柄谷行人を解体する48

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716考える名無しさん
 ドゥルーズの話が702で出てたけども。D=Gのいう<変化>の特徴は、そこで
<必然>との脈絡がない。<アレンジメント>というのがそうかと思われる
んだけど、それで言ってしまうと、いかなる<アレンジメント>かでいかなる
<変化>も可能になる。D-G自身、「個人的な言表などない」と『千のプラトー』
での重要命題としてあげている。個人的にみえるすべては<アレンジメント>
による。これはしかし思想でいう変節の無限の肯定になる。

 だから左翼や左翼がかった人間がD=Gを顕揚するときは要注意であり、何故
なら組織や機会による言動の容易な変節を肯定することになる。あるいは言動
の脈絡や必然への軽視を生むことになる。別の云い方をすれば内的倫理の無
化という意味での政治を普遍化するのと同じになる。これが柄谷や浅田たちの
底辺にある‘重要な思想’(彼らの言動からはそう読める)なのだから、彼ら
の言説へ最初から警戒すべきなのは当然なことだといえる。