>>947は>>945へ
>>947 世界の平和に貢献できるのは、理念と経済への協力だ。
平和のための戦いというものはない。
戦争はすべて利害の対立によるものだから、どちらに荷担しても、それは平和への貢献ではない。
日本が世界の平和に貢献できるとすれば、この平和を理念とする憲法を、強く世界に訴えていくことだ。
そして経済力を蓄えて、途上国でも利害対立が起きにくくなるように、経済援助をすることも現実的な対応だ。
それは、日本がいままでやってきていることでもあるけど、平和の理念を訴えることに関しては、近年、特に弱まっている。
950 :
あ:2013/05/04(土) 22:21:48.57 0
分かりました、有り難うございました。
>>949 その経済力は途上国を犠牲にしているわけで
だから途上国で争いが増えるんだがな
協力とか援助って言い方はいいけど自覚がある?
放っておいても他の列強や現地の権力者が安い労働力として使い資源を輸出させるので
まあ日本は「マシ」なことは確か
ぶっちゃけ途上国にアルミニウムなどがあってもその国の中では金にならないので
日本を通せば回り回ってその国のためになることもあるけどさ
何か他人事っていうか良い人ぶってるっていうか
952 :
あ:2013/05/05(日) 01:25:59.28 0
ああ、、余計な事を言ってしまった。。。
国際人になるのがいいのかなと思う
954 :
あ:2013/05/05(日) 01:29:18.96 0
国際化がプラスになるのかマイナスになるのか、結局制度設計の問題なのかもな・・・
長所を生かしてお互い豊かになれるんならそれが一番だ
955 :
あ:2013/05/05(日) 01:32:03.70 0
憲法について考えるのはむずかしい
憲法は国家の設計図だと思う
いい設計図を引くためには教養と世間知の両方を持っていなければならない
良い憲法を作れる人が最強かも
とにかく基本は人と上手くやって行く事だ
957 :
あ:2013/05/05(日) 03:24:53.88 0
眠れん
嘘も大事、というか嘘の方が大事かもしれん
大事なものは恐らく日常性の外にある
それは日常性の観点で見ると、非現実的で無駄であるという判断を下され勝ち
しかし日常性は可能なものたちと比べたときとき、非常な貧しさを感じさせる
嘘を付かずに生活するのは恐らく貧しい
嘘にも色々あるんだろう
958 :
あ:2013/05/05(日) 03:30:07.70 0
嘘のない人生は恐らく貧しい
日常性は貧しい、そして貧しいのは危ない、余裕がないから
959 :
あ:2013/05/05(日) 08:56:01.33 0
自分が反発を感じていたのは日常の枠の中での嘘についてなのだと気付いた
嘘一般を否定すると欲望が消える
日常の枠の中での嘘は欲望を消しはしないが、抑圧、隠蔽する
そして抑圧された欲望は。。。ここから先はフロイトを読んだ事がないので分からない。
福島瑞穂さんに興味がある。
あの人はタフだよなあ・・・
皮肉では全くない。
>シングルマザーであり、同棲している弁護士の海渡雄一との間には、「母親になりたくなくて、迷いに迷った末の出産」[47]により娘をもうけている。
夫婦別姓を実行するため、婚姻届を提出していない事実婚であり、娘が非嫡出子であるため、非嫡出子の相続差別に反対している。
家族の中でも個人ひとりひとりを尊重する主義を持っており、」[48]、著書では「私は、子供が18歳になったら“家族解散式”というのをやろうと思っている」[49
]「子どもが18歳になれば、『ご勝手に』と言いたい。365日、24時間、他人の干渉なしに生きて、自分でも白紙の人生をどう生きるか考えたらいいし、私もそうしたい。
私の場合は、子どものごはんや休みのいろんなやりくりをすることから『解放』されたいのだ。バンザーイ。 」
wiikiより
こういうの見ると非日常的な想像力のある人だと思う。
殆どシュールですらある。
倫理は彼岸への視線がその主体にもたらす様なものような気もするし。
そういう意味でいうと、日常に留まるのは倫理的にも貧しい。
単純なリアリストにはなるまい。
日常レベルでの嘘を理想と称して外から押し付ける、それが嫌なんだ
日常は貧しい、その貧しさを上から押し付けられてはかなわない。
とにかくジャーナリステリックに書くなら形だけでも徹底しないと。
知らないうちに自分で自分をスポイルすることになる。
俺は全然関係ないけど。
それを「戦略だから、実は内面ではもっと深い事を考えている」というやり方は卑怯だよ。
>「今の日本では、大勢に順応するということは、戦時体制下のアメリカとはちがって、別に徴兵制度を意味しない。何とか世の中をうまく送って、マイホームをつくるために役立つ道を歩むことである。
それでは大勢に順応しないということは、何を意味するであろうか。
極端な例が三派全学違であるが、こん棒をふりまわしても破防法はなかなか適用されず、一日、二目の拘留で問題は片づいてしまう。
しかもおまわりさんは機動隊の猛者といえども、まさかピストルをもって撃ってくる心配はないので、幾らこちらが勇気をふるって相手をやっつけても、強い相手が強い力を出さないで、あしらって一緒に遊んでくれるのである。
幼稚園と保母のような関係がそこにはあるといえよう。
非日常を装った日常性のレベルでの発散。
969 :
あ:2013/05/05(日) 10:20:29.64 0
プロレスをしている振りをしているというスタンスが一番卑怯だ。
970 :
あ:2013/05/05(日) 10:44:42.63 0
「こうして頑固親父の振りをしているけど、実は全部わかった上で敢えてこうしているんだよ」というスタンスが嫌だ。
>>968 これは残念ながら、三島の誇大思考そのままだよね。
国家とそれに対する対応を極端に大きななものとして見てしまう。
棍棒持ってるだけの学生たちに対して、破防法だとか、ピストルを撃ってくるだとか。
三島にとっては、直接の国家機関が国家そのものまで拡大されてしまっていることの表われだろう。
国家機構を成り立たせるのは、実は理念だ。
国家に対する人々の抗議や主張には、その理念そのものに対するに是非を問う場合もあれば、理念が実現していないことへの抗議もある。
もちろん改憲問題は、理念そのものの是非を問うものだから、それぞれの理念を十分に比較検討しなければならない。
改定手続きであっても、その理念の重さを表現しているわけだ。
TPPで関税や国内法、安全性まで弄られる
経済植民地だ、奴隷だ
確かにそれはそうだしもちろん嫌だが
少なからず日本もやってきたんだよな
ただ弱くなってきているアメリカ1国の都合だけ、ってのが問題だし
あまりにも極端すぎる
TPP反対はいいけど、話すなら、日本の優位性、弱国の悲惨さを明らかにしないと
そうでないと一般市民は疑問っていうか世界の理不尽さ、厳しさを知っていないんだよな
親米ってか、TPPでアメリカとの関係強化とか意味無い
だって教育が生き届いてるはずの日本人でも自分に資源などを輸出する国の名前も良く知らない
「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」んだよ
日常性というのものそれ自体が恐らく虚構、嘘なんだと思う
日常の虚構性を明らかにするためにはそれとは別の場所に存在する嘘、つまりは日常を相対化しうるような非日常的嘘を必要とする。
平和、は日常を相対化しない。それを理念として提唱したとき、むしろ日常の虚構性を隠蔽し、強化する方向に働く。
平和というのは要するに日常、というこだから、平和を理想に据えるという事は日常を絶対化してしまうという事でもある。
日常と非日常との間に壁を据える事によって、非日常を排除する。
しかし価値あるものは恐らく、非日常からやってくる、というか非日常に視線を向けたとき、主体の内部に形成される価値が倫理(これは我慢でも博愛でもなんでもいい)だと思う。
日常の中からは精神的な価値というものは恐らくでてこない。
あとの議論はは上の逆。
九条は、日常と非日常の間に壁を設けて後者を排除し、人の視線を専ら日常に向けてすえつけるという点で良くないと思う。
日常を理想化するのは良くない。日常は事後的に見出されるものだ。。混乱してきた。
>>974 哲学板だがもう内田先生から乖離してる
まあ、内田先生の話題が広すぎるけどな
内田先生は思想家でもエッセイストでも無く単なるコメンテーターだと思う
エッセイって本来はかなりきちんとした論評だけど
枕草子とか随筆の影響があって社会問題をきつく語るのもエッセイとか
自分の思想がきちんとあるなら言わないようなことばかり
勿論自分は倫理の事なんて気にしてない。
自分が非日常に求めるのはそういうものではない。
また、自分は過激でもないし、マゾヒストでもない。
>>976
入り口は内田さんだったんだけど、書いてるうちに脱線してしまった。ごめん。
>>976は>>975へ
また間違えた。>>977は>>975。
失礼しました。
まあ、いいんだけどスレの終わりが近いので
次スレのタイトルはどうするか
あんまり初心者がとっつきにくいのも良くないか
【呪いの体現者】とか確かにそうなんだけどな
贈与経済はむずかしいと思うな。
非対称的な贈与関係というものが如何に煩わしいか。
それがあまりに煩わしくて、また危険でもあるから、言葉や貨幣が生まれたわけで。
相互贈与の前面化によって社会が支えられるなら、言語も貨幣も登場していない。
個別的相互贈与の全面化というのは媒介の排除でもある。
媒介を欠いて社会秩序を維持していけるほど人は強いのか、コミュニケーション能力が高いのか。
贈与経済の中で生き方が、貨幣経済の中で生きるよりも、遥かにむずかしいと思う。
贈与社会は、媒介を欠いているが故にその成員に高いバランス能力を要求する。
それを欠いた状態で贈与経済に移行すると恐らく混乱するはず。
むしろそちらの方が弱肉強食の自然に近い。
新たな媒介を作り出す事になると思うけども、この媒介は。。。どういうものになるだろうか。
プラスの価値をもって語られる所謂「互いに向かい合う」という事が如何に危険かという事。
向かい合った時に生じるのは、相互理解ではなく、理解不可能性を突きつけられた苛立ちからくるイザコザに決まっている。
互いに直接向かい合うという事のコスト、リスクを軽減するために、恐らく貨幣が生じた、というか必要とされる。
それはAチャンネルをみれば分かる事だ。
媒介を廃したコミュニケーションによって相互理解が達成され、平和な社会がもたらされるというのは、危険な幻想だ。
向き合ったら喧嘩するに決まっている。喧嘩しないのは、間に様々な媒介を配し、直接的に関係を取り結ぶ事をさけているからだ。
媒介の利用の結果は相互疎外ではない、なんていったらいいんだ
贈与関係が安定的に成立していたのはそれが共同体間の交換だからだ。相互理解の断念が予め両者に共有されているからだ。
共同体内に直接的相互交換を導入すると混乱する。
成員に非常な繊細さ、タフさがないと安定しない。その負担から来るストレスは恐らく暴力という形での発散をもたらす。
989 :
あ:2013/05/05(日) 20:27:57.33 0
その結果人は媒介を求め、作り出す。
直接的相互作用を禁じた結果、秩序が形成され、平和が訪れる。
が、平和が続くと、直接的相互作用の危険性が忘れられ、相互理解の幻想と欲求が生まれ、結果それを妨げる媒介を阻害の原因であると見なすようになる。
990 :
あ:2013/05/05(日) 20:42:13.73 0
だからかつての贈与経済は、言葉を交わさず物だけ置いていくという形を取ったのだろう。
直接的相互コミュニケーションの危険性の認識と断念。
991 :
考える名無しさん:2013/05/05(日) 21:23:37.07 0
連投は勿論なるべく避けるべきだが
目に余るんなら内田先生にまず注意して欲しい
内田先生に直接、簡単に言えれば問題ないのにな
まあ脱線しないならいいんじゃない?哲学板だし
もちろん内田先生が主題だけど
語る内容や読者への配慮がな
あまりにも乖離して短文連投は良くないと思うけど
993 :
あ:2013/05/05(日) 22:50:17.50 0
専門書、書いていない
一般書、適当
自分にはどうしてもこう見える。
楽だから一般書を書いてるでしょ?
内田さんがついにあのきっこをRTし始めていて笑ったw
もうまともな大学教授と思われるの放棄し始めたのかなあ
まあもう既に退官してるけどさ
Don't need to be alone
No need to be alone
I's real love, it's real
Yes it's real love, it's real
を
only to be alone
only to be afraid
It's real love, it's real
Yes it's real love, it's real
に変えたい。
あ
test