952 :
833:2013/11/24(日) 20:51:11.58 0
>>950 さあな
理論を宇宙に押し付けるにも節度が寛容じゃないだろうかな
_、_
( ,_ノ` )
>>951 そういう言い方は 駄目なんだよ …
ζ それでは トートロジーに なってしまうからね …
[ ̄]'E
954 :
833:2013/11/24(日) 20:57:31.77 0
>>953 んー
どのようにトートロジーなのか分からんので
説明よろ
世界が 1次元なら 0次元しか認識しないと思うよ
956 :
時間の神:2013/11/24(日) 21:02:55.84 i
世の中変化はしていませんよ。
_、_
( ,_ノ` )
>>954 感覚を説明するのに 時間をもってくる …
ζ それから時間感覚ということばを 持ってきて 時間が感覚ではないと 説明しても …
[ ̄]'E 最初の論理に 時間が感覚に依存すると 言ってしまっている これはトートロジーだよ …
変化してないのは自分でしょw
目の前に一億年が在るなんてのは誰も信じないだろう。
過去と現在と未来が同居しているなんてことはない。
鎌倉、現代、二十二世紀が存在しているなんてことは無い。
これはどんなに小さく区切っても同じこと。
ナノ一秒には無限が詰まっているから、無限の私があることになるのだろうか。
運動変化しているのだから、それぞれ違うわたしということになる。
違うものは同一ではないという当たり前のこと。
仮に時間があるとしたらそのようなことに成る。
ゼロ次元が在るというのはそういうことだ。
明日の朝早いので寝る。
>>949 ゼロ次元が次元で無いと発言した方かな?
かなり理系の知識は危ういな。
時間とか存在とか片付けてしまうと、あとは意識関連しかないんだよね
だいたい皆ベーシックなブッダスタイルで涅槃入りするから、そこから先は情報がない、"情報という形では"情報がないんだよね。一人旅。
なんでもかんでも混ぜりゃ終わり、最強にして最高の解決なんだけど、たまに考えてしまうんだわ。
この世に意識って一つしかないんじゃねえの?って。そんな、ありふれた自分一人とあと機械、じゃないぜ
明日お前が死んだとするだろ?お前、俺になってるぜ。
世界中の生命の、世界中の全ての命、お前一人で順番にずっーーーーっとやってんだよ。
って言われたらどうする?
この議論は早く抜けた方が無難
暇な人はどんどんハマるといい
963 :
833:2013/11/24(日) 21:19:08.64 0
>>957 時間が感覚に依存する、と言っているのは貴方であって、私ではない
私は、感覚が時間に依存する、と言っているのだ
「時間感覚」と言ったのはな
貴方が
>>948で「時間の感覚」と言った言葉に対応するものだ
つまりな
貴方の言うような「時間の感覚」というのは、五感のように時間を感じているのではなく
理性が感覚のありようを分析して論理的に時間の存在を理解する状態を言うのだ
_、_
( ,_ノ` )
>>963 単語を入れ違えても トートロジーであることには 変わらないよ …
ζ 君が最後二行で説明していることの エビデンスを 示してほしいのだけれども …
[ ̄]'E 当然ながら 根拠があって 「〜状態を言うのだ」と述べているのでしょうから …
965 :
833:2013/11/24(日) 21:34:39.80 0
>>964 わたしが「時間が感覚に依存する」とは言っていない、そのことは
了解してもらえらのかな
それで尚、トートロジーであることは変わらないのか?
よく分からんので、わるいけど説明やりなおしてもらえるかな
最後の二行のエビデンスか?
それはな、どこからいくか
まず、「貴方の言う「時間の感覚」というのは、純粋な感覚なのかな?
つまり、赤を赤と感じるように、問答無用に時間を時間と感じている
そのようなものなのか?
それを訊いてから、私もくっちゃべりましょう
揚げ足取りw
>>888 あなたは、主観も客観をごちゃまぜにしてるだけだわ。
リンゴの味は、リンゴを食べた時に生じる、が、真であれば、リンゴは食べられるまで、味が存在しなかった、ってことになるの?
主観の味の話になるのであれば、他人が食べて感じる味があなたと同じかどうかすら、保証されないわけだよね?
でも、客観的にはリンゴの味覚に関わる成分が所与のものとしてあり、その成分によって、誰でも同じような味を感じるわけだ。
で、その成分は誰れもリンゴを食べてない時からあったものになるよね。
だから、誰が食べてなくても、リンゴには味があると言える。
ちなみに、時間の客観と主観については以下で語っています。
>>675 >「独我論」と「今」は切っても切り離せない関係にある。
>純粋持続という、客観的にある時間とは別に、観察者としての主観的な時間がある。
>
>過去、現在、未来も同様に、客観的と主観的に分かれる。
_、_
( ,_ノ` )
>>956 君の応答により 君の説明が トートロジーであることが 確定する …
ζ 尚、「時間感覚」というのは 国語辞典や百科事典に出ているレベルの 一般用語です …
[ ̄]'E 日常用語にもほぼ近いと いえるものですね …
969 :
833:2013/11/24(日) 21:53:01.86 0
>>968 何度も言うが
わたしが「時間が感覚に依存する」とは言っていない、そのことは
了解してもらえらのかな ?それぐらいは答えてくれてもいいように思うがな
あとな
ここは国語事典に責任を被せるのじゃなくて
貴方と私との間で思いを重ねよう、とするときだろ
私は貴方に定義の説明を押し付けてなどいない
貴方が自らに成立するその「時間の概念」を内省するなら
それは時間を時間と直接に感じるような、そのようなものなのか
と確認を促しているのだ
やりたくないのなら、別にかまわんよ
わたしは勝手にくっちゃべるだけでな
つーか
それ言ったの俺だよw
971 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 22:15:15.22 0
そんなことして何になるの/
暇が潰せるのさー
_、_
( ,_ノ` ) 大変失礼
>>969 だね m(_ _)m …
ζ
[ ̄]'E
975 :
833:2013/11/24(日) 22:32:04.16 0
記憶と過去、持続と想起
時間の理解の仕方は多様であって、一筋縄ではいかない
時間の経過を感じるってのは通常、どんな感じなんだろうか
「一分ほど経った」というのは、一分前のことを思い出して
その遠景から類推しているのだろうか
自分自身を鑑みるに、少し違う
何かしら蓄積されるものがあって、それを走査し、
そこから類推している
まあ、大差ないかもしれない
持続というのはベルクソンが言い出したことらしく、
わたしはその詳しい内容を知らないのだが、しかし
結局それは意識の連続性に解消されてしまうように思える
それに詳しい人、どうですか?
問題は、記憶と過去の関係なのだが
過去は記憶から作られる、とまことしやかに言われたりもするが
わたしはそれについては、全く間違っていると思う
記憶というのが、どこにあるかと言えば、いつも「いまここにある」のであって
それは過去の存在を保証するものでは全くない
記憶というのは、それを使って合理的な物語を作ることができる
その素材でしかない。
そこから、特定の記憶が過去の記憶であること、それが理解される必要があって
それは記憶だけからは不可能なことである
時間と過去の関係が記憶とは別に成立し、理解され、そうすることで初めて
辻褄の合う物語としての自らの履歴がとりあえず構成される
だから、履歴は客観的な資料によって、任意に修正される。
それが最高に有効であることは事実として裏切られることはなく、
論理というものは、どういうわけか、いつも客観性の味方である
感覚は認識主体に依存するものでしょ。
「感覚が生じなければ何もない」は明らかな偽だね。
「感覚が生じなければ何も感じない」なら分かるけど。
味覚があっても、それを感じる成分が存在しなければ、それこそ、味は存在しない。
味を生じさせる成分があって、味覚が存在しなくても、その成分は存在する。
時間感覚なんて、時間がある上で始めて生じる感覚。
認識主体がいなくなっても、世界の生成の運動は終わらない。
_、_
( ,_ノ` )
>>975 「連続性」ということならば C・S・パースの「連続性の哲学」がそのままだね …
ζ
[ ̄]'E
978 :
833:2013/11/24(日) 22:42:39.91 0
>>973 んー
なにがトートロジーなのかはさっぱりだが
循環論法だと言いたいのかな・・
循環論法にするつもりはなくてさ
その「時間感覚」というのは時間そのものを感じているわけではないだろう、と
何度も貴方に確認しているのだ
感覚が時間的である、と説明して、「時間感覚」などと、時間を感覚として
言及するのはおかしい、と貴方は言いたいのかもしれない
わたしは、時間感覚というのは、時間そのものの感覚ではなく、
時間というものが論理的に理解される、そのことが「時間感覚」なのではないのか
と言いたいのだ
時間を感覚に解消しようなどとしているわけではない
分かって貰えますかね?
979 :
833:2013/11/24(日) 22:45:38.72 0
「連続性の哲学」な
本棚には積んであるのだが
当分は読まんなw
_、_
( ,_ノ` )
>>978 「>感覚というものが、そもそも時間に依存する存在だな」
ζ 君はなぜ上記の時点で そういう説明が出来るのかな?
[ ̄]'E 「時間とは何か?」なのに 君はもう上の時点で「感覚が時間的である」という奇妙な説明をしている
時間について説明していないのに「時間的」というのはどういうことだろう 「論点先取り」ということにもなる
言っている意味がまだ理解できないかな?
>>980 なぜだか教えてあげる。
一切の感覚は外部からの刺激の内部の反応のこと。
だから、外部に原因がある。
だから、刺激に反応する個体が消滅しても、外部に存在するものには影響を及ぼさない。
_、_
( ,_ノ` )
>>979 ジョン・マクダウェルや郡司ペギオ、入不二の著作は読んだ?
ζ
[ ̄]'E
983 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 23:02:11.23 0
入
不
二
これ、本当に日本人の名字なの?人様のことを舐めてる字なんだけど。
984 :
833:2013/11/24(日) 23:04:22.96 0
>>980 トートロジーではなく、論点先取りですか
そうね
論証を求められるのなら、このままでは論点先取ということになるのだが
これは直観というか、詳しく見れば論理的な判断だ
感覚が時間ゼロではあり得ない
なぜなら、意識が連続する感覚によるものだとするなら(これも論点先取か)
特定の感覚の時間幅がゼロであるなら、人間が時間経過に沿って存在することなど
不可能だからだ
ゼロは倍にしても、100倍にしても、ゼロだからな
もし貴方が、それを可能だと言うなら、教えてもらいたい
_、_
( ,_ノ` )
>>983 なんか由緒正しい家柄らしいよ …
ζ
[ ̄]'E
986 :
833:2013/11/24(日) 23:06:26.63 0
入不二の「時間は実在するか」ってのは
たまにちら読みするな
読んだ本自慢でもしたいのか
_、_
( ,_ノ` )
>>984 君ほどちゃんと知識もある人が トートロジーやら 論点先取りをやらかすとは …
ζ 少々信じ難いのだが …
[ ̄]'E 論証は重要だから 論点先取りは 禁止しよう その方が有意義だと思うよ…
こちらは別にケチをつけようとかそんな魂胆は全く無いし …
ただ君が読んでいないものについてはこちらも説明のしようがないからね
パースしかり パースの連続性を出したかったんだが 出せないし …
988 :
833:2013/11/24(日) 23:22:19.73 0
>>987 読まなければ出せない、と言ったのでは
ぜんぜん話にならない
私はそれほど飛躍するようなことは言ってないぜ
自分の思考経緯を語ってるわけよ
結構、親切に説明してるだろ
それについて問われれば答えるし
貴方も我々に分かるように、興味を惹かれるように語ればいい
私が面白いと思える話を貴方からは未だ一つも伺ってませんので
2chだぞ、ここは
能書きたれる前に踊れよ
_、_
( ,_ノ` )
>>988 読んでいない人に読んでいないものを例には出せないよ …
ζ それはなぜ?どういう意味?を連呼されるだけ そういうのは益がない …
[ ̄]'E つきあってくれる人とやれば どうですか?
それに「連続性の哲学」を持っているならば読んでほしいね
一般向けの講演録だからパースにしては非常に読み易い …
悪いけれども散開して 寝る前の読書でもするよ すまんね …
990 :
時間の神:2013/11/24(日) 23:37:51.51 i
時間というイデオロギーがどこに存在するのか、その存在性をどの位置づけにするのかが重要なのです。
991 :
833:2013/11/24(日) 23:46:20.48 0
人間が考えたことであって、それを理解したのなら
その理解を武器に、ある程度分かるように語れるだろう
理解するとはどういうことだ?
なんのために論理がある
哲学書ってのは教典か何かなのか
それとも読書感想ごっこでもしたいのかな
パイドンに「この書物を理解するためには○○を参照すること」とは
書いてなかった
おっと、俺も権威にすがってしまった
喧嘩ふっかけといて、喧嘩したいなら他でやれとか
えらいボケかましてくれるわい
992 :
螺 旋 :2013/11/24(日) 23:47:04.30 0
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
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abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
本気で敗北を認めた時
人は何かになれるだろう
誰に負けるって、自分に負けた時ね
勝とうとしてるうちは
今の苦しみから決して逃れられない
おやすみ
よく眠れよ
994 :
3時で1時:2013/11/25(月) 00:08:04.93 0
持続しない感覚や感情というものはない。
持続しない物体も、生き物も、物質も見いだせない。
現象も、状態も、状況も、行動も持続しないということはありえない。
出来事も、役職も、作業も、制度も、構想も、そして、価値や意味も・・・
持続は何かの持続なのであって、存在物でも観念物でもない。
何かを生じさせたりする力でもないし、何かを失わせない力でもない。
「在る・有る」ということを表しているだけであり、世界に先立つものではない。
持続を見いだしていなければ、
いかなる心的・物理的・社会的状態も見出していないというだけのことである。
「持続=時間」と言い換えたところで、時間は「世界を支える力」にはならない。
「時間というものがなかったら・・」などという仮定の話は成立しえないのである。
995 :
考える名無しさん:2013/11/25(月) 00:22:28.95 0
戦わずして負けること
その因
我が内にあり
労せずして勝つこともまたなし
技を磨き
心穏やかにしずめ
己の気を鋭することこそ
勝負の理なり
-宮本武蔵-
論点が定まってないみたい。
持続は存在物でも観念物でもあるね。
誰かさんが言ってるとおり、時間は観察者が作り出したものでもある。
また、同時に、外部に所与のものとして先行して存在しているものでもある。
主観と客観。
純粋持続はその対立を「溶かす」。
直感によって、観察対象それ自体を内的に体験する。それが純粋持続。
その概念から分かることは、外と内は小さな窓で繋がっている、ということ。
私たちの内は外界と同じもので出来ている。
だから、観察者が存在しなくても、観察者が観察したそれ、と同じものは、存在し続ける。
武蔵の言うことは分かるよ
でも勝ち負けはどうでもいいんだ
本当に学びたいと心の底から思うときってどういう時なんだろうね
>>996の補足
>直感によって、観察対象それ自体を内的に体験する。それが純粋持続。
観察対象が溶けて、観察しているもの、そのものになる、という意味ね。
観察者の中にあって、外界に存在「しない」ものは「ない」。
時間も観察者の中にあるなら、外界の中にもある。
1001 :
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