●○● Aquirax: 浅田彰 part74●○●

このエントリーをはてなブックマークに追加
302考える名無しさん
>>301
俺は297だけど、全く同感できない。
287は俺ではないけれど、余りにも293の返答が濁っていたので、俺の主張、286宛ての前に、さらっと触れてみたかっただけだ。埃を払い落とすような感覚で。

そして、俺は287ではないけれど、287と同じく問う側にいる。
好き嫌いは人それぞれの相対的な表現で構わないと思うが、美はこの自然界が絶対的に存在しているのと並んで、絶対的な尺度があると思うよ。
美しさに相対性があると思うのならば、「美」以外の言葉を使うべきだ。

女がよく使ってるだろう「かわいい」。これは"thumbs up"の方言であって、「いいね!」と言っているだけだ。そこに「可愛らしさ」の意味は無い。
美の基準は絶対的にある。
相対的にあってほしい「美」の代わりのものを君は美と呼ぼうとしているだけだ。
相対的な価値としての「いいね!」は、その意味を掘り下げることはできない。
どうやらひとつとして感知される「美」は、それを定義・表現することで、いつまでも掘り下げていける。
個々人がその唯一の美に対して取り組む位置や方向が異なろうとも、深く語れば語るほど、
同じことについて述べているという共通見解の合意が感じられる時が訪れる。

試しに、君の美が人それぞれのものであり、君が君だけが思う美について、
他の誰とも共有しない固有の定義を持っているのなら、君が美について語れるだけ語ってみたら良い。
おそらく、唯一の美と重なり始めるか、美しいというのだから美しい、というトートロジーに陥るかのどちらかしかない。

君は醜い。まるで知った上で悪態をついているようであり、また、本当に無知であるようだからだ。