物語とは何か?

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1考える名無しさん
をガチで考えるスレ
2考える名無しさん:2013/04/07(日) 17:52:16.12 O
語り尽くされてると思うが
3考える名無しさん:2013/04/07(日) 18:39:25.31 0
例えば?
4考える名無しさん:2013/04/07(日) 18:49:55.79 0
物を語るのは簡単。物語で怒らせるのも簡単。不安にさせるのも簡単。
物語で楽しくさせるのは少し難しい。感動させるのはもっと難しい。
真実を語るのはさらに難しい。  
5地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/07(日) 19:37:10.53 O
物を語る=唯物論的リアリズム=マルクス万歳ということ。
6catt ◆.catt24qAw :2013/04/07(日) 19:38:08.13 P
物語というのは濾された存在のこと
7地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/07(日) 19:55:12.38 O
まず「物」なる言葉の日本の古典における使用例から考えるべき。
8catt ◆.catt24qAw :2013/04/07(日) 20:08:43.71 P
いわゆる「存在者」でいいんじゃないかな
9地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/07(日) 20:10:57.11 O
ま、そんなとこだな。漢字では牛勿(供物の牛)だと。

印欧語の接頭詞である「mono」と似てゐる。
10考える名無しさん:2013/04/07(日) 22:10:31.11 0
物語ってのは主観(主人公)を設定して、その主観を触媒にして、読者に内的な変化をもたらせる方法論なんでないかい。

>>4の言ってることに同意。
11考える名無しさん:2013/04/07(日) 23:56:39.63 0
>>10
その定義に賛成する
しかし、群像劇のようなものだと少しずれてくる気がする
主人公の設定がないから
12考える名無しさん:2013/04/08(月) 00:05:30.49 0
>>11
あぁ、確かに。
群像劇の場合は視点がもっと上位に設定されてるよね。
いろんな主人公の内面を追体験させて、統合したなにかを要求されているような。
より、歴史的な視点なんだけど、そこまで客観化されてはいない、というような。
13考える名無しさん:2013/04/08(月) 00:09:46.61 0
>>12
視点の位置が次々変わるので、同じことでも捉え方が変わるんだよね
となると、「読者に、自身とは異なる視点から一連の場面(連続のことも、不連続のこともある)を体験させることを通じて
その体験を触媒にして、読者に内的な変化をもたらせる方法論」とするのはどうかな
あなたのレスを引用してしまっているけども
14catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 00:17:15.76 P
「体験」とか「触媒」とかは定義には使わないほうがいいな。
同様に「主観的」とか「客観的」とかも。
定義はもっとおぼろげでありながらぐっさり刺さるのがいいよ。
15考える名無しさん:2013/04/08(月) 00:29:05.36 0
>>14
使える言葉がなくなってきますぜダンナ・・・
16catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 00:41:01.82 P
>>15
wikiみたいな退屈な定義じゃつまらんからなw
17考える名無しさん:2013/04/08(月) 00:46:51.92 0
>>16
使わないほうがいいのは「退屈だから」ですか?
そんなんじゃ議論できなくならないですか・・・?
18考える名無しさん:2013/04/08(月) 00:53:08.36 0
>>13
大賛成w
人って固定観念の塊だから群像劇の別視点に気づいた時の感覚って見る側にとって大きな体験だよね。
構築と脱構築の運動に生起してくる何かって妙に心に刺さったりする。

手法が複雑なのでこのやり方でイイもの作るのは本当に難しいと思うけどw
19catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 00:56:41.32 P
物語を分解してみると、その最小単位はなんだろう。
20考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:02:00.00 0
>>19
>>17に答えてくれないと先に進めません
21catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 01:06:15.89 P
>>20
べつに縛る必要はないかもしれんけど、「体験」とか「客観」とか未整理な言葉じゃないものが
より興味深い定義に近づけてくれるのではないかと。

辞書やwikiのような説明で満足できる?
22考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:10:20.50 0
>>21
「整理された」言葉とは何を指すのでしょう?
辞書などの説明は無機質で面白くないことは否定しませんが、
どのあたりを、なぜそう感じたのかを具体的に述べねば議論になりません
あるいはその無機質である要因は何なのか考えた上で使用可能な言葉を提示しなければ先に進めません
23catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 01:15:15.36 P
>>22
いい、置いて行くからw
24考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:23:07.91 0
>>23
おいて行ったらあなたのひとり語りになるって言ってるのにww
あなた、人の話聞けないなら議論できないじゃないですか
25考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:29:19.82 0
ようは、物語みたいな情緒的なものを冷たい言葉で定義するのは嫌だってことなのかなぁ。
気持ちは分からなくもないけど、確かに議論は進まないw
だってお題が「物語をガチで考える」なんだからw
26catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 01:29:23.75 P
>>24
最初の書かれた文章というのは、たぶんミレトスの断片とか、中国辺りの木簡だと思うが、
それはここでの「物語」に入れるべきか否かについてはどう思う?
27考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:34:29.36 0
>>26
ちょっとちょっと。
この議論に大事な条件設定として私は以下に2つを考えているんです
・物語の範疇をどこからどこまでにするか?
・定義の際に言葉に使用制限がかかるなら、その客観的な基準
以上です

物語の範疇を定めるのも大事ですが、後者の議論もまともにしてください
そうでなければ、これ以降理不尽な否定によって有用なレスが埋没する可能性があります
建設的な議論をあなたが望むのなら協力願います
異論・別提案があれば聞きます
28catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 01:38:38.31 P
>>27
範疇はぜんぶで制限はなくていいよね。
自分が「使うな」というのはそれはもう使っちゃってるんだから
もっとほかの言い方を探そうぜってこと。

>>26の「書かれたもの」以降であるのかというのもそれ。
おおむね同時期(まあちょっと前)のホメロスとかそれ以前にいたであろう「語り部」による
語りまで物語とするのか否かを聞いてる。自分は入れないと始まらないと思ってるが。
29考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:43:45.27 0
>>28
要するに、
今からは先ほどの定義とは別の形での定義を模索する、ただしそれに使用する言語・概念に関しては規制しない
ということでよろしいでしょうか
物語の範疇については自分は全ていれることで異論ないです
他の方おられるんでしょうか
意見お聞きしたいです
30考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:44:17.89 0
>物語で楽しくさせるのは少し難しい。

そう言えば、前に何かでお笑いの仕組みについてを読んだ。

笑いは何でも「崩し」と「戻し」で生じるそうな。ボケが斜め上のことを言って崩して、ツッコミが一般的なことを言って戻す。で、「戻し」の時に笑いが起きる。

楽しさは私達の現実に対する視野の外にある事柄の投げかけと、それと現実の距離感の取り方の仕組みにヒントがあるように感じる。

感動と言えば悲劇で、悲劇と言えば自己にどんどん収束してゆく作用だから、普遍性と時代性が上手くバランスとってないといけないような。

カフカが今では喜劇だって言う人もいるしw
31catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 01:54:41.05 P
「語り」からやるならこれ資料で貼っとこうかな

世界大百科事典 第2版の解説
かたり【語り】

口頭的言語活動の一種。動詞カタルの名詞形。カタルはイフ(言),ツグ(告)などの平常の発話とは
異なって,始まりと終りのある方式のととのった物言いをいう。
その語源は不明だが,型,象(かた)に関係づける説があって,物語を順序だてて述べることとも,
出来事を模して述べることとも解されている。また,ノル(宣),トナフ(唱),ウタフ(歌)など,
語義の隣接する語の用法を比較して,これらが話者の一方的な発話であるのに対して,
カタルは聞き手を意識し,その期待,要求,疑問に答えて,何事かを説明,解説しようとする性格を
持つとされる。
出典:株式会社日立ソリューションズ
32考える名無しさん:2013/04/08(月) 01:55:11.78 0
>>30
私達の現実に対する視野の外にある事柄の投げかけというのはなんでしょうか
33考える名無しさん:2013/04/08(月) 02:03:19.05 0
>>32
例えばお笑いで言うと、

井の中の「貞子」 ってボケがあるとして、いや、蛙だろってツッコミがあるとします。

この場合、視野の外にあるのは貞子に当たります。皆、蛙を想起するのでw

それと同様ではないにせよ、楽しいシーンには通常の想像を少し超えたシーンが描かれてると思うのです。
で、その楽しさには結論(現実にいつか戻される)というひと時の夢だったというお約束への期待もある気がする。
34考える名無しさん:2013/04/08(月) 02:06:26.22 0
>>31
資料添付ありがとうございます

>>33
なるほど
予想が外れた後、つっこみがその外れた予想を正し、自分のもとの予想が正しいことを裏付けると
予定調和があることで安心するし、笑いが生じるということですね
35考える名無しさん:2013/04/08(月) 02:12:24.62 0
>>34
そうですw説明が下手でごめんなさい。
笑うとか、楽しい、という感情には存在が拡張しゆく感覚を覚えます。

その仕組みに「非日常」と「日常」の上手いバランスがあるように感じる。
で、それは「予期せぬ非日常」から始まり、「日常」に戻った時に淡い夢として、もしくは、その安心として生じる。

お笑いの場合はボケがラディカルなので安心として作用するし、飛行機で大空を飛ぶ場合は淡い夢として作用するのではないでしょうか。

言い切れるほどの自信はないけど…
36考える名無しさん:2013/04/08(月) 06:33:30.44 0
無文字民族の神話とか入れないとおかしいものね
ただ口承文芸を考えると、例えば「ゴシップ」とか、飛ぶけど「漫才・落語」なんかは?
37考える名無しさん:2013/04/08(月) 08:53:34.37 0
物語の意味そのものはあまりにも広義すぎて、延々と焦点の定まらない話題でしょ。
文学板でもよくあるけれども、ある特定の時代の特定の国の特定の分野だけに絞っても
枚挙にいとまがないんだから。
38考える名無しさん:2013/04/08(月) 08:56:54.09 0
土着宗教時代のシャーマンの予言から神話から、挙句には
人間存在そのものを「語り語られる存在であるから、人間も物語に過ぎない」
なんていうやつもいるし。
39考える名無しさん:2013/04/08(月) 12:06:58.47 O
人間が読み取る全ての情報が物語か
40考える名無しさん:2013/04/08(月) 12:10:19.07 O
>>37
ここでの狙いは、あえて1つに焦点を絞るというより、多角的な視点から物語を捉えようとすることだと思うのですが


>>38
語り語られるものが物語としてしまうのは、乗られるものが乗り物というように堂々巡りの定義になってしまい、そこから掘り下げることは困難に思われます
41考える名無しさん:2013/04/08(月) 12:15:52.20 0
秩序のことじゃ
42考える名無しさん:2013/04/08(月) 12:30:16.74 0
多角的に捉えるには、古今東西の色んな形式の物語を知らないとお話しにならないでしょう。
要は、哲学的分析など無意味ということ。
文学板で哲学齧ってる人間が集ってもこの話題はいつも手詰まりになる。
専門家でも一緒。
43考える名無しさん:2013/04/08(月) 13:42:57.85 0
日本国家だって物語といえば物語だよね
44考える名無しさん:2013/04/08(月) 13:49:29.19 0
アリストテレスの時代から既に物語研究始まってるやん
哲学の枠組みでいくらでも語れるやん
45考える名無しさん:2013/04/08(月) 14:00:18.04 O
始まりのない物語・終わりのない物語、は不完全な物語?
46catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 15:00:44.70 P
>>45
うん、まずそこのところがだいぶ重要そうだ。
47catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 15:13:39.09 P
哲板で「物語とは何か」というスレが立ってるので良かったら顔出してみて。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1365324404

文学板的な刺激もあったら面白くなりそう。
48catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 15:14:44.56 P
お、誤爆ごめw
49考える名無しさん:2013/04/08(月) 15:47:07.85 0
>>42
たった一人で思索するなら、その一人は古今東西のいろんな形式の物語をある程度把握している必要がある
だからこそ、ここで不特定多数で集まって考えることに意義があるとは考えないのか
いつも手詰まりになるから思考しないというのは、怠惰ではないか?個々人の自由だからあなたはそうすればいいけれど
手詰まりになる理由がその「さまざまな形式の物語を知らない」なら、その情報の収集から始めようという発想にはならんのか

そして「要は」というが、こうした条件下でも議論が無駄であることが帰納的にではなく論理的に示せるならば示して欲しいと思う
暇なら、だけどww

その前に、哲学的考察が無意味というのがよくわからん
意味のある哲学のほうが少ないのでは?哲学なんて思考の過程を楽しむものだと思うが
50考える名無しさん:2013/04/08(月) 18:08:03.89 0
伸びるほど奇形性を帯びるテーマですね。
選択可能性の遮断、と一先ず提起しておきます。
51地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:16:58.87 O
近代は人間が精神的であるのを困難にした。
小説はジョイスみたいにしかならなくなった。
52catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 19:24:21.31 P
数式も物語だよね。A+B=Cのような。
53地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:33:41.81 O
単純な論理命題は無時間であるから、物語とは言えない。
54考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:35:57.11 0
いや、イコールの作用は重要だ。
仮に等式の記号が無くても数式は数式として成立するか?
55地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:36:31.32 O
いかなる対象も時間と空間の外に成立することはない。これは
ウィトゲンシュタインだ。
56catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 19:38:05.70 P
数式は無時間じゃないよ。「前後」にはすでに時間が含まれてる。
57考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:38:15.94 0
ある証明していく手続きで掘り返されるのは数学的定義という記憶だ。
無時間なのは構造が極端に単純である事に起因する可能性がある。
試しにCを隠してみれば良い。
58catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 19:40:50.54 P
A+B=Cにおいて、文学的Cは無限だよ。隠しても隠さなくてもCがあると期待する。
ということはA+Bだけでも文学として成立することを示す。
59地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:41:19.72 O
数学は無時間だ。時間項は単なる変数として取り扱われる。

文芸なんて不可能だわw
60考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:41:57.22 0
違うな。イコールがあるから期待する。
61地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:45:08.25 O
相変わらず数直線を電子顕微鏡で拡大すると微細な数字が
「稠密に」並んでるような世界にいるんだろw

物語は不可能だ。
62catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 19:45:31.33 P
ある男がいてその日常紹介がある(A)。そこに突然可愛い娘との出会いが生じた(B)。
このAとBをA+Bで表す時、Cが期待される。
であればAだけでも文学になるか、というと難しい。そこに読者の期待を盛り込むとBは必須。
63考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:45:44.15 0
A+Bを物語として文学の遡上に置く事には特に異存は無い。
64考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:47:04.94 0
それはプラス記号の作用ではないか。このやりとりも弁証過程だろう。
別のスレでやってては成り立たない。
65考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:48:33.72 0
一例を上げるが、書き言葉の羅列のうちでジャンケンはゲームとして成立し得るか?
66地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:49:18.63 O
こんな調子で芸術は無意味な抽象化を辿って死滅する。
67catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 19:49:34.24 P
数式が文学のある形態であるなら、それぞれの数学記号は文学の要素だろう。
「+」とか「-」とかだけじゃなくあらゆるものが何らかの文脈構成に置き換えられそうだ。
68考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:51:12.37 O
数式も物語時間も、この世界からすれば無時間じゃね?
数式は正しさを持ったまま前後を入れ換え可能だが、物語でも書き換え可能じゃね?


A+B=ってなんだよ連載打ち切りかよ
69考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:52:27.81 0
だから選択可能性の遮断だってば。
ある一つのベクトルを持って話が進む事が物語だろう。
70考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:54:40.12 O
>>69
物語てかかまいたちとかのノベルゲーに絞っても相当語れそうな内容だな
71地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 19:54:49.09 O
パスカルは『パンセ』で理系と文系の違いから始めてんな。

どっちの分野でも歴史的業績を残した人物は違う。
72catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 19:55:08.20 P
>>69
べつにそれは否定されてないと思うが。
73考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:56:41.07 0
>>49
いや、意義はかなり薄い。
この幼稚な流れを見たら分かるだろ。
それならまだ過去の物語論の勉強していた方がマシ。
74考える名無しさん:2013/04/08(月) 19:57:45.16 0
>>70
マルチエンディングの場合であろうと、大抵のプレイヤーはひとつの結末を終えたところでゲームやめたりはしない。
重層的な物語の可能性全てを食らい尽くすまで続けるのではないか?
75考える名無しさん:2013/04/08(月) 20:01:45.60 0
過去に物語に対する考察がどのように行われてきたのかをまるで知らない癖に
したり顔で、さも新しい自説みたいに古臭いモンを押し付けあうのって意義ないでしょ?
76考える名無しさん:2013/04/08(月) 20:02:37.83 0
なんか役に立つことを言えないやつにかぎって不平ばかり言うものだ
77地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 20:14:40.39 O
『パンセ』は本人編集ではないか。

哲学板てな理系バカ多くてな。
78地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 20:19:37.54 O
ウィトゲンシュタインのスレも心理主義の問題片付けたら閑古
鳥が鳴き始めた。
79考える名無しさん:2013/04/08(月) 20:21:35.37 0
>>73
かなり薄いと「貴方は」考えるわけですね
それはそれでいいと思うんですけど、なんでそんなに真っ赤になって続いている議論をやめさせようとするのかがわからない
そもそも意義のあるなしではないと申し上げたはずですけれど
80地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 20:42:34.26 O
ここにも貼っといちゃる…

1分で振り返る朝ドラ『純と愛』(プTV)
http://www.youtube.com/watch?v=MM6167vVHdU
81catt ◆.catt24qAw :2013/04/08(月) 20:51:35.64 P
>>69
たとえば「立ち止まる」ことはどうだろう。
つまりモノリス的な遮断。
82地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 21:33:36.80 O
近代において言葉は頭からしか出て来ない。
83考える名無しさん:2013/04/08(月) 21:46:01.93 0
起源なき神話、としての物語、という自己完結性、を逸脱する非=物語、としての小説。
物語は、過去に自足する。神話は、起源が現在を無媒介に侵犯する。小説は、言葉が現在を無媒介に侵犯する。
物語が反復され、終りなき反復によって「言葉自身の神話性」が物語を逸脱し、「言葉自身の神話性」が現在を無媒介に侵犯し揺るがす。
小説は、起源を持たない(神話ではない)、完結性を持たない(物語ではない)。
84地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 21:51:58.45 O
源氏も平家も小説とは言わないからな。
それは裸形なままごろりと投げ出されてゐる。
85考える名無しさん:2013/04/08(月) 21:53:01.42 0
複数であれ主観的なものが存在しないものは物語たり得るか。

マクタガートのC系列の時間のことを考えると、時間と順序からなる。
B系列の順序だけだとそれは、物語ではなく歴史になる。物語には時間である変化が必要だ。
A系列は今である視点。未来と過去を展望出来る点。その点は変化してゆく。

1+1=2には視点がない。
物語には必ず独我が必要。それが視点。そして、その視点が歴史ではなく、「個人史」を可能にする。
個人史は物語化された歴史と言える。

動物が主人公の物語に必ず動物、もしくは飼い主の視点があるのはA系列を成立させるため。
それは、独我だと私は思う。

物語に欠かせない要素の一つは独我であるのではないでしょうか…
86考える名無しさん:2013/04/08(月) 21:55:50.77 0
>>85の誤りを訂正

B系列とC系列が逆だった。。。
87地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/08(月) 21:57:32.04 O
首から上だけで物語を語り得るかだな。
88考える名無しさん:2013/04/08(月) 22:00:36.98 0
>>75-76
確かに。僕はこの辺で。

>>81
有り得ると思います。
8989:2013/04/09(火) 04:22:32.96 0
「語る」とは何か。これまた広辞苑によれば、「筋のある一連の話しをする」。ちょっと足りないなという気がするんだけど、まあそうでしょう。大事なのは「一連の話である」ということです。
始まりがあって、途中があって、終りがある。そういう話をする。それでは「話」とは何かというふうになると、だんだんわからなくなってしまう。

 では、こう言えばどうでしょう。「語る」とは、単に「話す」ということではない。それから伝える、ということでもない。言う、でもない。
言ってみれば事件があって、その事件の主体たる人格がそこにいて、現象が起こって、変化(=時間)がある。それを一つのまとまりとして他人に話す。それが「語り」である。
〔省略〕

もっぱら人の身の上に「起こった」ことを時間を追って話す、それが「物語」である。
ここで、大事なのは「時間」です。人間には「時間の感覚」がある、と言うと、そんな当たり前のこと、ということになってしまいますので、例を挙げてみましょう。
例えばシマウマです。シマウマに時間の感覚があるか。たぶんないと思います。彼らには現在しかない。シマウマは「昨日何を食ったか」とは思い出さない。
シマウマにあるのは、目前にある危険を回避すること。目前にある食物を摂取すること。それから発情期には、目前にある異性と交わること。これぐらいが生きていく上の基本原理です。
〔省略〕

アフリカの野生動物を撮った映像でよく見ますけど、一頭が捕まって殺されて食われている時、他の連中はもう安心だから、その知覚で悠然と草を食んでいる。
その一頭に同情して涙を流しはしないし、食われている仲間を見ながらも恐怖を感じてはいない。もう脅威は去っているから。
なぜそうなのかと言えば時間の感覚がないからです。「さっきこんな目に遭った。で、いずれはぼくもあんな目に遭うかもしれない」とは思わない。
その辺がたぶんシマウマの知性の限界。したがってシマウマには「物語」はない。
9089:2013/04/09(火) 04:23:04.43 0
犬はどうでしょう。犬にはある程度の時間間隔があります。例えば昔飼われていた飼主と会うと、ちゃんと覚えていて喜んで飛びつく。
その時犬の中には、「昔飼われていた人」という、「昔」という概念がたぶんあるのだと思います。今の飼主と違うことがわかるし、どっちが今餌をくれてるかもわかる。
だけど「なつかしい」という感情を持つ。犬の場合、一種の時間の感覚があるのだろうということができると思います。犬の場合一種の時間の感覚があるのだろうということができると思います。

ちなみに、シマウマに過去はない、時間感覚がないと言いましたが、これは大脳が知覚するような個体レベルでの感覚という意味です。
〔省略〕
ただそれを大脳のレベルで、情報として認知したうえで、それを現在でない過去とか未来へ外挿する=エクストラポレイト extrapolate する、外へ延ばしてみる想像力ばない、ということです。
つまり時間間隔というのは、過去へ延ばすにしても、未来へ延ばすにしても、想像力の問題なのです。その力がシマウマにはない。犬には少しあるかもしれない。

池澤夏樹『世界文学を読みほどく』 p38〜40より引用

とりあえず参考までに
91catt ◆.catt24qAw :2013/04/09(火) 04:51:53.72 P
>>89-90
引用乙です

それはいわゆる「エピソード記憶」として自分が置かれた状況を記憶として保持し、
それを再生することができるかどうか、また誰かに伝えることができるか否かという話ですね。

記憶というのはひとつひとつ別々の引き出しにしまわれるというよりも、自分はもっと大きな塊として
あって、それが何らかの「きっかけ」により(部分的に)再構成されるものだという感じを持ちます。
で、「物語(かたられるもの)」がヒトの場合はその「きっかけ」なんだろうと思います。
発生心理学的には幼児の抱えられる「物語」と大人が楽しむ「物語」の差分についての考察も面白そうです。
92考える名無しさん:2013/04/09(火) 05:33:18.29 0
>>89-90
訂正 時間間隔→時間感覚
    外へ延ばしてみる想像力ばない→想像力はない

物語には人格的なものが絡むんでしょうね そして人格的なものは時間的である(流れのなかにある)ような気もします。
93考える名無しさん:2013/04/10(水) 01:02:17.27 0
>>92
>物語には人格的なものが絡むんでしょうね そして人格的なものは時間的である(流れのなかにある)ような気もします。

人格が絡まない物語は存在し得るか?
94考える名無しさん:2013/04/10(水) 06:45:01.81 0
人格が絡まなくなったら科学(事実的記述)でしょうね
もちろんそのなかにも個人の判断が含まれることは承知のうえで
95考える名無しさん:2013/04/10(水) 10:49:31.06 O
物語でないもの
・年表
・契約書
・法律
96部外者:2013/04/10(水) 13:11:16.54 0
>>91

>発生心理学的には幼児の抱えられる「物語」と大人が楽しむ「物語」の差分についての考察も面白そうです。

kwsk
97考える名無しさん:2013/04/10(水) 13:26:28.01 0
年表はともかく、法律に関しては
判例と言う物が大分絡んで来るので
物語的であると言えなくも無いと思う
98考える名無しさん:2013/04/10(水) 13:29:14.91 0
授業参観のお知らせも物語に入っちまうよ
99考える名無しさん:2013/04/10(水) 14:50:13.21 O
>>97
それは物語的なんじゃなく、判例という物語と接点持ってるだけじゃね
まあ、立法の目的なんかは物語的と言われりゃそれまでか
100考える名無しさん:2013/04/10(水) 16:22:18.03 i
>>89
それには反論があります。大なり小なり人間も同じだと思います。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがあるように、
一度は心に誓ってもまた愚行を繰り返す人、苦しいことを経験しても
過去を学べない人、わかっちゃいるけどやめられない人、等々
101考える名無しさん:2013/04/10(水) 16:46:30.81 0
法律のできた起源を辿れば価値の問題なので「物語性」があることは確かなんだけど
一旦法令化され、年月を経るうちに精神が失われてそれ自体は形骸化してしまう。
つまり、これをやったらこういう罰則がありますよという「事実」に過ぎなくなる。

伝統も同じでその精神を伝えることを放棄してしまえば形骸化してしまって儀式や礼儀は単なる窮屈なものでしかなくなるんだろう。
102catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 17:14:08.79 P
「文章の成立」と「文学の成立」を区別する必要はある。

文章というのは何かを記録するものであって、文学というのは何かを伝えるもの、という
区別はまずできそう。記録は年表や契約や法律文等。
その次に何かを伝えるもののうちで、たとえば誰かへの連絡文とかとの区別ができればよいかな。
日記は文学に入りそうだけど。
103考える名無しさん:2013/04/10(水) 17:20:10.94 0
>>100
大なり小なり同じなのは同意するんだけれど
誓ったり、ダメなことをやっているというある種の価値判断を挟むことができるのは
人間とシマウマが違うところなのではないか(シマウマさんの気持ちになれないので証明できないが)
104考える名無しさん:2013/04/10(水) 17:23:29.09 i
物語とは作者がまず導入部の時、場所などを設定し、読者にとってこれ以上必要ない
と判断した時刻までその世界の時間を経過させ展開させた、「心」を持った生き物が登場する作り話。

足りないもの、余計なものがあったら補足してください。
また、根本的に間違った部分があったらご指摘をお願いします。
105考える名無しさん:2013/04/10(水) 17:32:52.78 i
>>103
あ、それはありますね。ダメなことをやっていると自覚していない、あるいはできない人を除いて。

シマウマが仲間が食われている近くで平気で草を食べられるのは単にシマウマが冷淡であるに過ぎない
かもしれませんし。
106catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 17:37:58.94 P
考えたら日記や手紙は外れるな。日記体や手紙体の文学はあるがそれそのものは違う。

>>104
アリストテレスの「詩学」では、「はじめ・中間・終わりを持ち、人間の行為を再現するもの」
としている。アリストテレスの「詩劇」は文章というよりも(文章以前の)詩劇の分析だから
「文学とは」の思考とちょっと違うけど。
107catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 17:39:47.14 P
誤:アリストテレスの「詩劇」は文章というよりも
正:アリストテレスの「詩学」は文章というよりも
108考える名無しさん:2013/04/10(水) 17:44:55.79 0
>>102
つまりどんな怪文書も文章としては成立していて、
それを人に伝える為に洗練された
上位互換としてある格式にのっとる
文学が存在していると言う事だろうか
109考える名無しさん:2013/04/10(水) 17:48:07.94 i
>>106
白土三平の「シートン動物記」という漫画を最近再読したんだけど
動物が主人公でも物語になってると思った。
110catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 17:52:52.64 P
>>108
怪文書は怪しい思考の開陳や、特定の誰それへの非難等であり、それは記録とか手紙とかと
同類じゃないですかね。
文学となるには文章として成立した上でさらにそれ以外の何かが必要でしょう。
(アポリネールのカリグラムみたいなのはここでいう「文学」と分けたほうが良いでしょう)
111catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 17:54:04.36 P
>>109
そうですね、人間というより「人格化されたもの」のほうがよさそう。
おにぎりころころだって文学だし。
112考える名無しさん:2013/04/10(水) 18:29:29.36 i
>>104
補足+削除
113考える名無しさん:2013/04/10(水) 19:58:12.17 O
>>110
文法無視しても、物語はともかく文学にはなるかと
114catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 20:09:13.52 P
文法無視だとどうかなあ。
「文章」の成立要件を充たさないと「読めない」ような気がしないでもない。
115地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 20:11:06.01 O
俺は夕べは一人で近代芸術についてロマン派や写実主義やシン
ボリズムという話を読みふけってたけど理系相手に言っても
無駄だと思う。
116catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 20:13:00.88 P
自分は夕べは寝る前に「ファウスト」読んでたな。
117地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 20:14:08.42 O
いや、俺はもともと電子工学屋だけど、理系学問の限界は
学生時代に悟ったから。
118考える名無しさん:2013/04/10(水) 20:20:43.07 0
大きな物語は終わったのか?
119地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 20:26:32.68 O
小さなおまえらのお話の時代。
120地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 20:29:37.07 O
何を言おうがチラシの裏。
121考える名無しさん:2013/04/10(水) 20:31:59.83 0
脈絡もなく「理系相手に言っても無駄だと思う」なんて言われてもね…
貴方はそこいらの理系とは違うんですね、とでも言えばよいのだろうか
122考える名無しさん:2013/04/10(水) 21:16:27.97 0
大多数が理系、若しくは理系が必須の設定なんだろうな
哲学板だが
123地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 21:21:31.89 O
疑似理系ポスモダ現代思想がナラティブがなんたら。
124地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 21:24:09.95 O
数直線上で数は座標を指示するだけで幅なんかないだぞ?
125地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 21:25:27.92 O
これが理系を理解してるってこった。
126考える名無しさん:2013/04/10(水) 21:27:18.87 0
>>125
違う
コンピューターで制御するプログラムと言う設定なんだろうが
まず目視出来る状態にするにはある程度の幅が必要になる
127考える名無しさん:2013/04/10(水) 21:29:26.90 0
いいからユリシーズだけは読んどけよ。
128地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 21:29:37.39 O
俺もこういう当たり前な考え方が出来るようになるために、
死ぬ覚悟までしたけどね。
129考える名無しさん:2013/04/10(水) 21:58:57.45 0
ふう。おなってた「
130地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 22:07:12.16 0
安心しろ。低脳な貴様らにゃ何も期待しねえ。
アングロサクソン思想の安物脳味噌だから
仕方ねえ。
131考える名無しさん:2013/04/10(水) 22:16:33.34 0
なんで最低位が自演してんだ?てんだ?
132地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 22:21:44.88 0
>>118
さながら現代は「群盲、象を撫でる」って奴か?
記号がそれを代理する。
133地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/10(水) 22:25:50.21 0
世界と歴史は末人である諸君には余りに広すぎる。
これは悲劇的な時代と言える。
134catt ◆.catt24qAw :2013/04/10(水) 22:36:01.14 P
>>96
幼児は状況の体験を五感を通した「雰囲気」としてそのまま記憶します。つまり解読しない。
大人になるにつれ、体験は素早く抽象化され学習した知識に照らし合わされるのですが、その
取捨選択の根っこには幼児の頃に記憶した「雰囲気」への思いが残ります。
いわゆる潜在記憶とか言われる情報処理の基盤というか底辺層。
文学における「文脈理解」というのはそういうものと密接にからむのではないかと考えてます。
135考える名無しさん:2013/04/10(水) 23:30:42.33 0
>>94
そうなんですよね。
>>85でマクダカート云々かきましたが、事実の列挙とその前後関係はC系列に当たる。
A系列の視点(視点でもある主観)がないと駄目だと思う。
例え、猫が主人公だったとしても、そのネコは「人間のように思考する主観」として描かれる。
それはネコではなく、人の主観。
136考える名無しさん:2013/04/10(水) 23:41:29.88 0
物語を突き詰めると主観とは何なのかって話しになりそう。
体があって、生きていて、感情があって、思考して、それらが独我で統合されていることが条件。
その主体が外界に出会うと、主観の条件の一つ一つに変化が起きる。
主観がスタートからエンディングまでの主観の遍歴が物語。

仮に動物に人間と同様の感情や思考や独我があったとしても、その内実はわかりようがない。
だから動物が主人公の物語は、その動物は「動物の体の人間」である必要がある。
137考える名無しさん:2013/04/10(水) 23:53:58.52 i
動物にないと推定される感情は「笑い」の感情かな
動物が笑っているように見えたことがない
誰か詳しい人いますか?
138考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:07:10.95 0
個人的な意見だけど笑いについても以前書いてて、笑いはどうも感情だけの仕業ではない気がします。
思考や概念形成の能力と感情が特別な在り方で出会う時に笑いが生じるような。
ようは、合わせ技。

「既存概念の揺さぶりとその克服の運動」は快の感情をもたらし、結果として笑う。
動物が笑わないのは概念形成と思考能力がないからなのかもしれない。
139考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:10:52.53 0
主観は精神的で価値に属した領域
客観とは物質的で事実に属した領域

客観とは価値を含まないからこそ誰にとっても妥当するもの、普遍的な事柄として扱うことができる。
価値を含んでしまったものは客観的とは呼べず、主観的な事柄に属する。

故に物語は価値を扱うものだからこそ、主観的な事柄に属するような気がする。
もちろん物語をどう定義するかにもよるが、人格を前提とするのであれば的外れではないと思う。
140考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:12:46.00 0
なぜ主観は価値に属した領域なのか?
そこに価値をあえて持ち出す必然性はなんなのか?
そして、価値とは一体何なのか?
141考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:19:16.08 i
>>138
成る程、言ってみれば「喜び」或いは「嬉しさ」の感情以外に何か感情以外の脳の機能が必要だと
142考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:27:47.04 0
>>141
はい。
笑いって狂気のニュアンスも含んでると思うのです。
既存概念の揺さぶりとその超越の「超越」の部分の中身次第でそれが狂気に映ったり共感できる身振りに映ったりするのかと。
だから笑いの条件には「既存概念があること」とその「解釈、リアクション」が必要なような。
それはもちろん脳の機能とも関連してるでしょうね。
専門的な知識持ってる人の意見も聞きたいところです。
143考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:35:13.60 0
>>140
主観が価値に属した領域なのは物語に対する解釈が「人それぞれ」だから
個人の価値に対する解釈がもって生まれた才能や環境によって左右されるため客観的普遍的に妥当する価値的解釈はありえないと思う(もちろん数値化したものは事実に属する)

価値を持ち出す必然性、それは物語がもっている性質や目的、意図を踏まえた結果です。人格的な伝達を物語が有する限りそこには価値の問題が生じているような気がする。(必然性という堅苦しいような理由でもない気がするけど)
価値とは宗教的真理や良い悪いとか善悪判断に属するものだと思う。
144考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:40:50.00 0
>>143
なるほど。確かに物語は善悪を扱うし、人は善悪の狭間で葛藤する。
145考える名無しさん:2013/04/11(木) 00:43:55.11 0
また、真理や善悪に価値が属するからこそ>>4でも投げかけがあったように物語は人を感動もさせ、真実も語る。

そして、その難しさは価値の提示の難しさでもある。
146catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 00:54:04.39 P
いろいろな価値は分解して行くと善悪より手前に「それは快か不快か」がある。
そしてそれはさまざまな層を成していて、知的な快や動物的な快がある。
だれかがこけたことに対して笑うのであり、複雑な試練の末に答えを見出した時にも笑う。

それどころか、不快な時に笑うこともできるのが人間というものだ。
たとえばアフリカの飢餓児童達が、飢えに苦しみ落ちた穀物を拾って食べることもできないときに
彼らはすべもなく笑う。それはもはや嬉しさや悲しさ(あるいは快・不快)という枠にはおさまらぬ
存在の笑いなのではないか。
147考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:02:41.47 0
快、不快は価値ではなく感情だと思うな。
感情は快、不快で出来ている。

価値は快が「良い」、不快が「悪い」ってカッコ付きの中身の部分かと。
148catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 01:15:12.81 P
それは同じことを言ってるだけじゃないの?それとも善悪の話かな。
善・悪より全然手前にあるのが快・不快(つまりハイデガー的な「雰囲気」としての)が
あるんだよ。
149考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:17:33.37 0
>>148
感情の全てをあげてみてください。
快、不快で全てカテゴライズできると思います。
価値は後天的なものです。でも、感情そのものは違います。
150catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 01:24:40.13 P
>>148
じゃとりあえず「喜怒哀楽」で。
それはたぶん快・不快でカテゴライズ可能でしょう。
151考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:28:50.75 0
>>150
はい。
◎快
喜、楽

◎不快
怒、哀

価値は後から身につけるものです。
だから、人生経験次第で価値の受け取り方が変わってきます。
子供を産んで、かる物語の読み方が変わった、あの部分の価値に気づけるようになった、など。
価値に属する良し悪しや善悪は人種や文化、立場、年齢、経験など、個人によって違いますし、後天的に身につけるものです。
152考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:34:35.87 i
喜と楽はほぼ同じ感情だと思われるけれども
怒と哀はかなり異質なようにおもわれるのだが

犬も、喜び、怒り、悲しみの三つに大きく分けられる
153catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 01:35:59.46 P
>>151
そこで問題になるのがいわゆる「幼児忘却」と言われているもので、これは
誰もが3歳くらいまでの記憶についてのアクセスができない事を指すんですが、
実はそれは「雰囲気」の「了解」についてのあまりにも手続き記憶的な「慣れ」による
単なる「見えなさ」に過ぎないのではないかと考えるわけですよ。
つまり呼吸活動やまばたきのような「意識しなさ」のもっと深いところにあるものとして。
154考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:38:46.73 0
>>152
>怒と哀はかなり異質なようにおもわれるのだが

そうかな?
怒は不快への反発
哀は不快への共感
と言えないかな。

そう考えると動物は不快に共感することが出来ないのかもしれない…
155考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:40:10.03 i
より原始的な肉体的苦痛、食欲性欲等生理的欲求をみたす快楽にも分けられるけれども
156考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:40:18.79 0
>>153
それは別のトピックスとしては興味深いけど、価値の話しと直接的な接点が見出しづらいような…
157catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 01:44:07.76 P
>>156
いや、物語の成立が「読む・聞く」にあるとすれば、そうやって得た情報からひとが思惟する
その底には、発生学的な快・不快が前提にされているんじゃないかと思うわけですよ。
158考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:44:10.42 i
>>154
例えば愛する人を失ったとき、それがその人本人の過失で死んだ場合
悲しみの感情は抱くだろうけど怒りの感情は湧くだろうか?
159考える名無しさん:2013/04/11(木) 01:51:18.70 0
>>155
確かにそうですね。

>>157
多分、あなたと私は感情と価値の捉え方で根本的に違う点があるのかと。
私にとって感情とは価値の源流とは全く異なるものです。
感情は知覚から直接的に生じるもの。価値は表象から後天的な学びで得られるもの。

>>158
人によっては湧く場合もあるでしょうね。私が幼少の頃自己の過失で大怪我を負った時に、母が病院に来て私に会うなり怒鳴ったことがありますw
心配したのと、自分が大事だったんでしょうね。
それか、他に理由を作ってそのことに腹を立てるとか。
160catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 01:59:39.35 P
>>159
そうですね。自分は感情も価値も(あるいはカント的な感性・悟性・理性は)すべて
同一の根源から生じるというスタンスです。
161考える名無しさん:2013/04/11(木) 02:02:08.26 i
>>158
人が悲しむときは己が無力感に満ちているとき、劣等感がある場合
人が怒るときは己に力が漲っているとき、優越感がある場合
と捉えています
162161:2013/04/11(木) 02:03:34.06 i
アンカ間違いました
>>159
163考える名無しさん:2013/04/11(木) 02:12:36.94 0
>>160
はい。あなたがそう考えていると感じました。
価値は知覚した表象を概念化し、その概念が良し悪しを生じさせます。
群像劇で登場人物の語られる角度(視点)が変われば、見方が180°変わるのは新しい表象と概念を得たからです。価値が変わります。

その変わった価値に対して快、不快の感情が生じます。
価値は知覚と紐ずいており、感情はその知覚から自動的に生じる心の動きだと考えています。

価値は悟性と捉えており、悟性は感情とは全く別の働きだと考えているからです。

>>161
はい。共感します。
164161:2013/04/11(木) 02:15:50.33 i
野暮用があるので私は今日はこれにて失礼します
165考える名無しさん:2013/04/11(木) 02:16:09.81 0
>人が怒るときは己に力が漲っているとき、優越感がある場合

優越感があるのに何故怒るの?
おかしいだろ。
166考える名無しさん:2013/04/11(木) 02:17:24.37 0
犬はボスに怒られたらキューンってなる。
同格のやつに怒られたら噛み付く。
167考える名無しさん:2013/04/11(木) 02:19:50.55 0
どちらかというと、自尊心を傷つけられたり
何かを乗り越えるための情念はあるのに、乗り越えるべき方法が見つからないような時に怒るよね。人って。
168考える名無しさん:2013/04/11(木) 02:23:17.55 0
怒りにも色んなタイプがありますよね。
やっぱり不快とそれへの反発がどの事例にも当てはまる気がする。
169catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 02:32:55.81 P
アポリネールの「一万本」とかは快と不快の狭間へと切り込んだ文学だと捉えるべき。
170考える名無しさん:2013/04/11(木) 04:00:43.32 0
在特会の怒りは被害妄想?
171161:2013/04/11(木) 09:56:22.63 i
>>165
例えば軍隊のような縦社会における人間関係は階級によって
優劣が決まっています。ある兵隊が自分より階級の低い兵隊から自分に
とって不利益な働きかけを受けると怒りの感情が湧きます。
階級の高い兵隊から不利益な働きかけを受けると悲しみの感情を
抱きます。実際は他に多種多様の要素が絡むので単純にそう割り切れる
ものではありませんが。
172考える名無しさん:2013/04/11(木) 10:30:26.73 0
>ある兵隊が自分より階級の低い兵隊から自分に
>とって不利益な働きかけを受けると怒りの感情が湧きます

そんなのケース・バイ・ケース。
軍隊などはかなり強固な規律意識が作用しているので
職務上不利益な事であれば私憤とは関係なくルールで厳格に対処すればいいだけの話。
単純に上下関係だけを取り沙汰しても適用できる話じゃない。
軍隊でも下っ端が怒りに任せて上官を殺すことだってあるのだし。
173考える名無しさん:2013/04/11(木) 10:40:22.15 i
>>172
つ 実際は他に多種多様の要素が絡むので単純にそう割り切れる
ものではありませんが。
174考える名無しさん:2013/04/11(木) 10:41:51.79 0
多種多様だと分かっているなら、人の感情がそう簡単な発露の仕方をしないことも分かるでしょうに・・
175考える名無しさん:2013/04/11(木) 10:46:19.59 0
物語は、現実もすべてフィクションだということを教えるためにあるもの
176考える名無しさん:2013/04/11(木) 10:52:12.54 i
>>174
それをいっちゃあ人がどんなときに怒るのか
なんて議論は無意味ってことになる
177考える名無しさん:2013/04/11(木) 10:54:07.93 0
感情とは〈私〉を越えたものなのだから、超越の突破口

とは偉い人が言ったもんです
178考える名無しさん:2013/04/11(木) 11:46:15.32 0
物語について何も知らない人たちが「物語論」を語るとどうしようもないというのが
このスレ。良い例になります。
179考える名無しさん:2013/04/11(木) 11:50:33.19 i
>>178
語って下さい
180淀屋橋ハニワ:2013/04/11(木) 13:07:28.56 0
分厚い都市伝説
181考える名無しさん:2013/04/11(木) 15:25:37.73 0
お悩み相談とか自尊心云々とかの話は
どっから出て来たんだ
ついでに言うと物語論とか誰も知らねえし
182考える名無しさん:2013/04/11(木) 15:36:10.48 O
なんで誰も知らないのに誰も知らないとわかるの
183考える名無しさん:2013/04/11(木) 15:37:44.47 0
誰も知らないからだな
184考える名無しさん:2013/04/11(木) 15:39:04.22 O
でも誰も知らないんだろ
185考える名無しさん:2013/04/11(木) 15:45:00.77 0
一般的に知られていない上に説得力が無い話
誰も知らない謎の生命体の話とは違う
186考える名無しさん:2013/04/11(木) 15:53:20.80 O
誰もが知ってる月光仮面か知られちゃいけないデビルマンか
187catt ◆.catt24qAw :2013/04/11(木) 17:11:46.02 P
「物語とは何か」という問いは「物語は○○である」という、なにかへの還元だけを目的とした
ものではないだろう。可能性についての考察や実験は、文学者達が骨身を削ってやってるし
哲学者達はその削られた骨身がどういう意味を持つのかに興味があるのではないのか。
188考える名無しさん:2013/04/12(金) 02:08:48.12 0
知る、知らないではなく、どう考えるか。
小人症の人は誰のためにもならないので消えろ、と言いたいですが、皆優しいですね。
189部外者:2013/04/12(金) 07:11:43.93 0
ベンヤミンは近代人が物語を失ったのは、決して「退屈しない」からだというようなことを言っていた。
「退屈しない者」は、物語を語ることは出来ない。

つかスレが弱冠心理学的な話になってるのが気になるが
190淀屋橋ハニワ:2013/04/12(金) 15:56:06.62 0
『誰も知らない事と』完結せず
『誰かしらないか?』

と研究者等は書籍等に書く必要がある。
191地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:05:51.62 O
数直線が数字のツブツブの集まりであるような見方に説得力が
あるのはひとえに西洋人の知的惰性に原因があるのであって、
それ以上の意味はない。
192地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:07:33.01 O
学問的な価値はゼロと言って良い。
193地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:14:42.77 O
強いて言えば解析数学の数論か。近似の世界だ。
194地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:17:29.05 O
解析数学の創始者はデカルトだな。宗教改革以降だ。
195地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:22:02.06 O
近似の世界は論理的整合性は保証されているとは限らないから、
理論も曖昧になり得る。
196考える名無しさん:2013/04/12(金) 22:26:37.76 0
物語なら人の目をじっとみつめる子犬でも作れる。
彼らは人の心に強く訴えかける。
キモオタが書いたミミズが這ったような字の原稿など誰も読まん。
197catt ◆.catt24qAw :2013/04/12(金) 22:27:41.61 P
「類推」ってやつですね
198地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:31:47.91 O
近似はアナロジーではない。
199部外者:2013/04/12(金) 22:40:00.78 0
やはり今の2chにはろくなのいないな
もういいや
200地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:40:02.29 O
貴様ら高速フーリエ変換くらいは学生時代に当たり前にやったろ?
201地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:43:48.40 O
講義聴くのも投げやりで常時赤点スレスレだったがな。
卒業出来たのが不思議で未だに夢でうなされる。
202catt ◆.catt24qAw :2013/04/12(金) 22:46:09.72 P
「われわれは他人の話(パロール)の中にわれわれ自身が置いたものしか見出せない」
Merleau-Ponty
203地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/12(金) 22:47:31.41 0
理系は厳しいだコラ
204えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/13(土) 10:44:23.05 0
cattさんが他板でリンクしてたので遊びにきましたよ。
205考える名無しさん:2013/04/13(土) 13:49:39.84 0
ちょっと面白いレスが乗り出すと
頭の悪い理系が遊びに来るんです
206考える名無しさん:2013/04/13(土) 16:28:34.25 0
理系は哲学に憧れてるからな
207考える名無しさん:2013/04/13(土) 16:39:32.46 0
206
と勘違いしがちな文学部乙

理系が哲学やるのは憧れとかじゃなく興味から
1ツールとしてつかえるかな程度の興味
哲学にさわってみるのは過程にすぎない
つかえるとこだけ吸収するだけ
208考える名無しさん:2013/04/13(土) 16:48:11.51 0
理系ってどんな文学作品読むの?
209考える名無しさん:2013/04/13(土) 17:54:19.75 0
まあ人気があるのはラノベだろね
あと戦国ものとか
210えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/13(土) 17:58:58.97 0
友達で、歴史物しか読めないって人いるな。
村春の新刊の話したら、「小説は嘘が書かれているから軽蔑する」なんて喝破された。
参ったね。
211えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/13(土) 18:01:09.20 0
スレの趣旨に絡めて言えば、物語というのは真実を形骸化させてしまうんだな。
他スレでも語り合ったけど、物語は、たった一つの愛の体験を、酷く凡庸なものにする。
だから、文学は意味が無い。その友達の言う事も、もっともかも知れないな。
212考える名無しさん:2013/04/13(土) 18:02:53.77 0
おまえらのまわりにいる理系って海外でみられるような極端な無神論者が多いのか?
良心なんかも否定しそうだなw
213考える名無しさん:2013/04/13(土) 18:03:55.60 0
>>211
それは解釈者次第でしょ
物語を客観視する人にありがち
214えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/13(土) 18:17:10.71 0
>>213
では物語に没入して生きるとはどういうことなの?
説明よろ。
215考える名無しさん:2013/04/13(土) 18:30:01.65 0
>>214
それは言葉に還元できない部分で個人の価値の問題だよ。
普遍的な誰にでも妥当するものに還元するのが科学、つまり理系が陥りやすい罠。
科学とは事実を扱う学問で価値を扱う学問じゃないんだよ。(数値化したのは事実だからね)

物語とか物語性は個人に属する価値の問題だよ、これは言葉に還元しても意味が無い。
たとえば、子供に勉強しろって親が言っても心から納得して勉強に価値を感じているかというとそうとは限らないだろ。
語弊を恐れずにいうけど価値っていうのは自分が心から納得してそれを行うっていうのに近い。
216えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/13(土) 18:34:21.40 0
>>215
理系の人がどう言ったとかは私はスレを通読してないからわからないけど、
物語のなかに我々がいるのか、我々のなかに物語があるのか。という疑問が。
面白い話になって来たような気がするけど、ちょっとお手上げなので、
cattさんにバトンタッチして逃げるとか(笑)してみる。
ぴゃっ
ミ☆
217catt ◆.catt24qAw :2013/04/13(土) 18:38:10.48 P
あ、バトン落としちゃった。
218えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/13(土) 18:54:23.99 0
あっしまった
219catt ◆.catt24qAw :2013/04/13(土) 18:57:24.37 P
たぶん理系は構成主義的な読解を好むだろうから、キャラクターが多くて筋が複雑であれば
気に入るんじゃないかな。
探せばどっかに「理系文学ベストテン」とかありそうだが。
220考える名無しさん:2013/04/14(日) 00:44:24.57 0
物語という面でいえば今期ははたらく魔王さまが秀逸だろう
221考える名無しさん:2013/04/14(日) 00:48:24.18 0
>>220
最近のアニメって物語的に見れば焼き直しのゴミばっかじゃん。
たまにチェックしてるんだけど、何が面白いの?あれ。
222考える名無しさん:2013/04/14(日) 00:52:48.00 0
アニオタはよく「新しい」とか「面白い」とかいうけれど
既存の理屈を適当に持ってきたりアレンジしたりすることによってしか説明できない。
ラノベオタもそうだ。
全部文学や演劇の焼き直しに過ぎないのに。
223考える名無しさん:2013/04/14(日) 00:55:47.04 0
リーダビリティと快楽的な意味でのエンタメとしては優秀なのだろう
文学が主としていた価値への挑戦というものは全くないわな
俺は俗物だから見ちゃうんだけど
224考える名無しさん:2013/04/14(日) 00:58:32.25 0
>>221
なにごとにおいても言えることだと思うが、つまんないのに何かをやっているというのは、やり方や方向性が間違っているからだろう
たとえば、最近のアニメが特に自分に合わないのに全アニメを1話からチェックしてしまい、やっぱつまんね〜あの頃のアニメがよかったぜー
とかなるのはアニメがわるいのではなくキミの行動に問題が在るとみてまずまちがいない
225考える名無しさん:2013/04/14(日) 00:58:43.75 0
形式としてはもうとっくに物語は出尽くしてるでしょ。
あとは組み合わせ方とちょっとした閃きだけ。
226考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:03:22.60 0
芥川龍之介の「歯車」は未だに形式としてどれに当てはまるのか
いろんな文学研究者の頭を悩ませている作品らしいね。
芥川は研究熱心で古今東西の物語研究もしていて、短編の名手だけれど
自殺間際の作品は常軌を逸していて常人には理解が及ばないんだそうな。
227考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:06:16.74 0
表現媒体としてのアニメは優秀だと思うがな
結局、作り手の意識の問題だ

商業として成り立っている分、大衆迎合で腐っていってるのが現状だが
その中からたまーにいいものがでてはいる

昔のパトロンみたいに採算度外視でどっかの見る目のある金持ち貴族さんが出資して才能ある人にアニメをつくらせてほしいわ
228考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:12:15.07 0
芥川の歯車描写は閃輝暗点のことだよ。
あと、母親が狂い始めていたし持病をいくつも抱えていたし
統合失調症だし、晩年は異常な幻覚やドッペルゲンガーみていたし近い未来の予言も的中させていたし
もう内面は人間じゃなくなっていたのかもね。
229考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:13:04.33 0
>>222
旧作アニメの同じ回を何度も見返しても毎回「面白い」と感じる場合もあるし、その都度「新しい」部分に気付く場合もある。
それは事実だ

>>223
その価値への挑戦とやらに文学がどれだけの年月を費やしているのかという大問題がある
現在の価値という意味でいえば、スロースタターの文学作品よりもオープンなアニメの方が即時挑戦していると思う
時勢とともに変わる価値が多く、それを捉えてそれをパブリックに返すタイミングが視聴者の価値にジャストフィットしやすいのがアニメ
現在の価値に対しての何かを含んだ作品を文学で作っても、インターネットの他のメディアと比較するとパブリックにでてこないから挑戦してるとはいってもオナニーでおわっていることが多いだろう
本気で挑戦したいんなら、無料でネットにのせてついでに広告も大々的に自前でやるべきだがそんなことは文学者連中はやらないでしょ
230考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:15:54.51 0
文学はメインストリームでアニメはサブカルだよ。
サブカルは挑戦してもたかが知れてる。
文学よりもラノベやアニメの方があからさまにオナニーだし、広がりがない。
現に馬鹿にしか受けてない。
何言っちゃってんの。
231考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:23:58.83 0
物語のはじまり。
原始人が自分の家族に「あっち 牛 いる」と身振り手振りをまじえて伝えると
家族は笑顔になって喜んだ。家族の喜ぶ顔が忘れられない。
笑顔にさせたくて嘘をついてみた。嘘がどんどん大きくなっていく・・・
232考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:27:58.56 0
アニメとか漫画は解りやすいし
手を入れればいくらでも深みは増すんだろうけど
何分深みが増す意味合いが作り手、ユーザーにとって
曖昧な点が問題
>>229みたいな考えで思考停止してしまうと
チャージマン研ばっかりになっちゃうし
実際今そんな感じだな、イナイレとかガンダムとか

結局文字が文学になって行って
表現の自由が進化するに連れて
ラノベとかエロゲみたいな自由な作風は生まれるんだけど
それが悪いってのは最終的に本末転倒だな
アニメも脚本ありきで作った方が
面白いに決まってると思う
233考える名無しさん:2013/04/14(日) 01:47:45.55 0
出て来る作品に対して思考停止してんのは文学厨のほうだろ
229は言われたから反論してみたまでで、アニメなどのサブカルの真骨頂は論理じゃない
思考停止する思考のロジック自体あってないようなもの
ラノベやエロゲやアニメは自由な作風を達成できてるけど反面、価値への挑戦ができていない、それがキミの主張なんだろ_?
みたことあるような作品が出てくるのが我慢ならないと。
だけどみたことある設定だけど視聴者受けして売り上げを出すにはそれなりのクリエイティビティがいる
57577で良い短歌を作る難しさ楽しさとそれを聞く者の心の満足感、サブカル作品の類似性だけを批判するのは短歌や俳句の陳腐性を批判するようなものだが、短歌や俳句は文学の1種だろに。
234catt ◆.catt24qAw :2013/04/14(日) 02:28:26.55 P
>>225
形式なんてギリシャ時代からそう変わってないよね
235考える名無しさん:2013/04/14(日) 02:41:50.01 0
古典と言われるものがどうして残り続けられているかというのが問題だ
果たして今のラノベやアニメに数百年語られているものがあるのだろうか

もしないのだとしたらそれは単なる娯楽としてのエンタメで
個人の価値感を変えるような力がないからだろう
価値の変容がなされないのであれば、それは全くもって虚しい事柄ではないか

自分の日常の行為や考えがその価値の方へ向けられる可能性の欠片もないとしたのならば
娯楽やエンタメにおける価値というものは全くもって非力ではないか


ちなみに
価値への挑戦とかのたまった俺は
>>223 >>227

それ意外はちがう方なのであしからず
236考える名無しさん:2013/04/14(日) 10:03:33.58 0
物語には主観が変化するための世界が用意されている。
優れた作品は世界の設定が優れている。
237地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/14(日) 10:55:49.81 0
>>228
今でも閃輝暗点はしょっちゅうあるし、昔は集中すれば
幻視も起こせたけど、全く別の感覚だな。
238地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/14(日) 11:01:03.59 0
俺の閃輝暗点ボツ、ボツっと鋭い光の点が生じるのな。
ダイモンのささやきみたいな感じ。
239地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/14(日) 11:05:04.20 0
幻視というのは心象が視覚野に逆投射される状態だ。
まぶたを閉じていても本当に目に見える感じがする。

これは極端に集中力のある証拠だろう。
240考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:13:13.27 0
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/urchristentum/jung2.html
錬金術における幻視も、高度に集中力を保った状態でないとできなかったらしいですね。
241考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:20:01.65 0
エレキギターの歪んだ暴音によってロックミュージックが発展したように、
革命的な道具の発明が文学にも必要になるだろう。
たとえば今までにない新しい文字と新しい音声と新しい文法を発明したり、
新しい国語を発明するなど。
しかし、そうした試みは失敗に終わるだろう。
なんたって文学には使用できる道具があまりにも少ないのだ。
だから革命的に新しいものが生まれないのです。
242考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:26:24.90 0
俺も閃輝暗点を何度か経験している。
15分ほど黄色と赤と緑のギザギザ渦巻きで満たされて片目が見えなくなった。
脳梗塞の前兆なのだと思う。
243考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:26:57.32 0
>>241
そういう考え方がサブカル的じゃないのかな。
文学は伝統の積み重ねだし、限りのある表現の中で苦心していろんな事を伝えようとする
努力の部分に人々が感銘を受けるからこそメインの文化として存続できてるんだろう。
244考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:30:14.50 0
安易な発想で革命だ革新だとかいってメタごっこやってるだけのオタク的思考じゃ
どう足掻いてもメインにはなれないのよ。
発想の面白さや可能性の部分に同調する人は増えても、価値のある文化としては認められにくい。
245考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:32:39.65 0
東浩紀なんか、オタク的なサブカルと文学の両面をカバーしようと躍起になってるが
その筋の人たちに言わせると、ゴミ同然なんですよ。
やり方がお子様レベル。
246考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:36:29.36 0
ロックミュージックはサブカルであり、雅楽の笙やヒチリキの響きはメインカルチャーである
という音楽の聴き方を若者はしないし、雅楽はローテクで苦心していろんな事を伝えようとしてるから
人々が感銘を受ける反面でロックは電気を使用しているから感銘を受けない、
という文化観を俺は持たない。
247考える名無しさん:2013/04/14(日) 11:43:27.53 0
>>243
ちょっと誤解があるのは、俺はべつに文学で革命を起こせなどとは言っていない。
文学という芸術表現において、新しいテクノロジーが入り込む余地があまりにも少ない、
そのような文学の特性を音楽と比較しながら指摘したまでだ。
文学は言語という最もコアな伝統文化を道具にしている故に、音楽や視覚アートのような
テクノロジーによって革命的進歩をとげるような表現形式ではいということを指摘しているのであって、
だからといって、目新しさを狙って幼稚で奇天烈な文学革命を起こして失敗作を作り上げろなどという主張ではないよ。
248地方労働者 ◆.EDMOUBKE2 :2013/04/14(日) 12:19:47.93 O
インターネットみたいな散文的空間をウロウロしてると駄目に
なるね。
249えびね ◆MlViGudk9NNM :2013/04/14(日) 15:23:26.75 0
物語にしろ何にしろ、書くという事は、書いた日を境に存在する事をやめたとしてもいいように、
それを他者に知らせる為だけにあるようなものだな。寂しいから書くんじゃないだろうかと。
この掲示板にいる誰もが、書かれたものの生にスポットライトが当てられている影で、果てて行く。
世界との決別の身振りをせいぜい見栄えがいい様に、物語仕立てにしたりする悲しい性なのだ。
その言葉に希望が込められているかどうかに、文学的な価値がある/なしは決められるんじゃないか。
250考える名無しさん:2013/04/14(日) 16:19:31.74 0
>>235
価値の必要条件は歴史に残ることだといっているのか。
そこの価値観の違いが大きいので意見が合わないのだろう。

まあ歴史に残らないことが問題だというのは少しはわかる。
名を残したいとかそういうことだろう。
それは作り出した作品の意味と作る行為の意味を求めている人達の思考だとおもう。

しかしそれだと遠い未来が価値を決めるということになる。
または伝統が価値を決めるということ。

現代人にとって価値とはそういうものではかならずしもないであろう。

話は戻るが、数百年語られるものがあるだろうかという問題提起だが、それはあるだろう。
特に、アニメは電子媒体に乗っているので、アニメが廃れてかつ電気も廃れるという事態でも起こらない限り、
アニメはずっと残っていく。大きな文化抑圧でも無い限りはテクさえあれば誰でも即時無料で見れ、パブリックな文化でありつづける。
数百年語られるといっても、全世界の人が語るわけではなく、好きな人が常にいるということ。
アニメのすべての作品に好きな人が1人はついているということでなくてもいい。忘れられ記録からも抹消されていく作品もでてきてもおかしくない。
251考える名無しさん:2013/04/14(日) 18:18:05.54 0
>>250
歴史に残ることを第一義においているわけではないよ 
長い間語り継ぐっていうことは、ただ面白いだけでは難しいよね。(もちろんその中にも娯楽作品はあるし個人的に理解できないものもあるけれど)
そこには普遍で不変と思われるような価値や問題提起というものが内包されていると思うよ。

キリスト教や諸々の宗教は価値の体系ともいえるから物語性とも深く絡んでくると思うけれど
その宗教の説いているものが娯楽やエンタメみたいに楽しいだけのものだったらここまで続かなかったと思うよ
伝道することに必死になるような、本人の価値を変容させるような確信がそこには必要だと思う

>それは作り出した作品の意味と作る行為の意味を求めている人達の思考だとおもう。

娯楽のためだけに見る人を否定はしないし俺もそういうのを見たりするけど、そういうものと古典、文学とは個人的に区別するべきだと思う。
自分の行動を変えるような物語性や価値というものがこの世に存在しないのなら物語や物語性の議論なんて全く意味のないことのように思える。
252catt ◆.catt24qAw :2013/04/14(日) 18:38:58.82 P
古典も現代の作品も同列で読むじゃん。読む人は。
読みつつ、おのれの「現在」において文学は「再現」される。
アリストテレスが「詩学」で冒頭に述べるその「再現」というのは、たとえばドゥールズの「反復」と
同じ内容を含んだ指し示しだろう。
文学は、ある「ものごと(行為)」の「現在」としての再現を目指すのであり、再現されたその
「現在」を分析すればドラマツルギー的な「解釈の再解釈」もできるんだけど、それでもなお
「文学とは何か」という問いとは方向がぜんぜん違う。その問いに向かい合うには分析じゃだめだんだよたぶん。
253251:2013/04/14(日) 18:50:43.40 0
価値の問題は主観的なのだから客観的な分析は無意味
あるいは受容のされ方でしか語れないでしょう。
そういう分析的ではなく直覚的なところに物語性があると言っている。

価値そのものは個人の内面の直覚的なところにおいてその効用が発揮される。
ロジックではなくレトリック的ですよ
254catt ◆.catt24qAw :2013/04/14(日) 19:17:43.83 P
作品の中での心理分析・描写がヘタクソだと読む気が失せる。答え付きのクイズのような無意味さ。
登場人物の行為への「思い」をそこに見つけ出すのが面白いのであって、逆に淡々と
登場人物と状況だけを連ねられたほうが読むほうの苦労のしがいがある。
そういう意味では文学は「思い」の内面に分析的につっこまないが好ましい。
万葉集の美しさは、それがすべて限られた文字数での「思い」そのものの記述であることだ。
255考える名無しさん:2013/04/14(日) 19:27:22.44 0
そんな小難しくいうほどのことですか
256考える名無しさん:2013/04/14(日) 23:01:17.58 0
>娯楽のためだけに見る人を否定はしないし俺もそういうのを見たりするけど、そういうものと古典、文学とは個人的に区別するべきだと思う。

それと物語との関係の話をするスレなんだろ
古典、文学だけが物語だというのはどうかとおもう
ラノベやアニメ作品の中にも物語は存在している
逆にそれが否定されているのならいままでのレスは取り消すことになる
スレの冒頭で物語は古典、文学に含まれるものであると定義してくれたらいい
257catt ◆.catt24qAw :2013/04/14(日) 23:05:15.11 P
ラノベだって2ちゃんのスレだって文学だろ。「電車男」売れたよな。
258考える名無しさん:2013/04/14(日) 23:11:37.03 0
>>254
物語の面白さは想像力をいかに行使できるかという点にかかっている
逆に言えば、人生経験豊富な老獪の人が物語を手に取って読む場合、自分の経験済みのことばかり書かれていたら、いくら描写がうまくてもちっともおもしろくないだろう。
その人にとっては普通のことを他人が活字で有料で提供してくれても何の有り難みも面白みもない。

万葉集が美しいと感じるのは、自分の未体験時代の人が書いた未体験生活上の心情や風景描写がそこにあるからで、想像力をかきたてられるからだ
時代を越えて普遍だのという理屈は陳腐であって、コアなところはどうかといえば、結局そういうことだろ
その作品の時代が未体験ゾーンなのだから異時代からは好評化を受けるのは当然
それらと現代の作品群を単純比較して現代の作品群を過小評価するのは変に思える
259考える名無しさん:2013/04/14(日) 23:25:49.60 0
>>256
ちなみにラノベ的なものやアニメにそういうものがないといってるわけではないよ
(これを大まじめに言ったら笑われるかもしれないが、古典や文学に匹敵するようなものだってあると思ってる)

あえてわけてるのはエンタメよりとそうでないものを分けたほうが便利だと思っただけ
エンタメや古典、文学的なものに分けてそれぞれがどういう風に受容されているかを語ったほうが個人的にはいいと思う
260catt ◆.catt24qAw :2013/04/14(日) 23:28:23.23 P
>>258
ちょっと違う。

たとえば万葉集で誰かが描く野山の光景を読んで、自分が描く光景は太古のそれではないし、
イリアスを読んでアキレウスのわがままさは太古のそれではなくて自分が感じたことのあるわがままさだ。
「想像力をいかに行使できるか」というのは、読むものの読んでいるその時間においての行使であり
それは「経験済み」のことでしかない。むしろ経験したことのないものは読んでも分からないだろう。
「物語」というのは「想像可能な体験」じゃないと成立しない。
261考える名無しさん:2013/04/15(月) 19:16:43.60 0
可能的経験か
つまんね
262catt ◆.catt24qAw :2013/04/15(月) 19:24:15.70 P
つまんないよねw

過去の可能態が現在の現実態であり、それは必ず可能態を合わせ持つ。
結婚式の日に花嫁を待つ花婿と、ドレスの裾まくってタクシーに飛び乗り別の男の住所を告げる花嫁。
結局は「おまえはどっちを選ぶか」しか残らない。
263考える名無しさん:2013/04/15(月) 21:52:06.43 0
一番大切なことだろと物語における形而上学的問題って
どこまでも還元していったら結局「人それぞれ」にいきつくしかないんだから
どんな議論も無意味ってことになるそれこそつまんないわ
264部外者:2013/04/16(火) 05:51:53.85 0
おっ?
やっとまともな話になりそうw
265考える名無しさん:2013/04/16(火) 22:14:46.06 0
パソコンがカットアップ技法やフォールドインをした文章を読んでもつまらん。
パソコンではなく人間がそれを書いたというから面白みがある。
偉い人がこの物語は面白いよというから読むというのも大きい。
266考える名無しさん:2013/04/16(火) 22:23:43.17 0
犬猫はあまり嘘をつかない。
体を大きく見せて威嚇したり、カムフラージュするのは、サバイバルのための嘘だ。
人間は嘘を楽しむ。嘘をつくことを楽しみ、嘘を聴くことを楽しむ。
267考える名無しさん:2013/04/16(火) 23:21:57.39 0
で楽しんだからなんなの?オナニーで十分
それで終わりならオナニーで十分
268catt ◆.catt24qAw :2013/04/16(火) 23:28:38.20 P
他人に何かを伝えようとすれば「ことばにする」しかないし、それは「何がどこでどうしてどうなった」
というような「物語」の形になる。これは言葉にできないものは会話では伝えられないということでもある。
そして「他人になにかを伝える」手前に「これはなんだろう」という「認識欲」というものがあって
(これは人間だけじゃなくて動物にもあるだろう)それが「(誰かのために)書く」行為を生む。
オナニーじゃないんだよね。
269考える名無しさん:2013/04/17(水) 01:20:17.40 0
原始人も最初は「あっちに珍しい形の牛がいた」とか、そんなレベルの嘘話で満足してたのよ。
仲間に受けるのが快感なのね。仲間が目を見開いて「スゲー」って顔をしてくれる。
で、どういう話が受けるかなーと、受ける快感を追及していく。
太古のむかし神様がーとか、死後に人は星になるーとか特に受けるのよ。
270考える名無しさん:2013/04/17(水) 10:14:41.05 0
意外と構ってちゃんな原始人かわいい
271部外者:2013/04/17(水) 16:21:50.89 0
リテラチュール枠の話ばかりだな
もうちょいオーラルな話もして欲しい
272catt ◆.catt24qAw :2013/04/17(水) 16:27:18.79 P
イタコ最強
273部外者:2013/04/17(水) 18:20:32.96 0
90年代に10代だった俺は矢追純一の「宇宙人」番組をガチで信じていた。
だからそれがナチスの軍用機に過ぎないと知った時はショックだった。
まあ問題はそこじゃなくて、少なくとも子供の頃の俺にとって「宇宙人の存在」は「現実」だった。
「フィクション」はこの世に「存在しないもの」を「現前」させるということだ。
或いは「詐欺」でもいい。
騙される側にとって、事実を知るまではその「フィクション」は「現実」なのよ。

「宗教」もそう。
あれは「この世に存在しないもの」を語っている。
「人はパンのみに生きるにあらず」とはよくいったもんだ。見事だよ。

「言葉」自体が「フィクション」だという意見を以前どこかで見たがその通りだよ。
274部外者:2013/04/17(水) 18:23:24.16 0
いや、宗教に対して不敬な言い方してしまった。
そこは取り消しよろしくでw
275部外者:2013/04/17(水) 18:53:32.27 0
てか「現前」という言葉を使うと未だにポストモダン系のガラクタが絡んできそうで嫌だなw
276考える名無しさん:2013/04/18(木) 21:42:32.71 O
物語と相反する概念は現実である
過度に現実に夢想(物語)を反映させようとする人間をロマンチストと呼び、
夢想を頑なに否定する、あるいは解さない人間をリアリストと呼ぶ
277考える名無しさん:2013/04/18(木) 22:57:47.61 0
原始人は腹が減ったら獲物を捕まえるイメージを強く妄想した。
狩りをする仲間とみんなで妄想を共有すると、狩りが上手く行く。
では、誰が集団のボスなのか?親の親の親の・・・と遡って神という妄想を共有するようになった。
278catt ◆.catt24qAw :2013/04/18(木) 22:58:40.42 P
「神」っていうのは「責任者」って意味だよ
279考える名無しさん:2013/04/19(金) 01:06:30.94 0
人類はみな兄弟である。
即ち、我が兄弟でないものは最早人類ではない。

と言った人がいる

>>276
一般的な理解はそうだけど、
ラカンの現実界はそういう意味ではない
280考える名無しさん:2013/04/19(金) 05:50:37.68 0
>>278
例外者の意味を誤読するとこうなる
281御子柴.A 宗光 ◆WalkyrieuQ :2013/04/20(土) 11:21:09.12 O
この手のトピックに関しては 野家啓一の『物語の哲学』に詳しいな
282考える名無しさん:2013/04/20(土) 12:57:08.63 0
婆ちゃんがしてくれた不思議な話が好きだったな。異世界が開ける感じがした。
本来は現実のシミュレーションに過ぎなかったものが、
シミュレーション自体が楽しくなってのめりこむという感じ。
283考える名無しさん:2013/04/20(土) 19:16:09.69 0
地名とか面白いよなあ
青森とか「青の森」って神秘的じゃん
284考える名無しさん:2013/04/20(土) 20:17:49.30 0
昔は色のバリエーションかなり少なかったらしいで。
というか昔の人ほど緑を青っていうで。
というか青っていうと植物そのものを指すことすらあるで。
つまり青森って同じ言葉をつなげた別離とか作製とか意味を重ねる熟語みたいなもん。
そのぐらい木しかない土地ってこと。
植生で言えばもののけ姫のようなウッソウとした常緑広葉樹林。八甲田山
285考える名無しさん:2013/04/20(土) 20:34:33.92 0
物語とはフィクションである
286考える名無しさん:2013/04/20(土) 23:07:25.72 0
受け手のなんらかの心理作用に期して発信される、とある対象の経時変化。
じゃないかしら。
少なくとも変化を含まないものは、話とは言えても物語とは言えない気がする。
287考える名無しさん:2013/04/21(日) 07:38:20.14 0
種を蒔く→水をやる→芽が出る→伸びる→さらに伸びる→蕾みたいのが出る→花が咲く→虫とかが寄り付く→しおれる→枯れる→土に帰る
288考える名無しさん:2013/04/21(日) 07:41:20.86 0
fgb
289考える名無しさん:2013/04/21(日) 13:10:51.46 0
ただ事実を並べただけでは深みや面白みがないもんな。
深みを感じる話の組み立てであることも必要だね。
290考える名無しさん:2013/04/21(日) 14:01:15.40 0
アビスゲート!それは熱きアラケス達の悲願!
アビスゲート!それは男のロマンである!

ロマサガ3における、物語の最終到達点。
そして中盤にプレイヤー達を脅かした四魔貴族の本体が潜むのが、ここアビスである。
まさに異世界、もしくは冥界とでも呼ぶべき場所で、基本的には主人公たちの住む世界との関わりは無い。
主にアビスゲートと言う、数百年に一度開くゲートを介し接触がなされる。死食との関係も深いようだ。

アビスゲートを操作する能力を持った子供は宿命の子供と呼ばれる。宿命の子供は死に見入られた子供。
三百年に一度起こる死食の時、ただ一人死ななかった子供が選ばれる。
六百年前の子供は死に見入られ魔王となり、三百年前の子供は死を克服し聖王となった。
アビスの四魔貴族はゲートを開きこちらの世界へ進出する事を望んでいる。
そのため、宿命の子供は彼らにとって重要な存在なのである。しかし今作、三回目の死食の時に生き残ったのは二人……
これが物語において重要な意味を持ってくる。

アビスには破滅の力が渦巻いている。ゲートを完全に閉じる事が出来るのは宿命の子だけであり、
本編終盤に宿命の子供の一人であるサラは自らの身を犠牲にして一人アビスの向こうへと行ってしまった。
これを助けるためにもう一人の宿命の子までがアビスの中へと行ってしまったせいで……
まあ、色々と大変な事になる。所謂ラスボス、破壊するものの出現である。

破壊するもの戦の演出は最高に盛り上がる。
パーティーメンバーそれぞれが短い前口上を述べた後、主人公が〆て最終決戦開始。

てーてててー、てーてーてーてててー、(イントロ。主人公たち走っていく)
ててててーてててー、ててーててー、(走りながら陣形を組んでいく)
てーてーててー シャキーン!(皆でクルッと回転。キックポーズ)
と同時に破壊するもの出現。戦闘となる。格好いい。
291考える名無しさん:2013/04/21(日) 15:02:33.83 0
リヴァイアサンはフランス語でレヴィアタン、そうじゃろ?
292考える名無しさん:2013/04/21(日) 17:20:40.52 0
SIREN思い出した
293考える名無しさん:2013/04/22(月) 17:18:31.76 0
エジプト王プサンメニトスがペルシア王カンビュセスに打ち負かされ捕らえられた時、カンビュセスは彼に屈辱を与えようと図った。
カンビュセスは、ペルシア軍の凱旋行進が通ることになっている道に彼を立たせておくよう命令した。
さらに、彼の娘が、瓶を持って泉に水を汲みに行く召使いにさせられて傍を通るのが見えるよう手配した。
全てのエジプト人はこの光景を見て嘆き悲しんだが、プサンメニトスだけは言葉なく、身じろぎもせず、じっと視線を地面に落としたまま立っていた。
その後しばらくして、息子が処刑の為に引き立てられていく行列の中に見た時にも、同様にじっと動かないままだった。
しかしその後、彼の召使いの一人年老いたみすぼらしい男が捕虜達の行列の中にいるのを認めた時、彼は両の拳で自分の頭を打ち、最も深い悲しみのあらゆる仕草を示した。

ヘロドトス
294考える名無しさん:2013/04/22(月) 20:05:33.46 O
電話帳や年表や辞書を物語にするには何が必要か
295考える名無しさん:2013/04/22(月) 23:35:57.66 0
パラパラ漫画を隅に書くとか?
296考える名無しさん:2013/04/23(火) 01:17:24.15 0
いっぽん
297考える名無しさん:2013/04/23(火) 08:27:14.42 0
>>294
個々のデータ間の関係性じゃない?
家系図だけでも物語を想起することは出来るよね
298考える名無しさん:2013/04/23(火) 12:59:08.88 O
事件発生⇒主人公登場⇒問題解決

ドラマも小説もこのパターンの繰返しだろう
299考える名無しさん:2013/04/23(火) 16:21:59.53 O
>>297
逆に言えば、関係性が書き込まれていても物語として想起しなきゃ物語にならんよな
300考える名無しさん:2013/04/23(火) 20:03:49.14 O
いっそ関係性が省かれていても、行間を読み物語として想起すれば電話帳も物語か
結局、読み手の状態か
301考える名無しさん:2013/04/24(水) 00:49:22.15 0
時間、流れがある話の中で読み手の中に精神的な揺れを生じさせるのが物語(性)
物語でないと思われるものにおいて、精神に揺れが生じた場合でもその起源をたどれば個人の解釈の中に物語的なものが含まれているのである。

この揺れを生じさせるものは意外性である。(ここで述べた意外性とは想定外という意味ではなく万有引力の法則とか、慣性の法則などの物理的な因果関係の外にある人格性のことを指している)
人格性とは我々の「解釈そのもの」だから完璧な形では言葉や文字にできない。言葉や文字は経験そのものを捨象したものだからである。
利便性のために自らの内面的な価値を簡便な言葉(「面白かった」「感動した」などの一言)として言い直すことは、物語ることから遠く離れ人格性そのものの伝達を放棄することでもある。

「人格性の伝達」とはつまり価値を変えたり相手を説得することを意味する。
リーダビリティの点において平易な言葉に置き直すということは大きなメリットであるが、人格性そのものの伝達を重視する手法でないことを確認しておいた方がよいだろう。

つまり人の価値感、考えを心から改め、相手を真に説得するためには話し手自身の語る内容が人格的なものであり聞き手の中にも人格的な解釈を誘発させるような手続きを踏む必要がある。
人格的な対話を放棄し、単なる事実的羅列の言葉で応酬することでは相手を説得したり価値、意味を伝えることとは離れてしまうことを自覚しなければならない。

近代資本主義において、経済的利益がアプリオリに規定されて物語性や人格性より先行してしまったために、そういったものを顧みなくなってしまっている傾向がある。
人格的なものより、論理的、合理的なものを好み。経済システムを人に合わすのではなくて、人が経済的利益に合わさなければならない逆転現象が起こっている。
人は物として扱われるようになり競争という言葉を合図にして人格的な対話を育む余地が薄れてしまっている状況が散見される。現状を緩和、打開するためには一人ひとりがこのことに気付くことが急務であろう。
302考える名無しさん:2013/04/24(水) 01:10:13.23 0
おぉ、整理されてる。
経済の中で人は労働力に変容し、労働力はいつしか金に変わった。
客観的に量で扱われるかつて人だったなにか、は統計学的に処理される。

私達に必要なのは客観化の神話を使いこなす、「私の利潤」というストーリーよりも力強い個我の物語だ。
303catt ◆.catt24qAw :2013/04/24(水) 01:25:08.42 P
物語性とは、ある事実性とそれを知る主体との共振だよね
304考える名無しさん:2013/04/24(水) 01:37:25.85 0
その事実と主体が共振するためには、「視点」と「その価値のある変化の遍歴」が必要なんだよねぇ
305catt ◆.catt24qAw :2013/04/24(水) 01:49:41.12 P
逆から見ると、知っている物語との照らし合わせと振れ幅の確認だよね、読書って。
というと、ひとが経験論的な側面を捨てられない理由にもなる。
306考える名無しさん:2013/04/24(水) 01:59:07.54 0
>>305
共感ってのもあるでよ。
悲劇はそれに近いね。
307catt ◆.catt24qAw :2013/04/24(水) 02:04:40.63 P
うん、ただ、読み手が育ったり年老いたりしてまた同じ悲劇を読む時、そこに別種の共感を見出せる。
つまり「物語」は書かれたり定められた語りであり、物語性というのはそれを眺める主体の側にあるもの。
主体なんぞというものは日々の都合によって千変万化するんだから主題はやはり「物語とは何か」なんだろうな。
308考える名無しさん:2013/04/24(水) 02:13:03.78 0
年によって共感できる範囲が「拡がる」のは、もともと仕込まれたものの、理解ができる範囲が拡がったからでは。

読む側は拡がっても、書く側はもともと仕込んでたんだよ。

もちろん、直観で書いたものの全てを等の書きてが理解してないケースも沢山あるだろうけど。

で、物語はやっぱりずっと前から主張してるけど、主人公の遍歴だよ。
視点があるから、自分を投影して、自分なりの読み方ができる。
309考える名無しさん:2013/04/24(水) 07:08:44.35 O
>>308
書き手の意図は関係なくね
310考える名無しさん:2013/04/24(水) 07:19:51.07 0
>>307
宗教の問題はどうなるんかな
やっぱり不変的なものが存在しているとも言える
だから物語の形而上学的問題は成り立つと思う
311考える名無しさん:2013/04/24(水) 13:13:16.84 0
物語とは読み手に起こる未体験の経験だと思う。
312考える名無しさん:2013/04/24(水) 15:59:41.53 0
それでは物語の作り手にとっては物語ではないのか、という疑問が。
313考える名無しさん:2013/04/24(水) 21:54:24.25 0
なぜプラトンは自分の思想をソクラテスに話させたのか
なぜニーチェは永劫回帰をツァラトゥストラに語らせたのか。

という疑問を自分なりに考えたとき
二人は物語のもつ親しみ易さ、とっつき易さの力を
借りたかったのではないかと思った。

「AはBであり、すなわちCである」と書くより

プラトン「ここがね、Aになるんですよ」
アリストテレス「ふむふむ、するとこれがBになるってことですか?」」
エピクロス「はっはっは!つまりCになるってことだなこりゃ!!」
と書いたほうがとっつき易い。

概念を人間、人間の取る行動など
何かに見立てて伝える行為、
それが「物語る」ことなんじゃないかな。
そういう意味で「物語」は「ものすごく長い比喩」と言えるかもしれない。
314考える名無しさん:2013/04/25(木) 01:37:07.44 0
プラトンは人格的な対話を重視しているんだろうね
参考までに色々と載せておくことにする

プラトンの修辞学は文字を遠ざけ、個人的な対話、adhominatio〔対個人的議論〕を探求した。
弁論の基本的な様式は愛の霊感で結ばれた師と弟子の対話である。共に考えるを弁償術のモットーにしてもいい。修辞学とは愛の対話なのである。
(ロラン・バルト『旧修辞学』p.21より引用)

(メタ言語としての)「修辞学」は所有権の訴訟から生れた。
紀元前四八五年頃、シチリア島の二人の僭主、ゲロンとヒエロンが、シラクサに人を住まわせ、賃金労働を分配するために、追放や住民の移転や土地の収用を行った。
彼らが、民主主義的な蜂起によって打倒され、人々が ante quo〔以前の状態〕に戻ろうとした時に、無数の訴訟が起った。
なぜなら、所有権が曖昧だったからである。
これらの訴訟は新しいタイプのものであった。民衆の中から多数の陪審員が動員されたので、彼らの前で相手を論破するためには、《雄弁》である必要があった。
このような雄弁は、同時に民主主義と扇動政治の性格を帯びており、また、司法的なものと政治的なもの(後に、審議的と呼ばれたもの)の性格を帯びていたので、たちまち、教育の対象として確立した。
(ロラン・バルト『旧修辞学』p.15)

修辞学 [rhetoric] <言葉によって人を動かす方法の研究>。論理学の対立語。論理学は、言葉によって真理に近づく方法は教えるが、真理を語る言葉が必ずしも人を動かすとはいえない。
修辞学が、論理学と別に研究されなければならぬ理由が、ここにある。
(『新板 哲学・論理用語辞典』p207-208)
315考える名無しさん:2013/04/25(木) 01:50:23.77 0
レトリック [rhetoric] 説得術。修辞学ともいう。<思っていることをたくみに相手につたえる術>。コミュニケーションの技術といってもよい。
しかし(1)自分の思っていることは自分内部のコミュニケーションによってつくられるのだし、(2)自分内部のコミュニケーションは自分が外部で参加している社会のコミュニケーションに影響されているのだから、
(3)自分の思いつきそのものがレトリック(コミュニケーションの技術)にもとづいている。思想内容はその表現形態からきりはなせないし、論理学(ロジック)はレトリック(修辞学)と深い関連をもつ。

 まず、思いつきがあって、つぎにその表現形態をさがすのでなく、思いつきは表現形態によってうながされる。表現は思いつきの助産婦である。
修辞学の第一段階は発想(思いつき)であり、第二段階は思いついたことをどういう順序でいうか、その根拠とっして何をあげるかであり、
そして第三段階は実際に相手に向かって発表する際にどういう機会をえらび、どういう身ぶり、声の調子、言葉、たとえを用いるかの説明である。

 論理学は方法上の都合でレトリックの領域を切りすててくみたてられる。しかし論理学の成立以前に発想がなくてはならず、さらに論理学上の吟味が終わったあとで、
結果をたくみに発表するという課題がのこるので、論理学上の考察は修辞学上の考察に前後からはさみうちされる形になる。レトリックは特定の場において特定の相手に対して活用される。
市場で魚を売る。市場で魚を買う。議会で反対派を封じこめる。反対党の側から相手に反省をうながす。夫婦げんかで相手が心を傷つけられることなく同意する。親子、子親の関係においても。
論争は、論理にもとづいて黒白がきまるよりも、レトリックによって優劣がきまる場合が多い。
(『新板 哲学・論理用語辞典』399-400)
316考える名無しさん:2013/04/25(木) 01:53:12.56 0
まちがい
>>314
弁償術→弁証術
317考える名無しさん:2013/04/25(木) 01:54:21.29 0
対話形式は悟性だけじゃなくて身体に訴えかけるものがあるな。

村上春樹のセックスシーンの狙いはそれみたいだけど。

それが物語と読者の接点になるんだろうな。
318考える名無しさん:2013/04/26(金) 16:38:12.65 0
物語とは生起される可能性のある事象に普遍性がみられ
それに感情の想起と感情の模倣をもたらすもの・・かな。
319考える名無しさん:2013/04/28(日) 23:44:12.46 0
真の世界は最後には寓話となる

ニーチェ
320考える名無しさん:2013/04/29(月) 00:27:09.87 0
シミュレーションの知を共有して蓄積するために古くからある形式。
321考える名無しさん:2013/04/29(月) 03:46:30.54 0
Wikiより:文学の定義と概念

不明確な定義
文学は、言葉(口頭または文字)によるコミュニケーションのうち、言語のあらゆる力を活用して
受け手への効果を増大させようとするものとして定義される。個人的な判断によって境界が曖昧で
まちまちとなる文学は、その媒体や分野ではなく審美的な機能によって特徴づけられる:
メッセージの表現方法が内容より優位であり、(複雑なものも含む)情報の伝達に限られた実用的な
コミュニケーションからもはみ出すものである。今日では、文学はそれによって作者が歳月を隔てて
我々に語り掛けるところの書物文化に結び付けられ、しかしながらまた同時に我々の歌謡がその遠縁で
あるところの文字を持たぬ人々の伝統的な詩歌のようなさまざまな形の口承による表現や、役者の声と
身体を通して受容される演劇などにも関係する。
最も普通の意味での文学は、それ自身が歴とした芸術である。しかしながら、哲学書や、舞台芸術の
戯曲や脚本など(さらには漫画やある種の文字による現代美術など)に接近すると、この芸術の
境界を定めるのは時として困難である。一般的には、文学は特に審美的な目的ないしは形式を持つ
作品と再定義される。この審美的な側面が文学の志向性であり、ジャーナリズムや政治などの何らかの
特定の制約に従う各種の作品と識別する基準である。(つづく
322考える名無しさん:2013/04/29(月) 03:47:12.86 0
Wikiより:文学の定義と概念(つづき
一見すると、この定義は純粋に哲学的・政治的・
歴史的な作品を排除するように見える。だが、作品の各分野やタイプが文学に属するか否かの分類には
特に慎重であるべきである。あるテクストは作者がそう望まなかったにも関わらず、またそれが
その分野としての目的ではなかったにも関わらず一定の文学的側面を持ってしまい得る。
作品の文学性の基準は学者の間の数々の論争の的となってきた。ある者は分野の間にヒエラルキーを設け、
またある者はある作品がその分野によく一致していることや、文学的テクストに期待される役割に
専念していることで満足する。またある者にとっては、文学の傑作は何よりもまず時の試練に耐える
ものであり、それこそが全世界的な射程を保証する資格なのである。
実際のところ文学とはまず第一に、自分自身と自分を取り巻く世界について自分の言葉で語る者と、
その発見を受容し分かち合う者との出会いなのであり、その形式の果てしのない多様性と絶え間なく
新たに生まれる主題は人間存在の条件そのものを物語っているのである。(つづく
323考える名無しさん:2013/04/29(月) 03:48:20.66 0
(つづき)
「文学」という概念の歴史的発達
審美的な志向性を持つ作品の集合という文学の定義はかなり近代になってからのものである。
事実、それまではむしろ、相応に厳密な形式的基準に適合する作品が文学として認められる傾向にあった。
文学評論の始祖の一人であるアリストテレスは『詩学』において、悲劇と叙事詩に的を絞りそれらの話法を
支配する形式的な規則を導入した。さらに、古代ギリシア人にとっては、歴史は純然たる芸術であり、
詩神クレイオーに霊感を与えられるものであった。
随筆もまた文学に属すると考えられていた。今日のもはや文学作品とは考えられなくなったような随筆に比べ、
当時の随筆では主題は重要なものではなかった。哲学もまた劣らず両義的なものである。
プラトンの対話篇やローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』の文学性は今日誰も疑問に
思わないであろう。他方で、文学の審美性が厳格な単純性をもって表される詩がしばしば最も純粋な文学形式で
あると考えられてきた。作品の文学性は移ろいやすいものであり、世紀を経ると共に文学は領域を拡大し、
多様で通俗的な諸形式を次々と取り込んで行ったものと思われる。
324考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:14:24.05 0
嘘をつく快感。嘘を聞いてドキドキワクワクする快感。
その快感が、最初は一言だった嘘を、長い物語にまで成長させた。
何故、そんな快感を持ったのだろうか。おそらく、この世に生きることが苦痛だからだろう。
325考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:19:37.74 0
物語がウソで出来ているなら、その物語は歴史に残らない。
326考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:23:33.79 0
のこるだろ
327考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:24:45.34 0
虚構って言うぐらいだし
328考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:24:52.11 0
どうでしょうね。
物語がいつしか大学のため、もしくは文学史のため、になってからは少しの間だけ残るかもね。

少しの間だけ。
329考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:36:44.91 0
だいたい、神話なんてウソばっかだろ
330catt ◆.catt24qAw :2013/04/30(火) 02:39:25.13 P
まあ「逃れ」だからな。
331考える名無しさん:2013/04/30(火) 02:42:55.25 0
神話は物語の原型だよ。
そこに人の遍歴の論理の原型がある。
スピルバーグもルーカスもその類型を方法論化してストーリーを作って、人々に評価されてるのは面白いね。
332考える名無しさん:2013/04/30(火) 07:23:00.16 0
だから物語はウソばっかなわけだろうが
333catt ◆.catt24qAw :2013/04/30(火) 12:53:00.69 P
現実だってウソばかりだよね。なんで物語が真実である必要があると思うのだろう?
334考える名無しさん:2013/04/30(火) 20:43:37.82 0
物語で感じた価値を現実で活かせばいいじゃんか
そういう読み方を辞めてしまったのが現代人なんだよ
335catt ◆.catt24qAw :2013/04/30(火) 21:44:00.25 P
ウソであるか否かはどうでもいい。それよりも面白いか否かだ。
336考える名無しさん:2013/04/30(火) 21:57:21.00 0
そんなもん人によるわ
337考える名無しさん:2013/05/01(水) 01:20:05.30 0
>>332
うそってなんなんだろうね。
寓話や神話が真実を語ってる、と感じる所に物語の秘密がある気がするなぁ。

コンビニでの買い物って嘘くさいよね。
コンビニ買い物ゲームに従ってるだけで、コンビニでの買い物、という物語に何ら真実を感じない。
338考える名無しさん:2013/05/01(水) 01:44:08.58 0
偶発性が介在すれば俄然真実味が増して来るものなのさ
明日地震が起こったら物語だろう?
339考える名無しさん:2013/05/01(水) 01:45:51.77 0
>>338
いいえ、違います。

天気予報は物語ではありません。
340考える名無しさん:2013/05/01(水) 02:17:37.01 0
>>339
天気予報が「外れること」が物語なのさ
341考える名無しさん:2013/05/01(水) 02:28:05.49 0
>>340
いいえ、
天気予報が外れても、それは物語ではなく、天気予報です。
342考える名無しさん:2013/05/01(水) 02:29:08.87 0
まぁ、信じてもらえないなら、試しに天気予報で物語を書いて見てもらえますか?

天気予報なので誰でもかけますよね?
343考える名無しさん:2013/05/01(水) 13:15:22.23 0
要はなんでも物語って言いたいんだろ
344考える名無しさん:2013/05/01(水) 23:28:20.71 0
天気予報を巡る「人の営み」は物語になり得るけど、「天気予報自体」は物語ではないよ。
345catt ◆.catt24qAw :2013/05/04(土) 19:31:38.11 P
GWにドスト一気読みした。
346考える名無しさん:2013/05/06(月) 10:11:12.91 0
いい休日だったね
347考える名無しさん:2013/05/10(金) 23:15:02.73 0
物語を好む奴は動物だな
動物にはこのことが理解できない
348考える名無しさん:2013/05/11(土) 00:28:20.00 0
機械と動物の間にあるのが人間
結局残るのは物語じゃん
349考える名無しさん:2013/05/11(土) 00:54:03.88 0
鉱物と動物の間が機械だろ。。。
350考える名無しさん:2013/05/11(土) 03:24:02.63 0
機械と鉱物の違い

物理的事実によって物理的事実を行うのが機械
鉱物は何もしないということだな

命令を下すのが人間
その命令は価値(物語性)によって担保されている。
351考える名無しさん:2013/05/12(日) 08:43:31.30 0
352考える名無しさん:2013/05/17(金) 18:35:42.68 0
>>348-350
馬鹿って物語にどっぷり浸かって気持ちよくなってアヘッてっるだけだわwきめえきめえw
人間が命令する立場とかその傲慢さも含めて幼稚だわ笑えるwバカウヨが暴走するのもよくわかる
353考える名無しさん:2013/05/18(土) 20:04:35.61 0
>>352
そりゃあミクロでみたらそういう人もいるでしょ
倫理とか価値が問題になるのは、人間がどのようにして道具を扱うかっていう部分でしょ
君がいうバカウヨが暴走しないようにね

それとも機械が勝手に決めるのがいいのかな?()
そんなSFの話はもうすこし先の未来にまでとっておきなさい
354考える名無しさん:2013/06/01(土) 12:40:27.55 0
愚かな日本人はいつになれば「物語は抑圧ニダ」というポストモダンの物語から
目覚められるのだろう
ろくな芸術生み出せないのも無理はないか
355考える名無しさん:2013/06/03(月) 10:43:02.02 0
反知性主義ってブサヨの造語だろ
356春のなな(・_・)くさ男+ ◆pgK1h9xIKo4c :2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN P
物語を定義するなら、語り手と聞き手の存在を踏まえるのは絶対に必要
357考える名無しさん:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN 0
確かに。物語は元々文字じゃなくて、語りだったからね。
358考える名無しさん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
「人生は物語だ」というのもあるだろ
あれはどういう意味だ?
359考える名無しさん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN 0
物語に意味なんかないよ。適当に事象を並べて気持ちよくなったり不快になったりしてるだけだから。

盛り上がった感情に振り回されてるだけの幼稚な戯れ。エンタメならともかくそれ以上の価値を見出そうなんて馬鹿丸出し。
360考える名無しさん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN 0
361考える名無しさん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN 0
連続した出来事の形式を取るなにかの比喩か省略
362考える名無しさん:2013/09/07(土) 19:19:14.70 0
363考える名無しさん:2013/09/07(土) 19:21:40.31 O
何か何か考えてないで古今東西の物語を研究してから考えろ
お前らの考えなんかみんな宙に浮いてんだよ
364考える名無しさん:2013/09/08(日) 00:39:15.08 0
「物語と呼ばれてるもの」に他ならない。それ以上もそれ以下もありえない。
これ以外に説明する方法はないよね
365考える名無しさん:2013/09/08(日) 00:42:07.72 0
>>364
原則、トートロージは説明したことにならない
366考える名無しさん:2013/09/08(日) 00:48:23.64 0
そうなんだけどさ。
○○とは何か?
という問題にはトートロジーでしか完全に説明する事はできないと思うんだよね。
367考える名無しさん:2013/09/08(日) 01:02:58.06 0
それはそもそも説明になっていないから、不完全な説明でもありえないというだけの話
368考える名無しさん:2013/09/11(水) 21:23:41.39 0
神話や、語り継がれてきた物語たちを、
読んだりして分析するときの、
注意すべきポイントはなに?
369考える名無しさん:2013/09/11(水) 22:53:42.26 0
どういう分析をしたいのかによる
370考える名無しさん:2013/09/11(水) 22:54:21.32 0
独善的にならないこと
371考える名無しさん:2013/09/11(水) 23:25:27.25 0
分析の目的による
372考える名無しさん:2013/09/11(水) 23:32:15.36 0
広範囲の比較
373考える名無しさん:2013/09/12(木) 00:07:33.47 0
良い先生との出会い
374考える名無しさん:2013/09/12(木) 03:25:12.78 0
>>373
良いね。
その文学的な描写技術と風合いと趣味だけでなく、
「構造的」に。

読み手がそのレスを解釈(interpret)するために、「物語」という構造を利用しないと意味を成すことができない、その自己言及的なところが。
375考える名無しさん:2013/09/12(木) 03:30:47.54 0
通常、その距離にある関係は比喩や喩えとして受け取られるが、
実際には、もの凄く高度な構造で繋がっており、それは比喩などの飛躍を含んだものではないということだ。
376考える名無しさん:2013/09/12(木) 16:25:22.56 0
例えば?
377考える名無しさん:2013/09/20(金) 17:57:58.13 0
日本の民話にはよくキツネやタヌキが物や人に化けたり音をたてたりする話があるが
現代の話でその類型の流れをくむ対象(キツネやタヌキに代わるもの)ってなんだろう?

昔は日本人の生活空間にいくらでも小動物が生息していて
「あの動物が幻覚を見せているんだ」という理由付けにリアリティがあったろうけど、
今の都会の生活ではそのようなリアリティは失われていると思われる

語り継がれてきた、日本人の心象をグッと掴んでいたキツネやタヌキの話が
無効化することで、日本人の心のありようは変わってくるのだろうか?
また、そのような話は、もう必要とされなくなったのだろうか?
それとも必要だけど足りてないという状況なのだろうか?

また、日本以外では、外国で同じようなタイプの民話とかないかな?
心理的には同じ要素を外国人だって持っていると思うので
378考える名無しさん:2013/09/20(金) 18:04:50.33 0
「動物(非人間:取るに足りない生物)の恩返しで助けられる」という構図なら、
「ふだんたいしたことないやつがみんなを救う:スーパーマン、のび太」みたいな構図として
読み替えられるんじゃないのかな。
379考える名無しさん:2013/09/20(金) 18:22:12.15 0
>>377
「民話」から「都市伝説」に変わったというべきでしょうね。
鬼や河童は退場して、より現代的な口裂け女やイエティやUFOが現れて、
幻覚を見させているものの正体は狐狸から電波や精神病なんかに変わってきた。

でも「物語性」は「都市伝説」になっても失われていない。
構造的には「遠野物語」も現代の「都市伝説」も全く一緒だと思います。
380考える名無しさん:2013/09/30(月) 02:28:38.98 0
西尾維新の『物語』シリーズって、テーマは重ね重ね言い換えて告げられるけど、肝心の「物語」がどこにも無いよね。
381弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/10/09(水) 11:24:24.05 0
神託が下るようなレベルのものじゃないからな。ラノベだのミステリーなんてものは。
382考える名無しさん:2013/10/09(水) 15:23:20.33 0
物語とは主題を伝えるための手段である
主題とは自分が他人に対してものを伝える内容のことである

ものを伝える手段として、ものを利用して伝える方法が「物語」である
それはより正確に広く伝えるためである
383考える名無しさん:2013/10/09(水) 15:43:40.57 0
>>380
あれは単なる「キャラ語り」「会話」
劇が始まった頃の原型に近いともいえるけれど、物語は言語を使った構造体としてつねに先に行ってしまう
つまりあれは懐古的

物語は物事全体の描写をともなって表現されなければ広く受け入れられない
「物語人シリーズ」と言った方が、世代を超えて広く認知されると思う
384考える名無しさん:2013/10/12(土) 21:11:18.70 0
物語の最小構成要素は
「同一対象の二時点での記述」
つまりこういうこと↓

時点1: Aは○○だった
時点2: Aは××になった

当然だが、ここでもし描写が一時点だけなら物語にならない

時点1: Aは○○だった

あと時点が二時点あったとしても、関係ない別の対象についての記述だと、それは物語を構成しない

時点1: Aは○○だった
時点2: Bは××だった
385考える名無しさん:2013/10/12(土) 21:12:07.25 0
つまり物語りのもっとも基本的な要素は「変化」
386catt ◆.catt24qAw :2013/10/12(土) 21:51:53.08 0
ようするに物語というのは感情移入(投入)を前提とした世界の世界性についての記述ということかな。
387考える名無しさん:2013/10/13(日) 04:14:42.58 0
>>384 そんなこともあるが、そんなこともないと思う

「秋が苦しい」

というと、Aの時点は一つだが、それとは違う多くのものを物語れる
388考える名無しさん:2013/10/13(日) 04:16:38.33 0
「朝が夜だった・・・」とかね
389考える名無しさん:2013/11/18(月) 00:00:50.03 i
>>387>>388
「秋が苦しい」という表現の中には何者かが秋について苦しんでいる感情の動き、
あるいは秋以外の季節から秋に移行した結果として苦しみが生じた過程が暗示されていると取れる

そして(レスの内容が少なすぎて解釈に苦しむが、一例として)
「朝が夜だった」の中には語り手がさっきまで今は朝だと思い込んでいたが実は未確認な状態1と、
実は今は夜だったと判明した状態2の二時点間の認識の変化を含んでいる

2例とも二時点間の同一対象の記述の範疇に入ると思う
まあこの辺は詩を物語に含めるかどうかで議論が分かれてくると思うけどね
時系列の極端に短い物語を詩と言えなくもないから
上の2例は出来の巧拙は別にして詩らしい所があると思ったので
390考える名無しさん:2014/03/08(土) 02:05:14.25 0
春が苦しい
391考える名無しさん:2014/03/20(木) 05:12:46.47 0
test
392考える名無しさん:2014/03/28(金) 01:51:35.88 0
物語とは比喩だよ。それ以上でも以下でもない。
393考える名無しさん:2014/04/19(土) 00:09:40.34 0
クリばかり攻める。
394考える名無しさん:2014/04/26(土) 16:11:48.16 0
>>392
それじゃ何も言ってないのと同じ
395考える名無しさん:2014/06/06(金) 01:11:46.07 0
>>393
それじゃ何も言ってないのと同じ
396考える名無しさん:2014/06/06(金) 02:19:34.41 0
何も言わないことも物語じゃよ
397考える名無しさん:2014/06/06(金) 02:52:43.75 0
いや、「ものをかたる」んだから何か言わないと。
398考える名無しさん:2014/06/06(金) 03:39:28.26 0
物語論は哲学かじってる人間には向かない
実際の物語の形式も知らずに屁理屈から入るから
399考える名無しさん:2014/06/06(金) 12:17:00.32 0
実際の人生も知らずに屁理屈から入るのが哲学だという世評に雄々しく逆らう398であった
400考える名無しさん:2014/06/09(月) 03:01:36.68 0
ところでTPPで著作保護が70年になると青空文庫から外される作家。
「太宰治、坂口安吾、中島敦、島崎藤村、菊池寛、新美南吉、海野十三、堀辰雄、横光利一、折口信夫、林芙美子、中里介山、北原白秋、斎藤茂吉、織田作之助、原民喜、与謝野晶子、宮本百合子、三木清、他」
http://www.aozora.gr.jp/soramoyou/soramoyou2009.html
401考える名無しさん:2014/08/05(火) 02:18:06.63 0
ほす
402考える名無しさん
クリばかり攻める。