301 :
非因果的ブラックボックス ◆nyDbrW8/YE :
>>294 数理は脳のどこか?
それは全てと言っていいな
単純な数的感覚ではない抽象概念は視覚野だけにとどまらない
そして一番重要なことは、数理を全て個人の脳で扱おうとはしてないということだ
302 :
非因果的ブラックボックス ◆nyDbrW8/YE :2013/03/13(水) 15:07:22.85 0
>>299 なんならこうするか?
(1)世界は存在する
(2 )神は世界の別側面である
(3)よって神の存在は自明
(1)感覚は存在する
(2 )クオリアは感覚の別側面である
(3)よってクオリアの存在は自明
なにか変わったか?
お前は
(2 )クオリアは感覚の別側面である
と言ってるよな?
303 :
考える名無しさん:2013/03/13(水) 15:08:13.85 0
>>301 数理は言語野以外の場所を使って思考するんだろ?
それはどこ?
>>302 >>お前は、(2 )クオリアは感覚の別側面であると言ってるよな?
言ってないね。クオリアは「感覚」を細かく説明して、神経伝達やニューロン発火などの機械的側面を取り除いた、
主観的部分だと考えている。
305 :
非因果的ブラックボックス ◆nyDbrW8/YE :2013/03/13(水) 15:13:08.30 0
>>298 >
>>285 >では、色や音を言葉で表現できると。「マリーの部屋」では、マリーは本を読むことによって色覚を体験できると。
いいところに気づいたな
マリーの部屋の本質は
色-言葉対応の学習の有無にある
その学習があるかどうかと、知識を得るということを区別出来てない
学習なしなら新学習するに決まってるし(知識を得る)
学習が完成していれば新学習しない(知識を得ない)
こんなものはクオリアなんてのと何の関係もない
>
>>292 >言語野で言語野を表現するんでしょう?問題ないのでは。
いつからクオリアとやらが言語野の機能になったんだ?
306 :
ボウイ:2013/03/13(水) 15:14:57.90 i
まだやるのかよ、ウソップ
307 :
考える名無しさん:2013/03/13(水) 15:15:08.28 0
だから最初に数理やったどっかの権威主義的ホモ野郎が勝手に決めたことだ
洗脳だよ 1+1=2の意味がわかんない
本当のことを言うと、「マリーの部屋」では、マリーは白黒の部屋を出た後でも色を見ることができない。
なぜなら、0〜1歳児の頃に色覚を体験していないと、色覚を処理する神経回路が形成されないからだ。
だから、色盲の人が網膜の移植手術を受けても色覚を獲得することはできない。
クオリアという物は、言語では表現できないが、神経細胞などの物質的な物には変換できる。
マリーは神経細胞の仕組みについて学んで、自分で脳手術を施し神経細胞を形成させれば、実際に色を見ることなく
色を知ることが出来るだろう。「マリーの部屋」では物質主義を否定することは出来ない。クオリアは物資的存在に
変換可能だ。
309 :
ボウイ:2013/03/13(水) 15:15:47.95 i
310 :
考える名無しさん:2013/03/13(水) 15:17:00.29 0
数理が脳ならサバン症候群がガラスボード放り投げて統合するだろよ
311 :
非因果的ブラックボックス ◆nyDbrW8/YE :2013/03/13(水) 15:17:15.29 0
>>304 >
>>302 >>>お前は、(2 )クオリアは感覚の別側面であると言ってるよな?
>言ってないね。クオリアは「感覚」を細かく説明して、神経伝達やニューロン発火などの機械的側面を取り除いた、
>主観的部分だと考えている。
神は「世界」を細かく説明して、物質の移ろいや物質の現れなどの物質的側面を取り除いた、
主観的部分だと考えている。
なんか変わるか?
全然わかってねーな
そこをどうしても存在理由にはならねーしなんの主張にも根拠にもならねーんだよ