吉本隆明 1924-2012 その2

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53人力飛行機
90年代以降に市民社会が成熟するにつれて、法的人格として、しか人間が社会
でいられなくなっていき、残余は社会から駆逐されていくにつれて、個人主義
、利己主義、ばかりが増長し、息苦しさが増長していった。吉本の60-70年代の
思想-大衆の原像に価値をおく-がそこで追いつめられていく過程でもあったと
いう気が今はする。それは下町が消失し、コンクリートの空間に町が変わってい
く過程でもあった。吉本は新しい倫理として80年代に世界視線-無限遠点から
見られる視線-をさぐり、大衆の原像は地上数mの視線にすぎないとしたが、
それはそうしなければ80年代以降に吉本の思想が生き残れないか
もしれない岐路だった。『ハイ・イメージ論』で世界視線を提起した後、90
年代、オウム事件で吉本は親鸞から造悪論をさぐり提起する。つまり人間
社会に道徳に全面的に背反し、そのことを是とする。これを大衆の原像から
の離反であると批判する愛読者もいたが、大衆の原像との二重倫理はすでに
世界視線を提起した段階で隠喩されていた。

ここまで考えていると、80-90年代の吉本にとって世界視線という概念が
いかに重要でしかも、コム・デ・ギャルソン論争で決別した埴谷雄高の『死霊
』の重要概念<虚体>と近似の始原であり終焉、を意味していたこと。また
それだけではなく、倫理の彼岸、文明の彼岸、社会の高度化への対応である
と同時にそこでの閉塞への反応をも予告したことがわかる。<虚体>と<世界
視線>の近似を考えることで、高度資本社会での存在の根本思想を二人は期せ
ずして予告していたと思う。