存在の謎】池田晶子スレPart2【今もどこかにいる?

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238考える名無しさん
 なぜ池田晶子が今も昔も読まれ続けてるかというと、ひとつには美人だか
ら、というのがあるでしょう。冷たさを備えた美貌だったから。振り向かれる
と男はうれしいんだよね。そういう美人に相手にされるとね、男は。愛読者
も男ばっかりみたいだし(違ったら悪いけど)。
 あと、彼女の本は保守派、正統的教養人、読書人、節度を大事にする
穏健派、におもに読まれていると思う。昨今の風潮に嫌悪感をもつ人々に、
それは曽野綾子とかもそうだろう、受けているところがあると思う。
 
 少年犯罪はじめ、90年代以降の崩壊現象への彼女のスタンスに特徴的にで
てるが嫌悪感しかない。実は社会の紐帯がほどけていき、また労働の現場で
もイジメやハラスメントなど、息苦しさしかなくなってきていること、衝動
的な殺意やら自滅願望が噴出しても不思議じゃないことなど、盲目だった。
それは『考える日々』みよく出てる。社会をみる視線が貧しい。貧しいが
そこは哲学至上主義というか、‘なぜ思考をしないのか’的な批判が
先行して社会をまた現在をつかむ思考が貧しいところは隠しおおせている。
また自分でも自分の勉強のしなさは自覚しなくてよくなっている。虫みたい
に生きている大部分の人間の感性や大変さとか、そういう人間にとっての
解放や革命の課題がまだ残っていることも、知らなくてもよかったし
哲学的に語っていれば済むところにしかいなかった。形而上的なところ
だけ書いていればまだよかったかもしれないが社会時評とか、ナイーブという
か、ヴァージンの分野まで書き散らかしたのは感心しないな。結局、
「美貌の哲学者」ってところで出版業界としても本が売れるんで一杯
書かせちゃった。そこでしょうね。