784 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :
■日本人はなぜ甘えるのか
日本人の甘えの構造
>>
日本精神分析再考(講演)(2008) - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-67.html 結論としていえば、日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつ
つ、同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。この見方は日本の文化・思想の歴
史について、あてはまると思います。つまり、丸山真男などが扱ってきた問題は、このような文
字の問題を通した「精神分析」を通してこそアプローチできるのではないか、と私は思ったので
す。(柄谷行人『日本精神分析再考(講演)(2008)』)
http://yokato41.blogspot.jp/2013/09/blog-post_25.html <<
明治維新前後に日本を訪れた西洋人たちはこの不思議な日本人に対する手記をたくさん残してい
るが、その中でも比較的多い意見の一つに、子供が大切にされ、いつも楽しそうにしている、と
いうものがある。この近代化の時代、西洋ではプロテスタンティズムの影響が強く、人々は禁欲
的倫理的な生活を送っていた。そこから考えると子供にもきびしいしつけが行われていたのだろう。
785 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/11/02(土) 16:26:48.41 0
去勢という概念はキリスト教的である。キリスト教では、大人は自立的個人であることがもとめ
られる。このために子供は未熟な大人であり、自立的な個人になるために教育が必要と考えられ
る。それが去勢である。
そもそも日本には自立した個人という考えがない。だから子供は未熟な大人とは考えない。子供
に教育するのは自立より、協調性だろう。日本では子供は集団の中の子供という存在なのである。
子供らしく、無邪気で、にぎやかで、それが集団をなごませるという意味をもつ。
日本人が去勢されないことをネガティブに語った有名な本に「甘えの構造」がある。精神分析家
の著者は日本語の甘えるに相当する英語がないこと、さらに日本語には、すねるなど甘えに関す
る言葉が多いことに気づく。日本人は、西洋人のように自立的個人になるための去勢がなく、社
会全体が甘えの関係でできている。これを江戸時代の逸話も交えて説明している。
786 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/11/02(土) 16:27:26.02 0
たとえばなぜ日本人は大学生に寛容なのか。
日本人は、個人として自立せず、甘えの関係、想像界にいることは問題か。これは明らかに自立
した個人が正しいという西洋中心主義である。問題は日本人がいかに社会的秩序を維持している
か、そこで想像的関係が有効に活用されているかである。
日本人の想像的関係とは、贈与交換である。贈与交換は特定の相手と継続的な信頼関係を維持す
る助け合いの関係である。これは基本は小さな集団の中で行われる。日本人は疑似単一民族から
これを日本人全体に広げている。この関係を具体的に支えるのは職の体系である。概念的に農地
は天皇からの預かりもの、職は天皇から与えられた役割。これは農民から将軍まで体系化する。
縦の身分制度があっても職の体系上は横の関係である。だから日本人は職においてはブライドを
もち自立していた。
甘えの構造の中で、義理人情を甘えの関係として批判しているが、まさに広域の贈与交換の現れ
てある。いまはやりのおもてなしとか。日本の子供の話にもどれば大人になるとは家業を覚える
こと、すなわち一人前の仕事をできることをいう。だから子供は未来の職人であり、いまは元気であればよい。遊びをかねてお手伝いをしていればよいのである。このような感覚はいまも日本
人にあるだろう。たとえばなぜ日本の大学生に寛容なのか。大人として認められるのは、就職し
たときであり、大学生は卒業すれば大人になることがわかっているから、最後の子供だからだろう。
787 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 16:27:54.93 0
>>1 波平のアイデンティティって、もはや「ラカンを身近に感じていること」←これだけ。
取って付けたような日本と西洋の歴史の塗り壁立てて何の意味も無く風化して消える。
波平の発言は全部嘘である可能性もあり、そんな波平の相手をする人間は身内に限られる。これが真理。
可哀想に、家族の人。
788 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/11/02(土) 16:28:04.16 0
西洋と日本のどちらが幸福な社会か
誇れることは、日本人の職の体系贈与交換は、近代化でもよく機能した。日本人一丸となりみご
とな高い生産性をあげた。それも西洋な労働者の不満を比較的少ないまま。逆にあまりによく回
りすぎで、悲惨な戦争に突入してしまった。しかし戦後、再び駆動しみごとな活躍をしている。
西洋と日本のどちらが幸福な社会か、答えはでないだろうが。キリスト教文化もなかなか大変ら
しいよ。個人の自立はきびしいし、あとキリスト教として絶えず自らの行為に自省が回帰すると
か。日本人は良いと思うよ。産業的に成功しつつ、疑似単一民族的安心、助け合い、気楽さがあ
る。最近、若者が海外に出たがらないことが問題になっているが、そりゃ日本はいいよ。
さらにいえば日本人は日本人否定が大好きである。これは疑似単一民族として閉塞しやすい日本
人の伝統的な新陳代謝法である。あらたな外来文化にかぶれ古い世代を批判する。その繰り返し
て日本は発展してきた。日本人の日本人卑下はある種の快楽とも言える。