「謙虚さ」を考える

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255考える名無しさん
たまに鬱になる。先程、そのオサレ鬱になった。

ぱっと聞き取ってメロディを鍵盤で奏でようと音を探そうとして数分、
ギターに持ち替えて既にメロディーを弾いていた。

あー。鍵盤で初期化された身体になりたかった。なんかオシャレじゃん。

なんで、ギターなんだよ。なんかギターで音取れまくれるって、音楽できない人みたいなイメージじゃん。

要は、相対的に把握してるか(ギター)、絶対的な地図の上でツイスターゲームしてるか(鍵盤)、の差なんだよな。

ツイスターゲームのほうがアクロバティックな姿勢でエロい時とかあるんだろ。だからオシャレなんだろ。
256考える名無しさん:2014/01/23(木) 23:18:08.58 0
まあ、ついアコギとベースも録音用に買ってしまったし、全部ギターの指使いだから、いいか。
鍵盤でかすぎなんだよ。88鍵あって、部屋がレイアウト構築中で机の横に押し込んであるから低音の2オクターブしか触れないんだよ今。
そんな音で音当て無理。

しばらく別件で忙しくて1ヶ月はまともに引いてないから筋肉が衰えて、また鍛え直しだ。
こういう体力、筋力、握力的な限界で、一番落ち込む。勝てない、敵わない、って。
これも星の色の特徴なのだけれどね。
これって、逆を言えば、筋力さえあれば、全部難なく熟せるって意味だから、
淡々と筋肉つければ良いだけ。技術と芸術のほうは既にあるから。

でも、身体的衰えが一番尻込みさせるな。怖じ気づけさせる。なぜだろう。筋肉痛の悲鳴が精神の方面に響いてるのかな。
それともやはり、瞬時の完成形までの時間計算が脳によって成され、それが完了されるまでに邪魔が入ったり計画頓挫の可能性が高く打ち出されるからだろうかね。
どちらか、だな。両方とももある。3通りだ。
257考える名無しさん:2014/01/23(木) 23:27:25.22 0
いや、自由度だ。

路上で殴り合いの喧嘩、ストリートファイトをした時を思い出した。
殴ってるのに、力が入らずに、意図通りのダメージが与えられない現状を、
殴る行為を現在続けている俺が客観的に眺め、「この方法はもう使えない」と打診している。

楽器演奏中に筋肉が辛くなり、殴る腕に力が入らない様子、が発生している。

ここに、「意志・意図」が「実現可能」枠内から出され、不自由を感じるからだ。

この不自由感が、落ち込み、勝てない、敵わない、怖じ気づく、の弱気を形成している。


なんか、体育大とかで、こういう心理状態とかもっと神経科学に関連させた研究、やってないものなのかね。
俺は絶対に「自由獲得」「可能実現」の方向に引っ張られるから、嫌でも自分で、たとえそれが肉体改造であろうと、やってしまうのだけれど。
人造人間になるという意味では無くて、定着化に最も効率の良いやり方を模索して編み出して鍛錬を始めてしまうということ。