◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない221◆

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1「機械的唯物論」者
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端ら
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。

前スレ:◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない220◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1383146580/
2考える名無しさん:2013/11/08(金) 22:05:28.79 0
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3考える名無しさん:2013/11/08(金) 23:32:00.84 0
前スレ1000に降臨した神は貧乏神に100ペリカ
4考える名無しさん:2013/11/09(土) 12:50:58.02 0
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5【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/16(月) 19:00:13.01 P
前スレ>>998
なるほど。
自然は動的故に、静的に概念化してしまうことを「観念論的誤謬」としているのだが、それと似てるね、存在忘却って。

存在を静的に捉えたのが存在者というが、それは誤謬であり矛盾であって、ある繋がりの持続を存在者とすることを提案する。
6考える名無しさん:2013/12/16(月) 19:24:11.94 0
横から失礼。このスレの議論は人間が物を考える限りずっと続くんですか?
それとも何かの学問がいつの日か「解明」するんですか?
7考える名無しさん:2013/12/16(月) 20:13:33.35 0
>>6
定義の出来ない問題を定義したらどうなると思う?
8考える名無しさん:2013/12/16(月) 21:40:40.93 0
存在している≠存在者≠存在というハイデガー入門とかいう本があったとしたら導入で語られそうな話題に立ち入ってるのか
9考える名無しさん:2013/12/16(月) 21:43:33.85 0
あ、そうか。意識とやらって物も定義できていないんだよね?そうかそうか…。
10考える名無しさん:2013/12/16(月) 21:45:12.25 0
一元論とか二元論とか関係なしで意識がとにかく現れて、その後の実存の話に入ってる印象が
11考える名無しさん:2013/12/16(月) 21:48:06.63 0
>>9
意識はクオリアから生まれるのは間違いない
ただ脳が常に変化する物質であることを考えると、あらかじめ物理・化学法則により決定されてるとは言いきるのもどうかと
12考える名無しさん:2013/12/16(月) 22:22:31.68 0
>>10
前スレの>982で、デカルトの物質の定義(長さ、幅、深さを持つもの)が
記述されているが、この物質の定義が現代物理学の基礎となっている。

このデカルトの物質の定義は、「心身二元論」を基底としているのであり、
コギト(超越論的主観)を起源として、コギト(主観=純粋精神)の外部にあるものとして
“物質の概念”が創出している。
13飛べないカラス:2013/12/16(月) 22:49:59.45 i
長さと幅は違うの?
14考える名無しさん:2013/12/16(月) 22:55:02.83 0
縦と横だよ
15考える名無しさん:2013/12/16(月) 22:56:05.83 0
測るトコが3つあるって事じゃね?
16考える名無しさん:2013/12/16(月) 23:29:53.41 0
>>13
長さ(奥行き)、幅(横)、深さ(高さ)と解釈している。物理空間を考えるとき、
デカルト座標を用いて「x(奥行き)、y(幅)、z(高さ)」の3っの実数の組みよって表される。
17なぜベス:2013/12/17(火) 09:00:32.56 0
久々に書き込み

最近、7年ぶりぐらいに新しい資料を読んでいる
フランクフルト学派、批判理論と批判的合理主義とのいさかい、いわゆる実証主義論争について調べていて
マルクス主義(フランクフルト学派はマルクス主義亜流)からの社会学に対して、
批判的合理主義の立場から何か批判できるところがないかと考えている
社会科学をテーマにしてみる
もちろん僕はポパーと同じ態度、「自然科学と社会科学に本質的差異はない」という立場をとる

で、社会学研究において「真理はない」という前提を導入することは問題ないと僕は考える
分析上、合理性原理として虚偽を導入することは科学においてありえるからだ
(合理性原理を世界の本質と混同すべきではないことには常に注意を払うべきであろう)

われわれは多くのドグマを持っていており、ドグマを改良することができるが、
そのような知的進展がないものと仮定した上で、われわれが何らかのドグマに帰依する仕組みを研究することはできる
社会学はそのような仕組みを研究する分野だと考えることもできる

ただ、批判理論が言うような社会の変革への動きが社会科学に含まれるかというと難しいのではないだろうか

よりよき変革というのは常にわれわれが持ち続けねばならないものだろうが
学問的な研究というのは、そのような動的な記述がなされるべきものではないように思える
というのも、学問的研究において考えられたものは、常に否定され破棄される可能性があることをもって価値づけられると考えるからだ
学問が静的な記述をとるのは、そのような記述の方が批判されやすく、破棄されやすいためである

結局のところ、弁証法というあやふやな記述方法が自己批判を方法論的に奪う手法であり、
その記述スタイルが停滞を招いているだけなのか

アドルノやハーバーマスの関心がいまいちつかめないんだよね
18なぜベス:2013/12/17(火) 09:41:38.51 0
少し、話を変えて
家にはNewsweekがたくさん保管してあって、トイレとかで時々読むんだけど
10年ぐらい前の雑誌でフロイトの生誕150周年特集が組まれてた

で、問題はここらへんじゃないかって感じたんだよね
フロイトが言うには人間には無意識に他人へ攻撃する性質が刷り込まれてるらしい
以下、引用

フロイトによれば、文明社会における安全さや快適さと引き換えに攻撃性などの本能を放棄することは、容易ではない。
そうした本能は強力で、抑圧すれば無意識の葛藤を引き起こす。
この葛藤は、治療不可能な病気の原因になる。人間の本質と切り離せない病気は治せないのだ。
〜〜
私たちは、攻撃性などの本能と自分は無縁だという幻想を抱きがちだが、
世界から対立という原動力がなくなり、歴史の発展が最終段階に入るという説は理想論に過ぎない


「なぜ世界に悪があるのか?」「そもそも世界は悪だから」みたいな答弁は僕は好まないし、関わろうとも思わないが
悪に対する分析はそこそこ必要な気もする
レヴィナスは悪を3つに分類していた
1、良いことをしようとして結果的に悪いことをする
2、その行為をすることで、逆説的に自分を満足させることができるがゆえに悪いことをする
3、他人の苦しむ姿を見ることが純粋に快であるがゆえに悪いことをする

このうちの3をとる人はほぼいない
ナチスなどは1のパターン
マンガのカイジに出てくる悪い社長などは2のパターン

他人への攻撃性も、ナルシシズムとの連関などで説明できそうだ(フロム)
19なぜベス:2013/12/17(火) 10:01:19.56 0
よりよき社会の変革を目指すにあたり、最初の課題はよりよき対話の模索なわけであり、
このような価値の上に民主主義を価値づけることはできると僕は考えている

最近の憲法改正の話題にあたって池上彰が解説してから、
民主主義が多数の横暴や数の論理とは別の思考をベースにしていることがすこしずつ伝わっているように思える

これは5年ぐらい前にも書いたけど
「全会一致ならばそれは採決され為されるべきだ」という考え方は、潜在的な全体主義であり、
このような理念から民主主義を正当化する思考は常に泥沼にはまるだけだと考える
その点でハーバーマスの多数決の正当化には僕は反対である

「全会一致ならばなされるべき」ならば「反対者がいないものは大手をふって実行」でしかない
「赤信号皆で渡れば怖くない」で渡ったところで、交通事故が起きる時は起きる
だから、皆が賛成だからといって、それが必ずしもうまくいくわけではない以上
皆が賛成の事柄ですら熟慮する必要が生じる

この神話を壊してこそ民主主義って大きな価値を持つと思うのだが
神話が続く限り、血を流さないだけで、やってることは戦国時代と変わらないのではないだろうか

力の論理から脱却してはじめて、われわれは理性の力を手に入れることができるのではないだろうか
20なぜベス:2013/12/17(火) 15:31:51.14 0
資料を読み直して、この方向性でいいように思える

批判的合理主義の社会工学における課題は
真理の価値にコミットできる対話モデルを提出することだろう
制度として民主制と独裁を分類すればそれでいいわけではない
対話という形式をとりながらも、そこに力の論理が介在すれば、理性はいともたすくその働きを失う

暴力を排除するだけでなく、言葉の世界から力の論理を除去することが不可欠なのだろう
それはいかにして為し得るのだろうか


「理性か現実か」この問いに対して「現実」を押し通す強い力に対抗することは難しい
僕自身が現実に嫌気がして本の世界に逃げ込んだ一人だからね

問題は、政治と政策の問題に還元できそうだ
「政策の良しあし」と「政治の力関係」の2つにおいて、「政策の良しあし」を上位に見ること
これが必要なんだと思う
「政治家から政策家へ」
「政治的争いから政策論争へ」


哲学的には道徳の基礎の問題なのだろう
「利益ではなく規則を選択することになにか理由はあるか?(それは個人の利益追求ではないのか)」
しかし、いくら研究を進めたところで、社会と研究者との間の溝が深まるばかりなんだろうね
21考える名無しさん:2013/12/17(火) 16:53:00.59 O
人間も生き物だから攻撃性があるのは当然だよな
まあ人間は学習もできるんだから悲観することはないんじゃない?社会心理学にまかせときゃいいよ

で済ませられてるよね
22考える名無しさん:2013/12/17(火) 21:21:20.83 0
>>17
>で、社会学研究において「真理はない」という前提を導入することは問題ないと僕は考える

>>20
>批判的合理主義の社会工学における課題は
>真理の価値にコミットできる対話モデルを提出することだろう

これは、矛盾しないのですか。
23なぜベス:2013/12/17(火) 21:41:55.95 0
>>22
合理性原理というものがあってね
思考のエンジンとして虚偽の原理を導入することで思考が進むパターンというものがある
どの研究分野だろうとも必ず必要だと思われるわけで
例えばダーウィニズムとかも反証不可能なんだけど、それは合理性原理であると考えることもできる
他には熱力学のエントロピー法則とかもそのような原理だろう、反証不可能だからね
あらゆる経験科学にはそのような合理性が適宜使用できるための原理が不可欠になる


社会学の合理性原理があるとしたらどのようになるかと考えると
社会学は社会において権力がどのように働くかについて考察するわけだから
社会において権力に左右されないものを意図的に捨象しなければならない
「すべての人は権力を求め、権力に従い、それに反するものはない」という前提を導入することで
権力についての考察は円滑になる
(経済学の合理性原理として「人は安いものを買う」という原理を導入するのと同じように。実際は世の中の人は必ず安いものに飛びつくわけではない)


権力を求める人からすれば、真理は権力構造から独立したものだから非合理的なものになるだろう
したがって、権力構造を合理的に研究しようとするならば、「人は権力の追求に対して非合理的なものを求めない」とする原理を合理性原理として導入せねばならない
すると「すべての行動は権力を求める行動である」という虚偽を仮定することによって社会学の研究は進むことになる
例えば、科学社会学という分野があって、科学者集団における権力発生の構図を研究する分野があるが
この時、科学者たちが真理について研究していると考えると、この分野の研究は進まない
だから、科学者たちが研究している真理などなくて、「科学者たちはただの権力争いをしている」という虚偽の仮定を導入することで
科学社会学は発展する
実際に彼らは、科学者集団を一個のカルト教団と見なすことで、その内部権力の構造を研究する


参考文献『社会学における合理性原理』
24なぜベス:2013/12/17(火) 21:44:09.40 0
参考文献ミスった
『社会科学における合理性原理』ね
25考える名無しさん:2013/12/17(火) 22:05:22.10 0
>>23
そもそも「合理性原理」の意味がよくわからないので文意が十分つかめないのですが、

>社会学は社会において権力がどのように働くかについて考察するわけだから

これはつまり「社会において権力がどのように働くかについての真理を考察する」
ということではないのですか。
物理学なら「宇宙において引力がどのように働くかについての真理を考察する」
とか。金儲けのための投資術なら「株価がどのように上下するかについての
真理を考察する」とかですね。「自然科学と社会科学に本質的差異はない」のなら、
当然そうなると思うのですが。

で、そのうえで「真理というようなものはないのだ、と考えた方が考察が
進む(この場合はそもそも考察が進むとはどういう意味なのかが問題ですが)」
というような話かと思ったのですが、そうではないのでしょうか。
26なぜベス:2013/12/17(火) 22:56:05.32 i
>>25
そういうことだよ

社会学者は「真理はない」という仮定を合理性原理として導入することで研究を進ませる
そこに問題はないよって話
27考える名無しさん:2013/12/17(火) 23:17:43.49 0
>>26
しかし、少なくとも>>23は、「真理はない、という仮定を合理性原理として
導入することによって研究が進む」例にはなっていないと思いますが。
どう考えても単に「権力の構造に関する真理があるという前提で、それを
探求する」例でしかないと思います。
それと、「真理より権力や名誉や金や幸福を優先する」人は大勢いる、と
いうよりそれが普通であって、別にそういう人は「真理がない」と思っている
わけでもなければ「真理がないという虚偽の仮定」を導入しているのでもなく、
単に真理はあるだろうけれどもさほど興味がないか、あるいは幸福・権力・金
その他の目的を追求するための手段としての真理にしか興味がないというだけでは。
それもまた別に珍しいことでも何でもなく(功利主義とかプラグマティズムとかは
ある意味その肯定だともいえます。ニーチェもそんなような意味のことを言っていました。)
、自然学者も社会学者もあるいはポパーを含む哲学者も、単に
「たまたま真理の追求を仕事(生活の手段)にしている」だけだ、ともいえます。
28「機械的唯物論」者:2013/12/17(火) 23:28:55.13 0
>>26
>社会学者は「真理はない」という仮定を合理性原理として導入することで研究を進ませる

そうでしょうか?「真理により近づいたか否か?」という判定基準?が全く無意味なら、
「(研究が)進む」という(学問としての)肯定的表現も不適切だということにならないのでしょうか?
29「機械的唯物論」者:2013/12/17(火) 23:50:37.27 0
社会学といえば、いま、「言語(ラングの方)が思考に影響を与えるか否か?」
について等の本を読んでおりますが、貴重な未開少数民族の残存言語の中には
結構奇妙で、面白い例があるようです。
 あるオーストラリア原住民の種族の言語には「右・左」とか「そちら」とかの
単語が無いのだそうです。彼らの言語では「あなたの右足の右側に猫がいるよ」
と言うときに
「あなた」が南向きに立っている場合「あなたの西側の足の西側に猫がいるよ」
「あなた」が北向きに立っている場合「あなたの東側の足の東側に猫がいるよ」
「あなた」が西向きに立っている場合「あなたの北側の足の北側に猫がいるよ」
・・・というように「方向」については全部「東西南北」で表現する(ことしか
できない)のだそうです。
 彼らは「絶対音感」にも似た「絶対方向感」を持っており、森の中や目印の
ない大草原も、迷うことなく目的地にたどり着くことができるとのことです。
 面白いことに、「隣町のスーパーの中で野菜を売っている場所」についての
説明も、「その店の東北のコーナーにあるよ」といった説明しか(当然)できない
けれど、言ってみたら確かに「東北のコーナー」にそれはあったとのことです。
ちなみに、その店に行く方法についても「あなたの南にある道を南西の方に1km
(当然「メートル換算」した場合ですが)行って、交差点を北西に曲がって300m
行った南西側にあるよ」とかになるようです。
30飛べないカラス:2013/12/17(火) 23:54:54.47 i
>>29
南極だと不便だろうな。
31「機械的唯物論」者:2013/12/18(水) 00:08:41.42 0
 要するに我々は「(右へ1km行って・・・左側にあるとかの)主観モード」で、
方向を説明するのに対し、彼らは「(南へ1km行って・・・東側にあるとかの)
客観モード」で「思考」する・・ということのようです。
 それが、「家の中の目の前の猫の居場所」にさえ適用されるというのが面白い
・・・と思います。
 上記の少数民族の思考方法はある意味、(少なくとも方向に関しては)我々の
「主観的表現」よりも「より客観的」であり、何も目印のない草原やジャングルや
砂漠を移動する際には我々よりも遥かに優れた「(客観的に正確な)方向感覚」を
維持しているとも言えるかもしれません。
 すなわち「都市や街」に居住するようになって、「文明化」した我々の「思考方法」
は「右・左」「そこ・ここ・あそこ」「そっち・こっち」で「済ますことができる」 
事情により、「方向を正確に伝達する機能を退化させた」と言えるのかもしれません。
 これは「(文明)未開人の言語体系が現代文明人のそれより複雑である筈はない」
・・・という「先入観」を覆すものかもしれず、そういう「知見の獲得」が、社会(科)
学の「進歩」なのではないか?・・と思います。

 「より多くのサンプルを観察・分析して『真理』に近づく」という動機が無ければ、
社会(科)学の「進歩」は「無い」のではないか?・・と考えられるということです。

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
32【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/18(水) 00:25:45.93 P
>>29
その本では影響を与えるという結論ですか?

言語というのは、思考の表現手段です。
もし、獲得した言語に表現の限界がある場合どうするか、そのときは表情や言い方やジェスチャーを使うだろう。
英語は日本語より表現の限界があるので特に必要とされるが、それで事足りる故に日本語のように複雑な言い回しは発生しない。

左右の例も、表現として不要だからそのような概念が無いのだろう。
必要ならば、自然と概念が生まれるものだ。

つまり、言語は表現方法(手段)に影響を与えるものであって、結果的に表現方法の思考は言語に影響されることとなる。
33「機械的唯物論」者:2013/12/18(水) 00:37:46.90 0
>>32
まだ読了していないので、なんとも言えませんが、欧州各国語もいろいろ特色があり、
例えば「橋」はドイツ語では女性名詞に対してスペイン語では男性名詞だそうで、
ドイツ語とスペイン語はそのように「ジェンダーが真逆」のケースが多いそうですが、
「橋」のイメージとしてはドイツ人が「柔らかい」とか「優しい」とかの「女性的イメージ」
を持ちやすいのに対し、スペイン人は「固い」とか「直立した」とかの男性的イメージを
持ちやすい等の「様々な(先入観を取り除く手法を工夫した「社会学」の)
フィールドワーク実験」が既にいくつも行われている・・・ということのようです。

 本日は就寝させて戴きます。
34考える名無しさん:2013/12/18(水) 02:33:21.86 0
サイコロは物質だけど偶然に支配されてんだろ?
この世界は全て偶然でも組み立てれるど。ども。
35なぜベス:2013/12/18(水) 03:20:45.41 i
>>27
上、
権力構造に関する真理はあるが、研究対象において真理は問題となってないと見なすことが、合理性原理となる
研究対象において真理が問題になってるとすると、権力構造に関する真理についての研究が円滑にならない

下、
言えるだろうね
そう言えてしまうことには何ら問題はないと思います
少なくとも、そう見られること(研究対象にされること)による害はないでしょう

ただ、合理性原理を世界と同等と見なす行為は、いかなる合理性原理だろうと
反証不可能なドグマに帰依するだけなのではないでしょうか?
「極端な還元主義」と呼ばれる態度は、結局のところ、合理性原理を世界と同等と見なすがゆえに起こるのだと思います
36なぜベス:2013/12/18(水) 03:49:37.94 i
有名な話しですが、
アドラーという心理学者はすべてを劣等感によって説明してました。
彼が研究所で帰り支度をしていると、最後の患者が訪れた

アドラーは、その患者に会いもせずに、「その症例は劣等感のせいだよ」と言って帰ろうとした

この時のアドラーの手伝いがポパーで
「なんで分かるんですか?」
「似た症例を1000人見たからね」
「じゃ、これが1001人目ですね」という皮肉で返したのは有名です

見もせずに「〜のせいだよ」と言いきることは簡単です

「彼は金のためにしてるだけだ」
「彼は名誉のために〜しただけだ」
「彼は権力が欲しくて〜しただけだ」
「彼の行動は性欲が・・・」
「彼の行動は〜なだけだよ」

そして、心の中でこうつけ加えるのでしょう
「なぜならそれが世界の姿だから」

この手の発言はアドラーと本質的に差はないでしょう
そして、これらの行為が知的行為とは本質的に異なるというのがポパーの考え方です

ポパーは世界の姿など知らないのです


僕の価値観は逆転してるので、知らないポパーの方が魅力的に見えてしまうんですよね
37なぜベス:2013/12/18(水) 04:01:08.32 i
>>31
なるほど、ためになった。ありがとう

権力構造を明かすだけでなく、
我々が無自覚的に陥ってしまう先進国の文化的優越感を戒める役目もあるということか。
それはとても大事だね


で、研究者は「真理はある」としなければ研究はままならない
自身が相対主義的態度をとったまま研究することはまず難しいだろう
その意味で機械君の言う通り「真理はある」としなければうまくいかない


ただ、対象を相対主義的に見ることで得られる知識もあると思うんだよね

科学哲学畑の人たちは、内心では科学社会学に対する反発が強い傾向があるんだけど、
それって科学に自分の特別な思いをつけ加えてないか?って思ってしまう

宗教社会学を認めて科学社会学を認めないのは、傲慢だと感じてしまうんだよね

宗教が社会学の研究対象になるのなら、科学が社会学の研究対象になったっていいじゃん
それに抵抗があるのは科学を特別扱いしたいだけじゃないかって思うんだよ

もちろん僕は科学を信用してるけど、その信用は科学の「自分を特別扱いしない態度」を信頼してるだけだからね
38飛べないカラス:2013/12/18(水) 04:17:04.41 i
ということは、あなたは相対主義者なのですね。
39なぜベス:2013/12/18(水) 04:47:52.02 i
ということは、あなたはバカですね?
40飛べないカラス:2013/12/18(水) 06:58:11.10 i
いつもの相対主義批判の人とは別の人ですね。
41考える名無しさん:2013/12/18(水) 09:14:55.89 0
>>23
>例えばダーウィニズムとかも反証不可能なんだけど

ダーウィニズムは反証可能だ。

>熱力学のエントロピー法則とかもそのような原理だろう、反証不可能だから

これも反証可能。
42なぜベス:2013/12/18(水) 09:33:56.95 i
>>41
ポパーはダーウィンの進化論が個人的に好きで、それを科学だと思ってたんだけど、
ポパーの境界設定から考えると、ダーウィニズムは反証可能ではなくて
10年ぐらい研究して「ダーウィンの進化論は非常に有意義な形而上学的プログラムである」って発表をしたんよ
したら「その発表に何の価値がある?」ってまわりから叩かれたのよ

で、おいらは、「社会科学における合理性原理」を読んだ時に
ダーウィニズムを合理性原理と考えれば、
それが形而上学か科学かなんてことにこだわらないで、系統発生の研究をできるから万事オッケーじゃんって思ったわけよ

とりあえず、ダーウィニズムが反証可能ならポパーは喜ぶよ
ポパーは本心では反証可能だとしたかったからね
でも、ポパーは反証可能性を挙げれなかったんよ
43なぜベス:2013/12/18(水) 09:57:25.18 i
・権力を研究する際の合理性原理について

このスレでは機械君がよくガリレオの「地球はまわっている」を挙げていたけど
それに際して名無しがガリレオの裏工作を挙げていた
そういった政治的裏工作は科学の歴史についてまわってくる
例えば、ベーコン
彼は自身は科学者ではなかったが、近代科学のスポークスマンとしてイギリス王室に科学を売り込んだ
例えばウォレス(だったかな?)
ダーウィンの進化論のスポークスマンとして教会に対する政治工作を行った

科学の歴史における政治工作や権力獲得の構造を調べるならば、
「歴史の発展と共に科学理論が良くなって、良い方が自然に支持された」という考え方は邪魔でしかない
「過渡期における科学理論に優劣はない」と考えた方が、
その権力の動きに焦点を当てやすい

実際に、その名無しは、(一時的にでも)「競合する理論に優劣はない」と考えることで、ガリレオの政治工作を見出したのであろう

権力に焦点を当てる以上、権力と関係ないものがボヤけるのは仕方がない
この場合、「真理」がボヤけてしまう
しかし、研究というものは、
問題となっているものをフォーカスし、それ以外をボヤけさせることとは切り離せない以上
権力の研究において、真理が蔑ろにされるのは仕方がないんじゃないか?って僕は考える
44なぜベス:2013/12/18(水) 10:24:21.11 i
なんで僕がかように権力を読解する方法論を擁護するかというと、
僕は逆の読み方をしてるんだよね

文章を読む時に、言葉の内容にフォーカスして、権力関係の文章をボヤかして読んでる

例えば、こないだポパーの資料を調べたら

ノーベル賞受賞のエクルズがポパーをほめてた、とか、
ノーベル賞をとったモノーが推奨してた、とか
動物行動学のローレンツがポパーに多大な影響を受けたと言ってる、とか
そんな文章に出会ったりする
で、そんな文章は僕は興味ないわけだ
だから、読んだ先から捨てる

僕のこの読み方は、権威づけのための文章は読み飛ばしてるわけで、
そこには何の意味もないとして飛ばしてるわけだ

でも、逆のフォーカスもできるわけだ
書いてる内容を読み捨てて、
誰が推奨してるのか?についてだけ抜き出していく読み方もできる

それは読む側の関心によって変わるものだと思うんだよね

真理に関心をあてる時には権威は無視せねばならない
だったら逆に、権威に関心を持つならば、真理は無視しなければならないんじゃないかな?

そんな関係を空想して、
権威を研究するならば、真理は無視しなければならない、ってことで
権力の研究においては「真理はない」と考えた方が円滑だって書いた
45考える名無しさん:2013/12/18(水) 10:48:57.74 0
>>42
進化論には「実験的再現性」はないが、反証は可能。
進化論に明らかに矛盾するような化石が出てくればいいだけだ。
46飛べないカラス:2013/12/18(水) 12:46:02.27 i
権力の定義は何だろう。
オレは人為的な規則体系と解釈するけれど、文系は人文系だから自然科学からしたら
権力を対象にした分野なので、文系を選択しておきながら権力を避けるなら
何で理系では無く文系なのかと思う。
47なぜベス:2013/12/18(水) 13:02:20.76 i
>>45
具体的にどんな化石ならば、進化論に矛盾する化石になると思う?
48考える名無しさん:2013/12/18(水) 13:21:40.04 0
>>47
カンブリア紀の地層から類人猿の化石が出るとか。
49考える名無しさん:2013/12/18(水) 13:22:52.64 0
正確に言えば、類人猿に酷似しているが類人猿とは違う特徴を備えた生物、だな。
50考える名無しさん:2013/12/18(水) 13:25:31.52 0
例えば、直立二足歩行可能な骨格で背中に一対の羽が生えていて
頭部にリング状の構造が付属している生物とか。
51なぜベス:2013/12/18(水) 13:29:32.24 i
>>50
そういう生物がいたけど絶滅しただけって思われるだけじゃね?
人の進化が猿からって考えは反証されそうだけど、
ダーウィンの自然淘汰説への反証になるかな?
52飛べないカラス:2013/12/18(水) 13:33:23.86 i
反証可能なのは科学
反証不可能なのはトートロジー
ならば
トートロジーでないのはすべて科学になってしまうな。
53考える名無しさん:2013/12/18(水) 13:41:28.12 O
極端なことを言えば、宇宙人が現れて「生物種はこうして作りました」とか証言して実演して見せれば反証になるだろう。
54飛べないカラス:2013/12/18(水) 13:52:23.55 i
根拠を求めるのは当然で重要なことですね。
手話もデタラメだと
「大きい魚、小さい魚、ダンボール箱」みたいになる。
デタラメと区別するために根拠が必要なのです。
55なぜベス:2013/12/18(水) 14:01:02.91 i
>>53
確かにねw
それなら覆る

でも、それって経験科学が問題にする領域を超えているわけよ
だから、経験科学としての反証可能性としては疑問符をつけざるを得ないんよ

反証可能性を批判可能性とすると、形而上学だろうが純粋理論的なものだろうが、様々な分野まで拡大できる
ただ、経験科学ってのを経験領域における反証可能性と見なすならば、
科学におけるいくつかの理論や法則は、経験による反証可能性を持たない、非常に形而上学的要素の強いものがあってしまう

そういったものは、それ自体の是非を実験でテストすることがあまり役に立たない
むしろ、実験やテストによって他の様々な理論が円滑に批判され改善されるために必要な法則になっている

それはさながら駆動するエンジンのシャフトみたいなもので、
その部分が固定されることで、他のものに
エンジンの動力を円滑に伝えるような役目になっている

このような固定された原理を「合理性原理」と俺は呼んでるんよ

科学のもってる経験、実験によって理論を批判する性格
実験が理論に対してクリティカルに作用するための原理
そういった役目を負う原理を「合理性原理」って俺は呼んでいる

「虚偽の前提」という言い方は悪かった
「真偽を別にして、、」ぐらいの意味に修正する
56飛べないカラス:2013/12/18(水) 14:29:23.00 i
デタラメもトートロジーで無ければ反証可能
デタラメは科学になってしまうな。
57考える名無しさん:2013/12/18(水) 14:33:28.81 0
>>51
>そういう生物がいたけど絶滅しただけって思われるだけじゃね?

進化論的にはそのような解釈はあり得ないので、それはない。
58なぜベス:2013/12/18(水) 14:34:45.23 i
まとめ

科学の営みってのは、実験、観察によって理論をテストして理論を変化させていくことである
この時に、実験、観察によって理論が変化することを円滑にするためのものが「合理性原理」である

この合理性原理は、形而上学的性格が強いが、
理論群の中で批判にさらされないことで、他の理論が円滑に変化していく役目を負う

例えば、新しい化石が発見された時に、自然淘汰を合理性原理として
進化学の新しい系統理論を展開できる

カンブリア期の地層に天使の化石が発見されても、既存の進化系統は覆るが、
新しい進化系統を考えることはできる
そのように思考を円滑に進めるための原理が、合理性原理である
59考える名無しさん:2013/12/18(水) 14:34:45.94 0
>>56
>デタラメは科学になってしまうな。

ならないよ。
単に「反証可能なデタラメ」であるにすぎない。
60なぜベス:2013/12/18(水) 14:35:44.38 i
>>57
んじゃ、自然淘汰説が反証されるの?
61考える名無しさん:2013/12/18(水) 14:37:32.57 0
>>60
それは直接には反証されないな。

しかし淘汰は実験的に再現出来ているから反証可能性以前の問題。
62考える名無しさん:2013/12/18(水) 14:39:24.47 0
>「真偽を別にして、、」ぐらいの意味に修正する

哲学を含めて、人間の営みのほとんどは「真偽を別にして」営まれている。
「真偽」という二分法で割り切れるものなんて、学校のテストの中ぐらいしかないだろうw
63飛べないカラス:2013/12/18(水) 14:40:27.40 i
>>59
つまり「反証可能なのが科学」では無いわけです。
64なぜベス:2013/12/18(水) 14:42:55.78 i
>>61
多分、どんな化石が見つかっても
「これは自然淘汰説を覆す化石かも」って考える人はいないんだよね

自然淘汰説をベースに、さらに思考を進ませて、知識を進展させるのが科学なんだよね
65考える名無しさん:2013/12/18(水) 14:45:37.63 0
この話、つまらないから、ほかの話題に移ってくれw
66なぜベス:2013/12/18(水) 14:49:07.78 i
>>62
でも、これがないと、言葉をベースにした思考が停滞するんよ

ただ、人はすべての真偽をいちいち問題にするかというと、そうではなくて、スルーする部分がある

自然淘汰への批判なんかしたところでエキサイティングな知的進展は得られないわけで、
むしろ、自然淘汰を前提とした方がエキサイティングな知的進展が得られる

進化論に限らず、そういった部分ってたくさんあるんだよね
それぞれの分野で真偽を問題にしないでスルー推奨の原理がある
67考える名無しさん:2013/12/18(水) 14:53:00.90 0
じゃあ

>これがないと、言葉をベースにした思考が停滞するんよ

↑ これは「真」か「偽」か?w

・・・くだらん・・・
68飛べないカラス:2013/12/18(水) 14:55:25.08 i
ここは技術的特異点の話題はほとんど無いな。
69飛べないカラス:2013/12/18(水) 15:02:12.15 i
進化論が創造説に反対しているなら進化論は一応内容のある論なのでしょう。
70じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/18(水) 15:14:43.22 0
前スレ222のお答え。(今スレが 221なのは不思議な感情です。)

>>954 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/14(土)
>「コップがある」も「見えている」というのも、思考によって知られた認識、つまり感情ではなく知覚です。

「(私が)コップを見ている」の「コップ」と「見る」が知覚、視覚で「私が・・・ている」の部分が感情と言う事ですね。
感情とは主観経験の原風景とも言われている。
経験される全心理過程から表象性の心理過程を引いた残りともいえる。

>自分の経験だとか自分の体験だとかの感じは、感じというよりも、思考により想起した「思う・思った」であろう。

違う・・・「思考」と言うのは「内的世界に注意する働き(=意識=思い)」の中でもより複雑なものを言う。つまり思いに集中する作業、其れが「思考(=意志)」。

>思ったことにより、しみじみとした感情は湧き出る

過去について「思ったこと」の「こと」とは、思い出す時の「記憶のかたち(=記憶心像(知覚))」でありそれにラベル(自分が経験したと言う自己所属の背景感情)や、
「しみじみ」と言うクオリア(似たものでは「あーこれこれ」といった既知感情)が分かちがたくくっ付いている。
71なぜベス:2013/12/18(水) 15:14:48.43 i
>>67
ごめん、君の指摘した部分も俺の中では有意義な問題に変換できるわ
やっぱり、俺の脳は真偽がベースなんだよね

「真偽を問題としないで」と修正したのは、俺が社会に負けた証拠と受け取ってくれ
72なぜベス:2013/12/18(水) 15:25:19.11 i
65が終わりにしてくれと言うので、

元の話題は「自然淘汰説は反証可能かどうか」

で、61が
「淘汰は反証可能性以前の問題」と指摘してる

これが正しいならば、自然淘汰説は反証不可能ってことになる

ってことで、この話題は終わりにする
73飛べないカラス:2013/12/18(水) 15:38:09.02 i
「生き残れるものが生き残る」という論でも創造説に反対することはできる。
74考える名無しさん:2013/12/18(水) 15:41:28.37 0
>>72
反証可能性以前の問題、と書いたのは、実験的に実証されたからだ。
反証可能性はあったが、反証とならずに実証する結果が出たということ。
75じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/18(水) 15:57:46.25 0
>>31 :「機械的唯物論」者:2013/12/18(水)
>要するに我々は「(右へ1km行って・・・左側にあるとかの)主観モード」で、
方向を説明するのに対し、
>彼らは「(南へ1km行って・・・東側にあるとかの) 客観モード」で「思考」する・・ということのようです。

それは貴方の勘違い、主観とか客観とかの話でもない、地図を読めない女の話である。
機械さんは女脳なんですね、男は少数民族のように地図を固定して考える。
女は今のカーナビのように地図を回して考える。
76飛べないカラス:2013/12/18(水) 16:10:14.33 i
>>70
思考が複雑な内的世界を指すなら、本当にデタラメな内的世界も思考なのでしょうか。
77考える名無しさん:2013/12/18(水) 16:24:03.75 0
    
  BGM としての オブリガード は たしかに存在してます    

 インプロビゼーション は Key と タイミング  しだい

  使い方次第では よしもと新喜劇の 人工地震 にもなります
    
78考える名無しさん:2013/12/18(水) 16:55:22.97 0
  
 ・・・・・・ オブリガート です  

                     あれ?

  わざとじゃないです(笑)
   
79【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/18(水) 22:52:11.51 P
>>70
とりあえず、意識・感覚・知覚・感情・主観・客観の定義や解釈についていくら争っても無意味な気がしていますww
じいさんの定義を採用すると感覚も感情も主観となる。それだけのこと。
定義を詳しく解体して矛盾や誤謬がないか検討するってんならまだ意味はあるが・・・。
或いは、定義と前提の先にある主張について議論する方が意義がある、と思うのです。
80【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/18(水) 23:12:50.49 P
>>70
続き
で、俺は主観を「認識」によって区別する立場なので、湧き上がる感情(気持ち・気分)とその認識(知覚)、感覚器官が受信する情報である感覚とその認識(知覚)は、明確に区別する。
ところが、じいさんは認識についてあやふやなままである印象を拭いきれない。
観るものと観られるもの、という区分は、認識によってしかカテゴライズ出来ない筈では無いだろうか。
その辺どう考えてるのかお答え下さい。

ここでの認識は、「注意と気づきの総体」と定義しています。
要するに、それをそれと知ることです。
81考える名無しさん:2013/12/19(木) 00:36:38.01 0
>いのち一元論者
はいはい。
82「機械的唯物論」者:2013/12/19(木) 00:44:40.42 0
>>75
>それは貴方の勘違い、主観とか客観とかの話でもない、地図を読めない女の話である。
あなたは「キミの南側の足の南30cmにゴキブリが居るよ」っておっしゃるのですか?
「そこ・あっち・右・左」という概念が存在しない民族が居るというのが「キモ」です。

> 機械さんは女脳なんですね、男は少数民族のように地図を固定して考える。
 女性に対する一般論としても、適切な(正しい)表現だとは思えません。
 男女かかわりなく、「方向音痴」は存在します。

> 女は今のカーナビのように地図を回して考える。
 そちらの方が交差点等では便利なので、私は男ですけれど、「そのモード」
で(カーナビを)設定しますし、歩いて行くときも両者の「モード」を
適宜切り替えることが出来ます。
 その「グーグ・イミディル語」には「右・左」「そこ・あそこ」とった概念
(単語)が「無い」のです。
それがポイントです。結構「想像力」が必要ですがご理解していただけるでしょうか?
83考える名無しさん:2013/12/19(木) 00:50:48.85 0
>>80
そんなに微に入り細に入らなくとも
「認識」とは「意識」のバリエーションでいいでしょう
つまり「意識」でいいわけですよ
84「機械的唯物論」者:2013/12/19(木) 00:58:36.16 0
>>83
「意識」のバリエーションと言えば解りやすいかもしれませんが、
「あいまいさ」は増大しますね。
「無意識」や「潜在意識」も「意識のバリエーション」であれば、
「就寝中にも『意識』はある」とか「意識不明状態だけど『意識』の(バリエーション)
はあるかもしれません」とか…要するに「意識」という概念を曖昧にするだけだと考えますけど・・・。

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により「意識レベルが低下」してきたので、就寝させて戴きます。
85飛べないカラス:2013/12/19(木) 01:04:26.66 i
顔認識オートフォーカスのカメラには認識と注意の機能があるのでしょう。
86考える名無しさん:2013/12/19(木) 01:08:02.99 0
>>84
クオリアと同じで認識という行為は「意識」の行為に含まれるという意味です
無意識はそれとは違って精神分析の分類で考えるか
古来からの意味で「意識的ではない」という「無自覚」の意味で使うかでしょう
そんなところで躓いていても仕方ないですよ
87「機械的唯物論」者:2013/12/19(木) 01:14:15.46 0
>>58
>カンブリア期の地層に天使の化石が発見されても、既存の進化系統は覆るが、
> 新しい進化系統を考えることはできる
> そのように思考を円滑に進めるための原理が、合理性原理である

そのとおりですね。「内惑星の逆行」をガリレオが「望遠鏡で観測した」からこそ
「なんで逆行するんだ?」・・・「もしかして地球の方が太陽を公転してるから?」
・・・という「発見」に繋がったわけで、ガリレオが観測前から「地動説」を仮定していた
訳ではない・・・と思います。
 「(新たに)観測されたデータ」が蓄積していくことにより「『真理』に近づく」
・・というのが「科学的方法」だと考えます。
 本日は就寝させて戴きます。
88「機械的唯物論」者:2013/12/19(木) 01:21:05.10 0
>>86
「意識」とか「認識」とかは「ディジタルな状態」ではない・・ということです。
「(表層)意識レベル」とでも言うような「大脳の活動状態パラメータ」が
定量化されれば別ですが、「現在の大脳生理学」ではそれは無理でしょう。
 それに「意識の明晰さ」についても「どの部分が?」・・という「定性的な要素」
が付き纏わざるを得ない・・と考えます。
 「サバン症候群」の方の「意識の明晰さ」と「偉大な作曲家の意識の明晰さ」を
比較しても、「意味ある結果」はなんら得られない・・と思われます。
 本日は本当に「眠い」ので就寝させて戴きます。
89【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 01:28:22.30 P
>>83
意識とは、「認識している状態及び認識出来る状態」と定義していますので、認識=意識で問題ありません。

しかし、認識は更に、能動的な注意と受動的な気づきの二つに分類できます。
注意した時は気づいているし、気づいた時は注意されているので、その総体として認識(=主観)があり、ここに客観との境界がありそうです。

ただ、この注意と気づきを脳科学的に解明するのは難しそうですな。
注意と集中に違いがあるのかすら良くわからないww
90考える名無しさん:2013/12/19(木) 01:34:36.14 0
>>88
前から気になっていたんですけれども
機械さんの言っている「意識」とかおかしいですよ
「意識」を状態だと考えているならば間違っています
「意識」も「無意識」も状態ではなくて精神活動をそう名づけて
便宜上仮定しているわけです
ですから「意識」といっても未だ解明はされていませんよね
「量子」と同じでそう便宜上そう名づけているに過ぎません
だから私は「そんなところで躓いていても仕方ないですよ」と書いているわけです
91考える名無しさん:2013/12/19(木) 01:40:21.07 0
>>89
なるほど
しかしそういうこのスレで多分頻繁に使用するであろう用語の定義にばかりでは
肝心の議論は前に進みません
ここは哲学板ですからそれくらいの基礎用語は「精神分析でいうところの」などと但し書きさえすれば
なんら問題のないことなんですよ
もう基礎も基礎の約束事ですからね
92「機械的唯物論」者:2013/12/19(木) 01:42:27.00 0
>>90
思想・哲学的にはそうであるのかもしれませんが(そういう「意味」で使っていない
場合も多いとは思いますが)、例えば救急車で運び込まれた患者が「意識不明か意識があるか?」
・・・という「2者択一」についての「『意識』という言葉(概念)の齟齬」は
殆ど存在しない・・・と思いますよ。
 本日は完全に就寝させて戴きます。
93考える名無しさん:2013/12/19(木) 01:48:09.96 0
>>92
機械さんが言っているのは単純に「日常語の文法」についてのはなしですね
そんなことはこの哲学板のこのスレの問題ではありません
どの「場」でもそこにおける「議論水準」があります
機械さんの言う問題は日常レベルの国語力の問題であってこの「場」のレベルを反映していません
94考える名無しさん:2013/12/19(木) 01:51:51.92 0
>>93
では、キミなりに「意識の定義」をしてみてくれないか?
95【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 02:02:16.70 P
>>91
前スレでのじいさんとのやりとりの様に、定義すら全く了解されない場合も多いので一筋縄ではいかないのが難点です。

その先の議論の課題は・・・
ドクサで構成された客観(観念)に於いて、物質や実在という観念とその対象は「異なる」という前提のもと、機械氏が述べる「脳は物質」という単純な唯物論に待ったをかけたいのだが・・・
96考える名無しさん:2013/12/19(木) 02:13:18.56 0
>>93
機械氏は観念論にも結構詳しい。
「意識」なんて言葉を軽々と自分なりの解釈で言うな!って言いたいだけなんだよ。
97考える名無しさん:2013/12/19(木) 02:28:58.85 0
>>90
>ですから「意識」といっても未だ解明はされていませんよね

「解明」って、「俺(90)の『意識』に提示されて有無を言わせず納得させる」
という意味ならば、永遠に「解明」されることは絶対無いと思うよ。
何故ならば、残念ながらあんたにも「寿命」があるからねw
98ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/19(木) 10:28:09.41 0
「感情が感覚に先立っている」と前スレで述べたけれども、これは間違い。
じいさんのレス>>70とは異なり「感情が主観経験の原風景」ではない、ということだ。
“主観”とか“経験”によって「原風景」が刻まれる前に《感覚》は息づいていて、これに快/不快の“情”が惹起される。

生誕時、彼(彼女)は泣き、これを“最初の意識の表出”とみなしたのが誤りの理由。
泣く瞬前に、彼(彼女)は“外界”を感じており、それに(たぶん)不快を覚えて“情”を発露する(泣く)のだろう。
新生児の感覚器官は不全だが、全き無感覚ではない。体表の感覚すなわち触覚によって感じており、これが“意識の初発”である。
次いで「快/不快の情(意識)」となる。

いのち氏は私見を「現象=存在」と纏めていたけれども、これは現象=存在者の間違い。意識と相関するのは常に“存在者”である。
事物、もう一つは“心的状態”である。
99【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 11:09:27.33 P
>>98
いえいえ、現象=存在とは言ってないです。
現象=コトとは言ったが・・・
存在を前提とするか現象とするかしかないんじゃないかってのを勘違いしたと思われる。
俺は前者、ゲーム氏は後者だと思ってたが、違うようだね。
以前からゲーム氏も現象=コトとしていた筈
現象=存在者となるならば、コト=存在者となる。
なぜコト=存在者となるのかってのと、存在者に存在の前提はあるのかをお答え下さい。
100考える名無しさん:2013/12/19(木) 11:18:00.93 0
>>98

猪瀬が5000万円受け取った コト=存在者
都政を停滞させないためw辞めたコト=存在者
結果として収賄罪を免れた?コト =存在者

なんかおかしくね?
101考える名無しさん:2013/12/19(木) 11:23:11.42 0
王将の社長が拳銃で撃たれたコト=存在者
出血多量で亡くなったコト=存在者

後者はむしろ「存在者が存在しなくなったコト」だけど、それもコト=存在者???
102ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/19(木) 12:55:21.73 0
>>99
そうですか。失礼しました。
現象において存在者を見出す、ということです。
それは静態的なモノとして、もしくは変化や運動として現前するけれども、悉くコトである。
存在者(コト)たらしめているのは何か、つまり“存在の意味”を問うのが当スレの主旨と解している。
>>100
「現象」とは意識への“直截的な現われ”を指す。君が列挙しているのは伝聞情報。
知らされた出来事、あるいは事件と呼ぶほうが適切。むろんコトであり、存在者といっていってもよい。

>>100>>101が挙げているのは現象(第一次情報)ではなく、伝聞した“コトの意味”である。
コトとは事態、出来事、事件…事象を指すが、そのうち“現象”といえるのは現前の表層。

出血で亡くなったのはイノチ。w もし君がその場にいれば「死体」が現前したはずである。
起きたコト自体は「あった」というしかない。猪瀬…も王将…も、事態は終わっている。
では、何が存在しているのか。それらは、それに興味を抱くものの心的状態として「存在」している。
103【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 14:18:47.56 P
>>102
前スレで散々争ったけど、誤解の無いように考え方を改めたいと思いますww

仮定された概念を、モノ=存在者とします。
営みを捉える「現象」を、コトとします。
仮定された「モノ」による「コト=営み」をイノチとします。
イノチは、「有る・存在・実態」として全てを包括していきます。
また、イノチたらしめている前提としての実体として混在三元論を展開します。

これならば、静態的なモノを「観念論的誤謬」と論ずることができ、物質はそれのみではコトたりえないと言える。
104考える名無しさん:2013/12/19(木) 14:29:21.14 P
テスト
105【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 14:41:44.55 P
>>100
>>101
猪瀬や王将は、「事象の情報としての概念」として、現象に現れている。
この、「事象の情報としての概念=モノ・存在者」が伝播として営まれ、現象=コトに現れる。
これをイノチと呼び、ミームとしても知られている。
猪瀬や王将はそれ自体は事件、事象として存在するが、君が見たニュースでは、「ニュースとして」存在するのだ。
もし、目の前に車が走っているならば、車という存在者の営み=走る、として現象に現れる筈だ。
車という概念と、事件という概念は、同じモノであり存在者だと言えるだろう
106考える名無しさん:2013/12/19(木) 15:16:33.45 i
>>87
理論は常に個々人のアイデア、仮想と結びついている
そのアイデアに訴えかける最初の一撃を僕は経験に求めたい

ここで言う「経験」とは「観察」とか「知覚」とかではなく、
「体験」、「外部からの刺激」みたいなものを想定している

つまり、本を読むのも一つの経験だと僕は考えている
外部からの刺激が自身に対して変革を与えるものならば、
自分の目で見るか、誰かの言葉を聞くか、本を読むか、それらによる違いはどうでもいい

それらは、外部から刺激されて自身に波風を立てるものとして「経験」と一括りにしてしまうならば
知識が経験の蓄積であるということに僕は同意する
107考える名無しさん:2013/12/19(木) 16:39:00.91 0
>>106
>「経験(=外部からの刺激)」を最初に求めたい。

>感情、感覚、知覚の概念、そして「経験」を最初に求める前に、
 これらの概念の基底にある、“物質”の概念をまず明確にすることが
 必要であると思う。

 つまり、「物質」の概念を、デカルトの「心身二元論」から定義するのか又は、
 弁証法的唯物論(一元論)から定義するのかを明確にすることから始める必要がある。
108なぜベス:2013/12/19(木) 17:43:41.14 i
>>107
いや、産まれたての赤子を閉じ込めておいて、何も刺激を与えないで知性がつくられるかというと、そんなことはないと思うんだよね

学習するための外部からの刺激が不可欠だと思うわけです

それは、母親の小言でもいいし、自分で遊ぶ玩具でもいい

世界に対して何らかのアクションをして、
そのアクションに対して何らかの反応が返ってくる
その関係の蓄積をもって、「経験の蓄積」と言うならば
「経験の蓄積」こそが知性にとって重要なものでしょうね
109【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 18:11:08.06 P
>>108
全く違います。
経験の蓄積が知性になるならば、どの動物でも同年齢の知能が等しく無ければならない。
経験の蓄積(専門的には曝露)は、必要条件の一つではあるが、知性というのは、「知覚による区別」です。
つまり、違いを知りカテゴライズ出来る能力と言える。
知識を経験の蓄積とするならば、それは正しいでしょう。
110なぜベス:2013/12/19(木) 18:49:42.18 0
>>109
同年齢の知能が等しいはずがないでしょう
個体によって、能動的にアクションをとるものもいれば、
受動的に刺激を受け入れるだけのものもいるでしょう

赤子の両手両足を縛ってチューブで栄養を送り続けるだけの生活をさせたら
同年齢に比べれば知性の発達は著しく阻害されるでしょう


いいですか、
すべての経験は行動なんです
そもそもですね「受動経験仮説」とでも呼べるような経験はないんです
行動せずに蓄積される経験なんてない
そんなものは幻想です、嘘っぱちでしかない

誰だったかな?
どっかの動物行動学者が「すべての動物はexperienceする」って言葉を残してますが
「動物は実験する」ってニュアンスだそうです

我々は能動的に外的刺激を得ようとする
それが「experience」です
口を開けたら勝手に餌が運ばれるのがexpeprienceではない

知性のバケツ理論と知性のサーチライト理論というものがありますが
バケツにたまる水についてどうこう云々などというものはバカげていると考えます
そもそも、バケツを置いておいたら勝手に水がたまるというのが幻想です

すべての知識はサーチライト、つまり我々のアクションによってしか得られない
111飛べないカラス:2013/12/19(木) 19:15:47.11 i
脳を自由に変えられるようになると知識を外部からインストールするようになる。
112考える名無しさん:2013/12/19(木) 21:16:06.44 0
ドラエモンの世界だね。哲学も一緒。生き方もインストールする。
113【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木) 21:29:12.41 P
>>110
能動だけってのは極論だね。
どうせなら能動的な面と受動的な面の、二つのタイプの経験があるとした方が良いのでは?
114考える名無しさん:2013/12/20(金) 07:59:23.95 0
>>87
あのな、地動説なんざ紀元前からあるんだよ
もちろん観測結果からの論理的帰結として
115考える名無しさん:2013/12/20(金) 08:31:31.96 0
>>114
まあ、それは今では常識だからことさら博識ぶる材料にはならない。
ガリレオの偉大さは教会に脅されるほどに逆らったことにある。
その前には同様に地動説を唱えて火炙りになった科学者がいるからね。
キリスト教神学は1500年間、それこそ常識中の常識謂わばエピステーメーだったんだよ。
ガリレオの地動説の提唱から本当の科学が始まったと言っても過言ではないのだよ。
116考える名無しさん:2013/12/20(金) 10:50:52.17 0
地球が丸い、ってのも古代ギリシャ人は知ってたしな。
117考える名無しさん:2013/12/20(金) 11:10:57.46 0
>>64
今まで膨大な数の化石が発見されてきて系統樹が描かれてきて、少しずつ論証を積み上げるように理論が構築されてきたんであって
一個程度の化石が発見されたぐらいでは理論が覆されないのは当たり前なんでは。
むしろ、無数の化石が発見されて、進化論にそぐわないような化石が沢山出てくるようになったら、反証されると思うよ。
例えば、カンブリア期の地層から急に人類の化石が出てくる、馬の足が急に6本になって4本に戻るような系統樹が発見される。等々。
118なぜベス:2013/12/20(金) 13:48:08.54 0
>>117
無数の化石が発見されたところで、自然淘汰説は覆らないと思います
新しい化石がたくさん発見されれば、新しい系統樹が発見され、今までの進化学は一新されるでしょうね
それでも自然淘汰説は覆らないですよ
どんな化石が発見されようとも進化学の研究は続いていきます

自然淘汰説ってのは、生き物の生死と環境との適応を合理的につなげるための原理ですから
それ自体の真偽を物証によって考察することが困難です
あのポパーが10年ぐらい費やしても反証可能と言えなかったのですから、まずもって反証不可能でしょう
(反証可能性を唱えた当の人ですからね)

しかし、反証可能性の基準は意味の基準ではなく、ただの名称の基準でしかないので
自然淘汰説が反証不可能でも、それが進化学研究において必要な原理ならば科学に組み込んでも問題ないと思います


ちなみにポパーは性淘汰には抵抗があった模様です
環境適応と生存の合理的関連が自然淘汰説の要なので
環境に不適応な能力が淘汰されない原理を導入することは、進化学の研究が崩れるとでも考えたのでしょう
性淘汰には慎重な態度を示しています
119考える名無しさん:2013/12/20(金) 14:05:16.71 0
>>118
カンブリア紀から人類の化石が出てくるのを、自然淘汰でどうやって説明すんのよ。
120なぜベス:2013/12/20(金) 14:22:15.09 0
>>119
系統図か書き換えられるだけで、(どのように書き換えられるかは科学者の仕事)
研究が破棄されるわけではないでしょ

新しい観察があっても研究は終わらない

エディントンの日食が相対性理論の前に観察されたところで
「惑星が自分勝手に軌道を変更する」という原理は採用されないわけですよ
そういう原理を採用すると研究がポシャるからです

で、進化学の研究もそうで、自然淘汰説を採用しないと、進化学の研究は全部ポシャる
すると、どんな新しい観察があったところで、それを研究の枠組み内で説明しようという試みがおきます

カンブリア紀から人類の化石がゴロゴロ出てきたら大騒ぎでしょうね
でも、それで進化学の研究を破棄する人は稀で、ましてや創造論に態度を変える人なんていなくて
自然淘汰の範囲で説明することを研究者は試みるでしょう

そうやって進化学は発展するだけです

僕は無限の知性を持っているわけではないので、進化学がどのような発展をするかは分かりません
しかし、自然淘汰説は死にませんよ
研究者の研究を続ける熱意と、クリエイティブな知性が新しい理論を発見することに賭けます
121考える名無しさん:2013/12/20(金) 14:46:16.62 0
>>120
>>自然淘汰の範囲で説明することを研究者は試みるでしょう
どうやって可能なのよ?それだけではなく、キリンの首がいきなり3メートル伸びたり、日本でカンガルーの化石が発見されたり、
そんなことが大量に起こるのよ?
それ以外にも、脳から遺伝子へ指令が行って、生物が欲求した方向へDNAが変化するような機構が発見されたりしたらどうすんのよ?
122なぜベス:2013/12/20(金) 14:50:51.80 0
>>121
脳から遺伝子に指令が行ってる可能性はとても高いですよ
最近(ここ数カ月)のマウスを使った実験で、獲得形質が遺伝するかもしれないことが発表されてますよ
もしかしたら実験の失敗かもしれませんけど
今までの常識「獲得形質は遺伝しない」が崩れる可能性があります

遺伝子の変化の仕方に突然変異以外の要素が入るかもしれませんね
123考える名無しさん:2013/12/20(金) 14:55:15.83 0
>>122
それが仮に本当だとしたら、既に「遺伝子の突然変異を自然環境が選択し、それが進化の方向性を形作る」
という「自然淘汰による進化論」に対して反証している事になりますよね。
124なぜベス:2013/12/20(金) 15:00:06.32 0
>>123
遺伝子の変化に突然変異以外の要素が加わるかもしれませんね
ところで、「遺伝子の変化は突然変異によってしか起きない」というのはダーウィンの説でしたっけ?
125考える名無しさん:2013/12/20(金) 15:18:53.64 0
>>124
・生物がもつ性質は、同種であっても個体間に違いがあり、そのうちの一部は親から子に伝えられたものである。
・環境収容力は常に生物の繁殖力よりも小さい。そのため、生まれた子のすべてが生存・繁殖することはなく、性質の違いに応じて次世代に
 子を残す期待値に差が生じる。
・つまり有利な形質を持ったものがより多くの子を残す。それが保存され蓄積されることによって進化が起こる。

これがダーウィン本人の説みたいですね。というか「ダーウィニズム」は一般に、ダーウィンの説を受け継いだ浮動遺伝子の自然淘汰による進化論一般を
指すように思いますが。「自然淘汰=自然環境が遺伝子を選択する」という狭い定義だけだったら、DNAが発見された現在では否定しようがないし。
その意味で反証できないというんだったら、そりゃ反証できないんじゃないですか?大体、その定義だったら
「創造論によって人類は生まれた→その人類を自然が選択して残った」、「獲得形質は遺伝する→その獲得された形質が自然によって選択されて残った」
等々なんとでも言えるようになり、なんでも「進化論」になってしまう。
自分は、「ダーウィニズム=突然変異を自然が選択しそれによって進化が方向付けられる」、に限定されるべきだと思いますけど。
126飛べないカラス:2013/12/20(金) 15:20:24.65 i
>>122
ラマルクの説にありますね。
127考える名無しさん:2013/12/20(金) 15:35:43.21 0
トラウマとか生命の危機的状況を経験したときは
その情報が遺伝するって最新の研究で発表してたよな
128考える名無しさん:2013/12/20(金) 15:40:41.38 0
あったあった↓↓
AFPBB News 2013年12月02日 16:42
http://www.afpbb.com/articles/-/3004325

Nature Neuroscience
Parental olfactory experience influences behavior and neural structure in subsequent generations
http://www.nature.com/neuro/journal/vaop/ncurrent/full/nn.3594.html
129考える名無しさん:2013/12/20(金) 15:56:18.74 0
>>124
あれ?なんでレスが途絶えちゃったんだろう?論理の穴を突かれて退散せざるをえなかったのかな。
もうちょっと色んな引き出しが出てくると予想していたが。
130なぜベス:2013/12/20(金) 16:26:39.61 0
>>125
いや、124に書いてあることはそのとおりで、なんでも進化論になりますよ
だからダーウィニズムは反証不可能です
生物の環境適応形質の研究はなんでも研究材料になるから研究はどこまでも進みます

「獲得形質が遺伝しないことをもってのみダーウィニズムと呼ぶならば、ダーウィニズムは反証可能」とおっしゃるなら、その通りでしょうね



>>126
ラマルクの進化論は自然淘汰よりも個体の意思みたいなものの影響を強く見る進化論です
ダーウィンは進化論を最初に唱えたのではなくて、自然淘汰を唱えたことが特徴でして
多種多様な性質が環境への適応というふるいにかけられることで生存する生き物に傾向が出るというものです
131考える名無しさん:2013/12/20(金) 16:51:03.48 0
>>130
>>なんでも進化論になりますよ
>>だからダーウィニズムは反証不可能です
じゃあ、そのダーウィニズムの定義が間違ってると言わざるをえないな。創造論もラマルク主義も包摂してしまうような
進化論はダーウィンも想定していないだろう。
132なぜベス:2013/12/20(金) 16:58:36.00 0
>>131
いえいえ、ダーウィンのポイントはおそらく2つ
1、多種多様な形質をもつ生物がいる
2、環境への適応が非合理的な形質は生存上の不利から淘汰され残らない
この2つであると思われます

ラマルクによれば、キリンの首が長いのは高い木の葉を食べるためですが、
ダーウィンによれば、キリンの首が長いのは、首の短いキリンは生存戦略において不利で生き残らなかっただけです

そして、ラマルクかダーウィンかを実証的な研究をもってして考察することはできないでしょうね
133なぜベス:2013/12/20(金) 17:07:09.57 0
付記

生存戦略における有利不利はその環境に依存する
134なぜベス:2013/12/20(金) 17:08:13.39 0
ところで、128に引用された実験をもってして
ダーウィンからラマルクの進化論になるとはとても思えないんだよね
獲得形質が遺伝したところで、それってダーウィンの反証にもならないし、ラマルクの実証にもならないよね

128の実験がダーウィンの反証になるのかねぇ?
135考える名無しさん:2013/12/20(金) 17:10:15.47 0
>>132
だから、獲得形質が遺伝するような機構が見つかればダーウィニズムに対する反証にはなるでしょ。
それでも、「獲得形質は遺伝する→その獲得された形質が自然によって選択されて残る」を持って、それも自然選択だ
と言うのなら、もう言うことはないけど。
136なぜベス:2013/12/20(金) 17:17:00.58 0
>>135
生物が多種多様な形質をもつに至った経緯についてダーウィンはなんと述べてるんですか?
「突然変異しかありえない」と述べてるんですか?
137なぜベス:2013/12/20(金) 17:19:24.88 0
というか、遺伝子の発見ってダーウィンより後ですよね
138なぜベス:2013/12/20(金) 17:31:21.58 0
ちょっとネットで調べた感じ

DNAと形質の方向が一方通行であることを「セントラル・ドグマ」と言うらしいのですが
セントラル・ドグマはダーウィニズムに必須ではないようですね

さらに2000年以降、セントラル・ドグマを修正する研究が活発なようです
上のマウスの実験も、DNAと形質が一方通行ではなくて相互作用がある一例と見れます
そして、このことはダーウィニズムの反証にはならないようです

ラマルク主義のポイントは「生物の進化には何らかの目標がある。進化には内在的な方向性がある」というところにあるようです
ですから、獲得形質が遺伝したところで、それはダーウィニズムの反証にはならないようです
139考える名無しさん:2013/12/20(金) 17:39:17.82 0
>>138
質問に答えていない。あなたの言う「ダーウィニズム」は、創造論もラマルク用不用説も包摂できてしまうような
物を想定しているんですか?おそらくそんな「ダーウィニズム」は世界の誰も、ダーウィン本人も考えていないだろう。
あなたが勝手に設定した「ダーウィニズム」だ。
140なぜベス:2013/12/20(金) 17:45:09.63 0
>>139
いいえ、ダーウィニズムとラマルク主義は両立しないでしょう。
ダーウィンの進化論のポイントは環境適応型の進化です

ダーウィニズムという時、「自然淘汰による環境適応合理性」を考えています
そしてこれは反証不可能であると考えています
いかなる観察事例も環境適応の合理性を考えることができる
したがって、どんな極端な事例が発見されようと、進化論の研究対象になると考えています
141考える名無しさん:2013/12/20(金) 17:56:40.78 0
>>140
あなたの言う「ダーウィニズム」であるなら、「創造論」も包摂できてしまうという事でいいですね?
それから、用不用説は獲得形質が遺伝するという説です。あなたの「ダーウィニズム」ならこれを包摂できてしまいますよ。
142考える名無しさん:2013/12/20(金) 18:44:46.46 0
最近こんなニュースもありました

【ゲノム】新たな遺伝コードを発見、遺伝子制御に関与か 国際研究
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1386945372/1

新たなDNAコードが獲得形質であるのか否か、それが遺伝するのか
は記事を読んでもよくわかりませんが
143考える名無しさん:2013/12/20(金) 19:33:00.57 0
>>122
>最近(ここ数カ月)のマウスを使った実験で、獲得形質が遺伝するかもしれないことが発表されてますよ
具体的には?
そんな研究聞いたことないけど?

素人がそんな勘違いをしそうな研究は聞いたことがあるが。
144考える名無しさん:2013/12/20(金) 20:13:38.65 0
http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110624_2/
親の受けたストレスは、DNA配列の変化を伴わずに子供に遺伝
−ストレスが影響する非メンデル遺伝学のメカニズムを世界で初めて発見−

これかな。
145考える名無しさん:2013/12/20(金) 20:42:56.90 0
>>144
それ、実験結果が正しいとしても、遺伝的形質は変化してねえんだけどな。
単に次の世代の遺伝子の発現に影響が出た、ってだけで。
146考える名無しさん:2013/12/20(金) 20:46:01.27 0
「とは何か」を問い、それはどのようなものか?を説明する。
これが哲学であり、論理的な説明を現実に帰着させるのが科学技術である。

だが「とは何か」の真理本質のことを説明し存在を浮かび上がらせるのは
哲学ではない。おまえらができるのはこの後者ではない前者だけである。
なぜなら論理に支配され言葉をこえたもの、そして技術を超えたことに
たどり着けないからだ。悟れよ。無駄じゃ無駄なんだよ。w
147考える名無しさん:2013/12/20(金) 20:48:30.15 0
>>145
おまえバカだなw
148考える名無しさん:2013/12/20(金) 20:49:52.94 0
>>147
ちがーーーーーーぅ


とんでもなく、どうしようもない、○●である。
149考える名無しさん:2013/12/20(金) 21:07:38.95 0
>>147
お前がバカなんだよ。
150考える名無しさん:2013/12/20(金) 21:28:58.87 0
>>149
釣りにひっかかるキチガイが1匹、ごくろうさま
151考える名無しさん:2013/12/20(金) 22:03:49.25 0
>>149
人の本質は何に対して感情を出すところに現れる。
見事にでたなw
152「機械的唯物論」者:2013/12/21(土) 00:09:18.55 0
獲得形質が遺伝するか否か?…について、「遺伝する」としていたラマルク主義を
否定できるかもしれない・・・という説があることは理解できます。

極端な話、「ストレス」が「精子あるいは卵子」の「受精能力」に影響を与えることは
容易に想像できることですので、「(否定的な)ストレスを強く受けた個体は子孫を残す
可能性を現象させる」・・・ということはある意味納得できることです。

 そこで問題となるのは「ストレス」とは何か?・・・ということです。
トウモロコシの場合は「日射の影響」等「物理的に定量化されやすいパラメータ」に
なるかもしれませんが、「人間の個体が受けるストレスの量」を定量化するのは
今のところ非常に難しいのか?・・と思われます。
 今頃は「オリンピックの招致を成功させて、来年からは都知事として名を残す仕事が出来るな」
と考え、「年末に向けて、妻の貸金庫にある5000万円を使って豪遊して静養しようかな」とも
考えていた猪瀬前東京都知事にとって、この1ヶ月の「社会的ストレス」はいかように大きかったか?
…想像もつきません。
 彼が「若い愛人」を持っていたとして、その愛人を妊娠させるだけの「精子の力」があったとしても、
最近の一連の「ストレス」によって、それが出来なくなった可能性もあると思われます。

 要するに人間の場合は「社会的な要因」が「子孫の遺伝子に影響を与える」と言えるわけで、
そういう意味で「獲得形質が遺伝しようがしまいが『進化論』に打撃を与えることにはならない」と言える
・・・といことになります。
 
 「地球」というより大きな「環境」を想定すれば、人間(人類)にとっては「社会的な環境」自体が
「進化に影響を与える(自然)環境の一部」になることは別に不思議でもなんでもない
・・ということです。
153「機械的唯物論」者:2013/12/21(土) 00:23:56.76 0
言い換えますと、「物質としての脳と物質としての環境の関係によって生じる『ストレス』」
は「物質としての精巣(の機能)と物質としての卵子(の機能)」に影響を与える可能性は
非常に高いと思われる・・・ということです。

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
154考える名無しさん:2013/12/21(土) 00:30:35.99 0
五感センサーへの刺激から
>「オリンピックの招致を成功させて、来年からは都知事として名を残す仕事が出来るな」
>と考え、「年末に向けて、妻の貸金庫にある5000万円を使って豪遊して静養しようかな」とも
>考えていた猪瀬前東京都知事にとって、この1ヶ月の「社会的ストレス」
と言い換えられたその「ストレス」は、
ある一定の「観念」に依存して形成され、思考上相手への伝達対象として取り扱うことが可能になっている。

そこに観念が無いというのならば、猪瀬の受けた複雑なストレスは、
全て五感への刺激の形で「精算」可能であり、五感上への見積書または「勘定書式」に則った形で記述可能であるはずだ。
155「機械的唯物論」者:2013/12/21(土) 00:34:49.92 0
>>154
猪瀬元知事は「元文学者」ですので、「文学的表現」で「精算」あるいは「定量化」可能
であるかもしれませんが、「自然科学的定量化」を「トウモロコシが受ける紫外線ストレス」
と同程度に「定量化」することは(現時点では)不可能だと申し上げているだけです。

 本日は就寝させて戴きます。
156考える名無しさん:2013/12/21(土) 00:52:03.86 0
ということは、我々が客観的視点から猪瀬さんのストレスを五感の刺激に換算し直して捉える、という話はしておらず、
「猪瀬」という「文学者」特有の観念的世界の中で、猪瀬本人が何に対して疲労しているのか把握していない、というほうが今回のレスの主旨に近い
ということで把握した。
157考える名無しさん:2013/12/21(土) 10:15:12.76 O
スレタイ的にいえば、獲得形質も先天的形質も全く同様に物流法則に支配されるんだから、区別する理由はないんじゃないの?
158Mr.WINWIN:2013/12/21(土) 13:25:58.57 0
>>141
創造論の内容や扱ってる問題は分かりませんが、創造論とは両立しうると思います
進化学を研究することは、創造論の是非の如何に関わらず可能であると考えます


用不用説ですが、誰が用不用を判断するんですかね?
今回の実験で次世代に発露したのはトラウマみたいなものらしいですが、
これはトラウマが進化において有用ということになるんですかね?
ラマルクの進化論は個体の意思がゴールを目指すことが蓄積する進化論なんで
ネズミはトラウマを持とうとしたってことになるんですかね?


で、僕は自然淘汰説を合理性原理として捉えました
研究するために合理性を与えるための原理です
用不用説は研究するための合理性を消去する説のように感じます
ポパー的に言えばアドホックすぎる説(こじつけ的すぎる説)です

生物において獲得形質のすべてが遺伝するわけでもなく、また、遺伝しうるものが少しはあるかもしれない
しかし、遺伝しなかったものを用不用で片付けていては研究は停滞してしまいます
159【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/21(土) 13:48:40.53 P
いや、根本的に主客の一致問題の議論が必要。
機械氏の理論を支えてるのは物質なわけだから、その物質が素朴実在的に客観と一致してなければならない。
他人との了解によって一致を見極めるとしても、もし了解しない人(例えば俺ww)がいたら対話出来ないのだろうか?
自己了解のみは独我論となるが、独我論を超越して客観と一致する事など出来るだろうか?
物質という現象は、主観的に想起している観念。
要するに主観的に構成された世界。
そこを超越して真理に近づくにはどうすれば良いのか。
160考える名無しさん:2013/12/21(土) 13:56:50.67 0
物質が観念のわけないだろアホ
161【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/21(土) 14:09:10.78 P
>>158
コテ変えたんですね。

最新の生物学では、利己的遺伝子説が主流です。
ここでの利己とは、意志なきシステムを指すそうだ。
自然淘汰は結果論に過ぎなく、実際はたんぱく質と遺伝子の相互作用により、遺伝子の利己指向性が優先されている、ということです。
162【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/21(土) 14:20:32.92 P
>>160
素朴実在論者は黙ってなww
一般に猫と発言するとき、猫の知識としての分類全般を想起している。
猫は、目の前の特定の猫(これ)とは一致しない観念だろう。
物質も同じ。
言葉で表現した時点で全て観念。
ここに、存在と存在者の隔たりがある。
163考える名無しさん:2013/12/21(土) 15:00:47.13 0
唯名論にたどり着いたわけ?
164【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/21(土) 15:13:12.18 P
>>163
最初から観念論です。
主観的に構成された世界は、主体が生んだ「いのち」です。
客観世界(自然界)への鳥瞰も構成された(想起している)世界。
これを超越するものが「信仰」としている。
また、信仰の「確かさ」が、他人との了解(納得)です。
165【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/21(土) 15:22:17.74 P
>>164
訂正。
他人の了解と、自分の納得。
確信をもってして主客が一致することはない。
その確信こそが信仰なのだ。
166考える名無しさん:2013/12/21(土) 17:21:20.08 0
>>164
何言っているか自分で理解しているの?ポエムは自分だけで見ろよ。
独り言は1回にまとめて発言しろよ、
167考える名無しさん:2013/12/21(土) 17:25:27.16 0
>>159
>そこを超越して真理に近づくにはどうすれば良いのか。
おまえはその発言でバカをどこまで広めたいの?
168黄檗:2013/12/21(土) 17:29:22.47 0
>>164
貴方の言っていることのほとんどが超越している
よって全て貴方の信仰であろう

信仰の確かさ?なんだその雑な思考は
「確かさ」の根拠を何処に求めるつもりだ
他人の了解と、自分の納得に、か?
自己欺瞞によって世界中を騙した奴が一番「確か」なのか
つまり詐欺師上等ってわけだな

けっこうな思想だな
169考える名無しさん:2013/12/21(土) 19:35:05.76 0
論旨への反論はいいのだが、そこでポエムを引き合いに出すのをしばしばお見受けする
できれば以後やめていただきたい
たびたび詩を侮辱する必要は全くないだろう
170【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/21(土) 21:14:09.74 P
>>166
>>167
>>168
全く反論になってない批判はお返しする。
とっておきたまえ。

近代哲学史は主客の一致問題が最大のテーマであった。
デカルトやバークレーなどのイギリス経験論者、スピノザやライプニッツなどのヨーロッパ哲学者、カントやヘーゲルなどのドイツ観念論者、皆この問題を考察していた。
それでも一致する証明が完全に出来た哲人はいない。
君らにそれが出来るなどとは全く思ってないがwwもし出来ると思うならその理論を聴いてやるよww
171考える名無しさん:2013/12/21(土) 21:19:34.44 0
>>159
>自己了解のみは独我論(超越論的主観)となるが、独我論を超越して“客観と一致”する
 ことなど出来るだろうか。

>この主観と客観の一致は、デカルト以後、西洋の哲学者が求めてきた難問であり、今日でも
 この哲学上の難問は、解決されていない。 
172考える名無しさん:2013/12/21(土) 22:54:09.96 0
主客の一致をあきらめてみてはどうかね?
どういう点で看過できない問題が起こるのだろうか?
173考える名無しさん:2013/12/21(土) 23:31:05.28 0
主客一致など無理だろう
有り得ない
174【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/22(日) 00:52:13.90 P
>>172
とっくに諦めているよww
絶対に一致しないという証明の方が楽そうだしね。
生活上は特に問題は起こらないが、社会や世界全体を客観的に鳥瞰しようとするとき、ズレが生じるのだ。
主客一致を否定すると、素朴実在論者がバカだのポエムだの喚くしねww
フッサールはこの問題を「方法的独我論」によって解決(還元)しようとする。

我々が持つ主客一致への確信が「信仰」であることを認め、どのように世界全体を「真理」に近づけるか、がテーマであろう。
175飛べないカラス:2013/12/22(日) 03:38:22.62 i
目の前のスプーンという対象を知る場合、スプーンがそのまま頭にコピーされるのでは
無いのだから、この差異があるのは明白。
176考える名無しさん:2013/12/22(日) 03:48:37.23 0
>>170
病気がさらに進行しているイノチ君
177考える名無しさん:2013/12/22(日) 09:52:46.92 0
>>172
「心(=主観)と身体(=客観)のどちらが実体か、両者はどうつながっているのか」
という心身問題の難問。

自然科学は、世界を精密な因果的な秩序として解明することに成功したが、しかし自然科学の
知こそが客観的で絶対的なものだとすると、精神に関わる事柄についてはどう考えれば良いのか、
と言う疑問が提起される。

自然科学は、人間の“精神”、根源的な“命”に関する分野に対応することが理論的(前提を設定
出来ない事象)に出来ないという欠点を持っている。

その為に、人文分野、医学(生命に関する)分野に於ける種々の課題が解決出来ないのが現状です。
主観(=心)と客観(=身体)の理論的な一致は、“信仰”ではなく“論理”として確立することが求められている。
178考える名無しさん:2013/12/22(日) 10:52:53.58 0
>>177
一口に医学と言っても、外科と心療内科はまるで違うだろうけどね。
外科医は結局「手術の成績」が評価のすべてであって、患者の肉体を
「物体」だと思わなければ出来ないし仕事だし、それでいい。
方や、心療内科は患者の「人間としての心」を把握することが重要。
179黄檗:2013/12/22(日) 11:27:35.67 O
>>170
主客などという二項対立構造にするから、
信仰だとかケツをまくるしかないのだ

何だその『主客』とは?
貴方の頭の中にある「客観」とは何だ?
「見られるもの」の意味か?
それは「見るもの」無しに意味を持つのか持たないのか

それとも貴方の考える「客観」とは主観そのものの源泉としてある
物自体のごときものとして考えているのか

思想家を目指すのなら、己がどれほどの思考深度にあるのかを自覚し
私ごときのポンコツは完膚無きまでに粉砕したまえ
それができなければ貴方は、いつまで経っても虫けらのままだ
180考える名無しさん:2013/12/22(日) 13:48:25.96 0
>>179
それは主客とかを分離してすら思考ができないバカが覚えたての
その思考方法で俺正義しているだけだろう。
二項対立構造のようなものを完全排除するべきじゃなく、それだけに
固執したバカを正してあげるべきだろうな。
いのち一元君のそれは区切り分離しえないその二項対立構造を具体化し
普遍のような原理と錯覚してしまうところだろう。
>>177
それは因果関係で説明される類ではない、難問ではなく解いてはいけない
問題であることに気が付くべき。因果関係以外で成立する現象に
無知かそれを完全に拒絶しているとしか思わないわ。
181考える名無しさん:2013/12/22(日) 14:30:42.81 0
>>180
「主客一致」の問題が、因果関係以外で成立する“現象”とは、
どの様な“現象”でしょうか。
182じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/22(日) 17:03:18.02 0
>>79 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/18(水)
>じいさんの定義を採用すると感覚も感情も主観となる。それだけのこと。
>>95 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/19(木)
>前スレでのじいさんとのやりとりの様に、定義すら全く了解されない場合も多いので一筋縄ではいかないのが難点です。

全く其の通り。

じいさん的には常識である主観の定義から始めているつもりがら 貴方の解釈(=認識)は常軌を逸している。
例えば・・・・・・・・・・前スレの・・・・・

>>833 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/09(月)
>意志は客観で間違いありません。
>心も主観の領域と客観の領域に分けられます。
>気付く前の感情や感覚や意志を無意識と呼び、それは気づいてない故に客観なわけです。

>>867 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/11(水)
>主観と客観を「見るものと見られるもの」に分けるのならば、感情もまた見られるものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
びっくり仰天です、意志や感情を客観と定義する人をじいさんは貴方以外知りません。
183じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/22(日) 17:04:59.57 0
>>82 :「機械的唯物論」者:2013/12/19(木)
>私は男ですけれど、「そのモード」 で(カーナビを)設定しますし、歩いて行くときも両者の「モード」を 適宜切り替えることが出来ます。

しかしあなたは・・・・・・

>>31 :「機械的唯物論」者:2013/12/18(水)
>要するに我々は「(右へ1km行って・・・左側にあるとかの)主観モード」で、
方向を説明するのに対し、

と言っているではないか???

>「モード」を 適宜切り替える

ならば最初からそういえば良いだろう、それなら貴方を女脳と誤解することは無かった。
184じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/22(日) 17:26:33.47 0
>>93 :考える名無しさん:2013/12/19(木)
>機械さんの言う問題は日常レベルの国語力の問題であってこの「場」のレベルを反映していません

仰るとおりですね。
しかしそれはやむをえない事なんですよ。
機械さんは >>1 に於いて「全観念論は徒労です。」と結論しているので、意識と言う観念について議論を深める事に参加出来ないのです、自縛状態ですね。
それどろか「眠い」等と言うような感情(=主観)すらも口に出せず「脳無い(訂正=内)物質がどうのこうので・・・就寝します」と言う表現しか言えなくなっているのです。
可哀相な人です。
185じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/22(日) 17:34:43.40 0
>>98 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/19(木)
>“主観”とか“経験”によって「原風景」が刻まれる前に《感覚》は息づいていて、これに快/不快の“情”が惹起される。

この文章って・・・・書き直して・・・。
「“主観”とか“経験”によって「風景」が知覚される前に「原風景」《背景感情》は息づいる。」

このほうが自然な描写だと思うが・・・。
186考える名無しさん:2013/12/22(日) 19:04:57.85 0
>>181
たとえば観測が不可能な世界や空間があるというのは
具体的にどういうものでしょうか?
187飛べないカラス:2013/12/22(日) 22:16:48.13 i
思考以前の自分の能力を使うことには理由を示せないのです。
188飛べないカラス:2013/12/22(日) 22:19:18.93 i
自分の主観が同時にひとつだと思っている人はロボトミー手術されたら
ふたつだと気付くでしょう。
189考える名無しさん:2013/12/22(日) 23:34:17.70 0
多重人格ってプリテンドぢゃないんよ
190考える名無しさん:2013/12/22(日) 23:35:30.21 0
自由意思は実は無いんだ

つうのは単に運動野のことだけじゃね?
191「機械的唯物論」者:2013/12/22(日) 23:35:34.99 0
>>183
>ならば最初からそういえば良いだろう、それなら貴方を女脳と誤解することは無かった。

いや、すみません。今時「女脳」とか「男脳」とか、前世紀の遺物のような大脳に関する
知識で、自信ありげにものを言う方が存在すること自体「????」だったもので・・・。
192「機械的唯物論」者:2013/12/22(日) 23:47:34.46 0
まあ、私の説明が拙かったせいで、「方向について『絶対的座標』の語彙しかない言語(ラング)」
が存在することが「非常に興味深い」と申し上げただけのことで、その「なぜ興味深いのか?」と
いう「意義のキモ」について、じいさんさんの知識を超えてしまっていたことについては、
「致し方ない」と思うだけで、「知識や想像力が足りない」方に「これは不思議ですね」と
言っても無駄なことは間違いないと思います。
 「観念論的誤謬」の病巣はそこまで深く「自称知識人」の脳内に食い込んでいる
・・ということを思い知らされるだけのことです。

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により(「眠い」ということは「科学的」にそういうことなのです)
就寝させて戴きます。
193考える名無しさん:2013/12/22(日) 23:49:37.46 0
新しいトレンドなんだけどね。「観測」って言って視覚に頼りすぎている。
だから光の性質に右往左往することになる。
聴覚を使った測定器の開発。(味覚でもいいんだけど。)
聴診器の復権。
194考える名無しさん:2013/12/22(日) 23:59:08.55 0
>>192
機械はロゴス中心主義者だな
195「機械的唯物論」者:2013/12/23(月) 00:05:28.94 0
>>194
まあ、デリダさんの著書を(苦労して)読み解くのは「時間の無駄=徒労」
だと思っていますし、「間違い」だと思う方は日本語訳でもいいですから
『グラマトロジーについて』をお読みになったら良いかと思いますが、
「観念論は結局究極的に『時間の無駄=徒労』」だと思い知るか、それまでに
寿命を迎えるか・・・のどちらかだと思います。

 本日は就寝させて戴きます。
196考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:11:04.18 0
デリダはよくわからないが、論理学せよ観念論にせよ科学にせよ
それで「真理」に到達するというのは幻想だろうね。
人間はそれほど優れた頭脳を持っているわけでもないから、想像を超えるようなことは
やはり理解することも不可能なんだろうし。
まあ主義主張の是非の問題以前のことになるかな…。
197「機械的唯物論」者:2013/12/23(月) 00:18:28.47 0
>>196
@「真理」は存在する
A「(自然)科学」の正当性は「真理に近づいているか否か?」でしか
 検証できない。
・・ということです。

 「主義主張の是非の問題なんて「哲学」では意味を持たないのは「自明」です。

カラオケで10曲以上歌ったせいか、本当に眠くて仕方がないので、就寝させて戴きます。
198考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:26:08.98 0
ことはかりの能力がないものは、すべてをものはかりとして意図づける。

真理はことのありようで有り、もののありかたでは非ず。
ものをいえても、ことをいうのはおろかである。
>>197
実在といわずに存在というのは、事実ではなく真実として語っているだけである。
それは機械さんの真実である。
199考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:29:24.14 0
ものとはありかたであって、ことはありようである、

その違いは教科書や辞書には説明されていない。故に言葉に支配され言葉におぼれた
人は言葉に流され言葉の真理にはたどり着けない。そして違いすら認知できない
奴は単に意味不明と開き直るだけである。
200考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:32:34.07 0
機械氏よもう寝ていいですよ、おやすみなさい。
>@A、それはどうだろうなあ、そういうことを言い切れること自体に問題があると思うよ。
どんな人間でも「広義の主義主張」ということでは、何かあるでしょう。
どんな学問体系であっても、それすら一つの考え方というバリエーションに過ぎません。
だから無駄だとは全く思わないけれども、人間の「理解」というのはやはり「置き換え」に過ぎないですから
やっぱり「広義の幻想」なんですよ。
そういう差異がわかっていないと、「真理は存在する」という奇妙な言説が出てきますよね。
201考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:36:21.26 0
真理は理解するものではない、言葉で説明するものでもない、
認知するものでもなく、受け入れるものである。

真理は神を受け入れるように信じるものであって、真理の仕組みや原理など
ありえない。
202考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:38:15.73 0
>>200
機械氏が自然科学に傾倒している理由は、この2〜30年の自然科学の進歩が
目覚ましいからだと思う。
そのことを理解しているのはたぶん「科学ヲタク」である機械氏とか一部の理系の
訪問者だけだろう
203考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:42:59.30 0
真理と言ってしまうと、そういう実体があるように考えてしまうんだろうね。
だからやはり「真理は存在する」という表現は実にマズイ。
真理を「到達するための目標」と想定しても、それはやはり問題だよね。
機械氏ってやはりプラトン主義みたいなところがあるよ。
もっと言えば、「表層の思考」であって、不用意な発言が多すぎる。
204考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:44:36.62 0
>>201
年末に「神を信じれば永年の生命が約束されます」という史上最大の嘘を
振りまいてる輩なんだろうけど、自分だけ「永年の生命」を得られればいいじゃないか?
他の人の「永遠の生命」なんて、なんで勧めるのか?
「余計なお世話」を超えて「余計な干渉」さえ超えてるよ。

 お前は「永遠の生命」を選択すればいいけど、他の人は「永遠の退屈」より
「安らかな終焉」を選択する権利(神がどう干渉しようが)あるんだよ。
205考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:47:08.61 0
>>202
たしかに科学の進歩は目覚ましいけれども、それだってたかがしれている。
火星とか他の惑星に行けないどころか、深海の最深部にすら人間は行っていない。
地球のマントルの中にだって入った人はいないし。
たかがしれているんですよ。
206考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:47:58.40 0
>>204
嘘ではない、神を信じることで神との関係が生じる、これを存在といい。
それは信じた人の心との働きを説明することである、
他のものが言う実在ではない、君は真実と事実の違いすら区別できない池沼かね?
神を偶像化して神の働きを、神を主体にしたような言い回しで身勝手に
妄想するのは良いが、それが何である。
神と思えば神を意識すること、即ち神への態度そのものが神の存在であり、
神と我の働きがその真理である。
207考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:51:57.49 0
>>203
じゃあ「『真理』は絶対に存在しない主義」者というコテハンで、
暫く持ちこたえてみたらどうかな?
結構受けるかもしれん。
208200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:54:59.24 0
>>206
(横レスごめん)
もちろん神を信じようが信じまいが人の自由だけれど、このスレでは実証できないということではげ「幻覚」と一緒。
だからうかつに「神」を持ち出すのはやめようよ。
信じることが先にある行為が信仰なのはよく理解しているつもりだし、スウェーデンボルグも全く同じことを言っているし。
でもそういう論理はやはりこのスレでは残念ながら「矛盾」だ。
209考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:55:15.87 0
>>206
地球という存在を聖書が書いたか?
進化論を実証する各種の化石の発見をノアの箱舟創造説で説明できるか?

いまどきキリスト教なんて信じるのは、脳の機能が幼児から成長してない病気なんだよ。
210200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 00:58:59.22 0
>>207
×真理は存在する
○真理は絶対に存在しない
     
あのねえ、これは実は神の存在ぎろんと全く同じ類の論理構造なんだよ。
だから、真理を神と置き換えてもいいだろうし。
それは>>208のレスと同じ内容になるから参照しておくれ。
211考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:04:19.54 0
>>206
だから、自分だけ神を信じて「真理」を理解してるから永遠の生命を得られる
と本当に信じているなら、他人がそう信じなくても何の不都合も生じないはずだろ?

そんなこと多数決で決まることじゃないんだから、他人を「馬鹿な狂信」に勧誘する
動機なんかないはずだろ?
 なぜならば、「時分は永遠の生命を得られている」んだから、・・・まさか
神様に「他に100人信者を獲得しなければ永年の生命は保証できないかも・・」とか
脅されている・・・という疑念を生じるから、他人は他人の自由意思に任せた方がよくない?
212考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:06:11.67 0
>>210
自然科学を全く知らない文科系のバカはそういうことを信じて生きていけるんだなw
213200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:09:29.86 0
>>212
おいおい俺は「神」も「真理」も、それが存在することを信じることから始まるのを批判しているだけ。
意味はわかるかな。
214考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:13:06.73 0
自然科学をある程度理解できたら、いまどき神がどうとか言い出すことはありえない。

自然科学を全く理解できない人類も存在するし、彼らが自然科学の恩恵についても全く

意識できてないとしても、何にも言えない・・・・というのはやはり

機械氏の言う「観念論的誤謬」というのは相当根深いものがあるということか。
215200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:16:14.14 0
機械氏自身がじつは「実体論者」なんだよ。
「唯物論」だと自分では言っているけれども、違う。
彼は正確には「実体論者」だ。
216考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:18:22.08 0
>>213
「何かを信じること」を自体が「批判されるべき」だという単純な「説」は
「何」を根拠(疑えないモノ=信じる対象)にしてそう主張できるとするのかな?
217考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:19:53.95 0
>>208
おまえ頭大丈夫?
それが幻覚で切り捨てられるならカルト宗教も宗教の信者も存在しないことになる。
神とはいわないがそういう実在しない存在によって実態が形成されるかぎり
幻想が原因で起こる現象が存在している、カルト宗教は人間の行動だから
神とは関係ない、原子や分子現象にすぎない、素粒子の動きにすぎないと
詭弁を並べるのと同じだ、自分の思考のなさを反省しろ。
218考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:20:30.16 0
>>215
まあ、「真理は実在する」と言ってるんだから、そうだろうけどね。
219200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:21:20.57 0
>>216
そんなことは言ってない。
>「神」も「真理」も、それが存在することを信じることから始まるのを批判している
無根拠の盲信行為を批判しているんだよ。
220Mr.winwin:2013/12/23(月) 01:23:12.93 0
>>219
あなたの219の発言はどのような根拠から発言されてるのですか?
ご自身の発言は根拠がない盲信行為でもよいとお考えですか?
221考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:24:01.21 0
>>200
日本語が理解できない人ですか?
中学生かなにか?
222200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:24:36.98 0
おい、レス番くらいは名無しの頭につけてくれよ皆さん。
返答できんよ。
223考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:24:37.06 0
>200
おまえバカだろw
224考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:25:18.95 0
>>222
だいじょうぶ?
225Mr.winwin:2013/12/23(月) 01:26:08.25 0
さすがはセントラルドグマだなw
これは観念論のセントラルドグマなんだよね
226200 考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:29:11.38 0
なんかここはいつも意味のないテロレスが多いよね。
名無しのテロレス。
そんなに沢山いるはずがないんだからさw
227考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:30:33.74 0
h ttp://www.youtube.com/watch?v=r-IyoJza_ro

「なんなんだよキリシマいねえしおかしいのに絡まれるし」
「(それを求めてる)おまえらのほうがおかしいじゃないか!」
228Mr.winwin:2013/12/23(月) 01:32:31.05 0
でも、このドグマが哲学の世界では蔓延しているわけで
悪文の量産につながってると思うんだよね

どうすれば悪文が減るか
それは「分かりやすさ」の価値を訴えなければならないし
それには「真理」の価値を訴えなければ悪文は減らない気がするんだよね
229考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:34:15.50 0
>>228
キチガイwinwinwwwwwwwww即死せよwwwwww
230Mr.winwin:2013/12/23(月) 01:36:35.34 0
>>226
彼らだって、何らかの立場に立つからそのような発言をするわけであり
彼らが指摘しようとしているものはある

僕だって、彼らと立場を同じにする
僕もまた、根拠なく真理の存在を前提とする
(でも、根拠がない以上、「バカ」呼ばわりはしないけどね)

なんで根拠が必要なのか
相手に説明してみようとする試みは必要なんじゃないかな?
231考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:38:23.44 0
>>226
なんの根拠もなく妄想しているお前ってw
232考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:39:26.20 0
「真理」が存在しないと仮に仮定すれば、

全ての言説は「真理から遠ざかる」「真理の周りを回る」「真理に近づく」

のいずれでも「無い」・・・要するに「単なるばあさんの世間話」と同じ

ということになる。 そこで「哲学・思想」なんて終わってることを認めようや。
233Mr.winwin:2013/12/23(月) 01:41:05.72 0
>>229
「真理」以外の別の表現があるだろうか
「正しさ」「トゥルー」「言葉の内容」「意味」
なんて言うんだろうね

「真理」って言葉は不当に差別されてるように感じるよ
その言葉の本来の意味で叩かれてない
234考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:41:12.18 0
名無しだから発狂しているっていうのかえ?
                    
とんでもにゃ〜だ 名無し=波平 なのだよ (・ω<)♪
                          
235考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:45:33.10 0
>>233
じゃ、お前は機械と同じように「真理は存在する」と断言するの?
236考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:46:14.20 0
哲学は抽象的思考が出来ない奴がやるもんじゃない、

具体性しか理解できない君は教科書でも読んでいればいい。
237考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:47:33.00 0
>>235
国語ができていないな。存在と実在が何故2つあるかすら理解できていないぞ。
"存"の言葉の起源から学びなおせよ。
238考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:49:35.42 0
哲学はオナニーじゃないということがどうしてわからないのかね
哲学はSEXなんだよ
239考える名無しさん:2013/12/23(月) 01:49:50.13 0
>>236
すいません。「具体性しか理解」って抽象的すぎて理解できません。
240Mr.winwin:2013/12/23(月) 02:03:03.34 0
>>235
はい、断言します。
テヘペロする可能性はありますが、断言する価値があります。
「真理はある」という信念は僕の言語行為における中核です

なぜなら、言葉において虚偽が存在すると僕は考えるからです
そして、虚偽が存在する以上、トゥルーはなければなりません

trueとfalse、この2つを区別しtrueを価値づけることは、言語行為において最も重要な価値であると考えます
241考える名無しさん:2013/12/23(月) 02:17:48.02 0
>>239
具体例をあげないと思考ができないのって数学オンチだろ
大学以降の数学だと具体性のかけらもないぞ、抽象のきわみだwwwww
242考える名無しさん:2013/12/23(月) 02:28:32.25 0
>>227
「where are you going ?」
「i have something....you ?」
「training of course」

「why don't you stop ?」
「until my draft is done」

・・・・

「これが答えなのは絶対に間違いありません。
あえて正直に申し上げれば、
なにが問いなのかあなたがたはよくわかっていない。
それが問題なのだと思います。」

「わかっているとも、深遠な疑問だ!
生命、宇宙、その他もろもろについての普遍的な疑問だ!」

「たしかに」ディープ・ソートは、愚か者に穏やかに言って聞かせるような口調で言った。
「ですが、具体的にはどういう問いですか?」

                 (『銀河ヒッチハイクガイド』 ダグラス・アダムス)
243飛べないカラス:2013/12/23(月) 06:29:52.91 i
自分の主張を真理としているに過ぎない。
244Mr.winwin:2013/12/23(月) 10:12:31.39 i
真なる言明とは具体的にどのようなものか?
この問題に対しての回答は「われおもうゆえにわれあり」でしょうね

「わたしは存在する」は真であり、「わたしは存在しない」は偽である
(ここで言う「わたし」とはそれ自身のことです)

つまり、
言明P. 言明Pは存在する
言明P. 言明Pは存在しない

これが、それぞれ真なる言明と偽なる言明との区別であり、
言葉において価値づけられる区別であると考えます
245考える名無しさん:2013/12/23(月) 11:23:16.59 O
「言明P」と「わたし」は意味が違うだろう。
246考える名無しさん:2013/12/23(月) 11:46:20.80 0
どう考えても機械的唯物論しか真理はない。
あらゆる迷妄を排除した果ての結論といえる。
247ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/23(月) 12:51:13.56 0
>>244
結局、君はそこ(真理教)に落ち込んでしまう。
前スレで予想したように、何回コテを変えようとも君は繰り返す。

コギトをもちだすあたり、あれほどケナしていた最高位と同じだね。w
今日的な解釈ではコギトは“真”ではない。“私”が意味不明だからだ。
“私”とは何?答えられまい。

もし、それが“真”なら「存在する私は存在する(私である)」場合に限られる。
君が幾度も強調したように“真”は同語反復的言述においてしか成立しないからである。
しかし、それは言述の外に“対応”するものを有しない。つまり“仮設”である。
248Mr.winwin:2013/12/23(月) 13:26:20.15 i
>>247
あなたはつくづく数学センスがないですね。

あなたは「今日的な解釈ではコギトは真ではない」と書きました
あなたは「真」という単語で何を説明しようとしたんですか?
意味不明な言葉を羅列したのですか?
ただ、たんに難癖をつけたかっただけですか?
それとも何か内容のあることを言おうとしたのですか?

247における「真」という単語を用いて語ろうとしたことはなんなのですか?
249ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/23(月) 13:28:18.74 0
>>185
じいさんにもわかりやすく「生誕」時を例示している。
生まれながら新生児が原風景(背景感情)をもっている、というのなら別。
そのようなものなしに、彼(彼女)は生まれながら感じ、感情を発露する(泣く)。
これを繰り返すことによって、知覚できるようになる。
“原風景(記憶)”が生じるのは、そのあとだろう。
250Mr.winwin:2013/12/23(月) 13:39:08.93 i
>>245
「わたし」とは指示語です。
人によって指示対象は異なる
それは「君」だろうが同じです

「わたし」も「君」も指示対象が受け手によって変わることがポイントなんです

この曖昧な表現を数学で扱うことはできるか?
できてしまう

このことを考察するならば、数学なり論理なりが前提にしていることが垣間見れます
その前提とは「真理」を前提としていることです

デカルトが疑えないとしたのは自分自身ではありません
疑いそのものの存在です

「〜は疑える」という疑いの存在が疑えない、ということであり
問題を抽出するならば、これは自己言及命題について問うてます
251ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/23(月) 14:03:35.59 0
>>248
辞書で調べなさい。それとも君は特別な隠語として“真”を用いているのかな?

コギトが“真”といいうるのは「私」を曖昧にしたままの言述だから。
「私はある(存在する)」というのは一見、不可疑におもえる。では、この「私」とは何?
それに答えられぬから、君は例によって余計なことを並べたてて話を逸らそうとしている。w

もう一つはコギトが「存在する私は存在する」の構文になっていることだ。この場合も反証は難しい。

そういえば少し前に君は「自然淘汰(自然選択)」を反証不可能としていた。
名無しに突っ込まれたように、それは君の解釈が茫洋としているから。
もしくは“自然淘汰”が同語反復的だから。
252【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/23(月) 14:20:07.09 P
>>179
中観派などは、二項対立自体を否定するが、これを否定するとなると近代哲学者の考察は全て徒労となる。

主客は普通に観るもの観られるものの分類。
見るもの無しにってのは実在のことか?
1.方法的独我論によって、実在だと想起している世界も、知覚している客観も、概念も物自体(という概念)も全て「私」が構成した観念世界であると仮定する。
2.では、そのような観念世界を構成している「私」の起源は何か?
それは当然自分(身体)であり、意識的な構成している客観(観念世界)と、無意識的な構成以前の客観(自然世界)が、「相似」の関係であることがわかる。
3.故に、観念世界の内の主客は一致しているが、観念世界と自然世界(観念世界以前という仮定)との主客は「相似」故に一致しない。
4.・・・というのも観念だろうってのが無限ループになるのでww、自然世界という「仮定」は、「信仰」によって真実在だと「断定」するのです。

だから俺は、自然科学は正しいとしながらも、自然世界とは「相似」であることを断定する。
253ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/23(月) 14:23:49.03 0
>>250
新規スレがたったとき、せっかく“真/偽”をゴミ箱に捨てたのに…w
信仰(思い込み)の力は、かほどまでに強いということなのだろう。“他山の石”としたい。

その“指示語”の指示の主語は何? つまり、何が指示しているの?

「疑ぃ(の存在)を疑ぃえない…」でいいが、では“疑いえない”のは何がそのように確信しているのか?
まさか“私”ではないだろうな? w
254【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/23(月) 14:57:20.34 P
>>182
じいさんは主観の定義が庶民的すぎるのですww

1.感情を通した自分の考え
2.見るもの、知るものという、対象を認識(意識)している主体(=私)

庶民の日常会話なら1、哲学なら2。
255考える名無しさん:2013/12/23(月) 15:35:27.52 0
“矛盾”的な“捻れ”とつき合っていく事が、基礎付けの基礎や
充足理由率を求め疑い続けることだとすると

1 合理主義者はメビウスの帯をセンターラインで切っていく感じ
2 批判的合理主義者は帯の幅の1/3(=not center)で切っていく感じ

1だと一周したら終わり。潔い人生wと言えなくもない。
2だと2周したら終わり。でも捻れた帯は残る(幅1/3×3のセンター部)ので
生まれ変わったかの様に、またそのメビウスを1/3で切っていける。
澱(メビウスでは無くなった部分)は溜っていくが、理論上は永遠に繰り返せる。

さて、真理とは矛盾ではないかw
256【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/23(月) 16:22:43.79 P
>>252
訂正
2.の客観(自然世界)は、主体(観念世界)に対立する意味での客体(自然世界)の誤り
257Mr.winwin:2013/12/23(月) 17:10:30.78 i
>>255
面白い見解です。

さて、世界は矛盾しているかもしれませんが、
僕は「世界は矛盾してない」という信念を持ってます
258Mr.winwin:2013/12/23(月) 17:20:57.12 i
>>251
「真理」はもはや哲学界の隠語かもしれませんね

同時多発テロ以来、「テロ」という言葉は氾濫していますが、別の意味で使われてます
本来は「恐怖主義」って意味なんですけどね
テラーから由来してテロリズムなんですが、今や「反体制主義」を指して「テロリズム」です

言葉の意味とは使われ方です
また、言葉の使われ方は時代と共に変わるものです
辞書は人のコミュニティにおける言葉の使われ方をまとめたものです

「〜とは何か?」という問いは、単語の意味を問う問いであり、それは辞書をつくる問いでしかない
はっきり言えば、パフォーマンスとしての問いでしかない

具体的に思考を進めたいならば、「〜とは何か?」という問いを建てるべきではないんですよ
259Mr.winwin:2013/12/23(月) 17:25:20.61 i
>>253
ちょっと何言ってるかわかんないです
(サンドウィッチマンのコントのまね)

デカルトはラテン語で書いたわけですが、ラテン語は主語がないんですよ
主語がない外国語だってあるわけです
翻訳の過程で主語を補って訳して、「わたし」が付け加えられただけです
デカルトの問題において「わたし」は重要ではないし、そこに拘泥するようでは哲学問題から外れてしまいます

デカルトの問題は、懐疑論に対抗しようとしたことにあり、理と非理の問題につながります。
デカルトスレでも「トマス・アクィナスを読め」と書かれたりしてます。
コギトの論証のエッセンスはこの部分にある
最高位のように「わたし」に拘るのは、搾りかすと戯れるようなものです
(ゴミを大事にありがたがる最高位には冷ややかな視線を送ってしまいます)

で、主語は何か?って話題ですが
「わたし」や「君」が主語で、主語の主語を質問されても返答に困ってしまいます
そんなものあるんですか?
誰が発言しようと構わない

「あなたは日本語を理解できますか?」という質問は誰が発言しても構いません
その質問に対して「いいえ」と真面目に答えることが我々はできないのです
これこそが、デカルトが問題にしたことです
なんで、こんなことが起こるのか?
不思議ですね


さて、最後に「誰が疑い得ないのか?」についてですが、
デカルトは「懐疑論者の強固な反論にも耐えられるくらい疑い得ない」と書いてますから、「誰でも」ではないでしょうか?

まぁ、デカルトが想定していたのは「理性を持った人間」でしょうから、
現代のヒューマニズム批判などは当てはまってしまうでしょうけどね
260考える名無しさん:2013/12/23(月) 19:09:39.93 0
もし、実在の有と無の連続性が解明されたら(無理か)
創造主や神はもう要請されないかも(これも無理かw)
261【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/23(月) 21:27:52.46 P
>>260
いや、その考え方ではダメだろう。
自然科学含め、全ての思想はある意味フィクション故に、有用な真理を創造することに価値を置くことが重要だ。

近代哲学で難問とされた「主観-客観」問題は、現代思想において「主体-構造」の難問へと移行している。
俺はこの二つの問題をうまく解き明かす「真理」を創造することを目指している。
262考える名無しさん:2013/12/23(月) 21:38:44.47 0
>>243
それが真実なのに事実と混同しちゃうのは何でなの?
なんで区別できないやつに詳しく説明しても同一だと思い込むんだろうね?
263260:2013/12/23(月) 22:03:01.60 0
個人的には真理は、有用無用的な“益”にコミットメントする経済概念をも
超越していると思うけど、思想はその限りにあらずですかね
「主体-構造」は、ポパー・ハイエク路線とかはいい感じじゃないですか
ちらっとどこかで読んだだけなので、まだまだよくはわかりませんが
がんばって下さい

あと255充足理由率->充足理由律
264Mr.winwin:2013/12/23(月) 22:39:27.47 i
>>262
それについては深く考えたことはありませんでした。

おそらく、問いの共有がなされていないということが肝心な部分だと思います
この問いは、「理」の側から「非理」を向いた時に起きる問いです

ですから、非理についてまともに向き合わなければ、なかなかに理解されない問題なのだと思います
(世の中が理一辺倒ならば問いそのものが成り立たない)
そういう点では、非合理主義者の存在とは、とても価値があるものなのでしょう

クローン人間なりキメラ人間なりが誕生することで倫理が新しく問われるように、
実際にそのような人と向き合うかどうかというのが、思考が進展するポイントになるのかもしれません
もしくは、そのような人を想像できるかどうか、想像力も大事なのかもしれません


僕も機械君と会うことで理念を先鋭化させました
12年ぐらい前の僕は、形而上学について語らずに科学の周辺理論ばかり扱ってましたし、機械君が何を言ってるのか理解できませんでした
僕が形而上学の世界にどっぷり浸かったのは機械君と対話するためですし、そのおかげで考えはだいぶスリムになった気がします
265考える名無しさん:2013/12/23(月) 22:48:15.51 0
機械の思考が恐ろしく歪んでいることに気が付けば一人前です。
266【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/23(月) 23:33:45.62 P
確かに、批判や反対意見は思想の進化にとても有用であった。
実際このスレ来て批判にさらされることで、自分の思想が変化しているのを実感している。
思想の根底を揺るがす程の反論にはまだお目にかからないがねww
267考える名無しさん:2013/12/23(月) 23:38:15.80 0
>>261
>「主観−客観」問題は、現代哲学において「主体−構造」の難問へと
 移行している。

 上記の「主体−構造」の“構造”とは、構造主義に於ける階層的な“構造”の
 概念でしょうか?
268考える名無しさん:2013/12/23(月) 23:48:32.15 0
>>261
揚げ足を取るつもりは全くないのですが、真理というのは発見するものでは
なくて創造するものなわけでしょうか。
269考える名無しさん:2013/12/23(月) 23:49:31.15 0
>>265
たしかに機械先生はスタティックな考え方だよな
270考える名無しさん:2013/12/24(火) 01:19:58.99 0
>>269
過去に完成している知識を再利用してそれを彼なりに語るのはできるが
これから形作る設計の領域で1歩1歩ふみだし見えないものを既存知識を
ベースに体系作る能力は恐ろしく無いと思うわ。
>>268
彼は最初に辞書を引かず、その言葉がどのように生まれたかの起源など
を知覚せず、俺(彼)の価値観で理解した常識が正義だと言うタイプです。
一度確信したものは訂正できない症状ですよ。
一番の問題は誰もが正してあげても修正ができない、彼自身が
自分が間違いかもしれないという心理状態にならない、つまり
【ドーパミン】が出続ける病です。ここまで言えばわかる?
271【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/24(火) 01:22:38.54 P
>>267
そうですね。
特定の階層(対象)を構成する要素を考察し、その関係を探るという考え方。
例えば、社会ーシステム論では人間(主体、認識)は構造に組み込まれているという一元的な捉え方をする。
そこでは、もはや世界の正しい認識など不可能だと結論づけられており、構造として「内包」される形で主客問題自体を封殺してしまうww
でも、そういう主張すらも主観だろと言えるわけで、どのように「妥当」を見出すかが焦点。
272考える名無しさん:2013/12/24(火) 01:29:08.00 0
>>271
そんな哲学初心者が最初に考えるような思考っていつまで続けるの?
273【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/24(火) 02:21:06.71 P
>>268
もし、真理を言葉によって表せるとしたら、無意味な言明(トートロジー)になると思うんですよ。
或いは解釈でしかない。
そこで、実践的な生活上は、意味のある有用な解釈(=創造された真理)を必要とするのです。

>>272
君は哲学的深度が深いとでも言いたそうだなww
自分が考えた主張など持たずに本を読んでるだけだろうww
試しに引用ではない主張でもしてみなよ
274考える名無しさん:2013/12/24(火) 03:24:01.86 0
>>273
いつまで運知思想の無限ループを繰り返すのでしょう。
あなたの真理は運知よって目覚め、乙牌によって論されました。(それだ)
真理は表せますが、それはそのときだけの、それを見た人の真理でしかない、
真実と同じようなものです。
>実践的な生活上は、意味のある有用な解釈
どんだ歪めれば気が済むのでしょうか運知そのもの、
誰かにとっての意味があなたにとっての意味であるとすれば、あなたは誰かと
体でも交換するつもりでしょうか?
>君は哲学的深度が深いとでも言いたそうだなww
言ってもないことを予知する能力はすばらしいです、それは医学的に
「もうそう」といわれる類であります。
予言者になれる気質があって素晴らしい。
275ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/24(火) 09:56:37.53 0
>>259
「真理はある」と壮語すれば「では、何が真理?」と返されるのは当たり前だろう。
その質問を君は禁じつつ「真理とは何か」を語る。一つの例としてコギトをもちだし、>>244
「私は存在する」を“真”とし、存在しないを“偽”とする。

それに対して、コギトは“真”ではない、と申しあげたのである。「我」が曖昧すぎるからだ。
そこで、君に「私(我)とは何か」と質問したのだが「指示語」と答え、例によってw言葉を濁す。
しかも、質問を変えて。「だれが指示したか」ではなく「何が指示したか」を尋ねたのである。
もう一つの「疑っているのは疑いえない」も同じ。そのように確信しているのは「何か」であって、
「だれか」を訊いたのではない。この違いが君には、わからないらしい。

デカルトにまつわる薀蓄を含めてwここで何十遍も語ったことを君は繰り返しているだけ。
色々なひとたちと君との議論をみてきたけれども、常に消化不良に陥るのは君が相手の質問に答えず、
一般論に話を逸らすから。最近の860氏まで共通している。

「真理とは何か」は辞書にその意味が載っている。が、君の嫌忌する「何が真理か」の記載はない。
君の希望に反し、ここで議論すべきは後者。真理の定義はカラス君にでも任せておけばいい。
276Mr.winwin:2013/12/24(火) 10:31:34.77 0
>>275
問題を分かりやすく伝えますね
まず「真理」というのが問題ですが、この言葉はそれだけで抵抗がある人が多いので使うのをやめます。
で、否定を考えます
逆を考えても問題は同じだからです
つまり、哲学の課題は「虚偽とは何か?」なんです

何をもって我々は間違いとするのか?
どのような時に自らの発言を撤回すべきなのか?

このような問題が哲学の課題なのです

そして、この時、想定されるものが次のような態度です
「虚偽などない。我々はいかなる発言も撤回する必要がない。どのようなデタラメだろうともすべては許される」
277Mr.winwin:2013/12/24(火) 10:43:38.18 0
様々な人が真理の定義について語りました
「真理とは何か?」には、対応説、整合説、道具説なんどがあります
それらの説は、「何が虚偽か?」についての定義だと考えることもできます
つまり、「対応してなければ間違い」なのか「整合してなければ間違い」なのか「有用でなければ間違い」なのか?
という、それぞれの意見です
つまり、言葉の修正タイミングの定義でもある

僕は対応説の立場をとりますが、この理由は一番間違いが発生しやすいからです
整合的であれば間違えようがなかったり、有用であれば間違えようがなかったりするのでは、
自説を修正する機会が少なくなってしまう
それは想定できる対話相手が限られてしまうわけです

ま、こんなのは閑話休題でして、哲学の隙間の話題です
ですが、哲学の一番の根本問題は先ほどの問題
つまり、「そもそも発言を修正する必要があるのか?」、「なぜ、すべての発言を許してはならないのか?」です

真理がないならば虚偽もなく、すべての発言は許されてしまう
なぜ、それではダメなのか?
278黄檗:2013/12/24(火) 10:59:43.36 0
>252
中観派とかはどうでもいい
問題なのは、貴方が自分で何を考えているのかを自覚してるのか
ってことでな

私の起源が当然に自分(身体)?
何のための方法的独我論だ?
あるのは私だけなのだから、自分なんてものは私ありきなのだと
最初に貴方は仮定してるだろう?
身体が起源だと断定するなら最初から唯物論を想定しているのであって
独我論を仮定したことの全てがぶちこわしだ

相似?
何がどうであれば相似なんだ?
その生ぬるいぼんやりとした言葉の大安売りを、敢えてこちらで慮ったところで
相似と言うからには、比較可能性もしくは、相関を記述できる可能性を示さねばならない
そうでなければ、貴方によるその『相似』とやらは、空想にもならない無意味な妄想
にしかならない
そしてそれは実際、どうやったって妄想なのだ

そのような不可知論、懐疑論の如きものってのは、ただのマッチポンプであってな
思考の進展に供与するための、まともな内容を持つことは永遠に無い

貴方の考ているだろう「自然世界」は、たしかにあるだろうが
そこに自然科学との相似(それがいかなる意味であるにせよ)を介入させる意義は
全く無い
自然科学というのは、自然科学として十分に自然科学であればよく
それが『何か』の写像である、と考える必要は全く無い
「断定」したところで、貴方の心のやすらぎの他には、何らの内容も無い
279Mr.winwin:2013/12/24(火) 11:01:49.53 0
虚偽の海に溺れないで、言葉によってなんらかを得ることができるのか?

これに関するデカルトの試みはこうです
あえて、虚偽の海を認めることです
懐疑論者の言うことを認めて、すべてを虚偽だと認めることからはじめたのです
そして、「なぜ、自分は、すべては虚偽だと説得されてしまうのか?」と言います。
(そもそも、すべてが虚偽ならば、どのような言葉にも説得されるはずもないではないか!)

それは、この「すべては虚偽だ」と論証していくにあたり、何らかの真実が含まれているからだ。と答えます
そして、虚偽の海に対して、そこに溺れない船があることを論証しようとする
これがデカルトの試みです

デカルトの試みが成功してるかどうかは、以降の哲学の議論でもずっと話題になってますが
パスカルはデカルトのこの論証を嫌ってましたし
(彼は理を持つのは賭けだ、という考えでした)
僕も失敗だと考えます(筏はしがみつくと沈む)

これらがデカルトが扱った問題の周辺です
280考える名無しさん:2013/12/24(火) 13:47:44.72 0
>>278
そうだね。
252のいう「自然世界」は、カントの「物自体」のことだろう。
それは端的に不可知であって、「相似」とかを云々することはできないはず。

>>277 :Mr.winwin
>真理がないならば虚偽もなく、すべての発言は許されてしまう

君の二者択一的思考は、あまりに単純だ・・・
281Mr.winwin:2013/12/24(火) 14:01:03.83 0
>>280
直観主義論理を使えば、真と偽だけではなく、それ以外にも分類することはできます

真でないからと言って、偽であると限らなくなります
しかし、この論理は二重否定除去を使えない
どこまでも晦渋な表現をもたらしてしまいます

晦渋さにこそ真理がある可能性ももちろんあります
282考える名無しさん:2013/12/24(火) 14:07:12.07 0
>>281
なるほど。君は「晦渋さ」を避けるために、二者択一に単純化しているんだろう。
それによってあまりに単純な思考になってしまっている。
「晦渋さ」を避けたい心情は、君の弱さの現われだろうと思う。

君流に言えば、
その「単純化」に「偽」が含まれているから、君の思考の全ては「偽」になる。
283Mr.winwin:2013/12/24(火) 14:22:26.09 0
例えばですね、860君が無謬な言明を挙げてました
「動物であるのだから、動物のように生きるべきではない、ではない」という表現
彼は、このような表現を無謬なる言明として提出してました

この発言も彼のルールにまったく反してはいないのです
(彼は態度が甘いからルールを徹底してませんけどね)


哲学における観念論の系譜を継いだ論理学がある
そのような論理を使えば、このような晦渋な表現になってしまう
ここの問題は哲学史上における実在論と観念論の問題として理解可能と考えます
また、この問題は哲学の根本問題とは僕は考えてません

デカルトがコギトで論証しようとした問題とは、形式論理、直観主義論理に関わらず、論理そのものだと思われます
排中律を問うのは神の論証あたりになると僕は考えてます
284Mr.winwin:2013/12/24(火) 14:32:09.73 0
>>282
認めます
そこに偽が含まれている可能性が大いにあることを。
とてもとても間違いを含んでいる可能性があるものです

しかし、また、その間違いは指摘されうるものです
排中律が他の公理と嘘つきパラドクスのような関係を築く可能性があります
そのような場合、僕が保持していた単純さは大きな間違いであることが明るみになるでしょう
そして、そのような間違いが明るみに出るまで、単純さの価値を保持することは問題ないと考えます

僕がよって立つ批判的合理主義は、間違ってもテヘペロして修正すれば許されるスタンスですから
間違いが明るみに出るまでは、単純さに価値を置くことはできます
(単純さの批判可能性は明確にしておく)
285考える名無しさん:2013/12/24(火) 14:34:01.20 0
>>283
かつての、疑い得ない「確実なもの」は何か?・・・という発想は、
今では「弱さの現われ」でしかない、過去の遺物になってしまっているだろうに。
そういう発想は、フッサールの「基礎づけ」主義あたりで終わっている。
286Mr.winwin:2013/12/24(火) 14:42:11.62 0
>>285
同じことを繰り返し発言するのは嫌いなのですが、僕は反基礎づけ主義のスタンスをとります
合理性の問題を考える時に基礎づけ主義的思考が不可欠だというのは神話です

さらに言えばですね
大陸哲学も基礎づけ主義的思考に囚われてますよ
頭の中から「基礎づけ」の理念を一掃すれば、思考はクリアになるでしょう

僕からすれば、フッサール以降も基礎づけ主義の遺物です
287考える名無しさん:2013/12/24(火) 14:44:06.39 0
>>284.286
>僕が保持していた単純さは大きな間違いであることが明るみになるでしょう

君の思考に含まれる「偽」が「明るみ」に出るのは、君自身がそれに気づく時。
それ以外にはないよ。

さよなら。
288Mr.winwin:2013/12/24(火) 14:52:35.76 0
>>287
いいえ、僕は「考える人」と「考えられたこと」を区別します
数学や科学を含めた思考において、「誰が考えたか」と「何を考えたか」は区別できると考えます

そして、論理の誤りは、それに参加する人ではなく「書かれたもの」において指摘が可能であるでしょう
僕が気付かなくても他人が気付かせることができるのです
それが単純さの価値です

すべての人がそれが可能とは限りませんが、合理主義者においてそれは可能です
289考える名無しさん:2013/12/24(火) 14:55:33.26 0
>>288
>僕が気付かなくても他人が気付かせることができるのです

これが「真」ならばね・・・w
じゃあ、これで。
2902501:2013/12/24(火) 14:58:18.75 0
Coca-Cola vs. Red Bull って感じだね、数の理では分が悪い
でも自分(260)はペロテへの X系なので winさんを応援しときますよw
291Mr.winwin:2013/12/24(火) 15:01:09.52 0
ですから、僕は自分で気づかなくても修正できるのです
あなたは自分が気づかなければ修正できない
これはそれぞれの文化的土台に則った適切な態度に過ぎないのです

そして、僕が、そのような文化的枠組みから発言することは何ら問題ないのです
僕とあなたは違う
ですから対話における価値も違う
このような形での対話の分断もなんら問題ないのです

では、さよなら
292Mr.winwin:2013/12/24(火) 15:03:06.49 0
>>289
偽であることは指摘しれくれないのですねw
では。
293ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/24(火) 15:47:22.51 0
>>276
“真理”に抵抗感などない。 「真理がある」のなら、それに越したことはない。w
しかるに君は“真理”から逃げ、新たに「虚偽」をもちだす。

君は「虚偽とは何か」を語らないまま「虚偽(真理)などない。いかなる言明も許される」という立場を否定する。
「虚偽とは何か」をいえないのだから「真/偽などない」を論難する理由を示すことなど土台、無理。
おおよそ君の論述は、上記のように次々と飛躍を重ねるところに特徴がある。

君が許せない虚偽とは何? ひとつ一つにケジメをつけずに進もうとするから、もっとも君が嫌う「どうとでもいえる」
ポモと見紛われるのである。もう一度、訊く。虚偽とは何?
294ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/24(火) 15:56:01.12 0
万福寺のインゲン和尚が登場したが、このひとは抄録氏だろう?
生ぬるい…たしかに。
295考える名無しさん:2013/12/24(火) 16:32:26.34 0
>>294
断定する繰り返しは反応を得られないかぎり空回りするだろう、
それを繰り返せば溺れるだけである。
抄録も然り。
296考える名無しさん:2013/12/24(火) 16:43:00.55 0
>>291
対話の繰り返しは、その性質の掛け算的な答えにたどり着きます。
結果も対話で得られるそれはよりその性質が濃くなりえます。
それは多様性を生まず形骸化へ進むのを防げません。
297Mr.winwin:2013/12/24(火) 17:03:00.19 i
>>296
多様性は大事ですが、多様ならそれでよいというような甘っちょろいユートピアに興味はありません
生物の世界は多様な生き物がいますが、必ずしも同じ環境で互いに生きていけるわけではありません
例えば、嫌気性細菌と植物は同じ環境で共生することはできないでしょう
(多様な生物が自然淘汰の中で自らに適した環境に落ち着くのが自然の流れです)

異なる他者との対話が生産性を産むのは、互いに衝突するがゆえです
衝突するには、相手の意見を鵜呑みにしないことが不可欠です
相手の意見を鵜呑みにしないためには、相手の意見を食わず嫌いしてもいけないのです
(完全な鵜呑みも、完全な拒否も、何ら衝突を産まない)

食べて、消化できないならば吐けばいい
僕がわざわざ相手に合わせる必要はないです
僕は、僕の文化的枠組みから自己の文化を批判するだけです
それが僕の文化における多様性への道です
298Mr.winwin:2013/12/24(火) 17:19:28.48 i
続き

あと、最近の哲学の流れは対話商法すぎる気がします
セールスマンがやってきて「おくさん、この商品買ってください。買わないのは対話の拒否です。」とやってる気がしてしょうがない

「買いません」
「それは対話の拒否です。対話しましょう。」

セールスマンの文化的枠組みにおいて、対話とは買うことかもしれませんね
それが正しいとして、客がその文化を受け入れねばならない理由はありません
299Mr.winwin:2013/12/24(火) 17:31:33.13 i
>>293
僕はポモが嫌いですが、
ポモが正しい余地は多いにあると思ってますよ
冗談ではなく、建前でもなく、真剣に思ってます

それが、僕が異常なところです
普通の人はポモなんて笑い話にしか見えません
もしくは蔑む対象です
でも、僕にとってポモは対話相手です

ところが、ポモとも対話する人は世の中ではポモといっしょくたにされるのです

えた、ひにんと会話する人は、えた、ひにんといっしょくたにされやすいものです

日本で韓国人を嫌わない人は在日と思われるのと一緒です
韓国を嫌わなければ日本人にあらず

「いい韓国人もいるんでない?」と言ったら、その瞬間から在日扱いです。

それが世の中の定めです
300Mr.winwin:2013/12/24(火) 17:32:09.56 i
最後の一文はジョークですよw
301Mr.winwin:2013/12/24(火) 17:39:08.02 i
・僕が許せない虚偽とは何か?

両立しない意見を言った2人の両者を正しいとすることです
302Mr.winwin:2013/12/24(火) 17:47:57.63 i
今日はクリスマス・イブですが、
毎日がエイプリルフールだったら面白いですね

どっかの国が実験としてやってくれませんかね?
「この国では年中エイプリルフールなんだ。この国には詐欺師は一人もいない。」って感じで。

本当に詐欺師は一人もいないでしょうけどね
303考える名無しさん:2013/12/24(火) 18:03:41.64 0
>多様性は大事ですが、多様ならそれでよいというような甘っちょろいユートピアに興味はありません
単にMr.winwinが甘っちょろいユートピアしか想像できないと説明しているだけじゃんw
理解できないからそれは違うという感情論と同じ。
304Mr.winwin:2013/12/24(火) 18:36:33.93 i
>>303
そうですねw
僕には想像もできません
現実に可能なら、あなたが進めればいい
僕はそんなことは想像もできませんし、想像できないものは現実にも不可能だと考えてます
305考える名無しさん:2013/12/24(火) 18:39:52.74 0
大学に入っても分数が理解できない奴と同じこと言っているなぁ。
306Mr.winwin:2013/12/24(火) 18:41:48.83 i
>>305
そりゃしょうがない
僕はバカですから
307考える名無しさん:2013/12/24(火) 19:39:24.22 0
バカでもチョンでも2chできます。
308考える名無しさん:2013/12/25(水) 02:25:56.91 0
>>306
>僕はバカですから

本当に自覚しているのかね。していないと思うよ。

自分のバカを自覚するのは、難しいことだよ。
なぜ難しいのか、わかるかな?
309考える名無しさん:2013/12/25(水) 02:29:29.16 0
クリスマスプレゼントだお

【!ninja】忍法帖テスト専用test【質問OK】198忍
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/pcqa/1384872135/
310Mr.winwin:2013/12/25(水) 02:33:29.30 i
>>308
自分の知性の有限さは自覚しています
僕がバカであるのはその限りです
分からないものは分からない
想像不可能なものに手を出しはしません
311考える名無しさん:2013/12/25(水) 02:36:29.34 0
>なぜ難しいのか、わかるかな?

への答えは?
312Mr.winwin:2013/12/25(水) 02:51:06.90 i
>>311
分かりません
あなたの回答待ちです

僕なりにあなたの回答を推察するのでよろしいですか?
人は容易にはナルシシズムから脱却できないから 。
人は社会的に他人より上でないと気が済まないから。
とかですか?
313考える名無しさん:2013/12/25(水) 03:00:06.79 0
もっとずっと根本的なことだよ。
泥酔している者は自分が泥酔していることに気づきにくく、
迷いの中にある者は、自分が迷いの中にあることに気づきにくい。
それと同じように、自分がバカである者は、自分がバカであることに気づきにくいんだ。
自分がその「バカ」の真っ只中にいるんだからね。
314Mr.winwin:2013/12/25(水) 03:28:34.83 i
>>313
なるほど、面白い

「僕はバカですから」という発言はパラドキシカルなんですね
バカはそのようなセリフを吐く能力がない

まるでコギトの裏表だ
315考える名無しさん:2013/12/25(水) 03:52:15.34 0
本当に、バカを自覚するのは難しい。
お昼の会話の中にもバカの一面がよく現れている。

僕は最初に、「真-偽」という【君の二者択一的思考は、あまりに単純だ】(>280) と言った。
(つまり僕は君のような二者択一的思考法をとらないということだ。)
だから、【これが「真」ならばね・・・w】(>289)という僕の言葉には、君の二者択一的思考への皮肉が込められている。
それに対する君の【偽であることは指摘しれくれないのですねw】(>292) は全く頓珍漢だ。
僕は「真-偽」という二者択一で答える立場にはないからだ。

また、そのことに対する僕の立場からの答えは、すでに>287で書いている。
【君の思考に含まれる「偽」が「明るみ」に出るのは、君自身がそれに気づく時。それ以外にはないよ。】

今の「バカ」の話はその続き。君は気づいていないと思うが。

泥酔している者は自分が泥酔していることに気づきにくい、と僕は書いたが、
酔いがさめれば、泥酔したことを反省することができる。
だが、バカは常にバカの真っ只中にいるんだから、それよりももっと気づくのが難しいのだ。
316Mr.winwin:2013/12/25(水) 04:02:46.82 i
>>315
あなたがそのようなご自身の価値から言葉を発してることは分かってましたよ
しかし、僕は自分の価値に従ってあなたの言葉を判断したのです

セールスマンがセールスマンの価値から言葉を発したところで、
客がそれに合わせる必要はないでしょう?

僕はあなたの文化に合わせなければあなたの発言を受け入れねばならないわけではない

僕は自分の文化に合わせて判断します
そして、僕の文化は偽の指摘にあるのですから、僕はそれに合わせて判断しただけのことです

あなたにとっては真ではないがゆえに破棄されるべきものであっても
ぼくにとっては偽でないがゆえに保持されうるものなのです
317考える名無しさん:2013/12/25(水) 04:14:19.78 0
>セールスマンがセールスマンの価値から言葉を発したところで、
>客がそれに合わせる必要はないでしょう?

そういうことじゃないよ。やはり理解力が足りないね。

いま「バカ」と言っているのは、会話の相手がどういう立場に立って書いているのかを理解できないこと。
それができないと、話が通じない。

君が今書いた【あなたにとっては真ではないがゆえに破棄されるべきものであっても】も、私の立場を理解してないね。
318Mr.winwin:2013/12/25(水) 04:26:29.87 i
>>317
理解する手段が気づくことしかないならば、理解する方法はありません
まぁ、そこそこに理解してるとは思いますよ
319Mr.winwin:2013/12/25(水) 04:28:23.77 i
自分が想定してないこととすると
詐欺師である。とか、悪意がある。とか、嘘つきだ。とか、ですかねぇ?
まぁ、その考慮はしてません

あくまで、矛盾律の破棄ぐらいに理解してます
320考える名無しさん:2013/12/25(水) 04:36:48.11 0
>まぁ、そこそこに理解してるとは思いますよ

そこが、非常に怪しいということだ・・・

ところで、
君が「真」とか「偽」とか言っているのは、とても抽象的で、内容がないように思われるが、
例えば今日のお昼と今、僕が書いた文章の中で「偽」であるものはどれですか?
321Mr.winwin:2013/12/25(水) 04:47:39.42 i
>>320
あなたの文化において偽はありませんから指摘しようがありません

あなたとの対話において偽を指摘できるのはこちらの文化だけです
322考える名無しさん:2013/12/25(水) 04:51:57.41 0
>あなたの文化において偽はありませんから指摘しようがありません

これもおかしいだろう。
【「偽」であるものはどれですか?】というのは、当然ながら、君の立場から見て
「偽」であるものを指摘してくださいという意味だよ。

(やっぱり話が通じない・・・)
323Mr.winwin:2013/12/25(水) 04:58:07.81 i
>>322
ならば、289と317が矛盾してますので、それが偽です
324考える名無しさん:2013/12/25(水) 05:01:53.25 0
>(つまり僕は君のような二者択一的思考法をとらないということだ。)
>だから、【これが「真」ならばね・・・w】(>289)という僕の言葉には、君の二者択一的思考への皮肉が込められている。

と書いただろう・・・

本当にバカだね君はw

そろそろ電車が動き出す時間なので、では、これで。
つきあってくれて、ありがとう。
325飛べないカラス:2013/12/25(水) 05:12:00.21 i
科学を信仰する必要はありません。根拠を求める必要もありません。
嫌いな科学から離れてはどうでしょうか。
このスレには科学嫌いが居るようなので、ご一緒に大自然を求めてオフ会でもして
みてはいかがでしょう。
是非ともアウトドアの醍醐味を楽しんでみてください。樹海オフとか。
もちろんそのまま科学から離れたままでごゆっくりどうぞ。
326飛べないカラス:2013/12/25(水) 05:15:50.39 i
>>316
科学から離れてチラシの裏に自分の価値を発揮してみるのも良いかと思われます。
327Mr.winwin:2013/12/25(水) 05:21:38.57 i
>>326
アホ。
328ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/25(水) 08:58:50.28 0
>>325
カラス君、虚空に向かって喚くのはやめなさい。
だれかがレスしていたが、当スレに反・科学的なひとはいない。
だれしも非科学的な言辞は、しばしば口にするけれども。w
>>327
君の「真理はある(真理主義)」と批判的合理主義は似て非なるもの(似てもいないか)。
君のいい方を借りれば「両立は不可能」のはずである。真理主義者にして批判的合理主義者でもある(らしい)君は、
この両者に、どう折り合いをつけているのか。(これは前スレでも指摘した)

もって回ったいいまわしするので論旨をとりづらいが、>>299の韓国人を云々したカ所が、君の是とする二者択一的
思考態度とそぐわない。ここでは“二者択一”を非難しているようにみえるからだ。
329ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/25(水) 09:44:19.57 0
>>320 は皮肉っぽいひとだね。w このスレではアタマのいい(知性と教養のあるw)一人なのだが。

ウィン君とのやりとりのなかで「偽」といえるのは、つまり彼の立場と齟齬をきたしているところは、
ウィン君を「(本質的)バカ」と決めつけている点だ。彼は、ここでは利口/馬鹿の二項対立(二者択一)的
構制のなかで述べている。ウィン君は馬鹿でもあり、かつ利口でもあるはずでは? w
330Mr.winwin:2013/12/25(水) 10:49:59.67 0
>>324
逆に言えば、その文章がないならば偽のままであり、救うことができないのです
こちらこそ面白かったです
331Mr.winwin:2013/12/25(水) 16:02:57.82 i
>>329
批判的合理主義はポパーのスタンスをとる人の態度の総称です
ポパーは初期から晩年に至るまで「真理はある」と書き続けてます

で、僕と対話した名無しですが、彼は「真理はない」というスタンスを徹底してます。
素晴らしいくらいにね。
「真理はある」と「真理はない」の対話なのです。これは。

現代哲学の世界ではとても奇妙な論争が起きます
その奇妙な論争の一端を僕と彼でやれたのです

まぁ、タコツボ的な議論なんですが、この隙間産業の哲学においては価値がある議論なんですよ

で、現実においてはこの議論はクソの役にも立ちませんからスルーするが吉
332Mr.winwin:2013/12/25(水) 16:15:55.47 i
こないだ「世界の日本人妻」って番組をやってまして
そこで、インドに嫁いだ日本人をやってました。
そして、インドの文化として
「道を尋ねられたら、知らなくてもデタラメを話す」というのをやってました

山形浩生が書いてた「困惑したアジア文化」ってのはインドのことだったのかと、その時、気づいたのですが、
インドの文化ってのは「正直さ」や「正しさ」よりも「話を合わせること」を重視するということらしいです
これは「嘘をついている」というよりも「嘘をつかなければならない」と解釈した方がいいと山形は書いてました
彼らは悪意から嘘をついてるのではなく、
嘘をつかないことができないのだ、、と。

様々に論理が発展した歴史をもち、現代でもアメリカのMITに一番留学生を送りこんでる国の文化が嘘つき文化と知って、僕は面白く感じました

ですから、哲学の話題も、現実とまったくかみ合わないわけではないんでしょうね
333考える名無しさん:2013/12/25(水) 17:13:42.09 0
>>313
ダウト!
一番むずかしいのは、人に説教している人が自分はバカだと気が付くことかな?
なぜなら、バカと自覚している人は説教なんかしないから。
334考える名無しさん:2013/12/25(水) 18:58:05.89 0
シュレディンガーの猫も、量子論も、問題が多すぎる。
万能な解釈には至っていない。そういうことだ。
335考える名無しさん:2013/12/25(水) 19:02:04.64 0
さあ、最新の科学者は、電子における波という特性を公理や公式で示したことがありますか?
336【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/25(水) 23:19:03.03 P
>>274
運知・乙牌をどういう意味で言ってんのかわからんな。

>どんだ歪めれば
どこが歪んでる?
真理の定義は、対応説・整合説・明証説・実用説・合意説など諸説ある。
そのうちのどれが真であるかなど、「定義の正しさを定義する」という、それこそアホみたいな無限ループだろww

しかしながら、真理は「言語による言及」であることには同意できるだろう。
で、言語とは「必要性により発明或いは発生した」ことにも同意出来よう。
ならば、少なくとも必要性により真理という概念が誕生したことに同意できるはず。
真理という概念が必要性により誕生したならば、対応する意味も必要性にコミットしているのではないか。
無意味な言明(PはPであるというトートロジー)のために真理という概念が出来たわけではないww
337考える名無しさん:2013/12/25(水) 23:44:51.41 0
>>336
ほうほう
それでは「唯言論」の立場になりますな
もちろんそれに賛成ですがね
338【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 00:14:38.36 P
>>278
独我論を超える為の方法的独我論だったのだが、うまく説明出来なかったと反省。
主観・客観の二項対立について、「私の認識に依る観念世界」に主観と客観が内在していることは認めるが、
認識を齎し、認識以前に存在するだろう自然世界を断定しなければ、認識自体の起源を合理的に想定出来ないことを言いたかったのだが・・・。

そこで、カントよろしく物自体(自然世界)と観念世界がどのように対応するのかと考察すると・・・
例えば目の前のカラスは「黒い、鳥、動物、沢山のカラスの内の一羽」など様々な属性の総体であるが、
「お腹が空いている、羽が○本ある、○○を考えている」などの属性は認識出来ない故に、「部分的に対応している」とみなすことができる。
知覚しているカラスとカラス自体は、似てはいるが、それが全てではなく、かといって全く偽ではない故に「相似」と結論される。
339【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 00:23:48.39 P
>>337
唯言論というのは世界は言語が全てという意味の観念論?
340Mr.winwin:2013/12/26(木) 00:35:23.42 i
ウンチ、オッパイですよ
ウンチは今、哲学で一番ホットな話題なんです

僕が読んだ山形の話も、『bullshit』って本の訳者後書きなんですが、
直訳すると「牛のウンコ」です

現代哲学はウンコがブームなんです
341【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 00:38:25.08 P
>>340
それは知らなかったよww
何か哲学的命題があるのかな?
342じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/26(木) 00:45:16.30 0
>>191 :「機械的唯物論」者:2013/12/22(日)
>今時「女脳」とか「男脳」とか、前世紀の遺物のような大脳に関する知識で、自信ありげにものを言う方が存在すること自体「????」だったもので・・・。

貴方は男と女の脳の性差を認めないと言う事でいいですか?

>>249 :ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/23(月)
>生まれながら新生児が原風景(背景感情)をもっている、というのなら別。

この辺は難しい問題なので 議論できません、しかし・・・

>これを繰り返すことによって、知覚できるようになる。

この辺からは扱えると思います、いわゆる人が物心付いてからと言う事ですね。
そこで私が言いたいのは「知覚出来る」ということは其の頃には原風景が出来上がっているからだと言う事です。
コップの原風景が記憶に在るから、コップを見たとき其れがコップだと知覚出来るといっている訳です。
343Mr.winwin:2013/12/26(木) 00:46:14.45 i
>>341
「泥酔者は自分が泥酔しているとは気づけない」と教えてくれた名無しがいました

ということは、「わたしは泥酔していない」は真なのでしょうか?偽なのでしょうか?
344じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/26(木) 00:50:05.63 0
>>252 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/23(月)
>意識的な構成している客観(観念世界)と、無意識的な構成以前の客観(自然世界)が、「相似」の関係であることがわかる。

>意識的な構成している客体(観念世界)と、無意識的な構成以前の客体(自然世界)が、「相似」の関係であることがわかる。

いずれにしても おかしい。
無意識状態なら認識してない訳だから主客の区別は生じてない。
従って相似など有り得ない。
例えば寝返りを打つのが無意識かどうかは難しい問題(未知)だが、たとえ無意識としてもじいさんは主観の意志が動いていると見る。
そしてそのような考察をした瞬間から寝返りの主体性が認識される。
考察以前は主観でも客観でもない、存在しないも同じ、寝返りしてる事は未知なのだから論じられないはず。

>>254 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs
>じいさんは主観の定義が庶民的すぎるのですww庶民の日常会話なら1、哲学なら2。

それでは
>意志は客観で間違いありません。
>心も主観の領域と客観の領域に分けられます。
>気付く前の感情や感覚や意志を無意識と呼び、それは気づいてない故に客観なわけです。

こんなばかげた事を言っている哲学者って貴方以外に何処にいますか?例示してみてください。
345Mr.winwin:2013/12/26(木) 00:53:32.85 i
仮にそれが偽だとして、
これを裏コギトとして、第一原理に据えて新しい哲学を建ててみたらどうなるか?

「我泥酔せず、ゆえに、我飲む」

これを思考の基本原理において、新しい哲学を打建てることもできるんじゃないですか?
(僕はシラフですw)
346じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/26(木) 00:57:42.94 0
>>343 :Mr.winwin:2013/12/26(木)
>「わたしは泥酔していない」は真なのでしょうか?偽なのでしょうか?

答えは簡単です。

泥酔者が言ったら 偽。
泥酔してない者が言ったら 真。

要するに問題の中に回答があると言う事です。
何も前提が無く言ったのだったら真偽不明です。
所詮論理学などトートロジーの範囲から出られない。
347【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 01:17:52.63 P
>>342
それは原風景ではなく、体験或いは経験による知識という。

>>343
泥酔者を前提としている以上、泥酔しているが真ではないかな。
俺は有用であり、かつ自他の了解(合意)が真であるとする立場なので、泥酔者は「泥酔していない」という自分の意見を反省して訂正できる可能性を持っている。
しかし、満場一致で無ければ真ではないとしてしまうと完全な合意は不可能に思える。
そこで、「酔いを冷ますのが有用(或いは必要)である」と思えたならば合意に近づくのだと思う。
348【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 01:28:46.09 P
1.雪は雪だ
2.雪は白い
3.雪は降ってくるもの
さて、論理によれば1は真であり、視覚での認識によれば2は真であり、経験によれば3は真である。

真は一つなのか複数なのか、或いは総合なのか
349Mr.winwin:2013/12/26(木) 01:33:25.59 i
>>347
まぁ、泥酔哲学があるってことです
そのような哲学においては、明瞭であることは重要ではなく、
何言ってるか分からないことが大事なわけです
この何言ってるか分からないことが「ウンコ」です

最初から内容がないものを、さも何か内容がありそうに振舞ってるだけの話です
それは、さも「裸の王様」の仕立て屋のようなものです

で、ある種の人たちにはそれが素晴らしいように見える
ある種の人たちにはそれが何もないように見える
それだけの話です
350考える名無しさん:2013/12/26(木) 01:35:20.05 0
言語の起源て、小鳥の求愛さえずりよりも
手話のような希ガスる今日この頃
岡ノ谷さんめんご
351【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 01:56:32.99 P
>>349
内容がないように見えるっていう親父ギャグなわけだねww

真理を、「AはAである」とすると、内容のないウンチとなる
真理は、「AはBである」という、意味・価値・有用にコミットしなければ不必要な概念である。
しかし、論理的にAはBではないのだから、了解または合意によるしかない。
そこで、「AはBである」という価値が創られる。
これが、創られた真理です。
352Mr.winwin:2013/12/26(木) 02:17:31.93 i
>>351
パラドックスこそが真理である、とする余地はあると考えますか?
353考える名無しさん:2013/12/26(木) 02:24:18.43 0
>>351
いいかげん運知発言はやめろ。
354考える名無しさん:2013/12/26(木) 02:27:24.12 0
>>333
>なぜなら、バカと自覚している人は説教なんかしないから。
おまえアホだろ、バカの行いはバカだと気が付いているからバカなことをする、
そしてバカはバカなりの説教もする。しないとかありえん。
バカの説教もしらないのは地方かd魔かボンクラぐらいか?
お前の何の根拠もない思い込みは直らないの?
355考える名無しさん:2013/12/26(木) 02:30:53.59 0
>>315
過去の小説家や古い書物よみまくれ、俺解釈の言葉が乱れて俺定義ばかり
連呼するな。
356考える名無しさん:2013/12/26(木) 02:37:57.53 0
>>353-355
知障wwwwwwwwwwwwwww
357ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/26(木) 09:18:14.22 0
>>331
ポパーは、わがスレ主(あるいは君)とはちがう。「真理はある」といった信念とも信条ともつかぬ、
“信仰”とでもいうべき希望観測的言辞を吐いたことはない。それらは反証不能だからである。
“真理(という概念)”を問いつづけたのは事実。結局、彼は「真理への接近度」なる概念を措く。

一見、真理主義にみえるが、彼はその言説に“真理の不可能性”を内蔵する。
長々と記するほどにはしらぬのでw君がよく口にする幾つかの彼のキー概念を挙げると…
可謬主義、反・基礎づけ主義は、機械氏の御伽噺ふう決定論・唯物論(真理)の全き否定である。

ダーウィンもそうだが、ポパーもまた不可知論にたっている。品質の高さが私のそれとはダンチだが。w
(何か意見をいうのは結構だが“端的に”君のそれを述べるように)
358【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 10:59:48.04 P
>>352
それはどうだろうね。
結論を出すのはまだ十分ではないが、言語というものを「真理と虚偽の総体」とするならば、真理がパラドックスである可能性は高いでしょう。
AはBであるということが全く言えないならば、言語は虚偽だらけになってしまうww
359「機械的唯物論」者:2013/12/26(木) 11:52:34.83 0
>>342
>貴方は男と女の脳の性差を認めないと言う事でいいですか?

 胎児のある時期に「性ホルモンシャワー」を浴びて、「脳の性差」なるもの
が生じることは常識です。しかしそれにより「方向感覚能力が決定される」と
いうのがあなたの「思いこみ・こじつけ」だと申し上げているだけです。
 「脳の性差」は、とりあえず「異性に惹かれる」という「種の保存」に関するだけ
の機能です。
しかし、ある意味重要な機能ですので、当然「自然淘汰的に残された機能」
だとは思いますが、「子孫を残す」という「DNAの戦略」を客観視できる頭脳
(男脳も女脳も同様)を持った人類は、「別の性のホルモンシャワーを浴びた」
結果、同性愛になった方々を差別する合理的理由はないと考えるのが普通です。
 カーナビ等に頼らず見事に目的地に着く能力を持った女性や、カーナビに
頼りすぎ、おまけに操作が苦手で目的地の反対方向に向かってしまうような
男性もいるということは事実で、あなたの「男脳・女脳の違い」という単純な思いこみ
は「根拠がないので、意味がない」と申し上げているだけです。
 そんなこと(あなたの「女(脳)」に関する偏見)はある意味「どうでもいいこと」で、
要するに言語(ラング)が我々人類(男だけじゃなく)の「知覚(「思考」ではなくですよ)」に影響を及ぼすのか否か?・・・ということが重要だと申し上げているだけです。
360「機械的唯物論」者:2013/12/26(木) 12:06:20.88 0
>>357
>結局、彼は「真理への接近度」なる概念を措く。

 当然「地動説」の方が「天動説」より「真理に近い」のは、
「素粒子は陽子・中性子・中間子等だ」より「素粒子はクォーク・ウィークボゾン
・グルーオン等だ」の方が「真理に近い」と同様だ・・ということです。

>一見、真理主義にみえるが、彼はその言説に“真理の不可能性”を内蔵する。

 ポパーは自然科学の進歩が今日の「ヒッグス粒子の発見」や「ビッグバン宇宙論」
「大脳生理学の発展」に至るまで、実見していなかったので、そう考えても無理は
なかったと思います。
 それらの内容を知らない「今日の(文化系)知識人」がそう考えるのも同様です。

 携帯で打ち続けるのはやはり難しいので、この辺で失礼いたします。
361考える名無しさん:2013/12/26(木) 13:14:21.14 0
>>359
> 「脳の性差」は、とりあえず「異性に惹かれる」という「種の保存」に関するだけ
>の機能です。

いや、そんなことはないよ。
チンパンジーの子供でもメスはぬいぐるみに興味を示すが、オスは興味を示さない。
脳の性差は確実にある。

巷間言われているものの内でどれだけが真実かが不明なだけだ。
362ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/26(木) 14:36:10.03 0
>>360
「真理に近づく」は「神に近づく」と同じ言表構造。真理(神)を憧憬したり希求するのは、信仰的人間の通性。
キリスト教とマルクス主義を経た機械さんは、いつも“救い”を求めている。
どちらもよくできた御伽噺。それらと機械氏の物理主義的“真理”に差異があるわけではない。

現象(存在者)の微細化の追求=真理への接近ではない。「真理の探究」を掲げる科学者は今日、殆どいまい。
ポパーは科学的営為を「真理へ接近しているかもしれぬ」としつつ反面、その言説を“無根拠”とみなす。
素朴で信仰心の厚い機械さんにはwこの際どい綱渡り的“言説ゲーム”は理解不能ではないか?
363じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/26(木) 14:45:03.16 0
>>359 :「機械的唯物論」者:2013/12/26(木)
>「脳の性差」は、とりあえず「異性に惹かれる」という「種の保存」に関するだけ
の機能です。

ひどすぎる、例えば男女の脳の容積の平均値は同じなのかな?
じいさんは統計として違いが有ると思うぞ、それなら唯物論で「物質が精神を規定する」のだから精神の性差が在ると考えるほうが自然である。

>「別の性のホルモンシャワーを浴びた」結果、同性愛になった方々を差別する

そんな話題を急に持ち出すのは、貴方が差別論者である事を図らずも露呈している。
だいたい「シャワーを浴びた」結果、同性愛になった って原因と結果を決め付けていいのかな?

>単純な思いこみは「根拠がないので、意味がない」

これは貴方にそっくり返上します、同性愛の原因への偏見や差別はやめましょう。

>「子孫を残す」という「DNAの戦略」

これが一番ひどい。
DNAが戦力を持つなどと言う擬人化した表現こそ「悪しき観念論的誤謬」の代表だ。
「自然選択」という考えを全く誤解している。
生物進化に戦略と言うものは無いと言うのが自然選択説の肝であり、進化論の科学的に優れた面である。

>>360 :「機械的唯物論」者:2013/12/26(木)
> 当然「地動説」の方が「天動説」より「真理に近い」のは・・・

おお、たまには良い事言いますね、なる程素晴らしい表現ですね。

真理と言うものが実在するとかしないとかの議論は果てしない訳だが、議論の決着が付くまではそれに触れることが出来ないと言うのではマズイ。
我々は目の前に現れる事象を何とか乗り越えて日々生きていかなければならないからだ。
男女の脳の性差も科学的に解明できていないからと言って、其の話題に触れてはならないと言うのでは人生はつまらないものになるぞ。
364Mr.winwin:2013/12/26(木) 16:21:21.34 0
なんだろう、このゲーム君にポパーを語られる不快感は?

>>357
ポパーは反証不可能なことも平気で語りますよ
(ここはポパーの大事なところです)

ポパーは「真理はある」と普通に書いてますよ
初期の頃は「唯名論的真理」と書いてますし
晩年はプラトン的実在論について関心を持ってます

僕が推察するに、
初期のポパーの関心は合理主義の暴走を止めることにあったのに対して
晩年のポパーの関心は非合理主義の流行に対抗することにあったからだと思います

>>362
真理接近原理は科学に関する原理ではないですよ
ポパー哲学の3つの柱の1つです
ポパー哲学の3つの柱は
1、可謬原理
2、合理的討論の原理
3、真理接近原理
です

ポパーは次のように考えています
「議論することによって、我々は議論する前と比べて前進する」
365Mr.winwin:2013/12/26(木) 16:42:18.61 0
>>358
それを想定できるならば、話は早い
すべての言葉が虚偽だとする文化の人が現れたら、あなたはどう考えますか?


世の中には様々な人、様々な文化があります
中にはパラドクスをありがたがる文化の人もいるでしょう
僕らはパラドクスを無視する文化圏で育ったに過ぎないわけです
366考える名無しさん:2013/12/26(木) 17:17:12.26 O
〉〉363
じいさんよ、機械の肩を持ちたくはないが、男女の脳機能に差があるかどうかはともかく、「方向感覚における男脳女脳」なんて根拠ゼロだろう。素直に反省しろ。
367Mr.winwin:2013/12/26(木) 17:19:20.10 0
僕らの言葉の使い方は、文化的制約があるわけで
例えば、宇宙人が先進国の人間を見たら
「嘘をつくことが物理的に可能であるにも関わらず、嘘をつけない生き物」と珍重されるでしょう

渋谷のスクランブル交差点の混雑の中、誰もがある一角の空間を避けて通ってたら不思議に見えるものです
(知り合いが言うには、そういう時、その空間には幽霊がいるらしいですが)

僕らはこれだけ言葉を氾濫させながら、言葉を使う上でいくつかのことは避けてるわけです


ところで、インドの人を見ると、彼らは平気で嘘をつく
でも、そこに悪意があるわけではない
むしろ、彼らの大半は善人です
彼らは「I dont know」と言うことが他人に対して非常に失礼な行為だと思っている
つまり「i dont know」と言うことができない
悪意を持って嘘をついてるのではなく
「知らない」と言えないがゆえに何らかの回答をして、それに対してこちら側が困惑するのだそうです(山形曰く)

彼らは彼らで、僕らとは別の空間を避けて通る文化なのです

言葉の文化にすら隔たりはある
僕らは安易に自分の文化を普遍的なものと見なしてしまうものです


ああ、そうそう
童話の仕立屋は悪意がありましたが、哲学の世界の仕立屋は悪意はないです
彼らは、受け手側が素晴らしい服をつくってくれるのを待っているのだそうです

それは、道を尋ねられて明後日の方向を指さすインド人の心境と通じるものがあるのでしょう
368飛べないカラス:2013/12/26(木) 17:29:16.31 i
自分の主張を真理としているに過ぎない。
369飛べないカラス:2013/12/26(木) 17:44:21.03 i
>>328
科学と非科学は役に立つか立たないかの差ですが、反科学は科学に反対しませんと
表明するだけで反科学では無くなってしまうので、主張の中身とは関係しないので
しょう。
370飛べないカラス:2013/12/26(木) 17:49:30.05 i
>>364
デタラメ手話でアホ踊りで会話しても勝手に真理に近づいていくのでしょうか。
371Mr.winwin:2013/12/26(木) 17:53:43.56 0
>>370
いいえ、「議論」というものの解釈をどこまでも広げることもできますよね
秋葉原で大量殺人犯がつかまった
彼は叫ぶ「俺は議論をしただけだ。」

彼は人を殺して前進しただろうか?前進してないでしょうね

これは真理接近原理への反証になるでしょうね
372考える名無しさん:2013/12/26(木) 17:55:43.41 0
>>371
いや、彼の中では進歩が見られただろう、彼なりの。それが彼の「法廷式」というものだ。
373考える名無しさん:2013/12/26(木) 18:00:38.36 0
逆に言えば議論をすれば前進することもたまにはある、という何か言ってるようで何も大したこといってないということがいいたいわけか

それをわざわざもちだすMrウンコフも大したこと言ってないという結論になるが
374Mr.winwin:2013/12/26(木) 18:11:38.45 0
>>373
ここは「議論をすれば必ず前進する」になるでしょうね

真理接近原理は理解が困難な理念ですので、僕は滅多に語らないですよ
(ポパーの弟子ですら困ったんですから。)
言葉を出したのはポパーの誤解を解くために一度だけです

その言葉を拾って使ってるのは機械君ですし、機械君が使うことでさらに理解されるかもしれませんね
375考える名無しさん:2013/12/26(木) 18:38:51.23 O
その「前進する」とはどういう意味だ。 真理に接近してるか遠ざかっているか、どうしてわかるのだ?
376 忍法帖【Lv=24,xxxPT】(3+0:8) :2013/12/26(木) 18:42:34.03 0
寧ろ逆に最高級だろ
他に別に最高潮だろ
当然正反対に最高峰だろ
377飛べないカラス:2013/12/26(木) 18:46:38.22 i
>>375
時間はたしかに進む
378考える名無しさん:2013/12/26(木) 19:30:10.06 0
そう 時間は「変化」の認識だからね。
379考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:25:24.83 0
>>375
お前の真理は誰も説明できない、お前だけの真理だと気が付け。
380考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:29:11.62 0
>>369
誰にとって役に立つかということ、それは意味か非意味かの類であり、
真実か非真実のことであっても事実ではない。
その役に立つというのも永延に普遍ではないが君は普遍で意味が変化しない
類と色眼鏡で見ているのでは?
381考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:33:35.03 0
>>379-380
超バカスwww
382考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:33:35.71 0
>>358
コミュニケーションをする役割の言語の働きは
機械ではないし、プログラムでもない、数学でもない。

一部の道具としての論理記述と定義でもしたいのですか?
383考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:35:26.63 0
>>336
どうみても罵倒である、マジで意味を考えているのなら思考能力を疑う。
384考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:39:37.72 0
( ゚∀゚)ァハハ八八ノヽノヽノヽノ \ノ \ / \ / \
385考える名無しさん:2013/12/26(木) 20:57:59.12 0
>>381
チョン並の反応じゃどうにもならんこともある。
386考える名無しさん:2013/12/26(木) 21:07:08.33 0
真理接近原理wwwwwwwwwwwwwwwwwww
387【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/26(木) 21:08:09.97 P
>>365
学者にとっては興味深い事例として研究するかもしれないけど、変わった文化があったところで「へー、そうなんだ」位にしか思わないだろうね。
会話が成り立つのか疑問ではあるが。

>>382
言語そのもの(単語などの概念)は、観念の中で生きている一つのいのちとしています。
(一部ではミームと呼ばれています)
言語の使用は、コミュニケーションの為の道具であり、人間の意志が介在する故に「真・偽」の区別が可能なのではないだろうか。
388天才2:2013/12/26(木) 21:31:40.25 0
そもそも天才自身には何の利益にもならん。
かえって不利益だろう。天才であることがな。
389考える名無しさん:2013/12/26(木) 21:31:53.40 0
「真」の「理(ことわり)」
こう考えるとなにやらロゴスみたいですね
3902501:2013/12/27(金) 00:17:27.54 0
器質的差異という制約 のリセットを、言語によって超越論的地平として
獲得しはしたが、超越論的語用論の数が器質の数に戻ってしまうって感じ
ポストコミュニケーションにいくのかなぁ
最も洗練された末の DSMは、症状の数が人類の人数と同じになるのかもね

290 数の理-->数の利
391考える名無しさん:2013/12/27(金) 00:21:59.41 0
>>387
意味不明
392ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/27(金) 00:49:41.88 0
>>364
君は嫉妬ぶかいからね。これ以上はいわないが。w
昔から、君はレスの少ないことを嘆いていたけれども、何がいいたいのわかりにくく、絡みづらい。
このレスも長文だが「俺のほうがポパーについては詳しい」といいたいわけ? それは認める。w

どの著書でポパーが「真理はある」といったのかあげてみて。
このスレで、唯名論的真理やプラトン的実在論をもちだしても無意味。
彼がどういう文脈でそれらを語り、それを踏まえて、当スレの本旨とどう関わっているのかを、君自身が
述べる必要がある。そこが全くないので、だれしも(私は別w)挨拶のしようがないのではないか。

門外漢の私にも突っ込みどころ満載だが、一つだけ。
可謬主義と「真理はある」に、君はどう折り合いをつけているの? 

なお君とはちがって、機械さんは“真理接近”を自然科学に関してのみ使っている。
393Mr.winwin:2013/12/27(金) 01:41:27.51 i
>>392
『開かれた社会とその敵』
『科学的発見の論理』
『よりよき世界をもとめて』
『フレームワークの神話』
全部に書いてあります


それと、可謬主義と真理は両立します
最初から矛盾してないんですよ
(だいたい、可謬原理と真理接近原理はポパーの柱じゃないですか)

むしろ「真理はない」という方が矛盾してると考えられてきた歴史が哲学にはあります
僕はこの矛盾の解消を図った、それがインドの話題です


最近、デカルトの『省察』をパラ読みしたんですが、
「無知な大衆が形而上学に無理解だ」って愚痴る書簡がありました
前に読んだ時は飛ばしたんですが、最近の僕の関心は変わってますから、この部分でも読み込もうかなって思ってます
394あまの:2013/12/27(金) 02:43:50.18 P
真理も、結局、世界の様態にしか言及できない。
真理の内容より、真理があることのほうが大きいね。
世界が何なのかは真理以上の事なんだ。
395考える名無しさん:2013/12/27(金) 03:05:25.25 0
>>354
なーんだ、ただのガイキチだったのか
いやネットを優越ゲームに使っている
厨房様だ
同じ時間を使うのなら もっと有意義にね
396考える名無しさん:2013/12/27(金) 03:09:22.28 0
もう諸君は文献学者みたいな知ってるか議論はやめて
自分の言葉で語ったらどーかっ
397あまの:2013/12/27(金) 03:20:52.71 P
人間の知性が如何様に制限された機能か。
制限、形式、論理。
そういうもの突き抜けたいね。
398Mr.winwin:2013/12/27(金) 09:39:36.38 i
制限がある方が自由だ
これは声を大にして言いたい

将棋もさ、駒の動きには制約がある(金は斜め後ろには下がれない)
でも、駒の動きの制約がないと、将棋の面白さはなくなってしまう
制約を守る自由、その楽しさは訴えたい

知性って制限された方がうまく働く
もし、マス目もなく駒の動きに何の制約もない将棋があったら、とてもつまらないだろう

ルールを破る自由よりも、ルールを守る自由、その楽しさを、若い世代は学んで欲しいと思うわけよ
399ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/27(金) 10:29:42.08 0
>>393
例によって例のごとく、君は“周辺の知識”をバラ撒いているだけ。
要望したのは、ポパーの可謬主義と「真理はある」を君がどう折り合いをつけているのか。
両立するのなら簡単に答えられるだろう? しかるに君は君の言葉で、いまだに何も答えていない。
860氏や最近の皮肉氏まで、君との議論にイヤ気がさしてしまう理由に、そろそろ気づいたほうがいい。

それはさておき、君の“真/偽”が軽すぎる、と皮肉氏は指摘する。「内容がない」と、彼はいう。
真/偽の内容はどうでもよく、無矛盾性(形式)に重きを置いているようにしかみえない。
真理主義よりも“論理主義”と呼ぶほうが君にはふさわしいのかもしれぬ。
この点に、機械氏との大いなる違いがある。といって、インゲン和尚のそれとも異なるが。w

君は一度も当スレの決定論・唯物論に真っ向から言及したことがない。周辺知識(能書き)はいいから、
きちんと本旨と向き合うべし。機械氏に相手して欲しいのだろう?
400Mr.winwin:2013/12/27(金) 13:56:17.76 i
>>399

・皮肉との対話
あの対話が意味するところはですね
論理の是非なんですよ
彼が言う「二者択一思考」ってのは論理のことです
彼は論理を批判し、僕は論理の側からそれに応えたんです

「論理が間違ってたらあんたは笑いものだよ」
「ああ、論理は間違ってるかもしれないね。その可能性はあるよ。でも、それは論理的に検討できるよ」
「あんたの思考は論理を前提にしているよ。論理が正しければいいけどね」
「論理が間違っているところは指摘してくれないんだね」
こう会話したのが昼の部

夜は方針を変えたので、昼の部の話を皮肉と言ってお流れにしただけです

「あなたは非論理を理解できてるのか?」
「理解できません」
「非論理を理解せずに非論理と対話できるのか?」
「それは無茶な要求だよ」
「わたしの言ってることを理解できてる?」
「言葉は理解できないけど、態度は検討つくよ」

ま、こんな感じでしょう

で、僕は議論することによって非論理への理解を進めたわけです
僕は真理に接近し、
向こうは時間つぶしになった
winwinに終わったわけです
401Mr.winwin:2013/12/27(金) 14:02:47.59 0
・可謬主義と真理はあるの両立
「すべては疑える」は真である
はい、両立しました


・機械君
僕の解釈では、機械君は唯物論者でも決定論者でもありませんので、、、。
機械君がそんなことには興味なかろうとタカをくくってます
402Mr.winwin:2013/12/27(金) 14:26:28.87 0
ゲーム君は彼の皮肉を理解できたみたいですけど、
僕は彼の言葉を理解できてません
意味不明のまま対応してます

童話の「裸の王様」の仕立屋の服のようなものです
僕には見えない服です
ここで大事なのはですね
僕には見えないからと言って、「見えないことが正しい」とは僕はまったく思ってないんですよ
むしろ、仕立屋の言うことは正しいのだと思ってます
つまり、見えない僕がバカなだけなんです

これは、パラドクスに対して、ラッセルやウィトゲンシュタインと違って僕は「有意味」と設定してるからです
403じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/27(金) 14:46:22.84 0
>>366 :考える名無しさん:2013/12/26(木)
>「方向感覚における男脳女脳」なんて根拠ゼロ・・・・

科学的根拠はゼロですね、しかし哲学だって科学的根拠ゼロだし。
日常生活では方向感覚は大変重要な問題です。

http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11184338425.html

これは娯楽番組ですが中々面白い。
重要なのは脳科学なんて学者が威張っていても「方向感覚に男女差は無い」と科学的に言えてないという事実です。
404ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/27(金) 15:35:18.55 0
>>401
浅いね。可謬と懐疑を混同している。
疑えないものを“真理”と呼んでいる。
可謬は、いかなる認識→言明も「間違いうる」という意味。
405Mr.winwin:2013/12/27(金) 15:48:33.81 0
>>404
認識が間違いうることと、存在があることは両立するんじゃないですか?
存在についての話を認識についての話とすり替えるのはいつもゲーム君なんですよ
406ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/27(金) 16:04:13.16 0
>>400
いわれなくても、わかっている。皮肉氏は、君の好物の二者択一的・形式論理を単純とみなす。
現に、君は「韓国人は、いい人/悪い人」的な裁断を間違っていると述べていた。無自覚なまま。w
そういう君の鈍感なところを、彼は嘲笑したのである。

もっとも、その彼も君を「馬鹿」と断じていたので「それは、おかしい」と私は揶揄したわけ。
この話はもういい。それよりも決定論・唯物論について語ってみて。もちろん、逃げてもいい。w
407ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/27(金) 16:20:19.67 0
>>405
「存在がある」って何? 「存在・対応」などという曖昧な“根拠”をもちだしたのは君。
昔は“事実・対応”だったっけ? 

「間違いうる」を、間違うこともあれば正しいこともある、とするのは滑稽。
それなら、わざわざ可謬“主義”を名乗る必要はない。必ず間違いを含むという意味。
ポパーは俗物的なところはあったが、ノー天気に「真理はある」などと口にはしない。
408考える名無しさん:2013/12/27(金) 21:09:09.74 0
 現代物理学の基本とされる「不確定性原理」が成り立たない場合があるとした新理論「小澤の不等式」について、
東北大と名古屋大の研究グループが新たな測定法による実験で検証に成功した。
盗聴を防ぐ量子暗号通信や宇宙観測などへの応用が期待される。

 小澤の不等式を2003年に提唱した名古屋大の小澤正直教授と東北大の枝松圭一教授らによる研究成果で、
米物理学会誌「フィジカル・レビュー・レターズ」に近く掲載される。

 不確定性原理は電子などミクロの世界では粒子の位置と速度などの物理量は2つ同時に測れないとする考え。
小澤の不等式はその欠陥を修正する理論だ。新たな「弱測定法」は通常の測定値との差から物理量を直接測る方法で、
今回は光の動きを測って検証した。

 7月にも光の動きを測定して不等式を実証したが、光の状態を変えて複数の測定結果から推定する手法だった。
           
東北大学 プレスリリース
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press_20131220_02web.pdf
409黄檗:2013/12/27(金) 21:22:30.90 0
>>338
うまく説明できないというのは、本当は分かってない言い訳であることが
多いように思われるが、どうなんだろうな

どうして認識をもたらすものが必要なんだろうな
貴方の考える独我論なんてのは、唯心論みたいなもんだろう?
認識に起源があるというなら、その独我論?は不徹底だろ
そう思わんか?
例えば唯物論は、物質をもたらすものを必要とするか?

だいたい、観念論なんてものは不徹底なんだよ
ご都合主義というかな

カントよろしくってな
そんなままごとみたいな話をしてるのかカントって奴は
そんなのがよく、今に至るまで数百年もの間、哲学の中心でいられたな
もし奴が本当にそんな思考で止まったのなら、ただの馬鹿だぞ
まあ、知らん私が言うのもなんだが、少なくともだ

世界とは、理解可能な『この世界』のことであって
現象として対象化される客観を扱うことが、世界を知ることの全てである

・・・ぐらいの達観はしてたんじゃないか?

ただカントがどう考えていたかは知らんが、唯一この思考の穴はな
こうして構成される世界観もまた、理解可能に構成されないと駄目だ
ってことでな
常識を覆しながらも、常識的な概念を利用せざるを得ないような構成では
物自体とか、おかしなものを要請せざるを得ないのだろうな

ところで貴方の言う『カラス自体』の属性って例えば何のことだ?
410考える名無しさん:2013/12/27(金) 22:44:48.21 0
>>408
これ、ノーベル賞だね。
411考える名無しさん:2013/12/27(金) 23:38:30.80 0
ノーベル賞とか言ってる時点で  権威主義者だとバレバレ ぷ
へっぴり賞とまでは言わんけど イグノービリ賞位は言ってほすい
412「機械的唯物論」者:2013/12/27(金) 23:45:10.85 0
>>401
>・機械君
> 僕の解釈では、機械君は唯物論者でも決定論者でもありませんので、、、。
> 機械君がそんなことには興味なかろうとタカをくくってます

 あなたの解釈如何に係らず私は「唯物論者であるが故に決定論者」です。
・・・「弁証法的唯物論」は「真の唯物論」ではないので、「革命に立ち上がろう!」
などと言いつつ「何故ならば革命は歴史的必然だからだ」などという「子供でも解る矛盾」
を臆面なく吐いたりしますが、彼らは「観念論者(ヘーゲル主義者)の一変種」にすぎない
から、そうなってしまうだけのことです。
従って、「疑いえない『何か』が存在し得るか否か?」などという「馬鹿げた形而上学パズル」
には全く興味がないことは事実です。
413「機械的唯物論」者:2013/12/27(金) 23:51:15.67 0
>>408
シュレ猫問題は確かに(唯物論・決定論)には「難しい課題(難題)」ですので、
日本の大学が解決してくれたなら、それ以上喜ばしいことはありません。
 しかし、アインシュタイン:ボーア論争から100年以上未解決だった
問題を簡単に解決したなんて、>>408を見るだけではにわかには信じがたいことではありますけどね。
414「機械的唯物論」者:2013/12/28(土) 00:03:32.77 0
>>407
>ポパーは俗物的なところはあったが、ノー天気に「真理はある」などと口にはしない。

「真理」は@「有る」A「無い」のどちらかで、「@でもAでもない」ことは「ありえない」
・・・これは(数学的ともいえる)「真理(の一つ)」ですよね?
 それを認めなければ「すべての命題について『何でも(正しいと)言えるし言えない』」と言えるという、
「小児病的ニヒリズム」に陥ってしまい、その主張自体が「自己の主張に含まれてしまう」という、
「論理的テロリズム」に陥って、「結果的な自滅宣言」をしているだけのことだと思いますが?
415考える名無しさん:2013/12/28(土) 00:07:29.52 0
いかに、科学者ってのが、適当なことを大見得きって主張してるか、ということだ。

その小澤だかなんだかの理論も100年後くらいには、また覆される。科学なんてそんなもん。
416「機械的唯物論」者:2013/12/28(土) 00:15:40.92 0
>>415
あなたが「そんなもん」と言えるほど、単純でないことは間違いありませんが、
「難しいことを知ったり考えたりすることはめんどくさいけど、『上から目線』で
物事を片付けたい」・・・という(「超越(的)ダイスキ観念論者」)にとって、
 誰かが「結局解りっこないんだよ」と「それらしい根拠を示して断定」してくれる
のは、(失礼ながら)「大いなる安心の元」なんでしょうね。

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
417考える名無しさん:2013/12/28(土) 00:19:02.13 0
>>415
最初から、学者の数だけ大見え切ってる哲学よりかは随分ましだろう w
418考える名無しさん:2013/12/28(土) 00:22:32.87 0
機械はしょせんは「実体論者」だからな。
419考える名無しさん:2013/12/28(土) 02:09:16.41 0
実体についての観念のほうが実体より重要だと思い込んでる?のはなんでなのかなあ?
そこのところが、観念論者?の主張の根本的に理解しがたいことなんだけどな
まあ、哲学初心者ですから判りませんけどね。
420考える名無しさん:2013/12/28(土) 02:40:22.32 0
観念論者は「実体なんて存在しない。実体についての知覚だけが存在する」
それが「実体の存在の証拠にはならない」って、要するに言ってるんだよ。
一理はあるよね?
421考える名無しさん:2013/12/28(土) 02:45:56.59 0
実体の知覚が存在するのは実体が有るからじゃないの?
錯覚とか蜃気楼とかは別としての話だけど
422考える名無しさん:2013/12/28(土) 02:56:15.66 0
仮に実体が実体だとして、だから何だというんだ?
偽札だって実体じゃないか?真券が実体?ばかじゃねw
423じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/28(土) 03:41:46.54 0
>>421 :考える名無しさん:2013/12/28(土)
>実体の知覚が存在するのは実体が有るからじゃないの?

じいさん的に言えば、何か(対象=客観)は在るがはっきりしないと言う事。
知覚、感覚で注意を払って観察、考察して観念的に思考して少しでもハッキリさせようと思う、しかし所詮どの様な実体も観念として捕らえると錯覚とか蜃気楼のようなものだと言う事。
これが無受想行識と言う事です。

実体を証明することに観念は失敗していると言う事なので、もし実体があるなら科学的に証明しなければならないが、今のところ科学は素粒子を解明できていない。
「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一・・・・は成されていない。
424飛べないカラス:2013/12/28(土) 04:32:33.53 i
>>410
ノーベル賞受賞に値すると推薦される理由を書いてみてください。
425【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/28(土) 10:43:05.26 P
>>409
フッサールの方法的独我論を1レスに纏めることなど出来る筈もなかったということだな。
認識(純粋意識)の発生起源である先所与性まで遡らなければ、真の世界構成に辿り着かないわけだが、不徹底と言われれば確かに不徹底ww

カントは、人間の認識は限定されたものだから、物自体は原理的に認識出来ないとして、存在の世界(=自然世界)と当為の世界(=観念世界、可想界)の区分を提示した。
俺は、この区分を「構造」として一元化するのが中心課題。

カラスの属性とは、カラスを構成する成分。
黒い・鳥・生物・足が二本あるなど、それら属性の総合が、経験的概念であるカラス。
もし、この属性を全て言い表せたならば主客が一致するかもだが、それは不可能。
認識は制限されたものだから、部分的にしか捉えられないのです。
426黄檗:2013/12/28(土) 11:04:21.51 0
>>425
カントは本当にそんな幼稚なことを言ってるのかね?

区分?
区分を消去し、「これで十分だ」とすることに成功したから
今日まで偉そうにしてるのじゃないのかね、カントは?

前に「物自体は端的に不可知だ」とか言ってる人がいたが、それも甘い
物自体というものは理解可能な一切の内容を持たない、ぐらいが適当だろう

物自体を原理的に認識できない、なんてのはただの不可知論
何がどう制限されているのか、妄想から抜け出せない

まあ、適当に頑張れ
427考える名無しさん:2013/12/28(土) 12:26:35.28 0
いのち一元教は何がいいたいんだ?
428【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/28(土) 13:21:39.61 P
>>426
区分の消去ではなく、アンチノミーによって世界の全体性は原理的に答えがでないとし、回答不可能性を宣言したのです。
回答不可能なことに回答するとなると、これは信仰にあたるだろうと俺は述べたわけだ。
まぁ、適当に頑張る。

>>427
観念世界を包括する自然世界の構造の解明
429黄檗:2013/12/28(土) 13:27:55.18 0
アンチノミーの前にカテゴリーじゃないのか
430考える名無しさん:2013/12/28(土) 15:07:45.93 0
名無しの数だけあるクオリアを互いに物質的に反証しあうスレなんて面白いな
431考える名無しさん:2013/12/28(土) 15:10:02.73 0
大変なスペックの地球シミュレーターに必然を詰め込んで動かしてるみたいな話だ
432考える名無しさん:2013/12/28(土) 15:16:24.12 0
>>421
実体はあるさ
ただ、科学がその連続性を切り取って
ある一定枠を保存して検証できないから、あるかどうかわからないと言っているだけだ
433考える名無しさん:2013/12/28(土) 17:32:38.85 0
A
434考える名無しさん:2013/12/28(土) 18:13:33.90 0
>>432
その通りだと思う。
科学には、事象の連続性を切り取れるものと、切り取れないものがある。
切り取れないからと言って、存在(実体)していないわけではない。「物自体」とは
そのことを現している。
435考える名無しさん:2013/12/28(土) 18:15:59.89 0
科学に責任があるわけではない
436考える名無しさん:2013/12/28(土) 18:32:03.38 0
科学的根拠に寄せられた責任というのは
物事の普遍性のような確立したものの期待ではないかな
437考える名無しさん:2013/12/28(土) 18:54:17.91 0
もっと根は深い
科学の形というのは、人間による世界の理解の仕方に依存していて
しかしこの理解の仕方が即ち世界のありようそのものと一致してしまう
という、論理的には当たり前ではないが、現実的には当たり前の事実を基礎にしている

この当たり前の事実に、それを引き起こす理由があるのか無いのか
が分からないのだ
それが理解というものの本質に起因するのか、それとも単なる偶然なのか
「理解」という働きによっては掴めない何ものかがあるのか

こういうことは思弁的にこねくりまわしても駄目なのだ
トライアンドエラーしかない
438考える名無しさん:2013/12/28(土) 19:01:13.85 0
>>437
科学の形というのは
人間による世界の理解の仕方を基礎に
世界のありようそのものの一部と、一致し続けているという
現実的な事実が今まであり続けた。事は確かだね
439考える名無しさん:2013/12/28(土) 19:04:46.57 0
トライアンドエラーが重要であることは本当に確かだ
440考える名無しさん:2013/12/28(土) 19:23:53.65 0
>>1
人間はまだここに至って科学的に生命の最初の鳴動を起こすことができていないが
おおよその乱数を内包する演算機が作られた時に君のこの推論は決定されるだろう
441考える名無しさん:2013/12/28(土) 19:30:36.32 0
主観も客観も全ては主観にすぎないが、徒労でもそれらは実存性を持ち続ける
そして動き続けるのだ
機械君は最終的な徒労を内包していながらもいつもどおりに対外的な人間への配慮の通りに就寝したらいかがかね
442じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/28(土) 22:22:35.58 0
>>441 :考える名無しさん:2013/12/28(土)
>主観も客観も全ては主観にすぎない

なるほど 其の通りですね。

>それらは実存性を持ち続ける

それは同意できない、実存は主観に過ぎないわけでしょ。
主観とはあくまで「・・・と言う気がする」が限界。
主観を裏付けたり証明する主観は無い。

>そして動き続けるのだ

動き、変化、エネルギー、パワーこの辺は永遠の謎ですね。

>機械君は最終的な徒労を内包していながらも

このスレの今年の締めくくりの言葉ですね。
443考える名無しさん:2013/12/28(土) 23:13:22.43 0
実存性といったって、じいさん氏がモニタの前にいてこれらを書いている間に自分は違うモニタの前でその意見を元に考えを書き込んでいるくらいの事象でしかない
2chの鯖ログにタイムスタンプを逐一付けながらリアルタイムで載っていくという意味合いの範疇では実存性をある程度の枠内で証明している
実存は個々の主観であり、お互いが「・・・という気がする」を持ち続けながら連続性の世界の一部としてこのスレッドと共に続いていく
世界は様々な主観や方向性で一杯だ。そして常に動き続けている。時々個々のクオリアは共鳴する場面があり、そこが面白いところだ
他方の主観を裏付けたり証明する主観は厳密には存在しないだろう。物質的に意識が必然であるならば、物質的でない有意識を持たない神性な第三者でもなければ・・・

じいさん氏は443の主観からは離れた、実存する何かだろうな。実存性を持った状態で続いていく
しかし443の有意識下でない時間軸においてはそれを証明することはできないが、”当たり前”のように生きていくのだろう
それらはまたスレッドが1000に行くまでには443が確認する事ができるかもしれない

ここは真理の輪郭を塗ってから、内側を徒労で事務的に埋めていく作業をしているのか?
444あまの:2013/12/29(日) 00:03:30.75 P
まあしかし、凡そ人間という種が出せるアイデアは出尽くしたろ。
もうこれ以上素材ないと思うわ。
445天才2:2013/12/29(日) 00:29:45.05 0
時間の経過が妙に早いところを考えれば、
時間はそもそも”ない”ってことだな。
446「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 01:12:16.56 0
>>440
>人間はまだここに至って科学的に生命の最初の鳴動を起こすことができていないが

確かに「まだ出来ていない」とも言えますが、クローン技術等人道的問題が絡むため、あまり
報道されていない分野が結構あるのかもしれません。
例えば、IPS細胞の技術を用いて自分の体細胞から「自分自身の胚細胞」を作製して、アメリカ
等では認められている「貸し腹」で、「自分の一卵性双子」を造ることぐらい、多少の技術があれば
理論的には可能なのではないでしょうか?
 アメリカのセレブあたりを相手にしている医師の中には、(密かにですが)高額な料金を取って
実行している方も居るかもしれませんね。
 依頼するセレブから見ても「遺伝子が全く同じ自分」が「子供」として誕生してくることを
望む・・・ということも大いにあり得ることかもしれませんね。
447「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 01:23:56.28 0
>>446の問題は、さらに突き詰めると、「自分向けの臓器移植」のために、
自分のクローンを製作する(しておく)・・というような局面にまで進展する
可能性は結構あると思います。
 「資産は1兆円単位で持っているけど、末期ガンで余命宣告を受けたセレブ」
の立場になれば、「金は掛かりますけど、拒絶が皆無の臓器を造れますよ」と
言われた場合、「そんな倫理に反する事までして生きながらえたくない」と
言う方が全員(100%)だとは限らないかもしれません。
 科学の進歩はこういった新たな社会問題を引き起こす可能性も大きく、そこに
「哲学」が入り込む余地は大きいのかもしれません。
448いちお考えてる名無しさん:2013/12/29(日) 01:55:38.44 0
   
 育て方も同じでも 双子は 社会で一人っ子にならない

    ・・・・・・ あとは数学の世界
    
449Mr.winwin:2013/12/29(日) 02:12:30.11 0
>>447
僕は知り合いに、政治に強い関心を持って政党の内部とのコネを持ってる人がいるのですが
彼と時折、政治についてのたあいもない話をします
彼が言うには、技術の開発に金をかけない頭の堅い人たちが多い
時代を進展させる意欲が政治家にない、という話でした
今の政治家は10年後に未来を変えるイメージを描かずに、技術躍進がとても遅いということでした
その時に僕はIPS細胞の話をしたんです

それは倫理学におけるサバイバル・ロッタリーの話にヒントを得ていたのですが。
もし、IPS細胞の技術が躍進して、なんでもクローンができて、今より簡単に臓器移植ができたとしたら
その時代には、誰もが自分の健康に関心を払わなくなるだろう
タバコも吸う、酒も飲む、食事にも運動にも気を使わない
なぜならば、移植が簡単にできてしまうからだ
肝臓が悪ければ肝臓を交換する。腎臓が悪ければ腎臓を交換する
技術の発展はそのようなことも社会にもたらすのではないか?
健康の害悪が減れば、健康の価値は大きく変わる
こう切りだしました

これに対して彼は
「一病息災ってやつだな。病気をすることで体をいたわる。
だから病気を一つぐらいは持っていたほうがいい。昔の医者は言ってたものだ。
でもまずは技術だ。
技術が変われば世の中は変わる。倫理や法は後からついてくる」と答えてました

その時僕は、未来の技術社会において、経済格差が大きな問題になるだろうと思いましたが、これに関しては発言しませんでした
移植ができるものとできないものとの階級格差が発生する
それも、健康への価値が経済格差によって大きく変わってしまうことになる

ですが、彼は政治家として、経済格差の問題にはまるで興味がなかったので
その話は切りだしませんでした
労働環境とかの話をしても、
「日本が今の生活水準を保つためにはしょうがない」という考えの人ですからね。
450Mr.winwin:2013/12/29(日) 02:21:46.20 0
>>448
おう、君もいろいろ書きこみたまえ

君の言う通り、クローン人間はただの他人だ
一卵性双生児というものがある。これはクローン人間のようにDNAが同じだ
ザ・たっちの片方はクローン人間だと見ることもできる

でも、それだけだ
一卵性双生児だろうとケンカもする。考え方も運動能力も違う
所詮は他人だ

むしろ、クローン人間の技術が発達すれば
「遺伝子が違うから」という言い訳をする機会は激減するだろう
遺伝子よりも、環境なり育ち方なりの影響の方が強い例をたくさん見れるだろうからね。

それよりも、不妊治療とか、子供が欲しいけど出来ない夫婦に対する解決とかにクローン技術は使えるんじゃないかな
451あまの:2013/12/29(日) 02:37:22.14 P
機械化が進む世界で労働力は徐々に必要なくなっていくからね。
無理に人口増やすとか何の信仰かと思うよ。
452飛べないカラス:2013/12/29(日) 02:49:01.06 i
機械が何でも出来るようになれば人間は不要になります。
453いちお考えてる名無しさん:2013/12/29(日) 03:37:25.06 0
   
 ・・・・・・ ロボットダンス係長が 許さないと思う 
  
454考える名無しさん:2013/12/29(日) 03:58:40.68 0
人口圧が高まらないと外の世界を開拓しなくなるだろアホか
455考える名無しさん:2013/12/29(日) 05:31:36.14 0
はたしてそうかな?
456考える名無しさん:2013/12/29(日) 05:40:53.98 0
ほんとうにそうかな?
457考える名無しさん:2013/12/29(日) 07:33:20.65 0
なかうそにうとんほ
458考える名無しさん:2013/12/29(日) 08:41:38.21 0
>>446
コピーは連続性を保存し続けているが、人間が初動を創価する事が重要な因子になる
拍動、発電、連携、蓄電、3年たったら自我というあいまいな揺らぎを自発する物質的な必然
機械君ならおそらく辿り着くことができるだろう
459ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/29(日) 11:52:37.31 0
少し前のレスだが、>>414(機械氏)の「“真理”は@あるAない、のどちらか」というのはそのとおり。論理的要請である。
ただし「ある/なし」が成立する条件がある。それはウィン君が口にする「真理とは何か」が確定している場合に限られる。

「真理とは何か」をいわずに「真理はある」と公言する機械氏の思考態度は、哲学的でも科学的でもなく、宗教的である。
(唯物論への)信仰心が先立っているからだ。w 機械氏は「真理とは何か」に触れぬまま「何が真理か」を独断する。

「物質だけがあり、因果律に従って生起する」という一元的一意必然の世界観を機械氏は絶対的“真”とみなす(思い込む)。
「神が何かはしらぬが、神は存在し、すべては神の御心」と同型の主観的“絶対主義”をそこにみることができる。
疑いえないのは、機械氏が「唯物論・決定論は絶対的に正しいという確信を抱いている」事実である。
460ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/29(日) 12:23:16.72 0
唯物論・決定論というのは、観念論(思想)に含まれる。
否応なく、言葉の綾とりゲームに巻き込まれる。

しかし機械さんの立場は唯物論ではなく“科学”ではないのか。
科学は主観/客観とか「真理とは何か」といった小児病的迷宮に遊ぶのを「よし」とはしない。
また“実体”をめぐる言葉遊びも「低次元」と度外視する。
真/偽を問うのが本旨ではなく、科学は理論(仮説)を“検証”しつつ「世界像の更新」を主意としている。

唯物論を含む様々な思想(観念論)の解体をもくろむ“科学”に棹さして言述することを、機械さんには勧めたい。
461考える名無しさん:2013/12/29(日) 12:43:24.36 0
ここは「真理」の有無を議論するスレではありません。
462考える名無しさん:2013/12/29(日) 14:00:48.52 0
ただ一般的に言えば、普通、無神論者たちが神の存在を攻撃しようとして言いふらしてることのすべては
常に次のことに依存している。
すなわち、想像によって人間的な感情を神に帰していること、
あるいは、われわれの精神には神が何をなすことができ何をなすべきかを理解しようと努めるほどの、
大きな知恵と力があると自負することに依存している。
したがって、われわれの精神は有限であるが、神は不可解であり無限であると考えることを肝に銘じておきさえすれば、
かれらの議論はいかなる困難をもわれわれに引き起こさないであろう。

大衆の喝采や多くの読者を得ることは、わたしの期待するところではない。
私が勧告している相手は、私とともに真剣に省察し、精神を感覚から、そして同時にすべての先入見から引き離すことができ
またそう欲する人々のみであり、そのような人々はわずかしか見出されないことを私は心得ている。
他方、そのような精神をもたない人が、わたしの本を読んで、かりに多くの点で嘲笑する機会を見出したとしても、
何か急迫した、答弁に値することをかれらが反論するのは容易ではないだろう。
463考える名無しさん:2013/12/29(日) 14:03:55.18 0
>>462
一言でいえば、
「俺にもようわからんけど、とりあえず信じてる。文句言うな」で済む話ですね w
464大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/29(日) 14:12:00.84 0
最近、7年ぶりぐらいに新しい資料を読んでいる
フランクフルト学派、批判理論と批判的合理主義とのいさかい、いわゆる実証主義論争について調べていて
マルクス主義(フランクフルト学派はマルクス主義亜流)からの社会学に対して、
批判的合理主義の立場から何か批判できるところがないかと考えている
社会科学をテーマにしてみる
もちろん僕はポパーと同じ態度、「自然科学と社会科学に本質的差異はない」という立場をとる

で、社会学研究において「真理はない」という前提を導入することは問題ないと僕は考える
分析上、合理性原理として虚偽を導入することは科学においてありえるからだ
(合理性原理を世界の本質と混同すべきではないことには常に注意を払うべきであろう)

われわれは多くのドグマを持っていており、ドグマを改良することができるが、
そのような知的進展がないものと仮定した上で、われわれが何らかのドグマに帰依する仕組みを研究することはできる
社会学はそのような仕組みを研究する分野だと考えることもできる

ただ、批判理論が言うような社会の変革への動きが社会科学に含まれるかというと難しいのではないだろうか

よりよき変革というのは常にわれわれが持ち続けねばならないものだろうが
学問的な研究というのは、そのような動的な記述がなされるべきものではないように思える
というのも、学問的研究において考えられたものは、常に否定され破棄される可能性があることをもって価値づけられると考えるからだ
学問が静的な記述をとるのは、そのような記述の方が批判されやすく、破棄されやすいためである

結局のところ、弁証法というあやふやな記述方法が自己批判を方法論的に奪う手法であり、
その記述スタイルが停滞を招いているだけなのか

アドルノやハーバーマスの関心がいまいちつかめないんだよね
465「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 14:48:21.54 0
>>460
おっしゃりたい趣旨が判らないでもありません。
しかし、(自然)科学も(記号・数式を含めた)広義の「言葉を用いる学問」である
ことに代わりはなく、一部で記号・数式を用いるのは「そのほうが効率的な分野」
であるからにすぎません。(記号・数式は「自然言語の代替をしている」だけ。)
 「観念論哲学・思想」が往々にして「言葉の綾取りゲーム」に堕してしまうのは、
(自然)科学の方が「観測・仮説・実験」という「外界(世界)とのトランザクション」
を「当然の必要手段」として前提しているのに対して、「哲学・思想」の方は残念ながら
そうではないからです。その意味で「社会科学」である「社会学・経済学・(社会)心理
学・政治学・法律学等」は、(自然)科学類似の「観測・仮説・実験」という「外界(世界)
とのトランザクション」手段を持つが故に「(観念論哲学より)信憑性の高い学問」とは
言えるかもしれません。
 その自然科学の最先端(特に理論物理学・宇宙物理学・大脳生理学・分子生物学)
の描く「世界像」が「結局『この世界』は全て物質の振る舞いによって成立
している(だけ)」・・ということに収斂しつつあるが故に「唯物論」なのです。
 さらに、「全ての物質は3次元空間中において、時間軸方向(4次元目)に
『(物理・化学)法則』に厳密に従って変異する」という「動かしがたい観測事実」から
(「神経細胞の集合としての物質」である「人間の脳」の諸々の作動結果「感覚・思考
・意志・観念」を含めて)、「決定論」に帰着せざるを得ない・・・ということです。
466ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/29(日) 14:50:42.66 0
>>461
機械さんの>>1 を読めばいい。
「量子論と相対性理論の統一後」の唯一の最終“真理”…云々と述べている。
彼は、しるかぎりでは終始“真理”を語ってきた。

二つの理論は科学的言説である。それが一つの“真理(思想)”に合一される、というわけだ。
こういうところが、機械さんの無自覚さ(ノー天気たるゆえん)である。

様々な思想(○○主義)がある。それぞれ自らの“正しさ”を標榜している。
が、それらは「超・大統一理論」樹立後には、擬似的な諸“真理”として解体→解消される、
というのが機械氏の立場のはずである。w 

もっとも私は、そうは問屋が…とみているけれども。
467「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 15:18:21.32 0
>>464
>「自然科学と社会科学に本質的差異はない」という立場

 そこまで言うと「言い過ぎ」だとしか申し上げようがありません。
マルクス主義が(ヘーゲル観念論の「弁証法」なる無根拠な前提を採り入れた
にも拘わらず)「科学的経済学」を自称することが出来たのは、「社会科学」
分野が、自然科学と同レベルの「観測・仮説・実験の集積」という手段を確立
出来ていなかった(未だに出来ていない・・・)証拠だと思われます。
 経済学の分野でも、ソビエト社会主義の崩壊によって、修正資本主義の優位性
が証明されたという見方もありますが、戦後「世界第2位の経済大国」だった日本が、
「共産党一党独裁国家」である(未だに「発展途上国」でもある)中国にその地位を
譲ったのは、一概に「人口が桁違いだから」だということだけで説明が付くものでは
ないのかもしれません。
 GDP等の増大について「説明が付く・付かない」については、IT技術の発達に
より、産業が労働集約型から知能集約型に移行しつつある現在、(経済学にとって)
より難しいモノになってきた(要するに外界「世界」の説明が困難化してきた)と
言えるのかもしれません。
 ・・・そのことは「政治・経済学」が自然科学的厳密性を薄めてきているという
見方も出来るということではないでしょうか?
 
468Mr.winwin:2013/12/29(日) 15:40:15.30 i
>>467
昔のNEWSWEEKでアインシュタイン特集が組んであってそれを読んだ

アインシュタインはほとんど実験をせずに思考実験ばかりだったそうだ
彼が大学に在籍して研究室で研究できる環境にあったならば、相対性理論は産まれなかったという意見もある

また、発表当時、「アインシュタインは科学者ではなく哲学者だ」という批判もあったそうだ
それほど、彼は直接的な実験よりも思考実験を優先した

「社会は容易に実験できない」
これは社会科学においてよく言われる言説だ

でも、自然科学だって社会科学と同じくらい、根本的なことは実験できない

例えば、隠れた変数があるかないか、なんて実験のしようがない

自然科学の特殊なところは、水掛け論になりそうならば、水掛け論にならないような論を組むことところにある
常に、思考が前進し実験と結びつく形での論のあり方をとる

社会科学にそれができないとは思いません

共産主義と資本主義のどっちが正しいかはどうでもよい議題だと思います
どちらでもよい

それぞれの社会の欠陥に目を向けどう改良するかが社会工学の仕事ではないでしょうか?
469考える名無しさん:2013/12/29(日) 15:42:53.08 0
>>461
ここは誰を、どの観測事実を通してでもたがわない真理にたどり着くまで
機械君とゆかいな仲間たちが思弁的に過去の哲学者の引用を長々と貼り付けながら詰めていくスレだよ
470大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/29(日) 16:13:15.05 0
>>467
なるほど、自然科学的厳密性の視点を考えますと言い得て妙ですが納得せざるを得ませんね。
471考える名無しさん:2013/12/29(日) 19:49:35.44 0
>>468
しかもアインシュタインが相対論を思いついたのは小学生程度の年齢でしたから
数学が不得手な彼は証明に時間がかかった
まあ奥さんがやってくれたからできたわけですが
だからノーベル賞をもらった時にその賞金をすべて離婚した最初の奥さんにあげてしまった
472考える名無しさん:2013/12/29(日) 19:58:11.61 0
>>471
適当なこと言うな w

特殊相対性理論は1905年。ミレーバとは1903年に離婚してるよ。
それに、特殊相対性理論自体の数学は非常に基本なもの。

一般相対性論には、もっと高度なリーマン幾何が必要だったけど、これはさらに10年以上もあとの話。
473考える名無しさん:2013/12/29(日) 20:07:37.20 0
>>472
全然違うよ。
ミレーバとは1917年に離婚してる。

数学的証明に関しては、その通りだけど。
474考える名無しさん:2013/12/29(日) 20:08:10.95 0
>>471
適当ではないよ
まずこれはマイケル・ポランニーがアインシュタインに直接合って確認していること
それから工作舎のなんとかというアインシュタインの評伝にもミレーバのおかげだと書いている
ミレーバとは1919年に離婚しているね
いい加減なこと書かないでくれよ
475考える名無しさん:2013/12/29(日) 20:13:11.88 0
これだ↓
「二人のアインシュタイン」
http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN4-87502-259-X.html
476考える名無しさん:2013/12/29(日) 20:15:08.82 0
ミレーバ解なんてあるのか?

ミンコフスキー解みたいな。
477考える名無しさん:2013/12/29(日) 20:20:55.94 0
まあ当人がそういうふうに知人にも話していたんだから
ミレーバのおかげなんだろうな
478考える名無しさん:2013/12/29(日) 20:21:06.17 0
奥さんにノーべ賞の賞金を渡すって言う話が出たのは、すでにエルザとの交際が始まってて、いわば慰謝料みたいなものだろう。
ミレーバは長い間、鬱病気味で、アインシュタインも引け目があるから、そういう話になったはず。
479ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/29(日) 21:25:29.72 0
>>465
自然科学は、機械さんの希望するように唯物論に収斂しそうにはない。
やや揚げ足とりぎみに指摘すると…
「この世界は、すべて物質の振る舞いによって成立して…」はいないからだ。

「すべての物質は三次元空間中において…」と、はからずも機械氏が述べているように、
“物質”はただそれだけでは存在しえない。まず“次元”は物質ではない。空間も。
これらの、いわば補助的概念を想定せずに“物質”は存在できない。
「時間軸の方向に…」と臆面もなく述べているけれども、時間も物質ではない。

次元、時・空は物質ではないし、物質に付帯して現出したわけではない。
むしろ、それらが“物質という事態”を可能にしている、といったほうがいい。
また機械氏のいうように、物質は法則に従う。法則も物質ではない。
もし一つに収斂するとすれば、物質ではなく“力”だろうが、こちらも一筋縄では…w

>>467 も自家撞着ぎみのレス。
480【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/29(日) 22:07:29.43 P
情報も物質ではないし、ダークエネルギーも物質ではないよな。

ただ、時間は物質の動態や因果的方向性をそう呼んでいる概念なので、実体としてあるかは疑問。
空間も、ヒッグス粒子が空間的拡がりを形成していると考えれば、実体としてあるかは疑問。
次元とかただの概念だから全く実体としてはない。
481考える名無しさん:2013/12/29(日) 22:07:35.34 0
時間はまだ成長点の延伸という概念
482考える名無しさん:2013/12/29(日) 22:21:22.52 0
空間も延伸だよ
ある物体または場所を指差し、あそこへ行けとかあれとってこいとか犬に命令する
すると賢い犬ならその指を外ソウした延長線上にあるすべての物質からご主人が指示した物体を特定し、そこへ向かうことができる
犬に限ったことではなかろうがとにかく、少なくとも犬という動物も空間を延伸概念理解という形で認識しているといえる
483「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 23:00:21.80 0
>>468
>自然科学だって社会科学と同じくらい、根本的なことは実験できない

「同じくらい」というのは、それこそあなたの「主観的尺度」です。
確かに特殊相対性理論は100年以上前に発表された理論であり、当初は
大きな戸惑いで受け止められましたが、その十数年後の皆既日食の観測により
太陽による「重力レンズ効果」が観測され、初めて「科学会に認知された」
と言えます。
 その後、100年間の自然科学の「厳密さの追求」は、昨年のヒッグス粒子の
発見に関する公式発表でも見られるとおりです。
 すなわち「ヒッグス粒子らしき粒子を発見した。その確率は99.99998%である。」
というようなものです。
 それに関連してヒッグス博士に(「存在予測」の発表から数十年後)ノーベル物理学賞
が送られました。
 それくらい「自然科学の方法」には「世界中の監視の眼」が注がれており、「社会科学」
と同列に論じられるようなレベルの時代は「遠い明治の過去」のことなのです。
484「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 23:07:34.90 0
>>479>>480
文科系の方は、いろいろお勉強されても結局「ビッグバン以後の出来事」
について、よくお判りになっていないことを前提にしなければいけないのですね。

例えば、「4種の基本的『力』の分岐」とか「真空の相転移」とか「宇宙の晴れ上がり」
とかについて、基本的な知識を持たれていなければ、そのようなリアクションがあるのは
当然だと思います。
 しかしながら、それらの「理論物理学・宇宙物理学の基本」くらいは押さえておいて
戴かないと「一から説明する」ことは非常な困難を覚えるのみになってしまいます。

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
485考える名無しさん:2013/12/29(日) 23:10:33.37 0
物質があるから、空間が存在する。
空間は、物質のため曲率をもっている。
486飛べないカラス:2013/12/29(日) 23:19:46.36 i
>>465
既に指摘されている通り唯物論での物質の定義では無いですね。
従って唯物論者でも無いでしょう。
487飛べないカラス:2013/12/29(日) 23:24:30.14 i
すべてを物質で説明するには物質の定義はすべてを説明するものでなければ
おかしい。
488「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 23:29:43.42 0
>>486
>唯物論での物質の定義

「唯物論」における「物質」の定義・・ですか?
かなり無理をして敢えて「定義」するとすれば『全て』でしょうね。
『存在の全て』『全ての存在』『存在するモノ』『全ての実体的存在』等は
・・・いずれも「当を得ない定義」となります。

「この世界(宇宙)」は「唯(ただ)物(だけである)・・という論」ですから。
489「機械的唯物論」者:2013/12/29(日) 23:45:50.31 0
まあ、最新の理論物理学・宇宙物理学でも「基本力」は「重力」「電磁気力」
「強い力」「弱い力」の4種があり、「素粒子」も17種(ないし18種)あり、
それでも「多すぎる」とお考えになる方は多いかと思いますが、我々の周りにある
「酸素」「炭素」「窒素」「鉄」「金」「ウラニウム」等…100種と少しある
「元素の原子」の内部構造は「陽子・中性子・電子」だけであり、「身近な現象」
は全てその「3種の粒子(あえて加えれば「光子」)」だけで引き起こされている
・・と考えても差し支えはありません。

 何よりも「我々の脳」を構成しているのはその「3種の粒子(あえて加えれば「光子」)」
だけで「稼働している」ので、他の素粒子や「力媒介粒子」のことまで考える必要さえ
ない・・・と言えると思います。
 まず「物理学の基本」「化学の基本」を押さえなければ「唯物論」に関する理解は永遠に
不可能だと思います。
 本日は就寝させて戴きます。
490【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/29(日) 23:47:16.79 P
>>488
すると、時間・空間・情報は物質かもしくは全く存在しないか、どちらかとしか言えなくなるのでは?

それどころか、想像したもの、学校・会社・国家という共同概念も物質かもしくは全く存在しないとなるww
それは無茶でしょう。
幻想であるというのは俺も同じ立場だが、幻想だって存在するですよ。
491【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 00:04:54.52 P
物質という概念と、その他の概念では一体どんな差異があるのだろうか?
自然世界として実体を持つものが物質で、それ以外は幻想?
いや、その区分はおかしい。
欲や意志によって営んでいる以上、欲や意志が「全く存在しない」などと言える筈は無い。
言語やその他センスデータを扱う以上、情報が「全く存在しない」とは言えない。
実在性と存在性をどの様に分類するのか、まずはそこからだろう。
492考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:10:08.80 0
>>491
実体も物質であり幻想もまた物質である
493【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 00:15:12.64 P
>>492
物質を、「存在の全て」とすると、そう言うしかないでしょうね。
ユニコーンや空飛ぶスパゲッティモンスター(という幻想)を、「物質である」といって笑われなければ良いのだがww
494考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:18:08.08 0
>>493
それらも物質から放たれるエネルギーの発現の範疇である
495考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:20:10.36 0
>>491
欲や意思は方向性が付加された物質の流れである
情報もまた存在する
496考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:24:52.61 0
物質からの意識の発現時におけるエネルギーを科学的に観測する事は
魂や精神 また夢を人類がそれらの始端から扱うのに必要な事であるが未だそこに至ってはいない
497ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/30(月) 00:41:26.30 0
>>483
機械さんの推奨する厳密な「自然科学」も、できそこないの「社会科学」が対象とする領域を
カバーすることは不可能なのである。ヒッグス粒子が発見されたからといって、また機械氏の
いう「超・大統一論」が樹立されたとしても、この地球上の些少な人事・社会事象については、
粗雑な「社会科学」以上のことを、自然科学が論述できる可能性は薄い。
>>484
機械さんほどではないにせよ、そのあたりのことは一応、目を通している。w
機械さんが触れているのは一般向けだが、科学。唯物論ではない。科学が“物質”を語ろうと
すれば、前記のように非・物質的概念を必要とする。
唯物論なる思想に拘泥するのは、むしろ「科学の進展にはマイナス」といっているのである。
科学は“唯物論”の正しさを証す手段ではなかろう。
498考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:42:16.68 0
>>493
夜見る夢でさえ脳細胞が物理化学的ななんらかの反応を起こしている結果だろう。
コンピュータが画面表示をするだけでもCPUやグラフィックチップが物理的な働きをすることが必要なことはわかる?
499考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:42:31.01 0
意識とは何ぞや?
が分かっていない以上、自分も他人もないわな
多重人格者における自己とは何ぞや?
500考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:46:11.56 0
>>497
あと10年もすれば、あんたの頭脳を上回る明晰な自己意識を持つ人工知能が出来ると思うよ。
その時にあんたの脳の方に簾が入って「私は誰?ここはどこ?」の状態にならないよう、酒は控えた方がいいw
501考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:47:04.46 0
意識とは特定の熱量の連続移動である
しかし未だ特定はされていない
自己とは自分の力で動くもの
502【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 00:49:29.70 P
>>494
1.物質からエネルギーの発現
2.エネルギーから物質の発現
どちらが根源か、それが重要だ。

>>495
存在の全てが物質ならば、情報も物質なんでしょう?
503考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:53:41.10 0
「存在の全てが物質ならば、情報も物質なんでしょう?」

そ、そのトーリ!しかも物質も情報なんすよ   ぷ
504考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:54:38.56 0
>>502
エネルギー=物質なんですけど
505【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 00:56:07.38 P
>>498
いや、幻想の根源が物質に還元されるだろうことはわかってるよ。
ただ、還元されるからって、観念そのものを「物質」とは言えないだろうってこと。
あと、物質がどうなれば意識或いは観念が発生するのか言えなければならない。
506考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:56:21.03 0
>>502
情報もまた物質である
しかし人類が扱うことができる範囲に多くの限りがあるだけだ
一時的な根源を観測する事はできるが、静物として扱うことはできない
507考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:58:22.37 0
>>503
ブラックホールに突入した情報の復元について、ホーキングと誰かが論争をしているから
勉強してみたらいい
508ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/30(月) 00:58:33.29 0
>>500
人工知能は物質の塊ではない。
そのようなものができれば、唯物論は崩れる。完成が待たれる。w
509考える名無しさん:2013/12/30(月) 00:59:13.65 0
人類はその大きな乱数の連続性の中途に居ながら
始端からの広がりの概念を持ちすぎている
510考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:00:35.21 0
>>505
コンピュータのデータがCPUでどう処理されるか?SEが説明できないとでも?
511考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:05:41.90 0
>>508
人工知能は既に存在していて、チェスや将棋では人間はもう勝てる可能性はない。
さらに進んだAIに「美」の学習を重ねさせれば、芸術家もいずれ不要になるだろう。
言っておくが「ソフトウェア」ほど「単純な物質存在」もないと言える。
512飛べないカラス:2013/12/30(月) 01:06:18.58 i
>>488>>465と矛盾しています。
513【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 01:07:14.05 P
>>504
そんなことはわかってるよww

1.物質がまずはとにかく存在し、エネルギーが物質から発現する。
2.エネルギーがまずはとにかく存在し、模様として物質が発現する。
似ている様で違うでしょう?

>>510
人の思考について科学的にわかってる事といえば、人が考えているとき、なーんかこの辺の脳波が活発だね!くらいしかわかってないよww
何を考えているかを表示する機械とか、考えただけで指示を出せる機械の開発は盛んに行われているのだがね。
514考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:08:46.83 0
全ては物質に還元されるか、に対してこんな問いを提示しよう。

あなたはゲームを行っている。
ゲームのキャラはあなたが操作した通りに動く。
ゲームのキャラはプラグラムに沿った身振りをする。

なので、全てはプログラムで説明できる。
さて、この時、ゲームの外にいるプレーヤーは置いてけぼりにされている。

ゲームの外のプレーヤーはある意図からゲームのキャラに「こう動け」と意思している。

しかし、ゲームのキャラ側にはプログラムを介してしかコミュニケーションできない。
意図は「こう動け」の意思を介し、そして「こう動け」はゲームのプログラムを介しキャラの身振りに受け渡される。

さて、全てはプログラムに還元できるのでしょうか?
515考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:13:17.57 0
「ゲームの外にいるプレーヤー」

こんなものを仮定する必要はなし。
516ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/30(月) 01:13:29.90 0
>>511
人工知能という物体が棋士に勝ったわけではない。開発者が勝利しただけである。
まだ人工知能は、ひとと喜びをわかち合うことができない。

「ソフトウェアが単純な物質存在」の意味を説明してみて。
517考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:14:06.93 0
>>514
ゲームの結果はプレイヤーの技量とプログラムに還元される。
周りがいくら念力で応援しても残念ながらゲームの結果には反映されない。
518考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:14:19.54 0
>>515
なんで?
実際に日常的に起きてることだよ?
519あまの:2013/12/30(月) 01:16:18.09 P
将来、人工知能に説教されるとか嫌だなw
520考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:16:19.07 0
>>518
そんな日常的なフレームワークで語られても。
521考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:16:36.34 0
>>517
論点が分かってない。

ゲームの世界の中では全てはプログラムしかないわけ。

でも、操作する側がいるよね?

それでも、全てはプログラムで説明できる、と言えるの?が趣旨。

ゲームのキャラとそれを動かすプレーヤーがいる。
周りの観客はそもそも、>>514の話には登場させてない。
522【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 01:16:58.41 P
>>514
言いたいことは、意志が物質に還元されないのでは?ってことでしょう。
仰る通り、還元されないでしょうね。
意志の方が物質よりも根源であるからだ。
523考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:17:21.83 0
>>516
一度ソフトウェアを作ってみれば?
キーボードで打ち込んで、エンターキーを押せば実行される。
コンピュータという物理法則を駆使した機械上で全ては完結する。
524考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:17:54.79 0
>>522
そう。物質の位相の変異は結果までのプロセスの一部ではあるが、根源ではない。
525考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:18:48.60 0
>>522
物質と言う概念が曖昧というなら、じゃあ、意志ってなんですか?
526飛べないカラス:2013/12/30(月) 01:18:59.68 i
多分会話になっていないでしょう。
527考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:20:16.44 0
>>521
ゲームのプレーも、
キーボードで打ち込んで、色々なキーを押せば実行されるだけ。
コンピュータという物理法則を駆使した機械上で全ては完結する。
528考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:20:49.20 0
>>521
ゲームが”全て”に対して限りを設けているので、還元できる分もまた限られている
つまり”全てを扱うこと”それ自体ががその設問としてはできていない
操作された分は動いている。
529考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:21:44.36 0
>>525
問い方を変えた方がいい。

「物質の変化が意思」を生じさせるのであれば、「全ては物質に還元できる」に一歩近づく。

「意思が物質の変化」を生じさせるのであれば、「全ては物質に還元できる」は偽となる。

さて、意思が物質の変化で起こる現象なのであれば、それこそ、ロボットに意思させることは可能だね。
530考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:22:49.98 0
意思をそのゲームは遮っている
逐一意思を伝え合うプログラムをゲームは排している
531【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 01:23:28.55 P
>>525
「欲という指向性」を意志と呼んでいる。
欲と意志は、受動と能動の関係であり、「同じ」といえるからである。
532考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:25:50.88 0
意思というからには、普通、誰かの意思だね(主体を想定している。
指向性というのは、必ずしも主体を想定しない。
533考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:26:32.93 0
>>529
>意思が物質の変化で起こる現象なのであれば

あたりまえじゃないか?機械じゃないが、脳内に睡眠物質が溜るから眠くなるし、
男性ホルモンが脳を刺激するから、男の身体より女の身体を抱きたくなる。
あんたの場合は女性ホルモンの方が優位なら、逆の「意思」が沸き起こるだろうがw
534あまの:2013/12/30(月) 01:26:42.45 P
ロボットの「自発風」意志とかほとんど物性から生ずるものだろうな。
有機的な、組織、器官、身体の意志とか望めないだろうね。
535考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:26:55.15 0
>>528
では、人の身振りであれば“全てを扱うことが出来る”と信じてるの?

>>530
そこは予め説明済み

>>514
>ゲームの外のプレーヤーはある意図からゲームのキャラに「こう動け」と意思している。

意図が、「こう動け」の意思に変わって、それが「操作」に受け渡される。
「操作」は「プログラム」に受け渡され、
ゲームキャラの身振りに変わる。

何も遮ってないよ。
536考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:27:01.64 0
人類が意思の物質的な変化と熱量の変遷を捉える事ができていないところが
観念と唯物論の差である
537考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:29:25.26 0
>>535
プログラムは全てに対して遮っている
プログラムとあなたへ還元される
538考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:29:48.53 0
>>533
眠くなるのも、やりたくなるのも、
本能なのでは?

やりたくなるのは、意思と言えなくもないが、欲に突き動かされた、動物的なものだよね。

人間のもっと高尚な意思の場合はどうかな。
例えば、走れメロスの自分が殺されるのに、友を助けるために走り続ける、とかの意思は?
539考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:30:04.05 0
で、誰が正しいの?
540ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/30(月) 01:30:05.90 0
>>523
プログラムは物質ではあるまい。それを載せる媒体は物質なのかもしれぬが。
ハードは物理法則に則って動くにちがいない。
しかし、将棋の指し手(意味)は物理法則とは関係ない。
その勝ち負けも、物理とは無関係。
機械上で、非・物理的“知のゲーム”が繰り広げられるのである。
541考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:31:01.18 0
>>539
君だ
542【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 01:31:07.46 P
>>532
その辺がややこしいのです。
こちらは意志と意思を、別概念として扱っているのに、混同されてしまうがゆえに誤解が発生してしまうのだろうけど。
543あまの:2013/12/30(月) 01:32:40.56 P
概念や論理とか、結局、有機体である身体の欲求から生じた不完全な道具だからね。
AIの下部構造に内臓や筋肉、感覚器官、生殖器つけてやんないと、なかなか
人間と話が合わないと思うぞ。
544考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:34:14.69 0
まったくわからない
545考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:34:22.16 0
>>540
AIプログラム対AIプログラムの試合もあるけど、その試合自体も物理的現象ではないと思う?
546考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:36:48.10 0
>>545
おそらく実際には影響が逐次更新されない
プログラムにかかる人為的なバイアスの話だろう
547じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/30(月) 01:37:32.59 0
>>505 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月)

還元と言うのは「置き換えることが出来る」と言う感じ、同一といっても良い。
例えば 「眠い」は「睡眠物質の蓄積」と言う物質と事象に置き換えられると言うのが機械さんの主張。
したがって観念はすべて物理現象に置き換えられる、其の事を・・・以下
・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>488 :「機械的唯物論」者:2013/12/29(日)
>「唯物論」における「物質」の定義・・ですか?
>かなり無理をして敢えて「定義」するとすれば『全て』でしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と言う事になる。
勿論じいさんは反対ですが。
548あまの:2013/12/30(月) 01:38:01.91 P
自然が作ったものと、その自然を、不完全な人間の知性で模倣したものに
差がないと思うのもちょっと基地外じみた感じを受ける。
549考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:39:01.78 0
>>548
自然って物質だと思うが。
550考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:41:35.48 0
>>548
差はあるよ
複製痕のない自律機械が未だにない理由の一つだ
551あまの:2013/12/30(月) 01:41:42.23 P
果たして物質を記述(数理で)し尽くせるのかな?
最も単純な水素原子でもいいから。
552考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:42:26.60 0
唯物論と観念論のどちらが正しいとわかるのですか?
553考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:43:12.45 0
どうすれば皆さん納得されるのですか?
554考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:43:54.24 0
>>538
>走れメロスの自分が殺されるのに、友を助けるために走り続ける、とかの意思は?

キリスト教の自己犠牲礼賛の思想だろうね。
自己保存本能を捨てて、誰か他人を助けるというのはニーチェに言わせれば「精神的弱者のルサンチマン」
の自己満足」だろう。言い換えれば、「頭の弱い馬鹿は死ななきゃ治らない。死ねばいいじゃん。」ということ。
555考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:43:57.32 0
>>552
どっちも間違い。
556あまの:2013/12/30(月) 01:44:50.46 P
人工知能とか、人工の部品で再現する限り人間の頭脳のプラモデルもたいなもんだろ。
生体部品使えば話が違うかもしれんがね。
557考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:45:00.92 0
>>554
あの。。。意思の話しをしてるのではないの?

メロスの場合、物質がメロスに走る意思を生じさせてるの?
558考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:46:00.57 0
>>553
機械君が作ったロボットに再現性100%の自我のアンプルを入れて仕様上100%動けば納得だ
559考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:46:22.50 0
何が正しく何が間違いだとどうやってわかるのですか?
560あまの:2013/12/30(月) 01:47:26.02 P
結局、人間の知性というのは、有機組織が環境との関わりで収斂された結果だからね。
歴史なんだよね。
561ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2013/12/30(月) 01:47:48.02 0
>>545
物理的現象と呼んでも差し支えない。
ただ物理的といえる事象は、ソフト・ハードにみるように二元的である。心・身とか。
路傍の石も法則(ソフト)に従って変・移している。
562考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:48:08.61 0
>>559
唯物では主観の謎は解き明かせないから。
観念では客観の謎は解き明かせないから。

以上。
563考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:49:30.01 0
“それ”が正しいのか間違いなのか?でなく
“正しい”と“間違い”とはどういうことか?
これ以上に納得できる解答はあるでしょうか?

“唯物論”と“観念論”もそれではいけないのですか?
564考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:50:08.74 0
>>552
現在の人間が扱うことのできる要項に対して
それら2つともが大きすぎる世界をもつので正しさはまだわからない
まだいろいろなブレイクスルーテクノロジーが必要だ
565考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:52:24.33 0
>>560
それは本当にそう思う
思考時間を著しく排した経験則もまた歴史からなるものであるし
566考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:52:27.83 0
どうすれば唯物論の正しいことが証明されるのですか?
どういう解答なら皆さん納得できるのですか?
567飛べないカラス:2013/12/30(月) 01:53:03.52 i
>>559
役に立つ論は対象を表しています。
対象を表せていなければ役には立ちません。
568【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 01:53:36.41 P
>>552
どちらも誤りな事は間違いない。
ただただ信じるのみである。

>>553
対話による合意(了承)

>>562
とてもわかりやすい。禿同。
569考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:54:44.16 0
>>566
唯物論は世界の半分しか説明できないから
皆さんが納得する解答はあり得ない。
570考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:56:44.31 0
対象を表せているかいないかはどうやって判断すればいいのですか?
どうすれば“それ”は正しい“あれ”は間違いだと確定できるのですか?
571考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:57:39.74 0
皆さんは納得するためのどんな理由を望んでいるのですか?
572考える名無しさん:2013/12/30(月) 01:57:56.08 0
正否は互いの影響によって削りだされた仮定である
573あまの:2013/12/30(月) 01:58:08.22 P
唯物論って、「この世界には物質しかない」ってことで良いよね。
否定している人とかこのスレにいるんですかね。
574飛べないカラス:2013/12/30(月) 02:00:07.81 i
>>573
昔のあまのさん。
575考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:02:47.31 0
>>570
単純な話。
三角錐全体を知りたい人がいるとする。

ある人物は、俺は下からしか見ないと宣言し、ある人物はおれは横からしか見ないと宣言する。

前者にとって三角錐は四角。後者にとっては三角。

どちらも言ってることは正しいが、三角錐を知りたい人から見るとどちらも間違い。

唯物論者は物質しか見ないと宣言し、その範囲の中で探求を進める。
観念論者も同様。

視点の設定が「限定」されてるわけ。
なぜなら、視点の設定を超えたものは、探求の対象とされていないのだから。

その上で、「全てが説明された」と宣言した時点で、「必ず」間違っている。
なぜなら、それは全てではないから。
576あまの:2013/12/30(月) 02:04:16.83 P
物質が、「それ自体それであるという実体」「完全に客観的なもの」と一致しないという観点から観念的にならざるを得ない。
世界は唯物であると同時に観念でもある。
そんなことみんな承知のうえで書き込んでると思いますがね。
577考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:04:50.61 0
正しさとは、必然性の別称だよ。
578あまの:2013/12/30(月) 02:05:59.91 P
>>574
人間、間違いは正していかないとダメなんですよ、ええ。
579考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:06:28.92 0
>>576
それは、主観へのものそれ自体の「現れ」について、だけの話だよね。

でも、ものそれ自体がないと、複数人が同じ対象を観察する、という行為自体が不可能になるけど。

観念論では客観を説明できない。
580考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:08:55.32 0
「全てが説明される」ような「必ず」正しい視点はあるのですか?
581飛べないカラス:2013/12/30(月) 02:09:17.25 i
オレは唯物論を前提として書き込みしているけれど、これは説明しないことを
排除するため。
582考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:09:21.14 0
まだない
583考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:09:35.90 0
主観の謎
客観の謎

どういう謎か誰か簡潔に教えてくれませんか?
584考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:11:20.94 0
説明することは説明しないことよりも正しいことになるのですか?
585考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:11:48.30 0
>>583
もの自体と独我論。
586【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 02:12:19.66 P
>>580
人間の智慧を超越しているから不可知。
デカルトの様に、保証人としての神を要請しなければならなくなるww
587考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:13:06.23 0
>>586
そうそうw
588あまの:2013/12/30(月) 02:13:10.89 P
自我とかを主観領域に含めてしまうと、そういう他者問題という不整合が起こります。
関係性から規定される、主観と客観の区分を、世界観に適用してはなりません。
観念論的主観主義という誤りなんですよ。
589考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:14:41.06 0
何が可知で何が不可知なのでしょう?
“何が”に答えはあるのでしょうか?
590考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:17:58.58 0
自我を含まない主観がどうやれば成り立つか逆に教えて欲しいわ。

もし含まないのであれば、太郎くんと花子さんという2体の客体がいて、それを観察する自我である私が、太郎くんは主体で花子さんは客体だって、擬似的に当てはめるフラクタルなお遊びぐらいしかできないだろw
591考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:18:23.74 0
>>576
本当にその通りだ
唯物であると同時に観念でもある
592【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2013/12/30(月) 02:19:20.64 P
>>589
「全てを説明できる必ず正しい視点」を「想像・想定」することはできる。これが可知。

実際にその様な視点で観ることができるのは、完全な存在でなければならず、完全な存在である神の視点という、人間の限界を超越したものなので、これが不可知。
593飛べないカラス:2013/12/30(月) 02:19:35.66 i
>>584
説明に正しさがあるのではないでしょうか。
正しさの定義にもよりますが。
594あまの:2013/12/30(月) 02:25:33.04 P
主観というのは、実体ではなく、単に、経験させられている方から世界を見ているという
方向に過ぎません。
なんらかの経験するとき、常に、自我を意識しているわけではないでしょう。
自我意識が単に、外の認識より距離的に主観に近いだけなんです。
自我意識が主観というのも錯覚なんですよ。
595考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:28:50.10 0
>>594
それを“フラクタルなお遊び”と言ってるの。

そもそも、経験主体、なんて発想が生まれるのは、あなたの独我が前提にあるから出てくる発想。
それを擬似的に他者に当てはめると他我(主体)が生まれる。

自我を意識する、なんて発想は自我を知らないから出てくる。
自我はアプリオリな存在の形式だ。
596あまの:2013/12/30(月) 02:34:10.07 P
自我も経験の一部でしょう。
脳に障害があったり、ボケたりすれば自我意識も損なわれていきます。
人間以外の動物では自我意識を持たぬ知性のほうが多数派でしょう。
単なる脳の高次的機能です。
597あまの:2013/12/30(月) 02:37:41.69 P
自我を持たぬ下等動物だってある程度の世界像のなかで自我意識無しに生きています。
本能的反射行動をうすらぼんやりと経験しながらね。
598考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:39:08.88 0
>>596
自我がある、は経験をなりたたせる前提の条件だよ。一部ではないし、もちろん動物は自我を持っていない。
あなたは独我論を理解できていないことが分かりました。
599あまの:2013/12/30(月) 02:42:33.34 P
動物の知性と人間の知性で、そんな本質的な違いはありませんよ。
600考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:44:23.44 0
>もちろん動物は自我を持っていない。

何の宗教ですか?
601あまの:2013/12/30(月) 02:45:06.66 P
脊椎動物であれば脳の構造とかほとんど同じでしょう。
602考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:45:37.79 0
>>599
あなたが、独我論を分からないので、
動物と人類の違いが分からないことは分かります。
603あまの:2013/12/30(月) 02:49:01.83 P
「特別視」というのはなかなか思考の邪魔になるものです。
604考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:52:03.95 0
哲学の大きな問題が語る差異に全く無頓着なのは問題だと思います。
それこそが、哲学が哲学である所以なのに…
605考える名無しさん:2013/12/30(月) 02:53:03.62 0
人間は認識の内側にのみ立っている か?
606あまの:2013/12/30(月) 02:59:28.68 P
一面、世界の一部として存在せざるを得ない我々個体は
身を置く場所や、脳の機能などによって「制限された」経験しか出来ません。
言ってみれば、いろいろな「制限」や「平衡状態」を「主体意識」だと錯覚するんですよ。
607考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:05:32.02 0
>>606
それ、独我論と本質的には関係ないことだから。

なぜか、自分を自分とアプリオリに認識する。
自分が自分でない、という事態が存在し得ない。
それが独我論を生じさせた原因だよ。

あまのさんが明日、今までの全ての記憶をなくしても、それでも自分は自分と思う。

タイムマシンに乗って、過去の世界に行って自分に会っても、それでも「この自分」を自分と思う。過去の自分は他者である。
608じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/30(月) 03:17:10.52 0
>>579 :考える名無しさん:2013/12/30(月)
>複数人が同じ対象を観察する、という行為自体が不可能になるけど。

同じ対象を見ているでしょうか?
有る程度同じと言う事は複数人の話で判りますが、全く同じものである証明は無い。
「それ自体」の存在はアバウトな実在である、是を「空」と言う。

>観念論では客観を説明できない。

その客観の使い方は誤解を招くのでは?
客観は観と書くのだから観念の一種、見られるものが客観で、其の対象となる「それ自体」を客観とか言わない方がいいのでは。
609あまの:2013/12/30(月) 03:17:32.68 P
認識せられるものは主観ではないんですよ。
認識せられる自意識をいくら退行させていっても認識する当のものに行き当たりようが無い。
自意識は所与なのであって主体などではない。
610あまの:2013/12/30(月) 03:21:19.83 P
そもそも自意識が主体であれば無限後退できようはずがないんだよ。
611考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:23:43.90 0
内がなくて、どうして外が生じることが出来るのだろう。

>>595

>>598

ここら辺があまのさんの限界だな…
612あまの:2013/12/30(月) 03:28:49.39 P
「身体」という制限ももっと根本的にアプリオリな形式ですけどね。
身体の有機感覚のほうが自我より先行することは明らかだよ。
613考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:40:12.69 0
身体感覚と自我は別に断絶したものではないよ。
乳幼児は手足をぶつけながら自分の境界を理解してゆく。
むしろ、自我が出来るまで「自分の」身体感覚はないのではないか。
それは、睡眠時に身体感覚をまったく手放していることからも分かる。
614考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:44:29.40 0
独我論自体が認識下でしか論じ得ないフラクタルな遊びである
615考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:46:17.18 0
自分を排除して認識できるものならしてみればいい。
それは夢を見ている意識状態と変わらない。
夢遊病者のゾンビばかりだと生活がままならないね。
616考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:53:34.30 0
それら2つの差を埋める物がないのが認識の限界だ
617考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:55:10.60 0
語りえぬものについては、
沈黙しなければならない
618あまの:2013/12/30(月) 03:56:15.62 P
>自我が出来るまで「自分の」身体感覚はないのではないか。

無いわけないでしょう。
自意識が無くても空腹だったりオムツを濡らしたら泣きますよ。
619考える名無しさん:2013/12/30(月) 03:58:50.82 0
>>618
カッコ付きのところに注目な。
あと、「断絶したものではない」の箇所も。
620あまの:2013/12/30(月) 04:01:25.37 P
身体感覚なしに、地球上のあらゆる動物どもはどうやって生活しているんだろうか・・
621考える名無しさん:2013/12/30(月) 04:06:35.62 0
622あまの:2013/12/30(月) 04:06:43.88 P
動物も人間も、この世界で生きて認識する存在であるという事は同じなんだよ。
623考える名無しさん:2013/12/30(月) 04:08:03.16 0
そこに植物は足してあげないのか?
やつらも光のほうに伸びたり、自分たちの危機を察知するぞ。
624あまの:2013/12/30(月) 04:13:26.20 P
あなたには「生きて認識する存在」という普遍的観点が無いのだよ。
自我は発達した脳に現れる補助的機能。
625じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/30(月) 04:15:19.27 0
>>607 :考える名無しさん:2013/12/30(月)
>自分を自分とアプリオリに認識する。

そんな単純な事でない、実に今後の研究の成果が待たれる問題。
例えば 何かを見たのは「自分」が見たとか「眼で見た」とか言う感覚が有る(=背景感情)。その感情が視覚(=知)情報に纏わり付いていると言う事。
そんな経験の積み重ねで「自分が自分である」と言う高度な認識(=自我意識)が育ってくる、少なくともアプリオリでないのは確か。

>今までの全ての記憶をなくしても、それでも自分は自分と思う。

明らかな間違い、記憶喪失は自分が判らなくなるんじゃあないの?

>>613 :考える名無しさん:2013/12/30(月)
>身体感覚と自我は別に断絶したものではないよ。
>乳幼児は手足をぶつけながら自分の境界を理解してゆく。

仰るとおりですね。
自分を自分とアプリオリに認識は出来ない、経験によるこころ(知情意)の発達が必要。
626考える名無しさん:2013/12/30(月) 07:43:03.72 0
いのち一元教www
627考える名無しさん:2013/12/30(月) 10:58:41.75 0
>>607
物事を同一のものと感じるのはろいう仕方が根本にある。。
その対象が、そう感じる個体自体の場合、「我」の感覚が生じるだけ、ともいえる。
628大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 11:13:41.10 0
最近、7年ぶりぐらいに新しい資料を読んでいる
フランクフルト学派、批判理論と批判的合理主義とのいさかい、いわゆる実証主義論争について調べていて
マルクス主義(フランクフルト学派はマルクス主義亜流)からの社会学に対して、
批判的合理主義の立場から何か批判できるところがないかと考えている
社会科学をテーマにしてみる
もちろん僕はポパーと同じ態度、「自然科学と社会科学に本質的差異はない」という立場をとる

で、社会学研究において「真理はない」という前提を導入することは問題ないと僕は考える
分析上、合理性原理として虚偽を導入することは科学においてありえるからだ
(合理性原理を世界の本質と混同すべきではないことには常に注意を払うべきであろう)
629Mr.winwin:2013/12/30(月) 11:14:08.41 0
>>483
周囲の関心の有無で研究は変わらないのではないですか?

社会学は社会がどのような関心を持ってるかもまた研究課題でしょうし
自然科学はとても関心が持たれてる分野ですよね

社会のありかた、価値、などについて、関心のない人はたくさんいるかもしれません
630大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 11:14:12.60 0
われわれは多くのドグマを持っていており、ドグマを改良することができるが、
そのような知的進展がないものと仮定した上で、われわれが何らかのドグマに帰依する仕組みを研究することはできる
社会学はそのような仕組みを研究する分野だと考えることもできる

ただ、批判理論が言うような社会の変革への動きが社会科学に含まれるかというと難しいのではないだろうか
631大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 11:14:44.95 0
よりよき変革というのは常にわれわれが持ち続けねばならないものだろうが
学問的な研究というのは、そのような動的な記述がなされるべきものではないように思える
というのも、学問的研究において考えられたものは、常に否定され破棄される可能性があることをもって価値づけられると考えるからだ
学問が静的な記述をとるのは、そのような記述の方が批判されやすく、破棄されやすいためである
632大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 11:15:15.62 0
結局のところ、弁証法というあやふやな記述方法が自己批判を方法論的に奪う手法であり、
その記述スタイルが停滞を招いているだけなのか
633考える名無しさん:2013/12/30(月) 12:03:08.36 0
弁証法のあやふやな“記述方法”というのが、理解できない。
この弁証法の“記述方法”とは、どのような論理でしょうか。
634考える名無しさん:2013/12/30(月) 12:30:23.30 0
>>625
経験のない「我」などというものはないな。
635考える名無しさん:2013/12/30(月) 12:36:15.51 0
>>625
>明らかな間違い、記憶喪失は自分が判らなくなるんじゃあないの?

ここでいう自分とは記憶のことで、>>625の言う自我とは別だよね。

記憶をなくして、「私」は一体誰なんだって思えるのは自我があるからでしょ。
636考える名無しさん:2013/12/30(月) 12:45:07.42 0
問える基盤=存在と経験が先に発生してるからだよ。
637大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 19:16:32.53 0
よりよき社会の変革を目指すにあたり、最初の課題はよりよき対話の模索なわけであり、
このような価値の上に民主主義を価値づけることはできると僕は考えている

最近の憲法改正の話題にあたって池上彰が解説してから、
民主主義が多数の横暴や数の論理とは別の思考をベースにしていることがすこしずつ伝わっているように思える

これは5年ぐらい前にも書いたけど
「全会一致ならばそれは採決され為されるべきだ」という考え方は、潜在的な全体主義であり、
このような理念から民主主義を正当化する思考は常に泥沼にはまるだけだと考える
その点でハーバーマスの多数決の正当化には僕は反対である
638大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 19:17:07.26 0
「全会一致ならばなされるべき」ならば「反対者がいないものは大手をふって実行」でしかない
「赤信号皆で渡れば怖くない」で渡ったところで、交通事故が起きる時は起きる
だから、皆が賛成だからといって、それが必ずしもうまくいくわけではない以上
皆が賛成の事柄ですら熟慮する必要が生じる

この神話を壊してこそ民主主義って大きな価値を持つと思うのだが
神話が続く限り、血を流さないだけで、やってることは戦国時代と変わらないのではないだろうか

力の論理から脱却してはじめて、われわれは理性の力を手に入れることができるのではないだろうか
639大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 19:17:45.09 0
思考のエンジンとして虚偽の原理を導入することで思考が進むパターンというものがある
どの研究分野だろうとも必ず必要だと思われるわけで
例えばダーウィニズムとかも反証不可能なんだけど、それは合理性原理であると考えることもできる
他には熱力学のエントロピー法則とかもそのような原理だろう、反証不可能だからね
あらゆる経験科学にはそのような合理性が適宜使用できるための原理が不可欠になる
640大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 19:18:16.97 0
社会学の合理性原理があるとしたらどのようになるかと考えると
社会学は社会において権力がどのように働くかについて考察するわけだから
社会において権力に左右されないものを意図的に捨象しなければならない
「すべての人は権力を求め、権力に従い、それに反するものはない」という前提を導入することで
権力についての考察は円滑になる
(経済学の合理性原理として「人は安いものを買う」という原理を導入するのと同じように。実際は世の中の人は必ず安いものに飛びつくわけではない)
641大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2013/12/30(月) 19:19:21.19 0
権力を求める人からすれば、真理は権力構造から独立したものだから非合理的なものになるだろう
したがって、権力構造を合理的に研究しようとするならば、「人は権力の追求に対して非合理的なものを求めない」とする原理を合理性原理として導入せねばならない
すると「すべての行動は権力を求める行動である」という虚偽を仮定することによって社会学の研究は進むことになる
例えば、科学社会学という分野があって、科学者集団における権力発生の構図を研究する分野があるが
この時、科学者たちが真理について研究していると考えると、この分野の研究は進まない
だから、科学者たちが研究している真理などなくて、「科学者たちはただの権力争いをしている」という虚偽の仮定を導入することで
科学社会学は発展する
実際に彼らは、科学者集団を一個のカルト教団と見なすことで、その内部権力の構造を研究する


参考文献『社会学における合理性原理』
642飛べないカラス:2013/12/30(月) 21:28:03.42 i
>>639
反証不可能はトートロジーのことでしょうか。
643「機械的唯物論」者:2013/12/31(火) 00:07:00.61 0
>>637
>よりよき社会の変革を目指すにあたり

その「よき」の方向性が社会科学では定義されるに至っていないので、
実は「科学」を名乗る資格があるかどうか?さえ疑問だと思っております。
ニーチェ流に「道徳の系譜は弱者の強者に対するルサンチマンである」という
考え方を敷衍すれば、「民主主義」自体がアプリオリに価値のあるものであるという
価値観は(括弧)に入れざるを得ませんし、ましてや「国内の民主主義なんかより
国内の統一維持のために隣国を敵国として戦争する方が政権維持には得策である」
・・というある意味「極めて合理的(功利的)」考えを持っている隣国が(仮に)
あるとすれば、それに対抗するためにはその隣国と同じような政策を採用せざるを
得なくなる可能性も高くなります。
 「戦争の無い世界を目指すべきだ」という理想論を1国で本当に実現することが
可能だとすれば、「圧倒的な軍事力」を保持しつつ戦争はしない・・・という政策を
堅持することしかありませんが、アメリカのように「圧倒的な軍事力」を保持すると、
「大量破壊兵器を造っているのではないか?」などという「情報」が広まれば、
「軍事力を行使してそれを阻止すべきだ」という意見を(民主主義の手続上でも)
阻止できなくなる・・・という構図が出来てしまうでしょう。
 さほどに「権力を求める人間の意志」は根源的なモノがあり、また、「防衛本能」
として、それは「道徳観」などを二の次に押しやる根源的衝動なのです。
 そういう人間社会の実態を無視して「戦争は絶対悪だ」とか「よりよい政治は
民意を出来るだけ多く採り入れる政治だ」とか・・ある意味「素朴な平和主義」を
唱えていられるのは、この国(日本)が歴史的・地政学的に見て「島国という環境」
にあったから・・・と言えるのかもしれません。
644Mr.winwin:2013/12/31(火) 01:02:26.01 0
>>643
今日の昼にアンビリーバボーの再放送をやってて、そこで日本人留学生射殺事件を扱ってた
刑事裁判で弁護士が陪審員に向けて演説し、全会一致で無罪の判決が出た
それが住人の意志であり、民主主義だと弁護士は言った
判決後、裁判所を出る被害者の両親にアメリカ人女性がこう言ったそうだ
「Thia is America. this is justice.」

アメリカは開拓の時代を生きた歴史がある
法の秩序よりも力の拮抗の文化があり、自分の身を守るための力の行使は正義であった
それはアメリカの価値観でもあった


しかし、それを見たあるムーア弁護士はこう思ったそうだ
「裁判内容に矛盾がある」「この裁判はフェアではない」と
そして、それを法と正義に則って裁判するために民事訴訟を起こし、戦略的に陪審員制度を回避したそうだ
ムーア弁護士は言ってた
「幸いにも、その裁判官は法と公正さを大事にする人だった」
彼は裁判所で語った「この訴訟は賠償金をとるための裁判ではない。本当の正義をアメリカに取り戻すための裁判だ」と

正義がただの建前ならば、「本当の正義」なんてものなどない
自らを正当化するための言葉でしかない
しかし、その弁護士は「本当の正義」というものがあると考えていた
それは、自らの有利、不利を度外視して成立するものだと考えていたことだろう
その裁判官も、住人の意志よりも、法と規則を重視することを選んだ

自分の利益の有無に関わらずになんらかの規則に従う覚悟のある者を「義の人」と言う
義のないところに「正義」(正しい義)なんてものもないだろう
645Mr.winwin:2013/12/31(火) 01:23:32.95 0
戦争をやめようとしない政治家に対して哲学者は何をなしうるか
「永遠平和のために」の出だしは次のような言葉にはじまる
「永遠平和」この言葉が哲学者のためのものか、いつまでも戦争をやめようとしない政治家のためのものか、については置いておくことにする

カントは次のように問題提起している
「蛇のように怜悧に生きるべきか。鳩のように正直に生きるべきか」
そして、「正直は最良の政策である」という言葉があるように
鳩であることは蛇の戦略としては時折選択されるものであると説く

僕はこれで十分なのだと思うのです
世の中において、誰もが鳩である必要はない
蛇が合理的戦略をとろうとするならば、鳩と同じ行動をとらざるを得ないシステムを考えること
これが鳩の課題なのです

それはロールズが提出した方法と同じです
ケーキを不等に分類しない一番の方法は、切る人と選択する人を違う人にしてしまうことです
これをロールズの言うような無知のヴェールではなく、「権力の分散」という思考から擁護できるのではないでしょうか?

これはポパーの態度なのですが
「誰が権力を持つべきか」という問いをくだらない問いだとポパーは言います
「国民が持つべきである」とか「皆が持つべきである」と答えても同じだと彼は言います。
「誰が権力を持ってもうまくいくにはどうすればいいか?」これが正しい問いの建て方だと

ポパーは「誰が権力を持つべきか?」から「どうすれば権力を分散でき、権力の集中による不等が起きないか?」
という思考に変えることが大事だと訴えます

民主主義も、それが国民主権だから正しいとは僕はまったく思いません
それは権力の分散を図るシステムとして効果的なのです
国民が権力を握っても、それは独裁となんら変わらない
僕はそう考えています
そして、これはプラトンの衆愚政治批判にもつながると思ってます
646Mr.winwin:2013/12/31(火) 04:31:00.85 0
僕が読み漁った法哲学では、正義理念に対する根本的懐疑も重要な哲学問題でした
その話題もとても面白いのですが、現実社会においてはなかなか使い道は少ない

とりあえず、世の中ではダブルスタンダードは不正の象徴とされます
「なぜダブルスタンダードがダメなのか?」と考えると哲学問題の深みにはまってしまう(僕は好きですが)

少なくとも、ダブルでない基準を持つことが正義を考える最低条件だと思われます
これを僕は「義」と呼ぶのですが
なんらかの基準をもった時に、その基準は法として自分より上において、自分はその基準に一貫性をもって従うこと
これが「義」と呼ばれるものの性質と思われます

しかし、義そのものは正しい義もあれば、間違った義もあるでしょう
なぜならばナチスだって基準を持ってたし、基準に対して一貫性を持って従っていたでしょうから。
悪人と呼ばれる人たちにも悪人なりの義がある
それは僕らと異なる文化における義であるだけかもしれない
しかし、様々な義を比較検討することはできます

分かりやすく言えば、僕らは自らが従うべきルールの善し悪しを検討できるのです
それも自らの利益や不利益と切り離して、非個人的に検討できる

もう少し続けます
647飛べないカラス:2013/12/31(火) 04:53:30.48 i
他のスレでお願いします
648Mr.winwin:2013/12/31(火) 05:03:42.37 0
例えば、世の中では人を殺すことは悪いことだと思われてますが
「人を殺すことはいいことだよ。むしろ義務化すべきだ」と言う人もいるかもしれない
この2つのルールに序列をつけることができるか

できると答える前に、「義」と「不義」の区別をつける必要があることを論証します

「人を殺すべきではない」というルール
「人を殺さなければならない」というルール
この2つを検討することが価値の検討です
(価値は規範をつくり、規範はルールを課すからです)

この時に「〜すべきか、それとも〜しなくともよいか」という問いを建てるのではなく
「〜すべきか、それとも〜すべきでないか」という問いを建てるのが、価値を問う問いです

規範を論理で語ると複合論理になります(ラッセルの論理学では規範は語れないものだが、現代では語る方が多そうです)
上の例のような殺人に関して言えば
A「人を殺す」を義務とする規範がある
B「人を殺す」を義務とする規範がない
C「人を殺す」を否定義務とする規範がある
D「人を殺す」を否定義務とする規範がない
と4つに分類できます
Aの否定はBとCどちらでも否定になりうる
これが様相論理における結論です
Aの否定をBと理解するかCと理解するかは、我々の文化的フレームにゆだねられる

もし、「規範がない」と考える人がいれば、Aの否定をBと解釈するでしょうし
もし、「規範がある」と考える人がいれば、Aの否定をCと解釈するでしょう

規範があるかないかは根本問題なので置いとくとして
もし、規範があるならば殺人が肯定義務なのか否定義務か?という問いを考えることはできます
そして、これに答えを出すこともできます
649Mr.winwin:2013/12/31(火) 05:06:03.15 0
続き

なぜならば、人を殺すことが義務ならば、その義務は発言者をも対象に含まねばならないからです
「他の人はルールに従わなくちゃいけないけど、自分は違うよ」というのはダブルスタンダードになりますから
それは義から外れてしまいます
(「人を殺さなければならない」もまた義でありうる)

「自らも死なねばならない」ということをそのルールは含まねばならない
そして、自らが死にながら「人を殺さなければならない」と言うことはできない
「人を殺さなければならない」はそれが実際論的パラドクスのような奇妙さを含む
我々がパラドクスを忌避するならば、この2つのルールはけして等価ではなく序列が出来る
そして、われわれがパラドクスを忌避する価値観と結びついて、生きることの価値は死ぬことの価値より上に置かれる

このように、価値を検討することはできると思われます

努力しましたが、分かりやすさは皆無ですかねぇ?
あと、改行が長すぎてところどころ削ったので、分かりにくさもUPしてるかも
650Mr.winwin:2013/12/31(火) 05:14:11.91 0
>>647
このスレをずっと建ててるのは君だろうからね
君が実はスレ主なんだよ

でもね、今時、ドラマのTRICKのように、『どんとこい、超常現象』なんてことを主題とする人はほとんどいないんだよね
それって哲学板の関心じゃないんだよね

ついでに言うと、物理法則も「法」という名前がついてるように規則の一種なわけで
法哲学で扱う「法」「ルール」と密接に関係があるんだよ

「ルール」の扱い方を心得ることが、物理法則を研究する態度にも直結するのだよ
(科学だけでなく、論理的であることすべてに直結するだろうが)
651飛べないカラス:2013/12/31(火) 05:53:55.99 i
スレ主は機械さんです。他の人がスレを立てることもあるというだけです。
このスレの物質の定義も機械さんが説明しない限りオレはわかりません。>>465だと
時間と空間と物理法則は物質では無いような表現になっているのが気になります。
決定論も哲学での決定論では無く独自のビッグバン決定論のようです。
652天才:2013/12/31(火) 10:08:40.27 0
自我というストリングスがあると仮定した場合のほつれをほどくのがクンダリーニヨガであり、俺であり

その糸をばっさり切るのが禅である 禅がわかれば生も死もないことがわかる

だがおそらく禅の禅だけの大悟徹底だけでは世界平和は不可能だろう

クンダリーニヨガのある種の神聖な感覚が最後まで必要である
653天才:2013/12/31(火) 10:32:58.67 0
しゃぶれ唯物の豚どもよ
654天才:2013/12/31(火) 10:34:28.89 0
しゃぶれ

唯物の豚どもよ

音が遠くなるほど

気が遠くなるんだ

松尾 芭蕉
655天才:2013/12/31(火) 10:37:21.51 0
万物が求めてやまないものは、インフォメーションのドットであり俺であり

唯物の豚共は喉から手が出るほど憧れている物質の非連続性である
656天才2:2013/12/31(火) 10:40:57.12 I
過去が遠くなれば、現在も遠い。
思い出が空っぽにならんように。
657天才:2013/12/31(火) 10:45:56.10 0
小ささや

大きさが

全くわからない

空間か

乳首 芭蕉
658考える名無しさん:2013/12/31(火) 11:53:50.95 0
ともかく終わりのかねだけはならしていけよ ブラックマンションマソ
659天才:2013/12/31(火) 13:21:54.68 0
>>649
本気で金玉を攻めに来い
そしたらきっと道が開けるから
660天才:2013/12/31(火) 13:37:53.47 0
>>647
このスレをずっと建ててるのは君だろうからね
君が実はスレ主なんだよ

でもね、今時、ドラマのTRICKのように、『どんとこい、超常現象』なんてことを主題とする人はほとんどいないんだよね
それって哲学板の関心じゃないんだよね

>>やはり一人の女性のむちぷりおまんこと真剣に向き合う
それが筋通す日本男児のやり方ではなかろうか?
661じいさん ◆6rgGIYz09M :2013/12/31(火) 17:09:07.08 0
>>635 :考える名無しさん:2013/12/30(月)
>記憶をなくして、「私」は一体誰なんだって思えるのは自我があるからでしょ。

記憶がすべてなければ心(知情意)の全てが消滅する訳だから、言葉もないしあらゆる刺激も脳で知覚として感知できる受け皿(感情)もないはず、生まれたときの状態に似ている。
したがって「私は誰?」なんて思いもしないでしょう。
「自分が判らなくなる」ということは何もわから無くなると言うことですよ。
662天才2:2013/12/31(火) 21:51:49.07 I
自我なんぞまやかしだよ
663Mr.winwin:2013/12/31(火) 21:56:08.91 i
もうすぐ今年も終わりだ
俺はおみくじで大吉を2回もひいたのに過去最悪なくらい悪い年だったわ

さ、来年は明るい未来を信じないとな
664天才2:2013/12/31(火) 21:56:32.12 I
俺の中で水位があるんだ。
一切は水に入りこんで
パチャパチャ跳ねる。
俺らはその水の反応だ。
自我は謂わば4分の3ccだ…
665天才2:2013/12/31(火) 22:06:40.28 I
記憶の中での彼らには
まだ俺の温みがあるが、
万物は凍えしんでいるようだ。
666天才2:2013/12/31(火) 22:10:38.67 I
滅びなかった、
いや、俺は他の方法に向かない。
俺の心臓が欲しい物に従ったんだ。
だからなににも染まらなかった
667ひらがな :2013/12/31(火) 22:17:31.38 0
     
 いしき とは ゆいぶつ の だいべん に すぎない 
  
        いちねんの しめくくり は 

     しりめくり と っちょっと にてるけど
     
668考える名無しさん:2013/12/31(火) 22:55:36.24 0
おみくじで凶ひきたい
669Mr.winwin:2014/01/01(水) 00:07:45.78 i
Happy new year
670【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/01(水) 00:40:34.03 P
今年もよろしくです。
671 【大吉】 【148円】 :2014/01/01(水) 02:17:21.78 0
あけおめ!
672考える名無しさん:2014/01/01(水) 12:08:05.77 0
>>507
は、はい、わかりますた。年末からこんなにえらそーな物言いなら新年はどんだけー!
673新年はこんだけ〜:2014/01/01(水) 18:56:03.46 0
.
      / ̄ ̄\
      | ・ U  |
      | |ι    \ パンパン
/ ̄ ̄ ̄ 匚   純一 ヽ
| ・ U 波平 \     ) ))
| |ι        \  ノ
U||  ̄ ̄ ||||
   ̄      ̄   ̄
674考える名無しさん:2014/01/02(木) 01:46:50.93 0
貶されて発狂!
675考える名無しさん:2014/01/02(木) 10:57:53.06 0
日本国憲法では、
民主的な選挙で選ばれた議員が、民主主義を破棄し専制主義にする
事が可能。民主主義の自殺呼ばれ、実際過去ヒトラーが行いその
経験から、ドイツでは出来ないような憲法にしているが、より自由
であるのは前者であろう。
676考える名無しさん:2014/01/02(木) 11:12:08.90 0
>>645
日本国憲法の目的は、権力者を抑制することにあります。
何のために抑制するかは、国民を守るためであります。
よって第99条には、この憲法を保護する義務が国民にはない
ことが書かれています。

日本国憲法第99条
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
677考える名無しさん:2014/01/02(木) 11:20:41.92 0
日本国憲法には理想が書かれています。
第13条には「最大」という文言が唯一使われ
国民は個人という概念によって尊重されます。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

公共の福祉に反しない限りとは、個人の権利は最大限保障されるので、他の個人の権利と
衝突した場合は、制限されることもあります。
例えば「知る権利」と「プライバシー」はその恐れがあります。
678考える名無しさん:2014/01/02(木) 11:31:35.53 0
このように日本国憲法では個人の自由と権利を絶対に保障するために、
その最大の敵である権力者から守られるように、憲法が存在します。
法律に「黙秘権」があるのはその為です。
「国家」対「個人」において立証責任は国家にあります。
679考える名無しさん:2014/01/02(木) 11:45:04.74 0
しかし、日本の司法裁判において起訴され裁判になった場合
容疑者である被告が無罪になる確率は1000件中の3件です。
憲法上、個人を拘束するなどもっての外である為に、このような
結果になるのかもしれません。

絶対に起訴されないように用心してください。
680考える名無しさん:2014/01/02(木) 11:56:15.24 0
もしも、逮捕された場合は、
まず、当番弁護士を呼ぶように取り調べ官にお願いして
あとは黙秘してください。
初回無料です。
681考える名無しさん:2014/01/02(木) 12:08:41.04 0
このように、日本国憲法の理念である理想には程遠く、
実際には権力者による不当な事件が横行するのが現象です。

憲法改正が行われるには、まず現憲法の理想が達成され
それが血肉となり、次のステージに昇る時に現憲法を
破棄し、新憲法に行くのが順序かと思います。
682大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2014/01/02(木) 14:00:23.94 0
言語というのは、思考の表現手段です。
もし、獲得した言語に表現の限界がある場合どうするか、そのときは表情や言い方やジェスチャーを使うだろう。
英語は日本語より表現の限界があるので特に必要とされるが、それで事足りる故に日本語のように複雑な言い回しは発生しない。

左右の例も、表現として不要だからそのような概念が無いのだろう。
必要ならば、自然と概念が生まれるものだ。

つまり、言語は表現方法(手段)に影響を与えるものであって、結果的に表現方法の思考は言語に影響されることとなる。
683大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2014/01/02(木) 14:00:57.86 0
例えば「橋」はドイツ語では女性名詞に対してスペイン語では男性名詞だそうで、
ドイツ語とスペイン語はそのように「ジェンダーが真逆」のケースが多いそうですが、
「橋」のイメージとしてはドイツ人が「柔らかい」とか「優しい」とかの「女性的イメージ」
を持ちやすいのに対し、スペイン人は「固い」とか「直立した」とかの男性的イメージを
持ちやすい等の「様々な(先入観を取り除く手法を工夫した「社会学」の)
フィールドワーク実験」が既にいくつも行われている・・・ということのようです。
684大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2014/01/02(木) 14:01:28.33 0
有名な話しですが、
アドラーという心理学者はすべてを劣等感によって説明してました。
彼が研究所で帰り支度をしていると、最後の患者が訪れた

アドラーは、その患者に会いもせずに、「その症例は劣等感のせいだよ」と言って帰ろうとした

この時のアドラーの手伝いがポパーで
「なんで分かるんですか?」
「似た症例を1000人見たからね」
「じゃ、これが1001人目ですね」という皮肉で返したのは有名です

見もせずに「〜のせいだよ」と言いきることは簡単です

「彼は金のためにしてるだけだ」
「彼は名誉のために〜しただけだ」
「彼は権力が欲しくて〜しただけだ」
「彼の行動は性欲が・・・」
「彼の行動は〜なだけだよ」

そして、心の中でこうつけ加えるのでしょう
「なぜならそれが世界の姿だから」

この手の発言はアドラーと本質的に差はないでしょう
そして、これらの行為が知的行為とは本質的に異なるというのがポパーの考え方です

ポパーは世界の姿など知らないのです


僕の価値観は逆転してるので、知らないポパーの方が魅力的に見えてしまうんですよね
685大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2014/01/02(木) 14:01:59.34 0
・権力を研究する際の合理性原理について

このスレでは機械君がよくガリレオの「地球はまわっている」を挙げていたけど
それに際して名無しがガリレオの裏工作を挙げていた
そういった政治的裏工作は科学の歴史についてまわってくる
例えば、ベーコン
彼は自身は科学者ではなかったが、近代科学のスポークスマンとしてイギリス王室に科学を売り込んだ
例えばウォレス(だったかな?)
ダーウィンの進化論のスポークスマンとして教会に対する政治工作を行った

科学の歴史における政治工作や権力獲得の構造を調べるならば、
「歴史の発展と共に科学理論が良くなって、良い方が自然に支持された」という考え方は邪魔でしかない
「過渡期における科学理論に優劣はない」と考えた方が、
その権力の動きに焦点を当てやすい

実際に、その名無しは、(一時的にでも)「競合する理論に優劣はない」と考えることで、ガリレオの政治工作を見出したのであろう

権力に焦点を当てる以上、権力と関係ないものがボヤけるのは仕方がない
この場合、「真理」がボヤけてしまう
しかし、研究というものは、
問題となっているものをフォーカスし、それ以外をボヤけさせることとは切り離せない以上
権力の研究において、真理が蔑ろにされるのは仕方がないんじゃないか?って僕は考える
686大澤孝芳 ◆ZERO..733c :2014/01/02(木) 14:02:29.57 0
権力の定義は何だろう。
オレは人為的な規則体系と解釈するけれど、文系は人文系だから自然科学からしたら
権力を対象にした分野なので、文系を選択しておきながら権力を避けるなら
何で理系では無く文系なのかと思う。
687考える名無しさん:2014/01/02(木) 15:15:17.86 0
ぐだぐだと、とりとめが無いのだ
688考える名無しさん:2014/01/02(木) 19:15:52.13 0
「考えが言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣が人格になり、そして人格は運命を形作る。」
689 忍法帖【Lv=27,xxxPT】(1+0:8) :2014/01/03(金) 14:06:25.17 0
言うは易く行うは難し。
690「機械的唯物論」者:2014/01/04(土) 03:19:07.94 0
ニーチェ的「権力」の意味は、「エントロピー減少系における種々のダイナミズム」
みたいにも読めますね。
権力への意志のせめぎあいが歴史を形成している(だけ)・・・みたいな。
人間の「自我意識」も、「無意識という権力への意志が寄り集まった合議の結果」
のような・・・

 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
691飛べないカラス:2014/01/04(土) 14:58:45.32 i
>>690
何がエントロピー減少系なのかkwsk
692天才2:2014/01/05(日) 00:22:42.68 I
誰もが本当は俗に言う権力を求める。
但し、権力者のやり方が嫌いで
権力そのものが嫌いと誤解してるのさ。

ニーチェの権力は多分全く違う意味かな。
彼の場合権力というより、生成力かね。
693天才2:2014/01/05(日) 00:25:27.98 I
まあ、上に立つ者が優秀にはならない。
完全された大王は、俺のような奴がなるべきなのさw
694考える名無しさん:2014/01/05(日) 00:30:29.96 0
逆に言葉(概念)が無駄な考えを作ったと言うこともでけるのだ
動物は瞬間瞬間の直観認識だけで生きている
695じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/05(日) 01:46:17.11 0
>>688 :考える名無しさん:2014/01/02(木)
>「考えが言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣が人格になり、そして人格は運命を形作る。」

これは・・・・・

>>694 :考える名無しさん:2014/01/05(日)
>言葉(概念)が無駄な考えを作ったと言うこともでけるのだ
・・・・・・・・・・・・・・
これの典型的な例ですね^^
しかし言葉は仰るとおり概念とか観念を考える重要な役割は有るらしいですね。
言語(音韻)無くして観念無し。
696天才:2014/01/05(日) 20:18:13.56 0
科学は人間を微粒子単位で見すぎてて、心理学はその逆をいってる

てか先進国って生き残れると思う?
697考える名無しさん:2014/01/05(日) 22:26:00.57 0
パントマイムで表現でけないような概念は抽象の極みであり身体性が皆無と言へましょう
自由とか人権とか でもそういうのに縋らんと生きて行けないのも人間の定め 諦めなされ
698飛べないカラス:2014/01/05(日) 23:30:57.04 i
どんな問題意識を前提しているのか気になる。
699考える名無しさん:2014/01/05(日) 23:58:51.90 0
人間とは「思い込む動物」でありやなしや
700じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/06(月) 01:19:30.15 0
>>697 :考える名無しさん:2014/01/05(日)
>そういうのに縋らんと生きて行けないのも人間の定め 諦めなされ

>>699 :考える名無しさん:2014/01/05(日)
>人間とは「思い込む動物」

お二人の仰る通りだと思います。
般若心経の世界ですね。
機械さんも唯物論に縋り、科学を思い込んでる訳です。
701哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月) 02:58:58.15 O
唯物論者の最大の欠陥は、客観的視点でしか考えられない事

主観について、深く考える事をしないので
哲学として片手落ちなのだが、それに気づけない

哲学をしているのは主観その人であり
主観は客観的には観測できない

本質を、ないがしろにしている事に、気づけないのだ

もちろん唯物論者も「主観」を前提したりするが
しかし「直接的に観測できない」という事の本質や問題点について
深く掘り下げようとはしない

これは哲学者としての姿勢ではなく
唯物論ありきの、思想活動家の姿勢であると言える
702飛べないカラス:2014/01/06(月) 09:41:39.91 i
問題点は何でしょう。直接観測するとはどんなことを想定しているのでしょうか。
703哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月) 14:30:15.50 O
>>702
いまさら何を質問してるんですか?(苦笑

他人の主観は観測できんでしょう
あるのか、ないのかすら、わからんのですよ
704飛べないカラス:2014/01/06(月) 16:17:57.10 i
>>703
何を主観と呼んで何を出来たら観測出来たとするのでしょうか。
705哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月) 17:18:28.64 O
>>704
だから
他人に主観があるのか無いのかすら
確認できないだろ?と言っているのだが
何って何?

質問が、おかしいだろ
706考える名無しさん:2014/01/06(月) 17:23:04.38 0
他人の主観は自己より外からの影響によってのみ観測できるだけだ
707考える名無しさん:2014/01/06(月) 17:26:36.21 0
客観視はそれそのものが俯瞰中毒である主観にほかならない
708考える名無しさん:2014/01/06(月) 17:50:54.95 0
唯物論者の欠陥というよりも、客観的な再現性を満たした観測で
観念を自由に扱い、実験や検証に使うことができるとされるような概念や技術が未だ得られていない
主観やその本質を外側から内外の境を明確にしながら自由に扱うことができる技術が必要だ
709飛べないカラス:2014/01/06(月) 18:54:55.88 i
>>705
主観が観測できないのは自明という主張なのでしょう。それは主観と観測の意味から自明なのでしょう。
主観があるとみなせる状態と無いとみなせる状態があるから主観という言葉を使用したのでしょう。
主観と観測の定義を書いてみてください。
710天才:2014/01/06(月) 19:20:43.31 0
真のむちぷりおまんこを理解しろ
711天才:2014/01/06(月) 19:24:31.26 0
主観的セックスも客観的セックスもなかろうに

セックスはいつも肝心な場面が覚えていない

それが脱我忘魂だからだ つまりそれが自己想起であり

それがあらゆる人間性内部のやりくりが限界であるという証拠だ
712天才:2014/01/06(月) 19:26:10.76 0
主観は常に未知だ

なんて恐ろしいんだ 

思想的に究極はトートロジーだ
713天才:2014/01/06(月) 19:28:11.32 0
客観的再現性を確認するのが人間だから無理だカス科学者ども
714考える名無しさん:2014/01/06(月) 19:30:52.25 0
誰かと思ったら天才だったときのがっかり感
715天才:2014/01/06(月) 19:31:25.00 0
流れる時間軸は一方向だが

いつか恋に落ちるかもしれない
716天才:2014/01/06(月) 19:38:56.18 0
年賀状を返すか否か

哲学的問いにハマっている…
717天才:2014/01/06(月) 20:04:04.81 0
君が世界だ

君が変われば世界も変わる

主観的なことでも、客観的でもない

あまりにもシンプルな事実だ
718天才:2014/01/06(月) 20:07:36.78 0
恋をしようじゃないか

汎用なむちぷりおまんこを追いかけるより

君のことを見ている子がいるかもしれないよ
719考える名無しさん:2014/01/06(月) 20:09:11.23 0
恋もまた必然なのか?
720哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月) 20:23:42.83 O
>>709
定義もクソも必要ないよ
他人に心があるのか無いのか
機械的に動いているだけなのか
そうじゃないのか
それを見極める方法があるなら、キミが示せばいいだけ

なんで独我論なんてものが成立するのか考えたらいい
基本中の基本です
721考える名無しさん:2014/01/06(月) 20:27:08.85 0
哲学者最高位ってアスペなんだろうな。人の気持ちが理解できないようだ。
感性が狂っているよ。
722考える名無しさん:2014/01/06(月) 20:32:31.95 0
人の気持ちの振れようでさえも必然である
723飛べないカラス:2014/01/06(月) 21:38:47.27 i
>>720
機械的に動く以外の何でしょうか。
独我論はどの様に成立していますか。
724哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月) 21:51:34.79 O
>>721
人の気持ちは、おもんばかるもの
ようするに、推測の粋を出ない
ということ

アスペというのは
>>723←こういう人
725考える名無しさん:2014/01/06(月) 21:59:55.13 0
慮るだ、最高位
オモンパカル

貴方は文化人だと思っていたが
以外に常識が無いな
726天才:2014/01/06(月) 22:00:32.98 0
潜在意識は全て必然だ

思考だけが邪魔くさい

いやいかなる意味での偶然も必然もない

君は恋人との時を忘れた時間の中で幾度の戯れを思いだすだろう

60億光年分のむちぷりおまんこが

君の涙を湿らすことだろう
727考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:01:37.64 0
おっと、「意外に」であったわ

728天才:2014/01/06(月) 22:02:38.22 0
訂正するな

人生など取り返せない
729考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:03:08.73 0
そうだ人生は取り返せない。常に進み続けているのだ
730考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:03:34.23 0
てめえはしゃぶってりゃいいんだよ
731天才:2014/01/06(月) 22:04:27.94 0
そうだ、なんて危うい場所に立っているのだ

いかなる安心も保証もないから快楽なのだ
732天才:2014/01/06(月) 22:07:02.20 0
しゃぶった過去さえも変えられる
733天才:2014/01/06(月) 22:08:22.00 0
愛は過ちを犯すがその傷痕を残さない

生きて愛せ

地上の何物にも固執することなく

しゃぶれ
734飛べないカラス:2014/01/06(月) 22:20:54.83 i
人の心は機械的に動くだけではないでしょうか。
735じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/06(月) 22:22:31.64 0
>>701 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月)
>主観について、深く考える事をしないので
>哲学として片手落ちなのだが、それに気づけない

なる程、私もそう思うんですけど・・・以前・・・・・

>>166 :服部さん:2013/11/27(水)
>「私」なんかにはまるのは哲学の歴史からも外れた病気だと考えていいですよ
>ジョージ・バークリーにしろ、ルネ・デカルトにしろ、あなたほど主対客の構図を考えてないんですよ
>彼らが問題にしているのは形而上学であり、論理や言葉の問題です
>どう解釈しても自己中な思考を正当化して読むことはできない
>実感とかの言葉でごまかして「私」だけを特別扱いするのは、それこそ機械君が言う「キリスト教的誤謬」じゃないんですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
等と言われた事が在りまして、哲学とはそんなもんなのか・・・と自分の哲学嫌いに妙に納得した次第でした。
まあ素朴に考えても「私」抜きに世界は語れないとは思いますよね。
736考える名無しさん:2014/01/06(月) 22:23:40.83 0
人の心は反作用を持っていて何かで満たしてからその余剰分で誰かに作用する
その反射で機械的に動く
737天才:2014/01/06(月) 22:37:13.54 0
そう私が欠けているから生々流転する

つまりその最初の混乱の渦を忘れるな

インフォメーションのドットが恐怖であり、原動力は欲望だ

私はどのなかにもいないで生き続ける
738天才:2014/01/06(月) 22:38:20.81 0
私には私が欠けている

君が喜んだり悲しんだりすることはない
739天才:2014/01/06(月) 22:41:43.70 0
人の心は機械的ではない(俺以外の豚はそうかもしれないが)

行き先を決めるのは神ではなく、俺だ
740考える名無しさん:2014/01/06(月) 23:04:17.16 O
>>735
「私」なんかにはまるのは
とか
「私」だけを特別に扱うのは
というのが、よくわかりませんね

特別とかではなく
冷静に分析した結果報告なのに
なんで、わざわざ無視するのかが、理解できませんね

何か都合が悪いのかな?としか思えません
741【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/06(月) 23:10:15.83 P
物(系)とは、徳の功(いさお)である功徳により成る。
徳とは、自他に働きかける作用であり、功徳とは、影響そのものである。
そして、功徳もまた徳と成る。
心は、徳を発し功徳を齎す力があることから、機械的な作用というよりも、相互の影響、相互の作用と考えるべきだ。
機械的な一方通行なんてのはありえん。
742天才:2014/01/06(月) 23:17:05.37 0
いや、私がないと都合悪いのは、思考が主人になってる唯物のアホだけだろ

私は突き詰めると パンドラの箱ですよ

開けないにこしたことはない
743考える名無しさん:2014/01/06(月) 23:18:49.82 0
びびってやんの
744考える名無しさん:2014/01/06(月) 23:20:24.78 0
今俺が2ちゃん見ながらこのスレ書き込んでるのも必然であり、
宇宙創世の瞬間から既に決まっていたとする事と
今2ちゃん見ながらこのスレ書き込んでるのが全くの偶然で
他にいくらでも可能性があったが何故かこの世界が決定したとすることはどちらが神秘的か
745天才:2014/01/06(月) 23:23:56.82 0
君が神なら何も神秘的なことはない

君は創造主とあらゆるもの、そのものならね

だが凡人にアクセスはできない

本性に帰るには、命懸けの努力が必要だ

少なくとも現代人にとっては
746考える名無しさん:2014/01/06(月) 23:26:24.03 0
天才つまらん
せめて笑わせてくれ
747天才:2014/01/06(月) 23:28:48.82 0
西洋か科学者は自我、というものを規定してから出発してるから月まで自分探しに行く
途方もないバカ集団の黒魔術にひっかかるな
748哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/06(月) 23:35:26.77 O
>>744
それより
空間は、存在した時点で必然的に無限の広がりを持たねば矛盾する
しかし状態の確定しない無限の空間という状態を
受け入れて疑問にも思わないキミらの常識の方が
神秘的ではないか?(笑
749天才:2014/01/06(月) 23:38:22.70 0
そう馬鹿は神秘的に乗っかりながら人のことをオカルトだとか言い出す

スタート地点で情報与えられてないなら、自己想起に向かわない時点で、奴隷か搾取される側でしかないでしょうに
750考える名無しさん:2014/01/06(月) 23:41:53.03 0
空間が、1だと言われれば2にする。3だと言われれば4にする。
こんなインタラクティブな後出しジャンケン的な、グーグルのクラウドデータストレージ的な容量の増やし方だったりすると、幻滅する。
751考える名無しさん:2014/01/06(月) 23:54:06.22 0
このスレの書き込みもすべて宇宙の初期状態から決定済み
752天才:2014/01/06(月) 23:56:35.38 0
いや本当に素直になんのイデオロギーもなしに考えれば

人間内部に何も確かなことがないことに気づくはずだ

空虚であり死んでいく この事実に直面する 必ず

死と存在を問うハメになる 

俺を見てみろ 

→やったぜベイビー

しゃぶれ
753天才:2014/01/06(月) 23:57:23.05 0
最初から決定してるわけないだろカス野郎
754哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 00:03:34.05 O
>>751
そう考えると
ビッグバンは、2ちゃんの書き込みみたいな、くだらない事まで計算してたなんて

何やってんだよビッグバン(爆笑
て感じだよな

アホだったんだなビッグバン(爆笑
755飛べないカラス:2014/01/07(火) 00:09:10.89 i
宇宙の初期状態とは何でしょう。
756「機械的唯物論」者:2014/01/07(火) 00:15:25.60 0
>>735
>まあ素朴に考えても「私」抜きに世界は語れないとは思いますよね。

「文学的に」あるいは「詩的」に(は)「語れない」ことはあるかもしれませんが、
「(哲学という人文科学としての)客観的学問」であるためには、「『私(自我意識)』は
脳が抱く幻想である」・・・という「真理」を認めなければならないことに、気づかずには
いられなくなる筈です。
757哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 00:22:56.13 O
>>756
幻想は、言うまでもなく主観であり
その主観を認識しているのが
他ならぬ「私」である事は、言うまでもありません

幻想は「私」の幻想であるわけです

キミは、何をワケのわからない事を言ってるんですかね
758じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/07(火) 00:30:34.65 0
>>751 :考える名無しさん:2014/01/06(月)
>このスレの書き込みもすべて宇宙の初期状態から決定済み

そう仮定すると未来も決定していると言う論理になる。
決定しているけど人間が予測できないと言うなら問題ない、決定してるけど判らないでは無意味な空論なので毒にもクスリにもならないだけである。
ところが未来予測が可能とするとそこで問題が生じる。
たとえば3秒後にスレの書き込みをすると言う予測が決定した後で故意にPCの電源を切ってしまうとどうなるか?と言う思考実験が可能だからだ。
759天才:2014/01/07(火) 00:34:16.13 0
非常にくだらなく見えるが2chをやるために宇宙は出来たんだよ

なんか変な可笑しさがこみ上げて来るなww
760考える名無しさん:2014/01/07(火) 00:37:13.46 O
>>758
残念ながら、それは成り立たない

「電源を切る」が予定されていないものならば
それは、外から別のチカラが加わってしまった事になるから
計算が狂うのは、当たり前だといえる
761じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/07(火) 00:40:07.09 0
>>756 :「機械的唯物論」者:2014/01/07(火)
>「『私(自我意識)』は脳が抱く幻想である」・・・

其の通りです、ですから・・・・

>という「真理」を認めなければならない

これも同じで「真理」という幻想を認める訳です・・・
当然客観的学問なども幻想の一つである事は論を待たない。
だいたい客観って何に対しての客観なんだ?
観察しているのは誰だと思ってますか?
観察の無い実験は科学ではない。
762「奇怪的怪物論」者:2014/01/07(火) 00:42:28.76 0
なぜ最高位が?
もうとっくにお亡くなりになったかと。
763考える名無しさん:2014/01/07(火) 00:46:05.13 0
不確定性原理により、単純な物質であっても位置と運動量の両方が
確定し得ない場合がある、ゆえにより複雑な物質の人間について
宇宙誕生からどう振る舞うかが決定しているということは有り得ない
764考える名無しさん:2014/01/07(火) 00:52:40.64 0
最高君は懐かしいな
機械君にはコテはないのか?
765じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/07(火) 00:53:24.22 0
>>760 :考える名無しさん:2014/01/07(火)
>「電源を切る」が予定されていないものならば

其の通り、そこまで予測できていなければ決定されているとは言えない。
つまりじいさんが言いたいのは有る予測Aに対して予測した結果に対して別の作用を加えて予測を狂わせる事が可能なのだから、予測可能性というものがそもそも矛盾していると言っている。
前にも在ったが未来のシナリオが書いてある台本が存在可能か?と言う問題だ。
じいさんは少なくとも其れを読むことは出来ないと思う。
なぜならその台本に「じいさんが読む」とは書いてないからだ。
もし書いてあっても{「じいさんが読む」と書いてあるのをじいさんが読む}とまでは書けないからだ・・・・・以下無限に続く・・・・
766考える名無しさん:2014/01/07(火) 00:54:04.13 0
コテというかトリップか
767【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/07(火) 01:00:40.65 P
決定論者ってのはあれだろ、物理法則という普遍的なものがあって、物質が全てそれに従ってるというのが根拠だろ?
こう考えると、物理法則こそが真理であり、真の実体であるという結論になってしまうww
物質を支配する上位概念の構図になっているからな。
そんな一方通行の構図は宗教的すぎるww

力(エネルギー)或いは物質の、相互の作用・影響が、物理法則の如き整然性を持っていると考える方が自然だ。
物理法則の発生が自ずからだと考えると、自由意思は肯定され、自由故に未来は未決定である。
768天才:2014/01/07(火) 01:05:20.79 0
数学者がクソ何百年もかけて問いたのが不確定性定理とかいうクソ当たり前な現実ww
769天才:2014/01/07(火) 01:12:07.77 0
自分が仮に創造主と同一だと仮定すると

神の存在証明とか命がけでやってる奴は

首に鍵かけながら、そこらじゅう鍵探し回ってるとんちんかんなのか欧米人って

首なしライダーが首探してんのか? キリストはアホなのか
770考える名無しさん:2014/01/07(火) 01:42:21.69 0
全ては完全に決定済みです。
映画と同じで、宇宙も物質の分布の変化を順番に並べたに過ぎません。
771哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 01:45:38.87 O
>>765
キミは、ちょっと根本的な事が理解できていないなぁ

全ての物理現象は連動していて
その他の事は起きないんだよ
772じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/07(火) 02:01:14.85 0
>>771 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ
>キミは、ちょっと根本的な事が理解できていないなぁ

貴方は初歩的なことが判ってないですね。
要は未来予知と言うのは予知行為そのものが未来に干渉して未来を変更してしまうので不可能と言う事です。
773「奇怪的怪物論」者:2014/01/07(火) 02:05:11.06 0
最高位以下の哲学者は処刑だぞ!
つまらなすぎる
774哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 04:11:02.54 O
>>772
ふむふむ
じいさんが正しいです

実は何スレか前に、じいさんと同じような事を書いたのですが
その後、少し頭がこんがらがってました
確かに、決定事項を「知る」という物理作用が加わると、矛盾が発生する
この矛盾は避けられない

じいさんが正しいです
775考える名無しさん:2014/01/07(火) 07:11:11.40 O
ただしアレですね
そのような、全ての物理現象を先に計算して
事前に知りうるかと言えば不可能だし
そもそも、それを知る事が予定されていないだろうから
ありえない論ではありますね

まぁ面白いヒントにはなります
776ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/07(火) 09:01:30.98 0
>>756 は「脳」を擬人化しており、機械さん自身がバカにする、いまどきの“文学”以下の御伽噺に堕している。
「…脳が抱く幻想…」には、二つの突っ込み方がある。その一つは >>761>。じいさんは新年早々、冴えている。w

もう一つは、脳に幻想を抱かせたのは何か。そこへ歩を進めないから、機械さんの“唯物論”はモノともヒトとも
つかぬ半端感を漂わせてしまう。改めて機械氏に訊くが、脳に幻想を抱かせるのは何?
777ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/07(火) 09:17:31.12 0
>>770
「映画と同じ…」なら“宇宙”にも製作者が存在するわけだね?
“物質”を創出し、その分布と変化を確定し「順番に並べた」のは何?
778考える名無しさん:2014/01/07(火) 09:34:48.22 0
ーーーーーーーーーーここまで決定済みーーーーーーーーーー


ーーーーーーーーーーここからも決定済みーーーーーーーーーー
779考える名無しさん:2014/01/07(火) 09:58:27.85 0
>>778

小澤の不等式: ε(Q)η(P)+ε(Q)σ(P)+σ(Q)η(P)≧h/4π
ε(Q)は位置の不確定性、η(P)は運動量の不確定性、
σ(P)は運動量の量子ゆらぎ、σ(Q)は位置の量子ゆらぎ
ε(Q)η(P)は測定の不確定性(認識論的)
ε(Q)σ(P)+σ(Q)η(P)は量子ゆらぎ(存在論的)
(ハイゼンベルクの不確定性原理は ε(Q)η(P)≧h/4π)
(hはプランク定数、πは円周率)

観測による撹乱と量子力学に基づくゆらぎ
をごっちゃにして不確定性原理としていたものを
それぞれ区別した形にした

今のところ、こんな感じらしいけど、それでも決定しているんだね?
780考える名無しさん:2014/01/07(火) 10:10:15.82 0
ヒント:量子もつれ
781考える名無しさん:2014/01/07(火) 10:48:35.54 0
>>780
で?
782考える名無しさん:2014/01/07(火) 10:58:40.03 0
国際宇宙ステーション(ISS)にソユーズを会わせる技術だって、
1km先の針の穴に糸を放り投げるような微妙な計算がぴたりと合わなければ出来ない。
それにはニュートン物理学と相対性理論の双方が必要になるが、何故か量子論までは
必要としない。
 要するに量子論の不確定性なんて、量子の可動範囲で完結してしまっているので、
機械氏の言う「必然」とは関係を持ちえない。
783考える名無しさん:2014/01/07(火) 11:07:49.72 0
決定論者は、ヒュームの問題の解決をしてみて下さい
784考える名無しさん:2014/01/07(火) 11:23:14.61 0
>>783
ヒュームの時代に物質は原子(陽子・中性子・電子)で出来ていることさえ
解っていなかった。脳が思考や感覚の全てを司る器官であることも解っていなかった。
それが一番の「問題」じゃな。
785考える名無しさん:2014/01/07(火) 11:45:27.69 0
すべては波平くんの掌の上じゃよ。
786天才:2014/01/07(火) 12:09:02.22 0
超紐理論の欠陥は、自分を紐に入れないことだ

神かよwww
787天才:2014/01/07(火) 12:15:27.01 0
死ぬだけだ 何を恐れている

大体、量子のほつれが俺ら生きてるってことと何の関係があるってんだ
788考える名無しさん:2014/01/07(火) 12:19:39.24 0
>>784
ww、で?
789考える名無しさん:2014/01/07(火) 12:48:50.14 0
>>788
せっかく親切に解説してやっとるのにww
「ヒュームの問題」自体が「モンダイ」なんだということぐらい
ちっこい脳みそ絞って判れよといことじゃよ。
790馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/07(火) 14:05:20.72 0
例えば
目の前に看板がある

看板には右へ行けば近道と書いてあった

そして君は右へ行った。

この看板を書いた人は100年前の人だとする。

この場合、君を動かしたのは脳なのだろうか?看板の情報(概念)なのだろうか?
791考える名無しさん:2014/01/07(火) 14:31:00.52 0
>>790
簡単じゃね?
「君」って「脳と脳以下の身体」のことを意味するなら、
「脳が身体中の筋肉に命令を下した」
「脳が命令を下したのは看板の情報(概念)を見て、(信用できると)判断したから」
馬鹿以外には難しいことじゃないんだよ。
792考える名無しさん:2014/01/07(火) 15:00:59.61 0
>>783
ベイズ統計で解決じゃねえの?

>>790
体を動かしたのは脳。
脳がどのように体を動かすのかを決定する判断基準になったのは看板の情報。
793考える名無しさん:2014/01/07(火) 15:05:45.59 0
>>792
看板の情報はあくまで一部の情報。
経験に基づく記憶情報が看板の真偽を決める。
794馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/07(火) 15:52:58.53 0
では、比較しよう

もし看板がなければ君は100%右を選んだだろうか?

もし脳がうごかしているなら、看板があってもなくても結果は同じではないか?

看板が存在する事により、脳は右を選択し、体は右へ動かされたのではないか?
795考える名無しさん:2014/01/07(火) 17:07:07.75 0
>>789
では、決定論は間違いである可能性があるってことで
了解しました
796【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/07(火) 17:09:43.53 P
>>777
ゲーム氏に質問。
以前、一元的な真実在を「力」とする理論を挫折したと言っていたが、どんな問題を解決出来ずに挫折したのかな?
というのも、前提されるべき実在が力というのは、こちらの意見と一致しているので、問題点は考察せねばならんのですよ
797考える名無しさん:2014/01/07(火) 17:30:12.95 0
>>794
脳がなきゃ体は動かないんだから、動かしてるのは脳。

で、その脳の判断に影響したのが看板の情報だろ。
798考える名無しさん:2014/01/07(火) 19:51:02.94 0
話を切ってしまってすみません。素人です。
どうしても気になって仕方ないことがあり書き込みます。
自分の頭ではどうしても理解ができません。
ここの方なら詳しいと思うので暇な方がいたら助けてください。

ウィキペディアの決定論の概説の最後に
>また、道徳レベルの決定/非決定と物理レベルの決定/非決定の関係については、
>人間の意識のレベルから見れば、(19世紀までの自然科学で想定していた世界観を仮に採用し、
>物理レベルでものごとが決定していると見なしても見なさなくても)選択の余地があると気付いた時点で、
>思いや行為を選ぶことも可能で、それによりどの因果の系列を
>起こすかそれなりに選ぶことはできるということから、
>決定論を主張することで「自由意志は無い」や「人間には罪が無い」と主張する考え方は、主体性を欠いた概念であるとし、
>実際上の有益さを疑問視する人もいる。

これって、何度読んでも意味が理解できないのですが
”物理レベルでものごとが決定している”と見なしたら
そもそも自由意思なんて無いですよね??
それなのにどうして
”思いや行為を選ぶことも可能”と主張できるんですか??

最後の2行はなんとなく
>「自由意思なんて無いけど無いなんていったら不便だろ」
という意味で理解したのですが(間違ってるかもですが)
上記の件だけまったくわかりません。
799考える名無しさん:2014/01/07(火) 20:05:31.61 0
物理レベルの集合が意識のレベルの集合に含まれる
という条件の場合ってことじゃないかな
800【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/07(火) 20:22:35.69 P
>>798
選択している思いや行為が物理レベルで決定的だろうとそうでなかろうと、実際に人は選択している以上、決定論者の主張が自由意思の否定や罪の否定という道徳レベルにまで及ぶのは無意味だという主張じゃない?
801哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 20:41:48.68 O
>>798
物理的に意思が決定されているとしても
(これは、そういう論での話)
しかし我々は、自由意思により選択しているという実感があるわけで

もし、全てが決定されているとした場合
何をしても人間には罪はなく
それは決定されていたのだ
と正当化されてしまい
盗みや殺人すら「決定していたのだから仕方ない」と、正当化されてしまうので
倫理的な問題が発生してしまうんじゃないか?
という論争になっている

こういう事じゃない?
802馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/07(火) 20:59:52.33 0
看板がなければ、脳は右を選択せず、体も動かないのではないか?
803馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/07(火) 21:00:51.11 0
哲学がなければ、脳は哲学をせず、体も哲学にそって動かないのではないか?

う〜む
804あまの:2014/01/07(火) 21:31:57.55 P
だからね、茶番なんですよ。
805あまの:2014/01/07(火) 21:38:03.83 P
人間の倫理観や価値観に適合するように世界が出来ているわけがない。
哲学徒であれば気付いていて当然のことだろう。
806考える名無しさん:2014/01/07(火) 21:40:50.84 0
できてるんだよ
807あまの:2014/01/07(火) 21:42:56.54 P
道徳主義的誤謬とかチープすぎるぞ。
808哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 21:48:00.35 O
>>805
人間の価値観や倫理観も「世界」なんだが(笑
809あまの:2014/01/07(火) 21:57:27.87 P
世界の一部だよね。
人間の抱く、世界の在り様から浮いた観念としてのね。
概念という道具は当然誤謬をも作り出すよ。
810考える名無しさん:2014/01/07(火) 21:58:41.28 0
誤謬からして概念だな
811あまの:2014/01/07(火) 22:01:19.30 P
世界の在り様からずれない様に思考を進めるしかないだろ。
812考える名無しさん:2014/01/07(火) 22:02:23.65 0
思考を進めた先に世界が在るのだろ
813あまの:2014/01/07(火) 22:11:28.80 P
倫理観や価値観などという補助原理なんか無くったって世界はビクともしませんがね。
814考える名無しさん:2014/01/07(火) 22:17:16.00 0
世界がひっくり返るだろ
815あまの:2014/01/07(火) 22:20:11.97 P
人間の世界のことか?
人間原理を中心に世界が出来ているとか宗教板にでも行き給え。
816考える名無しさん:2014/01/07(火) 22:24:18.85 0
原理というのは、それを世界に押し広げようという姿勢なのだ

君こそ宗教板がお似合いだぞ
817あまの:2014/01/07(火) 22:29:02.26 P
>原理というのは、それを世界に押し広げようという姿勢なのだ

ん?初めて聞いたよ。
原理と思想を区別できていないと会話は難しい。
818考える名無しさん:2014/01/07(火) 22:30:52.44 0
勉強になったろ

貴方と会話なんざ期待しとらんわ
819あまの:2014/01/07(火) 22:35:23.07 P
人間というのは生きて世界を認識する存在の一つの種にすぎない。
価値観や倫理観など世界の根本原理とはとても言い難い。
アホか。
820考える名無しさん:2014/01/07(火) 22:40:21.12 0
それも世界観の一つに過ぎん
821あまの:2014/01/07(火) 22:49:22.57 P
説明できる範囲の広い世界観のほうが少なくとも誤謬をより含まないわけだ。
馬鹿か。
822考える名無しさん:2014/01/07(火) 22:55:55.30 0
そりゃそうだろう
>>820が最強ということだ
だが誤謬を含まない世界に中身があるのか?

馬鹿と罵れるほどに利口なのか君は
823あまの:2014/01/07(火) 22:59:09.83 P
世界に誤謬は無い。
我々の中に誤謬があるんだよ。
何をいまさら。
じゃあ何しにここに来てるのだ?
824考える名無しさん:2014/01/07(火) 23:04:02.38 0
ーーーーーーーーーーここまで決定済みーーーーーーーーーー


ーーーーーーーーーーここからも決定済みーーーーーーーーーー
825考える名無しさん:2014/01/07(火) 23:14:37.44 0
>>823
我々の中に誤謬がある?
世界には誤謬が無いのに、世界内存在の我々には誤謬があるわけか
どの段階で誤謬が生成する?
襤褸切れのような世界観だな


寝るか

大森荘蔵なんかパラパラ眺めて毒されたわ
たいして面白くもなかったが
哲学書なんか読んでもつまらんの
826哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/07(火) 23:35:38.06 O
あまのくんは
無自覚に人間を特別視しているのではないかな?
827考える名無しさん:2014/01/07(火) 23:42:55.98 0
哲学なら「必然」の定義からだろ。
828考える名無しさん:2014/01/08(水) 01:06:59.34 0
決定論は正しいので
この内容

ーーーーーーーーーーここまで決定済みーーーーーーーーーー


ーーーーーーーーーーここからも決定済みーーーーーーーーーー

のレスが次に投稿されるのは
2014/01/08(水) 09:34:48.22
であると決定済みである
829きむよな:2014/01/08(水) 03:33:17.26 0
ビックバン時点では意思的なものは存在していなかった、今はそれが動物という
形で存在している。これは無から有が産まれたということである。無から有が
産まれるということは現代の物理理論では、無が誕生した瞬間その無はなんらかの
物質で即座にみたされるというふうに説明されている、その物質は昨今話題
となっているダークマターが関係していると推測されている。
もし、ダークマターについての全てが解明されたならば、無から有が発現
されることの論理的説明がつくと同時に意思の発現、さらに意思の物質的な
解明にまで至るかもしれない、そうなれば人間を物質次元に完全に当てはめ、
ビックバン時点で、現在までの世界が決定していたという理論も少しは
真剣に議論されるべき議題になるかもしれない。
830798:2014/01/08(水) 05:29:40.99 0
>>800 いのち一元論者さん
解説助かりましたありがとうございます。自分の分からないところがちょっと分かってきました。
「まあ物理的は無いけど自由な意思という感覚が存在している以上、自由意思は存在してるよね」
「決定論や自由意思の問題をそもそも道徳に持ち込むのは意味ないよね」
と、理解しました。

>決定論者の主張が自由意思の否定や罪の否定という道徳レベルにまで
>及ぶのは無意味だという主張じゃない?

“道徳レベルに及ぶのは意味なし”というところが理解できないみたいです。

道徳が、
”人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。”
だとします。
ここで指す”人々”が自由意思を持っているという前提から出した答えだと
したら、そもそも設定が違ってたわけで”人々の自由意思がどうやら無いらしい”
ことを前提に罪も定義しなおしたほうが前向きな考えに感じるんですけど頭の良い人が沢山居るのに
なんでみんなやらないんでしょうか?難しい課題ですがやったほうがスッキリする気がしますが。
831798:2014/01/08(水) 05:30:35.70 0
>>801 哲学者最高位さん
ありがとうございます。何だかだいぶ荷がおりました。
>盗みや殺人すら「決定していたのだから仕方ない」と、正当化されてしまうので
>倫理的な問題が発生してしまうんじゃないか?

自由意思なんか無いから、罪(意思を持ってあなたがやった)は無いけど
社会的にあなたの行動は皆が困るから悪いけど強制的に社会に適応できるような訓練してね♪

みたいな言い方でOKな気がするんですが、私が思いつくくらいだからそんなこと
誰か有名な人が言ってますよね??

つまり、“自由な意思なんてまぁ無いけど、その知識や考えが皆に行きわたると悪用する人物が考えられるので
ここは無理やり有るってことにして先進もう“ということですか??

今のところ、物理学や脳科学だと「まあ、自由意思なんて無いよね」という流れですよね?
そんなに大々的に言われてるんなら、“有るってことにして”では苦しくないですか?
暗黙の了解にしてしまったら、様々な理由から“自由意思なんて怪しいよー”みたいな事を知っているのは
ある程度、物理学や脳科学・哲学なんかに興味を持てて本を開ける環境の人のみが知っていることになり得る
わけで、その恩恵に預かれない人達は何もしらず「殺人犯すやむかつくームキ―」以上の考察ができなくなってしまい
知識や考えに格差が生まれてしまうと思うんですがそのへんはどうなってるんでしょうか。
考察されている本や突っ込み入れてる人は居ますか?
832考える名無しさん:2014/01/08(水) 06:08:17.08 0
>>831
過失とそうでないものの違いとは?
833哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/08(水) 07:07:15.51 O
>>831
「自由意思など無い」なんてのは、単なる説であって
まだ答えは無いんですよ

キミは読解力が低いから
まず現代国語とかを勉強した方がいいんじゃないかな
834天才:2014/01/08(水) 09:14:29.38 0
能動的じゃなきゃ何もつかめないよ馬鹿か
835考える名無しさん:2014/01/08(水) 10:03:46.09 0
>>802
看板がなくても脳は左右どちらかを選択し、体は動くよ。
836ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/08(水) 10:31:56.81 0
>>796 いのち氏
「初めに無」を想定していて、そこから「有を生じた」と、だれかを真似て述べたことがあるが、
これは「生じた」ではなく「無が有に転じた」というべきなのだろう。ただ、一つ問題があって、
「転じた」のは何の所為か、がそれ。これが“必然”なら、そうしからしめた“主語”が存在する
可能性は高い。もし偶々なら「存在→存在者→世界」は偶然の産物ということになる。

君の質問に答えるなら、この「無から転じた有」を“物質”と呼ぶのは尚早。ただ「ある」という
しかなく、それを“力”と名づけただけである。この一元的“力”の世界は、少し前に機械さんが
述べていたように「四つの力と幾つかの粒子(物質)」に分岐する。「物質」は“原初の力”の一つの
様態であり、自立しえずw常に“力”とともにある(法則に従う)。
837天才:2014/01/08(水) 10:41:41.99 0
愛という言葉しか見つからん

表現のしようがないんだ!
838798:2014/01/08(水) 11:11:30.23 0
皆様書き込みありがとうございます。本当によく分からなく書き込んでいるので
意味不明の場合は質問してください。

>>832 さん
過失は、“事実を認識・予見することができたにもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態”
だとすると、不可抗力だった場合と差が必要ということでしょうか。
私達は人に迷惑をかけた人に何らかの対応をしなくてはならない。そのため、過失と不可抗力の場合はその対応が変わる。

だとすると、“過失”には、過失に対応した教育を施す。
不可抗力には、教育を施す必要性は無いわけなのでそれが証明されれば極端な話教育無しでいいと思います。
酌量はそうしてされるのでしょうし。
(勿論程度問題で、過失と不可抗力は綺麗にわけられるわけでは無いでしょうが)

言葉によって定義わけすれば利便性としては何とかなりそうな気がしますが、
自由意思は怪しいから罪という認識(罰を意識した)をやめない?
となっても困らないと思うのですが。
839798:2014/01/08(水) 11:13:02.81 0
哲学者最高位さん
>>833

>自由意思など無い」なんてのは、単なる説であって
>まだ答えは無いんですよ

そうですね、限りなく怪しい自由意思と言う感じでしょうか。
理解不足なようで、不愉快ならもうしわけないです。
840798:2014/01/08(水) 11:18:28.54 0
自由意思がどうやら無さそうな感じだが、“自分の意志とは関係無く、何か別の物に自分は動かされている。”
“自分が頑張ってきた手柄は自分の能動的な行動的ではなく動かされた結果である”ということを認めると認知的不協和が生じますよね。
私たちがやる気を持って能動的に動くため、精神的健康度を保つために、無いかもしれない自由意思を信じよう。
そんな理由なら、“自由意思は怪しいから皆さん罪については考え変えない?”となってもおかしくない気がしています。
“皆にとってこの問題は、不愉快すぎる・社会の仕切り直し大変だし不便になるからやらない”という理由に見えてしまうのですが。
違うんでしょうか?

“罪という概念そのものが、今現在利便性があるからという理由で使用されている”
というのなら納得行きます。
誰か、自由意思は信じて無いが罪という概念に社会にとっての利便性以外の
理由で納得してる。という人がいたら
書き込みをお願いできませんか?
どのように矛盾を乗り越えましたか?
また、その場合罪を犯した人間に対し怒りを感じるかどうかもお願いします。
841798:2014/01/08(水) 11:21:27.73 0
私の書き込みについてはお暇なときの回答で
かまいません。時間がある方
どうぞ宜しくお願いします。
842天才:2014/01/08(水) 11:22:06.61 0
本気で乳首を舐めに来い!
843天才:2014/01/08(水) 11:24:56.38 0
俺が答えてやろう

・死ぬのはその人がパーフェクトだからだ
・善悪の基準を法律に置くなら対立は避けられないだろう
・良心とはエゴにどれだけ忠実かであるかの尺度である
・人類はまったく新しい善悪を体得するだろう
844天才:2014/01/08(水) 11:28:45.04 0
・何を考え思ったところで被害者を免れることはできないし、私も死ぬ
・どうして君しかいない世界で神様が君に危害を与えるようなことをする?
・何物も救う必要はないし、救うことはできない、このことを君は頭でなく、全身全霊でわかったら君は、救うというマインドなしに全てを救うように出来ている
・しゃぶれ
・アナルを舐めろ

以上
845ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/08(水) 11:42:48.53 0
>>796
御伽噺を続けるがw「転じた」のが必然なら、それは「創生(世、成)」のニュアンスをもってしまう。
ことと次第によっては“超越的存在”のおでましを願わざるをえなくなる。w 

一意的「決定論」は、いわば一神教を貫く骨子。偶然は“神意の外”に生じ、そのようなものがあれば、
“神”はその資格を失うからだ。

世界が偶たま発祥したのなら、一元的に把捉できるとみていたが、これは間違いかもしれぬ。
ここ一連のレス合戦は、脳(モノ=力の様態)か“情報”かをめぐるそれである。情報はモノ(力)を媒体に、
脳を機能せしめる。脳の機能は、あらかじめ遺伝“情報”によって付与されている…
こうみると(内在的、外在的)情報の先行性を否定できぬが、では“情報”は何に由来するのか。
846天才:2014/01/08(水) 11:49:45.93 0
>>845
あらゆる宗教、科学が追い求めてんのはそこだよ

まあ絶対無、すなわちパーフェクトナッシングというスポンジケーキがなきゃ生クリームぬれないだろうが
847天才:2014/01/08(水) 11:52:36.70 0
情報は僕たちのハンドルが握っている

過去も固定的ではない

今、悟ることだ

命懸けでアクセスしろ

その科学的実践方法としてのデットトリップという

あまりにもシンプルな解答が目の前に転がっているではないか
848天才:2014/01/08(水) 11:55:47.94 0
発狂か死か悟りか、そのどれかは定かではないがな

いきなり種子から花は咲かない

死とは全体に向かって花開くことだ

絶対者のエネルギーフィールド、人体内部からは黄金色に見えて、神の側からはなぜか白銀に見える
849天才:2014/01/08(水) 11:57:38.45 0
ベターハーフとは異性との愛情

ベストハーフは死だ
850考える名無しさん:2014/01/08(水) 12:14:35.32 0
>>836
「無が有に転じた」の“転じた”の現象に対して、まず、最初に“無の概念”と
“有の概念”を明確にする必要がある。

私見としては、デカルトの「主(精神)客(物質)二元論」の観点から、
「無」とは、客観的存在として、「有」を主観的存在と解釈している。
851考える名無しさん:2014/01/08(水) 12:38:25.14 0
>>838
意思がないならば、過失と故意の違いに区別をつけられない
法律から過失致死などをなくさないとね
もしくは、すべてを過失にするか
852【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/08(水) 13:07:11.31 P
>>836
その問題は、無の捉え方によって解決できる様に思われる。
俺に言わせると、寧ろ「無=力」なのだ。
真空エネルギーみたいなのを想像してみてくれ。
無という基底状態が、「何も無い」というだけで、莫大なポテンシャルを持った力だと捉えると、有は力の模様、力の動的実態とみることができる。
そこで、力の実態を五つの状態で表し、これを五態と呼ぶ。
即ち、光・熱・質・気・法である。

何故転じたかと言えば、自ずから然り、対称性の破れ、無いが儘に無かったが故に有るが儘に無い、というしかなく、偶然であったか必然であったかなんて議論はナンセンス。
どちらでもなく、自然とそうなったと言えれば良いのでは?
853【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/08(水) 13:22:55.85 P
>>845
情報とは、違いを生む違いである。
また、影が形に従い、響きが音に応ずるように、影響を与える元となる「徳」であるといえる。
当然、力の模様に深く関わっており、「違う」というそのことが、さらなる違いを齎すことで模様となる。
要するに、違うというだけで影響を与えられる、違いそのものだということだ。
従って、情報とは、違えた時に「生じた」のであろう。
854【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/08(水) 13:38:03.99 P
理論物理学の世界では、数式で表そうとすると、すぐに無限大=無限小となってしまう問題が長らく続いた。
有と無がイコールになってしまうのだww
だが、これはある意味正しい。
無限小は無限大を生み出すのだ。
855考える名無しさん:2014/01/08(水) 13:50:17.26 0
>>845
「偶然は“神意の外”に生じ」と述べているが、
ゲ−ム氏は“神”と“客観的存在(=無)”とを、
どのように捉えているのでしょう。
856天才:2014/01/08(水) 15:05:57.12 0
むしろ神と客観的存在はゴミで

全ては相補関係にあるので、突出した瞬間、神とは考えなくてはいけない懲役にはまり。ストリング理論のわかったわからないような、よく分からい人生に関係ない答えを生み出し

結果的に、何かに応用できればいいんじゃね?とか言い出し、結論を放棄し、次の世代に丸投げする

これが現代科学である
857天才:2014/01/08(水) 15:10:30.66 0
つまり一元を二元論で解き始めるゴミが、足元の水量はシカトしながら、川の水質調査をやってるようなもんだ
858天才:2014/01/08(水) 15:17:34.95 0
無が有に転じたというよりも、無はそこらじゅうにあるチューニング合わせられないだけなのに、
科学者は自分の力量不足を担保に入れないで、完璧な自己分析の元に知的理論を組み立てていると思い込んでいるので、結果としてビッグバンとか60億光年先にぶん投げておけば後は問題ないだろ
859天才:2014/01/08(水) 15:20:19.94 0
科学者の人格はカウントされないからな

完璧な自己コントーロルの上に、完璧な知的理論があるわけないだろ

つまり黒魔術の一種である
860哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/08(水) 17:51:24.09 O
無を定義するというが
「無い」としか言えない漠然とした概念

当然、何とも関係できない
転じもしえない

もし「無」を想像したなら
いかなる形においても
それは既に、「無」ではない
定義した時点で「無」ではないだろう
861考える名無しさん:2014/01/08(水) 17:53:36.87 0
「有」の反語が「無」としか言えないよな。
862哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/08(水) 17:57:27.21 O
>>844
アナルを舐める女とは
キスは不可能
863天才:2014/01/08(水) 18:40:07.69 0
無は夢想できないが、透明な安らぎが満ち渡っている時に、知恵が舞い降りる

つまり清く正しく生きる以外ないだろう


しゃぶれ
864798:2014/01/08(水) 20:42:35.95 0
>>851
意志の持つ意味合いが変化するのでは?

そもそも、自由意思@=能動的な意志と認識している人
と、
自由意思A=自由意思は怪しいが私たちは自由な意思を持っているという感覚がある
とは同じ自由意思でくくられてますがまったく違うものですよね

だとすると、これらが違うものとの認識が広がれば
自由意思に内包する意味が変化するので
自由意思という言葉の語彙が増えるのではないでしょうか。
@とAには別の名前がつくという意味です。
結果として意志についても語彙が増えるのでは無いでしょうか。

前提に自由意思はあくまで感覚的なものだったとしても
仮に、意志@ 意志Aみたいな・・・・
私たちは必要に応じで言葉を増やして来たのだから。

過失致死、については例えば車なら
”危ない行動をしないための教育・危険を予知する教育”
なんかは必要だと思います。

気になるのは、自由意思が怪しいというのが社会で認識された場合
復讐の気持ちはどうなるのか?
「犯罪を犯した人間は罰せられるべき」という罰についての気持ちが
今より社会に変化を起こすのではないか。
上手くいけば、罰についての認識に変化があるのではないかと
思ってます。
865【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/08(水) 20:50:33.39 P
>>864
そんな考察よりも、まずは自由意思が無いことを証明して下さい
866考える名無しさん:2014/01/08(水) 20:57:17.30 0
自由意志はある
しかし自由行為は制限されている
867天才:2014/01/08(水) 21:00:20.95 0
しかし自由意思がありませんって科学的に証明されても、「あっそうですか。」レベルだよね

そんな馬鹿みたいに議論するところか 自由意思があって欲しくない奴はレスポンスを神に預けたいんよ多分 あまりに上手く行かない為に
868天才:2014/01/08(水) 21:02:25.45 0
自由意思がないんだやったー、とはならないよね

次の瞬間何しようか悩むから

頭悪すぎる
869天才:2014/01/08(水) 21:03:52.60 0
しかも受動的な生が楽しいとも思えない

寝ながらパソコンやってる感じか
870【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/08(水) 21:07:04.23 P
そう、自由意思が無いなどと主張したところで、「だから何?」と言われるのがオチで、糞の役にもたたんのだよ。
決定論が正しいと何か役立つの?
871天才:2014/01/08(水) 21:08:50.22 0
現代か科学の病理は顕微鏡の先に自由意思やら法律の答えがあると思っている店である

逆にわけわからんだろ 紐であり振動であるので、自由意思はない、よって罪を免れる、執行猶予!

みたいな
872天才:2014/01/08(水) 21:13:30.81 0
自由意思がないとかよりもどうやって人間は自意識を片付けるか がテーマだと思う

このくだらないエゴトリップの果てに新たな文明を築きたい
873天才:2014/01/08(水) 21:15:39.38 0
食って子孫残して幸せに生き死んでいく だけじゃ済まなくなって来ている
874哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/08(水) 21:47:11.08 O
物理世界と主観性は異質

物理法則と「私の存在性」に、因果関係が見いだせない
875考える名無しさん:2014/01/08(水) 22:08:10.42 0
文系の人って、小学生みたいな作文が趣味なんですか?
876天才:2014/01/08(水) 22:34:22.46 0
生まれ変わっても数学はやらない

875のような理系コンプレックスに陥らない限りは
877じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/08(水) 22:44:30.29 0
>>783 :考える名無しさん:2014/01/07(火)
>決定論者は、ヒュームの問題の解決をしてみて下さい

なる程、じいさんは今まで気がつかなかったが じいさんの考えとヒュームさんは一緒ですね、ヒント有難うございます。
おそらくそれこそ経験的にどこかでヒュームを聞きかじってじいさんの主張としたのでしょうね、まさしく経験論。
ヒュームの主張・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.理性はそれだけでは、倫理的行為の動機として機能せず(「理性は感情の奴隷である」)、倫理的判断は理性によらない
2.倫理は情念から生まれる
3.ヒュームはそもそもの道徳の成立の原因を利に求め、自分の利を確保するために統治機構や倫理を人工的に作ったと言う
4.ある種の徳、不徳は自然であり、正義は人工的なものだとした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しびれるほど正しい。
じいさんは以前に心は「知情意」からなると言っている、こころは知情意が別ち難く結びついて一つである。
たしかカントとか言う人は知に偏った考え方をして情を切り捨てている、それではこころは判らない。こころを追求する事無しに人間は判らないし知=哲学とするなら、哲学とは空虚な学である。
超越などと言う概念を持ち出すのは情を無視した不自然な心の捉え方の証拠だと思います。
878天才:2014/01/08(水) 22:51:29.53 0
良心とはエゴにどれだけ忠実であるかという尺度である
879波平脳FUMA:2014/01/08(水) 22:53:25.30 0
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880天才:2014/01/08(水) 22:54:54.81 0
超越とか言い出す奴は現代社会の真逆を行けば超越になるからな

山にも空気はあるのに、山に住み出すような馬鹿だ ある意味超越している
881波平脳FUMA:2014/01/08(水) 22:56:41.86 0
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882天才:2014/01/08(水) 22:56:55.08 0
平和主義っつーのはノイローゼ的暴力だぜ
883考える名無しさん:2014/01/08(水) 22:58:42.66 0
古参がプチ発狂?何それ?ギャグか?
884あまの:2014/01/08(水) 22:58:58.81 P
よく考えればわかる。
この世界に真の自由など無い。
存在とは限定の権化だ。
何を今更。
885波平脳あまの:2014/01/08(水) 23:00:07.42 0
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886じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/08(水) 23:14:14.69 0
>>864 :798:2014/01/08(水) 20:42:35.95 0
>自由意思@=能動的な意志と認識している人
>自由意思A=自由意思は怪しいが私たちは自由な意思を持っているという感覚がある

怪しいのは貴方でしょ、Aの人なんて居ないよ貴方以外は。
怪しいのに感覚がある・・・とても器用な精神の持ち主だ、普通は@で決まり。
自由意志を認識している、其の事実を機械さんは「自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。」と言っている、それはそれで一理有る。
それは意思とか意識以外の視点(唯物論)から見た論評。
機械さんも「自由意志感」そのものを否定はしていない、自由に客観性が無いと言いたいのであろう。
しかし自由意思とは貴方の言うとおり「能動的な意志と認識している」事という意識の定義で良い。
「自由意思は怪しい」と認識している人間がなんで「自由な意思を持っているという感覚がある」と言う馬鹿げたことを言うのかな????最初からその人は・・・・持っていると言う感覚は怪しいと思ってるんでしょ???

>前提に自由意思はあくまで感覚的なもの

間違い、貴方のさっきの@の定義の通り感覚でなく意志です。

>過失致死、復讐、罰・・・・

自由意思の問題と何の関係が有るの?????
法律とか倫理とかとは何の関係も無い。
倫理の源は感情であり、自由意思は意志だから。
887あまの:2014/01/08(水) 23:16:51.28 P
人間には錯覚というものがありますよ。
888波平脳あまの:2014/01/08(水) 23:19:53.90 0
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889あまの:2014/01/08(水) 23:20:50.93 P
時系列で見れば、感情の動きの前に脳内の物質の反応がありますよ。
自発的意思とか錯覚です。
890あまの:2014/01/08(水) 23:23:52.81 P
錯覚が許せるとか許せないとか、これがどうでもいい話かな。
891あまの:2014/01/08(水) 23:31:05.72 P
個体を維持する為の身体のメカニズムとして「自発的なものと感じる」ことが重要なだけすよ。
感じだけあれば生き生きと暮らせるってことです。
ありあまる自由とか普通の人間にとって困るだけです。
892考える名無しさん:2014/01/09(木) 00:39:54.71 0
>>889
感情の動きの前に脳内の物質の変化がある、と主張する場合、その根拠をあなたは説明しなければならない。
893【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/09(木) 00:44:18.56 P
準備電位も知らんのか
894考える名無しさん:2014/01/09(木) 01:58:53.53 i
物質的な脳ミソの計算の結果としてうまれた「自由意思感」や「喜怒哀楽」、疑い、考察する我々の
自我は物質的な脳ミソとは違う新しい事実として世界に組み込まれ、確かに存在するのではないか。

これを便宜的に「魂」と呼ぶ。「我思う、故に我在り」と言う精神は脳ミソという物質的事実ではなく、自我という魂的事実である。
ここで世界とはこの世でおこり、あるすべて事実の集合体のこと
895きむよな:2014/01/09(木) 02:13:52.76 0
自由意思というと聞こえはいいが、それが人間と他の動物とを本質的に
分かつものだと長年勘違いしていた西洋の哲学者達には失笑を禁じ得ない。
自由意思が生まれた背景にあることはそれほど難しいことではない。
生存欲求、増殖欲求、すなわち種を絶やさないようにする欲求を全ての生物
は本能的に備えており周囲に敵がいない状況も食べ物の心配もしなくていい状況
も動物にはなく、全ての動物はこの欲求により全ての行動が一元化される、しかし
それらの欲求を科学の力によって満たし、生存欲求による行動の一元化という
動物の宿命から逃れた人間は自由に物事を考える心理的、時間的余裕を得たと
結果、自由意思を結果的に持つこととなったわけだ。このように理知的にみれば
自由意思が動物と人間を分かつ本質的なものなどではないことなど即座に理解できる。
896考える名無しさん:2014/01/09(木) 03:09:55.83 O
>>895
「動物には自由意思が無い」って、誰が言ってんの?
897考える名無しさん:2014/01/09(木) 03:12:05.43 0
世界は 自由意志に 満ちている のだ。
898798:2014/01/09(木) 08:06:39.48 0
>>865 いのち一元論者さん 
念の為、言って置きますが当方哲学素人です。

物理学や脳科学なんかでは
”自由意思はないと考えるのがまあ妥当”
という感じでは無いの?リベットさんの実験とか。
心理学では自由意思を尊ぶけれども
あくまで、無意識を前提にそこから目覚めることを前提としていますよね。
(環境を抜け出せない人間に自由意思があるといえるのか?)
899798:2014/01/09(木) 08:07:11.42 0
>>886 じいさん
>怪しいのは貴方でしょ、Aの人なんて居ないよ貴方以外は。
そうなんですか??
日常で
”今くだした結論は、遺伝子はともかく私はどのような影響を受け下した結論なんだろう”
とか考えませんか?
私たちは自由な意思を感じている。しかし、実際は私たちが感じている
意識は既に無意識によって出された結論を受け取るということをしている。
無意識は今まで経験した環境や遺伝子に支配されている。
必然の牢獄からちょっとは脱出し垣間見るために
(それさえも自由意思では無いのでしょうが)
カウンセリングというのがあるのだと思ってるんだけど。

>「自由意思は怪しい」と認識している人間がなんで
>「自由な意思を持っているという感覚がある」と
>言う馬鹿げたことを言うのかな????
>最初からその人は・・・・持っていると言う感覚は怪しいと思ってるんでしょ???
明確に分けられないと思うけど理性と感情は別だから。同時に持ってるってこと

>倫理の源は感情であり
倫理を”善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの”だとすると
源は感情であっても、皆が困らないように社会で作られたルールですよね。
ただ、善悪も時や場で往々に変化しますから善悪の完全な定義が無い以上
その社会にとっての便宜上
の制度のようなものだと思いますが。
まあ、このあたりが便利だよね。みたいな
900天才:2014/01/09(木) 09:01:09.42 0
いや普通にまごごろ込めて考えた先が知恵の源泉だと思うよ
901天才:2014/01/09(木) 09:11:24.76 0
耳を塞いでみてよ

誰も君を咎めないよ
902考える名無しさん:2014/01/09(木) 09:30:37.90 0
>>895
頭いいけど自由意思ではないね
人間とはコミュニティーの中で進化してきたから
このコミュニティーには紛れもなくルールというものがある
このルールの本になってるのが飛び道具
弓拳銃なんだよ。悪いことしたら許さない
これが進化の基本ねW君は惜しい
もう少し勉強すると色々見えてくるよ
ブッタや宗教勉強するといいよ
別に入れとは言わないから
もうすでに答えはそこにあるからね
仏教=神ではなく。仏教=哲学だからね
突き詰めると
903ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/09(木) 09:31:57.65 0
>>850
“無”の概念規定(定義)ですか。端的に「空間がないこと」である。
しかし、これも“完全・無”ではない(らしい)。
たとえていえば、創造者も“無”をつくりえなかった、彼は“有”らしめるのは得意だが、
“無”さしめるのは苦手だったのだろう。w

君のレスでわかりにくいのは、客観的存在を“無”とし、主観的存在を“有”としている点。
少し解説してほしい。>>855 には、そのあとで。
904ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/09(木) 10:00:07.48 0
「これは私の意志だ」という思いをもつことはできる。
あるいは「自由意志はある」という認識をもつひとも少なくなかろう。
しかし、これらが「自由意志の存在」を保証しない。

或る事態に当面して、脳が情報処理をし、意識の束(意志もその一つ)を表出する。
この過程が一意必然なら、自由意志は存在しない。
しかし“束”のなかに反省、修正する意識が含まれているのなら、自発性は「ある」といえる。
つまるところ“自由”とは「選択の余地があること」を意味するからである。
905【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/09(木) 10:11:02.42 P
>>898
リベットの実験については肯定派ですが、だからといって即、自由意思の否定とはなりません。
彼が発見したのは、「行為に先行する無意識的な意思」であり、この、無意識的な意思が「内から生じた」のか「外から支配されている」のかが自由であるかの分かれ目。
もし、万物は物理法則に支配されているとするならば、それは外からの支配であり、自由は否定される。
しかし、そうなると物理法則なる神のような絶対者がいることを肯定せねばなるまい。
要は、物理法則と呼ばれているものに「理由」があるのか無いのか。
或いは、内から生じたのであれば、自由であることを肯定せねばなるまい。
906天才:2014/01/09(木) 10:14:05.92 0
ここにいつも全体があるから自由に愛情を注ぐことが出来る

それから人間はコミニティーの中で進化してきたわけではない
欲望の取引の中で最適化を図って来たわけだ
907【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/09(木) 10:15:41.50 P
>>904
一意必然ならば、反省・修正でさえも一意必然だろうにww
必然だという主張には、何ら有用性が無いのだよ。
908【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/09(木) 10:26:13.29 P
コンピュータのプログラムでランダムな意思を発生させることが出来るとする思考実験をしてみよう。
コンピュータもプログラムも外部から生まれたもの。
しかし、どんな意思を、どの順番で発生させるかがプログラムされていないのならば、生成された意思は「コンピュータ内部」から発生したといえる。
プログラム自体は制限ではあるが、生成された意思は「支配」されてはいない。
909天才:2014/01/09(木) 10:28:52.12 0
そうそれは雨粒が上から下に落ちるような神秘的な何かだ
910天才:2014/01/09(木) 10:31:06.73 0
雨が人工的なモノだったら、資本主義の為以外に降らすとも思えない
911ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/09(木) 10:40:26.27 0
>>852 いのち氏
「自ずから然り…」というのは日本的な“運命”に似ていなくもない。
それは諦念のともなう緩い決定論では?
それが必然/偶然を止揚(もしくは解消)する概念であるゆえんを、少し説明していただきたい。

老婆心ながら、真空と無とは異なる。前者には“空間”は存在している。
それは“力”を有する(らしい)。しかし、無には空間(時間)がなく、力も存在しない。
無はそれ自体からは何も生まない。だから「転じた」と表現したのだが…。
912天才:2014/01/09(木) 10:47:45.84 0
大きさがわからないあのぐにょぐにょを思い出してみるといい

暑さ1mmのような、巨大宇宙のようなあの何かだ
913天才:2014/01/09(木) 10:48:53.20 0
やっぱり無って言うより

如 って感じだよな
914天才:2014/01/09(木) 10:50:02.33 0
知覚する場所に付いている接着剤を外せばゲシュタルトは崩壊する
915天才:2014/01/09(木) 10:51:27.72 0
ジャンプ台は尾てい骨にある
916考える名無しさん:2014/01/09(木) 10:52:22.32 0
>>850
デカルトの定義によれば、無とは虚偽の根源だよ
917考える名無しさん:2014/01/09(木) 10:54:49.83 0
NOですなら原始人の狩りにおいて単独で狩りしていたとでも
お思いですか?子供を守るために女性が1子供で守っていたとでも?
ありえません!君たちは学校で見てたはず!
クラスの女子がいくつかのグループに別れていたことを
これは女性の本能です!わかりますか?
勉強がたりないですね。既に世界では最古の商店も見つかっています
どのような進化をしたかはほとんどわかっています
安全にするためコミュニティーをつくり
槍>投げやり>弓>拳銃という発展とともに
明確なルールというものをつくったのです
君のような進化の過程をたどっていたなら
今だ猿ですよ欲のみなのなら
欲をだした人間をおさえるために最古の商店=取引には
サークルの周りに投げやりをもった人間を立てていました
悪いこと=死なので、言うこと聞かないものは
排除されますよね ズルするやつはいただろうけど
今の世の中みればわかるでしょ
圧倒的にルールを守る人間のが多いこれが答えです
918天才:2014/01/09(木) 11:01:40.97 0
社会とは虚構に過ぎない

あるのは様々な人間関係の欲望の取引である

デタラメ極まりない社会性というルールを信じ込んではいけない

しゃぶれ
919ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/09(木) 11:12:09.17 0
>>907
表現が舌たらずだったようだ。(苦笑) いずれ改めます。

それはともかく“必然”は有用。古典力学が適用される領域は“必然”を前提にしている。
ところで、君のいう“系”は必然/偶然、のどちらの所産ですか。
920考える名無しさん:2014/01/09(木) 11:22:26.69 0
君は空ですね!まったく
その欲が始まるのは全てはコミュの維持からでは
ありませんか?戦争を欲としてかんがえるのならば
この欲は全てコミュの為と考えにいきつくのですが
空の考えの持ち主は自己のことしか考えません
自分の幸せや命。そこに幸福感を持つとなにもなくなるよ
社会に恨み吐いてデタラメと決めつけるのか
それとも周りをもう一度みなおすのかは君次第
空の考えを否定するわけではないけど
それってもはや神の域だよ
いつから君は神になったの?
921ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/09(木) 11:30:59.97 0
>>908
そのとおりだけど、それもってコンピュータに“自由意志”があるとはいわない。
将棋のプログラムについていえば、それは最善手しか指せない。
それは、内的必然の経路を辿ることができるだけだ。

ヒトに自由意志があるとされるゆえんは、悪手を意図的に指せるからである。
コンピュータにも悪手を選ばせることはできるが、それはそのようにプログラムされている場合。
ヒトは、相手がだれであれ、どのような局面であれ、自発的に悪手を指すことができる。ただし…
“自由”か否かは、選択肢の有無にかかっている。
922考える名無しさん:2014/01/09(木) 11:51:35.89 i
我々が自由意思だと思っているものはただの現象にすぎない。雨雲の中でイオンが反応して雷が起こるように、脳ミソの中で光が瞬いて自由意思がうまれる。
我々が真に自由に振る舞えるならば、我々は薔薇になることさえ可能なはずだ。しかし薔薇にはなれないし、精神にのみ自由は存在する。しかしそれは現象であり錯覚である。
923【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/09(木) 13:20:14.45 P
>>911
必然/偶然と言える為には、その様に考察している観察者を必要とする。
しかし、実際は自然の成り立ちに観察者は不要である。
故にどちらかである、とは言えない。
勝手にそうなった、という偶然でも必然でもない概念が「自ずから然り」=自然です。


空間が無いというそのことが力を有しているとは思えないということですか?
真空に力がある、物質(電子)が生成消滅するということは、一昔前には全く考えられていなかった。
しかし、現在の場の量子論では、力の基底状態として捉えている。
「無」というそのことが力を有している可能性は0ではないだろう。
924【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/09(木) 13:38:16.00 P
>>919
ですから「自ずから然り」ですww
逃げではなく、勝手にそうなったのだから仕方ないww
偶然でも必然でもないと言ったが、寧ろ偶然でもあり必然でもあると言った方が近いのかもしれない。

>>921
ランダム生成にプログラムの制限はあれどどれを生成するかの支配は及ばない(確率的な予測のみ)と言ってるので、最善手を打つプログラムとは条件が違う。
最善手を打てという選択の支配がなければ、選択肢は沢山あるのだろう。

問題は、何を選択するのかに、何かの支配が及ぶかどうかである。
925天才:2014/01/09(木) 13:41:06.92 0
>>920

他人に忠実であることは、不可能であるばかりか偽物の救世主である

>>自分の幸せや命。そこに幸福感を持つとなにもなくなるよ

小人閉居に閉じこもって悪事を為す

なんで豚の思想って似通ってるんだろう

死と孤独を死ぬ程嫌悪すると、同じ豚小屋に入れられるのか…
926天才:2014/01/09(木) 13:44:33.68 0
なんで社会の為に生まれて来た!とか胸はって言える人間がどんどん出て来るんだろう…

教育の過程でそう言えと洗脳されてんのか?

平和主義的ノイローゼ撒き散らす馬鹿が真っ先に戦争仕掛けそうだな…

人間に鎖はいらないだろwww
927天才:2014/01/09(木) 13:46:29.40 0
>>自分の幸せや命。そこに幸福感を持つとなにもなくなるよ

意味不明の名言ありがとうございます。
928考える名無しさん:2014/01/09(木) 13:57:55.87 0
>>922
その考えは危ないからやめなさい
>>923
よこからすまんが神の素粒子の話だよね
真空というなかで力と力をぶつけてようやく確認するLV
ということは生み出す力はあるのだけども
なんらかの手助けが必要なわけであって
存在を無理矢理に引き出してると過程するのであれば0だよ
光に反応して重さを与えてるのであればね
自分の頭の中での可能性として光りもなにもないところで
なんらかのエネルギーを出してる可能性も0とは言えない
ってのも可能性は0ではないけど計測のしようがおもいつかんよ
929考える名無しさん:2014/01/09(木) 14:08:15.75 0
>>927
意味わからんか?それはオナニーだってことだよ
自慰行為で満足してても子供はできないし
他人との関わり合いもないってことですよ
頭わるいな。他人との生活や関わり合いをとうして
新しい知識や体験や幸せというものがあるのよ
自慰行為してそれで満足してたらなにもおこらないつー話
哲学語るのちと早いね君は。経験=過程=答え
君は過程にすら辿り着いてないのですよ
噛み砕いたけど理解したか?
930天才:2014/01/09(木) 14:48:44.62 0
>>929

意味不明…

ゆとりだとそういうのも再確認しないと危ういのか?

人ととの生活なしにありえない とか熱弁されても…
931天才:2014/01/09(木) 14:49:55.27 0
他人の為に生きるってどういうこと?

お前の場合は依存してそうだけどwwwwww
932天才:2014/01/09(木) 14:50:36.72 0
どんだけ他力本願なんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
933天才:2014/01/09(木) 14:51:14.56 0
しまいには人は一人では生きられないとか言い出すからなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
934天才:2014/01/09(木) 14:55:49.58 0
豚の真理

・他者の為に生まれて来て、他者なしには幸福はありえない、これは胎児の準備段階からそうであり、出てきた瞬間、一番い心地のいい依存相手を
探す旅が始まり、なんでも世話してくれる人を元に、君に会うために生まれて来たとかいうろまんてラブをぶちかまし、
最終的に、人の為に生まれて来ましたとかいう演説かませば、大多数が感動するだろうと自己欺瞞満々な謎の感動ストーリー
935考える名無しさん:2014/01/09(木) 15:14:02.81 0
この流れにちょうどいい動画があるよ
この動画の内容には、最近のアスペブームとの共通点を感じる
ES(iPS)細胞と癌化についてのはなし
http://www.youtube.com/watch?v=IwDW_VZ6KjI
936天才:2014/01/09(木) 15:33:38.05 0
豚の真理

・他者なしではありえない
・生死も他者が決める 上司「死になさい、君」豚「はい、ありがとうございます!」
・足りないエゴイズム、そのせいで自分の最後のハンカチを極限であげる、もしくは奪う
・放射能管理していた大半はこのような豚、結果、他者の為どころか日本中に塩害を撒き散らす
・結果豚は謙虚であるばかりか、平和主義的ノイローゼで、自分の水道水だだ漏れなのに、ピースピースとつぶやく
・大多数に生きる豚は結果として、害悪どころか人類滅亡においこみながら、同調しない人間をアスペ認定していき、最後の一人まで依存する死ぬ程孤立を恐る
・だが、果たして孤立はそんなに怖いものだろうか?
937考える名無しさん:2014/01/09(木) 15:56:49.70 0
カラダ壊したときにわかるよ
938天才:2014/01/09(木) 16:17:21.04 0
yo カラダ壊せばわかる 他者は宝
その保険の為に 終身雇用ロックオン
手を取り合って生きて行こうよ
だが医者もグル 効かない癌治療 入院費は高えーが 元因は不明
ストレスもグル そもそもがわからない 何故俺は ここにロックオン 
されているのか 誰かtell me 街に繰り出そう 酒でも飲んで
一人じゃつまらない だがこの堂々めぐりの 先に 終わりわあるのか
俺は何を探してる? 最近疲れて来たな 何故俺は 何を探してる?
今この場所で くつろぐんだ 安心しろ 完全な安らぎがバイタリティを
生むんだ 探すものなどない 今 ここで くつろげるんだ
平常 そのままでいいんだ それは怖いことか いいや怖くない
何もしなくていい 何もできなくなる そんなわけはない
その安らぎがバイタリティを生んでくれる
939考える名無しさん:2014/01/09(木) 16:22:11.70 0
バイク板のやつらのほうがまだましだな
ちょーしこいてると必ずケガするし、他者の痛みも知っているしな
940考える名無しさん:2014/01/09(木) 16:29:40.84 0
逆 他者性が少ない奴が他者を語るの
941考える名無しさん:2014/01/09(木) 16:37:59.90 0
それ恒真?
942考える名無しさん:2014/01/09(木) 16:46:25.76 0
誠実さや恥の概念なんて持っていないとは言わせないよ
943天才:2014/01/09(木) 16:52:11.72 0
>>939みたいな奴って他者論語りだすわりに強迫的だよな

しかもその恐怖の出処が社会という抽象的なもんだから

怪我するだの、他者の痛み?だの意味不明のやさしさ?みたいので反論してくるが

その日本昔話的怨念はもはや、他者論といううより他者の呪いには気をつけろ的な何かそういうの背後に感じる

もはやモラルというより、怨念みたいな
944天才:2014/01/09(木) 16:55:49.92 0
誠実さや恥の概念なんて持っていないとは言わせないよ

TPP始まったらこのロゴのTシャツみんなで着ようよ!
945考える名無しさん:2014/01/09(木) 17:05:10.33 0
>>943
あなたの過去レス自分で読み返してみたらいい
強迫的で怨念的な内容が多くないか?
946天才:2014/01/09(木) 17:24:27.90 0
近代自我の確立を前に、母性病理日本社会の味噌汁の荒波に飲まれそうな自己の最後の砦の抵抗の言葉

【誠実さや恥の概念なんて持っていないとは言わせないよ 】
947天才:2014/01/09(木) 17:26:17.40 0
さよならから始まることが沢山あるんでちゅよ〜〜〜〜
948考える名無しさん:2014/01/09(木) 17:33:23.89 0
ある器官にされてしまうiPS細胞への同情には、同意しとくよ
949哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/09(木) 17:47:44.14 O
ようするに
名無し君の主張は、人の根本は社会性である
社会性なくしては人として成り立たない
幸福も他人との関係性の中にしか有り得ない
とし
天才君の主張は
社会性は二次的なものであり
社会性のみに価値観を依存しきって
その他の個人の多様な価値観を認めないのは
視野の狭い人間の考えだ

という事だろ
950天才:2014/01/09(木) 18:01:39.20 0
そう名無し君ぐらいならまだいいが、60歳ぐらいの大の大人が、他人が独我論を突破する為の唯一の出口だった

とか言い始めるからクソなんだよな
951天才:2014/01/09(木) 18:03:22.08 0
他者との触れ合いは大事だが、他者で正気を保とうとか、わけわからんだろ
952哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/09(木) 18:03:38.83 O
天才君の主張として

社会の単位は、個人であり
その集合体であり
個人個人が社会に依存する前に
もっと成熟し独立した哲学を持つべきだ
とも主張している気がする

良く言えばだが(笑
953天才:2014/01/09(木) 18:07:47.10 0
間違いない

デタラメに依存するとは、自分の頭から言語が出て来ないだろ

毎回同じ所から来る →「お母さんが言っていたのでこうしよう。」
954天才:2014/01/09(木) 18:16:25.59 0
そうそして独立した哲学を持つということは、そのエネルギーの源泉が自
分にあるので、外部に求める必要がなくなる これは快感であり、充実だ

女性はそういう意味で卵巣があるので、元からそういうものが備わっている
だが男性はそうはいかない 冷めた知性が必要なのだ 
955哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/09(木) 18:16:31.73 O
独我論なんてのは、普通は「抜け出す」なんていう感覚はないだろ(笑
「可能性はゼロではない」てだけで
普通は誰も実感しないわけでさ
単に「否定できる理屈はないけど」てだけでね

ただ、これをちゃんと知ってるか知らないかは
哲学的な議論をする上での、重要な項目ではあるが
956天才:2014/01/09(木) 18:24:30.76 0
独我論を抜け出すというか、自他の境界線が限りなく薄くなれば、相手が喋らされている人形状態
に陥るトリップはある

だがそこは問題ではない

問題は自分の中に哲学を持つということは、宇宙と一体になるのに目覚めるということだ
すなわち、そこに最初、自覚的な独我論のような一種の統合失調状態が生じるわけだが、同時に
それは快感であり、自我との戦いのオープニングであると同時に、政治、社会、経済という物質の
終焉でもある それが自己の哲学を作るということであり、エビバリがワナビーなわけだ
957考える名無しさん:2014/01/09(木) 18:28:35.31 O
もし、独我論から抜け出せない人がいるなら
駅前で全裸ラジオ体操が出来るか聞いてみたいもんだ(笑

何も一切感じないだろうから
958天才:2014/01/09(木) 18:30:07.24 0
そういった宇宙的オルガズムをエクスタシーを与えたまえ

そうすれば、他人がいるから幸せだ、みたいな真逆に走っていったりはしない
959考える名無しさん:2014/01/09(木) 18:30:23.88 0
>>903
「認識された“世界”の外部」に思いを巡らすのは、この“超越論的主観”において。
また「身体は認識に先立つ」という見解も、超越論的考察による。と前スレの>>538で述べている。

時間・空間を基底として、事象が“有る”と認識するのは、“意識”であり、意識そのものを“主観”として捉えており、
この主観を、デカルト的な「超越論的主観」と解釈している。
従って、、超越論的な“主観”として捉えられている世界が“有”として定義した場合に、ゲ−ム氏と同じ様に超越論的主観の
“外部”の『領野』を客観的存在(=無)と解釈している。
960哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/09(木) 18:33:11.52 O
>>956
だがキミの欠点は
自らの感覚的なポエムを
一方的に垂れ流す事だな
961天才:2014/01/09(木) 18:34:41.60 0
彼女がいるから幸せだとかいう自己保存日記にはなりはしない

それいいならいいが、よくないから他人の為に生きるのが筋じゃね?みたいな謎の疑問形
ぶちまけてくんだろ
962考える名無しさん:2014/01/09(木) 18:37:30.10 0
でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ?
963馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 18:56:32.26 0
>>835
それが看板があったときとなかったときどちらも同じかという事を言っているのである。

例えば君の人生はどうだろう?同じ人生でも良い出会いがあった場合と
無かった場合は、全く同じ人生を選択し歩めただろうか?
964馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 19:02:01.95 0
脳は情報処理機関だ。それ以上、それ以下でもない。
脳に体内、体外からの様々な情報が入ることによって機能する。

逆に考えれば脳も動かされている事になる。

脳があらかじめ組まれた情報処理のためのプログラムであるならば
データーを投入する存在であるものこそが脳を利用している事になる。

う〜む
965哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2014/01/09(木) 19:59:23.51 O
>>964
情報処理してるとしても
なぜ「主観性」なんてものがあるのか不明なんだよ
だから
短絡的に結論するわけにはいかない
966天才:2014/01/09(木) 20:05:53.20 0
>>962
でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ?

こういう奴って大抵自分で自分のこと死ぬ程知りたい場合が多いい

やはり乳幼児が母親の母乳からいつまでも抜け出せない場合に類似する

【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】

こんな反論は四六時中、母乳のこと考えてなきゃ思いつかんわ
967天才:2014/01/09(木) 20:07:42.84 0
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ?】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ?】
968考える名無しさん:2014/01/09(木) 20:09:32.30 0
そんなに傷つけるつもりはなかったのよ
969天才:2014/01/09(木) 20:09:37.93 0
こんな反論は四六時中、母乳のこと考えてなきゃ思いつかんわ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

彼女のおっぱいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

「今日ね、僕哲学版でいじめられたんだ」「いいこいいこして」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
970天才:2014/01/09(木) 20:10:34.48 0
こんな反論は四六時中、母乳のこと考えてなきゃ思いつかんわ 【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ?】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ? 】
【でもあいつのことが死ぬほど好きなんだろ?】
971考える名無しさん:2014/01/09(木) 20:13:35.39 0
彼女は幸せにしてるから大丈夫
972じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/09(木) 20:39:34.10 0
>>899 :798:2014/01/09(木) 08:07:11.42 0
>”今くだした結論は、遺伝子はともかく私はどのような影響を受け下した結論なんだろう”
とか考えませんか?

それは自由意思として出した結論をしばらくして反省すると言った場合で別の思考でしょう。

>実際は私たちが感じている意識は既に無意識によって出された結論を受け取るということをしている。

そんなバカな もしそうなら何で自由意思を@Aに分類するの??
全部Aだと貴方は言っている。
じいさんが言いたいのは自由意思の段階で@Aの区別をつけると話がややこしくなる。
一旦幻想としての自由意思感を認めて其の後にその意思は何処から来たのか?をゆっくり検証すれば良いでしょう・・・と言っている。

>源は感情であっても、皆が困らないように社会で作られたルールですよね。

其の通りルール、取り決め、契約です。
従って他のレスでも見受けられるが、法律などの責任問題に自由意思の問題を絡めるのは間違い。

>>902 :考える名無しさん:2014/01/09(木) 09:30:37.90 0

>仏教=哲学だからね

哲学と言うのは此処にたむろしてる人のほうが断然詳しいが「西洋哲学」、是しかない。
東洋の仏教、儒教は宗教であり、言うとすれば東洋思想である。
但し(西洋)哲学の立場から仏教を「学」として取り上げれば「仏教哲学」と言うジャンルになり大学に講座が開ける。
しかし「仏教哲学」なる代物は断じて「仏教」とはかけ離れているのをお忘れなく。
973馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 20:52:45.00 0
コンピュターに自爆命令があったとする。
人間なら自殺だ。外部から、自爆命令を起動すれば
主体性のない機械であるコンピュターは躊躇なく自爆するだろう。

一方、主体性のある人は自爆をためらうだろう。
うつ病の如く、病気でもなければ。
974馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 20:55:22.31 0
我々は関数でもある

入力は数値は外部と内部の2つ。体外と体内だ。
体内は主体的、体外は客観的数値を我々と言う関数に入力し
演算させる

う〜む
975じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/09(木) 21:05:31.71 0
>>929 :考える名無しさん:2014/01/09(木) 14:08:15.75 0
>自慰行為してそれで満足してたらなにもおこらないつー話

ふふふ・・・

>他人との生活や関わり合いをとうして 新しい知識や体験や幸せというものがあるのよ

その時の「幸せ」が最大の自慰(自己満)なんじゃあないの?


>>963 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 18:56:32.26 0
>無かった場合は、全く同じ人生を選択し歩めただろうか?

何を言いたいのか判りません。
看板でコロッと変わる・・・当然です、当たり前のことを言っている。

>>964 :馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 19:02:01.95 0
>脳があらかじめ組まれた情報処理のためのプログラムであるならば

誰が?プログラムしたの??
976あまの:2014/01/09(木) 21:30:36.08 P
脳は演算装置ではないな。
これは比喩というより矮小化だね。
現象をプラモデルにして「一体誰がこのモデルを設計したんだ!!」って
自分で自分の首を絞めているように見える。
コテにふさわしいドタバタ劇ですね。
977天才:2014/01/09(木) 22:11:30.10 0
人間が事実を見るためには、眼が必要であるという程度のモノとして脳が存在している

もっとも眼も耳も鼻も仮説にすぎないというなら、脳も無論仮説である。

そうなれば人間の認識、知覚するあらゆるものは仮象ということになる

真実の立場から言えば、あらゆるものが仮象なのである

ただし、あなたがあらゆるものが仮象であることを体現するには仮象である場合に限られる

すべては仮象であると。そして仮象はそのまま実像であると。

つまり、説明できぬものを、説明してはならぬものを説明できるというわけだ

余りにもも人間的なものというわけだ。

人間は余りにも人間的すぎるのだ。
978考える名無しさん:2014/01/09(木) 22:13:25.93 0
無理すんな
979天才2:2014/01/09(木) 22:50:21.51 0
新陳代謝を怠れば、老廃物の蓄積で苦しむことになる。
現在は科学がその蓄積を早めているだろう。
 間違いなく。
980天才2:2014/01/09(木) 22:54:08.26 0
俺は現代科学のあり方に大反対でね。
まるで麻酔みたいじゃないか。
あほらしい。
死ぬのが怖いなら、生まれなければよい。

生かすのが辛いなら本当ならば殺せばいいのだ。
生き地獄ほど残酷なものはない。
981天才:2014/01/09(木) 22:54:28.53 0
>>971

金は稼げない、母乳は抜け出せない、頭悪い

の三拍子はマズイだろ
982天才2:2014/01/09(木) 22:57:30.48 0
そう。
一切は仮象だ。
本物などこの世にはどこにもない。
偽ものないがなw
983天才2:2014/01/09(木) 23:00:26.99 0
俺に見える虚構を全部破壊したら、
多分この地球の98%の人間は死ぬだろう。
ポンコツが肯定するのは
常に「多数」の”事実”とやらだ。
くだらねえな。ったく。
984天才:2014/01/09(木) 23:08:10.46 0
我々が関数のワケねーだろ
頭おかしいんじゃやねーの?
985きむよな:2014/01/09(木) 23:35:46.62 0
>>895の自由意思についての考察の続きはスレの勢い的に
次スレに持ち越します
986天才2:2014/01/09(木) 23:39:57.58 0
自由意思っちゅーのは単に、
人間が俗に言う動物でないが、結局動物と変わらない
ことに反駁する為に神が与えた罰だよ。
987天才2:2014/01/09(木) 23:41:59.43 0
俺らは自由だけど、不自由だろ?
神に逆らうからだよ。たぶん。
神?
そんなもの実体としておらんがね。
でも神に忠実な動物みてりゃ、
俺らの自由意思なんぞ所詮、幻想だ。
988天才2:2014/01/09(木) 23:44:22.07 0
俺も所詮得体の知れない衝動の奴隷。
これだけで不自由だ。
それでいい。
989馬鹿の壁 ◆GS40HbbwOo :2014/01/09(木) 23:47:33.74 0
危機を乗り越える生の哲学
https://www.youtube.com/watch?v=n_bVDchpqr4
う〜む
990考える名無しさん:2014/01/10(金) 00:30:04.77 0
自由意思っちゅーのは、自分の行為の結果を予め把握した上で、それでもその行為を行うか行わないかを決定することができる能力のことだよ。
能力はみんな持ってるけど、誰でも、いつでも、自由意思を行使出来るわけではない。
怠惰な人間は惰性にまみれてるから自由意思を行使することは滅多にないだろう。
だから人間を語る上で重要な能力なんだよ。
991「奇怪的怪物論」者:2014/01/10(金) 01:35:51.99 0
 
 
 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
992じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/10(金) 01:51:42.08 0
>>990 :考える名無しさん:2014/01/10(金) 00:30:04.77 0
>誰でも、いつでも、自由意思を行使出来るわけではない。

違う、誰でもいつでも行使できる。
例は思考、何を考えるかは自由意思である。
死刑執行に望む囚人が「怖いな〜」と思うのも「嬉しいな〜」と思うのも自由である。
993考える名無しさん:2014/01/10(金) 01:52:01.22 0
死刑執行
994考える名無しさん:2014/01/10(金) 02:16:10.61 0
死すべし
995じいさん ◆6rgGIYz09M :2014/01/10(金) 03:03:45.19 0
994 :考える名無しさん:2014/01/10(金)

了解
 「眠いな〜」と答えよう
996ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/10(金) 09:35:11.08 0
>>992
いや、そこに“自由”はない、と思う。
感覚、たとえば「苦い」と感じているのを「甘い」と感じることはできない。
苦いものを食した、瞬時の感情(たとえば不快感)も恣意的に操作することは不可能。
感覚→咄嗟の感情は強いられたもので、意のままにはならない。

「はからずも苦いものを口にし、いやな思いを抱いた」一連の事態を、どう意味づけるか。
そのためには事態から離れ、対象化(じいさんの忌避する言い回しをすれば超越)しなければならぬ。
超越のしかた(視点)によって事態の“意味”は変わってくる。

「視点」はひとそれぞれであり一見、ここに自発性に類するものがあるかのごとくだが、しかし自由に
好みの視点に立てるわけではない。こうみると感覚→感情→超越→意味づけのプロセスに“自由”の入る
余地はなさそうである。

死刑を前に、どういう思い(感情)を抱くかは自由にならない(選択できない)。
事態を、どう受容(意味づけ)するか。それも自由ではないが(他人との)差異があるのだろう。
997ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/10(金) 10:05:15.80 0
>>924
将棋コンピュータに「好きな手を選んでよし」とプログラムできない。

それには「好きなときに悪手を指す(意図的に負ける)」自由もない。

なによりも、突如として将棋がイヤになり、棋戦中に「やめます」と席を立つ(意思表示する)ことは不可能。

開発者よりも圧倒的に将棋は強いけれども、依然としてコンピュータは性能のいい奴隷。(支配されている)
998ゲーム ◆QR17L6cFM.4i :2014/01/10(金) 10:45:37.31 0
>>959
そこは紆余曲折しつつw語らねばならないので、次スレにて機会があれば…

“超越論的主観”は、いわば方法的独我論。
単純な独我論との差異は、こちらには文字どおりの主観しかなく、その外部(客観)は無。

それに対して、超越論的主観(方法的…)は対象を“意識”に取りこみ、そこにおいて語りはするけれども、
その外部(客観)を不在(無)とみなしているわけではなく、そのような方法でしか言述しえないからである。
素朴実在論、素朴客観主義とは異なる、超越論的主観⇒超越論的客観を探る一つの方法でしょう?
999【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2014/01/10(金) 11:51:36.58 P
>>997
確かに、ランダム生成する自由はあれど、ランダム生成しない選択を選ぶことは出来ない。
コンピュータでは喩えが悪かったかww

ところで、文化によって、ある状況における対応に差異が有ることは看過出来ない問題であろう。
キリスト教徒は、困難な状況では神に祈る。
或いは、口癖の様にオーマイガッと叫ぶww
その様な文化を一切知らない人が、同じ行動を選択することはあり得ない。
選択とは、あくまで習慣・習性による。
習慣・習性を変えれば、選択は変わるはずである
1000考える名無しさん:2014/01/10(金) 12:44:40.00 0
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