人智学・神智学・心智学・霊智学 違いが分からん。
すれたて乙です そのうち神智学からみたギャングストーキングとかかいてみるかな
前スレまた落ちたのか。
994まで続いたから大丈夫ですよ
いちおつ
ふと気付くと買ってないシュタイナー本がたまってたので注文した
神智学徒にとってシュタイナーは異端者なの?
そんなことないんじゃない 神智学協会を批判したことはあるけど神智学を否定してたことはないし シュタイナーは実際見事なまでに一貫してるよね
霊統は間違ってなくても、ある時代の協会の集合魂が間違うってことも多分あるんだろうなぁ
オナニーが良いか悪いかを神秘家は誰も言ってくれないのはなぜですか
性を完全否定する神秘家は悪しき神秘家だから
間違った考えを持ったまま霊界参入と再受肉はあるようだ。 原理主義テロリストとして死に原理主義テロリストに再受肉する
性を完全肯定する神秘家も悪しき神秘家だよなぁ。 って考えると、ある個人に対して適切なことを、適切な時に、適切な形で伝えることが本質的に正しいあり方なんだろうなぁ。
性コントロールたる結婚制度、これももとは秘儀参入者たちが人間の世界に 秩序をもたらすために世界中に広めたものでしょ。このしきたりの 源泉が秘儀参入者たちの指導に由来するなんて不倫問題や離婚問題で 苦しんでいる神なき近代人には思いもよらないことだろうけどさ。
そうなの?シュタイナーなんか言ってる? たしかに結婚というものがいつから始まったのかと考えるとおもしろいね
性的放縦を肯定する神秘主義は、 神的高揚を性的高揚で代替させているだけだから 唯物論的だと思う
性を肯定する神秘主義ってブリル協会だな 優生学に基づいて集められた優良種とされる親衛隊員が 元養鶏業者のヒムラーSS長官が用意したお城で美女と乱交パーティー シュタイナーの死後はこっちが主流派になった
何の主流だよw
wじゃねえよ、シュタイナーは同時期の神秘主義者や宗教家と同じく 世直しの社会主義革命おこそうとして2年で頓挫したが ナチスは国家の中枢に至り欧州を炎で包むほど増大した違いだ。 神秘主義者の身内を使って短期間で国内経済を再建したから英雄になったと同時に 英仏から借りた金が返せなくなって踏み倒し同然で戦争に至った
ムーが主流って言ってるようなもんだろ 俗世間で流行る=主流じゃないから
人智学とインチキオカルトを引き比べること自体がおかしい
ムーが主流とかドンだけニッチな世界だよ。 どっちも空気みたいなもんだ。精神失調からみた人智学に至ってはもうあれだしな
精神失調から見た人智学ってどんな感じなのですか?
人智学から見た精神失調では?
幼少期にじゃがいもを食べ過ぎると成人になってから精神疾患等が出ますか? 自分の周りに鬱病や躁鬱、境界性人格障害の友人が多いのですが皆、じゃがいも好きです。
出ない
エーテル空間、時代意識と原子力、シュタイナー黙示録的現代を購入。 ジョージアダムスの翻訳本にとても期待する。 シュタイナーだけじゃなくて、現代の人智学者の研究をもっと知りたいけど、シュタイナーだけでも量が半端ないから翻訳追いつかないんだろうなぁ。。。
俺もちょうど黙示録的現代読んでたところだ 以前このスレで出たThe Etherisation of the Blood、 「電気・磁気・原子力」の章名で訳出されてるね 「恐るべき破壊力」が原子力について異論も出てたけど、西川氏も原子力と捉えたようだ で、やっぱり気になったのが 第三の力はもっと驚くべき方法で文化に影響するでしょう。 私たちがその力を使用すればするだけ、地球は生命を失って廃嘘になるでしょう。 そうして、地球の霊性は木星へと作用していきます。 地球を破壊するために、この力は使用されるにちがいありません。 ・・・ こうして、地球は崩壊し、人間は地球から自由になります。 ・・・ 人々は、私たちの文化を正しく評価することを学ぶでしょう。 地球が破壊されないと、精神は自由になりません。 しかし人間は、「霊的諸力が地球存在のなかに進入する」ことを肯定し、評価することも学ぶのです。 こういう言い方。 シュタイナーは電気や磁気を否定していないように、原子力も否定していないんじゃないか、と。 そして木星に移行するための破壊が確定されているという未来観はやはりシビアだ
悪は善の肥やしだから、そこから派生するものにも役割があるのでしょうね。 差別や偏見を持って否定するのは悪で、 正しい認識を持って文脈によって否定したり肯定したりする姿勢が善なんだと思いました。
>>29 ありがとうございます!
出ないんですね、よかったです
じゃがいもというか、正確にはポテチばかり食べているの間違いでした
自分もポテチが好きなので多少心配になっていました
芽のメラニンがどうのってやつだろうけど、小麦のグルテンが悪いという研究者もいた。いずれにせよアナログな時代の話だ
ポテトチップスならじゃがいもよりも油の取りすぎに注意するでござる
だれかが黒魔術を行なうことを目論んでいるとしましょう。 その人はまず、可能なかぎり小心者を探すでしょう。 恐怖という素質を改造・変形すると、小心者が知識・洞察なしに、人並み以上の力を得るようになります。 そのような魔術を行ないたい者は、何をすべきか。 彼は実験室を作り、小心者に絶えず生きた肉を切らせ、血がほとばしり出るのを見させて、冷酷にしていくのです。 小心者が持つ恐れの感情のなかに存在するものは、生きた肉を切ることによって鍛えると、 反対のものに変わって、外に向かって作用する力になります。 ・・・ これが、黒魔術において行なわれる最初のことです。 これを行なうと、以前は内面の恐怖であったものが、自分の周囲に影響を及ぼす力に変化していきます。 そのような手段を用いる者は、信じられないような醜いことを世界で実行できます。 (「黙示録的な現代」) これを読んで思ったんだけど、ナチスが行った大規模殺戮は、 黒魔術としての殺戮だったのかな? 最近ネットで見たナチスの高官のお宝っていうのが黒魔術グッズみたいだったし 「我々は野蛮人だ」などと言って野蛮さが称揚されていたみたいだし。 オカルトをかじったナチス上層部が、 「魔術的に戦争に勝とうとして」必要以上の殺戮に走ったのではないか。 人間の皮をなめしてランプのカバーにしたとか、やたらと悪趣味なエピソードも、 そう考えると理解できる
「恐怖という素質を改造・変形すると、小心者が知識・洞察なしに、人並み以上の力を得るようになります」とか まさに悪の本質だと思う シュタイナーはいつもながらすごい文章を書くなぁ
39 :
考える名無しさん :2013/02/04(月) 16:59:01.87 0
何コレ気持ち悪い。
荒俣宏が訳した「黒魔術の帝国」って本を注文してみた 霊的な感覚がない人が(おそらくナチスの連中にはなかっただろう) 聞きかじりの知識で黒魔術的手続きをした時にも、 何かしら「力」を得たのかな? トンデモ集団が政権を得たこと自体、黒魔術の効き目だったのかもしれないけど
シュタイナーは抗精神薬や抗不安剤等の使用について何か言われていますか? 治療について効果的な方法や神智学・人智学から精神病理学的な見解など教えてください。
>>41 抗精神薬や抗不安剤等の記述は見たことない。シュタイナー
の時代にそういう治療があったかどうかだが聞いたことない。
栄養や生理学的な講義、その他にシュタイナーが言うところの
断片は出てくるが多くは子供の教育の関連に記述がある。
それでも治療について具体的な記述はあまり記憶にないな。
特に大人を対象であるならなおさらだけど。
あと精神は病気にならないが魂は病むとは言っているな。 カルマの講義にも出てくるし。 各講義に出てくる断片をまとめて読み直してみないと 書けないわ。それも膨大な本をひっくり返して探さなきゃ ならんからちょっとすぐにはわからん
ただ一つだけ言えるのは人間が肉体的にも精神的にも病む のは今の教育がシュタイナーが言う教育とは逆だからと言うことだな 。
日本は教育に関しては相当遅れてるよな。 名前からして文部科学省だもん。 「教育は科学であってはなりません。それは芸術でなければならないのです」
46 :
考える名無しさん :2013/02/05(火) 09:40:37.60 0
ヒトラーは、ナチス結成時の党大会で、シュタイナーについて次のように警告を発していた。 「我々はシュタイナーとその追随者を許してはならない! なぜなら彼は、シュリーフェン作戦、ひいては第一次世界大戦におけるドイツ敗北の直接の戦犯だからである。 ……彼は、ドイツ軍最高司令官であるヘルムート・フォン・モルトケ将軍の親友だった。 そして彼は、あろうことか1914年、ドイツがベルギー、フランスに進攻しようとしている重大な時期に、 黒魔術を用いてモルトケ将軍の精神状想を混乱させ、もって我がドイツ軍を大敗に導いたのである!」
最近カスパー・ハウザーを知って、シュタイナーがその正体について何か言ってないかなーと思ったりしてたら タイムリーなことに「黙示録的な現代」の中に名前が出てきた でも正体については何も語ってなかった そういうことって分からないのかな? たとえば、アカーシャ年代記にアクセスしたら、未解決事件の犯人とかも分かるんじゃないかと思うんだけど どうなんだろう
切り裂きジャックの犯人とか知りたいな まぁシュタイナーが生きていてもそういう俗っぽい興味に答えるようなことはしないだろうけど
>>46 まあ神秘学者じたいが統合失調症といえなくもないからな。
シュタイナーはユダヤ的であるとして排除されたが
気が狂ったニーチェの原稿整理をシュタイナーに依頼した
ニーチェ妹とかハイデガーはナチスを絶賛だぜ。
乱世の時代には偉大な神秘家が出現しやすいという摂理があるみたいよ
シュタイナーが予言したエーテル形姿のキリストの目撃ってされてるのだろうか? 二十世紀から始まると言っているのだから、そういう報告があっても良さそうなものだけど
キリストは同一時刻に一箇所に存在する、というふうに限定されはしません。 キリストは同時に、こちらでもあちらでも人を助けることができます。 霊的存在は空間秩序に縛られないからです。 (「黙示録的な現代」) こういう言葉を見ると、エーテル形姿のキリストは 一般的なキリストの姿をしているのか?とも思う
形姿はその見た人が与えるモノだからどうでも良い。 仏教徒とキリスト教徒が見る形姿が違うのはこのせい。
日本人は天使をどんな姿で見るのか?
>>54 やはり龍神だろ。
龍を見たという日本人はたまにいるし。
「黙示録的な現代」読み終わった 最後の審判は既に始まっているっていうのは、この本で初見だった
>>55 この人はグリフォンのような容姿を見てなんでキリストって分かったんですか?
普通「グリフォンだ!」と思うのでは
グリフォンの霊性の高さを見てキリストだと思ったんじゃないかな
恐らく頭の上に名前とHPバーが表示されいたのだと思う
オルレアンの少女は啓示を受け取ったのですが、古代の人々のように直接的に啓示を見たのではなく、
彼女が物質界で受け取った表象世界が、彼女の自我と霊的世界からの客観的な諸力との間に現れたのです。
彼女の有するキリスト教的な表象から取り出された聖母マリア、大天使ミカエルのイメージが、
彼女の自我と客観的な霊的諸力との中間に現れたのです。
霊的な問題を扱うときには、啓示の客観性と意識内容の客観性を区別する必要があります。
オルレアンの少女は、聖母マリアと大天使ミカエルをある確かなイメージの形で見ました。
このイメージを、、そのまま霊的な現実と考えてはなりません。
このイメージをそのまま客観的なものと考えてはならないのです。
けれども、誰かがこのマリアやミカエルの姿を単なる妄想というなら、そのような発言は無意味です。
霊的世界からオルレアンの少女に送られた啓示は、
ポスト・アトランティス時代の第六文化期になってはじめて私たちに見えるようになる形態で現れたのです。
彼女が真実の姿を見なかったとはいえ、真の形態は彼女の上に下りてきているのです。
彼女はその姿に当時の宗教的表象を付し、真の姿を覆い隠したのです。
霊的な力によって、彼女の表象世界が刺激されたのです。
こうして、その啓示は客観的なものと思われたのでした。
かりに今日、だれかが霊的世界からの告知に主観的要素が流れ込んでいることを立証し、霊的世界に関する表象像が客観的なものではなく、
たんなるヴェールであることが明らかになっても、客観的な啓示そのものをそのようなヴェールとして解釈すべきではありません。
その啓示は客観的なのです。啓示は私たちの魂のなかから啓示の内容を作り出すのです。
啓示の内容の客観性と、霊的世界から送られてくる事実の客観性とを区別しなければなりません。
http://roseandcross.kakurezato.com/page040.html
グリフォンが「アイアムキリスト」と言ったのかも
エーテル体のキリストは世界中に同時に現れることができるという ということは、自我もマルチスレッドのように複数に別れた形で存在できる?
ん? ここはオカ板だったのか
>>58-59 キリストに出会ったけど、それは影のようなものだった。
だから、キリストに姿を見せてくれ、と頼んで現れたのがグリフォン「のような」姿のキリストだったみたいですね。
Now I called on Christ to ask him about the shadow. I asked Christ to show
himself to me.
I was frightened of what was coming, but I declared my love for Him and willingly embraced the dark presence.
Then I saw yellow eyes. I was startled, then shocked to the core. I realised now that his appearance really would terrify me.
Then I saw his head, yellow eyes, nose like that of a gryphon-eagle, very pronounced, but noble, beloved, incomprehensible.
ちなみに、この人は導師(グル?)を転々として、最後にキリストを勧められて、10.00pm on 6 May 1994に始めてキリストと遭遇したらしい。
I felt utterly helpless then, alone and slipping towards a frightening despair.
I prayed for a new guide. Tycho Brahe came. I asked in astonishment how an astronomer could help me.
He told me to seek Christ as my guide.
そう言えば、この人のエッセイのどこかでシュタイナーにも会った、という著述があったような…うろ覚えですが。
シュタイナーは現在の影にアメリカで女性として転生してる、という話もあるのでどうなんでしょうね…
ん? ここはオカ板だったのか
68 :
66 :2013/02/08(金) 23:30:54.43 0
シュタイナーはれっきとしたオカルトでしょw 悪い意味じゃなくて
サイエンスゼロで、年縞ってのをやってた 湖の底の堆積物が、年ごとに層をなしていて 福井県の水月湖の湖底から採取したものでは、七万年くらい前まで辿れるらしい。 この七万年というのを、人智学的歴史観と比べてみてどうなのか? 炭素年代測定は目に見えないから、否定されたら、そうかなぁという気にもなるけど 年縞は物理的な証拠としてあるわけだから、否定のしようがない シュタイナーが生きていたら地学的な成果と人智学的歴史観のすりあわせをして欲しい
ポラール文化期ってどれぐらい前の話なんだろう。 ヒュペルボレアス時代が古生代で、レムリア時代が中生代、アトランティス時代はよく分からないけど、BC.8000〜6000まで続いた。それから、インド文化期がBC.7227頃から始まる。 ちなみに、西オーストラリアでは約35億年前の化石が発見されているから、上で言うとポラール時代の化石といえそう。 でも、そのころは太陽と月が地球と共にあって硬化してないからそもそも化石は残るのか、とか… 現代の人智学者が当たり前に研究してるだろうから論文を読んでみたい。
原子力の存在を予言していたのは、やっぱりすごい
シュタイナーは現代の地学が語っているよりも地球の歴史は短いんだって言ってなかったっけ そうなると炭素年代測定が間違っているってことになる でも炭素年代測定の正しさ及び誤差も、年縞との比較により検証できる
>>72 言ってますね。
>>70 では、だから古生代、中生代とかでどんぶり勘定しています。
シュタイナーは地球は2千万年前には存在していないし、2千万年後にも存在していないと言っていたとか。
でも、個人的には年の測り方は何というか一律には出来ないもののように感じるので気にしていません。
あくまで、「変化」の部分があってれば問題ない、レベルでゆるーく考えています。
ヒトラーについてはさらに信じ難い予言がある。 それは元ドイツ軍司令官、フォン・モルトケによって一九一六年に書き記された予言である。 トランス状態の中で、モルトケはドイツの未来の指導者としてヒトラーの名を挙げる。 当時、ヒトラーは西部戦線の取るに足らぬ無名の兵士にすぎなかった。 さらにモルトケは、次章で紹介するチェンバレンが、 新しいドイツの指導者としてヒトラーをまつさきに歓迎する人物になると予言する。 (「黒魔術の帝国〜第二次世界大戦はオカルト戦争だった」) ほんとかー?ソースは?と言いたくなる 検索しても出てこないし。 ちなみにこのモルトケって人はシュタイナーとも親交があったらしい
プレッシェは店にやってきたヒトラーに強い印象を受け、 数回話し合ったのち、 ヒトラーにオカルティズムの基礎を教えるようになったのだ。 またヒトラーに黒魔術の手ほどきをするとともに、 「意識を拡大」させる幻覚剤を与える。 結果はヒトラーの予想をはるかに上回った。 日常世界と異なる現実、 異なるヴィジョンそして残酷な道徳律の支配する世界とコンタクトした感じだった。 (「黒魔術の帝国〜第二次世界大戦はオカルト戦争だった」) これが事実とすると、オカルトグループがヒトラーの登場に決定的な役割を果たしたわけで 悪しきオカルトグループの存在に警告を発していたシュタイナーの言葉の意義もここにあったかと思う
ヒトラーはどうしても過去の暗い側面から党を切り離す必要があった。 ナチ党首脳部がなにより避けたかったのが、 黒魔術や悪魔崇拝との関係が公になることだった。 … ナチス・キャンペーンの第二弾は、 占星術の広告を掲載しないよう新聞社に指示することだった。 次の段階が、ベルリンのありとあらゆる運勢占いと占星術の禁止である。 続いて、占星術およびオカルト文献がドイツ全土で禁止される。 … ヒトラーの首相就任から二年の内に、オカルト文献はほぼ一掃された。 (「黒魔術の帝国〜第二次世界大戦はオカルト戦争だった」) 自らのルーツ、および自らの秘密を知りうる勢力を弾圧したということだろうか この時期に人智学協会はどういう扱いを受けていたんだろう?
人智学徒はヒトラーが出現してきた時にシュタイナーの言葉をきっと思い出したろうね 戦時中に何を思いながら、どうやって生活していたんだろう 二次大戦中の人智学徒の資料を見てみたい
大本教的に言えば、悪のお役目ご苦労さん、でしょ。 善も悪も神の経綸のうち。あの戦争が帝国主義を終了させたんだから。 近代の諸問題は、すべてヨーロッパ精神が発信源。 なべ料理に野菜だ肉だと具財をぶちこんで、おいしい料理を作りたい。 だが、下から火であぶりながら、具財の内部から漏れ出してくるアク (精神的ゆがみ=悪)をとらないとそのままではまずくて食えない。 これが近代史前期で起こったこと。 つぎに問題になるのは、アーリマンの受肉問題。これもヨーロッパに 生まれるという話だが、はたして如何? てかすでに生まれてる?
どこかで読んだ記事なのですがヒトラーがチベット密教に操られていたっていうのは本当の話でしょうか・・ シュタイナーはヒトラーとチベットの関係について言っておられませんか?
>>80 シュタイナーよりヒトラーに興味があるの?
「いわゆる」オカルトに系統すると道を踏み外すからほどほどにしたほうがよいかも。
私はシュタイナーがヒトラーとチベットの関係云々を語っているのは見たことがありません。
子供の頃からインド哲学、ヴェーダーンタに傾倒して 瞑想なども続けてきたけれど、 この人のアートマの説明には理解に苦しむ。 単に、言語的に説明不可能なので、既存の東洋哲学の概念である アートマを援用してきているだけなのか。 宇宙論に至っては、余りにもキリスト教的で荒唐無稽に感じる。 もちろん、逆の立場からすればインド哲学も荒唐無稽の一言だろうが。 少なからず瞑想等を続けてきた 自分の、ホンのささやかな経験から言っても、 この人の言う事は確かな真実を含んでいると思うけれど、 到底、全面的には受け入れ難い部分が多い。 とはいえ、学ぶ部分も多いだけに、 この人をどう捉えて良いか良く分からない。
シュタイナーの同毒療法の記事(ウサギを焼いた灰でウサギを追い払った)を援用して、 ヒトラーはユダヤ人の灰を町に撒いたりもしていたらしい ありそうな話だと思った 人智学の情報の「部分」だけを取り出して悪用したら最悪の結果になるもんね でもたとえばカルマ論や天使論や悪魔論を受け入れていたら、こんなことするわけない 部分だけをチョイスして自分に都合のいい解釈をしてるんだよな
エッカルトは死の直前までヒトラーとともに一連の黒魔術儀式を繰り返し、 未来の独裁者を「闇の力」(悪魔)との最後の契約に導いた。 ・・・ こうした忌わしい倒錯の結果、エッカルトが達成したのは、 ヒトラーのアストラル・ボディにチャクラを開いたことだった。 そしてこれらの儀式を通じて、ヒトラーは「闇の力」とじかに交信できるようになる。 死んだ後でも、エッカルトの憎しみの遺産は「光の使徒」をつけ狙った。 彼の断末魔の願いは、ルドルフ・シュタイナーの人智学運動の本部である 自由大学「ゲーテアヌム」がその創設者とともに灰侭に帰すべしだというものだった。 二○世紀有数の危険な黒魔術師エッカルトは、 傑出した白魔術師シュタイナーを激しく憎悪していた。 エッカルトの指令で、実際にそれが起こる。 シュタイナーが大観衆に講義していると、建物がにわかに炎上した。 シュタイナーと聴衆が辛うじて難を逃れたのも、 ナチ放火犯が炎上までに時間をかけすぎたためである。 二年後、シュタイナーは死(自然死)の直前に、建物を再建する。 (「黒魔術の帝国〜第二次世界大戦はオカルト戦争だった」) シュタイナーの側はエッカルトの存在を知っていたのかな
>この人の言う事は確かな真実を含んでいると思うけれど、 >到底、全面的には受け入れ難い部分が多い そうそう 分かる部分に関していえば、真実がある、 いやここまで真実性の高い言葉を話している人はいない、と思うんだけど 分からない部分に関しては、荒唐無稽で受け入れがたい、と思うんだよね それで最初の方は何回か離れたりしたけど、今に至る
「ヒトラーがドイツの権力の座についた理由は、ユダヤ人が
彼らの祖国であるパレスチナに帰るようにするためである。」
エドガー・ケイシーはリーディングでヒトラーの役割をそう
述べている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha804.html 一方、シュタイナーはイスラエル国家の再興には反対だった。
「ユダヤ民族は一神教をもたらしたことで、すでに歴史的使命を終えたの
であり、再び結集することではなく、これからの彼らの使命は世界のさま
ざまな民族と混血し混ざり合うことだ」というのがシュタイナーの意見だった。
ユダヤ人はシオニズム運動に反対するシュタイナーを快く思わなかったと思うね。
(参考「いま、シュタイナーをどう読むか」P31)
イスラム教がゴンディシャプールの影響力を封鎖するために出現した、など言う
ような発想は通常の歴史経済観で書かれている書物を読んでも分からない。
シュタイナー的な歴史解釈をしたかったら、俯瞰の位置を変えないといけないと
思うね。
ユダヤ人が彼らの祖国であるパレスチナに帰るようにするためである って、そんなどうでもいいことのために あの大量虐殺が行われたとか、ふざけんなってユダヤ人は思うと思う 原典に当たってるわけでもないし、ケイシーの本も読んだことないけど 引用から判断する限りにおいては
パレスチナに帰ることになったのもイギリスの二枚舌外交のせいだし とても神霊の導きとは思えないんだが
ではジャンヌ・ダルクを導き最後は衆目の面前で火あぶりで殺される ことを許した神も「通常の社会道徳の範囲で人の行為を裁いてかまわない」 と思い込んでいる人には理解できないだろうね。そういう人々は 悪霊は神霊秩序から役割を請け負って派遣されているということも受け入れ られないだろう。「俯瞰の位置」といったのはそういうことだよ。 「裁き手になる自分」に酔ってはいけないのだよ、こういう 微妙な内容を議論している場面ではとくにね。 シオニズム運動は「どうでもいいこと」ではないよ、ユダヤ人にとっては。 ユダヤ人はそれをどうでもよいと簡単に口にできるあなたをこ「ふざけんな」 と言うでしょうよ。
民族主義への回帰は人智学とは相容れないと思うのだが。 シオニズム運動が重要ってそりゃユダヤ人の中の右派はそうだろうけど全員がそんなはずもないだろう
「ハリーポッターはシュタイナー学校の教員が書き上げたもの」 っていう日本語の情報をネットで見たんだけど、本当なのかな? J.K.ローリングとシュタイナーを英語で検索してみても、それらしき情報はなかった ハリーポッターの悪の描き方が堂に入っていて、 もしかしたら?って思って検索してみたんだけど。 たとえば人を殺すことで自分の魂を引き裂く、とか、 作者は黒魔術にも造詣が深いんだろうと思う
今年に入ってからずっと意味不明なネットの情報に踊らされる人が多いね ジャガイモを食べる事をおすすめするよ
意味不明ではないだろw
今年もじゃがいも。。。。。。
またジャガイモについて考察したいね じゃがいもは人智学や神智学に深く関係している事は確かだ・・
じゃがいもが好きな奴はじゃがいも板にでも行け
十二使徒のヨハネは何故だか人智学の潮流に大いに関係ありそうだけど、人智学は誰が始めた霊統に属しているのだろうか。 今まで読んだ本ではそんな話は出てなかったような。 マニとか仏陀とかローゼンクロイツとかが参加してた豪華な会合とかの話は読んだことあるけど、霊統自体が誰発なのかが知りたい… 知っている人はいませんか?
いまのところ人智学はシュタイナー発以外にない。 シュタイナーでなくても何某人智学とついたはず。 すでに万人に向かって霊学が開かれた以上 既成の霊統には人智学は何も属していないように思う。 人智学が一般の子供の教育にも力を注いでいるように 霊的集団において師のもとに修行を通して進化を目指す という道は過去のものと思える。 あえて言うなら人智学はひじょうにマニ教的だがマニの 霊統とも違う感じがする。
思想背景をマニ教的という言葉を用いて表現したい場合は、より正確に表すならグノーシス主義的では?
シュタイナーにおいては、マニ教とグノーシス主義はちょっとニュアンスが違うと思う グノーシス主義に対しては、ある面までは正しかったけど人智学とは別の道の流れと捉えていて マニ教は薔薇十字に繋がっていると捉えている感じ
>>100 >すでに万人に向かって霊学が開かれた以上
>既成の霊統には人智学は何も属していないように思う。
なるほど。そうかもしれないですね。
でも、一般的には人智学は薔薇十字との関連は深いと認知されてます。
で、薔薇十字がマニ教とつながっているのであれば、マニ教は何に属しているのか気になるなぁ。
でも、指摘があるように、グノともマニ教とも少し違う気が私もする。
グノーシス系だけど、キリスト受肉後に誰かの介入があって、そこから生まれた新しい霊統、みたいな印象を受けるのだけど…
12使徒のヨハネがグノーシス的なので人智学との関係が深そうな気が…
「MIT白熱教室」の量子力学の不確定性原理の回を観た 不確定性原理っていうのは、ミクロのレベルになると、位置と運動量を同時に測定することはできない、という原理で 空間を局限すればするほど運動量は増大するという、物質の性格によっているという 電子の恒常的な周回運動も、いわばその空間的局限性が生み出しているという この話を聞いて、人智学徒としての自分はすごくしっくりきたし、腑に落ちるものがあった 空間的局限自体がエネルギーを生み出している、という不確定性原理は、 物質は光によって織られた、というシュタイナーの言葉や、 光から原子が生まれるという神智学の説明に合致する そしてニュートン力学からの逸脱も、量子力学がスポットを当てるのが物質の極限であるからこそ、当然だと思える 物質の始源が、物質を統べる法則だけで説明できるはずがないのだから
宇宙であらゆる天体が回転運動を続けているのも、 空間に物体として存在することで「圧縮」を受けているからじゃないか 物体であることそのものによって回転運動が生まれているんじゃないか そんなことも思った
>>105 >物体であることそのものによって回転運動が生まれているんじゃないか
あぁ、なんか分かるわ。
理性的というより、感情的な共感だけど。
ペルセフォネ劇とディオニュソス劇を一緒にすると、 エレウシス密儀に参入したギリシア人に示された、 人間の原初のドラマが生まれる。 高次の人間は精神と心魂から成り立つ。 心魂は不死の地球心魂に由来し、 精神は永遠の神霊に由来する。 地上での歩みは、 心魂にとっては中断、 精神にとっては細分化を表わす。 心魂と精神は地上的なものから浄化・純化されねばならない。 (「シュタイナー文学講義」) 「地球心魂」ってなんだろ 「地球のエーテル体」とか、「地球のアストラル体」とかの言葉もちらほら読んだ記憶はあるけど 詳しい説明は読んだことないな
「心魂は不死の地球心魂に由来し、精神は永遠の神霊に由来する。」 って、いきなり二方向からの由来を語られてもって戸惑った そういうふうには思ってなかったから 精神が下降してアストラル体になったと思ってた
"地球心魂"で検索しても数えるほどしか出てこないね 情報がほとんどない
110 :
考える名無しさん :2013/02/19(火) 09:23:24.49 O
心魂は多分エヴァンゲリオンでお馴染みのゼーレの訳じゃない? 意識魂とか悟性魂とかって出てくるやつ それで精神はガイストの訳 これは霊人とか生命霊とかのって出てくるやつ シュタイナーは 肉体とかエーテル体とかアストラル体とかの【体】 感覚魂とか悟性魂と意識魂かの【魂】 霊人とか生命霊とか霊我の【霊】 って区分してるから 地球心魂は 多分、地球紀において人間の魂を感覚魂・悟性魂・意識魂まで進化させるよう導いた一連の流れや系列を指すと思う 簡単に言えばゼーレの出所は地球で ガイストの出所は宇宙に存在する永遠の霊だくらいの意味
それは、そうなんだけど、 心魂の出所が地球っていう話が初耳 結構重要な話に思えるんだけど、何に詳しく書いてるんだろ
自分はてっきり霊的ヒエラルキアの働きで 人間の心魂が産み出されたのかとばかり思ってたわ
お、規制解除来てた
西川氏の「魂」「心魂」の使い方って途中から代わったからなあ。 高橋訳にならっていた初期の頃に戻して一貫性を持たせて欲しい。 日本語としても自然だったし。
この問題の場合は訳は問題じゃないと思うけど・・
「文学講義」なんて、シュタイナー本としては傍流の本だと思うんだけど そこにいきなり未知の情報が出てきたりするから シュタイナーの世界観の全貌を理解するのは難しいね シュタイナーの本を相当読んできたつもりだけど、いまだに「えっ?そうなの?」って思うことがある
グノーシスとの出会いと言えば、ウィーンで家庭教師時代に公園で薬草集めしている怪しい老人の家にホイホイついて行ってアー!! のことだな
脚色しすぎ コグツキ−はホモでもないし(しらんけど)グノーシスでもないだろ
>>114 アストラル体と自我の境目を意識しての変更なのだろうか。
ここら辺、完全に掴めてない。
んー?たとえばどういう訳のことを言ってるの? 用語の訳で分かりにくいと思ったことはないけどなぁ 訳語に「揺れ」はあるけど、人智学徒なら指示内容はすぐ分かる程度の揺れじゃないかな
121 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 07:07:31.34 O
書かれたものにばかり拘泥するのはアーリマン的な読み方と言ってもいい、 だからといって電波的な読み方ばかりするのはルツィフェル的な読書の仕方だ。 その中道を行くのがキリスト的な読書法だ。
適当なこと言うなw
シュタイナーの「神智学」が出てきたと一時話題になってた「おおかみこどもと雨と雪」観た まず、映画は普通の佳作だった 出てくる本棚に、記号以上の意味もなかった 母親の本棚に神智学があろうがなかろうが、作品はほとんど何も変わらなかっただろう シュタイナーだから云々騒いでたおばさん達ほんとくだらねえなって思った
124 :
考える名無しさん :2013/02/21(木) 12:57:03.81 O
じゃがいもの話題しか息抜きがないお前らにここだけの話として教えてやるな 絶対誰にも言うなよ 楷書はアーリマン的な書体なんだ そして草書はルツィフエル的な書体な それで行書はキリスト…
118 唖ーとは仏陀悟りの真言だぞ。なによこしまなこと考えとるぞなお主
ツイッター検索すると出てくる「シュタイナー!おまんここわれちゃう」っていうのなんなんだろう もうずーっとあるんだが。 内容ゼロだしずっと消えないし、非常にうっとうしい
オルグ集合体が内ゲバやってるだけだ。シュタイナーにしても神智学会内のオルグでしかない
誰もいないなぁ。 かく言う私も人智学ネタを投下する気力がない… そんな時期なのかな…
今はシュタイナー文学講義を読み進めてる シュタイナーの文章は、いくら読んでも楽に読めるようにならないね 理解する意志を要求してくる
オレ、シュタイナーはなんとか50冊ぐらい読んだが、こないだ久しぶりに読もうと思ったらまるで読めなくなってた… 不思議なもので、読める時期と読めない時期がある なんでですか?
知らねーよ 飽きたんだろ
病気が治る治らないに関しては、カルマの理解をもち、病人の看護にあらゆる努力をすべきです。 そうするなら、他の世界が他の決断をしたときにも、私たちはこの決断を満足をもって受け入れるでしょう。 「他の決断」に関しては、それ以外の何かを必要としません。 私たちにとって必要なのは、不治の病気を目の前にしたときでも、世界には不完全な悪しきものだけしか存在しない、 というふうに考えて気を滅入らせてしまわないような観点をもつことです。 カルマを理解することは、治療に関わる私たちの努力を萎えさせたりはしません。 むしろ、さまざまな不治の病がもたらすどんなに厳しい運命をも、受け入れることができるようになることなのです。 (シュタイナーのカルマ論)
これらの霊たちは、本来含まれていなかったものを人間存在の中に混入させることによって、 ルシファー存在に対する対抗手段を行使しました。 つまり人間を進化させようとする霊たちは、人間存在の中に病気や、悩みや、痛みを混入させたのです。 このことが、ルシファーの霊たちの行為に対して、必要なバランスを回復させることになりました。 (「悪の秘儀」) 善神が人間の中に病気や悩みや痛みを混入させたのなら 悪魔がそれを行使することはない?
痛みって、機能性の程度を越えてるような気がするけど、なんでだろう 注意のためだけだったらある程度の痛みまででいいはずなのに、 なんで激痛が存在するんだろう
悪の秘儀読み直してて思ったけど、ルシファーはそこまで悪い存在じゃないね 人間に熱狂や欲望を植え付ける一方、自由を与えた むしろ愛すべき存在という感じすらする
ルシファーは、情熱や衝動や欲望を低級なものにし、人間を地上の存在にしたのに、 人間を霊化させようとする力をも発しているというのは、どういうことなのだろう。 地上への押し下げと、上方への引っ張り上げが矛盾してるように見えるけど
時々見かけるホワイトロッジってなんだろ?って思った 264,『秘教学院の歴史と内容』 265,「秘教学院の認識儀式の歴史と内容』 あたりで詳しそう マニアックそうだから日本語では出版はされないかなぁ
138 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 05:55:03.99 0
今の時代はルシフェロでもアーリマンの時代でもない 20世紀前半はルシフェロの時代だった 20世紀後半はアーリマンの時代だ ヒトラーはルシフェロの受肉でありスターリンはアーリマンの受肉だった そしてルシフェロは幻想と熱狂で人々を巻き込みとアーリマンは唯物論に人を巻き込む ヒトラーは幻想と熱狂の熱い炎で人々を手中に入れて スターリンは鉄のように冷たく硬い徹底したリアリズムで人々を手中に入れた アーリマンとルシフェロは似て非なる存在であり相反する存在だ その相反する存在の対立が最高潮に達したのが第二次世界大戦だった 結局はアーリマンが勝ちルシフェロは敗れその影響力は薄れた そして20世紀後半はアーリマンが強い影響力を持ち支配する冷戦時代となった 続く
シュタイナーアーカイブにすらGA264,265はなかった 神智学系のようだから、シュタイナー以外の本にもありそうだけど シュタイナー以外だとちゃんとした本を見付ける手間がかかるからなぁ
140 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 06:09:39.94 0
そして今の時代はルシフェロでもアーリマンでもない他の悪魔が支配する時代だ で、その悪魔は誰なのかっていうとルシフェロとアーリマンの混血児 アーリフェロあるいはアーリファーとでも名づけようか この混血児であるアーリファーがどうやって生まれたのかというと第二次世界大戦だ ルシフェロとアーリマンの戦争という生殖行為によって悪魔合体してこの悪魔は誕生した 戦争や殺し合いというのは生殖行為だ 物理学観点でいえば原子核同士がぶつかると高いエネルギーを放出して新しい核種が発生する それと同じように人間同士でも同じ事が言える 例えば今の日本人を見ると驚くほど日本人は米国人化してきている 今の日本人の気質は米国人に似てきている それは何故かというと今の日本人の霊性は太平洋戦争という生殖行為によって生まれた米国との混血児だからだ そう戦争というのは生殖行為だったのだ それと同じように第二次世界大戦という生殖行為でルシフェロとアーリマンの混血児であるアーリファーは誕生した
本が廃版になったら妙に高騰しがちだから 神秘学系の分野でも早く電子書籍化が進んで欲しいな
142 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 06:20:37.50 0
アーリファーはルシフェロとアーリマンの特性を受け継いでる 熱狂性・幻想性と唯物的なリアリズムだ しかしこの両方の特性は相反する存在ゆえに互いに打ち消しあう アーリファーが影響を及ぼす世界では 人々は熱狂的な理想を抱く事も現実に徹する事もなく、ただ享楽に浸るだけになる つまり夢を抱く事も現実に徹する事もない人々が増える そしてアーリファーが人間に受肉してこの世に現出しても ヒトラーのような神秘的・熱狂的カリスマ性やスターリンのような鉄のようなリアリズムを持って 人々の上に君臨して世界を戦争や虐殺の渦に巻き込む事もない 何故なら両者の相反する特性を有してるが故に互いに打ち消しあうからだ まるで善と悪の間で揺れる人間のような悪魔 それがアーリファーだ この悪魔が影響を及ぼす世界は享楽のうちに揺るやかに壊死して死に行く 最弱にして最強の悪魔だ
143 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 07:09:58.17 0
そしてこの俺様がアーリファーの受肉だ 俺様の中にはこの二つの熱狂的・幻想的なカリスマ性と鉄のような硬いリアリズムがある しかしこの二つが互いに打ち消しあって俺は実際には現実では大した行動はできないから ヒトラーやスターリンのように世界を混乱の渦に巻き込んだりはしないから安心していいよ
アーリマンもルシファーも、 物質的身体の中に死の萌芽を植え付けて、 自由の可能性をもたらすと同時に、 人間を感覚的存在へと導き、存在への渇望を発生させた。 と、用語集にはあるけど、人間に死をもたらしたのは、悪魔なのか、神々なのか。 旧約聖書的には、誘惑を悪魔がして、死をもたらしたのは神、という感じがするけど
変な人がずっといるなぁ 大丈夫だろうか…
146 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 12:28:37.38 O
とりあえずややこしいからアーリファータソはコテ付けてくれ
ぽてちおいしいお(^ω^)
>>139 それ読みたいな。
一念発起してドイツ語勉強するかなw
それともドイツ語版の全集アーカイブはネットにあるから、それを機械翻訳で英語に落とすか
149 :
考える名無しさん :2013/03/05(火) 23:17:02.48 0
紀元前3000年にルシファーが中国人として受肉したって悪の秘儀で読んだが 誰なんだろ? 中国思想のどこらへんにそういう影響が出てるんだろうか? 考えてもあんまりよく分からん
151 :
考える名無しさん :2013/03/06(水) 00:08:46.72 0
始皇帝じゃね
エソテリックスクールの規則 ダイエットワイン、も含めて、すべてのアルコール飲料、いかなる麻薬や有毒薬物は厳しく禁止されています。 ... すべてのこれらの物質は心に、特に松果体には本当に壊滅的な影響を及ぼす。 「壊滅的」とまでとは。 断酒するかなー難しいけど
始皇帝は前259年だから違う 歴史に名前は残ってないんじゃないの
すばる編集部「中沢新一の連載「赤から緑へ(4)」。 がん化する資本主義。 市場は、「不死」で「腐敗」しない貨幣を用いての 「(貨幣的)富を生産するゲーム」がくりひろげられる空間へと変貌していく。 無機質な「ゲーム」が膨張することで、 有機的で生身の人間社会は徐々に蝕まれ……。 すばる4月号。」 これはシュタイナーも参照してるだろうね
長江文明の時期に目立った人って歴史に残ってるのだろうか?
伏羲とかその辺じゃね
>>152 断酒について述べてるのは読んだことがあるけど、ダイエットワイン云々は初見
その引用はどこからのものですか?
ちょうど自分も断酒を考えていたもので
自信ないけど
話が少しずれるかもだけど、事典によると、シュタイナーはビールよりワインの方が害が大きいとの見解らしい
一方、エドガー・ケイシーはアルコールをやめるべきと書いてる点は全く同じだけど、とにかくビールの弊害を書いていた
この両見解の関係はどうなんだろう?
まあ酒自体をやめることができればほんとは良いんだけど
アルコールは科学的にも脳細胞を破壊する(少量でも)という結果が出ているので もう議論の余地はないやん。
160 :
考える名無しさん :2013/03/06(水) 17:27:06.44 0
>>130 50冊!すごい
そうなんだよね、波がある。
しかも2回読むと、前はわかんなかったことがスラスラ頭に入ってくる。
ルシファーってのは、霊的諸力の一つにシュタイナーが キリスト教的に命名しただけでしょ。 全体として見れば、人間の進歩に寄与してるわけで もっと高いところから見れば、それも神の意思なのだろう。 その意味では当時最先端の文明であったろう中国人に 民族霊的に影響を与えたってことじゃないかな。 もし、本当に肉体を持って受肉したというなら、 中国には昔から神仙道というのがあって、 有名どころでは、呂洞賓とか不死の仙人の話が良く出てくるよね。 呂洞賓がそうではないけれど、仙人って不死だったり、人間の力を 超越していながら、結構俗的だったりするんだよね。 シュタイナー的には地上で経験を積まず 道徳性、善性において確立することなく そういう状態になる事はルシファー的と批判するんだろうね。 ところが神仙道にあっては、肉体的に不死となってから 本当のスタートみたいなところがあって、 とりあえず先に、ある意味霊的な存在となって、 それから後に永遠に近い時間の中で、タオという、宇宙の根本原理と 少しずつ一つになっていこうっていう道なんだよね。 それも一つの道なんだろうけど、人智学的には不健全なあり方、 ルシファー的と批判されるんだろうね。 でも、どの道が間違っているということは無い。 山の頂は一つでも、登山道はたくさんあるってだけの話だとは思う。
過去は道はいくつかあったが今は通る道は一つ、 というより同じ関所を通らなきゃならないという方が近いかも しれんな。
万人のために整備された道は一つと言ってもいいと思う。これは、進化と関係のある話。 でも、だからといって、登山道が一つ、と言いきるのは教条主義的な気が。 個人が選ぶ道もある。
目的や理想と言ったものが何かによると思う。 選ぶ側がどう考えてるかだな。
私は選ぶ側がどうとかの話はしていない。 事実がどうあるか、の話をしている。 登山道が一つしか、今はない、という狂信的な言動を正しいという人が万が一いるのであれば、それは、私達とは、何の関係もない。
自由意志のあるところに善と悪が生まれるとしたら、 天使や悪魔にも自由意志はあるんだろうか? 自由意志は、自我のたまもの? 自我を持っている位階の存在はすべて自由意志を持っている?
たまたま見つかった所だけ抜粋してみる 霊的宇宙論のP199 (前略)この天使たちは、その結果「ルツィフェル的存在」と呼ばれ、地球紀に、 人間のアストラル体に働きかけ、人間に悪の可能性を生じさせました。 そしてそれは、人間が自分の力で自由に進化できるようにするためでした。 ヒエラルキア全体の中で、天使の一部分と人間だけに、自由の可能性が与えられたのです。 いわば天使の系列の中から自由の可能性が始まるのですが、人間の場合にはじめて、 自由が、生きることの本質と結びつきました。
動物界は基本的に、眼に見えぬ霊界のひとつの現れです。 この霊界の現れの中でも、 人間が霊的な働きを間違った仕方で人間社会の中に持ち込むのと同じことを、 人間以前に行なった存在たちがいたのです。 この存在たちによって、動物界の中にも悪が生じたのです。 (「悪について」) 人間は霊的な存在なので(言い換えると自我があるので)悪になることが出来る、 という一方、動物界にも悪を持ち込んだ存在がいて(何が?いつ?どのように?) 動物界にも悪が生じているという。(動物にとっての悪とは何なのか?) 誰がという意味では、動物の霊に相当する集合魂が悪をなした、というかも それでも一体何が「動物にとっての悪」に相当するのか分からないけど
>>165 そんなニュアンスはないと思うが。
ただ私達ではなく自分はとしといたほうがいい。
>>166 人間より進化しているなら当然と思うよ。
自由の概念が生じる前には 自由も不自由も無く、悪も無いが故に そこには真・善・美なる神が存在するのみ。 真・善・美しか存在しないところで、 どうして真・善・美を経験したり、それを理解できるか。 自由意思が有り、悪の可能性が生じたが故に、それを通して 真・善・美を経験し、理解し、表現することができるのではないか。
>>166 天使ような神的な存在なら
その自由意思は、ほとんど真・善・美と一致していて
人間の考えるような「自由意思」は存在しないんじゃないかな。
人間の考えるような「自由意思」ってのは
小我の自由意思であって、どちらかというと
それがルシファー的って事なんじゃないかな。
悪魔なんてものが存在かどうかは知らんけど。
>>172 人間に言う自由意思と違うだろうね。
上位存在の自由ということについて
シュタイナーが何処かで書いていたの
を読んだけど忘れた。w
>>144 人類と宇宙の進化を支配する神霊存在たちは、
人間の誕生と死をこの地上界に生じさせるために人びとがこの地上界での繁栄、幸福を願う、
その願いのすべてにもともと敵対しているような四大霊たちを働かせなければならないのです
・・
神々は、誕生と死を存在させるために、
この地上で人間の平和と安寧を生じさせるすべてを破壊し、
荒廃させようとする衝動を担っている本性たちの協力をも必要としているのです。
(「悪について」)
人間に生と死をもたらそうと企図したのは高次の神霊だけど、
実際にその仕事にあたったのは悪魔ということみたい
花粉症の季節ですね シュタイナーの本に症状が出るのは水かさの多い人と書いてあったのを覚えているのですが、 予防策や症状を抑えるための方法として何か言われていましたか?
シュタイナーの時代にも花粉症なんてあったの?
ありました シュタイナーの開発した薬剤を注射したとあります でも予防方法とかはその本には書かれていないのです 多分あると思うのですが・・・ ご存知の方いたらお願いします^^
花粉を燃やして部屋にばらまく(嘘)
それにしても昨年の一年分の花粉が今週末だけで飛ぶのは異常だな… ほんと、どうなってるんだ…
動物界の悪は寄生虫とかウィルスのことでしょ
アレルギーは腸内細菌叢が悪いからかかる
寄生虫はアーリマンの働きの結果みたいなこと言っていたね 寄生虫を生み出す働きと、人間の脳を生み出す働きは同じ存在によるとかも
今日の空はやばかった。黄砂ではない、と言うがそれこそ本当なのだろうか…
ミルトンの失楽園を読んでいるのだけど 堕罪に関する考えが人智学とほぼ同じだ 神がみずから意志的にサタンに許したからそうなった、という
偽ディオニシウスの天使の位階を採用していたりと ネオプラトニズムの影響をかなり受けていると思うのだけど ミルトンって何者なんだろう 表面的なプロフィールからはそういった情報は読み取れないけど
>>185 もし人間の小我や不完全な智慧から見て、世の中の全てが
「良いもの」だけになったら、随分と破綻した世界になるだろうね。
ヒトラーがそういった事を現実に実行していたよね。
いつか我々の全てが、神に限りなく近づく日が来るだろうけれど
その時、後ろを振り返ってみれば、
サタンやルシファー、アーリマン的存在すら、全ては良いものと
思えるんだろうね。
「アーリマン=サタン」や「ルシファー」が良いものかどうかは置いておくとしても、人生の中で生じる自分にとって一見都合の悪いイベントは、過ぎ去ってみると自己を成長させるかけがえのないものだった、とよく感じる。 そういう解釈に意識が向くようになったら、どうしようもないほどキツイことが起こった時に、立ち止まって自分を振り返る癖がつく。 振り返って見ると、苦は「私の悪へ意識を向けるさせるための善の諸力」だと感じる。 だから、苦は善の暖かい眼差しとも形容できる。 悪は善への志向性を持っている。それは、私の歩む成長の道のりでもある。 またそれは、神が私に自由になれ(責任を取れるほど自立しなさい)と訴えかけているようにも感じる。 悪を外に見るのではなく、自分の内に見ると、色々と腑に落ちる。
190 :
考える名無しさん :2013/03/13(水) 17:42:51.97 0
春霞じゃね? 道路が舗装される前は、 もっとホコリっぽかったのでは。
191 :
考える名無しさん :2013/03/13(水) 17:52:16.39 0
>>188 人間が全て良いものになっても、まだこの世界の美しさ、完全さに我々が釣り合うだろうか?
不幸は、いつも積極的で肯定的だ。
幸せは、いつも消極的で否定的。
だから、平和に飽きることなく。
退屈も楽しめるといいね。
192 :
考える名無しさん :2013/03/13(水) 17:57:45.54 0
>>189 ですね。おっしゃる通りだと思う。
悪魔はあくまで内にいる。
日本だと鬼ですか。
自分の中の低劣なところを脅かして、なんとか高めたい。鬼とか悪魔のパワーを利用できないかな?
生命って何だろうなぁ 死が生まれる前から、生命はあったのか? その時「生命でないもの」もあったのか? あったとしたらそれは死ではなかったのか?
>>192 私は自分の中の「悪魔」については話していません。「悪」について話しました。
「悪魔」の力を利用するのは黒魔術ですが、私はそれに何の興味もないので詳しくないです。
また、「悪」も利用はせず、善に変容させることに興味を持っています。
195 :
考える名無しさん :2013/03/14(木) 01:40:29.28 0
>>194 はあ、さいですね。わたくしが間違っておりました。あなたみたいにうまく言えることができなかった。
黒魔術とか言いたそうに思えた?だったらすまそ。全然興味ない。悪と悪魔は違うとお考えなわけね。悪を善に変容ね。ふーん。すごいね。
俺が言いたかったのは、低次の欲望を黒く燃やして、高めたいんだ、黒い十字架みたいに。そのためには、力が必要、知恵も忍耐も必要だべ?
悪の可能性はいつも認識しているべき。それを目開けて見てられるか、自分の内面の悪に向き合えるか。
それができないから、今もがいてんだよ。もちろん、できないのは当然。必要なのは、そこに向かおうとする態度。ていうよね、うんわかってる。
196 :
考える名無しさん :2013/03/14(木) 01:47:02.81 0
低劣な欲望は、興奮する。 それがタブーであるほど、燃える。 このことが、わたしを苦しめている。シュタイナーは、自らの性欲すらコントロールできないなんて精進する資格なし!っておっしゃいますけどさー、禁欲もだめなんでしょ。どーすりゃいーのさ!オナニーだけしとけって? 情熱を現す赤い薔薇のように、高次に昇華させる方法があれば、伝授してくだされ!
出来ないことは置いておいて、できることから始めてみれば? いやいややるもんでもないし、無理してやるもんでもないと思うなぁ。 それに、今無理して進化を早めなくても、できる限り正しく生きようと志向し、普通に生きてゆくだけで、輪廻の力で成熟するのだから、安心して生きてゆけばいいような…
むしろ、焦ったり、急いだりするほうが悪い結果を生むと思う。 蛇の誘惑で肉体への受肉が早すぎた人類なのだから、今度はゆっくりまったりでいい気がする。 最後にゴールに辿り着く人が一番凄いってどこかの偉い哲学者も言ってるし。
>>196 >シュタイナーは、自らの性欲すらコントロールできないなんて精進する資格なし!っておっしゃいますけど
是非ともこの部分の出典を教えて下さい
シュタイナーの欲望についての考えは込み入ってますよね
貴方の言うように禁欲も駄目みたいですし
シュタイナーは×1だから性欲はあるっぽいな。 神秘家はセックスレスが望ましい。
言っとくが自分が自分自身について綺麗事を外に 吐く時はでかいエゴがある、つまり利己的な人間 だという事に気づけよ。 おのれ自身を知ろうとせず間違っても成長しようなど 傲慢過ぎるな。 シュタイナーも対して関心はないが読んだ限り誰も本は 読んでも行や瞑想などしてないみたいだな。
( ゚д゚)ポカーン 自己紹介にしか見えない このスレの中でもかなり傲慢な部類の書き込みだと思うよ
最近、スマホやIHから出る電磁波への健康被害が言われていますが、シュタイナーはなんと言っていますか。
>>202 わかりやすく書いたからな。
ある特定のスレに対して言っただけだ。
気にするな。
自慰行為や性行為についてシュタイナーは何と言ってますか?
>>201 未熟な自分を抱えて、それでも前に進まないといけない人は沢山いる。
それが大半だと思う。
そんな人が歩ける「正しい道」は「人生」しかない。
あなたのはブルジョワな香りがします。
生きている人間で、正しくあろうと望む人たちは、傲慢であろうがなんであろうが、前に進もうと試行錯誤します。 歩く仕組みを知る前に、人は現実問題、歩いています。 その歩くを「行や瞑想」というのであれば、「人によってはその前にやらなければならないことがある」といか答えられません。 教条主義的な人間は大道には相応しくない。大道について語っていないのであれば、不適切なレスだとおもう。
>>107 巨人について考えていて気付いたのだけど
この地球心魂って、文脈上ガイア的なものを念頭に置いてるね
ギガントマキアで、ガイアは巨人に与する
みずからも神であるガイアが、何故巨人の側にそんなに肩入れするのか、以前から不思議だったけど
天界的な力と拮抗するような地上的な力が、人間の中にはあった、あるいはある、ということだろう
>>207 普通ここでいう瞑想や行はシュタイナーが言うもの
だと思うけど。
シュタイナー関係無しに人生修行だとはよくいうからね。
いろいろ興味や勉強の一部として人智学やシュタイナー
なら大道もあると思うが、そうでないなら大道なんて
ないな。もっと厳しいものだと思う。
スレ見てくるとその内容より、気分や態度の中にそれが
出てる人がいるね。たぶん気づいてない。だんだん融通や
寛容がなくなってくる。
賛意があっても、私はあなたと違うって態度のがありあり
してくる。
ある意味シュタイナーがどう言ったか、言わなかったか は重要だと思う。 教条的、教的はダメだと言ってる他学問の一応専門家 がいるんだがそう言ってる人に限って実は勉強不足で 詳しくなかったりする。 錯覚や誤解が生まれるとすると学問や教えみたいな ものは目に見えないだけに自分かってに融通性が効いて しまうところだと思う。 もし有人ロケットを月に飛ばすという目標が第一段階 にあったとすると曖昧、適当、見切り、その他もろもろ のいい加減さなんて許されないだろうななんて思って しまう。 まあ学問やシュタイナーは強制されているものでも 義務でも、目標でもないから関係ないかもしれないが。
ニーチェは、なんか読んでて辛いな 中二病っぽいっていうか キリスト教ディスの時点で、あーなんか大したことないなって思っちゃう
212 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 13:27:32.20 0
無農薬じゃがいもうめぇ
ニーチェはイエスの死後僧侶に歪められたキリスト教を批判しただけでイエス自体は批判していないんだよね 「私はキリスト教の本当の歴史を語ることにしよう。そもそも『キリスト教』という言葉がひとつの誤解である。要するに、キリスト教徒はただひとりしかいなかった。そして、彼は十字架につけられて死んだのである」 ニーチェ『反キリスト者』
その引用を読んでも「?」って思う もったい付けて何か言ってるようで何も言ってないような。 衒いだけが伝わってくる。
神は死んだってフレーズは キリスト教における唯一絶対神を批判したものじゃなかったっけ?
ニーチェとドストエフスキーは、かっこつけたところが過剰に評価されてるように思う 昔からなんか好きじゃないと思ってたけど シュタイナーを知ってしまった今となっては余計に辛い
シュタイナーって、衒いがゼロで、真実性は圧倒的だからね シュタイナーの衒いのなさはすごい 欠片もないんだもの
しかしそのシュタイナーの尊敬する哲学者の一人にニーチェの名前があがっている ソース 自由の哲学 (イザラ書房)
私はニーチェの文体を愛したし、彼の勇敢さを愛した。 しかし、ニーチェが最も深い問題について語る方法は、まったく好きではなかった。 彼の魂はその問題に、精神的体験をとおして意識的に沈潜してはいないのである。−自伝− ソース シュタイナーbot
もっとも深い問題に関しては発狂しちまったからな 代わりにユングが発狂寸前で体系化してくれたらしいが
>しかし、ニーチェが最も深い問題について語る方法は、まったく好きではなかった。 中二病とルシファー的諸力の関係について誰か話せる人はいないのかなw
シュタイナーほど先鋭的じゃなくて、霊視力のある目を持った学者がいたらいいのだけど、なかなか。 霊視力のあるのは、芸術家の方が多いかも。 でも学者の客観的な文章を読みたい時もある。
人智学って一体何なのだろう。
私にとっては未来の世界の学問。人智学がそれとイコールにならないかもしれないけど、ようは、同じ直線上にあると思う。
その意味で大道。人智学を宗教的に捉えると、それは別に人智学でなくてもいい。
神智学ではなく、人智学なのだから、
>>210 的に厳格ではなくても良いような。
でも、言ってることは正しいと思うけれども。
ゆるいのもありだと思うけどね。だって、自我はそれぞれのペースがあるわけだから。間違っていいわけ。それは次の学びに結びつくから。
間違いを恐れたら何にも出来ないよ。それよりも、未来の冒険を人類はするべきだ。
ちょっとルシファー的だけど…
224 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 06:19:36.03 O
中学生のルシファー好きは異常
またシュタイナー本読んでる 「一行一行がいちいち本当」というこの体験は本当に得がたいな そんな本、ないし
>>223 それぞれのペースと立ち位置でいいんじゃない?
時期が来れば自ずと規律というか厳格とは微妙に
違うが精神的にも生活的にも割と厳しい習慣を送る
ようになる。至って真面目に。
ただそれは外からでも自分の意志で強制的
でもなくそうなって来る時があると思うけど。
人智学に関わってたらの話だけどね。
納得する=本当の事 という図式が成立しているのだとしたら、ちょっと心配になるな
まあそういうな。気持ちはわからんでもない。
まぁ、それは当然の意見だろうけど 正しいことは正しいと分かるし、実際に正しいんだよな 自分の中の何よりも信頼のおける部分が感応したことに関しては そこを否定すると人智学徒になるということ自体が不可能になると思う
>>226 そうですね。とても誠実な言葉だと思います。
人間はこの賢い女たちの形姿のなかに、 まだ意識魂こそもっていなかったけれども悟性魂はすでに有していたころの自分自身の形姿を 繰り返し見ているのです. … これらの女性的な存在が現われるときに、「姉妹」の概念が頻繁に出てくるのはそのためなのです。 と「メルヘン論」にあるけど、 賢い女性や姉妹が出てくる昔話って具体的に何だろう?
ギリシア神話のメティスはそうかな
メルヘン論が入ってる書籍の名前を教えてください 是非読みたい
>>233 久々に言うなあ
ググれカス!
「メルヘン論 」 シュタイナー
「泉の不思議―四つのメルヘン」 シュタイナー
「ルヘンの世界観」 ヨハネス・W. シュナイダー
三つ目はシュタイナーではないが読んどいたほうがいい
読んだのは「メルヘン論」だけど下二冊所有してなかったから注文した
メが抜けてた「メルヘンの世界観」な
ああ本棚にもう一冊あった。 「メールヒェン・「緑の蛇と百合姫のメールヒェン」に開示されたゲーテの精神」ゲーテ、 シュタイナー 俺の持ってるこの本は品切れだと思うが手に入れるなら中古かな。 「ゲーテ―精神世界の先駆者」シュタイナー にも若干メルヘンについては書かれてると思った。 細かいところでは数冊触れられている著作があると思ったが本広げる面倒だから勘弁な。
「メールヒェン・「緑の蛇と百合姫のメールヒェン」に開示されたゲーテの精神」 は「ゲーテ―精神世界の先駆者」の中に訳者違うけどシュタイナーの解説が 載ってるから買わなくてもいいかも。たぶんそうだと思った。 最初の方は発売当初読んで以来だから記憶が定かじゃないが解説は 百合姫に関しては解説は同じだと思った。20年前ぐらいに読んだから自信はない!w やっぱり本ひろげるの面倒だから確認は簡便な。
シュタイナー歴20年の人がいるんだ。 それに驚いたw
240 :
233 :2013/03/21(木) 01:55:46.91 0
>>239 にちゃんねる歴も長いぞ
エロ板と哲学、心理板にしか常駐しながなw
シェリングに興味を持って、シュタイナーが何を言っていたかと思って「哲学の謎」を読んでいたら 思考力の圧倒的な強靱さにくらくらした シュタイナーをトンデモと思ってる人は、 シュタイナーが神秘学以外のことについて書いている文章読めば、 そんななまっちょろいものじゃないってすぐに分かると思う 超人的な思考のタフネスというか 多分日本人は肉体的に無理なんじゃないかなって思う
日本人は感情優位なんだっけ そうでしょうとも!って思う 日本が世界的な哲学者を輩出しなかったのも当たり前に思える
シュタイナーは孤独について何か語っていますか 自分は集団の中で孤立する事が多いです 孤独は何かのカルマなのか、あるいは何かの意味があるのか
特に取り上げては語ってないです 性格に関しては気質を語っているけど、それをカルマと関連して語ったのは見たことないな・・
>>244 カルマとか意味があるない以前の問題だと思うが。
仮にカルマや意味がわかったとしても集団の中で
孤立しやすいのは変わらんと思うぞ。
シュタイナーより巷によく出てる心理系の本でも
読んだ方が参考になる気がする。
集団の中に個を持ち込み過ぎると孤立する傾向はある。
それは受動的でも能動的でも同じだ。
もし自分が孤立していると感じることが多ければ
孤立していないやつがどういう気分と態度を取ってる
かそれを観察して自分と比較しれ。
シュタイナーは花粉症の予防策に何か言われていますか? 毎日毎日、花粉症が辛いです お願いします
今更だけど、自由の哲学で言う「思考の観察」って すでに超感覚について語ってるんだよね 一言も超感覚という言葉を出さないまま語ってるから、 普通の人間がそのままで(超感覚を得ずに)できることのように思ってたけど、 そうじゃなくて。
「自由な存在とは、自分が正しいと見なすことを欲することのできる存在である。」 この「自由」は、悪魔に与えられた自由を止揚した自由のことだよね いや違うな 悪魔に従うことは、神に自由意志なく従うことと同様に自由じゃないんだから、 悪魔は人間に自由を与えたのではなく、自由の可能性を与えただけか
>>241 常駐してるスレも凄いなw
流石、シュタイナーが好きなだけあるw
自由ってのは、自分の欲する行動があり、その結果も十全に把握した上で、その行動を選び、実施することだと理解している。 悪魔的なのは衝動に何らかの行為を強いられて、それを行うこと。 人として生きて、だからこそ低次の衝動に支配されるのは悪魔的だけど、それを浄化すると、高次の衝動が芽生える。それは高次の個性。その個性が全ての責任を見通した上で選ぶ意志が自由意志。 自由と輪廻って関係あるのは何となくわかるけど言語化できない。 天使的な高級自動人形と人間の本質的な差異ってなんなのだろう…
「メルヘンの世界観」届いた まだ触りだけど、読みやすくておもしろい 教えてくれてありがとう
>>254 それはなにより。
だいぶ前に読んだ本だがいい本だと思う。
関連書でも面白い本はたくさんあるからな。
人智学関係の人の本や講演は下地にやはり人智学があるが 学徒っぽい人間の本や講演は人智学を勉強するにあたっては 何の参考にもならないな。 シュタイナーや人智学の紹介本や入門本ならまだましだけど。 どの学問もそうだけど下地、基礎、理念のはっきりしないもの は何読んでも、勉強しても結局はその人の単なる考えでしか ない。 botの話が出たけどそういう面ではエンデはあまり好きじゃない。 考えや発言の根拠が見えずらい物が多い。 まああまりこういうこと言うとなんだけどね。
でも人智学が個我に活かされて展開してるのは良いことだと思うなぁ。 モノづくりで最終的にアウトプットされるのは「人智学」じゃないから。
「何の参考にもならない」の根拠が脆弱すぎる 他の人智学徒がシュタイナーから何を学んだのかは実際大いに参考になるよ
まぁシュタイナーの言葉を材料にして勝手な考えを展開してるだけの意見もネットでは多いけど 優れた人智学徒も当然いる 洞察力をピカピカに磨き上げるのが人智学なんだから、そんな人の意見が参考にならないわけがない
誤解があるようだが 人智学徒っぽい人のことを言った。人智学徒が人智学を 個人的にどう受け取ったかは参考になる。人智学徒の定義 は難しいところだが。 ただ比較としてシュタイナーや人智学をどう見るかなどは 特に無用だとは思ってない。
たまに名前の出る井筒という人が人智学徒なら シュタイナーを学ぶ上では参考にするが、 そうでなく読む場合は井筒という人が 主幹に置く学問が何かを認識した上で 読むだけだ。 それを人智学とどうこう考える余裕や時間を 人智学、シュタイナーの論述の内容、量が 作ってくれなだけだ。 論述そのものを読み解くのに精一杯というのが 正直なところだ。 ずっと前から学んでいる人がいるのは羨ましい。
人智学以外の本も人智学の理解におおいに役に立つよ 真理は一つなんだから、人智学徒だろうが何だろうが、語っているものは同じ 人智学を「真実について語っているから」ではなく「人智学だから」信じるのなら それは反人智学的な態度だと思う
いや実際、このスレにいる人は「人智学だから信じている」「シュタイナーが言ったから信じている」のが大半じゃないの
>>263 私は262じゃないけど全然違うよ?
っていうか、そんな人は人智学より他のカルトに興味持つのでは?
人智学に興味ある人の大半は私も262のように考えてたんだけど違うのかな…
シュタイナーには「衒い」云々が全く無いと書いてくれた人、ありがとう 何故これほどまでシュタイナーにひかれるのか、理由の一つとして深く考えるところがあった 現在、晩年近くの講義『宇宙的人間論』を読書中 以前に途中で放り出したけど、そして第一部は今でも自分には難解だけど、そこを越えたらやはり圧倒的な印象と感情を受けます
人智学を信じている人が多いと思うのは 誤解だな。 少なくとも広範囲にシュタイナーを読み 込んでいるなら信じるという形で理解は 不可能なのはわかるはずだ。 ある程度レスをみてきてもそう思われる人は いないな。本来の人智学より外でからなんら か個人的な病気や悩みなど救いを求めている 人は最初は信じるという傾向で関わるかもしれ ないが。
結局は真理は一つだから今学んでいることは いつかそれに到達するからよいのではと思うが それは違うな。 人智学だけを学んでシュタイナーの教えに従えば いつかは真理に到達する。やはりそれも違う。 学ぶべきものの気分や態度の問題だと思う。今の ところ人智学を学んで自分の生や社会に対して せっぱ詰まった感を有してる人はあまりいない だろう。 興味や関心の一つが人智学であるなら内容の深い ところで人智学を議論するのは無理もない。 だがそうでない所を意を持ってる人にとっては 人智学の内容は単なる学ではないと言いたい。 わたしには外的にも内的にも大きく関わる問題 だから
268 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 20:37:53.18 0
シュタイナーの言ってることが唯一だ とは思わないが、少なくとも多くの学問 はどんなに難しくても外的には努力で 理解できる。 が、内的に理解出来なければ先に進めない 学問もある。人智学はその一つと思ってるな。 教育関係の本で子供の成長過程に得られる能力に ついてその根拠が再生(輪廻転生)にかかわって述べ た時、神秘学的な説明ではなかった。 しかしシュタイナーはこの私が言ったことを理解できず 生まれ変わりについての認識を得ることができないのは 人生を安寧に生きてきたからだと言った。 読んでいて手厳しいと思った。それで俺にとっては無味乾燥で 理解困難な、読み飛ばした「自由の哲学」を何回も読んだっけ。
ギターは教則本を読むだけでは上手くならない。絵画、サッカー、医療、何だって同様。もちろん程度の違いはあれど。 内的に理解できなければ先に進めない。 ギターは30歳になるまでは唯の木の板だって音楽の勉強してた時の師匠がよく言ってたなぁ。
NHKのアイスマン観てる B.C.5300年だから、インド文化期だな 鍼灸治療の跡もあったらしい
人間がイメージによってものごとを捉え、自分の外に神々を見ていたころの意識は、 「イメージ意識」あるいは「神話的意識」と呼ぶことができます。 メルヘン、伝説、神話は、そのような神話的意識における体験を描き出しています。 ... 人間が、水、風、泉などの自然のなかに働いている力を神として見ていた時代があるのです。 ... 夢のなかで、イメージがリアルに体験されるのと似ています。 いったん眠りに落ちて、夢を見ますと、 腕に局部的に感じられる圧迫感が一つのイメージになります。 ... あるいは、小さな植物の種を見ていて、似たような体験をもつこともあります。 植物の種には成長の力が働いており、とても小さなもののなかから、非常に大きな力が芽生えていきます。 この植物の種を「イメージ意識」で見るとしますと、 小さな種は消えてしまい、成長の力が大きく拡大されます。 花や植物は巨大に見えるかも知れませんし、そこに働いている生命の力は、 具体的な存在になります。 泉の神とか、花の精とか、そういったものがそこに見えてくるわけです。 (「メルヘンの世界観」) この霊視の説明は分かりやすいと思った。 夢の中のイメージのように、変換された「像」なんだね、文字通り。
自分が他者の力に支配されているのに、 その行為を自分の行為だと呼ぶことだけはしないでほしい。 自由な精神の持ち主は、 外からの強制から自分を引き離す。 そして慣習や掟やタブーなどのガラクタの中にいつまでも留まろうとはしない。 人間は自分に従う限り自由であり、 自分を従わせる限り不自由なのだ。 (シュタイナーbot) 「ガラクタ」なんて言い方してたっけ? 微妙に煽り気味でワロタ
「メルヘンの世界観」、本当いい本だね 読んでいて感嘆しきりだよ シュタイナー本人以外の関連書でもこういう本があるなら、 チェックする範囲を広げる必要がありそう ここまでいい本は、なかなかないかもしれないけど
だから読んどいたほうがいいって言ったんだ。 ググってもピントを合しきれない本もある。 都会に住んでいて紀伊国屋や書泉あたりに 足を運べば見つけることもできる。 そういう意味では人に聞いた方がよい情報も 得られるかもな。 関連本の中にはけっこう内容の濃い本はたくさん ある。具体的にタイトルは出さないがシュタイナーの 著書や講演録とは別の角度からの理解も得られる。 シュタイナー歴が長いと神智学系はもちろん占星術 グノーシス、魔術系etc から哲学、心理学、生物学 宗教学、農学、教育学、数学、天文学、医学などなど 読む羽目になるな。 問題はというと本の整理と頭の整理に追われることだ な。あと性エネルギーが思考力に回るから彼女がへそ 曲げることが多くなることだわw
あと読んでいて思ったんだけれどシュタイナーの 教育関係の主要だった本は読んでおいた方がいい。 これは子供がいるから教育するとかとは別に大人になった 自分を違った意味で見つめなおすのと人間そのものを 成長という経過を通して理解するには大変参考になる。
あとオイリュトミーは興味なかったけれど オイリュトミストに見学させて貰いに行って せっかっくだからやれってことでやってみたけれど けっこうおもしろかった。機会があればやってみれ。 関連本で得るものがあって記憶に残るのは 「癒しの隠された意味」 セルゲイ・O.プロコフィエフ かな。関連本でさらっと読もうとしたがなかなか よかった。 あと機会があったらゲーテの色彩論、形態論、地質学論集 も読むと面白い。 他もメイベルコリンズの小冊子やシュタイナーでも一般聴衆向け ではない小冊子、などなど言い出したらキリがない。 あとネットも深い階層やグーグルでも数百ページ検索すると シュタイナー関連の論文がたまに見つかるから面白い。 PDFにしてタブレットに放り込んであるけれど結構な量だ。 まあ知ってると思うが、トポスのホームページにはシュタイナー の訳がPDFになってるのあるから読ませてもらってる。
多くは読むという形でシュタイナーなどは(シュタイナーに限らずだけどな) 15分でもいいから1日のうちに読書の習慣を持たないととてもまともに読み 切れないぞ。 誰かの講演、西川さんだっけか忘れたけど言ってたがシュタイナー読む 習慣があるとエーテル体にも力があふれるぞw
ああわりい またタイトル間違えた。 「赦しの隠された意味」 関連本は発行部数が多くないうえに一般書店に 流通を持ってないものもある。品切れになると 再販がないか再販まで時間がかかる場合も あるからシュタイナー関連に限らず自分が勉強してる ものはこれはと思ったら金を惜しまず買いあさっておけ。
エーテル空間 (耕文舎叢書) ってやつは? ちょっと気になってる
「赦しの隠された意味」って、昨日見て気になってた本だから注文してみた
>>279 買っとけ。
買わなくてよいのは昔あったロマなんとかで出した本とか
幸福の科学で出してるシュタイナーが出てくる本とか
多少読んで知ったかぶりでシュタイナーの名前が出てくる本
こういうのは買う必要なし。
「道元とシュタイナー」とか「京都学派の誕生とシュタイナー」
みたいな本はシュタイナー研究者みたいな人は買ってもよい。
訳者が著者の本はいち読者や研究者の立場からどう理解しているか
わかりやすい部分があるので読んでも損はない。
訳者が違うシュタイナーの同著っていうのが多数あるが どうせお前らドイツ語や英語なんぞろくったまできないは ずだから(俺も同じだw)微妙に違うニュアンスを味わうた めに金に余裕があるなら買っとけ。 たまに新たな発見や理解がある場合がある。ただ全体を 読むにあたって大きく訳で意味が変わるところじゃあないけどな。 訳者の方々のおかげで苦労なく金出せば本は買えるが、 読んでいてこの訳はおかしいだろってところが無いわけでは ないがまあそこは愛嬌だな。
>>279 ああ耕文舎叢書では他に4冊ほど出てるが
バイオダイナミック農法やゲーテに興味がある
あるいはシュタイナー教育に関心がある教師
は買って読んでおくとよい。
ここの12感覚についての本など他のシュタイナーの
気質や心理学の講義、天体と人間に関する講義と
併せて読むとよいと思うわ。
あと西川さんには大変申し訳ないが シュタイナー用語辞典はおれはあまり読まない。 一つの意味するところを著作から理解しようとしないと 安易にまとめられた言葉で知識として飲み込んでしまう おそれがある。いちおう俺の経験だがな。参考にしれ。
用語辞典は、多分向こうのそういう本の訳なんじゃないかな シュタイナーの全著作から言葉を調べ上げるとか 一人の人間の一生分のキャパを余裕で超えてるし
今度本人に聞いてみるわ
知り合いなのかw
「世界史の秘密」によると クザーヌス[1401-1464]が コペルニクス[1473-1543]に生まれ変わったという 十年も経たずに生まれ変わるなんてことがあるんだね 通常の転生じゃないんだろうけど
1250年の衝動ってなんだろうと思って「世界史の秘密」を読み返したけど ぼんやりした書き方でよく分からないな 薔薇十字的霊的自然科学と唯物論的自然科学がともに始まった年のようだけど。 オーバーリンに関する記述も、何かもっと大きな文脈の断片だとは思うんだけど、 それがなんなのか・・
一二五○年の時点で地上に注ぎ込まれたものは、 この方法でさらに働きつづけます。 二つの流れのうち一方はますます唯物論になっていき、 もう一方の霊的なものを目指す流れは、 とくに薔薇十字の啓示として伝えられています。 薔薇十字の啓示は、すでに以前から用意されてきたものではありますが、 そのもっとも力強い出発点は一二五○年です。 何が地上に注ぎ込まれた?
俺の愛だ。
アーリマン衝動
アーリマン衝動が薔薇十字の啓示の出発点になったの?
なんとなーくだけど。 人智学は理路整然と整理されててルシファー的というよりもアーリマン的なものを感じる。 科学の基はゴンディシャプール学院のアラビア主義だし、それは意識魂とも関係あるし… もっといえばアラビア主義がヨーロッパに合流したのが13世紀だから丁度いいでしょ? ゲーテアヌムにも一部アーリマン的な形態を意図的に組み込んでるって何処かで読んだような。 もちろん人智学はその潮流へ対抗するものだろうからネガティブな意味じゃないけど。
唯物論が進んだことを考えると、アーリマン衝動に近いものだろうと思うけど 具体的にそれについて語っていないのはなんでなんだろう 1800何年かにも、アーリマンは地上に墜ちてきたんだよね それについても詳細に語らないのはなんでなんだろ
微妙なニュアンスの部分だから勘違いされるのを防ぐためなのでは? 分からないけど。 現代にアーリマンもシュタイナーも受肉してるらしいけど、そんなこと公で話せばトンデモだよね。 オカルトチックでムー的な人が飛びつきそうなネタ。人智学は粛々とやるべきことをやるのがいいんでないでしょうか。
シュタイナーは理路整然と語っているが一面的に語ってない。 悪的諸力に悪の秘儀で語ったとしても次の時には病気の項目で また次には歴史の項目で、宇宙論で、教育で、カルマで、キリストで・・ と言うように各論の中でそれぞれ違う面から語っている。 頭を悩ますところが興味や面白さの中で曖昧に把握すると それぞれの関連がぼやけてうまく把握できなくなるってことだ。 実際はある程度細かく語ってはいるはずだが それに答えるなら目次的な答え方が出来ない そこがまた悩むところだ。
まあシュタイナー教育のエポック授業じゃないが 各論については講義録をすべてそろえることは できないとしても一つの項目を一定期間で読んで 次また一定期間へって辿らないとつながりがよく わからなくなる。 時たま一つのタイトルでバラバラな講義録を 抜き出した本があるが章ごとのつながりを 測ることが出来にくいことがある。読むには 読むがほんとにコーヒータイムみたいな 読書で終わる。 ちなみに教育関連を読むときはずっとそればかり の本を読み続けてる。またある期間はずっと同じように 歴史関連だと、神秘学概論からアーカーシャ年代記、秘儀の歴史、 歴史の中のカルマ的関連、世界史の秘密、東洋の中の西洋・・・ みたいに。
最近メルヘン論を読んでる人がいたが 俺が読んだときは同じようにメルヘン論の関係 ゲーテ関連、色彩論、音に関して・・・と言う風に 関連を探し出して読み続ける。 時には関連によって重複して読む本があるが そうしているうちに何度か同じ本をあらためて あるいは3回、4回と読んでいくので新たな 発見や理解も生まれるわけだ。
シュタイナーの語っていることでコアの部分は4大主著だけど、それ以外ではカルマについてだと思う。
カルマは個我に即した教育システムだと理解しており、そのシステムをシュタイナーほどちゃんと語っている人をまだ知らない。
カルマへの理解が現代の個我の深刻な問題の殆どを解決するのではないか、と朧げながらずっと感じています。
でも全然理解が出来ていない。
>>299 さんの学び方を見て、それに取り組もうと思いました。
誰だか知らないけれどありがとうw
>>301 一応俺の経験だわ。長く読んでるからな。追加で書く
なら必要に応じて読んでいるシュタイナーの本に出て来た
本や名前の著者の本も関連で読む場合もある。
まあそれはおれの読み方だから一応参考にな。
違う学習の仕方もあるかもしれんし、気づかなかった
資料や情報もあるかもしれんのでスレ住人たちも
そういうのがあったらたまには書き込め。
シュタイナーよりエロ板の方にはよく書き込むけどなw
人智学は精神科学、霊の科学だから、そういう意味ではアーリマン衝動かもね
まあその衝動はどうかと思うが、衝動とは 別に現実世界では必ずアーリマンやルシファー の影響を受けるのは確かだ。もちろん 善的存在の関与もあるにはある。 単純に言うが何かの発展には必ず道具を使い、 情熱を要する。その時点ですでに両方の影響力 がすでに混入したことになる。
それはおいおいとして おまえらがたぶん見逃すだろうと思う関連本でよい本 を教えとくから機会があったら読むがよろしい。 「バイオグラフィー・ワーク入門」グードルン・ブルクハルト バイオグラフィー・ワークが何であるかは書くが面倒だから ググれ。今まではシュタイナーという対象をみてたが たまには自分や他人を対象とするのもいいかもな。
色彩論を理解できる人はいないと思う。
理解が難しい理論はたくさんある。 ただ学びは理解への途中経過でもある。 理解できないものが理論として存在している ことはまずない。
今分かる必要はないんじゃないかな 「書いていることは分からないけど、ここには何か真実のものがある」という感覚さえあれば いずれ分かる時が来るのでは 人智学は自分にはずっとそういうものとしてあり続けてきた
>>302 今度気が向いたらエロ板のどれか教えてくださいw
>>304 >単純に言うが何かの発展には必ず道具を使い、
>情熱を要する。
これ、文化の発展の歴史を振り返ると本当にそうですよね。
道具がアーリマンで情熱はルシファー。
で、現代から見ると情熱はそんなに変化がなくて道具だけが凄いスピードで発展していってる。
そのスピードの早さは欲がトリガーになってて、どこまで行っても底がなくて、凄いスピードで進んでるんだけど一歩も先に進んでいないような感覚に良く似てる。
情熱の中身がどうか、によって道具は正しい方向に軌道修正しなければならないような気がする。
道具が人類の発展において正しい位相を取り戻すためには、正しい情熱が求められる。
改めてですがそう考えるとルシファー的なるものの克服が常にアーリマン的なるものの克服よりも先行していないといけないんだなぁと思いました。
もちろん逆のケースもあるだろうけれど。
ようは資本主義は情熱を狂わせますね…
いつの時代においても道具をつくる人の方が小数派だったと思いますよ なんとなく使うだけなら情熱なんて要らないし
情熱のある人が道具を作って、その道具が別の情熱のある人に別の道具にされるのでしょうね。 使う人は使わせられる人だとも解釈出来ます。
>道具だけが凄いスピードで発展していってる 道具の発達と同時に技術も発達するし、物資も豊かになるし、教育レベルも上がるし… 昔からくだらない発明なんて山ほどあったと思う それらは淘汰されて忘れ去られただけで
道具=技術という意味でもあります。 今の技術の発展とその速度は凄いですよ。異常です。 あと、「作る人」は昔と比べて劇的に増えていますし、これから加速度的に想像できないぐらい増えます。 障壁が道具=技術で取っ払われてきてるからです。 まぁ、話題が横道に逸れたのでこのぐらいに…
シュタイナーがどういう講義をしたか、何を言ったかそれを
もとに語ったり学んだりするのもいいがそれぞれに持つ意見
や考え方を語り合うのもまた学習でいいんじゃない。たまには。
>>309 おれとは言ったが、おれが男とは限らん
女でもエロ板に書き込みをするという意外性があるかもしれんぞw
何かにかんして先入観は排除しないとな。シュタイナーに関しても
同じだ。
赦しの隠された意味読んでる これもすばらしいね 天にまします我らの父よ 願わくは @み名をあがめさせたまえ Aみ国を来たらせたまえ Bみ心の天に成る如く地にもなさせたまえ C我らの日用の糧を今日も与えたまえ D我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ E我らを試みに遭わせず F悪より救い出したまえ 国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり アーメン この「主への祈り」のそれぞれが、それぞれの文化期に対応しているという この冒頭の下りで一気に引き込まれたよ
シュタイナー自身、青年時代からクリスティアン・ローゼンクロイツの直弟子であり、 またそれらの著作に書かれている霊的修行を自ら実践してきました。 (「赦しの隠された意味」) 直弟子って。 ローゼンクロイツの霊から直接教えを受けていた?
「赦しの隠された意味」は読み終わったあとに 書かれている内容もともかくだがちょっと心に 残るものと考えさせられるものがある。 個人や国どうしの間でも、赦しという高い 道徳がどういう意味を持ち、どう発揮され なきゃならないのかと考えたりもする。 自分がもし加害者のほうなら、赦しをこうとは どういうことなのかとか。 本の直接のポイントから外れた考えかも しれないと思いつつもがそう考えたりも するな。 この本がサラッと読めなかったのは、 著者の真面目さがヒシっ伝わって 来たからかもしれんな。
319 :
考える名無しさん :2013/04/03(水) 14:26:00.49 O
人智学徒なら娘の名前は主体奈だよな
なんで名字なんだよ
いや楼千玄逸やろ
その前になんて読むんだよ
323 :
考える名無しさん :2013/04/04(木) 00:56:59.81 0
「ろうぜんくろいつ」と読めるね
>>315 >何かにかんして先入観は排除しないとな。シュタイナーに関しても
あぁ、確かに男性だと思ってましたw
※言われないと気付かないぐらい自然に
先入観排除って難しいですね…
程度の差ももちろんあるし、意識するから完璧に出来るってものでもないし。
でもそれは、事物に語らせるって態度にも通じるんでしょうね。
「赦しの隠された意味」、赦すことで、自分への債権となったカルマを通常のカルマの因果関係から消失させ、 それがキリストが建立している道徳的な宇宙の礎になる、という説明は納得感がある。 白魔法や黒魔法が働きうる霊的な原理にも、このカルマが関係しているような気がする
これは本当に重要な本だと思う
>>325 純粋に疑問なんだけど、こういう人智学者の方は霊視とかに基づいているのかな?
シュタイナーとはそこら辺で違うように思ってしまって、なかなか読む気がおきない…
内用紹介を読むかぎりではとても興味深いんだけど…
本人は霊視だとも、そうでないとも言っていないけど、霊的感覚だとは思う そして筋金入りの人智学徒 ものすごく研究してる
>>327 シュタイナーのような本を読んでいるとそういう風に得てして思うときがある。
おれも読み始めのときはそう思ったことがあるし、長い間そう思っていた。
だがいくら膨大な著作や講演録があったとしてももしそれに書かれていない
ことをシュタイナー的、あるいは人智学的に考えるなら自分が理解した範囲
に基づいて対象を考えたりしなければならない。
それに自分自身が確信を持ったとしてシュタイナーが言っていないから自身で
これはちょっとなあとかイマイチ信頼できないというかな?
おれが「赦しの隠された意味」がなかなか考えるものがあるとあえてタイトルを
個別に上げないと書いておきながらタイトルを上げたのはこの著者の
真面目な態度と理解を信頼したからだ。
それはシュタイナーを読んで内奥で自分が未知の確信?と同じものを感じたからだ。
そういう意味では関連書、研究書も同じだと思ってる。
もし確信の持てない書を読んだとしてもシュタイナーあるいは人智学を理解する
上では有益と考えるわけよ。
昔ロマなんとかが出たときにこの主催者が書いた本を読んだ あるメーリングリストの住人たちが半ばこのロマの主催者の 書いた本の内容が結構その通りではないか、正しいかも みたいな雰囲気が流れた。 おれも読んでみたがすぐ偽物で借り物の寄せ集めと 創作だということが分かったが、メーリングリストの 住人達はなぜこれはおかしいと思わなかったのか。 アストラル界でシュタイナーに師事したというこの主催者 の言葉をどう理解していたのか疑問に思った。 シュタイナーに限らず自分が学習しているものの理解に立って 関連を読むというのはいかに難しいかがわかる。 ゆえに自分が興味や多大な関心があるからこれだけってのは ある意味先入観にとらわれたり視野、判断力を狭める恐れもある。
ゆえに、もし多少の関心があったなら手間、暇、勇気を もってそこへ飛び込んでも、あるいは本を買って読んでみても いいではないかと思う。 そうすれば、一見ただしそう、あるいは真理を説いていそうでも これはちょっと違う、おかしいという考えも出てくるだろうし 根拠も上げられる。そういうことの繰り返しも物事の理解へと 繋がるとおもうよ。
ちなみにおれはシュタイナーとは関係ないNLPという 神経言語プログラミングというのをずっとエリクソンと 一緒に読んできたんだがこのNLPっていうのはひどい。 まさに機械ではないアーリマンの技術だな。これを 使う誘惑にかられるところはあるがw おまえらもシュタイナー読んでるぐらいだから これもかじってるやつもいるかもしれんが 機会があったら読んでみてもいいかもな。
シュタイナーと出会った時に働かせた器官と同じ器官で確かめればいいだけだから 自称の情報ソースがなんであっても関係はないと思う 霊眼とまではいかなくてもそういう器官がある程度発達していなければ、 そもそもシュタイナーすらただのよくある痛い人に見えてしまうのでは
まあ通常の認識で確かめられると思う。心理的要因の方が デカいんじゃないかな。 器官といのは何を指すかは別としてその形成にはシュタイナー も神智学系でもヨーガでも種類にはよるが行は必要とすると思う。 それに関わらないと通常の進化のなかで形成するって ことになるんだろうかね?
行は潜在している能力を開花するもので 無を有にするわけじゃないから、 霊的器官の形成に行が必須ということはないと思う 開発のための方法が体系化される前には、行なんて存在しなかったわけだから。 真理感覚や審美眼や良心は、通常の人間でも持っている霊的器官と言えるんじゃないかな。
美や真や善の「強度」だけが分かる温度計のような器官を、人間は持っているのだと思う 霊眼や霊聴に比べれば随分原始的な器官だけど。 本を読んだりする時、 今まで知り得たさまざまな真実性を基準にしながら対象の真実性を測る、という作業をしている、 と気付いた 当然、美や真や善に触れるほど、比較の対象は増えて、計測は正しくなっていく それはある種の行と言えるのでは 個人的には、もしトルストイを熱心に読んでいなければ、シュタイナーを「測る」ことは出来なかったと思う
なるほど。 たとえばバリバリのイスラム教徒が シュタイナーみたいな本を読んでも その内容を今あるその器官みたいな もので得心することが出来るんだろうか?
本物か偽物か見分ける器官って心臓のチャクラなんじゃね?
宗教の信者は既に世界を見る枠組みを持っているから その枠組みを通して見るかもしれないけど 本当の宗教者であれば分かると思う 実際には宗教性の低い原理主義者みたいな人には無理だろうけど
仏教書やコーランの中に真実を見付けられないキリスト教徒は、あんまりいいキリスト教徒じゃないと思う
341 :
327 :2013/04/06(土) 19:32:42.85 0
レスをたくさんありがとう 皆さんの言ったことは感覚としてもとてもよくわかり、腑に落ちる 読書含む経験を積んでこそ尺度が鍛えられていく、というのもよくわかります 隠された赦しの意味、ぜひ読んでみます これは今の自分に必要だと思うので…
宗教もその枠組みが精緻であれば世界を正しく見てる かもしれないが、他の考え方に立ってみるということは すごく難しいと思うな。イスラムやカトリックをみても そう思う。 今の人間の有りようだと物事の真偽を測ることが出来る と言うのは錯覚にすぎないと思う。 出来てるじゃないかと言う人もいるが、それは単にわかりやす つまり複雑ではない物事のことが多い。 言葉の具体的な客観性は問題にしないこととして、たとえば これが真実だと誰かが言ったなら他の第三者にある程度の 論理を持って説明出来なくてはならないと思う。 シュタイナーを読んでいるとほぼ自分の理論を信じるという 形で受け入れるようには展開していない。 真偽を測るのは結局のところ今の人間のもつ経験や思考能力 の範囲を出ていないということに思える。 器官と言う言葉が出てきたが通常の能力とそうでない能力を 自分自身で認識できない以上それは錯覚でまさにそれゆえに まったく真理でないもの悪的要素にまんまと騙されるような 気がする。
そういったからと言ってシュタイナーの言っている ことを否定的に見ているわけではないので誤解なく。 シュタイナーの人間の進化や社会の未来について 語ってることを見ると人間が進化するということに関して は尋常ではないような気がする。 上に行の話も出てきたが、少なくとも自分が学習する限り 霊的なと言われているグループでは、人間が霊的世界から 遠ざかるようになると同時に体系化されているはず。 時代にあった行というのがあるならシュタイナーに書いて ある通りの行が正当と思われる。たとえば人智学を学ぶという ことは、ある時から行も並行して行わなければならない ようになるとも思う。 グルジェフがキリスト教というのはキリストの教えに従って 生きているもののことを言う。教会で洗礼を受けたものが キリスト教徒ではないと言っていたがそれは人智学にも あてはまると思う。
グルジェフがキリスト教というのは→ グルジェフがキリスト教徒というのは 人智学にも あてはまると思う。→ 人智学徒にもあてはまると思う。
世の中は人智学的に変わって来ていて、それはシュタイナーが未来から人智学を作ったからなんだと。 これから世の中がさらに人智学的になるのであれば、人智学は人智学である必要はない、という視点もあるような。 それは、これから宗教がなくても良い世界になるのと同じ話だと思う。
一行ずつ開ける人は、紹介してくれる本に関してはすばらしい本が多いので感謝しているけど 何言ってるのか分からないことも多い 到達した結果において同意できるのなら、それでいいとも思うけど
>今の人間の有りようだと物事の真偽を測ることが出来る >と言うのは錯覚にすぎないと思う。 これは自分に分からないからといって他人もそうだと考えるのはどうかと思う 現代の通常の教育を受けてきた人が人智学に体して反発を感じるのは当然だし、 むしろまったく反発を感じない人は信用はできない そしてその反発を超えうるのは真実性の強度以外の何ものでもない。 ただ個人的な意見としては全く同意できないながらも、 結果としてすばらしいと思う本が同じだったことは重要だと思うけれど
悪いこともできる人間として、善いことをすること。 ヴァレリーbotはいつも結構いい事を言う
人智学に関してということでなく。 社会にある一般的な事象についてということ。 シュタイナーの言うような否定的な諸力が 人間や社会に入り込んでいるならそう簡単に それを認知して自分の生に活かすことはでき ないと思う。 わかりやすい事というのは至って表面的な 部分であって深い部分においてはそうでは 無い気がする。
人智学・シュタイナーを外に向けて(公に)語ることは何かためらうよな。
>>350 分かる。
社会生活だと一度ぐらいしか喋ったことないかも。
でも、教育や社会論、色彩論などなど広範囲な活動してるから、その辺りのことの一部は喋ることある。
シュタイナーや人智学の名前を出す必要ないから。
年月と共にますます強く感じざるをえなかった内的な溝がありました。 一方に講義で語られる、霊界からじかにもたらされた新しい叡智、高次の認識があります。 これはシュタイナーが高次の自我の力で、何度もしきいの向こうの世界に渡りもち帰ったものです。 他方に大部分の聴衆がもつ通常の地上的意識があります。 二つのあいだに横たわる深い溝はシュタイナーの絶え間ない努力によっても埋めることはできませんでした。 これが隠しようもなく大きくなるのは、いつも講義が終わる頃でした。 リッテルマイヤーは、 「この偉大な人物がもつ孤独な悲しみを感じざるをえませんでした。 けれど、私たちがしてあげられることは何もありませんでした。 シュタィナーは決してこの失望をさとられないように、ひとり重荷をこらえていました」 と回想しています。 (「赦しの隠された意味」) シュタイナー自身が行った「赦し」は、彼自身が語るわけもないので、 シュタイナー以外の人の文章によってしか知りようもない。 そんなシュタイナーの赦しが心に響く。 何度も読んで数年後にやっと分かるようなシュタイナーの言葉を、 その場で聞いている人々はどう聞いたのか? おそらくほとんどの人々は理解しようがなかったはず。 「講義が終わる頃」に、毎回、自分の言葉が理解されていない孤独感に苛まれながらも あの講演を続けていたのかと思うと、 シュタイナーの言葉がひときわ悲壮感をもって聞こえてくる。
特に色彩論とか、 あっさり「分からない」とか言っちゃいがちだけど、 ほとんどの人に分からないことを理解しながらシュタイナーが話してたと思うとね・・。 あっさり分からないとか言いたくない いくら時間がかかってもなんとか理解したいと思う
>>350 誤解を受けずに聞かれるということがほとんど期待できないからね
エンデも、ものすごく慎重に語っていたし(とはいえ一歩内側に入ると、ハード人智学徒なんだけど)。
そんなエンデにシュタイナーに導かれたから、語る上では参考になるかも
万人に納得できるようなことだけを語る、あるいは芸術の形にする、など
もしいきなりエンデが「アストラル体が・・」とか語っていたら 「あっ・・(察し)」ってなって、エンデの言葉を真剣に読むこともなかっただろうと思うから 話す順番は大事
>>350 幸いなことに何かの集まりはほぼシュタイナー
になんらか関わってる人達なので普通にしゃべれる。
一般向けにもシュタイナーの内容はその話題によっては
普通にしゃべれる。特に違和感は持たれないけれどな。
ところで新刊案内が来た。興味のあるやつは買え。
今回は因縁のある、という言い方はおかしいか
イタ・ヴェークマンも著している。
「アントロポゾフィー医学の本質」
ルドルフ・シュタイナー 、イタ・ヴェーグマン著
浅田 豊 、中谷 三恵子 訳
税込価格:2,625円
>>352 シュタイナー自身の心情は自伝からも読み取れる部分
はあるがわりとその当時まわりにいて見ていた人達の
話から垣間見るしかないだろうね。
当時の人、もう存命な人はいないだろうね。
協会は存続してるから当時の人が残ってる時に
聞いたシュタイナーの逸話はよく聞くよ。
凄く人間臭いところがあったり、変人じみたところがあったり
お茶目なところがあったり、苦悩があったり、失望があったり
とか。
講演会やドルナッハでの話だからここでは具体的に書くのは
止めとくけど。
でも講演の時の話は書いておこう。 シュタイナーは自分の講演が始まる前は少なくとも10分前には その準備を終え、時間通りに講演を始めるときは講演会場の 扉はすべて締め時間に遅れた者の参加を許さなかった。 それは真剣に講義を聴こうとするものの集中を乱したり、自分 の講演を途中から他人のメモ書きで内容を補完するような やり方をよく思わなかったから。 まあだいたいこんな内容だったと思った。
真剣に学ぶってことは本当に難しい。 今になって実感してる。昔は読んで 理解すればよいと思っていたが違ってたな。 しかし 追い求めよされば与えられん っていう 言葉がどっかにあったが 何故ここに足が向いた? 何故こんな短い機会に偶然のようにこれを見つけた? 何故この人と知り合うことになった?一瞬ですれ違う 所だったのに。 こんなようなことはままある。 不思議と言えば不思議だ。 手元にあるこの小さな物もシュタイナー のすぐ近くにあった残骸のような遺物 だけれどこれをみながらよくそう思う。
さておまえらネットに常駐してたおれも 今日でちょっと離れるのでおさらばだ。 精進して学習に励めよ。どこかでまた会おう。
「赦しの隠された意味」読んで、
シュタイナーの著作や活動にも時期的な傾向があるという
当たり前のことに気付かされた
1903-1911 前期=ルシファーとの対峙
ルシファー・グノーシス創刊
1912-1913 中間期=二つのテーマの均衡状態
人智学協会設立、四つの神秘劇、オイリュトミーの創造、第一ゲーテアヌム
1914-1923 後期=アーリマンとの対峙
人智学的医学、バイオダイナミック農法、ゲーテ的精神のもとでの科学の改新、ヴァルドルフ教育
読む本がどの時期に書かれたかなんて意識したことなかったよ
言われてみれば・・って感じ
>>356 の本は、シュタイナーの遺構らしいね
あと今までシュタイナーの本読んできて持っていた疑問のいくつかに答えを得た 人間が救済するのはルシファーだけか? →アーリマンやアシュラも最終的に救済する アシュラの記述が異常に少ないのは何故? →アシュラが問題になるのはかなり先のことで、目下はアーリマンの克服が喫緊 シュタイナーは霊視力があるのに何故いくつかの「失敗」を経験したのか? →受忍し、赦すことに意味がある
人智学の勉強の画期となるような、すごくいい本だったよ
>>360 、ありがとう
シュタイナー本は一読しても分からないことが多い(というか毎度)ので抜粋をソフトで音声化して何回も聴くのだけど、 「赦し〜」も、音声化して聴き直していると後から分かってくることがある そういう意味でもシュタイナー本に手応えが似てると思う 後書きによると作者のプロコフィエフは既に五十冊も本を出しているそうなので、 日本でももっと翻訳されるようになって欲しいな
>>362 >シュタイナーは霊視力があるのに何故いくつかの「失敗」を経験したのか?
>→受忍し、赦すことに意味がある
この、「受忍し、赦す」の主語はシュタイナー?読者?
シュタイナーだよ なんで読者w 怒る筋合いないと思うけど
「失敗」っていうのは、 アンナ夫人との別居とか、 社会三層化運動の挫折のことね なんでうまくいかないと予見できなかったのかな?とか、 成功するようにやることはできなかったのかな?とか疑問だったけど、 霊的な行為を表面上の「成功」で測ることなんてできないだろうと。 キリストが弟子の裏切りやみずからの死を「うまくやって」回避していたら、 霊的な行為は台無しになっていただろうし
カルマ的なものに興味が出てきたから
>>305 も注文してみた
自分のカルマ的なものというか、人生のテーマの認識も、 霊視未満の能力で出来るんじゃないかという気がする
371 :
考える名無しさん :2013/04/12(金) 21:33:19.11 0
ユング自伝を読んでいて思ったのだが、ニーチェの名前は出てきてもシュタイナーの名前は全く出てこないのはなぜ?
>>371 それは愚問だと思うなぁ。オカルトがオカルトを引き合いに出したら完全にオカルトでしょ…
ユングの視界にはシュタイナーが大きく映ってなかったんでしょ シュタイナーもユングとは没交渉だったみたいだよ 用語集にユングの文字はないし、 「魂の隠れた深み」でも、ある部分までは正しかった人、のような紹介しかしてないし
自主的に道を歩むことは、必ず危険がつきまといます。 私がシュタイナーから学んだ事が一つあるとすれば、それは彼が自分の道を歩む時に示す、 いわば信じ難いほどの無頓着さであったと言わざるをえません。 時にそれは無分別に思えるほどでした。彼は運命が彼の行く手に用意するものを受け入れたのです。 エンデbotのこの言葉の意味がいまいちピンとこなかったけど、 どうでもいいから無頓着だったのではなく、 それをすることが必要なのであればどのような運命であれ受け入れたということだろうなぁ シュタイナーは、「うまいことやる」こととは無縁だった
>>374 >シュタイナーは、「うまいことやる」こととは無縁だった
そういうことを言っているのではないような。
上位の世界からの役割を受け入れる、ってことに対して個我がどうリアクションを取るのか。
その「好み」に対しての話だと感じた。
好み?? 何を言っているのか全然分からないです
文章の中に人智学的な単語は含まれているんだけど 一貫して何を言っているのか分からない人がいるので困惑している 本当に、わからないのです 申し訳ないですが・・
言葉そのものが主観言語である以上 それはしょうがない。 シュタイナーは人智学以外に関しては わりと「うまいことやる」こととは無縁でな かった。そういう逸話はある。 いつも思うのだけれどエンデはシュタイナー に対してどういう立場の人なのかわからない。 エンデの言葉そのものをボットからでは 理解するのが難しい。 シュタイナーは自分では80歳までは生きる 生きられると信じていたし、人智学を担うのを 実際のところなんで自分がと思っていた。 選択において運命を受け入れたとしても 無頓着ではないと思う。エンデはそこの ところをよく知らないと思う。
エンデの名前はネバーエンディングスト―リー の映画で知ったのだが、これが子供向けなら たとえ本人が作らなくても、映画化をなぜ 反対しなかったのかというのも疑問だけれど。
相変わらず何言ってるか分からないけど 「無頓着」と「無頓着さ」は違うと思うよ ここでは「無頓着さ」が「勇敢さ」と近い意味で使われているのだと思う
何言ってるか分からない人に、自分の言葉が伝わっているかも疑わしいので なんとももどかしい
382 :
378 :2013/04/19(金) 02:42:28.54 0
分かりづらくてすみません。 私は378でも379でもありませんので あしからず… 何言ってるか分からない人には 「自分の言葉が伝わってるかももどかしい」って凄い言葉ですね。 逆に感心します。
いや、あなたには言ってないです あなたの言うことも分かりませんが
あ、違いました あなたに言っています 正確には「自分の言葉が伝わっているかも疑わしいのでなんとももどかしい」ですね なるべく正直に言った方がいいと思って
385 :
378 :2013/04/19(金) 02:47:13.62 0
「言葉そのものが主観言語である以上それはしょうがない。」 最初からもう意味が分かりません 無理に難しい言葉を使わなくていいんです 自分が本当に分かっていることだけを話せばいいんです
387 :
375 :2013/04/19(金) 02:49:34.92 0
シュタイナースレだからといって、謎めいた言葉で話す必要はないので 自分の言葉で話していただけると助かります シュタイナーの一見謎めいた言葉は、深い意味があってのことなのです 無理に謎めかせても誰も得しませんので・・。 自分自身、若い頃はそういう言葉の使い方をしたことがあったので、 そういう人の気持ちも分かるのですが その頃を思い出すと死にたくなるのも事実です
自分が承知する範囲のものだけを理解 できると捉えそれ以外のものに対して 理解しようとする努力を怠る態度は単に 怠慢であって傲慢である。 他者の意見がすべて自分の思考形式や 語彙の雛形に収まっているとは限らない。 言葉に馴染みがなくとも、その人の 言い回しがわかりづらいところがあった としてもろくに問いかけもせず 安易に他者の意見に理解できないなど というのは最も敬意の欠けた態度だと 思う。 しかしそういう人間はこのことに たいしても何を言っているのか 理解できないと言う。
2chの中でシュタイナースレは比較的まともな人が多いと思う。 人智学の道が安全で正しいものであることを客観的に感じる。 でも、「客観的に自分は正しい」これが心的基調になっている人が時々いる。 そんな人に出会うと、人智学の道は悟性魂に偏らせる傾向が強いのでは、と感じる。 悟性魂が強くなる、ということはアーリマン的な性質が強くなる、という風に自分は感覚的に理解している。 そうなると機械的な人間になるし、人としてバランスが悪くなる。 他人は自分の鏡。もちろん自分にもそういうところがある。だから、その傾向を意識しようと心がける。 そうすると、人生(世界)で生じるイベントが自分のアーリマン的な傾向から生じる誤りに気付かせるためにあることを感じる。 それに気付くようになってから、生き方が少し変わってきて、人生が楽しくなった。
>>391 同意するね。
ただ自分の場合は人生は苦難になり、迷いがふえたけれどねw
ますますそうなる予感はするがとりあえず恐れはしない。
>>392 背負ってるものは人それぞれ違いますからね。
でも、人智学は孤独な個我を世界へと開かせ、幸せにするものだと思う。
神秘思想に浸ってると日本語が下手くそになるんだよなあ シュタイナー本ならそこまで害はないと思うんだけども
>安易に他者の意見に理解できないなど >というのは最も敬意の欠けた態度だと >思う。 >しかしそういう人間はこのことに >たいしても何を言っているのか >理解できないと言う。 >人生(世界)で生じるイベントが自分の >アーリマン的な傾向から生じる誤りに >気付かせるためにあることを感じる。 >それに気付くようになってから、生き >方が少し変わってきて、人生が楽しく >なった。 この態度が持てないと、全ての気に入らないものは相手のせい、になる。 怠慢で傲慢だ。
>>394 神秘思想に浸る前から日本語はへたくそな俺は
どうしたら・・・
小さい頃から勉強大嫌いだったから、勉強で苦労
したことはない。って自慢してるわけじゃないけどね。
今はそのおかげで苦労してます。w
自然科学全盛の今となっては神秘主義や超常的世界の感覚なんてのは 統合失調症患者の妄想だからな
>>396 まあ自分も日本語が上手とは言えないけどね
貴方のレスを見ると日本語が下手くそには見えないよ
相手にとってわかりやすい表現をするように心掛ければいいのでは?
神秘思想に浸かっていると、以前より内省的になって心の中で様々な霊的な発想が浮かんだり
感受性が知性的なものにまで昇華されて内密に微妙なことまで感じ取れるようになったり
言葉になる一歩手前の思考で判断や行動をとることが多くなったりするように思う
そのように内面生活が以前より豊かになるように見えるけど
内面生活と日常生活の意識の質に違いが出てきて
豊かに見える内面生活を日常意識で表現しようとするとどうしても日本語がたどたどしくなる
まあ自分の場合は、だけどね
でもシュタイナーの思想の場合は物質に霊を見出そうとする傾向が大きいので
読んでいても内面に硬直しにくくなるからあまり害はないと思うな
・ドイツの哲学者 カント、ヘーゲル、マルクス、ライプニッツ、ゲーテ、ヘーゲル、フィヒテ、シェリング、ニーチェ、ハイデッガー、アドルノ ・アメリカの哲学者 クワイン、パース、クリプキ、W・ジェームズ、サール、パトナム、ミリカン、デネット ・フランスの哲学者 ラカン、デリダ、ドゥルーズ、デカルト、ニザン、リオタール、ボーヴォワール、サルトル、バタイユ、ベルクソン、フーコー、カイヨワ ・イギリスの哲学者 ラッセル、ロック、ウィトゲンシュタイン、ベーコン、スペンサー、ホッブズ、ミル ・ロシアの哲学者 コジェーヴ、バフチン、バクーニン ・インドの哲学者 龍樹、タゴール、ガンディー、シヴァ ・中国の哲学者 孔子、毛沢東 ・韓国の哲学者 李南麟 ・日本の哲学者 【東浩紀】、西田幾多郎、田邊元、三木清、大森荘蔵、九鬼周造、西谷啓治
シュタイナーの文章を読んでいると知らず知らず深呼吸しちゃうな 文学作品でも、素晴らしい文章を読むと、その美しいものを吸い込みたくて、 深呼吸する というか、深呼吸している自分によって、その文章が本当に素晴らしいということに気づく
“うちの会社は、ある金持ちのグループに「投資」を受けていたんだ。無防備なサービス利用客に対して、NLP(神経言語プログラミング)を使って自分たちの商品を売りつけるという実験をしたがっていた奴らだ。”
http://ama.an-pan-man.com/archives/1199 ニセ超能力者やってたけど何か質問ある、からの引用。
前レスに確かNLPの本を読んでるって人がいたけど、エゲツない使われ方されてますねぇ。
まぁ、当たり前と言えば当たり前だけど。
マスを通じての実験もされてんだろうなぁ。。。
駄目なにおいしか感じないな 人智学のあり方と思うんだけど、なんで 「シュタイナー読んでるぐらいだから これもかじってるやつもいるかもしれん」 と思ったんだろう まぁ黒魔術の研究はできるかもしれないけど
人智学のあり方と真逆 だった
あぁ、文脈的にエゲツないから気になって読んで見たのでは? アーリマン的って言ってたと思う。
実際に行うのではなくやろうと 思えば悪的行為を行える能力を 自分が備えていることは必要な ことだ。 唯物論を純粋に人間の心理まで に煮詰めるとNLPのような技術 になる。 人間の悟性を他の人が意図的に 一時的にも支配するまでに狡猾 に洗練した。 さらに進むと言語に頼らずに支配 出来るということに気づき、それ を特定の利益、経済的だけという ことでなく使うようになる。 同じように精神的、あるいは霊 的行、修養を煮詰めると唯物論 的な技術に変換される。たとえ ば一つの例でへミシンクのよう に。
生活様式が清貧、清廉で道徳的 雰囲気の社会であるならあるいは 不調和や悪的なものを知る必要 はなかったかもしれない。 いま生きてる社会は人間それぞれ の個がもっとも独立している時代 であって社会も多様的だ。 一面を取るとでは悪的なもの、善的な ものも入り乱れて成り立っていると いうことも言える。 そういう中では、悪的なもの不調和 を引き起こすもの、つまり唯物科学 の生み出した知識や技術を知っておく 必要がある。それは自分がそれに 対しての免疫や抵抗を備えること でもある。 例えていうなら自分が巧妙な詐欺 を行う能力があるなら、同じような 巧妙な詐欺に嵌ることはない。 しかし行使することとは別だ。魔に食 われたそのものの魂の消化物が目の 前の金銭だから。
だからこそ悪を知ることと それに抵抗する人智学を 学ぶことは必要と思う。
とっこのスレを観察してこい と言ってた人が前に言ってたよ。
そういうの、俺は自分の知らない世界とは思わなくて、 むしろ得意なことだと思う だから読んでも、まぁそうだろうな、くらいの感想しか多分持たない 皮相なことや人の心を手玉に取ることが得意だからこそ、 人智学に辿り着いたようなところはある 自分の中の悪の萌芽を矯めるためには、それと同じくらい大きな善の力が必要だった
シュタイナースレだよ。
これからの世界の悪について。 産業革命により世界はモノの世の中になり、今は情報の世の中。 これからは遺伝子の世の中になる。 3Dプリンターに情報を入れれば、リアルに自宅でモノがプリント出来るようになる。 情報とモノの垣根がなくなった時に、その情報をもっと個的にするために遺伝子情報にフォーカスが当たる。 その技術を使ってどんな悪が出現するのかはまだ分からないけれど、これが最先端の世の流れ。 メイカーズって本読むと良くわかると思うよ。
すっかりアーリマンの王国が出来るわけだ。 遺伝子情報は科学的研究によって頭のいいやつ が優生学に応用することはわかっている。 どこかで道徳に対するのおそれを感じつつも 世の多くの人が望むような人間を製造する。 教育は意味を失いますます荒廃する。 美徳の観念はすっかり昔とは反対になり 大多数は唯物科学の成果の利便性の中に 生活しているので倫理観も道徳観もそれを 悪いとは思わなくなる。
一方で世界は個にも寄ってきている(ルシファー的になっている)と感じる。 白物家電や全ての「モノ」にITが組み込まれると、一気に個や共同体の境界が引き直され、個と個が自由に結びつくようになる。 これから、居住空間の全て(モノ)にITが侵食して、モノと情報の境界がなくなる。 そして、その情報は個の力を社会に流し込むために使われる志向性をもっている。その志向性はルシファー的だとおもう。 だけどそれは、別の側面から見ると、アーリマン的な管理の網の目をもっと微細なところまで拡げることにも繋がる。 全体的に見ると、個は今まで以上のアーリマン的脅威にさらされる(不自由になる)方向に動いていると思うけど、反面で一般的に使われる意味での自由の範囲も拡がっている。 利便性をエサに個はアーリマン的諸力の脅威にさらされることになると思うけど、その道具を如何にルシファー的に使ってバランスを取るかって時代になるんだろうなぁ。
>>409 善と悪と言うのは対極だけど必ずしも
そうでない場合がある。
たとえば毒をもって毒を制すという
が善に対しては見当たらない。
俺の場合だが毒に対してはNLPに限らず
利用できるものは遠慮なく行使する。
>>414 質の違う二つの力ではバランスを取るのは難しい。
聖書の文言になるけれど荒野の試練に誘惑者として
アーリマンとルシファーが登場するが、それぞれの
力が拮抗してサタンを退けたとある。
うっかり見逃すだけれど人称として例えるなら
そこにはイエス、アーリマン、ルシファーがいたと
いうこと。
つまりどういうことかと言うと質は違うと書いたがが
サタンと総称されるようにキリストの影響力がないと
アーリマン、ルシファーは相互に入り込み結果的に
共働するということだと考える。
もしそれら悪的存在に対抗するには俺らの中にも
キリストの影響力を持たないといけないという
ことじゃないかと思うわけだ。
よくわからんが人智学の根源の衝動はキリスト
衝動ではないのかな?
>>416 はい。
バランスを取るのはキリスト衝動に貫かれた「個」です。
それらの個はアーリマン的道具をルシファー的に使って、結びつき、社会にキリスト衝動を流し込むのだと思います。
わかりにくかった。 つまりまだ言葉の通りの人間の段階に立ってない 俺ら無防備な人間の前では大手を振ってアーリマンと ルシファーは共働して働くってことだと思う。
>>417 ごめん書き込みが遅かったw
そうだよなやっぱり。
>>419 使えるモノは使わないと喰われちゃいますからw
個人的な思いなのですが、今のようなアーリマン的世の中では、ルシファーが善のように見えてくるんですよね。
それはそれで問題ですがw
シュタイナーがルシファーグノーシスって 刊行物作ったし ルシファーが光をもたらす者って いう意味らしく キリストの先を松明を持って先導する って言うぐらいだから、真の意味での悪存在じゃ ないかもね。
422 :
忍法帖【Lv=11,xxxPT】(1+0:8) :2013/04/30(火) 02:09:11.46 0
真夜中にレスが伸びるんだなw
だって連休だもの みつをw
私の理解では、アーリマンも阿修羅もそうで、たまたま今の人類の進化では、アーリマンが悪の主題で、一つ遅れているルシファーが善の色彩を帯びているだけ、と認識しています。 アーリマンの対抗手段としてルシファー的な力が必要なので。 で、阿修羅が悪の主題になれば、アーリマンもそうなるのかなぁと。
まぁ、仏陀はルシファーって何処かで読みましたし、個人的にも納得出来ます。 シュタイナーはルシファー的ですし。
んー難しいねえ。ここんところ神秘学概論を読んでるんだけど 前書き読んだだけで、他の本1冊分の労力を使ったw まあ各論の薔薇十字会の神秘学と秘儀参入の道の方を 先に読んだから本文は少しはすらすらいくかしらってとこだね。 ということでおやすみ。またね。
レスを読んで、シュタイナーがルシファー的って簡単に言えないことに気がつきましたw 根本的に、ルシファーのことを私はまだよく知らないw また話を聞かせてください。お休みなさい。
仏陀はルシファーって、少なくとも人智学の見解とは違うと思う
アーリマンとルシファーを拮抗させるっていうのは、 天に吹き上がるような感情的、感性的な暴走に対しては悟性をブレーキとし、 冷たい悟性や計量的思考の暴走に対しては感情や感性をブレーキとするということだと思う
ルシファーは感情魂を異常なまでに活動させる アーリマンは悟性魂を異常なまでに活動させる ではアシュラは意識魂を異常なまでに活動させる? 意識魂が異常なまでに活性化するという状態が、いまいちイメージしにくいけど
そして、その結果として人々は、このような世界観とともに動物のように生き、 単なる動物的な衝動や情熱の中に沈み込んでいくことになるでしょう。 そして、ここではこれ以上詳しくお話する必要のない幾つもの現象の中に −つまり現在特に大都市のさまざまな場所で、虚しい官能の荒廃したオルギアとして現われているものの中に− 私たちは私たちがアスラと呼んでいる霊たちのグロテスクな地獄の輝きを見るのです。 (「悪の秘儀」) アシュラ的暴走の結果、 自己破壊的な性的放蕩に走る、というのは分かりやすいか でもその他にはどうなるんだろう
>>428 まぁ、直接明言は確か、してなかったと思います。
それにしても、人智学の見解ってなんなんだろうね…
シュタイナーの著作、あるいは優れた人智学徒の見解から立ち現れてくる世界観のことだよ
なるほど。 それを、あなたは人智学の見解って読んでいるんですね。
そうだね 人智学を学ぶにあたっては、まずシュタイナーが何を言っているのかを把握することが重要だと思う その壁がまずとても高いんだけど
そうですね。まるで、私がシュタイナーの本を読んでいないかのように話しますね。 10年ぐらい読み続けてますが。。。
そうなんだ 俺は四年目くらいだから、じゃあ先輩ですね どういったところから、仏陀=ルシファーと考えたのでしょうか? 人類よりも圧倒的に偉大だとはいえ、仏陀を悪魔と考えるのはかなり無理があるように感じます 用語集には、仏陀はヴォータンだとあります。 そして、「神々との出会い」には、 「はっきりと次のように言わなければなりません。 ギリシアのゼウス系の神々は、そのすべてがルツィフェル存在に属している、と。」 という一文があります。 そして北欧神話のヴォータンがギリシア神話のゼウスと同じだとは、よく言われるところなので、 ルシファー=ゼウス≒ヴォータン=仏陀 という式は成り立つようにも見えます。 しかしそれでも、人智学的には違うのではないか、という気がします ゼウス≒ヴォータン、というのは一般的な意見で、 人智学的には違うのではないか? 詳しく調べたわけではなく、あくまで直観的に、ですが。
仏教では仏陀は人間を指すのでは? 人間の中の目覚めた者という意味で、それ以上でも以下でもないよ 誤解が多いけどその意味からすると仏陀はひとりだけじゃないよ ゴーダマ シッダールタ以外にも仏陀はいるよ 原子仏教の解説本にそう書いてた
>>437 ごめんなさい。
数年前に本のいろんな箇所を統合して考えて見るとそうなのかなぁ、って思ってたのですが、どことどこの部分を見てそう思ったのか、はパッと出てきません。
※探すの凄い大変だろうし。
で、その後に行が進んでいる人智学徒の方も同じこと言ってたから、それから自分の中では断定は完全にはしないにせよ、そうなってました。
でも、
>>421 を読んで、ルシファーの明けの明星的な側面と所謂な悪の側面もあって、その差異をちゃんとまだ咀嚼出来ていないことに改めて気づきました。
だから、前述の内容は忘れてください。
誤解されるとよろしくない内容だし。
こんばんわ。また来たよ。 仏陀、ここでは釈迦のことね。もし仏陀の本来の教え そのものが現代で行われたらこれはルシファーの教え だとみられるかもしれないと思う。 キリストはイチジクの木に対して放った言葉の部分で 仏陀の教えありのままの形では私以降に適さないと 聖書には象徴的に書かれている。 エッセネ派に対してもエッセネ派が町をくぐるために 設けられた装飾のない門にルシファーの姿を見たように その反作用としての善と悪、時代の転換点の前と後 としての善と悪という見方があると思う。 上にギリシャの神々が出てルシフェルに属すとして じゃあたとえばその神々は今どうなったかという疑問も 出てくる。 ルシファーも人称として実在は個ではなく群のはずだし 物質性を超えた霊界が住処なら現界でいうところの 行為、意思することそのものがルシファー的であるなら ルシファーそのものと言えるんじゃないかな。
もしそう考えるなら、語源あるいは名称のつながり だけに目が行くなら、つまり横線だけに目を向けるなら ルシファー=ゼウス≒ヴォータン=仏陀 と言われているなら、それは一つの単にだけど 見方ともいえるかもしれないと思う。 実際俺は仏陀≒ルシファーとは思ってないけれどね。
たとえば白魔術、黒魔術というのがあるけど まあ俺はそれが具体的にどういうものか よく知らないけれど たとえばまったく同じ魔術を行っても 未来に対して整合性がとられるなら それは白魔術とよばれ、特定の利益 に対して行われるなら黒魔術と呼ばれる って言われてると思った。 善が悪としての存在したり、悪が善として 存在したりは影響力がある場所、時間が その存在の特性に合致したりしなかったり するからそうよばれるような気がする。
個人的に群の下りを忘れてた。 それを改めて整理して説明してもらって昔の感覚が少し蘇ってきた。 それにしても複雑な話だなぁ。。。 群、時、悪魔的存在の役割、色んなことを統合しないといけない。
白魔術とカルマについてはとても興味があります。 ある意味で白魔術はあるカルマを帳消しにすることなので。 黒魔術はカルマを増やす作用があるようにも思う。 人を呪わば穴二つ的な。
前に、体調崩した時、会社の人がこれ飲むといいよって サプリを勧められた。ここまでは善意。 俺は大丈夫ですって断った。そしてら前にもまして 強引に進めてきた。お前のために言ってるんだって。 この時点でおれがどういう具合に体調を崩してるか まったくその人は聞かないので知らないはずだ。 つまり体には何か良いだろうが症状とは関係ない サプリを勧めてくれている。 悪意に変わったのはこの時だ。まあ悪意と受け取った のは俺の方だけど、言葉の通りの悪意ではないけれど 善と悪の話に似てると思ったw
>行為、意思することそのものがルシファー的であるなら >ルシファーそのものと言えるんじゃないかな。 ここのところ言いたいことがわかりにくかった。 それを行っている存在がルシファーでなくて 行為そのもの、意思そのものをルシファーと 言いたかった。なんせ霊的世界のことだからねw
だから446の話のサプリ勧めてくれた人は 悪人とか善人とかいうのでなく 行為、意思についてってことで書いた。 その人はルシファーではないと思うからw まあそういうことで寝るよ。おやすみ。またね。
未来に対する整合性は病状の回復ですが、それを考慮に入れていない善意から始まってますね。。。 勧めた時は条件反射的な善意だったけど、断られた時に反感が生まれて、その反感からゴリ押した、みたいな感じですかね。 その場合の利益は勧めた何気ない自分の善意の報酬が欲しい的な。 親絡みでそういう話はあるあるですよね。 昔好きだった食べ物を好きではなくなった後でも、善意で作りまくるとか。
>>447 >行為そのもの、意思そのものをルシファーと
>言いたかった。
なるほど…
ヒトラーの場合も同じことが言えるか?
というお題が新しく生まれました。
ありがとうございます。
おやすみなさい。
現代では基本的にキリスト衝動を正しく受け入れていない神霊が ルシファー系の神々なのでは? 仏陀やゾロアスターはキリスト事件にがっつり関わってるから ルシファー系ってのは有り得ないと思う アーリマンについてはよくわかりません
行為や意思そのものがルシファーっていうのは かなりトリッキーな解釈だと思う 人智学の体系からそういう結論は素直には導けないだろう 個人がどう考えるかはもちろん自由だけど
>>440 霊に関することがらは総じてルシファー的なので、仏陀に限らず、
ほとんどの宗教、神智学、人智学が、ルシファー的だと思う。
アーリマン的・魂的−細事にこだわること・俗物的になること・唯物論・干涸らびた悟性
ルシファー的・魂的−幻想性・熱狂・神秘主義・神智学
と「悪の秘儀」にあるように。
あとエッセネ派の門にはりついていたのはルシファーだけでなく、アーリマンもだよ
エッセネ派教団の人々のために作られた門の両脇に、
霊学を通して私たちに知られた二つの存在、アーリマンとルツィフェルが見えたのです。
エッセネ派教団が彩色を施された門を忌避することで、
このような存在を引き寄せているに違いないという印象をイエスの魂は持ちました。
(「第五福音書」)
神智学は人智学よりもルシファー的で 人智学は神智学よりも悟性的だと思う 前に書いてた人がいた気がするけど
ギリシア神話のゼウス系の神々をルシファーに帰属させながら、 北欧神話の神々にそれとは違う位置を与えているなら、かなり興味深いと思う 日本神話の神々が何だったのかも気になるな
>>445 そう思う
黒魔術の力自体が、そのカルマを無理矢理に織ることに依っているような気がする
気になって聴き直してたけど、 「民族魂の使命」にも大量の悪魔の記述があるね いままであまり意識してなかったけど。 悪魔らしい悪魔についてではなく、ある種人類の父的な悪魔について書かれているから、 受け入れてなかったのかも 読みはしたけど、理解してない部分がまだかなり多い本。
アース神族は、もっとも低い段階で目覚めた人間の自我のめんどうをみる天使たちと大天使たちなのです。 ・・ 大天使たちは彼らに、魂の力を与えました。 それらの大天使たちのなかでもっとも傑出したのが、ヴォータン(オーディン)でした。 ゲルマン−北欧の人々は、ヴォータンがどのように自分たちの魂に働きかけるかを見ました。 ・・ オーディンは高次の段階への上昇を断念した大天使だ、 と彼らは認識していたのです。 オーディンは進化を断念した大天使であり、 人間の魂に働きかけるという重要な使命を受け取ったときに、 大天使の段階を引き受けたのだ、と彼らは認識していました。 (「民族魂の使命」) 「高次の段階への上昇を断念した」というのは おそらくルシファーということなので、 そうなるとヴォータン=ルシファー=仏陀 であっているようです。 ・・偉そうなこと言ってすみませんでした。 本書の中に、 「高次の段階への上昇を断念した」と、 「進化から逸脱した」の二種類の表現があるのは、 意識的に使い分けているのか、単なる言い換えなのか、 どっちなんだろう
シュタイナーはまず思考だといい クリシュナは思考そのものを否定し ツイッターのbot見てると互いに逆の主張をしているようなのが面白い
@krishnamurtibotもフォローしてみた wikipediaの青年の写真のイメージだったけど、ボットの写真はすごいおじいさんでびびった
ざっと見たけど、なんだろう クリシュナムルティは自己啓発系っぽいね これはあんまり好みじゃないかも・・
自己啓発系っぽいというより、言ってることは自己啓発系そのものだ 自己啓発系のパクリ元なのかな
ルシファー的な天使って、本来の位階は現在の位階より上だから、 正常な同位階の天使よりもある種強力なんだね
本来形態の霊である人格の霊の作用を受けている人々もいます。 この霊は「月」周期において、いまの立場に進んだ思考の霊たちです。 (「民族魂の使命」) この「思考の霊」はルシファーなのかアーリマンなのか? 月紀に進化を逸脱したという意味で、ルシファー的なアルカイ、と言えるかもしれないけど、 思考の霊、という名称はアーリマン的だとも思う
こんばんは。寒いね〜
>>453 指摘の通り、エッセネ派の門の話しにアーリマンのことは
書かなかった。両方だね。
>>464 悟性を働かすことが出来るのはルシファーの恩恵
と言っているから手段として思考があるとすると
思考の霊はルシファーかな。
神秘学概論途中まで読んだけれど何が書いて
あるか手抜くとまったくわからなくなってしまうw
ルシファー/アーリマン/アシュラという悪魔の分類 天使の12位階 の他に、周期の霊とか、言語の霊とか、思考の霊という、機能からの呼称があるけど、 そっちを今までほとんど意識してなかった感じ
進化から遅れた形態の霊たち、能天使たちもいます。 ・・ 彼らはある意味においては形態の霊たち、能天使なのですが、 地球段階で人間に自我を与える正常な形態の霊たちのみがおこないうることを、 ある特殊な方法でおこなうのです。しかし、彼らはその行為を完全に遂行することはできません。 そのために必要な特性のすべてを持ってはいないからです。 ・・ 彼らはいま民族霊の段階に立っているのですが、まったく異なった特性を持っているのです。 (「民族魂の使命」) 本来エクスシアイなのに大天使ということは、二段階通常進化から遅れているわけで これはアーリマンだろうか 悪魔になってしまったら、もうそれ以上位階をあがることはできないのかな
以前は、ルシファーなどを特定の位階の存在と考えていたから、 ルシファー的な大天使やらルシファー的なアルカイやらがいる意味が分からなくて、 そんなことをこのスレに書いた記憶があるけど、 通常進化より何段階遅れているか、という差分が悪魔の種別を規定していると考えれば、 よくわかるね
進化より何段階遅れてるって安易な読み方が良くないからシュタイナーは様々な角度から物事を語っているのでは? 進化は直線ではなく、螺旋に進んでると思うし、世界はもっと複雑だと思う。
シュタイナーが言っていることを言葉だけ取り出したら、滑稽に見えるのと同様に、 シュタイナー思想になじんでいない人には安易に見えるだろうね でも決して安易なこととして言っているわけではないんです
そんなんだとまた、
>>428 みたいに、「自分の解釈を人智学の見解」ってなにも悪びれず言い切ることになりますよ。
高慢だと思う。一面で語ることの弊害をシュタイナーが危惧してたのは知ってるでしょ。
なぜ月紀に進化から逸脱したルシファーが、位階にかかわらずルシファー的なのか 太陽紀に進化から逸脱したアーリマンが、位階にかかわらずアーリマン的なのか ここにも大きな調和を読み取ることができる気がしている
>>472 確かめずに語ったために誤ったことを言ったことは反省してるよ。
でも同時に、間違ったおかげで新しいことを発見できたことを感謝してもいる。
ルシファーが、位階を問わず月紀に逸脱した存在などということは、
でもこれは確かめたことだから。
文献から読み取ることが可能なことに対して、あなたの私見をぶつけられても、
つっこみどころがちがうとしか思わない。
反論は歓迎ですが、文献で反論してもらわないと、確かめようがない。
仏陀がルシファーだという見解に違和感を持ったのは、 仏陀とキリストの間の繋がりを語ってもいるから。 仏陀について、キリストの前身のようなことを語っていたと思う。 それがルシファーってありえなくない?と思った。 キリストは反悪魔的な存在なんだから。 でも、文献を丁寧に読むと、仏陀とルシファーの繋がりが見えてくる。 逆に言うと、相当丁寧に読まないと見えてこない。 今は「いったいどういうことなのか?」という思いだけど、 それも読み込むことでいずれ分かるかもしれない。
シュタイナーの文章から、「AはB」というような定言だけを取り出して見た時、 たいてい滑稽に見える でも互いに調和し、関係づけあう大きな体系と響き合わせた時に、深い意味が浮かび上がってくる。 シュタイナー自身の言葉でも響かない時があるけど、 それはそれと共鳴する他の音がまだないんだろうね たとえば、四大のそれぞれを、異なる位階の天使が生み出したような文章があったけど、 この辺は自分の中では孤立的で、まだ全然響いてない。 分からなかったことが分かるようになったり、 興味がないことが分かるようになったりするのは、 自分の中で体系が育って、和音が増えていくからだと思う。
正常な大天使である民族霊の一柱が、内面に活動する思考力の霊、 すなわち進化から逸脱した人格の霊と契約を結んだことを知るのは重要なことです。 この契約は、歴史上の重大なできごとのなかに示されています。 この契約をさらに完全なものにするために、言語の霊である、進化から逸脱した大天使と調和的な関係が結ばれました。 ・・ この三者間の契約が、ある民族に反映しています。インド民族です。 ・・ サンスクリット語の力は、この契約に基づいているのです。 また、独特なインド哲学も、この契約に基づくものです。 人間の内面から創造された思考の哲学として、インド哲学に及ぶものはほかにありません。 ・・ インド文化における思考過程は、 正常な大天使が進化から逸脱した大天使よりも優勢を占めていることによって発生したのではなく、 その両者の完璧な調和から発生したものです。 (「民族魂の使命」) 思考の霊(ルシファー的な大天使)と言語の霊(アーリマン的な大天使)が、 正常な大天使と、契約をした。 という、簡単には飲み込みがたい人智学的事実。 天使と悪魔が契約をするという時点で、今までの両者のイメージが変わってくる。
思考の霊は、ルシファー的なアルカイだった
>>477 インド哲学、バラモン教から入って、
瞑想などもしてきた者から言わせると、
シュタイナーのどうしても受け入れ難い部分が
キリストだけを過剰に重視し過ぎているところ。
確かに相当に高度な霊的世界を視ることのできた人だとは思う
シュタイナーの本を読んでいると、それを体験しなければ
絶対に分からないであろう事を(伝統的な経典の言葉から
取ってくるのでは無く)自分の言葉で語っているところからも
それは感じる。
ただ一部分が正しいからと言って、全体が全て正しいというわけにはいかない。
キリストを過剰に特別視している部分とか
特異な進化論だとかは特にそう思う。
キリストだけを特別視するかのような考え方について
人智学を奉じる人達はどう思うの?
何がしかの直感に基づくものでなくても、
理性的に考えても余りに偏狭な考え方だと思うんだが。
俺自身は、日本人の常として、宗教については批判的な時期が長かったけど トルストイを熱心に読むことで、宗教への抵抗が薄れて、 鈴木大拙を読むことで、宗教への抵抗はなくなった 禅は最高だと思っている時期もあった そんな感じだから、キリスト教を贔屓にする気持ちはないけど とくに不自然だとは思わないな 愛を説くという革命的に新しい宗教で、 だからこそ、民族を越えて全世界的に圧倒的に広まった キリスト紀元が歴史の標準として使われている、という事実を見ても、 人類にとってキリストはもっとも圧倒的な存在だったとはいえるのでは
「民族魂の使命」のP177 (前略)しかし、ルシファーからはべつの影響も受けることに気がつきました。 ルシファーは、さまざまに姿を変えるロキとして活動しています。 人間の自由と独立の考えは、ロキに帰することができるのです。 ロキの影響によって、オーディンとアース神族にのみ帰依したよりも、 人間の欲望と行為は低次のものになる、ということを霊視力をとおして人々は知っていました。 ゲルマンー北欧神話は、このように恐ろしいほどみごとな叙述をしています。 精神科学をとおして人間がふたたび意識するものが、正確に描かれているのです。 こんな文章も見つけたんだけど、本当に仏陀(オーディン)=ルシファーと言えるのか疑問 ロキ=ルシファーらしいし、オーディンとは性質の違いを語ってる 仏陀=ルシファーというのは保留にしたほうがいいのでは
こんばんわ。おじゃまします。
>>479 おれは477ではないけれど今のところ
特にシュタイナーが過剰にキリストを
重視してるとは思わないけれどなあ。
ただここではとても書ききれないので
それぞれの主要著作の前書きにあたる
ものを読むと479さんへのシュタイナー
の回答が得られると思う。
ああらゆるジャンルのシュタイナー
の講演録を見る限りその量と内容を
考えたとき理性的に考えるなら偏狭な
考えというのは自分からはなくなるかな。
返って時代に縛られた過去の理知を見ると
すると今この時にそれを読んだり実践したり
するなら自分はそれの方が偏狭と感じてしまう。
もちろんそうでないものもあると思うけれど
ね。たとえばギリシャの哲学なんか読むと
そう思う。
留保することに異論はないけど、
>>458 の部分との整合性はどうなるんだろ
「オーディンは高次の段階への上昇を断念した大天使」
と
ルシファー=ロキ、という文脈は矛盾するような。
でもロキのイメージはたしかに、ザ・ルシファーという感じだね
>>481 地球進化期を通して12人の菩薩たちは13人目のキリストを
中心にそこから叡智を汲み出し地球の進化に交代で関わる。
と言っているから仏陀はその時点でルシファーではないと
思うよ。
シュタイナーもひとりの人間だからね。 講演録は速記者が記録しそれを後で まとめあげたものも多い。 シュタイナーはそれに目を通すことが 無かった方が多いと思う。 あと訳の問題と言い回しの問題もある。 膨大な著作と講演という残した者からして どこかにシュタイナー自身の過ちがあった としてもそれは許容の範囲で、それのみを 取り上げて正誤、真偽をしてもどうかというところ もある。そういう部分があればとりあえず保留 でもいいと思う。 俺なんかなんかわからないとこはすべて保留だけどねw
>>483 そうそうwロキとルシファーのイメージがぴったりなんだよねw
高次の段階への上昇を断念した存在が必ずしも悪魔的な存在にはならないのかも、と
考えようかなと思うけどこれも保留ですね
そもそもルシファーなどの悪魔についての考えも流動的にしないといけないので
なんとも言えないっす
>>484 なるほど、とは思います
ああ482に 読んだり実践したりが偏狭と感じるという 意味ではなく、それだけで他を見ずという 意味を含む。 けっこうそういう人いるからね。 個人的にはインド哲学もイスラムも(特にイスラム 神秘主義、宗教には興味ない。)グノーシスも ユダヤの神秘主義も別に偏見は持っていない。 ただ人種的、時間的(時代的)、地域的に縛られる 要素が大きいと思っているだけだよ。 ではまたあとでお伺いします。またね。
>>480 キリスト教が広まった、というより、
ただ世界の覇権を握った民族や人種が
キリスト教を奉じていたからに過ぎないと思うんだが。
キリストの教えや思想の偉大さそのものより、
歴史的に見れば、西洋の科学技術と武力によってこそ
広まったように思う。
>>482 理知が霊の原因ではなくて、霊こそが理知の原因なわけで
理知から見れば霊は常に新しい。
時代に縛られた理知などというのは無いのではないかな。
ここ2千年ほどの間に、人間の形而上学的観念や、語彙が増えたかといえば
未だに古代から伝わる観念や言葉に頼らざるを得ないのでは?
物質的な言葉や観念は随分と増えたけれどね。
キリストについては正直良く分からないな。
分からない事を分かったように信じるよりは、
自分で直接的な感覚によって分かるようになるまで沈黙
というところだな・・。
>>487 そう、それは思う。
別に自分もキリスト教に偏見持ってるってわけじゃない。
でも、シュタイナーがキリストだけを特別視しているように感じたから
そこに強烈な違和感を感じたんだ。
西洋人にとって、キリストは本当に特別な存在なんだろうなと思う。
どんなに直接的に視たとしても、話したり書いたりするためには
人間の限られた言葉や観念、その人の人格といったフィルターを通して
しか伝えることはできないからね。
その伝達の過程での歪みはある程度あるのではないかな。
イスラム教徒16億人の中でシュタイナーを認める人はどのくらいいるんだろうな。
>>490 イスラム教ではイエスも預言者の一人だから
自分のようなインド思想から入った人間より
すんなり認めるんじゃないかな。
>高次の段階への上昇を断念した存在が必ずしも悪魔的な存在にはならないのかも それが一番納得できますね イエスも、犠牲行為として神が人間にまで下ったようだし、 神々には意志的な犠牲行為として、進化の断念があるのかも。 悪魔を記述する時にする表記(「逸脱」など)とのニュアンスの違いも、そう考えると納得できると思う
>>479 僕も読み始めは違和感あったんだけど、今はキリストはやっぱり特別な存在だと認識している。理由は、
キリストほどの位階の存在が人に受肉するのは人類の歴史史上始めてだから。
※仏陀は数限りない輪廻を経て、人を越えた位階に入ったが、人類の輪廻を経験していない神の位階の存在が人になるなんて始めてだし、これからもない。
その受肉は人類の未来を作るためにあったから。※キリストはゴルゴダ以後、地球神霊になっている。
また、地球期の人類の歩みが終わるまで、人類を導く存在だから。
ようは、キリストは「人類」の正しい進化にとっては唯一無二の存在。キリストより上位の位階の存在は腐る程いたとしても、「全ての人類」にとって、キリストは特別なのかと。
>>484 金星存在と釈迦の関係って深いと思いませんか?
>>493 もう少し別の情報を追加すると、
シュタイナーの人智学は発達した個我をもった人類を対象としている。
昔のカルトみたか、意志に直接働きかけないで悟性を経由して意志を変容させる。
個我を現代の主要のテーマと据えた時に、キリストはまさに、「その個我にとって」特別な存在。
なぜなら、輪廻を巡る個我の遍歴全てに一番大きく関係しているのがキリストだから。
ガラテヤ人の手紙 2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。 --- 神の火花はキリストとして、私達の中にある。 キリスト衝動の先に「私ではなく、私の中のキリスト」と語る人がこれから増えてゆくと思う。 これも、個我がこれから歩む道で起きること。
あらためてこんばんわ。いい湯だったw
>>488 もし人智学的にいうなら時代に縛られた理知といえば
今の自然科学、あるいは唯物科学ということになると思う。
理由は人智学が基なのだけれど書ききれないので省略w
そこのところはごめん。
>人間の形而上学的観念や、語彙が増えたかといえば
>未だに古代から伝わる観念や言葉に頼らざるを得ないのでは?
その通りと思う。ただそれはなんらか名称を付与しなくてはならない
と言う形では正しいと思う。
シュタイナーも過去の叡智で表現されるときの名称と同じ名称を
使うが霊的認識でシュタイナー自身が認識した世界を言葉で
表現するなら、それらのことばを使わざるを得ない理由がある。
但しその名称がシュタイナー自身が説明する名称の意味と
必ずしも同じではないと言っている。
そういう意味においては頼らざるを得ないと思う。
たとえばよく出てくるアストラル体とか
エーテル体と言うときのアストラル、エーテルなど。
>>494 前に読んだ本によると親密な関係にあるローゼンクロイツと
仏陀が話し合い火星の死者たちが険悪な状態だから平和
の王子として火星に行ったと書いてあった。
でもこれだけを抜き出したらほんとに変な宗教と思われて
も仕方ないね。w
ああ行ったのは仏陀ね。ローゼンクロイツは行かない。
>>496 それって昔からあった東洋思想を
言葉を変えて言い替えただけにすぎないと思うんだが。
西洋人にとっては「新しい発見」のように感じるかもしれないが。
「キリスト」のところを別の言葉に替えただけだよ。
人智学の専売特許じゃない。
>>497 その言葉の使い方のところで、
キリストという言葉がイエスという
歴史上の個人を指す言葉としてではなくて
キリストという言葉で象徴される何らかの観念であれば
理解もできるんだけどねえ。
ああそれとちょっと前のスレの479さんにだけど もしかすると読んでいると思うけれど 「神智学」「いかにして霊的世界の認識を獲得するか」「自己認識の道」 割と基本的な書物だけれど特に修行にあたる部分を考察すると シュタイナーから出てきたものが偏狭ではないと思うのだけれど。 実をいうと俺もシュタイナーは最初、悪く言うと頭が逝かれた おっさんぐらいにしか考えていなかったよw ただ各秘教的宗教や霊能?獲得の行や魔術的なもの (ヨーガや密教系の修法なども)比較した結果 シュタイナーの行はもっともまともだと思った。 途中の階梯については各行では似たことを言っている 部分がある。天台小止観やヨーガスートラなどで。 もちろんカバラや魔術系でもそういう記述は見かける。 しかし行の方法もそうだけどその行うものに対しての わかりやすくいうと心構えや目的については シュタイナーほど理にかなった説得力はなかった と自分では思ってるんだけどね。
>>498 あぁ、そんな話もありましたね。
でも、私が言っていたのはキリスト以前の釈迦についてです。
レムリア時代に金星のルシファー的存在は人類の教師でした。
金星存在は所謂ルシファーです。仏陀は明けの明星を見て開悟したと言われています。
>>500 東洋思想って言ってるのは高次の自己についてですか?
であるなら、少しだけですが、ニュアンスが私のとは違います。とても言語化し辛いのですが。。。
キリスト以前と後ではキリスト衝動があるかないか、が違います。
大乗仏教はキリスト以後で、キリスト的で菩薩的です。
キリストが地球神霊になった以後はその高次の自己の在り方自体の方向性も変わったのだとぼんやり感じています。
ぼんやりですが。
例えば、
>>496 のような文脈の中で
「キリスト」が、クリシュナやアッラー、道
といった言葉に替われば、人智学的には
誤謬とされるのかい?
なんだか昔のカトリックの教王至上主義者を彷彿とさせるんだが。
>>501 自分も「いかにして霊的世界の認識を獲得するか」とか
「神智学」なんかも読んだうえで、シュタイナーの言ってる事の
正しさを感じているよ。
でも、部分が正しいからといって全体が全て正しいとは思わない。
そこのところで理性を捨てる訳にはいかない。
結局のところ知性を超えたものを知性で理解しようとしても
相当程度無理が出てくると思う。
>>503 「高次の自己の在り方」が「変わる」と思うかい?
「変わる」のは理知的認識のほうだと思うよ。
>>502 そうなんだ。それはちょっと知らない。
そういえば明けの明星を見るてので思い出したけれど
空海も虚空蔵求聞持法とかいうのを教わって最終段階
にそれを見たとかなんとか聞いたことがある。
あんまり関係ないかw
>>505 分かりません。
キリスト以後は死後の世界が闇のようだったと書かれてたのを読みました。
高次の自己がどん詰まり状況なのか、そうでないかで、在り方は変わるのでは?
>>506 虚空菩薩の話しは私も気になってます。
関係あるのかなぁ程度ですが。
個人的に虚空菩薩好きですしw
>>504 それは俺も同じだよ。シュタイナーを読んでいるけれど
内面ではそういう態度を取っている。
シュタイナーはそういっているんだ、と思っているだけだよ。
ただ正しいとか間違えているとか思っていないだけだよ。
つまりはわからないというのが正直なところかな。
同じようにシュタイナーだけの影響ではないんだけれど
普通の科学や学問で学んだことも個々ではなく一歩引いて
見た時にやっぱり実際はあてにならないかわからないなあ
と、シュタイナーと同じように最近は思っているw
前は真剣にいろいろ考えたけれど今は疲れるので
考えるのをやめたけれどね。w
>>507 正直なところ自分も分からないw
もう10年以上も瞑想なんか続けてきたけれど
凡夫非才の自分には分からない。
もう、何を信じるか?という事しか残ってないように思う。
何も信じること無く、自分自身の経験のみを信じるなら
恐らく変わらない。
でも自分の経験のみが絶対だなどとは思わない。
だからもう、何を信じるか?しか残って無い。
>>504 >結局のところ知性を超えたものを知性で理解しようとしても
>相当程度無理が出てくると思う。
これにはとても同意しますし、あなたが私よりも何倍も凄いことは前から知っています。
私の言っていることは私の主観から生じたものでしかないです。その上で、ですが
・人から上位の位階に輪廻を頼りによぼる存在はいる
・キュリオテテスクラスの位階の存在が人に受肉したケースは人類史でキリストが始めて
・キリストは人に受肉することで地獄巡りが可能になり、闇の中心に光りを灯した
・キリストは地球神霊になり、人と共に歩む
このような存在が他にいるのであれば、キリストは特別でなくてもいいです。
ようは、「特別」って単語がややこしくするのだと思いますけど、「人類の自我」にとって特別なだけです。
学校の教師より、自分の親の方が特別なのと似ています。
閑話休題で一言 自分は妄想は10年以上続けてきたけれど ろくなことはないということだけはわかったw くだらんくてごめんw
確かに妄想はくだらないw 結局は直に確認するしかないしw で、今は、皆に関係する学び(人智学)より、カルマが提供する課題(人生の出来事)に取り組むことのほうが自分にとって価値があると思ってます。
「いかにして高次世界の認識を獲得するか」 具体的な修行法が書かれていて、もう出版されてから100年位経つけど 何人くらいの人が高次世界を認識できるようになったの?
0人
>>514 さあ。まったくわからない。聞いたこともないね。
ただ一般的に認識できる人がメジャーになって
知られるという可能性も少ないと思うねえ。
仮に自分がそうなったらどう生活しているだろうか
ちょっと考える。
個人的にはいると思うけれど。むかしある人に
(人智学の大学にいた人)から聞いたこと
あるけれどそういう人はいるよとは言ってた。
さてG1の予想をするので退出します。 みんなまたね。おやすみ。
悟りを開いたお釈迦様は涅槃に入ろうとしたそうだ。梵天に「お前のさとったことを世に知らしめよ」と促されて、3度目にその熱意に負け自分の悟った内容を広めようと決意したそうだ。 大半の人は覚醒しても自ら涅槃に入ろうとするのではないかな?
キリスト以前はね。
ドイツ語圏の人なら高次世界を認識できる人多いのかな。 今の時代ならホームページやブログを開設している人がいてもおかしくないよね。 ドイツ語で検索したら出てくるかな?
この前、グリフォンの容姿をしたキリストに会った、って人のサイトは紹介しました。チャクラについて結構詳しく書いてたような。。。 日本でも2名はガチな人は知ってますし、そもそも西川さんや高橋さんはそうなのでは? まぁ、今の唯物な世の中で高次世界を認識出来ますなんて自分からいう人はいないと思うけど。
例えば、行いも魂も非常に清らかな人がいたとして、 キリスト教世界のパワーゲームの中で虐げられ(例えばイスラム世界) キリスト個人はどうしても受け入れられないという人がいたとする。 恐らく慈悲深いキリストは、その人にはアッラーとして現れるのではないかな。 イエスという個性はあるとしても、その時に働くのはイエスの中にある 神性そのものなのでは? そう考える時、形を論じる事の無意味さを感じるのは行き過ぎだろうか? 究極のところ(それがあるかどうかも分からないが)、に行き着くまでは その人の魂に合った認識にしかならないのではないかと思ったりもする。 というところで、もう自分も寝ます、おやすみなさい。
おやすみなさい。
>>522 には私も同意します。
でも、それがアッラーとキリストが同一の存在かどうかは別の話だと思います。
>部分が正しいからといって全体が全て正しいとは思わない。 >そこのところで理性を捨てる訳にはいかない。 それはむしろ大切にすべきスタンスでは。 シュタイナーも、自分を信じろとは決して言わず、自分の言ったことについて考えて欲しいとだけ言っているし。 俺も自然科学の知見と摺り合わせてどういうことだろうなぁとかよく思うよ とくに地学的知見と人智学的歴史観は相当かけ離れていると思う ただシュタイナーは、思いつきやインチキで適当なことを言っているわけでは決してなくて、 その言葉の背後に内的に調和した巨大な体系があるから、その体系を知りたいと思ってる その作業を続けていく中で、その体系の影響力が、実際の人生の中にまで及んできたというか ますます偉大なものとして、人智学は自分の中にある。 無批判的に理解しようとする時間と、批判的に検討する時間の、両方が必要だと思う
シュタイナーっていっても アーサー王と遠宅の騎士について霊視して見当違いのことを言ったらしいじゃない アーサー王伝説は後の考古学的調査によって大部分が創作と確定
上野の国立西洋美術館のラファエロ展に行ってきたけど、凄く良かった。 思ったよりラファエロの絵の点数が多くて大満足。 ラファエロの描く人物は大自然のような壮大さを感じる。描かれているのは人なんだけど、それよりも深い拡がりがある。 ルネサンスの人物画の背景に自然がなぜ必要なのか、悟性ではなく、感情で理解出来たのが大きな収穫だった。 6月までやっているので首都圏在住の人がいたら、超オススメ。
>>526 行きたいけどいけないよー。
代わりに彼女が友達と行ってきた。
良かった以前に団体が多くて前が
見えないとか言ってたな。
>>525 どっちもあてにならないという面では同じかな。
ラファエロの絵を見るのと同じだよ。画そのもの
は描かれている対象が見た目の事実と違うもの
の方がほとんど。
昔は俺なんか博物館で恐竜の骨を見ても そんなもんいるはずがないと思ってた。 学芸員?のおじさんに太古にいたんだよ って言われて、子供心にじゃあおじさん 自分で見たわけじゃないじゃんと言ったら 苦笑いしてた。 その割には幽霊や宇宙人はいるに 違いないと思ってたからそこは矛盾 だね。
>>527 確かに凄い人でしたw
でも、これだけの質と量でラファエロ見れるのは多分もうないから、時間使って最前列で全ての絵をみました。
まぁ、私の場合は展覧会の開催期間の終盤に行ったので比較的空いてただけだと思いますけど。
ラファエロはやっぱり特別ですね。
>>525 どうやったらそんなことが証明できるんだろう
伝説がなかった証明なんて普通に考えて出来なくない?
仮説としてなら分かるけど
お城かなんかに言って霊視したんでしょ? いかにもそのお城でアーサー王と円卓の騎士にまつわる話をシュタイナーは語ったが、実はそのお城はアーサー王の死後400年ほど後に建てられたものと後の考古学調査でわかっている。 したがってアーサー王のお話を知っていたシュタイナーは物語の知識にひきづられて 自分自身の妄想というか想像を語ってしまっっている
コリン ウィルソンの書いた「ルドルフ シュタイナー」って本にシュタイナーが霊視の結果誤った事実を語ったこともあることが詳しく書かれてるよ
>>531 横レスだけど、霊視するにあたって個人の妄想とそうでないものを振り分けることは、初歩の初歩だと思うよ。
私はあなたが指摘していることが事実かどうか判別つかないけれど、シュタイナーレベルの人間がそんなことやるなんて、ちょっと考えられない。
>>533 シュタイナーも人間だから間違えることもあるよ
気になるなら上記の本を古本屋かと図書館で見つけて読んでごらん
決してシュタイナーの能力を否定した本ではないし、けっこう面白かったよ
お城にいって霊視したとかはじめて聞いた なんかシュタイナーっぽくないな 宜保愛子じゃないんだからw 本当にそういうことがあったのかもしれないけど ソースがないとなんともいえないな
だからソース書いてるやん
コリン・ウィルソンは、俺の中では、ムー的な人 彼自身は霊視能力はないよね だから、正直いって、あまり自分の中では評価が高い人ではないけど たしか図書館にあったと思うから読んでみようと思う
>>534 まぁ、それはありうるけど、コリンさんの本は当たり前に持ってるけどあまり信用ならない印象を持ってます。
シュタイナーに肩入れしたいわけではなく、単純にコリンさん自信を私が信用していないんだけど。
まぁ、時間がある時に読み直して見ます。
文章から伝わってくる真実性や霊性によってシュタイナーに帰依しているのに、 真実性も霊性も感じない人の本に彼を否定することが書いてあったからといって すぐにハイそうですか、とは思えないよね コリン・ウィルソンのその文章自体が客観的な批判をパスし得るのかを検討しないと
まるでルドルフ・シュタイナー教のようになってるぞ
>>540 そういうならまずは
コリンの書を読んで出所を調べて原文で読んで検証しないといけないことになるね
まあ、頑張ってください
>>539 ざっと簡単にググったけど、今でもアーサー王のゆかりの地として観光スポットみたいだね。
コリンさんのソースが正しいと思われている場合、なぜなのだろう?
単純に不思議です。
>>539 そこのブログ主さんのいう通りだわw
盲目的に信じてるシュタイナー信者っているんだね、驚いたw
個人的な経験からいって、ムー的な本は、学問的に言っても作法が全然なってないと思う 断片的な情報を自分に都合がいいように切り貼りしていて、 しかも引用元をあきらかにせず、検証可能性を担保していない その瑕疵を凌駕し得るのは真実性や霊性や芸術性のみだけど、それもない
>>542 引用元を記述すべきなのはコリン・ウィルソンの方だよ
なんで俺が怪しげな文章の出所を調べなきゃいけないのw
アーサー王と円卓の騎士の話はどっかの修道士か神父が作った創作の部分が多いとはどっかで読んだことがある アーサー王というかアーサーという名の将校のような人がいたというのは確からしいが
シュタイナーを盲信している人智学徒的ではない人間がいたとしても、だからと言ってシュタイナーが間違っているって話にはならないと思う。 キリスト教の血みどろの歴史があるからキリストが間違いっていってるのと同じ話し。 霊統が正しくても団体が間違った方向に進むことなんて当たり前にある。 団体が正しくても個人やグルーブが間違った方向に進むことも当たり前にある。 全てが正しくないといけない、なんて人権を無視した無神論的な教条主義的態度だと思う。 そんなもの、この世の中にない。
真実の重要性を知っている人は、引用元をあきらかにした上で、 「これらの情報を元に、私はこう考えました。 よろしければあなたがたもこれらの資料を見た上で、 私の考えが正しいかどうか確かめてください」 と言うんだよ 芸術家や宗教者にまではこういうことを求めないけどね。 コリン・ウィルソンは単なるライターなんだから、 自分の言葉を他人に信じてもらおうと本当に思っているなら、 引用元や根拠をはっきりさせなくてはいけない それは単なる当たり前のことだよ
>>539 根拠がよりによってコリン・ウィルソンだし、
文章も下品だし、悪いけど検討する価値を感じないかな
コリンさん云々は別として シュタイナー教の信者って指摘は大切な視点だと思う。 なぜなら、人智学的に、そうなってはいけないから。
第五文化期の黎明期に人間の 魂に生じた内的な秘密を外的な 像の形で伝えている。 いかに円卓の騎士達が地上 を放浪し怪物や巨人を殺した かが物語れている。 これらの象として霊視者に現れた アストラル体の諸力を浄化し、純化 するために魂が行う努力を示している。 新しい秘儀を通して感覚魂が体験すべき ものすべてが、アーサー王の円卓の 表象に結びついている。 以上がシュタイナーの霊視の内容だよ。 ちなみにアーサー王とは個人名ではなく 秘儀参入の位階の名前だよ。 どう見ても物的な歴史的な根拠は見いだせない のは当然だよ。 物事は両方からみないとね。 何が事実なのかは簡単に判断は出来ない。
まあシュタイナー教に染まっている人 はめったにいないと思うな。 みんなのレスを読むと、(全員じゃない。ごめんね。) そこそこ頭使わないこのレスには書き込み 出来ないと思うよ。 信じるだけが強い人はシュタイナーの講義が 広範囲だけに横のつながりも把握しないと 理解するのも難しい。 教的な人間はたまに見かけるがうわべだけを みてなお浅薄な知識しか持ってない。 議論の終わりには感情的な論調になるからね。 それこそ教的な人といえるかもね。
>>552 いやあきらかにそれとは違う内容がコリンの本には書かれているぞ
出所もちゃんと書いてある
ひとつは城を訪れた5日後の1924年8月21日のトーキーでの講演で語ったこと、もうひとつは「カルマ的関係」(第4巻第4講)
でアーサー王にまつわる新実を見たとして具体的に語っている
内容は
>>539 であげられているブログの内容そのもの。
信じられないというなら、ご自分でコリンの本とそこのあげられている一時資料を確かめてみればどうかな?
コリン・ウィルソンは嫌いじゃない。 なかなか面白い。日本で言えば荒俣宏 さんみたいな感じがするね。 おれはシュタイナー教ではないが はっきり言えるのは近代では(シュタイナーって 近代だっけ?)おれの中では別格の人だと思ってる。 今夜は遅く来たので誤解があるようなので アーサー王の円卓の物語のことだけ書いとくよ。 コリン・ウィルソンの該当の本は持ってるんだけど ちょっとなあってところが何か所かあるにはある。 他にシュタイナーのアーサー王の記述は あるのはわかってるんだけどまだ読んでないわ。 そっちではなんて言ってるかねえ。 と言うわけで今夜は寝ます。 またね。
>>555 176ぺーじ以降に書いてある
霊視で事実と違うことを見ることがあったと書かれたら、なぜ反発する人がいるのか不思議でならん。個人的にはそういった能力には懐疑的だがコリンは、シュタイナーが本物の見者であることは間違いないとまで書いている
シュタイナーの見るヴィジョンが全て正しいかと聞かれると、残念ながら答えは否であると言わざるを得ない、として霊視によって史実と違ったものを読み取った一例として紹介してるだけなんだがね?
特殊な能力の持ち主で100発100中なんておらんでしょ?
いたらそれこそ人知を超えた存在だ
シュタイナーの霊視がすべて正しいとも すべて間違っているとも思わないよ。 おれの場合だけれどシュタイナーの 霊視については特にすごいとか は思っていない。事実かどうかが 別の問題になるから。 見方を変えてみると霊視でなくても 作り事でも過去の知識のよせ集め だったとしても、これほどの内容を 膨大な量に比例して矛盾点が少なく 小説を読むより胸をわくわく(これは ちょっと表現が違うかw)させる書物 群は無いということかな。 かつ単なる読み物と違って頭を 使わせる、というか使わさせられる、 こういう類の著者や本はあまりないな。 そういう意味で信仰を挟ませないところ がよいw シュタイナーは人智を超えてるというところ は認めてるけどね。でも信者ではない。 あくまでも俺の中では学問の一つだから。 コリン・ウィルソンはシュタイナーどうこう より観点で他の本もそうだけどひっかかる ところがある。
こんどこそ。おやすみw
エイブラハムとの対話・バシャール・シルバーバーチ・エドガーケイシー・江原啓之・ 神智学・ユング心理学・スピリチュアリズム・ニューエイジムーブメントは邪悪な霊の嘘!罠! ロックフェラー帝国の陰謀-見えざる世界政府(自由国民社・原著1976年) 魔術 で検索。
そのコリン・ウィルソンの本に 矛盾があるという講演がシュタイナー全集の何番に収録されているかは書いてないの?
1924年8月 トーキーで連続講義「秘儀参入者の意識」 って用語辞典に載ってた GA243 秘儀参入者の意識−精神的探究の正道と邪道 和訳なしか・・
ま、正確には城をおとづれた5日後の金曜日の講演と書かれていたから、自分の日にちの数えまちがいがなければその日になるw
google翻訳でざっと見た感じだと、惑星について書かれている感じ 城のこととかアーサー王のことなんて書かれてないっぽいけど・・ Arthurとかcastleとかいう単語一つも出てこないし。 コリン本の引用をできればもっと詳しくお願いします
>>556 河出書房の「ルドルフシュタイナー その人物とヴィジョン」の該当ページ見たけど書いてなかった。
違う本?
めんどくさいよw 図書館で読んで下さいw コリンの本に書かれていることが嘘の内容だと思うならそう思っておけばいいだろw 本に書かれていたのは事実。 上であげたコリン曰くの情報源も書いた。 気になるなら、人に頼らず自分で後は調べてくれよ、信者さんよ
蜂の巣をつついた
>>568 文庫なんですね。自分のとは違います。
ちなみに、後記で指摘の内容を見つけました。
文脈的に、コリンさんがシュタイナーを評価しているのは、シュタイナーの一般開示している内容で、一部のグループにのみ開示している秘境的な内容はあまり好ましく思ってないみたいですね。
「カルマ」の話がシュタイナーの基本的な教えから相手の注意をそらしてしまうって箇所には同意はある面でするけど、かなり違和感を持ちました。
カルマ論はシュタイナーの偉業の中でも最も重要な部分を占めると考えているので。
ま、 自分はコリンの挙げている一次資料を持ってるわけじゃない。 コリン本に書かれていることが嘘八百だと思う人がいるなら、ご自分で一次資料見て研究すればよい。 そしてブログなり論文なりでその成果をかけばいい。ただそれだけのことだ。
躓きの石置いた
Tintagelともあるからこれだね
それぞれがそれぞれの 認識で何をどう思うが 自由ではあるが、敬意 の無いものの見方は どんな事に対しても物事 の真実を見逃すだけだ。 書いた人よりそれを持ち 出した人の心持ちも問題 がある。 自分が感じた通りに相手も 思わないと気に入らない。 自分の意見が認められない と気に入らない。 そうすると最後には決まって こう言う言葉を持ち出す。 信者と。 その時自分の言葉の中に感情 が深く関わっていることに気 づかない。 この人が物事の真実について 熟考するのが難しい。認識に 感情が必ず入り込むからだ。 それは最近の日本と周りの国 のネット右翼と呼ばれている 人達の思考回路と同じだ。
ルドルフ・シュタイナー―その人物とヴィジョン、 自分の基準では買うような本じゃないけど 値段も安いし注文してみた
円卓の騎士自体が史実じゃないよw
そんな無慈悲な
>>577 アーサー王伝説は元になる人物は、いたかもしれんが、ファンタジーだよ
アーサー王と円卓の騎士を読んで歴史上の事実だと思うヤツがいるはずない
指輪物語のようなファンタジーってのが正解
史実かファンタジー(とされている)か、っていうのは、人智学的にはあまり重要じゃないと思う 四大が実在すると言っているんだから。 「妖精は実在しますか?それとも空想上の存在ですか?」という質問に対して 「実在します」と答える人はいないよね
シュタイナーの神秘劇みたいなもんか
コリンさんの本は1985年に出てるからその後で「アーサー王の石碑」は見つかったんだね。
>>579 新訳聖書についても同じことが言えますね。
今の世の中では、そういう話からファンタジーの要素を一切なくして道徳の本にしないと素直に受け取られない所がある。
シュタイナーは現実の事物や出来事の「背後」に精神の活動を見るので志向生としては逆のベクトルに進んでますね。
同じ対象を観察しても、唯物とシュタイナーでは「手段が違う」のでアウトプットも変わるのだと思う。
まぁ、当たり前の話しですけど。
アーサー王伝説って日本でいえば、神話みたいなもんだぜ 史実と考える方がどうかしてる 霊視ってのは史実や事実を見るだけじゃないから史実とのズレが出ることがあって当然。 人間の意識の世界とか無意識の世界に関わりあるものまで見るもんじゃねーかな? シュタイナーの例えば神秘学概論を物理学とかで見るとトンデモだろうが、普遍的無意識の世界を語ったものとみればありうる話。 アーサー王の霊視では史実ではなく、ヨーロッパ人共通に流れる普遍的無意識を読み取ったものだろうと個人的には思っている。
ごく一般的な人にとってはシュタイナーの本 なんてトンデモ本だよな。
一般的にはシュタイナー教育の人だから
>>588 そんなのあたりまえじゃん。
シュタイナーのメルヘン系の書籍読んだことないでしょ?
童話だろうが、伝説だろうが、教典だろうが、それらには意図されたものがあって、シュタイナーさそれらについて多くのことを語ってるよ。
個人的には何をいまさら、な話し。
ばかやろ。おれは一般人だw いまさらじゃないわ。 ちょっと変わった物語の解説だと 思えばおもしろい。 きらいじゃないけど。何言ってるかわからんときがある。
それは失礼w シュタイナーは4大主著読まないで講演系の本読むとぽかーんだと思います。 基本、あれベースで積み上げで喋ってると思うので。 講演系はしゃべる相手選んで内容決めてると思うので、場合によってはトンデモすぎることがある。 何言ってるか分かったら逆に引きますw
それはそれとして、アーサー王伝説に関する講演興味深いから、
>>572 の講演も出版して欲しいな
「輪廻転生とカルマ」にGA240の一部「人智学運動のカルマ」は収録されてるけど
アーサー王で盛り上がってるのに話題を変えるのは悪いけど、大学の講義でシュタイナーを教えてるところってあるの? シュタイナー教育についてはありそうだけど、それ以外の部分について
あるよ。自由ヴァルドルフ大学
正常な形態の霊たちと、進化から逸脱した動きの霊たちが共同する領域があります。 この共同をとおして、人間に関係するものが生じます。人種とわたしたちが呼んでいるものが形成されるのです。 ・・ 地球上の人間を、どの人種に属していようと、人類に属する者として同等の者にしようとするのが、 正常な形態の霊たちです。 人類をさまざまな人種に分ける働きをしているのが、進化から逸脱した形態の霊たちです。 (「民族魂の使命」) 「本来動きの霊だけど、進化から逸脱した結果、形態の霊として働いている存在」 のことを、 「進化から逸脱した動きの霊」とも「進化から逸脱した形態の霊」とも呼んでいる。 逸脱前の位階を指しているのか、逸脱後の位階を指しているのかは、文脈から読み取らないといけない。 これは仕方ないけど分かりにくいね
「形態霊として働く運動霊」とか「大天使として働く形態霊」とか言うのが分かりやすいかな
「進化から逸脱した動きの霊」と「進化から逸脱した形態の霊」 これは別の存在だと思うよ。 エクスシアイと進化から逸脱したデュナメイスが共働して人種を形成。 人種を作ったが人類として同等な人間にしようとするが正常なエクスシアイ。 逆に人種によって人間を分け差を生み出そうとしているのが進化から逸脱したエクスシアイ。 どうして人種が生じることになったかは神秘学概論を参照
「正常なエクスシアイと逸脱したデュナメイスが人種を形成した、すなわち、〜ということである」 というシュタイナーによくある言い換えの文章だから同じだと思うよ。 ちなみに、用語辞典の「人種」の項。 エクスシアイの計画では、 アトランティス時代第5人種からポスト・アトランテイス時代第4文化期まで、 統一的な外的形態の、7つの人種段階を設ける予定だった。 エクスシアイは各人を全人類に属させようとしたが、 逸脱したエクスシアイ(ルシファー的なデュナメイス)が人類を人種に分類した。 逸脱したエクスシアイが人間を地上に導いたことによって、 人種の基盤が作られたのである。 人種は人々が諸惑星から地上に下ってきたレムリア時代末期に形成され、 人間はさまざまな人種を転生していく。 逸脱したエクスシアイ=ルシファー的なデュナメイス
「民族魂の使命」に出てくる特殊な名前を持つ霊をまとめると 思考の霊=アルカイとして働くルシファー的なエクスシアイ 言語の霊=大天使として働くアーリマン的なエクスシアイ 人種の霊=エクスシアイとして働くルシファー的なデュナメイス になるね
用語辞典の「言語」の項 エクスシアイは表象と言語の統一をもたらしたが、 やがてルシファー的天使とアーリマン的大天使によって、 ドグマ的統一に向かう思考と、国家に限定された言語に分断された。 この「ルシファー的天使」は「天使として働くルシファー的大天使」 「アーリマン的大天使」は「大天使として働くアーリマン的エクスシアイ」を示しているだろうから (なぜなら天使がルシファー化すると、それはもう人間だから) 「ルシファー的○○」「アーリマン的○○」という表現も、 「逸脱した結果○○になった存在」と「○○が逸脱した存在」が混在してることになる ややこしいなw
ルシファーやアーリマンの特徴として語られていることは、 正確には、ルシファー的○○、アーリマン的○○の総合的な傾向を語っているんだろうね 魚類と爬虫類の特徴を語るように。 他方、ルシファー的天使とルシファー的大天使の違いを知ることは、 いわば鮭と鮫の違いを知ることに対応する。 ということは、「思考の霊」「人種の霊」「言語の霊」などの呼称を、自分は「特殊な例」と考えていたけれど、 特殊な例ではなくて、おそらく単に悪魔の「種」の名前なんだろう。 すべての悪魔には、ルシファー、アーリマン、アシュラといった類としての名前の他に、 種としての名前があるのでは。
こういうのがシュタイナーの頭を悩ます ところだよね。 ところで何時まで起きてるんだよ。w 連休終わりだろ。
神秘学概論読んだ時わからないとこ多いから 訳の違う本を買って読んでみようと思い 読んだら、やっぱわかりにくいところ はそれぞれあるね。気づいたら4冊訳違いで 買ったよ。 訳者の一人に聞いたら英語のアーカイブ も間違いが多いって言ってたし、自分の 訳本も何回か修正したけどまだあるって 言ってた。 とにかく訳以前に内容そのものが難しいって いってた。
原語で読まないとダメだろうね 真剣に研究するなら 訳本はどうしても翻訳者のフィルターがかかったものになってしまう感は否めない 翻訳者それぞれの解釈のちがいがみえて面白いって利点もあるけど
呼び名に関していえば、紛らわしい書き方をしている、ということさえ分かれば、 文脈から読む取るのは難しくはないと思う シュタイナーは あることに触れて→別の事柄を語って→もう一度最初の事柄を語る、 というような語り方をするね ほとんどのことを二度違ったやり方で描写する それに慣れないと、「なんでいきなりこの話が出てきたんだ?」ってなりがちだけど、 そのクセが分かると少し読み取りやすくなると思う
「民族魂の使命」読み直して、 ヴォータンはルシファーなのか問題、判明した 結論から言うと、ヴォータンはルシファーではなかった ヴォータンが大天使からアルカイへの上昇を断念したのは、まだ新しい、地球紀の出来事だから。 他に同書に出てくる地球紀に進化を断念した存在としては、 ○エクスシアイへの上昇を断念したギリシアの時代霊 ○アルカイへの上昇を断念したケルトの民族霊 があって、 ギリシアの時代霊→顕教的キリスト教を指導する霊 ケルトの民族霊→秘教的キリスト教に霊感を与える霊 となった。 どうも、惑星進化を経ない「進化を断念した存在」は、善的な働きをするみたい。 でも彼らは、木星紀になったらどうなるんだろう? 現在のルシファーやアーリマンのように悪魔的存在になるんだろうか。 だとしたら現在の悪魔は、かつては善的な働きのために意志的な自己犠牲を行った存在だったんだろうか。 そうなると、悪魔達は随分と哀しい存在だと思う。 それともヴォータン達には、何らかの救済かあるんだろうか。
ルシファーは個我のキリスト認識により救済される、と何処かで読んだような。 救済された後は、聖霊になると言ってような。宇宙神霊とも読んだ。 うろ覚えなので出典が分からないけど。
ルシファーだけでなく、 アーリマンやアシュラも最終的には救済されると、「赦しの隠された意味」でプロコフィエフは言ってるね 自分もそう思う。 悪魔は自分の力では進化できなくなり 人間に打ち克たれることによってのみ、救済される存在だという やっぱり悪魔は、かつては、独自の善的目的のために、進化から逸脱したんじゃないかと思う 真に犠牲的な行為とはそのようなものではないか 地球紀に逸脱した善的存在たちも、木星紀には「悪魔」として、 自分の力では進化できなくなるのかもしれない。 月紀における、ルシファーの善的犠牲、 太陽紀における、アーリマンの善的犠牲、 土星紀における、アシュラの善的犠牲とはどういうものだったのだろう、 などと考える
シュタイナーのスレを見てると 東洋的な考え方とは対照的で面白いね。 インドでは、 神を理解しようなどと思うな、 人間が何千回生まれ変わっても理解する事は絶対に不可能だから。 ただ、それは経験する事ができるだけだ。 という風な具合だけど、神の無限の栄光のホンの一端でも ドイツ人気質で徹底的に分析するのも、 理知的に理解しようとする現代人にとっては ある程度効用のある事なのかなと、シュタイナーの本を読んでると思う。 ヨーガスートラの一節で、 「対象を支配しようと決意する、その結果は無執着である」 こんな文言があるけれど、シュタイナー本読んでると、 こんな普通に考えれば不可思議としか思えない言葉も 普通に理知的に理解できるもんな。 ちなみにインドの伝統では神々というのは、 非常に徳高い魂によって占められる、公職のようなものなんだ。 カルマの果報が尽きれば、再び地上に生まれ変わる。 神々は霊的に進歩する事ができないから、 ヨーガ行者に言わせれば、一時的に完成に失敗した魂達なのだともいう。 その辺りはシュタイナーと似通っていて面白い。 シュタイナーのいう、そういう霊的な存在というのも 一つの位階・公職、のようなもので、 個性そのものを表す言葉ではないのでは?
逸脱した存在を巡る不備落ちない点。 ・逸脱した存在が救済され、上位の位階に進化した時、その存在は逸脱する前の存在と同じ位階に戻るのか? ・それとも、逸脱する前の存在より遅れるのか? ・それとも、逸脱する前の存在より高い位階につくのか? ・それとも、元々の正規のルートの存在とは違う、新しい位階の存在になるのか?
>シュタイナーのいう、そういう霊的な存在というのも >一つの位階・公職、のようなもの シュタイナーは霊的ヒエラルキーをそういうものとして語ってるね
キリストの先に立って松明を掲げるのは、再び甦ったルシファー、 つまりいまや善なるものへと変化したルシファーです。 キリストそのものをルシファーが支えるのです。 ルシファーが光の担い手であり、キリストが光です。 ルシファーとは、その言葉どおり、光の担い手なのです。 と「悪の秘儀」にあるから、救済された暁には、うってかわって輝かしい存在になるのだと思うけど 位階は分からないね
コリン本が届いた 一人のライターがシュタイナーにどう接近していったのかという記録としてなかなかおもしろい 最初は不信感を持ちながら、 「いささか驚いたことにはシュタイナーは並々ならぬ頭の冴えをもった哲学者・文化史家だったのである。 これらの著作にはいかさまめいたところは微塵もなく、それどころか、 思想史に完全に魅了され、自分の思想を出来るだけ簡潔明瞭に語ろうとしている人という印象さえ受けた」 と見なおす過程に共感した
アーサー王伝説周辺の事柄は、なじみが薄いからいまいち分からないな もっともシュタイナーと出会う前にはギリシア神話ですら録に読んでなかったけど・・
独り言 信仰・愛・希望
独り言 努力・友情・勝利(少年ジャンプ)
>>617 「アーサー王と円卓の騎士」読んでみなw
しかしあの物語を読んでこれは史実だと思うヤツはいないと思われ
アーサーが石に刺さった剣を引き抜いて王に選ばれるとか(カリブルヌスとかいう剣らしい)湖の中から手が出ていて剣を持っていて、それを受けとるとか(こっちがエクスカリバーらしい)聖杯探索してそれを見つけるとか、まさにドラクエとかFFの題材にぴったりw
元となった人物はいたんだろうけど、王の様々な伝承とか円卓の騎士とかは史実ではないだろう
シュタイナーのアーサー王解釈もそんなに単純じゃないみたいだよ アーサー王は個人名ではなく、位階の名称だと言っているし。 それもまぁ、どういうことかまだ分からないけどw アーサー王に関する知識のなさから、聖杯関係のところがすっぽり抜けていることに気付いた 一応本は買ってあるんだけど
日本でいえば例えば、浦島太郎とか桃太郎とかのお話はもう日本人の共通の認識で日本人が共有する普遍的無意識にも深く刻み込まれたものだろう それと同様、アーサー王伝説はヨーロッパ人に共通の普遍的無意識に刻み込まれたものだと思う。 シュタイナーの霊視はそういったものを読みとったんだろうと推測している 従って史実と違ってしまうのは当たり前 例えば神秘学概論を読んでこれは、物理学などの科学知識的に照らしてみて正しいと思うヤツはいないだろ? それと同じ事だと思うね。
神話や寓話が「元々あって」、それが語り継がれたから普遍的無意識に刻み込まれたって言ってるけど、そもそも、その神話や寓話が何を表現しているか(例えば秘儀参入について)などをシュタイナーは語ってるね。
>>622 さんが言ってることが正しかろうが間違っていようが、シュタイナーについて言ってるのであれば見当違いなような…
>>623 シュタイナーのアーサー王に関する霊視の結果のみについて言っていると思ってもらえば結構です
地球紀のはじめに土星紀と太陽紀と月紀が繰り返されてるけど 霊的存在達の所作はどうなんだろう 月紀に逸脱した存在は、「繰り返しの月紀」でも全く同じように逸脱したのか? この繰り返された過去の惑星紀についての記述ってほとんどないような
何となく、上位三隊は進化紀を経てもそのままのイメージだけど、 三位一体の位階に上昇してるんだよなぁ 土星紀のセラフィムが地球紀では「父」、 ケルビムが「子」 トローネが、「聖霊」 か
土星紀には、アルカイが「人間」の位階だったっていうことは、 木星紀、金星紀、ヴルカン紀と進むに従って また徐々に位階の数が減っていくってことなのかなぁ とすれば、木星紀には今の人間以下のヒエラルキア存在はいないのかな それとも今の動物が人間の位階に付くのかな
或るデュナミスたちは可能な限り霊的に高まろうと望んでいましたが、 別のデュナミスたちは正常な仕方以上に進化しようとはしませんでした。 ですから月紀においては、 他の仲間よりもずっと先まで進歩していたデュナミスたちが現れ、 その結果二つのグループのデュナミスに分かれました。 進歩したデュナミスは太陽を分離させ、 より進歩に遅れたデュナミスはそれを取りまいて公転する月を形成しました。 これが天上の争いである「月の分裂」なのです。 衛星である古い月は停滞したデュナミスの支配下にあり、 月紀の太陽はより進歩したデュナミスの支配下にあったのです。 (「霊的宇宙論」) これ、「可能な限り霊的に高まろうと望んでいた」デュナメイスの方がルシファーだね 逸脱と言っても、落ちこぼれたというのではなく、むしろ、通常以上に進歩しようとした。 今まで逆に捉えていたけど、「進歩したデュナミス」の方がルシファーで、 「より進歩に遅れたデュナミス」の方が通常のデュナメイスなんだろう。 うーん分かりにくい
ルシファーの逸脱は月紀初期の「天上の争い」に帰せられるようだけど 反抗の主役となったデュナメイス以上のルシファー存在はどういう役割を担っていたんだろう シュタイナーは「天上の争い」についての詳述をどこかでしているんだろうか。 もっと言えば、アーリマンやアシュラの逸脱についても知りたいけど、 それはもっとなさそう
×デュナメイス以上 ○デュナメイスより上
>>627 >また徐々に位階の数が減っていくってことなのかなぁ
位階の数は増えることも減ることもないでしょ。
上に上がるほど今は見えない上位の位階が見えるようになるんだと思います。
そうなると事実上無限に位階が存在することに・・
位階は神への階段なのだから、神の概念上無限にあるのでは? まぁ、時間ありきの領域を完全に超えるまでは。
シュタイナーのどういった言葉からそのように思いましたか?
自分の概念で、そのベースはシュタイナーの書籍から来てるので微妙です。 でも、普通に考えて人より上位の位階の存在がかつて今の人と同じ位階にいたことがあるや、ある時代領域からは今の進化の時点では霊視が困難になる、のようなことは様々なところでシュタイナーは語ってたと思う。 それを踏まえると動物が人と同じ位階に進化する、であったり、上位の位階に進むと今霊視できる範囲を越えた位階が見えてくるのも自然なように思います。
>ある時代領域からは今の進化の時点では霊視が困難になる 前後三惑星紀までしか見えないのは、 今が地球紀だからというような記述がありましたね その記述からは、無限に続く構造があるかのようなニュアンスを、たしかに受け取りました ただ個人的には、無限に上昇していく構造を美しいとは思えない 「父」より上の存在は自分はないんじゃないかなーという気がします 伝統的な宗教や神秘主義でも、無限につらなるヒエラルキーを提示しているものはないんじゃないかな? 無限と言われた瞬間に、永劫回帰的な無意味さを提示されたような気分があります 無限に繰り返すことと、無限に上昇し続けることの間に、あまり違いを感じないというか
ヴィヴェーカーナンダというインドの聖者によれば この世界というのは、意識という領域に投影された 「無限の存在」にすぎないのだという。 西洋のキリスト教神秘主義のカバラの伝統によれば ケテル(世界の存在的根源)の向こう側には、 アインソフオウル(無限の光)・アインソフ(無限) アイン(無)というヴェールがかかっていて、 人間は絶対にこの3つのヴェールの向こう側を 覗き見ることは不可能だという。 (無から無限が流出し、無限から無限の光が流出し 無限の光が凝縮して(霊的な部分も含めた)世界の根源たるケテルが 流出したという解釈) しかもその無というのは、何も無いという意味の無ではなく 人間の認識の限界を示す「無」なのだという。 またインドの伝統によれば、マハープララーヤ(宇宙的帰滅期)には 創造主すら消えてしまうという。 もうこの辺りの話になると、ナメクジが人間の思想を理解しようとする位に 不可能というしかないのでは?
>>636 うーん、分かりませんが↓の部分は私とは逆ですね。
>無限と言われた瞬間に、永劫回帰的な無意味さを提示されたような気分があります
私にとっては有限こそ、永劫回帰的な無意味さを感じます。クルクル全く同じことが繰り返されるだけ。そこには上昇の流れがない。
僕は、シュタイナーを知るまでは有限と言われているこの生をとてもつまらないものだなぁ、と感じていました。
たかが80年生きたところで、自分の成長なんてたかがしれている。死んだらそれで終わりなんて、そんな訳がないという確信を子供の頃はなぜか持ってました。
時間が完全に消滅するところに変化はありません。それ以上の領域については私達には分かりようがない。
ただ、その時間が完全に消滅する領域でも、変化とは違う、上昇し続けることに似た何かがあるのではないか、という予感があります。
有限は仕組み上結果として必ず停滞を生む。停滞は悪の一側面でもある。
だから、私は世界が有限に出来ているとは思えません。
「有限」というと、ニュアンスが違うかな 神は、神であるがゆえに、当然無限だろうと思う だからこそ、「無限の向こう側の階層」はないのではないか、ということ。 誰か哲学者が、たぶんプラトンかアリストテレスが、 それ以上の存在があるのなら、それは神ではないと言っていたけど、 それと同じ意味です。 神は神であるが故に、無限である。 無限の向こう側のようなものがあっても、それは無限に含まれる。なぜなら無限だから。 無限有、即ち無、があって、それ以上の存在はありえないと思う。
>>639 なるほど。
あなたの言っている意味であれば同意します。
>それ以上の存在があるのなら、それは神ではないと言っていたけど、
これにも同意します。
神の定義の問題でもありそうですが。。。
だから自分の神への階梯の上昇のイメージは、おおいなる家に帰る、といったイメージ 果てしない旅路だとしても、神のもとに帰還するのなら頑張れる そこからまたあらたな下降がはじまるかもしれない それはあらたな下降であって、今までの繰り返しではないだろう おおいなる家は、それ以上のもののない存在であって欲しい いつまで経っても「おめでとう。でも本当のゴールは向こうです」と言われたら 「これ意味あるのか?」と思う
>>641 >いつまで経っても「おめでとう。でも本当のゴールは向こうです」と言われたら
>「これ意味あるのか?」と思う
地球期にも終わりがあるけど、それが終わって次に進むからって「これ意味あるのか?」とは私は思わないけど。
最終的なゴールがあるのを知ってるから思わないわけでもないし。
それは人によりけりなのでは?
「神々との出会い」を読み返してたら、地球紀に逸脱した(あるいはこれからする)神々のかなり詳しい記述があった
>>607 に、「惑星進化を経ない「進化を断念した存在」は、善的な働きをするみたい」と書いたけど、
地球紀に逸脱した存在で、妨害的な働きをする者達もいた。
エジプト・カルデア文化期に天使達はキリスト衝動を受け取ったけど、
一部の天使はそれを受け取らなかった。
それらの存在が、ふたたび天使が指導霊となる現在第五文化期に、唯物論の傾向を煽動している。
それらは、キリスト衝動を拒絶したゆえに、
地球に対して執着心を持ち続け、
木星紀への移行の際にも霊化することができず、身体を惑星として残す。
そして木星紀には、地球紀におけるルシファーのような存在になる。
現在の金星は、ルシファーが残してきた身体だという。
指導霊が文化期毎に アルカイ→大天使→天使→なし→天使→大天使→アルカイ となる流れ、今まで意識してなかった
>>642 「父」っていうのは、天使の九つの位階より更に三つ上の存在だよ
地球紀が終わって木星紀になっても、人間は、天使までしか上昇していない
ヴルカン星紀の時点でもアルカイ
七つの惑星紀を経て黄道獣帯となった時でやっとエクスシアイ。
だから「地球紀が終わったら」とか言う話ではなくて、もう途方もなく先の話をしてるのですよ
ヴルカン星紀に人間がアルカイになることと、土星紀の人間がアルカイであることには何か関連があるかな?
てか、最下位のヒエラルキアの人間でも七惑星紀を勤め上げたらエクスシアイになるのなら 土星紀のアルカイはどこからやってきた・・?
>>645 はい。それは知ってます。
>いつまで経っても「おめでとう。でも本当のゴールは向こうです」と言われたら
>「これ意味あるのか?」と思う
これは、ゴールありきで歩んでいるからそう思うんですよね?
真っ当に上昇すること自体(善)が目的なのであれば、別にあなたのようにがっかりすることはないです。
最終的なゴールがなくても歩み続けられるし、別に嘘をつかれたわけでもない。
それを嘘と思うのであれば、単に自分で勘違いしただけかと。
そうですかー。 永遠に真の神に辿り着くことのできない、永遠の旅路ですよ? すべての神が、必ずその神以上の存在を有するということは、 神が神たる所以である無限性を有した神には、永遠に会えない。 ある種「神が否定された宇宙」です。 神が否定された宇宙における、決して真の神に会えない永遠の旅路なんて、 ほとんど呪いに近いと、俺は思います。
だから、そういう宇宙を仮定した時に感じた虚無感はつまるところ、 神のいない宇宙は耐えがたい、というところから来ているんだった。 なんでそういう宇宙を仮定した時にほとんど唯物論に似た虚無感を感じるのか、 自分でも分からなかったけど、おかげで分かった。 どうもありがとう。
バシャールってどう思う? 正直本物だとは思ってないが、その語っている内容はある程度、哲学、心理学、物理学、宗教に通じていないと語れない内容だとは思うが… たぶん、チャネラーのダリルはシュタイナーの著書も結構読み込んでいる気がするw
>>650 言いたいことは伝わってると思うけど、神はどこにも遍在してると思うよ。
世界はフラクタルに出来てるから。
まぁ、それは別としてお役に立てて良かったです。
>>651 あんまり知らないけど、オカルト系の情報を切り貼りしただけに見える
実際そういうやり方で「それっぽいもの」を書くことはできるけど、
そういうやり方で質が伴うことは絶対にないね
654 :
考える名無しさん :2013/05/17(金) 04:06:54.88 0
超感覚呼んで見れた人居るのかな?自分は無駄だった。
読んだだけでどうこうなるものじゃないよ
>>654 霊的な道を歩むうえでの
シュタイナーの教え方は超王道だし、
危険の無い方法だけれども、
場合によっては、状況が整うまで(何回か生まれ変わった後まで)
待たねばならない、という辺り、有る意味非常に率直に語ってると思う。
何故、現在の自分がそういった直接的な視覚を持ち得ないのか?
また、急進的な方法がいかに危険な状況を作り出すか
といった事が、その本には書かれていると思う。
方法論だけなら、ネットでも本でも、
そのへんに幾らでも転がってるんじゃないかな。
でも本気でやって、まかり間違えば発狂とか、本当に危険な事になり得ると思うよ。
自分も経験したし、知人でも何人かそうなった人を知ってる。
スピリチュアルエマージェンシーとか、クンダリーニ症候群っていうのかな。
なんにせよ急進的な方法というのは場合によっては本当に危ないことになる。
シュタイナーの勧めるやり方というのは自然なやり方で
そういう危険も少ないと思うけれどね。
効果が無いように感じるのは、どこまでも五感の識域内の話で
たゆまず継続していれば、自分の中で
何かが形成されてくるのではないかな。
もしかしたら状況によっては実を結ぶのは来世になるかもしれないけれど
何もしなければ一歩も進むことは無い。
>>654 僕もダメだったけど、感受性はかなり繊細になったかも。
その延長線上に霊界への参入があるんだろうね。
行をやってた時は夢の体験が普通とは違ってたし。
たとえ霊視能力が関係なくても、人間としてのはるかな高みじゃん 八正道を修めたら高僧かっていうくらい徳の高い人物になると思う 数ヶ月や数年で到達できるわけもない、一生の道だろう
オカルト生理学持ってる人は 買わなくてもいいかもな。
太陽紀には、自我ではなく、 アストラル体を最も低次の構成要素とする霊が人間の段階に立っていました。 この存在は、アストラル体、自我、霊我、生命霊、霊人、 キリスト教的秘教で聖霊と名づけられる第八の要素、 そして、九番目の要素である子、ヨハネ福音書でいう「言葉」の七つから成っています。 十番目の構成要素をまだ有していないために、 アストラル体を最も低次の要素として持っているのです。 (「薔薇十字会の神智学」) いつからか、天使の十二位階の上に聖霊、子、父があると思ってたんだけど、 三位一体は霊人の上の構成要素か なんでそう勘違いしてたんだろう・・。
霊人って何と読むのが人智学的に一般的なんだろう れいにんと読んでいたけど、れいじんなのかな 「霊人 れいじん」で検索すると幸福の科学ではそう呼んでいるようだ
黙示録的な現代を読む 原子力はポスト・アトランティス時代が終局を迎えるためにある意味必要なのだろうか… 一方で反道徳的な原子力の濫用をいましめてもいるけど…
太陽と月に住んでいる7柱の形態霊 他の形態霊さんたちはどうされているのか? 人類50億、形態霊7柱 存在の位階があがるにつれ、それぞれの存在者は統合されて「数」は減っていくのだろうか?
降下して分かれたから、ふたたびの霊化では統合していくと思う
守護天使は人類分いるんじゃないかな。 それとも掛け持ちしてるのかな? 位階が上がれば統合するなら天使は人より少ないはずだよね。
それは確かに。 大天使でぐっと数が減っているね
役割を考えると、天使は次の人間を導くことが仕事だから数が減ったら困るけど 大天使は人間の集団に影響力を持つから今度は多すぎると困る
それは、人類への関与度がどんどん直接的ではなくなるから少なくなるだけなのでは、という疑問もあったり。
シュタイナーを読んでなんか人生変わったって人いますか?
人智学徒と自認するような人は、必ず人生変わってると思う
>>671 結構変わりました。良い方向に。
世界を愛せるようになった。
シュタイナー前・シュタイナー後 くらいに変わった まず収入が激減した というのもそれまでの仕事のやり方に疑問を持っていたからだけど・・ 「シュタイナー後」に、ふたたび経済と繋がらなくてはいけない これが、なかなかタフだけど でもそれ以外に必要なことって多分ないかなとも思う
人智学協会みたいなのに皆さん入ってるの? 入会するならどこがオススメ?
入会を進める人は多分、いないと思う。 必要だったら入ればいいし、必要でなければ入らなければいい。 ちなみに私はシュタイナーの団体とは一切の関係がない。 あれだけの本があれば十分すぎる。 多分、シュタイナーもそれを意識してたんだと思うけど。
入ってないなぁ 入ってもいいけど、入らなくてもいいのでは そんなこと考えたこともなかった
協会よりも共同体のほうがパワフルで現代的だよね。 自立した個我同士が有機的に組み合わさって助け合うのが理想。
迷いも前より格段に増えた。 はっきり言ってより人生は困難になった。 理性的あるいは道徳的に日常を送ろうと 努力するほど障害が増えるか大きいこと がわかった。 今まで自分が対象に接していた態度、考えは はすべて偽善やエゴが含まれていることが わかった。 起こる出来事は前に比べてその前後の関連 に特徴だって起こることが多くなった。 ギリギリの選択や困難の機会があるが結果的に それを何とか乗り越える力が前よりはついた。 夢をよく見るようになったが意味はわからない。 というか分析はしない。 食べ物の好みがだいぶ変わった。 動物をよく見かけるようになった。家や近所の ペット(犬や猫など)自分に対する態度が変わった。 まだあるけれど、いわゆる行に関連した変化も あるけど書くのはやめとく。
迷いは前より格段に増えたと言ったけれど 人智学に関わり始めたときはその逆の感じ を持った。読む進んで考えるたびに迷い が消えていくみたいに。 でもそれは錯覚で自分にとっては驕り 意外なにものでもないと思った。 でも迷いが増えた分だけそれが消えた 時の理解と変化は最初の頃の比では ないと思った。 それは不調和を自分にもたらす何かについても 同じように、前はよりわかりやすいものだと思って いたのがそうではなく、より複雑不可解なものだ ってことも自覚した。 世界はまったく不思議だ。
本当に世界は不思議だ。
シュタイナーも、人智学に帰依することによって人生は困難になると言っているもんね 自分に対して求める道徳的基準が上がるし、 また悪の克服自体に意味を見出すのだから、当然そうなると思う
シュタイナー教員養成講座とかググるとでてくるけど、この講座を修了したらシュタイナー学校で教えたりできるんかな?
いいのか、悪いのか、わからないな 自分の人智学との出会いは、ある種のっぴきならないものだったから システム的に教えられて、本質的なものがわかるのかどうか・・ それをきっかけにして分かるのかもしれないし、分からないかもしれない
不調和を自分にもたらす何かは 悪のことね。 行での変化は問題ないことを一つ。 だれでもおこりえることなので。 単純な行為か今からやろうとしている ことの結果はやる前にどうなるかひらめく ことが多くなった。これは思考で予測して こうなるというのと違う。 不思議なのは、その結果がよくないか 悪い方であってもその行為を結局は することになるということ。 もちろん日常の生活や仕事の義務 のことね。個人の利益に関すること でなく。 その直感みたいなものはひらめきの時と 感情のなかに喜びに似た感じか、その逆の 感じが起こることでわかるときがある。
>>685 >単純な行為か今からやろうとしている
>ことの結果はやる前にどうなるかひらめく
>ことが多くなった。これは思考で予測して
>こうなるというのと違う。
これ、凄く同意。
自分のエゴにとって良くないことでも
やらなきゃだめなことが分かるからしぶしぶやる、なんてのもよくある。
シュタイナー自身の言葉に何かを感じなくて、 「なんだかよさそう」程度なら、 別に人智学に近づかなくていいと思うな インチキ野郎に騙される危険がないわけでもないし、 実際にロマゾフィーみたいな連中もいたし
一般的に一般の人が社会に見る悪は単なる 結果だということ。じゃあ原因はとやはり 一般的に一般的な人が考えることは 相当的外れな考えか議論をしているという ことだけはわかった。 さてアクセス禁止がやっと解けたので 書き込みができたね。こんな時間だ みんなおやすみ。
いいことを上げると、 意志と感情と思考を統御する力が上がった 人智学を知る前までは、心的機能のそれぞれを意識することすらなかった 表象という言葉の意味すら考えたこともなかった で、それはまさに自分に必要なことだった 人智学との出会い以外では抜け出すことの適わない袋小路に行き当たっていたから。 人智学と、出会うべき人は出会うだろうし、 それが凡百の「何となくいいっぽいもの」とは違うということが分かると思う もし、何らかの確信がないのなら、 無理にコミットする必要は全然ないと思う
そうだよねえ。 人間についても心と体、 まわりについても自分と他人、 自分と社会ぐらいにしか考えて なかった。 物事に関しても好感、反感があるか ぐらいを基準にしてしか行動して なかった。いやあ自分でもなんと 単純なんだろうと思うw
あと去年、許すということを覚えた 意志的な行為として、努力して、許すということを。 今までしていたのは「風化するまで待つ」や「諦める」であって、 一度も意志的に「許した」ことがなかったことに、突然気付いた これは大きな画期だった 人智学とは別の場所でその発見があったけど、 間違いなく人智学が下敷きになっている。 だからこのスレで「赦しの隠された意味」を紹介された時には、ひそかに思うところがあった
人智学的に猫って何なんだろうなぁ それぞれの動物は、人間の性質を過剰な部分をいわば押しつけられているというけど 猫は何を押しつけられたんだろう・・
犬は従順卑屈 ハエは偽善 しか知らない 他の動物も教えて
世界不思議発見でやってたけど 土の中で取れる農作物は十八世紀には卑しい食べ物とされていたが じゃが芋はマリー・アントワネットが飢饉に備えて栽培を奨めたらしい じゃが芋普及の影に意外な人物が
じゃがいも。。。。。。。
パンがないならジャガイモ食べればいいじゃない
テオゾフィーを再度読み返した。 霊視能力がない自分にとっては、ファンタジーの世界を語ってるとしか思えん
朝っぱらから何だが服の上からから女体 を3Dで構築するイマジネーション能力は 持ってるぞ。 これも長年のエロ行の成果だな。
今は、神秘学概論を読み直している
アーサー王物語読んだ 聖杯の騎士ガラハッドは、 グウィネヴィアの姿に変身したエレインと、ランスロットの間の子 いわば二重に不実な愛の結果。 なぜこんな奇妙な生まれ方をする必要があったのだろう?
そもそも聖杯とは何だったのか、なぜ地上から消える必要があったのかも分からない 聖書なみに謎めいてる
聖杯については、ダ・ヴィンチコードっていう映画の解釈がまあ面白かったなw 嘘だとは思うがw
聖杯=キリストの血筋を引く女性っていう解釈だっけ キリストの血筋っていうのはフィクション的だけど、 女性的な意味はありそう 聖槍と聖杯がセットになっているし
シュタイナーの聖杯伝説を読め
聖杯伝説が何なのかを知らない状態で読んだから記憶にないw もう一度読み直す
「聖杯の探求」によると、聖杯は三日月で、太陽光の当たっていない部分が聖体をあらわすという と言われても、まだお腹に落ちてこないけど。 エリック・ロメールの「聖杯伝説」でも、聖体のパンが真円で満月のようだった ロメールの演出なのか、もともとそういうものなのかと思って 「聖体のパン」を検索したら、ホスチアと呼ばれるパンがもともと満月状なんだった
シュタイナーとユングが個人的に好きだな 理由はどちらも降霊術や霊媒、チャネリングに否定的なところ。
ここの住人から見て、シルバーバーチってどうよ?
誰も興味ないんじゃない?
フルボッコれてるのは見ていて面白くないでしょ。
>>711 オカルト板ではたいてい
「あの世では悪い奴は裁かれ、この世で苦労した人ほど報われる」と書けば
泣いて縋り付く人たちばかりなのに、そのスレでは懐疑を失わずよく頑張ってるな
奴隷が必要な「ワタミ霊界」だってよw
714 :
考える名無しさん :2013/06/09(日) 19:29:28.79 0
>>711 悩んでる人の不安を煽って恐怖の感情を増大させるカルトの典型みたいね
>>711 喋り過ぎ、説明し過ぎだな。説明に用いるのがこの世の言葉だから、
どうしてもあの世がこの世と類比的になる。
最近よく、シュタイナーの運動は「神」智学ではなく、「人」智学で本当に良かったなぁ思う。 神智学の指導者が仮に正しかったとしても、「神」智学であるが故に、信者が手の届かない星を見上げてる内に、いつしか自分が星になった気になってカルト的偶像崇拝をやり出す。 「人」智学であれば、自分のいる場所から一歩づつ登ってゆける。 どんなに正しい指導者が始めた運動であろうが、時間の経過と共にどうなるかなんて分かったものじゃない。 人智学のスタートラインは今の自分だから、個人としても人類としても時間の経過と共に堅実にゴールに近づくことができる。 宗教やカルトには、この惨めで未熟な自分から目をそらさせる働きがある。 人智学がスタートラインがそこだから、道を踏み外す可能性が少ない。
>>716 は人智学が意志に直接働きかけないで、悟性を経由することについて語ってます。
なんでもそうじゃないか、というレスがつく前に。。。
>>711 そういうスレってカルト集団が世の中の不安を煽って、スピリチュアル詐欺の需要者を増やすのが目的だよ
時折現れる同調者も同業者だよ
>>717 なんでもそうじゃないかとレスを付けるつもりだったがなw
>>719 やっぱそうだよねw
人智学は所謂宗教の潮流とは違って、完全に普通の人たちのために存在するのだと思う。
※「普通の人たち」って表現は誤解されちゃうかもだけど。
人類の進化と完全に歩調を合わせるというか。
偏見なく受け入れられるのは まだ先のような気もする。 思うにシュタイナーは至って 真面目でないと読みこなせないな。 最初に興味半分で読んでたやつは 読むに連れて興味半分でなくなった し、興味半分のまま終わったやつは 読み続けるのをやめたしな。 ある年配の専門家が正直未だによく 理解は出来ないと言ってた。最終的 に単に悟性だけでは限界というもの もあるってね。
まあおれの場合だけど、真面目に 読み続けるなら幾つかの行は必須、 というかやらざるを得なくなって くる。 シュタイナーを真面目に読んでおいて 生活は不真面目とは行かなくなるから ね。数年を通して学習している人は そう感じているはずだと思うけれど いかがなものだろうかね。 たまに瞑想を何年もやってる人の 話を聞くけれど、皆何かを期待して やって何もないか、何かの幻想に 陥ってる人もいるけれど、そういう 人達はシュタイナーの理解は難しい だろうなと思ってしまう。
ここの人達はシュタイナーに物凄く傾倒している人達の集まりだと思うけど、俺は あまりシュタイナーを評価してない。 シュタイナーは色んなことを知っている人だったけど、表現能力がお粗末で彼の 知っていることのほとんどは皆に正確に伝わっていない。 彼は道徳性の高さ故に、物凄い認識能力を持っていたけど、それに見合う表現 能力は持っていなかったように思う。 例えば、シュタイナーの本を読んでて、文章と文章のつながりが明らかにおかしい と思う時が結構ある。 霊的な認識能力は無くても、現代の書き手の方がもっと整理された明快な文章を書く 20世紀初頭という時代のある種の限界なのかもしれないけど、昔の人よりも現代人 の方がスッキリした文章を書く。シュタイナーにはスッキリが皆無
とはいうものの偏りを避ける意味でも いろんなものに首突っ込むけれど たまたまようつべでサイマーという 人と中丸薫という人のネット対談を 見てたんだけれど何を言ってるのか 理解するのに苦労した。 こういう人達を探すと結構多いんだけ れど何を基盤にどうしたい、あるいは どうしようとしているのかさっぱり わからない。いいことを言ってるよう にも思えるんだが根拠もよくわからない。 もしかしたら普通にはこれらが精神的な ものの一般なのかと思ってしまう。 ついでに船井ゆきおと言う人のようつべも 関連でみたけれど、なんかみんな同じに 見えて相互にお互いの存在を支え合う 自己主張の共同体か生活の共同体のようにも 思えてしまう。
>>723 真面目に読んでいる人にシュタイナー
に傾倒している人はいないと思うよ。
それに多分シュタイナーだけを読んだり
学習していないはず。おれもそうだけど。
おれも行の話を出したが化学の本だけ
読んで実験をしないというのは化学を
理解しようとする態度とは違うけれどね。
表現能力といったけどたしかに言うとおり
のところはある。しかしそれはシュタイナー
に故意の所がある。本人が何度もそれを
言っている。ドイツ語が出来たとしても
読むのは大変だと思う。
それに訳者の方には悪いけれど非常に読みづらい
訳が多々ある。シュタイナーに倣ってわざとそう
訳している人もいれば、一部英語版から訳をまぜた
ようなこともあるから。
おれとしてはわかりやすい言葉でさらさら
読める方が誤解も多いようなきがするよ。
とは言え、例えば、俺の専攻していた学問の分野では40年前に東大の超有名教授 が書いた本でも、現代のレベルから見れば凄まじく幼稚に見えたりすることがある。 幼稚どころかむしろキチガイじみているように思えるほど それくらい科学の世界は日進月歩なわけだし、シュタイナーの本も現代の作文技術 から考えると稚拙に思える部分もいっぱいある でも、こんなことを書くとこのスレにいるシュタイナーLOVERから猛反発を受けそう
まあおれが毛嫌いするのは 超訳 何々のダイジェスト 小間切れ本だね。あれは 酷い。 本屋にいっとき山積み されてたけれどおれが もし原著者だったら ブチ切れもんだな。
>>725 それはそうかもね
本当に大衆の心に響く明快な言葉を語れるのは、ヒトラーみたいな独裁者だけなのかも
しれないね
シュタイナーはヒトラーとは対極の人だから、この分かりづらさも彼の誠実さの表れなの
かもしれん
>>726 だいじょうぶ。反発は受けないよ。
反発する人はシュタイナー教の
人だけだよw
>>725 に普通に理由というか俺の
考えを書いただろ。安心しろ。
このレスを見た以降、変に反発
するやつはシュタイナー教徒だw
傾倒というといろいろ解釈はあるが シュタイナーそのものより人智学 という学問としての学習度合いかな。 そういう意味ではかなり力を割いている のは事実だね。 学問はある面その時(時代)に正しいか真実 を含んでいるという前提で学習するが、 人智学の場合正直それがわからない。 理論的根拠になるものが感官を超えた 人間の能力からもたらされたというん だからね。 ただシュタイナーを読んでいる人が よく言うように信じるでなく自分の 深いところの悟性が何か反応するのだ から始末に負えないわなw
原文で読まないと、文章の巧拙はわからないのではないかな? 邦訳だと訳者の力量と理解度も関係してきそう。 そういえば学生のときに、講師がサルトルを原文で読むと、すごく読みづらいとか言ってたのを思い出した。 語学力とかの問題だけじゃなく難解だとか言ってた
原文を読むにしてもその前にドイツ語を 相当学ばなければならないわけで 素直に邦訳を読むことにするわ。 ある訳者にもっと訳せって頼んだら 大変なんだって言われたわ。 高橋巌さん訳の本読んだ時は 文章が固く言い回しもわかりにくい とも思ったが、まあこっちの都合 だし読めるだけありがたいと思って 読んでる。
>>721 >偏見なく受け入れられるのは
>まだ先のような気もする。
もちろん、私もそう思います。
学問って真面目じゃないと読みこなせない
と思うけど、それと同様だと思う。
もちろん、真面目のポイントが所謂学問とは違う点もあると思うけど。
>ある年配の専門家が正直未だによく
>理解は出来ないと言ってた。
この態度自体が人智学の賜物だと思う。
カルトだと、マンセーなので。
>おれも行の話を出したが化学の本だけ
>読んで実験をしないというのは化学を
>理解しようとする態度とは違うけれどね。
真面目に読むこと自体も行で、その行が
次の行のステップになる、という意味では
一概には言えないと思うけどね。
でも、行は必須、という点には同意だし、
所謂行をやらないと先に進めなくなる地点
があるのは同意する。
人類もそれがいつか必須になるのだと思う。
図書館でちら読みしたシュタイナーの本ででタイトルは忘れたが、ミルクは大人になっては飲むべきでないと書いてた。 理由がいまいちわからなかったな 最近のプロテインは牛乳から、タンパク質などのエッセンスを凝縮したものもあるけど、これも飲むべきではないのか?
大人はミルクの代わりにハチミツを摂れって言ってるんでしょ? 言語化はうまくできないけど、俺もシュタイナーの言わんとしていることが何となく 分かるような気がする ミルクは消化不良を起こすけど、ハチミツなら体調が悪くならないからね
だけどハチミツも糖尿予備軍の人は控えるべきだよね? たしかにハチミツをとれと書いてたけど、具体的な理由はよくわからん
シュタイナーが言ってるんだからとりあえずそうしとけw
蜂は熱存在で、蜂蜜は老人の身体を形成するってどこかで読んだ気が。 老人は身体の機能がどんどん落ちてゆくから丁度良いのかな? 牛乳は子供の頭の形成を促すらしいから、老人が摂取するとアーリマン的な働きになるのだろうか?
酒を毎日一合以上だっけな? 毎日飲むと脳が萎縮するのは、最近の医学でわかってきてるらしいけどね。 やめれば次第にある程度回復すると医者はテレビで言ってたな 脳の萎縮以前にアルコールを摂取するとカタボリック現象が促進されることが、だいぶ前に証明されてるので、それを知ってから全く飲んでいないが。 人間の体はもともとアルコールを摂取するようにはできていないような気がする
アルコールは人間の身体の中でも製造されているから、 その上アルコールを飲むのは肝臓が貪欲だからとシュタイナーは言ってたと思う
741 :
考える名無しさん :2013/06/13(木) 15:55:42.22 O
蜂蜜は加熱したのは酵素とかが全部破壊されてて逆に毒になってダメだっていうな ただ非加熱のは販売業者の意識が低いせいか売ってるの少ないんだよな
ホット紅茶にハチミツもよくないの?
743 :
考える名無しさん :2013/06/13(木) 17:46:56.57 O
アーユルヴェーダの考えだからかなり厳格な意味だと思う お酒飲んだりファーストフード食べたりお菓子食べたり白砂糖も普通に摂取して添加物も気にしない 普通の日本人ならそれくらい気にしなくていいと思う
744 :
考える名無しさん :2013/06/14(金) 00:42:14.17 0
酒は飲まなくなってよかったと思っている。それほど飲んでいたというわけではないが(缶ビール一本ぐらいだった) まず、振り返ってみればお金の無駄だった。飲まなくなってからは、ほろ酔い気分でぼーっとすることもなくなったので 読書数も増え、法律系の国家資格、民間資格合わせて6つ取得した。法律なんて全く興味なかったが、趣味の一つとして学ぶことの楽しさが増えた。
仕事終わったからビール飲もうと思ってたのに、ちょっと考えさせられるな・・・ やっぱり飲むのはよしておくかな
746 :
考える名無しさん :2013/06/14(金) 20:01:23.96 0
747 :
考える名無しさん :2013/06/14(金) 20:22:07.82 0
シュタイナーは自らの心魂の目を通して世界を見ていたな。 自然科学に対する意識を自らの心へと向けて分析する(精神分析、分析心理学) のではなく、心の目を通して心の在り様を解き明かそうとしたわけだな。 現代の心理学における方法によらずに、アリストテレスやソクラテスに遡って われわれの心魂とその働きを著述しているな。 『心理学講義』
748 :
考える名無しさん :2013/06/14(金) 21:17:10.02 0
自然科学がある事物や事象を細分化して、名称を与えその働きと機能を調べ上げて行くわけだが、 その中にある法則を見つけたりするわけだな。 しかし、賢者ナーガセーナは言ったな、各部分に分解するわけではないのだと、その逆で繋ぎ合せ 統合していくところにあなた(心魂)の所在があるのだ、と。 すなわち、事物を細分化したときに分析によって見えてくる法則は、まずは心魂の中に初めから存 在している、というわけだな。だからこそ、ソクラテスは数学が出来ないもは彼の哲学学校へは入 学を許さなかった。何故か? それは数学というロゴスを自ら(心魂)のうちに見出すことの出来 ないものは、そのように心魂を観照することを知らないはずだからだ、というわけだ。 「汝自身を知れ」とはそもそもそういう意味だな。 る、ということだな。
神秘学概論の読む返し完了。 あいかわらず訳わからんなw 一周目よりなんとなくわかってきたがw
シュタイナーの家計簿
月のジャガイモ代 19,800円
ジャガイモ食い過ぎwww
冗談はさておき、シュタイナーの講演活動って興行的にどうやって成り立っていたのか
疑問に思っていたから
>>750 みたいな書き込みをしてしまった
誰か強力なパトロンでもいたのだろうか?
講演料&寄付&書籍&会費なんじゃないだろうか?
誰か知ってたら教えて欲しいんだけど、 キリストの聖霊と父なる神が中々捉えられない。 キリストはエクスシアイの位階の存在だけど、聖霊と父なる神って一体どの位階にいるのだろう。 聖霊は菩薩の総体で宇宙霊ってのはどこかで読んだけど、いまいちピンとこない。 単純に考えると聖霊はアルカイで父なる神はデュナメイスのある特定の存在を指すのだろうか。
頭大丈夫かよ
757 :
考える名無しさん :2013/06/17(月) 20:40:28.18 0
まずはキリスト教の三位一体説とルドルフ・シュタイナーが語るイエス・キリストが別物であるという 大きな前提があるな。つまり、ふたつは同じもののことではない。しかし、確かに相関関係があると言 えるし、そのようにシュタイナー博士は視ているようだな。
758 :
考える名無しさん :2013/06/17(月) 20:47:23.62 0
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」 ヨハネの福音書より。諸説あるとして、神のひとり子イエス・キリストは神と同一であるところ の言であり、神の言が受肉したものだという。そして、この言こそはロゴスに違いはなく、ロゴ スこそが聖霊ということになるな。この場合、聖なる知恵という風に解釈しても問題はなく、ロ ゴスとはすなわちこの世界を下支えする神と同一であるところの摂理である、と言えるだろうな。 タレスをはじめとするストア派哲学を参考にされたし。 神とそのひとり子であるイエス・キリスト、聖霊とは三つにして一つのものだということだな。
759 :
考える名無しさん :2013/06/17(月) 21:00:01.01 0
これをシュタイー博士はどう考えたか、というよりもどのように視えたのか、というと キリスト(この場合は上級の天使を指導する存在つまりは神と同一と考えてよいところ の)とロゴス(エクスシアイ、太陽の六柱の天使、つまりは「聖霊」としての役割をも つ)がそれぞれイエスに受肉したのだとしているわけだな。この場合、エクスシアイは 下層の天使という風になっているが、キリストが下層に居るという意味のことではない と思われる。 この場合の神は、天使のヒエラレルキアを創った存在として、天使たちと霊的に繋がり ながら、その階位には属していないと考えたほうがよいだろうな。つまりはそのピラミ ッドの頂点にありながら、そこに属さずに指令を下しているような存在と言えよう。
760 :
考える名無しさん :2013/06/17(月) 21:08:27.66 0
こほん。ここですこし言っておかなくてはならないのは、以上のことは、シュタイナーが博士が その心魂の目を通して視た世界であると言ってよいわけだな。 まぁ、意地悪な言い方をすれば、科学や物理学を心棒するものたちにとってはその根拠を確かめ ようもないというところのものだな。 いくらシュタイナー博士がその他の自然科学とは探求の仕方がちがうと言っても、さしあたって 存在しないものを語ってしまうとどうなるか、神智学であろうと人智学であろうとおなじオカル トという輪の中に科学者たちは乱暴に投げ入れてしまうことだろうな。 つまり、実体が伴っていないというわけだな。そこが、さしずめ欠点と言えば人智学の欠点であ ろうな。
世の中に実態なんていうものは何もないよ。 数学を取り上げたとして純粋な数学そのもの は実態としては世の中には存在してない。 形態として、物理的力としても世の中に あるものは通常の感覚では把握できない 本質の単なる仮象でしかない。 世の中の学問は自分が理解したものを いうなれば実態として認めているが よく考えると今のようになる前までは すべて誰かが未知のものの予測の 中での研究の末に発見や認められた ものだよ。 人智学みたいなものも同じだね。 霊的認識力を持たなければ、すべて 証明は難しいかもしれない。 物理や科学の法則を研究し発見 したように、まだ予感の中に単に いるだけだと思うな。
>>757 -
>>760 親切で丁寧な解説、ありがとうございます。
>キリストとロゴスがそれぞれイエスに
>受肉したのだとしているわけだな。
>この場合、エクスシアイは下層の天使という風になっているが、
>キリストが下層に居るという意味のことではないと思われる。
なんか、色々と勘違いしていたようです。
それにしても、キリストは太陽のキュリオテテスって言ってる箇所もあるので、凄い複雑です。。。
キリスト論系の書籍をちゃんと読み直す必要性を痛烈に感じました。
私はキリストとロゴスをまだちゃんと理解出来ていません。
キリストは最上位にいる、セラフィムだと思いますか?
また、菩薩の位階って何だと思いますか?
位階にについては図式的にはっきり 言っているのをみたことないな。 神智学など他のやつには書いてあるけど 抽象的すぎてよくわからん。
上位三体の神々はもう直接地球の 進化に関わっていないというのと ゴルゴダの秘儀で生命霊を地球の 大気に加えたと読んだことがあるから 神秘学概論や他の関連書物から キリストは上位三体のすぐ下の 神々に属するということかな。 人間よりべらぼうに高い存在だ。
>>764 >>765 やっぱわからないですよねぇ。。。
最高のセラフィムとか、キュリオテテスとか、エクスシアイとか書いてるから、
わけわかめです。
世の中って本当に複雑に出来てますね。
767 :
考える名無しさん :2013/06/19(水) 21:35:23.67 0
基本的に聖書にある三位一体の説をシュタイナーは、心魂の目を通してあるイメージとして 視ているということだな。 神、イエス・キリスト、聖霊はひとつのものだ、というのを心魂の目を通して見たときにこ のように視えたよ、ということだな。 なので、キリストは太陽のキュリオテテスと言った場合にはキリストは同時に太陽のエロヒ ム(ロゴス=聖霊)でもあるのだよ、ということだ。同時にまたキリストは位の高い天使( つまりは神)でもあるのだよ、そう聖書の三位一体を解きほぐして視てみるとこういうこと なんだよ、ということなんだよ。
768 :
考える名無しさん :2013/06/19(水) 21:40:55.70 0
つまり、聖書に書いてあることをまたその場面を心魂の目を通して視ている、ということになるな。 つまり、まずは最初に聖書を読んだほうがいい、ということになるな。 ただし、ここに書いておかないといけないのは、ルドルフ・シュタイナーが言っていることと、聖書 そのものとは、別のものだ、ということだな。ややこしいのだが、聖書は唯一のものなのでこれと同 じなどということはない、となるな。キリスト教信者的にはな。
>>767 うーん。言っている事は理解出来るけど
腑に落ちないところもあります。。。
神や聖霊を視ているのは分かりました。
それでは、子はどうなんですかね?
シュタイナーのキリスト関連の講義や 著作はかなり複雑だと思う。どの分野 もそうだけれどこの関連の書物だけは 単に悟性だけを持って読んでいくこと にはちょっと抵抗を感じる。 キリスト関連は一通り読んだけれど 他の書物とはちがう感覚が読んでい て湧き起る。 神秘学概論を中心にや各論的な講義録や 講演録、著作を読んでいる時とはまったく 違う感覚が。 たとえると天球の音楽を書物にしたものを 読んで自分に流れ込んでくるものと、神存在 が行った秘儀の外郭を書物にしたもの を読んで自分に流れてくるものの感覚が 違う。キリスト論には独特の何かの余韻 を感じる。 不思議なのがその余韻というか響きが 連続して発すると同時に響いているという 感覚だ。 まあ表現は難しいけれど。
おれが最初に読んだのがアーカシャ年代記 だった。シュタイナーがどういう人かも全く知らな かった。ただ退屈だからタイトルから空想物語 だと思って理解に苦しむ長い前書きを飛ばして 読んだ。 半分まで読まないうちに自分の内奥から今まで にない感情が湧き起ったのを覚えてる。さらに 不思議なのは本を読んでいるのに宇宙を見上げ いてるっていう変な感覚がずっとあったね。 だからなんだって言われると困るけれどw
>>771 >宇宙を見上げいてるっていう
>変な感覚がずっとあったね。
これは、共感出来る人一杯いると思うなぁ。
真言密教の本を読んでいるが、奥が深いな フロイトの唱えた無意識やユングの唱えた集合的無意識も想定して数百年前から体系化されている
逆でしょ シュタイナーと同じで年月をかけて蓄積、洗練された叡智に乗っかってるだけ 元は同じものを指しているのに解釈や視点が違うから別物に見えるだけで と偉そうに書いてみるテスト
それはそんなんだけど、密教は当時体系化されていなかったのを 空海以降、体系化というか見事にシステム化したのが素晴らしい
776 :
考える名無しさん :2013/06/27(木) 16:06:02.89 O
みんな古神道は読まないの?かな…。
難しそうだお シュタイナーもいいけど結局はラノベの方が奥が深くて面白いという真理に到達したんだお
奥は浅くて面白くもないだろ
>>779 これは酒飲みの自分にはきついなあ
人智学徒のつもりだが毎日飲んでしまう
量はだいぶ減ったけど週二回はやや深酒をしてしまう…
イスラム教だっけ? 飲酒を禁止しているのは。やっぱり経験上それなりの理由があったのではないかな? ここの人は、バカにして信じないだろうけど、「神との対話」に出てくる自動筆記の相手の神様は「私は、人間の体はアルコールを摂取するようには作ってない。」と語ってたw その本を読んで数年後、実際の研究で脳萎縮が証明されて驚いた。 ま、アルコール自体がカタボリック現象を促進させ、筋肉の分解を促進するという働きはかなり前から言われていたので、筋トレをやる自分としては、脳萎縮が言われ出した頃には、すでに飲まなくなっていたけど。
じゃあ脳が肥大化する酒は何?
タバコもお酒も歴史の大きな流れの中ではなくなる方向に向かってると感じる。 そこに誰かの「意図」のようなものを感じる。 その意図がどこから来ているのかは分からないけど。 それにしても、スモーカーの自分にとっては肩身の狭い世界になったもんだw
シュタイナー!おまんこ壊れちゃ〜↑う!
仮に水分をとるなと言われたら、死んでしまうけど、酒を飲まなかったり、タバコを吸わなかったりしても別に死ぬわけじゃないしな。 むしろ飲んだり吸ったりしない方が健康にいいというなら、やめるのも苦じゃなさそうだが? 金もかからないし、やめたほうが人生でプラスになることも多いし。
酒はもともとほとんど飲まないけれど といより飲めないんだけれど煙草は 高一から吸ってるから辞められんわ。 一気に禁煙したいなら風邪で2,3日 熱出して寝込んだ時だな。 この時辞められると思ったけれど 辞めるつもりがないから辞めなかった。 今度風邪で寝込んだらその時辞めると 思いつつ10年ぐらい寝込んだことねーわw
脳が肥大化する酒やタバコつくればいいのになぁ 何の為の技術なんだか…
肥大化したらまずくね? 萎縮しないようにすればいいのでは?
萎縮するものを人工的に萎縮しないものに変えても、別の弊害が出るだけかもねw
>>787 消えてるねえ。
そこのページのシュタイナーの言葉は
全部PDFにしてタブレットに放り込んで
あるから、読みたきゃやるよ。
つか脳が萎縮するのはお酒であってタバコは、関係ないんじゃない? タバコは肺癌を誘発するからよくないのでは?
タバコと肺癌は無関係だが
酒や煙草に害があることなんて分かりきってるけど やめられるかどうかは別の問題
シュタイナーは酒飲んだりタバコ吸ったりしてたんか? 64歳まで生きてたんだっけ?決して長生きとは現代の感覚からすれば、いえないが。
依存はしていないけど、普通に経験はしてると思う あと、シュタイナーの好物はコニャック
>>797 >あと、シュタイナーの好物はコニャック
これ、何処かで読んだ。
でも確か、45才ごろには辞めてたんじゃなかったっけ?
勘違いかもしれないけど。
ここの家具氏らは嫌煙多そうだが何事も毛嫌いせず 一度くらい経験しておいたほうがいいぞ
昔友人の勧めで吸ってみたけど、「こんなん、吸ってなんのいみあるん?」と思ってそれ以来、全く吸ってない
若い頃はかっこつけだけで吸ってたよ
最近は全然シュタイナーの本読んでない プログラムばっか書いてる プログラムは、要求する度合が高くなればなれるほど、自然に近くなっていくいうか 要求が高くなればなるほど、美しくなければその要求に耐えられなくなっていく そういう意味で、人智学を実践しているかもしれない
俺は延々と仕訳をきってる これも八正道の実践の一つだと思って、感謝してやってる
人間はこれからますます、まるで神の創造物であるかごときものを作るようになっていくと思うのだけど そうなると自然界の物質的側面は何なのか 物質にも神の技は現われているわけで、 決して軽視できるようなものではないはず
>>804 その延長線上にエーテルの発見があるのかもしれないですね。
エーテルは既に否定されてるんじゃね? シュタイナーの述べているエーテル体はその仮説のエーテルと同視すべきでないと、著書の中で言ってるように思うけどね。
エーテルって物理学の進歩の過程でこういう風に考えれば現象をうまく説明できるということで 考案された理論上の概念でしょ? 別にエーテルなるものが実際に検出されたわけではない
808 :
807 :2013/07/05(金) 23:33:25.84 0
しかも、エーテルなんてものの存在を仮定しなくても、もっと現象をうまく説明できる
理論が見つかって、エーテルという概念は不要になった
>>806 はそのことを言ってるわけだよね
>>806 ?
僕が言ってるのはシュタイナーの言うエーテルのことだけど。
生命を扱えるようになるって話です。
物質突き詰めると、そこにいくでしょ。
シュタイナー!おまんこ壊れちゃ〜↑う!
物質を統べる法則以上に美しいものを人間はまだほとんど作り得ていないのに 物質を軽視する態度を神秘学が増長しかねないことは、どうなのかなって思う
肉を馬鹿にして霊が偉い、っていうのと似てるね。 あとは、俗世の営みを馬鹿にして、宗教的隠遁生活が偉いってのにも似てる。
あの状態はアーリマンというより、ルシファーの諸力の影響を感じる。 道徳的な話に持って行ったら嫌がるかもね。
>>814 具体的にどういうこと?
それやってみて
ルシファーは道徳的な話を確か嫌がるから。 僕はやらないよw あなたが道徳的な人だったら、未来人の語ってることを道徳の側面から指摘してみたらいい。
>>811 人間の創造物は霊的な目で見ると非常に美しいよ
物質の背後にはそれを形として成立させている
「意味」というか「観念」が確かに存在している。
そして、それが物質の本質であり、実体なのだけれども
通常は五感という限られた器官の範囲でしか物事を認識できないから
その実体の美しさを、高い感情や知性の中でかすかに感じられているに過ぎない。
文字が背後に意味を担った記号であるように、物質は背後に意味や実体を
担った記号のようなものだと思う。
なぜ物事がそのような迂遠な現れ方をするかというと、
人間は五感しか持っていないから、というその一言につきる。
だから問題なのは物質を支配したり操作する能力というよりも
人間の認識の問題だと思うよ。
例えば、本物のヒマワリの種と模造品のヒマワリの種を並べてみる 本物のヒマワリの種には植物として生長していける力が宿ってる その萌芽を見分ける力が霊眼ってことでしょ?
>>813 おもろい
未来人、どうしようもなくなってるのが笑えるwww
一級ひまわりのタネ鑑定士
>>817 「人間の創造物」って範囲が広すぎるだろw
そんな不正確な言葉の使い方からもあなたが美しさについて何も知らないということが分かる
>>821 自分はこう考える、というような建設的な意見ならともかく
否定の為の否定というのは本当に何も生まない。
自分のエゴを満足させ、肥大化させてそれでおしまい。
自分は残念ながら、所謂、霊能力者などでは無いから
この小さな自我の興味本位で自由にそれを視たりはできない。
でも10年以上も瞑想などを続けていれば一度や二度は
そういった経験もしたりする。
それを求めて更に瞑想などしても決して自分からは得られない。
でもシュタイナーの本を読んで、
それは小我が霊を支配しようとする試みだと気付いたよ。
そうではなくて、霊こそが小我を支配しなければならない。
>>821 の否定的な意見に対して自分の考えを述べるとするなら
正確な言葉遣いで詳細に、評論家のように美について語る人がいるとすれば
それは逆に五感や知性の識閾下のものしか視ていないのではないかと思うよ。
視えないからこそ五感や知性が意味を持ち、発展する事が可能なのだから。
更に言うなら、
>>821 の言っている事は表現の問題であって認識の問題ではない。
>>822 >霊こそが小我を支配しなければならない。
小我って便利な表現ですね。これは、私たちの通常の自己を指す表現ですよね?
物質的身体とエーテル体、アストラル体、自我という人の4つの構成要素があります。
ここでいうと、あなたの言う霊はどこに当たると考えていますか?
というのも、小我はアストラル体でもあり、自我でもあると考えているのですが、あなたが言っている霊はそれよりも上位の構成要素を指すと考えており、その上位の構成要素との繋ぎとして自我がある。
その意味では、自我も霊である。
で、その自我を霊で支配するためには、魂の浄化が必要。
そうすると、俗世的な自我の部分が清められ、高次の自我の部分が表に出てくる。
そういう風に私は理解しています。
小我と輪廻を貫く我を整理したいのですが、中々綺麗に整頓できないでいます。
4つの構成要素と、マナス、ブッディ、アートマなどの上位の構成要素を絡めて上手く説明している書籍って知っていますか?
>>822 エゴを肥大化させ満足させるだけの言葉を使っているのも、
表現の瑣事に拘っているのも全部自分自身のことじゃないか
自己紹介にしか見えないんですよ
シュタイナーという巨大なダイアモンドと格闘している人間に対して
濁ったガラス玉をしたり顔で見せられても言葉に困るんです
スピリチュアルな分野によくいる、
あなたのような人に何を言えばいいのか未だに分からない
あなたが自己愛に満ちた覚者気取りの態度を捨てない限り俺があなたの意見を聞くことはないです
>>823 物質的身体もエーテル体もアストラル体も霊とは思わないですね。
小我といった言葉で指していたのは、
上記の3要素を自己と同一視している自我ですよ。
その意味では
>>823 と同じ見方かなと思います。
魂の浄化というのは、
自分の考えではそれは、イエスがゲッセマネの祈りで示したような
神なる自己に対する明け渡し、帰依だと思いますよ。
油汗をかきながら死を避けたいと神に祈りながらも、
最後には主の御心が成りますようにと、神なる自己に小我を明け渡した
そのような帰依こそが浄化なのだと思いますよ。
マナス・ブッディ・アートマといった概念はインド哲学の言葉で
元々そちら方面から入った自分から見ると
シュタイナー的な意味と、本来的な意味が大きくかけはなれているんですよね。
宇宙を司る神々ですらアートマには及ばない、アートマ=ブラフマン以外の何物も存在しない、
というのが不二一元の哲学ですからね。
だから無理に整合性を保とうとすれば破綻するように思う。
そもそも人間の知性には限界があるし、
何でも白黒つけるのが人間の知性だけど、白であると同時に黒である
といった事も有り得るんじゃないかと思いますよ。
ここで言う知性というのはインド的な言葉で表現するなら
ブッディではなくメーダですけれどね。
結局のところ知性には限界がある事を認めて、
何を信じるか、信じた事に基づいてどう行動するかって事しか無いのかなって思う。
あ、痛ったたw 信者痛いなー
人間の創造物かー シュタイナーは最後の晩餐やラファエロの聖母子像やゲーテの作品は高く評価してるね 一方で工業製品などはアーリマンの棲家なんだっけ?
肉食や魚食についてはシュタイナーはなんて言ってるの?
>>825 >物質的身体もエーテル体もアストラル体も霊とは思わないですね。
もちろんそうです。でも、あなたが言う小我は、物質的身体にもエーテル体にも、アストラル体にも影響は受けますよね?
アストラル体の浄化が殆どのまともな宗教の基礎なのはそのためですよね?
エゴの作用を弱める。
イエスのゲッセマネの祈りについては、あれは兄弟たちに起こらざるを得ない不幸を過ぎ去らせてくれ、といった内容と読んだことがあるから、あなたの解釈には完全には賛同は出来ないけど、
魂の浄化は自己の明け渡しなのは同意します。
また、知性には限界があるのも認める。
だから、輪廻を貫く我については、完全には言語化出来ないでしょう。
小我までは、認識が一致しているのが分かって良かったです。
ようは、いいたいことは、
明け渡すのは自我ではなく、穢れた魂に影響を受けたエゴである。
魂の穢れがなくなると、本当の自我の光が輝く。
小我を霊と言ってしまえば、エゴもそれに含まれるので、わたしの場合はアストラル体も小我であると
>>823 では表現しています。
まあ哲学や思想といっても言葉として表現されている 以上それは誰か人間が作ったものだからねえ。 どの方向から見るかによってそれぞれ解釈や考え方 が違うのは仕方ない。 しかし知性に限界があっても通常はその知性で何か を理解しなければならないと思う。 そう考える時、古代の思想は一種の頭打ちになるような 気がする。これこれではこう言われている。そこで止まる。 現代の哲学や思想ではそういうことは少ない。しかし シュタイナーの場合は扱っているのが多くは超感覚的世界 の認識だからこれまた難しい。
だけれど、さすが現代に近い人間が書いた だけあって本論を述べる前に、たとえば 自由の哲学や、神智学、いかにして超感覚の・・ などの本を書いている。 超感覚的な世界の話であっても、よく読むと 思考や論理を要求されることが多い。 他の伝統の古い思想はあまりそういうことがない。 ギリシャの哲学中以前に帰っていくと特にそう思う。 それがたとえ知性の中で理解が難しくとも、現代的な 人間にとっては論理的思想体系の方がはるかに道は 歩みやすい。 まあ俺はそう思ったな。 磔刑を予定され、それを知っている人間が(まあ神の子だが) 死ぬのを避けたいと思うなら日本の武士以下になってしまう。 家族を捨ててまでイエスに従った弟子の不幸を過ぎ去らせて くれと祈るなら、のちの使徒の前に現れわ結果的に殉教させたり しないと思うな。 ゲッセマネの祈りはゴルゴダの秘跡を自分だけでなくできるなら 連れてきた弟子たちも一緒に栄光に加えてください。 しかしあなたの意志するところに従います。と言う祈りだ。 弟子が眠ってしまったことにより自分ひとりでそれに 望むことになった苦悩が出てる場面だよ。
瞑想は俺も長い間したが人間性になにか変化があったかというと、 はっきり言うと何もないな。 途中の過程で無駄なとは言わないが不要な 知識が増えただけだ。 能力に変化があったかというとこれはあったと言うことができる。 そもそも瞑想の目的は超能力的なものの獲得だったから。具体的に は言わないがそれ以外に集中、特殊な呼吸法やアーサナ、食事にも注意 を払ったからね。 しかしスートラの通り、そんなものは結局は何の意味も 見いだせなかった。 瞑想は利己的な目的が少しでも介入してやるなら、魂の 成長は望めないな。 ちなみに瞑想とシュタイナーの行、軽い呼吸法一部ダスカロス の書いた訓練は今でも行っている。行である読書もだけどね。 理想や意思するものはあっても期待はしない。待つということは おぼえた。 世の中が規則にしたがい自分に向かってくることはよくわかる。 困難なことが多いが、意志がなえることはないけれど。 カルマが駆け足でやってくるという意味がわかるような気がする。
自分が意志しての進化を目指すなら今のところ 三つしかない。 人智学、ヨーガ的道、キリスト教的道(広い意味で仏教やある 種の少数宗教も含む) しかし現代に合った形で普通に一般人が手に入れられるのは今の ところ人智学だけだね。 他の二つはシュタイナー的な人物が世に普通に選択できるように 公開してない。
シュタイナー的でなくても普通に行を行っていくと 自分に悪を見る。日常で意志して向かい合わないと 境域で跳ね返されるし、(といっても自分がそうする んだが)超えることは出来ない。 利己心というものを取り上げたとしても行を挟まない 普通の認識では、まずそれがそうだなどという理解まで は届かない。 まあ長い階梯だということに間違いはないと思う。
自我を破壊する悪魔・アスラが既にバリバリ活動してますね シュタイナーが予告していた以上に早く事態が悪化している印象
>>837 放射能の撒き散らしはアスラ的な現象でしょう?
>>838 言っている意味がわからない。
放射能の撒き散らしがアスラ的現象なら、
第二次世界大戦もチェルノブイリもそうなの?
というか、放射能の撒き散らし=アスラ的現象って短絡的な発想だと感じる。
>>839 厳密に言えば、第二次大戦の時にアスラが地上に解き放たれたんだと俺は考えてる
シュタイナーが考えていたよりもずっと早くアスラは出現したのだと思う
>>840 では、アスラは日本で特に活動してると考えてるの?
>>841 それについてはよく分からない
ただアーリマン以上の高次の悪魔的存在が既に地球上で活動していることは
間違いないと思ってる
福島の原発ですが、結局死者は津波でしたよね。 原発の中で働いていた人が後日Facebookで、日本の半分がなくなっても全然おかしくな状況だったと、言っているのを読みました。 その後で原発への見直しの動きが拡まった。アーリマン的な現象(地震)がアスラ的な現象(放射能)をある意味阻止したようにも見えるなぁと感じた。 ルシファー的諸力でアーリマンに対抗するように、アーリマン的諸力でアスラに対抗するのだろうか。
ジャガイモうめぇ
ポテチはジャガイモに非ず
847 :
考える名無しさん :2013/07/19(金) 00:59:01.19 P
【日本から韓国への資金援助の歴史】 ◆併合前に当時一国が買えるという程の朝鮮のロシアへの借金を日本が肩代わり ◆併合時のインフラ整備等の【6000億ドル相当】 ◆日韓基本条約(請求権・経済協力金)の【8億ドル+α】1965年 ◆特別経済協力金の【40億ドル】1983年 ◆通貨危機救済金の【100億ドル】1997年 ※IMFと合わせて570億ドル ◆ウォン高救済基金の【200億ドル】2006年 ◆リーマンショック時の【300億ドル】2008年 日韓ワールドカップスタジアム建設費 【300億ドル】 ■ODAの利子など返済しなければならないものも未返済。 ODAを打ち切った時に、大統領が謝罪を要求してきて日本はその時も資金援助しています。 ■経済危機のたびに融資したが未返済。 IMFの時も、「IMFはありがたかったが、日本からのは迷惑だった」と 公式に発言。 ■リーマンショックで300億ドル融資した時も、「日本は出し惜しみしてる。アジア諸国が日本にふがいなさを感じるゆえんである」と発言。 ■ワールドカップの際、供与を申し入れされたので融資したがその300億ドルも未返済。 ※それだけ借りといて、日韓じゃなくて韓日と表記せよ(コリア・ジャパンWC)と要求した。 援助され続けている国が、返済しないだけでなく、領土を盗んだり、 ありもしないでっちあげの歴史認識で謝罪と賠償を要求し続けている。 韓国(朝鮮)という国は、↑こういう国だということを、日本人自身がよく認識しなければなりません。
牛乳に蜂蜜いれて飲むのはどうなん?
糖尿病の血糖不足を補う程度の時飲む。
糖尿病は霊的にはどういう意味を持つ病気なの?
精神史家の西川 隆範さんが 数日前に病気で亡くなられました。 シュタイナーを学ぶ上ではなくては ならないな存在の一人でした。 その貢献はたいへん大きいと思います。 あなたのおかげで多くを学ぶことが 出来ました。感謝の念に堪えません。 ここにご冥福をお祈りします。 安らかにお眠り下さい。 ありがとうございました。
という連絡を今日受け取ったんだが 本当に残念だわ。まだそんな年齢の 人じゃないのに。 病気なのは知ってたが、こんな急に 逝ってしまうとは思わなかったな。 もっとどんどん訳せなんて失礼なこと 言ってしまったが、今後西川さんの 新刊が出てこないと思うと寂しい。 人間いつ生まれたかは知っていても いつ死ぬかはわからん。 自分自身でも人との関わりでも、 ああしとけばよかった、こうしとけば よかったと後悔のない日々を送りたい ものだ。
あのシュタイネリアン密教者の西川さんですか・・・ シュタイナーの本は高橋巌さんか西川隆範さんのいずれかの訳であることが多かったので 非常に残念です。 ご冥福をお祈りします
凄くびっりしました。 亡くなられたんですか。。。 シュタイナーの書籍を日本語で何不自由なく読めたのは彼のお陰です。 彼の訳した書籍を通じて、私は別人のように成長することが出来ました。 本当に感謝しています。 ご冥福をお祈り致します。 ありがとうございました。
まじかよ…
とても驚きました。 今たくさんのシュタイナーの翻訳を日本語で読めるのは西川先生と高橋先生のおかげです。 西川先生、本当にありがとうございました。
高橋先生、西川先生を継ぐ翻訳者は現れるのだろうか?
人を会して既存の訳者に訳著出せって頼んでおいた けれど西川さんのようなペースでは難しいだろうな。 オイリュトミーの先生に行きあったらもう一人 訳者に頼めるから一応頼んどく。 お前らも誰かコネクションが有ったらお願いしろ。 今更英語もドイツ語も勉強したくねえよ。
最悪お前らドイツ語と英語に堪能なやつ私家版で 訳せ。
十分過ぎるほど訳書は既にあるから、それをしっかり読むのもいいかもしれない。
シュタイナーの場合、同じ対象に ついての講義でも次には視点や 深度が違うからとりあえず未訳は 出して欲しい。
アーカイブもあることだし最悪 自力で読むわ。
それは自分もそう思う。一方で主要の4著だけでも、人生の全て使っても全然学び足りないと思う自分もいる。 多分、後者の自分のほうが正しい自分なのだろうと感じている。
それはまた別の問題 やはり翻訳点数が多いにこしたことはない まだシュタイナー未読の日本語読者全員のために
過度の知識欲は人の道をそらせる。 過度は左に行くとルシファー的。右にいくとアーリマン的。 中庸がキリスト。 既に書籍は十分ある。 西川さんに感謝して、私は中庸の道を歩こう。 西川さんのおかげで、私達は十分な糧を与えられた。 ありがとうございます。
>>865 みたいな人は4福音書だけを読めばよい、というピュアなキリスト教徒みたいな方なのでは
この方の場合、主要4著作以上を求めるのは過度な知識欲によるのものなのでしょうね
私は高橋先生にまだまだ訳していただければありがたいと思いますし、後継の方に出てきて頂きたいとせつに願っています
全集が日本語で読めればしあわせだなあ、と思います
>>868 そういう人に限って、基礎の行を何もせずに、知識だけが増えてゆく。
そもそま西川さんの話があった後で、訳書の心配をする態度はどこから来ている?
キリストからではないことだけは明らかだ。
最初は欲と情熱があるから シュタイナーも学べる。 目立つところでルシファー やアーリマンがどうこう 言ってもしょうがないぞ。 知識が増える分には何の問題 もないし、追い求めるのも何の 問題もない。 それにどう関わりあい、生かす かが問題だ。それが個人的だけ 個人の中だけで終わるならそれ が問題だ。 お前らもバカじゃないはずだから 時代の雰囲気を知ってるなら それぞれは別に生活していても 共通の理想や希望の上に生きようぜ。
このスレの連中にもいつかお互い実際に顔を 合わす時がやって来るかもしれん。 同じものを学んでると特にシュタイナー などは、人間の繋がりは不思議だぞ。
実際に顔を合わす時がやって来るかもしれんが、 シュタイナーを学んでますと言う時はないかもしれん。
西川氏が亡くなったのか 六十歳って若いな ご冥福を
やたらと改行と空行が多くて目立ちたがり屋なところ
なぜそうなのかを 主観でしか判断できない ところ。 自分の関心や興味の対象 以外は理解しようとしな いところ
知らないことを知っている かのようにいうところ。
>>869 そうやって他人を悪魔扱いすることから止めていけばどうだろうか?
キリストからではないとかルシファーとかアーリマンとかさ
西川さんが翻訳された第五福音書なんかほんとに日本語でこれからも残すべき書物だと思います
こういう日本語読者からすれば貴重な著作の日本語訳にこれからも出会いたい
>>878 他人を悪魔扱いはしてないですよ。どちらも全ての人間の中で働いている諸力だから。
ルシファー的なことも、アーリマン的なことも、キリスト的なことも思って行為する時がある。
でも第五福音書の下りは凄く同意します。
ようは、言いたいことは
>>865 >既に書籍は十分ある。
>西川さんに感謝して、私は中庸の道を歩こう。
>西川さんのおかげで、私達は十分な糧を与えられた。
です。喋る言葉は「時と場合」によって正しくも間違いにもなると思う。
で、僕はこのタイミングで訳書の心配をするのは正しくないと思う。
それだけです。
どっちでもいいんじゃね。 訳者が自分のためだけに訳してた わけじゃないから。 有名な歌手や作曲、作詞家が 亡くなってもう心に響く歌が 聴けなくなると言ってもなんら 問題ない。 ある程度著名な人は聴くべき人 読むべき人のために尽くしたん だから。 哀悼の念はお世話になった 人は持ってるわけだし。
それにアーリマンやルシファーがどうのこうのは とりあえず個人の言動や態度に対して言うべ きものではない。 まず己自身の言動や態度について考えるべき がまず先と思う。 アーリマン、ルシファーと言ったとき まず人間である限り自分の中にすでに その影響が多大にあると思うのが当然 と自身はは考える 行やら何やらでそれらの影響を退けられるほど の人間が個人に対して初めて言えることで その場合謙虚に言を受け取めるのが正しい 態度かも知れない。 安易に非難を含むものはそれを言葉にする 自分自身をいつも考えるようにはしている。 それも一つの行であるから。 己の中から利己心や高慢、傲慢がなかなか 消えないのは気づくための手段を持たない からだと思ったとき 行はどうしても必要になる。
>>880 もちろん、そうだと思うよ。
でも、西川さんがどうこうじゃなくて、自分自身が、このタイミングでどうあるべきか、について話しました。
実は、僕も訳書の心配を心の何処かでしたんです。で、それに気付いて、
>>860 と思い直しました。
だから、本当は人のこと言えないんだよね。
失礼しました。
>>882 問題ない。だれでも>879のようにも思うことだから。
考え方はそれぞれだし、違和感、反感、賛意、同意
いろいろある。どれが間違いで、正しいも見方によるしね。
でもなんらかしらやり取りがあるから気づかされることも
また気づいてもらうこともできる。
良い面を最大限に自分に生かせれば人によっても自分に
とっても有益だしね。
人によってもじゃなく、人にとっても だわ 間違えちゃった
今追い付いた それだけ日本の人智学徒にとっては、西川さんと高橋さんは感謝してもしきれない存在なんだよね お二人はただ語学ができるからという翻訳家ではなかった 後を継ぐ人たち、どうかよろしくお願いします 追記 筑摩新書のシュタイナー入門の方なんかドイツ語できるんなら是非翻訳してほすい! いや、これからでもドイツ語勉強してください!
後続の翻訳者は出てくるだろうから、心配はしてない そもそも未読の本がまだ沢山残ってる
それが出てきてないんだわ あなたやる?
俺が既刊を全部読み終わる頃には出てくると思っている
動物に記憶はないというけど 虐待された動物がトラウマを持っているのは何故だろう
>>890 動物のエピソード記憶について。
(wiki)
エジンバラ大学で2006年に行われた研究によると、ハチドリが世界で初めてエピソード記憶の2つの側面を示した動物とされた。
それは、ある花のある場所とどのくらい以前にその花の蜜を吸ったかを思い出す能力である。
彼らはハチドリの行動範囲に(ショ糖を内部に仕込んだ)8本の造花を配置し、ハチドリがそれらの花を訪れる頻度を観測した。
8本のうち4本は10分ごとにショ糖を補給し、残る4本はショ糖が空になってから20分後に補給するようにした。
ハチドリは造花のショ糖補給スケジュールに合うように訪れるようになり、10分間隔で補給される造花には頻繁に訪れるようになった。
「我々の見識によれば、これは野生動物が食料源の場所といつそこを訪れたかを記憶していることを世界で初めて示したものである」とエジンバラ大学の Susan Healy は述べた。
今は仕事といいか会社の都合で英語の勉強しかしてないんだが 今回のことがきっかけでドイツ語を勉強してみたい気持ちが出てしまった 2外もおフランス語だったから道は険しいのかも知れんが まあ語学ってそういうもんだよな
既訳の未読があるからそれを読み込めばいいとか自分の話してる香具師はアスペか
フランス語よりもドイツ語の方が活用が少なくてとっつきやすいらしいよ 思い立ったが吉日だね
>>893 奇遇だな。おれも第二はフランス語だ。
3か月授業サボったおかげで講義毎に2回
あてられるのを条件に単位もらった。
第二選ぶとき適当に選んだけど今になれば
ドイツ語にしときゃよかった。
訳者の一人に未訳を訳してってたのんだら
あなたがドイツ語勉強して読めばいいじゃん
って簡単に言われたよ。
でっドイツ語をしょうがねえから勉強すること
にした。ああめんどくせー。
>>897 レスの内容というより、以前自分を批判した人とあなたを勘違いしたのだと思う。
書いている内容ではなくて、「自分とどういう関係にあるか」に反応しているので、相手しなくていいと思う。
暑くてシュタイナー読んでも 何も頭に入ってこない。 よって秋になるまで待つこと にした。 きっとおいらみたいな情弱も このスレにはいるはずだ。
買って満足 眺め満足 俺やで
エドガー・ケイシーがじゃがいもについて語った時に、「人間に必要なのは皮の部分であり中身は犬か豚にでも食べさせておけばよい」と糖尿病の患者をリーディングした時に言ったのですが、 じゃがいもを(好んで食べた場合も含めて)食べ過ぎてカルマを積んだ動物はどうなるのでしょうか? 人類に貢献したり、感情的にも深く関わった動物霊は同種族の類魂の枠から外れてしまい、外道の様なものになったりしてしまいますか? それとも逆に昇華して人間に生まれ変わったり自我を持ったりできるのでしょうか。
エドガーケイシーのリーディングは、その患者には当てはまるけど、同じような症状を持った他人にはあまり意味がないものらしいよ
>じゃがいもを(好んで食べた場合も含めて)食べ過ぎてカルマを積んだ動物はどうなるのでしょうか? >人類に貢献したり、感情的にも深く関わった動物霊は同種族の類魂の枠から外れてしまい、外道の様なものになったりしてしまいますか? >それとも逆に昇華して人間に生まれ変わったり自我を持ったりできるのでしょうか。 この部分について自分もどうなるのか答えを知りたいところだ
>>904 シュタイナーの見解はわからないけど、スピリチュアリズムの見解では、動物が人間に生まれ変わることはないらしい
人間に深く関わった動物(ペット)は死後、飼い主の人間が死んで幽界に入ってくるまで待っているらしい。
しかし、飼い主と再会後、いずれその動物の類魂に吸収されるらしい
どこまで本当かわからんが
動物が人間に生まれ変わることはない。 動物は自然の中にいるのが本来と思うが 人間に飼い馴らされないならば堕落していく。 悪と言う部分では動物は人間よりさらに悪的部分を 本能や形態として物質界に表されているから。 仮に自然界に人間が存在せず、動物から下位の 存在だけで成り立っているとするといつかは 地球は崩壊してしまう。星としての進化 も出来なくなってしまう。 動物の自我にあたるものが高次世界に見いだせた としても、下位にあるものは上位存在の影響を 多分に受ける。動物を飼い馴らすことは本能のまま に生きるものに人間が影響を与えている。 つまり堕落と退化にセーブを掛けていることになる。 動物界は人間の進化と共にいづれ消えるが、人間は直接 動物の進化に関わっていない。
一部の動物たちは、人間のエゴや あるいは食料になるために、その存在 を繰り返し消滅させられている。 動物の場合、個体である一匹や一頭に カルマが存在しているわけではないが 動物の集合魂には存在している。 多くの動物たちは人間のために犠牲に なっていたり、供儀をささげている。 今は牛や豚など動物を食料としているが 将来に人間は動物を肉を食料とすることは なくなるだろうが、いつかはカルマとして 動物にそのお返しをしなくてはならない。 つまりつけは払わなくてはならない。
しかし、ベジタリアンも最近は必ずしも健康にいいわけではないと言われつつあるよね? 動物に限らず、人間も生命或るものを食らう存在。 動物と植物の命の重さに軽重はあるのか? 神のような超越的存在の前では、すべての命あるものの存在は平等。 つけを払わなくてはいけないのであれば、それは植物を食べてもまったく同じこと。
痛点がないとされる魚類に関してはどうなのか? また将来、食料不足の打開の切り札と言われている昆虫食はどうなのか? 理由はどうあれ、命あるものを人間は食べていかないと生きていけない。
人間そのものも細菌の餌になっている場合がある。 しかしそのことを生命そのものにかかわるような 病気にならなければ普段気にも留めないし影響もない。 植物や魚類、あるいは昆虫を食べるということは 人間にとってそんな不都合がある問題ではない。 植物は動物よりさらに高次領域に集合魂にあたるもの を持っている。植物を食べることそのものが植物の 植物の根源的存在に何か苦痛や不都合を与えるもの ではない。 魚類や昆虫は神々の共働で地球を作り上げる時、多様性 植物の類縁として、また地球の内臓たる海の中の有用菌 のごとく派生したものであるからそれを食したところで やはり何らかの不都合を与えるものでもない。 一般的に言う動物は、もとは人間の仲間であったということ。 人間が感情や感覚で持つ苦痛を、もちろん喜びもだが 人間と同じように味わうということ。これは人間に近いところ に存在する動物の集合魂にも影響を多く与える。 生命あるものをむやみに滅するのはいうなれば魔術的快楽 だが、動物以外の生命に同じ感情的感覚を持って 向き合うのは少し誤解がある。 ちなみに蝶は光から派生したものだとシュタイナーは言った。
海そのものは陸地から比べると広大で 水の循環によって大地の老廃物を最終的に 海に流し込む。それは物質的なと言うこと だけを意味しない。 人間の上に雨、風を降らすことによって 最終的には海へ流れ込む。 一種人間が作り出した不都合な想念の昇華 も担う。 人間は地球をあれこれ自分のために加工するが それも上位存在からみると、人間が動物界と その周辺を見るように自然とみる。 いつか海は人間の手で汚染され、つまり水は ことごとく汚染され内臓機能を弱らせ、失う。 もしそれは上位存在がもし言うなら地球の老化で 死の秒読みだと。 核は生活の利便を図ったが、制御と利潤のバランス を崩したので人間の手で、特に日本は、環境と利潤 のバランスを崩した中国も老化に多大に手を貸した ことになる。 唯物的な科学技術は使うべきものと言うことはない。 原子力もそうだが。使うにふさわしい存在になりえたか が問題である。
病気の根本を考えず、現れたあとの治療に 主眼を置きいくら優れた技術や治療法を 発見、開発したところで病気はなくならない。 原発の廃止は、今の自分の快適な、物質体 にとってたいへん心地よい生活、生活感と 測りにかけなければならない問題だ。 災害前と後で何も生活感、スタイルが変わらず 原発廃止をとなえるなら大きな自己矛盾で あるとまず気づかなくてはならない。 大きくは景気の回復や経済の発展の期待の 裏にある反作用としての平和と安全の放棄に つながる。
反原発ってのは時代の流れ しかし原発の稼働を辞めればいいのかといえば、そう単純な話じゃないよ 4号機だっけ? 動かしてなかったのに水素爆発しただろ? 燃料棒の冷却がうまくいかなかったため つまり稼働しなくても同様の危険はある それならば当面は、稼働して代替エネルギーが開発されるまで原発を動かして徐々に廃止していくのがまし。 化石燃料の輸入でGDP悪影響が出てるのだから、当面はコスト考えざるを得ないと思う。 原発は停止していたって危険なのだから
最近、iPadアプリのi文庫HDで、 線を引いてしおり化した部分をまとめてevernoteに投稿できることに気付いた 今までは、iPadで読みながらアノテーションできるソフトで線を引く→後でPCで手作業で文章を抜き出す という工程だったけど、 iPadで読みながら線を引く→するとテキストファイルになっている という工程になるので、かなり楽になった 俺みたいな読み方してる人にはおすすめ シュタイナーの本は他に類を見ないほど線を引きまくるから
おれはgoodreaderってアプリを使ってる。 学生時代からノート取るのは苦手だから というより嫌いだからこのアプリが使い やすい。 もちろん罫線も引けるし抜出もできる けれどクラウドにアップできたかやった ことないからわからん。 しかしタブレットは便利だわ。ハードでは androidの方が上だがアプリの出来はアップル だな。やっぱり。
電子書籍でシュタイナーの著作があるの?
邦訳では2冊かな。英語では数冊ある。 日本語でもPDFを探せばけっこうある。 あと複合機のプリンターを持ってれば 手間はかかるがPDFにしてタブレットには 放り込めるよ。
goodreaderはアプリ立ち上げて設定変更したらiCloudをオンにできるよ。 general settingのところ。 個人的にはDropboxなどのオンラインストレージに全部ぶっこんでどの端末(タブレット、スマートフォン、PC)からでも見れるようにすると便利。
iCloudはアップルの端末3台使ってて 主要データのバックアップで容量不足・・・。 アプリ的には便利そうなのがいくつか あるんだけれど、最初にGRを使ったから そのまま今日に至ってる。 ただPCで管理していてどの端末にも同じもの が入っているんでオフラインでも大丈夫なんだけど。 しおりは同期できないから、端末変えると どこ読んでたっけみたいなことにはなるけどね。
今はルーターにハードディスク繋いで マイストレージにアクセスできるように しようかなと思ってるよ。 それの方が容量デカいから何でも入るし。
ああそれ安いねえ。Googleドライブは気づかんかった。
西川さんの翻訳、健康と食事って読んだ人いる? 買って読んでみようと思うのだけど、肉食とか菜食とか魚食についても触れられているの?
持ってるけどまだ読んでない 目次見たら「肉食と菜食」って章があるね
>>916 「本 自炊」とかで検索すれば出るけど、scansnapっていう本を取り込む用のスキャナがある
スムーズにいけば一冊5〜10分くらいで取り込めるよ
しばらくシュタイナーの本読んでなくて、あれは何だったんだろうって思う瞬間もあったけど 読んだらやっぱりもう半端ないっていうか圧倒的だね この濃度の本はない
>>923 実際の食生活に参考になるよう
な書かれ方とは違うけれどね。
衝動のような流れのようなものは、人智学じゃないところからやってくるという気がしている 人智学は、その流れを整える強力な力があるけれど 衝動自体を人智学の中に見付けようとしても難しい。 ドグマ的にただ一つの「正解」を示すなんてことは、シュタイナーは絶対にしないから、 何をすれば正しい」のか分からない。 そして十分に知ったなんて一生かけても言えないほど深く広いから、 知ることだけに一生を費やしかねないないんじゃないかと思った時もあったけど 個人的なところからやってくる衝動を、人智学で濾過すると、 そのときどきの理解で、流れが整えられる感じがする だから人智学についてすべて知り尽くさないと何もできないということは全然なくて、 むしろ個人的なところからやってくる衝動を流し込んではじめて人智学が個人の中で生きたものになるじゃないかと 最近は思っている
>>928 >個人的なところからやってくる衝動を流し込んではじめて人智学が個人の中で生きたものになるじゃないかと
>最近は思っている
凄く同意。これは、サッカーの批評をすることと、サッカーをすることは違う。
人間は実際には歩けない時から歩くことを意志し、歩きながら歩けるようになる。
シュタイナーの著書やスピリチュアリズムなどの著作を読むと共通点も多いし、 真言宗の坊さんの言ったことと共通点も多い。 やはり霊とかあるんだろうか?
>>930 霊がないと、「我思う故に我あり」が出来ないよ。
当たり前すぎて気付けないだけだと思う。
シュタイナー!おまんこ壊れちゃ〜↑う!
>>913 スレチだが、
使用後の核燃料棒はそのまま水中から取り出すと周囲の作業員が即死するほど、
放射能が増加してしまう。
使用済み直後は使用前の1億倍とも10億倍にも増えるとも言われるが、
少なく見積もって1万倍だ、としてみても、
稼動すればするほど危険がとんでもなく増えてしまう。
それを稼動しなくても同様の危険があるというのは、
友人に「あなたの借金が1万円でも1億円でも同じ借金だ」と説明するのと一緒。
説明は省きますが、コスト面でも火力のほうが格段に安い。
オカルト的な側面から見ると
西川氏の著書の「天地の未来」の緒言の最後に書かれているような
影響があるとすると稼動というのは黒魔術の実践と同じことかもしれない。
コストにかんしてはサンクコストの概念を理解していない
視点を電力エネルギーや 経済に置くならコストの 問題にはなる。 結局高い安いの理論だけど、 問題点がそもそも間違えて いるんじゃないか。 安全性の問題に、経済を絡める からおかしな事になる。
俺自身は、進歩の中で得られた技術 は有用に使うべきだと考える。 それが原子力でも。 福島の事故でも、原因は天災だとしても 原発の建設から管理ににおいても、人的 な不備が無かったといえない。 事故処理の最近までの対応でも、後付け ごめんばかり。故意なのか能力の欠如 なのかはわからないが、 センシティブで有害なものを扱う側の 道徳性に問題があるように思う。
まあ原発反対の連中も、別に悪いとは 言わんがあらためてこれを機会に、 電力エネルギーに配慮した生活を 送ろう、あるいは送っているやつ なんてほとんどないないと思うがな。 企業が電力に対して、コストを削って いるのはあくまでも損益の問題だからな。 自分の生活に何も配慮しない、有名人や 著名人が先頭に立って原発反対など ナンセンスもいいとこだわな。
>>938 あれはヒューマンエラーじゃなかった?
イソコンってのがあってこれが原発訴訟の最後の砦でことごとくこれがあるということで住民側が敗訴したらしい。
NHKや大槻先生のブログでは、東電社員がイソコンの正しい操作方法を知らなかったとかなんとか…
ただ最近の答弁ではイソコンが作動しなかったと言ってるらしい。
それがウソか本当か知らないが、当初はイソコンの操作を知らず、操作を誤ったと言われていたんだけどね。
ここまで来るとどの情報が本当でどの情報がウソかわからない
運転コストねえ。経済は動かす 方によっては、利益を生み出す側 にとっては都合よく計算されるからな。 今回の事故を含めたり、地元にバラまいた 金も計算に入れて欲しいわ。
>>941 そのようなサンクコストを計算に入れるのは適切じゃないと思うよ。
変動費を見るのだったら、上記の池田先生の主張が正しいだろう。
安全どうこうは別にして。
まあそれはわかる。数字だけを 見た結果が今回だと言いたかった だけだよ。 そのツケの結果が確定じゃなく 進行中だってことに恐ろしさを 感じるよ。 俺にしても、原発は迂闊だったと すごく反省している。生活の快適さ に惑わされ無関心にとらわれていた。
逆に化石燃料の火力発電が、安全面、環境面で見て優れているかと言われても必ずしもそうとは言えん。 地球温暖化(もちろん賛否両論あるのはしっている)が本当だとすれば、化石燃料は温暖化の原因になる。 再生可能エネルギーが、もっと進化浸透開発されるまでは、コスト面で考えるのは仕方ないんじゃないか? 日本の火力発電所は優れているけど、お隣の国の火力発電所は大気汚染の原因のひとつになってるのは否定できない
環境に慣れること、情報に慣れること 本当に恐ろしい。 300kmしか離れてない所に住んでる 俺らは汚染した地下水が海に流れて も大騒ぎしてない。 そのくせ福島産の食物と聞くと それだけで手を伸ばさない。 まあ人間は愚かだな。被災者でなければ 人ごとだわ。
>>945 関東?
自分は九州だから福島から遠いんだけど、大陸に近いから一時期PM.2.5で騒いでいた。
今はまったくと言っていいほど言われなくなった。
影響がそちらの地方より強いのは間違いなんだけどね。
まあ俺はあの災害以来生活を 徐々に変えたわ。 抱えているもの、こだわっている ものの大半は無意味で重みになっている ということはわかった。まあ物質的とか 世間の一般の人が考える因習的なもの ってことだけどね。
関東だよ。バカみたいに暑い。 エアコン使ってないから。 シュタイナーが絶対的に正しいとは 思ってないが、そろそろ視線を上に 向ける時代が来たってことかもしれん。
>>941 地元やメディアについてばら撒いた金だけじゃなくて、廃棄までのトータルのコストを見て欲しい。
規模がデカ過ぎて、誰も見ていないと思う。
ようは、子供の世代に押し付けて自分だけ上手い汁を吸おうとする最低なやつらがいるんだろうね。
地元にばら撒いた金はサンクコストにあたるんじゃねーの? 廃棄までのコストは安全環境経費として計算されてるんじゃないの? 詳しくは環境会議コスト等検証委員会の報告書を熟読しないとわからんのだろうけど。
放射性廃棄物を保管しなければならない日数は10万年。 福島の放射能を止めるのに40年以上かかる。※それまでに震度6以上の地震があったらもうアウト。 人間の手に余るリスクではない。リスクを含めたコストの計算はどうも放棄しているようにしか見えない。
どちらにせよ、 今現在、世界一高い価格でLNGガスを買わされまた円安の影響もあって、金額的に大きな損失が出ているのは数字上でも間違いないわけだが
新しいエネルギー開発の研究は進んでるだろうから様子見だね。 震度6がもう一度きたら日本の半分が吹っ飛ぶことを考慮に入れると、原発は賛成できない。 リスクコストをちゃんと直視すれば、原発は安い、とはならないはずだと思う。 原発は福島だけの問題ではなく、日本人全員のリアルな問題。
そんな心配の前に日本は財政的にやばいと思うよ IMFは消費税を15パーセントに上げろと言ってきたらしいね。 大丈夫という人もいるけど、こればかりは意見が真っ二つにわかれてるけどね。 自分は、どちら側の意見を信じるか決めかねてる。
経済のことはよくわからんが 一千兆円を超えた国の借金は 減ることはあるのかねえ。 このまま増えたら例えば あと500兆円増えたら いったいどうなるんだ。
>>956 あと500兆はやばいだろうな
日本人の預金残高が1400兆円ぐらいだからな
ただどうなるかってここで言うと福島原発の危険度を必要以上に煽る連中と同レベルになるから、言わないようにしておこう。
それに一言で片付く話じゃないので。
大丈夫だといってる人は高橋洋一氏とか三橋貴明氏とか。
やばいぞと言ってるのは、池田信夫氏やアゴラってサイトによく記事を書いてる学者さんとか。
両サイドのブログを毎日チェックして、自分で確認することをオススメします。
>>956 >国の借金は減ることはあるのかねえ。
今のままだと、増え続けるだけらしいですよ。
そもそも政府は赤字に関する長期予測を2023年の分までしか立てていない。ちなみにアメリカは70年先まで立てている。
ようは、アベノミクスの3本の矢の1本目が、赤字を増加させて大きな景気対策をやることだけど、景気を良くしてから、赤字をどう減らすかの対策を立てていないってこと(呆)
消費税を引き上げて税収を増やし、財政赤字削減対策にしようと動いてると思うけど、増税による消費の減退は、景気を悪化させ、政府が目標としているデフレの解消も遅れ、悪影響が大きい。
※格差は確実に今よりも拡がると思うし。
日本の赤字はGDP比220%で、先進国で最悪。日本人の真面目な気質を考えると、非常に不自然。
政府がアメリカのために意図的に誘導してるとしか思えない。
これからの日本を鑑みると、少子化の流れが続き、老人3人が若者一人に眠ってる資産を相続するタイミングが訪れる。 ※少子化問題と国民健康保険の話と逆の経済的に良い側面 そのチャンスに日本(若者)が何も出来ないともうお終いだと思う。
人智学徒の中に原発容認派がいるとは驚きだわ・・・ 原子力技術が現在の人類の道徳水準で適切に管理できるとはとても思えないでしょう 原発容認派はただ安きに流れてるだけだよ 戦わなきゃそりゃ楽でいいよ 学は無くても山本太郎のような人の方がよっぽど人類に貢献できてる
コストを無視して原発はんたーいとか言ってても、結局は財政面でも日本はジリ貧状態。 アベノミクスが今後うまく行かなかったら、最悪の事態もありうる話だよ。
>>961 アベノミクスは短期的な賑わいしか作れないよ。ようは、その場限りの人気取りだけ。
中長期的には、景気はさらに悪い方向に進む。
原発はリスクコストを含めるととんでもなく高い。それを払うのはあなたかもしれないし、あなたの子供かもしれない。
ようは、自分じゃないからいい、その論理で稼働し続けてるんだよ。
人智学徒であろうとなんだろうと、原発にかんしても物質文明に関しても後戻りはできんよ。 自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない。 科学の力でやっちまっことは、科学の力で解決するしかない。 もう自然の治癒力だけではどうしようもないところまできてるだろ?
>>961 だから、311の原発事故でどれくらいの経済的損失が出たか、分かる??
被害額は計算不能なくらい膨大な金額でしょうが。
それがコストだよ。
もう南海トラフとかでもう1回、こんな事故起こしたらこの国はもう終わりだろ
>>964 原発問題はまだ終わってないよ。最低40年間は何が起こるか分からない。
この現在でも、自分を省みずに、放射能を抑え込むために、命をかけて働いている人がいて、それが今後何十年も続くんだろうな。。。
>>964 だから既に済んでしまったことを計算にいれるは経済的におかしいってことだよ
これからいくら掛かるか、損失を最小に抑えられるかって話だろ?
火力発電だったら環境にやさしいわけでもないし、コストが低いとも言えんよ。
だからサンクコスト(埋没費用)の概念が欠けていると上の方で指摘している人がいる。
967 :
考える名無しさん :2013/08/10(土) 22:58:05.95 0
国の借金の問題は一概にどうこう
言えることじゃないってことは
わかった。
>>960 容認か反対かと言われれば現時点では
反対だ。
しかし、今の生活水準を維持していく
めに埋蔵資源を持たない国では、日本の
ようなコストのかけ方をしないなら
原発は必要だろ。
結局電力料金が多少かろうが、必要なのは
豊富な電力なわけだから。
屁理屈のように聞こえるが道徳水準が
くなれば原子力はは当然のエネルギー
産出燃料となるわけだと思う。
>>965 そう、今、この瞬間も原発作業員という人柱を作ってこの国を何とか維持してる
一説では福一関連の施設で数千人単位の犠牲者が出ているという噂もある
そんな状況を許容できる道徳なんてあり得ない
>>967 正論。
自分も原発には反対だが、代替エネルギーが開発されるまでコスト面でも、原発も併用せざるをえないと思うよ。
徐々に廃止するならわかるけど、反対派のように今すぐ廃止ってのは説得力ない
970 :
考える名無しさん :2013/08/10(土) 23:02:48.39 0
このスレの人たちはまあ大雑把に言ってしまうと 原発は容認なの反対なの? その基準になるものは安全なの経済なの?
>>966 (原発から得られる経済的利益)-(原発事故の際の被害額)*(原発事故の発生確率)>0
ならば、原発を推進するのが合理的だという話になる
だけど、原発事故が起こるリスクの可能性の見積もりは今回の件で変わったわけでしょ?
安全神話はもはや崩壊したんだぜ
311自体は既にサンクコストだけど、リスクの見積もりは変わりました
>>967 アメリカは既にサービスで金儲けするって大昔から舵を切ってるよ。
iPhoneの製造は部品含めて全て海外。でも、利益の50%以上はAppleに入る。
これは、製品だけでなく、多角的なサービスエコシステム提供自体に標準をあて、その権利を守るという具体的な意図に基づいたムーブメント。
彼らのアイデアは著作権(50年)で守られており、確かTPP参加の条件に著作権の期限の延長に日本も同意する、とかの条件がしれっと盛り込まれてたな。
資源に目が行くのは古い慣習にとらわれすぎ。
>>970 どちらかといえば反対だが、安全か経済かはどちらも大事。
どっちかひとつに決められるものじゃない
>>966 済んでないよ。まだ、原発は稼働してるし、リスクコストはそれぞれに乗っかっている。
道徳的云々は当たり前の話として、コストの面からも原発は許容されるべきではない。
すぐに稼働を止めろって話ではない。止めるだけでも凄いお金が動くし。
そうではなく、なくす方向に舵を切り、一番妥当な次世代のエネルギーにスイッチしたほうがよい、というのは当たり前。
既存の権力構造がその実現を先延ばししてるだけだと思う。
>>971 それから原発即廃止って結論にはならんと思うが?
火力発電所を使うとしても、福島のリスクは変わらない。
現に数兆円の損失が出てるの事実だろ?
GDPが流出してるのは数字上でも間違いない。
>>976 うん。僕は、安いから原発は虚構だと言っている。その部分への反論。
>>975 人類は東日本大震災の教訓によって、原子力発電には経済的合理性が無いことを
学んだ
一部の欲得に駆られた連中が原子力技術の延命を図ろうとしてる
ただそれだけだわ
>>968 うん。道徳的にそんなことは許されてはいけない。
結局、それが現実のものになったのは、道徳の欠如した、今(自分だけ)よければいいって人間が、予測できることを見ぬふりをして、それは存在しないものと仮定して全てを進めてきたから。
その人物のツケの尻拭いをするのは子供達だ。
980 :
考える名無しさん :2013/08/10(土) 23:26:16.37 0
>>972 なるほど。
思うに俺の感覚からするとそれは
生産性という観点ではなくマーケット
、つまり数字上の話しじゃないかい。
どうであれ生活は物の所有か消費でなり
立ってるわけだから資源にはどうしても
目がいかざるを得ない
とおもうけどなあ。
んー難しい。
981 :
考える名無しさん :2013/08/10(土) 23:30:12.46 0
シュタイナーすれだけど シュタイナーや人智学の話題以外でも こういう話題や議論はなかなか勉強になるわ。 書きこしてるのはシュタイナーを読んでる人たちだよね?
>>980 その通りです。
アメリカは国策で、自分たちはビジネスモデルを作り、他の国が物を作り、それによって儲かる仕組みを作り上げました。
資源にだけ目がいくと、ビジネスモデルが作れずに、彼らを潤すためだけに存在する奴隷になってしまいます。
戦後の日本はそのモノづくり(職人技)で潤いました。
でも今、私たちに必要なのは道徳的に正しいビジネスモデルをカウンターで構築し、それを権利で守り、所有と消費を正しく整えることだと思う。
所有と消費は彼らが狡猾に構築した仕組みと切っても切り離せない状況に既になっていると僕は考えています。
983 :
考える名無しさん :2013/08/10(土) 23:48:13.84 0
所有と消費を正しく整える んーいい言葉だ! つまり所有も消費も最終的には個人に依存するわけだから 人智学徒?の俺らは人から離れた経済と言う数字の化け物 に惑わされないように無知から脱却しなきゃならないわけだ。 思うにやっぱバカじゃだめだな。 今日はいろいろ勉強になったわ。 そろそろ寝る。おやすみ。 ところでだれか次スレ建てといてね。
安全面は置いておいて、原発を即廃止を唱える人は原発の稼働をやめて火力に切り替えれば、電力のコストが下がるとでも思ってるの? 現実に火力を使うことによって電力コストと日本の経済的損失が増えている事実をどう説明する? 現時点では原発を動かしたほうが経済的損失が少ないのは明白。 福島の事故は、火力を使おうが原発を使おうがこれから経済的損失を最小限にするのに、コストを考える上では考慮に入れるのはおかしいだろ 他の原発をすべて止めて火力に切り替えれば福島は収束するのか?そんな馬鹿な話はありえない。 経済的損失を最小限にしつつ、徐々に他の原発を廃止していくという話ならば俺も賛成だが
>>984 >現時点では原発を動かしたほうが経済的損失が少ないのは明白。
あなたの世代「だけ」は「もしかすると」そうかもね。
活断層だらけの地に原発作りまくるのは狂気の沙汰だよ。
311は結局津波だったけど、人類が変わらないと本当の最悪が現実のものになるかもね。
人間にはそのリスクはそもそも扱えないんだよ。
それを現実のものにしないために、世界中の聖人たちがどんな働きかけを行っているかすらも分からない。
まぁ、伝わらないのは知ってるからいいけどね。
火力発電は二酸化炭素排出量規制で難しいよ 大々的に増設できないかもしれない せいぜい燃えるごみ発電所とかでお茶を濁せるぐらいでは ていうか原子力って地球を荒廃させつつ霊化して 地球を木星紀へと向かわせるんじゃないの 福島で犠牲になってる人のことを考えると軽々しく言えることではないけど 地球や人類の物質的な存続ばかりに目を向けるのは一面的でしょう
>>985 じゃあなぜ現政権は原発再稼働を容認したんかね?
次の世代がどうこいう前に、今現在、日本が経済的損失が大きくなったら困るからだろ?
原発を止めたら、子孫への負担は少なくなるのか?
火力によっての大気汚染、二酸化炭素の増加は子孫の負担にならないとでも?
未来ってのは現在があってこそ。
核のゴミの問題は確かにあるが、ここまできた以上多少原発を止めたってそんなに効果ない。
これは科学技術の向上に期待するしかないが、それは火力による大気汚染や温暖化問題でも同じこと。
原発を止めれば、子孫への負担が軽くなるというのは必ずしもそうとは言えないということだ。
原発を止めて経済的にジリ貧になると、
財政面や火力による環境汚染の問題のツケをより多く後世に回すので結局、どうやっても子孫には迷惑がかかる。
代替エネルギーを早く開発し、徐々に原発を廃止、でかつ現在の経済的損失を最小限に抑えるのがベストだと思うよ。
>>987 ふぅ、そうだね、そうだわ
終わりが見えていても必死にならないといけない
ある物で最善を尽くさなきゃいけない
地球を粗末に扱うのも違うわな
この辺りは終末の医療も同じだな
ある意味死が尊いことだとしても最後まで生のために力を尽くすのが人智学の考えだ
将来電力に替わるエネルギーが出てきても
原子力自体は他の何らかのことで使われ続けると思うけど
その管理はきっちりしないと駄目だな
>>989 今すぐに原発から別のエネルギーに移行できない、徐々に次世代に移行する、という点には僕も賛成。
僕が否定してるのは、原発にコストメリットがある、という幻想。
あなたは、いましか見ていない。それに、
あなたが扱っている問題は既に別の人が「どうなるかわかっていて」やったこと、という視点が抜け落ちている。
やってしまったことはしょうがない。でも、その「分かっていてやった」を抜きにして「短期的にだけ安い」というあなたたちの論調について批判している。
僕たちは道徳をとても大切にするんです。
当たり前の話だけど。
その上で、現実的な話をするんです。
アベノミクスも原発とある意味で同じ原理なことは、前レスで説明しました。
ようは、道徳の欠如です。
>>993 どんな時でも、道徳が大元にないといけない。それがないと、一歩も先に進めない。
それに、稼ぎ燃料と原発では脅威の規模が違うし、温暖化が眉唾なのは、色んな学者が指摘している。
リスクコストを「日本では誰も真剣に直視していない」は誰が考えても当たり前のことだと思うよ。
それに、直視すればするほど、メンテナンス費があがり、あなたは安いと言えない状況になると思う。
ようは、見て見ぬ振りで、リスクは存在しないこと、にされてるんだよ。
>>994 温暖化が眉唾かどうかはまだ決着がついていない
温暖化とは別の要因で寒冷化が進むという話も知っているが、温暖化否定論者も化石燃料の抑制には環境に配慮して賛成している。
一旦事故が起きれば原発は被害が大きい。
しかし実際にこれまで人類の健康を脅かした実数でいえば化石燃料の方が上だろう。
どうあがいても、中国も米国も原発を推進し火力を廃止していくだろう。
>>995 >一旦事故が起きれば原発は被害が大きい。
大きいどころじゃないよ。
それに、事故を起こさないためにはちゃんとリスクを直視しないといけないし、対処も必要だ。
でも、そのリスク自体を見えないようにしてきたのは、端的に言うと道徳の欠如だよ。そのツケを命をかけて行っている人たちが大勢いる。
そんな中で、原発は安いからイイなんて、僕たちはとてもじゃないけど、言えないね。
原発は今の流れだと縮小するよ。米国、フィンランド、英国、フランス本国などで、新たな原発建設を計画はあるけど、福島が原因で安全基準強化の動きがある。フィンランドや仏本国の計画は5年以上の遅れを出していると言われている。
フランスが原発推進をあきらめると、世界的に原発廃止の流れが出来るだろうね。
アメリカでは、カルバートクリフス3号機の建設却下の決定が世界中が3月11日のタイミングで行われた。
オバマ政権の公式な姿勢は原発推進だが、なぜそれが311に原発建設申請を却下したのだろう?
少なくとも、震源地である日本国民で、かつシュタイナー好きなのだから、空気読んで欲しいと思います。
ここはシュタイナーのスレだしスレチになるから原発の話はここでやめておく 快く思ってない人もいるだろうし、 その人たちには迷惑をかけてすまんなと言っておきたい
僕もやめときますw
999 :
考える名無しさん :2013/08/11(日) 01:27:17.45 0
迷惑もスレチもないと思う。少なくともシュタイナー 読んでいる人たちの実際に問題になっていることの 意見だからたまにはよい。
1000 :
考える名無しさん :2013/08/11(日) 01:41:10.41 0
1000だったら秘儀参入者
1001 :
1001 :
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