639 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :
■キリスト教の平等はどこからきたのか
キリスト教と個人主義
そもそも宗教とは自然信仰に始まる。人は古来より自然とともに生きてきたわけで、そこに霊的
なものを感じる。特に農耕時代になると豊作を祈願する。いまの日本の祭りでもそうだけど、農
耕生活と信仰が一体になってる。神様とはなにで、教えがなにか、とかではなくて生活の中で守
り、祈り、感謝する。
でもユダヤ人はそれとは別の宗教を生み出した。ユダヤ人は砂漠の放浪民で自然を憎み、土地に
根ざして豊かに生きる自然信仰民族を嫉み、自分たちだけを救う自然を超越した絶対神を生み出
した。その神とのつながりは自然信仰のように生活によってではなく、言葉=掟で契約することである。
ユダヤ教の原理は、自然と反しようが理屈に反しようが、とにかく神との掟(契約、言葉)を
守ることによって成立する。キリスト教はこのユダヤ教をユダヤ人以外にも参加できるように改
良したものだ。自然信仰が農耕生活に根ざすからその土地に生きることで参加する、逆に言えば
よそ者は排除される、すなわち贈与交換の世界であるのに対して、キリスト教は、神を信じ、掟
を守ればだれでも信者になれることにある。すなわち神と個人との契約である。神の前では誰も
が平等であると。そのために流動性が高まるヘレニズム時代の都市層に広まり、その後ローマ帝
国国教として世界へ広まる。
640 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:50:15.08 0
またそれとともに西洋にはギリシア哲学の理性主義の流れがある。理性主義は、この世界には正
しさ(イデア)があって、人はその正しさに理性(言葉)によって近づけると考える。キリスト
教はそのはじめからギリシア哲学の影響を受けていると言われるように、ユダヤ教の反自然信仰、
掟主義とギリシア哲学の理性主義が合わさって発展する。
それとともに神と個人の平等の契約というキリスト教的エッセンスによって、その後、理性主義
は個人の理性という個人の自立をより強化する。ようするに、西洋人には言葉(掟)というのが
強い力を持つ系譜がある。
とはいっても、実際キリスト教がローマ国教となり、ゲルマン民族へと広がる中では、かなり土
着の宗教と融合し、神と個人という原理は曖昧になる。それが再び回帰するのは、宗教改革のと
き、さらには反宗教改革という、16世紀である。このときはまさに西洋が資本主義へとテイク
オフを始める時期でもある。
641 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:52:27.34 0
キリスト教の平等はどこからきたのか。
キリスト教の平等はどこからきたのか。キリストのユダヤ人以外に解放された、誰にも等しくと
いう理念。自然宗教のような自然も神官も通さない神と個の直接的な対話。三位一体論における、
キリストが神であり人であることのペルソナとしての個。そこにはヘレニズムのギリシア理性主
義が隠されていたのだろう。流動性が高く個がむき出しになりやすい都市層に需要があったのだろう。
平等そのものはキリスト教によるというより、貨幣社会の中で台頭する都市層の平等思想に受け
入れられた。しかしローマ帝国崩壊とともにキリスト教も土着化する。司祭は土地の有力な政治
的役職になり、それを統括する教皇という構造が生まれる。それが再び原点回帰したのが宗教改
革であるが、この時期がヨーロッパか経済的な復興し始めた時期とかさなるのは偶然ではないだ
ろう。再び改革を後押ししたのは都市層であった。その後、既得権力としてのカトリックと新興
都市層のプロテスタントの構図が進む。すなわち都市化するとキリスト教が求められるという流れがある。
キリスト教は貨幣社会の平等圧を補完し、救済効果として発達したのかも知れない。単純には中
世キリスト教世界が、科学技術に実証主義にとって変わられたと考えられるが、実際がキリスト
教が純粋に教義として徹底されたのは宗教改革以降で、資本主義、科学技術を下支えしてきた。
平等がもつ抑圧を緩和してきたといえる。
642 :
霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:53:28.11 0
プロテスタンティズムと資本主義の精神
まさに近代化において、プロテスタンティズムの厳格さは発揮される。それはウェーバーに聞く
までもない。たとえは日本でも明治に入り、近代を目指すなかで社会を変えたのはこのプロテス
タンティズムの影響である。性的に特にわかりやすいが、性的に寛容だった日本人は一気に貞操
観念を取り入れ、処女、貞淑、純愛などが導入される。現在昔の日本人は性的に固かったという
イメージはまさに、この明治期のプロテスタンティズムの影響である。近代化において、国家と
して富国強兵をめざし国民を統制するために、プロテスタンティズムは有用であった。
宗教改革は増える社会の富を教皇主義として独占しようとするカトリックと新興の富裕層などの
勢力のプロテスタントの対立と言える。そもそも聖書にも書かれていない教皇主義が台頭するの
はそれほど古くない。 ヨーロッパ経済が立ち上がり始めた十三世紀以降である。そして富をめぐ
り台頭し始めた国家と対立するようになる。教皇主義が対立したのは、一つは司教。各地方に地
盤を持つ司教は中央集権的な教皇主義と対立した。さらには公会議主義。 古くから公会議によっ
て様々なことは決定された。ここでは教皇も1権利者でしかなかった。
そもそも聖書に明確に規定されていない司教や教皇はイデオロギー的な対立を生んできた。しか
し教皇の最大のライバルは国王である。アウグスティヌスの地上の王と神の王の規定から差異を
生んできた。しかし実際に対立を生んだのはカノッサの屈辱あたりからである。