時間とは、人間の我意識が作った、妄想である
ミシミシいる?
ミシミシうんこ食べる?
あげよっか?
イ "" ⌒ ヾ ヾ
/ ( -=・=- i、 -=・=-ヽ)ヽ
( / ー-' ヽ. ヾ )
/⌒.\. ヽ: il´トェェェイli. / /⌒\ ぴゃっ?
/ ノつ\.ヽ!l |,r-r-|! //⊂ \
o0○ノ / 3 \ (::::⌒ヽ:::)/ とノ\ ヽ○0o
( /、_ノ\ Y `(_、_) / \´ )゚
\_) `ヽ : : : * : : : | (_ノ
人___ノ、___ノ
5 :
考える名無しさん:2013/09/28(土) 10:09:24.79 0
__, - 、
. /, ─── 、)
// / ヽi
|_| ┃ ┃ |
( ⊂⊃ ヽ
>、 \__ノ ノ < これが哲学神ミシミツの実力じゃよ?
/´⌒´ヽ─── ´^ヽ⌒ヽ
/ ィ , ヽ , )` `ヽ
/ ノ^ ー '` ー 'ヽ ゙i
ノ ,,,ノ Y´゙ )
( < | ⌒ ! /
ヽ_ \ ノ_/
ヽ、__ ヽ.ー ,,,@,,, ノ ソ、 _, -、_ ,- 、
〈J .〉 ヾ、.::;;;;;;::.ノ |ヽ-´ / /: : : V: : :ヽ
/"" ;ミシミッ | /\ | : : : : lj : : :|
レ イミ.i i.ミ リ | i ヽ:_:ノヽ:_:ノ
,ゝ ,ノ `ー∪' ヽ ノ . j | !
/ ` レリ i´ リ | | __ ノ
i / `、 i j ヽ、 / ̄  ̄\
〉 イ 〉 | / ヽ
/ ::| (_ヽ \、 _/ -@
(。mnノ `ヽ、_nm( __ ) ´\ 丿
(_(⌒ヽ(⌒ヽ
偉大なるミシミツw
7 :
考える名無しさん:2013/09/29(日) 07:39:51.14 0
偉大だ
あまりにも偉大だ
8 :
考える名無しさん:2013/09/30(月) 05:49:53.88 0
____
_,,..,,,,_/、.,、,、_∵∴\_ _ /i
./ ,' 3|. ≼◎≽.:', : .≼◎≽`゙:.:゙:,'.´i
l ⊃:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙ ̄  ̄
`'ー--‐''゙ ∴∵∴∵∴|
|::::/ ◎\: .|
|:: | ト‐=‐ァ' |:| やっとるようじゃな?
,-――、_ ノ ,,,@,,, ノ、 _,r―-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ミシミッ ノ /
\ ヽ、 ヽ( i i )ノ ,ノ /
\ l`ー-―' `∪´`ー-―' /
ゝ;;;;;;;|:::: (=) ,(=) |シ
从从/: \ 、_! / ノ
从从 i 'ー三-' i l
ノ从ヽ._!___!_/
/ ___ ゙ ,:-'´ 丶
/´ ヽ` ̄ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
9 :
考える名無しさん:2013/10/01(火) 15:14:20.57 0
層醴醴醴醴醴醴醴嬲夢體醴靦gggji!;'..、..'` .. .(巳|jc'}i,.
、 j醴醴醴醴醴醴鬱゚゚^ 、 ゙゚゚『醴醴齟ggpu. ` '}II}カ^`|I
>>1 、|[醴醴醴醴醴鬱′ . ゙゚憫醴醴豐s,,. 、 I';゙..、}], その質問に答える前に
.:][醴醴醴醴鬱’ . ゙゚『嬲靈齔.,__、,,,,゜ ._〈[ お杜区椀していただきたく存じます
爼醴醴醴醴‡ . ‘『層醴醴匝 )llig$ .
爼醴門醴鬱` . _y444egj,... 、,,,ggg,,,_'『攜醴齔j,.,..']][l .
、{[醴jカ.層¶' . `~ヲ 、 !f~゚^``゙゚゚シ.. ‘層醴麈躍「 .
. ‘醴齔ll]][|、 _d-=・=-$ . -=・=-, 淺栩鬱¶’
層鬮.゚'';,}',. . ゙゚゚゚ . . ‘゚゚゚゙` .. ゙゙^ . .l}]ぽ
.']]醴$ .'l|_ i「゙゙I゜
、 ゙濁髟. |i ′$ .
-==彡ミ|'i,,.. `T゙ ,,..-´ /彡ミ三=-、
_彡三ミ_|ヽ"‐- | /彡ン=-=
ー-=二三ンヽ'i, '-、 /ミ三==''
彡ミ彡ミミi, -< | /三=-'
-==彡'i, ー′ l ,'三=-'
-==彡ヽ ', / ,'
|\ '--─一'´ /
/i'´ ̄::::`-`ー'ー''' /_
_人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/ ̄::::‐、 ウンタン♪ ウンタン♪
`Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ *
/::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉
. /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ
10 :
考える名無しさん:2013/10/02(水) 01:33:29.20 0
良スレの悪寒
11 :
考える名無しさん:2013/10/12(土) 20:08:47.05 0
時間とは空間の変化
および理性
我々は皆じっとして動いていない時でも
時間の中を光の速さで移動しているのです
時間て考えるの難しいよな。
なんつーか、何が問題であるかがはっきりつかめないんだよな
この問いかけほど深いものはないと思えるほどだな
この暑さで桜が咲いたようだが、植物は気温でしか時間を測っていないのかな?
16 :
考える名無しさん:2013/10/12(土) 22:48:05.47 0
やはりペンパックを聴くべきだな
17 :
法哲学探究者 ◆V9NFYlHDBE :2013/10/12(土) 22:58:11.94 0
x軸が1次元 線
y軸が2次元 平面
z軸が3次元 立体
その次の軸が4次元 時間
4次元の座標を移動しているのである。
我々が空間を光の速さで移動すると、現在は凍結し時間が空間となり過去が見渡せるでしょう。
しかし、未来は見えるのかな?
20 :
考える名無しさん:2013/10/13(日) 00:06:41.07 0
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。
このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。
>>18 我々がその空間のどこに位置しているかによるかな
その空間自体がどこに位置しているかにもよるかな
24 :
考える名無しさん:2013/10/13(日) 08:16:22.90 0
>>24 科学者の時間論は何冊も出ているが、十人いれば十通りの説があるという感じ。
ますますわからなくなる。
アインシュタインの相対論から約百年。
「時間とは光に関係する何かである」
ということを組み込んだ時間論を展開する現代の哲学者は
だれかいないものか。
27 :
考える名無しさん:2013/10/13(日) 15:09:49.17 0
相対性理論は科学者も誰一人として理解していないとは思うけどね。
28 :
考える名無しさん:2013/10/13(日) 17:40:40.25 0
時空はグラビトンの振動パターンだよ
30 :
考える名無しさん:2013/10/14(月) 11:47:20.50 0
奇説
31 :
考える名無しさん:2013/10/14(月) 12:27:41.05 0
六十進法 とは - コトバンク
世界大百科事典 第2版 六十進法の用語解説 - 1秒の60倍は1分,1分の60倍は1時間 というように,60を単位として数を表す方法を六十進法という。日常の数の表し方の単位 である10のかわりに60を使うわけである。今日では,時間,角度などを表すのに利用
32 :
考える名無しさん:2013/10/15(火) 22:34:57.94 0
時間っていうのは存在を許す意志だよ
34 :
考える名無しさん:2013/10/17(木) 09:20:57.98 0
何じゃ、それは。w
時間て単純に記憶じゃないのかなて
時間の流れ方はどうなんだろう
過去→現在→未来
が一般的な考えだが
未来→現在→過去
とも考えられる
あるいは空間があることによって空間的な前後を認識するように
時間があることによって時間的な前後を認識しているだけなのか
自分は時間は流れてないと思います
人間が時間の概念を川のように思い描いているだけなんじゃないかと
物理学知識ないので
的はずれなら、教えてもらえると助かります
アインシュタインに怒られそうですが
時間と空間は同義なのかな、とも
39 :
わし:2013/10/17(木) 14:46:43.03 0
わかりづらいので名前つけましたw
過去→現在→未来
未来→現在→過去
のことですが、
因果関係ということについては考えたことがあります。
その時は私も可逆だと思いました。
量子の世界だと実際どっちにでも捉えられるらしいね
まあ俺は頭では過去も未来も現在の自我意識にしか過ぎないと思うけどね
実際は置いておいて
41 :
わし:2013/10/17(木) 15:28:59.89 0
量子の世界、あこがれますが実際自分には観測できないので、どーでもいーわ、というのが正直な気持ちw
ほんと直接関係あるのは自我意識ですよね?
何かのブログで読んでなるほどと思ったのは、仮にタイムマシンができたとしても人間には過去に戻ることを「体験」することはできない、という話。
記憶がある以上、それは過去に行ったという行動は認識できても、自分自身が過去の状態になるわけではないとか
42 :
わし:2013/10/17(木) 15:39:12.92 0
立て続けに申し訳ないですが
もうひとつ書いておきたいことがあります
それは、今の状態、世界でも個人でも全てのことに言えるのですが、今の状態が完璧だということ。これも時間と関係の深い話だと思っています。常に完璧という気がします。
暴言と言われても仕方ないですが、これは自分の知識や、経験した苦労や嬉しさ、そういったものからでてきた確信のようなもの。
時間の可逆性の話です。
わしさんはいいこと言ってるなぁ。
世界も我々もビッキビキに完成しているよ
問題はその考えが実際に長続きしないってことだ
45 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 10:25:04.85 0
時間って、存在しているのですか?
46 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 11:01:44.42 0
時間自体は人間が運動量を測るために作ったものだから、自然には無い。
47 :
〜45〜:2013/10/18(金) 13:37:16.35 0
>>46 私も同感です。
でも…時間が早く流れるとか、時間の進むのが遅くなる、と言う人がいます。
特に、相対性理論では、そのようになる、と言う人がいます。
どう、思いますか?
48 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 17:55:08.65 0
相対性理論は支持するけどね。
運動量を運動量で認識するわけだし、同時性の問題とかもそれで良いんじゃないのかと思うけどね。
なんというか、認識の在り方の問題じゃないのかな。
認識ってのは静的だと思う。
地動説では天体の運動量認識では静止が必要で、地球が静止していると仮定するわけでしょう?
光速度一定の法則でも、対象である自然は運動するんだけど、どこかに運動量ゼロと仮定する。
対象は運動するのに、認識自体は静的なわけです。
わたし、と表現する場合には、わたし自身は物理的には生まれたときから現在まで大きく変化しているのにも係わらず同じくわたしとするわけでしょう?
自然は運動するのに、認識というかそれに伴い論理もまた静的なわけです。
運動する対象をAとしますと、論理はAの否定であるわけです。
AをAの否定で理解しなければ成らないわけです。
49 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 18:02:37.82 0
余分なんですが、クレタ人の逆説なんてのは、対象であるクレタ人もまた嘘をついたり、本当のことを言ったりするのに
クレタ人は嘘吐きであると固定して規定するわけです。
対象自身は運動変化するのにそれを論理として捉える場合は固定するのですから、こういう事態が引き起こされるわけです。
ちなみにヘーゲルの運動規定、運動とは存在すると同時に存在しないこと、というのは、運動する対象を規定する論理が静的だからです。
不確定性原理なんてのは論理の在り方から、つまり運動する対象を理解する論理がそのようなものとして在るのだからだと理解しています。
量子力学もまた、このような論理と対象の関係から考えれば当然だということです。
50 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 18:06:20.61 0
アインシュタインロマンで、量子力学と相対性理論は、相対性理論が犠牲になるだろうというようなことを述べていましたが
わたし自身は相対性理論の礎である光速度一定の法則は量子力学を予言していると理解しています。
51 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 18:22:41.35 0
特殊相対性理論というか、科学っていうのは運動量を運動量で理解するわけでしょう?
基本として対象は運動するわけですし、論理は静的であるわけですからさまざまな限界があるわけです。
絶対座標とか、静的な在り方は自然は一貫して否定しています。
進化論は生物もまた運動変化の過程で生じ、また生物自身も運動変化の過程にあるわけです。
わたしは科学革命は、地動説、進化論、絶対座標の否定としての光速度一定の法則だと理解しています。
これらは一貫して静的、固定した自然存在を拒否しています。
科学者はそれで理解できるから、それが自然に存在していると理解していますが、そうではありません。
地動説の場合を考えればわかるように、地球は静止していると仮定する必要はあるのですが
静止はどこにも無いわけです。
つまり理解に必要だが存在するわけではありません。
52 :
考える名無しさん:2013/10/18(金) 18:27:15.84 0
理論というのは人間の側に存在するだけで、自然側にあるわけでは無いでしょう?
法則性はありますが、法則があるわけではないのです。
量としてしか認識するしかないわけです。
AをAの否定で理解する、このことが奇妙な事態になるのではないでしょうか。
53 :
〜45〜:2013/10/18(金) 18:59:26.70 0
>つまり理解に必要だが存在するわけではありません。
↑ありがとうございます。なんか虚数みたいですね。
54 :
わし:2013/10/19(土) 15:46:04.86 0
>>52 ほんとその通りだと思いますわ
世界や宇宙そのものの意味だって、
知的生命体が勝手に作ったものだしな
実際には宇宙に意味なんてない
存在しちゃってるだけっておもってます
55 :
考える名無しさん:2013/10/19(土) 22:58:17.21 0
量子力学では、自然は運動するエネルギーの海の濃淡ですよね。
だとすると数というのは自然存在ではないんです。
数には大きさが無いんです。
このことが数の本質を表しているわけです。
虚数というかカントールの批判者は自然数だけだと考えていたようですが、そうではなく数自体が存在しないわけです。
数とは理解する側だけに在るのであり、自然の側にあるわけではないのです。
56 :
考える名無しさん:2013/10/19(土) 23:32:46.42 0
理解する側と自然の側を相関する数だけが存在するのです
57 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 05:45:11.67 0
なんで。
どこにも出発点はないことが、地動説、光速度一定の法則で示されている。
つまり自然には運動しないところなど無いことが証明されている。
この科学的事実を認めてくれなければ、議論はできないけどね。
58 :
わし:2013/10/20(日) 06:17:00.63 0
>>57 横からごめん
自分は、
他人が導き出した法則や答えを
自分で理解しないまま、
全面的に受け入れることができない
「これは、こうなっているんだ」
と言われてもそれを前提とはしたくない
59 :
わし:2013/10/20(日) 06:20:59.32 0
申し訳ないのだが
出発点がないことが、自然には運動しないところがない理由になることを、わかりやすく教えてもらえないだろうか
60 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 06:30:31.28 0
ええと・・・、理解ではなく、こういう事実があるというだけですが。
地球は運動している、絶対座標は自然のどこにも無い、ということはどういうことか、ということを議論したいだけです。
61 :
わし:2013/10/20(日) 06:36:07.26 0
62 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 06:36:46.37 0
いや、けっきょく地球自身も運動しますし、絶対座標が無いということは、そういうことですが。
座標原点というのを適当に設定して、たとえば地球が動かないものとして天体の運動量を測るわけです。
しかし地球もまた運動するわけです。
絶対座標が無いということもまた、そういうことです。
つまり自然においては何ものも静止するものが無いわけです。
63 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 07:03:28.28 0
表現というのは、表現したい対象とそれを表現する側を表していますよね。
風景画なんてのは、自然の風景と同時に表現する側がどこから描いているかがわかるわけです。
ということは、科学認識もまた、そのようなものとしてあるのではないのか?という疑問が出てきます。
座標原点を適当に設定して対象の運動量を測定するんですが、測定する座標原点自体はどこにも無いわけです。
運動する対象とそれを測定する時に設定する座標原点、つまり運動量ゼロ、静止はどこにも存在しない。
つまり運動量ゼロという設定は理解する場合に必要なだけです。
そしてこのことは様々なことを示しているとわたしは理解しています。
64 :
わし:2013/10/20(日) 07:12:54.45 0
その風景画の例で言うなら
確かに、モチーフと画家の位置関係は分かる。
あと、その風景をどのように「解釈するか」も、重要かな
自分はその解釈の仕方の方に興味がある
みんな、どんな風に捉えてるんだろうって
65 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 07:16:47.71 0
違う話ですが。
科学革命って、認識する側が、認識される側であるということの発見ではないでしょうか。
地球という立場で諸天体の運動を認識しますが、地球もまた諸天体の一つであるというのが地動説。
生物を理解していったら、認識する人間もまた生物の一つであったというのが、進化論。
光速度一定の法則はちと面倒ですね。
絶対座標が存在しないとしたら、すべて運動するわけですから、運動ということを前提に互いに否定しあう
つまり物理的、非物理的という関係は導けないわけです。
つまりすべては物理的存在で、量子力学の自然観である運動するエネルギーの濃淡というそれを支持するわけです。
最小単位も何も無いわけですし、自然は〜から成るわけではなく、〜に成るのだということです。
自然の運動変化の過程で生物が出現し、意識をもった生物が出現したわけですが、意識は物理的状態がもたらしたものであり、非物理的存在としての意識は自然には存在しないことになります。
意識とはおおまかに言うと、自然が自己言及できる物理的状態ということになります。
つまり認識する側は認識される側の一部だということです。
66 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 07:27:22.96 0
座標原点が存在しないということは、時間の終始も存在しないことを意味します。
自然は運動変化の過程としてあり、ここから生まれて、ここで死ぬということは<物理>としては無いわけです。
わたしが生まれた、というのは物理的状態の変化ですし、死ぬということもまたそういうものとしてあります。
しかし、物理的変化という視点で理解するのならば、わたしも含めて自然は運動変化しないことなど無いわけです。
つまり常に運動変化しているわけです。
わたしが生まれたときから現在まで大きく変化していますが、運動変化ということなら常にそうであるわけです。
このように運動変化する対象を、論理はわたしという同一、変化しないものとして捉えます。
運動する対象を静的に捉えるわけです。
ある生物学者は生物は生きつつまた死んでいる、と理解しています。
たしかに一瞬たりとも゛生物は同一であるわけでは無いのですから。
67 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 07:38:50.83 0
個人的な興味としては、宗教的な人間理解、思想ではなく、科学というか論理に基づいて考えたいわけです。
自然は運動変化し、理由もなく存在しています。
人間はその置かれた社会的条件の中で生きていくしかないわけです。
そして本能に基づいて生きたり、また自分なりの価値観を見出して生きていったりします。
その社会的条件と摺りあわせながら行動するわけです。
先日イスラム教社会の歴史を放送大学でやっていましたが、価値観の違いでこういう社会もあるのだなあと思いました。
そういう社会で生まれたらともかく、日本のような環境で生まれたわたしはやっていけないでしょう。
人間とは、自然とは、学問とは、ということを理解して、生きることそのものを考え指針をつかみたいのです。
68 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 07:47:19.45 0
個人的には、現代科学の自然観にはかなり疑義をもっています。
わたしの自然理解は、自然は運動変化するだけで、時間は存在せず、空間は無限であり、最小単位は存在しないというものです。
光速度一定の法則の合理的理解を科学者は放棄していますが、わたしはこの法則を自然が無矛盾であるということを示していると理解しています。
また自然を理解する論理の性格も同時に示しているのだということです。
つまり風景画の示した、対象とそれを表現する側が、ここで顕になっているのだということです。
69 :
わし:2013/10/20(日) 08:07:38.14 0
簡単に言うと、
あなたも時間=変化という私の感じ方と一緒みたいですね
70 :
わし:2013/10/20(日) 08:12:43.37 0
そこで聞きたいのですが
物質的変化ではなく、
人間の活動という観点で見たとき
活動をたくさんする人は時間が早く流れ、
活動が少ない人の時間の流れ方は短い、と思います?
71 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 08:13:32.43 0
運動変化を存在しない時間で理解するということですが、運動量の抽象という意味では関係があります。
72 :
わし:2013/10/20(日) 08:16:51.33 0
なるほど
では、肉体の運動量ではなく
脳の活動(思索?)に限定したらどうでしょう
73 :
わし:2013/10/20(日) 09:04:07.15 0
時間が存在するかしないかは、個人的見解だとして、物理学的、哲学的に説明できるのかもしれないが
スレタイにもあるように
人間が利用している「時間とは何か」
人間にとって時間とは何か、
とはまた別の問題だよね?
時間、という言葉がある以上、
私たちの認識のうえには確かに時間は存在しているわけだし
でなければ、時計は存在しないと思う
74 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 09:26:26.77 0
規制にひっかかりました。
科学の理論もまた自然に存在するわけではないのですが、わたしたちの頭の中には観念として存在するわけです。
時計自体は運動量の測定の表現の一つですよね。
一秒、二十四時間、日、週間・・・
75 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 09:41:44.98 0
もっと単純か。
次元という言葉はありますが、自然には存在しないわけです。
自然認識の場合は、対象は運動しますが、それを表現する場合には静的ですから。
運動変化する過程にある自然を固定して捉えなければなりません。
考えてみますと、対象と対象を認識する側と二つひつようですが、自然認識の場合は存在と無という二つですね。
自然は存在しますが、認識する側は無というわけです。
76 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 10:31:29.53 0
>>72 なあるほど。
面白い話ですね。
邯鄲の夢なんてのもありますしね。
交通事故で、ぶつかる瞬間がゆっくりと感じるとか。
このことは考えられても良いですね。
77 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 10:34:11.58 0
俯瞰的にはともかく、個別的な事象はまだまだですが、解明している人もいるかも知れませんね。
ポーのモルグ街の殺人で、異常なことについての言及がありますが、この辺は考えられて良いことだと感じました。
78 :
〜とき〜:2013/10/20(日) 10:59:53.90 0
人間は自然に存在していないものを色々と創りだしてきました。
「時」も、そんな人間が創りだしたものだろうと私は思っています。
真空についても以下のように、考えたことがあります。
真空とは空気の無い状態であり、空気を抜きとったとても、何かが残っているのでは…
昔は原子が最小単位と思っていましたが、原子は陽子と電子、更に素粒子があったりして…
もしかして、現代の科学的技術では観測不可能な、更に微小なものが存在していて、
それは、全ての物質間を自由に行き来していたり…なんて事があったりして…と考えたりもしています。
そんな微小なものを、過去にエーテルと言っていたのかも…なんて自由な思考は留まることを知りませんね…
79 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 11:25:55.64 0
個人的には最小単位というのは信じていません。
〜に成るだけなんだと思っています。
ある物理的条件下ではかくかくしかじかの状態に成るというものです。
ですから、物理的条件が可能なら、いくらでも小さくなるということです。
科学者でも例の観測問題は、粒子は渦の状態だとして実験を進めている学派があります。
80 :
〜とき〜:2013/10/20(日) 14:28:01.84 0
真空状態にする時、周囲のガラスを通過して浸入してくる微小なものがあるのでは?
〜と考えるのですが…〜
81 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 17:21:25.84 0
真空というとディラックの海思い出しますな。
けっきょく真空、何も無いということは無いと理解していますけどね。
82 :
わし:2013/10/20(日) 19:52:05.91 i
>>79 時間の話はいくらしてもきりがないくらい、いろんな事に波及して面白い
最小単位を探すのも、宇宙の外側を探すのも自分にとってはほとんど同じことのように感じます
渦、という言葉を聞いて昔考えた?か、聞いたのか忘れましたが、
穴に吸い込まれる水が渦を巻くように、銀河もまた渦を巻き、DNAも、カタツムリの殻も、頭のつむじもw、みんな渦だなあ、と感動したことがあります
歴史はくりかえす、と言うように、時間もまた渦を巻いて螺旋状なんじゃないのかなとふと思いました。ここで言う時間は歴史という意味ですが。技術は進歩してきましたが、本質的には同じことをループし続けているみたいな。
83 :
わし:2013/10/20(日) 19:53:15.70 i
>>80 カミオカンデでで観測できるアレなんかは何でも透過してしまいますね。
84 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 20:41:21.51 0
個人的には、アリアドネの糸は運動だと理解しています。
運動を否定する観測結果はどこにも無い。
宇宙は無限であり、ただただ運動するエネルギーの濃淡の海として在るだけです。
次元はそれを理解する観念的な存在であり、自然に存在するわけではない。
85 :
わし:2013/10/21(月) 03:58:34.78 i
>>76 客観的に見て時間はない、
とはいくらでも言えるとおもうんだけど
自分にとっては問題はそれで終わらない、
むしろそれは前提条件でしかなく
それを踏まえた上で
自分にとって時間とは何か、と考えています。
寿命が尽きるまでの人生が私に与えられた時間。それは確かに存在しているので。
いくら客観的に世界を説明しようとしても
人間は主観から逃れることはできないですよね?
客観も、過去の人間が言った事を学んだり人の言うことを間に受けたり、それを自分で消化したつもりでも、実は洗脳されているだけだったり。
86 :
わし:2013/10/21(月) 04:00:50.73 i
自分にとっての、自分の時間ってなんなんでしょうね?
そこまで来ると、なんで自分は存在してしまったのだろう(否定的な意味ではなく)とw
とりとめもなく、すみませんw
87 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 05:20:47.58 0
>客観も、過去の人間が言った事を学んだり人の言うことを間に受けたり、それを自分で消化したつもりでも、実は洗脳されているだけだったり。
ああ、これはそうですね。どのように現在流布する常識を受け取ったらよいのか。
自然科学って実験ですが、その結果の理解は科学史を振り返るとけっこう怪しいことが「失敗の科学史」なんてので出ています。
チェスタトンは十の証拠から十の理論が出、一つが正しいと語ります。
洗脳というのは、やはり戦前とかオウム真理教とかでもわかりますが、社会では一定の価値観みたいので支配されたほうが統治しやすいということもありますし。
また理数系では、数で理解できるから数は自然に存在するのだという素朴認識論が跋扈しています。
虚数も自然数も実数もたんなる理解の媒介ですし、次元なんてのはそもそも出発点自体が存在しません。
理数系は哲学を蔑ろにしていますが、その実最悪の哲学に囚われています。
88 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 05:30:37.50 0
>なんで自分は存在してしまったのだろう(否定的な意味ではなく)とw
ああ、これは人間にとっての最終的な疑問なんではないかと思っています。
父が宗教に入れ込んだので、おぼろげに論理からこのことを考えたいと考えています。
個人的な現在までの未熟な考察によると、自然にはなんの意味もありませんし、その一部である人間にもありません。
人間は社会的動物であり、その与えられた諸条件の中で、自分の生きる意味を設定したりすることができます。
なぜ存在してしまうのか、という理由はまったくありません。
人間は自然同様にただただ存在するだけです。
感情、本能で生きているのが人間ですし、科学者は自然を理解したいという欲求が原動力です。
そして人間全体としては死から免れない限り、宗教は死滅することは無いでしょう。
ある科学史家が述べるように、共産主義は禁酒法同様に社会実験で結果が出ていますから、人間社会では成立しないでしょう。
この現在ある社会の条件の中で自己の生きる目的を設定し、その中で実現していくしかないのだというのがわたしの結論です。
わたしにとって、科学とは、自然とは、人間とは、学問とは、生きるとは何か、ということの出発点であり、それ以外ではありません。
89 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 05:32:45.14 0
>わたしにとって、科学とは、自然とは、人間とは、学問とは、生きるとは何か、ということの出発点であり、それ以外ではありません。
→科学は、に訂正
90 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 05:33:58.29 0
わたしにとって、人間とは自然の一部であり、意識は自然の自己言及可能な物理的状態という理解です。
吉本隆明の原生的疎外論では、自然が"有機的自然"と"無機的自然"とに分けられているね。
>>88のいう「ただ存在するだけ」の自然は"無機的自然"に属していて、
人間を含めた生命体はこれに疎外された存在だ、という考え方。
人間や生命体を含めた自然のことを有機的自然といって、
この間にある矛盾の感覚が人の心性を形成しているのだ、という考え方。
時間の観念は変化だけでは生じない。
似たパターンの繰り返しのリズム、そしてリズムの回数を数える力がなければ、
時間という観念は生じない。
ただ無秩序な変化があるだけでは時間としての認識を持つことはできない。
宇宙のすべてはパターンの繰り返し、リズムに集約される。
93 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 06:32:25.70 0
自然はある条件下で無機的自然から有機的自然に成るんじゃないでしょうか。
そしてその逆もあるということで。
全ては運動するエネルギーの運動変化の過程にあるだけだ、ということです。
認識に場合は対象と認識の二つが必要なんですが、科学史でもわかるようにけっきょく認識する側は対象の一部でしかないわけです。
疎外は、意識が物理的状態の産物であるにもかかわらず、非物理的状態として、つまり否定関係とするしかないことから生じるんじゃないかと考えています。
規定は否定であるわけです。
運動変化する自然を理解する場合、運動の否定として規定があります。
まとまらないのですが、とりあえず。
一元論、つまり無矛盾な自然の在り方ということから出発したい。
だから、論理は根本的には矛盾なんじゃないのかと。
94 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 06:40:32.58 0
無秩序から秩序が生まれるのかな・・・
秩序を見出すのは人間ですが。
95 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 06:44:05.88 0
>秩序を見出すのは人間ですが。
やはり時間は観念としての存在であり、パターンの繰り返し、リズムを認識し、その抽象として時間が在るわけであり
自然に在るわけでは無いですね。
96 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 06:54:52.38 0
秩序、無秩序で思い出しましたが「ビッグバンはなかった」ラーナー著の中で、惑星運動と方程式の関係でブリゴジンの研究が面白いことを述べていました。
詳細は忘れましたが、秩序というか、パターン認識とは、という理解に役立ちそうです。
たしか誤差ということに焦点があったような気がしますが、本を見つけたら調べます。
そういった自然観を構築しているのが自分本位の観念だという根本を見落としている。
98 :
わし:2013/10/21(月) 07:17:33.66 i
そう、結局は、自分が何を信じてるか、を言い合うだけになってしまうんですよね。
ビッグバンがあったのかなかったのか、時間とはパターンの繰り返しなのか、変化そのものなのか?
その人によって、何が本当なのかはその人が決めるべきことで、この宇宙に絶対的真理などあり得ない。
なぜあり得ないかというと、誰もビッグバンを「直接見た」人はいない。ただ推測と実験と計算から導き出しただけですよね?
時間もまた然り。
原子を光学的に見た人はいますか?
あれ?見れるんだっけ?w
すみません
天動説を疑う人は少ないですが、今このスレにいる人で地球外に出た人はいますか?
そんなことを言い出すと、スレのテーマが終わってしまいますがw、そう言っている私が勉強不足で、自ら実験しようとしていないのも事実。実際はここでこうして話していることだって、冷静に考えれば、ただの暇つぶし(人生もそうだと思っていますが)ですしね。
99 :
わし:2013/10/21(月) 07:23:20.42 i
皆さんの話を聞いていて
益々自分が何も知らず、思考力もないんだなと脱力しますw
私はついこの前まで知識量を競って優越感を感じるような人でしたが、まあ、これはいつまでもなくならないでしょうが、それに気がついた時に、自分に嘘をつくのをやめ、本気で見て、本気で考えてみようかと思い始めたんです。
それでこんなに鼻息荒いのですが、このスレを見つけてしまったのが、皆さんの迷惑にならないことを祈ります。
長文すみません…
気に障ったらスルーしてください
100 :
わし:2013/10/21(月) 07:24:37.06 i
すみません、地動説を、疑う人は少ないですが、でしたorz
>>98 天動説なんて疑うまでも無く間違ってるから、今更疑ったりしないか...
102 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 07:52:35.53 0
t
103 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 07:57:17.85 0
>>101 いや、まだ実証されてないんだな。それが。
実は地球を中心にして宇宙全体が超絶複雑な動きをしているという可能性があるのだから。
104 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 07:58:56.75 0
また規制に引っかかりました。
とりあえずここまでにしますが。
無論自然観は観念の産物です。
ただし、それは様々な事実に基づいていますから、客観としての自然との交互関係で生じます。
意識自体は頭を、たとえば弾を打ち込めば破壊されたりして、無くなります。
これらの客観的な事実から、意識は物理的状態のもたらす何かであることがわかります。
繰り返しますが、認識は認識する対象の一部でしかないことは、科学史が証明しています。
これらの事実とそれを理解する観念から自然観は生まれますが、根本的には自然の在り方から自然観は規定されているわけです。
105 :
わし:2013/10/21(月) 08:15:49.24 i
>>101,
>>103 でもさ
どこが中心かなど
実はどうでも良いんじゃないかと思わない?
観測者がいるところが中心、でいいんじゃないかな。それしかないと思うんだわ。
一般常識が地動説から天動説に変わったという科学の歴史は、それまで主観的にしかものを見れなかったひとが、客観に気がついたのと変わらないような気もする。
全体の運動を考える場合、物理学的にはおそらく何処かに座標0を設定しなければならないのだろうし、それが本当の中心でなくても運動自体は観測や計算できるんだろう。よく知らないけどw
それに今の宇宙の中心が見つかったとして行くことだってみることだってできないよね、いまのところ。
座標原点の採り方なんて中世の頃ですら問題にしてないよ
逆二乗則にもとづく単純な楕円軌道か、メカニズム不明の複雑な周天円か、という話
107 :
わし:2013/10/21(月) 08:22:57.17 i
>>104 その事実でさえ、実はあなたの頭の中で処理されてる何かでしかない、という言い方もできる。自分の肉体は物質でできていると、脳みそが処理しているだけ
魂を信じる人もいるし、今この世界に生きている人の中に、完全に死んだことがある人はいない。
ある、科学者が、この宇宙はただのシミュレーションである可能性もあると大真面目に言っているというニュースも最近あったよね
こんなこと言ってても俺はただのアジテーターでしかないな。
すまない
アインシュタインの一般相対性理論からは、文字通りすべてが相対的なのです。
だから宇宙に中心はない。逆に言えばどこでも中心としてよい。
これって哲学の考え方、意識が世界を作り出す、によく似ていると思わない?
109 :
わし:2013/10/21(月) 08:26:35.01 i
ほんとそうだね
そうか、相対性とはそういうことか!
何にも知らないな俺は
アインシュタイン自身は彼の信条から
「ネズミが一匹月を見あげればそこに月が出来上がるのか?」
と言ってそういう考え方に反対したけれども
彼の作った一般相対性理論からは
哲学の考え方、意識が世界を作り出す
に整合的だと思うんだが。
雑なアナロジーで整合的も何もないでしょうが
>>111 雑と言えば雑だけどそれで不具合なところはないですか?
113 :
わし:2013/10/21(月) 08:44:02.23 i
ところで過去スレって
読む方法ある?
読んで見たいんだが
115 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 09:20:35.01 0
>「ネズミが一匹月を見あげればそこに月が出来上がるのか?」
テレビの番組だとタゴールへの反論みたいだけど。
たとえば家に帰って、部屋が荒らされていて金が無くなっていたら、誰でも泥棒だと思うよね。
寝言とか、後ろから頭ぶん殴られて気を失ったら、認識はしていなかったが、誰かいたとするだろうね。
つまり認識に対象化された存在と対象化されていない存在があるということでしょう?。
新発見をどう考えるのか。
シーラカンスは発見されたときに出来上がるとは考えませんよね。
中心は無いということは、中心は無いのに認識の都合で中心を作らなければ成らないわけです。
中心は仮定であり、どこでも中心にしても良いが中心を設定しなければ世界は認識できないわけです。
意識が世界を認識するために設定するだけで、世界を作り出すわけではないでしょう。
116 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 09:30:40.03 0
>実はあなたの頭の中で処理されてる何かでしかない
その処理されている何かでしかない、ということは処理されている何かの存在は認めるわけですね。
そして頭の存在も認めているわけですが。
あなたがわたしを認識した瞬間に、わたしが誕生すると主張しますか?
117 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 09:32:39.36 0
ヘーゲルのカント哲学反批判載った本があるけど面白かったな。
118 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 09:33:35.52 0
反批判ではなく、批判でした。
119 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 09:39:21.39 0
中心を設定するから認識が可能に成るわけです。
自然が認識に対象化されていくだけで、意識が自然を作り出すわけではありません。
120 :
わし:2013/10/21(月) 10:33:48.83 0
>>114 ありがとう!
>>116 そうだねぇ
よくわからないわ
私はあなたを見ていないし
見ているのは文字だからなぁ
121 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 10:35:04.23 0
文字はどのようにして出てきたのか。
122 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 10:35:53.58 0
チューリングみたいになってきたな。
一休みしましょう。
123 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 10:36:50.81 0
そうそう、実験概念は必要だけどね。
板倉聖宣氏が詳説したいたけど。
・・・まあ良いか。
124 :
わし:2013/10/21(月) 10:36:56.01 i
んだね
少し休みましょう
125 :
〜とき〜:2013/10/21(月) 10:37:30.07 0
>>93 >論理は根本的には矛盾なんじゃないのかと。
〜↑〜同感です!
人間だけが事物を論理的に把握しようと試みます。
それは、人間が自然の一部的存在でありながら、その自然から離れた所から、
そのこと・もの・をみようとする、その行為が矛盾なのだからでしょうか?
自然におけるパターンの繰り返しとは何か?
それは、ある・もの・こと・の誕生→発展→衰退→消滅なのでしょう〜
人が、自然界のそのパターンを認識した時、主観的に時間を感じるのでは?
126 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 11:28:24.61 0
>それは、ある・もの・こと・の誕生→発展→衰退→消滅なのでしょう〜
>人が、自然界のそのパターンを認識した時、主観的に時間を感じるのでは?
個人としては、運動は直接理解できないので量として認識するしかないから時間が必要になると理解しています。
ヘーゲルは精神の現象学序文で、科学認識は量として認識すると理解しています。
パターン認識で主観的に時間を感じる、というのも、やはりある物理的状態の運動変化の問題ですよね。
共通性はあるんじゃないでしょうか。
物理的状態は様々な変化をしますが、同時にエネルギー保存則で何も無くならないし生まれない。
運動変化を量として認識するしかないから生死が生じ、時間が生じるのだと。
運動変化するこのこと自体は変化しないわけです。
127 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:24:36.82 0
個人的な関心としてなんですが。
カントの二律背反、ヘーゲルの運動定義、ゼノンの逆説。
観測問題、不確定性原理とかに興味があり、自分なりの解決をしたいと考えていました。
これらが自分なりにどうにかなったと考えていますので、そこからいろいろと考えるようになりました。
時間もまた面白い課題です。
基本として自然は無矛盾であるという科学の立場を追求しています。
128 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 12:25:50.54 0
そうそう、光速度一定の法則の合理的理解が自分の立場からできたと思っていますので満足しています。
自己満足ですが。w
詩的過ぎて眩暈がするレスだ…
130 :
弁証法いのち:2013/10/21(月) 12:41:06.95 0
>>126 そうですね〜誕生も発展も衰退も消滅も、人間側の主観的理解であり、
客観的に存在しているのは、「変化・運動」なのですね〜
>>128 >光速度一定の法則の合理的理解<について、聞かせて頂けませんか?
私にとって時間とは、
やって来るものを待つこと、去っていくものを思い出すこと。
欠如感。今はないものの行方を感じることです。
132 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 17:08:02.55 0
>>130 科学って、徹頭徹尾静止の自然存在を否定しているでしょう?
光速度一定の法則にしても、絶対座標の存在を拒否している。
つまり、自然はただただ運動変化しているだけであり、この意味で無矛盾であるわけです。
論理自体は静的ですから、自己の根拠である静止は自然にはどこにもないわけです。
論理は物事を関連づける人間の認識にあるのであって、自然存在でないのは明らかでしょう
そもそも、科学が徹頭徹尾静止の自然存在を否定しているというのは貴方の持つ印象に過ぎず、
科学がそう結論付けたわけでもなく、ましてやそれを前提としているわけでもないでしょうに
そりゃ何も考えなけりゃ矛盾も無いわな
135 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 17:19:53.86 0
>>133 それこそ、印象批評。
科学革命はことごとく、静止を否定しているけどね。
136 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 17:21:03.16 0
まあ光速度一定の法則を否定するなら、議論はできませんが。
科学知らずが科学評論するのだから印象論になるのは当たり前であって、そういうものと割り切って楽しむのが暗黙の了解。
139 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 17:26:24.69 0
用事で落ちます。
140 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 17:28:26.83 0
当の科学に従事している研究者達は、反証や批判などまったくおかまいなしで
自分の研究してる事柄の正しさを立証するために一生懸命
141 :
わし:2013/10/21(月) 18:24:15.29 0
142 :
わし:2013/10/21(月) 18:25:50.16 0
143 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 21:32:12.76 0
まず地動説←地球もまた運動している。
進化論 ←生物もまた運動変化の過程で存在していて、固定している何ものも無い。
光速度一定←絶対座標、つまり運動しない何ものも自然に存在するわけではないということ。
不確定性原理←人間の認識は運動量ゼロとして量として認識しなければならないから、
元々精確に捉えることはできない。
他にもいろいろ有った筈ですが、自然において静止している何ものもあるわけではありません。
光速度一定の法則は自然において運動量無は無いということです。
この法則を受け容れるのならば、自然はすべて運動する、つまり無矛盾であることになります。
わたしは、科学革命は認識主体が実は認識される客体の一部であることを認識することだと理解しています。
光速度一定の法則は、次元は理解のための存在であり、自然には存在せず、
観念もまた自然の運動過程から生ずる物理的存在がもたらす何かであるということになります。
144 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 21:36:29.31 0
大きさの無い数は大きさを形成できない。
Aの否定は幾ら、そう無限に在ったとしてもAにはなりません。
A≠無限×Aの否定だということです。
しかし、AをAの否定で理解しなければならないわけです。
Aの否定が無限に集まってAと成る、というのが論理であるわけです。
145 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 21:46:37.11 0
わたし自身は、現代科学は、この認識の在り方から来る問題に苦しんでいると理解しています。
自然は理由も無く存在し、論理はそれを静的に捉えるから、時間の終始が必要になる。
この必要性としての静的な論理が運動する対象を捉えるわけですから様々な問題が生じる。
それを端的に示したのがクレタ人の逆説ではないでしょうか。
対象であるクレタ人は嘘が多いが、いつも嘘をつくわけではありません。
つまり嘘をついたり本当のことを言ったりするわけですから、クレタ人は嘘吐きであるという静的な規定は逆説となるわけです。
ヘーゲルは運動を存在すると同時に存在しないことと定義しましたが、論理が静的であるためにこのような規定と成るわけです。
146 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 22:00:13.00 0
カントの二律背反は対象である自然とそれを理解する論理の問題だとわたしは理解しています。
静的な論理=過去→現在への発想の飛躍
>形象とは、その中でかつてあったものがこの今と閃光のような一瞬に出会い、
>ひとつの布置を形成するもの。換言すれば、形象は静止状態の弁証法である。
>なぜならば、現在が過去に対して持つ関係は純粋に時間的・連続的なものであるが、
>かつてあったものがこの今に対して持つ関係は弁証法的だからである。
>つまり、進行的なものではなく、形象であり、飛躍的である。
by ヴァルター・ベンヤミン
148 :
わし:2013/10/21(月) 22:48:31.37 i
こんな文章があるんだが
しっとる?
早速だけど世界の秘密いくよー
この世界は一つ意志によって導かれてるって言ってる人たちが大勢いるよー
でもねー、実は一つと思ってたものが二つだったりするよー
なんかねー、世界の人たちには一つなんだって思い込んでて欲しいなーって思ってる人たちがいるよー
そのうちねー、そのことがみんな何となく分かるようになってくるよー
そうするとねー、どっちが正しいのか分からなくて困っちゃう人がいっぱい出てくるよー
でもねー、本当の本当は、この世界は三つ巴だったりするよー
これすごく重要だよー
149 :
考える名無しさん:2013/10/21(月) 23:22:40.44 0
時間は重力でゆがむ だから物質と関係ある
ミクロのモノの動くスピードが時間 って誰かがいってた
最初にカオスがあったのではない。
パターンの繰り返し(クロノス(時間))が、
変化(運動)を無秩序(カオス)と、自然秩序(ピュシス)に分けた。
そして人の行動パターンの繰り返し(カイロス(時刻))が、
人工秩序(ノモス)を作った。
リズムが宇宙の根源にある。
152 :
〜とき〜:2013/10/22(火) 10:40:49.97 0
誰かが言っていた。人が何かを言葉で表現した時、そこに矛盾が発生する〜
言葉は運動しているものを、静止させ切り取って部分的に表現したもの〜
大事なのは、その言葉を自己の認識内で運動状態にさせること〜……と〜
153 :
〜とき〜:2013/10/22(火) 10:44:08.33 0
>>151 >リズムが宇宙の根源にある。
視点を変えると、「人が、その宇宙の運動をリズムとして把握する」という事なのでは?
154 :
わし:2013/10/22(火) 10:50:00.39 0
>>152 だな
言葉って、最大公約数的な感じで
ある程度は共通に使える道具だが
自分の中のものとはどうしてもズレが出てくる
155 :
考える名無しさん:2013/10/22(火) 11:23:49.63 0
156 :
考える名無しさん:2013/10/22(火) 12:13:39.18 0
というより、日本語の構造は世界的に見てもかなり特殊で
自己の領域から発せられているものではないことをご存知でしょうか
日本語には主体が存在せず、常に状態が未分化だというのはありますね。
158 :
わし:2013/10/22(火) 12:21:29.36 0
いや、言語に対してな
俺は日本語とフランス語ができるけど
どちらも変わらん
日本人は主体/客体を想像するときも全て非自己の領域で行いますからね
西洋思想とは相性悪いわけです
160 :
〜とき〜:2013/10/22(火) 12:43:51.38 0
そう言えば、誰かが「日本語は世界に冠たる言語だ!」、と言っていたのを想い出しましたが…
161 :
わし:2013/10/22(火) 12:45:52.39 0
はあ、結局ここも
他のスレと一緒か
残念
162 :
考える名無しさん:2013/10/22(火) 12:49:31.55 0
163 :
わし:2013/10/22(火) 12:52:25.21 0
話ははwinとmac
の違いではなく、PCとは
ということだったんだがな
まああいいか
164 :
わし:2013/10/22(火) 12:53:07.05 0
でもその話自体は
面白そう
リンクありがと
>>160 誰かが「韓国語は世界に冠たる言語だ!」、と言っていた
の間違いでは?
167 :
〜とき〜:2013/10/22(火) 14:30:12.15 0
>>165 そうなんです!
知りたいのです!私は〜優れた言語のとは?どんな構造なのか?〜を!
168 :
〜とき〜:2013/10/22(火) 14:33:46.97 0
>>166 そうですね〜宇宙レベルだと「単純で均一」なのかも…
でも…宇宙に比べたら、微粒子レベルの人間にとっては、それでも大きな変化・運動なのかも…
169 :
考える名無しさん:2013/10/22(火) 16:41:28.56 0
>>161 言語論は疑問が多いですけどね。
わたし自身はあまり信用していない。
170 :
考える名無しさん:2013/10/22(火) 20:14:22.20 0
>>154 意味というのは時代でも個人でも変わることが有りうるんじゃないでしょうか。
文学にしても、受け取る人の経験とか知識でも大きく変わってくる。
そして対象をすべて認識できるわけではないし、また認識したものをすべて表現できるわけではない。
表現>認識>対象ということです。
171 :
考える名無しさん:2013/10/22(火) 20:15:47.04 0
逆ですね。
表現<認識<対象 です。
ただ運動・変化しかないのなら人間は宇宙に生まれていないよ。
173 :
わし:2013/10/22(火) 21:50:22.54 i
>>170 言ってることは分かるし
異論もないんだが
俺はその話をしているわけではないんだ
174 :
わし:2013/10/23(水) 00:08:05.45 i
例えばあなたが感じたことを書こうとする。そうすると気待ちを一度言葉に翻訳しないといけない。それが「考える」ということだと思う。
その時、その言葉はあなたの気持ちを100%表現できてると思う?
言葉に翻訳した時に何か失われているとおもうことはない?
175 :
考える名無しさん:2013/10/23(水) 07:22:02.05 0
それはもちろんです。
この対象にはこういう語彙を使うというのが約束事ですし、それを守らなければならない。
個人的な気持ちを社会的な約束事で表すんですから、隔靴掻痒という事態はよく起きるというか恒常的なわけです。
176 :
考える名無しさん:2013/10/23(水) 11:00:46.12 0
どんな場合でもそのまま捉えられることは無いんじゃと思います。
個人的な体験を、たとえばバラのような赤とか、いろいろ表現を重ねますよね。
文学作品なんて、個の思いをどのように伝え同時に普遍にまで昇華させるのかという側面もあるのでしょうか。
あまり関係はないのですが、日本人の色の表現の多様さが話題になったことがあります。
ある本の中で、エスキモーの人たちは雪の色の表現がいくつもあると紹介されていました。
これはたぶん生活の必要性が関係しているのではないかと思いました。
黄昏、なんて表現は過渡期の表現で面白いですが、これも必要だからでしょう。
177 :
考える名無しさん:2013/10/23(水) 18:42:37.37 0
そういや出隆さんが、そのまま認識できることは在りえないとかいって唯物論否定していたような記憶がある。
もともとそのまま認識して、そのまま表現できることなんてないし。
まあ翻訳したときに失われる何かというのはわかるけど、それに拘るのは文学的な感性なのかもしれない。
178 :
考える名無しさん:2013/10/25(金) 07:17:24.17 0
時間とは何かとかは、けっきょく自然とは、人間とは、学問とは、ということに成ると理解している。
わたしにとって自然はただただ運動変化し、理由もなく存在しているだけ。
時間もひいては次元もそれを理解するために、自然を抽象した人間の頭の中にあるだけのもの。
だからこそ理解できるのだが、だからこそ近似でしか理解できない。
人間の自然の運動変化の過程で生じ、また滅していくだけ。
観念は反自然であり半自然でもあるのかも知れない。
しかし自然が産んだものでしかないだろう。
理由もなく在る自然の中で、生きる価値や理由を創ることが出来るのは人間だけだろう。
それを享受すれば良いだけだろう。
享受の可能性のある環境にあることもまた運なのだろう。
179 :
考える名無しさん:2013/10/25(金) 07:19:27.09 0
意識とは、自然が自己言及可能な物理的状態であり、それ以外ではない。
時間と空間が分割できない時空であることは、相対論より明らかなのだから、
ハイデガーの「時間」を時空として読み直せばいい。矛盾はたぶん起きないはず。たぶん。
ミンコフスキー空間における光円錐(dΤ=0の曲面)とハイデガーの「瞬間」を結びつけて面白いこと言うひといないかな
訂正 ×dΤ ⚪︎dτ
182 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 11:44:24.57 0
言葉も抽象だからなあ。
新潮社も昔はマルクス選集なんて出していて、図書館で「ヘーゲル批判」の巻を廃棄処分でもらったが
その中に抽象について、ヘーゲル哲学批判で述べていた。
果物一般が存在しているわけではない、それは現実の抽象であり、それが存在しているわけではないのだということ。
りんご一般もあるわけではないし。
俺だけが疑問に感じていることではないと思うが人間の意識が
変化前→今→変化後
という方向性を持っている理由は何だと思う?
変化前→今→変化後
これ以外に考え得る有り様ってなんだろう?
意識とか考えるのは【バカ】
情報との繋がりが過去、妄想とのつながりが未来、
つまり物理で言う「観測者」に因果関係を与える条件が過去で
因果だけでは決まりえない不確定性原理が未来だ。
物理に観測者なんて概念はない
不確定性原理は因果関係とは関係ない
宇宙が変化していて、意識はそれを感じているだけじゃないのかな?
188 :
〜とき〜:2013/10/26(土) 16:34:05.15 0
>宇宙が変化していて、意識はそれを感じているだけ
そして,その感じたことを、
>変化前→今→変化後 〜と言葉で表現しているだけ。
更にそれらを、詳しく言葉で表現しようとしているだけ。
感情と意識ってどちらが
変化前→今→変化後
というものを捉えているんだろうね
現在しかないのは事実
刻一刻性
刻一刻の時間はあるわけね
8888
>>189 どちらでもない。
自我が変化を捉える。
唯我論になったら、
話はそれでおしまいだがな
全ては自我が捉えてるじゃないの?
じゃあ、問われるべきは
「なぜ、自我が過去と現在と未来を捉えることが出来るか?」
なんじゃない?
記憶があるから過去があるように感じているだけと思うし、未来を捉えてるとは思えないかな。予想はできるけど
でも実際は、死ぬまでずっと現在しかないじゃない?
203 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 21:07:48.70 0
量でしか捉えられないから過去、未来が生じるだけ。
実際は今しかない。
>>201 夏休みの宿題は何のためにやるのかな。
未来のためだよね。
>>202 うん。そう思う。
>>203 あなたはあなたの中学生だったころを量で捉えているのですか?
宿題は怒られないためにやってた
宿題が未来のため、とは斬新だな
ちょっと小咄
義務教育制度って元々は
みんな同時に同じ作業を根気良く続けられる、忍耐力のある人間を育てるものとして作られたらしいな。
18世紀、産業革命で工場が出現したイギリスでの話。
確かにどんなに成績悪いやつでも、出席さえしてれば卒業できた。
>>206 >宿題が未来のため、とは斬新だな
w
でも、やらなかったら怒られる、は未来の話だよね。
いい大学いくのも、貯金するのも全部未来のために今、やること。
でもその未来というものは
頭の中の予測でしかないんだぜ
未来が「ある」わけではない
言いたいことは分かるか?
>>209 もちろん。
あるのは「今」だけだよ。
でも、その今は、宿題をやらなければ怒られる、と未来を捉えている。
>>207 日本人が敗戦後にトップまで駆け上がれたのは持ち前の職人技と持ち前の忍耐力のお陰だよね。
でも、今は既存の品質の高い白モノ家電を大量生産する技では通用しなくなってきた。そのスキルは新興国で代用できるようになってきたから。
今は新しい枠組み(ビジネスモデル)を作るスキルが求められているね。
頭の中でね。
だから、未来は頭の中にしかない、と言えないか?
>>212 でも、実際やらなければ、未来の今で怒られる。
と、予想しているわけでしょ?
だから、未来とは予想だと言えるとおもうんだが。
その他に未来を説明しようがない
未来とは自我と他者の中間にあるものだね。
殴れば他者は痛いし嫌がる、と頭の中で思ってる。だから、殴らない。
未来の私は他者だが、宿題をやらないと、怒られて嫌だろう、と頭の中で思う。
それが他者ではなく、未来の私だから、他者よりも真剣に考える。
それなら
自我と自我の間にもあるぞ?
未来の自我が他者というのが
よく分からない。
経験に差があるから?
え、なにそれw
説明して
>>218 あなたがそのレスをしたでしよ?
その前のレスした自分から見たら未来の自我でしょ
>>217 私がタイムマシンで未来に行って、未来の自分にあったとする。
その時に、タイムマシンに乗って未来に行った私と、未来にもともと暮らしている私が存在する。(と、仮定する)
その時、未来にもともと暮らしている私はタイムマシンに乗って未来に行った私からすると他者である。
なぜなら、相変わらず、私のことを私と思うのは、世界において、一人しかいないから。
>>219 いやいや、↓に対してだよw
>>216 >それなら
>自我と自我の間にもあるぞ?
>>220 タイムマシンなどないわけだから、
それを仮定しても意味はない。
仮にあったとして、未来の自分に会える保証はないだろ?
もしかしたら、その瞬間に映画や漫画でよく言うパラドクスが生じて、自分が消え去る可能性だってある。
事実を元に仮定を立てないと、想像ばなしにしかならなくない?
>>220 >いやいや、↓に対してだよw
分かってる、説明難しいなw
>>221 思考実験だよ。
仮にタイムマシンがあって、未来の自分に会えたとすると、未来の私は他者でしょ?
そこにデカルトが言っている独我論の本質があると思うんだよね。
もっと言うと、永井均が言う独今論の本質がある。
え?
実験?
よく分からない。
肉体的には他者と言えるかもしれないが
そんな状況は、実際ないだろ?
>>224 自分の想像で体験してみるといい。
未来の自分である他者に出会うところを想像してみると、「ある」について深い体験が出来るよ。
肉体的云々は関係無い。そのレベルまでいくと、「ある」しか残らない。
例えば、自分の記憶、感情、身振りを全てコピーできる技術が開発されたとする。
DNAレベルでまったく同じ個体を作る技術。
そして、自分をコピーする。
他者から見ると、言葉通り、100%見分けはつかない。客観的に同一の人物なわけ。
そうすると、コピーと自分、どちらが我だろうか?
根拠なんて、独我論の中にしかないんだよ。
想像を元に仮定しろと言われてもw
それならなんでもありになってしまう
>>227 >それならなんでもありになってしまう
なんでもありな話はしてないでしょ。
世界の設定をちゃんとしてるのだから。
大切なのは、「その状況を想像してみて、気付けるコト」なんだけどね。
まぁ、やる気がないなら、いいよ。
勝手に設定されてもw
分かった、努力してみる
言いたいことのニュアンスは分かるんだが、それからは何も導けないとはおもうけどな
231 :
考える名無しさん:2013/10/26(土) 22:47:43.36 0
おまいらiし合ってるな
よし、未来に来たぞ。
目の前には少し老けた自分がいる。
目の前にいる以上、自分ではない。
それで?
>>230 >それからは何も導けないとはおもうけどな
哲学の主要のテーマである独我と存在の謎については一歩か二歩は近付けると思うけどね。
>>232 なんで、自分じゃないの?
だって未来のあなたでしょ?
自分って一体、なんなのだろう?
なぜ自分でないか?
何故なら、その目の前にいる自分、それを見ている自分、両方とも、頭の中の仮定で生み出された想像でしかないからな!
実際にはそんな自体は起こったことはない。
そもそも、仮定を根拠にする理由が全く分からないんだわ。
だからこれ以上話しても無駄かもな
だって「時間とは何か」の話をしているのに、その時間を超える想像を仮定にするのは意味なくない?
>>234 >何故なら、その目の前にいる自分、それを見ている自分、両方とも、頭の中の仮定で生み出された想像でしかないからな!
唯心論の人ですか?
犯罪を犯して、人を殺しても、頭の中で生み出された想像でしかないって言い切れる?
その殺した人が本当に善良な人で、いつも誰かのことばかり考えてて、両親を大切にしてて、その人を失った家族の心の傷を目の当たりに来ても、そう思う?
>>235 なるほど。思考実験の文化を持ってないわけだ。
了解しました。
正直言い切れるねw
それに善悪など立場の違いでしかないと思ってる。視点が変われば、善悪も入れ替わるような相対的なもの。
うん、悪いけど
思考実験、という言葉自体俺にとっては滑稽な話だ
悪い、想像でしかない、と言っているわけではない。頭の中で認識してるだけ、ととおもう。
しかし、バカにしているわけでも
やる気がないわけでもない。
今俺はこの議論をすごく楽しんでるぞ
誰か、
ちゃんと客観的事実を元に話せる人はいないのか?
人間にとって過去とは記憶であり、未来とは予測である。
宇宙にとって過去とは現在の状態になる前の状態でありるが、未来はあるのかな?
自分も似たように考えていて、
過去、現在、未来が連続して続いているというのは、秩序の整理方法の一つでしかないと思うんだよね
246 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/10/26(土) 23:21:07.06 0
事実は時間のなかにしか存在しない。終了。
過去や未来が、現在とは違う別の何処かに「ある」という認識や、現在は過去や未来と河の流れのように続いている、というイメージなんかも、習慣的にそう学習してきたからに過ぎず、誰もそれを証明した人はいないよな?
>>246 短い登場だったなw
しかし、このスレのテーマはいい時間潰しだな。答えがでないもので議論すれば、その間は孤独を感じないし。
ある意味、2chを抜け出して、行動を始めた時、その人の時間は本当に動き始めるんだろう。
いや別に、こうしている間にも時間は流れているよ。
でも実際に流れているのは、時間ではなく、エネルギーかな?
さて、もうここには用はないな。
短い間だったが、付き合ってくれてありがとう。面白かった。
>>249 エネルギーって何?
それを説明出来ないと、単語を横にずらしただけだよ。
252 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 05:04:50.50 0
始まりも終わりも証明されたことは無い。
「科学の終焉」で、ブリゴジンはブリゴジン学派の若い科学者は時間の終始は在り得ないという研究を紹介しました。
科学の歴史は常に運動量無を否定しています。
身の周りの何ものも自然の運動変化の過程以外では生成されません。
運動の否定はこの自然のどこにもあるわけではないのです。
物理的存在としてのわたしは、この瞬間に生まれこの瞬間に死んだということは決して指示できない。
物理的存在としては何も無くならないし、何も生まれない。
生まれるというのは物理的状態の変化だし、死もまたそのようなものとしてしか存在しない。
つまり生死というのは、実は認識の問題でしかない。
わたしという物理的存在は、誕生から死ぬまで常に運動変化していて同一としては存在しえない。
つまり認識は同一、静止なのだが、わたしという物理的存在の運動変化はけっして否定されない。
このことは身の周りのすべての物理的存在に言える。
自然の物理的存在の運動変化の否定、運動量ゼロは証明されたことが無い。
253 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 05:22:41.42 0
地動説、光速度一定の法則では、座標原点の自然存在を否定しています。
つまりゼロ次元は存在しません。
ゼロ次元が存在しないのならば、それを無限に集めてもやはり一次元には成りえません。
しかし、座標原点は適当に設定して対象物の運動量を測るしかないわけです。
つまり座標原点はあくまでも運動量を測るための仮のものであり、自然には存在しないのです。
縦横高さで自然が出来ているのではなく、それで自然を理解しているだけです。
次元は自然の物理的存在の抽象でしかありません。
時間もまた、自然の物理的存在の運動量の抽象です。
次元は自然の抽象として頭の中にのみ存在し、自然に存在するわけではないのです。
時間もまたそのようなものとしてあるわけです。
254 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 07:18:06.72 0
つまり主観に過ぎない、と。
255 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 07:39:53.73 0
>>253 それなら重力もエネルギーも自然には存在しませんね
>>251 >エネルギーって何
計算途中の数字を、どんどん放り込んで保存しておける、作っておくと便利な入れ物
実体としては存在しない
257 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 10:05:44.19 0
主観では無い、運動量に基づいているのだから。
ゼロ次元の自然存在は否定されているということは理解できないのかな。
258 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 10:37:24.42 0
>>256 我々を含めて、事象の根源にあるのは“エネルギ−”であり、生き物はエネルギ−を
「生命力」と呼んでいる。
我々の精神的活動(主観的意識)も、その本質はエネルギ−(生命力)であり、「主観」も
「客観」も、“根源”はエネルギ−(力)である。
従って、科学知識は、主観によって構成されたものだが、同時に自然という客観的世界に我々は
生きている。だから、客観的(自然界)に生きる我々と、主観的意識(精神世界)として生きる我々は
共に“実体”として存在している。
生物学や栄養学で言えば
エネルギーは普通に分子構成で表せるけど
260 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 11:09:10.50 0
その分子構成は、素粒子の集合体であり、素粒子そのものを更に分析すると、
それは「質量=エネルギ−」の法則に至る。
つまり、すべてはエネルギ−(力)と言うことになる。
ちょうひもりろん?
262 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 11:17:16.23 0
>>257 だから、運動量の計測は客観的に把捉しえない。
つまり主観あるいは共同主観的にしか確認しえない。
263 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 18:39:21.37 0
主観?
たとえば隕石が地球にぶつかったのが見つかった場合は、運動量とかは人間の主観というか認識に対象化されただけで
その運動量自体は人間の認識とは関係なしに存在したわけだし。
客観的に存在した、する運動量を人間が認識に対象化するわけでしょう。
近似値的にしか把握できないけれど。
全ての時間を一元化してしまえば実質的に時間がない
時間って不可逆的に見えるだろ?
もしも時間が不可逆的ではなくて可逆的なものならば自在に操作が可能になる
ある見方をすることで、見かけ上は不可逆になっているとすればその範囲が時間になる
一本の線を左から右に進んでいる点を考えて下さい
この点自身は戻ることが出来ないと思っているが、上の次元からすれば点を戻すのは可能となるのだ
つまり我々の時間も不可逆に見えるのは点になっているからだ
一つ上の次元から見ると戻せる時間にはなっている
266 :
〜とき〜:2013/10/28(月) 14:38:23.86 0
では、思考実験に付き合おう!
タイムマシンで未来へ言って、未来の自分に出会った時、今の自分は未来の自分を自分だとは認識できない。
これは矛盾である。故にタイムマシンの製造も、未来へ行く事も、不可能である。
267 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 18:00:34.70 0
おっと、その前に
未だ来らぬ時代(未来)が、何故「既に在る」?
>>266 付き合ってないじゃんwww
僕だったらこう書くな。
「タイムマシンで未来へ言って、未来の自分に出会った時、今の自分は、未来の自分ではなく、今の自分のほうを自分だと認識する。」
269 :
3時で1時:2013/10/29(火) 01:24:05.83 0
おとぎ話では、現在・過去・未来は、互いに他所の世界だが、
現在というのは、現に在る事柄からなる認識上の時点であり、
過去や未来は、その前後に過ぎない。
覚醒状態にあれば、常に現在自分が何しているか自ずと認識する。
自分がいま何を思っているか分かるわけだし、「未来の自分が何をしているか」も考える。
「未来の自分」は「すでにどこかに現に居る」のではなく推測・想像の対象でしかない。
未来は認識上の「この先」だから、何をどうしたって、未来に行き着くことは有り得ない。
現前している何かを「未来の何か」だと考えるトンチンカンが、
「俺は、今現在“未来”に居るんだぜ」なんて思うのは構わないけど。
前提条件を受け入れた上で話さなければ、そもそもこの話の意味はない。
271 :
考える名無しさん:2013/10/29(火) 02:44:32.03 0
前提として成り立たないデタラメ話を無理やり成立させる意味は?
272 :
3時で1時:2013/10/29(火) 03:08:57.05 0
「これからどうしようか」と自らの行動を思案する。
「これからの行動」は、未来の行動であるが、実際に行動に移したら、
「後」であっても、もはや未来の行動ではない。
タイムトラベラーは、未来ですでに起きた出来事を「未来の出来事」として思い出すのかな(笑)。
273 :
わし:2013/10/29(火) 03:12:24.67 i
記憶がある以上、過去と認識するでしょう。本人にとっては
274 :
3時で1時:2013/10/29(火) 03:48:35.09 0
そう、「未来のことは、思い出せない」。
これから生まれるであろうわれわれの子孫にとっても、
すでに亡くなった多くの人々にとっても、
未来は思い出せない認識上の「この先」である。
終わったこと、済んだこと、経たこと、すべて過去のことだ。
既に現れている何かしらのものは、未来の事でも未来の物でもない。
ここで多くの人が述べている時計時間を超えても、未来が現前することはない。
現在・過去・未来は「出来事時間」に属しているので、超えて行くことは出来ない。
275 :
〜とき〜:2013/10/31(木) 09:35:35.97 0
客観的過去も未来も、人間の主観的・認識内のものであり、ある意味現在も主観的には過去のものであろう〜
何故なら、人が五感器官で客観的現実を認識した時、既にコンマ数秒の遅れがあるのだから…
従って、人が現実を主観的に認識した時点で、客観的現実は、コンマ数秒先へ変化しているのだろう〜
悲しい事に、客観的現在でさえも、人が認識できた主観的現在と一致しないのだろう…
人は、過去も未来も現在さえも…正しく認識できない存在なのだろう〜か?!
だからさ、
それは物理学的、生理学的知識があるからそう思えるだけで、感覚器から脳までの伝達時間に差があると自分で感じてるわけじゃないでしょ?
勉強したり、何処かで聞いた知識に影響されてんのよ。そういうのを鵜呑みにしないで、自分でかんがえてみなさいよ
>>266 >>268 どちらも間違っている、哲学の種類が違う
これは認識論ではなく不可逆性はあるのかの考察
言い換えると時間は再現が可能であるのかの問い
これを発展させると時間には有限の範囲があり限界があるのかを問うことになる
>>267 可逆だとすれば在るの
278 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 00:20:13.15 0
物理学では時間を都合の良い概念として利用する。
物理における可逆・不可逆性の問題は、タイムマシンと関係ない。
279 :
〜とき〜:2013/11/01(金) 10:25:01.48 0
>>276 「伝達時間」だけの問題ではありません。例えば運動能力の問題。
伝達された五感情報を如何に速やかに処理して、その現実に対応した行動をまでの時間差もあります。
その情報処理のスピードと、その対応能力の差で、同じように激しく転んでも、骨折してしまう人、
しない人との違いが生じるのです。
ここに、ほぼ今のこの瞬間に生きている人と、コンマ数秒or数秒前を生きている人との差も生まれます。
>>277 関係あるよ
実はこの世界は巨大な将棋ではないか?
と考えて、将棋だとすれば全てはパターンで説明が付けられる
だとすれば過去、現在、未来は見かけ上に生じているものに過ぎないことになる
282 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 20:39:41.92 0
>>281 ・・・ではないか・・・であるとして・・・だとすれば・・・
・・・だから関係あるよ と言われてもなw
283 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 20:51:20.19 0
>>280 >>281 将棋の“何”のパターンが、“何”を説明付けるって?
物理における可逆・不可逆性の問題と、どういう関係にあるかと?
過去、現在、未来は見かけ上に生じているとは、どういうことかな?
順序だてて、説明してくれないか?
>>282-283 すまんけど質問の為に質問しているように見える
そうなってしまっては懐疑ではなく信仰だろう、そんな難しい話ではあるまい
ここに疑問をはさむのは修辞的な逃避でしかない
「宇宙が全て数量化されるのであれば過去、現在、未来の区分は実質的に無化される」に
疑問を挟む余地がないだろう、今のところは
だから、あんたは
ずっと例え話ばかりだから
話が進まないんだよ
聞いても
へー、くらいしか答えられねーよ
あんたのレス、言葉は多くても
中身がないんだよ
286 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 21:49:05.19 0
>>284 >質問の為に質問しているように見える
質問のための質問ではなく、
何のために将棋を例えとして持ち出したのか不明だから質問しただけだ。
“ ここに疑問をはさむのは”の“ここ”って、何を指している?
>>285 そんな訳がない、自分が信じたい時間観を押し付けたいがために嘘を書くな
単純な話を理解できない複雑な話だと言い張ることで神秘主義に落とそうとしているだけの
姑息な卑怯者だ
>>286 だから嘘を書くなよ
「もしかしてこれのことか?」と予想すら出来るだろ、予想すらしないのは思考してない証拠だ
そんなものは哲学でもなんでもない、というか何が分からないのかが分からん
将棋をやったことがないのか?数量化することの意味が分からんのか
大体、タイムマシンってなんだよ頭おかしいんじゃないか?
どっからそんな物が出てくるんだ、仮にそんなものがあったとしても数量化してしまえばそれまでだろ
なんの反論になってない
289 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 23:10:18.38 0
>>286 >だから嘘を書くなよ
>予想すら出来るだろ
いや、あんたの投稿内容が、イミフだから質問したまでだ。
“予想すら”って言葉変だけど、それはいいとして、イミフだから予想もなにも。
当てずっぽでいいから、勝手に書けばいいと言いたい?
そういう奴に限って、そうなこと言ってねーとかいうからね。
>将棋をやったことがないのか?
将棋はやったことないが、およそのルールは分かる。
で、あなたの言うパターンというのは、対局内容のさまざまなパターンて事かいな。
>数量化することの意味が分からんのか
数値として認識するってことで、桶?
290 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 23:11:35.06 0
まず、なんで将棋に例えたのか
その説明が先だよな?
まあ、ガキはスルーすればいいんだがw
292 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 23:16:10.82 0
>大体、タイムマシンってなんだよ頭おかしいんじゃないか?
タイムマシンは、「可笑しな空想事」でまちがいないyo
293 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 23:37:19.24 0
数量化って《数値化理論》とか持ち出されても、正直あまり解らん。
質的なものに関しては,扱いは難しいだろうが、いずれにせよ我々が観測関与できるのは1つの世界しかない。
物理的に観測できるんだったら、物理的につながっており、他の世界ではない。
だよな
時計は時間を計っているわけじゃなく
地球の自転と、同期して動いく機械というだけだしな
将棋に例えたのは、
・どんな順序で今の形になったのか一見すると分かりにくいことと
・駒が動いていった順番の記録が重要であることと
・部分的には同じ順番で駒を動かしていくことがある
・すべての情報がオープンのゲームである
などの条件を満たせるから
これが他のゲームだと順番は関係なかったり、あるいは順序が完璧に把握できたり
ランダム性があったりする
>>289 >数値として認識するってことで、桶?
OK、あくまで仮説だがそういうことになる
了解
この世界にも棋譜があるとして
それがどうして、過去、未来がみかけだけとなるのか?
297 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 01:44:49.47 0
>>295 実はこの世界は巨大な将棋ではないか? という仮説の根拠
・この世界がどんな順序で、今の形になったのか一見すると分かりにくい。
・駒が(存在物が)動いていった順番の記録が重要である。
・この世界では、部分的には同じ順番で駒を動かしていく(存在物が移動する)ことがある。
・この世界は、すべての情報がオープンである。
・・・・これらの諸条件を満たす。で、桶?
298 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 01:49:38.04 0
>>296 オイラもそう思った。
また、“見かけ”であるとは、虚妄であって、
いかなる区別も本当は成り立たぬと言いたいのかな。
棋譜があっても
再現できるとは限らんよ
どうやって、盤を初期状態に戻すんだ?
>>300 「戻す」という発想をする必要はない、任意の「状態」になればいいんだ
じゃあこの世界は何度か、
同じ状態になった
つまりループしてる可能性もある
と言いたいのか
303 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 02:00:47.43 0
>>299 >再現性があれば時間は無効になるから
その“時間”なんだけど、いろいろな意味で用いられているので混乱するわけだ。
シンプルに、時の永さとしてとらえれば、時間が流れるということは矛盾であり、
時の矢など考える必要もないし、事象等の逆行性も関係がないわけでね。
304 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 02:18:41.26 0
時間についての多くの人がもつであろう
“過去から未来へ流れる”という概念が無効になるということか。
むむむむ・・・
まあ、見方によっては
未来の方から現在に向かって、過去の方へ過ぎ去って行く、と逆に流れているようにも思えるがな。
その違いは、我々が時間という川の中で
イカダに乗っているか、川底に足をつけ立っているかの違いなんだが。
棋譜としてみた場合は、
ゲーム中の一手一手が
必ずしも連続しているとは限らない、ということなのか?
盤上が今の状態になるためには、それまでに何度か手を打たなければならないと思うんだが。
それはむしろ時間(プロセス)を肯定しているようにも思える。
よく理解できない。
>>305 その意味で言えば、
未来の方から現在へ
過去の方から現在へ
とも考えられるけどね。
流れが一直線だと揺らぎがない。
でも、実際は、論理空間の可能性は大きく開かれている。
確かにな
自分は「回転」というイメージに囚われているんだ。
銀河も渦を巻き、太陽系も回転し、地球は自転し、水は渦を巻いて穴へ落ち、DNAは螺旋を描き、カタツムリの殻も螺旋、そして電子は中性子の周りをまわる。
全てが回転しているこの宇宙で、時間がこの動きに関連してないわけがない、という感じ。
311 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 02:38:31.42 0
ニーチェの永劫回帰説の亜流を想像すればいいのかな。
どうしても世界の移り変わりと“時間”を結びつけたい人にとっては
“直線的時間観をとらず、円環的時間観”というような解説になってしまうけど。
312 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 02:42:52.49 0
>全てが回転しているこの宇宙で、時間がこの動きに関連してないわけがない、という感じ。
すでに述べたけど、形而上学的時間だわな。“すべてに先立って、時間ありき”の思想じゃん?
しかし人間は社会生活をする以上、
物事の変化を連続的に考えなければ
生活していけないということもある。
ある動物や、植物のように常に現在だけという感覚なら、今の文明は起こらなかった。
時間感覚の否定は、知的生命体の否定にならないか?
>>312 ただそういうイメージを持ってると言いたかっただけ
俺は時間を特に否定してないからな
人に時間感覚がなければ
こうやって会話すること自体不可能だ。
自分は時間という概念を利用しているから今こうしてられる。利用できるのだから存在する。というスタンスだ。
否定しても机上の空論とは思わないか?
316 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 03:20:02.75 0
>>315 時間を否定してないよ。
ただ時間は“世界に先立って”在るのではないし、“世界と別に在る”のではない。
俺は、時間を“続き保たれる度合い”と捉え、それを“永さ”と表現するだけだ。
生きている時間とは、生きている状態が“続き保たれる度合い”であり、
歩いている閨A旅行している閨A考えている閨E・すべて時間であり
早い話が、世界を構成している存在物、すべての現象は時間という側面をもつというだけ。
人が何かしらのものが「在る」という時、すでに時間という側面を語っているのだ。
時間は、視覚的には時の長さであり、スパンであるので
死を覚悟した人が、俺には時間があまり残されていないというような表現になる。
まあ、それを前提として
時間とは何か?
を話してるんだと思ってるけどねw
318 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 03:53:54.39 0
時間を“続き保たれる度合い”と捉えている、と書いた。
これは前提ではなく言葉の定義であり、“時間とは何か”は俺的に完了。
様々に表現されている時間の概念をここからスタートして整理していけばいい。
時計時間というのは、人々が共有しうる“時の指示”を実現するものとして人間が考えたものだ。
小さな共同体のなかでは、“おれが手をあげた時”とか、おれが寝ているあいだにというような
出来事や状態などで時の指示ができるけれど、社会が大きいと、誰にとっても同じ進み方をする
時の指示をするシステムが求められる。
あと、話していけば、長くなる・・・
まあ、太陽が今どこにあるか、の代用品さ
320 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 04:08:24.96 0
太陽が今どこにあるかも、時の指示。
>>302 そう
この場合のループはSF作品にあるようなループのイメージで
ある状態に「リセット」と呼べるような状態になるのだけど、回って繰り返すというよりも
履歴が消失した状態と考えている
そこから導き出せるのは膨大な量のパターンの山であって、時間ではなくなる
また例えになってしまうけど、時間のスケールは人間を基準とすると大きいのだけど
宇宙規模になってくると時間よりも空間の規模の方が大きくなってしまう
光ですら1年かかって移動する距離のスケールになる
同様に人間からするとパターンの量を把握する認知能力よりも時間の進む速度が
はるかに早いので時間に注目してしまうけれども、パターンの量を即座に認知してしまう
知能があれば時間よりもパターンの量に注目することになる
どうでもいいわ
一生やってな
323 :
〜とき〜:2013/11/02(土) 10:01:04.80 0
>>314 興味深い話の映像紹介を感謝です。
人がこの世界をどのように認識するか…
その認識の仕方如何で、その人の幸・不幸が決まってしまう…
自己の、そして他者の幸福の為の現実的世界の認識とは何か?
右脳なら疑問すら持たない、
あるがまま受け入れるだけ。
それが現在だけの世界
>>321 みたいなのが
左脳ばかり、つまり頭が未来か過去にズレてきて、身体と分離している状態
時間に、絶対的時間というのは存在しえるのか?
そもそも、時間というのは、相対的になにかの関係性を示すために仮設されたものでしかない。
あるといえばあるし、ないといえばない。
その程度のものでしかないんじゃない?
>>322 どうでもよくない
このテーマの重要性が理解できないようでは時間を論じることそのものが不可能になる
テーマ設定も非常にシンプルで「時間は一元化できるのか?」に収束する
>>327 重要性?
あんたの目も濁ってるな
ただの暇つぶしだろ?
それは素直に認めなさいな。
2ch意外でこの話してないだろ?
>>328 それは議論を潰したいが為の口実
論理性とかそれ以前に自分が気に入らない議論を個人主義に落とし込んで消そうとしている
自分が気に入らない時間観ならばそれはそれで結構だが
自分の好みを他人に押し付けて論理性を有耶無耶にするのは哲学ではないだろう
一貫して時間の一元化を嫌っている人が他にもいるようだが
素直に認めろというのならあなたこそ冷静さを欠いていると認めるべきだ
そんなことないよ
どんな時間論だろうと
話してて楽しければそれでオケ
>>314 右脳が現在を認識し、左脳が右脳を分析し、過去や未来を描き出す。
左脳が機能しないと、人間って時間概念が無くなっちゃうんだな。
ありがとうございます。とても興味深い動画でした。
おもろいよな
右側はグラフィックボード
左脳がCPUみたいなもんか?
しかし、いろいろ調べてみると互換性あるらしいんだわ、それもおもろい
全く凄い体験談だよな。
左脳が機能しないとゲシュタルト崩壊するって事は、右脳のアナログ情報を左脳が記号化して認識処理してるんだろうな。
右脳と左脳の間にネットワークがあってプロトコル通信してるのかな?
興味が尽きないな。
アナログ、デジタルというより
右で入力された、ただの信号である生データに、意味を与えるのが左、って感じかな?
皆さんに喜んで頂いてよかったです!
もし興味あれば、
「フランケンシュタインの城」
「右脳の冒険」
共に、コリン・ウィルソン著
が面白いです。
上の順序で読むのをお勧めします
ウィルソンは面白いよね。
至高体験も、サルトル流儀だったが、現象学を良く説明してた。
>>315 静止を仮定してさまざまな物体の運動量を測るのが物理学だったりする。
ただしこの静止は実在はしない。
利用できるが存在しないということ。
>>337 悪いなどうも眠いらしい。
物理学に詳しくないから聞いて勉強してるんだが、その場合の静止は、相対的に静止してる視点というだけで、存在しないわけじゃないぞ?
運動の否定としての静止はどこにも存在していない。
運動の均衡状態が、静止として理解されているだけ。
運動は否定してないよ
>>315でそう言ってる?
運動の均衡?
どこかを中心点に定めてるだけかと
しかしそんなことに議論してても仕方ない
>利用できるのだから存在する。というスタンスだ。
静止は利用できるから存在するのか、ということ。
現実に存在するのは運動の均衡状態としての静止はあるが、それは視覚的真理に過ぎない。
静止であるようにみえるが、それは運動の否定としてではないということ。
理解に必要な運動の否定としての静止は存在しない。
時間もまた理解に利用できるのから存在する、ということにはならないということ。
運動の否定としての座標原点は存在しない。
ゼロ次元も一次元も二次元も三次元も存在するわけではない。
それは自然を理解するために利用できるが存在するわけではない。
同様に四次元である時間もまた自然の運動量を理解するために利用できるというだけで存在するわけではない。
>>343 それは自分のポリシーだから
あなたにとやかく言われる筋合いはないよ
ここは時間があるかないか、話してるのではなく
時間とは何か?
を話していることをお忘れなく
時間は常にある運動量が基準になっている。
昔は公転、自転、太陽暦、太陰暦、今では原子の振動数とか、常にある物質の運動量。
次元は対象の抽象であり、それで理解できるから利用しているのであり、次元が存在しているわけではない。
自然は次元でできているわけではなく、人間がその抽象である次元で理解しているだけ。
時間はこういうものだから、無いと言っているのだが。
前から思ってたけど、
あなた結局は相手を論破して
カタルシス感じたいだけなんでしょ?
だからここ人いなくなるんだよ
論破じゃないさ。
事実に基づいて時間は語られるべきだと思っている。
妄想スレということなら引っ込むしかない。
あなたの人生に何の不満があるのか知らんが、それを解消するためなら一人でやってて?
ある程度の大人ならね?
そうからあなたはそう思うのか、しかしこういうこともあるぞ、でいいんだよ
相手が負けを認めるまで続ける必要はない。
そういう基本的なことをマスターしてからレスしなさい
ある、なし、というのは物理学的にあるかないか、だけではないの。
信仰がある、優しさがない、そういったこと目に見えないものだって哲学の対象なんだよ。時間もそういうもの。
わかる?
時間は流れない。
完全に静止した瞬間がただあるのみ。
人間が時間の流れを感じるのは、過去の記憶を持っていて、現在の瞬間と過去の記憶との関係付けをするから。
勝ち負けではないと思うけどね。
客観的なことから出発したいだけ。
あなたは自分から他人を理解しているだけだよ。
不満ではなく、渇望だよ。
物理学的には、時間は宇宙と言うエネルギー場が変化し続ける性質を持つと言う事に集約される。
認識論的に語られる部分は、最終的には大脳生理学的に解釈されるべきである。
あなたが唯物論者だということはよく分かったよ
ごめん、そうでもないな。
哲学じゃなくて科学やってんのか
すまんすまん。
真理を追求していれば、必然的に科学的にも正しくなる筈だよ
362 :
考える名無しさん:2013/11/15(金) 17:28:03.70 0
サイコーの理性
プラス生きがい
363 :
考える名無しさん:2013/11/16(土) 22:10:31.69 I
よく時間は瞬間瞬間にしか存在しないのであるならば、運動は不可能だと言われるが、必ずしもそうとは限らない。
一枚一枚の絵をパラパラめくっていったらその絵が一つのまとまりを形作り、そのまとまった絵に動きが
出てくるように感じることがある。
これを瞬間瞬間で一枚の絵ずつ捉えるということは、絵の動きが存在しないことを
認めなければならなくなるわけだが、俺はそうは思わない。
なぜなら時間が別々の場所で捉えられるのではなくて、同じ場所で捉えられていると
考えられるのであるならば、絵の動きは同じ空間ですでに一つの流れのある絵として
考えることができるからだ。
つまり時間に流れが存在する根拠は、過去現在未来にあるのではなく、かといって主観の流れにあるわけでもない。
すなわち、空間にあるのであって、空間は本来純粋に持続しているというわけである。
しかしこれは絵が静止した状態にあるわけではない。
時間とは何か?と聞かれたならば、私は時間とは「純粋持続した空間」と答える。
時間の流れを認識することと、空間を認識することとは同じことなのである。
364 :
考える名無しさん:2013/11/17(日) 15:47:28.19 0
「空間」という概念は、自己の意識を通して捉えているのだから、「空間」とは
主観で構成された概念ということになる。
同じように「数字」の概念も、他者から強制されたものではなく、自分の意識(主観)で
構成されていることが分かる。
それじゃ数学はどうなるんだよ
>>363 言いたいこととあっているのかは知らんけど、
ボールがAという場所にある状態とBという場所にある状態が実は同時に存在しているのが
世界の真の姿ではないかという説を思い出した。
この世界では時間は存在しないが、かといって完全停止しているわけでもない。
あらゆる分子はあらゆる場所に存在している状態なんだが、
人間がそれを認識すると、時間の流れがあるみたいにしか認識できないという説。
つまり時間とは脳の作り出した産物だという説。
量子が同時にあらゆる場所に存在しているのなら、なぜ質量のある物体は局所に存在しているように見えるのか
最小単位まで切り取った瞬間が止まっているのは画像が止まっているのであって、最小単位の時間が止まっているわけではない
量子論は正しく、不確定性原理こそが宇宙の真理である?
それ、本気で言ってるの?
>>369 こういう言いっ放しの、懐疑のための懐疑主義、もう見飽きた
>>364 こういうのは認識論になるんでしょうか。
初心者なので、質問させてください。
たとえば眼の不自由な人の場合の空間認識はどうなりますか。
臭覚など感覚が無い場合とかはどうなりますか。
自己の意自体はやはり感覚を通して成立するような気がしますんで。
372 :
考える名無しさん:2013/11/18(月) 11:15:56.09 0
>>371 空間・時間は、自己の意識を通して捉えているのだから、空間・時間とは、
主観で構成された概念ということになる。
眼の不自由な人、或いは、臭覚・触覚など感覚の無い人は、主観(意識)によって
空間・時間を構成することは出来ない。だから、感覚というものが“すべて”無ければ
「無」という認識(=経験)となる。
事象を「主観」で捉えるのは、認識論ですが、では、主観の対極にある「客観」は
主観に対して、どのように連関しているのか。西洋哲学の場合は、この客観の認識を
「存在論」と呼んでいる。
373 :
考える名無しさん:2013/11/18(月) 11:30:09.90 0
視覚がないと空間認識ができないと言いたいの?
無生物には空間が無いということですか。
無生物も空間を占めているのですから、空間は在るんじゃないかと思います。
無生物は主観が在りませんから、この場合は概念じゃないと思うのですが。
たとえば人間が住んでいないであろう惑星に空間は存在しないのかということです。
375 :
考える名無しさん:2013/11/18(月) 12:24:17.42 0
無生物は、なんらかの感覚をもっている。
感覚があるとすれば、主観を通して認識してることになる。
無生物に「主観」がないと現時点では、立証することはできない。
現代科学で無生物に、主観があるのかないのかは、証明できないだけで、
人間とは異なる“認識プロセス”をもっていることは確かであると思う。
土星や太陽が主観を持っているわけですか?
377 :
空ちゃん:2013/11/18(月) 14:23:31.85 0
空間と呼ばれる何かがある事と、それを空間と認識する事は別でしょう〜
人が、生物が、無生物が、その何かを空間と認識しなくと、それはそれであるのでしょう〜
主観があることを証明できなくとも認識プロセスをもっていると言うのはわからないな。
反応というのならばわからないわけではない。
379 :
考える名無しさん:2013/11/18(月) 17:17:21.78 0
主観の捉え方について、量子物理学者のロバ−ト・ランザ博士は、
「この世にあるものは、すべて人間が意識し、決定してきたものである。」また、「この世
の中を作っているのは、人間の意識である。」という発言をして、現在、世界的に注目を集めている。
この結論は、精神論でもなんでもなく、科学的根拠に基づいた、たしかな事実とのべている。
その科学的根拠の一つが、量子力学の「2重スリットの実験」と言うことです。
要はまた「解釈」ね
「科学的根拠に基づいた、たしかな事実」というのは誤訳かなにか?
量子力学の解釈未だわかったいないんだから。
やはり聴く必要なかったな。
383 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/19(火) 23:14:06.71 P
ここはなかなか有益な議論をしてますね。
少し自分の時間観を述べます
まず、時間とは、其々の系が持っていると考えます
例えば、ある人間の系は寿命という「いのちの永さ」を持っている
(いのちとは、系を保つ連続性、持続性です)
また、その公約拍である心拍を持っている
興味深い法則に、心拍一定の法則があります
寿命と心拍に関係があるという話です
呼吸も関係するそうだが、其々がいのちの永さの約数であるリズムを持っている
このリズム、その最大公倍数の永さ、これが時間です
余談だが、いのちには波長(音)も持っていて、半拍と同じく半音を内包している
384 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/19(火) 23:45:14.77 P
失礼、公約と公倍は誤りww
倍音と半音、倍拍と半拍の相似性、共通性、共鳴性という関係性で考えてくれ
ひとそれぞれ考え方はちがうだろうから全否定はさけたいけど、
解釈でもそれが聞くに値するものならいい
だが、実際にできることをやった人とやらずに又聞きの知識だけで語る人がいたら、
いくら後者の頭がいいことが有名でも後者の解釈はどこまでもうさんくさい。
2重スリットで斬新な解釈をするのは歓迎だが、少なくとも自分で2重スリットを
体験したのでなければ説得力はまったくない。
つまり本気で聞くに値しない
386 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/20(水) 00:31:19.83 P
矛盾の無い二重スリット実験の「解釈」などいくらでも考えられる
そのどれが正しいかなんて解るはずは無い
何しろ矛盾が無いからなww
解釈で捉える理論体系は、不完全性定理が示す通り、真理ではなく思想だね
387 :
考える名無しさん:2013/11/20(水) 15:20:26.50 0
ロバ−ト・ランザが、「時間・空間は主観(意識)によって作りだされたもの。」と述べているが、
その科学的根拠が、二重スリットの「コペンハ−ゲン解釈」を基底としている。
事象に対する従来の科学的な捉え方に偏らず、「物質」概念の新しい捉え方は、哲学の分野(領域)に、
物理学(量子力学)が入ってきたことを現している。
誰の主観なんだよ。w
389 :
3時で1時:2013/11/20(水) 22:29:33.30 0
時間は、【時の長さ】であり【永さ】とも表現される。
これは、世界の側面であり、存続の度合いを示している。
【時の長さ・永さ】というは、「時」が場面化された出来事および有様のことであり、
認識上の分節化した「次の時の出現までの閨♂iさ」を示していることはいうまでもない。
世界が始まる前を想定したところで、変化のない状態が続いていたわけではない。
「状態のない状態がある」という言葉遊びに過ぎず、永遠の時間というのも矛盾している。
存続の度合いを長さ・幅として認識すると数学的な時間の次元が設定された。
そして、どれだけの闡アき保たれたかを測る(数値化する)ために物理学的時間が用いられている。
「測るべき対象としての時間」と「測るための時間」「数値化された時間」は区別されなければならない。
390 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/20(水) 23:42:00.90 P
認識論から時間を考察
まず、認識とは意識の事であり、「注意」という能動と、「気づき」という受動の総体です
この認識は、知性を齎した
知性とは区別の事であり、成長に依って状態の変化、つまり記憶上の状態と現在の状態の区別を認識し始める
そこで、「さっき」や「この前」など、今と区別する概念が生まれた
では、時間は「進んだ」のだろうか?
そうではなく、状態が変化しただけである
しかし、そこに「リズム」を「認識」して「区別」をした
認識が時間を考案したのではなく、変化のリズムに気づいたからいろいろと区別を始めたのだ
391 :
3時で1時:2013/11/21(木) 00:41:30.36 0
いつのことか、どれだけのあいだ存続したかということを伝える「時の指示」。
「4代目が経営していた頃に」とか「族長が手をあげた時」とか「A君が寝ているあいだ」というような
時の指示方法ではそれを知る身近な人々の間では有効であるが、世界における社会的広がりの大きさを意識して
記録に残すなら、日付・時刻というな、簡便でより共有度の高い時の指示によって記述することを選ぶだろう。
物理学的時間は客観的時間とも表現されるが、実質的に時計時間である。
それは数値的に「つねに等間隔で進む」という大前提が崩れないことで「絶対的な共有」が果たされる。
重力や運動速度などで変化するのであれば「絶対的共有性を失った」だけのことであり、
「測られた時間のズレ」によって出来事(変化の推移)の順番が入れ替わることは当然ない。
時計の物理的動作も世界における出来事の推移の一部であり、「同時」を見出すのは人間であるからだ。
>それは数値的に「つねに等間隔で進む」という大前提が崩れないことで「絶対的な共有」が果たされる。
何に対して等間隔なんですかあ?
393 :
3時で1時:2013/11/21(木) 00:52:56.93 0
>何に対して等間隔なんですかあ?
絶対基準になる 「何か」なんてないよ
>>393 >それは数値的に「つねに等間隔で進む」という大前提が崩れないことで「絶対的な共有」が果たされる。
そもそもこの文が意味をなさないと遠回しに指摘したんだよ
395 :
3時で1時:2013/11/21(木) 01:05:21.24 0
>この文が意味をなさないと
唐突に感想だけ言っちゃダメだよ。理由は?
396 :
3時で1時:2013/11/21(木) 01:47:53.29 0
どうしたん?
「文が意味をなさない」というのは、
文章説明として有効性が無いということだろう。
どことどこが矛盾しているとか、同語反復になっているとか、
全然別の話に飛躍しているとか、きみなりの理由を見出したからレス入れたんだろ?
それを「示さない」と「きみの文が妄想的反発としてか意味をなさなくなる」ぞよ。
時間は人類が誕生する前も、そして人類の最後の1人が死んだあとも存在しつづけます
元々時間は存在しないよ。
399 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 11:01:37.23 0
時間はある、という圧倒的な実感に対して
それを「存在しないのだ」と論陣を張るつもりなら
そう考える理由を示さないと駄目だね
400 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 11:17:59.89 0
じゃ、時間はある、
という実感がまるでない
という理由でいいだろww
401 :
時間MAN:2013/11/21(木) 11:19:15.82 0
〜時間があるのでしょうか?
それとも、
ある事の結果を時間だと勘違いしているのでしょうか?
〜時間と幽霊は似ていますね!
見える人には見えて、見えない人には見えないもの〜
〜「圧倒的実感」とは、時間に対するものなのでしょうか?
それとも………
402 :
投げパンの耳:2013/11/21(木) 11:20:03.28 0
止まってるってゆー 解釈でいいとおもいます
基本パラパラ漫画的なデジタル信号化された瞬間の連続で
あとは素粒子状になった 物質的仮想マテリアルを
固定された時間軸内で 言語や読経含む sound systemn によって
その時代 時代で 歴史的背景を展開していくだけです
まぁそれ自体 にしても質量ふくめて 共有概念上においての
物理的作用による感覚でしかありませんが
波平 JUN市 メモ帖にコピペしときな(笑)
403 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 11:25:15.27 0
404 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 11:26:12.91 0
なにが時間マンだ
足りないこともあれば、持て余すこともあるのが時間。
それが皆の実感です。そうでないという人は嘘をついている。
406 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 12:03:50.31 0
足りなかったり、持て余したりするのか
食べ物のようだね
やっぱり時間はあるわけだろ
407 :
投げパン:2013/11/21(木) 12:23:01.15 0
それ 感覚ってゆーの
ヒーリングミュージックと グラインドコアのちがい(笑)
408 :
時びと:2013/11/21(木) 12:43:43.69 0
>>405 足りない時に、足りないのは時間では無く、自分の能力・技力であり、
持て余す時に、持て余すのは、する事・したい事の無い退屈感でしょう〜
409 :
時びと:2013/11/21(木) 12:48:45.96 0
>>404 >なにが時間マンだ
>時間マン<、では無く、「時間MAN」です!
ここでは、音では無く、文字が重要ですよ!
文字はちゃんとシッカリ視ようね〜♪♪♪〜
410 :
投げパン:2013/11/21(木) 12:55:11.61 0
>408 まったくそのとーりだとおもいます
411 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 13:13:32.78 0
足りなかったり、持て余したりするのは イトマ(暇) だよ
時間て、その人の都合で変わる暇のこと
ってことで委員会?おまいら
412 :
投げパン:2013/11/21(木) 14:37:31.39 0
暇も含めて1日は24時間ですからね
やっぱり シチズンのプロマス ランドクロノ電波
買っておくんだったなーって いまさら思ってるけど
スーパータフ も タフ 持ってるから 別にいいやって
でも オクで4万前後で落せたらなーって 狙ってるw
413 :
時びと:2013/11/21(木) 14:39:07.56 0
時間がある!と思い込んでいるオマエには、時間がみえているんだな!
だが…俺には時間がみえない!だから、俺の
>>411への答は「脳」だ!
パンは投げちゃダメ!食べ物で遊んではいけません!
415 :
投げパン:2013/11/21(木) 15:05:14.45 0
11月にはいって 厚/手のパーカーと
オーバーサイズのデニムにもどったんで 渋いビンテージから
TIMEXや スーパータフに変えました
今年は 6105-8009 とか 6105-8110 こーでぃねいとするほど
本気だしていませんし もぅ パクられるのばかばかしいし
とりあえず 毎日振って 動かしてはいますけど (笑)
416 :
投げパン:2013/11/21(木) 15:12:18.84 0
・・・・・ パンツのことかもよ
にちげき ウエスタン カーニバル♪
まえ DJブースに パンティー投げ込まれたことあるし (笑)
>暇(ひま、いとま)は、余った時間。
時間はすべて暇だと感じてるのは、
>>411がニートだから
418 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 18:06:06.01 0
>>413 貴方にとっては「見えないもの」は、即ち「無い」というわけか
ほー
彼には音楽も感情も、それに思考も存在しないということだね ww
420 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 21:23:45.47 0
時間の経過にしたがってものごとは変化する。
時間さえあれば何でもできる。
このようなノータリンな意見に対して、
お前が考えているような“実在的な”時間は存在しない。
と反論するわけだ。
421 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 21:24:54.10 0
お前が考えている実在が存在しないだけだ
422 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 21:28:55.10 0
実在と実在的の区別がつかないおっちゃんかぁ
423 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 21:37:07.16 0
あんた区別できてんの?
424 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:09:49.68 0
事物や事象が意識から独立して客観的に存在する。・・・・人間が意識する以前に在る。(実在)
意識からは独立してはいないが、物理的に作用する。・・・人間が「用途」を意識して使う道具。(実在的)
意識からは独立していないし、物理的にも作用しない。・・・説明概念として考えられたもの。(非実在)
425 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:14:08.00 0
>>424 それなら時間は『実在的に』存在してるね
426 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:22:00.40 0
>>425 時間は意識からは独立してはいないが、
物理的に作用するって?
これは興味深い。詳しく説明よろ。
427 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:24:28.24 0
>>426 力が作用しなくても
時間経過のみによって物質は変化するからね
428 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:28:07.38 0
>>427 すばり、その方向の人が現れて嬉しいわw
「時間経過のみによって物質は変化」するという説明をどうぞ
検証させてくれ
430 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:38:03.40 0
>>428 光は一秒後には30万キロ先まで行ってるだろ
何かに引っ張られているか?
431 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:48:16.33 0
はよ検証せーよ
432 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:48:39.23 0
普通の鍋で煮炊きするより、圧力鍋を使ったほうが「時間は短縮できる」。
アクセル踏んで燃料の供給を増やせば速度が増して、「時間は短縮できる」。
いいアイデアが出れば、予定していたミーティングの「時間は短縮できる」。
これは「時間の方が従っている」例のみであるが、
「時間経過のみによって物質は変化する」例をおいらは知らない。
433 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:53:06.49 0
>>430 誰にレスしてんだよw
光の伝播および伝播速度と、
「時間経過のみによって物質は変化する」という論は飛躍しすぎだろ
順序だてて、反論することを心がけなさい。
434 :
430:2013/11/21(木) 22:56:07.61 0
>>433 誰にレスしてんだよって、
>>428にだろ
ぜんぜん飛躍なんかしてないだろ
光子は物質ではない、と言いたいわけか?
435 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:56:56.63 0
ついでながら、
相対性理論でも時間は重力の強弱などによって
伸び縮みするわけで、変わってしまうのは「時間」の方だぜぃ
436 :
パンの耳:2013/11/21(木) 22:57:15.46 0
様々な要素が連続的に関連付けされて 1つに重なってる状態の連続だと
位置づけ それにともなう個体の意識と 実在する背景が
セットで動き出す仕組みを 時間だと解釈してますが
・・・・・ いちお古時計オタなんで
チラネジ付で 銅メッキで 5振動ぐらいの 仕組みと 仕掛けと
パーツの 言葉や文字列だけでお腹一杯(笑)
流れるようなハイビートにあんまり萌えれない
437 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:59:00.38 0
>>434 まったく飛躍しているだろ
時間が作用して、光が物質的に変化したのかねww
438 :
430:2013/11/21(木) 22:59:22.81 0
>>435 時間が変わってしまうことは
それが
>>424の言う実在的であることの障害になるのか?
それが順序だてられた反論てやつかね
439 :
430:2013/11/21(木) 23:01:14.72 0
>>438 その「物質的に変化する」とは
どういう状況を言っているのかな?
貴方にとっては、位置が変化することは物質的な変化ではないわけか?
440 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:03:25.62 0
>>439 伝播・移動というのは、
「物理的変化」であって「物質的変化」ではない。
当たり前のことだろ。
441 :
430:2013/11/21(木) 23:04:31.34 0
>>440 貴方にとって、「物質的な変化」に相当するのは
例えばどういうことかな?
442 :
パンの耳:2013/11/21(木) 23:05:42.36 0
カシオ GS路線やめて
とっとと 最強の液晶端末にしちゃえばいいのに とかおもうし
フェロモンセンサー内臓 の エロトレック とか
定義の違い
444 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:07:12.72 0
445 :
パンの耳:2013/11/21(木) 23:08:17.00 0
時計仕掛けのカバラ歯車
446 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:10:32.10 0
>>441 貴方にとって、「物質的な変化」に相当するのはって?
例えば、異なる粒子に変わったり、
異なった化学物質に変化することだが。
「俺にとって」だけじゃねーぞww
447 :
430:2013/11/21(木) 23:12:30.06 0
>>444 見方によって作用というものが変わっても良いだろう
別に真逆でもなんでもないと思うが
あと、何が論理的に合致してるって?
順序だてて喋れよ
448 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:15:49.01 0
>>441 光を従わせるような「時間」なんて存在しないってことだよ。
光の伝播という物理的現象の中に「時間」が含まれてんだよ。
449 :
パンの耳:2013/11/21(木) 23:16:15.29 0
時計がなかったら 時間なんて
太陽と星 あてにするしかないじゃん
まぁ 体内時計も電波だから ありだとは思うけど
共有概念としての端末にはちょっと使いずらいし
450 :
430:2013/11/21(木) 23:18:25.58 0
>>446 その粒子って、素粒子か?
不安定な素粒子なんか、いっぱいあるだろう
「素粒子の寿命」でググレよ
451 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:18:59.05 0
>>447 見方によって作用というものが変わっても良いだろう
というのは、
勝手な見方・解釈してオーライってことかよw
それは、順序だてもへったくれもないってことだ。
452 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:22:32.40 0
>>450 不安定な素粒子は沢山発見されているが、
「時間の作用」で不安定なんじゃないってのw
「時間」がどのようにして、直接作用するのか、説明しろって言っているのに
避けないでくれるか?
453 :
パンの耳:2013/11/21(木) 23:23:11.11 0
時間とは 計測ですね(笑)
454 :
430:2013/11/21(木) 23:23:17.31 0
>>448 光を従わせる必要はなくて
時間と光とはぴったりと相関しているのだから
時間が経過すれば、光はそれだけに依存して変化するんだよ
それ以外の作用と変化の関係なんてあるか?
>>451 勝手な見方をしろって言ってるわけじゃないよ
「作用」というものが、変化するものであっても構わないし
事実、不変な作用なんて無いだろう、ってことだよ
455 :
430:2013/11/21(木) 23:25:56.07 0
>>452 時間以外の何が寿命に関与するんだよ?
素粒子に『時間以外の』何らの状況変化が無くても
寿命はあるわけだぜ
456 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:35:18.60 0
>>455 時間が関与するから、寿命があるんじゃないわw
関与と関係を区別できないのか?
寿命という概念に「時間」が含まれてんだろ
存在し続ける長さ=時間。
時間がないって言ってる人は、空間もないと言ってるのと同じだな。
458 :
430:2013/11/21(木) 23:43:46.51 0
>>456 だから寿命という概念は、時間ありきだってことだよ
時間を前提にしなければ、寿命に意味なんか成立しないっての
「存在し続ける長さ」なんて言葉によって、
それが距離ではなく時間について言っているのだと理解できる、その理由は
「存在し続ける長さ」という説明の中には『含まれていない』のだよ
分かるか?
あと、関与と関係の区別なんてのは
それこそ『解釈だけ』の話だな
ためしに貴方、ちょっと区別してみそ
寝るわ
459 :
パンの耳:2013/11/21(木) 23:50:34.97 0
空間は認識しだいで 携帯の中やキッチンから
スタジアムだったり ビッグバンれべるまで 幅広いですから
逆に 立って半畳 寝て一畳 みたいな宇宙観もありますし
立ち位置によって さまざまですが 同じよーなもんだとおもいますよ
458の説明は見事だと思いますね、僕は。
461 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:53:10.38 0
>時間を前提にしなければ、寿命に意味なんか成立しないっての
いちいち逆なんだよ。
時間が存在しなければ、人間は生きられないって言っているようなもんだ。
それ、宗教だから。
462 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 23:55:50.05 0
>時間と光とはぴったりと相関しているのだから
だから、何遍説明すればわかるんかなぁ?
物理的相互作用と、相関関係を混同するなってww
>>461 >時間が存在しなければ、人間は生きられないって言っているようなもんだ。
時間が存在していない状態って想像できるの?
俺は無理だわ。
時間が存在しなければ、人間は生きられないでしょ。
逆はあり得ないけど。
おまえら教養なさすぎなんだよ だから時間がわからない
465 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:00:54.19 0
時間が存在していない状態って想像できるの?
これはひどい。
「時間とは何か」を説明せずに、想像とかww
「時間が存在してる状態」って、どんなの?
466 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:04:33.45 0
時間が存在しなければ、人間は生きられないでしょ。
逆はあり得ないけど。
ははあ、
ユーチューブの「時間とは何か」で意見述べていた
著名デザイナーのり意見と同じやな
「初めに時間ありき」という宗教的思想はいかにして生まれたか
という議論もできそうだな
467 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:11:48.85 0
時間が存在しなければ、人間は生きられないでしょ。
「あなたは、時間というものが何なのか、すでに知っている」し、
私が考えているのと同じはずだ・・って勝手に思わないでくれよ。
「時間」とは何ぞやを語らずに、それは、唐突過ぎまっせ。
468 :
パンの耳:2013/11/22(金) 00:15:08.55 0
時間とは人類の歴史の延長線上になっちゃうじゃん(笑)
469 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:16:27.86 0
一部の人は
「方眼紙が無ければ、チャート描けないでしょ」って感覚で
時間という存在を語っている気がするんだなー。
空間が存在しければ方眼紙も存在できませんね。
似たようなことでしょう。
471 :
パンの耳:2013/11/22(金) 00:22:32.24 0
ですね 人類が時間を作ってるんですよ(笑)
472 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:24:13.82 0
またもや空間が何であるか語らずに、「初めに空間ありき」の主張w
いや、空きスペースが有れば、モノは置けるってことは分かるけどねw
パンみたいに作れるものなら実在するかもしれませんね。
474 :
パンの耳:2013/11/22(金) 00:30:16.52 0
物理的にはすでに埋まってる筈だから
配置が変わってるだけなんでしょお
語れるものなど限られています。
悲しみ、喜び、幸せ、。。は陳腐でしょうけれど。
物質、変化、作用、
言葉というのは運用されることで意味を成します。
「何であるかを先ず語れ」というのは
一見正論を言っているようですが、短慮のように思いますね。
脳がなければ思考出来ないって言ってるようなもんだ。
これと似たような話が
>>461でされてるな。
それ、宗教だからw
ほんとに?
477 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:37:04.31 0
何だ全然かわからないものは、運用出来ないw
物理学で言う「伸び縮みする時間」と、
「経過する時間」「逆行する時間」は矛盾する。
一般の人が言う「時間を作る」とか「時間がもったいない」とか
「時間が解決する」というような物言いも、互いに相容れない。
だから、「時間とは何か?」という問につながるんだろ。
思い思いの「時間」を勝手に語るだけでよかったら、
その考えの中で矛盾しなければよいが、一応議論だからねー
運用してみると分かる、ということは
あるように思いますね。
479 :
パンの耳:2013/11/22(金) 00:45:30.93 0
某ミスター曰く 投げた ぴっちゃーに 対して
「 ボールが止まって見えた 」 らしいですし
ついでに日本では ハエ も とまれるらしいです(笑)
480 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:46:19.09 0
「俺もう先が長くない。もうすぐ死ぬんだ。時間がない」
と言っている人にとって、時間は人生の属性でしかないんだよ。
死ぬということと、時間が失われるということの相関は、
「時間が先立つ」ということを示していない。
481 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 00:48:47.46 0
運用してみると分かる、というのはその方法論とかなんじゃね
「時間をうまく使う方法」かな?
人生の属性
便利な方弁ですね。
食事も肉体も
なんでも人生の属性のように思えますけど
それで反論になってるのかな。。
運用の意味を思い思いに歪曲しつつ
一応の議論はできるのでしょうね。
なんかしょうもない言葉遊びになってきたな。
鉛筆がなければ絵は描けないが
描いている途中で鉛筆を無くしても絵は消えない
絵を描ききったからって鉛筆が消えるわけでもない
とりあえず日本語の言い回しで議論するのだけはやめとこう
国語の授業じゃないんだから
486 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:06:03.75 0
食事も肉体も
なんでも人生の属性のように思えますけど
へえ、そう解釈するんだ?
俺だったら、こういう理屈になるね。
人間は生命体だから「食事」より「肉体」が先立つ。
食事は生きている間のことだ。生きている間は、生まれる→死ぬまでの間である。
「生きている時間」は「寿命」とも呼ばれるが、あらかじめ定まっているとは言えない。
そして、時間という魔法のようになものが、作用して人間が生きているわけでもない。
>>486 時間のない世界は「どこ」にありますか?
488 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:10:46.29 0
>>486 またまたしよーもない。
「時間のある世界」がどこに在りますか?
時間は、何処にありますか?
>>488 時間がないのであれば、
生まれる→死ぬの連続はどうやったら生じるのですか?
490 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:15:42.39 0
あなたの観念の中にある「時間の正体」が分からないんだよ。
言葉遊びの戯言でいいんだったら、まだまだ付き合うけどね。
491 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:20:04.54 0
生まれる→死ぬの連続はどうやったら生じるのですか?
「生まれた」「死んだ」という判断は、他人がするわけだ。
時間が作用して、生まれたり死んだりするわけじゃないってことが
わかれば、とりあえずいいのさ。
>>490 生まれる、死ぬ、と言っている時点で、
マクタガートが言う、B系列についての言及だろ?
時制を持たないC系列について語ることが出来れば、少しはマシだったよね。
>>491 あのさ。
時間がないのに、何で始まりと終わりがあるの?
また、その始まりと終わりを他人が見てるのであれば、その他人は時間の中にいるね。
なぜなら、「始まりと終わり」を見てるから。
時間がないなら、始まりも終わりもない。
494 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:23:32.48 0
「時間がないのであれば」って因果関係を示しているんだよね。
だとしたら、
あなたのいう「時間の正体」とは、生命体を支配するものなのか?
驚き・・・・絶句してまうわ
日本語の「もの」と「こと」は空間と時間に対応しているの?
496 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:25:34.36 0
あのさ。
時間があると、どうして何で始まりと終わりがあるということに
なるわけ?
人間が始めと終を見出しているだけじゃんww
>>494 因果関係自体がマクタガートのB系列だよ。
方向に指向性を持たない、出来事の連なりがC系列。
でも、方向に指向性がなくても、観測者がいれば、過去、現在、未来が生まれる。
だから、人間には時間が存在しない事態を想像することは出来ない。
なぜなら、人間は論理的な生き物だから。
499 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:33:26.20 0
>>498 ちっとは考えろよ。
人間が何かを始めなければ、始まらないものがあるだろ。
終わりにしたってそうであって、時間があるから始まるわけではないのさ。
500 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 01:36:48.80 0
>>497 観測者が現在の視点で過去、未来を見出す。
出来事に時間を見出すけど、出来事に先立つものではない。
あぁ、こいつらが、時間を定義出来てないことが分かったわwww
辞書かwikiをまず調べることから始めろw
ここ、哲学スレだよね?
持続がある時点で、時間が前提にある。
生まれる、死ぬっていうのは、個体の始まりと終わり、ようは持続を意味している。
万が一、それが持続ではなく、観測者の勘違いだったとしても、その観測者が持続しているから始まりと終わりが観測出来ることは、疑いようがない。
観測者が持続を観測する時点で、その観測者は時間が前提にある。
出された例自体が幼稚すぎるわ。
時計は時間ではないし、横や縦やそこに書かれた点も時間ではない。
時間は持続で、それは始まりと終わりがある。
生まれる、死ぬって自分で言っておいて、時間は存在しないとか、アホかと。
ようは、人間が存在する時点で、時間の中にいるんだよ。
時間がない世界を想像してみ?
出来ないから。
503 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 02:11:24.35 P
>>429 興味深い動画をありがとう
相似・同調・内包・自己組織
これらは、最新科学が今まさに研究している問題ですが、俺は哲学的観点から追及してるところです
行き着く答えが最新科学と同一になるならば、なかなか良い思想になりうるかなとww
まぁ、コテが行き着いた答えなんだがww
>>495 ものは空間に対応し、ことは時間に対応しています
お前ら暇だなw
もっと有効に時間使えや
時間とは何か?
死ぬまでの猶予さ
506 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 02:52:30.64 0
その持続の度合いを時間と呼ぶんだよ
だから、持続が時間と言ってるじゃん。
度合いは関係ないけど。
508 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:01:00.80 0
中学の時、時間という存在を考えた。
その概念とイメージが浮かんだ。
それから、存在物や運動や変化を考えたら、
どうしても「時間は、世界のいかなるものにも先立って存在する」ことになった。
時間なしには、何事も成り立たないという観念で満たされた。
哲学に興味を持ち始め、世界における存在物や運動や変化を考えた。
それから、時間という存在を考えたら、
どうしても「時間は、持続や変化の中にある」としか考えられなくなった。
言いたいこと良くわかるよ
×時間は、持続や変化の中にある
↓
○持続や変化が時間の一様相である
だね。ここらへんの表現を見るだけで、分かってないことが分かる
時間か
分かってる、分かってない
などと言えちゃうこと自体がねw
変化だけでは足りないんじゃないか?
サイクルがないと
サイクルがないと時間が分節化されない
>>514 持続がないと、サイクルもない。
サイクルがなくても、持続はある。
時間は同期の道具だ
サイクルがないと同期出来ない
分節化しなくちゃいけない理由を聞きたい
持続は時間じゃないんじゃないの?
持続から分節化は出てこない
分節化されない持続は時間じゃない
分節化されない持続は、ただの持続じゃん
時間は複数世界を単数化するために必要になるもの
それには単位による分節化が必要
521 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:20:26.50 0
時間を測るということから考え始めれば、
初めも終わりない分節化されない持続は、測れないさ。
AとA自身が、そしてAとBが同じ世界を同時に生きているという状況の反映が時間
さっきから分節化って
何のこと?
>>520 持続は時間じゃないというなら、
サイクルも時間じゃないね。
どういう論理でそう信じてるの知らないけど。
持続=時間なら、わざわざ言い換えなくてもいいじゃん
サイクル化された持続は、単なる持続ではない
分節化は、単位で計れるようなものにするという意味
>>525 公理の考え方に慣れてないみたいだね。
サイクルが持続が前提な以上、時間の本質的な要素は持続だよ。
時間の単位化の最小限の要素は持続。
俺の今思う時間は「AとA自身が、そしてAとBが同じ世界を同時に生きているという状況の反映」
つまり自己と社会の同一性の反映が時間
そのような時間は分節化という形態をとる
>>527 ああ、なんとなく言いたいこと分かったわ
でも、みんなその話はしてないと思うよ
持続というのは同一性のことだからね
同一のものが維持されるから持続な訳で
公理的?にいうなら最も基本的なのは持続ではなく同一性
時間が逆回りしたりスイッチバックしたら何が持続するの?
というよりも、同一性を、すでに成立した時間で眺めるときに、持続が現われるんだよ
持続と時間、どちらがより基本的かというと時間なんだよ
>>532 それは視点の違いだから
どちらが、ってことないけどな
何が同一を決めるの?自分で決めるの?
535 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:32:20.25 0
ちょっとすいません、眠れなくなるんでやめます
5分前の自分と現在の自分すら
同一である保証は全くないからね
時間とは?ってそういう話だから
>>535 やめなさい
ここは眠れない人のためにある場所
つまり答えの無い事を
さも本気のフリして議論する場だからなw
538 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:37:11.74 0
持続と時間を区別する人と、
持続が時間なんだという人いるね、
言葉遊び 続けよう
いや、時間がなにか分からない人がいるから、公理の持続の話をしたんだけど。。。
まぁ、ぐるぐる回っとけw
持続だ同一だって人が言ってる物はあからさまに"変化"だと思う
持続なんて主観的な錯覚かもしれんからな
回るのはスレだけで十分
542 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:40:48.73 0
出発点となる仮定なんていろいろだからな 定まらんだろ
定めりゃええやん
そこから始めれば
本当はこんな「時間」に起きてる俺たちの事を本気で考えた方がいい
544 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:46:19.02 0
主観的な錯覚も
1つの持続なんだけどというような話にもなるんだろうし
時間なしに錯覚できっかよ という人も再登場かもだし
言わせておけ
黙らせる理由はない
これを煮詰めると注が本分の三倍みたいな世界に入るんだろうな
ロドス島だ、ここで飛べ
547 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:49:28.99 0
こんな「時間」に起きてるって、時間帯のことかいな
時間帯を意識するって、世間的にまっとうな人間だよ
時間帯をあまり意識できない俺って・・・
>>547 いやいや、俺も一緒だからw
言ってみたかっただけ
549 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 03:53:33.02 P
現象=時間じゃだめなの?
なら、現象とは何かを考えないとな!
551 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:57:00.02 0
タメなのってことないでしょ?
時間とは結局出来事のことだって、
大学教授の論文ネットで公開されてるし、
思い思いの時間論があっても良いでしょ
552 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 03:58:30.03 0
その教授もまだまだだな
俺らの話してることって
アインシュタインよりもっと根本的なことだから
554 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:00:01.72 P
機械時計は、針が指す時刻及び時刻と時刻の間が時間なのではなく、歯車がリズムを持ちつつ動くという「現象そのもの」が時間なんです
同じ様に、砂時計は、砂が落ちる現象そのものが時間なんです
時間とは何かなんて
突き詰めりゃ、俺らは何で存在してるのか?って話になっちまう
そりゃママとパパがエッチしたからに決まってる
問題は死ぬまでに与えられた可能性をどう使うかだわ。別に安部総理や学校の先生が言うことが正しいわけではないし
556 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 04:02:54.52 0
そのその教授の話、やたら長いけど、
話の中ではアインシュタイン超え果たしていたよw
558 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:04:52.73 P
アインシュタイン越えに興味あるなら
リサ・ランドールの『ワープする宇宙』読んでみ?
数式出てこないし、かなり深い話で面白い
kindleなら今安い
561 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 04:07:20.85 0
>>554 現象の持続が時間なんです
って話にどもりマース
562 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:13:25.98 P
>>560 表現の仕方が悪かった
然るに、存在という静止された状態は存在しないのであって、悉く現象、つまり存在者なわけだ
俺そのものが時間ということは、存在者そのものが時間ということなのだろう
その考えで合ってると思うよ
563 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 04:14:46.53 0
存在 居る 留まる 持続 時間
現象 現れ 持続 時間
「何で存在しているか」ってことじゃなく、
同語反復もどき の言葉遊びなんです
>>562 俺にとって
宇宙の全ては俺の主観でしか捉えられないからな
だから何とでも言えるんだがw
565 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:18:51.74 P
>>564 認識論か?
主観という認識に先立つものはないという考え?
それとも、主観でしか捉えられないから、認識の外側は不可知なのか?
>>565 そこは良く突き詰めたことはないんだが
どちらかというと不可知論者かな?
567 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:27:00.78 P
>>566 主観と客観の境界は、断絶なのでしょうか?
何かを分けた場合、分ける前の未分化領域があると仮定するのが論理的でしょ
その未分化領域は、認識の外側ではないかな
外側かな?
よくわからんが、実は分けてると思ってるのは思い込みで、俺らは未分化の状態から脱することはできんのかもしれんよ?
今、世界全体が一つになろうと皆が躍起になって争ってるが、でも本当は二つだよな?
でもどちらなのか?って考えると分からなくなってくる。しかし本当は三つあることに気がついてる人はあまりいない。
三つ巴になってるんだわ。
主観は同時に客観でもあり、でもその上?にはメタレベルの新しい主観が存在する。その主観が確固として確立されたら、その主観に対しての客観が現れるのは必然。
しかし、俺らは全て、ある根っこに繋がった一つのものの別形態でしかないという。
伝わるかな?w
569 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:36:41.91 P
時間は、この未分化領域に付随していると思う
つまり、認識に先立つはず
そうとも思えるし、違うと仮定すればそれも説明できる
どちらを信じるか?ということになってしまうんだよな、俺には
571 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:41:39.40 P
>>568 三つが何を指しているかがわからんww
俺らはすべて一つ、は、その通り
分けることができたのは、認識であり知性だ
分けられない領域は一つでなければならない
572 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 04:48:20.49 P
>>570 認識が先か存在が先かってのは、ニワトリが先か卵が先か、に似てるよねww
普通に考えたら存在が先なんだが、存在が存在すると認識したからその思考がうまれたわけだ
超越的自我なんて言葉はあんま使いたくないから、そんなメタ的な状態から抜け出すには、未分化領域の仮定しかないのかね
分からないのは分かるよ
説明難しいんだが
上の次元って推測できるが、認識はできん
俺らはその知性が一つ上に行く過渡期の時代に生きてるんだとヒシヒシと感じてる。
ローマ法王の退位とか、東電とか、CIAとか、裏が簡単にバレるようになったっしょ?
ある一つの面だけ見せようとする意思も分かるんだが、それが通用しなくなってきて、二つになってきた。
どちらなのー?って騒ぎ始めてるのが今。
でも本当はそれを俯瞰して眺めないと状況の認識はできない。しかし、その認識も主観だが、裏がバレる前の主観とはまた別の主観だよな?
そうやって認識レベルが上がっていく。
俺たちは真っ新なHDDを備えて生まれてくるが、教育という名のフォーマットをかけられてOSをインスコされる。しかし、言葉が延々と受け継がれてきたように、俺らの認識も昔から繋がる何かの影響下から逃れることはできん
重複したカキコミで失礼
ちょっと思いついたのでメモ的にカキコ
マクタガートの時間論のポイントはA系列の矛盾の重視だったわけだけど、実のところ
2重スリット実験とはA系列のことであり、矛盾しつつも現象として成り立ったので
B=A+C も成立し、ゆえに「時間は可能性として存在する」という論として
マクタガート論への覆しに値するってことじゃないのか?
さらに飛躍すると
いわゆる<私>とかデカルトの”我思う”(”故 あり”を除く)の存在証明でもあると
発射は過去
光子的<私>は自ずから発射したのではなく、発射されたのだから始まりの記憶は
無いが覚醒するきっかけになる(自由意志(=波)100%から過渡的に減衰)
スリットは現在
通過選択の判断を便宜上左右とすると、覚醒<私>にとっては強制的であるにせよ
迷いながらも左右のどちらか二者択一を迫られる(自由意志 半減しつつも50%)
着弾は未来
迷いながらの決定であるがゆえ波状にブレを把持しつつ指定の位置ではないつまり
最早<私>ではない何かとして着弾
逃げ水に到達できぬが如く終わりの経験はできない(自由意志0%)
>>574 そうね
そっち方面からのアプローチの方が先が見えなくて面白い
読み取れてないかもしれんが、
時間は可逆か?の話で、因果関係も原因があるから結果があるとも言えるし、全てはある結果に向かって変化してる最中なだけかもしれない。
今俺たちが感じている時間の進み方は実は逆再生かもねー
学生の時の、素朴な疑問でした。
たとえば、一時間が在るとします。
どのような時点を指示しても、過去と現在と未来が同居するのではないのか。
過ぎ去った、現に在る、未だ来たらざる、これらが同居します。
それは、たとえプランク時間とやらでも同様です。
言葉としたら、現に在るものしか在らないわけです。
もう一つ挙げますと、エネルギー保存則は何も生まれず、何も無くならないのに
なぜ人は生まれたり死ぬのか。
この事実をどう考えなければならないのか。
わたしを構成している肉体は過去の誰かの肉体の一部かもしれない。
死ぬ、生まれるとは何か。
数学では、大きさの無いものが無限に集まると大きさに成るというものです。
しかし0×無限は0ではないのか。
次元とは何でしょう、無限とは。
他にも在ったのですが、そのうちに思い出してみます。
個人的には、時間はやはり存在しない理解しています。
ゼロ次元、つまり座標原点は天体観測など物理的存在の運動量を測るのは役に立つわけですが、自然には在らないわけです。
地動説、光速度一定の法則は、このことを証明しています。
ゼロ次元が存在しなければ、一次元も、いや、次元自体が在らないわけです。
在らないものは在らないというのは当たり前の主張ですし、在らないものが在るというのは論理としておかしい。
それらはたんに自然の運動量を理解する頭の中の存在でしかないわけです。
自然科学は徹底的に運動の否定としての静止を否定してきています。
このことをどう考えたら良いのかは考えられるべきでしょう。
0って自然界には無いからね
数学を「そのまま」自然に当てはめることはできない
数学って実は哲学だとタモリが言っていたw
0も無ければ無限もない、無限があるのはただ頭の中
だから頭を使えば現実でも無限に近づくことができる
今目の前にあるものから無限らしきものを作り出すことができる
できないと思うのはその方法を知らないからか?
なんか坊主の説教みたいだなw
>>577 無いと考えれば無いし
あると思えばどこにでもある
見立てることができるのが
人間のすごいところ
と、俺は考えるね
>>576 >もう一つ挙げますと、エネルギー保存則は何も生まれず、何も無くならないのに
宇宙はレゴですよLEGO
>なぜ人は生まれたり死ぬのか。
>この事実をどう考えなければならないのか。
一番いいのは考えないことかな
答えなんで無いのだから
俺、時間なんだけど、お前ら何?
ニート
ゼロが在ったら困ります。
しかしゼロがないと自然は理解できません。
それをもってして理解できるからそれは在るというのは首肯できません。
困るのやめてみ?
無、有の否定が在るというのは理解不能だから、困ります。
哲学とは困ることなのかも知れないな。
>0って自然界には無いからね
そんなことはない。0は、常に再帰点。
自然界がある→自然界があると認識している自分がいる。
自然界の中でいくら移動しても時空間的に自分はいつも始点/終点=0にいるだろ。
↑意味が違うだろ。
劣化が激しいな
ashes to ashes, dust to dustだ
591 :
時びと:2013/11/22(金) 11:04:16.87 0
>>418 なるほど「みえない」では、表現的説明不足ですね〜
私には、時計をみる事で、変化の経過を知る事はできます。
時計が無くても、ある状態から別の状態への変化を感じる事ができます。
上記の状態を現代では、一般的に「時」が過ぎた・経ったと言っていますが…
この時、誰も「時」をみていません。また、「時」を感じていません。
変化・経過の感覚を現代人の「時」と言って仮定して信じて生活しているだけなのだと、私は思っていますが…
自分の顔を鏡で見れば時が過ぎ去ったのが見られるよ。
経過や変化を観察しているのはいつでも「今」しかない。
間を埋める、モーフィングみたいな技術とか思考体系が時間の正体かもしれないね
594 :
時びと:2013/11/22(金) 11:25:57.91 0
なんかここは、「逆さメガネの実験」の世界だね。
「時」というものがある!我々は「時」の世界で、「時」を感じて生きている。
↑というような、「時」ありき!で考え書き込んでいる人が多い?!のかな…
実は、全てが逆である。「時」は人間が考え、創り出したもの。
そして、長い長い歴史の中で人類の中に「時」は存在するようになっていった。
しかし、「時」は人類の中にしか存在しないもの。人類を離れて「時」の存在はない。
ここネット世界は、人でありながら、人を離れ越えられる世界だから、「時」は無い!
595 :
時びと:2013/11/22(金) 11:43:16.60 0
>>592 確かに人には、過程・結果を観察している「今」しかない。
しかし、人はある程度の間、人として生活していると、過去を記憶して想起できる。
鏡の中の「自分の顔を見」て、記憶の中にある自分の顔と比べて、変化したと感じる。
そして、その変化が老人への変化である、と考え「時が過ぎ去った」と思うのであろう。
時計は時を刻んでいるし、
地球は太陽をぐるぐる回っている。
人間の思考とは関係なく、時が存在してる事になる。
一人の人間が死んでも、別の人間が時を刻んでいるし、
全ての人間が死んでも、時が止まる事はないだろう。
597 :
時びと:2013/11/22(金) 11:53:57.06 0
人が変化を感じるのも然り。
記憶の中の「それ」と、今の目の前の「それ」を比較して、「それ」を同じものだと考えて、
「それ」が変化した、と感じるのだろう。
感動も然り。さっきまで(記憶なかの)の感情とは異なった感情が湧きおこった事を、これを
「感情が動いた」=「感動」というのだろう〜
子供のように自己の感情がハッキリ分からない場合は、自分で感動しているとは思えないものである。
それでも、周囲の大人がその子の様子を見て、またはその子が少し成長して、この当時を想い出して、
「感動」していた、と感じるのだろう。
598 :
時びと:2013/11/22(金) 12:09:50.81 0
だから、それが逆なのである。
人類は、時計の針の刻み続ける、その変化を「時」と仮定し、
人類は、地球の自転・公転運動の、その経過を「時」と仮定し、
この仮定を信じ続けた結果、人類の中に「時」は定着した。
人間の思考とは関係なく、存在しているのは物質であり、その変化・運動である。
一人の人間が死んでも、多くの人間とともの「時」は残る。
そして、人類全てが滅びた時、「時」は人類とともに滅びる。
しかし、それでも、物質と物質の変化・運動は終わる事なく続くのだろう…
もっとも、人類が存在しない以上、その残ったものを物質、変化・運動と認識するものがない。
従って、今の人類が世界と認識しているもの、その全てが人類の滅亡とともに消えて行くのだろう〜
人間が絶滅しても、
地球が太陽を回り続けているんだから、時が無くなったわけではないよね?
人間が生まれる前から、地球は回っており、
人間が絶滅しても、地球が回っている、これが「時」だよね?
地球が回り続けている事に間違いは無いわけだし。
600 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 13:17:03.68 0
>>568 >主観は同時に客観でもあり、でもその上?にはメタレベルの
新しい主観が存在する。
>主観が同時に客観でもある、と言うのはデカルト哲学的に述べると、
低次元(日常的意識次元)での「心身合一」であり、メタレベルの新しい主観が
存在する、と言うのは、低次元(日常的意識次元)から、“方法的懐疑”によって、
高次元(メタレベル)の超越論的主観(私)に致ることと解釈している。
「私は考える、ゆえに私は存在する」の命題は、高次元(メタレベル)の“超越論的主観”であり、
この、超越論的主観(私)に対して現れるのが、デカルトの省察(三)に記述されている
「ある仕方で思惟によって触れることが出来るところのもの」という記述となって現されている。
この「外部に触れるところのもの」が超越論的主観(私)の“対極”にある「客観的存在」として、デカルトは、
認識している。
従って、デカルト哲学は、日常的意識次元(低次元)から、“方法的懐疑”によって、高次元領野(メタレベル)
へと上り(思考展開して)、この高次元(メタレベル)領野にて、「心身合一」が行われてる。
普段、我々が生活感覚としてある「日常的意識次元(低次元)」と、「超越論的次元(高次元)」とを明確に
分けているのが、デカルト哲学の特徴となっている。
601 :
時びと:2013/11/22(金) 13:22:09.35 0
>>599 でもね…君が死ねば、君の「時」と言っているものも死ぬね!
言葉・文章の内容が読みとれない君よ!君の「時」とともに滅びなさい!
ヤッパリ君も「逆さメガネの実験」派!だね!
君の頭はカチカチだよ!もっと運動したら柔軟性が付くかもよ!
俺が死んでも、人類が絶滅しても、
地球はぐるぐる回ってるんだから、「時」があると証明できるでしょと。
俺が死んだら、地球の回転が止まるのかと。
概念だから存在しない、というのもわかるけど
そういう話ではない
皆、時間の解釈は違えど、時間を認識してるじゃん?
あるってことではないの?
>>602 どうやってそれを証明するんだ?
方法ないだろ?
死んだら急にこの世からログアウトして、別世界で打ち上げ始まるかもしれん。
この世はただのシミュレーションでした、というオチだってあるかもしれんぞ?
今この世界で生きている人の中に、死んだ人は一人もいないのだから、誰にも聞けないしな
目、鼻、口、肌、色んなセンサーから入力された刺激を、何処かのメモリに蓄積して記憶にする。
それらのプロセスで得た情報をデジタルに例えたとして、データの1bit毎には時はない。しかしそれの総計が1TBになった時には時と呼べる何かがある
606 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 14:29:06.50 P
なんだか観念界と自然界をごちゃ混ぜにしている人がいるね
独我論を貫くのならば、実在の全てを否定せねばならない
世界は自己の精神と、感じられる存在のみとしなければならない
観念は全て幻想としなければならない
>>606 独我論と捉えてるのはあなたかも
〜せねばならない
なんてルールは無視すりゃいいじゃん
昆虫の生態は自然界のものでしょ?
人間の生態だって自然界のものじゃないの?
人間が時を発明したのなら、それはヒトという種の自然な行いだよな?
上のデカルトじゃないが、
そのことに疑問持つということだって、種の特徴
ハチが我々はなぜ女王のために働くのか?と言っているようなものでは?
つまり人間は人間を特別視しすぎている
人間だけが他の生物と違うと思い込みすぎ
他にも知的生命体はいるしな
サルやイルカやカラスなんて、かなりヒトと近い
逆にヒトの中にも、殆ど動物みたいな人や、ロボットみたいな人、植物みたいな人もいるしなあ
610 :
時びと:2013/11/22(金) 14:41:53.08 0
「時間」は言葉。ある事・物に人間が与えた言葉。
ここは、言葉とその対象の区別と連関なのでしょう。
ある状態に、人間が付けた言葉が、「時間」であろう〜
従って人類が滅びれば「時間」も消える。
それでも人類が「時間」と呼んでいたその「状態」は残る。
〜〜以上〜〜
611 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 14:44:52.14 P
>>607 俺は実在を認めているから独我論では無いね
一時期独我論に陥りそうな時もあってけどww
地球の裏側に咲いている花の存在を証明する為には、そこに行って見て触って確認せねば、映像や写真などどんな証拠を見せられても確かではないみたいなww
まぁ観念は幻想だとはしているが
状態ではないと思うけどね
ある状態から別の状態への変化こそ時ではないの
宇宙全てが変化をやめたとしたら俺らが時間と呼んでるソレもなくなる
>>611 なるほどね
俺はまだその「実在」ってものがよくわかってないわ
サルトルでも勉強すれば分かるのかな
614 :
時びと:2013/11/22(金) 14:48:30.38 0
>>603 本末転倒です!ここは正確には以下です。
「時間を認識している」のではなく、
「人類が言葉で時間と呼んでいるもの」を認識している!
〜〜以上〜〜
>>614 それはわかったうえで言ってるんだけどね
時間という言葉の定義の話はもういいだろ
そろそろ時間の正体とは何か、なんて不毛な話はやめて、時間とは俺らにどういう意味を持っているのか、っつー建設的な話にしたいんだが
それは俺の独りよがりだぜ
617 :
時びと:2013/11/22(金) 15:03:25.06 0
>>612 ここは、事物。事象を如何に認識して、表現するかの問題ですね。
これは、その「ある状態から別の状態の変化」を、自己の認識内で全体的にみて、
それを変化している「状態」として把握した「状態」の事です。
この全体的状態把握が出来た時に、その記憶が、記憶された順序で比較され、
前と後ろで「変化した」=「時」が経ったと認識するのでしょう〜
最近のMacOSにはバージョンというものがあって、ファイルは一定時間毎の状態が残されてる。
今までは過去のファイルを別名保存しなければいけなかったが、一つのファイルで過去の状態のある部分からコピーして現在の状態にペーストできる。
全然使いこなしてないけどw
どうせなら未来の状態にも行けるようにしてくれと声を大にして言いたいw
619 :
時びと:2013/11/22(金) 15:09:37.72 0
>>615 分かっていない!
「人類は何を『時』として決めた」を考えているのです。
「時」として決めたものを、問題にしないで、「わかったうえで言っている」とは、
私からみると、君は全くわかっていない!わかっているつもりになっているだけ!
>>619 わかったつもりで全然結構
あんたが俺のことに必死になる理由が全くわからんが
自分を正当化したいのか?
そんなことにエネルギー使っても仕方なくない?
621 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 15:12:19.73 P
>>613 実在とは、認識の外側にあるもの
認識に先立ってアプリオリとしてあるもの
人が主観=観念から逃れられないのは間違いないから、実在とはある意味信仰の一種でもある
地球の裏側の花を証明できないからね
他にも明日が訪れるという観念も信仰
明日が訪れない日は必ず訪れるからね
>>621 うーん
そういうことはよく考えたことなかったわ
解説スマソ
なるほどねえ
623 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 15:33:51.74 P
人が観念として捉える時間と、自然界の対象される、捉えられる時間は確かに違う
でもそれは物と物自体の差ではないかな?
曖昧でも幻想でも、名付けられる対象があるのだから
624 :
信じる時びと:2013/11/22(金) 15:36:10.76 0
>>621 なる程〜「実在とはある意味信仰の一種」とは〜
「実在とは」、信じる事から始まる、という事なのでしょう〜
この言説〜信仰します!信じます!
625 :
信じる時びと:2013/11/22(金) 15:40:39.83 0
>>623 そうです〜
だから、先ずは「名付けられた対象」それも自然界における、
その対象を正しく認識する事が、「時」を考える始まりでしょう〜
その点で、「時間は時間である」では、自然界を無視していませんか?
その前に辞書にはなんて定義してあるのか読んだ人いるのか?
627 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 15:52:51.75 P
>>625 自然はトートロジーなんですよ
意味なんて無い
情報は、捉えられて初めて意味を持つ
だから、時間は時間であるでも構わない
628 :
信じる時びと:2013/11/22(金) 16:18:11.87 0
では、「時」とは、人類がある事物・事象の、ある状態から別の状態への変化・運動を
捉えて、「時」という言葉で表したもの、として話を進めよう。
次に問題となるのは、「今」しか認識できない人間が、どのようにして、その変化を
全体として連続的に捉えて、そして「時」として感じる事が可能なのだろうか?という事であろう…
そう〜ここで、論点は「時」とは何か?ではなく、人は、その「状態の変化」をどのようにして「時」として、
認識しているのか?に移るのである。
これは、人間の認識内での事である。
従って、これは、外界の現実では無い、自己の認識の変化・運動をみつめる必要が発生するのだろう…
この場合、認識内で、ある状態から別の状態への変化を、全体的状態としての把握が必要であろう…
629 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/22(金) 16:23:58.63 P
ならばまず定義からだな
意識=認識
認識=注意+気づき
知性=区別
質問あればどぞ
いま見えてる認識してる物を"状態"とするなら、それ以外は"今以外"でしょ
フラットなまま時間になるんじゃない?
631 :
時々びと:2013/11/22(金) 18:08:33.25 0
人が、変化を時間と認識する過程に、その変化と時計との相互浸透が必要であろう。
聞いたとよると、ボクサーは練習中も時計で3分練習、1分休憩とやっているそうである。
この繰り返しで、ボクサーは身体的感覚で「3分」を覚えていくのだろう。
現代の子供は、幼稚園児や小学生から腕時計を所持している。
私の時代は、中学生になってやっと腕時計を買ってもらえた。
今は殆どの公園に時計があり、時刻が分かり、時刻の変化から時間を知る事が可能である。
私の時代は、公園の時計は、とても少なかった。時刻を知るのに商店の中に掛けてある時計を探したものであった。
今の日本では電車も秒刻みで運行されていて、幼少の頃から「時間」を強烈に意識させられて生活している。
このような時計の時刻と、時計で計測した時間との相互浸透で、我々は「変化」を「時間」
として認識していくようになるのだろう。
人は、時計の時刻(針・数字)の変化と、自分の感覚の変化=疲労感、空腹感、身体の痛み…
等とを関係付けて、時間経過と認識するのでしょう。
記憶できない人は時間もないのか?
とりあえず、時計と時間の話は分けた方がいいと思う
>>631 では5歳のときの記憶と12歳のときの記憶はどの様に区別してると思う?
記憶には厳密に7年間などという計測はできないべ?
他人が死んでも、地球の回転は止まらないが、
自分が死んだら、地球の回転が止まると証明できない。
普通は、
他人が死んでも、地球の回転が止まらないなら、
自分が死んでも、地球の回転は止まらないと説明できる。
何故、自分だけが特別なのか?
自分だけが特別な理由が何も説明できない。
この世が自分だけが作るシュミレーションだと説明できる要素が一つもない。
言葉は、自然の物事に対応して付けられている。
自然の物事があるから、それに言葉を付けているだけ。
自然の物事が無ければ、言葉も作られない。
人間が誕生して言葉を作る前から、自然は存在しているのだから、時間も存在していた。
だから、世界がシュミレーションだと証明できるものが一つもないだろと。
シミュレーションでないことも証明不可
「悪魔の証明」で、
世界がシュミレーションであると証明したいなら、
そのシュミレーションであるという事を証明しろと。
証明できないなら、世界はシュミレーションではない。
641 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 19:18:33.20 0
いいぞデフレ手当
論理的には
世界がシミュレーションである可能性など、『全く無い』
影ながら応援している
別に証明したいわけじゃないけどね
挙げ足取りに付き合うことはない
また変なやつ出てきたな
645 :
時々びと:2013/11/22(金) 21:01:20.23 0
>>634 l両親に「五歳の時のお前は〜」、そして、「17歳の時は〜」
と、いうような他人の言葉を頼りに記憶するのでしょう〜
646 :
時々びと:2013/11/22(金) 21:48:12.39 0
>>636 >言葉は、自然の物事に対応して付けられている。
>自然の物事があるから、それに言葉を付けているだけ。
>自然の物事が無ければ、言葉も作られない。
↑ほぅほぅ〜ならば!
妖怪も幽霊もお化けも存在している、という事なのですね〜
マジンガーZも鉄腕アトムも鉄人28号も〜ですね〜
更に、ハリーポッターも魔法学校も魔法省も〜この世も楽しいね♪
世界がシミュレーションだとしても違うとしても、上の層か下の層か、先送りする問題の行き先が変わるだけじゃん…
未来人宇宙人超能力者とかなんでもいいけど、大概は"その世界から見た異世界"に対してビビってないのが不思議なんだよね。
もし自分がシミュレータの中で踊らされてる実験体でも構わんつーか仕方ないだろ。
それをニヤニヤ見てるマッド研究所員とかサイコ組織団員がいるとしても、そいつららも実験体かもしれない以上、その事を忘れ下だけ見てる方がダサい
>>647 >>648 そう
シミュレーションの話はただ認識について出したものなので、正誤など問題ではない
しかもその話はもう終わってるし
俺はこう思う
お前の言うことはおかしい
こっちが正しい
まるでお子ちゃま
652 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 23:09:18.00 0
アインシュタインが時間は異なる慣性系で伸縮すると言ってるんだから、実在するし、だから伸縮するんだろう。多分。
もう時間ありきで話し進めて良くね?
無いというなら他のスレで暇潰せばいいことだし。
あるかないかでいうなら、みんな時間を認識してるからこの話題で議論できるんだし
655 :
考える名無しさん:2013/11/22(金) 23:39:56.61 0
「ある」けど、時間とは何か? だよ
言語分析ほど虚しいものはないからね。
そうだね。あんまり時間もないしね
>>656 だよね。言葉の定義なら国語辞典かWikiひけば充分だと思うわ。
個人的な言葉の誤差を比べて正しさ競っても延々ループするだけだし、言葉ってそもそも皆が意味を共有しないと、道具としてどうかと思うし。
>>655 昨晩もレスしたんだけど
スレタイの解釈も住人の中で曖昧で
・時間とは何を指しているのか?
・時間とはどういう意味を持っているのか?
いろんな話が混ざってて、話題の違いも区別できてない人がいるが、
ホント揚げ足取りになってしまうんだよね
659 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 00:28:50.94 0
スレ主にご登場願おう
660 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 00:29:02.98 P
確かに、皆が納得する時間の定義を決めても仕方ない
寧ろ時間の性質、特に不可逆性や定常性、指向性がなぜあるのかを議論したいね
理論物理学では、時間の矢がどちら向きでも世界は成り立つとしている
にも拘らず実際は逆向きではない
関係あるか知らんが、宇宙のコンピュータシミュレーションでは、時間生起による因果律を導入しなければ、宇宙はくしゃくしゃに潰れてしまうそうだ
ロケットが燃料を一方向に噴射することで安定する様に、時間の方向性は宇宙の安定にかかわるのではないかとみている
>>574 俺的には、マクタガートの間違いは
A系列を過去、現在、未来が「同時にある」と言ってるところだと思う。
実際は、C系列を動かす装置としての「今」だけが、A系列なんだと考えている。
だから、A+C=Bなわけ。
今がC系列を「進むと」、進んだもの、これから辿り着くものという視点がC系列に与えられるから、同時に過去も未来の視座も生まれるだけ。
でも、それって、今があるから生まれるものなんだと思う。
実在とは宇宙その物。
663 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 00:35:38.90 P
二重スリットの解釈はもういいよww
コペンハーゲン解釈も多世界解釈も間違いだよww
矛盾がないってだけ
>>616 イイね!
時間の意味は自分にとっては未来の予測とその選択と実施のためにある。
時間は私達を自由な存在であることを可能にする、「器」のことだ。
665 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 00:46:13.68 0
時間の矢は、単なる説明概念だと思うよ
667 :
パンの耳:2013/11/23(土) 00:55:33.43 0
波動の振動数が重なり合って
公倍数や公約数で実証化され なりったっている 時系列の連鎖
ってゆーのが ちょーひもりろ でしょお
いいんじゃないの べつに それで
669 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 01:01:04.24 0
670 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 01:04:41.22 P
>>665 方向性を表してるんだから同じことだよ
理論物理学では時間は対称性を保っている
にもかかわらず、現実は対称性が破れている
その、方向性
>>669 ああ、時間の矢、という単語でそう思ったのね。
了解。
672 :
パンの耳:2013/11/23(土) 01:07:24.03 0
時間とはなにか ってはなしなら
時計屋さんに訊いたほうがはやい場合もいあるし
クラブで 「 今何時ですか? 」 ってきかれたら
「 ん? 一緒にかえろーか 」 って 時と場合にもよるし
時間とは、宇宙と言うエネルギー場の変化を定量化する為に考案された概念である。
一応貼っとくぞ
Wikiより
時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった理解のしかたがある。
広辞苑
空間とともに人間の認識の基礎を成すもの。
[哲] あらゆる出来事の継起する形式で、不可逆的な方向を持つ。
後方にも前方にも限りなく続いている直線のようなものと考えられ、外的・内的のあらゆる出来事はそのうちに位置を占める。(後略)
[理] 現象の変化を記述するため導入される変量。二つの事象の同時性及び二つの時間間隔の同一性は物理学の基本法則と関連して決められるもので、古典的にはニュートン力学にもとづいており、時間は空間から独立した変量として取り扱う。
しかし相対性理論では、時間は空間とともに四次元の時空世界を形成し・・・(後略)
>>661の補足
ちなみに、自分的にはA系列に、永井均の独今論を重ねている。
「独我論」と「今」は切っても切り離せない関係にある。
純粋持続という、客観的にある時間とは別に、観察者としての主観的な時間がある。
過去、現在、未来も同様に、客観的と主観的に分かれる。
マクタガートのA系列の矛盾は、主観と客観のカテゴリーエラーから生じている気がする。
マクタガートはA系列は一つの出来事が過去、現在、未来と排他的な性質が同時に生じるのは矛盾、というが、客観的な見地から言うと、過去、現在、未来は順序でしかない。それは、過去でも現在でも未来でもないし、純粋持続である。
論理記号で表現できるものと同じ。
でも、主観的な世界から見ると、現在を始点として、過去と未来が現れる。
過去と未来は、独我から生じるもの。
その客観の中に、過去と現在と未来を紛れ込ませるカテゴリーエラーがマクタガートの誤謬の原因だと思うわけ。
独今論をA系列に重ねるとその矛盾はなくなる。なぜなら、今しかないから。その次に過去と未来が生まれる。
だから、出来事は今しか生じないから、排他的ではない。
676 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 01:34:50.84 P
本当に今しかないのか?
例えば、べき乗則によれば指向性は既に決定されている
未来の蓋然性がなければ確率分布は発生しない気もする
>>676 ただの因果関係だよ。
過去は今を規定する。今は未来を規定する。
だから、過去に今を規定させないためには、今を変えればいい。そうすると未来が変わる。
人はそれをポジティブな意味での成長と呼ぶね。
過去から始まる今と未来のがあるから指向性はあるけど、今が全てを変えることが出来る。
今だけが、過去も未来も、別の視点から捉えることが出来る。
それは、今が過去と未来を新しく創造した、とも表現できるね。
679 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 01:46:29.54 0
何げにサルトル的
680 :
パンの耳:2013/11/23(土) 01:52:30.00 0
宇宙は そんなに 甘くないと
蠍 と 砂田にゆっておけ
681 :
パンの耳:2013/11/23(土) 01:53:40.98 0
ジョナ ・・・・・
ラスタバン なめんなよ
682 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 01:54:53.12 P
>>677 文学的なレスだね^ ^
でもね、
指向性があることが問題なんだよ
時間の対称性が破れていることが問題なの
不可逆なことが問題なの
わかる?
>>682 それは、B系列の世界でA系列の進む方向を変えただけかも。
その場合、A系列は独今論で解釈しないと矛盾が生じるから、通常の独我では体験できないことを語ってるのだろうね。
まぁ、未来から過去に時間が進もうが、過去から未来に時間が進もうが、今だけが未来も過去も変えられることは揺るがない。
これが、独我が本質的に自由である可能性を持っている根拠。
686 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 02:12:04.46 P
>>686 時間論の基礎だから、ネットに分かりやすい説明がいくらでも落ちてるよ。
凄く便利な概念だから学んで見て。
僕が
>>661と
>>675でマクタガートの何を批判してるかも、よく分かると思う。
688 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 02:14:49.88 P
>>686 おー、なんだが見たことあるぞ?
読んでみるわ
サンクス
>>688 リンク読んでみたけど、これって物理学の話だよな?
板的に言うなら、過去の出来事は変わらないとしても解釈は幾らでも変えられる。
それは過去を変えることにはならないか?
話繋がってるのかすら分からないw
申し訳ない
>>690 >過去の出来事は変わらないとしても解釈は幾らでも変えられる。
>それは過去を変えることにはならないか?
主観的な意味では、過去を変えたことになりますね。
例えば、子供を産んで、やっと「あの時の」親の気持ちが分かった、など。
>>691 だよな?
それって
>>677のレスをさらに発展させて、今が過去を規定することになるような‥
つまり自分が変われば世界が変わる的な
言ってること同じか。失礼
694 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 02:32:36.99 P
>>690 まぁこれは物理学の話なんだが、標準理論の方程式では時間が対称性をもっている
要するに、tでも-tでも成り立つ
実際逆再生でも全く矛盾がないことがリンク先でも示されている
にもかかわらず、現実は一方向である問題
なら板違いでは?
>>693 いやいや、自分の言葉で語るのは大事だと思う。
自分が変われば世界は変わると思うよ。
実際は、凄く難しいけどねw
>>696 難しいよね
実際、自分は最近劇的な心理的変化をしたんだが、別の星か!っていうくらい世界が変わったもんでw
だから
>>677の言うことが、オマオレ的によくわかる気がするわ
>>697 そういう体験は人生に絶対必要だよね。
僕は、体験ベースじゃなくても、哲学的にも、本当にそうだと考えてる。
で、あなたの世界は別の星に変わったことで、未来も変化するわけだよね。
赤ちゃんが無限の可能性を持っているように見えるのは、過去がまだ規定されてないからなんだと思う。
でも、大人も「今」で、過去を全く別の視座で捉えることが出来る。
それは、今の自分次第。
>>698 未来は確実に変わったと思うね
ホントこの歳(おっさん)でまた幼児に戻ったような開放感と、お先真っ白な感じ。
多分、本当の意味で客観というものを「体験」できたんだと思うよ。まあ、自分語りはこれくらいにしとく。
700 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 02:49:19.49 P
>>698 過去が今を規定して、今が未来を規定するならば、それは全てが規定されている決定論的にならないか?
いや、その規定は固定じゃないんだと思うよ。いつでも変化してる。今の行動によって未来が決まるように、過去もまた変わるんだよ。
>>702 そうそう。
今を中心にして、世界は変わり続ける。
過去、現在、未来は独我がないと成立しない。
705 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 02:54:33.54 P
>>701 一意的決定論ではないってこと?
可能性が広がってるなら、未来は複数の可能性があることになり、今は未来を規定する(決定する)ことができない
>>705 決定論的に言えば、「過去の規定から今はまぬがれることが出来ない」。
「現在は過去の奴隷である」ってことだよね。
僕は、「今が過去の規定を更新することができる」と言ってます。
だから、決定論とは真逆の主張だね。
707 :
パンの耳:2013/11/23(土) 03:03:21.36 0
神経 逆なでする程度の変化
けっこ やばい ・・・・・ 絶望的
708 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 03:03:53.57 P
>>706 なるほど、つまり「過去は今を規定し、今は未来を規定するが、同時に過去の規定を破る自由が今にはある」ってことか
それって最初から何も規定されてない自由ってだけじゃないのかな^ ^
709 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 03:04:13.14 0
「今」地震があった。
「今現在」は、揺れていません。
「今」に、また、揺れるだろう。
言葉遊びの余興です。
もっと言うと、
過去の規定を更新する理由は、より良い未来を「作る」ため。
だから、
今が過去の奴隷であるか、未来の主人であるか、を規定する、と考えている。
私たちは自由な存在であることの「可能性」を持っている。
だから
>>664と語りました。
それが、時間とは何か、の私の現時点での答え。
時間、大事。
711 :
パンの耳:2013/11/23(土) 03:05:40.67 0
進化論すら 形状の推移にすぎない
>>708 そんなことはないよ。
因果関係により、過去は現在を規定し、現在は未来を規定する。
そこから逃れることは、正直大変。
自由には対価が必要だよ。
それは、出会いや努力や労力でもあるし、何よりも責任の重さでもある。
713 :
702:2013/11/23(土) 03:10:41.53 i
>>708 その通りだと思うよ
過去を規定してるものは、金とか人間関係とか色々あるけど、実際、この世界はルールに従えば何をやっても自由なんじゃないかな?
変な例で申し訳ないけど、人を殺すことだって自由。ある人を殺したいと思った時、刑罰と殺人と天秤にかけて、どちらか選んでるだけ。実はやってはいけないなんてことはない。動物の世界には法律ないよね。
714 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 03:13:05.86 P
>>712 大変だけど因果関係から逃れられるの!?
自由の定義がよくわからん
715 :
パンの耳:2013/11/23(土) 03:14:15.38 0
自然災害とゆー名前にかえて
因果関係を リリースするから
716 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 03:14:36.66 0
意識の変化に対して、盲目である。
意識は「勝手な方向に行く」のであり、その意味で自由ではない。
>>714 自由の定義は
私の行動を「強いる」一切の束縛から放たれること
だね。自分的には。
その最たる例が、自分の過去。
因果関係は過去→現在→未来。
現在だけが、↑の「強いる」諸力を無効に出来る。
718 :
702:2013/11/23(土) 03:17:37.77 0
そう、物は考えよう、って昔の人もよく言った
最近結構時間とか因果律越えた体験するんだよね。割とガチガチの論理性大事派だったけどガラッとなったね。なんかもうしゃあないわ、世界不思議発見してしまうと
721 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 03:26:02.53 P
>>713 倫理も道徳もないの?
俺は決定論者じゃないから自由はある派なんだけど、何をもって自由とするかは難しい問題なんだよね
全ての事象に因果関係があり、全ての事象が物理法則に従っているのだから、自由の居場所が困るわけだ
722 :
574:2013/11/23(土) 03:26:28.60 0
>>721 確かに。
感情的になっている人物は人を罵倒するかもしれない。
その時に、感情のママに自分の思う罵倒を行うことは自由なのか?
それは、感情に自分の罵倒を強いられている、と言える。
なぜなら、後で、感情のママに罵倒したその人物は後悔するから。
責任とは、そういうもの。
後で後悔することも踏まえた上で罵倒するなら、その人物は自由だ。
でも、実際はそうでないケースが殆ど。
自由には、責任が伴う。
725 :
世界はいのちのフラクタル ◆FUMA/Xddxs :2013/11/23(土) 03:32:57.34 P
>>722 二重スリット実験の解釈には、コペンハーゲン解釈や多世界解釈が有名だが、実はパイロット解釈てのもある
で、俺はパイロット解釈を支持している
時間の議論が主観により過ぎたな。
客観から定義出来る時間もある。
どちらも時間の一側面だ。
>>723 でもそこから自由になってしまったんだよね、残念な事に
>>727 それは、未来を見通せていないだけだよ。
だから自由の後に「可能性」と付け加えるわけ。
それは、人生から、学べるよ。
主観によりすぎると哲学とは少し離れてしまうねw
じゃあこのくらいにしとこうか
730 :
パンの耳:2013/11/23(土) 06:04:43.45 0
次回からは 後先考えてからセックスしましょう
時間は宇宙論構築の材料にすぎない
それが本当に存在するかしないかという議論はあまり有意義とはいえない
732 :
時々びと:2013/11/23(土) 10:23:50.87 0
>>650 だから!「おこちゃま」の方が、大人より吸収・成長が速いのです。
我々大人も、「おこちゃま」を見習って、真理を求めて、やり合うべきです。
733 :
時々びと:2013/11/23(土) 10:27:57.54 0
>>656 これは「言語分析」ではなく、何が、どのようにして、その言語をなっていったのか?
その言語を手掛かりにして、その実体・実態を究明する事でしょう!
734 :
時々びと:2013/11/23(土) 10:39:40.76 0
>>700 >過去が今を規定して、今が未来を規定するならば
過去に規定された結果が今で、あっても、ここで人間は、他人の言説・言動を基に今の自分を
他人的に分析して、自分の意志で過去の延長でない未来の創造が可能なのだろうか。
この実例が、
>>699 なのだろう〜
735 :
パンの耳:2013/11/23(土) 10:45:19.10 0
記号と言語 は 別モノだと思いますよ じゃなきゃ同時多発
ってゆーか 物理構成を石の組み立て方使って お膳立てして
魚のコスプレしたひげ親父伝説を 形跡つーか
アシ跡にして 言葉だけ残していかないと思う
実際 ナスカはトレーシングペーパー に なってたし
こんな ひ弱なヒトガタToolが 獣であったわけがない (笑)
737 :
時の自由者:2013/11/23(土) 10:52:21.22 0
自由とは…
自己の精神の自由。自己の身体の自由。他人を自分の思い通りに動かす自由。
自己の嫌な事を平気で普通にできる事。自分の身体を思い通りに動かす事。
相手に働きかけ、その考え・思い・想いを自分の望む方向に誘導できる事。
一瞬一瞬、周囲の状況に則して、矛盾なく、自分の目的に沿った行動ができる事。
自由の定義はできませんが…
738 :
パンの耳:2013/11/23(土) 10:56:13.90 0
文明興しても いまだに 戦争やってんじゃ ・・・・・・
つじつま合わないし ぴらみっど 意味ねーじゃん
バカの壁
740 :
時々の自由人:2013/11/23(土) 12:56:48.77 0
戦争を興す自由!
バカになる自由!
賢者になる自由!
バカを装う自由!
戦争しない自由!
741 :
時々自由びと:2013/11/23(土) 13:01:55.75 0
理解する自由!⇔理解しない自由!
納得する自由!⇔納得しない自由!
無視する自由!⇔相手をする自由!
議論する自由!⇔議論しない自由!
〜自由!自由!自由!自由!〜
リバティとフリーダム
目的と手段
この辺めんどくさいから一本化したい
743 :
時々不自由びと:2013/11/23(土) 14:27:15.71 0
目的を所持する自由
目的を持たない自由
手段を選択する自由
手段を選ばない自由
目的と手段を一体化する自由
目的と手段を分離化する自由
>>742 是非すればいい
人と共通化することではないし
妖怪や幽霊が、自然現象の何に対応しているかが問題。
妖怪や幽霊が自然現象として実現しているかどうかが問題。
自然現象として認識できないのなら、
ただの「錯覚」か「妄想」かなどが原因になるだろう。
妖怪や幽霊は、人間の「錯覚」という自然現象を説明していると言える。
マジンガーZや鉄腕アトムは、人間が空想した物の名前という、自然現象だろう。
人間の思考も自然現象な。
どーでもいーでーす
まず、議論したいなら、
言葉の定義が分かってないと、言葉で議論できないんだなw
そして、物事の議論をしたいなら、自然現象で起こっている事が理解できないと、
議論が出来ないんだなw
あなた以外は出来てるけどさ
749 :
時々者:2013/11/23(土) 15:50:00.79 0
>>745 その通り!
「時間」が、自然現象の何に対応しているかが問題。
「時間」が、自然現象として実現しているかどうかが問題。
自然現象として認識できないのなら、
ただの「錯覚」か「妄想」かなどが原因になるだろう。
「時間」が、人間の「錯覚」という自然現象を説明していると言える。
「時」も「時刻」も「時間」も、人間が空想した物の名前という、自然現象だろう。
人間の思考も自然現象な。
錯覚というか「概念」な
そこに拘りたければ幾らでも拘ればいい
それより
わざわざコテ変えて言わなくてもいいじゃん?
752 :
自由の時びと:2013/11/23(土) 16:00:33.79 0
>>751 コテを変換する自由!
コテを固定する自由!
コテ自由を謳歌している自由者!
開き直ったw
地球が回転してる事が、錯覚なのかどうか理解できないのか?
755 :
時の旅びと:2013/11/23(土) 17:26:27.24 0
ひらく自由!
とじる自由!
756 :
時の地球人:2013/11/23(土) 17:30:05.65 0
>>755 何か勘違いしてない!?
地球の回転は錯覚ではありません。でも…
地球の回転を時間だと思うのなら、それは錯覚です。
時間は存在には関与しない。ただ人間は時間を生きている。
人間にとって時間は必須だが、存在にとって時間は無関係である。
地球が回転している「動いている」なら、時間があるという証拠だろ。
時間が無いなら、地球は動かず、変化が一切無い事になる。
759 :
優しき時びと:2013/11/23(土) 17:36:07.21 0
>>739 君君!
君の感じている「バカの壁」は君自身が無意識で創っている、君自身の物かも?
↑〜こんな簡単な事も理解できないとしたら、君はヤッパリ!バカだ!
その「バカの壁」は、ヤッパリ君のものだったんだね!
760 :
時の説明者:2013/11/23(土) 17:43:23.25 0
>>757-758 逆!逆!
人間の生きている事が、変化としての時の経過であり〜
地球が回っている事が、運動としての時の経過なのだ!
変化・運動があり、それらが続くから時間経過がある!
現実の時間は、君達の思っている時間とは真逆だね♪♪
761 :
時間の神:2013/11/23(土) 17:45:18.18 i
時とは生きとし生けるもの象徴である。
時が前後の道筋を持てばそれが時間であり、時が止まるという事はそれはすなわち
【時間との共存原理】
に他ならない。
時間と共存するに辺り、時が己を支配すれば根幹の部分では自己犠牲になりうる。自己犠牲からの導き方次第では受動経過が能動経過に変わる、これが時間を『視る』という事である。
地球が移動しているなら、変化しているという事だろ。
変化が時間を証明している。
地球の色が変わったり、大きさが変わるだけが変化だけではなく、
XY座標の位置が変わるのも変化。
時間と移動を関連して考えるなら速度についても考えないと
764 :
時間の神:2013/11/23(土) 17:59:12.67 i
762 763
大丈夫ですか?
速度は、変化の度合いだから、変化してるかどうかだけなら、必要ないだろ
変化を見るなら、移動してるかどうかだけで十分。
ダメだろこいつw
なんつーか否定のための否定?
コンプレックスの塊みたいなやつだ
自己正当化の必死さしか伝わってこない
768 :
GOD of TIME:2013/11/23(土) 18:09:52.25 0
>>765 ここで、次なる課題がある。
その課題が、それら「変化の度合い」や「移動している」…等を
人間がどのようなメカニズム・過程を経て。「時間」と認識していったか!?である。
「時間はある」としたら、残念な事に、この認識論的メカニズムの探求がなされなくなってしまう!
放置プレイ
770 :
GOD of TIME:2013/11/23(土) 18:12:53.67 0
私の「時間」の存在を否定している理由は
>>768である。
ここらで、変な意地は捨てて、この「時間認識の過程的構造」
の探求を目指しませんか?!
時間(じかん)は、できごとや 変化を 認識するための基礎的な 概念である。
時間が、錯覚であるという証明は一切無い。
変化してる事が、時間の証明であり、
運動や移動も変化であり、時間の証明となっている。
>>771 分かったから、いい加減その先に行きません
時間の証明に、
変化してるかどうかが問題で、変化の度合いは必要ないだろ。
位置が移動してるかどうかを確認するだけで良いんだよ。
XY座標で、位置の移動が確認されるだけで良いの。
774 :
GOD of TIME:2013/11/23(土) 18:18:17.15 0
>>769 浅はかな奴!
書かねば安ら得ない可哀想な奴!
君の知能のこれ以上の発達は期待できない!
君のその態度では…
w
776 :
時間の神:2013/11/23(土) 18:19:58.69 i
>>771 ならば質問に答えて下さい。
時間(じかん)は、できごとや 変化を 認識するための基礎的な 概念である。
とありますが、時が存在しなくても変化を感じる事が出来ます。基礎的概念ではなく、付加的概念なわけです。生命が誕生した時には時間という物は存在していません。時との共存はあくまで
サービス思想
です。
全てが自分に対して言われていると思ってしまう重度の障害
778 :
GOD of TIME:2013/11/23(土) 18:22:43.26 0
>>773 だから!
「位置が移動してるかどうかを確認」 が、何故に時間の証明になるの?
「位置の移動」は「位置の移動」にしか過ぎないでしょう!
では!
「位置が移動」していない時の、時間の証明は、どうするの?
マングースが勝つのか
はたまたハブが勝つのか
俺は飯食ってくるわw
780 :
GOD of TIME:2013/11/23(土) 18:24:41.48 0
おや?スリーセブンさん!
御逃げになりますか?
それも自由ですね♪♪
781 :
GOD of TIME:2013/11/23(土) 18:25:43.68 0
では!
私も食事にGO!
>>776 変化を確認した時点で、時間を確認した事になる。
変化で、過去と現在を確認したのだから。
>>778 全ての宇宙、すべての物が変化なし、なら時間が止まってるという事。
だが現在、物が全て停止している現象は確認できてないだろ。
(つうか時間が止まっているなら、すべてが止まっているから、認識できるかどうか…)。
783 :
時間の神:2013/11/23(土) 18:43:44.22 i
>>782 あなたはまだまだ考えが浅はかなのです。
変化するという事が時間の経過ではありません。
先ほども述べましたが、時とは象徴なのです。
単なる象徴にしか過ぎないのです。
時のない変化は常時起こっているのです。
変化のない時間は存在しませんが時間のない変化は存在します。
存在するというよりむしろ時間というものは存在していない事になるのです。
世の中は変化していませんよ。変わっていないのです。
784 :
時間の神:2013/11/23(土) 18:48:59.12 i
変化は強制ではありません。よって時間も自由な存在なのです。
自由な存在の時間が我々をこの世に誕生させ、この世から無くした象徴性普遍原理として幾度となくぶつかりあっているわけなのです。
これが時間が唯一認められた自由性なのです。
変化した時点で、過去と現在の時間が証明されるんだけど。
これをどうやって、時間が無いと説明証明するつもり?
786 :
時間の神:2013/11/23(土) 18:55:13.80 i
>>782 あなたのおっしゃる変化とは一体どういうものなのでしょう?
1が1のままだという変化に対して1が2になるという変化は何か特別な物だという事でしょうか?
そもそも1が2になっても【変化】という観点のみで捉えた場合、決して変化はしていません。あくまでそれは付加的要素なのです。
1が2になったら変化だろw
1の過去と、2の現在という、時間を証明できてるだろ。
788 :
時間の神:2013/11/23(土) 18:59:11.79 i
あなたの考える
>変化した時点で、過去と現在の時間が証明されるんだけど。
という事については、変化した事で証明されるのはただ単に
時間が象徴敵な存在である
という事だけです。
789 :
時間の神:2013/11/23(土) 19:01:23.16 i
>1が2になったら変化だろw
ですからあなたは浅はかだと述べているのです。
790 :
時間の神:2013/11/23(土) 19:02:49.82 i
もう一度言っておきますね。
1が2になる事が変化ではないのです。
変化とは1が1のまま、1が2になってもそれもまた変化なのです。
791 :
パンの耳:2013/11/23(土) 19:05:58.95 0
ウルトラマンと ボンカレーと スパイス貿易の関係 かな
それぞれの価値感の推移と質量バランス
ウルトラマン と ぼうえき なら早漏ですね
さすがに 脛の骨削ってペニスに差し込む改造法は露骨なので
イギリスが yoga 経由して 勃起長持ち法にこだわったり
裏で エクスタシーばらまくのも理由がわかります
すぺるまんこー
792 :
パンの耳:2013/11/23(土) 19:09:53.26 0
一袋の宇宙食 ボンカレー で
何人のウンチ奴隷転がせたかってはなし
ハーレムバスター より(笑)
変化は、過去と現在と言う時間を証明しちゃうの。
時間が無いと言うなら、この変化の過去と現在が存在しないと証明する必要があるよ?
1が2に変わっているのに、変化していないwとは言えないだろw
1が2にかわっているなら、それは変化してるんだよw
794 :
時間の神:2013/11/23(土) 19:35:26.41 i
あなたが物理的概念だけにとらわれて論じている以上、私の論じたい事は一生伝わらないでしょう。
やっと気づいた?w
その人数ヶ月前から同じことしか言ってないから
物理的概念を無視して話されてもw
有りもしない事をあなたはしゃべってるw
1が2になってるのに「変化していないw」という証明説明をしてみてよw
1が2に変化して、
1が過去じゃない、
2は現在じゃないと、説明してみてよw
存在証明だけに拘る理由がまず分からん
時間はあるのか、ないのかで足踏みしてるよね?
多分、哲学とは何かすら理解してないんじゃないのか?
801 :
時間の神:2013/11/23(土) 20:17:53.54 i
1が過去2が現在だという定義を起こしたのはあなたですから、私に
1が過去じゃない・2が現在じゃない
説明をさせる前にあなたが1が過去で2が現在だという説明をする必要がありますね。
過去(かこ)とは、時間の流れを3つに分けて理解する場合の、既に過ぎ去った部分のこと。
現在より以前の時のこと。
1はすでに過ぎ去った部分の事。
2は現在。
1は過去で、2は現在と証明されてる。
1が2に変化って言てるのは、1と2を一本の串でブッ刺した、みたいな事でしょ
つかアレがコレに変化したって言い方がもう既に同一じゃないの自分で分かってるよねそれ
805 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 21:42:58.47 0
持続を「時間」と言い換えるのならば、
「時間の持続」などと表現するのは馬鹿げているし、
「時間が流れる」というのも可笑しい。
下手な言葉遊びである。
「生物にとって時間とは何か」という本を哲学絡みと知らず購入
哲学なんていらんモンと思ってるので途中で読むのヤメた
全く金と時間のムダだったよ
「時間とは何か」じゃねーよ ムダにした時間と金返せボケが
それは売買制度の問題だわ。文句ならそっちへ。
バケツに入っている水1リットルが、2リットルになったと考えれば分かりやすい。
水1リットル(過去
水2リットル(現在
809 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 23:57:23.68 0
増した水の量は、どっかからもってきたんやろ
水を移す前(過去)
水を移し、現に増している(現在)
どっから持ってきても良いだろw
バケツの中が「変化した」事が確認できれば良いだけだから。
それで、時間を証明した事になる。
811 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 00:10:23.35 0
812 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 00:14:08.23 0
時間の証明というより、
変化するものとしての世界の延長を認識しているだけなんだが
813 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 00:24:25.28 0
バケツの例など必要ないんだよ。
自分が思いをめぐらすというだけで、持続であり延長なんだから。
「以前」を憶えているし、持続を疑わないし、疑いえないというだけ。
変化を確認するのに水どっから持ってきても問題ないなら、もう水すら要らないじゃん
想像の水を足す→(想像が変化する)→バケツを見る→変化した!
「変化が確認出来たので問題ありません」
いやいや
今の自分だけが主体で、過去の自分や未来の自分を客観的に見てるんじゃなくて
逆に過去の自分が本当でとかじゃなくて
自分、ってもう全部"自分"の物ではなくなってたんだね
816 :
パンの耳:2013/11/24(日) 04:00:41.91 0
後先かんがえてから 農民に中指たてましょう
世の中ひっくりかえったらしいんで
倍がえしは トラックの横転ですね 楽しみにまってます
817 :
パンの耳:2013/11/24(日) 04:03:02.76 0
Fuck You
人の話を聞けない人に
何を言っても無駄だよな
馬の耳に念仏ー
819 :
パンの耳:2013/11/24(日) 04:17:39.16 0
時間とは 前後があって初めて成り立つ概念だとおもうけど
ここのスレ名が「時間とは何か」なんだよw
変化が時間を証明していると言っている。
変化が確認できるものなら何でも良い、水じゃなくても良い。
だーかーらー
変化ですよ、その通り。
みんなそこはとっくにクリアしてるの。
そこを理解できない人がいたとして
解らせようと必死になってるあなたのその必死さは何なんだよ?!
仮に説得できたとする
それであなたは満足なわけ?
客観的に見るとね
あんたは自分の言うことを聞かない他人に我慢がならないだけ、思い通りにならないとムキーっとなってるだけでしょ?
間違えてる書き込みに、
正しい書き込みで上書きしてるだけだよ。
間違えを修正してるだけ。
ははw
ウザいね
間違えた書き込みの垂れ流しは、気にしないのに
正しい書き込みの垂れ流しは、気にするのか?
間違えた書き込みに文句言うなら分かるが、
スレにあった正しい書き込みに文句言う権利は無いだろ。
権利云々の前にさ
その正しい、間違いの尺度が自分本位なんだよね。
正しいと思ってるのは自分でしょ?
物理学的な範疇でしか見てない視野の狭さを、まず自覚しなさいな
そして人の言うことの正確さだけを見るんではなくて、どの視点で見てるのかを推測できるようになったら
あなたはもっと上のステージに立つことができると思うよ。あなたの言ってることは間違ってないし、反論するつもりはないけど、問題に対する態度が硬直してるのが勿体無いと思うんだよね
時間は物理現象です。
宇宙が持続し、変化しているのです。
宇宙は運動変化している。
その運動変化を時間で測っている。
運動変化が時間で測れるから、時間が存在するということになるのだろうか。
地動説は地球が動かないとして天体の運動を認識することは否定しない。
地球が動かないとするというのは<認識>に必要だが、だからといって地球は静止しているわけではないということを証明した。
つまり運動認識には静止が必要であるが存在しないことになる。
そして認識に必要だといって、それは存在することは意味しない。
時間もまたそのようなものとしてあるのではないだろうか、ということ
まぁ、正確に時間を測るのは、変化をを定量化する為に人類が編み出したテクニックさ
831 :
パンの耳:2013/11/24(日) 09:10:47.64 0
太陽系
つまり時間は人間が滅びたら無くなる。
833 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 10:13:08.04 0
837 :
833:2013/11/24(日) 10:21:41.07 0
>>834 貴方によれば、人間が滅びたら時間は無くなるのだろう?
そうしたときに、例えば何が残るのかと訊いているのだよ
意味わからんのか?
838 :
833:2013/11/24(日) 10:24:51.35 0
例えばだな、
>>829の
「宇宙は運動変化している」という意味は
人間が滅びても不滅なのか?
いや、今初めて返事するのだが。
いろいろやっているので。
それで説明できても、それは存在しない場合は了承してくれますか?
840 :
833:2013/11/24(日) 10:32:54.48 0
『説明できてもそれは存在しない場合』というのが
何を言いたいのかピンとこんが・・・
とにかくやってみそ
座標原点てのは存在しないですよね。
つまり運動量ゼロというのはどこにも無い。
でも理解には必要なわけです。
843 :
時間は人間が創ったもの:2013/11/24(日) 10:42:14.61 0
>>828-829 物の長さを測定する、m、km…は人間が創ったものです。
運動変化を測れる時間も、当然に人間が創ったものです。
元々人間の認識自体が静的だと思うけどね。
わたしという肉体は、同一としてはありえない。
福岡という生物学者が、五十年以上前にある哲学書で述べていることと同じ指摘を最近している。
つまりいつも運動変化していて、わたしはわたしであって、わたしではない。
それをわたしとして捉える。
大きな観点からするとわかりやすいけど、赤ん坊から現在に至るまでに大きく肉体的に変化していても、同じく<わたし>として捉える。
では肉体的に同一であることはあるかと言うと、そういうことは無い。
天動説というのは、この認識に静止が必要だから現実に存在するという誤謬であるわけです。
845 :
833:2013/11/24(日) 10:52:56.93 0
>>841 いや分かるよ
普通にそう考える人がいてもおかしくない
しかし俺は違うと思う
>>842 私はね
「座標原点は存在しない」という言葉で語られる意味とは何だろうか
なんて考えるわけよ
定義次第でどうとでもできる、ぐらいの感じを言ったものだろうか
しかしその原理を押し進めるなら、「これだけはある」と言えるものって
何かあるのかね?
エネルギーは『ある』か?
あるとして、どこに?
私の目の前にあるサツマイモが『ある』として
どうしてそれは『ある』?
見えるからか?触れるからか?
触れないものは『無い』か?
嫁さんとの間の万有引力を感じるか?
感じないとして、それは実際には『ない』のか?
もし「理解に必要」な概念である重力やエネルギーについては
『ある』ように思うのなら
どうして時間だけは『ない』となってしまうのかな?
846 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 10:53:28.92 0
>>833 人間の消滅とともに、事物・事象の変化・運動を時間と認識する存在も消える。
従って「時間」もなくなる。では、何が残るか、それは消滅して消えたもの以外のもの。
しかし、人間が消滅した以上、その残ったものを認識して、書いたり語ったりする存在も
消滅してしまったので…何が残っているのか、人間である私には、認識できない!
でも言える事は、人間の創出した時間は人間とともに消えるが、それでも人間が時間
というもので測っていた、何かは残るのだろう。
847 :
833:2013/11/24(日) 11:00:03.20 0
>>846 その原理を押し進めるなら
凡そ言葉(<概念)で表現される一切について
「その言葉による表象」は、人間とともに消えるだろう
時間についてだけ、ことさらに言うべき話ではなくなってしまう
時間というのは次元であるわけです。
ゼロ次元がなければ以降の次元も当然無いわけです。
三次元というのは自然の物理的存在の抽象であり、それで大きさを説明しているわけであって
三次元で物理的存在ができているわけではないのです。
それは物理的存在の抽象です。
ゼロは無限に集まっても大きさはつくりませんよね。
無限×0は0、違いますか?
時間は運動を量で理解するしかないから必要なだけで、存在するわけではない。
時間は物理的存在の運動量を理解するのに必要なだけ。
849 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 11:02:54.38 0
本来、ここで考えるべき事は以下であろう!
人類が創出した
長さ(m、km…)、重さ(g、kg…)と同じような測定単位であるはずの「時」、「時刻」、「時間」を、
何故!元から自然界に存在しているものと、我々は感じてしまうのか?という事であろう…
850 :
833:2013/11/24(日) 11:04:43.43 0
>>848 貴方によれば、時間はなくとも、運動は『ある』わけか?
その判断は、何に依っているのだ?
>>847 認識に対象化されたのが言葉として表現されるわけですよね。
運動変化する宇宙という対象自体はなくなりませんが、それを理解した理論は人間が消えたらは消えるでしょうね。
852 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 11:07:14.83 0
>>847 その通り!本来は貴殿の言われる通りである。
しかし、ここでは、時間が存在している!とか…
誰かが人類が滅びても時間が残るとか…
書いている人がいるから…である!
853 :
833:2013/11/24(日) 11:09:03.55 0
>>849 そりゃあな、メートルという単位の決め方は作為的とも言えるが(ここも微妙なんだが)、
1メートルという長さを決めるのは、結局は自然だからよ
仮に<在る>としましょうというのが出発点でしょう。
まあ、在るという理解が静止なんですけどね。
物理的存在は運動変化するので,゛物理的状態として他の物理的状態に成ることを静的に捉えるので生死と表現されるわけです。
855 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 11:17:13.37 0
変化を変化として、運動を運動として、分かるには、
その変化・運動の一瞬一瞬を五感で感じて記憶できる事が必要なのでしょう。
その記憶した一瞬一瞬を、同一対象の連続としてみることが出来た時、変化を
変化として、運動を運動として感じて分かる事ができる、のでしょう〜
だから、同じ人間でも、幼少時には、時間感覚は、まだ大人程には無いのでしょう。
とりあえず出発点は科学の結論からやるしかないでしょう。
運動の否定、静止はどこにも無いことは証明されているのですから。
ちと用事で外れます。
857 :
833:2013/11/24(日) 11:19:50.53 0
>>851 そうすると
時間が存在しないのは、それが『対象』ではないからなのか?
それとも、そういう話ではないのか
理論というのは、『組み方』なので
さまざまなバリエーションの可能性があっていいだろう
しかしその可能性を支えるものまでも消滅させてしまってよいものだろうかな
>>852 わたしも、人類が滅びても時間は残る、と考える種族だなw
858 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 11:25:20.42 0
>>853 過去において、時間の単位は「1日」であり、「1年」だったでしょう。
これって、>結局は自然だからよ <!でしょう!
結局、時間が存在していると思い込むようになったのは、人類がこの事を
忘れてしまった!からなのでしょう。
859 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 11:28:23.22 0
>>857 人類が滅びても、地球、太陽…太陽系が残っているなら、地球は回っている。
しかし、その事を「1日」、「1年」と考えるものは、もう存在しない。
860 :
833:2013/11/24(日) 11:33:33.33 0
>>858 人類が何を忘れたって?
『単位の決め方』については、バリエーションがあっていいわけよ
だけども、その単位は何の単位なんだ、ってことになると
やっぱり時間の単位であって、それ以外の何ものでもない
時間というのは、『構成されない』のですよ
わたしが時間が根元的であることの判断をする根拠はそこにしかない
確かに、
>>855の言うとおり、人間の成長過程に於いて、
時間概念よりも変化について認識することの方が時期的に早いだろうけれども、
その順番によって存在の優先順位を判断することが、果たして妥当なのだろうかな
時間が世界に存在しないのに、
地球が「回る」こと何て可能なのか?
日、年などは、時間を人が測る「単位」であって、「時間そのもの」ではないだろ?
チロルチョコの大きさを定規で測る時に、大きさは定規である、と言っているに等しいよ。
大きさはチロルチョコの側にあって、定規でそれを測るわけでしょ。
定規がなくても、大きさはある。
↓参照
>>502 >時計は時間ではないし、横や縦やそこに書かれた点も時間ではない。
>時間は持続で、それは始まりと終わりがある。
862 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 12:03:33.23 0
言葉の意味するものを深めるには、その言葉の対象を考えることでしょう。
「時間」という言葉も然り、「時間」を更に理解するには、人類が自然界の何を始めに
「時間」としたかを考える事だ、と私は考えます。
「道に迷った時は、最初に戻ってやり直しなさい!」と私は教えられました。
それを、初めを忘れて、複雑怪奇になった現在の「時間」の知識で考えていて…
ここは、今でも堂々巡りのように、私には思えますが…
まあ〜言葉で楽しんで、時間を潰して下さい。
言い変えると、その退屈感を、ここでの言葉の繰り返しで、埋めていて下さい!
私は食事に行きます!
>>862 >「時間」という言葉も然り、「時間」を更に理解するには、人類が自然界の何を始めに
>「時間」としたかを考える事だ、と私は考えます。
だからさ、あなたは「単語や単位」としての時間の話をしているだけであって、時間そのものの話はしてない、って指摘なんだけど。
世界は様々なモノ(鉱物、植物、人など)が存在するが、それに名前をつけることによって、それらが存在するようになった、と言うのと同じことを言ってるね、
名前をつける前から鉱物も植物も人も存在してるから。。。
もっと言うと、鉱物や植物や人などが、「所与」のものとして始めから存在するから、それに名前をつけることが可能なんでしょ?
時間も同じこと。時間が所与のものとしてあるから、それを「測る単位」を人が発明することが出来る。
時間を人が創造した、なんてトンデモだよ。
もっと言うと、何かを測る時には、その測られるものと測るものは同質でなければならない。
チロルチョコの大きさを測るためには、定規という「単位を付与された」大きさで測る。
ある持続の時間を測るためには、ストップウォッチという、「単位を付与された」時間で測る。
時間は単位を付与された時間で測るしかない。
だから、測るモノの話をしても、時間とは何か、について深めることは「出来ない」。
なぜなら、自己言及になるから。
866 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 12:39:00.99 0
>>864 言語分析というのは、自己言及だからな。
虚しいんだよ。
>>863 あなたの言うことに完全に同意。
ただ、「時間は人類の創造物さん」みたいなタイプの人に対して、「所与」のものという表現で答えると、必ず、それは言語を介して成立してるからみたいな無限ループを返してくるから w
次元自体は人間が物理的大きさを為しているものを抽象して、それで物理的対象の大きさを理解しているだけで
人間が消えたら、たしかに抽象されたモノ自体は残るが、次元という理解の媒介は消える。
それと同じように運動量を測る次元である時間は消えるということ。
たしかに自然の運動自体は不滅だが、時間という運動量の抽象は残らないわけ。
対象自体は残るが対象の抽象である<次元>は、抽象した人間の頭の中にしか無いということ。
基本として、ゼロ次元が存在したら、次元である時間も存在することになるけど、無いことが証明されているから無いというだけなんだけどね。
870 :
時間は人類の創造物:2013/11/24(日) 13:19:32.18 0
では、言葉の説明を少々〜
時刻とは、時を刻んだ今の瞬間。
時間とは、時刻と時刻の間隔。
ここで人類は日が昇り、日が沈み、次に日が昇った事を1日とした。
この1日は確かに基準の単位であるが、その間の変化の間隔を感覚した
ものが「時間感覚」であろう。
我々大人は、生まれてから数十年の中で、その時間感覚を身につけてしまっているので、
大人にとっては、「時間はある」ように感じられているのである。
因みに、腹がへって、めし食っていっぱいになって、
次に腹が減るまでの間隔も、時間として感じる感覚である。
果物一般という抽象は頭の中にあるだけ。
人間が消えたら、その抽象は消える。
たしかに果物そのものはそれがある限り残る。
それらを果物一般と捉えるのは理解するからであり、果物一般など自然のどこにも無い。
872 :
833:2013/11/24(日) 13:29:21.26 0
>>868 なんだその『次元』とは?
単位の別名か?
>>870 だその「変化の間隔」に於ける『間隔』が、距離ではなく時間であることの理由は、
『変化の程度そのもの』には含まれていないのだ
故にどうやっても、時間は「ある」とするしかないのである
抽象したものは頭の中にしか存在しないから、人間がいなくなれば当然なくなるし
人間がいたとしても自然には存在しないということ。
人間は運動する対象を運動量でしか捉えられないから時間が必要になるということ。
その運動量の抽象も当然存在しない。
>>868 運動や変化なんて言葉も概念だよ。
そういうことを言ってたら、究極的には何も言えなくなる。
言えなくなるのは全然構わないんだけど、だから無いということだけは言うんだよな。
「無い」なんて否定形の発想は人間しかもたないんだけど。
こういうループは、結局何も言ってないだけ。
では、わかりやすく。
物理的存在を縦横高さで理解するのだが、縦、横、高さ、それぞれは独立して存在しないわけ。
>「無い」なんて否定形の発想は人間しかもたないんだけど。
うん、だから、大きさの無いゼロ次元なんて人間の頭の中にあるだけだ。
時間は次元だよ。
877 :
833:2013/11/24(日) 13:43:32.45 0
>>871 トマトは果物みたいだが野菜なんだろう?
整理のために、農作物の中のあるものを果物に分類する基準を決めたい、
というなら、とりあえずそうすればいいし
みかんを野菜としたいのなら、「みかんは野菜である」という
条項を付与してもいい
その野菜論法を援用して、いかなる存在者を時間に分類するつもりなのだ?
また用事ができたので、ひとまず。
次元が抽象であり、頭の中に在るだけだし、自然に在るわけでは無い。
無い、否定は人間のものというのは時間否定の根拠なんだけど。
>>876 ゼロ次元というのは、そもそも次元無い=存在しないということの定義だろ。
だから他の次元がないという論理がわからない。
たしかに縦というのはそのものでは存在しないよな。
>>870 それは、cmで具体的な長さをイメージ出来るようになる、「長さ感覚」と同じことなのでは?
時間の単位を作った後に、それを扱う感覚を人間が身につけることには、何も異論はないが、その感覚と時間そのものは、関係ないだろ。
というか、時間が所与のものとしてあって、それを測る尺度(道具)を作って、その道具を利用するための感覚が後で身についた。
その感覚がなくなっても、時間そのものになにも影響は及ぼさないよ。
人間がいなくなったら言葉…なくなる?
人間と一緒に時間がなくなる…後追い自殺する程愛されてる自信があるんだ?w
フツーに考えてなんで人間にだけ時間があると思ってるの?
言葉ですら紙になり何千年前、塩化ビニールが話してたのも昔で、今やコンピュータは"言語"も撃ち込めるわ歌うわ踊るわの時代だぜ?
ああ、ちゃんと"使う"が何かをしっかり考えて次話してね。同じ事するのやだし
あと人間ってまだいる?ホントにいる?最近見ない気がするけどなあ
宇宙無理心中説という。
時間は存在そのものには関与しない。ビッグバンから宇宙が始まったとするなら
そこから時間が始まったことになる。だが存在というのはビッグバンに関わらずあるものだ。
つまり時間などに関わらずあるものこそが存在なのであって、それが世の中の外にある神。
神がいるかどうかは置いといて時間を考えているうちは神にはたどり着けない。
887 :
833:2013/11/24(日) 16:55:47.03 0
時間がビッグバンで始まる必然性も必要性も、特に無い
888 :
時間感覚者:2013/11/24(日) 17:24:11.23 0
例えば「リンゴ」は存在しています。
では、そのリンゴの味は?というと、それはリンゴを食べた時に感じるものです。
従ってリンゴを離れてリンゴの味は存在できません(人工的リンゴ味は無し!)。
時間も同様に、ある継続した変化・運動を体感した時、その時の継続して感じ続けた
感覚が、ここであると言っている「時間の正体」なのだろう、と私は考えています。
動物が眠っている時、周囲の変化・運動を殆ど体感していなくとも、体内の代謝による
変化・運動は体感しているので、時間を感じる事が可能なのでしょう。
889 :
時間感覚者:2013/11/24(日) 17:25:25.37 0
私も「時間がある」と考えた方が、思考をとても楽に進めますが…
しかし、ここは「時間とは何か」スレでしょう!
それを始めから「時間がある」というのなら、「時間とは時間である」で終わりなのでしょう〜
「時間がある」と真面目に思っている人は、「時間は時間だ!」と言い残して終わりでしょう!
この後に何を考える必要があるのかな?だって君達には時間があるのでしょう!
なら「時間とは何か」なんて、問う必要がないじゃん!
>>889 時間がないと言ってる人は、なおさら「時間とは何か」なんて、問う必要がないでしょ w
891 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 17:33:37.43 0
時間とは 生まれてから 死ぬまでの 出来事 なり。
>私も「時間がある」と考えた方が、思考をとても楽に進めますが…
思考には必要だが、自然には存在しないと言っている。
時間とは 「変化」 の こと である。
894 :
833:2013/11/24(日) 17:49:47.52 0
895 :
833:2013/11/24(日) 17:51:32.76 0
>>892 だから、自然に存在するものって、例えば何よ
それが難しいなら、どうであれば自然に存在すると、貴方は判断する?
変化の「場」化→時間
自然には自然が存在する。
898 :
833:2013/11/24(日) 18:01:49.13 0
>>889 そうではなくて
時間とでも呼ぶしかない何ごとかがあって
それがどのようにあるのか
整合性のある概念として成立しているのか
それともさまざまに複合するなにものかなのか
さまざまなのは、側面なのか本質なのか
そうであれば、果たして理性は時間の本質を捉えることができるのか
できそうで、できないのはどうしてか
そういうことを念頭に、時間についてぶちぶち言い合うことだけが
「時間とは何か」について、今の我々ができることなんじゃねーの
899 :
時間感覚者:2013/11/24(日) 18:04:06.26 0
>>890-893 時間は自然界には、時間としては存在していない。
これは、リンゴの味が、味だけで自然界に存在していないのと同じように〜
自然界に存在している事物・事象の変化・運動であり、それを人が体感した時、
その感覚を時間としている、のだろう。
即ち、時間とは事物・事象の変化・運動を感覚したものである、と私は考えている。
だから、時間はその人の中に感覚・観念として存在しているのだろう。
物理的に存在しないなら、ない?
ならあなたの自我はあるの?
901 :
833:2013/11/24(日) 18:09:57.96 0
だから、なんで「運動」「変化」は感覚以前に存在すると
そう思えるんだよ
存在する事物・事象と存在しない事物・事象はどう区別されるのか。
それともそんな区別はそもそも存在しないのか。
そう習ったから信じてるんでしょ
904 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 18:15:55.98 0
時間は一方向にしか流れない らしい。
記憶は逆流しないから、とその話は既出だよね
>>903 懐疑することに耐えられないのかもね
教科書にはこう書いてあるじゃん!
みたいな主張だよ
907 :
833:2013/11/24(日) 18:21:37.24 0
「変化」と言ってしまったら、それは
理性によって「不変な実体(つまり実体としては不変)」を仮想して
その仮想される実体の属性が変わる
という形でしか『理解しない』のだ
そうでなければ理性は、それが変化なのか変化ではないのか、
を判断しない
この不変な実体の何がどう不変なのか、と言えば
それは『時間に沿って不変』だとするしかない
こうして判断の中に組み込まれているこの「時間」だが
それを「人間が作ったもの」なんて言えるのか、が次の問題なのだ
もう、人間が発明した概念でいいじゃない
それのどこに問題あるかい?
909 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 18:23:56.59 0
そんなことよりも
いま傘が無いんだよ
と陽水は歌っていた
みんなに聞きたい
仮に時間があるかないかに
結論が出たとする。
それがなにになる?
スレが終わるだけだろ
そろそろ、議論のための議論だと認めて
次のステップに行こうや
911 :
833:2013/11/24(日) 18:29:25.62 0
発明というのは、その定義上、自然の仕組みを利用すること、
となっとるのだ
人間は魔法使いではない
自然に逆らってめちゃくちゃな創造なんてできないのだ
それが思考内の道具であっても、だ
その通り
問題ないと思うよ?
913 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 18:33:24.77 0
>>912 では、時間は「変化」ということでお手打ちですね。
全く
>>912 失礼。
自分は全く異論ないよ
人間だって自然の摂理から逃れることはできない。時間もまた自然以外の何物でもない。
存在しないという人の主張ももちろんわかる。しかし認識しているから、時間などないと言えるのであって、認識してないなら何をないと言っているのか?
ということになってしまう。
916 :
833:2013/11/24(日) 18:40:02.97 0
人間が自然によって生かされていることは論理的に整合している
その人間が、時間を認識しており
「時間の中で」生きていることを確認できる
感覚とか、意識などというものは
そもそもからして時間的に存在している
意識がそのことに気付いたことが、時間の存在知る第一の契機
そこまで考えたときに、『時間は意識が作り出したもの』というテーゼは妥当か?
917 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 18:40:29.09 0
>>915 なるほど、それでは、時間は「変化」ということでお手打ちですね。
>>916 だからそうだよ
難しいこと言わなくても、辞書に「概念」と書かれているし、それに異論ある人いるの?
920 :
833:2013/11/24(日) 18:46:22.33 0
>>920 おつおつ
同じ土俵で論争しても仕方ないよな?
そんな話より
時間の概念が文明を作り出した、とか
人間はこの先時間をどう捉えるようになるのか、とか
ネットの登場で時間感覚がどう変わってきたか、とか
そんな話ができる人はいないのか
_、_
( ,_ノ` ) 時間は 変化さ …
ζ
[ ̄]'E
しかし異論あればいくらでも
暇だしさみしいしw
かつてアリストテレスは重力が引き起こす現象について、「モノが本来いるべき場所に戻ろうと願っている」ために起こる現象だと言ったが、まったく進歩がないな w
科学的事実としては、静止は存在しないんだよね。
つまりすべては静止の否定としての運動変化の過程に存在するだけ。
運動量ゼロっていうのは徹底的に否定されている。
この事実から出発すべきだろう。
ゼロ次元は次元の一つなんだよね。
数には大きさが無い、つまりゼロ次元は存在しないということだし、縦も横も高さもそれぞれ、その形で存在するわけではない。
そして、三次元も運動を伴うわけだから、三次元だけというのは実在しないわけ。
けっきょく次元と言うのは自然の抽象であり、自然を理解するために必要なだけ。
高さは175cm横が五十センチ、奥行きが二十センチだとする。
175cmの高さだけというのは無くて、常に横とかが伴う。
つまり、それで理解しているだけで、自然には存在しないわけ。
言葉っていうのは、対象を認識し表現したもの。
つまり認識の在り方に反映したものであり、そのまま反映するわけではないし。
わたし、鉄、樹木と表現したってその表現は静止であり、自然が運動過程にあることは表現できないわけ。
前にも書いたが、わたしは赤ん坊から今に至るまで大きく変化しているし、鉄、樹木と言っても同じこと。
この運動変化の過程に在る対象の大きさを三次元で、運動変化の過程を時間で理解しているだけ。
時間の単位はすべてある物理的存在の運動量の抽象で、運動量で運動量を測っている。
三次元までは、ある物理的存在の大きさの抽象であるわけ。
センチ、フィートとか。
つまり次元というのは徹頭徹尾自然の抽象であり、それで対象の大いさとか運動量を理解しているだけであり
抽象なのだから、自然にそのままの形で存在するわけではないということ。
ではまた。
ゼロ次元が実在したら時間の実在は信じるしかないけどね。
932 :
833:2013/11/24(日) 20:15:19.96 0
「自然にそのままの形で存在するわけではない」として
どういう形で存在するんだ?
あれか
不可知論みたいなもんか
そんなもんは、何を語っても無駄の上塗りだぞ
_、_
( ,_ノ` ) 時間は 変化さ … お前らにも わかるだろ?
ζ
[ ̄]'E
934 :
833:2013/11/24(日) 20:21:57.07 0
あとな
日常的な自然というのは多様に見えるが
拡大してしまうと抽象ばかりが支配してるな
935 :
833:2013/11/24(日) 20:23:56.54 0
あとな
変化なんてものは、いつの時代にもあったわけでな
変化そのものは、それがいつの変化であるのかを示さない
923には変化そのものが見える特殊能力があるんだよ。
察してやれ。
_、_
( ,_ノ` ) 変化するから 時間の経過を 感じる … お前らでも わかるだろ?
ζ
[ ̄]'E
静止は理解に必要だから自然に存在するということが誤謬の原因。
つまり素朴認識論であるということ。
>>937 時間が経過するから 変化を 感じる … 君にも わかるだろ?
と言っても同じことだな。
運動変化そのものは直接理解できないから、量としてしか捉えられない。
だから時間が必要になる。
時間は間接的理解しかできないから必要なだけ。
繰り返すが、ゼロ次元が実在すれば時間の存在は信じるよ。
ただし、それは光速度一定の法則の否定になるけどね。
942 :
833:2013/11/24(日) 20:37:06.30 0
例えばな、粒子が動いているだけの世界で
どんな粒子の集合としての人間が時間を感じることができるんだ?
_、_
( ,_ノ` ) 逆にいえば 変化がなければ 時間の経過は 感じられない …
ζ 人間て そういうもんじゃ ないかなぁ ( ̄(エ) ̄)クマ
[ ̄]'E
>>943 それは自由落下の空間でも同じことが起こりうるよ。
だから空間は存在しない?
945 :
833:2013/11/24(日) 20:39:49.18 0
「変化がない」という状況は
時間経過があるから感じることができるのだよ
時間とは何かより変化とは何かを考えよう
_、_
( ,_ノ` ) 人間の感覚というのは 時間の感覚もある …
ζ だから 時間は 外部の実在ではない その人にとっての 存在の感覚なんだよ …
[ ̄]'E
949 :
833:2013/11/24(日) 20:47:35.99 0
光速度不変の法則なんてのは
時間の律速基準は、光に依る以上の精度を可能としない
ぐらいの意味だろ
950 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 20:49:08.00 P
そもそも光より早いものはビッグバンで宇宙の外に飛んで行っているからな
951 :
833:2013/11/24(日) 20:49:46.39 0
感覚というものが、そもそも時間に依存する存在だな
時間感覚というのは、その論理的な『気づきのパッケージ』に付ける呼称だろ
952 :
833:2013/11/24(日) 20:51:11.58 0
>>950 さあな
理論を宇宙に押し付けるにも節度が寛容じゃないだろうかな
_、_
( ,_ノ` )
>>951 そういう言い方は 駄目なんだよ …
ζ それでは トートロジーに なってしまうからね …
[ ̄]'E
954 :
833:2013/11/24(日) 20:57:31.77 0
>>953 んー
どのようにトートロジーなのか分からんので
説明よろ
世界が 1次元なら 0次元しか認識しないと思うよ
956 :
時間の神:2013/11/24(日) 21:02:55.84 i
世の中変化はしていませんよ。
_、_
( ,_ノ` )
>>954 感覚を説明するのに 時間をもってくる …
ζ それから時間感覚ということばを 持ってきて 時間が感覚ではないと 説明しても …
[ ̄]'E 最初の論理に 時間が感覚に依存すると 言ってしまっている これはトートロジーだよ …
変化してないのは自分でしょw
目の前に一億年が在るなんてのは誰も信じないだろう。
過去と現在と未来が同居しているなんてことはない。
鎌倉、現代、二十二世紀が存在しているなんてことは無い。
これはどんなに小さく区切っても同じこと。
ナノ一秒には無限が詰まっているから、無限の私があることになるのだろうか。
運動変化しているのだから、それぞれ違うわたしということになる。
違うものは同一ではないという当たり前のこと。
仮に時間があるとしたらそのようなことに成る。
ゼロ次元が在るというのはそういうことだ。
明日の朝早いので寝る。
>>949 ゼロ次元が次元で無いと発言した方かな?
かなり理系の知識は危ういな。
時間とか存在とか片付けてしまうと、あとは意識関連しかないんだよね
だいたい皆ベーシックなブッダスタイルで涅槃入りするから、そこから先は情報がない、"情報という形では"情報がないんだよね。一人旅。
なんでもかんでも混ぜりゃ終わり、最強にして最高の解決なんだけど、たまに考えてしまうんだわ。
この世に意識って一つしかないんじゃねえの?って。そんな、ありふれた自分一人とあと機械、じゃないぜ
明日お前が死んだとするだろ?お前、俺になってるぜ。
世界中の生命の、世界中の全ての命、お前一人で順番にずっーーーーっとやってんだよ。
って言われたらどうする?
この議論は早く抜けた方が無難
暇な人はどんどんハマるといい
963 :
833:2013/11/24(日) 21:19:08.64 0
>>957 時間が感覚に依存する、と言っているのは貴方であって、私ではない
私は、感覚が時間に依存する、と言っているのだ
「時間感覚」と言ったのはな
貴方が
>>948で「時間の感覚」と言った言葉に対応するものだ
つまりな
貴方の言うような「時間の感覚」というのは、五感のように時間を感じているのではなく
理性が感覚のありようを分析して論理的に時間の存在を理解する状態を言うのだ
_、_
( ,_ノ` )
>>963 単語を入れ違えても トートロジーであることには 変わらないよ …
ζ 君が最後二行で説明していることの エビデンスを 示してほしいのだけれども …
[ ̄]'E 当然ながら 根拠があって 「〜状態を言うのだ」と述べているのでしょうから …
965 :
833:2013/11/24(日) 21:34:39.80 0
>>964 わたしが「時間が感覚に依存する」とは言っていない、そのことは
了解してもらえらのかな
それで尚、トートロジーであることは変わらないのか?
よく分からんので、わるいけど説明やりなおしてもらえるかな
最後の二行のエビデンスか?
それはな、どこからいくか
まず、「貴方の言う「時間の感覚」というのは、純粋な感覚なのかな?
つまり、赤を赤と感じるように、問答無用に時間を時間と感じている
そのようなものなのか?
それを訊いてから、私もくっちゃべりましょう
揚げ足取りw
>>888 あなたは、主観も客観をごちゃまぜにしてるだけだわ。
リンゴの味は、リンゴを食べた時に生じる、が、真であれば、リンゴは食べられるまで、味が存在しなかった、ってことになるの?
主観の味の話になるのであれば、他人が食べて感じる味があなたと同じかどうかすら、保証されないわけだよね?
でも、客観的にはリンゴの味覚に関わる成分が所与のものとしてあり、その成分によって、誰でも同じような味を感じるわけだ。
で、その成分は誰れもリンゴを食べてない時からあったものになるよね。
だから、誰が食べてなくても、リンゴには味があると言える。
ちなみに、時間の客観と主観については以下で語っています。
>>675 >「独我論」と「今」は切っても切り離せない関係にある。
>純粋持続という、客観的にある時間とは別に、観察者としての主観的な時間がある。
>
>過去、現在、未来も同様に、客観的と主観的に分かれる。
_、_
( ,_ノ` )
>>956 君の応答により 君の説明が トートロジーであることが 確定する …
ζ 尚、「時間感覚」というのは 国語辞典や百科事典に出ているレベルの 一般用語です …
[ ̄]'E 日常用語にもほぼ近いと いえるものですね …
969 :
833:2013/11/24(日) 21:53:01.86 0
>>968 何度も言うが
わたしが「時間が感覚に依存する」とは言っていない、そのことは
了解してもらえらのかな ?それぐらいは答えてくれてもいいように思うがな
あとな
ここは国語事典に責任を被せるのじゃなくて
貴方と私との間で思いを重ねよう、とするときだろ
私は貴方に定義の説明を押し付けてなどいない
貴方が自らに成立するその「時間の概念」を内省するなら
それは時間を時間と直接に感じるような、そのようなものなのか
と確認を促しているのだ
やりたくないのなら、別にかまわんよ
わたしは勝手にくっちゃべるだけでな
つーか
それ言ったの俺だよw
971 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 22:15:15.22 0
そんなことして何になるの/
暇が潰せるのさー
_、_
( ,_ノ` ) 大変失礼
>>969 だね m(_ _)m …
ζ
[ ̄]'E
975 :
833:2013/11/24(日) 22:32:04.16 0
記憶と過去、持続と想起
時間の理解の仕方は多様であって、一筋縄ではいかない
時間の経過を感じるってのは通常、どんな感じなんだろうか
「一分ほど経った」というのは、一分前のことを思い出して
その遠景から類推しているのだろうか
自分自身を鑑みるに、少し違う
何かしら蓄積されるものがあって、それを走査し、
そこから類推している
まあ、大差ないかもしれない
持続というのはベルクソンが言い出したことらしく、
わたしはその詳しい内容を知らないのだが、しかし
結局それは意識の連続性に解消されてしまうように思える
それに詳しい人、どうですか?
問題は、記憶と過去の関係なのだが
過去は記憶から作られる、とまことしやかに言われたりもするが
わたしはそれについては、全く間違っていると思う
記憶というのが、どこにあるかと言えば、いつも「いまここにある」のであって
それは過去の存在を保証するものでは全くない
記憶というのは、それを使って合理的な物語を作ることができる
その素材でしかない。
そこから、特定の記憶が過去の記憶であること、それが理解される必要があって
それは記憶だけからは不可能なことである
時間と過去の関係が記憶とは別に成立し、理解され、そうすることで初めて
辻褄の合う物語としての自らの履歴がとりあえず構成される
だから、履歴は客観的な資料によって、任意に修正される。
それが最高に有効であることは事実として裏切られることはなく、
論理というものは、どういうわけか、いつも客観性の味方である
感覚は認識主体に依存するものでしょ。
「感覚が生じなければ何もない」は明らかな偽だね。
「感覚が生じなければ何も感じない」なら分かるけど。
味覚があっても、それを感じる成分が存在しなければ、それこそ、味は存在しない。
味を生じさせる成分があって、味覚が存在しなくても、その成分は存在する。
時間感覚なんて、時間がある上で始めて生じる感覚。
認識主体がいなくなっても、世界の生成の運動は終わらない。
_、_
( ,_ノ` )
>>975 「連続性」ということならば C・S・パースの「連続性の哲学」がそのままだね …
ζ
[ ̄]'E
978 :
833:2013/11/24(日) 22:42:39.91 0
>>973 んー
なにがトートロジーなのかはさっぱりだが
循環論法だと言いたいのかな・・
循環論法にするつもりはなくてさ
その「時間感覚」というのは時間そのものを感じているわけではないだろう、と
何度も貴方に確認しているのだ
感覚が時間的である、と説明して、「時間感覚」などと、時間を感覚として
言及するのはおかしい、と貴方は言いたいのかもしれない
わたしは、時間感覚というのは、時間そのものの感覚ではなく、
時間というものが論理的に理解される、そのことが「時間感覚」なのではないのか
と言いたいのだ
時間を感覚に解消しようなどとしているわけではない
分かって貰えますかね?
979 :
833:2013/11/24(日) 22:45:38.72 0
「連続性の哲学」な
本棚には積んであるのだが
当分は読まんなw
_、_
( ,_ノ` )
>>978 「>感覚というものが、そもそも時間に依存する存在だな」
ζ 君はなぜ上記の時点で そういう説明が出来るのかな?
[ ̄]'E 「時間とは何か?」なのに 君はもう上の時点で「感覚が時間的である」という奇妙な説明をしている
時間について説明していないのに「時間的」というのはどういうことだろう 「論点先取り」ということにもなる
言っている意味がまだ理解できないかな?
>>980 なぜだか教えてあげる。
一切の感覚は外部からの刺激の内部の反応のこと。
だから、外部に原因がある。
だから、刺激に反応する個体が消滅しても、外部に存在するものには影響を及ぼさない。
_、_
( ,_ノ` )
>>979 ジョン・マクダウェルや郡司ペギオ、入不二の著作は読んだ?
ζ
[ ̄]'E
983 :
考える名無しさん:2013/11/24(日) 23:02:11.23 0
入
不
二
これ、本当に日本人の名字なの?人様のことを舐めてる字なんだけど。
984 :
833:2013/11/24(日) 23:04:22.96 0
>>980 トートロジーではなく、論点先取りですか
そうね
論証を求められるのなら、このままでは論点先取ということになるのだが
これは直観というか、詳しく見れば論理的な判断だ
感覚が時間ゼロではあり得ない
なぜなら、意識が連続する感覚によるものだとするなら(これも論点先取か)
特定の感覚の時間幅がゼロであるなら、人間が時間経過に沿って存在することなど
不可能だからだ
ゼロは倍にしても、100倍にしても、ゼロだからな
もし貴方が、それを可能だと言うなら、教えてもらいたい
_、_
( ,_ノ` )
>>983 なんか由緒正しい家柄らしいよ …
ζ
[ ̄]'E
986 :
833:2013/11/24(日) 23:06:26.63 0
入不二の「時間は実在するか」ってのは
たまにちら読みするな
読んだ本自慢でもしたいのか
_、_
( ,_ノ` )
>>984 君ほどちゃんと知識もある人が トートロジーやら 論点先取りをやらかすとは …
ζ 少々信じ難いのだが …
[ ̄]'E 論証は重要だから 論点先取りは 禁止しよう その方が有意義だと思うよ…
こちらは別にケチをつけようとかそんな魂胆は全く無いし …
ただ君が読んでいないものについてはこちらも説明のしようがないからね
パースしかり パースの連続性を出したかったんだが 出せないし …
988 :
833:2013/11/24(日) 23:22:19.73 0
>>987 読まなければ出せない、と言ったのでは
ぜんぜん話にならない
私はそれほど飛躍するようなことは言ってないぜ
自分の思考経緯を語ってるわけよ
結構、親切に説明してるだろ
それについて問われれば答えるし
貴方も我々に分かるように、興味を惹かれるように語ればいい
私が面白いと思える話を貴方からは未だ一つも伺ってませんので
2chだぞ、ここは
能書きたれる前に踊れよ
_、_
( ,_ノ` )
>>988 読んでいない人に読んでいないものを例には出せないよ …
ζ それはなぜ?どういう意味?を連呼されるだけ そういうのは益がない …
[ ̄]'E つきあってくれる人とやれば どうですか?
それに「連続性の哲学」を持っているならば読んでほしいね
一般向けの講演録だからパースにしては非常に読み易い …
悪いけれども散開して 寝る前の読書でもするよ すまんね …
990 :
時間の神:2013/11/24(日) 23:37:51.51 i
時間というイデオロギーがどこに存在するのか、その存在性をどの位置づけにするのかが重要なのです。
991 :
833:2013/11/24(日) 23:46:20.48 0
人間が考えたことであって、それを理解したのなら
その理解を武器に、ある程度分かるように語れるだろう
理解するとはどういうことだ?
なんのために論理がある
哲学書ってのは教典か何かなのか
それとも読書感想ごっこでもしたいのかな
パイドンに「この書物を理解するためには○○を参照すること」とは
書いてなかった
おっと、俺も権威にすがってしまった
喧嘩ふっかけといて、喧嘩したいなら他でやれとか
えらいボケかましてくれるわい
992 :
螺 旋 :2013/11/24(日) 23:47:04.30 0
ด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
aด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdeด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdefด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
abcdefgด้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้
本気で敗北を認めた時
人は何かになれるだろう
誰に負けるって、自分に負けた時ね
勝とうとしてるうちは
今の苦しみから決して逃れられない
おやすみ
よく眠れよ
994 :
3時で1時:2013/11/25(月) 00:08:04.93 0
持続しない感覚や感情というものはない。
持続しない物体も、生き物も、物質も見いだせない。
現象も、状態も、状況も、行動も持続しないということはありえない。
出来事も、役職も、作業も、制度も、構想も、そして、価値や意味も・・・
持続は何かの持続なのであって、存在物でも観念物でもない。
何かを生じさせたりする力でもないし、何かを失わせない力でもない。
「在る・有る」ということを表しているだけであり、世界に先立つものではない。
持続を見いだしていなければ、
いかなる心的・物理的・社会的状態も見出していないというだけのことである。
「持続=時間」と言い換えたところで、時間は「世界を支える力」にはならない。
「時間というものがなかったら・・」などという仮定の話は成立しえないのである。
995 :
考える名無しさん:2013/11/25(月) 00:22:28.95 0
戦わずして負けること
その因
我が内にあり
労せずして勝つこともまたなし
技を磨き
心穏やかにしずめ
己の気を鋭することこそ
勝負の理なり
-宮本武蔵-
論点が定まってないみたい。
持続は存在物でも観念物でもあるね。
誰かさんが言ってるとおり、時間は観察者が作り出したものでもある。
また、同時に、外部に所与のものとして先行して存在しているものでもある。
主観と客観。
純粋持続はその対立を「溶かす」。
直感によって、観察対象それ自体を内的に体験する。それが純粋持続。
その概念から分かることは、外と内は小さな窓で繋がっている、ということ。
私たちの内は外界と同じもので出来ている。
だから、観察者が存在しなくても、観察者が観察したそれ、と同じものは、存在し続ける。
武蔵の言うことは分かるよ
でも勝ち負けはどうでもいいんだ
本当に学びたいと心の底から思うときってどういう時なんだろうね
>>996の補足
>直感によって、観察対象それ自体を内的に体験する。それが純粋持続。
観察対象が溶けて、観察しているもの、そのものになる、という意味ね。
観察者の中にあって、外界に存在「しない」ものは「ない」。
時間も観察者の中にあるなら、外界の中にもある。
1001 :
1001:
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