>>67 それで圧縮できていると勘違いして生きている人たちのことを「バカの壁」を突破していない「知ったつもり」になっている人って言うんだよ。
子供でも読める新書に書いてあるから読んでごらん。既読済みだとしたら、そんな過ち犯すはずがないわけだし。
いや、でも読書の効果が無いっていうのは、読書障害のうちに入るかもしれないな。
やっぱりおかしいな。
>>67 どういう脳みそしてるの?
なぜ、その2行の文章で圧縮が完了できたと思っちゃったの?単に最初の2行というだけ?
どんな微分をしたの?微分するからには、把握するべき話の筋みたいなのを自分で選択・決定しなければいけないのだけれど、
その2行で圧縮出来ていると考えられる「話の筋の見方」は、「新聞の表題の流し読み」だよ。
最新情報をチェックするために掲示板の板をクリックしてる人かい?
物の見方と、扱い方が、個人特有の主観性に固定されているので、君以外の人間には、君が圧縮した見方を下した視点の座標位置が、わからないんだよ。
自分から情報を発信するときには、発信座標をできるだけ正確に伝達するために、できるだけ多くの情報を与えるんだよ。
変数が3つあるのならば、同じことに対して最低でも3通りの言い方をすることで、読む人は連立方程式を組んで解を求めることができる、そういった「お・も・て・な・し」なんだぜ?
もし、その2行しか初めから目にすることが無かったら、その2行を十分な情報として捉えていたかも疑わしいし、
更に1行に圧縮を求めたかもしれないし、結局、それだけ多くの情報を見た上で、どこが重要かを抜き取るのは読む側へ与えられた権利なんだよ。
この権利は書き手の親切なんだけどね。でもディスレクシアには逆効果なんだよな。
それってほんとにアスペとそっくり。人と関わり合いたいアスペと文章を読解したいディスレクシア。
健常者から見ると、やる気が無いのにやりに来ている人に見えるわけだね。
圧縮箇所、圧縮する上での視点と焦点の選択を書き手依存にすると、読む側が得られる情報に大きな制限が生まれるわけで、
また、結果論から、予めこのように圧縮せよ、という注文は無理な注文だよ。少なくとも最低1回のやりとりが必要になる。
最終形の納品までの相互やりとりの回数を出来るだけ少なくしよう、という考えのもと、1回の文章に沢山の情報を入れ込んでいるんだよ。
それは、再度対話する必要がなくなるようにするため。情報量ではなくてコミュニケーション量を圧縮しようとしているわけだよ。
ディスレクシアの場合は、障害が故に読めないから、コミュニケーションが唯一の理解の手段となる。何度も相手しなくてはいけない面倒な案件になるんだ。