柄谷行人を解体する47

このエントリーをはてなブックマークに追加
629霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M
<平等はなぜうつを生むのか>

■1 日本人のおもてなしと西洋人のサービス

西洋人と日本人の仕事観の違い

西洋人と日本人では仕事に対する考えがまったく違う。たとえばギリシア時代、ギリシア人は市
民による議会を開き、民主主義的な政治運営を行ったと言われるが、市民は仕事は奴隷やらせて
いたわけだ。

多民族で戦争による征服が頻繁に行われていた西洋では、奴隷が安定的に供給されて、奴隷に仕
事を任せることができたという背景もあり、仕事は下等な行為とされてきた。あるいはキリスト
教においても、仕事は原罪により失楽園した人間に背負わされたものとして考えられた。

ウェーバーがいいように、プロテスタンティズムの天職、職業は神に与えられたものという考え
が資本主義の成功に働いたという考えもある。またこのように仕事蔑視の思想が、資本主義を産
み出すことを可能にした。すなわち労働を商品とするという、とんでもなく割りきった発送がで
きた。社会主義もまさにこの西洋中心主義的な仕事蔑視史観からでているのはいうまでもない。
630霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:38:22.90 0
なぜ日本人はIT産業が苦手なのか

この割りきりが現代でも生きているのが、現代は商品が情報化する、すなわちサービス化する中
で、その人間関係時代も商品として、すなわち貨幣と等価交換できるものと割りきれる。よいサ
ービスを求めるから金を払え。笑顔で対応してほしいなら金を払え。仕事は金と等価なんだと。

ITかなぜ日本人より西洋人が得意かといえば、この割りきりができるからだ。IT産業でのサービ
スの悪さ。商品が欠陥であるのは当たり前、サービスに金をもらっているわけではないから、情
弱は淘汰されろ。こんな対応が、おもてなし国民にできるだろうか。おもてなしとサービスは似
て非なるものだ。サービスは貨幣交換の世界、おもてなしは贈与交換の世界。
631霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:39:05.66 0
現代のストレスはマクロコンテクストとミクロコンテクストの狭間

話をもとにもどせば、原始社会には当然マクロコンテクストはありません。原始社会にあるのは
卑近な知り合いの社会というミクロコンテクストの世界です。すべてが身近であり、身に迫る現
象です。それを集団全体で協力して対処していく、公平な社会です。平等は、マクロコンテクス
トの全体の一人なんだということを考え、あったこともないその他全体の中の誰かも含めて考え
ることです。すなわち現代のストレスはマクロコンテクストとミクロコンテクストの狭間に生ま
れるということです。

進化論的にいえば人は群れる猿なわけですから、徹底的にミクロコンテクストを生きます。小さ
な集団の中でいかにそれぞれの顔を見ながら公平な信頼関係を作っていくか。現代は、それとと
もにマクロコンテクストを求める。巨大な全体の一人であり、みずしらずの人々も含めて平等で
あれと。ベタに言えば、父親が強盗をしたことをしる。あなたは警察に通報しますか。
632霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:40:02.81 0
感情労働

最近、感情労働という言葉があります。たとえば医者が売るものはなにか?一番は病気を直す治
療です。しかし医者は自動車の修理のようにいかない。相手が人であることで、精神的なケアー
も求められる。簡単にいえばサービス業でもあることを求められる。これが感情労働です。とは
いっても、営利目的であり、一人の患者に時間をかけてはいられない。ここに信頼関係の軋轢を生む。

現代はいかなる商売もサービス業化して、感情労働の軋轢を生んでいる。その一番が、教師なん
でしょうね。教師が売るものはなにか。一番は知識です。しかし塾の講師とは違う。教師は知識
だけでなく、人間全般の教育を求められる。まさに感情労働の最たるもので、モンスターペアレ
ツの問題などストレスがすごい。

そもそもモンスター化とはなにかと言えば、孤立した不安ですね。少し前の世代家族や近所付き
合いがあれば、様々な不安を相談して緩和されたものが、核家族化などで孤立すると不安が直接、
医者や先生などに向かう。医者や先生はかたやマクロコンテクストな存在なので、あまりぶっち
ゃけた話はできない。下手にまあまあなんとかなるよ、とは言えない。より孤立化して不安が高
まることでヒステリックにモンスター化する。

まさにここにあるのはマクロコンテクストとミクロコンテクストの狭間の問題である。マクロコ
ンテクストでは生徒、患者は全体の一人であり、平等にかつ経済的に接する必要がある。かたや
マクロコンテクストではそれぞれに感情を移入して信頼関係を気づきたいし、求められる。
633霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:40:44.94 0
日本人のおもてなしと西洋人のサービス

特に日本人は感情労働のトラブルに巻き込まれやすい。面白いのは日本では、「サービスする」の
意味が、おまけする、ただであげるとなる。サービスはただだと考えるというか、貨幣交換では
なく贈与交換の対象と考える習慣がある。だから海外でサービスにチップを払うことに違和感を
覚える。金を払うのがいやなのではなく、信頼関係の対象を貨幣交換することに、相手に失礼に
なるという後ろめたさを感じる。まさにおもてなしの国である。

海外ではサービスはまさに商品である。よりよいサービスを求めるならより高いチップを払う。
金をだしてエコノミークラスからファーストクラスへ移ればよい。だから金持ちと貧乏人に対す
る態度もあからさまで、そのように社会が暮らすわけされている。いわばより貨幣に密接にマク
ロコンテクストで社会が運営されている。だから彼らが冷たいわけではなくミクロコンテクスト
と切り離され、信頼関係は別で構築される。

どちらがいいのか、いろいろ考え方があるが、アメリカなどのマクロコンテクストが徹底された
中で、別にミクロコンテクストによる卑近な信頼関係が構築さないと、孤立して大変そうだ。だ
からアメリカ人は方や家庭を友人を、仕事と切り分けてとても大切にする。
634霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:41:26.83 0
日本人の家業主義

西洋ではサービスはなんでもコストと結び付く。ファーストクラス、エコノミークラスの差は飛
行機だけでなく、社会全般を構成する。 日本ではサービスはそこまでコストと結び付いていない。
コストに関係なく、客をもてなす。それが「おもてなし」の精神の一つだ。これは日本には西洋
のような社会全体を支えるような奴隷労働力が生まれなかったことがあるが、さらには日本では
職が特別な意味を持つからだ。

古くは職はすべて天皇から与えられた役割という考えがある。疑似単一民族日本では、職は日本
人として社会を支える役割と考える家督主義がある。だから将軍でさえも天皇から与えられた職
の一つとして、天皇からの任命を重視する。

たとえば中国には一族主義があって、血を重視する。日本では一見似ているようで、実は家族、
血よりも家督、家業、すなわち家族が担ってきた職を重視する。家業を守るために血縁以外に託
したりする。
635霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:42:15.55 0
家業主義の歴史

もともと日本人の家業主義は、奈良時代以前にさかのぼり、日本人の公平な関係を支えてきた。
身分制はあるとしても、職業においては社会の役割を担っている。概念的には天皇を頂点として、
それぞれが任された職業である。それは家業として引き継がれる。日本人の公平な関係を支える
精神的な仕組みである。近代に入り、西洋から平等が取り入れた際にも、職業主義は継続する。

江戸時代など階級があり強いたげられた史観があるが、これは西洋モデルを当てはめたもので、
実際は日本の農民にしろ、自治権をもち、職としてプライドを持って改善にいそしんだ。職は武
士に言われてやる労働どはなく、自らの社会的な役割としてやっている。そもそも武士には利益
蔑視があるので、税の取り立ても結構雑だった。たとえば日本の農民は農耕以上の副業が盛んだ
ったが、このあたりからの徴収は無頓着だったなど。
636霊姑浮 ◆5JB5Td0w.M :2013/10/27(日) 10:42:57.55 0
現代の残る家業主義

このような家業主義はいまも残っていて、日本人が職を得ることは、賃金をえる、やりがいをえ
る以上に、社会的な役割を果たす意味がある。ニート、あるいは非正規社員に対する蔑視はこの
当たりの感覚からきているんだろう。

日本の貧弱な社会保障制度も、会社が社会保障の一部を担っていることからきている。たから日
本では正社員であることが経済的に有利なだけでなく、社会的な立場として重要である。西洋の
キリスト教の代替をしていると言えるほどに日本人の精神性を支えている。

はたして日本は平等がわかっているのか、民主主義を理解しているのか、といわれる。そこには
個の尊重が重要であり、キリスト教文化をもとにしているといえる。日本人は個の尊重というラ
ディカルな原理を理解しているのか。平等であるようにみえて、いまも職業主義による公平をベ
ースにしている。だから平等のストレスを被りにくい。

だからこそ日本において非正規雇用の問題は、経済的に以上に深刻だといえる。非正規雇用者は
社会的な疎外をうけて、精神的な公平感をえることがむずかしい。極端にいえば、一人前の市民
ではないと見られてしまう。