山川草木または人それぞれに魂が宿ると考えれば、それらはすべて対等のものと
して考えられる。どれかひとつを排除するものではなくて、それぞれに居場所が
あり、お互いに棲み分けている。
自然を「利用」するという考えはできなくなる。少しわけてもらうという考えに
なる。
アニミズムの原理は共感にある。山川草木や他の人々に対する共感力が調和を
もたらす。
核廃棄物など現在でも解決できないものでも、将来になったら解決できるだろう
と先送りしてしてきたのは、技術は進歩するという単線的発達史観。近代合理主
義はこれに含まれる。
事故は絶対に起きないと考えは間違いで、事故が起こったらどうしようと考える
のが本当のリスク管理だけれども、これでも取り戻しのつかない事故というのは
想定外となる。
今回取り戻しのできない事故が起きてしまったので、できることとしたら、甲状
腺癌になったり先天的奇形になった自然をどういたわっていくのかという問題に
なっていくのだけれども、近代合理主義からすれば事故によって生まれたロスは
切り捨てることが一番の効率だ。
そんなことはできないと考えるのが常識だが、この常識は生きとし生けるものは
等価値だというアニミズムの考えによる。
アニミズムは思想としてあるのではなくて、常識として私たちの考えの中にくり
こまれているものであり、それゆえ今でも生きている。
自然を保護しようとする考え方は、太古の昔から世界各地に存在していた。それは自然に対する信仰や、
信仰に基づく教えなどによるもので、その論理や実践方法は時代やコミュニティ(生活単位、人間の集
団)によってさまざまであった。自然や事物にも霊や精神などが宿るというアニミズムの考え方がそう
である。
例えば、草木や岩石などの自然物に神が宿ると考えてそれを傷つけないよう説く信仰があり、結果的に
自然に極力手をつけないという人間の行動につながる一方で、人間の生存のための伐採や狩猟などを容
認する教えがあり、必要以上の自然破壊が行われることもあった。そして、その時代においても自然破
壊などによってそのコミュニティが害を被ったり、壊滅したりすることが無かった訳ではない。しかし、
それは自然の淘汰にとどまるもので、規模は大きくなかった。
そのため、他方では自然を征服して自分たちの安全や幸福を得ようという考え方や信仰も存在していた。
これも論理や実践方法はさまざまでであった。この考え方の中で特記されるべきなのが、旧約聖書の流
れを汲むキリスト教の自然観である。創世記の記述にある「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物を全て支配せよ」といった記述に代表されるように、人類とその
子孫の繁栄や人類の自然に対する支配を説く教えがある。
西洋文化は近代科学に最も大きな影響を与えたほか、産業革命以降の社会変革を
はじめとして現代の多くのシステムの基本となっている。人間活動の環境負荷が
小さく人間の生存に関わるさまざまなリスク(危険)が多かった時代には、西洋
文化における自然を征服する思想は有用だったとされるが、このキリスト教的自
然観が環境問題を助長したとする主張がある。例えばリン・ホワイトは、キリス
ト教が「人と自然の二元論をうちたてただけではなく、人が自分のために自然を
搾取することが神の意志であると主張した」と述べている。
19 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 14:32:53.53 0
私たちは生きているのではない。生かされているのだ。このことだけでも分かれば
アニミズムは理解できたといえる。
20 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 15:35:55.07 0
近代合理主義は、何か問題なり、事故によっつて生まれた“ロス”を切り捨てるのが
一番の効率と考える。
近代社会の“合理化”は、その基本としているのは、「ロスを100%切り捨てる」ことであり、
そこには、人間の意識(アニミズム、魂、心等)の入り込む余地はない。
世界には、596基の原子力発電所があるが、この原発は「経済効率最優先」を基底として合理主義より
一切のロス(合理化に反するもの)を切り捨てている。その結果、原発の安全性まで切り捨てたのが、
今回のマ−ク1(福島第一原発)に対する安全対策の欠落となって現れている。
21 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 18:54:07.45 0
>>14 アニミズムで社会がどう変わるのか?
放射性物質、ダイオキシンのような遺伝子改変・環境破壊物質は排出が許されなくなる。
これは法的に許可できなくなるという意味を超えて、心理的に自分だけはよいと抜け駆
けできないように働く。
現在では公害は人的被害を出たときだけに補償されるが、アニミズム的世界では環境を
汚染したこと自体にも補償を請求されるだろう。
働く。
それじゃあ現状垂れ流されている放射性物質やダイオキシンも
アニミズムになれば綺麗さっぱり消えてなくなるということですか?
23 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 20:00:09.84 0
>>22 どこを読めばそういう理屈が出てくるのか?
東電は大地と空気を汚したが、その罪は問われてないだろう。
罪を問い、そして補償を請求すれば放射性物質もダイオキシンもこの世から消滅しますか?
25 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 20:40:58.21 0
消滅しません(断言)
じゃあ何の解決にもなりませんね、アニミズムって。
27 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 20:57:40.62 0
だから「可能性」といってるの。
28 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 21:01:10.53 O
んー、アニミズムていうのは社会問題の解決とかそういうことではないんだよ
宇宙のダイナミズムとか荘厳な感じだったり幽玄な感覚だったり
そういう人間が感じるコスモポリタニズムのような感覚や宇宙観だったり
そういう根本に意味があるんだよな
そういう感覚が人々の行動としてなんらかの形で出力されることを期待しているんでないの?
アニミズムの可能性ってそういう意味だと思ったんだけど
30 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 21:32:33.34 O
まあ、そんなとこでしょ
何かを我々は感じてきた。宇宙のことを考えると怖くなったり、非常に不思議な高揚があったり
そういったことの根本のことでしょ
31 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 21:34:27.13 0
行動として表れたのは、水俣病の東京の集会が行われたときの話なんだが、
水俣の漁民は帆掛け船で東京湾まで行ったの。その時水俣病で死んだ猫から
まだ生きてる人まで魂を乗っけてって言ったの。東京に着いたときにじゃ
舟から魂を降ろしましょうと言ったんだけど、東京の支援は気味悪がっていた。
なんとか祭壇とか作って魂降ろしをしたんだけど、そんな感じであまり役には
立たないw
だけどこれが荒唐無稽な話とは思えない。
アニミズムは信仰と考えると間違っていて、感応力といった方がいい。
32 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 23:11:12.12 0
アニミズムこそは、神道精神の根本である。
神道を学びたければアニミズムを学ぶべきであり、
アニミズムを学びたければ神道を学ぶべきなのである。
33 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 09:26:29.49 0
日本だけでなく世界各地にアニミズムはある。アニミズムを神道と結びつけるのは
イデオロギーでしかない。
34 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 09:34:22.56 0
いつもあの、昔話ばせろちゅうかえ。よし、よし。
いつもあの、ふゆじ(無精者)どんの話ばして、くりゅうかい。
むかし、むかしなあ、爺やんが家の村に、ふゆじの天下さまのおらいたちゅう。
なして、ふゆじどんになりいたかちゅうと、三千世界に、わが身ひとつ置くところが無か。辛かわい辛かわいちゅうて、息をするのも、世の中に遠慮遠慮して、ひとのことも、わが身のことも、なんにもでけん、おひとになってしまわいて、ふゆじの天下さまにならいた。
泣き仏さまじゃったもんじゃろう。こら、杢(胎児性水俣病患者)、お前がごたる、泣き仏さまじゃったろうぞ、そのふゆじどんは。
なして、それほど遠慮遠慮したおひとにならいたかちゅうと、あんまり魂の深すぎて、その深か魂のために、われとわが身を助けることが、できられんわけじゃ。のう、杢よい。
ちょうどお前のごたる天下さまじゃのう。
それでまあ、わが身のこともなにひとつ、わが手で扱うことはできらへん、そのふゆじどんが、道ばたに寝ておらせば、爺やんが家の、村の者どもは、
――ふゆじどん、ふゆじどん。お茶なりと、あげ申そかい。
という。
ふゆじどんは、わが身がふゆじじゃけん。気の毒さにして、こっくりをするような、いやいやをするような首を、振りなはる。すると、村の者どもは、
――そら、ふゆじどんの、こっくりをせらいたぞ。はよ、お茶があげ申せ、唐芋もあげ申せ、
ちゅうて、自分たちの後生のために、お茶ばあげ申す。
霜月の田の畦にでも寝ておられば、村の者どもはもう、おろおろ、おろついて、
――なんちゅうまあ、こういう所に、黙って曲らいて、体のさぞかし傷まいたこつじゃろう。はよはよ、寝藁ば積んで寝せ申せ、猫の仔どもなりと、連れてきてあげ申せ。こういう霜月にふところ寒うしてなるもんかえ。
――まあ、寒かったろ、寒かったたろこういう人を打ち捨てておいくは、わが身を捨てるもおんなじことじゃ。罰かぶる、罰かぶる。
――ああ後生の悪か、後生の悪か。
ちゅうて、村のもんどもは、拝まんばかりにする訳じゃ。
35 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 09:35:22.22 0
さてそのふゆじどんが、ひょいと、あるとき発心をして、旅に出かけらいた。
田舎者じゃけん、ふとか往還道にたまがって、そろい、そろいと地に足をつけて、歩いてゆかいたわい。
八月の炎天みちじゃったげな。
ふゆじどんは、もうさきほどから、じつは、腹のへって腹のへっておらいましたが、遠慮深い人じゃから、なかなか、尻べたをおろす軒の下もなか。よその村じゃったけん、ふゆじどんの通らることをしっとるものはおらん。
はて、誰なりと、通ってくれんもんじゃろうかい、おるが背中にゃ、村のおなご衆の作って持たせてくれらいた、塩のついた、梅干しの入った、ほっぺたごたるふとかにぎりめしの、あるばってん。
誰なりと背中のにぎりめしば藁づとから、ほどいてくれる人はおらんもんじゃろうかい。その人と二人で、わけおうて食おうばってん。
ふゆじどんは、腹はへる。藁づとのにぎりめしをとってくるる人は来ん。
困りはてて、やっぱり、それでも往還道のどこまででも続くけん、どこまででも、ぼっつり、ぼっつり、歩いてゆかるより、しようがなか。
ふゆじどんは、悲しゅうなって、しゃがみこんで、しばらく地面ば見よらいた。
すると蟻どんがな、この暑か八月のさなかに、一心に、荷物ばかたげて地の上ば、どこまででん、行ばしてゆきよるけんのう。よくよくみれば、その歩いて行く地の上の長さちゅうもんは、とても人間の歩いてゆく比じゃなか。
ふゆじどんは、蟻にむかっていわいた。
ほんに、おまいどんが太鼓も破れてしもて、あなのあいとるわい。それでもやっぱり、どんつく、どんつく、どこまででん、行列つくって叩いてゆかんばならかい。おお、おう、もぞなげ、もぞなげ(いとしく、かわいそう)――
するとわらわらと涙が、ほっぺたに流れ出て、ひもじゅうして、咽喉のかわいた口に入る。ふゆじどんは思わいた。涙ちゅうもんは、なんとまあ、この世で、うまかもんよのう。
自分の涙をすすりこんで、また歩いてゆかいた。
36 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 09:36:45.73 0
すると、向こうの方から、身につけたもんは、頭にのせた、ばっちょ笠いっちょの人間が、
首をかたむけて、こっちをむいて、ひょろりひょろりと歩いてこらるげな。
あらよう、来らいた来らいた。
人間の懐かしさのう。腹の減らいたらしかお人の、どこやらひょろりひょろりとして、
やっとこさ来よらるよ。あの汝こそきっと、背中の握り飯を、とってくるるお人にちがいなか。
おう、おう、みればあの汝は、よっぽどひもじかおひとにちがいなか。
あのように往還道を、口をあんにゃ、あんにゃとさせて、歩いてこられ申す。あのように、
ひもじかそうなお人ならば、ご相談もしやすかろ。
――あの、もし、これはこれは、ほんに、よかところでおもいさまと逢い申した。つかぬご相談じゃが、
じつを申せば、このわしが背中に、村の女ご衆の握って下さいた握り飯の、藁づとに入れてあり申す。
ほんに、ほんに、お世話じゃが、おまいさまと二人して食ぶるけん、背中のにぎりめしをば、
藁づとおろしてくださる訳には、ゆき申さぬじゃろか。
ふゆじどんの、そのように、ご相談をせらいた訳じゃ。
するとその、ばっちょ笠のお人が、いよいよ、ゆるゆらと笠も体も泳がせて、いわるには、
――おうおう、なんとなつかしか。わしが方こそ、ほんとによかところで、おまいさまに逢い申した。
わしが方こそ、きっとおまいさまに、ご相談せねばならんと思うとった。
じつは、このばっちょ笠の、ほらこのとおり、あご紐の解けて垂れさがっとる。
ああ、誰なりと、よか人にお逢いして結んでもらい申そ。その人に逢うまでは、なんとしても、
この笠を風どもにふき飛ばされてはなるまいぞ、そのように想うて、わしはいかに苦労して、
笠を落とさんように、あごで拍子をとりとり来たことか。せっかくの往還道をば、横歩きして、
えらい遠か道になり申したわい。やっとこれまで、辿りつき申した。おまいさまに逢うたが、
天の助け。しにくいご相談じゃが、わしがばっちょ笠の紐をば、なんとか、結んでは下さるまいか。
二人のふゆじどんたちは、おたがい天の助けになりおうて、笠の紐を結んであげ申し、塩のついた、
ふとかにぎりめしを藁づとからおろして食べ合う手、また後さねと前さねと、わかれて歩いてゆかいとげな。
37 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 18:20:13.86 0
38 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 13:00:05.73 0
梅原猛もデカルト以来の近代思想はだめだ、これからは草木国土悉皆成仏だといってるな。
寧ろ逆にアニミズムはヲタクの王道だろ
他に別にアニミズムはヲタクの正統派だろ
当然正反対にアニミズムはヲタクの思想だろ
40 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 14:30:46.15 0
アニミズムは、全国に見られる縄文時代のスト−ンサ−クル(環状列石)にみられる。
この日本古来からあるアニミズム(すべてのものの中に霊魂が宿る)が、古墳時代前後から
“神道”として理論化された。
そして、奈良時代から平安時代にかけて「神仏習合」が起こり、神道と仏教の融合から仏性と
霊魂の“合一思想”が生まれ、「草木国土悉皆成仏」と言う日本独自の自然的宗教観が創られていった。
この「草木国土悉皆成仏」という思想は、中国の六朝後期から主張され始めた中国仏教独自の思想だが、
日本での、「草木国土悉皆成仏」の哲理は、神道との“融合”により創出しており、日本独自の思想(宗教哲理)
として今日に至っている。
41 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 17:28:27.27 0
しかしアニミズムとフェティシズムは区別がつかんね。
二次元キャラに萌えるのはそのキャラにアニマが吹き込まれた結果なのか
ただのフェチか。
42 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 17:29:35.46 0
オンラインゲームとかさ、中世とか古代の幻想や神々フル登場でパンテノンみたいになってるけど
当初はこれいいんじゃねとか思ってたが。。。なんつーかやっぱあのやり方では「畏れ」のようなものは出ないなと今更思ったわけです
44 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 18:38:11.41 0
アニミズムの限界は宗教の枠を超えれないこと。
「畏れ」ること。これは理性では処理できない。
といいつつも、富士山なんか見たり登ったりするとそれなりに「畏れ」の
感情は湧いたりしたりして複雑なんだ。
「キリ」よく捉えられないものがアニミズム
46 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 21:07:31.46 0
優れた作品を読むと、自分の中にアニミズムが息ついていることが分かる。
石牟礼道子の「苦海浄土」とか、宮崎駿の漫画版「風の谷のナウシカ」とか
「千と千尋の神隠し」とか、諸星大二郎の「マッドメン」とか。
(´;ω;`)諸星さん『海神記』の続き描いてください
48 :
考える名無しさん:2013/12/02(月) 16:43:40.63 0
アニミズムという語自体がかなり適当だからな
「古代的心性」とか言ったほうがいいかもな
50 :
考える名無しさん:2013/12/07(土) 08:31:18.48 0
京都の曼珠院門跡には菌類に捧げられた塚が建っている。
塚の碑の裏には、「人類生存に大きく貢献し犠牲となれる無数億の菌の霊に対し至心に恭敬して茲に供養の堪を捧ぐものなり」という文字が刻まれている。
菌研究者たちの言葉を引く。
「菌が声を出さないという簡単な事実から、私たちは罪の意識を持たずにどれほどの菌の個体を殺生してきたことでしょう。
抗血清を作るために僅か二匹の家兎を採血致死させた学生は、二度と抗血清を作る実験を拒否して、専ら微研や製薬会社に抗血清の製造をお願いする仕儀に立ち至っています。
家兎の死では私たちは死と対面しますが、菌ではその対面手続きが不要だという私たち人間の勝手な事情によるものであります。」
大阪大学工学部醗酵工学科教授
「人間と微生物は、相互の認識以前から交歓の道を持っていた。
醸造である。
やがてここにも人智は展開し、その生命力を、さまざまな形で生産活動に応用する時代となった。
人間の一方的働きかけにより、微生物は本来の生態を変えられ、大いに困惑したであろう。
しかし、意識を持つものと、持たないものの差はあれ、仏の目から見れば、いずれも同じ、救いを求める衆生である。」
大阪大学工学部醗酵工学科教授
あにみずむとかにばりずむにかんれんはあるの?
保守
53 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 02:36:05.26 0
そりゃ物性とか微生物の研究していれば、そんな気にもなってくるのだろうけど、
単に崇拝すればいいってもんではないでしょ?
宗教がでかい顔すると思考停止に陥ってみんな馬鹿になる危険を感じる。
54 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 07:06:42.72 0
別にこの人たちは微生物崇拝しろとかお布施しろといってないだろ
どこがでかい顔なんだ?
55 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 07:12:06.17 0
つうかアインシュタインも思考停止してたのか?
宗教と聞けば崇拝だなんだとしか考えないほうが思考停止だろ
56 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 14:02:50.22 0
アニミズムは、「すべてのものの中に霊魂(=精神)が宿る」ということであり、アニミズムの本質は、
西洋哲学の「認識論」として捉えなおすことが出来る。
つまり、認識論とは、観念としての“こころ・精神”を基底とした論理であり、物・物質的な“存在論”との
相関関係として成立している。
アニミズムは、東洋だけではなく、世界的に分布している自然的世界観であり、従来の西洋哲学のように
切り離してアニミズムを捉えるのではなく、一体化した「認識論」として、捉えなおした哲学的論究が求められている。
57 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 22:13:38.26 0
アインシュタインの晩年は、いかがなものかってもんじゃないの?
>>56 「精霊の王」という本をお薦めします
アニミズムに対するその認識は違うと思います
60 :
考える名無しさん:2014/09/03(水) 04:17:35.94 0
近代西洋哲学は、スピノザの影響を強く受けていると言われているけど。
61 :
考える名無しさん:2014/09/03(水) 04:21:28.01 0
汎神論
62 :
考える名無しさん:2014/11/05(水) 04:35:11.97 0
まあ、しかし実証を重んずる科学の世界とは最も遠い思想だわな。
環境問題は重要だが、アニミズムを全面に押し出すと、かえって説得力を失ってしまう。
自然の脅威にさらされた数え切れないくらいの恐怖から生まれた思想だろ。だからこそ世界中に蔓延っている。
科学が未成熟だったからね。これは未開人種の臨床的研究からも導かれる。
したがって科学が発達すれば消えていく運命のある。まさに「隙間の神」だな。
63 :
考える名無しさん:2014/11/07(金) 14:26:53.53 0
結局アニミズムというのは、
経験則から導かれているようでいて、現代の科学に照らせば、推論が幼稚きわまる考えということにな
るのだろう。
一神教は滑舌悪し