1 :
考える名無しさん:
どなたか教えてください
虚無主義かな?
3 :
考える名無しさん:2013/11/16(土) 11:18:24.36 0
まず、サルトルの客観に於ける「無」の概念と、仏教の「無」の概念の
一致点と相異点を究明することです。
5 :
考える名無しさん:2013/11/19(火) 11:39:00.53 0
「無の境地に到りたい」という欲望が存在する限り
そこへ到達することを阻むような余計な観念が湧き出し続けると思います
まず、無の境地へ到りたいという欲望を消し去るために
毎日味のなくなったチューインガムを噛み続けて
頭の中を無味乾燥で一杯にしてください
ガムラツイスト
7 :
考える名無しさん:2013/11/19(火) 13:14:40.79 0
「無」の境地に致りたい、と言う“欲望”そのものを、“排”していく(斥けていく)ことが必要です。
欲望とか、自他に関する一切の既成概念を“斥ける”ことにより、「無」の境地へと進めて行く。
この実践的な意識活動が、西洋哲学では「方法的懐疑」に於ける精神活動であり、東洋哲学では「禅」での
“自己を含めての、一切の既成概念を斥ける”精神活動です。
「無」の概念を、“客観的存在”として、西洋哲学との連関を基底として論理的に究明したのが、西田幾多郎であり、
禅における「無」の概念と、西洋哲学の「無」の概念との一致点を目指している。
8 :
考える名無しさん:2013/11/20(水) 23:59:13.13 0 BE:3729323467-2BP(45)
考えれば考えるほど無になって行く
9 :
占い@:2013/11/21(木) 02:24:56.59 O
占いというものについての考察
占いなどというものはくだらないものである。そう思っていたのだが、人生も詰み将棋の投了をしたに等しい時期を迎えると自然
そのくだらないものに頼ろうかという気持ちになっていくものである
自分の運命というものは、自分の認識を超え出ているという面ではみな同じである
自分の運命を自分でコントロールするのはどんなに聡明な人間であろうと難しいものである
どれだけ学問を修めようと、それ相応の教育を受けていようと、もともと要領の良い人間であっても
自分で自分の運命をコントロールすることはできない。勿論選択をするのは自分であり
運命を切り開くのも自分である。しかし、より良い人生を手にするというのは自分が知りうる限りの選択を
していけば必ず良い結果を生むとは限らないのである。自分の運命は自分が知りうる限りの選択でコントロールすることはできない
占いというものがどの程度自分の運命を切り開く命運を握っているかは未知数である
だから女性は占いに頼る。占いが自分の運命を知っていようがいまいが未知数なところを信仰する価値はあるのかもしれない
占いなどくだらないといっている男性にとっても同じくそれは未知数なのである
凡そ宇宙システムを包括している包囲網を占いが手にしていないとは限らないからである
10 :
占いA:2013/11/21(木) 03:14:33.41 O
占いとは全宇宙システムを支配している法則からある個人の運命を演繹して注視し、
現状個人が請け負っている所有物及び状態を変化させることによって
現状を良い方向に変えていく試みである
占いが言いたいのはこうである。宇宙システムは個人を含んでいて、個人の運命は宇宙システムの部分になっている
個人が物を右から左に動かすだけで宇宙システムは変化をもたらす。宇宙システムは常に変化しているが
その大きな潮流は個の運命を同時に運んでいく。宇宙システムは常に変化しようとも宇宙システムの潮流において個人の運命は変わらない
しかし宇宙システムを大幅に動かす努力により個は宇宙システムを変化させることが可能である
宇宙システムを変化させることで個人の運命も変化する。個にとってより良い変化は自分の身の回りを変えることにより
可能なのである。占いはそれを把握し、個の状態を変化させ個にとってより良い方角に宇宙システムの潮流を向けさせる
11 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 03:32:32.02 0
9
まず10を読む前に9にレス。アンカーつけると汚れるからアンカー無しでレスする。俺はNPC論の者だ。知らなければそれでよい。一種の観客方面へのサインに過ぎない。
9
悪くない。姿勢が悪くない。だから1カ所ひらめきを分けてあげようと思う。
>だから女性は占いに頼る。占いが自分の運命を知っていようがいまいが未知数なところを信仰する価値はあるのかもしれない
ここだ。
女性は、「自分の思い通りにしたい」という我欲みたいなものを、ある意味「物質」として所持している。
女性は、その思い通りが「形として」示されたものを、散らばった自己証明の回収作業のように、集めたい。
故に、女性は、占い結果に、その「自分の思い通りの未来・結末・成り行き」が「形として」出ているかを毎回期待しておみくじを引いているのだ。
言い換えれば、
思い通りは、サイコロでいう1の目。赤い目。
赤い目が出るまで、サイコロを振り続けている。これが女性だ。男をとっかえひっかえするのも、根源の動力は同じだ。
自分で赤い1の目を作ろうとはしない。
「神」とでも言うべき、自分の存在を認めてくれる相手が女性に、その赤い1の目を見せてあげるのを、ずっと待つというより、繰り返しサイコロを振っている。
12 :
占いB:2013/11/21(木) 03:38:49.46 O
問題は占いが本当に宇宙システムの法則に関わっているかというところである
女性は運命というものを恐れている。運命というものを支配している潮流をコントロールしたい
女性にとって幸せになることは人生最大の悲願であり、目的でもある。女性は運命を握っているなにものかに
生まれながらにして帰依している。それは勿論男性であっても同じだが、全宇宙システムを司る神との契約を結んでいるプロテスタントであろうと
宇宙システムの大元である仏を信仰する仏教であろうと変わらない。宇宙システムを握っているなにものかに人間は
無条件で降伏して生きているのである。占いは神にではなく、身近にある状態の変化を指南してくれることに傾倒している
ちなみに女性はこの傾倒が男性より強い。何故なら男性は運命の最後のところまで到達しないのに対して
女性は運命の最後のところに到達しうる身体を有するからである
占いが宇宙システムに関係しているかしていないかの問題は女性にとっては問題ではないのである
男性にとってはそれが一番の問題であるが
13 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 03:45:04.19 0
10
NPC論の者だ。今回はfate論の者だと言い直す。
その考察の痕跡、認められる。だが、多くの人は理解をしないだろう。だから、ある種の人間達に2秒で理解できる「言い換え」をさせてもらう。
以後のことは、俺のことを構わず考察を続けてくれ。
10
ここで言われていることは、アニメ「戦姫絶唱シンフォギア」特に一期。その作中のフィーネ、ある女性科学者の身に宿った太古の魂、
あのお方に恋をしたため、叶わぬ恋に狂いもがく永遠を受取った心。恋の宛先のあの方とは神。
そして、絶対に到達できない恋する人へ届くために、空に浮かんで見える月を破壊し、宇宙システムの変更を試みる。
物語のあらすじが主旨ではない。俺は、普通なら分からないであろう内容を、分かる形で見せ変えた。10の主旨は変わらず、そのまま。
俺の描いた比喩、例を重ね合わせて10を読むと、多少分かるだろう。
ただ、ひとついうと、10では、まだそんなに多くの事は語られていない。文章量の問題ではない。
14 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 03:58:30.86 O
>11
レスありがとうございます。
女性がサイコロをふり続けるということについて。>12でコンセンサスが見つかると思います
また5時頃に返事を返します
15 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 04:04:55.01 0
>>14 了解です。こちらは以後即時に返事に答えることはできないこともあるかも知れませんが、
常に一期一会の心境で、文脈や思い入れを継承せずに、毎度新たな視野から、機会があれはレスさせて頂きます。
現在起きているこのやり取りは、シンクロニシティのような「人の力では変えられない類いの」組み合わせ、巡り合わせ、付け合わせ、が行われた
ということが11 13を書いている最中にあなたが12を書いていたことで、ほぼ明らかです。つまり偶然の希な共鳴です。
それでは、ごきげんよう。
16 :
占い:2013/11/21(木) 05:55:31.15 O
さて、僕はコミュニケーションをすることに迷いがあります。何故ならコミュニケーションというものは
相手との絆を深めるものではなく、自分の知識を高めるためのものでもなく、互いにコンセンサスを求めたところで
自分の求めているものを手に入れるためのものになりえるか疑問だからです
コミュニケーションは提示し、理解する。また別の人間が提示し、誰かが理解する。言葉というものが内容を丸ごと共有していければ
幸せだと思います。コミュニケーションが自分の求めているものを手に入れるためのものになれば幸せなのですが
ただ言葉はいらない。コミュニケーションは無意味だということではないので誤解なさらぬように願います
クリばかり攻める。
18 :
考える名無しさん:2014/04/26(土) 19:26:29.71 0
>1
見えるものや聞こえるものを全て疑ってみればよい
19 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 22:26:05.14 0
百式観音
20 :
パンの耳:2014/04/30(水) 00:56:52.79 0
事象は だだですよ 社会物理的には 無
社会現象に 価値や値段つけたの フリーメイソンだし
しかも 経済を恒久物理運動と結びけたんじゃなくて
46億年前ぐらいの環境設定にめくりあがりたいだけの
SYStem
裏返しに作用する物理は 理解できるでしょう
例の あれ ・・・・・・・ ユークリッド メビウス
クリばかり攻める。
22 :
考える名無しさん:2014/11/07(金) 18:34:52.89 0
>>7 種々の欲望、そして、自他(主観・客観)に関する一切の既成概念を
“斥ける(排する)”ことにより、「無」の境地へと進めて行く。
自他に関する一切の既成概念を“斥ける”とは、主観によって構成された
“差異化(=有の領野)”された概念をも排する(斥ける)ことであり、「無」の境地は
西洋哲学の「未分化の深淵」と解することが出来る。
23 :
123:2014/11/07(金) 18:46:43.74 0
無の境地とは。
それは捨象である。
仏教では因縁、輪廻の連鎖を捨象することになる。
因果関係を逆回転させると、無明に到達することになっている。
その無明と対決せよ。されば無の境地に到達することになる。予言である。
以下は秘伝なり。
24 :
考える名無しさん:2014/11/07(金) 19:28:56.18 0
原始仏教である“釈迦”の教えは、当時の「カ−スト」からの解放に
焦点があてられ、因縁・輪廻の連鎖を排する(捨象する)方法として、
禅の「既成概念を排して無に至る=諸法無我」という修練を実践した。
「無」の境地に至ることにより、輪廻から解放され、カ−ストからの
心身の解放がなされている。
人間そのものが様々な分化過程を経て形成された存在であるのに
未分化に深淵も糞もないような気がする
要は、脳内麻薬を出して一切の無駄なことを考えるな、ってことでしょ
仏教って
26 :
考える名無しさん:2014/11/07(金) 22:19:56.01 0
無になることは変性意識と関係ありますか?
27 :
考える名無しさん:2014/11/07(金) 22:21:48.17 0
人間とは、そもそも「精神」と「肉体(物質)」で構成された存在である。
心(精神)と身体(物質)で構成された“実体”を誰しも認めている。
人間が様々な分化過程を経て形成された存在とは、上記の人間の身体を構成してる
物質的な“細胞分裂”のことであり、この分化過程には、精神(心)は含まれていない。
現実的に人間社会は、“身体(物質)的構成”と“心(精神)的構成”が、複雑に絡み合っているが為に
難しさがあり、“精神的構成”対しての解決として宗教そして、哲学が必要となるのである。
28 :
123:2014/11/09(日) 22:39:39.66 0
24.
諸法無我か。
諸法とは何か。それは存在一般を言う。
無我とは何か。それは存在一般の内部には自己、自我は存在していないと言うことである。
存在論として、そのように規定して、自己、自我の存在場所を確定することである。
29 :
考える名無しさん:2015/02/04(水) 13:41:01.47 0
しんどいよね
30 :
考える名無しさん:2015/02/04(水) 14:31:55.48 0
ほっとけばいい
31 :
123:2015/02/04(水) 18:27:06.30 0
無の境地とは。
それは無であるからして、境地という対象も存在しないことになる。
そこに行くのは、しんどいかも。
だが逆に対象がないことになれば、簡単ということにもなる。
どっちだ。
32 :
考える名無しさん:2015/02/04(水) 20:45:42.74 0
スペルマを放出した後に訪れる賢人的心境、それこそが無の境地である
火病を治すこと。
34 :
考える名無しさん:
「無」の概念が、西洋哲学に登場するのは、デカルト哲学からであると思う。それ以前のキリスト教神学(スコラ哲学を含む)はどちらかと言うと「有」の
論理であり、「無」の概念に関する論究はなされていないと思う。デカルト以後のショ−ペンハウア−からニ−チェ、そしてハイデガ−、サルトル、
フロイトへと引き継がれて行く。ここで、興味深いのはショ−ペンハウア−が、インド哲学と大乗仏教に精通しており、「無」の概念も仏教哲学からの
影響が強く出ている。
従って、西洋哲学と東洋哲学(=仏教・インド哲学)は、ショ−ペンハウア−以降、「無」の概念を含めて論理の統合性が表れている。