◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない192◆

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697抄録
疑えないもの〜感覚は疑えるか

去年だったか今年だったか、いつだったか忘れましたが
「思惟は“感覚そのもの”を疑うことはしない。」
とかなんとか書いたことがあって、
その際に、ゲーム氏に「いや感覚は疑えるように思う」とか言われたんですが
まあそのままスルーしたんです。
確信はあったんですが、説明できる自信がなかったので。
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意識に「(その正体が)何だか分からない感覚」が生じたとします。
つまりその感覚が「痛い」のか「赤い」のか「甘い」のか未だ分からんわけです。
そういうことってあると思うんです(みなさんはありませんかね?)
このとき、この「何だか分からない感覚」が確かにある(微妙w)ことを
「わたし」は疑えるでしょうか?疑えません。
なんとなればですね。この直接的感覚というのは“わたしの分身”だからです(陳腐かw)
その“存在性”には理由が無いんです。
698抄録 :2012/09/28(金) 21:28:33.35 0
わたしは「感覚を感じている」のか。
否です。“感覚が成立(≠存在)する”のです。(「成立」は“片手落ち”かなw)
思惟といえども感覚です。何かが感じられている。
それを伴わない思惟など無い。
とするならば「わたし」と「感覚」を分離することに有効な意味などないはず。
しかし「純粋なわたし」なるものが“存在”している、そのようにしか思えない。
これはいかなることなのか。言語による干渉なのか、時間差によるトリックなのか
もっと根元的なことか。
私には分からない。誰か教えなさい。
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ところで、やがてその感覚は「赤い」のか「痒い」のか、それとも云々か、
それはら有効に区別されて認識される。
そしてその感覚が本当に「赤い」なのか、それは疑うことができる。
「赤い」という意味が成立するのには理由があるからです。
感覚の階層を区別せねばなりません。