吉本隆明 1924-2012 その2

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45考える名無しさん
ただfantasmeにせよillusionにせよ、「幻覚」という意味が入ってくる。で、
特に個人幻想、対幻想には当てはまらない。何故ならそこで「そこに〜がある」
「…は〜である(〜にみえる)」という物象や事象への日常的判断がいわれる
わけで、幻覚もその一部であるが全部ではない。そこではfantasme も
illusionも適切ではないといえる。むしろ存在用語とした方がそこはすっきり
してくる。etre やseinに結合した方がいい。etre individuelとかね。<個人
にとって現れる物象・事象>なわけだから。<幻想>というのは人間を全自
然史のなかで相対化した場合に出てくる概念でしょう。実は存在語であり、
存在語とした方がこれから海外に輸出する場合は分かりやすいと思う。存在
語であるということは言っていいんじゃないかと思います。

 フーコーにfantasmeで通じたかですが。ここで当時の対談における文脈を
みると、吉本は「ヘーゲルの意志論をどう残せるか」という文脈で自己の
幻想論の説明に移っている。そこで観念領域の解釈であることはくみ取れる。
観念領域の解釈として異なる領域の<幻想>を概念化したとすればそれは
通じたんじゃないかと思います。fantasmeが相対的に正確ではないとしても
ね。ただ正確ではないことが後々の書簡で困難さを生んだかもしれない。

 あの対談自体を読み返すと、後に言われていたほどのちぐはぐさは生じてい
ない。それは全体を改めて通読すれば分かることだと思う。