柄谷行人を解体する47

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780霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M
■なぜ日本は近代化に成功し中国は失敗したのか

大砲を突き付け有利な貿易を迫る西洋の常套手段

ガマがアフリカ回りのインドの航路を発見して、世界は大きく変わるわけだが。すでに世界有数
の交易国だったインドへたった数隻の来航が影響を与え得たのは、大砲によるものである。大砲
を港に向けて停泊し、交渉する。それはまさに銃口を突き付け人を脅迫するに等しい。ポルトガ
ル王のめいを受けたがまの目的はあくまでも貿易することである。すでに紅海を通りインド至る
行路での貿易は活発であるが、イスラム圏を通るために許可が大変であり、ヴェネチアなどに独
占されていた。

しかしくずのような品物しか持たないガマは鼻にもかけてもらえない。ポルトガル王といったと
ころで知られていない。その中で大砲の威力は絶大である。火薬、鉄砲は中国で発明されたが、
その後西洋で大砲は発達した。しかし移動の問題があり、有効に働いたのは船への搭載である。
その後、大砲を搭載した船で、各地の港に登場し、銃口を突き付け有利な貿易を迫る方法が西洋
の常套手段となる。日本にきたペリーもまさにその手法で開港を迫ったわけだ。

その後、西洋は中国まで航路を広げていくが、中国が大帝国であることは認識していたし、最初
は大人しく貿易していたし、中国も雑魚のひとつとしか考えていなかった。しかしアヘン問題で
こじれて、一気に常套手段にでて、そしてまさにその破壊力を見せつけ、一気に中国を脅迫する
ことに成功する。その後、清国は衰退し、中国は近代化できず長い混迷に入る。
781霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/11/02(土) 16:20:31.78 0
中国が近代化できなかったのは儒教のため

日本はその後、早々と近代化したが、中国が混迷したのはなぜか。その巨大さ故に転換が難しか
ったこともあるだろうが、その一つの要因として儒教文化の影響があるだろう。儒教の思想があ
まりに近代化と相容れない。

儒教は本質的にも選民思想である。君子と言う選ばれた人がいかにあるべきかを説いている。そ
してその思想は近代化の営利中心相容れない。このために中国中枢は近代化へのまともな対策を
打てないままずるずると停滞し、早々と近代化をとげた日本にも敗れる。その後、中国が進んだ
のが資本主義を飛び越えて共産主義だ。逆にここまで徹底しないと、儒教の呪縛から逃れられな
かったとも言える。
782霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/11/02(土) 16:21:04.55 0
日本近代化のための武士的儒教教育

日本人の近代化のインセンティブは、西洋からの外圧にある。まさかまさかの清国があっさり敗
れ、日本も開国を迫られ、不平等条約を結ばされる。このとき日本人は対等ではなく半未開人と
位置づけられる。近代化において下級武士たちのブルジョア革命の結果、明治維新が誕生する。

目標はとにかく西洋におい付けである。西洋に負けない富国強兵が目指され、民衆の近代的な国
民化が進められる。近代的な国民に求められるのは自制的禁欲的労働力である。日本人には天皇
を中心にした家業主義、職(役割)の体系がある。近代的な労働で重要であるのは時間管理であ
る。そのとき利用されたのが、江戸時代に武士に導入された儒教教育である。教育勅語を象徴的
に禁欲的、自制的な慣習が教育される。

西洋での近代化では、プロテスタンティズムの禁欲主義が活用された。日本で代わりに使われた
のが武士的儒教である。日本人は一気に武士的禁欲主義に教育された。日本人が帝国主義に邁進
する理由の一つがここにあるだろう。単なる禁欲主義に以上に、死をもかける小さな侍を大量生
産したからだ。
783霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/11/02(土) 16:25:31.37 0
家康が導入した武士を管理するための儒教

日本も広く儒教の影響を受けてはいるが、庶民レベルでは儒教の儀礼の厳格さまではない。その
差はより深く儒教の影響を受けた韓国とはことなる。その中で儒教を徹底して取り入れたのが家
康である。家康は天下統一後、戦国時代から脱却し、自らの統治を安定化するために様々な政策
を進めたが、そのうちの一つが、血の気の武士を儒教の厳格さにより管理することであった。一
つの法の基準として儒教思想を導入した。江戸時代の武士はいまのサラリーマンのような生活を
送っていた。政治、行政機関としての幕府のもと、各武家に家督として役目を与えけ、勤勉に毎日
遂行させる。このために儒教を導入した。だからある種限定的な儒教の活用である。それがや
がて近代化の国民教育にも使われるようになる。

たとえば赤穂浪士の仇討ちは江戸時代にすでに大事件であった。庶民は赤穂浪士の行為を喝采し、
すぐに芝居が作られて大ヒットするが、幕府お抱えの儒学者は、秩序を乱すというものだった。
現代でも武士の象徴と言われる殉死を儒教的法は厳しく禁止している。

ちなみに武士道とは死ねことと見つけたりで有名な葉隠では、赤穂浪士は策を練りすぎだと批判
されている。武士はただ死ぬことであり、主君が巻き込まれた時点で考えず行動する、すなわち
死をあたえよ、ということだ。中国が儒教から資本主義を飛び越え、共産主義へ写ったのは、そ
の二つに本質的な共通点があるためといえないだろうが。もっとも似ているのがトップダウンで管理
がされること。