柄谷行人を解体する47

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637霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M
■マクロコンテクストという存在論的ストレス

全体の中の一人として自分を見ること

マクロコンテクストがなにかというと、全体の中の一人として自分をみるということ。もはやこ
の視点の特殊性はいまでは当たり前すぎで考えることもないが、これは19世紀に広まったんだよね。

改めて意識しませんが、現代人は学校教育しかり、社会でいきるなかで自然とマクロコンテクス
トを身に付ける。私は全体の一人なんだと学ぶわけです。このような均質化教育を徹底したのが、
近代軍隊です。近代化の中では富国強兵がめざされ、国家間の戦争も活発になるなかで、

国民は徴兵され、国民としての均質化教育が行われました。それが義務教育へと展開され、国民
としての自覚、ネーションが育っていきます。いまも義務教育の重要なテーマが協調性を育てる
ことですが、平等と自由とともに、マクロコンテクストが叩き込まれます。

たとえば行列に並んでまつ。こんな当たり前のことも教育により獲得する近代的な行為で、ここ
ではすでに自分は全体の一人と振る舞っている。すなわちみんな平等で自由だということが思想
が刷り込まれている。再度いえば、これはとても特殊で高度に教育された行為だということ。だ
から生活全体に当たり前のように行っているが、とてもストレスな行為なんだよね。
638霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:48:33.85 0
マクロコンテクストの歴史

このマクロコンテクストのベースが連動する経済、すなわち物価の連動=市場です。ヨーロッパ
では13世紀辺りがら、広大な連動経済が現れたと言われています。日本でも江戸時代はすでに
連動経済で、インフレ対策など経済政策が行われていました。

17世紀欧州では啓蒙思想が広まった。啓蒙思想は理性的主体による合理性により、社会を構築
するという考えであるが、 その原理的な不可能性から、そうそうに挫折する。それに続いたのが
統計的な法則性である。人口統計などにより現れたと平均値により、社会を分析しよう。この流
れの一つが古典経済学になるわけですが、

そもそもにおいて、統計的な平均が社会分析、そして政治的政策に有効であるという今でもつづ
いている考えは、その前段の連動する経済の登場、すなわち人々がその中でも均質化している
ことによります。経済学の大前提である人は合理的主体として振る舞うということ。このマクロコ
ンテクストの中では、平均的に合理的主体であり、人々は平等で自由なのです。そもそもそうで
なければ社会に流動性は生まれず、連動する経済は生まれません。

啓蒙主義以降には合理的な社会構築と、統計的な社会構築はその後との社会主義と自由主義へと
繋がります。合理的な社会構築は、デカルトから啓蒙思想の伝統からコントの社会学からフラン
ス革命を経て、マルクスへと続きます。統計的な社会構築は主にイギリス啓蒙主義で発展され、ヒューム、アダムスミスなど古典経済学へ繋がっていきます。

マルクスは疎外という概念を発見しましたが、これもマクロコンテクストのひとつです。マクロ
コンテクストの影響はマルクスが考えるよりずっと深く、全体の一人なんだという存在論的レベ
ルで働き、ストレスを与えます。平等、自由もそのひとつでしかありません。