」とまでしか言えないでしょ。 量子力学や、人間の脳や心や記憶は解明されていないから、 これ以上は、科学者達の研究に任せるしかないと考えられる。 今の所、辞書の「時間とは変化である」という事に矛盾は見つからない。
辞書に書かれているから正しいとは限らない。 辞書を書く人が正しいと判断して辞書を書いているだけで、 正しいと判断した人の、その判断が正しいとは限らないからだ。 まぁ、文章には誤植もあるだろうけど。 辞書に書かれてあることは、その時点で辞書が正しいと判断した言葉であり、 辞書が正しいと判断したからといって、必ず正しいと言う事を保障してるわけではない。
231 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 18:17:50.38 0
俺の理論体系の基本概念は以上だ 残りの理論に興味があれば、今執筆している本が発売されたら読んでみてくれww まぁ、発売される保証は一切ないけどww
232 :
198 :2013/11/26(火) 18:20:23.45 0
ああ、そこから意見が分かれますね。 有は目の前の自然を存在と規定するのと同義なんです。 そしてその有は無、否定であるわけです。 しかるに自然は有、無という規定とは無関係なんです。 それはあくまでも人間の側の問題なんです。 自然に理由などない、いわば先験的なんですが、それを存在と仮定する。 ヘーゲルの運動規定、存在すると同時に存在無いという規定はそのことと関係するわけです。 これは、クレタ人の逆説が関係するわけなんです。 自然を理解する、この理解そのものに問題があるわけです。
233 :
考える名無しさん :2013/11/26(火) 18:20:40.59 0
「辞書」という「共通了解の土俵」が社会的に用意されている それならば「辞書」はそうした社会的なものであって「辞書」が正しいとは判断しない 今現在もっとも有力な解釈がそこに書かれているわけだから現時点での解とみなせる もし将来違っているということになったら辞書は改訂される
234 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 18:26:52.39 0
>>232 規定は人間側の問題だが、そんな規定とは無関係に自然は在るのでしょう?
では在る前は何なんでしょうか?
ビッグバン以前は時間は存在しない。 つまり存在と言ったら現存在とは異なるゆえ、時間には関与しないのだ。 なので形而上学的には時間は現存在のみのカテゴリーに属す。 要するに人間が時間を生きているだけで、ビッグバン以前の存在には 何ら時間は関与しない。
在る前? 自然には前も後ろも無い、つまり一では無いかと。
237 :
198 :2013/11/26(火) 18:41:00.64 0
わたしの自然は理解は徹底的に一なんです。 次元そのもの、時間も人間の側の問題でしかない。
無職する現存在はpikarrrじゃよ そしてこれも徹底的に一なんのだ
239 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 18:50:09.00 0
んー、意味が無いという意味でのトートロジーの問題ではなくてだね、在る前は無かったのではないのかな 言葉遊びでの「自然は有であり無である」ではなくて、現実的に「何も無いのではなく、何かが在る」のでしょう? あと、前も後ろも無いというのは誤り 対称性は破れているから時間に指向性があるのでしょう、べき乗則に指向性があるのでしょう
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
では、少しじっくり論じましょう。 自然は有であり無というのは、認識の問題でしかないんです。 そこでは有であり、無というのは成立するんですが、自然では成立しないんです。 同一としての自然は存在しないんです。 同一としての物理的存在は無いわけなんです。 同一というのは認識の側の問題でしかないわけです。 また規制にかかるかもしれませんが、とりあえずです
時間は非時間であり、それによってまさに時間である。
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้ abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
244 :
198 :2013/11/26(火) 19:05:02.01 0
自然は有である、という時、実はこの有は否定なんです。 だから、有はまた否定されなければ成らないんです。 そして無と成るわけなんです。 要するに、規定すること、そのことに有であると同時に無ということが生起するわけです。 対象である自然は規定とは無関係であるわけです。
仮に在るとしましょう、とするわけです。 しかし、この在るは規定であるわけです。 だから、ヘーゲルは運動を存在すると同時に存在しないことと定義したわけです。 クレタ人の逆説は、この規定の問題を浮き彫りにしただけです。
246 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 19:18:14.31 0
存在が「前提」なのは俺も同意 で、それは規定だから否定されるってこと? そして、存在の否定は「存在しない」つまり無ってこと? んー、なんかしっくりこないな 自然はコペンハーゲン解釈が宣う重ね合わせではないだろうww 存在を仮定できるならば、存在する前も仮定できるでしょう 要するに「無」の定義が違うんだよ、恐らく
同一ということは無いというのは了承してもらえますか。 同一というのは規定に過ぎないんです、必要なんですが、自然には無いわけです。
248 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 19:31:38.20 0
>>247 同一が何を指しているのかわからないので説明宜しく
物理的状態として、運動変化していないということですね。 つまり、どんな物理的存在も運動変化しているのに、同一として、運動の否定として理解しなければならない。 わたしという物理的存在は生まれてから現在に至るまで、大きく変わっているのに、同じわたしとして理解されている。 このように長いスパンでなくとも、この現在も運動変化しているわけです。
席をはずします。 長くなるかもしれませんので、とりあえず、ここまで。 わたし自身は量子力学は一の哲学がその理解を切り開くと考えています。 ブリゴジン学派の理解はなかなか面白い。
251 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/26(火) 20:02:54.09 0
>>249 ああ、同一性の話をしていたのかww
開放系の同一性では、部分を交換しても全体の系として同一的であると考えます
ある車のパーツを交換しても、ある車の系は持続しているから同一性があるといえる
仮に順番に全てのパーツを交換していっても、だ
ある系としての持続をもって同一性は規定される
でも、同一性の有無と存在の有無では話が違くないか?
というか全く関係ないのではww
仏教での空だとか同一性の否定ってのは、存在の否定ではないのだよ
幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。[文学と倫理著者:ジイド]
すべての社会人男性はホモである
ホモの独占世界支配を語るスレ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1384417480/ 結婚はすべて偽装
子供は性奴隷候補
会社は売春部屋
性病で心と体を腐らせる
諸悪の根元はホモセックス強制である
ホモはマイノリティと言う詭弁の構造
たしかに男としかやらない男はマイノリティであろう
しかし、ホモセックスを常習的に行う男性ならば
富も権力も数も圧倒的マジョリティである
ここに混乱へのミスリードがある
試しに女性はすべての男にホモかどうか聞いて見ると良い
みんな微妙な顔をしながらNOと答えるであろう
>>213 >>観念が静的で自然が動的だということを理解しなければ、観念論的誤謬に陥りますよ
これは言葉で定義することの限界だろうな。
>仮に順番に全てのパーツを交換していっても、だ すると、順番に交換したパーツを元通りに組み立てたら、 同一の車が2台存在することになるの?それともパーツ交換で 存続している車が元の車と同一の車で、元の車のパーツで 組み立てられた車は元の車とは別の車ということになるの?
元のパーツは、人の細胞のように廃棄される 話の流れからすると、そういうことだろう
>>212 >主観における観念はどこまでも静的であり、客観における自然はどこまでも動的ということが言いたいのだけれど…
>例えば君がいう物質とは一体何?
自然は生成で動的だけど、もう一歩深い視点で見れば静的だよね。
木は木であるから、木である、みたいな感じで。
確かに、木は季節によって様相を変える、とい側面を見れば動的だけど。
>>221 彫刻された未来とは、新しい過去の発見によって、今の有と未来の無の不確実な状態のことである。
258 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 00:59:52.58 0
>>255 同じ設計図の元に作られた二つのクローンは、それぞれが同一性を持つ
持続している限りは、いくらでも交換可能なのに対し、同じ素材だろうと別の持続であるなら別の同一性なのだ
>>257 同一性をもって静的とは言えない
木は、木という現象である
同じ様に、物質という現象、物体という現象…
木という言葉は静的なイメージを持つが、木という現象と言えば、何とか言葉として動的に表現できるだろう
同じく、石は静的に見えるが、極微な事態である
石が石として保持、持続していなければ、もはや石として成り立たない
だから、人にしてもなんにしても常に運動変化の過程に在る。 この物理的状態の運動変化こそ変わらないし、動かないということだろう。 物理的状態が運動変化の過程に在るという意味では同一の否定だし 運動変化の過程そのものとしては変わらない、静止だろう。 しかしこれは人間が理解しようとするから生じる矛盾であり、自然は自然としてあるだけ。 形式論理というのはAはAであるということから出発する。 規定は否定、つまり静止でもある。
在るとして仮定する。 この規定は本質として静止であるということ。 自然は運動変化の過程にあり、それを理解するには静止が必要であるということ。 対象を認識するには二つが必要であり、それは対立関係であるわけ。 存在を存在の否定である無で理解する。 ところが存在という規定は静止だから、運動の規定は存在すると同時に存在しないことという矛盾になる。 もともと自然の存在理由などないわけ。 根本的にわたしは不可知論者なんだけど、自然は無矛盾だからこの意味では理解可能、つまり可知であるということです。
形式論理自体の在り方を示したのが、クレタ人の逆説。 これはたんに、対象は変化するのに、規定は同一、動かないからこのような逆説に成るというだけ。 それ以外は意味しない。 ゼノンの逆説は、たんに世界は一であり、多ではないことを示しただけ。 ただ、これらはいずれも理解は多であることは否定してない。 大きさのないものを無限に集めても大きさには成らないわけだが それはたんに多で世界が出来ているという素朴認識論への批判というだけ。 多は理解に必要だが、だからといって存在はしないということ。 前後左右も自然には存在しない。 前後左右というのは理解に必要なだけ。
意識というのは物理的状態が自己言及可能に成ったということだろう。
過去は過ぎ去って今は存在しない。 未来は未だ来たらずで存在しない。 今には幅が無い。 今は在る。 だがこの在るは規定としての存るだからこそ、幅が無い。 つまり今は存在すると同時に存在しない。 運動は運動量としてしか理解されない。 時間はそのようなものとして頭の中にあるだけ。 つまり理解には必要だが自然には無い。 カントの二律背反はこのようにして解決される。
>同じ素材だろうと別の持続であるなら別の同一性なのだ とすると、自動車の所有者Aがいて、別の人物BがAに気づかれないように フロントガラス、ドア、エンジン、ネジ類に至るまですべて同一規格の パーツで少しずつ交換していったとする。人物Bは、その部品をすべて 元通りに組み立てて所有者Aの元の車と寸分も違わぬ車を復元する。 所有者Aの車はパーツがすべて別物になっているのに同一の車で、 人物Bの車は所有者Aの元の車とすべて同じなのにその元の車とは 別の車になっているってこと?
もっと話を単純化すれば、まず最初に所有者Aに気付かれないように タイヤを全部交換してしまい、次に車本体を交換してしまって、 要するにBが手に入れた車はAの車からタイヤを一度外して、 はめ直しただけの同じ車なのに違う車になっていて、所有者Aの 車は同一の車でありつづけてるってこと?
266 :
考える名無しさん :2013/11/27(水) 08:26:22.51 0
横やりで、別種の情報を突き刺して、そして抜いて去るけど、 264 寸分変わらぬ別の車に作り替えたことに気付かない所有者Aは、 人物Bによるガスライティングを施す対象にさせられており、 人物Bのガスライティング行為が断続的に、または時に連続的に幾度となく行われると、 所有者Aの「現実感」が所有者Aの気付かないところで揺らいでいき、 真偽判定の自己防御の機構が緩み、その状態で偶然に耳にした嘘、たとえば 「プリキュアが内閣を表しているんだって。」など、適当な言葉が所有者Aの頭に残り、 もしかすると、そうかもしれない、と、そのあからさまな嘘を真実と信じる自己が 自分の知らないところで形成されることになるというケースもある。 そして俺は去る。
そうだとすると、所有者Aの車はすべてのパーツが交換されていても 所有者Aには同一の車でありつづけ、人物Bは所有者Aの車のタイヤ と本体を順次に手に入れて、所有者Aの車との持続的な同一性が 保たれているのだから、所有者Aが所有していた車と同一の車を 入手したことになり、同一性ってのは単に主観の問題ってことにならないの?
>同じ素材だろうと別の持続であるなら別の同一性なのだ 認識上では同一である必要があるが、厳密に言うと自然においては同一ということはない。
269 :
なんとなく思った名無しさん :2013/11/27(水) 09:02:11.02 0
おっさんが スナックのママ に 「 いつものやつ 」 って ゆーのと おなじだとおもう
>自然においては同一ということはない すると、自然においては変化は存在しないことになりますね。 同一の物が変化することはあり得ないのだから、その都度、 別の物が存在していることになる。
いや、むしろその都度、別の物も、物としての同一性を有し得ないのだから、 そもそもなにも存在し得ないといった方が正しい。
理解の在り方が同一としてしか理解できないということ。 自然においては、何ものも運動変化しないものは無い。 人間にしてもいつも運動変化しているわけ。 だから生物学者は生物は生きつつ死んでいるというわけ。 それを必要上同一とするしかないということ。
だから抽象としてのわたし、抽象としての物理的存在というのは自然には存在しないということ。 対象自体は在る。 ただし在るというのは仮定であり、同一とする。 この意味では在ると同時に無いというしかない。 無いというのは要するに有を理解するための理解するための仮定にすぎない。
274 :
なんとなく思った名無しさん :2013/11/27(水) 09:27:32.03 0
「 いつものは 今日はちょっと 切らしてて ・・・・ 」 「 じゃあ おまかせで 」 「 はい とりあえず おしぼり 」
275 :
服部さん :2013/11/27(水) 09:40:05.15 0
座布団一枚やるよ
276 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 09:52:50.75 0
>>260 言いたいことがわかってきた
つまり、対象されるものは常に運動変化の過程にあるのに対し、対象したもの、或いは抽象したものは静止としてしか理解出来ない
故に、言葉にした時点で同時にその言葉の否定でもあるってわけだ
それって、俺が言った「観念は静的、自然は動的」を厳密に実践したら自然を正しく表せられないってだけの詭弁で、実際に無を知覚したわけではないじゃん!
知覚としての有と、理論としての無を同じ土俵に入れちゃあかんよ
それは無ではなくて、知覚された有という観念の否定に他ならない
観念が自然を正しく記述出来ないのは俺も同じ意見だけど、有の否定が無ってのは、無の定義が俺と異なるってことだな
>実際に無を知覚したわけではないじゃん! 無は知覚できないと私も言っています。 >知覚としての有と、理論としての無を同じ土俵に入れちゃあかんよ 関係は認めますが、同じ土俵ではありません。 規定は否定ですから理論は抽象です。 >無の定義が俺と異なる わたしのは単純に、理解の対象の自然を在るとするとその否定関係としての在るの否定、無で理解するわけです。 そしてこの在る自体も実は規定、静止であるわけですから、ヘーゲルは運動は存在すると同時に存在しないことと定義するわけです。
278 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 10:19:47.81 0
>>264 例えば最初に一つのパーツを交換するでしょ?
すると、同一性は「更新」されるのです
バージョンが違うのだよww
例えば車が古くなって錆びるとするでしょ?
すると錆びる前の新車は古いバージョン、錆びた車が現在のバージョンだ
これは人間も同じ。常にバージョンアップし続けているから同一性が保たれている
279 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 10:24:34.36 0
>>267 車っていう例えが悪かったなww
というか、同一性は自己言及の問題だから、この例では、「車にとっての自己の同一性」となる
誰にとっての同一性かで話が変わってきてしまうからね
目の前の自然はXである。 それを在ると規定すると仮定しようというのが出発点ですね。 在るとXの区別も必要ですが。 とりあえずです。 また野暮用で外します。
281 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 10:40:23.76 0
>>277 理解として在ると「仮定」する前に、感覚として、知覚として対象とされるものが在るわけだよね?
その感覚を否定するの?
仮定という規定ではなく、前提という規定じゃないのかね
で、感覚与件(sense data)は主観なの、客観なの?
283 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/11/27(水) 17:11:45.49 0
>>277 「規定は否定である」が、よくわからない。
どこかで解説しているのかもしれぬが、それならレス・ナンバーを。
改めて語ってくれると、なおありがたい。
「規定が構成、あるいは虚構」というのならまだわかるが。
いのち氏の“系”も理解しづらい。“系”というのは“動的・形相”のことだろう?
もしそうなら、質料(素材)の変化につれて“系”もまた絶えず変転するはずだ。
“素材”が変わっても、系はそのまま「同一」ということはないのでは?
284 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 18:03:15.37 0
>>283 お、ゲーム氏いらっしゃいww
系というのは基本的に科学でいう開放系のことを指します
例外としては、全宇宙の系が孤立系としてあります
例えば人間も開放系で素材は絶えず入れ替わっていますが、その人間の系を保っている限りは、その系にとって同一性となる
>>278 で述べた通り、系のバージョンアップですww
更新を認めない場合は、同一性があるのは神(孤立系)のみとなる(デカルトだかがそんなことを言ってた気がする)
285 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 20:32:28.82 0
基本的に科学でいう開放系を系と言ったのは、自然科学ではない、人文科学や社会科学など、全てにおいて開放系を認めているからだ 例えばインターネットの接続回路、会社、国家、宗教、過去の著名な偉人、他にもミームと呼ばれる情報も開放系だww 四角いテーブルの真ん中に砂を落とし続ける。これも開放系ww 大真面目にこれらの系全てに「いのち」を認める でも飛躍は一切してないし断絶もしていない 「いのちは、いのちから生まれる」 たったこれだけの理論ww 例外は自力存在者である神のみ、あとは全て他力存在者である
286 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 20:49:19.79 0
287 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 20:58:25.12 0
288 :
考える名無しさん :2013/11/27(水) 21:01:42.76 0
人i ノ:;;,ヒ=-;、 (~´;;;;;;;゙'‐;;;) ,i`(;;;゙'―---‐'ヾ ヽ;;';ー--―-、'';;;;;゙) /::: 霊姑浮=波平 \ /:::"40歳間近のニート ヽ ,i :: -=ニ=- -=ニ=- i \.. / ー-' ヽ. / こらぁ ボンクラどもぉ わしと勝負しろぉ〜〜〜〜!www \::.| ト‐=‐ァ' |.:./ チンポコチンポコチンポコチンポコ シュッポッポー♪オナニーオナニーオナニーオナニーシッコシコォ♪ イエ〜イwゲハハッw♪ . \ `二´ '/ ,r――--、,,_ノ r、 三 η L___,,..-―‐-、 ( 〃ヽヽ //ヾヽ ) ヽ `ヽ、 ⊂ニpikarrrニ⊃ ,r'' / ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 / ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. /
>>286 面白いな。
これはスケールが大きくなると安定性が増すということか。
例えば、原子や分子レベルでは活発な変化が起こってるのに、それでできてる人間の単位では安定性(同一性)が保たれるというような。
290 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 21:58:24.66 0
>>289 その通り
入力と出力(相転移でも良いが)の狭間で系は安定し、同一性が保たれる
系とは繋がりであり、系の安定は即ちいのちである
その構造はフラクタル構造である
つまり!
ここは神の体内であり、我々は神の一部だったのだ!
な、なんだってー!?(AA略
なかなか面白い妄想だね。
安定とは固定のことではなく、均衡のことなんだな。 より可塑性に富んだ(不安定な、動的な)均衡が生物で、より安定した均衡は無生物ということでしょうか。 しかし、それ自体で永遠の均衡を保つ存在はなく、すべては、いずれ生起消滅の宿命にあり、その姿がいのちだということでしょうか。
294 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 22:58:00.56 0
>>293 系はいつでもギリギリの臨界状態により安定であり、いつ系が消滅してもおかしくないほどに不安定なんです
砂山の例では砂の入力を断てば崩壊が必ず訪れるし、いつでも砂山にあんぱんちで終了だww
後半は完全にその通り!
この様な系を考えると、系の誕生→保持→崩壊という相似性が全ての系に一貫しており、他にもべき乗則という指向性、固有波動のリズムなど、様々な相似性を見つける事ができる
それがいのちなのです
295 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/27(水) 23:31:39.09 0
そこで時間の問題に戻るわけだ 要するに、時間は変化というよりは「いのちの永さ及びリズム」とでも言うべきもので、我々が観測している時間は、神(といういのち)の永さ、及びリズムなのであろう スケールが大きくなるほど安定しているので、神のいのち(全宇宙の系)は、「無限大に安定している」ということです
宇宙見なくても、地球上の世界見てるだけでも安定したバランスを感じるよ
永さやリズムは時間を前提としてるからトートロジーだな。
298 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 09:41:32.11 0
じゃああれだ、いのちの持続だww 俺はぶっちゃけ時間すらもべき乗則ではないかと疑っているww つまり、ビッグバンでは時の進みが極端に速く、徐々に落ち着いてきて定常に至る(べき乗則特有の)ロングテールのグラフになるかもってこと。 時間のグラフが横一直線とか辻褄合わないしww 考え方はこうだ 最初の一年は人生の相対速度が1/1、次の一年は人生の1/2…137億年目は1/137億 これを縦軸を相対速度、横軸を一年単位としてグラフにすると見事なロングテールのべき乗則となる 相対速度の1は光の速度を意味し、光速度が一定であることの根拠に繋がる また、赤ちゃんは心拍数が早く年寄りは遅いことと相似である つまり、子どもは本当の意味で時間の進みが早かったのだ!!!!! な、何だって〜!?!?(AA略
299 :
考える名無しさん :2013/11/28(木) 09:47:23.70 0
優秀だね。柄谷スレにネタ投下しただけの芽を生やしている。それを萌えと呼ぶんだ。
300 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 10:02:17.99 0
今これらをまとめた思想書を執筆してるのです 哲学と科学に矛盾しない宗教ww 霊魂とか一切排除したどちらかというと無神論の為の宗教ww 当スレで述べたことは基礎概念であり、このままでは実生活に何にも役立たないww 自然科学、人文科学、社会科学、それら全てに一貫する「徳」と「いのち」 そこに生き方のヒントがある 何とか今年中に終わらせて出版社持ち込みwwwww →絶対断られるwwwww →結局自費出版wwwww悲wwwww惨wwwww
時間とは、「変化」の事。
>>300 kindle ならKDPというものがあり即出版できる。そこで注目され、出版社に買われたものも幾つかある
303 :
考える名無しさん :2013/11/28(木) 12:14:54.93 0
「タイミング」を支配し、「時」を使い魔に持つ俺なら、「出版させること」よりも「出版物を表に出す時期」を重視するね。
304 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 12:24:55.32 0
>>302 なるほど!
同人誌という手も考えたけど、ちょっとそれ調べてみる
ありがとう
ただし、プロでなくても誰でもいいから ちゃんと文章が分かり、客観的な目を持つものに編集と校正を依頼した方がいいよ。 自分以外の目を通すことが重要。間違いというものは、なかなか自分では気がつかないものだ。 たかが、誤字脱字なんかで評価下がったら勿体無いしね
307 :
考える名無しさん :2013/11/28(木) 12:36:21.62 0
早速銀蠅が湧いてきている。これは金になる臭いがしているというサインだ。それら現象をも包括した理論を俺は既に持っているが、 時と戯れることのほうが、おそらく有意義だ。
308 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 12:40:55.56 0
>>305 ありがと!
なんかね、科学の終着点がかなり見えてきているね
その最終結論を宗教としてとっとと提示しちまえば、宗教と科学が完全に一致するはずであるww
その方向性は、やはり最新科学である複雑系の科学!
キーワードは自己組織・自己相似・べき乗則・フラクタル構造なわけだ
科学的な態度、哲学的な態度をこころがけないと妄想に終わるからちょっと2ちゃんでパッチテストをしているのだよww
309 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 12:42:56.30 0
>>306 友達に元副編集長という最強の味方がいるからその辺は完璧ww
というかその人ののコネ使えないかと目論んでるww
>>307 お前みたいなのを
クズって言うんだろうな
そうやって孤独に苛まれて死ぬがいい
311 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 12:46:53.69 0
出版しないと思想家を名乗れないからね 宗教法人が金になるのもあるけど、それは理想社会の実現という大義名分があるからww
>>309 あまり下心を出さない方が
うまく行くもんだよw
KDPなら誰でも出版できて、直ぐ人目にも晒すことができる。
あとな、アレが売れるが売れないかを分かつ重要な要素だが、表紙画像な。
あれの出来がかなりの部分を左右する。
人はどうしても表面を気にしてしまうもんだしな。表紙が良ければサンプルをダウンロードしてもらえる確率がかなり高くなる。
がんばれ!
313 :
考える名無しさん :2013/11/28(木) 12:47:59.29 0
餓鬼が図星を突かれて牙をむいた。だが、俺は神懸かっている。無理。
誰?このキモい厨二
315 :
考える名無しさん :2013/11/28(木) 13:03:06.10 0
青い奴らとは縁の無い人だよ。良くも悪くも緑だけとしか縁が無い人。わかりやすい。
316 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/28(木) 13:10:27.57 0
科学は現代の宗教と言えるかもしれない。 しかし、両者には決定的な違いがある。 宗教は文系だが、科学は理系である。
319 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/29(金) 01:45:15.83 0
>>318 宗教は科学的な手法は排除するしね
でも演繹法としては矛盾がないんだよね
それは矛盾が起きない、都合が良い前提を用意するからなんだけどww
検証可能でアプリオリな前提からの演繹でないと妄想に終わってしまうww
320 :
時間の神 :2013/11/29(金) 02:23:52.85 i
みなさんにとって時間を有意義に先見する方法が必ずあります。
The Claremont School of Religion, The LDS Council on Mormon Studies and the Mormon Scholars Foundation are pleased to present: Parallels and Convergences: Mormon Thought and Engineering Vision A. Scott Howe, PhD, Senior Systems Engineer, NASA Jet Propulsion Laboratory "Quantified Morality"
322 :
科学びと :2013/11/29(金) 09:40:15.42 0
人間は対象の全てを知り尽くす事はできない。 科学によって対象の一部を知り得ても、その対象の全てを知った訳ではない。 それでは、安らえない人間は認識によって、知り得ない部分を想像し補っている。 そして、それを信じて対象の理解を深めてゆくのだろう。
323 :
ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/11/29(金) 10:36:59.91 0
>>風魔(いのち)さん 遅くなったけれども「系」の説明、ありがとう。 どうも、こういう思考が苦手なので、ときおり遊びにきて、また質問します。 出版の件ですが、よき編集者に出会うことを祈っています。 君には天才的な閃きがあり(褒めすぎかw)、また、この板では稀なる“よきひと”なので、 うまくいくのではないか。「削る」と「膨らます」が重なり合った表現を。
324 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/29(金) 11:34:31.54 0
>>323 風魔じゃなくて風真ねww
理論体系は殆ど完成してるんだけど、混在三元論の最後のピースが難しい
力(エネルギー)は質量を齎し、働きの元となるから必須
意志(欲)は同調(繋がり)を齎し、指向性の元となるから必須
で、もう一つ、性質を齎す、要するに徳(クオリア、情報)を発する元となる概念が必須ww
「気」という概念を使おうかと考えているのだが、あんま科学的じゃないww
まー意志も科学的じゃないけどww
科学では、電子の数で性質が変わるとかぬかしてるが、それは単に観測事実なだけで、なんの説明にもなっていない
ヒッグス粒子=気、という考え方はありかもしれない
質量も性質だし
宗教ってかつては政治と一部の科学を担ってたんではないだろうか。 細分化されたのは、世界観(価値観)と政治を分けることで、安全策を施したと思うけどな
神のいのち(全宇宙の系)、リズム、そしてアカシックレコード。
327 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/29(金) 16:57:56.48 0
>>326 魂とか霊の概念って必要?
それ扱いだすと一気にオカルトになってしまうww
宗教の失敗と成功がそこにある
「必要ならば要請される」というのもわかるけどね
現代の知見では不要だねww
正確に言うと、不要であるというポーズをとることが現代的に見せる工夫。
ニーチェは永劫回帰で 時間は無限で物質は有限であると唱えている 時間は円環的構造の中を永久に回り続ける 時間は現在⇒未来という直線ではなく 気が遠くなる様な時間の果て 現在⇒未来⇒過去という流れを繰り返す 宇宙は生まれ死にまた生まれまた死ぬ 宇宙の構成物である人も生まれ死にまた生まれ死ぬ
>永劫回帰 自分のイメージでしかないけど 「有限の時間を無限の時間をかけて循環してる」って感じがする ニーチェって、時間のメタ構造を想定していたのかな?
永劫回帰はその「根拠」が乏しいから「思想」に留まる。哲学ではない。 生の一つの「受け取り方」ではあるが、なぜそう受け取る必要があるのか何も説明されていない気がする。 ノリというか、なんというか。
332 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/30(土) 01:22:37.64 0
だったらいいな論だねww
いや、ニーチェは事実として永劫回帰を語っているのではなく、そう人間が受け取れるようになった時の具体的な「効果」として永劫回帰を勧めてるだけ。 当時の人類の意識の境界の超越の勧めだよ。 ニーチェは具体的な効能を思想に求める人だから。
時間とは 変化 である。
同じところをグルグルできるのも時間があるからだね。 言ってることには変化がないようだw
336 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/30(土) 02:05:58.64 0
効果ねぇ それって、信じれば救われますよっていう効果と変わらないってことだよね
いやいや、ニーチェにとっては、もっと「具体的」だったんだろうね。 それこそ、身体的な変化すら伴うぐらい。
おめーらニュートン別冊買ったか? よく嫁や
超弦理論において物質の根源は点ではなくヒモであるという事が解明されつつある今 時間が直線でなく円環状であるという事も根源論で考えればそうだと言えるのでないか
>>339 >時間が直線でなく円環状である
それは、あなたの生活に例えると、一体どういうことなのかな?
そこまで説明しないと、何の意味も持たない。
>>339 物質の根源がヒモだと、時間の根源が円環と言える?
コレどういう事?
>>333 きっとニーチェは悟りを拓いたんだろうね。でも悟りは思考停止の事。もはや哲学では無い。
>>341 弦の振動なら、音のようにサインカーブになるんじゃないの?
横だけど、サインカーブって円運動をグラフにプロットしたものだよね?
円運動を時間にそってプロットするとサインカーブになる。
地球だって太陽の周りをグルグル回ってる 太陽系も銀河系の中心に対してグルグル回っている 銀河系も銀河団の中心に対してグルグル回っている 万物は回転するのだ時間とか円運動のことである 回転するのだから今日という日はまたやってくるだろ
まわるまわるよ 時代はまわる喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも生まれ変わって めぐりあうよ
348 :
2501 :2013/11/30(土) 16:41:26.49 0
主観とは“中心であり且つ重心ではない” か 周期同調力と回転数自体、そのコントロール 物質としての身体からの超越の成功 死に魅入られる者が表れるのは自然への回帰、自然との同中心化 か
349 :
時間の神 :2013/12/01(日) 02:21:08.26 i
まだ時間というの根幹の部分を理解出来ていないようですね。
350 :
時間考察びと :2013/12/01(日) 10:15:14.59 0
>>349 時間とは観念である。
観念とは、人間の認識・精神世界におけるもので、客観世界の事実と同じような存在。
すなわち、時間とは人間の精神世界における事実的存在である。
そして、その時間・観念は、人間が客観的なモノと関わる中で、特にそのモノの変化を意識
して関わった結果、その人間の認識内に形成されたものなのだろう。
従って、時間は人間の精神の中、変化は客観世界の中、ということなのだろう。
観念=イデア 観念論ではすべてがイデアだね〜 「時間は観念である」とか、時間だけ取り出すことに意味はないのだろう 「机は観念である」も同様に正しいのだから〜
めちゃくちゃでいいんだから、もっと面白い時間論を頼む
353 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/01(日) 10:54:05.81 0
>>350 論理がめちゃくちゃだなww
時間(という概念)を観念とするならば、変化(という概念)も観念でなければならない
人間の認識内における時間は、もはや変化とはかけ離れており、あたかも「時間自体」が客観世界に存在するかの様に時間を扱う
さらには、客観世界に「変化自体」など存在しない
「変移」は認識の結果であり、実際は「物自体が営んでいる」だけなのだろう
…というのも観念であり、この文字も観念ww
人間は観念から逃れられない
それが「現象する」ことであろうと、他のどのような作用であろうと、 作用(受動/能動の関係)が存在することが既に時間的なんですよ。 受動/能動の関係は表裏一体で現時点でしかあり得ないのに、 能動が必然的に先行して存在する(ex-ist)と受け取られる(受動)のだから。
現在、我々が使っている全ての時間は、観測者の系の固有時間、則ち我々地球人の主観に合わせられている。 その為に時間とは概念であると思えてしまうのかもしれない。
大きさとは、物差しのことである、というのと一緒だね。 時計は時間を測るものであって、時間そのものではない。
そうね。物差しは距離ではなく、物差しの目盛と比べることが距離 時間は時計の針ではなく、時計の針の動きと比べること
指を折って数を数えるのも、指が数だからではなく、 指と対応させることが、数を数えることなのね〜
359 :
時間考察びと :2013/12/01(日) 16:15:46.82 0
>>353 君って分かっていないね!
「文字」は紙に書いてあるもの、パソコンの画面に映っているもの…。
その「文字」を視覚で感じて頭脳内で、その文字に対応する観念と結びつけて、
初めても、文字=観念となるのでしょう〜だ・か・ら・文字は客観なのです!
その証拠に、文字を読めない者には、文字=観念とはならないでしょう。
>>350 をより〜正確に書くなら、人間が変化と認識しているのは、モノの弁証法性です。
なので改めて、弁証法性(客観)→変化と認識(主観)→時間・観念、となるのでしよう〜
あるモノ・コトをの認識の繰り返しの結果が、量質転化化したのが観念なのです。
ここに書かれた文字を、どのように自己の認識内の観念と結び付けるかで、ある意味、
ある範囲内で、この内容をどうにでも理解できるのでしょう〜
360 :
強者の助言 :2013/12/01(日) 16:21:03.31 0
>>353 >人間は観念から逃れられない
逃れる必要はありません。
自分で積極的に新たな観念創りをやれば良いのです。
逃げようとするから辛いのです。向かって行きなさい!
なるほど「自慰感」ですか ボクは最高に好きですね 自慰は世界を変えますよ
時間とは生きている証だろ。 だって死んで意識が消えたら時間を感じ考える事もできなくなる。
363 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/01(日) 18:30:21.70 0
>>359 ああ、文字は「情報」だな。訂正
言いたかったのは言語化の認識=観念
あと、客観の本質を弁証法性とするその弁証法性とはどの様な定義か解説頼む
弁証法の意味は沢山あるからな
>>360 「逃れられない」を、俺が「逃れたい」のだと解釈するならば、それは誤解
観念は大いに創造するのが良い
「考えるな、感じろ」という、言語化の拒絶も大事ではあるが
364 :
考える名無しさん :2013/12/01(日) 18:35:52.44 0
弁証法ー事物の変化・運動する性質。
365 :
考える名無しさん :2013/12/01(日) 18:41:08.46 0
文字が情報なのだろうか? 文字の内容が情報だろう!
>>365 感覚的に入力されるという意味での情報だろ。
367 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/01(日) 19:43:38.22 0
>>365 客観は全て情報と言うこともできる
受け取れるか受け取れないか、解読出来るか解読出来ないか
そんだけ
368 :
観察者 :2013/12/02(月) 09:36:46.35 0
>>367 >客観は全て情報と言うこともできる
この言葉に私は違和感を禁じえない!
何か客観というものを矮小化している。
人間の独断的偏見に私は思えてしまう。
369 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/02(月) 10:34:28.06 0
>>368 例えばアメリカの哲学者チャーマーズは、
真の実体は情報だ!と大真面目に語る
1.主観は、客観の全てを「情報を受信」する事でしか知り得ない
2.生物は全て、DNAやRNAなどの情報が「新たな情報を生み」構成されている
3.無生物は全て、環境からの情報を無意識的に入力と出力し、情報を元に構成された情報である
4.ここでの情報とは、「違いを生む違い」のことであり、その違いが、新たな違いを生む違いなのである
チャーマーズの主張と違ったら失礼ww
まぁこれは全てを情報に変換できる、ではなく、文字通り全ては情報そのものだという主張なので少しぶっ飛んではいるww
俺はこの様な情報、つまり「自他に影響を与えるもの(情報)」を「徳」と呼ぶ
酸いは梅の徳、甘いは砂糖の徳である
徳は縁の起りであり、縁は徳の功である
観念という概念よりはましだが、情報という概念もまだ中途半端だな。 もっと突き詰められるだろう。情報よりもよい概念を
それを観念と呼ぼうと、概念と呼ぼうと、情報と呼ぼうと、 いかなる実体も作用に先立つことはない。
>Il s'agit de 〜 ちゃんと作用が先立っているだろうw
>it's a matter of 〜 英語では実質/実体が先立ってしまうのがよくないな
>>369 全てが情報なら主観も情報な訳だな。それとも主観は特別なの?
375 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/03(火) 00:54:25.05 0
>>374 チャーマーズはクオリアの問題などの研究をしていて、自然主義的二元論という、科学的な二元論を目指す故に主観は「特別」なんだろうな
俺はほら、いのち一元論だからさww
実体が情報だなどと思ってないよ。
実態としては情報(徳)は大事なキーワードになるけど
>>375 ふーん、世界は俺様(主観)と言う特別な存在とその他(情報)でできている?これを科学的に証明するのかwヒキヲタに有りがちな世界観だなw
377 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/03(火) 15:31:42.02 0
>>376 まぁ、心の問題が科学的に解明されたら、一元論になる筈だけどなww
チャーマーズは唯物論も、霊魂とかの神秘主義的二元論も否定しているが、心と物質は違うという見解だからね
要するに心を物質に還元出来ないとしている
時間とは 「変化」 である。
規則的な反復運動=単位運動に動き/静止を合わせることを時間と呼ぶのだろう〜
時間とは、「変化」の事である。
ところで今年の哲板の忘年会はどうなってる?
382 :
考える名無しさん :2013/12/03(火) 22:47:55.31 0
バトルロワイヤル 刃物
時間とは「変化」の事である。という事を哲学してみようか。 まず、「辞書に書いてある時間の意味を理解しろと」。 次に、「辞書に書いてある時間の定義の間違えを指摘できて、 やっと哲学的な議論が出来る様になる」わけだな。 辞書に書いてある時間の定義の間違えを、誰か1人でも証明できた人はいるのか?
384 :
考える名無しさん :2013/12/03(火) 22:52:29.71 0
まあ我々人間にとっての時間とは まさに「変化」のことだよね 簡潔にして重要な表現だ
んじゃ「変化」ってなんだろう
>またそうした変化を数値化して、その割合を変化率で表せるもの。 こっちも重要だったか。 変化を数値化したものを時間と呼べる。 変化率を時間と呼べる。
>>377 心は経験の蓄積、ソフトウェアだろう。コンピューターでは、メモリーやHDD上に電気的に蓄積されているが、人間の場合は記憶とか、ニューロンのネットワークとして形成されているな。
つまり物に還元できんじゃね?
391 :
考える名無しさん :2013/12/04(水) 00:06:10.60 0
時間とは認識そのものである
同じ場所をグルグル。 デジャビュ?
393 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 01:02:54.92 0
>>390 脳の物理学的な解明はかなり進んでいる
が、意識体験、つまりクオリアなど心の問題は全く解明されていない
これをチャーマーズは「意識のハードプロプレム」と呼ぶ
まぁこれはスレチだったねww
雑談だと思ってくれ
オフ会忘年会とか毎年やってるの?
ちょっと行ってみたいかもww
388 その方向性は昔から今まで多くのSF作家や在野批評家が唱えているよ おもしろいというか、おれも賛成してる
時間が流れているは誤解。 現在が変化し続けているだけである。
「認識とか変化というのは既に時間を含んでいる表現である」というのは既出?
a.時間が流れているから、変化をする事ができる b.現在が変化し続けているから、時間と言う概念がある 正しいのはどっち?
398 :
考える名無しさん :2013/12/04(水) 02:07:43.61 0
一方を選ぶなら b
問いの立て方が歪な気がする。どうせならこう。 a.時間が流れているから、変化という概念がある b.現在が変化し続けているから、時間と言う概念がある 正しいのはどっち?
主観がないと、そもそも世界の開闢はないからね。 それには同意する。
現在ってすり鉢の底みたいな部分だと思う。単にイメージだけど 過去から因果だけじゃなくて未来からも因果が現在に向いてる。因果因。 因→果←因 こんな感じに 最近、因果じゃなくて果因?を感じる事が多いんだよね
そうか。なら俺の場合はこうか 因→因→因→因→
>>403 いや違うから。寧ろこうかな?
果→果→果→果→
それでいうなら俺はこう ◎通常パターン 果→因→(果) ◎頑張るパターン 果←因→(果) ()=揺らぎあり
すごい。頑張るパターン、めちゃ頑張ってる
だろw でも、これが生きるってことなんだと思うわw
うん。すげー俺も頑張りたい、頑張りでプルプル宇宙を震わせたい。プルプル
プルプルいいなwww 俺も頑張ってプルプルさせるわwww
頑張って過去を捻じ曲げてるのかw
過去なんて存在しないよ。あるのは今だけ。 だから、今過去を作って、未来の輪郭を彫刻するんだ。
正確に言うと、 過去を眺める角度を今得て、未来を彫刻する、だな。 出来事は360°眺めることができる。その時に気付かなくても、後から気付くことがある。 過去の点と点が繋がって、後で(今)腑に落ちて、その意味が分かるって体験は誰でもしてる。 それって、過去の意味を塗り替えてるんだよね。 で、その今生み出したものは未来に繋がる。 これは、主観の好ましい面。もちろん、好ましくない面もあるけど。 だから、頑張るパターンなわけ。
その頑張るパターンは時間を止めてるよね。 止めた時点で時間じゃないよね。
>>393 その意識とか自我ってのは、きっと脳のネットワーク上に様々な情報が飛び交う現象ではないかな?
まぁ、単なる勘だけどw
>>393 哲板の忘年会はすごくて忘れられない忘年会だという矛盾。
>>413 とめてないと思うけど。
皆が一度は経験したことのある体験だと思うけど。
その時に時間って止まってる?
>>416 いや、あらゆる延長は特異点を止めないと求められないから
◎頑張るパターン 果←因→(果)
の場合、止まってるでしょ。止まらないと矢印は成立しない。つまり反省が時間に置き換えられてるだけ。
矢印と時間の流れって別だよ、ってのが始まりだよ 止まるとか止まらないとかは要素に入ってないから判断不可能じゃないかな
>>418 おれ途中からしか読んでないんであれだが、矢印と時間の流れが別ってのは
矢印は志向性を表してるのか?
個人的には、この話の矢印が示すのは指向性という言葉で問題ないと思う。ベクトル。方向性。 時間っていう一般的な意味での方向性、矢印が指す方向性、因・果という言葉が持つ元々の方向性、三つ混ざってる
それが志向性であるなら、やはり反省だよ。フッサールと同じで時間を止めてる。
422 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 06:30:30.56 0
>>414 物理学的にはその通り。
脳内の電気信号が意識を発生させている
だが、電気信号からクオリアを導き出すことは今のところ出来ていない
それが出来ればノーベル賞は確実だねww
>>415 今年もやるのん?
423 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 07:05:59.16 0
さて、時間に話を戻そう 未来から過去に流れる、今が過去も未来も規定する(永遠の現在)、変化が時間を規定、時間が変化を規定…などが出揃った そして俺は相対論を支持する 時間軸が各々違うという見解 これにはいくつか根拠がある ・全ての哺乳類の生涯心拍数・呼吸数は、ほぼ同数である ・身体能力の差異は、時間軸の差異の可能性 (空想科学であるような、これがもしも人間だったらスゴイwwみたいなの) ・もし互いが一光年離れていたら、「今」何をしているかは「不可知」である これは極論、目の前にいたとしても、光によって察知できる情報は厳密に「今」ではない ・観念の系では特に時間軸の差異が顕著 例えば歌とか国家。長生きな奴はいつまでも消えないし、短命なやつは即消え去るww 単に寿命の違いか?否、時間の進み方が違う 例えば観念と物質の中間に位置する絵画とかの作品を見ればわかるが、変化の早さ(経年劣化)が動物とは明らかに異なる 歌などほぼ劣化しないww全員から忘れられた時が寿命、つまり長生き
424 :
考える名無しさん :2013/12/04(水) 07:14:04.99 0
俺も最近知った「ミーム」という概念を応用・統合できそうな基礎・土台だな。 「一個人ではない主観者達全員の」主観から見た「記憶」の捉え方が、悪くない。 「普通の人だとまず説明しても理解できない部分」を突破しているのが、漠然とだが、その論の組み方から確信できる。
時間とは、同一とされる現象の反復に合わせて動く/静止すること 規則的な円運動(cycle)=単位運動に合わせることが理想的であり、 パルスを円運動の極とみなしてそれに合わせることもできる。
運動とは必ずしも物質(モノ)の位置の移動ではない。 より一般的には、同一とされる現象(コト)(「同一されるモノが見えるコト」を含む) の位置の移動である。
427 :
なんとなく思った名無しさん :2013/12/04(水) 11:14:41.09 0
・・・・ かにもい って いかにも それっぽい いちのいどう(笑)
428 :
なんとなく思った名無しさん :2013/12/04(水) 11:22:07.67 0
たいむ いず まねー だいむ いず 10せんと とき は かねなり どき は つちなり あぶねーな w
>>428 L'Homme Qui Ne Valait Pas Dix Centime
430 :
時間ですよ〜 :2013/12/04(水) 12:39:59.37 0
今の瞬間に感覚している同じようなモノ。 その同じようなモノの違いに少しずつ気付く。 それらの違いを同じモノの連続した姿と気付く。 それが、変化という観念で・概念であり、 そして、その変化が続く事に気付く。 これが、時間の概念・観念なのだろう。
431 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 13:54:29.62 0
>>424 自然科学・人文科学・社会科学を、包括・統合する際、ミームという相似的いのちの概念は重要になる
432 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 15:21:14.59 0
然るに、変化は変化であり、時間は時間である もし、変化=時間ならば、その二つの概念の差異が一切無くてはならない 「何」が変化しているか、それは「物事の状態」である 「状態が変わった」事実から時間が規定されたのならば、物事の変化に「時間が内包されている」はずである 今が過去と未来を規定する? 否、今も過去も未来も「私」が規定するのだ! 「私」だけが規定できるのだ! ここをもって、時間とは、「私」が持つ、私でいられる間なのである
漠然すぎるよ。 個性や斬新さや論理のあつさがまだ感じられない。 もっと追求したほうがいい。 1例あげるなら、変化、これは一般語だけど、類義語にもっと意味の狭い単語が色々あるだろ、それらの単語を選択して絞り込んでみるといい。
434 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 15:59:59.47 0
>>433 類義語はあくまで類義語でしょ
A=A、これはトートロジー故に「真」である
A=B、これは規定した(決めた)、「意味の付加」であり、偽または誤りうる
その規定の正しさは証明出来ないからな
結局、論理は「真理」に至ることは無く、「納得」による信仰によって妥協されるww
真理の断定(規定、決めつけ)とも言える
つたわらないっていってんの。 あんたが真理をつかんだかどうかは他人には問題じゃない。 言葉でつたわってこないんなら共感もできない。何通りの意味にもとれそうなあいまいで想像が絞り込めない文章には説得力はない。聖書みたいなもの。信仰にしか使えない文章。
ついでにいうと、前提や目的もあいまい。 科学で現在まで使われている時間の概念を完全に踏襲しているのか、それとも体感時間的なものを言っているのか、両方を含むものなのか、それともいずれかに矛盾しうるオリジナルなのか? 相対論を支持するみたいなこと書いてたようだけど、それはあの物理学の論に関係あるものだろうか? そうだとすると、科学を踏襲している論に聞こえてくるが、それなら その科学の時間の概念の前提を踏襲していないといけない。 時間は常に流れているのか?科学の前提はそれはまったく規定していない。科学が規定しているのは単位時間の定義、つまり繰り返す振動の周期だけだ。 逆に言えば、現在の科学では時間が常に流れているとか時間の向きとかは説明されていない。 なのに君は現在未来過去という、普通にていぎされているところでいえば常に流れる時間というものを論じている そしてそこに相対論などの科学を論理的トッピングとして入れこんでいる。 そういうふうに噛み砕いていけば、君の理論は現状ではグダグダなのです。 まだグダグダだ、といったほうがいいかな。今後のブラッシュアップ次第だから。 そういうこと。
437 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 16:33:36.11 0
伝わらなければ意味も価値もないのだろうね そもそも伝えたかったのかひとり言だったのかさえわからなくなってきた あと「時間とは何か」って問いは不毛なのかもしれない 時間という概念に価値がなければ、そんな概念は必要がない それは他の言葉に変換する必要がないということ だから「時間は時間である」しか真にはならない
科学を踏襲していて現在過去未来という時間の大いなる流れを切り捨てれば変化の理論もそこそこ説得力はます だって、科学の時間は時間が動いている状態しか説明していないのだから、逆を言えば止まって変化していない状態は時間の概念外ということだから その逆をとれば時間は変化というトートロジーが出てくる
439 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 16:41:47.68 0
>>436 勿論科学を踏襲している
「私」、つまり「観測者」しか時間を規定出来ないと言っている
だけどそれだと不便だから、時差はあるにしても地域別に規定しようってのが標準時間なわけだし
>>439 それは時間が「観測」を前提にして存在するという古ぼけた概念
441 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 16:59:01.04 0
>>438 過去は記憶であり、未来は予測であり、現在は「私」しか規定出来ない
そもそも系の「生成→成長・衰退→消滅」という変化の流れを時間とするならば、定常であるはずがない(絶対時間の否定)
変化が時間なんじゃなくて、主体が感じる変化を時間と表現してるだけだよね。 そしてそれを他に伝達する必要性から時刻というものが考案された。
445 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 17:23:54.39 0
>>440 観測或いは規定をせずに時間そのものがあるような口ぶりだね
でも実際は因→果の指向性がある「状態の変化」しかないじゃないか
「間」を設定・規定しなければ時は現れない
>>445 横レスだが、誰も観測しなくても状態の変化はあるだろ。
448 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 17:46:15.62 0
>>447 状態の変化は一切否定していないよ
でもそれは「状態の変化」であって時間ではない
時間は「私」しか規定出来ない
科学は時間を規定しているじゃないか 君はその科学の時間を踏襲していると言った なのに別のレスでは君は 時間は「私」「しか」規定できない という まるで矛盾している
純粋なものをえぐりだすには不要なものは捨てたほうがいいよ ニュートン(雑誌)が真実ばかりを書いているとは限らない
451 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 18:21:50.53 0
>>449 科学が扱う時間は、自然現象の経過(つまりある地点とある地点の間)を記述するための変数
相対性理論によれば時間と空間は同質であり、その距離は観測者(つまり私)に依存する
状態の変化が時間だという扱いはしないよ
>>451 主観的時間ですらある座標からある座標への移動をもとに変化として掴まえられるのであって
それは
>>451 の「つまりある地点とある地点」と同じ。
言い換えると、移動前と移動後が問題とされるのであって、その「間」は知覚され得ないんだよ。
>>451 >相対性理論によれば時間と空間は同質であり、その距離は観測者(つまり私)に依存する
横レスだが、観測者しか時間を規定できない訳ではない。
「観測者の主観時間」が観測者に依存してるだけ。
フラクタルは時間の説明してるんじゃなくて相対性理論の時間の説明してた「だけ」ってことね まったく、文系はまわりくどくてかなわんなw
455 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 19:14:39.41 0
>>452 間があることは知覚出来るのではないかな
>>453 観測者以外の規定は、「異なる座標を同一と見做す」ことによって近似値を地域別に設定したにすぎず、近似値は真とはいえない
また、時間の進む速さの規定は、社会的ルール・決めごとでしかない
その速度である必然性は無いのだ
間というのはリズム・周期のことでもある
間を持つのは系であり、規定するのも系である
セシウム133を元に決めたのは、本当に決めただけのことだからね
>>455 観測者も近似値しか観測できないのだが?
457 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 20:15:07.21 0
>>454 時間=変化説に異を唱えただけだよww
だから極論、二つの観測者の座標が一光年離れていたら、今を制定出来るのはそれぞれの観測者のみであって、間を知覚するのも観測者による
>>456 観測者という言葉を使ったのが悪かったな
何かを観測するのなら近似値にならざるをえないww
「今を制定出来るのは私だけ」という意味だ
「今」を仮に時刻とすると、その時刻が示す普遍的な一点は、同じ座標だけということ
>>455 その知覚は「AとBの間」ということであって、AとBの知覚を前提にした反省でしかないでしょ。
>>457 観測者と同じ加速度系にいれば、観測者以外も同じ「今」を共有してるだろ。
まぁ、単純に『時間=変化』では無いな。変化という現象の空間以外の成分が時間って事かな?
そういう意味で言えば空間こそが時間だろうな。
462 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 21:06:12.34 0
>>458 AとBの間は、光速度を元にした空間の距離に変換出来るってだけで、移動せずとも「今の座標A」と「別の今の座標B」の間は知覚出来る
その座標の規定は相対的でしょ?
>>459 「今」というある一点の瞬間的な状態は世界中で共有出来ている筈ではあるが、その一点(つまり時刻の規定)は共有出来ない
時間が無いって言ってるわけではないんだ
相対的なものなんだから、それぞれの私(要するに系)が時間を有しているのだろうってこと
>>462 あいにく人間の感覚器官は離れた二点を同時に同程度に感覚できるようにできていない。
464 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 21:41:32.36 0
>>463 そりゃそうだ
感覚的に星はみんな同じ距離に見えるし、捉えている光は観測者にとっての今でしかない
「時」を規定できるのは私(系、観測者)
その規定を元に「間」を規定できる
したがって、時間は私の規定であり、自然現象の状態変化を、私の規定で捉えなおしたものが時間となる
>>464 それは「客観的時間」の説明ではあっても「主観的時間」の説明には使えない。
466 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 21:55:21.59 0
>>466 状況変化=時間の経過と示せるのは未来及び過去であり、それは客観的時間。
存在するのはセンスデータの流れしかない 時間は過去の解釈でしかない
469 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/04(水) 23:12:00.51 0
>>467 逆でしょ?
私の規定なんだから主観的だと思うが
地球の公転を1年として算出された 客観的時間(カレンダー、時計など)と 自分の中の主観的時間はあるだろう 歳とると1年が早く感じるのは カレンダーの客観的時間と、 同じ事の繰り返しで新鮮さを失い、 物事を見なくなり(無意識に無視する) 変化のなくった、つまり時間が進まなくなった主観的時間との差だ
471 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/05(木) 00:25:00.74 0
>>470 客観的というよりは、社会的規定だな
しかし、規定とは別に、物事に周期・間は確かにある。
自転、公転、呼吸、心拍…
間隔や調子(リズム)とも言えるが、系の持続に「間」があるのは何故だろう
電磁波や固有振動数が関係するだろうか?
周期といえば、この間NHKで 素数についてやっていたが 規則性がないように思えていた 素数同士の間隔、あれ πつまり円が鍵だったらしいな ちょっと鳥肌立った
宇宙は全て回転運動(螺旋?) が元になっているんだから 俺たち地球の生物も 同じ法則で動くのは当然ではないのか? 電気や振動、重力だって同じことだろう ヒッグス粒子の秘密もきっと円、π、螺旋などが謎を解く鍵だと確信的な予想をしているわ
太陽は事物なのだろうか? それとも、観念なのだろうか? 太陽がなくなれば、それを観察する主体も死に絶えることだけは科学が語っているが。 太陽の概念は表象だ。太陽という概念は人がいないと生まれない。 では、太陽とは概念なのだろうか? これは、時間と同じ話なんだな。
ど壺にはまってるなw そんな考え それこそ時間の無駄だと思うけどな ど壺にハマるために わざわざそういう思考をしているとしか思えないんだが
回転してるものを横から見たら波になる、ので 波を描くものって奥に次元が一つ隠れてるんじゃないかなーと思った事がある
何かの本によれば 今ここに別の次元があるらしい 人間に観測できないだけで
マジか。今ここって事は別次元からの書き込み? ハローハロー!遠いところようこしやす。
だから、遠くないんだって 今ここに「ある」 俺たちが観測しているものは 高次元の事象の影を見ているに過ぎない 例えば俺たちが2次元の平面的な存在だとしたら、コップはただの円としか観測できない厚みや高さの概念が理解できないからな そういうこと
481 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 01:31:53.09 i
別の次元云々の話をしなくても、今については独我論で説明できる。 高次元があるなしにかかわらず、実感できるのに、高次元によるのはカルト的で哲学スレっぽくない。
いや、ただの余談だ スルーでオケ
483 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 01:37:55.57 i
うんw でも、行ってることは分かるよ。
>>444 変化が時間であり、主体の感じる変化は主観的な時間だな。
>>480 次元の少ない側から見たら遠いんですよ。
遠いというか、もう次元が違うというかw
逆からは俯瞰で分かりやすいのかもしれないけど…三次元から二次元を遠く思う人もいますね。沢山。
>>485 物理学者がそう
予測しているだけだ
俯瞰しているわけではない
遠い、近いなんて
気持ちの問題だろう
>>484 なるほど。そうするといかほどの主体も感じない「時間」というのがあるということだな。
それはもはや「無い」と同じ意味だね。
488 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 02:25:16.01 i
あなたが存在しないと、太陽も存在しなくて、地球も回らないのかな?
490 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 02:35:22.20 i
そんなこと聞くまでもないでしょ。 俺がいなくなっても太陽はあり続けて、地球も回り続ける。
なぜなら、太陽の存在や地球の自転と、俺の死には、なんの因果関係もないか、。
逆に、太陽の存在や地球の自転はそれを観察する「あなた」がいるからこそ「ある」んでしょ っていってるの。
主観と客観を混同してるだけ。 私の世界は私の誕生と共に始まり死と共に終わる。 だからと言って、明日は私が死んでも「あなた」の世界が終わるわけではない。
よく考えてみればいい。 個我の世界なんて、客観的な世界があるからこそ存在できる。 外界の刺激のない意識の状態を想像してみればいい。 それは、睡眠状態や植物人間状態と変わらないでしょ? 個我の世界を成立させるためには、客観的な世界が「所与」のものとして「予め与えられていないと」いけない。 主観を客観に適用しようとする態度は中2的で、カテゴリーエラーなだけ。 ようは、勘違いの誤謬。
ここで二人称は問題にしなくて良いんだよ。 一人称的世界しか我々には語れないんだから。
じゃあ、あなたの話は私には関係ない。 私は私一人しか存在しないから。 あなたは私のために存在してる自動人形だ。
>>497 そうなんじゃない?
そうだとしても、この世界は全く変わらないから結局同じというか…
そもそも一人称的世界しか語れないのであれば、あなたは私にそれを語るべきではない。
それを語る権利があるのは、あなたではなく、私だけだ。
私が2chを離れると、あなたは電球のオフのスイッチを押した時のように消える。
あなたは一人称を語る権利はない。
それは、私だけにある。
>>498 あなたには合意する、という権利すらない。
共感なんてものはあり得ないんだよ。
これは、あなたのルールに従った場合ね。
にも関わらず、共感を示す自称一人称の自動人形がいる。 こんなことがどうしてあり得るのだろうか? これは、自称一人称が否定している客観が前提(所与のもの)としてなければ成立しない。
>>499 >それは、私だけにある。
だからそのことを言ってるの。
>>499 498で初めて話し掛けたから流れ分かってないのかもしれないけど、
今の文脈なら、それ全部あなたが動かした人形なんだから、それに文句言っても仕方ないでしょ
ようは、自分の定義を自分で徹底できていないんだよね。
客観が幻想といいながら、その幻想の中にいるから、そんなことを自動人形に共感を求めて発言できる。
やるからには徹底的にやろうぜ。
>>501 だから、それを言う権利があなたにはないから。
あなたは一体誰に対して語りかけてるの?
全部、自分に対してだろ?
>>502 自称一人称の人のルールを徹底してるだけだよ。
誰がどの立場から主観か客観かややこしいw
結論。 私が一人称なのだから、あなたという存在は私の認識でしかない。 だから、私が死ねば、あなたも滅びる。 ここで、いや、お前の中だけでなー、ってもし思ったのであれば、あなたが死んでも、太陽は存在し、地球は周り続けるんだよ。 あなたの存在と私の存在は、それを成り立たせる因果関係は存在しない。 当たり前のことだよ。 主観と客観を混同しないように。 それは、中2で卒業するものだ。
二人とも仲良いな とりあえず権利とかどうでもいいから トコトン自論展開してみなよ
冷やかしはいいから、あなたの持論を展開してみなよw
>>508 どこが素朴実在論なの?
誰かの自由な本を読んでいいたいだけでしょ?
俺の立場は、観念と実在の「橋」の話をしてるんだけど。
>>505 じゃあまずこれに突っ込もうかな
その理論だと
あなたは実際は
画面の文字を読んでいるだけで、
人と話していると頭の中で会話している
つもりになっているだけだよな?
周り見回してみ?
ひとりぼっちだろ?
いや、例えもが一人ぼっちだとしても別次元さんは近くにいる
誰もが、の"誰"が次元の隙間に挟まったようだ
>>510 アホですか?
文字で、お互いがやりとりするんでしょ?
小説読んで、会話するの?w
会話をしているつもりではなく、実際に対話してるわけ。
ディスプレイに写る文字を媒体としてね。
それは、コミュニケーションの媒体が2chであった、以上の価値も意味も持たない。
あなたは、周りを見回して目の前にいる誰かとしか会話できないの?
実際に対話しているという幻想 自分の姿を録画してみると 画面に向かって指を動かしているだけ 一人きりで
それを業界では対話といいます
じゃあ、経済活動が成り立たないね。 メールも電話もSNSも一人芝居なんだ。 まぁ、本当に一人芝居だったら、精神病院に行ったほうがいいね。 で、いいことを教えてあげる。 それ、おまえだけだからw .
ふふ 効いてるw
と、一人芝居で独り言を言っているメンヘラがいますw
そして生まれたのが名曲、夢芝居だったという
ふふ 効いてるw
その名曲作ったの、お前の観念だからw
だよなw
そうそうw ナイス名曲w
>>518 ゴメンな、ちょっとからかいすぎたな
言いたかったのは
主観と客観とは
それだけ違うってことさ
自分は何人かの住人と話して充実した時間を過ごしているつもりでも、客観的に自分を見たら、ただ画面に向かって指を動かしているだけ
まあ、アリに人間のような意識があるという例えだが、
あなたがアリを見るときのように自分を見たらさぞ怖いだろう、ということ
客観視ってそういうものだ
アリに人間のような意識があるとしたら、という例え わかりづらくてスマソ
あらら、黙らしちゃったなあw 相手を徹底的に論破しても 結局さみしい思いをするのは自分だという、いい例だわww
素朴実在論なら素朴実在論でいいんだよ。だれも馬鹿にしてない。 素朴実在論からどこに飛び移るかが問題なんだからさ。
上で展開されてるのは素朴実在論というより 独我論とか唯我論とか呼ばれているものだと思うがな
いや、独他論でしょ。 「おれが死んでも世界と関係ない」なんだから。
わざと独我論にふると実在論者が湧くからちょうどいいバランスだねw
結局どっちでもいいんだがな どのように見ても みたいように見ればいいわけであって 正しさ競うことではないし
ちょっと自分語りで済まないが 最近体調?おかしいんだよね 酔ってるときみたいに 今に集中し過ぎてるような感じで 感覚がおかしくなったまま安定してきてた 記憶がなくなったりしてるわけではないので、過去を、失ったわけでもない 未来予測も充分できるので、時間を失ったわけでもないんだが、時間感覚がおかしい このスレに来た理由もそれなんだが 医者行こうとも思ったけど、今のところ不具合ないし放置してんだよね 何というか、延々と今が続くのを体感してる感じ 伝わらんだろうな、これw
>>532 それを業界では「リア充」と呼んでるな。
そのせいか感覚が鋭くなった感じだな
音が良く聞こえるし
気温も良く感じる
温度を感じてるんではなく
肌が気温に反応するのが良く分かる感じか
もちろんアル中ではないし
変な薬等も一切やってない
それを一度人に話したら、
昔のこと思い出したり、先のこと考えたりしないの?と聞かれ、考えてみたら
できないわけではないし、確かに頭だけ過去や未来にズレる状態は少ないかも、と思った
とにかく今に集中してしまう
スーパー集中力を手に入れたような感じだ
これがリア充なのか?!
>>533 多分間違えてた。すまん
>>537 別にいいけど、さすがにこれは酷いなwww
いろんな意味で。
526 名前:考える名無しさん [sage] :2013/12/05(木) 03:39:34.38 i
あらら、黙らしちゃったなあw
相手を徹底的に論破しても
結局さみしい思いをするのは自分だという、いい例だわww
>>539 もしそうなら心配しなくてもいいのかもしれんな
まぁ、認識論で時間を語ってもトートロジーなだけで、本当に時間の無駄だよな。
>>422 クオリアは電気信号では無いだろうな。きっと脳のどこかに該当する部分があると思うな。
トートロジーって言葉好きだなあw
>本当に時間の無駄だよな。 無駄にできる時間とは何か? 他の活動に使えたはずの時間があったということだろう。 時間とは規則的に反復する現象に自らの活動を同期させること。
>>534 いや、寧ろそれは『リアルゴールド』に違い無い。
547 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/05(木) 09:44:58.39 0
この宇宙に実在する時間は『現在』のみであり、過去や未来は実在しない。 過去とは、宇宙が現在の状態に変化する前の状態であり、未来とは今後変化する状態の事である。 つまり、現在、過去、未来の違いとは宇宙の状態の違いであり、時間とは状態の変化であると言える。
「変化」が、時間なのである。 時間が変化で無いとしたら、 変化無くして、時間を証明できるというのか? 今の所、変化でしか、時間を証明できない。
変化が時間なのなら、時間という概念自体不要ですね。 時間を変化で証明する必要もない。 変化が時間なのだから、変化を変化で証明する必要性はなく、 証明することもできないでしょう。
変化のスピードを説明してるのが時間だろ。 変化がどう変化してるかを時間で説明してるだけ。 時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。 変化を認識する為の概念。
>変化のスピードを説明してるのが時間だろ。 あれっ、スピードを説明するのに時間が必要なんでしょ。 すると、時間の説明はどうなるんですか?
時間の定義はこれだろ。 時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。 辞書を読め。
554 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/05(木) 15:05:08.14 0
>>474 物理学ではそれをスピンという
>>553 時間を前提にしなければ時間は説明出来ないので、その辞書はまぁまぁイイセンいってる
でも、「時」と「時間」は同じじゃないよね
二つの座標の「間」という定義も正しいと思う
555 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 15:07:48.60 0
ここまでほんとあたりまえのこと(ほぼ定義にそったこと)しか言っていないなこのスレw 時間は変化だ ← 科学における時間の定義、前提をトートロジーしたもの 時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。 ←国語辞書定義 他になにも言えないのかよ
まず、辞書に書いてある言葉の定義を理解できなければ、話にならない。 なので、一生懸命、言葉の意味をコピペして教えている。 時間とは、 1.ある時刻と別のある時刻の間(時 - 間)。およびその長さ。 時の間で、「時間」ね。 時間とは変化だ。は辞書に書いてあることを分かりやすく説明してるだけ。 変化を証明できれば、時間を証明できる。
557 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 15:34:56.95 0
>>556 >時間とは変化だ。は辞書に書いてあることを分かりやすく説明してるだけ。
飛躍してる。
559 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 15:39:53.95 0
それに一言いっておくと、時間(time)に間があると決めつけるような先入観もひっかかるところ。 僕は間は関係ないのではないかという意見da。
560 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 15:47:02.08 0
>時とは、「月日の移り変わり」だと言う事にたどり着く。 >時間とは、変化だと言う結論が書かれている。 >辞書で、時間とは変化以外の何かだという事を書いてる辞書がありますか? 変化、はあなたが勝手にもちだしてますね。移り変わりと変化は違う。 あなたに、じゃなくて別の方に以前指摘したのですが、変化、という単語はあいまいだから別の単語がいいのでは?といったのはそういうのを想定してのことでしたのよ。 そして、辞書の定義はあくまで常用的な定義であって、常用的に正しいことと、真理中核を付くことは別の作業であり、別の表現に落ち着くのが必然でしょう。
時間は、一瞬を指していない。 時点、時刻などではなく、時刻と時刻の間の長さを表している。
「移り変わり」、移り「変わっている」んだよ? 変わっているのだから、「変化」だろ。
563 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/05(木) 15:56:02.21 0
>>556 時間が変化だって、どこの辞書に書いてあるの?
引用してみ?
564 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/05(木) 15:57:22.27 0
>>561 論点がわからんね。
時「刻」なら一瞬、時「間」だから長さ、と君はいっている。文字に固執して、その先はどうする?何を見据えている?
それに日本語だとそうだが、たとえば英語だと時間の長さをあえて意味するにはtime span,how long, 3hoursのようにspanを表す単語を持ち出すよ
文字に固執するのは方向性や目的が間違っているのでは?
>>562 おいおい、子供のいいわけにしかきこえんよ。これも文字に固執してるだけ。
てんで当を得てない。その使い分けがわからないのなら小学生の国語の勉強から大学授業までやり直すしかないのではなかろうか…。
ああ、デフレ手当てさん = 世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs だったか
ウンコフ君がいるのかね〜?
「われすでにあり、時さるべからず。時もし去來の相にあらずは、上山の時は有時の而今なり。 時もし去來の相を保任せば、われに有時の而今ある、これ有時なり。 かの上山渡河の時、この玉殿朱樓の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや。」正法眼蔵 これだよこれ
>>565 おいおい、人にはそれぞれ
知的レベルというものがあってだな‥
分からん人に無理を言っても仕方あるまい
正直、論点を理解できてない人もいるからな
論点は、時間という言葉についての解釈なのか、「時・Time」という 概念についての洞察なのか、そこらをはっきりさせるべきだな。 後者こそ哲学的な時間論なわけだし。
「時間とは時と間でできている」とか言いだすアホはほっとこう
>>547 そうなのか?
それではないと思う
そのアニメーションは
なんか恣意的だな
別にどんな数字だって円にしようと思えばなるだろう。
もしかしたら、それが番組で出てきた公式を表しているのかもしれんが
>>556 うむ。
見ての通り変化している。
証明終り。
因みにその番組は 「素数に憑かれた人たち」という本が元になっているようだ
単語の意味は 必ず一つというわけではない そんなの小学生の時に習っただろう どちらが正しいかではない TPOで使い分けるもの
>>570 その通りだ
前者にこだわっても仕方ない
言葉はただの道具だ
道具の使い方は説明書を読めばいい
だけだ。
じゃあ、あれだな。 時間とは変化を定量化する為に人類が考案した概念である。 様々な変化を、月、太陽、砂の落下量など、他の判り易い変化と比較して変化量を理解する為に用いられる。
シュッシュッシュッシュッ
シコッシッコグングングングンシュッウ
英語のTimeは、Two timesやThree timesのように回数としても使われる。 また、Timeの古語用法ではそれは「分かつ」といういみも持つ。 さらにTimeはTideからの派生語であり、Tideは潮の満ち引き、つまり繰り返されるものとしてある。 日本の「時」は「常(とこ)」からの派生で、変わらぬものとしての「常」から逃れ出るもの、 つまり「時」は「とき(疾き)として、常にはあらぬもの、立ち上がるものとして概念化されている。
ほうほう。勉強になるわー
582 :
考える名無しさん :2013/12/05(木) 21:29:32.41 0
おお、日本語の「時」はバシュラール的なのだ。
Poetique de l'espace
バシュラール最高やな
日本人とフランス人は感性が似てるよな。
Mais non ! Pas de tout....
だが断る
バシュラールちゃんと読んだことないなあ
心臓がドキドキするのは激しく時(トキ)を刻んでいるから キラキラ→ギラギラ クルクル→グルグル トキトキ→ドキドキ
ドキドキするほどハート!!!! 激しく刻むビート!!!! トロトロ→ドロドロ ヘロヘロ→ベロベロ
春めく→春がより強く感じられる ときめく→時がより強く感じられる
だからトキメキを感じると心臓がドキドキするのさ ほら、日本語も論理的だろう
フランス人て「あ〜らら!」って言わずに「お〜らら!」って言うんだよ これ豆な
それ、おばあちゃん世代だけね 若い人は使わない これ、豆な
おい、デフレ。 お前はな、 時間とは何か? というテーマを [国語]と[理科]の分野から教えているだけ。 例えばだ。 人間の子はなぜ生まれてくるのか? というテーマを哲学的に話し合おうという場で、お前は オスとメスがセックスをし、オスの精子とメスの卵が受精する事だ。 と主張している様なもん。 哲学ってな、なんでもかんでも論理的に話を運びゃいいってもんではないんだよ。みんなの気持ちはそういう事だ。 いい加減察しろ。
596 :
考える名無しさん :2013/12/06(金) 06:19:40.36 0
時間の流れとか、空気とか、音とか、地震とか、ちょっと考えるだけで恐ろしくなるのはなんなの? 空気が何かの拍子にちょっと変わったらとか、音が永遠に空耳としてループするとか、揺れが永遠に続くとか、時間の流れがちょっと曲がって世界が変わるとか、人間の手で作れるもの以外はすげー怖い 身の危険がないのがわかってても音をずっと聞いてると無音環境に行きたくなったり、揺れてないのにずっと揺れてる気がする
「時間とは何か?」という疑問は、 辞書を調べれば解決する問題。 時間を辞書で調べていって、解決できない状態になってるか? 辞書に書いてあることが間違えているのか?
>>595 みんなこそ気づがないのか?
人が皆健常者というわけじゃない
責めることではない
時とは何か? 時は訪れ、再び去っていく。 時の訪れが近づくとときめきを感じ、 時が来ると熱中して時がたつのも忘れて過ごすが、 やがて、たつ時を惜しむことになる。 「たつ」とは、旅に立つことからも分かるように「離れていく」ことである。 「立ち上がる」ことが、寝転がっていたり、座っていたりした身体を地面から 上方に「離す」ことであるように。
>>598 そんななまくらな日本語感覚では哲学はできない。
「時刻」とは、文字通り、時(とき)を刻(きざ)むこと。
辞書に書いてある、日本語の定義を無視して、何を哲学するつもりなのか? それは哲学なのか?w
>>603 あんたもしつこいな
皆は哲学じゃなく
定義してることから抜け出せないレベルなのだから、放っておけ
間違いを、正しい言葉で修正してるだけなので、 間違える限り、正しい言葉で修正し続けるよ。 落ちてるゴミを拾ってるだけ、 汚れたら綺麗にしてるだけだよ。 間違いを垂れ流しされるのは、俺に迷惑なの。
いや、ただ 言い負かされるのが嫌なだけだろう 皆はそういう幼さを感じ取り からかっているだけさ 俺にはあんたが汚してるようにしか思えんがな
辞書に書いてある事ではない、間違えた書き込みがあるよね? それがスレ汚しではないと? それがスレ汚しではないなら、それを修正するのもスレ汚しではないよな? 汚されてたものを、綺麗にするのもスレ汚しではない。
いいか? あんたがやっていることを こう例えよう 公共の場である公園で あなたは皆が公園の使い方が悪い、 俺の注意をよく聞け、と 一人一人に注意して回っている 変なおじさんだ 言ってることは正しいのかもしれないが やっていることはかなりおかしい。 子供が見たら、笑うだろう
問題は 自分のように考えなければ 我慢ができない あんたの精神状態だな はっきり言って スレに来ない方がいい スレに来るのは、いろんな意見を聞いたり 議論するためだろう? 自分だけの意見しか認められないのなら スレを閉じて、ノートにでも持論を書けばいいではないか? それなのにスレに来る自己矛盾をあんた自身どう考える?
610 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/06(金) 10:59:49.20 0
611 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/06(金) 11:05:43.11 0
>>597 変化運動によって認識されるってことと、変化=時間は全く違うことに気付かないのか?
辞書に絶対的な信頼を置くならば、君の主張によると、時間の項には「変化のこと」とだけしか書いていないはずだww
変遷・変移・飛躍しているのは明らかww
公園が汚れていたら、綺麗に掃除する。 他人に注意はしていない。 汚れた公園を綺麗に掃除してるだけだ。 俺の生活圏である公園の汚れを掃除するのに他人に文句言われる筋合いは無い。 汚す相手に文句を言う事はあっても、汚れた公園を掃除するのに文句を言う権利は無い。 2ちゃんのスレに沿った書き込みしてるのに、 他人がどうこう言う権利は無い。
変化を認識する事を、時間だと言ってるんだろ。 認識できないと変化を確認できないので、 認識する事、と説明する必要は無いだろ。 同義語って理解できないか…?
間違いを、正しく修正する事。 汚れを、綺麗にする事。 スレに沿った話をしてる事。 これらに対して他人がとやかく言う資格がないと言っている。 2ちゃんのルールも理解できないのか?
間違えてないものを、 汚れていないものを、掃除する権利が無いだろと。 それただの荒らしだよ。 2ちゃんのルールも理解できないのか?
警察「ハイハイ分かったから、ちょっと署まで来てくれるかな?お話し聞かせてよ」
お前らw警察に迷惑かけるなよw
ドナドナドーナー、ドーナーw
621 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/06(金) 11:22:30.12 0
>>614 変化を認識したらどうなるか考えてみそ
変化したね→何が?→時間が→変化したのは物事だろ
辞書「物事の変化運動によって認識できる」
デフレ「物事の変化運動を認識すること」
この違いわからんの?
623 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/06(金) 12:48:49.67 0
ダメだこりゃww はい、ごくろうさん もう結構ですよ
お疲れさんw
ギリシャ時代このかた哲学者たちは、自然は連続的に流れるという学派と、それは幻影であるという学派の二つに分裂してきた。 いっさいの事象は、実は日常生活で感知されないほど小さな不連続の跳躍や変動の形で起こっていた。 原子論の確立は、後者の見解を持つ学派の勝利だった。 そしてプランクの量子論が、光やエネルギーでさえ連続的な流れではなく、小さな塊として行動していると証明したとき、この論争は最終的に決着した。
「小さな不連続の跳躍や変動」が、 =「幻影である」とはならないし、≠「自然は連続的に流れる」とはならないだろ。 「小さな塊として行動している」事が、「連続的な流れではなく」ともならないだろ。
自然ではなく人為が、自演とやらせによる閉鎖空間を演出しているのです そのことを教えてくれたのが、まさに2ちゃんねる なぜ、大学教授があれほど議論を意味嫌い、全面否定とコピペを愛好し、 根拠も不明な「事実」の羅列に執着するのか、長年の疑問にたいする 答えを教えてくれたのです。
「意味嫌い」ではなく、「忌み嫌いです」 すみません。
a.宇宙は粒々が集まってできている。 b.粒々に見える物は実は波である。 正しいのはどっち?
630 :
黄檗 :2013/12/06(金) 14:52:51.97 0
>>622 物事の変化運動によって認識できるのは
時間だけじゃないぜ
速度、加速度、運動量、エネルギー
みんなそうだろ
そのことと、「物事の変化運動を認識すること」との間には
『違いは無い』わけか、貴方にとっては
以前は、どんだけ鈍い奴なんだと呆れたもんだが
10年以上も哲学板に居座ってその先に進めないってのは多分
貴方の頭がユニーク(=特異)なんだろ
バカの壁ってあるよな
まさかこんなことも分からないのか、っていう壁がな
知を愛すって、どういうことなんだろうな
こういうやりとりを見ていると知を愛した先に何があるのか
ときどき不安になるというか、真理への信頼が揺らぐわ
631 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/12/06(金) 15:03:42.13 0
>>629 c.エネルギー=電磁波が集まって出来ている
辞書には、時間は、「物事の変化・運動によって認識される。」と書かれている。 俺は、時間は変化だと言っている。 時間は物事の変化・運動によって認識される、 時間は物事の変化によって認識される、 時間は変化によって認識される。 変化によって認識されたものが時間。 変化を認識したものが時間。 変化を認識した事が時間。 言葉の意味に違いは無いだろ。 どこが違うと思っているんだ?
だるまさんが転んだで時間が止まっている
気を失ってる間は変化を認識していないので時間は止まっている
時とは、月日の移り変わり。 認識して無くても、変化してたら時間が存在してる。 その人個人が認識してる又はしていないだけで、 時間が止まっているという説明ではないだろ。 個人が認識していなくても、月日は移り変わってるんだよ。
間違っていることにまったく気がつかないほどの馬鹿や 間違っていてもまるで気にせずオウムのように繰り返す 厚顔無恥な人間にリソース配分の権限を与えて上に置く。 これはとても効果的だ。下の人間は、自己利益のために、 間違っていることを、正しいことして主張するよう 繰り返し無限ループで説得される。間違っていること を指摘する人間は、無視されるか、罰せられる。
流れが変化して、間違いが間違いと指摘されるようになったとき、 自己利益のために説得されて、間違ったことを正しいこととして 主張してきた人間は、もちろん、自分の利益のために誤りを 主張してきたとして責任をとらされる。だが、その時点では もはや、誤りを指摘しようとした人間や、正しいことを指摘して きた人間は完全に排除されている。
誤りを指摘することや、正しいことを主張することは常に 無視されるか、罰せられるが、私怨を果たすことは常に 推奨される。
>>612 残念ながら公園を掃除する人に対してその行為が不愉快に感じたら文句を言える権利はあるし文句を言われても仕方がない。
その公園はお前だけの所有物ではない。公園を綺麗にする、これはあくまでモラルの問題であって、権利云々という所を持ち出してくるならばお前は確実に分が悪い。
>>608 の言うおかしな人とはそういう事だ。
正しさは、強さであり、 間違いは、弱さで、 最終的には、正しい方が生き残る事になる。 間違いでは利益は生まない、間違いでは利益を損なうものだ。 間違いを犯せば生きていけない、正しいものが生き残る。 間違いでは生きていけない。 一見多くの人が、大きな間違いをしてるのに生き残ってるのはなぜかといえば、 他の大きな正しさを実行してるからだ。 一般国民には分からないだろうが、「信用創造詐欺」とか『信用創造詐欺』とかが存在している。 排除された、正しさは、信用創造詐欺にくらべて、小さな正しさだったというだけだ。
更に言うと、この場はゴミを捨ててはいけない、という決まりなど存在しない。お前が勝手にそのルールを決めてのさばっているだけだ。だからゴミを捨てられようがお前は文句は言えない。 ゴミを捨てられるのが嫌なら、掃除する事が確実に正当な事だと主張したいなら、ひろゆきに直接かけあってこのスレをお前の所有物にしてお前の思うルールを作ってからもう一度来い。
消極低自由で、 他人の基本的人権を侵害しない限り、何をしても自由だ。 公園の掃除が、他人を不愉快に感じさせたとしても、基本的人権の侵害に当たらないので、 文句を言う権利は無い。 公園の掃除を見て不愉快に感じてるのは、頭のおかしい人間だけだろ? ただの病人か異常者だよ。
消極的自由で、 ゴミを捨てて、他人の基本的人権を侵害するなら、ゴミを捨てる自由は無いよ。 ゴミを捨てられて、俺の基本的人権が侵害されたなら、 俺の基本的人権を守るために、ゴミを捨てる行為を禁止させる事が出来るし、損賠賠償を請求する権利が有る。
残念ながらこの場は基本的人権を尊重する場ではない。
お前は言葉の一つ一つを取り挙げ、その意味を全く理解していない。 この場は各々の自身の考えを自由に発言していい場。それをゴミを捨てるを例えたまで。その自由にお前は勝手に自分のルールだけで踏み込んできて邪魔してるという事。 まだ理解出来ないか? マジで頭大丈夫か?
少し日本語が変なので訂正。 お前は言葉の一つ一つをただただ取り挙げているだけで、その言葉の本質である所を全く理解していない。 この場は各々の考えを自由に発言していい場。その事をゴミを捨てると例えたまで。その自由にお前は勝手に自分のルールだけで踏み込んできて邪魔してるという事。 まだ理解出来ないか? マジで頭大丈夫か?
ルールを守るとは、基本的人権を守ると言う事だよ。 2ちゃんのルールも、基本的人権を守ることから始まる。 全てのルールはそう作られている、憲法も法律も。 基本的人権が理解できないと、ルールを守れないぞ。 基本的人権を尊重しない場所なんてありえないよ。
ゴミを捨てる自由はないと言ってる人は、誰かがゴミを現に捨てる事が出来る事・現に捨てた場合をどう表現するんですか?平成のジャンヌダルク?自由と倫理って魔ゼていいんですかね
発言の自由という権利を、ゴミと例える事が病的で異常者だといえる。 平気で基本的人権を侵害する人が、ルールを語るべきじゃないな。 俺は言葉の意味を間違えていないし、 ルールを破っても居ない。
消極的自由で、 他人の基本的人権を侵害するような、ゴミの捨て方は許されないと言っている。 他人の基本的人権を侵害しないゴミの捨て方なら問題ないだろ。 早く、基本的人権を理解しろ、平気で犯罪を犯し始めるぞお前ら。
自分の考えを自由に発言していい場なのに基本的人権が侵害だの、云々言われ否定される。自由にゴミを捨てていい場所なのに勝手に掃除させられる。そんな権利は無いのに。
そんな事される筋合いはないとゴミを捨てる側は主張する。それが
>>616 に繋がる。
美醜・価値観の相異ってやつですね結局
強者の威を借りたところで、所詮は足軽に過ぎないことを忘れねいようにね
ならば、俺のどこがここで基本的人権を侵害しているのか的確に説明してくれ。 俺は 時間とは何か というテーマに対して各々の自由な考えを述べる事が出来る場だと言っているだけだ。 それを例えたりしただけの話。 ゴミを捨てるという表現自体お前が先に言った事。自分の考えに反する考えを否定し、自分の考えを押し付ける事をゴミを捨てる奴を掃除する、と表現したんだ、お前が。 まぁ、お前も理解しているんだろうが、論破されるのが嫌またいだから必死に論点をすり替えようと必死になっているのは分かるけどな。
せっかくコテつけてるんだから NGしようぜ
もっともっと!
658 :
黄檗 :2013/12/06(金) 22:44:29.50 0
>>636 月日が移り変わらなければ時間は無い、と思うか?
つまりな
「変化がない」ことを認識するためには
「変化なし」と判断するまで待たねばならない
ここが時間の本質なのだ
分かるか?
こうして『何ものか』として心に組み込まれるこの事態について
その量を設定することが可能であり
それは「変化の程度、繰り返しの頻度」に移し替えることで計るわけだ
そしてそれ以外では計ることができない
そういうことで、貴方のような人間は、時間は変化だ!
なんて思っちゃうわけだ(多分な)
しかしそれは少し思慮が浅いのではないかな
貴方の体重を測るのに体重計を使うとして
体重というのは、ばねの伸びか、文字盤の目盛か?
違うだろう
もし時間を変化と結びつけようと意図するのなら
そもそも一切の物理量は変化なのだから、
時間の少なくともその一面は、変化の何ごとであるのか
を語らねばならないのだ
まあでも 変化があるから時間という概念が作られるわけで、それは人間の脳がそうできてるからなんじゃないのか? 確かに変化そのものではないかもしれんがな
まず、世界の変化があり それを記憶する能力があるから 時間という概念が作られるのかな?
661 :
黄檗 :2013/12/06(金) 23:45:11.02 0
すまん、『頻度』と言ってしまったら“論点先取”だわな
>>658 『累積数』ぐらいが適当ですか
662 :
考える名無しさん :2013/12/06(金) 23:51:42.33 0
腹減ったり、眠くなったり、糞小便したくなるのも変化だからな。 時計見て時間が変わっていたらそれも変化だし、 空が暗くなってきたと感じるのも変化だろ。 変化なんか色々あるんだよ。 その変化を感じ取って「時間」も作られている。
もっと概念を整理しようぜ。感じるとか脳とか以前にさ。
つまり?
665 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 00:08:06.53 0
物質世界の時間というのもあるんだろうな。 それが伸びたり縮んだりするのかは知らんが。 少なくとも人間が感じる「時間」は変化に気づくわけだから、 「記憶」という能力があることだ。 記憶できないと「変化」という「差異」に気付かないしね。 大まかにはこんなもんだろ。
667 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 00:14:34.28 0
>>666 多少丁寧に書いただけ。
現時点で時間には二種類あるとした方が公平だろ。
物理学者だって彼らの「時間」という概念があるわけだろうし。
それでも六行も使ってしまったかれどあんまり簡単すぎると余計に分かり難いこともある。
>>665 物質世界の時間、というのは客観的な時間という意味でいいのかな?
そっちは伸び縮みするのかな、しかし自分も同じ時空にいるわけだから、もし伸び縮みしても自分では感じ取れないな
もしかしたらさっきレスしてから、50億年間時間が止まっていたかもしれないが(時間が止まっている以上逆説的だが)、感知できない
しかし自分の中で感じる、主観的時間ならいつも伸び縮みしてると思う。
カレンダーや他人など、比較対象があるから
>>667 了解
2種の時間について、自分が思うのは上の通りだ
670 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 00:32:01.74 0
物質世界の時間はどうにもこうにも記述できないな。 まあそういうものと物理学は格闘していると、そういうことだよとりあえず。 人間が感じる時間は個人差もあるし、「なんかあっという間だった」というようなことがあるように、 短く感じる場合と、長く感じる場合がある。 それはたいてい時計の時間と比較しての感想だろうけれども。 だから何らかの記憶障害で記憶を作れなくなってしまった人なんかは、出来事をいちいちメモしているらしい。 それで何があったかを確認していくんだけれども大変だよな。 だからやはり「記憶」と「時間」の関係は極めて密接なものであるといえる。
問い方が間違ってると思うなぁ。 こんなのはどう? 時間は変化を認識した人間が作り出す「概念」である。 それが概念である限り、変化「そのもの」ではない。 確かに、変化がないと、時間は生じない。だから、変化は時間の前提になる絶対条件だが、時間は認識主体の人間の「概念」であるから、変化=時間ではない。 時間は人が作り出した概念でしかない。 変化そのものは世界の側にあったとしても。 これについて、どう思うか。
前に書いたかもしれんが 変化を観測すると時間が進んだと感じるのであれば、変化を観測しなければ時間が進まない。もちろん主観的な時間の感覚で。 歳をとると、いろんな事を経験し 既に知っているから、と色んなものに注意を払わなくなる。すると観測するものが少なくなるから、あまり変化を感じなくなる。それで主観的時間はあまり進まない。しかしカレンダーは毎日一定の速さで進んでいるから、ズレが生じる。 歳をとると、時間が早く進むように感じる事の説明をしてみた
逆に 新しいものや興味があることに接する時は、集中して沢山のことに注意を払う だからたくさんのものを観測する。 沢山のものの変化を感じることにより 普段より多くの経験をする 楽しい時間が早く進むように感じる事の説明をしてみた
675 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 00:55:14.96 0
「変化」は「差異」と言い換えてもいいと思うけれども、 「差異」も単純に「違い」だけではなくて「順序」まではっきりと当人が認識できていなければならないでしょ。 この順序を脳のどこの部位が司っているかはちょっとわからないけれども。 だから取りあえず「時間」を語る際に重要なワードは「変化」「差異」「差異の順序」「記憶の能力」というようなことなんだろうね。 もちろん他にも色々あるだろうけれども、そういうことを上げていくのも推論の行為には重要だし。 「変化=時間」というように記号化してしまうとそれもまずいだろうね。 ただ「時間とは変化のことだ」と言った場合には必ずしも不適切だとは言えないと思うけれどね。 我々が感じる時間であっても、個人差があるし、地域や社会としての時間もあるし。 そしてそれらの多時間が渾然一体となって進行しているともいえるし。
>>673 なるほど。で、さらに続けるけど
>>671 みたいな話って、人間の視覚像が人間特有のものだったと仮定して、にんげんが存在しないと視覚像も存在しないって言ってるのに等しいと思わない?
そりゃ、そうだろうと。
当たり前のことなんだよね。
で、さらに続けると、時間感覚は主観と密接な関係があり、さらに主観は独我論的にしか体験されない。
であるなら、自分が存在しないと、時間は存在しないとなる。
これも、当たり前のことなんだよね。
そうなると、時間の本質は主観となる。
自我は時間を図る唯一の物差しなんだろう。
だが、変化自体は世界の側にあり続ける。
>>676 それは主観的時間の説明だろう
そりゃ死ねば全ては無だ
唯我論的には
>>678 もちろん、そう説明してるよ。
でも、変化が時間ではないって言説の根拠が時間が主観的なものである、とみなが言うのであればしょうがない。
それに合わせて語っただけだよ。
時間とは「私」の持続のことであると。
客観的な変化は運動であり、宇宙の形相の変化である。 主観的な変化は五感だけでなく、体調や気分なども含めた人間の全ての知覚の変化である。 人間の感じる変化の内、周期性があるものと考えた時、人間の時間概念の根本は、意外とHartBeatかな?っと思ったりする。
>>679 誰に話してるのだ?
なんか会話しているようで
ずっと独り言を聞いているみたいだ
682 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 01:13:52.60 0
>>679 「変化は時間」かどうかという順番は駄目でしょう。
「時間は変化」かどうかにしないと。
だって変化の方が広い意味で使えるからね。
たとえば「犬は動物」はいい。
でも「動物は犬」は駄目でしょ。
>>682 ?
上の人たちは「変化」を自我が概念化したものが「時間」だと言ってるよ。
その「前提」で語ってるのだけど?
意味が分からなければいいけどね。
まあ、タイミングを合わせること、それがすべてさ
685 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 01:27:49.54 0
>>683 それならそういう論法は完全に間違いだね。
順番が違うと意味だって変わってくるのは文章においても同じこと。
「時間」にとっても「変化」の「順序」は重要でしょう。
あくまでも「時間とは〜」ということでやらないとね。
>>683 >>682 は俺じゃないが
他人が言ったことの間違いを俺に説明してどうする?
俺はあなたの意見に同意していると言ったのをおぼえてないのか?
>>686 あぁ、誰が誰かは、特にどうでもいい。
変化が時間を包含していることもそうだと思うよ。
怖いなあ‥ 正常と狂気って境目がないんだなあ 怖いから俺、寝る
自分をマーキングしたかったらコテつければ。哲学板の住人が殆どコテをつけないのは、内容で勝負してるからじゃないの?
勝負? ああ、あなたは勝負してるのか‥ こっちはただの暇つぶし
うん。分かるよ。 言い回しに難癖つけるほど暇なんだね。 暇というか、寂しがりやなだけだと思うけどw
694 :
黄檗 :2013/12/07(土) 02:56:47.87 0
>>660 その「記憶する能力」というのも、世界の一部であって
結局は『変化』なのだろう?
皆さんの原理を押し進めるなら、変化ばっかりなんだよ
記憶も変化だし、能力も変化
変化ばかりの世界で、時間が成立するのはどうしてなんだ?
「人間の記憶能力」などという言い訳は、『結果としてのこの状況』を
無頓着に受け入れているだけではないのかな
>>680 時間は概念だと思ってたが、実は感覚的な物かもしれない。
一定のリズムを刻み続ける心臓の鼓動の感覚が、時間の感覚かな?
時間の正体が掴み辛いのも納得できる。感覚的な物だから、説明できないのかな?
では他の説明してたら? 否定ばかりしてないで
>>695 それは、身体自体が世界の一部で変化している、という言説以外の何物でもない。
それは、人間以外の他の動物にも共通していること。
でも、時間があるのは人間だけなのでは?
概念形成力があるのが人間だけだから。
>>697 それもそうなんだけど、僕の実感として、時間は概念と言うよりも感覚的な物って感が強いな。
概念だけでは時間感覚は生まれないんじゃないかな?
変化のベースにリズムがあって、初めて時間の感覚はが生まれるような気がする。
>>698 >変化のベースにリズムがあって、初めて時間の感覚はが生まれるような気がする。
あぁ、確かにこれは共感できるわ。
繰り返し(リズム)が記憶を強化するのに似てるね。
で、記憶とは過去でもあるしね。
>>699 うん。興味が湧いてきたから、今度はこの路線で考えてみるよ。
人間は心臓の鼓動を繰り返すことで、時間の感覚を刷り込まれている?時間感覚は心臓の鼓動によるサブリミナル効果かも?
犬や猫にも時間概念は無いにしても、時間感覚はあるのでは?
時間っていうのはさ、「何か(例として変化)について」思う時に、その思う主体に生まれるものだよ。 主体が「そのひと」であればそれは主観的時間として捉えられ、主体が「われわれ」であれば、 それは客観的(本当は集団的)時間、として捉えられる。この集団的は、やがて歴史的時間という ものも描き出す。そういういみでは「時間」は変化の表象なんだけど、空間も変化を包摂している (つまり、「眺め渡す」ための「時間」が必要)から、時間と切り離して言うことはできないだろう。
>>652 2ちゃんでも、現実社会でも、基本的人権の侵害は許されない。それが絶対的なルール。
スレのルールに則って、
自分の考えを自由に発言して良いが、他人の基本的人権は許されないと言っている。
他人の基本的人権を侵害してるのに、自由にゴミを捨てて良い場所名はずが無いだろ。
掃除は、他人の基本的人権に当たらないから、自由にやる権利が有る。
>>613 >>616 は基本的人権の侵害でルール違反、自由に発言する事を黙らせる権利がお前には無い。
>>655 お前に発言の自由、基本的人権を侵害する権利が無い。
>>658 月日が移り変わらなくても、
他の何かが「変化」してれば時間が有る事になる。
何か一つでも変化が生じれば、それは時間が生じた事になる。
変化があったかどうかがもんだいであり、
変化がないかどうかは関係ない話。
人間が存在しなくても、何か一つだけでも「変化」があれば、 過去、現在、未来が存在することになるので、時間が存在する事になる。 時間に人間は必要無い。 人類が誕生する前は、時間が存在してなかったと考えるつもりなのか? 一切の変化が存在してなかったと? 人類が存在する前から、地球や月は運動や変化をしていた。 変化・時間に人間は必要ない。
俺は変化だけでは時間にならないと思うな。 同一性と繰り返しのパターンがなければ、 「何がどう変化する」という、変化する主体と変化の形が無いということになる。 これは人間の主観的観念論や唯名論とは関係なく、客観的な話としてね。
人間の記憶が科学的に証明されて居ないから、時間は記憶だというのは危険で、絶対に言いたくないが、 記憶があれば、時間を証明することは出来る。 犬や猫など動物は記憶力があり、昔の事を覚えている。 他の動物が時間をどう認識してるかは人間同様謎だが、他の動物も時間の概念は存在している。 動物だけじゃなくても、「地層」だとか、植物の「年輪」は、 土や植物に記憶は無いかもしれないが、 土や植物自体に物理的に「記録」は残ってることになる。 下手をすると、地層や年輪を見た「瞬間」だけで、記憶が無くても、 時間の概念を理解する事が「一瞬」で可能であると説明できる。
赤信号が、青信号に「変化」しただけで、時間を説明できる。 「変化」しただけで、 青信号が「現在」で、 赤信号が「過去」であったと時間を証明できる。 青信号が次に変わる事が「未来」といえる。 たった一つ、小さな事でも、「変化」が起これば、現在、過去、未来が同時にあることになる。 これに、人間はまったく必要ない。
>>707 なんで必要ないの?誰がその変化を確認するの?
>>708 誰も確認する必要が無い。
「変化」を証明すれば、時間を同時に証明したことになる。
>>709 だれも認識しないなら、それはあるとも無いともいえない妄想と同じだな。
スプリガンというアニメ映画で、
ノアの方舟の時間が止まっているので、絶対に破壊不可能という話があった。
時間が止まってるから、変化不可能=破壊不可能という意味だろう。
また、量子テレポートは、テレポートだけじゃなくて、タイムスリップも可能だという話が出てるね。
>>710 「証明」が必要なのであって、人間の確認は必要無い。
時間の証明が出来るなら、人間が確認する必要が無いだろ。
必要なのは「証明」であって、人間の確認ではない。
人間が存在しなくても、 言葉で時間を証明した文章が存在していたら、証明されてる。
人間が存在しなくても、人間が認識できなくても、 「地層」や「年輪」が時間を証明している。 時間の証明に、人間の認識は必要無い。
>>714 だからその地層や年輪を誰が見るんだよ。言葉を誰が読むんだよ。犬か?ネコか?
人間や犬などの、動物が確認しなくても、 地層や年輪が存在する事が確実なので、時間が存在する事が同時に確実になってる。 この世に、人間や動物が一切存在しなくても、地層や年輪が存在する事が確実なので、 同時に時間が存在する事が確実。 人間や犬が、認識・確認する必要が無い。
「地層」や「年輪」が存在した時点で、時間の証明が確定してる。 これに人間の存在は必要無い。 人間が存在する前に、地層や年輪が存在しなかったとは証明できないし、 人間が存在しないと、地層や年輪が存在できないとも証明できない。 これらが証明できたなら話は別だが、証明できてないので、 地層や年輪が存在した時点で、時間の証明が確定してる事になる。
>>717 それは事実の解釈であって、「読まれた時間」だ。
その根拠は、人間が腹が減ったから飯を食い、昼と夜を数え、人間によって概念化された
「書かれた(読むことが可能な)時間」なんだよ。
だから、人間をことさら時間概念から排除しようとしても無理なんだよ。
時間からの人間の排除は、古代ギリシャでは流行ったかもしれんが今は笑い話にもならんぞ。
事実の解釈に、間違いが無い事が証明だろう。 その解釈に間違いは含まれて居ない。真実。 時間の証明に人間の概念を一切使ってないだろ。 地層や年輪の存在証明しかしていない、それが時間の証明になる。 排除じゃない、人間の概念が必要無いんだよ。 何故わざわざ人間を持ってくる必要がある?
>>719 証明、こそ人間が作り出した概念だろ。頭大丈夫か?
>>719 ×証明
●実証
おまえが無能なのは物事の本質をみない気質にある。
証明(しょうめい)とは、ある事柄が真理もしくは事実であることを明かにすること。また、その内容。 証明が人間の概念である必要が無い。 人間の概念でなくても、その事柄が事実であれば良いだけだから。 証明された時点で、その事柄が事実である事になる。
>>722 だから、問題は主体なんだよ。誰がその証明を「する」んだよ。
神とか数学とか言いだすなよ?
地層や年輪が存在する事自体で、時間を証明してるから。 人間が証明をする必要が無い。 地層や年輪が存在する時点で、時間の証明がされているといってるだろ。
>>724 だからその地層や年輪の存在は、誰かが見なきゃ無いだろ。
年輪は木を切らなきゃ見られないし、地層は「違う地質の重なりである」と誰かが解釈しないと
地層にならないだろ。
あなたに抜けてるのは「誰が」それを証明するのかという主語だよ。
ただの妄言以上になってないのは、まさにそこ。
誰かが見なくても、地層や年輪が存在してる事は確実に証明されてるだろ? 地層や年輪を誰かが見る必要は無い。 人間が存在しなくても、地層や年輪は存在してるのだから。 地層や年輪が存在してる時点で、時間の証明が同時に出来ている。 地層や年輪は誰かが見なくても存在している。
727 :
黄檗 :2013/12/07(土) 09:14:56.62 0
地層や年輪によっては時間を証明したことにはならないし そこから時間を構成した当事者としての、その責任はとりあえず 人間と呼ばれる曖昧な対象群に押し付けることができそうに思えたりもするが しかしそのことによって、人間がいないなら地層がないことにはならないし 時間が無いことにもならない なぜなら、人間がいなければ何も始まらない、というような主張は 人間の何が特別であるのかについては、まるで無頓着なのであって そのように思う人にとってはそんな感じがする、という 直観ポンプ以上のものではないからである
地層や年輪が存在した時点で、時間を証明したことになる。 時間が無ければ、地層や年輪が出来ない。
729 :
黄檗 :2013/12/07(土) 10:27:04.86 0
>>728 うむ
合理的に解釈するなら、そうだ
問題はだな、その合理性を、人間存在よりも優先できるのか
ってことでな
そこを巡ってカンカンの堂々巡りになるのだが
私も合理性を優先する立場だ
頑張れデフレ手当
あと一息、潜るのだ
そして解いてくれたまえ
わしはもう歳だ
宇宙の全ては常に変化のしているのである。そして、その変化の仕方には一貫性がある。 だから、宇宙のあらゆる場所には時間があるのである。
変化が存在した時点で、過去と現在の時間が確定するので、 変化した時点で、時間が証明されている。 変化による時間の証明で、人間の存在証明が一切必要無いだろ。 変化による時間の証明には、人間が必要無い。 変化が有るかどうかだけが問題なので、人間があるかどうかは問題にならない。
732 :
黄檗 :2013/12/07(土) 12:10:29.09 0
>>728 うむ
合理的に解釈するなら、そうだ
問題はだな、その合理性を、人間存在よりも優先できるのか
ってことでな
そこを巡ってカンカンの堂々巡りになるのだが
私も合理性を優先する立場だ
頑張れデフレ手当
あと一息、潜るのだ
そして解いてくれたまえ
わしはもう歳だ
人間存在を優先させる必要性がどこにも無い。 なぜ人間存在を優先させようなどと考えが生まれるのか?
>>732 そもそも合理性は人間が作ったのか?
人間が合理性にあわせて、考え、生きてるんだろう。
概念と事象の区別がついてないみたい
言葉では、「白い黒」というような矛盾した言明はいくらでも作り出せるが、そのような存在は作り出せないし、考えることすらできない。 ただの空語あそびばかりやってるから、もはや文系はまともな学問扱いされなくなってる。
合理性=理に合っているかどうか 理=中国哲学の概念 概念=物事の意味。アイデア、コンセプト。 意味は、元々自然界には存在しない。 人間が与えたもの。つまり
ここは「時間とは何か?」のスレだぞ? 時間と関係ない話はスレ違いだからやめろ。
時間とは何か? 時間とは変化である。 がこのスレの結論。
740 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:01:45.53 0
主観、記憶に依存しないような変化を人は知ることはできない。
ブラックホールの中には時間は無いのかな?
まぁ、人が知る必要はないんだが、 移動できて、移動できる事を理解できれば、 人間は、記憶が無くても変化(移動)で時間を理解できる。
743 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:08:13.92 0
物理的に観測しうる以上は、無変化であろうが持続している。
744 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:09:54.63 0
記憶がなくて、変化を認知・認識できるやつはおらん。
時間の証明で、 人間が認識や確認をする必要が無い、 人間は必要無い。 地層や年輪の存在を証明するだけで、同時に時間の証明になると何度も言ってる。 人間が知る必要がどこにも無い。 何故人間が知る必要があると考えてるんだ?
746 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:14:03.72 0
誰が証明しているのかね?
相対的な変化が無いと時間は観測できないと思うよ。 例えばSF見たいに時間が完全に止まったら、全てか止まっており、 時間が止まってる事を観測するモノが何も無い。 無変化の持続を観測してるのは、他に変化で比べる事ができてるからでは? 移動は変化ね。 自分が移動できる事と、移動するという意味が理解できてるなら、 記憶が無くても、移動(運動)するだけで時間の概念を理解できるよ。
748 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:19:52.10 0
「年」という時間の単位を考えたのは人間。 「年」という時間の単位を考えなくても、年輪なるものは存在するのかね?
誰かが証明する必要が無い。 地層や年輪が存在した時点で、時間の証明になってる。 なぜ、誰かが照明する必要がある?
年は、地球の公転だろ。 地球の公転は人間が考えたものではない。 人間が存在しなくても、年輪は存在するだろ。 人間はまったく関係無い。
751 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:25:50.35 0
時間が完全に止まるというのは、SF作家たちの独自の表現であって、 「あらゆる変化が失われる」というような意味に捉えろ という約束事が生まれただけだな。
752 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:27:57.26 0
地球の公転から、 1巡を1年という単位に置き換えたのは人間なのだが。
754 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:36:16.18 0
人間は自然を見出そうとするが、 ミクロとマクロの領域を統合的に説明できないでいる。 「そのまんまの世界」を知ることができずにいるのだよ。
時間が変化であるなら、 時間が止まるというのは、すべての変化が止まるという事。 全ての変化が止まったら、何も認識できない事になり、時間が止まった事は誰にも認識されない。 誰も時間が止まった事に気付けない。 地球の公転は人間が作ったものではない。 地球の公転を年と人間が言ってるだけ。 地球の公転=年と言う単位。 じゃあ、逆から、人間が年と言う単位を作り出さなくても(人間が存在しなくても)、 地球は公転しており、年輪は作られる。
>>753 そう思うのではない。
変化を時間としてるんだよ。それが事実だから。
経済でもそうだけど、マクロとミクロが統合できないのは、理論が間違ってるから。
経済は信用創造を理解すれば統合できてる。
信用創造が理解できてないから、ミクロとマクロが噛み合ってないだけ。
時間についてのドキュメンタリー番組を見たよ 一時間かけて結局「わからない。だからこそ考えるために科学、物理学、数学が必要である」 とまとめてた。 アインシュタインの相対性理論を改造したりとか ブラックホールの重力が時空を曲げれるとか 時空そのものが超ひも理論では11次元だとか 別宇宙があるとか 凄いスケールの大きな話になってたね
変化を観察する主体の同一性が固定されているのが近代哲学で、 主体の同一性を消そうとするのが現代哲学、と理解してよいのならば、 現代の時間論は、主体の同一性についてどう説明するかが鍵ってことか。 そして、時代によって時間観が異なるということであれば、 時間についてもっと自由に考えても良いという話になる。
759 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:47:05.98 0
人間が年と言う単位を作り出さなくても・・年輪は作られる。 とか行っているが 自分のちぐはぐさにまだ気づかないらしい。 「年」輪だぞ。
w 切り株の模様を見て、「年輪」という名前を人間が付けてるだけだろwww 年輪という名前の呼び方は何でも良いんだよw 切り株の模様が、どうやって出来てるかが問題なのwww 言葉を作ってるんじゃなくて、切り株の模様の作り方を話してるのw
761 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:54:13.40 0
くすくすww 成長輪のうち1年に1つずつ増加するものを年輪という。
年輪はただの成長過程 時間という概念が、なぜあるのか?がテーマだろ 4次元が時空なので、宇宙空間そのものが時空なので 時間の概念を解明する=宇宙という空間が存在する証明 なので神の領域だろ
時間とは変化 という説を唱えるならばこの解釈も通用しなければならない。 変化には0がずっと0のままという状態、つまり全く変化しないという状態があるわけだが、ある一点からそのまま全く変化しない状態というものは時間の概念には無い。 よって 時間とは変化 という説は不完全である。 時計の電池が切れてそれが時間が止まっている状態などというのは勘弁しておくれよ。 お前の言う時間とはそういう事を言ってるわけではないだろうから。
764 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 15:57:17.15 0
「輪っか状」の模様が、 認識主体が居なくても、「在る」のかね? 超素朴実在論者、現る!てとこか
まず、自然現象で起こってる事が理解できてないよね。 それで、自然現象に対応した言葉を理解できていない。 自然現象が理解できないなら、議論する内容が無いし、 言葉が理解できないなら、議論自体が出来ない。 時間の証明に、年輪と言う呼び名が必要ない事が理解出来てないだろ?
↑ 例え。 全く材質も形も変わらない一つの個体がある。この個体は一切変化しない。 変化しないこの個体は時間が止まっている??? いやいや、正確には止まっている「様に見えるだけ」で現実的に時間は刻々と進んでいる。 以上。
年輪は変化の記録で証明なの。 変化するから年輪が出来るの。 辞書に、時間は変化だと書いてあるの。 人間が存在しなくても、年輪は存在すると言ってるだろ。 年輪の存在に、人間は関係無い。
768 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 16:04:52.40 0
「時間の証明」・・は、 誰が誰にするのかね? 手続きがないような証明などありえない。
769 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 16:06:13.16 0
年輪は変化の記録は、誰がするのかね。 自然さんwが自らしているのかね。
>>763 量子力学とかで、物質は振動して存在してるんだろ?
物質が止まって存在していないので、ゼロのままと言うわけではないと説明できる。
>>766 たとえその物質が止まっていても、周りのほかの物質が変化してたら、時間を証明できる。
771 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 16:09:41.35 0
素粒子レベルでは、「切り株の模様」なんて存在しないぜよ。
時間の証明を、誰かが誰かにする必要が無い。 時間が証明できるかが問題。 変化だけで時間が証明できる。 自然現象が、年輪を作り、 自然現象が、地球を公転させてる。 自然現象が、年輪と言う変化の記録をしている。 その素粒子レベルが切り株を作り上げてるんだろうが。
>>770 それはその物体の変化を見てるわけではなくて、以外の物の変化を見てるに過ぎないよね?
それでは今俺が述べている話から外れている。
その変化しない物体のみに着目した場合で考えて、と言っている。
774 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 16:16:22.77 0
その変化を人間が認識することで、時間の概念が生まれたんだね。
775 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 16:18:00.15 0
素粒子レベルがどんな振る舞いをしても 人間が感じるような模様は現れませんがww
時間の経過を表すのに最適な材料として物の変化がある という表現なら大丈夫。 だからといって時間=変化ではないのである。 それは俺が今さっき言った、 変化しない状態→時間が止まっている という事には繋がらない場合もあるからである。
うーんもう少しで 抜け出せるんだろうがなw そこがなかなか難しいんだよなw
ホンの少し気づきで 「あっ!」 と、皆が何を言ってるのか気づくだろう その瞬間が待ち遠しい
全く変化しない物体自体 は 時間が止まっている という証明を出来なければ時間とは変化とは言えない。 そして時間は止まらず常に動き続けている物である以上、完全に矛盾であり証明は不可能である。
辞書や物理現象などの解釈に頼りきった論を述べていると、結果その様に論理的にも矛盾が生じてくるという例です。
>>773 他のものでも、変化した瞬間に、時間を定義できる。
他のものが変化してるのにそれを無視できない。
変化してる時点で時間が発生している。
その、たとえで変化しない物体のみを着眼する必要性が無い。
また、それのみを着眼するのは間違え。時間の解釈がおかしくなる。
素粒子レベルで変化しない(振動しない)状態を証明できないだろ。
>>780 いや、辞書が何を言ってるのか
本質的に理解できないから
矛盾してしまう
理解するには、バックボーンがなければならない
783 :
なんとなく思った名無しさん :2013/12/07(土) 16:29:05.34 0
そーゆえばむかし 鼻から過呼吸して 逆行催眠させるの 流行ってたけど 文字列の オンヨミ だけで はめられた人材は いい迷惑ですよ (笑) まんまと 子供がえりして 発狂させられただけ
>>782 本質的に理解しようとしなくていいんじゃない?
書かれている事をそのまま受け取った解釈でいいって事じやない?
>>781 もそう言ってるわけだし。
×そう言ってるわけだし ○そう捉えてるわけだし
人間がいなくたって 宇宙は動いているし 変化している。 確かにそうだ 人間に記憶があるから時間という概念が作られるのもあるだろう。 もし時間の概念がなければ 頭の中は、ごちゃごちゃのおもちゃ箱のように、全てが無秩序で理論的思考などできやしない。 記憶を前と後、その間隔の長さ、などという風に、「時間の概念」を使うと初めて、「記憶の整理整頓」ができる。これは人間の「発明」である。
あなたの初めての記憶はいつ? なんて話があるだろう? もちろん、始めての記憶の前にも体験はある。しかしなぜ思い出せないのだろう。 記憶は何故失われるのか? もしかしたら初めての記憶とは、頭の中に時間の概念が作られたのが、ちょうどその頃だったのかもしれない。だから今でも検索できるのかもしれない。 時間の概念が無い頃の記憶は、「いつ頃だったか?」なんて考えても参照できない。記憶の海の中に埋れてしまっているのかもしれない。
>>781 なぜその物に着眼したらだめなの?
そもそもそれって、今話しているテーマに沿っていないよ。
【変化しない物体でも時間の経過を認識する為にはどうすればよいか?】
というテーマだったら君の言ってる事は100点だと思うけどね。
もう一度言うね。
変化しない物体という物自体があるのは事実であるが、その変化しない物体自体には時間が流れていないという事には繋がらない。なぜなら時間は常に動いているから。
全ての物質が振動してるなら、変化していないものなど無くなる。 空間にも物質があるという話だけど、 例えばある空間に何も無かったとして、それが無変化だったとしても、 その先の空間に物質があって振動していれば、時間があることになる。 その空間と物質はつながりがあるから、その空間に物質があるから、 物質の振動変化を無視できない。
犬や猫は 飼い主の事を「覚えている」から 記憶はあるだろう。 世界も当然動いている。 しかし奴らに時間の概念はあるだろうか? この飼い主と何年前に出会ったのか、そんな風に考えててるだろうか?
デフレさんの言っていることは 運動や変化の、連続性のこと それが時間ではない
変化しない物体という物自体があるのは事実であるが、その変化しない物体自体には決して時間は流れていない、存在していない という哲学論を述べるってのはありだけどw
>>788 変化しない物体って例えば何よ?
俺は、すべての物質は振動してるから、変化していないものなどないと言っている。
例えばスプリガンみたいに、時間が止まった空間があるなら、
その空間は変化できないから、その空間に物質が行く事が出来ないんじゃないか?
記憶は過去だろう? 犬や猫に記憶があるなら、過去(時間)を認識してる事になると思うよ。 現在と記憶(過去)を使い分けてるでしょ、犬とか猫も。 俺は、一回の変化で時間を証明できるといっている。連続性は必要ない。
>>789 それをね、俗に言う
屁理屈
って言うの。
もうそろそろ自分で哲学を述べているとは思えてきてないんじゃない?
…えと、科学の話ですか?
>>794 でも、もしかしたら
奴らは過去だと思っていないかもしれない
ただ「知ってる匂い」というだけという可能性だってある。
>>793 そういう所を突っ込んでくる時点で、変化しない物だけに着目した場合時間が止まっているとは言えない、という突っ込みにムキになっている証拠だよw
デフレさんは時間という言葉遣いが 変ではないか? 変化は時間概念の材料でしかないと思う
>>795 今の科学は、すべての物質は振動してるって事になってるのw
変化していないものなど無い。
変化しない物体って何よ?
>>796 マウスの迷路の実験とかも学習能力があるから記憶を使い分けてるのではないかと。
匂いを記憶する必要があるでしょ。
時間概念とは 変化を感じ、それを整理するための「定規の発明」だよ。変化は変化だ。
そんなミクロ、ナノの世界の動きにまでこだわって必死だね。
>>797 今の科学で、全ての物質は振動していて、
空間にも何か物質があり振動しているなら、
変化(振動)していないものなど無いと言う事になる。
変化しないものが何があるのか証明できないと議論にならない。
それに、もし変化しないものがあったとしても、他の場所で物質が変化(振動)してたら時間の証明になり得る。
上で、ミクロからマクロまで整合性がないと理論が間違えていると説明したばかりだろw
デフレさんは、 時間があるからこそ変化することができる、と言いたいのはわかってるんだけど、 その先があるんだよね
805 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 17:09:56.03 0
「在る・有る」ということ自体が持続であり、 それが、時間という概念になったわけである。
>>803 よし、それじゃあ俺もミクロマクロの世界で聞いてみるね。
真空状態の中に鉄1センチ四方の塊を入れ、その鉄の塊の変化を
0秒から0.00000000000000000000000001秒後
までの変化を見た時、その鉄の塊にどの様な変化があるのか教えてもらえる?
俺は一切変化は無いと思うんだけど、君のいうミクロマクロの世界でも変化があるというなら教えて。それではお願いしますね。
>>806 そんなことしても
話は延々と平行線だと思うよ
デフレさんは物理学という側面で時間を語っている。他の人は認知科学という側面で語っている。
デフレさんがその違いを認識しない限り、話はループする
808 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 17:29:02.05 0
「時間の証明になり得る」というのは、人間の誰かに対してだなww
この人、
>>799 でいう今の科学じゃなかった時、変化がない物を認めてたって事なのかなwその時はどういう主張だったのか凄く気になる。
俺が今回の、変化しないという突っ込みをされてから屁理屈こねまくっているけど、以前まではそんな屁理屈、これまでのスレ見てきても彼の前提にそんな事無かった様にも思えるし。
>>806 例に挙げた度の単位でも一切変化がないなら、100年後も変化がないということになるよ w
いや、デフレさんは 着実に進んでると思うよ もどかしいのは分かるが 馬鹿にする理由は全くない
あ、そうそう。
>>794 >記憶は過去だろう?
犬や猫に記憶があるなら、過去(時間)を認識してる事になると思うよ。
現在と記憶(過去)を使い分けてるでしょ、犬とか猫も。
↑この事が事実として確実に当て嵌まるのは「人間」。
君は犬や猫じゃないんだから。犬や猫達は記憶という物を常に過去としてではなく、現実として認識し続けているかもしれない。分からない、僕らはそれは、犬や猫じゃないんだから。
物事を客観視出来ない典型的なタイプだよね。主観で物を言い過ぎだからこういう人になっちゃうんだと思う。
813 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 17:46:47.93 0
まあ、なんといっても 確実な俺が変化を確認したのだから、確実に時間も存在せざるを得んわという
814 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 17:47:40.26 0
記号は変化しないものである、という観念が生物にはある。 ゴキブリのメスがネズミに変化したら、ゴキブリのオスは交尾が出来ない。 ゴキブリのメス、という「変化しない記号」という観念を、ゴキブリは持っている。 変化しない記号が、時間を測る原点である。すべての生物がそのような認識を持っている。
>>810 俺は
とある一点からとある一点までは変化がなくて、とある一点からとある一点までなら変化する場合があるかもしれない、という意見だからその様な例を出してるんだよ。
君の意見はどんなに短いスパンでも変化しない物は一切変化しないという意見なんだね、分かったよ。
817 :
考える名無しさん :2013/12/07(土) 17:53:07.16 0
>>814 初めて、このスレでためになる意見聞けたわ。
>>815 全然、答えになってないでしょ。
じゃあ、以下の間隔(=とある一点からとある一点まで)に変化があってもいい理屈だろ。
>>0秒から0.00000000000000000000000001秒後
>>814 ゴキブリとか昆虫はフェロモンなんかの発散物質で交尾相手を識別する
形態という記号ではにんだよ
>>814 なんでゴキブリの気持ちが分かるの?ゴキブリが書き込んじゃダメな決まりはないけど
例えば細胞の成長を考えた時に、一見は常に成長していると思っていても、ひょっとしたら 0秒から0.000000000000000001秒後に初めて成長しているかもしれないわけ。 でも今の科学ではそれを常時成長している、という間違った認識している可能性だってあるわけでしょ? そんな限界の無いミクロマクロの世界までつっこんで考えた場合、その細胞が常時成長しているわけではない、という証明になるよね。
>>821 話をすり替えるなよ。
>>0秒から0.00000000000000000000000001秒後
>>までの変化を見た時、その鉄の塊にどの様な変化があるのか教えてもらえる?
>>俺は一切変化は無いと思うんだけど
>>俺は一切変化は無いと思うんだけど
>>俺は一切変化は無いと思うんだけど
>>俺は一切変化は無いと思うんだけど
>>821 それ、かなり面白い考え方だと思うけれど、やっぱりそういう時間で考えるのは人間の仮想なんだろうね
実際は連続しているものだと思うから強引にあらわせばそうなるということなんじゃないかな
あ、間違えた。 ここでは証明になるのではなくて、可能性があるという事。
>>824 長い論争の末、物理学者達は
「連続してない」という結論を出してるんだが。今のところ
>>824 なんで、「可能性」が「証明」になるんだ。
そんないい加減なもんでいいのか。
というか、いずれにしても変化してるんだから、議論の本質には全然関係ない話だったんだが w
>>824 でも、実際に連続しているという証拠はあるのか考えてみたんだけど、
見つからないんだよね。
そういうわけなんで、
>>806 の内容は理解してもらえたかな?
俺の考えだと、いずれは変化するものでも
>>806 の様な時点では変化していないんじゃないか、って思うって事。
だから変化しているならそれを振動とやらのミクロマクロの単位を使って示してって彼に言っている。
そして、こういう可能性の話は俺が先に提示したわけではないのも理解してくれよな。相手がこういう所にまで踏み込んできたからそれ相応に返しているだけだから。
>>824 うん、そうだと思う。
分かり易い例えだと動画だね。
>>830 それはたとえがあんまり良くないよね
「飛ぶ矢のパラドックス」でも考えたほうがいいかもしれない
>>806 そうはいっても俺の中では
>>827 の様なケースだと変化していないという考えがある以上どうしようもないよね。だからその条件でも物理的に変化があると思うなら教えてと聞いているわけ。
もっかい言うけど、俺からミクロマクロの話を持ち出したんじゃないからねー。
飛ぶ矢でもアキレスと亀でも、現実には、矢は飛ぶし、アキレスは亀を追い越す。 自然にはパラドクスはなく、人間の頭だけにパラドクスがある。 つまり、人間がバカだというのが、結論。 離散→連続の錯覚を利用するのが動画。 逆に、連続→離散で現実をとらえようとする思考の錯覚がパラドクス。 向きは逆だけど、どっちも錯覚。
>>832 なるほど。
あ、そういや、「瞬間」てやっぱ0なのかな?どう思う?でも0という瞬間が連続しても…やっぱり0だよね。考え方おかしいかな?
>>833 例えば時計で時間を正確に測定できるかどうか?
という問いがあったして、それは不可能だと思うんだよ
コンマ何秒の後ろには膨大なミクロの秒があるわけでしょう
それはもう測定なんかできない
しかし、だいたいの時計時間は測定できるけれどね
>>835 そんなことを考えるのは、動画を見ながら、コマ送りの画像を捉えようと無駄な修行に励むのと同じ。
哲学のアポリアなんてのは、大昔からそんなことばかりやってるから。
>>835 時間の長さは0かもしれが
動画のフレームと考えれば1では?
>>835 それも面白い考え方だよねえ
瞬間というのは我々にとっては瞬間だけれどもやっぱり現在と過去の関係はできるから
だから0とかまあ0.00000001とか考えるとしてもこれも人間の「分節行為」に過ぎないから
ようは我々が理解しやすいように「置き換え」をしたと、そういうことになると思うよ
数学だって人間が作ったものだかから
>>835 瞬間がセロなら、例えばモノが消滅する(あるいは生起する)瞬間もゼロ。
つまり、この世にはなにも起こらないね w
まあ、巨視的に見れば1万年だって「瞬間」であると想像することはできるよな。
>>841 瞬間ってなに? て話になる。
ゼロだと具合が悪いから(矛盾が生じるから)、適当に言葉遊びでごまかしてるだけ。
多分、人間の尺度だと 連続しているとしか思えないが 量子論まで細かくみると、 連続説では成り立たなくなったということだろう まあ、哲学なら人間の尺度で考えれば良いのだが
>>842 ハイデガーの「瞬視」あたりの把握で良いんじゃないの?
>>843 量子論は結局一般相対論に吸収される運命にあるんじゃないの?
>>843 「時間とはなにか」について、述語をものにするとつまらない。
それよりもいみとして突き詰めて行けばそれは認識論や存在論につながるからね。
>>830 何が違うって見られる相手が変化してますがな
>>849 えーそうなのかな
>>806 の前提にのっとって、いやむしろのっとると、0.00000000001秒後の鉄片に変化してるものは"見られるもの"だけじゃないの?
>>846 時間の正体を話してても、それは今まで散々科学者達がやってきたことだから、それはそれぞれ勉強すれば、これまでの知識は得ることができる。
板的にも、今の(日本の)自分たちにとって時間とはどういう意味があるのか、時間など意味はないのか?
それだって「時間とはなにか」の議論ではないだろうか?
2chのスレとはある意味タイムマシーンのようなもので、過去の自分達の思考のログが保存されている。 遡って1レス1レス追っていけば、自分達が何を考え、何をしてきたのか客観的に知ることができるだろう。
ネットが登場して以来、自分達のような「一般人」の日々の思考がデータとして記録できるようになった。 これまで、それは本を出版できるような、一部の人達だけの特権だった。 100年前、1000年前の人々がどう感じ、どのように考えてきたのかを知る方法は限られていたが、100年後、1000年後の人々は、手に取るように知ることができると思う。 もし、今自分たちが見ている映像が3Dで鮮明に記録できるようになれば、過去に戻るのような体験だろう。 グーグルグラスの開発に期待したいw
宇宙がランダムに変化をし続けたら、時間って概念は無いだろうな。 時間とは単なる変化では無い。
855 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 02:12:30.32 0
無秩序ながらも、 「続く」というだけで、時間は概念化されると思うよ。
なわけない。
857 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 02:18:03.45 0
何で? そもそもあんたとは思考の土台が違うんか。
>>857 >「続く」というだけで、時間は概念化される
それは上の砂が量も減らず無くならず、終わり無く落ち続ける砂時計と同じ。
859 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 02:45:18.97 0
規則性は、時間を「測るために利用される」だけだから、 概念化されている時間とは異なるんだよね。
たとえば川の流れを見て、「流れ」というものを知るには、「上流の水が下流へと移動する」 のを見て知るわけだが、その見ている水が「移動した」と言うためには、移動「し終えた」という 事実が必要になる。ただ流れ続けるだけのものをばくぜんと見終えずに見ているだけでは そこに「流れ」は見て取れない。
861 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 03:03:56.77 0
まあ、およその人は 漫然と見ているだけでなく、「さっき」と「今」に分けて 考えることができるんだろうけどね。
「流れ」と感じるものは錯覚として作り出せます(しましま模様の錯視画像で)
>>861 「さっき」は「今」が「終わったところ」としてしか認識できないよね。
だから「「続く」というだけで、時間は概念化される 」というのが無意味だということが分かる。
ランダムな変化では、未来を予測できない。過去も理解できない。 時間なんて概念は意味が無くなるな。
865 :
確実に :2013/12/08(日) 07:27:35.77 i
時間は減少している
866 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 08:05:24.99 0
ランダムな変化を認識している何者かにとって、 対象の未来や過去など関係無い。自らの未来や過去を考えるだろう。 時間を概念化できないやつが不規則性を見出すということじたい矛盾だ。
ランダム性とは音で言えば白色雑音、色で言えば真っ白。 いわゆるホワイトアウトの状態だから、何も認識できない状態と考えるのが正しい。
規則的に反復される同一性とタイミングを合わせること、それがすべてさ
>>804 変化を時間と言ってるだけ。
>>806 鉄の塊を構成する素粒子が振動(変化)している。
人間の目では鉄の振動(変化)は分からないが、
その鉄を作り上げている材料の、目に見えないほど小さな素粒子が振動(変化)している。
>>809 俺が生まれた時点ですでに、素粒子が振動していると分かっていただろ。
>>812 犬や猫が過去を現実?として認識し続けてるという状態が、どういう状態なのか証明しないとねw
動物にモノを覚えさせたり、実験で動物に記憶力があることは証明されてるだろ。
犬に記憶がなければ、遠くから主人を認めて、嬉しそうに駆け寄ってくることなんてないよね。 なんで、こんな簡単な事実もわからないんだろうか、不思議だよね。
ワンワン!
>>853 >グーグルグラスの開発に期待したいw
超監視社会の幕開けだよね。
街中に張り巡らされてる監視カメラが個人になるわけだ。
プリズムって知ってる。調べてみたらびっくらこくよ。
あと、楽天で40万ぐらいでグラスの先行予約やってるよ。
>>872 今だって、任意の単語書き込んだログとIP監視してるっていう噂ある
気にし出したらキリがない
変化によって、過去と現在の時間を認識してる事になる。 赤信号が、青信号に変わった瞬間に、過去と現在の時間を認識している。 赤信号は過去。 青信号は現在。 青信号が1分間経って、赤信号に変わったとして、 1分間は青信号は変化していないけど(素粒子は別として)、 他の物が変化している、他の信号が変化してるので時間の流れを証明できる。
エシュロンは始め都市伝説だったけど、事実だったねw 大統領暗殺とか書きまくると引っかかるらしいよw
或るモノが変化しないという場合を考えてみよう。 それは、ある「状態」と別の「状態」をとって、状態が全く同一であるという認識のことでしょう。 その場合、状態が全く同一であっても、二つの(任意にもっと多くてもいいが)状態が比較されている。 同一物の比較作業を行うわけだから、空間的な識別は意味をなさない。 つまり、そこで時間を挿入してきている。 言い換えれば、変化しないという認識にも時間が必要だ。
問題は今の監視技術が中途半端で、限られた人だけに利用が許されるから 権力の非対称性を生むんであって、全ての人が全ての人の脳にアクセスして 地球意識体を作るにまで監視技術が成長すれば、近代的個が融解して 新たなステージへと上がった生命体へと人類は進化するんだよ。嘘。
つまり、変化があるから時間があるのではなくて、変化(或いは非変化)を認識するためには、時間が必要だということになる。 少なくとも、人間が物事を認識する場合には必要である。 それは、人間にとって時間は存在するということと同義だろう。
>>873 だから、プリズム Google とかでぐぐってみw
ググったが何? 日本でも多分同じこと始まったじゃん 法律通っただろ?
2ちゃんは第三者に見られることを意識して書くから、 正体バレたかで笑って済むかもだけど、 メール見られるのはシャレにならない恥ずかしさw
同じことが始まった?w なにそれ、ちゃんと調べたの? キモなのは、プリズムに企業が参加しないと、政府に潰される、という点。 また、アメリカは世界の通信の中継点なので、全世界の監視ができる、という点だね。 Facebookはプリズムを嫌がって確かスイスにサーバを移したがってるとか。
変化したという事は、過去と現在ができたという事で、 人間が変化や時間を認識しなくても、 変化があるだけで、過去と現在の時間があることになり、 なんども言うけど、 人間の認識がまったく必要ない。 変化の前と、変化の後を、時間と言ってるだけでしょ。
>>883 面白いね。変化の前、変化の後、の「前後」ってなんだろう?
前後とは何かについて考察すれば時間についても深く考えていけるっしょ。
空間の前後なのか、時間の前後なのか、不明。 前後一般の語義解釈なんて無意味。 文系は、やはりオツムの毛が1本足りないのか?
変化をしたら、過去と現在が有る。 変化をしたら、変化前と変化後が有る。 変化とはそう言う事なんだけど、 変化について何か考察する必要があるの?
>>886 まあ、そういわずに。
俺が考えた仮説。
変化があるということは「力」が実在するからだ。
その力には方向性がある。
その方向性を人が表現するときに、空間における前後という語彙を当てはめて
時間を表現しているんではないか?と考えてみた。
>>888 失礼しました。
力はたしかにあるね。力のベクトルをどう表現するかみたいな感じだな。
力というのは実に不思議な存在なんだよな。
なるほどイメージの元ね 確かにあるかもせん
>>887 >変化をしたら、過去と現在が有る。
>変化をしたら、変化前と変化後が有る。
変化とは何か?をさらに考えると力と関係性いう二つの概念に突き当たる。
力には方向性があって、過去の関係性と、現在の新たな関係性を生み出す。
変化の前と、変化の後を、時間と言ってるだけなら時間とは変化というより、時間とは過去と現在であると言った方がいいではないか。
変化の前後だと言ってるだろw 空間が変化した前後、 変化が時間だから、 何かが変化した時間の前後だよw
過去と現在は、変化が作り出してるのね。
895 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 14:49:04.65 i
そもそも時間そのもの自体は何も変わってないんだよな。デフレの言ってる事は分かるが一定のリズムを延々と刻み続ける時間の流れを変化という表現ではイマイチしっくりこないな。もうちょっと的確な表現は無かろうか
人はつい「時間は常に一定の速さで過ぎるものでそれに合わせて様々な現象の進行速度や周期の長さが計れる」などと考えてしまう。
だがその時、人はある周期的な現象、
例えば天体の周期運動、振り子の揺れ、水晶子の振動、電磁波の振動などの繰り返しの回数を
他の現象と比較しているだけであり (物理的な時間の定義)、
何か絶対的な時間そのものの歩みを計っているかどうかは本当は定かではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93
アインシュタインによって、絶対時空間は否定されたけど、空間も同じだぞ。
辞書に、時は「物事の変化・運動によって認識される。」と書かれてる。 変化によって認識されるものが「時」。 変化が重要なの。
そういわれてもしっくりこないものはこない。 俺の感覚に指図しないでくれ。
指図じゃないのね、 間違いを、辞書からコピペして修正してるだけなの。
こういう人怖い
水掛け論だよね。 変化がなければ周期もない。 この人が主張している感覚は「変化を人間がどのように認識するか」という意味ではただしいのかもしない。 なぜなら、内部では変化しているが、一見変化が「視覚的、感覚的」に認知されないのであれば、主観的にはその変化は生じていないことになる。 主観の認識としては、変化が周期として、主観に分かりやすく現れる時に、それを時間として認識するのかもね。 批判している人がいっているのは、一見周期がないように見えても、変化は生じている。だから、変化こそが客観的な時間の根拠だ、と言ってるだけ。 どちらも正しいと思う。
そうそう 同じもの見てるのかもしれないし 視点の方向が違うだけという気がする
まぁ、頑固に主観的な世界に居続け、抽象の世界には入らない、という態度を誇示し続ける限り、哲学スレ的な対話は不可能なことは確か。
ただの負けず嫌い というオチだってある
抽象の議論に勝ち負けはないと思うけどなぁ。 説明ベタで誤解を生じさせる、もしくは、思考過程に間違いがある、はあれど。
いや、本人が 勝負してると言ってたからさ
主観の認識が必要無いだろと。 時間の証明に、主観の認識が必要無い。 人間が存在しなくても、時間の証明は出来るんだよ。 変化が確実なら、時間も確実なの。 人間が一切存在しなくても、 変化が証明されれば、時間が証明されたことになるんだよ。 どうして主観の認識をわざわざ持ち出す必要があるんだよ。
909 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 16:12:07.54 0
人間が存在しなくて、ヤギさんが証明するのか。
変化が存在した時点で、時間の証明がされてるの。 人間やヤギさんが証明する必要が無い。
911 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 16:43:16.63 0
変化が存在した時点とは
人間いなきゃ概念ができねえ
913 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 16:48:12.02 0
自然に「時点」なんていうものは存在しない。 人間が「時点」を見出しているだけだ。
914 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 16:50:17.78 0
人間にとっての時点と自然の時点が違うのかも。
915 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 16:52:45.68 0
自然の時点がどういうものか、ちょっとは知っているのか?
因果関係の連なり、非因果なものには適用されない。 例えば空間膨張で宇宙の末端が光速を超えて遠ざかる場合のその先の 世界は非因果となる。
それはビッグバンとの因果関係にあるけどな
変化が時なのね。 変化に時間の概念が含まれてる。 人間が必要無い。 変化したなら、変化した瞬間、変化した時点、変化した前と後がある事になる。
でも前と後なんて 実はないんだけどな
920 :
考える名無しさん :2013/12/08(日) 17:02:19.39 0
前と後を考えているのは人間だからね
変化した瞬間、変化する前の状態は消滅してる。もちろん変化する前の状態の時、変化した後の状態は存在していない。
>>900 そんなに辞書に書かれている事が絶対なのか?w
>>922 まあ、絶対ではないだろうが
ここの住人の意見より、よっぽど無難ではあるだろうw
>>923 だとしたら、
>>900 が各人の主張を間違いだと指摘する事に違和感を感じる。
辞書には、
【哲学】
各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての―をもつ」「人生―」
とある。つまり、哲学とは自身が感じた事でいい。仮に他人が感じた事に同調出来なくてもそれを間違いだと指摘する事は哲学自体を否定している事に繋がると思う。
>>924 そう、間違いではない
それがあの人にはわからないんだな
どっちが正しいか なんてやってるのは 前世紀的な過去の遺物なのよ 日本男児は〜あるべきである、的な。 人それぞれだっちゅーの そでない?
知識の量を比べたり 正しさや厳密さを比べて 「競争」するのが哲学ではない 稚拙でもいいから、自分で考えて導き出すことを先ず学ばなくては
マジレス失礼 どぞ 続けて 録りためたアニメ見なあかん
時間の性質とか色々と付随することが意見として出てくるだけでも かなり勉強になると思うけれどもなあ 意見の間違いを指摘することも指摘されることも次の考えにつながるならいいだろうし まああまり感情的な応酬にならないように注意することじゃないか
まあそうだな しのぎ削ること自体が悪いとは思わない 勝ち負けにこだわるのはどうかとね‥
>>930 勝負みたいにやってもいいんだけれど
後味が悪いしね
それに相手を言い負かせるディベートになっちゃうと「時間」について考えることから
かなり離れていってしまうし
でもそこそこの緊張感は必要だと思うんだよね
感情的になると せっかくいい意見聞けても 取り込めなくなるからな まったりがいいぜ
ここまでだってそうとうにそれぞれいい意見が出ていると思うんだけれどね 完成形ということではなくて 試案として箇条書き程度にテンプレ化してもいいかもしれなし そうすればそこから考えを始めて検討することもできるしね
反論する事と間違いだと決めつける事は大いに異なる
いまここでレスしている人はもう心配はないと思うからいいんじゃないかな あとは明らかに攻撃だけが目的な人をかわすというか相手にしないようにすることだと思うよ
>>924 貴方には哲学が無いでしょ?
哲学とは、
http://kotobank.jp/word/%E5%93%B2%E5%AD%A6 1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。
2各人の経験に基づく人生観や世界観。
また、物事を統一的に把握する理念。
「仕事に対しての―をもつ」「人生―」
A自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの−がある」
貴方には、貴方の経験に基づく時間の世界観が無い、
また、時間を統一的に把握する理念が無い。
貴方の経験などから得られる基本的な時間の考えが無い。
まあ、一応 デフレさんは スレを回す原動力でもある、と。
途中までいい感じで進んでたのに、一気にレベルが下がってきたな w
>>936 もういいんじゃないか
とろあえずリセットしないと進まないし
デフレくんがそう思うならばそのレスを相手にしないければいいんだし
このスレは「時間とは何か」だから
それでいこうよ
まあ、時間をもてあましてる暇なやつが何人かこのスレにいるんだということはよく分かった。
変化したなら、変化する前と、変化した後が必ずある。 じゃないと変化じゃない。変化できない。 変化に、変化前と変化後があるから、人間はそれを認識してるだけ。 変化は消滅じゃないだろ、変わってるだけ。 変化前の状態は無いが、それは変化後の状態になってるだけ。 「変化前の状態が無かったわけではない」。 変化前の状態は間違いなく「有った」んだよ。 辞書に書かれてあることに、間違いが見受けられない。
さてと。時間とは何だろうねぇ
>>941 あったかもしれんが
もう「ない」よな?
先のこともまだ「ない」
しっくりこないのは、哲学じゃない。 貴方の感覚は、哲学じゃない。 あなた自身が感じた事は、哲学じゃない。 経験に基づく世界観が無い。 物事を統一的に把握する理念が無い。 経験などから得られた基本的な考えが無い。
>>944 「変化」なので、消滅したわけじゃないし、新しく誕生したわけでもない。
変化したんだよ。
有った事を、時間と言ってるんだろ。
947 :
考える名無しさん939 :2013/12/08(日) 18:22:23.56 0
>>946 しかし現実問題として
変化したかどうかはとりあえず置いておいて、
前の状態など宇宙のどこにもない。
しかし、あるところにある。
どこだと思う?
949 :
考える名無しさん939 :2013/12/08(日) 18:25:06.35 0
>>946 ・我々が感じる「時間」とは「変化」である
これはデフレくんはどこまで認めるの?
言い方変えると、 宇宙が誕生して以来、過去が存在したことなど、たった一度もないんだよ。 それは分かるよな?
>>942 マジレスすると色即是空の「即是」が時間。
>>948 変化が時間だから、
変化が重要なの。変化を無視できない。
前の状態があった事は事実。それを時間と言っている。
変化したんだから、前の状態のもが、今の状態に変わっただけ。
>>949 時間とは変化である。までだな。
過去が存在していた事はあるだろ。
時間の、過去、現在、未来の意味が分かってないでしょ?
954 :
考える名無しさん939 :2013/12/08(日) 18:34:54.77 0
いや「存在」というのは「実在」とは違って 我々が意識で「ある」と思えばそれは「存在」として考えていいから 「幻聴」や「幻視」もその人にとっては「存在」している だから過ぎ去った過去の出来事は「存在した」としても文法的にも間違いではない その「過去の存在」はどこにあるのかといえば「人間の記憶装置」の中にあると
>>954 せっかくいいとこまできたのに
あなたが答えたらダメでしょw
>>954 その「記憶装置」というのが、短期記憶・ワーキングメモリの事を指しているなら
まさにそういう解釈は明快だよね。
957 :
考える名無しさん939 :2013/12/08(日) 18:39:43.32 0
>>955 ごめんね
なんかレスが無かったから
パンwp食べながらのんびり打っていたらレスがあった m(_ _)m
>>956 そうそうそういう意味ですよ
>>957 シンキングタイムですよw
俺は今、デフレさん視点で書いてるからね
年末忙しいんでちょっと時間を止めておきたい。
961 :
考える名無しさん939 :2013/12/08(日) 18:46:41.53 0
今までにも出てきたみたいだけれども ・人間が感じる時間 ・自然界の時間 大きく分けるとこの二つにわかれると思うんだけれど 違うでしょうかね?どうでしょう?
>>961 人が感じるものを時間といい、その感じた時間はただちに記憶に記述される。
そして記述された時間の積み重ねが自然界の時間として読み直される。
だから両方とも同じ時間だと言えなくもない。
963 :
考える名無しさん939 :2013/12/08(日) 18:57:05.60 0
>>962 同感なんだけれども
人間が感じなくても自然界のモノゴトは進行していくでしょう
これを「現実界」として考えてもいいんだけれども
やはり認識主体に関係なくすすむことはある
そういうものを時間といいう同じ単語で指していいものかどうかは考える余地があるよね
まあ物理学者が式に導入している「時間」のことなんだけれど
>>963 自然界を「森羅万象」とするか、エクスキュル的な環世界とするかで微妙に変わる。
そのあたりからいろいろ解釈が可能で面白いね。w
>>936 哲学とは
2各人の経験に基づく人生観や世界観。
であって、
貴方の経験に基づく「時間」の世界観
ではない。勝手に対象を特定するな。
俺は自身の経験から哲学というものは漠然とした感覚程度でいいという考えに達している。
これが俺の人生観。
自身の経験から到達した俺なりのもの。
残念ながら列記とした哲学の意味にのっとって到達した俺なりの哲学界の人生観だから
>>945 の
しっくりこないのは哲学ではない、感覚は哲学ではない
と言われる筋合いはない。よってお前の指摘は残念ながら間違っている。
お前の指摘は哲学ではないので否定させてもらう。
あ ガキのしつこさがついにデフレを論破した瞬間w
世界観といっても、いろいろな世界観があってだなw 時間スレなんだから、時間の世界観じゃないと「スレ違い」なんだよw ここは、貴方が勝手に定義した哲学を垂れ流しにして良い場所じゃない。 貴方の人生観を語る場所じゃない。 哲学の意味を理解できてない。 辞書に書かれた哲学と、貴方の言ってる哲学は違うだろw 貴方の言ってる哲学は間違えてるのw 貴方のやってる事は、「スレ違い」でルール違反ですよw
時間とは世界観である
とりあえず 皆が落ち着くまで 止めないか? このまま話してても 揚げ足取りにしかならん
時間は、変化の概念。
時間は単に変化であると言うのは、ちょっと舌足らずだな。 宇宙の変化と言うのならば、まぁ異論はない。
宇宙こそ変化そのものだろうな
宇宙を持ち出す必要が無い、 変化だけで、時間を証明できる。 人間を持ち出す必要が無い、 変化だけで、時間を証明できる。
こいつだめだな
人間を持ち出さないと、時間を証明できないのは、時間を理解できていないから。 宇宙を持ち出さないと、時間を証明できないのは、時間を理解できていないから。
>>976 じゃあ人間を持ち出さずに「変化」を説明してみて。
他人のパラダイムシフトはいつ起こるか予想つかないからな
>>972 宇宙というエネルギー場は、変化し続ける性質があるが、エネルギー保存則つまり持続という性質がある。
つまり出鱈目に変化するのではなく、持続しつつ変化するせいしつがある。
これが重要。
>>979 それも言いきれない。
たかだか人間の計算能力内での仮説。
>>980 宇宙全体でエネルギー保存則が成り立っているかは解らないが、局所的には成り立っている。
少なくとも局所的には持続する性質がある事が重要。
たとえば、再現性というものについて考えてみると、「日本地図を描く」という命題に対して 誰もが「正確には描けない」という自覚を持って、「だいたいこのようなもの(と、自分には思われる)」 程度にしか描けないものだ。 説明とか、解釈とかはたいてい上に同じ。
ウィトゲンシュタインが「哲学探究」においてその記述が「自分のスケッチのようなものだ」と 言ったのは、そういう意味で正しい。
ウィトゲンシュタインには長文が書けなかった。 それは障害特性によるものだ。 そこが彼の特徴であり欠点でもあった。 論考も探求もほぼ断章形式で書かれているといってもいい。 彼は何を明らかにしたのだろうか?
その話はスレチなんでない?
まだ 終わって ない よん♪
変化は客観的に存在する。 なぜなら、変化がなければ、認識主体である私たちの生が成り立たないからだ。 変化する私は認識する。 私が認識する世界の一切は変化している。 私たちの世界の認識自体が時間という形式の中に二重にある、というのとは否定しようがない。 二重にあるとは、認識主体と認識する事物は変化する、ということ。また、変化する私が変化するあれを認識した時に、時間の概念が生まれる、ということ。 時間とは変化を主観が捉えた時の「形式」のことである。それは、認識の形式でしかない。 変化は別に「時間」という形式を取る必然性などどこにもないが、なぜかそのように認識される。 ということで、少なくとも人間にとっての時間とは、人間の認識「形式」を指す。 私たちは私たちの認識の「形式」は解き明かしようがない。 それは、私たちの視覚像が所与のものとして与えられていることと同義。 それも認識の「形式」だ。 視覚像が生まれるためには事物の表象が必要だ。それと同様に時間感覚が生じるためには事物の変化が必要。 だから、私たちが存在しなくても事物や変化がなくなることなんてない。 しかし、私たちが存在しなくなれば、私たちの認識形式である、視覚像や時間感覚は失われるだろう。 となると、時間とは何か、と問われれば、時間感覚をさらに抽象化した「概念」だ、と答えることが妥当だと考える。
ポエムはポエム板で
議論に参加できないなら哲板じゃなくてポエム板に池
>>988 何かが客観的に存在する、と認識するのは誰かの主観なんだよ。さようなら。
観念論やね。 私があなたにレスできるのは、 あなたではなく、私が意思してやってること。 あなたがこのスレから消えても、私はレスするよ。 さよなら。
この不自然な否定3連チャンはなに?w
俺は
>>988 はよく分かるけどな
なんで。 最初からポエムだろ。
最初からポエムなのに994までいるんだw 早くどっかいけば?w
時間とは変態である。
新説登場
変態の登場だろw さすがポエムw
時間とはポエムである
ポエムとは時間である
1001 :
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